「OTO」と一致するもの

interview with Mount Kimbie - ele-king

 ケンドリック・ラマーは今年リリースした新作で、驚くべきことにU2をフィーチャーしている。さらに彼は来年、ジェイムス・ブレイクとともにヨーロッパを回るのだという。いまでも黒人たちの一部は心の底から白人たちを嫌っているという話も聞くが、どうやらケンドリックはそうではないらしい。彼の選択はたぶん、そういう対立を少しでも突き崩していこうという試みなのだろう。それがどこまで成功するのかはわからない。過度な期待はいつだって裏切られる。そう相場は決まっている。
 そんなケンドリックの果敢な試みに代表されるように、近年ブラックのサイドが積極的にホワイトのサイドへとアプローチしていく動きが目立っている。その起点となったのはおそらく去年のビヨンセのアルバムだろう。彼女はその力強く気高い作品で、ジャック・ホワイトやジェイムス・ブレイクといった白人のアーティストたちを積極的に起用した。その横断的なチャレンジは、エリオット・スミスやギャング・オブ・フォーをサンプリングしたフランク・オーシャンや、デイヴ・ロングストレスとの共作を試みたソランジュへと受け継がれることになる。そして今春、ついにジェイ・Zまでもが自身のアルバムにジェイムス・ブレイクを招待するに至った。そのトラックでブレイクとともにプロダクションを手掛けていたのが、マウント・キンビーの片割れ、ドミニク・メイカーである。つまり、引く手あまたのブレイクだけでなく、その盟友たるマウント・キンビーもまた、そのような越境ムーヴメントの一端をホワイトの側から支える存在になったということだ。
 そんな背景があったので、以下のインタヴューではドミニクにそういう昨今の傾向について尋ねているのだけれど、どうもうまく質問の意図が伝わらなかったようで、「近年はUSのメジャーとUKのアンダーグラウンドが結びついていっているよね」という話になってしまっている。こうして期待は裏切られるのである。


Mount Kimbie
Love What Survives

Warp / ビート

ElectronicKrautrockPost-Punk

Amazon Tower HMViTunes

 それはさておき、最初にマウント・キンビー4年ぶりのアルバムがリリースされると聞いたときは、それはもう胸が躍った。“We Go Home Together”や“Marilyn”といったトラックが公開される度に、勝手にイメージを膨らませては「今回はぐっとR&B~ソウルに寄った作品になるんじゃないか」「いや、彼ららしいダウンテンポなムードをより洗練させたものになるんじゃないか」などと予想を繰り返していた。そうして迎えた夏の終わり、いざ蓋を開けてみると――これがクラウトロックなのである。冒頭の“Four Years And One Day”からしてそうだ。完全にやられた。アルバム全体が、何やらパンキッシュなエナジーに満ち溢れている。いや、たしかにバンド・サウンドそれ自体は前作『Cold Spring Fault Less Youth』でも試みられていたけれど、それがここまで大胆に展開されるとは思いも寄らなかった。こうして期待は裏切られるのである。
 クラウトロックだけではない。マウント・キンビーの新作『Love What Survives』には、さまざまな音楽の断片がかき集められている。本作を聴き込めば聴き込むほど、それらの断片たちが要所要所で効果的な役割を果たしていることに気がつくだろう。そういえば本作をインスパイアした楽曲を集めたという彼らのプレイリストでは、ロックからアフリカ音楽まで多様な楽曲がセレクトされていたし、彼らがやっているNTSのラジオ番組には、ジェイムス・ブレイクやキング・クルールといったお馴染みの面子に加え、ウォーペイントケイトリン・アウレリア・スミスアクトレスからウム・サンガレ(!)まで、じつに興味深いアーティストたちがゲストとして招かれていた。つい先日も、アルバム収録曲の“You Look Certain (I'm Not So Sure)”をケリー・リー・オーウェンスがリミックスしたばかりである(彼女はマウント・キンビーの欧州ツアーのサポート・アクトにも抜擢されている)。そんな彼らのレンジの広さや音楽的探究心の断片を、クラウトロック~ポストパンクというムードのなかにさりげなく、だがこの上なく巧みに落とし込んでみせたのが、この『Love What Survives』というアルバムなのだ。

 10月9日、この取材の後に渋谷WWWXにておこなわれた彼らのライヴは、荒削りな部分が目立つ場面もあったものの、アルバム以上にエネルギッシュな熱を帯びており、まるで新人ロック・バンドのステージを観覧しているような気分になった(ファーストやセカンドの曲が新たに生まれ変わっている様もじつにスリリングだった)。いや、じっさい、4人編成という点において彼らは新人である。つまり……マウント・キンビーは今回のアルバムやパフォーマンスで、いわゆる「初期衝動」のようなものを演出しようとしているのではないか。そう考えると、なぜ彼らがこの新作に『Love What Survives』という意味深長なタイトルを与えたのか、その動機が浮かび上がってくる。「生き残るもの」とは要するに、かれらが最初に音楽を作り始めたときに抱いていた気持ちや勢い、刺戟のことだったのである。
 そんなわけで、「生き残るもの」というのはきっと政治的・社会的に虐げられている人びとを暗示しているのだろう、という小林の浅はかな先入観は見事に覆されることとなった。そして、ファースト・アルバム『Crooks & Lovers』のジャケに映っていたのはおそらくチャヴだろう、という編集部・野田の予想も外れてしまった。こうして期待は裏切られるのである。そんな素敵な裏切り者ふたりの言葉をお届けしよう。

 

よくわかっていないからこそ、そういう音楽のスペースのなかで、自分たちなりの解釈で何かをやってみるのもおもしろいんじゃないかと思ったんだ。 (カイ)

マウント・キンビーの音楽について、日本ではいまでも「ポスト・ダブステップ」という言葉が使われることがあるんですが、UKでもまだそう括られることはありますか?

カイ・カンポス(Kai Campos、以下カイ):いまその括りは死につつあるね(笑)。たしかに、僕らが初めてのアルバムを作った2010年当時、その言葉と一緒にその手の音楽がバーッと出てきて、ほんの短期間のうちにダブステップという音楽の概念がガラッと入れ替わった時期があったと思うんだけど、いまはだいぶ死に絶えてきているね。たぶんこのアルバムが出たあとには完全になくなるんじゃないかな(笑)。

これまでそう括られることにストレスは感じていましたか?

ドミニク・メイカー(Dominic Maker、以下ドム):いや、けっしてその呼び名に納得はしていなかったけど、とくに気にもしていなかったよ。とにかく自分たちの音楽がひとつの箱に収まりきらないようなものであってほしい、ジャンルの境界を跨いでいるようなものであってほしいという意識で音楽を作ってきたし、じっさいいろんなことをやっているから、それが「ポスト・ダブステップ」だろうがなんだろうが、ひとつの言葉で括ってしまうのは僕らの音楽にはふさわしくないんじゃないか、という思いはつねにあったね。

今回のアルバムからはクラウトロック~ジャーマン・ロックの影響を強く感じました。

カイ:たしかにいままでやっていたエレクトロニック系の音楽よりも、ちょっと前の時代のエレクトロニック・ミュージックに遡ったようなところはあるよね。クラウトロックやジャーマン系の音に聴こえるというのは僕らも認めるところだけれども、僕らはけっしてそのジャンルに詳しいというわけではないんだ。(クラウトロックを)ずっと聴いてきてよくわかっているからそれをいまやってみた、ということではないんだよ。逆に、よくわかっていないからこそ、そういう音楽のスペースのなかで、自分たちなりの解釈で何かをやってみるのもおもしろいんじゃないかと思ったんだ。「セミ・エレクトロニック・ミュージック」とでも言うのかな。過去を振り返って、リズムや楽器の編成といったところからアイデアを引っ張ってきて作ったのが今回のアルバムかな。

他方で本作からは80年代のポストパンク~ニューウェイヴの匂いも感じられます。そのあたりの音楽も参照されたのでしょうか?

カイ:その手の音楽はUKではかなり広く愛されていたから、僕らも自ずと踏んできてはいると思う。当時はブリティッシュ・ミュージックのなかでもおもしろい時代だったと思うし。ただ僕らの場合、たとえばスクリッティ・ポリッティとか、ああいったバンドは最近になって聴いているんだよね。あの頃の音楽が持っていた、とくにパンクのアティテュードに見られるようなポジティヴな要素を自分たちのアルバムの制作過程に持ち込んだというか、そういうことは今回あったような気がする。あと他にもこのアルバムには、自分たちの音のパレットが幅広くなればと思って、ソウルやディスコみたいなものも組み込んだつもりなんだ。だからいろんな音が聴こえてくると思う。でもけっして後ろばかり振り返っているわけではなくて、あくまで前に進もうとしている作品だと思っているよ。

昨年リリースされたパウウェルのアルバムはお聴きになりました?

ドム:聴いたと思う。バンドっぽいやつだよね? 僕は好きだったよ。聴いていて楽しかった。

エレクトロニック畑の人がパンキッシュなサウンドをやるという点で、今回のアルバムと繋がりがあるように思ったんですよね。

カイ:そりゃそうだろうね。だってこういう発想は僕らが思いついたものではないし、大きな流れのなかで、いろんな人が同時発生的にやってみたくなった時期なのかもしれないからね。


Photo by Masanori Naruse

じつを言うとキング・クルールとの曲の歌詞はいまだに意味がわかっていないんだ(笑)。まだ解読中だね(笑)。 (カイ)

今回のアルバムに影響を与えた楽曲のプレイリストが公開されていますが、そこではロバート・ワイアットやアーサー・ラッセル、スーサイドやソニック・ユース、ウィリアム・バシンスキからアフリカのバンドまで、かなり多様な楽曲がピックアップされていました。それらはおふたりが今回のアルバムを作っていく過程で発見していったものなのでしょうか?

ドム:あれはじつは、僕らはラジオ番組をやっていたんだけど、それ用のプレイリストという側面が大きいんだ。曲をかけるためにいろんなものをチェックして聴いていくなかで幅が広がっていったんだけど、その作業で見つけた曲もプレイリストに入っている。番組をやっていく過程でかなり大量の音楽を吸収して消化したんだ。それは今回のアルバムにも影響を与えていると思う。あと、番組に来てくれたゲストから教えてもらったものもあるね。僕らがリスペクトしている人が来てくれたんだけど、どんなふうに音楽を作っていくのか聞いていくなかでおもしろいものと出会ったりして、そういうこともすべてあのプレイリストには詰め込まれているんだよね。

カイ:そうやって考えるとおもしろいね。そういう流れがあってあのアルバムに至っている、ということがプレイリストからもわかるよね。

今回のアルバムには4組のゲストが招かれています。キング・クルールは前作にも参加していましたが、4曲目の“Marilyn”にフィーチャーされているミカチューはどのような経緯で参加することになったのでしょう?

カイ:ミカチューは、僕らふたりが音楽を作り始める前からファンだったんだ。知り合ったときに「いつか一緒にやろう」という話をしていたんだけど、それから2年くらい話が続いていて(笑)。今回いよいよ一緒にやる機会に恵まれたわけだけど、作ってみたらあっという間で、すごく相性がいいのかなと思える時間だったよ。だから、僕らにとってはようやく実現できたスペシャルなトラックなんだ。

その“Marilyn”はアルバムの他の曲と趣が異なっていますが、7曲目の“Poison”や、ジェイムス・ブレイクが参加している8曲目の“We Go Home Together”と11曲目の“How We Got By”の2曲も他の曲と雰囲気が異なっているように感じました。本作をこのような構成にしたのはなぜですか?

ドム:今回のアルバムは全体を通してすごくヴァラエティに富んでいると思う。いま挙げてくれた曲に限らず、個性的な曲ばかりが詰まっていると思うんだけど、それだけにアルバム全体の流れというか、全体で聴いたときの消化具合がうまくいくように、ということをすごく考えて曲順を決めたんだ。ミカチューとの曲もジェイムスとの曲もそうだけど、自分の頭のなかで曲順を組んでみたときに、“Marilyn”は突出しているという印象があって。(この曲は)アーサー・ラッセルの影響がすごく大きいと思うんだけど、とくにユニークな曲だからアルバム全体の流れのなかで活かしたいと考えたんだ。

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ジェイ・Zから「ジェイムス(・ブレイク)に歌ってほしい」というオファーがあったんだ。そのときちょうど僕がジェイムスが歌うことを想定して書いていた曲があって、それをやろうかってことになったから、僕も関わることになったんだよ。 (ドム)


Mount Kimbie
Love What Survives

Warp / ビート

ElectronicKrautrockPost-Punk

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春頃から少しずつアルバムの収録曲が公開されていきましたが、先行公開曲のセレクションに関しては何か意図があったのでしょうか? 公開された曲からぼんやりとアルバムのイメージを膨らませていたのですが、蓋を開けてみると想像していたのとはまったく違い、とてもパンキッシュで驚きました。

カイ:最初に何を公開するかみんなと話し合ったときに意見が一致したのは、ゲスト・ヴォーカルの入っている曲から公開するのが理に適っているんじゃないか、ってことだった。やっぱりヴォーカルが入っているというのはみんなに伝わりやすいだろうし、わかりやすいよね。それを聴いて「アルバムはどんな感じなんだろう」という期待感を煽る狙いで最初の2曲(“We Go Home Together”、“Marilyn”)を選んだんだ。でも、その2曲はみんなが消化するのにちょっと苦労する曲だったかもしれない。それをあらかじめ出しておいて、他の曲より先に聴いてもらうことによって、あとでアルバムを聴いたときに、その曲のあいだにあるどの曲もフィットしたものに聴こえるようになる、という枠組みを提示することができたかもしれないね。

ドム:ジェイムスの曲もミカの曲もそうだけど、僕らはしばらく鳴りを潜めていたから、タイトルのなかにそういう有名な人の名前(ビッグ・ネーム)が入っていることによって注目を集めることができるんじゃないか、という意図もあったね。

いまヴォーカル曲の話が出ましたが、今回のアルバムにはハードな生活を送っている人たちの登場する曲が多いように感じました。リリックに関して何かコンセプトやテーマのようなものはあったのでしょうか?

カイ:歌詞は、僕らと客演してくれたシンガーとで一緒になって作ったんだけど、基本的には彼らが伝えたいストーリーをそのまま語ってもらえればいいと思っていたんだ。だから僕らが影響を与えたというか、注文をつけたことがあるとすれば、「この曲にはこういうふうに(言葉を)乗せてほしい」という、歌い回しやフレージングに関することだね。「ここに乗せるためには音節はこうじゃないほうがいい」とか、そういう注文はしたけれど、歌詞の内容に関しては自由にやってもらったよ。だから、(それぞれの)曲のメッセージには一貫性がないんだ。でも、そういうふうにやってもらったほうが幅の広さという意味でいいレコードになるんじゃないかと思って。ただ、レコーディングの段階では僕らも完全には歌詞を咀嚼しきれていなくて、じつを言うとキング・クルールとの曲の歌詞はいまだに意味がわかっていないんだ(笑)。まだ解読中だね(笑)。でもライヴでやるときは、あくまでも僕らのものとして消化してやっているから、歌詞の内容もレコードよりももっとフォーカスした内容になっているんじゃないかな。

ドミニクさんはいまLAに住んでいるんですよね。

ドム:そうだね。

LAへ移住したのはなぜ?

ドム:ガールフレンドが向こうに住んでいたからだよ。(移住して)もう2年になるね。天気もいいし、楽しんでいるよ。

ということは、今回のアルバムの制作はカイさんとデータをやり取りする形で進めていったのでしょうか?

ドム:いや、行ったり来たりしながら作ったよ。(UKには)しょっちゅう行くから。ノルウェー航空とかの安い航空券を買ってね(笑)。

なるほど。ではおふたりはわりと頻繁に会われているんですね。

ドム:そうだね。メインのスタジオはロンドンにあるんだけど、レコーディングの終盤には感覚やリズムを取り戻したいと思ってライヴを始めたんだ。今度のバンド編成はわりかし新しいものだから、アルバムが出る前からライヴに打ち込みたくて、ロンドンでライヴ活動はしていたよ。そういう意味ではLAに住んでいるからどう、ということもないかな。

ドミニクさんはジェイムス・ブレイクと一緒に、今年出たジェイ・Zの新作『4:44』に参加しています(“MaNyfaCedGod”)。それはどういう経緯で実現したのですか?

ドム:そもそもはジェイ・Zから「ジェイムスに歌ってほしい」というオファーがあったんだ。そのときちょうど僕がジェイムスが歌うことを想定して書いていた曲があって、それをやろうかってことになったから、僕も関わることになったんだよ。結局2曲で参加する形になったけど、作り方が僕らの慣れているやり方とぜんぜん違っていて、でもそれだけ勉強になったね。いい経験だったよ。


Photo by Masanori Naruse

音楽を作るときの刺戟って僕らがファーストを作ったときと何も変わっていないんだよね。そういう気持ちや勢いが「Survive(生き残る)」ってことなんだ。 (カイ)

ジェイムス・ブレイクは昨年ビヨンセのアルバムに参加していました。また、昨年話題になったフランク・オーシャンのアルバムではエリオット・スミスやギャング・オブ・フォーなど、いわゆる白人の音楽がサンプリングされていて、今回のドミニクさんとジェイ・Zとのコラボもそうなのですが、最近ブラック・ミュージックのビッグなミュージシャンたちが積極的にホワイトの文化を取り入れていっている印象があります。10年前や20年前にはあまりなかったことだと思うのですが、そういう昨今の流れについてはどうお考えですか?

ドム:ドレイクもジャマイカのアクセントを真似して歌ってみたり、グライムが好きで聴いていたりするから、そういう流れはたしかにあるよね。

カイ:カイラの“Do You Mind”(2008年)というUKファンキーの曲があって、むかしUKでビミョーに、ちょっとだけヒットした曲なんだけど、ドレイクの“One Dance”(2016年)ではそれをバックトラックに使っているんだ。もとの曲自体はUKでは大して注目されなかったんだけど、それがいまになってUSの超メインストリームの曲のなかで鳴っているというのはすごくおもしろいことだと思ったよ。そういうのって、(もとの曲に)興味を持ったR&B系のプロデューサーなんかが引っ張ってくるんだろうけど、たとえばビヨンセとかもそうで、メインストリームの人なのにオープンにいろんなものに興味を持ってそれらを取り入れたりしていて、彼女がやればそれに続く人が出てくるし、UKのアンダーグラウンドとUSのメインストリームのあいだにあった大きな壁が、ここ5年、10年くらいのあいだに崩れていっているという実感はあるね。

今作のタイトル『Love What Survives』は「生き残るものを愛せ」ということで、とても意味深長なのですが、これにはどのような思いが込められているのでしょう?

カイ:今回に限らず、レコードを作っているときに考えすぎてしまうのはよくないと思っているから、いつも感覚でいいと思うものを作っていくんだけど、いざどういうタイトルにするか考える際には、「何がモティヴェイションとなって自分たちはこれを作ったのか」ということを振り返るんだ。今回ふたりでこのアルバムを作りながら話していたのは、とにかく(これまでと)違うことをやりたいということや、変化が訪れたらそれをどんどん受け入れて前に進んでいこうということだった。そういう音楽を作るときの刺戟って僕らがファーストを作ったときと何も変わっていないんだよね。そういう気持ちや勢いが「Survive(生き残る)」ってことなんだ。新しいことをやったり、刺戟を絶やさないことで生き残っていくというか、自分たちのまわりにあるものを受け入れて、ケアをしながら大事に音楽を作っていくというか。そういう気持ちを可能にするには好奇心が必要だったり、変化に対するオープンな気持ちが必要だったり、あとは違うアプローチを恐れないということが必要だったりして、(『Love What Survives』は)そうやって生き残ってきたものを大事にするというような作り方に対する考えなんだ。でもこれは僕の解釈であって、聴いた人がどう解釈しても構わないんだけどね。

ドム:同感だね。

今回のアルバムはアートワークもユニークですが、被写体の彼は何をしているんでしょう?

ドム:いい質問だね(笑)。

カイ:本当は実際にアートワークを制作してくれたデザイナーのフランク(・レボン)に聞いてもらうのがいいんだけどね(笑)。フランクは今回のヴィデオもほぼすべて手がけることになっているんだ。このジャケットは彼が撮影してくれたものをもとにデザインしたものなんだけど、僕らと彼とではアルバムに対する見方がちょっと違っていて、だからこそおもしろいんだと思う。レコードにあのジャケットが付いたことによって、作品として僕らふたりのアイデア以上の存在になったんじゃないかなと思っている。けっこうインパクトは大きいよね(笑)。見た目もそうだし、フィーリング的にも。僕らだけの作品じゃなくなった気がして好きなんだ。まあ詳しいことはフランクに聞いて(笑)。彼はキャラクターになって何かをやるのが好きなんだ。

このジャケットを見て、ファースト・アルバムのジャケットを思い出したんですが――

カイ:フランクはファーストのアートワークを手がけたタイロン(・レボン)の弟なんだ。

へえ!

カイ:ファーストから今回のアルバムまでのあいだに僕らのなかですごくいろんなことが変わったんだけど、そこ(アートワーク)で繋がっているというのはおもしろいよね。

ファースト・アルバム『Crooks & Lovers』の被写体の女性は、いわゆるチャヴなのでしょうか?

ドム:あの女の子? ぜんぜんわからないな(笑)。

カイ:デザイナーに聞かないとわからないし、たぶんデザイナー本人もわかってないよ(笑)。

いまはこうして来日されて、ツアーの真っ最中だと思いますが、それが一段落ついたら何かやってみたいことはありますか?

カイ:ここ4年はけっこうおとなしくしていたから(笑)、いまは動きたくて、このツアーができるのが嬉しいよ。もうオフはいいや(笑)。

ドム:僕はこのあとホリデイで、フィリピンに行くんだ。日本ではカイとツアー・メンバーみんなで一緒に京都に行く予定だよ。そうやってちょっと休んで、また動き出したいね。


僕たちのLOVEい曲10選〜AUTUM編~

New Sounds of Tokyo - ele-king

 ラウドで、ダーーーークで、挑発的。鋭く尖った音は未来に突き刺さる。覚悟しとけよ。
 愛情の問題もある。黎明期のテクノがいまだ特別な美をほこるのも、その純粋さと関係なくはないだろう。このレポートのモチベーションのひとつもそこにある。
もうひとつ、ここ10年ほどの欧米のエレクトロニック・ミュージック……たとえばUK(インスト)グライム、ダーク・アンビエントやインダストリアル、まあなんでもいいのだが……こうした比較的新しい、若い世代が主導した、刺々しい海外の動向とリンクする音源を探したくなった。 
 2008年~2009年あたりに欧米の四方八方で発展した「新しい」流れも、気が付けば、行くところまで行っている。サウンドトラックがカンヌで賞を取ったOPN、ケンドリック・ラマーとツアー予定のジェイムス・ブレイク、世界各国のフェスを飛び回るザ・xx、アナログ盤化される昔のヴェイパーウェイヴ、歌モノをやるアルカやローレル・ヘイロー、ストーンズ・スロウから新作を出したウォッシュト・アウト……などなど……などなどに象徴されるように。はじまったと思っていたら、おー、もうこんなになっている。じゃ、日本は?
 今日もまたひどい日だった。新しい景色に飢えていた。ぼくは、いま東京でもっとも尖っている音楽を作っている、若い人間の話を無性に聞いてみたくなった。

■「覚悟しとけよ」──Double Clapperz


ShintaとUKDによるDouble Clapperz。

俺はすげーカッコいいことやってるつもりなんだけど、なかなか理解されなかったり、ブッキングされなかったり、ムカつくからタイトルはこれでいいやって。

 彼らは若い。速いし、突風だ。ダブル・クラッパーズ(略称:ダブクラ)は、すでに名前が知られている。どこまでかって? ロンドンにまで。
いまの彼らの音楽は、現代のもっともエネルギッシュな英国ブラック・ミュージック=グライムに、すさまじく強い影響を受けている。
さて、DJのSintaとトラックメイカーのUKDが出会ったのは2012年。「最初にクラブで会ったとき、ようやく音楽の話が合うヤツがいたと思ったんですよ」とUKD。「グライムの話もしたけど、それだけじゃなかったよね。トラップとか……」とSinta。
 UKDにとって最初の影響はDex Pistolsだった。Bボーイ風なUKDは柔らかい声で話す。「18歳のときにDexのミックスCDを聴いて、それでメジャー・レイザーを知って、ディプロ知って、レゲエやダンスホールを聴くようになった」
 続いて、C.E.のTシャツを着た長身のSinta。StormzyやNovelist、Skeptaについて日本でもっとも熱く語れるライターとしても活躍している米澤慎太朗が言う。「俺は日本語ラップ。高校時代は日本語ラップおたくみたいな感じで、そこからR&Bっぽいところとダンスっぽいところがあったんで2ステップ・ガラージが好きになって。そのあとにガラージ。まだグライムもガラージも明確な違いがなかったような時代でしたね」
「グライムのことも最初は、新しいダンスホールと思って聴いましたから」とUKD。「そこは大事っぽい話ですね」とすかさずSintaが言うとUKDが相づちを打つ。「グライムって、ダンスホール・レゲエの一種かなと」。ふたたび間髪おかずにSinta。「つまりグライムをグライムとしてガッツリ入っていったわけじゃないというか、流れというか。レゲエのMCとか、好きなポイントがあったんだよね」。「あったね。早口のパトワが好きだった」とUKD。「Riko Danとか、あとはPay As You GoとかあのへんのサウンドとMCが好きだよね。レゲエ、ジャマイカンのノリがずっと好きだよね。でもどう考えてもいろんな意味でスケプタはデカいんじゃない? ファッションと音楽を結びつけたのもスケプタだし、UKDはファッションも音楽も好きだし、そういうのもあるとは思うけど。最初のきっかけは音楽がカッコいいし、見た目もカッコいいしってところだよね」とSintaがまとめる。
 ふたりの音楽制作は、「WarDub」が契機になっている。

Shinta:ワーダブっていうオンラインでやっていたグライムのコンペというか、MCたちがバトルで相手を口撃するように、DJたちもDJ同士で相手を攻撃しあう企画があったんですよ。

UKD:曲を送りあうんですよね。Twitterで@マークをつけて送るんですけど」

Shinta:けっこう毎年やっているっすけど、すごかったのは2013年ですね。グライムがまたおもしろくなってきたというのもそのへんからで、そこでいま活躍しているアーティストがほぼ全員参加しているんですよね……まあ、曲を作ってSound Cloudに出しただけなんですけど。そんなことしてもまず話題にもならないんですけど、マーロ(Murlo)っていうプロデューサーがいて、ロンドンのリンスFMで番組をやっているんですけど、その人が〈Butterz〉のショウに(ダブル・クラッパーズの)曲を送ったんですよ。Twitterで「曲をくれ」っていう@マークが来たんで送ったら、それをリンスFMでかけてくれたんですよ。そこからSoundcloudにDMがガーッと来たりしましたね」

このリアクションが、「日本でもやるけどUKとかを通じて世界中のリスナーにも届けたいという活動スタイルの原点」となった。で、その曲こそが、後にダブル・クラッパーズの最初のEPになる「Say Your Prayers」のオリジナル。

UKD:「Say Your Prayers」とは「覚悟はいいか」っていう意味ですね。

シンタ:「覚悟しとけ」みたいな(笑)。「お前の祈っている奴に言っとけ」って意味。しかも当時はジャージー・クラブとかの影響もめっちゃあったよね。聴いてもらったらわかるっすけど、グライムだけじゃないんですよ。

 この話は、ゴス・トラッドがUKで受け入れられた話を彷彿させる。たまたま自分が好きなことをやったらダブステップのシーンで受けたように、ダブル・クラッパーズもダンスホールやジャジー・クラブ、ボルチモアを自分たちなりに咀嚼したらそれがグライムのシーンで受けたというわけだ。
 ゴス・トラッドがディストピアを表現していたとしたら、ダブル・クラッパーズはより直球にダンスフロアに突き刺さるサウンドを目指している。“Say Your Prayers”の新ヴァージョンを収録した2016年に自主で制作した12インチには、なかばブートのような作りで、そのB面にはUKのグライム集団、Ruff Sqwadの曲のリメイクが収録されているが、すでにSintaはロンドンのギグに呼ばれているし、スケプタとも共演している。今年初頭には、ディジー・ラスカル以来の天才と言われる若きMC、カニエ・ウエストもお気に入りのノヴェリストを日本に招聘している。

 しかしながら、グライムとはUKならではの、ローカル色がもっとも強いスタイルだ。ぼくが今回もっとも聴きたかったのは、彼らが〈東京のサウンド〉をどう思っているのかということだ。「俺はその答えを持っているけど」とSintaが言う。「それは……俺たちがこれから作るモノ」
 こうした彼らの強気な姿勢、若さゆえの良き暴走は10月にリリース予定のセカンド・シングル「Get Mad」に集約されている。印象的なメロディとハードなドラミングで、人を駆り立てるような迫力満点のこの曲は、ある程度名前が浸透してからのダブル・クラッパーズの最初のシングルになる。 

「UKDが最初に出してきた曲が“Get Mad”って名前なんですけど、だからそもそもなにかしらブチ切れているんですよね(笑)」とSintaがが曲名について説明する。「Madというのはふたつの意味があるというか、『この曲はMadだね』と言ったら『ヤバい!』という意味だけど、“Get Mad」”と言ったら『キレる』って意味もあるじゃないですか。しかし……なんでそんなタイトルつけたんだろうって思うけどね」
「僕はけっこう承認欲求とかが強くて」とUKDが答える。その場は笑いに包まれたが、彼は冷静に話しを続けた。「俺はすげーカッコいいことやってるつもりなんだけど、なかなか理解されなかったり、ブッキングされなかったり、全然注目されないというのが、(だんだん認められて)自信がついてくると『なんでだろう?』って。けっこう頑張ってるのになと思って、あの曲を作ったんですよ。ムカつくからタイトルはこれでいいやって」
「というかまずあのヴァイオリンのリフが出来ていて、その時点でこれは狂気だなと思って(笑)。BoylanっていうUKのプロデューサーを起用したんですけど、そのときヴァイオリンのリフが超マッドだから使おうってことになって……」

 彼らの音楽に直結する強い気持ちは、彼らが所属する世代、20代半ばという若さと結びついている。たしかに90年代の東京には、20代が安く借りられてパーティできる場所がまだあった。新しいことをやる実験の場と週末の夜の娯楽の場とのバランスが取りやすかった。
 もちろん500人以上の集客を義務づけられているような商業クラブがあることが必ずしも悪いことではない。が、そればかりというのはまずい。自分がいま20代だったら、自分がかつて20代のときだったように、毎週末をクラブで過ごしたいと思っただろうか。
「だからぼくらが変えていくしかない」とSintaが言う。彼らは去る8月の半ばに「Get Mad」のリリース・パーティを終わらせたばかりだ。「ぼくらのリリース・パーティに集まっている子ってそういう(クラブで盛り上がった世代の下の下の)世代だし、遠慮なく楽しめるし。お金を持っていないと楽しめないみたいなパーティばっかりになっているから、ぼくらのリリース・パーティはエントランス・フリーでやった。そうしたら平日の夜なのに40人ぐらい集まって、20枚ぐらいのTシャツが売れた(笑)」
 実際のリリースまでまだ3ヶ月もあるのに、リリース・パーティをやるには早するだろう(※この取材は8月末)。「いや、それがいいんですよ」と彼らは不敵な笑いを見せる。最後にぼくは彼らの当面の目標を訊いてみた。「とくにああいう風になりたいというのはないんですけど……」こう前置きしたうえでUKDが力強く答える。「ゴス・トラッドさんの次に続くのは俺らでありたいと思いますね」
ダブル・クラッパーズの時代が近づいていると思うのはぼくだけじゃないだろう。

※出演情報
10/27 (金) 23:00- @Circus Tokyo dBridge & Kabuki pres. New Form
https://circus-tokyo.jp/event/dbridge-kabuki-pres-new-forms-tokyo/
11/3 (金) 23:00- @恵比寿Batica
Newsstand 2nd Anniversary


ようやくリリースされた待望の2nd EP「GET MAD」。
取扱店はDisc Shop Zero,Dubstore 、Naminohana Records、Disk Union Jet Set。Bandcamp : https://doubleclapperz.bandcamp.com/

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■ダブの新解釈──Mars89 

新しい動きとして面白いと思うのは、食品まつりさん。DJでは、セーラーかんな子ちゃんがおもしろいですね。彼女のDJは、毎回そう来るかという驚きがあって。DJとしてすごくユニークですね。

 パッションの塊のようなダブル・クラッパーズに対し、飄々としているのがMars89。彼は台湾で買ったという台湾語がデザインされた鮮やかなオレンジ色のTシャツを着て自転車に乗って現れた。待ち合わせ場所は都内の図書館の入口。ぼくは彼の顔を(そして電話番号も)知らない。しかし、彼が現れた瞬間に彼だとわかった。
 下北のレコード店、ZEROのカウンターに「Lucid Dream EP 」は売っていた。このカセットテープがMars89にとって2作目らしい。
 ちなみにブリストルのレーベル〈Bokeh Versions〉は、最近は、EquiknoxxのTime CowとLow Jackによる「Glacial Dancehall 2」、70年代末から80年代にかけて活躍したUKのレゲエ・バンド、 Traditionによる『Captain Ganja And The Space Patrol』のリイシュー盤を出している。
 Mars89の音楽もドープな残響音が拡がるダブだ。ヤング・エコー的な折衷を感じる。
「影響を受けているというか、毎回新鮮なインスピレーションをもらうのはOn-U Soundsとかですね」、彼はオールドスクーラーの名前を挙る。「アフリカン・ヘッドチャージは大好きだし、(トレヴァー・ジャクソンが監修した)『Science Fiction Dancehall Classics』というコンピレーションも好きですね。レゲエは好きだけど、実験的なダブが好きなわけで、ブリストル・サウンドも好きですけど、そんなに意識しているわけじゃない」

 Mars89がDJをはじめたきっかけは、兵庫県にいたときの「最初に遊びにいったパーティでやってたDJがめちゃくちゃヘタクソで。これでステージ立ってるんだったら自分がやったほうがいい」と思ったからだった。18か19で、エレクトロのパーティだった。いざやってみると自分よりもうまいDJが多いことに気が付いて、それならまだ誰も知らないような音楽をかけようとUKのアンダーグラウンド・ミュージックに手を出すようになった。
 ただし、「クラブ・ミュージックにいく前は、クラウトロックやポストパンク、ノイズ/インダストリアル、民族音楽系のエスノサイケとか、そういうのを聴いていた」。こうした感覚が、2010年代の〈L.I.E.S〉やLivity Sound、あるいはアイク・ヤードなどとリンクしたのだろう。

 彼と話しているとじつにたくさんのアーティスト名やジャンル名が出てくる。わずか10分も話せば、彼がどうしようもないほど音楽にどっぷりつかった人間であることがわかる。しかし、「境界線はない」とMars89は言う。「雑食的なんですよ。和ものも聴きますよ。浅川マキも好きだし、グループ・サウンズとかも好きだったんで、ブルー・コメッツとか聴いてましたね。ドラムとかがすごくファンキーなのがよくて。テクノ・ポップ系というか、YMOの派生系のものも好きですね」
 ポップという言葉ほど彼の作品から遠く感じられるのは事実だが……

 「僕の作品は、DJとしても使いにくいし、リスニングとしても多くの人に向いているわけではないと思うんですけど」と彼も認める。「ただ、メディテーションになるかもしれないですね(笑)」
 Mars89が曲を作りはじめたのは2年前だった。「本当に軽いノリだったんですけど、知り合いが新宿のDuusraaでビート・バトルみたいなイベントをやっていて、優勝したらヴァイナルを100枚刷れたんですね。それに参加してみなよと言われて、ノリで参加してみて初めて曲を作りましたね」
 彼はその後自主でカセットテープ作品をリリースして、〈Diskotopia〉のパーティで知り合ったAquadab & MC Aに渡したカセットが〈Bokeh Versions〉の手に渡り、気に入られて、今回のリリースとなった。幻想的なアートワークは画家をやっている彼の弟によるもの。

 Mars89にとっての音楽は、すなわちレベル・ミュージックである。踊って自由になることが重要、それがメッセージになればいいと彼は言う。
 音楽以外では映画からの影響が大きい。「曲を作るときにストーリーを与えないと曲が作れなくて。それこそ映画のサントラとかああいう感じのイメージじゃないと作れないんですよね。そのときに夢なのか現実なのかわからないような世界とか、知らない街にいるような感じをイメージしていて。夢のなかでいま夢だとわかっている状態とかそういう世界をイメージしていましたね」

 彼にも訊いてみよう。東京のサウンドってあると思う?
 彼は答える。「いまはなくて、これからできてくるかなと思いますね」
 この答えは、ダブル・クラッパーズのShintaと同じ。Mars89はさらに具体名を挙げて説明する。「新しい動きとして面白いと思うのは、食品まつりさんですかね」
日本からシカゴのフットワークへの回答のように捉えられた食品まつりだが、圧倒的なオリジナリティでいまや国際舞台でもっとも評価されているプロデューサーのひとり。
 Mar89は続ける。「DJでは、セーラーかんな子ちゃんがおもしろいですね。彼女のDJは、毎回そう来るかという驚きがあって。DJとしてすごくユニークですね。ほかにDJでは、年上ですけど、100madoさんも好きです」
 若い世代に絞って言うと、他に彼は〈CONDOMINIMUM〉も面白いと言う。「なかでも名古屋の人なんですけど、CVNって人の音が好きですね。アジアだったらTzusing(ツーシン)っていう上海のテクノの人ももしかしたら歳が近いかもしれない。〈L.I.E.S〉からよく出している人で、すごくアジア的なサウンドをうまく使いながらカッコいい曲を作っていて。BPM90~130くらいまでいろんな曲を作っていてカッコいいですよ」

 かつてはほとんど客がいないForestlimitで、1 Drinkと数時間ぶっ通しのバック2バックをやった経験もあるMars89は、「DJをやるといつも最年少だった」というが、最近はようやくダブル・クラッパーズのような彼より年下が出てきた。「ずっと自分が一番下だったというのもありましたし、年は気にしなかったんですけど、最近は少し意識するようになりましたね」

  Mars89は現在、UKDやKNK WALKSらといっしょに渋谷のRubby Roomで定期的にパーティをやっている。
「トライバル・ミュージックとか民族音楽的なものを含んだダンス・ミュージックをやっているパーティがあったら面白いんじゃないかと思ってはじめましたね。ダンスホール系とか、アフロ系の音ですね。クンビアとか、南米のローカル・ダンス・ミュージック的なものを取り入れて、それをUKやUSのダンス・ミュージックと同列で扱うようなパーティがやりたかったんですよね。アフロのパーカッションを聴くと絶対だれでも踊りたくなるし。そのへんで飲んでいる人がフラッと入ってきたりすることも多いですよ」

  渋谷の道玄坂の脇道からダンスホールが聴こえたら、冒険心を出して入ってみよう。東京の未来が鳴っている。

※出演情報
毎月第一水曜日 Noods Radio ( https://www.noodsradio.com/ )
毎月第二木曜日 Radar Radio ( https://www.radarradio.com/ )

酎酎列車 vol.7 @galaxy銀河系
11.25(sat)17:00~23:00
door/2000(+1D)
LIL MOFO
Mars89
speedy lee genesis
荒井優作

セーラーかんな子
テクノウルフ+テンテンコ

ブリストルのレーベルから出た、Mars89「Lucid Dream EP」。

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■クソヤバいものをブチ聴かす──Modern Effect

後ろ向きなModern Effectのふたり。

言葉の入っている音楽をあんまり聴きたくないというのがいまは強くなってきている。

 今回のレポートで紹介するなかで、あらゆる集団からもっとも孤絶しているのが、目黒/世田谷の外れで日夜音に埋没しているModern EffectのBack Fire CaffeとDocumentary aka Smoke Fable。ドレクシアの“リヴィング・オン・ジ”がお似合いの、ふたりである。
 なにしろ彼らときたら16ヶ月間ただひたすら作り続け、アルバム16枚分の曲が貯まったものの、自分たちの音源をどう発表すればいいのかわかっていなかった。

「ただひたすら作ってましたね」とBack Fire Caffe。彼は声が大きい。その人柄は、表面上では、作品のダークさの真逆と言えそうだ。「歩いているときもiPhoneでフィールド・レコーディングして、それを家に帰ってからピッチを変えたりして曲にしちゃおうとか」
「それは1日のサイクルですよね」とDocumentaryが静かに付け足す。「仕事が終わって空いた時間はできるだけこっちに来てもらって。作る以外でも映画を見るでも美術館に行くでも」

 ふたたびBack Fire Caffeがしゃべり出す。「全部音を作るために生活しているという感覚になっていちゃったよね!」
  彼の声は、取材に使った喫茶店の全席に響き渡ったことだろう。「もうひとりルームシェアしているやつがいて、そいつと作っていて。自分も初めはiPadのアプリで作りはじめて、そこから突拍子もないものができたんですけど。それがとにかく攻撃的だったんで“アタック”っていうジャンルをつけたんですね。その“アタック”っていうジャンルでやろうよ、というところからはじまりましたね」
 こういうベッドルーム・テクノ話が、お茶の時間を楽しんでいるご婦人たちやカップルたちの耳に入ってしまうのが、公共的喫茶店の面白さだ。

 それはさておき、こう見えても、Modern Effectには閉塞的な傾向がある。SNSの類はいっさいやらないというModern Effectの音楽をぼくが聴けたのは、ある偶然からぼくの手元に届いた、ヤバいものでも入っているんじゃないかというそのパッケージにそそのかされたらであるが、聴いて最初に感じたのは、何もかもを拒絶している感覚だ。誰も信用しない、絶対に希望はない、清々しいまでのネガティヴィティ……見せかけの繋がりは要らないと。ふたりにはクラブやレイヴで遊んでいた過去を持っているが、それがつまらないと感じたからこそ彼らはそれらの場から離れ、そして孤絶した現在を選んだ。

 ここで彼らに影響を与えたと思わしき音楽/好きな音楽をいくつか列挙してみよう。D/P/I(彼らにとっての大きな影響)、OPN(ただし『Replica』以前、ぎりぎり許せるのは『R Plus Seven』まで)、ARCA(とくに『ミュータント』)、Emptyset(音源を送ったら返事をもらった)、デムダイク・ステア、ティム・ヘッカー、〈Triangle Recordings〉や〈Subtext Recordings〉から出ている音源……彼らは最近のベリアルも気に入っている。
 彼らが目指すのは「クソヤバいものをブチ聴かす」こと。Back Fire Caffeが静かに言う。「クソヤバいものをブチ聴かすというのと、無国籍なものを考えていきたいと思っていますね」

 それぞれ別の飲食店で働きながら生活費を得ているふたりだが、在日インド人の下でハードに働くDocumentaryは、その環境を楽しんでいる。日本のなかの日本らしくない場所が彼らには居心地がいいのだ。
 Documentaryが続ける。「言葉の入っている音楽をあんまり聴きたくないというのがいまは強くなってきている。言葉の意味が出てくると音を純粋に追えないというか。もともとは歌や言葉が入っているものが好きだったんですけどね」

  現在のModern Effectは、自分たちの音楽をどのように届けるのかを模索中だ。初期ヴェイパーウェイヴのように、彼らにはまだ、自分たちの作品を売る気がない。値段付けられずに悩んでいるのだ。たしかなのは、作り続けること。HDの容量の限界まで。
 こうした悶々とした現状を変えようと、最近彼らは自分たちのホームページを立ち上げた(https://www.moderneffect.net/)。ここで彼らの音源は聴けるし、bandcanpでも彼らの音源は無料で聴ける(https://moderneffect.bandcamp.com/)。これらの作品のいくつかはUSBにコピーされて、ビニールにパックされるわけだが、リスナーがそれを購入できる機会がこの先どのような形で実現されるのかは神のみぞ知るだ。
 これからどうなるのか予測のできないModern Effectだが、彼らは音楽を作る上でもっとも重要なことを知っている。好きだからやる。たとえダンスフロアから人が逃げだそうと、彼らにとって最高の音が鳴っていればいいのだ。

※今後の予定
1年で365作品アップ(予定だそうです)

彼らのUSB作品の数々。この怪しげなデザインに注目。

(※この取材は8月下旬にほぼおこなっています。筆者の怠惰さゆえに掲載が遅れたことを、協力してくれた3組のアーティストにお詫びします)
(※※もちろん、今回取り上げた3組以外にもいるでしょう。いまいちばん尖っている音を出している人〈DJ以外〉をご存じの方は、ぜひぜひ編集部にご一報をー)

Mount Kimbie × Kelly Lee Owens - ele-king

 ほらね。彼らがアルバムだけで終わるはずがないと思っていたんだ。そしたらやっぱり来ました。マウント・キンビー最新作『Love What Survives』収録の“You Look Certain (I'm Not So Sure)”を、なんとケリー・リー・オーウェンスがリミックスしています。マウント・キンビーのふたりは今回のアルバムを制作する前にかなりの量の音楽を聴き込んでいたようだけれど、その新作収録曲のリミキサーに、今年出たデビュー・アルバム『Kelly Lee Owens』で高い評価を得た彼女を起用するあたり、かれらの音楽に対する探究心はいまだ衰えていないようである(ケリー・リー・オーウェンスは、これから始まるマウント・キンビーの欧州ツアーのサポート・アクトにも抜擢されている)。要チェック。

label: WARP RECORDS
artist: Mount Kimbie
title: You Look Certain (I'm Not So Sure)

iTunes: https://apple.co/2l7iEdd
Apple Music: https://apple.co/2z0nyyS
Spotify: https://spoti.fi/2xYKK02

label: BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist: Mount Kimbie
title: Love What Survives

release date: 2017/09/08 ON SALE
BRC-553 ¥2,200(+税)
国内盤特典:ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳付き

beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002180
amazon: https://amzn.asia/hYzlx5f
iTunes Store: https://apple.co/2uiusNi
Apple Music: https://apple.co/2t3YEeV
Spotify: https://spoti.fi/2uiwx

アルバム詳細はこちら:
https://www.beatink.com/Labels/Warp-Records/Mount-Kimbie/BRC-553

shrine.jp × Daniel Miller - ele-king

 地域密着文化フェスティヴァル、(( ECHO KYOTO ))。6月にジェシー・カンダを迎えて開催された同イベントですが、2回目となる今回は、京都の電子音楽レーベル〈shrine.jp〉の20周年記念企画。しかもスペシャル・ゲストとして、なんと〈Mute〉の創始者であるダニエル・ミラーの参加も決定! これはなんとも気になる組み合わせです。12月3日はぜひとも京都METROまで足を運びましょう。なお、〈shrine.jp〉は20周年を記念した全国ツアーも開催するとのことで、詳細は下記をご覧ください。

[11月29日追記]
本日、(( ECHO KYOTO ))のタイムテーブルが発表されました。こちらからご確認ください。また、イベント直前の12月1日(金)には、ダニエル・ミラーがDOMMUNEに出演することも決定(20:00~21:00)。弊誌編集長の野田努も出演します。お見逃しなく!

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(( ECHO KYOTO )) にMUTE創始者ダニエル・ミラーの出演が決定!
shirine.jp 20周年記念 × ダニエル・ミラー(MUTE)
2017.12.3 (Sun) @METRO
特別先行早割チケット、本日23日より発売開始!

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(( ECHO KYOTO ))
shirine.jp 20周年記念 × ダニエル・ミラー(MUTE)

12月3日(日)に京都METROで行われる (( ECHO KYOTO )) に、〈MUTE〉レーベル創始者のダニエル・ミラーの追加出演が決定した。なおダニエル・ミラーは、TOKYO DANCE MUSIC EVENT(11月30日~12月2日)にてカンファレンスへの登壇とWOMBでのDJ(12月1日)を行うことが決定している。

電子音楽界のパイオニアにしてゴッドファーザーであり、過去40年の音楽世界史における最重要人物のひとりであるダニエル・ミラーと、糸魚健一主宰の京都を代表する電子音楽レーベル〈shirine.jp〉20周年を記念してレーベルゆかりのアーティストが出演! 京都と世界の電子音楽が会場のMETROから京都盆地にこだまして、脈々と続く京都の電子音楽史にまた新たなページが加わることでしょう!

また本日23日(月)より2週間限定で特別先行早割チケットを発売する。

今年6月に行われた第1回目の (( ECHO KYOTO )) は、ビョーク、Arcaなどのビジュアルを手がけるジェシー・カンダによる「クラブを寺院化する」というコンセプトのインスタレーションが行われ大きな成功を収めた。今回が2回目の開催となる。

■公演概要
(( ECHO KYOTO ))
shrine.jp 20周年記念 × ダニエル・ミラー
2017/12/3 (Sun) @METRO
Open/Start 18:00
ADV ¥3,800 / DOOR ¥4,300 (共にドリンク代別途)

LINEUP:
ダニエル・ミラー (Daniel Miller)
Acryl (dagshenma + Madegg)
Hideo Nakasako
HIRAMATSU TOSHIYUKI
kafuka
Ken'ichi Itoi
masahiko takeda
TOYOMU

*出演者プロフィール詳細 https://trafficjpn.com/news/ek

★2週間限定!特別先行早割チケットを発売!!
 ¥3,300 ドリンク代別途
[受付期間:10/23 12:00~11/6 09:59] ←枚数限定!
※『特別先行早割お申し込み方法』→タイトルを「12/3 ECHO KYOTO 早割希望」として頂いて、お名前と枚数を明記して 宛でメールして下さい。

・・・11/6 10:00より発売開始・・・
ローソン Lコード:54946
ぴあ Pコード:348-946
e+ https://eplus.jp/
※前売りメール予約:
上記早割チケット期間以降は、前売予約として、ticket@metro.ne.jpで、前売料金にてのご予約を受け付けています。前日までに、公演日、お名前と枚数を明記してメールして下さい。前売料金で入場頂けます。

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世界有数の文化都市 京都、その豊かな文化土壌において、真のアーティストによる比類なき地域密着文化フェスティヴァルを開催し、日本国内、そして世界へ発信する。
ECHO/ 廻向(えこう):参加アーティストと地域が作り出す卓越した表現がこだまし、広く人々に廻らし向けられる。
https://www.facebook.com/ECHOKYOTOECHO/
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「MUTEは偉大なレーベルのひとつだが、その偉業はポップと実験の両立のなかでなしえたもので、ことエレクトロニック・ミュージックの発展においてはもっとも重要な役割を果たしている。1978年に創設されたインディペンデント・レーベルが、いまだに刺激的で、いまだに冒険的で、そして相変わらずポップであるということは、偉業というよりも、もはや奇跡といったほうが適切かもしれないが、しかし、それこそがMUTEというレーベルなのだ」--- 野田努 (ele-king)
https://mute.com/
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shrine.jp (シュラインドットジェイピー)
shrine.jpは、京都在住の電子音楽家 糸魚健一によるエレクトロニック・エクスペリメンタル・レーベルである。1997年に音楽への可能性への探究心を表現する為に発足された。これまでデザインとプロダクトを利用したメディア実験ともとれるリリースを繰り返してきている。
また、ダンスミュージックに特化するサブレーベルMYTHがある。shrine.jpが社、形あるもの、すなわちコンテンツ(内容)を主体とし、MYTHは話=コンテクスト(文脈)あるいはコンジャクチャ(推測)を示す。
www.shrine.jp

shrine.jpは20周年を記念し全国ツアーを行う。
日程は以下の通り。

shrine.jp 20th Anniversary Tour
12/2 shrine.jp 20th Anniversary Exhibition& Reception Party
@FORUM KYOTO

12/3 shrine.jp 20th Anniversary Tour in Kyoto
meets (( ECHO KYOTO ))
@METRO

12/21 shrine.jp 20th Anniversary Tour in Fukuoka
meets MIND SCAPE
@Kieth Flack

12/24 shrine.jp 20th Anniversary Tour in Sendai
Emotional electronic music for X’mas
@CLUB SHAFT

12/30 shrine.jp 20th Anniversary Tour in Tokyo
Grand Tour Final!
@KAGURANE

interview with Ryohu - ele-king


Ryohu - Blur
LIQUOR&FOODS I.K / Less+ Project.

Hip Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 グループとしても、それぞれのソロとしても、快進撃を続けるKANDYTOWN。その中でも、まだKANDYTOWNがこれほどまで名前をシーンで上げる以前から、ソロでのリリースや、Base Ball BearやSuchmosといったヒップホップ・シーン外のアーティストへの客演でも注目を集めていたラッパー/トラックメイカーのRyohu。それらに加えプロデュース・ワークや、ラッパーとして参加しているバンド Aun beatzでの動きなど、その活動の幅と創作意欲の高さは衆目を集めていたが、ソロでのリリースとしては「Green Room」や「All in One EP」などがあったものの、現場売りや限定リリースなど、そのリリースは大きな形ではなかった。しかし今回リリースとなる「Blur」は、インディ・リリースではあるが初の全国流通盤となり、その存在をより広い形で伝えることになる作品となるだろう。そして、そのアルバムはバンド ampleの河原太朗を共同プロデューサーに迎え、インタビューでも語られる通り、打ち込みによるヒップホップやクラブ・ミュージックならではの構造性と、バンドとしての音楽的なカラーの豊かさを両立させた作品として完成させた。ラップのアプローチとしても、これまでとも繋がるロマンティックで垢抜けたリリシズムに加え、そのイメージをやや変えるような創作性も垣間見え、そのポテンシャルを作品に塗り込める。確実な進歩を感じさせる、理屈を超えた「気持ちよさ」を感じさせる1枚だ。


やっぱりDJプレミアが多かったですね。リアル・タイムのものより、ナズとかジェル・ザ・ダマジャ、ブラック・ムーン、モブ・ディープみたいな、90年代クラシックを死ぬほど、もうぶち狂うぐらい聴いてて。

まずRyohuくんの音楽的な原点から教えてください。

Ryohu:子どもの頃からバスケやってて、試合で遠征する時はチーム・メイトの家族の車に分乗して会場まで行くんですけど、その中にロック好きなお父さんがいて、その車ではいつもボン・ジョヴィの“It's My Life”がかかってたんですよね。その曲が聴きたいがために、その車に乗ってたのを覚えてます(笑)。ラップはKICK THE CAN CREWとかRIP SLYMEみたいな、当時のポップ・チャートに登場してた人も聴いてたんだけど、最初に衝撃を受けたのはキングギドラの『最終兵器』でしたね。それが小5~6だったと思う。ギドラを聴いて、こういうラップ、ヒップホップがあるんだ、格好いいなってしっかり聴き始めて。世代的にも『空からの力』は後追いですね。

ハードコア・ヒップホップの方がピンときたと。

Ryohu:そうっすね。中学の時には妄走族のライヴも行ってたし。

それは意外!

Ryohu:妄走族はかなり聴いてましたね。雷家族も超好きだったし、練マザファッカーがテレビに出る前からD.Oさんの音源も聴いてて。

ある意味で、KANDYTOWNは世間的にはクールでお洒落な感じで受け取られている部分もあるし、実際にそういう部分もあるんだけど、IOくんは「BOOT STREET」で働いてたり、いわゆる渋谷宇田川カルチャーとも繋がりがあるんですよね。

Ryohu:やっぱり好きなものと、自分がアーティストとして提示したい自分らしいものって違うじゃないですか。だから、その意味でも最終的にハードコアな方向には行かなかったけど、やっぱりリスナーとしては影響を受けてましたね、特に当時は。そういうライヴって、やっぱり中学生なんてほぼいないんだけど、その中に同世代で来てたのがYUSHIで、そこで知り合ったんですよね。

学校の繋がりではないんですね。

Ryohu:俺やB.S.Cは普通の公立校で、YUSHIは和光中学に通ってて。

いわばストリートで出会ったと。

Ryohu:格好良く言えば(笑)。それでYUSHIやIO、KIKUMARUとか和光の人間とも遊ぶようになって。俺は駒場高校に進んで超真剣に部活でバスケやってたんだけど、遊ぶのは後にBANKROLLになる連中ばっかりでしたね。自分の高校の人間とはあんまり遊ばなかったし、行事も参加しないで、部活が終わったらBANKROLLの連中と遊ぶっていう。だから、学校では謎キャラだったと思います(笑)。

自分の高校にはラップを聴いてる人はいなかった?

Ryohu:いたと思うけど、BANKROLLのメンバーぐらい詳しかったり、感覚の合う人間はいなくて。

ではラップを始めたキッカケは?

Ryohu:せざるをえなくなったんですよね。

それはどういうこと?

Ryohu:YUSHIは中学からラップやってたし、一緒に遊んでる人間も高校に入るとみんなラップ始めて、遊ぶ時はみんなフリースタイルしてるんですよ。最初は「俺はいいわ」とか言ってたんですけど、結局みんなそうやって遊んでるから、つまんなくなるじゃないですか。それで「俺もラップするしかねえか」みたいな(笑)。本当はやりたいんだけど、恥ずかしいっていう気持ちが勝ってて踏み出せなかった部分もあって。それで一回やってみたら、あとはもう楽しくなっちゃって、インスト聴いたら曲書こうって感じだったし、MTRでひたすら録ってましたね。それは俺もそうだし、KANDYのメンツはみんな。だから世に出てない曲は山ほどありますよ。

当時、ラップを載っけてたビートは?

Ryohu:やっぱりDJプレミアが多かったですね。リアル・タイムのものより、ナズとかジェル・ザ・ダマジャ、ブラック・ムーン、モブ・ディープみたいな、90年代クラシックを死ぬほど、もうぶち狂うぐらい聴いてて。当時、俺らが格好いいと思ってたライフ・スタイルに、90sのNYヒップホップが近い部分があったと思うんですよね。夜、集団でオーバー・サイズ着て、歩いてたり溜まってるみたいな感じがかっけえっていう。俺らの遊ぶ時もそういう感じでしたね。

高校卒業ぐらいのタイミングで、ズットズレテルズにも参加しますね。後にOKAMOTO'Sに繋がるグループですが、Ryohuくんはどういう経緯で入ったの?

Ryohu:なんなんすかね?

それを聞いてるんだけどさ(笑)。

Ryohu:いや、なんかやろう、ぐらいだったと思いますね。あんまり深い意味はなかったと思います。

話によると、和光の卒業イベントのために結成したんだけど、賞金が欲しくて「閃光ライオット」にもチャレンジしたということですが。

Ryohu:そんな感じだったかもしれない(笑)。でもとにかく一緒にいて、バンドのジャム・セッションに合わせて、YUSHIと俺がフリースタイルするって感じで、とにかく一緒に音楽をやってましたね。実際には半年ぐらいしか活動してないけど、その間ズレテルズのメンバーととにかく一緒に音楽を作ってましたね。それでハマ(オカモト)くんが当時、ズレテルズとは別にEdBUSっていうバンドのサポートやってて、その流れで下北沢GARAGEに出入りしてたんですよね。それで、その年の「閃光ライオット」に出た挫・人間とか関取花ちゃん、ブライアン新世界たちと一緒に、ズレテルズ主催でGARAGEでイヴェントをやったんですよ。そこで当時店長だった出口(和宏)さんが俺のことを気に入ってくれて、それからGARAGEに出入りするようになって。それで当時MPC1000を買って――確か楽器屋に取りに行くのに、IOの車で送ってもらった記憶があります――トラックメイクも始めたんですよね。MPC1000は持ち運びができたんで、夜な夜なGARAGEに機材を持ってって、楽屋兼事務所に溜まってるみんなと、朝まで一緒に曲作ったり。そこでコイちゃん(小出祐介、Base Ball Bear)に出会ったんですよね。

ベボベの“クチビル・ディテクティヴ”に参加したのも、GARAGEの流れだったんですね。

Ryohu:そうですね。あと、閃光ライオットでコイちゃんが審査員だったっていうのもあって。ただ俺はバンドを全然聴いてなかったんで、出会った時にベボベのことも、コイちゃんのことも知らなかったんですよ。それよりも、やたらラップの上手い人って印象でしたね。それで事務所で一緒に遊び終わった後に、そのまま飯食いに行ったんですよね。それで下北の駅前を通ったら「ベボベ武道館」っていうポスターが貼ってあって、一緒にいた人に「これ、コイちゃんのバンド」って言われて、「え、スゴいことですよね、武道館ワンマンて」って(笑)。同じようにGARAGEで出会った(ペトロールズの長岡)亮介さんも知らなかったんで、ライヴを見て「めっちゃギター黒いっすね」とか軽く言ったりして。亮介さんには「マジあの時はすみませんでした」って今も謝ってるんですけど(笑)、単純に生意気な奴って感じだったと思いますね。

同時期には元SIMI LABのQNの別名義、EARTH NO MADの「MUD DAY」にも参加しますね。

Ryohu:BANKROLLは町田のFLAVAとかでライヴをやってたんで、同じようにFLAVAに出てたSIMI LABとも繋がってたんですよね。そこでQNから、「別名義でリリースするからRyohuも入ってくれない?」ってオファーをもらって。で、歌詞書かないでいって、フリースタイルで録って、その時間をタイトルにするっていう(笑)。

いい加減だな~。

Ryohu:もうしっかりしなさいよ、って感じですよ、いまから振り返ると(笑)。

ふと「考えるの止めよう、山に登ろう」と思って、ひとりで山に登ったんですよね。

そうやっていろんなオファーがあったけど、ソロ作にはたどり着いていませんね。

Ryohu:リリースの勧めもあったんですけど、そういうモードじゃなかったというか、俺自身、実際に何をしたいのかが、自分でわかってなくて。だからリリースとかよりも、遊んでたかったっぽいですね。勿論、そこには音楽が付随してて、いろんな出会いだったりがあって、そこで新しい音楽の遊び方を覚えたりはしてるんだけど、「リリース」とか「制作」には自分から向かわなかった。

それはBANKROLLやKANDYTOWNとして動きたかったという部分もある?

Ryohu:正直、それはハナからなかったですね(笑)。なんならIOと超しょうもないこと――かつ完全に俺が悪い内容で――喧嘩してて、1年ぐらい口きいてなかったんじゃないかな、KANDYの仲間と一緒にいたりするのに(笑)。かつ、GARAGEに出入りするようになってたんで、KANDYよりも、そっちが遊ぶ中心になってて。ライヴもやってたけど、人に求められるからやるっていうか。自分からっていう感じでは正直なかったかもしれないですね。

その意味では、アーティストとしてやってこうと思ったタイミングは?

Ryohu:それこそベボベの作品に何作か参加させてもらって、普通に音楽でお金もらってるんだなとは感じてたけど、その時はこれを仕事にしようとは思ってなかったんですね。でも、22~3ぐらいのタイミングで、ふと、ちゃんとしなきゃな、音楽をちゃんとやってみようかな、と思ったんですけど、でもやり方がわかんねえ、みたいな、ただただ時間だけが過ぎてくみたいな期間があって。その中で音楽と向き合うために、11年に「Green Room」を作ったんですけど(リリースは13年)、とにかく暗くなっちゃって。それでふと「考えるの止めよう、山に登ろう」と思って、ひとりで山に登ったんですよね。

また急激な展開(笑)。

Ryohu:体動かしたほうがいいかなって(笑)。その帰りに、KANDYのメンバーではないんだけど、その周りにいる仲間に出会って、「これはもうこの環の中からは逃れられないってことだし、それでいいんだな」って。そこで、スゴくいろんなことに関して軽く考えられるようになったんですよね。

「Blur」に収録される“The More, The Better”には、山の話が出てきますが。

Ryohu:その時に書いたリリックなんですよ。自分の中でのもがきとか、悩みの霧が晴れて、もっと簡単に考えていいんだ、って思った時の曲で。tengal6を手がけたのもその時期じゃなかったかな。

ラップ・アイドル lyrical schoolの前身である、tengal6の「まちがう」に収録された“ルービックキューブ”などを手がけられましたね。アイドルの制作に参加したキッカケは?

Ryohu:ミュージシャンのリキヒダカともGARAGEで繋がったんですけど、彼の繋がりでtengal6のプロデューサーのキム・ヤスヒロくんから連絡をもらって「ラップの指導をやってくんない?」って。それでオーディションぐらいから関わらせてもらったんですよね。

そして、KANDYTOWNが14年に初のミックス「KOLD TAPE」をWEBにアップして、その1年後には「BLAKK MOTEL」「Kruise'」をリリースして、いよいよ本格的に動き始めることになりますね。Ryohuくんはそれと並行して、Suchmos「THE BAY」に収録された“GIRL (feat. Ryohu)”にも参加と。

Ryohu:やっぱりKANDYが注目され始めたのは個人的に嬉しかったですよ。それまでほとんど俺しか表に出てなかったんで、リリースはこれから動こうぜっていうキッカケにもなって。去年フル・アルバム『KANDYTOWN』まで上手いこと進めたし、その流れに沿ってそれぞれのソロもリリースされて、普通に嬉しいみたいな。雑誌の表紙も何人もやってるし、「みんなで、有名になるの良くねえ?」って感じでもあるし、一方で勝ち負けじゃないけど、みんな頑張ってるから俺も負けられねえ、っていう気持ちにもさせられて。

IOくんやYOUNG JUJUくんたちは全国流通作をリリースしていますが、Ryohuくんは現場売りが中心でしたね。昨年リリースの「All in One EP」も流通としてはライヴ会場やタワーレコード限定のリリースでした。

Ryohu:結局、関わる人間が増えれば増えるほど、いろんなことがあるし、ものづくりをする上で、あまり人に関わらせたくなかったというか、アーティストが一番でありたかったんですよね。俺が作った俺の音楽なんだから、って。「Green Room」の頃までは、まだとんがってたと思いますね。「All in One EP」はそれが晴れて、自分からいろんな人に働きかけたら、みんな快く引き受けてくれて。そこで「頼んでもいいんだ、手伝ってくれるんだ」って発見もあったんですよね。それで「Blur」は全国流通で展開しようって。

バンドだとありえない音楽構造で作曲するのは、ヒップホップのトラックメイカーができることだけど、バンドとしての素晴らしさは、やっぱりバンドにしか出せないですよね。そのふたつを組み合わせたくて。

その「Blur」ですが、バンド ampelの河原太朗さんを共同プロデューサーに起用した、バンド・サウンドが基調になった作品ですね。

Ryohu:生音を使ったらどうなるんだろうっていうのは興味あったんですよね。それがキッカケで、太朗ちゃんに声をかけて。

作り方としてはどのように?

Ryohu:俺は楽器ができないんで「こういう感じの曲を作りたい」「こういう曲にしたい」っていうザックリしたイメージを太朗ちゃんに伝えて、それを「こういう感じ?」って組み立ててもらうんですよね。それで「それがいい」「コード感はもう少し明るめ」「これに合うのはこういうドラムだね」とか、ディスカッションで進めていった感じですね。だから、土台を作る時はふたりで部屋にずっとこもってましたね、2日間(笑)。ただ、ドラムは打ち込みにしたかったんですよ。

それはなぜ?

Ryohu:バンドで制作したのは、あまりヒップホップ・サウンドにしすぎないようにっていうイメージだったんですが、でも一方でクラブ対応にはしたくて。

音圧や低音部の響きは、やはり打ち込みならではの強さがありますね。

Ryohu:ジョーイ・バッドアスとかケンドリック・ラマーが提示するような、それぐらいのベースじゃないと物足りないと思ったんですよね。

個人的にはチャンス・ザ・ラッパーのアプローチにも近いモノを感じました。

Ryohu:バンドだとありえない音楽構造で作曲するのは、ヒップホップのトラックメイカーができることだけど、バンドとしての素晴らしさは、やっぱりバンドにしか出せないですよね。そのふたつを組み合わせたくて。

その意味でもKANDYで求められてるものと、Aun beatzやRyohuくんのソロで求められてるものの、両方を納得させられる作品になっていると感じました。また「Blur」というタイトルだけど、リリックは情景がしっかり見えるような構成になっているのと同時に、「君」や「あなた」という二人称が多くて、それは「聴いてるあなた」といったような、具体的な相手が想定されてるのかなとも思えて。

Ryohu:自分の中で見えてる景色があって、その中に登場してる人に向けてる感じですね。「Blur」は単にぼんやりっていう意味じゃなくて、そうなるには何色かが足されて「Blur」になると思うんですよ。例えば、夜と朝、昼と夜が混じり合う微妙な時間とか。その感じが自分にとって「Blur」。だから、それぞれの楽曲にはカラーがあるけど、それが混ざり合ってこの作品ができているので、タイトルを「Blur」にしたんですよね。

今までの作品もそうですが、全体的にロマンティックだし、Ryohuくんはロマンチストだなと。

Ryohu:ロマンティックあふれ出てますか、今回も(笑)。

言わなきゃ良かった(笑)。

Ryohu:俺も含め、KANDYはジェントルマンですから。女の人に優しいのは大事じゃん、っていう。確かに、普通に考えたらクソ恥ずかしいことを書いてるとは思うんですよ。特に“All in One”とか。でも恥ずかしいけど、それを超えて格好いいことを書いてるから、言えちゃうんですよね。“Say My Name”とかも照れるようなリリックではあるけど、格好いいから言えちゃうと思うし、格好いいものを作れば、それは肯定されると思うんですよね。

ただ“Desserts”では、ややサイコパスとも言える男も形にしていて。しかもビートが変わるタイミングで、どんどん狂気じみていくのも面白い。

Ryohu:ストリーテリングとして、愛の表現をもっと狂気じみた感じにしてみたんですよね。だから俺の愛し方ではないんで、勘違いされたらやだなーとか思いながら書きました(笑)。

Ryohuくんのプロジェクトとしては、外部仕事も含めたソロ、Aun beatz、KANDYTOWN、トラックメイクが挙げられると思いますが、その違いは?

Ryohu:KANDYはいまだにみんなで集まって遊びの延長で作るって感じだし、BANKROLLの頃と変わらないですね、俺自身は。トラック提供は基本的にKANDYのメンバーに向けてなんですが、「こういうのがあってもいいんじゃない」みたいな、提供するメンバーが今まで選んできたものとはちょっと違ったり、ギリギリのラインを攻める感じですね。Aunはバンドが作ってきたサウンドに対して、どう返すかっていうチャレンジ。ソロは完全に自分に没入したオタクって感じですね。だから自分の作品が一番難しいですね。誰かと作る作品は、こうした方が面白いかもとか、こういうのが欲しいとかが浮かぶけど、自分のこととなると、どうしたらいいのかなって悩みますね。だから、いろんな動きがそれぞれ良い息抜きになってるんですよ。

外仕事だとエゴを通せない部分もあるし、ソロだけだと煮詰まるし……。

Ryohu:ソロだけだったらリリースしないかもしれないですね。ずっと自分の中で作ってて、それに飽きたらリリースしないで捨てちゃうかもしれない(笑)。だからいろ0んなアプローチがあることで、一生音楽を作り続けられると思うし、関わってくれる皆さんありがとうございますって感じですね。

[10/17追記]

ラッパー/DJでありながら、KANDYTOWNのメンバーであり、Suchmosやペトロールズへの客演参加を行い、ヒップホップとロックをクロスオーバーして活動の幅を広げているアーティスト、Ryohu(呂布)。待望の初全国流通盤EP『Blur』がリリースを迎えたばかりだが、Ryohuと親交深いアーティストの皆さんよりコメント・メッセージが到着!

HIP HOPとMUSIC、
LIFEとSTYLE、
SETAGAYAとSEKAI、
Ryohuは『接着剤』なんだよね。
軽やかさ、柔軟さが、唯一無二。
もんのすんごく、
期待しています!!!!!
――Mummy-D (Rhymester)

〈完璧じゃならない絵に〉(“Say My Name”)というフレーズがたまらなく好きだ。
言い切っているようで、言っていない部分がすごく多い。
だからこそ、漠然とした大事なことが漠然としたまま迫ってくる。
この手渡し方に、Ryohuの感性や在り方が詰まっていると思う。
そして、作品の額縁には「Blur」つまり『曖昧』という題が。
少なくとも完璧にRyohuだよ。
――小出祐介(Base Ball Bear)

気取ってなくて素直、芯があって少し無骨、世代差を感じない人懐こさ、結果としてすごく虫が好く。
出会った時から変わらないRyohuの印象そのままの音楽だね。リリースおめでとう!
雰囲気が好きなアルバム、“って事だけは確か”。
――三浦淳悟(ペトロールズ)

いつも1番暖かくて1番クール。それで、今1番カッコいい。
――オカモトショウ(OKAMOTO'S)

呂布くんの声は軽やかさと切なさと、すこしファニーさ、グッとくるものが全部入っているのだ。
なんでそんなセクシーなのさ?
――オカモトコウキ(OKAMOTO'S)

気持ちよかった、ありがとう。
――ハマ・オカモト(OKAMOTO'S)

タイトなラップでキメるB-boyは無条件でカッコ良いということを再確認させられました。
――オカモトレイジ(OKAMOTO'S)

また、『Blur』の発売を記念して開催される、12/8(金)の渋谷WWWにてRyohu “Blur” Release Partyのチケット一般販売もスタート。
ゲスト・アーティストはSIMI LABに決定!
前売購入者には特典として、Ryohuによる選曲音源を収録したExclusive Cassette Tape「No Pay No Play」をプレゼントとなるので、是非お買い逃しないように。

【イベント情報】

Ryohu “Blur” Release Party

12/8 (Fri) @ Shibuya WWW
OPEN 18:30 / START 19:30
ADV ¥3,000(+1D) / DOOR ¥3,600(+1D)
※前売購入者特典として、Ryohuによる選曲音源を収録したExclusive Cassette Tape「No Pay No Play」をプレゼント

出演者:
Ryohu (Band Set)
SIMI LAB [10/17追記]

10/5(木)~ e+にて先行販売開始
https://eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002240412P0050001P006001P0030001

10/14(土)〜 プレイガイド一般発売
▼チケットぴあ 【Pコード:347-789】
https://t.pia.jp/
※電話予約あり:0570-02-9999

▼ローソンチケット 【Lコード:76979】
https://l-tike.com/order/?gLcode=76979
※電話予約なし

▼WWW店頭
03-5458-7685

行松陽介 - ele-king

ZONE UNKNOWN List Oct.

Ryoji Ikeda - ele-king

 世界を股にかけて活躍する電子音楽家/ヴィジュアル・アーティスト、池田亮司。その新たな試みとして、10月25日(水)、京都CLUB METROにてDJイベント《Ryoji Ikeda DJ Night : ROCK HARD & LOUD》が開催される。
 昨年のKYOTO EXPERIMENT/京都国際舞台芸術祭では、“池田亮司 レトロスペクティヴ”とも言われた総集編ライヴと巨大インスタレイションで観客の度肝を抜いた彼が、今年10月24日の同イベントでは、スイスの打楽器アンサンブル「Eklekto」とともに完全アコースティックな音楽プロジェクト「music for percussion」をロームシアター・サウスホールにて上演する。そして、その翌日、10月25日夜に開催される今回のDJイベントでは、オールドスクールなロックやギター・サウンドなどを爆音でプレイする予定とのこと。池田亮司がロック……これは見逃せない!

Ryoji Ikeda DJ Night : ROCK HARD & LOUD
@京都METRO

2017年10月25日(水)
Open / Start 20:00

DJ:
Ryoji Ikeda
Takuya Minami

[料金]
前売 ¥1,500 ドリンク代別途
当日 ¥2,000 ドリンク代別途

[一般PG前売り]
チケットぴあ(Pコード: 346-737)
ローソンチケット (Lコード: 51457)
e+ (https://bit.ly/2ymhBYE)
にて9/30より発売開始!
[前売メール予約]
あてに、前日まで日程、お名前、枚数を明記してメールして下さい。前売料金で入場頂けます。

イベント紹介WEB:
https://www.metro.ne.jp/single-post/171025

会場:
京都 METRO
WEB:https://www.metro.ne.jp
075-752-4765

共催:
KYOTO EXPERIMENT|京都国際舞台芸術祭
https://kyoto-ex.jp/



© Raphaëlle Mueller

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KYOTO EXPERIMENT 公式プログラム
池田亮司×Eklekto『music for percussion』

2017年 10月24日(火)
@ロームシアター京都 サウスホール
https://kyoto-ex.jp/2017/program/ryoji-ikeda_eklekto/
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[アーティスト・プロフィール]

◎池田亮司 Ryoji Ikeda
1966年岐阜生まれ、パリ、京都を拠点に活動。 日本を代表する電子音楽作曲家/アーティストとして、音そのものの持つ本質的な特性とその視覚化を、数学的精度と徹底した美学で追及している。視覚メディアとサウンドメディアの領域を横断して活動する数少ないアーティストとして、その活動は世界中から注目されている。音楽活動に加え、「datamatics」シリーズ(2006-)、「test pattern」プロジェクト(2008-)、「spectra」シリーズ(2001-)、カールステン・ニコライとのコラボレーション・プロジェクト「cyclo.」(2000-)、「superposition」(2012-)、「supersymmetry」(2014-)、「micro | macro」(2015-)など、音/イメージ/物質/物理的現象/数学的概念を素材に、見る者/聞く者の存在を包みこむ様なライブとインスタレーションを展開する。これまで、世界中の美術館や劇場、芸術祭などで作品を発表している。2016年には、スイスのパーカッション集団「Eklekto」と共に電子音源や映像を用いないアコースティック楽器の曲を作曲した新たな音楽プロジェクト「music for percussion」を手がけ、2017年にCDをリリース予定。2001年アルス・エレクトロニカのデジタル音楽部門にてゴールデン・ニカ賞を受賞。2014年にはアルス・エレクトロニカがCERN(欧州原子核研究機構)と共同創設したCollide @ CERN Award受賞。
www.ryojiikeda.com

◎ 南琢也 (softpad)
グラフィックデザイナー/アーティスト。成安造形大学准教授。90年代、CLUB LUV+、Diamonds Are Forever、など多くのイベントでDJを務める。2000年以降はSoftpadのメンバーとしてインスタレーション、パフォーマンス、サウンド、デザイン分野などジャンルを超えながらそれぞれのメディアの境界線と接点を探る表現活動を行う。 高谷史郎パフォーマンス作品「La Chambre Claire」「CHROMA」「ST/LL」で、クリエイション・メンバーとしてグラフィックデザイン・サウンドを担当。近年はグラフィックデザイナーとして、美術館の広報印刷物や図録、CDジャケットなどのデザインワークに携わる。

Diggin' In The Carts - ele-king

 これ、めちゃくちゃおもしろそうじゃないですか! なんと〈Hyperdub〉が、日本のゲーム・ミュージックに特化したコンピをリリースします。エレクトロニック・ミュージックの文脈に属する音楽家がゲーム・ミュージックを手掛けた例で言うと、しばらく前ならアモン・トビン、比較的最近ならデヴィッド・カナガハドソン・モホークなどが思い浮かびますが、そもそもそういう土壌が用意されるに至った経緯って、たしかにあまり整理されていない印象がありますよね。両者のあいだには切っても切れない縁があるというのに……どうやら〈Hyperdub〉はその歴史を紐解こうとしているようです。しかもイベントまで開催されるとのこと! 詳細は下記をご確認ください。

世界に影響を与えた日本のゲーム・ミュージックの歴史を紐解く
革新的コンピレーション・アルバム『Diggin' In The Carts』のリリースが決定!
11月のライヴ・イベントには、アルバムの共同監修を務めたKode9の来日も発表!
アートワークを手がけた森本晃司とのスペシャル・コラボを披露!

音楽ファンが、音楽ファンのために作った、ゲーム音楽のアルバム。それは1984年に生まれた世界初のゲーム音楽レコード『ビデオ・ゲーム・ミュージック』以来の試みだ。当時細野晴臣が担った役割を、ここでは〈Hyperdub〉が担っている。セレクターの醸し出す味わいまで含めて、ぜひともご堪能いただきたい。 - hally (VORC)

1980年代から90年代にかけデジタル合成によって誕生した、耳にこびりついて離れない8ビットおよび16ビットのゲーム音楽は、小さな幼虫のように蠢きながら日本で繁殖。クラシック音楽や、ロック、レゲエ、初期シンセ・ポップのメロディをデジタル・データに変換しつつ、いくつもの群れとなって瞬く間に世界中に這い広がり、全世界のゲーム・プレイヤーたちの“記憶装置”に寄生した。それは回路基板の中で増殖し、やがて活気溢れるチップチューン・クローンの亜種を生み出して、ヒップホップからテクノ、ハウス、グライム、ダブステップ、フットワークからその先に至るまで、エレクトロニック・ミュージックの様々なジャンルにおける多種多様な突然変異体に影響を及ぼしている。 - Kode9

80年代後期から90年代中期にかけて、日本のゲーム・ミュージックが生んだ貴重かつ革命的な楽曲ばかりを集めたコンピレーション・アルバム『Diggin' In The Carts』が、イギリスのエレクトロニック・ミュージック・レーベル〈Hyperdub〉からリリースが決定! 34曲もの楽曲を収録した本作は、レッドブル・ミュージック・アカデミーによるドキュメンタリー映像シリーズ『ディギン・イン・ザ・カーツ』が発端となり、エレクトロニック・ミュージックの発展を語る上で欠かすことのできない日本のゲーム・ミュージックが、いかに世界に影響を与えたかを紐解き、その歴史を探る内容となっている。同ドキュメンタリー映像シリーズで監督を務めたニック・デュワイヤーと〈Hyperdub〉主宰のKode9(コード9)が研究を重ね、監修を務めて完成させた楽曲集は、いまなお進化し続ける日本のゲーム・ミュージック初期にあたるチップチューン黎明期を掘り下げた貴重なアーカイヴ作品となっている。今回の発表に合わせ、1993年に発売されたスーパーファミコン用ゲーム『The麻雀・闘牌伝』のために、ゲーム音楽家、細井聡司によって作曲された楽曲“Mister Diviner”が公開された。

Soshi Hosoi - Mister Diviner (The Mahjong Touhaiden)
https://bit.ly/2yHU6u3

また本作では、『MEMORIES -彼女の想いで-MAGNETIC ROSE』や『アニマトリックス―ビヨンド』といったアニメーション作品で知られ、STUDIO4℃の創設メンバーとしても知られるアニメーション作家、森本晃司がアートワークを手がけている。

今作に収録された音楽は、ファミコン、スーパーファミコン、PCエンジンといった世界的に知られる日本のゲーム機や、MSX、MSXturboR、PC-8801といった8ビット・パソコン、16ビット・パソコンのために作曲されたものである。本作は、それらの楽曲を“ゲームのための音楽”としてだけではなく、電子音を駆使して日本から生まれた重要な音楽作品として捉え、ショウケースしている。

世界的なアート作品は、時として与えられた制限の中で生まれるもの。中でもエレクトロニック・ミュージックが最も革新的で影響力を持った要因は、当時のアーティストが、その時代のテクノロジーの持つ制限の中で、その可能性を最大限に引き出そうとしたことにある。80年代~90年代初期に生まれた8ビットや16ビットのゲーム・ミュージックは、作曲家たちが、データ量やチャンネル数が極めて制限された中で、様々なサウンドや音色、メロディを組み合わせることによって生み出された。新たなゲーム機が開発されるたびに新しいサウンドチップが作られ、それがまた新たな個性を生んだ。日本のゲーム会社は、様々な方法を駆使して、サウンド面で刺激的な工夫を凝らした。独自のサウンドチップを開発し、そのゲーム機の持つ可能性を最大限にまで引き出したり、ゲーム音楽家が独自のサウンドパレットを生み出すためのコンピューター・ソフトも開発された。

本作には、スティーヴ・ライヒの影響を感じさせる細井聡司の“Mister Diviner”の他にも、メガドライブのシューティング・ゲーム『サンダーフォースIV』のために山西利治が作曲した“Shooting Stars”、コナミのサウンドチーム、コナミ矩形波倶楽部が『魍魎戦記MADARA』や『エスパードリーム2』といったゲーム作品のために手がけた数々の楽曲を収録。『Diggin' In The Carts』はゲーム・ファンと音楽ファンの両方が、間違いなく満足するであろう、ゲーム音楽の素晴らしさと深みをかつてないほど詰め込んだゲーム音楽の枠を超えた金字塔的音楽作品だ。また国内流通仕様盤CDには、ゲーム音楽史研究家としても知られるhally (VORC)によるライナーノーツと、オリジナル・ステッカーが封入される。

また本作の完成に合わせ、『Diggin' In The Carts』のライヴ・イベントが、東京、ロンドン、ロサンゼルスで開催される。アルバムのリリース日となる11月17日(金)に、恵比寿リキッドルームにて開催されるレッドブル・ミュージック・フェスティバル主催の東京公演では、本作の監修も務めたKode9と、アートワークを手がけた森本晃司によるスペシャルなオーディオ・ヴィジュアル・ライヴが披露されることも決定した。

label: Hyperdub / Beat Records
artist: V.A.
title: DIGGIN IN THE CARTS
release date: 2017/11/17 FRI ON SALE
国内流通仕様CD BRHD038 定価 ¥2,200(+税)
hally (VORC)による解説 / オリジナル・ステッカー封入

【ご予約はこちら】
amazon: https://amzn.asia/hwxms4X
iTunes: https://apple.co/2ybCIk9


【ライヴ・イベント情報】

RED BULL MUSIC FESTIVAL TOKYO 2017 presents
DIGGIN' IN THE CARTS
電子遊戯音楽祭

日 時:2017年11月17日(金) 開場19:00/開演19:30~
場 所:LIQUIDROOM(恵比寿)
料 金:前売3,500円 *20歳未満は入場不可。顔写真付き身分証必須。
出 演:Kode 9 × Koji Morimoto AV, Chip Tanaka, Hally, Ken Ishii Presents Neo-Tokyo Techno ('90's Techno Set), Osamu Sato, Yuzo Koshiro × Motohiro Kawashima and more

interview with MASATO & Minnesotah - ele-king

 90年代のレア・グルーヴのムーヴメントやヒップホップのサンプリングを通じてソウル・ミュージックに出会い、魅了されていった。言うまでもなく、そういう音楽好きやヘッズは僕ぐらいの世代にもたくさんいる。それなりの値段のするオリジナル盤を血眼になってディグるようになったDJやコレクターの友人も少なくない。そして、それらのソウル、あるいはファンクやジャズ・ファンク、スピリチュアル・ジャズやソウル・ジャズの多くが70年代のものだった。最初から60年代のソウルに積極的に手を出す人間はあまりいなかった。それは、60年代のR&Bやソウルすなわち米国南部のサザン・ソウルの独特のいなたさや渋さの良さを理解するのには時間を要したからだった。ちなみに僕は、『パルプ・フィクション』(94年)のサントラに収録されたアル・グリーンの“Let's Stay Together”によって――この曲は71年発表なのだが――60年代のサザン・ソウルへの扉を開くことになる。


MASATO & Minnesotah
KANDYTOWN LIFE presents “Land of 1000 Classics”

ワーナーミュージック・ジャパン

R&BSoul

Amazon Tower HMV iTunes

 前置きが長くなった。KANDYTOWNのDJであるMASATOとMinnesotahが今年70周年をむかえるアメリカの老舗レーベル〈アトランティック〉の楽曲のみで構成したミックス『KANDYTOWN LIFE presents “Land of 1000 Classics”』を発表した。〈アトランティック〉は駐米トルコ大使の息子で、ジャズやブルースの熱狂的なファンだった非・黒人であるアーメット・アーティガン(当時24歳)らが1947年に設立している。〈モータウン〉より12年も早い。そして〈アトランティック〉と言えば、50~70年代のR&Bやサザン・ソウルを象徴するレーベルでもある(ちなみに〈アトランティック〉は現在〈ワーナー〉傘下にあり、ブルーノ・マーズや、先日ビルボードのHOT 100で1位に輝いたデビュー曲“Bodak Yellow (Money Moves)”で目下ブレイク中の女性ラッパー、カーディ・Bも所属している。客演なしの女性ラッパーの曲のビルボートHOT 100の1位はローリン・ヒルの“Doo Wop (That Thing)”(98年)以来の快挙だという。つまり現役バリバリのレーベルだ)。

 MASATOとMinnesotahは“ソウル・ミュージック”をテーマとして50~70年代の楽曲を24曲選んだ。カニエ・ウェストが“Gold Digger”でサンプリング/引用したレイ・チャールズの“I Got a Woman”で幕を開け、スヌープ・ドッグが“One Chance (Make It Good)”でサンプリングしたプリンス・フィリップ・ミッチェル“Make It Good”などもスピンしている。ヒップホップ・クルーのDJらしくサンプリング・ネタも意識している。が、僕が思うこのミックスの最大の良さは、ブレイクビーツやレア・グルーヴ的観点のみに縛られず、彼らの愛する、ソウル・ミュージックの真髄を感じるブルース・フィーリングのある曲やサザン・ソウルを丁寧に聴かせようとしている点にある。このミックスを通じてソウル・ミュージックの世界への扉を開く若い人が増えることを願う。MASATOとMinnesotahに話を訊いた。

アメリカのなんでもない田舎の道を走る車に乗っているときにアル・グリーンとかメンフィス・ソウルを聴いてたんですよ。それまではああいうソウルのいなたさや渋さがわからなかったんですけど、そのときに何かが「ヤバい」と思ったんですよね。 (Minnesotah)

高校の同級生にOKAMOTO'Sがいたんです。自分もロックにハマっていたので、ドラムのレイジと日本の昔のブルース・ロックみたいなものも聴いていて。そういうところから遡るとサム・クックとか、いろんなアーティストに繋がるじゃないですか。 (MASATO)

もともとおふたりはアナログで〈アトランティック〉のレコードをディグったりしていたんですか?

MASATO(以下、MA):けっこうディグってました。

Minnesotah(以下、Mi):〈アトランティック〉だけを意識していたわけではないけど、レコードを買っていくなかで〈アトランティック〉のものが集まっていったという。

CDに付いてる荏開津広さんの解説で、おふたりはDJを始めた頃、トライブやピート・ロック、ギャングスターやD.I.T.C.なんかの90年代の東海岸ヒップホップをかけていたと話されていますね。ソウル・ミュージックにはサンプリングのネタから入っていったんですか?

MA、Mi:そうですね。

MA:俺は90年代のヒッピホップを聴いていて、ピート・ロックとかジャジーなネタを使っているやつとか、それこそドナルド・バードやキャノンボール・アダレイとか、あのへんを聴いて「元ネタに勝てないな」と思ったところから入りましたね。

Minnesotahさんが10代でMASATOさんと出会った頃、すでにMASATOさんはクラブなどの現場でソウルをプレイしていたらしいですね。

Mi:そうですね。すごく早かったと思います。“ブレイク・ミックス”みたいな感じでやるんじゃなくて、最初からソウルのDJみたいな感じだったんですよね。元ネタとして繋いでいくというよりは、曲としてソウルをミックスしていくというスタイルを10代のときからやっていて、超渋いなと思っていましたね。

それは、90年代ヒップホップは好きだけど「元ネタに勝てないな」という気持ちもあって、そういうスタイルでソウルをプレイしていたんですか?

MA:そうですね。ヒップホップと元ネタを織り交ぜてかけるのが自分のなかでしっくりきたのかな。

今回のミックスでは、クイック・ミックスしたり、2枚使いしたり、そういうヒップホップ的なトリックをしないで、曲を聴かせる構成になっていますよね。

Mi:正直、クリアランスの関係でスクラッチとかはダメと言われたのはあります(笑)。でも僕らはもともとそこまでトリックを使うようなDJスタイルでもないので。

MA:逆に言うと、そういうミックスやコンピレーションは多いと思うんです。そうじゃなくて、1曲1曲をしっかり聴かせたかった。選曲もそこまでド渋な曲やレア・グルーヴだけではなくて、〈アトランティック〉のクラシックを選んでいます。だから、いまの若い人にも手にとってもらって聴いてもらえたらと思ってますね。

いま“若い人”という発言が出ましたが、おふたりはいまおいくつくらいなんですか?

MA:26です。

(一同笑)

若いですね(笑)。つまり“若い人”というのは10代ぐらいってことですよね?

MA:そうですね。あとは大学生とか。

ヒップホップのDJでソウルをディグったり、ミックスする先達といえば、やはりMUROさんやD.L(DEV LARGE)さんがいますよね。そういうDJたちから触発された部分はあったんですか?

Mi:多分にありますね。それこそMUROさんのミックスはめっちゃ聴いていたし。

MA:(MUROの)『Diggin'Ice』シリーズがあるじゃないですか。亡くなったYUSHIってやつがけっこうそのミックスCDを持っていて、それをみんなで回していましたね。

Mi:(『Diggin'Ice』シリーズの)テープもあったんで、それを借りたりもしていましたね。

MA:そういう感じで回して聴いていて、その影響はかなり強いですね。

そこで知った音楽も多いでしょうしね。

MA:そうですね。最初に『Diggin'Ice』の曲を集めようと思って買い始めました。

今回の〈アトランティック〉のミックスはすべてヴァイナルでやりました?

Mi:ぜんぶヴァイナルですね。

それは自分たちで持っているものだったんですか?

Mi:持っているものと、持っていないものは借りました。

今回ミックスするうえで改めて相当な量の〈アトランティック〉音源を聴いたのではないかと思います。〈アトランティック〉の良さはどういうところにあると思いましたか?

MA:昔の『レコード・コレクターズ』を読んで……

『レコード・コレクターズ』読むんですね、渋い(笑)。

MA:はい(笑)。知り合いのDJが、昔の『レコード・コレクターズ』の、〈アトランティック〉が50周年か60周年のときの特集号を探して持ってきてくれたんですよ。(内容は)カタログがあって、いろいろ説明があるという感じなんですが、〈アトランティック〉は〈モータウン〉とか当時の他のレーベルよりも早い段階でキング・クリムゾンなんかのロックや白人の文化にも手を出していて、そういうところで幅広いレーベルだと思いましたね。

そういうクロスオーヴァーなところはありますよね。クリームやレッド・ツェッペリンも出していますしね。今回のミックスにはジャズのミュージシャンやシンガーソングライター、アレンジャーの、いわゆるソウル・ジャズやスピリチュアル・ジャズ寄りの楽曲やブルース・フィーリングのある楽曲もありますよね。ユージン・マクダニエルズとかアンディ・ベイとかも入ってます。

Mi:そうですね。正しい言い方かわからないですけど、黒人音楽というか、ヒップホップに通じるもの、という解釈もありつつということですよね。

MA:自分のなかではここに入っているものはソウルとして解釈していますね。そのなかでもジャジー系とかファンキー系とかいろいろあるんですけど、大きくはソウルかなと。

選曲にはソウル・ミュージックというテーマがあったんですよね?

Mi:大前提はそういう感じだと思います。

なるほど。モンゴ・サンタマリアのサム&デイヴのカヴァー曲やアレサ・フランクリンの名曲も収録されていますね。で、アーチー・ベル&ザ・ドレルズは“Tighten Up”ではなく、“A Thousand Wonders”を選んでますね。

Mi:ピックするのはシングルとかじゃなくアルバム収録曲であること、かつ、わりと王道であること、というルールがあって。そこでさらに“Tighten Up”まで行っちゃうともう工夫がなさすぎるというか(笑)。つまんないよなってところですかね。

でも、アレサ・フランクリンは“Rock Steady”と“Day Dreaming”と、2曲入っていますね。

MA:それはもういい曲だからしょうがないですね(笑)。

Mi:どっちを入れるかって話になったときに、「どっちも入れるでしょ」ってことになりました(笑)。

先ほども話したように〈アトランティック〉ってクロスオーヴァーしてきたレーベルじゃないですか。だから極端なことを言えば、キング・クリムゾンやクリーム、あるいはミュージック・ソウルチャイルドみたいなより現代的なR&Bやミッシー・エリオットみたいなラッパー/シンガー/プロデューサーの曲も選べたわけですよね。それでも、50年代から70年代という時代に限定してソウル・ミュージックというテーマで選曲したということですよね。

Mi:でもそこは俺らも話し合う前からそうなっていたところはありましたね。

MA:勝手にこのへんだ、というのがあって(笑)。そこ以外はいっさい入れようということにならなかったですね。

Mi:〈ワーナー〉も俺らのスタイルみたいなものをわかってくれていて、その上でこの話を振ってくれたので、もうなんのディレクションもなくリストアップして出したって感じでしたね。あとはソウル・ミュージックとして王道というか、南部のフィーリングが出ている曲も多いですね。

僕もそこがこのミックスの面白さだと感じました。ウィルソン・ピケットの“In The Midnight Hour”が2曲目に入っていたり、アーサー・コンレイの曲があったり、70年代後半のだいぶ都会的に洗練されてからの楽曲ではありますけど、マージー・ジョセフが入っていたりしますよね。つまりサザン・ソウル色を感じます。

Mi:単純にソウルの真髄みたいなところはそこな気がしているんです。70年代というよりかはディープ・ソウルやサザン・ソウルのほうが黒人音楽のなかでも重要な気はしているんですよね。ミックスにそういうものが入ることってあんまりないじゃないですか。

あまりないと思いますよ。

Mi:70年代のネタ感のあるレア・グルーヴみたいなものが多いですよね。

そうですね。まずレイ・チャールズから始まるミックスはなかなかないですよね。

Mi: 70周年記念ということもあって、絶対にその流れは外せないなと思ったんです。

自分もヒップホップを通じてソウル・ミュージックに魅了されていったくちなんですけど、最初は60年代のソウルは理解できなかったんです。一言で言えば、渋過ぎたというか。それはなかったですか?

Mi:ありましたね。最初は良さがわかりませんでした。

60年代のソウルの良さがわかるようになったのって何がきっかけでした?

Mi:アメリカのなんでもない田舎の道を走る車に乗っているときにアル・グリーンとかメンフィス・ソウルを聴いてたんですよ。それまではああいうソウルのいなたさや渋さがわからなかったんですけど、そのときに何かが「ヤバい」と思ったんですよね。そこから60年代のソウルとか、サザン・ソウル、ディープ・ソウルを好きになりましたね。

MA:僕は高校のクラスメイトにやたらとJポップとソウルが好きな意味わかんないやつがいて、そいつがTSUTAYAとかでソウルのCDを借りていて、いろいろ教わっていたんです。そいつは特にサザン・ソウルが好きで、「『ワッツタックス』という映画を観たほうがいい」って勧められたんです。あの映画でルーファス・トーマスが出てきたときに「こいつヤバいな。このパンチ、ハンパねえな」って(笑)。そういう〈スタックス〉の影響がありましたね。あと、高校の同級生にOKAMOTO'Sがいたんです。自分もロックにハマっていたので、ドラムのレイジと日本の昔のブルース・ロックみたいなものも聴いていて。そういうところから遡るとサム・クックとか、いろんなアーティストに繋がるじゃないですか。

Mi:MASATOはそこが早かったですね。サム・クックも最初から好きだったし、俺はそういうところがすげえと思っていて。この人は別に60年代とかも聴けるんだなって。単純にソウルが好きなんだなとはずっと思ってました。

MA:たぶん“原点”を探すのが好きなんですよね。結局ビートルズもスモーキー・ロビンソンのカヴァーとか、(マーヴェレッツの)“Please, Mr. Postman”とかやっているし。あとはブッカー・Tとかスライ&ザ・ファミリー・ストーンもけっこう好きですね。

そういう話を聞くと、MASATOさんは60年代のR&Bやソウルをロックンロールの解釈で聴くところから入ったんですね。

MA:そういうところはありましたね。

そう考えるとレイジ君の存在は大きいんですね。

MA:自分のなかではけっこうデカかったですね。

この前大阪でやったときはマジでシラケましたもん。チャラ箱みたいなところで「クリス・ブラウンねーのかよ!」って言われたんで、「あるわけねーだろ。帰れよ」って言って。 (MASATO)

MUROさんはディグがオタクじゃなくて、カッコいいことだって示したじゃないですか。それはスタイルとして超ヒップホップだと思うし。若い世代でそういうDJが少なくなったんだとは思いますね。 (Minnesotah)

ということは、IO君とも同世代なんですか?

MA:自分はIOと同級生ですね。

Mi:俺はひとつ年下です。

KANDYTOWNにDJとして入ったのはいつ頃なんですか?

MA:明確な時期はわからないんですけど、もともとIOとか亡くなったYUSHI、RyohuやB.S.C、Dony JointでBANKROLLというクルーを作ったんですね。それとYOUNG JUJUたちの世代のYaBastaというクルーとたまに曲を作ったりしていたんですが、俺はあんまりやる気がない感じだったんですよ(笑)。でもYUSHIが亡くなったときにみんなで集まって、(KANDYTOWNを)やろうって話になったんです。それでまとまっていったというか、そこからかなという感じはしますね。

Mi:俺も同じような感じですね。あんまり明確に「みんなでKANDYTOWNやろうぜ!」みたいなのはなかったと思います。昔から友だちとイベントをやっていたりしていて、みんな知っていたというのはありますね。最初は小箱でMASATO君がイベントをやったりしていて、そのときはピーク・タイムにソウルやディスコを流してもみんなドッカンなんですよ。

MA:踊り狂いますね。

Mi:それはけっこうすげえなと思っていたんですけどね。

MA:まあ内輪だったんで。

Mi:それこそYUSHI君が車でMUROさんのミックスを流したりしていたし、IO君とかも親父がソウルを聴いたりしていたから自分も聴いていたし、みんな音楽的な隔たりみたいなものはなかったと思いますね。

近年7インチだけでプレイしたりするスタイルも定着しつつありますよね。レコード・ブームと呼ばれるような現象もあります。そういう流れはどう感じていますか?

MA:再発とかでもけっこう7インチで出たりするじゃないですか。それはいい面もあると思うんですけど、LPはLPでいい曲も入っているから、自分としてはべつに7インチだけでプレイをするとかのこだわりはないですね。。

Mi:俺も7インチとかにこだわりはなくて。単純に7インチにしか入ってない曲が欲しくなったら買いますけど。俺はいつもアナログは持ち歩いているんですが、同時にUSBも持ち歩いているんですよ。でもこだわりたくなるのはすごくわかりますね。ヒップホップっぽいというか、そういうぼんやりとしたイメージはあります。「やっぱりこの曲は7インチでかけるといいよね」みたいな、そういう衝動に駆られるときはありますね。

おふたりは根っこはヒップホップだと思うんですけど、いま現場でDJをしていて特に感じることはありますか。

Mi:俺は単純にいまのメインストリームのヒップホップの新譜がおもしろいと思っているのがありますね。あと、いまヒップホップを聴いている人たちが元ネタのソウルやファンクをそこまで気にしていないというのも感じますね。

MA:たぶん音楽に対して深く聴くみたいな感覚がなくなってきているんじゃないですかね。手軽にiPhoneにiTunesからどんどん落としていろんなものを聴けるし、そのぶんいろんな幅が広がっているのはいいのかもしれないですけど。

やっぱりそういうなかでアナログでDJする人は少ないんじゃないんですか?

MA:少ないですね。この前大阪でやったときはマジでシラケましたもん。チャラ箱みたいなところで「クリス・ブラウンねーのかよ!」って言われたんで、「あるわけねーだろ。帰れよ」って言って。

ははははは。いい話じゃないですか。

MA:でも、辛いですよね。お客さんが楽しめないというのもよくないから、自分としてもちゃんと場所を選んだほうがいいなとは思いますね。でも自分のスタイルは変えたくないので小さいところでもしょうがないかなって思ってきていて。

Mi:クラブの現場だとふつうにヒップホップをかけているほうがお客さんも踊れますしね。たとえば60分のDJのなかで最初の20分はヒップホップをかけて、だんだんソウルやファンクに寄せようかなと思ってかけ始めたら(お客さんが)引いていくみたいなこともぜんぜんあります。それは俺の力不足かなとも思っていて、そこをうまくかけるのが永遠のテーマではありますね。旧譜をバンバンかけるカッコいいDJが少なくなったからだとも思うんですよ。それこそMUROさんはディグがオタクじゃなくて、カッコいいことだって示したじゃないですか。それはスタイルとして超ヒップホップだと思うし。若い世代でそういうDJが少なくなったんだとは思いますね。

なるほどー。ふたりは自分たちが聴いてきた、聴いているソウルをもっと広く伝えたいという気持ちがあるということですよね?

MA、Mi:そうですね。

もしかしたらふたりの世代でそういう考えの人たちはマイノリティなんですかね。

MA:マイノリティだと思いますよ。いまはKANDYTOWNとして(ミックスを)出させてもらって、リスナーの人にも知ってもらう機会が増えたからこそ、自分としてはやり続けたほうがいいのかなと思っていますね。それで「いいな」と思って、レコードのカッコ良さとか昔のソウル・ミュージックやR&Bのカッコ良さに気づく人が少しでも増えてくれればいいかなと思いますね。

それは結果的に自分たちの力にもなってきていますよね。1曲目にレイ・チャールズがかかって、そこからどれだけの人がどう聴くかですよね。

MA:「うわ、ミスったー」とか思うやつもけっこういると思いますけどね、「友だちに高く売ろう」みたいな(笑)。

(一同笑)

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