Home > Regulars > アナキズム・イン・ザ・UK > 第6回:アナキーな、あまりにアナキーな(現実)
「ローマ教皇がやめるんだってさ」とわたしが言うと、
「そら、よっぽどヤバイことが明るみに出るんだろうな。これから」と連合いは言った。
先週、アイリッシュ系のご家庭では、わりとこういう会話が交わされたのではないだろうか。
「聞いた? 教皇のニュース」とわたしが言うと、
「まるで『Father Ted』のネタみたいだよね。リタイアした教皇が、プールサイドに寝そべって、ビキニ姿の女の子たちを回りにはべらせてたりしそう、あの番組だったら」
と、あるダブリン出身の女性は言った。
『Father Ted』というのは、英国C4が誇るカルト・コメディであり、アイルランドに住むカトリック聖職者たちの日常を辛らつにおちょくったシットコムだ。90年代に制作された番組だが、実に先鋭的で、あれを見ていると、あの国の聖職者たちはみなアイリッシュ・マフィアのようである。
その内容があまりに過激なため、当初アイルランドでは放送されなかったが、「おもしろい」という噂が海外から入ってくるにつれ、衛星のパラボラアンテナで受信して見る人が増え、済し崩し的にアイルランドでも放映がはじまったという経緯があった。
80年代には、「完璧な人間などいないからね。司教様を除けば」というようなことを一般市民が普通に言っていた国である。その国の人びとが、「ドリンク! ガールズ! ファック!」と年がら年中叫んでいるアル中の神父や、カリフォルニアにセクシーな愛人と子供を囲っている司教を見てげらげら笑う時代になったというのだから、わずか10年やそこらであの国で起きた価値観の転換には劇的なものがある。
とは言え、アイルランド系のミュージシャンたちは、昔から教会の荒廃ぶりについて告発してきた。
ロンドンのカトリック校で修道女たちに折檻された悲惨な経験を繰り返し語ってきたのがジョン・ライドン(『Father Ted』では、ジャック神父が若い頃にこうした学校で猛威をふるい、教え子のなかからシリアルキラーを出したという設定になっている)なら、カトリック系感化院で聖職者に虐待されたというシネイド・オコナーは、ステージで教皇ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったことがある。「教皇ベネディクト16世の最大の功績は辞任すること。これから、最悪の教会の恥部が明らかになるから」と、シネイドは最近『ガーディアン』紙に語っている。
とはいえ、教皇退任やカソリック教会のスキャンダルはアイルランド系限定の問題なのかというとそうではない。実は英国でも最近、英国国教会の信徒数をカトリック教会の信徒数が上回るといった逆転状況が起きている。これは英国人がカトリックに改宗しているというわけではなく、ポーランド人などの移民が増えたからだ。うちの息子も公立のカトリック校に通っているが、彼の級友なども、アイリッシュ、アフリカン、ポーリッシュなど、実にインターナショナルである。この国のカトリック人口を押し上げているのは、移民とその子供たちなのだと実感できる。
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過日、某アナキスト団体で活躍しているインテリ・ヒッピー系の英国人女性とスーパーマーケットで数年ぶりに会った。とても普通の学校には通ってなさそうなドレッドヘアの娘の手を引いている彼女は、制服の白シャツにネクタイを締めているうちの息子を見て、言った。
「Kは、カトリックの小学校に行ってるんだよね?」
「うん」
「いいわねえ」
へっ? 天下のアナキストが、カトリック校を羨ましがるわけ? と拍子抜けしていると、彼女は言う。
「うちは結局、ホーム・エデュケーションよ。行かせたい学校には入れなくて。厳格に躾けてくれるカトリックの学校に行かせたかったんだけど」
彼女の見解は、近年、この国の人びとのコンセンサスになっているとも言える。
たとえ生徒に罵声を浴びせられようとも殴られようとも、ただ微笑んで耐えるしかない教員たちにとり、「何よりも子供の人権優先」のリベラルな学校現場は地獄のような職場になっているとも聞く。そんな学校教育が生み出したのが、2年前のロンドン暴動で暴れていた野獣のような子供たちだ。というようなマスコミの見方が浸透するにつれ、「一般の学校より厳格」と言われるカトリック校の人気が上昇しており、子供をカトリック校に通わせるために改宗する家庭もあるらしい(在英日本人ですら、そういうご家庭があるようだ)。
しかし、聖職者による子供たちへの性的虐待が一大スキャンダルになったカトリックの学校が、いまなぜかペアレンツたちのあいだで大人気。というのも、考えてみればアナキーな話だ。
と、アナキスト女性が抱えたショッピング・バスケットのなかに、毒々しい色のパッケージのチョコレートやポテトチップスが入っているのが見えた。あれ? と思う。彼女の子供が赤ん坊だった時分は、娘をスリングで胸元にさげて、アナキスト団体の無農薬菜園でせっせと働いていた人だったように記憶している。
徹底抗戦。はもうやめたのだろうか。
「この子を学校に通わせられたら、自分の時間ができて、もっと活動もできるんだろうけど、ホーム・エデュケーションだからそうも行かない」
疲れた顔つきで彼女はそう言い、「バーイ」と手を振って買い物を続けた。
徹底抗戦。には暇もいるんだろう、と思った。
が、レリジョンやポリティクスといった分野の権威が悉く『Father Ted』化して溶解している時代に、アナキストを自称する人びとは、いったい何と戦おうというのだろう。突き崩さなくともいろんなものがガラガラ崩れ落ちている、現実が一番アナキーな時代に、アナキストでいるというのもけっこう大変そうである。
仕事帰りや学校帰りの人びとに混じり、バスケットに食品を詰め続けるアナキスト母子の姿はわりと普通の消費者に見えた。
彼女はきっと、自分のバスケットに入っている食品のすべてが有害だと思っている。思っていながら、食らうために有害物を籠に入れ続ける。それは、アナキックではないが、アイロニックだ。抗戦ではないが、生きる。ということだ。
「でも、ヒッピーの女の子って可愛い子が多いよね」
と、にやにやしている息子の手を引いて、わたしもショッピングを続けた。
夕方のスーパーマーケットは、まるで禊でも受けるような陰鬱な顔で下を向き、黙々とバスケットに物を入れ続ける人間で溢れている。