「OTO」と一致するもの

interview with Plaid (Ed Handley) - ele-king


PLAID
The Digging Remedy

Warp / ビート

ElectronicIDM

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 プラッドのアルバムを聴くこと。それはエレクトロニック・ミュージックの快楽そのものだ。電子音の快楽、メロディの美しさ、こだわりまくったトラックメイクなど、エレクトロニック・ミュージックならではの「気持ちよさ」の真髄があるのだ。だから20年以上に及ぶ彼らの軌跡は永遠に色あせない。1997年リリースの『ノット・フォー・スリーズ』もいまだ「未来の音楽」に聴こえるほどである。

 前作『リーチー・プリント』から2年の歳月を経て、ついにリリースされた新作『ザ・ディギング・レメディ』も、まったく同様だ。世に出た瞬間からエヴァーグリーンなエレクトロニック・ミュージックなのである(個人的には2000年の『トレーナー』に近い印象を持った)。

 そして、とくに肩肘張ることなく自分たちの音楽を自分たちなりに追求していくその姿勢は、とにかく素晴らしい。彼らはいたってマイペースに「普通に、流麗な曲に聴こえるけど、どこか変?」というような、つまりは聴きこめば聴き込むほどにアメイジングな驚きをもたらしてくれるアルバムを生み出しつづけているのだ。たとえば(インタヴュー中でも語っているが)、リズムの拍子なども注意して聴いてほしい。迷宮に入るような気持ちよさがあるはずだ。

 今回のインタヴューは、エド・ハンドリーがプラッドを代表して質問に応えてくれた。ユーモアを交えながら、しかし、極めて誠実な返答の数々は、まさにプラッド・サウンドそのもの。これから聴く人も、もう聴いた方も、ぜひとも熟読してほしい。『ザ・ディギング・レメディ』を聴くための素晴らしいガイドになるはずだ。

■Plaid / プラッド
ザ・ブラック・ドッグの結成メンバーとしても知られる、アンディ・ターナーとエド・ハンドリーによるロンドンのデュオ。91年に〈ブラック・ドッグ・プロダクションズ〉より『Mbuki Mvuki』をリリースして以降25年にも及ぶ活動のなかで多数のアルバムを発表、ビョークをゲスト・ヴォーカルに迎えたり、マシュー・ハーバートの作品に参加するなど多数のコラボレーションを行うほか、マイケル・アリアスやボブ・ジャーロックなど映像・映画作品への楽曲提供、日本では劇場アニメ作品『鉄コン筋クリート』のサントラを手掛けるなど多方向にキャリアを展開させ、2000年代には映像と音の融合をはかる取組みにも意欲を見せている。11作めとなるアルバム『ザ・ディギング・レメディ』を2016年6月にリリース予定。

古いローランドの808、101、202なんかを売り払った。(中略)あのサウンドは僕たちも大好きなんだよ。ただ、僕たちとしてもこの機材でこれ以上先に進めないな、と感じてね。

前作『リーチー・プリント』から約2年を経てのリリースになりますが、本作の制作はいつからはじまったのでしょうか?

EH:このアルバムに本格的に取り組みはじめたのは、おそらくいまから1年前くらいだったと思う。というのも、僕たちは『リーチー・プリント』向けのツアーに実際1年近くを費やしたわけで――、まあ、絶え間なくというわけではないけど、ツアーを消化したら1年ほど経っていた。で、そこからいくつかのプロジェクトもあったんだ。とあるイギリスの映画監督とサントラの仕事をやったりしたね。で、前作ツアーが終わってすぐに今作向けに曲を書きはじめた。もっとも、僕たちはつねに曲は書いているんだ。ただ、アイディアをまとめてトラックに仕上げる、という段階に持っていくのは実際にアルバムをリリースする時期が近くなってからだから、その意味では約1年前からはじまった、ということになるね。

この2年で制作環境や機材などは変わりましたか?

EH:うん、いくつか新しい機材をエクストラで追加したね。というのも、僕たちは所有していたアナログ機材をかなり売却したんだ。古いローランドの808、101、202なんかを売り払った。あれらの機材は長いことキープしてきたし、さんざん使ってもきた。それくらい愛用してきたし、あのサウンドは僕たちも大好きなんだよ。ただ、僕たちとしてもこの機材でこれ以上先に進めないな、と感じてね。あれらの機材の使い道という意味では、僕たちの側でもアイディアが尽きてしまった。
そんなわけで、古いものは売却して、いくつか新しい機材を購入したんだ。それらはエレクトロンというメーカーの機材で、アナログ・リズムというドラム・マシーンも入手した。これはかなり進歩したマシーンで、プレイするのもおもしろい機材だよ。
ああ、それにデスクトップ・コンピューターもアップグレードした。おかげですごく処理スピードの早いマシーンを使えるようになった。それ以前の僕たちは、長いことラップトップで作業していたんだよ。で、ラップトップでやっているうちに、しょっちゅう電力が切れてダウンしてしまう、そのせいで作業を中止しなくちゃいけない、みたいな状況に陥るのに気づいてね。というわけで(笑)、新しいデスクトップはとても役に立っているよ。なんというか、山ほどのプラグインだのなんだの、いろんなものを放り込んでも大丈夫。けっしてパワー不足になることはない、みたいな。古い型のアップルのデスクトップなんだけど、アップルが最新の黒いデスクトップを売り出しはじめたおかげで旧型が安価で出回るようになってね。おかげで僕たちもそういう古い機種をいくつか格安価格で買い取ることができたんだ。

通訳:そんなふうにテクノロジー面での変化があったことで、『リーチー・プリント』と『ザ・ディギング・レメディ』の間には違いがある?

EH:うん、そうだと思うよ。ただ、それは、本来はもっと複雑に聞こえるはずの『ザ・ディギング・レメディ』がシンプルに聴こえるようになったという意味においてね。この作品は、より音数が少なく、まばらで、もっとアナログな響きになっているんじゃないか、と思う。
というわけで、2枚の間にちょっとした違いはあるけれど、その差は何も巨大なものではない。というのも、どんな機材を使っていても、僕たちは、やっぱりいつだって同じサウンドみたいなものに回帰していくわけだから。

僕たちの音楽の作り方というのは、フィーリング重視というか、もうちょっと「音楽を感じ取る」というものなんじゃないかな。

本作の制作にあたって、おふたりで決めたルールのようなものはあったのでしょうか?

EH:んー、とくにないかな。まあ、僕たちは毎回「これまで自分たちのやった同じことはあまり繰り返さないようにしよう」と努力してはいるけれど、ある程度は避けられない。やっぱり、僕たちの「テイスト」というものがあるからね。もともと持っている趣向/テイストが、アルバムごとにガラッと変わることはないわけで、少しの差異が生じる程度のものだよ。でも、僕たちの中に常に存在している大いなるアイディアとして、「物事をそぎ落として原点に戻そう」というのがあるんだ。そうやって何もかもを純化して、もっとも重要な要素だけに絞っていく。で、今回のアルバムの何曲かは、いつもの僕たちが作る以上に。よりそぎ落とされ、洗練されたものになっているんじゃないかな。
一方で、そうではないトラックもいくつかあって、そこでは通常どおりの僕たちが聴けるんだけどね。それから、今回はベネット(・ウォルシュ)といっしょに多くの曲を制作した。僕とアンディ(・ターナー)と二人っきりでの作業とは、かなり異なるプロセスだったし、ベネットも含めていっしょにスタジオに1週間くらい詰めて、そこでとにかくいろいろとアイディアを試してみるか、と。まあ、相当に当てずっぽうでダラダラとやっていたんだけど(笑)。
でも、それも含めて、楽しい経験だったよ。ほんと、そうなんだ。そういうのがベストじゃないかと思う。仮に僕たちがもっとアカデミックなタイプのミュージシャンだったとしたら、前もってきっちりとレコーディングの計画を立てなくちゃいけないだろうし、「今回はこれをやる」みたいな明確さで新たなアイディアを試すわけだけども、僕たちの音楽の作り方というのは、ぜんぜんそういうものじゃないからね。それよりももっと、フィーリング重視というか、もうちょっと「音楽を感じ取る」というものなんじゃないかな。

印象的なアルバム名ですが、どういった意味が込められているのでしょうか?

EH:あのタイトルは、10歳になるアンディの娘さんが思いついたものでね。だから、きっと彼女には彼女なりの意味合いがある言葉なんだろうと思うけど。僕たちからすれば、ただ「The digging is the remedy(何かを掘っていく行為はそのものが治療だ)」。音楽作りにおける重要なパートは、必ずしも生まれる結果ではなく、そこに至るまでのプロセスなんだ。というのも実際の話、音楽作りのその過程こそ、僕たちの生活にもっとも影響するものだからね。いったん作り上げ、完成してしまうと作品はそこで一種の「プロダクト」になってしまうわけだし。というわけで、タイトルの意味にはそれがあると思う。それに「掘り起こす」って言葉は、「宝を探り当てる」という行為のいいメタファーでもあるよね?だからいろいろな解釈の成り立つフレーズだけど、ポジティヴな意味合いなんだよ。

とにかく、グルーヴ群をリリースしよう、みたいな(笑)。まだ「歌」にすらなっていないグルーヴに近い状態のものと、(歌という)複数のセクションに分割されていないものをリリースする、と。

前作は流麗でメロディアスなエレクトロニクス・ミュージックだったと思うのですが、本作は前作より、やや無骨というかソリッドな印象を持ちました。そのような変化を意識されましたか?

EH:まず、『リーチー・プリント』はアルバムとして短くて、収録トラックの数も新作に較べて少ないよね。それに、いま指摘されたように、もっと洗練されたサウンドだったと思うし。でも今回に関して言えば、あれほど磨きがかかっていないよね。で、それはある意味意図的だった、というのかな。だから、とにかく、グルーヴ群をリリースしよう、みたいな(笑)。まだ「歌」にすらなっていないグルーヴに近い状態のものと、(歌という)複数のセクションに分割されていないものをリリースする、と。
で、それがいわゆる「プラン」として狙ったわけではないにせよ、とにかく最終的にそういうものが生まれたわけだ。というのも、今回の作品での音楽的なアイディアというのは、入り組んだ構成だったり、あるいは過度な洗練だったり、そういったものにあまりそぐわない性質のものだった。むしろこの、シンプルなフォルムでやる方が有効だったから。

1曲め“ドゥ・マター”の冒頭のベースラインはどこかクラフトワークを連想しました。また、3曲め“クロック”のイントロのコード感にはデトロイド・テクノのエモーショナルな部分を圧縮しているような印象を持ちました。70年代、80年代、そして90年代のエレクトロニック・ミュージックの歴史を圧縮してみようという意識はありましたか?

EH:ああ、僕たちはそういうことをやっているんだろうね。うん、よくやっている。というのも、僕たちは90年代的なサウンドに回帰したり、あるいはクラフトワークみたいな、古代の(苦笑)サウンドに戻っていったりするわけで。何故なら、そうしたさまざまなサウンドというのは、いまや「伝統音楽」みたいなものになっているからじゃないかな。だから、(ロックやポップ勢がやるのと同様に)伝統音楽やフォーク音楽みたいに引用ができるっていうかな。たとえば、ある類いのベースラインを使うと「○×を想起する」といった反応が生まれるのは、そのラインにすでにさまざまな連想が付け加わっているからだしね。そういった歴史的な連想が存在するし、また、映画的な連想というのもあるよね。つまり過去にそのベースラインが用いられてきたさまざまな手法がすべて、聴く人間の耳に作用する、関連するいろんな付随物も聴こえるんだ。


Plaid - Do Matter (Official Video)


 で、僕たちは自分たちにそういうことがやれるのはグレイトだなと思った。というのもエレクトロニック・ミュージックはいまや巨大な歴史を誇るようになっているし、それに僕たち自身、その歴史の中の比較的モダンなヴァージョンのいくつかを聴きながら育ってきたんだ。
だからそれらのいろんなアイディアを利用せずにやるっていうのは、ある意味不可能なんじゃないかな。過去に行われたアイディアを引用する、その行為なしにエレクトロニック・ミュージックを作るのはとても難しい。そうはいっても、完全に新しい、まったくオリジナルだってものもあるけれど。ただ、そういうケースは非常に稀だよ。

 

このアルバムに関しては、そういうフォーク的なものが入ってきていたと思う。そして、それはベネットから発していた。彼は、僕たちに向かってちょっとこう(笑)、「自分はどこから来たのか」を教えてくれたんだ。

と同時に、4曲め“ジ・ビー”では以前からコラボレーションをされていたベネット・ウォルシュがギターやフルートで参加するなど、エレクトロニック・ミュージックにオーガニックでジャズ的な要素が加えられているように思いましたが、このアルバムに作るにあたり、ほかのジャンルからの影響はありましたか?

EH:うん。それはいつだってそうなんだよ。ほかのジャンルからの影響はある。もちろん、僕たちはエレクトロニック・ミュージシャンだし、僕もアンディも一般的な意味での「楽器」はあまり弾けない。必要とあればピアノをちょっと弾けます、程度だね。僕たちがギターだのフルートだのを自ら演奏することはないわけで。
だから僕たちがベネットみたいな人と作業してみると、彼は彼なりの音楽的な遺産や知識を持ち込んでくれるんだ。彼のバックグラウンドは、フォーク音楽から、いろんな類いのブルーグラスといったものまで、アメリカの伝統音楽みたいなものに根ざしているわけだからね。そういったジャンルのことは正直いって僕たちはよく知らないけれど、いったん彼とスタジオに入り、彼がギターで弾き始めると、僕たちもその音に対して自分たちの知っているものを関連させていってね。たとえば、「ああ、これは僕たちが以前に聴いたことのある、あのアフリカ音楽にちょっと似ているな」とか。
というわけで、このアルバムに関しては、そういうフォーク的なものが入ってきていたと思う。そして、それはベネットから発していた。彼は、僕たちに向かってちょっとこう(笑)、「自分はどこから来たのか」を教えてくれたんだ。

7曲め“ユー・マウンテン”などはテクノ的なベースラインとコードに加えて、トライバルなビート・プログラミングに驚きました。本作のビート・プログラミングで実践された「新しいこと」は、どういったことでしょうか?

EH:そうだなぁ……どうだろう? 今回のアルバムでは、3/4の拍子が多いよね。3拍子はかなり使っているけど、それはこれまでの作品でも多くやってきた。あと、7/4というのもあるね。あれは僕たちがつねにどこかに紛れ込ませようとしているものだ(笑)。だから、普通のダンス・ミュージックしか聴かないような人が耳にすると、「おや、ヘンだな?」と思えるような拍子が少し混じっているかもしれない。で、今回はアナログ・リズムもちょっと使ったんだよ。それはさっき話した新しいドラム・マシーンのことだけど、あれはすごく優秀でね。ひとつひとつのビートを変えるのに適したマシーンで、細かな変更をどのビートにも加えることができるんだ。
そんなわけでリズム面ではかなり多くのさりげない変化が起きているんだよ。だけど僕たちは、リズムにおいて巧妙なことをやろうとしたわけではないし、グルーヴの多くは基本的に規則的なものだから。ただ、〝ベイビー・ステップ・ギャイアント・ステップ〟なんかでは、かなりいろんなことをリズムでやっているんじゃないかな。あれを聴くとポリリズムに聞こえるだろうし、その意味ではおそらくあの曲がもっとも冒険的なんじゃないかと思う。

僕たちは普通、モロに「民族音楽/ワールド・ミュージック」っぽい方向に向かったりはしないんだけど(笑)、あの曲では「試しにやってみよう」と思ったんだよね。

さらに8曲め“ラムズウッド”は民族音楽的な雰囲気は、Plaidにおける新機軸ではないかと驚きました。

EH:ああ、うん。

あのフルートのような音色は、ベネット・ウォルシュによるものでしょうか? とても印象的でした。

EH:その通り。

通訳:あれは彼のアイディアだったんでしょうか。で、それをあなたたちが発展させていった……という? あるいは逆に、すでにベーシックなトラックがあり、そこにベネットが付け足していった?

EH:あの曲はたしか、まずベースラインができていたんじゃないかな。で、そこにベネットが即興で演奏を足していったんだと思う。でも、彼が弾いていたのはフルートではなくて、たぶんペニー・ホィッスル(ティン・ホィッスルのこと)だったんじゃないかな?
でも、そうだよね、あれはかなり中東風な雰囲気のある曲だ。どういうわけか、軽くアラブ風なフィーリングがある。でまあ、僕たちは普通、モロに「民族音楽/ワールド・ミュージック」っぽい方向に向かったりはしないんだけど(笑)、あの曲では「試しにやってみよう」と思ったんだよね。

今回、ベネット・ウォルシュとまたコラボレーションをした理由を教えてください。今回のアルバムは(とくに中盤以降)、彼のギターは重要な役割を担っているように感じたのですが。

EH:『リーチー・プリント』向けのツアーの際に、僕たちはベネットといっしょに、かなりの数のギグで共演することになってね。あのアルバムで彼が参加しているのは1曲だけとはいえ、あれ以前の昔のトラックで彼が弾いているものはけっこう多いし、そうした楽曲もプレイしたんだ。
で、僕たちは「トリオ」であることをとても楽しんでいたんだ。というのも、僕たちはデュオとして長いこと活動してきたし、だからこそ、たまには新しくフレッシュな要素を注入しなくちゃいけないんだよ。
そんなわけで、ベネットがこのアルバムで、あれだけの数のトラックに参加することになった理由は、とにかく彼といっしょに演奏していて楽しかったから、だろうね。僕たちは以前以上にいっしょに過ごすことになったし、ツアー中もさんざん音楽の話をした。そこからちょっとしたアイディアを思いついたりもした。だからごく自然な成り行きだったんだよ。

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とてもトラディショナルでアコースティックに響くものと、エレクトロニックで興味深いサウンド、その「はざ間のライン」を歩こうとしているんだ。

10曲め“ヘルド”や11曲め“ウェン”はギターのフレーズなどで対になっている印象を持ちました。とくに11曲め“ウェン”はビートレスなアンビエント・トラックで見事なアルバムの締めくくりに思いました。同時に、楽曲全体が生演奏を主体としたオーガニックな曲調で、穏やかながらプラッドにとって挑戦的な楽曲に思えましたが、いかがでしょうか?

EH:なるほどね。たしかに、あの曲はあまりエレクトロニック・ミュージック然と響かないかもしれない――。そうはいいつつ、やっぱりあそこにもエレクトロニックな「層」は存在するんだけども。

通訳:でも、オーガニックなヴァイヴがありますよね。

EH:うん、うん。だから、いっていることは正しいよ。エレクトロニック・ミュージックばかり聴いているようなリスナーには、あまり受けのいい曲じゃないのかもしれない。でも、僕たちの音楽というのは、必ずしも「マジにハードコアなテクノ好き!」な人たちとか、「生楽器のサウンドは一切受け付けない!」みたいな(笑)、そういうクラウドにアピールするものではないと自分たちではそう思っていてね。僕自身、そこまで何を聴くか/聴かないかに関して厳密に線引きしているような、そういう手合いにはあまり多く出くわさないし(笑)。
ともあれ、あの曲のアイディアは、ベネットが主軸になって引っ張ってくれたものだね。で、僕たちがそこにハーモニー的な箇所を被せていったんだ。このアルバムの中で「よりベネットの色が強いもの」といえば、おそらくあのトラックになるんじゃないかな? あの曲はほんと、「ギターありき」ってトラックだからね。

プラッドの曲を聴いていると、いつもその音色の繊細さに驚きます。本作の音色の選び方、使い方などでもっとも気をつかった点などを教えてください。

EH:んー……。何かサウンドをデザインするときというのは、多くの場合アコースティックな音色との関連から発想するものだし、そういうケースはじつに頻繁なんだ。というか、音色のパレットという点においてはそうならざるを得ない。だから、ちょっとアコースティックっぽく聞こえるサウンドを使う、というのは、エレクトロニック・ミュージックの世界においてもしばしば当てはまる話なんだよ。で、その面を可能な限りまで押し進めつつ、それと同時にハーモニー面でも成り立つもの、音符や変化をうまくコードに変えていくという作業もやっている。そうやって興味深いサウンドを組み立てながら、そこに和声の要素をプラスしているわけだよね。でも、やっぱりそれらのサウンドでメロディを演奏する必要があるし、コードを弾くのが可能じゃなくちゃいけない。で、思うにそういうことが、僕たちが『リーチー・プリント』から、今作にちょっと引き継いできたものなんじゃないかな? これらのサウンドは、ほとんどアコースティックのように使っているけれども、でも、じつは合成された(シンセサイズされた)ものだ、と。
だから、そうしたことをやるおかげで、僕たち自身が興味を抱き、刺激され、ハッピーでいられるんじゃないかな。要するに、「あまりに変わっているために聴き手を疎外する」ことはないけれど、でも、「そこそこ違いがあるから人々を引きつける」というか。うん、そこは微妙なラインだよね。そうはいったって、やっぱり時には全開で「疎外」モードに入りたくなるときだってあるし。エレクトロニック・ミュージックというのは明らかに、それをやるのが得意なわけだよね。
だけど、僕たちにはあんまりそれをやらない傾向があるんだ。それよりも僕たちは、さっき話したぎりぎりの境界線、そこを綱渡りしようとしている。とてもトラディショナルでアコースティックに響くものと、エレクトロニックで興味深いサウンド、その「はざ間のライン」を歩こうとしているんだ。

それって、スポーツ選手が能力を向上させていくのに似ているよね(笑)。

通訳:それはエレクトロニックをベースにしたサウンドを、より自然でアコースティックなサウンドに近づけていこう、という試みなんでしょうか?

EH:そういうことなんだろうね。たとえば最近のもっと新しいタイプのエレクトロニック・ミュージックは、そういうことをやっているのが多いと思う。サウンドはより複雑さを増しているし、もっとずっと豊かなものになっている。音色という意味でも、あるいは時間の経過に伴ってそれがどう変化するかという意味でもね。で、それらはシンセーシスにおける新しいテクニックだし、人々が以前以上にディテールに気を配るようになった、というのもあると思うな。それって、スポーツ選手が能力を向上させていくのに似ているよね(笑)。
だから、エレクトロニック・ミュージックの世界においては――、いまどきの若いアーティストたちの作るベストな新しいエレクトロニック・ミュージックの中には、そこに入り込んで、サウンドをさらに洗練させようとしているってものがいくつかあるからね。これまで行われたことのない、そんなレベルのディテールにまで洗練しよう、と。で、それらは、とても興味深くて、感心させられるようなサウンド・デザインなんだ。そういうサウンドは、相当にナチュラルに聴こえるのに、でも自然な音ではない。それを耳にするのって、かなり落ち着かない気分にさせられるものだよね。「この音はいったいどこから出て来たんだ?」なんて感じるし。それに、サウンドをいろいろと融合させると――それはいまだとソフトウェアを使って、リアルタイムでどんどんやれるようになっているけれど――そこから奇妙に変形したサウンドを手にすることができる。それはまだ人々が耳にしたことのないサウンドであって、実際、とても風変わりな響きなんだ。そこはエレクトロニック・ミュージックにおけるじつにおもしろい側面じゃないか、と僕は思うね。

通訳:なるほど。でも、これはあくまで私個人(通訳)の考えなんですけど、いまの若いリスナーの多くは、携帯電話のチャチなスピーカーやPC、安いヘッドフォンで音楽を聴いていますよね。で、あなたたちのようなアーティストは非常にこだわって時間をかけて音楽を作っているのに、それが理解されない点について、一種のフラストレーションを感じることはないのかな? と思ってしまうのですが。

EH:そうだね、きっとそういう側面もあるんだと思うよ。ただ、僕が思うに、聴き手の側も少しずつ変化しているし、大型のヘッドフォンで聴いている人たちも増えてきたよね(笑)? あの手のヘッドフォンを使うとかなり音がよく聴こえる、というのならいいけどね! そうは言っても彼らの聴いている音源ファイルそのものがMP3なのかもしれないけど……、でも、圧縮をかけないフル・サイズのファイルやロスレスをダウンロードする人たちも増えているわけで。だから、そうした面も変わっていくんだと思う。ってのも、やっぱり高品質なサウンドのほうが、聴く体験としてははるかにいいからね。

僕ももっと、彼の比較的最近の作品を聴くべきなんだろうな。

音の色彩感覚といえば日本ではこの5月に偉大な電子音楽家/作曲家であった冨田勲氏が――まず、彼のことはご存知ですか?

EH:ああ、うん。知ってる。

冨田氏は5月に亡くなったんです。

EH:そうなんだ! それは知らなかった……。残念な話だね。

冨田勲氏もまたテクノロジーと自然を電子音楽の色彩感覚で追求した音楽家でした。冨田勲作品のことはご存知ですか?

EH:うん、彼の作品はクラシック作品を再解釈したものとか、あそこらへんのものはかなり聴いたよ。だから、おそらく彼の晩年の作品はそれほど聴いたことがなくて……。彼の初期の作品、たとえばモーグといった古いシンセを使って作った作品なんかは聴いたと思う。彼がその後もいい作品をいくつか制作したのは知っているけれど、そこらへんはあんまりフォローしていないんだ。そうかぁ、それは悲しい話だな。何歳だったの?

通訳:おそらく80歳ちょっと、あたりかと。

EH:ああ、じゃあ年齢だったんだね……。

通訳:そうですね。日本におけるシンセサイザー音楽のパイオニアかと。

EH:うん、だから僕ももっと、彼の比較的最近の作品を聴くべきなんだろうな。

「流れ/旅」というのは、いつも意識しているんだ。だって、それがなかったらわざわざ「アルバム」をやる意味はあまりないんだし、個別にトラックを発表していけばいいだけの話だからね。

アルバムはクラフトワークを思わせるエレクトロニック・ミュージック、デトロイト・テクノを思わせるテクノ・トラック、ギターとフルートがレイヤーされるオーガニックなクロスオーヴァーなサウンドへと次々に展開し、最後はアンビエントで幕を閉じる印象を持ちました。また、後半になるに従い、次第にエモーショナルな感情が揺さぶれました。まるでエレクトロニクス・ミュージックによる「旅」をしているような印象でした。アルバム全体で意識された「コンセプト」や「流れ」のようなものがありましたら教えてください。

EH:うん、僕たちはいつもそういう「流れ」を生もうとしている。そうは言っても、全曲を仕上げてひとつにまとめてみるまで、そうした流れが生まれない、ということもたまにあるんだ。だから、つなげてみてやっとわかる。でも今回の作品に関しては並べて聴くべくデザインした、このトラックはあのトラックに続いていく、という具合にデザインしたセクションも含まれているよ。でも、多くの場合は、まず多くのトラックが手元にあって、そこからいい組み合わせになるものを選んでいく……という作業なんだ。だから、音楽的に関連性のあるものを選んでいく。
ただ、今回はその作業にかなり時間がかかったね。難なくストレートに決まるってときもあるんだけど、今回は収録曲をまとめるのに1ヶ月近くかかった。とにかくふたりで聴き返して、曲順をああでもないこうでもないと入れ替えて聴いてみて。だから、どういうわけか、今回は曲順を思いつくのに苦労したんだ。どうしてかといえば、このアルバムには似通った曲がいくつかあるからじゃないか、と僕は思うけど。要するに、近いフィーリングを持った曲がくつかあって、このトラックを入れるべきか?という点まで考えたし、いざそれを収録するとしたら、ではどこに置くのがいいだろう?と迷わされたわけ。
でも、さっきの「流れ/旅」というのは、いつも意識しているんだ。だって、それがなかったらわざわざ「アルバム」をやる意味はあまりないんだし、個別にトラックを発表していけばいいだけの話だからね。

 坂本慎太郎のzelone recordsからの新作案内によれば、『ナマで踊ろう』からおよそ2年ぶりの、坂本慎太郎の3枚目のソロ・アルバム『できれば愛を(Love If Possible)』のリリースが決定しました。7月27日(水)発売です。
 内容に関しては、「顕微鏡でのぞいたLOVE」という分かりにくいテーマのもとに制作された全10曲と、それを分かりやすく表現したアートワークが完成いたしました」とのことです。カセットも出るようですね。
 期待しましょう。

■2016年7月27日(水) zelone recordsより発売!

できれば愛を / 坂本慎太郎 

1.できれば愛を(Love If Possible)
2.超人大会(Tournament of Macho Men)
3.べつの星(Another Planet)
4.鬼退治(Purging The Demons)
5.動物らしく(Like an Animal)
6.死にませんが?(Feeling Immortal)
7.他人(Others)
8.マヌケだね(Foolish Situation)
9.ディスコって(Disco Is)
10.いる(Presence)

All Songs Written & Produced by 坂本慎太郎


●CD:
初回生産盤: zel-015s / JAN: 4582237835205
通常盤 : zel-015 / JAN: 4582237835212
価格: ¥2,600+税 (初回生産分のみ紙ジャケ仕様/各2枚組/インスト


●LP (Vinyl): zel-016 (1枚組/mp3DLカード付)
価格: ¥2,600+税


●CT (Cassette Tape): zel-017
価格: 2,130円+税

●Digital: iTunes Music Store / OTOTOY / レコチョク
●Hi-Res: OTOTOY / e-onkyo / mora   

interview with The Temper Trap - ele-king


The Temper Trap
Thick As Thieves

Infectious / BMG / ホステス

RockIndie Pop

Tower HMV Amazon

コートニー・バーネットが今年2月に行われたグラミー賞の主要部門である「最優秀新人賞」にノミネートされたことはここ日本のインディ・ロック・ファンの間でも大きな話題となり、ツイッターでも授賞式の模様は全世界どこでもリアルタイムで実況された。彼女はまた独特の異彩を放っているが、その他にも、ハイエイタス・カイヨーテ、フルームなど、オーストラリア出身の新世代アーティストたちの活躍が止まらない。そしてザ・テンパー・トラップのヴォーカルのダギー・マンダギも「オーストラリアン・バブルかもね」と表現していたが、快進撃の先陣を切ったのこそが、まさしく彼ら、ザ・テンパー・トラップだった。

 彼らの2009年のデビュー作『コンディションズ』は世界で累計100万枚以上を売り上げ、YouTubeの再生回数にいたっては2000万回以上という記録を残している。グラストンベリーやロラパルーザなど主要フェスへの出演を含めた全世界ツアーも経験し、英米以外の新人としてじゅうぶんすぎる成功を収めた。

 いま音楽においてはインディとメジャーの垣根も、国境も、時差も、まったく関係ないに等しく、情報速度差なく世界中でヒットが共有されていくことは珍しくない。では、アーティストはその環境の変化の速度に付いていけているのだろうか? 今回インタヴューに答えてくれたダギーとジョセフはとても穏やかな口調ながら揺るぎない信念を目の奥に光らせ、「とにかく俺たちは好きな音楽をやるだけ」とばかりにその身を委ねているようだった。しかし、オーストラリア出身のアーティストの名を挙げ、「オーストラリアのアーティスト同士はお互い助け合いたいね」とさらりと地元シーンへの愛も見せる。変化の速度に呑まれることなく、ごく自然にアイデンティティを保持しながら、静かに勇敢に世界へと漕ぎ出している。

 セカンド・アルバムで実験的なサウンドに挑戦し、バンドとしては少し迷っていた時期やメンバーの脱退を乗り越えて、今作「シック・アズ・シーヴス」は制作された。長年のツアー・メンバーであったジョセフ・グリーアを正式メンバーに迎え、あらためて絆を強めた彼らは、兄弟のように親密であることを表すタイトルをニュー・アルバムに冠し、いまや世界で活躍するスタジアム・ロック・バンドとなったという使命感にあふれるように、スケールの大きい楽曲を展開している。

 垣根なく自由に世界を漂えるいまだからこそ、ザ・テンパー・トラップのような誠実なアーティストにとってはかえって帰属意識やバンドの結束が高まる場合もあるのかもしれない。「オーストラリア出身の」という説明はもはや世界で活躍する彼らにとって不要なようでいて、やはり彼らの重要なエッセンスであるし、「シック・アズ・シーヴス」とあらためてバンドの結束を表明することも、やはり彼らにとっては必要なことだったのだ。

 インタヴューの日にはブルース・スプリングスティーンの着古したTシャツを着ていたダギー。世界的にヒットしていてもけっして急に小綺麗になったりしていないごく普通のロック好きな隣の兄ちゃんといった風貌だったが、中身もきっとデビュー時とあまり変わらずそのままに、今日もどこかでスタジアムを熱狂で包み込んでいるのだ。


■The Temper Trap / ザ・テンパー・トラップ

オーストラリアはメルボルン出身。2005年に結成。2006年にオーストラリアでEPデビュー。世界デビュー前から英BBCの注目新人リスト「Sound of 2009」やNME「Hottest Bands of 2009」に選ばれ、2009年には彼らのために復活した〈インフェクシャス〉再開第一弾バンドとして契約。世界デビュー作『コンディションズ』をリリースし、同年夏にはサマーソニック09出演のために初来日、秋には東京と大阪での単独公演を行なうため再来日を果たしている。2012年、かねてよりサポート・ギターを務めてきたジョセフ・グリーアが正式メンバーとして加入し、新たに5人組となって制作されたセカンド・アルバム『ザ・テンパー・トラップ』をリリース。その後ギタリストのロレンゾの脱退を経て16年、4年ぶりとなる新作『シック・アズ・シーヴズ』を完成させた。同年8月には7年ぶりとなるジャパン・ツアーも決定している。

メンバーはDougy Mandagi(ダギー・マンダギ / vocals, guitar)、Jonny Aherne(ジョニー・エイハーン / bass guitar, backing vocals)、Toby Dundas(トビー・ダンダス / drums, backing vocals)、Joseph Greer(ジョセフ・グリーア / keyboards, guitar, backing vocals)

タイトルは、もともとは聞こえがよかったからっていう理由だけで付けたんだけど、忠誠心、兄弟愛という意味もあって。(ジョセフ)


新作のジャケとタイトルのコンセプトは?

ジョセフ・グリーア:ドラマーのトビーがタイトルを選んだよ。もともとは聞こえがよかったからっていう理由だけで付けたんだけど、忠誠心、兄弟愛という意味もあって。ちょうどメンバーが脱退してから初のアルバムでもあったし、よりメンバーの絆が深まったり忠誠心が強くなったりしている時期だったということもあって、偶然に意味合い的にもつながったと思う。ジャケットに関しては、ベースのジョナサンがハロウィンときに街中で撮ってインスタグラムに上げていた写真だよ。これを“シック・アズ・シーヴス(Thick As Thieves)”のシングルのジャケットに使って、僕たちの写真をアルバムのジャケットに使おうと思っていたけど、この写真(今作のジャケット)のほうが兄弟というイメージも強いので、これをアルバムに使おうということになったんだ。

ジョセフがサポートから正式加入するきっかけは?

ジョセフ:2008年、デビュー・アルバムの『コンディションズ』のときにツアーのサポート・メンバーになって、2011年か12年頃のセカンド・アルバムの時期に正式に加入した。その頃はまだギターにロレンゾがいたから、僕はキーボードをメインに演奏していたけど、彼が脱退したのでギターになったんだ。ツアー・メンバーだった頃からいっしょに時間を過ごしていたので、その頃からオフィシャル・メンバーのような感覚ではあったよ。

今作ではスタジアムでのライヴの光景を想像させる、アンセミックでさらにスケールの大きい楽曲が多いと感じました。インディから着実に積み重ね、だんだんと動員も増え、ライヴの規模が大きくなっていったことも曲作りに影響しているのでしょうか。

ダギー・マンダギ:ありがとう! 原動力になるというのはもちろんあるけど、何より演奏していて、曲を作っていって楽しいから自然とそうなることが多いんだ。この曲は会場が盛り上がってくれるだろうな、というのも想像したりもするけど、まずは自分たちが演奏していて気持ちがいいというのが最初にあるよ。

歌詞はパーソナルなもの? それともフィクション?

ダギー:両方だね。ほとんどはパーソナルな経験にもとづいたものだけど、たとえば今回のアルバムで11曲めの“オーディナリー・ワールド”なんかはすべてフィクションのストーリーだよ。

影響を受けたアーティストにプリンスをあげていますが、彼の魅力や影響は自らの音楽にどのように反映されていると思いますか?

ダギー:最初の頃はプリンスを参考にしたりヴォーカルのスタイルを彼のように意識していたというのもあったけど、彼の本当に素晴らしいところというのは自分の好きなことをやって自分でアートを生み出しているところだと思うんだ。誰かに言われてやるのではなく、自分でスタイルを作り出しているよね。そういう姿勢こそ彼の魅力だと思うので、テンパー・トラップとしてもそのようにやっていけたらな、と思っているよ。


女の子のために曲を書いたりはしないからなあ~。冗談だけどね(笑)。(ダギー)


映画「(500)日のサマー」であなた方の“スウィート・ディスポジション”が使用されたことについてですが、あの映画は見ましたか?

ダギー&ジョセフ:もちろん見たよ!

どうでしたか?

ダギー&ジョセフ:う~ん、まあ女の子向けの映画だよね(笑)。

曲が使用されることになった経緯は?

ダギー:マネージャーの友だちがその映画の音楽担当と仲がよくて、監督も僕らの曲のファンだということで話が持ち上がったんだ。自分たちがその映画を好きかどうかは関係なく、映画で使われることによって自分たちの曲がより多くの人に知られるきっかけになったのでとてもいい経験だったよ。

サマーのような奔放な女の子ってどう思う?

ダギー:でも今の女の子ってみんなそうなんじゃない(笑)!? 日本の女の子は違うかもしれないけど。

きちんと曲のことが理解されて使用されていると思いましたか?

ダギー:曲とシーンがつながっているかというとそうでもないかもしれないけど(笑)、キャリアにとってプラスにはなったと思うよ。

あなた方の曲の中には、繊細さやフェミニンな部分も含まれているように感じますが、どちらかというと違和感があると。

ダギー:女の子のために曲を書いたりはしないからなあ~。冗談だけどね(笑)。ソフトだったりフェミニンな要素はたしかにあるかもね。何も考えない商業的な歌詞というのではなく、意味のあるものだからこそ繊細さがあるように思われるのかもしれないね。


僕らが幸運だなと思うのは、オーディエンスの幅が広くて、15歳から60歳までいろんな人がいるんだよね。(ジョセフ)


ローリング・ストーンズのフロントアクトをつとめたと思うのですが、その経緯は?

ダギー:まあ正直ブッキングされて、という感じなんだけどね(笑)。だからそこまで自分たちの中ですごく大事件というほどではなかったんだけど、最初で最後かもしれない、いい経験だったよ。一夜だけだったので何か学んだとかもあまりないんだけどね。

ローリング・ストーンズといえば存在そのものが「ロック」とも言えると思いますが、あなた方には自分たちもそのロックというものを引き継ぐ存在であるという意識や、あるいはそれを前進させていきたいというような考えはありますか?

ダギー:もちろんストーンズから影響は受けているし大好きなバンドだよ。彼らのようにブルース・ロックンロールという感じに僕らがなろうとは思っていないけど、たとえば僕らの今回のアルバムでも“シック・アズ・シーヴズ”だったり7曲めの“リヴァリナ(Riverina)"はそういうストーンズのようなブルース・ロックの要素が全面に出ている曲でもあると思う。バンドをはじめた頃はよりそういう音だったけど、逆にいまはそれがより薄れて変化してきていると思うよ。

それは昔といまでオーディエンスが変わったからでしょうか?

ジョセフ:僕らが幸運だなと思うのは、オーディエンスの幅が広くて、15歳から60歳までいろんな人がいるんだよね。それは変わらないし、今回のアルバムも幅広く受け入れられる音楽だと自分たちでは思っているよ。


The Temper Trap - Fall Together (Official Audio)


同郷のコートニー・バーネットはグラミーにもノミネートされたりと世界的に注目を浴びていますが、あなた方はいまでも地元のインディ・シーンを意識していたり刺激を受けたりしますか?

ダギー:自分たちはそういうシーンも把握しているし、コートニー・バーネットもそうだし、フルームやテーム・インパラなどのオーストラリアのアーティストが国際レベルで活躍するのはすごく素晴らしいことだし、誇りに思うよ。オーストラリアのシーンから世界に出ていくのを互いにサポートしたいという気持ちもあるよ。

同じオーストラリアでもシーンとしては違うと思いますか?

ジョセフ:オーストラリアのバブルみたいなものもあるけど、自分たちは独特の音楽をやっていると思うし、ルーツは同じかもしれないけど、7~8年前まではロンドンに住んでいたのでそこまで意識はないかな。

7年ぶりの来日公演もありますね。日本で楽しみにしていることはありますか?

ダギー:食べ物だね!

ジョセフ:ファーストのときに来日してとても気に入ったからまた来たいと思っていたけどセカンドのときは来れなかったから、今回はまた来れるということで興奮しているよ。

ダギー:あ、でもウニは苦手だな(笑)。

interview with DJ MIKU - ele-king

 君がまだ生まれたばかりか、生まれる前か、よちよち歩きしたばかりか、とにかくそんな時代から話ははじまる。1993年、移動式パーティ「キー・エナジー」は、東京のアンダーグラウンドを駆け抜けるサイケデリックなジェットコースターだった。実際の話、筆者はジョットコースターを苦手とするタイプなのだが(いままでの人生で5回あるかないか)、しかしあの時代は、目の前で起きている信じられない光景のなかで、乗らなければならなかった。いや、乗りたかったのだ。なにがカム・トゥゲザーだ、外面上はそう嘲りながら、もはや太陽系どころの騒ぎじゃなかった。そして、そのとき我々を銀河の大冒険に連れて行った司祭が、DJミクだった。
 DJミクは、80年代のニューウェイヴの時代からずっとDJだったので、そのときすでにキャリアのある人物だったが、当時としてはヨーロッパのテクノ、ジャーマン・トランスを取り入れたスタイルの第一人者で、とにかく彼は、10人やそこらを相手にマニアックな選曲でご満悦だったわけではなく、1000人以上の人間を集め、まとめてトリップさせることができるDJだった。


DJ Miku
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 さて、その栄光に彩られた経歴とかつての過剰な場面の数々に反するように、本人は、物静かな、物腰の柔らかい人で、それは知り合ってから20年以上経っているがまったく変わっていない。
 時代が加速的に膨張するまさにそのときに立ち合ったこのDJは、しかし、その騒ぎが音楽から離れていくことを案じて、常識破りのバカ騒ぎを音楽的な創造へと向かわせようとする。90年代半ばにはレーベルをはじめ、音楽を作り、また、売れてはいないが確実に才能のあるアーティストに声をかけては作品をリリースしていった。このように、パーティ以外の活動に積極的になるのだが、しかし、いわば偉大なる現実逃避の案内人が、いきなり生真面目な音楽講師になることを誰もが望んでいるわけではなかった。
 こうして司祭は、いや、かつて司祭だったDJは、天上への階段を自ら取り壊し、自ら苦難の道を選んで、実際に苦難を味わった。ひとつ素晴らしかった点は、かつて一夜にして1000人にマーマレードの夢を与えていたDJが、10年経とうが20年経とうが、いつか自分のソロ作品を出したいという夢を決して捨てなかったということだ。その10年か20年のあいだで、90年代初頭のど派手なトリップにまつわるいかがわしさはすっかり剥がされて、輝きのもっとも純粋なところのみが抽出されたようだ。アルバムには瑞々しさがあり、清々しい風が吹いている。それが、DJミクの、活動35年目にしてリリースされるファースト・アルバムだ。
 アルバムのリリースと、6月4日の野外パーティ「グローバル・アーク」の開催を控えたDJミクに話を聞いた。アルバムは、活動35年目にして初のソロ・アルバムとなる。それだけでも、DJミクがいま素晴らしく前向きなことが伝わるだろう。

どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね

DJをはじめて30年ですか?

DJ MIKU(以下ミク):35年ですね。

というと1981年から! 35年もブースに立ち続けるってすごいです。

ミク:運が良かったんだと思います。最初にすごく有名なナイトクラブ(※ツバキハウス)でデビューさせてもらったおかげで、次行く店でも割と高待遇な感じでブッキングされて。そういうクラブは気合も入ってるし、80年代はクオリティの高いディスコなりクラブのブースで、ずっと立ち続けることができたからね。で、90年代に入ったときには、自分たちのやったパーティが成功したと。まずは「キー・エナジー」、その次に「サウンド・オブ・スピード」でもレジデンスをやって、あともうひとつ「キー・エナジー」の前にラゼルというハコでアフター・アワーズのパーティもやったな。

ぼくにとってミクさんといえば、なんといっても悪名高き「キー・エナジー」のレジデントDJですよ(笑)。

ミク:まあまあ(笑)。その前も80年代のニューウェイヴ時代にもやってるんで。

いやー、でもやっぱりミクさんといえば「キー・エナジー」のミクさんじゃないですか。


天国への切符? Key -Energyのフライヤー。good old days!

ミク:そうなっちゃいますよね。90年代はとくね。

いや、あんな狂ったパーティは、ぼくは日本ではあそこしか知らないです(笑)。少なくとも、90年代初頭にテクノだとかレイヴとか言って「キー・エナジー」を知らない奴はいないでしょう。あれほどヤバイ……、ヨーロッパで起きていた当時の狂騒というか、過剰というか、狂気というか(笑)。日本でそれを象徴したのは紛れもなく悪名高き「キー・エナジー」であり、その名誉あるレジデントDJがぼくたちの世代にとってのミクさんです。だからいまでもミクさんの顔を見るたびに、ジャム・アンド・スプーンが聞こえてきちゃうんですよ。「フォローミー」というか(笑)。

ミク:ははは、懐かしい。そういう時代もあったんだけど、自分としては35年と長くDJやっててね、「キー・エナジー」はおそらく3、4年くらいしかなかったのかな。

もっとも濃密な時代だったじゃないですか。

ミク:かもしれないですねえ。

サウンド・オブ・スピードはどこでやったんでしたっけ?

ミク:それもやっぱり移動型のパーティで、それこそ代々木の廃墟ビルでやったりとか寺田倉庫でやったりしましたね。

ヒロくん? 彼はもっと、ワープ系だったり、ルーク・ヴァイバートなんかと仲良かったり、エクスペリメンタルな感じも好きだったでしょう?

ミク:そうそう。

ああ、思い出した。ミクさんは「キー・エナジー」であれだけヤバい人間ばかり集めたんで、やっぱりもうちょっと音楽的にならなきゃということで、「サウンド・オブ・スピード」にも合流するんですよね。ただ、あの時代、ミクさんがDJやると、どうしてもヤバい人間がついて来るんだよね(笑)。それがやっぱりミクさんのすごいところだよ。

ミク:どうなんですかね(笑)。

あの時代の司祭ですから。

ミク:はははは。


1997年の写真で、一緒に写っているのは、Key -Energy前夜の伝説的なウェアハウス・パーティ、Twilight ZoneのDJ、DJ Black Bitch(Julia Thompson)。コールドカットのマットの奥方でもある。余談ながら、1993年にTRANSMATのTシャツを着て踊っている筆者に「ナイスTシャツ!」と声をかけてくれたこともある。

テクノと言っても、当時のぼくなんかは、もうちょっとオタクっぽかったでしょ。良く言えばマニアックなリスナーで、そこへいくとミクさんのパーティにはもっと豪快なパーティ・ピープルがたくさん集まったてて。あれは衝撃だったな。イギリスやベルリンで起きていたことと共通した雰囲気を持つ唯一の場所だったもんね。あのおかげで、ぼくみたいなオタクもパーティのエネルギーを知ったようなものだから。

ミク:ところがその頃からレーベルを作っちゃったんですよ。

〈NS-Com〉?

ミク:そうですね。最初のリリースは97年だけど、その前身となった〈Newstage〉を入れると96年。

〈Newstage〉は、それこそレイヴ的なスリルから音楽的な方向転換をした横田進さんの作品を出してましたね。横田さんとか、白石隆之とか、ダブ・スクアッドとか……。ときには実験的でもあった人たち。でもミクさんの場合は、DJやると、どうしてもクレイジーな人が来るんだよなあ(笑)。それが本当ミクさんのすごいところだよね、しつこいけど。

ミク:はははは。DJでかけるものと自分の好きなものが違うんですよ。やっぱりDJでかけるものってハコ映えする曲なので。

去年コリン・フェイヴァーが死んだの知ってます?

ミク:知ってますよ。

縁起でもないと怒られるかもしれないけど、もし東京にコリン・フェイヴァーを探すとしたらミクさんだと思いますよ。

ミク:一度やったことあるけど、すごいオッサンでしたね(笑)。

コリン・フェイヴァーは、ロンドンの伝説的なテクノDJというか、ポストパンクからずっとDJしていて、そしてUKのテクノの一番ワイルドなダンサーたちが集まるようなパーティの司祭として知られるようになる。アンドリュー・ウェザオールがテクノDJになる以前の時代の、偉大なテクノDJだったよね。いまの若い子にコリン・フェイヴァーなんて言っても、作品を残してるわけじゃないからわからないだろうけど、90年代初頭にコリン・フェイヴァーと言ったら、それはもうUKを代表するテクノDJでね。

ミク:「キー・エナジー」でコリン・フェイヴァーを呼んで一緒にやって、やっぱりすごく嬉しかったな。あこがれの人と出来て。ただ自分がDJでプレイする曲って、いま聴いちゃうと本当どうしようもない曲だったり。こう言ったら失礼かもしれないけど、B級な曲なんだけれどもフロアで映えるという曲をプレイしていて。つまりダサかっこいい曲が多かった。でも自分の家に帰ると実は練習以外ではほとんど聴かなかったですね。

練習?

ミク:自分は練習量に関しては負けない自信があるんですよ。どのDJよりも練習したし、いまもしょっちゅうネタを探してるしてやってます。そういう意味では努力していると思う。

練習って、ミクさんは筋金入りだし、ディスコ時代から修行を積んでこられてるじゃないですか。

ミク:そういう経験にプラスしてMIXやネタのところでも負けたくないなというのは今もありますね。

当時のぼくはオタク寄りのリスナーだったけど、ミクさんはもうすでに大人のDJだったっすよね。遊び慣れているというか。

ミク:どうなんだろう……

だってミクさんが相手にしていたオーディエンスって、だいたいいつも1000人以上?

ミク:多いときは1500人くらいはいましたねえ。


1995年、Key -EnergyのDJブース

でしょ? そもそも「キー・エナジー」はマニアック・ラヴ以前の話だしね。

ミク:ちょっと前くらいかな。

リキッドルームなんか、そのずっと後だもんね。で、マニアック・ラヴというクラブがオープンして、それがどれほどのキャパだったかと言えば、100人入ればかなりいっぱいになるようなハコだったわけでしょ。で、実際、当時はそこに数十しかいなかったわけで、それでもすごく画期的だったりして(笑)。それを思うとですよ、あの時代、1000人の前でプレイするってことが何を意味していたかってことですよね。ナンなんですか?

ミク:時代の勢い?

ひとつには、それだけ衝撃的な吸引力があったってことじゃないですか? 「こんなのアリ?」っていう。

ミク:だけどねえ、人数は関係ないのかなあ。俺がDJやってていちばん手が震えたのは、横浜サーカスというところでやったときで。ちょうどパブリック・エナミーが来日していて、ハコに遊びに来たんですよ。で、フレイヴァー・フレイヴがDJブースに乱入してきて、いきなり俺のDJでラップはじめて(笑)。

すごいですね。

ミク:87年か88年かなぁ。しかもサーカスというとクラブの3分の1から半分くらいがアフリカ系アメリカ人なんですね。その外国人たちがすごく盛り上がっちゃってね。外したら氷とかコップとか投げられそうになるみたいな(笑)。そのときは手が震えたね。

「キー・エナジー」以前にそんなことがあったんですね。初めて知った。

ミク:まあその話すると逸れてしまうので、レーベルの方に話を移すと、じつはキー・エナジーをやっていた頃に野田さんに言われたことがあるんですよ。「ミクさんたちはビジネス下手だからなあ」って(笑)。「これだけ話題になってるんだからもっと上手くやればいいじゃん」って言われたんですよ。

ええ、本当ですか? それは俺がまったく生意気な馬鹿野郎ですね。ビジネスを語る資格のない人間が、そんなひどいこと言って、すみません!

ミク:いえいえ(笑)。クラブ業界と音楽業界は違うんですよ。たしかにレーベルやるということはビジネスマンでなくてはいけない。それまではただのいちDJ、アーティストとして音楽業界と接していたんだけど、レーベルをやるということはCDを売らなきゃいけないということなんだよね。流通とか、プロモーターとか、他にも汚れ仕事もしなきゃならない。でも、当時は俺も経験がなかったですし、はっきり言って新人ですよ。DJとしてはもう、その頃で10年以上はやってたんだけど、でも音楽業界のプロの人に現実的な事をすごく言われちゃって。理想的なことばっかり話してたもんだから呆れられて、とくに良く言われたのが「ミクさんアーティストだからな」とか(笑)。シニカルなことを良く言われました。

俺そんなこと言いました?

ミク:いや、野田さんじゃないですよ(笑)。他の音楽業界の方々です。

ああ、良かった。とにかく俺がミクさんのことで覚えているのは、「キー・エナジー」って、あの狂乱のまま続けてていいのかというレベルだったでしょ。だから、音楽的にもうちょっと落ち着いたほうが良いんじゃないかっていう。ミクさんのところはハードコアなダンサーばかりだったからさ(笑)。そういえば、1993年にブリクストンで、偶然ミクさんと会ったことがあったよね。

ミク:ああ、ありましたね。

朝になって「ロスト」というパーティを出たら、道ばたにミクさんがいた(笑)。あれ、かなり幻覚かなと思いましたよ。

ミク:あのとき、一緒にバスに帰って、野田さんはずっと「いやー、素晴らしかったすね!」って俺に言い続けていたんだけど、じつは俺はロストには行かなかったんだよ。

ええ! じゃあ、あのときミクさんはブリクストンで別のパーティに?

ミク:ロンドンのシルバーフィッシュ・レコードの連中とミックスマスター・モリスのパーティにいたの。その後ロストに行こうと思ってたんだけど、モリスのプレイがあまりにも良くて、ハマっちゃって出てこれなくなっちゃって、パーティが終わっちゃた。それで帰り道で「ロスト」の前を歩いたら、野田さんたちがいたんですよ。

そうだったんですね。俺はあのとき「ロスト」を追い出されるまでいたんで(笑)。追い出されて、もう超眩しい光のなか、ブリクストンの通りに出たら、ミクさんがいたんですよ。ようやくあのときの謎が解けた。

ミク:はははは。


テクノ全盛期のロンドンのレコード店、シルヴァーフィッシュ内でのミク。

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こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

ともかく、35年目にして初めてのソロ・アルバムを作るっていうのは……すごいことだと思うんですよね。普通は、35年もつづければ「も、いいいか」ってなっちゃうでしょ。しかもミクさんはずっとDJで、それってある意味では裏方であり、そのDJ道みたいなものをやってきたと思うんですけど。

ミク:そう、DJ道! それが本当に一番。

だから自分で作品を作るというよりは、人の良い曲をかけるという。


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ミク:でもね、本当は自分の作品を作りたくてしょうがなかったんだ。だから1回ロータスというユニットでアルバム作ったんです。そのままやりたかったんだけど、レーベルを同時に始めちゃったので、レーベルの運営業務に時間が食われてしまうんですね。2010年くらいまでやってたんだけど、どうも2005年くらいから調子が悪くなって。テクノだけじゃ売れないし、エレクトリック・ポップとかもやりだして、どうしてもライヴだとかのマネージメント的なことも出てきちゃったり、ときにはトラックダウンやアレンジもやったりして。そうするとすごい時間取られるようになってきちゃって……自分はDJとして活動したいけど、ビジネスマンでなきゃいけないというプレッシャーもあり……(笑)。また、自分の時間がないという。
 2002年くらいから2010年くらいまでは完全に裏方みたいな感じだったな。レーベルのアーティストたちはアルバム出してるのに、自分は出せないという。だから自分のソロ・アルバムを作ろうと思ったのは、じつは10年くらい前なんですよ。

へー、そんな前から。

ミク:シンプルなミニマル・トラックだったら2〜3日で出来る事もあるけど、もうちょっとメロディの入った音の厚いものを作ろうとすると、けっこう時間もかかる。たまに単発でコンピレーションに曲を提供したりはしてたんだけど、まとまったものを出したかったんだよね。

それが結果的に2016年にリリースされることになったということですか?

ミク:遅れに遅れて。そのあいだ、こんなことで10年もくすぶっているんだったら一発賭けてみようかと思って、失敗したらホームレスになってもいいやという境地になりましたね。それが去年なんだけど。6ヶ月間なにも他の仕事しないで音楽を作るためだけの時間を作ろうと思って、変な話、生活費を立て替えるためにローンしたり(笑)。それで完成させたのがこのアルバムなんです。

人生をかけたと?

ミク:侠気というのがあるじゃないですか。80年代には侠気がある先輩が多くて。自分もそれに助けられてきたんですよ。

侠気っていうか、親身さ? 面倒見の良さ?

ミク:そうですね、自分の利益を顧みないでサポートしてくれる人がいました。そんな先輩の影響もあってレーベルをやっていたところが大きい。ぼくはその精神を継承しただけなんですね。だから近くにいる奴が「ミクさん、アルバム作りたいんですけど。」と言ってきたら、「おお、やれよ。俺が面倒見てやるよ。」ってことでCD出したりしてました。

ははは(笑)。親分肌だね。

ミク:ところが2005年くらいから収入も激減しちゃって。だんだん男気が出せなくなってきちゃって(笑)。

それは単純にDJのギャラが下がったということなんですか?

ミク:うん、それもある。あとはDJをやる回数が減った。だって自分の作品出してないし、とはいえ渋谷のWOMBで2001年から06年くらいまでレギュラー・パーティのレジデントをやってたんで、ある程度DJとしての活動は出来てたんだけれども。それ以外ということになるとなかなか話題も作れなかったし、ブッキングもどんどん減っちゃってたね。

地方であったりとか?

ミク:あと小さいクラブであったりとか。2005年くらいにだんだん貧乏になってきちゃって、男気が出せないということになる。そのときに男気って経済的なことなのかなあと思って(笑)。でもそれは悔しいじゃないですか。そんなときに経済と関係なく、男気を出さないといけないんじゃないかなと思って。今度は自らのために侠気を出して6ヶ月間の生活ローンを組んで(笑)。

それはまた(笑)……しかしなんでそこまでしてやろうと?

ミク:90年代から2000年代にかけて、一緒にやっていた奴らがどんどんやめちゃうんですよ。日本でテクノじゃ食えないので。結婚したり子供が出来たりとか、いろんな理由があると思うんだけど、すごく才能のある奴もやめていっちゃう。

それはDJとしての活動ということですか?

ミク:DJとしてもアーティストとしても。でもアーティストのほうが多いかな、曲を作る人。どんどんやめていってしまう。で、そんなときだからこそ、作って刺激してやろうと。そう思って完成させました。

その気持ち、わかります。ただ、ぼくもクラブ遊びはもうぜんぜんしていないんですね。大きな理由のひとつは、経済なんです。昔はクラブの入場料なんて1500円で2ドリンクだったでしょ? 現代の東京のクラブ遊びは金がかかるんです。収入の少ない子持ちには無理です。独身だったらまだ良いんですよ。ただ、それが職業になっているんだったら話は別ですけど、カミさんと子供が寝ている日曜の朝にベロベロになって帰ってきて寝るというのはさすがに気が引けるってことですね(笑)。
 あとは、健康にはこのうえなく悪い遊びじゃないですか。寝ているときに起きているわけだから。ぼくは朝型人間なんで、毎朝6時前起きで、年齢も50過ぎているから、夜の11時過ぎに起きていること自体がしんどいんです。そんな無理してまでも遊ぶものじゃないでしょう、クラブって。つまり、クラブ・カルチャーというのは、人生のある時期において有意義な音楽であるということなんですよ。受け手側からすると、クラブ・カルチャーは一生ものの遊びじゃないというのが僕の結論なんですね。ただ、だからといって僕がクラブ・ミュージックを聴かないことはないんです。買って家で聴く音楽は、いまだにクラブ的なものなんですね。相変わらずレゲエも家で聴きますけど、ダンスのグルーヴのある音楽はずっと聴いています。だからクラブ遊びは年齢制限ありだけど、音楽それ自体は永遠なんですよね。

ミク:そこですよ。だからアルバム作るもうひとつの動機は作品を残せるから。
やっぱりDJって、とてもスペシャルなことだけど一夜限りのものなんですよ。

それはそれで最高ですけどね。刹那的なものの美しさだと思うんですよね。こういうこと言うと若い人に気の毒なんだけど、あんなに面白い時代は二度と来ないだろうな(笑)。いまのクラブ行ってる子たちには申し訳ないんだけど。

ミク:まあ別物ですからね。

いまのクラブがクラブと呼ぶなら、あの時代のクラブはクラブじゃないですから。クラブっていうのは、ぼくにとっては、スピーカーの上に人がよじ登って、天井にぶら下がったりして騒いでいる場所で(笑)。

ミク:そうですね。でもああいうパーティもまた出来ないことはないんじゃないかなって少し思っちゃってるんですよ(笑)。

レインボー・ディスコ・クラブってあるじゃないですか。こないだあれに行ったらすごい家族連れが多かったんですよね。たぶん俺と同じ世代なんですよね。で、その家族連れがいる感じがすごく自然だったんですよ。

ミク:そうね、野外だったらね。

そう。じゃあこれつま恋とかで吉田拓郎がやってフォークの世代がそこに集まったろしても、家族連れでは来ないじゃないですか。ジャズ・フェスティヴァルがあったとして、家族連れでは来ないでしょう?

ミク:たぶんそうだね。

でもダンス・カルチャーというのは家族連れで来るんですよね。それはやっぱり,ダンス・ミュージックは誰かといっしょに楽しむコミュニティの音楽からなんでしょうね。それってある意味ではすごく可能性があると思ったし、こんなに家族連れが来ても違和感を感じない文化、音楽のジャンルというのも珍しいんじゃないかなと逆にすげーと思ってしまったんですよね。

ミク:俺は、野外パーティの「グローバル・アーク」を仲間とやってて、それの基本って自分の頭のなかでは、「ビック・チル」なんですね。「グローバル・アーク」の音楽自体はダンスなんだけど、雰囲気的な所が目指したいところで。

ああ、「ビック・チル」かー、UKのその手の野外フェスで最高なものでしたよね。

ミク:1999年あたりの「ビッグ・チル」に出演したことがあって、ロンドンの郊外のだだっ広いところでやったんだけど、そのときも年齢層の幅広さに驚いたんですよね。若い子もいるし家族連れもいるし、60代もいるし。すごくいいパーティだなあ、こういうのいつかやりたいなあというのがずっとあった。それで2012年、時代が変わるときに何かやりたいと思っていて、それで「ビッグ・チル」みたいなイベントをやりたいと思ってはじめたのが「グローバル・アーク」なんです。そうすればいろんな人が交わる。若い人も、家族連れの人も、もう引退しちゃった人も。

下手したら、いまのあらゆるジャンルのなかでも平均年齢がいちばん若いかもしれないですよ。3歳児とか多いから(笑)。

ミク:そうかもしれない(笑)。東京のクラブなんかみんな30代以降と言ってるからびっくりですよね。だけど野外になるとね、それこそさっき言った3歳とか5歳とかいるわけで(笑)。その子たちが自然と音を聴くわけですよね。だから将来有望だなあ、なんてちょっと思っちゃったりもするんだけど。

そうですよ。ぼくなんか、都内のクラブ・イベントに誘われても「本当に行っていいの? 平均年齢いっきに上がってしまうよ」って言うくらいですから。

ミク:はははは、だけどああいう野外パーティもすごいリスキーでね。雨が降ったときとか……クラブでやるのとわけが違う。「グローバル・アーク」の場合3つのフロアがあるんですけど、一夜にして3つのクラブを作んなきゃいけないという。

しかも場所がね。

ミク:山の中なかですから。

最高の場所ですよね。よく見つけたなあと思います。ぼく自転車好きなんでたまに奥多摩湖に行くんですよ。家から往復すると150キロくらい。あの、奥多摩駅を超えたあたりから別世界なんですよね。本当に素晴らしい景色です。

ミク:すごく良いところです。

しかし、話を聞いてわかったのは、今回のファースト・アルバムには、ミクさんのいろんなものが重なっているんですよね。シーンに関することや、未来への可能性をふくめて。

ミク:すごくいろんなものが重なってる。シーンに関して言うと「グローバル・アーク」では最近音楽活動してない人もブッキングしたりしてるけど、アルバムを出すという行為自体が、そういう人に向けて「もっと音楽やろうよ!」というメッセージになってると思います。僭越だけど自分の中では大きなポイントだね。未来のことを言えば、ヨーロッパのどこかの国で流行ってるハウスやテクノを追いかけて曲を作るのではなく、日本のドメインの音をみんなで作っていきたいと思うな。それはパーティも含めてね。個人的に「昔は良かった」っていう話で終わらせるのは大嫌いだから常に前進あるのみでこれからも行きます。

「キー・エナジー」を繰り返すことはもう不可能だろうけどあの時代とは別のエネルギーを表現したいってことですか?

ミク:そうですね。


渋谷のWOMBでのレギュラー・パーティ、CYCLONEの様子。

しかし、ミクさんと会っていると、どうしてもあの時代の話になっちゃうんですが……、あの頃、いまじゃ信じられないけど、どこまでトリップできるかっていうか、あるときには、クラブにお坊さんを呼んでお経まで詠んでいたような時代ですからね。

ミク:はははは、エドン・イン・ザ・スカイかな?

そうそう、風船を天井に敷き詰めてね。ムーキーさんとか、あの人も時代の主要人物のひとりですよねえ。

ミク:日本のミクス・マスター・モリスみたいな(笑)。

おかしいですよ、しかも満員だったし(笑)。

ミク:だから90年代って面白かったんだろうね。ただそこをずっと見ててもしょうがない。やっぱり2010年代に新しいものを作っていきたいということでいまやってるのが、「グローバル・アーク」を中心とした活動というか。

俺、ミクさんの今回のアルバム聴いてびっくりしちゃったもん。すごく爽やかなんですよね。すごくクリーンで透明感があって。

ミク:それを目指したというかね。透明感を保ちつつ深いところへ行けるようなトリップ感。

ぜんぜんドロドロしていない(笑)。だから「キー・エナジー」の狂気とはまったく違う(笑)。今回は、ミクさんがひとりで作ったんですか?

ミク:もう全部ひとりで作りました。お金もないしマスタリングも頼めないし(笑)。自分の自宅で。それも古い機材だけで作りました。

ドロドロはしていないだけど、いい意味で90年代初頭の感じがしましたね。90年代初頭のベッドルーム・テクノな感じ。

ミク:そう、あの音、とくにヴィンテージ系シンセの音が好きなんだよね。ああいうのは、パンクだとか初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノとか、もちろんヒップホップとか、そういう「あるものでやる」という衝動があって。自分がいま持っているものでやろうと。だから、時間がかかったんだけどね。

90年代初頭のテクノがキラキラしていたころのサウンドですよね。

ミク:まあそれは影響あるから当然だと思う。なおかつちょっとポップに作りたかったというのもあった。というのは自分の中の永遠のテーマってディープ・ポップスなんですよ

曲がすごくメロディアスですよね。

ミク:どうしてもそういうものを作りたかったというのがありますね。もう必死というと格好悪いけど、作っているあいだは必死だったかもしれない。35年やって、10年間アルバムを作れないでいた思いというか。だからどんどんリリースしてる人とかDJ活動してる人とか羨ましかったですね。だから野田さんにビジネスが下手ですねと言われたときに……

そんなこと言ってないですよ!

ミク:いや、言った言った(笑)。

おまえ何様だと思ってるんだという感じですよね。そのときの俺がここにいたらぶん殴ってやりますよ(笑)。

ミク:いやいや(笑)。だけど本当に、そもそも音楽業界でビジネスやるというのはどういうことなのかもいまでもよくわかってないから。

俺もわかってないですよ(笑)。DJだけじゃなく、ライターだって、長くやっていればいるほど、時代の流れ、時代の変化というものに晒されるし、ひとりだけ取り残されるという感覚も味わうかもしれない。

ミク:長くやっていればそうでしょうね。

だからいまの若い子も毎日歳を取って、で、いつかはそうなるわけであって。

ミク:打開するのは自分自身でしかないんですよね。

あとはじっとときを待つというのもあるんじゃないですかねえ。

ミク:いや、待ってても来ないですね(笑)。

そうですか?

ミク:いや、来ないです(笑)!

ミクさんはもっと早く出したかったのかもしれないけど、むしろいまこのサウンドは求められてるんじゃないのかなと思います。ソウルを感じるし、アンビエントも感じますね。

ミク:80年代のディスコ時代は、ぼくは高橋透さんの下だったんですね。透さんはミックスには厳しい方でね、だから当時は本当にたくさん練習したし、曲の小節数も覚えたし。で、透さんはソウルやディスコの人で、ぼくはニューウェイヴの世代だったから、ぼくは若い頃すごくブラック・ミュージックにコンプレックスがあって。でも、ニューウェイヴにもソウルがあったし、なんか、それは自分でも表現できるんじゃないかってずっと思ってて。あと、やっぱり最新の便利さのなかで作ってないことも、そんな感じを出しているかもしれないね。まあ、俺はどうしても好きな音があるし、それをやるとこうなっちゃうというか。

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「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。

90年代の主要人物であったミクさんがあれだけ数多くの狂人たちを見てきて、いまそこから何を導き出せると思いますか? あの時代の何がこの時代に有効というか、何が普遍的な価値観として導き出せると思いますか?

ミク:コミュニケーションでしょうね。あの時代というのはもちろんネットもないし、ほとんど口コミですよ。

まあ、がんばって壁によじ登る必要はないからね(笑)。天井にぶら下がるのも危険だし、上半身裸で踊ったら風邪引くし(笑)。

ミク:はははは、みんなそうだったもんね。上半身裸は最近見なくなったね。「キー・エナジー」のジャングルベースでやったときだったか? 女の子が全裸になって走りまわってて、セキュリティーが「パンツくらいはけよ!」ってパンティ持って追いかけてったり(笑)。そんなこともあったけど、そこにいる人間が暗黙のコミュニケーションで結ばれてたから、好き勝手に自己表現しても許される。オーディエンス同士が濃密な関係だったから、そういう雰囲気が作れる。いまはDJ対オーディエンスだけの関係がメインになってる部分が大きいから、それをオーディエンス対オーディエンスの部分をもっとフックアップしていけば来てる人ももっと楽しいはずだし、ネット以外のコミュニケーション方法が変われば、あの熱い感じは戻ってくるんじゃいかと思うな。クラブも野外パーティもその方が絶対楽しいはずだからね。

90年代のナイト・ライフが言ってたことはじつに簡単なことであって、「週末の夜は俺たちのものだ!」ということでしょ(笑)。もちろんそこでかかっていた音楽が真の意味で圧倒的に新鮮だったことが大前提なんだけど、必ずしもマニアックな音を追いかけていたわけじゃないからね。ロックのコンサートに5千円払うんだったら、1200円で買った12インチを持ち寄ってみんなで1000円の入場料払って、集まって聴いたほうが楽しいじゃんって、ものすごくロジカルに発展したのがクラブ・カルチャーで、主役はスターじゃなく音楽なんだからさって。いまじゃすっかり本末転倒しちゃってるけど。空しいだろうな、下手したら、いまは趣味の違いでしかないから。「キミはミニマルなの? ふーん、ディープ・ハウスもいいよね」「ダブステップも最近また面白いよ」とか「やっぱジュークでしょ」とか、「このベースラインがさー」とかさ、そんな感じじゃない? 俺たちの時代は、もっとシンプルだったじゃん。「週末は行くでしょ?」だけだったんだから。「で、何時にしようか?」とか。そういえば俺、「キー・エナージー」の開場前からドアに並んでいたことあったもん(笑)。どこのバカだと思われただろうけど。

ミク:90年代は踊りに来てたんですよ。でもいまは踊らされるために来てるんじゃないのかと思ってしまうこともある。DJをあんまりやったこともないような海外のクリエイターがプロモーションの為に即席DJで来日して、プレイもイマイチなのに、みんなDJ見て文句も言わず踊ってる。これ、オーディエンスは本当に楽しんでいるんだろうか? っていう場面を良くみます。情報を仕入れに来るのもいいけど、DJは神様じゃないんだから礼拝のダンスというよりは、自己表現のダンス、時には求愛のダンスで自らが楽しんで欲しいな。

せめて可愛い女の子を探すくらいの努力はしないと(笑)。

ミク:ははは(笑)。それはそうだね。

デリック・メイが言うところのセクシーさは重要ですから。

ミク:それはある。クラブというのはそういうもんです。自分自身が関わってたパーティはセクシーなだけでもなく、サイケデリック・カルチャーとかニュー・エイジまで、本当にいろいろなものがあって、環境問題とか考えるきっかけにもなったり。いまだにそういう思想を持った人とは繋がっているし。つまり90年代のパーティは集まった人たちによる濃密なコミュニケーションから様々なものが生まれて、人との繋がりが仕事になってたり、世の中のことを議論するミェーテングの場でもあったり。そんな関係性を作れる場でもあったから、それを次の人たちにも掘り起こしてほしいね。とくに初期のトランスのパーティにはそういう原型があったと思うしね。
 音楽的にはいまで言うトランスと初期のトランスはぜんぜん違うんだけど、俺から言わせればマッド・マイクもジョイ・ベルトラムもデイブ・クラークもトランスと言えばトランスだった。自分はジャーマン・トランスはかけたけど、それはやっぱり音楽的にシカゴやデトロイトとも連動しているからで。でも、96年くらいからお客さんは、わかりやすいトランスを求めてきた。インドぽいフレーズの入ったトランスをかけないと裏切り者ぐらいのことを言われたり。でも、俺はあの音は大の苦手だったんだ。プレイはしなかった。だからレーベルをはじめて、方向性を変えて、そっち方面へ行ったオーディエンスとは一時期決別することになってしまったんだけど。でも時代が1周して最近はそっちに行った人たちも戻ってきてるというか、自分が近づいてるというか、接点も多くなってきた。

それから今回のアルバムへと長い年月をかけて発展したのはよくわかります。さっきも言いましたが、本当に澄んだ音響があって、清々しいんですね。さきほど「ビッグ・チル」の話が出ましたが、アンビエント、デトロイト、クラブ・ジャズなんかが良い感じで融和しているというかね。ところで、これからミクさんはどうされていくんですか?

ミク:目指しているのは親父DJかな(笑)。

もう立派に親父DJですよ(笑)。みんな親父DJですよ(笑)。

ミク:もっと親父な感じでやりたいのね。ハードなやつじゃなくて、チルなゆるい奴も含めて。去年一番楽しかったDJって西伊豆でやったときなんですよ。西伊豆に海を渡らないと行けないところがあって。そこで本当にちっちゃいパーティがあったんだけど。そのときに久々に8時間くらいDJやったんだよね(笑)。

すごいな。

ミク:チルな音楽中心だったんだけど、やっててすごく楽しくてね。縛りなしだし。だからそういうのを広げていきたいなというのはありますね。もちろんダンス・ミュージックはやるんだけれども、そういうゆるい感じのもやっていって。ちっちゃいパーティで身軽にやってもいいし。

俺はまあ、日本のコリン・フェイヴァーはいまのうちに聴いとけよというね(笑)。

ミク:それはそれで続けますよ、これからも! 生きてるうちは(笑)

あの時代は再現できないだろうけど、若い世代に新しい時代を作って欲しいですね。ぼくたちでさえできたんだから、君たちにもできるってね。

ミク:そうだよね、それもいままでにない違う形でね。もし手伝えることがあれば、どんどん声かけて欲しいです。


野外からクラブまで、いつまでもDJを続けるぜ!



6月4日、「GLOBAL ARK 2016 」がありますよ〜!

2016.6.4.sat - 6.5.sun at Tamagawa Camp Village(Yamanashi-ken)
Gate Open:am11:00 / Start: noon12:00
Advance : 5,000 yen Door : 6,000 yen
Official Web Site : https://global-ark.net

今年も6月の第一週の週末から日曜日の昼過ぎまで第5回目のGLOBAL ARK を開催します。
今年は、初登場のDJ/アーチストも多く新たな展開に発展しそうなラインナップとなっております。都内を中心に全国で活躍するレジェンドから新進気鋭のDJまで豪華共演の宴をご期待ください。

また、海外からはディープテクノ、ミニマルのレーベル、Aconito Recordsを主宰し、自身の作品を中心にGiorgio Gigli、Deepbass、Obtane、Claudio PRC、Nessなどの数々の良質なトラックをリリースするNAX ACIDが初来日を果たします。

そして去年のGLOBAL ARKで素晴らしいプレイを披露してくれた、
Eduardo De La Calleが再来日決定! 今年に入ってから、CadenzaよりANIMA ANIMUS EPとスイスの老舗レーベルMENTAL GROOVEから、CD、デジタル、12インチでのフルアルバムをリリース。12インチバイナルは豪華6枚組ボックスセット! まさに今絶好調のEduardoは必見・必聴です。

さらに今年は3つのエリアにDJブースが設けられ、更なるパワーアップを目指しました。そして充実のフードコート。今年も様々なメニューを用意しており、自然の中でいただく料理は格別なものとなるでしょう。近くには日帰り温泉施設小菅の湯もございます。踊り疲れたらこちらに立ち寄るのも
楽しみのひとつになるかもしれません。

梅雨入り前の絶好の季節に山々の自然と最新のTechno/House/Dance Musicをお楽しみください。皆さまのご参加を心よりお待ちしてます。

Line up

-Ground Area -

EDUARDO DE LA CALLE (Cadenza,Analog Solution,Hivern Discs/SPA)
Nax_Acid (Aconito Records, Phorma, Informa, Kontrafaktum/UK, ITA)
ARTMAN a.k.a. DJ K.U.D.O.
DJ MIKU
KAORU INOUE
HIDEO KOBAYASH (Fuente Music)
GO HIYAMA (Hue Helix)
TOMO HACHIGA ( HYDRANT / NT.LAB )
Matsunami (TriBute)
NaosisoaN (Global Ambient Star)

<Special Guest DJ>
DJ AGEISHI (AHB pro.)

-River Area -

DJ KENSEI
EBZ a.k.a code e
DJ BIN (Stargate Recordings)
AQUIRA(MTP / Supertramp)
R1(Horizon)
Pleasure Cruiser (Love Hotel Records / RBMA)
DJ Dante (push..)
Chloe (汀)
DJ MOCHIZUKI(in the mix)
Shiba@FreedomSunset
ENUOH
OZMZO aka Sammy (HELL m.e.t)
Kojiro + ngt. (Digi-Lo-t.)
SHIGETO TAKAHASHI (TIME & THINGS)
NABE (Final Escape)
KOMAGOME (波紋-hamon-)
AGBworld (INDIGO TRIBE)
TMR Japan(PlayGroundFamily / Canoes bar Takasaki)
PEAT (ASPIRE)
(仮)山頂瞑想茶屋
(仮)Nao (rural / addictedloop / gifted)

-Wood Lounge-
TARO ACIDA(DUB SQUAD)
六弦詩人義家
Dai (Forte / 茶澤音學館)
ZEN ○
Twicelight
DJ Kazuki(push..)
ALONE(Transit/LAw Tention)
Yamanta(Cult Crew/Bio Sound)
ToRAgon(HIPPIE TWIST/NIGAYOMOGI)
DUBO (iLINX)
MUCCHI(Red Eye)
(仮)cirKus(Underconstruction)

Light Show
OVERHEADS CLASSIC

Vj : Kagerou

Sound Design : BASS ON TOP

Decoration : TAIKI KUSAKABE

Cooperate with FreedomSunset

Bar : 亀Bar

Food :
Green and Peace
Freewill Cafe
赤木商店
野山の深夜食堂
Gypsy Cafe

Shop
Amazon Hospital
Big ferret
UPPER HONEY

FEE :
前売り(ADV) 5,000円 当日(DOOR) 6,000円
駐車場(parking) : 1,000円 / 場内駐車場1,500円
(場内駐車場が満車になった場合は
キャンプ場入口から徒歩4-5分の駐車場になります)
テント1張り 1,500円
Fee: Advanced Ticket 5,000yen / Door 6,000yen /
Parking (off-track)1,000yen / (in the Camp Site)
1,500yen
Tent Fee 1,500yen

【玉川キャンプ村】
〒490-0211 山梨県北都留郡小菅村2202
TEL 0428-87-0601
【Tamagawa Camp Village】
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken,
Japan

● ACCESS
東京より
BY CAR
中央自動車道を八王子方面へ→八王子ジャンクションを圏央道青梅方面へ
→あきる野IC下車、信号を右折して国道411号へ→国道411号を奥多摩湖方面へ
約60分→奥多摩湖畔、深山橋交差点を左折7分→玉川キャンプ村

BY TRAIN
JR中央線で立川駅から→JR青梅線に乗り換え→青梅駅方面へ→JR青梅駅で
奥多摩方面に行きに乗り換え→終点の奥多摩駅で下車→奥12[大菩薩峠東口経由]
小菅の湯行バス(10:35/13:35/16:35発)で玉川停留所下車→徒歩3分

Tamagawa Camp Village
2202 Kosuge-mura, Kitatsuru-gun, Yamanashi-ken, Japan

Shinjuku (JR Chuo Line) → Tachikawa (JR Ome Line) → Okutama →
Transfer to the Bus to go Kosuge Onsen.
Take this bus to Tamagawa Bus Stop

Okutama Bus schedule:10:35 / 13:35 / 16:35
(A Bus traveling outward from Okutama Station)

(Metropolitan Inter-City Expressway / KEN-O EXPWY)
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Hinode IC"
 Metropolitan Inter-City Expressway
・60 minutes by car from KEN-O EXPWY "Ome IC" 
  (Chuo Expressway)
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Otuki IC"
 Chuo Expressway
・60 minutes by car from CHUO EXPWY "Uenohara IC"

● NOTICE
※ ゴミをなるべく無くすため、飲食物の持ち込みをお断りしておりますのでご協力お願いします。やむおえず出たゴミは各自でお持ち帰りください。
※ 山中での開催ですので、天候の変化や、夜は冷え込む可能性がありますので、各自防寒着・雨具等をお忘れなく。
※ 会場は携帯電波の届きにくい環境となってますのでご了承ください。
※ 違法駐車・立ち入り禁止エリアへの侵入及び、近隣住民への迷惑行為は絶対におやめください。
※ 駐車場に限りがあります、なるべく乗り合いにてお願いします。
※ お荷物・貴重品は、各自での管理をお願いします。イベント内で起きた事故、盗難等に関し主催者は一切の責任をおいません。
※ 天災等のやむ終えない理由で公演が継続不可能な場合、アーティストの変更
やキャンセル等の場合においてもチケット料金の払い戻しは出来かねますので何卒ご了承ください。
※ 写真撮影禁止エリアについて。
GLOBAL ARKではオーディエンスの皆さまや出演者のプライバシー保護の観点から各ダンスフロアでの撮影を禁止させていただ いております。 そのため、Facebook、Twitter、その他SNSへの写真及び動画の投稿、アップロードも絶対にお控えくださるようお願いします。
尚、テントサイト、フードコートなどでの撮影はOKですが、一緒に来た 友人、会場で合った知人など、プライベートな範囲内でお願いします。

HOLY(32016,NO MORE DREAM) - ele-king

ロックンロール大使館”開始記念10選

PINCH&MUMDANCE - ele-king

 UKのアンダーグラウンド・ダンスシーンを追っている者にとって、もはや説明不要の存在、ピンチ。ダブステップのパイオニアのひとりとして知られる彼だが、2013年に始動したレーベル〈コールド・レコーディングス〉で聴くことができる、文字通り背筋が凍りつくようなテクノ・サウンドのイメージを彼に抱いている方もいるかもしれない。
 だがそれと同時に、彼のトレードマークとも言える〈テクトニック〉での重低音の実験も止むことはなく、近年も数々の傑作をリリースしている。そのなかでも一際輝きを放っているのが、マムダンス関連の作品だろう。2015年に盟友ロゴスと共に発表した『プロト』は、UKダンスミュージックの歴史をタイム・トラベルするかのような名盤であり、2014年のピンチとの連名曲“ターボ・ミッツィ”はグライムの粗暴さとコールドなテクノが融合したアンセムとなっている。同じ年に出た彼らのB2BによるDJミックスも、時代性とふたりの音楽性がブレンドされた刺激的な内容だった。
 現在もピンチはテクノとベースを行き来する重要プレイヤーであり、マムダンスもグライムMC、ノヴェリストとのコラボのスマッシュヒットが示すように、要注目のプロデューサーのひとりとして認知されている。今回の来日公演で、どんな化学反応を見せてくれるのだろうか?

DBS presents
PINCH B2B MUMDANCE

日程:5月20日金曜日
会場:代官山UNIT
時間:open/start 23:30
料金:adv.3,000yen / door 3,500yen

出演:
PINCH (Tectonic, Cold Recordings, UK) 、
MUMDANCE (Different Circles, Tectonic, XL Recordings, UK)
ENA
JUN
HARA
HELKTRAM
extra sound: BROAD AXE SOUND SYSTEM
vj/laser: SO IN THE HOUSE

info. 03.5459.8630 UNIT

Ticket outlets:
PIA (0570-02-9999/P-code: 292-943)、 LAWSON (L-code: 74580)
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/
渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)
原宿/GLOCAL RECORDS(090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、disk union CLUB MUSIC SHOP(5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)
Jar-Beat Record (https://www.jar-beat.com/)

Caution :
You Must Be 20 and Over With Photo ID to Enter.
20歳未満の方のご入場はお断りさせていただきます。
写真付き身分証明書をご持参下さい。

UNIT
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
https://www.unit-tokyo.com

ツアー日程:
Pinch & Mumdance Japan Tour 2016
05. 19 (THU) Tokyo at Dommune 21:00~0:00 https://www.dommune.com/
05. 20 (FRI) Tokyo at UNIT  https://www.unit-tokyo.com/
05.21 (SAT) Kyoto at Star Fes https://www.thestarfestival.com/

PINCH (Tectonic, Cold Recordings, UK)

ダブ、トリップホップ、そしてBasic Channel等のディープなミニマル・テクノに触発され、オーガニックなサウンドを指向し、03年頃からミニマル・テクノにグライム、ガラージ、エレクトロ等のミックスを始める。04年から地元ブリストルでダブステップ・ナイトを開催、05年に自己のレーベル、Tectonicを設立、自作"War Dub"を皮切りにDigital Mystikz、Loefah、Skream、Distance等のリリースを重ね、06年にコンピレーション『TECTONIC PLATES』を発表、ダブステップの世界的注目の一翼をになう。Planet Muから"Qawwali"、"Puniser"のリリースを経て、'07年にTectonicから1st.アルバム『UNDERWATER DANCEHALL』を発表、新型ブリストル・サウンドを示し絶賛を浴びる。08~09年にはTectonic、Soul Jazz、Planet Mu等から活発なリリースを展開、近年はミニマル/テクノ、アンビエント・シーン等、幅広い注目を集め、"Croydon House" 、"Retribution" (Swamp 81)、"Swish" (Deep Medi)等の革新的なソロ作と平行してShackleton、Distance、Loefah、Roska等と精力的にコラボ活動を展開。Shackletonとの共作は11年、アルバム『PINCH & SHACKLETON』(Honest Jon's)の発表で世界を驚愕させる。12年にはPhotekとの共作"Acid Reign"、13年にはOn-U Soundの総帥Adrian Sherwoodとの共作"Music Killer"、"Bring Me Weed"で大反響を呼ぶ。またUKハードコア・カルチャーに根差した新潮流にフォーカスしたレーベル、Cold Recordingsを新設。15年、Sherwood & Pinch名義のアルバム『LATE NIGHT ENDLESS』を発表、インダストリアル・ダブ・サウンドの新時代を拓く。Tectonicは設立10周年を迎え、Mumdance & Logos、Ipman、Acre等のリリースでベース・ミュージックの最前線に立ち続ける。16年、MC Rico Danをフィーチャーしたグライム・テクノな最新シングル"Screamer"でフロアーを席巻、2年ぶりの来日プレイは絶対に聞き逃せない!
https://www.tectonicrecordings.com/
https://coldrecordings.com/
https://twitter.com/tectonicpinch
https://www.facebook.com/PinchTectonic

MUMDANCE (Different Circles, Tectonic, XL Recordings, UK)

ブライトン出身のMumdanceはハードコア、ジャングルの影響下、15才頃からS.O.U.Rレーベルが運営するレコード店で働き始め、二階のスタジオでプロダクションの知識を得る。やがてD&Bのパーティー運営、Vice誌のイベント担当を経てグライムMCのJammerと知り合い、制作を開始。ブートレグがDiploの耳に止まり、彼のレーベル、Mad Decentと契約、数曲のリミックスを手掛け、10年に"The Mum Decent EP"を発表。また実質的1st.アルバムとなる『DIFFERENT CIRCLES THE MIXTAPE』で'Kerplunk!'と称される特異な音楽性を明示する。その後Rinse FMで聞いたトラックを契機にLogosと知り合い、コラボレーションを始め、13年にKeysoundから"Genesis EP"、Tectonicから"Legion/Proto"をリリース、そして2nd.アルバム『TWISTS & TURNS』を自主発表、新機軸を打ち出す。14年にはTectonicからPinchとの共作"Turbo Mitzi/Whiplash"、MIX CD『PINCH B2B MUMDANCE』、グライムMC、Novelistをフィーチャーした"Taka Time" (Rinse)でダブステップ/グライム~ベース・シーンに台頭、またRBMAに選出され、同年東京でのアカデミーに参加した他、Logosとのレーベル、Different Circlesを立ち上げる。15年も勢いは止まらず名門XLからNovelistとの共作"1 Sec EP"、自身の3rd.アルバムとなるMumdance & Logos名義の『PROTO』、Pinchとの共作"Big Slug/Lucid Dreaming"のリリースを始め、MIX CD『FABRICLIVE 80』を手掛け、Rinse FMのレギュラーを務める。90'sハードコア・スピリッツを根底にグライム、ドローン、エクスペリメンタル等を自在に遊泳するMumdanceは現在最も注目すべきアーティストの一人である。
https://mumdance.com/
https://soundcloud.com/mumdance
https://twitter.com/mumdance
https://www.facebook.com/mumdance

interview with Shonen Yoshida - ele-king


吉田省念
黄金の館

Pヴァイン

RockPops

Tower HMV Amazon

 彼の知遇をえたのは2013年夏から初秋。不幸な事件で逝去された山口冨士夫さんの本をつくるにあたり、調べていくうちに、村八分と親交のあった京都の美術家ヨシダミノルさんのご子息が音楽をやられていると知った。吉田省念は当時、前年の10作目『坩堝の電圧』を最後、というか最初で最後にくるりを脱退した直後で、ソロ・アルバムの制作にとりかかったばかりのころだったと以下のインタヴューをもとに時系列を整理するとそうなる。私の原稿の依頼を省念さんは快諾され、あがってきた原稿はヨシダミノルさんと村八分(ことにチャー坊)との交流を、子どものころの曇りのない視線から綴った滋味あるもので、私は編集者として感心した、というのもおこがましいが、味わいぶかかったのである。

 3年後、吉田省念がソロ名義では初のアルバムを完成させたと連絡を受けた。『黄金の館』と名づけたアルバムは冒頭のインストゥルメンタルによる起伏に富んだタイトル曲にはじまり、「伸びたり縮んだり 人によって違うかもしれない」(「一千一夜」)時間のなかの暮らしの匂いと無数の音楽との出会いを映し出すやはり旨味のあるものだった。情景はゆるやかに流れ、季節はめぐり、見あげると音楽のなかで空は高い。これはなにに似ているとか、なにが好きでしょ、というのは仕事柄やむをえないにしても、それが音楽好きが集まって話に花を咲かせるように思えるほど、『黄金の館』の細部には血がかよっている。尾之内和之との音づくりは残響まで親しい。末永く愛聴いだきたい13曲の「ミュージック・フロム・黄金の館」。そういえばあのときお寄せいただいた原稿の表題は12曲めと同じ「残響のシンフォニー」でしたね。

■吉田省念/よしだ・しょうねん
京都出身。13歳でエレキ・ギターに出会ってから現在に至るまで、宅録を基本スタイルにさまざまな形態で活動を続ける。2008年『soungs』をリリース。吉田省念と三日月スープを結成、2009年『Relax』をリリース。2011年から2013年までくるりに在籍し、ギターとチェロを担当、『坩堝の電圧』をリリース。2014年から地元京都の〈拾得〉にてマンスリー・ライヴ「黄金の館」を主催し、さまざまなゲスト・ミュージシャンと共演。四家卯大(cello)、植田良太(contrabass)とのセッションを収録したライヴ盤『キヌキセヌ』リリース、〈RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO〉に出演。2015年、ソロ・アルバムのレコーディングとともに、舞台『死刑執行中脱獄進行中』(主演:森山未來、原作:荒木飛呂彦、演出:長谷川寧)の音楽を担当する。2016年、ソロ・アルバム『黄金の館』をリリース。

(中学時代は)90年代です。でも自分の生きている時代の音楽は意識して聴いたことがなかったんです。とりあえずまわりの連中が聴いていないものを聴いていたい──。

吉田:2013年に記事を書かせていただいたのをきっかけに、「残響のシンフォニー」という言葉が最初にあって、曲にしようと思ってつくったんです。そういった心構えはつねにありますし、冨士夫さんのギターはほんとうに子どものときから聴いていました。生演奏で聴いたというよりライヴ盤ですよね。2枚組の『村八分ライヴ』をよく聴いていて、完コピしようと切磋琢磨していた時期がありました。

原稿には十代のころ、ビートルズやビーチ・ボーイズをコピーしていて、チャー坊からギターをもらったくだりがありましたよね。

吉田:父親がチャー坊と仲がよくてつながりがあったので、自分が音楽に興味をもちはじめたのを聞いてギターをもってきたんだと思うんですね。最初に触るギターがいいほうが巧くなるからこれ使えって。

それは真理ですね。一方で村八分と関わりがありながら、ビートルズやビーチ・ボーイズにも興味をもっていた。省念少年が最初に感化された音楽といえばなんでしょうか。

吉田:まずはビートルズが大きくて、はじめてLPを買ったのは中学のころのビーチ・ボーイズです。『サーフィンU.S.A.』でした。

中学時代というと――

吉田:90年代です。でも自分の生きている時代の音楽は意識して聴いたことがなかったんです。とりあえずまわりの連中が聴いていないものを聴いていたい、でもコレクターになるほどのお金は当然ない。『サーフィンU.S.A.』はとくにあの時代のグループがツールにしていたというか、カヴァー曲が多いじゃないですか。カヴァー曲もありつつ、エレキ・ギターのテイストとコーラスがよくてそれを聴くのが好きでした。

もうギターは弾いていたんですね。

吉田:はい。

ビートルズやビーチ・ボーイズをコピーして、しだいにオリジナルをつくるようになった?

吉田:順序としてはそうなります。

最初につくったオリジナル曲も中学時代だったんですね。

吉田:憶えていませんが(笑)、たぶんギターのリフとかでつくったのだと思います。でもそれをバンドで演奏しようとはそのころ思っていませんでした。バンドはやっていたんですが、オリジナルをやるよりはカヴァー曲でした。そのうち、チャー坊のギターを預かっていたので彼の追悼コンサートに出るようになって、それが毎年やってくるなかで、村八分の曲を披露することになるわけです。それで、ああ日本語で歌うのって難しいんだなと思ったんですね。自分で曲を書くようになって、英語がそう得意なわけでもないですから日本語でやりたいと思うようになりました。
 それこそ、僕の学生時代はゆらゆら帝国が出てきたころで、坂本慎太郎さんの日本語の使い方がほんとうに衝撃的でした。ゆらゆら帝国の『3×3×3』にははっぴいえんどの『風街ろまん』と並ぶ衝撃を受けたんです。くるりはじつはほとんど知らなくて。当時京都では(京大の)吉田寮が話題でしたが、チェルシーを掘り返して聴いていたりとかは、あまりなかったんですね。

坂本慎太郎さんの日本語の使い方がほんとうに衝撃的でした。ゆらゆら帝国の『3×3×3』にははっぴいえんどの『風街ろまん』と並ぶ衝撃を受けたんです。

ゆらゆら帝国の音楽も日本語のロックという文脈で聴いていたんですね。

吉田:言葉のチョイスとリズムを崩さないのがすごいと思いました。はっぴいえんどが「ですます」調にいたるのもリズムを考えてのことだと思うんです。音楽としての歌詞のあり方があったと思うんですが、(はっぴいえんどは)時代がちがったし、リアルタイムでそれを感じていたわけでもないので、それこそ細野さんの音楽を聴いているといっても後追いですから。日本語の音楽、しかも新譜として衝撃的だったということを考えるとゆらゆら帝国は大きいですね。

『3×3×3』は98年くらいでしたね。

吉田:サイケ耳で音楽を聴くのがそこで一気に流行ったというか、再認識があったと思うんです。「スタジオ・ボイス」でもやっていましたね。

そういわれると、なまなかな気持ちで仕事しちゃいけない気になります。

吉田:(笑)ゆらゆら帝国のポップさは独特だったと思うんです。それこそニプリッツのヒロシさんもかわいいじゃないですか、ロック・スターとしてのアイドル的なものがあると思うんです。

そのご意見はよくわかりますが、「いいね」がどれくらい押されるかといえばやや不安ですね(笑)。

吉田:(笑)でも細野さんにもかわいらしさがあるし、それは必要な要素かなと最近思うんですが、自分にはどうも――

いや、かわいいと思いますよ。

吉田:やめてくださいよ(笑)。

売り方が変わるかもしれませんが(笑)。そういった先達のやってきたことは、ご自分で音楽をやる段になると意識されますか。

吉田:あると思いますよ。

デモをつくりこみすぎると、だったらそれでいいじゃんとなってしまう。その時期にたまたまエンジニアの尾之内和之さんに再会したんです。

それでイミテーション的になったり反動的になることもあると思うんですが、吉田さんの音楽はとても素直だと思うんです。おそらく批評的な視座は強くもたれていると思うんですが、そこに拘泥しないおおらかさを感じます。細やかですが閉塞的ではない。

吉田:素直にやった結果だとは思いますよ。自分は自分が好きなミュージシャンや尊敬するミュージシャンにたいして、こういうものをつくったんだよという、ミュージシャンにはそういうところは絶対あるじゃないですか。でもそれだけになってもよくないと思うんです。たとえば、ライヴに来ているひとのなかで、音楽をやっていないひとのほうがよく聴いてくれたりする。ミュージシャンが音楽をちゃんと聴いていないと、いちがいにはいえないですが、ライヴに来てくれる方には音楽をすごく細かいところまで聴いていて、こういったひとたちに聴いてもらいたいというのはどういうことか、このアルバムが開けているのだとしたら、そういったことを考えていたからかもしれない。

『黄金の館』の制作をスタートしたのはいつですか。

吉田:昨年の2月です。2014年にくるりを脱退してからとりかかってはいたんです。ソロ・アルバムをつくるために辞めたわけではないんですが、つくらないとはじまらないし、自分のエンジンをかけていきたいという気持ちもありました。とりあえず録音やなと思って、本格的にレコーディングに入る前にも1~2曲、録音も自分でやったんですが、自分で録音ボタンを押して演奏するのだとなかなかうまくいかないところもあった。デモをつくってどこかのスタジオであらためて録ろうとも思ったんですが、今度はデモづくりに自分のエネルギーがドンといっちゃった。デモをつくりこみすぎると、だったらそれでいいじゃんとなってしまう。その時期にたまたまエンジニアの尾之内和之さんに再会したんです。彼はドイツのクラウス・ディンガーのところにいたんですが、ディンガーが亡くなって、ドイツにいる理由がなくなって、日本に帰ってきたら震災が起こった。京都に戻り、これからどう音楽にかかわろうかというところでの再会だったんです。

再会したということはそれ以前からお知り合いだったということですね。

吉田:三日月スープの前にすみれ患者というバンドをやっていたことあったんです。すみれ患者ではそれこそ即興で灰野敬二さんや高橋ヨーカイさんといっしょにライヴしていたこともあったんですが、そのバンドのルカちゃんという女の子の旦那さんになったんですね、尾之内さんが。彼はもともと日本画をやっていたころに椹木野衣さんと知り合ったようで、これからはドイツだよと助言を受けたそうなんですね。

ノイさんですからね。

吉田:そうですね(笑)。尾之内さんがどういう経緯でクラウス・ディンガーにつながったのかはわかりませんが、サブトレというユニットでドイツで活動していたこともあったようです。彼は音楽をつくるというより録音を通して活動していきたかった。その時期にたまたま再会して、いっしょにやることになったのが2013年の暮れです。

省念さんとしては、ご自分の音楽を外から見る視点がほしかった?

吉田:それはあります。『黄金の館』は宅録のアルバムなんですね。僕も、スタジオを構えたといっても、録音する空間と使う楽器はありますが、さらに録音機材まで用意すると破産しますからね(笑)。

くるりに参加して感じたのは、彼らはことレコーディングではほんとうにいろんなことを試すんですね。そこで感じたのは、あっ、試していいんだということの再認識だったんです。

そのわりにはというとなんですが、すごくよい音録りですね。曲ごとにその曲に合った録り方をしていると思いました。

吉田:そこにはかなりこだわりました。そういっていただけるととてもうれしいです。

スピーカーで聴いているときとヘッドフォンで聴くとき、イメージもだいぶちがいます。

吉田:音については、CDにする前、マスターの段階でかなり迷いもあったんです。ここを聴かせたいという部分を再現するには、聴いていただく方の再生機器の壁があるのも事実なので。そこではだいぶ悩みました。尾之内さんとミックスをしながら、いまやっていることは無意味なんじゃないかといったこともありました。絵でいえばずっと下地を塗っているような感覚ですよね。

『黄金の館』はおのおのの曲の情景がはじまりと終わりでちがうような感覚をおぼえました。いろんな要素がはいっていますね。

吉田:くるりに参加して感じたのは、彼らはことレコーディングではほんとうにいろんなことを試すんですね。そこで感じたのは、あっ、試していいんだということの再認識だったんです。ホーム・レコーディングでそれを試すのとちゃんとしたスタジオではもちろん次元がちがいますが。僕は昨今、スカスカな音楽が流行っていると思うんですね。音数が多い曲でいろんなことを試すのは、それは難しいわな、と思う反面、尾之内さんとの挑戦でもありましたし、今後もいっしょにやっていくための雛形にしたい気持ちもありました。

くるりでの活動が糧になったということですね。

吉田:くるりはメジャーで活躍しているバンドですし歴史もあって、くるりにいたときはそれをどうにか身体にいれようと思っていたところはありました。そこにいたのもたしかに自分なんですが、いざひとりではじめようとするとそこにいた自分が身体中にのこっていて、いま考えるとそれもいいことなんですが、一発めにそれが出てもいいのかということは考えました。それで時間がかかったのもあったのだと思います。

名刺代わりというと軽く聞こえるかもしれませんが、『黄金の館』は吉田省念というミュージシャンのいろんな側面を出したよいアルバムだと思いました。

吉田:ありがとうございます、欲ばりました。この前、ようやく岸田さんにこんなのつくったんですと電話して、お会いして音源を渡せたんです。スッとしました、ホントに。どう思ったかはさておいて、音を渡せたのはよかったです。

省念さんにとって、くるりに参加された経験は大きくて、無意識にせよ、それをふまえていたのかもしれないですね。

吉田:それもあって丁寧につくりたかったんだと思います。そうじゃないとちゃらんぽらんになるというか、いままでの自分を否定することになるから。

80年代にニューウェイヴをガッツリ追いかけていたオッチャンがいまは会社をやっていて、時間みてライヴに来てくれる、そういう方がなにか感じて、いいやんといってくれるのは素直にうれしいですよ。

アルバムをつくるにあたり先行した構想はありましたか。

吉田:全体の構想は曲を仕上げていくなかでできていきました。曲の順番は不思議なもので、曲を用意したときに、これは1曲め、2曲め……といった具合に13曲めまですんなり決まりました。9、10、11曲めはちょっと入れ替えましたが、最終的にほとんど変わっていません。

7曲めの“夏がくる”からB面といった構成ですね。

吉田:そうです。

前半と後半に厳密に分けられるとは思いませんが、A面のほうがブリティッシュ的な翳りの要素が強くて、B面はアメリカっぽい印象を受けました。

吉田:そうですね(笑)。オタク的なものが出たんでしょうか。

私のようなオッサンがニヤリとするのはどうなんでしょうか。

吉田:開けている、というのはそのような意味でもあるのかもしれませんね(笑)。

うまいこといいましたね(笑)。

吉田:でも思うんですけど、80年代にニューウェイヴをガッツリ追いかけていたオッチャンがいまは会社をやっていて、時間みてライヴに来てくれる、そういう方がなにか感じて、いいやんといってくれるのは素直にうれしいですよ。あの感じ、それに近いと思われるのは、僕はイヤなことではないです。そもそも引用を隠す技倆もない(笑)。ストレートにやるしかないんです(笑)。

ギター、ベース、チェロ、鍵盤、マリンバ――『黄金の館』で省念さんは数多くの楽器を演奏されていますね。

吉田:楽しんでやっているだけなんですけどね。ひととかかわって音楽をつくることは、他者に自分のイメージを言葉で説明するとことからはじまるじゃないですか。それってすごくたいへんで、そこで生まれる食いちがい、化学反応こみでバンドをやるのは楽しいですが、今回のレコーディングでは基本的に自分でいろいろやりたいなとは思っていました。

フォークウェイズから出ていたエリザベス・コットンやバート・ヤンシュを聴いて、アコースティックでもこんなグッと来る、攻めてくる音楽があるんだと思ったんですね。

細野晴臣さんや柳原陽一郎さんにはどのような意図で参加をお願いされたんですか。

吉田:細野さんには直接お会いしました。ライヴに行ったときに「僕は晴れ男なんだよ」とおっしゃっていたのを聞いて、「晴れ男」という曲でシュパッパというスキャットを入れてもらいました。できればもう1曲参加していただきたかったので「デカダンいつでっか」でもコーラスをお願いしました。僕はレス・ポールが大好きで、「晴れ男」はレス・ポール風のアレンジにしたかったんです。彼も宅録でしょ。細野さんにお会いしたときも、メリー・フォードのこととかも話して、細野さんに「ビーチ・ボーイズではじめて買ったのは『サーフィンU.S.A.』なんです」と話したら、僕もなんだよ、とおっしゃられて、それでもりあがったこともあります。

時代はちがいますが。

吉田:そうなんですけどね(笑)。それで、まず音を聴いていただき、コメントもいただけたので、スキャットを入れていただけませんか、と。

細野さんのアルバムで好きなのは『Hosono House』?

吉田:いちばん聴いたんじゃないですかね。三日月スープのころ、ドラムがない古いスイングにのめりこんでいたときちょうど細野さんが東京シャイネスをやられていて、うわーっと思ったこともあります。なので『Flying Saucer 1947』もよく聴きました。いまの細野さんの音楽を聴いて、はっぴいえんどを聴き直したとき思うことはまたちがうんですね。


コーラスに細野晴臣を迎えた“晴れ男”


当時なぜアコースティック・スウィングに惹かれたんですか。

吉田:フォークウェイズから出ていたエリザベス・コットンやバート・ヤンシュを聴いて、アコースティックでもこんなグッと来る、攻めてくる音楽があるんだと思ったんですね。ロバート・ジョンソンを聴いたときとの衝撃よりもそれは大きくて、自分もマーチンのギターが要るな、と。ギターを買ったのもあって、その方面にいったのはあります。

ギター・サウンドの側面だけとってもノイジーなロックからアコースティックなスウィングまで、省念さんのなかには積み重ねがあるんですね。

吉田:自分の好きなものとやることがつねに混じり合うというのはなかなか難しいと思うんですよ。好きなことって、音楽だけじゃなく多岐に渡るじゃないですか。それを交えるのは時間がかかるし、難しいことだと思うんです。

ムリにやっても接ぎ木になるだけですからね。

吉田:自分のタイミングでそれをうまくやりたいというのはテーマとしてあるので、『黄金の館』はそこにすこしは近づけたのかなとは思います。

曲をつくり、13曲溜まり、必然的にこのようなアルバムになっていった。それが昨年の2月ということは、丸1年かかったということですね。

吉田:ホーム・レコーディングとはいえ、尾之内さんにも僕にも生活もあるから、そのあいだを縫ってつくっていたところもあり、時間がかかったのは仕方ない面もありました。最初というのもあって、時間をかけてやり方を模索するほうがいいと考えたのも大きいです。

制作でもっとも留意された点を教えてください。

吉田:ギターの音を聴いて反応していただけるとうれしい、というのはそこにこだわりがあったんでしょうね。ピアノにこだわるといっても、僕の拙いピアノだと限界がありますがギターは慣れ親しんでいるのでその分重視したかもしれません。

山本精一さんも、声を楽器として意識されているといったようなことをおっしゃっていて、その考えには共感できます。それがないとメッセージと伝えることが先行してしまうので。

歌もいいですけどね。歌手でだれか、省念さんが模範にされた方はどなたですか。

吉田:うーん(といってしばし考える)。

歌い手としてご自分を意識されないですか。

吉田:三日月スープをやっていたころ、僕は自分のことをギタリストだと思っていたんですね。歌ってはいるけど、僕にとっての歌は歌じゃない、ギターが弾けたらうれしいと思ってやっていたんですね。ところがあるとき、お客さんに怒られたんです。歌がよかったといわれたときに、「そうですか」と返したら、なんでそんなこというんや、と。舞台に立って声も出していて、声はなんといっても強いんやから、もっとそこに意識もてやといわれて、ビッとなったんです。山本精一さんも、声を楽器として意識されているといったようなことをおっしゃっていて、その考えには共感できます。それがないとメッセージと伝えることが先行してしまうので。

曲は部分からつくりますか、全体を考えますか?

吉田:全体像がバッと出てきます。全体が出てきて、今回はそれを自宅でそのまま(記録媒体に)写した感じでした。曲はライヴで変化することもあるんですね。歌詞の細かいところなんかはとくにそうです。自分にはマイブームのようなものがあって、言葉にすごく意識があるときとメロディや曲に意識があるときがわかれていて、それによって歌詞が先行したり曲が溜ったりします。冨士夫さんの文章を書いたときは言葉の時期だったので原稿を書くのも自然だったんですよ。最近は曲が溜まって歌詞を乗せる作業が後追い気味なんですが。

言葉の意味性、なにを伝えるかということについてはどう考えます?

吉田:なにかをうまく伝えられるほどの言葉の技倆は僕にはないです。でも自分も好きな音楽って、もちろん言葉は聞くんですが、音楽って曲が流れている時間をいっしょにすごすわけで、そのとき自分のなかに入れられる情報には限界があると思うんです。限界値までの言葉の選び方があって、自分にはそれしかできない。それを超えられれば、より詩的なものを伝えることもできるかもしれませんけど。村八分なんてものすごくシンプルじゃないですか。

「あっ!」とかね。

吉田:あれは日本語のロックの究極のかたちだと思うんです。あれを十代でやるのはすごい。

狂気さえ感じます。

吉田:でもいいんですよ、かたちを残したんですから。ひとから見たら普通じゃなくても、じっさいはバランスがとれていたんだと思うんですよ。音楽以外の表現に意識を向けたこともあったでしょうしね。

音楽以外への興味ということを考えると、たとえば親父さんと省念さんは畑がちがうわけですよね。ヨシダミノルさんについて、いまにして思うことはありますか。

吉田:絵の描き方を教わったことはないですが、美意識のようなものをもって、それを生活をつづけながら守るということをずっとやっていたんだと思うんです。そういうところは教えてもらったところです。美術だと物質的なことも大きくて――

とくに「具体」の方でしたからね。

吉田:そうです。音楽はかたちのないものを元につくるものですからその点ではちがいますが、意識の面では教えてもらった気もします。

音楽は年齢とともにあるものだし、自分のつくる音楽で意識的に若がえるより、自分の(美)意識がかたちになったときのよろこびみたいものをつねに高めることを望んで生活するのは、テーマでもあります。

生活によって音楽は変わると思いますか。

吉田:そう思います。

それはよいことですか、できれば生活と音楽は独立したものであったほうがよいと思いますか。

吉田:自然なことなんじゃないですか。音楽は年齢とともにあるものだし、自分のつくる音楽で意識的に若がえるより、自分の(美)意識がかたちになったときのよろこびみたいものをつねに高めることを望んで生活するのは、テーマでもあります。生活形態というのは流動的に肉としてついてくるものかもしないです。

10年後には10年の生活を積んだ味のある音楽をやっていると思いますか。

吉田:ねえ!

逆に若がえったりしてね。

吉田:よく老成しているといわれますからね(笑)。

いまでは固定したバンドはあるんですか。

吉田:京都で演奏するときは今年は吉田省念バンド、まだ名前はないですが、バンド形態でも演奏できるようにはしています。次の作品はそのメンバーもいいかたちで巻き込めたらいいなとは思っています。


ライヴでもお馴染みの曲“水中のレコードショップ”

『黄金の館』というタイトルはもともとはイヴェント名ですよね。

吉田:そうです。

それをアルバムのタイトルにもってきたのはどのような意図だったのでしょう。

吉田:イヴェントは次が27回めですから、2年とすこし、やっていることになります。それとともに学んだこともあったのでタイトルにしました。

そもそもその名前にした理由はなんですか。

吉田:自分だったら銀色が好きなんです(笑)。

なにをいいたいかよくわかりませんが、つづけてください。

吉田:(笑)金色って狂った感じというか、『メトロポリス』という映画があるじゃないですか。

フリッツ・ラングの?

吉田:そうそう。あの映画の金色のロボット、マリアの感じが金の魅力とともに深いなにかを物語っていて、それを出せたらいいんじゃないかと(笑)。

なるほど、といいたいですが(笑)。

吉田:館というのは空間ですよね。画家におけるアトリエ、ミュージシャンにとってのスタジオといった、空間=館からはじまったもいいんじゃないかと思ったのもあります。建築と音楽にも近いところがあるじゃないですか。

19世紀には建築は凍った音楽といったらしいですからね。

吉田:そうでしょう。音響は場所にもよりますし、それもあって館という言葉にも音楽との共通性があると思い名づけました。

つまりはビッグ・ピンクですね。

吉田:(笑)

そこからまたすばらしい音楽がうまれることを期待しています。

吉田:がんがんつくりますよ!



〈吉田省念ツアー情報〉
■5/24(火) 下北沢・レテ「銀色の館 #3」*弾語りソロワンマン
■5/26(木) 三軒茶屋・Moon Factory Coffee *弾語りoono yuukiとツーマン
■6/5(日) 名古屋・KDハポーン「レコハツワンマン」*京都メンバーでのバンドセット guest:柳原陽一郎
■6/14(火) 京都・拾得 「黄金の館」
■6/30(日) 下北沢・440 「レコハツワンマン」 *バンドセット Dr.伊藤大地、Ba.千葉広樹、guest:柳原陽一郎
■7/14(木)京都・拾得 「黄金の館」
■7/18(月) 京都・磔磔 *詳細未定
■7/24(日) 大阪・ムジカジャポニカ
■8/7(日) 京都・西院ミュージックフェスティバル


John Grant
Pale Green Ghosts

Bella Union

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John Grant
Grey Tickles, Black Pressure

Bella Union / ホステス

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田亀源五郎
弟の夫(1)

双葉社

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Anne Ishiiほか
The Passion of Gengoroh Tagame

Bruno Gmuender

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 このふたりの出会いを想像したのは、最近のことではない。

 セクシュアル・マイノリティの愛と闘いの歴史を描いたジョン・グラント“グレイシャー”のヴィデオが発表されたのが2014年の頭のことだった。その映像に圧倒された僕はそのままの勢いで文章を書いたのだけれど、少しばかり考えて、LGBTというタームに念のため注釈を入れておいた。いま同じような主旨で何か書くのならば、注釈の必要はまったくないだろう。この2年で状況は大きく変わった。そしてまた、その間の年――2015年に、世界で、この国で起こったことをあらためてここに書く必要もないだろう。テレビをつければ、LGBTイシューについて当事者や著名人、コメンテーター、そして政治家が議論を交わすシーンも珍しくなくなった。世界は変わり続けている。時代は前に進んでいる、のだろう。

 だが、歌はどこにある? 物語はどこにあるのだろう?

 “グレイシャー”からしばらく経ったころ、田亀源五郎がはじめて一般誌にマンガの連載をするというニュースにゲイ・コミュニティはどよめいた。過激にエロティックで、強烈にクールなゲイ・アート作品やコミックを描きつづけ、日本のゲイ・カルチャー・シーンを支えてきたばかりか海外からも高く評価される「ゲイ・エロティック・アーティスト」が――つまり、ゲイたちが生きるための欲望を肯定しつづけてきた作家が、その外に向けてどのような作品を描くのだろうか、と。その作品、『弟の夫』は何よりも作品の力、親しみやすさによってあっという間に話題になり、2015年になる頃にはゲイ・コミュニティに限らない、広い世間に知られることとなった。

 僕はゲイ・サウナをバックに歌うジョン・グラントの髭面を見ながら、『弟の夫』に登場する「弟の夫」であるマイクの髭面のことを考えた。自身のセックスやドラッグの問題、愛と苦悩を赤裸々に綴るグラントの歌と、「平等な結婚」も含めた新しい時代の家族のあり方をこの国のなかで探る『弟の夫』は違う地点に立ってはいるが、だけどどうしても別のものとは思えなかった。グラントの歌が使われたアンドリュー・ヘイの映画『ウィークエンド』でその辺のゲイ青年たちの恋が描かれていたように、アイラ・サックス『人生は小説よりも奇なり』でなんてことのない老ゲイ・カップルの日々が描かれていたように、両者の表現には現代の都市に生きる個人としての同性愛者がいて、そこには彼らの愛や人生、その物語が瑞々しく立ち上がっているからだ。

 その日、田亀氏は抱える連載の締め切りを仕上げ、ジョン・グラントはセクシーなバリトン・ヴォイスを披露したステージを終えて、対面することとなった。話題はゲイ・カルチャーをテーマにしながらセックス表現、オーディエンスとの関係、カミングアウト、政治と表現の関係、家族の問題にまで及び……いや、実際にご覧いただくのがいいだろう。間違いなく現代のゲイ・カルチャーを代表するふたりの対話は、田亀氏が分厚い本を取り出すところからはじまった。


ゲイ・ヒストリーを描いたMV「グレイシャー」

田亀源五郎:まず自己紹介します。私は漫画家で、これはあなたにプレゼントです。気に入るかわからないのですが……(とワールド・リリースの作品集『The Passion of Gengoroh Tagame』を手渡す)。というのは、非常にハードコアなゲイ・ポルノ・コミックなんです。

ジョン・グラント(以下JG):これは素晴らしいですね。アリガトウゴザイマス。

田亀:どういたしまして。

(ジョンに)こちらは日本のとても有名なゲイ・コミック・アーティストの田亀源五郎さんです。

JG:ファンタスティック!

貴重な機会なので、今日はおふたりにゲイ・カルチャーの現在というテーマでお話をうかがいたいと思っています。
ではさっそく質問なのですが、まずは2014年に発表された“グレイシャー”(“氷河”)のヴィデオについて訊きたいと思います。あのヴィデオには僕自身ゲイだということもあり非常に感動したのですが、どのようにできた作品なのでしょうか?

John Grant - Glacier

JG:友人の(映像作家である)ジョナサン・カウエットから「作りたい」と連絡があって、母と子の関係を描いた『ターネーション』(註)という彼の作品が好きだったから、基本好きにやってもらおうと思って任せました。ヴィデオがどんな内容かは知らなかったんですが、すごいものが出来上がったんです。僕も大好きな作品ですね。

(註)『ターネーション』:ジョナサン・カウエットによる自身と母の姿を描いたドキュメンタリー映画。ゲイであるカウエットと精神を病んだ母との葛藤や複雑な愛の形が描かれ、サンダンス映画祭で高く評価された。

田亀:あのヴィデオはゲイ・ヒストリーを描いた内容になっていますが、そのアイデア自体はディレクターのほうから来たものなんですか?

JG:僕と彼の趣向はすごく似ているところがあったので、ヴィデオを許可したんです。ゲイ・カルチャーといっても本当にさまざまな側面がありますが、そのなかの何を重要視するのか、何を求めるのかが非常に近かったんでしょうね。そういったものの幅広さでも共通していました。いろいろな側面があるゲイ・カルチャーを代表するものをフィーチャーしなければならないって想いがあったので、よく耳にするようなステレオタイプなものばかりにはしたくありませんでした。だから彼のヴィジョンではあったのですが、僕も同じ考えでしたね。
(『The Passion of Gengoroh Tagame』の中身が気になり過ぎてビニールを破り始める)……開けてもいいですか?

田亀:どうぞ、どうぞ。

JG:サインしてください!

田亀:もちろん。私もジョンさんのCDにサインをいただけますか?

せっかくなので改めてご紹介すると、田亀源五郎さんは日本のゲイ・アート・シーンを30年以上支えてこられた方で。たとえばこれは海外のアンソロジー本なんですが(と海外リリースのゲイ・アート作品集『HAIR』を出す)、日本を代表するアーティストとして田亀さんの作品が載っています。

JG:ワオ! これもあなたの作品ですか? 素晴らしいですね。

『弟の夫』はもっぱらヘテロの若い男性が読む雑誌に掲載されているんです。そういう読者層に向けて、ゲイ・イシューをどうやって提供するかがテーマでした。 (田亀源五郎)

そして“グレイシャー”のヴィデオが出た同じ年に、はじめて(ゲイ雑誌ではない)一般誌で「ヘテロセクシュアル向けゲイ・コミック」をスタートされたんです。それがこの『弟の夫』という作品なのですが……(『弟の夫』を見せる)。

JG:クール!

だからおふたりとものファンである僕なんかは、「繋がった!」と思ってしまって。

田亀:いま話が出たので少し説明すると、『弟の夫』はもっぱらヘテロの若い男性が読む雑誌に掲載されているんです。そういう読者層に向けて、ゲイ・イシューをどうやって提供するかがテーマでした。日本はゲイがあまりアウトしていない状況なので、知人にリアルにゲイがいるっていうヘテロのひとってそうそういないと思うんですね。

JG:素晴らしいですね。

田亀:私の場合ははじめにオーディエンスの層がある程度見えていたので、その人たちに伝えるのにはこうするのがベストだろう、という方法論でかなり厳密にやったんです。

JG:それはとても重要なことだと思います。届け方っていうのはすごく大事で、だって彼らは「知らない」ですからね! 教えてあげないと(笑)。 

同情ではなく共感を求めている曲なんです。(ジョン・グラント)

私も若い頃は世界から孤立しているような気持ちでした。だから世界に触れるために、絵を描いたんです。(田亀)

ジョン・グラントさん

John Grant/ジョン・グラント
元ザ・サーズのヴォーカリスト。バンド解散後にソロ活動を開始し、2010年に〈ベラ・ユニオン〉よりリリースされた1作め『クイーン・オブ・デンマーク』は英MOJO誌の年間ベスト・アルバムに選出された。2013年の2作め『ペール・グリーン・ゴースツ』はラフ・トレード・ショップス2013年年間ベスト・アルバム1位獲得、2014年には英詞を手がけたアウスゲイルのデビュー・アルバム『イン・ザ・サイレンス』が世界なヒットを記録し、ブリット・アワードにおいて「最優秀インターナショナル男性ソロ・ アーティスト」にもノミネートされた。2016年、3作め『グレイ・ティックルズ、ブラック・プレッシャー』(全英5位)を発表。


“グレイシャー”に関しては、ジョンさんの曲のなかでも特殊だと思ったんですよ。他の曲はご自身の内省を深く探求したものが多いですが、“グレイシャー”に関しては人称が「you」になっていて、聴き手にメッセージを届けるものになっていますよね。これはどういう想いでできた曲なのでしょうか。

JG:いろいろな状況や見方があるからひとに伝えるということは難しいのですが、僕はよくコニャックやバカルディみたいな蒸留酒に喩えるんですね。いろいろと余計なものは取っ払ってしまって、本質は何なのかという、その作業を僕はやったのだと思います。これを本当に伝えたいと思ったのは、すごく怒っている曲だけれど愛もそこにあるからなんです。同情ではなく共感を求めている曲なんですね。それを歌うことによって励ましたいという想いが基本的にあって、それはいま苦しんでいる若いゲイの子たちだけじゃなくて、表には見せないけれど昔の傷を引きずっているであろう年配のゲイのひとたちにも向けられています。世の中はゲイにとって少しずつ安全になりつつありますが、まだまだ多くの葛藤があり、それが精神的なダメージを生んでいるのが現状ですから。
 それからゲイではないひとたちにも向けられています。苦しみを氷河に喩えるのが素敵に思えましてね。氷河は風景をバラバラにしてしまうほど、とても力強い存在です。苦しみも同様に人間の心を完膚なきまでにバラバラにすることがある。でも、この恐ろしい状況を越えなければ、人間同士をつなぎとめる理解や同情は生まれない。僕はそれを伝えたかった。いまだって僕たちの多くは孤立感を抱えているでしょう。だから手を差し伸べてつながりを作る、ということについても歌っています。

田亀:それは私もわかります。私も若い頃は世界から孤立しているような気持ちでした。だから世界に触れるために、絵を描いたんです。

JG:ええ。隠れ場所から出てきて、僕はここに存在しているわけですからね。そういう表現です。


美しさと醜さ──ゲイのイメージのステレオタイプを超える

ではもうひとつ、ヴィデオの話をさせてください。“ディサポインティング”はかなりストレートなラヴ・ソングだと思うのですが、ヴィデオではゲイ・サウナを舞台にしていますよね。あれは悪戯心のようなものも含まれていますか?

John Grant - Disappointing feat. Tracey Thorn (Official Music Video)

JG:見せ方としてはあのヴィデオには遊び心もありますが、いろいろと深い意味も込められているんです。セックスというのは人間のとって重要なイシューのひとつですよね。加えて他の点にもあのヴィデオでは触れています。あそこではステレオタイプの美しいゲイが描かれているけれど、僕にとってゲイ・サウナというのは大抵悪い経験をしたところなんです。そこでHIVになったわけでもないんだけど……なったのはショウの前の楽屋でのことだから(笑)。ただ、危険なセックスをゲイ・サウナで経験したのも事実です。あのヴィデオには遊び心があったとしても、伝えたいものはけっこう重いものがあるんですよ。
 これはすごくパーソナルな曲で、パーソナルなヴィデオなんです。実際にはいまは恋人を見つけたらこんなところ(サウナ)にいる必要はないんだけれど、そこに行き着くまではゲイ・サウナで自分を厳しくジャッジしていました。見た目がいいかとか、身体がいいかとか、あそこにいる彼ぐらいモノが大きいかとか。僕にとっては厄介な場所だったんです。いいセックスもしたけれどね。ただ、あのヴィデオはそういった困難さをはらんだイシューを描いたものなんですよ。

田亀:ただ、私自身“ディサポインティング”のヴィデオはゲイ・ニュース・サイトで初めて見たんですね。するとゲイ・サウナのヴィデオだったんでちょっと目が点になったんですけど(笑)。それを自分がSNSでシェアしたときに気づいたのですが、ゲイの友人たちはそうした批評的な部分ではなくて、単純にメジャーなアーティストがゲイ・サウナを舞台にヴィデオを撮ったというセンセーショナルな部分、それからジョンさんがいま言ったようなステレオタイプな美しいゲイたちに対して「カッコいい!」というふうに食いついている部分があると感じるんですね。そうした受け止められ方と、自分の意図とのギャップみたいなものに対して悩みはないですか?

批評的な部分ではなくて、単純にメジャーなアーティストがゲイ・サウナを舞台にヴィデオを撮ったというセンセーショナルな部分、それからジョンさんがいま言ったようなステレオタイプな美しいゲイたちに対して「カッコいい!」というふうに食いついている部分があると感じるんですね。(田亀)

JG:いえ、僕にとっては自分の言いたいことを自分の言いたいように表現できたことが大事なんです。その先でどう受け取られるかっていうことは僕の問題ではないんですよ。理解されたいという想いはもちろんありましたが、伝えるべきことは伝えたと思っているので。ただ、いまお話を聞いているとラヴ・ストーリーだということ、男性の美しさや男性を性的対象として見るってことは案外伝わってるんだなあ、と思いました。僕はゲイ・サウナでああいう経験をして、あの曲で表現しているような考えに至ったけれど、同じ意見を持ったひとを必要としているわけではありません。いろいろな考え方があるでしょうしね。ゲイ・カルチャーにはオープン・リレーションシップ(註)がしばしば採用されているから、誰を相手にしてもいいってひともいるし、そうではなくて一対一の関係を望むひともいる。僕は地球上に70億人いるうちのひとりとしてのちょっとしたアングルを示しただけなんですよ。だから、どう捉えられるかは自由だと思います。

田亀:なるほど、よくわかりました。

(註)オープン・リレーションシップ:パートナー間で、恋愛関係や性的関係において必ずしも一対一の関係を取らないことに合意している状態。

すると、いまおっしゃったようなギャップについての悩みを田亀先生は抱かれることがあるということですか?

田亀:私の場合は音楽ではなくてマンガなので、ストーリーがはっきりしているんですね。そういう意味ではメッセージ性を含ませようと思えば、いくらでも明確に含ませることができるんです。小説のほうが詩なんかに比べると抽象性は低いだろうから、そういうような問題だと思うのだけれども。だからそういう意味では、自分が狙ったものとまったく違う受け止められ方をしてしまった場合は、ちょっと自分の技量不足とか作品の力不足を疑ってしまうところが、音楽に比べるとあるかもしれないですね。

JG:ああ、僕も理解しました。

僕にとっては自分の言いたいことを自分の言いたいように表現できたことが大事なんです。地球上に70億人いるうちのひとりとしてのちょっとしたアングルを示しただけなんですよ。(グラント)

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セックスと“対等な関係”をめぐる幻想

あともうひとつ、僕が“ディサポインティング”のヴィデオを見て思ったのはゲイ・カルチャーがクリーンになっていることへの反発心があるんじゃないかということだったのですが、そのあたりはどうですか。

JG:うーん、何がいいとか悪いとかを僕が言える立場ではないとは思うんです。たしかにサウナではドラッグの使用や危険なセックスもあるし、誰もそのことを指摘しなかったりする。コンドームなしにセックスをしたりね。だけど僕もそのことを批判はできなくて、なぜなら僕自身危険なセックスをたくさんしていたから(笑)。ただあのヴィデオではそうしたネガティヴな側面もたしかに打ち出していますね。それは、そうした危険でダークな側面も無視できないと思うからです。作りたかったのは純粋なラヴ・ソングなんだけど、そのためにはその陰にある醜い部分や現実も見せなければいけないと思いました。僕自身そんな危険なところに足を踏み込んだために本当の愛を見つける前にHIVになってしまったということもあるから、ゲイ・サウナという場所のそうした現実も打ち出したんです。
 もしあのヴィデオにネガティヴなステートメントがあるとすれば、個人的にこういう経験をしたということと、元クリスタル・メス中毒者で、不特定多数の相手とセックスを重ねHIVになってしまった友人が僕にはいるということです。だからみんなはどうしますか、という問いかけなんですよ。どうしろこうしろ、ああするべきだ、とはいっさい言いません。
 ただ、いまの若いひとたちのなかにはHIVなんかかからない、かかったとしても薬飲んだらだいじょうぶだと言って、好き放題にしても生き長らえられると思っているひとたちがいるみたいだから、それは良いことだとは思えないので、間違ったことは指摘したほうがいいですよね。いろいろな理由でセックスというものを使い果たしてしまった自分は、ここで親密な愛を求める歌を歌っています。つまり、セックスを連想させるサウナという場所において、別な意味での親密な人間の姿を描き出しているわけです。そういうコントラストが大きな曲だな、と思います。

なるほど。

JG:それからもうひとつ、僕はとても信心深い家族に育っているので、セックスというもの自体が僕にとっては難しいものだったんです。セックスなんて話に出すのも汚いもので、身体の問題ももちろんそうでした。そんな環境で育っただけに、言いたくても言えなかったことというのがあのヴィデオのなかにはけっこう詰まっているんですよ。

僕はとても信心深い家族に育っているので、セックスというもの自体が僕にとっては難しいものだったんです。そんな環境で育っただけに、言いたくても言えなかったことというのがあのヴィデオのなかにはけっこう詰まっているんですよ。(グラント)

いまのジョンさんのお話はすごくよくわかります。僕なんかはやっぱり、近年ゲイ・カルチャーがクリーンになり過ぎているのではないかと思うときがあるんですね。だからこそ、セックスやゲイ・カルチャーのダークな部分にも踏み込むジョンさんの表現に惹かれるんです。いま話したようなことを踏まえて、田亀先生がお考えのところはありますか?

田亀:ええと、さっきジョンも言っていたけれども、表現は表現者の数だけあって、その種類が多ければ多いほどいいと私は思っているので、私個人としては現在の風潮がどうこうというのはとくに考えないんですね。ただ、最近マリッジ・イコーリティ(平等な結婚)が世界的にすごく広がったことによって、ゲイに対してヘテロ・ノーマティヴ(註)の考え方が進んでいるのではないですか、あなたはどう思いますか、というような質問を海外のメディアから受けることが多くなりましたね。あと実際にそういった流れのなかでクィアが滅んでいくみたいな危惧を述べているひとはたしかにいますね。
 私は、トレンド的にいまこれが盛り上がっていまこれが下火になって、というようなことは世の中にあるかもしれないけれど、それがそんなに大きな問題だとは思っていないです。

(註)ヘテロ・ノーマティヴ:異性愛と異性愛の規範を普遍的なものだとする考え方。

JG:たしかに! でもそれは、ヘテロの世界の幻想なんですよ(笑)。

(一同笑)

JG:ヘテロの世界だってそううまくいってないんじゃないでしょうかね。ヘテロのひとたちはゲイのひとたちを受け入れた振りをしながら、ゲイっていうのは一対一の関係を守ってうまくやってるんだなと思いたいんですよ。だからそういう(クリーンな)表現になるんでしょうね。ゲイ・サウナがあってそこでHIVに感染して、っていうようなことには蓋をしたいんじゃないかなと。同性愛は間違いだ、地獄行きだって考え方がずっとあったわけですから。それに、僕たちゲイも薬やアルコールやセックスの問題は口に出さなかった部分もありますからね。だから明らかにされなかった部分もあるんだと思います。それを逆手に取られて、「ほら、ゲイは間違いだ!」って言われたくなかったんでしょうね。

田亀:そういう感じはやっぱりありますね。実際私も『弟の夫』に関しては、大人だけでなくハイ・ティーンやロウ・ティーンの子にも読んでほしい本ではあるから、セックスの要素はいっさい排除しているわけです。その分、私は30年間5000ページぐらいグチョグチョのゲイ・ポルノを描いてるんだけど(笑)。そこでバランスを取ってる。だけどこれ(『弟の夫』)だけ取り上げて見られると、そういう綺麗ごとみたいな部分はあるのかもしれない。やっぱりこれは一対一のつがいの話であって、どうしてもモノガミーの世界に根差したところからは逃れられていないから。

JG:ヘテロの世界ではこういったゲイ・ポルノは必要ないですからね(笑)! ヘテロの世界にも彼ら向けの本があるわけですから(笑)。僕はこちら(『弟の夫』)は入り口として本当に優れていると思います。ゲイの世界だってヘテロの世界と同じようにひとによって関係性はさまざまなんだということ、人間関係としてのゲイの姿がここには描かれているのだと思いますから。
 それにもうひとつこの本が重要だと思うのは、ヘテロのひとたちはゲイたちがどんなセックスをするのかで話が止まってしまっていて、その先にある人間関係や普通の生活の部分まで考えが及ばないだろうからなんですね。だからそこを描いたという意味では先を行ってると言えますよね。


田亀源五郎さん

田亀源五郎/たがめ・げんごろう
1964年生まれ。「ゲイ・エロティック・アーティスト」として86年より長きにわたってゲイ・カルチャー・シーンを支えつづける漫画家。86年よりゲイ雑誌にマンガ、イラストレーション、小説等を発表。2014年からは「月刊アクション」にて『弟の夫』の連載を開始、同作は第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。コミックの単行本や画集の刊行のほかに『日本のゲイ・エロティック・アート vol.1 ゲイ雑誌創生期の作家たち』などの編著がある。代表作に『PRIDE』『君よ知るや南の獄』など。

ヘテロのひとがゲイというと必ずセックスに結びつけて考えてしまうことに対する指摘と、それは違うんだよということは『弟の夫』のなかで実際やっていて。(田亀)

まさにそういう作品なんですよ。

田亀:ヘテロのひとがゲイというと必ずセックスに結びつけて考えてしまうことに対する指摘と、それは違うんだよということはこのマンガのなかで実際やっていて。このお兄さん(『弟の夫』の主人公、弥一)の弟がゲイで、これ(「弟の夫」であるカナダ人のマイク)と結婚しているんですけれども。その弟はもう死んでいなくて、片割れだけが夫の国を訪ねて日本にやって来たという話です。兄の弥一は弟が男と結婚したということがなかなか受け入れられない。そんなある日、弟が男と結婚したときにイコールどっちが女役なんだろうということまで考えてしまっていたけれど、そう考えること自体おかしいんだと弥一は自覚するんです。だからヘテロの読者にもそこらへんを伝えたいなという仕組みにはなっていますね。

JG:それはとても重要なことですね。

それに、さっき田亀先生は綺麗ごとだとおっしゃってましたけど、マイクのシャワーシーンの胸毛の描写なんかは、ゲイ・カルチャーの出自に対するプライドが感じられるんですよね(『弟の夫』を開きながら)。

田亀:ははは。

JG:ええ。あなたの絵は本当に美しいですね。

田亀:ありがとうございます(笑)。


政治と表現の関係

ではもうひとつお訊きしたいのですが、おふたりの表現に何か共通点があるとすれば、それぞれ優れたストーリーテリングがあることだと思うんですよ。そして個人が描かれている。たとえばジョンさんの“ジーザス・ヘイト・ファゴッツ”(「イエスはカマ野郎を嫌ってる」)なんていうのは、アンチ・ゲイ・デモで掲げられるスローガンでもあるわけですよね。

JG:ええ、ええ。

そうした政治的なフレーズが、歌のなかではとてもパーソナルなストーリーとして語られている。そうした政治的なものとの距離の取り方、表現としてパーソナルであることについてどうお考えですか?

JG:政治的なトピックから完全に切り離すことはできないと僕は思っています。こうしてある程度パブリックな存在になってしまって人前でものを言っている以上は、活動家でこそないけれども、ある意味では活動家である部分も否めないんですよね。非常に難しいことだと思います。僕は政治的になりたいわけじゃないんですが、見方によってはもうすでに政治的なわけです。とくにいまの時代において、それは避けられません。何か言ったらそれがすべて広まってしまうわけですから、政治的なこととまったく無縁ですとは言えないと思います。ただそこで大切なのは、自分自身についての真実を語ることだと思うんです。僕の身の上話が面白いからではけっしてなく、いままで言えずにきたから言いたいということなんです。「出る杭は打たれる」って日本では言われるらしいですが、自分は目立たないように目立たないようにして生きてきたので、そのせいでいろいろなものの中毒になってしまったんですよ。そう考えると、本当の自分や自分の人生ときちんと向き合ってこなかったことへのツケが回ったんだと思うんです。少なくともこれが自分の真実だと思うことを、いい面も悪い面も含めてきちんと語っていくということこそが自分に嘘のない生き方であって、そうしているつもりなんです。

僕は政治的になりたいわけじゃないんですが、見方によってはもうすでに政治的なわけです。とくにいまの時代において、それは避けられません。そこで大切なのは、自分自身についての真実を語ることだと思うんです。(グラント)

なるほど……。田亀先生は政治と表現の関係についてどのようにお考えですか?

田亀:日本ではゲイがあまり見えていない状況で、そんななか私は18歳でカムアウトしてるんですね。そのときに感じたのは、私自身が政治的であることを望もうが望むまいが、ゲイをアウトすること自体が必然的に一種の政治性を持ってしまうということでした。

JG:その通りですね。

田亀:あとその時代に第一次ゲイ・ブームみたいな感じでゲイリブみたいなものが盛り上がったんですね。で、ゲイ・アクティビズムが盛り上がって、いろいろな運動をするひとが出てきて。私は情報として集めていたけれども、そのなかへ積極的に参加する気にはなれなかった。というのは、彼らとヴィジョンをあまり共有できそうになかったから。でも逆に自分のなかで続けていきたいことというのはあって、それは私の場合はゲイ向けのマンガを描き続けることだったんですね。だから私にとって重要なのは政治的な抽象論で何かを語ったりすることではなくて、ゲイがゲイのためにゲイを扱ったマンガをずっと描いて作品を残して、その姿を見せ続けること。それが私にとって最大のアクティヴィズムだなと捉えて、いままできていますね。それが最近ちょっと外側から注目されるようになってきて、もうちょっと戦略的になってはいるけど。基本的にはそういう感じです。

JG:それは本当に素敵ですね。

田亀:ありがとう(笑)。

政治的な抽象論で何かを語ったりすることではなくて、ゲイがゲイのためにゲイを扱ったマンガをずっと描いて作品を残して、その姿を見せ続けること。それが私にとって最大のアクティヴィズムだなと捉えて、いままできていますね。(田亀)

JG:すごく勇気のあることだと思います。

JG:同性愛についてはアメリカでは宗教的な問題がありますが、日本ではそうした要素はないのに、伝統的な価値観なのか、なにか階級的なものになっているような気もして。もしかしたら、そっちのほうが良くないようにも思えてきます。

田亀:ひとつ言えるのは、日本にはホモセクシュアルを罪と規定する宗教的な基盤というのはたしかにないんですよね。日本のゲイの子たちは、それに対する罪悪感というのはそんなに刷り込まれない。ただ、日本の社会が何をいちばん重要視するかというと、みんなといっしょだということ、波風を立てないということで。個性的であってはいけないっていうのが日本の価値観のベースなんですよ。そこがゲイ・イシューに関してはいちばん大きな障害になっていると思う。
 たとえばキリスト教みたいな、同性愛を罪として規定する宗教を刷り込まれてしまったひとが罪悪感に苦しむように、波風を立てないことこそが重要だと刷り込まれたひとは、自分が主張することで波風を立ててしまうことに対してものすごく罪悪感を覚える。これって日本のゲイの特徴なんですね。だから日本のゲイで親にカムアウトするときに悩むのは、そのせいで親がどれだけ悩むかとか、親が親戚からどう思われるかとか、第一にそういうことなんですよ。これはやっぱり日本社会の特徴的な面だとは思います。

日本の社会が何をいちばん重要視するかというと、みんなといっしょだということ、波風を立てないということで。そこがゲイ・イシューに関してはいちばん大きな障害になっていると思う。(田亀)

JG:周りのひとからどう見られるかという意味で、子どもがカミングアウトしたら日本人の両親は「不名誉」というふうに表現するのでしょうか。

田亀:いえ、同性愛が罪悪という規定はないから、「不名誉」みたいな言い方はあんまりないと思うんですね。名誉殺人があるとかそういう感じではないんですよ。ただ、うちの親なんかは私のことを「変な子」って言いますよね。で、この間おかしかったのは、私がこのマンガ(『弟の夫』)で日本の政府の賞(註)を獲ったんですが――

(註)2015年、同作が第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞

JG:おめでとうございます!

田亀:ありがとう(笑)。で、そのときにうちの両親はすごく喜んで。はじめて息子のマンガをまともに読めたっていうのもあるんですけど。で、うちの父いわく、私が「変な子」に育ったのは「お父さんのせいよ!」と、いつも母は言うんですって。「変な子」っていうのはゲイのことだと思うんだけど。ただ、こういういいことがあったときだけは母は父のせいにはしないで、それ以外のときは父のせいにするんだって言うんです(笑)。

JG:はははは! 「私が正しかった!」って言いそうなお母さんですね(笑)!

(一同笑)

田亀:だから、「不名誉」とまではいかなくても、クィアという感じには考えるひとは多いと思いますね。

***

 話題はまだまだあったが、残念ながらそこで時間が尽きてしまった。ジョンは僕が持ってきた、毛むくじゃらの男たちのヌード・アートがたくさん載っている『HAIR』の表紙の写真を「これも手に入れないとね!」と撮影する。髭と胸毛と、セックスと愛についてのアートだ。

 それから熱いハグを交わすふたりの姿を見て、ゲイであること、ゲイとして生きることを正面から見つめながら表現に取り組むアーティスト同士のリスペクトがそこに生まれていると感じずにはいられなかった。ジョン・グラントのツアーは続き、田亀源五郎の連載は続いていく。時代が前に進むのならば、そこには必ず終わらない物語があるからだと……そんなことを確信させられる出会いの光景が、そこにはあった。

interview with ANOHNI - ele-king


ANOHNI
Hopelessness

Secretly Canadian / ホステス

ElectronicExperimentalPops

Tower HMV Amazon

 「わたしは魔女です」──彼女はそう繰り返してきた。男たちの暴力的な歴史に築かれた世界の異端者として。ラディカルな主張を隠すことはなかったし、どんなときもアウトサイダーの代表だという姿勢を崩すことはなかったから、この時代の曲がり角にポリティカル・レコードをリリースするということは筋が通った話である。だが、それでも……このあまりに華麗な変身に衝撃を受け、魅惑されずにはいられない。固く閉ざされていた扉がこじ開けられ、胸ぐらを掴まれ、彼女が戦闘する場所へと投げこまれる……そんな感じだ。耽美な管弦楽器の調べではなくエレクトロニックな重低音が烈しく鳴り響き、ノイズが飛び交い、そして彼女自身の声が怒りと憎悪に満ちている。華麗なハイ・アートはもうここにはない。ミューズとなるのは大野一雄ではなくナオミ・キャンベルであり、聖よりも俗を、慈悲よりも憤怒を手にしながら、巫女の装束を光沢のある夜の衣装に着替えてみせる。そしてはじめて、彼女の本当の名前を名乗る……アノーニだ。

 ハドソン・モホークとOPNことダニエル・ロパッティンという、現在のエレクトロニック・ミュージックの先鋭的なポジションに立つプロデューサーが起用されていることからも、彼女の並々ならぬ決意が窺えるだろう。まさにバトル・フィールドの先頭に立つような“4ディグリー”はハドモの“ウォーリアーズ”ないしはTNGHTを連想させるし、低音ヴォーカルが重々しく引き伸ばされ続ける“オバマ”や“ヴァイオレント・マン”はOPNの『ガーデン・オブ・デリート』と見事にシンクロしていると言えるだろう。ヒップホップとエレクトロニカとノイズと現代音楽とシンセ・ポップを調合しながら、それを遠慮なく撒き散らすような威勢のよさに満ちている。

 「私の上にドローン爆弾を落として」(“ドローン・ボム・ミー”)、「私は見たい この世界が煮える様を」(“4ディグリー”)、「死刑執行 それはアメリカン・ドリーム」(“エクセキューション”)、「オバマ あなたの顔から希望は消えてしまった」(“オバマ”)、「もし私があなたの弟を グアンタナモで拷問していたらごめんなさい」(“クライシス”)、「どこにも希望はない」(“ホープレスネス”)――魔女は呪詛を吐き続ける。戦争と環境破壊、虐殺、資本主義の暴力、そして「希望がないこと(ホープレスネス)」。ここでの音の高揚は地獄の業火に他ならず、彼女はその身を焼かれることを少しも恐れていない。彼女ははっきりとこの世界の異端者である……だが、「トランスジェンダーであることは自動的に魔女であることなのです」と発言していたことを反芻すれば、その禍々しい言葉はかくも暴力的な世界の鏡に他ならないことを思い知る。だからアノーニは、そんな世界こそがまったく新しい姿に生まれ変わることを迫るのである……彼女自身が、鮮やかな変身を体現しながら。

 ほとんど爆撃音のようなビートの応酬をかいくぐると、アルバムはもっともジェントルなピアノが聴ける“マロウ”へと辿りつく。だがそこでも彼女は、自分が暴力に加担する一部であることを忘れてはいない。深い歌声でなにかをなだめながら、自分自身も、そしてこれを聴く者も「ホープレスネス」の一部であるのだと告げている……それこそが、この狂おしいまでにパワフルな作品のエナジーになっているからである。

■ANOHNI / アノーニ
旧名アントニー・ヘガティ。2003年にルー・リードのバック・ヴォーカルに抜擢され、アルバムの録音にも参加、一躍注目を浴びる。アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ名義で2005年にリリースしたセカンド・アルバム『アイ・アム・ア・バード・ナウ』でマーキュリー・プライズを受賞、 MOJO誌の「アルバム・オブ・ザ・イヤー」にも選出された。09年にリリースしたサード・アルバム『クライング・ライト』では彼女が敬愛する日本の舞踏家、大野一雄の写真をアートワークに使用し話題となった。2011年には4thアルバム『スワンライツ』をリリース。ビョークをはじめ、ルーファス・ウェインライト、ブライアン・フェリーなどさまざまなアーティストとのコラボレーションも行っている。2015年に新曲“4 DEGREES”を公開、前作から約5年半ぶりとなる新作『ホープレスネス』を2016年5月にリリースする。

エレクトロニック・ミュージックは、素晴らしいエネルギー、喜びさえも人びとに与える。それを使って、真実を表現したかったんです。

少しさかのぼって訊かせてください。ライヴ盤『カット・ザ・ワールド』には非常にラディカルな内容のスピーチである“フューチャー・フェミニズム”(「神の女性化」を想像し、男性原理に支配された世界を糾弾する内容)が収録されていましたよね。あのライヴ盤自体、あのスピーチを世に出すという目的が大きかったのではないですか?

アノーニ:あのレコードでは、いままでに自分が聴いたことがないようなものを作りたかった。ポップ・ミュージシャンが10分(註:実際には7分半だが、じゅうぶんに長尺)のスピーチを含んだ作品をリリースするなんて、なかなかないでしょう? スピーチを挟むのは、自分のショウですでに探求していたことだったんだけど、それをCDに取り入れてみて、一体どうなるかを見てみたかった。気候や環境の緊張感とフェミニストの見解を繋ぎ合わせるという“フューチャー・フェミニズム”のアイデアは、2、3年前からずっと持っていたものだったから、それをライヴ・ショウやCDに取り入れてみたかったんです。

そして『ホープレスネス』は、ある部分で“フューチャー・フェミニズム”を引き継いでいると言えますか?

アノーニ:『ホープレスネス』はエレクトロニック・レコードで、私が持っていたアイデアは自分でも聴くのが楽しいポップ・レコードのような作品を作りたいということでした。これまでの私のシンフォニックな音楽作品とは違うものを、言ってしまえばダンス・ミュージックみたいなものを作りたかった。でも、音はダンス・ミュージックであっても、曲のなか、つまり歌詞はかなり政治的なものになっていて、まるでトロイの木馬のようになかに兵士が隠れているんです(笑)。それが新作のアイデア。コンテンポラリー・ライフとモダン・ワールドに関する内容で、とくにアメリカのポリシーにフォーカスが置かれている。アメリカのポリシーとはいえ、いまではそれが世界的な問題になっているけどね。

非常に政治的なテーマを持ったアルバムとなりましたし、その根本にあるものは「怒り」であると事前にアナウンスされていました。エレクトロニック・サウンドを選択したのは、そのようなテーマに適すると考えたからなのでしょうか?

アノーニ:もちろん。そうすることで、より真実を伝えたかったから。真実を伝えるという効果を、より強いものにしたかったんです。そこにエネルギーを使いたかった。ダンス・ミュージックにはエナジーがあるから、エレクトロニック・ミュージックを使ってそのエナジーを作り出したかったんです。エレクトロニック・ミュージックは、素晴らしいエネルギー、喜びさえも人びとに与える。それを使って、真実を表現したかった。その真実が苦いものであったとしても、喜びを通してそれを叫び、皆に伝えることもできると思ったんです。

ハドソン(・モホーク)と作業を初めてから、ポリティカル・エレクトロニック・レコードという方向に急進していったんです。

ハドソン・モホークとダニエル・ロパッティンを起用したのはどうしてでしょうか? 彼らのそれぞれどういったところを評価していますか?

アノーニ:ハドソンの音楽には、本当に惹き込まれます。彼の音楽はすごく喜びに満ちているんですよね。多くのミュージシャンが何かひとつの方向性に違ったものを混ぜ、そこからあちらこちらの方向に進んでいます。でもハドソンの場合は、さまざまなものが混ざりながらも、すべてはひとつの方向に進んでいるんです。彼の目的はひとつで、込められた感情は決して複雑ではなく、高揚感に統一されている。だからこそリスナーは、我を忘れるような喜びに心が躍るんです。それが複雑な歌詞をひとに届けるのに最適な方法だと思いました。ダークで重い緊張感がある歌詞を、魅力的で簡単に楽しめる音楽に乗せるのがベストだと思ったのです。歌詞の内容は高揚感のある音楽の真逆で、アメリカ政府やテロリズム、環境破壊、石油問題といったヘヴィーなもの。音楽と歌詞にはコントラストがあるんです。
 ダニエルは、さまざまなサウンドからエッセンスを抽出して、そのアイデアを組み立て、自分独特のサウンドを作り出してくれます。基となる要素とはまったく違うものを作り出すから、まるでマジシャンみたいなんです。私は、そこに知的さを感じますね。彼は音楽に対してすごくモダンな考え方を持っていて、サウンドの意味を考えます。その意味がどう変化しうるかを考え、それを自分で操作していく。もともとはダニエルと作業を始めたんだけど、さっき話したようなエレクトロニック・ミュージックのスタイルになっていったのは、ハドソンと作業をはじめ出してからでした。彼が書いた音楽に、私がメロディと歌詞を乗せて、そこからレコードの目的に合うよういろいろと手を加えていきました。ハドソンと作業を初めてから、ポリティカル・エレクトロニック・レコードという方向に急進していったんです。

トラックの制作について、ハドソン・モホークやダニエル・ロパッティンにどのようなリクエストをなさいましたか?

アノーニ:曲のほとんどが、ハドソンがまず曲を書いて送ってきてくれたんです。それに私がヴォーカルをのせて返して、それから、ダニエルといっしょに曲を整えていきました。バラバラに作業してメールし合うこともあれば、同じ部屋で作業することもありましたね。私自身も、レコードをミックスして聴き込むのにかなりの時間を費やしました。3年くらいかかりましたからね。待たなければいけないことも多かったし、考えなければいけない時間も多かった。曲の歌詞はかなり強烈だし、それが本当に自分の書きたいことか確信を得るのに時間がかかったんですよ。リリースする勇気がなかなか出なくて。それを長い時間考えなければならなかったんです。

なかなか勇気が出ないなか、リリースする覚悟ができたきっかけはあったのでしょうか?

アノーニ:人生はすごく短いでしょう? 本当に短いから、できるだけ強く関わりたいと思うようになったんです。どこまで自分が関与できるのか、それに関与することで、自分が何を感じるかを知りたかった。受け身ではいたいくないと思ったんです。世界は驚くべきスピードで変化しているし、私は生物多様性の未来を本当に心配しているし、それに自分が地球と深く繋がっていると心から感じる。だからこそ、地球を護りたいと思うようになったんです。

これまで私は自分のことについて歌ってきました。自分のなかの自分の世界、自分の人生についてね。でも今回は、かなり大きな、ショッキングとも言える一歩を踏み出したんです。

リリースしたことで何か実際に感じましたか?

アノーニ:いままで音楽的にやったことのないことだったから、やはり勇気が出たし、自信がつきました。いままでの私の音楽を聴いてきたひとたちはわかると思うけれど、これまで私は自分のことについて歌ってきました。自分のなかの自分の世界、自分の人生についてね。政治やランドスケープに触れたことは一度もなかった。でも今回は、かなり大きな、ショッキングとも言える一歩を踏み出したんです。歌詞の内容に驚く人も多いと思う。でも、このレコードで人びとの考えを変えたいとまでは私は思っていないんです。自分と似た考えと世界観を持つ人びとをサポートしたいだけで。何かに対して戦う勇気を彼らに与えるサウンドトラックを作りたかったんです。

また、アノーニ名義としてのはじめてのアルバムとなります。この新しい名前――本来の名前と言ったほうがいいと思いますが、ANOHNIとしてリリースすること自体があなたの世に対する意思表示だと言えるでしょうか?

アノーニ:そう。アノーニは私の本来の名前。プライベートで何年か使ってきた名前で、公の場で使うことはこれまでなかった。でもいま、もう少し「正直」である時期が来たんじゃないかと思って。自分のなかの真実を人びととシェアする時が来たんじゃないかと思ったんです。アノーニは私のスピリチュアル・ネームなんだけど、私はトランスジェンダーだから、自分のスピリチュアル・ネームを使うことによって、ひとがより自分の存在を理解することができるんじゃないかと思いました。人びとが私をもっとクリアに見ることができると思ったんですよ。もし私が男性の名前を使えば、それは欺きになってしまう。私はただ、正直でありたかったんです。

アノーニは私のスピリチュアル・ネームなんだけど、私はトランスジェンダーだから、自分のスピリチュアル・ネームを使うことによって、ひとがより自分の存在を理解することができるんじゃないかと思いました。

アノーニという名前を使うことで、何か変化はありましたか?

アノーニ:この名前を使うことで、よりいろいろなものをシェアできるようになります。たとえば私は普段怒りをあまりシェアしないし、音楽でそれを表現しようとすることはなかったんです。でも、このレコードでは確実に怒りが表現されている。それは私にとっては新しいことだし、同時にそれはすさまじいエネルギーを発するものでもあるんです。

ビートがアグレッシヴな箇所も多く、たしかに「怒り」を強く感じる瞬間も多いですが、しかし、わたしは聴いていると同時に非常に優雅さや優しさも感じます。この意見に対して、もしその理由を問われればどのように説明できますか? 

アノーニ:優雅さに通じるかはわからないけど、曲のなかではそれが反心理学によって表現されているものが多いから、それもあるのかも。曲のなかで「この恐ろしいことが起こってほしいと願っている」と歌っていても、もちろん本当に意味しているのはまったく違うこと。そう歌いながら、その出来事を批判しているんです。私が「アメリカの死刑実行制度について快く思っている」と歌っていればそれは、いまになっても死刑を実行しているこの国に住んでいることを残念に思う、というのが本音。このアルバムではそういった反心理学的な歌詞が多いから、その効果かもしれないですね。

この質問を作成した時点ではまだ歌詞を拝見できていないのですが、トランスジェンダーであることはこのアルバムのテーマのひとつと言えますか?

アノーニ:トランスジェンダーであることやトランスジェンダーの声だけに歌詞が置かれているわけではないですね。でも私自身がトランスジェンダーだから、歌詞はアメリカではアウトサイダーとされているトランスジェンダーとしての私の視点で常に書かれています。つまりトランスジェンダーに重点を置いているのではないけれど、トランスジェンダーから見た世界が表現されているのは事実。でも、それがトランスジェンダーすべての意見というわけではないんです。それはあくまでも私の世界観。私のゴールは、自分と同じような考えを持つ人をサポートすること。彼らに強い勇気を与え、背中を押したい。私にとって、女性の視点から何かを書くのは意識することではなくて自然なことなんです。

私のゴールは、自分と同じような考えを持つ人をサポートすること。彼らに強い勇気を与え、背中を押したい。私にとって、女性の視点から何かを書くのは意識することではなくて自然なことなんです。

この世の中で、トランスジェンダーの声や意見はまだまだ隠れていると思いますか?

アノーニ:トランスジェンダーに限らず、女性の意見、声というのはこの世界でまだまだ隠れていると思います。その女性の声のひとつが、トランスジェンダーの女性たちの声だと思うんです。それがもっと表に出て、人びとに受け入れられるようになるまで、この世界に希望はないと私は思います。女性の声というのが、世界を救うと私は思っているんです。私たち(女性たち)は、自分たちの力を取り戻さなければいけない。それを取り戻すために立ち上がるのは怖いかもしれないけど、それをやらなければこの世界に未来はないと思う。この世界には、女性からのガイダンスが必要なんです。女性の視点が必要。それがあってこそはじめて自然を守ることができるし、人間の尊厳を取り戻すことができる。
 男性政治家たちを見ればわかるけど、彼らは失敗ばかりしているでしょう? 彼らが操作してきたいまの世界を見てみると、この世を破滅させるのにじゅうぶんな武器が存在し、森、山、海がどんどん破壊されていますよね。伝統的に、家族やコミュニティを守ろうとするのが男性の役割で、彼らはそのために戦うための軍隊とチームを作る。いっぽう、女性の役割というのはすべてのチームの繋がりを考えること。女性は家庭のなかで子供のために平和を作ろうとします。すべての環境の繋がりを把握し、それを基に平和を作り出すのが女性なんです。男性は仕事をして自分の家族だけを守ろうとするけど、女性は家族を「作ろう」とする。いまの私たちに必要なのは、世界で家族を作ろうとする女性のスキル。そうしなければ、自分たちと自然の繋がりを見出すことができないんです。それどころか、私たちは自然を殺してしまいかねない。だからこそ女性のリーダーが必要だし、とくに年配の女性たちの知恵や見解が必要なんですよ。彼女たちの助けが必要だし、いっぽうで若い女性は強くあり、前に向かって進み、いまのシステムに対抗することに挑んでいく必要がある。男性が世界を破壊しようとしているわけではないのだけれど、単純に、彼らにできることと女性にできることが異なるんです。いまの世界に必要なのは、女性の力です。

女性で、実際いまそこまで考えているひとはどれくらいいるのでしょうね。

アノーニ:そうなんですよね。立ち向かうというのはすごく難しいと思う。でも、興味や関心をもっていなくても、気候や世界はどんどん変化し続けます。海も死にかけています。それなのに私たちは海からさらに多くのものを奪おうとしています。海が死んでしまっては、海のなかの生命体や魚はすべて消滅してしまう。そうなったら、いったい世界はどうなってしまうんでしょう。私はそういう未来が心配です。でも日本はすごく美しい国だと思うんですよ。自然とひととの繋がりが、他の国よりもきちんと考えられている国だと思います。日本には古い文化がまだ存在していて、さまざまな自然との美しい共存の仕方が受け継がれていると思います。

世界に希望がない(ホープレスネス)というのは事実ではないけれど、私たちが持っているフィーリング。でもそのフィーリングがあるということは、その対処法を見つけなければならないということなんです。

日本では昨年よりLGBTQの話題がちょっとブームのようになったこともあり、少しずつ一般的にも認知されるようになりました。ただ、わたしの見解としては、日本ではそこにカルチャーやアートがあまり追いついていないようにも思うんですね。あなたのマトモスとのコラボレーションなどを見ると、政治的な共闘がありつつも、やはり何よりも「アート」だと思うんです。LGBTQイシューに限った話ではないですが、「アート」が社会にできることがあるとすれば、どのようなことだとあなたは考えていますか?

アノーニ:私はすごく日本のアートに影響を受けているんだけど、とくに土方巽や大野一雄の舞踏にはすごくインスパイアされています。第二次世界対戦のあとにとくに浸透したアートで、すごく強烈なイメージを持っている。生きるための困難や美しさ、そして、何が美しいのかという考え方の変化が表現されているんですよね。原爆投下後の最悪な光景に目を向けなければならなかったから、あの強烈なイメージが生まれたんです。地獄のような光景。舞踏では、そういった苦しみが表現されました。そういうものを表現しようとする創造性には、ものすごいパワーが存在していると思う。それを理解し、ダンスや音楽で真実を伝えるというのは、すごく重要なコミュニケーション方法だと思います。

タイトル・トラックである“ホープレスネス”では自然と切り離されたことの悲しみが歌われていますよね。“ホープレスネス”とは非常に強い言葉ですが、これがアルバム・タイトルともなったのは、これこそがあなたの実感だということなのでしょうか?

アノーニ:日本ではどうなのかわからないけれど、アメリカやヨーロッパでは、地球の未来は明るくないと考えられているんです。世界に希望がない(ホープレスネス)というのは事実ではないけれど、私たちが持っているフィーリング。でもそのフィーリングがあるということは、その対処法を見つけなければならないということなんです。

COP21(国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)第21回締約国会議)に合わせた“4 ディグリーズ”のパフォーマンスがとても話題になりました。何かあなたにとって嬉しく思えたリアクションはありましたら、教えてください。

アノーニ:みんなが音楽の中に自分自身の精神をそれぞれに感じることができていると思えたのが嬉しかったわね。

ANOHNI - 4 DEGREES

マーガレット・サッチャーも、女性ひとりが男性のルールのなかでリーダーになっただけ。でも、政治自体が女性から指揮されるようになれば世界は変わると思います。

オノ・ヨーコさんとのコラボレーションは、このアルバムに間接的に影響を与えていますか? というのは、彼女が敢えて自分を「魔女」と呼ぶタフな態度に、あなたは共感するところがあると思ったからなんですが。

アノーニ:彼女からの影響はあると思う。彼女は勇敢だし、自分の政治活動にすごく自信を持っているから。そして、アーティストとしてそれを自分の作品に反映させている部分にも共感します。それに、私も自分を魔女と呼んでいます。それは、女性のパワー、そして女性と地球の繋がりを意味します。そして女性と地球のコネクションというのは、ほとんどの男性が恐れていることでもあります。その力の偉大さを知っているから、それが起こらないようにコントロールしたがるんです。そして、そのパワーを盗もうとさえします。男性は、もっと女性に対して謙虚さを学ぶべき。それが、いま私たちが求めているものなんです。

“アイ・ドント・ラヴ・ユー・エニィモア”から“オバマ”へと流れが続くのでドキッとするのですが、この曲順は意図的なものですか?

アノーニ:そう(笑)。アメリカではいま、オバマに対する期待は薄れています。男性に解決できることではないと、みんなが気づきはじめているんです。変化を起こしたければ、男女ともに取り組みに関わらなければいけないんです。

ということは、あなたはヒラリーを支持しているのでしょうか?

アノーニ:もうわからないんですよね。もちろんサポートするべきなんだけど、同時に信用もできない。彼女をサポートすることは必要なんだと思うけど、リーダーひとりが女性であるという事実だけではじゅうぶんではないと思う。政治の世界で、女性の割合そのものが増えなければ意味がないんです。マーガレット・サッチャーも、女性ひとりが男性のルールのなかでリーダーになっただけ。でも、政治自体が女性から指揮されるようになれば世界は変わると思います。30%を越さなければ、リーダーが女性であってもすべては男性主体のままだと思いますね。

怒りはその中に存在する一部で、とくに強くなるために、そして真実を主張するためには怒りは必要なんです。自分たちの感情は、表に出さないことが多いでしょう? とくに世界という大きい規模の物事に対しては、それを受け入れるだけで、何もしないことが多いと思う。

あなたはこのアルバムを通じて、現在の世界における「理想」を探究しているように思えます。あなたにとって、理想的な社会とはどういったものだと言えるでしょうか?

アノーニ:今回のアルバムの内容は、現在の世界の危機について。だから、あまり理想社会については触れていないんです。夢の世界にはあまりフォーカスを置いていない。私にとってのパラダイスとは自然界です。何億年もかけて作り上げられた自然が自分にとっては理想の社会ですね。彼女(自然)が私たちとわかちあっている素晴らしい世界。動物、緑、海……彼女(自然)の人生そのものがパラダイスなんですよ。私はその一部だし、その一部であることが夢のよう。同時に、それは愛の世界でもあります。

わたしはこのアルバムに限らず、あなたの表現の底には怒りと、そのことを隠さない強さがあると考えています。あなたにとって怒りや悲しみは原動力だと言えますか?

アノーニ:どうでしょうね。それはわからないけれど、すべての感情がお互いを支え合っていると思います。今回のレコードは、自分の真実、そして世界に対する私の考え方を表現した結果。怒りはその中に存在する一部で、とくに強くなるために、そして真実を主張するためには怒りは必要なんです。自分たちの感情は、表に出さないことが多いでしょう? とくに世界という大きい規模の物事に対しては、それを受け入れるだけで、何もしないことが多いと思う。コントロールの力が大きいから、自分たちが小さいと感じてしまうんですよね。でも、真実を語るというのは大切なこと。みんなの行動が未来に影響するのだから。その行動がパワフルかどうかは関係なくて、すべての行動が影響するんです。だからこそ私たちは立ち向かい、努力しなければならない。私たちを取り巻く世界は、私たちの世界なのですから。

今日はありがとうございました。

アノーニ:こちらこそ。より多くの日本の女性たちが、このインタヴューを読んでくれますように。

メガネ - ele-king

 映画でアンニュイな女性像を観たのは『もう頬づえはつかない』(79)が最初だった。桃井かおり演じる人生に対してつねにいぶかしんで、これでもかと気だるげな女性像はそれまでのステロタイプだった若者のイメージを覆し、いまから思えばプレ・パンク的なムードを漂わせていた。芳村真理演じるタレント・マネージャーが「社会を動かせると思った」と口ばしる吉田喜重監督『血は渇いてる』(60)や加賀まりこがアゲ嬢のはしりを演じる中平康監督『月曜日のユカ』(64)など時代とともに積極的でアグレッシヴになっていった女性像が伊藤俊也監督『女囚701号さそり』(72)による梶芽衣子を最後に完全に方向転換してしまった瞬間とも言える。そして、80年代以後、脱力キャラはスタンダードな表現と化し、最近では安藤桃子監督『0.5ミリ』(14)によってけっこうな洗練が加えられていた。

 メガネもその系譜にいる。ごくごく日常的な題材が大半を占め、“夏バテ”では「暑〜い」「だる〜い」とまったく感情を波立たせることなく、たどたどしいラップがどこまでも続く。ミックスがそのように心掛けているからだろうけれど、言葉がすべてクリアにわかるのがよく、「気」が抜けているわりに「気持ち」はむしろ過剰なほど伝わってくる。押し付けてくるものがまったくなく、引くだけ引いているにもかかわらず、それこそ『もう頬づえはつかない』同様、主役が隠せば隠すほど感情が剥き出しになってくるかのような転倒も起こってくる。また、ミニマルに徹するのかと思えば気の抜けたラップはそのままにいきなり宇宙に思いを馳せたり、“優しさ”では人間論にも接近したりと、パースペクティヴが固定されていないのもいい。“生きる”ではタイトル通りの葛藤がそれと感じさせることなく述べられていく。

 プロデューサーの力量なんだろうか、驚くのはプロデューサーが13人も参加しているにもかかわらずトータル感がまったく損なわれていないことで、前半は穏やかに脱力感を増幅させつつ、Ryuei Kotogeによる“夏の終わり”ではダブとウエイトレスが交錯したような独特の展開がまずは耳を引く。7曲めとなるScibattlonの“お好み焼きはダンスホール”からは多方面に向かって実験的な様相を呈しはじめ、食品まつりによる“夜に溶ける”はノイジーなボディ・ミュージック仕立てで相変わらずセンスがいい。それ以外のプロデューサー名を羅列すると、Bestseller、Gnyonpix、Franz Snake、クラーク佐藤、Uncle Texx、石井タカアキラ、エスケー、Xem、Indus Bonze、Ucc3lli、フィーチャリングMCはMC Dovasa、ペリカン、MC松島、Dizと、全曲、じつによくできている。

 メガネは普段、名古屋のOLだそうで、脱力というのが感情労働の放棄だとしたら、Charisma.comは対照的にここ3年ほどあからさまな怒りと罵倒で注目を集めてきた東京のOLデュオ(映画の女性像でいえば吉田大八監督『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07)やタナダユキ監督 『百万円と苦虫女』(08)からまっすぐに来た感じでしょうか)。正直、ワーナーに移籍してからはやや手が伸びなくなっていたところ、新作のジャケット・デザインがデビュー作『アイアイシンドローム』と同じ発想だったので、まあ、どれだけ煮詰まっているかを確認してみるかと。初めて“HATE”や「飾りじゃないのよ 中指は」といったウィットのある歌詞を聴いたときの驚きはもちろんあるわけはなく、こちらも刺激には麻痺しているので、どうしても新機軸を求めてしまいますけれど、罵倒と表裏一体をなしていた皮肉がそれだけで成り立つフォーマットを構築しきれていないので、やはりまとまった作品としては物足りなさが残る(同じ発想の繰り返しだけに、視線を逸らしているジャケット・デザインが『アイアイシンドローム』のように確信を持っていないことを曝け出しているともいえる)。メジャーに行かなければよかったのに……という結果だけは避けてほしいです。

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