Shop Chart
![]() 1 |
![]() 2 |
FUDGE FINGAS
MASS X REMIXES
FIRECRACKER(UK)
»COMMENT GET MUSIC
|
|||
|---|---|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||||
![]() 5 |
![]() 6 |
||||
![]() 7 |
![]() 8 |
||||
![]() 9 |
![]() 10 |
![]() 1 |
![]() 2 |
FUDGE FINGAS
MASS X REMIXES
FIRECRACKER(UK)
»COMMENT GET MUSIC
|
|||
|---|---|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
||||
![]() 5 |
![]() 6 |
||||
![]() 7 |
![]() 8 |
||||
![]() 9 |
![]() 10 |
エレクトロニック・ミュージックのさまざまな局面で、IDM/アブストラクトの波がふたたび訪れている今日、1990年代末に高校生で〈ミル・プラトー〉からデビューしたコーヘイ・マツナガ......自らをNHKyxと名乗るこの青年こそ、UKの〈スカム〉、ベルリンの〈ラスターノートン〉などから素っ頓狂な作品を発表し、つい先日は英『ワイアー』誌にも記事が掲載され(その翻訳は次号の紙エレキングに掲載されます)、そして〈ラフトレード〉の新しいコンピに参加したり、センセーショナル(元ジャンブラ、ラッパー界におけるリー・ペリー)との共演を出したり、故コンラッド・シュニッツラーと共作したり......と、つい先頃はSNDとの共作を〈PAN〉から発表したりとか、大阪とベルリンを往復しながら作家活動をしている、いまもっとも勢いのあるエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーです!
コーヘイ・マツナガが3月初旬、シェフィールドのミニマル/IDMの大御所、SND(名作『Stdio』などで知られる)といっしょに日本ツアーをやります! コーヘイは......いまもっともユニークなIDMの作家であり、自由奔放な活動を展開する、ミステリアスな青年です。
ツアーは3月2日の名古屋から出発。大阪ではアルツのレーベルから素晴らしいアルバムを出したaSymMedley、東京公演には〈ラスターノートン〉のレーベル・メイトでもあるAOKI Takamasaも出演する。
■名古屋
3月2日 @ Club Mago
Open-22:00/End-05:00
ADV-2500 / Door3000
Live:SND、Mark Fell、 NHK、Araki
Dj:Tomoho (IWY)、Vokoi (ARch)
VJ:Vokoi
https://arch-project.com
https://i-want-you.jp
■福岡
3月3日 @ Blackout
Open-21:00 (50人限定)
Live:SND、Mark Fell、NHK、Kouhei Matsunaga、sho nakao
https://popmuzik.jp
■広島
3月5日 @ Club Quattro
Open-18:00/Start-19:00
ADV-2500 / Door3000
Live:SND、NHK、Stabilo (speaker gain teardrop)、Skip club orchestra、Hideride (pausemo)
DJ:AVOAVOA (aka kenji yamanaka)
■京都
3月7日 @ Club Metro
Open-19:00/ End-25:00
ADV/Door-TBA
Live:SND、NHK、SPsysEx
Dj:Tsukasa、Tatsuya
https://www.metro.ne.jp
■大阪
3月9日 @ Nuooh
Open-19:00 End-25:00
DOOR/3000
Live:Mark Fell、Kouhei Matsunaga
SOUND ACT:aSymMedley (ALTZMUSICA/Childisc/REPHLEX)、 NUEARZ (Skam Records)、Yuki Aoe (-:concep:-)、hypotic inc
VISUAL ACT: Ken Furudate (ekran/The SINE WAVE ORCHESTRA)、Kezzardrix (Bias Records)、Kazuhisa Kishimoto、イケグチ タカヨシ (haconiwa)
https://officials.tank.jp/concep
■東京
3月10日 @ WWW
Open-23:00
ADV-3000/Door-4000
Live:SND、NHK、Aoki takamasa + More more
https://bridge.tokyomax.jp/
3月11日 @ Soup
OPEN/START ???
Door-2500
(Reservation Required. Send your details to: ochiaisoup@gmail.com)
Live:Mark Fell、Kouhei Matsunaga、Miclodiet、Jemapur、Vegpher (Keiichi Sugimoto)
DJ:Nobuki nishiyama
www.sludge-tapes.com
SNDはUK シェフィールド出身のMARK FELLと MAT STEELによるデュオ。 1998年に結成。"click&cuts現象"とまで呼ばれたシーンの中心となるアーティスト。 Mille Plateauxからアルバムを3枚, raster-notonからの2009年4thアルバムをリリース。 プログラマーでもある彼らの音楽は、ミクロに練り込まれたグリッチ音をミニマルかつ緻密に構成しながらも、常に躍動感を保持し続ける独自のミニマル・エクスペリメンタル・サウンドを展開している。
無機質でいて脈打つ自然のような、計算されている一方でバグと戯れるような、不思議なグルーヴ感とリズム、そして絶妙の間。今回、2008年以来4年ぶりの日本でのLIVEとなる。
www.makesnd.com
■Mark Fell
近年 "Edition Mego""raster-noton"から立て続けにアルバムをリリースし注目を集めているMark Fell。2008年にはバルセロナで開催されている世界最大級の音楽フェス"Sonar"へも出演。実験性と複雑さとシンプルが共存し、ユーモラスかつエンターテイメント性を持たせた絶妙なバランス感覚の上に成り立ったその音楽は、美しくマイクロスコピックなミニマルサウンドで空間性、歪なリズム、時間感覚を表現している。
また、アーティストエンジニアとして巨匠と呼ばれる人達の作品を影で支えている人物でもある。意外にもソロでの演奏は日本初披露となる。
www.markfell.com
■NHK
2006年, マツナガ・コウヘイとムネヒロ・トシオにより大阪で結成。
2008年、ドイツraster-notonからデビュー作"Unununium"を発表の後、国際的に作品発表を続け、ヨーロッパを中心に活動している電子音楽ユニット。即興性の高いリズムアプローチにより型に嵌らない歪なダブ・テクノビートを展開している。
www.nhkweb.info
フランクフルトの音響派レーベル Mille Plateauxから1998年に1st を発表後、ヨーロッパ・アメリカを中心とした前衛的なシーンにおいてジャンルの枠を超えた音楽活動を続ける中、Conrad Schnitzler, Merzbow, Sensational, AutechreのSean Booth, Mika Vainio, Anti Pop Consortium等をはじめとするアーティスト達とのコラボレーションを行なう傍ら近年はNHK名義でダブ・テクノ・ブレイクビーツを展開している。
www.koyxen.blogspot.com

ナダ・サーフは青春。彼らを見るたびに、呟いてしまう。40代前半だというのに......。
1月24日、ニューヨーク出身のナダ・サーフ(Nada Surf)のホーム・カミング・ショーだった。この日は彼らのニュー・アルバム『The Stars Are Indifferent To Sstronomy』(星は天文学に無関心)の発売だった。「このアルバムは、プラックティス・ルームにいるような感覚で、新しい曲のエネルギーを持ってレコーディングした。やり過ぎたかなと思ったけど、あえてそのままにしてみた」と、ヴォーカル&ギターのマシューは言っている。曲名もまた、希望と未来を感じさせる。"若かった頃(When I was Young)""(まっらな目と曇った心(Clear eye clouded mind)""10代の夢(Teenage dreams)""未来(The future)"......楽曲もみんなポジティブである。
ポップとロックンロールをこよなく愛する3人から生み出される、ラッシュなビート、コード、美しく、ナイーヴな旋律。そして胸がキュンとなる甘いヴォーカル、ハーモニー。「10代の夢に遅すぎることはない(it's never too late for teenage dreams)」と歌うマシューは本当に10代のようにみえる。この言葉は、ナダ・サーフのすべてのレコードに共通する彼らの声明である。7枚目のこのアルバムで、彼らの経歴は20年目に突入する。

バンドはこのアルバムを、ウィリアムス・バーグでレコーディングしていた。マシューは、私の家の近所に住んでいて、「いま、レコーディングをちょっと抜けてきたんだ」と言いつつ、よくカフェに現れ、ディナーをとって、赤ワインを飲み、最後にスイーツをテイクアウトして行く常連さんだった。音楽の話題になると話が止まらなくなった。仲間のパーティにも参加してくれた。気軽に話せる気の良いお兄さんである。
このアルバムのレコーディングが終わって、彼はロンドンに引っ越し、あっという間に半年だった。彼の性格上、頻繁にコンタクトを取る人ではないので、彼らの近況はわからなかったが、何カ月か前に「ナダ・サーフが新しいアルバムをリリース。ツアー決定!」のニュースを知った。そして1週間ほど前に「来週からニューヨークに行くよ。ライヴに遊びにきて!」という彼からのメッセージがきた。見逃すことはできない。お祝いだ。
ニュー・アルバムのアートワークの素敵なペインティングは、彼の友だちで、アーティストのグラハム・パークスが担当している。シルク・スクリーンのポスターについては、モンスター・アイランド(RIP)の住人だったカイ・ロックが10年も担当している。
ショーはソールドアウトだったが、この日のショーは、彼らのYoutubeチャンネルでストリームされている。たまたま同じ日にYoutubeを見ていた友だちは、そのことに驚いて、私に教えてくれた。
ライヴでは、リード・ギターにガイデッド・バイ・ヴォイシズのダグ・ジラードが参加した。ベースのダンとドラムのイラはネクタイ、マシューは黒のボタン・ダウン・シャツ。ふだんと同じスタイルである。ドラムは高いところにセッティングされていて、バスドラには黄色で「NADA SURF」を描かれている。
演奏はほとんどが新曲だった。レコードをリリースできたことに感謝、関わってくれた人への感謝、2012年が良い年になるようになどとMCが入る。古い曲を演奏すると、会場は一緒になって歌う。アンコールでは名曲"Always Love"を演奏。最後はニュー・アルバムからの曲"Looking Through"。観客はナダ・サーフという10代の夢を心から応援する。絵に描いたような、素晴らしいロック・コンサート。
厚い化粧と真っ赤な口紅、丈の短いドレスから覗かせた足元にはヒール靴、そして腕にはエレクトリック・ギター。数年前、US版『GQ』でのドレスアップしたインディ・ミュージシャンのフォトシュート企画で、デヴィッド・バーンとサンティゴールドとともにそんな姿でポーズをキメるセイント・ヴィンセントことアニー・クラークが自分のなかで強く印象に残っている。いよいよ彼女もアイコンめいたところにやって来たのだなとそのとき気づかされたのだが、と同時に、どこかがアンバランスなその立ち姿こそが彼女がひとの目を引きつける理由なのだと感じたのだ。それはそのまま複雑な形を持った彼女の音楽にも通じるところがあるのだが、演奏する姿はいったいどんなものなのだろう。その佇まいをどうしても見ておきたかった僕は、東京で一公演だけの来日に足を運んだ。
ドラム、シンセ、キーボードをバックに携えたアニーはまさに、観客が期待していた姿で現れた。高いヒール靴とタイツにはどこか不釣合いに思えるエレキ、だが彼女自身はその両方が自分にとってのステージ衣装だと言わんばかりに落ち着き払っている。1曲目はスペーシーなイントロから"サージョン"。はじめギターにシールドを挿し忘れるミスがありヒヤッとさせるが、ひとたびギターのフレーズが差し込まれるとトリッキーな構造の楽曲が目の前で鮮やかに組み立てられていく。たとえばダーティ・プロジェクターズの名前がその比較に挙げられるような、やや少ない音数の絡み合い(あるいはすれ違い)の妙で耳を楽しませるセイント・ヴィンセントの楽曲だが、何よりもギターがその中心にあることが実際に目で見ると分かりやすい。曲の後半、捻じ曲がっていくシンセ・サウンドのなかでアニーによるギターが高音へとドライヴし、息を呑むテンションと高揚がもたらされる。
続いて披露された"チアリーダー"の「でもわたしはもうチアリーダーになりたくないの」という歌詞が示唆的だが、他者(とくに男性からの視線)の期待に応えることのできない自分への葛藤がセイント・ヴィンセントの歌には内在しているように思える。だからと言って強く反抗的な態度を取ったり何かを強く主張するわけでもなく、ありがちな「等身大」の女性像にも逃げ込むこともない。いつもどこか居心地の悪そうな、「異物」としての存在感が彼女には備わっている。橋元さんがレヴューでミランダ・ジュライの名前を挙げていてなるほどと思ったが、たしかにジュライの監督作『君とボクの虹色の世界』にアニーが映っていてもおかしくはない。風変わりな人間が風変わりなままでお互いに折り重なっていく、そんな世界の住人の音楽であるように聞こえる。そうしたアニー自身の内側にある複雑さを、技巧を凝らしたギター・ワークやサウンドの多彩さで外側に軽やかに放り投げたのが『ストレンジ・マーシー』であったが、この日のライヴはまさに彼女自身のギター・プレイによっていくらかの生々しさを伴いながらその過程が再現されていた。
曲間になると、バックでシンセを演奏するトーコ・ヤスダがMCの通訳をして観客を笑わせる場面もあった。そんな姿のアニーは紛れもなくチャーミングなのだが、艶っぽく流麗な歌声を聞かせたかと思えば突如として激しくギターをかき鳴らすし、ザ・ポップ・グループのカヴァー"シー・イズ・ビヨンド・グッド・アンド・イーヴル"ではドスのきいた声さえ聞かせてみせる。そこではアイコン的な完成度の高いクールさよりも、アウトプットがどうしても歪な形になってしまう危うさのほうが上回っていたように感じた。この日も演奏された"マロウ"における「ヘルプ・ミー」の呟きはおそらくは彼女自身の切実な悲鳴なのだろう。が、それがキッチュでごつごつした感触のエレクトロニック・ポップになってしまう回路のややこしさこそが、彼女から目を離せない理由だ。ライヴのハイライトのひとつであった"ノーザン・ライツ"で髪を振り乱しながらテルミンを荒々しく演奏し、そして終いにはブチ倒した彼女の内側の烈しさを、僕たちは歓声を上げつつもハラハラして見つめ続けるしかないのだ。
だが、そこにはライヴならではの感情的な交感があったこともたしかだ。アンコールではアンニュイでドリーミーな"ザ・パーティ"で厳かな空気を作り上げ、ラストの"ユア・リップス・アー・レッド"でオーディエンスにダイヴしギター・ソロを弾くアニーを、東京の観客は文字通り「受け止めた」。アーティでカッコいい女、では済ませることのできないややこしさが彼女の音楽にはつねにあって、それと向き合うのは気軽なことではないだろう。だが、隠されたものが思いがけず外に飛び出してしまう様を目撃するようなスリルを伴ったその日のライヴは、どこか官能的な味わいすら含んでいたように感じられた。
![]() 1 |
やけのはら
Step On The Heartbeat
NOPPARA REC / JPN
»COMMENT GET MUSIC
|
![]() 2 |
DELTA FUNKTIONEN
Inertia // Resisting Routine
ANN AIMEE / NED
»COMMENT GET MUSIC
|
||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() 3 |
![]() 4 |
GAISER PRESENTS VOID
No Sudden Movements
MINUS / CAN
»COMMENT GET MUSIC
|
|||||
![]() 5 |
![]() 6 |
OMAR S & OB IGNITT
Wayne County Hills Cop's (Part.2)
FXHE RECORDS / US
»COMMENT GET MUSIC
|
|||||
![]() 7 |
![]() 8 |
MUNGOLIAN JET SET
Schlungs
SMALLTOWN SUPERSOUND / NOR
»COMMENT GET MUSIC
|
|||||
![]() 9 |
![]() 10 |
よもやシャルルマーニュ・パレスタインのパフォーマンスを日本で体験できる日が来るとは、と考えられないわけではないが、あまり現実味のある話とも思えず、ほとんど考えたことはなかった。なぜならパレスタインは、ラ・モンテ、ライリー、ライヒ、グラスのミニマル四天王がそろって戦前(1930年代なかば)うまれなのに対して、戦後派(1945年うまれ)であり、問題意識をゆるやかに共有しながら作家性のベクトルをうまく差異化できたオリジナル・ミニマリストたちの影で仕方なく鬼才あつかいされてきた節がなくもないからだ。パレスタイン自身、70年代なかばから80年代にかけて、かねてから表現方法のいちぶであった動物の剥製やヌイグルミによるインスタレーション(彫刻)を使ったミクストメディア活動に軸足を移したことで、作品は音楽からサウンドアートへ、つまり複製メディア(レコード、CD)を媒介にした聴取から展示(大規模なものもふくむ)による体験型へスライドし、海のこちら側のファンはいよいよ全貌をとらえがたくなった。幼少期にユダヤ教会の聖歌隊員だったパレスタインの神秘主義的な傾向もそれに拍車をかけていたと、いまにして思うのだけれど、あらゆる音楽を再定義した90年代をある種の境に、エレクトロ・アコースティック~ミニマルにも再評価の波がおよんだのと同じく、パレスタインもまた、過去の作品がCD化され、現行のパフォーマンスが形になり、何世代も下のリスナーに「発見」されいった。最初はカルトなミニマリストとして。しだいにミニマルの枠を超えたサウンド・アーティストとして。
パレスタインの曲の多くはたしかに長時間の反復を基調にしている。ところがそれは基本的にはパターンのくりかえしでも、音と音の間を極端にひきのばす時間操作でもない。たとえば、ピアノの両手によるトレモロ/トリルでわずかな音程差の音が微少なズレで間断なく重なることで、音の残像が倍音をうみだす代表作『Strumming Music』(74年)のタイトルにもなっている手法「ストラミング」は、私は彼なりのフェイズ、ドローン解釈とも思うのだが、延々とつづく音響の連続体をひと皮剥くとデュオニソス的な熱量――が宗教性のせいかどうか、即断はしかねるが――が張りつめていて、ミニマルという最小単位がゴシックに、つまり過剰に反転するチャンスをうかがっているようすがある。この両義性が本人いうところの「マキシマル」ミュージックなのか。ラ・モンテほどヒプノティックすぎず、ヘルマン・ニッチのように儀式偏重でもない、ブランカとも通底するメカニカルな倍音へのアプローチでありながら、舞台の上ではカジュアルなどこかひとを喰った雰囲気のシャルルマーニュ・パレスタインの音楽を理解するには、体験するがいちばんてっとりばやい。いずれの音楽でも、音楽でなくてもそれは何よりものをいうのだろうが、パレスタインの場合、私は強迫的にそう思うのである。(松村正人)
――という原稿を書きあげたのですが、渋谷WWWのライヴはすでに定員に達した模様で......。追加チケットが、もしかしたら出るかもしれないということなので、ひきつづき、下記サイトをチェックしてください。
また、北九州でパレスタインと共演したジム・オルーク、オーレン・アンバーチ、灰野敬二のライヴも西麻布SuperDeluxで近日行われますので、こちらもぜひ!
1/19(木)北九州市・北九州芸術劇場 小劇場
シャルルマーニュ・パレスタイン(ピアノソロ)、オーレン・アンバーチ/灰野敬二/ジム・オルーク
https://cca-kitakyushu.org/jp/index.html
1/25(水)東京・渋谷 WWW
シャルルマーニュ・パレスタイン(ピアノソロ)
https://www-shibuya.jp/schedule/1201/001382.html
1/26(木)東京・西麻布 SuperDeluxe
オーレン・アンバーチ/ジム・オルーク DUO、クリス・コール/秋山徹次 DUO
https://www.super-deluxe.com/room/125/
1/30(月)東京・西麻布 SuperDeluxe
オーレン・アンバーチ/灰野敬二/ジム・オルーク
https://www.super-deluxe.com/room/126/
Trippple Nippples from Tokyo
12/20, 27, 31. 2011& 1/4. 2012
トリプル・ニプルス
w/ガーディアン・エイリアン、アナマナグチ etc...
東京をベースに活躍するアヴァンギャルド・ロッカー、トリプル・二プルスがニューヨークで旋風おこした。大御所DEVOとのツアーサ・ポートをはじめ、初のアメリカでのショーを颯爽とこなす彼女たちは、総合的なエンターテインメント・グループである。あらためてエンターテイメントの役割を改めて考えさせられる。
トリプル・ニプルスは日本人の女子3人(ヴォーカル)とアメリカ人男子3人(ギター、シンセ、ドラム)の6人編成。この編成になったのは最近らしく、バンドはすでに5年ぐらい活動をしている。
今回のアメリカ・ツアー全体の流れは以下の通り。
12/10 Philadelphia@The Blockley, U city
12/13 NYC, N.Y.@ Irving Plaza/with DEVO
12/14 Brooklyn,N.Y@Glasslands
12/15 Falls Church, VA@ State Theatre/with DEVO
12/16 Atlantic City, NJ@ Showboat Casino/with DEVO
12/17 Long Island/Huntington,ニューヨーク@ Paramount Theatre/with DEVO
12/20 NYC, N.Y.@Pianos
12/21 Chicago.IL @Empty Bottle
12/27 NYC N.Y .@ Pianos
12/31 Brooklyn, N.Y @285 kent
1/4 Brooklyn, N.Y.@Shea Stadium
DEVOとのショー以外は、〈グラスランズ〉、〈ピアノス〉、〈シェア・スタジアム〉などのインディに優しい会場。私は、20日(@ピアノスw/ハード・ニップス)、27日(@ピアノスw/スーザン)、1月4日(@シェア・スタジアムw/ガーディアン・エイリアン、アナマナグチ)の3公演を見ることができた。
〈ピアノス〉でのショーは、マンハッタンらしく、共演のバンドも知っているバンドと知らないバンドが一緒にブッキングされていた。目当てのバンドを見たらそれで終わり、という感じで、私はあまり好きではない。ショー自体は良かったのだが......。それに比べて〈シェア・スタジアム〉では、共演のバンドもいまのブルックリンを代表するブッキングだった(DIYスタイル!)。やっぱりこちらの方がしっくり来るな。
〈シェア・スタジアム〉で共演したバンドを紹介しよう。
ガーディアン・エイリアンは、元リタジーの、グレッグ・フォックス率いる、クラリネット、シンセ、ギター、ドラム、独特なヴォーカルで編成された、アバンガルド・バンド。
グレッグ・フォックスのドラムは脅威的、ボーカルの女の子は完璧に違う世界にいる、すべての楽器が重なり、織りなす音楽は、スペクタクル感いっぱいである。
アナマナグチは、ゲーム音楽に影響を受けた、ブルックリンではトップ・クラスの人気バンド。彼らはこの日のシークレット・ゲストで、当日に知らされた。ステージにグロースティック(蛍光塗料で光るスティック)をはべらせ、ドラムまわりにもベースの弦にも蛍光色を使う。暗闇なのに変な明るさ、さらに彼らのゲーム音楽が会場を盛り上げる。
どちらもいまのブルックリンをリードするバンドだが、ガーディアン・エイリアンは、DIYにこだわり、アナマナは余裕を見せながら、コーポレートな大きな会場でもDIYでもどちらでも対応できる。音も正反対だ。このふたつのバンドのあいだにトリプル・二プルス、その前には(筆者の在籍する)ハード・ニップス、ノー・クレジット・バッド・クレジットという、寄せ鍋のような夜だった。
それではトリプル・二プルスについて書こう。
ショーは3日間ともセットは同じだが、何度見てもステージ衣装、パフォーマンスには目を引かれる。ミュージック・ショーというよりはミュージカル風キャバレーで、フロント3人の女の子はパンツ1枚、胸にはテープを貼っただけで、白と赤の点々が、顔と体をうめつくすというアーティな出で立ち。フワフワした白い羽のような、帽子のような被り物をかぶって登場。
男の子は幽霊のような白い布を着て、頭にはハリネズミのようなトゲトゲしたものがのっている。ショーは流れるように進むし、バックのバンドもかなり良い腕前。頼もしい存在である。
音楽はハイパーなエレクトロ・ダンス・ミュージック。叫んでいるので歌詞はキチンと聞き取れないが、鳥がキーキー鳴いているかと思えば、応援団長のようなドス声になったりと、意外と体育会系で、かなりの爽快感があった。一歩間違えると色物になりそうなところを、セクシーを強調するでもなく、クールに、アート作品として観客を盛り上げる。緊張感、圧迫感、そしてばつぐんの突撃感で、最初から最後まで体を張ってエンターテイメント道を突き通している。素晴らしいライヴ・パフォーマンスだった。

photos by Andrew St. Clair
リー・ラナルド(ソニック・ユース)、レ・ボン・オム(ディアフーフ、元レイナーマリア)、コ・ラ(エクスタティック・サンシャイン)@グラスランズ 12/16(金)
Lee ranaldo(sonic youth), les bonhommes(mem of deer hoof, Rainer Maria), co la (ex. Ecstatic sunshine) @ Glasslands dec.16 (fri)
〈グラスランズ〉はアートスペースかつ音楽会場。ポップ・ガン(ブッキング・エージェント)のホリディ・パーティが前日にあり、次の日、ジョナサン・トウビィンのベネフィット・ショー(ポートランドのホテルで信じられない事故が起こった=詳しくは→https://www.brooklynvegan.com/)。
とにかくこの時期の〈グラスランズ〉はイヴェントが目白押しだ。この2日に挟まれた金曜日12月16日にはソニック・ユースのギタリストとして知られるリー・ラナルドのショーがあった(※)。同日、やや北の広い敷地内で開催される〈ブルックリン・バザー〉にてLCDサウンドシステムやクリスタル・アークのショーがあったり、隣の〈285 kent〉でダンス・パーティがあったり、人は分かれたようだが、〈グラスランズ〉は人でいっぱいだった。
Co -aを見逃してしまい(残念!)、次は、グレッグ(ディア・フーフ)とビル(元レイナー・マリア、プロサイクス)の新しいバンド、Les Bonhommes(=人間という意味。以前はOut Fighting。www.outfighting.com)だった。グレッグがギター/ヴォーカル、ビルがドラム、そしてベースのトリオ。ローファイでパンクで、ちょいスカスカ系。グレッグがやると全部スカスカなんだけど。
曲の半分ぐらいには歌詞がない。「アー」とか、「I will meet you」とか。メンバーのノリもまだぎこちないけど、それぞれの個性が合わさって、パンチあるケミストリーが生まれている。個人個人がしっかりしていると,何をやっても形になる。グレッグは緑のTシャツ、緑のスニーカー、スカイブルーのパンツ、ストライプの靴下とカラフルな出で立ち。対するビルは全身真っ黒。前のバンドでもそうだったので、これが彼の普段着なんだろうけど、髪型も以前とまったく一緒。ベース・プレイヤーは、何処かのバンドで見たことがある、デロン・プーレィ。何だか運動会を応援している気分になった。
それからしばらくして、リー・ラナルドが登場。サーストンのソロ・ライヴは良く見ているが、リーははじめて。サーストンのソロもそうだが、エクスペリメンタル、ノイズなイメージがあったのだが、この日はチープ・トリックやソニック・ユースなど、少年的なギターリフが特徴的な、少し青春、甘くノイジーなロックンロールな演奏を披露した。メンバーはソニック・ユースのドラマーのスティーヴ・シェリー、ギターにトニックなどでプレイしていたアラン・リーチ、ベースは名前は知らないが、ベーシストな感じの男性、そしてリーがギター/ヴォーカル。みんなおじさんだが、プレイするのは甘い青春ロックンロールで、なんだか微笑ましかった。ハング・アップスをもっとロックにした感じ。演奏は凄腕。
歌っているリーを見ていて誰かに似ているな......と思っていたら、ナダ・サーフのボーカル! 歌の雰囲気といい、格好といい(チェックのシャツ)、髪型といい、彼(マシュー)が少し年をとったらこうなるのだろう。曲ごとに、6本のエレキ・ギターを持ち替えていた。プラス、ギターと同じ色のペダルなど意外にこだわり屋なのかしら。
観客はドレッドのお兄さんやハイヒールにドレスのお姉さん、アランがプレイしているからか、ノイズ・エクスペリメンタル系の人たちなど、普段のインディ・ショーにいなさげな人たち(年齢層高め)が目立った。バンドに共感できる幅広い年齢層が多く集まり、バンドが期待していることを与えてくれる。だから、これだけ人が集まったのだろう。
※サーストン・ムーアとキム・ゴードンの離婚で解散が言われているソニック・ユースだが、まだ公式の解散宣言はしていない。が、解散を思ってきているオーディエンスも少なくなかった。ただ、リー自身は今後のソニック・ユースを楽観的に見ていると言っている。
「うわぁ...... 完全に"テクノ・マシン"だね、これは。」〈Berghain〉でベン・クロックがプレイするさまをダンスフロアから見上げながら、DJ NOBUが打ちのめされたようにこう言ったのをよく覚えている。かのクラブのレジデントのなかでも一、二を争う人気を誇るベンのプレイは、本物のテクノ体験と言えるだろう。ハードなイメージが強い彼だが、その正確なミックスをずっと辿っていけば、そのなかにさまざまな彩りやテクスチャーがあり、柔らかさや奥深さが感じられるはずだ。そんなベンのDJ姿は実に優美で、ハードゲイからギャルまで、ダンスフロアを虜にして放さない。三度目の来日を前に、本邦初となる本インタヴューでは、あまり知られていない〈Berghain〉以前のキャリアと、DJの醍醐味について聞いた。〈Berghain〉7周年パーティでプレイした翌日、「聞き苦しい声でごめんね、そんなに長居はしなかったんだけどね」と苦笑いしながら、いつもより少しかすれた声で取材に応じてくれた。
「テクノがいったい何なのか知りたければ、〈Berghain〉のダンスフロアの真ん中にしばらく立ってみればいい。たぶん、少し理解できるだろう」ということ。音も雰囲気もイマイチなクラブで同じ音楽がかかっても、何も伝わらないだろうと思うよ。テクノは、とくに「体験」してみないと理解できない類いの音楽。
■私自身もそうでしたが、日本のほとんどのファンはあなたが〈Berghain〉のレジデントになって以降のことしか知らないので、それ以前のことを教えてもらえますか? DJ歴自体はかなり長いと聞きましたが?
ベン:実際、〈Berghain〉をきっかけにすべてが変わったんだよね。それ以前は、最初は〈Cookies〉のレジデントをやっていた。毎週火曜日回していたんだ(※Cookiesは火曜日と木曜日に営業しているクラブ)。〈Cookies〉というクラブと僕は、一緒にに成長したようなものなんだ。火曜日は「Cookies Night」で僕が一晩中プレイしていた。それを、かなり長いあいだ続けていたよ。
■それはいつ頃のことですか?
ベン:はじめたのは94年だったと思う。その後、〈Tresor〉や〈WMF〉といったクラブでもプレイするようになった。でも......僕はずっと自分の居場所を探し続けていたというか、自分にピッタリくる場所はあるんだろうか? と常に違和感を持っていたんだ。実は2000年代に入った頃、DJを辞めることすら考えていた。エレクトロ・クラッシュなどが流行っていて......僕にとってはセルアウトした音楽にしか聴こえなかった。何も面白味を感じられなかったんだ。それに伴って、DJをする回数もどんどん減っていった。そんななかで唯一、僕が音楽的スリルを感じられる場所が〈Ostgut〉(〈Berghain〉の前身となったゲイ・クラブ)だった。「僕がプレイしたい場所はここだけだ」と思っていた。だから〈Berghain〉がオープンしたときは、「ここだ!」って思ったね。つまり、僕にとってすべてのはじまりとなったのは、まさに僕がDJを辞めようかと思っていた時期だったんだ。でもその時点から、それまでよりもずっと面白い体験がはじまったというわけ。
■へぇ、それは驚きですね!〈Ostgut〉でDJをしたことはあったんですか?
ベン:いや、なかった。〈Berghain〉になってからだよ。〈Panorama Bar〉の方を先にオープンして、数ヶ月してから〈Berghain〉のフロアがオープンしたんだけど、それから2ヶ月後くらいじゃなかったかな。初めてプレイしたのは。
■では〈Ostgut〉にはお客さんとして行った経験があっただけだったんですね?
ベン:その通り。その頃、自分がかけたいものをかけられるクラブは〈Tresor〉くらいだったな。他のクラブはエレクトロ・クラッシュみたいなものが主流になってしまって、僕のかけたい音楽とはかけ離れていた。だから〈Ostgut〉に遊びにいくようになったんだよ。あそこでは「リアル・シット」がかかっていたからね(笑)。
■〈Berghain〉のレジデントになった経緯は? 〈Ostgut〉に通っているうちに関係者と知り合ったんですか?
ベン:きっかけはエレン・エイリアンが与えてくれたんだよね、実は。その頃僕は彼女のレーベル(〈BPitch Control〉)からリリースしたりしていたから、ある日DJの話をしていて、その流れで新しいレジデンシーをはじめたいという話題になって。「じゃあ、彼らに連絡してみましょう」といって彼女が紹介してくれた。そしたら、いちどプレイする機会をもらえて。この最初の出演で、僕は「これだ」と確信した。人生が変わる瞬間を実感したよ(笑)。あのサウンドシステムでプレイしたことで、僕自身もトバされたし、その場にいたお客さんもトバされたようだった。プレイした直後に、クラブ側に「毎月やって欲しい」と言われたんだ。
■最初にプレイしたときは緊張したんじゃないですか?
ベン:そうだね、緊張もしたけど、楽しみという気持ちも強かった。
■それまでとは違うクラブということで、違うスタイルでプレイしたんですか?それとも自分が他のクラブでやってきたことを見せたという感じだったんでしょうか?
ベン:先に触れた通り、僕がかけたいようなものを自由にかけられるクラブは他に〈Tresor〉くらいしかなかった。それ以外のクラブのお客さんは、それほどテクノに反応しなかったんだよ、当時。だから、店の雰囲気やお客さんに合わせて自分にブレーキをかける必要があった。思いっきりやれなかった。あまり激しいトラックをかけると、みんな逃げちゃって(笑)。
■ははは。お客さんを怖がらせちゃったんですね(笑)。
ベン:そう(笑)。でも、〈Berghain〉では思いっきりやっても大丈夫だとわかっていた。どんなに力強く、ハードに、あるいはディープにプレイしてもいいと分かっていたんだ。だから、そうした。プレイし始めたらすぐに心地よくなったというか、とても自然にやれた。
[[SplitPage]]テクノの歴史を知らない若い子たちが僕らを通してこの音楽を知ってくれるのは嬉しいね。(パリの)〈Rex Club〉でプレイ中に、18歳か19歳くらいの若い男の子が携帯電話のスクリーンにメッセージを打って僕に見せて来た。「僕の世代にテクノを呼び戻してくれてありがとう」と書かれていた。僕がかけていた曲なんて、彼らが生まれる前のものだったりするわけだよ(笑)。
■あなたはつねに、いまプレイしているようなハードめなテクノが好きだったんですか? 〈Cookies〉などでやっている頃から?
ベン:もちろん僕もいろいろなフェーズを経験してきているよ。〈Cookies〉でやりはじめた頃はいまよりずっとハウシーだった。DJを最初にはじめた頃はドラムンベースやジャングルをかけていたしね。その後ハウスやテクノもかけるようになったけど、いまよりも、そうだな、メロウだったと言えばいいかな。その後、もう少し激しい音楽に発展していった。
■ほう。それはなかなか興味深いですね。ベルリンのクラブ・ミュージックの変移を考えると、ほとんど逆行しているように聞こえます。大多数の人は、90年代にハード・テクノにはまり、その後他のスタイルに移行していったんじゃないでしょうか? ハードなテクノは2000年代に入ってむしろ廃れていったものだと思っていました。
ベン:そうだね。なぜそうだったのかは自分でもわからない。おそらく、周りの友人や環境の影響じゃないかな。僕はドラムンベースやジャングルと、入り口からして違ったわけで。90年代前半に僕自身はそれほど(テクノ・)レイヴ体験をしたわけじゃなかなった。
■つまり、あなたは他の大多数の人よりもテクノと出会ったのが遅かったということになりますか?
ベン:ああ、そうなんだ。僕はテクノと出会ったのが他の人より遅かったと思う。だからよく、当時僕が知らなかった90年代のレコードをいまかけると、その頃からDJをやっている人は「うわ、そんな曲もう恥ずかしくてかけられないよ!」なんて言う。僕には僕がいまかけている曲ととてもよく合うように思えても、その頃に聴いていた人には古くさく聴こえるんだろうね。
■それはとても意外ですけど、よく分かります! 私も同じようなケースだからです。〈Berghain〉で体験するまでハード・テクノの良さが全然わからなかったんですが、あそこで意味がわかったんです。
ベン:うん、よくわかるよ。そのシーンにいる人には、それが世界そのもののように感じるけれど、実はその世界はごく小さなもので、ほとんどの人はその外の世界に生きている。世界中がテクノを聴いているように思えても、実際聴いている人はものすごく少なくて、それ以外の人たちはまったくそれが何かわかっていないし、何がいいのかさっぱり理解できない。それを考えたときによく思うのが、「テクノがいったい何なのか知りたければ、〈Berghain〉のダンスフロアの真ん中にしばらく立ってみればいい。たぶん、少し理解できるだろう」ということ(笑)。音も雰囲気もイマイチなクラブで同じ音楽がかかっても、何も伝わらないだろうと思うよ。テクノは、とくに「体験」してみないと理解できない類いの音楽。きちんと体験できれば、すべての意味がわかるようになるはずだよ。僕もそうだった。僕も「こういうブンブンいってるハードな音楽はちょっとよくわからないな」と思っていたから(笑)。
■私はてっきり、あなたはずっとテクノ一辺倒でやってきた人かと思っていたので、すごく意外です!
ベン:僕は常に幅広い音楽に興味があったから、ハードなものにも関心はあったよ。例えば、僕はつねにグリーン・ヴェルヴェットの大ファンだった。もっとメロウな音楽をかけていた時期でも、グリーン・ヴェルヴェットやシカゴものはいつも混ぜてかけていた。でもテクノのより深い部分、ディープな音にも惹かれるようになったのはだいぶ後になってからだったね。
■いま現在は、自分のことをテクノDJだと思いますか? それともそういう定義づけはせずオープンにしておきたいですか?
ベン:もちろん他のさまざまな音楽に対してオープンではあり続けるけど、間違いなく自分はテクノDJだと思っているよ。いまは「ハウスからテクノ、ダブステップまでかけます」というDJも多いけど、僕はテクノDJだと自分で思う(笑)。
■そこまでテクノが好きな理由はなんだと思いますか?
ベン:当初ドラムンベースなどをプレイしていた経験から、テクノのほうが音楽体験としてより強烈(intense)だということを実感したんだ。言葉で説明するのは難しいけれど、ダンスフロアの真んなかに立って、温かくもパンチのあるベース・ドラムが腹に響くあの感覚... あれが全てだと思うんだよね。その感覚が好きでしょうがない、としか言えないな。
■いまも大好きなんですね。
ベン:もちろん。
■これだけ毎週、長時間プレイし続けていても大好きだと言えるのは凄いですね......私だったら絶対飽きると思うんですが(笑)。
ベン:でも、それは単純に音楽だけではないんだ。DJとしての音楽体験全体だから、お客さんからのフィードバック、その会場にいる人を全て引き込むような雰囲気を作ることが僕にとってはとても重要なことなんだ。日常生活から解き放たれて、音楽のヴァイブに身を任せる、その体験全体をクリエイトすることが好きなんだ。もしかしたら、僕にとってはそれが音楽そのもの以上に重要なことかもしれない。
■〈Berghain〉以外でもそういった体験を頻繁に作り出すことが出来ますか?
ベン:場所によって異なるね。〈Berghain〉は間違いなくとても特別な場所だけれど。前回、僕のなかでも最長記録になった13時間セットなどは...... 〈Berghain〉でしか実現しないことだと思う。少なくともいまのところはね、他にそれができそうな場所は知らない。なぜかそれができてしまう特別なヴァイブがあるんだ、あそこには。他のクラブでは、2~3時間やったところで飽きてしまって続けられないところもある。だけど、長ければいいというものではないから、短くてもとても内容の濃い、濃縮されたセットをプレイできることもあるし。時間が限られているからこそ〈Berghain〉よりもよりもずっとお客さんがクレイジーになるところもあるし。それはそれで特別な体験だよ。
■そんななかで3回訪れた日本に対してはどんな印象を持っていますか?
ベン:とてもいい体験をさせてもらっているよ。とくに昨年〈WAREHOUSE702〉でクリスマスにやったパーティ(『MARIANA LIMITED 001』)はとても素晴らしかったな。雰囲気もとても良かったし、山のなかでやった〈Taico Club〉フェスティヴァルも良かった。あの年にやったフェスティヴァルのなかではベストのひとつだったよ。多くのフェスティヴァルでは盛り上げなきゃいけないというプレッシャーを感じるものだけど、〈Taico Club〉はそんなことなくてリラックスした気持ちのいい雰囲気だった。よりクラブっぽいというのかな。とても良かったよ。日本のお客さんはよく音楽を知っているなという印象を受けるね。まだリリースしていないトラックまで知っているような気がすることがあるよ(笑)。でも、これは多くのDJが言うことだろう? 日本はDJにとってプレイしたい場所だって。
■そうですね、多くの人がそう言いますね。ところで、先日発表されたばかりの〈Resident Advisor〉の人気DJ投票で、10位に選ばれましたね。そのご感想は?
ベン:もちろん嬉しいよ。去年(5位)よりは落ちたけどさ......(笑)。20位以内に選ばれた人たちを見ると、他にあまりテクノDJがいないから、そこに選ばれるのはとても喜ぶべきことだと思う。僕に投票してくれた人にはお礼を言いたいよ。
■それは気づきませんでしたね、たしかにテクノDJが少なめです。でも全体的に、個人的には何だかよくわからない投票結果だったんですけど、自分が歳とっただけですかね(笑)?
ベン:ははは(笑)。でも僕のまわりでもそう言ってる人が多いよ。今年の結果を見て、「もう無理、ついていけない」ってさ。次の世代に交代したというのか、何かががらっと変わったよね。
■世代交代はいいことだと思うんですけどね、実力が伴っているのかどうかは疑問です。スキルよりもハイプ、って感じがします。
ベン:さっきの話に戻るんだけど、2000年の初頭に僕がDJを辞めようとしたって言っただろう?あの頃のことを少し思い出すんだよね、アンダーグラウンドやクラブというよりも、ポップ・アピールのある、「僕を見て!」って感じの音楽。
■まったく違うシーンという感じがします。
ベン:そうだね。僕がまったく知らないシーンのことだからコメントもできない。誰かがかけてている曲のことを「この曲は本当にヒットしているよね、みんながかけてる」と言われても、僕はいち度も聴いたことがない、なんてことがよくある(笑)。
■私もよくあります、それ(笑)。しかもそういうことが増えてる気がします。もしかしたら、思っている以上にクラブ・シーンが細分化されているということかもしれないですね。
ベン:でもRAの投票結果などを見ると、例えばジェイミー・ジョーンズと僕が一緒に上位に入っていることとか、これだけ違うスタイルの人たちが混ぜ混ぜに投票されているのは面白いことでもあるよね。
[[SplitPage]]「〈Berghain〉は前ほどクールじゃなくなった」とか、「最近コマーシャルになった」といったことが言われた時期もあったけど、いまはまたそういうことを言う人は減ったように思う。ここ数ヶ月を振り返っても、僕自身素晴らしいパーティやマジカルな瞬間をあそこで体験しているし、文句を言っていたお客さんもまたクラブに戻って来たような印象を受けているよ。
■あなたの話に戻します。あなたはベルリンにテクノを復権させた、あるいは2000年代のベルリン・テクノを再定義した立役者のひとりだと思うんです。あなた自身はそう自覚していますか?
ベン:そうだね、客観的に状況を見ると、そう言えると思う。僕やマルセル(・デットマン)のようなテクノをかけていた人はそれほどまわりにいなかった。でも、意識的にそうしていたわけではなくて、僕らは単に僕らが好きなもの信じていたものをかけていただけだったんだ。まわりで起こっていることや、流行などをまったく気にしていなかった。エレクトロクラッシュだなんだって騒がれていたときも、僕らは僕らのテクノをかけていた。だから〈Berghain〉ができたときは、孤立したひとつの島ができ上がったような感じだった。そしてこの島はどんどん大きく成長するだろうという予感がしたし、きっとより多くの人がそのクオリティを認識することになるだろうと思った。当初思った以上に大きなものとなったけれどね。とにかくユニークなところで、僕らもユニークな音楽をかけていたら、その影響が広がっていった。でも僕ら自身はそれまでのテクノの歴史、90年代のベルリンやデトロイトに影響を受けて来たわけで、決して僕らが作り出したものではない。何か新しいものを発明したとは思っていない。サウンドシステムや、僕らが使っていたベースのサウンドなど、部分的に新しいものを導入しただけだ。
でも、そういうテクノの歴史を知らない若い子たちが僕らを通してこの音楽を知ってくれるのは嬉しいね。この前面白い体験をしたんだ。(パリの)〈Rex Club〉でプレイ中に、18歳か19歳くらいのすごく若い男の子が携帯電話のスクリーンにメッセージを打って僕に見せて来た。「Thank you for bringing back Techno to my generation.(僕の世代にテクノを呼び戻してくれてありがとう)」と書かれていた。僕がかけていた曲なんて、彼らが生まれる前のものだったりするわけだよ(笑)。そういうことがあると、やっぱり嬉しいし光栄だと思うね。
■私も90年代はそれほどテクノを聴いていませんでしたが、それでも初期のデトロイト・テクノは少し興味があって知っていました。いまあなたたちの活躍によって、その頃の人たちが再び脚光を浴びているようにも見えます。例えばロバート・フッドやクロード・ヤングのようなアーティストたちがまた前線に戻って来た、そして新しいオーディエンスを獲得しているのは〈Berghain〉やあなたたちの功績だと思うんですが。
ベン:そういう部分はあると思うし、僕もとても光栄に感じていることだよ。僕たちが影響を受けた人たちがまた活発にプレイしはじめているのは嬉しいし、例えばルーク・スレーターがいまやっていることは本当にカッコいいと思える。そういうシーンがまたできたこと、そういう人たちが評価される場所が出来てテクノが勢いを取り戻していることはとても嬉しいし、自分がそこに少しでも貢献出来ているんだったらものすごく光栄だよ。
■なんかその状況を見ていると、もとは同じ部族だったのに世界中に散らばってしまった仲間たちが、やっと再会する機会が出来たようにも映ります(笑)。
ベン:そうだね、それがいちばんいいかたちで体験できるようになったんじゃないかな。これぞテクノ、テクノとはこうあるべき、という環境が整っている。
■逆に、テクノがここまで大きくなったことについてはどう感じていますか? 私はコマーシャルになったとは全然思いませんけど、トレンディーなクラブ音楽にはなったように思うんです。〈Berghain〉はとくにアンダーグラウンドであることも重要な要素です。昨年イビサのどこか大箱で「Ostgut-Tonナイト」が開催されたときも批判の声が多く聞こえましたし。
ベン:そうだな、いまは「Berghain night」みたいなイヴァントは数を減らしているよ。僕らもセルアウトしたくないからね。クラブとしてもレーベルとしても、そういう方向性をまったく求めていないし、今後どのようにレーベルを運営していくかといったことにはつねに協議していて、今後は数を出すことよりも、少しペースを落としてやっていこうと考えている。〈Berghain〉はつねに自分たちの物差しで物事を決めてやって来たし、業界の常識だとかスタンダードに合わせたり振り回されるようなことはしていないと思う。それでも、「〈Berghain〉は前ほどクールじゃなくなった」とか、「最近コマーシャルになった」といったことが言われた時期もあったけど、いまはまたそういうことを言う人は減ったように思う。ここ数ヶ月を振り返っても、僕自身素晴らしいパーティやマジカルな瞬間をあそこで体験しているし、文句を言っていたお客さんもまたクラブに戻って来たような印象を受けているよ。もちろん何だって変化はするものだし、変わっていくのは自然なことだからまったく同じではないけど、悪い方向にいっているとは思わない。僕はああいう場所がまだあることに、むしろ感謝すべきだと思うけどね。
■そうですね、私もそう思います。
ベン:いまでも魔法のような瞬間を何度も体験しているよ。つまらなくなったなんてまったく思わない。
■それにしても、あなたはあそこでプレイする際に平均7~8時間といった長いセットをやりますよね? どうしてそんなことが可能なんでしょう? 私の友人はみんな、実はあなたが機械なんじゃないかって思ってますよ(笑)。それだけ長いあいだ、集中力を切らさずに正確なプレイが出来る秘訣は何ですか?
ベン:ははは。何も特別なトリックはないよ。その場からエネルギーをもらっているんだと思う。僕がプレイする際は、自分のフィーリングを伝えようと努めているし、魔法の瞬間を作り出すのはやはり機械ではなくて人間的な資質が必要だ。でも、言わんとしていることはわかる。技術的に正確であること、曲から曲への完璧な移行も魔法の瞬間を作る上では重要なことだ。僕がDJの醍醐味だと思っているのはそういう部分で、ただトラックを流すだけではなく、曲を使って新しい何かを造り上げること。その曲のパーツを足しただけではなく、さらにそれを増幅させること。それが僕の大好きなDJというものの面白さだ。だから自分が「ゾーン」に入ったときは、それがほぼ自動的に起こり、何時間でもやり続けることが出来るんだ。
唯一秘訣があるとすれば......お酒は少しだけにして、飲み過ぎないことかな(笑)。
Ben Klock 来日情報
12/22(木)OTONOKO @ Club Mago
12/24(土)Liquidroom & Metamorphose presents Ben Klock @ Liquidroom
自分のお気に入りのDJを紹介できるというのは光栄なものだ。もうかれこれ3~4年前の話だが、その晩僕はひどく落ち込み、うちひしがれ、死にそうだった。ナイトライフを過ごせるような精神状態ではなかったが、約束があったので、僕は重たいドアを開けた。
ブースのなかにはヨーグルトがいた。彼は......すでにアッパーだった。「おいおい、何時だと思っているんだ」と僕は思った。「まだ11時だぜ」、フロアには10人いるかいないか。こちとら死にそうなほど落ち込んでいるというのに、この寂しいフロアにアッパーなテクノかよ......やれやれ参ったな。
しかもその飛ばし屋のプレイはそこにいる10人を完璧にロックしていた。落ち込んでいる人間がこういう光景に出くわしたとき、通常ならますます落ち込んでくるものだが、DJヨーグルトのプレイにはどこか無邪気なものがあった。ドラッギーだが、リー・ペリー的というか、ドロドロした感覚がないのがDJヨーグルトの個性だ。トランシーだが、アーシーなセンスがあるからなのだろうか、デーモニッシュな方向にはいかない。DJ saved my lifeという有名な言葉があるけれど、DJヨーグルトのグルーヴは、その晩の僕を助けてくれたかもしれない。
YOGURT&KOYASSOUNDS FROM DANCEFLOOR UPSET RECORDINGS |
2001年にDJ Uとのアップセッツとしてデビューして、3枚のアルバムと数枚のシングルを発表すると、2008年には〈ラストラム〉からDJヨーグルトとしての過去の作品集『Singles&Remixes 2005 To 2008』、そして2010年にはDJヨーグルト&コヤスとして『CHILL OUT』と『SOUND OF SLEEP & MEDITATION』の2枚をリリースしている。
DJヨーグルト&コヤスとしての3枚目となる最新作『SOUNDS FROM DANCEFLOOR』 は、それまでの2枚のアンビエント・アルバムとは打って変わって、いまどきこんなに無邪気な、ケレンミのない、ピースでトランシーなダンス・ミュージックがあるのかといった趣だ。この10年は、90年代とは違って愛情を欠いたダメなクラブも目に付くようになったが、それとは別の場所ではピースなパーティが続いていることを『SOUNDS FROM DANCEFLOOR』は我々に教えてくれる。取材には相方であるコヤスも同席してくれた。

バンド仲間でアジアを旅するのが流行りはじめて、「3万あれば1ヶ月滞在できるよ」って言われて、カネは無かったけど時間は余っていたし刺激を求めていたので、じゃあ俺も行こうと思って。で、何度か日本と海外を往復しているあいだに91年にゴアでたまたま野外パーティに出会ったんですよね。
■最初に知ったのは、ヨーグルトが渋谷のシスコ店で働いているときだったね。店長の星川慶子さんから「三田さんのファンです」って紹介されたんで、すごくよく覚えているんだよね(笑)。
ヨーグルト:そうですね、三田さんが来店するとずーっとしゃべってるという。
■で、「どれどれ、どんな服を着てるんだ?」と思って(笑)。
ヨーグルト:それはもう、三田カジェアルですよ(笑)。冗談はともかく物書きの人のなかで三田さんはほんとに昔から気になる存在だったんですよ。
■レコード店で働くまではインドを放浪しているようなトラヴェラーだったんだよね。んで、いつまでも漂泊できないっていうことで、飯食うためにレコード店に入ったんだっけ?
ヨーグルト:ですね。インド~ヨーロッパの旅から帰ってきて、よくクラブで一緒に遊んでいる仲間のなかに初期の〈イエロー〉の店員のジュリアって人がいたんですよ。その彼が星川さんと仲が良かったんですよね。もともと僕はディスクユニオンで働きはじめて、ロックやジャズとテクノの新譜と中古を担当してて、このままユニオンで働いていくか悩んでいた頃にシスコのテクノ店がオープンして、「こういうテクノの新譜だけで成り立つ店ならいいな」と思って星川さんに自分のことをその友だちに紹介してもらったんですよ。ちょうど佐久間さんとシャッフルマスターがテクノ店を抜けるタイミングでテクノ店に入りました。
■しかしね......その頃の若さでなんでゴアに行くようなヒッピーになったんですか?
ヨーグルト:ヒッピーって自覚はなかったですけどね(笑)。もともとクラブ好きでしたよ。ゴアに行く前も東京のクラブにもよく行ってたし、地元にいるときはたまに地元で遊んでました。
■どこの出身?
ヨーグルト:愛媛の松山です。地元が盛り上がっていたわけではないですけど、東京に来たのが88年ですね。当時はクラブに人は入ってて盛り上がっていたんですけど。もっとむちゃくちゃでもいいんじゃないか、もっと盛り上がってもいいと思ってましたね。いまひとつ物足りなさを感じていました。
■92年ぐらいから東京もむちゃくちゃになってましたけどね。
ヨーグルト:たしかにすごいパーティが東京でもあったと思うんですが、自分は出会わなかったんですね。その後のゴアとかロンドンで見たときに「俺が求めた解放感や自由な雰囲気を含んだパーティってこれだ!」と思いましたよ。
■目覚めてしまったんですね。
ヨーグルト:89年ぐらいは俺、バンドやってたんですよ。でもバンドの練習で同じ曲を何度も演奏するのに飽きてしまって、歌や演奏が飛び抜けて上手いわけでもなかったのでバンド活動は2年ほどで終息して。ちょうどそのバンド仲間でアジアを旅するのが流行りはじめて、「3万あれば1ヶ月滞在できるよ」って言われて、カネは無かったけど時間は余っていたし刺激を求めていたので、じゃあ俺も行こうと思って90年に初めてインドに行きました。で、何度か日本と海外を往復しているあいだに91年にゴアでたまたま野外パーティに出会ったんですよね。まだトランスが根付く直前だったので、UKレイヴものからイタロ・ハウス、アシッド・ハウス、打ち込みのニューウェイヴ、ボディ系の音までいろいろかかっていました。でも音楽を聴きはじめた頃は打ち込みの曲はそんなに好きじゃなかったんですよ。
■ヨーグルトのルーツって何になるの?
ヨーグルト:10代前半は60年代から80年代のUKのロックやパンク、ニューウェイヴ、10代後半の頃はレゲエとかブルースですね。
■レゲエが好きなのは、アップセッツっていう名義にしてるぐらいだからね。
ヨーグルト:レゲエは好きでしたね、レゲエを好きになったきっかけは、ストーンズやクラッシュがカヴァーしていたレゲエだったりするので、10代後半の頃好きだったのはロック流れのレゲエやロックステディですね。ラスタとかは正直わからないこともいろいろあります。で、ゴアでは打ち込みが苦手な自分がパーティの熱気に巻き込まれて、そしてメチャクチャ踊れるじゃないですか、それで「これすごいな」と思って、もっと探求したいと思ったんです。テクノとか全部エレクトリックな音で構成されてる音楽って、独特のフィーリングがあるじゃないですか。
■ある種の麻薬性みたいなところに惹かれたんだね。
ヨーグルト:う~ん、そうですね、苦手だったぶん、より惹かれたってことですかね。
■多くのレゲエが好きな人って、けっこうテクノを苦手とする人が多いんだよ。
ヨーグルト:けど、もうバッチリで。テクノで踊った後は歌ものレゲエよりもダブを聴くことが格段に増えて、90年代半ばだとマッドプロフェッサーがマッシヴ・アタックをリミックスしたやつとかを愛聴してました。
コヤス:僕、はじめ『ノー・プロテクション』ぜんぜんわかりませんでした。
一同:ええーー(驚)!!
コヤス:そのうちわかるようになりましたけど。
■コヤスくんはヨーグルトと何歳はなれてるの?
コヤス:5歳です。
■けっこう離れてるね。
コヤス:95年に交通事故で足をケガして、そこから3年ぐらいまったく遊んでないです。
ヨーグルト:コヤスくんはけっこう卓球さんファンで。
コヤス:最初は卓球さんでしたね。
■日本で打ち込みの音楽やっている人で、もともとは卓球ファンっていう人は本当に多いよね。
コヤス:最初の入りはデジタル・ロックだったんですよ。
■なんだっけ、デジタル・ロックって?
コヤス:ケミカル・ブラザーズとかプロディジーとか。
■ああ、そうだったね。
コヤス:もともとバンドやってたんですよ。僕の場合交通事故にあって足をケガして立って楽器を弾けなくなっちゃって、そのときにケミカル・ブラザーズを聴いて、これならひとりでもできると思ってサンプラーを買って、曲を作りはじめました。
■そのとき何歳だったの?
コヤス:22~23です。
■そうなんだ。コヤスくんも......運命というか、よりによってヨーグルトといっしょにやるとはね......。当時からヨーグルトは謎だったよ。「彼はいったい何者なんだろう?」っていつもレコードを選びつつ横目でちらっと見つめては思ってたもん。
ヨーグルト:シスコ・テクノ・ショップのいち店員ですけどね(笑)
■あの頃はCDを担当してたよね?
ヨーグルト:そうですね、CDの担当だとテクノという概念に含まれる音楽なら何でも全ジャンルやれるのが良かったです。ドローンや民族音楽系の作品も扱っていました。
■あの頃CDで発売されるものって〈ファックス〉とかのアンビエントが多かったじゃない。それでアンビエントが好きなのかなって思ってたんだよ。
ヨーグルト:そうですね、90年代にちょっとテクノに疲れちゃった時期があって。90~93年ぐらいまでは無邪気に遊んでましたけど、94年ぐらいにガックリ疲れて、4つ打ちをもう聴きたくないってときにアンビエントにのめりこんでいきました。
■あの頃はヨーグルトや星ちゃんの口車に乗ってずいぶん散財したよ(笑)。
ヨーグルト:はははは。お世話になりました!
■もし自分もレコード店で働いていたら、同じことしたと思うけど。
ヨーグルト:お客さんが買おうとしている作品にはダメだししにくいですね(笑)。でも、俺はわりと無理には勧めないほうでしたけどね。
コヤス:僕はアルタのシスコでアベさんの当時の楽曲制作の相方だったDJユーに勧められていろいろ買わされて、家帰ってから「なんでこんなの買ったんだろう?」ってことよくありましたね(笑)。
■ほら!
ヨーグルト:まあ、そのあたりが難しいとこですよね。自分の好きなものだけ売って成り立つんならいいですけど、塩梅がね。当時だとアンダワールドはとにかく売らないといけないみたいなのあるじゃないですか。でもそこでレコード店でバイヤーの経験を積むことで幅広い視点を持つ勉強にはなった気がしますね。
■それは重要だよね。ところでヨーグルトを名乗った理由はなんなんですか?
ヨーグルト:本名でも良かったんですけど「DJアベとかDJシュウジとか名乗って覚えられるかな?」と思って、「俺は覚えられない」と思って(笑)。いっぱいいそうだし。あとムードマンとかコーネリアスとか、名前以外を名乗る人がいたんで。
■なんでヨーグルトなの?
ヨーグルト:う~ん、それが覚えやすいのと意味合いですかね。
■精子のメタファーなんだよね。やっぱそこでエロティシズムをほのめかしている。
ヨーグルト:アメリカではそうみたいですけど、英語圏以外では違うらしいですよ。トルコ語では撹拌するとかゆっくり混ぜるという意味があると聞いたことがあります。柔らかいイメージと、身体のなかに取り込んで変化するみたいな意味合いもあるんですね。音楽もそうだし。
■便通も良くなるしね。DJをやるようになったのはいつなんですか?
ヨーグルト:たぶん〈マニアック・ラヴ〉で「スローモーション」の一番手をやるようになったのがきっかけですね。レギュラーでやるのはそれが最初です、それまでは友だちのパーティでやるぐらいでしたから。「スローモーション」はディープ・ハウスのパーティで、野田さんもたまに来てましたよね?
■あれは楽しかったよね、客はいなかったけど。ムードマン、3E(蓑田+三田)、ヨーグルト、あとたまにゲンイチだっけか。96年か97年ぐらいだよね。フレンチ・ディープ・ハウスが流行りはじめた頃だったね。
ヨーグルト:モーターベースがすごい人気でて、そのあとダフト・パンクがブレイクして。
■「スローモーション」が火付け役だったからね。
ヨーグルト:えー、そりゃわかんないですけど(笑)。いち部の人たちのあいだでじゃないですか?
■エチエンヌ・ド・クレイシーとイアン・オブライエンに関しては確実に「スローモーション」でしょ? 俺が来るとどや顔でベーシック・ソウルをかけていたもんな。「マッド・マイクみたいだろー」って感じで(笑)。
ヨーグルト:そうですかね。三田さんが『エレキング』で頻繁に書いていた印象は強いですね。しかしまさかここまでダフト・パンクがブレイクするとは、当時まったく思ってなかったです。
■それでムードマンがムーディーマンとセオ・パリッシュだったね。
ヨーグルト:「スローモーション」って、ちょうど自分の耳がジェフ・ミルズなんかのミニマル・テクノに疲れちゃったときにはじまったパーティなんです。ウェザオールもちょうどディープ・ハウスをやってるときで、「これはもうやるしかない」って思いましたね。俺も最初は客として行ってたんですけど、いいコンセプトだなと思ってDJやらせてくださいってオーガナイザーの蓑田くんにお願いしました。三田さんに「疲れました」って言ったら、「だろ!」って言われて(笑)。ちょうど三田さんもジェフ・ミルズからフィッシュマンズにシフトした時期でしたね。そんな原稿を三田さんが『エレキング』に書いてました。
■あー、覚えている。ジェフ・ミルズのDJ聴いて、家に帰ってフィッシュマンズを聴いたっていう原稿あったよね!
ヨーグルト:そうそう、それで俺、三田さんに誘われて野音にフィッシュマンズ見に行ったら、三田さんがいちばんガン踊りしてました(笑)。
■あー、それ俺も行った。バッファロー・ドーターが出たやつじゃない?
ヨーグルト:たしかそのときはバッファッロー・ドーターはいなくて、ワンマンでしたよ。ザックさんがPAやってました。ザックさんのPAがものすごくて、歌が聴こえないぐらいベースが出てて、「こんなアヴァンギャルドなミックスやるんだ」って驚きました。ON-Uを見ているような感覚でしたね。ほんと声がわかないぐらいディレイとEQがかかるのが良かったんです。佐藤さんのヴォーカリストとしてのエゴが感じられないライヴでしたね。そこが音楽的にはとても良くて、その日からフィッシュマンズの大ファンになりました。
■とにかく、それで「スローモーション」でヨーグルトはデビューしたわけだけど、「スローモーション」が終わってから、さらに音楽活動が活発になっていくじゃない。90年代末にいっかいクラブが落ち目になったときがあって、その頃からヨーグルトは制作のほうもやるんだよね。すごいなーと思ってたんだけど、アップセッツ名義でプロダクションをやるあたりの経緯はどうだったんですか?
ヨーグルト:98年頃からMPCで楽曲制作をはじめて、エレクトロニカ的なビートものを制作しつつ、アンビエントにハマっていた時期に考えたアイデアをどこかで音にしないとすっきりしないって思ってたんですよね。90年代だと作りたいと思っても、まだパソコンの性能がそこまで良くなかったから、ある程度のミュージシャンじゃないと頭のなかで作り上げた構想はなかなか実現できなかったんです。で、2000年半ばにMPC叩いて作ってたスタイルからパソコンに全部移行したんですよ。そこでやるようになったら当時自分が考えていたことが具現化できることがわかって、2001年に『サウンド・オブ・スリープ』の1枚目としてリリースしました。実際は2000年にはもう出来てましたね。そのファーストCDはアンビエントだったんですけど、ファースト・12インチ・シングルはサイケデリックなハーバートみたいな曲でそれは700枚ぐらい売れました、いまより売れてる(笑)
■知ってますよ。「アンコンヴェンショナルEP」(2001年)だっけ? 真んなかにアップセッツって書いてあるやつでしょ。レヴュー書いた覚えがある。
ヨーグルト:あれはハーバートと60年代のサイケデリック・バンドのレッド・クレイヨラとリー・ペリーをミックスさせたらどうなるか? っていうアイデアから生まれた楽曲なんです。
■つねにサイケデリックだよね、つねに。
ヨーグルト:つねに(笑)、ってわけじゃあ......。
■ヨーグルトのDJも本当にアシッディだしね(笑)。
ヨーグルト:あんまりあからさまじゃなくて出汁のように利いてる感じじゃないかと自分は思っているんですけど(笑)。コンブの出汁みたいな。
■それでゼロ年代途中でジェット・セットに職場を変わって。でもバッサリやめて音楽活動に専念するんだよね。
ヨーグルト:ジェット・セットでは3年ぐらい働いてました。でもDJの活動が忙しくなってきたので思い切って仕事やめて音楽に専念したかったんです。
■やっぱ売れてたんだね。
ヨーグルト:スタートが低いから売れてきているように感じているっていうのもありましたけどね。自分のスタートはフロアには誰もいない「スローモーション」のオープニングでしたから。
■はははは。まあそれで、サイケデリックというコンセプトをヨーグルト&コヤスでもさらに展開していると?
ヨーグルト:その前にもいろいろあって、アンビエントも追求しつつ、快楽主義も忘れず、でもわりと生真面目に試行錯誤してたんですよ(笑)。ヒカルくんと2002年に出会ったのも大きかったんです。彼も出演した「FORESTED OVA」って野外パーティで自分のDJを聴いて気に入ってもらえて、自分もヒカルくんのDJを聴いてこれは!というモノを感じたので、「いっしょにやろうよ」ってことになって、2003年からヒカルくんのレギュラー・パーティにときどき参加するようになりました。当時からヒカルくんには熱心なファンがいましたね。20~30人ぐらいは来ることも多くて、それで平日でもパーティがガンガン盛り上がる時間帯があるんです。自分はそれまではラウンジやメインフロアの早い時間とかでいろんなタイプの音楽をかけることが多かったんですけど、ヒカルくんとやるとひと晩にふたりで2~3回交替しながら回すことが多くて、そうするとヒカルくんのDJでダンスフロアが大盛り上がりした後にDJするわけですよ、それが自分にはすごくいい経験になりました。面白かったし、そのドンチャン騒ぎを維持しつつフロアを作る技術というか、メインフロアのピークタイムのフィーリングを多少なりとも学んだのは彼のおかげですね。それまでは前座しかやれませんでしたからね。
■やっぱDJも縦社会だからね。でもそれは仕方がないよ。だってジェフ・ミルズが客入れやるわけにはいかないし。
ヨーグルト:そうなんですよね、だからちょうどDJとしての活動が煮詰まってたときにヒカルくんに会ったんですよ。90年代に国内外の先輩DJたちから良いところを吸収して、ゼロ年代に入ってヒカルくんや自分らがワイルドに爆発させたってところがあるかも、ですかね、熟成させたっていうか。
[[SplitPage]]
単純にサマー・オブ・ラヴだってわけではないです。その良質な部分をアピールしたいっていうか、レイヴ・トラックにもひどいのもあるじゃないですか。セカンド・サマー・オブ・ラヴのスピリットが埋もれてしまっているんじゃないかなって残念に思うことがあるので。
■そうだね。アップセッツからはじまってどんどん自分を音楽生活にシフトさせていくじゃない、その上での大きかったことってなにかある?
ヨーグルト:いろいろな要因があるんですが、ヒカルくんとやってて、「ドッカンドッカン盛り上がっている局面でDJがプレイしてそこで通用する曲をつくらないと」って思ったことは大きなキッカケになったかもしれないです。当時はまだDJユーと曲作ってて、たまたまヒカルくんまわりにゼロっていうジャム・バンドがいたんですけど、彼らとスタジオでセッションして、それを再構築して、ダンス・トラックを作って、〈トライエイト〉からリリースしたのが2004年ですね(『グルーヴ・オン』)。そこからのシングル曲「エスノ」をDJケンセイくんがリミックスしてくれて、2005年に12インチでリリースされてそれが2500枚売れたんですよ。それが大きかったですね。
■ヨーグルトがアンビエント寄りのものからアッパーな方向に行った背後にはホントにヒカルくんがいたんだね。
ヨーグルト:あとはそのときのケンセイくんのリミックスですね。ケンセイくんとはそれ以前から仲よかったんですよね。で、そのシングルが日本中で売れたんで地方に呼んでもらえるようになりました。
■そこからまたドラッギーな旅がはじまるわけですね。
ヨーグルト:そうですね、90年代のいちばんてんやわんやな時代のノリに戻ったというか。
■はははは。
ヨーグルト:で、2007~8年あたりに、それまでの00年代前半の自分のDJプレイは生音と電子音を融合させた音が多かったんですけど、どんどんテクノ化が進みましたね。現場で受ける音がどんどんテクノっぽくなったんです。「フューチャー・テラー」とかも、00年代前半はわりとダンス・クラッシックとかもかかってたと当時遊びに行っていた人たちから聞いたんですけど、どんどんテクノが流れる時間が長くなっていって。
■僕が初めて行った頃も、まだソウルフルなディープ・ハウスが多かったね。
ヨーグルト:で、自分も自分なりにそっちの方向へ向って、ジェブスキっていうムーチーとネクサスってバンドをやってた彼といっしょにテクノ・トラックを作って、12インチ・シングルを〈トライエイト〉や〈ジェット・セット〉、〈ローズ〉から出したりしたんです。で、テクノへ本格的にシフトするあたりでコヤスくんと出会うんですよ。彼と話してみると卓球さんが好きだったりして。ジェブスキはソロ活動を開始するタイミングでもあったので、2007年頃からコヤスくんと共作する機会が増えていきました。
■ヨーグルトも卓球好きなの?
ヨーグルト:めちゃ好きですよ(笑)。元旦に東京にいる時はリキッドに挨拶にいってます。卓球さん、俺たちの曲聴いてくれていて「『チル・アウト』いいよ」って伝えてくれたときは嬉しかったですね。あの卓球さんの快楽主義を貫く姿勢は尊敬しますよ、簡単にできることじゃあないじゃないですか。
■快楽主義も良いけど、レイヴのあとの空しさったらないよ。二日酔いの翌朝の空しさもたまらないけどね。「なにやってんだろう、俺?」ってね。
ヨーグルト:俺もそんな気分を味わったことがあるのでわかりますよ。だけどそこで帰っていままで聴いてなかった音楽とか聴いて、それまで聴いても良さがわからなかった音楽がわかるようになってんじゃん、みたいなこともときにありますよね。「あれ? この曲やけにいい聴こえかたする」とか。そういう微妙だけど確実に何か変わっていることに気がつくと空しさも薄れるんじゃないですかね? レイヴを体験して感覚が変容することで、音楽だけじゃなく映画などアート全般に対する理解力が上がってそれまで以上に人生が楽しくなった人もいると思うんですよね。
■ですかね。でもさ、たとえばトランスってドラッギーで入りやすいけど、空虚な音楽でもあるよね。ぶっ飛ぶためだけにあるから。心は満たされないっていうか、それがトランスの格好良さなんだけどね。
ヨーグルト:トランスの受け止め方も人それぞれで何とも言えないんですけどね。自分はトランスのパーティに漂う解放感は好きです。90年代のパーティ・カルチャーは自由を目指して、より自由にって爆走していたと思うんですけど、良いことだけでなくいろいろ問題も発生して、熟成期に差し掛かってきたのがいまなんじゃないですかね。
■レイヴの自由って幻覚じゃない?
ヨーグルト:いやいや、すごいパーティで感じた体験はそう簡単には風化しないですよ。毎週のようにまあまあのパーティに行ってると空しさが爆発するかもしれないですが。どうしても空しさを感じたくないなら、DJやパーティを絞り込んで狙って、3~4ヶ月に1回行けばいいんですよ。一度や二度空しさを感じて、そのあとまったくパーティに行かなくなるのももったいない気がします。
■はははは、たまには幻覚ぐらい見ないとね(笑)。俺も3~4ヶ月に1回は行きたいですよ。そういえば、ゼロ年代以降は、小バコの時代だったとも言えるよね。
ヨーグルト:〈グラス・ルーツ〉が盛り上がったり。
■〈グラス・ルーツ〉って行ったことないんだけど、たとえば静岡だったら〈ラディシャン〉が居心地が良かったりするよね。小さいながらもスピリットを感じるっていうか。人と人との距離も近いから、話しやすいし。
ヨーグルト:でかい場所で何千人って人と同じ曲聴いて盛り上がるっていうのもありだと思いますけど。小バコだともっと音楽好きが集まって音楽性が高まる気がしますね。
■まあ、敷居が低い分、音楽性は高くはないかもね。
ヨーグルト:いろいろな小箱があるから何とも言えないですけどね。俺は〈グラス・ルーツ〉でダメ出しされたこともありますよ(笑)。「キミはいろんな曲かけてるけど、ほんとに全部すきなの?」って言われて。好きな曲しかかけてないですけどね。そういう感じのコミュニケーションがあるのは小バコならでは気がしますね。ダンスフロアとDJブースが近いからこそ生まれる雰囲気はあると思います。
■でも大人数のときの興奮はまた別のすごさがあるよね。
ヨーグルト:大人数で盛り上がるすごさにあらためて目覚めたのは去年のフジロックですかね。あのメインステージの音がムチャクチャよくて、あそこで考えが変わりましたね。なんですかね、あそこで1万人以上で盛り上がるのは......衝撃でした。ただ音が良いだけではない部分があると思いましたね。あの音に感動してPA業界に入る若者とかいるんじゃないかと思いますよ。
■DJとしてのポリシーは?
ヨーグルト:新譜と旧譜をバランス良くプレイすることや、なるべく他のDJと選曲が被らないことは意識しています。「こんな選曲のDJは初めて聴いた」と言われたいです。その夜来てくれた人が「また来たい」って思いながら帰ってもらえたら嬉しいです。
■先日ゴス・トラッドに取材したときに彼が言ってたんだけど、日本と欧米との違いは日本では曲を作るDJがまだまだ少ないってことだと。たしかにダブステップ世代のDJって、みんな曲作っているんだよね。むしろ曲作りが先で、それをプレイするためにDJしているんだよ。とはいえ、テクノが盛り上がった90年代なかば以後は日本でも曲を作る人がいっきに増えたよね。田中フミヤや瀧見憲司以降っていうか、ヨーグルトもそうだし、アルツとかノブくんとか、みんな作ってる。
ヨーグルト:作曲とDJがどんどん同じになってきてるのかもしれないですね。そんな流れのなかでオリジナリティを出すのはほんとに大事だと思います。自作の曲やエディットを作ってかけたり、スクラッチなんかをしたり、やり方はなんでもいいと思いますけど、DJプレイにおいてその人にしかできないことをやるのはこれからいままで以上に求められてくるでしょうね。自分はウェザオールが"ローデッド"をリミックスしたときからそれは感じてました。「DJってこんなに自由にやっていいんだ」ってね。
■目標としているDJっている?
ヨーグルト:ミックスマスター・モリスは昔から好きです。
■あー、昔からずっと好きだよね。
ヨーグルト:いま〈R&S〉傘下の〈アポロ〉のA&Rやったりしてて、視野がほんと広いんですよね。そこでジェームス・ブレイクとかをきっちりチェックしつつ......。歳とっていくと視野が狭くなる人が多いじゃないですか。でも、ミックスマスター・モリスはいまでも現役というか、しっかり新譜の動きをおさえているんですよね。すごくアナーキーなところもあるし......。コヤス・スタジオにデモ曲を制作するために泊まりにきたこともありました。
他には、ニック・ザ・レコードも好きですね、あの人はお約束以外のディスコをうまくかけるじゃないですか。ズブズブのディスコを素人にはわからない感じでかけるのがすごい。何時間でも聴いていられる面白さがあります。
■僕は今回のアルバムも『チル・アウト』も、聴いてつくづく思ったんだけど、基本的にはサマー・オブ・ラブの人だよね、ヨーグルトは。
ヨーグルト:根底にあるのは間違いなくそうですね、でもいろいろありつつですね。
■それはいまは素直に受けとれないと?
ヨーグルト:けっこう世のなかの流れってかわるんですよね。まあ、基本的にはそこが大事なところですけど。どちらにしても『チル・アウト』と『サウンズ・フロム・ダンスフロア』は素直にやったというよりは微妙に批評性はあると思いますよ。
■自分がここ数年ダブステップ系ばかり聴いていたからかな。なんて無邪気だろうって思ったんだけど。
ヨーグルト:セカンド・サマー・オブ・ラヴの頃に生まれた楽曲って勢いでやっちゃてるものが多い気がするんですが、自分でやっているものは、もっと落ち着いて見直して、セカンド・サマー・オブ・ラヴの頃に生まれた楽曲のどこが良かったかって考えてやってます。余計なものをそぎ落としたというか、むやみに意気込んでるわけではないですね。単純にサマー・オブ・ラヴだ、フリーダムだってわけではないです。その良質な部分をアピールしたいっていうか、セカンド・サマー・オブ・ラヴといってもレイヴにもひどいのもあるじゃないですか。そういうよくわからないレイヴにセカンド・サマー・オブ・ラヴのスピリットが埋もれてしまっているんじゃないかなって残念に思うことがあるので。
■ヨーグルトの場合は、ゼロ年代に曽我部恵一を聴いているような若いリスナーのあいだで広まっていったよね。実際、ヨーグルトが好きっていう20代のロック・リスナーに何人か会ったことあるよ。
ヨーグルト:嬉しいですね! 最近では、大阪の奇妙礼太郎トラベルスウィング楽団のヨーグルト&コヤスリミックス(「機嫌なおしてくれよ」)が評判になって、10代から20代の人も聴いてくれてるみたいです。自分もロックを聴いててダンスに入っていったんで、ロックのリスナーにはシンパシーがあるんです。インディ・ロックを聴いているような子たちにダンス・ミュージックの魅力を伝えたいっていうのはあります。曽我部さんも「そういうことやりたいよねっ」て言ってくれているんですよね。
■いま、どのくらいの割合でDJやってるの?
ヨーグルト:平均すると月に6~7本ぐらいですかね。
■さすがですね。
ヨーグルト:でもヒカルくんとかノブくんとかケンセイくんはもっとやってますからね。
■みんなすごいよね。
ヨーグルト:俺もこれからの『エレキング』に期待したいですね。
■もう『エレキング』にはクラブ・ミュージックについて書きたいって人がいなくなってるからね。
ヨーグルト:萎縮してるんじゃないですか? それかブログやツイッターなんかで自分の思いを文字にして満足している人が多いのかもしれないです。
■五十嵐とか暇を見ては手伝ってくれてるけど、大人でコンスタントに書いているのは僕と三田さんぐらいで、松村や二木なんかもたまに、1年に1~2回ぐらいは磯部も書いてくれているけど、他は20代なんですけどね。2012年はライターを増やしたいっていう目標があるんだ。
ヨーグルト:俺も書きますよ!
■それは嬉しいな。ヨーグルトも昔の『エレキング』でもよくレヴュー書いてくれたよね。でも、やっぱもう言葉を必要としていないってところもあるのかな? テクノやハウスに関していえばもう充分過ぎるほど語られているから。
ヨーグルト:もしかしたら語るよりも体験しようって人が多いんじゃないですか。娯楽文化でもあるし、ヨーロッパではドラッグ文化のいち部でもあることが日本では書く人が少ない原因かもですよね。
■関西なんてそれどころじゃないだろうしね。そういう意味ではね、今回のアルバムのアートワークが思いっきりダンスフロアを主張しているでしょ。このわかりやすいヴィジュアルをいまやるところにヨーグルト&コヤスの強い気持ちを感じたんですけど。
ヨーグルト:『チル・アウト』、『サウンド・オブ・スリープ&メディテーション』と2枚のアンビエント・アルバムを続けてリリースしたあとなので、今回は方向性が変わったことを明確にアピールしたかったんです。もちろんダンスフロアへの愛情をストレートに表現したタイトルでもあるんですが。ま、これは昔の『リミックス』も関係あるというか、それが原因みたいなものですよ(笑)。
■というと?
ヨーグルト:2004年にさっき言った〈トライエイト〉から『グルーヴ・オン』っていうアルバムを出したら、それがどういうわけか『リミックス』誌の2004年の「アンビエント・アルバムNo.1」に選ばれて(笑)。「自分にはアンビエントってイメージが強くあるからなのか?」と軽く悩みました(笑)。これはマジで、もっとわかりやすくしないと音楽系のライターにすら通じないのに、一般の人たちにはまず通じないなと心の底から思って(笑)。それ以来、ダンスものはダンスものらしく、曲名もヴィジュアル的にもわかりやすくしています。
■ひぇー、それはごめん。すいません!
ヨーグルト:河村さんがそうしたということをあとから知りましたけどね(笑)。それがトラウマでこうなってるんですよ。
■え、じゃあ、まさか河村の影響で?
ヨーグルト:このタイトルなら誰もアンビエントだと間違えないでしょう。
■重たい話になっちゃうかもだけど、ゼロ年代以降は店員の態度が悪いクラブも出てきたでしょ。疲れて階段で座っているだけで注意するような。入口で財布の中身まで見るとか。あれがクラブ初体験だったらリピーターにはならないと思ったことあるんだよね。〈イエロー〉や〈マニアック・ラヴ〉の時代は、お店のスタッフもみんな「こちら側」っていう感じだったけど、やっぱこの10年で好きでやっていた人たちが作っていったものと、商売ありきではじめた人たちとの差が出てしまったかなと思って。
ヨーグルト:〈イエロー〉や〈マニアック・ラヴ〉の店員の人たちの雰囲気はほんとによかったですもんね。クラバーがそのまま店員になった感じで。でも全国いろいろまわってるとナイスな店員さんに出会うこともあるし「こんなところにこんなクラブが!」ってこともありますよ。
■気持ちのこもったクラブっていまでもあるんだろうけど、客の側から見てちょっとギブかなっていうのも混じってるからややこしいんだよね。たぶんヨーグルトやノブくんみたいな人たちはそういう場所を巡業しているんだろうし、だからこういうアルバムが生まれるんだろうし。ちなみにこのアルバムに込められたメッセージは?
ヨーグルト:ダンスフロアにはマジックがあるんだってとこですかね。
■all time to 10 albums by Yogurt
1. RED CRAYOLA / Parable Of Arable Land (International Artist)
2. MILES DAVIS / Bitches Brew (Columbia)
3. BOB MARLEY&WAILERS / Catch a Fire (Island)
4. ROLLING STONES / Black&Blue (Atlantic)
5. KING SUNNY ADE / Juju Music (Island)
6. SPACEMEN 3 / Dream Weapon (Fierce)
7. PRIMAL SCREAM / Screamadelica (Creation)
8. BASIC CHANNEL / Basic Channel (Basic Channel)
9. IRRESISTIBLE FORCE / It's Tommorrow Already (Ninja Tune)
10. BLAST HEAD / Head Music (Free Hand)
1/7(土) @八王子Shelter
1/12(木) @西麻布Eleven
1/14(土) @江ノ島Oppa-La
1/20(金) @中野Heavy Sick Zero
1/27(金)@渋谷Vision
1/27(金)@代官山UNIT/SALOON
1/28(土) DJ YOGURT Open To Last 6Hours@代官山Saloon
(The FieldがUnitに出演する日です)
他の出演予定の確認はこちらで
https://www.myspace.com/djyogurtfromupsets/shows