「OTO」と一致するもの

JUZU a.k.a. MOOCHY - ele-king

JUZU a.k.a. MOOCHY
JUZU presents Movements "Beyond"

E王 crosspoint

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 渋谷の東急本店の近くの路地にあるビルの2階だった。50人も入ればいっぱいの小さな手作りのクラブには100人ほど入って、1990年代後半のある時期、リズム・フリークスは東京のクラブ・シーンにおける噂の頂点となった。3人のDJのなかでもっとも背が高く、そしてもっとも若いひとりのDJはとくに多くの目と耳を惹きつけた。それがMOOCHYだった。あのミキシング、我々は......あるいは小林は、忘れられないほど熱狂した。やがて夜空が白み、センター街にカラスたちが集まってくる時間帯になると、リズム・フリークスの爆音もおさまって、MOOCHYはいつも大型バイクのエンジンを吹かしながら、「じゃ、おつかれっす」と言って、街のどこかに消えるのだった。
 そして彼はバイクを飛ばしたままジャングルのシーンから飛び出て、インドネシア、ブラジル、キューバ、沖縄や青森......といった場所との新たな関係性を築いていった。すべての文化に対してオープンでいようとするワールド・ミュージックというコンセプトを彼なりのやり方で実践するため、MOOCHYはさまざまな人種や宗教との出会いを果たしながら、彼の音楽活動を展開している。彼は「失われた記憶を取り戻す」をテーマに2年前にアルバム『Movements』を発表しているが、これは我々の遠い祖先たちの音への旅行であり、彼のこの10年の活動のひとつの結実だ。誰にもっとも近いのかと訊かれれば僕はセオ・パリッシュじゃないかと思う。セオがサン・ラーやファラオ・サンダースらにアプローチするような手法で、MOOCHYは彼の全世界的なヴィジョンに向かっているように思える。
 もっとも昨年リリースされたDVD、『Beyond』は『Movements』の映像版というよりも、彼のユートピア志向のまさにその"裏"、大いに問題提起をはらんだものとなっている。MOOCHYを知る人間が観たら「よくまあ、こんなものを作った」とびっくりするだろう。イスラムの人、ホピ族の人、六ヶ所村の人、辺野古の人、彼はいろんな人の話を収録して、自らの音楽に取り入れた。これはひとりのDJがジャーナリスティックな意識で、自主的に作った異議申し立てである。
 今回は、MOOCHYの歴史を振り返りつつ、『Beyond』について話してもらった。たっぷりと......。

音楽が無かったらもっと酷かったと思う。微力かもしれないけど、音楽があったから俺は社会的な意識を持てたし。音楽がなかったら...。音楽がなかったら、ホントにみんなロボットみたいになってしまうと思う。

よろしくお願いします。

JUZU:お願いします。

......で(笑)、何でこんなとんでもないDVD、作ったんですか? しかも自主制作で。

JUZU:もともとはPVを作るのが目的だったんです。最初に作ったPVは"R.O.K."という、リノ君(RINO LATINA II)が出てくるトラックですよ。彼は、僕が昔やってた「リズム・フリークス」のカジ君(KAJI PEACE)と17歳くらいのときのダンサー友だちで。そういう繋がりでリノ君を紹介されて。
 僕がキューバに行く前か、行った後かで、リノ君もキューバにライヴしに行ってるんです(『キューバ・ヒップホップ・フェスティヴァル・シンポジウム』/2008年8月)。そういうところでの繋がりもあってね。あるとき、カジ君のDJでリノ君が落語みたいなラップをやってて。それでオモロいなと。で、リノ君に「じゃぁ、オレにもなんか演らせてよ」みたいな感じで言われて。僕の地元の高円寺とか、中野、新宿とかって、そういうお祭りの粋なノリじで、落語みたいなラップを使ったトラックでなんかやりたいって思ってて。

そうだったんだ。

JUZU:それで「武器売買と売春」っていうのをテーマにしようってリノ君に伝えて。

へぇ。

JUZU:どっちが売り手買い手? みたいなことを、そういうトンチみたいにして。でも、「踊る阿呆に見る阿呆も同じ阿呆なら踊らにゃ損損」みたいなオチをつけるみたいな。とにかく、もともとは映像コラージュと音楽というテーマですね。

とにかく、もともとの企画はPV集だったんだね。

JUZU:『Movements』(『Re:Momentos "Movements"』/2010年)っていうアルバムを2年前に自分のレーベル〈crosspointから出して。『Beyond』っていうのはその「裏」って言う意味ですね。『Movements』というアルバムの曲を収録している。

あぁ、なるほど。

JUZU:『Movements』というCDではできなかった映像を足すことによって、僕が思ってることをもっと伝えられると思ったんです。沖縄のこともホント......中学生の頃、それこそタサカ(DJ Tasaka)も一緒だったけど(笑)、修学旅行でひめゆりの塔に行ってるんです。それで沖縄戦とか、歴史が刻み込まれてて。沖縄にはその後いっぱい友だちができて。いまとなっては居住者もすごく多いし、前から沖縄の基地問題には関心があった。基地問題に関するそのインタヴューもここに収めてるけど。それも"Koza"っていう曲で、(楽曲に参加している)ラス・ツイード(Ras Tweed)っていう人とは、ウィーンにDJに行ったときにたまたま知り合って。彼も沖縄のことを知ってて。空手とか好きで(笑)

へぇぇ、ウィーンで。

JUZU:はい。ウィーンで録音して。ちなみにミックスはステレオタイプ(Stereo:Type)という、なんか変なバイレ・ファンキみたいの作ってる白人のスケーター。

あぁ、いたね。

JUZU:そうそう。そいつらとなんか偶然というか、出会って。ラス・ツイードとも、彼はカリブ系でイギリス人だけど、沖縄の基地のことも知ってていた。ジャマイカなんかもそうだし。そういう、植民地化されてる島のことをちゃんと歌いたいって言ったら、すごく意気投合して。その場で歌詞作って、歌ってくれたのが"Koza"。あとは、沖縄の基地に何回か自分で足を運んで、いろいろ撮ったインタヴューとか。

あの、よくインタヴューしたなとホント思うんですけどね。

JUZU:そうですね......。

もともとはMOOCHYの、ま、言ってしまえば、全世界的なっていうか、マルチ・カルチュラルなヴィジョンがあるじゃない? この10年、音楽的に追求したことってそうでしょう? その延長線上に(『Beyond』の)コンセプトははじまってるって考えていいんだよね。その上でできたのがこのDVDで、MOOCHYが発表した曲に、セネガル、モロッコ、アリゾナのホピ族、辺野古、......とか、いろいろな場面やその現地の人たちの話が出てくる。で、作品ではひとり案内役を務める人がいるじゃない。スケーター?

JUZU:あぁぁ、アレはクロマニヨン(cro-magnon)の剛(小菅剛)ですね、はい。彼も彼でいろんなことあるけど。彼自体は顔とかすごい趣があるなと僕は思っていて。この男は俳優でも絶対イケるぐらいに思ってて。

それで主役(笑)。

JUZU:そうです。(主役に)指名して。"Silence Mind"って曲は、もともと僕の後輩のイケガミケンジ(Kenji Ikegami)ってヤツが虚無僧尺八やってて。彼のソロ・アルバム(『SILENCE MIND』)も僕のレーベルから出してて。そのPVを作る過程のなかで、僕がリミックスもして。そのテーマっていうのが、あれ(PVのロケ地)って高円寺なんですけど。

あれ、高円寺か。

JUZU:僕が10代のときに、台風かなんかでムチャクチャ土砂降りで、みんなで逃げ惑ってキャーキャー言ってる状況で、高円寺の駅前で本物の虚無僧が、ただひたすらつっ立ってたんですね。そういう鮮烈なインパクトがあって。この人だけはいまの時代とぜんぜん違うっていうか。

たしかに(笑)。

JUZU:いまの僕らがコンクリの上で住んでる世界は、300年前は違ったじゃないですか? そういう感覚を喚起するんです。あの"Silence Mind"って曲はやっぱり、ラティール(・シー/Latyr Sy)とかウスマン(Ousmane)とか、僕のセネガルの友だちに高円寺でパーカション叩いてもらったり、彼には虚無僧の格好で尺八吹いてもらったんで。その尺八にしてもジャンベにしても、僕らの記憶っていうか、いまの時代とは違う時代から存在する楽器を演奏することで、いまのコントロールされた世界に対してのアンチテーゼ。

MOOCHYの求めているものって、言ってしまえば、あれだよね、ユニバーサルな感覚っていうようなモノだよね。

JUZU:うん、まぁ、どこにでもある。

......語弊はあるかもしれないけど、すべては繋がっているって言うよな。そう、それでさ、セネガルのこととか。

JUZU:はい、ゴレ島。

......が出てきたり。ホピ族が出てきて。六ヶ所村が出てきて、コザが出てきて、最後はモロッコで。

JUZU:カサブランカですね。

いろんな文化に対するアプローチ、というか、オープンな気持ちだよね、すべての文化に対するオープンな態度。だから、最初はこのDVDは反原発とか、3.11とか、そうした時事ネタのものかと思っていたんだけど、違ったね(笑)。DVDのなかではイスラム教と中東での宗教問題なんかの話もかなり占めているよね。で、沖縄の基地問題も六カ所村もイスラム教も、いろんな人に取材して語らせて、そしてMOOCHY自身は自分の言葉を抑えているんだよね。これはもう、観る人と一緒に考えたいって話なわけでしょ?

JUZU:うん、まぁ、そうですね。

すべての宗教、すべての文化も受け入れるっていうようなことなわけでしょう、究極的に言えば。

JUZU:まぁ、そうかもしれない。

そういうアプローチがMOOCHYのなかでどうやって養われていったのかっていうかさ。それが反抗心にも結びついてると思うんだけど。最初はハードコアのバンド? ジャングルのDJ?

JUZU:並行しながらやってましたね。

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いまの僕らがコンクリの上で住んでる世界は、300年前は違ったじゃないですか? そういう感覚を喚起するんです。尺八にしてもジャンベにしても、僕らの記憶っていうか、いまの時代とは違う時代から存在する楽器を演奏することで、いまのコントロールされた世界に対してのアンチテーゼ。

この10年の自分のアプローチ。いろんな文化のいろんな場所に行ってやるっていう。文化をミックスしていく、ブレンドしていく、繋げていくっていうコンセプトはどういう風に生まれたの?

JUZU:分け隔てなく良い物は良いって、前からホントに思ってたし。デスメタルでもボサノヴァでも、(スティーヴ・)ライヒみたいなものもガムランみたいなものも、いちいちチャンネルを変えなくても、すぐに入ってくる感覚はあるから。それが自分の感覚だから、なんとも、それを理由付けるのは難しい。

自分が成長していく過程、生きていく過程のなかで、聴く量も当然増えていくわけだから、聴いていく分だけ自分が拡張されていったみたいな。

JUZU:そうですね、拡張。そういうこと。あと、中央線育ち的な感覚はあるから。中央線のレコード屋〈レア〉とか、あとやっぱ渋谷新宿のレコード屋とか。僕の小さい頃の新宿や、渋谷もそうだけど、レコード屋事情、やっぱりいろんなジャンルのレコード屋があったし。レコード屋の人にやっぱすごい影響受けたと思うし。

いまでも残っているものね。

JUZU:レゲエにしてもヒップホップにしてもパンクにしても、そういうのが入ってきてて。現代音楽とかフリー・ジャズとかも。

ひとつのジャンルを追求するってタイプのDJじゃないよね。

JUZU:いろんなジャンルの人の前座DJをやらせてもらってたし。そのなかで(客層の違う)いろんなジャンルに対応するっていうミッションも楽しめてたし。デニス・ボーヴェルからジュノ・リアクターから、例えばなんだろ? デリンジャー・エスケイプ・プラン(The Dillinger Escape Plan)から、ファビオから、もうセオ・パリッシュやムーディーマンから、ジェフ・ミルズからって。いろんな人と一緒にやるなかで、自分がこの国に育った意味みたいなものを考えたときに、すごい悔しさを覚えて。

どういうこと?

JUZU:もう幼少からっていうか、ハードコアな感覚っていうか。「モノマネはヤダ」っていうか。別にワン・アンド・オンリーでありたいとか思ってるわけじゃないけど、来日したいろんな国の人たちは、オリジナルなシーンのなかでオリジナルなスタイルをちゃんと持って来てるのに。でも、この国のほとんどの人たちは、ただ憧れてるだけで。全然自分たちのスタイルを持たないってところに悔しいなと思ってて。

あぁぁ。

JUZU:そこで〈サウンドチャンネル〉(大阪SOUND-CHANNEL)なんかと知り合って、みんな「オリジナルなスタイルを作ろう」って......けど、まぁ、そこら辺でも、みんなそれぞれやり方、スタイルがあって。多くの人たちは、ヨーロッパ、西洋志向だったけど、僕は20歳ぐらいでアジアに行ったんですよね。「リズム・フリークス」の途中で、インドネシアとかタイとかに旅して、アジアですごいインスパイアを受けたから。

「リズム・フリークス」のときって20歳だったのか! スゲェなぁ......あ、でも、そうかそうか、タサカ君も大学生だったもんな。

JUZU:若い(笑)。だから、そういう方向で僕は遠回りしてきたというか。多くの人はニューヨーク、ロンドン、ベルリンなんかに憧れて、そのまま行くけど、僕はバリとかに行っちゃって。そこでアジアのカルチャーの奥深さとか、そこで「ワールド・ミュージックとエレクトロニックなものを混ぜる」というコンセプトを、自分のなかで編み出したというか。で、「リズム・フリークス」をやってる最中に帰ってきて、ガムランとか尺八とかとジャングルとかドラムンベースを混ぜて、グチャグチャな......。

やってたね(笑)。渋谷のビルの2階だったね。ターンテーブルでガムランとドラムンベースをミックスするってスゴかったよね(笑)。

JUZU:なんか、グチャグチャのカオスのなかの美みたいなものが、僕はすごい好きだから。

でも、あの当時のDJだったら、欧米に行く、行って当たり前だと思うんだけれども、そこでアジアっていうものにさ、目を向けたっていうのは何? 鼻が利いたって感じなの?

JUZU:でも、やっぱり最初にガムランとかインドネシアの音楽を映像で見て。それは18歳のときですね。

それじゃぁ、もう全然DJカルチャーに出会う前?

JUZU:いや全然。もう僕15歳からDJやってるから。

ドハハ(笑)。

JUZU:だからバンドとDJは、ホント15歳のときから同じようにはじめてて。僕はもうアティテュード・アジャストメント(Attitude Adjustment)っていうジャケも超ポリティカルなアメリカのハードコア。ってか、小学校からパンクとか聴いてたから。小学校で同級生の兄ちゃんのライヴで、それこそラフィン・ノーズとかザ・ブルー・ハーツとか聴いて。小学校からそういうのを聴くと、それこそ原発のこととかも言ってたと思うし。

まぁ、そうだよね。

JUZU:中学ぐらいの時にチェルノブイリがあって。中学のときにはもう「NO NUKES」って渋谷の電力館に描いてたみたいな感じだから。タサカの影響もあって、ヒップホップもパブリック・エナミーとかビースティ(・ボーイズ)とか、ああいうのは普通に聴いて。やっぱパブリック・エナミーで、ジャケットから見るKKKのこととか。
 僕のなかでは、その後、ENT(Extreme Noise Terror)とKLFが一緒にやったりとか、UKのハードコアとKLFが一緒にやったのとか。その当時、808ステイトとか東京エアランナーズの人とか。やっぱ僕らが遊びに行ってたのが、DJドックホリデーって、須永辰緒さんがヒップホップやってたところに僕ら毎週通ってたから。15歳のとき。そこで聴いてる音楽っていうのは、もうジャクソン・シスターズみたいなレア・グルーヴからNYヒップホップとか。聴けるものは全部聴いてたし。もっと言えば宝島みたいな雑誌も全盛期だったから。

えぇぇ! ホント? でも全盛期じゃないよ、終わりかけの頃だと思うよ。

JUZU:でもまだ「LAST ORGY」とかやってて。タイニィ・パンクスがまだちょっとやってて。で、そっからECDとか出てきて。ECDが「Check Your Mic」でボーイ・ケンとかも一緒にやってて。まだヒップホップもレゲエも未分化で。で、高校1年か2年のときにスチャダラパーが出てきて。最初のPVにサクラで僕ら呼ばれて、〈ゴールド〉にダイヴしに行ったりとか。そういう、グチャグチャな感じだったから。自分のなかでDJも、自分が掛けたい曲かけて、暴れにいって、終わっちゃって、戻ってきてみたいな。

(笑)そうだったんだ。

JUZU:新宿の〈サンボーズ〉ってとことか、ガス・ボーイズ(GAS BOYS)が、ちょっと先輩みたいな感じ。ああいう、ちょっとバカなノリっていうか。ビースティみたいなノリ。ああいうのも好きだったし。ひとりで、あんまり仲間いなかったけど、UKのハードコアも好きだった。

ホント、節操なく聴いてたんだね。

JUZU:重要なのは、原宿に〈デッドエンド〉っていう、ジャパコアのお店があって、鋲付きの革ジャン......っていうか、革も使わないような、ベジアタリアンの。UKのハードコアってベジタリアンが多くて。

クラスティとかね。

JUZU:そう。そういうのにも個人的に僕は影響受けてて。、高くて買えなかったけど。毎週のように新宿とか原宿とかブラブラして、そこ行ったら、フリーペーパーがあって。そこにマクドナルドがやってることとか、石油会社がやってることととか、フリーペーパーに載ってて。

そうなんだね。

JUZU:で、そっから「マクドナルド食わねぇ」とかなったりとか。そういうマルチ・ナショナル・コーポレーション、多国籍企業がどういうことを世界中でやってるのかを知って。それはすごい自分の食生活にも影響を与えた。

デトロイトのクラブに行ったら、フライヤーがたくさんあって、何のフライヤーかと思ったら、ゲイ解放とか、ネイティヴ支援とか、環境系とか(笑)。まあ、日本もなかなか捨てたもんじゃないんだねぇ。

JUZU:いや、ジャパコアはすごい誇るべき、唯一日本で誇るべきはジャパコアぐらいに僕は思ってる。他はほとんどがモノマネだと思うけど。ジャパコアの「ウォォォォ」とかなってる唸り声とか、UKのハードコアとか、アメリカのハードコアとかみんな影響を真似してたぐらい。〈スカル・ディスコ〉のジャケも日本のハードコアから影響を受けてるらしいですよ。あのドロドロしたの(笑)。

あぁ、そうなんだ(笑)。

JUZU:僕、ジョー・クラウゼルと対談したときに、偉そうに言ったことがあって。僕がやってたネクサス(NXS)っていうバンドを彼はすごく気に入ってくれてて「未来的な音楽だ」って言うから、(それを受けてジョー・クラウゼルに)「何でかわかるか? オレらは核戦争後の社会から来てるんだ」って言ってやって。すごい言いたかった。僕らの国は、原爆落とされて。他の国がみんなSFだと思ってることが、この国だけは事実、核戦争後の社会で、完全に焼け野原にされた後に、こんな55基も原発作らされて。

なんとも不条理な話だよね。

JUZU:その不条理さが、ドープな感性っていうか。アメリカに連れてこられた、南米に連れてこられた黒人たち。UKもそうだし。彼らも不条理のなかで(独自の文化を)編み出していったと思うから。僕らは僕らで、GHQとかいろんな洗脳があって。愚民化政策で、軟弱化させられて、馬鹿にさせられてる。させられてるけど、でも、やっぱり、不条理さで言ったら、はっきり言って(ブラック・ディアスポラと)あんまり変わらないんじゃないかな。だから、コンプレックスを持つ必要はないと僕は思ってて。この国はこの国で年間3万人自殺してて。虐殺状態がずっと続いてて。

3万......だもんな。どんな良い国だ(笑)。

JUZU:お金はあっても一寸先は闇。

そのお金もヤバイし......。でもさ、話、ちょっと戻すと、そこでMOOCHYがアジアに向かったっていうのが、ひとつ、大きいなと思ったんだよね。今回の作品を聴いても......いわゆる雅楽のさ、サンプリングとかを使ったりしてるけど、それをひとつのサンプリング・ネタっていうよりも、旋律としてブレンドしようとしてるでしょう? それが独特の、ある種のユニヴァーサル・ヴィジョンに結びついていく。最初にアジアを旅しようと思ったのは何でなの? なぜガムランだったの?

JUZU:あの芸術にインスパイアされたし、結果的にガムランだけじゃなくてウブドっていう、いまではもうすごい有名になってるけど、僕みたいな環七育ちの人間とはぜんぜん違うカルチャーで、すごい芸術があって、誇るべきだと思うし。

まるでドビュッシーだね(笑)。

JUZU:ドビュッシーもね、ガムランに影響受けて。

そうそう、19世紀末のパリの万博でね。

JUZU:はい、らしいですね。だから、いまだに僕、自分がDJっていう感覚も無いですよ、ネクサスでも僕バンド・リーダーであったけど、いまでも続いてるっちゃ続いてるし、ある意味、永遠に終わらないと思ってて。あと、リーダーとかコンダクターとか......なんていうのかな、コントロール? ある程度はガムランもコントロールされてるけど、あれってメインの演奏者がいるわけでもなくて。それがいまだに、DJの考え方にも染みついている。

考え方も違うからね。

JUZU:そういう森羅万象的な感覚っていうか、全部の音が。それこそジョン・ケージとか、ああいう人たちも全部の音が。だから、ガムランなんか、蛙の声と、人間の演奏と、月明かりとロウソクと、(その場にある)すべてが並列で。いわゆる西洋的な人間社会っていうのは、また違う捉え方で音楽があるっていうのが、環境音楽と人間の演奏が完全にミックスされてるというか。

なるほど。取りあえず話を整理すると、そこでインドネシアに行って、そのあとますますいろんな文化......。

JUZU:そうです。ワールド・ミュージックを混ぜようっていうか。あと、自分なりに、なにか、作りたい。自分なりのことをやりたいっていうのは根底にはずっとあるから。とにかくモノマネはしたくないなぁっていうのは、すごいあって。途中で、それこそみんながジャングルからドラムンベースになって、みんながそういう方向になったときに、僕自体疎外感を感じて。ひとつのクラブ・シーンが巨大化しすぎて、みんなが金に狂ってきたっていうか。まぁ、言い方すごい悪いけど。でも、僕なりになんか違うなぁって思ってて。自分のスタイルを変える意味で、ジュズ(JUZU)っていうもうひとつのあだ名を戻してきて。

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ワン・アンド・オンリーでありたいとか思ってるわけじゃないけど、来日したいろんな国の人たちは、オリジナルなシーンのなかでオリジナルなスタイルをちゃんと持って来てるのに。でも、この国のほとんどの人たちは、ただ憧れてるだけで。それが悔しいなと思っていた。

JUZU a.k.a. MOOCHY
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何で「ジュズ」っていうの?

JUZU:スケボーしてるときから、数珠をつけてて。

それでジュズって言われてたんだ。

JUZU:っていうのもあって。それがネクサス(=「連鎖」を意味する)とか、繋がりとか、数珠とか。まぁ、自分のコンセプト的にそこに行きたかったし。MOOCHYっていう名前がね、ちょっとね、それこそ『エレキング』の影響もあったり、いろいろ知られた部分があって。反対にジャングルとかドラムンベースのDJっていうイメージが僕的には邪魔だったから。それを払拭したかった。もともと何でも聴いてたから。だから、あの当時(1990年代末)のディーゴにも、ちょっとしたシンパシーは感じるんすよ。そんな会って話したわけじゃないけど、あの人ももっと違うところに向かっていたし。で、僕も、よりいろんなところでDJをはじめるようになった。僕、トランスのレコードは1枚も持ってってないんですけど、でもトランスのレイヴ・パーティにすごい呼ばれてて。

なんでだろうね? それはね(笑)。

JUZU:たぶん、サイケデリックな感じだと思うんですけど。そういうとこに行ってて。でも、やっぱり、そういう人たちの感覚はわかるから。僕も遊び人としていろいろ遊んでるし。そのなかでどうやってみんなが、いろんな人たちが(楽しめるか)。それはさっきの前座の話も含めて。そうしたら、共通項みたいなことでいうと、100~130ぐらいのあいだのBPMで、いろんなパターンを組み合わせるとグルーヴをキープできる。その当時からパーカッショニストと絡むこともすごく多くなってたから、BPM170~180のジャングルのリズムって、ちょっとやっぱり、そういう人たちは絡みづらくて。BPM100~120くらいのほうが演奏者が関わりやすい。そういう現実的なところで、段々BPMも落ちついてきて。それが自分のスタイルになって。
 そこに、反対に、いろんなワールド・ミュージック的な要素を組み込んでって。そんなこんなやってて2001年に9・11が起きて。そのとき、僕もうニューヨークに住もうと思ってて。子供もアメリカに産みにいって。アメリカ移住しようと思ったらアレが起きて。アレがすごい、僕にとって、もうひとつのターニングポイント。

何でアメリカに住もうと思ったの?

JUZU:ワールド・ミュージック的な要素を取り込みはじめた頃から、ネクサスっていうバンドとかで、いろんなミュージシャンと絡みはじめたんですけど、もっとホントの外国人と、もっとやりたい。現場っていうか。そういうのがあったし。次の旅で、インド行くか? 西洋に行くか? 迷って。「インド行ったら、たぶん戻ってこねぇかもなぁ」とか思って(笑)。まず、アメリカに行った。サンフランシスコから入って。
 サンフランシスコでは、シェブアイ・サバー(Cheb I Sabbah/シェビー・サバー、シェビサバとも)っていうDJがいて、その人はドン・チェリー(Don Cherry)と幼馴染の白人の人で、南アフリカの人でね。今、ガンで60歳ぐらいなんですけど。そのチャリティに僕も参加したんですけど、その人のパーティがすごかった。当時「『リズム・フリークス』とかもう辞める、もう演らない」って言って、結構、悶々としてたんですよ。なんか、もう、どんな感じかなぁ......みたいな。で、サンフランシスコから入って、ニューヨーク行って、ロンドン行って、ブリストル行って、アムス(テルダム)行って、ロンドン戻って、LA行って、帰ってくるって、旅だったんですけど。まずサンフランシスコで、シェブアイ・サバーのパーティに衝撃を受けた。
 新聞かなんかに「World Music」って告知が書いてあって、どういうんだろうと思って行ったら、ヘイト・アシュベリーにある、なんだっけ? ニッキーズ・バーベキューっていうレゲエとかR&Bとかやる箱で、サウンドシステムもゴツくて。そこで彼がやってて。150人くらいでパンパンで。ホント、あのウィー・アー・ザ・ワールド状態で。いろんな人種、アジア人から白人からアフリカ系からインド系から何からグァァって集まっていて。そのシェブアイ・サバーはホントにいろんな音楽をかけてて。なんか......もう、いきなり洗礼で。「こういうのがやりたいな」と思って。すごいまず影響を受けて。

へぇぇぇ。

JUZU:で、ニューヨークは元ミュート・ビートの今井(秀行)さんってドラマーの人の家に世話になって。ヤン冨田のバンド・メンバーだったりもするのでシンセサイザーの使い方とかシゴかれて。マジで涙流すくらいシゴかれて(笑)。そこに世話になりながらニューヨークで1ヶ月近くいて。まだ全然人がいない「ボディ・アンド・ソウル」とか、あと何見たかな? ゴールディとかもたまたまやってたり。あと、前衛のDJスプーキーとか......。ジャズからスカイジュース(Skyjuice)みたいなダンスホールから、イケるもんは片っ端からいっぱい行って。
 そのなかで、トシオ・カジワラ(Bing a.k.a Toshio Kajiwara)っていう通称ビン君、ビンさんって、いま、日本に戻ってきてるけど、A-1レコード(A-1Record)の店長をNYでずっとやってた人。ブルックリンに〈ダブ・スポット〉ってレコード屋があって、ビン君もそこで働いてて。僕のリズム・フリークス時代のミックステープを、カジくんがニューヨークにいたときに、そのトシオ君に渡してて。僕はその当時のミックスいろいろ混ぜてたから、トシオ君もイルビエント・シーンのもう真っ只なかで。デヴィッドの「ロフト」でもDJやってるぐらい。もう、とにかく、日本でいちばんぐらいのレコードの知識がある人。まだ42歳くらいだけど。その人と会って、またすごくいろいろとドバァァって広がって。で、彼は僕のミックステープをカジ君系由で聴いてて。意外とカジくん重要なんだけど。

はは(笑)。

JUZU:「オッ! お前かぁ!」みたいな。アッチも僕の音をまず聴いてたから、すぐに僕の感覚を理解できて。ちなみにトシオ君もガーゼとかリップクリームとか日本のハードコアに影響受けてて。ジブラと同級生だったりとか変な繋がりもあって。そんなんで、ニューヨークでも発展があって。その頃にロンドンに弟がちょっと留学したんです。で、ヤツとジャー・シャカとかいろいろ行って。ひとりでブリストル行って。やっぱブリストルも、マッシヴ・アタックとかトリッキーだったりロニ・サイズだったり......オリジナリティのある音楽を地方都市で作ってるってイメージがあったから。ブリストル行って、なんかロンドンよりもカッコイイなって。スケーターも多かったり、人も良かったり。ブリストルは1日しかいなかったけど、地方都市住むのもありだなって思ったきっかけで。

へぇぇぇ。

JUZU:東京、キャピタルに住むことのメリットもあるけど、キャピタルに住まないことでの(メリットもある)。いまの、その後10年ぐらいの(活動に繋がるものを得た)。やっぱり僕のスケートの後輩で、森田(貴宏)って、アイツがブルー・ハーブ(THA BLUE HERB)と繋がって。
 僕も日本で最高のクラブは札幌の〈プレシャス・ホール〉だと思うから。すごい世話になってて、そういう繋がり。(高橋)KUNIYUKIさんでもそうだし。地方都市にいながらオリジナリティのあるヤツらに出会ってたから。反対に、東京ではカネカネになり過ぎて出来ないことを地方都市がやってる、ってことにも、インスパイアされて、その後、福岡に住むことになったり。

福岡はなんで住んだの?

JUZU:福岡は元カミさんの実家が山口なんだけど。なんかそういう繋がりがあって。僕自体、そのニューヨークが9.11の後、それこそブラジル行って、ニューヨーク経由で行って。国旗だらけのニューヨークになっちゃって。あのブッシュの。「もうここじゃないな」と思って。でも東京から出てどうにか自分のネクスト・ステージに行きたいと思ってたから。いわゆる西洋に行く上昇志向とは逆で、福岡に行くことで、まぁ子供にもイイし、自分にとっても、試したかった。昔、ネクサスでライヴやりに行ったときに泊めてもらった田舎のプレハブを借りることになって。2年間、後ろが古墳。哺乳類がいないようなところに家族と別でひとりで住みながら、毎月東京にDJに行ってて。

へぇぇ、電話とかは?

JUZU:携帯だけ。

携帯だけで。トイレとかは?

JUZU:あるけどボットンだし。家のなかに蛇がいたり。

(笑)風呂は?

JUZU:風呂も......なんか離れにあって。しかも、すごい体験......そういうの全部話出したらハンパじゃないぐらいいろんなことがあるんですけど(笑)。でも、そこで、ものスゴい人里離れたところに2年間ずっとひとりでほぼいて。必然的にサイケデリックっていうか。なんかもう、音楽の聴き方も全然変わってきたし。流行りもんとかそういうのとか、どうでもいいっていうか。永遠性のあるもの、じゃないと。そこでは歯が立たないっていうか。いくらロンドンで流行ってようがベルリンで流行ってようが、そこでかけたときに、虫の音やいろんな状況のなかで......。

それ面白い話だね(笑)。福岡市内の市街地からどれくらい?

JUZU:車で1時間とか。もうぜんぜん田舎。その家の家主のおばあさんはそこに越した年に、その1年の間に息子と旦那を亡くしていて。僕がまず与えられた部屋がその亡くなった息子さんの部屋で......それを荷物入れたあとに事実を聞いて、そのおばあさんが「ここは強い人しか住めないから!」って言って、娘がいる奈良に行ってしまって......。そこで、悔しいから、荷物入れた日の夜中だけど、取りあえず音は出そうって(機材)繋いで、最初はそれこそガムラン系の何か掛けて。うーん? って。

はははは。

JUZU:でハワイアン系のヤツ掛けて。うーん? って。その後、アフリカン系のヤツ掛けたら、スゴい違和感感じて。ヴァイブレーションが。で、慌てて、モーツァルトの映画で『アマデウス』のサントラをレコードでかけたらすごい落ち着いたんですよ。そっからいろいろ掛けたら、なんか落ち着いて。そこには、前そこに住んでいた息子さんの遺品もいっぱいあって。そのなかに(チェ・)ゲバラの本があったり、『ルーツ』(アレックス・ヘイリー『ルーツ』)って、あのアメリカの、ああいう本があったり。

結局は8年間もいたんだね。

JUZU:そうですね。8年間(東京・福岡間を)行き来しながら、やっぱり東京ってことを意識しはじめて。あらためて地元っていうか。福岡は福岡ですごく良いところだけど、シンク・グローバル、アクト・ローカルっていう言葉があって、「ここ(福岡)でのアクトが自分にとってローカルなのか?」って。8年間っていても、年間でいったら実質4年間ぐらいしか住んでないぐらい(福岡に)いなかったと思うんですよ。DJやったり、いろいろ行ってたから。アクト・ローカルっていう意味でのローカルさはちょっと僕のなかでは、(福岡は)日が薄いっていうか......そのなかで東京は東京で、やっぱり自分は東京の人間なんだなぁって思ってて。僕のなかでは家族で東京に戻る、家族内でもそういう案があったんですけど。カミさんのほうは仕事がドンドン進んで、それはそれで良いと思うんだけど。
 僕が、こうやっていま、ある意味、東京に戻って。ああいう原発事故が起こって。。まぁ、福岡も佐賀の原発とかあるから。別に安心とは全く思わないけど。結果的に、僕がこうやってこういうことやれて。何にしても必然的かなぁって。で、東京戻って来て早々っていうか。『ホピの予言』っていう映画も、これ(『Beyond』)にホピの人たちが出てくるのも、すごい重要で。

なるほどねぇ。

JUZU:20歳くらいのときに、『ホピの予言』っていう映画を友だちの紹介で西荻(窪)のほぴっと村というところで観て。ナヴァホの居留地のホピ系の人たちのエリアで、ウラン、プルトニウムが採掘されて、それがヒロシマ・ナガサキに落ちたことをホピの人たちは予言してたっていう映画で。80年代にパンクスとかはみんな観てた映画らしく。それに衝撃を受けて去年末に息子たち連れて、ホピのところに行った。息子を連れてったことで、彼らもオープンになったんですよね。ネイティブ・アメリカン・マニアみたいな人も入れないキバっていう儀式、儀礼所? にも入れてもらえて。普通絶対入れないらしんだけど。でも、そこに入るとなまはげ見に来たような感じっていうか。言葉は通じないけど、同じモンゴロイドで。ただちょっと僕らと道がズレただけっていうか。そんな体験もあって、それから帰ってきて。アフリカ、セネガル、ラティールの故郷に、行って帰ってきて。で、3.11がすぐ起きて。

(東京に)帰ってきたのは何年なの?

JUZU:2010年。12月のもう末で。そのまますぐ、アリゾナのホピのところに行って。1月の中旬に帰ってきて、2月頭からアフリカに行って。

そのときは、これを作るつもりだったんだよね?

JUZU:いやぁぁ......そんなにね、なんか......でも、映像集的なものは考えては......いましたね。2009年くらいにPVをまとめるみたいなアイディアはあったから。『Movements』ってアルバムを2009年に出したから、そのときにPVは4つくらいもう作ってて。それをまとめて何かしたいって思ってて。やっぱり3.11以降、より明確になっていった部分はあるけど。

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多くの人はニューヨーク、ロンドン、ベルリンなんかに憧れて、そのまま行くけど、僕はバリとかに行っちゃって。そこでアジアのカルチャーの奥深さとか、そこで「ワールド・ミュージックとエレクトロニックなものを混ぜる」というコンセプトを自分のなかで編み出したというか。

なるほどねぇ。じゃぁ、自分自身のこの10年の成果みたいなものも集約されてるっていうかね。その、DJをやっててさ、自分がいちばん良かったなって思うのはどういうとき?

JUZU:あぁ。個人的には、僕、ターンテーブル3台、CDを使って、DJでいちばん面白いのは、自分がコントロールできなくなったときっていうか。3枚、4枚......ジェフ・ミルズなんか、そういうことずっとやってるんだと思うんだけど、なるべくコントロールしようと思うけど、(DJ自身の意識を超えて)もうそこで何か生まれはじめたみたいなところが、個人的には音楽の体験としてはすごい。

ジェフ・ミルズは逆だと思うよ。自分で100%コントロールしたい、コントロールするタイプだと思うから、真逆の発想だよね、それは。

JUZU:でも、それまで(自分でも思いもしなかったものが出てくるまで)、まとめはするんですよ。そこで生まれて来る何か。おぉ、できてきてるみたいな。それはDJでしかあり得ない面白さだと思うし。人間的なところでいえば、そういうコミュニケートだったり一体感。鎮魂もそうだし、それ以降(前述の死者に対する選曲)から、目の前にいる人だけじゃなくて、変な話、目の前にいない、そういう霊みたいなものも、どこにでもみんなあるっていうか。そういう意味ではフロアの人の顔だけを見るだけじゃなくて、ま、スティービー・ワンダーでもなんでも、目が見えない人のように、そうやってヴァイブレーションとか感じて、そのなかの一体感みたいなものを、全体で、何かが......作る、っていうのもおこがましいから。自分が献身的な心じゃないとできないと思うし。

8年いて実質4年くらいしかいなかったってことは、ほとんど全国津々浦々行くの?

JUZU:世界も行きましたよ。ヨーロッパも行ったり、アメリカも行ったり、オーストラリアも行ったり、ハワイでもDJやったりとか。アジアは、DJはないかな。ベトナムでの録音はあるけど。

こないだの土曜日は岡山だっけ?(岡山YEBISU YA PRO/2012年2月25日)

JUZU:うん。岡山も面白かった。札幌は〈プレシャスホール〉が、ホントにすごいいろんなこと教わって。その後、デヴィッド・マンキューソとか紹介されて。デヴィッドの「ロフト」の35周年とか、スピーカー組むのからデヴィッドの部屋にアップ運ぶのまで手伝いに行ったりとか。

へぇぇ。それニューヨークで?

JUZU:ニューヨークで。で、ジョー・クラウゼルがやってるパーティでDJやって。ジャマイカ行ってレコーディングもして。それを2週間以内に全部やるみたいな(笑)。

スゴいねぇ。

JUZU:デヴィッドっていま、43周年? DJのゴッドファーザーだと思うし。あの人がやろうとしてたパーティって、僕が何も知らないで「リズム・フリークス」とかデコ(レーション)とかも、みんなでやってたし、サウンドシステムも入れたし。僕はもっとハードコアにやってたけど、デヴィッドも昔はウーハーとか入れて、ベースもけっこう出してたらしいけど。

たしかにデヴィッド・マンキューソって、ミキシングとかブレンドではない、もうひとつのDJカルチャーのゴッドファーザーだよね。

JUZU:でも、あの人の(プレイを)最初から最後まで聴くと、トータルでは8時間とか、昔だったら20時間ぐらいやってた、あの人のDJのなかで、すべてはミックスされてるっていうか。

あぁぁ。テクニカルな意味じゃなくてね。

JUZU:1コンマとか、1秒なのか、10秒なのか。それはミックスっていうものの幅だと思う。

たしかにね。

JUZU:1時間のなかでミックスを凝縮するのか。8時間でひとつのデカいパックを作るのか。デヴィッドのああいうのは、プロデューサー的な感覚としても、あの人が掛ける音楽は、良いサウンドシステムで掛けると、40年前の音楽もいま鳴っているように再現されるんで。プロデューサー的には嬉しいことだと思うし。やっぱり自分の一生懸命作った音楽が、40年後でもみんなが楽しんでくれるっていうのはすごい素晴らしいことだと思うから。そういう音楽を作りたいなってあの人からインスパイアされた部分も。DJ的には、繋がないで1曲ずつ掛けるっていう、ああいうスタイルもやったことはあるけど。あの人の存在もデカい。

DVDの話にまた戻すと、とにかくPVを作ろうと思いはじめて。作ったわけだけれども、途中3.11という大事件が起きてしまって。急遽、そこに(DVD制作に)新たなアイディアが注がれたと。当初予定したものは、ある意味では全く違うものになって、こういう風にリリースされたわけだけど。ここに収録されている以上の、膨大な量の取材をしたわけでしょ? 

JUZU:まぁ、いろんな人には会ってるから。ある意味そうかもしれない。取材って感覚なのか、まぁ、あれですよね、話を訊いて......。

ドキュメンタリーだよね。いろんな人に喋らせるっていう。何故、こう、いろんな人の語りを、こういう風に入れようと思ったの?

JUZU:最初にそうやってインタヴュー的にやったのは沖縄が最初かもしれないですね。あのおばあちゃん。あと、マンちゃんっていう辺野古の基地の反対やってる、色黒のサーファーみたいなゴッツい女の人。あの人の話もその後に撮影して。

まぁ、3.11以前。

JUZU:以前ですね。ホピの人たちも2011年のお正月前だから。そこでああいう会話、2012年問題について。

あぁ。

JUZU:やっぱり『ホピの予言』っていう映画、いまも一応持ってきたんですけど、その映画を3.11以降、もう一回、こう......北山耕平さんっていう、70年代に『宝島』の編集もやって、ネイティヴ・アメリカン関係の(第一人者の)。あの人と熊本を一緒に旅したことがあって。そこですごく仲良くなって。まぁ変な話で。福岡で、マナバーガー(MANA BURGERS)ってベジバーガーやってる、えっと、トラさんって人がいて。で、〈ライフフォース〉のニック・ザ・レコードがベジタリアンで。〈ライフフォース〉のパーティで、ニックのまかない係もやってて。で、そのトラさんが、たまたま?僕のCDを買ったら良くて。サンクス欄見てたら〈ライフフォース〉の名前があって。福岡の僕のパーティに来てくれて。その人が「北山さん呼ぶから、MOOCHY君、一緒に遊ぼうよ」みたいな感じで。
 で、僕が九州住む上ですごい影響を受けた押戸石っていう、熊本の阿蘇山のふもとっていうか、火口ら辺にある、5000年前、6000年前からある祭事場があって。ストーンサークルがあるんですよ。そこはすごい光景で。そこに行った時に天皇家の支配じゃない日本をすごい感じて。ほとんど本土って天皇家の支配下だから、そこまで行くともっと原始時代っていうか。

縄文時代。

JUZU:そこに北山さん連れてったら、北山さんもすごい喜んで。そっから交流ができて、3.11以降、5日後ぐらいに北山さんに電話して、「『ホピの予言』もう一回観たいから、ちょっと連絡取りたい」って言って。北山さんから『ホピの予言』の制作者の人を教えてもらって。いろいろ話して受け取ったんですけど。で、もう一回見直したら、10年? 15年前に観た映画だから、よく覚えてなくて。でも、インパクトはあったから(実際に)ホピのところまで行ったけど、もう一回見直したら、「今後あまりにも文明が進んで、どこかの原発が津波かなんかで壊れて、みんなが大変なことになるだろう」って86年の映画で言ってて。鳥肌が立つっていうか。そのままになっちゃってんじゃんみたいな。

ホピの人とか、ああいう沖縄の人たちに取材をして。ひとつのドキュメンタリーを作りたいっていう意識があったの?

JUZU:いや......そういうのはあんまり無かったですけどね。ただやっぱりとにかく行って話聞くんだったら、リノ君のPV然りだけど......「何で?」って言われると、そこまでDVDを意識していたわけじゃなかった。
 なんか、自分自体が...そうですね、メディア自体、ある意味、僕を取り扱ってくれるところがないって思ってるから、多くの雑誌はスポンサードされたものでしか仕事受けなかったりとか、それでもいち部、良心的なジャーナリストとかやってくれるけど。自分自身がジャーナリスト的な感覚にならざる得なくなってきたし。自分自身がメディアにならなきゃいけないなと思ったし。今回、なんていうか、黙ったじゃないですか。雑誌も、新聞も、テレビも。でも、それを僕は3.11以降じゃなくて、以前から、そういう傾向がすごい強いなぁと思ってたし。たとえば音楽雑誌でも裏表紙が50万みたいな。そういうの聞いてたし。全部のメディアが金で動いてるっていうのがすごいあったから。だから自分がファンジン作ろうとか、アイディアは昔からあるはあるけど、それを仕事にするっていうよりは、さっき言った中高生のときにマクドナルドのことを知ったように、なんか音楽でもそれができるんじゃないかって。メッセンジャー的な......伝えなきゃ。自分が得たものを誰かに伝えないと、知恵と知識そのものは共有してナンボだと思うから。

東電の場面まで入ってるもんな(笑)。あれは何? 自分で東電に行って?

JUZU:ひとりで行って、ヴィデオだけ持ってて。なんでか、とにかく、どういう状況になってるのか見たくて。

それで、例の、逮捕されたさ、六ヶ所村のシール事件(笑)。

JUZU:はい、六ヶ所村の。はいはい。

あれはたまたまDJに行ったときにじゃないよね?

JUZU:たまたまじゃないですよ。もう全然六ヶ所村目的。目的として、六ヶ所村に行くことと、青森の弘前、ねぷたの人たち、ねぷたのオジサンのインタヴューもあるけど。ねぷたのオジサンたちと会って。9・11以降、僕がもういちど日本にちゃんと住もうって思ったきっかけは2002年の青森のねぷたっていうのデカくて。あそこに、500万人、来るのかな。

ホントにそういうモノが好きなんだね。

JUZU:いや、まぁ(笑)。ネクサスで、マドモアゼル朱鷺ちゃんがメンバーだったんですよね。朱鷺ちゃんの影響とかもすごいあるし。僕のまわりのメンバー〈ライフ・フォース〉のMassaさんにしても〈プレシャス・ホール〉のホールのサトルさんって店長にしても、そういう人の影響もあるとは思うし。自分の親父の影響もあると思うし。

ねぷただったんだ。

JUZU:ねぷたですね。

で、『ホピの予言』の上映会を自分でやってたんだよね。それは自分の持ち込み企画みたいな感じ?

JUZU:交通費も貰わないで、単純に1000円。見に来る人の1000円の7割だけだから。まぁ、交通費になるかならないか。しかもバイクで!

3.11の1ヶ月、2ヶ月後ぐらい?

JUZU:2ヶ月後ですね。4月にボランティアで行ってたから、被災地の状況も見てたし。それも今回の映像にも各所で入ってるけど。もう......びっくりっていうか。ホント酷い。ちょうど、なんかまた、縁が縁で、四十九日ら辺に行ってたんですよ。3.11から49日後。だから喪服の人とかもいて。やっぱり涙出ちゃう。野田さんも子供いるだろうから、自分の子供が死んじゃったよとか......。

まあね。だからね、シール事件もあったし、ぶっちゃけ、反原発とか、脱原発とかね。そういうモノを、もっと前面に押し出してるような企画モノなのかなって最初は思ってたのね。

JUZU:あぁ。

あと、(見終わって)2時間もあったんだって。長いよね?

JUZU:長いですよね。

作り込まれてないし、みんな正直に話してるじゃない? 

JUZU:そうですね。

たとえばさ、六ヶ所村の人もさ、お金、いちばん貧しい村にいきなりお金が降ってきたって。やっぱり、そのお金の話は沖縄の人も言っていて。みんな放射能のことは言うけど、お金の話はしないじゃない。そこがやっぱ現地の人の感覚としてひとつ大きいっていうのがわかる。お金とか、ネオリベラリズムとか、そういう問題にもなってくるっていうかさ。で、最後はカサブランカのタクシー運転手に宗教を語らせて終わるっていう(笑)。

JUZU:ま、厳密には、最後は剛が湖でっていうところなんですけど。だから僕、CD(『Movements』)の方にもちょっと文章とか載っけてて。「失われた記憶を取り戻す」っていうのが、そのテーマなんですよ。それの裏っていう感じで。

だよね。それをまさに、太古の自分たちの、ユニヴァーサルな音で表現しようとしてるのは、伝わってくるんだけどさ。だけどもっと、オレ、反原発みたいなテーマで完結しているのかなと思っていたの。デモのシーンもあるんだけれど、MOOCHYの場合、こういうことをひとりでやるってところが良いよね(笑)。

JUZU:ハハハ(苦笑)。協調性がないのかな。ただ、3.11以降も、僕は別に、(作品コンセプトを)曲げられたっていうか、『ホピの予言』じゃないけど、必然的なことだったと思うんですよね。こうなったのは。アレがなかったら、みんな無関心なまま、この国だけで(原発が)100基ぐらいできてた可能性だってあるじゃないですか。

浜岡も余裕で動いてたろうしね。

JUZU:ね? そう。僕は中学生の頃から「No Nukes」とかやってたから、核の問題とか戦争とかに興味あったし。パンクの影響とかもあったし。人種差別は、ヒップホップやレゲエやジャズから教わったし。やっぱり同じような何かを感じてたから。いまも自分なりに勉強、本読んだりとか、調べていくと、やっぱり奴隷制とか、原発の輸出、採掘、全部がやっぱ繋がってて。コンゴのウランの採掘と奴隷制っていうのは、ものすごく密接だし。ネイティブアメリカンやアボリジニ、沖縄の今のネイティブの人たちに対する扱いとかも、全部やっぱりそういう必然的な何かを感じてたから。だから3.11以降、やっぱり来たと思ったし、ぶっちゃけ。「やっぱ言わんこっちゃねぇ」って。ずっと福岡で住みながらも、玄海原発の反対署名、僕らのパーティやってたから。別に3.11以降に言いはじめたことでも何でもなくて。

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僕は中学生の頃から「No Nukes」やってたから、核の問題や戦争に興味あったし。パンクの影響もあったし。人種差別はヒップホップやレゲエやジャズから教わったし。やっぱり同じような何かを感じてたから。

JUZU a.k.a. MOOCHY
JUZU presents Movements "Beyond"

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音楽の力っていうのは、微力だと思う?

JUZU:音楽が無かったらもっと酷かったと思う。微力かもしれないけど、音楽があったから俺は社会的な意識を持てたし。音楽がなかったら...。

そこは間違いなく音楽の影響だからね。

JUZU:モチロン。

学校では教わってないと。

JUZU:モチロン。だって、音楽がなかったら、ホントにみんなロボットみたいになってしまうと思う。さっきの「失われた記憶を取り戻す」っていうのは、楽器だったり音色だったり、そういうところから先人の知恵を貰わないと、こういう現状の中で、ねぇ? こういうコップでコーヒー飲んで、iPhoneと西洋タバコみたいな状況になってて、音楽が心に響いてこなかったら、たぶん、そのまま管理されちゃうっていうか。すごい、なおさら音楽の重要性は大きいと僕は思ってるし。だから、微力とも思わない。

世のなかを動かしてるような人たちから見れば、微力だよ。

JUZU:いやぁ、でも、反対に言えば、彼らにとっても脅威だと思う。だから、いまのクラブとかデモとかに対する、この管理化はその裏返しでしょ。音楽って人を結びつけて、会話して、学び合ったり、協調し合ったりすることだから。管理する側にとってはすごくそれは邪魔なことだから。六ヶ所村のアレでも1週間以内で彼ら、僕のウェブとか全部チェックしてたから。PVまでちゃんと見てくれて(笑)。

ハハハハ。

JUZU:取り調べの刑事から、「アンタ、ホント音楽ちゃんとやったほうがイイよ」「アンタ、やってること間違いないから」って。「オレだって原発とかぶっちゃけヤダよ」だって彼も子供がいて、20km圏内1日で即死になるぐらいの量があそこにあって知っていて。あれが福島みたいなことになったら北半球全部が住めなくなるみたいなもんだってことを、多くの人はやっぱ知らないし。福島どころじゃないっていう。それを僕は伝えたかったから、、でも結果的に犠牲はすごく多かったんですよ。パクられたことで、それこそ家族にも迷惑かけたし、まわりの友だちに迷惑かけたし。すごい散々な思いはしてるけど。

なるほどね。どんなシールを貼ったんだっけ?

JUZU:「反原発」と「STOP KILLING OUR FUTURE」。核爆弾の製造と原発は全部リンクしてるから。

それは六ヶ所村のどこ?

JUZU:(六ヶ所原燃)PRセンター。

ハハハ、そんなね、シールを貼るのって、バンクシーみたいな、映画になるような芸術家のアート表現だってわかって欲しいね。

JUZU:ボム。ボムって......僕らみたいなスケーターとかは、当然、自分らのストリートはストリートだし。自分らのスタイルってあって。そういう攻撃対象っていうのもあって。いろんなメッセージをボムするっていうのも。自分がいるって言うこともひとつのボムだけど。バンクシーにしてもそうだけど。ああいうスタイルっていうか。別に中高生からやってるから。別に......って、説明すると大人気ないですけど(笑)。

(笑)そこだけは変わらないっていうか。

JUZU:変わらない。まぁ、しょうがないですよね。

DVDの最後はイスラム教の話で終わるけど。

JUZU:この何年かで、イスラム教に対してすごい関心が深まってて。でも本当の最後は、(沖縄の)マンちゃんの話で、ジュゴンの話があって。で、ラスト・シーンは剛が彼の実家の滋賀の琵琶湖に行くところで終わるんですけど。なんか、まぁ、自然回帰的というか。

あれがオチなんだね。

JUZU:あれはもっとパーソナルなところ。人間社会の(サイケデリックな)宗教っていう話から、ジュゴンみたいな同じ哺乳類で、予言、予兆的なことをやるそういう生命体の話。で、最後は湖。まぁ水に帰るみたいなのは、けっこう僕のなかでテーマとしてあって。故郷に帰るっていうのも、ひとつのムーヴメントだと思っているし。ま、今後も映像作品作るだろうから、もっといろいろやってみたいことはありますね。

今回のクライマックスとしては、世界中のいろんなところで起きているデモの映像のコラージュ映像なわけでしょ?

JUZU:それぞれ戦わなきゃいけないことがあるのかなぁって。デモすりゃいいとは思ってはいないし、違うやり方も全然あると思うんだけど。いま、良くも悪くもネットで、ねぇ? 情報交換出来るようになったから。覚醒しはじめてるのは間違いないし。

でも、よくひとりで作ったなぁと思いましたよ、コレをホント、労作を。

JUZU:(笑)。

ひとりのDJがコレを作ったっていうのが、すごい大きいなって思った。

JUZU:厳密にはマニュピレーターがいますけど、そうですね。なんか、偶然、必然な。もう作らざる得なかったっていうか。

MOOCHYってけっこう饒舌で、話しだす止まらないようなところがあるじゃない。いろんな話があって。

JUZU:(笑)あぁ。

だから、そういう意味で言うと、これは自分の言葉を抑えたよね

JUZU:聞き手な感じ。そういう意味では、DJっていう感覚はないけど、そういう感覚。素材を扱ってストーリーを組み立ててみたいな。そういう感覚は、最後のオチまで。最後はチルアウトみたいな(笑)

うんうん、まぁ、たしかにね。

JUZU:2時間のトリップっていう感じ。

なるほどねぇ、たしかにそうだわ(笑)。

JUZU:それで、認識をみんな、それこそ高めてもらいたい。

はい(笑)。

JUZU:なんかむちゃくちゃ喋ってるけど(笑)。

取材:野田 努

Movements

https://go-to-eleven.com/schedule/detail/547/2012/3

2012.03.10 Sat @ eleven

▼Dance Floor
SHHHHHH / BING aka TOSHIO KAJIWARA / JAKAM&THE SPECIAL FORCES / KUNIYUKI / TRIAL PRODUCTION feat TWIGY / JUZU aka MOOCHY / DJ TASAKA / BING aka TOSHIO KAJIWARA / Paint: KEPTOMANIAC / Dance:Nourah, Tanhq, Ayazones

▼Lounge Floor
DAI / ZIP(Zipangu Steel Orchestra) / MACKACHIN / Q / KILLER BONG / ALAYAVIJANA / SAHIB a.k.a. YAMA / 東京月桃三味線&RYOJIN / Dance: Nourah, Tanhq / Paint : WITNESS, LUVVINE

Chart by Underground Gallery 2012.03.02 - ele-king

Shop Chart


1

PORTER RICKS

PORTER RICKS Biokinetics (Type / 2lp) / »COMMENT GET MUSIC
THOMAS KONER & ANDY MELLWIGによる伝説的ミニマル・ユニットPORTER RICKSが、[Chain Reaction]から1996年にリリースし、今では完全廃盤の為、入手難となっていた、ミニマル・ダブの歴史的名盤「Biokinetics」が、遂にヴァイナル2枚組にて再発! 独ドローン / エレクペリメンタル界の大ベテランTHOMAS KONERと、DUBPLATE & MASTERINGの技師でもあるANDY MELLWIGによる重要ユニットPORTER RICKS が、[Basic Channel]への連鎖反応として設立されたミニマル・ダブのパイオニア的レーベル[Chain Reaction]から、記念すべきアルバム(CD)一作目として1996年にリリースしたダブ・テクノの金字塔が待望の再発。低音の音塊、複雑なエフェクトによる音響工作、グルーヴ、空間性、どれをとってもパーフェクト!これを聞かずにダブテクノは語れない、そんな一枚です。

2

PSYCHEMAGIK

PSYCHEMAGIK Dance Hall Days (Psychemagik / 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
DJ HARVEYプレイでお馴染みのWANG CHUNG「Dance Hall Days」をPSYCHEMAGIKがリミックス! UKの人気バレアリック・デュオ PSYCHEMAGIK新作は、"DJ HARVEY's Play Classic" として、あまりにも有名な、84年リリースのエレクトロ・ポップ/ロック古典、WANG CHUNG「Dance Hall Days」のリミックス。 同バンドのメンバーJUCK HUSSも参加し、オリジナルのポップな雰囲気はそのままに、PSYCHEMAGIKらしい、バレアリックな要素を注ぎ込んだ渾身のリミックスを披露。楽曲が楽曲なだけに、コレは間違いなく大きな話題を集める事でしょう~!さらにカップリングには、アシッディーなダブ・ディスコ・トラックに、変態的なヴォイス・サンプルを交えた「Beauty & The Bass」を収録。

3

V.A

V.A Vanguard Sound Volume 3 (Vanguard Sound / 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
昨年は大きな飛躍の年となったN.Yブルックリンの地下ハウス・レーベル[Plan B]周辺の注目アーティスト達が参加したコンピレーション12インチ! このコンピレーション・シリーズ、第一弾はHAKIM MURPHY主宰[Machine Dreams]から、そして前作の第二弾はDJ SPIDER主宰[Plan B]からと、毎回レーベルを変えながらリリースしていくようで、今回の第三弾は[Vanguard Sound]なる、このコンピレーションの為に設立されたと思われる新レーベルからの登場。アブストラクトにうねるアシッディーなベース・グルーヴでグイグイ引っ張るAMIR ALEXANDER、サイバーに発振するアシッドSEがヤバイCHRIS MITCHELL、ノイズ塗れの超キラーのパーカッシブ・ダブ・テックを披露したDJ SPIDERなど、全曲、お世辞抜きにオススメ!

4

LINDSTROM

LINDSTROM Quiet Place To Live (Smalltown Supersound / 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
LINDSTROMの新作を、大御所ロック・アーティスト TODD RUNGRENがリミックス! 良作品が続く [Smalltown Superworld]新作は、同レーベルの看板アーティストとして活躍する、ノルウェーの天才 LINDSTROM。 約4年ぶりとなる最新アルバム「Six Cups of Rebel」からの先行12インチ・カットとなる今作。もちろんオリジナルは当然の如く◎ではあるのですが、それよりも注目すべきなのがB面に収録されたリミックス!!何と手掛けているのは、70年代から活躍を続ける大御所ロック・アーティスト TODD RUNDGRENなんです!自身の長いキャリアにおいても初めて他人の作品をリミックスしているという事なのですが、共に美しいメロディーワークを信条とするこの2人、相性が悪い訳がありませんよね。

5

DELANO SMITH

DELANO SMITH An Odyssey (Sushitech / 3x12inch) / »COMMENT GET MUSIC
デトロイト伝説のDJ、KEN COLLIER最初の弟子の1人として、古くからデトロイトのハ ウス・シーンを支えてきた大ベテランDELANO SMITH、3枚組フルアルバム。 シカゴで生まれ、デトロイトで育ち、Jeff Mills、Eddie Fowlkes、Mike Grantなど を"生徒"に持つ事でも知られる、KEN COLLIERの最初の弟子の1人として、ディスコや ファンクDJとして、70年代後半から活躍する、デトロイトの歴史をする、大ベテラ ンDELANO SMITHが、活動開始から20数年を経て、待望の1stアルバムをリリース!

6

CAGE & AVIARY

CAGE & AVIARY Migration (Smalltown Supersound / 2LP) / »COMMENT GET MUSIC
カルト・レーベル[Dissident]、[Astro Lab]、さらには人気レーベル[Dfa]からも作品を残すロンドンのデュオ CAGE & AVIARY 1stアルバムがPRINS THOMASの[Internasjonal]から!レイドバック感溢れるダビーなギターリフが心地よい、極上バレアリック・チューン A1「Giorgio Carpenter (Director's Cut)」から幕をあけ、2008年に[Astro Lab]、2010年の自身の[The Walls Have Ears]からリリースされたヒット作「Friday The 14th」の未発表ヴァージョン「Part.4」、今では入手困難な、2007年リリースの 1stシングル「Television Train」(後に[Dfa]からもライセンスリリースされました)、ロッキンなワウギターが◎な「Good Eg,Bad Apple」、初期シカゴ~アーリー・ディスコ・ライクな「Migration」など、圧巻の2枚組 全9トラックを収録! 収録作品、そのいずれもが、12インチでリリースされても、不思議ではない、圧倒的な仕上がりです。間違いなく2012年を代表するアルバムとなることでしょう~。DJ HARVEYやPRINS THOMAS、TIM SWENNY、BRENAN GREENらのプレイも確実!ディスコ方面の方は絶対にチェックしておいて下さい。大・大・大推薦!

7

GENE HUNT

GENE HUNT Then & Now Ep (Hotmix Records / 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
80年代から活動するシカゴのベテランGENE HUNTの新作12インチ!808 STATEの「Pacefic」ライクなA2、GINO SOCCIO「Dancer」ネタのB2など。 MARCELLO NAPOLETANOを筆頭に、CARL BIASやJOE DRIVEなど、良作をリリースしてきた、SIMONCINOが主催するイタリアの注目プトロ・ハウス・レーベル[Hotmix]の新作は、言わずと知れたシカゴ・レジェンドGENE HUNTによる新作12インチ。 往年の[Relife]レーベル辺りの作品を思わせるような、叩きつけるようなゲットー・シカゴなリズムに、アトモスフェリックなシンセ・シークエンスを走らせたA1、どことなく808 STATEの「Pacefic」に似た透明感と爽快感のあるパッド・シンセが浮遊するA2、定番ディスコ・クラシックGINO SOCCIO「Dancer」を大胆にサンプリングしたB2など、シカゴ節全開の4トラック!流石ベテラン、いぶし銀な1枚です

8

V.A

V.A Love And Money / On The Run (Moton Records Inc. / 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
既に IDJUT BOYS、HORSE MEAT DISCOらがプレイ中。DJ HARVEYもリリースを残す UKの老舗リエディットレーベル[Moton]久々の新作!! DJ HARVEYの[Black Cock]と並ぶ、UKの最重要リエディット専科[Moton]久々の新作。今回はレーベル代表 DIESEI & JARVIS、さらには[G.a.m.m]の THE REFLEXが参加した1枚。 まずA面には、HERB ALPHERTの "Loft"/"Deep Space"クラシック「Rotation」に、妖しげな男女混合のヴォイス・サンプルが絡みつく「Love & Money」、B面には [TK Disco]的なトビ感のある、ダヴィーでトロピカル・ムードなパーカッションを鳴らした、ミッド・テンポな女性ヴォーカル・ディスコ「On The Run」を収録。

9

JAMES MASON

JAMES MASON Nightgruv / I Want Your Love (Rush Hour / 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
77年にリリースした 自身唯一の作品にしてレアグルーブ史に残る名作「Rhythm Of Life」でもお馴染み、ROY AYERS UBIQUITYの名盤「Lifeline」にギタリストとして参加していた事で知られる JAMES MASONによる、超レア楽曲でもあり、THEO PARRISHが頻繁にプレイする事でもお馴染みのダンス・クラシックス「I Want Your Love」、「Nightgruv」が、アムスの名門[Rushhour]から12インチ復刻! 11分を超えるスローモー・ソウルな「I Want Your Love」、ミニマルなシンセ・リフと、黒いベース・グルーヴが◎な、ディープ・ハウス風サウンド「Nightgruv」、どちらもTHEO PARRISHのプレイする事でもお馴染みの楽曲です。

10

NICHOLAS

NICHOLAS MORNING FACTORY / Looking (X-Master/ 12inch) / »COMMENT GET MUSIC
イタリアのNICHOLAS、オランダのMORNING FACTORYという、これからのシーンを担って行くであろう注目の新世代ハウサー2組による キラー・ボム!! [No More Hits]、[Quintessentials]、[Dikso]を筆頭に様々なレーベルから作品をリリースし、日に日に注目度の増す、イタリアの NICHOLAS、[2020 Vision]や[Yore]、[Royal Oak]などからリリースを残す、オランダのデュオ MORNING FACTORYが、新レーベル[X-Masters]より新作をリリース。間違いなくダブルA面と言っても過言ではない今作、まずA面に、淡く幻想的なコードや、艶やかな女性ヴォーカルをフィーチャーした、90年代中頃のN.Yディープ・ハウス作品を彷彿とさせるNICHOLAS、B面には力強くグルーヴィーなディープ・ハウスを披露した、MORNING FACTORYの作品を収録。どちらもホント最高です!

前野健太とDAVID BOWIEたち - ele-king

 前野健太は大声で歌っていた。キャバレーの跡地に集まった人たちは、それぞれにごくふつうの、しかしどこかいびつな、一度きりの人生を持ち寄って、彼の歌を聴いていた。ある意味においては、それ自体が人生の寄り道というべきものだが、その音楽の前で泣く者もいれば叫ぶ者もいたし、私はといえば、前野がしゃべる度に笑い、彼の歌を聴きながら、やはり、何度か泣いた。そして、すべての素晴らしい時間がそうであるように、その情熱的な夜もあっという間に過ぎていった。

 まだ17時を迎えるかどうかの新宿歌舞伎町には、昼という健康的な時間帯の気配が少し残っていた。私は、正体を隠したその街の、けばけばしい夜の俗っぽい姿を想像しながら、目的の場所に向かった。風林会館の5階、ニュージャパンと名のついたキャバレーの跡地だ。その街並みに、少しだけ昔を思い出していた。私が学生時代を過ごした街にも、その地方で有名な巨大繁華街があったのだが、そこにあったのが夢だったのか、なんだったのか、いまだによく分からない。あの街の大元、本家本元ともいえるこの街の住人にとって、風林会館がどういった意味を持つ建物なのか、私はいっさい知らないが、ある時代の象徴として残されたのだとしても不思議ではない、そんな空気を持った場所だった。おそらくは多くの夢が語られ、愛が騙られ、叶えられることのなかったたくさんの約束が交わされたのであろう、その場所は、色あせた熱気の余韻をほんの少しだけ漂わせ、現在では興行用の貸しスペースとして使用されているという。

 一緒に行くはずだった野田編集長から急に都合がつかなくなった旨の連絡を受け、話し相手もいなかった私は、その場所に集まった人たちを眺めていたのだが、筆者と同年代、つまりは20代の客がほとんどだったように思う。男女比も同程度で、イケてるのもいれば、あまりパッとしないのもいたし、美人もいれば、そうでないのもいた。そして、素晴らしことに、カップル連れが多かった。皆、街を歩いていればお互いを気にすることもなさそうな、平たく言えばごくふつうの人たちに見えた。文庫を読む人、雑誌を読む人、スマートフォンでSNSをいじる人、連れと談笑する人、アルコールを淡々と飲む人......皆、思い思いの方法で開演を待っていた。それぞれの人生の続きに、前野健太の歌を待っていた。

 そして、前野健太とDAVID BOWIEたちは、定刻通り、興行用の低いステージに現れた。ホストを意識してきたという、襟を立てた白シャツのボタンを3つか4つほど外した前野と、同色のダーク・スーツで揃えたバンド・メンバーたち。冗長性や無用な文学性を排し、下ネタと直截による通俗性に徹してきた彼らにとって、生々しい欲望の臭いがしみ込んだその会場は、慣れ親しんだホーム・コートのようだった。「ライク・ア・ローリン・ストーン、ライク・ア・ローリン・ストーン、ライク・ア・ローリン・ストーン」......"石"の身軽な疾走と、DAVID BOWIEたちのタイトな演奏と、印象的なリフレインで、そのショウは始まった。早々と高まってくる意識の脇で、『トーキョードリフター』に寄せて自分が書いたことをぼんやり思い出していた。気取った言い回しが多かったかもしれないが、それは要するに、どんなミュージシャンであれ、いい時もあれば悪い時もあるし、前野にはそれを隠さず、無様ではあっても堂々と歌い続けてほしいという、駆け出しのライターからの生意気なメッセージだった。

 早々に白状してしまうが、私はこの日、ライヴのレポートを書くか、ただ一人の客として観るか、編集部ともとくに決めていなかったので、いちいちメモも取っておらず、細かいセットリストは覚えていない。が、曲の終わりや間奏に前野がギターをめちゃくちゃにかき鳴らすアップな曲も、弾き語りに近い形で情熱的に歌い上げられる甘いメロディも、私の心を強く打った。月並みな感想になるが、はっきり言って、どのスタジオ録音よりも素晴らしかったし(前野の名誉のために、"ヘビーローテーション"の弾き語りサービスがあったことは内緒にしておこう)、最後まで最初のバンド編成でも自分は満足したと思うくらい、演奏には気合が入っていたが、途中、演奏メンバーは何度かチェンジした。前野のソロ弾き語り、ゲストに石橋英子を迎えての"ファックミー"、また、前野が引っ込み、石橋英子とDAVID BOWIEたちになる時間帯もあったのだが、4人が即興で披露した"青パパイヤ(歌舞伎町ver.)"は、まるでROVOのような、ミニマルなトランス・ロックの豪快なセッションだった。

 意外、と言ったら失礼か。前野のMC、曲間の立ち振る舞いが上手いことには驚いた。客の煽りを右から左に適当に受け流し、ときにボソッと応え、いじり・いじられる様は、それだけでじゅうぶんに笑えた。フロアには笑顔が多かった。あるいは、そう、"豆腐"で、「これが幸せというやつなんだ」と声を荒げ、苛立ったように歌う前野を見れば、古市憲寿ももしかしたら分かったかもしれない。私たちは別に、この先上向きそうもない今の生活に心から満ち足りているわけではない。それを否定してしまってはほとんど何も手に残らないことを見越したうえで、それぞれに与えられたそれなりのサイズの人生を、それぞれの立場で謙虚に受け入れているだけだ。そう、その夜、キャバレーの跡地に集まった人たちは、それぞれにごくふつうの、しかしどこかいびつな、一度きりの人生を持ち寄って、彼の歌を聴いていた。ある意味においては、それ自体が人生の余計な寄り道というべきものだが、そこで泣く者もいれば、叫ぶ者もいた。終盤、前野の声は何度か裏返っていたが、どんなにフレンドリーな空気のなかでも、それを笑うものはいなかった。ショウの最後まで、音が鳴りやまないうちに割れそうな拍手が沸き起こったり、聴き入ったフロアの客が、前野が拍手を求めるまで立ち尽くしたりする、そんな状況が続いた。

 繰り返すが、このあたりは聴き入っていたので記憶がハッキリしない。アナログフィッシュが登場してのツアー表題曲、"トーキョードリフター"は、手短ではあるが強烈なフックのあるイントロのリフが鳴った時点で、この日もっとも会場がわいた曲のひとつだったが、アンコールも含めた終盤はとにかくクライマックスの連続だった。"マン・ション"、"友達じゃがまんできない"、"18の夏"、"天気予報"、そして、"東京の空"。ダブル・アンコールに応えた途端にステージから素で落下したときはどうなるかと思ったが、会場の中央に残された花道で歌った、アンプもセクシー・リバーブもなしの生歌"あたらしい朝"は、過去と未来のあいだのどこかにある、グレーゾーンとしての現在を不恰好に生きる、私たちや、新宿の夜を生きる誰かの営みへの想いとして、あれからもうじき一年になるいま、もしかしたら特別な意味を持った曲だっただろうか。またその前後、「いろいろやばい状況なわけですが、歌は作っていきますので」と、思わず口をついて出たひと言は、この夜、もしかしたら言わないと決めていた類のものだったかもしれない。

 しかし、すべてをやり通し、関係者と、完売したチケットを握って会場に集まったファンに何度も頭を下げる前野の姿からは、感謝や、戸惑いや、充実感や、この夜3時間近くかけて溶かした不安の重さが感じられた。思いどおりのリアクションがフロアからもらえなかったり、思わぬツッコミに演奏を何度も止めたり、花道を平行移動するマイクに前歯をぶつけたり、すでに述べたが、最後の見せ場でステージから落下したり、お世辞にもヒーローといった立ち振る舞いではなかった。そう、この夜の前野は、まさに転がる石のようだった。最初はここに、「昭和のグランドキャバレーに宿る亡霊たちがこのライヴを観たら、どんな反応をしただろう?」なんてことを、もっともらしく書こうと思っていたのだが、やめた。そんな「たら・れば」は必要ない。前野はこの夜、いまの時代をそれぞれのサイズで生きようとする観客たちから、惜しみない拍手を浴びていた。それ以上の評価はおそらく、ない。この次、また前野のライブに行ける機会があれば、私は恋人を連れて行こうと思う。

 3番目の出演者のアルフレッド・ビーチ・サンダルはこう言った。「今回はオルタナっていうことで話題になったようで......」(中略)「で、最終的にはオルタナとはなんぞや? と」、と言った。「オルタナとはなんぞや?」、筆者なりにひとつのメタファーとして答えてみる。人は言う。若者(20代)の70%はいまの社会に満足していると。ならばオルタナとは残りの30%。筆者が若者だった頃は、少なく見積もっても90%の若者がそのときの日本に満足していだろう。もし現在のそれが70%であるのなら、オルタナも増えてきたと言えるかもしれない。

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Alfred Beach Sandal

 そんなわけで筆者と小原泰広はまたしてもタッツィオのライヴに行った。これぞオルタナ道。この重苦しい時代においてふたりの若い女性によるバンドは、美少年タッツィオ(タージオ)=ヴェニスに死す=トーマス・マン≠ルキノ・ヴィスコンティを主張する。このはんぱない反時代性、それこそ我々を惹きつけてやまない要因のひとつだ。
 この日は他のラインナップも魅力的だった。ちょうど2日前、我々は恵比寿ガーデンホールでスピリチュアライズドのライヴを観た。筆者にとってそれは19年ぶりのことで、20代の最後に観たのライヴがスピリチュアライズドだったかもなと思いながら、90年代リヴァイヴァルを目の当たりにした。これはその2日後のことだ。〈晴れたら空に豆まいて〉に来たのは初めてだったが、感じの良いヴェニューだった。

 ライヴとはつくづくナマモノだ。この日、最初の出番となった部長とリーダーは、同じ曲を演奏しているというのに、1週間前と同じバンドとは思えないほど、良かった。"Nosebleed"~"HB"のはじまりは見事で、ロックンロールの感覚的な魅力を見事に表していたし、"NOMISO"や"SICK"のようなパンク・ソングも冴えていた。彼女たちのアンチ・(メロ)ドラマツルギーな響き、反叙情的な痛快さ、そのデタラメな疾走感、バンドの長所がぜんぶ出ていた。チューニングの合っていないノイズ・ギターとミニマルなビート。一瞬、初期のワイアーみたい、と思った。
 続いて登場した昆虫キッズは、二枚目のモッズ風のヴォーカリストを中心にしたバンドで、捻りがあるとはいえこの日に登場したなかではもっともポップだった。続いて、エレキング界隈での評価も高いアルフレッド・ビーチ・サンダル。バンド編成での演奏ははじめて間もないという話だが、リズミックな展開において一時期のトーキング・ヘッズを思わせるような、狂気においてはキャプテン・ビーフハートを思わせるような、ポテンシャルの高いライヴだったし、ヴォーカリストの青年からは秘めたる強烈な拒絶の感情を感じ取ることができた。このバンドはこの先さらに化けるだろう。トリをつとめたGellersはバンドとして成熟していた。何と言っても演奏、アンサンブルがしっかりしている。トクマル・シューゴは格好いいし、ドラムとベースの素晴らしいコンビネーションを土台にしながらエモーショナルに展開する彼らの楽曲には精巧さと力の両方があった。
 
 わずか50人規模のライヴ空間は面白い。たったいま起きていることに立ち会える。30%の人間にとってこんな贅沢はない。30%、がんばろう。経験的に言えば、たいへんなことも多々あるが、楽しいこともたくさんある。




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THE GIRL, TADZIOほか - ele-king

 DOMMUNEで「GOTH-TRAD特集」をやった翌日の晩、筆者はブルックリンのライヴハウスにいた......というのはもちろん嘘だが、沢井陽子さんが本サイトでレポートしているようなイヴェントにいた。2月14日、いわゆるヴァレンタインのチョコレートには縁のない筆者と小原泰広は、小雨の降るなか、3組のガールズ・バンドが出演する新代田の〈FEVER〉に向かった。「BATTLE AnD ROMANCE」という名前のイヴェントで、筆者のお目当てはタッツィオである。
 7時になると最初のバンド、THE EGLLE が登場。ヴォーカル&ギター、ベース、ドラマーの3人組のガールズ・バンドで、「グッド・イヴニング」という英語の挨拶からはじまった。音は初期のキュアやデルタ5といった感じで、気だるいミニマルなビートとぺらぺらのギターが暗いムードを誘い、(オーディエンスとコミュニケーションをはかるというのではなく)引きこもりを思わせるヴォーカルが際だっている。〈4AD〉リヴァイヴァルとも重なっている雰囲気もあって、興味深い演奏だった。

 この日の主宰者はきくりんと呼ばれていた21歳の青年で、長州ちから(28歳)という名前のパートナーと一緒にセット・チェンジの合間のDJとMCも担当していた。歌謡曲をかけたり、ヒップホップをかけたり、ハードコアをかけたり、意味がわからなかったが、とにかく陽気で、バカみたいにご機嫌な連中だった。ちょっとオタクっぽくも見えたが、絶えずツイッターをやっているようなタイプではなかったし、どこか20年前の小林を彷彿させた。「BATTLE AnD ROMANCE」の主題は? と訊いたところ「クロスオーヴァーであります」と21歳は語気を強めていたが、それは多くの自由時間をPCの前で過ごしているSNS世代への反発とも受け取れなくもない。

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 7時半を過ぎて、ステージにはタッツィオのふたりが登場する。いきなりラウドなノイズ・ギター、そのすぐ横ではドラマーがしっかりとリズムをキープしている。ルックス、そして演奏にもポップとノイズが衝突しているが、実に感覚的なこのバンドが素晴らしいのは、言葉に酔うことを拒むかのような衝動、その威力、その勇気にある。「ブス」「こんにちわ」......闇雲にわめき散らしている彼女たちを観ていると、微笑みがこみ上げてくる。説明よりもノイズが先走る。言葉を口から出す前の、そのうまく言えないもどかしさを音は突き抜けていく。そう、いい感じです。新曲の"3939"は素晴らしいドライヴ感を持った曲で、演奏は後半のほうが良かった。何度もライヴを観ている人に訊いたら、その日の出来は60%ぐらいだったとか。

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THE GIRL

 8時を過ぎると日暮愛葉率いるTHE GIRLが出てくる。THE EGLLE と同様に3人組のガールズ・バンドで、ヴェルヴェッツの"フー・ラヴズ・ザ・サン"をBGMに演奏ははじまった。そしてTHE GIRLは......ロックンロールのジェットコースター、ドラムとベースが創出するグルーヴは素晴らしいうねりとなって、オーディエンスをすっかり魅了する。彼女たちの演奏は否応なしに身体を揺らすもので、気持ちをどんどん上げていく。
 THE GIRLを訊いていると筆者は13歳のときにラジオで大貫憲章さんが紹介した"シーナ・イズ・パンク・ロッカー"すなわちロックンロールというものを初めて聴いた夜の気持ちを思い出すことができる。音楽を聴いて、生きていることにわくわくしてくる。それはいつまでも変わることのないファンタジーであり、ロマンスであり、永遠なのだ。

 これだけの圧倒的なステージのあとに出演するバンドは、ちょっと気の毒だった。杏窪彌(アンミン)は台湾人の女性ヴォーカルをフィーチャーしたバンドで、相対性理論を思わせた。MCは中国語と日本語だった。トリを飾ったバンドは、男ふたり組のGAGAKIRISEで、ライトニング・ヴォルトを思わせた。それぞれ個性的なパフォーマンスだったし、GAGAKIRISEは迫力満点の演奏によって、今後おそらくもっともっと知名度を上げていくだろう。
 しかしこの晩に限って言えば、誰が何と言おうとチャンピオンはTHE GIRLだ。久しぶりにロックンロールで踊り、筆者は彼女たちのロックンロールにプラトニックな恋に落ちたのである。

THE GIRL

Marsimoto - ele-king

 ケルンの企画レーベル〈マガジン〉からリリースされたアクゼル・ヴィルナーによるループス・オブ・ユア・ハート名義『アンド・ネヴァー・エンディング・ナイツ』はアブストラクトな展開を意図したものだけれど、これがあまりにもクラウト・ロックの過去をなぞるだけで、単純にがっかりさせられた。ヴィルナーがザ・フィールドの名義で追求してきた快楽モードのシューゲイザー・ミニマル・テック-ハウスはいつも完成度が高いだけに、余計にキャパシティの限界を見せられたようで、欲が裏目に出たという印象も。イェン-ユーベ・ボイヤーやドラムス・オブ・ケイオス(ヤキ・リーヴェツァイト)にはじまった同シリーズは、今後、ヴォルフガング・フォイトやカール・セイガン(!)へと引き継がれるらしい。

 クラウトロックというのは、間章か誰だかが書いていたことだけれど、60年代のドイツでは「アメリカのコピー」でしかなく(たとえばボブ・ディラン)、これに対する猛反省から生まれてきたものだと言われている。本当かどうかは知らないけれど、クラウス・ディンガーやホルガー・シューカイ、あるいはラルフ&フローリアンやマニュエル・ゲッチングが独自の音楽性を切り開いたことはその通りで、その強度が現在に至っても衰えないことは、それだけオリジナルを生み出そうという妄執に煽られていた証左ではあるだろう。そして、その後はパンク・ロックやニューウェイヴを加工したノイエ・ドイッチェ・ヴェレにしても、シカゴ・アシッドやデトロイト・テクノをお手本としたジャーマン・トランスからエレクトロ・リヴァイヴァルに至る流れにしても、ドイツというカラーがそこにしっかりと存在していることは周知のことである。

 しかし、ドイツにおいてヒップホップは、いまだに「アメリカのコピー」から脱却できないジャンルである。マッシヴのようなギャングスタ系しかり、インタレックのようなムダにジャジーな感じも同じくで、ロックやテクノと違ってブラック・ミュージックに対するコンプレックスが払拭できないのか、どうにもドイツらしさが出てこない。そんなにあれこれと聴いているわけではないけれど、エレクトロニカと融合したいくつかのものと、MIAの影響下から出てきたらしきルーシー・ラヴが最初はちょっとよかったかなーという記憶があるぐらいである。

 07年からマーテリアとして3枚のアルバムを残してきたマーテン・ラシニーがマーシモトというスペイン語に名義を改めてリリースした『グリュナー・ザムト(=グリーン・ヴェルヴェット)』は、これで一気にドイツのヒップホップが変わってしまうとは思わないものの、なるほどこれはドイツでしかないと思わせるユニークな音楽性に彩られている。まずはスマーフ男組と同じくラップがすべてロボ声で、これが最後まで実に楽しい。サウンドがしっかりとつくられているせいで相乗効果が持続し、ドイツ語なので何を主張しているかはともかく、いきなり「バラク・オバマ!」と来たりして、ネットで調べた限りは(二木信が好きな)コンシャス系のようである。もしかしてデザインも緑の党を意識しているのか?(ちょっと難しいかもしれないけれど、可能なら限定盤のジャケットに触ってみて下さい。アマゾンではなぜか限定盤の方が安いし)。

 オープニングからロボ声でマッシヴ・アタック、2曲目からヒップホップ・サウンドになる......といっても、もちろんUSメイドではなく、ヨーロッパに渡ってウェットになり、腰の重いリズムに派手なSEで景気をつけていくパターン。やはり、最近はベース・ミュージックやダブステップを意識せざるを得ないのか、モードセレクターと同じようにテクノのエッジとウェットなリズムをどう絡み合わせようかという発想になるのだろう、エレクトロに隣接した"グリーン・ハウス"や"アリス・イン・ヴラン・ランド"を基本としつつ、これにバリアリック調の"マイ・クンペル・スポールエィング"やクラフトワークを再構築したような"アングスト"、あるいは、ネジが狂ったようにワールド・ミュージックのサンプリングを組み合わせた"インディアナー"やモンドを掠めた"イッヒ・ターザン・ドゥ・ジェーン"がさまざまに色をつけていく(デア・プランがマジでヒップホップをやってると思いなまし)。ドイツでは移民を中心としたターキッシュ・ラップも盛んだからか、"アイ・ゴット・5"や"ブラウ・ラグン"ではトルコ風の旋律も取り入れられ、リベラルなところも見せる一方で、ドイツ民族の高揚を煽る(ように聴こえる)ような"ヴォー・イスト・ダー・ビート"で「アメリカのコピー」には大きく距離をあけていく。いや、素晴らしいです。難をいえば、ボーナス・トラックとして収録されているテクノ・リミックス("アイ・ヘイト・テクノ・リミックス"となっている)がちとウザいぐらいか。AKBじゃないのにヘビロテ~。

Chart by STRADA RECORDS 2012.02.14 - ele-king

Shop Chart


1

ROCCO & C.ROBERT WALKER

ROCCO & C.ROBERT WALKER I LOVE THE NIGHT-LOUIE VEGA REMIXES FOLIAGE(FR) »COMMENT GET MUSIC
スマッシュ・ヒットしたディープで大人っぽいこの男性ヴォーカル・ハウスにナントLOUIE VEGAによるリミックスが登場!

2

FUDGE FINGAS

FUDGE FINGAS MASS X REMIXES FIRECRACKER(UK) »COMMENT GET MUSIC
Prime NumbersからもリリースしていたFudge FingasがFirecracker Recordingsからまたまた限定盤をドロップ!しかもVakulaとJuju & Jordashが片面ずつリミックスを手掛けた豪華な内容!メロディアスなヴァイブやスペイシーなシンセが絡み合う洗練されたディープ・ハウスのVakulaサイド、やはり遅めなBPMでダビーに展開してきたJuju & Jordashサイド共にさすがの出来!オーダー数がショートしての入荷なのでお見逃しなく!

3

A SAGITTARIUN

A SAGITTARIUN CARINA EP ELASTIC DREAMS(UK) »COMMENT GET MUSIC
第1弾の前作もクオリティーが高かったこのレーベルからの第2弾!ファンキーなブレイクビーツ・ハウス的なビートで始まり、デトロイト・テクノ風なディープなシンセが加わるA1が鳥肌モノのカッコ良さ!ディープ&スペイシーなテック・ハウスのA2もグッド!

4

5 KING'S

5 KING'S GIRL YOU NEED A CHANGE OF MIND AMOUR(FR) »COMMENT GET MUSIC
Marvin Gayeのハウス・リミックスが大ヒットした第1弾も記憶に新しいこのレーベルからの第2弾が入荷!Eddie Kendricksによる名クラシック「Girl You Need A Change Of Mind」を筆頭に、ナントKenny Dixon Jr. のレア曲「Lt 1」やJames Brownネタのエディットまで収録!

5

DISTANT PEOPLE

DISTANT PEOPLE UNCONDITIONAL LOVE(feat.NICKSON) SEASONS LIMITED(FR) »COMMENT GET MUSIC
Sole ChannelやLargeといったレーベルから数多くの作品をリリースしているUKのクリエイターJoey SilveroによるプロジェクトDistant Peopleが男性ヴォーカルものをリリース!グルーヴィーなオリジナル・ミックス、A2のディープめのリミックスあたりがオススメ!

6

TENDERNESS

TENDERNESS GOTTA KEEP ON TRYING-DJ HARVEY EDIT RCA (US) »COMMENT GET MUSIC
オリジナルはレアなこの曲が、オリジナル・ヴァージョンに加えナントIdjut BoysのレーベルNoid RecordingsからリリースされていたDJ Harveyによるリエディットも収録してのミラクル復刻!ソウルフルでパワフルな極上女性ヴォーカルものです!オリジナルの中古もですがHarveyのエディットの方も相当レアだっただけにこれはビックリです!

7

OOFT!

OOFT! MEMORIES FOTO(UK) »COMMENT GET MUSIC
Instruments Of Rapture等からもリリースしているUKはグラスゴーの2人組OOFT!が自身のレーベルから登場!まったりウォーミーなビートダウン・ハウスと、硬質でカッコいいテック・ハウスをカップリング!

8

MAM

MAM MODERN HEAT EP FINA(UK) »COMMENT GET MUSIC
20:20 Vision傘下の注目レーベルFina Recordsからの注目盤!Wolf + Lamb主宰のW+L Blackレーベルからの「Mam Edits」が当店でも売れたMamによる、80'sダンス・クラシックスをネタに使用したグルーヴィーで上質なブギー・トラックス!

9

CHUBBY DUBZ

CHUBBY DUBZ DIRECT EXPERIENCE LOUNGIN (UK) »COMMENT GET MUSIC
Moodymannネタの「DOIN' YA THANG」で大注目されたOliver $絡みのユニット!ディープ&スペイシーなB1、ウッド・ベースがジャジー且つ濃厚な雰囲気を演出しているB2が◎!

10

BUCIE

BUCIE GET OVER IT FOLIAGE(FR) »COMMENT GET MUSIC
Black Coffeeの大ヒット曲「Superman」でヴォーカルを務めていたBucieのソロ作が人気レーベルFolliageから登場!リミキサーにはEzelが参加しており、メロディアスで洗練されたトラックにあの可憐な歌声が乗った極上な仕上がりとなっています!

SND, NHK JAPAN TOUR 2012 - ele-king

 エレクトロニック・ミュージックのさまざまな局面で、IDM/アブストラクトの波がふたたび訪れている今日、1990年代末に高校生で〈ミル・プラトー〉からデビューしたコーヘイ・マツナガ......自らをNHKyxと名乗るこの青年こそ、UKの〈スカム〉、ベルリンの〈ラスターノートン〉などから素っ頓狂な作品を発表し、つい先日は英『ワイアー』誌にも記事が掲載され(その翻訳は次号の紙エレキングに掲載されます)、そして〈ラフトレード〉の新しいコンピに参加したり、センセーショナル(元ジャンブラ、ラッパー界におけるリー・ペリー)との共演を出したり、故コンラッド・シュニッツラーと共作したり......と、つい先頃はSNDとの共作を〈PAN〉から発表したりとか、大阪とベルリンを往復しながら作家活動をしている、いまもっとも勢いのあるエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーです!
 コーヘイ・マツナガが3月初旬、シェフィールドのミニマル/IDMの大御所、SND(名作『Stdio』などで知られる)といっしょに日本ツアーをやります! コーヘイは......いまもっともユニークなIDMの作家であり、自由奔放な活動を展開する、ミステリアスな青年です。
 ツアーは3月2日の名古屋から出発。大阪ではアルツのレーベルから素晴らしいアルバムを出したaSymMedley、東京公演には〈ラスターノートン〉のレーベル・メイトでもあるAOKI Takamasaも出演する。

SND, NHK JAPAN TOUR 2012

■名古屋
3月2日 @ Club Mago
Open-22:00/End-05:00
ADV-2500 / Door3000
Live:SND、Mark Fell、 NHK、Araki
Dj:Tomoho (IWY)、Vokoi (ARch)
VJ:Vokoi
https://arch-project.com
https://i-want-you.jp

■福岡
3月3日 @ Blackout
Open-21:00 (50人限定)
Live:SND、Mark Fell、NHK、Kouhei Matsunaga、sho nakao
https://popmuzik.jp

■広島
3月5日 @ Club Quattro
Open-18:00/Start-19:00
ADV-2500 / Door3000
Live:SND、NHK、Stabilo (speaker gain teardrop)、Skip club orchestra、Hideride (pausemo)
DJ:AVOAVOA (aka kenji yamanaka)

■京都
3月7日 @ Club Metro
Open-19:00/ End-25:00
ADV/Door-TBA
Live:SND、NHK、SPsysEx
Dj:Tsukasa、Tatsuya
https://www.metro.ne.jp

■大阪
3月9日 @ Nuooh
Open-19:00 End-25:00
DOOR/3000
Live:Mark Fell、Kouhei Matsunaga
SOUND ACT:aSymMedley (ALTZMUSICA/Childisc/REPHLEX)、 NUEARZ (Skam Records)、Yuki Aoe (-:concep:-)、hypotic inc
VISUAL ACT: Ken Furudate (ekran/The SINE WAVE ORCHESTRA)、Kezzardrix (Bias Records)、Kazuhisa Kishimoto、イケグチ タカヨシ (haconiwa)
https://officials.tank.jp/concep

■東京
3月10日 @ WWW
Open-23:00
ADV-3000/Door-4000
Live:SND、NHK、Aoki takamasa + More more
https://bridge.tokyomax.jp/

3月11日 @ Soup
OPEN/START ???
Door-2500
(Reservation Required. Send your details to: ochiaisoup@gmail.com)
Live:Mark Fell、Kouhei Matsunaga、Miclodiet、Jemapur、Vegpher (Keiichi Sugimoto)
DJ:Nobuki nishiyama
www.sludge-tapes.com

■SND

SND

SNDはUK シェフィールド出身のMARK FELLと MAT STEELによるデュオ。 1998年に結成。"click&cuts現象"とまで呼ばれたシーンの中心となるアーティスト。 Mille Plateauxからアルバムを3枚, raster-notonからの2009年4thアルバムをリリース。 プログラマーでもある彼らの音楽は、ミクロに練り込まれたグリッチ音をミニマルかつ緻密に構成しながらも、常に躍動感を保持し続ける独自のミニマル・エクスペリメンタル・サウンドを展開している。
無機質でいて脈打つ自然のような、計算されている一方でバグと戯れるような、不思議なグルーヴ感とリズム、そして絶妙の間。今回、2008年以来4年ぶりの日本でのLIVEとなる。
www.makesnd.com

■Mark Fell
近年 "Edition Mego""raster-noton"から立て続けにアルバムをリリースし注目を集めているMark Fell。2008年にはバルセロナで開催されている世界最大級の音楽フェス"Sonar"へも出演。実験性と複雑さとシンプルが共存し、ユーモラスかつエンターテイメント性を持たせた絶妙なバランス感覚の上に成り立ったその音楽は、美しくマイクロスコピックなミニマルサウンドで空間性、歪なリズム、時間感覚を表現している。
また、アーティストエンジニアとして巨匠と呼ばれる人達の作品を影で支えている人物でもある。意外にもソロでの演奏は日本初披露となる。
www.markfell.com

■NHK
2006年, マツナガ・コウヘイとムネヒロ・トシオにより大阪で結成。 
2008年、ドイツraster-notonからデビュー作"Unununium"を発表の後、国際的に作品発表を続け、ヨーロッパを中心に活動している電子音楽ユニット。即興性の高いリズムアプローチにより型に嵌らない歪なダブ・テクノビートを展開している。
www.nhkweb.info

■Kouhei Matsunaga

Kouhei Matsunaga

フランクフルトの音響派レーベル Mille Plateauxから1998年に1st を発表後、ヨーロッパ・アメリカを中心とした前衛的なシーンにおいてジャンルの枠を超えた音楽活動を続ける中、Conrad Schnitzler, Merzbow, Sensational, AutechreのSean Booth, Mika Vainio, Anti Pop Consortium等をはじめとするアーティスト達とのコラボレーションを行なう傍ら近年はNHK名義でダブ・テクノ・ブレイクビーツを展開している。
www.koyxen.blogspot.com

vol.29:星は天文学に無関心! - ele-king

 ナダ・サーフは青春。彼らを見るたびに、呟いてしまう。40代前半だというのに......。
 1月24日、ニューヨーク出身のナダ・サーフ(Nada Surf)のホーム・カミング・ショーだった。この日は彼らのニュー・アルバム『The Stars Are Indifferent To Sstronomy』(星は天文学に無関心)の発売だった。「このアルバムは、プラックティス・ルームにいるような感覚で、新しい曲のエネルギーを持ってレコーディングした。やり過ぎたかなと思ったけど、あえてそのままにしてみた」と、ヴォーカル&ギターのマシューは言っている。曲名もまた、希望と未来を感じさせる。"若かった頃(When I was Young)""(まっらな目と曇った心(Clear eye clouded mind)""10代の夢(Teenage dreams)""未来(The future)"......楽曲もみんなポジティブである。
 ポップとロックンロールをこよなく愛する3人から生み出される、ラッシュなビート、コード、美しく、ナイーヴな旋律。そして胸がキュンとなる甘いヴォーカル、ハーモニー。「10代の夢に遅すぎることはない(it's never too late for teenage dreams)」と歌うマシューは本当に10代のようにみえる。この言葉は、ナダ・サーフのすべてのレコードに共通する彼らの声明である。7枚目のこのアルバムで、彼らの経歴は20年目に突入する。

 バンドはこのアルバムを、ウィリアムス・バーグでレコーディングしていた。マシューは、私の家の近所に住んでいて、「いま、レコーディングをちょっと抜けてきたんだ」と言いつつ、よくカフェに現れ、ディナーをとって、赤ワインを飲み、最後にスイーツをテイクアウトして行く常連さんだった。音楽の話題になると話が止まらなくなった。仲間のパーティにも参加してくれた。気軽に話せる気の良いお兄さんである。
 このアルバムのレコーディングが終わって、彼はロンドンに引っ越し、あっという間に半年だった。彼の性格上、頻繁にコンタクトを取る人ではないので、彼らの近況はわからなかったが、何カ月か前に「ナダ・サーフが新しいアルバムをリリース。ツアー決定!」のニュースを知った。そして1週間ほど前に「来週からニューヨークに行くよ。ライヴに遊びにきて!」という彼からのメッセージがきた。見逃すことはできない。お祝いだ。
 ニュー・アルバムのアートワークの素敵なペインティングは、彼の友だちで、アーティストのグラハム・パークスが担当している。シルク・スクリーンのポスターについては、モンスター・アイランド(RIP)の住人だったカイ・ロックが10年も担当している。

 ショーはソールドアウトだったが、この日のショーは、彼らのYoutubeチャンネルでストリームされている。たまたま同じ日にYoutubeを見ていた友だちは、そのことに驚いて、私に教えてくれた。
 ライヴでは、リード・ギターにガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ジラードが参加した。ベースのダンとドラムのイラはネクタイ、マシューは黒のボタン・ダウン・シャツ。ふだんと同じスタイルである。ドラムは高いところにセッティングされていて、バスドラには黄色で「NADA SURF」を描かれている。
 演奏はほとんどが新曲だった。レコードをリリースできたことに感謝、関わってくれた人への感謝、2012年が良い年になるようになどとMCが入る。古い曲を演奏すると、会場は一緒になって歌う。アンコールでは名曲"Always Love"を演奏。最後はニュー・アルバムからの曲"Looking Through"。観客はナダ・サーフという10代の夢を心から応援する。絵に描いたような、素晴らしいロック・コンサート。

St. Vincent - ele-king

 厚い化粧と真っ赤な口紅、丈の短いドレスから覗かせた足元にはヒール靴、そして腕にはエレクトリック・ギター。数年前、US版『GQ』でのドレスアップしたインディ・ミュージシャンのフォトシュート企画で、デヴィッド・バーンとサンティゴールドとともにそんな姿でポーズをキメるセイント・ヴィンセントことアニー・クラークが自分のなかで強く印象に残っている。いよいよ彼女もアイコンめいたところにやって来たのだなとそのとき気づかされたのだが、と同時に、どこかがアンバランスなその立ち姿こそが彼女がひとの目を引きつける理由なのだと感じたのだ。それはそのまま複雑な形を持った彼女の音楽にも通じるところがあるのだが、演奏する姿はいったいどんなものなのだろう。その佇まいをどうしても見ておきたかった僕は、東京で一公演だけの来日に足を運んだ。

 ドラム、シンセ、キーボードをバックに携えたアニーはまさに、観客が期待していた姿で現れた。高いヒール靴とタイツにはどこか不釣合いに思えるエレキ、だが彼女自身はその両方が自分にとってのステージ衣装だと言わんばかりに落ち着き払っている。1曲目はスペーシーなイントロから"サージョン"。はじめギターにシールドを挿し忘れるミスがありヒヤッとさせるが、ひとたびギターのフレーズが差し込まれるとトリッキーな構造の楽曲が目の前で鮮やかに組み立てられていく。たとえばダーティ・プロジェクターズの名前がその比較に挙げられるような、やや少ない音数の絡み合い(あるいはすれ違い)の妙で耳を楽しませるセイント・ヴィンセントの楽曲だが、何よりもギターがその中心にあることが実際に目で見ると分かりやすい。曲の後半、捻じ曲がっていくシンセ・サウンドのなかでアニーによるギターが高音へとドライヴし、息を呑むテンションと高揚がもたらされる。
 続いて披露された"チアリーダー"の「でもわたしはもうチアリーダーになりたくないの」という歌詞が示唆的だが、他者(とくに男性からの視線)の期待に応えることのできない自分への葛藤がセイント・ヴィンセントの歌には内在しているように思える。だからと言って強く反抗的な態度を取ったり何かを強く主張するわけでもなく、ありがちな「等身大」の女性像にも逃げ込むこともない。いつもどこか居心地の悪そうな、「異物」としての存在感が彼女には備わっている。橋元さんがレヴューでミランダ・ジュライの名前を挙げていてなるほどと思ったが、たしかにジュライの監督作『君とボクの虹色の世界』にアニーが映っていてもおかしくはない。風変わりな人間が風変わりなままでお互いに折り重なっていく、そんな世界の住人の音楽であるように聞こえる。そうしたアニー自身の内側にある複雑さを、技巧を凝らしたギター・ワークやサウンドの多彩さで外側に軽やかに放り投げたのが『ストレンジ・マーシー』であったが、この日のライヴはまさに彼女自身のギター・プレイによっていくらかの生々しさを伴いながらその過程が再現されていた。
 曲間になると、バックでシンセを演奏するトーコ・ヤスダがMCの通訳をして観客を笑わせる場面もあった。そんな姿のアニーは紛れもなくチャーミングなのだが、艶っぽく流麗な歌声を聞かせたかと思えば突如として激しくギターをかき鳴らすし、ザ・ポップ・グループのカヴァー"シー・イズ・ビヨンド・グッド・アンド・イーヴル"ではドスのきいた声さえ聞かせてみせる。そこではアイコン的な完成度の高いクールさよりも、アウトプットがどうしても歪な形になってしまう危うさのほうが上回っていたように感じた。この日も演奏された"マロウ"における「ヘルプ・ミー」の呟きはおそらくは彼女自身の切実な悲鳴なのだろう。が、それがキッチュでごつごつした感触のエレクトロニック・ポップになってしまう回路のややこしさこそが、彼女から目を離せない理由だ。ライヴのハイライトのひとつであった"ノーザン・ライツ"で髪を振り乱しながらテルミンを荒々しく演奏し、そして終いにはブチ倒した彼女の内側の烈しさを、僕たちは歓声を上げつつもハラハラして見つめ続けるしかないのだ。
 だが、そこにはライヴならではの感情的な交感があったこともたしかだ。アンコールではアンニュイでドリーミーな"ザ・パーティ"で厳かな空気を作り上げ、ラストの"ユア・リップス・アー・レッド"でオーディエンスにダイヴしギター・ソロを弾くアニーを、東京の観客は文字通り「受け止めた」。アーティでカッコいい女、では済ませることのできないややこしさが彼女の音楽にはつねにあって、それと向き合うのは気軽なことではないだろう。だが、隠されたものが思いがけず外に飛び出してしまう様を目撃するようなスリルを伴ったその日のライヴは、どこか官能的な味わいすら含んでいたように感じられた。

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