「OTO」と一致するもの

 最近、小学一年生の長女のピンク離れが著しいのです。ハーモニカ、手袋、トレーナー、何を買うにも水色を所望する。保育園時代はあんなにもピンクまみれだったのに。彼女の女友だちの持ち物も、そういえば水色ばかりです。女児のランドセルの色も昔は赤一色でしたが、近頃は水色のランドセルもよく見かけます。

「自転車を買い換えるとしたら、ピンクと水色どっちがいい?」
「ぜったい水色!」
「ピンクと白なら?」
「白!」
「ピンクと茶色なら?」
「……ピンク。つーか茶色はありえないっしょ」

 小1女子にとって、もはやピンクとは茶色よりマシ程度の扱いです。日本色彩研究所が2009年に小中学生を対象に実施した好きな色アンケートによれば、小2女子のじつに4割以上が「最も好む色」として「水色」を挙げているのに対し、ピンクは14%のみで7位どまり。さらに、小2女子の19%が「最も嫌いな色」としてピンクを挙げているのです。
〈研究1部報〉 「金銀・ダイナミック」と「水色・クリア」を好む現代の子どもたち- 日本色彩研究所

 同記事では「小学校低学年の女子はピンクを「かわいい」「子どもっぽい」「女の子っぽい」色と感じており、それよりも「きれい」で「すっきり」「さわやか」なイメージの水色を好ましいと感じているからでしょう」とその理由を推測しています。Yahoo!知恵袋でも同じような質問がいくつかなされていたので回答を総合してみると、「ピンクは子どもの色、水色はお姉さんの色」というのが低学年女子の共通認識であるようです。長女にも訊いてみたところ、「ピンクは子どもっぽい。水色は元気な女の子って感じ」と答えていました。小学校に上がると子どもは友だち同士の関係を重視するようになり、休日も親とのお出かけより友だちと児童館で遊ぶことを優先したりします。急激なピンク離れは、お母さんに庇護される子どもの世界(ピンク)を卒業し、友だちと対等に渡りあえる賢くてはきはきした元気な女の子になろう、という独立心の現れなのかもしれません。そういえば、私が小学校低学年の頃にお気に入りだったサンリオキャラクター「タキシード・サム」も、薄い青が基調でした。


Amazon
『80'Sガールズ大百科』 ペンギンのキャラクターがタキシード・サム

 80年代のサンリオにはピンクのキャラがほとんどいなかった、という話は第1回でしましたが、これも当時のサンリオがお小遣いをもらいはじめた小学生女子をターゲットにしていたからでしょう。

 もっとも、同調査によれば小5・6女子は水色に次いでピンクを「最も好きな色」として挙げています(27%)。女子小学生に人気のファッション誌『ニコ☆プチ』を覗いてみると、モデルたちはピンクを全面に出すことは避けつつも、ヘア・アクセサリーや靴などに差し色としてピンクを採用しているようです。


Amazon

 高学年になって配色のセンスがある程度育ってくると、一度は避けたピンクのイケてる使い方や、自分に似合う色相を模索するカワイイ道がはじまるのでしょう。さらに専門学校進学希望の高校生を対象とした同種のアンケートでは、ピンクが女子の好きな色で1位、嫌いな色で2位にランクインしています(『高校生白書』2007年8月調査)。この傾向は大人になっても続き、「日本女性は大人になってもピンクが好き」というイメージの根拠になっています。とはいえ中学生以降、女子の好きな色はばらけるため、1位といってもせいぜいその割合は2割前後。また、嫌いな色の上位に必ず上がる色でもあります。さらに興味深いことに、40代以上の女性では年代が上がるとともにピンクへの嗜好が薄れていくのですが、それにともない嫌いな色の上位からもピンクが消えるのです(色についてのアンケート・ランキング - @nifty何でも調査団)。ピンクはどうして、こんなにややこしい色になってしまったのでしょうか。

 平成7年から8年にかけて、世界20か国の学生5,500名を対象に色のイメージを訊き、その国民性の違いを調査した大規模な研究があります(『図解世界の色彩感情事典──世界初の色彩認知の調査と分析』千々岩英彰)。この調査によると、危険はほとんどの国で「赤」、孤独は「黒」または「暗い灰色」といったふうに、多くの色イメージが国境を越えて共有されていることがわかりました。女性をイメージする色は日本を含めた多くの国で「赤」「ピンク」などの暖色系が選択されています。試しに世界各国の言語で「母の日」と入力しGoogle画像検索をしてみると、多くの言語でもピンク、赤、薄紫といった色がおもに選ばれています(例外はタイの水色など)。とくにピンクは多くの人に母親、生殖、赤ちゃん、幼さをイメージさせるようです。ドイツ生まれのシュタイナー教育でも、子宮の中をイメージさせるとして幼児の生活空間をピンク色で覆うことが推奨されています。また、ピンクは国際的に乳がん早期発見キャンペーンのイメージ・カラーでもあります。

 一方で、「献身」をイメージする色は国によってまちまちです。中国やロシアは国家を象徴する赤、欧米ではキリスト教のシンボル・カラーである青、そして日本のみがピンクでした。調査をまとめた千々岩英彰教授は、日本人にとって献身といえば母親だからなのではないかと推察しています。また、「家庭」をイメージする色は日本ではピンクという答えが少なくなく、東アジア各国も上位を暖色系が占めたのですが、欧米では寒色系も多くランクインしています。家庭を守るのは母親の務めと見なされがちな東アジアに比べ、欧米では父親の関わりも大きいということなのでしょう。

 この調査にはありませんが、日本における「ピンク」はエロの代名詞でもあります。「ピンクサロン」「ピンク映画」「ピンクチラシ」、かつては「桃色遊戯」「桃色映画」なんて言葉もありました。ランダムハウス英和大辞典には、英語の「pink」には日本の「ピンク」に含まれているようなわいせつな意味はなく、わいせつを意味する色は「blue」であると記されています(例:ブルーフィルム)。なお、中国ではわいせつといえば黄色、スペインでは緑、イタリアでは赤だそうです。ピンクが女性を象徴する色だとしても、母親や幼さを想起させる色は直接的なエロとは結びつきづらいのでしょうか。

 母性、幼さに加えて献身にエロ。日本におけるピンクは意味がてんこ盛りです。この意味の重さは、日本の女性が負っている期待の重さであると考えても、さほど外れてはいないでしょう。一言でまとめると「客体であれ」という期待です。これはおそらく、「母と子の世界」「男社会」が分断された高度成長期以降に量産された、父性不在の母子密着育児の産物ではないかと考えています。世にあふれるピンクとは、主体である自分を居心地よくするためだけに存在する客体としての女性性の象徴です。しかしそのピンクは、大半の日本人女性にとって小学生のときに「幼稚でダサイ」と卒業した「ダサピンク」なのです。さらには、独身時代には性的対象として最適化された振る舞いをしないと嘲笑され、母になってからはベビーカーやスマホを使うだけで「母親のくせに楽をしやがって! 母性が足りない!」とバッシングされる女性にとって、自分たちを追い詰める抑圧の象徴でもあります(そう考えると、その手の期待が薄まる中年期以降の女性ではピンクへの愛憎も薄れるのは当然ですね)。

https://www.jnfl.co.jp/topics/file/20150113-1.pdf
これぞダサピンク現象の究極形態、と一部で話題になった
日本原燃の「女性のための放射線講座」チラシ。放射線で女子力アップ! 

 こう書くと「そんなややこしいことを考えているのは一部の特殊なフェミ女だけだろ? 大半のまともな女は、俺たちが期待する〈女性〉役割もダサピンクも楽しんでいるはず」と思われるかもしれません。そこで、いまどきの若い女の子の一人称「ウチ」に注目してみましょう。関西人でもない若い女子が一人称で「ウチ」(書き文字では「ゥチ」)を名乗る。この現象が知られるようになってからずいぶんたちます。上限は二十歳前後のお嬢さんから下限は幼稚園児まで。2004年の読売新聞の調査によれば、アニメ『おジャ魔女どれみ』(1999年~2003年)の登場人物の一人称を当時の幼稚園児が真似したことから全国に広まったとのこと。ご多聞にもれず、長女のクラスでも女子の一人称は「ウチ」ばかりだといいます。不思議に思った私はこんなふうに訊いたことがあります。

「どうして〈私〉って言わないの?」
「〈私〉は恥ずかしい! ウチに似合わない」
「どうして〈私〉が恥ずかしいの?」
「〈私〉は……〈女性〉って感じがする」
「〈ウチ〉は〈女性〉じゃないの?」
「〈ウチ〉は〈元気な女の子〉って感じ。ほら、ウチ元気いっぱいでしょ? (ガッツポーズ)」

 「私」に違和感を感じて、変わった一人称を使う現象はいまにはじまったことでもなく、80年代の文化系女性の間で一人称「ぼく」が流行したことがありました。ただし「ウチ」を名乗る少女たちは、文化系でも「フェミ女」でもありません。それぞれに独立した人格を持った複数の女の子が戦う女児向けアニメ『セーラームーン』のテレビ放映がはじまったのが1992年。同じく複数の女の子が戦う『プリキュア』シリーズは現在も続いています。女の子にもそれぞれ人格があり、主体になりうることは、幼少期よりこれらのアニメになじんでいた若い女性にとってもはや自明のことです。モテや大人の価値規範に従順なピンクの女(しずかちゃん)としてちやほやされるか、モテではなく自分の夢に向かっていきる非ピンクの女(ジャイ子)としてモンスター扱いされるしかなかった旧世代の少女のような屈託は、そこにはありません。いわば彼女たちは、主体になりうるピンク(イケピンク)を知ってしまっているのです。ですから女児アニメを卒業するやいなや世間にあふれる客体としての女性イメージ(ダサピンク)にぶつかって違和感を感じつつも、「元気な女の子」という主体としてのセルフ・イメージを「ウチ」に込めて守ろうとします。そうした試行錯誤ののちに、主体としての女性性を象徴する自分なりのイケピンクにたどりつくのではないでしょうか。


年始にTwitterで盛り上がった「わたしのイケピンク」ハッシュタグ。客体としての女性性は1種類だが主体としての女性性は人の数だけあるから「わたしの」なんですね。

イケピンクを使いこなすニッキー・ミナージュ。ふるえるほどに主体的……!

 次回以降は、海の向こうのイケピンクについても考察してみたいと思います!

 みなさんボンソワール。
 今日のお題はシャルリ・エブド事件。この件について話そうとしても自分の中でどうにも整理がついていないので混乱してしまうのだが、私が理解したことを私なりに書いてみようと思う。
 まずはシャルリ・エブドという週刊紙について。個人的には事件まで聞いたこともなかったが、40年以上続くその風刺のスタイルは決して大衆にウケるものではなかったという。なにしろシャルリ・エブドの前身、風刺雑誌ハラキリ(ええ、腹切です)のスローガンが“journal bête et méchant=バカで意地悪な雑誌”である。彼らはその攻撃的とも言える挑発の姿勢を最初からはっきりと打ち出していた。その遠慮なさ、そして下品さは多くの人が眉をひそめるものだったが、宗教、政治などすべての体制に等しく楯突き茶化すことによって疑問を呈する、というのがその姿勢だった。日本人の私には、そして今となっては彼らの茶化す姿勢が風刺なのか中傷なのかをフェアに論じるのは困難だが、編集長をはじめ今回殺害されたシャルリ・エブドの編集者やイラストレーターたちは皆人道主義者だったという。そして彼らの葬儀はまるでコミュニスト集会の様相を呈していた。

 フランスインテリ層の傲慢なのかもしれないが、彼らの認識は「彼らのやり方に必ずしも賛成するものではないが、彼らの思想は絶対的に人種差別的ではなかった」というものであることは確か。公称発行部数も45,000部と決して多くなかったこの風刺週刊紙は、小さいながらも多くのフランス人にとって報道の自由のシンボルだったわけだ。
 私は個人的にアメリカによる「世界の警察」的な絶対的道徳感に馴染めなく、そのこともフランスへの愛着に繋がってきたのだが、社会党員の友人による「世界人権宣言はフランス憲法を参考にしていて、以来、フランスは人道国家だと自分たちでは自覚してる。そして人道的な問題は、異文化、異宗教、自分たちとは異なったものだからといって放置はできない」とシャルリ・ エブドの風刺を通しての問題提起を正当化する姿を見て、フランス人もそのような絶対的道徳感を持っているのだと気付かされた。なにせ世界征服を本気で夢見たナポレオンの国である。少なくとも人道問題には一過言あると世界に向かって主張したいのも理解できる。
 また、今回の事件でフランス人に大きなショックを与えたひとつの要素は言論の自由がおびやかされるかもしれない、という恐怖だったようだ。18世紀反権力の哲学者ヴォルテールが言ったとされる「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい」との名言があるように、フランスでは報道、言論の自由は聖域であり、それがいかなる形を取ろうとも尊重されるべきだとされている。先述の蒸し返しになるが、どこまでが言論の自由であり、どこからが中傷なのか、フランス人には明確な判断基準があり、シャルリ・エブドはそのOKライン内だったわけだ。今回の360万人の追悼集会はそのような言論の自由が脅かされることへのNonという意思表示がひとつの目的だった。
 また、今回のシャルリ・エブドへの襲撃、惨殺は明らかにテロリスト側(それがどの程度国際組織的意図があったかはまだわかっていない)が、下品ながらフランスの言論の自由と人道主義の小さな(大きな組織ではなかったということも重要)シンボルを叩き潰すという挑発であり宣戦布告であったことは明らかだ。そして先の追悼集会はその挑発に対するNonでもあったわけだ。
 ちなみに〈エド・バンガー〉や〈マーブル〉、〈サウンド・ペリグリノ〉といったパリのエレクトロ・レーベルのアーティストたちもデモに参加したそうだ。私の周りだけでもこの集会に参加しなかった人はひとりもいない。


テキ・ラテックス(元TTC)

 最後に信頼できる友人でありアーティスト、テキ・ラテックス(元TTC,現サウンド・ペリグリノ)の言葉を紹介して終わりたい。彼はアメリカ・ツアー中で事件も追悼集会もパリで体験はしていない。そして今フランスでシャルリ・エブドに関して逡巡した思いを語るのは大変勇気がいることだということを付け加えておこう。
 「最初に言っておきたいのは、この事件への思いは僕自身100%自信を持って白黒つけられていないということ。でも今思っているのはこんな感じ……。もちろん当然テロには反対だし、少しの正当性もあの事件にはない。でも僕にはこれが単純な宗教の問題だけでも、言論の自由に対する脅威だけでもないように思える。そしてこの事件で反宗教的な立場を取ることにどうしても疑問を感じてしまうんだ。僕は無神論者だけど、他の人の信仰心は尊重する。もちろんたとえばサウスパークのように揶揄することはOKだと思うけど、僕は繰り返し同じ人種(*注釈この場合アラブ系)や宗教が風刺され批判されることは、差別的な風潮に一役買っていないとは言えないと思うんだよ。シャルリ・エブドに起きたことは本当にひどいけれど、それに対する回答がさらなる風刺であり、”私はシャルリ”であり、イスラム教を非難することであるっていうのはやはりひどいことだし、そこにさらなる反動が生まれるんじゃないのかな。どうかな、違うかな……」

*フランス人の謎の行動を解明する連載、山田蓉子の「ハテナ・フランセ」は紙エレキングで絶賛連載中。

interview with Back To Chill - ele-king


Various
GOTH-TRAD Presents Back To Chill "MUGEN"

Back To Chill/Pヴァイン

Amazon iTunes

 バック・トゥ・チル(BTC)が誕生して8年、そう、8年……、ようやくここにそのレーベルが誕生した。いままでバック・トゥ・チルにレーベルがなかったことが不自然なほど、ゴス・トラッド、100マド、エナの3人は、国内外のレーベルから作品を出しているわけだが、晴れてここにクルーのプラットホームが生まれ、彼らの音が結集したことは、日本のシーンにとってたいへん喜ばしいことである。
 昨年リリースされたコンピレーション『MUGEN』がその第一弾となる。ここには、ダブステップ以降の、ケオティックで、ある種何でもアリ的な今日のシーンにおける、彼らなりの姿勢がよく表れているし、それぞれ違ったバックボーンを持つクルーのそれぞれの個性もまったくもって、よく出ている。彼ららしく、先走ろうとしているところも、収録された興味深い楽曲に結実している。今後のクラブ・カルチャーを占う意味でも、興味深いアルバムだ。
 以下、レーベルのコンセプトやヴィジョンについて、ゴス・トラッド、100マド、ENAの3人が話してくれた。

「なぜ、いまレーベルをはじめたのか」


Goth-Trad

ネットでいくらあげても、いまは誰もがやっていて、たくさんあり過ぎるから、人に聴いてもらうには何かしらのキッカケはやっぱり必要だと思うんです。レーベルをはじめたいなとはみんなで言っていました。2012年にアルバムを出したら新しいことをやりたいと思うようになったんです

パーティとして〈バック・トゥ・チル〉が2006年に開始してから8年目にして、コンピレーション『ムゲン』の発売と同時にレーベルがはじまりました。なぜいまになってレーベルをはじめることになったのでしょうか?

ゴス・トラッド(Goth-Trad、以下GT):レーベルをはじめる時間がなかったというのはありました。

考える時間は必要だったんですか?

GT:やっぱりある程度の曲が揃わないと出したくないと思っていました。競争率というか、ダブステップという言葉とレーベルが過渡期だったというか。レーベルの量もハンパなかったし。2006〜11年くらいは〈バック・トゥ・チル〉のアーティストもダブステップを中心にプレイしていました。だから、その時期にダブステップというイメージを付けてレーベルをはじめるのは果たして良いのかと思っていたし。

うん。

GT:いずれはレベル・ファミリアだったりとか、もうちょっと幅広いことをやりたいなというのもあったので。あとは自分のアルバム『ニュー・エポック(“NEW EPOCH”, 〈DEEP MEDi Musik〉, 2012)』をリリースして、ツアーもひと段落したというのもあるし。

具体的に理想とするレーベル像はあったんですか?

GT:何年も一緒にやってきたアーティストや、日本で良いものを作っているひとを中心に出したいなとは最初から念頭に置いていて、それにプラス・アルファで自分が繋がってきたアーティストにリミックスなどで参加してほしいとは思っていましたね。

〈バック・トゥ・チル〉には8年の歴史があるけど、コンピレーションを出すのが今回が初めてって、ちょっと意外ですよね。もっと早くやってても良かったんじゃないかと思ったりもして。

GT:単純に自分はUKの〈ディープ・メディ〉にどっぷり所属してやっていたというのもあったと思うし。みんなダブステップが共通項にありつつも、ちょっとずつ変わっていっている面もあって、エナくんや100マドくんや自分自身もそうだし。最初の〈バック・トゥ・チル〉からのその変化の過程をレーベルとして打ち出していきたかったんです。そのタイミング的にいまかなと。コンピレーションの曲にしても納得のいくものが1年前とかだったら揃わなかったと思うし。勢いに乗ってやっちゃえばいいというノリではできないとも感じていて。

いつかはやりたいという気持ちはあったんだ?

GT:もちろんありました。基本的に焦ってやりたくないなというのがあって。

『ニュー・エポック』もなかなか出なかったもんね。ゴス・トラッドは〈バック・トゥ・チル〉をはじめる前くらいからそうやって言っていた記憶がある。「ダブプレートを作って12インチを交換するのが良いんだ」みたいな。そういう意味では本当に時間はかかったという気がする。

GT:それと、みんなダブステップを聴いてダブステップをはじめたってアーティストでもないから、この幅広さっていうのもこのレーベルに残したいなと。ダブステップというイメージは強いと思うけれども、それだけじゃない部分もレーベルにコンセプトとして入れていきたかったんです。

以前、100マドさんに「レーベルはじめないんですか?」と尋ねたら、「〈バック・トゥ・チル〉はゆるいから良いんだよ」と言っていたのが印象に残っています。

GT:ハハハハ。

他のメンバーともレーベルについては話し合っていたんですか?

GT:レーベルをはじめたいなとはみんなで言っていました。自分自身、この6年くらいは年間に4、5ヶ月はツアーでヨーロッパ、アメリカ、アジアとかを周って、帰ってきてまたちょっとホッとして、また次のツアーやリリースのために曲を作っての繰り返しで。さらに毎月自分のパーティをやりつつブッキングを考えて。ある意味「回している」感があって、そのなかでなんとかアルバムを作ってリリースしたんです。だから、落ち着いて音楽を幅広い目で見られない時期だったんですね。例えばその流れのなかでレーベルを開始することになったら、たぶんすごく狭い視野で「よし、ダブステップのレーベルで!」ってなっていたかもしれないけど、2012年にアルバムを出したらダブステップもあるけど新しいことをやりたいと思うようになったんです。

『MUGEN』のリリースを考えはじめたのはいつなんですか?

GT:3、4年前から良い曲をメンバーが作っていたら「その曲は〈バック・トゥ・チル〉で出したいな」とは言っていたんですよ。実際にパッケージにしようとなったのは2014 年の春くらいからですね。

今回、レーベルをここ日本ではじめたことによって、ダブトロさんのように特定のレーベルに所属していなかったアーティストに居場所を作ることができたように思います。そう考えると、エナさんには〈セブン・レコーディングス(7even Recordings)〉や〈サムライ・ホロ(Samurai Horo)〉という海外レーベルにすでにホームがあったわけですよね?

エナ(ENA、以下E):海外にはあったけど、やっぱり日本にはなかったから。それと日本にはいろんなプロデューサーやDJがいるけど、心底納得できるのはひと桁くらいしかいなくてゴスさんはそのなかひとりだから、そういうひとがホームを作ることは日本にとって大事だと思うし、クオリティのコントロールに関しても、ゴスさんの性格も知っているから変なものを出すこともないだろうから。 そういう面がブランドや信頼に繋がっていけば良いなと思っていました。

ダブトロ(Dubtro)さんやカーマ(Karma)はレーベルがはじまるまで曲を出さないようにしているって話も聞きました。

GT:インディペンデントのレーベルって曲をシヴにしたがるんですよ。とくにダブステップのシーンを何年か見てきて、「こいつ、あっちからもこっちからも出して……」って揉めてリリースがなくなったこともあって。俺はそこまで縛りたくもないし、音楽のジャンルも縛りたくなくて、ただ質の良いものを出していきたいと思っています。例えば、アーティストが自分の好きなレーベルから出せることの良さや嬉しさもわかる。それに名前があるアーティストを出したいわけじゃなくて、地方で良い曲を作っている子とかを巻き込みたいなというのもあって。やっぱり地方の子ってなかなかそういう機会がないから。

ネットを活用するひとはあんまりいないの?

GT:ネットでいくらあげても、いまは誰もがやっていて、たくさんあり過ぎるから、人に聴いてもらうには何かしらのキッカケはやっぱり必要だと思うんです。この間も岡山のDay Zeroって子が〈バック・トゥ・チル〉に来ていて、デモをもらったんですけどなかなか良かったんですよ。ちょうどツアーもそのとき組んでいて、「今度岡山にきたら僕がやります」って言ってもらったりとか。あと、〈バック・トゥ・チル〉って曲の作り方とかもみんなでディープに話すんですよ。どのソフトが良いとか、どのプラグインでこのベースを作ったとか。アドバイスして曲がよくなったら次のパーティに出てもらったり。こじんまりとしているけど、そういうサイクルを現場でやってきたんですよね。やっぱりその積み重ねでみんな良くなってきている。例えば〈グルーズ〉のドッペルゲンガーだったりとか、そのまわりのクルーだったりとか。

ドッペルゲンガーとも繋がっているんだ。

GT:ドッペルゲンガーは〈バック・トゥ・チル〉にしょっちゅう来てたし、音楽の話もみんなとしているから。

プラグインの話までするって、なんかすごい具体的な話になるんだね。

GT:ヨーロッパでも、みんなでそこまで話すんですよ。ネット上にそういう情報はいくらでもあるけど、英語でわかりにくい部分もあって調べる気にならないひとが多くて。日本語でそこまで説明しているサイトもないんです。
 もともと2006年に〈バック・トゥ・チル〉をはじめたきっかけもそこに関係しています。俺がマーラたちに出会って、自分はそれまでライヴしかやりたくないタイプでDJはひとの借り物をかけてるっていうイメージだったのが、UKのダブステップ・プロデューサーたちが1枚1万円くらいかけてダブプレートを100枚くらいプレイしている姿勢を見て、これはライヴに匹敵するものだなって思ったんです。DJ=プロデューサーという公式がいままで日本にはなかったから、ここでもやらなきゃなと思って、トラックを作っていた100マドくんに声をかけたんです。〈バック・トゥ・チル〉は曲を作っているアーティスト同士ではじめたものだから、曲の作り方について話すこともこのプロジェクトの重要な部分なんです。

ひと世代前のテクノのアーティストだと、機材やプロダクションに関しては手の内を見せたがらない人も多かったけど、いまの話を聞いているとかなりオープンになってきているんだなと。

E:やっぱり、いまは作るひとの数が多いですからね。

GT:本当にベーシックな情報はインターネットで誰でも調べられるから。

そうか、もう隠しても意味がないと。

GT:それに良いものを作るアーティストにはもっと良くなってほしと俺は思うし、そういうひとにパーティに出てほしいし、俺もその曲をかけられるわけですからね(笑)。そういうとこまで考えると良くなったほうが確実に良いんですよね。それから先はそれぞれのセンスとかの問題なので。

クレジット問題でも、ひと昔前だったら例えばゴス・トラッドが〈ディープ・メディ〉から出していたら、ゴス・トラッドの名義は他のレーベルでは使えなかったじゃない? みんなレーベルによってわざわざ名義を変えていたからさ。そういう面も現在はオープンになってきているんだね?

GT:いまはひとつの大きいレーベルが力を持っているんじゃなくて、小さいインディペンデントなレーベルがたくさんあるなかで、たくさんリリースをすれば良いわけじゃないけれど、「あっちにも、こっちにも顔がある」ほうがアーティストにはメリットがあると思う。レーベル側も他で出してくれることによってまた違う層にも広がると考えるし。

ジェイムス・ブレイクがメジャーと契約したときに、他のレーベルからもリリースができるっていう条件だったらしいからね。また〈1-800ダイナソー〉からのリリースも決定したし。

GT:そのアンダーグラウンドさっていうのはアーティストをかっこよく見せる要素のひとつだと思うんですよね。

[[SplitPage]]

「『ムゲン』のコンセプトについて」


100mad

レコードをひたすら集めるか、自分でレコードを作るかの違いですよね。そこで「コイツ、ハードコアだな」って思ったり。ダブステップをディグりはじめたのって100マドくんのほうがたぶん早いんですよ。


Various
GOTH-TRAD Presents Back To Chill "MUGEN"

Back To Chill/Pヴァイン

Amazon iTunes

コンピレーションの中身についても訊いていきたいんですけど、いま話したように自分が本当に良いと思える曲を選んだのでしょうか? 具体的な選曲基準があれば教えてください。

GT:日本でトップ・クラスの曲を作っているアーティストが〈バック・トゥ・チル〉でプレイしていると俺は自負していて、そのなかから選んだと思っていて。

最終的な選曲のゴー・サインはゴスさんが出したんですよね?

GT:この曲は出したいっていうのは4年くらい前から言っていたよね?

E:ハハハハ、そうそう。

じゃあ古い曲とかも入ってるんだ?

GT:ふつうにありますよ(笑)。たぶん、100マドくんの “ヘヴィー・ウェイト・ステッパーズ”が一番古いんじゃないかな?

100マド(100mado以下、100):これ2006年とかの曲なんですよ。

●▲おー!

100:逆に“グライミー(Grimmy)”は一番新しいです。

“グライミー”では100マドさんが85BPMをやっていて意外でしたね。

GT:そこもさっき触れたように、ダブステップを一歩出たところをやろうよって3人で話して、俺とエナくんと100マドくんの曲は85BPMになっているんです。だからその3人の曲は比較的新しい。

聴いてみて、2006年の曲があるとは思わなかったな。

GT:例えば、1曲目のイントロっぽいダブトロの曲とかも去年できた曲で。ほかにも候補はあったんだけど、コンピレーションっていう感覚で集めたくはなくて。

一貫してストーリー性を持たせたかったということですね。

「コンピレーションという感覚で集めたくなかった」ってどういうこと?

GT:良い曲をひとりのアーティストから2曲集めてコンパイルしたというようにはしたくなかったんです。ダブトロの1曲目とカーマの最後の曲は、他にも良い曲はあるけどイントロとアウトロはこの曲でというふうに決めたんですよ。

E:ダンス・ミュージックのコンピレーションはシングルの寄せ集めというか、ツール的なトラック集というか。アルバムを作品として考えていないパターンがけっこう多いんじゃないかな。

どうして『MUGEN』というタイトルにしたんですか? 

GT:ハハハハ。それは軽い感じなんですけど、「8周年でTシャツ作んなきゃな〜」って夏前に考えていたら、「8って無限(∞)に見えんな。しかもムゲンってタイトルなかなか良いな」って思い浮かんで。英語でインフィニティってするよりもアルファベットで「MUGEN」のほうが良いなって思ってコレにしたんですよ(笑)。

E:そうなんだ、そこだったんだ(笑)。

GT:この3人ってバックグラウンドがちがっていて、いろんな音楽を通ってきているから、どっちの方向に進むのかわからない面もあって。例えば、パーティの最後にバック・トゥ・バックをやることになって、全然違うテクノをやろうってなっても対応できたりするんです。いろんなことができる面白みもあって、可能性も無限というか。

「ムゲン」はいろんな意味付けができる言葉でもあります。ジャケットのアートワークも夢幻の境地のようなテイストです。

GT:そのアートワークを手がけたのはパリのアーティストなんです。2014年の頭にツアーでパリの〈グラザート〉っていうハコでやったときに、イベントのプロモーターの彼女が俺のライヴ・セットを良かったって言ってきて。話を聞くと彼女はタトゥーの絵を描いているらしくて、絵も見せてくれたんです。それがすごく面白くて今後のために連絡先を交換したんですよ。それで今回のコンピのために描いてほしいとお願いしたら、「いまある絵はお店のストックだからあげられないけど、新規で書ける!」ということでやってくれたんですよね。彼女の絵には和の雰囲気がすごくあるのも興味深くて。

たしかに。

三田さんはこの作品を聴いてみてどうでした?

何回か聴いているうちに、「おっ、これなんだろう?」って必ず思うのが5曲目の100マドさんの“グライミー”なんですよ。正直、1、2曲目にはジャーマン・トランスの雰囲気があるなって思って。

GT:へー(笑)。

だから3曲目から聴きはじめるとかいろいろしてみたり。でも「ダブステップからはみ出したい」と言われてみると納得するところあって。いまってUKのシーンでも90年代のブレークビーツ・テクノをやり直したりとか、ダブステップがいろんなところを見ているでしょ。雰囲気はいろいろあるけど、でもイギリスのものだってわかるし。100マドさんに教えてもらって買ってみたポクズ&パチェコの『ザ・バングオーヴァー(Pocz&Pacheko,“The Bangover”,〈Pararrayors〉, 2009 ) 』とかは、ベースとかは軽いんだけど、ヴェネズエラって言われれば「そうか」と。フェリックスKのドイツっぽさもわかる。そういう意味で、『ムゲン』を聴いたときはひと言で言えば「日本っぽい」と思った。だから日本特有のジャーマン・トランス解釈じゃないんだけど、ダブトロさんの後半に入っている曲では、今度はレイヴっぽい音使いをしていたりするじゃないですか?  あの感じが他にはないと思うから特徴としてはそうかな。自分的には5曲目から入って6、7曲目といく流れがすごく好き。

GT:俺は、UKのやつらがやっているのばっかりを聴いていると飽き飽きとしてくるんですよ。

そうなんだ!

GT:日本って世界で各地から離れているから、アメリカもドイツのシーンも見るし。それと日本ってパーティにしてもヒップホップやって次の日はドラムンベースやってエレクトロをやるやつはたくさんあるけど、海外ってテクノはテクノ、ドラムンベースはドラムンベースってなっていて、雑多なイベントは存在しないじゃないですか? それは日本のすごく良いところだと思うんですよ。自然とみんないろいろ聴いて育ってきているし。それもあって今回のコンピレーションはこういう選曲になったんだと思いますね。

俺はゴス・トラッドがダンス・ミュージックにいった時点でびっくりしたからね。「えっ、ノイズじゃないの!?」みたいな。

GT:そうですよね(笑)。でも、2012年にアルバム『ニュー・エポック』を出してから自分のやってきたことを振り返って、いま、また昔のノイズのサンプルを引っ張りだしてきてそれで曲を作ったりしてるんですよね。

[[SplitPage]]

「ノイズ/アヴァンギャルドとBTC」


ENA

俺はトラップはヒップホップだと思うから、ベース・ミュージックだとは言いたくないんですよね。ベースありきなのかもしれないけど、トラップはベースありきじゃなくていいというか。俺が思うかっこいいベース・ミュージックっていうのは、ベースがあってグルーヴがあって踊れるものというか。そこが重要だと思っているんですよね。

100マドさんとエナさんはダブステップにくる前は何をしていたんですか?

100:僕は京都でノイズ・グループのバスラッチなどでインプロをやっていましたね。京都って当時そういうカルチャーが根付いてたんですよ。

えっ、そうなの?

100:〈メゴ(Mego)〉とかの音響ブームのときに、大阪とかよりも京都の方が盛り上がってたんです。パララックス・レコードというお店があって、いわゆるアヴァンギャルド系はもちろん、ダブのレコードでもそういう観点で面白いものを聴いてみたりとか。初期の2ステップもジャングルも面白かったらなんでも聴い ていましたね。そういうところでバイトしていて、音楽の聴き方に20歳くらいのときにすごく影響を受けたんですよ。

じゃあ京都出身なの?

100:生まれは金沢で、大学で京都に出てきて5年くらいいました。自分の音楽遍歴をあえて言うなら、アヴァンギャルドとジャングルを並行してずーっと聴いていた感じです。東京に出てきたのは10年くらい前で、ちょうどそのときは自分のなかでダンス・ミュージック熱が下がっちゃっていて。当時代々木にあった伊東(篤弘)さんがやっていた〈オフサイト〉ってギャラリーとかに行っていて、当時流行っていた微音系を聴いていました。ホント鳴るか鳴らないのかわからない音を(笑)。

じゃあ現代音楽のほうにもいっていたんだ。

100:三田さんが『スタジオ・ヴォイス』に書いた「ひと通りシュトック・ハウゼンとかフルクサス系とか聴いたけど、入れこみ過ぎて離れていった」とかそういう記事も読んでましたよ。

全然憶えてない(笑)。

100:ダンス・ミュージックとアヴァンギャルド系ってけっこう聴き方は近い気がします。

GT:あったね。俺がガンガンにノイズやってたのってそのときだもん。ヒップホップのパーティとかでね。〈ノイズのはらわた〉ってイベントとか『電子雑音』って雑誌とかがあったときだよね。

100:そんな中2002年くらいって日本にオールミックス・ブームみたいなのがあって、シロー・ザ・グッドマンとかが出てきて。あとはヒカルさんとか、ケイヒンくんもそうだし、タカラダミチノブとか。あのへんはいかに違うジャンルのレコードを混ぜるかってチャレンジしてい 。ブレイクコアの次に演歌がきて、演歌の次にサーフロックがきて次にテクノいきますみたいな(笑)。そんなときにデジタル・ミスティックズとかスクリームのミックスをネットで聴いたら、全曲がBPM140で、しかも自分と友だちの曲しかかけてなかったんです。すっごく狭い感じがしたんですよ (笑)。日本では、ディグる&混ぜるセンス競争みたいなものがあって、それに対してむこうで起きていることは正反対というか、点でしかないっていう(笑)。

そうだよね。

100:それが逆にすごくショックで。最初のときは、「このひとたち音楽を知らないのかな?」って思いました。

スクリームが来日したときにまったく同じことを聞いたら、テクノを聴いたことないって言ってたな。本当に知らなかったみたいだね。

100:ピンチとかはテクノなど幅広く聴いていて、マーラはレゲエに詳しいけど、シローくんみたいなごった煮感は誰も持っていなかった。けど逆にそこが面白かったんですよ。

めちゃくちゃ詳しいか全く知らないかのどっちかだよね。

GT:さっき俺が言った、レコードをひたすら集めるか、自分でレコードを作るかの違いですよね。そこで「コイツ、ハードコアだな」って思ったり。ダブステップをディグりはじめたのって100マドくんのほうがたぶん早いんですよ。100マドくんはブラックダウン(Blackdown)とかを日本に呼んでいたもんね。

ブラックダウンが日本に来たときに100マドさんとゴスさんが初めて絡んだんですよね?

GT:ちょうどそのときにパーティをはじめようと思っていて、日本で同じことをやっているやつはいないのかとネットを探しているときに100マドくんを見つけたんですよ。それで俺が連絡して、「今度DJするから会おうよ」って。

彼のレーベル〈キーサウンド・レコーディングス(Keysound Recordings)〉がはじまったのが2005年なのでかなり早くから注目していたんですね。

100:その来日が2006年です。そのときブラックダウンはダブステップに詳しい音楽ジャーナリストみたいな感じだったんだけど、ブログに「日本に旅行に行くから、ジャパニーズ、誰かブッキングしてくれって」って書いていたんですよ。それで「僕がやる!」って返事をして。

GT:当時100マドくんとは「このレアなやつ知ってる?」「知ってる!」って話をしたりね(笑)

レアなやつをちょっと挙げてみてくださいよ。

100:よくノイズの話をするときは、ザ・ニュー・ブロッケイダーズですね。

GT:ニュー・ブロッケイダーズやばいよね。

なるほど。その話は掘り下げなくていいです(笑)。

GT:ハハハハ。「〈ワードサウンド(WordSound)〉のサブレーベルの〈ブラック・フッズ(Black Hoodz)〉の10インチのやつ知ってる?」とかね(笑)。

なるほどね。ではエナさんは?

E:俺はアブストラクト・ヒップホップですね。ヒップホップからアブストへいきました。でも90年代にはジャングルとドラムンベースがあったので、そこからUKのほうを聴きはじめて。俺はどっちかっていうとドラムンベースなんですよ。

じゃあ唯一ずっとダンス・ミュージックなんですね?

E:もちろんIDMとか音響みたいなものは好きでしたけどね。

そこは作品からも感じる。

E:だからダブステップへの入り方が違うかもしれないですね。2005、6年とかにペンデュラムとか〈サブ・フォーカス〉とか商業的なドラムンベースが 出てきて飽き飽きしていたときに、UKアンダーグラウンド直球のデジタル・ミスティックズやスクリームを聴いて興味を持った感じです。

ドラムンベースからダブステップへ乗り換えた意識が確実にあるわけだ。

E:ずっと並行してやっているんですけどね。ダブステップと同時に、2008、9年にロキシー(Loxy)とか〈オートノミック(Autonomic)〉とか面白いドラムンベースも出てきたので完全に乗り換えたつもりは全然ないんですよ。

また最近ダブステップとドラムンベースが近づいた印象がありますけどね。ダブ・フィジックス(DubPhizix)とかサム・ビンガ(Sam Bingaを聴いていると近寄ってきたかなって。

E:どうなんですかね。でもあれはFootwork的なアプローチだと思うし、だからダブステップのひととリンクしている感じはないんじゃないかな。

GT:ドラムンベースのあとにできたダブステップがあって、ドラムンベースのひとも別名儀でダブステップを作るし。

エイミットはややこしくて、ドラムンベースでトロニック名義を使ったりしてるしね。

GT:ですよね。でもそのへんってUKのベース・ミュージックの根本的なところになっちゃったし、アーテイスト間の繋がりも強いからそのふたつを分けている感はないというか。

[[SplitPage]]

「ベースであってベースでない」

「EDMほど俺はバカ騒ぎしないぜ! でもダブステップは男塾すぎる。俺はもうちょっとハウスなんだよね」みたいなひとがベース・ミュージックって言っているのかなって。


Various
GOTH-TRAD Presents Back To Chill "MUGEN"

Back To Chill/Pヴァイン

Amazon iTunes

さっきゴス・トラッドが「UKのものばっかり聴いていると飽き飽きとしてくる」って言っていたけど、ゴス・トラッドが出てきたのはUKじゃないですか?

GT:はい。

それはUKのシーンに対するアンビヴァレンスな気持ちがあるからなんですか? それとも本当にいまのUKはダメということ?

GT:いや、そういうわけじゃないです。例えば、UKダブステップがあって、「次はブローステップだ!」っていうとこのアンサーみたいな感じでダンジョ ン・スタイルと言われるダブステップがバーンと出てきて。 またみんな似たようなダンジョンの曲を作っちゃって。 そういう状況が、俺からしたらどっちも同じみたいな。さっき言ったのはUKだからってわけでもなくて、ひとつのものに一瞬火がつくとみんな作っちゃうっていうね。そうなっちゃうとつまんないなと思うというか。

それだけ出せるのがすごい気がしちゃうけどね。

GT:そうなんですけどね。そういう意味で、「ドラムンベースがつまんなくなった」ってエナくんが言っていたけど、自分もジャングルからドラムンベースを聴いていて、初期は面白かったけどだんだん型にはまっていって、なんかつまんなくなったなと思っていたのもあるし。アブストラクト・ヒップホップもはじめは歌モノが出てきたりとか、インダストリアルっぽいものが出てきたりとか面白かったけど、だんだんみんなコピーするのが上手になってきちゃう。最終的にはアブストラクトなSEが鳴っていて、そこにロー・ビッドなビートが入ってくれば良いみたいな雰囲気になったじゃないですか? それで「あー、面白くないな」って思ったんですよね。

同じことをいま、ダブステップに感じているってことなの?

GT:そう感じている部分もあるんだけど、やっぱり信用できるアーティストは面白いものを作るんですよね! 去年のクロアチアでの〈アウトルック・フェスティヴァル〉で〈ディープ・メディ〉のステージとかでやっても、カーンとかコモドとかはすっげえ変な曲を作っていて、「良いアーティストは面白い曲作んなー!」って思うんですよ。

そうだよね。去年〈ディープ・メディ〉から出たKマンの“エレクトロ・マグネティック・デストロイヤー”とか買おうか本当に迷ったもん。

GT:そうですよね。だからシーンそのものがっていうよりも、アーティストによる話だと思うんですけど。

最初の質問の「なぜいま〈レーベル〉なのか?」という質問に関連するけど、シーンを俯瞰してみるとやっぱりダブステップも紆余曲折があって、そのなかで〈バック・トゥ・チル〉が目指した良い音楽がここにあるとは思う。だけど、そういう意味ではみんながいろいろやっているじゃない? 例えばピンチは〈コールド・レコーディングス〉をはじめてテクノをやってみたりとか、さっき言った90年代回帰してバック・トゥ・ベーシック的になってみたりとかね。そういうシーンのなかで、何を思ってレーベルをはじめたんですか?

GT:俺が思う本物のベース・ミュージックをやりたいんですよね。

その「本物」って?

GT:ベース・ミュージックとかEDMとか言葉が出てきてごちゃーとしちゃって、いまってそれをさらにシュレッダーにかけた状態じゃないですか。で、俺はテンポ感覚とかって関係なくなっちゃっていると思っていて。パーティとしてはジャンルを付けたいのかもしれないけれど、〈バック・トゥ・チル〉に関しては関係なくやりたいと思っているんですよね。本当に良いベース・ミュージックというか。
 例えば、俺はトラップはヒップホップだと思うから、ベース・ミュージックだとは言いたくないんですよね。ベースありきなのかもしれないけど、トラップはベースありきじゃなくていいというか。俺が思うかっこいいベース・ミュージックっていうのは、ベースがあってグルーヴがあって踊れるものというか。そこが重要だと思っているんですよね。

あんまり跳ねるの好きじゃないでしょ? トラップもそうだし。

GT:うーん。トラップって雰囲気の低音なんですよ。ベース・ミュージックというよりは低音が鳴っているだけというか。

100:ベースラインがないんだよね。

GT:そうそう! 俺はやっぱりレベル・ファミリアで秋本(武士)くんのダブのベースを聴いてきて、ダブを通過したひとの奥深さがやっぱり自分にフィードバックされているんです。UKの子たちのすげえ曲って、レゲエとかを通過しているというか。日本のプロデューサーが持ってくる曲を聴いて感じるのは、やっぱりそこのセンスがちょっと足りていないように聴こえるんです。雰囲気の低音は鳴っているし、上もちゃんとプログラムされてメロディもちゃんと乗っているんだけど底がないというか。そこってすごく重要だけど、一番わかりづらいんです。

日本で行われている〈アウトルック・フェスティヴァル〉で〈バック・トゥ・チル〉のクルーを見ていると、他の日本のアーティストのなかで、レゲエっぽさが全面に出ていないという意味で、浮いている印象があります。でも、そのレゲエっぽさがあまり感じられないから、僕は〈バック・トゥ・チル〉が好きだと感じる部分もあるんですよ。

GT:俺が秋本くんとレベル・ファミリアをやっていて考えていたのは、わかりやすいレゲエっぽいベースのところを一番聴いてほしいわけじゃないんですよ。例えば、いわゆるレゲエのベースラインのところじゃなくて、一番ドープなところはワンコードで「ドゥー、ドゥー、ドゥー、ドゥー」って潜って行くところだったり。実はそこが一番ヤバいダブのベースっていう認識ですね。テクノでいう盛り上がってからキックとベースだけに戻ってくるところが一番かっこよくて、「うぉー! きたー!」ってなるじゃないですか?

おー、なるほど。

GT:レイヴとかでも、「わー」ってなって、上モノが一切なくてキックとベースだけになったスッカスッカなところが一番グッとくるんですよ。

俺はS-Xの“ウー・リディム(“Woooo Riddim”,〈Butterz〉,2010)”みたいにリズム・トラックだけで成立する曲がすごく好きなんですよ。そういうところか聴くと、〈バック・トゥ・チル〉は上が多いと思う。雰囲気を作る曲というか。

100:ジャーマン・トランスだ(笑)。

だからもっとリズムだけで勝負できる曲があってもいいと思う。

GT:たしかに今回のコンピレーションはそうかもしれないですね。ただ、アルバムとして考えたときに、やっぱそういうアップ・ダウンが欲しかったんですよ。

全体的にイントロっぽい曲が多いなと思ったんですよ。1曲目のもつイントロとしての感じもわかるけど、8曲目でもどこから入ってもはじめられそうな気がするので、いまいったようなリズムだけで攻められる曲があったら嬉しいなという感じはあります。

GT:なるほど。でも自分はそういう意味でドラムとベースの良さが出ている曲をやりたいんですよ。

そこは日本人が一番理解していないところだと思うんだよね。

GT:やっぱり日本人って上モノのキラキラさとか、前に出ているドラムとかに反応しやすいんですよ。だから音数が多くなったりするから、余分なパーカッションを減らして、その隙間のグルーヴをベースで動かしたりしたほうがいいんじゃないと思うことが多いので。

Jポップを聴いていても本当にリズムが関係ないと思うしね。そこを聴いているひとがいないというか。俺は日本からあるリズムのジャンルが出たら絶対にすごいと思う。なんだかんだ言ってもいままではお手本があってやってきたでしょ? ダブステップやジュークもそうだけど、日本発のリズムってないじゃないですか? これはやってほしいよね。

E:この前話していたんですけど、ゴスさんも最近やっている85とか170のドラムンベースのテンポで、ダブステップとかけ離れた感じの曲をヨーロッパでDJとして現場でやっているひとがけっこう少ないんですよね。

GT:BPM85の遅い4つ打ちってある意味、ヒップホップのテンポなんだけど、ドラムンベースのグルーヴにもノれるし、隙間もあるからダブステップ的な良さもあるというか。だけどテンポ的には全然違うというか。それでミニマル・テクノみたいなアプローチもできつつっていうのがこの3人で流行っていて(笑)。

E:そういう曲を海外でかけているひとが少なくて、ゴスさんと「ヨーロッパで実際にかけてみてどう?」っていう話をしていたんですよ。反応はよくも悪くもイベント次第なんですけどね。ゴスさんと俺がヨーロッパで出るパーティって全然違うフィールドでのブッキングだからそこでの反応も違うけど、去年の10月のヨーロッパ・ツアーでは「どうやって踊るかわからないけど楽しかった!」っていう良い意見があったんですよ。

おっ! 日本発いくか?

GT:そういうことをパーティを毎月やっているわけだから、試しながらできるわけですよ。

なるほど。そのリズムが〈バック・トゥ・チル〉のテーマだということはベース・ミュージックのひとつの解釈として面白い話だと思います。

GT:それが日本発になるのかわからないけど、やらないとどうしようもないというか。そういう意味で現場があるのはありがたいです。それを作ってキープしていかなきゃいけないし、それを裏で話していくことはやっぱり大事だなと思います。若い子たちも「ゴスさん、最近変なテンポやってますよね? 僕も最近作ってみてて」っていうひとがけっこういるんですよね。狭いながらそういうコミュニティも作っていきたいから。

その小さいコミュニティがもっと大きくなってほしいとは思いますか?

GT:もちろんそうですね。まずは、実際に作品をリリースしなきゃいけないと思うから、今新しいアルバムも作っているんですよ。「こういうBPMで、こういう曲をやってみんなで楽しんでいます」って文章にして書きたくもないとうか(笑)。

そりゃそうでしょ(笑)。

E:でもいまみたいな感じになったときに、最初にこれをやろうって相談があったわけじゃなくて、基本的にみんな勝手にやってるだけなんですよね。この3人も音楽的に共通する部分があるようでないのかもしれないから、自由にやっていて面白いと思っている部分がリンクしただけというか。

GT:100マドくんとかはBPM100の曲をずっと作っていて、それを「85まで落としてみたら?」って薦めてできた曲が“グライミー”なんですよ。

100:そうそう。これはもともとBPMが100だったんですよ。

さっき秋本くんの話も出たけど、ジャマイカの音楽ってたとえ実験的でも大衆音楽じゃないですか? キング・タビーを誰が良いかって言ったというと、まずはそこで踊っているファンであって。

GT:それはすごくあると思うけど、それをわかり易くするために自分のやりたくないことやるかってなると別なんですよ。さっき言った遅いビートにイケイケのドラムンベースをミックスしたらわかってくれるんじゃないかとか(笑)、そこまではやりたくないんですよ。でも、何かしらのきっかけみたいなものは自分でセットを作っていますけどね。チルな部分とアガる部分をイメージしながらやっています。でも、日本の場合だと作品を出してからなのかなと。

〈バック・トゥ・チル〉は、高橋くんの世代にもちゃんと伝わっているの?

ひとつ言えることは、僕は〈バック・トゥ・チル〉は先鋭的なことをやっていて好きだけど、日本のベース・シーンと言われるもののなかで、他に良いと思えるものがあまりないというか。それはベース・ミュージックという言葉の使われ方にも表れていると思います。〈バック・トゥ・チル〉で使われているような意味とは別に、「ベースが鳴っていればOK」みたいな解釈でその言葉を捉えているひとも多いですからね。深い解釈も安易な解釈もあるから、僕は文章を書くときは「ベース・ミュージック」って鍵括弧付きで使うんですよ。

『ベース・ミュージック・ディスクガイド』というカタログ本も、ダブステップもマイアミ・ベースも同じ「ベース」という解釈だったよね。そういう認識なの?って思ったけど。

100:ベース・ミュージックって言葉が出てきたとき、ゴスは最初っから批判的だったよね。「ベースがない音楽ってなくない?」みたいな。

GT:いま適当に思い付いた名前だけど、〈ベース・アディクト〉みたいなパーティってたくさんあるじゃないですか(笑)? そういうパーティって4つ打ちのエレクトロとかもベース・ミュージックに入っちゃうんですよね。

100:いままでだって低音がない音楽がなかったわけじゃないもんね。

GT:そうそう。だから、「これをベース・ミュージックっていうと全部じゃん」ってね。

現在のタームでいえば、「ベース・ミュージック」って言葉はイギリスから広まったんだよね。ダブステップっていう言葉を使いたくなくなったときに、その言葉が出てきた感じがしたな。俺はダブステップよりもグライムが好きだったんですよ。そういうときに「ないまぜ」というか、ベースって言えば済むかなってなった気もしますね。

GT:それはあるかもしれないですけど、ひと括りになりすぎている感じもあって。

100:言葉として便利すぎるというか。ダブステップからディープで暗いところを切り離したいひとたちが言葉を広めた印象が当時はありました。ブローステップだったりトラップも同じ感じで、ダブステップのアンダーグラウンド感が自分たちには違うなってアーティストが使いたがっているんだろうなと思いますね。

逆にダブステップがEDMみたいなものになっちゃったから、アンダーグラウンドのひとたちが前向きにベース・ミュージックって言葉を使っているのかと思っていたな。

100:もちろんそういう前向きな意味がある一方、「EDMほど俺はバカ騒ぎしないぜ! でもダブステップは男塾すぎる。俺はもうちょっとハウスなんだよね」みたいなひとがベース・ミュージックって言っているのかなって。でも、そういう〈ナイト・スラッグス(Night Slugs)〉とか〈スワンプ81(Swamp81)〉みたいな格好いいレーベル以外のひとも、ベース・ミュージックって言葉をトレンディに使いやすくなっていて意味がわからい状況になっているんじゃないですかね。

GT:いまとなってはベース・ミュージックもなくなってきたんじゃない? UKの俺も周りのやつとかはサウンドシステム・ミュージックって呼んでますね。

100:それはベース・ミュージックと線引きしようとしてるんじゃないの(笑)?

GT:なるほどね。でも、実際に〈バック・トゥ・チル〉はサウンドシステムを入れてやっているからね。

まぁでも、秋本くんとゴス・トラッドが揃うと男塾っぽくなるよね(笑)。

GT:ハハハハ!

このコンピレーションにも女性はいないんでしょ? わりとドラムンベースでは踊るのが好きな女のひとが多いじゃない? そのなかから作るひとが出てこないんですかね。

GT:あんまりいないですね。

100:いてもやめちゃうケースが多いかな。

E:まぁでも作る側のひとはどのジャンルもそうじゃないですか?

海外は女性で作るひとが増えてきたよね。

日本でも何人かいますよね。

GT:最近はソフトウェアからアナログに戻っている感じがあるじゃないですか? パソコンでプラグインを使ってやる作業が苦手な女のひとって多い気がするんですよ。でもドラムマシンで打ち込んでいくのはできると思う。エレクトロ・パンクのピーチズはローランドのMC-505一台で作ったって言ってましたね。

E:キョーカさんはわりとアナログ派ですよね? 年明けのライヴもものすごく良くて。いままでのメランコリックな部分がなくなって、〈ラスターノートン(Raster-Noton)〉で一番暴力的な感じになったというか。

彼女はリズムが弱いかなと思っていたから、ドローンをやればいいと思ってた。

E:そっちじゃなくてまさに暴力的な感じにいきそうな気がしましたけどね。年明けのハッピーな雰囲気をぶち壊してましたよ。

ダイヤモンド・ヴァージョンの影響なんじゃない?

GT:いまはインダストリアルの音がすごくきている感じがあるから、ダブステップでもそっちっぽいやつがあるんですよ。いまのコモドもバキバキな音ですよね。ディープなダブステップなんだけど、鳴っている音はインダスっぽいっていうか。この前マーラがかけていたダブもフランス人って言っていたけど、昔の〈ワードサウンド〉みたいにダークなんだけど鳴っているキックとスネアがインダストリアルみたいで、さらに音がスカスカというか。

エンプティセットみたいなではなく?

GT:ああいうパキパキな感じの音じゃなくて、音に丸みはあるんだけど歪んでいるみたいな。

タックヘッド(『テクノ・ディフィニティヴ』P95)とか?

GT:雰囲気的にはそういう感じはしますね。マーク・スチュアートのようにハードコアなんだけれども、アナログ的な丸みがあるというか。

ダブが現代的にちゃんとアップデートされている感じなんだ?

GT:うん、そうれはありますね。

去年〈トライ・アングル〉からリリースされたSdライカ(Sd Laika)の『ザッツ・ハラキリ』は、ゴスさんがノイズをいまも続けていたらこうなっていたかもな、と思わせるような作品でした。いろんな音がサンプリングされたノイズ音にBPM140のビートが入ってきたりするんですよ。

GT:エイフェックス・ツインがこの何年かで面白いと感じたのはSdライカって言ってたね。

そうなんですよ。ガンツもそのアルバムを評価していました。Sdライカとゴスさんの曲を比較してみると、Sdライカにはビートが少しリズムとぶれたり、音がチープな感じになっていたりと「軽さ」みたいなものがあるんですよ。これはゴスさんの曲などではあまり見られないと思うんですが、こういう表現にも興味はありますか?

GT:うーん、「軽さ」ね……(笑)。

俺が最初にジャーマン・トランスっぽいと思ったのは、2013年に〈ディープ・メディ〉からでたゴス・トラッドの“ボーン・トゥ・ノウ(Born To Knoow)”ですよ。あの盛り上がるところにジャーマンっぽさを感じたんですよ。「軽さ」ではないかもしれないけどね。

「軽さ」のイメージでいうと、アントールドが〈ヘッスル・オーディオ〉から“アナコンダ”を出した感じに似ていますかね。

E:シリアスさが薄いというか、そこの微妙なバランスだよね。

ちなみになんで“ボーン・トゥ・ノウ”だったんですか? 気になるタイトルですよね。「何かを知るために生まれてきた」って何なんだろうって思って(笑)。

GT:もう雰囲気ですよ。まず最初に、他にはないタイトルをつけようと思っているから、「ボーン・トゥ・ノウ ダブステップ」で検索して出てきたらナシなんですよね(笑)。

あと、さっきのパチェコ(※ヴェネズエラ出身、スペイン在住のアーティスト)のコンピレーション・ミックスにエナさんと100マドさんが入っている理由も気になりました。

GT:このきっかけは100マドくんとパチェコが出したスプリット・アルバムを2009年に出して繋がっていくんだよね。

E:俺はその作品でリミックスとマスタリングをやってるんですよ。それで自分の曲がミックスで使われたのはパチェコとやりとりしていた縁ですね。

100:それで僕らの曲が入った感じです。もういまはこのパチェコもポクズもスペインにいて。

E:ヴェネズエラは治安が悪すぎてって言ってましたね。

チャンガトゥキ(※アルカも影響を受けているヴェネズエラのゲットー音楽)やクドゥロ(※アンゴラのダンス音楽)のコンピを買ってもこのひとたちは入っているから。ワールド系とダンス・ミュージックが混ざったところには必ずいるっていう(笑)。

100:もういまは名前も変えちゃって、昔のクリアーみたいなエレクトロをやっているんですよ。あそこまではビート感はないですけどね。

でも彼らの曲ってベースが薄いんだよね。

100:そうなんですよ。いまはより一層ベースがない感じです(笑)。

E:そのコンピに入っているカードプッシャー(Cardopusher)はいまは〈スワンプ〉っぽいエレクトロみたいな感じなんですよ。

GT:けっこうみんなどっかに行っちゃった感があるよね。なんか俺はさっき言ったような曲を去年はずっと作ってたけど、もう一度いわゆるダブステップというものを見直して年末くらいに1曲作っていました。それを送ったら反応が良くて、こんど〈ディープ・メディ〉からまた12インチを出すことになったんですよ。自分のなかで6〜7年はどっぷりで、時間もなかったからとりあえずBPM140のダブステップを作って、リリースに備えて、ツアーに出てという繰り返しで他を見る感覚もなかったんです。おととしくらいからまたいろいろ聴き出して面白くて別のテンポのものを作りはじめたというのがあって、また一周してダブステップが作りたくなったというか。ベースはそこにあるから、そこを進化させたかったというのもあるし。ダブトロとかはそれ一本で作っているし、海外の〈アウトルック〉とかに行くとやっぱり面白いものは生まれているって感じるんですよ。そこで曲を送って繋がったりっていうのをこれからも続けなきゃなと思いますね。

[[SplitPage]]

「ハードかつゆるくやりましょう」

これからも本当に面白いものが出てくると思います。自分的にはすげぇ多くのことに興味があるんですが、生の音楽の音自体にすごく興味があって。この前、ドライ&ヘヴィーのミックス・ダウンをやって、やっぱこれが自分のダブだなっていうのをすごく感じたし。ロック・バンドのミックス・ダウンもやったりしたし、いまはノイズ・コアのバンドのリミックスをやっていたり、そっちも面白いなって思っているんですよね。


Various
GOTH-TRAD Presents Back To Chill "MUGEN"

Back To Chill/Pヴァイン

Amazon iTunes

ちなみにレーベルとしての今後の予定はありますか?

GT:ダブトロや100マドくんは最近リリースがないから、できたらEPみたいなものを出していきたいなというのもあるし、自分のアルバムを〈バック・トゥ・チル〉から出したりとか。レンチのドラマーのムロチンさんとやっているバーサーカーや、あと今年はレベル・ファミリアでも曲をつくっていこうと思っています。
 みんな個人でたくさん動いているけれど、さっき言っていたみたいに、ここに居場所を作るっていうのは良い目標になるというか。ダブステップのダブプレートを作ってそれをかけることは面白いけれど、じゃあその行き着く先は何なのかっていうのがなきゃいけないというか。もちろん現場があることも大事なんだけど、その先にリリースという目標がパッケージを作っていく方がアーティストにとっても良いことだし。そういうものを「場」として作れたらなと思うんですよね。

じゃあ、12インチのリリースも考えているの?

GT:そうですね。いまアナログはむずかしいけど、少ない数でやりたいですね。

昔からそれは言っていたもんね。アナログは売れてるっていうニュースが入ってきたり、その逆の情報が入ってきたりどっちにいくんだろうとは思うけど。

GT:UKの大手流通会社のSTホールディングスもなくなりましたもんね(※ele-king Vol.15 P92参照)。〈ディープ・メディ〉もそことやっていたから一時期は浮いちゃって、結局はクドス(KUDOS)っていうところが動いてくれて落ち着いたんですが。

E:STのひとが、いまアンアースド(Unearthed Sounds LTD)を立ち上げてそこの引き継ぎをやってはいますけどね。

イギリスもアメリカも5年連続でアナログ盤の売り上げは増えているらしいからね。だから配信とアナログが伸びているから、分が悪いのはCDなのかなって気はするけど。

E:まぁ、レコードの売り上げが伸びているって言っても、売れているのはクラシック・ロックの再発とかですから。

100:ダンス・ミュージックは300枚とかのプレス量だもんね。

E:そうそう。メジャーがたくさん出すから、プレス工場が忙しくなって小さいレーベルの発売が遅れそうになったりでみんな文句を言っているのが現状なんですよ。

ビートポートの発表によると、同サイトのなかでダブステップは全ジャンルのなかで一番売り上げが少ないというのが発表されましたけど、それは単純にリリース量が少ないからですよね?

E:それはビートポートではテクノはEDMやエレクトロとかも指しているしね。だからそういうのに比べたら少なくて当然なのかなと。

そういう状況を反映して何が起こるのかと言うと、リリース量が少ないからみんな買うものが似てくるじゃないですか? 自分で曲を作れるひとは、オリジナル曲で自分のDJセットに幅を作ることができるけど、そうじゃないひとのセットが似通ってつまらなくなる傾向があると思います。〈バック・トゥ・チル〉のように曲が作れるひとが多いパーティでも、イプマン(Ipman)の“パーシステント・ドレッド(Persistent Dread)”がリリースされたときに、ちがうひとが2回かけていたこともありました。

GT:ハハハハ。それはある意味初期に戻っちゃっているよね。最初はリリース量が少なすぎて、みんな同じ曲を3、4回かけるっていう(笑)。

そういう状況のなかで別ジャンルの曲とダブステップを混ぜられる、もしくはひとつのジャンルの曲をしっかりと紹介できるスターDJ的な存在がいないことが日本のベース・シーンの弱さなのかなと思います。UKにはベンUFOのようなアーティストもいるわけですが、ゴスさんはそういう存在にはなりたいとは思わなかったんですか?

E:要するにジャイルス・ピーターソンみたいな存在ですよね。

GT:そういう存在がUKにはいるよね。ダブステップならばヤングスタやハッチャがそうだし……。さっきも言ったように、俺はずっと自分の曲でライブをやってきて、DJを本格的にはじめたときもまずは自分の曲を中心にかけたかったから、100枚のリリースを聴くよりもまずは曲を作ろうと思ってきたかな。

〈バック・トゥ・チル〉で曲を作らないDJをひとり育てたらどうですかね?

GT:DJをやっていて自分では曲を作らないけど周りに曲を作っているっていう子とかには、友だちの曲を使いながらDJをする宣伝役的な立ち位置になったらいいんじゃない、とかアドヴァイスしますけどね。そこで「曲を作らなきゃダメだよ!」とまではDJには役割があるから俺も言いたくはないですから。実際UKには、曲はあまり作らないDJ職人みたいな存在がいて、彼らの元にはどんどん新譜やダブプレートが送られて来るんです。ラジオや現場でいち早くプレーしてくれるから、すごく良いプロモーションにもなる。そういうDJは、UKのアンダーグラウンドシーンでは重要な存在になってますね。

〈バック・トゥ・チル〉は変わっているんだよね。日本ではテクノもハウスも、作るひとが少なくてDJが多いから、逆に言えばシーンをプロモートしていくことには長けていたのかも。〈バック・トゥ・チル〉はみんな曲を作るからさ。それはゴス・トラッドの意向なの?

GT:パーティをプロモートするためにオーガナイズをしているんじゃなくて、新しいことをやっているひとを集めることが目標というか。そういうのって常に作っているひとじゃないと持ってこれないじゃないですか? 「買う」っていう手段はあるけど、もっともっとエクスクルーシヴなものになるには、作っている側が集まってそれをプレイする空間を作りたいんだけど、その考えって一般のひとからするといきすぎちゃっているのかなって(笑)。

E:でも〈メタルヘッズ〉の〈ブルー・ノート〉での〈サンデー・セッション〉の例もあるし、あれも90年代にみんなプロデューサーがその日のためにダブプレートを切ってやってましたからね。

GT:そうだね。そこが基本的にはコンセプトだけど、たださっき言ったみたいに幅の広いDJがひとりいてもいいかなとは考えます。だからはじめの3年とかハードコアにそのへんにこだわってたよね?

100:うん。こだわってた。

GT:だけどこの3年くらいは本当に良いDJだったら入れたいって考えてるかな。

100:会場を〈サルーン〉から〈エイジア〉に移した2008年くらいからダブ(プレート)とかじゃなよねって言うようになったよね。

GT:そういうのを言っていたら100マドくんとかに「出たいひとはたくさんいるんだけど、そういうところが厳しすぎる」って言われて。

E:〈エイジア〉に移ってから、ケイヒンくんとかリラくんとか出てたもんね。

GT:そうだよね。曲は作っていなかったけど通ずるものはあったからね。

パーティの歴史を見ていると、〈サルーン〉時代は鎮座ドープネスや志人などのヒップホップMCが出ていていまよりも幅があったと思うんですが、それは方向性が定まっていなかったからですか?

GT:あのときは単純に俺やSKEはルミのアルバムをプロデュースしたりとか、スカイフィッシュもダブステップを作っていた数少ないプロデューサーのひとりだったから。

最初は試行錯誤をしていて、次第に男塾的な厳しさが出てきてしまったわけでしょ?

GT:はじめのほうが逆に厳しかったんですよ。でもそのときはダブステップに興味を持っているひともあまりいなかったから、近いアーティストに出てもらっていたんです。ルミや鎮座ドープネスは近かったしMCものせられて良い意味でブッキングしやすかったというか。

100:結果的にごちゃ混ぜ感が出たのが初期だよね。

GT:〈エイジア〉に移った2008年くらいからは、ダブステップを意識して入ってきた良いDJもいたし、曲を作るひとも増えてきたんだけど、2010年くらいにはみんな飽きてやめちゃうんですよね。「ファンキーのほうがモテる」とかさ(笑)。だからブッキングできるひとも減っていったんです。

飽きるのが早いよね。

E:音楽のスタート地点がダブステップという世代も出てきて、そこで寿命が短かったというのはあるよね。

GT:そこで踏ん張ってやるやつとやらないやつが出てきて、ダブトロとか踏ん張ったよね。あいつは〈バック・トゥ・チル〉に出たくて大阪から上京してきた んですよ。俺とマーラが最初に大阪にツアーで来たときに初めて観たらしくて、そこからダブステップも作りだして。初めてデモを貰ったときも、「まだクオリティは低いけど、なんか光る部分はあるよね」みたいな。このふたりは「うーん」って言ってたけど(笑)。

100:めちゃくちゃゴスっぽい曲があったのを覚えてる(笑)。

GT:でもみんなアドバイスしていったら、だんだんと良くなってイギリスで12 インチをリリースしたりとか。それの積み重ねでいまがあるから、1年や2年でできるものじゃないですからね。

そうこうしていたらモーニング娘。や氷室京介もダブステップやってるもんね。

GT:飛行機に乗っているときに邦画が観たいなぁと思ってたらやっていたんですよ。

同じやつだな。エンディングでしょう?

GT:そうそう!

ダブステップだと思って聴いてたら歌が入ってきたから(笑)。しかも歌い方が演歌だからさ(笑)。

GT:まさに同じですよ(笑)! なんて映画だったかな……(※三池崇史監督『藁の楯』主題歌:氷室京介“ノース・オブ・エデン”)。

100:野田さんと三田さんはテクノのシーンをずっと見ていたわけじゃないですか? ダブステップとかだと、ダブステップから入ったひとが、ブローステッ プへいってファンキーとかも気になりつつ、ムーンバートンへいってトラップへいって、ジュークへたどり着きいまはヴォーグかなっていうパターンがあったりするんですよ (笑)。鞍替えしまくって、「最新のキーワードを持っているのは俺だぜ!」みたいな所有感競争というか。テクノとかハウスってそうやってス タイルを変えてきたひとって黎明期にいたんですか?

いたけど残ってないよね。いまコアなシーンに残っているひとはやっぱりみんな同じコンセプトを続けているんじゃないのかな。

ケン・イシイなんかはイビサDJになっちゃったけど。随分最初とちがう、みたいな。

ころころ変えて、商業的に成功している人はいるよね。

どんなジャンルを見ていても思うのが、だいたいどんなジャンルでも15年目で迷うひとが多いよね。ボブ・ディランとかもそうだけど、10年は勢いで揺るがないでやるんだけど、15年目に流行のものを追っかけて失敗するひとが多いなって。だけど、20年続けたひとは頑張って元に戻った感じがある。

GT:俺はちょうど15年ですね。

じゃあいままさにだね(笑)。

どんなひとでも15 年から20年が正念場かなぁと。ボブ・ディランの例とか見ていると、ジョン・レノンは1980年に殺されていなかったとしても、乗り切れなかったんじゃないかなって気もするし。『ニュー・エポック』を出す前に印象だったのが、ゴスさんはダブステップに本当にハマっていたじゃない? そのときはポスト・ダブステップが出てきて、ダブステップが迷っているときに出したくないから、ダブステップが最初のダブステップに戻れたときに出すって言ってたよね。それで本当にその通りになったから納得したんだよ。さっきもすごくダブステップっていう言葉にオブセッションを感じるくらいだから、そのこだわりはずっとあるんだろうなって感じるね。

GT:そうですね。これからも本当に面白いものが出てくると思います。さっきのSDライカみたいなアプローチもあるしね。自分的にはすげぇ多くのことに興味があるんですが、生の音楽の音自体にすごく興味があって。この前、ドライ&ヘヴィーのミックス・ダウンをやって、やっぱこれが自分のダブだなっていうのをすごく感じたし。打ち込みを散々やってきたけど、音の厚みとか生のベースの音圧ってやっぱりちげえなとか、去年の後半とかは感じなおしたりしました。ロック・バンドのミックス・ダウンもやったりしたし、いまはノイズ・コアのバンドのリミックスをやっていたり、コラボレーションの話もいろいろあったりとか。そっちも面白いなって思っているんですよね。

僕もノイズはいまも聴いているけど、昔よりも呼吸が短くなってきていると思うのね。ジャーってなっているときにそれに合わせて呼吸をしていられなかったんですよ。でも最近は切れ方が早くなったんだよね。アンビエントをやっている伊達伯欣とかの話を聞いていると、ダンス・カルチャーを通ってからアンビエントをやっているから、どこかで踊りのセンスがあるんだよね。踊らないひとがアンビエントをやると身体性が全然ちがうからキツイっていう(笑)。

GT:ノイズとかインプロの世界って、一時期は本当にクローズドマインドだったじゃないですか? 「お前ダンス・ミュージックを通過してんの?」みたいな。自分はそれを通過してノイズをやっていて、当時そういうのを感じてたけど、逆にいまは、そういう雰囲気は無くなったよね。

ギリシアから出てきたジャー・モフは、ビートがないのに踊りを感じさせるから俺はすごいと思った。しかもギリシアは経済的に破綻したのにアルバムのタイトルが『経済的に裕福』っていうタイトルで(笑)。

GT:最近友だちから教えてもらった、ファルマコンっていうデス・ヴォイスの女の子が「ドーン、グワー」ってやっているやつがありますよね。

彼女はたしかニューヨークだよね。それをもうちょっとポップにしたガゼル・ツインってひとがいて、俺は『MUGEN』を聴いたときにそれをちょっと思い出したんだよ。彼女はレディオヘッドの『キッドA』を更新したって言われてて。子供っぽくて、インダストリアルな雰囲気のあるポーティスヘッドみたいな感じのひとで、『キッドA』も子供が飛びついた感じがするじゃない? なんかその感じをコンピを聴いていると思い出すんだよね。

GT:そういう風潮がいまアメリカであるような気がするんですよ。打ち込みとエクスペリメンタルな感じがごちゃっとした感じ。さっきの〈トライ・アングル〉とか、いままでのダンスミュージックを通過して取り込んだものをリリースしているというか。

今度日本に来るD/P/Iとかそのへん直球だよね。

E:今度来日の時に一緒にやるんですけど、D/P/Iはカットアップっぽいですよね。

彼は生バンドもやっているから、その方向で縛っているみたい。いろんなプロジェクトをいっぱいやっていてよくわからないけど。インタヴューしたら過去の音楽も詳しくて、ピエール・アンリに影響されていたり。

ジャングルが好きなんだよね。

いまのようなアーティストを〈バック・トゥ・チル〉から出したいと言ったらOKを出しますか?

GT:ジャンルであまり縛りたくはないから、正直に言えばかっこよければ出したい。あと、いまはカセットで出したりとかいろんな方法があるでしょ? そういうフォーマットを使うのもありかなと思ったり、エクスペリメンタルなライヴをカセットにして50本限定で出したりとか。そういうのもレーベルで自由にできるのを考えているから、そのくらいニュートラルに考えているんですよ。

じゃあそろそろ時間なので、三田さんにまとめてもらいましょう。

50を過ぎるとクラブがキツいのでパーティに実際に足を運べていないんですが、ユーチューブで動画を見るととても自分が混ざれる場所ではないなと思います(笑)。この8年間でグラフにするとお客さんにどういう推移がありましたか?

GT:去年の1月は〈デイ・トリッパー〉から出しているイードン(Eadonmm)に出てもらったんですけど、早い時間でお客さんもいたんだけどちゃんとみんな聴いていた感じもあるし、そのあとのDJでもしっかり盛り上がっていましたよ。この前もエナくんがエクスペリメンタルなノンビートなライヴ・セットをやっても、お客さんがしっかり聴いていて。平日だからすごくひとが入っているわけじゃないけれど、けっこう来ているお客さんはそこをわかっていてくれているのかな。聴いているひとは聴いてくれているし、盛り上がりたい子は前の方に来てくれるから。

E:俺は個人的に去年はテクノ系のパーティにもけっこう出ているんですよ。〈ルーラル〉や年末には〈フューチャー・テラー〉にも出たし。実際にやってみると、ジャンルの壁はそれほどないなと思いますね。〈フューチャー・テラー〉もルーシー(Lucy)の裏でやっていたんですけど、俺のときもいっぱいだったし。もちろんそのときもテクノじゃなくてBPM170をかけてたけれど、みんな踊ってましたよ。

GT:〈バック・トゥ・チル〉に来ているひとは耳の幅や聴き方は広いかもしれないね。

次の8年くらいで対抗馬的なパーティやレーベルが出てきたら良いですね。

この3人が決裂して別々のパーティやるとかね(笑)。

GT:なんで〈バック・トゥ・チル〉を8年やっているかといえば、やっぱり日本でやりたいからなんだよね。日本で全てを完結させるのが良いのかもしれないしね。それで作品を向こうに投げるというか。ツアーをやるっていうのはやっぱり体力仕事だし。海外に行けるからやるっていうのは、日本がダメって言っているような気がしてなんか嫌なんですよ。海外だから良いっていうのもなんかアレだし。日本でもすごい耳を持っていて、すごく良いもの作って、すごく良いプレイをするひとっているわけじゃないですか? その絶対数が少ないだけで。

何か最後に言い残したことはありますか?

GT:うーん、じゃあ100マドくんで(笑)。100マドくんは本当に初期からいるから。

100:えっ、俺で締めんの(笑)? 絶対におかしいでしょ(笑)?

E:まぁ、今日はいろいろハードコアに言っておいて、100さんの「ゆるくやろうよ」っていうのがコンセプトでもあるわけだから(笑)。


 先週バーンズ・アンド・ノーブルズ(本屋)に行ったら、今晩7時からミランダ・ジュライのリーディングがあると知った。映画監督、女優、音楽家、小説家、アーティスト、などマルチに活躍する彼女。最近では、ポートランドつながりか、スリーター・キニーの新しいアルバム(!)の「ノー・シティズ・トゥ・ラブ」のパロディ・ヴィデオにも出演していた。
 彼女の最新映画『The Future』を観たときは、ヘンテコだが、愛らしい作品を創る彼女が気になった。ウィリアムスバーグには「miranda」というイタリアン・レストランもある。彼女は、映画監督の前に、The Needというバンドと音楽をリリースし、〈キル・ロック・スターズ〉、〈Kレコーズ〉など、オリンピア、シアトル、ポートランドのバンドとも繋がりが深く、2000年にはthe Needも含む、周辺のバンドのコンピレーションを〈コンタクト・レコーズ〉からリリースしている。15年経っても、収録されているアーティストたちの活動には驚かされるし、これからも期待している。
 7時にバーンズ・アンド・ノーブルズに着いたときには、すでにに立ち見席も一杯。前回、ジョン・ウォーターズの「カー・シック」のリーディングに来たときもそうだったが、一番前(立ち見)に行くのはそれほど困難ではない。
 オーディエンスは、若い人から年配まで。後ろの方は、見るのを諦め、床に座り目を閉じてリーディングを楽しんでいる人もいた。ミランダは、パラグラフを飛ばし飛ばしで、途中で咳き込んだり、重要なシーンの前で「次のパートはお家で読んでね」など笑いも取りつつ、30分ぐらい朗読した。その後、オーディエンスとの質疑応答があった。彼女は、物語に順じ、子供に対しての質問や、小説を書いた理由など、ひとつひとつ丁寧に答えていた。朗読が終わっても帰らず、サイン会を眺めるファンがたくさん。こういう会に参加できることに喜びを感じる。

 別の日に、元ウィリアムスバーグ、現ローワー・イースト・サイドのギャラリー、カプリシャス88にアイスランドのアーティスト、ショップ・リフターのショーを見に行った。個人的にいま一番興味のあるアイスランドと繋がったので、タイミングもぴったり。
 ローワー・イースト・サイドとチャイナ・タウンがミックスする、このエリアは、ウィリアムスバーグで大人気のフライドチキン・レストラン、パイ・アンド・サイの2号店が出来たり、アイスランドがテーマのレストラン「スカール」があったり(バーテンダーはフランス人だったが)、何気に洗練され面白い文化を形成している。いまとなっては、ウィリアムスバーグより家賃も安いのだろう。チャイナ・タウンのごった煮な雰囲気のなか、このビルだけはソーホーのようなおしゃれな雰囲気。来ている人は、アーティスト、モデル、クリエイターなど。ファー、木、ビニールバッグ、旗、ヘア・エクステンションなどを使ったインスタレーションが展示され、個人的には、ヴィヴィッド・カラーのヘア・エクステンションを沢山使った作品が好きだった。色使いが、昔のマイティ・ロボット(現シークレット・プロジェクト・ロボット)やペーパーラッド()などを思い起こさせ、間近で見ると、そのテクスチャーが浮き出て、とても美しい。
 というか、これだけ作るの大変だっただろうな。ニューヨーカーがいつも黒ばかり着ているなかで、鮮やかなブルーの洋服を着た彼女は、チャーミングで、たくさんのゲストに囲まれていた。

 著者は最近、アイスランドの文化、音楽にハマっていて、アイスランドに引っ越したい衝動にもかられるが、NYにいると向こうからやって来てくれることが多々ある。以前、ポートランド、アセンス、オースティンなど小さな大学街のアーティストが好きで、引っ越したいと思ったが、NYにいると、彼らにも会えてしまった。マジカルな都市だ。

 ローワー・イースト・サイドから、ウィリアムスバーグ・ブリッジを渡り、近所に戻ると、知り合いが今日ユニオンプールでライヴをやるとのこと。ウィリアムバーグは終わった、と言ったが、今日も夜な夜なショーは開催されている。去る者は去る、残るものは残る。起きていることに、すぐにアクセス出来る環境にいれるのは、なんとも有難い。

https://mirandajuly.com

https://www.capricious88.com
https://shoplifter.us

Union-pool.com

Yoko Sawai
1/16/2015

Ryuichi Sakamoto, Taylor Deupree, Illuha. - ele-king

 2月、坂本龍一、テイラー・デュプリー、イルハ(伊達伯欣+コーリー・フラー)の共作が〈12K〉よりリリースされる。
 これは、2013年の7月、山口県のYCAMホワイエにて坂本龍一をディレクターに迎えて開催された「アートと環境の未来・山口 YCAM10周年記念祭」におけるライヴ音源。

 以下、〈12K〉のレーベル・サイトから。

 「糧や会話や探求のためにアーティストたちはコンサートの日々に集った。有意義で、打ち解けた情調があり、彼を共演へと導いていった。ピアノ、ギター、パンプオルガンやシンセサイザーによる即興演奏は結果的にアーティストたちに深いところで影響をもたらしたのだった。
 4人はそれまで一度も共演したことがなかったが、徐々に彼らを取り巻いた節度や聴力のレヴェルにあっけを取られてしまった。息をのむほどの静寂に腰をおろしたオーディンスたち。音楽は7月の空気に満ちた束の間の休息を彼らに与える。
 最後に奏でられた静かな一音が暗闇に消え入るとき、アーティストたちは自らが深い旅に出ていたのだと気づくのだった。このような瞬間が捉えられたときこそ幸運な出来事であり、コンサートはまさにそうであった(その様子は良質なDSDによって録音された)。
 不変で齢を重ねることとは無縁な音楽の性質を指す永久性が、シンセサイザーや加工されたギターにはじまり、開放的で空気感のあるプリペアド・ピアノと無音の連続性や、果ては寂寥なピアノ、ひび割れた既製品やフィールド・レコーディングの音声、そして霧のように宙に浮遊する音による、限りなく忘れがたい繊細な子守り歌の緩やかな層を横断する3楽章に存している。
 永久性とは我々と時間の伸張を囲い込むだけではなく、単一の記憶や、時間が静止し4人の音楽家が合一する刹那の記録への広がりをも包括するのである」

Ryuichi Sakamoto, Taylor Deupree, Illha
Perpetual
12k


以下、イルハからのコメントです。

「この日の演奏は、坂本さんのプリペアドピアノ、テイラーがモジュラーシンセ、僕らはパンプオルガンとギターを中心にコンタクトマイクなどで坂本さんの音をプロセッシングしたりしました。
 演奏前の二日間も演奏者でゆっくり食事ができ、企画のタッツを始め、YCAMスタッフも素晴らしく、良い演奏に繋がりました。
音源を聴いて改めて驚かされたのはPAのzAkさんのミックスと音質の良さです。当日はテイラーとILULHAのトリオの演奏の後に、数十秒のインターバルを挟んで坂本さんとのカルテットでしたが、音楽的な連続性があったので1曲にしました。各チャンネルごとの録音もあったのですが、結局zAkさんの2mixを使うことになりました。
 山口という場所に、あれだけの施設があるということは不思議なことですが、山口だからこそYCAMが存在しているんだと思います。
またいつか演奏出来たらと思っています」 ── ILLUHA

※なお、TaylorDeupree, ILLUHAの参加したStephan Mathieu, Federico Durandとのツアー音源が ハイレゾで1ヶ月限定で以下で販売されている。 https://kualauktable.limitedrun.com/

DEF MIX OFFICIAL Tribute FRANKIE KNUCKLES - ele-king

 今週末の17日土曜日、恵比寿のリキッドルームでは、大御所デヴィッド・モラレスを招いて、フランキー・ナックルズ生誕60周年祭が開催される! 
 とにかく、先日のジェイミーXXのDJも大盛り上がりだったそうですが、いま我々が支持するダンス・ミュージック、つまりハウスはここから来たと言える。
 以下、リキッドルームからの熱いメッセージです。

 DAVID MORALES and friends invite you to pay tribute and celebrate the 60th Birthday of FRANKIE KNUCKLES  A portion of the proceeds are going to The Frankie Knuckles Foundation

 “The Godfather of House”こと、我らがフランキー・ナックルズが2014年3月31日に他界した。世界中のDJやダンス・ミュージック・ラヴァーは深い悲しみに明け暮れ、第44代アメリカ合衆国大統領に就任する前から親交が深かった、バラク・オバマ氏も追悼の意を表明するほど、全米はおろか世界中の音楽シーンに衝撃が走った。

 かつて、ラリー・レヴァンがNYの『パラダイス・ガラージ』でプレイしていた曲を“ガラージ”と呼んでいたように、フランキーがシカゴの『ウエアハウス』でプレイしていた曲を、地元では最初“ハウス”と呼んでいた。諸説あるようだが名称はどうでもいい、ただ、はじまりはそこだった。そしてそこでは素晴らしいダンス・ミュージックが毎晩プレイされていたということだ。フランキーはその後NYに戻り、“ハウス・ミュージック”の歴史を数多く作っていくことになるのだが、もしフランキーがいなければ”ハウス・ミュージック”は生まれていなかった。

 日本でも80年代後半の初来日から、何度となく来日しては日本中を熱狂させ、ダンス・ミュージック・ラヴァーの人生に決定的な影響を与えてきた。そんなフランキーの生誕60周年のバースディ・バッシュに、長年の感謝と追悼の意を込めて、誰一人として乾杯せずにはいられないだろう。

 この夜のメインDJは、もちろん盟友デヴィッド・モラレス!  世界を飛び回るジェット・セッターでありながら、イタリアから1月18日にシカゴの『SmartBar』で行われるフランキーのバースディ・バッシュに駆けつける途中に、どうしても東京でのフランキーの60回目のバースディ・バッシュでプレイしたいという、デヴィッドの熱い思いで、LIQUIDROOMに一晩だけの来日が決定!
 なんと、時差のおかげで1月18日のフランキーの誕生日を、17日深夜の東京と18日シカゴのフランキー縁の2都市で同日に開催する事が実現する! この日のデヴィッドは、自身の出演料全てをフランキー・ナックルズ ファンデーション※ に寄付する意向を表明している。そう、今回のパーティーは亡きフランキーへの熱い思いが彼を動かしたのだ。

 また、この日は日本最後のプレイとなった2012年12月23日のLIQUIDROOMにおいて収録された音源を特別に公開する。国内最強のLIQUIDROOMサウンドシステムで、東京での最後のプレイを体感して欲しい!

 フランキーが存命ならこの1月18日で60歳を迎える。そう、還暦である。つまり、60年で干支が一回りして生まれ年の干支に戻る事から、魔除けと生まれた時に戻る事を意味する。

 全国のダンス・ミュージック・ラヴァーの同士達よ、この日は初心に帰って、”ハウス・ミュージック”の初期衝動を取り戻し、デヴィッド入魂のDJでフランキーの60回目のバースディに皆で祝杯を上げようではないか!!!

※フランキー・ナックルズ ファンデーション
Frankie Knuckles Foundationは、NFP(Not For Profit)財団である。彼が産みだしたハウスミュージックの歴史と創作を芸術的な努力、教育、メディア、および演奏を通じ後世の世代に彼の功績を伝え続ける為、又フランキーの名誉において設立した慈善事業団体である。

2015.1.17 saturday night
LIQUIDROOM
open/start 23:30
adv(now on sale!!!)* 3,500yen / door 4,000yen
*PIA[P- code 252-456]、LAWSON[L code 76181]、e+、DISK UNION(SHIBUYA CLUB MUSIC SHOP/SHINJUKU CLUB MUSIC SHOP/SHIMOKITAZAWA CLUB MUSIC SHOP/KICHIJOJI)、Lighthouse Records、TECHNIQUE、LIQUIDROOM

※20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため、顔写真付きの公的身分証明書をご持参ください。(You must be 20 and over with photo ID.)

info LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

Melodía - ele-king

 この季節、なんだかんだと飲み続けてしまい、けっこうそれもがっつりと飲んでしまい、50歳を越えた身体にはさすがにこたえる。今日は休もう今日は休もうと思いながら……もはや自分との戦いだ。
 さて、ele-kingは、こうして2014年も人と共有したい盤を何枚も発見し、平日のほぼ毎日1枚以上のアルバムを紹介し続けてきたわけだが、今年最後のレヴューを飾るのに相応しい作品が本作である(Mr.Mitchのアルバムについて書きたい誘惑を抑えながら)。のんびりと過ごしたいときこの音楽は本当に重宝する。

 これは伊達伯欣とアルゼンチンのフェデリコ・デュランドとのコラボレーション作品で、アルバムのタイトルは、スペイン語で『旅日記』。
 クラシックギターを演奏しているというよりも、ただ弦を爪弾いているだけの音が、演奏しているというよりも、ただ鍵盤を叩いているだけのピアノ音と絶妙に重なっていく。そして、フィールド・レコーディングの音が重なる。音はとことん隙間だらけで、年の瀬を迎えるこの国の静けさと親和性が高い。
 伊達伯欣は、コーリー・フラーとのイルハでの作品畠山地平とのオピトープでの作品と、2014年の密かなる楽しみを提供……いや、それどころか、最近はele-kingの読者の健康を気遣うあまり、医学の連載コラムまではじめてくれている(本業は医者である)。
 
 繰り返そう。本作は、この季節にはぴったりの、静謐なアンビエント作品だ。
 ジャケに写っている洒落た部屋は、かつて彼らがライヴで呼ばれたベルギーの田舎のヒッピー夫婦の家だという話で、つまり、一般家庭の部屋のなかで人びとが集まって開かれたライヴ写真だそうだ。なんとも羨ましいくらいにのんびりした話だが、曲のレコーディングはツアー中のホテルの部屋であるとか、道中でおこなわれている。旅を続けているときには日々のルーティンから切り離された独特の解放感があって、信じられないほどに、すべてが愛おしく思えるものだ。電車に乗っているだけでもウキウキするし、歩いているだけでも幸せな気持ちになる。
 本作において伊達伯欣とフェデリコ・デュランドのアンビエントは、楽天的で、牧歌性をとことん極めている感がある。よく晴れた暖かい午後、窓を開けっ放しにしながら、うたた寝をする。浅い眠りのなか、遠くで、楽器の音が聞こえる。そんな安らぎに満ちた、とても美しいアルバムだ。
 

 リリース元である〈home normal〉は、埼玉在住の英国人が運営しているレーベル。他にもさまざまな国のクオリティの高いアンビエント作品をたくさん出しているので、レーベルのサイトをぜひチェックしてみましょう。新しい発見があるかもしれません。読者のみなさま、ライターのみなさま、ミュージシャンやレーベルやヴェニューやオーガナイザー、レコード店や書店のみなさま、チャートを送ってくれたDJのみなさま、1年間ありがとうございました。2015年もよろしくお願いします。よきお正月をお過ごし下さい。

pAradice (LifeForce/LibraryRecords) - ele-king

2014お気に入りになった良音スポット5つと2015には行きたい噂の良音スポット

DJ schedule 2014-2015

12/26 「LOVE IS THE MASSAGE大忘年会」@天狗食堂 三軒茶屋
27 「LIBRARY忘年会 CURRY DISCO」@カレー屋ミラン 東高円寺
30 「UP!」@heavy sick zero 中野
31 「year2014 countdown party feat.circle」@32016 渋谷

1/3 「New Year 3rd」@AOYAMA HACHI 青山
10 「TRANSIT」@cobra 江古田
11 「スナックニューパラダイス」@MORE 下北沢
12 「ミストサウナ」@天狗食堂
17 「tamariuzu」@SHeLTeR 八王子 w/小林 径、MOROI

mix定期的に更新中
https://m.soundcloud.com/dj-paradice

HOLY (NO MORE DREAM) - ele-king

~70's HR/HM 10選~ HEADBANGER’S伝説@IRON MAIDEN登場以前。 2014.DECEMBER.26

2015早々、激情のヘヴィメタルパーティ“NO MORE DREAM”青山蜂に再臨!今回も、K点越えMAXレベル度肝抜く仕掛けを御用意。皆様、大集合でよろしくお願いします。

NO MORE DREAM
~THE WORLD'S HEAVIEST HEAVY METAL PARTY~
@青山蜂
2015.1.12(mon)
17時~
入場料 \1500
先着20名にMIX CD by HOLYプレゼント!

DJS
HOLY
ロベルト吉野 a.k.a. DAVE’93
クボタタケシ
JAM DIABRO
山名昇
BLACK BELT JONES DC FROM METALCLUB
Dx
Wcchei

METAL DIRECTION&ARTWORK
ヴィッソン

FOOD
POOPTHEHOPE

HEADBANGER
PAUL

TEQUILA GIRL
yucco

Rocket Queen
ミサンガ

HM-T&PINS
Rhododendron

 90年代のドラムンベース・シーンが生んだスター、ゴールディー。彼のレーベル〈メタルヘッズ〉は今年で20年を迎える(1994年は、ドラムンベースが最初に爆発した年でもあった)。ワックス・ドクター、ディリンジャ、ドック・スコット、アレックス・リース、フォーテックなどなど、ハードコア〜ドラムンベース〜ダークコア/アートコア……、レイヴ・ミュージックをより音楽的に洗練させたこのレーベル(そして4ヒーローの〈リーンフォースト〉)があればこそ、今日のUKベース・ミュージックがあると言っても過言ではない。マーラ、アントールド、アコードなども〈メタルヘッズ〉からの影響を認めている。
 今週末、ゴールディーは盟友ドック・スコットと共に東京でプレイ。彼らがどのようなプレイをするのか是非体感してほしい。日本からはマコトやDX、テツジ・タナカなど、国内のドラムンベース・シーンの第一線で活躍するDJたちも出演。

DBS 18th Anniversary
"METALHEADZ HISTORY SESSIONS"

2014年12月20日
@代官山ユニット

OPEN/START 23:30
CHARGE:ADV 3,300YEN  DOOR 3,800YEN

feat.
GOLDIE x DOC SCOTT

with.
MAKOTO
TENDAI
MC CARDZ
MC LUCID

vj/laser: SO IN THE HOUSE
live painting: The Spilt Ink

SALOON:
DX x JUN
TETSUJI TANAKA x DJ MIYU
STITCH x PRETTY BWOY
DJ DON x JUNGLE ROCK
DUBTRO x HELKTRAM

info. 03.5459.8630 UNIT
www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com

<UNIT>
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
www.unit-tokyo.com

Ticket outlets:NOW ON SALE!
PIA (0570-02-9999/P-code: 246-233)、 LAWSON (L-code: 78221)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/

渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS (090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、
disk union CLUB MUSIC SHOP (5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

GOLDIE (aka RUFIGE KRU, Metalheadz, UK)
"KING OF DRUM & BASS"、ゴールディー。80年代にUK屈指のグラフィティ・アーティストとして名を馳せ、92年に4ヒーローのReinforcedからRUFIGE KRU名義でリリースを開始、ダークコアと呼ばれたハードコア・ブレイクビーツの新潮流を築く。94年にはレーベル、Metalheadzを始動。自身は95年にFFRRから1st.アルバム『TIMELESS』を発表、ドラム&ベースの金字塔となる。98年の『SATURNZ RETURN』はKRSワン、ノエル・ギャラガーらをゲストに迎え、ヒップホップ、ロックとのクロスオーヴァーを示す。その後はレーベル運営、DJ活動、俳優業に多忙を極めるが07年、RUFIGE KRU名義で『MALICE IN WONDERLAND』をMetalheadzから発表、08年に自伝的映画のサウンドトラックとなるアルバム『SINE TEMPUS』を配信で発表。09年にはRUFIGE KRU名義の『MEMOIRS OF AN AFTERLIFE』をリリース、またアートの分野でも個展を開催する等、英国が生んだ現代希有のアーティストとして精力的な活動を続けている。12年、Metalheadzの通算100リリースに渾身のシングル"Freedom"を発表。13年には新曲を含む初のコンピレーション『THE ALCHEMIST: THE BEST OF 1992-2012』をCD3枚組でリリース。そして今年7月、ロンドンの名門クラブ、Ministry of SoundからのヴィンテージMIXシリーズ『MASTERPIECE』の3枚組CDを発表している。
https://www.goldie.co.uk/
https://www.metalheadz.co.uk/
https://www.facebook.com/Goldie
https://twitter.com/MRGOLDIE

DOC SCOTT (aka NASTY HABITS, 31/Metalheadz, UK)
"King of the Rollers"と称される至高のDJ、ドック・スコットはダークコア、テックステップ、リキッドファンク等の潮流を生む革命的トラックの数々でドラム&ベース・シーンの頂点に君臨する最重要アーティストの一人である。14歳よりヒップホップDJを開始。その後、デトロイト・テクノ/シカゴ・アシッドハウスに触発され'91年から制作を始め、第1作"Surgery"がグルーヴライダーの支持で大ヒット、ハードコア・テクノ/レイヴ・シーンに頭角を現わす。華やかなレイヴ時代の終焉と暗い現代社会を反映したダークかつハードなサウンド、ダークコアを先駆けた彼は、ドック・スコット及びナスティ・ハビッツの名義で"Drumz"、"Dark Angel"、"Last Action Hero"等の傑作をReinforced、Metalheadzから送り出し、ドラム&ベースの革新に貢献する。'95年には自己のレーベル、31を設立し、"Shadow Boxing"に代表されるテックステップと呼ばれるサイバー・サウンドの急先鋒となり、オプティカル、ペンデュラムらの才能を逸早く見いだした。DJとしては伝説のMetalheadz Sunday Sessionsのレジデントをつとめ、シャープなミキシングと独自のプログラミング・スキルでクラウドを絶頂へ誘う、シーンの至宝である。実に7年ぶり、待望のDBS帰還!
https://www.facebook.com/DOCSCOTTOFFICIAL
https://twitter.com/docscott31
https://soundcloud.com/docscott31


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114