「LV」と一致するもの

倉本諒 - ele-king

Dreampusherというワンマン・バンドで今年から後ろ向きに活動しています。愛称はドリシャです。
先日M. Geddes Gengrasとのセッションをレコーディングしました。気が向いたら形にします。

Crooked TapesからはNNF主催Britt BrownとAlex Brownによる負のオーラ全開のデュオ、Robedoorの"City of Scum"と、Metal Rougeの"Live Dead Elk"をリリースします。
というかもうしてます。ウェブの更新が億劫なだけです。
https://crooked-tapes.com

ジャケのアートワーク及び刷りを手掛けた若手Samantha GrassのLPが〈NNF〉から出ました。2ないし3色x500枚以上のいままでにない量で初めて腰をやられました。
DIYの肉体の限界に挑みます。

他もろもろ、あくまでコッソリとやったり目論んだりしているやらいないやらしてます。

2012 summer-autumn Smoker's Delight


1
M.Geddes Gengras / Personable LP (Peakoil)

2
Pete Swanson / Alone Together #5 7'(Emerald Cocoon)

3
Sean McCann & Matthew Sullivan / Vanity Fair LP(Recital One)

4
Sewn Leather / Feel The Lack CS(Chondritic Sound)

5
Ras G / El-Aylien Pt. II : C.razy A.lien 7'+CS(Leaving Records)

6
OM / Advaitic Songs LP (Drag City)

7
Sylvester Anfang II / John Changs Komische Hand : Moordende Maan 7'(the Great Pop Supplement)

8
Swans / The Seer LP(Young God)

9
Villains / Road to Ruin LP(Nuclear War Now !)

10
EYEHATEGOD / New Orleans is the New Vietnam 7'(A389 Recordings)

会いに行ける〈raster-noton〉。 - ele-king

 Olaf Benderとともにドイツのエレクトロニック・ミュージック・レーベル〈raster-noton〉の共同設立者として知られるFrank Bretschneiderの来日ツアーが行われる。東京公演は落合soupの6周年記念イベントとともなっており、スタッフ諸氏にも熱が入る。

 新宿区の落合を拠点として東京のDIYスペースの中でも異彩を放つsoupは、これまでに5周年記念としてMika Vainio(ex-Pan sonic)を迎える他、Mark Fell (SND)の単独ソロ公演やMark McGuire (Emeralds)のアンコール公演&DJ、日本初の100% Silkレーベル・ナイト、Dustin Wongの100分間ノンストップ・ソロ公演等々、「銭湯下のDIYスペース」という特殊な場所性を彩ってきた。配管工事や内装、音響設計、現場の進行やPAにいたるまですべてをDIYに行っているばかりか、スタッフ全員がノー・ギャランティ(売り上げはすべてサウンド・システムや店舗工事に回しているとのこと!)でイヴェントに携わるといった驚くべきアティテュードで運営されている。それぞれにラーメン屋を、電気技師を、保育士をと別々の仕事に従事しながら、音楽を紐帯として結びつく彼らは、みな90年代後半から2000年代の〈raster-noton〉などウルトラ・ミニマリズムに強く影響を受けてきたといい、今回の招聘にいたった背景がほの見えてくる。

 ツアーにはFrank Bretschneiderによるプロデュースのもと〈raster-noton〉初の女性アーティストとして注目を集めるkyokaが全公演に帯同。公演によってはフランク自身によるレクチャーなども開催予定とのことで見逃せない。

https://ochiaisoup.tumblr.com/post/..

 追加のDJに関しては、お客さんにライヴに集中していただきたいということで公表はしない方針のようである。

Frank Bretschneider & kyoka Japan Tour 2012

カールステン・ニコライ(aka. Noto/Alva Noto)らと共にベルリンを拠点に活動する、raster-notonの共同設立者、フランク・ブレットシュナイダーが来日ツアーを行います。
演奏家/作曲家/映像作家であり、レーベルraster-notonの運営と並行してエレクトロニック・ミュージックの過激な還元化と、サウンドとヴィジュアルとの相互作用から生じる美学の最前線を切り拓いてきた彼は、90年代後半のウルトラ・ミニマリズムやサウンドアートを強力に牽引、現在に至るまで絶大な影響力を誇っています。

■2012.10.10 (Wed) at Sapporo Provo
Open/Start 20:00/20:30

Frank Bretschneider
kyoka
sofheso
jealousguy

DJ: Mitayo

https://d.hatena.ne.jp/meddle/20121010

■2012.10.12 (Fri) "時間の音楽" at Kanazawa beta lounge
START 23:00

Frank Bretschneider
kyoka
Riow Arai
Kyosuke Fujita
Susumu Kakuda

https://susumukakuda.tumblr.com/post/31120576060

■2012.10.12 (Fri) Frank Bretschneider 特別レクチャー
"音と映像との相互アクション" at Kanazawa NEW ACCIDENT

20:00-21:00

*20名の入場制限があります。当日はお早めにご来場ください。
https://susumukakuda.tumblr.com/post/31120371870/frank

■2012.10.14 (Sun) "patchware on demand
-shrine.jp 15th anniversary party-" at Kyoto Metro

Open/Start 18:00

guest live :
Frank Bretschneider (Komet, raster-noton)
Christopher Willits (12k, Ghostly International, Sub Rosa)
kyoka (raster-noton)

shrine.jp live :
Toru Yamanaka
Marihiko Hara
dagshenma(higuchi eitaro) + Ikeguchi Takayoshi
genseiichi
HIRAMATSU TOSHIYUKI
plan+e
(大堀秀一[armchair reflection]&荻野真也&糸魚健一[PsysEx]+古舘健[ekran])

act :
tsukasa (post or dry?)
tatsuya (night cruising)

https://www.metro.ne.jp/schedule/2012/10/14/index.html

more lectures to be announced.


*ライヴ公演は10/10(水)札幌Provo、10/12(金)金沢beta lounge、10/13(土)落合soup、10/14(日)京都Metroとなります。

■Frank Bretschneider

プロフィールはこちらから

■Kyoka (onpa/raster-noton)

2012年にドイツのraster-notonより、レーベル初の女性ソロアーティストとなる作品『iSH』をリリース。これまでに坂本龍一等とのStop Rokkasho 企画、及び、chain music、Nobuko HoriとのユニットGroopies、Minutemen/The Stoogesのマイク・ワットとのプロジェクト、onpa)))))レーベルから3枚のソロアルバムなど、ヨーロッパを中心に活躍してきたKyoka。
ポップと実験要素がカオティックに融合された大胆かつ繊細なサウンドは、これまでも世界の多くの人を魅了してきた。
2012年4月にはSonar Sound Tokyoに出演、6月にはパリのセレクトショップcoletteのコンピレーションに楽曲「ybeybe (ybayba editon)」を提供。現在、フルアルバム制作中。

「どういう音楽を聴いてきたら、こういうものを作る女性になっちゃうんだろう?」─坂本龍一─

Cooly G - ele-king

 ブローステップのおかげか、『ミュージック・マガジン』が無理して酷評したおかげか、『マーラ・イン・キューバ』は、日本では、ブリアル以外でけっこう売れているダブステップ作品のひとつとなったようだ。
 ブローステップにしろポスト・ダブステップにしろダルステップにしろ、拡張していくダブステップの手綱を引き締めたのは、結果としてゴス・トラッドの『ニュー・エポック』や〈ディープ・メディ〉だったかもしれないといまなら思えるが、オリジナル・ダブステッパーとしては〈ディープ・メディ〉と双璧を成している〈ハイパーダブ〉も、ハイプ・ウィリアムスローレル・ヘイローといった冒険を押し進めながら、クーリー・GやDVA、LVなどUKアンダーグラウンド・シーンからの才能もしっかりフックアップしている。それらは目立たないかもしれないが、とても良いアルバムなので紹介しておきたい。

 DVAは、2010年、ちょうどUKファンキーが最高潮だった時期に、〈ハイパーダブ〉から「ガンジャ」という12インチ・シングルを出している。これも当時の下北沢のZEROで「なんか良いファンキーください」と訊いたら教えられたもので、なるほどこの曲を聴けばファンキーがソカとUKガラージ、そしてハウス・ミュージックのハイブリッドであることがわかる。



 その年DVAは、スクラッチャDVA名義でクーリー・Gとのスプリット・シングルを自身の〈DVA Music〉レーベルから出している。
 またクーリー・Gのほうは、2010年、〈ハイパーダブ〉から「アップ・イン・マイ・ヘッド」をリリースしている。それは美しいストリングスとR&Bヴォーカルを擁したUKガラージで、UKファンキーよりもさらに、クラブ・ミュージックとしての汎用性の高いトラックだった。
 さらにまた、翌2011年にDVAが〈ハイパーダブ〉から発表したシングル「マッドネス」は、アンダーグラウンドでのこうした動きをアーバン・ポップにまで導く作品だったと言える。



 いずれにしても〈ハイパーダブ〉は、ピアソン・サウンドから2562やマーティンまで、とにかくこの2~3年のあいだの多くのポスト・ダブステップがミニマル・テクノやディープ・ハウスもしくはデトロイト・テクノといったクラシカルなスタイルに"ネクスト"を求めていることに対して、あくまでもオリジナル・ダブステップすなわちUKガラージの発展型としての"ネクスト"にこだわり続けている。そこがこのレーベルの、ある種の硬派的な姿勢から来るもうひとつの面白さだ。
 そうした成果が、今年の夏前までにリリースされたDVAの『プリティ・アグリー』とクーリー・Gの『プレイン・ミー』、最近出たばかりのLVのセカンド・アルバム『セベンザ』、そしてテラー・デンジャーのセカンド・アルバム『ダーク・クローラー』の4枚にある。

 DVAは出自がドラムンベースにあり、ちょうどディジー・ラスカルやワイリーが脚光を浴びていた時代のグライムの主要レーベルのひとつ、テラー・デンジャー主宰の〈アフター・ショック〉に関わっていたという経歴からも読めるように、この10年のUKのアンダーグラウンド・ミュージックの証人のひとりとも言える。
 『プリティ・アグリー』には、そんな彼のキャリアゆえか、7人のヴォーカリストがフィーチャーされている。そのなかにはくだんの"マッドネス"で歌ったベテランのヴィクター・デュプレ(古くはジャザノヴァやキング・ブリットとの共作で知られる)も含まれている。
 今日のR&Bブームにも積極的にアプローチしていると思えるほど歌モノが目立つアルバムで、僕がジェシー・ウェアに期待していたものはむしろこちらにある。あるいはディジー・ラスカルの『ボーイ・イン・ダ・コーナー』がメロウに、そしてクラブ・フレンドリーに、ソウルフルに展開した結実のようだ。プリティ=メロディアスで、アグリー=ストリート・ミュージック臭がとても良い感じで漂っている。

 女性プロデューサーにしてシンガー、DJにしてフットボーラーのメリサ・キャンベル、クーリー・Gを名乗る彼女の『プレイン・ミー』からも『プリティ・アグリー』と同じく街のにおいがある。あたかも深夜バスに揺られながら聴こえてくるR&Bのようだがビートはかなり凝っていて、DVAと同様に、今日的な──UKガラージの発展型としての──ブロークン・ビーツを提示している。
 それでも彼女は、オリジナル・ダブステップのダークなムードを確保している。DMZを彷彿させるハーフステップがあり、ブリアル系の都会の人気のない通りの街灯のような、いかにもUK風の薄明かりの叙情主義がある。ザ・XXの『コエグジスト』の沈んでいくアンダーグラウンド・ヴァージョンとでも喩えたくなるような、ロマンティックな気配さえある。コールドプレイのカヴァーが収録されているけれど、それは言われなければわからないほどに、ダブステップの悲しいメロドラマへと変換されている。ちなみに2010年の名曲"アップ・イン・マイ・ヘッド"は、アルバムのクローサーを務めている。



 ロンドンを拠点にする3人組のLVは、昨年リリースされたファースト・アルバム『ルートス』が、それこそ寂しい通りの街灯をデザインした、ブリアル系のロマンティックな作品だった。ところが、南アフリカ出身のMC、Okmalumkoolkat(オクマルムクールキャット)とRuffest(ラフィスト)、Spoek Mathambo(スポーク・マサンボ)の3人をフィーチャーした新作は、前作とはまったく別のアプローチを見せている。
 LVも一時期はUKファンキーに手を染めていたほど、ある意味柔軟な姿勢でシーンと関わっている。『セベンザ』はヨハネスバーグのクワイト(kwaito)と呼ばれる、ハウスとヒップホップが混合された"アフロ・ロービット・エレクトロニック・ダンス・ミュージック"に触発されたアルバムで、南アフリカを旅したメンバーが2年前から着手しているプロジェクトの成果だ。
 『マーラ・イン・キューバ』や『シャンガーン・シェイク』のような、旅するダブステップという試みのひとつだが、LVによるこれはマーラや〈オネスト・ジョンズ〉の2枚よりもずっといなたく、逆に言えばクワイトの生々しさが保存されている。威勢が良く、訛りむき出しの、気迫のこもったMC、そしてカラカラに乾燥した電子音、南アフリカのゲットー・ミュージックに突き動かされたチープな音は生き生きと躍動している。ドラムンベース~UKガラージのスリリングなビートと低音に注がれるクワイトの野性的な香り、ポリリズミックなパーカッションや彼らのMC、ダイナミックに素速くチョップされる声から生まれるグルーヴは実に魅力的だ。
 最近のUKのクラブ・ミュージックは、こうした今世紀のワールド・ミュージック的展開において、現地の音楽へのリスペクトを示しつつも、自分たちがやってきたことの文脈(ここで言うならダブステップ/UKガラージ)をうまくミックスしていると僕は思う。



 未聴だが、USの〈サブポップ〉も、最近スポーク・マサンボのアルバム『Father Creeper』をリリースしている(オクマルムクールキャットも参加)。
 グライムのプロデューサー、テラー・デンジャーのセカンド・アルバムについては機会をあらためて紹介したい。

[Experimental, Psychedelic Rock, Dub] - ele-king

Spacemen 3 / Sun Araw - That's Just Fine / I'm Gonna Cross That River Of Jordan | The Great Pop Supplement

 ロンドンの〈ザ・グレート・ポップ・サプリメント〉レーベルは、アナログ盤とサイケデリック・ロックに並々ならぬ執着を見せているレーベルで、倉本諒も大好きなSilvester Anfangの新作を今年出している。で、そのレーベルからついにというか、サン・アロウとスペースメン3のスプリット盤がリリースされた。当たり前だが、スペースメン3はとっくに解散しているので、再発のときにボーナス・トラックとして収録された初期の曲。
 これ、透明ヴァイナルが赤色で浸食されているというサイケなレコード盤プレスで、ものとしてもフェティッシュな仕上がりとなっている。ま、なんにせよ、新旧のサイケデリック・ロックの出会いというか、いよいよサン・アロウから目がはせなくなった。新作は、自身のレーベル〈サン・アーク・レコーズ〉から、11月にリリースです!  ドリームウェポンのTシャツを着ているサイケデリックなキッズよ、まずはこれを聴いて、旅に出よう。



Tim Hecker & Daniel Lopatin - Uptown Psychedelia | Software

 アンビエントの大物、ティム・ヘッカーと今日のニューエイジ/エクスペリメンタルの先頭を走るOPNとのコラボレーション・アルバム『インストゥルメンタル・ツーリスト』が11月あたりに出るようです。OPNことダニエル・ロパティンのレーベル〈ソフトウェア〉からのリリースになります。"アップタウン・サイケデリア"がアルバムに先駆けてYoutubeにアップされているので、まずはこれ聴いて待ちましょう。
 ほとんどがインプロヴィゼーションになる模様ですが、ティム・ヘッカーのある種の重さとOPNがどのように向き合うのか、注目でしょう!



MiNdToUcHbeaTs - MeMoRieS FRoM THe FuTuRe.

 韓国系アメリカ人女性のビートメイカーと言えばトキモンスタだが、もうひとり、ロサンジェルスのマインドタッチビーツ(MiNdToUcHbeaTs)も多くの人に記憶されるだろう。彼女の新しいシングル「メモリーズ・フロム・ザ・フューチャー(MeMoRieS FRoM THe FuTuRe.)」がフリーダウンロードで発表された。この週末は、彼女のMPC 3000で生まれた10曲、華麗なるヒップホップをぜひお試しあれ。素晴らしいです。

https://mindtouch.bandcamp.com/album/memories-from-the-future

 2010年のアルバム『トゥナイト・アット・ヌーン(ToNight aT NoON)』もまだフリーダウンロードできるので、いまのうちに聴こう。

弓J (S) - ele-king

音攻めパーティ「S」@KOARAを不定期開催でオーガナイズ。次回は12/30に年末SP。
奇数月第3火曜「SUPER DRY!」@KOARA、偶数月第1水曜「Radical Simplicity」@bar Jamにレギュラー参加。
その他、都内各所にて活動中。

twitter | S blog

S chart


1
Dense & Pika - Bad Ink - Dense & Pika

2
Frak - 888 - Kontra Musik

3
Rhadoo - Cum oare(intoarcese) - Understand

4
Adam Beyer & Alan Fitzpatrick - Tor - Drumcode

5
Tommy Four Seven - Sevals(Terence Fixmer Mental Drive Remix) - Create Learn Realize

6
Sutekh - Ubu Rex - Orac

7
Jacob Korn - It(Original Mix) - Mild Pitch

8
Planetary Assault Systems - Gt(P.A.S Drone Sector Remix) - Mote Evolver

9
Roger Gerressen - Inked Jester - Wolfskull Limited

10
Alex Cortex - Emergence - Pomelo

DJ END ( B-Lines Delight / Dutty Dub Rockz ) - ele-king

何度もすいません! B-Lines Delight 2nd Anniversary Special!!!!!
No.1ダブステップ・パーティ、Back To ChillよりGOTH-TRADとENAを迎えて開催します!

B-Lines Delight×BACK TO CHILL
2012.09.29(sat) @SOUND A BASE NEST
Special Guest:GOTH-TRAD [DEEP MEDi MUSIK/Back To Chill] / ENA [IAI/Cylon/7even/HE:Digital/Horizons]
info : https://b-linesdelight.blogspot.jp/ https://club-nest.com/

そして前々週の9月16日はBack To Chill 6th BirthdayにSivariderと共に参戦します!
Back To Chill 6th Birthday!!!!
~ALL B2B SPECILAL!!!!~
2012.09.16(sun)@clubasia https://dubstep.exblog.jp/


ジョン・フルシアンテ - レター・レファー

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ジョン・フルシアンテ - PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン

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 『レター・レファー(Letur-Lefr)』『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン(PBX Funicular Intaglio Zone)』というふたつの作品のリリースをめぐって、ジョン・フルシアンテはその思いを自身のブログに滔々と書き綴っている。「ジョン・フルシアンテ・ドット・コム」に掲載されたその文章は、彼の情熱と熟考のあとを生々しく伝える内容で、ファンのみならずひろく音楽リスナーの間でも話題になっている。

 レッド・ホット・チリ・ペッパーズというモンスター・バンドに在籍し、ことにソングライティングにおいてその音楽性の多くを担ってきたフルシアンテが、そこを脱けてめざした天地はどのような場所か。

 彼は2004年前後からはオブセッシヴなまでに数多のソロ・ワークスをリリースし、さまざまなアーティストと交流しながら腕を磨き、あくまでストイックに自らの目指す音を探求し続けてきた。バイシクル・シーフのジョン・クリングホッファー、マーズ・ヴォルタのオマー・ロドリゲス・ロペス、ヴィンセント・ギャロ。彼らとのイマジナティヴな共同作業を経て、今作に登場するのはMC、RZAやウータン・クラン・ファミリーの若手たちである。音のうえからみても、シンセやドラムン・ベースに彩られたこのキャリアにおける異色作からは、彼がいま目にしているものが過去ではないということが、ひしひしと伝わってくる。

 また、それはたんにロックからエレクトロニック・ミュージックへの転向という単純なモード・チェンジでもない。「シンセ、シーケンサー、ドラム・マシンに対するエキサイトメントをギターにも向けられるようになった」......自らのなすべきことについての真摯な思考と試行の果てに、この数年を音楽のプログラミング修行にあててきた彼が、ふたたびギターに向かい合うという物語までもが、この作品の背景にはふくまれている。

 ブログによれば、作品タイトルには彼の音楽ヴィジョンの一端が象徴として示されているようだ。思弁的な文章じたいも、彼のキャラクターに深く触れることができるものである。国内最速でその翻訳をお届けしよう。


Part.1

みなさん

 新作が2枚リリースされることになった。
 最初に『Letur-Lefr』というEPを、その次に『PBX Funicular Intaglio Zone』というLPがつづく。僕がヴォーカル、すべての楽器の演奏、そしてエンジニアを担当しているんだ。EPには何人か友達がヴォーカルで参加しているんだけど、そのほとんどがMCだ。LPにはゲストがひとり参加しているけど、その他は僕がヴォーカルを担当している。

 僕はこの音楽をプログレッシブ・シンセ・ポップだととらえている。だからと言って、そういうサウンドの作品に仕上がっているというわけではなくて、今作の基本的なアプローチを反映しているということだ。さまざまな音楽スタイルを組み合わせ、エレクトロニック楽器を使うことで、自分独自の音楽フォームをクリエイトしてるんだ。

 『Letur-Lefr』は2010年のもので、『PBX』は2011年に制作された。『Letur-Lefr』はコンピレーションみたいなもので、『PBX』の構想を練っている最中に作った楽曲をセレクトしたものだ。EPの楽曲は連続してレコーディングしたものだ。それぞれの作品は内容がまったくちがうものだから、LPをリリースする前に、“Walls And Doors”という曲をフリー・ダウンロードとして提供する。“Walls And Doors”は『PBX』の7ヶ月前にリリースされたけど、アルバムの方向性を予知していたんだ。“Walls And Doors”は最初はアルバムに入れると思っていたけど、入れない方がアルバムにとってよかった。

 『Letur-Lefr』は7月4日に日本でリリースされ、北米は7月14日、その他の国では7月16日にリリースされる。EPはプレオーダーできるけど、アナログ、CD、カセット、そして32ビット、FLAC、MP3などのフォーマットでこのリンクから購入できる。

 『PBX Funicular Intaglio Zone』は日本で9月12日、北米では9月25日、その他の国では9月24日にリリースされる。『Letur-Lefr』と同様、『PBX Funicular Intaglio Zone』もアナログ、CD、カセット、そして32ビット、FLAC、MP3などのフォーマットでリリースされる。

 『PBX』のプレオーダー・リンクは8月上旬に発表する予定だ。

ありがとう

ジョン

Hello people,

There are two new John Frusciante records coming out. The first is an EP entitled Letur-Lefr, and the second is an LP entitled PBX Funicular Intaglio Zone. I sing, play the instruments and am the engineer. The EP features a few friends on vocals, mostly MC’ing. The LP has one feature, the rest of the vocals being my own.

I consider my music to be Progressive Synth Pop, which says nothing about what it sounds like, but does describe my basic approach. I combine aspects of many styles of music and create my own musical forms by way of electronic instruments.

The tracks on Letur-Lefr are from 2010 and PBX was made in 2011. Letur is a compilation, a selected portion of music I made that year while PBX was conceived as an album, the songs having been recorded in succession. The records are very different from each other, so prior to the release of the LP, I will make available a free download of a song called Walls and Doors. This song pointed the way towards PBX, but was recorded 7 months earlier. I always took it for granted that Walls and Doors would be part of the record, but as it turned out the record was better off without it.

Letur-Lefr will be released in Japan on July 4th, in North America on July 17th, and in the rest of the world on July 16th. You can pre-order the EP, which will be available on vinyl, CD, cassette and in 32 bit, FLAC and MP3 digital formats here https://johnfrusciante.com/letur-lefr/

PBX Funicular Intaglio Zone will be released in Japan on September 12th, in North America on September 25th and in the rest of the world on September 24th. Like Letur-Lefr, PBX Funicular Intaglio Zone will be available on vinyl, CD, cassette and in 32 bit, FLAC and MP3 digital formats.

We will provide a pre-order link for PBX sometime in early August.

- Thanks, John

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Part.2

Album Titles

 「PBX」は内部のコミュニケーション・システムを意味する。自然界だと、ビジネスやオフィスではなく人間の内部にも似たようなシステムがある。「Funicular(フニキュラー)」とは、ふたつのケーブルカーが1本のケーブルに繋がれていて、ひとつのケーブル・カーが上がるときに、もう1台が下がる仕組みのことだ。音楽というのは、さまざまなレベルで常にそれと似たことが起きている。「Intaglio(インタリオ、沈み彫り)」は彫刻におけるひとつのテクニックなのだが、彫刻家が作品の裏側から彫ることで、徐々に見物人には前面から肖像がレリーフで見えるようになる。しかし彫刻家は、前面とは対極のアングルから肖像を彫っているわけだ。僕が魅力を感じる音楽には、これに似たアプローチが取り入れられていて、このアプローチが多ければ多いほど好きになるのだ。「Zone」は、自分の感情と身の回りの環境が一体化し、他の世界がすべて消えてしまう心理状態のことだ。この4つの言葉を組み合わせることで、僕のクリエイティブ・プロセスを深いところまで描写できるのだ。

 「Letur-Lefr(レター・レファー)」という言葉は、ふたつの異なるものが連結部分によってひとつになることを意味している。それは、アルバムの1曲目がアルバムの最終曲の続編であることに象徴されている。

PBX refers to an internal communication system. There is a natural version of this, wherein the “business or office” is a person. A funicular involves two trams connected by a cable, one going up while the other goes down. All music perpetually does this on many levels simultaneously. Intaglio is a technique in sculpture where one works on the opposite side of the image, whereby the image will eventually appear to the spectator in relief, but the angle the sculptor works from is the negation of that. In music that I like, an approach analogous to this was employed, the more so the better. Zone refers to a state of mind wherein the rest of the world seemingly disappears, and nothing matters but the union of one’s immediate surroundings with one’s feelings. These four words linked together go far to describing my creative process.

Letur-Lefr for me signifies the transition of two becoming one, notably symbolized by the first song on the album being the sequel to the album’s last.



Part.3

My Recent History

 エレクトロニック・ミュージックを作り、エンジニア作業もすべて自分で手掛けたいという夢を実現することに、5年前から真剣に取り組みはじめた。その10年前から、僕はさまざまなタイプのシンセサイザー・ミュージックやサンプリング・ミュージックを模倣してギターをプレイしていた。マシンの言語は、マシンをプログラミングする人に新たな音楽ボキャブラリーを与えたことに気がついた。過去22年間に生み出されたエレクトロニック・ミュージックは、新たなリズム、メロディ、ハーモニーの原理を導入した。以前はプログラミングで作られたエレクトロニック・ミュージックを聴いても、どのようなプロセスで曲が作られたかが解明できなかった。80年代のマシンや、90年代のトラッカー・ソフトウェアを熟知している人たちは、理論的なアプローチでプログラミングをしていたが、僕がポップ/ロック、ジャズ、クラシックから知っていた理論とはちがう体系のものだった。手と楽器の密接な関係性は、ミュージシャンが作り出す音楽の基礎となっているが、ポップ/ロックを演奏する上で、自分の頭が手によってコントロールされている傾向が強いことに気づいて、それを修正したいと強く願っていた。マシンの知能と人間の知能が刺激し合って、その相互作用によって生まれる音楽に僕は強い関心を抱くようになった。

 2007年から僕はアシッドハウスで使用される機材やハードウェアのプログラミングを学ぶようになった。7ヶ月間は何もレコーディングしなかった。その後は、10個の機材を同期させ、ミキサーに通してCDバーナーに録音するようになった。最初は実験的アシッドハウス・ミュージックを作っていたが、ロック・ミュージックで学んだスキルはいっさい使わなかった。僕は伝統的なソングライティングに興味を失って、音楽をクリエイトする新たな方法を見つけたいと感じていた。マシンに囲まれ、次々とマシンをプログラミングし、その興味深いプロセスを楽しんだ。それまでは筋肉を使って楽器を演奏していたが、同様に数字を使ってマシンをプログラミングする作業が楽しくなった。数学的で理論的な方法でリズム、メロディ、サウンドに取り組むようになったため、これまで無意識に使っていたスキルが徐々に意識的になった。

 その後は2人の友人と演奏するようになったわけだが、これまでひとりでリビング・ルームでやっていたことを仲間とやるようになった。この編成はいまでも僕の性分に合うバンドだと考えている。

 仲間と演奏するようになった直後から、僕はコンピューターを使用するようになった。最初は、僕がハードウェアで作り出していた音をレコーディングするためにコンピューターを使っているだけだったが、徐々にコンピューターがメインの楽器になった。僕の制作方法と考え方に特化した理想的なスタジオも同時に作り始めた(この作業は今も進行中)。この時期に作っていた音楽はCDバーナーに録音していた音楽よりも冒険的なインスト・アシッドハウスだった。コンピューターで2曲レコーディングしてから、自分が作り出している新しい音楽が“プログレッシヴ・シンセ・ポップ”という言葉にふさわしいと感じはじめた。当時作っていた音楽では、アシッドが中心的要素だった。

 1年ほどコンピューターを音楽制作に使うようになってから、自分のヴォーカルを導入するようになった。それまでは、ギターとヴォーカルをエレクトロニックに取り入れたくないと考えていた。僕が大好きなタイプのエレクトロニックのルールに基づいた音楽を作りたいと思っていたからだ。ギターとヴォーカルをエレクトロニック・ミュージックとミックスすると、以前僕がやっていたポップ/ロック・ミュージックのソングライティングとギターのルールに戻ってしまうから、避けたかった。エレクトロニック・ミュージックをギターやヴォーカルとブレンドしたら、エレクトロニクスが僕の曲、ヴォーカル、ギターの補助的な役割になってしまうと考えていた。そのアイデアには不快感を覚えた。僕はロック・ミュージシャンとしての経験が長かったので、ロックのルールが優先されてしまい、新しいことを発見するペースが遅れてしまうと考えていた。“ルール”という言葉を使うときは、特定の音楽スタイルを定義づけ、その境界線を設定する根本的原理や抽象的現象を指しているわけであって、その境界線のなかで人間はクリエイティブな探求をしているわけだ。

 ソングライティングは続けていたが、必要性を感じたときに、そしてその方法で表現しなければいけないときに曲を書くようにしていた。僕は長年、曲を量産することでソングライティングのスキルを磨くものだと考えていたが、それが違うということに気がついた。最近は、ソングライティングというのは呼吸のように、自然に起きるものだということが分かった。最初のうちは、事前に作曲した曲をレコーディングする作業が窮屈のように思えたが、新たな曲作りのメソッドを吸収し、プログラミングのスキルとスピードも上達していたので、インストを作っていたときと同じくらいヴォーカルとギター入りの曲のレコーディングが楽しくなった。この時期に『Letur-Lefr』の曲をレコーディングし始めた。このときはまだロックの要素は遠ざけていたが、R&Bとヒップホップは自然と僕がやりたかった音楽にブレンドできることがわかった。ソングライティングとプログラミングを統合する上で、R&Bは有効な方法だということに気がついた。ヴォーカルがインスト・トラックを支える曲作りの方法を見つけることができたわけだが、その逆ではないことが僕にとって重要だった。

 この時期が経過すると、僕は新たなアプローチでギターを演奏するコンセプトを練り始めた。そのために定期的な練習が必要だった。その数年前は、レイヴやシンセ・ポップのレコードに合わせて練習することが多かった。僕がやりたかった音楽では必要性を感じていなかったため、ギターを演奏するための筋肉を訓練させるような練習はしたくなかった。僕の妻のセカンド・アルバムで特定の演奏法がしたかったので、定期的に練習していた。しかし、その後に僕はまったく新しいギター演奏のアプローチを発見することができた。僕のメインのエレクトロニック楽器はMC-202だったが、最初の頃は202をプログラミングするときは、ギターの知識を使ってプログラミングしていた。しかし、長く202を使ったことで、僕のギタリストとしての知識と202奏者としての知識が同じレベルになり、僕のギター演奏が202のプログラミング方法に影響されるようになっていた。ギターを演奏するとき、ロック・ミュージシャンとしての指と筋肉の使い方から完全に離れることができるようになっていた。違うギターに変えたということもあるが(Yamaha SG)、202を使うときは指のポジションによって音符を演奏するわけではないので、そのアプローチによってギターを演奏する新しいアイデアが芽生えていた。この時点から、ギターが完全に僕がやろうとしている新しい音楽と一体になった。ギターに対する新しいアプローチが見つかり、音を加工する新たなテクニックを吸収していたので、シンセ、シーケンサー、ドラム・マシンに対するエキサイトメントをギターにも向けられるようになった。したがって、僕はロック/ポップスの音楽理論を他の好きな音楽要素と同じように、僕の音楽に応用できるようになった。考え方が変化したので、クリシェを避けることを意識する必要もなくなった。新しい癖が身についていたので、そこから様々な新しい音楽的方向に進むことができた。古い癖は完全に捨て去っていた。コンピューターも完全に僕にとって楽器になっていたので、ドラムンベース(そしてその他の作りたかった音楽的スタイル)も僕の音楽に完全に取り入れられるようになっていた。この時期から、僕は過去のエンジニアリング・スタイルを理解できるようになっていたので、新旧のプロダクション・スタイルを、様々な音楽スタイルと同様に組み合わせられるようになった。数ヶ月が経過すると、僕は『PBX Funicular Intaglio Zone』をレコーディングし始めた。何年間も僕は1曲ずつ制作するアプローチをとっていたが、新たなプロダクションの経験を積んだことで、ひとつの作品のコンセプトの中で完全に没頭しながら制作できるようになっていた。この時期から僕が長らく求めていたバランスを見つけることができた。ボーカルと曲の構造があっても、ミュージシャンとして完全に自由でいられる境地に達していた。

 『PBX』では僕が何年も前に頭の中で想像していた音楽的要素の組み合わせが実現しているが、当時はどうやって形にすればいいか分からなかった。純粋に音楽に取り組むチャンスを与えられたことが幸運だと思っているし、音楽ビジネスの中に長年いても、音楽に集中することができたことに感謝している。僕は長年レコードを聴きながら演奏したり、曲を書いたり、夢見ることにほとんどの時間を費やすことができた。それを手助けしてくれた人々にとても感謝している。

 最後に、アシッド・ミュージックは僕にとってよい出発点となった。そこから徐々に、僕はワンマン・バンドとしてあらゆる音楽的スタイルを自由に組み合わせられるようになったわけだから。

ジョン

I started being serious about following my dream to make electronic music, and to be my own engineer, five years ago. For the 10 years prior to that, I had been playing guitar along with a wide range of different types of programmed synthesizer and sample based music, emulating as best as I could, what I heard. I found that the languages machines forced programmers to think in had caused them to discover a new musical vocabulary. The various forms of electronically generated music, particularly in the last 22 years, have introduced many new principles of rhythm, melody, and harmony. I would learn what someone had programmed but their thought process eluded me. Programmers, particularly ones fluent on machines from the early 80s and/or tracker programs from the 90s, clearly had a theoretical foundation in their employ but it was not the theory I knew from pop/rock, jazz or classical. The hands relationship to the instrument accounts for so much of why musicians do what they do, and I had come to feel that in pop/rock my mind was often being overpowered by my hand, which I had a strong desire to correct. I was obsessed with music where machine intelligence and human intelligence seemed to be bouncing off one another, each expanding with the incorporation of what it received from the other.

In 2007 I started to learn how to program all the instruments we associate with Acid House music and some other hardware. For about 7 months I didn’t record anything. Then I started recording, playing 10 or so synced machines through a small mixer into a CD burner. This was all experimental Acid House, my skills at making rock music playing no part in it whatsoever. I had lost interest in traditional songwriting and I was excited about finding new methods for creating music. I’d surround myself with machines, program one and then another and enjoy what was a fascinating process from beginning to end. I was so excited by the method of using numbers much in the same way I’d used my muscles all my life. Skills that had previously been applied by my subconscious were gradually becoming conscious, by virtue of having numerical theoretical means of thinking about rhythm, melody and sound.

Then I began a musical relationship with two friends, wherein I could do basically the same thing I had been doing in my living room, only with other people. This continues to be a band which is perfectly congruent with my nature.

Right after we started playing together I started using a computer. Initially it was just something to record what I was doing with hardware but it eventually became one of my main instruments. I gradually built up a studio ideally set up for the specific ways I work and think (this is a continual work in progress). The music I did at this stage was a more adventurous kind of instrumental Acid House than what I’d been doing onto CD, and by the time I recorded my second song on a computer, I was aware that Progressive Synth Pop was an accurate description of what I was doing. Acid was nevertheless the central musical style involved.

After a year or so on the computer, I occasionally began using my voice again. Prior to this, incorporating guitar and singing had posed a problem because I wanted to make music based on the rules, as I perceived them ? inherent in the various kinds of electronic music I loved ? and did not want to blend this with what I previously did with songwriting and guitar wherein many rules of pop/ rock music would then naturally be employed. If I’d attempted to blend the two at that time my electronics would have served as support to my songs, voice, and guitar. This idea was repugnant to me. Because I was so much more developed as a rock musician, rocks characteristics and rules would have dominated, thereby slowing down the rate at which I was discovering new things. To be clear, when I say rules, I mean the underlying principles and abstract phenomena which define a particular style, marking its boundaries and limits, within which exists an area proven to be worthy of human creative investigation.

I continued to write songs, but only when I had to out of necessity, because something had to be expressed that way. I no longer looked at songwriting as a craft to prolifically hone, as I had for so long. In these recent years, it is just something that happens sometimes, a natural thing, like breathing. At first, recording pre-written songs felt like a restriction, but I eventually found myself having acquired enough new work methods of my own and enough skill and speed at programming that when I recorded a pre-written song I had as much fun as when I made instrumentals. This is the point at which the tracks on Letur-Lefr were recorded. I was still steering clear of most rock music characteristics, but R&B and Hip Hop were blending well with the various types of music I was combining. R&B seemed to me a path through which to integrate my songwriting with my programming, being that I could do it in such a way that the song served as support for the things I was doing instrumentally ? and not the other way around ? which was very important to me.

As this phase passed, I began developing a concept for a new approach to playing guitar, which required regular practice. For the preceding couple of years, practice consisted of playing along with this or that Rave or Synth Pop record or whatever. I didn’t see a point in developing my playing musculature-wise because there was no call for that kind of playing in my music. I originally was practicing in a disciplined manner because I wanted to play a specific way on my wife’s second record. But I found an approach to the instrument, which was brand new for me, in which I saw a lot of room to grow. My main melodic electronic instrument being the MC-202, I had gone through a long period where my knowledge of guitar informed much of my 202 programming. But I had now reached a point where I thought as much like a 202ist as I did a guitarist, and my guitar playing was now being informed by my knowledge of the 202. I was using the muscles I was developing in a way completely divorced from the way I used them as a rock musician, partially because I switched to a different type of guitar (a Yamaha SG), but mainly because my musical ideas stemmed from my understanding of an instrument on which the choice of notes is not limited by the position of ones hand. So at this point guitar became fully integrated into my music. The combination of having a new approach to the instrument, combined with all the ways I was now well versed at processing sound, resulted in my having the same excitement about guitar that I had long had for my synths, sequencers and drum machines. This, and other factors, resulted in my being able to pick and choose specific musical principles from rock/pop to apply to my music, just as I had been applying specific aspects of every other type of music I love. I no longer had to be concerned with avoiding cliches because I just didn’t think that way anymore. I had developed new habits which were taking me all kinds of new places, and the old habits were now foreign to me. Also the computer had now become an instrument for me, so Drum n’ Bass (as well as a number of other styles I’d been reaching for) had now become fully integrated into my music. At this point, I also had begun to grasp the characteristics of engineering styles of the past, allowing me to combine aspects of old and modern styles of production just as I’d been combining different styles of music.

A few months into this period, I began the recording of PBX Funicular Intaglio Zone. For years I had just approached everything one song at a time, but my experience in production now allowed me to comfortably work within a record concept while remaining completely absorbed in the process. By this time, I had found the balance that I’d been searching for, wherein the presence of a vocal and the structure of a written song actually provided me with additional freedoms as a musician.

Aspects of PBX are the realization of combinations of styles of music I saw in my head many years ago, as potentials, but which I had no idea how to execute. I’m so happy that I’ve had the opportunity to focus exclusively on music for music’s sake, and also so thankful that I got to spend all those years active in the music business whilst keeping my head in music all the time. I was free to spend most of my time playing along with records, writing, and dreaming. I have so much gratitude for everyone who made that possible.

In summary, Acid served as a good starting point for me, very gradually leading me to be able to combine whatever styles of music I want, as a one man band.

- John

(訳:バルーチャ・ハシム)

KABUTO (LAIR/CABARET) - ele-king

SCHEDULE
8/24 @grassroots
8/30 minimood label night@ oath
9/1 barrier@module
9/22 ERR@だるま山キャンプ場
9/28 @Cave246
9/29 @Eleven
10/6 CABARET feat Daniel bell@UNIT/SALOON

https://twitter.com/Kabutooo

2012.8.CHART


1
MORITZ VON OSWALD TRIO - FETCH - Honest Jons

2
BRETT DANCER - EUPHONIC MOODS EP - TRACKMODE

3
MAKAM - DREAMS OF TOMORROW - SUSHITECH

4
DANIEL KYO - HYPNOTIZED (Kelvin K Remix) -LOST MY DOG

5
DEWALTA & MIKE SHANNON - THE ADVENTURES OF SAINT JACK DE SMOOVE - MEANDER

6
OPUSWERK - WIRED CONNECTIONS - PLAK

7
ANDRES ZACCO - POMPAK - ESPERANZA

8
CHRIS MITCHELL - PHRENETIC EP - Vanguard Sound

9
J ANTONI - NO SLEEP (Thoms Krome mix) - UES

10
GRIMES ADHESIF - pa'am shlishit glida - naif

vol.1 NHK大河ドラマ『平清盛』 - ele-king

■はじめに 『平清盛』でゆく修行の旅

 わたしは普段、ドラマをあまり観ない。というのも、3次元(実写)の人間を認識する能力が根っから低いので、キャスト(≒登場人物)を見わけるのが不得意だからだ。似た系統の顔の俳優・女優を間違えるなどしょっちゅうだし、中年の刑事が崖っぷちで犯人を追いつめていたら、まあ船越英一郎氏だろうと断定してしまう。「たくさんドラマを見て、キャストの芸歴、演技力もわかったうえで語っていますよ」という説得力に欠けるのは、申し訳ない。歴史ものが好きなので、唯一、NHK大河ドラマだけはこの10年ほど、それなりに観てきたのだが、キャストをちゃんと把握できていたかはあやしい。
 さて、今年の大河ドラマはご存じ『平清盛』。清盛の義父役の中井貴一氏を、わりと長いあいだ舘ひろし氏だと思い込んでいたなどの個人的トラブルはあったものの、主役の松山ケンイチ氏がわたしにとってかなり見わけやすい顔なので、なかなかいいすべり出しだった。さらに、第14話あたりからは山本耕史氏演じる美しき藤原頼長が、史実を地で行く男色無双ぶりを見せてくれたことに狂喜した。興奮のあまり、崇徳上皇も顔負けの床ローリング(横転)をしそうになったが、家族に叱られるのでこらえた。

 しかしこのドラマ、巷ではしばしば「わかりにくい」といわれる。なるほど、わたしもときどき、「おいィ?」と思うことがある。これは決して「そうきたか!」「なるほど!」という瞬間ではなく、「えっなにこれ」という偽らざる「違和感」である。しかし違和感もたび重なると、逆に気になって目が離せなくなるもので、ついがんばって観てしまうわけだが、そうするとこれはいわゆるB級というやつとも、どうやらちょっと違う。よくよくみていくと、筋が通っているのだ。そしていつしか、「違和感がある(ように見える)物語を、むしろおもしろいものとして読み解く文法」が自分のなかに形成されていたのだった。どこか宗教とか洗脳じみた出だしで申し訳ないが、事実だから仕方ない。こうして他人に説明しだすぐらいだから、わたしもようやく「清盛文法」初級ていどの腕前だろうか。
 こうした境地に至るまでには、あるていど根気強く視聴することが必要なので、『平清盛』はあまり初心者向けのドラマではないかもしれない。しかしドラマに限らず、未知のコンテンツを、違和感や雑音として切り捨てるのではなく、意味のある音色として楽しめるようなリテラシーを得るまでには、おおむねどんなジャンルでも、そういう修行が必要なのだろう。その点、『ele-king』を読むような方々は、ディープな洋楽を好んで摂取する日常との噂だから、難解なものほど萌える、燃えるといった剛の者ぞろいであろう。そんな人々にこそ、『平清盛』をお薦めしてみたいのである。いまなら、まだまだ先が長いので、どんなびっくりどっきり映像が飛び出すか、毎週わくわくしながら待てる、というお得感もある。
 ちなみに、ニコニコ動画の生放送番組「オタク女子文化研究所」(2012月6月号)で『平清盛』を扱ったさい、わたしは、頼まれてもいないのに、第25話までのあらすじの紙芝居を自作した。この場を借りて、紙芝居をアップさせていただくくことになったので、『平清盛』をまったく未見という方は、参考にしてほしい。あわせて生放送番組のほうも、本郷和人氏(『平清盛』時代考証、東京大学史料編纂所教授)もご出演、という超豪華版なので、いまからでもタイムシフト視聴していただけると幸いである。

紙芝居は後日アップ予定です! お楽しみに!!
紙芝居をアップしました!

ニコニコ生放送
オタク女子文化研究所「いまから『平清盛』」
~「オタ女」的大河ドラマの愉しみ方~


■清盛文法その壱 反復・変奏されるキーワード

 ではいよいよ本題だが、『平清盛』の違和感の正体とは何か? それらの違和を腑に落ちさせ、むしろ味わい深くさせる「清盛文法」とはどういった技か? かなり凝ったドラマなので、これに対する回答はいくつも考えつくのだが、本稿ではふたつだけ挙げることにしよう。
 ひとつには、同じ台詞(キーワード)が、別の人物により、別の場面で繰り返し用いられることだ。このキーワードも1個だけではないからややこしいのだが、その中でも、「我が子」という言葉に注目して説明しよう。ドラマの中では、父親が息子に呼びかけるとき、ここぞという時に限って固有名詞でなく、「我が子よ」という感じになるわけだが、これがまあ、なかなかの違和感である。わたしも最初は、深く考えず流し見していたものだから、「普通に名前で呼べよ」と思ったものだ。
 しかし実は「我が子」という同じ言葉を、いろんな登場人物が使うことがミソ。そのつど普通に名前で呼んでいたら、人物Aが人物Bに呼びかける場面、という印象になって、「父が自分の息子に呼びかけている場面」であるという共通点が伝わりにくい。だから、ここぞという場面では「我が子」という、違和感のある言葉をあえて使う。そうすれば「父・息子のテーマ」が視聴者の心に引っかかって浮かび上がってくる。そういう仕掛けになっている。このように、「我が子」がキーになっていることが読み解けると、息子から父への言葉である「父上」もまた、特別な言葉として際立ってくる。視聴者の方が、ほかにも違和感のある台詞を見つけたら、脚本にケチをつける前に、まずはこういう仕掛けになっているのではないかと疑ったほうがいい。
 このドラマ内の設定では、平清盛は平氏一門の子ではなく、白河法皇の子ということになっており、この因縁を原動力として物語が始まる。主人公に限らず、「父・息子関係」はこのドラマにとって根幹的な主題であり、白河法皇と平清盛、平忠盛と平清盛、鳥羽法皇と崇徳上皇、源為義と源義朝、藤原忠実と藤原頼長、平清盛と息子たち......といった様々な父・息子関係に変奏されていく。いうなれば、「父・息子」という基調的フレーズを、さまざまな二者がそれぞれの音色で奏でていくという、長編の楽曲のようなつくりになっているのだ。

 ところで、このドラマが「わかりにくい」といわれる原因のひとつは、あきらかに登場人物が多いせいだと思う。これは歴史ものの宿命とも言えるが、世間的に知名度が低めの時代であるうえ、上皇や法皇が何人いるんだよ! とか、名前に「盛」のついたやつ多すぎだろ!(いわゆる「盛盛」問題)といった要素も加味され、わかりにくさが倍増している。正直にいえば、わたしもいまだに苦労させられている。登場人物が多い・名前が似ている、という2要素に加え、さらにわたしの場合は、キャストを見分けにくいという三重苦であるから、自慢ではないが、並み以上の苦労を強いられていると思う。
 しかし、このうじゃうじゃ出てくる登場人物、「父・息子関係」という軸で見ただけで、かなり整理され、ドラマの見通しが良くなる。「父・息子関係」とひと口に言うが、似たような関係が繰り返されるのではなく、このドラマの中ではいくつかの音色に描き分けられているのだ。
 最初に奏でられるのは、父が冷酷無比なモンスターとして君臨し、無力な息子はその因縁からいかに逃走するか、はたまた絡めとられて自らもモンスターと化すかという、ホラー的な二者関係だ(白河法皇と平清盛、白河法皇と崇徳上皇、鳥羽上皇と崇徳上皇)。『平清盛』には内容面にも数々の斬新なポイントがあるが、理想化されがちな父・息子関係を、このような恐ろしい関係として描いてしまうところが、まず新しい。続いては、衝突を繰り返しつつも、最終的に父の志を息子が継承するという、エディプス的ロマンチシズムあふれる二者関係(平忠盛と平清盛、源為義と源義朝)。さらに、父がごく穏当に息子へと権力の継承を図るが、紆余曲折の末、息子が先に倒れるという、悲劇的な二者関係(藤原忠実と藤原頼長、崇徳上皇と重仁親王)。さながら「父・息子関係カタログ」とでも呼びたいような、いくつもの関係が丹念に描かれ、それぞれのクライマックスで、「我が子」(または「父上」)が飛び出す。その言葉が、相手に届く場合もあれば、届かない場合もあるというのが、また心憎い。

 そうなのだ。父・息子関係にまつわる「我が子」という言葉に着目していくと、このドラマでは、その言葉が相手に「届く」よりも「届かない」場面のほうが多いことに気づかされる。父と息子のあいだで、言葉など、届けようとすればいつでも届くものだという素朴な信頼関係が、ここでは断たれている。たとえば、藤原忠実と藤原頼長である。未見の方は絶対にオンデマンドなどで見てほしいのだが、第22話で、頼長の父への呼びかけが、直接は届かず、鸚鵡の口真似を介して伝えられる、というくだりは切なさ炸裂だ。また頼長の死後に発せられる、父の「我が子よー!」という絶叫も、息子にはもう届かない。
 『平清盛』の根っこにあるテーマは、主題歌にも見られるとおり、「人生は賽の目(博打)のようなものである」ということであろう。博打だから努力しても無駄だ、あるいは、博打だからこそ楽しく遊ぼう、どちらともとれる両義的なテーマだ。そして父・息子の関係性は、まさしく人生最大の博打のひとつであろう。第6話の、息子をめぐって博打が行われる場面もまさに象徴的だった。生まれるも博打、育てるも博打、相手に言葉が届くか届かないかも博打。ここで「我が子」(および「父上」)というキーワードが、もうひとつのキーワード「博打」とリンクする。「博打」はさらに、「面白う」というキーワードにつながっていく。受験書ならばこのあたりは赤マーカーで目立たせてほしいところだ。
 数々のキーワードの連関によって織りなされる、多様な人間関係。たびたび違和感があったり、断片的な描写に見えたりする場面も、こうして見てくると、実は筋が通っている。それがわかれば、「えっなにこれ」という当惑が、「そうきたか!」という快感の瞬間に変わるまで、あと一歩だ。

(「そうきたか!」の快感へのカギは、「清盛空間」の発生にある......らしいぞ! 疾風怒濤の後編へつづく!!)

金田淳子謹製!
紙芝居『平清盛』(第25話まで)※紙芝居の番号と放送回は一致していません

これで大学に受かった! 彼女ができた! という喜びの声もたくさん寄せられておりますので、最後までお楽しみください。
さて、ご存知、松山ケンイチさん演じる平清盛という人物は、武士として力をつけてきていた一門、平氏の子として生を受けました。ところが......


1.明かされた真実
じつは清盛は、ときの最高権力者・白河法皇の落とし胤であったのです。少年期にそれを知った清盛は、実の父・白河法皇、育ての父・平忠盛とのあいだで心が千々に乱れるのでした。


2.名状しがたき王家
清盛の実の父であり、ときの権力者でもある白河法皇とはどのような人物だったのでしょうか。白河法皇は、院政という新しい政治のしくみを開始して権力を掌握し、人びとから「もののけ」とおそれられる存在でした。あと、伊東家としてもおそれられておりました。白河法皇の孫にあたる鳥羽上皇には璋子(たまこ/檀れい)という女御がおり、ふたりのあいだに生まれたとされているのが崇徳上皇でございます。しかし、鳥羽上皇の子でなく白河法皇と檀れいとの間の子でありました。つまり世にいうNTRでございます。そう、奇しくも鳥羽、崇徳、清盛は白河法皇というひとりのおそろしき男の血を引いているというさだめを背負っていたのでございます。


3.強敵(とも)との出会い
複雑すぎる家庭環境に耐えかね、盗んだバイクで走り出さんとする清盛でしたが、そんな清盛を叱咤し励ましたのはこのイケメン、玉木宏さん。平氏とならぶ一門、源氏の若武者・源義朝でありました。義朝との勝負を経てふたりはたがいに「強敵」と書いて「とも」、ズッ強敵(ずっとも)として認めあうのでした。


4.そのころの親父ーズ
そのころ清盛の父・忠盛、義朝の父・為義、それぞれに平氏と源氏の棟梁であるこのふたりもまた、たがいによきライバルとして認めあっておりました。父親たちもズッ強敵(ずっとも)だったのでございます。


5.女の戦い(一方的)
さて宮中では、もののけこと白河法皇が亡くなり、鳥羽法皇の世となっておりました。ときに1129年、年号の覚え方は「いい肉三上鳥羽院政」でございます。鳥羽法皇は、金麦で待っている妖しき美女(待賢門院)璋子のことを、NTRと知り憎みつつも愛さずにはおられず、名目上の息子である崇徳上皇を疎み、おめーの席ねーから、と遠ざけておりました。そんな鳥羽法皇に入内した得子(なりこ)は、璋子に激しいライバル心を燃やし、鳥羽法皇の寝所を夜な夜な訪れ、交尾をせまるのでございました。


6.悪左府登場
さて宮中でうごめいていたのは王家だけではございません。貴族、とりわけ藤原氏の力は一時期ほどではないものの、まだまだ強大なものでした。トップ・オブ・貴族、藤原氏のさらにトップとして華麗に花ひらいたのが藤原頼長さまでございます。ときに、その厳格さでのちに「風紀委員キャラ」「悪左府」とも呼ばれ、おそれられる頼長さまは、さっそく清盛のフリーダムな生き様に目をつけ、追い落とそうと謀ります。しかしエスパータイプ貴族・信西によって阻まれるのでございました。


7.矢鳥羽事件
折から祇園闘乱事件にはじまる一連の騒乱、のちの世に矢鳥羽事件と呼ばれるスペクタクルが世を揺るがします。王家そのものの象徴ともいえる神輿(しんよ)に、清盛が矢を放ち、清盛はその罪により警察に拘留され、沙汰を待っておりました。頼長さまは厳しき処罰を求めましたが、ときの権力者・鳥羽法皇は、みずから清盛のもとを訪れ、清盛のエア弓矢をその身に受けることにより、白河法皇というもののけの血が洗い流されたと、その幻想がぶち殺された(そげぶ)と、激しく感じ入り、落涙するのでした。


8.平家BOY
無罪放免となった清盛に対し、わたしたちのアイドル藤原頼長さまは、はげしい敵意を抱くのでございました。折から清盛の弟・家盛は、母を想うあまり血のつながらぬ兄・清盛に反感を抱いておりました。その不満と、いい身体に目をつけた藤原頼長さまは、「こ↑こ↓」と屋敷に家盛を招き入れ、そなたもアイスティーを飲むがよい、まこと世にきらめくべきはそなたじゃ、そうおもいしらせてやろう、と口説き落としたのでした。


9.しんでしまうとはなさけない
家盛勃起、もとい、家盛決起により、平家一門は分裂の危機を迎えます。しかしながらなぜかここで藤原頼長さまは、おちゃめにも、思ってることを口に出してしまい、利用されただけだと知った家盛は病に倒れ、はかなくなったのでした。


10.雨降って地固まる
弟・家盛の病死、父・忠盛の死に揺れる清盛。さらに前の妻を愛するがあまり今の妻に心なき言葉を投げかけてしまった清。悩みぬいた清盛は、宮中の歌会にてお題を無視し、家族の大切さを堂々と歌いあげるのでした。


11.ローリング崇徳
清盛がスッキリしていたころ、影の薄い時の天皇・近衛帝が病に伏せ、次の天皇は決まっておりませんでした。いよいよ鳥羽法皇を押しのけ、崇徳上皇のターンがはじまるのではないかと大いに揺れる王家、世にいうローリング崇徳でございました。ここにいたり鳥羽法皇は、崇徳上皇へのこれまでの冷たき仕打ちを深く反省し、謝罪をいたしますが、つらいいじめを受けてきた崇徳上皇の心の氷は溶けることがなかったのでございます。そのころ、崇徳上皇の弟にあたる雅仁親王は俺関係ねーしとばかりに遊興に明け暮れ、人気アイドル歌手・松田聖子から今様を習っていたのでございました。


12.番狂わせ
仁平3年、帝位とは無縁と思われていた雅仁親王・29才無職が新天皇に即位いたしました。後白河天皇の誕生でございます。その裏には政界のフィクサー・信西のおそろしきたくらみがございました。俺のターンがまたしても飛ばされた崇徳上皇のお嘆きは尋常でなく、そのお姿には清盛も、テラカワイソスと大いに同情するのでございました。折からわたくしたちの頼長さまは実の兄によって謀りごとにかけられ、失脚の憂き目にありました。崇徳上皇と藤原頼長さま、美しすぎるふたりが手を結んだのはこのときでありました。


13.いい頃(1156)だから保元の乱
1156年、ここに内戦が勃発いたします。王家、源氏、平氏のそれぞれが真っ二つに別れて切り結んだのでございます。頼長さまは王家の戦いにふさわしくないと『孫子』を引用して夜討ち案を退けましたが、信西は『孫子』の同じ文章を引用し、夜討ちを進言するのでございました。こうして後白河方の夜討ちにはじまったこの戦は、なんか狭い路地で馬を降りての一騎討ちなど、謎の展開も見せつつ、後白河方の勝利に終わったのでした。


14.悲しいけど、これ・・・
戦に破れた崇徳上皇はついに出家を決意、なにひとつ思いどおりにならぬ人生を嘆くのでございました。わたしたちの頼長さまは首に矢を受けてしまい、父のもとを頼りますが、藤原一門を守ろうとする父はこれを拒絶。頼長さまは悲しみのあまり舌を噛んで亡くなられたのでございます。崇徳上皇方についていた平忠正・源為義は、それぞれ一族のためと、いい笑顔で「斬れ」と命じ、あっぱれな最期でございました。


15.クーデター前後←今ここ
保元の乱でひとたびはおさまったかに見えたこの国でございますが、源義朝は、昇進を重ねる平氏に対し、源氏は冷遇されているのではないかと不満を募らせるのでございました。折から後白河天皇から御あさましきほどのご寵愛を受ける藤原信頼は、政治を司る信西を疎ましく思い、信西の首を取れと義朝にせまるのでした。信西もまた「遣唐使を数年のうちに出せる」などという死亡フラグを立てていたのでございます。

ズッ強敵(ずっとも)であった源義朝と平清盛の戦いの行方は!?
後白河天皇はライアーゲームを勝ち残るのか!?
そして義朝の子・源頼朝は何を思うのか・・・
次回いよいよ平治の乱!
清盛の冒険、双六あそびはまだ始まったばかり!!

紙芝居の続きをアップしました!

Various Artists - ele-king

 以下本文--------------------
"原稿投函完了!!ビーチボーイズなんて聴いてんじゃねー!!って勢いで書きました。"

 菊地佑樹 Yuki Kikuchi ?@kikuchi1968xx 2012年6月8日 - 6:55 Echofonから
https://twitter.com/kikuchi1968xx/status/210852388863606785

 例えば、僕も含め平成生まれエレキング読者の人間がアナログ・レコードを買うようになるのは、当たり前なのだが、ノスタルジア(懐旧)に浸るためではないだろう。ノスタルジアの対象となる時代など我々はまだ持ち合わせていない。生まれたときから「バブルというのがあって...それがはじけて....」/「関西で大変な地震」/「てるくはのる」/「宅間守」/「ビン・ラディン」などなど.....が幼少の頃から刷り込まれていた。いや、簡潔に言おう。まだ若いからだ。ノスタルジアなど知らない。
 話がぶっきらぼうに逸れましたが....つまり、生まれたときから音楽といえばCDだったので、アナログ・レコードなどは見たことがなかったし、父親がもっていたドアーズや矢沢永吉のCDを邪険にあつかって傷をつけて再生できなくなるようにしたのが「懐かしい」くらいだ。そんなCDかMDはたまたMP3のデジタルデータしか知らない子供だった人間が物心ついて、青春の時代にアナログ・レコードを手にし「演奏」して思ったことは(アナログ・ターンテーブルの説明書には〈再生〉ではなく「演奏」と記述されている)、「こんな音聴いたことない!」ということ。つまり、新しい感覚。

 さて、本ウェブサイトに掲載されているトュー・ウーンデッド・バーズ『Two Wounded Birds』のレヴューについてだと思われる菊地氏の冒頭の言葉が、今日まで僕の胸につっかえていた。目の覚めるような思いだった。例えばYouTube上でも地域/年代問わずあらゆる音楽が平坦に並んでいるこのご時世に、あえてザ・ビーチ・ボーイズのような誰もが否定しようのない(また、してももう意味がない)ものから、敢えて忌避する意志を示さなければならない強迫観念が籠められているのを感じ、それに恐怖し、しかし、同時に自分はその観念を必要としている気がしたからだ。
 そうだ。2012年8月1日現在において、ザ・ビーチ・ボーイズは単なる金持ちジジイの同窓会バンドめいてるにも関わらず、久々の新作は好評で、アメリカ・ツアーだけでなく来日公演まで果たそうとしている。また、若いバンドについてのレヴューを読んでも、音楽性に言及されるときザ・ビーチ・ボーイズは頻繁に引き合いに出されている。例えば、CDショップで配布されているようなフリーペーパーでインディーのロックやポップのディスク・レヴューなんかでも散見されるのだ。

 「ビーチボーイズなんて聴いてんじゃねー!!」

 しかし、おそらくレヴューされるアーティスト側もザ・ビーチ・ボーイズを好んで聴いているのだ。レヴューする側も、ファルセットをふくむ美しいハーモニーとくれば、アーティストもリスナーもザ・ビーチ・ボーイズが頭に浮かんでしまう。そこでフォー・フレッシュメンとはならないのだ。そういえばブライアン・ウィルソン自身、「ロックにハーモニーを取り入れた最初のバンド」だとDVD『アン・アメリカン・バンド』で語っていたっけ.....。

 89年に東京に生まれ育っている人間(例えば僕)が60年代アメリカの音楽であるザ・ビーチ・ボーイズをノスタルジアとして聴くことは難しいが、ヴァーチャルなノスタルジーに浸ってしまう可能性はある。2011年に作られた音楽を数えるほどしか聴かず、ザ・ビートルズとザ・ビーチ・ボーイズとレッド・ツェッペリンに胸を焦がされていたのだとしたら......これはヴァーチャルなノスタルジーだったのだろう。僕は中学生のころからザ・ビーチ・ボーイズばかり聴いてきた。つい最近もUKオリジナル『Sunflower』のアナログを購入して喜んでいるような人間だ。野田編集長にはこう言われた。「斉藤くんは若いのに、ホント、古いのが好きだよね、おじさんとしては嬉しい限りだよw」。うっ.....僕は返す言葉もなくグラスの底のビールの一滴ほどを口に滑らせるしかできなかった。

 そして後日、野田編集長から「斎藤くん、これ好きでしょ」と渡されたのが、本作、英仏ジョイントの新興レーベルである〈ZAPPRUDER〉のコンピレーションCDだ。レーベル〈もしもし〉や〈キツネ〉あるいは同じく英仏レーベルである〈ビコーズ・ミュージック〉を容易に彷彿とさせる、潮っけのあるシンセサイザーが全編で鳴り渡っている。そうですよね。いま夏ですし、僕はホット・チップとかザ・ビーチ・ボーイズが大好きだから、こういうの好きです.....。
 しかし、この音楽は、ヴァーチャルではなく、完全なノスタルジーだ。これこそがノスタルジーだ。初めて1曲目を再生したとき、2009年ごろに渋谷のライヴハウスなんかにこういうのっていなかったかななどと思った。ところがどっこい、実際にはそれどころではないことが、2曲目がはじまった瞬間にわかった。この音楽は聴いたことがある。ゼロ年代のシンセ・ポップ、ああ、すばり〈ビコーズ・ミュージック〉のメトロノミーじゃないか! そして、ほんのひとかけらのホット・チップ。日本で言うなら、シグナレス? なぜ、まだ若い僕が、2012年の音楽を聴いて、4年前の音楽を懐旧しなければならないのか!

 その2曲目、実際にメトロノミーとの人脈をもつナスカ・ラインズ(NZCA/LINES)の"Okinawa Channels"の響きは、海外からの旅行者が沖縄で(あるいは、そのヴァーチャルなノスタルジアで)チルアウトしてるというよりも、毎年のように沖縄に旅行している在日の日本人が、帰りの車のなかで「もう来年は違うところに行こう....」という気持ちを胸に秘めておきながらも結局かれこれ5年くらいは毎年決まって沖縄に来てしまっているかのような倦怠感がある。なんという直近のノスタルジア(追憶)。そして、その旅行者は次の新たな旅行先を見つけることが出来ないままで、きっと来年も沖縄に旅行をするのだ。これこそが恐ろしくリアルで卑近のノスタルジアである。歳である。ああ、ザ・ビーチ・ボーイズを聴いてヴァーチャルで悦に浸っている若者などまだ可愛いものだ。 よく聴けば、サビでもこう歌っている。

 沖縄、ちゃうの? 日本にいようよ(アウーウーウウウウー)。時差ねえし便利よ.......(アウーウーウウウウー)。
 沖縄、ちゃうの? 日によるよ(アウーウーウウウウー)。そろそろ行かねばの....(アウーウーウウウウー)

 そう、ナスカ・ラインズは、エレクトロ・ポップが80年代のリヴァイヴァルだとか言われるのとは違い、もはやその数年前の直近のエレクトロ・ポップを懐かしんでいるのだ。
 懐かしまれてしまったメトロノミーも昨年に3年ぶりのアルバム『The English Riviera』を発表しているが、ナスカ・ラインズは彼らを撃ち落とす姿勢なのかもしれない。ベッドルーム・ポップとしての納まりのよさは、バンドのフィジカルなグルーヴを強調してしまうメトロノミーよりも、ソロ・ユニットであるナスカ・ラインズのほうに軍配が上がるだろう。ルックスも同じくナスカ・ラインズ。しかし、ウォッシュト・アウトの轍を踏まないようにしなくてはならない。まだまだ、これからだ。

 コンピの前半は、この夏まっ盛りにして、部屋のなかあるいはときたまウェッサイ/G-FUNKを模したようなトラックに乗りながら、2~3年前の夏へのノスタルジアが後頭部に疼き出してしまっているボーイズのR&B風の合唱で占められている。その様を、この8月に〈もしもし〉(日本版は9月19日Tugboat Records/P-VINE)から『The Palace Garden』をリリースするビート・コネクション(Beat Connection)がありふれた諧謔でオチをつけている。

 僕の想像し得るかぎり最高のヴァージョン
 ....がまさに起こったところさ
 海岸で僕は立っている
 でも砂のなかにいるのはつらい
 そしたら、彼女は僕の手を握って
 「私についてきて」と言うんだ
 
 夕暮れのなかで彼女を見つけた
 だけど、それはまったくの夢
 僕が計画したんだよ
 銀幕の上で
Beat Connection "Silver Screen (Dreamtrak Diamond Sound)"(2011)

 コンピ後半には、ステファロー(Steffaloo)/クラス・アクトレス(Class Actress)/レインボー・アラビア(Rainbow Arabia)/ソーヴェイジ(Sauvage)らが「浮女子」感の溢れる歌声とトラックで、「あなたを腕の中で抱きしめていたい」「あなたがいないと寂しくなってしまう。わたし待つわ」「あなたがフリーじゃないことは知ってる。問題ない。ただ、あなたの夜を私にちょうだい」なんて歌ってくれているけども、見つかった分の収録曲の歌詞を読んだが、浮女子が期待してやるほどの男子はこのCDのバンドのなかにはいないだろう。リスナーの男子にもいないかもしれない。ソーヴェイジに続いて、フレンチ・フィルムス(French Films)"Pretty In Decadence"の本当に本当に気の抜けたサーフ・ロック・サウンドが聴こえてしまうくらいだから。

 気をとり直すために(天国からの?)階段を降りたけど
 売り渡すような魂(ソウル)も僕には残ってなかった
 
 自助、純血人種、旧約聖書
 ラインに沿って歩くのは
 健康な人を狂わせる
 おお、なんて素晴らしい、素晴らしい人生
 
 メイン・ストリートを歩くたびに
 僕にはわかる
 僕はむしろこんな感じでいたいのさ、ベイビー
 吸血ブルースに愛国心を示したりするよりも
French Films "Pretty In Decadence"(2011)

 なんだかんだで20回以上も通して聴いてしまったので、このCD自体すでに懐かしいものになっていく。浮男子、おどけてばかりいないで、しっかりいこう!

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