「OTO」と一致するもの

Mike Nogami『METROSCAPE』 - ele-king

 野上眞宏……『風街ろまん』ジャケット用写真や『HOSONO HOUSE』をはじめ、サディスティック・ミカ・バンドや大瀧詠一ほか、YMOのニューヨーク公演など、日本のロックの黎明期である60年代末から70年代の数々のエポックメイキングな作品や現場で撮影をしてきた超ベテランの写真家。1970年代には渡米し、数年間現像所で働きながら撮影したりと、ある意味ビートニクな生き方をしつつ活動してきている。そんなレジェンド級の写真家がいま渋谷で写真展を開いているのだが、これがすごく面白いので紹介します。
 今回の写真展「METROSCAPE」は、2001年から2005年までのニューヨーク(つまり9.11以降のNY)の風景を、8×10のフィルムカメラで撮影した作品が展示されている。「8×10」といってわかる人は昔ながらの編集者かよほどの写真好きになってしまうだろうけれど、20cm×25cmのもっとも大判のフィルムを使った、フィルムカメラの最終到達地点とも言われる超高画質な作品を可能にする、古くて優れた代物である。外に持ち運ぶの決して楽ではないこの大型フィルムカメラによる風景写真は、あらためてデジタルが現実をそっくりに模造することに対して、フィルムが、ベンヤミンのいうように「視覚の無意識」さえも写すことを立証している。いや、ほんと、展示されている大きく引き伸ばされた作品をぜひ見てください。街のぬくもりやそのにおいさえ感じます。写真展は、9月3日まで開催。発見が待ってます。なお、写真集『METROSCAPE / New York City 2001-2005』はOSIRISから絶賛発売中。

■展覧会
METROSCAPE

開催期間:2023年8月22日(火)~9月3日(日)
開催時間:11:30 – 19:00(最終日9/3は17:00まで)
休廊日:8/28(月)
場所:Gallery LE DECO(ギャラリー・ルデコ)
〒150-0002東京都渋谷区渋谷3-16-3 髙桑ビル
https://ledeco.net/?p=19425

■写真集
METROSCAPE / New York City 2001-2005

120 pages, 252 x 279 mm, hardcover.
Japanese and English texts.
Publish August 21, 2023 by OSIRIS Co., Ltd.

Mike Nogami – 野上眞宏
www.mikenogami.com

写真評論家、飯沢耕太郎氏とのトークショウ
@METROSCAPE写真展会場内
ギャラリー・ルデコ 渋谷区渋谷3-16-3高桑ビル4階
8月26日土曜日17時から19時
入場無料


【野上眞宏】
1947 年東京生まれ。1970年立教大学社会学部卒業。1971年に鋤田正義事務所でアシスタントをつとめ、翌年からフリーランスの写真家となる。1974年に渡米、ロサンジェルスに住む。東海岸に移り、ワシントンD.C.、ヴァージニア州アーリントンに住んだ後、1978年、ニューヨークに転居。1985年、グリニッジヴィレッジで写真ラボを開業、1994年まで営業した後日本に帰国。2000年にふたたびニューヨークに戻り、2015年に帰国。現在東京在住。これまでに数多くの個展を開催.。主な著書に『New York-Holy City』(美術出版社/1997)、『Snapshot Diary』(二分冊/ブルースインターアクション/2002)、『Mike Nogami’s Snapshot Diary』(iPADアプリ/2014)、『Shibuya 1999』(Zen Photo Gallery/2016)、『Blue: Tokyo 1968-1972』(Osiris/2018)『ゆでめん』(ミュージック・マガジン社/2021)、『1978アメリカーナの探求』(Osiris/2022)。mikenogami.com

Carlos Niño & Friends - ele-king

 ジャズ、ヒップホップ、ニューエイジなどを横断するLAシーンのキイパースン、カルロス・ニーニョ。9月20日に新作『(I'm just) Chillin', on Fire』がリリースされるのだけれど、ゲストがかなり大変なことになっている。ララージ、アンドレ3000、カマシ・ワシントン、これは豪華だ。80分を超す2枚組の大作とのことで、期待しましょう。

Carlos Niño & Friends 『(I'm just) Chillin', on Fire』
2023.09.20 2CD Release

カルロス・ニーニョ&フレンズの最新作は、カマシ・ワシントンやジョシュ・ジョンソン、アウトキャストのアンドレ・3000等、カルロスが築き上げてきた表現に共鳴する、強力なミュージシャンが集結した80分を超えるCD2枚組の大作!!

カルロス・ニーニョの「エナジェティック・スペース・ミュージック」は留まることを知らない。LAジャズのメッカでありヒップホップとの結節点でもあったラマート・パークを皮切りに、ウッドストックやベニス・ビーチで録音されたライヴやセッションには、カマシ・ワシントンらLAのフレンズに加えて、南アフリカのズールー音楽を継承するシブシレ・シャバやメキシコの先住民族の音楽を探求するルイス・ペレス、そして路上でフルートを吹き始めたアウトキャストのアンドレ・3000までを招いている。一つのアイデアからシームレスな音楽が生まれること、そのシンプルで大切な事実をこのアルバムは伝えている。(原 雅明 ringsプロデューサー)

[リリース情報]
アーティスト名:Carlos Niño & Friends
アルバム名: (I’m just) Chillin’, on Fire
リリース日:2023年09月20日
フォーマット:2CD
レーベル:rings / International Anthem
品番:RINC109
JAN: 4988044091092
価格: ¥3,300(tax in)

ライナーノーツ: CHEE SHIMIZU

Tracklist :​

1.Venice 100720, Hands In Soil (feat. Josh Johnson, Nate Mercereau, Jamire Williams)
2.Mighty Stillness (feat. V.C.R, Josh Johnson, Nate Mercereau, Jamire Williams)
3.Love Dedication (for Annelise) [feat. Surya Botofasina]
4.Flutestargate (feat. Deantoni Parks, Nate Mercereau)
5.Maha Rose North 102021, Breathwork (feat. Laraaji, Photay)
6.Transcendental Bounce, Run to it (feat. Maia, Deantoni Parks, Nate Mercereau)
7.Taaaud (feat. Sibusile Xaba, Jamael Dean, Nate Mercereau)
8.Spacial (feat. Sibusile Xaba, Jamael Dean)
9.Am I Dreaming? (feat. Surya Botofasina, Luis Perez Ixoneztli)
10.Etheric Windsurfing, flips and twirls (feat. Adam Rudolph, Jesse Peterson)
11.Boom Bap Spiritual (feat. Surya Botofasina)
12.Woo, Acknowledgement (feat. Surya Botofasina, Nate Mercereau)
13.Sandra’s Willows (feat. Surya Botofasina, Aaron Shaw)
14.One For Derf (feat. Surya Botofasina, Aaron Shaw)
15.Conversations (feat. Andre 3000, Nate Mercereau, Cavana Lee, Mia Doi Todd)
16.Essence, The Mermaids Call (feat. Woo, Nate Mercereau)
17.Eightspace 082222 (feat. Kamasi Washington, Surya Botofasina, Aaron Shaw)
18.Credits and Thank Yous for DSP Listening (Instrumental Score by Nate Mercereau) (Japan Bonus Track)

販売リンク:
https://ringstokyo.lnk.to/VxLKy8

オフィシャル URL :
http://www.ringstokyo.com/carlos-nino-friends-im-just-chillin-on-fire/

不屈のペーター・ブロッツマン - ele-king

 何年もの間、ペーター・ブロッツマンの来日は、四季の巡りのように規則的で、晩秋の台風が通り過ぎていくかのように感じられたものだった。彼には、どこか自然で率直なところがあり、それは嵐のように吹き荒れる叫びが、やがては柔和でブルージーな愛撫へと代わるような彼が創りだすサウンドのみならず、その存在自体についていえることだった。セイウチのような口髭、シガーをたしなむその印象的な風貌は人目を引き、無意味なことを許さない生真面目なオーラを纏っていた。ブロッツマンは、侮辱などは一切甘受しなかった。

 6月22日に82歳で死去したドイツのサクソフォン及び木管楽器奏者は、そのキャリアの多くの時間を、無関心とあからさまに辛辣な批評との闘いに費やした。若い頃には、ヨーロッパのジャズ界の伝統的なハーモニーと形式の概念を攻撃して憤慨させ、同時代のアメリカのアルバート・アイラ―やファラオ・サンダーズたちよりも先の未知の世界へと自らの音楽を押し進めた。ドン・チェリーが命名した「マシン・ガン」というニックネームは、1968年に発表したブロッツマンの2枚目のアルバムのタイトルとなり、フリー・ジャズの発展を象徴する記念碑的な作品となった。

 最初は自身の〈BRÖ〉レーベルから300枚限定で発売されたこのアルバムは、ヴェトナム戦争やヨーロッパを揺さぶった大規模な抗議活動など、当時の爆発的な雰囲気の世相を反映していた。アルバムではベルギーのピアニスト、フレッド・ヴァン・ホーフ、オランダのドラマー、ハン・ベニンクやイギリスのサクソフォン奏者エヴァン・パーカーを含む、世界のミュージシャンたちがキャスティングされていたが、『マシン・ガン』は明確にドイツという国の、ナチスについての恥とトラウマという過去を標的にしていたようだ。

 「おそらく、それが、このような音楽のドイツとそのほかのヨーロッパの演奏の響きに違いをもたらしているのかもしれない」とブロッツマンは、亡くなる数週間前の6月初旬にディー・ツァイト紙のインタヴューで語っている。「ドイツの方が常に叫びに近くて、より残忍で攻撃的だ」

 その叫びは、今後何十年にもわたり響き続けるだろう。その一方、彼のフリー・ジャズの同僚たちは、若くして死んだか、年齢とともに円くなっていったのに対し、ブロッツマンは以前と変わらぬ白熱した強度での演奏を続けた。それが彼の健康に相当な負担となり、最後の数十年には、生涯にわたって強く吹き続けたことで、呼吸器に問題を抱えるようになった。2012年のザ・ワイヤー誌のインタヴューでは「4人のテナー・サックス奏者のように響かせたかった……。『マシン・ガン』で目指したことを、いまだに追いかけている」と語っていた。

 そのサウンドは、直感的な反応を引き起こすようなものだった。2010年10月に、ロンドンのOtoカフェで彼のグループ、フル・ブラストを聴きに、彼についての予備知識のない友人を連れていった際、演奏開始の瞬間に彼女が物理的に後ずさりをした光景を思いだす。

 しかし、ブロッツマンの喧嘩っ早い大男という風評は、彼の物語のほんの一部に過ぎない。独学で音楽を始め、最初はディキシーランドやスウィングを演奏し、コールマン・ホーキンスやシドニー・ベシェなどのサクソフォンのパイオニアたちへの敬愛を抱き続けた。それらの影響は、『マシン・ガン』でも聴くことができる。ジャン=バティスト・イリノイ・ジャケーのホンキーなテナーや、初期のルイ・アームストロングの熱いジャズなどもそうだ。その凶暴性とともに、ブロッツマンは抒情的でもあり、スウィングもしていたのだった。

 このことは、背景をそぎ落とした場面での方が敏感に察することができるだろう。有名な例としては、1997年にドイツの黒い森にてベニンクと野外で録音した『Schwarzwaldfahrt』があるが、これは彼の生涯のディスコグラフィの中でももっとも探究的で遊び心のあるアルバムのひとつだ。ブロッツマンのキャリアの後期にペダル・スティール・ギタリストのヘザー・リーと結成した意外性のあるデュオも、多くの美しい瞬間を生み出した。彼の訃報に接し、私が最初に手を伸ばしたのは、このデュオにふさわしいタイトルをもつ2016年のアルバム『Ears Are Filled With Wonder(耳は驚きで満たされる)』 で、彼のもっともロマンティックなところが記録されている。

 ブロッツマンは、文脈を変えながら、自身の銃(マシン・ガン)に忠実でいるという特技を持ち合わせていた。そのキャリアを通して、1970年代のヴァン・ホーフとベニンクとのトリオから2000年代のシカゴ・テンテットなど、多数のグループを率いたが、目標を達成したと感じるとすぐにそこから手を引いてしまうのが常だった。2011年にオーストリアのヴェルスでのアンリミテッド・フェスティヴァルのキュレーションを担当した際には、当時の彼の活動の範囲の広さが瞬時にわかるような展開だった。彼はシカゴ・テンテット、ヘアリー・ボーンズとフル・ブラストとともに登場するだけでなく、日本のピアニストの佐藤允彦からモロッコのグナワの巨匠、マーレム・モフタール・ガニアまで、ヴァラエティに富んだミュージシャンたちとのグループで演奏した。(このフェスのハイライトは、5枚組のコンピレーション『Long Story Short』 に収録されており、最初から最後まで聴覚が活性化されるような体験ができるだろう)。

 ブロッツマンの日本のアーティストたちとのもっとも実りの多い関係が、彼自身と匹敵するぐらい強力なパーソナリティを持つ人たちとのものであったのは、至極当然である。私が思い浮かべるのは、灰野敬二近藤等則、羽野昌二そして坂田明だ。彼はまた、若い世代のマッツ・グスタフソンやパール・ニルセン=ラヴなど、彼のことを先駆者としてお手本としたミュージシャンたちをスパーリング・パートナーに見出した。セッティングがどうであれ、中途半端は許されなかった。

 「ステージに立つというのは、友好的な仕事ではない」と2018年のレッド・ブル・ミュージック・アカデミー・レクチャーで、ブロッツマンは語った。「ステージ上は、たとえ親友と一緒だとしても、闘いの場なのだ。戦って、緊張感を保ち、挑戦し、新しい状況が必要で、それに反応しなくてはならない。それが、音楽を生きたものにするのだと思う」

The indomitable Peter Brötzmannwritten by James Hadfield

For years, Peter Brötzmann’s visits to Japan felt as regular as the seasons, like a late-autumn typhoon rolling through. There was something elemental and earthy about him. It wasn’t just the sound he made – a tempestuous roar that could give way to tender, bluesy caresses – but also his presence. He cut an imposing figure, with his walrus moustache and penchant for cigars, his no-nonsense aura. Brötzmann didn’t take any shit.

The German saxophonist and woodwind player, who died on June 22 at the age of 82, spent much of his career battling against indifference and outright vitriol. As a young man, he scandalised the European jazz establishment with his assaults on traditional notions of harmony and form, pushing even further into the unknown than US contemporaries like Albert Ayler or Pharaoh Sanders. Don Cherry gave him the nickname “machine gun,” which would provide the title for Brötzmann’s 1968 sophomore album, a landmark in the development of free jazz.

Initially released in an edition of just 300 copies on his own BRÖ label, it was an album that captured the explosive atmosphere of the times: the Vietnam War, the mass protests convulsing Europe. Although it featured an international cast of musicians – including Belgian pianist Fred Van Hove, Dutch drummer Han Bennink and British saxophonist Evan Parker – “Machine Gun” also seemed to be taking aim at a specifically German target: the shame and trauma of the country’s Nazi past.

“That’s maybe why the German way of playing this kind of music always sounds a bit different than the music from other parts of Europe,” Brötzmann told Die Zeit, in an interview conducted in early June, just weeks before his death. “It’s always more a kind of scream. More brutal, more aggressive.”

That scream would continue to resound through the decades to come. Whereas many of his free-jazz peers either died young or mellowed with age, Brötzmann kept playing with the same incandescent force. This came at considerable cost to his health: during his final decades, he suffered from respiratory problems that he attributed to a lifetime of overblowing. As he told The Wire in a 2012 interview, “I wanted to sound like four tenor saxophonists... That’s what I was attempting with ‘Machine Gun’ and that’s what I’m still chasing.”

It was a sound that provoked visceral responses. I remember taking an unsuspecting friend to see Brötzmann perform with his group Full Blast at London’s Cafe Oto in 2010, and watching her physically recoil as he started playing.

However, Brötzmann’s reputation as a bruiser was only ever part of the story. A self-taught musician, he had started out playing Dixieland and swing, and he retained a deep love for earlier saxophone pioneers like Coleman Hawkins and Sidney Bechet. These influences are audible even on “Machine Gun”: you can hear the honking tenor of Jean-Baptiste Illinois Jacquet, the hot jazz of early Louis Armstrong. For all his ferocity, Brötzmann was lyrical and swinging too.

This was perhaps easier to appreciate in more stripped-back settings. A notable example is 1977’s “Schwarzwaldfahrt,” recorded al fresco with Bennink in Germany’s Black Forest, and one of the most inquisitive and playful albums in his entire discography. Brötzmann’s late-career duo with pedal steel guitarist Heather Leigh – an unlikely combination – also gave rise to many moments of beauty. When I heard about his passing, the first album I reached for was the duo’s aptly titled 2016 album “Ears Are Filled With Wonder,” which captures him at his most romantic.

Brötzmann had a talent for sticking to his (machine) guns while changing the context. He led many groups during his career, from his 1970s trio with Van Hove and Bennink to his Chicago Tentet during the 2000s, but would typically pull the plug on each of them as soon as he felt they had fulfilled their purpose. When he curated the 2011 edition of the Unlimited festival in Wels, Austria, it provided a snapshot of the extent of his activities at the time. He appeared with the Chicago Tentet, Hairy Bones and Full Blast, but also in a variety of other groupings, with musicians ranging from Japanese pianist Masahiko Satoh to Morocccan gnawa master Maâlem Mokhtar Gania. (Highlights of the festival are compiled on the 5-disc “Long Story Short” compilation, an invigorating listen from start to finish.)

It makes sense that some of Brötzmann’s most fruitful relationships with Japanese artists were with personalities as forceful as his own – I’m thinking of Keiji Haino, Toshinori Kondo, Shoji Hano, Akira Sakata. He also found sparring partners among a younger generation of musicians, such as Mats Gustafsson and Paal Nilssen-Love, who owed much to his trailblazing example. Whatever the setting, there was no excuse for half measures.

“Being on stage is not a friendly business,” he said during a Red Bull Music Academy lecture in 2018. “Being on stage is a fight, even if you stay there with the best friend. But you have to fight... You need tension, you need challenges, you need a new situation, you have to react. And that makes the music alive, I think.”

HIROSHI MATSUMOTO - ele-king

MATSUMOTO HIROSHI ICHIKAWA HIDEO QUARTET - ele-king

Theo Parrish Japan Tour 2023 - ele-king

 Rainbow Disco Club、秋のオールナイト公演「Sound Horizon」。今年はセオ・パリッシュの登場です。9月22日(金)23時~、会場は2021年にオープンしたGARDEN新木場FACTORY。演出はREALROCKDESIGNが担当します。チケットは3カテゴリー用意されていましたが、すでに「1」と「2」の枠は完売、9,000円の「カテゴリー3」のみ販売中です。『Wuddaji』(20)に『DJ-Kick』(22)に『Free Myself』(23)にと、近年精力的に活動をつづけているセオ・パリッシュ。その最新型を目撃しましょう。

https://rainbowdiscoclub.zaiko.io/e/soundhorizon0922

 そして追加情報です。上述のモーリサ・ローズとのコラボ作がフィジカルでもリリースされることになりました。3LP、ディジパックCD、カセットの3形態です。9月下旬ころに入荷とのこと。こちらもお見逃しなく。

https://diskunion.net/clubt/ct/news/article/0/116023?utm_source=mailmagazine&utm_medium=email&utm_campaign=20230726vegyn

 さらに追加情報(8/20)です。大阪公演も決定しました。
2023.9.23(土) 大阪 @ Club Joule
- Theo Parrish Japan Tour in Osaka -

DJ: Theo Parrish, YAMA (Newtone Records), SHUN145 (tide and time / Jazzy Sport Kyoto)
PA: Kabamix
Coffee: edénico
Open 22:00
Advance 4,000yen Ticket Link e+ https://eplus.jp/sf/detail/3923880001-P0030001
Door 5,000yen
U-23 3,000yen

Info: CLUB JOULE www.club-joule.com
大阪市中央区西心斎橋2-11-7南炭屋町ビル2F TEL06-6214-1223

C.E presents Low Jack, Rezzett & Tzusing - ele-king

 ファッション・ブランドC.Eによる最新パーティが9月8日(金)に開催される。ヴェニューはVENT。パリからロウ・ジャック、ロンドンからレゼット、上海/台北からツーシンとなかなかに強力な面子で、これは楽しい一夜になること間違いなしだ。詳細は下記よりご確認を。

[9月4日追記]
 当日、会場限定のTシャツが販売されるとのことです。これは行くしかない!


Various - ele-king

 マイクロ・アンビエント・ミュージック。
 坂本龍一を追悼するために、これほど重要な言葉もない。この20年あまりの坂本龍一の音楽・音・アンビエント/アンビエンスの探求を追いかけてきた聴き手にとってはまさに腑に落ちる思いである。
 じっさい坂本龍一の「晩年」は、「小さな音」のアンビエンスを追い続けてきた日々だった。彼は世界に満ちている音を聴き、音響・音楽を創作した。世界中のアンビエント・アーティストやサウンド・アーティストの音源を聴き、彼らとの交流も深めてきた。音楽と音の境界線に誰よりも繊細に耳を澄ましてきた。
 この追悼コンピレーション・アルバム『Micro Ambient Music』は、そんな「坂本龍一と小さな音」との関係性を考えていくうえでこれ以上ないほど重要で素晴らしい作品である。アルバムのインフォメーションにはこう記されている。

坂本龍一が2000年から晩年にかけて関係の近かった音楽家や、共演者らによる追悼盤です。非楽器音を用いた静寂をもたらす音楽を『Micro Ambient Music』と称し、国内外の41名の音楽家の賛同を得て実現しました。

 本作『Micro Ambient Music』の企画・制作は、アンビエント・アーティストの伊達伯欣がおこなった。この美しいコンピレーション・アルバムを編むことで、坂本の追悼をしたのである。これは簡単なことではない。この短期間でこれだけのアーティストに声をかけて、その楽曲を集め、アルバムに纏めていったのだ。深い追悼の念と、その不在に対する悲しみがあるからこそ成し得た仕事ではないかと思う。
 何より重要なことは、伊達伯欣はあきらかに坂本龍一の音楽家としての「本質」をこの20年ばかりの活動と作品、00年代以降の坂本のアンビエント/音響作品に聴きとっている。これは重要な視点だと思う。じっさいアルバムのインフォメーションにはこう記されていた。

坂本氏の評価はYMOやアカデミー賞に集まりやすいですが、氏の思想や音楽の真価は、それ以降の作品群にも色濃く現れています。この追悼盤では、特に晩年の氏と関係の近かった音楽家たちに、焦点が当てられています。非楽器音を中心とした音楽から、楽器音を中心とした音楽へ。その追悼の音たちは、ごく自然に・穏やかに、必然的な調和の中で、ひとつの作品として5つのアルバムに配列されました。

 『Micro Ambient Music』の参加アーティストは伊達伯欣の作品をリリースし、生前の坂本とも交流の深かったテイラー・デュプリーが主宰するニューヨークのレーベル〈12k〉の音楽家たちや、大友良英、アルヴァ・ノトデイヴィッド・トゥープ、蓮沼執太、原摩利彦など坂本龍一と交流のあった音楽家、さらに世界中の音響作家やアンビエント・アーティストら計41人が楽曲を提供している。総収録時間は5時間に及ぶ大ヴォリュームのコンピレーション・アルバムだ。
 この人選から坂本が世界中の音響作家から、いかに坂本龍一がリスペクトされていたのか、そして重要な存在だったのか分かってくる。
 しかも不思議なことに長尺コンピレーションなのに、時間の感覚が希薄なのだ。どの曲も反復や環境音などを用いたミニマル/ミニマムな音の連なりでできているため、5時間という時間がリニアに進む時間軸に感じられない。浮遊するような、空気のような聴取体験なのである。永遠の反復とズレ。その時の只中に身を置くような聴取体験がここにはある。

 この20年ほどの坂本龍一は「音」そのものへの探求と、リニアな時間軸ではない音楽の時間を追求していたように思える。アンビエント作品やインスタレーション作品では「時間の流れ」自体を問い直すような作品が多かった。なかでも2017年の傑作ソロ・アルバム『async』は音楽における「非同期」をテーマにしたアルバムだった。
 しかし非同期を希求していたとはいえ、坂本は「音楽のカオス」を追い求めていたわけではなかった。彼は音楽家であり、作曲家であり、作曲と構築を捨て去ることはなかった。そうではなく「同期」に変わる新しい音楽システムを希求していたのではないかと思う。エレクトロニカやアンビエント、フィールド・レコーディング作品に、そのような同期とは異なる新しい音楽のシステムを聴きとっていたのかもしれないといまなら思う。その点から、本作『Micro Ambient Music』は、『async』への音楽家・音響作家たちからの応答・変奏という面もあるように聴こえた。

 計41人、どのアーティストの楽曲も興味深い。環境音と音と音楽の交錯地点を聴取しているような気分になる。個人的にはトモコ・ソヴァージュの楽曲 “Weld” がとても良かった。トモコ・ソヴァージュは水を満たした磁器のボウル、ハイドロフォン(水中マイク)、シンセサイザーなどを組み合わせた独自のエレクトロ・アコースティック楽器を用いて、透明な霧のような音響を生み出すアーティストだ。本作もまた透明な音のタペストリーが生成し、シンプルにして複雑な「非同期」のごとき音響空間が生まれている。この5分少々の曲には、坂本龍一が『async』で探求していた「同期しない音楽」があった。音が重なり、生成し、消えていく。その美しい音響。
 また、中島吏英とデヴィッド・カニンガムの “Slow Out” はアルバム中の異色のサウンドだ。マテリアルな音のズレ。蓮沼執太の “FL” もまた興味深い。普段の蓮沼の楽曲とは異なり、モノの音によるマテリアルな音響作品で、晩年の坂本の「音」そのものへの探求に憑依したような素晴らしいトラックだ。もちろん主宰である伊達伯欣の楽曲も見事だ。美しい点描的なピアノに、非反復的な環境音が深いところで共振し、まるで夜のしじまに沈んでいくような音楽を展開している。断片的な音の随想とでもいうべきか。
 むろんどのアーティストも、それぞれの方法で坂本を追悼している。41人の音楽家すべて、晩年の坂本龍一の「音の探求」を理解し、そこに向けて音を構成しているのだ。その結果、このアルバムは世界の音響作品、サウンド・アート、アンビエントなどのエクスペリメンタル・ミュージック、その00年代以降の達成を示すようなコンピレーション・アルバムとなった。坂本龍一への「追悼」が20年の音響音楽の総決算にもなった。この点だけでも「晩年」の坂本の偉大さがわかってくる。

 現在、アンビエントとサウンド・アートの境界線は融解した。おそらく坂本龍一もそのことを敏感に感じ取っていたように思う。そして、このコンピレーション・アルバム『Micro Ambient Music』もまたその事実を体現している。世界に満ちた音のざわめきが、ここにはある。発売は10月31日までだ。気になる方は一刻も早く入手した方が良いだろう。なお収益の一部は Trees For Sakamoto へ寄付される。

 昨年、ブライアン・イーノのインスタレーション展を開催した「AMBIENT KYOTO」、2023年の第二回目の出展アーティストが発表された。まずは坂本龍一+高谷史郎、 コーネリアス、バッファロー・ドーター+山本精一というじつに興味深いメンツだ。
 展覧会の会場は、昨年と同様、京都中央信用金庫 旧厚生センターを拠点としながら、今回はさらに拡張され、京都新聞 ビル地下1階の2会場も使用される。
 また、会期中にライヴを開催。ミニマル・ミュージックの巨匠テリー・ライリーが東本願寺・能舞台で10月13日(金)と14日(土) の二日間に渡ってライヴ出演。
 いったいどんな内容になるのでしょう。ほかにも関連イベントなどもあるかもしれないそうで、これは秋の京都が楽しみ。詳しくはホームページ(https://ambientkyoto.com/)を参照ください。

[8月30日追記]
 追加情報が公開されました。コーネリアスによるライヴが開催(11月3日@国立京都国際会館 Main Hall)、一夜限りの「AMBIENT KYOTO 2023 presents Cornelius 夢中夢 Special Live Set」を披露します。
 また、芥川賞作家の朝吹真理子も朗読作品で参加することが判明。会期中にPodcastで公開されます。
 チケットは9月5日(火)より発売開始です(https://ambientkyoto.com/about#tickets-info)。
 また、テリー・ライリーの東本願寺・能舞台でのライヴが立体音響ライヴになることも発表。あわせて各展示会場が下記のようになることも決定しています。

京都新聞ビル地下1階
・坂本龍一 + 高谷史郎

京都中央信用金庫 旧厚生センター
・コーネリアス
・バッファロー・ドーター
・山本精一

【AMBIENT KYOTO 2023(アンビエント・キョウト2023)】
 
参加アーティスト
《展覧会》
坂本龍一 + 高谷史郎、コーネリアス、バッファロー・ドーター + 山本精一
《ライヴ》
テリー・ライリー(10月13日/14日)

《開催期間》
2023年10月6日(金)〜12月24日(日)
*休館日:11月12日(日)、12月10日(日)
《会場》
京都中央信用金庫 旧厚生センター (展覧会)
京都新聞ビル地下1階 (展覧会)

《ライヴ会場》
東本願寺・能舞台

主催:AMBIENT KYOTO 2023 実行委員会
(TOW / 京都新聞 / Traffic / 京都アンプリチュード)
企画・制作:TOW / Traffic
協力:α-station FM KYOTO / 京都 CLUB METRO
後援:京都府 / 京都市 / 公益社団法人京都市観光協会 / FM COCOLO
機材協賛:Genelec Japan / Magnux
協賛:Square
特別協力:京都中央信用金庫
[Key Visual:Artwork design by Alex Somers / Logo design by Seri Tanaka

*チケット発売日、料金など詳細は後日発表。

Homepage. https://ambientkyoto.com/
Twitter. https://twitter.com/ambientkyoto
Instagram. https://www.instagram.com/ambientkyoto Facebook. https://www.facebook.com/ambientkyoto

Spekki Webu - ele-king

 札幌を拠点に活動を続けてきたテクノDJの OCCA が、次世代のサイケデリック電子音楽シーンを語る上で欠かすことができない2人の重要人物を招聘し、革新的でユニークな電子音楽イベントを創ろうとしている。今回ゲストに招聘されたのは、〈MIRROR ZONE〉を主宰する SPEKKI WEBU と PYRAMID OF KNOWLEDGE 名義でカルト音楽愛好家に知られる K.O.P. 32 の2名だ。未知なる最先端の音楽を制作し、演奏する彼らが、東京と大阪のダンス・ミュージック・シーンを根底から揺るがすことは間違いないだろう。
 両者は今回、7月27日(木)に東京のストリーミング・スタジオ SUPER DOMMUNE(こちらは SPEKKI WEBU と OCCA の出演)、28日(金)に VENT を会場に OCCA の盟友である YSK と共に主催する《SECT》に出演。その後29日(土)には、CIRCUS OSAKA を会場にした OCCA による新シリーズ《PARHELION》に登壇し東西を廻る予定だ。
 そしてこの度、初めてのジャパン・ツアーを敢行する SPEKKI WEBU に来日前インタヴューのチャンスが頂けた。先日、台湾にて開催された《Organik Festival》でも OCCA と顔を合わせていた2人が、どのように意気投合し、今回のイベントがどのようなコンセプトを持っているのか持っているのか、少しでも伝われば嬉しいと思う。


「海を超えた地でダンス・ミュージックのBPMが加速し、テクノあるいはトランス・ミュージックと形容される音楽への熱量が高まっている」と書けば、往年のファンはこのような文章を読むのは何度目のことだろうと思うかもしれない。確かに、海外で開かれている信じられないような大きさのダンスフロアで、BPMが150を超えるような音楽に人びとが熱狂的になっている動画がSNSで回ってくることは、もはや日常茶飯事となっているが、一部のアンダーグラウンド・シーンにいる人間は、これを単なる繰り返された流行、舵を失ったトレンドだとは認識していないだろう。米作家マーク・トウェインが語った「歴史は繰り返さないが、韻を踏む(History does not repeat itself, but it rhymes)」という言葉がしばしば歴史学で引用されるように、それと同様のことがこの複雑化した音楽シーンにおける変遷を形容することもできると思う。そこには確かに、大きな流れ=トレンドの影響がある一方で、同時にこの時代でしか生まれない特有の “うねり” が存在している。つまりこの「BPMの加速化」は、文化的な需要を満たしつつも、過去にはないほど画期的で、いまだかつて体験したことのないようなサウンドと共に起きている現象であると言い換えることができるだろう。

 オランダ出身の SPEKKI WEBU は、まさにその “うねり” を、最前衛で創り続けているクリエーターの1人として、多くの信頼あるDJから認識されている。彼は、この加速化するテクノ/トランスといったムーヴメントを牽引する中で、〈Amniote〉や〈Positive Source〉といった新興ダンス・ミュージック・レーベルから作品を発表し、自身が主宰するレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、トランス・ミュージックの系譜にありがらも、全く新しいDJプレイを可能にするツール的プロダクションを世に送り出してきた。また、ここ日本でも著名な Jane Fitz や Mama Snake、Konduku らと共にB2Bで共演してきた指折りの技巧派DJでもあるのだが、それは彼の音楽的ルーツにガバやジャングルといった幅広い音楽があり、ダンス・ミュージックの新しい可能性を拡張し続ける研究家であることが理由にあるのかもしれない。このインタヴューを通して、彼の音楽的ルーツと彼が捉えるダンス・ミュージックの新しい像が伝われば幸いだ。

■こんにちは、クリス! 元気ですか? まずは、あなたが育った街であるオランダのデルフト、そして大都市ロッテルダムについて教えてほしいです。デルフトはどのような街で、あなたはどのように過ごしましたか? また、どのようにしてアンダーグラウンドな音楽と出会いましたか?

SW:こんにちは、僕はとても元気だよ! 僕はデルフトという比較的に小さな街で育った。デルフトは地理的にロッテルダムとハーグというふたつの大都市に囲まれた大きな都市圏にあるところで、昔は父親と一緒に地元のレコード店によく音楽を掘りに行ったね。
 ここで初めてジャングルのCDを買って、それからエレクトロニック・ミュージックの旅がはじまった。周りはみんなハードコアなレイヴに行くか、ヒップホップを聴いていた。このときから僕はガバに興味を持ちはじめ、それらの音楽を集めるようになったんだ。
 僕が若い頃、デルフトにはいくつもの素晴らしいヴェニューがあって、そこではエレクトロニック・ミュージックの幅広い分野を紹介するような興味深いイベントがたくさん催されていた。僕が初めてダンスフロアに足を踏み入れたのも、そういった会場だったね。僕の友だちの多くは、街中や郊外のハードコア・ガバ・レイヴに行っていた。でも、ある程度の年齢になると、僕の興味は自分の住んでいる地域周辺の大都市(ロッテルダムとハーグ)に移っていった。
 ロッテルダムは、ガバ・ムーヴメントの勃興と形成に貢献した非常に重要な都市だ。面白いレイヴをやっているクラブやコミュニティ、サウンドシステムがたくさんある街でもある。だから僕はよくロッテルダムに訪れてライヴを見たり、面白いアーティストのプレイを見たりしていた。毎週末かなり長い期間、友だちたちとパーティーに行っていたんだ。この数年間は、エレクトロニック・ミュージックの世界を自分の中に形成し、自分を教育するのにとても重要な時期だったよ。

■あるインタヴューでは、あなたははじめにガバ・ミュージックに傾倒していたと書かれていました。それはいつ頃で、どのようにして遊んでいたのでしょうか? また、その後どのように現在のスタイルにたどりついたのでしょう?

SW:エレクトロニック・ミュージックに触れたのはかなり若い頃だったね。初めてジャングルのCDを買った後、すぐにガバ・ミュージックに触れた。90年代のオランダではすでに重要なカルチャーになっていたから、僕の周りの人はみんなこのスタイルのエレクトロニック・ミュージックを聴いていたよ。下に住んでいた少し年上の隣人はテープを集めていて、かの有名な音楽イベント《Thunderdome》のコンピレーションを聴いたのもこのときだった。これで新しい世界が開いたんだ。面白かったのは、ここに収録されていたトラックの多くに、ジャングルやブレイクビーツのリズムも混ざっていたこと。これはもちろん、ジャングル・ヘッズの僕にとっては天国のような組み合わせだった。
 それから音楽を集めはじめ、パーティーにもよく行くようになった。この時期からガバ・ムーヴメントに深く入り込むようになって、このジャンルの中にもっと実験的で面白いコーナーがたくさんあることを知ったんだ。インダストリアルでエッジの効いた、より深くてダークなサウンド。カルチャー、サウンド、ダンスフロア、インスピレーションの面で、いろんなことがとても面白くなりはじめた瞬間だった。この時期の音楽体験は、僕が後にDJとしてプレイするようになったとき、アーティストとして非常に重要な基礎となるものになったね。
 ロッテルダムとその周辺には、インダストリアル・ハードコア、ドラム&ベース、ノイズ、ブレイクコアなどの境界を越えた、小規模で親密かつ実験的なクラブ・ナイトを主催する会場がいくつかあったんだ。この時期は、多くのDJやライヴ・アーティストたちが、その境界線を破り、サウンドの面でよりストレートに、何か別のものへと進化させていた。興味深い新しいアーティストたちが押し寄せてきて、彼らが僕の関心の的だったんだ。僕は少人数の友人たちとヨーロッパ中を旅して、これらのアーティストの演奏をたくさん見に行った。アーティストとしての僕自身の教育やブループリントは、この頃に形成されたかもしれないね。

■あなたのDJスタイルはBPMの制限から逃れ、「リスナーの意識と鼓動に訴えかけるようなスタイル」を象徴しているように思います。多くの人が形容するように、あなたのセットに意識を集中していると、まるで地球から宇宙に発射するスペースシャトルのような感覚を得ることがありますが、現場ではどのようなことを考えながらセットを構築しているのでしょうか?

SW:どのスロットをどれくらいの時間プレイするかにもよるが、僕は時間をかけながら「リフトオフ」の瞬間に向けて緊張感を高めていくのがとても好きなんだ。特に長いセットを演奏するときは、呼吸を整え、ゆっくりと「特定のエネルギーのポイント」まで向かっていく。このポイントに到着したら、この原動力を保ち続ける。これが僕のセットにおいて最も重要なことだ。全体的には、まずマインドをリセットするストーリーを創る、それから未知への新たな旅に出るというストーリーだ。でも、さっきも言ったように、すべては自分の出番次第でもある。
 ロング・セットをやるときには、セットの途中で長いブレイクダウンをかけて、ダンスフロアと脳をリセットするのが好きだ。BPMが145くらいで進行しているところで、突然3分のアンビエント・トラックを流してダンスフロアをブレイクさせる。旅は必ずしもまっすぐ継続的に進む必要はない。既成概念にとらわれないようにすることは、DJとしてだけでなく、プロデューサー、ライヴ・アーティストとして、そして新しいオーディオ・ヴィジュアル・ショウにおいても、とても重要なことなんだ。

■いま述べていただいたように、あなたは特定の現場で、ドローンやサイケデリックなエクスペリメンタル、ダウンテンポまでを流すことが多いと思います。BPM、あるいはビートという概念について、どのような考えを持っていますか?

SW:BPMは、僕にはあまり関係ない。もちろん、いまのところ僕がプレイするのは夜のクロージング・タイムや遅い時間帯だから、僕のDJセットは速いペースになることが多い。ただ、僕にとって最も大事な要素はグルーヴ、深み、催眠術なんだ。BPMが80だろうが125だろうが160だろうが関係ない。プログレッシヴなグルーヴ感、根底にある隠れたリズム、ポリリズムの要素がすべてだ。僕が演奏するトラックの中には、とても不思議な音楽的な変化が起こっているので、セットを聴いた人は僕が実際にプレイしたBPMの速さに驚くということがよくある。その音楽的な変化によって、人びとは実際にそこまで速いBPMだとは認識しないんだ。これが「マインド・トリック」と「催眠術」の力だと思う。

■主宰されているレーベル〈MIRROR ZONE〉からは、多くの現代的なトラック、DJツールとしても使えるトラックがリリースされています。レーベルの設立背景や哲学的な信念を教えていただけますか?

SW:このレーベルは2018年にスタートし、僕の人間としての歩みを進化させてきた。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕、僕たちの社会における立ち位置、そして僕たちが人間としてどのように形成されていくのかの全てだ。
 誰もが自分自身との個人的な旅路を持っている。転んで学び、ありのままの自分を受け入れる。鏡を見る勇気を持ち、毎日より良い自分になろうとする。〈MIRROR ZONE〉は、あなたと僕が経験する人生だ。僕のインナーサークルの中で、友だちたちが人間として美しく興味深い瞬間をたくさん経験しているのを見てきた。すべてのリリースには、コンセプトやストーリーがあり、それはアートワークや詩にも反映され、リリース全体が完全な旅となっている。

■あなたはクロアチアの《Mo:Dem Festival》など大規模なトランス・フェスティヴァルでもプレイをしたDJでもあります。広義の意味でのトランス・ミュージックについて、どのような考えを持っているのでしょうか?

SW:いまのところは、僕にとって「トランス」とは単なる言葉でしかない。もちろん古典的なトランス・ミュージックというサウンドはあるけれど、その定義ははるかに広い。それは、ある瞬間にムード、フィーリングを提示し、共有する特定の方法だ。それだけでなくて、DJセットの中でトラック同士がどのように連動しているかということも重要だと思う。例えば、トラック3がトラック6、10、15と強く繋がってたりね。継続的な繋がりが、雰囲気やマインドセットを創り上げる。僕にとっては、感情と催眠術がすべてなんだ。ヒプノティック(催眠術)という言葉がいまのDJとしての僕を表すのにぴったりだと思うし、これが「トランス」の基本だと思う。

■今回の日本ツアーで共演する K.O.P. 32 が運営するレーベル〈Beyond The Bridge〉からあなたの「Euclidean Doorway EP」が先日リリースされました。K.O.P. 32 と共演するにあたって、何か特別な思いがありますか?

SW:K.O.P.32 とは以前から知り合いだったが実際に会う機会はなかった。だから今回 OCCA と一緒に日本で彼に会えるのが夢のようなんだ。僕たちは、ダンスフロアで一緒に溶け合うことができる「似た者同士」だと確信している。僕たちは同じバックグラウンドを強く共有しているからね。
 彼と一緒にパフォーマンスすることは、間違いなく特別な感覚だ。そうでなければ、彼のレーベルから自分の音楽をリリースすることもなかったと思う。彼に直接会ったことはないけれど、僕たちが一緒に感じ、話すのは銀河の言葉なんだ。それに、彼はとても才能のある素晴らしいアーティストで、僕にとっても刺激的な存在だ! だから、彼と一緒にツアーを回れることをとても光栄に思っている。

■最後に、あなたの初来日公演を楽しみにしているダンス・ミュージック・ファンに向けて一言お願いします!

SW:日本を訪れるのは初めてで、とても興奮している。新しい人たちと出会って、一緒のダンスフロアを共有し、みんなを未知への旅に連れていけることをとても楽しみにしているよ。日本に訪れて、遊んで、探検することは長年の夢だったが、それがついに実現するね!

(Introduction & Interview: Yutaro Yamamuro)

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