「LV」と一致するもの

interview with Phew - ele-king

 数年前から軸足をソロ活動のほうに向けじはめた Phew はアナログ~モジュラー・シンセをはじめ、もろもろの機材にとりまかれ、ヘッドセットをしたその姿に私はコクピットに腰をすえた宇宙飛行士を連想したものだが、スピーカーからとびだす予測不可能な音の群はレトロな近未来感をうっちゃる独特な響きがあった。みたこともない世界とアマチュア無線に興じるさまをのぞきみるような、空間に散らばった音をハンダゴテで接着するような、音の連なりにはソフトウェア主体の音づくりではとどかない太さと強さがあり、名づけるならその呼び名はやはりエレクトロニック・ミュージックというより電子音楽のほうがしっくりくる。むろん古典的な電子音楽のセオリーに属しているというより、出てくる音が発明的なのがそう思わせるのだった。2015年の『A New World』は電子音楽の方法と歌をポップに折衷した、2010年代の Phew のドキュメントというべき重要作だが、音響の探究はとどまるところを知らず、昨年には声のみのサウンドストラクチャー『Voice Hardcore』をものしている。これはほとんど無明の荒野をひとりすすむような、その名のとおりハードコアな作品であり、未聴の方はすべからくお聴きいただくにしくはないが、ソロでの究極的な自己対話の傍らで Phew はコラボレーションもおこなっていたのである。
 アナ・ダ・シルヴァがそのお相手で、彼女の名前になつかしさをおぼえた方もそうでない方も、あのレインコーツでギターとヴォーカルを担当したひとだといえば、ピンとくるであろう。メンバー全員が女性のレインコーツは70年代末の〈ラフ・トレード〉からレッド・クレイオラのメイヨ・トンプソンがプロデュースした同名のファーストで、パンクの以前と以後を截然と劃したばかりか、『Odyshape』(1981年)、『Moving』(83年)の3枚で90~2000年代を予期しながら時代のなかに雌伏したが21世紀に復活し2010年には初の来日公演をはたしている。ふたりの交流は、Phew がレインコーツの公演をサポートしたときにはじまったというが、それがいかにしてアブストラクトでありながら多彩で自在な純電子音響+ヴォイス作品にむすびついたか、Phew にその背景を訊いた。

楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。

いまライヴではおもにアナログ・シンセとヴォイスですよね。

Phew:それとリズムボックスですね。

そのようなスタイルでソロ活動をはじめられてから、海外でライヴされる機会が増えましたよね。

Phew:ソロ・ライヴではじめて海外に行ったのが2年前で、ポーランドのフェスでした。フェスに出演したあと、ロンドンでもライヴをしたんです。お客さんも多くて、会場もあたたかい雰囲気だったんですが、そこにアナも来てくれました。アナとはレインコーツが来日したとき、私がサポートをした縁で知り合いました。とはいえ、そのときは会うには会ったものの、話はあまりしなくて、こんにちは、くらいのものでした。震災の前の年だったとので2010年ですね。

ロンドンのライヴで再会したんですね。

Phew:その前に私、CDRで作品を出していたんですね。それをアナに送ったらすごく気に入ってくれて、その後にできたアルバム『A New World』も送って、それも気に入ってくれて、みにきてくれたという経緯がありました。

メールや手紙でのやりとりがあったんですね。

Phew:でも、CDすごくよかったです、といったやりとりくらいですよ。それだけで、ライヴを観に来てくれて、しばらくしたらアナから写真が送られてきたんです。「モジュラーシンセ買いました」と文章を添えて(笑)。

Phewさんの影響ですか?

Phew:買ったのはけっこう前だったみたいですが、「いまは離れていてもファイルの交換で音楽がつくれるから一緒にやりませんか」と書いてあったんです。

連絡が来たのは何年ですか?

Phew:2016年。なので2年前ですね。連絡が来てしばらくして、彼女が録りためた音が届いたんです。たしか5、6曲。そのなかの何曲かに音を重ねたのが最初でした。

その曲はアルバムに採用したんですか。

Phew:はい。1曲目の“Islands”、6曲目(“Here to there”)もそうかな。けっこうちゃんとした曲になっていました。それまでアナに電子音楽をつくった経験があるかとか、つっこんだ話はしたことはありませんが、アナはモジュラー以前にシンセサイザーはもっていたみたいです。前のソロのアルバムは自分でミックスもやったといっていましたから。

チックス・オン・スピードのレーベル〈Chicks On Speed Records〉から2004年に出した『The Lighthouse』ですね。

Phew:機材やエンジニアリングにもともと興味をもっていたのだと思います。

音源にたがいに反応し合ううちに曲になっていったということですか。

Phew:とっかかりはアナが録ったものに私が音を重ねていった曲です。アナから来たものに音をかさねて、そのラフミックスをアナに送り、足りない部分を補い、それをまたこっちに送り返してもらう。“Konnichiwa!”とか“Bom tempo”は私が音を録った音源にアナが音を重ねています。往復1~2回でだいたいの曲ができました。作業自体はすごく早かった。

曲によって主導権がちがう?

Phew:主導権というより、きっかけですね。どういうものにするというのも、ことばでのやりとりはなくて、いきあたりばったり(笑)。とはいえ、アナはロンドンに住んでいますけどポルトガル人で、私は日本人。おたがいちがう文化をもっていて離れたところに住んでいるのは最初から意識していました。わりと早い段階でアナにこのコラボーレションのテーマはコミュニケーションということはいったと思います。それでおたがいの言語をとりかえたんです。私がポルトガル語でアナが日本語をつかうという図式ができました。

Phewさんはポルトガル語ができるんですか。

Phew:できるわけないじゃないですか(笑)。でもノリはよかったし早かったですよ。おたがいにパンク出身だから(笑)。

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だれがこの曲をつくったとか、そういった事態は避けたかった。記名性で詮索するのではなく、たがいにすごく離れたところにいて、ことばで説得するのではなく、その中間でなにができるか。そういったテーマが私にはあった。

世間的な見られ方としては、レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとアーント・サリーのPhewさんのコラボレーションというのがまず最初にくると思います。

Phew:そうでしょうね。

Phewさんはレインコーツを当時どう思っていて、その評価はどのように変化しましたか?

Phew:レインコーツは好きでしたよ。でも好きの度合いは正直薄かった。すくなくともアイドル的なものではなかった。で、2010年にライヴを観て、すごいバンドだと再認識しました。ライヴをするとどうしても慣れてくるじゃないですか。同じ曲を何度もやっていると当然そうなる。けれども彼女たちはそれをはじめて演るような新鮮さで演奏していたんです。それは巧いとか下手ではなくて、やっぱりすごいと思いました。おそらく数えきれないくらい演った曲を演奏しているのに慣れていない、それがすごくスリリングだったんです。

当時イギリスのパンクとニューヨークだったらPhewさんはどちらに肩入れしていましたか?

Phew:音楽的にはニューヨークでした。圧倒的にそうでした。ただ世代的にイギリスのパンクのひとたちは同世代でしたから、直接的な影響を受けました。バンドを始めるきっかけになりましたね。ニューヨークはひと世代上でしたから。若者がバカやっているというのは圧倒的にロンドンのほうでしたよね。

女性性みたいなことをいうのはふさわしいかわかりませんが、女性バンドとしてレインコーツに共感した部分はありますか。

Phew:そういう面での共感はなかったです。そういうところで、このひとはかっこいいと思ったのはむしろトーキング・ヘッズのティナ(・ウェイマウス)ですよ、あの当時は。だから私はスリッツとか、女の子バンドですよというのを全面的に打ち出しているバンドはどちらかといえば敬遠していて、私のなかではティナがいちばん好きでした。ライヴを観る機会があったのなら、また違ったかもしれませんが。

ティナのどのへんに共感したんですか。

Phew:ファッション(きっぱりと)。スリッツなんかすごい恰好だったけど、ティナはショートカットに白いシャツに黒いズボン、それがすごくかっこよかった。むかしから地味好みなんですよ。けっしてパティ・スミスとかじゃない。音楽というよりファッションでいちばんかっこいいと思ったのがティナでした。アーント・サリーをやっていた当時の話で、トーキング・ヘッズの1枚目のころの話ですよ。

ジム(・オルーク)さんもティナのベースは独創的だと以前いっていた憶えがあります。

Phew:じゃあやっぱり私は正しいんだ(笑)。トーキング・ヘッズの曲なんて私、ベースで憶えていますからね。

ヤング・マーブル・ジャイアンツとレインコーツではどっちがお好きですか。

Phew:何ヶ月前にイギリスの『The Wire』という雑誌の「インヴィジブル・ジュークボックス」という連載の取材を受けたんですよ。それでレインコーツの2枚目がかかって、私ヤング・マーブル・ジャイアンツって答えちゃったんですよ(笑)。それくらいいい加減な認識なんです。でもヤング・マーブル・ジャイアンツもすごく好きでした。リズムボックスや声、スカスカのギター、音の質感が好きでした。私は当時、同時代の音楽をあまり聴かなかったのと好みがフライング・リザーズとかああいったものが好きだったから、生のバンドの音楽はあまり聴いていなかったんです。

『Island』は根を詰めてつくったというよりは日常的にやりとりをしながらできあがったという感じだったんですか?

Phew:文通するみたいな感じでやりとりして、ある程度たまったときに「SoundCloudやBandcampで発表する?」と訊ねたら、アナのほうからレーベルがあるからそこからアルバムを出しましょうとなったんです。だから一枚のアルバムをつくるという気持ちは最初はなかったです。作品をつくるよりやりとりすること自体が楽しかったんですね。

アルバムが念頭になかったということはどの楽曲がアルバム上でどういった役割を担うというふうな構成面は意識していなかったということですか。

Phew:アルバムの最後に収録している“Let's eat pasta”が最後にできた曲は、日常的で具体的なことをテーマにした曲がほしいとは思い、私から提案してアナに音源を送りしました。曲の構想は、ふたりで離れたところで、スパゲッティをつくって食べるということ。材料を買ってスパゲッティを茹でで食べる、作品が全体的に抽象的だったのでそういったところに着地したかったんです。

抽象的といいながら、全体をとらえると抑揚のある作品にしあがったと思いますが。

Phew:それはあくまで結果であって、全体のながれはあまり考えていなかったです。アナは考えていたかもしれないですけど、私はぜんぜん。

ヴォイスと各種機材での活動に入ってからのPhewさんの音楽には物理的にせよ心理的にせよ、距離というか空間性からくるコミュニケーションがテーマのひとつだと思うんですよ。

Phew:ああ、はい。

『Island』もいうなればそのようなながれに位置づけるべき作品かと思いました。

Phew:そうともいえますが、この作品はソロとは向いている方向がちがうと思います。この作品での私は外向きだと思うんです。

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感傷は安易すぎる、その失敗を私たち人類はおかしつづけています。

前作『Voice Hardcore』は2010年代の傑作のひとつだと思いますが、あのアルバムに較べると開放的ですね、真逆といってもいいかもしれない。おなじような形式をもちいても、別の方向を向かっている感じがあります。

Phew:この作品ではおたがいに電子楽器をつかっていますが、楽器は道具にすぎないんです。それはアナもおなじ気持ちだと思います。最初に自分の身体がある、それはふたり共通していると思います。モジュラーシンセをつかった最初の曲がとどいたとき、「ああアナの曲だ」とわかる。なので、このアルバムは、純粋電子音楽とはいいにくいですね。

身体、声という側面ではおふたりともヴォーカリストですから、歌らしい歌を入れる選択もあったと思いますが。

Phew:またやろうという話にはなっているので、今後も続いていくなら、そういうものも出てくるかもしれない。今回はそういうことを考える暇もなく、制作がすすんでいって、はじめてメロディらしきものがきたのは“Konnichiwa!”でした。私が送ったトラックにアナがリフをくわえてきたんです。おそるおそる、メロディックすぎないかしら、といいながら(笑)。その意味では、メロディアスな要素はおたがい抑制していたのかもしれない。私がメロディっぽい側面を出したのは9曲目の“Dark but bright”。ストリングスの音は私がつけました。たしかにそのときもちょっとためらいはありました。メロディや声という要素は、すごくつよくてそれだけでなんとかなってしまう部分もあって、最初のうち私はそれを極力避けていました。できればヴォイスもあまりつかいたくなかった。声を最初に入れたのも“Konnichiwa!”でした。

声をつかいたくなかったのは音を聴かせたかったから?

Phew:メロディをつかってしまうと曲がそれに支配されてしまい、だれがこの曲をつくったとか、そういう観点で聴かれがちじゃないですか。そういった事態は避けたかった。記名性で詮索するのではなく、たがいにすごく離れたところにいて、ことばで説得するのではなく、その中間でなにができるか。そういったテーマが私にはあったので、なるべくメロディとか歌詞も私もメッセージ性のあることばはなるべく避けようとしていました。

タイトルはどなたのアイデアですか?

Phew:アナです。詩的な連想性があることばですよね。そのようなことばはおもにアナから来たものです。私はコミュニケーションのことばと考えると、どうしても「コンニチハ」とかになってしまうんです。

事物的ですよね。私は『Voice Hardcore』のときのPhewさんのことばの散文性はすばらしいと思いますが、それも事物性に由来するとは思います。とはいえ、コミュニケーションを考えるなら、エモーショナルなことばのほうが共感度が高いので適しているともいえますよね。

Phew:真ん中になにかをつくるということです。音楽とか文学も、アートとはそういうものだと思うんです。感傷は安易すぎる、その失敗を私たち人類はおかしつづけています。

突然すごく大きな問題を提起されましたが(笑)、そのとおりです。

Phew:人類はなにも学べない(笑)。オリンピックはやるしね。私も、感情に訴える話が読んで楽しい、泣ける話に感動するというのもわかりますが、私は子どものときから犬と暮らしているんです。

藪から棒になんの話ですか。

Phew:(笑)。コミュニケーションについては犬から多くのことを学びました。これまでの人生で、9年ほど、犬のいない生活を送りましたが、いまでも2匹飼っていて、うち1匹はリコーダーやバンドネオンの音に反応して歌うんですよ。犬も1匹ごとに個性があります。それでも、犬には人間のことはわかってもらえない。さびしい気持ちもありますが、それで気持ちが離れることはまったくない。そのようなコミュニケーションのあり方を犬に学びました。

シンセには反応しないんですか?

Phew:笛や生楽器の倍音に反応しているようで、電子音は嫌いみたい。

ではご自宅で『Island』を制作されていたときはたいへんでしたね。

Phew:自宅で録音していると、ほんとうにだれとも会わなくなるし、音を録っているから声は出しているけど、何日もだれとも話さないこともまれではないですからね。家族はしゃべらないといけないような場面にはいないから、そうなるとだれとも会話していないことに気づくんです。その点でも犬がいるといいですよ(笑)。

でもにぎやかな場所が好きなわけでもないですよね。

Phew:人混みが苦手で、きのうはライヴでたくさんのひとに会ってひと酔いしちゃいました。

とはいえコラボレーションの機会は多い。

Phew:こういうかたちはひさしぶりですけどね。

プロジェクト・アンダークで(ディーター・)メビウスさんとやりとりして以来ですか?

Phew:そうですね。でもね、あれは全部曲が最初にできていたんですよ。今回みたいにやりとりしてつくったわけではなくて、トラックに声を乗せていった感じだったので、一緒につくった感じはあまりなかったです。

バンドともちがいますよね。

Phew:バンドはなつかしいですね。やりたいですけどね。

やりたいお気持ちはつねにあるんですね。

Phew:バンドは楽しいですけど、練習の時間とかスタジオが必要じゃないですか。その手配がたいへん。そう考えるといちばんの問題はまちがいなく距離です。メンバーがみんな近所に住んでいたらどんなに楽かと思いますよ(笑)。音楽をやるにあたって、最初に曲が決まっているのはつまらないです。それぞれのパートのひとがアイデアを出し合ってつくっていくのがいちばんおもしろい。

モストのときもそうでした?

Phew:最近のモストのライヴではきまった曲をやることが多かったですが、ライヴの前はかならず練習していましたし、曲づくりのためにリハーサルではメンバーそれぞれがアイデアを出し合っていました。

そういうふうに直にひとと会いながら音楽をつくるのと、今回のアナさんのように対面せずに曲をつくる場合とではなにかちがいを感じられましたか。

Phew:日本にいるミュージシャンと一緒に音楽をつくる場合は、相手が知っているひとのことが多いんですよね。会ってしゃべるといろんな情報が入ってきます、視覚的な部分もふくめて。インターネットを通じたやりとりだとそういった情報が入ってこない。今回も個人的な話はしていないんですね。アナってどういうひとか、私はほとんど知らなかったんですが、音をやりとりするなかですごく親しくなった気がする。なんにも知らないのに、この親密な感じはなんなんだろうという、それはアナも同感だったようで、去年1年ぶりにロンドンに行ったときにもアナが会いに来てくれて、すごく親しくなった気がするんだけど、とおたがいにいいあいました。きっと音楽ならではの感覚なんです。いいひととかわるいひとというレベルの話ではなく、これはミュージシャンどうしでしかなりたちえない独特の関係なのだと思います。音で伝わってくるものがあるんでしょうね。

たとえば共通言語をもたない場合、Phewさんはコニー・プランクやカンのホルガー・シューカイ、ヤキ・リーヴェツァイトともアルバムをつくられましたが、彼らとの作業はどうでした?

Phew:コニー・プランクは家がスタジオだったから家族にも会いましたが、ホルガーやヤキについてはプライベートなことは知らないけど、録音する前と後では関係がまったくちがいました。独特の信頼感というか、個人的なことに興味もないのに信頼を置けるというか。だから亡くなったというのはショックでしたよ。ありえないんですけど、どこかでずっと死なないものだと思っていた気がします。

音は他者を触発すると同時に当事者にもフィードバックするのだと思います。とくにソロ活動以後のPhewさんの音楽では自己との対話の側面があると思いますが。

Phew:音を出してはじめてわかることがあるんですね。録音物を制作するときは、機材を触っていて、この音なんか好きっていうのがあったらすぐ録音して、そこから発展させることが多いですね。

録音という意味でなにかすすんでいる作品はありますか。

Phew:すすめていることはあるんですが……最近ヴィンテージのミニムーグを導入したんですよ。何年も迷って結局買ってしまったんですが、それでどうしようかと思っているところです。ミニムーグの音は記名性がつよいじゃないですか。なにをやってもミニムーグの音だから自分の音楽というよりミニムーグの音なんです。好きなんですが、困りものです。まだまだミニムーグに負けています。ミニムーグとの勝負にまずは勝たないと。

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安室奈美恵みたいな歌は絶対できない。まずリズムがむずかしいしメロディもむずかしいですよ。だからやっぱり向いていることってあるんですよ。

A New World』のようなポップ路線というと語弊があるかもしれませんが、そのような作品にとりかかる予定はありますか。

Phew:曲はありますよ、めずらしくメロディもリズムもあるちゃんとつくった曲が2曲ぐらい。『A New World』のあと、そっちの方向に行きかけて、ライヴでも何度か演ったんですが、なぜかいまいるところに来てしまった(笑)。『Voice Hardcore』はやっぱり大きかったのかもしれない。『Voice Hardcore』はけっこう短い期間でつくったし、性に合っているんでしょうね。ああいったことがなんの苦労もなくできることなんですよ。

根っからハードコアですね。

Phew:何時間でもやっていられるし、何枚でもできますよ。

とはいえ『Voice Hardcore』も構成がありますし曲になっていますよね。

Phew:あのかたちだと即興的に曲がつくれるんですよね。ライヴでもそうですよね。即興的に構成する。芸歴の長さの賜物です(笑)。向き不向きで考えると自分に向いているのだと思います。逆にメロディを歌うのはすごくむずかしい。たとえば、安室奈美恵みたいな歌は絶対できない。まずリズムがむずかしいしメロディもむずかしいですよ。だからやっぱり向いていることってあるんですよ。

『Voice Hardcore』が向いているというのもすごい話ですけどね(笑)。

Phew:私からしたら安室奈美恵がすごいですよ。

Phewさんの場合、とくにさいきんのPhewさんの音楽では声や歌だけでなく音楽空間のなりたちが焦点だから一般的な音楽のスキルだけでは語れない部分があると思うんですね。

Phew:それも向いているということです。『Voice Hardcore』の曲は何度か音を重ねている部分もありますが、そうするとながれができて、すると次になにをすればいいかおのずと明らかになってきます。足りない音が感覚的に理解できるんです。

声を発するのは身体コントールがたいへんでもあると思うんですが。

Phew:そんなにたいへんなことはあの作品でやっていません、あと家でやっていたので大きな声を出せないという制約はありました。お隣のひとに聞こえたらマズいとか、歌詞もひとに聴かれたくないような内容だから夢中にもなれない。いっていることヤバいなと思いながらヤバいことをいう。

Phewさんの音楽は主体と独特の距離がありますよね(笑)。声を出しているのを外からみてる感覚がありますよね。

Phew:それはつねにありますね。

そのあとに『Island』を聴くと――

Phew:ホッとするでしょ(笑)。

『Voice Hardcore』は真空状態だけど『Island』には広がりがある。

Phew:そうですよ。

それがひとりのなかから出てくるというのはすごいと思いますよ。

Phew:でもアナの力が今回は大きかったと思います。選ぶ音もぜんぜんちがうし、異質なひとがふたりというのはいいことだと思いますよ。これが3人だとややこしいことになりそうですけど(笑)。ふたりが離れたところにいるのが功を奏した面もあると思います。

interview with Cosey Fanni Tutti - ele-king

 9月12日、(それはおそらくこの記事のアップ日)に、スロッビング・グリッスルの再発第二弾として、『Heathen Earth』(1980/一般的には最終作とし知られる)、『Mission Of Dead Souls』(1981/最後のライヴを収録)、『Journey Through A Body』(1982/イタリアのラジオ局のために制作された)の3枚がリリースされる。
 また同時に、創設メンバーのひとり、コージー・ファニ・トゥッティの自伝『アート セックス ミュージック』の日本版も刊行される。

 現在、日本で〈ミュート〉と契約しているトラフィック・レーベルの好意によって、今回ふたたびコージーのインタヴューを取ることができた。質問のいくつかはぼくが作成し、それを『アート セックス ミュージック』の訳者でもある坂本麻里子さんが、いつものように臨機応変にアレンジなりアドリブなどを交えて取材はおこなわれている。
 『アート セックス ミュージック』は、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーというノイズ/インダストリアルの話であると同時にエロ本のモデルおよびストリッパーの物語だが、それ以上に、ひとりの女性のサヴァイヴァルとその人生哲学をめぐるかなり勇敢な回顧録と言える。原書が500ページ、日本版は二段組にしておよそ500ページ、平均的な単行本の3冊分というなかなかの大著だ。
 以下、これもまた、ひじょうに長いインタヴューになるが、これでもかなり削ったです。どうか最後までお付き合い下さい。

だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちはすでにあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

まずはあなたの『アート・セックス・ミュージック』の日本版を刊行できることをたいへん誇りに思います。しかしものすごい分量ですね。

コージー:ええ。

この労作を執筆しようとした動機のひとつに、TGの成り立ちやその実態について歪んだ情報が流布しているということがあったということですが、よくぞ書いてくれたと思います。日本には昔から熱心なTGファンがいることはご存じでしょうか?

コージー:ええ、彼らの存在はずっと知っていたわ。ただ、わたしはこれまで日本に行ったことがなかったから……。そうは言ってもファンが存在することはずっと前から気づいていたし、かなり初期の頃から日本のレーベルがTGのアルバムをリリースしてくれていたわけで。だからわたしたちも、そうね、70年代後半〜80年代初期あたりから、日本にファンがいることは認知していたわ。それに、日本にはクリス&コージーのファンだっているし。というわけで……日本にファンがいるのはわたしも知っているし──だから、本が日本で出版されることになって本当にわくわくさせられている。うん、とてもハッピーだわ。

最後の日記が2014年4月30日になりますが、刊行までおよそ3年かかっています。じっさいものすごい文字量の大著になりますが、執筆に当たってもっとも苦労されたところはなんでしょうか? 

コージー:だからあの本はまるまる、わたしの人生についての本なわけよね。そして、わたしの人生で何が起きたか、ということについてであって。わたし以外の人間にとっての「こうすべきだった、こうするべきではなかった」という内容ではないし、だからわたしはああいう書き方であの本を書いた。というのも、あれがわたしの身の上に起きたことだった。あれらが(コージーにとっての)事実だった、と。で、あそこに書かれたことを信じずに、彼らが信じることを選んだなんらかの「神話」みたいなものについていきたいのであれば、それは読んだ人びとの自由、彼ら次第だわ。
 わたしは別に、あの本から人びとがなにを得るのか、そこを指図するつもりは一切ないから。あれはわたしのストーリーであって、他の誰の物語でもない、という。というわけで……あの本の執筆中に、自分が知っていた以上のさらなる「嘘」が明るみになったのよね(苦笑)。あの点が、わたしにとってはもっとも難しかった。というのも、自分がその場に居合わせなかった状況では、知らないところでいったい何が起きていたかまったく知らなかったから。たとえば、わたしとジェネシスとの関係のなかでのいくつかの場面だったり。そこがもっとも苦労したところね。だから、わたしと彼の関係において、様々な事柄がどれだけ間違った形で伝わっていたのか、その度合いをわたし自身はまったく知らなかった、という。そんなわけで、その点を知ったときは……執筆中に何週間か足止めを食らわされた。自分の思いをしばらくの間どこか別の場所に持っていかなくてはならなかったし、その上で(気持ちを落ち着かせた上で)再び自分の物語に立ち返った、という。だから、あの部分はとても難しかったわ。一方で、あれを体験してとても良かった、というところもあってね。というのも、(苦笑)あのおかげでいまや、わたしも自分の過去を正しく理解できるようになったわけだから。

ひとりの人間の人生が描かれているわけですが、ヒッピー・コミューンからセックス産業など、それ以上のものすごくたくさんのことがこの本には詰め込まれています。おそらく音楽ファンにとっては、COUMトランスミッションズ〜TG〜クリス&コージーの話がより知りたい部分なので、まずはそこから訊きたいと思います。

コージー:なるほど。

ある意味では、COUMやTGというのは神話化されていると思いますし、サイモン・フォードの『Wreckers of Civilization』はその神話をより強固なものにしているかもしれません。

コージー:ええ。

長いあいだ、それこそ1998年からその神話やストーリーが続いてきた、と。その意味で、あなたの本は偶像破壊的でもあると思うんです。そうした神話化されたTGの信者たちをある意味では裏切るというか、その神話をいちど破壊するというか、本当にリアルなTGの姿が明かされたわけですよね。もちろん、いわゆる「暴露本」だ、というつもりはないのですが、一部の読者にとってはこの本はショックだったんじゃないか? と。昔ながらのTGファンからの、そのへんに関する反応はありましたか? あなたの本はTG「神話」を売りつけられてきたファンたちを動揺させたと思いますか?

コージー:ええ、たぶんそうだったんでしょうね。けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、わたしは自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。この星の上で共に生きている人間同士として、わたしたちはお互いになにかを負い合っているわけよね。ということは、ただお互いに対して親切に振る舞うだけではなく、敬意も抱き合って生きるものだ、と。ところがそのリスペクトの念は消えてしまったわけ。だから、ここでジェンダーの問題を持ち出させてもらうけれども──COUMトランスミッションズとスロッビング・グリッスル唯一の女性メンバーだった身として、わたしにはいっさい発言権がない、ということになる。あれらのグループの実際がどうだったか、それを声に出すことはわたしにはできない、わたしが黙らされるという犠牲を払うことでそれが成り立っている、と。となると、それはやはりどこか間違っているわよね、人びとのなかにあっという間に事実とは違うヴァージョンの話が流布してしまうわけで。
で……それはなにも、スロッビング・グリッスルそのものを破壊しよう、ということではないのよ。というのも、わたしはどんな風に、スロッビング・グリッスルがどんな風にはじまったか、それをありのままに本のなかで説明したし、その背後にあった興奮もちゃんと書いた。それに、わたしたち全員がTGに送り込んだ突きの勢いについても描写したしね。あれは単にひとりの人間のやったことではなかったし、ひとりの人間のアイディアから生まれたものでもなかった。もちろんCOUMトランスミッションズは、ジェネシスがあのグループを命名したことで始まったものだった。けれどもそれ以降、COUMは参加者みんなのものになっていったわけ。「COUMは誰もに属するもの」という、それはそもそもあのグループの気風の一部だったんだしね。ということは、ではどうしてわたしが自分自身のストーリーを本に書く行為が、(苦笑)スロッビング・グリッスルのそういう気風を破壊するということになるのか? という。それはつじつまの合わない話よね。
 それに、誰かが神話を信じようとすること、それだっておかしな話であって。というのも、COUM/TGは神話以上にもっと興味深いものだから。だから、あの当時実際になにが起きていたのか、そこをまず理解しなくてはいけないし、それらを知った上で、いままで知ってきたことをまだ信じ続けていきたいか、その判断を自分で下してもらわないと。というのも、あそこで起きていたのはかなり害をもたらすものだったし、そこでわたしたちもツケを払わされて……とは言っても実際のところわたしたち3人(コージー、クリス・カーター、スリージー)は、スロッビング・グリッスルをなんとか軌道に乗せ続けたのよね。3人以外のメンバーとの間で起きた様々な難関にも関わらず、わたしたちはスロッビング・グリッスルをあるべき形で具体化させることができた、という。その点は、人びとも「すごい、よくやった」と考えるべきだと思う。いろんな困難が生じたにも関わらず、スロッビング・グリッスルは人びとが「そうあるべきだ」と考えた、そういう形でちゃんと存在していた。というのも、なにが起きてもTGはTGで変わらない、かつてあったそれそのものの強さ、そしてパワーをいまだに備えているわけで。ただ、いまや人びとは、その内面に関するもっと深い洞察を得ることになった、という。どんな風に物事がはじまっていったのか、人びとがその点を知るのは大事なことだとわたしは思っていて。それを知ったからと言って、別になにかが損なわれることはないだろう、そう思っているし。

ええ、それはないです。たとえば、『RE/SEARCH』マガジンの4&5号(1982年)に掲載されたスロッビング・グリッスルの取材を読むと、「スロッビング・グリッスルのインタヴュー」と銘打たれている割りにテキストのほぼ90%はジェネシスが発言しているんですよね。

コージー:フム。

彼に焦点が当たり過ぎだ、という。いまの自分からすればスロッビング・グリッスルはリーダー格不在の真の意味で民主的なバンドだったのに、当時のメディアでは誤ったバンドの提示の仕方がおこなわれていたんだな、と感じます。あれじゃ、まるで「ジェネシスのグループ」という印象ですし。

コージー:ああ。でも、その点に関しては、本でも触れたと思うのよね。だから、わたしたち3人は自分の声を大きく張り上げるとか、自分自身を宣伝することに興味がなかったわけ。そういうことにわたしたちは入れ込んでいなかったけれども、ただ、ジェネシスは自己宣伝を楽しんでいたし、人びとから注目を浴びるのをエンジョイしていた、と。でも我々残る3人はそれよりももっと、音楽を形にすることやテクノロジーetcに関する色んなリサーチにもっと力を注いでいたのよね。それにまあ、ああした取材のいくつかは、わたしたち自身が知らない間におこなわれてもいたんだしね!

はっはっはっ!

コージー:──だから……(苦笑)バンドの一員にも関わらずそのなかで個人的な自己プロモーションをおこなっていた人間がいた、ということだし、ずっと後になるまでそういう行為がおこなわれていたのをこちらも知らずにいたわけ。それは良くないことよね。それによって問題が引き起こされ、バンドにひびが入りはじめてしまった。というのも、あのバンドは個人云々の存在ではなかったわけだから。ところが、バンドがいったん終わったところで、また他の誰かがバンドを宣伝するようになったわけだけれども、彼らはそこでバンドの名前を傷つけていった、という。そんなわけで、わたしたち3人はまったく関与していないところで、とても奇妙な、心理的なあれこれが起きていた、ということになるわね。それは他の誰かが勝手にやっていたことだった、という。

でも、あなたの本のおかげでわたしたち読者にもスロッビング・グリッスルの真の姿がクリアに掴めるようになりました。4人が平等な民主的な、しかもまったくDIYのバンドとしてのTGを描いたということは大きいと思います。

コージー:ええ。

にしても本当に、可能な限りご自分たちでなにもかもやっていたんですよね。DEATH FACTORYのTシャツもあなたの手製だったわけで。で、このDIYの気風、Tシャツからプロモ写真はもちろん音楽まで、制作/生産面に関して可能な限り直接関わるという、このTGの気風はどこから生まれたんですか?

コージー:それはもともとは……取材の最初の方で、あなたも本に書かれたヒッピー文化について触れていたわよね? で、あの頃、1968年、69年頃から、わたしはもう(ヒッピー系の)Tシャツだのズボンだのを作って売っていたわけだし。単純な話、当時自分たちの身の回りには買いたくてもああいうものは売られていなかったし、それを作ってくれる場も存在しなかった。だから当時のわたしたちのDIYの気風というのは、自分たちの求めていたものは通常の商業ルートでは手に入らなかったし、したがって自分たちで作るほかなかった、と。ところがそれをやった結果として、DIYなら実際、自分のやりたいことを完全にコントロールできるじゃないか、という点に気づかされるのよね。なにもかも、完全に掌握できる。というわけで、その点はスロッビング・グリッスルにとって非常に重要だったし、またクリスとわたしにとっても、クリス&コージーのはじまりからいま現在に至るまで、いまだに重要な点であり続けている。

ロバート・ワイアット、AMM、ジョン・ダンカンといった名前がわりと重要な場面で出てきますが、こういうところからもいままであまり語られなかったTGの音楽的背景を伺い知ることができました。それはたぶん、TGやあなたたちのことを「インダストリアル・ミュージック」という括りでわたしが捉えていたからだと思います。あれら3組の名前は必ずしもその括りには入らないわけで、その意味で驚きだった、ということでしょうが。

コージー:思うに、いまあなたが例にあげた名前を考えてみれば……というか、それら以外の影響のいくつか、それこそもっとポップ音楽系な人たちのことを考えてみてもいいと思うけれど、彼らのことをじっくり考えてみれば、実は彼らのアプローチもわたしたちのそれととても似通ったものであるのがわかるはずだわ。非常にパーソナルで、心のなから、お腹の底からから出て来たものであり、そして自分のやることに対する自分自身を信じるパワーを持っている、という意味でね。だからなのよ、繫がりが存在するのは。それは必ずしも音楽的な意味での繫がりではなくて、その人物そのものとのコネクションかもしれない。ただ、彼らには、彼ら自身の、そして彼らの作品の背後に、そういう打ち込みぶり、そして意志の強さとが備わっている、という。

ジェネシス・P・オリッジの素顔について書くことはやはり神経を使われたことと思います。彼はあなたたち3人に続々と困難や苦情のタネを持ち込んだわけですが、それでもはやりフェアに書かなければならなかったわけだし、かつ本として客観性も維持しなくてはいけなかったわけで。かつての恋人であり、コラボレーション相手であり、しかしいつしか破壊的な存在になっていった、そういう人物を描くのは難しかったのではないかと思うのですが。

コージー:まあ、わたしがこの本を書きはじめた頃──いつになるかしらね、2015年には書き終えていたわけだから……

ああ、そうだったんですか(※英オリジナル版の出版は2017年)。

コージー:ええ。だから、さっき話に出た「日記からの最後の引用が2014年」というのも、もっと意味がわかりやすくなると思う。というのも、あの時期からわたしは本の執筆をはじめていたし、そこから出版社のフェイバーがこちらにアプローチをかけてきて。と同時にその頃、わたしは「ハル・シティ・オブ・カルチャー 2017」企画にも取り組んでもいて(※シティ・オブ・カルチャーは4年に一度選ばれる「イギリス文化都市」で文化やアート振興を目指し長期にわたって多彩なイヴェントが組まれる。コージーの生まれ故郷ハルは2017年にその座を射止め、ハルが初期の拠点だったCOUMトランスミッションズの大々的な回顧展も開催された)。
というわけである意味なにもかもが、わたしにとってきちんとこぎれいなパッケージとしてまとまっていった、みたいな。フフフッ! 自分の本の執筆、そしてCOUM回顧、という形でね。わたしがCOUM展のためにやっていたリサーチ、それがまた本向けのリサーチにも流れ込んでいた、という。そんなわけで、エモーショナルなアプローチと共に、わたしはある種客観的なアプローチも用いることになった、と。この、パラレルを描くふたつのアプローチの仕方、これが実際、わたしには上手く機能したのよね。というのも、それならわたしは客観的であると同時にまた、主観的にもなれるわけで。で、わたしは自分の本を、なんというか……なにも「積年の恨みを晴らす」めいたものにしたくはなかったから。そういう本ではないんだしね。

(苦笑)はい、もちろん。

コージー:そうではなくて、これはわたしの人生についての、わたしの物語を書いた本だ、と。で、とある誰かがわたしに対して、あるいは他の面々に対して本当にひどい仕打ちをしてきたこと──それは彼らの側の、その人間の問題であって、わたし自身の問題ではないわけ。そういう連中は、わたしのストーリーのなかに登場するキャラクターに過ぎない。彼らがあまりにひどい振る舞いをしたことについても、(苦笑)それが彼らの人なり/実像なんだから仕方ない、と。その事実を変えることは、わたしにはできなかったしね。それと同じで、逆に誰かがわたしに本当に良くしてくれたら、その事実を書き換えるつもりはないわ。それに実際の話、わたしの物語にしても、他の誰かがしでかした悪質な行為のいくつかに負っていたんだし。というのも彼らのそうした行為のせいで、わたしが立ち向かい対処しなくてはならないシチュエーションも生じたわけで。で、それらの行為はわたしの人生に本当に大きなインパクトを与えた、と。
というわけで……当時なにが起きていたか回想する意味では、それが困難だった、ということは一切なかったわ。というのも、いろいろな状況をくぐり抜けていた時点で、その都度それらに対処し乗り越えていったから。ただ、さっきも言ったように、本当に困難を感じた点というのは、本を書いていくなかでわたしはある意味欺瞞の程度の深さを明るみにすることになった、その根深さを初めて知った、そこだった。だから、自分というのは本当に、彼が敵対していたものの縮図的な存在だったんだ、その事実に気づかされたことは難しかったわね。悲しいことに、彼はそれらすべてを否定しているけれども──彼がいつも使う手口、それは「敵対」なわけだし。あの点は、だから厄介だった。

ある意味、本を書くことで嘘を発見し、あなたは再び傷つけられた、ということになりますね。

コージー:そうね。

もちろん、そのつもりで執筆したわけではないけれど、結果的に更なる嘘がばれていった、と。

コージー:そうそう、結果的に、自分が気づいていた以上の嘘があったことが明るみになった、という。

(苦笑)ひどいですね。

コージー:ほんと、まったくよね。

やぶへびになってしまった、と。

コージー:ええ、そういうこと(苦笑)。まったくもう、キリがないっていうね(苦笑)。クックックッ……。

とくに後半の6章ぐらい、TG再集合のくだりでジェネシスのやったとんでもない仕打ち等々、書いていて決して楽しくはないことにも触れていますよね。普通の人だったら伏せておきそうなところも、あなたは本に収めています。ありのままを伝えよう、あなたの経験をできるだけ忠実に書き記そう、ということだと思うのですが。

コージー:それはそうよ。だから、あれらすべての事情がまた、わたしのストレスを大きくしてもいたわけで……それ以前に、わたしとクリスは息子を病気で失いかけた、そんな大きな心的負担もこうむっていた。ところがあの時点で、わたしは他の誰かから余計なストレスまでもらう羽目になった。しかもその人間には明らかに、わたしとクリスが当時どんな状況をくぐっていたか、そこに対する同情心が一切欠けていたわけで。とにかく、心労の上にさらなる心労が重なっていって。それで遂には、わたしは疱疹で倒れることになったし、体調も相当悪くなって。自分たちの上に山積みにされていったすべてのストレスの結果がそれだったわけよね。
で……と同時に、わたしたちにはスロッビング・グリッスルのファンたちに対する責任もあったわけで。だから、あれはもう──「これがわたしの人生。こんなにつらいのに、どうやったらこの人生を好きになれる?」みたいな(苦笑)。あれはわたしの人生のなかでも大きなポイントだったし、人びともスロッビング・グリッスル再結集劇については読みたがるだろう、と。ただ、あの背後で起きていたのは、わたしたちが味わった数々の困難の物語だったのよね。

けれども大事な点は、では、その「神話」を支えるために、COUMトランスミッションズおよびスロッビング・グリッスルのメンバーだったひとりの人間がこれまでプロモートしてきた「神話」を支えるために、自分自身の人生体験の数々を犠牲にするだろうか? ということであって。それが正しい行為とはわたしには思えない。

『アート セックス ミュージック』にはユーモアもありますよね? クリスが何気に感電して、部屋の隅にまで飛ばされたり──

コージー:(苦笑)ああ。

それとか、彼がドリルで指に穴を開けてしまい、その数日後に今度は別の指を折った場面とか。

コージー:(笑)そうね、あれは可笑しい。

よく考えたらすごいことをさらっと書いていますよね。クリスの健康面で言えば冗談じゃなかったでしょうが、あなたの淡々とした書き方が逆に笑いを誘うところがあって。

コージー:でも、あれが……(笑)だから、ユーモアはわたしの人生のなかで大きな役割を果たしてきた、ということ。それから、「笑い」ね。っていうのも、わたしはべつにダークで陰気な、鬱でふさぎ込んだ人間ではないんだし。人生を愛しているし、楽しんでいる。で、わたしは他の人たちには見つけられないような場所にも、ユーモアを見出してしまうのよね。だから……そうねぇ、人生の大半を自分は笑顔を浮かべながら過ごしてきたんじゃないか、自分ではそう思ってる。もしかしたらそのせいで、わたしのかいくぐってきた色んな問題が逆にもっと際立つことになっているんじゃないか? とも思うし。
 でもほんと、ああいう「手榴弾」(※本文中に出てくるジェンからの報復/嫌がらせの比喩)にはなんとか対応しなくちゃいけないのよね。それにユーモアで応じてやろう、と。ユーモアはわたしの人生のとても大きな部分を占めてきたし、とても、とても大事なことだわ。

そういうユーモアというか茶目っ気は、スロッビング・グリッスルのメンバーも共有していましたよね。

コージー:そうね。

たとえば、『20ジャズ・ファンク』のプロモ写真で──

コージー:(苦笑)ああ。

ジェネシスがYMOのシャツを着てかっこつけていたり、TGのライヴの最後をマーティン・デニーで締めるっていうことにも通じているように思います。

コージー:ええ、だからアイロニーもあったわけよね。で、あれはちょっとこう、「ミューザック」というコンセプトで遊んでみた、というところもあったし。だから、スロッビング・グリッスルを通じてはらわたに響くとてもフィジカルななにかを体験した後で、聴き手を軽く落ち着かせてあげよう、と。あの経験の後には最高に素晴らしいマーティン・デニーのミューザックが待ち構えている、というね。彼はレズ・バクスターなんかと共にひとつの新たなジャンルをはじめたんだから、それってすごいことだと思う。

他愛のないユーモア、いたずらっ子めいた側面があったわけですね。

コージー:そう。だから、スロッビング・グリッスルとは真逆なことよね。

そのふたつは、TGのコインの裏表だったんですね。

コージー:だからなのよね、あなたがさっきも言っていたように、人びとがスロッビング・グリッスルに対する「神話」を抱くことになったのは。でも、わたしたちは既にあの頃ですら、ギグのおしまいにマーティン・デニーを流すことでその神話を反故にしていたわけで。わたしから言わせれば、じゃあ彼らはいったいどんな神話に執着しているんだろう? みたいな。

(笑)。

コージー:それにその神話は、当時のスロッビング・グリッスルすら喧伝していないものだったんだしね。わたしたちはそういう神話を絶えず自分たちで破壊してきたし、TGを終結させたのもそれだった。そうすれば、神話もなくなるわけだし。その点を人びとは誤解していたのよね。TGというのは、人びとがTGにインスパイアされて彼らがそれぞれ自ら作品を生んでいく/仕事していくための、その媒体を提供する存在だった。だから、わたしたちは人びとのために色んなドアを開けていった、ということ。せっかく開けたそのドアを人びとが閉ざしてしまい、わたしたちの実際の姿とは異なる「TGとはなんだったか」を彼らに定義してもらうことは、こちらは望んでいなかった。

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だから女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。

ハルという暴力的な地方都市のなかで、労働者階級の娘として生まれ育ったあなたから見た1960年代の英ヒッピーのコミューン文化の描写も、興味深かったもののひとつです。この意見は間違っているかもしれませんが──少なくともわたしが思い出す限り、イギリスの「60年代カウンター・カルチャー追想記」や「シックスティーズの物語」みたいなものの多くは、いわゆる「スウィンギング・ロンドン」が中心に描かれてきたな、と。

コージー:ああ、そうよね。

なので、当時ロンドンから遠く離れた地方都市で生きていて、基本的にはロンドンのヒッピーたちと同じようなことをやっていた人の目線から書かれた文章を読むのはとても新鮮でした。というか、「コージーはどうしてこういうことをやれたんだろう?」とすら。「なにもロンドン(首都)にいなくたって、アンダーグラウンドのカルチャーや精神に触発されるのは可能だ」と確認できて、その意味でも励まされました。

コージー:なるほどね。たしかに(地方都市で)ああいうことをやるのは、とても難しかった。そう言っても、自分の周りには仲間がいたし──かなり少人数のグループだったけれども。ただ、その小規模な集団だって、やがてどんどん大きなグループへと花開いていったんだけれどね……とはいえ、ハル全体の人口からすれば、わたしたちはごくちっぽけな集団だった。それでも、自分たちのやりたいことはこれだという、その決意はとても固い集団だったわね。

平たく言えば、あなたたちは「ハルの変人集団」だった、と。

コージー:そう。わたしたちは変人だった。

でも、あの時期のコミューン描写を読んでいて驚かされた──というか、いまでは驚きではないかもしれませんが、60年代文化というのはずっと「ラヴ&ピース」的に描かれてきたわけですよね。ところがあなたの本を読むと、実際は非常に男性優越主義なカルチャーだったことがわかる、という。

コージー:ああ、ほんと、そうだったわ。

女性であるあなたは掃除・洗濯・食事作りの役目を負わされて、一方で男性連中は居間でなごみながら政治だの革命的なアイディアを話し合っている、という図式。あれを読んで、やはりちょっと驚いたんですよね。

コージー:うん、だから、あなただってヒッピー・ムーヴメントが起きていた時期というのは、「フリー・ラヴ」の時代だった、と思うでしょうし……

ええ。男女問わずフリー、なので平等だったのかと思っていたら、そんなことはなかったわけです。

コージー:ええ、それはなかった。あの時点ではまだ男女平等は見えていなかったし……そうは言っても、ここで思い出さないといけないのは──あの当時、女性は避妊剤、ピルを手に入れられるようになったわけよね。女性たちも、「セックスをしたらうっかり妊娠するかもしれない」という恐れを抱かずに済むようになった。そこである種の多幸感みたいなものが生じたし、突然、女性たちは「解放された!」と感じたわけ。ところがわたしたち女性が気づいていなかったのは、その解放感に伴う現実はどんなものか、ということで。
 だから、ええ、わたしたち女性も自由にセックスできるようになった。けれども、それは男性たちにとっても、誰かを妊娠させることなく、好きに誰とでもセックスできるようになった、ということであって。それは男性から見れば都合の良い、二重の勝利だったわけだけど、当時の女性にとっては決してそうではなかった、とわたしは思っていて。突如としてこの自由が手に入ってわたしたちはとても喜んだわけだけど、それが男性優越主義にどう影響するか、そこまで考えてはいなかった。わたしたちはただ「自由だ、最高」とばかり思っていたし、これで家庭から出られる、婚約し結婚して子供を作り、そして職に就くという、当時若い女性が進むべきとされていたルートから出られる、そうやって自由になれる、そう考えていた。ところがその自由は、制約や条件付きのそれだった、わたしはそう思っていて。というのも、当時わたしたちの周囲にいた若い男性たち、彼らにしてもまだ「家庭の主たる男」という考え方を持ち、そうなるべく育てられた、そういう世代の人間だったわけで。で、男は家庭において女性から奉仕されるもの、という。

そういう男性たちにとって、ある意味60年代はハーレムのような状況になったわけですね。

コージー:そう! うん、実はそういうものだったんだと思う。そうは言っても、当の男性たちだって「自分たちはフリーだ、女性も解放された」、そう考えていたわけだけれども。そうやって分析してみると興味深いものよね。

もちろん、男性がハーレム状況を作ろうとした、とは言いませんが──

コージー:それはないわよ。

ただ、ピルにしても100%安全な避妊法ではないし、望んでいない妊娠をしてしまう女性もいるわけですしね。

コージー:わたしもそうだったしね(苦笑)。

ええ……。で、妊娠は難しいなと感じるんですよね。わたしは子供を持たない身ですが、子供ができるのは素晴らしい経験だろうな、とは思うんです。母親になるのも女性にとっての新たな開花でしょうし。ただ、同時にそれが女性にとって足枷になる場合もあるわけです。男性は妊娠しないので、そういうジレンマは起こらないんだろうな、と。

コージー:そうね、男性の人生は妊娠にまったく左右されることなくそれまで通りに続いていく、と。妊娠による妥協というのは存在するし、そこで妥協させられるのはまず女性なのよね。だから、「子供を持とう」という覚悟を決めないといけない。子供を持つと自分自身の人生に影響が及ぶ、それを理解した上で決心しないと。それは自分に依存する誰か、自分自身よりも優先するべき誰かが自分の人生に現れるということだし、子供がまず第一になる。そういう責任を負うことになるわけよね。わたしとクリスが息子のニックを授かったときは、わたしもその点は理解していた。ただ、17歳で初めて妊娠したときの自分には、子供を持つことが自分になにを意味するか、まったくわかっていなかったのね。だから……とてもつらかったわ。というのも、いざ子供を持ってみると、若い頃の自分がやったこと、そのリアリティが再びぶり返してきてショックを受けるわけで。本当に、悲しいことだから。

中絶や流産、そして妊娠といったことは、男性と女性とで影響の出方が違うでしょうしね。男性でも、大きくショックを受ける人ももちろんいますし。

コージー:ええ、それはもちろんそう。これは、女性も男性も共に、両方で進んでいかなくてはいけない問題だし。というのも、とてもエモーショナルな経験だから。子供を持つこと、その実際面も親の人生にもとても大きく影響するわけだけだけれど、「子供を持とう」と決心すること、それは男女双方にとって本当にエモーショナルな面で大きな決断なのよね。軽い気持ちでやれることではないから。ほんと、とても大変だしね。

あなたとあなたの父親との関係から、当時のサブカルチャーやアート界であなたが味わったひどい経験、そしてジェネシス・P・オリッジの存在もふくめて、『アート セックス ミュージック』では父権社会というものが浮き彫りにされていきます。これは、意図して描いたものなのでしょうか、それとも包み隠さず書いていったらそうなったということなのでしょうか?

コージー:ええ、隠さずに自分の人生を書いていったらこうなった、ということね。というのも、実際に起きてしまったことは変えようがないんだし。あなたは父権社会というカテゴリーに入れるかもしれないけれど、それは実際にわたしが体験したのがそういうものだったから、なのよね。それ以外にも、男性優越主義、女性嫌悪といったものもそこにぴったりと収まるわけ。ただ、それらはわたしが自分で自分に対してやったことではなかった。

ええ、どれもあなたの外部から発したものですよね。

コージー:そう! だからなにも、人びとの集まったところにわたしが入っていって、「どうぞ、女性嫌悪者として、できるだけひどい振る舞いをわたしに対してやってください。その体験について本を書くつもりなので」なんてお願いしたわけではなかったんだし。でしょう? 

(笑)ええ、もちろん。

コージー:だから……あれらが事実だった、ということ。で、事実というのは一部の人間の口に合わないこともあるわけよね。そういう人たちは、わたしはお立ち台に立って父権社会や女性嫌悪、抑圧云々について叫んでいるだけだ、そう考えたがっているわけだけど、そんなことはない。そうではなく、わたしはあれらを実際に「生きた」わけ。だからといって、それによって……わたしは犠牲者ではないのよね。自分が犠牲者だとはちっとも感じない。だからユーモアの存在も、そうした抑圧を乗り越えるための戦略だったんでしょうね。そしてまた、わたしを実際よりちっぽけな存在だと思わせようとする連中や、わたしの潜在的な可能性やなりたいものを目指す思いを引き留めようと足を引っ張る人間たち、彼らに対して挑んで反抗していく、という。自分の人生のはじまりの段階にしたって、父親とは──そうね、彼がいろんなやり方でわたしをコントロールしようとしたにも関わらず、わたしはいつだってそれを無視して外出し、やりたいことをやって支配に反抗してきた。そうやって外に出て、やりたいことをやったおかげで、わたしは最高に楽しい思いとものすごい充足感とを味わうことができた。で、そうやって楽しい思いをすること自体、支配に対するカウンター攻撃の一部でもあったのよね。そのせいでお仕置きを受けたわけだけれども、それにしたってまあ……罰を受けたりいろいろあったけれども、自分はこの家を出て行くんだ、それはわかっていたし、実際10代で家を出たわけだし。だから、家を離れる日が来るまで、自分はできるだけ楽しんでやる、そう思っていた。そうは言っても、門限を破っては父にぶたれていたわけだけど(苦笑)。

にしても、せっかく父親から「逃れた」ところで、続いてあなたはジェネシスに出くわしたわけですよね。彼も最初のうちは一見フリーな精神の持ち主、ルネッサンス・マンっぽかったものの、やがてあなたを支配し意のままに操ろうとする面が出てきた。せっかく父親のコントロールから逃げ出せたのに、またもや人生に同じようなタイプの男性が存在することになったのは、あなたとしてもさぞやがっかりさせられた体験だっただろうな、と思いましたが。

コージー:ええ。でも、そこを見極めるのに半年しかかからなかったわ。

(苦笑)なるほど。

コージー:彼との恋愛関係のはじまりの段階から、わたしはかなり懐疑的だったのよね。まあ、あなたからすれば「なんだってまた、彼女は彼を愛していると思ったんだろう?」と、さぞや不思議でしょうけれども。ただ、もうひとつあったのは、あの関係がはじまったときというのは、両親の家の外に広がっている自由な世界がわたしに見えたときと重なっていたのよね。で、その自由に至る道というのは、ヒッピーのコミューンに参加することだった、と。さっきも言ったように、付き合いの最初の頃から懐疑的だったし、だからあのコミューン内でも初めのうちは自分だけの一人部屋を借りていて、ジェネシスと一緒に暮らすことはしなかった。というわけで、そうね、家を出てわたしは外の世界に出て行ったし、ありのままの自分になれて、いろんな機会にも出会い、世界の中心に自分はいる、そんな思いを味わっていた。で、そこでもこの……イライラのタネに対処しなくてはならなくなったわけだけれども、あの手の苛立ちは、実家にいた頃から父親相手に体験してきたわけで。わたしにはもう経験済みのものだった、と。きっと、だからなんでしょうね、たまに「あんな目に遭わされたのにどうして我慢したんですか?」と、わたしの行動の理解に苦しむ、と言ってくる人がいるのは。でも思うに、そうね、17年ものあいだ父を我慢してきた経験を通じて、自分自身を失わずにいるには、自分のやりたいことをやるにはどうすればいいか、なんとかそれをやっていく方法を見つけ出していたわけで。それに、ある意味では……彼のやったこと、そして彼がどういう人間だったか、それらはわたしにとっても有用だったんだし。彼はわたしの役に立ってもいた、という。その面も考えに入れるべきよね。あの場にいたことは、実際わたしの役にも立ったんだし。

なるほど。でも、そうやって自分に有利なものへと状況を引っくり返せたのは、あなたがそれだけ強い人だった、ということでもあるんでしょうね。仮にあなたと同じようなつらい立場に立たされた女性がいたとしたら、彼女たちの何人かは屈服させられ、黙らされていたでしょうし。

コージー:それはもちろん! だからなのよね、人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。というのも、「逃れることができない」とその人間が感じる理由は本当にいくらでもあるんだし、それは感情面が理由なこともあるし、実際面や金銭面、ときに政治的な理由ということもあるし、あるいはまた、アートをやっていくために、その状況から脱出できないことだってあるわけで。
 わたしがジェネシスと別れたのは、COUM〜スロッビング・グリッスルが本当に好調に進んでいたときだったわけよね。だから、あれは本当に大きな決断だった。というのも、わたしが彼から去ってしまったらCOUMもTGも終わるだろう、それは承知していたから。だけど、(笑)実はそれはどうでもいいことだったのよね。というのも、その先にはもっと素晴らしい、もっとずっと素敵なものが待ち構えていたんだし、それがクリスだった。でまあ、この本に関するインタヴューを受けるたび、話題はジェネシスに集中しがちなんだけれども、わたしの人生でもっとも大きかった存在、それはクリス・カーターなのよね。

それは、わたしも本を読んで強く感じました。彼はどれだけあなたにとって意味のある存在なのか、と。

コージー:そう。だからそれ以前に起きてきたことはすべて、わたしがクリスに出会う瞬間、その場面にわたしを連れていってくれるのに役立ってきたものだった、という。で、彼と出会ったところで、それまで自分の経てきたなにもかもの意味がわかるようになった。だから、彼と出会う以前に自分に起きてきたこと、そのなにもかもが、彼とわたしのあいだにある「これ」、この関係こそ自分がこれから保っていくものなんだ、と気づかせてくれた、というか。そしてまた、愛とは本当はどういうものなのか、自分のアートや自分自身に対して満ち足りた思いを抱くのはどういうことなのか、そこにも気づかされた。
 というのも、クリスのおかげでわたしはわたしを完全に信頼し、応援してくれる人を得たんだし、しかも彼にはわたしをコントロールしようという面が一切なかったわけで。それだけ、彼はわたしを愛してくれているのよね。でも、それが愛というものなのよ。愛している人間を変えようとは思わないでしょう? というのも、あなたはその人間をまるごと愛しているんだから。

この本は、COUM〜TG〜クリス&コージーそしてX-TGへの物語であり、同時にひとりの女性の人生譚/サヴァイヴァル譚でもあります。女性からの共感が多かったと聞きますが、男性からのリアクションで、なにか面白い感想があったら教えて下さい。

コージー:どうなのかしらね、わたしは「女性/男性」と分けて考えることはないから……「人びとのリアクション」としか考えない。もちろんそういう見方をとることもできるけれども、それでもやっぱり、わたしはあらゆるジェンダー、セクシャルな性向に向かっていきたいし、それが本の基盤にもなっているわけで。だから、「ある人間」についての本なのよね。もちろん、「男性VS女性」の図式とか、トランスジェンダーだとか、みんなそれぞれに違う。ただ、これはある人間についての、かつあなたがいま言ったように、サヴァイヴァルについての物語であって。そうは言っても、わたしは自分に生まれついて与えられたもの、渡されたカードに対して闘ったことはなかったんだけれども。とにかくただ、自分には自分の人生のなかでやりたいことをやる権利がある、そう信じてきただけのことで。だからなのよね、この本に「男性/女性」という見方でアプローチしないことが重要なのは。
 というのも、性別がなんであれ、やりたいことをやる権利は誰にとっても大切なことだから。そうは言っても男性のほうが、「自分にはこれをやる権利があって当然」という感覚が女性よりも強いものだけれども。ただ、自分自身を信じて、これはやらなくてはいけないと強く感じることをやっていくこと、それは誰にとっても大切。で、そうやって「自分はいったい何者なのか」を理解していくこと。それは大きな課題だわ。自分が誰かを理解するためには、様々な人生経験を経ていかなくてはならない。シェルターのなかに身を隠しているわけにはいかないのよね。というのも、人びとや経験、世界はそこに存在しているんだから。けれども……本当にたくさんの人たちから、本に対してとても素晴らしい反応をもらってきたわ。とは言っても、わたしはフェイスブック等々はやっていないから、あの手の場でなにを言われているかは知らないけれども。そもそも興味もないし、ゴシップだらけだしね。

でも、この本を読み終えて真っ先に個人的に感じたのは、「若い女性に広く読んで欲しいな」ということだったんですよね。あなたの本なのでスロッビング・グリッスルやクリス&コージーのファンがいちばん読むでしょうが、いま「女性に読んで欲しい」と言いましたが、実際もっと広く、性差etcに関わらず様々な形での抑圧や支配に苦しんでいる人に読んでもらえたらいいな、と。そうしたコントロールに対する対処の仕方も書かれている、ドキュメントになっている本なので。

コージー:そういえば、面白けれども、友人から「世界最初の小説は日本人の女性が書いた」と教わったのよね(※紫式部の『源氏物語』と思われます)。

ああ、はい。

コージー:だから、日本人女性のあなたから、わたしの本に対してそういう感想をもらうのはとても興味深いわね……うん、本当にそう思う。というのも、大昔の日本の宮廷で宮仕えしていた、そういう女性が小説を書いたわけでしょ? だからそれを考えてみれば、何百年も前の世界ですら、女性たちは「自分の思いを、言葉を聞いてもらいたい」という必要を感じていたわけで。で、彼女たちには耳を傾けてもらう権利がある。わたしたち女性はなにも、「沈黙したままの多数派」ではない、という。でも、そうね、とにかくこの本が、色んな層の多くの読者に届いてくれることを願っている。で、本を読んだ人たちにとっても、彼らの持つポテンシャルを活かして自分のありのままの姿を追求する、そのインスピレーションになってくれたら本当にいいな、そう思っているわ。彼らは彼ら自身であればいいんだし、流行りのファッションだとかを真似する必要はない。というか、わたしのやったことをコピーする必要すらないのよ。それくらい、誰の人生だってみんなそれぞれに違うんだし。

人びとが女性の側を責めて批判することに対して、わたしが賛成できないのは。人びとは「(そんなに苦しいのなら)どうして君は家を出なかったんだ?」、「なんで相手を捨てられなかったんだ?」等々……だけど、そうやって批判する側は、ひどい目に遭ったり虐待された人間とは違う類いの人びとなわけよね。そういう人たちに、「自分はこの状況から逃れることができない」と感じている人を批判する権利はないから。

スロッビング・グリッスルという言葉は男根の暗喩ですよね。男根はパワーの象徴で、歴史的にも崇拝されてきましたが、それを敢えてグループ名にしたのはどうしてですか? ひとつのアイロニーというか、TG内においても暗黙のなかで反父権社会的/反マチズモ的なものがあったからでしょうか?

コージー:まあ、あのタームを使うことにしたのは、わたしの友人のレズ、彼がペニスを意味するタームとしてあれを使っていたからなのよね。その意味合いは彼がすっかり説明してくれたし、あれはそれまで、わたしたちの誰ひとり行き当たったことがなかった言葉で。それに、もうひとつあったのは……あれはバンドが普通だったら絶対にバンド名にしない、そういうものだったところ。

(笑)なるほど。

コージー:というのも、あれはパンク以前の時代だったわけで。あの頃、「包皮」とか、そういう名前のバンドは存在していなかったでしょ。というわけで、スロッビング・グリッスルという名前は……だから、さっきも話した「笑える」点、ユーモアも関わっていた、ということ。誰かがレコード店に行って、「スロッビング・グリッスル(陰茎)のレコード、ありますか?」と尋ねる場面を想像する、という。

(笑)。

コージー:だから、「バンドの名前だ」とわかっているつもりでも、そこにはダブル・ミーニングもある、という。そうはいっても、あの名前は「TG」に縮められてしまったんだけどね。クリスはあの名前が嫌いだから。

らしいですよね。彼はいつも「グリッスル」か「TG」としか呼ばなかったそうで。

コージー:ええ。それから、前身だったCOUMトランスミッションズとの繫がりもあった。COUMのシンボルには「COUMペニス」があったし、あのペニスは性交後の萎えたそれだったけれども、そこからTGになったところで、勃って準備万端、世界を相手に固く立ち向かっていく存在になった、と。それが、わたしの見方ね。

1970年代、セックス産業に与しているという理由によってフェミニストから批判されたあなたが、いまとなってはフェミニズム的な文脈のなかで評価されていることをあなたはどう感じていますか?

コージー:まったく問題なし。だから、どういう文脈にわたしの作品を当てはめるかそれ次第だ、という。わたしやわたしの代理人のギャラリー側に「こういう展覧会があるので作品を貸してほしい」という提案が届くと、わたしたちは話し合い、その展示の文脈にわたしの作品の本来持っていた意味がフィットするかどうか考えるし……だからとにかく、わたしの作品に対する評価の変化というのは、時代の変化、そして物事への姿勢が変化した結果だと思っていて。だからある意味、何年も前に自分のやっていたことに時代が追いついたんだな、と。いまの人びとはあの作品をありのままに眺めるけれども、発表した当時の人びとにはそういう風に観ることができなかった。ということは、早過ぎたのかもね? どうしてそうだったのかは、わたしにもわからないけれども。ただ、あれらの作品は現在の時代に居場所を見つけてみせた。とは言っても、そこまで何年かかったのかしら……それこそ、40年近く?

(笑)ですね。長かったですね。

コージー:(苦笑)ええ。

ただ、やっぱりあなたにも新鮮な気分だったんじゃないでしょうか。「受容」や「評価」があなたの目的だったことはなかったし、自分の作りたいアートを作るのみだったとはいえ、ああして時代が追いついたことは嬉しかったのでは?

コージー:まあ、クリス&コージーの作品にしたって、人びとがあれに追いつくのに10年近くかかったわけだしね。

ああ、たしかに。

コージー:で、人びとが追いついた頃には、わたしたちはもうカーター・トゥッティに変わっていた、という。でも、それはいまでも続いているのよね。人びとはカーター・トゥッティ・ヴォイドを求めているけれども、わたしたちは既に他のなにかに取り組んでいる。たとえわたしのやる仕事の一部に対する人びとからの受けが良いからといって、それに足止めを食らわされるわけにはいかないから。わたしのやっているのはそういうことではないんだし……いま現在にしたって、わたしは他のことに取り組んでいるけれども、それでも人びとからはわたしたちが10、20、30年くらい前にやっていたようなことをやって欲しい、と求められる。だけど、自分の持ち時間のなかで、自分にやりたいことは他にもっとあるから(苦笑)。

常に先を行っているんですね。

コージー:いいえ、そんな風に考えたことはない。とにかく、常に自分のやりたいことをやっているだけ(笑)。

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まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。

フェミニズムに限らず、70年代、80年代のUKの音楽シーンはどこかしら政治思想、イデオロギーとリンクしていたと思います。アナキズム、社会主義、コミュニズム、反資本主義等々。

コージー:フム。

でもスロッビング・グリッスルにせよあなたにせよ、ああいう風におおっぴらに「政治的」だったことはなかった気がします。特定の政治的な「派閥」に同調したことはなかったのではないか? と。あなたは意識的に様々な「〜イズム」とご自分の作品との間に距離を保っていたのですか?

コージー:まあ、わたしたちはいつだって個人として物事に対処していた、ということね。陳腐な言い回しになるけれども、「個人的な物事は政治的である」と。いまの質問である意味、あなたはわたしたちは政治に繫がっていなかったのではないか、と言ったわけだけど、そんなことはなくて、当然わたしたちも政治には関わっている。ただ、個人のレヴェルでそこに関わっているだけ。でも個人的であっても、最終的にはとても政治的になっていくものであって。いまのようになにかひとつ、個人としてのレヴェルで物事がまずくなっている状況があったとして、ではそれを地球規模で考えるとどうだろう? と。イギリス国内に留まらず、アメリカやドイツ、世界各地のことを考えてみると、誰もが政治のせいでパーソナルな面で苦しめられているわけよね。そういう段階こそ、パーソナルが非常にポリティカルになる場面だ、と。
 というのも、政治を再び正しい軌道に戻さなくてはいけないわけだし。多数の人びとの声を代弁させなくてはならないし、ただ単にキャリアを求め権力を手にしたがっていて、金儲けをしたいだけ、そういう手合いを代弁しているわけにはいかないだろう、と。政治はそういうものじゃないんだしね。たとえばここイギリスみたいに、わたしたちにいまある政治状況では、それこそ国そのものが崩壊しかねない。人びとは権力に酔い、経済面での利害を追求している。完全に狂っているし、まったく理解できない。だから、わたしとしても民主主義社会に生きているつもりでいるのが本当に難しくて──というのも、人びとはこれを民主主義と呼んでいるけれども、実際はそうじゃないわけで。……どうもわたしも、いまやすっかり政治的になってるみたいだわね(苦笑)?

いまはそうならざるを得ないですよね。もっとも、どの時代でも困難な状況はあったでしょうが。

コージー:ええ。でも、いまは危機的状況じゃないか、わたしはそう思っているわ。

すでに『D.o.A.』の頃にはメンバーそれぞれの分担作業になっていたTGですが、それでもグループとしてのパワーを発揮していたというのはすごいことだと思います。再結成のライヴもそうですが、TGにはバンドとしてのマジックがあったんでしょうね。そのことをあなたはいろんな言い方で表現しているように思います。言葉で捉えて表現するのはそれくらい難しいなにか、だったんでしょうか。

コージー:ええ、というか、みんなどう表現すればいいか困るんだろう、と思う。あれは言葉で言い表せないなにかだったし、どうして自分は聴いてああいう感覚を受け取るのか、その理由が見出せないものであって。というのも、ひとつの空間にたくさんの人間を集めて、そこでサウンドとエモーションを同時に相手にして取り組んでいると……だから、その場の全員が一緒にそれに関わっている、という。観客の側からもらうエモーショナルなフィードバック、反応、そしてエネルギーとが、プレイしている音楽に入ってきてエネルギーを与えてくれるんだしね。だから、全員が関与しているわけ。で、あれはとても不思議な感覚で……というのも、ある意味、自分自身から抜け出すようなセンセーションが生まれるから。それぞれと繫がり合うのではなく、むしろあのエネルギーそのものとコネクトしてひとつになっている、というか。あれは集団的なエネルギーだったし、なにもわたしたち4人だけの作り出すエネルギーではなかった。とにかく、口では説明しきれない(苦笑)。

(笑)でも、本のなかであなたはかなりがんばってあれを描こうとしましたよね。

コージー:ええ、そうよね! だから、音楽やアートをやるときと同じで、とにかくただ、それが「起きる」という感じ。でもそれって本当に、それ以前に起きた様々なことの組み合わせから生じるものなのよね。で、それらを(ライヴの場という)短い瞬間のなかに凝縮させていくと、どういうわけかすべてがまとまって、完璧なものになる。そういうことを意図的に引き起こすのは不可能だったし、とにかくそれが「起こった」。というのも、その場面に至るまでに過去にやってきたいろんなこと、そしてその場での精神状態とが合わさってああいうものが生まれたんだしね。だから自らをオープンにして、様々なことが通過していく「導管」になる、ということ。ある意味、瞑想をやるときに似ているわね。

TGにライヴ音源が多いのも、それだったんでしょうね。通常の「ロック・コンサート」ではなく、そのときの、その場の、人びとの記録だった、という。

コージー:そうね。

ちょうどこの9月に再発される『Mission Of Dead Souls』は、あなたが本のなかでもっともお気に入りのライヴのひとつに挙げているサンフランシスコでのライヴを収録したものですよね? 

コージー:ええ。

どうしてあのギグが印象に残っているんでしょう? 第1期TGの終わりを告げた作品だったから、ですか?

コージー:それは、自分がほとんどもう外側から音を発しているような気がした、そういう感覚を抱いた唯一のギグがあれだったから、だわね。わたしは実際あの場にいたけれども、でもあの場にいないような感覚があった、という。ほんと、さっきギグについて話したことと同じだけれども、それまでやってきたことのなにもかもが組み合わさってライヴが生まれるわけよね。で、あれは(第1期)TGが最後にプレイしたギグだったし、そのぶんすごいものにもなった、と。
 というのも、あそこですべてが、TGも、なにもかもが最後を迎えていたわけで。それにサンフランシスコ公演の前のロサンジェルスで、わたしたちは言い合いをしたわけよね──例の、あの問題人のせいで。あのときわたしたちは「サンフランシスコではちゃんと元に戻そう、まとまらないといけない」と話し合った。っていうのも、責任は自分たちにあったわけでしょ? あれがTGのラスト・ギグになることになっていたんだし、たとえお互いに対してどれだけ個人的な問題を抱えていたとしても、わたしたち全員が揃えばそれを越えたもっとすごいものになれるんだ、と。で、あのギグはまさにそういうものだったし、素晴らしかった。あのギグ以上にアメイジングだったものと言えば、TGが再結集して初めてやったアストリア公演に……それに、クリス&コージーの音楽を久々にやったとき、でしょうね。あの3本のギグが、わたしにとっては他のなによりも際立って記憶に残っている。

その『Mission Of〜』ですが、あらためて聴くとTGからクリス&コージーへの架け橋的なサウンドにも思いました。たとえばシングル“ディシプリン”以降のテクスチャーやビートは、その後クリス&コージーに受け継がれていくものじゃないかと。

コージー:その意見は興味深いわ。というのも、あの“ディシプリン”のリズムというのは、これは本当の話だけど……ほぼもう、スロッビング・グリッスルがはじまったのとまさに同じ頃から存在していたのよね。

ほう!

コージー:クリスの手元にはいろんな実験をやったテープが残っていて、彼は最近それらを聴き返したのね。で、あの“ディシプリン”リズムはそのテープに含まれていたし、あのテープは本当にごく最初期の、まだわたしたち4人がスロッビング・グリッスルとしてライヴを始める前に録ったもので。

そうだったんですか。

コージー:だからある意味、これも円が一周して閉じた、ということじゃない? クリスがあのリズムをやり始めていて、それと同じ頃にTGもスタートしていたわけよね。ところがあなたにとってあの“ディシプリン”のリズムは、その後のクリス&コージーに至るヒントをもたらすことになった、という。だからほんと、クリスなのよね、物事を繋ぎ止めていた「岩」の存在というのは。

でも、驚きですね。あのリズム/ビートは、その後のいわゆる「インダストリアル・ミュージック」のテンプレートになって、さんざんコピーされたわけですし。

コージー:ええ。本当に、パワフルなものよね。

でも、それはTGの始まりから存在していた、と。

コージー:だから、棒立ちで動かない人間のリズムを無視することはできない、ということで(苦笑)。

(笑)で、今回の3枚の再発で、ほかに『Journey Through A Body』と『Heathen Earth』を選んだのはどんな理由からですか?

コージー:あのすべてになんらかの繫がりがある、そうわたしは思っているから。この3枚のまとまりは、再発企画で同じグループに入れられた他のタイトルほどその理由は明確に映らないかもしれない。タイミングも異なる作品だしね。ただ、あの3枚はスロッビング・グリッスルについてなにかを語っていると思うし、でもそれはノーマルな文脈のそれではない、というか。だから、いつもとは違う……普通よく言われたり書かれてきたスロッビング・グリッスルに関するあれこれからは外れた作品群だ、と。だから、これらを同時に出すのは大切なことだと思ってる。

「アザー・サイド・オブ・TG」とでもいうか、より即興性の強い、ライヴでルーズな側面を物語る作品、ということですか?

コージー:というか、聴き手にも気づいて欲しいのよね。これらの作品もまた、いわゆる「スロッビング・グリッスルのアイコニックな楽曲」と看做されてきた、そういう曲群と同じ時期に生まれていたものだという点を。だから──スロッビング・グリッスルは「これ」というひとつの存在ではなかったわけ。TGは“ディシプリン”とか“ウィ・ヘイト・ユー”とか、そうした1曲に集約されるものではなかった。『D.o.A.』でやったアンビエント調の楽曲や『20ジャズ・ファンク〜』(のラウンジ〜ディスコ解釈)にしても、わたしたちはハードコアなライヴ・パフォーマンスをこなしながら同時にああいうこともやっていた、その点を考えてもらいたいな、と。だから、スロッビング・グリッスルというのは人びとの考える「インダストリアル・ミュージック」というもの、それ以上のなにかだったのよね。要するに、機械工具だの金属製品を買い込むだとか、そういうことではない、と。

(笑)ええ。

コージー:それにTGには、さりげないところもあったしね。だから、実験だった、ということ。わたしたちはあらゆる類いの実験をやっていた。たとえば金属塊をぶっ叩き、ハードなリズムを鳴らし、苦痛に喘いでいるようなヴォーカルをそこに乗っけるとか、それって安易過ぎでしょう? TGはそういうものではなかったし、もっとそれ以上のなにかだったから。

『D.o.A.』そして『20ジャズ・ファンク』のレコーディング過程に関するあなたの本での記述は、TG1作目『セカンド・アニュアル・レポート』のそれに較べると割と簡潔であっさりしている気がしました。あの2枚にあまり文字数を費やさなかったのはどうしてでしょう。

コージー:それはだから、作ったアルバムごとに「我々はいかにしてこの作品を作ったか」みたいに詳述した本を書くつもりは自分にはなかったから。それとか、レコーディングのテクニカル面に関する解説だとか。わたしがあの本で語りたかったのは、わたしがこの世界で経てきた体験についてだった。で、わたしがこの世界で体験した様々なことは、「このアルバムの録音には何インチのテープを使った」とか「どんなタイプのテープを使ったか」といった点に終始するものではない、と。スロッビング・グリッスルの用いた技術だったり使用機材に関する分析は他の人間もやってきたし、これからもその分析は続くでしょうしね。わたしもクリスと一緒になることでそうした面を知ったけれども、詳しいところまではわからない。ただ、あの本はそうした点についてのものではない。あれはわたし自身の人生についての本だ、という。

最後の質問になります。これまでの人生を振り返って、いろいろなピンチな局面があったと思いますが、やはり病に倒れたことは大きいと思います。そもそも、あなたが体調を悪くされていたこともこの本で知りましたが、最近はいかがでしょうか? 

コージー:その日ごとに症状を抑えてコントロールしなくてはならない、そういう状態ね。だから、とても、とても厄介。というか、(本に書かれた2014年までの頃よりも)いまのほうがもっと難しいことになっている。

ああ、そうなんですね……。

コージー:ええ。

これについて質問したかったのは、あなたをなんとしてでも来日させたがっている友人がひとりいるからなんですよ。

コージー:でも、この症状があるからわたしには無理ね(苦笑)。行きたくても行けない、その主な理由が心臓の病気だから。

長時間のフライトができない、と?

コージー:そう。それはいまや、アメリカも含んでいて(※2008年頃まではコージーもアメリカでツアーや展示をおこなっていた)。

ああ、そうなんですか。

コージー:ええ。それに……だからこれまでも、ブラジルだとか、世界各地から招聘は受けてきたのね。ただ、とにかく肉体的に、わたしにはそれらの招きに応じることができない、という。そんなわけで、わたしは来る日も来る日も自分の体調を管理しなくてはならないし、ときにはとても体調が良い日もあって、「よし、不調は消えた!」なんて思うわけだけど(笑)、2〜3日したら症状がぶり返して、安静にして薬を服用しなくてはならなくなったり……。ただ、これに関しては自分でもあまりえんえんと話したくはないの。というのも、いわゆる、病弱でめそめそした、そういう人間にはなりたくないから。
 そんなわけで、どうしてわたしが一部の招待や依頼を断るのか、そこを理解してくれない人は多いのよね。ただ、そうやって様々な招待を辞退している最大の理由は、実のところ、わたしが自分にあるエネルギーを使って仕事をやろうとしているから、であって。もちろん、ライヴだってわたしたちの仕事の一部ではある。けれどもいまの時点では、わたしは物事に優先順位をつけていかなくてはならない。というのも……とにかくいまのわたしにとって、(長旅を含む海外渡航は)肉体的にあまりに課題が大きいから。

日本の側でファン・ツアーを組織して、あなたがパフォーマンスするのを観にイギリスに出向くしかないかもしれませんね。

コージー:(苦笑)そうね。ただ、イギリス国内のギグですら難しいかもしれない。というのも、多くの人間は気づいていないでしょうけど、ギグというのは……たとえば、わたしはもう夜遅くまで演奏し続けることはできない。ところが、イギリスではライヴのトリは普通、夜が更けてから出演するものと思われているわけで(※イギリスのコンサートではヘッドラインは早くて9時半頃に登場。クラブ系のイヴェントでは出演が深夜を回ることもある)。単純な話、わたしにはそれは無理。そんなわけで、誘ってくれてどうもありがとう、でも、お断りします、という。

分かりました。今日は、お時間いただけて本当にありがとうございました。長々喋ってしまいすみません。

コージー:いいのよ、気にしないで。良い質問だったわ。

ありがとうございます。本の日本語版出版が楽しみですし──

コージー:わたしも。実際に本を目にするのが待ち遠しいわ! 素晴らしいでしょうね。

お元気になられることを願っていますので。どうぞ、お大事に。

コージー:ええ、ちゃんと自分の面倒は見るわ。あなたも、元気でね。

Oliver Coates - ele-king

 そうじゃない。そういうことじゃないんだ――。
 きっとあなたも経験したことがあるだろう。いわゆる正統なクラシカルの教育を受けたアーティストがエレクトロニクスを導入してテクノやIDMを試みたときの、あのどうしようもない違和感。たいてい電子音やノイズは装飾の域に留まっているし、それを肴にストリングスやピアノが酒宴を張るだけの結果に終わってしまうこともしばしば。あるいは逆に、身体性を意識するあまりビートが妙に強調されすぎていたり。違和感というよりも「残念」とか「無念」といったほうが的確かもしれない。

 ジョニー・グリーンウッドとの共同作業によりぐんぐんと知名度を上げているロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ、その一員たるオリヴァー・コーツもまた、そのようなクラシカルの文法をしっかり身につけたチェロ奏者だ。いや、「しっかり」なんてもんじゃない。かつて王立音楽アカデミー史上最高の成績を収めたというのだから、相当なエリートである。その気負いもあったのかもしれない。彼のファースト・アルバム『Towards The Blessed Islands』(2013年)は、クラシカル~現代音楽のなかで「しっかり」前衛を追求する作品だった。
 ただ、彼がそのアルバムでスクエアプッシャーをカヴァーしていたことは心に留めておくべきだろう。原曲は『Ultravisitor』所収の小品“Tommib Help Buss”で、複雑なリズムや音響が展開されるものではないが、その選曲は、オリヴァー・コーツのなかにクラシカルとは異なるプログラムが走っていることを教えてくれていた。
 そこから遡ること5年、彼はバービカンでおこなわれたミラ・カリックスのパフォーマンスにチェロで参加しており、その成果は『The Elephant In The Room: 3 Commissions』(2008年)として音源化されている。そのとき縁が結ばれたのか、翌年ふたりは〈Warp〉が設立20周年を記念して編んだコンピレイション・シリーズ『Warp20』でボーズ・オブ・カナダの楽曲をカヴァーしてもいる。これらの事実に、彼がオウテカのファンであるという情報を付け加えれば、いかにオリヴァー・コーツがIDM~エレクトロニカを愛好する音楽家であるかがわかるはずだ。

 そんな背景を持つ彼もまたきっと、あの「そうじゃない」という感覚を味わったことがあるに違いない。だからだろう、その後オリヴァー・コーツは、映画のスコアなどを除けば、基本的にIDM~エレクトロニカの側に軸足を置くことになる。弦の音響効果から巧みにダンス・グルーヴを抽出した2014年のシングル「Another Fantasy」はその最高の成果のひとつだし、積極的にエレクトロニクスを導入したセカンド・アルバム『Upstepping』(2016年)もその延長にあるといっていい。そうした正統なクラシカルからの離脱運動は、〈RVNG〉へと籍を移して発表されたこの新作『Shelley's On Zenn-La』において、よりいっそう推し進められている。

 彼の長年の相棒であるチェロはほとんどの曲においてエフェクトが施され、はっきりそれとわかるかたちでは鳴らされていない。本作を覆っているのはむしろ、リチャード・D・ジェイムスの影だ。“Charlev”や“Perfect Apple With Silver Mark”などは音の響かせ方やドラムの部分でいやでもエイフェックスを想起させるし、“Faraday Monument”や“Cello Renoise”なんかは完全にドリルンベースの再解釈である(前者はどちらかというとトム・ジェンキンソン寄りかも)。とはいえ、それがたんなるモノマネに陥っているわけではないところが本作の魅力で、そのような往年の〈Warp〉を彷彿させる音響空間に、「違和感」なく女性ヴォーカルや加工されたチェロを重ね合わせていく手腕は見事というほかない。“A Church”の紡ぎ出すグルーヴの心地良さといったら!

 オリヴァー・コーツは近年、ミカチューことミカ・レヴィと何度もコラボを重ねているが、直近でもっとも注目すべきなのはアクトレスとの共演およびローレル・ヘイロー新作への参加だろう。クラシカル畑出身でありながらその文法に依拠しない彼の態度が、尖鋭的な電子音楽の俊才たちを惹きつけてやまないのだ。
 この『Shelley's On Zenn-La』にはあの「そうじゃない」がない。本作はなによりもまずエレクトロニカとして優れた作品であり、だからこそモダン・クラシカルとしても高い完成度を有することができているのだと、そう思う。けっして、逆ではない。


Yves Tumor - ele-king

 ティームスではチルウェイヴに挑戦し、ザ・ムーヴメント・トラストとしては〈NON〉からEPを、イヴ・トゥモア名義では〈PAN〉からアルバムを、他にもシルクブレスやベケレ・ベルハヌなどなど、多くのユニットやソロ・プロジェクトでリリースを重ねてきたショーン・ボウイ。昨秋〈Warp〉と契約し大きな話題を集めた彼が、去る9月5日、唐突にニュー・アルバム『Safe In The Hands Of Love』を発表しました。現在デジタル限定での販売となっているこの新作ですが、なんと10月12日に国内盤CDが発売されます。ボーナス・トラックに加え、歌詞対訳も付属するとのこと。アートワークも強烈ですが、リリックも気になるアーティストですので、これは嬉しいお知らせです。

YVES TUMOR
時代を切り拓く謎の先駆者となるのか?
〈WARP〉移籍で話題を呼んだイヴ・トゥモアが
突如フル・アルバムをリリース!
ボーナス・トラックを追加収録した国内盤の発売も決定!

ベルリンの最先端を行く実験的レーベル〈PAN〉からの前作『Serpent Music』が、アルカやブライアン・イーノらと並んで、米Pitchforkの【The 20 Best Experimental Albums of 2016】に選出されるなど、最高級の評価を獲得し、注目を集めたイヴ・トゥモア。昨年には〈Warp〉との電撃契約が発表され、同年12月には、坂本龍一のリミックス・アルバム『ASYNC - REMODELS』に、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、アルヴァ・ノト、コーネリアス、ヨハン・ヨハンソンらと共にリキミサーとして名を連ねた。そして今年7月、移籍後第一弾シングル「Noid」をリリースすると、さっそくPitchforkで【Best New Music】を獲得。その後立て続いて「Licking An Orchid」をリリースし、今週にはBeat 1の看板DJ、ゼーン・ロウの番組で「Lifetime」が解禁(こちらもPitchfork【Best New Music】を獲得)。そして9月6日、それらを収録したフル・アルバム『Safe In The Hands Of Love』がデジタル配信限定でリリースされた。合わせて、ボーナス・トラックが追加収録された国内盤CDも10月12日にリリースされることが決定。

Noid
https://youtu.be/Edthfw5Pbxk

Licking An Orchid (ft. James K)
https://youtu.be/M9teCJVTr_s

Ryuichi Sakamoto - ZURE (Yves Tumor Obsession Edit)
https://youtu.be/umgio5eXg7Y

Pitchforkは、マーヴィン・ゲイやザ・キュアーも引き合いに出し、ディスコ、ソウル、そこにゴシックでダークな音楽性までを包括した“今最も冒険的なアーティストのうちの一人”とその才能を絶賛。鬼の顔のようなアルバム・ジャケット、奇抜な外見とは裏腹にイノセントな表情を浮かべたアーティスト写真、知ろうとすればするほど謎が深まるイヴ・トゥモア。昨年行われた貴重なインタビューの中でも「多くの人は私の存在が何なのか困惑してると思う。けどそれでいい」と自ら語っている。

イヴ・トゥモアによる最新アルバム『Safe In The Hands Of Love』は、10月12日に国内盤CD、輸入盤CD、輸入盤2LPが世界同時発売される。国内盤CDにはボーナス・トラックが追加収録され、歌詞対訳と解説書も封入される。デジタルは9月6日より先行配信中。

label: WARP RECORDS
artist: Yves Tumor
title: Safe In The Hands Of Love
release date: 2018.10.12 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-584 ¥2,400
国内盤特典:ボーナス・トラック追加収録/解説・歌詞対訳冊子

[ご予約はこちら]
beatink.com: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9846
iTunes Store: https://apple.co/2NPfa9a
Apple Music: https://apple.co/2wK3v4b
Spotify: https://spoti.fi/2NSteOW

[TRACKLISTING]
01. Faith In Nothing Except In Salvation
02. Economy of Freedom
03. Honesty
04. Noid
05. Licking an Orchid ft James K
06. Lifetime
07. Hope in Suffering (Escaping Oblivion & Overcoming Powerlessness) ft. Oxhy, Puce Mary
08. Recognizing the Enemy
09. All The Love We Have Now
10. Let The Lioness In You Flow Freely
11. Applaud (Bonus Track for Japan)

bod [包家巷] - ele-king

 ダブステップ/グライムの異才、ヴェックストのクエドとジョー・シェイクスピアによって主宰・運営される〈プラネット・ミュー〉傘下の〈ナイヴズ〉は面白いレーベルだ。
 2015年にリリースされたジェイリン『ダーク・エナジー』も〈プラネット・ミュー〉と〈ナイヴズ〉の共同リリースだったし、2017年にリリースされたベルギーのオブサクゥイズ『オルガン』もロマン主義的なダーク・ミュジーク・コンクレートで、興味深いアルバムに仕上がっていた。
 ベース・ミュージックからモダンなミュジーク・コンクレート作品へ。ダブステップ/グライム世代である彼らが時代の音を追い求める過程で、サウンドやコンポジションが次第に抽象化し、複雑かつ流動的なミュジーク・コンクレートの音響へと至った点は非常に興味深い。
 00年代末期から10年代初頭のアンビエントの時代を表すキーワードを「融解/溶解」とすると、10年代後半のヴェイパーウェイヴ以降のミュジーク・コンクレート・テイストの音響作品は「流動/状態」ではないか。ここでは、そのような「流動/状態」の象徴的な作品として、〈ナイヴズ〉からリリースされた bod [包家巷] の新作『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』を捉えてみたい。ちなみにレーベル初のカセット作品でもある。

 bod [包家巷] は、LAを拠点に活動するアーティスト、ニック・ヂゥーのプロジェクトである。これまで2016年にニューヨークの〈パステル・ヴォイズ〉から『オーケストラ・オブ・ザ・フローズン・ステート[冰国乐队]』、2017年にロサンゼルスの〈ズーム・レンズ〉から『ピアノ・コンポジションズ[钢琴组成]』をリリースしてきた。そのオリエンタルなムードと電子ノイズをミックスさせる手法によってヴェイパーウェイヴ以降ともいえる独自の奇妙さを称えた音響作品を制作している。

 本作『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』は、ニック・ヂゥー・サウンドの集大成に聴こえた。中華的な音楽モチーフと尖ったノイズの交錯は高密度かつ高精度にコンポジションされ、認識がクラッシュしたようなエクスペリメンタル・ポップネスを生むことに成功している。
 彼のルーツでもある中華的なサウンドと西洋音楽的なハーモニーに、10年代的なジャンクなサウンドコラージュとクールな電子音が交錯することで、フェイクともリアルとも区別のつかない新・電子音楽空間を生成しているのだ。だからといって、全体を包み込むオリエンタルなムードに「文化搾取」という感じはまるでしない。エドワード・サイード的な「オリエンタリズム」が希薄なのである。さらにはリドリー・スコット『ブレードランナー』(1982)やウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』(1984)などの80年代的なサイバーパンクの音響=イメージ的な反復でもない。
 「オリエンリズム」に回収されないオリエンタリズム。なぜなら末期資本主義の時代においては、さまざまな局面において、欧米的な世界にアジア的なものが大きく流れ込み、諸々のイメージの固定化が覆され、価値と意味が刻々と変化し続けるからだ(ハリウッド映画における中国資本の大きさを挙げるまでもなく)。さまざまなフェイクや情報が水のように流動化し、次の瞬間には無効化する時代なのである。となれば欧米中心の音楽地図が、一部の状況に過ぎないというのも、現在の音楽リスナーであればいとも簡単に気がついてしまう事実だろう。

 『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』は、そんな時代のムードを称えた現代的なミュジーク・コンクレート・サウンドである。そこに漲っているのは接続への意志というより流動的状態への生成変化だ。自然というより完全に人工的、川や海というより水槽的な音響とでもいうべきか。管理された人工性の希求。それと相反する世界の流動化。水槽への隔離。快適と管理の希求。異物の侵入への恐怖。本作は、まさに現代ならではの多様性とフェイクとホラーが混濁する独自のムードを醸し出している。
 だが、しかし、ノイズは鳴る。水槽の外は想像できないにもかかわらず、である。それは他者への恐怖からかもしれない。現代において不安は存在論的不安ではない。そうではなく水槽の中における他者への不安である。このノイズは閉ざされた世界で自身の身に危険を与える恐怖の表象ではないかと思う。つまり暴力への恐怖だ。暴力は認識や知覚をクラッシュさせる。ニックの音楽はそのような認識の崩壊と再生成を、サウンドのミックスによって往復していく。まるで中国からアメリカへと至ったその人生のように。クロアチア出身のメディア・アーティストの Tea Stražičić と、Jade Novarino の書道による世界認識のクラッシュのようなアートワークも、作品/人生の世界観をうまく表現している。ホラー的なのだ。

 本作『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』は、カセットのA面とB面にそれぞれ1曲という長尺2曲の構成だが、まるでミックス音源のように音は変化し続ける。高音域の電子ノイズも耳に気持ち良い。ラストは天国に昇るような電子音のアルペジオが鳴り響き、唐突に終焉を迎える。このアルバムには快適さと異物への恐怖が共存しているが、この終焉は恐怖の浄化かもしれない。
 この猛暑の8月、私はひたすら本作を聴いていたがいまだ飽きない。2018年の無意識にアクセスするような心地良さを感じたのだ。私は空調も空間も見事に管理された巨大な商業施設を彷徨っている感覚になった。快適であり、文化の行き着く先である。モノ・コトが、無数の商品となり、陳列され、断片化し、流動化する。消費社会の到着地点である。そこを泳ぐように放浪・浮遊することは、どこか水槽の中を浮遊する魚のようだ。巨大な商業施設=モールは水槽である。つまりは快適に管理された自由ともいえる。この場所では大きな物語性は消失したが、商品化(断片化)した物語にアクセスすることはできる。巨大な商業施設=水槽の中を泳ぐ魚のように放浪するのは、そういった断片的な「物語」にアクセスするためではないか。

 あらゆる権利を無化するようにネット上の画像や動画、音楽などをコピーする21世紀のアナーキズム音楽であるヴェイパーウェイヴもまたそのような消費世界の残滓としての「物語」にアクセスする聴取感を持っている音楽に思える。それは現代的なノスタルジアだ。そのような瀕死のアナーキズムとノスタルジアは、欧米的なものからの脱却のようにアジア的な流動的世界感へと合流していく。
 例えば2814『新しい日の誕生』(2015)、『レイン・テンプル』(2016)をはじめとするロンドンの〈ドリーム・カタログ〉の音楽が、この現代において魅力的に聴こえるのは、『ブレードランナー』や押井守監督(原作・士郎正宗)『攻殻機動隊/ゴースト・イン・ザ・シェル』(1995)などのカルチャーのリヴァイヴァルだからではない。
 そうではなく、2814のような音楽は、この20世紀的な物語がデータ化した現代という時代において、「物語的なるもの」を感覚するためには、ただひたすらに断片的なイメージ(音)を摂取するしかないということを明確に示しているのである(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーは〈ワープ〉以前の作品からそうであった)。それらを彩る日本のアニメ的かつアジア的なアートワークも断片化した世界認識へのアタック/グリッチ効果をもたらすものであり、20世紀のオリエンタリズム的批判意識を壊してしまう。そして80年代的なシンセ音楽もまた10年代的な音響工作によって時代性や歴史性への遠近法を狂わす。
 ここでは「物語」はすでに断片=残骸に等しい。そう考えるとメルツバウ『パルス・デーモン』がヴェイパー系のレーベル〈Bludhoney Records〉からリイシューされたのも当然だった。メルツバウこそ資本主義の残滓によって資本主義社会がもたらす雑音に抗ったノイズ/ミュージックの祖なのだから。

 ともあれ、ヴェイパーウェイヴはインターネット空間の中にある物語=残骸(画像であっても動画であっても音楽であっても、物語の欠片である)をコピーし、エディットし、レイヤーし、コンポジションすることで20世紀の残滓を21世紀的なモードに切り替えた。ノスタルジアがアナーキズムに行き着くのは、サンプリング時代であった90年代といっけん近いようでありながら、ここでは「終わったもの」が違っている。
 「彼ら」は終わったものが何かを分かっている。だが、もはやどうすることもできない。突破の手口はあらゆる方面から閉ざされ、資本主義は疑うこともできない闘争の前提条件になってしまったからだ。ゆえにヴェイパーウェイヴがシニシズムに満ちているのも当然といえる。そして日本的/アジア的なイメージを借用するのも、欧米的なそれとは違うアジアの非弁証法的な資本主義的世界観=流動性から抵抗を試みようとする無意識の発露かもしれない。
 その意味でドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』(2017)もヴェイパーウェイヴやインダストリアル以降の同時代的な表現といえる。『ブレードランナー2049』のイメージや物語はすべてオリジンを欠いたコピーのコピー(のコピー……)である。物語消失以降の世界における芸術=物語=人間へのアクセスをめぐるアートであった。また、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの新作『エイジ・オブ』も同様の表現に思える。いわば後期フィリップ・K・ディック的なサイケデリックな認識崩壊的な感覚は、現在はこういった作品たちに継承されているのかもしれない。人間の終わり、世界の不穏化の意識と表象……。

 この bod [包家巷] 『リンピッド・フィアー[清澈恐惧]』にも、そのような「以降の世界」における人間の意識パターンと、その崩壊から再認識へと至る過程を聴き取ることができた。
 ミックス音源経由のミュジーク・コンクレート的音響の生成とでもいうべきものだ。それは音楽文化の残滓の蘇生でもある。過去の借用と盗用のインターネット時代のアナーキズムでもある。それゆえの80年代から90年代初頭の電子音楽の借用でもあった。われわれは水槽を泳ぐ魚のように断片化した物語にアクセスするだろう。そこでは暴力の記憶もある。それゆえのノイズが生成だ。同時に「アジア的なもの」が流動化してもいる。流動化と閉塞。水の中に融解するように変わる世界と突破できない無力感。出口を求める感覚。それゆえに生まれる強いエモーション。
 本作は、いわば流動/状態と情動/生成の同時接続としての新・電子音楽、つまりは「エモ・コンクレート」だ。ここに21世紀前期の無意識があるような気がしてならない。未聴の方はぜひ聴いて頂きたい。


interview with Autechre - ele-king


Autechre
NTS Sessions

Warp/ビート

Avant-Techno

  このインタヴューは去る6月15日13時30分からおよそ50分にわたって、渋谷のカフェでおこなわれた。来日ライヴの翌々日。梅雨のまっただなかで、朝から雨が降っていた。当日の通訳は原口美穂さんがやってくれたが、細かいところを訳すために片岡彩子さんにお願いして、英文起こしをしていただいた。せっかくなので英文のほうも(いちぶ聞き取りできない箇所もアリ)も掲載する。
 PCとインターネットが普及したことで、ベッドルーム・エレクトロニック・ミュージックの飽和状態はさらに過密化している今日この頃、専制的な均質化への抵抗としてのオウテカはいまだ健在だ。物語を持たない音の粉砕機械は、『Chiastic Slide』(1997年)でいっきに加速し、方向性すらもたない音のうごめきと複雑なテクスチャー、音の微粒子は『Confield』(2001年)でさらにまたギアが入っている。なんのことかわらないって? そう、まさに。そのなんのことかわからないことをオウテカは追求しているのだからしょーがない。誰もが慣れ親しんでいないことを、しかし親しんでもらうという矛盾で彼らを言い直すこともできるだろう。反エリート主義であり、徹底した反ポピュリズム。以下の取材でも彼らはSpotifyを激しく罵っているが、あらかじめ定められた目的別に音楽が消費されていく様は、彼らからしたらジョージ・オーウェル的な悪夢でしかないだろう。
 そういう意味でオウテカは、いま現在も長いものに巻かれないでいるし、逆らっていると言える。10人聴いたら10人が違う感想文を書くであろう音楽。この現実のようにカオスな音楽。それは感じる音楽であり、体験する音楽だ。先頃リリースされた8枚組(アナログ盤では12枚組)『NTS Sessions』でも同じことが言えるかもしれない。4つのセクションからなるこの大作だが、ぼくが驚いたのは、彼らがこのおよそ16時間をひとつの作品として考えていることだった。まあ、型破りな彼ららしい考えとも言えるが。
 90年代後半において、オウテカがビョークやレディオヘッドに影響を与えた作品は、『LP5』(1998年)や「EP7」(1999年)の頃で、そしてこれら『Chiastic Slide』以降のオウテカのひとつの節目としてリリースされたのが「Peel Session」(1999年)と「Peel Session2」(2000年)だったことを思い出す。『Confield』(2001年)以降を第三期オウテカと言えるなら、『NTS Sessions』はそれから『Exai』(2013年)までのオウテカ、近年の彼らの節目となりうる作品と見ることができるだろう。そしてそれは次なる段階へのドラフト(草案)なのだ。
 オウテカの2人と会ったのはものすごく久しぶり、ヘタしたら2000年代前半に、田中宗一郎と同じ車に乗って田舎の彼らのスタジオまで行ったとき以来ではないだろうか。それでもロブ・ブラウンとショーン・ブースは「あー、久しぶりだねー」みたいな感じで、1995年に彼らが初めて(ライヴのためではなく)来日したときに取材した頃とあんまり変わっていない。気さくで、オネストで、飾らず、良い奴らのままだった。

いまはそ完全に新しいものをいきなり出してもオーディエンスは付いてきてくれる。シュトックハウゼンが昔、オーディエンスは進化すると言っていたけど、それは本当だった。オーディエンスは進化したんだ。

この前のショウはとても良かったです。フロアは真っ暗で何も見えませんでしたが、ステージからフロアの様子は見えましたか?

ショーン:ぼくたちには(会場にいる)誰よりも見えているんだ。でも、耳を使っているんだ。観客が何をしてるか、耳で聞いている。
Sean:We see much better than everybody else. And.. But you can.. Mainly ears, you know, because you can hear what crowd are doing, what I think, you know... and...

ロブ:知覚を使って、場を感覚的に捉えることができる。会場の皆も、最初の真っ暗で何も見えない状態から、だんだん目が慣れてきて、最後の頃にはかなり見えていると思うよ。
Rob:You definitely get a feel for what it is. That’s more senses working part(?), but I think your initial feeling of the absolute darkness goes away all the time because people can see it by the end. People may get used it  

ショーン:少しはね、だって本当に暗いから……。
Sean:A little bit. Its very dark...

ロブ:リキッドルームはブラック・ボックスに向いている会場だね。
Rob: Liquid Room is good for black, box.

ライヴをしているほうからしてもオーディエンスの顔が見ないと思いますけれど、歓声やその場の雰囲気によってライヴの演奏は変わっていくものですか?

ショーン:そう、いろいろ変えることができる。リキッドルームでやったセットでは、オーディエンスを焦らしに焦らしたような気がする。このセットは、クラブでも着席するような場所でも、できるものだけれど……。このセットでヨーロッパをツアーしたんだけど、会場は(着席型の)コンサートホールが多かったんだ。
Sean:Yeah, we can change lots of things. It’s like the set in the Liquid Room, I had a sense that we were teasing the audience a lot, and it was.. we originally brought out the set so we could play either in clubs or a seated...In Europe, when we toured with the set, we played a lot in concert halls.

クラブやライヴハウスではなくコンサートホールってことですね?

ショーン:そう。クラブでも対応できるようにフレキシブルに作ってあるセットだけど、日本ならぼくたちが自由にやってもわかってくれると思ったし、リキッドルームはトラディショナルなクラブ・スペースだから、オーディエンスをどこまでプッシュできるか試してみたかったんだ。最後の最後まで、ビートがあるトラックはかけなかった。ビートを入れてからもそれを覆すようなことをした。オーディエンスを、できるだけ遠くまでプッシュしたかったんだ。それから、東京に来るのは久しぶりで、最後に来たときよりも、ぼくたちは進化していて、変化した部分がたくさんあるんだ。(あのセットは)それを短い時間でオーディエンスに伝える、ぼくたちなりのコミュニケーションの仕方だったと思う。
Sean:Yeah, so we made it so we can flex a little bit and play it in clubs, but for Liquid Room gig, because we felt like in Japan we can get away with more. And we thought it would be ok to play it in Liquid Room as a..., which is really a traditional, more of a club space, but to try and push the audience as far as we could. We left it until really close to the end before we gave them some tracks with beats. Even then, once we delivered that beat, we started to subvert it. We wanted to push the audience as far as we could. And, I think, it’s been a while since we’ve been to Tokyo, we have kind of evolved quite a bit since we were last here, and I guess it was our way of communicating very quickly.. a lot of changes to the audience.

ロブ:そうそう。
Rob: Yeah.

ショーン:Subvert (サブヴァート)したかったんだ。ぼくにとって、リキッドルームはトラディショナルなクラブ・スペースというイメージがある。ジェフ・ミルズを連想させるようなね。ジェフは、彼独特の方向に(ディレクション)にオーディエンスをプッシュするアーティストだ。ぼくたちはぼくたちの、オウテカのディレクションに、オーディエンスを出来るだけ遠くにプッシュしたいんだ。彼らが普段リキッドルームで体験するものとは、まったく違うものを聴かせたかった。
Sean:We wanted to.. subvert.. I think traditional Liquid Room is a club space, I mean, for me, I‘m in UK, so I don’t see every Liquid Room. I would associate Liquid Room with Jeff Mills. And Jeff is an artist who pushes audience in his direction very particularly. I think we want to push the audience in Autechre direction, as far as we can. Not give them what they traditionally get in Liquid Room. Give them something really really different.

ロブ:ヨーロッパで同じセットをやったけれど、オーディエンスは着席しているあいだなら静かにしている傾向にあった。東京のクラウド(観客)は、いつも静かだ。本当に聴き入ってるから。だから、リキッドルームはトラディショナルなクラブ・スペースだけれど、東京のクラウドならぼくたちのやりたい両方のことができると思ったんだ。
Rob:When we did the same set in Europe, like shows with more seated people, they tend to be quieter. Straight way. Tokyo crowd is always quiet, because they are really listening. So we knew the Liquid Room space would be the traditional club, but with Tokyo audience, so we could do both of our things.

ショーン:ヨーロッパだとオーディエンスに静かにしていてもらいたい場合は、彼らを座らせなきゃいけない。
Sean:In Europe, if you want people to be quiet, you have to sit them down.

ていうか、日本はマニアックなファンがすごく多いんですよ。欧米でもそうかもしれませんが。

ロブ:抑制が聴いていて、きちんと待っていてくれる。聴こえているんだ。
Rob: They are restrain and they wait. Because they would hear it.

ショーン:本当に静かだった。ベース(低音)も、かなり低いところまで持っていった。ダイナミック・レンジでいう低いところだ。
Sean:They were really quiet. There were some bass in the set, we were really trying to push it far down. Down in the dynamic range.

ベースにもいろいろあると?

ショーン:ラウドなベースとクワイエットなベースのどちらもが欲しいんだ。最近は、デプス(深度・奥行き)に惹かれている。だから、この辺りまでくるベースもあれば(ジェスチャーあり)、遠くて静かなものもある。コントラストがあるものが最近は多いんだ。
Sean:We wanted loud bass and wanted quiet bass. And at the moment I’m really into depth. So there are some bass that are really here, some bass kind of distant and very quiet. A lot of contrast at the moment.

ロブ:でも、空の両端にあるものとして結果は同じなんだ。静かだけれども、遠くないこともある。
Rob:But the resolution is the same at both ends of sky, you know? It’s quiet but not distant, as in, you just...but still perceivable.

ショーン:最近の音楽は、すべての音を同じように全面に押し出してミックスされている曲が多い。全部のレヴェルが同じで、どの音もよく聴こえる。何もかもが同じで、5分あったら5分、ずっとすべての音がダダダダダって同じような感じさ。正直言って、つまらないと思う。ぼくはすべてのエレメントがあからさまではない、シネマティックな奥行きにに惹かれるんだ。遠くにあるがゆえに、気配を気付けないものだってあるんだ。何て言うんだろう、いまのぼくはが興味があるのは、そういうことなんだ。
Sean:There are a lot of modern music.. is all about...the way a lot of modern music is mixed is about having every sound as close to.. very up front, all same level, every sound is very audible. Everything is the same, almost. It’s almost like for five minutes every sound is dididididi. And I’m bored with it, to be honest. I’m interested in most cinematic depth, where not every element is obvious. Some things are really in the background, and you might not notice it, you know. I guess that’s just where I am. It’s less about making a consumer product, and more like artistic thing, I don’t know .. I don’t know if that sounds bad. That’s where I am.

なるほど。

ショーン:いまのオーディエンスはとても洗練されている。インターネットを通して、さまざまなことを知ることができるから。でも、多くのアーティストが保身的だ。一般的な消費品を作りたがっている。インターネットの悪い面は、多くの人びとがフィット・インしたがるというか、いわゆるスタンダードなものを受け入れてしまうところだと思う。だから、規格品のような音楽になってしまうんだ。例えば、『ツイン・ピークス』の新作、もしあれがデイビッド・リンチではない誰かが作った作品だとしたら、ネット(ネットフリックス?)は受け入れなかったと思うんだ。でも彼には名声がある。だからできたんだ。それはオーディエンスにもわかっていたことだ。でも、オーディエンスのああいう反応の仕方、あれは誰にも(ネットも)予測がつかなかったものだと思う。
Sean:I think audiences now are actually quite sophisticated. We have the Internet, everybody can know about lots of things, but a lot of artists are very safe. And they want to make very broad spectrum consumer products. Because, the flip side of internet is that everybody wants to fit in, everybody wants to reach some standard, so this is standardized music. And I feel, at the moment, audiences are sophisticated enough to understand - you look at this, say, why Twin Peaks, the new series of Twin Peaks, if anybody other than David Lynch had made that, the net would have rejected it, but because he has the reputation, it can make the (estate?) and the audience understood it, they actually responded in the way that, may be the networks, that wouldn’t have predicted it....

ロブ:自信、自己肯定の話だね。
Rob:It’s a confident thing.

ショーン:企業もアーティストも人びとも、選択肢も消費者も多いから仕方ないけれど、完璧な消費音楽を作ろうとしているけど、もっといろいろできるはずなんだ。オーディエンスはインターネットを通してエデュケートされているんだから。だから、ぼくたちは最近はインタヴューをあまりやらないんだ。ただ音楽を作り発表する、それだけ。パトロン的なことは、もう一切しなくていい。
Sean:We have this thing where companies and artists and people are making music, and trying desperately...because there so much choice, consumers, everybody wants to make a perfect consumer product but actually the audience are very educated now because of internet, so you can do much more. And I guess, we kind of realized this now... this is why we do less interviews now and just do music and just put music out, because you don’t need to patronized the audience, at all anymore.

ロブ:アーティストは自分自身を満たそうしているように見える。そうする必要はないのに。ぼくたちはふたり組みだから、さまざまな意見を交換し合うことができる。ラッキーだよ。もしひとりだったら、ぼくたちがよくやるように、(同じ事柄に対する意見を)反映できる相手がいないじゃないか。
Rob: It is like artists are trying to fulfill their own self need for that... kind of..... they don’t have to. We are (lucky?) we are just two of us - we can perhaps… let’s do this and if it was just one person, there is no one to foil against. No one to reflect the same things and we do that a lot with our work.

ショーン:自信を持てないでいることはイージーだよ。さっきも言ったように多くの人(アーティストたち)がオーディエンスをひいき (patronize)している。それがどういうことかっていうと、ピッチフォークで良いスコアを取ることだったりするんだ。たぶんね。音楽をレート(採点)するアイディア自体が変だよ、五つ星、四つ星というように。音楽はケトルやトースターやラジオじゃない、機能品じゃないんだ。それにスコアをつけるなんて馬鹿げてる。
Sean:It’s easy to not be confident, with the audience and to think you need to... Like I say, a lot of people now patronize the audience, and what that going for is actually a good score on Pitchfolk, maybe. They are going for this, so...This whole idea of rating music with score and stars, like 5 stars and 4 stars, it’s kind of weird. Music isn’t a kettle, or toaster, or it’s not a radio .. it’s not functional in this way (?) and you don’t, you get out with a score is stupid.

ロブ:(音楽の)話をすること自体が難しいのに。それにスコアをつけるなんて……。
Rob:It’s hard enough to even just talk about it. Let alone (?) what you’ve said into 5 star...

ショーン:それによって音楽が変わっていってしまっている。ぼくにはそれが聴こえるよ。そんなことを気にしていたら、オーディエンスをプッシュすることはできないのに。
Sean:But it’s changing music, I can hear it’s changing music I think a lot about it - it’s a scare to push the audience.

ヨーロッパで同じセットをやったけれど、オーディエンスは着席しているあいだなら静かにしている傾向にあった。東京のクラウドは、いつも静かだ。本当に聴き入ってるから。

オウテカのライヴを聴いていると、距離の感覚がだんだんと崩れていって、普段自分が感じているような空間ではないような感覚を覚え、違う感覚が呼び起こされます。これまでも何度かライヴを拝見しましたが、オウテカのライヴがすごいのは、いまでもオウテカの音楽は未来の音楽ということです。90年代のノスタルジーにはならない。

ロブ:ノスタルジアで昔の曲をかけたことはいちどもないよ。
Rob:I don’t believe we have ever played our old tracks (out of nostalgy).

ショーン:もちろん、ぼくたちの仲間のなかには、昔はよかったなんて言う奴もいるよ、もうミドル・エイジだからね、自分たちも含めて(笑)。ノスタルジアばかりさ、周りはね。
Sean:Ok, so the artists I (grew), got along side, complain about this, who are middle aged now, like we are, and they have enjoyed early part of their lives more, so that ...(laugh). There is a lot of nostalgia around, basically.

あなたがたはまったくノスタルジーを感じないんですか?

ショーン:皆、少なからず、それはあると思うよ。年を取ったということだよ。でも、ぼくがノスタルジアを感じるのは、そういうことじゃないんだ。他のエレクトリック・ミュージシャンは、そういう音を作りたがるけど……。ぼくたちに常に完璧を求めてきてたんだ。
Sean:Well, we are all bit like that. We all got old. But I think I am nostalgic to different things, electronic musicians.. I think they want to make sound from them. which is we must be perfect all the time.

ロブ:まさしくそうだよ!
Rob: This is it, this is it.

ショーン:いまはそうでもなくなってきたけど。皆、型にハマりたがる。ぼくたちは、常に型破りでいたいと思っていた。
Sean:It’s becoming less so now.. everybody wants to fit in. We always wanted to not fit in.

ロブ:その通りだよ。ぼくたちがいまノスタルジックに感じているもの、それはある意味いまでも進行形なんだ。
Rob:Exactly, the idea is what we are nostalgic about now is that we are still doing it in a way. We are not nostalgic and presenting our old work. We are not really nostalgic in that sense, but what we would do is, still, not the....

ショーン:ぼくはときどき、音楽をたくさん買ってきて聴きまくることがあるんだけど、似たようなものが多いなと感じる。それがどんなものであれ。そして飽きてしまう。そして違うことがやりたくなる、自然とね。とくにこれらとは違うものを作ろう! と意気込んでいるわけじゃない。ただ、ああ、こういうものは、もうお腹がいっぱいって思うだけ。そして、スタジオに入ると全然違うものができあがってくる。ぼくたちは多かれ少なかれいつもこんな感じでやってきた。
Sean:I always kind of, if I listen to, if I buy a lot of music, which happens, sometimes I just buy a lot of music, they’d be kind of sameness, you know, similarity there, and usually I get bored of that. Whatever it is. And kind of wanna do something else. It’s just a natural thing. I don’t think, you know “I must make the opposite to this”, I just get… just (fatigue?) .. I just think “Ah I’ve had enough of that. But when I go into studio, something else comes out. That’s … kind of we have been always that way. 

ロブ:さっき君がオーディエンスとの距離のことを言っていたけど、それについて話してもいいかい? ぼくたちはフロアの端っこの方、DJたちがよくやる場所だよね、そこで十分ハッピーなんだ。ステージは人工的なバリアを作ってしまうメカニズムのようなもので、それを好むアーティストもいるけれど、ぼくたちはそうではないんだ。
Rob:Can I say .. you mentioned first the distance between the audience and us. I think we are often quite happy to be in the corner on the floor, like where a dj might be. So sometimes a stage is an artificial barrier-making-mechanism artists prefer. We are not really that way.

ショーン:で、いまのオーディエンスはとてもスマートだと心から思うよ。知識がある。ぼくたちがスタートした頃は、オリジナリティーを受け入れてもらうのは難しかったんだ。少しずつ少しずつオリジナリティーを出していくというか。いまはそんなことはなくて、完全に新しいものをいきなり出してもオーディエンスは付いてきてくれる。それを生かすべきだと思うんだ。シュトックハウゼンが昔、オーディエンスは進化すると言っていたけど、それは本当だった。オーディエンスは進化したんだ。いまは、皆、シュトックハウゼンが誰か知っている。ぼくたちがはじめたころは、シュトックハウゼンを知っている人なんてひと握りだった。シュトックハウゼンに限らずね、例をあげればの話しだよ。オーディエンスは本当に知識があって、柔軟だ。つねに多様な音楽に触れていると思う。
Sean:I really do believe that the audiences now are incredibly smart. They know way more. When we started out, the audiences was…you know, you had have to make small moves, you made small moves of originality back then. Whereas now you can do huge moves in the originality. You can make completely new things. But the audiences are still there with you. I think this is something you can work with. It’s like .. some of what Stockhausen said back in the day about audience would evolve, is true. Audiences have evolved. People now days know who Stockhausen is. When we started out, you’d meet may be three people who know Stockhausen. Not Stockhausen particularly.. I’m just using him as an example. I think, in general, I think audiences are far more educated and far more flexible. They are more exposed to more different things all the time.

ロブ:ダイナミック・レンジについてもっと言えば、とても大きな音を出すことはオーディエンスとの間にバリアをつくるようなものだ。でも、音量を下げることによって聴こえてくるディテイルを大切にすると、そのバリアから流れ出ることができるんだ。最近はオーディエンスと親密なコミュニケーションができると思っている。昔はできなかったように思う。
Rob:There is something more about the dynamic range as well. I guess people can play really loud. It almost presents senses of barrier, between the artists and the people. When you bring things low, and with detail, it’s almost like you flow over that barrier as well as you.. We find now that we can communicate with intimacy with the audience, and which wasn’t possible.. 

ショーン:以前はもっと難しかった、不可能ではなかったけど。いまは、ストレンジなことをしてもオーディエンスはオープンでいてくれる。奥行き、ダイナミック・レンジ、インティマシー、そういったものは互いに作用しあうんだ。
Sean:It was possible but it was more difficult before. I think now you can bring the audience in and exposed them to stranger thing and they are more open to it. And yeah its kind of depth and dynamic range and intimacy, they all relate to each other.

思い通りの展開をしない音楽に対してオープンないまの状況というのがあるとしたら、あなた方が開拓したと思います。

ショーン:本当にそう思うよ。インターネットによって、あらゆるものが入手できるようになった。インターネット上で20代前半の人たちと話すことがあるけど、本当に驚くよ。なんでも知っているんだ、アカデミックでストレンジな音楽のことをね。以前から知っている人はいたけれど、いまは誰もが知っているようなものになってきている。
Sean:Yeah I really think so, Internet has made everything available. You’d be surprised that you speak to the people through the internet, may be they are in their early 20’s, they know about loads of academic, strange music. I mean there was some before, but now it’s becoming like a thing that everybody knows..

ロブ:昔だったら、そういうものを知るためには人生体験が必要だったんだよ。ぼくらはラッキーだった、年上の友だちがいたから。コイルやクラフトワークの前身のような音楽やアーティストたちのことを教えてくれたんだ。それをリアルタイムで知るには、ぼくたちは若すぎたからね。インターネットを通すと、そういった知識を凝縮することができる、もちろん、きちんとした説明や、信用できる引用元や照合、貴重なメモなんかがあってのことだけれど。
Rob:You’d need a life experience to know about these things. We were lucky the older people we became friends with, would show us who coil was, would show us who early, pre-Kraftwerk artist … because were too young for experiencing it when it was alive. So I think some people can condense that now with Internet, as long as there are trusted report and trusted explanations, and interesting notes and verifications, or citations… that helps but..

ショーン:何もかも入手できる場所に皆が競って入っていこうとする。でも注目されるのは困難だ。なぜなら、多様なすべてのものがそこにあるから。逆を言えば、皆がさまざまなものに触れることができ、洗練され、新しいものにもオープンになっていく。
Sean:It has two things .. on one end, you got this huge array of.. everything is available and artists are competing to be in the space.. it’s very difficult to get someone’s attention, because there are so many (?) now and so much music and everything is all there. But the other side of that is people are exposed to all these different things, and so they become more sophisticated, and more (?) and more open to new things.

ロブ:ひとつのことが次のことにつながるんだ。
Rob:One thing lead to another..

ショーン:ぼくはポジティヴな側面に惹かれるよ、オーディエンスが洗練されているという部分にね。
Sean:I am more interested in the positive aspect, which is the audience is sophisticated.

ロブ:かなり若い頃からクラフトワークのことは知っていたけれど、年上の友だちのおかげだな。その人から良い音楽のことをいろいろ教わったんだ。
Rob:Yeah, I remember knowing Kraftwerk when I was really young, but It took an old friend.. It was an old friend that explained the finest earlier work.

ショーン:良い音楽を見つけ出すのに昔は時間がかかったよね。
Sean:It used to take time to discover too…

もちろんインターネットにはポジティヴな面とネガティヴな面があると思います。ネガティヴな面というのは情報量が多いところです。例えば、今の若い人はいろいろな情報をチェックしてどんどん頭でっかちになってしまい、肝心なところが抜けてしまっていると感じるときがあります。今日の最高におもしろい音楽のひとつにシカゴのフットワークがあると思いますが、彼らはそんなにインターネットをチェックせず、自分たちで作り上げたからあのようなものができたんじゃないかなと思います。インターネットによってフラットになった世界の怖さについてどう思いますか?

ショーン:フットワークのように、閉ざされた環境で育つシーンを見つけるのは難しいし、レアなことだよ。フットワークは、ある意味、ハウス・ミュージックの再資本化に対する、シカゴ独特のリアクションだと思うんだ。ハウスを作っていた多くの人がフットワークに携わっていて、いまは大勢のヨーロッパ人もハウスを作っているけど、それに対して彼らは「これは俺たちのゲームなんだ、俺たちがフットワークを作って、俺たちがやっていることなんだ」と思っている。ドリルなんかもそうだよね。
Sean:Ok, so, yeah, you do have these things where that it’s difficult and it’s very rare to find as a scene that’s developed in an isolation like Footwork. I think Footwork in a way, this, very Chicago reaction to the recapitalization of house music. A lot of the guys who are involved in the Footwork scene were making House, but now every European is making House, and they just got, “No no no, this is our game. We are doing this and make Footwork, which is almost inaccessible to white European audience, right? You get the similar thing out of Drill music in Chicago as well.

ロブ:ダンス・シーンとペアになったとき、アメリカ人とヨーロッパ人はコインの反対同士なんだ。
Rob:I think when it’s twined with dance scene, Americans and Europeans are the another sides of the coin - because… you can’t, they’re doing footwork dance, and in Europe, they’d be listening to it (embarrassed?) with backpack on going like this….

ショーン:音楽的にフットワークはとても面白いと思うけどね。 
Sean:I mean I really like Footwork from the music part of the perspective, I think it’s very interesting ..

ロブ:ダンスとペアにしてクリエイトするからね、ストリートで、子供たちも、年寄りも、皆フットワークで踊っている。イギリスではそんな幅広い年齢層では聴かれていないかな。
Rob: It’s just as nice but at the same time, it becomes exclusive to people to create it, because they create with the dancing, in the back of (car park?), on the street, young children, older people, you know, if you think of it all the ages dancing to Footwork. In England, or in Europe, there is a very narrow band of age listening to that (shit?)..

ショーン:フットワークは音楽的にとても面白いから、ヨーロッパ人に受けるんだ。それに、近づきがたいものだっていうのもヨーロッパ人好みなんだよ。
Sean:It’s also that, yeah, Footwork is one of those things where it’s musically very interesting and Europeans are going to response that because there is always.. almost a conversation between people in the UK and people in America. And it’s always like things like Footwork are more interesting to Europeans, because it’s otherwise unaccessible, so we…

そこは日本人もそうかも。

ショーン:手の届かないものであるべきだよね。
Sean:It shouldn’t be accessible ..

ロブ:手に届くとは思っていなかったというか。
Rob:You wouldn’t expect it to be accessible.

ショーン:ハウス・ミュージックのときも同じだった。80年代にハウスが出てきたときに、イギリスなんでハウスに夢中になったかと言うと、アメリカの文化のなかハウスのようなものは他にひとつもなかったからだよ。80年代のアメリカ文化といえば、ブラック・ラップ・ミュージックがあるけど、ハウスはメインストリームでは理解されなかった。フットワークは、ある意味現代のハウスだよ、アメリカのメインストリームが理解しないもの。売りつけられるものと買いたいものが違うようなものと言えばいいのかな。イギリスはアメリカのメインストリーム音楽を認めてないんだよ、ビヨンセのような大物以外はね。イギリスでグランジやハウスが受けたのは、イギリスはあまり知られていないアメリカものを好むからなんだ。
Sean:Same thing with House Music, when it came in the 80’s. The reason UK liked House Music so much in the 80’s was that there was nothing like that anywhere else in American culture. Predominantly in the 80’s American culture was Black Rap Music. And suddenly there was (?) which was coming from America but mainstream America didn’t seem to understand. Footwork is the modern House Music in a way - it’s the thing the mainstream America doesn’t understand. It’s kind of like a difference between somebody obviously selling you something, and you wanting to buy something, you know? For Europeans, for whatever reason, you want to pick and chose things that are like… kind of a.. it (?) you a sense of agency. It’s like… the reason Grunge music was popular and House music was popular - obscure American things are always more popular in UK than mainstream American things. UK does not buy mainstream American music apart of huge acts like Beyonce.

ロブ:(イギリス人は)誰にも指図されずに好きなものを選びたいのさ。
Rob:It’s like we want to retain our independent right to choose what we want…

ショーン:人種の問題ではないし、そうしたくもない、でも、イギリスはアメリカの白人音楽よりも黒人音楽を好むんだ。つねにそうだった。なんでかって……、単純に言うと、(黒人音楽の方が)良い音楽だからだろう。1994年、ぼくたちが初めてアメリカに行ったとき、取材でどんな音楽に影響を受けてきたか訊かれた。「エレクトロやハウス」と答えたら、ジャーナリストたちは理解してくれなかった。
Sean:I mean I don’t want to make this about race, because I don’t want it to be about race, but UK prefers Black American music to White American music. We always have, I don’t understand why. I think may be it’s just better music. When we first to went to America, and they said “What are your influences?” and we said “Electro. House Music”. This is in 1994. Most of the journalists, couldn’t understand.

ロブ:予想通りの答えじゃなかったのさ。
Rob:They expected us be to into…

ショーン:彼らにとって、(エレクトロやハウスは)どうでもいい音楽だった。インテリジェントだと言われている音楽をやっているはずのオウテカが影響を受けるほど、(エレクトロやハウスは)洗練されている音楽だとは思っていなかったんだ。黒人音楽がメインストリームの白人音楽よりも洗練されていると認めたくなかったんだ。でも、時代は変わった。インターネットがヒップホップをいまのメインストリームにのし上げた。それをアダプトしてみればいいんだよ。フットワークやジューク、ドリルみたいなジャンルが、いまはメインストリームに成りつつある。アメリカよりもヨーロッパで受け入れられているよ。インターネットがそのプロセスを早めているんだ。
Sean:They just didn’t … to them that sort of music was rubbish. It wasn’t sophisticated enough to influence a band like Autechre, which they thought very intelligent and all that. It’s kind of like the same reason that Americans invented the term IDM. Because they didn’t want to admit, that the local black music was more sophisticated than mainstream American which was very white, at the time, music. But things change and Internet forced Hiphop into the mainstream in America now. So, try and adapt that. And Footwork, genres like Footwork, things like Juke and Drill are now becoming mainstream because of the acceptance in Europe rather than in America. Internet is speeding up the process.

ロブ:そうだね。
Rob:Yeah

ショーン:90年代とは違うんだ。いまはインターネットがあるから、ヨーロッパ人にうけているってすぐわかる。さっきから言っているように、オーディエンスもシャープだし洗練されている。
Sean:In the 90’s that wasn’t really the case. But now, if the genre.. like yeah you can make those genres big in America now because Europeans like them. If Americans are on Internet, and if Americans see Europeans like it on the Internet, it’s this quick things now. And like I said, audiences are so sharp and sophisticated now, it’s different.

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1994年、ぼくたちが初めてアメリカに行ったとき、取材でどんな音楽に影響を受けてきたか訊かれた。「エレクトロやハウス」と答えたら、ジャーナリストたちは理解してくれなかった。彼らにとって、それらはどうでもいい音楽だったからね。

次の質問です。『Exai』というCD2枚組のアルバムを2013年にだして、その後CD5枚組の『elseq 1-5』を自分たちのサイトから出していて、今回の『NTS Sessions』 はCDなら8枚組ということで、なんだかどんどん作品の尺が長くなっています。それは自分たちが表現したいこと、作品に出したいことが1枚のCDではおさまりきらなくなっているということでしょうか?

ショーン:あれは偶然の産物なんだ。2年前頃、NTSでたんなるミックスだけれどDJをした。そうしたら、次は(8時間の)レジデンシーをやらないかと。普通のラジオのDJのようなものをね。8時間、DJをする時間はなかったし、やりたいとは思わなかった。でも、自分たちのマテリアルでなら面白いものが8時間できるだろうと考えた。だからそうしたんだ。8時間のDJをやらないかって言われたからこそ、発展したというか。
Sean:NTS thing happened by accident. About two years ago, we did a dj set for NTS. It was just a mix, you know. And they came back and said if we would do a residency. And the first this was just a regular radio dj thing they were asking us. But I didn’t want to do it, I didn’t have enough time to do 8 hours to dj mixes, you know. But we sat and thought about it, and we realized we could make 8 hours of material - because, that would be more interesting. So we did that. So it just happened just because they asked us....They asked us 8hrs of mixes and...

ロブ:2時間のセッションを4回ね。彼ら(NTS)のレジデンシーが、そういう仕組みなんだ。
Rob:Four two-hour sessions. Four two-hour shows in the most. It was their idea to stage this residency, because that’s how they work with the residency…

ショーン:時間はかかったよ。これをやるには時間がかかるけど、できるだろうか? ああ、できるよって(話し合って)取り組んだ。
Sean:So it took a while - I thought ok if we do this, it would be a long thing. It requires a lot of time, but we can do it. It’s one of these... “Can we do this? yeah, we can do it.” And we tried. I think we did it.

ロブ:NTSのレジデンシーだったら、DJをするのだろうと思うだろ? 今までも新しいアルバムを出す度にそうしてきていたしね。プロモーションの一環として、ラジオ番組で大きいプログラムを組んで、影響を受けたアーティストの曲をかけたりしてきた。自分達の曲ではなくてね。ぼくたちがラジオでオウテカの曲をかけるとは、誰も思っていなかったんだ。だから、あれ? この曲は? まさかオウテカじゃないよねって。でも、2時間もしたら、当然わかるよね。次のセッションまでの1週間、皆が興味深々でいてくれたのがわかったよ。
Rob::What makes it more special is that, if we did a residency like that for NTS’ invitation, you’d expect us to be djing for the people’s music. Like we had every time we put cd of our music. We would prep us a big radio show, playing influences, play tracks that are never ours. Hardly ever played our own tracks. So suddenly the idea that.. the radio show, what you will hear is still secret. You know with an album, it’s gonna be an Autechre album, but with a radio show, a lot of people might expect others’ music, so it was that really the nice thing that the revelation that.. “I have not heard this tune before, they are playing some new record of somebody.. Is this Autechre? Oh...” And after two hours, it’s very obvious it’s Autechre and it was another week to wait. Will this be… They are not doing Autechre, they are playing somebody else’s. And that lasted almost a week. (We knew in an advance, it was saying we were talking about ideas - you could expect this constant reawakening of the people, the interests?)

ショーン:ワープと契約する前の、1990~1991年頃、マンチェスターで3~4年、パイレート・ラジオをやっていたんだ。他のアーティストのレコードをかけていたけど、ときどき自分たちの曲も滑り込ませた。
Sean:Before we signed to Warp, in 1990, 1991, we played on a pirate radio station in Manchester. We did this for three years, four years. We would play other people’s record, but every now and then, we’d slip in our own track of ours.

ロブ:デモをね。
Rob: A demo.

ショーン:かけてみて、それに気づく人がいるか試していた。それに近い精神というか、何をやらかすかわらない遊び心というか。
Sean:Just play.. you know, see if anybody notices. And it was a little bit in that spirit, where the audience would not know what we would do, so we could play around..

ロブ:予測できないこと何かをね。
Rob: It’s unpredictable

ショーン:ぼくたちが新しいオウテカの曲を8時間もかけるなんて、誰も思わないだろうと考えたんだ。だって、馬鹿げているだろ。だからやったんだ(笑)。
Sean:Yeah so we thought nobody would expect us to play 8 hours of new Autechre. It was kind of absurd, you know, ridiculous. But.. so we did that.

ロブ:ぼくたちがラジオのブロードキャスティングのことをよく理解しているということ、それがショーンが言っていることの本質だよ。ラジオを聴くという行為、皆が一体になって聴いている瞬間というのかな、ある瞬間に、この曲誰だろうって思っている人は君ひとりじゃない。皆をシンクロさせるんだ。ライヴ・ストリームだったから世界のどこかで君と一緒に聴いている人がいたんだよ。深夜2時頃にやるのがぼくたちの定番だけどね、昼間じゃくて。夜、心に響く音楽だと思うんだ。世界のどこかでは、深夜のベストの時間帯になるから、(ストリーミングを)何時にやってもいいのかもしれないね。さざ波のように広がるのが面白かったよ。ある場所では夜中で、別の場所では仕事から帰ってきたばかりの時間。でも、少しはお互いにシンクロし合うんだ。皆がライヴ・チャットしていたのを見ていたよ。「いま帰ってきてばかりだけど、聴き入ってるよ!」とか「いま東京! 東京で聴いてる!」とかね。そうやって感情が反映されて広がっていくんだ。
Rob:It’s the nature of Sean talking about how we are very familiar with radio broadcasting, the idea of how people are actually listening together, is a combined moment where everyone knows, even if they don’t know - “who is that?” - then at least there is one more person is like that. Doing what they are doing. And.. Because it synchronizes everyone. What was quick with this was, they streamed this live, normally we would play it 2AM or it’s better earlier in the evening, not in the mid afternoon, but you knew this somewhere around the world, there are somebody (?) that, in that ideal window. At night time, that kind of music works a little better. And it meant that the radio show could be played almost (?) time of the day, because somewhere globally the stream is arriving at the ideal time for someone… They are kind of this funny ripply effect of people being accepting it later night and some people are like “no i’m just coming home from work, it’s not my ideal time” but they would synchronize each other a little bit. You could see people chatting live and say “I’m just coming home and suddenly immersed in this thing”. And some other people are like “I’m in Tokyo listening to this, oh man!” and you spread to reflect the feeling ..

ショーン:捉え方としては、ラジオ番組のプログラムと一緒なんだ。リリースはラジオをドキュメントしたものなんだ。だからタイトルがある。『NTS Session』と。
Sean:It’s conceived as programmed as the radio show. It’s very much… the release is a document of a radio show, which is why it has a title. NTS session because...

ロブ:アーカイブだね。
Rob: It’s an archival.

ショーン:そう、ラジオのアーカイブ・リリースだよ。
Sean:Yeah, it’s an archival release of a radio show. Yeah, it’s a...I guess that is what it is.

これはいつ放送されたものですか?

ショーン:4月だよ。やったばかり。
Sean:April. It’s very fresh, yeah.

ロブ:4月に4回、毎週木曜日だった。
Rob:It was every week , four Thursdays in April.

ショーン:前もって用意した作品だよ。スタジオでやった長いセッションを元にしているんだ。ピール・セッションを作った時のプロセスと同じようなやり方なんだ。
Sean:And it was prepared in an advance. But it was made.. originally from the long live sessions in the studio. It was a similar process to how we made the Peel Sessions. It was a very similar process to this.

4つのセッションはそれぞれテーマが決められているように感じました。セッション1はダンス・ミュージック、エレクトロ的なオウテカのルーツを感じるようなセッションで、セッション2は近年の『Exai』や『Oversteps』などすごくエクスペリメンタルで複雑なことをやっていた近年のオウテカというものがすごく出ているように感じました。セッション3は今までやっていなかったことをやろうとしているのかなという印象を受けて、セッション4はアンビエントやドローンなど聴いたことがないオウテカという印象を持ちました。それぞれのセッションはどのように作り分けているのですか?

ショーン:興味深い。
Sean:It’s interesting...

ロブ:ペース間隔が大切だったんだ。ラジオ・ステーションがベースになる作品であることはわかっていた。
Rob:They have to be paced, and we knew the pace had to work in a... we knew the records were gonna come out as well as the radio station was gonna be its basis.

ショーン:部分的には……、頭のなかのどこかで、経験として8時間の音が成り立っていたから。
Sean:It’s partly... as well, somewhere in the back of my mind, I had kind of 8-hour experience..

ロブ:頭のなかで。
Rob: In mind.

ショーン:そう、だから、全体的な流れがある。8時間通しで聴くことは、誰にも期待していないよ、でも可能にしたかった。(音の)旅だと思う。大まかなナレティヴもあると思う。そうだね、最初は直球にしたかった、ある意味、入って行きやすいもの。2番目は、ディープにしたかった。2番目のセッションは、ブシュシューと深いところに沈み込むような感じだ。そして3番目は、2番目の展開。4番目はディープな未来。なんて表現すればいいのかな、アイディアとして、深い深い未来、物事がありすぎるようで少なすぎるような……。
Sean:Yeah. So there is an overall flow. I don’t expect many people would listen to 8 hours all while they are sitting but I want it to be possible. And it’s kind of a journey. There is kind of a rough narrative...And yeah, it’s true, in the beginning I wanted it to be more straight forward.. Not necessarily... I guess “accessible” to a certain extent, and the second one, I want it to be deep. The session two was kind of a deep plunge, almost like an “boonpfft.... “, you know. And then three is a kind of like a development of two. Four is kind of a deep future. I don’t know how to describe it, kind of...idea is a deep deep future where it almost you can’t ... there is almost too much and too little at the same time..

ロブ:ぼくは個別に捉えている。1番目は……狭いところから始まり、だんだん広がっていく。アルバムにはイントロがよくあるように。2番目はもう少しわかりやすくて(入っていきやすい)、皆がどこまで遠くまで行けるか探っている。3番目は、とてつもなく広く、何でも起こり得るような場所。4番目は、ショーンが言ったように、ガスなのかアトミック・レベルなのかわからないけど、互いにコズミックな関係性のあるものが沈みこむような……引力と重力のある……
Rob: I see it individually in a way...the first one... it starts out narrow and widens out and widens out, and second one, yeah slightly more accessible for a reason, because some albums were with an introduction, yeah? And then, second one, exploring how far people can go. Third, you got so much width now, almost anything is possible. The fourth one, like Sean said, you don’t know what they are doing with the gas, or atomic level stuff or, and just as important, cosmic with one another. There is gravity and heaviness ..

セッション4最後の1時間近くあるトラック、“all end”のことですが、このような長尺のドローンはいままでなかったと思のですが……

ショーン:長いトラックを作ったことは前にもあった。ドローンのようなものも、「Quaristice.Quadrange.ep.ae」(2008年)というね、『Quaristice』の頃だよ。
Sean:Yeah, we’ve done long tracks before. We’ve done drone tracks.. We did the thing called Quadrange, around the time of Quaristice.

ロブ:レコード4枚分、ダウンロードのみのリリースでね。
Rob: It was a range of four records. Download only.

ショーン:『Quaristice』の頃のデジタル・リリースで、1時間あるトラックだった。だから、初めてじゃない。ドローンとは呼びたくないけど、こういったトラックはずっと作っていた。ドローンじゃないんだ、別物だよ、でも、まあ長い間、こういうものは作ってきていたんだ。
Sean:It was a digital release around the time of Quaristice, and was an hour long track. So it wasn't the first time, but it was very limited.We’ve been making this kind of tracks...I don’t want to call it drone.. It’s not really drone, it’s something else, but we have been doing this kind of stuff for a while.

ロブ:その曲は世界のようなものなんだ。複雑な……。文明のある天体球で、そのなかを覗くとひとつの完全な世界がある。あって欲しいと望んでいる。
Rob: It’s like they are worlds.. it’s complicated.. it’s a civilized sphere, but if you look inside it, there is a whole world.. I mean there is, hopefully.

ショーン:その表現はすごくいい。
Sean:That’s a really good way to say it.

ロブ:こうとしか言い表せないな。
Rob: I don't’ know what else to say it..

ショーン:こういうのはしばらくやってきていたよ。でも、ワープに(1曲で)1時間もあるアルバムを持っていったら、何考えているんだ? って言われるよ。でも、8時間分のリリースなら、そのなかに1曲、1時間のトラックがあってもOKだろ。
Sean:We’ve been doing this for a while.. but if we go to Warp with an hour long album, they’d be like “What?”. In an 8-hour release, it’s ok to have a track that’s an hour long.

ロブ:昔、パイレート・ラジオだけじゃなく、キス・マンシェスターでもやっていたんだ。毎週ね。ディスエンゲージドという番組で、キス(ラジオ)でやっていた。FM局のキスは、イギリス全国にあるサテライトステーションだから、ぼくたちもブライトンでやったり、ロンドンでやったりしたけど、マンシェスターではレジデントみたいな感じで何年もやっていた。毎週日曜、真夜中の番組。友だちを呼んで、GescomとかAndy Waddocks, Skam, Rob Hall, Darrell Fittonとか、皆でやったんだ。みんな、変わったものを持ってくるんだよ。それに近いフィーリングだよ、ラジオでいろいろなものを聴く(かける)というものに。
Rob:We used to do, not just a pirate radio, we did a legitimate radio on Kiss Manchester. Every week… It was called Disengaged, on Kiss Radio. Kiss FM spread out as Satellite stations in UK, so sometimes we’d be in Brighten, London, and then we had almost like a resident in Manchester, for years. We had friends involved, Gescom gang, we did a lot of Disengaged in Manchester, because they came regularly every Sunday. And it was really late at night. So we did a lot of late night radio. Gescom, Andy Waddocks, Skam, Rob Hall, Darrell Fitton, all contributed and we all did this together. But they (?) very weird wonderful kind of program material, so.. it’s similar to that kind of the feel that things could be… it’s radio so we could explore lots of different things.

Spotifyはクズだよ! なんでかって? アクティヴィティー・プレイリストなんてものがある、リラクゼーション・プレイリストとか? 最悪だよ。音楽を滅ぼしてしまっている。最低さ。ストリーミング・サービスは、ゆっくりと音楽を破壊の道へ導いている。

『NTS Sessions』のすべての曲にちゃんと曲名がありますよね。その1時間の曲は“all end”という曲で、曲名に意味を持たせようとしないオウテカにしては意味を感じる曲名だなと思いました。

ショーン:うーん、ピンとくるタイトルはあるよね。これの場合は、最後の曲で尺の長い作品だし……。
Sean:I don’t know...sometimes titles just feels right. It was the end, and it was long and all..

ロブ:他のトラックでも、こんな感じのサウンドが聴けるものはあるんだ。でも、これは最後のトラックでこの独特の音の世界を追求したものだね。
Rob:There is a moment where you can hear this kind of sound in another track and it was an end of this track, and this is all but it, it is all that stuff, it’s all the end as well..

ってことは、過去にやってきたことの集大成的な意味合いもあるんですか?

ロブ:ピール・セッションについて話すと良いのかな。ピール・セッションの場合は、──ジョン・ピールはUKのラジオDJで、もう亡くなっているんだけれど──、アーティストたちは、3、4曲、ジョン・ピールに曲を渡していたんだ。1~2曲の新しいトラックと、それらのオルタナティヴ・ヴァージョンのものをね。コクトー・ツインズやザ・フォールなど、皆、すでにあった曲のオルタナティヴ・ヴァージョンをピール・セッションとして提供した。よく知られたマテリアル、有名なトラックのものを。
Rob:I should say.. With Peel Sessions.. In the UK, we have.. he’s died, John Peel, was a radio DJ in UK, he is now dead. And.. what used to (?) with the Peel Session, so the artists would give him, say, four tracks, or whatever, three.. It’s traditional to give may be one or two new tracks, then some alternative versions of new material… Most of Peel Sessions back then .. Cocteau Twins, The Fall, all these different artists did the Peel Sessions, most track they did were alternative versions of existing material. Well known material - almost famous tracks, even.

ショーン:『NTS Sessions』を思いついたとき、オウテカのマテリアルを展開させた、オルタナティヴ・ヴァージョンを作りたいと考えたんだ。すでにあるトラックのエレメンツやパーツ、アイディアに言及するような作品を。そういったことはいままでにもやってきていたけれど、そのやり方で厳密に取り組んだのが『NTS Sessions』なんだ。
Sean:When we conceived this NTS Session, we wanted to make what we would do as developed alternative versions of existing Autechre material. So it’s kind of.. it refers to previous work of other tracks, elements, or parts, or ideas from previous work in the same way. Strictly for NTS Sessions, we kind of did that more. We always did that a bit, but with this we did that a lot. 

ロブ:それは大きいね。
Rob:Real big parts of it.

ショーン:“all end”は、『Exai』の“Bladelores”というトラックに似ている。そして、最後のセッションだ。“all end”は、『Exai』の“Bladelores”のアイディアのいくつかを展開したもので、NTSのためのスペシャル・ヴァージョンと言えるよ。だから“Bladlores”の終章、終りということだね。
Sean:All End is similar to a track called Bladelores from Exai. And it was the end session. All End is an expansion of some ideas from a track on Exai. Bladelores. Kind of a special NTS version of that track. So the name is about, how it’s the end of Bladlores.

ロブ:終りのすべて、全部。
Rob:And it’s all of it.

今回の『NTS Sessions』もそうですし、ひとつ前の『elseq 1?5』など、さらにその前にライヴ音源をいっきに自分たちのサイトでリリースするようになったと思いますが、さきほどの「インターネット」や「スマートなリスナー」を想定したリリースの仕方をしているのですか?

ショーン:ああ、インターネットを通して、オーディエンスとは直に繋がることができる。メディアは物事を簡略化しすぎるから。売るためにね。
Sean:Yeah, with the Internet, we can just go straight to the audience. So the media, which is always trying to oversimplify things to sell things.

ロブ:インターネットは、完成していないスペースだから常に余白がある。だから、ぼくたちも物質的なリミット無しで、ようやくライヴ音源を出すことができたんだ。(ライヴ音源は)本当にたくさんあるんだ。1時間ある1曲は出せたけれど、音源はもっとある。それを皆に届けるには、無制限のスペースが必要なんだ。
Rob:Internet is a non-finished space, there is always a room. So we could put our recordings of the live shows finally without any limitation of physical so… Because there are a lot of them. To put one item out that’s one hour long, is I guess ok but we have a lot more of those, so we need an infinitive space to provide them to people.

Spotifyでオウテカのアルバムが聴けると思いますが、入っているアルバムと入っていないアルバムがあります。どうでしてでしょうか?

ショーン:Spotifyはクズだよ! なんでかって? アクティヴィティー・プレイリストなんてものがある、リラクゼーション・プレイリストとか? 最悪だよ。音楽を滅ぼしてしまっている。最低さ。ストリーミング・サービスは、ゆっくりと音楽を破壊の道へ導いている。作った音楽を聴いてほしいのはわかる。でも、ぼくらの古くからの友人たちにもいるんだ、Spotifyのプレイリストにあげるためだけの音楽を作るようになってしまった。ぼくたちは、オルタナティヴなものを作りたい。
Sean:Spotify is Garbage! Why? Because they have activity playlists. You have relaxation playlists, everybody makes fucking (?) music. It’s just the worst thing. It’s destroying music. I hate it. I think streaming services are slowing destroying music. And.. I mean, ok, I understand people want to have their music heard. But now I actually know artists, who are my friends, I know them for years, they are now making music just so they can get them on Spotify playlists. It’s just so different to what we …. we wanna alternatively make what we want.

ロブ:ワープがSpotifyに渡す曲については、ぼくたちで厳選している。(ワープは)理解してくれているよ、ぼくたちがこういう事については選択的でうるさいということを
Rob:We are strict what Warp will give to Spotify. And they understand why. They understand how.. selective.

ショーン:だから、ぼくたちのサイトで視聴できるようにしたんだよ。ぼくたちのプロダクトを買いたくなくても聴くことはできる。
Sean:Yeah, and we made it so if people don’t want to buy our product, they can just listen on our site for free, so there are still streaming available… We don’t have to worry about Spotify (?) us in the background. We can just put it there.

今後AIが音楽をつくれるようになったら、人が作った音楽とAIが作った音楽とで区別する必要はあると思いますか?

ショーン:すべての音楽は人間が作ったものだよ。鳥の囀り以外はね。
Sean:All music is made by humans. I mean apart from birds song.

ロブ:それでもヒューマン・メイドだよ。
Rob:Still human made.

ショーン:ぼくはつねにアーティフィシャルなものに興味を持っていた。こういっては何だけれど、アーティフィシャルってマンメイドっていう意味だと思う。人間が人工的なものを作ったということを忘れがちだけれど。コンピュータもとても人間的だ。テクノロジーのことを人間がどう考えるかということ自体、とても人間的だと思うんだ。人間がつくったから劣るものだという考え方はやめたほうがいい。個人的に、ぼくはArt、Artificialなものが好きなんだ。なんて言ったら良いかな、ぼくにとって、アーティフィシャルのコンセプトは、人間がつくったものだということ。ロボットだって人間が作ったもの。ArtはArtificialの言葉のなかにもあるよね、関係しあうものだよ。
Sean:I’ve been always interested in Artificial things. I feel bad to pointing this out. Artificial means Manmade. I think it is easy to forget Artificial means humans made it. It means, you know, computers are very human thing. This whole… you know, what we think about our technology, it’s uniquely human. I think, we need to get over with this idea, that because human made something, it is somewhat not good. Personally, I like art, I like artificial things, I like... you know, I don’t know how to explain this. This is difficult because for me, the concept of artificial means people made it. People made robot. I know it is kind of obvious, but, it’s like word “Art”. It’s part of the word “Artificial”. There is a related concept.

ロブ:ツールだね。ロボットだって人間が作ったツールだ。
Rob: I guess they are still tools. Robots are still tools made by people.

ショーン:言語とテクノロジーによって人間的なものが生まれるんだ。それらをどう使うかによって。70年代に、メカニカル・マシン・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックは人間的ではないと言われていたけれど、人間以外のどの動物がマシンを使って音楽を作る? 人間的ではないという意味がわからない。とても人間的だ。人びとが音楽を人間的だと形容するとき、ナチュラルだという意味で言っているんだと思う。ナチュラルって、人間が作ったものではないということだよ。ナチュラルの反対はアーティフィシャルだよ。だから、アーティフィシャルとは人間的ということ。皆、意味をあべこべに捉えてしまっている。なぜだかね。
Sean:I think humans… hrm, Because of language and technology, there are human things. Particularly by the way we use it. Often when we talk about mechanical machine music or electronic music.. In 1970’s, people would say it’s not human. What other animals use machines to make music. I don’t understand how that’s not human. That’s the most human ....I think people often say, with music, with regard to music, people often say human, when they mean natural. Natural means, not made by not human.. Natural opposites to Artificial. Artificial means human. Yeah it’s almost like people having it backwards. I don’t know why.

ロブ:ミステイクだね。
Rob:It's a mistake.

大胆不敵な音楽の熟達者たち――AMM論 - ele-king

黙殺された歴史

 「極北実験音楽の巣窟」を掲げ、一般的なメディアでは取り上げられることの少ないコアな音楽を数多く取り扱っているレコード・ショップ「オメガポイント」の新譜紹介コメントに、英国の即興集団 AMM がいま現在置かれている状況が端的に示されているように思う。まずはその文言を引用しよう。

説明の必要もない英国実験音楽の象徴だが、10年くらい前にピアノのティルバリーが抜けて、残りの二人だけでAMMを名乗っていた。それがいつの間にか三人に復活!(*1

 紹介文として適切だから引用したのではない。むしろここに書かれていることには致命的な誤謬が含まれている。およそ10年前に AMM を脱退したのはジョン・ティルバリーではなくギタリストのキース・ロウだ。さらに言えばティルバリーはそもそも AMM に途中から加入したメンバーであるし、結成から50周年という記念すべき節目に三人が集った極めてモニュメンタルな出来事を「いつの間にか三人に復活」とするのも正確ではない。だが何もこうした不正確さを論うために引用したのでもない。なぜこのような紹介文を引用したのかと言えば、これは AMM がすでに50年以上もの活動歴を誇りながらもいまだに無理解に晒されているということの一つの例証であり、そしてそうであるにもかかわらず、いや「英国実験音楽の象徴」と見做され得る巨大な存在であるがゆえに、「説明の必要もない」とされて正確な記述に至らないということ、こうしたことが現在の AMM がどのように受容されているのかを端的に示していると思ったからだ。たとえ多くの誤解と表層的な理解に晒されているのだとしても、すでに確立された評価があると思われていて、当たり前の存在であるがゆえに、あらためて振り返る必要はないとされてしまう。その結果半ば必然的にこうした紹介文が登場する。だがそうであればこそむしろ AMM を「説明」することは不要どころか急務であるはずだ。

 とはいえもちろん AMM 50年の歴史をすべて詳らかにすることは容易ではない。そこでまずはその成立過程をあらためて確認するところからはじめたい(*2)。主に1940年前後に生まれたメンバーによって構成されているAMMは、もともとハード・バップのグループで活動していたサックス奏者のルー・ゲアとドラマーのエディ・プレヴォー、それにゲアとともにマイク・ウェストブルックのジャズ・バンドに参加していたギタリストのキース・ロウが、1965年にロンドンの国立美術大学である「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」で週末にセッションをおこなっていたことからはじまった。この時点では彼らにグループ名は無かったものの、ほどなくしてウェストブルックのもとでベーシストとして活動していたローレンス・シーフと現代音楽の世界ですでに知られた存在だった作曲家/ピアニストのコーネリアス・カーデューが加入し、翌66年には AMM と名乗って活動をおこなうようになる。AMM というグループ名はラテン語の「Audacis Music Magistri (Audacious Music Masters)」すなわち「大胆不敵な音楽の熟達者たち」の略称だとされているものの、たとえば同時期に発足した自由即興集団のムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァ(MEV)やスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)が、略称よりもむしろ活動の方向性を体現する本来の名称で知られているのとは異なって、彼らはもっぱら AMM という三文字で知られている。グループ名については2001年のインタビューでキース・ロウが「AMMの成立過程は非常に複雑だった」のであり「何を略したのかは秘密」だと語っているように(*3)、たとえ本来の名称があったとしてもその意味に還元することはできないのだろう。かつて音楽批評家の間章はAMMを「冒険的音楽運動」(*4)の略称だとしたものの、これは「Adventurous Music Movement」をあてがって翻訳したのではないだろうか 。

 ちなみに1966年には米国に留学していたエヴァン・パーカーが英国ロンドンへと移住し、そのころニュー・ジャズ揺籃の地として賑わいをみせていた「リトル・シアター・クラブ」に通い詰めていた。同スペースにはのちにパーカーと共闘関係を結ぶことになるデレク・ベイリーや SME を先導するジョン・スティーヴンスらも頻繁に出演しており、もしも AMM のメンバーがここで盛んに交流をしていたら英国即興音楽史はまったく異なる様相を呈していたかもしれない。だが彼らはパーカーとは接近するもののベイリーやスティーヴンスとはほとんど関わることがなかった。接点だけでいえば AMM はピンク・フロイドやクリームと同じギグに参加しているほかポール・マッカートニーとも関わるなど広範に及ぶものの、英国の自由即興という文脈で同列に語られることの多い SME やその周辺の人脈と深い交流がなかったことは意外にも思える。後年ベイリーは AMM について「よく知らないな」(*5)と述べており、ロウも「私がデレクに対してそうであるように、彼はAMMについて無知なのかもしれない」(*6)と語っている。だが彼らが関わらなかったことは不幸というよりも、むしろ言語に喩えられた音楽の語法から離れようとするベイリーらの即興アプローチと、言語化以前の音響それ自体をやりとりする AMM の即興アプローチの、それぞれに特徴をなす明確な差異を形成することに役立ったに違いない。

 またカールハインツ・シュトックハウゼンのもとで研鑽を積み、その後ジョン・ケージやデイヴィッド・チュードアなどアメリカ実験音楽の成果を独自に継承し発展させることで、当時すでに現代音楽方面で名を馳せていたカーデューの名声にあやかったのか、AMM は不本意にもメディアによって初期のいくつかのパフォーマンスが「コーネリアス・カーデュー・クインテット」として宣伝されていた。67年にリリースされたファースト・アルバム『AMMmusic』も「ザ・コーネリアス・カーデュー・アンサンブル」(『Musical Times』)や「ザ・コーネリアス・カーデュー・クインテット」(『Jazz Journal』)などのクレジットで記事にされていたという(*7)。そのためかのちに「AMMはコーネリアス・カーデューが率いるグループである」という誤った認識が蔓延していくことになった。だがこれはまったくの誤解である。先のインタビューで「多くの人々はカーデューがAMMの創設メンバーだと勘違いしています」と言われたロウは、即座に「それは違う、むしろ私がカーデューをAMMに招き入れたんだ」と応えている(*8)。

 AMM の活動について多くのページを費やしたデイヴィッド・グラブスの名著『レコードは風景をだいなしにする』でさえ、「AMMは、作曲家コーネリアス・カーデューを中心に、彼と長年演奏や仕事を一緒にしてきた若手のミュージシャンやアーティスト志望の学生から成るグループであった」(*9)といったふうにこの誤った認識が共有されている(ただし後のページでは「プレヴォー、ロウ、ルー・ゲアが1965年の創設メンバーであったが、すぐにローレンス・シーフ、そして次にカーデューが加わった」(*10)と正しい記述もなされているものの)。だがグラブスだけならまだしも、それがそのままなんの引っかかりもなく翻訳され流通しているのは、はっきり言ってわたしたちの AMM に対する理解の低さを示している。それは単に AMM に対して無知であるということにとどまらず、より広い視野で眺めてみるならば、こと日本語の実験音楽と即興音楽をめぐる言説において、わたしたちがあまりにも長い間、ジョン・ケージとデレク・ベイリーというたった二人の思想を中心に置いてきたのではないかという懸念を彷彿させる。この二人を取り巻く言説の多さ、そしてそれに比したときの AMM に関する言説の圧倒的な少なさ。

 無論これから述べるように AMM に語るべき魅力や思想がなかったというわけではない。それは端的にケージとベイリーという二人に著作があり、そしてそれが手に届くようになっていたということによるのではないだろうか。AMM をめぐる言説自体が無かったわけでもないからだ。アルバムにはしばしば長文のライナーノーツが付されていたし、プレヴォーには AMM の活動を詳らかに綴った『No Sound is Innocent』をはじめ複数の著作もある。こうした文章がほとんど読まれていないことは音楽の歴史を少なからず貧しくしてきたことだろう。さらに言えばそれは AMM に限らず、たとえばアンソニー・ブラクストンの『Tri-Axium Writings』が届いていたら黒人音楽の捉え方も偶然性や不確定性の意味合いも変わっていただろうし、たとえばアルヴィン・ルシエのインタビューとスコアに加えてルシエ自身のテキストも収録された『Reflections』が届いていたら「音響派」の受容のされ方も変わっていたかもしれない。言うまでもなく歴史は単線的に進むものではない。あるいはそのように単純化されたものが歴史であるのだとするならば、わたしたちが即興音楽の系譜を歴史の外側であらためて考え直すためにも、AMM に対する理解を少しでも深めることは有意義であるはずだ。歴史に残らなかった音楽があるのではなく、特定の音楽を残さない歴史があるだけだということは、なんにせよ心に留めておかなければならない。

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AMM の足跡を音盤で辿り返す

 ここで AMM の活動の変遷を音盤を参照しつつ辿り返してみよう。なおアルバムに付随する年号は彼らのアーカイヴの表記の仕方に従ってリリース年ではなく録音年を中心に記している。

『The Crypt』(1968)

【コーネリアス・カーデュー在籍時代――60年代】
最初期の録音として先に触れた「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」での1966年のライヴ演奏が収録されたコンピレーション『Not necessarily "English music"』がある。ただし同作品はデイヴィッド・トゥープが2001年に編纂したもの――英国実験音楽/電子音楽の歴史の再検証として注目に値する仕事だった――であり、リアルタイムでは日の目を見ていない。実質的なファースト・アルバムとしては AMM 史上もっともよく知られているだろう『AMMMusic』(1966)がある。フリー・ジャズのエネルギッシュな箇所を音響的に取り出したかのような極めてノイジーな作品だ。だがこの録音ののちローレンス・シーフは AMM を去り、音楽活動をもやめてしまうことになる。そして入れ替わるようにして1968年にはカーデューの教え子でもある打楽器奏者のクリストファー・ホッブスが加入。そしてこのメンバーで同年にロンドンのスペース「ザ・クリプト」でおこなわれたライヴが1970年に MEV とのスプリット盤『Live Electronic Music Improvised』としてリリースされることになる。このときのライヴの長尺版はおよそ10年後に『The Crypt』として、1979年にプレヴォーが立ち上げた〈Matchless Recordings〉から発表された。ファースト・アルバムに引き続きノイジーであるもののより持続音が主体となった演奏は、グラブスが言うような「音色という側面におけるAMMの即興的な反応のあり方」(*11)を確立させた記念碑的作品だった。フリー・ジャズ由来の集団即興におけるようにそれぞれの演奏家の発語的な対話に焦点が当てられるのとは異なり、むしろ「音色の変容は各パフォーマーに、探究的な聴取を要求する」(*12)という極めて特異なアンサンブルの在り方。またこの作品には AMM の活動をアーカイヴした冊子の復刻版が付されており、その中の「AMM活動報告書1970年10月」には「1965年6月(AMMがロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで11ヶ月にわたり毎週行なったセッションの開始時期)から1970年9月25日までの間にグループが行なったコンサート、ワークショップ、録音セッション、メンバー個々が行なったレクチャーのすべてが記載されてい」(*13)た。そこに記されている公演のなかには、1969年におこなわれた AMM のメンバーを含む総勢50名以上もの集団によってプレヴォーの「Silver Pyramid」という図形楽譜を演奏するという試みもあった。ドキュメンタリー的なその模様は2001年にリリースされた『Music Now Ensemble 1969』というアルバムから聴き取ることができる。

『It Had Been an Ordinary Enough Day in Pueblo, Colorado』(1979)

【第一次分裂時代――70年代】
プレヴォーは1971年に「今や、物たちのみが、変化する時に変化するのであり、その方がよっぽどよい」(*14)と言ったそうだ。AMMの音楽が円熟の境地に達しつつあることを示した言葉だが、他方では70年代に入るとグループ内部に亀裂が走りはじめることにもなる。毛沢東主義に傾倒したカーデューとそれに従ったロウが、音楽においても自らの政治を反映しなければならないとする一方、プレヴォーがそうした二人の意向を批判することによって、グループ内部の関係が悪化していったのである(*15)。1972年にはカーデューとロウがグループを脱退し、AMM にはプレヴォーとゲアの二人が残されることになった。カーデューの弟子クリストファー・ホッブスもこのころにはグループを離れている。こうした事情もあって70年代の AMM の活動は停滞するが、その間の記録としてゲアとプレヴォーのデュオによる『At the Roundhouse』(1972)と『To Hear and Back Again』(1974)が残されている。この二枚のアルバムについて誤解を恐れずに述べるとするならば、まったくもって AMM の良さが感じられない内容になっている。つまりフリー・ジャズのデュオとしては極めてスリリングで白熱した記録なのだが、サウンド・テクスチュアを探求してきた AMM の音楽性とはまるで別物なのだ。その後1976年に関係解消の兆しが見え、カーデュー、ロウ、プレヴォー、ゲアの四人で非公開セッションをおこなうこともあったものの、翌77年にはこうしたいざこざに愛想を尽かしたゲアがこんどは脱退する。カーデューもまた自らの活動に専念し――1974年にはエッセイ本『シュトックハウゼンは帝国主義に奉仕する』を出版して自らの60年代の活動さえ批判していた――、結果的にプレヴォーとロウが残されることになった。その頃の模様は「AMMⅢ」とクレジットされた『It Had Been an Ordinary Enough Day in Pueblo, Colorado』(1979)で聴くことができる。〈ECM Records〉からリリースされたこのアルバムは異色作と言ってよく、フィードバックを駆使したリリカルなギター・フレーズを奏でたりボサノバ風のバッキングを奏でたりするロウを聴くことができる貴重な作品だ――ただしこの意味でやはり AMM 的とは言い難い内容ではあるものの。

『Generative Themes』(1983)

【ジョン・ティルバリーの参加――80年代】
コーネリアス・カーデューが轢き逃げに遭いわずか45歳にしてこの世を去ったのは1981年12月のことだった。この痛ましい事件が発生した直後に、ジョン・ティルバリーが AMM に参加することになった。ティルバリーはモートン・フェルドマンの作品を演奏する逸材として知られ、これまでにも60年代にときおりカーデューの代わりに AMM とともに演奏をおこなっていたピアニストである。当時は思いもよらなかったのかもしれないが、彼の加入によって20年以上も継続する AMM のラインナップが揃うことになる。トリオとなった最初の成果は『Generative Themes』(1983)として発表された。教育思想家パウロ・フレイレの「生成テーマ」をタイトルに冠したこの作品は、それまでの持続音主体の騒音的合奏からは大きな変化を遂げ、トリオというもっともミニマムな合奏形態によりながら節々に切断の契機を挟んでいく。こうした傾向は続く『Combine + Laminates』(1984)でも聴くことができるが、同作品のリイシュー盤にはカーデューの「Treatise」の演奏も収録されており、ティルバリーを迎えたトリオとなってからもカーデューの仕事を継承しようとしていたということがわかる。1986年から94年にかけてはさらに新たなメンバーとしてチェリストのロハン・デ・サラムが参加しており、その唯一の記録として『The Inexhaustible Document』(1987)が残されている。デ・サラムの演奏が聴こえるたびに室内楽的あるいはクラスター的に響くアンサンブルは、13年ぶりにゲアが参加した『The Nameless Uncarved Block』(1990)とは対照的な内容だ。後者の録音ではジャズ的なゲアのサックス・フレーズが奏でられると一気に全体がジャズ・セッションの趣を呈していくのである。非正統性を貫く AMM はカメレオンのようにサウンドの意味を変化させることができるのだ。また80年代後半には例外的な試みとしてトム・フィリップスのオペラ作品を複数のゲストを交えてリアライズした『IRMA – an opera by Tom Phillips』(1988)もリリースされている。作曲家のマイケル・ナイマンは74年の著作『実験音楽』のなかで「初期の頃には、AMMは、もっと意識的に、新しい音、普通でない音の実験を行なっていたようだ」(*16)と述べ、その一方で「年を追うに従って、楽器による新しい手法は、少なくなってゆき、音響は、川の自然な流れのように、それ自身のカーヴを描くように放っておかれるようになった――優しく、単調で、速い流れもあれば、驚きもあるような」(*17)と書いているものの、こうした特徴は70年代初頭よりむしろ80年代以降のトリオ編成での彼らに当て嵌まるだろう。もっと言えばその後も90年代からゼロ年代にかけてこうした傾向は深化していった。あるいはナイマンはそうした AMM の行く先を予言的に感じ取っていたのかもしれない。

『Before Driving to the Chapel We Took Coffee with Rick and Jennifer Reed』(1996)

【「音響的即興」との共振――90年代】
90年代以降のAMMはますます「物たちのみが、変化する時に変化する」と言うべき自在境に到達し、音響の襞をあるがままに揺蕩わせていく。この時期のトリオの豊穣な記録として、カナダでのライヴを収めた『Newfoundland』(1993)、ペンシルベニア州アレンタウンでの『Live in Allentown USA』(1994)、来日時の記録『From a Strange Place』(1995)、さらにテキサス州ヒューストンでの『Before Driving to the Chapel We Took Coffee with Rick and Jennifer Reed』(1996)と、彼らは世界中を巡りながら矢継ぎ早に年一回のペースで録音を残していった。さらに1996年にリリースされた『1969/1982/1994: LAMINAL』では、60年代のクインテット時代、80年代のティルバリー参加初期、そして90年代という三つの時代を比較しながら聴くことができる内容になっている。持続から切断へ、騒音から静寂へと変化してきた彼らが、90年代には物音の接触する微細な響きをアンサンブルの基層に置いていることがわかる。それは録音環境が向上し微細な響きを記録できるようになったというテクノロジカルな条件もあったには違いないが、少なくともそのような条件を含めて変化した彼ら自身の新たな音楽性を打ち出すためにこの音盤をリリースしたのだと言うことはできるだろう。薄層が重なり合う微弱音への接近は『Tunes without Measure or End』(2000)で物音の動きそのものが中心にくるほどにまでクローズアップされ、『Fine』(2001)ではダンサーとの共演において踊る身体の痕跡と分け隔てなく立ち上がる響きを聴かせるまでになる。この頃のAMMの演奏がどのようなものだったのかについては、一つの証言として「現在の彼らは、音楽的なクライマックスに向かうほど音数は減っていく。(註:ライヴ演奏の)半ばを過ぎたあたりから、幾度も終曲と間違えそうな沈黙が訪れ、やがて退屈すら通り過ぎて、会場の衣擦れの音まで鮮やかに聞こえ始めた。初期とは隔世の感がある」(*18)という2000年のライヴ・レポートを読むことができる。また他の作品としてはエイフェックス・ツインらが参加したアンビエント・ミュージックのコンピレーションに「Vandoevre」(1994)と題したトラックを、メルツバウとのスプリット盤には「For Ute」(1998)と題したトラックを寄せている。カーデュー没後20年の節目には「Treatise」をリアライズした『AMM & Formanex』(2002)を出し、同楽曲を取り上げたアルバムを制作していたグループの Formanex と共演。またおよそ30年振りの MEV との共作アルバムとして『Apogee』(2004)がリリースされている。幾分物語的な演奏を聴かせる MEV と比べたとき、物語の彼岸で物音の変化に焦点を当てるAMMの特徴は一層際立って聴こえてくる。

『Norwich』(2005)

【第二次分裂時代――ゼロ年代以降】
MEV と共演する前年にロウはティルバリーとのデュオ・アルバム『Duos For Doris』(2003)を録音している。これに限らずロウは90年代終盤からゼロ年代初頭にかけて、AMM での活動とは別にソロをはじめ集団セッションまで短期間に数多くのアルバムをリリースしていた。そのなかの一枚であり2000年にリリースされたソロ作品『Harsh』が、その2年後に刊行されたプレヴォーの著書『Minute Particulars』のなかで批判的に言及されてしまう。これを一つの契機としてプレヴォーとの関係は再び悪化し、ロウは二度目の AMM 脱退を経験することになる。『エクスペリメンタル・ミュージック』の著者フィリップ・ロベールによれば、プレヴォーが「ソロ・アルバム『Harsh』の極限的な騒音経験は人々の苦痛への感情移入を生み出すだけだったとしてロウを非難した」(*19)そうだ。そのため AMM はプレヴォーとティルバリーのデュオとして活動することを余儀なくされる。実はロウが脱退する直前にすでにこのデュオによるアルバム『Discrete Moments』(2004)はリリースされていたのだが、AMM 名義で最初に発表されたデュオ作品は全曲無題の『Norwich』(2005)だった。それまでの AMM の弱音を基層に置く志向をさらに推し進めた内容になっているものの、ときに耽美的に奏でられるティルバリーのピアノ演奏が前面に出てしまうデュオ編成は、それぞれのサウンドが屹立しながらも淡く混じり合っていたトリオ時代とは異なるものであり、あえて言えばやはり AMM 的とは言い難い。即興というよりも楽曲のように構成的に響くこうした傾向はその後リリースされた複数のアルバム『Uncovered Correspondence: A Postcard from Jaslo』(2011)『Two London Concerts』(2012)『Place sub. v』(2012)『Spanish Fighters』(2012)においてより洗練されていくことになる。またジョン・ブッチャーを招いた『Trinity』(2009)、そしてブッチャーの他にクリスチャン・ウォルフとウテ・カンギエッサーが参加した『Sounding Music』(2010)もリリースされており、とりわけ後者のアルバムはデュオよりも AMM らしい音響の襞の重なりを揺蕩わせている。ちなみに同年にはティルバリーとロウによる『E.E. Tension and circumstance』(2010)も録音されていて、この二人の関係は続いていたことを明かしている。また2014年には英国即興音楽シーンの現代の揺籃の地「カフェ・オト」において、エヴァン・パーカーの古希を祝したイベントがおこなわれ、その際に AMM とパーカーが共演した演奏が『Title Goes Here』として翌2015年に音盤化された。同じく15年にはベイルートのアコースティック即興グループ A trio とコラボレーションした『AAMM』も録音されている。

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AMM を特徴づける要素

 これまで「コーネリアス・カーデュー在籍時代」「第一次分裂時代」「ジョン・ティルバリーの参加」「『音響的即興』との共振」「第二次分裂時代」と、おおよそ年代ごとに五つに区切ることで AMM の足跡を辿り直してきた。それぞれの時代には異なる特徴があるものの、ほぼすべてに一貫している「決まりごと」もある。それは他でもない、AMM のパフォーマンスは決して計画されることがなく、リハーサルもしなければライヴの後にその日の演奏について議論することもなかったということだ。つまりその時その場にしか起こり得ない完全即興を貫いてきたわけだが、同時代の多くの自由即興演奏と比したとき、AMM のアプローチは非常に独創的でもあり、それはしばしば次のような言葉によって語られてきた。

 AMMがきわめてユニークなのは、彼らが目指しているのが、音を、そしてそれに付随する反応を探求することであり、音を考え出し、用意し、つくり出すことではないからだ。つまり、音を媒介として探求を行なうことであり、実験の中心にいるのはミュージシャン自身なのだ。(*20

 明晰かつ当を得た指摘である。だが実はこの文章はコーネリアス・カーデューによる1971年の論考「即興演奏の倫理に向かって」(*21)の一節が元になっており、自らがメンバーとして活動していたカーデューだからこそ言い得た表現だったのだろう。いずれにしても AMM は音をあらかじめ用意するのではなく、むしろその時その場に発生した音を通して探求をおこない、ミュージシャンはそうした出来事の只中にその身を置いていた。それはまずは楽器を非器楽的に使用することからはじめられた。非規則的であったとしてもリズムを形成するフリー・ジャズ的なドラムスとは明らかに異なるプレヴォーの演奏や、ギターを卓上に寝かせた「テーブルトップ・ギター」によってボウイング奏法やさまざまな音具を駆使してギターを音響生成装置として扱うロウの演奏。こうしたことは SME やデレク・ベイリーがあくまでも器楽的演奏によって即興的自由を模索していたこととは好対照をなすだろう(*22)。音楽批評家の福島恵一が慧眼にも指摘したように、「AMMは、フリー・ジャズ演奏における主要な構成原理である対話(コール&レスポンス)に頼ることなく、サウンドの次元での複合的/重層的な重ね合わせのみを構成原理としている」(*23)のである。それは必然的に「非正統的な音響の探求に没頭」(*24)することになり、「圧縮されたミクロなポリフォニーを聴き取ろうと耳を澄まし、対話もなく、リズムの構造もなく、演奏の全てをサウンドの次元へと送り返し、空間へと捧げた」(*25)音楽になる。つまり音は何かを伝達するための道具ではなく、むしろ音それ自体が AMM の音楽を構成しているのであり、演奏家は発することより聴くことを、そして時間を構成することよりも音の行き交う空間を意識することが要求される。こうした「聴くこと」と「空間性」から生まれるサウンドの層状の自由即興が旧来の音楽の三要素とは別の原理に従っていることについては、ロベールも「ミュージシャン間の全面的な相互作用と『拡張的実践』にもとづいた複数の層の重なりによって、複雑な音の絡まりはアクシデントさえも組み込み、その音楽は電子音響に近い抽象性を帯びながら、メロディや、ハーモニーや、リズムの概念は忘れ去られてしまう」(*26)と書きあらわしている。

 またこのようにジャンルはもちろんのこと音においても正統性を索めることのない活動は、とりわけコーネリアス・カーデューにとって「いかにして対等な関係性を取り結ぶか」というテーマ、すなわち音楽における社会的/政治的な課題へと流れ着いていった。AMM 加入時期に並行して「Treatise」を完成させたカーデューが、脱退後は非音楽家による演奏集団スクラッチ・オーケストラを創設し、音楽の民主的な参加の可能性を探ることを中心的なテーマに据えるようになったことにも、AMM での経験が大きな影響をもたらしていたことは疑いないだろう。音楽批評家/大正琴奏者の竹田賢一が述べるように AMM はカーデューに対して「音楽と社会の関係に眼を開かせることにな」(*27)ったのである。いわば「社会的作業としての音楽の制作」(*28)であり、単なる楽しみや美しさに還元し難いアンサンブルのプロセスには「一人一人の、そしてメンバー全体を規定する文化の歴史的段階が透視され、各々の精神界も含めた生活が反応される」(*29)ことになる。カーデュー自身も「私が以前には見付けられずに、AMMの中に発見したものの一番よい見本は、ちょうど、私がそこへ行き、演奏することができる、それも、まさしく欲しているものが演奏できる、ということ」(*30)だと述べていたが、それは AMM が参加メンバーに等しく自由をもたらすような音楽の開かれたありようを体現していたことを物語っている。

 他方ではカーデューの参加はジャズを出自に持つ他のメンバーにとっても大いなる刺激をもたらした。振り返ってみるならば、カーデューだけでなく、クリスチャン・ウォルフ、クリストファー・ホッブス、ロハン・デ・サラム、そしてジョン・ティルバリー等々、AMM には現代音楽を出自に持つミュージシャンが作曲家ではなく演奏家としてつねに参加していた。それはグループが複数の視点を保つための方策だったとも言えるが、キース・ロウ自身が「AMMにおいて重要なことの一つは現代音楽の演奏家を引き入れたことだった」(*31)と述べているこうした重要性は、具体的な音としても、現代音楽の演奏家が不在だった「第一次分裂時代」の時期に収録された音源が、AMM らしからぬ音楽を奏でていたことからも逆照射できるだろう。

 こうしたなか、現代音楽との差異として注目に値するのが AMM に特徴的な要素の一つであるラジオの音声の使用である。正体不明の音響の層が重なり合う AMM の音楽のなかでふと訪れる、ニュースのナレーションやポップスからクラシック音楽までの具体的で意味が認識できる響き。それは不確定性をもたらす要素というよりもグループの外部にある音の具象性をもたらす手段だった。「実験音楽における初期のラジオの使用が、音楽のコンテンツの並置(……)によって新奇だったのに対して、AMMの音楽におけるラジオは、どうしようもなくわけのわからないグループが演奏する音のレパートリーに対して、認識可能な音響を提示するという意味がある」(*32)とグラブスが述べるように、AMM の音楽においてはラジオの使用それ自体に意味があるというよりも、むしろラジオのサウンドそのものが明確な役割を果たしていた。それは非正統的な音響の重なり合いにおいて、その非正統性を照らし出すことに貢献する。グラブスはラジオが参照する世界を「日常」と捉えているが、そこでポップスやクラシック音楽が流されるとき、それらは「ノイズ」を排除してきた「楽音」であり「音」を体系化してきた「音楽」であり、そうした正統性が AMM の世界ではむしろ「ノイズ」でありアンサンブルの彼岸にある「音」であるといったふうに逆転しているところに、その役割の過激さがあると言うことができるだろう。

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「音響的即興」再考

 メロディーやハーモニーやリズムに根拠を置くことのない、薄層状のサウンドを重ね合わせることによって現出する音の交歓。そこから導き出されてくる音の空間性に対する意識と「聴くこと」の称揚。以上で見てきたような AMM の特徴は、2000年前後に盛んになった即興音楽の一つの潮流と多くの点で共通するように思われる。潮流とはすなわち彼ら自身が同時代を過ごしてきたいわゆる「音響的即興」である。言うまでもなくいくつかの特徴が共通するからといって AMM を「音響的即興」と同じものだとしてしまうわけにはいかない。かつて杉本拓が批判したように「音響的即興」をめぐる言説は特徴を共有するかに思えるまったく別の試みを捉え損ない、その可能性を停滞させる原因にもなってきた(*33)。だからここでは言説による囲い込みではなくあくまでも言説の辿り直しを通して、AMM と「音響的即興」がどのように共振し、あるいはどのように異なっていたのかを探りたい。

 「音響的即興」という言葉それ自体の起源は不確かであるものの(*34)、この言葉によってどのような動向が指し示されていたのかについては、ゼロ年代初頭に音楽評論家の野々村禎彦が『季刊エクスムジカ』で連載していた「『現代音楽』の後継者たち」という論考に見ることができる。「前衛の時代」における現代音楽の語法や精神が、1970年代半ば以降の広義のポピュラー音楽の領域にどのように受け継がれていったのかを、即興をいかに扱うかという問題を底流に据えつつ検証していくこの連載の中で、第七回まで漠然と「音響派」と呼ばれていた動向が、第八回に至って「音響的即興」と呼び直されることになる。野々村は長大な註というかたちをとった「『音響的即興』外観」のなかで、シカゴ、ボストン、ニューヨーク、ベルリン、東京、ウィーンそしてロンドンにおける「音響的即興」の主要なミュージシャンたち、および彼らが90年代後半からゼロ年代初頭にかけて発表した音盤に言及しつつ、それらをたとえば「凝縮と構築」への志向とは対照的な「浮遊し拡散する音楽」であり、「繊細な持続音主体の抽象的な世界」であり、「エレクトロニクスとの親和性が高い」ものであるとして特徴づけていた(*35)。これらを「音響派外観」ではなく「音響的即興外観」としたことには、「音響派」の即興音楽シーンにおける展開を捉えるという目的があったと言えるものの、それだけでなく、ジャーナリズムによって次第に広まりゆく「音響派」という言葉が、その実質を欠いて有象無象に当て嵌められていくという「メジャーによる言葉の収奪に対抗」(*36)する意味もあったのだろう。それまで「音響派」という言葉で言いあらわされてきた同時代的傾向の核心部分が、「音響的即興」と呼び直されることによってあらためて俎上に乗せられる。野々村による「外観」からは、しばしば言われるように「音響的即興」が日本発祥のムーヴメントというわけではなく、むしろこの時代を貫く同時代的かつ世界的――厳密には欧米が中心の世界であるものの――な潮流としてたしかに聴き取られていたということがわかる。

 「浮遊し拡散する音楽」あるいは「繊細な持続音主体の抽象的な世界」、これらの言葉によってあらわされていた動向が同時多発的であった必然性を批評家の佐々木敦は原理的に考察した(*37)。彼によれば「音響的即興」は次のように展開していく。まずはじめに「音響」という語の意味として、彼は「コンポジション/コンストラクションの次元では捨象されてしまう『音』のテクスチュアルな相を専ら問題にするということ」(*38)を出発点に置く。だがあらゆる音楽は音を介している限りテクスチュアルな相と切り離すことはできないため、どのような音楽であってもこの相を問題にすることはできてしまう。そのため「音響」は二段階のアプローチへと分かれていく。第一段階では「テクスチュアルな相」を特定の響きへのフェティッシュなこだわりとすることによって問題を限定する。だがこのようなフェティシズムは「音響」が演奏者と聴き手それぞれの趣味判断へと収束していくことになり、それは昔ながらの「音色」の議論から逸脱するものではない。そうではなく音楽における「音響」の可能性を問うとき、第二段階として「モノとしての『音』とコトとしての『聴取』という双つの主題をワンセットとして前景化したもの」(*39)へと向かっていくことになる。果たして「音」とは何であり、それを「聴くこと」とはどのような出来事なのか――こうした問いの即興音楽への導入は、「楽音=楽器からの離脱」と「『聴取』の問題化」という二つの要素をもたらしたと佐々木はまとめている(*40)。たとえばアコーディオンの筐体を擦る、あるいはアンプをオン・オフするだけといった演奏のように、楽音や楽器から逸脱した「ノイズ」を使用することによってあらかじめ決められていない音を探求すること。なかでも誰にでも可能と言っていいだろう方法によって生じた音は、これまでの即興演奏における演奏家の個性のような音の帰属先を持たず、むしろそれが何の音なのかというふうに「聴くこと」のほうが重要なものとして浮かび上がってくる。「ノイズ」の使用と「聴くこと」の称揚という、このどちらをも AMM が最初期からその音楽に取り入れていたことは驚異に値するが、ともあれ「ノイズ」にせよ「聴くこと」にせよ、そこには楽音=楽器あるいは演奏という広義の制度性に絡め取られることのないモノとしての「音」があるということ、すなわちどちらも「音楽」から切り離された「音」の存在が前提になっている。ならばなぜ、このように「音楽」から「音」を切り離そうとする欲望は生まれたのか。

 「やみくもに『音楽』から『音』を分離したいという、正体不明の欲望」(*41)こそが当時の音楽シーンを駆動させてきたと書いたのは音楽批評家の北里義之だった。北里は「音響的即興」を「ポストモダニズムに対するモダニズム復権の試みの多彩なヴァリエーション」(*42)とする作業仮説を打ち立て、『臨床医学の誕生』の中でミシェル・フーコーが描き出した近代医学の成立時期における医師たちの「まなざしの変容」とアナロジカルな構造を見出すことによって論証していった。そして「欲望」の源泉として彼が措定したのが「音響の臓器性」なるものだった。一見すると言葉の神秘化に向かいかねないこの奇妙な造語は、しかしながら極めて具体的な意味を持っているようにも思う。つまりそれは屍体を初めて切り開いたときに露わになる臓器が「いまだ名前をもたない構造を支える可視的なものだけで成り立つ空間」(*43)であるのと同じように、「音」を「いまだ名前をもたない構造と、可聴的なものだけで成り立つ空間」(*44)として解釈しようとする試みだった。人体を切開(decomposition)するように音楽を解体(decomposition)するとき、そこにはこれまでの体系では捉えられないような音楽以前の「音」が顔を出す。だが臓器が人間によって差異化される以前からそれ自身の構造を保持しているように、「『音楽』という生体から切り離され、すでに屍体化しているはずの『音』にも、なにがしかの構造が影のように寄り添っている」(*45)。それは「音」が単にそれ自体としてあるのではなく、つねに複数の「音楽」へと変化し得る力動性とともにあるということを意味している。あらゆる「音楽」が検討され尽くしたとされるなか、それでも「音楽」をモダニスティックに前進させるためには、あり得たかもしれない別の「音楽」を見出すことへと、つまりは「音楽」から切り離された「音」の潜在性をいちど検討してみることへと駆り立てられることになるだろう。すなわち「欲望」の源泉とは、つねにすでに「音楽」としての潜在性を秘めているような「音」のありように触れることからもたらされているということを、北里は「音響の臓器性」という言葉で言いあらわそうとしたのではないだろうか。だがならばなぜ、そのような「音響の臓器性」に触れることができたのか。

 北里の議論の背景には大谷能生による即興論があった(*46)。大谷は2000年前後の日本の即興音楽シーンにおいては録音メディアが「経験の基盤」となっていたと述べる(*47)。わたしたちが「音楽」と「音」を区別するのとは異なって、録音メディアは物理的な振動を「圧倒的に非人間的」(*48)な仕方で記録する。もちろん録音メディア自体の起源は19世紀にまで遡ることができる。だが「音響的即興」盛んなりし頃、「音」は「デジタル・メディアによって、完全な非直進性・非破壊性・非空間性」(*49)を得ることになり、それは極めて人間的な儀式性を温存していたレコードやその衣を纏ったCDとは異なって、徹底して生とは切り離されたもの、すなわち完全なる「死の空間」(*50)を獲得していった。こうした「死の空間」が特別なものではなく、誰もが触れることができてしまうという状況であればこそ、それは「経験の基盤」たり得ていたのだろう。そして大谷はそのようにしてサウンドを記録することは「フォームを持たない音、意味づけの済んでいない音を聴くこと=音楽化することができる世界」(*51)でもあると述べていた。このことはわたしたちに次のような考察をもたらしてくれる。つまり「すでに屍体化しているはずの『音』」とは極めて具体的に録音メディアがもたらす「死の空間」なのであり、そしてそこからもう一度「音楽」を立ち上げようとする試みを触発することが「音響の臓器性」なのだと言えるだろう――そして即興とは「音楽」を解体するのではなくむしろ再編成するために、繰り返しのきかない剥き出しの「生の空間」で「あらためて『音楽』と呼べる体験を作り上げてゆく」(*52)実践だった。デジタル・データ化した録音メディアが「経験の基盤」となることがこうした「音響の臓器性」へとわたしたちを導き、そして「音楽」から切り離された「音」を欲望することへと駆り立てていく。図らずも北里はフーコーを経由して大谷が書き記した「経験の基盤」を「欲望の源泉」として見出していたのだ(*53)。

 以上のことをまとめると次のようになる。「音響的即興」なるムーヴメントは90年代後半からゼロ年代初頭にかけて同時多発的/世界的に出来し、その「浮遊し拡散する音楽」あるいは「繊細な持続音主体の抽象的な世界」には、「音楽」から「音」を切り離すことによる「ノイズ」の探求と「聴くこと」の称揚があった。さらにこのような乖離現象を欲望する源泉として「音響の臓器性」があり、それは「音」が「音楽」になる動的な潜在性を意味するとともに、完全なる「死の空間」としてのデジタル・データ化された録音メディアが「経験の基盤」となることがその入口を用意していた。ここで思い起こさなければならないのは、このように録音メディアが音楽の意識的あるいは無意識的な基盤となっている「音響的即興」に対して、AMM はあくまでも録音を忌まわしきものとして捉えてきたということである。だが AMM にとって録音の経験は表面上は拒絶していたものの、感覚的には受け入れていたのだと言うことはできないだろうか。たとえば大谷は「個人的な好みを排した、匿名的な音の世界」を、すなわち「音楽」と録音メディアがもたらす「音」とのあいだにある領域を説明するために、高橋悠治のワークショップに言及した大友良英の文章を引用していたが、その元になった文章の別の箇所で大友が、その領域を「今自分を取り巻いている音が、まるでAMMの演奏のよう」(*54)だと形容していたことは、このことを聴覚的に裏付ける証言であるように思う。

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意図されざる遺産

 AMM が録音を否定的に捉えてきたことは次の事実からもわかる。たとえば「AMM活動報告書」が付された冊子には「この音楽は明らかに機械的な再生には適していない。(……)再生という目的では『その役に立たなさ』を披瀝している」(*55)と書かれていた。さらに1989年に『AMMMusic』がCD化されたときには「われわれ(AMM)はLPレコードのフォーマットがAMMの音楽の本質を伝えるのに適しているとは決して思っていません。このCDも十全ではなく、複製と反復聴取は即興の豊かな意味を変容させ、歪める可能性さえあります」(*56)という文言が付されていた。カーデューもかつて「即興演奏のテープ録音のような記録は本質的に空虚である」(*57)と述べていたことがある。だが同時に彼らは数多くの録音を残してきたこともまた事実である。それは AMM が録音作品を単に忌み嫌っていただけだと言い切ってしまえないことを意味しているのではないだろうか。

 2015年11月、英国で10日間にわたって開催されたハダースフィールド・コンテンポラリー・ミュージック・フェスティバルの最終プログラムに、結成から50周年を迎えた AMM が出演した。そこには11年前に脱退したキース・ロウの姿があった。どのような経緯があったのかはわからない。だが AMM はトリオ編成として再始動し、翌月にはロンドンの「カフェ・オト」でライヴを敢行。翌2016年もパリ、トロンハイム、ブダペストでコンサートを開き、グループの歴史に新たなページを刻んでいった。このたびリリースされた『An Unintended Legacy』には、そのうちのロンドン、パリ、トロンハイムでのライヴの模様が収められている。ジャケットにあしらわれているロウによる絵画――彼は AMM の多くの作品のジャケットを手がけている――は、実はもともとファースト・アルバムで使用される予定だったものだそうだ。本盤は半世紀を経た AMM というグループがあらためて出発点を設定し直すことによって、逆説的にこれまでの活動を総括した紛うかたなき歴史的作品だと言っていいだろう。なお本盤は収録後にこの世を去った AMM 創設時のメンバーであるルー・ゲアの死に捧げられている。

 どのコンサートにおいても構造的な始点も終点もなく、また合奏にはカタルシスをもたらすような起伏もなく、聴き手による様々な音楽的期待を多方向に裏切っていくなかで、延々と続く川の流れにも比すべき融通無碍な音が発生しては消えていく。トリオ最後期の作品『Fine』に近いところがあるものの、より一層音楽的な展開からは遠くなっている。プレヴォーはティルバリーとのデュオ時代に次第に傾倒していったような、シンバルを弓奏したり横置きのバスドラムに物を擦り付けたりすることによって繊細な響きを生み出す奏法を中心におこない、またフィードバック音や電子ノイズを駆使するロウは、以前に比してさらに抑制された響きを生み出していく。ラジオの使用も微弱音かノイズが多く、印象に残るのはロンドン公演で用いた際に合奏にかき消されながらも流れたビーチ・ボーイズの楽曲だろうか。そうしたなかでときにロマンティシズム溢れるフレーズを反復するティルバリーの演奏はアンサンブルを構造化するかに聴こえるものの、デュオ時代にみられたような牽引力があるわけではなく、プレヴォーの擦過音やロウの持続音の響きが入り混じることによって構造がいわば宙吊りにされていく。こうしたたしかにそれとわかる三人の個性が聴こえてくる一方で、擬音語によってしかあらわし得ないような即物的かつ匿名的なサウンドも多々現れる。三人になるとやはり誰がどの音を発しているのかわからなくなる場面が多くなり、音の帰属先を探す耳の思考が活発化される。だがそもそもロウにとって AMM には「三つの要素」がなければならなかったという。

 私たちはいつもAMMには三つの要素がなければならないと思っていた。もし二つの要素しかないのであれば、それはAMMではない。AMMには二人だけで活動していた時期もあるものの、私はそれをAMMとして考えてはいない。(*58

 即興演奏においてソロやデュオと異なるトリオ(あるいはそれ以上)という編成。その特異性をコミュニケーションに喩えて考えてみるならば、自分自身と対話するソロ、あるいは決められた一人の相手と対話するデュオとは異なって、トリオではまずは対話相手を探すところからはじめなければならない。とりわけ非正統的な音響を扱う場合、音の帰属先が判別し得るソロやデュオに対して、トリオではときに自分以外の音が誰によって発されたのかわからなくなることがある。それは単に人数が多いというだけでなく、即興演奏における合奏の在り方がソロやデュオとは根本的に異なるような極めて複雑な過程を経ることを意味するだろう。コール&レスポンスに代表される音楽の「対話」とは縁遠い AMM にあって、こうした複雑性こそが特徴だとするならば、分裂時代の彼らがなぜ AMM らしからぬ音楽を奏でていたのかもわかる。そしてほとんどの場合 AMM における「三つの要素」というものは、キース・ロウとエディ・プレヴォーというジャズを出自に持つ両極に、第三項としての現代音楽の作曲家が加わることによって成立していたのだった。

 こうした複雑性を考えるとき、音盤となることは決して否定的な結果だけをもたらすとは限らないはずだ。音盤においては実際に演奏した彼ら自身でさえ、「誰がどの音を発したり、止めたりしているのかと思い、考えてみるとそれは自分自身であったことに気付くことも珍しいことではなかった」(*59)と述べていたように、音はより匿名性を帯びたものへとなっていく。だがそもそも AMM は音の意味が不分明であること、だからこそ「聴くこと」が活性化されることにその魅力の一端があった。たとえばデイヴィッド・トゥープによる「私は1966年以降、AMMのライヴによく足を運んでいたが、いつも暗がりの中での演奏だったため、ロウが何をやっているか見ることはできなかった」(*60)という証言にあるように、彼らはライヴにおいても結果的には視覚的要素を遠ざけるような試みをしていたのであるが、それはその魅力をより一層引き立てることに資しただろう。だとすれば音に手がかりを与える視覚的な要素がないという録音作品の在り方を、AMM の特徴をよりよくあらわすための手段として考えることができるのではないか。「聴くことを聴くこと」と題されたライナーノーツの中で、AMM の録音作品を聴くことについてアレン・フィッシャーとペイジ・ミッチェルは、新奇な音や不明瞭な音に接する視覚的な手がかりがわたしたちにない場合、むしろ聴覚のプロセスの重要性が高まるがゆえに、「AMMのコンサートを聴くことのいくつかの側面は録音作品によって強化されると論じることは可能だ」として次のように述べている。

録音作品を聴くことは、私たちを、音が意味を獲得し始めるような聴覚的なシステムの一部分へと、より一層駆り立ててくれる。それはまた、音に対して一段と集中し、そして聴くことのコンディションを変えるという特権を、私たちに与えてくれる。大まかなアウトラインを除いて、その体験は繰り返すことの難しいものであるだろう。なぜならAMMの本質と聴くことの本質は、私たちがいつも同じシグナルを拾い上げることなどありそうにもないということを意味しているからだ。(*61

 AMM の演奏とわたしたちが聴くことは同じ本質を、すなわちつねに移り変わりゆくことを意味している。ここで演奏だけでなく「聴くこと」もまた繰り返し得ないとされていることは重要だ。たとえ同じ一音が延々と続く演奏だったとしても、「聴くこと」は時間の経過とともに異なる要素を拾い上げていく。あるいは反復再生が可能な録音物であったとしても、わたしたちは「聴くこと」の反復のなかから差異を掴み取る。二度目の聴取は一度目の聴取とは異なる要素を拾い上げるからだ。それはまさしく複数の「音楽」への潜在性を秘めた「音」が「聴くこと」によって再編されているということ、すなわち「音響の臓器性」に触れる経験でもあるだろう。AMM は録音作品が「生の空間」にある音楽的経験を骨抜きにしてしまう「役に立たないもの」として捉えていた。しかし同時に「空間性」と「聴くこと」の称揚、あるいは「ノイズ」を探求することによって、「いまだ名前をもたない構造と、可聴的なものだけで成り立つ空間」すなわち「死の空間」を「生の空間」に積極的に持ち込む術を模索してもいた。ならば彼らの録音作品には「死の空間」が二重に織り込まれていることになる――一つは非正統的な音響の探求によって、もう一つは録音によって(*62)。わたしたちが AMM の録音作品を聴くということは、単に「生の空間」における音楽の仮初めの姿を追体験する空虚な営みなのではなく、むしろ彼らが触れていた「死の空間」の体験をその作用方式において反復するための方法なのだ。それだけにとどまらず、わたしたちが「聴くこと」の対象となるのが他でもない AMM の演奏であることは、つまり二重化された「死の空間」に接するということは、ライヴによっては決して現出しなかっただろう「音」の二重化された潜在性をわたしたちに経験させてくれることにもなるのである。

 これまでの言明からは意外にも、実はキース・ロウは AMM の過去の作品を聴き返すと語っていたことがある。彼は「これまでにリリースしてきたアルバムのうちのいくつかには容易には受け入れ難いところがあると思う。けれどもそれが録音作品の偉大さだとも思う」(*63)と言い、AMM に限らずその時代の最も重要な録音作品の一つとして『The Crypt』を挙げていた。彼が言う「受け入れ難さ」をこれまで述べてきた「音響の臓器性」と言い換えてもいいだろう。あるいは録音作品が生演奏の不完全な再現だとするならば、まさしくその不完全性によって生演奏には成し得ない音楽的な価値を持つ。そしてそうした余白があればこそ、プレヴォーはレーベル運営を通して精力的に音源を、単なる記録ではなくタイトルを付した作品としてリリースしてきたのではないだろうか。彼らは録音を拒絶する素振りを見せながらも録音によって可能になる音楽体験があるということをも否定していたわけではないのだ。カーデューによる「録音が作り出すものは(実際の演奏とは)別の現象であり、実際の演奏よりも遥かに見知らぬ何かである」(*64)という言葉を肯定的に捉え返そう。空虚なのは録音自体ではなくそれが「生の空間」と見做されたときに生じる齟齬に起因する。その意味でふたたびわたしたちはカーデューの言葉――「音を媒介として探求を行なうこと、そしてミュージシャン自身が実験の中心にいるということ」――へと、こんどは録音作品を肯定するために還ってくることができる。彼らは完全即興を本懐とし、音を媒介とした探求という実験の只中に居続けることによって、結果的に数多の録音を残してきた。スタジオ・レコーディングを含めて録音作品を意図的に残すために演奏をおこなってきたわけではないのである。だがこのことによってまさしく AMM のレコーディングの数々は、「生の空間」のなかで「死の空間」を呼び込もうとする彼らの姿が、つまりは「聴くこと」によって毎回異なる音楽へと編成される二重化された「音」が織り込まれた、かけがえのない遺産として残り続けることになるだろう。

 ノルウェイのトロンドヘイム(Trondheim)で、毎年8月の3週目の週末に行われる、音楽フェスティバル、Pstereo Festivalに行った。2007年にはじまり、11年目の今年は8/16~8/18で、約35,000人が参加した。トロンドヘイムはオスロから北へ、車で約6時間、飛行機だと55分。大学生街なので音楽が盛んな、ノルウェイで3番目に大きい都市である。

 今年のメインは、クラフトワーク、モグワイ、オーロラ、ビッグ・チーフ、メンタル・オーバードライヴ、マウント・キンビー、シグリッド、ミレンコリン、セパルチュラなど、北欧、イギリス、アメリカのバンドが多いが、ブラジル、アルゼチンのバンドも出演した。ちなみに過去には、シガーロス、ロイクロップ、ダムダム・ボーイズ、セント・ヴィンセント、サーストン・ムーア、ウォーペイント、ザ・XX、フランツ・フェルディナンドなどが出演している。

 このフェスの名前は、ダムダム・ボーイズのアルバム『Pstereo』から来ていて、エレクトロニカ、ロック、ポップなどのジャンルに焦点を当てている。地元の食材や会社を使い、リサイクルに力を入れ(ゴミの仕分けは軽く5パターン)環境に優しく、青の似顔絵Tシャツを着たボランティアが700人ほどいてフェスを清潔にスムースに保っていた。手書き風のアーティストの似顔絵が特徴のポスター、Tシャツも魅力である。

 会場は、ニデルヴァ(Nidelva)川の隣にある、マリナ(Marinen)というピクニックに最適な野外スペースで行われた。「ノルウェイの教会」と言われる、1,000年以上の歴史がある、ニダロス(Nidaros)教会が隣にあり、歴史的建築物も拝むことができる。赤い礼服を着たガイドに教会を案内して頂いたが、歴史や宗教的なエピソード(北には悪がいて、東に向かって眠り、十字架マークの下に死者が葬られているなど)他、建築、アート、タギング、まで細部を説明してくれるので、自力でいくより良い。さらに、地元のコーヒーショップ、レストラン/ブリュワリー(habitat, monkey brew)、ジーンズショップ(Livid jeans)など、トロンドヘイムの見るべき名所を、Pstereo festivalがセットアップしてくれ、地元のビジネスも近くで見ることができた。何処も自分のお店、仕事に誇りを持っていて、ジーンズショップのLivid jeansなどは、地下にヴィンテージと靴も扱い、私の雨で傷んだ靴を見て、サッと綺麗に磨いてくれた。

 このフェスの3日間はずっと雨だったが、人は、そんなことはお構いなしに、カラフルなレインコート(殆どがデンマークのRAINS)を着て、盛り上がっていた。フェスは3日間だが、その4日前から準備が行われ、芝生は黒の布で覆われ、雨でもぐちゃぐちゃににならないように対応され、カラフルなイスが設置され、バーガーやインディアン、ファラフェルなどのフードトラック、ラジオ局、ゲーム会社、銀行などがお店を出していた。

 今年のステージは4つで、ひとつがはじまれば、もうひとつはセットアップ中で、殆どのバンドを見る事ができた。3つが野外ステージ、ひとつがインドア・ステージ。私が好きだったのは、マウント・キンビー(UK)、データロック(NO)、カンパニー・インク(NO)、モグワイ(UK)、サッシー009(NO) 辺りで、地元のバンドの勢いが良かった。ロックバンドも、エレクトロよりで、データロックのインドアのショーでは、床が抜けそうなくらい軋んでい。夜にはクラブに移動してのイベントもあり、朝までパーティが続いた。この次の週から学校が始まるので、それに合わせているのだろう。

 日本のフジ・ロックからバルセロナのプリマヴェラ、レイキャビックのエア・ウエイブ、オスロのオイヤなど、世界中の音楽フェスに行っているが、Pstereoは、先出のフェスより規模は小さく、人がフレンドリーで、主催者とも気軽に話すことができる。3日間すべて雨(!)という状況でありながら、ここまで人を惹きつけるのが凄い(普段は天気が良い時期だが今年は例外とのこと)。音は、川を伝って遠くまで聞こえるので、川岸でピクニックシートをひいて楽しんでいる学生たちもいたし、町をあげての町興しになっているのだろう、マーチングバンドも練り歩いていた。Pstereoはほどよい人混みで、エアウエイブのように会場を毎回移動しなくていいし、ガバナーズボールやパノラマのように、バンドがオーバーラップすることもない。自然に囲まれ、自分のペースで行動でき、地元の人とも仲良くなり、ハウス・パーティまで参加してきた。

 このフェスがなかったらなかなか行く機会はない町だが、親切な人たちが我よと説明してくれるし、英語もだいたい通じる。来年も行こうと考えている。興味のある人は是非この親密なフェスを体験して欲しい。

 フェスティバルの3日パスは1949kr ($230)、学生は1599kr ($188)、1日パスは899kr ($106)。

Frances Wave @veita stage
Lonely Kamel @veita stage
Sepulture (BR) @elvescenen
Morbo y Mambo (AR) @veita stage
Datarock @forte
Thulsa Doom @veita stage
Skatebard (club Pstereo) @lokal bar

Sat 8/18
Millencolin (SE) @canon stage
Company Ink @veita stage
Sassy 009 @forte
Mogwai (UK) @elvescenen
Mount Kimbie (UK) @canon stage
Aurora @elvescenen
Villrosa (club Pstereo) @fru lundgreen

https://www.pstereo.no/


観客、後ろに見えるのがニデルヴァ川


雨が降る直前のショットです。この後大雨になりました。


カラフルな椅子

Double Clapperz - ele-king

UKと中国をまわるツアーから帰ってきて、現地で見つけたもの、セットで盛り上がったものを中心に選曲しました。

最近のフェイバリット・トラック10選

Bohan Phoenix - Overseas 海外
https://youtu.be/YTUmEFdutTY
中国ツアーに行った際に「ラップが今一番流行ってるのはどこ?」と聞いた際に「成都(Chengdu)」と返ってくることが多かったんですが、Bohan Phoenix はそんなラップ・シーンが盛り上がっているという成都のラッパー。アルバム『Overseas』は、Harikiri、Delf、Ryan Hemsworth、Howie Lee など豪華プロデューサーが固めており、メロディックなセンスを持ち合わせてて楽曲が素晴らしい。(Sinta)

Okzharp & Manthe Ribane - Kubona
https://youtu.be/7izLi7nrRxc
南ア生まれロンドン在住の元 LV のメンバー Okzharp と南アのアーティスト Manthe Ribane のコラボ・アルバム。なんだかんだずっと聴き続けてしまいます。アルバム通してステレオタイプなアフリカっぽい音色や打楽器は使っていないのに、音全体からアフリカっぽさを感じられるのも良いです。DJではよくアルバム収録曲の“Never Say Never”をプレイしてます。(Sinta)

Kojey Radical - WATER (IF ONLY THEY KNEW) ft. Mahalia
https://youtu.be/i6CbtXl2JUM
Kojey Radical のユニークなラップ・歌声に惹きつけられました。〈XL Recordings〉が2016年にコンパイルした『NEW GEN』に参加した時から異彩を放っていましたが、Swindle、KZDIDIT のソウルフルなプロダクションでより際立ってます。(Sinta)

Tohji - flu feat. Fuji Taito (prod. Dj Kenn Aon)
https://youtu.be/yif68xb5rSs
東京のラッパー Tohji と Fuji Taito のコラボ・トラック、真似ではない独自のフローとパンチラインだらけのリリック。DJ Kenn Aon のスクリュートラックが耳に残ります。この曲が収録されているTohjiのEP「9.97」も最高。(Sinta)

Joker - Boat
https://soundcloud.com/jokerkapsize/boat
DubStep レジェンド Joker 率いる Kapsize の10周年を記念した3部作EPからの1曲。中国ツアーでプレイした際フロアが爆発したのが印象的でした。個人的に昨年に引き続きレイヴィーな DubStep に気持ちが戻っている中で、今後もヘヴィープレイしたい。(UKD)

Commodo - Dyge
https://youtu.be/RhQZD8p1kgE
〈Deep Medi Musik〉や〈Hotline〉等のレーベルより多数リリースを行ってきた鬼才 Commodo が Clap! Clap! 率いる〈Black Acre〉よりリリースした待望の新作。ミステリー映画の様なメロディーラインもさることながらLoFiさとHiFiのミックス感が最高。ミステリークランクとも評される彼のトラックの中でも、お気に入りです。(UKD)

Dayzero - Gun Pop
https://soundcloud.com/dayzero_jp/dayzero-gun-pop
岡山の DubStep プロデューサーの最新EPからの一曲。リリース前からダブとして僕らもヘヴィープレイしてきましたが、めでたくリリース! HipHop 的アプローチも感じるど変態ダブステップ。(UKD)

Walton - No Mercy Ft. Riko Dan
https://soundcloud.com/tectonic-recordings/walton-no-mercy
マンチェスターのプロデューサー Walton が〈Tectonic〉よりリリースした New Album から Riko Dan をフィーチャーした一曲。ここ最近アジア的な音色やメロディーラインがトレードマークとなっている彼のトラックにパトワが乗ると破壊力抜群。(UKD)

Catarrh Nisin ft. Duff - Tsujigiri Barz
https://youtu.be/49qhDTWPcYQ
手前味噌ながら、Double Clapperz でプロデュースした曲です。栃木を拠点に活動する MC DUFF と関西・神戸の MC Catarrh Nishin のコラボ・チューン。Double Clapperz のサウンドタグの声は DUFF さんの声なので、初めて一緒にオリジナルのトラックを制作できたのも良かったです。(Sinta)

Maru & Onjuicy - That's My S**t (DoubleClapperz Remix)
https://soundcloud.com/doubleclapperz/onjuicy-thats-my-st-double-clapperz-remix
こちらも手前味噌ですが、要注目の若手プロデューサー Maru と盟友 Onjuicy のコラボ・トラックをRemixしました。原曲とは別ベクトルなラップ・チューンを作る事を念頭に置いて、あえてクラシックGrimeを彷彿とさせる様な音色やパーカッションを多用しました。Grimeジャンキーならネタ元気づくかも。(UKD)


【プロフィール】
Double Clapperz
UKDとSintaからなる、グライム・ベースミュージックプロデューサー/DJユニット。

2012年からグライム, ダブステップ, ダンスホールレゲエなどの音楽に影響を受け、硬くダークでコントラストに富んだテクスチャとクリアでうねるようなベース・ミュージックを制作。彼らのトラックは BBC Radio や Rinse FM など多くのラジオ局でプレイされ、Murlo, Spooky, Mumdance などシーンの中心的なアーティストにサポートされている。
また、UKの Mixmag にフィーチャーされ、Crack Magazine による「10 Upcoming Grime Producers」に選出されるなど、プロデューサー/DJとして多くの注目を集める。自身が主催する Ice Wave Records から3枚の12インチEPをリリース。完売したカタログ1番は現在入手困難盤となっており、日本が誇る Grime プロデューサーとして自身を確立している。2016年には Boiler Room Tokyo に出演し Skepta, Kohh と共演。2018年夏には中国・イギリスなど3か国6都市をめぐるツアーを行った。

【出演情報】
9/1 (土) 9th KINGDOM presents @ TRUMP ROOM
9/9 (日) KING OF POP @ LOUNGE NEO


Gang Gang Dance - ele-king

 前作『Eye Contact』は2011年のリリースだから、本作は7年ぶりのアルバムとなる。ブライアン・デグロウ、リジー・ボウガツォス、ジョシュ・ダイアモンドらによるギャング・ギャング・ダンスの新作アルバムがついにリリースされた。
 思えば2005年の『God's Money』から2008年の『Saint Dymphna』までの彼らは、いわば「ゼロ年代初期から中期」という「ミニマル/トライバル」「音響/リズム」の時代を象徴するようなバンド=存在だった(あえて単純化していえばゼロ年代初期から中期とはポスト・パンク・リヴァイヴァルとエレクトロニカの時代である)。
 ポスト・パンク・リヴァイヴァル・ムーヴメントのなかでは比較的後発に入るGGDだが、ポスト・パンクからエレクトロニカ、トライバルからサイケデリック、ロックからポップまでをゴッタ煮にした雑食性に満ちた都市型のエクレクティック・サウンドは、ニューヨークの猥雑さと共に、ゼロ年代の特有の空気を存分に感じさせてくれた。特に2008年8月8日に、ボアダムスの EYE によって発案された「88 Boadrum」で指揮を任されたことは、90年代以降の「トライバル・サウンドの継承」という意味でも重要かもしれない。00年代のアート、音楽、トライバル、ノイズ、ミニマル、ポップが、シャーマニティックに結晶したわけだ。

 「88 Boadrum」から3年後、名門〈4AD〉からリリースされた『Eye Contact』は、GGDなりのテン年代宣言ともいえる刺激的なサウンドのアルバムだったわけだが、そこから先が長かった。
 むろん、そのあいだもメンバー個々人の活動は展開していた。デグロウはビーディージー名義のアルバム『SUM/ONE』を2013年に〈4AD〉からリリースしているし、ボウガツォスも2014年に MoMA において開催されたジョン・ケージ展に合わせて制作された「4分33秒」をテーマとするジョン・ケージのトリビュート・アルバム『There Will Never Be Silence』を刀根康尚らと合同制作している。ダイアモンドもライヴ活動や音楽制作を続けていた。

 とはいえ、GGDは沈黙していた。となると、この7年間は、時代を象徴していたバンドが、次の時代の変貌や変化に対応するために必要な時間だったのかもしれない。だがそんな憶測はとりあえずどうでもいいだろう。いま、この時代に彼らが再始動した意味は「音」にある。じっさいこの新作を聴くと、なるほどと思わせるものがある。

 一聴して分かるように新作『Kazuashita』は、ここ数年のモードであるニューエイジかつシネマティックなサウンドスケープを持った音楽性へと変貌を遂げた作品なのだ。そこに彼らのトライバルなリズムがうまく交錯しているのである。
 ノイズ成分は控えめになり、クリーンなサウンドが全面的に展開されている。聴きやすく、精密で、ビートも展開されているが、一方で、〈L.I.E.S.〉や〈Music From Memory〉などからアルバムをリリースする Terekke の瞑想的なアンビエント/ドローンも感じさせる仕上がりとなっていた(じじつ、バンドの休止期間中、デグロウはアンビエントやインド音楽などを聴き込んでいたという)。そのうえで彼らなりの「ポップ・ミュージック」を構築しているわけだ。

 冒頭の壮大な電子音楽トラック“( infirma terrae )”を経て、ミニマルなリズムとヴォーカルによるスペイシーな“J-TREE”が始まった瞬間に「GGD新生」を誰しも確信するだろう。そして80年代モードなエレクトロニック・ポップ“Lotus”、インターバル的な電子音トラック“( birth canal )”、ニューエイジ・アンビエントな音楽性から10年代的なマシン・ミニマルな電子トラックへと移行するタイトル・トラック“Kazuashita”などの見事なコンポジションには一気に耳を奪われてしまった。続く未来的なトライバル・リズムとコラージュ・ポップといった趣の6曲め“Young Boy (Marika In Amerika)”のサウンドも筆舌に尽くしがたい。

 そして、ヴォイスと電子音とビートがグリッチーに交錯し、立体的な音響空間のなかポスト・ヴェイパーなサウンドが生成する“Snake Dub”、ディック・ハイマンの初期電子音楽の名作『Moon Gas』やディック・ラージメーカーズなどの初期電子音楽を思わせつつも、ヴォーカル・レイヤーとサウンド・レイヤーを巧みに折り重ねることで2010年代後半のエクスペリメンタル・ポップ・ミュージックへと昇華する“Too Much, Too Soon”を経て、シンセ・ストリングスとヴォイス・コラージュによるインタールード的トラック“( novae terrae )”からオリジナル・アルバムのラスト曲“Salve On The Sorrow”までは、まさに映画音楽/音響のような壮大かつ繊細なサウンドスケープを展開していくのだ(日本盤CDにはボーナス・トラックとして“Siamese Locust”を収録)。

 アルバムを一気に聴きとおすとギャング・ギャング・ダンスが2010年代後半の時代のモードに見事に対応したことに驚いてしまった。ノイズな要素をクリーンなシンセ/電子音へと変化させることで、彼らは時代のモードに即したサウンドをまたも手に入れたわけだ。だが不思議と「時代に合わせました」という姑息な作為も感じない。「新しい音楽を作る」という必然性と好奇心があるからか。ニューヨークという都市に根ざした何か。
 参加アーティストをみれば、それが分かってくる。プロデュースはブライアン・デグロウ本人。ニューヨークのスタジオやアートスペースでレコーディング・セッションをおこなったらしい。そして「Boadrum」で知り合ったドラマーのライアン・ソーヤーや、アリエル・ピンクとのコラボレーションで知られるホルヘ・エルブレヒトらと共に本作を完成させたという(エルブレヒトはプロダクションの一部とミキシングを担当)。そしてアートワークにはアメリカの気鋭フォトグラファー、デヴィッド・ベンジャミン・シェリーの作品を起用しているのだ。

 ともあれ本作は聴きごたえのあるアルバムだ。細野晴臣や高田みどりら日本の80年代アンビエント音楽や、〈RVNG Intl.〉からリリースされている作品、〈Root Strata〉から出た KAGAMI『Kagami』などの現行ニューエイジ・シーンとも繋がるトラックは、まさに時代の空気を捉えている。そのうえGGDならではのリズムと音響を追求した独創性もある。まさにニューエイジ・リヴァイヴァル時代の空気(モード)を味わい尽くすかのように(拮抗するように?)、心から楽しんで聴き込める一作といえよう。

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