Kingdom Vertical XL Fade to Mind |
Kelela Cut 4 Me Fade To Mind |
2013年も更けるころ、〈ナイト・スラッグス〉(Night Slugs)からエジプトリックスの新譜『A/B・ティル・インフィニティー』が出たけれど、これがなんともダークで重苦しい。“わが人生はヴィヴィッド、わが目は開かれている”なんて曲名もあるけど、いやいや、そんな。インダストリアル・ブームの一例でしょう。派手に花開いた妹レーベル〈フェイド・トゥ・マインド〉(Fade to Mind)とは対照的に、〈ナイト・スラッグス〉は暗闇のなかへ潜もうとしているのだろうか。ロゴも「深夜」バージョンに変わったし。
海外の音楽メディア各誌の年間ベスト・トラックに“バンク・ヘッド”(Bank Head)が選出されたことは、なにも驚くことではなかった。朝焼けのように拡がっていくシンセにシンプルなクラップが響くサビ、そこからベースにのってケレラのファルセットが舞う瞬間を聴けば、まさに諸手を挙げてそう言いたくなるに決まっている。身体が、ゆっくり宙に浮くように、無理なくダンスへ誘導される、あの昂揚感。そのトラックを仕込んだのがキングダムだ。
〈フェイド・トゥ・マインド〉をプリンス・ウィリアムと共同経営しているキングダムに訊いたのは、彼のルーツ。〈ナイト・スラッグス〉との出会い。レーベルの始まり。ケレラ(Kelela)をふくめ、彼が愛してやまないR&Bのこと。ファッションと音楽。グラフィティ。そして、これからのこと。
おっと、昨年末に出た紙版エレキング最新号は見ていただけましたか? エレキングのためにリエディットしてもらった〈フェイド・トゥ・マインド〉のグラフィック特集が綺麗なカラーで8Pも掲載されているのでぜひ買ってみてください。
そして、全5色もある〈フェイド・トゥ・マインド〉スナップバック・キャップの一番ベーシックでかっこいい黒色も〈Anywhere Store〉で販売中なのでぜひ買って被って街を歩いてください。
田舎だったからレイヴなんて夢のような話だったよ。高校に入る頃には、ジャングルのような当時流行ってた電子音楽にすごく入れ込んではいたけど、レイヴへのアクセスの仕方を知らなかった。部屋でブラックライトを点けて、友だちを呼んで音楽を聴くことはあったけどね。だからベッドルーム・レイヴァーだったとは言えるかな。
■では、最初に訊かせてください。「Where Were U in '92?」
キングダム:ははは(笑)。そのときは10歳だったから小学4年生だったのかな。僕はマサチューセッツ州のなかでも本当にマサチューセッツなところで育ったんだ。文字通り森のなかでさ。毎日小学校に行くために森を抜けて行かなくちゃいけなかった。当時はたしか、ア・トライブ・コールド・クエストだったり、マドンナみたいなユーロダンスものとか、クリスタル・ウォーターズやC&Cミュージックファクトリーのような、風変わりな90年代のダンスミュージックを聴いてたよ。それに僕はとても野蛮な子供だった。両足に違う色の靴下を履いたり、すごくクレイジーな格好をしていたよ。それが1992年の僕だね。まだベイビーだった頃の話(笑)。
■ベイビーの頃からスタイリングに意識があったんですね。もしかしてレイヴに行っていましたか?
キングダム:いいや。僕が育った場所はすごく田舎だったからレイヴなんて夢のような話だったよ。90年代後半になって高校に入る頃には、ジャングルのような当時流行ってた電子音楽にすごく入れ込んではいたけど、レイヴへのアクセスの仕方を知らなかったしどこへ行ったら参加出来るのかもさっぱりだった。ボストンにはいくつかシーンが存在していたみたいだけど、もちろん18歳か21歳以上じゃないと入れないようなパーティだし、僕の街でジャングルを聴いてる人なんて他に誰も知らなかったから一緒に行く人もいなかった。部屋でブラックライトを点けて、友だちを呼んで音楽を聴くことはあったけどね。だからベッドルーム・レイヴァーだったとは言えるかな。
18歳になってアートスクールに通う為にニューヨークに出てくるまで、クラブ自体行ったこともなかったんだ。それに2000年頃にはニューヨークのレイヴカルチャーの勢いは既にだいぶ落ち着いていた。有名なマイケル・アリグの事件(レイヴァーの若者によるドラッグが原因の殺人事件)が起きた直後だったこともあってニューヨークの多くのクラブが閉鎖されてしまった時期だったから。だからニューヨークでレイヴイベントに行くには時期的にも少し遅すぎた。
■〈フェイド・トゥ・マインド〉の姉にあたる〈ナイト・スラッグス〉の本拠地はイギリスですが、住んだことはありますか?
キングダム:イギリスに住んだことはないけど、何回も赴いているね。僕は音楽をずっとやってるけど、パーソンズ美術大学に通っていたこともあって、元々はアーティストになることが目標だったんだ。当時ニューヨークのギャラリーで働いていたんだけど、そのギャラリーが『フリーズアートフェア』(Frieze Art Fair ロンドンで毎年10月に開かれる国際的な美術展)に出品したときにブースに立って作品を売る仕事を任された。そんなに得意な仕事ではなかったけどね。それが初めてのロンドンかな。それから色んな偶然が重なって、次第にDJとして知られるようになってギグも増えてきて。それで2007年に最初のミックステープをリリースしたんだ。
〈ナイト・スラッグス〉(Night Slugs)のボク・ボク(Bok Bok)のことはフリッカーで見つけたんだよ。彼がデザインした作品が載っていて。それで作品について彼にカジュアルなメッセージを送ったことがあったんだけど、返事が来なかった。そしたら後々彼から「ミックステープいいね! 僕、こんどニューヨークに行くんだけどさ」ってメールがきた。フリッカーで無視したくせにって言ったら彼は笑っててさ(笑)。それからメールのやりとりが始まってたんだけど、ボク・ボクがニューヨークに来るときに、当時僕がやってた〈クラブ・ヴォーテックス〉(Club Vortex)っていう小さなパーティーでDJすることになった。結局彼が来る前に僕がロンドンに行くことになって、その代わりに〈ナイト・スラッグス〉の第二回目のパーティーで僕もプレイしたんだ。2008年頃のことだけど、音楽が理由でロンドンに行ったのはそれが最初だよ。
■マサチューセッツの森のなかやニューヨークに住んでいた時は、どうやって音楽を聴いていたのですか?
キングダム:マサチューセッツ州に居た高校時代は、90年代後半とはいえインターネットはまだそんなに発展していなかった。でもボストンには良質でインデペンデントな音楽文化が存在していたこともあって、レコード屋にはアメリカのものに限らず、ロンドンから輸入されたジャングルの12インチなんかもたくさん置いてあったんだ。だから最新のロンドンのジャングルにはとても簡単にアクセスできる状況だったし、たくさん集めても居たよ。当時はそういうものをレコードで聴いていたね。ニューヨークに住んでいた2002年から2010年までの間は、初期のころはとくにそうなんだけど、地元発の音楽がすごく魅力的だったな。例えばプエルトリコ系移民がたくさん居たから、大衆音楽になってしまう前のクラシックなレゲトンのスタイルにはとても魅了されていた。サンプルを大胆にチョップして作られた生々しさのあるクラブ・ミュージックだったんだけど、ストリートでブートレグのCDを買ったりしていたよ。ジャマイカ系移民がやってたダンスホールも同様だったし、ヒップホップも〈HOT97〉(ニューヨークのヒップホップ専門ラジオ局)からキャムロンやディップセッツのようなニューヨーク発のヒップホップが流れていた。
地元にそういう音楽があった一方で、インターネットではUKベースやジャングル、グライムなんかのイギリスの音楽を掘り下げて聴いていたんだ。だから当時の僕の音楽的背景はニューヨークのアーバン・ミュージックと初期のUKレイヴ・ミュージックから成り立っていたと言えるね。
■UKガラージからの影響を他メディアのインタヴューで語っているのを拝見したのですが、どんな部分に影響を受けていたのですか? そしてそれらもインターネットで聴いていた?
キングダム:ジャングルにハマったときにUKガラージも多少聴いてはいたけど、大体は2006年くらいになってインターネットからmp3で集めて知ったものばかりだよ。もうすでにジャンルとして成熟してしまった後のことだけどね。ニューヨークでパーティに行っていた当時にはUKの音楽をかけてるDJなんて全然居なかった。グライムが注目された2004年頃にちょっと流行ったくらいで、それ以降はパーティで聴く機会なんてなかったね。ニューヨークで僕以外にそういう音楽から影響をうけて新しいことをやろうとしてる人も周りには居なかったんだ。
そしてUKガラージには常に影響を受けてきたよ。なぜならガラージは、ヘビーなベース音とシンコペーションとソウルフルなR&Bヴォーカルを融合することに成功した初めてのジャンルだと思っているから。最近はUKガラージをプレイすることはないけど、そのコンセプトはいまやっていることに深い影響を与えているね。
■当時のニューヨークで一番ヒットしたUKガラージの曲は何ですか?
キングダム:クレイグ・デイビットだね。曲名は忘れちゃったけど、グーグルで彼の名前を検索したら一番初めに出てくる曲だと思うよ(笑)。
[[SplitPage]]ニューヨークに住んでいたころは地元発の音楽がすごく魅力的だった。プエルトリコ系移民がたくさん居たから、クラシックなレゲトンのスタイルにはとても魅了されていた。サンプルを大胆にチョップして作られた生々しさのあるクラブ・ミュージックだったんだけど、ストリートでブートレグのCDを買ったりしていたよ。ジャマイカ系移民がやってたダンスホールも同様だったし、ヒップホップもね。
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■〈フェイド・トゥ・マインド〉はングズングズをリリースするためにはじまったと聞いていますが、どのような流れだったのでしょうか? また、なぜ〈フェイド・トゥ・マインド〉はイギリスの〈ナイト・スラッグス〉の姉妹レーベルとして運営されているのでしょうか?
キングダム:ングズングズのことはボク・ボクに出会った頃くらいから知ってるけど、インターネットとアシュランド(=トータル・フリーダム)を通して知り合った感じかな。
遡ると、そもそもアシュランドと出会ったのはたしか2004年頃。僕がバンドをやっていたときに、当時シカゴに居た彼にブッキングされたんだ。その時は彼が住んでたロフトで演奏したんだよね。
彼の紹介やマイスペースをとおして、シカゴに住んでたングズングズとも連絡を取り合うようになって。彼ら、スプレーで雑に塗装したCDRにデモを入れて僕に郵送してくれたりしててさ。2008年頃のことなんだけど、当時のアンダーグラウンドの音楽的ランドスケープはエレクトロとかブログハウスだとか呼ばれてるジャンルで構成されてた。だからボルティモアクラブにR&Bやノイズを混ぜてるような、めちゃくちゃな音を聴くのは本当に……なんていうか、ただただ僕はングズのファンだったんだよ。それで実際に出会ったその日からすぐに打ち解けることが出来たし、アズマとは誕生日が同じだったしで、本当に仲の良い友だちになった。トータル・フリーダムやングズの近くにいくためにLAに引っ越して、それからレーベルをはじめたんだ。
だからわかると思うけど、仲のいい友だち同士で作品をリリースしなくちゃいけなくなったときに、そういうディレクションでやってるレーベルが他に無かったから、レーベルを立ち上げるのはごく自然な流れだった。それに〈ナイト・スラッグス〉にも僕ら全員が入り込む余地はなかった。アメリカには多くのアーティストの友だちがいたし、みんな〈ナイト・スラッグス〉とは少し違う方向性に向かっていて。ボク・ボクはすでに彼自身のヴィジョンをはっきりと持っていたし、〈ナイト・スラッグス〉のディレクションを変えるだなんてことはあり得なかったからね。だからふたつのコレクティヴでやっていくのに意味があったんだ。
ふたつのレーベルに繋がりが必要だったっていう点に関してだけど、元々僕はアーティストとしてシーンに居た人物だし、レーベルを運営した経験もなかった。それでアレックス(ボク・ボク)はレーベルを運営していく事に対して明確な意見を持っていたし、彼のレーベルの構築の仕方を本当にリスペクトしていたから、Tシャツやカヴァーアートのデザインを決める際に、始めから〈ナイト・スラッグス〉の持っている一貫性を参考にするのが一番だった。それに、レーベルに属しているみんながインターネット上だけでの関係に留まらず、実際にハング・アウトする仲の良いコミュニティーなんだ。ふたつのレーベルに繋がりがあるのは、何よりも僕らがみんなパーソナルな関係で繋がっているからだよ。マイクQ(Mike Q)とかリズラ(Rizzla)はニューヨークにいるけど、僕自身LAとニューヨークを行ったり来たりしているから、彼らのこともとても近くに感じているんだ。
■(インタヴュー会場で流れていたキングダムのミックス内の1曲を聴いて)
キングダム:この曲なんだけど、これはガール・ユニット(Girl Unit)の“クラブ・レズ”っていう曲にリズラがヴォーカルとパーカッションを乗せたリミックスなんだ。みんなが気に入ってかけているよ。今後の話をすると、〈ナイト・スラッグス〉と〈フェイド・トゥ・マインド〉ではこれからより多くのコラボレーションを行っていく予定だ。ふたつのレーベル内で様々なコンビネーションが生まれつつあるからね。大体の場合〈ナイト・スラッグス〉のインストゥルメンタル曲に〈フェイド・トゥ・マインド〉がヴォーカルを乗せるパターンが多い。例えばこのリミックスもそうだし、エルヴィス1990とマサクラマーンはいま一緒に音楽制作をしている。今後がとても楽しみだね。
■女性シンガーの重要性に関しての話を他メディアのインタヴューで読んだのですが、やはりレーベルを発展させていく上で女性ヴォーカルは重要な要素だったのですか?
キングダム:そうだね。男性ヴォーカルも好きなんだけど。ただ女性をフィーチャーした革新的な作品が近年はそこまで出てきていなかったように思う。とくにここ5年間くらいは女性シンガーの人気が低迷していたように感じていたし、それはヒットチャートを見れば明らかだった。とくにアーバン・ミュージックの世界では目立った女性シンガーの数が異常に少なかったよね。だからいまその状況を変えるのは重要なことだと思ったし、それは同時に次の5年間では女性のヴォーカルが再び台頭してくることを意味していると思った。だってそう思わないか? 90年代後半にミッシー・エリオットや女性のR&Bグループがあれだけ出てきていたのに、それ以降はめっぽう新しい女性の声を耳にしなくなっただろう?
■ケレラは素晴らしいシンガーですね。
キングダム:彼女は素晴らしいよ。すごくエキサイティングだ。というのも世の中には歌が入っている音楽しか聴かないリスナーがたくさん居るから、レーベルがそういう人たちにもアプローチできるのは本当に良いことで、僕らみんながやりたかったことでもある。それに僕とングズングズとアシュランドも昔からDJでのミキシングやサンプリングの場面において、様々なR&Bのヴォーカルの使い方を実験的に試してきていた。
ケレラは僕らがやっている音楽について昔から知っていた訳ではないんだ。昨年友だちになって僕らのやっている音楽を初めて聴いたんだけど、彼女はとてもスマートだから、僕らがヴォーカルをどう受け止めているのかをすぐに理解した。だから僕らの持っていたコンセプトと、サンプリングやリミックス文化でのヴォーカルの使われ方も考慮に入れながら、彼女はピッチングやハーモニー、そしてメロディーを作った。だからそういう点ではこの音楽はポスト・リミックスR&Bなんだ。
■女性シンガーの話から派生しますが、アルーナジョージやFKAトゥイッグスなどについてはどう思いますか?
キングダム:アルーナジョージはそんなに聴いたことがないな。でも良い評判は聞いてるよ。FKAトゥイッグスは好きだね。高校時代にたくさん聴いていたトリップホップを彷彿させる。それにプロデューサーのアルカ(Arca)も友だちなんだ。人びとが彼女とケレラを同じような括りで見ていることもクールだと思っているよ。新しい実験的なR&Bのカテゴリーとして。もちろん僕は個人的にケレラに深く関わっているから全然違う音楽に聴こえるけれど、多くの人びとが彼女たちをまとめてひとつのムーヴメントとしてとらえているみたいだね。
■ケレラをフィーチャリングした“バンク・ヘッド”も収録されているあなたの最新作「ヴァーティカル・XL」では、以前の作品よりもタムの音が増え(ゴルくなっ)たように感じるのですが、その点は意識していたのでしょうか?
キングダム:タムの音はいままでもあちこちで使ってきたからなぁ。ただ多くの音楽にクラップとスネアが使われすぎているよね。タムはただ単にそれらと違うっていうことじゃないのかな(笑)。クラップを使わずに曲を仕上げるのはすごく難しいし、いい音のスネアを見つけるのもすごく大変だ。そしてタムってのはキックとスネアの中間に位置していて……説明するのが難しいけど、とにかくジュークをたくさん聴いていたからそのクレイジーなタムの使い方には影響されたよ。
[[SplitPage]]ケレラはとてもスマートだから、僕らがヴォーカルをどう受け止めているのかをすぐに理解した。だから僕らの持っていたコンセプトと、サンプリングやリミックス文化でのヴォーカルの使われ方も考慮に入れながら、彼女はピッチングやハーモニー、そしてメロディーを作った。だからそういう点ではこの音楽はポスト・リミックスR&Bなんだ。
■本誌では今年のキーワードとして「インダストリアル」をあげています。インダストリアル・ムーヴメントについて何か言うことはありますか? (ジャム・シティのインタヴュー記事のページを見せる)
キングダム:ああ、クール! インダストリアルにはすごく影響されているよ。そしてこのムーヴメントにおいては、やはりジャム・シティが非常に重要なポジションにいる。彼のアルバムがその後の僕ら全員の作品に影響を与えているといっても過言ではないと思う。僕らは外部からの影響も受けているけれど、内部からの影響力の話となると、やはりジャム・シティが僕らのサウンドを大きく変えるきっかけだった。僕とングズングズとアシュランドも昔から似たようなコンセプトでノイズを使ってはいたんだけど。以前からソウルフルなヴォーカルを多用していたから、金属的で恐ろしい音っていうのはそれに対して素晴らしいコントラストだった。
■ヴェイパーウェイヴやシーパンクについてはご存知ですか?
キングダム:ヴェイパーウェイヴか。呼称は知ってるんだけど、どういうものかは知らないんだ。
シーパンクはそんなに好きではないな。すごくインスタントで、目新しさばかりが目立つように感じられる。ヴィジュアル面での美学が非常にはっきりと提示されていることはわかるよ。だけど、それ以外でどう定義できるものなんだろう? そこにはっきりとした音は果たしてある? 見た目以外で姿勢やコンセプトのようなものが提示されているかな?
タンブラーのリブログという発生方法自体、そこに何か普遍的な基盤があるのかどうか疑問に思えるんだ。実際にそんなに良く知っている訳でもないんだけど。事実、僕が知っていることと言えばその見た目だけなんだ。遺跡やヤシの木とかが多用されているよね。でも本当にそれしか知らない。
■タンブラー文化に関しては、プリンス・ウィリアムやサブトランカとも意見が一致していますね。では、あなたのグラフィック・アートについて教えてください。
キングダム:〈フェイド・トゥ・マインド〉のロゴはボク・ボクがデザインしたんだ。僕にはロゴの才能は無いからさ。だからグラフィックや文字要素のデザインは彼に任せてある。僕はそれ以外のフォト・コラージュなんかを僕は手がけているよ。壊れたり、燃えたり、事物がトランスフォームしている瞬間に動きを感じるんだ。〈フェイド・トゥ・マインド〉って名前自体、ものごとの状態ではなく起きている過程を意味する言葉を用いているでしょう? 状態ではなく変化していく過程にフォーカスしているんだ。たとえば、ここにコップがあることではなく、このコップが溶けていく過程なんかの方が面白いと思っている。
それと同時に、コラージュを作る際にいつもゴールとして意識している事は、安っぽいものやゴミみたいなものを使って何かスピリチュアルなものを構成することかな……。だってグーグルの検索で集められる画像ってすごくローテクなものが多いじゃない? 画質の悪い.jpgだったりさ。それらの素材で作ったコラージュが、メディアを通しても伝わってくるような純粋性だったりスピリチュアルな雰囲気を持てるようなものだと面白いよね。
カヴァーアートを作る最中には大体作品を聴いている事が多いね。カヴァーアートをいつも最後に作るよ。
■〈フェイド・トゥ・マインド〉のアートワークに使われるモチーフなどを見ていると物質主義への批判的な姿勢を感じるのですが、そのような意識はありますか?
キングダム:ファティマ・アル・カディリのあのカバーアート(『デザート・ストライク・EP』)に関しては、彼女の育ってきた背景にあるクエートのことや物質主義への批判的な視点はあるかもしれない。あのアートワークはほとんどが彼女のコンセプトで、サブトランカのマイルス・マルティネスがそれを形にしたから。でも僕はそういう視点を常に意識している訳ではないかな。そういう見方があるっていうのもすごく分かるけどね。
■本誌のインタヴューでプリンス・ウィリアムが、エズラはメディテーション(瞑想)をしてるというようなことを言っていたのですが、本当ですか?
キングダム:瞑想の趣味は無いけどな(笑)。でも瞑想的なことはするよ。ひとりでハイキングに行ったりね。それに僕は新しいプロジェクトの話やリミックスの依頼が来たときには、行動に移す前にじっくり時間を費やして考えるタイプの人間なんだ。彼は僕のそういう部分のことを話していたのかもしれない。
■日本のアーティストやミュージシャンで影響を受けた人は居ますか?
キングダム:日本の音楽だったら坂本龍一はずっと聴いてるよ。影響を受けたかどうかはわらないけれど、彼は日本のアーティストというカテゴリーには収まりきらないくらい、もう普遍的な存在だよね。音楽以外で言うと日本のファッション・カルチャーには影響を受けている。実は高校の卒業プロジェクトのテーマに日本のファッションデザイナーを選んだことがあるんだ。当時は高校を卒業したらファッションの道を目指そうと思っていた。結局大学ではファインアートを学ぶことになったんだけれども、ファッションは僕のバックグラウンドに常にあったんだ。〈コム・デ・ギャルソン〉や〈イッセイ・ミヤケ〉に関して論じたことを覚えているよ。〈ファイナル・ホーム〉(https://www.finalhome.com)にも90年代後期の頃から熱中していたよ。だからヴィジュアル面ではこれらの影響は大きく受けている。
■それら日本のファッションブランドのどういった面に魅了されていたのですか?
キングダム:〈コム・デ・ギャルソン〉と〈イッセイ・ミヤケ〉はアヴァンギャルドで脱構築的な部分に、〈ファイナル・ホーム〉にはテクニカルな機能性と斬新なデザイン性が同居しているところに興味を惹かれていたね。〈ファイナル・ホーム〉は特にコンセプチュアルなアートのプロジェクトでありながら、終末的なサバイバルの状況においての機能性を追求していた面がすごく面白かった。
■Tシャツやキャップも積極的にリリースしていますし、〈フェイド・トゥ・マインド〉にとってファッション/アパレルは重要なのでしょうか?
キングダム:音楽からのファッションへの影響の方がその逆より大きいように感じるな。ファッション・デザイナーをやってる友人が何人もいるけど、彼らのほとんどが音楽から多大なインスピレーションを得ている。ファッションからの影響を音楽に表すっていうのは難しいし、それが良いアイデアなのかどうかもわからない。
でもね、僕は〈フッド・バイ・エア〉(Hood By Air)の初めの5~6シーズンのランウェイ用の音楽を担当したんだけど、そのときだけはそれが例外だった。っていうのもデザイナーのシェイン(Shayne Oliver)からコンセプトについてメールがくるんだけど、この曲のリミックスを2ヴァージョン欲しい、だとか、ミリタリーがヴォーギングしてるような音をくれ、だとかいう内容なんだ。コレクションで発表する服はその段階ではまだ出来上がっていないから、彼のヴィジョンについて具体的に言葉のみで説明されたからこそ、それにそって音楽を仕上げることができた(註:「ドリーマ・EP」〈ナイトスラッグス〉に“フット・バイ・エアー・テーマ”が収録されている)。
日本のひとたちが僕らのキャップをかぶってくれてるのを見たときは本当に驚きだったよ。東京のファッションに合わせているのを見るととても嬉しい。ただ音楽を知らずに着てる人もいるよね。だから、キャップに書いてある文字をグーグル検索してそこで僕らの音楽やアートワークをもっと知ってもらえるといい。取扱店もCDやレコードとかと一緒にパッケージで売ったり、何らかの形でレーベル全体のコンセプトも含めて買い手に伝えてもらえたら、すごく嬉しいよ。
■夢でもいいので、コラボレーションしてみたい人を挙げてください。
キングダム:一緒に仕事したいシンガーなら山ほど居るよ。シアラにブランディー、ジェネイ・アイコ(=Jhene Aiko。EPにはケンドリック・ラマーも参加)……もちろんアリーヤとできたら最高だったね。プロデューサーではドレイクのビートをつくっているノア40(Noah 40 Shebib)かな。ファッションブランドでいうと、カセット・プレイヤ(Cassette Playa)やビーン・トリル(Been Trill)とTシャツを作る予定もあるよ。
■〈フェイド・トゥ・マインド〉の次なる展望(ヴィジョン)を教えてください。
キングダム:もっとヴォーカリストを増やしたいな。そしてもっとケレラの仕事もしたい。それからより頻繁に作品をリリース出来るようにもしていきたいね。最近になってようやく出来てきた事だけれど、その前は半年に1枚のペースだったから。まだいろいろ学んでいる最中なんだ。それに僕らはカヴァーアートまで含めて相当な完璧主義でここまでやってきた。プリンス・ウィリアムは常にみんなの意欲をかき立ててくれたり、細かい部分で仕事してくれるムードメイカー的な存在だけど、レーベルとしてのミキシングやフォトショップでのプロダクションなんかの作業は今は僕一人でやっている。ステップ・バイ・ステップだからまだすごく時間がかかるんだ。
同時にアパレルのグッズも増やしたいね。デザインは貯まってきているんだけど、もっとキャップとTシャツのリリースをしたい。
それと、〈フェイド・トゥ・マインド〉のフェスティヴァルをすることについても話をしているよ。アートの展示やシンガーとラッパーとDJ達を、テクノロジーを使ったハイテクな演出で披露したいと思ってる。奇妙な構造のステージで、ワイヤレスマイクを使って入れ替わりたちかわりで出てくるシンガーたちに、アシュランドがエフェクトをかけまくってるようなイメージだね。
■では最後に、2013年にリリースされたダフトパンクとディスクロージャーのアルバムでは、どちらが好きですか?
キングダム:どちらも全部は聴いていないんだ。ラジオでシングルは聴いたよ。どちらか選べと言われたらディスクロージャーだけど、どちらもそこまで好みではないかな。でも新しい類いのエレクトロニック・ミュージックがメインストリームで成功しているという事実にはとても感謝している。なぜなら、それは〈フェイド・トゥ・マインド〉だってそうなれるっていうサインでもあるからね。