「LV」と一致するもの

Jill Scott - ele-king

 ニッキ・ジョヴァンニの『双子座のおんな』を、ものすごく久しぶりに読んだ。この本を初めて手にしたのは、かれこれ40年も前のこと。呆れるほど無知な若造だった頃で、まあ、端的に言えばそのときは読んでもまったくわからなかった。
 だいたい黒人文化について無学だった。自慢じゃないが、60年代の政治の季節(ロング・ホット・サマー)についても、リロイ・ジョーンズのブラック・アーツ・ムーヴメントに関しても、ましてや、白人が牛耳る国の黒人であり、男性が牛耳る世界の女性の書いたエッセイなど、まるっきり理解できるはずもない。すべてが他人事であり、20歳くらいの若い女性から発せられる「ママ、世界中で黒人の革命がおこるのよ、準備しなくちゃ」という言葉も、なんだか絵空事に思えてしまうのだった。

 ジル・スコット──クラブ・ミュージックに親しんでいる人にとっては、アースラ・ラッカーと並んでもっとも馴染み深いネオ・ソウル/ニュー・フィリー系の歌手──の10年ぶりの新作、まずはアートワークに惹かれた。黒人女性の顔に細かく文字が描かれたそのカヴァー──「We can save ourselves(私たちは自分たちを救える)」「Your rules are nothing(あんたらのルールなど無意味だ)」といった力強いアファメーションが目に入る。目を凝らせば、「one day we will destroy of all those who wish to harm us(いつか私たちは、私たちを傷つけようとする者たちをことごとく打ち滅ぼすだろう)」が読めるし、首飾りには何重にも、ほとんど言霊か呪詛のように「we fight(私たちは闘う)」とある。
 クールだ。
 ベル・フックスによれば、アメリカの白人至上主義社会のなかで創出された「クール(格好いい)」なる黒人英語がほんらい意味するところは、黒人が家父長制的な支配力を持つことなんぞではない。クールとは──「精神を荒廃させることなく、いかに人生の苦難に立ち向かうか」「苦しみを受け入れ、それを錬金術のようにして黄金へと変えること、その燃焼のプロセスに必要とされる凄まじい熱量にも耐え、自分を見失わない能力」だという。

 ここでもう一冊、米国文学の研究者、新田啓子の『アメリカの黒い傷痕』を紹介したい。このすばらしく魅力的な書物のなかの、「生を肯定する理由」と題された論考には黒人音楽ファンにとって必読の洞察がある。いまでは黒人霊歌と知られる、すなわちかつての “奴隷たちの歌” には、死に関する歌が多く、恋愛に関する歌が少ない(なぜならそれは日常的に手の届かないものだった)という史実を前提に、在りし日の、アメリカ黒人の〝人生における限界〟について延べながら、しかし、──

ゲットーで滅びることが意図されている社会を生きてこられたのは、彼らの愛する能力ゆえのことであったと断言する思想家が現れる。それはジェイムズ・ボールドウィンであった──

 と、新田啓子は綴る。そして、ボールドウィンの名エッセイ集——BLM以降、世界中で再評価された——『次は火だ』の序文を引用しつつ、こう続ける。

愛が欠如の、また不可能性の別名であるとの理解に基づくリアリズムは、逆に黒人たちを、愛という積極的な活動に、意識的に駆り立てたのだという理解がここにある。黒人たちは絶滅することを拒絶して、つまり生きたいという意志を行使して、おのれの「滅び」を期する社会の思惑に敢然と抗してきたとボールドウィンは主張する。

 人間から、金も地位も、家も、服も、尊厳さえも、人生にかかわるありとあらゆるものすべてが奪われても、それでもその人間たちを生かしてきたのは「愛」である、とボールドウィンは言っている──そのことを新田啓子は「生を肯定する理由」のなかで書いた。

 いつまでも清志郎と言ってるな、という人たちに言ってやりたい。同じように、いつまでもボールドウィンと言ってるな、と言えるのかと。
 地球の数字上では、何をしようがしなかろうが時代は進み、子供が生まれる限りは新しい世代が台頭する。それは当たり前のことである。ブラック・ミュージックはしかし、かつてもいまも、いや、おそらくは70年代初頭のPファンク(ジョージ・クリントン)あたりから、古き自分たちの先駆者たちを敬い続けている。

 ブラック・ミュージックにおける「愛」の強度——その「愛」が、波瀾万丈で、苦難に満ち、歯の浮いたようなものではないことは、ここであらためて言うまでもない話だが、本を読みながら、愛の謳歌が、ブラック・カルチャーの文脈においては革命的なことだった、と言いたくなってきた。いずれにせよ、60年代の黒人解放闘争に身を投じたひとりの黒人女流詩人=ニッキ・ジョヴァンニを、10代における影響源のひとつとするジル・スコットが愛の歌を歌うことも、60年代の理想主義を現代に掲げたザ・ソウルアクエリアンズ(ザ・ルーツ、コモン、モス・デフ、Jディラ、エリカ・バドゥ、ディアンジェロたちから成る左派系コレクティヴ)に合流することも必然だったのである。
 もっともジル・スコットはフィラデルフィア、そもそも彼女を見出したザ・ルーツのクエストラヴやアースラ・ラッカーと同郷で……てことは、キング・ブリットやムーア・マザーとも同郷なのであって、いや、すごい、サン・ラとアーケストラが最後に住居を構えたのもフィラデルフィアだし、最近ではDJハラムもそうだった。(フィラデルフィアは、それこそダンスフロアの基準となったキックの四つ打ちの故郷である)
 
 ジル・スコットの新作『To Whom This May Concern(関係者各位)』は、出だしが抜群に格好いい。フリー・ジャズと詩/ラップが、リズムのうねりに乗って胸躍るように流れていく。フランキー・ベヴァリー[*フィリー・ソウルの代表。Mazeで知られる]のようになりたいと語っているスコットは、確実にベヴァリーのように、人生の積み重ねのなかで作品を磨いている。50歳になったことを喜ぶ彼女は、ポップの世界で言えば、若作りに励む万能の威厳たちとは対極にいる。太ってもかまわないし、それが人間にとってのマイナスだとも思っていない。

私は「あっち側」の美意識エステティックじゃなかった
ええ、わかってる、わかってる
綺麗で、飾り立てられた外見
初歩的で、型にはまった世界
彼女らと同じように見えなきゃいけないっていう、
すごいプレッシャー

 これは“The Aesthetic”という曲の、スコットらしくユーモラスに時代を風刺したリリックの断片である。こうした〝囚われていない〟ことの余裕、優雅さ、資本主義的な価値観から自由な感性が、そのまま音楽にも反映されるのは当然だ。ニューオーリンズのミュージシャン、トロンボーン・ショーティによるビッグバンドをフィーチャーした大らかな“Be Great”、そしてキレキレのファンクに乗った“Beautiful People”、ウエストコースト・ヒップホップの先駆者トゥー・ショートを招いた“BPOTY”、アトランタの(非トラップ系)ラッパー、JIDを迎えた“To B Honest”等々、アルバムは活気に満ちてる。

 『双子座のおんな』には、(当時白人聴衆にバカ受けした)スライ・ストーンが、しかしじつは密かに黒人に向けて歌った言い回しの(きわめて政治的な)歌詞の一節が解読されている。『To Whom This May Concern』という、日本語でいうところの「関係者各位」や「ご担当者様」にあたる英語のフォーマルな言葉を題名とした新作は、〝(人種に関係なく)受け取るべき人が受け取ればいい〟、そういうメッセージでもあるとぼくは受け取った。スコットはこのアルバムについてこう語っている。
 「聴き終えたあとに、静寂がうるさすぎて耐えられないような、ぽっかりとした穴を感じてほしい。そこから立ち上がって何か行動を起こすか、あるいはもういちど最初からレコードをかけ直すか、自分がいまどこにいるのか、それが本当に自分の望んでいることなのかを、真剣に考えるきっかけになってほしい」

 ブラック・ミュージックとは、世界がこうなったらいいよね、という音楽ではない。こうでなくちゃ私ら困るんだよ、だ(でなきゃ、次は火だ)。
 ジル・スコットには、こんなポジティヴなエネルギーをありがとう、とぼくは言いたい。ジェイムズ・ボールドウィンは、人種差別(対白人)だけではなく、異性愛モダニズムとも闘わなければならなかった文学者だ。ニッキ・ジョヴァンニは、人種差別だけでなく、運動内部の家父長制(対男性)とも戦わなければならなかった女流詩人である。スコットの新作には、“ニッキに捧ぐ詩(Ode to Nikki)” という詩の朗読からはいる曲がある。ジル・スコットはもともとは、歌手ではなく、詩人(スポークン・ワード・アーティスト)としてはじまっているのだ。愛と革命の詩人がいまも自分たちのなかで生きていることを祝福するこの曲は、彼女自身の音楽について語っているようにも思えてしまう。

ニッキに捧げる頌歌

彼女は終わりのないループに閉じ込められてなんていない
彼女は自分自身のシンフォニーに合わせて体を揺らし
ハンモックに揺られながら、そよ風を感じている
自ら動機づけ、自らを満たし
驚きに満ちた好奇心、
エキサイティングな高揚感、
打ち砕かれた檻
大いなる誇りと、謙虚さ、そして多くの失敗
これ以上、自分を卑下する必要なんてない
(何のために? 誰のために?)
絶景、意図的な贅沢
精神でスプーンを曲げるような力、複雑な単純明快さ
親密で、太陽に触れられた美しい存在たち
輝きを再定義し、音の振動となって共鳴している

私たちは共にいる、同じ羽を持つ鳥のように
立ち上がり、昇り続け、繁栄し、見つけ出していく
最高に美しく、最高に魅惑的で、最高に心を奪われる
そんなエネルギーを

■参考文献↓

Visible Cloaks - ele-king

 スペンサー・ドーランおよびライアン・カーライルから成るオレゴンはポートランドのデュオ、ヴィジブル・クロークス。彼らがひさびさのオリジナル・アルバムをリリースする。時代の流れを決定づけたともいえる前作『Reassemblage』が2017年だから、およそ9年ぶりのことだ(2019年には尾島由郎&柴野さつきとの共作もあり。彼らは今回の新作にもフィーチャーされている)。現在、モーション・グラフィックスが参加した先行シングルが公開中。アルバムの全貌を楽しみにしておこう。

Visible Cloaksがニュー・アルバム『Paradessence』をRVNG Intl.から5/22にリリース決定。Motion Graphicsをフィーチャーしたファースト・シングル「Disque」を公開。

Spencer DoranとRyan Carlileによるエレクトロニック・デュオ、Visible Cloaksがニュー・アルバム『Paradessence』をRVNG Intl.から5/22にリリースすることが決定。ファースト・シングルとして、Motion Graphicsをフィーチャーした「Disque」をMVと共に公開。

Visible Cloaksの3作目のフルアルバム『Paradessence』は、「出現」と「幻惑」をめぐる作品。全14曲は、うっすらと発光する夜の背景の上で、揺らぎ、うねり、きらめきながら移り変わっていく。そこは、自然界をまばらに、しかし極端にリアルに再現した表象によって形作られた、巨大な洞窟のような空間。アレンジは同時に壮大でありながら脆く、これまでの作品の反転であり総決算でもあり、そして彼らがこれまで作ってきた中でも最も冒険的なもののひとつでもある。

2014年にCloaksからVisible Cloaksへと変化して以来、Spencer DoranとRyan Carlileは、相反する概念の複雑なマトリクスを描き出してきた。オーガニックと人工、偶然と意図、本物と複製。2017年には、高い評価を受け、今やアイコニックとも言える2ndアルバム『Reassemblage』を発表。精緻に作り込まれたテクスチャー、開花し朽ちていくようなアレンジ、そして世界中の楽器が存在する想像上の世界を、豊潤に伝送する作品だった。続いて2019年には、アンビエントの先駆者Yoshio OjimaとSatsuki Shibanoとのコラボレーション・アルバム『serenitatem』をリリース。さらにこの2作の間に、Doranはグラミー賞にノミネートされたコンピレーション『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』を編纂し、近年では瞑想的な探索ゲーム『SEASON: A letter to the future』のサウンドトラックも発表している。

新作タイトルは、作家Alex Shakarが「paradoxical(逆説的)」と「essence(本質)」を組み合わせた風刺的な造語から採られたもの。Visible Cloaksが抱え続けてきた相反概念を直接的に映し出している。消費財における「paradessence」とは、その欲望を生み出す「分裂した核(schismatic core)」のこと(Shakarの例では、コーヒーが“同時にリラックスさせ、かつ刺激もする”からこそ欲される、という具合)。『Paradessence』が見せる絶妙な均衡は、21世紀の生活が同じ緊張関係によって組み替えられていく中で、それらの要素をより切迫したものとして提示する。それは、変化し続ける形態によって、現在の「夢の現実」を抽象的に喚起するだけでなく、感情の襞まで繊細に織り込み、ときに恩寵の瞬間へと立ち上がる想像上の空間を築くエレクトロニック・ミュージックでもある。

『Paradessence』からの先行シングル「Disque」(Motion Graphics参加)は、次第に美しさを増していく一連の“吐息”のような作品。音の紡錘が枝分かれするように立ち上がり、広がりながらより多くの表面をつかみ取り、密度をわずかに増していく。上昇していく音やピアノのラインが、縫合の糸のように要所で曲をつなぎ合わせる。アレンジが静けさへと戻るたびに、それが再び立ち上がってくるのかどうかという緊張を感じる。やがて、それは立ち上がらない。残されるのは、長く細いリボンのように引き伸ばされたピアノの残滓だけ。

「Visible Cloaksとしての制作は、常に“トップダウン”よりも“ボトムアップ”だった」とDoranは言う。「完成した曲の明確なビジョンが最初からあって、それをスタジオでできるだけ忠実に実現しようとするのではなく、アイデアが立ち現れるための条件をいくつも設定する、という感じ。『Disque』のような曲は、そうした考え方を念頭に置いて構想する。長年の音楽実践の中で培ってきたさまざまな確率的(stochastic)手法を使い、最初のソースから段階的に抽象が展開していく連なりを作っていくんだ。」

「Disque」のビデオは、英国拠点のフォトグラメトリストGrade Eternaとの共同制作。ロンドンにある名もなき温室の「点群(point cloud)」を進み、歪ませ、ねじ曲げながら描かれる。3Dスキャンのツールで物理環境を空間上の点の地図へと変換し、それを使って空間の仮想モデルを生成。そのモデルをゲームエンジン内で可塑的(自在に変形可能)に扱っている。

今週Visible Cloaksは、「音・光・空間のための没入型キュレーション・プラットフォーム」を掲げるイベントシリーズ「Age of Reflections」の一環として、ポートランドとシアトルで2公演を行う。詳細は「Disque」ビデオのすぐ下に掲載されている。

Visible Cloaks new album “Paradessence” out on May 22, 2026.

Artist: Visible Cloaks
Title: Paradessence

Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-254
Format: CD / Digital
Release Date: 2026.05.22
Price(CD): 2,200 yen + tax

※CDボーナス・トラック1曲収録
※解説付き予定

『Paradessence』において沈黙は重要な登場人物。音を彫刻する行為の中に感じられるだけでなく、あらゆるものに及ぼす圧力、そしてそこから現れるものにおいても感じられる。グループは建築理論家Christopher Alexanderの「ポジティブ・スペース(positive space)」という概念に影響を受けた。物体そのものを構築するのと同じくらいの配慮を、物体の周囲にある“空白(void)”の形にも向けられる、という考え方だ。ここでは、音が自らの沈黙を伴って運ばれていく様子が聴こえる。存在と非存在のあいだを振動し、微生物のようにライフサイクルをたどっていく。

『Paradessence』を下支えする楽器群には共同体性がある。風が葉の群れの上を漂い、動きが消えたことで空気が見えるようになる時のように、それらは群れのように動く。複数の種が同じ曲の中で共存し、数分のあいだに、せり出し、引っ込み、変容していく。「環境として水平に機能する作品を作るのではなく」とDoranは言う。「空間の中で変化していく“生きた素材”として捉え、絶えず流動しているものとして概念化したかった。」曲の形式はアンビエンスから離れ、純粋な抽象へと舵を切る。ユートピアニズムが周縁に漂う。想像上の未来との関係は、ナイーブでも、シニカルでも、ノスタルジックでもない。

Visible Cloaksが時間をかけて築いてきた世界は、しばしばコラボレーターによって物質的なかたちを与えられてきた。『Paradessence』では、その馴染み深い顔ぶれが再び戻ってくる。Motion Graphics(Joe Williams)は「合成木管(synthetic woodwinds)」で登場し、アルバムの共同ミックスも担当。彼特有の艶やかな質感で輪郭を整えている。連結した2曲「Shapes」と「Thinking」は、環境音楽の革新者Yoshio OjimaとSatsuki Shibanoとともに制作された。彼らはデュオが参加した世代横断のFRKWYSコラボ『serenitatem』でも共作した相手だ。後者の「Thinking」では、Ojimaが書いたスポークン・テキストが用いられ、Shibanoが日本語で、そして作曲家で長年の友人でもあるFélicia Atkinsonがフランス語で朗読している。

Doranの「不確定(indeterminate)な室内楽」プロジェクトComponium Ensemble(自動演奏するソフトウェア楽器群)が、「System」の基盤を提供する。それはPessoa的な異名性(heteronymity)の瞬間でもある。さらにアルバムには、ルーマニア出身の作曲家・ヴァイオリニストIoana Șelaruも参加し、「Intarsia」で声と弦の演奏を提供している。Doranはこのコラボを「幻影的な存在感(illusionary presence)の練習」と呼び、「彼女の実際の楽器演奏と仮想楽器を並置し、合成ストリングスと現実に存在するストリングスの境界をぼかす」というアイデアから共同で発展させたと語る。

「Intarsia」におけるȘelaruの緊迫したパフォーマンスは、『Paradessence』のドラマティックな核をはっきりと示す。それは切迫した彫刻的な仕事であり、ひとつの楽器と人間の声が、合成的な成長の海によって変調されていく。Doranは「この現実と仮想のあいだの滑り(slippage)は、まったく別の何か、奇妙で言葉にしがたい何かを捉えている」と説明する。「それは、オンラインでも現実の生活でも、デジタル・モダニティの中で生きることに固有の要素なんだ。」

Track List:

1. Apsis
2. Skylight
3. Disque (ft. Motion Graphics)
4. Balloon
5. Slippage
6. Telescoping
7. Shapes (ft. Yoshio Ojima and Satsuki Shibano)
8. Thinking (ft. Félicia Atkinson, Yoshio Ojima and Satsuki Shibano)
9. Zinna
10. Swirl
11. Steel
12. Intarsia (ft. Ioana Șelaru)
13. Capgras
14. System (ft. Componium Ensemble)
15. Hycean (CD Bonus Track: not Japan-only)

Visible Cloaks are Ryan Carlile and Spencer Doran

Mixed by Joe Williams and Spencer Doran at Gary’s Electric Studio and Dream Box Office​, except “Skylight,” “Shapes,” “Thinking,” and “Intarsia,” mixed by Spencer Doran at Secret Society

Joe Williams – Virtual woodwinds on “Disque”
Oona Doran – Balloon on “Balloon”
Félicia Atkinson – Voice (French) on “Thinking”
Yoshio Ojima – Processing, lyrics and additional arrangements on “Shapes” and “Thinking”
Satisuki Shibano – Piano and voice (Japanese) on “Shapes” and “Thinking”
Ioana Șelaru – Violin and voice on “Intarsia”

Ultrasonic insect sounds on “Telescoping” recorded in Aulus-les-bains, France in 2023

Mastered by Heba Kadry (Brooklyn, NY)
Cut by Josh Bonati for Bonati Mastering (Brooklyn, NY)
Original artwork by David Lisser
Design by WWFG

Visible Cloaks‘s new single “Disque (ft. Motion Graphics)” out now

Artist: Visible Cloaks
Title: Disque (ft. Motion Graphics)
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Format: Digital Single
Buy / Listen: https://orcd.co/jbgxnr8

Visible Cloaks – Disque (ft. Motion Graphics) (Official Video)
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=mzXMkCXfGoU

Directed by Grade Eterna and Spencer Doran
VFX and 3D Scanning by Grade Eterna

Visible Cloaks:

Visible Cloaksは、Spencer DoranとRyan Carlileによる米国ポートランド拠点のエレクトロニック・デュオ。プロジェクトは2010年にDoranのソロとして始動し、2014年にCarlileが合流してデュオとしてのVisible Cloaksへと発展した。セルフ・タイトルのデビュー作を経て、ニューヨークの名門RVNG Intl.へと契約。代表作『Reassemblage』は2017年2月にリリースされ、DoranとCarlileの共同プロデュースによって、ポストYMO以降の電子音楽的冒険に敬意を払いながらも、その系譜をなぞるのではなく別の方向へと踏み出した作品として位置づけられる。80年代半ばから90年代初頭にかけての日本やイタリアのエレクトロニック・ポップ/アンビエントが切り拓いた道筋から敢えて逸れ、合成的な“種”から育った樹木が深い音の樹冠をつくる森の中に、自分たちの陣地を築いていくような独自の音響世界を確立した。アルバム収録曲「Valve」にはdip in the poolの甲田益也子が参加し、「Terrazzo」にはMotion Graphicsが参加するなど、客演を含めて作品世界を拡張している点も特徴として刻まれている。サウンド面では、Doranが日本のニューエイジ/アンビエントや電子音楽への関心を背景に制作してきたことが各所で言及され、Yellow Magic Orchestraや坂本龍一の名が影響源として挙げられることもある。また制作プロセスについては、Doran本人がAbletonのインタビューで、システム的な発想にもとづくアプローチや音作りの方法論を語っている。2017年後半にはミニアルバム『Lex』を同年12月にリリースし、複数の方言やアクセントを連鎖させて翻訳ソフトに通すことで生成された“異星の言語”を音素材として取り込み、彫刻的なアレンジの網目に、意味へ回収されない静謐な発声を織り込んだコンセプト作品として提示した。ビジュアル面でも作品世界の統一が重視され、『Reassemblage』のアートワークや『Lex』期の短編映像でBrenna Murphyが関与している。さらに2019年には、尾島由郎と柴野さつきとの共作『serenitatem(FRKWYS Vol. 15)』を発表。初の日本ツアー終盤に両者と出会い、ヨーロッパ・ツアー中に録音した加工音のスケッチを尾島へ送り、加筆・編集された音を再び折り込みながらスタジオ・セッションへ持ち込むという往復運動の中で制作が進められた。そこで生まれた作品は、人間と機械の境界が縫い目としてほとんど見えないほど滑らかに結合されつつも、その気配が至るところで示唆される鋭利なレコードとして結実している。Visible Cloaksは、特定地域の音楽史、とりわけ日本の環境音楽/シンセサイザー音楽への参照を、単なる引用ではなく制作手法そのものの設計へと転換し、翻訳・変換・生成といった方法論を軸に、アルバムごとにコンセプトを更新しながら、RVNGを軸に音と視覚、コラボレーションを統合した作品群を展開してきた。

HELP(2) - ele-king

 1995年にブライアン・イーノ主導のもと誕生することとなった『Help』は、ボスニア戦争に巻きこまれた子どもたちを支援するためのチャリティ・アルバムだった。それから30年。どうやら人類はより悪い方向へと進んでいるようで、戦争の影響を受けている子どもたちの割合は当時の倍になっているという。かくしてここに『Help(2)』が誕生することとなった。
 当時も参加していたデーモン・アルバーンやグレアム・コクソン、あるいはジョニー・マー、デペッシュ・モードパルプベス・ギボンズベックといったヴェテランたちから、ヤング・ファーザーズキング・クルールエズラ・コレクティヴら2010年代のポップ・ミュージックを牽引してきた面々、さらにはブラック・カントリー・ニュー・ロードビッグ・シーフにと、そうそうたる面々が集結している。収益はすべて War Child UK に寄付されるとのこと。

HELP(2)
世界中の紛争で影響を受ける子どもたちへ
錚々たるアーティストが集結したチャリティ・アルバムが誕生

3月6日(金)のアルバム『HELP(2)』発売に先駆けて
デーモン・アルバーン x グリアン・チャッテン x ケイ・テンペスト
豪華コラボレーションが生んだ 2ndシングル「Flags」がリリース!



photo by Adama Jalloh

本作チャリティ・アルバム発表と同時に大きな反響を生んだ、アークティック・モンキーズによる約4年ぶりの新曲となった先行シングル「Opening Night」の余韻の中、アルバム『HELP(2)』発売に先駆けた 2ndシングルとなる「Flags」がヴィジュアライザーと共に公開された。本曲はアルバムに収録される楽曲の中でも特に象徴的なコラボレーション作品であり、デーモン・アルバーン(Blur/Gorillaz)、グリアン・チャッテン(Fontaines D.C.)、ケイ・テンペストによって制作されている。

本楽曲は内なる強さと他者との連帯の中で見出される “レジリエンス” を象徴した、力強いメッセージを放っている。印象的なピアノのモチーフに導かれながら、豪華なアーティスト陣が集結。ジョニー・マー、デイヴ・オクム(The Invisible)、エイドリアン・アトリー(Portishead)、セイ・アデレカン(Gorillaz)、フェミ・コレオソ(Ezra Collective)、そして43人編成の児童合唱団が本曲に参加している。

さらに、もうひとつの豪華オールスターによるコーラスが加わり、楽曲にさらなる厚みと広がりをもたらしている。 そのメンバーには、ジョニー・マーをはじめ、ジャーヴィス・コッカー(Pulp)、カール・バラー(The Libertines)、デクラン・マッケンナ、マリカ・ハックマン、ローザ・ウォルトン(Let’s Eat Grandma)、ナディア・カデックらに加え、イングリッシュ・ティーチャーとブラック・カントリー・ニュー・ロードがバンドとして名を連ねている。

Damon Albarn, Grian Chatten & Kae Tempest - Flags (Visualiser)
試聴リンク >>> https://warchildrecs.ffm.to/flags
YouTube >>> https://www.youtube.com/watch?v=EUdF5cPF8mk

『HELP(2)』は、1995年の記念碑的作品『HELP』に着想を得た新たなコラボレーション・アルバムであり、世界中の紛争の影響を受けた子どもたちへ緊急支援、教育、専門的なメンタルヘルス支援、保護を提供する団体であるWar Childの重要な活動を支援するため、国境を越えて音楽愛好家を巻き込むことを目的としている。この新作アルバム『HELP(2)』もまた、今日の世界的な人道状況の緊急性を訴えかけている。

2025年11月の驚異的で濃密な1週間を中心に、著名プロデューサーのジェームス・フォード指揮のもとレコーディングされた本作は、オリジナル作品と同様にAbbey Road Studiosでの即興的なレコーディング・プロセスと共に多くのコラボレーションが実現した。

参加アーティスト(アルファベット順)
アンナ・カルヴィ (Anna Calvi)
アークティック・モンキーズ (Arctic Monkeys)
アーロ・パークス (Arlo Parks)
アルージ・アフタブ (Arooj Aftab)
バット・フォー・ラッシーズ (Bat for Lashes)
ビーバドゥービー (Beabadoobee)
ベック (Beck)
ベス・ギボンズ (Beth Gibbons)
ビッグ・シーフ (Big Thief)
ブラック・カントリー・ニュー・ロード (Black Country, New Road)
キャメロン・ウィンター (Cameron Winter)
デーモン・アルバーン (Damon Albarn)
デペッシュ・モード (Depeche Mode)
ダヴ・エリス (Dave Ellis)
エリー・ロウゼル (Ellie Rowsell)
イングリッシュ・ティーチャー (English Teacher)
エズラ・コレクティヴ (Ezra Collective)
フォールズ (Foals)
フォンテインズ D.C. (Fontaines D.C.)
グレアム・コクソン (Graham Coxon)
グリーンティー・ペン (Greentea Peng)
グリアン・チャッテン (Grian Chatten)
ケイ・テンペスト (Kae Tempest)
キング・クルール (King Krule)
ニルファー・ヤンヤ (Nilufer Yanya)
オリヴィア・ロドリゴ (Olivia Rodrigo)
パルプ (Pulp)
サンファ (Sampha)
ザ・ラスト・ディナー・パーティー (The Last Dinner Party)
ウェット・レッグ (Wet Leg)
ヤング・ファーザーズ (Young Fathers)

ブライアン・イーノ主導のもと、1995年にたった1日で録音されたオリジナル・アルバム『HELP』は120万ポンド以上を調達し、ボスニア紛争に巻き込まれた数千人の子どもたちへの緊急支援を可能にした。 ところが、紛争の影響を受けていた子どもが世界全体の約10%だった『HELP』のリリース当時から現在までにその割合はほぼ倍増し、約5人に1人の子ども(実に5億2,000万人)が紛争の影響下に置かれている。これは第二次世界大戦以降、かつてない規模であり、紛争が激化し資金削減の影響も深刻化するなかで、War Childの活動もこれまで以上に切迫している。オリジナル・アルバムが体現していた「集団的行動」の精神が現代のアーティストたちへ引き継がれる必要性が、極めて重要な意味を持つ。

どんな子どもも、戦争の一部であってはならない。決して。

War Child によるチャリティ・アルバム『HELP(2)』は、2CD、2LP、デジタル/ストリーミングで2026年3月6日(金)に世界同時リリース。国内流通盤2CDには解説書が付属する。なお、本アルバムの収益はすべて War Child UK に寄付され、世界中の紛争地域で暮らす子どもたちの保護、教育、そして権利を守る活動に充てられる。

label : War Child Records / Beat Records
artist : V.A.
title : HELP(2)
release date: 2026.03.06
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=15604

・国内流通仕様盤2CD(解説書封入)
・輸入盤2CD
・輸入盤2LP

Tracklist
1. アークティック・モンキーズ - 「Opening Night」
2. デーモン・アルバーン、グリアン・チャッテン&ケイ・テンペスト - 「Flags」
3. ブラック・カントリー・ニュー・ロード - 「Strangers」
4. ザ・ラスト・ディナー・パーティー - 「Let’s Do It Again!」
5. ベス・ギボンズ - 「Sunday Morning」
6. アルージ・アフタブ&ベック - 「Lilac Wine」
7. キング・クルール - 「The 343 Loop」
8. デペッシュ・モード - 「Universal Soldier」
9. エズラ・コレクティヴ&グリーンティー・ペン - 「Helicopters」
10. アーロ・パークス - 「Nothing I Could Hide」
11. イングリッシュ・ティーチャー&グレアム・コクソン - 「Parasite」
12. ビーバドゥービー - 「Say Yes」
13. ビッグ・シーフ - 「Relive, Redie」
14. フォンテインズ D.C. - 「Black Boys on Mopeds」
15. キャメロン・ウィンター - 「Warning」
16. ヤング・ファーザーズ - 「Don’t Fight the Young」
17. パルプ - 「Begging for Change」
18. サンファ - 「Naboo」
19. ウェット・レッグ - 「Obvious」
20. フォールズ - 「When the War Is Finally Done」
21. バット・フォー・ラッシーズ - 「Carried My Girl」
22. アンナ・カルヴィ、エリー・ロウゼル、ニルファー・ヤンヤ&ダヴ・エリス -「Sunday Light」
23. オリヴィア・ロドリゴ - 「The Book of Love」

輸入盤2CD

輸入盤2LP

War Child UKについて
5つの資金調達拠点と14のプログラム・オフィスから成るグローバルな財団、War Child Allianceの一員であるWar Child UKは、戦争の影響を受けるすべての子どもに安全な未来を届けるという、ただひとつの目標のもとに活動している。War Childはパートナー団体とともに、アフリカ、アジア、中東、ラテンアメリカを含む世界14か国で、欠かすことのできない支援活動を展開し、30年にわたる経験と実証済みの手法を活かし、紛争から可能な限り迅速に子どもたちへ支援を届け、メディアの注目が去ったあとも長く寄り添いながら、回復までを支え続けている。

〜私にとっては、サブスクで日々大量に聴いている音楽が街ですれ違う人々だとしたら、レコードは友人や大切な人のような存在です〜

「VINYLVERSEユーザーのリアルな声を聞きたい」そんな思いからスタートしたこの連載も、第4弾を迎えました。
今回お話を伺ったのは、都内でDJとしても活動している kanako__714 さんこと、KANAKO さんです。
SoulやR&Bを軸に、和モノ、ラヴァーズロック、Houseまでジャンルレスに音楽を掘り下げ、DJとしても独自の選曲で現在急成長中。そんなKANAKOさんのVINYLVERSEギャラリーは、あえて邦楽にフォーカスしたセレクトとなっています(2026年1月現在)。
ギャラリーのジャケットを一覧で眺めていると、今、聴くべき音楽を自然体で選んだようなレコードの並びが印象に残ります。主張しすぎるわけではないのに、なぜか気になるその感覚の奥に見えてくるのは、KANAKOさんならではのパーソナルなセンスかもしれません。

今回のインタビューを通して見えてきたのは、「どんな音に惹かれ、どのようにレコードと付き合ってきたのか」という、多くの音楽ファンに共通する問いでした。
DJとしての視点、そして一人のリスナーとしての視点。その両方から語られるレコードの魅力を紐解いていきます。


---まず、VINYLVERSEをどんなふうに使っていますか?

KANAKO(以下K):今は自分が持っているレコードの中から、和モノに絞って投稿しています。ジャケットを一覧で一気に見られるので、DJの選盤を考えるときにもすごく助かっていますね。

---アプリの使い方はすぐに理解できましたか?

K: 特に迷うことなくできました。

---操作で迷った点、不便に感じた点はありますか?

K: 検索してもなかなか出てこないアーティスト、アルバムなどがあり少し苦戦しました。

---使っていて「これは良いな」と感じた機能はありますか?

K: お気に入り登録や、「欲しいもの」をギャラリーに追加できるところです。今持っているものと、これから欲しいものを同じ感覚で管理できるのがいいなと思いました。

---他のコレクターと交流する機能についてはどうでしょう?

K: コメント機能などはあってもいいかなと思います。ただ、正直SNSがあまり得意ではないので、無理に交流しなくてもいいのかなと思いました(笑)。

---今後欲しい機能はありますか?

K: ギャラリーの順番を自由に動かせたり、Instagramのように気に入っているレコードを一番上にピン留めできるような機能があればいいなと思いました。

---VINYLVERSEの一番の魅力は何だと思いますか?また、どんな人にこのサービスをおすすめしたいですか?

K: 自分の持っているレコードとあらためて向き合い、自分はこういう音楽が好きなのだと再発見することができるアプリだと思いました。また、他の人のレコード棚を覗いているような気持ちになれるのも楽しいです。レコードが好きな方ならみんな楽しめるアプリだと思います。

---そもそもレコードを集め始めたきっかけは? 最初に買った1枚も教えてください。

K: 4年ほど前、渋谷のRECORD SHOP & DJ BAR「BLOW UP」に行ったのがきっかけです。Black Musicやレコードに興味を持って、最初はクラブやミュージックバーでレコードを聴く側でしたが、その後自分でも集めるようになりました。DJを始めた時期とレコード収集を始めた時期がほぼ同じで、最初は一気にたくさん買っていたので少し記憶が曖昧なのですが……たぶん、ミニー・リパートンの『LOVE LIVES FOREVER』が最初に買った1枚です。

---主にどんなジャンルを集めていますか?

K: あえて言うならSoulですが、和モノ、R&B、ラヴァーズロック、Houseなど、ジャンルはさまざまです。

---特に思い入れのある1枚を教えてください。

K: ORCHIDSの『LIFE IS SCIENCE』です。去年の夏、池尻のJuly treeというギャラリーで90年代クラブイベントのフライヤーの展示を見に行ったとき、会場でこの曲がかかっていて。ギャラリーの方に教えていただき、すぐに買いました。そこからMAJOR FORCEの音楽にどっぷりハマって、今も少しずつ集めています。

---今、個人的に一番欲しいレコードは?

K: Sly, Slick & Wickedの『Sho’ Nuff』の7インチです。ずっと欲しいと思いながら高くて手が出せなくて……気づいたらさらに高騰していて、早く買えばよかったと後悔しています。

---あなたにとって「レコードの魅力」とは何でしょう?

K:音質の良さはもちろんですが、それ以上に「音楽が物質としてそこにある」ことに魅力や安心感を感じます。私は根本的にモノが好きな人間で、音楽だけでなく、雑誌や漫画も本当に気に入ったものは物理的に手元に置いておきたい。ライナーノーツやジャケットを眺めて楽しめるのも、レコードならではだと思います。

---レコードで聴く音楽と、他のメディアで聴く音楽の違いについて、どう感じていますか?

K: 音質の違いはもちろんあると思います。特にクラブやミュージックバーでレコードを聴くことは、立体感やひとつひとつの楽器の音をクリアに感じることができる、特別な体験だと思います。ただ、サブスクでたくさんの音楽に出会えることも素敵な体験であることは確かで、サブスクで出会った曲をレコードで購入し、思い入れのある曲になるということも頻繁にあります。私にとっては、サブスクで日々大量に聴いている音楽が街ですれ違う人々だとしたら、レコードは友人や大切な人のような存在です。

---音楽以外で好きなカルチャーはありますか?

K: 90年代のカルチャーが好きです。日本のドラマや映画、古着、雑誌だと『relax』とか。

---VINYLVERSEのギャラリーを「誰かに見せたい」と思うことはありますか?

K: 正直私は自分のことを人に話したりとか、自分のパーソナルなところを人に知られるのがあまり好きではなくて。自分のことを言葉で説明するのがすごく苦手なんです。でも、ギャラリーを一覧で見てもらえたら、「この人、こういう音楽が好きなんだ」って自然に伝わる。それは逆にいいなと思いました。人からDJのスタイルやジャンルについてもよく聞かれるのですが、例えば「和モノ」と言うと、シティポップや歌謡曲を想像されがちで。でも実際は、そのどちらもそこまでレコードを持っているわけではなくて、自分でも「和モノの中のどういう音楽が好きなのか」を言葉で説明するのが難しかったんです。
でも、ギャラリーを見てもらえれば、自分で説明するよりも分かりやすいかもしれないな、と思いました。

---VINYLVERSEギャラリーのセレクトを和モノにフォーカスした理由はどうしてですか?

K: 今、毎月第一金曜日にアマランスラウンジというお店の和モノのイベントでDJをやらせてもらっていて、その流れもあって毎月コンスタントに邦楽レコードを買うようになったんです。そうすると、だんだん自分でも何を持っているのか分からなくなってきて(笑)。
頭の整理という意味でも、一度「自分がどんな和モノを持っているのか」をまとめてみたいと思って、一旦和モノに絞りました。

---邦楽と洋楽の捉え方に違いはありますか?

K: あまりないですね。いわゆる和モノってジャンルというより、その中にSoulっぽかったり、R&Bとかシティポップ、四つ打ちなどがある、という感覚で。私は和モノだから集めているというより、「好きな音」に反応して集めているので邦楽も洋楽も関係なく聴いています。

---家ではどんなふうに音楽を聴いていますか?

K: 家ではレコードも聴くし、ラジオも聴くし、サブスクも使います。常に何かしらの手段で音楽が流れている感じですね。
DJの練習としてかけることもあれば、ただゆっくり聴くこともあります。DJをするようになってからは、「この曲をどう繋ぐか」「次に何をかけるか」を考えながら聴くようになりました。途中でブレイクが入ると使いやすそうだなとか。でも、ただ聴いていて良い音楽と、DJで使いたい曲っていうのはまた違う気もしますね。

---DJでは使わないけど、欲しくて買うレコードもありますか?

K: あります。例えばMitsukiの『Land Is Inhospitable And So Are We』は、私がDJ中にかけることはありませんが、寝る前に聴きたくなるような音楽ですごく好きなので買いました。

---レコードを買う場所についてのこだわりはありますか?

K: ディスクユニオン、BLOW UP、地方のレコードショップのオンラインストアなどで買います。ごくたまにDiscogsも使いますね。メルカリやヤフオクは、基本的にはあまり使いません。もちろんレコードが本当に好きな人が売っている場合もあるとは思うのですが、レコードをよく知らない人や、あまり好きじゃない人が売っていることも多そうで、そういう人からは買いたくないんです。気分が乗らないというか。ただ、単に気持ちの問題だけではなく、盤質の基準も人によってバラバラだし、品質面で不安があるのも理由のひとつです。

---VINYLVERSEも「レコードが好きな人から、レコードが好きな人へ渡る」という感覚を大事にしたく思っています。それがどういうアプリにしたらそうなるのかは今でも試行錯誤中ですが、VINYLVERSEが、そういう人から人へ、レコードを気持ちよくバトンタッチできる場所になったらいいな、と思っています。
ちなみに手に入れたとき一番嬉しかったレコードって何ですか?

K: 一番嬉しかったのはセルジオ・メンデスの『Brasileiro』ですね。とあるDJの方がかけていて知って、それからレコードを探し始めて、1年半くらい探して見つかりました。でも結局買えたのはメルカリなんですが(笑)。一度、ヤフオクで見つけて入札したのですが、4万円以上までいってしまって。途中で無理だなと思って諦めました。その後メルカリに、それよりはだいぶ安く出ていたので買いました。

---DJは主にどのような場所でプレイされているのでしょうか?

K: 主に夜帯の時間で、お酒を飲む場所、BARやクラブが多いです。

---こういうところでDJしたいという場所はありますか?

K: 先日、ラテンミュージックと社交ダンスのイベントがあって行ってきたのですが、DJがラテンミュージックをかけて、間にラテンダンスのパフォーマンスを挟むという感じだったのですが、雰囲気がとてもハッピーで、場所もオープンなスペースだったので通りすがりのお客さんも見ていて。そういうオープンな場所で自分のこと全然知らない人に聴いてもらえる機会があったら、すごく楽しいだろうなと思いました。

---昔から変わらず好きな音楽の傾向って何かありますか?

K: 全体的にアフロっぽいパーカッションが入ってたり、途中で長めのブレイクがある曲はめちゃくちゃ好きです。ファミリー・ツリーの「Family Tree(Norman Cook Disco Edit)」とか、ワンネス・オブ・ジュジュの「African Rhythms」とかですかね。

---とてもヒップホップ的ですね(笑)。ある視点から言えば、ヒップホップって「このブレイクをずっと聴いて踊っていたい」という衝動から生まれたものですからね。DJに向いているのかもしれません。ところで楽器経験はあるのですか?

K: ピアノとトランペットをやっていました。

---それはDJをすることに何か役に立っていますか?

K: 拍とか小節の感覚は役立っていると思いますが、私がやっていた楽器の演奏とDJをすることは全然違いますね。私はジャズをやっていたわけではないので、ピアノは譜面通り、トランペットも先生の指示通り。でもDJの場合、どんな展開にするのか、どこで繋ぐのかはすべて自分次第。そこが一番違うと思います。

---では最後に、これからレコードを買いたい、DJを始めたいというビギナーへアドバイスがあればお願いします。

K: 機材を揃えたり、レコードが増えると場所を取ったりとサブスクに比べて少しハードルが高い部分はあるかもしれませんが、その分音楽との向き合い方は変わるような気がします。まずは好きなアーティストのレコードを手に取ってみていただきたいです。DJに関しては、この曲が流行ってるからとかではなく、自分が本当に好きな曲をみんなに知ってもらう。この曲、本当にいい曲なんだよっていうのが人に伝わるような曲の順番とか、音のバランスやボリュームとかを気にしながら、プレイする。どうすればこの自分の好きな曲が一番いい状態で相手に聞いてもらえるかみたいなことを大事にしたいと思っています。


KANAKOさんのギャラリーはこちら
https://vinylversemusic.io/gallery/kanako___714


VINYLVERSE アプリ

Ken Ishii - ele-king

 これはかつてない切り口のイベントかもしれない。CDというフォーマットがもつ74分の制限が、DJミックスという新たな表現方法を創造した──という観点から実施されるライヴDJセット・シリーズを、LIQUIDROOMのKATAがスタートする。その映えある第一回に登場することになったのが、ケン・イシイだ。2月27日(金)、プレイ時間は20:30~21:44のきっかり74分。新たな試みに注目しよう。

liquidroom presents

I’m Not Just a DJ

featuring Ken Ishii

2026.2.27 Fri.
KATA(LIQUIDROOM 2F)
Open:19:00 Warm up 20:00 Set Time 20:30-21:44
Adv¥4000 + 1Drink Order
UNDER 25 ¥2500 + 1Drink order
100 Limited Tickets

2025年1月16日(金) 20:00 on sale!!!
zaiko:https://liquidroom.zaiko.io/e/notjustdj2026
※ご入場時ドリンク代¥700頂戴します。

info:kata-gallery.net

DJの表現を凝縮した74分の体験を──第一弾は世界を魅了するテクノ・ゴッド、KEN ISHII

クラブ・カルチャーにおいて、DJはひと晩にわたって音楽でその場をコントロールする。それは単なる選曲からそれはダンス・ミュージックを通じた、文字通りのアートフォームとして結実していった。いつしかそれはシンガーやバンドの演奏とならぶ表現として、クラブを飛び出し、フェスへの出演、さらにはミックスCDという「作品」にもなった。

現在、クラブを離れスマートフォンやPCでDJミックスを楽しむにはMixcloudやSoundCloudで世界中の名演が、簡単に、無料で楽しむことはできる。しかし90年代から2000年代前半までミックスCDの文化がDJカルチャー、さらに音楽シーンにおいてひとつの意味を持っていた。特にオフィシャル・リリースされたCDには、さまざまな制約──なによりも74分というCDの収録時間の制約があった。しかし、そのなかでいかに選曲で物語を作り、自己の表現とするのか、それはアーティストの表現となった。ある意味でシンガーやバンドの「ライヴ」アルバムと同様、音楽作品となったのだ。それは国や時間を飛び越えて、現場以外の体験としてDJカルチャーを支えた。

もちろんひと晩をコントロールするDJもすばらしいが、ミックスCDのようにライヴのように楽しむDJプレイもまたその表現の豊かさを証明するものではないだろうか。それは時間帯も一緒で、深夜に限らす学校や会社帰りに DJ を浴びるという楽しみがあってもいいはずだ。本企画はまさに、そうしたひと晩のクラブ体験から飛び出し、DJという表現を楽しむそんな企画である。

その記念すべき第一弾として登場するのは、テクノゴッドとして世界中から敬愛されるレジェンド、Ken Ishii。本企画のために特別に組み上げた スペシャル・ライブDJセット(74分) を披露する。世界のクラブやフェスを彩り続ける Ken Ishii の真髄に触れられる、またとないチャンス。見逃し厳禁。

A 74-minute experience distilling the art of DJ expression —
The inaugural edition features the techno god who captivates the world: KEN ISHII

In club culture, a DJ controls the space through music over the course of an entire night. What began as mere track selection gradually evolved into a literal art form expressed through dance music. In time, this form of expression came to stand alongside singers and bands, breaking free from the club environment to appear at festivals, and ultimately taking shape as a “work” in the form of mix CDs.

Today, even away from the club, DJ mixes can be easily and freely enjoyed on smartphones or PCs via platforms such as Mixcloud and SoundCloud, where outstanding performances from around the world are readily available. However, from the 1990s through the early 2000s, mix CD culture held a distinct and meaningful place within DJ culture and the wider music scene. Officially released CDs, in particular, were bound by various constraints—most notably the 74-minute time limit of the CD format. Within these limitations, the challenge of how to construct a narrative through track selection and turn it into a personal expression became an essential part of the artist’s craft. In this sense, mix CDs became musical works in their own right, much like “live” albums by singers or bands. They supported DJ culture beyond the con.

Kotoko Tanaka - ele-king

 そのブルージィな歌声はわたしたちの日常にいつもとはちょっと違うみずみずしい景色を運びこんでくる。東京を拠点に活動するシンガー、Kotoko Tanakaがバンド・セットでツアーに臨むことになった。ギターにRiki Hidaka(betcover!!)、ドラムスに白根賢一(GREAT3TESTSET)を迎えた編成で、3月1日から29日にかけ、福岡、広島、京都、東京を巡回。都市ごとにスペシャル・ゲストも予定されているとのこと(広島公演の主催はSTEREO RECORDS)。詳細は下記より。

interview with Kneecap (Mo Chara and Móglaí Bap) - ele-king

 政治において、言語は戦場であり法廷で争うための手段となる。その場に立つ全員が言葉の些細な言い回しを巡って議論する。そこで我々は弁護士となり、言葉の意味の違いを研ぎ澄ませて鋭利な刃物に変える兵士にもなる。その最たる現場がベルファストの政治だ。地理的にはアイルランドに位置しながら、一部はイギリスの統治下にあり、政治的・宗教的な背景によってカルチャーも分断されている。
 モウグリ・バップとモ・カラのラッパーふたりとDJプロヴィからなるベルファストを拠点にするニーキャップの作品はそのような言語の宝庫であり、アイルランドの政治的風景を言葉とヴィジュアルの両方から色濃く反映している。DJプロヴィという(*「Provisional IRA(暫定IRA)」の略称から派生したスラング「Provei」が元ネタ)アーティスト名しかり、あるいはアイルランド国旗の3色の目出し帽もアイルランド共和派の武装組織IRAを示唆している。そもそもバンド名のニーキャップ自体が上記の関連団体によっておこなわれた悪名高い拷問を伴う制裁手段について言及している。つまり、あからさまに挑発している。しかし、このようなメッセージ性をライヴにおけるパーティのどんちゃん騒ぎ的なノリと合わせることによって、彼らはその背景にある恐怖や緊張感を緩和すると同時に、宗派の垣根を越えて若いファン層、とりわけ1998年の和平合意以降に育った若者が集える場を提供している。
 とはいえ、彼ら自身はゴリゴリの共和主義者であり、アイルランド語で楽曲を制作し、イギリスによる北アイルランドの統治に対して公の場で激しく抗議している。さらに労働者階級であることに誇りを持ち、保守党の元首相マーガレット・サッチャーに対していまだに根深い嫌悪感を抱き続ける姿勢は、アイルランド国内だけでなくイギリスの左派系リスナーから圧倒的な支持を受けている(筆者もまたそのひとり)。さらにパレスチナへの支持も公言しており、それが原因でイギリスの首相キア・スターマー政権から糾弾され、同政権から反テロ法を盾にモ・カラがハマスを支持しているとの理由に(いまのところ、まったくの不毛な作戦とはいえ)法的に執拗な攻撃を受けている。
 メディアや政治界などの権威からはニーキャップは無責任で無神経な危険分子のような描かれ方をしているのかもしれない。しかし、セルフ・タイトルにして彼ら自身が主演を務める映画『ニーキャップ』はときに寓話を交えながらフィクションという形で、彼ら自身が自らの目線で自らのストーリーを語る機会を提供している。さらにその特異な言語にフォーカスすることで、国家レベルから日常生活のレベルの両方から政治について多面的に映し出しながら、政治家やタブロイド紙が伝えるストーリーのカウンターとして、よりパンチとユーモアの効いた繊細な物語と同時に、いわゆる「トラブルズ」と呼ばれる北アイルランド紛争下のステレオタイプのイメージを覆す形でベルファストに暮らす人々の日常を描き出している。
 今回、モウグリ・バップとモ・カラにビデオ通話によるインタヴューで、言語およびそこに含まる細部やニュアンスが、彼らの歌詞だけでなくアイデンティティや日常生活であり、そのすべてに関わる政治においてどのような中心的役割を担っているのかについて語ってもらった。

うちのライヴについて確実に言えるのは、ものすごい多様性があるってこと。全ジェンダーが勢揃いしてる。(モ・カラ)

いまではインターネットのおかげで、フランス語だのバスク語だのカタルーニャ語だの、ありとあらゆる言語の音楽にアクセスできるようになってる。いまはもっと実のある音楽が求められてる時代になってるんだろうね。(モウグリ・バップ)

音楽を作って表現するというのは、ある種の空間なり環境を作り出してリスナーに提供するという側面もありますよね。ことライヴ・パフォーマンスでは大いにそれがあてはまると思うのですが、どのような空間を作り上げようとしていますか?

モウグリ・バップ:ニーキャップの使命のひとつとして、いまのメインストリームのラジオじゃ滅多に取り上げられることがない言語で語っていく、つまり、アイルランド語を中心にした自分たちのリアリティを反映した空間を作り上げようっていうのがあるんで。音楽を通して人びとがアイルランド語と繋がれる環境を作りたいわけさ。アイルランド語を自分自身のアイデンティティの一部として感じてもらいたい。これまでそういうことをやってる連中っていなかったんで。少なくともアイルランドのいまどきのヒップホップ・シーンにおいては。

モ・カラ:うちのライヴについて確実に言えるのは、ものすごい多様性があるってこと。全ジェンダーが勢揃いしてる。ヨーロッパというか、少なくともイギリスとアイルランドのヒップホップ・シーンってほぼ野郎に支配されてるじゃん。それがうちのバンドはカルチャー的側面も入ってきてるんでね。言語だったりとか、そこに伴うアイデンティティだったり、そこからも共感できる。毎回、ありとあらゆるジェンダーが集まってる。めっちゃエネルギーに溢れてるし、毎回モッシュピットが起きるし、モッシュするときは全員一緒、性別に関係なく、誰もケガしないようにお互いに気を遣いながら。誰にとってもめちゃくちゃ安全な場なんだよ。誰でも輪のなかに入ることができるし、そこに参加したいと願う全員にとってのオーガナイズされたカオスって感じ。

ライヴ映像を見る限りモッシュピットがライヴで重要な位置を占めているように思いますが、そこには何らかの意図があるんでしょうか。実際、あなた方もそこに注力しているように見受けられますし、その場にいるが安全に楽しめるようにすごく気を配っているようですね。

モ・カラ:若干、エネルギー過剰って説も! というか、そもそもそれ自体がエネルギーを宿してるような、うちのバンドでやってるモッシュピットってそういうものだから。みんなそれを期待してるわけで、客のほうも盛り上がりにきてるみたいな……だから、盛り上げ役としては超ラクだよね。そもそもモッシュピットのことを聞きつけた上で会場に集まってるわけで、なんなら客同士が勝手にモッシュピットをはじめて盛り上がってる。とりあえずモッシュしてる最中ってめちゃくちゃ自由に感じるじゃん、なんか知んないけどさ。モッシュの輪のなかにいると、自分も全体の一部になったみたいな感覚になるっていうか、たんにライヴに来た客のひとりじゃなくて、それよりも大きな何かに繋がった感覚になる。自分もショウの一部になるわけさ。要するに、双方向からのエネルギーの交換がおこなわれてるわけだよね。俺らも客を楽しませるし、向こうも俺らを楽しませてくれる。

モウグリ・バップ:ライヴに熱狂が生まれるのと同時に一体感も生まれる。お互い安全な状態を保ちつつ楽しむためには信頼関係がないと。それがあるからこそ、モッシュピットはうちのライヴの中心みたいな存在になってるんじゃないかな。みんなうちのライヴからそういうものを受け取ってるわけさ、その場にいる全員が仲間みたいな意識というか。

それって、あなたたちの政治的な思想にもあてはまりますよね。仲間意識であり人びとを繋いでいく力みたいな。

モウグリ・バップ:まさに。

モ・カラ:政治だって、ある意味、パーティと同じぐらい大事だからね。 政治に突っ込んでいくのだって、その先に楽しいことが待ってるって期待してるからなわけじゃん。あるいは戦いに勝利して祝福しようって気持ちがあるからなわけじゃん。パーティもライヴで自由になるのも生きるために必要不可欠なもんなんでね。

そもそも共産党って言葉自体に、パーティ(党)って言葉が入ってますもんね。

モ・カラ:マジそれな!

モウグリ・バップ:ハハハ!

モ・カラ:てか、めっちゃウケてんじゃん!

政治に突っ込んでいくのだって、その先に楽しいことが待ってるって期待してるからなわけじゃん。あるいは戦いに勝利して祝福しようって気持ちがあるからなわけじゃん。パーティもライヴで自由になるのも生きるために必要不可欠なもんなんでね。(モ・カラ)

アイルランド語なり少数言語で歌うことの何がいいって、本質的に反資本主義的であるってことで、金儲けのためじゃなくてコミュニティのために存在してるってとこだよ。(モウグリ・バップ)

以前もおっしゃっていましたが、ベルファストでもアイルランド語を話してる人口はそんなに多くないですよね。音楽という形を介すことでアイルランド語を完全に理解していなくても、その言語と繋がると思いますか。

モウグリ・バップ:とはいえ、流暢でなくてもいくつかの単語は知ってたりしるし、うちのライヴに来て一緒に歌ってアイルランドも十分堪能してもらえるんじゃないかな。流暢じゃなくても、その言葉を楽しむことはできるんだから。あともうひとつ重要なこととして、少数言語を話す環境に育った子どもって、まわりでその言語が使われてないと、その言語には価値がない、あるいは社会的に重要じゃないって自然と思い込まされるようになるんだよね。だから、俺らの映画が映画館で上映されたりラジオで曲がかかったりすることで、それまでアイルランド語に付随してた恥の部分が払拭されて、自分たちの言語でありアイデンティティに誇りが持てるように。 実際、うちのライヴに来る客のほとんどはアイルランド語を話せないけど、それでも十分楽しんでるしアイルランド語で一緒に歌って大満足してる。

モ・カラ:そりゃまあ、自分らの場合はラッキーだったっていうか、アイルランド語の学校に通わせてもらう機会に恵まれてたんで。というのも、自分たちの前の世代が国から支援もないなかでゼロから築き上げてくれたものなわけで。いまではみんな普通にウチのライヴに来て、たんに学校で勉強する科目とは別の形でアイルランド語に慣れ親しむことができる。それこそ自分たちの一世代、二世代前の世代にとってたんに学校で習うだけでそれ、それ以外で使う機会もなかったのが、いまではライヴだの映画だの学校の外でも楽しめるものになってる。

1950年代のロックンロールの誕生以来、全世界においてポップ・ミュージックも英語の曲中心でしたよね。いまの英語が母語のリスナーは、自分たちが理解できない言語の音楽も以前よりもオープンに楽しめるようになってると思いますか?

モ・カラ:いや、確実にそれはあるでしょ。いまって、みんな何かしら新しいものを求めている時代で、前例のないものだったり、これまでとは違うものを自分から探しに行くようになってる。60年代の人間に自分の知らない外国語の音楽って言っても、なかなかピンと来なかっただろうけど、いまではみんな普通に言葉なんて関係なしに音楽を聴いてる。

モウグリ・バップ:結局、英語が長いあいだ公共の電波を支配してきたのだって、昔は音楽を発表する機会が大手のラジオだのテレビだの一つ二つのメディアに絞られていたからであって。それがいまではインターネットのおかげで、フランス語だのバスク語だのカタルーニャ語だの、ありとあらゆる言語の音楽にアクセスできるようになってる。いま、うちの相方が言ってたように、いまはもっと実のある音楽が求められてる時代になってるんだろうね。

以前のように世界のポップ・カルチャーをアメリカが支配しているという構造が崩れかけてるのもあるんじゃないでしょうかね。

モ・カラ:まさに!

モウグリ・バップ:それってアメリカで植民地の支配者の銅像が撤去されていったのと同じ動きだよね。植民地とか、主要もしくは多数派言語による支配が徐々に綻びを見せてる証拠だよね。しかもいまではインターネットのおかげで、人びとが自分で聴きたい音楽を自分で選ぶ権利を取り戻してる。アイルランド語なり少数言語で歌うことの何がいいって、本質的に反資本主義的であるってことで、金儲けのためじゃなくてコミュニティのために存在してるってとこだよ。

モ・カラ:過去の歴史からも帝国が崇拝対象となるシステムになってたわけで、アートもそれに倣うような形になってたわけで。英語で歌われてきたのなんてまさにその最たる例だし。でもいまはわざわざ学校で勉強するまでもなく、誰でもインターネットにアクセスして、諸外国の歴史について知ることができるし、かつての帝国がどれだけ世界に害悪をもたらしてきたかもはや周知の事実になってるわけさ(笑)。結果として、先住民族の言語や少数民族のカルチャーが再び注目されるようになってる。

モウグリ・バップ:いま言ったのって、インターネットがもたらした最大限にポジティヴな面の一例だよね。そりゃまあ、アメリカや中東の帝国主義者の連中はフェイク・ニュースを拡散するためにインターネットを利用してるっていう側面があるとはいえ。

※このあとふたりの舌鋒はまだまだ続きます。後編は2月下旬発売予定の『別冊ele-king 音楽は世界を変える』に掲載。ぜひそちらもチェックを。


English version

interviewed by Ian F. Martin

When it comes to politics, language is both a battleground and a courtroom. It makes lawyers of us all, arguing over the finest differences in meanings between words, and it makes soldiers of us too, honing these differences down into blades. Nowhere is that more true than in the politics of Belfast. Geographically part of Ireland, ruled as part of the United Kingdom, and culturally split down the middle along political and religious grounds.

Formed by rappers Móglaí Bap and Mo Chara, along with DJ Próvaí, Belfast-based band Kneecap’s work is dense with the language, both verbal and visual, of the Irish political landscape. DJ Próvaí’s name and Irish tricolour flag balaclava are both references to the republican paramilitary group the IRA. The group’s name refers to a notorious form of torture and punishment carried out by such groups. It’s a provocation, for sure, but marrying this language to the sort of raucous party atmosphere of their shows is also a way of putting the edge of fear and danger it implies behind them and open up a shared space for young fans from both sides of the sectarian divide — especially those who grew up in the years after the 1998 peace agreement.

That said, the group are staunch republicans, writing in the Irish language and fiercely and vocally opposed to British rule over their corner of Ireland. They are proudly working class and retain a deep loathing for Conservative former Prime Minister Margaret Thatcher, which has endeared them to left-leaning listeners both at home and in Britain (I’ll admit, myself included). They have also been vocal supporters of Palestine and attracted condemnation and ongoing legal attacks from the government of British prime minister Keir Starmer, who have used anti-terrorism laws to (thus far unsuccessfully) prosecute Mo Chara on accusations of promoting Hamas.

Seen only through the lens of the media and political establishment, Kneecap come across as irresponsible, insensitive and dangerous. Their self-titled movie, which stars the group themselves in a fictionalised, often allegorical version of their origin story, was an opportunity for the group to frame their story in their own way, and in its explicit focus on language as a multilayered vehicle for politics on both a national level and in daily life, presented a powerful, funny and nuanced counter-narrative to the story the politicians and tabloid newspapers were telling, as well as a depiction of Belfast life that subverts many of the Troubles-era stereotypes of the city.

I spoke to Móglaí Bap and Mo Chara via video about how language in all its specificities and nuances is at work at the core of not just their lyrics but their identities, their everyday lives, and the politics that run through it all.

When you make music, you’re also creating a space or an environment for the listeners, especially when you think of the live performance. What kind of space are you trying to create?

Móglaí Bap (MB): A big part of Kneecap is creating this environment of reality where the Irish language is central, especially as it’s not a language that’s heard a lot on the mainstream radio. So we’re trying to create an environment where people can connect with the language through the music. They can identify with the language. And it’s not something that’s been done, really, in contemporary hip hop music in Ireland.

Mo Chara (MC): There’s also something to be said about our gigs that we have such a mix. There’s a mix of all genders. I think a lot of hip hop gigs in Europe, in England, in Ireland, it’s very male-dominated. And I think the difference with Kneecap is that we have a cultural aspect to it as well, with language and identity to it, so people relate to that. We always have a mix of genders. We have very high energy gigs, there’s always moshpits, but everyone’s moshing together, all genders, no one’s trying to injure each other. It’s a very safe space for everyone. Organised chaos for everybody who wants to be involved.

Watching videos of your live performances, the moshpit seems to have a central place in the show. Is there something special about the moshpit? Because you seem to put a lot of energy into that part of the show — organising, or taking a lot of care to make sure everybody’s safe.

MC: Maybe too much energy sometimes! But I think it took on a life of its own, the moshpits that we do, because everyone is expecting hig energy, and what happens is the crowd… we can rile them up pretty easily, but the crowd have heard about all the moshpits and so they come in and do it themselves. The thing is there’s something very freeing about it. When you’re part of a moshpit, you’re part of a collective, you’re part of a greater thing rather than just an individual at a show — you’re part of a show then. When there’s a moshpit happening, the audience are putting on a show for us. It’s kind of transactional: we entertain them, they entertain us back.

MB: It creates a sense of excitement at the gig, and also a sense of solidarity between people because you have to rely on each other to keep each other safe and have a good time. So I think that’s why it’s kind of central to our gigs, because that’s what people get from our gigs: a sense of solidarity.

Which I guess feeds into the political aspects of what you do: the sense of solidarity and everyone being in it together.

MB: Exactly.

MC: In certain scenarios, politics is just as important as partying. I mean what’s the point of chasing political memes unless you’re going to be able to enjoy yourself at the same time, or enjoy yourself after the fight’s done? So partying and the freedom that comes with gigs are just as important a part of life.

You can’t spell “Communist Party” without “party”!

MC: Exactly!

MB: Hahaha!

MC: He loves that one!

You’ve mentioned in the past about how, even in Belfast, there’s not a lot of Irish speakers, so is there a way in which, by delivering it through music, that gives people a way to connect with it even without fully understanding all of it?

MB: One aspect of it is that people who don’t speak Irish but they speak a few words, they can come to the gig and they can sing along and get that sense of fulfilment, that you don’t have to be fluent to enjoy the language. And another aspect of it is that, when you speak a minority language growing up as a kid, if it’s not heard, you feel like it’s not worthy or that society values it. So the fact that our movie was in the cinemas and our songs are on the radio, it gets rid of that shame and gives them self esteem towards their language and identity. Most people don’t speak Irish at our gigs, so the fact that they can come along, enjoy the gig and sing along in Irish, there’s a sense of fulfilment there.

MC: Obviously we were lucky enough that we had the opportunities to go to school in Irish because of the generations that came before us who had built that stuff up from scratch with no help from the state. And now people can come to our shows and it’s not just a school subject the way it was for the generation or two before us, where they were just learning it in school and they didn’t have any services or anywhere to go to enjoy it socially. Now people can go to a show or see a movie and it’s just about taking it outside of the classroom.

Since the birth of rock’n’roll in the 50s, pop music worldwide has been dominated by the English language. Do you think English speaking audiences nowadays are becoming more open to enjoying music in languages they don’t speak?

MC: Definitely. I think we’re at a time in history now where we’re seeking something different. Everybody’s seeking something new, that hasn’t been done, or branching out in some way. If you tried to explain to somebody in the 60s that you’re listening to music in a language you don7t understand, it’s probably alien to them, but now it’s become the norm.

MB: The reason that English has dominated the airwaves for so long is because there was only one or two avenues for getting your music out there through mainstream radio or TV or whatever, but now you have the internet, and there’s people singing in French or languages you’ve never even heard, Basque languages or Catalan or whatever, so now we have access to all this music and I think, as he was saying, people are looking for something with a bit more substance these days.

I wonder as well if part of it’s also this sort of slow collapse of the United States as the centre of global pop culture.

MC: Yes!

MB: I think it’s kind of reflected in, you know when they were taking down the statues in America of the former colonialists. I think that’s part of this slow degeneration of this idea of colonies, of mainstream languages, of majority languages. And with the internet, we can take back control of the avenues of listening to music. And a good thing about singing in Irish or any minority language is that it’s anti-capitalist at its core because it’s not there for profit, it’s there for the sake of community.

MC: If you go back, empires have always been looked up to, and obviously art kind of imitated that, obviously with music always being in the English language and stuff, but now you don’t have to be in a classroom to learn a certain subject, anyone can get on the internet and listen to someone talk about some historical event that happened in another country, we’ve all kind of realised that empires have (laughs) been a kind of bad thing for the world, so people are looking more towards indigenous languages and more towards minority culture again.

MB: I think that’s the most positive aspect of the internet, because of course we have imperialists in America and the Middle East, etcetera, using the internet as a means of spreading fake news.

Jay Electronica - ele-king

 ジェイ・エレクトロニカという名の「謎」が帰ってきた。しかも、実にあっけらかんとした明るい笑みを浮かべて。自分自身の宇宙のタイムスケジュールに基づき、極めて正気なやり方で、わずか5日間のうちに5つの作品をリリースしたのだ。
 多くのアーティストが望み、多くのラッパーが部屋に足を踏み入れる際に「持っている」と言い張るもの、それが「リップ(威信)」だ。しかしジェイは異種の生き物である。スワッグ(虚勢)を自慢したり、大勢のセキュリティやアシスタントを引き連れたり、単に「なんとなく」という理由だけでわずか20kmの距離をプライベートジェットで飛んだりするような人間ではない。ジェイ・エレクトロニカはそのような世界には住んでいないが、まるでドクター・ストレンジが新たな魔術やポータルを呼び出すかのように、それ以上の尊敬を勝ち得ている。
 ヒップホップ界に25年身を置き、技術的な記録としてのデビュー(MySpaceでだ!……MySpaceを覚えているだろうか?)は2007年(後にオフライン化)であったにもかかわらず、ジェイのアルバムは片手では数えきれなかった。これまでは。いまや、両手が必要だ。だが、それ以上はいらない。

 おそらく49歳の誕生日を祝うためだろうか(確証はないので引用しないでほしいが)、ジェイは5日間で1枚でも2枚でも3枚でも4枚でもなく、5つもの作品をリリースした。まずInstagramで発表され、続いてTwitter(X)のアカウント、そして〈Roc Nation〉が続いたこの衝撃的なニュースは、完全なサプライズだった。まるでエイプリルフールのジョークのようだが、それが届けられたのはどんよりとした9月だった。

 文字通り、彼が3枚目のアルバムをリリースした瞬間にこの記事を書き始めたのだが、インターネット上の噂で「19枚のアルバムを出すかもしれない」と囁かれたため、筆を止めざるを得なかった。だから、状況が落ち着くまで数日待った。この地球外生命体のような事態を百科事典的に紐解くため、少し時間をかけて整理させてほしい。まず、これを見てくれ。

  Act I: Eternal Sunshine (The Pledge) /永遠の陽光(誓約)— 2025年9月17日
  Act II: The Patents of Nobility (The Turn)/貴族の特許状(転機) — 2025年9月18日
  A Written Testimony: Leaflets /書面による証言:リーフレット— 2025年9月19日
  A Written Testimony: Power at the Rate of My Dreams /書面による証言:夢の速度で流れる力— 2025年9月19日
  A Written Testimony: Mars, The Inhabited Planet /書面による証言:火星、居住可能な惑星 — 2025年9月21日

 ジェイ・エレクトロニカという男において、「苦悩するアーティストがスタジオに引きこもり、翌年に新作を出す」という古くからの不測の事態やロマンチックなステレオタイプは当てはまらない。彼は業界を気にせず、業界だけで生きているわけでもなく、業界から自尊心を得ているわけでもない。1週間以内に5枚のアルバムをリリースするという発想は、ラップ界では前代未聞であり、業界の幹部たちからは恐れられることだ。
 しかし、主流に抗うことこそが誰よりも彼に似合っている。適切な説明をするならば、彼はメインストリームのラップ・ゲームの圏外に身を置きつつ、同時にその中心に存在している、ということだろう。少なくとも世界中で、このような空間に生息しているラップ・アーティストは他にいない。Jay-Zの親友であり、彼のレーベル〈Roc Nation〉に守られ、エリカ・バドゥの親友かつ相談相手であり、彼女の子供の一人の父親でもある。その一方で、ヒップホップ業界により意図的に深く組み込まれている数多くのプロデューサーやラッパーたちとも、電話一本でつながる距離にいるのだ。

 ジェイ・エレクトロニカという謎は、彼が最初に登場したときや、その後の『What The Fuck is a Jay Electronica?』(2012年)の頃の初期の熱狂とはまた別物だ。当初から彼は際立っていたが、スタイル的には、ケンドリック・ラマーをはじめとする多くのアーティストが好んだ「1小節に100万語を詰め込む」タイプのラップとまだ競い合っていた。しかし、リークや客演を重ね、「Exhibit A」(2009年)のようなシングルを経て、彼は独自の地位を確立し、その台座を勝ち取った。
 何年もラジオから音沙汰がなく、Instagramで難解な投稿を繰り返していても、一度ヴァースがリークされたりトラックがドロップされたりすれば、ファンは狂喜乱舞し、あらゆる単語、引用、フレーズを徹底的に解剖する。その磁力を持つ声の明快さと語彙、より正しい道へと導く父親のような言葉のジェスチャー、そして物語を語るという絶対的な意図が、単に誰にも理解できないトラックを作るために言葉を並べるだけの業界の多くの人びとから彼を隔てている。
 かつて誰かに「なぜジェイを聴くべきなのか」と聞かれたことがある。私はこう答えた。ジェイはサビ(コーラス)に辿り着くためにヴァースや節を急いで終わらせようとは決してしない、と。そもそも、彼はサビ(コーラス)を書かないことも多い。すべての言葉が重要で詩的であり、それはまるで村の人びとに歴史を語り継ぐセネガルの語り部「グリオ」のようだ。ジェイは「変な奴」として知られているが、その「変な奴」は、イスラム教の戒律への全面的な献身を軸とした難解な情報の断片を丹念に紐解き、聖書の証言、アウトサイダー的な思考、そしてモス・デフのような巧みさが絡み合う濃密なウェブを作り上げる。
 彼の言っていることは聞き取れるし、その語りに首を振りながら、その過程で何かを学ぶことができる。彼の最高のトラックを聴くことは、言葉遣い、テナー(音域)、聴衆の理解への予見が最優先される説教者の礼拝に出席するようなものだ。

 さらに重要なのは、彼が「時間」を気にしていないことだ。夏のリリースのスケジュールに間に合わせようと急ぐことなど、クソ食らえだと思っている。はっきりさせておくと、9月の5つのリリースのうち、『Act 1』と『Act 2』は新作ではない。デジタルのものは誰かのウェブサイトやハードドライブのどこかにあるはずだが、1と2はどちらも一瞬現れては消えていた。『Act 1』は、ジョン・ブリオンによる映画『エターナル・サンシャイン』のスコアをインストに使用した、2007年のムード溢れる15分のミックステープだ。MySpaceを通じて公開され、20年近くインターネット上を漂っていたが、公式なものではなかった。
 『Act 2』はリークされ、Jay-ZのTidal(※レーベルではなくストリーミングサービス)を通じてリリースされたが、同じ月(2020年)のうちに葬り去られ、5年経ってようやく再浮上した。先に述べたように、ジェイは時間を気にしない。リークの数ヶ月前に出された2020年の『A Written Testimony』の勢いがあったにもかかわらず、今年までそれを再び世に出そうとアクセルを踏むことはなかった。そして、2025年の『A Written Testimony』シリーズは形式上は新作だが、正直なところ、それらのトラックがいつ制作されたのかはわからない。録音された音楽に対するジェイの特異な性質は、彼の全アウトプットが、制作時期に関わらずいつでも貸し出し可能な彼専用のライブラリであるかのように感じさせる。時間は捉えどころがない。

 アウトプットは少なく限定的だが、熱狂的なファンにとってそれは許容範囲内だ。しかし、2020年の『A Written Testimony』と、今回の2025年の5つの新作を比較せずにはいられない。喩えるなら、2020年の『A Written Testimony』は銀座の職人が握った寿司やおにぎりのようだった。対して、2025年のリリース群(『Act 1』と 『Act 2』、そして3つのアルバム『Power at the Rate of My Dreams』『Mars, The Inhabited Planet』『Leaflets』)は、地元の祭りの屋台で手早く作られた焼きそばに近い。
 2020年の『A Written Testimony』は、心地よく調和した鋭いトラックのコレクションだった。ハードなビートから、鋭い感情、さらには部分的な信仰心まで、繰り返し読み解くことができた。一方、『Act 1』は瞑想のようであり、『Act 2』は2020年のアルバムに近い、より弾むようなトラックと流れるようなビートがある。車で仕事に向かうなら、『Life on Mars』や『Bonnie and Clyde』を再生するといい。

 2025年の3つの『A Written Testimony』は、まさに「証言(Testimonies)」が、別々のトラックでありながら編み合わされたもののようだ。各アルバムが、辛うじてアルバムと呼べる程度であることは心に留めておいてほしい。EPと呼ぶべきだろうか? 私の不満のいくつかは間違いなくここにある。各EPが死ぬほど短いのだ。どれも20分をかろうじて超える程度だ。それに加えて、使用されているサンプルの量が異常だ。3分のトラックであっても、ジェイが物語を語っているのはわずか1分程度だったりする。

 ここでのプロデューサーワークは、J・ディラやパブリック・エネミーのような意味で精巧に作られたものではない。サンプルは延々と流され続け、カット&ペーストされて再解釈されたり踊らされたりする「音のオブジェクト」としてではなく、歴史の遺物のように、そのオリジナルの意味をそのまま保存しようとしている。だから、もしプレイボーイ・カルティのようなバンガー(盛り上がる曲)を期待しているなら、ひどく失望することになるだろう。そして、もし君が1990年以降に生まれたのなら、同情する。選ばれたサンプルの多くは、君たちが生まれるずっと前の映画やインタヴュー、その他のメディアからのものだからだ。出典を知らなければ、なぜそのサンプルが面白いのかを理解するのは難しい。
 だが、それは許される。ジェイ・エレクトロニカが口を開けば、リスナーは一語一句、あらゆる引用を精査し、Wikipediaやインターネットを駆使して理解しようとするからだ。

 『Power at the Rate of My Dreams』に収録された、ラッパーのウエストサイド・ガンとの“Best Wishes”を例に挙げてみよう。3分間のトラックで、ジェイがラップしているのはわずか1分だが、その言葉は……こんな感じだ。

「マイクを渡された瞬間に 仕事に取り掛かる 俺の舌は マスター・ファード(ネイション・オブ・イスラムの創始者)自身の手によって 絹へと変わる 『トップ5』リストにいる奴らなら 誰にだって深手を負わせてやるさ もし俺が 蛇から進化したドラゴンと戦っていなければな」

 そして

「左 右 左 右 左 右 夜に木の葉のように 俺の夢のなかを漂う」
「信じる者たちのための 蝶 心臓が標的で 鼓膜が受信機だ」

 ジェイは難解な知識、とくにイスラム教とUFOのファンだ。それらと、彼が信仰から感じる光とともに人間の悲惨な存在について語る心揺さぶる能力の組み合わせは、『Leaflets』収録の“Is It Possible that The Honorable Elijah Muhammed is Still Physically Alive??(名誉あるイライジャ・ムハンマドは、いまも物理的に生きている可能性があるだろうか??)”において強力に発揮されている。

「空にあるあの街のことが いつも気になっていた あの眩い光と 色鮮やかな輝きとともに 空に美しく浮かぶ街 あの金と エメラルドと サファイア そしてジャスパー(碧玉)と 真珠に囲まれた 真実にして生ける神の 玉座」

 ここでジェイは、UFOとの「ロサンゼルスの戦い」の証拠とされる話について詩的に語り、それが人生に苦しむ女性と混ざり合い、その出来事が信仰の必要性を強める。曲は、ネイション・オブ・イスラムの指導者であり創設者である名誉あるイライジャ・ムハンマドの歴史を語る人物の声で終わる。

彼女がもっとも嫌いだと言った色が不可視(インビジブル)
水着姿のストーリーのコメントにそれを固定した
日の光のなかでは 彼女は背が高く
無敵(インビンシブル)に感じている
だが夜になれば 誰かのセクションで
小さく 説き伏せられやすくなる
また別の堕ちた星が別のクレーターに激突する
なぜ俺に尋ねた?
俺たちは救世主が必要なのかと?

 ジェイ・エレクトロニカの素晴らしさを理解し評価することは、彼の決して静かではない「矛盾」と向き合うことでもある。ネイション・オブ・イスラムの極めて熱心な信奉者であるジェイは、5つのリリースの機会を利用して、各リリースのカヴァーにネイションが使用する象徴的なシンボルを採用した。アートワークはどれも派手ではなく、新規のリスナーを誘うようなものではない。最近の人はアートワークにそれほど注意を払わないので、それは避けられたひとつのハードルと言える。しかし、彼の曲の多くでは、名誉あるイライジャ・ムハンマドの名前が絶えず賛美のなかで使われている。
 歴史的に見てこれは興味深いことだ。ネイション・オブ・イスラムは、公民権運動時代のアメリカにおける白人至上主義の人種差別や、キリスト教会を通じたそのつながりの影響を回避しようとしたイスラム教の信奉者たちによって誕生した。多くの受刑者がしばしば「神を見出す」場所において、1960年代以降、マルコムXがそうしたように、多くの者がアッラーを見出した。
 ネイション・オブ・イスラム以前のアメリカの歴史の大部分において、イスラム教徒の大きな存在はなかった(多くの奴隷にされたアフリカ人がキリスト教への改宗を強要されたため)。そのため、黒人コミュニティにとって、キリスト教やそこから生じた生ぬるい活動に対する「信仰の対抗軸」として、ネイション・オブ・イスラムの影響力は強かった。しかし、いまは2025年だ。アメリカに住む元来のイスラム教諸国出身のイスラム教徒の数は、ネイション・オブ・イスラムの信奉者よりも遥かに多く、彼らのなかでネイションを重視する者はほとんどいない。したがって、いまネイションの信奉者であることは、かつてほど重要ではない。そして、名誉あるイライジャ・ムハンマドとマルコムX(彼は今日でも絶大な敬愛を集めている)のあいだの歴史的経緯が、事態をさらに複雑にしている。

 ジェイ・エレクトロニカは、ラップ界のサン・ラ、あるいはMFドゥームのような存在だ。両者とも不屈の精神を持ち、自らの信念に対して100%の信頼を置いていた(あるいは置いている)。まったく揺るがない。アウトサイダーとしてのジェイの信仰は、他のアウトサイダーに対する彼の支持と同じくらい強い。それが名誉あるイライジャ・ムハンマドであろうと、P・ディディ(??!!!!!!!)であろうと。
 そう、あのP・ディディだ。ホテルの廊下で恋人を打ちのめし、あざだらけにして置き去りにする姿が世界中に晒された、あのP・ディディだ。この記事を読んでいる頃にはすでに判決が出ているかもしれないが、売春目的の移送の罪で有罪判決を受け、量刑を言い渡されようとしている、あのP・ディディだ。そのP・ディディが、『Leaflets』の最初のトラック“Abracadabra“のイントロの声として、刑務所から直接電話でジェイに指示を送っているのだ。ジェイは、指示を示すために犬を連れてP・ディディの裁判所に現れた男でもある。

 そしてジェイは、献身、天使のような詩、アイコンとしての地位、そして独特で疑問の残る選択のあいだで危うい綱渡りをしながら、奇妙な方法でプロデュースされ、パッケージされ、リリースされるクラシックなトラックを作り上げている男なのだ。


The enigma that is Jay Electronica has returned and he wears a bright smile very plainly. 5 releases in just 5 days released by his own universe`s time schedule, very sanely. Rep is what most artists want and what many rappers claim they have when they walk into a room. But Jay is a different creature. Never one to gloat about swag or tow a conglomeration of security and assistants around or fly private jets to locations only a 20 kilometer distance away just because. Jay Electronica doesn`t inhabit that world but commands more respect as if he were Doctor Strange conjuring new magics and portals. Despite being in hip hop for 25 years and his technically recorded debut (on MySpace!!!! - do you remember MySpace????? ) in 2007 (then taken offline), you can`t count Jay albums on one hand. Until now. Now you need 2 hands. But no more than that.
I`m guessing maybe to celebrate his 49th birthday (don`t quote me cause I really don`t know), Jay released not one, not two, not three, not four, but five releases within five days. Announced first via Instagram, then his twitter account followed by Roc Nation, the bombshell came as a complete surprise. Almost like a April Fool`s Day joke except it came out in gloomy September. Literally as I started writing this article upon the release of his 3rd album, I had to stop cause internet rumors stated he might be releasing 19 albums! So I waited a few more days til the coast was clear. Do to the encyclopedic nature of this near extraterrestrial situation, allow me a bit of time to unpack things. First, peep this :

Act I: Eternal Sunshine (The Pledge) — September 17, 2025
Act II: The Patents of Nobility (The Turn) — September 18, 2025
A Written Testimony: Leaflets — September 19, 2025
A Written Testimony: Power at the Rate of My Dreams — September 19, 2025 A Written Testimony: Mars, The Inhabited Planet — September 21, 2025

With Jay Electronica, the age old contingency, the age old romantic stereotype of a tortured artist holing up in a studio, to release new work in the following year doesn`t fit with Jay Electronica. He doesn`t care about the industry, doesn`t live solely off the industry, and doesn`t maintain his self-respect from the industry. The idea of releasing 5 albums within a week is unheard of in rap and quite feared of by industry exes. But going against the grain fits him more than anyone else. A proper explanation might be he is living off grid of the main stream rap game while also being in the center. There is probably no other rap artist at least in the world that inhabits such a space. A close friend of Jay Z and protected by his Roc Nation label, a close friend and confidante of Erykah Badu while also being the father of one of her children, and also a phone call away from numerous other producers and rappers who are more intentionally imbedded in the hip hop industry.

The enigma that is Jay Electronica is not the same as the initial hype when he first came out or afterwards on “What The Fuck is a Jay Electronica?” (2012). From the start, he stood out but stylistically, he was still competing with the usual a-miliion-words-per-bar type of rap popular a la Kendrick Lamar and many others. But with each leak and cameo appearance and singles like “Exhibit A” (2009), he grew into his own and earned his pedestal. Despite continuous years of near radio silence and often cryptic posts on Instagram, once a bar leaks out, once a track drops, fans go rabid and pick apart every word, reference and phrasing. The clarity of his magnetic voice and wording, the fatherly like verbal gesturing toward a more righteous path, and total intention on telling a story separates him from many of the industry who often throw words together just to make a track that really no one can understand. Someone once asked me why they should listen to Jay. I relayed that Jay is never in a race to finish a bar or a stanza to get to a chorus. Often he doesn`t write them anyway. Every word is important and poetic like a griot of Senegal telling a village of their history. Jay is known as a weird dude and that weird dude picks apart esoteric bits of information that often revolve around his total devotion to Islamic observance creating a thick web of biblical testimony, outsider thought and Mos Def like finesse. You can hear what he is saying, and you can head nod to his relaying and learn something in the process. Listening to his best tracks is like attending a preacher‘s service where diction, tenor, anticipation of the attendee`s understanding is paramount.

More importantly though, he doesn`t care about time. He ain`t rushing to make it in time for the summer schedule or shit like that. To be clear from his 5 September releases, both Act 1 and 2 are not new. Everything digital is somewhere on someone`s website or hard drive available but both 1 and 2 have appeared and were disappeared in a flash. Act 1, a moody 2007 15-minute mixtape instrumentally based off of Jon Brion’s Eternal Sunshine of the Spotless Mind score, put out via MySpace, has been bouncing around the internet for almost 2 decades but never official. Act 2 was leaked, released through Jay Z`s Tidal and bodied within the same month (2000) disappearing only to finally re-appear 5 years later. As I said Jay doesn`t care about time. Despite the momentum from 2000`s “A Written Testimony” put out several months before the leak, there was no foot on the gas to get it out to the public again until this year. And though the 2025 “A Written Testimony” releases are technically new, we honestly don`t know when the tracks were made. Jay`s peculiar nature toward his recorded music makes it seem as if his total output is a library for him to check out tracks to make releases regardless of when they were made. Time is elusive.

Output is low and liminal and this for his rabid fans is forgivable. But it is impossible to not compare A Written Testimony (2020) to his 5 new 2025 releases. If I may be poetic , A Written Testimony (2020) was like Ginza crafted sushi and onigiri, where as his 2025 releases, Act 1 and 2, and the 3 albums under the “A Written Testimony : Power at the Rate of My Dreams, A Written Testimony : Mars, The Inhabited Planet, and A Written Testimony : Leaflets” are more in the vain of yakisoba (fried noodles) thrown together at a food stall at a local festival. A Written Testimony (2020) was a collection of sharp tracks that fit together quite comfortably. One could pore over them repeatedly. From hard beats to the acute emotional, even partially devotional. Act 1 is like a meditation and Act 2 is closer to A Written Testimony (2020) with bouncier tracks and a beat flowing. Press play on “Life on Mars” and “Bonnie and Clyde” if listening in a car to work.
The three A Written Testimony (2025) seem to be exactly that - testimonies woven together despite being separate tracks. Keep in mind that each album is barely an album! Call them eps maybe? And for sure some of my gripes are exactly here cause each ep is short as hell. Each barely past the 20 minute mark. Add to that the amount of samples used is insane. Even on a 3 minute track, you will find Jay telling tales for only a minute. Production here isn`t well crafted in the Dilla or Public Enemy sense. Samples are left to go on and on with the original meaning of the samples meant to be preserved as they are, like relics of history instead of as sound objects cut and pasted to be reinterpreted or danced to. So if you are expecting bangers a la Playboi Carti, you will be horribly disappointed. And if you are born past 1990, I feel for you cause many of the samples selected are from movies, interviews, or other outlets way before your time.
Understanding why each sample is interesting is difficult when you don`t know the source.

But that is forgiven. When Jay Electronica speaks, listeners pore over each word, reference and make good use of Wikipedia and the rest of the internet to understand.

Let me illustrate with “Best Wishes” from “Power at the Rate of My Dreams,” recorded with rapper Westside Gunn. A 3 minute track with Jay tapped in rapping for only for a minute but the words bro.....the words.

“Soon as they put the mic in my hand, I get straight to workin' My tongue turn into silks by Master Fard in person I'd give anybody in a 'Top 5' list a serious hurtin' If I wasn't at war with the Dragon who evolved from the Serpent”

and

“Left
Right
Left
Right
Floating through my dreams like a leaf at night
Left
Right
Butterflies for the believers
The heart is the target, the eardrum is the receiver”

Jay is a fan of esoteric knowledge, more specifically with Islam and UFOs. The combination of them with his own heartfelt ability to speak on the dire existence of humans with the light he feels coming from his faith is powerful on “Is It Possible that The Honorable Elijah Muhammed is Still Physically Alive??” From “Leaflets”

“I always wondered 'bout that city in the sky With all that bright light and all them colors, looking pretty in the sky With all that gold, and all that emerald, and all that sapphire And all that jasper, and all that pearl around the throne Of the true and living God”

Here Jay waxes poetic on purported evidence of a battle of Los Angeles with UFOs that then gets mixed with a woman suffering in her life and that event strengthening the need for belief. The song them ends with someone telling the history of The Honorable Elijah Muhammed, the head and creator of the Nation of Islam.

“The color that she said she hate the most of all, invisible She pinned it to her comments on her Stories in her swimming suit In the daylight, she be feeling tall and invincible But at night she in somebody section, small and convincible Another fallen star to crash another crater So why you had to ask me if we actually need a savior?”

Understanding and appreciating the brilliance of Jay Electronica is also coupled with his not so quiet contradictions. A deep, deep follower of the Nation of Islam, Jay took the opportunity of his 5 releases to use symbolism used by the Nation for the covers for each one of his releases. None of the artwork is flashy or inviting for newcomers. Most people recently don`t pay that much attention to artwork so that is one hurdle avoided. But in many of his songs, the name of The Honorable Elijah Muhammed is continuously used in praise.

Historically this is interesting as the Nation of Islam came into existence from devotees of Islam who wanted to circumvent the influence of white racism in America and its connection through the Christian church in the civil rights era. Where many inmates often “find God,” from the 1960`s onward, many also found Allah just like Malcolm X did. Before the Nation of Islam for much of America`s existence, there was no major presence of Muslims in America (as many enslaved Africans were forced to convert to Christianity), so the Nation of Islam`s influence was strong as a counterweight of faith to Christianity for the Black community and the tepid activism that sprouted from it. However, it is now 2025, and the number of Muslims originally from Islam practicing countries living in America, is way greater than the followers of the Nation of Islam, and few if any of them shower any importance on the Nation. Hence being a follower of the Nation now, is basically, is not as important as it once was. And the history between The Honorable Elijah Muhammed and Malcolm X (who is still greatly beloved to this day ) adds more complication to the cake.

Jay Electronica is kinda like the Sun Ra of rap or an MF Doom. Both have / had indomitable spirits and 100 percent faith toward their convictions. Totally unbending. Jay`s faith as an outsider is as strong as his support for other outsiders is as well. Whether The Honorable Elijah Muhammed or P-Diddy (????!!!!!!!). Yes, that P-Diddy. The one who was seen worldwide beating his girlfriend in the hallway of a hotel leaving her battered and bruised. That P-Diddy, who is about to be sentenced (by the time you read this, he may already be sentenced ), having been found guilty of two counts of transportation for prostitution. That P-Diddy, who is the intro voice to the first track “Abracadabra” from Leaflets, giving his support to Jay via phone directly from prison !? Jay is the same guy who pulled up to P-Diddy`s courthouse with his dogs to show support. And Jay is the guy who walks a funny tightrope between devotion, angelic poetry, icon status, and unique questionable choices while creating classic tracks produced, packaged, and released in strange ways.

P-VINE - ele-king

 来たる12月24日、日本のレコード会社Pヴァインが設立50周年を迎える。1975年、もともと故日暮泰文と高地明による雑誌『ザ・ブルース』の商業誌化をめざすところからはじまった同社(旧ブルース・インターアクションズ)は、こんにちではさまざまなジャンルを手がけ、日本有数のインディ・レーベルとなっている。
 記念すべきこの50周年を祝し、本日特設サイトがオープン(https://special.p-vine.jp/50th/)。コンテンツは随時追加されていくとのこと。また、50周年記念キャンペーンの第一弾として、キング・ギドラ『空からの力:30周年記念エディション』が明日12月10日に発売。さらに、B・B・キングに光をあてたキャンペーンや、50周年記念のプレイリスト企画もスタート。今後もさまざまなプロジェクトが控えているようなので、続報を待とう。

2025年12月24日、Pヴァインは設立50周年を迎えます。50周年特設HPを本日オープン、特別企画もスタート!

株式会社Pヴァインは2025年12月24日に設立50周年を迎えます。
これからもたくさんの魅力的な音楽、カルチャーを "P-VINE列車"に乗せて、皆様のもとにお届けいたします。
P-VINE 50th ANNNIVERSARY PROJECT
まもなく開始します!!

【50周年のご挨拶】
P-VINE は設立 50 周年を迎えました。

1975年に設立されたPヴァインはこの度50周年を迎える事ができました。この50年間、Pヴァインは常に熱意を持って音楽そしてカルチャーと向き合い、様々な音楽を紹介してまいりました。我々は、新しい価値観、新たなトレンド、最新の音楽を取り入れつつも、一過性の流行音楽とは一線を画し、真に素晴らしく、普遍的な芸術、音楽を追求しユニークなセレクションを以てリリースしてきました。

『P-VINE』という名は20世紀初頭、綿花畑へ向かう黒人労働者たちを乗せた蒸気機関車"P-VINE列車"に由来し、Pヴァイン列車はブルースの曲にも歌われ、親しまれていました。そして、50年前にここ日本でPヴァイン列車はBluesを運ぶことからはじまり、Soul、Funk、Jazzといったブラック・ミュージック全般、そして今では、Rock、HipHop、Club、Reggae等々、ほぼ全ジャンルの洋楽、邦楽を新旧交えて"オルタナティヴ"という独自のこだわりを持ってリリースしてまいりました。Pヴァインはこれらバラエティに富んだ膨大なカタログを有し、このようなレーベルは世界で見ても、独特の存在だと自負しております。

そして我々の領域は音そのものに留まらず、「ele-king」というオルナタティヴな音楽とカルチャーを紹介するメディアを有し、VINYL GOES AROUNDというアナログ・レコード専門のチームを立ち上げ、昨年にはレコード・プレス工場「VINYL GOES AROUND PRESSING」を竣工いたしました。同時にレコード・コレクションを管理し、ユーザー間で交流〜売買ができるスマホ・アプリ「VINYLVERSE」をローンチ、NFTを使った新たなレコード "PHYGITAL VINYL"を開発し、フィジカルとデジタルを融合した音楽体験を提示しております。

このようにPヴァインは50年の時を経てレーベル業のみならず、様々な形で音楽、カルチャーを提供する会社へと、"The Changing Same"という言葉のもと我々にある大切なものを失うことなく変化してまいりました。こうした様々なチャレンジができるのも、ひとえにアーティストの皆様、関係者の皆様、そして音楽、カルチャーが好きでいつも我々を応援いただいているリスナーの皆様のおかげだと思っております。日頃の支えに感謝をし、厚く御礼申し上げます。

我々は引き続きオルタナティヴな価値観を持って、普遍的で良質な音楽を追求し、インディーズでもメジャーでもなく、独自のスタンスで様々な作品やサービスを提供してまいります。皆様の期待に応え、音楽、芸術、カルチャーにさらなる貢献ができるよう、社員一同努力してまいります。

これからもたくさんの魅力的な音楽、カルチャーを"P-VINE列車"にのせて、皆様のもとにお届けいたします。

二◯二五年十二月吉日
株式会社 Pヴァイン
代表取締役社長 水谷聡男

【50周年特設HPを本日オープン!】
特別プロジェクトや関連キャンペーン等の情報を随時公開予定ですので、是非チェックしていただけますと幸いです。
50周年特設HP:P-VINE, Inc. 50th Anniversary Special Site
https://special.p-vine.jp/50th/

【50周年記念キャンペーン・プロジェクト】

◎P-VINE CLASSICS 50
50年にわたる膨大なPヴァイン・リリースの中から、時代・ジャンルを越えた
クラシックスを復刻リリース! 数量限定生産、見逃し厳禁!

■第一弾リリース商品情報

キング・ギドラ / 空からの力:30周年記念エディション

■LP
品番:PLP-8282/3
価格:¥6,500円+税
2025年12月10日(水) RELEASE
★180g重量盤
★2枚組帯付き仕様
★完全限定生産


SIDE A
1. 未確認飛行物体接近中(急接近MIX)
2. 登場
3. 見まわそう
4. 大掃除
5. コードナンバー0117
SIDE B
6. フリースタイル・ダンジョン
7. 空からの力~Interlude
8. 空からの力 Part 2
9. 星の死阻止
10. 地下鉄
SIDE C
1. スタア誕生
2. 行方不明
3. 真実の弾丸
4. コネクション~Outro
SIDE D
1. 空からの力 (Mind Funk Remix)
2. 行方不明 (DJ Kensei's Smooth Mix)
3. 真実の弾丸 (Flute Mix)
4. 見まわそう (Original Demo Version)
5. 空からの力 Part 1 (Original Demo Version)

■カセット
品番:PCT-74
価格:¥2,800円+税
2025年12月10日(水) RELEASE
★初回生産限定盤


SIDE A
1. 未確認飛行物体接近中(急接近MIX)
2. 登場
3. 見まわそう
4. 大掃除
5. コードナンバー0117
6. フリースタイル・ダンジョン
7. 空からの力~Interlude
8. 空からの力 Part 2
9. 星の死阻止
10. 地下鉄
11. スタア誕生
SIDE B
1. 行方不明
2. 真実の弾丸
3. コネクション~Outro
4. 空からの力 (Mind Funk Remix)
5. 行方不明 (DJ Kensei's Smooth Mix)
6. 真実の弾丸 (Flute Mix)
7. 見まわそう (Original Demo Version)
8. 空からの力 Part 1 (Original Demo Version)

その他のCLASSICS 50のタイトルは以下の50周年特設HP内にて随時公開、お見逃しなく!
ブルース、レアグルーヴ、AOR、ジャズ、J-POP、HIPHOP等々、多彩なジャンルの名作を随時リリース予定です。
https://special.p-vine.jp/50th/?page_id=227

◎P-VINE BLUES CAMPAIGN 2025
1975年にブルースの魅力を世に広めるべく設立されたP-VINEは、2025年12月24日をもって設立50周年を迎えます。また、2025年はブルースの巨人ことB.B.KINGの生誕100年でもあります。これらの節目を記念し、設立記念日に合わせてP-VINEから再発されるB.B.KINGのベストアルバム「Rock Me Baby」LPと、これまでリリースされた数々の名作にスポットライトを当てるべくブルース・キャンペーンの開催が決定!
期間中に対象商品をご購入のお客様に、B.B.KINGの生誕100年を記念したスペシャルデザインの手ぬぐい&P-VINEが50年の歴史のなかでリリースした名作のジャケットを用いた缶バッヂを対一でプレゼント!

【キャンペーン開催期間】
2025年12月24日(水)〜 特典がなくなり次第キャンペーン終了となります。お早めに!

【特典】
LP / 10インチ / 書籍をご購入の場合:P-VINE特製B.B.KING手ぬぐい
CD / 7インチをご購入の場合:P-VINEブルース名盤缶バッヂ

対象商品等、その他詳細は50周年HPでもご確認ください。
https://special.p-vine.jp/50th/?page_id=479

◎My P-VINE
これまでの歩みを振り返るとともに、次の時代への想いを音楽で表現することを目的に、『My P-VINE』と題した50周年記念プレイリスト企画を実施いたします!
P-VINEにゆかりのある皆さまに、弊社リリース作品の中から選曲したプレイリストを作成いただき、50周年に向けてのコメントも頂戴しました!
選曲いただいたプレイリストは随時公開予定ですので、こちらもお見逃しなく!
https://special.p-vine.jp/50th/?page_id=626

◎GOODS
A-THUG率いる日本語ラップ・シーン最重要グループ、SCARSのオリジナルワークジャケットが完全限定の受注生産で発売!
2025年12月に設立50周年を迎えるP-VINEと2006年に衝撃のファースト・アルバム『The Album』でデビューし、来年2026年がデビュー20周年となるA-THUG率いる日本語ラップ・シーン最重要グループ、SCARSとのコラボ・プロジェクトが始動!

<商品情報>
アイテム: SCARS オリジナルワークジャケット
カラー:レッド / ホワイト
サイズ: S / M / L / XL
販売価格: 23.800円(税抜)
受注締切:2025年12月17日(水)正午
発送予定:2026年3月上旬頃

ご購入はこちらから
https://anywherestore.p-vine.jp/products/scarswjkt-1

50周年の節目となる本年、今まで以上にさまざまな音楽・カルチャーの魅力を独自の視点でお届けする様々な企画やキャンペーンを1年を通して展開して参りますので、是非ご注目くださいませ。

2025年のFINALBY( ) - ele-king

 この過去の夏、大阪の歴史的建造物であるミソノビルの閉鎖/解体の発表に対する悲しみは、その歴史と長寿を祝うための一連のパフォーマンスによって明るいものとなった。7月5日に予定されていたそのパフォーマンスのひとつは、∈Y∋(BOREDOMS)による新プロジェクトFINALBY( )(発音 ― Final B Empty/ファイナルビーエンプティ)であり、大阪を拠点とするCOSMIC LABとのコラボレーションであった。大阪音楽シーンの伝説である∈Y∋は、間違いなく、このビルの長寿を祝う最適な人物だった。興奮した私は、すぐにチケットを購入し、関西への旅を計画した。不運なことに、いまはもう11月の終わりであり、スケジュールの都合でその旅をキャンセルせざるを得なかったことに、いまだに軽い痛みを覚える。ああ、なんという惨めさ! 叶わなかった夏の記憶。家に居なければならなかった悲しみは、ほとんど耐えがたいものだった。

 しかし運命とは不思議なもので、東京では∈Y∋関連のイベントが次々と行われている。逃した夏の機会を補って余りあるほどに。∈Y∋は渋谷の中心ど真ん中、ミヤシタパーク3階のgallery SAIで開催された新しい展覧会Mapocy(まぽチー)のために東京に戻って、さらに、歌舞伎町のZERO TOKYOにおけるFINALBY( )の東京初演があった。それから、歌舞伎町の王城ビルでのBENTEN2のための∈Y∋の2024年のARV100パフォーマンスのマルチスクリーン・インスタレーションもあって、Art Tokyo Week でのC.O.L.O.(COSMICLAB)による小さなサプライズ・コンサート、さらに締めくくりとしてMUTEK Japanの巨大ステージでのC.O.L.O.とのユニークなオーディオ・ヴィジュアル・パフォーマンスがあった。
 日本のオルタナティヴ・シーンにおける最大級の革新者としての∈Y∋の多く多くの年月にもかかわらず、BOREDOMSの非活動とより散発的なソロ活動が相まって、∈Y∋は数年間“混沌の中心”にいなかった。だからこそ、半年の間にこれだけ多くのイベントがあることは、一種の“再紹介”のように感じられる。新たな歴史をつくるための完璧なタイミングだ。私が最後にBOREDOMSのライヴを見たときのひとつは、∈Y∋がステージ上で足を骨折し、痛みにもかかわらず演奏を続けたときだった。だから、まだ気づいていないなら言っておくが、∈Y∋関連の出来事はしばしば歴史的なのだ。私はこの秋のこれらすべての素晴らしい体験をレポートにまとめた。

MAPOCY

 5つの部屋に分かれ、とくに4つ目はほとんど“隠し部屋”のようなサプライズになっている。本展「MAPOCY」は、∈Y∋のジャンク・アート的な作風を巨大インスタレーションとして展開したもので、現在も活動をともにするPUZZLE PUNKSのパートナー、マルチメディア・アーティストの大竹伸朗の気配と、彼がしばしば扱うドラムのシンバルというモチーフが混ざり合っている。
 まず圧倒されるのは、とにかく“緑”。これでもかというほど緑。壁に取り付けられたキャンバス、シンバル、ビニールシート、ガラクタの数々——あらゆるものに緑のペンキがぶちまけられている。床にまで飛び散っていて、空間全体が緑色の施工現場のようでもあり、同時に、初期∈Y∋作品でも見られた木片の寄せ集めによるギザギザの形状がそこかしこに出現している。
 ひとつ目の部屋は床と壁にオブジェが置かれた比較的ゆとりのある空間だったが、ふたつ目に入ると一転、大小さまざまな物体が山のように積み上がり、すべてが同じ緑に染められている。天井からはビニールシートが垂れ下がり、換気用のファンが絶えず唸っている。最初はまとまった形など見えず、ただ“ノイズ”だけがある。正直なところ非常に混乱を招く展示だが、もし音楽におけるノイズに惹かれる人なら、聴覚的ノイズと物質としてのノイズに大差はないとすぐ理解できるだろう。
 混沌は3つ目の部屋でも続く。奥の隅にほとんど真っ暗な空間へと続く黒い入口が見え、その向こうに“4つ目の部屋”がある。ここはFINALBY( )のメンバーたちと制作した映像作品が、三面の細長いクリーンに巻物のように投影されるダイナミックな空間だ。黒いビニールシートで覆われた小さな穴をくぐって入ると、モノクロームの点滅するプログラム図形と、轟音のノイズ・ミュージックが部屋全体を震わせている。精密にピクセル化された映像は、伝統的なアジアの雲や花の意匠を再構成し、左右から現れては中央でぶつかり、新たな幾何学へと変容していく。その視覚的なカオスは池田亮司のもっとも衝撃的な作品を思わせつつ、より柔らかく親しみのある感触を残す。ここを先に観たことで続くFINALBY( )のライブがどのようなものになるのか、無自覚のままヒントを得ることになった。
 最後の5つ目の部屋は、これまでの強烈な表現から一度“息をつかせる”空間だ。出口前の壁一面に、古い手描き作品と実際のアナログ盤が組み合わされて展示されており、紙のドローイングという∈Y∋の原点的な表現へと立ち返る、一種の後味として配置されている。

FINALBY( )

 FINALBY( )が初めて姿を現したのは、観客の多くがその存在を知らぬまま迎えた2021年のフジロックだった。以来、その公演歴は香港、大阪、そして今回の東京のみと極めて限定的だ。∈Y∋が音楽家であると同時に卓越したヴィジュアル・アーティストであることはよく知られているが、これほどまでにステージ上で視覚と音響が正面衝突した例は稀だ。私の目には、テクノロジーを全面的にアップデートして蘇った現代版ハナタラシのようにも映る。∈Y∋は、身体性を伴う新しいパフォーマンスを構築しており、それはパフォーマンス・アートと、ノイズマシンや照明、センサーと接続されたオブジェ群とが密接に絡み合ったものだ。この技術面を支えるFINALBY( )の共同制作者は、COSMIC LAB(C.O.L.O.主宰)、アートエンジニアの堀尾寛太、そしてプログラマーの新美太基である。デジタライズされた∈Y∋——まさにテクノロジー時代が生んだ独自の結晶だと言える。
 私自身、この新しい方向性の萌芽を、パンデミック前の原宿で偶然目撃する幸運に恵まれた。2019年、TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku で開催されたBOREDOMSのTシャツ展でのことだ。∈Y∋はフェイスマイクを付け、両手に装着したモーション・センサー内蔵のサウンドマシンからノイズを放ちながら、黒いジャケットの下に隠れた装置を動かし、通常のマイクに縛られない歌唱を試みていた。ここにはすでにFINALBY( )の原型があった。また、このとき∈Y∋は巨大な円錐形オブジェへの偏愛を初めて披露している。黒いコーンの底部にセンサーが仕込まれており、それを持ち上げて振るたび、音は揺らぎ、形状の奇妙さも相まって視覚的にも滑稽で魅力的だった。背後には技術面を支えるエンジニアが控えており、30名ほどのファンしかいない小部屋での濃密な光景は、後に東京で結実するまでに6年かかった構想の出発点を示していた。

 FINALBY( )を観に行く前、気分を高めようと私はBOREDOMSの入手困難な問題作『Super Roots 5』を久々に取り出した。重厚なドラムとシンバルへ傾斜していく初期段階にあたる一枚で、1曲=1時間という構成、ほぼ一本調子の宇宙的トーンに泡立つノイズとシンバルが折り重なる——「曲」というより「体験」だ。これを聴くと、1982年のある出来事を思い出す。
 1982年、前衛ギタリスト/作曲家グレン・ブランカは『Symphony No.2 – The Peak of the Sacred』をライヴで披露した。副題「聖性の頂」は本来その作品固有のものだが、彼のエモーショナルな創作全般を言い当てる表現でもある。複雑な転調をほぼ廃したこの交響曲は、天上のエネルギーが雷鳴のように連続して吹き荒れる、彼の作品中もっとも強烈な体験のひとつだった。
「聖性の頂」とは、人間が自己を超越するための、絶えず恍惚と狂喜を更新し続ける音楽を指す。∈Y∋がBOADRUMシリーズやその他の公演で追求してきた方向性は、明言されていなくとも、まさにその頂点に向かう試みだったと私は感じている。「曲」よりも「経験」を重視する姿勢——それは彼の精神性と音楽性が複雑に深化してきた証でもある。FINALBY( )の公演中、∈Y∋はまさにその「聖性の頂」に到達しようとしていた。

2025年10月25日 FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED
presented by COSMIC LAB & TST ENTERTAINMENT CO.,LTD.

FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

 当日の「FINALBY( )Live in 歌舞伎町Expanded」というフルタイトルの公演は、実に2時間ノンストップのパフォーマンス作品だった。事前告知からは想像もできない構成である。チケットを買った時点で「2時間」とあったため、DJか何かが挟まるのだろうと勝手に思っていたが、違った。2時間まるごとが、巨大なノイズの奔流と悦楽的ヴィジュアルの対話で満ちていた。
 ステージ中央には、光に照らされ巨大なカップケーキのように見える“何か”が鎮座している。後にそれが、∈Y∋ がジェンベのように叩くノイズ・ジェネレーターであると知った。ステージ上には複数のコーンが配置され、最大のものは宙吊りになっていて、∈Y∋の身長を完全に覆うほど巨大だった(実際、後半で∈Y∋がその内部に隠れる場面があった)。さらに、フロア中央、観客のほとんどが囲むようにして別の巨大コーンが置かれ、公演後半ではそのコーンが発光し、∈Y∋の手で回転させられる仕掛けになっていた。
 ZEROTOKYOという会場は、巨大なメインスクリーンに加え、左右と背後にも細長いスクリーンが連なる独特の構造で、360度的な没入感を生み出す。MAPOCYで見たモノクロームのデジタル雲はここでも再登場し、背面や側面から湧き上がるため、観客は携帯で“映え”を狙う余裕を失い、その瞬間に没入せざるを得なくなる。近年まれに見る、記録では再現不可能な体験だった。
 奇妙なパンク・バンドから出発し、90分超の儀式的公演を構築できる存在へと変貌したBOREDOMS。その中心人物である∈Y∋は、観客の細胞レベルに作用する「悟性の構造」を知り尽くしている。聖性の頂。

 公演の最後、∈Y∋は稀にみる“口頭での解説”を行い、コーンの群れを「家族」だと呼んだ。FINALBY( )の本当のメンバーはコーンであり、人間はその媒体にすぎないのだと。※詳しくは∈Y∋本人が10月26日付でInstagramに投稿した説明を参照してほしい。
 この一連の経験は、初期舞踏、ローリー・アンダーソン、フィリップ・グラスらの系譜に連なる、ダイナミックなパフォーマンスアートの華麗な再誕に等しかった。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda

∈Y∋ × C.O.L.O(COSMICLAB)@ MUTEK JAPAN

 渋谷で開催されたMUTEK JAPAN 2025で、∈Y∋はC.O.L.O.とともに初めてこのフェスのステージに立った。ART WEEK TOKYO(11月5日)のサプライズ公演をさらに拡張し、より長く、より“怪物的”な形で提示したものだ。FINALBY( )とは異なり、形式上は伝統的なオーディオビジュアル公演に近いが、幸いにも遥かに奔放だった。多くのMUTEK出演者が“引き算の美学”で勝負するなか、これは「足し算の極北」とも呼べる公演だった。
 FINALBY( )が2時間のノイズの海へ沈めるような体験だったのに対し、今回の2人は長いテーブルに並んで立ち、背後の巨大スクリーンとともに、∈Y∋のDJ PICA PICA PICA的な狂騒を現代化したような世界を作り上げた。FINALBY( )のノイズ成分と、モノクロームのフリッカー映像、そして近年∈Y∋が執着するハイパー・サイケデリックなシンゲリ(singeli)が高密度に衝突し合う。言語化困難なコラージュも大量に挟まれる。
 ∈Y∋の音楽とヴィジュアルは、まるでドラッグまみれのポップアートだ。C.O.L.O.は∈Y∋の衝動を鏡のように反射し、狂気じみたフリッカー花、精神を攪拌する幾何学模様、スクリーンいっぱいの“眼”、ハートやブタの絵文字が奇妙な規則性で踊り、そのあとにはスローモーションのデコトラ事故寸前3D映像が続く。強度は綿密に計算され、現実味がないほど完璧だった。息つく暇もない全頭脳的ラッシュ。

 ここ数ヶ月の間に、∈Y∋の唯一無二の表現が多角的に更新される様子を目撃してきた者として、2026年にさらに何が生まれるのか、ただ祈るばかりである。


FINALBY( ) LIVE in 歌舞伎町EXPANDED Photo : Masayuki Shioda


Sadness at the announcement of the closing / demolition of the historic Misono building in Osaka this past summer was brightened with a string of performances to celebrate the history and longevity of the famous landmark. One of those performances, scheduled on July 5th, was EYE`s (Boredoms) new project FinalBy ( ) **(pronounced - Final B Empty) (ファイナルビーエンプティ), a

collaboration with Osaka based COSMICLAB. EYE, a legend in the the Osaka music scene, was definitely the best choice to celebrate the building`s longetivity. Excited, I immediately purchased and planned my trip to Kansai. Unfortunately, it`s now the end of November and I still feel a light sting of having had to cancel said trip due to schedule conflicts. Oh the misery! A summer memory unrealized. My sadness at having to stay home was almost unbearable.

Fate though works wonders and Tokyo is enjoying a string of of EYE related events. More than enough to make up for the missed summer opportunity. EYE has returned to Tokyo for a new exhibition, Mapocy (まぽチー), smack dab in the center of Shibuya

on the third floor of Miyashita Park at gallery SAI, the Tokyo premiere of FINALBY ( ) at ZERO TOKYO in Kabukicho, a multi- screen installation of EYE`s ARV100 performance in 2024 for BENTEN2 at 王城ビル (also in Kabukicho), a small surprise concert

with C.O.L.O. (COSMICLAB) at Art Tokyo Week, and a unique audiovisual performance with C.O.L.O. on a huge stage for MUTEK Japan to round it out. Despite EYE`s many many years as one of the greatest innovators in the alternative scenes of Japan, the inactivity of the Boredoms coupled with more sporadic solo

activities means that EYE hasn`t been at the center of the chaos for some years. So with this many events within just half a year, it feels like a reintroduction of sorts. Perfect for creating new history. One of the last times I saw the Boredoms live was when EYE broke his leg on stage and kept performing despite the pain. So if you haven`t guessed so far, anything EYE related is often historic. I have compiled all of these great experiences this fall in a report.

MAPOCY

Separated into 5 rooms with the 4th almost a secret surprise, MAPOCY reflects EYE`s junk art style as a large installation closely in line with his ongoing PUZZLE PUNKS partner, multi-media artist Ohtake Shinro, mixed with his other common collaborator, the drum cymbal.

The installation is very, very, very, very, very green. Green paint splattered on canvases installed on the walls, on cymbals, on plastic sheets, on junk items. There is green paint literally everywhere including the floor. Almost like an artistic, construction site mixed with wooden assemblages, created into jagged shapes you can see in older EYE works. While the first room was spacious with objects on the floor and wall, the second room was chaotically littered and piled up with numerous objects of different types completely splattered with the same green paint, plastic sheets hanging down and a fan constantly going to keep possible fumes from making anyone sick. There were no coherent shapes at first, just noise. The site is honestly incredibly confusing and confounding but if you have any taste for noise in your music, I would say there is no difference between aural noise or physical noise.


The chaos continues in the 3rd room where in the far corner you might see a dark entrance way into a near pitch black room. The 4th room is a dynamic 3 wall screen scroll-like video of his work with the other members of FINALBY ( ). Only viewable by entering through a small hole created with black plastic sheets, the room literally reverberates with the intensity of the monochrome flashing programmed shapes and the noise music blasting. The images carefully pixelated reimagine traditional Asian cloud flower designs colliding into each other becoming new geometry. Often starting from the far left and far right side, they eventually meet in the center and evolve into new forms. The visual cacophony reminded me of Ikeda Ryoji`s most impactful works but with a fresh and friendly take. Visiting this exhibition first gave me a good unknowing hint of what the following FINALBY ( ) would be like.

The last room is a calm down from the bold expressions of the previous ones. Only one wall of older very familiar hand drawn art combined with physical lps before the exit, it was an interesting last taste offering a comparison to EYE`s initial choice of expression - paper drawings.

FINALBY ( )

FINALBY ( ) first debuted at Fuji Rock in 2021 in front of an unknowing crowd. Since then, FINALBY ( ) has performed only in Hong Kong, Osaka, and now Tokyo. We all know that EYE is a visual artist on top of being a musician but rarely has his visual side collided justly with the music on stage. Like an updated and rebirthed technological Hanatarash (by my eye), EYE has developed a new strong, physical performance more like


performance art coupled with objects connected to noise machines, lights, and sensors. His technical collaborators = other members of FINALBY ( ) are COSMICLAB (directed by C.O.L.O.), art engineer Horio Kanta, and programmer Niimi Taiki. This is very much a digitized EYE. Without a doubt a unique combination of our technical age.

I was lucky enough to witness the beginning of this new venture toward multi media in a small room in Harajuku before the pandemic. At TOKYO CULTuART by BEAMS Harajuku in 2019 for a BOREDOMS t-shirt exhibition, EYE wore a face mic and a black jacket somewhat covering two motion detecting sound machines attached to both his hands that emitted noises. Activating the sensors with motion and singing unbound by a regular mic, EYE was experimenting with the beginning of what would become FINALBY ( ). Here EYE also introduced his obsession with large cones as sound devices. To match his clothing, EYE had a black cone with sensors on the bottom. Picking it up and waving it around affected the sounds emitted and provided funny eye candy as cones are naturally bottom heavy and odd shaped. Behind EYE was an engineer to support the technical side of the performance. Having witnessed this very intimate performance in a room full of 30 or so fans, I can now see the initial development and vision that took 6 years to materialize in Tokyo.

To prepare and hype myself up for going to see FINALBY
( ), I dusted off a copy of the Boredoms` Super Roots 5, one of their most difficult to attain recordings and also their most abstract. At the beginning of their heavy drum and cymbal phase, the one track album is one hour long and basically one long cosmic tone

maintained straight with bubbling noise and cymbals. There is no song per se. Only a holy experience. This reminds me of 1982.

In 1982, the avant garde guitar composer, Glenn Branca performed live his work Symphony 2 with the added title “The Peak of the Sacred.” Only meant for that work in particular, that title though often describes much of his most emotional work. Symphony 2, one of the least complex of his works in terms of multiple chord changes, was one of his best for the sheer intensity and almost god-like continuous blasts of angelic amorphous energy that felt like thunder in the air.

The idea of the peak of the sacred evokes music that is continuously euphoric and orgasmic for humans to rise beyond themselves. EYE`s direction of the Boredoms with the BOADRUM series and other performances I feel were meant to reach “ the peak of the sacred” whether explicitly expressed or not. EYE`s focus on the “experience” over the “song” illustrates his evolving and complex mental state and music focus since then. Throughout FINALBY
( ), I keenly felt EYE reach “ the peak of the sacred” as only he could.

FINALBY ( ) Live in Kabukicho Expanded (the full title of the night) was a 2 hour uninterrupted performance art piece which didn't advertise itself to be that. Genius. When purchasing the ticket, I noticed that the performance was supposed to be 2 hours but I assumed that there would be a dj or something. No, it was 2 full hours of huge blasts of noise with EYE and matching euphoric visuals designed to create a dialogue that worked very perfectly.

On stage at the center was a “thing” that I could only describe as a light illuminated huge cupcake. That “thing” I learned later was a noise generator that EYE could tap at like a djembe. Across the

stage were several more cones with the largest suspended in air at the front of stage so massive it could cover EYE from head to toe (which it later did). In the center of the floor surrounded by the majority of the audience right before the sound and visual mixing booth of another huge - I do mean huge - cone on a platform that later would light and spin in a circle pushed by EYE. During the performance EYE moved back and forth from the stage to the floor centered cone. ZEROTOKYO, for the many who have never been inside it, is a venue unique in having not only a huge stage screen but long thin screens on the left, right, and back wall making a 360 degree surround experience.

The monochrome digital clouds from Mapocy re-introduced themselves here, they emerged from the back and the sides making everyone have to be present in the moment instead of looking for the next instagram moment with their phones. Unlike any performance I have been to in years, this was first time in ages where no documentation could do justice to each person`s experience that night. Whether with the noise assault or the constantly shifting orientation of the images.

EYE, having changed the Boredoms from an unusual, quirky punk group to a band capable of performing hour and a half concerts has attained the psychological knowledge few have of how to construct enlightening performances of such depth that change the molecules of the crowd. The peak of the sacred.

EYE named the group of cones a family and stated so at the end of the performance in a rare commentary of his ideas to the audience. The cones were a family and the real members of FINALBY ( ) making the human members only conduits. *** Please refer to his exact explanation of the cones posted on

October 26th on EYE`s own Instagram account. The total experience felt like a great rebirth of dynamic performance art in the tradition of early Butoh, Laurie Anderson, Philip Glass, and others.

EYE with C.O.L.O of COSMICLAB at MUTEK JAPAN

Held in Shibuya, EYE for the first time ever graced the stage of the 2025 edition of MUTEK JAPAN with C.O.L.O. (COSMICLAB) presenting a more fantastic and longer version of the surprise performance they did for ART WEEK TOKYO on Nov. 5. Unlike FINALBY ( ), this performance was closer to a traditional audiovisual performance but luckily more unhinged. Most performers of MUTEK try to impress with a less-is-more aesthetic but this was a case of more-is-so-much-more one. The FINALBY (
) concert was a submersion in 2 hours of near constant noise. The MUTEK performance of C.O.L.O. and EYE, standing together at a long table shadowed by a huge screen behind, was closer to EYE`s manic DJ PICA PICA PICA mix style. An incredible soup of noise portions of FINALBY ( ) with the same monochrome flicker visuals side by side with hyper psychedelic hardcore singeli music reflecting his ongoing fascination with the manic genre. And tons of near indescribable collages in between.

EYE`s music and visual style is like pop art on acid. C.O.L.O. convinced me he was the best collaborator for EYE, brilliantly reflecting EYE`s impulses assaulting the audience with demented flicker flowers, mind-altering geometry, a sea of eyes (totally tongue in cheek), heart and pig emojis dancing across the screen in similar patterns followed by near collision slow motion disaster 3D video game scenes of Dekotora trucks loosing their wheels. The intensity


was beautifully calculated and unreal. A full head rush with barely a moment to breath.

With so many perspectives of EYE`s singular always evolving expression in only a few months time, I can only pray that 2026 brings us more.

2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59