「OTO」と一致するもの

Oval - ele-king

 ダンサブルでソウルフルなクラブ・トラックを詰め込んだ6年ぶりの新作『Popp』が好評のオヴァル。「ポストR&B」なんて言葉が囁かれたり、「ポップに旋回した?」なんて指摘が飛びかったり、リリース後も色々と波紋を呼んでいる同作ですが、そんなオヴァルがこの12月に、2年ぶりの来日を果たします。
 それにあわせて、なんともスペシャルなイベントが開催決定! 12月21日(水)、タワレコ新宿店にて、畠中実氏と松村正人氏によるマーカス・ポップへの公開インタヴューがおこなわれます。それと同時に、オヴァル自身によるサイン会も開催。いずれも滅多にないイベントです。この貴重な機会に、あなたもトーク&サイン会に参加しちゃいましょうー!

OVAL『popp』発売記念トーク&サイン会

内容:トーク&サイン会
出演:Markus Popp(OVAL) + 畠中実 + 松村正人
開催日時:2016年12月21日(水) 20:00 start
場所:タワーレコード新宿店10F

'90年代中盤、CDスキップを使用したエポック・メイキングな実験電子音響作品を世に送り出し、エレクトロニック・ミュージックの新たな可能性を提示し続け、世界中にフォロワーを拡散させた独ベルリン在住の音楽家、オヴァルことマーカス・ポップ。
ファンキーでダンサブル、ハウシーでソウルフル、万華鏡のようにカラフルな、オヴァル流クラブ・トラックを全編に配した最新アルバム『popp』を携えて、12月20日(火)より約2年ぶりの来日公演が開催されます。
この来日公演にあわせて、インストア・イベントが急遽決定。
前半は、聞き手にICCの主任学芸員の畠中実氏と元『STUDIO VOICE』編集長の松村正人氏を迎え、公開インタヴューをおこないます。
後半は、オヴァルのキャリア的にも珍しい、マーカス・ポップのサイン会となります。
『popp』はタワーレコード渋谷店・新宿店スタッフが選ぶ年間ベスト「渋谷・新宿アワード2016」にも選出されており、この2店舗で購入した方がサイン会に参加していただけます。
この貴重な機会に、ぜひご参加ください。

参加方法:観覧フリー。
タワーレコード新宿店または渋谷店にて、10月19日(水)発売の新譜『popp』(HEADZ 214)、または旧譜『o』(HEADZ 143)、『OvalDNA』(HEADZ 157)をお買い上げいただいた方に、先着でサイン会参加券を差し上げます。
サインは、対象商品のジャケットにいたしますので、イベント当日忘れずにお持ちください。

対象商品:
OVAL 『popp』(HEADZ 214)
OVAL 『o』(HEADZ 143)
OVAL 『OvalDNA』(HEADZ 157)

対象店舗:タワーレコード新宿店、渋谷店
問い合わせ先:タワーレコード 新宿店 03-5360-7811


now available
OVAL(オヴァル)『popp』(ポップ)
oval 2 / HEADZ 214
価格:¥2,200 + 税

マーカス・ポップはポップをアップデートする
佐々木敦

軽やかで鮮やか、圧倒的に心地よく、オヴァル史上最も「ポップ」な作品でありながらも、非常に刺激的なサウンドが満載の革新的な最新作。
日本盤のみボーナス・トラック2曲収録。


OVAL Live in Japan 2016

2016.12.20 Tue
at TOKYO TSUTAYA O-nest
open 19:00 / start 20:00
advance ¥3,500(+1D) / door ¥4,000(+1D)

2016.12.22 Thu
at KYOTO METRO
open 18:30 / start 19:30
advance ¥3,500(+1D) / door ¥4,000(+1D)

more information:HEADZ(tel. 03-3770-5721 - https://www.faderbyheadz.com

EQUIKNOXX - ele-king

 いま紙エレキングの年末号で死ぬほど忙しいのですが、重要なニュースを告知し忘れておりました。イキノックスが来日します!! 予告として言ってしまいますが、今年の年間ベスト30で、イキノックスは、満場一致でかなり上位に選んでおりまして、ダンス/クラブ系ではダントツ1位っすわ。
 まずはネットで探して聴いて。これ、ダブステップ/グライムの“次”を探していた人なら、間違いなく、「うぉ!」と唸りますよ。そして、このプロデューサーがジャマイカ人だと知ったら、さらに驚くでしょう。いや、ジャマイカの音の革新力、まったくいまも衰えていませんわ。UKのクラブでも大流行だっていうし。すげーよ、ホント、ダンス・ミュージックは更新される!

interview with TOYOMU - ele-king


TOYOMU
ZEKKEI

トラフィック

DowntempoElectronic

Amazon

 ヴェイパーウェイヴは、レトロなコンピュータや日本語をデザイン要素としながら80年代のCM音楽やエレヴェーター音楽の遅いループそしてカセット・リリースによって資本主義ディストピアのムードを描いている。しかしその前にスクリューがあった。これは既存の曲をただ遅めに再生すると気持ち良く聴こえるという、じつに単純な、そして再生装置もひとつの楽器と認識するようになってからの、究極的なサンプリング・ミュージックと言える。だが、しかし、音楽は常にリサイクルされてきた。100年前のストラヴィンスキーがそうであったように、メロディやリズム、音の断片は、過去から借用され、使い回しされ続けているものだが、現代ではそれがより簡単に、初期のヒップホップの時代よりも、ずっとずっと簡単にできるようになった。
 サンプリングは、それが商用で使われた場合、著作権侵害となり、クリアランスが必要になるが、しかし商業リリースではない場合は、いや、インターネット空間そのものがどこからどこまでが商用で、どこまでが個人の趣味かという境界線を曖昧なものにしてしまったため、そのグレーゾーンではフィジカルでは聴けない(買えない)ユニークなサンプリング・ミュージックが突如アップされる。
 京都で暮らすTOYOMUも、基本的には“リスペクトありき”のサンプリングで作品をアップロードしてきた。ネット空間においてサンプリングがどこまで自由なのかを試すかのように。それで今年、カニエ・ウエストの『ザ・ライフ・オブ・パブロ』をまだ聴く前に告知されていた曲名と情報公開されていたその作品のサンプリング・ネタをたよりに、TOYOMUはそれを想像して作り上げ、そしてヴェイパーウェイヴよろしくすべての曲名を日本語で表記し、『印象 III : なんとなく、パブロ(imaging”The Life of Pablo”)』として自身のサイトにアップしたのだった。
 すると、一夜にして海外リスナーからのリアクションが彼の元に届き、その痛快さ──そのアイデアおよび曲のクオリティ、そしておそらくは日本人自らやったヴェイパーウェイヴ的ミステリー効果──を『Billboard』、『BBC Radio』、『Pitchfork』、『The Fader』、『FACT』といったメディがセンセーショナルに報じた。言うなれば彼は、カニエ・ウエストの知名度に便乗しながら、自分の作品を売り込むことに成功したわけだが、計らずともこのパブロ騒ぎは、今日の音楽を取り巻く環境を反映している。つまり、引用(カットアップ)とスピードである。
 
 そこへいくと今回リリースされる彼の初の公式フィジカル・リリースのEP「ZEKKEI」は、サンプリングやコンセプトで楽しませるものではない。むしろ、俺は戦略家ではないとでも言わんばかりの、聴き応え充分のエレクトロニック・ミュージックなのだ。素っ頓狂さを装いながら、リズミックな妙味を展開したかと思えば、かつて京都を拠点に活動したレイ・ハラカミを彷彿させるかのような、ロマンティックな叙情性もある。言うなれば真っ向からの作品で、『なんとなくパブロ』で使ったアイデアはいっさいない。きわどいサンプリングはナシ、曲名はすべて英語、捻りの効いたファンク、OPNとミュータント・ジャズとの出会い、美しいアンビエント、このように言葉で説明する以上に凝った展開。
 彼の“絶景”はシュールであり、いったいどこに着くのか、ときとして音の迷路のようでもある。いや、実際、彼がこれからどこに行き着くのかまったく読めない。ただ、何にせよ、ここにトーフビーツらと同じ世代(20代半ば)のユニークな才能が躍り出たのである。彼は間違いなく僕たちの耳を楽しませてくれるだろう。もしこの『ZEKKEI』に先祖がいるとしたら、クラフトワークの『ラルフ&フローリアン』とクラスターの『ツッカーツァイト』である。わかったよね、そう、ぜひ、楽しんで欲しい。

ツイッターとかフェイスブックとかどこを見てもカニエの話題ばっかりで、いまこれをやったら絶対みんな聴いてくれるやろうなと思ったのでカニエを選びました。

なぜカニエ・ウエストだったんでしょうか?

TOYOMU:あれは『印象』という名前のシリーズでやっているんですけど、去年の10月くらいに自分でビート・テープを出して、ポンポンと出していきたいと思っていて、なおかつ過激で、エキセントリックで、実験的な内容をどんどん出していきたかったんですよ。ただそれをやるだけだったら誰も聴いてくれないので、(ビート・テープを)周知させるためになにか大きくてわかりやすいテーマがいるなと思って、まず1月に星野源を選んだんです。その次の2月はわりと地味なやつで、ソウル・ミュージックをソフト・プラグインのシンセでサンプリングしました。そして3回目をやろうとした1ヶ月前にカニエのアルバムが出て、ツイッターとかフェイスブックとかどこを見てもカニエの話題ばっかりで、いまこれをやったら絶対みんな聴いてくれるやろうなと思ったので(カニエを選びました)。あとはあのアルバムの弄りがいがあったというのが大きいですね。僕は不完全さがあるほうがアレンジしやすいんですよね。

確信犯としてやったんですね。

TOYOMU:いや、でもここまで大きな反響になるとは全然わからなかったんで。ぼんやりと海外向きやなとは思っていましたけど、こんなに海外向けになっているとは思ってなかったですね。

カニエが好きなんですか?

TOYOMU:好きですけど、それはみんなが普通に好きというくらいのレベルですね。

カニエのどこが好きなのか、すごく興味があるんですけど、ぜひ教えてください。

TOYOMU:サンプリングの良さじゃないですか? 言っていることとかそういうことじゃなくて、音楽的な面としてこういう変遷を辿ってきた人がいないから面白いという。最初はファレルやティンバランドがやっていたときにサンプリングの早回しで出てきて、それで一時代を作ったあとにだんだん変になっていって、『イーザス』という突然あんなのを作ったと思ったら、今度は『ライフ・オブ・パブロ』で「またなんのアルバムなん?」という感じで、ラップというよりかは音楽面ですね。
 変遷が大きいじゃないですか。ガラッと変わっていきますよね。あんなに変えてやっている人は、メインストリームではなかなかいないですよね。ファレルは最初から器用だから、なにをやったって驚かないじゃないですか。でもカニエは毎回驚くことをやってくるんですよね。そもそもヒップホップ自体がそういうありえへんことをできる音楽だと思うし、渋くやるというのが凝り固まった時点でもう違うと思うんですよね。最初はレコードが回っているのを(手で)止めてはじまったわけですから、それを考えたら最初からありえへんことをやるというのが基本としてあるかなと思っていますね。

カニエの前には、星野源(『イエロー・ダンサー』リリースから1ヶ月に『印象I:黄色の踊り』をアップ)もやったんですよね?

TOYOMU:あれはサンプリングをしたビート・テープを作るというのが半分と、あとはちょうどあのときに自分でドロドロのアンビエントを作ってみたかったんですよね。

星野源を選んだのは人気者だから?

TOYOMU:人気者だからというのがひとつと、あとはあのアルバム(『イエロー・ダンサー』)自体がディスコというかブラック・ミュージックだし、やっぱりバンド・サウンドというのがいちばんサンプリングしがいがあるなと思いますね。アレンジしがいがあるというのはやっぱり音楽的に補完できる余地が残っているからだと思いますね。最近でいったらフランク・オーシャンはもう弄りようがなくて、じつに完璧で、僕のつけ入る隙がいっさいないというか。でもカニエや星野源はそれぞれに不完全さがあると思うんですよね。

当然クレームは来たでしょう?

TOYOMU:僕に(クレームがきたん)じゃないんです。サウンド・クラウドやバンドキャンプ側にクレームが行ったらそちら側が判断して削除したりできるんですけど、それでバンドキャンプにクレームが行って。サウンド・クラウドにもティーザーとして1曲あげていたんですけど、それもビクターによって消されましたね。次はもうやらないでくださいねという警告もきたので、あと2回やったらアカウントを消しますということになりました(笑)。サウンド・クラウドにBANという機能があるんですよ。バンドキャンプももうこんなのやめてくださいね、と消されたときにメッセージが来ましたね。

リスナーからはどのようなリアクションがありましたか?

TOYOMU:「Sampling-Love」というブログがあるじゃないですか。元々はネタ集なんですけど、いまはかなり人気で、記事を書いたらリツイートが50~100くらいされるようなサイトなんです。国内やったらサンプリングの音源を取り上げてくれるかなと思って、そのブログの人に毎回メールをしていたんですね。『黄色の踊り』もメールしたらブログに載っけてくださって、それがきっかけで国内のみんなが聴いてくれたんですよね。ツイッターでは、「こんなアレンジもあるんだ。おもしろーい」みたいなことを言っている星野源のピュアなファンはわりといました。

サンプリングは、商業リリースでは著作権侵害で、クリアランスが必要なわけですが、欧米では、アンダーグラウンドに関しては文化として大目に見ているところもあるんですよね。例えばシカゴのフットワークはかなり大ネタ使ってます。あるいは、ジェイムス・ブレイクの最初のヒット作の「CMYK」は、ケリスとアリーヤという大物の曲をサンプリングして、誰かわからなように変調させて使っていました。その盗用の仕方も含めて、メディアは賞賛したわけです。そういうアート性の高いもの以外でも、インターネットが普及した現代のネット世界では、音源はいくらでもあるし、これを使わない手はないくらいの勢いで、サンプリング・ミュージックは拡大していますよね。

TOYOMU:使わない手はないですね。正直言って個人レベルでやっている以上は文句を言われたって(音源を)消されて終いだし、むしろ発見されること自体が珍しいんですよね。だから個人レベルだったら好き勝手やったっていいんじゃないかと思いますよ。それを大目に見てくれればいいのに、なんでわざわざ消したのかは謎ですね。

いや、それはしょうがないでしょう(笑)?

TOYOMU:僕はむしろそれをプロモーションに使ってほしいくらいなんですけどね。そういう度量はなかったみたいですね。

とにかく、サンプリング・ミュージックという手法に関心があるんですね。

TOYOMU:まさしくそうですね。

もっとiPhoneでワーッと録って、なんならインストもiPhoneで録って「どや!」といって出すくらい……、それはさすがにクオリティが低すぎるんですけど、ラップだけiPhoneで録ってPCに入れて、インストは「これ使ったらええやん」といってやるというノリがなくて、「なんでみんなこんなに便利な世のなかなのにそうせえへんのかな」とすごく不思議ですね。

サンプリング・ミュージックはたしかにいますごく議論のしがいのあるテーマなんですよね。じつはいまサンプリングの時代だから。TOYOMU君はサンプリング・ミュージックのどこを面白く思っているんですか?

TOYOMU:突き詰めていったら編集している良さかなあ。最初は音の質感でしたね。古い質感が好きになったきっかけじゃないかな。

知っている曲が違う文脈で使われることの驚きみたいなものはあります?

TOYOMU:それはだんだん詳しくなっていく過程でそう思った。でも、初期衝動としては、それ(音の質感)でしたね。中学生、高校生だった自分にとっては、テープ録音されたものを切って並べていくというのは、ポルノグラフティやバンプ・オブ・チキンが演奏しているのとは明らかに違っていた。

ずっと家で作っていたんですよね?

TOYOMU:そうですね。レコードを買ってきて(それをサンプリングして作る)、というのをやっていました。レコードじゃないとダメという風潮がありますけど、ストーンズ・スロウのナレッジというビート・メイカーはサンプリングの音がめちゃくちゃ悪くて、どう考えてもYouTubeから音を録っているようなのを毎月何本もバンドキャンプにビート・テープとして出したりしていたので、「もう作るんだったら手段関係ないやん」と思いました。レコードを買いにいく時間で(音を)作れますよね。だからある意味で合理化ではありますよね。

いつから作っているのですか?

TOYOMU:MPCを買ったのは2009年なので6年くらい前ですね。

憧れのような人はいました?

TOYOMU:KREVAですね。あとはマミーDですね。最初に日本語ラップから入ったので。あの人らって「MPCをまず買え」という人じゃないですか。それで「MPCを買ってやったらああいう感じができるんや」と思ってMPCを買って、KREVAのソロとかを聴きながら「なるほどな、こういう構造か」って分析したり、あの人がスタジオでMPCを使って解説している動画を見たりしていました。

だとしたら、普通に、真っ当なJラップの道にいってもよさそうなのに。

TOYOMU:そうなんですよ。僕は最初はラップもやっていて、KREVAやマミーDはトラックメイカー兼ラッパーで、自分で曲を作って自分でラップもできるみたいなことに憧れていたので、最初はそれでいこうと思っていたんですよ。でもリスナー目線で考えてみると周りにラップでむちゃくちゃカッコいい人が多すぎて、「これは自分で全然無理やわ」と思って、そこでラップは断念したんですよ。「こんなにカッコいいのできへんし、全然歌詞も思いつかへんし、音楽作るのは好きなんやけどなあ」という思いがずっとあって、「じゃあもうラッパーのためにビートを作る」ということでビート・メイカーという役職があることがわかったからはじめたんですよね。

誰か他のラッパーとユニットを組んでみたりしたことはありますか?

TOYOMU:それはありましたよ。地元の同い年くらいの何人かで集まってクルーを作ったりしたことはありました。1回ミックスCDを出しましたけど、どうしてもラップがパッと返ってこなくて「インストはどれがいい?」とか言っていたら時間が経ってしまって、それがだんだん「はよ返せよ!」とイライラしはじめて。
 京都に限った話じゃないんですけど、もっとみんなラフにラップをやればいいのにな、と実感するんですね。さっき来てはった人(この前の取材者=JAPAN TIMESの記者)も「日本のアンダーグラウンドのラップを探しているけど、なにを見ていいかわからん」みたいなことを言ってはって、それは日本でミックス・テープ文化が全然根づかなかったということじゃないですか。まとまっているところが全然なくて、結局僕は「タワレコの『bounce』とか『ele-king』のチャートを見るしかないんじゃないですか?」と言うしかなかったんですね。日本のヒップホップのなかでみんなが「作品を作る=CDを出す」ということになってしまっていて、CDを出すということはスタジオでちゃんとレコーディングをしてというように真面目なんですよね。「なんでヒップホップをやっているのにそんなに真面目なんだ」と思ってしまって。
 もっとiPhoneでワーッと録って、なんならインストもiPhoneで録って「どや!」といって出すくらい……、それはさすがにクオリティが低すぎるんですけど、ラップだけiPhoneで録ってPCに入れて、インストは「これ使ったらええやん」といってやるというノリがなくて、「なんでみんなこんなに便利な世のなかなのにそうせえへんのかな」とすごく不思議ですね。僕がラッパーやったらガンガン人の曲を使いまくって、アップロードしまくってハイプをやるほうが早いと思うんですけどね。ライヴでかますというよりかは、それをやったほうが絶対にヒップホップ的に成りあがれるというか。KOHHとかリル・ウェインとかああいう人がいるのに、なんでそういうやりかたをやらんのかなあと思いますね。というのもあって僕の『印象』シリーズは毎月出そうとしていて、そういうミックス・テープのノリでみんなもどんどん作ればいいやんと思うんですけど、腰が重いというのが謎ですね。

現代の、次から次へと作品がアップロードされるその速度感はすごいものですが、それでは音楽がビジネスとして成り立たなくなるということ、そして作るという行為そのものがまったく意味が違ってきてしまうということに対する恐怖心も日本にはあるのかなと思うんですけど。

TOYOMU:なるほど。でも僕はそれがなぜ作る側にあるのかがわからなくて、作る側は自由にやって、それをどう思うかは企業や会社の問題じゃないですか。

カニエ・ウエストのリアクションというのは予想以上だったと思うのですが、海外でおもしろかったリアクションはありますか?

TOYOMU:おもしろかったのは向こうの「レディット」というちょっと明るい2ちゃんねるのようなサイトでカニエ・フォーラムみたいなのがあって、そこの「カニエのアルバムを妄想で作ってみたらしい」というスレッドに「小説としてはおもしろいと思うけど、妄想で作ってない。全部聴いてから作っている」と書いてあったのがおもしろかったですね(笑)。「こんなに似ているわけないし、絶対コイツ聴いている」からみたいな(笑)。

しかし「レディット」って、すごいところまで見ていますね。

TOYOMU:それはなんでかと言えば、どこでバズが起きているかがバンドキャンプのアクセス解析でわかるんですよね。「バズ」という項目があって、もちろんエレキングだって出ますよ。それで変遷を見ていたら「レディット」というのがやたらと書いてあって、見にいったら「2ちゃんか……」と思いましたけど(笑)。

[[SplitPage]]

もっと欲をかいたというか、自分ですべて作ったものを出したいと思ってきたんです。だからサンプリングで一音だけ録ってきて音階にわけて弾いていても、やっぱりどこかで借り物感に満足しきれなくて、今回はそういうことに頼らずにできたと思っているんです。

なるほど(笑)。TOYOMU君って、物静かな外見とは裏腹に、けっこう大胆な行為をやっているんですけど(笑)。ニコニコしながら言っていますが、普通こんなことはビビってできないと思います(笑)。

TOYOMU:それは「日本に住んでいるとただでさえアンテナが低いのに、出さなかったら知られていない、やっていないのと一緒だ」と思ったからなんですよね。せっかく作っているのに聴いてもらえないのがほんまに悲しいと思ってきて、だからそれだったら方法なんて選んでられへんよねという話で。しかもヒップホップ自体が手段を選ばずに新しいことをやるという音楽であるはずだと思うので、その考えからいったら怖いものはなにもないですよね。あとは個人レベルでやって怒られることなんてまずないから、なんでもやったらええやんと思うんです。

でも、今回の『ZEKKEI』がそうですが、商業流通を前提で作っているから、人騒がせなサンプリングもないわけで、自分の音をサンプリングしたんですよね。そういうときにどうやって自分のやり方を調整していくのですか?

TOYOMU:それはYMOとかを聴いてきた僕自身にミュージシャン気質みたいなものが入ったから、自分で作曲してメロディを作り出すということ自体がもしかしたら自分がもっとも目指していたところなんじゃないかと思います。最初はサンプリングとシンセの融合でうまいことやって、サンプリングに聴こえないものを作り出すというのが当初の目標でしたけど、もっと欲をかいたというか、自分ですべて作ったものを出したいと思ってきたんです。だからサンプリングで一音だけ録ってきて音階にわけて弾いていても、やっぱりどこかで借り物感に満足しきれなくて、今回はそういうことに頼らずにできたと思っているんです。今回はそういう欲求でしたね。そもそも欲求としてあったというのはあります。

サンプリング・ミュージックというのはある意味でコンセプチュアル・アートのようなもので、発想を楽しむというのがあるじゃないですか。それに対していま言ったような作り方というのは、自分で実際に絵を描くというような行為ですよね。

TOYOMU:だからコンセプチュアル・アートだけやっていた人が、自分で絵を描くのをやりはじめたという段階がいまですね。

それはやっていて面白かったですか?

TOYOMU:そうですね。いままで自分が挑戦していなかったことをやるんで、やっぱり無類に楽しいですね。僕はメロディやコードの勉強はいっさいしていないですけど、理論って……理論化して可視化しているだけなんで別に(感覚で)理解できればいらないと思うんですよね。サンプリングでコードを合わせたりするのをやっていて感覚として身についてきたので、サンプリングを外してメロディだけを作ってみたりするのがだんだんできるようになってきたということが大きいですね。
 今回はとりあえずの足がかりを作って、それをアルバムの基軸に繋げていきたいと思っていましたし、アルバムを作ることになってからあまりにも時間がないということもあったので、先にジャブ的な感じでひとつ出そうかという感じでしたね。カニエに一区切りするために、というのも一つありました。あれをいつまでも引きずるのは嫌だし、KOHHも「昔のことを忘れたらいい」「過去にしがみつくなんてダサい」と言っているじゃないですか。その感覚ですね。

なるほど。もう次に行こうということですね。

TOYOMU:新しいことのほうがしたいんで、いつまでも一緒のことをやっているのも単純に面白くないし、飽きてきますよね。

『なんとなく、パブロ』のようなギャグをもないですよね。

TOYOMU:そうですね。ギャグはタダでいっぱいやればいいし、それをやる一方でアルバムは超真剣に作ればいいんじゃないかなと思っていますね。別に(ギャグの)入れがいがあるんだったらアルバムに入れてもいいと思うんですけど、100まで振りきってやるというのはやらなくてもいいかなと。

ダンス・ミュージックなどといった縛りはなかったのですか?

TOYOMU:ジャンルということだけは定義づけてやりたくない、という考えは通してありました。「これはトラップですよ、これはハウスですよ、ヒップホップですよ」と最初から冠づけずに、「音楽ですよ」と言って出したかったので定義づけしないでやりましたね。ジャンルがあるからジャンルに従って作ったというのがそもそも嫌だし、「これがビートの作り方ですよ。これがカッコいいですよ」となっている状況が嫌だったから、その(ジャンルの)メソッドが確立したら絶対それをやらずに新しいものを作るということを前からずっとやっていますね。

それでなぜ『ZEKKEI』なのでしょうか?


TOYOMU
ZEKKEI

トラフィック

DowntempoElectronic

Amazon

TOYOMU:フィールド・レコーディングの曲も京都の音ですし、『印象』の5番目で『そうだ、京都。(Kyoto Music)』というのを作って人から感想を言われたりして、自分が好きな京都が祇園祭とかクール・ジャパン的な京都じゃなくて、落ち着いたアンビエントの方向の京都なのかなと思ったんですね。京都自体がそういうイメージであることを再認識して、曲を作るときにもそういうのを意識して作ったりしていたので、その延長で今回のEPの制作に取りかかったんですよね。だから『ZEKKEI』というタイトルにしたのは普通絶景と言ったら歌舞伎の石川五右衛門ですよね。あれは南禅寺じゃないですか。

なるほど。そっちから来たのですね。

TOYOMU:日本語のタイトルをつけたいというのがまずあったんですよ。カニエのときは全部邦題的なノリの日本語で書いて今回もやろうと思ったんですけど、それをちゃんとしたCD作品としてやっちゃうと勘違いされるんですよね。

ヴェイパーウェイヴなんかは、相変わらずグーグル翻訳したような日本語をそのままタイトルにしていたり。

TOYOMU:でもそれを僕がやったらヴェイパーウェイヴの人になっちゃう。それが嫌だったんですよ。そこは僕もものすごく悩みましたよ。全曲のタイトルが日本語でもよかったんですけど、やっぱりそれをオフィシャルでやって理解してもらえるまでの周知度はないと思って、嫌だったんですけど日本語の言葉で英語タイトルをつける、ということをなるべく心がけてやったんですよ。だから2曲目に“Incline”という曲があるんですけど、これも英語ではあるんですが、琵琶湖から京都まで引っ張ってきている水路があって、その水路に滑車をつけて荷物を運んでいた「インクライン」という輸送用の台があったんですよ。その線路とかを含めて「インクライン」と呼んでいたんですけど、京都の人はそういうのを小学生の頃から習ったりして知っているから、僕にとって「インクライン」という言葉は英語というより蹴上にあるものが先に思い浮かぶんですよね。もし日本語タイトルでやっていたなら、カタカナで“インクライン”にしていましたし。あと1曲目の“Atrium Jobo”というのも、「条坊制」から取っていて日本語的な意味がありますね。

それは曲のイメージと関係があるのでしょうか?

TOYOMU:曲のイメージからです。EPを作ってからも自分のなかで京都の印象が強かったので、全部曲ができてからタイトルを考えるときも、京都のどこかしらの場所がそれぞれ点在していると考えるとうまく解釈できたんですよ。例えば1曲目は京都駅で、2曲目はさっき言ったインクラインで、5曲目のフィールド・レコーディングは嵐山のほうで、そう考えていくと(京都の)俯瞰になっているんです。そういうふうに俯瞰で眺め見ている+日本語タイトルをなんとかしてつけたいということを考えて、それを理解するのに正しい言葉は『ZEKKEI』だと思ったんです。

当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、TOYOMU君のなかで京都というのは大きいのですね。

TOYOMU:そうですね。ただ音楽に国境は関係ないという話がよくあると思うんですけど、どこに住んでいたとしても住んでいる場所から生まれ出たものが絶対大きく影響しているはずなんですよ。それは京都に住んでいるから京都をレペゼンしたいということじゃなくて、もう少し俯瞰してみると自分が京都に生まれてからずっと住んでいて(その状況で)音楽を作ったらどうなるのか、ということを考えたうえでの京都なんですよ。もちろん京都愛はありますけど、そうじゃなくてもう少し冷静な見かたの京都であるということを言いたいですね。

アルバムは来年になるのでしょうか?

TOYOMU:来年の2月くらいかな。タイト・スケジュールですね。

ハイペースだね。『印象』シリーズもそうですが、作るのが好きですよね。

TOYOMU:パッと出したいので、時間かけて煮詰まってああだこうだ言うんじゃなくて、『印象』シリーズに関しては最初のインパクトだけで短期間で終わるものをどんどん出していったほうがいいかなと思って。それがあるのであんまりもったいぶっても忘れ去られるだけだなと思いますね。

やはり消費の速度は早いと思いますか?

TOYOMU:思います。それは星野源のリミックスがそうだったし、カニエのやつも3月に出して「Sampling-Love」に載ったあとワーッと盛り上がってスッと消えたので。突然もう聴かれなくなって「はあ、じゃあ次作るか」と思っていたところやったんですね。タダのものしか聴かないという状況は大きいと思いますね。みんな本当にそれしか聴かないですしね。

そういう状況のなかで音楽家はどうやっていくか、というのもテーマとしては大きいですよね。

TOYOMU:タダのものはお金を出して買って頂けるもののオマケというか、プロモーションとしてやるつもりではいるので、今回のカニエくらい実験的だったりギャグ的なことだったりしてやれることはこれからもやっていくとは思うんですよね。

それはそれで楽しみにしつつという考えなのですね。

TOYOMU:そうですね。けっこう早いペースですけど、おそらくEPが出るまでにやると思います(笑)。(※『印象』シリーズの最新作は宇多田ヒカルだった)そうやって動いていきたい感じはありますね。とにかく「あの人は音楽を作り続けているな」というふうに(言われるように)はなりたいですね。実際にやっていて「もうアイデアがない」みたいな状態もないので。

 毎年恒例でアイスランド・エア・ウエイブスのレポート。18回目のエアウエイズで、私にとっては4回目の参加。滞在期間は2日と短かったが、中身は濃かった。
 いったい、この国の良いバイブがどこから来るのだろう。アイスランドは、2008年に経済破綻したというが、初めてアイスランドに行った2013年にも、そんな様子はまったく見えなかった。レコード屋に行ったらエスプレッソが出て来るし、バーは夜中の3時でも列が出来ているし、高級レストランにも多くの人がいる。若くして子供を持っている人が多く、町は綺麗で、ホームレスもいない。どう言うこと?
 たしかに、オーロラは日常的に見れるし、ブルーラグーンや、この世の物とは思えない美しい自然が目の当たりに見れるから、観光客もエア・ウエイブスに関わらず多い。レイキャビックの町は小さく、NYで言うとベッドフォードくらいで、端から端まで歩いても1時間ぐらいなので、自転車に乗っている人が多い。町の中心にある、ミュージック・ホールのハーパ周辺の港と景色は、何処を写真撮っても絵になり(ピンク色の空)、歩くのがとても楽しい町である。
 どのようにアイスランドが、経済復興したのかと、地元の人に聞いたところ、やっぱり観光業のお陰だと言う。ただ、この小さな国にとって、クローナの価値が上がり過ぎて、またバブルが弾けるだろうと言う。エアbnbなどで、観光業が調整されず、アイスランド人にとっては家賃はどんどん高騰しているし、クローナがこのまま上がり、上がらないところまで達したら、後は下がるしかないので、政府が次にどんな対策に出るかがキーだと言う。それが資本主義だけど、もし政府が、観光業を調節しはじめ、家賃レートを守れるなら、滅茶苦茶な状態は避けることができるはず、と。とにかく2016年、アイスランドはバブリーな状態にある。因みに、NYから来た身としては、アイスランドは何でも高い。ビールが大体$9、サンドイッチを買ったら$15など。

   

 さて、私のメインの目的は、オフ・べニューと呼ばれる、昼間行われるイベント。日本やアメリカでは見れない、地元のアーティストからツアーバンドまでが、レイキャヴィックのバー、レストラン、洋服屋、洗濯屋、レコード屋、ホテル、銀行など、音楽をプレイできるところなら何処でもライヴをしている。バンドによっては1日3ステージこなし、エアウエイブス期間に10以上のライヴをこなすこともあるし、新しいバンドに出会うのに、こんなに良い機会はない。何となく予定は立てるが、もちろん予定通りにいかない。偶然良いバンドに出会ったり、知り合いに出くわしたり、人が親切なので、心地の良い所にずーっと居てしまったりする。エア・ウエイブスのいい点は、時間にきっちりしているので、何かをミスっても、すぐ予定を立てやすい。

 今回の新しい会場ベスト2は、港近くのbryggjan brugghúsとBar Ananas。どちらも、レストラン・バーで、普通のお客さんもいながら、オープン・スペースでバンドがプレイしてる。bryggjan brugghúsはビストロ風、Bar Ananasは常夏風でトロピカルなサーフ気分が味わえる。ハングアウトも出来、バンドも見れ、ご飯も食べれ、来た誰もが楽しめるようになっているのが、アイスランド風。

 新しいバンドで印象に残ったのは、Skrattar , GANGLY, GKRで、リピートとしてはSamaris, Mammút, Hermigervill, Fufanu, Mr.Sillaが良かった。キー人物がいろんなバンドでプレイしているので、それを追いかけると、だいたい良いバンドに出会える。例えば、SamarisのJofridurは、Samaris以外に、 Pascal Pinon, GANGLY,そしてソロのJFDRをやっていて、どれも彼女の個性で成り立っている。GANGLYはまったく知識がなく、感で見に行ったのですが、見てすぐに彼女がシンガーだと気づいた。何か、引き寄せられる物がある。
 見れなくて残念だったのは、やっぱりビョーク。私はDARLINGリストバンドをもっていたが(列に並ばず入れるVIPリストバンド)、それでも入れず、会場のハーパで雰囲気だけを味わっていた。見れた人は本当にラッキー。アメリカのバンドはNYでも見れるので、ことごとくスキップしたが、Santogold, Warpaint, Frankie cosmosは見たかった。
 2日の滞在だったが、新しいバンド、新しいものごと、上から下まで十分にインスパイアされた。気候がどんどん温暖化して、今年は軽装で行ったのだが、難なく快適に過ごせた。
 アイスランドは本当に、何を食べても美味しいし、人びとは、朝まで普通にパーティしているが、モラルがあり、嫌な目にあったことがない。何処でもクレジットカードが使え、Wi-Fiがあり、英語が通じる。そして、アイスランドは安全、親切。朝6時にバスを待っていると、シリアから来たという男の子と簡単に友だちになったり、バスの乗り場を間違えて待っていたら、ホテルの男の子スタッフが、わざわざ正解のバス停まで連れて行ってくれ、バス会社に電話して、私がミスっていないかを確認してくれ、バスが来たら、わざわざ止めて、そのバスがあってるかどうか確認してくれたうえで「良い旅を!」と、送り出してくれる。これが平均的なアイスランド人。涙が出そうになった(とくにNYにいると)、マジカルなアイスランド体験だった。

 

最後に今回見たバンドのリスト。

Fri 11/4
Just another snake cult @bio Paradis
Samaris @bryggjan brugghús
Mammút @bryggjan brugghús
Kótt grà pje @bryggjan brugghús
SiGRUN @12 tonar
THROWS (UK) @12 tonar
Gruska Babuska @ Bar 12
GKR @ American bar
Dolores Haze (Sweden) @gaukurinn
IDLES (UK) @gaukurinn
Hermigervill @ gamla bíó

Sat 11/5
asdfhg. @ Hlemmur Square
Kaelan Mikla @ Hlemmur Square
Fufanu @ Bar Ananas
Mr.Silla @ NASA
Skrattar @ Gaukurinn
GANGLY @ Gamla Bio
Chinah (DK) @ Gamla Bio

公式サイト
https://icelandairwaves.is/

エアウエイブス・サバイバルガイド
https://grapevine.is/culture/music/airwaves/2016/10/31/iceland-airwaves-survival-guide/?=rcar

Yoko Sawai
11/12/2016

interview with POWELL - ele-king

 俺は間違っても君がやっている音楽のリスナーではない。俺は機械化されたダンス・ミュージックが大嫌いなんだ。それがプレイされるクラブも、クラブに行くような連中も、連中が摂っているドラッグも、話している内容も、着ている服装も、やつらのなかのいざこざも、基本的に、100パーセント、そのすべてを憎んでいる。
 俺が好きなエレクトロニック・ミュージックは、ラディカルで他と違ったもの──ホワイト・ノイズ、クセナキス、スーサイド、クラフトワーク、それから初期のキャバレー・ヴォルテール、SPKやDAFみたいな連中だ。そういうシーンや人たちが/クラブに吸収されたとき、俺は敗北感すら覚えたものだ。俺はダンスこの地球上の何よりも深くクラブ・カルチャーを憎んでいる。そう、俺は君がやっていることに反対しているし、君の敵なんだ。 

──パウウェルがビッグ・ブラッグをサンプリングしたことを
スティーヴ・アルビニに知らせたところ、
本人から返信されたメールより

 いや、だからこっちはそれどころじゃないんだって。日曜日のサッカーの時間がはじまる1時間前からもうほかのことは考えられない。時間がずれていたらライヴァルたちの試合も見なければならない。試合後は、監督インタヴュー/選手コメントを3回以上は読み返す。ホント、応援するほうもたいへんだよ。J1昇格、すなわち人生がかかっているんだから。
 もちろん某君にとってはどうでもいいことだった。アレックス・スモークもゾンビーも、アルバム、いまひとつだったな、と彼はぶっきらぼうにつぶやいたのだ。それから、彼はこういう。もっとできたはず。
 もっとできたはず? いや、いまはどんなに泥臭くてもいいから勝って欲しいし、こう言ってはナンだが、連中はまだずっとマシな部類に入る。多くのクラブ・ミュージックがいま見失っているものはアティチュードにほかならない。テクノというジャンル名は、ホアン・アトキンスによってアルビン・トフラーの『第三の波』の“テクノ・レベル”から取られたという話は有名だが、早い話、その“レベル”の部分が欠落している。つまり、スリーフォード・モッズと〈Editions Mego〉との溝を埋める存在はおらんのかと。パウウェルが注目されなければならない理由はまずここにある。
 「絶え間なく新たな難題に直面しているような感覚……」と、パウウェルは説明する。台頭する右翼勢力、シリア内戦と難民、あるいはブリグジットにトランプ、いまやネットで世界中のニュースにアクセスできる。この10年で、未来/フューチャーという、80年代~90年代のハウス/テクノの楽天的な合言葉も喪失したわけだが、パウウェルときたら、まさに日々更新される恐怖のなかで、それでもぼくたちは楽しくやっているんだと言わんばかりだ。笑いがあるんだな。ここにもうひとつ、パウウェルに惹かれる理由がある。
 ジョン・サヴェージの『イングランズ・ドリーミング』によれば、否定者とは時代を切り拓くものであるから、期待しましょう。『スポート』は、パンク40周年の2016年にリリースされたテクノ界のブライテスト・ホープの最初のアルバム、アンダーグラウンド・ロックンロールの声明である。
 え、もっとできたはず? 

エレクトロニック・ミュージックにはもっとアティテュードが必要だ。極端に味気なく(flat)になってるし、政治性も閃きもアイデンティティも欠落しきっている。あまりにも無難で刺激がない。いまや、フェスティヴァルが音楽界の風景をコントロールしているような気分になってるどこかのエージェントがつまらない出演者ばっかりブッキングして悦に入っているが、ぼくは音楽でエンターテイナーになるのはごめんだ。


Powell
Sport

XL Recordings/ホステス

Techno not TechnoUnderground Rock'n'Roll

Amazon

最初の質問はちょっとファニーに聞こえるかも、ですが、なぜスイカ(https://www.youtube.com/watch?v=8bYsnJfRcdA)なんですか?

パウウェル:えぇと……、全部は話せないな、ちょっと汚い話なんで。その……どうしよう、誰にも裏話は教えられないな、ちょっと恥ずかしいから。ただ、14才のとき、ぼくの身にあるおかしな出来事が起こった、とだけ言っておく(笑)

それだと余計に興味を持たれそうだけど(笑)、とにかく何かを象徴してはいるんですね、スイカは。

P:象徴するものはあるよ。ただ、メロン自体はぼくが自分のラジオ番組をメロン・マジックにしたり、ちょこちょこ使ってるうちにぼくのファニーなアイデンティティのようになっていたんで、今回はそれを茶化したってとこだね、ほんとのところ。

なるほど。じゃあ、こちらで

P:うん。

さて、あなたは作っているヴィデオもおかしくて興味深くて行間を読みたくなるという……

P:うん、もちろん。

観る人に「これはどういうこと?」と考えさせようという意図もあるんでしょうか。

P:いや、そんなことないよ。なんだろう……ぼくがやることはみんな、音楽もそうだし、音楽について語るときも、自分の見せ方にしても、ありのままの自分を可能な限り真実で正直な姿で表現しようとしているだけなんで、ヴィデオも……あのメロンにしても、ぼくが友だちとツアー先でメロンで遊んでるっていう、それだけのこと。ぼくが作るヴィデオはどれも自分自身を反映しているにすぎない。みんなに、何がぼくの動機付けになっていて、ぼくがどういう人なのかをわかってもらいたいだけで、わざとらしいものを作ろとしてるわけじゃない。そういう意味じゃ、推測すべきことなんて何もないんだよね。すべてはぼくなんであって、これが真実ってこと、基本的に。

“ジョニー”のヴィデオもそうだし、“アンダーグラウンド・ロックンロール”(https://www.youtube.com/watch?v=bamMBFc8AtU)も……

P:あぁ、“アンダーグラウンド・ロックンロール”のヴィデオはぼくも好きで、何が好きかっていうと……ぼくはポピュラー・カルチャーの搾取が大好きなんだよ。アンダーグラウンドのどん底あたりにいるアーティストがポピュラー・カルチャーを利用して、搾取して、それで遊んでしまうというのが面白い。ぼくは前からその手のものが大好きだった。ポップ・アートが好きだから、アンディ・ウォーホルを真似て自分の顔を描く、なんてことも、もっと若い頃にはやってみたし。そうやってカルチャーを搾取することには、前々から関心があったんだ。そういうのって、やっていることに注目してもらう手段として面白いし、そこに周囲とのインタラクションを生み出すのもまた面白い。
 ぼくはけっこう肯定派なんだよね、その……、マーケティングとかプロモーションとかいう言葉を使うのは好きじゃないけど、ぼくがアートとしてやっていることと別物だとは思っていなくて、実は同じことだと考えているんだ。ぼくは自分の音楽をみんなに聴いてもらう術を探し出すこともまた楽しいと思ってる。だって、結局のところぼくはこれを生涯ずっとやっていきたいんだから、みんなに聴いてもらいたいよ。じゃないと、作り続けていけないし。

アクセスしやすさ、というのもアートの一環、ということでしょうか。祭り上げるのではなく。

P:そうだね。ただ、アクセスしやすい、という言い方は間違いかも。というのも、ぼくはとっつきやすいものを創ろうとしたことはないんで。出来たものに対して人びとを呼び込もうとはするけど、わかりやすい音楽を作って気に入ってもらおうとしているわけじゃない。ぼくはぼくのやることをやって、その上でみんなに入ってきてもらうための方法を模索する、ということ。入って来ずらいようにはしたくない。

同じことがタイトルにも言えますか。『スポーツ(SPORT)』というのは、どう解釈したらいいのか。

P:“SPORT”って、ぼくは素敵な概念だと思うんだ。人びとが競い、闘い、苦しみ、努力し……スポーツにはそういうのがみんな詰まってる。精神的なものも、肉体的なことも、そして難しくもあり、楽しくもあり。そこがぼくにはすごく重要なんだよね。ぼくにとってこのレコードは心と体と両方に働きかけるものだ。いまのダンス・ミュージックは体だけ……になっているとぼくは思うんだけど……じゃなくて、もっと全方向的な体験……ゲームみたいな感じかな。多角的で、進んだ先々で予想もつかない楽しみが待っている。ぼくとしては、レコードを中心にゲーム的な感覚を生み出す、という発想が気に入っていて、作りながら自分でもそんな感覚を味わっていたんだ。だから、この言葉がいちばん相応しいように感じた。それに、なかなか素敵な言葉だと思うよ、スポーツって。人によって意味するものがいくらでも変わってくるだろうから、好きに解釈してもらえるのもいいところだ。

スポーツって、アートとは対極のイメージがありますが。

P:ぼくも子供の頃はスポーツやってたけど、いまはスポーツが得意なタイプじゃない。いまでも観るのは好きだけどね。とはいえ、POWELLのショウを持ちこたえるには、かなり運動能力が必要だから、ね、その意味でも相応しいかも。

ダンス・ミュージックはおっしゃるとおりフィジカルだし。

P:そう。

[[SplitPage]]

いま、悪いことばっかりあるだろ? シリアもそうだし、ドナルド・トランプも、BREXITも、経済もそう。常にこう、カオスの淵に立たされているような感じがする。落ちてしまったらすべてがダメになる、と。でも、実際にそうなってしまう気配はない。その感じがぼくの音楽に表れている。絶え間なく新たな難題に直面しているような感覚……。

ところで、質問者はあなたのやっていることのパンクな側面に注目しているようで、このアルバムも幕開けはあなたのトレードマークでもあるノイズで始まりますが、ペル・ウブやザ・フォールやフガジをサンプリングしているあたりなど……

P:うん。

あなたの音楽はシカゴのハウスとかではなく、スロビング・グリッスルズやコイルなど、もっと政治性のある音楽と比較できるのではないか、と。もっとも、あなたのやっていることはまったく政治的ではありませんが……。

うん。

そういった側面と関わることは避けているのか……。

P:ぼくの音楽は常に、ある意味政治的だと自分では思ってる。自分の信じるものを目指して本気で闘っているから。わかる? ぼくはそう思うんだ。狙いとしては、反発なり、行動なりをぼくが思うところの非常に退屈なエレクトロニック・ミュージックに対して起こしているつもりだ。過去20年、リサイクルばかりで同じことしかやっていないからね、ああいう音楽は。
 あと、質問者の指摘はまったくそのとおりで、ぼくの育ちは、DIYクラブに通ったりギターをブッ壊したりボトルを人の顔に投げつけたりするタイプのパンクではなかったけど、やっていることにはたしかにパンクな側面がある。なぜかというと、パンクって必ずしもパンク・ミュージックを聴いていることをいうんじゃなくて、姿勢に表れるものだから。あと、意思を持って……刺激を与えることで何かを変えようとする姿勢、それがぼくの音楽の根本にあることは間違いない。いま、名前が挙がったようなバンドの方が、物事との対峙を迫るというか、音楽に限らずアートや世界や色んなものに対する見方を変えてしまうというか、そういう点でワクワクさせられるんだ。こうやって、ちゃんとしたレコード会社で作品をつくれるようになっても、その発想を固持できているというのは、ぼくとしてはすごく恵まれていると思う。エクセルみたいなレコード会社が、こういう音楽と、こういう音楽を作る人間をそこまで信じてくれているんだから本当にありがたい。
 ぼくは、エレクトロニック・ミュージックにはもっとアティテュードが必要だと思ってる。最近、極端に味気なく(flat)になってるし、政治性も閃きもアイデンティティも欠落しきっているからね。あまりにも無難で刺激がない(dull)。いまや、フェスティヴァルが音楽界の風景をコントロールしているような気分になってるどこかのエージェントがつまらない出演者ばっかりブッキングして悦に入っているが、ぼくは音楽でエンターテイナーになるのはごめんだ。レコードの冒頭に残虐なノイズを持ってくるのも、そこに理由がある。「あんたを楽しませるつもりはない、ぼくなりに音楽に大切だと思うものを届けにきただけだ」という、ぼくからの宣言さ。だから、取りようによっては警告、だね。でも、それを理解しないバカなやつをそこで排除する策でもある。

ただ、そういうのを直球で深刻にぶつけてくるだけではなく、そこはかとなくおかしいユーモアに包んでいる感じもあなたの音楽にはありますよね。前述のパンクなバンドにもあった要素です。それもまた、あなたがパンクに共感する部分ですか。

P:ユーモアはぼくにはすごく重要だよ、うん。ただ、やっぱり意図的なものではない。さっきも言ったように誠実に、正直にやっていれば人間性が滲み出るんだと思う。世のなかにはシリアスな音楽がいっぱいあるよね、実験音楽の世界とか、まあ、名称は何でもいいけど。でも、そこにも楽しんでしまう隙間はあるんじゃないか、とぼくは感じてる。自分も楽しんで、聴く人を笑わせてしまう余地が。ぼくは前から、カオス&ノイズと遊び心&ノリ(groove)の狭間の微妙な境界線がすごく好きで、そのギリギリのところに佇んで、いつどっち側に転がるかわからない、みたいな感じを楽しんでいる。カオスの方に落ち込んでいくのか、はたまた遊び心に誘われてパーティに行ってしまうのか。ね? その感覚が、ぼくはすごく興味深いと思ってる。そんな感覚で音楽を体験することが。先を読み切れないっていうのは、最高に興奮するよ。

どっちかに転がり落ちてしまうこと、あるんですか。

P:曲によると思う。難解だったりカオスだったり、それだけのモーメントは作りたくないけど、そうなってしまうときはあるね。でも、カオスがあったら、それに対してもっとこう……グルーヴ主体のものとか、コントラストがあるのがぼくは好きだから、ぼくの音楽は基本、そういうふたつの対照のあいだを行ったり来たりしてるんじゃないかな。それも、できるだけ普通じゃない、ヘンなやり方で。

世界的にそうですが、特に英国では BREXIT以降、ユーモアが失われて緊張感が高まっているように思えます。そんな現状に対するひとつの答として、こういう音楽を提示している、という意識はありますか。

P:夕べ、ガールフレンドと一緒にぼくの音楽について話をしてたんだけど、まあ、ぼくら、よく音楽論議をするんだけどね、昨日は特に、あるインタヴュアーからこのレコードは時代を興味深く反映していると言われたんで、そのことについて……、いま、悪いことばっかりあるだろ? シリアもそうだし、ドナルド・トランプも、BREXITも、経済もそう。常にこう、カオスの淵に立たされているような感じがする。落ちてしまったらすべてがダメになる、と。でも、実際にそうなってしまう気配はない。その感じがぼくの音楽に表れている、と指摘されたんだ。自分では考えたことがなかったんだけど。絶え間なく新たな難題に直面しているような感覚……。でも、それは注意力欠陥というふうにも捉えられるのかな、とぼくは思った。
 ぼくの音楽って、どんどん跳ね回って跳ね返されて変化しながら聴いている人をどこかへ引っ張って行っては何か珍しいものを見せていく、というような。なんでそうなるのかは自分でもよくわからないけど、何もかもがこう……短くて、早くて、シャープで、どんどん変化して、常に何もかもが変わっていく世のなかの動きと繋がっているところは確かにあるのかも。

ある意味ではぼくの音楽もたしかにテクノだとは思うけどね、アルビン・トフラーがその言葉を使ったときの、未来を意味するものだったテクノという本質的な意味においては。ぼくの音楽にとって“未来”はとても大切だ。過去を引き合いに出して語ろうとする人は多いけど、ぼくの希望としては、みんなにこれを古い音楽ではなく新しい音楽として見てもらいたい。


Powell
Sport

XL Recordings/ホステス

Techno not TechnoUnderground Rock'n'Roll

Amazon

ところで、あなたは自身のレーベル〈Diagonal〉を持っていますが、その立ち上げから「The Ongoing Significance Of Steel & Flesh」(2011)のリリースに至るまでの経緯を教えてもらえますか。

P:うん、といっても別に経緯ってほどのことはなくて、15年間ずっと作ってきた音楽をリリースしたいと思ったのがきっかけなんだ。それで、色んな人に相談して実現させた。いまの時代、レコード・レーベルを始動させるのは実に簡単なことだからね。ただ、レコード1枚だけ出して終わるレーベルにはしたくない、という思いはあった。で、2作目を出して、気が付いたら35作になってた。ぼくは音楽をプレイするのも大好きだけど、同じくらい自分のレーベルを愛してるんで、もっとそっちに費やす時間があったら、と思う。ここ1年は本当に異常に忙しかったから。

ここでいくつか既存のレーベルの名前をあげますので、あなたがそのレーベルや出している作品についてどう思うかコメントしてもらえますか。まずは〈Blackest Ever Black〉と〈Modern Love〉。

P:うん、〈Blackest Ever Black〉を運営してるキーランのことはよく知ってるよ。20年~10年だったか、ぼくの最初のレコードが出る前、〈Blackest Ever Black〉もはじまる前に会ったことがある。その時、キーランはレインの連中と一緒で、みんなで自分たちのレコードをリリースする話で盛り上がった。その後、〈Blackest Ever Black〉がやるようになったパーティの、最初の2回ぐらいはぼくも参加してプレイしたし、キーランの活動とはぼくは何かと繋がりを持ってきた。〈Modern Love〉も同じで、運営してるシュロム・アブンカはぼくの友だちで〈Diagonal〉のディストリビューションをやってくれてるんだ。だから、すごく近い関係だよ。音楽的には当然、違いがあるけどね。それぞれのアイデンティティがあるし、重要視するものも、提示の仕方もそれぞれだから、音楽的にはそのふたつのレーベルと必ずしも親近感を持ってはいない。でも、姿勢の面では間違いなく共感する。

ふたつ目のグループは〈Pan〉、〈Editions Mego〉、〈Raster-Noton〉.

P:うん、〈Pan〉と〈Mego〉はぼくも大好きだ。理由はやっぱり、〈Pan〉をやってるビルも〈Mego〉をやってるピーターも友だちだからね。音楽に関してぼくがいちばんワクワクするのは、好きなことをやっているなかで出会ったそういう友だちができることなんだ。音楽をやっているから行けるような場所へ旅して、人生や音楽やアートについて素晴らしい考えを追っている人たちと出会って話をしてパーティをして楽しむことができる。そういうレーベルはどれもリスペクトしてるよ。大変な努力と献身が必要だということはぼくもよくわかっているからね。しかも、結局のところそれでほとんど儲かるわけでもない。この手のレーベルを運営している人はみんな尊敬に値する。

そして、いきなりなんですがスリーフォード・モッズは好きですか。

P:あぁ、好きだよ。最高だ。演奏しているところを実際に見たことはないけど、レコードはけっこう持ってる。音は好きだし、すごくいいと思う。いまの時代にすごく必要だ。

必要というのは、メッセージの面で?

P:うん、というか……要は声(voice)、だよね。代表する声……、イングランドの状況を描き出しつつ、それを極めて新しい、独創的でスタイリッシュで革新的なやり方で提示している。だから人は耳を傾ける。そこが素晴らしいとぼくは思う。

彼らが伝えているいまのUK社会は、あなたも同意するところですか。

P:正直、あんまり歌詞には注目していないんだ。いつも音楽の方に耳がいってしまうから。ぼくが感じとっているのは感覚的な……、いや、もちろん言葉は聞こえているし、めちゃめちゃおかしいから印象にも残るけど、具体的にここがこう、というのは必ずしもないな。彼らは自分たちの暮らしを題材にして、その暮らしが自分たちの目にどう映っているか、を表現しているんだと思う。だから、怒りとか、募る不満とか、そういうのは感覚的に伝わってくる。いまこの国で暮らす人の生活が浮き彫りになってくるんだ。別に攻撃的な言葉を使わなうても、敵意みたいなものが伝わってくる彼の声がぼくは好きだな。ああいう音楽にああいう言葉、という組み合わせから伝わるフィーリングが多くを伝えてくる。そこがぼくにはエキサイティングだ。なんかこう、エネルギーが炸裂している感じがする。あと、やってる人の姿勢が伝わってくる。ぼくはそういう音楽が好きだ。

話は戻りますが、あなたがテクノ・ミュージックを好きになったきっかけは何ですか。

P:っていうか、ぼくはテクノ・ミュージックに入れ込んだこと、ないよ。

あら……

P:(苦笑)、正直テクノはすごく退屈だと思ってるから。とはいって、18歳から25歳ぐらまではそれなりにテクノも聴いていて、レコードもずいぶん買った。ただ、テクノの大ファンだったことはなくて、いまとなってはもう、テクノのクラブで一晩中をテクノを聴くなんて無理。退屈しきってしまう。良質なテクノなら好きだけどね。かつてのテクノの本質とか、その成り立ちなんかは興味があって、つまりは音楽を未来へと方向づけよう、そのためにマシーンを使って何か新しいものを創ろうとしていたわけだけど、いまのテクノにそういう意味合いはないと思う。いまのテクノの意味するものは、4拍子のキックドラムさ。あとハイハット。
 まあ、ある意味ではぼくの音楽もたしかにテクノだとは思うけどね、アルビン・トフラーがその言葉を使ったときの、未来を意味するものだったテクノという本質的な意味においては。ぼくの音楽にとって“未来”はとても大切だ。過去を引き合いに出して語ろうとする人は多いけど、ぼくの希望としては、みんなにこれを古い音楽ではなく新しい音楽として見てもらいたい。

たしかに、出始めのテクノにはパンクに通じる姿勢がよく指摘されましたが、その部分は失われているかも。

P:同じ感じはしないよね、もう。

[[SplitPage]]

セックス・ピストルズとぼくが共有するものがあるとすれば唯一、彼らが登場したときの状況ぐらいかな。興味深い時代ではあったよね。そこで彼らはガラリと方向転換をはかった。音楽の可能性における別の選択肢を示したわけだ。ああいう姿勢を、もっとみんな示すべきだとぼくは思うな。何でもそうだけど、何か違うことをやろうとするのなら、ジワジワと違う方向へ押していくんじゃなくて、過激なまでに違うものをいきなり提示するのがいい。


Powell
Sport

XL Recordings/ホステス

Techno not TechnoUnderground Rock'n'Roll

Amazon

じゃあ、パンク・ミュージックとの出会いについて教えてもらえますか。

P:さっきも言ったように、いわゆるパンクスだったことはないんだ。聴いてたのはジャングルとかドラムンベースだから。それからテクノ・ミュージックを知って、その後は2004年、2005年あたりにダブステップが出てきてからは2年ぐらい、本気で入れ込んだ。でも、それでエレクトロニック・ミュージックに飽きてしまって、あらためてパンクやポストパンク、インダストリアル・ミュージックを聴いたり、本で読んだりするようになった。ノイズとか、実験音楽、コンピュータ音楽も含めて、そこから5年ぐらいかけていろいろ消化していったんだ。後追い、だよね。「ジーザス、なんでこんなに色んなのをぼくは知らずに来てしまったんだろう!」って感じで。
 なんで、ずっと音楽の旅を続けていて、どこか特定の場所に沈没することはなかったんだ。その代わり、あらゆる音楽を楽しんでこられた。とくに……、なんだろう、それぞれ理由があって何でも好きなんだよな、明瞭な姿勢があるやつ、とか、そういう条件はあるけど……、まあ、願わくばぼくの音楽に、何か特定のひとつからの影響だけでなく、あらゆるものから受けた影響が組み合わさった何かが聞こえていてほしい。だからこそのPOWELLミュージックだと思ってるんで。

たしかに折衷的な音楽性で、いったいどこから作りはじめるんだろう、何がヒントになるんだろうと考えてしまうわけですが、例えばアルバム冒頭の不快にも思えるノイズとか。多幸感溢れるクラブ・ミュージックとは対極ですよね。

P:うん、だけど、自分ではあれが不快だとは思っていない。まあ、ある意味そうなのはわかるけどね。アルバムの冒頭であれが鳴るのは不快ではあるかもしれない。でも自分ではそうは思わないし、耳障りな音だから使った、というのでは決してない。気に入ったから使ったんだ。だから、あの音楽をクラブでプレイするときは、やっぱりみんなを不快な気持ちにさせたいからじゃなくて、純粋にその音がいいと信じているからで。

はい。

P:イライラさせるのが狙いではなく、ぼく自身は大好きで、すごくいい音だと思って使っているわけ。あと、ぼくが使う音って、けっこうブライトでプラスチックなんだよね。歪んでるって言う人が多いんだけど、そんなことはない、かなりのハイディフィニションだ。そういう高周波がぼくは大好きで、脳みそに聴いている音楽について考えさせる効力があるように思う。いつもベースとキックドラムとサブベースにばかり依存するんじゃなくて。そういう低音は伝統的に体に訴えてくるものとされているけど、ぼくは頭のど真んなかと胸の真んなかと、両方にドリルをねじ込んでくるような音のコンビネーションが好ましいと思ってる。

さっき名前を挙げたレーベルの作品は、とても知的だけれどもときにシリアスでオタクっぽさもあるのに対して、あなたのレーベルの作品はそれもありつつ、実験的で、すでに話に出たようにユーモアが必ず含まれている。そこがあなたやあなたのレーベルの作品の好きなところだ、と質問者は言っています。

P:それはまったくその通りだし、ぼくらの見解そのものだよ。ぼくらはみんな、背景は似ていて、音楽的にも……クレイジーで意外性があってファニーで美しくて……というのが好きだし、そういうのをライヴでも、リリースするレコードを通じても届けたいと思ってやっているのも同じだけど、要は自分らしさ、だね。

あなたのクラブ・ミュージックEPをフランケンシュタインのモンスター・サウンドと称した人がいるそうですが……

P:うん。

それは認めます?

P:あぁ。

わかりました。ところで、その後、スティーヴ・アルビニから折り返しの連絡はありましたか。

P:Yeah yeah yeah!  Eメールで話してるよ。あれはぼくが彼を攻撃する意味合いじゃなかったんだ。彼が言っていることをぼくもその通りだと思ったから、発言を引用したんだよ。コミュニケーションの機微ってやつをみんなわかってないんだな、と思った。ぼく自身は間違いなく、スティーヴと同じ考えだ。あのEメールに名前が出たバンドをぼくも大好きなんで、スティーヴ・アルビニの声を借りてぼくがしゃべっている、という主旨だったんだけど……。彼は理解してくれている。
 でもま、あれがきっかけで興味深い会話があちこちで生まれて、みんなが音楽の状況について語り合うようになったらしいから、ね。ロック・シーンからパンク、エレクトロニックからEDMに至るまで、色んなジャンルの人を巻き込んで、あの一風変わった広告から議論が巻き起こったんだから面白い。ヘンな広告ではあったけど、あれはぼくがスティーヴの言うことに賛同したから出したんであって、反論の意味ではなかった。

みんな誤解してますね。しかし、ホワイト・ノイズ、ゼネキス、スーサイド、クラフトワーク……とくれば、あなたのやっていることと共通点は多いですもんね。

P:まったく、その通り。

では、ここでNHKのコーヘイ・マツナがの話を。あなたのレーベルから出していますが、彼の作品についてはどう感じていますか。

P:コーヘイはスゴイよね。たしか2008年に彼はラスター・ノートンから1枚、「アヌミニアム(Unununium)」ってレコードを出している。黄色と白のやつ。〈Raster-Noton〉がやってたシリーズの一環だったと思う。あれで俺が考えていた音楽の可能性が、ガラリと変わったのを覚えてる。ぼくは最初のレコードをやるにあたってコーヘイに 「ハイ! ロンドンのオスカーっていいます……」 みたいな手紙を書いたことがあったんだけど、それからまたたまに話しをするようになったり……って感じで、割と自然な流れでリリースが決まったんだ。それってスゴくない? ヒーローだったコーヘイと5年ぐらいしたら一緒に仕事してるんだから。最高だよ。すごく感謝してる、彼に対しても、だけど音楽というものに対して。音楽のおかげでぼくは彼に信頼して任せてもらえるようになったんだから。音楽ってスゴイよ。

イーロン・キャッツは?

P:イーロンもだけど、みんな経緯は似たり寄ったりで、自然と出会った人たちなんだ。知らない人のレコードをリリースしたことはない。決まって、家族なり友だちなりってのが先にある。インターネットの中だけに存在する実体のないレコード・レーベルを作るのなんて、お安い御用さ。ただ、それがどういう方向へ進んでいくか、となるとレーベルに関わる人間どうしのつながりがすごく重要になってくるからね。

ふたつ名前をあげます、まずはセックス・ピストルズ。彼らと音楽的に、あるいはメッセージなど姿勢の上で、何か自分と共通するものはありますか。

P:う~ん、ないな、別に。パンクを踏まえてるって意味では通じるところはあるけど、う~ん……、セックス・ピストルズとぼくが共有するものがあるとすれば唯一、彼らが登場したときの状況ぐらいかな。興味深い時代ではあったよね。そこで彼らはガラリと方向転換をはかった。音楽の可能性における別の選択肢を示したわけだ。ああいう姿勢を、もっとみんな示すべきだとぼくは思うな。何でもそうだけど、何か違うことをやろうとするのなら、ジワジワと違う方向へ押していくんじゃなくて、過激なまでに違うものをいきなり提示するのがいい。

もうひとつの名前はアンドリュー・ウェザオール。知っていますか?

P:もちろん! 会ったことあるし。

あ、面識もあるんですね。

P:うん、一度だけ、あれは……スイスか、去年の夏に。すごい人だよね。イギリスの音楽界ではアイコンのような存在だから、みんなリスペクトしてるよ彼のことを。ぼく自身はあんまり彼の活動をフォローしてなくて、長年追いかけてますって感じじゃないけど、英国の音楽に大きく貢献した人だから当然のようにリスペクトしている。

ありがとうございます。最後に、POWELLという自身の苗字でレコードを出すことにしたのはどうしてですか。

P:ほかに名前を思いつかなかったから。

(笑)

P:いや、他にも名前は山ほど考えた。でも、どれもピンとこなかったから本名にしたんだよ。

(以上)

Ishan Sound & Rider Shafiqu - ele-king

 尖ったサウンドの伝統を持つブリストルで現在もっとも尖っているポッセ、ヤング・エコーのメンバーでもあるIshan Sound(アイシャン・サウンド)とRider Shafique(ライダー・シャフィーク)の2人が来日する。
 アイシャン・サウンドは、〈Peng! Sound〉や〈Hotline Recordings〉、〈Tectonic〉などからもリリースする、現在20代半ばのプロデューサー。マーラやザ・バグなどからもイヴェントに招かれ、またリリースされる曲はレゲエ系サウンドシステムでも好評を得ている。ルーツへの興味を示しつつ、ダブステップ~グライム~トラップ~ダンスホールを折衷する、まさに新世代感覚。
 もうひとりのライダー・シャフィークは、もっか注目もMC。ヒップホップ~ジャングル~ダブステップなど多くのDJやプロデューサーに招かれ、そのラップを披露している。Kahn、Sam Binga、Epoch、Gantz、Submotion Orchestraなどなどの作品に参加している。
 最近Young Echoはレーベルを立ち上げたが、その第1弾は、El KidとJabuがトラックを提供した、ライダー・シャフィークのスポークン・ワード作品(https://bs0jukebox.tumblr.com/post/152601400294/i-dentity-rider-shafique-official-video
 詩の邦訳: https://dsz-instagram.tumblr.com/tagged/ye001

 とにかく、ブリストルのアンダーグラウンド・ミュージックの気鋭の2人の来日、ぜひ生で体験してほしい。11月22日から、東京、名古屋、京都、福岡、金沢、宇都宮をまわります。

■Ishan Sound & Rider Shafique Japan Tour Nov/Dec 2016

TOYOMU - ele-king

 ネットで好き勝手やっている古都在住のポスト・モダニスト、TOYOMUが、星野源、カニエ・ウエストに続き、今度は勝手に宇多田ヒカルを●●●して話題になっているところ、デビューEPに先駆けてMVが公開された。これを見ながら彼のEPを妄想しましょう。

■TOYOMU / EP 『ZEKKEI』

2016年11月23日発売/ TRCP-208/ 定価:1,200円(税抜)

 先月末はベルリン・ポルノ映画祭(10月26~30日)に出席するためドイツ、ベルリンに1週間ほど滞在した。今泉浩一監督と自分が制作した短編映画<https://www.shiroari.com/habakari/toto.html>が上映されたためで、2011年に初参加してから5回連続、おそらく日本人としては自分たちがいちばんこの映画祭に足を運んでいる筈なのと、かつ日本語で纏まった記事がほぼ見当たらない事もあって、この機会に今回で第11回目を数えることとなったPorn Film Festival Berlin<https://pornfilmfestivalberlin.de/en/>を紹介したい。

第11回ベルリン・ポルノ映画祭メイン・ヴィジュアル

 まずはこの映画祭のメイン・ヴィジュアルをご覧いただきたい。第5回(2010年)から基本的に同じモチーフでアレンジを変えて使われ続けているが、これを見て思わずムラムラしてしまう人はまあ居ないだろうにも関わらず、誰が見てもこれは「ポルノ映画祭」以外の何物でもない、と納得してしまう秀逸なデザインである。この映画祭は人目を憚ってこっそり行われるアンダーグラウンドかつプライヴェートな「シークレット・(セックス・)イベント」ではなく、あくまで──もちろん成人向けではあるが──社会の窓に向かって開かれた「映画祭」である、という主催者の強い意思を感じさせる。

 ベルリン・ポルノ映画祭はドイツ在住の映画プロデューサー兼インディー系映像作家、ユルゲン・ブリューニンク(Jürgen Brüning)によって2006年に創設された。メイン会場は例年ベルリンのクロイツベルク地区にある「MOVIEMENTO KINO <https://www.moviemento.de/>」という小さな劇場が3つある映画館で、期間中5日間は映画館全体がポルノ映画祭一色となる。今年の上映作は長編・短編併せて140本以上、大半は欧米制作の作品でアジアからは拙作を含めた短編が2本だけ。聞けば映画祭初日の時点で既に3000枚の前売券が出ており、昨年の観客動員数は8000人以上ですっかり恒例イベントとして定着した感がある。劇場では写真展が、サブ会場では縛りのワークショップ、おしっこプレイのワークショプ、「ポルノにおけるレイシャル・ポリティクス」と題されたレクチャー、VRセックス無料体験コーナー etc. と関連イベントも盛り沢山である。映画館で各劇場の入れ替え時間が重なったときには身動きがとれないほどの大混雑になる。客層……は18歳以上の男女、とでも形容する他は無い印象で観客全体にはとくに偏りは感じられない。

映画館にあるラウンジで、スタッフがチケットのキャンセル待ちのお客さんを呼び出している。

 映画祭開催中は3つのシアターをフル回転させて朝から晩までプログラムが組まれており、すべてを観るのは無理ではあるが大抵の作品は期間中に2回上映されるので、観たいものが同時間の別劇場で被ってしまう危険性はそんなにない。ないがしかし、そもそもヘテロポルノ・ゲイポルノ・レズビアンポルノ・トランスポルノ・フェティッシュポルノ・お笑いポルノ・実験ポルノ、などなど「ポルノ」の領域がとめどなく拡がっているため、上映される作品もソファーにおばはんが二人座って交互にぷうぷう屁をこいているだけのものから人体が若干切り刻まれるようなものまで多岐に渡り、自分が関心があるプログラムを拾って観ていけば人によって全く違う映画祭となる──例えばヘテロポルノを外してゲイ映画を中心に観る自分たちにとっては完全に「ベルリンゲイ映画祭」である。加えてその年2月開催のベルリン国際映画祭で上映された作品もセレクトされていたりするので、日本未公開の話題作を観られるのも嬉しい。

 創設者であり、かつ現在も映画祭ディレクターであるユルゲンに改めて「あなたがこの映画祭を始めた理由」を訊いてみた。いつもにこやかな彼は、「『ポルノ』という言葉で一括りに隔離されている作品を映画館で、いわゆる普通の映画と同じように見知らぬ誰かと隣り合わせの席で観る、という場所を作りたかったからだ。アート色の強いものもそうではないものも全て同じ映画祭の元で上映したいと思ったし、実際そうしている。第1回の映画祭では日本の作品もたくさん上映したけれど、中にはゴキブリとセックスする作品なんてのもあって、ベルリンの観客はショックを受けていたよ」と明解な回答を返してくれた。これは「ポルノ(日本語のニュアンスでは「AV」に近いだろうか)」と呼ばれる映像作品にも劇場での鑑賞に耐えうるものが多いのに関わらず、それが全く正当に扱われていない、という現場の危機意識であると思う。またかつて「アダルト映画(ヴィデオ)」として作られた作品も毎年一体どこから発掘してくるのか、様々な作品がレトロスペクティヴ上映されているが、年月が経ちいまではとっくにエロ・コンテンツとしての効力を失った映像を改めて劇場で観てみると、例えば風俗資料として驚くほどの発見があったりする。

上映後のQ&Aはこんな感じで「東京の発展場はその昔うんたらかんたら」とか言ってます。

 各作品の上映前には映画祭スタッフが前口上(作品解説や協賛企業への謝辞など)を述べるのですが、そこで今年頻繁に耳にしたのは「今回の映画祭のテーマはレイシズム、セックスワーク、そしてHIV/AIDSです」ということで、実際狭義の「ポルノ」には当てはまらない作品も多く上映されていた。日本でも来年1月に公開される予定の、ロスアンジェルスのトランスジェンダー売春婦(夫)たちの苛烈にして超くだらない日常を描いた秀作長編『タンジェリン(Tangerine L.A.)』、高齢になったHIVポジティヴのゲイ男性がリタイア後の「終の棲家」として集まってくる砂漠地帯で撮られた美しいドキュメンタリー『Desert Migration』、ニューヨークのブラック・コミュニティー内でダンス・音楽とともに生き抜く若い性的少数者たちを追った『KIKI』、ブラジル:リオデジャネイロのファヴェーラ(貧民街)のメインストリーム音楽である「バイレ・ファンキ」シーンに溢れる女性蔑視を乾いたパッションで切り抜いた『Inside the mind of Favela Funk』、挙げれば切りがないが映画祭プログラマー達の、揺るがない視点で選ばれた作品も数多く上映される。

 そんなプログラマーの一人であり、第1回ではジャーナリストとして取材に訪れ、そのまま翌年からメインのスタッフとなってしまったヨーハン・ヴェアルナにも話を訊いた。「この映画祭のスポンサーを見つけるのは本当に難しい。メインストリームのポルノ制作会社は、売り上げに直結しないと言う理由で協賛してくれないし、一般企業は『ポルノ』と聞くだけで尻込みする。ともあれこの映画祭が11年も続いているのは、我々が観客を育てたという側面もあると思う。ここは出来るだけ多種多様な性の有り様に基づいた作品に触れる機会を作り、観た人が何かを発見する場となっているはずだ」この映画祭では「ポルノ」の名の元に実に幅広い作品が集まっているので、例えば自分とは違うセクシュアリティーに基づいた作品に驚いたり、長年の誤解と偏見があっさり解けたり、またはシンクロしてしまったり、といった経験が可能なのだ。

映画祭のクロージング・パーティ

 逆説的ではあるが、そう考えるとこの映画祭は「性(セックス)を賛美する祭典」などではない。性は人間が人間になるずっと前からのんべんだらりと伴っていたものであり、いまさら言祝いだり称賛したりしたところで性自体がどうにかなるわけでもない。じっさい観ていて憂鬱になるような作品をもプログラムに含むこの映画祭が行っているのは「セックスって、すばらしい(どんどんやれ)」などと無闇矢鱈に観客をけしかけることではなくて、「映画」という表現手段を使って性と人間を捉えようとしている作家と、それを受け取る観客の意識への問いかけであり挑戦である。毎年浴びるようにこの映画祭でポルノを観続けて自分が理解したのは、表現物はそれが傑作であれ駄作であれ全て「芸術(アート)」であり、「猥褻(エロ)」は作り手を含めた受け手の中にしか存在しない以上「芸術か猥褻か」という命題はそもそも成立しない、ということでした。

 いつかの回のオープニングでユルゲンが、当然のような顔をして「少しでも早く、このような映画祭をやらなくていい日が来る事を願っている」とスピーチしたことがあった。この発言だけでは運営に疲れた主催者の愚痴のようであるが、彼と彼の映画祭の最終目的はこの超面白いけど大して儲からない「お祭り」を延々と続ける事ではなく、映画という文化の妥当な位置に「性」を嵌め直すことであるはずだ。わざわざ「ポルノ映画祭」というタイトルを冠した、ある種「特区」としてのこの映画祭がその役割を終える日が来るとき、映像表現を発表する場所は誰に対してもいまよりずっと自由に呼吸が出来る空間となっているはずだ──そんな空間が出現するのは、おそらく未来の日本ではないにしろ。

 【追記】関心をお持ちになった方は是非来年10月、実際に足を運んでみて頂きたい。ドイツ語ができなくても全く問題はなく、英語が何となくでも判れば充分映画祭を堪能できます。ちなみに今回、自分らの東京羽田―ベルリン往復航空券はカタール航空利用(帰国便には天然温泉平和島の無料一泊サービス付き)で6万5千円ちょっとでした。

Coldcut - ele-king

 いったい何年ぶりだろう。ひい、ふう、みい……じゅ、10年ぶりじゃないか! ついにコールドカットが再始動する。まずはEPからだ。
 色々と思いはある。もしこのふたり組がいなければ、UKのクラブ・シーンは、いや、世界のクラブ・シーンはまったく別物になっていただろう。……が、とりあえず僕の感慨は脇に置いておいて、とにかくいまはみんなで、この伝説のデュオの帰還を祝おうではないか。リリースは11月25日。あと3週間だ!

〈NINJA TUNE〉主宰の大重鎮、コールドカットが再始動!
超待望の最新作『Only Heaven EP』のリリースを発表!
新曲「Donald’s Wig feat. Roses Gabor」を公開!


Photo : Hayley Louisa Brown

アンダーワールド、ケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリムらとともにUKクラブ・シーンの黄金期を牽引したサンプリング・カルチャーのパイオニアであり、アンクル、DJシャドウ、カット・ケミスト、DJクラッシュらと並んで、ブレイク・ビーツ黎明期の最重要ユニットにも挙げられるレジェンドがついに再始動! ジョン・モアとマット・ブラックによる伝説的ユニット、コールドカットが、〈Ninja Tune〉発足以前に初音源をリリースした伝説的レーベル〈Ahead Of Our Time〉から、超待望の最新作「Only Heaven EP」のリリースを発表! 新曲“Donald’s Wig feat. Roses Gabor”を公開した。

Coldcut - Donalds' Wig feat. Roses Gabor

「Only Heaven EP」には、“Donald’s Wig”や、M.I.Aやビヨンセのプロデュースやメジャー・レイザーの初期メンバーとして知られるスウィッチとの共同プロデュースで、ヴォーカリストに盟友ルーツ・マヌーヴァ、ベースにサンダーキャットが参加した“Only Heaven”を含む5曲が収録される。

長い沈黙を破り、ついに復活したコールドカットの最新作「Only Heaven EP」は、11月25日(金)にデジタル配信と12”でリリースされる。iTunesでアルバムを予約すると、公開された“Donalds' Wig feat. Roses Gabor”がいちはやくダウンロードできる。

label: Ahead Of Our Time
artist: Coldcut
title: Only Heaven EP

release date: 2016.11.25 FRI ON SALE
cat no.: AHED12014(12"+DLコード)

beatkart (12") : https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002120
iTunes Store (Digital) : https://apple.co/2fkgmkO

[Tracklisting]
1. Only Heaven feat. Roots Manuva
2. Creative
3. Dreamboats feat. Roots Manuva and Roses Gabor
4. Donald’s Wig feat. Roses Gabor
5. Quality Control feat. Roots Manuva

Asuna & Opitope - ele-king

 レーベル〈White Paddy〉を主宰し、去る7月にはソロ作品『Grace』をリリースした畠山地平と最近は漢方医として多忙を極めている伊達トモヨシ先生によるオピトープが、Asunaと一緒に最新アルバム 『The Crepuscular Grove』を〈White Paddy〉から発表します。はっきり言って、今回もクオリティが高い作品になっておりますが、これから冬を迎えるこの季節に聴いていると、とても良い気持ちになれます。自然界のいろいろな音を辿りながら、目の前に草原が広がります。彼らはリリースに併せてツアーをします。伊達先生を見かけたら、やさしく肩を叩いてあげましょう。ツアーには、イルハのメンバー、コーリー・フラーも参加します。

●Asuna & Opitope 『The Crepuscular Grove』リリース記念ツアー
with Corey fuller

 2010年のStudents Of Decayからのリリースに続く、6年振りのAsuna & Opitope のセカンドアルバムを11月にリリースするAsuna & Opitope がツアー開催します! 今回はツアーゲストにillhaのコリー・フラーを迎え、各所で様々なユニットでライブを披露します。

●11.17 (Thr) 京都 @ 「外」
Open 19:00 / Start 19:30   
2,000yen

LIVE
Asuna & Opitope
Chihei Hatekeyama & Corey Fuller
ASUNA × Takahiro Yamamoto

---------------

●11.18 (fri) 名古屋 @ spazio-rita
Open 19:00 / Start 19:30   
2,500yen

LIVE
Asuna & Opitope
ILLUHA(Tomoyoshi Date, Corey Fuller)
Chihei Hatekeyama & Asuna

DJ
i-nio

---------------

●11.19 (sat) 伊勢 @ 風見荘
open19:00 / start 19:30
投げ銭
LIVE
Opitope
Asuna × Corey Fuller

---------------

●11.20 (Sun) 東京 @ gift_lab

open18:00 / start 18:30
2,500yen

LIVE
Asuna & Opitope
Kuukoka (Tomoyoshi Date, Corey Fuller,Chihei Hatekeyama)
Carl Stone

 


Asuna & Opitope
The Crepuscular Grove

White Paddy
Amazon


ASUNA

「語源から省みる事物の概念とその再考察」をテーマに作品を制作。これまでにドイツの"transmediale"、ベルギーの"Happy New Ears"、スロベニアの"International Festival of Computer Arts"などメディア・アートの国際的フェスティヴァルにも多数参加するなど国内外問わず展示/パフォーマンスを行う。代表作として「Organ」の語源からその原義を省みた「機関・器官」としてのオルガンを扱ったインスタレーション作品『Each Organ』などがある。並行した音の現象を扱うパフォーマンスにおいても『100 KEYBOARDS』『100 TOYS』などのライブで、これまでにヨーロッパを中心に北米・アジアも含め海外17ヶ国以上での公演/ツアーを行い、ベルギー、イタリア、イギリス、アメリカ、日本など多数のレーベルよりレコードやCD作品も発表している。

伊達伯欣:医師・音楽家

1977年サンパウロ生まれ成田育ち。Opitope(spekk)、ILLUHA(12k)、Melodia(homenormal)として音楽活動を続ける。救急医療と免疫学、東洋医学を学び、2014年につゆくさ医院を開院。これまでに国内外から15枚のフルアルバム、映画音楽などを作成。『からだとこころの環境』を出版。科学と自然、デジタルとアナログ、西洋医学と東洋医学の現在について考察している。

Chihei Hatakeyama

Chihei Hatakeyamaとして2006年にKrankyより、ファーストアルバムをリリース。以後Room40, Home Normal, Own Records, Under The Spire, hibernate, Students Of Decayなど世界中のレーベルから現在にいたるまで多数の作品を発表。デジタルとアナログの機材を駆使したサウンドが構築する美しいアンビエント・ドローン作品が特徴。ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ、韓国など世界中でツアーを敢行し、To Rococo Rot, Tim Heckerなどと共演。NHKのEテレ「schola 坂本龍一音楽の学校シーズン3」にて、アルバム『River』収録の”Light Drizzle”が紹介され、坂本龍一、岩井俊二らからその場を空気を一変させる音楽と評される。映画音楽では、松村浩行監督作品『TOCHKA』の環境音を使用したCD作品「The Secret distance of TOCHKA」を発表。第86回アカデミー賞<長編ドキュメンタリー部門>にノミネートされた篠原有司男を描いたザカリー・ハインザーリング監督作品『キューティー&ボクサー』(2013年)でも楽曲が使用された。またNHKアニメワールド:プチプチ・アニメ『エんエんニコリ』の音楽を担当している。ソロ以外では伊達伯欣とエレクトロ・アコースティックデュオOpitopeとして、SPEKKから2枚のアルバムをリリース。佐立努とのユニットLuis Nanookでは電子音と伝統的なフォークサウンドが混ざり合う音楽世界で2枚のアルバムをリリース。ASUNA、Hakobune等ともコラヴォレーションアルバムを発表。マスタリング・録音エンジニアとしても、自身の作品のみならず、100作品以上を世に送り出している。2013年にはレーベルWhite Paddy Mountainを設立しShelling, Family Basik, neohachi, Federico Durand, suisen, Satomimagaeなどをリリースしている。
https://www.chihei.org/

corey fuller

1976年アメリカ生まれ。現在日本在住。 サウンドアーティスト、ミュージシャン、オーガナイザー、映画家として活動中。
ギター、ピアノ、ローズピアノ、グロッケンシュピール、アコーディオン、ピアニカ、パーカッション、ハンマーダルシマー、フィールドレコーディングを含めた様々な生楽器/生音を素材にmax/mspと言ったデジタル環境やアナログ機材で細かく加工した、繊細な音楽を提供している。
近年は伊達伯欣(ダテ トモヨシ)とのIllhaとして12kより2枚のアルバムをリリース。また、坂本龍一やTaylor Deupree とのコラボレーションアルバムも発売している。2016年には待望のセカンドソロアルバムをリリースする予定である。


Asuna

Opitope

illha

Chihei Hatakeyama

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114