「OTO」と一致するもの

 パリス・ヒルトンやケイト・モスらが通うセレブなリゾートというよりも、最近は篠田真理子や大島優子が魅せられた休息の島と呼ぶほうが通りがいいだろうか。地中海に浮かぶ、スペイン領のリゾート・アイランド、イビザ島。風と光が戯れ、秘密のビーチに美しいチリンギート(海の家)が佇む最後の楽園。しかし、この島の名をさらに忘れがたいものとして印象づけているのは、あちこちに華やかに構えられたクラブや、そこで昼と言わず夜と言わず繰り広げられているパーティである。

 今回、現地体験レポ―トを届けてくれたのは、“ネオ・ドゥーワップ・バンド”として夢と幻想のオールディーズ空間を演出し、ポップスとサイケデリックの可能性をスタイリッシュに追求する注目グループ、JINTANA&EMERALDSのJINTANA氏。軽快な文章をたどっていると、彼がどのような音楽を追求しているのかということとともに、かの島の明媚な風景や、そこに深く根づいたダンス・カルチャーとクラブでの喜びがいきいきと伝わってくる。

 それでは8月のスペシャル・コラム、JINTANAのイビザ来訪記をお楽しみあれ。ベッドルームや通勤電車でこの画面を眺めている人にも、願わくはひとたびのヴァカンス・ムードを。 (編集部)

■JINTANA プレ・コメント

 ネオ・ドゥーワップバンドJINTANA&EMERALDSのJINTANAです。
 今回、イビザについての旅行記を書かせていただくことになりました。
 夏の一日を楽しく過ごすリゾート・エッセイとして、また、ちょっとしたイビザ・ガイドとしての情報も盛り込んでみましたので、イビザに旅行される方もご活用いただければと思います。
 それから、Jintana&EmeraldsのサイトがOPENしました。この紀行文といっしょに楽しんでいただくためのJ&E楽曲MIXをサイトにUPしたので、ぜひ音と文でチルアウトなひとときを楽しんでいただけたらと思います。
Jintanaandemeralds.com

 あなたの素敵なエキゾ体験になることを願って。

JINTANAプロフィール
Paisley ParksやBTBも所属するハマの音楽集団〈Pan Pacific Playa〉(PPP)のスティール・ギタリスト。同じく〈PPP〉のKashifや一十三十一、Crystal、カミカオル、あべまみとともにネオ・ドゥーワップバンドJINTANA&EMERALDSとして『Destiny』をP-VINEよりリリース。オールディーズとチルアウト・ミュージックが融合したスウィート&ドリーミーなサウンドがTiny Mix Tapeなど海外メディアも含め各地で高い評価を得る。この夏は〈JIN ROCK FES〉や〈りんご音楽祭〉などさまざまなフェスに出演予定。



■「悔しさとともに、ヨコハマの夜は更けていく」

 ある夏のはじまる前の夜、僕は横浜の飲み屋街、野毛で〈PPP〉のリーダーである脳くんや〈PPP〉の若手のケントらと飲んでいた。〈PPP〉とはPan Pacific Playaという音楽クルーで、LUVRAW&BTBとしても知られるBTBくんやPEISLEY PARKSなどが所属するヨコハマの音楽クルーだ。僕たちは定期的に野毛で、本人らからすると大変に有意義な、他人からするとまったく不毛な飲みをしているのだが、そんないつものノリで蒸し暑い夜に飲んでいた。僕はJINTANA&EMERALDSのファースト・アルバム『DISTINY』をリリースした直後で、ちょっとした達成感とともに心地よくほろ酔いしていたわけだが、そんなところに脳くんが一言を放った。
 「でもさ、JINTANA&EMERALDSにおいてさ、JINTANAのスチール・ギターの音、まだまだぜんぜん行けるよね」
 「え?」
 「いやさ、JINTANAのスチール・ギターはそのヤバさの片鱗の最初の1ページを見せたに過ぎない感じじゃん? まだまだいけるはずなのになー。おかしいなぁ。せっかくスチール・ギターと出会ったのにね~」
 と言って脳くんはニヤニヤしている。いつも彼はこうなのだ。家庭教師のように、ほどよく人を悔しがらせ挑発する。本当に人の扱いがうまい男だ。ぼくはとぼけて「そうかなー? すでにけっこういい線いってんじゃない? あ、焼きベーコン追加ね!」とか言いながらも、心のなかではワナワナしていた。脳くんよ、まさにそのとおりなのである。僕の中でも、僕の理想のスチール・ギター像に対して、いまはせいぜい10%達成というレベルなのである。

 僕はもともとバンド畑のギタリストだったが、ダンス・ミュージック・クルーの〈PPP〉に10年ほど前に誘われて加入した。トラックメイカーと楽器奏者が共存するこのクルーでの活動のなかで、僕はダンス・ミュージック……それも「シンセのビヨビヨした音色でオーディエンスを飛ばし異世界にいざなう」という音楽の側面に魅せられていった。そして、楽器奏者として僕がたどり着いたのはスチール・ギターという音色だった。この、音色だけで涼感を醸し出し、音階がシームレスだからこそ異空間へトリップさせてしまう楽器を、ダンス・ミュージック/チルアウト・ミュージックという耳のセンスで捉えたら気持ちよすぎてヤバいことになるのではないか? という発想でやりはじめたのだ。いわば、レイドバック空間へ旅立つための装置としての楽器、という役割である。だが、たしかに脳くんの言うようにそのレベルまでまだまだ達していないことは否定できない。そこは2枚めのアルバム以降の大きなチャレンジだと思っていたところであった。
 僕は、そんな部分を指摘された悔しい気持ちを隠しながら「あ、焼きベーコン追加ね!」とか言って、その夜は更けていったのであった。

■「伊勢参りならぬ、イビザチルアウト参り」

 数時間後、人々が通勤に向かう朝の京浜東北線の中で、ひとりほろ酔いの僕がいた。朝日を反射しまぶしい横浜のビル群を見ながら、僕はひとりつぶやいた。「やはり、チルアウトを極めねば……!」。おそらく朝7時のサラリーマンでごった返す車両の中で、チルアウトについて思索しているのは確実に僕ひとりであったであろう。そんなとき、車窓の向こうに旅行会社の看板をみつけて突然閃いた。「夏だ! 旅だ! 島だ! ってかぁ……、あ、 そうか、イビザ・・・! イビザに何かヒントがあるかも……!」イビザとはダンス・ミュージックが盛んな島として知られ、最近ではEDMのイメージも強いが、一方でそれをクールダウンさえるための音楽、すなわちチルアウト・ミュージックの発信地として広く認識されている。イビザのビーチにある〈カフェ・デル・マー〉は、夕陽が沈むタイミングに合わせてそうした音を用いたDJが聴けるという。それはそれは素晴らしい、波と光と音の完全なる融合を魅せる場としてこの世のものとは思えない美しさがあると伝え聞いている。

 僕は江戸時代の「伊勢参り」の気持ちで、イビザにチルアウトを追求する旅にでるのも一興という思いに駆られた。さっそく検索してみると、ヨーロッパまで行ってしまえば、そこからは意外な安さだと知って驚いた。ロンドンからだと片道約2万円だった。あまりに遠い桃源郷に思えていたイビザが、急にリアリティのあるものに思えてきた。2ヵ月後、僕はホクホクした面持ちでイビザの空港に降り立っていた……。

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■「パーティは空港からはじまっていた!」

 おそらく、イビザ空港は、世界中でもっとも「期待感」に満ち溢れた空港であろう。
 飛行機のタラップから降りてくる時点で「ヒャッホーっ」というノリで、みんなちょっと小走りである。イミグレの列に並ぶと、僕の前には「HEN」と書いた揃いのTシャツの15人くらいの女性がいた。先頭にはウェディング・ドレスのヴェールをかぶっている笑顔満開の女性がいる。HENというのは、おそらくバチェラー・パーティ的な意味合いのようで、映画『ハングオーバー』みたいなことをしにきているのであろう。無事に帰って結婚できることを祈らずにおられない。


浜辺で踊る人々を描いてみた

 イビザは空港が市街地から近い点も魅力で、タクシー15分で島の中心部であるエイビッサに到着した。僕が泊まったホテルは〈PPP〉と縁のある名前だったために選んだ「IBIZA PLAYA HOTEL」。ちょっとしたプールもあったりする、海辺の庶民派大型ホテルだった。なぜかホテル全体がチューイング・ガムのようにやたら甘い匂いがするのだが、それもイビザと思って気にせず部屋に入ると、窓の外で爆音でダンス・ミュージックが響き渡っていた。外を見ると300人くらいの人が浜辺にDJブースを出して踊りまくっていた。とはいえ、みんなサンダル履きだったり変なTシャツをきていたりして、どうも僕のような観光客ではなく、近所のおじさんおばさんたちがひと踊りしてから寝るべえ的なノリに見える。このダンスの生活への根づき方をみても、この島は、すみからすみまでダンス・ミュージックなんだなと直感した。そんな爆音が鳴り響く一方で、ホテルの廊下には「夜は踊らず静かにね♪ イエーイ!」という可愛いイラストが貼ってあり、そのスペイン的な無邪気さに僕は明日からの日々へ期待感と不安感を抱かずにおられなかった。

■「ダンス・ミュージックを中心点にする世界でも珍しい島」

 翌日、僕は街に出た。強い日差しとヤシの木というエイビッサの雑多な街並みは、ヨーロッパというよりアジア的な喧騒に満ちていた。繁華街にたどり着くと、そこには一風変わった光景があった。日本で言うと宝くじ屋のようなノリで、小さなブースで何かを売っている。よくみるとそれはクラブの入場券であり、どの店も大きな看板にその日のパーティ名や出演するDJの名を書いていた。「今日はどのパーティが面白いの?」と僕は訊くと、チケット売りたちは「今日はスティーヴ・アオキのAOKI’S PLAY HOUSEだ!」とか「水曜日ならこのパーティがいちばん素晴らしい!!」などなど口々に自分の持論を展開する。それは心からパーティの楽しさを語っているようでとても和やかな空気だ。まぶしい日差しの中、小さなテーブルを囲んでパーティについて楽しく語るという仕事を目の当たりにして、なんと幸せな光景だろうと思った。


イビザの街の様子も描いてみた

 街の中にはそういったチケット売りのほか、クラブ直営のファッション・ブティックやAVICIIなどの写真がデカデカと貼られているパーティ告知の巨大看板など、どこもかしこもダンス・ミュージック一色だ。たとえばアメリカであればgoogleが産業構造の真ん中にあるようなイメージがあったりするが、イビザの場合、産業の中心は完全にクラブである。クラブが真ん中にあり、そこに遊びにきている旅行者がいて、その周りにホテルやレストランがあり、彼らが買い物をするショップが並ぶ。深夜にクラブを行き来する人のために「クラブ・バス」というバスが走る。こんな島は世界中を見渡してもなかなかないだろう。雰囲気としては〈フジロック〉の日の越後湯沢の空気感が365日続いている街というところだろうか。ここまでピュアにダンス・ミュージックを愛する人たちが集まって、それを中心にすえて街が形づくられているという文化のありように驚いた。

■“パーティ・アイランド”イビザの新名所〈USHUAIA〉

 イビザには世界的に有名な老舗クラブの〈PACHA(パチャ)〉,泡パーティが開催される〈Amnesia(アムネシア)〉などさまざまなクラブがあるが、チケット売りは俺も行きたくてたまらない! という顔をしながら「いまいちばんイケているのは〈USHUAIA(ウシュアイア)〉だ」と言い切った。
 僕は眉毛がつながったスペイン男子の過剰な真顔に説得力を感じ、〈ウシュアイア〉に行くことにした。のどかな町をバスに揺られ〈ウシュアイア〉があるプラヤ・デン・ボッサというビーチについた。そこは他にも〈SPACE〉など巨大クラブが並んでいる、いわば海に面した円山町のようなクラブ・ストリートである。


目が合った瞬間、強烈なハイタッチをされた

 〈ウシュアイア〉に入ると、そこは未体験の空間であった。クラブというよりはクラブ付ホテルで、ホテルの中庭に巨大なダンス・フロアがあり、それを取り囲むようにDJブースとホテルのベランダがそびえている構造だ。そして足元には大きなプールと、足だけが浸かれる小さなプールがあり、とても涼しい雰囲気に溢れている。ここはバレアリックなパーティ世界に24時間浸りきって楽しむことのできる滞在型のクラブだったのだ。
 クラブにやってきている人々の情熱も素晴らしい。とてもグラマラスなボディにピンクやグリーンの鮮やかな水着を着て、その上に金のネックレスやバングルなどをするというファッションの女性が何人か目につく。これは〈ウシュアイア〉流のパーティ・ファッションなのだろう。彼女らには、とても艶やかではあるがエロティックではない、むしろ人生や若さを最大限楽しみきろうとする健康的なエナジーがほとばしっていた。


車椅子のアイコンも踊っているのが可愛い

 さて、この日は元スウェディッシュ・ハウス・マフィア(Swedish house mafia)として知られるAXWELL Λ INGROSSOによるレギュラー・パーティ〈Departures(デパーチャーズ)〉のオープニング・パーティだった。日本より日が落ちるのがずっと遅いイビザだが、21時ごろになってやっと夕闇が落ちてくると、ステージがレーザーなどさまざまな演出で光り輝きだす。フロアも最高潮になりフロアを囲む客室のベランダでもみんなが踊りまくる! この場所は、ダンスを愛する人々がもっともっと楽しいパーティをしたい! という気持ちに忠実に従ってたどり着いた、ひとつの究極形だと思った。頭上には青空から夕景までの美しいグラデーション、足元には涼しいプール、四方には世界から集まってきたパーティ・ピープルの笑顔という最高のシチュエーションに、僕は心の底からの気持ちよさに酔いしれ、両手を広げて、この瞬間にこの場所にいる幸せに浸りきった。

 イビザ、そこは弾けるようなパーティ感と、とろけるようなチルアウト感、そしてそれをつなぐピュアな音楽への情熱に溢れている。

 次回は、JINTANAが〈カフェ・デル・マー〉に訪れ波と太陽と音が調和した瞬間を味わう編をお届けします。
「JINTANA イビザ紀行~究極のチルアウトを求めて~ 後編」では、JINTANAによるイビザ体験を元にした楽曲も公開予定です。お楽しみに!


P-VINE BOOKSのIBIZAガイドはとても役にたった!

 15年間NYに住んでいるが、今年ほど涼しいNYの夏はない。原稿を書いているのが8月20日だから、これから新たな熱波が来るのかもしれない。しかし、現時点で、野外コンサートに野外映画、ビーチ、BBQ、車で小旅行などしても「夏だー」という感じがない。地下鉄もオフィスも店もホテルも、冷房効き過ぎで、夏でも長袖が手放せないし、先週の今年最後のサマースクリーンは、スカーフをぐるぐる巻いたり、ブランケットを被ったりしている人が多数いた。

 サマー・スクリーンは、 ブルックリンのウィリアムスバーグ/グリーンポイントにある大きな公園、マッカレン・パークで開催される『L・マガジン』主催の野外映画である。過去にも何度もレポートしている

 映画の前には毎回、ショーペーパーがキュレートするバンドが演奏。彼らがピックするこれから来そうなバンドが、見れるので、毎年通っている。と言っても今年見たのは、ショーン・レノンのバンド、ザ・ゴースト・オフ・サバー・トゥース・タイガーだけだった。その他はこちら
 クリネックス・ガール・ワンダーは、インディ・ポップ世代には懐かしいが(90年代後期)、最近はNYポップ・フェストも復活し、エイラーズ・セットのアルバムが再リリースされるなど、インディ・ポップも盛り返している模様。ラットキングは去年も出演していたし、これから来るバンドと言うよりは、彼らの友だちのバンド(20代前半から40代中盤の中堅まで)を安全にブックしているように思えた。

 映画と謳っているが、野外ピクニックを楽しむ感じなので(公園内ではアルコールもOK)、映画自体は重要でないかもしれないが「あれ、この映画去年もやってなかった?」と言う回が何度かあった。

 ライセンスの問題なのかネタ切れなのか、オーディエンスは毎年変わっているからよいのか、などと思い何回か通った後、最後の回の盛り上がりが凄かった。毎年最後の週の映画はオーディエンスが投票で選ぶのだが、今年はスパイス・ガールズの映画『スパイス・ワールド』が選ばれた。いつもは映画がはじまってもおしゃべりが止まらない観客が、この映画がはじまると、「ひゅー!!! わー!!!」と言う大歓声。ただでさえ、映画の音が、後ろから前から横から立体的に聞こえるのだが、歌がはじまるともっとすごい。さらに3D、と思っていたら、なんとオーディエンスが一緒に歌っているのである、しかも大合唱。さらに映画のクライマックス、スパイス・ガールズがステージに駆けつけ、いざ、曲がはじまるシーンでは、座っていたオーディエンスが立って、歌いながら踊りはじめた! 先週、先々週見た映画『ヘザーズ』や『ビッグリボウスキー』でも、クライマックスや決めのシーンではヤジが飛んでいたが、実際に立って踊りだしたのは、サマースクリーン史上(著者の記憶では)この映画が初めて。映画の前にプレイしたバンド(今回は、ガーディアン・エイリアンのアレックスのソロ・プロジェクトのアース・イーターとDJドッグ・ディックと言うインディ通好み!)よりも何倍も盛り上がっていた。恐るべきスパイス・ガールズ世代。映画の前にはスパイス・ガールズ・コスチューム・コンテストまで行う気合の入れよう。オーガナイザーも観客も、スパイス・ガールズを聞いて育った世代なのね。


photos by Amanda Hatfield

 野外ライヴと言えば、前回レポートしたダム・ダム・ガールズと同じ場所、プロスペクト・パークで行われたセレブレイト・ブルックリンで、今年最後のショーを見た。最後を飾ったのは、アニー・クラークのプロジェクト、セント・ヴィンセント。元イーノンのトーコさんがバンドに参加しているということもあり、期待して見に行った。
https://www.brooklynvegan.com/archives/2014/08/st_vincent_clos.html

 公園内では、家族でBBQしている人や、ピクニックしている人などたくさんいるが、それを横目に見ながら、目的地のバンド・シェルへ(いつも通り)。最後ということと、天気が良かったこともあり、バンドシェル内はあっという間に人数制限超え。このショーにお昼の12時から並んでいる人もいたとか(ドア・オープンが6時のフリーショー)。非常口の柵に集まりぎゅうぎゅうになってみる人、公園の周りを走る一般道路からバンドを見る人など、シェルに入れない人続出。なかには見るのを諦め、道路に勝手にブランケットを引いて飲み会を始める輩もいた。

 ライヴは、ピンク色の3段の階段をステージのセンターに配置し、シルバーヘアに、白のトップに黒のタイト・ミニスカートにハイヒールのアニーと、バンドメンバー(キーボード2人とドラム)の合計4人。10センチはあると思われるハイヒールで飄々とステージを練り歩き、階段の上に登ってそこでプレイしたり、バンドメンバーと絡み、ヘビーメタル・ギターテク、ギクシャク動くロボテック・ダンスをみると、魂を乗っ取られた(もしくは乗っ取った)妖精に見えてくる。ダムダム・ガールズが感情を剥き出しにする「痛さ」だったら、セント・ヴィンセントは「超絶」だ。が、その仮面の下の本性はまだ見えない。人工的で、妖艶で何にでも化けそう。パフォーマンス は有無も言わさず圧倒的に素晴らしく、曲が終わる度に「オー!!!」と感嘆の嵐、思わず拍手せずにはいられない。新曲中心に、新旧ミックスしたセットで、アンコールにも悠々と答え、轟ギター・ノイズで最後を飾った後、時計を見ると10:28 pm。最終音出し時間10:30pmのところ、完璧主義でもこれは凄くない?

この日のセットリストは以下:
 Rattlesnake
 Digital Witness
 Cruel
 Marrow
 Every Tear Disappears
 I Prefer Your Love
 Actor Out Of Work
 Surgeon
 Cheerleader
 Prince Johnny
 Birth In Reverse
 Regret
 Huey Newton
 Bring Me Your Loves

 Strange Mercy
 Year Of The Tiger
 Your Lips Are Red




photos by Amanda Hatfield

 テクニックといいパフォーマンスといい、彼女の才能は際立っている。 「ソロアーティストの良いところは、いろんなミュージシャンとコラボレートできること」と言う彼女は、2012年にデヴィッド・バーンとの共演作品『ラブ・ディス・ジャイアント』をリリースし、ニルバーナが表彰されたロックン・ロール・ホール・オブ・フェイムでは、ジョーン・ジェット、キム・ゴードン、ロードらと一緒にヴォーカルを取り、セレブレイト・ブルックリンでプレイした次の週では、ポートランディアでお馴染みのフレッド・アーミセン率いる、レイト・ナイト・ウィズ・セス・メイヤーズのTVショーのハウス・バンド、8Gバンドでリーダーも務めるなど、さまざまなミュージシャンと積極的に共演している。

 最近このコラムは、女性ミュージシャンのレヴューが多いが、ブルックリンではTHE MEN,、HONEY、THE JOHNNYなど男性(混合)バンドも、新しくて面白いバンドがたくさんいる。彼らも機会があれば紹介していくつもりだ。

8/20/2014
Yoko Sawai

 70年代生まれの私たちにとって、女子小学生の遊びといえば、リカちゃん人形をはじめとする着せ替え人形が定番でした。しかし現代の女児たちは、着せ替え遊びにあまり関心がなさそうです。長女が4~5歳の頃に夫からリカちゃん人形を買い与えられたとき、高いドレスをねだられないようにあわてて古着をリメイクしてリアルクローズな人形服をこしらえ、今後のリクエストに応えるべく裁縫材料を購入したものです。しかし彼女がリカちゃんで遊んだのはほんの一時期。落書きされた哀れなリカちゃんは、ビニールケースの中に無造作に突っ込まれたままです。

「もう着せ替え人形では遊ばないの?」
「友だち誰も遊んでないしー。みんな『アイカツ!』とかゲームとかのほうが好きだしー」

 たしかに娯楽が山ほどある現代において、服を着せたり脱がせたりするだけの遊びは退屈にちがいありません。というか、自分自身もなんでそんな退屈な作業をしていたのか、よくわからなくなってきました。狭い家で地味なお下がりを着るしかなかった当時の庶民女児の一人として、リカちゃんになにがしかの夢を託していたのでしょうか。一方、リカちゃんのドレスとさして変わらない値段でひらひらワンピースを買ってもらえるファストファッション時代の現代女児は、わざわざ着せ替え人形で夢を見る必要はなさそうです。事実、リカちゃん人形の売上は、ピーク時に比べて半分以下に下がっていると聞きました(ITmediaニュース)。

 そんな我が家に、なぜかやってきたのが、「起業家バービー」と「大統領バービー」。


左が「起業家バービー」、右が「大統領バービー」

私が「仕事つらい……」と愚痴っていたら、夫が「起業すれば?」と誕生日プレゼントとして注文してくれたのです。

  「起業家バービー(Entrepreneur Barbie)」は、今年6月にマテル社から発売された、バービーがいろいろな職業に挑戦する「Barbie I Can Be…」シリーズの最新作。髪色と肌の色が異なる4種類のラインナップで、アクセサリー小物はスマホにタブレット端末、ブリーフケースと、「おうちサロン」レベルではなさそうな本格的なキャリアウーマン風です。

 「Barbie I Can Be…」シリーズではこのほか、コンピュータ・エンジニア、歯科医、獣医、パイロット、ライフガード、レーサー、サッカー選手、スキー選手、女子アナ、北極レスキュー隊などに扮したバービーが発売されています。「大統領バービー」(U.S.A. President Barbie)もその一つ。ガチャピンにひけをとらないチャレンジぶりですが、同シリーズに限らずバービーの職業人としての歴史は意外にも長く、1960年代の時点で宇宙飛行士、会社役員、地理教師に、1970年代にはダウンヒル・スキーヤー、外科医にもなっています。フェミニズムがカルト思想扱いされている日本に住んでいる身からすると、うらやましいほどのポリティカルコレクトネス。

 そんなバービーですが、本国ではときに厳しいバッシングにさらされてきたのも事実。いわく、バービーで遊んでいた少女ほど、自分の身体イメージに自信が持てず、小学生の頃からダイエットに励む傾向にある。人種偏見を助長する。ジェンダーに対する固定的なイメージを植え付ける。「ご心配なくお母さんお父さん。バービーで遊んでもあなたの娘さんは拒食症になったり人種差別をしたり生涯年収が減ったりはしませんよ」──そんな保護者へのメッセージが、起業家バービーには込められていそうです。起業家バービーの発売に合わせて、公式サイトで実在の女性起業家10名をフィーチャーするBarbie Celebrates Women Entrepreneurs特設ページを設けているのも、フェミニズムを標準装備している保護者へのアピールの一つなのでしょう。またバービーオフィシャルのTumblr「THE BARBIE PROJECT」でも、少女手作りのバービーハウスやお手製メキシコ民族風衣装などのクリエイティヴな遊びの数々が紹介され、娘の知的発達を阻害したくない親心をくすぐってくれます。

 ところが、今年3月にオレゴン州立大学の研究者らが発表した調査は、こうした試みに水を差すようなものでした。バービーで遊ぶ女の子は、男の子よりも将来の職業の選択肢を少なくとらえており、それは従来のバービーで遊ぶ子もお医者さんバービーで遊ぶ子も変わらなかったそうです。職業の選択肢の数が男の子と変わらなかった女の子は、『トイ・ストーリー』のミセス・ポテトヘッドで遊んでいたグループだけ。


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ジェンダーフリーを推進する
じゃがいも「ミセス・ポテトヘッド」

 女子がセクシーであるべしという価値観を内面化してしまうと、必然的に職業の選択肢が減ってしまうということなのでしょうか。ごつくなったり忙しすぎて髭が生えそうな仕事は避けたいでしょうし……。それでも、建前ではあってもコンピュータ・エンジニアが女の子の職業として提示される環境は、率直に言ってうらやましいなと感じています。私は子どもの頃プログラミングや数学が大好きでしたが、女の自分がそれらを活かした道に進めるなんて夢にも思いませんでした。ロールモデルの代わりに与えられたのは、「女がそんなことに興味を持っても何にもならないのに」という、やはり性別ゆえに大学進学を諦めざるをえなかった母親の複雑そうな顔だけ。大人になってみて、女向けとされる仕事は若さや容姿が必須でキャリアを積みづらい職も少なくないことを実感しました。このことが男女間の格差を生んでいる一因であるようにも思われます。ロールモデル、超重要。

 ともあれ、バービーを一目見た長女は、執拗にねだりはじめました。

「リカちゃんでぜんぜん遊んでないじゃない。バービーならいいの?」
「バービーは背が高くてかっこいいからいいの。化粧が濃いのはちょっとイヤだけど。リカちゃんは……かわいい系かな」
「ピンクはもう嫌いになったって言ってなかったっけ。この人たち、どピンクですけど」
「(パステル)ピンクは子どもっぽいもん。でもこのピンクはかっこいいと思う」

 そういえばバービーたちのチェリーピンク×黒の取り合わせ、長女の最近のファッションに似ています。黒ジャージ下にチェリーピンクのトップスという、私からすると不思議なコーディネートは、「強そう」という理由でお気に入りらしい。

 彼女は2体のバービーを両手に持ち、着せ替えはせず(そもそも着替えは付いていないのですが)それぞれの声をアテレコしてごっこ遊びをはじめました。完全に起業家と大統領になりきっています。すごい、ロールモデルになっている。私は子どもの頃、リカちゃんをロールモデルとしてとらえたことはありませんでした。正直、どんな人なのかすらよくわかっていなかったのです。しかしリカちゃんだって時代に合わせた展開をしているはず。調べてみると……


リカちゃん
おしゃべりスマートハウス
ゆったりさん

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 リカちゃんハウスがスマートハウスになっていました。そっち方面に進化していたのか。小物類も、洗濯乾燥機、ルンバ風のロボット掃除機、電動自動車と、最新家電事情を反映しています。しかしこれ、女児は喜ぶのでしょうか。電動自転車で双子の送り迎えもラクラク! 太陽光発電なら電気代もオトクだし、洗濯乾燥機とルンバがあれば夫が非協力的でもどうにかなるワ~って、それ家事育児と仕事を一人で担うお母さんの願望なのでは? よくよくスマートハウスの商品写真を見てみると、台所でお菓子作りをしているお母さん&リカちゃんに、ダイニング・テーブルで新聞を読んでいるお父さんと、家は最新型でもジェンダー観は昭和のままです。写真まんがでは、リカちゃんのドジっ子ぶりも昭和風。あらたにおともだちに加わったキャラの将来の夢は、「ヘアスタイリスト」「トップモデル」「アイドル」「トリマー」「へアメイクアップアーティスト」と、ファッション系で占められています。夢に何を選ぼうが自由とはいえ、偏りすぎというか、リアル女児の夢ももう少しばらけているように思います。これでは起業家リカちゃんや大統領リカちゃんはもちろん、SEリカちゃんも地方議員リカちゃんも生まれそうにありません。家電をきわめてカツマーリカちゃんになれば、意識高いバービー勢に対抗できるかもしれませんが……。

 とはいえ、かの小保方さんがなぜあの論文とあのノートであの地位まで上り詰めたのか、と考えたときに、6歳児ですら嫌がるパステルピンクを積極的に取り入れ、昭和のドジっ子のような実験ノートの取り方をし、理詰めではなくうるうるの瞳で訴えるといった「リカちゃん好きの女児のまま大人になった感」が、大きく介在しているであろうことを思わずにはいられないのです。エライおじさんたちの判断力を奪うほどのピュアな女児力(プリンセス細胞!)。科学の世界だから問題になっただけで、文化系業界や実業界ならあのまま成功し続けただろう、とも感じます。日本の女の子が好きな道で成功するには、リカちゃんをロールモデルにするのが結果正解なのかも。そんなことをぐるぐる考えていたら、ごっこ遊び継続中の娘からこんな声が。

「私ね、29歳で大統領って言ったけど……あれはウソなの」
「実は私も、社長じゃないの」

 虚言癖バービーになっていました。まあそうですよね。身の回りに女性社長も、女性大統領もいないもの。『OECDジェンダー白書――今こそ男女格差解消に向けた取り組みを!』によれば、日本は子育てをしながら働く女性の、男性との給与格差が先進国で最大(男性の39%)なのだそうです。残業ができないために出産前までの職種に戻ることが難しく、パートタイム派遣に就いている私も、格差を構成する母たちの一人。そんな日本の母たちの姿を見ている女児が、人形だけでアメリカンドリームを抱けるはずもなく。やっぱり自分が起業するしかない……のかも。

interview with Ike Yard - ele-king

ダーク・アンビエントがもっとも盛んなのは、これといった特定の場所というよりも、おそらく僕たちの脳内だ。「ダークネスに対する大衆の欲望を甘く見るな」という台詞は、2012年のUKで話題になった。

 アイク・ヤードは、今日のゴシック/インダストリアル・リヴァイヴァルにおいて、人気レーベルの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉あたりを中心に再評価されているベテラン、NYを拠点とするステュワート・アーガブライトのプロジェクトで、彼は他にもヒップホップ・プロジェクトのデスコメット・クルー、ダーク・アンビエント/インダストリアルのブラック・レイン、退廃的なシンセポップのドミナトリックス……などでの活動でも知られている。ちなみにデスコメット・クルーにはアフロ・フューチャリズムの先駆者、故ラメルジーも関わっていた。

 アイク・ヤードの復活はタイミングも良かった。ブリアルとコード9という、コンセプト的にも音響的にも今日のゴシック/インダストリアル・リヴァイヴァルないしはウィッチ・ハウスにもインスピレーションを与えたUKダブステップからの暗黒郷の使者が、『ピッチフォーク』がべた褒めしたお陰だろうか、ジャンルを越えた幅広いシーンで注目を集めた時期と重なった。世代的にも若い頃は(日本でいうサンリオ文庫世代)、J.G.バラードやフィリップ・K・ディック、ウィリアム・S・バロウズらの小説から影響を受けているアイク・ヤードにとって、時代は巡ってきたのである。


Ike Yard
Remixed [ボーナストラック4曲(DLコード)付き]

melting bot / Desire Records

IndustrialMinimalTechnoNoiseExperimental

Amazon iTunes

 先日リリースされた『Remixed』は、この1〜2年で、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から12インチとして発表されたリミックス・ヴァージョンを中心に収録したもので、リミキサー陣にはいま旬な人たちばかりがいる──テクノの側からも大々的に再評価されているレジス(Regis)、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からはトロピック・オブ・キャンサー、〈トライアングル〉とヤング・エコーを往復するヴェッセル……、インダストリアル・ミニマルのパウェル、〈ヘッスル・オーディオ〉のバンドシェル、フレンチ・ダーク・エレクトロのアルノー・レボティーニ(ブラック・ストロボ)も参加。さらに日本盤では、コールド・ネーム、ジェシー・ルインズ、hanaliなど、日本人プロデューサーのリミックスがダウンロードできるカードが付いている。
 
 7月18日から3日間にわたって新潟県マウンテンパーク津南にて繰り広げられる野外フェスティヴァル「rural 2014」にて来日ライヴを披露するアイク・ヤードが話してくれた。

初めてレイム(Raime)を聴いて好きになったときに〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉に音源を送った。すぐに仲良くなって2010年にロンドンで会ったよ。実はまだいろいろリリースのプランがあって、いま進んでいるところだ。

80年代初頭のポストパンク時代に活動をしていたアイク・ヤードが、2010年『Nord』で復活した理由を教えてください。

ステュワート・アーガブライト:2010年の『Nord』は、2006年の再発『コレクション!1980-82 』からの自然な流れで、またやれるんじゃないかと思って再結成した。アイク・ヤードは2003年と2004年にあったデスコメット・クルーの再発と再結成に続いたカタチだ。
 両方に言えることだけど、再結成してどうなるかはまったくわからなかったし、再結成すること自体がまったく予想していなかった。幸運にもまた連絡を取り合ってこうやって作品を作れているし、やるたびにどんどん良くなっているよ。

『Nord』が出てからというもの、アイク・ヤード的なものへの共感はますます顕在化しています。昨今では、ディストピアをコンセプトにするエレクトロニック・ミュージックはさらに広がって、アイク・ヤードが本格的に再評価されました。

SA:そうだね。アイク・ヤードのサウンドは世代をまたいで広がり続けている。いま聴いてもユニークだし、グループとしての音の相互作用、サンプルなしの完全なライヴもできる。1982年には4つのシンセサイザーからひとつに絞った。再結成したときはコンピュータ、デジタルとアナログ機材を組み合わせた。『Nord』は再結成後の最初の1年をかけて作ったんだけど、ミックスでは日本での旅やヨーロッパで受けたインスピレーションが反映されている。

ブラック・レイン名義の作品も2年ほど前に〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から再発されました。

SA:初めてレイム(Raime)を聴いて好きになったときに〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉に音源を送った。すぐに仲良くなって2010年にロンドンで会ったよ。実はまだいろいろリリースのプランがあって、いま進んでいるところだ。

今回の『Remixed』は、〈Desire Records〉と〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉との共同リリースになっていますが、このアイデアも〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からだったのでしょうか?

SA:レジス(Regis)のエディットが入っている最初のEP「Regis / Monoton Versions 」は〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉との共同リリースで、その後は〈Desire Records〉からだ。
 レジスとの作業は完璧でお互い上手く意見を出し合えた。スタジオを一晩借りて、そこにカール(・レジス)が来て、ずっと遊んでいるような感じだった。3枚のEPにあるリミックス・ヴァージョンを1枚にするのは、とても意味があったと思う。他のリミックスも良かった。新しい発見がたくさんあった。レジスが"Loss"をリマスターしたときは、新しいリミックスかと思うくらい、まったく違った響きがあったよ。
 2012年のブラック・レインでの初めてのヨーロッパ・ツアーは、スイスのルツェルンでレイム、ベルリンでダルハウス、ロンドンでの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉のショーケースはレイム、レジス、プルーリエントのドム、ラッセル・ハスウェル、トーマス・コナー、ブラック・レインと勢揃いの最高のナイトだった。

ちなみに、2006年には、あなたは〈ソウル・ジャズ〉の『New York Noise Vol.3』の編集を担当していますよね。

SA:〈ソウル・ジャズ〉は素晴らしいレーベルだ。ニューヨーカーとしてあの仕事はとても意味があった。まずは欲しいトラックのリストを上げて、何曲かは難しかったから他を探したり、もっと面白くなうように工夫した。ボリス・ポリスバンドを探していたら、ブラック・レインのオリジナル・メンバーがいたホールの向かいに住んでいたことがわかったが、そのときはすでに亡くなっていた。あのコンピの選曲は、当時の幅広いニューヨーク・サウンドをリスナーに提示している。

UKのダブステップのDJ/プロデューサーのコード9は、かつて、「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」と言ってましたが、ご存じでしたか?

SA:もちろん。コード9はニューヨークの東南にある小さなクラブに彼のショーを見に行ったときにコンタクトをとった。そのときにいろいろやりとりしたんだが、彼の発言は、どこかで「アイク・ヤードは20年前にダブステップをやっていた」から「アイク・ヤードは最初のダブステップ・バンド」に変わっていた。『Öst』のEPの引用はそうなっている。自分としては、当時の4人のグループがダブステップ的なライヴをできたんじゃないかってことで彼の言葉を解釈してる。

コード9やブリアルを聴いた感想を教えてください。

SA:ふたつとも好きだ。とくにコード9 & スペース・エイプの最初のリリースが気に入っている。最初のブリアルに関しては、聴き逃すは難しいんじゃないかな。ものすごくバズっていたからね。

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レジスはタフだ。彼はまた上昇している。ニーチェが呼ぶ「超人」のように働いている。自分は、テクノと密接な関係にある。やっている音楽はミニマル・ミュージックでもある。

ダブステップ以降のアンダーグラウンドの動きと、あなたはどのようにして接触を持ったのですか?

SA:アイク・ヤードのリミックスが出たときに、シーンからフレッシュなサウンドとして受け取ってもらえたことが大きい。あと、ここ数年のインダストリアル・テクノ・リヴァイヴァルと偶然にも繋がった。僕たちのほかとは違った音、リズム、ビートが面白かったんだろう。

ヴェッセルも作品を出している〈トライアングル〉、ないしは〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉など、新世代のどんなところにあなたは共感を覚えますか?

SA:新しいリリースはチェックしている。いま誰が面白いのかもね。彼らは知っているし、彼らのやっていることをリスペクトしてる。エヴィアン・クライストを出している〈トライアングル〉のロビンから連絡が来て、レッドブル・アカデミーのスタジオでエヴィアンと1日中セッションしたこともある。
 〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉はブラック・レインの『Dark Pool』のリリース後にとても仲良くなった。パウェルはブラック・レインの最初のライヴで一緒になって友だちになった。トーマス・コナーとファクションもいた。〈RVNG Intl.〉のマットのリリース『FRKWYS』の第5弾にもコラボレーションで参加したよ。

『Remixed』のリミキサーの選定はあなたがやったのですか? 

SA:だいたいの部分は僕がやったね。リミックスのアイデアは〈Desire Records〉と企画して、好きなアーティストを並べて決めた。

リミキサーのメンツは、みな顔見知りなのですか?

SA:ほとんど会ったことがある。ない人はEメールでやりとりしている。日本のリミキサー陣はまだ話したことはない。あとイントラ・ムロスとレボティ二。ブラック・ストロボはとても好きだ。2003年のDJヘルの再発で、ドミナトリックス(Dominatrix)の「The Dominatrix Sleeps Tonight」では本当に良いリミックスをしてくれた。

レジスやパウェル、アルノー・レボティーニ(ブラック・ストロボ)のような……、クラブ・カルチャーから来ている音楽のどんなところが好きですか?

SA:時間があるときはできるだけ多くのアーティストを聴くようにしている。クラブの世界は、いま起きている新しいことがアーティストやDJのあいだで回転しているんだ。実際、同じように聴こえるものばかりだし、面白いと思えるモノはたいしてないんだが……。そう考えると、次々と押し寄せる流行の波のなかで生き抜いているレジスはタフだ。彼はまた上昇している。ニーチェが呼ぶ「超人」のように働いている。
 僕は、テクノと密接な関係にある。やっている音楽はミニマル・ミュージックでもある。他のアーティストを見つけるのも、コラボレーションするのも楽しい。新曲でヴォーカルを何曲か録って、アイク・ヤードのマイケルと僕とでザ・セイタン・クリエーチャーと“Sparkle"を共作した。そのときのサミュエル・ケリッジのリミックスはキラーだよ。〈Styles Upon Styles〉からリリースされている。音楽もビートもすごいと思ったから、JBLAのEPもリリースした。自分まわりの友だちと2012年にブリュッセルでジャムして作ったやつで(〈Desire Records〉から現在リリース)、〈L.I.E.S.〉のボス、ロン・モアリとスヴェンガリーゴーストとベーカーのリミックスもある! 最後に収録されているオルファン・スウォーズとのコラボでは、彼らが曲を作って僕が詞を書いた。クラブ・ミュージックと完全に呼べるものは、来年には発表できると思うよ。

とくに印象に残っているギグについて教えてください。

SA:6月にグローバル・ビーツ・フェスティヴァルで見たDrakha Brakha (ウクライナ語で「押す引く」)は良すぎるくらい良かった。キエフのアーティストで、エスノなヴォーカルやヴァイブレーション、オーガニックなサウンド、チェロ、パーカッションが入っている。彼らは自分たちの音楽を「エスノ・カオス」と呼んでいた。
 毎年夏に都市型のフリー・フェスティヴァルがあるが、自分にとってはとても良い経験だ。いつでも発見がある。レジス、ファクトリー・フロア、ヴェッセル、スヴェンガリーゴースト、シャドーラスト、ピート・スワンソン、ヴェロニカ・ヴァシカ……なんかとのクラブ・ナイトを僕もやりたい。

ダーク・アンビエント、インダストリアル・サウンドがもっとも盛り上がっている都市はどこでしょう?

SA:ダーク・アンビエントは、これまでにも多くの秀作がある。アイク・ヤードの4人目のメンバーでもあるフレッド(アイク・ヤードのリミックスEP第2弾でもレコンビナントとして参加)の曲は素晴らしく、『Strom Of Drone』というコンピレーションに収録されいたと思う。
 ドリフトしているドローンが好きだ。たとえば、アトム・ハートの、『Cool Memories』に収録されている曲、トーマス・コナーの『Gobi』と『Nunatak』、プルーリエント、シェイプド・ノイズ、クセナキス、大田高充の作品には深い味わいがある。
 ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』に触発されたブラック・レインの『Night City Tokyo』(1994)は、自分たちがイメージする浮遊した世界観をより正確に鮮明に描いていると思う。つまり、ダーク・アンビエントがもっとも盛んなのは、これといった特定の場所というよりも、おそらく僕たちの脳内だ。「ダークネスに対する大衆の欲望を甘く見るな」という台詞は、2012年のUKで話題になった。

東欧には行かれましたか? 

SA:おそらく東ヨーロッパは次のアルバムのタイミングで回るだろう。母親がウクライナのカルパティア人なんだ。コサックがあったところだ。で、僕の父親はドイツ人。母親方が石炭採鉱のファミリーで、ウェスト・ヴァージニアにいて、沿岸部に移り住んでいった。ウクライナ、キエフ、プラハ、ブタペスト、イスタンブールは是非行ってみたい。

日本流通盤には、コールド・ネーム、ジェシー・ルインズ、hanaliなど、日本人プロデューサーのリミックスがダウンロードできます。とくにあなたが気に入ったのは誰のリミックスですか?

SA:コールド・ネームしかまだ聴けてないけど、とても気にっている。

こう何10年もあなたがディストピア・コンセプトにこだわっている理由はなんでしょう?

SA:「ダーク」と考えらている事象を掘り下げるなら、あの頃はストリートが「ダーク」だったかもしれない。1978年のニューヨークは人種問題で荒れていた。その影響もあってダークだったと言えるけど、実際はそんなにダークではなかった。
 1981年にアイク・ヤードのメンバーに「もし電源が落ちて真っ暗になっても、僕たちはそこでも演奏し続ける方法を見つけよう」と伝えた。そのとき得た回答は、自分がロマンティックになることだった。
 自分たちには陰陽がある。暗闇の光を常に持っている。もっともダークだったストリートにおけるそのセンスは、やがて世渡り上手でいるための有効な手段となった。僕は、近未来のディストピアのなかで前向きに生きることを夢見ていなたわけではなかった。シド・ミードは、未来とは、1984年までの『時計仕掛けのオレンジ』、『ブレードランナー』、『エイリアン』、『ターミネーター』と同じように、世界をエンタテイメント化していると認識していた。
 ジョージ・ブッシュの政権に突入したとき、どのように彼がイラク戦争をはじめるか、その口実にアメリカの関心は高まった。彼の親父はサダム・フセインからの脅しを受けていた。が、当時のディストピアは、時代に反応したものではなかった。ヒストリー・チャンネルは『ザ・ダーク・エイジ』や『バーバリアンズ』といったシリーズをはじめたが、母親のウクライナと父親のドイツの血が入っている僕にとって、自分たちがバーバリアンであると信じていた。バーバリアンから来ているオリジナルのゴスに関して言えば、僕にドイツ人の血が流れているか定かではないけど、ドイツにいるときその何かを感じたことはある。自然環境、場所、そしてミステリーの狭間でね。
 2005年から2009年にかけてのディストピアについても言おう。ブラック・レインのベーシストのボーンズと再結成前のスワンズのノーマン・ウェストバーグは、ペイガニズム、アミニズム、ブーディカといったイングランド教、ドルイド教、その他クリスチャンにさせようとするすべての勢力に反した歌詞を根幹とした。新しい「ローマ」がどこで、それが誰であるかを見つけなければならない。そしてそれがいつ崩壊するのかも。

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1981年にアイク・ヤードのメンバーに「もしも電源が落ちて真っ暗になっても、僕たちはそこでも演奏し続ける方法を見つけよう」と伝えた。そのとき得た回答は、自分がロマンティックになることだった。

80年代初頭、あなたはニューヨークとベルリンを往復しましたが、あれから30年後の現在、ニューヨークとベルリンはどのように変わったのでしょうか?

SA:83年の春にベルリンに来たとき、デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノによる『ロウ』や『ヒーローズ』の匂いが漂っていた。その2枚は自分にとってとてつもない大きな作品だったから、ワクワクしていたものさ。
 アイク・ヤードのその当時の友だちはマラリア!で、彼女たちは78年に自分が組んだザ・フュータンツのメンバー、マーティン・フィッシャーの友だちでもあった。マラリア!とは、リエゾン・ダンジェルーズ (ベアテ・バルテルはマラリア!の古き友人)と一緒に79年にニューヨークに来たときに出会ったんだ。
 クロイツベルクではリエゾン・ダンジェルーズのクリスロ・ハースのスタジオで何週間か泊まったこともあったよ。まだ彼が使っていたオーバーハイムのシンセサイザーは自分のラックに残っている。
 当時のベルリンは、ブリクサとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンが全盛期でね。初めて行ったときは幸運にも友だちがいろいろ案内してくれた。マラリア!のスーザン・クーンケがドレスデン・ストリートにあるスタジオで泊まらせてくれたり、ある日みんなで泳ぎに出かけようてなったときにイギー・ポップの彼女、エスターがすぐ上に住んでいることがわかったり……。78年から89年のナイト・クラビングは日記として出したいくらい良いストーリーがたくさんある。 そのときの古き良き西ベルリンは好きだった。いまのベルリンも好きだけどね。 83年以来、何回かニューヨークとベルリンを行き来してる。アイク・ヤードは8月25日にベルリンのコントートでライヴの予定があるよ。
 ニューヨークももちろん変わった。人生において80年代初期の「超」と言える文化的な爆発の一端は、いまでも人種問題に大きな跡を残してる。いまでも面白いやつらが来たり出たりしてるし、これまでもそうだった。女性はとくにすごい……まあ、これもいつだってそうか。音楽もどんどん目まぐるしく展開されて前に進む。
 〈L.I.E.S.〉をやっているロン・モアリは、近所のレコード屋によくいた。リチャード・ヘルとは向かいの14番地の道ばたで偶然会ったりする。
 しかし、ときが経つと、近所に誰がいるとか、状況がわからなくなってくるものだ。友だちも引っ越したり、家族を持ったりする。僕はイースト・ヴィレッジの北部にあるナイスなアパートに住んでいる。隔離されていて、とても静かだから仕事がしやすい。2012年のツアーではヨーロッパの20都市くらい回って、そのときはいろんな場所に住んだり、仕事もしてるが、ニューヨークがずっと僕の拠点だ。

最近のあなたにインスピレーションを与えた小説、映画などがあったら教えてください。

SA:以前も話したけど、僕のルーツは、J.G.バラード、P.K.ディック、ウィリアム・ギブソンだ。ワシントンDC郊外の高校に在籍していた多感な少年時代には、ウィリアム・バロウズの影響も大きかった。あとスタンリー・キューブリックだな。ドミナトリックスをやっていた頃の話だけど、1984年にワーナーにで会ったルビー・メリヤに「ソルジャー役で映画に出てみないか」と誘われたことがあった。フューチャリスティックな映画だったら良かったが、現代の戦争映画で自分が役を演じているという姿が想像つかなかった。が、しかし、その後、彼女は『フルメタル・ジャケット』のキャスティングをしていたってことがわかった(笑)。
 日本の映画では怪談モノが好きだし、黒澤明、今村昌平、若松孝二、鉄男、石井岳龍、森本晃司、大友克洋、アキラ、ネオ・トーキョー、川尻善昭『走る男』……なんかも好きだ。いまはK.W.ジーターとパオロ・バチガルピが気に入っている。
 ブラック・レインのアルバムでは、ふたつのサイエンス・フィクションが元になっていて、K.W.ジーター(P.K.ディックの弟子で、スター・トレックも含む多くの続編小説を生んだ作家)の『ブレード・ランナー2 :エッジ・オブ・ヒューマン』(1996)の小説。もうひとつはパオロ・バチガルピの『ザ・ウィンド・アップ・ガール』(2010)からのエミコの世界に出て来る新人類。
 いまちょうど著者のエヴァン・カルダー・ウィリアムスと、「今」を多次元のリアリティと様々な渦巻く陰謀を論じる新しい本と音楽のプロジェクトを書いている。
 もうひとつの本も進行中で、2000年頃から10年以上かけてロンドンのカルチャー・サイト、ディセンサスを取り入れてる。このスタイルの情報に基づいた書き方は、イニス・モード(意味を探さしたり、断定しないで大まかにスキャニングする)とジョン・ブラナー(『Stand On Zanzibar』、『Shockwave Rider』、『The Sheep Look Up』)に呼ばれている。ブラナーの『Stand On...』は、とくにウィリアム・ギブソンに影響を与えているようにも見えるね。

アイク・ヤードないしはあなた自身の今後の活動について話してください。

SA:早くアイク・ヤードの新しいEPを終わらせたい。新しい4曲はいまの自分たちを表している。そしてアルバムを終わらせること。『Nord』以降はメンバーが離ればなれで、みんな忙しいからなかなか進まなかった。
 次のアルバムは『Rejoy』と呼んでいる。日本の広告、日本語、英語を混ぜ合わせた言語で、アイク・ヤードにとっての新境地だ。ある楽曲では過去に作った歌詞も使われている。ケニーや僕のヴォーカルだけではなく、いろんなヴォーカルとも作業してる。アイク・ヤードのモードを変えてくれるかもしれない。
 また、新しいアルバムでは、ふたりの女性ヴォーカルがいる。日本のライヴの後、3人目ともレコーディングをする。そのなかのひとりは、エリカ・ベレという92年のブードゥー・プロジェクトで一緒になった人だ(日本ではヴィデオ・ドラッグ・シリーズの一部『ヴィデオ・ブードゥー』として知られている)。エリカは、昔はマドンナとも共演しているし、元々はダンサーだった。最初のリハーサルはマイケル・ギラ (スワンズ)と一緒でビックリしたね。
 新しいアルバムができた後は(EPは上手くいけば今年の終わりに〈Desire Records〉から、アルバムは来年以降)、「Night After Night」の再発にリミックスを付けて出そうかと思っている。ライヴ・アルバムもやりたい。
 あとは初期のブラック・レイン、ドミナトリックス、デスコメット・クルーのリリースも考えたい。サウンドトラックのコンピレーションも出るかもしれない。新しいテクノロジーを使いながら、新しいバンドも次のイヴェント、ホリゾンでやろうかとも思ってる。いまは何よりも日本でのライヴが楽しみだ。


※野外フェスティヴァル「rural 2014」にてアイク・ヤード、待望の初来日ライヴ! (レジスも同時出演!)

■rural 2014

7月19日(土)午前10時開場/正午開演
7月21日(月・祝日)正午終演/午後3時閉場 [2泊3日]
※7月18日(金)午後9時開場/午後10時開演 から前夜祭開催(入場料 2,000円 別途必要)

【会場】
マウンテンパーク津南(住所:新潟県津南町上郷上田甲1745-1)
https://www.manpaku.com/page_tour/index.html

【料金】
前売 3日通し券 12,000円
*販売期間:2014年5月16日(金)〜7月18日(金)
*オンライン販売:clubberia / Resident Advisor / disk union 及び rural website ( https://www.rural-jp.com/tickets/
*店頭販売:disk union(渋谷/新宿/下北沢/町田/吉祥寺/柏/千葉)/ テクニーク
*規定枚数に達しましたら当日券(15,000円)の販売はございません。

駐車料金(1台)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。

テント料金(1張)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。タープにもテント代金が必要になります。

前夜祭入場料(1人)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。前夜祭だけのご参加はできません。



【出演】
〈OPEN AIR STAGE〉
Abdulla Rashim(Prologue/Northern Electronics/ARR) [LIVE]
AOKI takamasa(Raster-Noton/op.disc) [LIVE]
Benjamin Fehr(catenaccio records) [DJ]
Black Rain(ブラッケスト・エヴァー・ブラック) [LIVE]
Claudio PRC(Prologue) [DJ]
DJ NOBU(Future Terror/Bitta) [DJ]
DJ Skirt(Horizontal Ground/Semantica) [DJ]
Gonno(WC/Merkur/International Feel) [DJ]
Hubble(Sleep is commercial/Archipel) [LIVE]
Ike Yard(Desire) [LIVE]
Plaster(Stroboscopic Artefacts/Touchin'Bass/Kvitnu) [LIVE&DJ]
Positive Centre (Our Circula Sound) [LIVE]
REGIS(Downwards/Jealous God) [LIVE]
Samuel Kerridge(Downwards/Horizontal Ground) [LIVE]
Shawn O'Sullivan(Avian/L.I.E.S/The Corner) [DJ]

〈INDOOR STAGE〉
Abdulla Rashim(Prologue/Northern Electronics/ARR) [DJ]
AIDA(Copernicus/Factory) [DJ]
Ametsub [DJ]
asyl cahier(LSI Dream/FOULE) [DJ]
BOB ROGUE(Wiggle Room/Real Grooves) [LIVE]
BRUNA(VETA/A1S) [DJ]
Chris SSG(mnml ssg) [DJ]
circus(FANG/torus) [DJ]
David Dicembre(RA Japan) [DJ]
DJ YAZI(Black Terror/Twin Peaks) [DJ]
ENA(7even/Samurai Horo) [DJ]
GATE(from Nagoya) [LIVE]
Haruka(Future Terror/Twin Peaks) [DJ]
Kakiuchi(invisible/tanze) [DJ]
KOBA(form.) [DJ]
KO UMEHARA(-kikyu-) [DJ]
Matsusaka Daisuke(off-Tone) [DJ]
Naoki(addictedloop/from Niigata) [DJ]
NEHAN(FANG) [DJ]
'NOV' [DJ]
OCCA(SYNC/from Sapporo) [DJ]
OZMZO aka Sammy [DJ]
Qmico(olso/FOULE) [DJ]
raudica [LIVE]
sali (Nocturne/FOULE) [DJ]
SECO aka hiro3254(addictedloop) [DJ]
shimano(manosu) [DJ]
TAKAHASHI(VETA) [DJ]
Tasoko(from Okinawa) [DJ]
Tatsuoki(Broad/FBWC) [DJ]
TEANT(m.o.p.h delight/illU PHOTO) [DJ]
Wata Igarashi(DRONE) [Live&DJ Hybrid set]

< PRE PARTY >
Hubble (Sleep is commercial/Archipel) [DJ]
Benjamin Fehr (catenaccio records) [DJ]
kohei (tresur) [DJ]
KO-JAX [DJ]
NAO (addictedloop) [DJ]
YOSHIKI (op.disc/HiBRiDa) [DJ]

〈ruralとは…?〉
2009年にはじまった「rural」は、アーティストを選び抜く審美眼と自由な雰囲気作りによって、コアな音楽好きの間で徐々に認知度を上げ、2011年&2012年には「クラベリア」にて2年連続でフェスTOP20にランクイン。これまでにBasic Channel / Rhythm & Sound の Mark Ernestusをはじめ、DJ Pete aka Substance、Cio D'Or、Hubble、Milton Bradley、Brando Lupi、NESS、RØDHÅD、Claudio PRC、Cezar、Dino Sabatini、Sleeparchive、TR-101、Vladislav Delayなどテクノ、ミニマル、ダブ界のアンダーグラウンドなアーティストを来日させ、毎年来場者から賞賛を集めている野外パーティです。小規模・少人数でイベントを開催させることで、そのアンダーグラウンド・ポリシーを守り続けています。
https://www.rural-jp.com

interview with Kyle Hall - ele-king

 最初のEPが出た2007年から、あるいはそれ以前から、大きな注目を集めていたカイル・ホールの初来日がやっと実現する。16歳でオマー・Sのレーベル〈FXHE〉から(14歳のときに作った曲で)登場し、翌年には自身のレーベル〈Wild Oats〉を設立。昨年には満を持してファースト・アルバム『The Boat Party』をリリースして高い評価を得た。そのサウンドには、デトロイトという特殊な音楽文化を持つ街で育まれたタフさと、若さと、希望が詰まっている。

 現在22歳の彼は、地元であるデトロイト市内を拠点に、世界を飛び回る人気DJとして、レーベル・オーナーとして、そしてプロデューサーとして、誰もが夢見るような生活を送っている……かのように見えるが、実はそれ故のストレスや悩みを抱えているようだ。
 今回、「せっかくの初来日だから」とインタヴューを申し込んだところ、実はいちど断られた。ここ最近はほとんど取材を受けていないという。二度目の懇願によって渋々承諾してくれたものの、当初はあまり乗り気ではなかった。話しているうちに、その理由が明らかになり、最終的には期待していた以上に深い対話が出来たと思う。そして彼の、いい意味での真面目さと成熟さが表れていると思う。本邦初の、1万字を超えるロング・インタヴューをじっくりお楽しみ下さい。


■KYLE HALL Asia Tour

2014年7月11日(金)
22:00〜
@代官山AIR

料金:3500円(フライヤー持参)、3000円(AIRメンバーズ)、2500円(23歳以下)、2000円(23時まで)

出演:
【MAIN】Kyle Hall(Wild Oats/from Detroit)、DJ Nobu(FUTURE TERROR/Bitta)、sauce81 ­Live­, You Forgot(Ugly.)
【LOUNGE】ya’man(THE OATH/Neon Lights)、Naoki Shinohara(Soul People)、Ryokei(How High?)、Hisacid(Tokyo Wasted)
【NoMad】O.O.C a.k.a Naoki Nishida(Jazzy Sport/O.O.C)、T.Seki(Sounds of Blackness)、Oibon(Champ)、mo2(smile village)、Masato Nakajima(Champ)


みんながオルタナティヴなサブカルチャーに属したがっていて、そのオピニオン・リーダー的なメディアの言いなりになっている。新しいサブカルチャーを創り出すために過去の歴史の解釈まで曲げられてしまっているようにさえ思う。インターネットは自分の意見を持っている人には素晴らしい道具だけど、ただのフォロワーには悪影響を及ぼすものだ。

日本語でのインタヴューは初めてなので、まず基本的なことから聞かせて下さい。

カイル・ホール(KH):あまりに基本的過ぎることは聞かないで欲しいな。最近あまりインタヴューを受けないようにしているんだけど、それはもう何度も何度も同じことを言い続けている気がするからなんだ。正直、「僕の言うことよりも、僕の音楽を聴いて下さい」って思う(笑)。それ以上に、あまり言うことはないよ。〈Wild Oats〉というレーベルをやっているから、それをチェックして下さい、くらいかな(笑)。

なるほど。わかりました。では、基本的な質問はやめましょう。私が聞いてみたいと思っていたことを、まず聞かせて下さい。音楽を作ることと、DJをすることは違う表現方法です。今回、あなたにとって初来日になりますから、日本のオーディエンスはあなたの作品は聴いているけど、DJプレイは聴いたことがないわけです。ですから、みんな「DJとしてのカイル・ホールはどうなのか?」ということに注目していると思います。ご自分ではどう思われますか? あなたにとって制作とDJの違いは? あなたの作品はDJとしてのあなたをも代弁していると思いますか?

KH:その答えは……ノーだね。僕の作る音楽は、そのときどきの自分を表現しているので、DJをしているときの自分とは必ずしも重ならない。DJをするときは、自分がかけたいと思うレコード、僕はアナログ・レコードをプレイするので、それをレコード・バッグに詰めるところからはじまっている。持っているレコードを全部詰められるわけではないので、そこには制限があって、そのときの自分の気分、どちらかというと自己満足のために選んだレコードを持っていく。自己満足というのは、自分だけを楽しませるという意味ではなくて、自分が思う、その状況に最適であろうと考えるレコードを選ぶということ。その判断には、僕が考えるそれぞれのオーディエンスの趣向や、期待を考慮する。
 DJプレイというのは会話みたいなもので、まず僕がいくつか自分が聴きたいと思う曲をかけてみて、お客さんの反応を見る。そうすると、ダンスフロアにいる人たちの耳がどこにあるのか、ということが少しわかる。途中でフロアを離れる人もいれば、入って来る人もいるから、それを繰り返しながら状況を掴んでいく。でも、人はみんな違うし、土地によっても違いがあるから、なかなか難しい。人によって、そのパーティに期待してくるものも違う。特定のものを聴きたくて来る人もいれば、オープンに違ったものを受け入れる人もいる。そのDJの芸術性を評価しに来る人もいれば、DJが誰だかよく知らずにただ踊りに来ている人もいる。こういったいろんな人たちと自分の相互作用が、その夜のエネルギーとなるから、予想がつかないよね。

ラインナップや、出演順によっても受け取り方が変わりますよね。

KH:そうそう。例えば、前のDJがものすごく速いテンポだとか、大音量とかでプレイしていたら、その後に出るDJの印象がまた変わる。DJにもいろいろいるしね。例えば、「俺はみんなと一緒にパーティしに来たんだ」と言うDJもいるけど、必ずしもお客さんが楽しむ音楽で自分が楽しめるわけではないから、妥協を強いられることもある。でも僕にとっては妥協をする方が難しいから、それならお客さんをそこまで盛り上げなくても、自分がかけたい音楽をかけようと思うこともある。

DJはエンターテイナーというだけではないですもんね。

KH:そう! エンターテイナーとアーティストは違うと思う。そしてアーティストの方が、お客さんとの接点を見つけるのに時間と努力を要するよね。その接点がなかなか見つからないと、「僕が音楽スノッブ過ぎるのかな?」と自問することもあるけど、僕が本当にいいと思ってかけたものに反応してもらえることもある。逆に、自分はそんなに好きじゃないけど、きっとお客さんには受けるだろうと思ってかけたら、全然ダメだったり(笑)。本当に優れたアーティストは、お客さんを自分の世界に引き込んで、その良さを知ってもらうことが出来るんだろうけど。

個人的には、DJ本人が本当に好きでかけたいものをかけることがもっとも重要だと思いますけどね。

KH:僕もとても重要だと思う。でも、誰もがそういう風にやっているわけじゃない。よく、「これは(フロアで)機能する」という曲をかける人がいる。それってただのツールということだよね。でも、そういったツールをかけることで、次にかける本当に思い入れのある曲を引き立たせるというテクニックもある。そういう風に、最適なコンテクスト(背景/文脈)を準備するということもDJの醍醐味だと思う。

それを踏まえて聞きたいんですが、だとすると、あなたがまったく知らない場所、例えばまだ行ったことのない日本でプレイする際には、どのような準備をするんですか? すでにあなたはヨーロッパ各地でたくさんプレイしていますし、アメリカでもしていますよね。でも日本はそのどちらとも違います。

KH:そうだね、僕もそういう印象を持っているよ。ユニークな場所だってね。たしかに、ヨーロッパはどの国でやるにしてもだいたい状況を把握している。例えばロンドンは、ほぼ自分の好き勝手にやっても大丈夫なんだ(笑)。でもイタリアとか、その地域によっても、もう少しベーシックなところを押さえないといけないな、とか。
 日本については、僕が知っている限りでは、かなりアーティスティックにやっても受け入れてもらえるところだと認識している。でも、RAのドキュメンタリー(Real Scenes: Tokyo)を観て、もしかしたらもっと制限されているのかな、とも思ったり。実はもっとニッチに細分化されていて、僕に期待されていることと僕が実際にやりたいことはかけ離れている可能性もあるのかな、とも思う。

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本当に頭がおかしくなりそうになるよ。だって、僕がどんなにクリエイティヴに面白いことをやっても、必ず「デトロイト版の」とか「デトロイト・サウンド」って言われちゃうんだから! セオ・パリッシュがどうのとか、必ず他の誰かとの比較で書かれる。

日本のオーディエンスはあなたにどんな期待をしていると思いますか?

KH:わからないよ! 僕のレコードの印象かな? あとは、デトロイトのレガシー(遺産)との連続性を期待されているということはいろんなところで感じるよ。過去20年間、デトロイトの他のDJたちがやってきたこと。オンラインで僕の記事を見ても、だいたいそれと比較されている。

それは嫌ですか?

KH:嫌だよ! 僕が作る音楽はすべて、他の誰かのフィルターを通して語られるんだ。例えば、僕が〈Hyperdub〉から曲を出すと、「〈Hyperdub〉からのデトロイト・サウンド」と言われる。「カイル・ホールがたまたま〈Hyperdub〉から曲を出しました」とはならないんだよ。ただのアートなのに、たくさんの先入観があるんだ。日本についても、そこがちょっと怖いな。僕個人を、いろんな冠を付けずにそのまま受け入れてくれたらいいんだけど……本当に頭がおかしくなりそうになるよ。いつも何らかの「箱」に入れられて。

そうですか! そんなに苦しんでいたとは。

KH:だって、僕がどんなにクリエイティヴに、面白いことをやっても、必ず「デトロイト版の」とか「デトロイト・サウンド」って言われちゃうんだから! セオ・パリッシュがどうのとか、必ず他の誰かとの比較で書かれる。

たしかに私も書きました……(苦笑)。

KH:つねに先に誰かがやったことと比較されて、僕はいちばんになれないんだ。聴く前からこういうものだって決めつけているから、その枠の外、他のコンテクストで捉えられない。何も先入観を持たずに、ただ音を聴いてくれたらって思うよ。

たしかにそれは嫌かもしれません。でも、まったく何の先入観も持たずに音楽を聴くというのは無理ですよね。あなたの作品を手に取っている、聴こうとしているという時点で、すでに何かの情報を参考にして興味を持っているわけですから。

KH:それはそうだ。だから、先入観をまったく持たないで欲しいとは言わない。何らかの期待や楽しみを持って聴いてくれるのは構わないけど、決めつけて欲しくないんだ。多くの場合、曲を聴く前の段階ですでに何らかのパッケージに入れられてしまっているから。曲そのものよりも、それについての情報で評価/判断している。
 僕は、いまの、人びとのカルチャーについての情報の受け取り方全般に問題があると思っている。メディアでそれを発信している人たちが、そのカルチャーをあまり理解していないと感じるから。個人的に新しい音楽を発見したり、出会ったりするんじゃなくて、そういうところから与えられた情報のみで判断してしまっている。

鋭い指摘です。でも、例えば私の場合は、他のデトロイトのアーティストなどから、あなたの曲やDJプレイを聴く前にあなたのことを聞いていたので、それで興味を持ちました。デトロイトの先輩たちから、とてもかわいがられている若者という印象だったので、それがそれほどあなたの重荷になっているとは意外でした。

KH:それもおとぎ話だよ!! 実際はそんなにイイ話ではないんだ。もちろん、自分の周りにいる人たちや育った環境をありがたく思う面もあるけど、それには良い面と悪い面がある。ビター・スゥートというかね。僕が先輩たちにかわいがられて育てられたというのは、メディアで書かれていること。ある時点では、僕より年上のデトロイトのDJは全員僕の師匠ってことになっていたんじゃないかと思うよ(笑)。たしかに交流はあったかもしれないけど、たぶん僕の年齢のせいだろうね……たしかに親切にしてくれた人もいっぱいいたけど、すべてを彼らに教わったわけじゃない。実際はどちらかというとその逆で、僕は孤独なことが多かった。ひとりで試行錯誤しながら音楽の作り方も学んでいった。いつも誰かと一緒にスタジオに入って教えてもらっていた、なんてことはないんだ。僕はインターネット世代だから、自分で調べていたよ。
 たしかに、90年代などはみんな音楽仲間がいて、一緒に機材や情報をシェアして音楽を作っていたのかもしれないけど、僕の世代は違う。そういう環境ではなかった。僕は13歳だったからね。まわりにそんな仲間はいなかった。リック・ウィルハイトのレコード屋(Vibes New & Rare)に行って話をしたりはしていたけど、それ以外のレコード屋の多くは無くなってしまったし、デトロイトのアーティストはほとんどいつもヨーロッパに出払ってしまっていて、地元にいない。オマー・Sは例外で、たしかに彼はいろんなことを教えてくれた。ディストリビューションのこととか、ビジネスのことも。僕の音楽もオープンな耳で聴いてくれた。彼は、僕を手助けしてくれたけど、他の人についてはそんなに……(笑)。僕の音楽は、まわりからの影響よりも、内面から生まれている部分が大きいんだ。いまだに多くの人が、僕を12歳みたいに思っているようだけど、もう立派な大人だよ! もう22歳なんだから!

22歳ですか……(!)。先ほど、DJをする際に、たくさんのレコードを持って行くことは出来ないので制限があると言っていましたよね。レコードでDJすることは、いわばオールドスクールな方法で、新しいテクノロジーを使えば、もっと多くの曲を持ち込んだりすることも可能です。しかも若いのに、どうしてレコードという不便なフォーマットを選んでいるんですか?

KH:逆にそれは僕が不思議に思うことなんだけど、DJに関するテクノロジーの進化って、利便性を高める方向に進んでいる。例えば、ピアノ奏者に、「なぜいまだにピアノを使って演奏してるの?」と聞く人は誰もいない。本物のピアノの音がいいからに決まってる! 僕はレコードの音が好きなのと、レコードでDJすることは楽器を弾くみたいに楽しめるから。CDやUSBなどのレコードからリップした(録音した)デジタル音源も使うけど、リップするとそのときの録音状態に左右されるから、レコードそのものとは音が違う。僕は違う針を使ってみたりして何パターンか録ったりするよ。レコードの方が目に見えて、手に触れるから愛着が湧く。ピッチコントローラーひとつを触っても、レコードだと何か生のものを触っているという感触が得られるけど、デジタルだと実感が湧かないというか、ヴァーチャルな感覚だよね。変な感じ。でもレコードにもいろいろあって、同じ曲でもプレスによって聴こえ方が全然違ったりする。例えば、〈Rush Hour〉が出してる古いシカゴのリプレスは、コンプレスされ過ぎていて全然音が良くない。リリースしている人たちの好みに変えられている。人によってどこをいいと思うかは違うからね。文化的背景によっても違うかもしれない。それまで聴いてきたレコードとか。
 ヨーロッパとアメリカの違いは、僕にとっては興味深いよ。アメリカのブラック・ミュージックとヨーロッパの人たちがアメリカの音を真似して作っている音楽とか! 彼らが考えるアメリカ音楽のいいところと僕らの聴き方は違っている。その交流があって、お互いが影響を受けたりしている。
 カール・クレイグの音楽なんかは、そのいい例だと思う。彼の音楽的な変化は、明らかにヨーロッパからの反響を反映していると思うな。ヨーロッパのレコードは、凄くヴォリュームとパンチがあるけど、それはクラブの環境がそういう風に設定されているから、そういう音が映えるんだと思う。でもアメリカに戻って来ると、それほど強烈じゃなくてもいいというか、みんなもっと音楽の内容を聴いているという感じがする。だから、しょっちゅう行き来していると混乱してしまう。ヨーロッパでやるときは、音を大きくし過ぎてしまう傾向があるな、僕は。

そうですね、そういう違いは面白いですよね。私個人の印象では、ヨーロッパでは機能的な踊りやすいダンス・ミュージックが好まれ、そうではない異質なものに対しては許容範囲が狭い。それと比較すると、日本のオーディエンスはとても許容範囲が広いと思いますし、予期していない音楽が聴こえてきても、その良さを受け入れようとします。だから、結論としては、カイル君は自分のやりたいように、好きなものを思いっきりプレイすればいいと思いますよ!

KH:そうか。わかった(笑)。でも、その一方で「日本人に受ける」とされている曲もいくつかあるんだよ。「日本でこれをかければ間違いない」ってね! それが本当かどうかは僕にはまだわからないけど、クリーンなキーボード・サウンドやベースラインが入っているような曲は、日本の人は好きなのかなと思う。ハウス/ブラック・ダンス・ミュージックにおいて、だけどね。黒人のDJが来ると、それが「純正の」サウンドなんだと期待するようなもの。

それはたしかにあるかもしれませんね……少し話は変わりますが、私があなたについてとくに面白く興味深いと思っているのは、UKの同世代のアーティストたち、例えばファンキンイーヴンとのコラボをしたり、ベース・ミュージック・シーンと交流があって〈Hyperdub〉からもリリースをしているところです。いわゆる、「デトロイト・シーン」だけでなく、ロンドンの地元のシーンにも入り込んでいる。そういう人がデトロイトから出てきたことはかつてなかったんじゃないでしょうか。

KH:そうだね、「デトロイト」ってひとつの軍隊でもあるかのようだからね(笑)。でも、あなた自身が言うように、それでも僕はデトロイト組からは抜け出せてない。

いや、それはそんなに悲観しなくても、まったく違うバックグラウンドを持った他のシーンに同士を見つけて、一緒に音楽をやっているということは素晴らしいじゃないですか。

KH:うん、UKに関してはとくに、それほどバックグラウンドの違いを感じないんだ。同じようなものを聴いて育ってきて、同じようなものを好んでいると思う。僕がロンドンで交流のある人たちは、僕と音楽の聴き方がとても似ている。ファンクやソウルといったブラック・ミュージックがずっと聴かれてきた土壌があるからだろうね。
 でも、〈Hyperdub〉とファンキンイーヴンは全然別の繋がり方で、〈Hyperdub〉は2008〜2009年頃に僕の出した曲を聴いて向こうからアプローチしてきたんだ。僕の音楽は、UKでいちばん反響があったし、実際にいちばん売れた。最初は、リミックスを依頼されたところから親交がはじまったんだ。ヨーロッパでいちばん、僕を歓迎してくれた人たちだった。

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僕の場合は17歳でこういう環境に放り込まれたから、何もわかっていなかったよね。まわりと比べると、年齢の割には音楽的な理解なども成熟している方だとは思うけど、気持ちの面ではまったく成熟していなかった。

私の印象では、多くのデトロイト・ファンたちが、あなたが次なるムーディーマンかオマー・Sのような作品を出すことを期待していたのに対して、あなたは凄くユニークで風変わりなリリースで世に出てきた。とても実験的なリズムでした。それが、UKのポスト・ダブステップのシーンにおいて、よりしっくりと馴染んだんじゃないですか?

KH:それはあると思う。僕が彼らにとって面白いことをやっていたというだけでなく、彼ら自身も僕がUKの〈Thirdear〉、〈Warp〉、〈Ninja Tune〉といったレーベルでリミックスを手がけりトラックを提供したことで余計にハイプ化していったところもあると思うよ。自分自身はそこまでベース・ミュージックに傾倒しているとは思わないけど、ウエスト・ロンドンの音楽には大きな影響を受けていると思う。ディーゴの〈2000 Black〉とか。それが、いまのベース・ミュージックにも反映されているんだろうけど、その部分を認識している人は少ないかもしれないね。僕がブロークンビーツのレコードをかけても、彼ら(UKのお客さん)は誰も知らないんだもん(笑)! DJやアーティストは知っているかもしれないけど、オーディエンスは本当に知らない。

それは彼らが若いからじゃないですか? あなた自身の若いのに、何でそんなに知っているの(笑)?

KH:それはおかしいよ。誰だって、僕と同じくらい知ってていいはずさ。だってインターネットがあるじゃない! 知らない方がおかしいと思うけどな!

でもあなたは、明らかにロンドンのクラブで遊んでいる20代前半のキッズたちよりも古い音楽を知っていますよね。

KH:それはそうかも。ときどき違う言語を喋っているような気分になるよ(笑)。たしかに、僕の音楽の善し悪しの判断に、それが新しいものかどうかということは考慮されない。自分が楽しめるかどうか、というだけ。ジャンルや時代はあまり意識しない。音楽を知りはじめの頃は、ある程度それを参考にしなければいけない時期もあるけど、インターネットですぐに辿ることが出来るし、レコードを買うことも出来る。
 いまは、サブカルチャーが主流の時代だと思うんだよね。みんながオルタナティヴなサブカルチャーに属したがっていて、そのオピニオン・リーダー的なメディアの言いなりになっている。新しいサブカルチャーを創り出すために過去の歴史の解釈まで曲げられてしまっているようにさえ思う。そういう意味で、インターネットは、自分の意見を持っている人には素晴らしい道具だけど、ただのフォロワーには悪影響を及ぼすものだと思うな。

おっしゃる通りです。それに、クラブにはパーティ好きと音楽好きの二種類のお客さんがいると思うんです。パーティ好きの子たちも、本人たちは音楽が好きだと思っています。だからしょっちゅう遊びに行くんだけど、レーベルやアーティストの名前くらいは知っていても、それ以上にその音楽的ルーツを遡ったりはしない。

KH:そうそう! それもあるよね。そして、そういう子たちは、自分の好きなレーベルやプロモーターが薦める音楽をそのまま「良い音楽」だとして鵜呑みにする。そうやって好みが形成されているんじゃないかな。でも、それはある程度は人間の持つ性質で、まわりに認めてもらいたい、自分の居場所を見つけたいという欲求から来ているんだろうと思う。僕もそういう部分はあるし。人間の営みのあらゆるレヴェルで現れてくること。音楽の趣味に留まらず、自分のアイデンティティそのものだよね。
 「黒人の男性はどうあるべきか」とか、「ロンドンの白人の若者は遊びに行くときにどんな格好をしているべきか」とか(笑)。自分が属したいと思う集団と、自分も似たような格好になってくるもの。誰だって、みんなに愛されたいんだから! 愛されたいけど、個性的でもありたい、というジレンマだよね。

おっしゃる通りです! これだけ正直にいろいろ話してもらえて嬉しいですよ。でも、いろいろとフラストレーションを抱えているようでちょっと驚きました(笑)。

KH:ものすごくフラストレーションを抱えているよ!! もともと気分屋なところもあるのかもしれないけど、僕は嘘がつけない性格なんだ。とても調子が良くてすべてが上手くいっていると思うときもあるけど、その裏側が見えてしまったりすることもある。いろんなことを知れば知るほど、複雑な気持ちになるというかさ。

基本的に音楽メディアやクラブ・ミュージック産業そのものに、活動していくなかでフラストレーションを感じますか?

KH:そうだね、つねに葛藤を感じるからフラストレーションがあるんだと思う。僕はもともと、ツアーをして回ることが好きな方ではなくて、クラブにいてそこで入って来る情報には疲れてしまうことが多い。自分の目的を惑わせるというのかな。僕は、自分自身の核となる目的意識を持っている。でもその一方で、ある程度は流れに身をまかせたい自分もいる。日々の出会いを受け入れて生きていくこと。それだけで幸せに生きていける人もいるけど、自分のなかで達成したい欲求、自分のユニークな部分を発揮して達成したいこともある。そういう自分の内面から沸き上がって来ることと、周囲の人びとや出来事から受ける刺激やエネルギーで成し遂げられることもある。それが自分以外の人を幸せにすることもある。
 僕はつねにこのふたつの側面の葛藤を感じているんだよね。実際に外国に行ってツアーをして、いろんな人と交流すると音楽の聴き方や受け取り方も変化してくる。まわりを楽しませたいという気持ちから、無意識に自分を変えているところがある。でも、家に帰って来ると、「あんなことやこんなこともやらなければ!』と思う。家に戻って来ると、ツアー中とはまた価値観がガラリと変わるからなんだ。凄く変な感覚だよ。二重生活を送っているみたいな。音楽的にもね。
 自分でも、クラブに出かけたり外国に行ったりする前と比べて、自分の音楽が凄く変わったと思う。ただひとりで音楽を作ってリリースしていた頃と比べるとね。それは、おそらく僕が自分自身のことを知る前の早い時期から、こうした極端な変化にさらされたことも関係していると思う。自分が何者なのかを知るのって、時間がかかることだと思うんだ。一生それがわからないまま生きていく人もいると思うし。僕の場合は、17歳でこういう環境に放り込まれたから、何もわかっていなかったよね。まわりと比べると、年齢の割には音楽的な理解なども成熟している方だとは思うけど、気持ちの面ではまったく成熟していなかった。

私なんて22歳でも自分が誰だかなんてわかってなかったですよ! 17歳でデトロイトに住みながら、しょっちゅうヨーロッパのツアーをしていろんな人に会って……という体験をするのは消化するのが大変だったでしょうね。

KH:そうなんだ! 消化しきれなくて、そういう二面性が出来上がってしまう。海の向こうにいるときの自分と家にいるときの自分。自分が求めている以上の範囲の人付き合いをしなくてはいけないから、逆に感覚が麻痺してくる。DJがどうのこうのという以前に、人としてさ。ヨーロッパでは、自分が喋りたいとも思わない人と喋りたいとも思わないことを喋らないといけない、あるいは自分自身が望んでいる以上に、周囲を楽しませないといけない、という気分になるんだ。

家(地元)に居た方が落ち着きますか?

KH:イエスでありノーだね。落ち着く部分もあるけど、やはりここから脱出したいと感じることもある。地理的に、もっと気候のいいところがいいなと思ったりもする。例えば、LAに行ったりすると、もっと気候がいいから人も明るい。デトロイトにはデトロイト特有の、人間関係のめんどくささがある。ちょっと変な部分がね。

それほど大きいコミュニティではないですもんね、何となく想像はつきます。

KH:そう、あまり人が多くないからね。それにいまは、新しく移り住んできた人たちとずっとここに住んできた人たちとの間の摩擦があるし、単純に黒人と白人との間の摩擦もあるし、人と人が凄く分離されていると感じる。例えばレストランに食事に行くと、僕が黒人だからサービスがあまり良くないと感じることがある。他の町では感じないのに。ミッドタウンにいると、理由もなく警察に車を止められたり……ニューヨークではこんなことは起こらないのに。ニューヨークではみんな自分のことに忙しくて、価値観や美学もそれぞれにあり過ぎて、お互いをかまっていられない。競争が激しいから誰に対しても最高のサービスを提供しないと生き残れない。でもデトロイトでは人が少ないせいで、余計にお互いのことを干渉して、摩擦が起きている。黒人同士の変な摩擦も感じるよ。過去の歴史のせいで、埋め込まれてしまって消えない敵対心が残っていると思う。

どこか別の場所へ引っ越そうとは思ったことはありますか?

KH:いや、長期的に引っ越そうと思ったことはないな。

とくに、デトロイト・シーンとつねに関連づけられることが嫌だったら、どこか別の町に引っ越してしまうのが手っ取り早いのでは(笑)?

KH:あはは、そこまで嫌がっているわけではないよ! そういう意味で距離を置きたいという意味ではないんだ! 僕はデトロイト出身だからって自分のやっていることを判断されたくない、他のデトロイトのアーティストたちの副産物みたいな扱いをされたくないというだけで、デトロイトとの関係性を否定するつもりはないよ。ここに住んでいることの利点もあるんだ。良いところも、そして悪いところも。まず、ここに家を買ったから、ここが地元だし去るつもりはない。

22歳で家を買ったんですか!

KH:コンドミニアムだけどね。デトロイトのダウンタウンに。いまの状況を考えると、それが得策だと思ったし、それにここが僕の地元だから、自分の力で変えていきたいという気持ちもある。僕とジェイ・ダニエルでやっているパーティなんかも、僕ら自身がここで楽しめることをやりたいと思ってやっている。生活のためにならヨーロッパのギグだけこなしていればいいんだけど、地元の環境も変えていきたいからなんだよ。自分たちの居場所を確認する作業でもあるかな。

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僕は「白人みたいな喋り方をする」と言われて、壁を感じた。自分の居場所を探すのに苦労したんだよね。そういうときに人はどうするかというと、自分の好きなことに没頭するようになる。僕の場合は、それが音楽だった。

以前、あなたのアルバム『Boat Party』の日本版CDにライナーノーツを書かせてもらったんですが、あなたがデトロイトの希望であると書いて締めくくったんです。もしかしたら、若さを強調されることも自分では嫌かもしれませんが、その若さで完全にDIYでレーベルをやって、音楽を制作して、しかもジェイ・ダニエルやMガンといった地元の同世代の若い子たちをそこから紹介している。率直に凄いと思いますよ!

KH:たまたま僕の場合は他より少し若いときにはじめたというだけで、やっていることはそれほど珍しいことじゃないんじゃないかなぁ。

その若さで、自分がやりたいことの方向性が定まっていて、しかも実行に移しているというだけで本当に凄いと思います! 自分が16歳の頃なんて音楽のことすら大して知りませんでしたよ。

KH:それはもしかしたら、僕の場合は「何も考えずに適当に生きる」というオプションがなかったからかもしれないな。僕の場合はすべてが目の前で選択を迫ってくるような環境だったから、ぼんやりとしている余裕はなかったというか。僕は姉がいるんだけど、ひとりっ子みたいな育ち方をしたんだ。だから、退屈だったら自分で遊びを考えなければいけなかった。僕は単純に、他のアーティストとプレイしているだけでもいい、という選択肢があることを知らなかった(笑)。何か変化を起こしたければ、自分でやるしかないと思い込んでいたんだ。子供の頃から、「もっとこうなればいいな」と思うことがたくさんあったし、その変化への欲求が原動力になると思っていた。デトロイトは、他の多くの町よりも嫌なところ、過酷なところが目につきやすい町だからね。年上の人と付き合うことが多かったことも影響しているかな。もっと若いときに、リック・ウィルハイトのレコード屋に通っていたことはすでに話したけど、僕の交友関係や情報源になっていたのは、僕の両親くらいの年齢の人が多かった。
 デトロイトでは、自分の社会的・文化的な立ち位置によって、かなりの部分の人格が決まる。例えばどんな喋り方をするか、どうして僕の好むような音楽を好きになったか、ということもだいたい説明がつく。例えばデトロイト市内の人口はほとんどが黒人で、ほとんどの子供は市内の公立学校に行く。でも、公立学校は問題を抱えているところが多い。僕の場合は平均的か、もしかしたら平均よりも恵まれた環境で両親にもちゃんとケアしてもらって育って来た。僕は市内ではなく郊外の学校に入れてもらったから、より広い視野を持てたと思う。エレクトロニック・ミュージックについて知ったのも、郊外の白人学校に通っている友だちからだった。彼らは黒人だったけど、白人ばかりの学校に行っていたんだ。
 だからかなり早い時期から、自分は何者なのか、ということを意識させられ続けていたと思う。まわりは白人の子ばかりで、僕が住んでいたデトロイト市内は「危険なところ」という見方をしていることを知ったり、例えば僕はカトリックの学校に行ったから、市内によくいる、結婚していない両親のあいだに生まれた子は地獄に行くって教えられたり……こういうことが子供にとっては重いプレッシャーになる。だから、郊外の学校から市内の自分の家に戻ると、自分がエイリアンに感じるんだ。逆にまわりの黒人の子供たちがどんなことをやっているかわからなくなるから。
 僕はその後、高校は市内の学校、Detroit School of Artsに進学した。公立だけど良い学校とされている。でも、やはり公立だから、そこに来ている子たちは僕とは違った育ち方をしていたりする。ものの見方も違うし、人との付き合い方も違った。僕は「白人みたいな喋り方をする」と言われて、壁を感じた。自分の居場所を探すのに苦労したんだよね。そういうときに人はどうするかというと、自分の好きなことに没頭するようになる。僕の場合は、それが音楽だった。僕の母はシンガーで、音楽をやっている友だちがたくさんいた。そのなかでもとくに仲が良かったのがDJレイボーンという人で、彼が僕にレコードでのDJの仕方を教えてくれた。それが僕の楽しみになって、音楽を通じて仲間が見つかった。

私個人も似たような体験をしたので良くわかります! 私の経験から言うと、ハイスクールで負け組だった子の方が、その後活躍しますよね!

KH:ははは。そうかもしれない。自分のことに集中出来るからかもね。ハイスクールの頃から恵まれていて、そのまま調子良くいく人もいるけどね! まあ僕の場合はそうではなかった。僕は同年代の子にはそれほど共感できなかったから、上の世代の人たちに音楽のことを教えてもらって、こういう好みになっているんだと思う。

自分に置き換えて考えると、15〜16歳の音楽に興味を持っている子が自分の近くにいたら、喜んで何でも教えてあげちゃうと思うんですよね。やはりリック・ウィルハイトのような年上の人たちからかわいがられたでしょう?

KH:リックは本当にそうだったね。彼は音楽の知識を人に伝えるのが大好きなんだ。単純にレコードの話をするのが好きだしね。そうじゃない人もたくさんいるよ。教えたくない、話さないって人も! まだお前には早いとか、もっと努力しないと得られないものだとか、そういう風な態度の人もね。デトロイトのダンス・ミュージックのシーンは、若者に解放されたものではなかった。どこへ行っても、いつも僕が最年少だった。若い人たちにとって魅力があるものではなかったとも言える。お母さんと同じ年の人たちとつるみたくない、とかね(笑)。
 人気のあるダンス系のミュージシャンは、ヨーロッパにファン基盤があって、地元にはあまりない。地元の若者たちにその魅力を伝える方法すらなかったと言える。世代間の隔たりは大きいと思うね。僕が高校に行っていたときも、「こんなのゲイの音楽だ」とか、「年寄りの音楽だ」、「何だこのゴミみたいな音楽」って言われていたもん。

そんな(笑)! でもいまは、あなたやジェイ・ダニエルが一緒にパーティをやったりしているじゃないですか? 少しは若い子たち、あなたと同世代の子たちも興味を持ちはじめたと思いますか?

KH:うん! いまはまったく状況が変わったと思う。僕自身も、自分がこの世界に足を踏み入れたときよりもずっと楽観的だよ。僕は自分の経験を、なるべく多くの人とシェアしたいと思っているから、僕が「いい」と言えば、僕のことを好きでいてくれる人が興味を持ってくれるんじゃないかと思う。僕がやっていることに興味を持って聴いてくれる若い子もいるし、実際にパーティにも来てくれるよ。
 僕らがMotor City Wineというバーでパーティをやりはじめたときは、年齢制限の問題があった。アメリカで若い子がダンス・ミュージックに興味を持たない理由のひとつが、この年齢制限だと思う。ほとんどの州では21歳以上じゃないとクラブに入れないから。飲酒が21歳からだからね。
 でもいまは、僕がある種前の世代といまの世代の架け橋になっているのかな、と思う。年上の人たちに聞いてもたぶん若い子のシーンは知らないと思うけど(笑)、確実に出来てきていると思うよ。だから、僕は希望を持っている。音楽を作っている子がたくさんいるし、これから大きくなってくると思う。僕より若い子もいっぱいるし、もともとこういう音楽に興味があってデトロイトに移り住んで来ている若い子もいる。

素晴らしい! それは嬉しいですね。このインタヴューがあなたのDJツアーの宣伝になるかは疑問ですが(笑)、インタヴューとしてはとてもいい内容になったと思います。ありがとうございます。

KH:DJの宣伝のためのインタヴューなんて、意味がないよ! 僕は逆にこういう話が出来て良かったと思っている。ありがとう!

あなたのDJを楽しむに当たって日本のお客さんには、先入観なしに、自然な反応を素直に出してくれたらいいですね。

KH:そうだね、そうしてもらえるのがいちばんありがたい。

最後に何か今後のプロジェクトなどの告知はありますか?

KH:あまり先に情報は出さない主義だけど……近々、〈Wild Oats〉から、必ずしもデトロイト出身ではない若いアーティストを紹介していくので、注目していて下さい。いい音楽を用意していますから!



■KYLE HALL Asia Tour

2014年7月11日(金)
22:00〜
@代官山AIR

料金:3500円(フライヤー持参)、3000円(AIRメンバーズ)、2500円(23歳以下)、2000円(23時まで)

出演:
【MAIN】Kyle Hall(Wild Oats/from Detroit)、DJ Nobu(FUTURE TERROR/Bitta)、sauce81 ­Live­, You Forgot(Ugly.)
【LOUNGE】ya’man(THE OATH/Neon Lights)、Naoki Shinohara(Soul People)、Ryokei(How High?)、Hisacid(Tokyo Wasted)
【NoMad】O.O.C a.k.a Naoki Nishida(Jazzy Sport/O.O.C)、T.Seki(Sounds of Blackness)、Oibon(Champ)、mo2(smile village)、Masato Nakajima(Champ)

vol.12 『Transistor』 - ele-king

 

 みなさまご無沙汰しております、NaBaBaです。久しぶりの更新ですが、今回は最近遊んだインディーズ・ゲームをご紹介したいと思います。その名も『Transistor』です。

 『Transistor』は今年の5月にリリースされた〈Super Giant Games〉開発のアクションRPG。2011年に処女作『Bastion』をリリースして以来の2作目という、新興のインディーズ・スタジオですが、作品の完成度の高さからすでに今世代の代表的なスタジオの一つと目されていると言えるでしょう。


今回ご紹介する『Transistor』と、スタジオの前作『bastion』のトレイラー。

 古くからのゲーマーなら、ゲーム・デザインやアート・スタイルから『聖剣伝説』等ピクセルドット時代の日本の名作RPGを想起されるかと思います。そうした日本の作品からの影響については彼ら自身認めるところでありますが、実際のところ彼らの作品はドットの代わりにデジタルペイントで画面を構築しており、より繊細且つ高解像度になっています。そこからは、オリジナリティと同時に日本の黄金期のゲームへのリスペクト、そして日本の感性に追いつき、追い越してしまいそうなものを感じます。

 
〈Super Giant Games〉の作品のアートワークは美しく繊細で、どこか懐かしい。とくにわれわれ日本人にとっては。

 往年の日本へのリスペクトは多くのインディーズ・デベロッパーが持っていて、とりわけ2Dプラットフォーマーへの影響は計り知れないものがあるでしょう。たとえば2010年の傑作アクション・ゲーム『Super Meat Boy』は、作中のショート・ムービーにさまざまな日本作品へのオマージュを入れることで、その敬意を明らかにしていましたし、最近発売された『Broforce』は見るからに『魂斗羅』シリーズの影響を感じさせるなど、明示・非明示を問わず、彼らの作品のなかにはいまなお日本の過去のゲームの面影がしのばれます。


初っ端から『ストリートファイターII』へのオマージュたっぷりな『Super Meat Boy』。いろいろなBroが登場する『Broforce』は、往年のハリウッド映画とともに、『魂斗羅 』シリーズの影響も強く感じさせる。

 しかし一方で、両者の間にはなかなか埋められない溝もありました。それは日本のアニメチックな表現スタイルで、この点について肉薄するようなものは欧米からは長らく出てきていませんでした。しかし近年のインディーズ作品からはわずかながらその境界を超えるものが出てきはじめており、その一つが先の『Bastion』であり、またはアメリカの〈カートゥーン〉と日本の『ヴァンパイア』シリーズのキャラクター・デザインを組み合わせたかのようなアートワークの『Skullgirls』、そして今回ご紹介する『Transistor』です。

Skullgirlsからは、『ヴァンパイア』シリーズをはじめ、〈カプコン〉黄金時代のキャラクター・デザインのエッセンスを感じる。

■Jen Zee氏によるアートワークは圧巻の一言

 『Transistor』の魅力は先ほども述べたように世界観、とくに日本的感性をも感じさせるアートワークにあります。ゲームの舞台はCloudBankと呼ばれる近未来都市で、歌手をしていた主人公のRedが陰謀に巻き込まれつつ、その過程で手に入れた謎の剣Transistorを使って戦っていくというのが大まかなストーリー。

 前作『Bastion』は優れているとはいえ、穿った見方をすれば日本の『聖剣伝説』等の作品の延長線上にある世界観だと言えなくもなかったのですが、本作はサイバーパンクにアール・ヌーヴォー様式を交えた、よりオリジナリティの高い世界観になっています。

 
時おりイベント・シーンで挿入されるイラストも美しく、オリジナリティがある。

『Bastion』と『Transistor』のアート・ディレクションは、いずれもJen Zeeという方がほぼひとりで手掛けており、彼女のアジア系アメリカ人という出自は、欧米産のゲームでありながらも日本的感性に通ずる、繊細でアニメチックなデザインのアートワークにつながっていると断言できるように思います。

 彼女のイラストは〈Deviant Art〉の氏のページ(https://jenzee.deviantart.com/)でも見ることができます。しかし、同じくイラストを生業としている僕の身から憚りなく言わせていただくと、このページで見られる彼女のイラスト一枚一枚はそれだけでは圧倒的というほどではない。もっと優れたイラストの描き手はまだまだいるというのが実状でしょう。

 しかしゲームのアート・ディレクションという観点で彼女の業績を見た場合、およそ匹敵し得る仕事を成した人などほとんどいないのではないでしょうか。前述したように『Bastion』にせよ『Transistor』にせよ、キャラクター・デザイン、背景デザイン、個々のゲーム用のアセット作成、各種イラストに一挙に携わっているのは驚異的です。

 そんな、一人の絵描きによる完全に統一された世界観の強さが、『Transisotr』にはあるのです。

■RPGではお馴染みのシステムに一捻り加えたゲーム性

 〈Super Giant Games〉はアートだけのスタジオではありません。肝心のゲーム・デザインの方でもその完成度はたしかなもの。ジャンルとしてはアクションRPGの部類に入りますが、前作『Bastion』がオーソドックスなアクションRPG的なシステムだったのに対し、今回の『Transistor』はそこにも工夫を加え、さらなる進化、オリジナリティを獲得しています。

 本作の戦闘はアクションRPGの呼び名どおり、基本的にはリアルタイムで進行し、プレイヤーはその中で攻撃したり回避したりといったことをするわけですが、「Turn()」と呼ばれる作中のシステムを使うとそれが一変するのです。

 Turn()を発動すると時間が静止したような状態になり、プレイヤーはその状態から次の行動を予約する事ができます。1回のTurn()でできることの上限は各行動のコストにより制限され、予約した行動は基本的に間髪を入れず一方的に実行できる。

 要するにRPGのターンシステムとほとんど同じなのですが、任意のタイミングで発動させることが可能で、また、一度用いると使ったコストの分だけクールダウンが必要となります。そのため、アクションRPG的な面とターン性RPG的な面をそのときどきの事情を見ながら使い分けていく戦略性、またTurn()を使ったときの一方的に敵を蹂躙できる爽快感が本作のおもしろさの一つとなっているのです。

Turn()の仕様は動画で確認するのが一番わかりやすい。

 もう一つおもしろいのが「Functions」という独自の成長要素。基本的にはレベルアップ時に手に入るFunctions、これはいわばいろいろな効果を持ったカードのようなもので、それを武器であるTransistorに直接組み込むか、組み込んだFunctionsへのさらなるアップグレードとして使うか、自分自身に組み込むかによって効果がまったく異なってきます。

 正直なところ、このシステムはかなり複雑。僕も理解するのに暫く時間がかかり、完全に使いこなせたのは2周め以降でした。そこが1つの欠点でもあるのですが、逆に、理解できればこれほど自由度が高くて奥深いものもない。それぞれFncutionsの差別化がうまくいっており、組み合わせの実験ができる機会もあるので、毎回異なるカスタマイズにするもよし、一つの方向性を洗練させるもよしで、人によって千差万別のプレイスタイルが生みだせるでしょう。

 
Functionsの種類は16種×それぞれ3つの特性を考えると組み合わせ方は膨大だ

 1周8時間前後のプレイ時間で、登場する敵の種類もそう多いものではありません。しかし敵ごとの差別化がこれまたしっかりできていることと、このFunctionsの組み合わせの自由度、Turn()の戦略性のおかげで、中弛みもなく一貫して楽しく遊ぶことができました。むしろ前述する複雑さもあって、ゲームとしての本番は2周めからとも言え、2周めは同じFunctionsの2枚めが手に入るので、同一Functionsの掛け合わせによるさらなる自由度と深みが待っています。


■『Transistor』の音楽

 海外の大作ゲームにおいて、音楽がどんどん映画音楽と同じ方向性を突き詰めつつあるのに比べ、インディーズの方はもっと扱う曲の幅が広く、また、同じくインディの音楽アーティストと組むことも多いと言えます。

 『Transisntor』もその例に忠実で、ブルックリンのインディ・バンドControl Groupのメンバー、Darren Korb 氏が手がけたサウンドトラックがなかなか魅力的な出来です。主人公Redの職業が歌手ということもあり、たびたびヴォーカル入りの曲が挿入されたり、Turn()発動中は曲にハミングが挿入されたりといった作りこみも繊細でいい。

 またヴォイスアクトも、登場キャラクターは少ないですが、どれも良質で楽曲と同じく繊細さを感じさせるのが気に入っています。

 なお、サウンドトラックは単体で販売されている他、Youtubeでも公式で無料配信されているので、興味のある方は聴いてみるとよいでしょう。



■まとめ

 インディーズの勢いは止まる気配がありません。それはまさに破竹の勢いで、数はもちろん質的にも素晴らしいものが増えてきています。従来のコンシューマ・ゲームが大作化と少数化の一途をたどっているのとは対照的で、業界全体の勢力図はつねに変動していますが、多様性という点ではいまがもっとも熱い時期と言えるのではないでしょうか。

 この『Transistor』も間違いなく本年を代表するインディーズ・ゲームの1本として数えられましょう。これがわずか12人のスタッフによって作られたというのだから驚きだし、また記事中何度も触れたように、そのできあがった作品が日本的センスに肉薄しているのも驚きであります。

 pixivやDeviant Art、いまはなきCG Hub等のイラストSNSを見ていると、外人でありながら日本的感性を感じさせる、または日本らしさと欧米らしさの良いとこ取りのようなスタイルのアーティストをよく見かけます。そんな彼らのほとんどがJen Zee氏と同じく中国系、あるいは韓国系の出自であるというのは特筆すべき点であり、きっと今後も彼らのそうしたセンスを掛け合わせたインディーズ・ゲームが登場してくることでしょう。

 こうした世界の動きに対して、日本のゲーム・デベロッパー、またはイラストレーターが従来のコンシューマ、インディーズともに出遅れているのは残念なことではありますが、それはおき、ひとまずは海外ゲーム市場のこの盛り上がりを素直に喜びたいと思います。

 いまさらって感じもあるんで、飛ばしていきます。
 前回は……ビザも帰りの航空券もなかったものの、EU加盟国でないスイスに無事入国。かの地のゲストへの歓待ぶりに感心し、まだもう少しつづくはずの旅について夢想しつつ結んだのだった。ローブドア(Robedoor)のブリット・ブラウン(〈NNF〉代表)、アレックス・ブラウン(ローブドア)、マーティン(サンド・サークルズ/Sand Circles)僕の4人はチューリッヒからバーゼルへ入った。

■OCT 18th
 最初にツアー日程を確認した際に、なるほど、18日はバーゼルでデイオフなのね。観光できるのね。と浮かれてみたものの、まさかのハコの名前が〈OFF〉っつーオチでした。この日はよくも悪くもいわゆるパンク・スクワットな場所で音質はもちろん劣悪。集客もマチマチといったところで不完全燃焼であった感は否めない。翌朝にロザーン入りする前にギーガー美術館へ行こうということになり、イヴェント終了後に身内で勝手に『エイリアン』をスクリーンに上映しながら飲みはじめる。僕ら4人が『エイリアン』にエキサイトしている階下にお客さんのひとりが申し訳なさそうに降りてきて『マーチを売ってほしいんだけど……』と言われるまで完全にライヴをおこなったことを忘れていた。ちなみにこのハコっつーか、ビルに宿泊してたわけだが、シャワー風呂がなぜか台所に置いてあるフランシス・ベーコン・スタイルで家人にモロ出しだった。しかも窓際でカーテン無しなので向かいの家にもモロ出し。逆にお返しのつもりなのか、向かいのお姉ちゃんがベランダからオッパイ見せてくれました。これ、バーゼルのハイライト。

■OCT 19th


ギーガー美術館にたたずむアレックス

 ロザーン入りする前にグリュイエールのギーガー美術館へ(R.I.P.)行く。山腹にそびえ立つグリュイエール城への道のりに建立されるこの美術館はパーソナル・コレクションや併設展も含めて予想以上に見応えのあるものであった。ギーガーのイラストレーションとグリュイエールの幻想的なランドスケープが相乗する不思議な感覚には体験する価値があるとここに記しておこう。ロザーンでの衝撃はele-kingのウェブ版にも紙面にも書いてしまったのでこれ以上はクドいため割愛させていただこう。〈ル・ボーグ〉、ルフ・フェスティヴァル、エンプティセット、エンドン最高!

■OCT 20th
 ジュネーヴでこれまで同行してきたサンド・サークル(Sand Circle)のマーティンとの共演も最後となる。そして翌日から代わって同行するカンクン(Cankun)のヴィンセントとホーリー・ストレイズ(Holy Strays)のセバスチャンが合流する。ヴィンセントはモンペリエ、セバスチャンはパリを拠点にするフレンチ・ドュードだ。早速レーヌのハイ・ウルフ(High Wolf)をネタにして盛り上がる。ハイ・ウルフことマックス・プリモールトは素晴らしい。彼と時間を過ごしたことのある人間は彼をネタにせずにはいられないのだ。すべてのツアー・ミュージシャンはそうあるべきではないだろうか?


“サイケデリック・ループペダル・ガイ”、カンクンのステージ

 サンプリング・ループとギター演奏によるリアルタイム・ループで構成される初期サン・アロー以降、〈NNF〉周辺で定番化した「サイケデリック・ループペダル・ガイ」という点では、カンクンもハイ・ウルフに近いスタイルだ。しかしハイ・ウルフがクラウト・ロックをベースとしたワンマン・ジャムであるのに対し、カンクンの展開はもっとDJミックスに近い。ダンス・ミュージックとしてのグルーヴが強いのだ。〈メキシカン・サマー〉からの次回作を期待させられる演奏を披露してくれた。
 セバスチャンのホーリー・ストレイズはなんだろう……僕が聴いた初期の〈NNF〉リリースのサウンドとはだいぶ異なっていて、ラウンジっぽかったり、トリップホップっぽかったり、ジュークっぽかったり、ウィッチハウス的な雰囲気も……まぁ如何せんものすっごい若いのでいろいろやりたいのでしょう。インターネット世代のミュージシャンと少し垣根を感じる今日このごろなのです。
 アナーキスト・バー的なハコ、〈L'Ecurie〉もナイスなメシ、ナイスガイズ、ナイスPAと最高のアテンドを見せてくれた。このハコや〈ル・ボーグ〉のようにアトリエ、ギャラリー、居住スペース、パフォーマンス・スペース、バーを一か所に集約している場ってやっぱり発信力とかアテンドが圧倒的に強いと思う。


〈ル・ボーグ〉にて

■OCT 21st


BUKAのステージ

 マーティンとの別れを惜しみつつも5人編成となりミラノ入り。この日のハコの〈BUKA〉はかなりイケてた。もともと70年代に建てられた大手レコード会社(Compagnia Generale del Disco)のビル、つまりオフィス、ウェアハウス、レコーディングスタジオ、プレス工場や印刷工場が併設される巨大な建造物の廃墟なのだ。このレコード会社は80年代のイタロ・ディスコ・ブームで一世を風靡するものの倒産、88年に建物をワーナーが購入するも90年代半ばに断念、長らく放棄させられていた場所で、その一部を改築し、2012年からアート/イヴェント・スペースとして再生したのが〈BUKA〉である。一部というのは本当に一部の地上階からアクセス可能なオフィス、講堂(70年代風のレトロ・フューチャリスティックなコロッセオ型の講堂! ライヴはここでおこなった)のみで、敷地の大半は完全に打ち捨てられた状態である。もちろん電気も通っておらず、サウンドチェックを終えた僕とブリットらは懐中電灯を頼りに探索、男子たるものはいつになってもこーゆーのに心くすぐられるのである。この日のライヴはURサウンドが収録してくれたようだ。

■OCT 22nd
 この日からフランス入り、初日はモンペリエ。これまでサウンドチェックに入る際に必ずスタッフに訊ねていたことがふたつある。ひとつはDIはいくつあるのか? もうひとつは誰がネタを持っているのか? だ。フランスに入ったこの日からふたつめの問いかけに対するリアクションがあまりよろしくなかった。この日はライヴ終了後にマイクでオーディエンスに問いかけるものの単なる笑いものになってしまった。イヴェント終了後、みんなはディスコ・パーティへ向かうものの僕ひとり不貞腐れて宿に着いて寝た。ちなみにここまであんまり書いてないけどツアー中は男同士ふたりでワン・ベッドでも普通に寝れる。ツアーって恐ろしいよねーって朝起きて横で半裸で寝ているブリットを見て思った。

■OCT 23rd
 フランスのお次はトゥールーズ。前日に引きつづきライヴ・バー的な場所。この日もハコの連中は僕の要求に応じてくれず、このあたりからフランス自体にムカツキはじめるもこの日は対バンのサード(SAÅAD)が爽やかな笑顔でわけてくれた。サードはローブドアやカンクンのリリース元であるハンズ・イン・ザ・ダーク〈(Hands in the Dark)〉がプッシュするドゥーム・ゲイズっつーかダーク・アンビエントなバンドである。先日同レーベルからデビュー・アルバムであるディープ/フロート(Deep/Float)が発売されたようだ。シネマティックなダーク・アンビエント好きは要チェックだ。


ブリットとスティーヴ

 この日の僕のハイライトはシルヴェスター・アンファング(Silvester Anfang)のスティーブがたまたまライヴに遊びに来てくれていたことだ。スティーヴはフランダース発、暗黒フリーフォーク集団フューネラル・フォーク(Funeral Folk)及び現在のシルヴェスター・アンファングII(Sylvester Anfang II)の母体となったシルヴェスター・アンファングの創始者である(ややこしいんですけど改名前はサイケ・フリーフォークを主体とし、改名後はサイケ・クラウトロックを主体とする別バンドなんだ! と力説していた。そのあたりもアモン・デュールに対して超リスペクトってことなんですね)。ベルギーのエクスペリメンタル・レーベル代表格、〈クラーク(Kraak)〉のメンバーでもある彼がなぜここに? というのも嫁がトゥールーズの大学へ通っているとのことで数ヶ月前に越してきたらしい。数年前からアートワーク等を通して交流はあったものの、このようなかたちで偶然会えるとは本当にうれしかった。

■OCT 24th


ソーヌ川に浮かぶハコ〈ソニック〉

 リヨンへ到着。この日の〈ソニック〉はソーヌ川に浮かぶハコ……というか船なのだ。その昔サンフランシスコでバスの座席を全部取り外して移動式のハコにしていた連中を思い出す。リヨンの町並みは息を呑むほど美しい。ユラユラするハコも素晴らしい。ワインもおいしい。音は90db以下だったけれどもまぁまぁよかった。この日も誰もネタをわけてくれなかった。フランス人の田舎モンどもなんかファ……などとヴィンセントに悪態をつきながら床に着いた。

■OCT 25th


パリス・キッズ。

 パリへ到着。僕は今回のローブドアのヨーロッパ・ツアー最終地点であるバーミンガムの〈ブリング・ダ・ライト・フェスティヴァル〉には参加しないのでこの晩が彼らとの最後の共演となる。パリでのショウを仕切ってくれたフランチ・アレックス(アレックスはいっぱいいるので)はフランスのインディ・ミュージックのウェブジン、『ハートジン(hartzine)』のリポーターで、DIYテープ・レーベル、〈セブン・サンズ〉の主宰者でもある。フリー・スペース〈ガレージ・ミュー(Garage MU)〉でのイヴェントの集客と盛り上がりはすさまじい熱気であった。パリのキッズはイケている。今回のツアーでもっともヒップスタティックな客層であったかもしれない。カンクンもホーリー・ストレイズも最終日ということで気合いの入ったラウドのセットを披露してくれたし、ローブドアもこれまででもっとも長いセットを披露した。ネタも大量良質で感無量である。例のごとくチーズとワインとジョイントで夜が白むまで最終日を祝った。僕はパリにもう一日滞在してグスタフ・モーロウ美術館をチェックすることに決めた。パリ最高!

■OCT 26th
 ローブドアのブリット、アレックス、カンクンのヴィンセントと別れを惜しみつつも単身パリに残る。この場を借りてブリットとアレックス、マーティンにヴィンセント、セバスチャンとそして何よりプロモーターのオニトと各地でアテンドしてくれたローカル・メイトたちに心底感謝を表する。あんたら全員最高。

 パリなんかクソだ。グスタフ・モーロー美術館は改装中で閉館していた。門の前で呆然と立ちすくむ僕とブルガリアからの旅行者のじじい。ダメ元でピンポンを連打し、出てきたおばちゃんに作品あるならチョコっとでも見せて~と懇願するも鼻で笑われ門前払い。仕方なくポンピドー・センターへ向かい、クリス・マルケルの回顧上映会を見るが煮え切らず。カフェでレバノン出身のカワイ子ちゃんと談笑して癒されるもメイク・アウトできず。物価も高い。駅のジプシーウザい。パリなんかクソだ。

■OCT 27th


トゥールーズにて、夜景。

 ツアー終了とともに足が無くなったので激安長距離バス、ユーロ・ラインで友人の家へ転がりこむためパリからバルセロナへ向かう。激安なので赤ん坊が泣き叫ぶ車内で隣の席の人の体臭がゴイスーな小便クサいゴミまみれのクソバスを想像していたがンなことはなく、むしろ快適に(ワイファイ有り)移動する。途中で停車したパーキング・エリアで、トイレ休憩がいったい何分なのか、フランス語がまったくわからないので他の旅行者風の乗客に訊ねる。ようやく英語が介せるジャーマン女子がいて助かった。なになに、バルサには瞑想プログラムを受講しに行くだって? ニューエイジだね。スピってるね。次の休憩所でドリフター風のフレンチ男子に話しかける。なになに、とくに目的もなく旅行中? いい感じじゃない。え? ネタ持ってきてんの!? じゃあとりあえず巻こうよ。バスがしっとりとした闇夜の荒野を疾走していく中、僕はこの旅が終わらないことを夢想しながら眠りについた。

 無駄にドリフトはつづく……次回はバルセロナから極寒のNYへ。

■ Dum Dum Girls @ Prospect Park 6/21/2014

 6月も毎週のように、たくさんのイヴェントが開催されている。2週目はノースサイド・フェスティバル、3週目は、恒例のマーメイド・パレードがコ二ーアイランドで、メイク・ミュージックNYがNY中でおこなわれ、プロスペクト・パークでは、ダム・ダム・ガールズ、ホスピタリティ、ティーンというインディロック・ファン感激のラインナップのフリーショーが開かれたセレブレイト・ブルックリンという以前レポートした、チボ・マットと同じイヴェントである(ロケーションは違う)。

 公園内では、家族やグループによるBBQがそこかしこである。その良いにおいの間をすり抜けていくと、バンドシェル=ステージが見える。たくさんの人が芝生に寝転がったり、ピクニックをしている。

 現在夏のフェスティバルを慣行中のダム・ダム・ガールズ、コチェラサンフランシスコでは、アート作品のようなコスチュームで登場したが、ファミリーフレンドリーの今回のショーでは、よりコンサバな衣装だった。彼女たちのショーでは、いつも黒ずくめの彼女たちが白で登場したりなど、コスチュームの話題が絶えないのだ。

 ダム・ダム・ガールズのライヴは何度見ても、そして、見るたびに「なんて痛いんだろう」と思う。金髪から黒髪になったディ・ディ・ペニーが歌っているときは、彼女に何かが憑依しているようにも見えるし、歌に何かを封入して、祀り上げているようにも見える。
 今回は、新アルバム『Too True』からの曲がほとんどで、ライヴには、サードギター(男性)が入り、全体的にタイトで凝縮された演奏だった。ライヴの後半では、新作から、アルチュール・ランボーのもっとも有名な詩──「酩酊船」を歌にした“Rimbaud Eyes”を演奏すると、「End of Daze EP」に収録されたザ・スミスのもっとも有名な曲のカヴァー、“There Is a Light That Never Goes Out’”を披露した。
 そのとき、ディ・ディはギターを弾かず、ハンドマイクで歌に集中した。絶望の淵を生きる若者の心情を綴ったモリッシーの悲しい歌を、彼女は、限界の限界まで搾り出すような声で歌う。ザ・スミスの音楽がいまでもアメリカで生きていることを証明するかのように、観客の歓声は半端なかった。
 ラストソングの”Coming Down”を歌い上げたとき、オーディエンスは拍手喝采。野次もあったが、それらは一切無視で、MCもなし。それが彼女たちのスタイルだ。

 ホスピタリティ、ティーンが残念ながら見逃してしまったが、見た人に聞くと、「ティーンは見るのに面白いライヴだった」、と。
 たしかティーンは、ヒア・ウィゴー・マジックの元メンバーがやっているバンドだ。ヒア・ウィゴー・マジックといえば、最近ジョン・ウォーターズがリリースした新しい本(ヒッチハイク本?)でジョン・ウォーターズがたまたまヒッチハイクしたのがツアー中のヒア・ウィゴー・マジックで、彼らが「たったいまジョン・ウォーターズをピックアップした」ツイートしたことで、ジョン・ウォーターズがヒッチハイクしているのがばれてしまった、などなど(著者はブック・サイン会に行った)面白いネタがある。

セットリスト: ダム・ダム・ガールズ @ プロスペクトパーク
6/21/2014
Cult of Love
I Got Nothing
In the Wake of You
I Will Be
He Gets Me High
Too True to Be Good
Are You Okay?
Rest of Our Lives
Bedroom Eyes
It Only Takes One Night
Under These Hands
Rimbaud Eyes
Lord Knows
There Is a Light That Never Goes Out
(The Smiths cover)
Lost Boys & Girls Club
Coming Down

interview with Passepied - ele-king

 幕の内弁当がいまのような姿を現すのはようやく江戸時代のことらしいというのはウィキペディアで得た情報だけれども、あのとりどりの惣菜が折詰に小さく仕切られて、デザイン性もゆたかに並べられている様子は、吹抜屋台というのだろうか、屋根をとりはらって中のお姫様やお殿様や女官たちを俯瞰で描く『源氏物語絵巻』など、もっとふるい絵巻物の構図を思い出させる。

 フル・アルバムとしては2枚めとなるパスピエの新作に冠されたタイトルは『幕の内IZM』。「全曲シングル出来」と喧伝されるように、各楽曲には卓越したソングライティングや繊細なアレンジ、小技を効かせたタイトなアンサンブルが光り、ニューウェイヴィなシンセ・ポップからソリッドなポストパンク調、ピアノやオーケストラ・アレンジが華やかなロック・ナンバー、変拍子と転調を重ねるプログレ展開……と、さながらいちょう切りのにんじんや、丁寧に俵型に型押しされてごまをかぶった白米のように、幕の内なヴァリエーションが詰め込まれている。しかし、幕の内弁当のように多彩でよくできたアルバムですね、というのでは言葉足らずだ。パスピエの「幕の内」はただ品数やデザイン性という特質を超えて、あの俯瞰構図が思い起こさせる「日本らしさ」へとさかのぼっていくように思われるからだ。

 大胡田なつきのジャケット・デザインもそんな空想を手助けする。ポップアップ式で日本家屋の一隅が展開し、立てて置くとその全体が俯瞰できる。日本画の絵具で塗られた少女たちが遊び、佇み、異なる場面や異なる物語が同一画面に収まってしまうという、あの絵巻的な時間と空間。そこではやがて、ジューシィ・フルーツを垣間見するイエスや、文箱を開ける矢野顕子のホログラムが明滅を繰りかえすだろう──。一人称を起点に歌うのではなく、また三人称の物語を紡ぐのでもない、その両者がとけあいながら並び、時間を混在させ、木と紙でできた箱を華やがせるその様子には、メイン・パーソン成田ハネダが述べるように、頭にJをつけて異物を取り込んでしまう敷島の大和心が奇妙なかたちで表れているのかもしれない。

 今作において成田ハネダは、海外からみた日本を意識したと言う。いや、そもそもの最初からパスピエの音楽にはJ-POPとはどんなものなのかという問いかけがあった。大学で西洋の音楽を修め、ロックやパンクはその後に出会ったというこの鍵盤奏者は、日本のポップ・ミュージックに対しても、その内側からではなく、まさに絵巻物のように俯瞰的で、視線がけっして内面化されないような地点から接してきたのだろう。

 『幕の内ISM』は、そうした意味で日本のポップスを相対化し、イミテートする、過激な実験化合物のような色をしている。これまでの作品に増して「皮をかぶったJ-POP」を加速させ、むしろそのことでその皮が破れ、エクスペリメンタルにJ-POPという幕の内をさらすものに仕上がっている。初期衝動ゼロのつめたい批評性と、限界まで伸張させたJ-POP要素とが激しく摩擦を起こし、いまにも発火しそうだ。


セカンド・アルバム『幕の内ISM』のジャケット展開イメージ

■パスピエ/Passepied
2009年に成田ハネダ(key)を中心に結成。バンド名はフランスの音楽家ドビュッシーの楽曲に由来。2011年にファースト・ミニアルバム『わたし開花したわ』、2012年にセカンド・ミニアルバム『ONOMIMONO』をリリース。2013年には初のシングル『フィーバー』つづけてメジャーで初となるフル・アルバム『演出家出演』を発表。数々の大型ロックフェスへの出演、またワンマン・ツアーを成功させ、今年はEP『MATATABISTEP/あの青と青と青』、セカンド・フル『幕の内ISM』のリリースでキャリアにさらなる弾みをつけている。
Vocal : 大胡田なつき Keyboard : 成田ハネダ Guitar : 三澤勝洸 Bass:露崎義邦 Drums:やおたくや

成田ハネダのポップス観


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まず、整理のためにおうかがいしたいのですが、最初のミニ・アルバム『わたし開花したわ』(2011年)の時点では、メジャー契約前ということになるわけですよね?

成田ハネダ:そうですね。

とすると、ある種の契約関係のないところで作られてきた曲というのは、だいたい『わたし開花したわ』の時点で発表済みということになりますか?

成田:そうですね、僕らの場合は、その作品のリリースまでに作った曲がその作品に収録されるというかたちですね。例外もあるんですけれど。

そうなんですね。最初のミニ・アルバムでひとつ区切りができているという。では、メジャーというところへひとつステージを上げたことによって、何か変化を意識しましたか? たとえば、誰に向けて作っているのか。

成田:うーん、誰に向けて作るというようなことはあまり意識したことがなくて。僕はバンドをはじめたのがすごく遅かったので、「誰に共感させたらいいんだろう?」ってことよりも、「誰が共感してくれるんだろう?」っていう興味のほうが大きかった部分はありますね。
 いまは曲についての感想をツイッターのリプライとかでいただいたりすることが多くなりましたけど、年齢や顔が見えるわけではないので、おもに反応を意識するのはライヴだったりするんですよ。そのライヴのお客さんが、年々変わってきていたりすることは感じます。

あ、やっぱりそうですか。

成田:そうですね。最近はどんどん若い方が来てくださるようになったと思います。

なるほど。その変化に対して自分たちからも投げ返すという感じですか。

成田:そうですね。『わたし開花したわ』の頃はけっこう年齢の上のかたが来てくださっていました。

その感じはわかりますよ。変な言い方ですが、音楽的にちょっとうるさいような、玄人感のあるお客さんというか。若い人が増えたというのは象徴的だと思うんですが、今作について、よりポップに開き直るというような部分はなかったですか?

成田:「開き直る」というのは、よりポップを意識するということですか?

そうです。へんに悪い意味にとられたくないのですが。

どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。   (成田)

成田:そうですね、そもそもの話からすると、僕の場合は、衝撃を受けたライヴ体験が小さなライヴハウスでの経験だったりするわけじゃないんです。どちらかというと、大きなフェスに行って衝撃を受けて、フロアで2万人、3万人を沸かせるアーティストってかっこいいなって思ったのがはじめで。それでバンドを作ったんですよ。そのころは、そういう大きなステージで活躍しているアーティストはメジャー契約というものをしている人たちなんだっていうふうに思っていたし、それならば自分たちもメジャー契約をしたい、という感じだったんです。
 でも、何年かやっていくうちに「彼らはメジャーに行って変わってしまった」というような反応をきくようになりました。そのときに、インディからメジャーへ行くというのは、アーティストだけじゃなくてリスナーにとっても意識を変えさせられることなんだなってことを理解するようになって、だったら僕はその逆をやりたいと思いました。僕の中では『わたし開花したわ』に入っている作品がいちばんメジャーっぽく作ったものなんです。

へえ!

成田:バンドなのに思いっきりオーケストラ・アレンジをしている曲だったり、これだったらテレビで流れてもおもしろいんじゃないかなっていうような曲だったり。はじめはそういうものを作っていたつもりで、メジャー契約したあとは、むしろ自由なことをやらせてもらっているような気がします。

なるほど。

成田:なので、ポップスの純度という点で『わたし開花したわ』がいちばん高いものであって、その濃い薄いが以降の作品の差だというのが僕の感触なんですよ。

先に『わたし開花したわ』というイデアが提示されてしまっていると!

成田:バンドをやる上で、メジャーでやりたいという思いがすごくあったので、だったら最初から出来上がっていればいいんじゃないかと考えていたと思います。

それはまた、ある意味複雑な出発点ですね(笑)。たとえばメジャー・リリースのファースト・アルバムとなる『演出家出演』ですけど、あの冒頭のフュージョンっぽいアンサンブルの一曲を比較しただけでも、今作『幕の内ISM』ってずっとポップでメジャー感があると思うんですね。

成田:はい、はい。

それって、単純に自分たちのモードの変遷だということなのか、それとも、たとえば若いリスナーが増えたというような背景も受けて、いままでとちがうところに向けて開いていこうとするものがあったんでしょうか?

成田:やっぱり、つねに新しい人に聴いてもらいたいっていう欲求があるので、いま聴いてくれている人たちとはべつのジャンルに届かせるためにはどういうアクションがあるかなっていうことはつねに考えながら作っています。でも『演出家出演』は、僕たちのなかではライヴとかフェスを意識して作ったものなので、そのひとつのモードが終わったということはあるかもしれません。
 それで、いざべつのターンに入っていこうとするときに昨年音楽的に影響を受けたのが、「民族性」っていうことだったんです。

え、「民族性」ですか。

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日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて。   (成田)

『幕の内ISM』の民族性

成田:はい。音楽を聴いたり、美術館に行ったりして思ったことがあって、次のアルバムでは「民族性」ということを活かしたいと考えていました。ライヴを意識していく前作の方向性とはぜんぜんちがうベクトルで、今作は民族性というテーマを持ちたいと。

オリジンということですか? それとも、たとえばダーティ・プロジェクターズなんかが実験的に接近していくような「民俗」、土地に固有なカルチャーへの興味ってことですか?

成田:大胡田は絵だったり詞だったり、わりと総合的に発信するものがありますけど、僕の場合は音だけで、音が持つ土地感のようなものに興味を持ったんです。以前からそういうものはおもしろいなと思っていて、それをバンドでも表現したいと思いました。

なんというか、それは槍を持ってたりとか、単純に民族楽器を使ったりとかってことではないわけですよね。もうちょっと「民族性」ということについて教えてもらえますか?

成田:たとえば韓国ならK-POPだったり、イギリスならUKロックだったり、北欧なら北欧でいろんなバンドが存在していますけど、その国らしさというものがあるじゃないですか。先入観かもしれませんが。

はい、はい。

成田:それで、日本ならば民謡だったり雅楽だったりという古い音楽だけじゃなくて、ちゃんとJ-POPにも(民族性というものが)あるなあと感じたんです。

なるほど、日本の民族性、オリジンというようなことですね。

成田:そうですね、それを日本の人に向けて発信するというのではなくて、世界からの視線に対しておもしろいものが作れたらいいなあと思ったんですよね。それに、尺八の音を使ったり和太鼓の音を使ったりということではなくて、いままでやってきたバンドのサウンドでいかに表現するかっていうことに重きをおきました。

おもしろいですね。自分たちのルーツを探るというモチヴェーションならわかりやすいんですが、なぜか世界からのまなざしを意識していると。

巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。 (大胡田)

『演出家出演』までって、やっぱりインディ・バンドだったと思うんですよ。すごくニューウェイヴでロックで、それをある意味でエッジイに追求していて、メジャー・リリースだけどインディ・バンド。それに対して、今作はそういう角が取れている部分があって、曲のアレンジやらプロダクションからいっても、あらためてJ-POPのステージに立とうとしているような気がしたんです。それが、パスピエにとっての民族性の追求ということなんでしょうか?

成田:日本の音楽って、J-POPに限らず融合の歴史だと思っていて。たとえば古い時代なら、中国なり東南アジア由来のものを日本の風土に親しみやすいように取り込んでいく。いまはもっと世界的にいろんなものが混ざり合っていて、音楽もそうなっていますよね。でも日本の場合はJ-POPとかJ-ROCKとか、細かくカテゴライズされてはいるけど、必ず頭にはJがつく。それはいろんなものを取り入れた上で、それでも島国らしく自分を出していくっていうことに感じられて、そういうことがおもしろいなあと思うんです。

そのへんは「ガラパゴス」という言葉もありますね。いろんなものが日本という閉じられた環境のなかで奇妙なかたちに煮詰められてしまうと。成田さんのおっしゃる「J」っていうのは、今作だとどのへんに出ていると思いますか?

成田:今回はJ-POPの中のバンドではなく、「POPの中のJ-POPバンド」をテーマに作ったので、どのへんというよりは全体のイメージだと思っています。あくまでも主観ですが。

制服、着物、巫女──大胡田なつきの女の子

大胡田さんの絵の、女子学生、制服、着物、巫女というのも、ある意味で煮詰められた「J」の表現かと思うのですが、ご自身のなかではそういうオリジンとか日本というのはどんなものなんですか?

大胡田なつき:わたしはわりと、小さいころから「日本に生まれてよかったなあ」って。日本が好きだと思うことが多かったんですけど、それは自分が生きているいまの日本とはちょっとちがって、本のなかで読んだりする昔の日本だったんです。

ああ、古い日本なんですね。昭和とかよりずっと昔の?

大胡田:どのくらいだろう……。『斜陽』(太宰治)とか、夏目漱石とか。

なるほど、ちょんまげまではいかない、ぎりぎり写真が残っているような近代文学の日本ですね。

大胡田:そうですね、そのくらいの日本が好きです。本とかもわりと読んでいたほうなので、そのせいもあるかもしれないですね。でも今回のアルバムのジャケットなんかは、『演出家(出演)』を作り終わったくらいのころに浮世絵とか日本画の道具に興味を持ったので、その影響ですかね。パスピエってフランス語なんですけど、日本の色ってフランスの色に共通しているようなところもあって、いろいろ調べたりもしました。
 わたしはとくに成田さんのように民族性を意識したりということはなくて、ただ自分が描きたいから描いただけなんですけど、アルバムになってみると成田さんと似たようなものを表現していきたいと思った時期だったのかなとは感じましたね。

女子学生で制服で着物でってなるとどうしても会田誠さんを思い出してしまったりもするんですが、お好きだったりしますか? あるいはどこかに同じようなアプローチを感じたりとか。

大胡田:どうかな……、並べられるかな(笑)。

ははは。刀こそ出てきませんけどね。

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自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像っていうところがあるんですね。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。   (大胡田)

あるいは、大胡田さんは巫女さんを描かれることも多いですけど、この女性のモチーフってご自身のなかの何なんですかね?

大胡田:巫女さんとかセーラー服とかって、好きな人が一定数いるじゃないですか。わたしもそのなかのひとりっていうだけだと思うんですけど(笑)。

あはは! いや、でもそれって男性に近い感じの目線なんですか?

大胡田:わたしのなかでは、自分の描いている女の子のかたちっていうのは、自分のなかの女の子の理想像──わたしのなかの女性っていうのはこういうものだ、っていうところがあるんですね。だからわりと、靴下脱いでる女性とか、ポーズがあんまり女性らしくなかったりすると思うんです。そこは男性の目線から見る可愛らしい女の子というのとはちょっとちがうものだと思います。

男性から見てセクシャルな感じに記号化されている制服とか着物じゃないなってことは、わたしも思うんです。

大胡田:うんうん。

大胡田さんは、小川美潮さんとかがお好きだってよくおっしゃってますよね。成田さんは矢野顕子さんですか。おふたかたとも、ある意味では母性とか、古い制度とか因習に重たくとらわれた女性のありかたから跳躍しようとした人たちだと思うんですが、そんな感じですかね?

大胡田:そんな感じなのかはわかりませんけれど、自分が女性である、ということを全面に押し出していないところはすごく好きです。

泉まくらさんともいっしょに作られてましたよね(「最終電車 featuring 泉まくら」2013年)。彼女とはある意味対照的なタイプでいらっしゃるようにも見えるんですが、実際どうでしたか?

大胡田:わたし、まくらちゃんのアルバムをけっこう聴いているんですけど、わたしが外へ出さない部分──女の子らしさみたいなところを感じました。聴いていて「これはわかる」という部分はすごくあるはずなんですけど、その「わかる」の感覚に出会えるような生き方を自分はしていないなあ、と。まくらちゃんに共感する女の子は自分を含めて多いと思うんですけどね。

ある意味では大胡田さんは女の子らしくない(笑)。

大胡田:どうなんだろう(笑)。わたしは、女の子みんながまくらちゃんのような生き方をしているわけではないと思うけど──

詞にもけっこう対照的に出ていますよね。たとえば大胡田さんの場合は、詞では自分の内面みたいなもののなかに深く入っていかないじゃないですか?

大胡田:うん、そうですね。

それはパスピエの音楽性にとってもすごく重要なポイントだと思うんですが、逆に言うと、どうして、たとえばまくらさんのような詞を書かない/書けないんでしょうか?

大胡田:ちょっと(言葉が)自分に近すぎる……ということですかね。わたしが書いている歌詞の内容は、自分からはちょっと遠いところにあって。自分のなかから出てくるものではあるんですけど、一応「パスピエの大胡田なつきです」というふうに思っているので、自分の内面を書くということはあんまりない……かなあ。なんというか、わたしが歌詞を書くときは、もし自分に5つの面があるとすれば、そのなかのひとつについて書く、という感じなんです。だから、ちょっと自分からは離れているんですよ。

尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。   (成田)

“うた”とヴォーカリゼーション

なるほど、3人称的なものが多いですよね。このあいだニルヴァーナのムックが出ていましたけど(『ニルヴァーナ:グランジの伝説』河出書房新社)、死後20年なんですね。スキルとかじゃなくて、まず俺あっての音楽、というものの説得力が2000年代にはやや後退しましたけど、パスピエ的な音や佇まいは、そういうところにとてもしっくりきたと思うんです。成田さんは、大胡田さんの歌詞についてはどうですか?

成田:僕は、歌詞についてストーリー的な部分はあまり気にしていないので、一人称のものでも三人称のものでもそんなに気にならないですかね。詞で書いてもらう世界観は100%共有できるものではないと思っているので。それでも、そのなかで音楽を発信する身として共通する部分を見出していくとすれば、僕の場合はそれぞれの単語の響きだったりということになりますかね。あとは、実際に声に出しているのは大胡田なので、大胡田が納得する世界観で発信してもらえればそれでいいかなって思います。

なるほど、音として今作のヴォーカリゼーションを考えると、とくに高音で声を抜いたりしなくって、行くところまで行く、その意味で甘いとこがないという感じがしたんですが。歌唱法の変化って感じたりしますか?

成田:今回は歌い方、すこしちがうよね?

大胡田:基本的にはあまり変わらないんですが、曲も新しいので、新しい歌い方を使ったって感じですかね。

たとえば矢野顕子さんって、もし音程を外すことがあったとしても、それはすべて計算内というか、完璧にやれる上での外しだったりするんだろうなっていうイメージがあるんですが、今作の大胡田さんって少しそんな感じに極めていっている気がしました。

成田:ああ、それは目指したところでもありますね。前回は、ここを聴いてほしいっていうようなところとくにがなくて、ポイントポイントで照準を合わせていったという感じがあるんですが、今回ははじめて、どこに発信しても納得してもらえる、どこで演ってもどこで流れても成立するというものが作りたかったので、その点ではどこにも隙がないのがいいんじゃないかと思っていました。

ある面からすれば、ノイズや音程などもふくめて、音楽は作りこまれすぎないところに豊かさがあるともいえると思うんですが、その点はむしろすごく作っていくことで尖らせるというか。

成田:そうですね。まだいまの段階ではリリースされていないので、どんなふうに聴いてもらえるかっていう反応がわからないですが、尖らせていく、研ぎ澄ませていくという点について僕はなにも心配していないですね。DTMとか打ち込みとかで完成させていく音楽に、リスナーの人たちの耳はもう慣れ過ぎていると思うので。

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自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。   (成田)

ニューウェイヴ・ジャパン

パスピエは「みんなのうた」になったのかもしれませんね。矢野顕子さんも1曲ありましたよね。ニューミュージック系の人なんかもけっこう「みんなのうた」の後ろにいたりする。きちんと曲が作られて、きちんと演奏されて、隙のない歌が乗って、イメージも完成されていて、あと、日本の独特のものがあるじゃないですか。

成田:「みんなのうた」っていうのが僕の思い描くものと近いのかどうかわからないですが、今回は国内ということではなくて海外から見た日本も意識しているわけなので、そのへんが日本のニューウェイヴっぽかったりはすると思います。

オリジンを考えるときに、ニューウェイヴにいくっていうのはおもしろいですね。

成田:僕は、そこにウソがあったらいけないなと思っていて。僕たちは顔を出さないでやっていたりしたので、音楽までフェイクになってしまったらマズイなと思うんです。それこそ、江戸の趣味とか、雅楽とかを取り入れたとして、でもそれっていまの時代に本来はないものじゃないですか。そういうものは、いい悪いということではなくてフェイクだと僕は思っていて、自分にとっていちばんリアルにつながっている音楽的な日本のルーツというと、ニューウェイヴになるんじゃないかと思います。

さっき「クール・ジャパン」的な外部へ向けた日本のイメージ、あるいは外部から向けられた日本のイメージを意識していると言っておられましたが、それはどういうことになるんでしょう?

成田:「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。そこらへんのさじ加減は気をつかいました。すごく狭いところに行ってしまわないように。

自分の内側にもぐっていって日本を発見するというよりは、外国からの視線のなかにそれを見つけようとするわけじゃないですか。成田さんはピアノで西洋の音楽を本格的に学ばれてきたわけですが、それと日本が結びついた瞬間ってどこにあるんですか?

成田:それがパスピエですかね。「パスピエ」って、ドビュッシーという作曲家の曲名からとったんですが(『ベルガマスク組曲』終曲)、ドビュッシーに限らずその頃のフランスの作曲家とか画家には日本の愛好家がけっこういて、彼自身も楽譜の初版に『富嶽三十六景』(葛飾北斎)を使ったりしているんです。印象派じゃなくてもそれに近い時代の作曲家の作品には、どう見ても日本っぽいメロディがあったりして、それはあくまでフランスのもの音楽だけど、勝手に親和性を感じるところはあります。

「クール・ジャパン」というとアニメーションだったりボカロだったりということになるかと思うんですが、僕らがクール・ジャパンを意識して伝えようとすると、別のものになると思うんですよ。   (成田)

フランスは日本の2次元カルチャーなんかにも熱心ですよね。成田さんはたまたまフランスの音楽を学ばれたわけですが、それ以外のUKやUSの音楽にはとくに傾倒されなかったんですか?

成田:好きな音楽やアーティストはいっぱいいるんですけど、僕の場合はバンドをはじめてから掘り下げていったんですよ。

海外のロック、ポップスみたいなものを聴きはじめたのは何からなんですか?

成田:ほんと、レッド・ツェッペリンも知らなかったくらいなんですよ。自分がやるからには、いわゆる名盤と呼ばれているものが何なのかということを知らなければと思って聴きはじめましたね。さすがにビートルズは聴いたことがあったんですけど、オアシスとかからパンク、メロコアなんかまでさらう感じでした。

そうすると、日本のニューウェイヴのほうが、体験としては先にあったんですか?

成田:いや、フェスとかでロックという音楽に触れたことが僕の原体験だと思っていて、オアシスだ、ピストルズだというのが先でした。それでどうやって自分の音楽を作っていこうかなというところをつないでくれたのがニューウェイヴでした。

野田:ちなみに、日本のニューウェイヴっていうとどんなバンドですか?

成田:僕はニューウェイヴのバンドに行きあたる前に矢野顕子さんを知って、矢野顕子さんが当時YMOでツアーをまわったりしていたということでYMOを知って、そこで、どうやら彼らはニューウェイヴと呼ばれているらしいということを知った、という感じなんです。そこから同時期に活躍していたビブラトーンズやP-MODELだったりを知って、あらためてニューウェイヴっておもしろいなと思って、海外にもあるらしいぞ、というふうに広がっていきました。そのなかで、「ニューウェイヴというのはキーボードがいて電子音が使われていて……」という、それまで自分が勝手に固めていた解釈以外のバンドもたくさん知るようになって。だから、きっかけはバンドというか矢野顕子さんでした。

野田:とくにおもしろいと思った日本のニューウェイヴ・バンドは何だったんですか?

成田:僕は、ビブラトーンズですかね。

大胡田さんはジューシィ・フルーツとかヒカシューとか名前を挙げておられたように思いますけども。

大胡田:ジューシィ・フルーツとかは聴いてましたね。でも、わたしはとくに誰が好きで曲を聴くとかってことがないんですよね。あと、名前とかをぜんぜん覚えられない。

ははは! 系統立てて追っていこうとかってことではないんですね。

大胡田:もう、好きな曲を聴くってだけです。その人の曲を調べてどんどん聴いていくというようなことをしないので……。だから、「この時代なら誰が好き?」って訊かれても答えられないことが多いですね。

野田さんはニューウェイヴ観に相違を感じられました?

野田:いや、ビブラって意外だなと思って。時代によってやっていることがちがうけど、初期の歌謡曲っぽさが好きなの?

成田:そうですね、僕はニューウェイヴのバンド・マンがプロデュースしている女性アーティスト──早瀬優香子さんとか、鈴木さえ子さんとかにも並行してハマっていきましたね。だから歌謡曲っぽさに惹かれるところはあったかもしれません。

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アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。   (大胡田)

女性ヴォーカルは絶対という感じですか。

成田:絶対というわけでもないんですが、バンドを組もうと思った2006年くらいの頃は、男性ヴォーカルのギター・バンドがすごく多かったんです。まあ、僕の知る範囲では。それからキーボードの入っているバンドもいまほど多くなかったと思います。それで、なんとなく、これからバンドを組むなら女性ヴォーカルを入れるほうがいいんじゃないかというようなことを考えました。

歌唱力っていうと、大抵は声量が豊かなR&Bのシンガーなんかを暗に基準にしているところがあると思うんですけど、大胡田さんってそうじゃないですよね。太いわけじゃないけど、明確な子音とか、キーボードのようにぶれない波形、みたいな。ある意味で日本的というか。

野田:アニメの音楽の影響があったりというわけでもない?

大胡田:アニメですか。わたし、アニメってぜんぜん観たことなくて。よく訊かれるんですけど、アニメで好きな歌っていうとけっこう古いものになってしまうと思います(笑)。親が歌ってたから知ってる、とか。

成田:でも、絵も描いていたり、自分でマンガを描きたいって言っていたこともあるんですよ。だから、考え方が突飛というか、突然変異的なことが多くて。それこそ、ぜんぜんマンガを読んだことがなかったのにマンガ家になりたいって思ったりとか。僕が見るなかでは、何かにインスパイアされて表現が生まれるというよりは、自分が表現するための手段がそれだった、みたいなところがありますね。

なるほど。アニメの音楽っていっても、Jポップの市場がぶらさがっているだけってところもありますしね。

野田:成田さんから見た大胡田さんのヴォーカルの魅力はどこなんですか?

成田:まず声質ですよね。話し声をはじめて聞いて、普通の声じゃないって。それはいまでも強みかもしれないです。あと、本人がどう思っているかはわからないですけど、曲によって変えようとしているのがおもしろいですね。「どんな曲がきてもわたしはわたしの歌い方で」っていうのではなくて、特異な声質を用いて、曲によって様変わりしていこうとしているスタンスが。

ついアニメと比べてしまうような、ちょっと中性的というか、幼児性のあるような声質というのは、ニューウェイヴ的なものでもあると思いますけどね。

成田:そうですね。僕もアニメはぜんぜん観ないんですよ。ただ、当時のニューウェイヴの曲は、僕は素朴におもしろいと思って聴いていたんですけど、それが『うる星やつら』に使われていたとか、ゲームに使われていたというようなかたちで、思わぬところでそうしたカルチャーとつながることは多かったです。

それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。

バンドの意義、ハードの重み

ボカロはどうでした?

成田:僕はボカロも聴かなくて。ぜんぜん嫌いというわけではないんですけど、とくに感動できないということがあって。自分がピアノをやっていたときには、いかに一音で感動させるかというようなことにずっと取り組んでいたんですよ。ピアノには言葉がないから。ボカロとかも、ひとつの表現手段として、あるいはカルチャーとしておもしろいものだとは思うし、テクノロジーの進化ということで時代性もあると思うんです。けれども、作っている人間の感情を、発する音から求めたいと思うところがあるので……。

ボカロといっても要素は生の人の声なわけで、大胡田さんの声で「あ」から「ん」まで録音したサンプルをつなぐのと同じですよね。でも、彼女の歌と、彼女のあいうえおを単組み合わせたものとは違うんだということですか?

成田:そうですね。そう思っているし、それに対する僕らなりのポリシーとしては、同期ものをいっさい使わないところで表現をしていこうというところですかね。ニューウェイヴだ、電子音だ、っていうところで、同期ものをつかわないの? とよく訊かれるんですが、たとえ波形で見れば同じことだとしても、ソフト音源を使ったりとか打ち込みってことをやったことがないんです。全部ハードで録っているんですよね。PC上でMIDIでつないで鳴らすってことではなくて、ハードで鳴らすことの意義はすごく重く考えています。

野田:そこもすごくニューウェイヴ的なアプローチだよね。フライング・リザーズが風呂場でドラムを録るようなさ。テクノロジーに支配されない、テクノロジーは使うものだ、っていうね。

成田:なるほど、そうですね。

野田:ポップスの歴史ってだいたいはアメリカなんですよね。だから大瀧詠一さんが世界史を分母にして……っていうときの「世界」はアメリカのことで、細野晴臣さんとか矢野顕子さんとか、あの世代まではみんなアメリカの音楽の影響を受けているわけ。でもニューウェイヴだけがヨーロッパの音楽なんですよ。小室哲也っていう例外はあるんだけどね。

成田:はい、はい。

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「理想」と言えない感じ。たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。   (成田)

理想を言えない時代の“Shangri - La”

野田:それで“Shangri - La”(『MATATABISTEP/あの青と青と青』、2014年)をやるっていうのは、電気グルーヴのなかにニューウェイヴっぽさを見たというようなところなんですか?

成田:もちろんそれもあるんですけど、やっぱり僕はその「シャングリラ(理想郷)」っていうテーマ自体に惹かれたんだと思います。なんか、いまやることで時代の気分が出るかなとも思いました。それに、「電気グルーヴがやりたい、そのなかで有名な曲を選ぼう」ということではなくて、電気グルーヴと“Shangri - La”がセットだったという感じですかね。

なるほど。

成田:いまは「理想」っていうことを聞かなくなったと思うんです。世の中的に。

シニシズムということですか?

成田:うーん、そういう「理想」が言えない時代だというか。僕らが“Shangri - La”をやることによって、それを新たな意味で示すことができるんじゃないかという思いがちょっとあります。音楽的にはまじめにやっているんだけど、とらえられかたとしてフェイクに見られてしまいがちなところもふくめて、僕らがやることでぜんぜんちがう意味を乗せられるんじゃないかなと。

ストレートに「理想」というものを蘇生させたいというのとは違って……?

成田:逆ですね。「理想」と言えない感じ。……たとえば、いまは昔にくらべて、いわゆる「応援ソング」ってものが嘘くさくなってしまいましたよね。「がんばれ」って言うと批判をくらってしまう時代というか。そういうことに近いと思います。「理想」といっても、だから、「シャングリラ」はユートピアとディストピアのどっちの意味にもとれる感じです。

野田:いま電気グルーヴを何か1曲やるとなったら、大抵は“虹”になると思うんだよね。「やっぱり昔は美しかったね」というか。そこで“Shangri - La”を選ぶというのは興味深いなと思いましたよ。

たとえばtofubeatsさんが森高千里さんをフィーチャーしたりしていますよね。彼はとても頭がよくて、いま誰をどの文脈から引いてくるかというような駆け引きや批評に非常に長けているじゃないですか。

成田:そうですね。

それから、それによってもっとも有効にポップ・マーケットを利用して、時代を手前側に動かしてやろうっていうような志もあると思うんです。お会いする前はもしかすると成田さんにもそういったところがおありかなと思っていたのですが、ちょっとちがってましたね。ポップ・ミュージックのシーンへの向かい方をどんなふうに考えていますか?

成田:そこはむしろすごくコンプレックスでもあったところですね。僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。メンバー集めも、どんな音楽をやるかというのも、全部探しながら見つけてきたものであって、そのなかでおもしろいことをやるなら知識をつけなければだめだなという思いへとベクトルが向いていきました。

僕は中学、高校でまったくバンドというものをやってこなかったので、そういうシーンに身をおいて活動していくことに対しては初期衝動ゼロの地点からスタートしているんですよ。 (成田)

 でも、発信したいということの根元には純粋な気持ちがあると思うので、曲作りに関してはとくにまわりやシーンを意識したりすることなくやっていると思います。それをどう見せていくかということには注意していますけどね。『演出家出演』も今回のも、曲自体はそんなに変わっていないんですけど、歌の録り方とかバンドの録り方っていうのは180度変えているので、それでこれまでもお客さんの層が変わってきたし、これからも変わっていくんじゃないかなと思っています。

初期衝動ゼロからのスタートっていうのは、パスピエの音楽を語る上ではとても本質的な言葉のような気がしますね。それに、とくに2000年代は初期衝動的なものを表現の原理とかバネにしづらかったと思うんですよ。そこにうまくはまった部分もあるんじゃないでしょうか。

成田:はまったというか……うらやましかったですね、そういうものが。

野田:神聖かまってちゃんといっしょにツアーを回ったりもしてたするじゃない? 彼らなんて初期衝動の塊だもんねえ。

成田:ああいう音が出したくても出せないわけで、それをどうしていけばいいのかなっていうことです。

パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。 (大胡田)

初期衝動ゼロからのスタート

そこは大胡田さんはどうなんでしょう? 裸足で絶唱する、というようなことはないじゃないですか。激しかったりした時期はないんですか?

大胡田:わたしはほとんど衝動ではじめているとは思うんですが、そのスタートがすでに激しくないというか。

成田:(笑)

大胡田:たとえば絵を描きたい、歌をうたいたいと思っても、それにのめり込めないというか……。絵とか歌とかは使うものだと思っているので。だからそこにすごく熱を入れて「出してやるんだ」みたいなことはあまりないですね。全部が表現する手段のひとつです。

じゃあ、仮にパスピエがなくなったら歌ったり描いたりしないと思います?

大胡田:しない……かもしれませんね。

ははは! なるほど。そしたら何をするでしょうか?

大胡田:……何もしないかもしれませんね。

成田:だって、最近の夢が「よく眠れるベッドを買うこと」ですよ(笑)?

(笑)

大胡田:わたし、最終の目標はそこなんですけど。

それ、永遠のやつじゃあ……

大胡田:パスピエをはじめてからずっとやってきたことが、「パスピエで表現すること」だったので。いちど全部やめて、またやりたくなったらやるという感じになるかもしれないですね。

へえー。なんでもできるのに。それゆえですかね?

大胡田:「なんでもできる」っていうのは、「なんでもやろうと思えばできる」ってことになるのかもしれないです。

成田:まあ、求められればやると思いますけどね。

大胡田:歌うということ自体、パスピエに入ってはじめたことですし。もしやめたら、次のフィールドを探すことからかな……。

なるほど。超然としていて……かっこいいです。

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『幕の内IZM』ジャケット中面

僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。   (成田)

さて、リスナー層も広がって、やれることも増えて、今作でJ-POPとしてのパスピエはひとつの極点を描いたのではないか、というお話を先にしましたけれども、ステージとしてはいまが最大だっていうふうに思います?

成田:いや、最大……ではないですね。このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。ポップスという領域を壊しても、ポップスでいられるかもなあって。その意味では次につながる一枚にもなっていると思います。
 僕は自分が有名になりたいとかっていうふうにはほとんど思ってなくて、誰かが音楽への興味を持つきっかけになるような存在になれればいいなって思うんです。パスピエを知って音楽を聴きはじめたとか、この曲はこんなふうなものを参照しているとかってことに興味を持ってくれたり、その参照元のアーティストも聴いてみたりとか。

ミニマルな演奏に行ったりってことはないんですか?

成田:それはありますし、ぜんぜんちがうアプローチのアイディアもありますね。

なるほど、なんというか、音やアレンジなんかを、基本的には加えていく方向にキャリアが進んでいる気がするんですけども。

成田:そうですね。でもその点は、今回はいちばん減らしたアルバムになると思います。

あ、なるほど。聴いているところがちがうんですかね。わたしには逆のように感じられたりもするんですが──?

成田:前作なんかは、トラック数とかも今回よりもぜんぜん多いんですけど、そう聴こえないサウンド作りをしていますね。よりライヴっぽく見せるために、ミックスとかサウンド面を工夫しているんです。トラック数を少なくしたり、音源をそのままライヴでやれるようなかたちにするのもちがうなと思っていたので。

あ、むしろギミックとしてライヴらしさを演出していると。

成田:そうです。そのライヴっぽさをよいと思ってくれた人にもまだ聴いてほしいと思って、今作はトラック数をすごくシェイプしました。だけど聴こえ方としてはべつの整え方をしているという。


このアルバムを出して、これが受け入れられたら、もっとさらに自由なことができるなと思います。   (成田)

ジャケットも、いまできたてを見せていただいていますが、すごく豪華ですね。あとは盤が入るだけですか?

成田:そうですね、特典でジオラマが付いたりするみたいですが。

野田:この時代にジャケットにこれだけお金をかけるなんてすごいよね。よく通ったね。

成田:ははは! このフェスの時代にどんどんインドアに向かっていく思考です(笑)。

ははは。音だけ流通すればいいやっていう価値観とも遠いですしね。やっぱり、こういうものを手にする喜びっていうところも意識されているわけですよね。

成田:僕らの音楽を手に取ってもらうための付加価値をどうつけるかってとこでもありますね。

野田:ポップアップがついてるね。昔ポップアップ絵本が好きだったな。

大胡田:わたしも好きです。

ポップアップの部分が部屋になってますね。幕の内ってことなのかな。しかし、ジャケもそうだし、曲の作り方とか録音の体制をふくめて、「プロダクトする人たち」という印象は強いですよ。

成田:ああ、それはそうですね。

衝動ではなく。それは、やっぱり「プロダクトするもの」というあり方のほうがクールだという感覚なんでしょうか?

成田:うーん……。ただ、付加価値を僕らが提供するというよりも、付加価値を求めてもらうようにどうするか、っていうことは考えていますね。いまは、「何か特典がつくよ」ってくらいじゃみんなぜんぜん驚かないですしね。

野田:でも重要なことだと思いますよ。ニューウェイヴの人たちも、それこそ自分たちで絵を描いたりしてるからね。

成田:はい。音だけあればいいってふうには思わないですね。

 2013年にリリースを開始、瞬く間に多面的なリリースを展開してきた〈ハウンズトゥース(Houndstooth)〉を説明するには、その母体であるナイト・クラブと、レーベルのA&Rについて触れないわけにはいかない。


印象的な〈Fabric〉のロゴ

 〈ハウンズトゥース〉の母体は、ロンドンの大型ナイト・クラブ〈ファブリック(Fabric)〉。1999年10月にオープンし、2007年、2008年には『DJマガジン』の「Top 100 Clubs in the World」の1位に輝いた、イギリスを代表するクラブのひとつだ。メインは土曜の、「fabric」というハウスやテクノを中心にした夜。金曜は「FABRICLIVE」というサウンドクラッシュ的な夜で、ヒップホップ、ダブステップ、ドラム&ベース、インディ・ミュージック、エレクトロなど、折衷主義というキーワードのもと、意欲的なキュレーションのプログラムが繰り広げられている。日曜は「WETYOURSELF」というイヴェントが2009年から開かれている。2001年には〈ファブリック・レコーズ〉を設立し、「fabric」「FABRICLIVE」という、クラブ・ナイトのコンセプトを反映させたDJミックスのシリーズを毎月交互にリリース。2012年に、ロブ・バターワース(Rob Butterworth、ディレクター)とレオ・ベルチェッツ(Leo Belchetz、マネージャー)がレーベルの担当に着任し、ミックスだけでないアーティスト主体の新レーベルを立ち上げる構想が生まれる。そこで抜擢されたのが、〈ハウンズトゥース〉のA&Rを務めるロブ・ブース(Rob Booth)だった。


2012年リリースの〈Electronic Explorations〉コンピレーション。
MP3のほうは61トラックを収録

 ロブ・ブースはダブステップを中心にしたエレクトロニック・ミュージックのシーンではすでに知られた存在だった。2007年から「エレクトロニック・エクスプロレーションズ(Electronic Explorations)」というポッドキャストを運営してきた彼の経歴は、90年代前半に遡る。デトロイトとバーミンガムのテクノに魅せられ音楽にハマった彼は、1997年、メアリー・アン・ホブス(Mary Anne Hobbs)のラジオ番組「ブリーズブロック(Breezeblock)」に出会い、さまざまなスタイルのエレクトロニック・ミュージックに愛情を抱く。その後、音楽ビジネスを学び、LTJブケム(LTJ Bukem)の〈グッド・ルッキング・レコーズ(Good Looking records)〉での経験を経て、ロブはメアリー・アン・ホブスの番組を制作していたサムシン・エルス・プロダクションズ(Somethin' Else Productions)で働くことになる。アンダーグラウンドなエレクトロニック・ミュージックを、彼が愛したラジオのようなスタイルで紹介するかたちでスタートした「エレクトロニック・エクスプロレーションズ」は、あっという間に人気のポッドキャストとなった。そして、ジェイムス・ブレイク(James Blake)、ピアソン・サウンド(Pearson Sound)、2562などの新しい才能をいち早く紹介したロブのキュレーターとしての手腕は、多くの音楽ファンや関係者から信頼を集めることになった。「エレクトロニック・エクスプロレーションズ」は、2012年からレーベルとして作品のリリースも開始。第1弾の12インチにはアコード(Akkord)、ミラニーズ(Milanese)、カーン(Kahn)、ラックスピン(Ruckspin)の楽曲が収録されている。


〈Houndstooth〉のロゴはジャケット・デザインにも多用されるモチーフだ

 2013年、〈ハウンズトゥース〉はベルリンのコール・スーパー(Call Super)の作品をレーベル1番としてリリース。以降、キング・カニバル(King Cannibal)として知られるディラン・リチャーズ(Dylan Richards)のハウス・オブ・ブラック・ランタンズ(House Of Black Lanterns)、デイヴ・クラーク(Dave Clarke)のユニット、アンサブスクライブ(Unsubscribe)、シンクロ(Synkro)とインディゴ(Indigo)によるアコード、スノウ・ゴースツ(Snow Ghosts/Hannah Cartwright+Alight)、アル・トゥレッテ(Al'Tourettes)のセカンド・ストーリー(Second Storey)、ポール・ウールフォード(Paul Woolford)のスペシャル・リクエスト(Special Request)、スローイング・スノー(Throwing Snow/Alight)など、新しい才能もしくは、すでに著名なアーティストの別名義に焦点を絞ってリリースを続けている。


Call Super / The Present Tense(HTH001)


Akkord ‎/ Navigate EP
(HTH005)


Snow Ghosts ‎/ And The World Was Gone(HTH011)

 筆者の私見だが、これには、たとえばラジオで流れてふと気になった曲について探っていくような感覚を、同レーベルのリリース作品にも持ってもらいたいという運営側の思惑があるのではないかと考える。『レジデント・アドヴァイザー』のインタビヴューで、ディレクターのロブ・バターワースは「すでに実績を持っている人たちではなくて、フレッシュな人選で我々独自のアイデンティティを見出したかった」と述べている。いまのところ〈ハウンズトゥース〉からは、まったくの新人のリリースはない。しかし、まるで「FABRICLIVE」のクラブ・ナイトをオーガナイズするようにキュレートされた面々によるリリースが、今後どのように広がっていくのか、その動向が楽しみなレーベルのひとつであることは疑いようがない。

https://www.fabriclondon.com/

https://www.houndstoothlabel.com/

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