「OTO」と一致するもの

Downtown boys ダウンタウン・ボーイズ


photo by Y.Sawai

 ダウンタウン・ボーイズは、プロヴィデンス出身のバイリンガル、ポリティカル・サックス・パンク・パーティ・バンドだ。ここ2、3年の間、プロヴィデンスのバンドに関わらず、ブルックリンのローカル・バンドのように、ブルックリンで絶えずライブをやっている。サックス2人、ギター、ベース、ドラム編成で、英語、スペイン語を織り交ぜ、音楽的にはパンク、ロック、ジャズなどをミックス、最高のエネルギーを、純粋な楽しさを、ダンスフロアにぶちまける。
 DIY会場から、ラテン・レストラン、ハウス・パーティからSXSWなどのフェスにも出演。真のDIYの彼らが、スクリーミング・フィメールズと同レーベル〈Don giovanni Records〉から、デビュー・アルバム『フル・コミュニズム(完全共産主義)』をリリースした。アメリカや世界での現在の批判的瞬間、産獄複合体、人種差別、同性愛偏見、国家資本主義、ファシズムなど、自分の精神、目、心を閉ざそうとする全ての物を破壊するためのレコードである。

 5月15日、レコードリリースを記念し、ダウンタウン・ボーイズのレコ発に行った。ブシュウィックのパリセーズ(https://palisadesbk.com)というDIY会場で、数ヶ前にはダスティン・オングと嶺川貴子やパーケット・コーツなどの新鋭のインディ・バンドがプレイしている会場である。
 かれこれ10回ほど見ているダウンタウンボーイズだが、今回のショーは今まで見た中で一番人が多かった。一緒にプレイしたバンドにもよるが、パンク・キッズが多いクラウドで、目の周りを黒く塗っている女の子や、顔中にピアスをしている男の子(タンクトップ率高し)、キスしまくっている女の子たちなど、むせ返った会場の雰囲気に圧倒された。以前、ダウンタウン・ボーイズの別バンド、マルポータド・キッズを見た時と同じ雰囲気、それがさらに倍である。


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja


photo by Alyssa Tanchajja

 シンガー、ヴィクトリア・ルイズが、語り(叫び)はじめながらショーはスタート。パンクを注入したギター・ラインとコーラス、伝染性の強いサックス・ライン、ファンキーで不吉なホーン・ラインなど。ダウンタウン・ボーイズの曲は、エネルギーの塊だ。この世代が、時代に風穴を開ける力があることを証明する。彼らこそ、現在の声明である。
 ヴォーカルのヴィクトリアは、種差別やその他の差別、政治的なトピックを持ち出し、歌っているのと同じくらい喋ってる(叫んでいる)し、オーディエンスはそれに答え、前の方ではモッシュも起こり、会場全体が彼らのサポーターであるかのようだ。
 私自身は政治的な解説を加えるほどの知識を持たないが、この辺りは、アメリカのバンドを色濃く表しているように思える。レコードでこの熱気が伝わるかわからない。彼らが命を懸けているのは、そのパフォーマンスに、そして声を大にして叫びたいメッセージなのは間違いない。
 現在の音楽に対して、政治に対して、そして世の中に対する革命を主張する。いちどライヴ体験をすると、頭の中をスカッと風が吹く。彼らは何処でも100%だ。

 ダウンタウン・ボーイズのダニエルとノーランは、ホワット・チアー・ブリゲイドという19人バンドでもプレイしている。(https://www.whatcheerbrigade.com)
 彼らはビルディング16という会場を運営していたのだが、場所が取り壊されることになった。ラストショーに招待されたのだが、いつ見ても、彼らのストリート・バンドたる精神にど肝を抜かれる。
 人数が多いので(19人!)、ステージには入りきらない。フロアはもちろん、天井に通っているパイプによじ登ったり、手狭なステージから降り、マーチングをはじめ、会場の外で演奏を始めたり、お祭り騒ぎがオーディエンスを自然に巻き込むパフォーマンスになっている。

●ビルディング16でのホワット・チアー・ブリゲイドのラストショー:

●ビルディング16でのダウンタウン・ボーイズのショーが含まれたプロモ・ヴィデオ:

オフィサーが引張叩かれる度に、裸にされ、最後はバンドで歌ってる。

●Wave of History:

アメリカの小学校の社会の教科書に使われるべきだと思う。

 さらに、ヴィクトリアとジョーイは、マルポータド・キッズというラテン、エレクトロな別バンドもやっていて、6月全般はイースト・コーストからミッド・ウエストをツアーする。
https://www.facebook.com/MalportadoKids

 ダウンタウン・ボーイズと同郷プロヴィデンス出身の、ライトニング・ボルトは偶然にも、ダウンタウン・ボーイズのレコ発パーティの日に、ブルックリンの別会場のウィックでショーをやっていた。悩んで、ダウンタウン・ボーイズのショーに来たのだが、考えてみればダウンタウン・ボーイズとライトニング・ボルトには、たくさんの共通点がある。お互い自分たちの場所を持っていたし(ダウンタウン・ボーイズはビルディング16、ライトニング・ボルトはフォート・サンダー)、レコードよりライヴが一番、現場主義だし、とてつもないエネルギーを発散させるし、ビルディング16のラスト・ライブの時は、ライトニング・ボルトのメンバーも遊びにきていて、彼ら同士も交流がある。プロヴィデンスーブルックリンの関係も踏まえて、ダウンタウン・ボーイズが、彼らの直継承者であることは間違いない。

Punk

Downtown Boys
Full Communism Import

Don Giovanni Records

Amazon
Bandcamp
Don Giovanni Records

 数年前にも同じ話題で記事を書いたが、5月上旬は、文芸界のCMJと呼んでいる、ペン・ワールド・ヴォイス・フェスティヴァルがNYで開催される。5月は文芸月なのだ(https://worldvoices.pen.org/)。

 https://worldvoices.pen.org/event/2015/02/19/monkey-business-japanamerica-writers-dialogue-words-pictures

 その時期に合わせ「日本で有名なのは村上春樹だけではない」と、古典と新作の枠を越えつつ、新しい声を拾い広めていく文芸誌『モンキービジネス』も日本からNYにやって来た。
 ポール・オースター、リチャード・パワーズなどの翻訳者としても知られる柴田元幸氏が責任編集する『モンキービジネス』(英語版と日本語版あり)は、今年英語版の第5版目を刊行した。それにともない4月末〜5月上旬にかけ、ミッドウエストからNYで講演ツアーを行ったのだ。1年に1回、今回で5回目である。

 NYは、ブック・コート、アジア・ソサエティー、マクナリー・ジョンソン、ジャパン・ソサエティーの計4回の講演が行われたが、どの日も少しずつ参加する作家が違い、本格的な講演会だったり、カジュアルな本屋だったりで、『モンキービジネス』や作家をいろんな角度から知ることができる。毎回緊張感がありながら、先生たちのユーモアも交わう知的な講演会だった。

 ペン・フェスティバルのプログラムの一環としての、5/4のアジアン・ソサエティーでの公演。
https://asiasociety.org/new-york/events/monkey-business-japanamerica-writers-dialogue-words-and-pictures

 ノリータの本屋さん、マクナリー・ジョンソンでのカジュアル公演。
https://mcnallyjackson.com/event/evening-monkey-business-kelly-link-ben-katchor-and-others-8pm

 上2講演に関してのレポートである。編集長の柴田元幸氏とテッド・グーセン、編集のローランド・ケルツに加え、漫画家のベン・カッチャー、作家のケリー・リンク、絵本作家、イラストレーターのきたむらさとし氏、小説家、翻訳家の松田青子氏が参加。日本、アメリカ、ロンドン(きたむら氏は30年間ロンドン在住、現東京在)を背景とする文化的、文学的な会話を通し、それぞれの作品をリーディング(日本語、英語)、漫画、紙芝居などで紹介した。


柴田元幸氏とテッド・グーセン


テッド・グーセンと松田青子氏

ベン・カッチャー

 ベン・カッチャーの漫画は、今はなき『ニューヨーク・プレス』という新聞で、きたむらさとし氏の作品は子供の時読んだ絵本で、よく見かけていたので、今回作家本人に会えるのはかなりの特別感があった。

 リーディングだけでなく、グラフィックを重視した、漫画、紙芝居は、耳からだけでなく、目でも訴えかけることができる。講演をよりバラエティーに富んだ物にしていた。アメリカ人にも日本人にも、手作りの紙芝居は珍しく(カーテンが手動で開くようになっている!)、3作品の発表が終わった後の温かい拍手から、今は亡き物を讃えるのは、文学も音楽も同じと納得した。
 紙芝居の内容は、氏のロンドン背景もあり、イギリスの絵本を紙芝居に仕立てた感じ。主人公が暇なライオンの床屋で、人気のライオン・ロックンローラーが散髪に来て、友だちの象のイラストレーターと、ああでもないこうでもないとロックンローラーの髪型のネタを練る。コンサートでその髪型を見たファンたちが、暇だった床屋に殺到する、という内容だ。
 きたむら氏の淡々とした声と、そして癖あるキャラクターがリズミカルに動き、社会を程好く風刺している所が大人のための紙芝居と言っても良さそうだった。


きたむらさとし氏

 ちなみに『モンキー・ビジネス』の霊感の源は、チャック・ベリー不朽の名作「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」。
 「誰もが知る日々生きることのかったるさをあれほどストレートに歌って、それであれほどユーモラスかつ解放的になっている芸術作品を僕は他に知らない。あの名作の解放性を我々もめざすのである、なんて大きなことはとうてい言えないが、いちおうあのスピリットをはるか向こうに見えてきている導きの星だということにしておこう」
 という柴田先生の姿勢は、この最新号にも十分に表れている。

 この英語版も翻訳者のおかげか、英語が苦手な人にも読みやすいし、アメリカ人の友だちにも「いまいちばん面白い文芸誌」だと薦めやすい。私はすでに、自分が死んだ後幽霊になり、自分の夫の行方を観察する、川上未映子の「the thirteenth month」(十三月怪談)に夢中だ。読み進めていけば、もっとお気に入りが増えるだろう。
 音楽が聴こえる文芸誌から、新しい出会いがあった。

 全ての講演の情報は以下の通りです。
https://monkeybusinessmag.tumblr.com/post/116878099492/monkey-business-issue-5-midwest-and-new-york

https://mobile.twitter.com/monkeybizjapan

Alva Noto - ele-king

 過去は同時に未来だ。いまや私たちの時間はリニアには進んでいない。過去と呼べるものは、常に未知のフォームとして再生成し、未来に置かれるからだ。それはリングのように円環している時間構造といえよう。クリストファー・ノーランの映画『インターステラー』のように、過去と未来という時間の概念が紙の両面のように存在する感覚は、21世紀=インターネット的に階層化したデータ閲覧社会を生きる私たちにとっては実感できる感覚のはずだ。新/旧という概念がフォルダの中に並列に置かれ、無制限にコピーされていく。コピーの余剰に生まれるノイズ。そして、その果てにある新しいロマン主義の誕生……?

 カールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトが2007年から進める「ゼロックス(Xerrox)」シリーズは、現代社会を覆うコピー=オリジナルという問題をテーマとしたアンビエント作品だった。同シリーズは2007年に「Vol.1」、2009年に「Vol.2」がリリースされており、今回、6年ぶりにリリースされる本作「Vol.3」によってシリーズは、さらに大きな円環を描く。
 「Vol.1」が「旧世界へ」、「Vol.2」が「新世界へ」がテーマだった。そして、本作「Vol.3」のテーマは「宇宙にむかって」。宇宙という円環する時間領域にむけて、まるで反射する光のように美しい音響/音楽で結晶させていくのだ。このアルバムはまずもって徹底的に美しい。

 先に書いたように、「ゼロックス」シリーズは、オリジナルとコピーという現代的な諸問題をテーマとしつつも、音楽的にはカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトによるアンビエント作品となっている。2000年代後半以降のカールステン・ニコライ=アルヴァ・ノトは、大きく分ければ、「ユニ(Uni)」シリーズがビート作品、「ゼロックス」シリーズがアンビエント作品と2系列に分かれている。その2つのシリーズによって、90年代からのデザイン的/建築的/科学的な音響構築から一歩も二歩も前進し、「音楽」というもののフォームを、ビート(リズム)とアンビエント(ドローン)の両極から刷新させてきた。

 ビート・トラックである「ユニ」シリーズが、バイトーンとのダイアモンド・ヴァージョンへと発展し、ポップ/アートの様相を極めていくことに対し、「ゼロックス」シリーズは、まるでカールステン・ニコライの個人史へと遡行するように、より内面的な作品となっている。
 この「Vol.3」は、「宇宙にむかって」というテーマからもわかるように本作がSF映画的だが、『2001年宇宙の旅』にせよ、『惑星ソラリス』にせよ、『コンタクト』にせよ、『インターステラー』にせよ、「宇宙の果て」で人は自分自身の投影するもの(コピー?)と出会い、そのことによって自らの内面性が乱反射し、自己の再認識(=再統合?)が行われる構成であった。
 いわば世界の果ての自己との邂逅。本作もまた、宇宙的な音響と旋律の中に、カールステン・ニコライの幼少期の記憶が圧縮され解凍されていく。

 事実、本作はカールステン・ニコライが幼少期・少年期に観たであろう『惑星ソラリス』などのSF映画にインスパイアされているという。アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』は1972年のフィルムなので、1965年生まれのカールステン・ニコライ、6歳か7歳のときの作品ということになる。もっとも東ドイツで生まれた彼が「ソラリス」を観たのはもう少し後かも知れないが、いずれにせよ、彼の幼少期である70年代の記憶や気分とこの映画がつながっているのはわかる気がする。
 そう、この『ゼロックスVOL.3』には、幼少期や当時に観たSF映画への追想などによって、彼の「70年代の記憶」が折り畳まれているのかもしれない。現代社会におけるコピーとオリジナルの問題をアンビエント/グリッチノイズ作品として昇華した「ゼロックス」シリーズが、「Vol.3」において、このようなパーソナルな領域に行き着いたことは非常に興味深い。

 カールステン・ニコライの幼年期の記憶。それは「東ドイツの幼年時代」とでもすべきものか。さながらヴァルター・ベンヤミン的でもあるが、それと呼応するかのように、この作品はカールステン・ニコライの旅行=トランジットのさなかで(空港で、飛行機で、車中で)制作されたという(マスタリングなどの仕上げは2014年にスタジオで行われている)。つまり、本作には旅の記憶と幼少期の記憶が交錯している(つまり、この『ゼロックスVol.3』は東ドイツ出身のアーティストのエッセィ的なアルバムとはいえないか)。
 また、「70年代とドイツ」とすると、70年代のクラフトワークや初期タンジェリン・ドリームなどジャーマンロックとの関連性も無視できない。本作の重く暗い旋律とアンビエントなサウンドにはそれらからの(無意識の?)影響を強く感じる(同時に硬いノイズの響きが現代へと直結している)。
 さらに「ゼロックス」シリーズには、アルヴァ・ノトの作品にあって旋律的な要素が表面化しているのだが、本作は、旋律は、はっきりと「作曲」という次元にまで高められている。このメロディはまたドイツ的なのだ(10曲め“Spiegel”のピアノは誰の演奏か。クレジットはない。坂本龍一のようにも聴こえるが……)。

 幼少期。映画。音楽。ドイツ。旅。それら記憶のフラグメンツが交錯するときに生まれるロマンティックな電子音響。それが本作だ。私は、このようなアルバムをカールステン・ニコライが作ったことに「成熟」を聴きとりもするが、同時にある種のロマン主義の萌芽を感じもする。そして、このパーソナルな個人史や内面への遡行は、2015年現在の電子音響の状況を考える上でとても重要なことではないかと思う。
そう、私たちはインターネット社会以降の新しい「ロマン主義」を生きている。コピーとノイズが溢れかえり、それらがすべて可視化されてしまう社会。その「悪い場所」において、より個人の内面性や実存性を重視すること。そのロマンティックな記憶の結晶が、新しい「美学」とでもなるかのように(だが、それは外部への連携として表出してはならず、あくまで個人の中に煌めきとして輝くべきものとも思える。それが作品化されるからこそ美しい)。

本作に煌めいているパーソナルで美しい響きは、そんな現代社会からの美しい乱反射のようにも思えてくる。2015年の最重要電子音響作品だ。

interview with Tyondai Braxton - ele-king

 さきほど深夜の原稿書きの息抜きにたまには豪勢にセブンイレブンのすばらしい100円のコーヒーでも飲んでこましたろかと外に出たらビジネスパーソンふうの男性(草食系)とおそろしくコンサバないでたちの女性が暗がりでいちゃついていてギョッとしたのである。公然とベタベタするカップルはなぜ割れナベに綴じブタのような方々ばかりなのか、あるいは私が数年来目撃してきたのはことごとくこのふたりなのか、ぞんじあげないが、ある種の協和の関係が再帰する構造はミニマリズムを想起させなくもない。俗流のそれである。ミニマル・ミュージックおよびそれをうちにふくむ現代音楽なることばがひとに難解なイメージをもたらすのは、彼らはその背後にスコアをみてとり、スコアは音楽に構成や構造や概念のあることをほのめかすからだが、いかに明確な指示や意図であってもひとが介在するかぎり、もっといえばそれが時間軸に沿った音による表現形態、つまり音楽であるかぎり、厳密な再現をもたないのはミニマル・ミュージックの第一世代はすでに喝破していた。むしろズレを包括したものとしてミニマル・ミュージックは後世に影響をあたえ、おそらくそれはミュジーク・コンクレートもおなじだろう。このふたつのクラシカルな形式の影がロックやクラブ・ミュージックのもはや短いとはいえない歴史に何度もあらわれるのはこのことと無縁ではない。そしてタイヨンダイ・ブラクストンほど、シリアス・ミュージック――と呼ぶのがふさわしいかどうはさておき──とポピュラー・ミュージックの先端に位置し、そのふたつの突端を見事に結わえたミュージシャンはまたといない。


Tyondai Braxton
Hive1

Nonesuch / ビート

ElectronicAvant-GardeJazz

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 いまさらタイヨンダイについてバトルズからときおこす必要はないだろうけれども、2000年代のオルタナティヴ・ミュージックを体現したこのバンドのフロントマンだった彼はバンド在籍時の2009年に実質ファーストにあたる2作めのソロ『セントラル・マーケット』を出し、翌年バンドを脱退した。『セントラル~』で彼はストラヴィンスキーのバレエ音楽に範をとり、バトルズのあの色彩感覚はおもに彼のカラーだったのだとあらためて納得させた先鋭性とポップさを同居させる離れ業をやってのけたのだがそれからしばらく音沙汰はなかった。『ハイヴ1』は6年ぶりのアルバムで、タイヨンダイは今度はリズムに主眼を置いている。打楽器からヴォイス・パーカッション、グリッチ・ノイズまで、リズムを構成するすべての音の音価と音色について。『ハイヴ1』ではそれらが交錯し干渉し逆行し、忘れてはならないことだが、ユーモラスでダンサブルでもある。お定まりの割れナベに綴じブタの関係ではないのである。

 質問の冒頭でザッパのことを訊ねているのは、『ハイヴ1』はヴァレーズを参照したと聞いたからで、ストラヴィンスキー~ヴァレーズはともにザッパが影響を受けた作曲家ということです。訊きたいことはもっといっぱいあったのだけど、時間もかぎられていたので仕方がない。彼は人気者なのだ。

■タイヨンダイ・ブラクストン / Tyondai Braxton
ポストロック/ポスト・ハードコアの重要プレイヤーが集結するスーパー・バンド、バトルスの元メンバーとしても知られるニューヨークの実験音楽家。バトルス時代の『ミラード(Mirrored)』(2007)のほか、ソロ・アーティストとしては2009年に〈ワープ(Warp)〉からリリースされた『セントラル・マーケット(Central Market)』がヒット。現代音楽の巨匠、フィリップ・グラスとのコラボーレション・ライヴなどを経て、本年、6年ぶりとなるソロ・アルバム『ハイヴ(Hive1)』を発表する。

僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。

前作『セントラル・マーケット』がストラヴィンスキー、『ハイヴ1』ではヴァレーズの“イオニザシオン”を参照されたということですが、この影響関係はフランク・ザッパとまったくいっしょです。彼のことは(直接本作とは関係ないにしても)意識しますか?

タイヨンダイ:僕とフランク・ザッパの関係は不思議だ。彼のことはすごく尊敬している。彼の活動すべてを好きでなくても、アーティストとして尊敬することはできる。フランク・ザッパの音楽も一部は良いものだと思う。なかには、僕の好みでない音楽もある。僕とフランク・ザッパの関係性は複雑なんだ。僕は大学時代、ザッパについての授業を受けるはめになった。それまでザッパの音楽には興味をもたなかったし、彼のユーモアのセンスも理解できなかったから、はじめは授業を受けたくなかった。でも、授業を受けて、彼がどんな人物かを学んでから、彼に対する新たな尊敬の意が生まれた。だから、彼の音楽は共感できないものがほとんどだけれど、彼のことはとても尊敬している。彼がいままでやってきたことに、驚かされたものがいくつかある。

“イオニザシオン”は西洋音楽初のパーカッション・アンサンブルための楽曲だといわれます。『ハイヴ1』には、人間による打楽器演奏、リズム・マシーン、グリッチノイズなど、現在の音楽を構成する無数の打楽器音を総動員してつくった趣があります。このような作品を着想するにいたったきかっけを教えてください。

タイヨンダイ:きっかけはいくつかある。まず、打楽器に関して僕が興味を感じはじめたのは、打楽器をリズム楽器として演奏するのではなく、テクスチャーを生み出すものとして扱うということ。メロディとしては、扱えないかもしれないが、少なくともテクスチャーとして扱う。このアイデアは刺激的だと思った。僕はいまでもドラムがリズムを演奏するようなリズミカルな音楽も好きだ。だが、楽器にひとつの役割しか与えられていないという制限が好きではない。この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。それが第一のきっかけ。そこに、ヴァレーズやクセナキスなどの初期の打楽器音楽の影響が加わって今回のアルバムにとりかかった。

打楽器の演奏者と具体音、合成音でアンサンブルを組むにあたり、どのような手法、コンダクションをとったのでしょう?

タイヨンダイ:レコーディングしたときは、僕の意図など具体的な指示を演奏者に出すことができた。ライヴ演奏をするときは、演奏者はヘッドホンから鳴るキューを頼りにしているから、コンダクションは音声のキューがメインで、僕が実際にコンダクションをとっているというわけではないんだ。テクニック(手法)に関しては、先ほど話したように、リズミカルなパーツとテクスチャルなパーツをシームレスに行き交うというアイデアを追求した。テクニックとして、特定のパーツの焦点は何かということを理解することが求められた。あるパーツがテクスチャーを生み出しているとしたら、そのパーツのリズム要素にはあまり焦点を当てない……いや、そういうわけでもないか。テクスチャーを生み出しているからといって、テンポに合う演奏ができないともいいきれない。音楽がすべて楽譜で書かれているかぎり、テンポ通りに進むということだから。簡潔に答えるとすれば、アルバム制作で手法としたのは、リズミカルな要素に加えてテクスチャーとなる要素も意識するということ。

この機会を利用して、僕にとっての打楽器音楽がどのようなものかという探求をしたいと思った。リズミカルなサウンドとテクスチャルなサウンドが行き交うものにしたかった。

「ハイヴ」はもともとグッゲンハイム美術館でインスタレーションも含めたかたちで上演された、つまりサイトスペシフィックな作品だったわけですが、そういった作品を音楽作品におとしこむのはそもそもあったはずのある側面を捨象することになるのではないでしょうか? あるいは『ハイヴ 1』はそのヴァリエイションであり、その意味で問題なかったということですか?

タイヨンダイ:問題ないというわけではない。それが次なるいちばんの課題だった。「ハイヴ」は、インスタレーションとしてはじまったプロジェクトなのだけど、今回のアルバムが、ヴィジュアル要素や演奏される場所に依存することなく、ひとつの作品として機能することが重要だった。複数の次元で機能する作品でなければならなかった。僕がソロ・アーティストとして、この音楽を別のヴァージョンで披露した場合にも同じことがいえる。僕の演奏する音楽が、アルバムの様式を超越したもので、かつ、興味深いものでなければならない。また、それをやる理由も存在しなければならない。僕がソロの演奏をするとなった場合、バンドといっしょに演奏したものをどうやってソロでやるんだ? と疑問に思うだろう。その答えになるのが、アルバムの音楽で、僕が一人でやれることで、他の演奏者がいたらできないようなことを思いつくということなんだ。僕が今回、アルバムの音楽をつくる上では、そのような使命が課されていた。複数の次元で使える音楽で、様々な状況下で使える音楽をつくるということだね。


グッゲンハイム美術館にて

ミュジーク・コンクレートには現実音を抽象的にあつかう、または現実音を現実音そのものとしてあつかう、というふたつの考え方があると思います。あなたはどちらですか? またその理由について教えてください。

タイヨンダイ:アルバムを聴くと、その考え方の両方を行き来している感じがあると思う。限定された、定義しやすい要素を使うのは大切だが、その一方で、僕はその考え方を分解することも大好きだ。僕は、ふたつの考えのうち、どちらかを選択するというよりも、両方を取り入れられるという方法に刺激を感じる。たとえば、最初から抽象的なものから入るのではなく、あるアイデアを呈示してから、それを抽象化させる、など。もしくは、抽象的なアイデアから入り、それが徐々に明確なものに変化していき、題材のソースが明確になったり、題材自体が何であるかが明確になったりする、など。そういうバランスの取れた感覚が好きだね。

ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。

『ハイヴ1』ではあなたのひとつの魅力である「声=ヴォイス」も全体を構成するいち要素としてあつかわれています。あなたはヴォイス・パーカッションも演奏されますが、その経験が『ハイヴ1』には影響していますか?

タイヨンダイ:もちろん。アルバム5曲めの“Amlochley”では、ビートの構成はすべてビートボクシングでできている。僕がビートボックスをしてつくったんだ。その他のサンプルにも、僕の声ではないが、他のひとの声を使っている。今回のアルバムでは、機能する領域が限られていたけれど、自分の声を使うという実験はとても重要だった。だが、自分の声をあまり使わないようにする、というのも強く意識した点だ。僕はバトルズというバンドでは歌っていたから、僕と声を連想するひとも多いと思う。そのイメージから離れて、他の試みをするというのは僕にとって重要なことだった。声という要素にちがったアプローチで取り組み、ミニマルな方法で扱いたいと思っている。

声といえば、ロバート・アシュリーのような音楽家の作品はどう思いますか?

タイヨンダイ:ロバート・アシュリーは大好きだよ。彼の作品の演奏を観られたことを光栄に思っている。近日、僕がまだ見たことがないオペラがニューヨークで上演される。彼が亡くなったことを知ってとても悲しかった。だが今後も、彼の音楽の数々を追求していきたいと思っている。

OPNやメデリン・マーキー(madalyn merkey)、D/P/Iなどの最近の作品を聴きましたか? 聴いたとしたらどう思われましたか?

タイヨンダイ:最後のふたりはよく知らないけれど、OPNの作品はすごく好きだ。彼は、すばらしいプロデューサーで作曲家だと思う。彼の活躍は、いつも僕をワクワクさせてくれる。

たとえばテクノにおけるミニマルと、クラシカルなミニマル・ミュージックのどちらに親近感をおぼえますか?

タイヨンダイ:両方だね。ミニマリズムという美意識は、テクノとクラシカルだけに存在するものではない。僕は、構成に対するミニマリストなアプローチに親近感をおぼえる。それがオーケストラ音楽であっても、エレクトロニック音楽であっても。各様式において、ミニマリズムという概念の解釈が独自の方法でなされていると思う。だから、こちらの方がもうひとつの方より興味深い、というわけではなくて、どちらもすばらしい音楽を生み出していると思う。

また、あなたはフィリップ・グラスの楽曲をリミックスした経験がありますが、ミニマル・ミュージックといえばグラスですか?

タイヨンダイ:もちろん、フィリップ・グラスは好きな作曲家の一人だ。すばらしい音楽家だと思う。スティーヴ・ライヒやジョン・アダムスといった、アメリカのミニマル・ミュージシャンが好みだ。彼らの音楽は大好き。とくにジョン・アダムスの音楽。みんな偉大な音楽家たちだ。

あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。

以前ジム・オルークは「フィリップ・グラスを大音量で聴いて、これはファッキン・ロックンロールよ、と思った」といっていました。そして私は『ハイヴ1』も大音量で聴いてぶっ飛びました。この意見についてどう思いますか?

タイヨンダイ:その言葉はすごくうれしいね。僕の音楽で誰かがぶっ飛んだと聞けばうれしいにきまってる。あまり情報量のない音楽でも、ある一定の音量で聴くと、非常に強いインパクトがある、というのはおもしろいことだよね。注目を必要とする要素自体が少ないから、特徴がさらにはっきりとする。多くの人は、ミニマル音楽をそういうふうに聴こうと思わない。ミニマルとは、小さいと思われがちで、音量も小さくしなければいけないと思ってしまうからだ。だが本当は、ミニマル音楽は、大音量で聴いた方がインパクトが大きい。僕は元から音楽を大音量で聴くのが好きなんだけど、ミニマル・ミュージック全般を大音量で聴くと、すごくパワフルな体験ができると思っている。そういうふうにアルバムを聴いて、リスナーのみんなもアルバムを気に入ってくれるといいな。

「ハイヴ」アンサンブルでの来日公演の可能性はありますか?

タイヨンダイ:そういう機会があったらぜひやりたい。今回予定されている来日は、僕ひとりだけれど、「ハイヴ」を日本に連れてきて、アンサンブルをやる機会があればぜひやってみたいね。

では、ソロの予定はあるということですか?

タイヨンダイ:ああ。7月1日と2日。大阪と東京で公演がある。「ハイヴ」のソロ・ヴァージョンを披露するよ。

interview with Henrik Schwarz - ele-king

 ベルリンのハウス/テクノDJ、ヘンリク・シュワルツはそんなに多くのトラックを量産するタイプではないが、これまでにリリースした曲はどれもユニークで、印象に残るものばかりだ。

 最近では2011年に傑作アルバム『デュオ(DUO)』として結実した、ノルウェーの先進的ジャズ・ピアニスト、ブッゲ・ベッセルトフト(Bugge Wesseltoft)との共演、さらにその続編でベースのダン・バーグランド(Dan Berglund)を加えトリオ編成になった2014年の『トライアローグ(Trialogue)』を鮮明に記憶しているひとも多いだろう。それ以外にも、プリペアド・ピアノで有名なニック・バーチ(Nick Bartsch、スイス)やハウシュカ(Hauschka、ドイツ)とも共演。自分はMacやiPadでプログラミング/制御したヤマハの自動演奏ピアノを操り、それら鬼才との異世界インプロを成功させている。


Henrik Schwarz
Instruments

Sony Classical

TechnoHouseClassic

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 2013年11月、翌年に東京での開催を控えた〈レッドブル・ミュージック・アカデミー〉の前哨戦として〈ウイークエンダー(Weekender)〉なるイヴェントが行われ、そのオープニングとして企画されたのが築地本願寺におけるスペシャル企画、ヘンリク・シュワルツ・インストゥルメンツ(Henrik Schwarz Instruments)のコンサートだった。ヘンリクの楽曲をオーケストラ向けにアレンジしてクラシックのコンサートのように演奏するというプロジェクトの最終形態とも言えるもの。指揮の秋山愛美以下、日本のクラシック界の将来を担う若手演奏家27人が集まってTokyo Secret Orchestraと名づけられた一夜限りの編成。これまで組んだオーケストラよりも格段に若く意欲的であったこの楽団は、リハーサルからヘンリクの心を鷲掴みにしたようで、ライヴ録音されたその日の演奏は、ヘンリク自身によりエディットやミックスを施され、アルバムとしてリリースされることになったのだ。


ロイヤル・コンセルトヘボウにて、ネーデルラント室内管弦楽団と

■ヘンリク・シュワルツ / Henrik Schwarz
72年生まれ。ベルリンを拠点とするベテランDJ、プロデューサー。DJとしてキャリアをスタートさせ、後に作曲も開始、2002年に〈Moodmusic〉より『Supravision EP 』をリリースした。以降精力的に作品を発表しつづけ、2005年には『Leave My Head Alone Brain』 がヒット。現在もさまざまなアーティストとともに型にはまらない幅広い活動をつづけている。

ただテクノやハウスのトラックを模倣するんじゃなくて、もっと抽象的で、新しいアコースティック楽器のための音楽を作りたいんだとわかってきた。

あなたのDJミックス以外の初めてのアルバムがオーケストラとの共演で、クラシック専門レーベルから出るということに驚いたファンも多いのでは?

ヘンリク:僕自身もすごく驚いてるよ(笑)。そもそも、このプロジェクトがスタートしたきっかけは、4年前に〈Jazzopen〉というシュトゥットガルトのフェスに参加するオーケストラから、1時間の共演を依頼されたことなんだ。彼らはオーケストラの演奏にビートを加えるっていう形を提案してきたんだけど、それはつまらないしあんまり趣味がよくないと思って、かわりに自分がエレクトロニック・ミュージックの視点でオーケストラのために曲を提供できたら、そのほうがおもしろいことができるんじゃないかと話した。いつも自分は音楽で異なる世界の架け橋になりたいと思っているし、テクノとクラシックは遠く隔たりがあるけど、そこに挑戦するのは興味深いプロジェクトになると考えたのさ。

過去にクラシックの楽器を演奏していたことがあるんでしょうか。

ヘンリク:いや、正直言うと楽譜を読んだり書いたりもできないし、生楽器のこともあまりよく知らなかったんだ。だからオーケストラ側に、曲を譜面に起こすのを手伝ってくれるひとが誰かいないかと頼んだ。このアイデアを実現するには絶対必要な要素だからね。そうしたら、若いアーティスト、ヨハネス・ブレヒトを紹介してくれて、彼といっしょに作業することになった。彼はもともとクラシック畑の人間だったけど、ダンス・ミュージックに興味があったし、僕はクラシックを吸収したいと思っていたから互いの方向に進んだ感じだったんだ。僕らはとても気があって、プロジェクトは最初からうまくいく予感がした。最初は僕がサンプリングした楽器音を構成して、こういうことがやりたいんだって説明したよ。それから、リハーサルに入ったときに、あまりにいろんなことが起こりすぎて僕がちょっと制御できなくなったんだけど、最初の曲“ウォーク・ミュージック(Walk Music)”が流れはじめた途端に、『あ、これはすごくおもしろいし、うまく行きそうだ』という予感がして、すぐに継続していくことを決めたんだ。

けっこうな冒険ですね。もともとクラシックがすごく好きだったとか、そういう背景があるのかと思ってました。

ヘンリク:以前から興味はあったけど、深く入り込むことができなかったね。壁がある感じもあるし、あまりに膨大でどこから手をつけていいのかわからなかった。それで、このプロジェクトがはじまったころに知りあった、知識も経験も豊富なひとたちにガイドをお願いして、この4年間はたくさんクラシックを聴きまくったよ。

好きな作曲家を挙げてもらえますか?

ヘンリク:まず、モーリス・ラヴェルの大ファンだね。ただ、誰もが知ってる『ボレロ』じゃなくて、ピアノの曲の方が好きなんだ。もちろん、『ボレロ』の革命的なアイデアはすごいと思うし、なぜこれだけ皆に愛されるのかもわかるけど、僕はピアノの奏でる美しいハーモニーに惹かれる。それから、イーゴリ・ストラヴィンスキーも素晴らしいね。彼の『火の鳥』や『春の祭典』も革新的な楽曲だったと思うけど、バレエの音楽でダンス・ミュージックと強いつながりのある作曲家だよね。僕もずっとダンス・ミュージックをやってきたわけで、やはりそこは入りやすかったし、とても共感できたね。

写真をみるとヨハネスはすごく若いアーティストのようですが、あなたにとってよきパートナーであり、先生にもなったということですね。

ヘンリク:ダンス・ミュージックに興味を持っていたというだけじゃなくて、作曲編曲や楽器のこともよく知っている上、すべての作業をコンピューター上でやれたことも大きかったんだ。まずコンピューター内でシミュレーションができたし、すぐに音を聴いて確認できるのも重要だった。いつも僕がやってる手法だからいっしょにやることができたんだ。このパートはこの楽器でやったら合うんじゃないかっていうアイデアがあったら、それをすぐに試せるってことだからね。

過去にもDJやダンス・ミュージックのプロデューサーがオーケストラとの共演を試みたことがありました。たとえばジェフ・ミルズ(Jeff Mills)の『ブルー・ポテンシャル(Blue Potential)』プロジェクトとか。そういったものは、プロジェクトの方向性を決める上で参考にしましたか?

ヘンリク:もちろん。ジェフのプロジェクトはすごいと思ったし、実際あれがあったから僕も自分なりのアイデアでオーケストラと共演できるかもしれないと考えたんだ。ただ、ジェフが試みたことと同じことをやってもしょうがないし、もう一歩エレクトロニックな原曲からは離れた形でやってみようと決めた。僕の知るかぎり、過去の例ではほとんどの場合、オーケストラがエレクトロニック・ミュージックを模倣しよう、シンセみたいな音を出そうとしてるように感じたんだ。キーもテンポも原曲と同じで、キックが入ってくるケースも多い。僕はそういうものにあまり興味を感じなかった。最初のころは、単なる直感だったんだけど、進めていくうちに、ただテクノやハウスのトラックを模倣するんじゃなくて、もちろん最初のインスピレーションはそこから得るけれど、もっと抽象的で、新しいアコースティック楽器のための音楽を作りたいんだとわかってきた。

コンピューターに働いてもらって音楽を作るのは楽だよ。でも、オーケストラと仕事をするならメンバーと戦っていかなきゃならない。それは無益な戦いじゃなくて、みんな最終的にはいいコンサートをするために、美しい音楽を演奏するために主張して、戦うんだ。

なるほど。この東京での公演以前にも、ドイツなどで別のオーケストラとこのプロジェクトをやっていますが、何度か実験を繰り返してやっと満足のいくものができたという感じなんでしょうか。

ヘンリク:そうだね、ベルリン、スイスのチューリッヒ、オランダのアムステルダムでやった。じつは録音自体も3回トライしているし、まったく平坦な道のりではなかったよ。最初は、無謀にも全部自分でやろうとしたんだ。ベルリンの教会を借りて、ミュージシャンをそこに集めて録音した。でも、これは望んだようなクオリティには達してないと感じてね。後になって振り返るとヨハネスと僕とで、オーケストラを、あれだけの数の生楽器をきちんと録音するなんて絶対無理だった(笑)。その後アムステルダムと東京でも録音したけど、東京がベストだった。リハーサルで最初の一音を出したときから、Tokyo Secret Orchestraは素晴らしかった。情熱を感じられたし、雰囲気もヨーロッパのオーケストラと比べたらぜんぜんオープンだったしね。すごく感心したよ。


東京でのリハーサルの模様、Tokyo Secret Orchestraと

それに、あんな歴史のあるお寺の本堂でやるというのもすごく良かった。ルーム・アンビエンスも生楽器のユニークな響きにつながっていたましたね。築地本願寺でやろうというのは、レッドブル側のアイデアだったんですか?

ヘンリク:そうなんだ。オーケストラのメンバーのチョイスも手伝ってくれたし、今回のプロジェクトはレッドブルなしでは実現しなかったね。僕はあのお寺のことも知らなくて、最初に連れて行かれたときには本当にぶっ飛んだよ。いまでもあんな場所でコンサートができたことが信じられないし、一生忘れられない経験になった。

4年もこのプロジェクトをやってきて、なにか興味深い逸話、経験がありましたか。

ヘンリク:そもそもヨーロッパではクラシックの世界とDJが交わることもあまりないし、オーケストラの人たちに会うと、まず自己紹介からして大変なんだ。誰も僕のことなんて知らないし、まず“君は誰?”ってところからはじまり、“こちらはテクノのプロデューサーで……”なんて誰かに紹介されても“は? なんだって?”っていう反応だしね(笑)。それに、4年間これをやっているうちに楽しめるようになってきたけど、30人それぞれ別個の考え方や態度、個性を持ったミュージシャンが集まるわけだから、それをまとめるのはとてつもなく大変なんだ。そもそも演奏したくないって人、指揮者が気にくわないって人、曲が嫌いだって人、逆に曲が大好きだって人、木管がダメだって言う弦の人……もうとにかくいろんなドラマが楽団の中に渦巻いてて、こんなもの制御できるわけないよ! って思ったこともある。でも、そういう数々のドラマがすべて音楽に注ぎ込まれる瞬間があって、その美しさたるや素晴らしいものさ。コンピューターに働いてもらって音楽を作るのは楽だよ。文句を言ったりしないしね。でも、オーケストラと仕事をするなら、メンバーと戦っていかなきゃならない。それは無益な戦いじゃなくて、みんな最終的にはいいコンサートをするために、美しい音楽を演奏するために主張して、戦うんだ。

世界を駆けまわる人気DJになると、毎週末パーティ漬けの日々になり、なかなかスタジオに腰を据えてじっくり曲を作るなんてことをしなくなってしまうひとがほとんどです。一方あなたは、こんな大変そうなプロジェクトをいくつも抱えて、新しいことに挑戦している。どうやってそんなことを実現させているんでしょう。

ヘンリク:いい質問だな! ここ2年ほどは本当によくそのことを考えてきたよ。なにしろ、このアルバムのためにすごく長い時間を費やしてきたからね。DJのために旅に出て、帰ってきてまた即スタジオに入っていうのは難しい。心とスケジュールに余裕がないとダメだし、キツキツでやっていたらトゥーマッチな状態になってしまう。バランスが重要なんだ。それで制作にかける時間をもっと長く取ることにした。ただ毎日旅してパーティしてそれを続けるだけの、新譜さえチェックしてればいいというDJだったら、もうずっとそればっかりでもいいんだろうけど、プロデューサーとして創造を続けようと思ったら、それじゃダメなんだ。頭にもスケジュールにも“空き”がなくちゃいいものなんてできないし、自分が壊れてしまう。だから、僕が学んだことは、どんなに最高に思えるようなオファーでも断る勇気を持つこと、足るを知るということだよ!

JAGATARA - ele-king

 じゃがたらの名曲の数々が、バンドのメンバーだった南流石、EBBY、エマーソン北村らによって演奏される。こだま和文も出演する──となればもう行くしかないですね。
 じゃがたら──永遠に語り継がれるバンド、永遠に演奏される音楽。新世界のホームページに今回のライヴに関する興味深いインタヴューが掲載されているので、どうぞご覧下さい。こだま和文さんのインタヴューには少なからず驚きました。今回は、こだまさんにとって手術後初のステージになるそうです。

※南流石、エマーソン北村・インタヴュー
https://shinsekai9.jp/yorimichi/archives/324
※こだま和文・インタヴュー
https://shinsekai9.jp/yorimichi/archives/332

 昨年は、ele-king booksはOTOさんの『つながった世界──僕のじゃがたら物語』を刊行しました。やはり、いまこんな時代だからこそますます「じゃがたら」っていうのもあると思います。西麻布「新世界」での2days、楽しみです!

じゃがたら新世界2015~Reborn of a ravel song.~

2015年5月22日(金)/5月23日(土)

会場:西麻布「新世界」https://shinsekai9.jp/2015/05/22/jagatarashinsekai1/

出演:南流石(ヴォーカル、ダンス)× EBBY(ヴォーカル、ギター)×エマーソン北村(キーボード)× 西内徹(サックス、フルート)× 服部将典(ベース)× スティーブ エトウ(パーカッション)× 関根真理(パーカッション) 
○ゲストヴォーカル:こだま和文/桑原延享(Deep Count)

料金:予約 4860円(税込)

チケット購入
ピーテックスのみの発売となります。
○5/22→https://peatix.com/event/84881
○5/23→https://peatix.com/event/84886


Mark Fell / NHK yx Koyxen - Potato tour 2015 - ele-king

 ナイン・インチ・ネイルズからトム・ヨークまでもが「ファン」を表明、先日はパウウェルのレーベル〈Diagonal〉からの新作リリースと、国際舞台での人気もますます上昇、みんな大好きNHK yx コーヘイが凱旋公演!
 今回はいつものパートナー、マーク・フェル(snd)も同行するのだが、もうひとり、な、なんとラッセル・ハズウェル──〈Mego〉系のアーティストで、メルツバウとの共作をワープから出したり、最近はパウウェルのレーベルからもアルバムやら12インチを出しているIDM界の裏巨匠的な変人──も来日する。
 これは、そうとうラジカルな電子音楽の一夜になるだろう。
 この興味深いラインアップに、DJではNOBUが加わる。
 東京公演は、5月22日の代官山ユニット。



(ちなみに、この日からおよそ3週後の6月13日には、NHK作品のリリース元である〈PAN〉のショーケースもあるんだよな。こっちはこっちで、すごいメンツです。テクノ・ファンは、両方行くしかないか)

■NHKコーヘイ・ツアー・スケジュール

5月 . MAY
20日 NHK Special,9 at DOMMUNE
22日 東京 . Tokyo at UNIT
Phantasmagoria - tba
23日 岐阜 . Gifu at EMERALDA
Taxis - with Dj Conqus, Miyata
24日 大阪 . Osaka at NEW OSAKA HOTEL
-:Consep:- - with Microdiet, Metome, Yaporigami, Yuki Aoe, DJ Mayumi☆Killer

30日 大分 . Hita at CMVC
with Microdiet
31日 香川 . Takamatsu at RIZIN

with SIX (Dj Zen x vj ツジタナオト), Dj Takimoto Hideaki, REM PLANET
6月 . JUNE
6日 台北 . Taipei at Korner
7日 香港 . Hong Kong at The Empty Gallery
with Lee Gamble

https://nhkweb.info/potato_tour.htm


PortaL (Soundgram / PLLEX) - ele-king

最近良かったなぁと思った曲を並べました。

OG from Militant B - ele-king

ラガラガ救出大作戦!

からだとこころの環境 - ele-king

蜜と富だけを求め
自分の健康に気を配らないヤツは消え失せろ
ジュニア・バイルズ“フェイド・アウェイ”

 だいたい音楽というのは、健康など顧みないどころか身体に悪いことをさんざんやってきてはしかもその素晴らしい成果を残しているほどの文化なので、健康の問題となったとき、医者から酒は身体に悪いと言われても、どちらかと言えば、呑まずにやってられっかばーろーという立場を支持してきたと言えるだろう。若さ故の暴走だ。ハラが減ったら、コンビニでパンでも買って胃に流し込めばいいだろう。
 たしかに若いうちは暴走しても無理が利くのだが、当然、人間の保証期間と言われる40歳を過ぎたあたりから、現実的な支障が出てくる。しかも医療費というのがこれまた金銭的にもバカにならない。それどころか、村上春樹も言うように、身体な調子はその行為において、とくに内面が関わるときは影響が出てくる。現実の試練のなかで、心が折れそうになったとき、実際に折れてしまうと、これまた現実もますますたいへんなことになってしまうものだ。
 さらにまた、健康問題は社会問題でもある。たとえば、昔は花粉症などなかった。しかし、高度経済成長期の日本政府が、林業の効率化をはかるため、本来あった広葉樹を切り、産業的に効率のいい針葉樹を大量に植えたために起きるようになった現代のアレルギー病だ。当たり前だが、昔は花粉症はなかったし、ほとんどの欧米にもない。

 ある意味、健康の問題は、大きな問題でありながら、これまでいろいろな主題を扱っていた音楽においては、なかば避けられていたことのひとつだろう。

 伊達伯欣(だてともよし)は、いかがわしい魔術師ではなく、ふだんは西洋医学の臨床の現場で働いている医師だ。現代的な医療の現場から医学と音楽を考えるという、珍しい医師であることは間違いない。電気も通らない山小屋で暮らしていた人ではなく、若い頃はジェフ・ミルズで踊っていたほどの人で、現在も都内の大学病院に勤めている。
 そういう人が、アンビエント・ミュージシャンとして国際舞台でも活躍して、そして、医師としては、じょじょに漢方医学の効果に目覚めていったことは、とくに90年代からele-kingを読んでいるような、ある世代以上の方々には興味深いのではないだろうか。
 というか、ele-kingではすっかりお馴染みの伊達伯欣だ。イルハ(Review)、オピトープ、最近では、坂本龍一とテイラー・デュプリーとの共作……中途半端にはなっているが、連載中のコラムもある。

 信じられない話だが、彼の個人医院であるつよくさ医院の待合室では、アンビエント・ミュージックが流れている。
 それって不謹慎なことだろうか。
 病院の待合室は、つねに無音か、さもなければNHKのニュースが流れていればいいのだろうか……という慣習化された病院の日常に対して、人に平穏さをもたらす目的で作られたアンビエント・ミュージックをここで流さなくてどうするとでも言いたげに、実際に、それまでの人生でアンビエント・ミュージックとはまったく関わりのなかった中年女性がその作品名をメモしたりとか、明らかにリアクションがある。

 伊達は、このように自分が音楽で得たことを臨床の現場で活かしているわけだが、そもそも音楽文化に身を置く医師が書いた医療書というのは、世界的にも珍しいのではないだろうか。

 彼の『からだとこころの環境』は、健康というものの考え方を西洋医学と東洋医学との見地から検証しつつ、同時に社会問題とも照らし合わせながら、よりよい医療を考察し、実践するための本だ。西洋医学の対処療法の長所短所を解説する。「1日30品目」や「牛乳は身体に良い」などという常識の間違いを指摘しながら、よりより食事法の指南もある。ストレスや「怒り」の問題にもけっこうなページを割いている。
 「からだ」「こころ」「環境」についての章があり、そして、巻末には彼のお勧めのアンビエント・ミュージックの作品の解説もあるという、かなり画期的な本になった。
 40歳を過ぎた人、ないしは女性、自分の健康生活を反省したい人には、とくに読んで欲しい。

伊達伯欣
からだとこころの環境 ――漢方と西洋医学の選び方
特典がつくお店があります!

著者制作&選曲のアンビエント音源スペシャルコンパイルCD-Rを、一部レコード店・書店様にてお買い上げのお客様に頒布中!

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