Home > Reviews > Album Reviews > Vindicatrix- Mengamuk
イギリスでは靴下がかつてなく売れているという。若い人たちが暖房費を節約するために。スペインでは卵子を売る女性が増えているという。精子は安すぎて家計の助けにならないらしい。3回目を数えたササクレフェスティヴァルの帰り道、僕は「悩み無用」とか「来年なんてピンと来ない」といった歌詞を思い出していた。その場では楽しかったけれど、会場を出てから尾を引いたのはどことなくネガティヴな言葉ばかりである。超然としていたのは快速東京だけで、あとはもしかして若い人たちの悲鳴を聴いていたようなものだったのだろうか。アトモスフェリックなムードを強調するザ・オトギバナシズはもうひとつ歌詞がよく聴き取れなかったけれど、三毛猫ホームレスの「金くれ~、仕事もくれ~」はやはり耳に残留しまくっている。聴き損ねてしまったけれど、狐火のラップを聴いて泣きそうになっていた人もいるらしい。
そうでなくとも今年は暗い音楽のほうがしっくり来ていたので、家に帰ってからもホーリー・アザーやベルザーリン・カルテットといったものばかり聴いてしまった。10年前のヤン・イエリネクやアンチコンと暗さの質を聞き比べたあげく、どうせだと思ってデビュー・アルバムを出したばかりのヴェッセルとヴィンディケイトリックスも聴いてみることにした。オーファン・フェアリーテイルやイーヴェイドもどちらかといえばその口だったし、今年、もっとも暗い音楽選手権でもやろうかなと思いつつ......(ササクレの2日前に戸川純がやはりライヴで"蛹化の女"を歌う前に「この曲は、昔、本当に辛かったときにつくったものです」とMCで話していたことも頭のどっかにはあったかもしれない。「いま、そういう気持ちでつくられた歌はあるのかな、あるとしたらどれなんだろう」と、終わってからフェミニャンや水越さんと話していたことがササクレから答えとなって返って来たような気さえして)。
ブリストルのヤング・エコー・コレクティヴからセバスチャン・ゲインズバローによるヴェッセル名義『オーダー・オブ・ノイズ』はいかにも〈トライアングル〉という感じで雰囲気は十分。トリッキーをシャープにしたような感じで、そこかしこに甘美なダークネスが敷き詰められているものの、全体的に手法的な統一感はなく、そのせいなのか、暗さに没頭するところまでは行かなかった。それぞれの文脈ではいい曲もあるんだけれど、むしろ同じ〈トライアングル〉からのデビューだったホーリー・アザーの完成度が際立ってしまったというか。これに対してデヴィッド・エアードによるヴィンディケイトリックスはデムダイク・ステアー周辺やエンプティセットの背後に見え隠れするインダストリアル・ミュージックの残像がベース・ミュージックの文脈に取りついたもので、ある種の恐怖体験をそのまま音楽にしたホーンテッド・ダブステップとでも呼べる......ようなものかと思って聴き続けていると......ダメだ、どうしても笑いがこみ上げてくる。あはは。あーはっは。
ヴォーカルのせいである。デヴィッド・シルヴィアンにも喩えられているエアードのバリトンは、なるほどグラム・ロックの響きを持っている。僕にはビリー・マッケンジーのほうが近いように思えるけれど、あまりにもうっとりと暗い世界に浸りきっていて、歌いかけるべき相手を見失っているというか、彼が自分自身のためにしか歌っていないことがありありとわかるので、どうしても笑いが誘発されてしまう。暗いといってもここには辛さや悲しみはなく、ライフ・スタイルとしてのゴシック趣味があるだけで、要するにロッキー・ホラー・ショーである。ジェイムズ・ブレイクのパロディとしてもかなり楽しいし、元々、マイケル・ジャクスンのカヴァーで注目を集めた人なので、手法的にはハイプ・ウイリアムスのそれを踏襲している面が多い。ブランド&コープランドがジャパンに手を出したら、きっとこんな感じになることは避けられないはずだし、そもそも悪趣味を洗練させたらイギリス人に適うわけがない。つーか、暗い気持ちを増幅させるつもりで聴きはじめたのに、すっかり気分が変わってしまったw。インドネシア語でつけられたタイトルの意味も調べてみたら「大暴れ」とは......。
真面目な人がここまで読み続けてるとは思えないけれど、以下は、さらにヒマな人向け。『メンガムク』をリリースしたモーダント・ミュージック(以下、MM)について。
シャックルトンのデビュー・シングル「ストーカー」をリリースしたことで知られるMMは(ヴィンディケイトリックスが最初に知られたのもシャックルトンのリミックスによる)、レーベルを主催するバロン・モーダントとアドミラル・グレイスケールによる同名のユニットがリリースの中心で、ほかにはあまり手を広げていない(最初のレーベル・コンピレイションはMMとシャックルトン、ヴィンディケイトリックスしか収録されていない)。いまでもその要素は強く残しているけれど、MMは当初、ノイズ・ユニットとしてスタートし、おそらくはシャックルトンの影響でベース・ミュージックやダブステップにも手を広げていったのだろう。とはいえ、モーダント男爵ことイアン・ヒックスは90年代後半にはデッドストックとしてインターナルや、ダニー・ローズとしてレフトフィールドの〈ハード・ハンズ〉から適当なダンス・ミュージックはさんざんリリースしてきた口である。さらに遡れば80年代にはポーション・コントロールのメンバーだったこともあり、セカンド・サマー・オブ・ラヴの時期にもボディ・ミュージックのアルバムを何枚か残している。それらをひと言でまとめると、とにかく要領が悪い、いつまでもシーンの周辺にいて、何がやりたいのかわからない人となる。実際、彼がそれまでにリリースしてきたレーベルは悪くないレーベルが多いし、「機会は与えられてきた」にもかかわらず、それを活かせなかったと言われれば終わりである。返す言葉はないだろう。ただ、僕自身、それと知って彼のことを追いかけてきたわけではないのに、上記した作品はなんとなく買ったり、聴いたりはしていて、作品を手にとらせる力はなくはないし、MMにしても最初は新人だと思って聴いていたぐらいである。つまり、何度でもやり直してきたともいえるわけで、その効果はゼロではないし、諦めの悪さもここまでくれば大したものではある。曲がりなりにもMMは12年も続いているし、90年代と同じ過ちを繰り返していないことはたしかである。
その彼が、最近、MMから立て続けに2本組みカセットなどをリリースしているエコープレックスと新たなユニットを組んだ。トースティングにアルビーを加えたエムプレックス(eMMplekz)がそれで、これがエコープレックスと同じ手法でありながら、それをさらに上回る完成度を感じさせる。野田努が初期のキャバレ・ヴォルテールを引き合いに出したのもなるほどと思えるニック・エドワーズのダブ・ドローンにヒックスは主にはヴォーカルで参加しているようで、クレジットには動名詞のプロセッシング(?)とか貝(?)とか記されている。よくわからないけれど、いろんな音を出しているのだろう。音数が多い分、エコープレックスの単独作よりもコクがありw、踊れないダンス・ミュージックの世界を広げているというか。後半は歌いまくりのシンセ-ポップ。ダークで、それこそポーション・コントロールに逆戻り。最後はこんな歌詞で締めくくられる。「我々は喜んで払い戻します。取替えも可。期待に応えられなければね。スタッフにお申し付けください。これはあなたの土曜の夜を魅了しないでしょう」
スポーツウェアのことなのか、衝撃テストを指しているのか、『アイゾット・デイズ』と題されたアルバムにはエディ・コクラン"サマータイム・ブルーズ"のカヴァーも収録されている。スーサイドのようにアレンジされたそれはイライラとした感情が剥き出しにされ、ちょっとカッコいい。この曲にはそういえば、60年以上も前に若い人たちがあげた悲鳴が記録されている。いつでもそれは取り出し可能なのである。そう、これを聴いていて、いままた、ハハノシキュウとドタマが来年のクリスマスをぶっ潰してやるといってササクレ・フェスでキック・ザ・カン・クルーの"クリスマス・イブRap"をメタクソにしたヴァージョンをやりはじめたことを思い出してしまった。あの感覚はもしかすると初期のハイプ・ウイリアムズやヴィンディケイトリックスに通じるものがあったかもしれない。
三田 格