「OTO」と一致するもの

interview with Saito - ele-king

 千葉県船橋の齋藤一家といえば、近所でも評判のオモシロ家族で、TVや雑誌の取材も珍しくない。匿名性を重んじるテクノに限らず、一般人でさえも個人情報に神経質なこのご時世に、ありふれた住宅街の一軒家の庭に貼られたテントで寝起きをし、テントで食事をし、気が向けば釣りに興じ、毎日がキャンプファイヤーのような生活を送りながらエレクトロニック・ミュージックを作っている。それは自然に溶け込む音楽というよりも、ともすればクレイジーでやかましい音楽、住宅街には不釣り合いな変わった音響だったりする。しかもこの夫婦、コロナ禍においては世界に向けてライヴ配信までしている。そして何を隠そう、このオモシロ家族(本人たちの言葉によればエクスペリメンタル家族)の奥方こそ、galcid(ギャルシッド)を名乗るレナであり、ルアーフィッシングに夢中な夫が生まれながらのテクノ野郎、齋藤久師なのであった……。

 さて、そんな齋藤一家から生まれたアルバムのひとつが、つい先日発売となった。SAITO名義によるアルバム『Downfall』で、レーベルはフランクフルトの名門〈ミル・プラトー〉。ちょうどひと月ほど前には、〈ミル・プラトー〉の親レーベル〈フォース・インク〉から、パワフルなテクノをフィーチャーしたシングル「Bucket Brigade Device」をgalcid名義でリリースされたばかりでもある。ちなみに昨年末には、アンビエント作品集「galcid's ambient works」がカセットテープで〈Detroit Underground〉から出ている。フィジカルはすぐに売り切れてしまったが、配信ではまだ買えるし、口コミで評判が広がっているお陰で、いまもなお聴かれ続けている。
 で、最新作となるSAITO名義の『Downfall』だが、これは強いて言うならオウテカの系譜にある音で、SAITO夫妻の盟友リチャード・ディヴァインの諸作ともリンクしている。つまり不規則なマシンドラムがうねりをあげながら、自由についての感覚を模索する音楽だ。とはいえ、SAITOの音楽は実験的ではあるが、よりフレンドリーでもある。奇想天外な展開に喜びの声を上げているロケット弾のような音楽で、あらゆる方向に飛んでは旋回し、最後は無事着陸する。ドイツではすでに評判になっているようだが、SAITOは今後ふたりの主戦場のひとつになるかもしれないと思う。そしてもうひとつ特筆すべきは「galcid's ambient works」のほうで、グローバル・コミュニケーションをダブ・ミキシングしたかのよう音響──といえば良いのだろうか、これが何気に良いのだ。ドリーミーなメロディと美しい静寂は、おそらくはレナの大らかさに関連しているのだろう。
 そんなわけで、気が滅入る時代であってもじつに元気よく暮らしている齋藤家の話をどうぞどうぞ。ふたりは日々の生活をいかに面白く創造していけるのかという人類にとっての重大なテーマに取り組みつつ、アンダーグラウンドなテクノ作品を世界に向けて発信している。まずはその自由な生き方を読者とシェアしたいと思う。こんなでもいいんだと、ちょっと元気になれます。そう、日本を暮らしやすい国にする方法は、個性豊かな変人が増えること、齋藤家のような家族がもっと増えることであることは言うまでもない。

フィジカルにこだわるのは自分たちを守るためですね。若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。だから1年遅れてでも出すんですよ。

新作はコロナ禍ですごく微妙な時期にリリースされましたけど、順番でいうとgalcidの『galcid's ambient works』が最初ですよね?

レナ:そうです。それも本当は去年の9月に出ているはずだったんですけど、カセットテープの原料である磁石不足で、世界中のカセット製造工場がしばらくクローズしてしまったんです。

この作品は、ちょっと驚いたというか、すごく良いと思ったんですが、まわりの評判が良かったでしょう?

レナ:そうですね。カセットテープは一瞬にして完売しました。アメリカでも全て1週間で売れてしまって、日本ではなんと3時間で売り切れとなりましたね。一応バンドキャンプにもあがっているし、アップル・ミュージックにも入っているから聴けるんだけど、なぜかテープが欲しいって。フィジカルなものを求める人がけっこういるのかな。ヴァイナルもそうなんですけど、でもコロナで完全に工場がクローズしていて、めちゃくちゃ遅れています。通常、デジタル配信が先にリリースされるというのは順番としてありえないらしいけど、そうせざるをえなくて。

齋藤久師(以下、久師):〈Force Inc.〉のものと〈Mille Plateaux〉のものも、今年の1月には出るはずだったんですよ。

フィジカルにこだわるのはなぜですか?

久師:まずは自分たちを守るためですね。だから1年遅れてでも出すんですよ。なぜかというと、若い人たちには音楽を買うって概念がないからです。知的財産なのに。そうすると、ぼくらは食っていけないじゃないですか。さらにコロナになって、ライヴもないとなると、絶対にコピーのできないフィジカルにはこだわりたいですよね。

物体として売るものがあるかないかは大きいですよね。ちなみにコロナ前までは、ライヴに行くとき機材はどうしていたんですか?

久師:galcidの場合、レナはひとりで機材を持ってヨーロッパを周りますよ。

レナ:言ってもまぁ、40キロ程度なんで。

じゅうぶん重いですよ(笑)。

久師:ドイツとかだと道もまっすぐだけど、フランスとかボコボコだからね(笑)。

レナ:イギリスはいいんですよ、紳士の国なので(笑)。手伝ってくれるんです。でも、昔住んでいたのがニューヨークだったから、手伝うふりして盗まれるんじゃないかって疑ってしまって。罪悪感を(笑)。

久師:1年間で2回スマホを盗まれていたもんね。

レナ:そうそう。スペインで。

久師:その盗んだ人が電話を使いまくったんですよ。で、40万円の請求が来た。最悪ですよ。

その40万はどうしたんですか?

久師:払いましたよ(笑)。

レナ:一応まけてもらいましたけど。渡航する直前に格安プランに変えたんです。でも、そのシステムだと盗まれたら連絡できるところがなくて……。フリーダイヤルは海外からはかけられないし、久師に代わりにかけてもらったら、本人以外はダメですと。その間ずっと電話を使われてしまってたんです。帰国して携帯会社に事情説明したら、24万まで下げてもらえました。それでも高いですけど(笑)。

いろいろエピソードがあってすごいですね。〈Mille Plateaux〉のほうの作品は、(名物オーナーである)アヒム・ゼパンスキーさんからオファーがあったんですか?

レナ:そうです。「クレイジーなものを作ってくれないか」って。

久師:「好きなだけ好きなことをしろ」って。「できるだけ狂ったものを作ってほしい」って言われましたね。それと、〈Mille Plateaux〉の長年こだわりのしきたりがあって、名前を「galcid」以外のものにしてくれといわれましたね。OvalやALVA NOTOもそうですけど、じゃあボク達は何にしようって。それで名字の齋藤(SAITO)にしようって。「Mille Plateaux」と「saito」って韻も踏んでるし面白いかなって(笑)。

レナ:〈Force Inc.〉のほうは「メインフロアのプレミアム・タイムで流すようなものを作って欲しい」と言われました。今までそういった4つ打ちの「ザ・テクノ」みたいなオーダーは受けなかったんですけど、試してみることにしました。じつは〈Force Inc.〉のことを知らなかったんですよ、私。友だちに「〈Force Inc.〉ってところからメールがきたんだけど大丈夫かな?」って言ったくらいで(笑)。「え、有名なの! じゃあ受けとこう」と(笑)。〈Mille Plateaux〉は知っていたんですけど。

同じじゃないですか(笑)。もともと〈Force Inc.〉からはじまったんですよね。

レナ:そうみたいですね。で、「〈Mille Plateaux〉はうちの傘下だから」って〈Forc Inc〉のオーナーに言われて……。

久師:どちらかというと、僕たちの好きなサウンドの傾向は〈Mille Plateaux〉系なんです。ダンスフロア系ではなくて。

〈Force Inc.〉はハード・テクノだから。

久師:そうそう。だから作り方も変えましたね。両方とも即興で演奏したあとにエディットするんですけど、〈Force Inc.〉のほうは昔の機材を使って、クラシックスタイルでレコーディングしましたね。ジェフ・ミルズ・スタイルというか。〈Mille Plateaux〉のほうはユーロラック・モジュラーだけで作って、それをあとでこねくり回しました。

レナ:同じく『galcid's ambient works』も全部ヴィンテージ・シンセを使いました。

久師:そうですね。意図してできるだけ雑に作りました。

できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。

アンビエントをやったのは『galcid's ambient works』が初めてですよね。なぜやってみようと思われたんですか?

レナ:去年の夏に作りはじめたんですけど、猛暑だったから、ちょっと涼しげな音楽を作ってみたいっていうのがきっかけですね。

久師:でも、真冬に出ちゃったよね(笑)。『galcid's ambient works』ではシーケンサーさえ使ってないんです。TB-303でCV/GATEを出して、直接アナログシンセサイザーをテープエコーに繋いだりして、そういったノイズを含めたサウンドが味になったのかな、と思います。

レナ:なんか新しいような懐かしいような雰囲気もあって、ちょうど良かったのかな、と感じています。『galcid’s ambient works』は、いろいろ開眼させてくれるきっかけになりました。それまで私たちはメロディを入れないというか、無機質なものにしたくて、コード感を敢えてトラックに入れてきませんでした。それが『galcid's ambient works』から入ってきたんです。その後の作品はちょっとメロディが入っていたり、コード感を感じるものが入ってくるようになりましたね。

今回まさにそれをすごく感じました。

久師:まずビートの部分を全部作って、あとでメロディを入れる形ですね。ぼくらの基本である即興という手法は変わらないけど、メロディは即興だとなかなか難しいです。それこそフリー・ジャズみたいになっちゃうので、ちゃんとリフレインするようなもの、構成されたものはあとから冷静になって考えて二度書きしています。だから一回だけダビングしましたね(笑)。

レナ:リスニング作品にしたいっていう想いがあるので、前回のファースト・アルバム(『hertz』)もそうですが、今回はとくに、和声にこだわりました。私が聴いてきたもの、それこそ〈Mille Plateaux〉の全盛のときとかはメロディがあったし、そういうものを聴いて育ってきているのがどっかにあったんだろうね。いままではあまりにもシンプルすぎて、感情的にもいろいろと抑えていたものが『galcid’s ambient works』以降は出てきましたね。

久師:それまでなぜメロディを入れなかったのかというと、無機質にこだわっているのもありますけど、リスナーに想像の余地を与えたかったからなんですよね。ダンスフロアでは、自分の予定調和を崩してくれるところが楽しかったりするじゃないですか。ドラムしか入っていない部分がすごく気持ちよかったり。だから、そこに特化して作っていたんだよね。ところが、メロディを一度入れてみると、意外と評判が良くて、「あぁ、いいのかな」って(笑)。世界が少し広がりましたね。リスナーの幅も。

レナ:それがいまやっている活動にも繋がっていくんですよ。だから『galcid’s ambient works』が分岐点になった。

〈Force Inc.〉のほう(「Bucket Brigade Device」)はダンスフロアがないと機能しないサウンドですけど、〈Mille Plateaux〉の作品(『Downfall』)は、タイミングが良いのか悪いのか、家でも繰り返し聴ける音楽じゃないですか。

久師:やはり評判も〈Mille Plateaux〉のほうが断然良いですね。いまは現場で流せないから(笑)。みんな家で聴くしかないので。

レナ:(「Bucket Brigade Device」は)せっかくマイク・ヴァン・ダイクがいろいろなクラブで低音出して調整してリミックスしてくれたんですけど、いざ蓋を開けてみたら、場所がないっていう(笑)。

コロナでロックダウンされた頃に、ロラン・ガルニエにインタヴューしたら、いまいちばん聴きたくないのはハードなテクノだと(笑)。

一同:(爆笑)。

久師:じゃあ、〈Force Inc.〉のほうは出さないほうが良かったのかな(笑)。再来年ぐらいにしとけばよかった(笑)。

〈Mille Plateaux〉のアルバムはいまの時代にすごく合っている気がします。これはコンセプトがあったんですか?

久師:常にびっくりさせようっていう思いがあるんです。落とし穴的なもの。

アヒムさんからは好きなようにやれって言われたんですよね?

久師:できるだけおかしなようにやれっていうのは言われたんですけど、ぼくらにとってはあまりおかしなことではなくて、いつもやりたかったけど我慢していたことなんです。だから仕掛けはすごく多いですね。ハリウッド映画のような。3秒に1回は何かがある。ループしているところがほとんどないですね。

レナ:絶対に「作品」にするという意識はあった。描いたイラストレーションを額縁に入れると、その瞬間から落書きではなくて作品になるじゃないですか。そういうことをすごく大切にするというか。ライヴ・セッションをそのまま聴かせる方法もあるけど、今回はエディットとかミックスとかをしっかりやろうというのがあったんですよね。当たり前のことだけど、でもいまはなんでも簡単に出せちゃうから……。

重要ですよね。DIYでやるうえでもね。

レナ:音楽系のワークショップでよく「作品化するのに迷っているんですが、どうしたらいいんですか」って訊かれるんです。

久師:いま、そのような質問は本当に多いですね。でも実はすごく簡単なことなんです。僕らがやっていることは、60年代後半からのジャマイカン・ダブの連中がやっていたことと同じなんですよね。エイフェックス・ツインやクラフトワークもそうですけど、謎めいているようで、やっていることはすごくシンプル。僕らもそう。全然難しいことはやっていないんです。強いて言うなら、一番こだわっているのは、中学生のときに作ったシールドかな。

なぜシールドを作ったんですか?

久師:お金がなかったからです。それがいまだに20本あるんですよ。それを挿した瞬間に、音が中2の時の音になるんです。いわゆる「悪い音」ってやつですよ。伝導率が悪いからなんですけど、その効果が良すぎて絶対手放せないんです。音の良さと音楽の良さって別物だなっていうのはけっこう昔からわかっていて、あえて高級オーディオとかハイレゾなものは使ってないですね。

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三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

エレクトロニック・ミュージックを聴くときに、いちばん気にするところはどこですか?

久師:どうやって笑えるかと、踊れるかっていうところですね。

笑えるか、踊れるか?

久師:そう。僕らのテーマはそこなんです。「笑える」っていうのは「びっくりする」という意味もあるんですけど……コミック・バンドじゃなくても、音で笑うというのはできるんですよ。「え、ここにこれが来るの!」って(笑)。例えばハンドクラップが予期せぬような全然違うところに入っていたりとか、「ちょっと待ってこの人おかしいよ」っていう笑い。

それは「笑い」というより「驚き」ですよね。

久師:そうですね。ぼくら、そういうのを聴くとニヤニヤしちゃうんですよ。

レナ:「発見」みたいな感じなのかな。

久師:意外性かな。

『Downfall』の最後の曲もそういう意図で作ったんですか?

久師:三島(由紀夫)さんが「死ぬ死ぬ死ぬ……」ってずっと言ってるやつね。これは、面白いから録ろうってなりましたね。

レナ:海外の人は言葉の意味がわからないじゃないですか。だからどういう反応を示すんだろうって。サプライズとして入れたんです。

なぜ『仮面の告白』にしたんですか?

レナ:「Mask」はコロナとも被りましたね(笑)。もともと私が三島さんの作品が好きだったのと、あと『仮面の告白』って三島さんの処女作だし、私たちもSAITOとしては初めてだったというのもあったり。それと、私のなかで『仮面の告白』って、坂本(龍一)さんのお父さんが編集者だったりして、いろいろとシンクロしちゃったんですよ。あと、三島さんの声は昔のインタヴューなんですが、音って記憶とか時代感とかを含んでいるじゃないですか。それを現代の音にあてたときの違和感もいいと思って。

いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

音楽を作るときはふたりで一緒に作っている?

久師:galcidに関してはレナが演奏して、私がミックスプロダクションを行なっています。SAITOに関しては、演奏も二人で行い、ミックスは私が行いました。

レナ:久師はめちゃくちゃ作業が早いんですよ。普通5日間とかかけるのを2時間とかでやってしまうので。

久師:雑な方がいいんですよ。1テイク目がいちばんいい。失敗するときもあるんだけど、だいたい一発目がいいんです。

最近リリースのペースも早いですよね。

久師:最近2枚出ましたけど、実はそれよりもっと前に録音しているフル・アルバムがあるんですよ。他にも海外を中心に12インチシングルやコンピレーション作品も色々と出しています。galcidの2枚目のフル・アルバムに関しては、去年の3月に完成している作品が〈Detroit Underground〉から出るはずだったんですけど、ファーストと同じくジャケットをデザイナーズ・リパブリックのイアン・アンダーソンに頼んだら、そのデザインだけで半年かかって(笑)。

レナ:さらに、一度でき上がったものに文句を言ってしまったんです。

久師:まさかのダメ出しをしたんですよ。最初に上がってきたのがめちゃくちゃチャイナ風で(笑)、これは絶対違う!と思って。

レナ:関係者一同みんな凍りついたけどね(笑)。

久師:イアンはデザイン界の巨匠だから、レーベルの人も「言えない」と。「じゃあ、僕たちが言う」って(笑)。

ぼくも1回会ったことがありますけど……よく言えましたねそれは(笑)。

久師:でも野田さんがもし自分のアルバムでそれがきたら、言うと思いますよ。

いやいや(笑)。やってもらえただけで嬉しいから。

久師:みんなそういう状況なんですよ。みんな凍りつくし、本人はヘソ曲げちゃうし(笑)。

レナ:でも、私にはいっさい文句を言わないかったですね。しれっとレーベルに請求額を上乗せしていたらしいですが(笑)。

久師:少数精鋭で手仕事でやっている職人さんたちだから、逆にレナの言ったことが響いたようで、「じゃあ、やったろう」ってなってすぐに作ってきましたよ。でも今度はプレス会社が大忙しになっちゃって。

レナ:向こうのプレスって、6月くらいで最後の受注を受けて、9月まで休みなんですよ。それでのびのびになって、さらにコロナになってしまった。

久師:でも最近〈Detroit Underground〉と話した結果、なんと今年の冬に出ることになったんです。

良かったじゃないですか。次のリリースが控えているのは楽しみです。

久師:でも、僕らとしてはフレッシュな方がいいじゃないですか。

たしかに。2年前の作品だと「いまだったらもっと良いものが作れるのに」って思いますよね。

久師:実は今、それを打開するべくやっていることがあるんです。昔はある天才作家に王様とかがパトロンとして曲を書かせていたわけじゃないですか。で、調べたらパトロンに直接作品を売っているシステムがあって。いまgalcidもPatreon(パトレオン https://www.patreon.com/galcid)というシステムを採用して、月に最低5ドル入れてくれれば聴き放題になるっていうサブスクをやっているんです。すごく健康的だと思うんですよね。その代わり、条件としてこちらは週に1曲あげる。

レナ:その条件は自分で縛っているんですが(笑)。

久師:毎週作ってあげているから、本当に新しいんです。

レナ:健康的だよね。聴く人は最新の音楽が聴ける喜びもあるし。

それは確かに新しいですね。

レナ:一応Patreonはクラウドファウンディング型ということになっているんですけど、サブスクという形にしていて、ダウンロードも可能なので、リスナーは好きな形で聴くことができます。

まさに広告に対しての狭告。

レナ:まさに。コメントもできるし、「今回は気に入ったから上乗せします」ということもできる。

久師:その点が投げ銭とは違いますね。

レナ:サブスクという形は私たちにとってありがたいですね。一回きりではないので、信頼関係が保てるんですよ。

それが確立されて、ベースになる経済活動みたいなものができたら大きいですよね。

久師:しかも、クライアントがいないから毎週『Downfall』みたいな過激で誰にもこびない曲を作ってアップしているんですよ。それ以上にフレッシュで新しいものを。ほぼ全曲にメロディが入っていますね。また、二度と同じことをしないというのが信条です。最近はFMシンセを多用します。それがまた新しいですね。
 FMシンセというとDX-7のイメージがあると思うんです。フュージョンとか、のど自慢とか。あれって、綺麗な音を作ろうとしてヤマハが作ったものですが、ぼくらが使っているFMシンセのモジュールは、触っちゃいけない操作子しか出ていないんです。つまり、音を壊していける。綺麗なエレクトロニック・ピアノとか、そういう音じゃなく、まともな音を出さないような装置なんです。

なるほど。すごく面白いです。それこそ303なんて、本来はベースラインとして作ったものが、あんなふうに間違った使い方のほうが面白いということになった。それと同じような話ですね。

久師:303と909と808とSHを作った菊本忠男さんとDOMMUNEで対談したんですが、そのとき303、909などのいわゆる難解シリーズはご自分で「失敗作だった」って言っていました。「でも菊本さん、これがどんな音が出るか知らないでしょ」って、DOMMUNEのサウンドシステムで鳴らしたらびっくりされて…。こんな音作った覚えはないって(笑)。当時、予算に限りがあったので、だったらしょぼい方向に合わすかということになった。そのしょぼい方向がTB-303の嘘のベースの音だったり808とか909のリアルでは無い電子的なサウンドになったんです。

レナ:逆に言うと、いまや本物だしクラシックだからね(笑)。

久師:世界中でいちばん鳴っている叩きモノだよね。そういう意味でもこれは素晴らしいんですよって言っても納得してくれませんでした。菊本さん自身は完璧に失敗したと思っているんです。そして彼は「久師さん、こんな爆音でTRシリーズを聴いたら耳を悪くするのでお気をつけください」って(笑)。

今回のコロナの状況を受けて、今後どういうふうに活動していこうっていうのはありますか?

久師:まず、この様な状況になって真っ先に揃えたのが映像配信機材です。嬉しいことに、4月にキャンセルになってしまった全ての場所からストリーミングでライヴの依頼がありました。なので、ヨーロッパのツアーはそうそうたるメンバーで自宅スタジオから配信できました。

レナ:ヨーロッパだけではなく、インドもありましたね! そちらも、ものすごくきちんとしている、といったら変ですが、メンバーもクオリティーも高かったです。そのように、オフラインでのイベントができなくなってしまった補填をするストリーミングをしつつ、去年末から行っている「音を鑑賞する」対話型のワークショップをやっています。ビジネスパーソンの方がけっこう来てくださるんですけど、そこで、私たちの作った音を流しているんです。

久師:「音楽」じゃないですよ。音です。「シューッ」とか「パッ」とか、抽象画を鑑賞するのと近くて、音を鑑賞するんです。そこにはメロディもありません。

レナ:対話型鑑賞は絵を使ってやる人は多いけど、2019年の時点で音でやっている人は誰もいなかったから、第一人者になりたいと思って。

それは場所を借りて?

レナ:今年の3月までは場所を借りてやっていたんですけど、いまはオンラインでやっています。ZOOMで。数十名の参加者から3~4名のグループにわかれて、聴いた音の印象を五感に変えて対話します。どんな色を感じるか、情景が見えるか、香りだったら? 感触とか、色々と個人で感じることを対話していくわけです。それぞれが、音から思い起こした自分の記憶やイマジネーションについて語ってくれます。絵だとなかなか言葉が出てこないけど、音だと言語化しやすいみたいですね。
音は記憶や映像と結び付きやすいようです。参加者は「こんな音聴いたことない」って人も多いですね。普段音楽を聴かないというか、聴いてもクラシック音楽とかロックくらいしか知らない人、そもそも歌詞がない音とかメロディがない音を知らない人が、いきなりエクスペリメンタルな音を聴かされて、「宇宙的なものを感じた」とか、「地下にいるような気分になった」とか。そういう違いも楽しめるコミュニケーションです。

久師:野田さんも小林さんも、レナも私も、同じ音を聴いても感じ方はそれぞれ違って、言葉も違うじゃないですか。その相手の多様性を認めるのが対話なんです。最初は「自分とは違うな」ってなるけど、何回かセッションを繰り返していくとその人の感性が開いてきて、相手との違いが楽しくなってくる。それがコミュニケーションになっていく。

レナ:音だから、正解も不正解もないじゃないですか。そうすると、「この人はこう感じるんだ」とか発見があるんです。明るく感じている人もいれば暗く感じている人もいる。たとえば、オルゴールの音を聴いて「懐かしい」って感じる人、「綺麗だな」って感じる人と、「怖い」って感じる人がいるんです。ホラー映画でオルゴールが鳴ると怖い場面とかありますよね。そういうのを過去に観たことがある人は、オルゴールの音を「怖い」と感じることもあります。そういうふうに、それぞれの感じ方が一個の音の中にある。
私は小さいころそうやって遊んでいたから、それをいろいろな人とやりたいと思ってはじめたら、意外にもビジネスパーソンの方々がおもしろがってくれました。「じゃあうちの企業でもコミュニケーションの場としてやらせて下さい」とか、中学校とか高校生とか、グレはじめる子供たちと一緒に先生がやるとか。そういう話がぽつぽつあって、新しい音との関わり方が開いた感じです。

やることがたくさんありますね。

久師:いま音楽のほかにハマっているのが、7.83という周波数ですね。シューマン博士という人が発見したんですが、地球には電離層っていうのがあるんです。そこには周波数が流れている。それが7.83ヘルツ。人間の耳は20ヘルツまでしか聞こえないから、完全に聞こえません。でもセンシティヴな人は、気配を感じる人もいる。地球ではすべての物質がその7.83っていう周波数を基準に動いているんですが、それが現在7.835とか、ちょっとだけズレてきているんですよ。

それは気候変動と関係しているんですか?

久師:かもしれない。すべてがちょっとずつズレていて、簡単にいえば整体に行って治さないといけない状態。

レナ:シューマン博士がそれを発見したのは20世紀初頭なんですが、でも仮説のまま博士は亡くなってしまった。それが、1967年くらいにアポロが飛んで、理論上正しかったことがわかったんです。じっさいに計測したら7.83だったと。20世紀の最大の発明は「振動」だと言われています。ワークショップのときもそのシューマン共振を入れたりしています。いまコロナで、「見えないもの」がキーワードになってますよね。音もそうだなって。

久師:実はヒトラーもその手法を使ってプロパガンダを行っていました。彼は人が不快に感じる周波数にこだわっていた。人間の可聴範域を超えた部分で不快な周波数を聴衆のいるところに流していたんです。それでヒトラーが壇上に出てきた瞬間に、その不快な周波数を切る、という演出をしていました。音は使い方によってはそういう悪用もできてしまうのが危険ですね。

レナ:「振動」はものすごくエネルギーを持っています。うまく使って、いま、脳科学の先生ともメンタルヘルスケアの部分でも役立てられる様に、さらなる音の研究を進めています。それをどんどんワークショップにフィードバックしているような感じです。

galcidの今後の方向性として、音そのものがあるんですね。

レナ:はい、そうですね。音と絵でコラボレーションしたこともありました。音をつけて抽象画を鑑賞すると、その絵が動き出すんです。薄く入れている色が急に際立って見えたり、とかなり面白かったです。無音で絵を5分間鑑賞するのは大変だけど、音が出ると動きが出るので、ゆっくり鑑賞できて、フィードバックももらえる。音の可能性は無限だと感じています。

久師:そういうワークショップをブライアン・イーノと教育機関などでおこなおうとしています。

それは大きな目標ですね。

久師:いや、すぐにできますよ。向こうから誘ってくると思う(笑)。

レナ:海外の人はそういう話に敏感で、すぐに興味を持ってくれますね。同じことをギターとかヴァイオリンとかピアノなどのアコースティック楽器でやろうとすると、すごく制限があるんです。音色や音階が決まっていて、音のイメージが強すぎるから。でもシンセって、ノイズからメロディまで出せるから、想像の範囲が広がって鑑賞しやすいんです。私は電子音楽は他のジャンルに比べて比較的新しいものなので、様々なことができると思っています。まさに色のパレットがあり、色自体を自分で作れますからね。これからも、電子楽器を使って可能性を追求していきつつ、作品を作り続けていきたいと思います。

Bruce Springsteen - ele-king

 エレクション・イヤーにこの男が動かないはずがない。2019年に(ロックというより)「ポップ・レコード」と宣言された『ウェスタン・スターズ』を発表したブルース・スプリングスティーンが、以前から噂されていた通り、大統領選挙直前にEストリート・バンドと再び集結したロック・アルバムをリリースする。アルバム・タイトルは『レター・トゥ・ユー』、すなわち、きみへの手紙。伝えたいことがあるということだ。
 すでに発表されている先行シングルにしてタイトル・トラック “Letter to You” は、あか抜けなくて泥臭いロック・ソング。あまりにもスプリングスティーンらしい力強い曲だ。そこでボスは、明らかに自分が老齢にあることを意識しながら、いま、きみに伝えることがあるんだと繰り返す。
「きみへの手紙に、俺が見つけた困難のすべてを。きみへの手紙に、俺が知った真実のすべてを」──。

 スプリングスティーンがいま、わたしたちに伝えたいことは何だろう。『ウェスタン・スターズ』ではおそらく「リベラル」とされる陣営の外をも射程にして、アメリカの夢から滑落した人間たちの痛みや悲しみがポップ・ソングに託されていた。であるとすれば、COVID-19以降の生活基盤のあり方、ブラック・ライヴス・マターの渦中で人権と秩序のバランスをどうするかが大きな争点だとされている今年の大統領選において、「争点」などと言っていられない、ただ毎日を生き抜くのに懸命な庶民のためにこそ、いまなお残酷な資本主義経済のなかで周縁化される弱き者たちのためにこそ、『レター・トゥ・ユー』の「手紙」は綴られたのではないだろうか。そう思えてならない。
 熱い男たちの熱いロック・ソング。そんなものがとっくの昔に古くなっていることは、きっとスプリングスティーンもわかっている。だけど、時代に取り残される人間たちのことを彼はけっして忘れない。繰り返そう。2020年、ブルース・スプリングスティーンのロック・レコードがリリースされる。(木津毅)

復活! ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンド、新曲「レター・トゥ・ユー」公開!


photo by Danny Clinch

急遽10月23日緊急発売となることが発表されたブルース・スプリングスティーンが盟友Eストリート・バンドと再びタッグを組んだ待望のニューアルバム『レター・トゥ・ユー』。新作からの第一弾シングル、タイトル・トラックでもある「レター・トゥ・ユー」のビデオが公開され、雪の荒野に佇むスプリングスティーンの姿と自宅スタジオでEストリート・バンドの仲間と再会し笑顔で曲を作り上げていく姿が対照的に描かれている。映像に映し出された歌詞をもとにした、第一弾対訳が公開された。

「厳しい時代と良い時代を経験して知ったこと、それらすべてをインクと血で手紙にしたためた」「すべての恐れと迷いを受け入れ、見つけた困難なことのすべて、真実だと知ったことのすべてを手紙に入れて君に送ろう」と、この困難な時代に生きるすべての人々に贈る、ボスからの「励ましの手紙」。ボスの真摯で誠実な歌の数々とEストリート・バンドのエモーショナルなサウンドは、信頼、友情、絆という大切な気持ちを思い出させ、未来への夢と希望を与えてくれる。

米国大統領選挙直前の10月23日発売となる、2020年最重要アルバム『レター・トゥ・ユー』の再生・ご予約はこちら。
https://SonyMusicJapan.lnk.to/LetterToYou

●Bruce Springsteen - Letter To You (Official Video)
https://www.youtube.com/watch?v=AQyLEz0qy-g

●「Letter To You/レター・トゥ・ユー」

たくさんの雑種の木の下で
俺は面倒ごとを起こしてしまった
ひざまずいて祈り、ペンをひっつかみ
こうべを垂れた
俺が呼び起こそうと努めたのは
自分の心が真実と認めたものすべて
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう

厳しい時代と良い時代を経験して知ったこと
それらすべてをインクと血で手紙にしたためた
自分の魂を深く掘り下げ、名前を正しく署名した
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう

君への手紙では、俺はすべての恐れと迷いを受け入れた
君への手紙では、俺が見つけた困難なことのすべてを
君への手紙では、俺が真実だと知ったことのすべてを
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう

俺はあらゆる日差しを浴び、雨にうたれた
俺の幸せのすべてと痛みのすべて
夕闇の星と朝の青空
俺の手紙にそれを入れて君に送ろう
(訳:五十嵐正)

【作品情報】
未来への夢と希望を高らかに謳う、ボスから君への励ましの手紙。
盟友Eストリート・バンドと再びタッグを組んだ待望のロック・アルバム!

ブルース・スプリングスティーン / レター・トゥ・ユー
Bruce Springsteen / Letter To You

発売日:2020年10月23日発売予定
品番:SICP-6359 
価格:2400円+税

Bruce Springeteen featuring The E Street Band! 誰もが待っていた、これぞボス&Eストリート・バンドの王道サウンドが炸裂。彼らならではの「心臓が止まりそうなほど刺激的で、会場を大いに盛り上げる」サウンドに煽られた12曲を収録した待望のロック・アルバム。スプリングスティーンはこう語る。「エモーショナルな作品だ。Eストリート・バンドがスタジオで完全にライヴ録音したサウンドもとても気に入っている。今までやったこともなかった手法で、オーバーダブもしなかった。たった5日間で作ったアルバムが、結果として自分史上最高のレコーディング体験のひとつになったんだ」。書き下ろし新曲9曲と共に、1970年代からの伝説的だが、今まで未発表だった3曲(*)が全く新たな解釈で収録。スプリングスティーンがEストリート・バンドと演奏を共にしたのは、2016年に世界で最も成功したツアーと認定された「ザ・リバー2016」ツアー以来。

Eストリート・バンド:ロイ・ビタン、ニルス・ロフグレン、パティ・スキャルファ、ギャリー・タレント、スティーヴ・ヴァン・ザント、マックス・ワインバーグ、チャーリー・ジョルダーノ、ジェイク・クレモンズ
プロデュース:ブルース・スプリングスティーン、ロン・アニエロ
ミキシング:ボブ・クリアマウンテン マスタリング:ボブ・ラドウィック

収録曲 
01. One Minute You’re Here / ワン・ミニット・ユア・ヒア
02. Letter To You / レター・トゥ・ユー
03. Burnin’ Train / バーニン・トレイン
04. Janey Needs A Shooter / ジェイニー・ニーズ・ア・シューター *
05. Last Man Standing / ラスト・マン・スタンディング
06. The Power Of Prayer / ザ・パワー・オブ・プレイヤー
07. House Of A Thousand Guitars / ハウス・オブ・ア・サウザンド・ギターズ
08. Rainmaker / レインメイカー
09. If I Was The Priest / イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト *
10. Ghosts / ゴースツ
11. Song For Orphans / ソング・フォー・オーファンズ *
12. I’ll See You In My Dreams / アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリームズ

interview with Diggs Duke - ele-king

 ジャズ、ソウル、ヒップホップ、ロック、フォーク、ポップス、AORから、クラシックや現代音楽に至るさまざまな音楽の影響が伺えるディグス・デューク。そうした広範な音楽的要素を持ちつつも、そのどこかに限定されないオリジナリティを感じさせるのが彼の持ち味である。多大な影響を受けたというデューク・エリントンと同じデューク(公爵)を名前に持つ彼は、ほぼ独学で音楽を学んだ作曲家にしてマルチ・ミュージシャンであり、ほとんどひとりで多重録音を重ねて音楽を作ってしまうことができる。ソーシャル・ディスタンスに対応したスタイルをコロナ禍以前より持っているミュージシャンと言えるだろう。

 ジャイルス・ピーターソンのコンピに楽曲が収録されるなど、新しもの好きな音楽ファンの間ではかねてより注目を集めてきたディグス・デュークだが、作品制作は自主でおこなうなどずっとマイ・ペースの活動を続けてきたこともあり、いまひとつ実態が掴みにくいアーティストではあった。ただ、ハービー・ハンコックのようなジャズから、マーラーのようなクラシックの作曲家の作品を彼なりの解釈を交えてカヴァーしたり再構築するなど、過去の音楽に対しても実に研究心旺盛で、絶えずいろいろな刺激を注入して音楽を作っていることがわかる。多彩な楽器を操るのも、そうした好奇心から自然にマスターしていったことなのだろう。ハンドメイドの楽器まで制作しているようだ。

 そんなディグス・デュークの新作『ジャスト・ワット』のリリースに併せてインタヴューをおこなった。今回の作品では積極的にゲスト・アーティストと共演している点が特徴だが、参加ゲストは彼の周囲の日頃から懇意にしているアーティストたちで、決して話題作りのために有名どころを呼んできたわけではない。世の中の時流とか流行、レコード会社や音楽業界の流れに左右されて音楽を作っているわけではなく、あくまで自身の興味の赴くままに、本当にやりたい音楽を探求していくのがディグス・デュークなのである、ということが伝わるインタヴューとなった。

管楽器、弦楽器に関しては、耳で聴くことによって独学で演奏の仕方を学んだよ。どうやって動くのかを徹底的に調べて練習すれば、どんな楽器でもたいていは演奏することができる。

これまで『オファリング・フォー・アンクシャス』が〈ブラウンズウッド・レコーディングス〉からライセンス・リリースされたこともありますが、基本的にあなたはbandcampを中心に自主で作品をリリースしています。自身で〈フォロウィング・イズ・リーディング〉というレーベルをやっていて、外部のレコード会社に所属するとどうしてもその制約を受けるため、そうしたレーベル活動をおこなっているのかと思いますが、あなたの音楽活動や制作についてのポリシーを教えてください。

ディグス・デューク(Diggs Duke、以下DD):僕は自分がやること全てに対して絶えず新しいルールを作るようにしているんだ。作曲するたびに音楽というものに対して新たな理解が生まれるからね。〈フォロウィング・イズ・リーディング〉に関してはかなり長期的な計画を立てているよ。

ゲスト・ミュージシャンは最小限にとどめ、キーボード、ギター、ベース、ヴァイオリン、ドラムス、サックス、トランペット、クラリネットなど多くの楽器をひとりで操り、多重録音していくのがあなたのスタイルですが、これらの楽器は全て独学でマスターしたのでしょうか? 音楽学校に通っていたとか、これまで受けた音楽教育について教えてください。

DD:僕は音に対して天然の才能を持って生まれたんだ。喋りだすのと同じタイミングで歌いだしたし、5歳で父の友達からドラムのレッスンを受けはじめた。高校ではマーチングバンドでスネア・ドラムを叩いていたよ。父に言われてピアノで作曲をはじめたんだ。それで大学でいくつか作曲に関する授業を受けた。大学は卒業しなかったんだけどね。想像力を押さえつけられてしまう気がして形式にハマった学校は楽しむことができないんだ。管楽器、弦楽器に関しては、耳で聴くことによって独学で演奏の仕方を学んだよ。どうやって動くのかを徹底的に調べて練習すれば、どんな楽器でもたいていは演奏することができる。あとはもう、自分が何を聴きたいかをわかっているかどうかの問題だよね。

ジャズ、ソウル、フォーク、ロック、ポップス、ヒップホップ、ビート・ミュージック、さらにクラシックや民族音楽など、あなたの音楽にはさまざまなエッセンスが溢れています。これまで影響を受けた音楽やアーティストについて教えてください。

DD:デューク・エリントンは僕にとって最大の影響源。だから僕の音楽のキャリアを彼に捧げることにした。彼の仕事の仕方やバンドの運営方法、彼が魅せてくれる音楽が本当に好きなんだよ。もし彼のように音楽的な鍛錬を積むことができたら、この音楽業界でより長く好調なキャリアを築ける気がする。あとメンデルスゾーン、モーツァルト、マーラーにもそれぞれ違った理由で大きな敬意を抱いてる。それから動物が鳴らす音も好きだな、つねに影響を受けているよ。

2019年にリリースされた『ジャンベチューズ』という作品は、シェーンベルクやスクリャービンという19世紀から20世紀初頭における現代音楽の巨匠の作品をジャンベで再現するという、とても興味深いものでした。また2020年6月の『9』ではマーラーの “交響曲第9番” をカヴァーしていて、近年のあなたの作風はクラシック、現代音楽、そしてポスト・クラシカルなどに接近しているようです。新作の『ジャスト・ワット』についても、たとえば “コーリング・オン・マット” や “ザ・フィーリング” や “ビターズ・フォー・ビターズ” など、そうした傾向が強いように感じますが、あなた自身はそうした傾向についてどう思いますか?

DD:『ジャンベチューズ』を褒めてくれてありがとう。僕のディスコグラフィーのなかのアルバムのほとんどは自分で書いたオリジナルの楽曲や仲の良いコラボレーターと一緒に作ったものだけど、自分がライター、そして作曲家としてリサーチしたり、発展させたパーツをシェアするのも好きなんだ。
 たとえばそうだね、19世紀後半から20世紀初頭に活動したオハイオの詩人のポール・ローレンス・ダンバーの作品をたくさん音楽にしているのも、それが理由なんだ。彼の表現方法が大好きだし、それが僕なりの彼を自らの師として称える方法でもある。僕が受けてきた教育についての質問がさっきあったけど、僕はいつだって学んでいるんだ。特定の教育機関の一員として学んだことはないけどね。存命か、亡くなってしまっているかに関わらず、一度も会ったことがない人を師として仰ぐようになった。結局のところ、そこから学ぶことの方が実際に教師をつけて学ぶことよりもとても価値があるんだよ。同じようにもう亡くなってしまっているけど、スクリャービンやマーラーからも学ぶことがあった。彼らのアイデアに対する僕の解釈を通して、彼らのような作曲家の考え方と自分の作曲家としての考え方には共通した土台があることがわかった。僕がそういったリサーチに基づいたアルバムをリリースするのは、僕の学びは聴いて楽しいものであることが多くて、もはやそれ自体でアルバムとして成立することが理由かな。ジョン・コルトレーンについても同じことをしたんだよ。彼は作曲や即興演奏を発展させるためにおこなった稽古をあたかも楽曲として発表したんだ。“ジャイアント・ステップス” はもちろん面白い楽曲だけど、あれはただの稽古だったんだよ。

〈フォロウィング・イズ・リーディング〉からアルバム『テリトリーズ』をリリースするサックス奏者のジェラニ・ブルックスがアレンジで参加するほか、ジェイダ・グラントとロンという女性シンガーや、パーカッション奏者のトレイ・クラダップがサポートとして入っています。彼らはどんなミュージシャンで、どうして今回は参加してもらったのですか?

DD:僕の音楽をたくさん聴いてくれている人であれば、ジェラニのことは僕のディスコグラフィーのいたるところで見つけられるって知っていると思うよ。僕の3枚の作品、『オファリング・フォー・アンクシャス』『シヴィル・サーカス』『ジ・アッパー・ハンド』にも彼は参加してくれている。ボストンでの大学時代から何年にも渡ってライヴでも何回も一緒に演奏しているんだ。彼はもうすぐ新しいアルバムをリリースするんだけど、面白いものになっていると思うよ。このアルバムで彼は初めてドラムを叩いてくれているんだ。正直言って今作が彼がドラムを叩いているのをレコードで聞ける唯一の機会かもね。楽曲のアレンジを彼が送ってきたとき、ドラム・トラックも一緒に送ってきて、それがいい出来だなって思ったんだ。
 ジェイダ・グラントは2014年頃から一緒にやっているよ。『シヴィル・サーカス』にも参加してくれている。彼女はセントルイス出身の素晴らしいシンガーで、僕がワシントンDCに住んでいるときに出会ったんだ。ザ・デューンズっていう、いまはもう閉店してしまっているライヴ・ハウスで僕の音楽をノネットが披露する機会があってね。このパフォーマンスからの映像のいくつかはインターネットで見ることができるよ。ジェイダとは出会ってから、僕がDCにいる間ずっと一緒にパフォーマンスをしてくれたんだ。彼女は僕の音楽にとってとても大切な存在だったし、いまでもそう。彼女の声には甘さがあるでしょ。けど彼女はそれを威厳のある方法で届けるんだ。完璧なバランスだよね。
 ロンは素晴らしいプロデューサーだよ。実は彼女のアルバムを僕のレーベルからデジタル配信でリリースするんだ。昨年は彼女のビート・テープ『イエロー・ウォーターメロン』をリリースしたんだよ。彼女はとにかく素晴らしくて、折衷的なサウンドが持ち味で、プロダクションもヴォーカルもこなすんだ。ロンの声はジェイダの声によく溶け込むんだよね。ロンはハリスバーグで近所に住んでいる友達でもあるんだけど、彼女のパートはワン・テイクで録ったんだ。僕は何回もテイクを重ねるのが好きじゃなくてね。
 トレイ・クラダップはワシントンDCで出会ったもうひとりの友人だよ。このプロジェクトに参加してくれた他の人と同じように、彼とも前に仕事をしたことがあったんだ。『シヴィル・サーカス』でドラムとパーカッションを担当してくれて、ライヴでも一緒に演奏したことがある。彼のドラムには僕がいままで聞いたことのないようなサウンドがあるんだ。今作では、彼のリズムを他のリズムのサポートとして機能するように採用している。だからほとんど彼の音は聴こえないかも。だけど彼のパートを除いてしまったら空白が生まれてしまうと思う。今回参加してもらった人たちのことはこのプロジェクトに絶対参加してもらうって決めていたんだ。だから彼らに曲を聴かせて、彼らがどうやってこのプロジェクトに参加したいかを決めた時点で、もう彼らのパートはレコーディングされたようなもんだったよ。

自分が経験したり、きちんと理解した文化的な視点からしか作曲はしない。そうすることで文化を無作為にごちゃまぜにしないでいられるんだ。ある一定のレベルまでマスターしていないスタイルを手あたり次第に組み合わせる、なんてことは絶対にしない。

ほぼフィドルの爪弾きのみで綴る “ジュバ” や “ジャスト” など、ドラムレスのアコースティックな小曲があります。個人的にはキャレクシコなどのポスト・ロックを思い出したのですが、スタジオで即興的に作った曲ですか?

DD:その曲を気に入ってもらえてうれしいよ。自分で作った「Square Fiddle」という楽器を演奏しているんだ。お気に入りの楽器のひとつ。その楽器の写真を送るね。


Diggs Duke's Square Fiddle

 実はその楽曲はどちらも即興ではないんだ。各パートを何か月も実験して、練習して考えたんだよ。ソロ・パート以外は、このプロジェクトは基本的に自然発生的に作曲されたというよりはすべて事前にしっかりと作曲されているよ。

作曲についてはどのようにおこなっていますか? タイプとして即興的に楽器演奏をおこなうなかででき上がるラフなスケッチ曲と、きちんと各楽器パートを綿密に計算して多重録音をおこなっていくもののふたつがあるようですが。

DD:作曲をするときはいつも新しい作曲方法を使っているんだ。時々は似たような方法で終わるときもあるけど。だから作曲の方法がそのふたつにカテゴライズされるっていうわけではないね。僕は一日中作曲をしているから、自分の気分や、そのときいる環境がどうやって作業が終わるかに左右される。作曲方法が無限にあるから、僕にとってはコンスタントに創作活動をして、新しい音楽をリリースし続けるほうが性に合っているんだ。

楽器のチョイスはどのようにおこなっていますか? シンセのようなエレクトリックな楽器はあまり用いず、アコースティック・ピアノ、アコースティック・ギター、マンドリン、フィドル、クラリネットやオーボエなどの木管楽器によって、温もりのあるサウンドを作り出すのがあなたの作品の特徴でもあるように思いますが。

DD:MIDIでプログラミングをする以外、エレクトリックな楽器はあまり有用性があるとは思えない。作曲をするのをとても簡単にしてくれるから、MIDIでシンセサイザーのサウンドとリズム・シークエンスをプログラミングするのは大好きなんだけどね。だけどアコースティックの楽器がいとも簡単にヴァリエーションのあるサウンドを出してくれるのがとにかく好きなんだよ。

“ビターズ・フォー・ビターズ” はジャズと現代音楽の要素に加え、レイ・クラダップが演奏するトーキング・ドラムによってアフリカ音楽の要素も入ってくるという非常にユニークな曲です。この曲に見られるように、あなたの作品はいろいろな音楽的要素がありながらも、そのどれかに限定されない個性や新しさを持っていると思います。どのようにして融合の中から新しいものの創造を行っているのでしょうか?

DD:自分の音楽の印象を人から聞くのがとても好きだから、君の感想も聞けて嬉しいよ。僕は自分が経験したり、きちんと理解した文化的な視点からしか作曲はしない。そうすることで文化を無作為にごちゃまぜにしないでいられるんだ。ある一定のレベルまでマスターしていないスタイルを手あたり次第に組み合わせる、なんてことは絶対にしないようにしている。

ムビラを用いた “シーズンズ” もアフリカ音楽の要素が入った曲ですが、楽器アンサンブルは現代音楽的でもあり、非常に洗練された和声のアンサンブルもあります。あなたにとってこうした民族音楽的なモチーフはどこからやってくるのでしょうか?

DD:僕は自分のなかに既に取り込んである物事からしか影響は受けないんだ。そうでなくちゃ自分のことを盗用者や偽者としか思えなくなってしまう。経験のある作曲者は引用元となるたくさんの経験を持っている。創作や学習の過程を通して、その経験から得た視点を表現する楽曲を作るんだ。

“ハート・スマイル” は今回のアルバムの中では比較的ソウルやR&B寄りですが、それでもメインストリームの一般的なR&Bとは一線を画するものです。私個人としてはモッキーやムーン・チャイルドなどに通じるところを感じたのですが、現在の同世代のアーティストで共感を覚えるような人、影響を受けたり与えたりするような人はいますか?

DD:ボルチモア出身のマルチ・インストゥルメンタリストであり、教育者、アーティストでもある Jamal R. Moore からはここ数年自分の成長に大きな影響を受けているよ。サンフランシスコから東部へ初めて引っ越したときに彼がボルチモアの音楽シーンを紹介してくれたんだ。そこに住んでいた2年間はそのシーンにいるのがとても楽しかった。彼は時々僕にとって良き師でもある。彼は昨年『サームズ・オブ・ボルチモア』という素晴らしいアルバムをリリースしたんだ。トレイ・クラダップは彼のバンドのオーガニックス・トリオの一員でもあって、そのアルバムにも参加しているよ。僕たちはかなり近い距離で働いているんだよね。
 あと、ここハリスバーグに年上なんだけどサラディンという紳士がいる。クリエイティヴ面で大きく影響を受けているな。素晴らしい男なんだ。自分が年をとったらああいう男になるような気がしているよ。僕たちは毎週ここハリスバーグにある川で会っているんだ。彼はフルートを吹くから、一緒に練習したり話したりしている。そんな具合に自分のいるコミュニティの人たちからも影響を受けている。僕の家からすぐ近くに住んでいるジャニスという名前の女性がいるんだけど、彼女はいつも僕に音楽を続けるよう励ましてくれる。そして彼女はいつも近くにいる人たちのことも励ましてくれるんだ。その場にいるだけで音楽的で、クリエイティヴなエナジーをくれるような人っているんだよ。

現在はコロナの影響でさまざまな音楽活動も制限される状況にあります。そうしたなかで、あなたのようにひとりで完結してしまうことが多い制作スタイルは、この状況にはとてもフィットするやり方でもあるなと感じます。実際、現在はどのようにして制作活動、演奏活動などをおこなっていますか?

DD:僕はつねに新しい制作方法を考えているから、いまの世界の状況も含めて自分の前に提示されるいかなる状況にも順応することができる。君が言ってくれた僕のスタイルがいま音楽をリリースするやり方としてフィットしているという点は合っていると思うよ。自分で何でもできるから、自分のなかの規律みたいなものを世界に合わせることがより容易なんだ。

『ジャスト・ワット』を聴く人へのメッセージをお願いします。また、今後の活動やチャレンジしたいことなどがあればお願いします。

DD:僕はとてもドラマチックな人間で、つねに劇的に変化しているんだ。『ジャスト・ワット』を聴いてくれる人には僕が音楽を通して経験する変化を楽しんでほしいな。すべてのことは必ず変わっていくからね。

Shintaro Sakamoto - ele-king

 坂本慎太郎が非常事態宣言以降に書き下ろした4曲がリリースされる。2019年の「小舟(Boat)」以来となる新曲は、7インチ・シングルとして2枚に分けて発売。
 第一弾となる「好きっていう気持ち」は11月11日、第二弾「 ツバメの季節に」は12月2日、ともにzelone recordsからのリリースです。
 なお、今回のアートワークには、坂本慎太郎によるイラストレーションを活版印刷で刷ったジャケットサイズのカードが封入される。


第1弾: 2020年11月11日(水)

好きっていう気持ち / 坂本慎太郎
Side A 好きっていう気持ち (The Feeling Of Love)
Side B おぼろげナイトクラブ (Obscure Nightclub)

Written & Produced by 坂本慎太郎 
Recorded, Mixed & Mastered by 中村宗一郎 @ Peace Music, Tokyo Japan 2020

Vocals, Electric Guitar, Lap Steel, Keyboard & Vocoder: 坂本慎太郎 
Bass & Chorus: AYA
Drums, Percussion & Chorus: 菅沼雄太 
Flute: 西内徹 

●品番: zel-023
●Format: 7inch: 特別価格: ¥1,300+税 (7inch Vinyl) 特別カード(活版印刷)封入 distributed by JET SET


第2弾: 2020年12月2日(水)

ツバメの季節に / 坂本慎太郎

Side A ツバメの季節に (By Swallow Season)
Side B 歴史をいじらないで (Don't Tinker With History)

Written & Produced by 坂本慎太郎 
Recorded, Mixed & Mastered by 中村宗一郎 @ Peace Music, Tokyo Japan 2020

Vocals, Electric & Lap Steel Guitar: 坂本慎太郎 
Bass: AYA
Drums & Percussion: 菅沼雄太 
Soprano Saxophone: 西内徹 

●品番: zel-024
●Format: 7inch: 特別価格: ¥1,300+税 (7inch Vinyl) 特別カード(活版印刷)封入 distributed by JET SET

photo gallerly - ele-king

 バンクシーだけではない、コロナ禍のロンドンではグラフィティ、ストリート・アートが盛ん(?)。以下、坂本麻里子さんが送ってくれた写真をシェアします。


庶民のみなさん、前方、政治家にご注意を。


こんなでかでかと書かれてしまっては警官もたまったものではないですな。


これはマスク姿がインパクトありのカマール・ウィリアムスのポスターです。

ちなみにこれはエレキング臨時増刊号『コロナが変えた世界』の表紙候補だった写真、「コロナ・フューチャリズム」です。

Marihiko Hara - ele-king

 旅は情け人は心。去る6月に3年ぶりのアルバム『PASSION』をリリースした京都の作曲家、原摩利彦だが、同作から新たに “Via Muzio Clementi” のMVが公開されている。
 映像には1968年に撮影された素材が用いられており、ノスタルジーを誘う当時のローマやロンドン、パリ、ベルリンなどの風景は、旅することの困難な現在、彼方への想像力を大いにかきたててくれる。アルバムを〆る同曲の美しいピアノとも相性抜群です。

原 摩利彦
1968年に撮影された世界の風景映像を用いた
MV「Via Muzio Clementi」を公開。
原の祖父母が8mmフィルムに収めた旅の記録。
好評発売中の最新作『PASSION』に収録!

京都を拠点に国内外問わずポスト・クラシカルから音響的なサウンド・スケープまで、舞台・ファインアート・映画音楽など、幅広く活躍する音楽家、原摩利彦。6月にリリースされた最新作『PASSION』より、原の祖父母が1968年に海外旅行にでかけた際、8mmフィルムに残した世界各国の風景の映像を合わせた「Via Muzio Clementi」のMVが公開された。

原 摩利彦|Marihiko Hara - Via Muzio Clementi
https://www.youtube.com/watch?v=0z5bQerLCCc&feature=youtu.be

 曲名の由来となっているローマなど各国の都市を移動していく映像からは、当時の人々の飾りのないあたたかな日常が垣間見られる。そして一つ一つの風景を逃さないようカメラを構えていたであろう祖父母の感情まで感じられることができる。

ーーーMV 《Via Muzio Clementi》に寄せてーーー

 幼少の頃、祖母はリビングの壁にミノルタ社の小さな映写機でスライドフィルムを投影して、海外の風景を何度か見せてくれた。これらのフィルムは祖父母が1968年に海外旅行にでかけた際に撮影したもので、医師だった祖父の視察旅行でもあったらしく、医療施設の写真も何点かある。フィルムの入った箱には鉛筆で訪れた地名————モスコー、ロンドン、パリ、ベルリン、ローマ、ナポリ、コペンハーゲン、アムステルダム、ジュネーブ、ニューヨーク、ロス、ホノルル————が書かれていた。

 昨年、KYOTOGRAPHIE(京都国際写真祭2019)のアソシエイテッド・プログラムで何十点かのフィルムと、私が近年録音した音の旅の記録をミックスした展覧会を開いた。壁に投影した写真は、1968年の世界への窓のような気がして「Window」の語源の「Wind Eye」という言葉をタイトルにつけた。この展覧会の準備中に見つけた8mmフィルムをデジタル化して、初めて私は祖父の動いている姿を見た。どうやらライカのカメラは主に祖母が、8mmカメラは祖父が撮影していたようだ。生涯で一度だけの大旅行を少しでも多く残しておきたいと思ったのだろう。

 この曲は、アルバム『PASSION』の仕上げを兼ねて2019年夏に滞在したローマのアパートで作曲した。タイトルはそのまま滞在地のムツィオ・クレメンティ通り(「Via Muzio Clementi」)としている。風でゆれる白いカーテンと外光の差し込む落ち着いた部屋で仕事をして、史跡をめぐり、おいしいものを食べるという幸せな時間を過ごした。

 今年の夏は旅に出ることは叶わなかったが、半世紀前の旅の記録と旅の途中で作った音楽を合わせることができた。次の旅にでられるまで、去年はいなかった新しい家族とともにゆっくり待とうと思っている。

原 摩利彦

 本楽曲を収録する待望のソロ作品『PASSION』は、好評発売中! 心に沁みる叙情的な響きの中に地下水脈のように流れる「強さ」を感じさせる、原の音世界がぎゅっと詰まった全15曲を収録。マスタリングエンジニアには原も敬愛する故ヨハン・ヨハンソンが残した名盤『オルフェ』を手がけた名手フランチェスコ・ドナデッロを迎えており、作品の音にさらなる深みを与えている。また、購入特典として録り下ろしのスコット・ウォーカーの名曲「Farmer In The City」カヴァー音源をプレゼント。

森山未來出演のMV「Passion」公開中。
https://www.youtube.com/watch?v=1FeL0js8nB0

京都ロームシアターで行われた単独公演「FOR A SILENT SPACE」より、全4本のパフォーマンス映像が公開中!
https://www.youtube.com/watch?v=O2SOwZX_Bsk&list=PL6G4a22hEl9mivtKUdgCkLGb7nxZaozdl&index=2&t=0s

label: Beat Records
artist: 原 摩利彦
title: PASSION
release date: 2020.06.05 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-619 ¥2,400+税
購入特典:「Scott Walker - Farmer In The City (Covered by Marihiko Hara)」CDR

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10963

【発売中!】
https://song.link/marihikohara
TRACKLISTING:
01. Passion
02. Fontana
03. Midi
04. Desierto
05. Nocturne
06. After Rain
07. Inscape
08. Desire
09. 65290
10. Vibe
11. Landkarte
12. Stella
13. Meridian
14. Confession
15. Via Muzio Clementi

interview with Phew - ele-king

 Phewがアーカイヴ・レーベルをあまり評価していないことは、驚くにはあたらない。関西のパンク・グループだったアーント・サリーの解散後、これまで日本で出されたなかで(ついでに言うなら、それ以外のどこもすべてひっくるめたなかで)もっとも際立ったソロ・デビュー・アルバムをリリースしてからの40年、彼女には、過去の栄光を利用するという選択肢もあったはずだ。が、そのかわりにPhewは、ここ数年間、キャリアのなかでいちばん強力な音楽を制作している。それも2010年代にエレクトロニック・ミュージシャンとして注目に値する再生を遂げたあと、続けざまにだ。

 2015年に『ニュー・ワールド』をリリースしたあと、Phewが作りあげてきたのは、完全に異彩を放つもので、ドローン・シンセサイザーやスケルタルなリズムや不気味なヴォーカル・シンセが押しよせるサウンドだった。好評だった2枚の海外リリース『Light Sleep』や『Voice Hardcore』に加えて、彼女は大規模な海外ツアーをおこない、パンクの同輩であるザ・レインコーツのアナ・ダ・シルヴァとのデュオも試みている。

 Phewの最新のアルバム『Vertigo KO』〈Disciples〉には未発表音源と2017年から2019年にレコーディングされた新曲が収録されている。ライナー・ノーツでPhewが「無意識の音のスケッチ」と言い表しているこのアルバムは、私たちが生きている不安な時代において、力強く響き渡っているのだ。

実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

まず、このコロナ禍で、どのように毎日を過ごしていらっしゃいますか。

Phew:3月に全部のライヴの予定がキャンセルになってしまって、自分のペースが壊れてしまい、戸惑いもあったし、これからどうしようかと、まず思いました。非常事態宣言期間中はそのような感じでした。でも、そのペースにも慣れてきて。私はもともと家に居るのが好きなんですよ。本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり。だから、外に出られないというのは全然苦ではなくて、いまはそのペースにも慣れてきたところです。ただ、これまで通り、生活して音楽を作る日常を繰り返すということに、意識的になりました。寝て、起きて、買い物に行って、食べて、みたいなことって以前はすごく退屈だったけど、それを意識的に繰り返しています。ライヴはまだできない状態ではあるけど、できるような状況になれば、またライヴもはじめると思います。

このアルバムが発表されたときもっとも印象に残ったのは、隠されたメッセージの「なんてひどい世界、でも生き残ろう」という言葉でした。素晴らしい言葉だと感じました。

Phew:ふふふ(笑)。実はコロナは関係なくて。ここ5年くらい、日本だけじゃなくてツアー先の各地で格差が広がっているのを目にし、本当に生き辛い世界だと、思っていました。だから、「なんてひどい世界」だと、コロナ前から思っています。

最近作っている音楽、とくに5年前から作っている音楽はすごく独りぼっちで作られたイメージでした。世界から離れたところで作っているような。家に居て、家で音楽を作ることが変わってないけど、このコロナ禍が作る音楽に影響を受けているような感覚はありますか?

Phew:それは、後になってわかることだと思います。いまは本当に、日常を繰り返すこと。それを自分に決めています。むしろ、いま起こっていること、大変なことがあちこちで起こっていますけど、それにいまは反応できないですね。だけど、そこから敢えて目を背けているわけではなくて、見えているけど、敢えてネットとか時代の大きな流れに乗らない。そこに向かっていかない。時代へのアンチテーゼというか。でも、反時代って、言い換えれば、こんな現実はなかったらいいのにということですよね。いままであったこともなかったことにしたい、一方で、なかったことにはできないということを、私自身よく理解しているつもりです。いまの現実の状況は自分が集められる情報を見て、少なくとも理解しようという姿勢ではいます。その両方の感覚があるなかで、日常を繰り返して、そこで生まれてくるアイロニー、諧謔性というか、その感覚がいま、自分のなかで音楽を作るということに対するスタンスですね。

たしかに。ロンドンの〈Cafe OTO〉のTakuRokuというレーベルで、Phewさんの書いた説明と似ているところがありました。ご自身の音楽を通して、未来を描くというか。

Phew:別に音楽だけではなくて、「未来」というものはいま考えていることだから。「過去」もいま考えていることであるし。だから、決して「いま」は何もなくて、過去と未来しかないっていう言い方。「いま」っていうものはすごく空虚。だから、いま起こっていることをいま伝えることはできない。

そうですね。

Phew:だから、たいへんな状況ではありますけど、先のことって……考えても仕方ないとまでは言わないですけど、私は「未来に向かって」というような考え方はできないんですよ。せいぜい、1~2週間から2~3日という単位で具体的な予定を立てて、みたいなことくらいですね。

私、実は今日久ぶりに『ニュー・ワールド』を聴いたんです。最初に聴いたときはそのアルバムはのちの活動の入口のように感じましたが、久しぶりに聴くとむしろPhewさんが昔やっていたことに繋がっていると感じて。ある意味、『ニュー・ワールド』でいったん終止符がついたという風に感じました。いかがでしょうか?

Phew:どうなんだろう……。実は私、自分の昔の作品は聴かないんですよ。でもね、人の昔の曲を聴いていて、聴くたびに印象が変わったり、発見があるという経験はありますよね。とくに、世代的にもアンチ・ヒッピーで、私が夢中で音楽を聴きはじめてやりはじめた頃って、60年代の音楽は避けていたというか、なんてもったいないことしたんだろうと感じることはありますよね(笑)。

わかります(笑)。

Phew:ほんとに。実際に、グレイトフル・デッドも活動していたけど、耳を閉じて逃げていたというか(笑)。若いときに聴いて「これは、ヒッピーだ!」と決めつけることって間違っていましたね(笑)。でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

アンチ・ヒッピーというのはどこかで影響をうけて、そう感じるようになったんですか?

Phew:10代の頃にその光景を実際に目撃していたんですよ。60年代の戦いに負けてその後どうなったかも含めて。70年の半ばくらいのロック・ミュージックって、本当に何もなかったんです。私が中学生のとき、デヴィッド・ボウイを自分から聴きはじめたのは『アラジン・セイン』くらいからですけど、すごくギラギラでね、あとT・レックスも好きだったけど、これもぎらぎらで空っぽな感じ。日本だけかもしれないけど当時、人気があったバッド・カンパニーとかディープ・パープルとかも嫌だったんです。服装や、音楽も嫌だし、女の子向けのミーハー心をくすぐるような記事や雑誌も嫌でした。そういうものが中学生のときから好きではなかったんです。で、バッド・カンパニーのファースト・アルバムを姉が持っていて、中袋に同じレコード会社〈アイランド・レコード〉の他のアーティストのジャケット写真が載っていたんです。そこに、スパークスがあって、『キモノ・マイ・ハウス』の写真を見て、ジャケ買いしました。はじめは、すごく変な人たちがいるなという感覚だったんですが、彼らはデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』とも違うし、成功してぎらぎらになったマーク・ボランとも雰囲気が違う。聴いてみて、即、大好きになりました。ハード・ロックのディープ・パープルとかが主流ではあったけど、片隅にあった音楽を自分で探して聴くようになったのは、その辺りからですね。でも、スパークスも〈東芝EMI〉から日本盤が出ていたんですよ。それで近くのレコード屋で買うことができたんです。そこから、次第にニューヨークのパンクにも繋がっていきましたし。こんな昔話しちゃった(笑)。

いや、全然いいですよ! 『Vertigo KO』のライナーのなかで、「無意識的に音楽を作る」という言葉をよくおっしゃっていますが、音楽を作るときは意識的のときと無意識的のときの違いはどのような点にあるのでしょうか?

Phew:例えば、人から依頼があって、頼まれて仕事として、「こういうものを作って下さい」という仕事は、すごく意識的に作ります。制約もたくさんありますし。自分のソロ・アルバムのときは自由に作れるので、無意識的というか何も決めずにまず音を出して、作業を進めていきます。でも、100%無意識的というのはあり得ないことでもあって。アルバムにするためには、曲を編集したりしますから。演奏自体は半ば無意識的で、出した音によって次の音が決まってくるというやり方で音楽を作ることが多いんですけど。でも、それをパッケージにするのは極めて意識的な作業です。

でも、若いときに好きになって、いまはさらに好きだと感じるものもありますよね。クラフトワークとかはまさにそうです。ヒッピーは嫌だったけど、カンとかクラフトワークは別だと考えていました。

今作の中でレインコーツのカヴァー(2曲目“The Void”)はわりと意識的に作っていたようにも感じました。

Phew:そうです。あれはラジオ局からの依頼があって、「1979年にリリースされた曲のなかから、カヴァーしていただけませんか」という制約がありました。そのときはちょうどアナとのアルバムができたばかりの頃で、レインコーツも好きだったので、なかでもとりわけ好きだった、“THE VOID”を選びました。それをカヴァーするときはいろいろと考えました。例えば、ポストパンクやニューウェイヴの文脈でレインコーツは語られていますが、ひとつの文脈やムーヴメントとして語られることに、うんざりしているんです。私も当事者のひとりではあるけど。そう語られること、その文脈からどのように逃げ出せるか、ということを考えてカヴァー曲を録音しました。

そのカヴァーはアンナさんも聴きましたか?

Phew:はい。もちろん、すぐに送りました。

反応はどうでした?

Phew:面白がってくれました。

アナさんの新しいアルバムをリリースして、もう1枚のアルバムも作っているという話を伺いましたが……。

Phew:アルバムというか、いま、進行中のロックダウン中に作った音楽をアップするというプロジェクトがあり、そこで新作を発表すると思います。

アルバムを制作して、それと並行して海外のツアーもおこなうなかで、アナさんとのコラボレーションはどのように進化していますか?

Phew:去年はアナとツアーもしましたが、どちらかというと合間に自分のソロ・アルバムをずっと作っていました。ツアーが多かったので録音する時間をあまり作れませんでした。で、今年になってから、アナとまたコラボレーションしましょうかという話になり、6月に〈Bandcamp〉で1曲だけアップしました(“ahhh”)。本来ならば、ふたりで6月にツアーする予定だったんです。でも中止になってしまって。いまのところ、前回同様に手紙を交換するような形で制作しています。ただ、1枚のアルバムにまとめられるかどうかはちょっとわからない。それがコロナ禍以降の変化かもしれないです。
 先ほどは「未来に目標を設定にしない」と言いましたけど、アルバムを作る目標は常にあって、去年まではそれに向けて曲を作っていました。でも、今年は物流もストップしてイギリスやアメリカから荷物が届くのにすごく時間がかかるし、日本からも船便しか送れなかったり。こういった具体的な状況が積み重なって、アルバムをリリースすることを考えるのが難しくなっています。

アルバムというと、Phewさんが日本でリリースしている作品と海外でリリースしている作品がすこし解離しているように感じています。日本では『ニュー・ワールド』をリリースされていましたが、海外ではそれはほとんど知られてなかった。『Light Sleep』は編集盤で、『Voice Hardcore』は海外でも発表されていましたが日本盤とは違うし、今作の『Vertigo KO』も編集盤的だと思いました。

Phew:今作の『Vertigo KO』は、〈Disciples〉というレーベルの方がアナとのライヴを観に来てくれて、手書きのメモをもらいました。私の最近の作品をよく聴いてくれていたみたいで、音源をリリースしたいということが書かれていました。で、その次にロンドンで実際に行ったときに、レーベルの方に会って、話が進んでいきました。そのレーベルのコンセプトは、新譜ではなく未発表音源を編集してリリースするというもので、最初は、ちょっと警戒しました。未発表音源のリリースってあまり良い印象がなかったんです。80年代のレアでもないですけど、そのようなものを集めて出すというビジネスをあまり良く思っていなかったんです。でも、〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。いままでだったら、80年代のファースト・アルバムや、『アーント・サリー』、坂本龍一さんがプロデュースした最初のシングル(「終曲(フィナーレ)/うらはら」)だったりのお話が多かったんですけど、〈Disciples〉は違ったので、これは新しいなと思って(笑)。
 それで、日本に帰ってから、未発表音源を送って、向こうが選曲してきたんですよ。その選曲が新鮮で、1枚のアルバムにするために、新しい曲を2曲足しました。だから、『Vertigo KO』はレーベルとの共同作業ですね。私は自分の昔の曲を聴かないんですけど、でも聴かざるをえない状況になって、自分の曲をリミックスしているような感覚でした。それはすごく面白い体験にもなったし、レーベルの方とのやり取りで出てきたアイディアもたくさんあったし、タイトルとかも含めてね。

この経験後、また同じようなプロセスで制作したいと思われましたか? 今回だけですか?

Phew:今回のプロセスは楽しかったし、また機会があれば是非やってみたいですが、ずっと録音しているので、次は、この1年で録音したものをまとめてアルバムとしてリリースしたいです。

それは、今作の最後に出る “Hearts and Flowers”みたいな感じになりますか?

Phew:その続きのような形で1枚のアルバムを作るだけの曲はできているんですよ。でも、さっきも言ったように、いまは1枚のアナログ盤やCDなりを作って販売するは難しいし、思案しているところです。でも、自主制作でもやるつもりですけどね。来年になりますけど。

〈Disciples〉は昔のモノじゃなくて、ここ4~5年の音源、私がソロになってからの音源にすごく興味を持ってくれていたんです。「あ、これはなんか珍しいな」と思いましたね。

『Voice Hardcore』は自主レーベルでリリースされていましたが、それは意図的でしたか?

Phew:どうせどこも出してくれないだろうと自分で決めてしまったのもあったかもしれない(笑)。レーベルを探そうともしなかったし。ちょうど、ヨーロッパ・ツアーに行く前になんとか形にしたいという想いがあって、自分ひとりでやるとその辺は早いじゃないですか。どこかからリリースすると、時間が最低でも2ヶ月、3ヶ月かかるでしょ。でも、自分やると1ヶ月くらい。でも、『Voice Hardcore』を出してくれるようなレーベル日本にあったのかな(笑)。

『Voice Hardcore』の評価は海外では良かったと思いますよ。

Phew:日本でライヴをするとしても1000~2000人とかのキャパではやらないじゃないですか。小さなスペースで、お客さんの顔が見える所で日本ではライヴをやっていますけど、海外でも一緒ですね。ただ、世界中に聴いてくれる人が散らばっていることがわかって、ホッとはしました。だから、一緒かなとは思いますね(笑)。例えば、ロンドンやニューヨークで『Voice Hardcore』を評判が高かったといっても1000人や2000人のお客さんの前で演奏するわけではないし。規模としては一緒だと思いますよ。ただ、ニューヨークとかは実験音楽や即興音楽をサポートする団体や機関の選択肢が日本よりも多いという違いはありますけどね。

日本でも80年代とかは、大きな会社が実験音楽や即興音楽の文化を支援していたという印象がありますが、もしその時代だったらPhewさんが世界と交わっていなかったかもしれませんよね。

Phew:80年代は日本でいろいろなものが観れたんですよ。音楽だけではなく、演劇やダンス、現代美術、世界中のものを観るチャンスがたくさんあったんですよね。とくに東京は。お金があったから人は来たけど、それをいまに繋げられていない、そこから何も残っていないと感じています。私はその時代に生きてきたわけだけど、まさに80年代は反時代というスタンスで活動していました。その時代を見てはいたけど、渦中にはいなかった。

この話と繋がるかわかりませんが、コロナ禍になって、ライヴハウスや映画館がすごく苦しんでいますよね。実際、Phewさんも4月から5月にその件でツイートされていました。この状況のなかでライヴハウスに何か応援できることはあると思いますか?

Phew:自分にできる範囲で、ドネーションしたりグッズを買ったり、そうするしかないですよね。うーん……。休業補償は手厚くしなければならないと思います。ただ、コロナ禍で無傷な業種はほとんどなくて、ほぼ全業種じゃないですか。だから、ほそぼそと自分のできることをするしかないですね。俯瞰して語れないし、渦中でこれからどうなるのか見えない。だからこそ、私は毎日の繰り返しってすごく貴重なことに思えています。GDPが27%下落というニュースを昨日読みましたが、EUやアメリカはもっとですよね。先のことは全くわからないし、悪いことしか考えられない(笑)。短いところで、日常を続けていくしかないですよ。その日常がちょっとずつ変わっていくこともあるかもしれませんけど。
 ライヴハウスに関しては……心苦しいし、辛いですよね。自分の音楽を発表する場所としてだけではなくて、人がフランクに集まれる場所がないのは、辛いですよね。私は何よりもそういったクラブやライヴハウスの雰囲気が好きだったんです。オールナイトのイベントで3時とか4時になったらみんな床で寝ているじゃないですか(笑)。あの無防備さというか、みんな野良猫みたいで(笑)。クラブ以外ではありえない。音楽好きな人が集える安全な場所が危機に瀕しているのは辛いし、なくしてはいけないと思います。

インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)

『Voice Hardcore』に入っていた4曲目の“ナイス・ウェザー”という曲で、天気について触れられていて、今作でも天気について触れられていましたよね。私はイギリス人でイギリスでも日常会話のなかで天気の話題はよく出てくるんです。日本では天気について触れるとき、どのようなメタファーがあるんですが?

Phew:もう、天気の話しかできないんじゃないかというのはあります。ふふふ(笑)。自由に発言できるのはごく限られた場所しかなくて、ちょっとしたことでも言葉尻だけ取られて、変な風に解釈されるし。天気だったら大丈夫だろうと(笑)。季節の移り変わりについて語ることは、誰も文句をつけられないでしょう。イギリスの場合だとわりと早い段階から多様な人たちが共存してきた国ですし、文化の違う人たちが一緒に住んでいて、一番安全な話題が天気だと解釈されているということはありませんか?

イギリスではすぐ政治の話をする人が多くて、その点で日本との違いがありますが、一番安全な話題として天気があることは共通していると思います。

Phew:政治の話とかは顔が見える人とはできますけど、公に向かって話したくはないと思います。

Phewさんは単刀直入な方だと思っていました。それはインタヴューだけでしたか。

Phew:インタヴューは少なくともインタヴュアーの顔が見えて、質問があって、一生懸命答えています。でも、私は顔の見えない人に向かっては何も言うつもりはないです(笑)。それに、顔の見えない人に向かって発せられたメッセージは政治家であれ、アーティストであれ、その言葉は一切聞くつもりはないですね(笑)。聞かないです。

良いポリシーだと思います(笑)。では、ここで終わりにしましょうか。

Phew:はい。またどこかで直接お会いできたらと思います。ありがとうございます。

(8月19日、skypeにて)

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Interview/translation: James Hadfield

It comes as no surprise to discover that Phew doesn’t think much of archival labels. Four decades after she emerged with Osaka punk group Aunt Sally, then released one of the most striking solo debuts ever to come out of Japan (or anywhere else, for that matter), she could easily have chosen to cash in on past glories. Instead, she’s spent the past few years making some of the most potent music of her career, following her remarkable rebirth as a solo electronic musician in the 2010s. Since the release of “A New World” in 2015, Phew has created an utterly distinctive sound, defined by synthesizer drones, skeletal rhythms and eerie vocal swarms. In addition to two well-received international releases, “Light Sleep” and “Voice Hardcore,” she’s toured extensively overseas, including in a duo with fellow punk survivor Ana da Silva, of The Raincoats. Phew’s latest collection, “Vertigo KO” (Disciples), compiles unreleased material and a couple of new tracks, recorded between 2017 and 2019. In the liner notes, she describes it as an “unconscious sound sketch,” and it resonates powerfully with the uneasy times we’re living in.

JH:How have you been spending your time during during the pandemic?

PHEW:All my live dates were cancelled in March, which knocked me off my stride. While the state of emergency was in effect in Japan, there were times when I felt confused, and wasn’t sure what to do with myself. I’m already accustomed to living like this, though. I like being at home―reading books, listening to music, watching films―so not being able to go out hasn’t been so hard. But it’s made me really conscious of how I was spending my everyday life. All those daily routines that used to bore me, like sleeping, getting dressed, shopping and eating―I’m doing them more intentionally now. I’d like to start playing gigs again too, once that becomes possible, though we’re not quite there yet.

JH:When “Vertigo KO” was announced, I was really struck by what you described as the album’s hidden message: “What a terrible world we live in, but let’s survive.” It felt like a wonderful way of putting it.

PHEW:(Laughs) In fact, that doesn’t have anything to do with the coronavirus. For the past five years or so, I’ve seen for myself how disparities are widening―not just in Japan, but also in places I’ve visited on tour―and this left me feeling that it’s a really hard world to live in. I was already thinking “what a terrible world” before the coronavirus came along.

JH:I feel like your music―especially your recent work―evokes a strong sense of solitude, like it’s being created in isolation from the world. You were already making music at home before the pandemic, but are you aware of it influencing your work in other ways?

PHEW:I think I’ll realise that further down the line. I’m just taking one day at a time―that’s what I’ve decided to do. There are lots of awful things happening at the moment, but I can’t respond to them right away. That’s not to say that I’m averting my eyes from all of that: I know what’s going on in the world, I’m just not getting too caught up in the current moment. It’s like (I’m creating) an antithesis to the era. Then again, rejecting the present is like saying you wish reality was different, and I appreciate it’s impossible to change what’s already happened. So I take a position of trying to understand at least something about the current state of the world, based on information I can gather myself. I’m maintaining these two forms of awareness as I go about my daily life, and the irony and humour that comes from that is reflected in the music I make. (Laughs) Did you get all that?

JH:I think perhaps this ties in with what you said about your release for Cafe OTO’s TakuRoku label (“Can you keep it down, please?”)―about how you’re creating your own future through your music?

PHEW:That’s because I’m thinking about the future at the moment, not just in relation to music. I think about the past, too. There’s no “now”: just the past and the future. What we call “now” is really a void. That’s why I can’t convey now what’s happening now.

JH:Right…

PHEW:So even though things are bad… I don’t want to say you can’t help what happens, but I can’t think too much about the future. I’m only able to make definite plans a few weeks ahead, or even only a few days.

JH:I went back to “A New World” this morning, for the first time in a while. I’d thought of that album as a gateway to the music you’ve created since, but revisiting it now, I felt it had a stronger connection with your past. In some senses, it's like it was marking the end of something, rather than the beginning. Would you agree with that?

PHEW:I wonder about that… I don’t listen to my old releases, but I’ve had times when my impressions of other people’s music have changed, and I’ve discovered something new. I’m from the “anti hippy” generation, so when I first started getting obsessed about music, I particularly avoided stuff from the 1960s. I’ve come to realize that was a real waste. (Laughs)

JH:I know what you mean!

PHEW:Seriously! The Grateful Dead were active at the time, but I’d closed my ears to it. When I was young, I jumped to the conclusion that it was all hippy music, which was a mistake. But there are things I liked when I was younger that I like even more now. That’s definitely true of Kraftwerk. I hated hippies, but Can and Kraftwerk were different.

JH:Was that anti-hippy stance something you absorbed from others, or did you come upon it by yourself?

PHEW:I’d seen everything with my own eyes as a teenager: how the battles of the 1960s ended in defeat. Rock music during the first half of the 1970s didn’t do anything for me. David Bowie dazzled me when I first heard him at junior high; I think it was around “Aladdin Sane.” I got into T-Rex, which was also dazzling, but totally empty. Maybe this was just a Japan thing, but Bad Company and Deep Purple were really popular here at the time, and I hated them! I hated the clothes, the music, the way they were marketed to girls with these titillating articles in the music press. I haven’t liked that since I was at junior high. My older sister had a copy of Bad Company’s first album, on Island Records, and there was an insert introducing the label’s other artists. There was a photo of Sparks’ “Kimono My House,” and I bought it based on the album cover. My first impression was that they were real oddballs: they weren’t like Bowie, they had a different vibe from Bolan’s glittery thing. When I listened to them, it clicked immediately. The mainstream at the time was hard rock like Deep Purple, but I started searching out music in the corners. Sparks were released in Japan, too. I was able to find them at my local record shop, and then that tied in with the New York punk scene. Sorry, I’m just rambling on about the past!

JH:No, it’s fine! In the liner notes for “Vertigo KO,” you talk at a few points about making music unconsciously, or without thinking. Can you tell me a bit about that distinction?

PHEW:For instance, if someone asks me to make something, it will be a very conscious process. There are a lot of constraints, too. When I’m making a solo album, I can work freely, so it becomes more unconscious, making sounds without deciding anything in advance. But it’s impossible to make something completely without conscious input, because I’ll still be editing tracks in order to make an album. The performance itself is partly unconscious; a lot of times, I’ll let the sound dictate what comes next. But when I have to turn that into a finished package, obviously that becomes a conscious act of creation.

JH:I take it that the Raincoats cover on the album (“The Void”) is an example of a consciously created track?

PHEW:That’s right. It was a request from a radio show, which asked me to cover a song that was released in 1979. I’d just done the album with Ana, and I liked The Raincoats, so I picked one of their songs which I was particularly of fond of, “The Void.” I put a lot of thought into how I’d cover it. For instance, The Raincoats are talked about in terms of post-punk and new wave, but I find it so boring when things are always framed in the same way―and this has happened with me as well. So when I covered the song, I was looking for a way to liberate it from that particular context.

JH:Has Ana heard it?

PHEW:Yes, I sent it to her right away.

JH:What did she think?

PHEW:She appreciated it.

JH:You’ve already released one album with Ana, and I saw that you had another one in the works…

PHEW:I’m not sure you’d call it an album. We’re doing a project at the moment where we’re uploading tracks created during lockdown, and I think we’ll compile those into a release.

JH:How has the collaboration evolved in the course of working and touring together?

PHEW:I toured with Ana last year, but my main focus was working on my solo album. I didn’t have much time for recording, as I was touring so much. We started talking about doing another collaboration earlier this year, and we uploaded a track to Bandcamp in June (“ahhh”). We’d originally planned to go on tour in Europe during June, but that got cancelled. At the moment, we’re sending files back and forth to each other, like we’re exchanging letters. I can’t really say if it will lead to a standalone album. Maybe that’s one thing that’s changed since the start of the pandemic. I was talking earlier about not setting goals for the future, but until last year, it was normal for me to work towards making an album, and I’d create music with that in mind. But physical distribution has ground to a halt this year: it takes forever for deliveries to arrive from the UK and US, and you can only send things via surface mail from Japan. Given the facts of the situation, it feels hard to think about releasing an album right now.

JH:Speaking of albums: there are some variations between the releases you’ve put out in Japan and internationally. “A New World” came out here, but not many people overseas seem to have heard of it. “Light Sleep” was a compilation, the international edition of “Voice Hardcore” is different from the Japanese one, and “Vertigo KO” is also kind of a compilation…

PHEW:Right, right. “Vertigo KO” started when the guy from Disciples came to watch Ana and me play, and slipped me a hand-written note. He’d been listening a lot to my recent work, and said he wanted to release some of my recordings. The next time I went to London, we met up and talked about it. The label’s concept is to release collections of unreleased recordings, rather than new material, so I initially had some reservations. I didn’t have a good impression of archival releases. Even if it’s not rarities from the 1980s (laughs), I don’t think much of releasing that kind of stuff as a business. But Disciples weren’t talking about music from a long time ago: they were interested in the solo material I’d recorded over the past 4 or 5 years, which was unusual. Up until then, I’d had lots of people ask about my first album (“Phew”), Aunt Sally, or my debut single that Ryuichi Sakamoto produced (“Finale”), but Disciples were different―which was a change! When I got back to Japan, I sent them some unreleased recordings and they decided the track selection. The tracks they picked felt fresh, and since it was going to be an album, I threw in a couple of new songs. So it’s really a collaboration with the label. Like I said earlier, I don’t listen to my old music, but in this case it couldn’t be helped, and it turned out to be a really interesting experience: it was like remixing my past. A lot of ideas came out during my exchanges with the label, the album title included.

JH:So do you think you’d like to do the same sort of thing again, or was it a one-off?

PHEW:I enjoyed the process this time, and I’d happily do it again given the chance, but what I really want to do now is release an album of the new material I’ve recorded over the past year.

JH:Is that going to be in the vein of “Hearts and Flowers” (the closing track on “Vertigo KO,” which Phew has described as the genesis for her next album), or something different?

PHEW:I have an album’s worth of material that’s like a continuation of that. But like I was saying earlier, it’s hard to make and sell records and CDs at the moment, so I’m still weighing up my options. I’m planning to self-release something, but that won’t be until next year.

JH:Out of interest, was your decision to self-release “Voice Hardcore” in Japan made out of necessity or choice?

PHEW:I think I’d probably come to the conclusion that nobody was going to release it for me! I didn’t even try looking for a label. I wanted to put something together before I went on tour in Europe, and figured it would be quicker to release it myself. When you release something through a label, it’s going to take a minimum of two or three months, but I could cut that down to a month or so if I did it myself. I’m not sure there were any labels in Japan that would have released “Voice Hardcore.” (Laughs)

JH:I wonder about that. It seemed to get a really good response overseas.

PHEW:When I do shows in Japan, it’s not like I’m playing at 1,000 or 2,000 capacity venues, is it? I’m doing gigs at places that are small enough for me to see the audience’s faces, and it’s the same in other countries. It was a relief to realise that there were people who’d listen to my music scattered all over the world. So it’s not a question of Japan being better or worse: I think it’s the same everywhere! Even if “Voice Hardcore” got a good reception in London or New York, I’m not going to be performing in front of 1,000 or 2,000 people over there. I think the scale is the same. The main difference is that in places like New York, there are more funding options from groups and organizations that support experimental and improvised music than in Japan.

JH:I have the impression that there was a lot more corporate sponsorship available in the 1980s in Japan, but I guess you weren’t associating much with that world at the time?

PHEW:You could see all kinds of stuff in Japan in the 1980s. There were lots of opportunities to experience culture from around the world―not just music, but also theatre, dance and contemporary art, especially in Tokyo. During the Bubble era, there was the money to bring people over, but I don’t feel like it left any kind of legacy: there’s no connection with what’s happening now. I lived through that whole period, but during the 1980s I was living in opposition to the era. I could see what was going on, but I kept my distance.

JH:I’m not sure if this is related, but venues and cinemas have been really struggling during the coronavirus pandemic. You were posting about this on Twitter back in April and May, but do you think there’s more that should be done to support them?

PHEW:I’m not sure there’s much I can do personally, besides making donations and buying merchandise. I think there has to be more financial assistance, but there are hardly any industries that haven’t been affected by the pandemic―it’s basically hit everyone, hasn’t it? We all just have to do what we can to scrape by. It’s hard to take a broader view: we’re so caught up in the midst of this that we can’t see what will come next. That’s why I’m treasuring daily life so much. I saw yesterday that Japan’s GDP had dropped 27%, and it’s even worse in the EU and US. I have no idea what’s going to happen next… and all the possibilities I can think of are bad! (Laughs) For now, all I can do is carry on with my daily life, although that might gradually change over time. With live venues, my heart goes out to them―it’s really tough. They aren’t just places for showcasing your own music: it’s hard not having somewhere for people to gather informally. More than anything, I’ve always liked the atmosphere of clubs and live venues. When it’s an all-night event, by 3 or 4 in the morning, everyone’s sleeping on the floor, right? They’re so defenceless: everyone looks like stray cats! (Laughs) That wouldn’t happen anywhere else, except at a club. It’s painful seeing these safe spaces for music lovers in such a critical state, and we can’t let them disappear.

JH:Finally: this is a weird question, but my favourite track from “Voice Hardcore” is “Nice Weather,” which features pleasantries about the weather (“Nothing happened / The weather was nice”), and you return to the theme again on this album. I’m from the UK, and it’s a regular topic of conversation there too, but what do you think Japanese people are really talking about when they talk about the weather?

PHEW:It’s like we’re not able to talk about anything other than the weather! There are only limited opportunities for people to speak freely, and the smallest thing might be misunderstood or taken out of context. It’s safe to stick to the weather, or the changing seasons. (Laughs) Nobody’s going to take issue with that! With the UK, you’ve got quite a long history of people from different cultures living together, so perhaps the weather is the safest topic of conversation?

JH:I think there’s something to that. One difference with Japan is that people in the UK are more willing to talk about politics, but I’d agree that it’s safest to stick to the weather.

PHEW:I’m happy talking politics face to face, but I don’t want to make public pronouncements about it.

JH:I thought you were pretty direct about those things. Or is that just in interviews?

PHEW:With interviews, if I can at least see the person I’m talking to, then if they ask me about these things, I’ll give them a straight answer. But I don’t want to say anything to someone I can’t see. When people start addressing messages to an invisible audience, whether it’s politicians or artists, I tune them out. (Laughs) I won’t listen!

JH:I think that’s a good policy! Shall we wrap things up here?

PHEW:I hope we’re able to see each other in person next time! Thank you.

Tatsuhisa Yamamoto - ele-king

 ジャズ、実験音楽、ロック、エレクトロニック……などなど、あらゆる尖っている音楽シーンで引っ張りだこの前衛ドラマー、山本達久。石橋英子、坂田明、ジム・オルーク、青葉市子、UA、七尾旅人などのバックも務め、カフカ鼾のメンバーとしても活動している。
 先日、9月/10月と山本達久が自身初となるソロ・アルバムを2枚連続でリリースすることが発表された。
 まずは9月18日にオーストラリの実験派オーレン・アンバーチの〈Black Truffle〉から『ashioto』。
 10月7日には日本の〈NEWHERE MUSIC〉から『ashiato』。

KURANAKA 1945 × GOTH-TRAD × OLIVE OIL - ele-king

 KURANAKA a.k.a 1945 主催のパーティ《Zettai-Mu》が9月13日に梅田 NOON にて開催される。GOTH-TRAD、OLIVE OIL、mileZ ら豪華な面々が出演。5月にはライヴ・ストリーミングで「Zettai-At-Ho-Mu」が開催されていたが、今回はリアルに会場へと足を運ぶもの。コロナ時代における音楽やダンス、クラブのあり方を探っていくイヴェントになりそうだ。感染拡大防止対策をとりつつ、ぜひ参加してみてください。

the perfect me - ele-king

 ポップスというものの面白い一面に、構築的に作り込めば作り込むほどに、その音楽の表面部が研磨されていき、総体としてのフック(のようなもの)が後景に遠のいてしまうというのがある。こういう抽象的な言い方でピンとこないなら、例えば(特に『Aja』以降の)スティーリー・ダンの音楽について考えてもらうとわかりやすいかもしれない。ハーモニー、メロディー、リズム……それらの綿密な配置を司ろうとする「偏執的作家性」のようなものは、通常それが意識的な聴取によって発見されるまでは、「スムース」で「ポップ」な印象の中に大人しげに匿われることになる。もちろんスティーリー・ダンのふたりは、そのあたりのメカニズムにも通じているがゆえ、ハッとするほどに反構築(脱構築ではない)的な音の引き算をおこなったり、ときに異様ともおもえるほどあからさまに(それこそが彼らのルーツにジャズがあることを教えてくれるのだが)、個々の奏者の極めて一回的で火花散るようなプレイを焚べたりして、その「スムース&ポップ」を内側から壊そうとしもしたのだが。

 福岡を拠点に活動する若きミュージシャン/エンジニア Takumi Nishimura によるユニット the perfect me のセカンド・アルバム『Thus spoke gentle machine』は、彼にとっての初のソロ編成作品でもあり、その幅広い音楽性を思うさま開陳したような快作だ。ユニット名の由来は、かつて来日公演時にサポート・アクトを努めたことのある米バンド Deerhoof の曲名から。その Deerhoof をはじめとしたアヴァンなUSインディ・ロック系アクトや、その少し前の時代に全盛を迎えたポストロック系バンド、あるいはそのもっと前のオルタナ系バンドやニューウェーヴ/ポストロック、さらにはクラウトロックまでをもぐるりと視界に収めようとする折り目正しい内容は、それだけで既に、熱心なインディ・ミュージック・ファンを唸らせるに十分なものだろう。
 ステレオラブ、ハイ・ラマズ、トータス、コーネリアス、トクマルシューゴ、ロバート・ワイアット、吉村弘、10cc、ビーチボーイズ、ビートルズ、ヴァン・ダイク・パークス、ベック、ヴァニラ・ファッジ、初期ディープ・パープル、toe、ダフト・パンク、ウルフペック、ルイス・コール……各曲を聞きながら去来する様々な固有名詞が寄せては消える様は、この作品が確実に真摯な音楽愛好家によって仕立て上げられた音楽愛好家のための音楽であることを告げているが、どうやらそういう「いろいろな音楽の繚乱」を嬉しがるだけの評価に押し込めることのできない特異な煌めきがあるようだ。わかりやすく言うなら、単なる「優れた編集センス」の向こう側、というか……。

 それを読み解く鍵こそはおそらく、彼がフェイヴァリットとして上げているスティーリー・ダンの手法に通じる何かなのではないだろうか。実際、M2. “two colors expressway (album ver)” や、M14. “drive in the basement car park” は、その複雑な和音進行や構成、フレーズ的な類似からしても、かなりスティーリー・ダンっぽいともいえる。昨今、AOR風の意匠を纏うサウンドは溢れ尽くしているわけだが、スティーリー・ダンという高難度のそれに挑戦するという時点で奇特だといっていい(世界を見回せば決して珍しいというわけではないが、満足の行く習熟度で取り入れている例となるとかなり稀に思う)。
 そうしたスティーリー・ダンへの顕示的な類似にもまして感じ取りたいのは、冒頭に述べたような、構築的な手法を追求することで自然と立ち現れてしまう「ポップ&スムース」なテクスチャーに対してどうやら Perfect Me はかなり自覚的な「内部からの攻撃」を仕掛けているふうだ、ということだ。
 まずそれは、(まさにスティーリー・ダンがそうだったように)上述2曲風の曲における個々の演奏へのクローズアップに見出すことが可能だろう。ゲスト参加した Sohei Okamoto によるディーン・パークスやデヴィッド・スピノザがごときギターソロは、あきらかにこの「品の良いオルタナ風の」アルバムの中では(すごく良い意味で)浮きまくっているし、また、曲ごとに加わる白根賢一(GREAT 3, manmancers)、高桑圭(Curly Giraffe)という手練のリズム隊の「熱い」プレイにも、そういう「内部からの攻撃」を嗅ぎ取ることができるだろう。もしかすると、こうしたオルタナティヴ経由のプレイアビリティの表出を指して、コンテンポラリーなジャズとの共振を感じとることもできるかもしれない。

 さて、このアルバムを「スムース&ポップ」の淵へ落とさせないもうひとつの重要な要素がなにかと問われるなら、ずばり、このアルバムの中盤部、特にM5~8へと向けて展開される「ロック」的意匠の奔出にあるのではないだろうか、と応えたい。事実、私が最も楽しんだのがこのパートで、かなり大胆なUKロック的要素(あえて具体名を出すなら、ザ・ストーン・ローゼズとか、ブラーとか)を感じたのである。私見混じりになってしまうが、こうした要素を、先のスティーリー・ダン的メロウネスや甘やかなチェンバー・ポップ~アヴァン・ポップ的な要素と同居させた例を寡聞にして他にしらなく、新世代の屈託のなさだね、といい切ってしまうのを留まらせる鈍色の異様さを放っているように思えた。わかりやすく言うなら、これらはいまもっとも「スムース&ポップ」という感触から遠いものなのではないか?
 スリージーなギター・サウンドやブルージー(とあえていわせてほしい)な歌唱が収まりの悪そうに(繰り返すが、それがなにより素晴らしい)アルバムの中腹部にその腰をデンと下ろす時、いきなりロックという重心点が「オルタナティヴ」という地平線の向こう側から突然現れ、他の「スムース&ポップ」的安寧をグリグリと揺るがしてくるようなのだ。

 そういえば、スティーリー・ダンをAORと評すると怒り出す人がいるらしいけれど、たしかに、仮に本作を「聞き心地の良いオルタナ風アヴァン・ポップ」とか形容している人を見つけたら、私も軽く憤ってしまうかもしれない。一見「よくできた」「心地よい」音楽は、肌を優しく撫でるようにみえて、そこに隠された棘がしたたかに痛点をついてくることもある。

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