「LV」と一致するもの

Special Talk:OLIVE OIL×K-BOMB - ele-king


OLIVE OIL
ISLAND BAL

BLACK SMOKER

Hip HopExperimental

Amazon

OLIVE OILが7月にBLACKSMOKERから発表したソロ・アルバムのタイトル『ISLAND BAL』は、「島の居酒屋」とでも直訳できるだろうか。このOLIVE OILとK-BOMBという盟友同士の対談を読むと、「島の居酒屋」というタイトルがしっくりくるように思えてくる。もちろんOLIVE OIL×POPY OIL兄弟が徳之島出身で、福岡在住である事実とも関係している。

  だが、「島の居酒屋」がしっくりくるのはそれだけではない。OLIVE OIL×POPY OIL兄弟にしろ、K-BOMBにしろ、旅芸人のように全国津々浦々を渡り歩き、各地のありとあらゆる“シマ”での壮絶なライヴと、変態、変人、強者たちとの交流、そして連日の豪快な遊びを通じてセンスと感性と変態性にさらに磨きをかけ、それらを原動力に大量のビートやラップ、映像や絵を、まるでメシを食い、酒を飲み、セックスをし、風呂に入るのと同じような感覚で日夜吐き出していっているようだ。

  『ISLAND BAL』はそういう彼らの交流と日常的実験のレポートだ。それゆえに音と生活の距離がとても近く感じる。ビート集的側面が強いものの、OLIVE OILは、OMSB、K-BOMB、FREEZE、KOJOE、5lackといった、長年親交を深めてきた全国各地のラッパーの既発のヴァースと新たなビートを組み合わせ、再構築することで最新のラップ・ミュージックを作り上げてもいる。また、OLIVEが今年、金沢で出会ったaddginjahzzというグループのラッパー二人をゲストに招いている。

  音と生活の距離が近い、つまりここで聴ける“肉感的なビート”は、本作のライナーで白石裕一朗(AZZURRO)氏が書いている通り、OLIVE OILが2011年からメインの制作機材をNATIVE INSTRUMENTSのMaschineに変えたことも大きく関係しているのだろう。ジャケットのコラージュは、KILLER-BONGとPOPY OILの合作によるものだ。

  さて、長年の付き合いとなるOLIVE OILとK-BOMBだが、おそらくこれほどまとまった分量の対談記事は初公開と思われる。対談とはいえ、この二人の対話である……まずは恒例となる二人の出会いのエピソードから訊いた。POPY OIL、JUBEも同席して行われた、彼らのはちゃめちゃで、ルーディで、時に驚くほど核心をつくトークをお送りしましょう。

福岡の焼き鳥屋では会計の金額がすごいことになってた。──OLIVE OIL

金の使い方もなんか似てるんだよね。無くなるまで金を使い過ぎちゃう感じ。メシ、頼み過ぎちゃう感じとかね。ははっ。──K-BOMB

OLIVEさんとK-BOMBの出会いは?

K-BOMB:当時はCD-Rを売ってる人があんまりいなかった。CD-Rがビジネスとしてまだ成り立たない頃だよ。

OLIVE OIL:たしかにそう。

2000年代初頭から中盤ぐらいですかね。

K-BOMB:オレはCD-Rで作品を大量に作ってた。で、あるときCHU(INNER SCIENCE)からCD-Rを売れる店があるって教えてもらったのがWENODだったんだ。

OLIVE OIL:CD-R売ってたっすね。WENODに売ってもらってた。

K-BOMB:だから、「オレの他にCD-Rとか売るヤツいるのか?」ってWENODに訊いたら、「いますよ」と。それでOLIVEの作品を聴いたらさ、斬新で最新で歌い辛い感じでたまんないと。そのころトラック作ってくれるいい人を探してたところだったから、すぐにでも会いたかった。そうしたら、「来週(東京に)来ますよ」とまた教えられて、すぐに会った。オレ側のニュアンスとしてはそんな感じさ。

それってどれぐらいの時期ですか?

OLIVE OIL:2006年ぐらいですかね。

K-BOMB:どうなんだろうね。もうね、2000年代に入っちゃうと、オレ、わかんなくなっちゃうんだよ。オレのなかじゃあ、新しいことなんだけどさ、でももう10年ぐらい経ってるっていうことだからさ。ちょっと時空が捻じ曲がっちゃってる。季節感を感じないね。でも、そうなのかもしれない。気持ち的には1980年代ぐらいに会ってるような感じだよね。

OLIVE OIL:ははは。

K-BOMB:初めて会ったのはUNITでのライヴかな? いや、違うか?

OLIVE OIL:WENOD(当時店舗は恵比寿にあった)の近くの神社の裏のバーで会った気がする。

K-BOMB:だいたい年数適当のオレだからさ。1989年の夏、ニューヨークで会ったってことだね。

OLIVE OIL:ははははははははっはーはぁ。

福岡でWENODの神長(健二郎)さんも同席して、OLIVE OIL、POPY OIL、THINK TANKが初対面したという話を聞いたことがありますが、違いますか?

(※2007年11月23日にWILD RIDEというイベントがEARLY BELIVERSで開催。THINK TANKが福岡で初ライヴを行っている。OLIVE OIL、RAMB CAMPらも出演)

OLIVE OIL:そうそう。福岡の焼鳥屋で会いました。THINK TANKが初めて福岡でライヴしたときだ。

K-BOMB:えーーーーーー!? まじで? オレはファースト・コンタクトは恵比寿だと思う。恵比寿で仲良くなって、福岡に行ったはず。だってさ、いきなりさ、知らない人とオレがそんな風に飲むってことないんじゃない? それまで人とメシとかたぶん食いに行ったことなかった。OLIVEと初めてぐらいの勢いで行ったんじゃないかな? 芋の水割りもそれまで飲んだことなかった。だからそれぐらい古い関係だし、OLIVEと出会ってオレ自身の芋がもう捻じ曲げられた。

その福岡の焼鳥屋での出会いが壮絶だったらしいと。

K-BOMB:壮絶だよ、常に。

OLIVE OIL:うちらが店に着いたら、小上がりの座敷でTHINK TANKのメンバーみんなが横になって寛いじゃってた。

K-BOMB:オレたちね、すぐ寛いじゃうタイプだから。

たしか神長さんが両者の間を取り持って、その場で意気投合して、途中で神長さんは「もう任せたよ」って先に消えたみたいな話を聞いたことがある。それは恵比寿なのかな。

K-BOMB:意気投合系だね。

OLIVE OIL:うん。福岡の焼き鳥屋では会計の金額がすごいことになってた。

K-BOMB:金の使い方もなんか似てるんだよね。無くなるまで金を使い過ぎちゃう感じ。メシ、頼み過ぎちゃう感じとかね。ははっ。

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それはOLIVEに常にある雰囲気で、OLIVEはいろいろ絡ませていくからさ。民謡とジャズとか、民謡とヒップホップとか。ひねくれてるのさ。──K-BOMB

オリエンタルな雰囲気や日本昔ばなし的な雰囲気を出したかった。──OLIVE OIL

いずれにせよ、WENODがK-BOMBとOLIVE OILをつなげたことは間違いなさそうですね。K-BOMBとTHINK TANKは最初どういう印象でした?

OLIVE OIL:すげぇ恐い。

K-BOMB:まじで? やだな

OLIVE OIL:だって、全員寝てるわけですよ。畳の部屋で。

K-BOMB:畳だと、オレたち寝ちゃうんだよ可愛い感じで。椅子だと、オレたち野菜とか投げ合っちゃうからさ。

OLIVE OIL:あ、思い出した! そのとき、K-BOMBに「EL NINO(OLIVE OIL×FREEZ)やってるでしょ? オレたちは1997年からEL NINOってイベントをやってるからね」って言われた。

はははは。同じ名前だったから対抗してきたんですね(笑)。

K-BOMB:対抗してきたんだよ。

JUBE:その感じは変わってないよね。いまでも気に入った人物に対抗心むき出しのときたまにみるよ。

OLIVEさんとFREEZさんのEL NINOよりも前から、BLACKSMOKERは同じ名前のパーティをやっていると。EL NINOって1997年からやってたんですね?

K-BOMB:そうだね。たしかOrgan Barで毎週火曜日やってた。イカレたことをやってたよね。

OLIVE OIL:まあ、そういう会話からはじまって、「じゃあ乾杯しよう」と。そしたら、K-BOMBが「魔王って酒があるけど、そこには大魔王ってのがある。もっとこっちのほうが悪いんだろ?」って大魔王という酒を選んだのをよく憶えてる。あれウケたな。

K-BOMB:俺、大魔王のせーでその後、寝ながらLIVEした気がする。

JUBE:たしかに

POPY OIL:僕らが当時福岡でやっていたダダイズムっていうイベントの時にいつも迎えに来てくれる後輩の車のなかでは常にTHINK TANKとK-BOMB、BLACKSMOKERの音楽がかかっていた。

OLIVE OIL:自分は1997年にアメリカに行って、2002年に帰国したんだけど、当時、日本にいる変態系の人たちのビートをすげぇ探してた。福岡でその後輩のキョムってヤツに知り合って、その流れでTHINK TANKとか、全部教えてもらった。

ただ、OLIVEさんとK-BOMBで一緒に曲を作るのはそれから少し先ですよね。

OLIVE OIL:K-BOMBから「TRIPLE SIXXX」(CDは2010年発売。アナログ第一弾は2008年)に入ってる曲のアカペラを直でもらったのが最初だと思う。「BPMもわからないから」って言われて、すげぇ困った思い出がある。

K-BOMB:OLIVE OILは「BPMないんじゃないかな?」っていうのあるじゃない。出来そうだなっていう。ビートが揺れてるからさ。揺れてると、BPMが3ぐらい稼げるような気がするんだ。どこの位置にもコンテンツがあるから、リディムが出るっていうかさ。わかるでしょ? 乾いてると的確に叩かなきゃいけないけど、揺れてると的確な部分の幅が広がるっていうね。

OLIVE OIL:「TRIPLE SIXXX」の「Mr.KATO」が最初ですね。

「Mr.KATO」にはFREEZさんも参加してますね。

OLIVE OIL:EL NINOでちょうど作ってる最中とかだったからね。

K-BOMB:だってさ、あの時期は福岡にライヴしに行くと、次の日の昼からさ、CLUB BASEにベニヤ板みたいなの貼って、「さあ、やりましょう」ってRECがはじまるんだ。もう絶対なんだよ。二日酔いで録らされる。オレはその場でビートを聴いて、リリック書いて、2、3曲録ったりしてさ。そうやって作った曲で世のなかに出てない曲とかいっぱいあるわけ。人の家の二段ベッドの上で正座して歌った歌とか出てないんだ。

OLIVEさんの自宅兼スタジオで録ったりはしなかったんですか?

OLIVE OIL:いや。

K-BOMB:家じゃ録らないよ。もうね、ゲトー団地みたいなところがあるわけよ。福岡からちょっと行ったらさ。「オレは人の家は嫌だよ」つってんのに、車に乗って行ったらもうそこだよね。強制的なんだね、いつも。オレ、人の家は嫌だから、しばらく川歩いてたよ。

OLIVE OIL:川、歩いてた(笑)。

K-BOMB:川歩いてたら、子供たちが魚獲ってて、オレもそれに参加して良い気分になったね。

OLIVEさんがK-BOMBをRECに誘うと。

K-BOMB:いや、みんなでオレを騙すんだよ。

OLIVE OIL:たしかそのときはFREEZの計画だった。

K-BOMB:そう。仲良いから、オレのことわかって来ちゃってたんだろうね。この人に「録音しましょう」って言ったら、「絶対行かない」って言われるから、黙って連れていかれる。「おいしいもの食べたくないですか?」「食べたいね」と。そうやって釣り出されてる。完全に拉致られてる。そうしたら、いつの間にか録ってる。

RECするのが習慣っていうか日常的でスピードが速いんですね。

OLIVE OIL:そうっすね。

K-BOMB:CLUB BASEがあったときはあそこで名作はだいたい録ってるよ。

OLIVE OIL:たしかに。全部あそこかGREENHOUSEで録ってる。

CLUB BASEで生まれた作品には例えば何がありますか?

K-BOMB:RAMB CAMPとTHE LEFTYの曲とかもそうだ。

RAMB CAMP / REBEL MUSIC feat. THE LEFTY (K-BOMB, JUBE)

RAMB CAMPのアルバムとかもそうなんですか?

OLIVE OIL:そうそうそう。

K-BOMB:福岡のラッパーはだいたいあそこで録ってたんじゃないか? 自然にエコーかかっちゃってるの、広いからさ。普通のヴォーカル・ブースより明らかにデカくて、何人もブースにいるっていう感じさ。THINK TANKの録り方と似てるよね。喋り声とか入っちゃってる感じで、アカペラとか聴くとおもしろそうだな。「芋の水割りくれる?」みたいな話し声が入っちゃってんだと思うよ。

ふふふ。

K-BOMB:夕方ぐらいから録りはじめて、それでまた飲んで、次の日にライヴやDJやったりして、福岡に何日もいちゃうんだ。だから、だいたい二日目とか三日目から、オレに付き合えなくなってくる人いるけどね。なんかもう、ゲッソリして、胃液の匂いがプンプンするヤツとか。ははははは。三日とか付き合えるヤツ、なかなかいない。POPY OILぐらいだ。OLIVE OILは上手いこと「違うビジネスがあるんで」って会わない時間が長い。

OLIVE OIL:その三日間でZORJIが痩せていく(笑)。

K-BOMB:そうだね。

そういう録音作業の原点というか、はじまりが「TRIPLE SIXXX」の「Mr.KATO」だったと。

OLIVE OIL:そう。

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福岡にはビートメイカーも多い。CRДMとかLAF とかさ。ラッパーだとREIDAMとか。そういう世代が盛り上がってる感じがする。──OLIVE OIL

OLIVEのせーだ。福岡最高なんだっ。──K-BOMB


OLIVE OIL
ISLAND BAL

BLACK SMOKER

Hip HopExperimental

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K-BOMBから見て、OLIVEさんとPOPYさんっていうのはどういう人物ですか?

K-BOMB:オレはこの兄弟と1ヶ月に1回……いやもっと会うときもある。いろんな地方で会うんだ。8月もだいたい一緒にいたりとかするしさ。だからもう家族のよーに過ごしてる。オレは朝早く起きて全員分の洗濯とかしてるよ、OLIVEの家で。風呂も入ってる。

OLIVE OIL:ふふふふふふふ。

K-BOMB:この兄弟はもう天才で、音と映像とアートを兄弟で出来てるっていうのもスゴイけど、普通にワールドクラスのレベルなんだ。だから、近づきたかったっていうのはあるよね。よく解読できないレベルっていうのかな。だいたいオレ、解読できるからさ。だからライバルだし、ファンだし、友人だし、ファミリー的な感じだ。深い感じだと思う。教えてもらうことも多いから。

何を教えてもらうんですか?

K-BOMB:芋の水割りとか音の鳴りとかも教えてもらう。ところで最近、野菜食べてないか?

OLIVE OIL:いや食べてませんよ

ふたりからすると、K-BOMBのファースト・インプレッションは?

OLIVE OIL:そういう人間がいると思わない人物。「そういう人、いるの?!」と驚くような人物だった。

POPY OIL:ライヴでドレッドを片手に持ちながら、片手でパッドを叩いている姿を初めて見て、野生の要素と都会の要素を両方併せ持つ、超越している人物だと感じた。

K-BOMB:オレもこの兄弟に野性的なのもと都会的なものを感じたよね。よく言われがちな“黒い音”とかじゃなくてさ。黒いけど、その黒いとは違うんだ。ポップで、メロディアスで、オレの好みなんだ。

ノイズもあるし、ポップもある。

K-BOMB:あるあるある。質感を感じたよね。

OLIVEさんが海外から帰って来てFREEZさんと会ったときに、日本人離れした野太いラップが出来るラッパーだったから、彼とは一緒にできると確信したというような話をしてくれたことがあります。

OLIVE OIL:そう。オレはエイフェックス・ツインやスクエアプッシャーも好きだったけど、90年代ヒップホップのスタイルをもって、徹底して8、16、24という偶数小節でラップしていくFREEZくんとやることで、ヒップホップのスタイルに自分の音楽を落とし込んでいった。そういう音楽を作っていたときに、今度はK-BOMBがオレの目の前に突如現れた。



K-BOMB:ふふっ。

OLIVE OIL:ラッパーなのに「1小節飛ばしてくれ」とか言われて、「やっべぇなあ」と感じた。

ヒップホップとラップのルールを知りながらそのルールを無視して、それでも王道のラッパーのかっこよさがある。そういうことですか?

OLIVE OIL:そうそう。だから、K-BOMBが3だったり、5だったり、7という奇数小節でラップしていくことに驚いた。

K-BOMB:でもそれはワザとじゃないんだ。同じ歌を同じトラックで歌っても1回目は8だけど、2回目が8とは限らないんだね。ラップを小節数で書いたことがないんだ。それが何なのかオレはまだわからない。感情がこもってくると小節数も変わって来る。感情がこもってなくても変わって来るし、かっこつけても変わって来る。かっこつけながら感情込めても変わって来るしさ。

JUBE:オレが数えたりするからね。でもやっぱり数えられない。4、4、4、1みたいに1が入ってきて、次6とか。挙句に頼りにしてたループはなくなって闇へと誘い込む。お手上げですよ。

K-BOMB:それがわからないんだよ。いいと思うものがそういうBPMだったり、そういう拍子だったりするのかもしれないね。サンプリングする時点でオレはもうそう感じてるよね。これはもう打ち難いっていう、そういうのが大好きだ。ゴールデンループっていうワザがあるからね。

ゴールデンループ?

K-BOMB:何日もそのループをかけっぱなしにしてて厭きないものさ。それがゴールデンループ。やっぱ最高なんだよね。OLIVE OILの聴き方さ。

OLIVE OIL:それは最高。

K-BOMB:名曲っていうのはさ、厭きちゃいけないよな。三日間ぐらいかけてても厭きない。ゴールデンっていうのは裏から入って来たりするものなんだよ。ゴールデンをさらに料理するのってすごい難しくて、ワザとらしくなっちゃたりとかするし、ストレートに行くのは誰しもやる手法なんだ。

『ISLAND BAL』には多彩でユニークなビートがあります。“HENCA”という民謡風の曲なんかもありますね。

K-BOMB:それはOLIVEに常にある雰囲気で、OLIVEはいろいろ絡ませていくからさ。民謡とジャズとか、民謡とヒップホップとか。ひねくれてるのさ。

OLIVE OIL:オリエンタルな雰囲気や日本昔ばなし的な雰囲気を出したかった。

K-BOMB:良いネタが入ったら良い曲が出来るっていうのは当たり前なんだけど、そのネタやモノの処理の仕方で変わってくる。絶対に誰しもが通る道っていうのは360度ぐらいあって、その雰囲気っていうのは誰しもが求めてる。OLIVEはそういうのを散らしてる感じがするけどね。それが技術なんだと思う。音の癖みたいなのを持っててさ。たとえば、だいたいヒップホップのビートメイカーはスネアやキックに重きを置くけど、OLIVEはハットに置いてたりとかさ。

OLIVE OIL:ハット、デカめですね。

K-BOMB:デカいと普通は耳が痛くなる。それが痛くならないとかさ。ちょっとよく聴いてみた方がいい他の人が置いてる重点と全然違うんだ。キックとかもさ、輪郭っていうよりベースに近いようなさ。

うんうん。

K-BOMB:ねぇ。丸い感じの。

OLIVE OIL:ブーン。マルチョーキック 最近食わなくなったけど

K-BOMB:芯っていうよりも周りも持ってる感じだしさ。そこに合うベースっていうのが入ってくる。それはほんとは組み合わせ辛いんだ。

OLIVE OIL:LAでマスタリングしたときに、K-BOMBの曲をスタジオで聴いていたら、TOSHINOBU KUBOTAのエンジニアもやっているアメリカ人が衝撃を受けてて。その様子はミュージック・ヴィデオにも写ってる。

K-BOMB × OLV-OIL / 真夜中のJAZZ

K-BOMB:「真夜中のジャズ」だね。たしかにあのときの彼の動きはTOSHINOBU KUBOTAの曲で踊ってるときとあんまり変わんないかもしれないな。つまり俺はTOSHINOBUなんだ

OLIVE OIL:その場にデリシャス・ヴァイナルのLAJさんも一緒にいて、彼もすげぇ上がっていて、ああいうのが正当な評価だと思う。

K-BOMB:それはビートが良かったから。「真夜中のジャズ」はOLIVEがミュージック・ヴィデオも作ってる。最近、OLIVEはシュールで恐い絵も描くし、いろんなセンスがあるんだ。オレたちの仕事を奪おうとしてるんだ。ふふっ。メシを作るの上手いしさ。そういう凡人離れしてるのはあるよね。

今回のアルバムに参加してるaddginjahzzは誰ですか?

OLIVE OIL:5lack世代ですよね。

K-BOMB:それはやっぱり最高の時期だね。OLIVEは同じ現場でいいと思った人とはやってるね。BIGIz'MAFIAとか名作がもうぞろぞろあるよ。

addginjahzz、ラップの訛りがおもしろいですね。

K-BOMB:このグループ、すごいいいね。声のバランスがいい。

彼らとはどういう出会いだったんですか?

OLIVE OIL:ちょっと前に金沢にライヴしに行ったときに会った。彼らすげぇ喜んでた。「BLACKSOKERから出すアルバムに曲が入っちゃうけど、大丈夫?」って言ったとき、「えええっ?!」って。

K-BOMB:よし、今度みんなで金沢に行こう! OLIVEが作って、光シージャーがかけて、ジャンルを超えてくみたいなパターンいっぱいあるんだ。シージャーがさ、BLACKSOKERの服ばっか着過ぎて、シルエットが俺と一緒みたいなときとかあるからね。

OLIVE OIL:それと福岡に最近Transform(https://transform.website/)って新しいクラブ、バーができた。

K-BOMB:朋晃(ツキツキニッコウ)のところだ。あっこいいよ。どんどんよくなってくるんじゃないかな

OLIVE OIL:福岡にはビートメイカーも多い。CRДMとかLAF とかさ。ラッパーだとREIDAMとか。そういう世代が盛り上がってる感じがする。

K-BOMB:OLIVEのせーだ。福岡最高なんだっ。

今後の話も訊きたいですけど、どうですか?

OLIVE OIL:今後はツアーしたいですね。ライヴをしたい。でもわかんない。もしかしたら作っちゃう可能性も高いから。でもリリースしたり、マスタリング済の音があるから、そういうのを持ってあちこち回るのがいいかもしれない。

K-BOMBはどうですか?

K-BOMB:これからのことはわからないよ。絵の仕事をやんなきゃいけないし、アルバムも作りたいなと思ってるけど、年々CD-Rも出すのが少なくなるぐらい時間がなくなってきちゃってさ。自分の課題がまったくこなせてないから、もっと厳しくしたいね、自分に。

OLIVE OIL:ふふふ。

真面目だ(笑)。

K-BOMB:俺はいつでも真面目さ。。。そろそろ旅行でもしてアルバムつくろーかな。

OLIVE OIL:あーぜひ事務所にもよってください。おいしいもの食べに行きましょう。

K-BOMB:いいね~ おいしいもの食べて……えっ? それって……ふふふ、それは高いよ。

BLACK SMOKER RECORDS PRESENTS
ELNINO

8/29(SAT) at clubasia 23:00-
ACT
KILLER-BONG JUBE BABA YAZI CHEE13 OLIVE OIL
5lack punpee OMSB Hi’spec peepow ROKAPENIS KLEPTOMANIAC
BUN LUVRAW Cocktail Boyz L?K?O VIZZA JOMO LIBERATE TISHIT
and more

 レイヴの歴史を紐解けば、一度はスパイラル・トライブの名前を見かけたことがあるだろう。セカンド・サマー・オブ・ラヴ以降のイギリスで、100以上のフリー・レイヴ(無料レイヴ)を行い、多いときでは4万人を動員するなど、ハードなパーティとともに生きた伝説のテクノ・サウンドシステムのクルーだ。当時のイギリスでは抵抗の象徴として注目されたクルーのひとつでもある。イギリスから移住後、ヨーロッパにテクノのサウンドシステムを普及させ、そのシーンからでないと生まれ得ないトライブやハードテックなど、先鋭化したジャンルの基盤を作った。彼らはレイヴとともにヨーロッパ中で生活した、レイヴトラベラーの実践者とも言える。今まで日本で紹介される機会が少なく馴染みが薄いが、ヨーロッパのアンダーグラウンド・シーンでは一時代を築いた集団ということは検索すればわかるはず。

 さて20年後の現在、当時のメンバーのひとりであるDJのJeff23が奇跡的に来日した。今回の来日が実現したのは、Jeff23の友人であるチェコ在住のハードテックの日本人DJ Tanukichiと、90年代から日本にレイヴカルチャーを持ち込んだパーティ、ライフフォースの協力があったため。当日のプレイは妖艶さを持ったダークなテクノで、人々は朝まで魅了された。近年稀にみるいかがわしい雰囲気がフロアを覆い尽くした。スパイラル・トライブの活動は多岐に亘るためすべてを紹介できないが、一員であった彼の発言からイギリス/ヨーロッパ圏での音楽を取り巻く文化の違いを少しだけでも知ってほしい。

Spiral Tribe Reportage Tracks Arte GermanTV

ずっとウェアハウスで(インディペンデントな)フリー・パーティをしていたんですよね。現在までのスパイラル・トライブの経緯を教えて下さい。

Jeff23:スパイラル・トライブとしての活動は99年までなんだ。最初、自分はスパイラル・トライブに会う3年前から仲の良い友だちとウェアハウス・パーティをやっていて、91年のクリスマスにメンバーであるサイモン(クリスタル・ディストーション)たちと出会って参加するようになった。自分のやっていることに一致したからだね。
 スパイラル・トライブは元々フリー・パーティをモットーにしていたけど最終的には料金は取るようになった。自分たちは本当に安い値段でパーティをしようと思っていても、ビジネスみたいなものに取り込まれて25ポンドぐらいの入場料になってしまう。それがやっぱり自分たちの意志とは反することがあった。
 だんだんクラブの体裁が流行りはじめて、フリー・パーティと区別がつかなくなった。そこからバウンサーがいるような時代になって、それが本意ではなかったんだ。そこからマフィアやフットボールのフーリガンのような連中含めて、いろいろ絡みはじめてこんがらがった。自分がスパイラル・トライブに入る前にマフィアに売上を全部取られたこともあった。スパイラル・トライブもやられたこともあった。89年以降はじょじょに厳しくなったのでスパイラル・トライブは状況に反発していた。

当時はスクウォッティングした建物でもパーティをしていたんですよね。

Jeff23:89年までのイギリスでは空き家のドアを開けて鍵を取り替えて住んでも、なかに人間が住んでいる場合は追い出せないという法律がまだ成立していたんだ。どんなに広い建物でもスクウォッティングができた。そこでパーティができて巨大になっていった。親しい友人に伝えていって、友人が友人に電話で連絡して集まったんだ。法律が変わってからは、お金を払うイリーガルなスクオッティング・パーティはなくなった。その後もスクオッティングはイリーガルな形で続いていったけど。
 当時のシーンにはサイケデリックなドラッグがあったとしてもコカインやヘロインなど本当に悪いドラッグはなかった。もっと深い精神性を持ったものとして存在/存続していた。サイケデリックについて理解するのは難しい……。それも少しの理由になったかもしれない。

カウンターカルチャー的な集団だとも聞いていますが。

Jeff23:ビーンフィールドという場所で、2万人が集まったストーンヘンジ・フリーフェスティヴァルでは、警官が人を殴った。実際に殴りつけるから、そういう人に対してスパイラル・トライブは意思を持って立ち向かっていった。それが大問題になる。それから自分たちの政治的な立場が支持されてた。当時、他の人たちがはっきり言わなかったことを自分たちは政治的にも立ち上がったから、注目されていたんだと思う。いい意味でも悪い意味でも。
 当時からサウンドシステムを持っていたのもあって、大きなパーティでは2~3000人という人たちが動いた。盛り上がるというのは一瞬で盛り上がるのではなく、続けていくことによって、そこでずっとやっている人たちがいて、それに乗るみんなのエネルギーがあって始めて発生するんだ。
 92年にイギリス政府は100万ポンドを掛けてスパイラル・トライブの問題を裁判することになった。「環境の平和を乱す」という名目で裁判を受け、スパイラル・トライブは政府に勝った。その後、リサ・スタンフィールドやコールドカットはレコーディング・スタジオを作れるぐらいの資金を前払いをしてくれた。自分たちのことをセックス・ピストルズのようなテクノの抵抗の象徴として扱おうとしていたんだ。まわりはそうしたかったけれど、自分たちはそうならなかった。
 その資金を使って、イギリスからサウンドシステムをヨーロッパ大陸に送った。イギリス国内では活動できなくなったので、ヨーロッパに渡ってテクノをプレイするようになった。それまではブレイクビーツだったけれど四つ打ちになっていくんだ。93年頃から、ベルリン、ベルギー、オランダと点々と拠点を変え、最終的にパリに移住した。そこからフリー・パーティのシーンがフランスで生まれたとされていて、ヨーロッパでテクノが爆発的に拡大していった。自分たちのやり方でプロモーションをしたんだ。それから1996年にテク二バル(※)は生まれたんだ。

※テクニバル(Teknival)=ノー・オーガニゼイション/ノー・マネーシステム/ノー・コマーシャリズムのコンセプトの元、複数のサウンドシステムが同日、同場所に集結する自由参加型のゲリラレイヴ。T・A・Z (The Temporary Autonomous Zone)を作り上げる。最大規模の開催では、200組のサウンドシステムと11万人がパリ周辺に集まった。

Teknival Frenchtek 2015 cambrai Teknivibration

 車でフランスからゴア(インド)までパーティをしにいったこともあったよ。子供とともに生活用品も持って行ったね。ロシアのジェット飛行機を買ってチェコに行ったりもした。ヨーロッパ中にネットワークがあるので、そうやってパーティを続けることができたね。木を育てるようにゆっくりと育ち、いまは世界的になったけど。
 ただ結局、2000年以降にヨーロッパ全土でもメディアで注目されて、警察が追いかけるようになってフリー・パーティは止まってしまった。続いているのもあるけれど、サウンドシステムがフランスでは非合法の存在になってしまった。
 締め付けが厳しくなっていくフリー・パーティを続けながら、〈ネットワーク23〉というレーベルを作った。ディストリビューションを行い、まともなことをやって音源を売った。いままでフリー・パーティ・シーンにいた人が音源を買ってくれたんだ。アーティストに制作できる環境を与えられるだけのギャランティを渡した。それぞれのアーティストがスタジオを持って音源の制作できるようになってからスパイラル・トライブとしての活動はストップしたんだ。

フランスでハードテックやトライブというジャンルが生まれたのは、スパイラル・トライブが発端ですよね?

Jeff23:多彩で多角的なアーティストがスパイラル・トライブにいて、クリスタル・ディストーションなどの初期の人たちの一部が、音楽事体の創造性や革新性も更新した。パーティが中心の生活をしていたからもあった。96年頃かな、テクノやハウスの33回転のレコードをあえて45回転にしてピッチをマイナス8にしたことがはじまり。そこから派生してフレンチコアなどハードコア・テクノも生まれたけど、今の自分はテクノなのでハードコアではないね。自分はアーティストのラインナップによってプレイする音楽の速さも変わってくるけれど。
 現在は、スパイラル・トライブの意思をもう一回再生しようとして、2005年頃からSP23というコレクティヴ/コミュティを作って活動中なんだ。時間が経ったので、世代を超えて子どもたちを育てていく状況に突入している。これからは日本でも活動していきたいね。


Hocori、とは? - ele-king

 あるいはあまりプロモーション展開をしなくとも──名が伏せられ、レコード屋のインディ・コーナーの一隅にひっそりと面出しされているくらいでも、『Hocori』は人々の手に取られるようになるのではないだろうか。ネットレーベル発の才気あふれるプロデューサーやユニット群のひとつとして、あるいは“東京インディ”の新しきピース、と謳われていても違和感がないかもしれない。“Lonely Hearts Club”や“God Vibration Instrumental”などは無名性とともに再生されるとき、もっとも時代性を発揮するように思われる。できることなら期待のデュオの登場だ、その音源がユーチューブで公開されている、とだけ紹介してみたい。そしてどうぞご一聴を。素敵な音楽が聴こえてきます。

“Lonely Hearts Club”Music Video

 MONOBRIGHT の桃野陽介(Vo / Gt)とgolf / SLEEPERS FILMで活動する関根卓史のユニット、Hocoriが7月15日(水)にリリースする1st mini album『Hocori』より、リード・トラック「Lonely Hearts Club」のMusic VideoをYouTubeにて解禁した。

 このMusic Videoは、Hocoriの持つシティ・ポップやエレクトロ・ポップをベースに置きながらも、ブラックミュージックのスパイスを取り込む作品の方向性にいち早く注目した、NY生まれのファッションマガジン NYLON JAPANのプロデュース及びディレクションによる作品で、モデルの田中シェンと遊屋慎太郎[ユウヤシンタロウ]が起用されている。

 田中シェンはモデルとしてNYLON JAPANだけでなく、GINZAや装苑など人気ファッション誌にも多数登場し、「JINS × niko and...」のイメージビジュアルなども務め、Instagramで50,000以上のフォロワーを誇る人気急上昇中のモデル。さらに彼女はイラストレーターとしても注目されており、Music Video内で着用している彼女自身がデザインしたTシャツもNYLON JAPANが手がける作品ならではのポイントだ。また、遊屋慎太郎[ユウヤシンタロウ]もBRUTUSを始めとしたファッション誌やカルチャー誌などでのモデル活動だけでなく、アパレルブランド「sulvam」のコレクションビジュアルにも登場するなど目が離せない。
 一目でグイッと引き込む強い視線を持ち、濃厚な空気感を纏う2人のモデルが「Lonely Hearts Club」の楽曲の情景と妄想的要素をNYLON JAPANならではの個性を尊重したスタイルで表現していて、楽曲同様に“新しいセンス”を感じさせる作品となっている。なお、2人のMusic Videoへの出演は本作品が初となる。
 さらに、6月にラフォーレ原宿にて行われたポップアップショップや、先日、パリで行われたJAPAN EXPOでも話題となった、新進気鋭のデザイナー 手嶋幸弘氏が手がける「誰かのヒーローになれる服」をコンセプトに展開しているアパレルブランド〈ユキヒーロープロレス〉が今度は大阪・阪急うめだに進出! スペシャルコラボレーションによる限定盤『Tag』[タッグ]も併せてここで発売されることも決定した。これは1st mini album『Hocori』のリリースに先駆けて発表されていた全3曲入りCDで、関根卓史がこの盤のために手がけたオリジナルミックスが収録されていて、収録楽曲の歌詞や世界観からインスピレーションを受けた手嶋幸弘氏がジャケットデザインを手掛けた。遠方のため入手できなかった関西圏の方はMusic Videoを観てからぜひチェックして、それぞれが描き出す世界観を楽しんで欲しい。

■オフィシャルサイト
https://hocori.jp/

Twitter  https://twitter.com/info_Hocori@info_Hocori
Instagram  https://instagram.com/mmnskn/@mmnskn

■リリース情報

『Tag』
発売日:2015年6月18日(木)
品番:CNBN-01
価格:¥1,000(tax out)
収録楽曲:1. Lonely Hearts Club(Tag mix) / 2. Tenkeiteki Na Smoothie(Tag mix) / 3. God Vibration Instrumental
※ユキヒーロープロレスポップアップショップ限定販売

『Hocori』
発売日:2015年7月15日(水)
品番:CNBN-02
価格:¥1,500(tax out)
収録楽曲:1. Intro / 2. God Vibration / 3. Lonely Hearts Club / 4. Tenkeiteki Na Smoothie / 5. Alien / 6. Kamone

取扱店:タワーレコード(渋谷、新宿、梅田NU茶屋町、名古屋パルコ、札幌ピヴォ、仙台パルコ、福岡パルコ、広島)、タワーレコードオンライン、音楽処、MUSIC SHOP PICK UP、more records

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※7月29日(水)~8月4日(火)まで、大阪・阪急うめだにてポップアップショップをオープン


interview with Jim O'Rourke - ele-king


Jim O’Rourke
Simple Songs

Drag City / Pヴァイン

Rock

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別冊ele-king ジム・オルーク完全読本 ~all About Jim O'Rourke~
ele-king books

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 1999年の『ユリイカ』は、80年代末から90年代初頭、ハードコアな作風で頭角をあらわした彼のポップな側面を示したもので、実験性とポップさとの混淆は当時音響とも呼ばれ、往時を偲ぶよすがにいまはなっている。そこから16年、『ユリイカ』を継いだ『インシグニフィカンス』(2001年)から数えても干支がひとまわりしてあまりあるあいだ、ジム・オルークは自身の名義のポップ・アルバムを江湖に問うことはなかった。ブランクを感じさせないのは、彼はプロデュースやコラボレーション、あるいは企画ものの作品に精を出してきたからだろうし、おそらくそこには心境と環境の変化もあった。ひとついえるのは、『シンプル・ソングズ』ほど、「待望の」という冠を戴くアルバムは年内はもう望めないだろうということだ。そしてその形容は過大でも誇大でもないことはこのアルバムを手にとったみなさんはよくわかってらっしゃる。まだの方は、わるいことはいわない、PCのフタを閉じてレコ屋に走るがよろしい。ついでに本屋に立ち寄って『別冊ele-king ジム・オルーク完全読本』をレジにお持ちいただくのがよいのではないでしょうか。『シンプル・ソングズ』のあれやこれやはそこに書いてある。

 余談になるが、今回の別エレでつきあいの古い方々に多く発注したのは、彼らが信頼のおける書き手であるのはもちろん、かつて勤めていた媒体が復活すると耳にはさんだせいかもしれない、とさっき思った。対抗するつもりは毛の先ほどもなかったけれども、意識下では気分はもうぼくたちの好きな隣町の七日間戦争ほどのものがなかったとはいいきれない。つーか内ゲバか。と書いてまた思いだした、『完全読本』の巻頭インタヴューでジムさんは「Defeatism」つまり「敗北主義」なる単語を日本語でも英語でも思い出せなかった。話はそのまま流れたので、そのことばはどの文脈に乗せたものか、もはやわからないが、メジャーとマイナーという二項対立では断じてなかった。

 本稿は『完全読本』掲載のインタヴューより紙幅の都合で割愛した部分と、別日に収録したものをミックスしたものであり、『シンプル・ソングズ』のサブテキストのサブテキストの位置づけだが、ジム・オルークにはこのような夥しい聴取の来歴があることをみなさんにお伝えしたかった。まったくシンプルにはみえないが、すべては音楽の話であるという意味ではシンプルこのうえない。

当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

ジムさんがヨーロッパによくいたのは何年から何年ですか?

ジム・オルーク(以下JO):88年からですね。そのときはまだ大学生だったので、学校が休みになったときにヨーロッパにいっていました。

アイルランドに行ったついでに大陸に足を伸ばしたということですか?

JO:アイルランドは高校生のときですね。大学のときはまっすぐアッヘンに行っていました。アッヘンを拠点にしていました。

アッヘンに行ったのは――

JO:クリストフ(・ヒーマン)さんがそこに住んでいたからです。彼のご両親はビルをもっていて、その1階は狭かったのでドイツの法律ではたぶん賃貸に適さなかった。それで倉庫というか、実際はクリストフさんのスタジオになっていたんですが、彼はあまりそこを使っていなくて、それで欧州滞在時の私の部屋になったんですね。あのときはライヴをするといっても、一ヶ月の間に2回、せいぜい3回くらいで、アムステルダムでライヴがある場合は当時アムステルダムに住んでいたジョン・ダンカンさんのところに2、3週間やっかいになる、そんな生活でした。アンドリュー・マッケンジーさんも近くに住んでいました。当時は〈Staalplaat〉が勢いがあった時期で、毎日レーベルのオフィスに顔を出していたね。

クリストフ・ヒーマンと出会ったきっかけはなんだったんですか?

JO:88年だったと思いますが、クリストフがオルガナムとスプリットの12インチを出すことになっていたんですね。オルナガムのデイヴ・ジャックマンはそのとき私の出したカセットを聴いていたらしく、ジャックマンがクリストフに「ジム・オルークといっしょにやったほうがいい」と手紙を書いたんですね。それでクリストフさんに誘われて、船に乗ってアッヘンに行ったんです。

デイヴィッド・ジャックマンがつなげたことになりますね。

JO:その大元はエディ・プレヴォーさんです。私は13歳のときにデレク・ベイリーと知り合って、15歳のときにエディさんとも面識ができました。私はエディ・プレヴォーとデイヴィッド・ジャックマンとスプリットLP(『Crux / Flayed』1987年)が大好きでしたから、エディさんにそういったら「じゃあデイヴィッドと会ったほうがいいよ」と。デイヴィッドさんに会ったら、オルガナムを手伝ってくさい、となり、デイヴィッドさんがクリストフさんに紹介して――といった感じですね。オルガナムには6、7年間参加していました。クレジットはあったりなかったりですが。

なぜクレジットがあったりなかったりするんですか?

JO:それがデイヴィッドさんのスタイルなんです。彼の音楽なのでクレジットは私は気にしない。でもときどき書いてありました。だから私もどのレコードに自分が参加したのが100%はわからないんですね。

憶えていない?

JO:録音したのは憶えていますが、音楽を聴いてもわからない(笑)。

オルガナムではジムさんはなにをやったんですか?

JO:ギターとベース。ですが演奏というよりミックスでした。最初にやったときは演奏だけだったんですが、そのとき録っていたスタジオのエンジニアのミックスをデイヴィッドさんは気に入らなかったらしく、私に試してみてくれといったんですね。それで私のほうを気に入ったから、それからお願いされるようになりました。94、95年くらいまではやっていたと思います。でもそれは仕事ではありません。チャンスがあればいつでも参加しました。

デイヴィッド・ジャックマンはどういうひとですか?

JO:いわゆる「英国人」です(笑)。60年代の共産主義ラディカルを体現したようなひとでした。キース・ロウと同じ世代ですから。

コーネリアス・カーデューもそうですね。

JO:そうです。キース・ロウさんはスクラッチ・オーケストラですから。でもじつはキースさんよりデイヴィッド・ジャックマンのほうがキンタマがあったね(笑)。これは簡単にはいえませんが、彼らの政治的なスタンスにかんしては、そういうひとたちは反対意見にたいして、自分たちが正しいと意固地になる傾向があると思うんです。ところがデイヴィッドさんは相手が共産主義者であるかそうでないか気にしない。かたいひとですが、かたいだけじゃない。

いまでも連絡することがありますか?

JO:ときどきありますが、彼は頻繁に連絡をとりあうタイプの方ではないです。私はあのとき、イギリスにいましたから連絡は簡単でしたが、いまは日本ですからほとんど連絡しません。彼はインターネット世代ではない。インターネットを使ったこともほとんどないでしょう。連絡はもっぱら手紙。電話もなかったかもしれない。私もいまはすこしそういった感じですが(笑)。

メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。

ジムさんはそういう世代から考え方の面で影響は受けましたか?

JO:もちろん受けました。意識してはいませんでしたが。というか、私はまだ10代でしたから、なにもわかりませんよ。私はアメリカ生まれでしたが、両親はアイルランド人でアメリカは関係なかったですから、あのひとたちのほうがかえってわかりやすかったんです。

ヒーマンさんなんかはエディさんやデイヴィッドさんより、近い世代ですよね?

JO:ヒーマンさんは私より年上ですが、私と会ったとき、私は18、19で彼は23、24。ちかい感じはありました。あのとき彼はまだH.N.A.S.をやっていましたね。

H.N.A.S.についてはどう思いました?

JO:『Im Schatten Der Möhre』は好きでした。クリストフさんの先生はスティーヴン・ステイプルトンなんですね。でも私はそのとき彼は好きではなかった。

でもジムさんはナース・ウィズ・ウーンドといっしょにやっていますよね?

JO:うぅ。でも会ったことはありません。一度だけ電話で話しました。いいひとだと思うけど、NWWは私は好きじゃない。

どういうところが?

JO:スティーヴン・ステイプルトンはすごくレコードを蒐集しているんですが、彼がつくるほとんどの音楽は現代音楽のコピーだと思う。たとえば、この曲はロバート・アシュリーの“シー・ワズ・ア・ヴィジター”とかね。クリストフさんはスティーヴン・ステイプルトンのお陰で現代音楽にめざめたところがある。私は逆でした。コピーするのは問題ないんですよ。でもなにかが足りないだね。現代音楽のカヴァー・バンドに聞こえる。当時私は大学でそういった音楽を勉強していましたから、なおさらコピー、チープなコピーに思えたんです。それでよくクリストフとケンカなった(笑)。それでNWWは好きじゃなかったんですが、ときどきほんとうに音楽が彼のものになることがあって、それはおもしろかった。

ジムさんは10代の頃から現代音楽には深く親しんでいたんですね。

JO:そうですが、現代音楽はけっしてアングラなものではありませんよ。ジョン・ケージは生きていましたし――

だからといってだれもが聴くわけではないですよね。

JO:それは関係ない。メディアがひとの聴き方をコントロールする時代ではなかったのですから。新聞で雑誌でそういうものを読むこともできました。いまの日本のようにAKB一色じゃなかった。どうしてフランク・ザッパを知ったんですか、と訊かれることがありますが、フランク・ザッパはファッキン人気だった。彼は有名人。普通のレコード屋にも彼のポスターが貼っていたんですよ。これは30年前の話ですが、いまから30年後には「どうしてあの時代、灰野敬二を聴いていたんですか?」ともしかしたら訊かれるかもしれませんが、灰野さんは現役でライヴもやっています。レコード屋にはいればレコードがある。ふつうのレコード屋にもジョン・ケージもフィリップ・グラスもヘンリー・カウの仕切りもあったんです。まったくヘンなものではなかった、だれもが見つけることができる音楽。
 そう訊かれるのが私のいちばんのフラストレーションでもあります。私とだれかが同じタイミングでレコード屋にはいれば、そのひとがヒット曲のレコードを買うように、私はオーネット・コールマンのレコードを買うことができた。私がえらいわけではありません。もしそのひとが左に曲がれば、同じようにオーネット・コールマンのレコードを買ったかもしれない。フィリップ・グラスもスティーヴ・ライヒもCBS、メジャー・レーベル・アーティストですよ。インディペンデント・レーベルの文化がまだない時代のことですね。独立レーベル、プライベート・プレスはありましたが。

私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。

ジムさんはそういったインディペンデント・レーベルができたことで音楽が区別されるようになったと思いますか?

JO:たとえば大学では、音楽を勉強して修士になり博士になる。大学に残りつづけて先生になり、生徒が自分の作品を演奏する。死ぬまでの目的が決まっている感じがしました。同時にハフラー・トリオやP16.D4のような音楽、RRRレコーズのような音楽とピエール・アンリやリュック・フェラーリのどこがちがうのか。そこから私は、自分をコンポーザーと定義するのが好きじゃなくなったんです。現代音楽の世界――それは音楽そのものではなくて、そのやり方です――にアレルギーを覚えはじめた。これは正しい言い方ではないと思いますが、ブルジョワジーの歴史をつづけることに荷担するのがイヤになったんです。彼らがそれに気づいているかどうかは関係ありません。ただそこには参加したくなった。それで、私は最初のカセットには「Composed by Jim O’Rourke」と書きましたが、それ以来書かなくなったのは、最初のカセットではシュトックハウゼンとか、そういった作曲家の影響があったにしても、20歳のころ、あの世界とは関係しないと決めたからです。私が電子音楽をやる場合でも、私が自分の曲をコンポジションと定義し、そういうひとに評価され、その世界で仕事するようになればその世界の住人になる。そこには参加したくないから意識的に「Composed by」のクレジットはいれないことにしました。これはほんとうに私の人生ですごく大事なことです。

心情的にイヤ?

JO:その世界の10%はいいものですが、のこりの90%はゴミです。そんな世界、ゴメンです。大事なのは作品です。私が人間として大事なのではない。あのゲームはやりたくない。

ジムさんが好きだった作曲家といえば当時どういったひとでした? フィリップ・グラスとか――

JO:グラスは75年までですね。だって私はそれまでずっとそんな音楽ばっかり聴いていたんですよ。チャールズ・アイヴズはもちろん好き。電子音楽はもっといっぱいいます。リュク・フェラーリだってそうですし、ローランド・ケインは電子音楽のなかでもいちばん好きで、オブセッションさえあります。彼の音楽だけは、どうしてそうなっているのか、まだわからない、秘密の音楽なんですね。ほとんど毎日勉強する、ちゃんと聴いていますよ。彼は電子音楽についてはもっとも影響力のあるひとだと思います。影響という言葉とはちがうかもしれない。彼の音楽はそうなっている理由がわかりませんから、具体的な影響とはいえないかもしれない。大学のころに聴いていた現代音楽の作曲家の作品はほとんど聴かなくなりました。

いま、たとえばトータル・セリエル、ミュジーク・コンクレート、偶然性の音楽、そういった現代音楽の分野でいまだ有効性があるものはどれだと思いますか?

JO:大学のころ、私はピエール・ブーレーズにすごいアレルギーがありました。ぜんぜん好きではなかった。それが過去5年の間に、偶然入口を見つけました。もちろん全部の作品が突然好きになったのではなくて、とくに“レポン”という作品はよく聴いていて、すこしわかるようになりました。
 トータル・セリエルの問題は音楽がスコアにはいっているということです。100%そうだとはいいませんよ。でもそれはすごい問題です。

ミュジーク・コンクレートのようなスコアで表せない音楽を、ジムさんは評価するということですか?

JO:そういう意味じゃない。セリエルのスコア、コンポジションの考え方は、八分音符から三連符になり、その逆行形になって――という考えを捨てない。とくにアカデミックなコンポーザーは。考え方が全部スコアにはいっている。そう考えると彼らの言語はほんとうに「細い」と思う。だから彼らは彼らの音楽を聴いたひとが「わからない」というと、それを聴いたひとのせいにするのです。でもわからない理由の半分は彼らの側にもあると思う。スコアにC(ド)の音を書く、しかしそれはただのCではない。そこには音色がありニュアンスがあります。彼らのスコアを音楽にするにも次の翻訳の段階が必要なんだと思う。どうしてそれをやらないか、私はわかりません。そういう音楽をやることがまちがっていると私はいいたいのではありません。ただそれをわからないのを聴いたひとのせいにするのは失礼です。

99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在を消し去るということなんです。

ケージの偶然の音楽はどうです?

JO:ケージの音楽は偶然ではありません。それを語りはじめるとそれだけで本になります(笑)。ケージの音楽をやったことがないひとはたぶんわからないと思う。ケージの音楽はかなり難しい。問題は彼のスコアは表面的に理解するには苦労しません。でも簡単じゃないんです。

簡単じゃないというのは自由がないということですか?

JO:99.9%、ケージの音楽はフリーではありません。チャンスの音楽といいますが、ケージは彼の言葉をスコアに注ぎたくない。彼の立場は、音楽から自分の言葉や存在をどうやって消し去るかということなんです。それはチャンスではない。正しくとりくめばそれがわかるはずです。私は音楽家としてケージの作品を何度か演奏しましたが、いっしょに演奏したひとたちがまったくわかっていなくて、ムカついたこともありますし、逆に勉強しすぎて音楽がかたくなったこともあります(笑)。その意味でもケージの音楽は難しい。

勉強しすぎてもダメだし勉強しすぎてもダメ?

JO:しないのはいちばんダメで(笑)、でも勉強やりすぎてもね。両方地獄だね(笑)。でも私のこの考えが100%正しいといいたいのではない。

フルクサスとジョン・ケージは同じくくりに入れられることがありますが、同じだと思いますか?

JO:まったくちがいます。

フルクサスはどう思います?

JO:あんまり興味がない。ボンボンの遊び。若いときにそういった考えになるのはわからなくもないですよ、でも50代でも同じことをやっているのはちょっとどうかと思う。

ハプニングはどうですか?

JO:歴史的に、次の段階に向かうためにそういったことが必要だったのはよくわかりますよ。歴史に敬意を払うことは、いま現在、作品をどう聴くかということと無関係です。ハプニングのような作品は尊敬はしても、(私には)ほんとうに関係がないんです。それにフルクサスはアートの世界のものです。

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若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。いまは時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。

フィールド・レコーディングはどうです? 私は『別冊ele-king』の作業中、『USE』をよく聴いていましたよ。デザイナーの佐々木暁さんに音源をもらったんですね。

JO:ホントに! あれは聴くものじゃないよ。「どうぞ、使ってください」という意味で、だから「Use」なんです(笑)。

(笑)流しているといいですけどね。

JO:私、聴いたことない(笑)。

Pヴァイン安藤氏:『Use』ってDATで出した作品ですよね?

そうそう。DATの長時間録音機能を使った4時間ちかい作品。

JO:私はもってない(笑)。『Use』はあれを出した〈Soleilmoon Recordings〉のひとがそういった作品をやりたかったんですね。それで「どうぞ、どうぞ」って。音源自体は『Scend』(1992年)で使ったものの残りですね。それをどんどんくっつけて、「はい、終わり」といって渡した。

『Scend』のマテリアルということですか?

JO:はい。

エディットしたのはジムさんですよね?

JO:編集というほどのものじゃない。

適当?

JO:はい(と声高らかに)。編集しなかった。あのときはポータブルのDATプレイヤーでいろんなところで録音していましたから、音源はいくらでもあったんです。

当時フィールド・レコーディングにハマッていたんですか?

JO:いまもやっていますよ。

どういうときにやるんですか?

JO:若い頃は意図的に録音する場所を選んでいたんですが、いまはそうしないことにしています。時間がないこともありますが、偶然にいい音を発見したときに録ります。若い頃は、そういった作品をつくりたくて、たとえば工場などですね、そういったところにわざわざ出かけていきました。いまは聴いたことのないような音を偶然見つけたときにレコーダーをまわします。

DATはまだおもちですか?

JO:もっていますけど、でもDATはほんとうにダメだね。音が悪い。とくにA-DAT。あれはヒドい。音よくないよ。レッド・クレイオラのレコーディングは全部A-DATだったんですよ。メイヨ(・トンプソン)さんはA-DATで作業するから。まだS-VHSのテープを使っているかはわからないけど。私が最初に参加したレッド・クレイオラの『ザ・レッド・クレイオラ』(1994年)はアルビニさんのスタジオで録りましたけど、『ヘイゼル』(96年)も『フィンガーペインティング』(99年)もA-DATだったね。

メイヨさんは音にこだわりがない?

JO:わけではないですけど、普通の意味でのいい音にこだわりがないということでしょう。彼にはほしい音色がわかっているんですけど、それはかならずしも正しい録音ではないということですね。

ジムさんはいっしょにやったとき、メイヨさんに「こういう音がほしい」といわれました?

JO:私はアルバムの何曲かをミックスしているんですが、私のミックスはあまり好きじゃなかったので、別の音源を使ったんですね。それで私がミックスした『フィンガーペインティング』を10年後に偶然聴いて気に入ったので『フィンガーポインティング』(2008年)として出し直した。でも逆に私があのミックスはメイヨさんの好きそうなミックスを試してみたものなので、ちょっと気に入らないところがあるんですね。

ジムさんがいま聴いて気に入らないものはほかにもありますか?

JO:いっぱいあるよ(笑)。

たとえばウイルコなんかは出世作だといわれていますよね。

JO:ウイルコは大丈夫。でも私は『ヤンキー・ホテル・ホックストロット』(2002年)より次の『ア・ゴースト・イズ・ボーン』(2004年)のほうが好き。『ヤンキー~』は途中から参加した作品ですが、『ゴースト』は最初から最後までかかわったレコードでしたから。

NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックにはジムさんは多大な影響を受けていますよね?

JO:大学のころ、そういった音楽は勉強しましたが……いちばん影響を受けたのは高校生のころですね。グラス、ライヒ、ウィム・メルテン、マイケル・ナイマンも好きだった。当時はフィリップ・グラスの“Strung Out”のような、作者の考えが見える、聞こえる作品が好きでした。2+3+1+2+……のような構造ですね。私もじっさいそういった作品をつくって、カセットもありますけど、ちょっと恥ずかしいだね(笑)。

出したらいいじゃないですか?

JO:なんで(笑)!?

デジタル・リリースすればいいじゃないですか(笑)?

JO:イヤですよ。

演奏はジムさんがやっているんですか?

JO:私と、私ができない楽器は別のひとに頼みました。大学のときに、私はフィル・ニブロックはじめ、ヨーロッパのミニマル・ミュージックに傾倒していきました。なかでもマイケル・ナイマンは大好きだった。

マイケル・ナイマンは後に映画音楽で有名になりましたよね。

JO:あとのことはわかりません。私は『ピアノ・レッスン』(1992年)も知らない。『プロスペローの本』(1991年)までですね。さいきんまた追いかけるようになって、聴いていなかったCDを買いました。ギャヴィン・ブライアーズも同じ。84、85年まではリアルタイムでレコードを買っていましたが、次第に買わなくなったので聴き直したいと思ってナイマンのレコードを探したんですけど、びっくりしました。彼はこの25年でいっぱいレコードを出したんだね。でも私はむかしのほうが好きです。彼も後年“コンポーザー”になってしまった。グラス、ライヒ、ブライヤーズ、アダムズは過去25年間の作品は私はほとんど知りません。そのなかではグラスやライヒは25年前の時点ですでに私の興味を引くようなものではなくなってしまっていた。(ライヒが)『The Desert Music』を出したとき(1985年)、私はそれを買って、そういった音楽が好きな友だちと喜び勇んでいっしょに聴いたんですが、レコードが終わるころには無言になった(笑)。そのあとは『Different Trains』(1989年)ですから。もういい、と(と両手を振る仕草をする)。もちろん尊敬はしていますよ、ただ興味がないだけで。グラスは83年の『The Photographer』までですね。『Songs From Liquid Days』(86年)でやめました。

リアルタイムで聴いてそう思ったんですね。

JO:そうです。『Music In Twelve Parts』(74年)や『Einstein On The Beach』のもともとのヴァージョンは好きですよ。新録はよくないけどね。むかしのファーフィサオルガンには重さがあるんだね。

ヴィンテージとシミュレーションだとちがうでしょうね。

JO:彼らの音楽から重さが消えたらプラスチックみたいになってしまう。たぶん年をとると気になるポイントが変わるんですね。重要なのは、彼らは若いころ、演奏まで自分たちで行っていたんですね。それが“コンポーザー”になると役割は紙の上で終わり、演奏は知らないひとがやるわけです。ワーグナーの時代では作曲家はもともとそういった性格のものだった。彼らは自分たちのグループのために作曲することのできた時代のコンポーザーなんですね。その典型がグレン・ブランカで、彼の委嘱作品は自作自演には劣りますよ。音楽が手段に戻っている感じがあるんですね。これは非難ではありませんよ、作品が変わってしまうんです。

ジムさんはそこに参加したくなかった、と。

JO:そうそう。

ミニマル・ミュージックと厳密に定義できないかもしれませんが、シャルルマーニュ・パレスタインはどう思われますか?

JO:彼は音を使ってはいますが、作曲家というよりアーティストですね。人生そのものが彼の作品だと思います。

アーティストで音楽をやるひと、たとえばマイク・ケリーさんのようなひとたちはどう思いますか?

JO:ジェネレーションの問題があるんですね。尊敬していますが、ほんとうの意味で心底つながった感覚を得ることはなかなかむつかしい。彼らの前の世代に私は強く惹かれて、そのあとの世代も理解できるんですが、マイク・ケリーさんの世代、トニー・アウスラーさんもそうですね、すごく尊敬しますが、入口をいまにいたるまで見つけられないんです。ふたりともトニー・コンラッドの生徒なんですけどね。

ジムさんもそうですよね。

JO:そう(笑)。(いうなれば)兄弟子なんですよ。その葛藤がたぶん……ある。つまり尊敬の対象であっても興味のそれではないということなすね。たとえばリチャード・プリンスはわかるけど、興味を惹かないのと同じで。

『Sonic Nurse』のときはジムさんはソニック・ユースにまだいましたよね?

JO:いちばんがんばったアルバムです(笑)。

あのカヴァー・アートはリチャード・プリンスでしたね。

JO:あれを決めたのはキム(・ゴードン)さんですね。彼らはむかしからの友だちで、私も会いましたけどいいひとでしたよ。

ジムさんは、NYだとジョン・ゾーンについては言及するけど、ほかのミュージシャンについてあまり話しませんね。

JO:関係ないんですね。

そこには興味がない?

JO:いやいや、ジョンさんがなにをやっているかはいつも興味をもっていて、つねに聴きたいですよ。ただルーツではないという意味です。

アラン・リクトやマザケイン・コナーズは似たようなルーツをもっているということですか?

JO:アランさんはむかしからの友だちですね。NYはなんというか……水が合わなかった(苦笑)。60年代か70年代だったらよかったんだけど、90年代はもうまったくちがっていました。ビジネスのディズニーランドになってしまった。いまはわからないけど。でもあの時代は、前のインタヴューでもいいましたけど、私はNYの部屋にほとんど住んでいなかった。ツアーに出ているか、そうでないときはプロデュースの仕事で別の街にいました。

『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。

話は戻りますが、ミニマル・ミュージックの影響はジムさんのなかにまだ残っていますか?

JO:あるでしょう。表面的なものではなくて、作曲における構造上の影響ですね。音を垂直的に考えない。それはミニマルやチャールズ・アイヴズのような作曲家からの影響ですね。

ポップ・ソングを書くときもそうですか?

JO:ええ。『シンプル・ソングズ』でも、ピアノとベースがちがうリズムを刻み、建築物のように組み上げる。ポップ・ソングはリズムの拍子はヴァーティカルにみれば一致しますよね。私はそれを楽器ごとに別々に動かして、最後に全部合うようにするんです。それが目立たないようにも工夫しますけど。目立っちゃうとフュージョンになっちゃうから(笑)。

それはあからさまなポリリズムということですか?

JO:ポリリズムはすごく大事です。だけどいかにもなポリリズムな感じはほしくない。むしろ「なにかが正しくない」といった感じになってほしいんです。不安な、どこに坐ったらいいのかわからない感じですね。それが目立つとテーマになってしまいますから。あえて目立たせることもありますけど、それは冗談みたいなものというか、プログレやフュージョンが好きなことにたいする罪の意識かもしれない(笑)。

たとえばキング・クリムゾンの“Fracture”にも途中ポリリズムのパートがありますよね。ああいったわかりやすい感じはあまり好きじゃない?

JO:“Fracture”は難しくないよ。それよりUKですよ。UKは仕方ない、私、UK大好きですから。聴くのは楽しいけど、でもちょっと恥ずかしいかもね(笑)。

ジェネシスとキング・クリムゾンの大きなちがいはなんですか?

JO:キング・クリムゾンにはナゾがあまりないですね。聴くとわかってしまって、聴き直す気があまりおこらない。ライヴ音源には失敗があるから味があっていいんですが。

ロバート・フリップは失敗がいいとは思っていないはずですよ。

JO:ちょっと潔癖症なんだね。これも非難ではありませんよ。興味の問題であってね。

音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

シカゴ時代まわりにいたひと、たとえばトータスのメンバーにキング・クリムゾンが好きなひとはいなかったですか?

JO:バンディ(・K・ブラウン)さんは好きだったかもしれません。私はそうじゃないけど、インディ・ロックのひとたちにとってプログレはクールじゃないんだね。「ウェザー・リポートっぽい」と褒めたつもりでいったらすごくイヤな顔をされた憶えがありますよ。

『別冊ele-king』のインタヴューではシカゴに住んでいた当時、プログレ・フレイバーの音楽が流行っていたとおしゃっていましたね。当時ジムさんのまわりでもラッシュみたいなバンドは人気だったんですか?

JO:ものすごい人気でしたよ。いつでもラジオから流れていましたから。

ジムさんはラッシュをコピーしたことはないの?

JO:高校生のとき、バスケの試合でハイスクール・ジャズバンドがハーフタイムで演奏するんですね。私はそのバンドでギターを担当していて、そのとき“Yyz”をジャズバンド用にアレンジしたことがあります(笑)。

うけました?

JO:めちゃくちゃもりあがりました(笑)。日本ではラッシュはちょっとアングラですけど、アメリカでラッシュはすごく有名でしたよ。音楽史において、もっともレコードを売ったバンドはビートルズ、ローリング・ストーンズ、そしてラッシュです。

ウソー(笑)。

JO:ウソじゃないよ! ラッシュはいまでもライヴするとなるとスタジアムですよ。彼らのファンは死ぬまでファンですよ。テレビには映らない、新聞にも載らない、でもブラジルにもスタジアムを埋めるほどのファンがいる。じつはまだ観たことがないんですよ。それはすごく残念。もし彼らが韓国でライヴするなら、私は福岡から船で行きますよ。彼らは日本ではあまり人気がないから、ギャラと釣り合わなくてコンサートができないんですよ。

安藤:84年に一度来日していますね。

大きい会場ではムリですよね。

安藤:武道館でやったと思うけどね。

JO:海外の規模を考えると武道館が彼らにはちいさすぎるんですよ。AC/DCも同じですよね。AC/DCはさいたまスーパー・アリーナで観ましたけど。彼らのすべてのレコードを聴く気はありませんが、あの手の音楽では一番でしょうね。

モーターヘッドも同じようなものではないですか? フジロックに来ますけど。

JO:モーターヘッドはAC/DCにはおよびません。『Back In Black』(80年)はものすごい傑作ですよ。当時のツアーを私はシカゴで観ましたけど最高でした(と嘆息気味に)。

『スクール・オブ・ロック』もAC/DCですものね。

JO:そうだね。ほかのそういった音楽はあまり興味ないんですけどね。残念なことに彼らも日本ではあまり人気がないんだね。

さいきんは人気出てきましたけどね。おそらくワンパターンに聞こえるんでしょうね。

JO:ヴォーカルが?

曲調じゃないですか。

JO:同じじゃないよ。だったらスマップの曲のほうが全部同じですよ(笑)。


Alva Noto - ele-king

 過去は同時に未来だ。いまや私たちの時間はリニアには進んでいない。過去と呼べるものは、常に未知のフォームとして再生成し、未来に置かれるからだ。それはリングのように円環している時間構造といえよう。クリストファー・ノーランの映画『インターステラー』のように、過去と未来という時間の概念が紙の両面のように存在する感覚は、21世紀=インターネット的に階層化したデータ閲覧社会を生きる私たちにとっては実感できる感覚のはずだ。新/旧という概念がフォルダの中に並列に置かれ、無制限にコピーされていく。コピーの余剰に生まれるノイズ。そして、その果てにある新しいロマン主義の誕生……?

 カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトが2007年から進める「ゼロックス(Xerrox)」シリーズは、現代社会を覆うコピー=オリジナルという問題をテーマとしたアンビエント作品だった。同シリーズは2007年に「Vol.1」、2009年に「Vol.2」がリリースされており、今回、6年ぶりにリリースされる本作「Vol.3」によってシリーズは、さらに大きな円環を描く。
 「Vol.1」が「旧世界へ」、「Vol.2」が「新世界へ」がテーマだった。そして、本作「Vol.3」のテーマは「宇宙にむかって」。宇宙という円環する時間領域にむけて、まるで反射する光のように美しい音響/音楽で結晶させていくのだ。このアルバムはまずもって徹底的に美しい。

 先に書いたように、「ゼロックス」シリーズは、オリジナルとコピーという現代的な諸問題をテーマとしつつも、音楽的にはカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトによるアンビエント作品となっている。2000年代後半以降のカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトは、大きく分ければ、「ユニ(Uni)」シリーズがビート作品、「ゼロックス」シリーズがアンビエント作品と2系列に分かれている。その2つのシリーズによって、90年代からのデザイン的/建築的/科学的な音響構築から一歩も二歩も前進し、「音楽」というもののフォームを、ビート(リズム)とアンビエント(ドローン)の両極から刷新させてきた。

 ビート・トラックである「ユニ」シリーズが、バイトーンとのダイアモンド・ヴァージョンへと発展し、ポップ/アートの様相を極めていくことに対し、「ゼロックス」シリーズは、まるでカールステン・ニコライの個人史へと遡行するように、より内面的な作品となっている。
 この「Vol.3」は、「宇宙にむかって」というテーマからもわかるように本作がSF映画的だが、『2001年宇宙の旅』にせよ、『惑星ソラリス』にせよ、『コンタクト』にせよ、『インターステラー』にせよ、「宇宙の果て」で人は自分自身の投影するもの(コピー?)と出会い、そのことによって自らの内面性が乱反射し、自己の再認識(=再統合?)が行われる構成であった。
 いわば世界の果ての自己との邂逅。本作もまた、宇宙的な音響と旋律の中に、カールステン・ニコライの幼少期の記憶が圧縮され解凍されていく。

 事実、本作はカールステン・ニコライが幼少期・少年期に観たであろう『惑星ソラリス』などのSF映画にインスパイアされているという。アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』は1972年のフィルムなので、1965年生まれのカールステン・ニコライ、6歳か7歳のときの作品ということになる。もっとも東ドイツで生まれた彼が「ソラリス」を観たのはもう少し後かも知れないが、いずれにせよ、彼の幼少期である70年代の記憶や気分とこの映画がつながっているのはわかる気がする。
 そう、この『ゼロックスVOL.3』には、幼少期や当時に観たSF映画への追想などによって、彼の「70年代の記憶」が折り畳まれているのかもしれない。現代社会におけるコピーとオリジナルの問題をアンビエント/グリッチノイズ作品として昇華した「ゼロックス」シリーズが、「Vol.3」において、このようなパーソナルな領域に行き着いたことは非常に興味深い。

 カールステン・ニコライの幼年期の記憶。それは「東ドイツの幼年時代」とでもすべきものか。さながらヴァルター・ベンヤミン的でもあるが、それと呼応するかのように、この作品はカールステン・ニコライの旅行=トランジットのさなかで(空港で、飛行機で、車中で)制作されたという(マスタリングなどの仕上げは2014年にスタジオで行われている)。つまり、本作には旅の記憶と幼少期の記憶が交錯している(つまり、この『ゼロックスVol.3』は東ドイツ出身のアーティストのエッセィ的なアルバムとはいえないか)。
 また、「70年代とドイツ」とすると、70年代のクラフトワークや初期タンジェリン・ドリームなどジャーマンロックとの関連性も無視できない。本作の重く暗い旋律とアンビエントなサウンドにはそれらからの(無意識の?)影響を強く感じる(同時に硬いノイズの響きが現代へと直結している)。
 さらに「ゼロックス」シリーズには、アルヴァ・ノトの作品にあって旋律的な要素が表面化しているのだが、本作は、旋律は、はっきりと「作曲」という次元にまで高められている。このメロディはまたドイツ的なのだ(10曲め“Spiegel”のピアノは誰の演奏か。クレジットはない。坂本龍一のようにも聴こえるが……)。

 幼少期。映画。音楽。ドイツ。旅。それら記憶のフラグメンツが交錯するときに生まれるロマンティックな電子音響。それが本作だ。私は、このようなアルバムをカールステン・ニコライが作ったことに「成熟」を聴きとりもするが、同時にある種のロマン主義の萌芽を感じもする。そして、このパーソナルな個人史や内面への遡行は、2015年現在の電子音響の状況を考える上でとても重要なことではないかと思う。
そう、私たちはインターネット社会以降の新しい「ロマン主義」を生きている。コピーとノイズが溢れかえり、それらがすべて可視化されてしまう社会。その「悪い場所」において、より個人の内面性や実存性を重視すること。そのロマンティックな記憶の結晶が、新しい「美学」とでもなるかのように(だが、それは外部への連携として表出してはならず、あくまで個人の中に煌めきとして輝くべきものとも思える。それが作品化されるからこそ美しい)。

本作に煌めいているパーソナルで美しい響きは、そんな現代社会からの美しい乱反射のようにも思えてくる。2015年の最重要電子音響作品だ。

KEIHIN (Maktub / Prowler) - ele-king

Surgeon Remix Works

DJ Yama - ele-king

April Fool "DisqClash" Techno 10

 モデスト・マウス──アメリカのインディを代表するバンド、実に息の長いバンドである。彼らの音楽は、ローファイ、エモ、ポストパンクなど多彩な音楽を混ぜ、独自のスタイルを突き通している。
 私がモデスト・マウスを初めて見たのは1998年、場所はシアトルだった。インディ・バンドを追って、毎日ようにショーに通っていた頃だ。UP Recordsの知り合いに紹介してもらったことを覚えている。
 アイザック・ブロックの荒々しいが沈着したヴォーカル・スタイルは魅力的で、たくさんのペダルを操り、スタディな演奏を淡々とこなしていく印象だった。
 その後も何度か見る機会があったが、彼らのスタイルは一貫していた。UPからリリースされた『This Is A Long Drive For Someone With Nothing To Think About』(1995年)と『The Lonesome Crowded West』(1996年)の2枚のアルバムはとくに好きで良く聞いていたが、いつの間にか、じょじょに、私はフォローしなくなっていた。
 2015年、モデスト・マウスは、8年ぶりに新しいアルバムを『Strangers To Ourselves』をリリースした。
 久しぶりということもあって、この新作は話題になった。アルバムを提げたショーがNYのウエブスター・ホールで開催された。私は、懐かしい思いで見に行った。
 ところが、彼らは昔私が知っているモデスト・マウスではなかった。第一、彼らがこんなに大衆に人気のあるバンドだということに驚かされた。なにしろ、1500人収容出来る会場が2日間ソールドアウトだ。しかもチケット代は$50(先日見に行ったポップ・グループでさえも$25)。会場のまわりにはダフ屋がたくさんいた。私もチケットを法外な値段で売り付けられそうになった。偽チケットもたくさん出回ったらしい。
 オーディエンスの平均年齢は30歳くらいだろうか。圧倒的に男が多い。どちらかというと、ニュージャージー辺りから出てきて、この日のショーのために良い服を誂えた感じの人たちだった。ヒップスター率は0。

 ショーは新曲を中心に演奏された。驚いたことに、アイザック・ブロックは17年前に見た時のスタイルとほとんど変わっていない。変わったのは、ステージ上にいるメンバーの数だ。ドラム3人、ギター3人、ベース1人、キーボード、チェロ、トランペットなどなど、およそ10人が常にステージにいる。アイザック側で彼のギターのチューンをしていた女性が、次の瞬間はステージでトランペットを演奏する。ドラムの後ろに控えていた男性が次の瞬間には、スレイベルを演奏する。メンバーは曲ごとに楽器をころころ変える。バンドというよりは、コミューンの音楽集団のようだった(スウェーデンのゴートを思い起こしつつ)。
 前方のオーディンスは、ほとんどの曲がシンガロングで、身動きが取れない状態で興奮している。レコード会社が陣取るバルコニーのVIP席もたくさんの人で埋まっていた。普段のショーではない、会場のウエブ・スターホールのオーナーまでが、バルコニーのコーナーを借り切って見に来ていた。

 ショーは、アンコールも含め、様々な楽器が飛び交う、派手なものだった。ミュージシャンの質も抜群で、それでいて全てアイザックの演奏が前に出るようになっている。17年前とスタイルがほとんど変わっていないのに(しつこい!)、この人気はなんなのだ。
 そして、もはや「インディ」とは呼べない規模なのに、アイザックからは「インディ」の匂いが消えない。モデスト・マウスという乗り物に乗り続ける彼の姿勢は、20年以上たっても変わらないのだ。
 彼の音楽は、真摯で、垢抜けず、心に突き刺さる。一貫したものがある。メンバーが代わっても関係ない。もう一度、モデスト・マウスのアルバムを聴きなおしてみよう。

interview with Zun Zun Egui - ele-king


Zun Zun Egui
Shackles Gift

RockPsychedelicExperimentalAfro Pop

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 熱い、といったら本人に笑われてしまったけれども、この数年来の「チル」だったり「コールド」だったり「ダーク」だったり「ミニマル」だったりといったムードのなかでは、ズン・ズン・エグイはあきらかに浮いている。個人的に思い出すのは2000年代の中盤のブルックリンだ。ギャング・ギャング・ダンスらの無国籍的エクスペリメンタルからヴァンパイア・ウィークエンドの繊細に濃度調整されたアフロ・ポップまで、あるいはダーティ・プロジェクターズの汎民族的でありつつも色濃い東欧趣味まで、USのど真ん中から放射線状にエネルギーを発していたトライバル志向、その無邪気で鷹揚とした実験主義──

 一聴するぶんにはその頃の記憶を呼び覚ます音だけれども、しかしズン・ズン・エグイは実際の多国籍バンドにして中心メンバーのクシャル・ガヤはモーリシャス出身、活動拠点はブリストルとロンドン、また実験ではなくポップが身上である。どこからきてどこへ向かうのか、というコアにあるベクトルが逆向きだ。出自を売りにするどころか、彼が大きく英米の音楽に影響され、またそれを愛してきたことは音にも明らか。そして、そうした志向にミュートされながらも浮かび上がってくる自らのオリジンについては隠すことなく祝福する。以下を読んでいただければよくわかるように、彼には音楽へのとても純真な情熱や、パンクへの精神的な傾注があって、それがまたうらやましいまでに輝かしく、彼らの音の上に表れ出ている。ガヤのバンドではないが、彼がリード・ヴォーカルを務めるメルト・ユアセルフ・ダウンもまたそうしたハイブリッドを体現する存在だといえるだろう。以下で「僕らをブリストルと結びつけないでくれ」というのは、土地やその音楽的な歴史性への違和感ではなく、そのハイブリッド性や多元性を力づよくうべなうものなのだと感じられる。

 ともかくも、ファック・ボタンズのアンドリュー・ハングをプロデューサーに迎え、前作に増して注目を集めるセカンド・アルバム『シャックルズ・ギフト』のリリースに際し、ガヤ氏に質問することができた。


■Zun Zun Egui / ズン・ズン・エグイ
ブリストルを拠点に活動する5人組。モーリシャス出身で、メルト・ユアセルフ・ダウン(Melt Yourself Down)のヴォーカルとしても知られるクシャル・ガヤ(Kushal Gaya、G/Vo)、日本人のヨシノ・シギハラ(Key)ら多国籍なメンバー構成を特徴としている。2011年にデビュー・アルバム『カタング』を、本年2月にセカンド・アルバム『シャックルズ・ギフト』を、いずれも〈ベラ・ユニオン〉からリリース。今作ではプロデュースをファック・ボタンズ(Fuck Buttons)のアンドリュー・ハング(Andrew Hung)、ミックスをチエリ・クルーズ(Eli Crews)が手掛ける。


僕は自分自身の中にある、いちばん原始的で、本能的で、すごく人間くさい部分、理性や身体的なものを超えたところにある自分自身のエッセンスとも言えるような何かとのつながりを失いたくないんだよ。

どの曲にも「You」への強い呼びかけを感じます。この「You」は同じひとつの対象ですか? そして、どのような存在なのですか? もしかしてあなた自身ですか?

クシャル・ガヤ(以下KG):うーん……「You」って言葉を何度も使った理由はたぶん……僕が歌詞を書くときは、自分自身も(その歌詞の中に)含まれたものにしたいんだと思う。たとえばアルバムの中の「I Want You to Know」で「You」って言っているのは、曲を聴いている誰かとダイレクトにつながりたいからだよ。っていうのも、あの曲では、僕らがいまもまだそれぞれのいちばん本能的でワイルドな部分を通してつながることができるっていう事実を、僕自身がとても重要視しているということ──そういう個人的な事実を、みんなに伝えたいって言っているんだ。
 個人的に、僕は自分自身の中にある、いちばん原始的で、本能的で、すごく人間くさい部分、理性や身体的なものを超えたところにある自分自身のエッセンスとも言えるような何かとのつながりを失いたくないんだよ。だからあの曲では、「これが僕の感じていることで、これを聴いているみんなにわかってほしい、関わってほしい」っていうことを言っている。だからそれが「You」って言葉を使った理由かな。この答えじゃ何を言っているのかよく伝わらないかもしれないけど……(笑)。

「You」という言葉によってある種の対話のようなものを生み出したいということでしょうか?

KG:そう、僕は対話のきっかけを作りたいと思っていることが多いんだ。「これが僕の感じていることだけど、君は何を感じる?」っていうふうにさ。

あなた方と同じブリストルの、ベースミュージック・シーンの重要人物のひとりピンチ(Pinch)は、一昨年〈Cold〉という名のレーベルを発足させました──

KG:ピンチは知っているよ! 個人的には知り合い程度だけど、彼の音楽はよく知っている。

これはそのまま「冷たい音楽」という意味ではありませんが、音楽の先端的なトレンドが「コールド」という名を掲げる一方で、あなたがたの「熱い」エネルギーは非常に珍しく感じられます。自分たちの音楽が熱いものでありたいという意志や意図はありますか?

KG:ははは、「熱い」か! そうだね、ブリストルってかなりダークなエネルギーがあって、あそこではいろいろなことが起きているけど、そこには間違いなくダークでダウナーな、どこか冷たい感じのエネルギーが感じられるんだ。だからある意味それに対する反応として、僕はそれとはまったくちがった、楽しげでハイテンションな音楽をやるようになった部分はあるのかもしれない。
 それに僕はもともと、落ち着くタイプの音楽じゃなく、エネルギッシュな音楽が好きで、音楽には生命感を感じさせたり覚醒させるようなものであってほしいんだ。僕は覚醒だったりとか、目覚めていること、知覚、現在を感じることとかにとても興味があるんだよ。だから、たぶんそのせいかもしれない。


ブリストルには間違いなくダークでダウナーな、どこか冷たい感じのエネルギーが感じられるんだ。だからある意味それに対する反応として、僕はそれとはまったくちがった、楽しげでハイテンションな音楽をやるようになった部分はあるのかもしれない。

BLK JKS(Black Jacks)というヨハネスブルグ出身のバンドがいますが、彼らもまたプログレッシヴ・ロックなど西洋的な音楽に比較される要素を強く持ちながら、アフリカ音楽のエネルギーを放出する人たちです。あなたの音楽にとって、アフリカというルーツは音楽の制作上どのくらい重要なものなのでしょう。

KG:僕自身アフリカ出身で、人生のうち18年をアフリカで過ごしたから、アフリカ音楽の影響っていうのは自然に出てくるものだと思う。それは僕が意識的に獲得したり、どこかに行って得たものではなくて、自分自身から生じてくるもので、それ自体が僕自身でもあるんだ。たとえばこのアルバムに入っている“Ruby”を例にすると、そこで使われているリズムの多くは、僕の育ったモーリシャスで結婚式や葬式で使うリズムなんだ。そういうリズムを持ってきて、別の何かを作り出しているのさ。そういうふうに、僕にとってそれはすごく自然なもので、作為的なものではないよ。

では、あなたのなかでのアフリカ音楽と西洋音楽との関係についても教えてください。

KG:えーっと、僕はこの世界は国とかの概念を超えるものだと思っているんだ。国や愛国心みたいな概念は死にゆくものだと思っている。過去には西洋のミュージシャンたちがアフリカ音楽に憧れのようなものを持って、それを彼らなりに解釈したものを作っていたけど、僕はその逆をやっているように感じるんだ。僕は西洋音楽を解釈しなおして、彼らの逆側から歌っている。
 それが一点と、もうひとつは、僕は長いこと英国に住んでいるけれど、英国は多文化の合流地点になっていて、人々は「英国的」の定義とは何か、ということについて疑問を持っている。そして「英国的」の定義や、この国の文化のアイデンティティはすっかり変化しつつあるんだ。ロンドンに来れば、それがロンドンのどのエリアであっても、そこにいる人々はそれぞれまったくちがう国から来ている。それってすごく美しいことで、ロンドンという町に多様性を与えているんだ。それこそがここでいろいろな文化が生まれている理由で、人々がここに来たがる理由になっている。そして西洋文化っていうのはここ100年以上の間、世界でいちばん影響力のある文化になっているから、誰もが間違いなくそこから影響を受けていると思う。

僕は長いこと英国に住んでいるけれど、英国は多文化の合流地点になっていて、人々は「英国的」の定義とは何か、ということについて疑問を持っている。

日本でだって、西洋のポップスや音楽は誰が頼まなくても自動的に入ってくるでしょ? だからそういう意味で、西洋音楽には誰もがつながっているんだ。それで、僕は自分のアーティスティックな役割……役割というか、必要に迫られて自然に生まれた反応は、その影響を自分なりのかたちで利用するっていうことだと思っている。なんだか質問にちゃんと答えていない気がするけど……。それに僕は個人的に西洋の音楽はとても好きだし、ヨーロッパの70年代、80年代、あるいは2000年代以降のパンク・ミュージックや80年代のハードコア、ノイズ・ミュージックからも影響を受けている。あとちなみに日本のノイズ・ミュージックからもね! ヨシノと日本の音楽をたくさん聴いたんだ、メルト・バナナやボアダムスとかさ。

たとえばデーモン・アルバーンはあなたとは逆の立場から西洋とアフリカの融合にアプローチしようとしているように見えますが、彼の音楽に対するシンパシーはありますか?

KG:英国にアフリカのミュージシャンたちを連れてきたりっていう、彼のやっていることの意図自体は良いものだと思うけど、同時に僕にはそこでアフリカの音楽が消毒されすぎているような感覚があるんだ。西洋に持ってこられたアフリカ音楽は、あまりにもきれいに衛生処理されてしまって、元々アフリカで演奏されていたときにはあったはずの生のエネルギーが失われてしまっているような気がする。まるでそれを西洋音楽として新しく、薄まったものにプロデュースし直しているみたいで、生々しくてワイルドなエネルギーや、深みが欠けてしまっている。デーモン・アルバーンのやっていること自体はいいことだし、ポジティヴな動きだと思うけど、その一方でそこで失われてしまっている音楽のエッセンスみたいなものがあるように思えるんだよ。こちらに持ってこられた音楽が、「ほら見て、ここにアフリカのミュージシャンたちと僕がいるよ!」みたいな感じで提示されたりとか……。

西洋に持ってこられたアフリカ音楽は、あまりにもきれいに衛生処理されてしまって、元々アフリカで演奏されていたときにはあったはずの生のエネルギーが失われてしまっているような気がする。

 アフリカの音楽を西洋に持ってきて人々に見せたいのなら、それはできるかぎり生の状態、本来の本物の状態に限りなく近いものであるべきだと思うんだ。だって、多くの場合、アフリカの音楽は、売られるためや多数の人に商業的に見せるためのものじゃなくて、儀式のためのものや、日常生活と密接に結び合わさったものであるはずなんだ。結婚式や葬式や、雨の神に雨乞いをしたり、豊穣の神に呼びかけるものだったりさ。もちろんアフリカにもポップ・ミュージックはあるけど、それらふたつの音楽はまったく性質の異なったものだよ。だから、そういう音楽をこっちに持ってきたときに失われてしまうものがあるし、また同時に西洋人のために綺麗に処理されてしまっている部分もあるように感じて、それがもったいないと思うんだ。

あなたがたはまた、混合的なエスニシティを持ったバンドでもありますね。楽曲制作においてはメンバーはそれぞれ自身のルーツを主張しますか?

KG:いや、あんまり……僕らそれぞれのバックグラウンドはあまり問題ではないよ。だって、僕らはもうそういうことをあまり意識したりしないからさ。僕らはただ人間として気が合うからいっしょにいて、それゆえに音楽をいっしょに作っているってだけだよ。たとえば僕が日本に行って、日本人の友達がたくさんできていっしょに音楽を作りはじめたとしたら、そこで「君は日本人だから、日本の音楽をやろうぜ!」「僕はモーリシャス人だから、モーリシャスの音楽を作るんだ!」とはならないと思うし。だから僕らはべつに……そもそもそういうことについて考えることすらないよ。ときどきそれぞれの出身を冗談の種にすることはあるけどさ。音楽を作ることに関していえば、すべては僕らの心から生まれてくるものなんだ。僕らはただ人間なだけで、国籍とかは関係がないんだよ。


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僕はブリストルに移ってきたときにはすでにもう自分自身のはっきりしたアイデンティティと意見を持っていたんだ。

ザ・ポップ・グループを意識することはありますか?

KG:いや、あんまり。よくその質問を訊かれるけど、唯一それに対して言えるのは、僕はブリストルに住んでいたけどザ・ポップ・グループは全然聴いていなかったんだ。バンド・メンバーのスティーヴは聴いていたみたいだけど。ブリストルに住んでいたっていうことで、人々は僕らをブリストルの他のバンドといっしょいっしょのカテゴリーに入れたがるけど、僕はブリストルに移ってきたときにはすでにもう自分自身のはっきりしたアイデンティティと意見を持っていたんだ。その前にはノッティンガムに住んでいたから、ノッティンガムのほうが僕にとってブリストルよりはるかに大きな影響を与えていると思うよ。とくにノッティンガムで出会った人たち、前のバンドのメンバーとかが僕にいまのパンク・ミュージックを教えてくれたしさ。たぶんいまのバンドの他のメンバーたちの方ほうが僕自身よりもブリストルから影響されているんじゃないかな。ザ・ポップ・グループは良いバンドだけど、そんなによく聴いたことがあるわけじゃないし、自分の音楽の形成期とかにはぜんぜん聴いていなかったよ。英国にいるのに、英国の音楽よりも日本の音楽の方がよっぽどよく聴いたよ。

ブリストルの風土やシーンはあなたたちにそう影響は与えていない?

KG:僕自身は6年くらいブリストルに住んでいたけど、いまはロンドンに住んでいるんだ。バンドの他のメンバーはいまもブリストルにいるけど。バンドを結成したのはブリストルだけど、その後、新しい経験をしたくてロンドンに移ったんだよ。ブリストルに住んでいたときは地元のショウに行ったりもしていたし、そこのシーンにけっこう関わっていたと言えるけど。
 ブリストルの音楽シーンはとても多様性があるんだ、すごくいいダンスミュージックもあるし、アヴァンギャルドなショウもたくさんやっているし。僕らはキュー・ジャンクションズ(Qu Junktions)っていうグループといっしょにいろいろやっていたんだけど、彼らはいろいろおもしろいイヴェントをやっていて、僕がいちばん最近行ったのはもう使われていない古い警察署の地下にある留置所で開催されたんだ。牢屋のひとつがバーになっていて、もうひとつの牢屋は座って落ち着けるようになっていて、ショウ自体もいちばん大きな牢屋でやっていた。たぶんそれが使われていた当時は、いろいろな人が精神的に苦痛を感じるような場所だったところをアートのために使って、楽しいおもしろいことをやるっていうのはとても不思議な感じがしたよ。そういうのは他のほとんどの国ではあまり起きないだろうしね。……でも、ひとつみんなにわかっていてほしいのは、僕らはブリストルという町から音楽的なきっかけや影響を与えられたことはほとんどないっていうことなんだ。たまたまそこに住んでいたってだけで、少なくとも音楽的には、ブリストルよりも外の音楽から影響を受けているよ。強いて言うなら、ブリストルではダブやレゲエのイヴェントに行くのが好きだったし、ダブやレゲエからの影響は受けているけれど……それよりも、僕らはまわりで起きていることとは独立して、自分たち自身の音楽をやってきているんだ。

メルト・ユアセルフ・ダウン(Melt Yourself Down)は市場的には「ジャズ」としてカテゴライズされましたが、あなたにとってズン・ズンとの差はどんなところにありますか?

KG:僕はあまりそのふたつを比較することはないよ。大きなちがいといえば、メルト・ユアセルフ・ダウンでは僕はズン・ズンでやるほど曲を書いていないし、メルト・ユアセルフ・ダウンのリーダーはポーラー・ベアでも演奏しているサクソフォニストのピートなんだ。精神性の部分ではどちらのバンドも似通っていると思うけど、使っている音楽的要素がちがうと思う。
 メルト・ユアセルフ・ダウンはよりダイレクトにヌビアの音楽からの影響を受けているんだ。ピートはそういう音楽に傾倒しているからさ。僕はピートが曲を書いた数ヶ月後にバンドに参加した。あと大きなちがいとしては、ズン・ズンにはサックスがなくて、メルト・ユアセルフ・ダウンにはギターがないってことかな(笑)。だからサウンド面では大きな差があるね。ショウの雰囲気もちがっていて、メルト・ユアセルフ・ダウンはワイルドでカタルシスのある、カラフルで凶暴な感じなんだ。ズン・ズンにもそういう面はあるけど、エネルギーを引き出しつつも、より慎重に考えられたソングライティングを目指したんだ。メルト・ユアセルフ・ダウンの作曲がズン・ズンより考えられていないって意味ではないから間違えないでほしいんだけど、今回はエネルギーを失わずに、できるかぎりソングライティングの部分に挑戦してみたかったんだ。だから根っこの精神的なものは同じでも、楽器がちがうからサウンドも異なったり、直接的に影響を受けているものも別かな。


僕にとってのパンクは、それが何であれ自分のやりたいことをやるってことなんだ。自分のいちばんワイルドな部分で、自分が誰で何をするべきかってことを感じるってことさ。

メルト・ユアセルフ・ダウンにはよりパンクを、ズン・ズン・エグイにはよりロック(ブルース)を感じます。

KG:メルト・ユアセルフ・ダウンはたしかに様式的にパンクの要素が強いし、ズン・ズンはロックだね。でも、どちらとも精神的にはパンクだよ。僕にとってのパンクは、それが何であれ自分のやりたいことをやるってことなんだ。着ている服や形式じゃなくて、「時代のカルチャーに疑問を呈しているか」ってこと──さっき言ったような自分のいちばんワイルドな部分で、自分が誰で何をするべきかってことを感じるってことさ。誰かに言われて何かをするんじゃなくて、純粋に自分がそれをやりたいと感じるからやるんだ。

パンクとロックで、あなたが重要だと思うバンドやアーティストを教えてください。

KG:僕にとって、ストゥージズを聴いていたことは重大な影響を及ぼしていると思うよ。それと、(キャプテン・)ビーフハート……、みんな彼をブルーズやロックだって言うけど、僕は彼はパンクだと思う。あとコンヴァージっていうバンドも前はよく聴いていた。あとフガジは僕にとって大きな存在だし、バッド・ブレインズやアット・ザ・ドライヴ・インも……それに日本のパンクもたくさん聴いたよ、ギター・ウルフとか。「♫ジェットジェネレーション〜」(歌い出す)すごくいいよね! メルト・バナナとか、あとボアダムスを観たときはぶっ飛んだよ、彼らは完全にパンクだね。他にはマストドンの初期の2枚のアルバムなんかもよく聴いたよ、みんな彼らのことをロック・バンドだと思っているけど、あれはパンクさ。
 正直、あんまり英国のパンクは聴いていない気がするな。でもノッティンガムに住んでいた頃、ジ・ウルヴズ・オブ・グリーフ(The Wolves of Grief)っていうバンドとローズ(Lords)っていうバンドがいて、彼らは僕にとってヨーロッパでのパンク精神との直接的なつながりっていう意味で重要だった。それとは別に、リーズ出身のBilge Pumpっていうバンドもいて、これら3つのバンドすべては僕自身直接の友人で、ギターのスタイルとかは彼らから学んだことが多いよ。だから英国のパンクっていう括りで言えば、彼らは僕にとって重要な存在だね。

曲作りの手順について教えてください。誰かが曲を書いて持ってくるのですか? セッションから生まれるのですか?

KG:曲によるけど、大抵コンセプトや基本となるアイデアを思いつくのは僕の役割なんだ。時には僕がハーモニックな動きやアレンジメントをふくめて曲のほとんどを書いて、それをバンドに持って行っていっしょに完成したトラックに仕上げていくこともあるし、中にはいちからみんなでいっしょに書いた曲もある。バンド全員に会う前に、いったんメンバーのスティーヴに会うことも多いよ。ふたりで2つや3つのちがう構成の間で固めたうえで、それをバンドに持っていって、「これとこれが候補の構成だから、それぞれ試してみよう」っていうふうにして、後から皆がそれぞれの要素を加えていったりするんだ。ときによっては僕がベースラインを書いたり、キーボードのラインを書いて、アダムやヨシノに「どう思う? 演奏してみてくれる?」って言うこともあるし。

(モーリシャスの音楽の起源について)彼らが自らの苦痛や奴隷状態を利用して音楽を作ったっていうのはとても興味深くて、刺激を受けたよ。文字通りインダストリアル・ミュージックの先駆けみたいなものだし、僕にとってはナイン・インチ・ネイルズやスロビング・グリッスルよりよっぽど暴力的だと感じた。

 ただ、今回のアルバムでは、そのプロセスは曲ごとにかなりちがっているんだ。たとえばいくつかの曲はドラムビーツからできて、ビートの上にそのまま歌をのせて、そこにギターやベースラインを加えてバンドに持って行って、メンバーたちに残りの空白を埋めてもらったり、マットや最近パーカッションを演奏することの多いヨシノにそのビートを覚えてもらったりする。
 今回のアルバムのいちばんはじめのアイデアは、僕らがモーリシャスに行ったときある人に会って、彼がモーリシャス音楽の起源について話してくれたことに由来するんだ。その話では、サトウキビ畑で奴隷が強制労働をさせられていたとき、奴隷の彼らはサトウキビの圧搾機の音を聞いて、そのサトウキビを潰す機械音のリズムを使って音楽を作りはじめたらしい。そういうふうに、彼らが自らの苦痛や奴隷状態を利用して音楽を作ったっていうのはとても興味深くて、刺激を受けたよ。ある意味、文字通りインダストリアル・ミュージックの先駆けみたいなものだし、僕にとってはインダストリアル・ミュージックよりはるかに暴力的で、ナイン・インチ・ネイルズやスロビング・グリッスルよりよっぽど暴力的だと感じた。炎天下の畑で鞭打たれながら、ほとんど食べ物も与えられずに何時間も無理矢理働かされるなんていう苦痛に満ちた状況のなかで、ギヴ・アップするんじゃなく、機械のたてるタカタタカタタカタ……っていうリズムを聞いて音楽を生み出すなんて驚異的だよね。そのアイデアが、アルバムのコンセプトにおける最初のインスピレーションになったんだ。

あなたは、ギタリストとシンガーとではよりどちらをアイデンティティとしてとらえていますか?

KG:うーん、わからないな、「ミュージシャン」じゃない(笑)? 僕はいくつかの楽器を演奏するし、リズミックなアイデアもよく僕の内から生まれてくるし、大抵の楽器は自分で弾き方を見つけることができるし……。まあでも、ギタリストとシンガーのふたつがメインで、両方が柱になっているよ。

アンドリュー・ハング(Andrew Hung)はあなたがたのエネルギーを歪めることなく放射させているように感じました。かといってサイケデリックさもまったく損ないません。彼をプロデューサーに立てたのはなぜでしょう? ファック・ボタンズへのシンパシーですか?

KG:僕らはファック・ボタンズといっしょにツアーしたんだけど……彼らの名前を日本語で何て訳すのか知らないけどさ、このあいだうっかりラジオでその名前を言っちゃって、ちょっとトラブルになったんだ(笑)。彼らとツアーをしたのはけっこう前で、それ以来長いこと会っていなかったんだけど、ロンドンでのショウで再会して、よもやま話をしているうちに、僕らのアルバムにプロデューサーが必要だってことが話にのぼった。僕ら自身が思いっきり滅茶苦茶やっているあいだ、全体を俯瞰して僕らをちゃんと軌道上にとどめてくれる誰かがさ。そしたら彼がその場ですぐに「じゃあ、僕が君たちのレコードをプロデュースするよ!」って言ってくれたんだ。そんなふうに簡単に決まったんだよ。個人的なレベルでも、彼と僕は自然に友だちになったし、彼とは通じ合うのがとても簡単で、レコーディングの前も彼とけっこう長い時間をいっしょに過ごして曲を全部通して見ていったりしたんだけど、彼はそれらの曲のパワーを褒めて、僕にアレンジメントのアドバイスをくれたりした。彼はプロデュースにとても興味があって、人っていうものや人と人とのつながり、互いに与え合う影響みたいなものに興味を持っているし、とても知的で、いろいろなものへの感覚が鋭いから、とてもいっしょに仕事をしやすかったよ。
 それと、付け加えておきたいのは、このアルバムでミキシングをしてくれたイーライ・クルーズも素晴らしい仕事をしてくれたんだ。彼はニューヨーク・シティでミックスをしてくれたんだけど、彼も今回僕らの音を引き出すうえでアンディ(Andrew Hung)と同じくらい重要な役割を果たしてくれた。あと、アンディについてもうひとつは、彼の音楽は僕らの音楽とはかなりちがうから、彼の意見をもらうのはエキサイティングだったよ。僕らはギター・バンドでまぁ普通の楽器を弾いているけど、彼はビデオゲームや道具を使ってエレクトロニック・ミュージックをやっているから、彼が僕らのやっていることをどういうふうに解釈するかっていうのは興味深かった。


僕はいまの音楽シーンには、「ベージュ色」をした音楽が多いように感じるんだ。

2000年代の半ばごろ、TV・オン・ザ・レディオ(TV on The RadioやDirty Projectors)、ヴァンパイア・ウィークエンド(Vampire Weekend)など、とくにブルックリンが象徴的でしたが、インディ・ロックではやはりさまざまな民俗性が参照されていました。2000年代の半ばごろ流行したもので、あなたが好んで聴いていた音楽を教えてください。

KG:その頃に流行っていたそういう音楽はあまり聴いていなかったよ、すでに僕も同じようなことをやっていたしさ。ただ彼らは有名になったけど、僕らはならなかっただけでさ(笑)。ダーティ・プロジェクターズ(Dirty Projectors)はまわりの人からよく話を聞いたからすこし聴いていたけど、でも彼らから影響とかは受けていないし。

いまのUKの音楽シーンについて、おもしろいところとつまらないと思うところを教えてください。

KG:はは、ちょっと物議を醸すような発言になっちゃうかもしれないけど……(笑)。僕はいまの音楽シーンには、「ベージュ色」をした音楽が多いように感じるんだ。ヒットチャートの上位に入るような曲はなんだか郊外っぽくて、うんざりさせられるものが多いよ。音楽が人々の心の中から生まれてきて、それが商品として売られているんじゃなくて、最初から商品として売られるために作り出された音楽のようなものが多すぎる。チャートを占めている音楽には、事前によく計画されたような感じのするものが多くて、チェックリストに沿ってすべての項目を満たすように作られたような感じで、アートとしての性質はほとんど失われつつあるんだ。少なくともメインストリームの音楽に関してはね。すごく計算された音楽が多いよ。
 最近出てきたあるアーティストは──名前を出すのは意地が悪いと思うからあえて言わないけど、彼女の音楽はとても落ち着くような音楽だけど、そのすべては彼女のイメージありきで売られている。彼女のイメージや身体性を中心にしていて、音楽はその副産物みたいな感じだよ。もしかしたら、それがこれから世界が向かう方向性なのかもしれないけど。僕もそういう方向性に向かうべきなのかもね(笑)!
 でもそれはメインストリームの話で、もっとアンダーグラウンドなところではいろいろ起きていて、たとえばケイト・テンペスト(Kate Tempest)はとてもおもしろいことをやっている。あとは……うーん、僕はあんまり英国の音楽に触れていないのかもしれないな。古い音楽とかはいろいろ聴くんだけど。あ、サム・リー(Sam Lee)っていうミュージシャンはもうすぐレコードを出すんだけど、彼はとてもいいフォーク・シンガーだよ。とても現代的なフォーク・ミュージックで、すごくおもしろいよ。
 うーんあとは……そうだ、最近買ったレコードを挙げてみよう。最近のはジョン・カーペンター(John Carpenter)の新しいレコードを買ったけど、そもそも彼はUKじゃないや。あとはハロー・スキニー(Hello Skinny)っていうUKのアーティストがいるけど、彼の音楽は大好きだよ。サンズ・オブ・ケメット(Sons Of Kemet)も。あとはリーズのカウタウン(Cowtown)もすごく好きだね。あとはエレクトロニック・ミュージックだと、キョーカ(Kyoka)っていう女性アーティストがいて、知ってる? 日本人なんだけど、ドイツに住んでるんだ……あれ、これじゃ質問の答えになってないね。質問はなんだったっけ? ああ、UKの音楽シーンについてか。いまのメインストリームの音楽にはあまり好きなものはないけど、もっと自分で聴いていまの音楽も学ぶべきかもしれないな。あ! そうだ、新しい音楽で好きなのを思い出した、ジュリア・ホルター(Julia Holter)は大好きだよ! 彼女はたしかアメリカのアーティストだけど……あとそうだ、UKのバンドでジ・インヴィジブル(The Invisible)がいた! 彼らがどんなにいいバンドか言うのを忘れていたよ。あとはポーラー・ベア(Polar Bear)はいいジャズ・バンドだね。それから、昨日は〈ラフ・トレード〉でファーザー・ジョン・ミスティ(father John Misty)のアコースティック・セットを観てきたよ、彼はすごくいいね。素晴らしい歌詞を書くよ。あともうひとつ、ザ・ウォーヴス(The Wharves)はロンドンの女性ばかりのバンドで、僕の好きなバンドだよ。これでけっこういい「僕の好きな最近の音楽リスト」ができたんじゃないかな(笑)。


アイデアからじゃなくて、強い感情から曲を生みたい。どうせアイデアは後から音楽を装飾するために出てくるから、自分の強烈な感情を音楽の形にして出したいんだよ。

これからどのような音楽を展開していきたいと考えていますか?

KG:さっきも言った、インダストリアル・ミュージックについてのアイデアをもっと掘り下げていきたいな。そしてより使う要素を少なくしていきたい。できるだけミニマルなものにしてみたいんだ。僕はもともとの性格で曲を書くときに書きすぎる傾向があるからさ。それがサウンド面での部分だけど、個人的には、僕が曲を書いているときは、自分の内側にあるとても強い感情にアクセスしたいんだ。アイデアからじゃなくて、強い感情から曲を生みたい。どうせアイデアは後から音楽を装飾するために出てくるから、自分の強烈な感情を音楽の形にして出したいんだよ。まだ今回のアルバムのツアーすらはじまっていないから、いまの時点で答えるのは難しい質問だけどね。でも正直もう次(のアルバム)について考えはじめているんだ。もう曲も書きはじめてて、3、4曲、自分で気に入っているデモもあるよ。アルバムに入るかどうかはわからないけどね!

ASHRA - ele-king

Moduleでの多国籍パーティ「Laguna Bass」でレジデントを務め、同時にトラック制作をスタート。14年NO/Visionist EPでIRMA recordsよりデビュー。09~2年間Jetset RecordsでのDJチャートを担当。6月位から新たにレギュラーパーティーやる予定です。徒然ここをチェック。
https://soundcloud.com/ashra-3
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3/16(月)TBA@Le Baron
4/25(土)TBA@Solfa
5/16(土)No Surface@ DJ BAR HIVE(小倉)

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