みなさんこんにちは。一年は早いもので、もう年末です。海外ゲーム市場も10月~12月はホリデー・シーズンといって、その年の目玉を中心に、数多くのゲームが集中的にリリースされる時期です。当然ゲーマーとしてもいまは一年でいちばん遊びまくる時期。それもあってこれから数回は新作を連続で紹介していくことになりそうです。
今回ご紹介するのは10月にPCゲームとして発売された『Hotline Miami』。知り合いに薦められて遊んでみたのですが、これがすごく良かった。ゲームプレイ、物語、ビジュアルや音楽ともに文句なしで、今年遊んだなかでも屈指の満足度でした。ただ暴力表現が激しい作品なので、そういうのが苦手な人は注意です。
この『Hotline Miami』は区分としては前回ご紹介した『Fez』と同じくインディーズのゲームなのですが、『Fez』がいわばインディーズ内におけるメジャーな立ち位置なのに対し、本作はインディーズ内においてもマイナーな存在と言えるでしょう。かくいう自分も本作を開発した〈Dennaton Games〉なんて知らなかったし、同スタジオの中心人物のひとり、“Cactus”ことJonatan Söderström氏のことももちろん知りませんでした。
Cactusはスウェーデンで活動するゲーム・クリエイター。猛烈な多作ぶりで知られており、その数なんと40作以上! とはいえ、それらには一般的な意味での作り込みは皆無で、とにかくワン・アイディアのプリミティヴなゲーム・デザインをそのまますばやく形にすることを信条にしているのだとか。彼の公式HPを訪れると、荒削りのドットと極彩色で形成されたゲームの数々に触れることができます。
Cactusの過去作の映像。後の『Hotline Miami』につながるセンスを感じさせる。
もっともこれまでの知名度はインディーズ・ゲーム界でも知る人ぞ知るという感じで、大舞台に出てくることはなかったようです。しかし今回の『Hotline Miami』の開発では、かつて上記映像にもある『Keyboard Drumset Fucking Werewolf 』をともに作ったDennis Wedin氏と合流し、〈Dennaton Games〉を設立。パブリッシャーにDevolver Digitalを据えて、満を持しての商業デビューを飾ったのです。
[[SplitPage]]■現代に蘇った暴力ゲーム
そんな経緯から生まれた『Hotline Miami』は、これまでの下積みの厚さを感じさせるすばらしい出来栄えです。とくに過去作で多々見られた極彩色のエフェクトと偏執的な作風が、「80年代風サイコスリラー」というコンセプトに結実しており、その明快さが全体の完成度の高さにつながっていると言えます。今回はそれをさらに暴力表現、ゲームプレイ、物語の3点に噛み砕いて見ていきましょう。
ゲームのタイプとしては8ビット・スタイルの見下ろし型のアクション・ゲームで、ひたすら敵を倒していくだけのシンプルなもの。この部分だけ抜き出して見れば、凡百のレトロ調インディーズ・ゲームと大差ありません。しかしながら血出まくり・惨すぎ・殺しまくりな猛烈なヴァイオレンス表現は近年見ない異質なもので、さらに眩いネオンやゆらゆら揺れるエフェクト、それにハイテンションな音楽が加わると、その体験はまさにサイコ或いはドラッギーという形容詞で言い表す以外にない強烈なものとなります。
ゲーム序盤の様子。ハイスピードで展開されるゲームに血とネオンと音の洪水。
このような作風を見て真っ先に思い出すのが、かつて〈Rockstar Games〉が開発した『Grand Theft Auto: Vice City』か、あるいは『Manhunt』という作品。とくにタイトルからして物騒な『Manhunt』はスナッフ・フィルムの都市伝説をゲーム化した作品で、残虐な方法で敵を殺せば殺すほど高得点が得られるという狂った内容。シチュエーションから映像表現、ゲーム性まで『Hotline Miami』が影響を受けていることは明らかです。
『Manhunt』より。いままさに人を狩らんとするところ。ここから先はグロ過ぎるのでお見せできません!
少し話が逸れますが、この手の作品は暴力ゲームと呼ばれ、ひと昔前までは少数ながらつねに存在していたジャンルです。しかし発売されるたびに世界各国で発禁処分になったり、ゲームは犯罪を助長する云々の論争の槍玉に挙げられたりと、なにかと物議をかもすジャンルでもありました。
ここにはゲーム表現の限界や、超えてはならない倫理の壁といった命題がつねにあり、単なる愉快犯的な作品もあれば(大半はそれなんだけど)問題提起的な側面を備えた作品も存在して、独特の熱さがあったのです。ただ近年はそういった従来の事情とは別に、元々のニッチさが開発規模の巨大化の割に合わなくなってきたという商売上の問題から、廃れてきてしまっているように思えます。
〈Rockstar〉もいまでこそ落ち着いた感がありますが、かつては『Manhunt』にしろ『Grand Theft Auto IV』以前の同シリーズにしろ、容赦ないセクシャル&ヴァイオレンス表現の常習犯だったのです。ただ〈Rockstar〉の場合はそんな暴力表現のなかに、いまの作風にも見られるセンスの良さが共存していて、それが独特の魅力やブランド性をかたち作っていました。
『Hotline Miami』はそんな途絶えつつある文脈の上に立っている作品です。パッと見こそ荒削りの8ビット調ですが、それでも過剰な暴力は確かに表現されており、むしろ見た目の抽象性があらぬ想像力を掻き立てさえします。そして数々のエフェクトと音楽、80年代風で妙にハイ・テンションな雰囲気が織り成すインモラルなクールさは、まさにかつての〈Rockstar〉を引き継いでいると言えましょう。
■目くるめく殺しのルーティン・ワーク
暴力ゲームと呼ばれるものは、実際のところそのセンセーショナルさに頼ってゲーム性をおざなりにしてしまったり、暴力表現の必然性の証明、ゲーム・プレイとの一致という部分で問題を抱えることが多いです。しかし『Hotline Miami』はその命題に、たしかな完成度と巧妙なトリックで応えています。
本作のゲーム・ルールについて改めて説明すると、これは建物内にいる敵を倒していくアクション・ゲームで、プレイヤーは敵の落とした近接武器や銃器をとっかえひっかえしながら殲滅を目指します。具体的な様子は前項の映像にあるとおりで、幕間の日常シーンを含めても1ステージ3分に満たない、非常にハイ・スピードでインスタントなゲーム性が特徴です。
ただしそれはノー・ミスでクリアできればの話であって、よっぽど慣れた人でもないかぎり、まずゲーム・オーヴァーになりまくります。なにせ敵の攻撃はすべて一撃死。反応もはやいし、複数人固まっているのが普通なので、何も考えずに突っ込めば間違いなく死ぬし、考えてもやっぱり死ぬ。
殺っては殺られてまた殺って・・・
なので、プレイヤーは幾度となくゲーム・オーヴァーになりながら敵の配置を覚え、パターンを構築してクリアを目指すことになります。こういうゲームを一般的には”覚えゲー”と言いますが、クリア時の達成感とゲーム・オーヴァーの連続によるストレスとのさじ加減が難しいゲーム・システムでもあります。
しかし本作はチェック・ポイントの感覚が絶妙で、且つやられても本当に一瞬、0.5秒ぐらいでやり直せるのがうまいストレス緩和になっていますね。敵を倒すのが爽快なのも、リトライのモチヴェーションになってくる。
また敵を倒すというシンプルな目的ながら、発見されずに近づくというステルス要素もあれば、見つかった後どう捌くかというアクション要素もあり、そのアクションも近接武器を使うか銃器を使うかで事情はまったく変わってきます。そして何よりこれらがハイ・スピードなゲーム・プレイのなかで渾然一体となっているのがとてもおもしろい。
ステルスとアクションのハイブリット作品というのはいまではなんら珍しいものではありません。ただ僕がいままで遊んできた作品はどれも、敵に見つかるまではステルス、見つかった後はずっとアクションという具合に、両者の境界とゲーム・プレイの差異は明確に線引きされていました。
しかし『Hotline Miami』にはそのゲーム・プレイがシフトする境界というものがありません。と言うよりも目まぐるしく変わりまくる。映像を見ていただくとわかりますが、敵への接近から攻撃までが本当に一瞬の出来ごとで、ステルスしている1秒後には殴り合いになり得るし、さらにその1秒後には倒した敵の銃を奪って遠方の敵を狙い撃っていることも普通にあるのです。これらが継ぎ目なくシームレス移行しつづけていくゲームというものは、いままでにない体験でした。
当然、操作中はなかなかの忙しさになるので、パターン化が重要になってきます。敵を殺しまくっては殺されて、より最適なパターンを導き出すため、さらに殺して殺されまくる。殺されまくってイライラが募ろうとも、それさえも糧にして再び挑む。それだけの中毒性が本作にはあるのです。
そしてこの何度もリトライをする、せざるを得ないゲーム・メカニックが、じつは本作の物語、ひいては暴力表現の正当化につながる巧妙なトリックにもなっているのです。
[[SplitPage]]■『Hotline Miami』はプレイヤーを道づれにする
なぜ何度繰り返してでも殺しをつづけるのか、その果てに何を求めているのか、またなぜ何度も繰り返すことができるのか。これが『Hotline Miami』の物語における、重要なテーマになっています。
本作の物語開始時の設定は、ガール・フレンドを殺された主人公が復讐のため留守番電話の謎のメッセージに従いながら、暗黒街の殲滅を行っていくというもの。しかし程なくして殺されたというガール・フレンドとの出会いの場面が出てきて(上記プレイ動画の後半)設定に矛盾を感じさせたり、中盤以降は日常パートで頻繁に幻覚が出てくるなど混迷の色を濃くしていきます。
ステージ前後に挟まれる日常パートはストーリーを読み解く重要な場面だ
その末にどのような結末をたどるのかは、ネタバレになるのでここでは書くことはできません。しかしたしかに言えることは、主人公が終始抱いていた復讐願望に、何度リトライしてでもクリアしたいプレイヤーの願望が重ね合わせられている節があるということですね。
要はプレイヤーは主人公の共犯者に仕立て上げらてしまうわけです。本作は主人公のことを最終的に哀れで空虚な存在として描いている。それはつまり、クリアを妄執するプレイヤーのことをも同様に断罪しているのです。否定しようにも、何度もリトライを重ね、その度に暴力が振るわれることを是認し、その末にクリアしたという事実が言い逃れを許さない。お前もこの主人公と同じ、妄執に生きる哀れな存在だ、このゲームの暴力に意味があろうがなかろうが、ここまでクリアした時点でお前に意見する資格はないんだ! という具合です。
容赦なくプレイヤーの努力を踏みにじるこの結末は、かつての『BioShock』でAndrew Ryanに対峙する場面、あるいはもっと古い作品なら『たけしの挑戦状』でクリア後に「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」と言われることに匹敵するメタな手のひら返しと言えましょう。
それでも、いやそれだからこそ、僕はこの作品の物語が好きなんです。プレイヤー自身を当事者として巻き込んでしまうこと。これはゲームでしか成立しないストーリー・テリングのひとつです。それも丁寧なお膳立てをしてプレイヤーに能動的に没入させるのではなく、プレイヤーの無意識に働きかけて気づいたときには取り込まれてしまっていた、という状況を作る。これは相当至難の技のはず。僕も本作の仕掛けに気づいたときには、これは一本取られたと、痛快な気分になりました。
■まとめ
傑作です。恐らく暴力表現とゲーム・プレイがひとつでもわずかに欠けていたら、本作の物語は成立しなかったことでしょう。それは他ふたつの要素を個々に見ていった場合でも同じです。暴力表現、ゲーム・プレイ、物語の3本柱がそれぞれを絶妙に補完し合い、それが”80年代風サイコスリラー”としての総体を抜群の完成度でかたち作っています。
いまさらですが唯一欠点らしきものを挙げれば、ステージ・クリア後に手に入るマスクや武器の性能がイマイチ差別化できていないことが挙げられますが、そんなの些細な枝葉の要素に過ぎません。根幹のデザインが非常に優れているため、小技に頼らなくても十分すぎるほどおもしろい。この点は小技に頼りすぎで根幹が空っぽな最近のメジャー・ゲームはぜひ見習ってほしいところ。
過激な表現の数々から、人をものすごく選ぶ作品なのは否定できませんが、最近の主流のゲームにはないアナーキーさを求めている人、または単純に完成度の高いゲームを求めている人に強くお薦め。このレヴューでひとりでも多くの人に興味を持っていただければ幸いです。