「OTO」と一致するもの

Rich The Kid - ele-king

 Rich The Kid。リッチなキッド。名が特徴を表す。もとい、特徴がそのまま名となる。プリミティヴな、トラップ空間においては。この部族のしきたりは、その名に恥じない歌を編むことだ。だから、提出された。これら13の、富を高らかに宣言する歌が、提出された。
 若き男は富をつかんだ。車はマセラッティ。あるいはランボルギーニ。そしてベントレー。時計はオーデマ・ピゲ。そして自身のレーベルも運営する。札束をひけらかすアートワーク。Kendrick Lamar、Future、Lil Wayne、Migos、Rick Rossと錚々たる面子をフューチャー。2014年から数々のミックステープで実績をひけらかしながらもオフィシャル・アルバムをリリースしなかったのは、レーベルとの契約金を最大化する戦略だったのかと訝しんでみる。今回のアルバム契約に際し、もちろん複数のオファーを受けたが、彼は簡単に首を縦に振らなかった。結果、〈インタースコープ〉が競り勝つ形となった。

 ニューヨークに生まれNasやBiggieを愛聴する一方で、ハイチにルーツを持ち、フランス語系のクレオール言語を操る。Biggieから学んだことがあるとするなら、「Notorious(悪名高い)」から発想した「名の上げ方」かもしれない。MCとしての成功のためのスキルには、ライミングやフロウ、デリヴァリーだけでなく、当然セルフマーケティングも含まれるからだ。
 卵が先か、鶏が先か。最初からRichを名乗る。オフィシャル・アルバムをリリースしないうちから、名を馳せる。もはやアルバムという括りにも、オフィシャルという括りにも縛られる必要はない。そういう時代だ。ただ「Rich」という名を広めることこそが、その名をますます真実にしていく。「Rich」という名が広まるにつれ、その名の真実味が増していく。名乗りそれ自体が目的となる。
 トラップ・ミュージックのプレイヤーたちは群れをなし、共同のひとつのプレイグラウンドに何か巨大なモノ/ジャンルを築こうとしているのだろうか。砂場の砂で、どこまでオーバーサイズな楼閣が形作られ得るのか。互いが互いの鏡像と成り合うことで、群れ全体における砂場におけるプレイング・ルールが成形されていく。しかしそこでは個別のスタイルはどのように生まれるのか。彼らは互いの喉仏の形状を確認しながら、舌と唇と声帯で出来たトーキングドラムセットを抱え、TR-808のビートに合わせてそれを乱打する。隣の奴が持つリズムと、ときには競り合うように。そしてときには隣のドラムの響きを引き立てるように。
 それは奇しくもヒップホップの黎明期のアティテュードに接近している。まだソロ活動という概念がなかったとき、彼らは徒党を組んで活動した。個ではなく、群れとして。サイファーが基本的なプラットフォームだった。サイファーにおける他のMCたちは、自分の鏡像だ。彼らは鏡の中の自分に向けてスピットする。
 だからRichがこれだけの個性的なゲストに囲まれながら、彼ならではのスタイル=個性がどこにも見当たらないとすれば、それは彼の瑕疵ではない。むしろそれは、彼が1970年代と2018年、つまり40年以上を隔てたヒップホップとトラップに通底する本質を体現していることにはならないか。

 これもまた「ひとりではない」ソロ・アルバムだ。ゲストをフィーチャーした楽曲群のデザイン。基本的にはまずはRichが最初のヴァースとフックをキメることでグランドデザインを示してから、客演のMCたちがコントラストを最大限に発揮しながら登場する。
 たとえば“No Question”では、Futureが「brrt, brrt」と着信音に擬態しながら、荒い目のヤスリで磨いたようなざらついた声色を曝け出す。“Lost It”ではMigosのOffsetとQuavoが俄然パーカッシヴな骨太のトーキングドラムを演奏する。“End of Discussion”では残響の深いパッドと16分で刻まれるハットの上、Lil Wayneが韻先行の高速でうねる狡猾なフロウを披露する。
 そしてKendrickをフィーチャーした“New Freezer”。ラッパーの肉声となんらぶつかり合うことのないウワモノ、ベースとドラム。そこではドラムがグリッドを描き、声は裸にされる。ヒップホップ史上(と言って差し支えなければ)、声がもっとも裸にされているのが「いま」なのだ。裸の声を神輿に担ぐ内省的なビートなのだ。Richの滑舌の悪さは白日に晒される。滑舌の悪さは、意図的でないにせよフロウをマンブルに近付ける。それは意味(リリック)であるより先に音色だからだ。
 一方のKendrickの舌は剃刀だ。Kendrickはあらゆるフィーチャリング曲で、毎回異なるアプローチを打ち出す。自分の曲でないから余計に自由になる。彼は恐るべきことに、ここで身をもって示してしまう。トラップライクなビートはこうやって乗りこなすんだと、示してしまう。少ない言葉数で、節をつけたフレーズを絞り出す。「6,400万ドル(目もくらむ稼ぎ!)で一体何をショッピングすればいい?」と暗にRichを挑発する。お前らのやり方を、乗っ取ってやると。かつてコンプトン出身の彼が「キング・オブ・ニューヨーク」を名乗った大胆不敵さで。Richは果たして、いかに応答するのか。したのか。

 ここでひとつ示されているのは、即物的な言葉を、空間的な音にぶつける手法だ。そこに生まれるのは、世界の歪みだ。奇妙な余韻だ。これは何もRichの専売特許ではなく、共有されている手法(楼閣の建材のひとつ?)だが、「Rich」を名に持つ彼が放つブランド名は、アトモスフェリックなシンセで額装され、抱えきれないほどの空白を撒き散らすのだ。
 たとえば前述の“Lost It”のMetro BoominやWheezyによる共同プロデュースのビート。すぐ耳元で弾けるクラップ。それとは対照的に遠くにこだまするシンセのパッド音。両極の間でラッパーの立ち位置はどこか。それは視覚的なヴィジョンとして現れる。トラップの遅いBPMと音数が少ないことで溢れ出した行間が意味するもの。それは音の空間性だ。だから顕現するのはトラップ空間だ。8分から16分、そして32分とその幅を変化させながら縦横のグリッド線が行き交うその空間で、全ての音は座標を意識される。そして言葉も然り。
 キックとスネアがグリッドを刻む空間の上で、メロウで、残響音を伴うシンセが滲む。そして投入されるのは、即物的な言葉の数々。見せびらかす、アイスまたはフリーザー。宝石や時計。ルイ・ヴィトンのカーペット。彼にとっては高価でもないベントレー。ドラッグとセックス。内省を促すようなアトモスフェリックな滲みの上で、いまこの瞬間の溢れんばかりの富がドロップされる。その際限のなさが、トラップのスカスカのビート空間にこだまする。そこに虚無を嗅ぎとるのは簡単かもしれない。何れにせよトラップ空間が、モノの異化をもたらす装置であることは疑いようもない。

 このアルバムには、ゲストなしにRichひとりがライムする曲も、もちろん存在する。しかし彼は、ひとりではない。メランコリックな逆再生風シンセが手を引く“Plug Walk”。彼のPlug(ドラッグディーラー)との片言のコミュニケーションを宇宙人との会話に擬えるMV。「いまここ」で手に入るブランドを貪り尽くし、「富めること」の想像力は、宇宙へ向かう。未来へ向かう。イーロン・マスクがテスラの自動車をロケットで打ち上げてしまう発想と、火星を思わせる荒野でE.T.とダンスするRichのヴィジョンは共鳴する。Plugを迎えに行くのは、彼がE.T.が乗って来たような宇宙船と呼ぶ車たちだ。“New Freezer”のMVでもRichは、宇宙船のコクピットのようなクーペでKendrickと一緒に未来へ向かうのだ。
 そして本人を召喚せずにひとりでふたりの関係を示す“Dead Friends”では、Lil Uzi Vertを壮大なビート(DJ Mustardが音素材サイト「looperman.com」の無料ネタをサンプリングしている!)をもってしてディスる。2015年の“WDYW”ではA$AP Fergを間に挟んで、ふたりのヴァースはシナジーを生んでいた。しかしあれから数年で、一体何が狂ってしまったというのだろう。Richは本曲のヴァースでライムする。「俺は永遠の富を手に入れた。スターになった。大量のアイス。大量の札束。そして大量のトラブルさ」

DON LETTS Punky Reggae Party 2018!!! - ele-king

 UKパンクにおいて革命的なことのひとつに、白人と黒人が人種の壁を越えて交わったということがある。それ以前のUKロックの表舞台には、アフロ・ディアスポラの姿はまだいまほど目立っていない。UKパンクは人種の壁を乗り越えて、積極的にジャマイカ移民の文化にアプローチした。その現場における司祭(DJ)がドン・レッツだった。レッツはまた初期UKパンクの生き証人/ドキュメンタリー映像作家でもある。今回の来日は、東京・岡山・福岡でDJもあり、東京ではトークもあり、UKパンク好き必見の超貴重な映画上映もあり、DOMMUNEの中継もあり(声で宇川直宏も出演、編集部・野田もしゃしゃり出ます)……パンクとレゲエが好きな人はこの機会を逃さないで!

 UKで起きたパンク・ムーヴメントの拠点となる“ROXY CLUB”でDJをしていたドン・レッツはパンクとレゲエを繋いだ張本人であり、THE CLASHのMICK JONESとの伝説的グループ、BIG AUDIO DYNAMITEでの活動も知られる。そして現在はBBC RADIO 6でレギュラー番組を持ち、広く音楽シーンに貢献している。また映画監督として'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作、2003年にはTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞、その後も数々の音楽ドキュメンタリーや映画『ONE LOVE』を制作している。ドン・レッツのクリエイティヴな才能は現在の音楽シーンに多大な影響を及ぼしてきたと言っても過言ではない。

 今回東京@VISIONでは人種、ジャンル、国境を超越する新パーティー“P.M.A”(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)でA$AP J.Scott、COJIE (Mighty Crown)、再始動したSTRUGGLE FOR PRIDEからDJ HOLIDAYらと競演する。福岡公演では九州のサウンド・システムの重鎮、RED I SOUND が主宰、そして岡山の音楽シーンを引率するYEBISU YA PROで初プレイ!

 さらに今まで日本で実現しなかったDON LETTSのトーク・セッションがDOMMUNEのスペシャル・プログラムとして2夜に渡って開催される。
 6月14日のPart.1はロンドンに生まれた2世ジャマイカンであるドン・レッツの背景と音楽活動にフォーカスし、ライター/編集者の野田努が音源やMVを交えつつ話を聞く。
 そして6月17日のPart.2はドン・レッツのフィルム・メーカーとしての活動に焦点を当て、UKサブカルチャーをサポートし続けるオーセンティックなファッションブランド「FRED PERRY」旗艦店からのスペシャル・プログラムとなり、1970年代のパンクとレゲエ・シーンの現場を撮りためた生々しい映像を編集した『DON LETTS TWO SEVEN CLASH』や数々の作品を上映しながらトーク・セッションを展開する。インタヴュアーは野田努、そしてゲストとしてロック・バンドOKAMOTO’SのドラマーでDJやエキシビションを主宰する等、独自の感性で幅広く活躍するオカモトレイジがトークに参加する。
 アティチュードとしてのパンクを実践し続ける“反逆のドレッド"、DON LETTSの熱いプレイ、貴重な肉声を聞き逃すな!


DON LETTS
Punky Reggae Party 2018

6.14 (THU) 東京 : “DON LETTS TALK SESSION Part.1” @DOMMUNE
info>>> dommune.com

6.15 (FRI) 東京 : “P.M.A” @VISION
info>>> https://vision-tokyo.com

6.16 (SAT) 岡山 : @YEBISU YA PRO
info>>> https://yebisuyapro.jp

6.17 (SUN) 東京 : “DON LETTS TALK SESSION Part.2” DON LETTS x DOMMUNE x FRED PERRY @FRED PERRY SHOP TOKYO
info>>> https://www.fredperry.jp/news/2018/06/don_letts_dommune.php dommune.com

6.23 (SAT) 福岡 : @KIETH FLACK
info>>> https://www.kiethflack.net

Total info>>> https://twitter.com/dbs_tokyo


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【東京】
日時:6/15日(FRI) OPEN 22:00
会場:VISION
料金:ADV \3,000 / DOOR \3,500
○e+
https://goo.gl/YfHMrL
○iFLYER
https://iflyer.tv/ja/event/302904/

タイトル:P.M.A

■A$AP J.Scott、DON LETTSを招聘し、新しい音楽と伝統ある音楽をMIXするNEW PARTY始動!

 P.M.A(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)をPARTYタイトルに70年代まだ音楽のカテゴライズがされていない中、BAD BRAINSが当時掲げたP.M.A(POSITIVE MENTAL ATTITUDE)をタイトルに人種、ジャンル、国境を超越するPARTY。
 ロサンゼルスからA$AP MOBに属しA$APのDJとしてすでに来日の経験もあるA$AP J.ScottとイギリスからはPUNKからREGGAEから音楽を超越するDON LETTSが来日。
 GAIAでは日本をこれから牽引するであろう若手DJ陣、FUJI TRILL、DJ CHARI、大阪よりYUSKAYを中心に盛り上げる。
 またDEEP SPACEでは説明不要の日本のDUBセレクター、COJIE (Mighty Crown)、そしていま新たに再始動したSTRUGGLE FOR PRIDEからDJ HOLIDAYと今まで混ざらないとされていた音楽性をMIXする今後のTOKYOの新しいスタイルを象徴するNEW PARTY始動!

出演:
//GAIA//
GUEST DJ
A$AP J.Scott
FUJI TRILL / DJ CHARI / YUSKAY / YUA
and more

//DEEP//
DON LETTS
COJIE (Mighty Crown) / DJ HOLIDAY(STRUGGLE FOR PRIDE) / Orion / Hatchuck

//WHITE//
"TOKYO VITAMIN"
Vick Okada / PocketfullofRy / QUEEN FINESSE / SMiiiLES / PIPE BOYS

//D-LOUNGE//
RiKiYA (YouthQuake) / 1-Sail (YouthQuake) / Tsukasa (YouthQuake) / brian / Soushi / Taro / RyotaIshii

info>>> https://vision-tokyo.com

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【岡山】
日時:6/16(SAT) OPEN 23:00
会場:YEBISU YA PRO
料金:ADV 3,000yen / DOOR 4,000yen (ドリンク代別途要)
         ローソンチケット(Lコード:62120)   チケットぴあ(Pコード:116-940)
出演:  
DON LETTS
SOUL FINGER / FUNKY大統領 / TETSUO / MARTIN-I / AYAKA / マイルス

お問い合せ:YEBISU YA PRO…086-222-1015
info>>> https://yebisuyapro.jp

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【福岡】
日時:6/23(SAT) OPEN 22:00
会場:KIETH FLACK
料金:2500YEN (1DRINK ORDER)
タイトル:RED I SOUND presents
DON LETTS JAPAN TPOUR 2018 in FUKUOKA
出演:
DON LETTS
DON YOSHIZUMI / CHACKIE MITTOO(the KULTURE KURUB) / SHOWY(STEP LIGHTLY)
KAZUO(ABOUT MUSIC) / BOLY(ONE STEP BEYOND) / ATAKA(REDi) / MATSUO(REDi)

info>>> https://www.kiethflack.net

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DOMMUNE スペシャル・プログラム決定!!!

 音楽・映像作家のドン・レッツがUKサブカルチャーの歴史を実体験と共に語る! リビングレジェンド、ドン・レッツの貴重なトーク・セッション。
 音楽編は6月14日はDOMMUNEスタジオから、そして6月17日の映像編では日本未公開のDON LETTS自身が撮りためた70年代のUK レゲエ、パンクシーンの貴重な映像、“DON LETTS TWO SEVEN CLASH”を東京から世界のサブカルチャーを発信しているDOMMUNEがFRED PERRY旗艦店からコラボ発信する!

【DON LETTS TALK SESSION Part.1】
日時:6/14(THU) 19:00~21:00
会場:DOMMUNE
出演:Don Letts 、野田 努 (ele-king)
info>>> dommune.com

【DON LETTS TALK SESSION Part.2】
DON LETTS x DOMMUNE x FRED PERRY
日時:6/17(SUN) 19:00~21:00
会場:フレッドペリーショップ東京 東京都渋谷区神宮前5-9-6
出演:Don Letts 、野田 努 (ele-king)、オカモトレイジ (OKAMOTO’S)、通訳:原口 美穂

入場無料

ストリーミング:https://www.dommune.com/ ※6月17日(日)19:00 配信開始予定
info>>> https://www.fredperry.jp/news/2018/06/don_letts_dommune.php dommune.com


※“DON LETTS TWO SEVEN CLASH”ー

DON LETTS自身が撮りためた70年代のUK レゲエ、パンクシーンの貴重な映像。(日本未公開)

人種問題がはびこる当時のUKノッティング ヒル・カーニヴァルの緊張感ある映像やBOB MARLEY、LKJやBIG YOUTHからSEX PISTOLS、THE CLASH、ROXY CLUBの生々しい映像等、お宝シーンが満載!

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☆DON LETTS
(DUB CARTEL SOUND STSTEM, LONDON)

 ジャマイカ移民の二世としてロンドンに生まれる。'76-77年にロンドン・パンクの拠点となった〈ROXY CLUB〉でDJを務め、集まるパンクスを相手にレゲエをかけていたことから脚光を浴び、パンクとレゲエを繋げたキーパーソンの一人。同時にリアルタイムで当時の映像を撮り、'79年に初のパンク・ドキュメンタリー映画『PUNK ROCK MOVIE』を制作。またブラック・パンクの先駆バンドBASEMENT 5の結成に携わり、THE SLITSのマネージャーもつとめる。'80年代半ばにはTHE CLASHを脱退したMICK JONESのBIG AUDIO DYNAMITEで活動、さらにBADを脱退後の'80年代末にはSCREAMING TARGET(※BIG YOUTHのアルバムより命名)を結成し、“Who Killed King Tuby?"等をヒットさせる。音楽活動と平行して、多くの音楽ヴィデオやBOB MARLEY、GIL SCOTT-HERON、SUN RA、GEORGE CLINTON等のドキュメンタリー・フィルムを制作、’03年にTHE CLASHのドキュメンタリー『WESTWAY TO THE WORLD』でグラミー賞を受賞する。そして'05年にはパンクの核心に迫った『PUNK:ATTITUDE』を制作。DUB CARTEL SOUND SYSTEMとしてスタジオワーク/DJを続け、SCIENTISTの"Step It Up"、CARL DOUGLASの“Kung Fu Fighting"等のリミックスがある他、〈ROXY CLUB〉期のサウンドトラックとなる『DREAD MEETS PUNK ROCKERS UPTOWN』('01年/Heavenly)、名門TROJAN RECORDSの精髄をコンパイルした『DON LETTS PRESENTS THE MIGHTY TROJAN SOUND』('03年/Trojan)、'81-82年に彼が体験したNY、ブロンクスのヒップホップ・シーンを伝える『DREAD MEETS B-BOYS DOWNTOWN』('04年/Heavenly)の各コンパイルCDを発表している。'07年には自伝「CULTURE CLASH-DREAD MEETS PUNK ROCKERS」を出版。'08年にコンパイル・アルバム『Don Letts Presents Dread Meets Greensleeves: a West Side Revolution』がリリース。'10年にメタモルフォーゼ、'11年にはB.A.Dの再結成でオリジナルメンバーとしてフジロックフェスティバルに出演。'15年7月、井出靖氏が主宰するレーベル、Grand Gallery10周年を記念し、日本人アーティストをメインにセレクトしたMIX CD『Don Letts Presents DREAD MEETS YASUSHI IDE:IN THE LAND OF THE RISING DUB』を発表、日本ダブ史のエッセンスを内外に明示する。
BBC RADIO 6 Musicにて毎週日曜日”Culture Clash Radio"を持つ。
https://www.donletts.com/
https://www.bbc.co.uk/6music/shows/don_letts/

interview with Oneohtrix Point Never - ele-king

E王
Oneohtrix Point Never
Age Of

Warp / ビート

IDMAvant Pop

Amazon Tower HMV iTunes

 ジェイムス・ブレイクがミキシング・エンジニアを担当していると発表されたOPNの新作はほかにもアノーニなどゲストの情報が先行しているけれど、そのような人たちの影響が明瞭に聴き取れるようなものでもなんでもなく、はっきりとOPNの新作としか言いようがない作品に仕上がっている。そういったゲストの存在にはまったくと言っていいほど左右されていない。過去の作品と比べたときに手癖のようなものがあることは感じられる。しかし、昨年のレコード・ストアー・デイにリリースした2枚の『コミッションズ(Commissions)』もまたそうであったように、さらりとそれまでとは違うことをやってのけるのがダニエル・ロパティンなのである。いや、さらりとではなかった。そこにはいつもそれなりの苦闘があったことは今回のインタヴューでも確認することができた。どういうわけか彼はそういうことは正直に話してくれる。そこはいつもと変わらない。
 『リターナル』『アール・プラス・セヴン』『ガーデン・オブ・ディリート』、そして、『エイジ・オブ』と、これが4回目のインタヴューである。こんなに何度も同じ人にインタヴューしたのは忌野清志郎以来である。最初はもういい加減、訊くことはないんじゃないかと思ったりもしたのだけれど、ダニエル・ロパティンが加速度をつけて変化しているせいか、今回がいままでいちばん面白いインタヴューになった気までしている。むしろ、彼の考えていることや一貫してこだわっていることがようやくわかってきたような気もするし、取材が終わってから、訊きたいことがもっと出てきたりもした。どこに向かって疾走しているのかはさっぱりわからないものの、それがこれまでに見たことのないどこかであることだけは確かだと言える『エイジ・オブ』について、彼の話はあまりにも多岐にわたり、量も膨大になってしまったので、新作について外側から見た部分をここに、そして内側から見たパートは次号の紙エレキング(22号)で公開することにした。通訳の坂本麻里子さんとは、なんというか、何度もタッグを組んできたせいで、じつはもうどこからがどっちで、どこからが誰なのかわからないほど一体化して取材に当たっているという感じなのですが、詳細な注のほとんどは彼女の手によるものです。(三田格)

パーソナルな表現とは逆に、「ここでは演奏する人間が排除されている」という感覚だね。で、そのフィーリングもどういうわけか、僕にはとても人間的なものに感じられるんだ。

音楽ファンは必ずしも「リラックスしない音楽」を聴くこともあると思いますけど、あなたの場合は「リラックスしない音楽」を聴くことがあるとしたらそれは何のためですか?

ダニエル・ロパティン(Daniel Lopatin、以下DL):(ニヤリと笑ってうなずきながら)なるほど。だから……それぞれの「役目」を持つ音楽、そういうものがあってもいいだろうとは思うんだよ。機能を果たさなければならない音楽というか、聴いているうちに身体の速度が速くなって動いたりダンスしたくなる音楽だとか、寝つけないときにそれを補助して眠りに就かせてくれる音楽だとか。そういった機能的な音楽にはまったく問題がないし、実際のところ、この僕だってたぶん、音楽の持つ医薬的効果の恩恵をこうむっているんだろうしね。たとえば……スティーヴ・ローチなんかのレコードを聴きながら眠りに落ちる、だとか? けれども、僕にとってはそれは違う……だから、それは僕からすればもっとも冴えた音楽の使い方ではない、という。

ほう。

DL:僕にとって、音楽は映画に似たものなんだ。要するに、ほとんどもう鏡に身体が映るかのごとく、聴き手に自身を見せてくれるもの……そのストーリーが観る人間の精神を映し出す鏡になっている、みたいな。で、音楽のもたらす効果にはどこかしら、ほとんどもう彫刻に近い面があるんだよ。だから、音楽を聴いていると空間を思い出させられる、音楽が空間をクリエイトする、というか……そう、自分を取り囲んでいる環境を、自分の置かれた情況を思い起こさせてもらえる、と。(音楽を聴くことによって)いろんな物事を気にしたり関心を持つようになるし、そうした物事というのはさもなければその人間のマインドによって優先事項から外され、どこかにしまい込まれてしまうものなんだよ。で、マインドはこう語りかけてくるわけ、「何も心配しなくていい。とにかく労働せよ」と。「つべこべ言わずに労働し、子供をつくり、それが済んだらとっとと消えろ」とね。

(苦笑)。

DL:で、脳が求めているのって基本的にはそれでしょ?

(笑)ええ、まあ。

DL:だけど、そうじゃないんだ。僕たちはもっとそれ以上を受けるに値する、僕はそう思っているから。で、音楽というのはどういうわけか、その点を思い出させてくれるとんでもない「合図」であって……本当に生き生きとした状態になる、真の意味で生きている状態になることを思い出させてくれる、とにかく途方もないリマインダーなんだよな。

なるほど。

DL:で、他のみんなと同様に、その点は僕だってとっくに承知していてね。そりゃそうだよ、だって、やっぱりきついからさ。毎日毎日、こう……一切の悩みやしがらみから完全に解放された状態で、常時あの、「アウェアネス(気づき、知覚)」な状態で生きる、みたいな? そんなの不可能だから。それをやるには、何か補助してくれるものが必要だよ。だから若い頃は僕もサイケデリックなドラッグとかに向かったしね、その手の経験を得たいと思って。と同時に、その(ドラッグによる幻覚)体験もまた、興味深い形で音楽と組み合わさっていたんだけれども。ところが、歳を食うにつれて、自分でも悟ってきたんだよね……だから、「ほぼ音楽なしでも自分にはそういう経験ができるんだ」と。正直、すごく集中すれば、自分は音楽なしでそれをやれると思ってる。というのも、音楽はそれ以上にもっとエキサイティングだし……どうしてかと言えば、音楽というのはじつに具体的で特定な類いのアウェアネスだから、なんだよね。それは他の誰かさんがつくり出した構造だ、と。そんなわけで……うん、そうやって、他の誰かの知覚に基づいた文脈で自分を満たしてみるのは、興味深いことなんだよ。

ふーん、面白いですね。他人のヴィジョンにすっかり自分を委ねる、とでもいうか?

DL:ああ……。

自分とは違う人間の解釈や構造のなかに自らを解放する、というふうに聞こえますが。

DL:そう! だから、ひとつの関係を結ぶってことなんだよ。それにまた、他にもあり得るのは……

ってことは、それだけその音楽を信頼していないといけないってことでもありそうですよね? 自分自身を委ねるわけだから。

DL:それもあるし、また一方で、ある種アヤワスカ(※自分で調べよう!)みたいに、飲み込んではみたものの吐いてしまう、みたいなことだって起こり得るわけだよね、肉体そのものがそれを求めていなくて拒絶反応が出る、という。で……自分にはどうしても入っていけない、そういう音楽も存在するんだよ。いや、とにかく自分でも入り込もうとトライはするんだけど、そこに何らかの……「壁」めいたものを感じ取ってしまう音楽、という。それって興味深いよ。ってのも、誰だってそういうふうに、様々なアートに対して、それぞれに異なる「壁」を感じるものなんだろう、僕はそう思っているわけ。でも、こと音楽に関して言えば、自分に「壁」を感じさせるものってまず大抵の場合、そこに「あるなんらかの特定の目的を果たすために作られた」感覚を伴うもの、なんだよね。そういうのには退屈させられる。

なるほど。

DL:だから、それを聴いても感じるのは「あー、この音楽に対して聴き手の僕が何らかの行動を起こすように、そう、こっちをプログラムするべく何かつくっている人がどっかにいるんだな」というだけのことだし。で――僕はとにかく、音楽は開かれた、オープンなものであってほしい、みたいな。だから、たとえかなりしっかり構築されたものだとしても、オープンさを許す隙をそれがもたらすことはできるわけでさ。そうは言ったって、何も「すべての楽器は生で演奏されていなくてはいけない」とか……「誠意あるものでなければならない」といった意味ではないんだけどね。だって、不真面目なものだってオープンになり得るんだから。だけど、僕が好きなのは、とにかくここ(と、トントン胸を叩きながら)、ハートから生み出された感じがする、そういう音楽なんだ。そうである限り、音楽の構築の仕方はつくる人の勝手、いかようでも構わない、と。僕が感じるのはそういうことだね。


photo: Atiba Jefferson

レコーディング=記録物ですら、時間の経過につれて変化していく、変化し得るんだよ。たとえ、非常に慎重に保存されたものであっても。

どんな音楽も時代と結びついていると思いますか? それとも時代と結びつく音楽と結びつかない音楽があると思いますか?

DL:うん、時代と結びついていると思う。その点は僕もとても興味があるところで、というのも、「とあるテクノロジー」は「とある時代」に発生するものだ、その発想が好きだからなんだ。その事実が、(ある時代に)生まれてくる音楽にとっての枠組みをクリエイトするものだ、という点がね。たとえば、ハープシコード。あれだって、初期段階の音楽機械だったわけだよね? それ以外にもハーディ・ガーディとかいろいろあったけど、あれらはマシーンだったわけ。マシーンだからこそ、ある程度の自律性を実現できた、と。要するに、演奏する者とサウンドとの間の分離を生むことができた。で……その分離は、とても興味深いものでね。だろう? とても面白いよ。

なるほど。

DL:自分でも、なぜああいった「ミュージカル・マシーン」みたいなものに心惹かれるのか、そこはわからない。ただ、どういうわけか、あの手の機械に僕は強く興味をそそられる。だから……あの手の機械にある「冷たさ」というのかな? 機械が作り出す、パフォーマーとの間の距離、ということ。それに、そこから生まれるサウンドもとても興味深いしね。で、僕たちが素晴らしいと称えるものって、多くの場合……さっき話していたような、「苛烈なまでにパーソナルな表現」みたいなものなわけ。僕たちはそういう表現が大好きだし、それはやっぱり、「すごい! これはまさしくこの人間そのものの表現だ!」と思えるからなんだよね。たとえば、ジャズの偉大な即興奏者を何人か思い浮かべればそれはわかるだろうし、彼らのやることを僕たちはとても高く評価している、と。たしかに、あれはとんでもなく素晴らしい表現だよ。ところが、それとはまたまったく別物の……フィーリングみたいなものを受け取ることもある、というのかな、(パーソナルな表現とは逆に)「ここでは演奏する人間が排除されている」という感覚だね。で、そのフィーリングもどういうわけか、僕にはとても人間的なものに感じられるんだ。

ほう、そうなんですか。

DL:うん。どうしてそう感じるかは自分でもわからないんだけどね。

特定の時代に引き留められていない音楽、いわゆる「タイムレスな音楽」というのは存在すると思いますか? いまから50年前も、これから先の10年後にも、人びとに同じく聴かれている音楽はあるでしょうか。それとも、やはり作られた時代の色味を音楽はある程度は帯びてしまうもの?

DL:僕が思うのは、何かがいったん「作られて」しまったら……それは変化するものだ、ということだね。それってとんでもないことだけどね。だから、たとえばレコーディング=記録物ですら……それってとても安定したパフォーマンスのアイディアであって、それこそ「物」なわけでしょ? だから、音楽(という形にならない/目に見えないもの)を物体化したもの、みたいな(苦笑)。そうやって音楽を物にしている、という。ところがそのレコーディングですら、時間の経過につれて変化していく、変化し得るんだよ。たとえ、非常に慎重に保存されたものであっても。

それはいわゆる、テープの劣化とか、そういうことですか?

DL:ああ、それで変化するってこともあるだろうね。ただ、考えてもごらんよ!――だから、テープ云々のせいで変化するんじゃなくて、それを聴く人びとによって変化が起こる、と想像してみてごらん。その音楽にまつわる文脈が一切存在しない時期に、人びとがそれを聴くだとか……あるいは長い歳月が経過して、それこそ何千年も経った後では、人びとにその音楽は伝わらないかもしれないよね、僕たちにもはや楔形文字や象形文字が理解できないのと同じように。で、過去を理解する能力が自分たちには欠けている、その事実からは多くを学べると思うんだよ。というのも、そこから僕たちの本質へと導かれるわけだから。

はあ。

DL:だから、物事は保存されないんだ、と。で、音楽にだってそれは同様に当てはまると僕は思っていて。音楽はクリエイトされるし、その音楽が存在した時代に対して何らかのコメントを発している、と。けれども、そのアイディア自体、増強されていかなくちゃならないんだよ。というのも、時間がつねにそれを削り取ってしまうから。時間というのは、だからこう、奇妙な金槌みたいなものなんだよな。

(笑)なるほど。

DL:ゆっくりと、本当に少しずつ、時間は物事の意味合いをノミで削っていってしまう。で、思うにこれはとても……僕たちの精神の機能の仕方のなかの、たぶん悲劇的な部分なんだろうね。だけど、それと同時にエキサイティングな部分でもあるんだよ。というのも、(変化するということは)物事は何かをクリエイトしていく……というか、物事は新たなフォルムへと成長・発展していく、ということだし、その形状なら僕たちにもコントロールできるからね。僕たちにもそれを抑制することができる、と。

(音楽や記録されたものも)有機物みたいなものだ、と。

DL:っていうか、それ以外に有り様がないよね。僕たちの存在そのものの枠組みがすっかり変わらない限り、そうある以外ないんじゃないかと思う。それはほとんどもう、この宇宙(ユニヴァース)の本質だ、という気すらするよ、僕にとっては。

ユニヴァース、ですか。……(苦笑)は、話が大きいっすね。

DL:(手をパンパン叩いてウケて笑っている)ああ、僕はスケールの大きい話は大好きだからね! 普遍的なストーリーが。

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マシュー・ハーバートにはぞっこんなんだ。っていうか、もう――自分がどれだけマシュー・ハーバートが好きか、君に説明しきれないくらいだよ、ぶっちゃけ。

『グッド・タイム』はいままでのどのアルバムよりもダイナミックで伸び伸びしてると感じました。逆にいうと普段はもっと神経症的に曲を作っているということですよね?

DL:(笑)ああ、そうだね。ハッハッハッハッハッ……!

リラックスできないタチで、もっと強迫観念めいたところがある、みたいな?

DL:うん、もちろん。ほら、見るからにそうでしょ?(と、ソファにだらーっと身を預けた完全なリラックマ状態で、わざと無表情な口調で冗談めかす)

(笑)。

DL:(真顔に戻って)まあ、自分にはちょっとノイローゼ的なところがあるんだろうね。でも……どうしてそうなったかは、自分でもわからないんだよ。ただ、僕は移民家族の一員として、ボストンで育てられたわけで……自分たちみたいな家族は周囲に他にあんまりいない、そういう土地で育った、と。だから、当時うちの家族が暮らしていたエリアでは、僕たちはちょっとストレンジな存在だったんだよ。で、僕の両親は金銭面でものすごく逼迫していたし、我が家は物に恵まれてはいなかった。で……だからこう、つねに「恐れ」の感覚がつきまとっていたんだよな。というのも、両親は故国を捨ててアメリカに渡ったし、彼らは見知らぬ国で新たな環境に順応し、しかも僕ら子供たちを養わなければならなかった。だから、彼らに「リラックスしてほっと一息」なんて余裕はまったくなかったんだ。というわけで――そりゃそう、そういった面が僕に影響を残すのは当然の話だよ! いや、だから……僕の生い立ち云々をいったん脇に置いてみようか。母親が僕をお腹に宿していたとき、両親はソ連から旅立とうとしていてね。

ああ、そうだったんですね。

DL:彼らはソ連を脱出しようとしていた。だから「ホリデーでアメリカに観光」なんてものじゃなかったし、実質、嘘をついてソ連から逃げ出さなくてはならなかったんだ(※かつてソビエト連邦は海外移住するユダヤ人に高額な出国税等を課していた。詳しくは、移民の自由を認めない共産圏国家に対する最恵国待遇の取り消しを含む米議院ジャクソン=バニク修正条項を参照されたし。同条項が効力を発した1975年以後、ユダヤ系ロシア人のアメリカおよびイスラエルへの移民が増えた)。当時は閉鎖状態で、ソビエトから出国するのは難しかったからね(※OPNは1982年生まれのはずなので、ブレジネフ時代)。だから……母親は相当にストレスを感じていたに違いないよ。で、そういう心理状態が(お腹の)赤ちゃんにまで影響したか? と言われたら、僕は「きっと影響しただろう」と、そう思っていて(笑)。

(笑)はい。

DL:というわけで、僕はそういうものを受け取ったんだし、おそらくそれって、今後もとにかく付き合っていくしかないんだろうな、と。

なるほど。そんなあなた自身は自分がアメリカン・ドリームを体現したと思いますか?

DL:まあ……僕の両親からすれば、僕のやってきたことってものすごい、クレイジーな話だ、みたいなものだろうね。というのも……自分たちのような家族、海外に渡ったロシア人ファミリーは僕たちもたくさん知っているけど、そうした移民ファミリーの目標はいつだって、「子供たちにより良い生活を」なんだよ。それって典型的な移民家族のゴールだ、と言っていいと思う。……っていうか、移民に限った話ですらないのかもしれないよね? もしかしたら、多くの家族のゴールがそれ、「子孫に良い生活を」なのかもしれない。ただまあ、移民にとっては、「わたしたち家族はこの地に移住する。我々(親)はそこで犠牲を払わないといけないのは承知している。けれどもそのぶんお前たち(息子/娘)は、もっと良い暮らしをするための機会を手にすることができる」みたいな。

はい。

DL:というわけで……まあ、たぶん少々ひやひやさせたところもあったんだろうけれども、いまのこの時点では、両親はこの僕がどうにか上手くやっていて、しかも自分のやりたいことをやれるようになった、その事実をとても喜んでくれていると思う。その点を彼らは誇りに感じているし……うん、その意味ではこれもまた、「アメリカン・ドリーム」のなんらかのヴァージョンなんだろうね、きっと。ただ、それはまた「アメリカの悪夢」でもあるわけでさ。

(苦笑)タハハッ!

DL:いやだから(笑)……まあ、少し前に、あるドキュメンタリー作品を観ていたんだよ。オレゴン州に存在したカルト集団、ラジニーシプーラムを追った内容なんだけど。

ああ、『Wild Wild Country』のことでしょうか?(※2018年3月にネットフリックスが発表したドキュメンタリー。インド人宗教家・神秘思想家バグワン・シュリ・ラジニーシこと「オショウ」と、彼が1981年にオレゴン州の荒れ地に建設した巨大なユートピア型コミューン/実験都市「ラジニーシプーラム」、バイオテロ事件などの同カルトにまつわるスキャンダルを扱った内容)

DL:そう、それ! あれは奇妙なドキュメンタリーで……作品としての出来そのものは、じつはそんなに良くはないけどね。というのも、作者の意図に沿って観る側の考え方を操るようなところが少しある作品だと僕は思うし。ただ……あそこで何が起こったか、それを観ていて(目を丸くする)――要するに、インドからやってきた新興宗教のリーダー、兼マーケティングのものすごい天才みたいな人物がいて、彼のもとに集まり彼に指導された、リッチな層のヨーロッパ人がいたわけ。で、彼は富裕層の欧州人はもちろん金のあるアメリカ人からも祝福されたし、そうやって彼らはオレゴンのなんにもない辺鄙な土地に結集した、と。そんなことが起こり得る国って、他にあったら教えてもらいたいもんだよ! あれはもう、完全なる……一種の気違いじみた妄想であって、それってアメリカでしか起こり得ないものだ、と。

なるほど。

DL:で、この僕だってアメリカからしか生まれ得ないわけ。ご覧の通り、僕はこんな奴だしね。だから……良いものだけではなく同時に悪いものも一蓮托生で手に入ってきてしまう、そういうことだってあるんだ、みたいな。僕だって、何も……もちろん、それって厄介で面倒だよ。だけど……アメリカは非常におかしな場所なんだ、と。そこではたくさんの出来事が起きているわけだけど、そのほとんどは、外部の人間の目には100%の狂気の沙汰と映るようなものばかり、と(笑)。

(苦笑)はい。

DL:で、それが世界全体にとっての利益になる、そういうことだってたまにはあるんだよ。ただし、多くの場合、実際は世界に害をもたらしている、と。僕がこの「アメリカン・ドリーム」というものに対して感じるのは、そういうことだね。

サウンドトラック・メイカーとしては、いまはどこらへんがあなたのライヴァルでしょうか?

DL:ああ、ライヴァルか! 良いね~!(満面の笑顔)

『ナチュラル・ウーマン』のマシュー・ハーバートか、『ファントム・スレッド』や『ビューティフル・デイ』のジョニー・グリーンウッドが当面はライヴァルかな、なんて思いますが。

DL:マシュー・ハーバート! 彼はめっちゃ好きなんだよなぁ! それってドイツ映画?

いや、チリ人監督作品だと思います。

DL:へえー、チリなんだ。いや、その作品はまだ観てないな。ただ、音楽は聴いたよ。だから……マシュー・ハーバートにはぞっこんなんだ。っていうか、もう――自分がどれだけマシュー・ハーバートが好きか、君に説明しきれないくらいだよ、ぶっちゃけ。

(熱心な口ぶりに気圧されて:笑)わ、わかりました。

DL:とにかく、彼の『ボディリー・ファンクション(Bodily Function)』(2001)、あれは僕のオールタイム・フェイヴァリットのひとつだ、みたいな。でまあ、その、ライヴァルってことだと……ところで、「ライヴァル」って良い言葉だよね? 楽しいし、それこそスポーツ選手の話をしてるみたいでさ(笑)。

はっはっはっはっはっ!

DL:だけど――そう言われて自分が想像してみたいのは、むしろある種のクレイジーな現実だな。で、その世界では僕のライヴァルはハンス・ジマーだ、みたいな。

(笑)ええ~っ、大きく出ましたね!

DL:(笑)うん。っていうのも、僕は本当に……ある意味、ちんまりしたスコアはやりたくないっていうのかな、そうではなくて、マジにスケールの大きいスコアをやってみたくてさ。

超SF大作、ファンタジー巨編、みたいな?

DL:うん、本当に、本当にドカーンとでかい作品をやってみたい。それが自分にとってのゴールだし、もしも他の人びとが僕にやれると信じてくれないとしたら――まあ、そりゃ僕にはなんにも言えないよね。(独り言のようにつぶやきながら)ただ、見てろよ、いつの日か僕はやってやるから、と。

お話を聞いていると、あなたってじつはかなり競争意識の強い人みたいですね?

DL:ああ、相当競争心が強いよ(ニヤッと笑う)。

(笑)ちょっと意外。

DL:(笑)いやまあ、それは別としても、ハンス・ジマーは優秀だよ。彼って、少しこう……誤解されてるんじゃないかと思う。ってのも、彼ってとても……いわゆる「コマーシャルな作曲家」なわけじゃない? でも、彼の作品には信じられないくらいすごい瞬間がいくつかあるんだって! たとえば、僕は彼の担当したスコア……あれはすごくデタラメな映画で……たしかジョン・ウー作品だったと思うけど、『ブロークン・アロー』(1996)ってのがあって(※ジョン・ウーのハリウッド2作目のアクション映画)。出演はジョン・トラヴォルタに、あの俳優……『ミスター・ロボット』に出てた人……あ~、名前はなんだっけ……

クリスチャン・スレイター?

DL:そう(笑)!……でまあ、『ブロークン・アロー』のスコアはじつにクールだ、と。しかも、実際『エイジ・オブ』にも少々影響しているんだよね。っていうのも、あのスコアには一種カントリー風なトゥワングがあるし、ややこう、「西部開拓期」なヴァイブがある、みたいな?

(笑)。

DL:あのスコアは本当に好きなんだ。ある種「コズミック・ウェスタン」とも言えるスコアだから。要するに、エンニオ・モリコーネ風なんだけど、そこに本当にコマーシャル性の高いクサさを伴っている、みたいな。大好きだね(ニンマリ笑う)。

photo: Atiba Jefferson

自分には速度を落とす必要があるんだな、と。ってのも、僕は本当にスピードが速いから。瞬時に変化するってのが好きだし……数秒間以上もうだうだと同じアイディアに留まっているのは苦手なんだよ。

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『エイジ・オブ』はこれまでになくポップな内容だと思います。これはでき上がったものが自然とそうなったのか、それとも意図していたことなんですか? 

DL:ああ、意図的だったね。というのも、自分の成長期の一部に……ベックの『オディレイ』(1996)が出たときのことを覚えているんだよ。あそこで「ワーオ! これは……何もかもが1枚のなかにひっくるめられているな」と感じた。ダスト・ブラザーズの折衷性、みたいな。だから、あのレコードの相当多くの面が、長いこと自分の頭の片隅にひそかに居座っていた、という。で、僕が自分自身のキャリアをさらに奥へ、もっと深くへ辿っていくにつれて、それこそ、もう後戻りするのは無理、みたいな地点にリーチするわけだよね。自分はもうこれ以外の何者にもなれない、「ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー」を続けるだけだ、と。ただ、僕は本当に、音楽全般に魅了され夢中になっているんだよ。それは別に「スタイルとしての音楽」ってことではなくて、なんというか、ある種の、自分自身のステージ(段階)としての音楽、という。だから、ということは、僕には――何も「これ」といった特定のタイプの音楽をやろうってことではないけど、だから、そう……自分の思うまま、自分は好きな夢を夢見ることができるんだ、みたいな? 思いつく限り、どんな楽器を弾いても構わない、と。そんなわけで、僕はジャンルの境界線を使って遊びたいんだ。そこでは、僕は歌に自らを譲ることになるし、そこで自分に歌を書かせるわけだけど……けれども、物事は変化するし、物事は変化したっていいものなんだよね。それに、ジャンルにしたって多かれ少なかれ柔軟にこねられる、それこそプラスティックみたいなシロモノなんだし。

なるほど。

DL:で、以前の自分というのは、すごく目まぐるしいことをやってたんじゃないか? と思っていて。(指を素早くパチン、パチン! とスナップさせながら)基本的に、ひとつの小節あるいは拍子から次へとものすごいスピードで移っていく、みたいな。ところが、いまの時点での僕はそういうやり方にあんまりハマってはいないんだ。それより自分にはゆっくりしたペースと思える、そっちに入れ込んでいる、というか。だからもっとゆったり緩い変容のペースというのか、(1小節刻みではなく)1曲ごとに変化していく、もしくはひとつの曲のなかで大きなセクションごとに変わっていく、と……っていうか、じつはそれですらないかもしれないな? このアルバムは「一群の歌が集まった」ものだし、あれらの曲群はそれぞれ異なる色をつけられているかもしれないけれど、やっぱりそれ自体でちゃんと「歌」になっている。だから、アイディアという意味では、あれらの歌はそんなに素早く急激に変化しないんだよ。

アノーニデイヴィッド・バーンをプロデュースしたことが影響しているのかな? とも感じましたが。

DL:100%そう。実際、自分がやっていたのはそれだったんだし(笑)――だって、過去2、3年くらい、僕はずっと働いていたんだし。とにかく仕事、仕事、と。そんなわけで、自分でもちょっと感じるんだよ、その意味では、こう……自分は街路に立ってスープを煮ているんだな、みたいな。

(笑)。

DL:いや、だからさ、そうやっていれば、他の人びとが何を欲しがっているのか学ぶわけだよ、そうじゃない?(プフッ! と噴き出し苦笑) だから、自分のためではなく、他の人たち向けにスープを料理する、という。そうすれば、「ああ、彼らはニンジンを入れると気に入るのか」などなどわかるっていう。

タマネギを入れたほうがいいかも、とか。

DL:(苦笑)そう、その通り! で……また逆にそこで教わったのが、人びとが求めていないものは何か? ってことでもあってさ(爆笑)! クハッハッハッハッハッ……

ああ、そうでしょうね(笑)。

DL:(笑)僕はフリーク、変わり者みたいなものだし、(指をパチッ・パチッと小気味良くスナップさせながら)自分には速度を落とす必要があるんだな、と。ってのも、僕は本当にスピードが速いから。瞬時に変化するってのが好きだし……数秒間以上もうだうだと同じアイディアに留まっているのは苦手なんだよ。けれども、こう、一緒に仕事した人たちを相手に、総合的な意見みたいなものを調査したところ(苦笑)、ヒッヒッヒッヒッ!……彼らに言われるんだよね、「うん、そこ、良い! そのパートを、ただ繰り返していってもらえる?」と(笑)。で、僕はもう(予想が外れてやや意外/ちょっと違うんだけどなぁ? という感じの、微妙で皮肉まじりな表情を浮かべながら)「なるほどねー、承知しました! うん、それは素晴らしい思いつきだ」みたいな(苦笑)。

(笑)。

DL:たぶん、僕には必要なんだろうな……だから、アノーニにデイヴィッド・バーン、そのどちらからも――それにトウィッグス(FKA Twigs)もそうだけど、彼らみたいな人たち全員から「ねえ、そこの箇所、それをとにかくちょっとループしてくれない?」と言ってこられたら、そりゃやっぱり、僕はたぶんそこをループさせるべきなんだろう、と。彼らは優れた人たち、自分たちが何をやっているかをちゃんと把握している人びとだからね……クフッフッフッ(思い出し笑いしている)。

あなたのやることは凝縮度が高すぎなのかもしれませんね。少々水で薄めないと口に合わない、みたいな。

DL:ああ、ほんのちょっとだけ、ね(笑)。でもさ、じつを言えば、そうやって希釈することは自分でも気に入っているんだ。それって何も「他人のニーズに合わせる」だけのことではなくて、ほんと、自分の音楽をああいう形で耳にすること、それってリフレッシュされる体験だなと我ながら感じる、そこは認めざるをえなくて。だから、とにかくその聞こえ方は……ここのところの自分の物事の考え方にマッチしている、そう思えるんだ。

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ほとんどもう、ポップ・ミュージックにとって当たり前な言語みたくなってきたもの、聴き手に心理的な作用を及ぼすあのやり方、それらの多くに対して僕は抵抗して闘ってきたんだけどね。

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『エイジ・オブ』は前作のハードなところが減って、全体に艶やかさのようなものを感じます。『ガーデン・オブ・ディリート』は劣悪な環境、密室恐怖症的な地下環境が作品に影響していると言ってましたが、今回はいい環境で録音できたということですか?

DL:うん、今回はガラス窓がたっぷりだったよ! それこそ、前庭にある木立を眺めつつ作業する、みたいな。

そうなんですか! それはずいぶん違いますね。

DL:ああ。この作品はとても奇妙な家でレコーディングしてね。

(前作時の)地下牢(ダンジョン)ではない、と。

DL:うん、地下牢はもう後にした(笑)。で、マサチューセッツ州にある私邸に行って。とても変わった家なんだ。ガラス製なんだけど、円形でね。四角くないんだ。で、なかにいると、あの建物がとても奇妙なフィーリングを醸し出してくるっていう。日中に作業している間はとてもリラックスできるんだよ。というのも、ハリネズミだの、いろんな動物が見られて……ハリネズミにコマツグミ、青ツグミにおかしないろんな鳥たち、リスだのが木立で過ごしている様子が見えたし、それに、近所の住人たちも見えたっけ(笑)。近所の隣人たちは興味深かったな。じつは、彼らがいちばん面白かったかも。それはともかく、その一方で、これが夜になると、ガラス張りの家で暗闇のなかにいるととても無防備に感じるんだよ。それって、とても奇妙でね。というのも、ああしたガラスでてきた家に暮らすのって、こう、一種の特権、贅沢だと考えられているわけ。ところが、僕からすればあの家での暮らしって悪夢のように思えて。というのも、いったん家のなかの照明が点くと、外の周囲は何も見えなくなってしまう。で、誰かに監視されてるんじゃないか、そんな気がしてくるんだ。たとえ実際は外に誰もいなくても、いつ何時、誰かが飛び出してくるんじゃないか? みたいな気がする、と(苦笑)。というわけで、あそこは日中は地下牢ではなかったけれども、夜になると悪霊っぽい性質を伴う場所だったね。うん、悪霊っぽいところがあった。

(笑)。それって、マイケル・マンの映画に出てきそうな家ですね。『刑事グラハム/凍りついた欲望』(1986)って覚えてます?

DL:うん、もちろん。

あれにも出てきますけど、マイケル・マン映画ってガラス張りで外から中やアクションが丸見えの住宅をよく使いますよね。カメラがその外にあって、それを追っていく、みたいな。

DL:とんでもないよねぇ。

でも、そういう環境で実際に暮らすのは、さっきもおっしゃっていたように、相当怖いでしょうね。自分は避けたいです。

DL:怖過ぎだよ。僕には怖過ぎ。

ドミニク・ファーナウ(プルーリエント)をヴォーカルに起用するというのはかなり突飛な気がしますが、これはあなたのアイディア?

DL:っていうか、考えてもごらんよ、彼の方から「お前の新作にぜひゲストで参加したいんだけど」って言われたら、ビビるよね(笑)。アッハッハッハッ……

(笑)たしかに。

DL:でもまあ、彼のヴォイスを使う、あれは僕のアイディアだったんだ。ってのも、僕にとっての彼というのは……だから、自分が自作レコードのコラボレーターに求めることって、彼らのとても強力で、風変わりな、パフォーマーとしての側面なんだよ。だから、彼らが何かやるのを聴くと、自分の全身が思わず総毛立つ、みたいな人たちだね。で、プルーリエントというのは、僕からすると……マソーナ(=山崎マゾ、マゾンナの英語読み)と同じところから出てきた人、みたいなもので。マソーナはもう、これまで出てきたノイズ・アーティストのなかでもほぼベストに近い、そういう人なんだけどさ。で、プルーリエントは、この国(アメリカ)のなかで自分にゲットできるそれにもっとも近い存在だ、と。彼、ドミニクはすごく仲の良い友人でね。長年にわたってとても多くを教わってきたし……っていうか、ドミニクがいなかったら、そもそもマソーナのことすら僕は知らなかっただろうね。でも、ドミニクにはまた、彼は詩人だ、という考え方もあるんだよ。だから、彼はただシャウトするだけの人ではなくて、彼の発する言葉、それ自体ももう、僕にはじつに強力なもので。たとえば、彼は……アルバムの“Warning”って曲で歌っているけど、そこで「♪ガラスの家で 最低最悪だ(in a glass house / it's disgusting)」って言っているんだよ。

あー、なるほど(と、ガラスの家での体験談を思い出す)、ハハハッ!

DL:で、「♪警告・警告・警告……!(warning!)」とえんえん繰り返す、という。ふたりでただ雑談していて、僕が夏に体験したことだとか、僕たちが潜っていたクソみたいなことのあれこれを彼と話していたんだけど、そこから彼が引っ張り出してきたのがあの歌詞だったんだ。で――彼に自分のレコードに参加してもらったのは、僕にはとてもスペシャルなことなんだ。というのも、彼は古くからの友人だし、僕からすれば彼はこれまで出てきたなかでももっとも才能にあふれたヴォーカリストのひとり……マイク・パットンやマソーナあたりと同じ系列にいる、そういうヴォーカリストなんだ。いや、もちろん「いろんなスタイルを幅広くこなす」っていう意味では、「すごくレンジが広い」とは言えないタイプの人だよ。ただ、彼が得意とすること、そこに関しては、彼はすごい、非凡だと僕は思ってる。

なるほど。では逆にあなたにとってポップ・ソングの作曲家ベスト3は誰ですか?

DL:おお~!……(と、やや「難問!」という表情。真剣に考え込んでいる)……………………ワーオ! その答えは、しっかり考えさせてもらわないといけないなぁ。

(あまりに悩んでいるので)じゃあ、これはいずれまたの質問、ということで。あなたはこれまでも、ポップ・ソングを書くことに興味を示してきましたけれど、アリアナ・グランデやジャスティン・ビーバーにも曲を書いてみたいですか?

DL:ああ、トライはしてみるよ。だから、新作に“The Station”って曲があるんだけど、あれはアッシャーのために書いた曲だったりするし。

ええっ!? マジですか。

DL:(笑)うん、ほんと! もともとアッシャー向けに書いた曲だったんだよ。だから……まあ、この場では、「最終的にアッシャーが歌うことにはならなかった」という程度に留めておこうか。

(笑)。

DL:ただまあ……はたしてアリアナ・グランデ向けの曲を自分に書けるか? そこは自分でもわからないけど――ただ、挑戦を受けて立つことに、自分は絶対にノーとは言わないね。でも、自分はいわゆる「名人」ソングライターのレヴェル、まだそこには達していないと思ってる。ってのも、あの手の(ビッグなポップ・スター向けの)歌っていうのは、決まった類いのピークや価値観、インパクトみたいなものの設計図を伴う作曲である必要があるし、そこには僕はまったく興味がないんだ。だから、そういった、ほとんどもう、ポップ・ミュージックにとって当たり前な言語みたくなってきたもの、聴き手に心理的な作用を及ぼすあのやり方、それらの多くに対して僕は抵抗して闘ってきたんだけどね。いやほんと、その手法に対する僕の姿勢はつねに「それは良くないって!」ってものだったし、「やっちゃいけないって……やっちゃダメだろ!」みたいな(苦笑)。

(笑)なるほど。

DL:(笑)あーあ、やれやれ……でも、聴くこと自体は自分でもエンジョイするけどね。あの手の音楽のいくつかは、ほんと、聴いて楽しめる。そうは言っても、それは「曲そのもの」を自分が気に入ったというより、むしろ「(歌い手、演奏者なりの)パフォーマンス」が好きだ、ってことなんだろうけど。その意味では、セリーナ・ゴメズのヴォーカルは大好きで。

(笑)そうなんですか!

DL:ああ、彼女の声はすごくクールだよ! あのヴォーカルにはどこかへんてこな、ストレンジなところがあるからね。それから……ザ・ウィーケンドも大好きだし。彼はすごくかっこいいと思う。そうは言っても、彼は(先ほど言ったようなポップ勢とは)違うんだけどね。ってのも、スタイルという意味で、彼は非常に「なんでもあり」でオープンだし、受けてきた影響もとても多彩で、とっちらかっててほんとクレイジー、みたいな。だから、彼はとても新鮮なポップ・スターの一種って感じがする……すごく最新型のマイケル・ジャクソン解釈のひとつ、というのかな。でもまあ、概して言えば、僕はそんなにポップ・ミュージック好きってわけじゃないね。

そんなアメリカのポップ・チャートにいちばん足りないものはなんだと思いますか?

DL:スクリーミング! プルーリエントのやってるような、スクリームが足りない。で、いま自分がこうして指摘したから、たぶんこれからスクリームが流行るだろうね。

僕たち人間が全滅した後にAIは世界にひとりぼっちで取り残されるわけだけど、それでもAIたちは地球近辺に集まってきて悲しんでいる、という。それこそ、お墓参りに行って個人を偲ぶようにね。

今作において、全体に低音を入れないのはなぜですか?

DL:サブ・ベース音はあの家には持ち込まなかったよ。あの、ガラス製の家にはね。それをやったら、ガラスが割れていただろうし!(笑)。

(笑)マジですか。

DL:あの家を内破したくはなかったし、それに「この住宅に被害を与えた」ってことで多額の罰金を払いたくもなかったから。

ガラスが割れたら危ない、と。

DL:そう。誰にもケガしてほしくなかったし、ガラスが割れて追加料金を請求されるのはご免だったし。

でも、そもそもなんでガラスの家なんかでレコーディングすることにしたんですか? 相当に奇妙なシチュエーションですよね(笑)?

DL:どうしてだったんだろう? マジに、自分でもわからない(苦笑)。っていうか、とにかく一時的にニューヨークから離れたかったんだ。でもまあ、あれ以外のどこか他の場所をレコーディング場所に選ぶことも、たぶん可能だったんだろうけど……あの家は『エイリアン』ぽっかったんだよ、エイリアンの卵みたいなんだ。だから見ているぶんには楽しくて……

ガラスのドーム型の建物、ということ?

DL:そうだね、ドームなんだけど、本体は白いコンクリートでできていて、それをガラスが囲っている、みたいな。とても奇妙な建物だよ。

それは、築は割と最近の新しい建物? それとも60、70年代頃の古い建物なんでしょうか。

DL:70年代に建てられたものだと思うよ。あの名称は「Earth」……なんとか(※いわゆる「アース・ホーム」のことと思われます)というものだったな。正式名称はとっさに思い出せないけど、うん、建築の発想としては、「自然に溶け合った家」というものだったんだ(笑)。周囲の丘陵の描く勾配に合わせて曲線を描く、みたいな。だから、トールキン小説に出てくるホビットの住居、という感じ(笑)。

なるほど。ちなみに、『グッド・タイム』の後で「FACT Magazine」に公開したミックステープがありましたよね? あそこにあったあなたの「お気に入りの音楽」、ジョルジオ・モローダー他の映画絡みの音楽を聴いて、一種サントラ『グッド・タイム』の参照リストのようにも感じたんですが、ああいうもの、ちょっとした参照点だったり影響になった音楽は『エイジ・オブ』にも存在しているんですか?

DL:――ああ、少しあるんじゃないかな? だけど、直接的なものではなくて……だから、我ながらおかしいんだよな~。ってのも、自分が(レコーディングしていた頃に)聴いていた音楽って、ほんとストレンジなもので。たとえば、サシャ・マトソン(Sasha Matson)って人のレコードがあったよ。彼はヘンなテレビ向け音楽を書くコンポーザーなんだけど(※いわゆるB級映画/テレビの音楽を手がけてきた作曲家?)……素晴らしいレコードを作ったことがあったんだよ、こう、ペダル・スティールと室内管弦楽団が合わさった、みたいな内容の。要するにカントリーっぽいんだけど、と同時に……モダンなジョン・アダムスみたいに聞こえる、みたいな?

はっはっはっはっはっ!

DL:――いやいや、そんなふうにバカにしないでよ! あれはマジにクールなレコードだって!

了解です。

DL:というわけで、その時点の自分は「よし、サシャ・マトソンみたいなレコードを作るんだ!」と息巻いていたわけだけど――僕のお約束で(笑)、そこから一気にまったく違う方向へと転換してしまって、結局、サシャ・マトソンっぽいレコードを作るには至らなかった、と……。で、ドリー・パートンなんかを聴いていたっていう。だから、自分でもよくわからないんだよ。今回の作品はかなり奇妙で、要するに、そんなに過度に……戦略的に作ってはいない、みたいな。

「MYRIAD」の予告ヴィデオにちらっと日本のゲーム・ソフト『MOTHER』が映りますけれど――

DL:(ニヤッと笑う)。

これはなぜ? というか、あのヴィデオ自体はあなたが制作したわけではないでしょうが……

DL:いや、ヴィデオに使われたイメージはすべて僕が選んだものだよ(笑)。

あのゲームが大好きだから使った、とか?

DL:いいや。っていうか、アメリカではあのゲームは『EarthBound』って名称なんだよ。で、まず、答えA:(ダーレン・)アロノフスキーの『マザー!』が好きであること、そして答えB:AIが自分の母親に対してノスタルジーを抱く、要するに僕たち(人間=AIの作り主)をAIが懐かしむという発想ってすごいな、と。だから、僕たち人間が全滅した後にAIは世界にひとりぼっちで取り残されるわけだけど、それでもAIたちは地球近辺に集まってきて悲しんでいる、という。それこそ、お墓参りに行って個人を偲ぶようにね(※ここは、おそらくキューブリック/スピルバーグの『A.I.』のことを話していると思います)。でまあ……とにかく「MOTHER」って単語自体、はてしなく深いし、しかも面白いものだし。それに、あの(ゲームの)カートリッジに描かれたグラフィック、あれが大好きなんだよな。地球のイメージが使われていて、すごく綺麗。あれは素晴らしいよ。

『MOTHER』の作者は生みの母親を長いこと知らなくて、有名になったことでやっと会えた、という逸話があるんですよ。そのことが反映されたゲームらしいです。

DL:(目を丸くして)へえぇ~~、そうだったんだ!? それはすごい話だね!

※『エイジ・オブ』のコンセプトについて語った後編は6月27日発売の紙エレキング22号に続きます。



Orange Milk - ele-king

 これから我々はどこに行くのだろうか? ヴェイパーウェイヴ以降において、もっとも先鋭的なレーベル、〈Orange Milk〉が日本に来る! ん? サイバースペースを使ってではなくて……そのレーベル主宰のGiant ClawとSeth Grahamによる待望のジャパン・ツアーが開催される! ツアーに合わせ未発表音源を詰め込んだ日本限定のコンピや物販も会場にて販売されるようだ。ツアーは、東京、大阪などを含む全6公演が行われ、食品まつり a.k.a foodman、CVN、mus.hiba、koeosaeme、dok-s projectなどの国内アーティストも参加する。各公演のフルラインナップが発表されているのでチェック!

 〈φonon (フォノン)〉は、EP-4の佐藤薫の〈SKATING PEARS〉のサブレーベルとして2018年に始動した、という話はすでに書いた。いまのところEP-4 [fn.ψ]『OBLIQUES』、A.Mizukiのソロ・ユニットで、ラヂオ ensembles アイーダ『From ASIA (Radio Of The Day #2)』という2枚のリリースがある。
 で、このたび第二弾のリリースありとの情報。

 そのひとつは、家口成樹セレクトのエレクトロ・コンピレーション、『Allopoietic factor』。いま最高にクールなエレクトロニック・ミュージック/ノイズが収録されている。そして、もう1枚は森田潤の初ソロCD『LʼARTE DEI RUMORI DI MORTE。美しくも不気味な音を巧みにコラージュさせる音響センスは秀逸で、ユーモアもある。
 ぜひ、チェックしてくれ。
https://www.slogan.co.jp/skatingpears/

6月15日(金) 2タイトル同時発売!!

アーティスト:Various Artists
アルバムタイトル:Allopoietic factor
発売日:2018年6月15日(金)
定価:¥2,000(税別)
品番:SPF-003
発売元:φonon (フォノン) div. of SKATING PEARS

01. Bark & Pulse / ZVIZMO
02. Suna No Onna / Turtle Yama
03. Fuzzy mood for backpackers / bonnounomukuro
04. Crepuscular rays / Singū-IEGUTI
05. Exocytosis / Yuki Hasegawa
06. Boiling Point / 4TLTD
07. Armor / Natiho Toyota
08. Sairei No Odori / Black root(s) crew
09. IN A ROOM / Radio ensembles Aiida
10. Proto-Enantiomorphous / EP-4[fn.ψ]

アーティスト:Jun Morita
タイトル:LʼARTE DEI RUMORI DI MORTE
発売日: 2018年6月15日(金)
定価:¥2,000(税別)
品番:SPF-004
発売元:φonon (フォノン) div. of SKATING PEARS

トラックリスト
01. Le Pli II
02. Poesia I
03. L'Arte Dei Rumori Di Morte
04. Corpus Delicti
05. Acephale Extravaganza
06. Poesia II
07. Live at Forestlimit,Tokyo 20-Jan-2018

Chevel - ele-king

 マムダンスとロゴスが主宰するレーベル〈Different Circles〉は、ベース・ミュージック、ダブステップから派生しつつも、真に新しいビートとサウンドを追及している貴重なレーベルである。
 〈Different Circles〉は、彼らのトラックに加え、ラビット、ストリクト・フェイスなどのトラックを収録したコンピレーション『Weightless Volume 1』(2014)、シェイプドノイズやFISなどのトラックを収録した『Weightless Volume 2』(2017)、ラビットやストリクト・フェイスのスプリットやエアヘッドの12インチなどをリリースしている。

 〈Different Circles〉がリリースしたトラックは数はまだそれほど多くはないが、どれも刺激的なものばかりだ。中でもマムダンスとロゴスによる「FFS/BMT」(2017)は、インダスリアル/テクノやグライムを経由した「非反復性的」なサウンド/リズムを実現したひときわ、重要な曲である。
 この2トラックはマテリアルでありながら重力から逃れるような新しい浮遊感を実現し、最新型のエレクトロニック・ミュージックの重要なテーゼ「Weightlessness=ウェイトレスネス」を体現している。今、「新しい音楽とは何か?」と問われたら、即座に「FFS/BMT」と〈Different Circles〉の作品を挙げることになる。


 彼らは2015年にUKの〈Tectonic〉からアルバム『Proto』をリリースしており、先端的音楽マニアには知られた存在だったわけだが、この「FFS/BMT」で明らかにネクスト・ステップに突入したといえよう。
 ちなみに〈Different Circles〉のレーベル・コンピレーションアルバム『PRESENT DIFFERENT CIRCLES』(2016)にも、“FFS”がミックスされ収録されているので、こちらも聴いて頂きたい。

 と前置きが長くなったが、その〈Different Circles〉における初のアーティスト・アルバムとなったのが、本作、シェヴェル(Chevel)『Always Yours』である。
 シェヴェルことダリオ・トロンシャンはイタリア出身のプロデューサーで、2008年に〈Meerestief Records〉から12インチ「Before Leaving E.P」、2010年にはイタリアのエクスペリメンタル・テクノ・アーティストのルーシー主宰〈Stroboscopic Artefacts〉からEP「Monad I」などを発表し、2012年以降は、シェヴェル自身が運営するレーベル〈Enklav.〉から多くのトラックを継続的にリリースし続けた。
 そして2013年にはスペインの〈Non Series〉からアルバム『Air Is Freedom』を、2015年には〈Stroboscopic Artefacts〉からアルバム『Blurse』などをリリースする。特に『Blurse』は〈Stroboscopic Artefacts〉らしい硬質なサウンドを全面的に展開し、いわば「2010年代のインダスリアル/テクノの総括・結晶」のようなアルバムに仕上がっていた。メタリックなサウンドが、とにかくクールである。

 本作『Always Yours』は『Blurse』から約3年ぶりのアルバムだが、やはり時代のモードを反映し、〈Different Circles〉=「Weightlessness=ウェイトレスネス」的な音響の質感へと変化を遂げているように聴こえた。テクノ的な反復を超克しつつ、ミュジーク・コンクレート的な音響が重力から逃れるように接続されているのだ。これはモノレイクことロバート・ヘンケのレーベル〈Imbalance Computer Music〉からリリースされたエレクトリック・インディゴ『5 1 1 5 9 3』などにも共通するサウンドの構造と質感である。「非反復的構造の中で浮遊感と物質性」が同居するサウンドは2018年のモードといえる。

 性急なリズムがいくつも接続され、サウンドのランドスケープを次第に変えていく“The Call”、四つ打ちのキックを基調にしながらも重力から浮遊するようなサウンドを聴かせる“Arp 2600”、細やかなリズムと霞んだアンビエンスが交錯し、やがてヘヴィなリズムが複雑に接続されていく“Data Recovery”、変形したリズムが世界の状況をスキャンするように非反復的/点描的に配置され、「コンクレート・テクノ」とでも形容したいほどに独自のサウンドを展開する“Dem Drums”など、どのトラックも優雅さと実験性を秘めたテクノのニューモードを体現している。

 シェヴェルの『Always Yours』を聴くと、ブリアルが『Untrue』(2007)で提示した00年代後半以降の世界観の、その先の表象を感じてしまう。
 2010年代末期の現在は、末期資本主義の爛熟期である。それは金融、モノ、情報が加速度的に巨大化・流動化している時代でもある。そしてそれらが一気にヒトの存在=許容量を超えた時代でもある。「世界」が人間以外の何かの巨大な集合体として存在するのだ。
 私見だが、本作の物質が流動するモノ感覚には、そのような同時代的かつ現代的な感覚を強く感じる。モノが浮遊する感覚。非反復的構造の中で浮遊感と物質性。それらは極めて現代的なサウンド・コンクレート感覚だが、ゆえにいまの世界の同時代的な表象でもある。そのような時代にあって、シェヴェルが「Always Yours」と記すことの意味とは何か。本作の非反復的/反重力的なコンクレート・テクノに、今の時代を貫通する無意識と潮流を探るように知覚に浸透させるように聴き込んでいきたい。

 暗闇に浮かび上がる清涼飲料水の自動販売機を捉えた印象的なアートワークは日本人フォトグラファー山谷佑介の作品である。どこか「人間以降」の世界のムード(兆候)さえ漂わしている素晴らしいアートワークだが、この無人の商業マシンが放つ人工的な光=アンビエンスは、本作のトラックのアトモスフィアと共通するものを発しているようにも思えてならない。


interview with Courtney Barnett - ele-king

 コートニー・バーネットが特別なのは、女性だからとか、オーストラリア出身だからだとか、絶滅の危機に瀕した(何度も)ロックに立ちむかう左利きのギタリストであるとか、フィンガー・ピッキングを用いているからだとか、あるいはジェンダーであるからとか、そういう特徴的なところではなくて、まず極めて優秀なシンガー・ソングライターだという真理を先に伝えておかなければならない。珍しさではないということを。


Courtney Barnett
Tell Me How You Really Feel
(歌詞対訳 / ボーナストラック付き)

MilK! Records/トラフィック

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 ファースト・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット』を2015年にリリースした後に、大ファンだと公言しているカート・ヴァイルとの昨年のデュエット作を経て3年ぶりに発売されるセカンド・アルバム『テルミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』は、静寂を切り裂くようなグランジィなギターを響かせた“Hopefulessness"から幕を開ける。前作のラストに収められた“Boxing Day Blues"の続きのようにも聴こえるし、新しくダイナミックなコートニーのようにも聴こえるから不思議だ。彼女には様々な苦悩や葛藤を焼き尽くして淀みのないスタンダードでドライなロックに昇華させる力が携わっているようで、それは今作でもしっかりと健在。2018年に聴くべき音かと問われればポップスのように後に振り返れるような時代との連動性は無いけれど、3年後や10年後に聴いたとしても同じように伝わる普遍的な音であり、音楽史ではなく誰かの心に深く残る音だと答える。そして彼女のラフな佇まいや、気怠い歌声や、惚れ惚れするほど歪んだ音を鳴らすギター・プレイからは、何よりも自分自身であることの正しさ、大切さを受け取ることができる。それはフェミニズムにおける定義としてではなく、現代の多種多様な生き方の選択肢としてのさりげないメッセージのようにも思える。

 街が傷ついた魂を哀れんでる
 どんな素敵な散文も 心の穴を埋められない
 誰もが敵意に飲まれてる
 冬の厳しさは容赦なく 本心は口にできないわ
 友達は他人のように接してくるし
 他人は親友のように接してくる
 今日もまた 憂鬱な1日に目覚める
 まだ長い道のりがある ありがたく思わないと
“City Looks Pretty”

 憂鬱で笑っちゃうほど孤独、そんな俗世間にいる自分をユーモラスに切り取る歌詞は、今作では更に鋭いまなざしで何かを見つめ、しかし語り口は少し優しく変化している。優れたソングライターとは、リスナーがそこに自分がいると錯覚を起こすような言葉を曲のなかにいつも忍ばせているものだ。アルバムのタイトルが示唆するのは、つまりそれがあなたの本当の気持ちだということなのかもしれない。


Photo:Pooneh Ghana

自分はなんというか、つねに何かを学んでいるし、何であれ、いろいろと葛藤し続けているしね。そう……だから、とにかく自分にとっては常に続いている「学び」のプロセスみたいなものだし、その葛藤を続けることを本当に楽しめるようになってきた、という。だから、「自分は何もかも知っているわけじゃないんだ」という、その点を認めて受け入れるってことだし、だからわたしはすごくオープンになっている。

あなたのファースト・アルバム『Sometimes I Sit And Think,And Sometimes I Just Sit』は世界中のメディアに賞賛されましたが、3年前のことをいま振り返ってみるとどんな状態でしたか?

CB:そうだな、あれはとても……エキサイティングな旅路だった、みたいな。で、その旅はまだ続いているのよね、ほんと。とにかくこう、新しくエキサイティングなことがどんどん起こっているし。たとえば世界中を旅して人びとの前で自分の歌を歌えるだとか……それって、「自分にやれるだろう」なんて思ってもいなかったことだった。だから、そう、自分でも驚かされっぱなしなの。

じゃあグラミー賞ノミネート等々も、やはり驚きだったでしょうね。

CB:ええ、もちろん思ってもいないサプライズだった。だけど、わたしはそういった「外部のもろもろ」みたいなものはなるべく知らないままでおこうとしたっていうのか、ほんと、そこらへんはあまり考え過ぎないようにしていた。それよりももっとこう、とにかくライヴをやりに出向いていって、実際にチケットを買って音楽を聴きに来てくれた会場いっぱいのお客を相手に演奏する、そちらの方が自分にとっては大事、というか。それは、アウォード云々がもたらすような何よりもわたしにとっては重要だったから。

ライヴでなら、実際の聴き手/お客さんを前にして彼らとコネクトできるわけですしね。

CB:ええ。

昨年リリースされたカート・ヴァイルとの共作『Lotta Sea Lice』はおふたりともとてもリラックスして楽しんでる様子が伝わってくる大好きなアルバムなのですが、この作品を制作したことはあなたの新作にどんな影響を与えていますか?

CB:もちろん、影響はあったわ。っていうか、何にだって影響されるものなんじゃないかな? わたしが何か作ろうとすれば、いつだってそこでは何もかもが影響し合っているんだし……というのも、わたしたちはあのアルバム(『Lotta Sea Lice』)をやっている間にそれぞれ自分たちの作品に取り組んでいたし、わたしはあの間に自分の新作のソングライティングもやっていたのね。
だからそう、それって(わたしとカートの)双方向に作用するだろう、というか、わたしのこのアルバムはふたりでやったコラボレーション作に影響を受けただろうし、彼の作品にしてもそれは同様だ、と。だからほんと、わたしはたまたま同じデスクに腰を据えることになった、同じ時期に同じデスクに向かってあれらの曲を書いていた、みたいな? そうやって曲を書いていったたわけだけど、ただ、結果的にあれらは2枚の違うレコードに収まることになった、という。で、うん……それに、普段とは違うミュージシャンたちとプレイするだとか、いつもと違うジョークをいつもと違う人たち相手に言い合うとか、その程度のことだって、それらすべてが合わさっていくと、やっぱりいままでとは異なる体験やインスピレーションになっていくものだろうし。

そしてカートとの共作は今後も続く可能性はありますか?

CB:ええ! またやれれば良いなと思ってる。うん、割と最近彼ともそれについては話したし、2、3年後にでも、また一緒に集まろうか? それでどんな感じになるか試しやってみようよ、という話はしてる。

それは良いですね!

CB:(笑)ええ。

新作についてですが、『テルミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール(Tell Me How Really Feel)』というタイトルにこちらを覗き込むような顔、静かな怒りやメッセージを含んだ歌詞など新しいスタイルを感じました。

CB:うん。

それとは裏腹に歌い方は穏やかで優しくて、ギターは相変わらず荒々しく鳴っているアンバランスなところにも魅力を感じました。ファースト・アルバムを制作した後に何か大きな心情の変化はありましたか?

CB:そうね……でも、大きな変化はそれこそ毎年、コンスタントに自分に起きているな、そんな風に感じているけれども。来る年来る年、自分には常にある種の大きな変化が訪れてきたし、そうした変化って、一生続くものなんじゃないか?と。そうだな、そこが、自分でもわかりはじめてきたところなんだと思う。
だから、時間が経つにつれて自分は物事に対処しやすくなる、あるいは物事の筋道が理解しやすくなるだろう、と考えるわけだけど、実はそんなことってないんじゃないか、と思っていて。わたしからすれば、自分はなんというか、つねに何かを学んでいるし、何であれ、いろいろと葛藤し続けているしね。そう……だから、とにかく自分にとっては常に続いている「学び」のプロセスみたいなものだし、けれどもそのプロセスに抵抗して闘うのではなくて、その葛藤を続けることを本当に楽しめるようになってきた、という。

なるほど。

CB:だから、「自分は何もかも知っているわけじゃないんだ」という、その点を認めて受け入れるってことだし、だからわたしはすごくオープンになっている。そうやって色んなことに対してオープンである状態を続けながら、そうだな、さらに色んなものを学ぼうとしているってことじゃないかと思う。

ちなみに、このアルバムを作るにあたって特別なテーマなどを設けたのでしょうか?

CB:ノー! それはなかった。そうじゃなくて……なんというか、曲を書き続けていくうちにだんだんテーマがはっきりしていった、というものだったんじゃないかな。アルバムには繰り返し出て来るアイディアが2、3あるけれども、「これ」といったかっちりしたテーマはとくになくて。だから、自分でも「テーマはこういうものだ」って風に見定めてレッテルを貼り付けることをしないまま、とにかく曲を書いていっただけだし、そうすることで自然にどんな風に広がっていくかを見守ろう、と。

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Photo:Pooneh Ghana

まあわたしはそもそもネットやSNSにはそんなにハマっていないと思うけど、そういった面にはあまり関わらないように努めていた、みたいな? 自分もソーシャル・メディアはちょっと使うけど、すごく「活用してる」ってほどじゃないし……んー、あれってまあ、奇妙なものよね。


Courtney Barnett
Tell Me How You Really Feel
(歌詞対訳 / ボーナストラック付き)

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前作の"Pedstian at Best"などはMVの制作にも関わっていたと伺いました。今作の"Nameless,Faceless"のMVはフランツ・フェルディナンドの"Take Me Out"を彷彿させる、実写映像とモーショングラフィックスを掛け合わせたようなユーモアの効いたMVですが、これはあなたのアイディアによるものですか?

CB:いや、自分のアイディアという意味ではそこまでではなくて、あのMVは……友だちのルーシー、彼女がほとんどやってくれた、というか。「大体こういう感じ」と彼女に伝えて、でも、そこから先は彼女自身の発想であのヴィデオを作っていってくれた、という。わたしとしてもそうして欲しかったし、彼女のことは信頼していたし、彼女のアイディアを知ってわたしとしても「それでオーケイ、やってみて」と。

(笑)。

CB:うん。彼女はすごく良い仕事をしてくれたと思う。

じゃあ基本的に、彼女はあの曲を聴いて、それを彼女なりの解釈であのヴィジュアル、というかヴィデオへと変換した、という。

CB:そうね、そういうこと。

有名になることでそれこそ名前のない、顔のない人びとの誹謗中傷されることもあるかもしれませんが──

CB:ああ。

なかには誉めてくれるポジティヴな人もいるし、一方で悪口を言う人間もいる、と。で、インターネットやSNSとの付き合い方についてはどうお考えですか?

CB:うん、自分でもトライした、というか……まあわたしはそもそもネットやSNSにはそんなにハマっていないと思うけど、そういった面にはあまり関わらないように努めていた、みたいな? 自分もソーシャル・メディアはちょっと使うけど、すごく「活用してる」ってほどじゃないし……んー、あれってまあ、奇妙なものよね。そうだと思う。だから言うまでもなく、わたしであれ誰であれ、ああしたプラットフォームに出ている人たちは、何を言われても「非難された」って風に気にしない、それらを個人攻撃だとは受け取らない、そういう強い人間である必要があるわけよね。それに、たとえパーソナルな批判ではないと承知していても……だから、(ネットでの)人びとが持つああした姿勢というのは、その人間の抱く「恐れ」から来ているんじゃないか? と思っていて。

ああ、たしかに。

CB:たとえば、「自分は他のみんなについていけてない」とか、「自分は他よりも劣っている」みたいな恐怖感のこと。で、そういう恐れを抱いている人びとは、自分の優越感のために他の人間たちに対してパワーを誇示しようとする、という。で、いったんその仕組みを理解してしまえば、なんというか、ある意味ネットのもろもろに接するのが楽になる、っていうのかしら。
だから、自分自身に対して厳しく接するのって、人間に本来備わっている性質のようなものだと思うのね。自分のやっていることに対して「これで充分、ばっちり」って風に絶対に満足できないものだし、まだ自分には努力が必要だ、と考える。みんないつだって……っていうか、わたし自身はそうなんだけど、「誰もわたしのことなんか好きじゃない」、「自分のやっていることはまだまだ」云々ってことをいつも感じているし。
だから、どうなんだろう? それって恐れってことだし、とにかく誰もがそうした恐れだとか不安感は抱いているものだと思う。失敗するのが怖い、とかね。それらを乗り越えるのはなかなか難しいわけで。

若い人にとってはその不安感は大きいみたいですしね。ネットは便利だし役に立つけれども、逆に常に美しい世界や人びと、金持ちのライフスタイルを見せつけられて、「なんで自分はこうじゃないんだろう?」と悩んだりするみたいですし。

CB:そうよね。


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先日10年ぶりに発売されたブリーダーズの新しいアルバムにあなたがコーラスで参加し、反対にあなたの曲"Nameless,Faceless"にはキム・ディールがコーラスで参加しているそうですが、どういった経緯でこの交流が行われたのですか?

CB:あれは、わたしたち……キム・ディールとわたしとで、2年くらい前に『Talkhouse』という番組のポッドキャストをやったのね(2015年4月)。お互いをインタヴューし合った、という。あれは最高だったし、以降もわたしたちはコンタクトをとり続けていた。で、あるときオハイオ州に立ち寄ったことがあって、そこで彼女に「せっかくだから会わない?」と電話してみたの。そうしたら彼女はブリーダーズとスタジオ入りしていたところで、「スタジオに来なさいよ」と言われて、それでわたしたちもお邪魔することにしたんだけど、彼女たちはちょうどあのヴォーカル・パートを録っていたところで、それでわたしたちも飛び入りで参加して歌うことになった、と。で、その2、3ヶ月後に……っていうか、1年くらい経ってからだったかな? 今度はわたしが自分のアルバムに取り組んでいて、そこで彼女たちに自分の音源を送ってみたのね。そうしたら彼女が電話してきてくれた、という。そういう成り行きだった。

いずれ、ブリーダーズとのツアーがやれたらいいですね?

CB:あー、そうなったらグレイト! うん、ぜひやれたらいいわよね。

"Nameless,Faceless"の歌詞のサビ部分ではカナダの女流作家マーガレット・アトウッドの言葉を引用、というか少し言葉を変えて引用しているということですが──

CB:ええ。

あのフレーズはすごく的を射ている、言い得て妙だな、と個人的にも思うんですが──

CB:そうよね。

で、先日、性被害撲滅運動を求める「MeToo」運動について彼女は、運動の行き過ぎと裁判なき非難や司法制度を迂回することに懸念を示す発言をしている、という記事を目にしました。オーストラリアの音楽業界の性差別の撲滅についての署名を行ったというあなたは、このことについてどう考えますか?

CB:そうね、っていうか、あの記事そのものに関しても、自分はいろんな立場/視点から書かれたものを目にした。だから、それだけ扱いが難しいのよね、こういうことって……もちろん、ああした何らかの「ムーヴメント」には、それがどんなものであれ、(「運動」である限り)ある種の良くない部分というのはつきものなわけで。ポジティヴで良い面があるけれども、一方で足を引っ張る側面も出て来る。だからとても難しくもあるのよね、というのも、みんなそれぞれに異なるヴァージョンを持っている、各人の見方を通じてそのムーヴメントの働きなり、「その運動は何か」というそれぞれの解釈がある、みたいなもので。

なるほど。

CB:だから、たとえば……(思わず噴き出す)それこそ1960年代頃の古い話まで遡っても、あの頃だって平和主義か、それとも好戦主義か? とのバランスの間で戦いが生じていたわけだし。ただ、今回が違うところ、というか、これに関して難しいのは、わたしにも人びとの様々な意見が理解できるからなのよね。ただ、意見は異なっていても、求めている最終的なゴールはみな同じだ、と。
だから、誰もが同じ目的で闘い、それについて語り合っているわけだけれども、困るのはそれで逆にゴールが見失われてしまうこともある、ということで。実際の問題を極力抑えようと努力する代わりに、様々な議論によって、本来の目的が見失われてしまったりする。で、その本来の問題っていうのは……男性/女性間の格差のバランスを是正しよう、ということだし、それに、あの……あー、何だっけ? とっさに単語を思い出せないな(と思いあぐねて困っている)……ああ、だから、「双方のちゃんとした同意に基づかない性的な関係(Non-consensual sexual relationship」に対する異議だ、と。

はい。

CB:で……要はそういったことなのに、話が大きくなって議論が様々にふくらむにつれてわたしたちはそのなかに立ち往生してしまって、肝心な本来の問題のことを忘れてしまっているんじゃないか? と。運動のそもそも主意は、いま言ったくらいシンプルなことだったというのにね。で、誰もが(性を基準にした格差や、同意なしのセックスの強要は)「それは良くない、悪だ」って点では同意しているというのに、(苦笑)なぜだかこう、それ以外のもっとスケールの大きい政治的な会話の数々のなかに巻き込まれて、その点が見失われている、と。
だから、自分が思うに、わたしたちはもっとこう……議論の原点、最終的に達成したかったゴールに繰り返し立ち返っていくことが大事なんじゃないかな。要するに、女性嫌悪は終わりにしよう、性差別もお断り……それもあるし、とにかくああいう、他人を常に自分よりも下へとおとしめようとする行為だったり、権力を持つ者/持たない者との間の葛藤ってことよね。で……うん、話がいろいろに広がっていくと、その点が見えにくくなってしまうものだ、そこはわたしも分かっているの。ただ、肝心な点はそこだったでしょう? と。そここそ、人びとが思い出さないといけない点なんじゃないか、わたしはそう思ってる。

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Photo:Pooneh Ghana

雑誌とかテレビなんかで男性のロック・バンドばかり目に入ってくると、「そういうものなんだ、女の自分が属する世界じゃないんだ」みたいな感覚を抱くでしょうし。ただ、その状況は今、大きく変わってきていると思う。もちろん、そうした状況はとても長く続いてきたけれども、ここしばらくはずいぶん変化してきていて、すごく良いなと思っている。


Courtney Barnett
Tell Me How You Really Feel
(歌詞対訳 / ボーナストラック付き)

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同世代のミュージシャンの中であなたがシンパシーを感じる人がいれば教えてください。

CB:うん、たくさんいるわ。多過ぎるくらいで……というのも、わたしは今、ものすごく音楽に夢中って状態だから。過去2、3年ですごくたくさんの人びとに出会えたし、そのおかげで自分はまた音楽に改めて恋するようになった、みたいな感じで。

ああ、それは素敵ですね。

CB:それこそ、自分が10歳だった頃に戻った気分なの。で、わたしがカート(・ヴァイル)とツアーをやったとき……あのとき一緒にやったバンド(=The Sea Lice。スリーター・キニーのジャネット・ワイス他を含む)はとてもインスピレーションに満ちていたし、他にもメルボルン出身のCamp Copeってバンドだとか、アメリカのWaxahatchee……同じくアメリカ人のShamirにPalehound 、それからSpeedy Ortiz等がいる。自分たちの声をポジティヴに使っている優れたアーティストがこんなにたくさんいて、ほんと素晴らしいなと思う。

音楽そのものがもちろんもっとも大事でしょうが、あなたが何か音楽を好きになるときは、そのアーティスト/バンドが彼らの「声」を持っていること、何らかのメッセージを発している、というのも重要なファクターですか?

CB:ええ……っていうか、音楽には本当にいろいろなパワーが備わっている、ということよね。たとえば、わたしはインスト音楽もよく聴くけれども、インスト音楽というのは「言葉(歌詞)による」メッセージは含んでいないわけ。それでも、わたしたちはそれらを聴いてこう、(笑)自分たちなりのメッセージをこしらえていくわけじゃない? だから、人びとがどう言っていようと、わたしたちは最終的にはいつだって音楽を自分独自のやり方で解釈しているものだ、と。けれども、うん、そうね、わたしはとても強い歌詞を持つ「歌」といったものに惹かれがちだし……それはただ、ソングライターの責任ってことじゃないかとわたしは思っている。
というのも、ステージに立って人びとに向かって自分の歌を歌うことができる、それって本当に名誉で特別な立場だと思うし、だったらやっぱり一語たりとも無駄にしたくない、と。それくらい、人びとが歌に耳を傾けてくれるのって、本当に名誉なことだから(と言いつつ、我ながら生真面目な口調が照れくさくなったのか、「ハハッ!」と笑っている)。

たしかに。それに、ステージに立つのには別の責任も伴ってきますよね。だから、何もあなたが「お手本役」だとは言いませんけど、ロック・ミュージックやギター・ロックは伝統的に男性が多い世界なわけで……

CB:そうよね。

だからこそ、あなたみたいな存在はロックをやりたい若い女性や少女たちがギターを手にするきっかけ、励みになるだろうな、と。

CB:ええ。それってすごくクールだなと思う。それに……もしもロックをやりたいのに、それをあなたに踏みとどまらせているものってただひとつ、さっきも話した「恐れ」というか、社会の側が言ってくる「君たち(女性)にはそれは無理」っていう考え方なんだろうし。だけど……(苦笑)だから、「どのジェンダーが他のジェンダーよりもギターを上手く弾けるか」なんていう科学的な証拠なんてどこにもないんだし……

(笑)ですよね。

CB:バカバカしい話! それに、物事のプレゼンのされ方/視覚的な影響もあるんじゃないかな。だから、雑誌とかテレビなんかで男性のロック・バンドばかり目に入ってくると、「そういうものなんだ、女の自分が属する世界じゃないんだ」みたいな感覚を抱くでしょうし。ただ、その状況はいま、大きく変わってきていると思う。もちろん、そうした状況はとても長く続いてきたけれども、ここしばらくはずいぶん変化してきていて、すごく良いなと思っている。

いまは家にいるだけで誰もが世界中のありとあらゆる音楽を聴くことができるのでリスナー側にとってはありがたい世のなかではありますが、結果的に音楽の価値が下がってしまうことには強い抵抗感があります。いまの音楽の聴かれ方についてミュージシャン側から見るとどのように感じますか?

CB:そうね……どうなんだろう? だからわたしは、そのふたつって「是か非か」を判断するのがとても微妙な境目だな、とずっと思ってきたのよね。というのも、たとえばストリーミングにしたって、わたし自身、ストリーミングのおかげで聴けるようになったなかから素晴らしい音楽を本当にたくさん発見してきたんだし、これが以前だったら、わたしは実際にレコードを買っていたわけで。何かを聴きたいと思ったら、そのレコードを買うより他に聴く手段はなかった。それがいまでは、ストリーミング等のおかげでそれまで知らなかった新たなお気に入りをいろいろ見つけることになったし、彼らのライヴを観に行くこともできるわけで……でも、そうね、ちょっと奇妙な話だと思う。奇妙よね……だから、どこかの地点でわたしたちは、音楽というアートをリスペクトするのをやめてしまったのかも? というか、もしかしたら音楽に対する敬意なんてはじめからなかったのかもしれないけど(苦笑)。アートとしてではなく単なる「娯楽」として、わたしたちミュージシャンはずっと見くびられてきたのかもしれないし……んー、自分にもよくわからない。とにかく奇妙な……奇妙な職種ってことよね、これって(苦笑)。

まあ、いまは実際にミュージシャンにお金が入ってこない、とよく言われますよね。とは言っても、コンサートはまた別でしょうし、ますますライヴが重要になっている、と。

CB:うん、その点は良いことだと思う。ミュージシャン収入の多くはいまはツアー活動から発生しているんだろうし、もちろん、それはそれで、ひっきりなしに長く続けていくのは難しい活動だけれども。そうは言いつつ、ツアー、あるいは様々なフェスティヴァルにしても、それらの多くは企業スポンサーの投資で成り立っているんだし、ライヴ会場にしたって基本的には(チケット代ではなく)アルコールの売り上げで経営を続けているんだ、みたいな感覚もわたしは持っていて。その意味では……ある種のおかしなサークルに陥っている感じだし、とにかくほんと、ストレンジだなぁ、と。

たしかに(苦笑)。

CB:(笑)ね。

今作の歌詞の一部には「友だちは他人のように接してくるし他人は親友のように接してくる」や「みんなが自分の意見を言いたがる 交通事故が起きることを永遠に待ち望みながら」など、シニカルとまでは言いませんが、鋭い心理描写があるな、と。

CB:ええ。

で、そのなかに何となくあなたが傷ついているように感じたのですが、今作を作るためにスタジオに入る前に、あなたが傷ついていた、苦い体験があったりしたのでしょうか?

CB:そうね、たぶんビターとまではいかないと思うけど……もっとも、わたしのソングライティングにはいつだって苦さは混じってきたけれども。

ええ(苦笑)。

CB:っていうのも、たぶんわたしはそういう思いを日常生活のなかであんまり出さないし、だからこそつい書く歌のなかに入り込んできてしまうんでしょうね。まあとにかく、うん、作品を作っていた頃の自分の気分が必ずしもビターだった、とまでは思っていなくて。それよりも、ただ単にこう……嫌な気分だった、というのかな。だから、いまの世界の状況に対して嫌な気分になっていたし、いろんな人びとが苦しんであがいているなと感じたし、それで自分は悲しくなっていた、という。うん。

では、歌詞についてはいまも前作"Kim's Caravan"の一節の「I am just a reflection Of what you really wanna see」と考えていますか?

CB:そうだな……だから、それってソングライターとして担う興味深い役割なんじゃないか、と思っていて。さっきも少し話したことだけれども、曲をいろいろと書いていって、それらの歌にはある種の意味合い……はっきりとした、もしくは半分くらい「こういう意味だろう」と察しのつくような内容が含まれているわけだけど、ほとんどの場合、わたしたちは曲を自分なりに解釈しているわけよね? だから、作者がどんな意味を込めた曲であっても、最終的に聴き手は自分たちが感じたままにそれを好きに解釈していく、と。わたし自身の言わんとしたこととは一切関係がないかもしれないけれど、彼ら聴き手は違う方向へその曲を持っていってしまうわけ。だけど、それはまったく問題ないし、完全にノーマルな行為なのよね。わたし自身、音楽を聴いてそれと同じことをやっているんだし。みんなそうやって、自分の思うように解釈しているんだと思う。で、そこなのよね。だから、いったん曲を書き終えてレコーディングして世に出してしまうと、それは自分個人のものではなくなる。その曲を聴いてくれる誰も彼もに属する何かになってしまうわけだし、聴いた彼らはそこで彼らなりに解釈したストーリーを「こういうもの」という風にその歌に付与していくわけよね。で、彼らの解釈は、ある意味わたしが言おうとしていたこととはまったく関係がないものになっていってしまう、という。

なるほど。ある意味、自分で書いた曲に「さよなら」しなくちゃいけないんですね。

CB:ええ。

それってある意味悲しいんじゃないか?とも思いますけど。その曲を書くのにあなたはたくさんの時間や手間ひまをかけたのに、一度世に出てしまったら、もうあなたのものではない、人びとの解釈に任せる、ということでしょうし。

CB:うん。だけど、何も自分の努力が無駄になったとか、完全に失われてしまった、というわけじゃないんだけど。ただ……

あなたの手を離れて独立した何かになってしまった、という?

CB:うん、そういうことなんでしょうね。

アルバムのなかで1曲だけ聴いてほしい曲をいまの気分で選ぶとするとどれですか?

CB:あー、たぶん、“Sunday Roast”じゃないかな?

ナイス! あれはこう、穏やかで良い曲ですよね。

CB:うん。

今後、活動の幅を広げるために故郷のオーストラリアを抜け出して有名なプロデューサーと豪華なスタジオでレコーディングをする、というようなことに興味はありますか?

CB:んー、ああ。でも、自分でもわからないな……だから、自分としては、常にいろんなオプションに対してオープンでいようと思っているけれども。うん、今後どうなるか、誰にもわからないわけで。 

ええ。でも、有名なプロデューサーと仕事する、というのはどうですか?

CB:っていうか、その案は過去にも浮上したことがあったのよね……ただ、自分が考えるのは、もしもそれをやるとしたら、それはアート/音楽そのもののためになる、アートが向上するからやる、ということであって。要するに、ただ単にそのプロデューサーが有名人だから共演する、というのではなくてね。

はい。

CB:やるとしたら、自分は正しい根拠があった上でやるんだし。だから、ただ単に「こうすればもっと売れるだろう」とか、「この人は有名だから」といった理由で他の力を借りようとはしないし、とにかく、それって自分にとっては興味がないことだ、という。

ファースト・アルバムのジャケットのイラストを手掛けていましたが、あなたにとって絵を描くことは日常的ですか? 音楽を作ることとはまた違う表現の仕方なのでしょうか?

CB:ええ。でも、実はここしばらくはあんまりドローイングはやっていなくて。それが理由なのよね、今回、自分の写真をジャケットに使うことになったのは。イラスト/ドローイングをやるよりも写真を撮る方にもっと時間をかけていたから。

なるほど。でも、イラストであれ写真であれ、それらはあなたにとって音楽とはまた違う自己表現の仕方?

CB:そうね。だから、それぞれに……それら異なる媒体は、それぞれに違う面を引き出してくれるものだと思ってる。

音楽をやるうえであなたがいちばん大事にしていることや拘っていることは何ですか?

CB:そうだな、それってこう、ある意味……本来の目的に戻っていくことだ、というかな。それと同時に、真摯さに戻っていくこと、というか。ああ、それに、それと同時に、自分の脆さを受け入れること、もあるかな。自分自身の弱さ/脆さから逃げ出すのって、ある意味簡単なのよね。で、そうした自分の弱さを恐れて隠れてしまう、怖がってしまう、という。だけど、うん、自分にはそういう脆さがあるんだっていう事実を自分でも受け入れて、ある意味それを享受するようにまでなること……だから、そうした弱さを何かの形で役立てられるようにする、というのかな?

なるほど。では、反対にやりたくないと思っていることは?

CB:あー、でも、そういうことは、いざ自分の身に降り掛かってきたらすぐに「やりたくない!」とわかると思う。だから、本能的に「これはやりたくない、これは自分にはどうにも居心地が悪い」、って風に感じてやらないんじゃないかな。要は、そのときそのときで、「何が正しいか/正しくないか」って判断はみんなそれぞれに下しているんでしょうし。

アルバム・リリースに合わせて来日する予定はありますか?

CB:まだ公式な告知は一切していないけれども──そのプランには取り組んでいるところ。日本にまた行ける日が待ち遠しくて仕方ない。日本はすごく気に入ったし、ほんと、最高で……だからまた日本に行けたらいいよね? とみんなエキサイトしてるし、ほんと、できればまた来日が実現したらいいなと思ってる(笑)。

それは良かった。ファンもみんな再会を楽しみにしていると思います。

CB:うん。

今日は、お時間いただいてありがとうございました。

CB:ありがとう。バーイ!

Huerco S. - ele-king


Pendant
Make Me Know You Sweet

West Mineral

Ambient Musique ConcrèteExperimental

Bandcamp

 かつてOPNの〈Software〉からファースト・アルバムを発表し、以降その独特のロウファイなサウンドで10年代のエレクトロニック・ミュージックに一石を投じてきたフエアコ・エスことブライアン・リーズ。今年の頭には新たにレーベル〈West Mineral〉を起ち上げ、ペンダント名義の新作も発表したばかりの彼がこの5月、なんとも絶妙なタイミングで来日を果たし、東京・大阪・富山をめぐる全4公演のツアーを開催する(5/11と5/12の公演では、フエアコ・エスと共演者のアンソニー・ネイプルズによるカセットテープも販売されるとのこと)。そんな来日直前の彼が急遽われわれの取材に応じてくれた。以下その言葉をお届けしよう。


Central park 2017, credit: Mathilde Chambon

まずHuerco S.という名義についてなのですが、発音が難しく、日本語で表記するとしたら「ホアコ・エス」でしょうか?

Huerco S.(以下、HS):いろんな発音で名前が呼ばれるのを僕自身とても楽しんでいるよ。イタリアのナポリ語が由来で、正確には「フー・エア・コ・エス」さ。

カンザスシティご出身とのことですが、どのような街なのでしょう? その街はあなたの音楽に影響を与えていると思いますか?

HS:生まれ育ったのはカンザスシティではなく、そこから車で1時間ほど離れたユーポリアという郊外なんだ。19か20のときに街のほうに移ってから、いわゆる「シティライフ」と呼ばれるものを体験するようになって、週末は友だちと一緒に、倉庫で開かれるとあるレイヴ・パーティに遊びに行ったね。あそこで初めて、テクノやクラブ・ミュージックとか、そういった類の音楽に触れたんだ。

音楽を作り始めることになったきっかけはなんでしたか?

HS:10代の頃にバンドをやっていたんだけれど、17歳のときに他のメンバーたちとうまくいかなくなって、それぞれが自分のやりたいことにシフトしていったんだ。ちょうどそのとき、叔母を訪ねてフランス旅行に出た前のバンドのドラマーが戻ってきて、向こうで覚えたドラムンベースとエクスタシーを僕に教えてくれてね。それからすぐに、FL Studioの初期のソフトをネットからタダで拾ってきて、母親のパソコンでいじるようになったのさ。そこから始まってもう10年以上、自分がいわゆる「エレクトロニック」な音楽を作り続けているなんて信じられないね。

現在の活動の拠点はニューヨークですか? 他のニューヨークの実験的なエレクトロニック・ミュージックの作り手たちとは交流があるのでしょうか?

HS:ああ、いまはクイーンズのリッジウッドに住んでいるよ。人が集まるという意味ではニューヨークはたしかに途方もなく大きな都市に見えるけれど、「シーン」自体はそこまで大きくはないんだ。僕がプレイするのはおもにヨーロッパで、じつはそれほどニューヨークですることはないんだけれど、たくさんの友だちのミュージシャンが地元に関わっているし、街にいるときは彼らと一緒にプレイしているよ。全体的に見てアメリカは、複数のシーンがまとまるよりも、個々の部族意識みたいなものが強いと思うけれど、それもいま変わりつつある。ノイズやパンク、メタルといった音楽と、テクノの境界がニューヨークではもはや消えつつあるというひとつの例のようにね。

あなたの音楽にはロウファイさ、あるいはくぐもった感じ、こもったような感じがあります。そのような音色を追求するのはなぜですか?

HS:僕自身もわからないよ。はじめはいくつかのプロセスを経て、そういった誰かが作った「既存」の音を模索していたけれど、いまはもう自身の一部だから。音と自分が一体になっているというか。音がそのままの僕を表しているのさ。


Kansas city 2017, credit: Mathilde Chambon

1月にはPendant名義で新作『Make Me Know You Sweet』がリリースされましたが、そこではミュジーク・コンクレートの手法も導入されており、鳴っている音がこれまでとは異なっているように感じました。本作のリリースにあたって新たにレーベル〈West Mineral〉も立ち上げていますが、音楽家として何か大きな変化を迎えたのでしょうか?

HS:それほど大きな変化はなくて、より純粋に音の探求を拡げていった結果さ。ミュジーク・コンクレートにはたしかに影響を受けている。この2年半多くの時間をパリで過ごして、僕の彼女のおかげで、音楽を超えた音の世界に興味を持つようになったんだ。
このPendantでの作品は、しばらく時間をかけて僕がこれから向かおうとしているものだ。前作の『For Those Of You Who Have Never』(2016年)をリリースしてから、僕を気に入ってサポートしてくれた人たちには感謝しているけれど、これからは「アンビエント」的と言われるような安らぎのあるものではなく、メロディから離れて、より深い音を掘り下げていきたい。ダークなものを作りたいね。

そのアルバムの曲名はすべて記号になっていますが、これには何か意味があるのでしょうか?

HS:架空の空港コードなんだけれど、取り立てて意味はないよ。

音楽には聴き手を楽しませたりリラックスさせたりする側面と、聴き手に何かを考えさせる側面があると思うのですが、ふだんあなたはどのように音楽を聴いていますか? たとえば「自分ならこの音はこうする」のように職業的な耳で聴くのでしょうか?

HS:どちらの側面からもだね。それは聴いている音楽にもよるし、聴いている時に頭の中で考えていることにもよると思うよ。ここ8ヶ月はほとんどハウスやテクノには触らず、トラップやメンフィス・ラップ、デスメタルをよく聴いていて、それぞれから思いつくことがいろいろあった。現行のヒップホップも純粋に好きだし、新しいアイデアを発見できるという理由もあってよく聴くね。そうしたものをポップ・ミュージックだと一言で片付けて無視する人もいるけれど、頭でっかちな電子音楽よりもはるかに未来的だし、真実味があると思う。

あなたはHuerco S.やPendantの他にもRoyal Crown Of Swedenという名義ではハウスを作っていますが、それぞれの名義にはコンセプトやテーマがあるのでしょうか?

HS:プロジェクトの名前はすべてオリジナルがあって、それぞれに異なった意味があるのさ。たとえばMio Mioのレコードはリカルド・ヴィラボロスのスタイルのようなものを作りたくてあの名前を思いついたし、The Royal Crown Of Swedenは祖母のスウェーデンの家系と、フランスのハウスのレ・ナイト・クラブとクリムダールに敬意を評してつけた名前。Loidisはリーズという街のもともとの名前に由来しているよ。

ファースト・アルバムの『Colonial Patterns』(2013年)はOPNの〈Software〉から発表されましたが、そのときは彼からオファーがあったのでしょうか?

HS:うん、あのレコードは、あのときの他の作品と同じように、SoundCloudがきっかけだった。ダニエル(・ロパティン)のアカウントからダイレクト・メッセージを送ってくれて、リリースすることになった。そのときすでに僕は彼のファンで、カンザスに住むひとりの男子がOPNと一緒にレコードを作れるなんて、ほんとうに光栄だったよ。

その後のOPNの音楽は聴いていますか? 彼の音楽についてどう思いますか?

HS:KGB ManChuck Person名義の初期作品、それにローランドのJunoを使った作品はすべて大好きだよ。『R Plus Seven』を出して以降は、個人的にはあまり興味のない方向に行ってしまったけれど、彼のことは尊敬してる。

音楽家としてのいまのあなたを形作る契機となった、重要なアーティストを教えてください。

HS:エリアーネ・ラディーグ、アクトレス、ヴラディスラフ・ディレイ、ミカ・ヴァイニオ、ジャマール・モス、エレクトロ・ミュージック・デパートメント、スリー・シックス・マフィア、ロバート・アシュリー、トーマス・ブリンクマン、ジョン・ハッセル、横田進、マーカス・ポップ、キャバレー・ヴォルテール、リュック・フェラーリ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、DJスクリュー、ウォルド。

あなたの音楽をひとつのジャンル名で括るのは難しいですが、アンビエントからは大きな影響を受けているように思います。ブライアン・イーノが創始した「アンビエント」というスタイルまたはコンセプトについてはどうお考えですか?

HS:多くのアーティストは既存のカテゴリに分類されるのを嫌うけれど、聴き手の観点から見て、その気持ちはとても理解できるよ。ただ僕はブライアン・イーノのような、クラシックで、BGM的な発想のアンビエントを作りたくて始めたわけではないし、むしろそうした既存の概念を拒むようなものを作りたいと思っている。
Pendant名義のアルバムをBoomkatが「中間の音楽(Mid-ground Music)」と称してくれたけど、それこそがまさに自分の追求したいものなんだ。音楽のヒーリング力は無視できないし、自分も恩恵を受けているけれど、いわゆる「無害」や「和やか」、「静けさ」みたいな言葉で形容できるような、アンビエントのクリシェには陥りたくないのさ。


Tokyo,liquid room 2015,credit: anthony naples

今度の5月23日、ブルックリンで高田みどりと共演されますね。昨年は彼女の作品がリイシューされ話題となりましたが、彼女の音楽はどのようなところがおもしろいと思いますか?

HS:彼女の音楽はとてもクリエイティヴで、パフォーマンスにも強いエネルギーを感じる。一緒に演奏できることが嬉しいし、何より人びとが彼女の作品にふたたび注目を集めていることを光栄に思う。ときを経ていろんなアーティストやスタイルが繋がっていくということにはすごく興味があるんだ。

昨年は他にも吉村弘がリイシューされたり、あるいはヴィジブル・クロークスのアルバムが人気を博したりと、アンビエントやニューエイジが盛り上がりましたが、ご自身の音楽もそういった潮流とリンクしていると思いますか?

HS:僕の音楽が吉村弘や、当時の日本のアンビエント・ミュージックに大きな影響を受けていることはたしかだ。前作の『For Those Of You Who Have Never』を聴けばメロディに軸を置いていることからもわかるようにね。でもそれがすべてではなくて、あらゆるところからインスピレイションを受けているよ。

(質問:小林拓音 翻訳:◎栂木一徳)(「◎」は木へんに父)

Huerco S.(フエルコ・エス)来日情報

■5/11(金) UNIT
C.E presents

ANTHONY NAPLES & HUERCO S. (B2B)
LOW JACK
NGLY (Live)
KEITA SANO (Live)
DJ HEALTHY
CHANGSIE
JR

※Anthony NaplesとHuerco S.のカセットテープ販売もあり。

Friday 11 May 2018(2018年5月11日金曜日)
Open / Start: 11:30 PM
Venue: UNIT www.unit-tokyo.com
Advance ¥2,800 / Door ¥3,500
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / e+
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います (Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

■5/12(土) CIRCUS Osaka
C.E presents

ANTHONY NAPLES & HUERCO S.
LOW JACK

※Anthony NaplesとHuerco S.のカセットテープ販売もあり。

Saturday 12 May 2018(2018年5月12日土曜日)
Open / Start: 11:00 PM
Venue: CIRCUS Osaka circus-osaka.com

Advance ¥2,500 / Door ¥3,000
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / Peatix
※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います (Over 20's Only. Photo I.D. Required.)

■5/13(日) The local
The Local presents Anthony Naples B2B Huerco S.

[Guest DJ]
Anthony Naples & Huerco S.
[LOCAL DJ]
DJtaiki/CJ/□△○

Open / Start: 18:00 PM
Venue: The local
Entrance: ¥2,500

■5/17(木) SuperDeluxe
Huerco S. Live with Yoshio Ojima & Satsuki Shibano and Ultrafog

[Live]
Huerco S.
尾島由郎 & 柴野さつき
Ultrafog
[DJ]
荒井優作
Refund
DJ Healthy

開場 / 開演: 19:00
会場: SuperDeluxe www.super-deluxe.com
料金: 予約¥2,500 / 当日¥3,000(ドリンク別)
チケット予約: スーパーデラックス / RA

Alva Noto - ele-king

 本作『UNIEQAV』は、カールステン・ニコライの新レーベル〈ノートン〉におけるカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトによる初のソロ・アルバムであり、同時に08年の『UNITXT』、11年の『UNIVRS』から続いてきた「UNI」シリーズの完結編でもある。

 ここで「UNI」シリーズについて簡単に説明しておこう。まず、00年代中盤以降のアルヴァ・ノトが〈ラスター・ノートン〉で展開した連作シリーズはふたつあった。ひとつは「UNI」シリーズ。もうひとつは「ゼロックス」シリーズである。「ゼロックス」シリーズは07年に「Vol.1」、09年に「Vol.2」、15年に「Vol.3」が発表され、このシリーズも三作目で一区切りをつけたようだ。ゼロックスの名前のとおり「コピー」をテーマとしたアンビエント・ドローン連作である。
 対して「UNI」シリーズはリズミックなトラックを中心に収録するシリーズだ。発端は「アルヴァ・ノトが数十年前に東京のクラブ“UNIT”にブッキングされた際、その環境に応じたサウンドを作り出そうとしたのがきっかけ」という。つまり最初から「クラブユース」のトラックであることを目指していたようである。
 同時に『UNITXT』の後半部分で聴かれるように、音素からノイズ領域に還元された音響もサウンドの特徴を形成していたことも大きな特徴であった。いわばリズム/ノイズという音楽・音響の構成要素を素材の状態から再蘇生するように突き詰め、サウンド/トラックの生成・構成・構築を行っているのだ。
 その意味で「UNI」シリーズは00年代初期までの初期のサイン派のリズミックなコンポジションによるウルトラ・ミニマルな電子音響の流れにあるシリーズともいえる。コピー/生成という「ゼロックス」シリーズに近いテーマ性を読み込むことも可能だろう。

 新作『UNIEQAV』においては、そんなカールステン・ニコライのリズム/ノイズの生成・構築が洗練の極を迎えていた。かつての過激なまでのウルトラ・ミニマリズムは影を潜め、実にエレガントで端正なテクノ・トラックである。細やかなリズム、高密度な低音、ミニマムな電子ノイズなどが、ときにダイナミックに、ときにしなやかにコンポジションされ、聴き手を音響の渦の中に巻き込んでいく。グリッチ・サウンドを経由した10年代後半的な「モダン・テクノ」といっても過言ではない見事なトラックだ。

 この『UNIEQAV』では、そんなモダン・テクノ的なマシン・グルーヴに加えて、「ゼロックス」シリーズ(特に「Vol.3」)や、坂本龍一との共作である映画『レヴェナント』のサウンドトラックなどにあった音楽的な和声感覚もそこかしこに埋め込められてもいる。たとえば「ゼロックス」『レヴェナント』的な持続音で幕を開ける“Uni Mia”、その途中から鳴り始める「二つ目のコード」のように。
 加えて「声」の導入も「UNI」シリーズの重要な要素である。カールステン・ニコライが「声」をトラック内に本格的に用いたのは、おそらくは「UNI」シリーズからのはず。そして「UNI」シリーズの「声」といえば、フランスの音響詩人アン=ジェイムス・シャトンである。
 彼は〈ラスター・ノートン〉から11年に『Événements 09』、2012年にアルヴァ・ノトと、長年のコラボレーターであるアンディ・ムーアらとの共作で『Décade』をリリースしている。二作とも途轍もなくクールなヴォイス+電子音響だ。
 そのふたりの最初の共作トラックが収録されたアルバムが、08年にリリースされた『UNITXT』であった。カールステンの電子音響トラックに、アン=ジェイムス・シャトンの無機的な質感の声がこれほどの見事なマッチングを聴かせるとは思いもよらなかった。それは電子音響ヒップホップとでも形容したいほどの「クールさ」だが、何より世界の満ちている資本主義社会的な記号=言葉を反復するヴォイスは、「UNI」シリーズが内包していた世界認識論を体現していた。じじつ、11年の『UNIVRS』にもアン=ジェイムス・シャトンは参加し、三文字の企業・団体名/ロゴの英字を繰り返し発声し、アルバムのメッセージを強く体現していた。
 それは『UNIEQAV』の“Uni Dna”でも同様だが、前作までとは反対に、まずはトラックが先行制作され、そこにアン=ジェイムス・シャトンのヴォイスが重ねられたらしい(曲名どおりDNA情報に関するワードだ)。結果、アン=ジェイムス・シャトンによる「声」のリズムとアルヴァ・ノトのトラックのリズムの関係性が、ふたりのこれまでのコラボレーションから反転しているのだ。

 ではカールステン・ニコライは、この『UNIEQAV』ではトラック優先で、ビートの可能性を追及したかったのだろうか。しかしそれはビートというより、ある法則で区切られた音の線=リズムというべきかもしれない。「声」もまた法則で区切られた音の分割=リズムである。じじつ『UNIEQAV』におけるリズムは、“Uni Clip”などで聴かれるようにキーボードをタイプする音にも聴こえるし、“Uni Sub”のベースの3連などは、アン=ジェイムス・シャトンの声のようにも聴こえる。横溢する分断されるリズム=音の線。

 リズム。ノイズ。分断される音。これらが交錯する本作を聴いていると、不意にカールステン・ニコライが育った「東ドイツ」のことを考えてしまった。たとえば、彼が少年期などに耳にしていた東ドイツにおけるラジオ放送などを。
 私見だが、この最先端の電子音響の本質には、どこかカールステン・ニコライの記憶の層が織り込まれているように聴こえてならない。もしかすると「東」に住むカールステン少年・青年は、(おそらくは検閲によって)消えかけて(分断された)ラジオ放送を耳にしていたのではないか、と。思えば「ゼロックス・シリーズ」の「Vol.3」もまたどこか記憶の旅のようなアルバムあったが、本作『UNIEQAV』も音楽のフォームは違えども、やはり、同様のものを感じてしまった。
 サイン・ウェイヴ、グリッチ。ノイズ。マシン・リズム。90年代以降、ヒトから離れたマシン/エラーな音響作品を作り続けてきたカールステン・ニコライだが、00年代後期から10年代以降のシリーズ/アルバムには、彼の幼年期の記憶/人生も結晶しているようにも思えるのだ。20世紀後半、東ドイツの記憶。モダニズム建築。放送。ノイズ。音響。リズム。
 そう、知覚を圧倒するテクノロジーの交錯による最先端電子音響/モダン・テクノ『UNIEQAV』が放つマシニック・リズムのむこうには、ヒトの記憶が、まるで光のように交錯し、反射しているのだ。


Nanaco + Riki Hidaka - ele-king

 昨年、リキ・ヒダカのライヴを見たとき、彼は歌うのではなく、ステージの上でひとりでドローンを演奏した。いわゆるインディ・ロック系のオムニバスのライヴのだったので、そりゃあもちろん、スマホをいじっている客もいた。が、そこにいたほとんどのオーディエンスは、リキ・ヒダカの演奏に集中した。リキ・ヒダカもまた、オーディエンスの耳を話さなかった。アンビエント系とかその手のイベントならまだしも、経験的に言えば、ライヴハウスでロックのファンを前にこれができるミュージシャンは多くはない。
 リキ・ヒダカは素晴らしいボヘミアンだ。広島のStereo Recordsからリリースされている彼のアルバムは、静かな波紋を呼んで、本当にゆっくりと広まっている。そのひとつはジム・オルーク、石橋英子とのライヴ・ツアーだが、いまもうひとつ、意外なコラボレーション作品のリリースが発表された。年々再評価を高めている80年代を駆け抜けた伝説のシンガー、佐藤奈々子との共作『Golden Remedy』がそれだ。
 世代もジャンルも異なるこのふたり、いったい何がどうしてコラボレーションすることになったのか謎ではあるが、間違いなく注目作でしょう! 

Nanaco + Riki Hidaka『Golden Remedy』
2018年6月20日リリース
PCD-25259 定価:2,500円+税

伝説のシンガー、佐藤奈々子の5年ぶりニュー・アルバムは、今もっともアートなサウンドを紡ぐ大注目ギタリスト、Riki Hidakaとのあまりに美しきコラボレーション!
唯一無二のウィスパー・ヴォーカルと吸い込まれるほど夢幻的なギター・サウンドが織りなす妖艶なるポップ・ワールド──。カメラ=万年筆とコラボした前作に続き、またしても若き天才との化学反応が生んだ恍惚の傑作が誕生!

<トラックリスト>
1. Old Lady Lake
2. 王女の愛 (Love of Princess)
3. Frankincense Myrrh Gold
4. I Will Marry You
5. 美しい旅人 (Beautiful Traveller)
6. Secret Rose
7. 未来の砂漠でギターを弾く君と私 (The Desert)
8. 魔法使い (Wizard)
9. 白鳥 (Swan)

<参加ミュージシャン>
オカモトレイジ (OKAMOTO’S):dr
野宮真貴:cho
ジェシー・パリス・スミス:keys, cho
Babi:cho
佐藤優介 (カメラ=万年筆):p
佐藤望 (カメラ=万年筆):chorus arrangement
ほか

◆プロフィール


佐藤奈々子 (Nanaco)
歌手・写真家
1977年 佐野元春氏との共作アルバム『ファニー・ウォーキン』でデビュー。4枚のソロアルバム他をリリース。
1980年以降、カメラマンとなり、広告、雑誌などで活躍し、5年間パリで暮らす。
1996年 アルバム『Love is a drug』をイギリス、アメリカ、日本でリリース。タイトル曲のシングルは、日本人アーティストではじめて、NMEの"single of the week" に選ばれる。
1998年 イギリスBella Unionより、Simon Raymondeプロデュースによるアルバム『Luminous love in 23』をリリース。
2000年 R.E.Mを手がけたMark Binghamのプロデュースにより『sisters on the riverbed』をリリース。
2013年 カメラ=万年筆とのコラボレーション・アルバム『old angel』(diskunion)リリース
2016年 前田司郎監督の映画「ふきげんな過去」の主題歌を歌唱+作詞。近年はライブ活動も行なうようになり、さまざまなミュージシャンとのセッションやライブツアーも行なっている。写真家としては、広告、雑誌、またCoccoや細野晴臣といったミュージシャンのCDジャケットなどの撮影を多数手がけている。ピチカート・ファイヴに楽曲提供した「Twiggy Twiggy」は世界的なヒットとなった。


Riki Hidaka
1991年LA出身。東京育ち。2014年よりNY在住。ギター奏者。
『NU GAZER』(‘11)、『POETRACKS』(‘11)、『LUCKY PURPLE MYSTERY CIRCLE』(‘17)など、自主制作による限定リリースを含む多数のソロ作品をリリースするほか、QN、THE OTOGIBANASHI’S、GIVVNなどの作品にギタリストとして参加。また、アートワークやフィルム制作、ショーの音楽など、様々な分野で活動している。ライヴも精力的に行い、17~18年に行われたジム・オルーク、石橋英子との二度に亘るスリーマン・ツアーは話題を呼んだ。


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