「OTO」と一致するもの

MOVEMENT CLUB EDITION - ele-king

 これは驚きの、そして待望のニュースです。デリック・メイが2003年にデトロイトで始動させたフェスティヴァル《MOVEMENT》が、なんと東京でも開催されます。題して《MOVEMENT CLUB EDITION》。デリック・メイ本人はもちろんのこと、テックハウスの第一人者 Mr. G がライヴで出演するほか、Hiroshi Watanabe や JUZU a.k.a MOOCHY、今春 Gonno & Masumura として強烈なアルバムを届けてくれたばかりの Gonno らも参加します。7月14日。これはもう行くしかないですね。
 なおデリック・メイは同時にジャパン・ツアーも開催、福岡・札幌・大阪を巡回します。また Mr. G も翌15日に DJ BAR Bridge にてファンク~ソウルのDJセットを披露してくれるとのこと。

「世界で最も平和な暴動」MOVEMENTが日本初上陸!

2003年、Derrick May は立ち上がった。2000年にスタートした Detroit Electronic Music Festival は Carl Craig によるキュレーションで開催され大成功を収めたが、2年目の2001年の開催直前に主催側が Carl Craig を解雇するという事件が起きた。2002年も同じ体制のまま継続されたが、2003年に Derrick May はアーティストたちの手にフェスティバルを戻すべく、大型フェスティバルのオーガナイズ未経験にも関わらず、Movement Festival を開催することを決めた。一人のクレイジーなまでに強い信念を持つ人間が動き出す時、ムーヴメントは生まれる。

2003年には筆者もデトロイトで Movement を体験している。印象に残っているのは、フェスティバルは大成功を収め、最後のアクトが終わった後、完全に声を枯らした Derrick May がマイクを持ってステージに現れて「永遠にやるぞ!」と叫んだシーンだった。本当に全身全霊をかけた男の魂の叫びがデトロイトのハート・プラザに響き渡った。

あれから、15年。現在 Derrick May はデトロイトで毎年行われている Movement には関わっていないが、その間もずっと「東京で Movement をやりたい」と言い続けてきた。震災直後に、日本への渡航に対してネガティブな空気が漂っていた中、彼が一切ためらわずに来日したことを覚えているだろうか? 彼は東京に特別な想いを持っている。そして、自らが名前をつけた Contact にも……。この場所で Movement Club Edition が、ついに実現することを、心して受け止めたい。きっと最高のパーティにしてくれるはずだ。 Studio では、デトロイト・テクノのイノヴェイター Derrick May がヘッドライナーを務める。エモーショナルなテクノでダンスフロアに歓喜の祝祭をもたらしてくれるだろう。そして、Transmat 系デトロイト・テクノ・ファンから熱くサポートされている Mr.G がライブを披露する! 前回の来日でのプレイもコアなファンたちの間で話題になっていたので、これは注目だ。Derrick May が主宰するレーベル〈Transmat〉の歴史上初めて日本人アーティストとなった、Hiroshi Watanabe がサポートを務める。“Threshhold of Eternity”は海外の音楽ジャーナリストから「Derrick May による不朽の名作“Strings of Life”を超えるアンセム!」と評価されるほどだったので、彼のプレイも見逃すことはできない!

Contact では、Transmatから“The Diamond Project EP1”を発表したばかりの、ドープなハウスを奏でるデトロイト出身アーティスト、Drummer B が初来日を果たす。そして、日本からは Gonno、Juzu aka Moochy、Sakiko Osawa、Naoki Shirakawa らがサポートを務める。

Time, Space, Transmat! 時間と空間を超えた Transmat Experience が Cotanct Tokyo で繰り広げられる一夜となるだろう!

「世界で最も平和な暴動」は、まだ終わらない。

------------------------

7/14(土)MOVEMENT CLUB EDITION
10PM

Before 11PM / Under 23 ¥2,000
GH S members ¥2,800
w/f ¥3,500
Door ¥3,800

Studio:
Derrick May (Transmat | Detroit)
Mr.G (Phoenix G | UK) - Live
Hiroshi Watanabe a.k.a Kaito (Transmat | Kompakt)

Contact:
Drummer B (Soul Touch | Transmat | Detroit)
Gonno (WC | Merkur | mule musiq | International Feel)
JUZU a.k.a MOOCHY (NXS | CROSSPOINT)
Sakiko Osawa
Naoki Shirakawa
and more


■Derrick May

Derrick May Boiler Room x Ballantine's True Music: Hybrid Sounds Russia DJ Set
https://youtu.be/Bog6l3w2PS4

1980年代後半、デトロイトから世界へ向けて放たれた「Strings Of Life」は、新しい時代の幕開けを告げる名曲であった。自身のレーベル〈Transmat〉からRhythim Is Rhythim 名義で「Nudo Photo」、「The Beginning」、「Icon」、「Beyond The Dance」等今でも色褪せない輝きを放つ数々の傑作を発表し、Juan Atkins、Kevin Saunderson と共にデトロイト・テクノのオリジネーターとして世界中のダンス・ミュージック・シーンに多大な影響を与える。シカゴ・ハウスの伝説の DJ Ron Hardy や Godfather Of House Frankie Knuckles に多大な影響を受け、Music Institute で確立されたその斬新なDJプレイは唯一無二。時代に流されることなく普遍的輝きを放ち、テクノ・ファンのみならず全てのダンス・ミュージック・ファンから絶大なる支持を得ている。そして2010年、レコード店に衝撃的ニュースが流れる。何と実に13年ぶりとなる待望のミックスCDをリリースしたのだ。「Mixed by Derrick May x Air」と題された同作は1月に発表され国内外で大反響を巻き起こした。スタジオ・ライブ一発録りで制作されたそのミックスには、彼のDJの全てが凝縮されていると言って良い。そこには「熱く煮えたぎるソウル」「多彩な展開で魅せるストーリー」「華麗なミックス・テクニック」等、天才DJにしか作り得ない独特の世界がある。自分の信じている音楽やファンへの情熱全てを注ぎ込んだかのような圧倒的パワーがそこには存在する。聴くものを別次元の世界へと誘ってしまうほどだ。世界中を旅していて日本でのプレイが最も好きだと語る Derrick May、彼は本当に心から日本のファンの方達を大切にしているのだ。2011年には奇跡的に「Mixed by Derrick May x Air vol.2」を発表。また、2013年には自身のレーベルである〈Transmat〉のコンピレーションCD『Transmat 4 - Beyond the Dance』を発表し更なる注目を集めている。

★☆ HI TECH SOUL JAPAN TOUR 2018 ☆★

7/13 (金) 福岡 @KIETH FLACK
https://www.kiethflack.net/jp/2806/2018-07-13

7/14 (土) 東京 @CONTACT -MOVEMENT CLUB EDITION TOKYO-
https://www.contacttokyo.com/schedule/movement-club-edition/

7/20 (金) 札幌 @PRECIOUS HALL
https://www.precioushall.com/schedule/201807/0720hitechsoul.html

7/21 (土) 大阪 @CIRCUS
https://circus-osaka.com/event/derrick-may-japan-tour-2018/


■Mr. G

Mr G Boiler Room London Live Set
https://youtu.be/0HffibenJl8

UK出身のアーティスト Mr.G。1994年、Cisco Ferreira と共にテクノ・ユニット The Advent を結成。〈Internal〉レーベルから数々の作品をリリースし、世界的人気アーティストとなる。その後 The Advent を脱退し、ソロ・アーティストとして活動を開始。1999年には自身のレーベル〈Phoenix G〉を設立。自身の作品を中心に数々のフロアー・キラー・トラックをリリースし続け、現在も尚DJ達から絶大な信頼を得ている。また、2010年にはターニング・ポイントとなるアルバム『Still Here』を〈Rekids〉からリリースし、大ヒットを記録。各メディアでその年の年間ベスト・アルバムに選出される程高い評価を得る。その後も〈BAass Culture〉、〈Underground Quality〉、〈Moods and Grooves Detroit〉、〈Holic Trax〉、〈Monique Musique〉、〈Lo Recordings〉、〈Running Back〉等、数々のレーベルから多数の作品をリリースし続けている。デトロイト・テクノ、シカゴ・ハウスに影響されたファンキーかつロウでセクシーなサウンドは世界中のファンを魅了し、ここ数年リリースされた作品も Derrick May や Francois K 等の大御所DJ達もヘヴィー・プレイし、大絶賛されている。

★☆ Mr. G -DJ BAR Bridge- ☆★
7/15 (日) Open 20:00 Entrance Fee ¥1,000 (1D)
https://bridge-shibuya.com/event/1934/

Yves De Mey - ele-king

 僕が初めてYves(イヴ)の音を聴いた作品は、Sandwell Districtが2011年にリリースした『Counting Triggers』でした。抑えた曲調ながら強靭な音、PAN SONICをよりフリーキーにしたような楽曲構成。かなりオリジナルな作風で、面白い人が出て来たなと思いました。2012年にはPeter Van HoesenとのユニットSendai名義でPeterのレーベル〈Time To Express〉から『Geotope』を発表。2人の個人名義よりも実験的な作風の曲が多く、DJではかなり使いにくい曲が多いのですが、さらにYvesへの関心は高まりました。2013年には〈Archives Intérieures〉、〈Opal Tapes〉、〈Modal Analysis〉などのレーベルからYves De Mey(イヴ・ド・メイ)名義で作品をリリース。この辺りからBPM110台で、強靭なサウンドがじわじわとビルドアップして行くという楽曲構成が個人名義での基本的スタイルとして確立されたように思います。2014年の〈Semantica〉からのリリースでも独自のスタイルを貫いています。その一方でAnDが運営する〈Inner Surface Music〉から新たな名義Grey Branchesを用いてBPMも早目の曲が多いテクノに寄った楽曲群を発表。この名義では2017年に12"x2もリリース。非常にアグレッシヴなテクノ・トラックが多数収録されています。多才な彼は〈Spectrum Spools〉や〈Editions Mego〉(Sendai名義)からも作品をリリース。数々のレーベルを渡り歩いて来た彼の最新作が〈Latency〉からリリースされました。

 〈Latency〉としてはMura Oka『Auftakt』(LTNC004)以来の12"x2となる大作ですが、全編に渡って非常に張り詰めた緊張感が漲っています。一貫して漂う不穏なムード、巧みに抑制された曲調と音数、抑揚に合わせてコントロールされる音量、予測しづらい音やリズムの配置、常に変化を続ける楽曲構成などからその緊張感が生まれ、この作品を貫いています。

 静かにはじまり、繰り返されるメロディのシークエンス、そのメロディを支えるように地を這う低音パート、間欠的に打ち鳴らされるバスドラム、時折挿入される女性の声、やがてバスドラムと女性の声と主旋律がクレッシェンドしていき、音が揺らぎながらピークを迎える“Gruen”は〈Latency〉らしいアンビエント・テイストを孕んでいて、この曲をオープニングに選ぶあたりも憎い。

 “Mika”というタイトルが故人となってしまったMika Vainioのことを指すのかはわかりませんが、Mikaを想わせる重く強靭なキックドラムがBPM110で打ち込まれる上を、不規則に跳ね回る音が時折重力に逆らって飛翔を試みるものの失敗を繰り返している、そんなイメージが浮かびます。

 この作品のハイライトととも言えるであろうタイトル曲“Bleak Comfort”。シンコペーションするリズムで幕を開け、そこにサステインするキックドラムが加わることで一気にグルーヴ感が出てボトムを支え、妙な電子音が4拍目に絡み付き、シンバルのような音が2拍4拍にスネアのように入ってきて、数小節の後一旦ブレーク、そこから細かく刻まれた電子音の連打がクレッシェンドを繰り返しはじめて熱量は上がり、その下部にディストーションのかかったベースラインが入ってきてさらにグルーヴを高め、全てが暴発しそうな勢いを秘めたままカタルシスに至る一歩手前で音は収束していき、最後を締めくくるのは細く刻まれた電子音の孤独なクレッシェンド。この作品のなかでもっともDJ映えする曲だと思います。

 ゆったりとしたメロディではじまり、アンビエントな曲になるかと思いきや、少し不釣り合いな感じがするリズムが入ってきて、やがて金属的な音が加わり、暴力的なまでに高まったかと思うとそのまま何ごともなかったように収束していく、主旋律と他のパートの対比が奇妙な“17 Graves”に続いてもうひとつのハイライトと言えそうな“Stale”がはじまります。BPM116のビートの上をゆらゆらと電子音が漂い、モジュラーシンセの柔軟な音が蠢くなか、主旋律の上昇音階が繰り返され徐々に熱量が増していく。どこまでもヒートアップして行きそうな音の足し算から一転して、次の“Wearing Off”はとても抑制された音数であるがゆえの高い緊張感が漲っていて、ひとつひとつの音の存在感が凄い。この曲も大きな音で聴くとかなりかっこいいと思います。今にも爆発しそうな熱を内に孕んでギリギリのところで持ちこたえているような、そんな曲です。

 最後を締めくくるのはモジュラーシンセ・インプロヴィゼーションのような、そこはかとなく美しさを感じさせる“Contrary Unto Them”。

 アーティストJean-Marie Appriouのアルミニウムによる造形にアクリルペイントと金箔を施した作品“Raspberries 3”を用いたジャケットも美しい。

 この作品のイメージを色に例えるなら暖色系ではなく明らかに寒色系で、寒々とした荒野にひとり取り残されたものの、どこか居心地が良くて立ち去りがたいような、そんなイメージが湧きます。「荒涼とした心地良さ」というタイトルが言い得て妙な、強い中毒性を持った傑作。

ブリグズビー・ベア - ele-king

 日本では現状、ロマン・ポランスキーの『告白小説、その結末』やウディ・アレンの『女と男の観覧車』は問題なく公開されているようだが、アメリカでは今後ふたりの作品を観ることはますます難しくなっていくだろう。養女の性的虐待疑惑から多くの俳優たちに「今後は出演しない」と言われているウディ・アレン、70年代の少女への淫行でアカデミーから追放されたロマン・ポランスキー。とくに厄介なのはポランスキーで、彼の過去の作品には未成年のセックスがモチーフとして入りこんでいるものもある。#MeToo以降の世界で彼らの新たな作品が成立しにくいのはともかく、かつての「名作」たちもまた封印されていくのだろうか。
 表現の作者と作品をどの程度切り離して考えるべきかというのはいま盛んにおこなわれている議論で、大ざっぱに言うとポリティカル・コレクトネス的価値観からアメリカはより作者のありように厳しくなり、ヨーロッパがそれに抵抗している……という図式があるにはある。が、アメリカもまた、Spotifyから「ヘイトコンテンツ」に当たるとされる楽曲が削除されたことに対しケンドリック・ラマーらミュージシャン陣が表立って反発するなど、一筋縄ではいかない様相となっている。たしかに、表現者が清廉潔白でなければならない世界は窮屈だし、ましてや表現の中身が当たり障りのないものばかりになってしまっては本末転倒だろう。表現規制に抵抗する勢力が台頭し始めているということだろうか。いずれにせよ、いま、ポリティカル・コレクトネスと表現の自由、そして作者の振る舞いと作品の関連性についてより時代に合った枠組が模索されており、多くの人間がそのことに頭を抱えている。

 現在アメリカのなかで、こうした議論にもっとも敏感なのはコメディアンたちだろう。大人気コメディ番組〈サタデー・ナイト・ライヴ〉出身のチームで制作された『ブリグズビー・ベア』を見ても、ある表現(今風に「コンテンツ」といったほうが適切かもしれない)が作者とどの程度紐づけられるべきなのか考えていることがわかる。主人公の青年ジェームズは外界から隔離されたシェルターで暮らしており、両親に愛されて育ったものの自由はなく、唯一の楽しみはクマのキャラクターが冒険をしながら数学や日々の生活のルールを教えてくれる教育番組〈ブリグズビー・ベア〉だった。が、あるとき警察がやって来て両親は逮捕されてしまう。ジェームズが「両親」だと思っていたのは彼を赤ん坊のときに攫った誘拐犯であり、信じてきた世界はすべて嘘で、彼が大好きな〈ブリグズビー・ベア〉ですら偽の父親がジェームズのために作っていたものだった……。そして物語は、ジェームズが本当の両親に迎え入れられ、「リアル」の世界にどうやって馴染んでいくか模索していくところから動き出す。
 そこで鍵になるのが〈ブリグズビー・ベア〉、つまり犯罪者が作ったコンテンツなのである。ジェームズは番組への愛を語ることでギークの友人を作り、その続きを制作することで「リアル」の世界での生き甲斐や人間関係を構築していく。が、本当の両親からすると〈ブリグズビー・ベア〉は犯罪者どもが作った忌まわしい呪いでしかなく、見ようによってはジェームズはストックホルム症候群を引き起こしているとも言える。映画はそうした葛藤を経て、〈ブリグズビー・ベア〉という作品そのものの力でジェームズの新たな人生を祝福しようとする……たとえ犯罪者が作ったものであろうとも作品の価値はあると、ひとまずそうした結論の映画だと言えるだろう。なかでも、ジェームズが〈ブリグズビー・ベア〉の制作のために、原作者でありかつての「父親」(しかも演じるのがマーク・ハミル=ルーク・スカイウォーカーという、世界中に愛された「嘘の人物」である!)と向き合う場面は本作でもっとも美しい瞬間だ。

 ひとつ思うのは、こうした議論で表現の自由派はしばしば「作者と作品はまったく別物である」と主張するが、そんなに単純に割り切れるものではないということだ。少なくとも本作はその地点に問題を矮小化してしまっていない。YouTubeにアップされた〈ブリグズビー・ベア〉はヴァイラル的にヒットするのだが、その人気の理由は作品の力「のみ」ではどうやらなさそうである。サイケデリックでシュールな教育番組はそのカルト的な佇まいからひとを惹きつけるが、と同時に、犯罪者が偽物の息子への愛情から作ったものであるという「作品背景」がフックになっていることが示唆される。〈ブリグズビー・ベア〉が世のなかに受け入れられるのは、そこに何だかんだ言って愛情がこめられていたからだし、だからこそジェームズも作品を通して「リアル」の世界と交流できたという描かれ方である。
 しかしながら、もし仮に、偽の両親が性的虐待をジェームズにおこなっていたら〈ブリグズビー・ベア〉はどう描かれていたのだろう。偽の両親が本当には悪い人間ではないことが本作の優しさとも言えるし、踏みこめていない点だとも言えるだろう。描かれることはなかったのでわからないが、もし彼らの犯罪がある一定のラインを超えてしまっていたら、〈ブリグズビー・ベア〉は許されないコンテンツだし、ジェームズの番組に対する情熱もストックホルム症候群とされていたのではないか。そこの明確な線引きはどうしたってあるように思える。「作者と作品はまったく別物である」と結論づけてはならない何かが。
 だから、当たり前でつまらない着地点になってしまうのだが、そのラインがどこにあるのかを見極めることが重要なのだろう。が、つまらないからこそ価値があることなのだ。そしてそれは、時代によっても場所によっても、作品によっても背景によっても変わってくる。つまり、いまこそ批評の力が試されているということだろうし、アメリカのコメディアンたちは表現の自由を勝ち取るために怜悧な批評家であろうと努力しているということなのだろう。“This Is America”で今年話題を独占したチャイルディッシュ・ガンビーノ=ドナルド・グローヴァーがコメディアンであるのもそういうことだ。チャーミングな小品であるこの映画もまた、そうしたコメディが輝く時代を示している。

予告編

PREP - ele-king

 ロンドンの4人組のバンド、プレップ。降り注ぐ太陽と透明なプールサイドを思わせる彼らの音楽は、80年代という時代特有の煌きを2018年に再生する。モダンなシティ・ポップ? むろん懐古主義ではないし、そもそも過去は再生できない。そうではなくプレップの奏でる音楽は、ポップ・ミュージック特有の「エンドレス・サマー」を提示しているのだ。終らない夏。永遠の夏。
 それは幸福の記憶である。それゆえ刹那のものでもある。すぐに消えてしまうものである。存在しないものだ。夢だ。だからこそ切ない。胸を打つ。求める。プレップは、そんな感情を弾むようなメロディと、美しいハーモニーと、踊らせてくれるリズムによって結晶する。

 結論へと先に急ぐ前に、彼らの経歴を簡単に記しておきたい。プレップのメンバーは、ルウェリン・アプ・マルディン(Llywelyn ap Myrddin)、ギヨーム・ジャンベル(Guillaume Jambel)、ダン・ラドクリフ(Dan Radclyffe)、トム・ハヴロック(Tom Havelock)ら4人。活動拠点は、ロンドンであり、近年はアジア諸国での評価も高く同地でツアーを敢行し、好評を博しているという。日本にもこの2018年5月にツアーで訪れ、演奏を披露した。
 メンバーについて簡単に説明をしておこう。まず、ルウェリン・アプ・マルディンはクラシック/オペラ・コンポーザーで、キーボード奏者である。彼の豊かな音楽素養によって生まれるハーモニーは、プレップの要だ。そのルウェリンに声をかけた人物が、「Giom」名義でハウス・ミュージックDJとして活動するドラマーのギヨーム・ジャンベル。彼がバンドのビートを支えている張本人である。
 ふたりがデモ曲を制作し、「ドレイクやアルーナジョージなどのレコーディングに参加し、グラミーにノミネートされたヒップホップ・プロデューサー」のダン・ラドクリフにデモを送り、結果、メンバーが3人になった。サンプリングを駆使したモダンなトラックメイクはダン・ラドクリフの手によるものだ。
 さらに、ダンの友人でもあるヴォーカリストにしてシンガー・ソングライター(Riton、Sinead Hartnett、Ray BLK等と共作歴あり)のトム・ハヴロックも加わり、超名曲“Cheapest Flight”が生まれたというわけだ。一聴すれば分かるが、この曲にはポップの魔法が宿っている。微かな切なさが堪らなく胸に染み入る。

 こういった1970年代から1980年代にかけて流行した音楽のテイスト、いわばAORやディスコ、フュージョン、ブルー・アンド・ソウル系の音楽は「ヨット・ロック」と称されている。サンセットビーチやリゾート感の心地よさや切なさを表しているのが理由らしい。言いえて妙だ。夏の陽光、黄昏、哀愁、美しさ。優れた作曲と卓抜な編曲と演奏によって支えられた音楽ともいえる。たとえばネッド・ドヒニーなどを思い出してみても良いかもしれない。
 また、近年、世界的に再発見されているらしい山下達郎、大貫妙子などの日本の70年代後半から80年代前半のシティ・ポップや、近年のニューエイジ・ムーヴメントともリンク可能である。つまり「いまの時代ならではの再発見音楽の現在形」ともいえる。われわれの耳は「同時代的な感覚として80年代的なリゾート感覚」を強く求めているのだ。
 2016年にプレップは、“Cheapest Flight”を含む4曲入りのEP「Futures」をリリースしたわけだが、どうやら“Cheapest Flight”以降、日本のシティ・ポップをたくさん聴き、自分たちの音楽との近似性を確認したようである。「Futures」のオビがいかにも日本の80年代風なのはその表れだろう。今年の来日時、SNSで佐藤博の『awakening』(1982)のレコードを嬉々としてアップしていたことも記憶に新しい。

 彼らは「バンド」といっても、運命共同体的な重さはない。聴き手にとっても、そして作り手にとっても「心地よい音楽」を生み出すことを目的としている。「一種の音楽工場」と彼らは語るが、そこから生まれる音楽は、なんと混じりけのないピュアなポップ・ミュージックだろう。
 ふり注ぐ光のように清冽で、透明なプールサイドのように美しい。そしてそれらがとても儚いものだと感じさせるという意味で、どこか切ない。だが、そんな儚い美しさの瞬間があるからこそ辛い人生は尊くもなる。そんな感情を“Cheapest Flight”は放っている。当初、匿名的であった彼らだが、この曲のヒットによって音楽ファンに広く知られることになった。“Cheapest Flight”は、Spotify再生回数300万回誇るという。

 本作『Cold Fire』は、2年ぶりの新作EPである。オリジナルは計4曲収録で、日本盤CDにはさらに2曲のボーナス・トラックが加えられている。
 1曲めは人気の韓国人R&Bシンガー、ディーンがバッキング・ヴォーカルで、アンダーソン・パークの楽曲のプロデュースも手がけた〈HW&W Recordings〉のポモがリード・シンセサイザーで参加しているタイトル・トラック“Cold Fire”。 シンセのリフもキャッチーで耳に残るポップ・チューンだ。大胆に転調するソングライティングも見事。
 2曲めはポートランドのウーミ(Umii)のメンバーであるリーヴァ・デヴィート(Reva DeVito)が起用された“Snake Oil ”。アンビエント/R&Bなムードのミディアム・テンポのなか小技が聴いたトラック/編曲に唸ってしまう。
 3曲めはウルトラ・ポップ・トラック“Don't Bring Me Down”。夏の光を思わせるどこまでも爽やかな曲だ。テーム・インパラのMVの振付けを手掛けたTuixén Benetによってロサンゼルスのコリアタウンで撮影されたMVが印象的だ。
 4曲めはメロウ&ポップな名曲“Rachel”。どこか“Cheapest Flight”の系譜にある曲調で、夏の切なさ、ここに極まるといった趣である。まさに黄昏型の名曲。

 そして5曲め(日本盤ボーナス・トラック1曲め)は、マイケル・ジャクソンの“Human Nature”のカヴァー。マイケルのカヴァーというより、作曲・演奏をしたTOTOへのオマージュといった側面が強いようである。自分たちとTOTOを良質なポップ・ミュージック・ファクトリー的な存在として重ねているのだろうか。曲の本質を軽やかに表現する名カヴァーといえる。
 ラスト6曲め(日本盤ボーナス・トラック2曲め)は名曲“Cheapest Flight”のライヴ・ヴァージョンである。録音版と比べても遜色のない出来栄えで、彼らの演奏力の高さを証明しているようなトラックだ。録音版より全体にシンプルなアレンジになっている点も、「Futures」と「Cold Fire」の違いを表しているようで興味深い。以上、全6曲。程よい分量のためか、何度も繰り返し聴いてしまいたくなる。なにより曲、編曲、演奏、ヴォーカルが、実にスムース、ポップ、メロウで、完璧に近い出来栄えなのだ。

 世界はいま大きく動いている。普通も普遍も現実もまったく固定化されず、常に変化を遂げている。変動の時代は人の心に不安を呼ぶ。そのような時代において、あえて「普遍的なものは何か」と問われれば、「一時の刹那の、儚い夢のような幸福感」かもしれない。しかも「幸福感」は人の心に残る。それをいつも希求してもいる。だからこそポップ・ミュージックは、どんな時代であっても幸福の結晶のような「永遠の夏」を歌う必要があるのではないか。
 プレップはそんな普遍的なポップ・ミュージックを私たちに届けてくれる貴重な存在なのだ。サーフ・ミュージックのザ・ビーチ・ボーイズ=ブライアン・ウィルソンが実はサーフィンと無縁だったように、ヨットとまったく無縁でもプレップの音楽に心を奪われるはず。そう、ポップ・ミュージックだけが持っている永遠の/刹那の煌めきがあるのだから。

Lobster Theremin - ele-king

 昨年RDCで来日したパームス・トラックス、あるいはヴェニスのスティーヴ・マーフィやブダペストのルート・8(ジョージリー・シルヴェスター・ホルヴァート)などのリリースで知られる〈ロブスター・テルミン〉、最近〈ブレインフィーダー〉からのリリースで話題を集めているロス・フロム・フレンズの12インチもここから出ていましたけれども、ロンドンのこの奇特なレーベルが設立5周年を迎え、現在ヨーロッパや北米でショウケース・ツアーを展開しております。そしてこのたび、そのアジア版がソウルおよび東京・大阪でも開催されることが決定しました。レーベル主宰者のジミー・アスキスと、看板アーティストのルート・8が来日します。アンダーグラウンド・ダンス・ミュージックの熱い息吹に触れられるこの絶好の機会を逃すまじ。

LOBSTER THEREMIN 5 YEARS IN JAPAN

ロンドン発、レーベル兼ディストリビューターとして近年めきめきと勢いをみせる〈Lobster Theremin(ロブスター・テルミン)〉。
そのレーベル・ボスである Jimmy Asquith は、2013年にレーベル〈Lobster Theremin〉を設立。その傘下に〈Mörk〉、〈Distant Hawaii〉、〈Tidy Bedroom〉も始動し、昨年レコードショップ実店舗もオープンさせた。ロンドンの Corsica Studios での彼らのパーティー《FIND ME IN THE DARK》は毎回ソールドアウトになるほどの人気ぶりで、Asquith は常に新しい才能をサポートし、〈Discwoman〉、〈Workshop〉、〈Antinote〉などとのコラボレーションも行なっている。
レーベル設立5周年を祝うレーベル・ショーケースとして、レーベル看板アーティストであるハンガリー、ブダペストのDJ/プロデューサーRoute 8と共に初来日が決定!

7/20 (FRI) FAUST, Seoul
7/21 (SAT) CIRCUS Tokyo, Tokyo
7/22 (SUN) COMPUFUNK RECORDS, Osaka

7.21 (SAT) @Circus Tokyo
- LOBSTER THEREMIN 5YEARS IN TOKYO -

LINE UP:
-B1 FLOOR-
Asquith (Lobster Theremin)
Route 8 (Lobster Theremin / Nous)
Romy Mats (解体新書 / N.O.S.)

-1st FLOOR-
Sayuri
DJ Emerald
DJ Razz
T4CKY

Open 23:00
ADV 2,500 yen
Door 3,000 yen

TICKET:
https://lobstertokyo.peatix.com/

Info: CIRCUS TOKYO https://circus-tokyo.jp
東京都渋谷区渋谷3-26-16 第五叶ビル1F / B1F
TEL 03-6419-7520

7.22 (SUN) @Compufunk Records Osaka
- LOBSTER THEREMIN 5 YEARS IN OSAKA -

DJ: ASQUITH, ROUTE 8, DNT (POWWOW), KAITO (MOLDIVE), TOREI
Sound: Ryosuke Kosaka
VJ: catchpulse

Central Kitchen: YPO edenico

Open 17:00 - 24:00
ADV 2,000 yen +1 Drink
Door 2,500 yen +1 Drink

Info: Compufunk Records https://www.compufunk.com
大阪市中央区北浜東1-29 GROW北浜ビル 2F
TEL 06-6314-6541



■Asquith (Lobster Theremin / from London)

ロンドン発、新興レーベル兼ディストリビューターとして近年めきめきと勢いをみせる〈Lobster Theremin(ロブスター・テルミン)〉。そのレーベル・ボスである Jimmy Asquith は、2013年にレーベル〈Lobster Theremin〉を設立。〈Lobster Theremin〉傘下に3つのレーベル、〈Mörk〉、〈Distant Hawaii〉、〈Tidy Bedroom〉も始動し、また、エレクトロニック・ミュージック・シーンではグローバルに知られるディストリビューターである。2017年1月にはハックニーにレコードショップ実店舗もオープンさせた。
ロンドンの Corsica Studios でのパーティー《FIND ME IN THE DARK》は毎回ソールドアウトになるほどの人気ぶりで、Asquith は常に新しい才能をサポートし、〈Discwoman〉、〈Workshop〉、〈Antinote〉などとのコラボレーションも行なっている。
海外ツアーをこなしながらも、Rinse FM でレギュラーを担当し、Tom Hang や Chicago Flotation Device といったアーティスト名義でリリースを重ねている。2017年12月に Tom Hang 名義でのデビュー・アルバム『To Be Held In A Non Position』をリリース。
今年でレーベル設立5周年を迎え、〈Lobster Theremin〉のレーベル・ショーケースとしてのツアーを展開している。

Jimmy Asquith founded the well-renowned label Lobster Theremin in 2013. Since then the label boss has established three imprints including; Mörk, Distant Hawaii and Tidy Bedroom, as well as a respected distribution service used widely within the electronic music scene, and a physical record shop based in Hackney, East London.

Alongside the label, Asquith continues to sell out his Corsica Studios based night Find Me In The Dark, which champions emerging talents and sees collaborations with the likes of Discwoman, Workshop and Antinote. DJing internationally, Asquith simultaneously is producing and performing under multiples aliases all whilst holding down a regular Rinse slot.

On top of that, Asquith’s personal and ambiguous ambient alias, Tom Hang, will be releasing his debut album this December following a heart-wrenching Cafe Oto performance. Part ambient, drone, noise and a tapestry of clouded, intermingling emotions, ‘To Be Held In A Non Position’ is a three-and-a-half year release from stasis; an exhale from a long-held breathe; a shallow sleeper now awake.

On a DJ tip, increased gigs have led to a stylistic shift, a move back to UK-oriented sounds blended with old-school US influences and plenty of new names and talent littered throughout the set lists, alongside occasional older selected digs from the garage-house trove.

The start of 2018 will see a solo Asquith jaunt of North America as well as a Lobster Theremin debut showcase at Motion on January 20th, kicking off the 5 Years of Lobster Theremin European tour.

https://lobstertheremin.com



■Route 8 (Lobster Theremin / Nous)

ハンガリー、ブダペストのDJ/プロデューサー、Route 8。〈Lobster Theremin〉や〈Nous〉からのリリースによって、その名を知られるようになったが、ハードウェアを使っての音楽制作とその探求は10年以上前から始めている。USのロウなハウスやテクノからインスパイアされた、メランコリックなメロディーと巻き込むようなドラムパターンで、エレクトロやアンビエントまで拡大解釈できるオリジナルなサウンドを追求している。DJ Ciderman や Q3A という名義でも知られる。

Route 8 has only recently gained prominence through the Lobster Theremin and Nous labels, but his hardware production experiments date back almost 10 years. Inspired by the raw-edged US house and techno sound, he has also expanded his work into off-kilter electro and ambient, still inflicted with his melancholia-tinged melodies and ratcheting drum patterns.

https://soundcloud.com/route8

女の暴力映画

 いま、女性と暴力の問題を書くのはことさら慎重さが必要になるので、とても怖い。久々に女性にまつわるテーマで新連載を始める機会をいただいたが、うかつなことを書いてしまったらどうしようとビビリ腰になっている。とりあえず第一回目なので最後まで読んでいただけると嬉しい。

 映画で描かれた「女の暴力」。とはいっても今回は、女が振るわれる暴力についてではない。もうそんなものは映画史に溢れかえっているし、改めて解説されるのも読者は疲れるだけだろう。現在でも現実に、女が様々な形のハラスメントや抑圧、そしてまさに肉体的な暴行を受ける事案が日常的に起こっている。文明が進んだらマシになるのかと思いきや、全然性差別は解決していないうえ、それを声に出した女性がSNSなどで受ける二次的なハラスメントを、リアルタイムで見つめてさえいる時代だ。
 そんな暗雲の下で暮らしながらも女が抵抗し、戦い、もちろん良いことだけではなく利己的な欲望で他人を傷つける振る舞いは行われてきた。現実と同様に、映画も女が肉体的にも精神的にも他人にヴァイオレンスの矛先を向ける瞬間を描いている。それは華麗なアクションであったり、現実の我々にも訪れそうなリアリティに満ちたものだったり様々だ。
 映画業界は男性主導の世界である。だからこそ2017年にはハリウッドで驚くような、完全に犯罪の域である悪質なセクハラが明るみになり、それがまかり通ってきたことが改めて認識された。でもそういった報道に対して、逆に被害者をバッシングする反応が多いのも目についた出来事だ。そんな齟齬がある中で、男性の作り手が撮った女性主演のアクション映画は、本当に女性的なアクションといえるのかは判断に悩んでしまう。そもそも男性の監督や脚本家によっても、女性心理にうとい人/感受できる人は様々な度合いがある。それに女性監督が作った女性アクションだったら、正統だとか真実だともいえないだろう。女性なら女性心理が完全に汲めるのか? という疑問もある。それにわたしたち女性だって、長年男性が作った男性主体のアクション映画を観てきているので、映画ではそのことに慣れてしまっているのだ。これは男性であっても同様で、現実と表現は違うため、もし格闘技の経験のない人が「アクション映画を撮れ」と言い渡されたら、自身の経験から引き出すのではなく、これまで観てきた映画のヴァイオレンスを参考に表現を組み立てていくことになるだろう。日常の経験でも、見栄えのするアクションに街中ではそうそう遭遇しないものだし。

暴力の多面性

 そして暴力は肉体的なものに限らない。ひとは裏切りや嘘でも心にダメージを受ける。マスコミによる著名人の不倫報道はいっとき病的なほど過熱していた。それは視聴者や読者の関心をひいて激しいバッシングを引き起こしたが、不貞がかまびすしく非難を浴びるのは、自分の身に受けることを想像しやすい精神的な暴力のひとつだからだ。わかっていて人を裏切るのはひどい行いである。とはいえ当事者にも事情は色々あるだろうし、不倫は申し開きをするほど「反省していない」といった反発をくらうため、甘んじて批判を受けるしかない。そこに付け込んだ報道のあり方や過剰なバッシングも、当事者に与えるダメージを見越した一種の暴力である。これらのような精神を傷つけ心を壊す行為も、やはりヴァイオレンスの形として見過ごせない。
映画において、女が暴力を振るう場面は娯楽だろうか。確かにシャーリーズ・セロンが戦う姿は、問答無用にかっこよくて魅了される。それでも女が振るってはダメな暴力という表現もあるのだろうか。それらの線引きは何を根拠になされるのか――考えると頭がグルグルしてしまうことばかりだ。だから映画の中で女優が繰り出すキックを観つつ、改めて女性と暴力についてゆっくり考えてみよう。

変遷するタランティーノの女性と暴力

 タランティーノはなんといっても『レザボア・ドッグス』(91年)を封切りで観て以来の付き合いという感がある。ハーヴェイ・ワインスタインの事件で名をあげたり下げたり色々あったうえ、新作がマンソンファミリーによるシャロン・テート殺害事件の映画化というのも物議を醸しそうだ。それでも完成すれば必ず観にいくだろうし、これまでもすべての作品は劇場で観ている監督である。
 登場人物が男だけの映画『レザボア・ドッグス』でメジャー監督デビューしたクエンティン・タランティーノは、現在では女性アクションの監督というイメージも強い。ユマ・サーマン主演の『キル・ビル』2部作(03年、04年)は、とても虚構性の強いアクション作品だ。ヒロインの“ザ・ブライド”は、元々暗殺者集団に所属する凄腕の殺し屋だった。しかし足を洗い、普通の女性として人生を送ろうとした矢先に、かつてのボスであり愛人であったビル(デヴィッド・キャラダイン)の命令によって、仲間の殺し屋たちに夫とお腹の子どもを殺され、彼女も死の縁をさまようことになる。映画は長い昏睡から目覚めたザ・ブライドが、彼女の人生を台無しにしたビルと殺し屋たちへ、復讐を果たしていく物語だ。

荒唐無稽な大殺戮に潜ませた愛憎劇

 1作目の見せ場は、伝説の名刀を求めて日本を訪れたザ・ブライドが、青葉屋という料亭で繰り広げる殺戮劇だ。この一連のシーンで、ザ・ブライドはブルース・リーを彷彿とさせるトラックスーツを着ているし、復讐の的であるオーレン・イシイ(ルーシー・リュー)の用心棒が鉄球使いの女子高生であったり、イシイの配下“クレイジー88”が日本刀を持った学生服集団であったりと、元々リアリティは意識していない設定である。

 男性監督や脚本家にとって主人公が女性であることは、地続きで想像できてしまう男性主人公と比べて、虚構として想像を膨らませやすいのだろう。今では女性アクション映画といえば『キル・ビル』は必ずタイトルがあがる。ザ・ブライドの殺した人数のインパクトが記憶に残るのもわかりやすいし、そんな過剰な復讐劇の動機が、最終的には母性に集約されていくのも、強い女性を想像する際のふんわりした理由やイメージの例だ。
 男性の主人公が娘の復讐のために立ち上がる映画だと、地に足のついた作品が次々と頭に浮かぶ。男が考える男の復讐劇は、リアリズムから逸脱しない。しかし女性の復讐劇である『キル・ビル』は、大量殺戮の面白さを見せることが一番の目的であって、動機に母性を持ってくるのはもっともらしく見せるためだけに思える。むしろビルとザ・ブライドの間にある、愛と憎しみの交じり合ったメロドラマ性の方が、言い知れぬ動機として魅力的であり物語を豊潤にしている。「愛しているけれどもくびきから逃れたい」「愛するあまり許せないから殺したい」「愛が招いた因果応報を素直に受け入れる」という感情の交錯が、本作を荒唐無稽なだけでは終わらないドラマとして成立させていた。

より生身の暴力へ

 その後の女性をヒロインに迎えたタランティーノ作品は、反動のように「女にも可能なヴァイオレンス」を追求していく。『デス・プルーフ in グラインドハウス』(07年)は、『キル・ビル』でユマ・サーマンのスタントをしていたゾーイ・ベルが、彼女自身として主演を務める。改造車を使った殺人鬼スタントマン・マイク(カート・ラッセル)に狙われた、ゾーイをはじめとする女性だけの車。なんとか逃げ延びたあと、命の危険にさらされた彼女たちは怒りに燃えて復讐に出る。本作でみせるゾーイ・ベルの身体能力が素晴らしい。ボンネットに掴まったままのカーチェイスや、彼女が走り出す車へ手にパイプを持ったままスルッと滑り込むように箱乗りする場面など、本当にゾーイ自身が演じているリアリズムによって、有無を言わせぬ効果をあげる。


©2007 The Weinstein Company, LLC. All rights reserved.

 本作はマイクの凶行を見せるための二部構成になっていて、まずは酒に溺れエロティックな危険を冒す女性グループが登場する。前半では彼女たちと、「グラインドハウス」のカップリング作品『プラネット・テラー in グラインドハウス』の主演ローズ・マッゴーワンが、被害者として恐怖に慄きむごい目に遭う。
 タランティーノの映画は被害者が男性であっても、監禁の恐怖や、観ていて痛みや凄惨さを強く覚える時がある。映画に耽溺してきた彼の「映画は虚構」という骨身にしみる感覚ゆえか、表現が細やかなあまり暴力シーンには過剰なサディズムが漂っているようだ。確かに映画は所詮作り物にすぎない。だから暴力表現において、創造の面白さに興味が傾くのも当然だ。だが同時に、スクリーンで何が起ころうと真に受けない感性が試されるような、逃げ場のなさや妙に皮膚感覚に迫る暴力性には、観ていて時々居心地の悪い気持ちがする。
 『デス・プルーフ』はそんな陰惨さと、白昼の勧善懲悪という晴れやかさが共存する作品だ。現実にスタントをこなせる女性が等身大のアクションを演じるのは、荒唐無稽な『キル・ビル』と正反対のアプローチである。『デス・プルーフ』で女が発揮する暴力は、「女性でも出来ること」の域を押し広げるリアルな強靭さがあり、これはゾーイ・ベルの存在なくしてありえない生身のアクションだった。

フィルムを操る手

 『イングロリアス・バスターズ』(09年)ではまたアプローチを変え、女性にも可能な、策略による大掛かりな殺戮劇が描かれる。第二次世界大戦中のナチス統治下のフランス。かつてユダヤ人狩りによって家族を皆殺しにされたショシャナ・ドレフュス(メラニー・ロラン)は、一人だけ逃げ延び、今ではパリの映画館で働いている。ドイツ軍の狙撃兵フレデリック・ツォラー(ダニエル・ブリュール)が街でショシャナを見染めたのをきっかけに、ナチスのプロパガンダ映画が彼女の映画館でプレミア上映されることになった。その日はヒトラーをはじめとする、ナチスの最高幹部たちも集まるという。機を見たショシャナによるレジスタンスの幕開けだ。


Film (C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 彼女と同時進行して、アルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)を中心とする連合軍特殊部隊のナチス狩りもいる。彼らは男の子らしく得意技がバットのフルスウィングだったり、ナチであった身分を戦後に詐称できないよう、額へハーケンクロイツを刻み込んだりする。相対して、ショシャナが用いるのは手間暇をかけたフィルムでのメッセージと炎だ。この映画で一気呵成なヴァイオレンスシーンを繰り広げるのはショシャナだが、それは肉体を酷使するアクションではない。彼女が操るのはフィルムやスプライサーや映写機だけだ。そしてプレミア上映はショシャナ以外にも複数の思惑が交錯したことによって、甚大な被害をナチス陣営に与えることになる。
ここでも特殊部隊やレジスタンスの活動以外に、フレデリック・ツォラーの恋心がショシャナの復讐劇に別のドラマを生むことになる。フレデリックの熱烈さは復讐に燃えるショシャナに絶好の機会をもたらすと同時に、彼女の家族を殺したハンス・ランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)との再会というショッキングな出来事も引き起こす。クライマックスでも彼はショシャナの企みの妨げとなる。フレデリックは執拗にショシャナを追い回し、プレミアの夜も最悪のタイミングで映写室に入り込もうとする。だがその後に起こる男女のアクシデントでは、ショシャナが思わず行動に出てしまった「復讐の邪魔だてを消す」行為だけにはとどまらず、敵とはいえ自分に恋している男を心配する心を起こしてしまう。ここで男女の姿を切り取る俯瞰のカメラワークは、とても悲劇的でロマンティックなものだ。タランティーノは『キル・ビル』や『ジャンゴ 繋がれざる者』(12年)においても、ドラマを持つ人物の死体の写し方が滅法うまい。いま活躍している監督の中で、死体の転がり方に毎回ハッとさせられ、落涙してしまう演出力ではタランティーノが最高峰だろう。その悲哀が本作においても、後を引く余韻のあるものとなる。

より生々しい暴力へ

 群像劇『ヘイトフル・エイト』(15年)の主要人物の中で、女性はジェニファー・ジェイソン・リー演じるデイジー・ドメルグだけだ。彼女は首に賞金をかけられた極悪人で、屈強でしたたかな賞金稼ぎの男たちを向こうに回して引けを取らない。
彼女が映画の中で振るうのは、汚い言葉や罵詈雑言による暴力である。デイジーは登場した時点ですでに目の周りにあざができており、賞金稼ぎのジョン・ルース(カート・ラッセル)に手ひどいやり方で捕らえられたのがわかる。それでも彼女は落ち着いており、新たに出会った賞金稼ぎのマーキス・ウォーレン(サミュエル・L・ジャクソン)に、ニタニタと笑いながら「ニガー」と侮蔑的な呼びかけをする。住んでいる世界が元々暴力に満ちているから、殴られる恐怖の限界値が最初から無いに等しく、歯が折れるほど殴打されてもふてくされる程度の反応しか示さない。


© Copyright MMXV Visiona Romantica, Inc. All Rights Reserved. Artwork © 2015 The Weinstein Company LLC. AllRights Reserved.

 この映画の中で一番不穏な空気を放ち、殺人すら気にも留めない匂いがするのはデイジーだ。クセモノな俳優たちが揃い、それぞれの役柄が並々ならぬアウトローとしての背景を背負っている中で、拳をあげたり銃を撃ったりしないのに、一番暴力的な存在感を放つ女。平然と人を侮蔑し、窮地に立った人間にひとかけらも憐れみを抱かない、根っからの悪党という新たな暴力の体現である。これまでタランティーノが描いてきた女たちは、暴力を振るうにあたって、徐々にみずからの肉体を使う機会を減らしてきた。そして『ヘイトフル・エイト』は芸達者なジェニファー・ジェイソン・リーを迎えることで、ナイフのような言葉と、邪悪な人間はそこにいるだけで暴力性を醸しだす状態を描いた。
 女の首、という点でも本作は興味深い。殺人にまつわる「首」と「距離」は意味を持つ。手で首を絞めるという行為は当然至近距離で行われ、エロティックなプレイでも試す人々がいるほどだ。そもそも密接な姿勢には性的な気配が漂うのに、なおかつ殺すには凄まじい力が必要なため、殺人者は被害者と強いつながりを持つのは避けられない。それは恐ろしいほど、感触や感情に強い記憶を残すだろう。しかし絞首刑となると、ロープの介在は処刑人を死ぬ者から物理的に遠ざける。それは人の死を感覚に響かせないための冷酷な距離だ。映画においてはロープだけでなく、表現そのものもカメラがかなりの引きになったり、編集でショットが切り変わったりして、死ぬ過程を露骨に見せることは避けられる。
 だが『ヘイトフル・エイト』は処刑について、かなり踏み込んだ表現がされる。男が二人がかりでテコの原理を応用し、女の首にかけた縄をズルズルと引き上げていき吊るす。むごたらしいようだが、吊るされるデイジーはか弱く憐れな者という域を超えた邪悪さに満ちているので、観ていてもそういった心苦しさが少ない。カメラも近くて、彼女を引き上げるための労力が生々しい人の体重であるのを伝える。それと同時に、処刑のように落下での首吊りではないぶん、じりじりと引き上げられる姿は、彼女の邪悪さがまだ地から離れることを拒否するような悪魔的な重みに見える。デイジーの暴力性を見せるためには手段もカメラも編集も、ここまでしないと釣り合いがとれないほどなのだ。
 アクションは荒唐無稽なほど、スタントマンやCGの処理を漂わせて、誰が演じようと構わないものとなる。だからタランティーノの変化は面白い。スター俳優から、現実にそのアクションをできる女優、または女でも振るえる暴力という現実味への変遷。これは女性を描く際にフィクションへと追いやらず、男性と同じような存在としてキャラクターを見つめている証であると思う。

「デス・プルーフ」発売中。
Blu-ray 1,886円(税別)/ DVD 1,429円(税別)。
発売元:ブロードメディア・スタジオ
販売元:NBCユニバーサル
(C)2007 The Weinstein Company, LLC. All rights reserved.

『イングロリアス・バスターズ』
Blu-ray:1,886 円+税/DVD:1,429 円+税
発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント
Film (C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
**2018年6月の情報です。

『ヘイトフル・エイト』
価格:¥1,143(税抜)
発売・販売元:ギャガ
© Copyright MMXV Visiona Romantica, Inc. All Rights Reserved. Artwork © 2015 The Weinstein Company LLC. AllRights Reserved.

石田昌隆『JAMAICA 1982』 - ele-king

 『JAMAICA 1982』は、『ミュージック・マガジン』などで活躍中の写真家・ライターの石田昌隆の写真集。タイトルにあるように、1982年のジャマイカ(の主に音楽シーン)をとらえたもので、同年の7月7日から8月25日までの53日間滞在して撮影した写真が編まれている。サウンドシステム、スラム街、レコード店、ナイヤビンギ、人々……写真を見ているとベースの音が聞こえてくる。ハーブの香りも匂ってくる。この時期のジャマイカの音楽シーンの写真としては、世界的にみても貴重なものばかりじゃないだろうか。石田さんの撮り方/構図がじつにキマっているので、どの写真も格好良すぎるほど格好いい。石田さんの目には、ジャマイカがこのぐらい格好良く見えていたんだろう。貧しい、しかしこいつらは絶対に格好いい。なんにせよ、これで石田さんが見てきた風景のいちぶをぼくたちも共有できる。まったく嬉しい限り。発売は7月6日。石井志津男さんのオーヴァーヒートからのリリース。
 写真集の刊行に併せて、原宿のBOOKMARCにて写真展も開催される。この機会にぜひ、迫力満点の生の写真も見て欲しい。

【写真集】
■タイトル:JAMAICA 1982
■著者 :石田 昌隆
■ページ:64ページ(全フルカラー)
■サイズ:A4横開き(210mm×297mm)
■発売日:2018年7月6日
■定価:3,800円(税別)
■品番:OVEB-0004
■ISBN:978-4-86239-831-4
■発行:(株)OVERHEAT MUSIC / Riddim Books


【写真展】
■会場:BOOKMARC(ブックマーク)
東京都渋谷区神宮前4-26-14
TEL:03-5412-0351
■会期:2018年7月7日(土)~16日(月・祝)
・7月6日(金) オープニング・レセプション
・7月15日(日) トークショー


【石田 昌隆(いしだ まさたか)/ PHOTOGRAPHER】
著書に、『黒いグルーヴ』(1999年)、『オルタナティヴ・ミュージック』(2009年)、『ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍』(2014年)がある。現在、アルテス電子版で『音のある遠景』を連載中。撮影したCDジャケットに、矢沢永吉『The Original 2』(1993年)、フェイ・ウォン『ザ・ベスト・オブ・ベスト』(1999年)、ソウル・フラワー・ユニオン『ウインズ・フェアグラウンド』(1999年)、『Relaxin‘ With Lovers』(2000~2018年 全15作品)、ジェーン・バーキン、タラフ・ドゥ・ハイドゥークス、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ズボンズ、カーネーション、濱口祐自、LIKKLE MAIほか多数。旅した国は56カ国。

【写真展 会場/BOOKMARC(ブックマーク)】
ニューヨーク発のファッションブランド「マーク ジェイコブス」が手がける新感覚ブックストア。
2010年9月にNYのBleecker Streetに第1号店をオープン。世界5店舗目となるストアとして、2013年10月、 東京・原宿にギャラリーを併設したストアをオープン。
『BOOKMARC』を作るきっかけとなったのはNYのWest Villageにあった本屋が閉店するニュースでした。
デザイナーであるマーク・ジェイコブス本人やブランドのCo-Founderであるロバート・ダフィーは共に本に 対して並々ならぬ情熱を持っており、元々マーク BY マーク ジェイコブスのストアでは厳選された本を 取り扱っていたが、West Villageのその本屋をありのまま引き継ぎ、本のバリエーションを増やすことで、マーク ジェイコブス ブランドのインスピレーション源を表現する新しい顔をつくることに成功した。そして、 『BOOKMARC』は、アートに関する書籍を中心として取り扱う小さな本屋の新規開店が少なくなった昨今、実際に本を手に取り、書籍の素晴らしさを再認識し、その場で購入できる場所を提供したいという願いが込められている。
『BOOKMARC』では芸術、写真、ファッションや音楽に関する書籍は勿論のこと、詩集や芸術論に至るまで、様々なジャンルの厳選された書籍を取り扱っている。またコレクターたちを虜にするヴィンテージ本やサイン本も多数揃えている。

住所:東京都渋谷区神宮前4-26-14 TEL:03-5412-0351
営業時間:11:00~20:00 定休日:不定休
ギャラリー併設:BOOKMARCの地下スペース


interview with Laetitia Sadier (Stereolab) - ele-king


Laetitia Sadier Source Ensemble
Find Me Finding You

Drag City

Amazon

 Initially emerging as a curiously conceptial bubblegum pop tangent from the shoegaze scene, Stereolab throughout their career embodied a series of tensions – between accessible and experimental, complex and grindingly simple, personal and political. Their music was never purely bubblegum: it had to be John Cage Bubblegum, it was never purely avant-garde: it had to be Avant-Garde AOR.
Stereolab’s roots lie in guitarist/main songwriter Tim Gane and lead vocalist/lyricist Laetitia Sadier’s time with jangly indiepop band McCarthy, with whom Stereolab shared similary explicit leftwing politics.
However, where McCarthy’s lyrics were typically sarcastic dissections of the absurdities of contemporary political life, Stereolab’s politics tended to be more reflective and even romantic, revelling in their own uncertainty, feeling out the relationship between self and society with less confidence and more innocent curiosity.
Their early records were infused with a gushing enthusiasm for the motorik rhythms of Neu!, which they then filled out with organ drones, and it’s probably fair to say that, along with Julian Cope, Stereolab were in large part responsible for the UK music scene’s rediscovery of Krautrock in the 1990s. However, from around 1994’s Mars Audiac Quintet, and more explicitly on 1996’s Emperor Tomato Ketchup, the band’s sonic palette broadened considerably, incorporating influences from ‘60s film soundtracks, French pop, jazz and a more sophisticated use of electronic elements.
Through all these mutations, the group’s unique and instantly recognisable sonic identity was Laetitia Sadier’s vocals, which simultaneously embodied a cool detachment and an unaffected romanticism. Sadier’s vocal foil for much of the ’90s was keyboard player Mary Hansen, and the interplay between the two singers helped to define the group up until Hanson's death in a road accident in 2002. Their combination of deadpan delivery and breezy “ba-ba-ba”s reflected a broader dynamic within the band’s music between pop’s desire to give you everything all at once and an avant-garde wariness of making things too easy.
From the start, Stereolab infuriated the UK music press with cryptic song titles and obscure puns alongside what seemed like a contrarian insistence that what they were doing was pop. And it was pop in the sense that, at its heart, Stereolab’s music was generally simple and melodic, drawing on familiar chords and rhythms – the song Transona Five was built around the instantly recognisable beat of Canned Heat’s On The Road Again, for example.
It also reflected a punkish rejection of the grownup world and a love of childish thrills. It’s there explicitly in song titles like We’re Not Adult Orientated, but also in the dadaist delight in nonsense that led to them describing the tracks on Transient Random-Noise Bursts With Announcements with gnomic nuggets of hi-fi wisdom like “subjective white noise” and sci-fi surrealism like “underwater aztec”.
In some ways, Stereolab were like a precociously smart teenager experiencing first love: so keen for you to like them, but always holding something back; complicating every simple expression of their feelings, but also underscoring every attempt to be cool and aloof with something disarmingly honest.
In the end though, perhaps the band themselves were always their own best reviewers, so it may be best to leave the last words to them:
“Constantly evolving, curious / Sombre, obscure, dark and luminous / Vitriolic, stringent, prophetic.”

Yeah, and I think that’s the beauty of pop: that it is this simple, conservative structure that lends itself perfectly to being disturbed and disrupted.

IAN:
Since this issue of the magazine is focused on avant-pop, I’m interested in how you feel about that term. With me, I find that I use it a lot without ever really thinking about what it means. It’s certainly a term that has often been used to describe Stereolab, but was it a term you ever felt comfortable with?

LAETITIA:
Well, as you know, artists don’t like to be pigeonholed in any way, so no term would suit. But if I were to choose one, this would actually be quite legitimate, because there were strong pop references in our music, and it was our structure for a lot of what we were doing. And there was an immense liberty between a verse and a chorus, where Tim might want to try out some ideas, so there would be these “avant” ideas perhaps between parts four and seven of track three on the album. That’s how I understand the “avant” in “avant-pop” – it’s taking liberties and being free to explore inbetween a rather simple structure, without our music being “avant-garde” strictly speaking.

IAN:
It also seems to me that the term “avant-pop” embodies a contradiction. There’s something fundamentally conservative about pop, in that it’s music that wants you to feel comfortable in how you already are, whereas the avant-garde is about taking you out of your comfort zone.

LAETITIA:
Yeah, and I think that’s the beauty of pop: that it is this simple, conservative structure that lends itself perfectly to being disturbed and disrupted. I think The Beach Boys were masters of hiding an incredible amount of complexity and even darkness beneath something that on the surface is so shiny and friendly – when inside it’s just plain weird! So in that regard pop can be very subversive and can be a danger to society! (Laughs)

IAN:
You mention about the the importance of simplicity, and I remember reading something that Tim said about how a lot of the simplicity and minimalism of early Stereolab was dictated to a large degree by your own limitations as musicians.

LAETITIA:
Yeah. Indeed, you have what you have, and you have to work with that. In a sense it’s more liberating to accept the physical limitations. It’s much more hindering to have too many possibilities and have to narrow it down rather than have a much more narrow terrain to work with and think, “How do we exploit this bit of land here and how do we extract the gems?” There was a fair amount of limitations because we were not schooled musicians. But the aim wasn’t to be virtuosos, and I guess that’s also part of the pop thing. You don’t have to be a virtuoso: you just explore your capabilities within the context of being a normal human being, not some supreme creature touched by the hand of God! It was more punk: do the best with what you’ve got.

IAN:
Within punk, there seemed to be a lot of affection – sometimes a little ironic and sometimes more sincere – for the bubblegum extremes of pop music. The Sex Pistols covering The Monkees etc., despite them not seeming ideologically compatible on the face of it.

LAETITIA:
But they were! I don’t know if I can make the class system step in, but I will! It was about the working classes taking power, exercising their self-determination, so that’s very important and very dangerous. You know, The Who and The Kinks were probably seen with an air of suspicion by the authorities because they had an incredible amount of sway with the youth. They were a bit threatening, and of course so were the punks. And the punks made a point of saying, “I didn’t go to school for this, and I’m going to make it as simple and direct as I can to show that anybody can do this!”

That’s what I find so appealing in that sort of pop, is that it was very political. Not political with a big “P” but it was about people taking matters into their own hands through their art. That’s how I educated myself politically: it was through music, not through reading Karl Marx.

IAN:
Yeah. When Stereolab started, one of their most audible influences was Krautrock, which was a music with its own kind of simplicity. But Krautrock also embodied this thing that wasn’t only a class thing but also this attempt to get away from the Anglo-American hegemony over rock music.

LAETITIA:
Yeah, and again there was a big element of self-determination and saying “Fuck you!” to the man. That’s what I find so appealing in that sort of pop, is that it was very political. Not political with a big “P” but it was about people taking matters into their own hands through their art. That’s how I educated myself politically: it was through music, not through reading Karl Marx – because it’s hard to read Karl Marx! And far less immediate than listening to a pop album.

IAN:
Of course, as your career progressed, you all became better musicians and so some of those limitations fell away. How did you keep in touch with that simplicity?

LAETITIA:
The watershed point would be “Emperor Tomato Ketchup”. That’s where it shifted to something more overtly complex. I didn’t write the music, so it’s difficult for me to answer this clearly, but as far as I know, each album stemmed from an idea, and it would imply some kind of restriction. One album was written entirely where none of the notes from the melodies appeared in the chord that was sustaining the melody – which I think is great. It brings about more tension. It wasn’t dissonant, but I think “tension” is the word that springs to mind, and that for me makes it an interesting song. Another example was “Margarine Eclipse”, which was essentially three albums, because we had one on the left speaker, one album on the right speaker, and then you had the sum of the two, which created the third album, so that was another sort of conceptual idea. There were often little tricks like that, which sustained entire albums.

IAN:
You’ve mentioned the idea of “tension”, and your work often has a kind of tension between music that on the face of it seems cheerful, happy, pleasant, and lyrical content that’s quite dark or angry. I’m thinking particularly of “Ping Pong” off “Mars Audiac Quintet”, where the lyrics about the cycles of economic downturn and war seem ever more relevant with the way the world seems to be heading now.

LAETITIA:
Yeah, absolutely. It’s difficult for me to say why I write certain things, but I know what you mean, especially with Stereolab, there was more darkness than originally suspected from a first glance. We were very serious about what we did. It was our way of making sense of our lives and of being autonomous. And of course I’ve always been very very sensitive to the way the world is going, and in fact since I was born it’s just getting worse. I always felt that we could organise ourselves a bit better, and I don’t mean a utopian society where everybody’s cool and the sun shines every morning – I just mean, “Hold on a minute: we can do this a little bit better so that it works out for more of us who are living on this planet.” And yet it seems that, “Oh, my God, we can’t!” The pathology has only gotten worse and deeper, at least on the surface. Because there’s a lot of good things as well that are happening, and people are getting organised in more silent ways – silent in the sense that you might not hear about it. People are going, “You can’t expect anything from governments: we’re going to have to do it ourselves!” and that I view as a good development: people taking matters into their own hands on a local level.

IAN:
Do you think there’s a parallel between what you’re describing there and the music scene? Something about the idea of organising independently of power structures?

LAETITIA:
I don’t know, because in my own experience, in my band, there were a lot of power structures actually. It wasn’t a democracy, in the sense that Tim monopolised the entire musical field and operated as a kind of “soft tyrant”. I mean, I had all the freedom lyrically speaking, but only because he couldn’t do it! (Laughs) So I don’t have an idealised view of being in the band. I’ve never been in a band where everyone wrote together. Even in my own band, I write almost everything. Sometimes on certain songs I give my bassist Xavi (Munoz) the chords and he writes a bass line, and then I have to write a melody on top of that, and it’s like, “Shit! He took all the melodic feel!” but it’s great because you have to dig deeper. So this thing about relinquishing control is probably difficult if you have a very strong artistic expectation, which I think Tim had. But also as a result I think our music was very reined in. It might seem crazy, but I’ve been listening to Stereolab’s old records recently, and they’re very repressed. But it’s really hard to let go and to let things flow, and I think that’s the reserve of some really, really great musicians where the’re totally on top of their instrument and go beyond.

IAN:
Do you think that having your creativity channeled narrowly into your lyrics and vocals influenced the way you make your own music?

LAETITIA:
Yeah, yeah, of course! And also what it forced me to do was start my own band, which was Monade, and I think Tim was very relieved! (Laughs) And, yeah, so that was a creative way around this issue, because I wanted to write my own songs, I had my own ideas, which are actually very similar to Stereolab, so I think I could have co-written much more with Tim. I’ve done seven albums now, and to my dismay I’m like, “This is still very influenced by Stereolab!” It’s really strange how each time I try to let go of that, I’m always face-to-face with that root, which I created. And I listen to what Tim is doing, and it’s still also... there’s no escaping it! It’s absolutely crazy! I don’t know, I could maybe write some reggae stuff to break it, but then it wouldn’t be me!

IAN:
But also one of the most powerful things music can do is that it creates a world. People fall in love with bands because they create worlds that they’re able to immerse themselves in and feel comfortable with. I wonder if the difficulty you describe in escaping Stereolab is a measure of how immersive the world you created was.

LAETITIA:
I don’t know. I find myself quite good at getting out of my comfort zone, at least when I compare myself to people I know. So I don’t know if what I’m looking for is something comfortable that I recognise, that I identify as safe. And particularly in the artistic field, where I feel that’s where you should be most free, and most adventurous. There’s no danger of hurting anyone because, as you say, it’s a world we create.

Yeah, and also coming from psychoanalysts themselves. It was always around “the problem came from your parents,” never from society.

IAN:
That comes back in a way to the “avant” side of avant-pop, right? The need to step out of your comfort zone, and also to take the listener out of their comfort zone.

LAETITIA:
Yeah, this is the duty! But maybe that’s where one can act and maybe not have that pretension of taking anyone out of their comfort zone, and simply do what comes best, and not be too complicated. I worked with Colin Newman recently, and his wife Malka Spigel who was in (Belgian postpunk band) Minimal Compact. I didn’t know that they worked with a looper where things had to be four and four and four and four, and so I was sending something which I found quite interesting and fun and not too complicated, and they totally rejected it! What they did was they took parts of the song and then they looped it. And it worked fine, but I realised that, compared to what they were sending me, it just gave me a glimpse of how complex I make things and how I could simplify it a lot. I’m not saying it’s good or bad; it’s just an insight.

IAN:
A friend of mine once remarked to me that he thinks Stereolab must be the band whose lyrics contain the word “society” more than any other. And I was thinking how this idea of looking at the structure of the world in many ways goes against the rather individualistic world of pop or rock music.

LAETITIA:
Yeah, there’s a dichotomy between a world of egos and society. And I wanted Stereolab’s lyrical work to bridge the very intimate and personal and society; where does political start and where does it end? Because the way I saw it was let’s be as complete as we can, and for me being complete is talking about things that matter to me. Some people view pop music as a means to escape reality, so if you talk about mindless things, or if you “settle the accounts” with somebody, or express the world of feelings around a relationship. I do explore emotional stuff as well – that wasn’t excluded. It just seemed to me that let’s talk about important stuff, because there’s enough of it going on out there that we can discuss or at least question, because a lot of what I talked about in my lyrics were just questions for myself. Even the capitalist, the individualist, all this is stuff I could feel within myself. It was like, “No, I can be that monster too, and I’d like to interrogate that.”

IAN:
It seems that we’re often being encouraged by society to think very internally and to not really interrogate the relationship between ourselves and the outside world. In the song “The Well-Fed Point of View” by yours and Tim’s old band McCarthy, the lyrics tackle this quite directly.

LAETITIA:
Yeah, and also coming from psychoanalysts themselves. It was always around “the problem came from your parents,” never from society. And in fact, I got very interested in a guy called Cornelius Castoriadis. He wasn’t just a psychoanalyst, he was many things, but he was married to a very famous psychoanalyst (Piera Aulagnier) in the ‘60s, ‘70s, ‘80s in Paris, and they both were some of the first in the field to interrogate the impact of society on the human psyche. But it’s amazing to see that they were rare ones. Like, as if society did not impact your psyche, your unconscious, which I find extremely dubious! Of course it’s going to have an impact: everything has an impact on us: the architecture, the way the streets are laid out. It’s like if doctors are saying whatever you eat doesn’t impact your health: how can you say that?

IAN:
You mention architecture, but that’s true of music as well, right? The aesthetics, or the “internal architecture” of music also has an impact that goes beyond the lyrics.

LAETITIA:
Yeah, I think so. And the production of the song will say a lot. It’s a language.

IAN:
There seems to be an ease pop culture in Japan has in disconnecting the aesthetics from the content. But at the same time, maybe that’s impossible because the aesthetics have an impact of their own that is connected to the content.

LAETITIA:
Yeah, and I think there was enough happening aesthetically in our work that people would suspect that it had a revolutionary intent: that this wasn’t your regular pop group. And I think in Japan people were very savvy as well when it came to music. People knew their stuff! Not to mention that we called one of our albums “Emperor Tomato Ketchup”, which was named after a super-revolutionary Japanese movie.

IAN:
By Shuji Terayama, yeah.

LAETITIA:
I haven’t seen it! I haven’t read Marx and I haven’t seen “Emperor Tomato Ketchup”! (Laughs) Don’t tell them!

IAN:
It’s too late. It’s on tape! With the many collaborations you’ve been involved in, do you think that enriches your music?

LAETITIA:
Definitely. Like I said, it gets you out of your comfort zone, and it forces you to a sort of activity to be productive, because anything could make you go out of productivity: feeling a bit depressed or this or that or the other. It’s good to be kept in action. And stuff comes out that wouldn’t normally come out, so it’s very instrumental in keeping the creativity bubbling and active.

IAN:
Are there any particular projects that you’ve worked on with other people that stand out as being especially rewarding experiences for you?

LAETITIA:
When I worked with Jan and Andi (Mouse on Mars). It was so brilliant. We had a tour of Greece and Italy booked up and we had to come up with an hour’s worth of music, and it was the first time I was working like this outside of Stereolab. It was really difficult for me because I wasn’t confident that I could do this. I then learned that if I’m asked to do it, that means that I can do it! So that became my sort of motto. And yeah, somehow we did it and we had such a fun tour – it was such an adventure! But working with people, each time it’s a different adventure. I’m currently working with a Brazilian band called Mombojó, and we created a group together called Modern Cosmology – we made a video called “C’est le Vent”, “It’s the Wind”, which gives an idea of our collaboration. I can only see the positives of working with other people and “crossbreeding” (laughs) your creativity.

IAN:
So you made three albums with Monade, then three just under your own name, and then more recently one as Laetitia Sadier Source Ensemble. It seems like there’s a period there where your identity is subsumed within this idea of a band, then three albums where you push your own individual identity to the foreground, and then finally this third stage where you’re trying to reconcile the collective and the individual. Would you say there’s something like that going on in the process?

LAETITIA:
Yeah, thank you for summing it up so beautifully! Yeah, it’s true that there’s time where you’re in the playground and you’re working out who the hell you are like, “This is me.” And then there are some times where you open it up and it’s like, “This is me in the world, this is me and my friends, and this is collective me.” And even when I was in my “this is me” period, Laetitia Sadier, I was still well aware that nothing that I do is just the product of solely me: it’s the product of many people’s involvement. And it seemed to me that it was an important point to make when I “Source Ensembled” Laetitia Sadier, because we’re told that “This is just you, and you and you and you alone!” and that’s wrong: that’s a lie. We are all connected here.

IAN:
Jumping back to Stereolab, I think it’s interesting that the band is in many ways a product of the 1990s and the age of CDs. For example, most Stereolab albums are far too long to fit onto a single piece of vinyl. But at the same time, they’re also albums that seem designed to be appreciated on vinyl.

LAETITIA:
Yeah, like any music that respects itself! (Laughs) It’s true. I have a turntable in my kitchen and a CD player, and I’m not attached to the object at all, and I would prefer to listen to CDs because you don’t need to worry about turning it over. But now I realise there’s something different about vinyl. I don’t know what it is, but it’s just more music-friendly.

IAN:
I think the way it forces you to constantly attend to it by turning it over every fifteen minutes encourages a different, more attentive sort of listening.

LAETITIA:
Yeah, it’s funny how this kind of alienation in fact gives you more connection with the record.

IAN:
Perhaps it goes back to the idea of tension again. In this case, rather than tension within the music, it’s tension between the listener and the medium itself that engages the listener. The other extreme would be Spotify or something, where you just put on a playlist while you’re cooking.

LAETITIA:
Yeah, you just consume it. I don’t have Spotify, but my son’s got it and it’s amazing though. Just say a band and there you have it. I think I’m going to have to get it, especially because I’m going to be on Spotify as of this month (April 2018). The Drag City catalogue is on all the streaming platforms, which it wasn’t before – Drag City have given in! It’s tricky but times are changing and people just have new ways of listening to music. There’s a lot of people out there – have you seen all this youth out there! (Laughs)

IAN:
OK, I guess before we finish, I should just ask if there’s anything more you’ve got coming up that you’d like to tell us about.

LAETITIA:
Well, really the main thing at the moment is my project with those Brazilian boys, Modern Cosmology. Apart from that, I’ll make it to Japan again maybe not this year but next year, one way or another.

GLOBAL ARK 2018 - ele-king

 DJミクが主宰する〈GLOBAL ARK〉が今年もある。場所は奥日光の、もっとも美しい湖のほとりだ。日本のダンス・カルチャー(とりわけワイルドなシーン)を切り開いていったリジェンド名DJたちが集結し、また、海外からも良いアーティストがやってくる。ローケーションもかなりよさげ。スマホが使えないエリアだっていうのがいい。〈GLOBAL ARK〉は、手作りの昔ながらのピュアな野外パーティだが、スタッフは百戦錬磨の人たちだし、屋台も多いし、宿泊施設もしっかりあるから、安心して楽しんで欲しい。気候の寒暖差にはくれぐれも気をつけてくれよ。

 2009年にはじまったノースサイド・フェスティヴァルは、SXSWのブルックリン版とも呼ばれている。ブルックリンのノースサイド(グリーンポイント、ウィリアムバーグ、ブッシュウィック)で行われ、これまでもこの連載でも何度かカヴァーしてきた
 10年目に突入した今回は、イノヴェーション(革新)と音楽に的を絞り、300のバンド、200のスピーカーがライヴ会場からクラブ、教会からルーフトップ、ピザ屋およびブティック・ホテルなどに集まり、朝から晩までの4日間に渡るショーケースが催された。


Near Northside festival hub


Innovation panel @wythe hotel

 2018年のイノベーション・テーマは「未来を作る」。この先5年後の世界を変えるであろう、スタートアップの設立者、起業家、デザイナー、ジャーナリスト、マーケッターなどがパネル・ディスカッション、ワークショップ、ネットワーキングなどを通し、未来について熱く語った。
 登場したのは、imre (マーケッター)、バズ・フィード(メディア)、ディリー・モーション(VR)、メール・チンプ(メディア)、ニュー・ミュージアム( メディア)、パイオニア・ワークス(メディア)、レベッカ・ミンコフ(デザイナー)、ルークズ・ロブスター(フード)など。WWEBD? (what would earnest brands do?/真剣なブランドは何をするか?)という主題について、経験や物語などを通して語る。ブランドの力や自分のケースなどを例に出し、ブランドに必要な物をアドバイスするという。スピーカーとモデレーターも真剣勝負で、人気パネルは立ち見もあったほど。ちなみにイノベーション・パスは$599。


Innovation panel @williamsburg hotel

 昼間にイノベーションが行われ、その後に音楽プログラムがはじまる。今年のハイライトはリズ・フェア、ルー・バロウ、パーケケイ・コーツ、ピスド・ジーン、スネイル・メール、ディア・フーフという、90年代に活躍したバンドが目立った。地元の若いバンドは、ブッシュウィックのアルファヴィル、リトルスキップに集中していた。野外コンサートは今年はなかったが、パーケット・コーツとエチオピアのハイル・マージアが出演する3階建てのボート・クルーズが追加された。時代はファンシーである。


Thu June 7 th

Corridor
Lionlimb
Snail mail
@ Music hall of Williamsburg

Lau Barlow
@knitting factory

NNA tapes showcase:
Erica Eso
Tredici Bacci
@ Union pool

Fri June 8th

NNA tapes showcase:
Jake Meginsky
Marilu Donovan
Lea Bertucci
@ Film noir

Sat June 9th

Brooklyn vegan showcase:
Deerhoof
Protomartyr
@ Elsewhere

Wharf cat showcase:
Honey
The Sediment club
Bush tetras
@ El Cortez

 木曜日は8時ごろリズ・フェアーに行った(彼女の出番は9時30分)が、2ブロックほど長ーい行列があるのを見て早速諦める。隣のミュージック・ホールでコリドーとライオン・リムを見る。モントリオールのコリドーは初NYショーで、ジャングリーな勢いを買う。ブッシュウィックにミスター・ツインシスターやピル、フューチャー・パンクスなどを見に行きたかったが、時間を考えると無理だと諦め、代わりに近所の会場をはしごした。
 スネイル・メールに戻ると、会場はぎゅうぎゅうになっていた。この日は彼女のニュー・アルバム『Lush』の発売日。白いTシャツに黒のテイパーパンツ、スニーカーだけなのに、超可愛い! 彼女の唸るような声は特徴的で、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、なんでも大げさに反応するオーディエンスに「クレイジー」と言っていた。その後ルー・バーロウの弾き語りを見て、NNA tapesのショーケースに行く。ライアン・パワーとカルベルスは見逃したが、エリカ・エソとトレディシ・バッチを見た。


Snail mail @MHOW

 エリカ・エソは、アートポップ、シンセ・アンサンブル、ギターレスの現代的R&B、クラウトロックなどを織り交ぜた白人男子と黒人女子のツイン・ヴォーカルがシンクロする、新しい試みだった。
 トレディシ・バッチ(13 kissesの意味)は、トランペット、サックス、オーボエ、3ヴァイオリン、キーボード、ドラム、ヴォーカル、フルート、ベース、ギター兼指揮者の14人編成のオーケストラ・バンドで60、70年代の、イタリアン・ポップ・カルチャーに影響されている。フロントマンのサイモンはスツールに立ち、みんなを指揮しながらギターを弾き、オーディエンスを盛り上げ、ひとり何役もこなしていた。彼のハイパーぶりも凄いが、ついてくるバンドも凄い。必死にページをめくっていたし、ヴォーカルの女の子は、すましているのにオペラ歌手のような声量だった。


Erica Eso @ union pool


Toby from NNA Tapes


Tredici Bacci @union pool

 金曜日、2日目のNNA tapesショーケースは、「新しい音楽と映画が出会うところ」というテーマで、ミュージシャンとヴィジュアル・アーティストがコラボする試みだった。会場は映画館。ジェイク・メギンスキーは、ボディ/ヘッドのビル・ナースともコラボレートするエレクトロ・アーティストで、宇宙感のある映像をバックにメアリール・ドノヴァン(of LEYA)は、アニメーションをバックにハープを演奏。リー・バーチューチは、自然の風景をフィーチャーした映像をバックに天井も使い、サックス、エレクトロニックを駆使し、ムーディなサウンドトラックを醸し出していた。映像を見ながら音楽を聞くと、第六感が澄まされるようだ。可能性はまだまだある。


NNA Tapes merch

 最終日は、写真でお世話になっているブルックリン・ヴィーガンのショーケースにディアフーフ、プロトマーダー(Protomartyr)を見にいった。ディアフーフは、ドラムの凄腕感とヴォーカルの可愛いさのミスマッチ感が良い塩梅で、全体的にロックしていてとても良かった。プロトマルターはナショナルみたいで、ごつい男子のファンが多かった。


Deerhoof @elsewhere

 それから近くの会場に、硬派なバンドが多いワーフキャット・ショーケースを見にいく。ハニーは見逃したが、セディメント・クラブは無慈悲なランドスケープを、幅広く、残酷にギターで表現していた。ブッシュ・テトラス、NYのニューウェイヴのアイコンが、10年ぶりにEPをリリースした。タンクトップ姿のシンシア嬢は、年はとったがアイコンぶりは健在。80年代CBGB時代のオーディエンスとワーフ・キャットのミレニアム・オーディエンスが、同じバンドをシェアできるのはさすが。
 その後アルファビルに行くが、シグナルというバンドを見て、すぐに出てきた。この辺(ブッシュウィック)に来ると、ノースサイドの一環であるが、バッジを持っている人はほとんどいない。


The sediment club @el Cortez

 今年はハブがマカレン・パークからウィリアム・ヴェール・ホテルに移動し、会場もブッシュウィックやリッジウッドが増えた(ノースサイドからイーストサイドに)。日本にも進出したwe workは、ノースサイドのスポンサーであり、ウィリアムスバーグのロケーションをオープンすることもあり、この期間だけイノベーションのバッジホルダーにフリーでデスクを提供していた。
 ハブにもデスクがあり、コーヒー、ナチュラルジュース、エナジーバー、洋服ブランド、ヘッドホンなどのお試しコーナーもある。ウィリアムスバーグ・ホテル、ワイス・ホテル、ウィリアム・ヴェールの3つのホテルを行き来し、合間に原稿を書く。ノースサイドの拠点は、豪華なブティック・ホテルが次々とできているウィリアムスバーグ。高級化は止まらず、それに応じてフェスが変化し、イノヴェーションが大半を占めるようになった。時代はデジタルを駆使し、いかにブランドをソーシャル・メディアで爆発させるかで、音楽のヘッドライナーも懐かしい名前が多かったが、若いブルックリンのインディ・バンドたちはDIYスペースで夜な夜な音楽をかき鳴らし、「ノースサイド・サックス」と言いながら別のシーンを創っている。とはいえ、こういうバンドなどを含めてすべて巻き込むノースサイドの力こそが、いわゆるブランド力ってものなのかもしれない。

Yoko Sawai
6/10/2018

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114