「OTO」と一致するもの

news_Moe and ghosts × 空間現代『RAP PHENOMENON』、いよいよリリース、そしてレコ発のお知らせ

 彼女は、そうだね、たとえば最近の、ゆるふわ系女子がラップしましたっていうのとはわけが違うんだよ。ホンモノのラッパーだ! と、信頼のおける某ライター氏が言っておりました。たしかに……Moe and ghosts 、その速くて独特のアクセントのフローに、ジャズドミュニスターズなどで聴いてびっくりされた方も多いでしょう。
 早くから期待が高まっていたMoe and ghostsと空間現代との共作『RAP PHENOMENON』は、いよいよ来週の水曜日(6日)に発売されます。
 また、4月6日にDOMMUNEにてオンライン・リリース・パーティ、5月30日には渋谷WWWにてZAZEN BOYSとのツーマン・レコ発も決定しました。これ、間違いなく注目作です。



Moe and ghosts × 空間現代
RAP PHENOMENON
NKNOWNMIX 42 / HEADZ 212
2016年4月6日発売

Amazon

■TRACK LIST:

01. DAREKA
02. 不通
03. 幽霊EXPO
04. TUUKA
05. 新々世紀レディ
06. 可笑しい
07. 少し違う
08. TASYATASYA
09. 同期
10. DOUKI
11. 数字
12. ITAI

Moe and ghosts: Moe, Eugene Caim
kukangendai: Junya Noguchi, Keisuke Koyano, Hideaki Yamada

All lyrics by Moe and Junya Noguchi
Except Track 6 (Mariko Yamauchi "It's boring here, Pick me up.")
All music produced by kukangendai
Except Track 1, 4, 8, 10, 12 produced and mixed by Eugene Caim, contain samples of kukangendai

Recorded by Noguchi Taoru at Ochiai soup
Rap Recorded and Mixed by Eugene Caim at DADAMORE STUDIO
Mixed and Mastered by Tatsuki Masuko at FLOAT

Photographs: Osamu Kanemura
Design: Shiyu Yanagiya (nist)

 2012年に発売され異形のフィメール・ラップ・アルバムとして話題となった1st『幽霊たち』から、約4年振りの作品リリースとなる"Moe and ghosts"と、昨年はオヴァルやマーク・フェル、ZS、OMSBら国やジャンルを越えたリミキサーが参加したリミックス・アルバム『空間現代REMIXES』をリリースし、日本最大級の国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー」に出演するなど各方面で注目を集める"空間現代"のコラボ・アルバムが発売決定。
 2015年に開催されたHEADZの20周年イベントにて初披露されたこのコラボレーションは、巷の安易な共作ではなく、互いが互いの音楽を研究しつくし、互いの音楽が寄り添いつつ並列し昇華される、前代未聞のコラボレーション、前代未聞のラップ・アルバムに仕上がった。
 山内マリコの小説「ここは退屈迎えに来て」のテキスト使用した楽曲や、未だ謎に包まれるMoe and ghostsのトラックメイカー、ユージーン・カイムが空間現代をリコンストラクトしたトラックも収録。
 ジャケット写真は金村修。ジャケットデザインはブックデザイナーの柳谷志有。バンド録音は、にせんねんもんだい等の録音を手がける野口太郎。ラップ録音はユージーン・カイム。ミックス・マスタリングは砂原良徳やiLL等を手がける益子樹が担当。
 2016年4月6日にDOMMUNEにてオンライン・リリース・パーティ、5月30日には渋谷WWWにて、ZAZEN BOYSとのツーマン・レコ発が決定している。

■アルバムのティザー映像

■LIVE

2016年4月6日(水)
@DOMMUNE 21:00-24:00
【"RAP PHENOMENON" ONLINE RELEASE PARTY】
LIVE:Moe and ghosts × 空間現代
DJ:GuruConnect(from skillkills)

2016年5月30日(月)
@渋谷WWW
【"RAP PHENOMENON" release live】

LIVE:
Moe and ghosts × 空間現代
ZAZEN BOYS

open18:30/start19:30

前売:3000円(+1D)
※ぴあ[Pコード:295-316]、ローソン[Lコード:75789]、e+[https://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002187031P0030001]にて4/9~販売開始

https://www-shibuya.jp/schedule/1605/006575.html

interview with ASA-CHANG&巡礼 - ele-king


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

Tower HMV Amazon

 古代インド神話におけるトリムルティ(三神一体論)に登場するシヴァ神は、破壊神でありながら、破壊後の創造をも担うという両義性を持つ。ヒンドゥー教の経典『リグ・ヴェーダ』では、シヴァは暴風雨神ルドラとして現れ、暴風雨による風水害を引き起こす一方で土地を肥沃に潤し、作物の恵みをもたらす。またルドラには人々の病を治癒する超能力があるという。

 破壊とその後の再生を担うという両義性。病を治癒する力。ルドラやシヴァのこうした特性は、ASA-CHANGという優れて特異な音楽家の創作態度とぴったり重なる。既成の様式を破壊するだけでなく、根底から創り直して再生させる――ASA-CHANG&巡礼のこれまでの軌跡は、文字通り破壊と再生の連続であった。ASA-CHANGが切り開いた“けものみち”に咲きみだれる、美しくも異形の花々は、いつしか世界中に散らばる同志たちにとってのひとつの道標となっている。

 2009年の5thアルバム『影の無いヒト』をピークとして、翌10年にこれまでの編成を一旦解体したASA-CHANG&巡礼から、7年ぶりの新作『まほう』が届いた。後関好宏と須原杏という二人の新メンバーを迎えて制作された初のオリジナル・アルバムとなる今作は、全曲歌モノで構成された、まさに初ものずくしの作品となった。とりわけその核となる“まほう”と“告白”の2曲は、かつてない方法論でつくられ、体験したことのない衝撃を聴き手にもたらす未知の音楽であると同時に、日本語のポップスが未踏の領域に足を踏み入れた瞬間の記録でもある。前者の歌詞は、『惡の華』(『別冊少年マガジン』09年10月創刊号~14年6月号連載、講談社コミックス全11巻刊)などで知られる漫画家の押見修造が、吃音に悩む少女を主人公にした学園物の短篇“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”(太田出版WEB連載空間『ぽこぽこ』11年12月~12年10月連載、13年1月同題のコミックス全1巻刊)からサンプリングしたことばのぶつ切りと作中に登場する歌詞の引用がミックスされ、後者の歌詞は、今作のジャケットも手がけたアート・ディレクター/映像作家の勅使河原一雅のウェブサイトに上げられた赤裸々なプロフィールをそのまま引用した。「そんなのありか!?」と思わず叫びたくなる意表をついたアプローチだが、チョップされたことばと音が曼荼羅のように脳内を回り出す、ASA-CHANG&巡礼の専売特許というべきえもいわれぬ聴き心地がさらに深まって、なんと形容していいか分からない、まったく新しい感情が自分の中に芽生えるのを感じる。

 1969年にカナダのトロントで行われたマーシャル・マクルーハンとジョン・レノンの対話のなかで、マクルーハンは言う。「言葉というものは、どもりを整理した形態だ。人は喋るときに、文字通り音を切り刻んでいる。ところが、うたうとき人はどもらない。つまり、うたうという行為は、言語記号をひきのばして、長く調和のとれたさまざまなパターンと周波をつくり出すことなのだ」。

 一方、レノンは言う。「私にとって言葉とか歌は、理論的に震動がどうのこうのということを別にすれば、夢を語ろうとするようなものなのです」。そして、「どもることに関しての話はたしかにおっしゃるとおりですね――言いたいことって言えないものです。どんなふうに言っても、いいたいようにはけっして言えませんよ」と述懐した後、「音楽が新しいリズム、新しいパターンを採用する方向に向いつつあることをどう思う?」というマクルーハンの問いかけに対し、「完全な自由があるべきですね。とにかく、人間が何千年もかかえてきたパターンをいったん捨ててみることです」と言い切っている。

 「ビートルズの音楽はよい趣味になりつつある危険に瀕しているのかね?」とマクルーハンに問われたレノンは即答する。「その段階はもう通りすぎましたよ。もっと徹底的にむちうたれなくてはいけないのです」。ぼくには、ASA-CHANGとレノンが、47年間という時の隔たりを超えて、方法論こそ違えども、創造にかかわる問題意識を共有しているように思えてならない。マクルーハン曰く、「それが、中央集権化している現代の世界を白紙に戻す方法でもある」。

 押見、勅使河原の両氏は、ASA-CHANG&巡礼が14年に始動した、異なる分野の表現者とマンツーマンでセッションするライヴ・イヴェント「アウフヘーベン!」のvol.3とvol.2 にそれぞれ出演しているが、aufhebenというドイツ語には、廃棄する・否定するという意味と、保存する・高めるという二つの矛盾する意味がある。これはドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した弁証法の基底となる概念であり、否定を発展の契機としてとらえる考え方である。テーゼ(命題)に対するアンチテーゼ(反対命題)として古きを否定する新しきものが現れるとき、矛盾するもの同士を高次の段階でジンテーゼ(統合)することにより新しい何かを生み出し、さらなる高みに到達しようという、このプロセスをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。それはまさしく「ASA-CHANGという哲学」そのものだ。

 今作『まほう』は、否定の感情をぶつけあい傷つけあって、いたずらに混迷するばかりの世界に向けてASA-CHANG&巡礼という破壊神が投じた、止揚への大いなる一石であり、決して癒されることのない痛みに苦しむ人たちにおくる鎮魂歌集である。


■ASA-CHANG&巡礼
1997年、ASA-CHANGのソロユニットとして始動。国内で評価されるとともに各国のメディアにも取り上げられる。 また、ミュージックビデオにおけるコンテンポラリーダンサーとの共演が世界的な話題となり、09年に音楽×ダンス公演『JUNRAY DANCE CHANG』を世田谷パブリックシアターにて開催。 12年に後関好宏、須原杏をメンバーに迎え、国際的な舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2012」への参加、アニメ『惡の華』のEDテーマ曲の提供など、多岐にわたり活動を展開している。 また、14年9月からライブシリーズ「アウフヘーベン!」を始動、世界的な舞踏家・室伏鴻や映像作家・勅使河原一雅、漫画家・押見修造といったジャンルを横断した作家とのコラボレーションを行う。2016年3月、6thアルバム「まほう」をP-VINEより発売。

音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。

新しい編成になって、いろんな意味で新しいスタートラインに立った──ご自身もそういう気持ちでレコーディングをされたのでしょうか?

ASA-CHANG(以下AC):そうですね。メンバーが変わりましたからね。で、ひとが変わったわけだから、音も変わりますね。

前の3人編成のときに、ASA-CHANG&巡礼の音楽は確立されていました。ぼくは活動が広がっていくにつれて、少しずつ理解できるようになったというか。最初は突然変異系の音楽だと受けとめていたんです。だけど、やっぱり“花”という曲がぼくも好きで、ずっと心に残っているんですよね。あの曲があるから、たとえ変わったとしても全然関係のないところへ行ってしまうことはないだろう、という気持ちはありますね。今回のアルバムを聴いても、作品から受ける感動の性質は変わらなかった。生と死の両方を感じさせ、なおかつ、ぎりぎりの果ての果てからそれでも先に行かなければいけないときに支えになってくれる音楽というか。新しいメンバーはどういう経緯で集まったのですか?

AC:前のメンバーとの形が解体して、それ以降、自分のソロとして続けると告知したんですけどね。そのちょっと前から舞台芸術というか、コンテンポラリー・ダンサーといっしょにやったり、世田谷パブリックシアターなんて大きな劇場から声をかけてもらったりとか。やっぱりソロでは活動できなかったので新メンバーを公募したりしていたのですが、なかなか見つからない……。それでようやく巡りあったメンバーが後関(好宏)さんと須原(杏)さんだったんですね。

後関さんは在日ファンクのメンバーですよね。

AC:そのときは在日ファンクのメンバーじゃなかったと思います。いまはそうですが……。ちょっと定かではないです。

管楽器ができるひとが欲しかったのですか?

AC:正直そういう見方でもなくて、音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。だからヴァイオリニストにヴァイオリンだけを望まないし、管楽器奏者から管楽器だけを望まない。その限られた人数のなかでつくっていこうと思うと、どうしても起こってくるんですけど。かといって、そのひとを深く知ろうとするわけでもないんですけど。

そのひとがピンとくるポイントってどこですか?

AC:んーわかんない。相性というか。感覚よりも明確な何かがあるでしょうけれども……、わからないですね。鍵穴みたいなものというか……。

音を出す前から、どんな感じかわかるのですか?

AC:音は関係なくなっちゃいますね。当然音はいいだろうと確信しているので。

後関(好宏) さんとの出会いはどんな感じでしたか?

AC:覚えてないです(笑)。メンバーになる前から知っていたので。ゴセッキーというアダ名がありまして。ゴセッキーとまさか巡礼をやるとは思いもしなかったですね。この東京の音楽業界の片隅に必ずいた人物なので。念頭にはなかったんですが、メンバーを探していたときにお願いしてみたというか。

須原(杏)さんは?

AC:ひとづてです。こういうことを話しても、ドラマ性がなくて面白くないんですよ(笑)。

「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。

きっとなにがしか引き合うものがあって、メンバーになっているわけですよね?

AC:そうですね。でも僕らは、バンド体質を持っていないというのは大きいですね。ベースがいてドラムがいてピアノがいないと成り立たない音楽だとは思わないので。バンドマンが持っているような考え方や、出会いのドラマチックさが、ある意味全然なんですよ。

それは前からそうなんですか?

AC:うん……。あんまりそういうのはないかもですね。あったらロック・バンドをやっていますって。スカ・バンドしかやってないですから。「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。自分の好き嫌いは相対的なもので、もっとかっこいいものが他にあったら、浮気症な男なんで、自分の音楽哲学みたいなものは変わってしまいますよね。だから、出会いかたはつまんないんですけど、いまは本当に大切なメンバーですね。

新編成になってからの第一歩を、どういう形で記したのですか?

AC:前の編成(ASA-CHANG、ギタリスト/プログラマーの浦山秀彦、タブラ奏者のU-zhaan) を2009年に解体しました。加入した時には、まさかお茶の間レベルにまで浸透するなるなんて想像もつかなかったU-zhaanという存在、彼と活動をともにしなくなってから、3年後ですか。京都で舞台芸術のイヴェント(「KYOTO EXPERIMENT 2012」) があって、それに出ることになったんですが、そのとき初めて新体制で動きました。

2010年から2012年の間は、朝倉さんがひとりでいろんなことをやっていたのですか?

AC:いや、何もやってないです。正直ちょっと面倒くさくなっちゃいました。

ある意味、一旦解散したような感覚があったのですか?

AC:辞めようとまでは思っていませんでした。でも、言い方が悪いですが、本当に面倒くさくなっちゃったんですよ。これはぼくのいけないところだと思うんですけど、(巡礼以外の)他のプロデュースや演奏に集中してしまうと、そこに鍵をかけて置いておけるんです。一旦そうすると、自分で何か始めるまでおいておけるんですね。そういうナマケモノの場所が自分にはあるので、数年間はほっぽっておいちゃいました。

ASA-CHANG&巡礼は、朝倉さんが他所に心がいっているときは、別に動かさなくてもいいわけですね?

AC:それがすごくナマケモノなところだと思います。

舞台芸術なんていうと、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。

「KYOTO EXPERIMENT 2012」に参加したときに、新メンバーとリハーサルで音を出してみて、そこでいっしょにやる音楽が見えてきた感じですか?

AC:舞台表現だから、相当な稽古量なんですよ。だからその音楽だけのリハーサルなんていうのは、本当に歯車の一個という感じで。台本に合わせた細かい打ち合わせを毎日やるわけです。ライヴバンドみたいに「やっちまえ!」という感覚は許されない。

演出家が指示を出して、それにミュージシャンも従うという。

AC:その演出家が自分なんですよ。だからいい意味で音だけに集中しなくて済んだので、音は他のふたりに預けておけた。それが自分にとって良い形のスタートを切れたのかもしれないですね。舞台芸術なんていうと、なんかアカデミックで、モノクロの光がわぁーっときて、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。なんでいつもこう暗黒舞踏みたいなのだろう、と。誰が決めたんですかね? 舞台芸術の常識っていうのはとても不思議だなと。

ぼくは観客として舞台や演劇に接するとき、なかなかその世界に素直に入れないタイプなんです。

AC:ぼくもそうです。ちょっとかゆくなっちゃうというか(笑)。正直、わざわざお金を出して観に行こうとは思わなかったんです。突然奇声を張り上げたりとか、ステージ脇から走ってきて止まってバタンと倒れたり(笑)。あのスタイルは誰が決めたんだと。それが(効果的に)作用するときがあったんだろうと思うんだけど、それを固定してやられても、ちょっと気持ち悪いですよね。でも、気持ち悪いと思っているひとだから切り開ける部分もあって。だとしたら、ずっと走っていてバタンと倒れるのが上手くなれば「最高」ってなるわけじゃないですか?

それってコントみたいですね。

AC:何かの思想だけで表現しているみたいなのがね……。しかしそういう界隈で巡礼の音楽はすごく評価されているんですよ。それで観に行って勉強するというか、通ってみたりして。ただ嫌い、って言うのもいやになっちゃって、好きなものもあるかもしれないぞと。でも、どうしても嫌いで。

そんなに急には変らないですよね(笑)。

AC:好きなカンパニーも少しは出来たんです。そのひとたちと手を組んで強烈にいろんなことをやっていったら、「KYOTO EXPERIMENT」の舞台の演出の話がきたんです。嬉しかったですね。

その試みは『JUNRAY DANCE CHANG』(※09年5月15日~17日、世田谷パブリックシアターで開催された音楽×ダンスの3DAYS公演。音楽・演奏:ASA-CHANG&巡礼/構成・総合演出:ASA-CHANG×菅尾なぎさ/振付・出演:熊谷和徳、菅尾なぎさ、斉藤美音子、康本雅子/出演:井手茂太、上田創、酒井幸菜、佐藤亮介、鈴木美奈子、須加めぐみ、中村達哉、中澤聖子、松之木天辺、メガネ、U-zhaan、ASA-CHANG、他)/空間美術:宇治野宗輝×ASA-CHANG)からはじまっているんですか?

AC:そうです。その前(06年3月29日~31日)にも、六本木の〈スーパー・デラックス〉で『アオイロ劇場』(※ASA-CHANG&巡礼とMV“つぎねぷと言ってみた”、“背中”、“カな”のミュージック・ヴィデオに出演したダンサーたちが舞台空間で競演する、JUNRAY DANCE CHANG名義の3DAYS公演)というのをやりました。そういう感じですね。

『アオイロ劇場』はどういうきっかけではじめたのですか?

AC:自分の作った“花”とか、“つぎねぷと言ってみた”を「公演で使っていいか?」という依頼が、いろんなダンス・カンパニーから――ヨーロッパやアメリカ、もちろん日本からもくるようになって。

それは思いがけない反響でしたか?

AC:思いがけないです。まさか身体表現のひとからそんなに愛されるとは思っていなかったですね。そういう反応があって、自分もそっちへ接近していったんです。

なぜ身体表現をするひとたちに好かれるのか。あるいは、なぜ彼らがASA-CHANG&巡礼に触発されるのか。その理由について、朝倉さん自身が接近していくにつれて何か見えてくるものはありましたか?

AC:「なぜ」かはわからないですね。ただみんな好きで使ってくれたみたいです。「なぜ」を問うたりしなかったです。既存の曲のように1番があって2番があって間奏があってエンディングに向かって盛り上がってダンっと終わる曲が踊りづらいんでしょうね。同じビートが続いて……それじゃ、クラブ・ミュージックで自然に反応するような動きしかできなくなっちゃうんですよ。パルス過ぎるんでしょうね。かといって、巡礼の“花”なんかクラブで結構かかっていた時期もありましたね。

エクスペリメンタルな音楽には、想像力を喚起して身体を動かしたくなる不思議な作用があって、そういう要素がASA-CHANG&巡礼には入っているような気がしますね。

AC:そうだと嬉しいのですけれど……。ぼくは例えば本を作ろうとすると、紙の原料になるコウゾやミツマタの木を伐採に行くようなことから始めるわけです。そこから作って紙をすいて、そのインクまで作るみたいなことをしないと、自分のなかではオリジナルだとは思えなくなってしまって。そうしないといけないと前世で誰かに言われてしまったんだと思うぐらいです。

家を作るんだったら、まず瓦を作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。

そういう気持ちが高まってきたのはいつぐらいからですか?

AC:昔からです。スカパラのときもそうでした。どこにもないから作るという、収まりきらないようなモノをね。家を作るんだったら、まず瓦から作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。例えば、DJはターンテーブルを作らないでしょう?

そうですね。ターンテーブルはすでに用意されている、という前提がありますね。

AC:それだと個人のスタイルが違うだけで、フォーマットは違わないじゃないですか? そこでフォーマットを変えることが音楽だと思っちゃったんですよ、ぼくは。ただそんなことをやっているとキツいんです。それは80年代に当時のファッションの最高にアツい現場にいて、20代でそういうことを感じてしまったことが影響しているのかもしれないですけどね。雑誌の「流行通信」などの撮影現場で、ものすごいモノを作り上げていて、ぼくはびっくりしたんです。そこで初めてクリエーターと呼ばれるひとたちに会うわけですよ。

朝倉さんはヘアメイクのお仕事をされていましたよね。その頃に出会って、とくに印象に残っているひとたちは?

AC:写真家の小暮徹さん。いまでも親交があります。伊島薫さんもそうです。素晴らしいひとたちと会い過ぎちゃって。自分は全然ダメで、ただ東北の田舎から出てきてカタカナ商売に憧れていただけの未成熟な少年で、ここで何かしなきゃ!と焦って、もがいていました。原宿のど真ん中で……入り込んだ美容集団が凄すぎたのは、ぼくにとってはとても大きいですね。そのなかで小泉今日子さんとも出会うわけですけど。だから、音楽にもその当時のクリエイティヴの熱気を求めますね。

あのころの……80年代の熱気って特別な感じがしますね。

AC:ただ、いまと空気が違うから、そのまますり合わせるのも無理なので、それをいまの自分とすり合わせて上手く作っていこうと思うんですけど。

創造性を触発されるクリエイターとセッションするという感覚は、朝倉さんのなかでずっと続いているんでしょうね。

AC:そうですね。ぼくはあまりにもそのひとたちと世代が違ったので、(相手が)デカすぎたんでしょうね。そういう風になりたい、大人になりたい、と常に思っています。「スタイリストって本当に洋服を選んでいるだけのか?」って思っちゃうくらいすごかったので。だから、音楽をやるために音楽だけに入り込むというのがまったくつまらなく思えたんですね。それよりも音楽を壊していくことが音楽を作ることに近い気がします。

スカパラも、初期の頃は魑魅魍魎が現れたというか、それまでの日本には存在しないニュータイプの楽団だった。でもスタイリッシュでカッコいい、まったく新しいグループとして世に出た記憶がありますね。

AC:とにかく人数が多くて、ライヴハウスのステージから常にひとりかふたりはみ出しているわけですから(笑)。

しかも当時はクリーンヘッド・ギムラという煽り役がステージの中心にいて、担当は“匂い”だという。そういうスペシャルなメンバーもいましたからね。

AC:それを作ろうと思ってああなったわけじゃないけど、いまでも使われている“東京スカパラダイスオーケストラ”というあのロゴをぼくが書くわけなんです。そういうデッサンみたいなものをぼくが(スカパラを構想したときに)書いているわけですよ。そういうことをイメージしちゃうと、それを実際にやりたくなって。でもそれは数年しかやれないわけですよ。じゃあ辞めて別のバンドに入ればいいわけですけど、ぼくの場合はそうじゃないんです。

スカパラのロゴが頭に浮かんで、そのデッサンを形にした後は、イメージが膨らんでくるのを楽しんでいる状態でしたか?

AC:ぜんぜん楽しくないですよ。焦りともがき。「これかっこよくない?! やろうよ!」って常に周りに勧誘してたと思います。やっぱり(実現するにはふさわしい)時があるんでしょうね。急速に集まり出すんです。それでデビューしていくわけですけど。

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みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちはいまでも全然ありますね。


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

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80年代の終わりから90年代の頭にかけての東京の空気って、ぼくがこれまでに経験したなかでも、いまだにああいうザワザワした感じってなかったな、と思うんですよね。街中に新しいものが生まれる空気があって。

AC:それは、いまだとネット上のあるところには存在するのかもしれないけど。でも当時は街角とか、ある店に行くと(何かハプニング的な出会いがある)……っていう感じでしたからね。あの煩わしいくらいのひととの(距離感の)近さは、いまは作れないですよね。

街の空気はあの頃のようには戻らない、そこは決定的に変わっちゃったなと思いますね。いまは音楽と人間との関わり方が新たに問われている時代というか。

AC:そういう場所が好きだったら、そのままやっていたでしょうけど、そうじゃないんですよね。あと、音楽業界に慣れないんですよ。所属事務所も(スカパラを)どう扱っていいかわからない、でも人気があるぞ、と。だからスカパラの代表としてのぼくは、風当りが強かったですね。なのにメンバーはみんな暴れん坊だし……。

ぼくらからすると、突然ASA-CHANGが抜けちゃったっていう感じだったので困惑しました(93年3月、3rdアルバム『PIONEERS』発表後に脱退)。創始者がいなくなったんですから。スカパラも、メジャーデビューしてからは音楽業界の仕組みのなかに入って、既成のルールに則って動かなきゃいけないような感じになって、そこにハマらないメンバーは順次抜けていったようにも見えたし……。

AC:でも、脱退のことは20年ぐらい前にどこかの雑誌で聞かれても答えようとしなかったんですけど、「お茶の間にスカを」なんて言ったのはぼくですからね。そういうことをやりたかったんです。『夜のヒットスタジオ』に出たいとか。みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちは(いまでも)全然ありますね。

静かに、すごく挑発していると思いますよ。

AC:前までの巡礼は、本当にひとの心の奥までムリヤリ触りに行っていたと思うんですよ。そういう挑発をやっていたと思うんですけど、今の作品は、そんな気持ちにはなれなかったんですよね。

『まほう』にはすごく痛みを感じるんですよね。完全には癒しきれない、ずっと引きずらざるを得ないその痛みにどう寄り添えるのか、懸命に取り組んでいる。そういう音楽にも聴こえましたね。

AC:嬉しいですね。

聴き終えたとき、自分のなかに新しい感情が芽生えたんですよね。“まほう”というタイトル曲とか、まさにそういう感じで。これは吃音の女の子を主人公にした押見修造さんという漫画家の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という作品に触発されて生まれたわけですよね。押見先生との出会いは、まず作品を読んで?

AC:いや。押見先生って講談社からコミックスを出してるくらい有名な方で、代表作の『惡の華』、それがアニメ化されるんですね(2013年4月よりTOKYO MXなどの独立局、BSアニマックスなどのアニメ専門局で放送)。そのとき、押見先生から直々に指名されて「エンディングに“花”を使わせてほしい」と。でもいろんな意味でリニューアルしないといけなくて。あれは古い作品ですもんね。

押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にもあるでしょ、という描き方。

古い作品といっても、あれは真のクラシックだと思います。

AC:でも、巡礼の作品を指名してくれて。それで訊いてみたら、押見先生は巡礼のライヴにすごく来てくださっていたんですよ。初期のライヴから見てくれていて。しかも『惡の華』は巡礼からインスパイアされている部分もあると。それを聞いて本当に嬉しかったから、「ぼく、作り直します」て言って、もう一回全然違うひとの声をレコーディングして、その音声を切ってはめていくってことをやったんですけれども……。それが先生との出会いですね。それから、実は押見先生自身が吃音を持っていたと。(ご自身の経験を下敷きにして描いた)その作品に出会うんですけど、押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にも存在するでしょ、という描き方。登場人物には、普通の基準からズレている子たちがたくさん出てくるけど、それも普通の子たちといっしょにいて。それがただの重い作品として終わらないんですよ。それが“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”っていう作品なんですけど。この漫画の風通しのよさを音楽にできないかなと思いました。普通の日常が普通に終わっていく作品なんですが、だから風通しのよい曲にしちゃいました。

作詞のクレジットは押見先生と朝倉さんの共作になっていますが、それは漫画から朝倉さんがことばをちぎってはエディットしていくようなやり方ですか?

AC:押見先生のセリフなんですけど、それをある程度いじっちゃったので。使う言葉もぼくが決めちゃったので。

“花”とか“つぎねぷ”もそうですが、ASA-CHANG&巡礼の代表作に共通するコンストラクション/コンポジションを感じる作品ですね。

AC:普段はポップスで使わないリズムにはめていくというか。いまだに日本語はグルーヴしないと言われているけれども、日本語(の特性)に起因することが多いんですよね。流れていかないから。韓国語もそうですけど、サウンドがブツ切れなので、だからこそのかっこいい音楽ができるんじゃないの、と。そこにすがるようにね。それで今でも自問自答して作るんですけどね。気持ち悪いひとにとっては気持ち悪いと思いますけどね。

それこそ60年代から70年代にかけてフリージャズのムーヴメントがあったときに、詩人とジャズメンが共演して、ことばと音のセッションは当時盛んに行われていました。ことばと音をなんとかしたいという気持ちは、詩人や音楽家には同じようにあったけれど、いまは必ずしも即時性に拘らなくて、サンプラーが生まれて以降だから、わりといろんな要素を組み合わせることがやりやすくなっているのかもしれないですね。

AC:そうですね。昔はそういうのをやるにしても、いちいちアナログテープを切ったり貼ったりしてやっていたけれども。ターンテーブルを使ってコラージュしたりね。だけどそれもスタイルになっちゃったっていうのもあって。

どうしても、何事も生まれたときがいちばん面白くて、それをみんなで共有できるようになると、それが型になりますよね。

AC:巡礼はもうちょっと仲間を増やしたいですけどね(笑)。

仲間だと思えるひとたちは国内外にいますか?

AC:ヨーロッパのDJやアーティストはよく扱ってくれて、仲間というか、かけてくれる時点でありがたかったですね。

どういうかけ方をするんですか?

AC:普通にDJフォームですよね。日本語のブツ切れ感がエキゾチックに感じるのかもしれないんですけど。

ことばの使い方が最初から厳密な意味性に捕われていない。ぽっとことばが出てきて、それがつらつらっと想念のように続いていく。もしくは途切れて、また次に飛んでいくというか。

AC:日本にはレイ・ハラカミがいました。なんでこんなことができるんだろうって思うような美しさを、ハラカミくんは安いシーケンサーでやっていて惚れました。あとはコーネリアスでしょうか。小山田くん本人が言ってくれていますけど、彼の声の捉え方には巡礼の影響があると思います。

(コーネリアス・リミックスは)すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ぼくもそれは『Point』以降のコーネリアス作品に感じますね。

AC:だから、音楽界ももうちょっと巡礼を汲み取ってもいいと思いますけど(笑)。コーネリアスに巡礼の影響があるのも、まさか?!っていう感じなんですかね。

でも、小山田くんとはフリッパーズ・ギター時代から交流があったりして、〈トラットリア〉から巡礼のデビュー・アルバムが出ますよね。あれが出たときは、コーネリアスは現在のようなスタイルではなかったですよね。

AC:コーネリアスのレコーディングに呼ばれたのは、まだ初期の頃でしたね。バンド編成で、まさに渋谷系直系の音でしたね。

初期のコーネリアスは、ポップスとしてオーソドックスなコンポジションだったけれど、どんどんそれ以降変わっていきますよね(※97年9月にコーネリアスの3rdアルバム『FANTASMA』が、翌98年にASA-CHANG&巡礼の1stアルバム『タブラマグマボンゴ』がリリースされた)。2000年代以降はエクスペリメンタルな、まさに巡礼的なフォームになっていった。

AC:あとSalyu × Salyuの声をチョップする感じとか。ただ、格好のつけ方は巡礼と違うので面白いんですよ。「これどうやってんの?」って訊いちゃうもん。そしたら、「……っていうか、巡礼のあれはどうやってるんですか?」みたいな会話になって(笑)。ある日「小山田くん、巡礼の新譜を出すんだけど関わってくれないか?」って依頼したら「OK」と。そしたら、ものすごく作業が早いんですよ。他の曲ができる前にコーネリアスのリミックスが出来上がっていて。ぼくらの他の曲のミックスダウンが終わってないのに、コーネリアスのやつだけドーンっと届いて(笑)。「これは超えらんないかも。頑張るしか……」みたいな。

元になる“告白”のトラックは、すでにできていたのですか?

AC:できていました。ただ“告白”と“まほう”の2曲は、不思議なんですけど、バンドっぽくライヴをやっていたらできちゃったんですよ。そのときにはリズム分割や声を切っていく作業もすでに終わっていて、あとは磨き上げるだけの状態でした。ここから仕上げるぞいうときに、コーネリアス・リミックスが届いたんですよ。すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ASA-CHANG&巡礼 - 告白 (Official Music Video)

ぼくはこのアルバムの最後の曲というかたちで聴くことになったから、余計にそういう気持ちになりました。心が洗われるというか。小山田くんは一音一音をどう研ぎ澄ませるかという作業を延々と続けてきているから、音楽的な筋肉が鍛え上げられている。だけど、彼の場合は緻密な作業を軽やかにやってのける。そこがすごく好きですね。本当に美しい形でASA-CHANG&巡礼とコーネリアスが合流した。

AC:小山田くんの音の磨き方は素晴らしいけど、それを真似して磨いても敵わないんで。ぼくにはそんな研磨剤はないんです。粒子の荒い写真だってかっこいいですよね? だからああいう感じのザワザワした肌触りしかできなかったですね。そういう雑味というか、生活ノイズみたいなものも今回は普通にありますね。

口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。

たしかに流れるように聴けるアルバムじゃなくて、あちこち引っかかりながら聴いていく感じではあるんですけど、最後まで聴き通さずにはいられない。

AC:いちいちなんでこんな歌い方をしなきゃいけのっていう曲もありますもんね。前のインタヴューで「もっと歌えるひとにちゃんと歌ってもらえばいいじゃないですか?」って言われたみたいなことが(笑)。

資料のキャッチコピーに「全曲歌モノ&インスト曲なし!」と書いてあって、たしかにインスト曲ではないけれど、これを歌モノと言っていいのかと。

AC:たとえば「花が咲いたよ」と自分でそう言ってみて口ずさめたら、口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。そういうことで言えば、ぼくもまだポップスの領域にいるかなと。自分ではその領域にいてほしいんですけどね。

■極めてエクスペリメンタルな音楽なのに、ポップスの領域にちゃんと足を引っかけている。聴くひとを選ばず、リスナーの心にこれまで見たことがない足跡とか爪痕とか、何かを残そうとしている。普通はなかなか成立しづらい難しいことに挑戦しつづけてきた巡礼だからこそ果たせた、ネクスト・レヴェルの達成を感じます。“告白”の、ひとのプロフィールをチョップして歌詞にするなんて作り方も聞いた事がないですね。

AC:これは(原型を) ほとんどいじっていないプロフィールですね。

最初からいきなり主語も何もなしに「産まれた。」というフレーズからはじまるので、てっきりプロフィールをチョップしたのだと思っていました。

AC:固有名詞のところだけ濁して「工場」だけにしたりしますけど。勅使河原(一雅)さんの作家ネームのqubibiのサイトを見ればわかるんですけど、本当にいじっていないんです。場所を断定するようなところだけ消してるんです。勅使河原一雅っていう映像作家なんですけど。

あの草月流の勅使河原家の一族の方ですか?

AC:本人は違うって言っていますけどね。ぼくも絶対にそうだと思ったんですけど。もちろん本名なんですけどね。去年あたりからの定期的なコラボをしていくと気になるキーワードが現れてきたんですよ。学園ものというか、学校を舞台にしているところというか、青春感が漂うもので。押見先生の“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”もモロにそうで、勅使河原さんの生い立ちというか、「登校拒否をしていた」というクダリとか、そういう合致も自然にうまれていて。それのリアルさは巡礼にとっては追い風でした。

自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。

朝倉さん自身はどういう少年時代を過ごされたのですか?

AC:普通ですねぇ……。自宅とくっついているタイプの住宅地のなかの美容院の息子です。

じゃあ岡崎京子さんみたいな。

AC:あ! そうです。町の美容室の。でも町の美容室の娘と息子では、けっこう立場的な違いが大きいと思いますけど。父親は本当に髪結いの亭主でしたね。ダメ人間でした。赤い鉛筆を耳に挟んで、週末は競輪ばっかり行ってました。

競輪場に連れて行ってもらったりはしなかったのですか?

AC:なかったですね。酒に溺れるようなひとでほとんどいい印象がないです。

自分はこうはなるまいと思った?

AC:完全にそう……。自分の高校時代に父親が死ぬんですけど、完全に自分の進路が変わっちゃったんですよね。家業の美容室を継がなきゃいけなくなったわけです。正直、こんな片田舎の美容室なんて継いで「先生」とか言われて終わっちゃうのかなと思ったら、なんだかどうにも継げなくて。そういうときに美容雑誌をなんとなく見てたんです。そしたらバルセロナのガウディや詩人のランボーが白日夢のように登場するサントリーのTVCMの美術担当がヘアメイクのひとで「自分がやろうとしている仕事から派生したところに、こんな仕事があるのか!」と閃光が走ってね。で、継ぐという点から飛躍しないで嘘をつくように上京しました。

朝倉さんはどちらのご出身ですか?

AC:福島県のいわき市出身です。いまは震災でいろいろあるところです。

震災のときはかなり心配された……。

AC:そうですね……。でも心配のしようのないくらいの大変な出来事だったので。うちは半壊、というかヒビが大きく入れば行政では半壊認定になるんですけどね。その程度で収まって。知り合いを辿れば、津波で流されたひとはいっぱいいます。それ以降ほぼ毎年、地元いわき市で鎮魂の念仏踊りの行事に参加しているんです。自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。だから例えばギターを抱えて応援しているシンガーソングライターに対して、やるなとは思わないですけど……ある種の違和感がね。巡礼の音楽なんてとくに機能しないし。それで、地元に伝わる念仏踊りを手伝うようになりました。御盆の行事なので、夏フェスのシーズンと重なるんですが、毎年稽古に通うようにしていますね。

それはパーカッショニストとして参加したということですか?

AC:違いますよ。「プロジェクトFUKIUSHIMAいわき」といって、DOMMUNEとも近い存在なんですけど、大友良英さんがやっているチームと暖簾分けするような形で活動してます。

震災があったのは、巡礼が活動を停止しているときですものね。

AC:そうでしたね。ただ不思議なのは、ばく自身、3月11日は大友さんのレコーディングをしていたんですよ。で、その前日までいわき市にいたんです。いわきでワークショップをしていて、大友さんのレコーディングのために常磐線に乗って戻ってきたんです。

■震災はどういうかたちで知ったのですか?

AC:いや、だから東京も揺れましたから。あの震災を大友良英とともに経験するわけですよ。ぼくは大友さんが毎年福島市でフェスティバルをやる日に、いわき市での弔いの郷土芸能が必ず重なるので、いわき市から数時間かかる大友さん達の福島市の行事には物理的に行けないわけですよ。毎年の行事の日程は変わらないですから。それと、福島は原発事故でとんでもない事態になっちゃったけれど、それをも知らないで津波で流されたまんまのひとが、いわき市にはたくさんいるんだと。この風習はね、レクイエム過ぎるほどのね……。

今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。

死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

そのレクイエムの空気は、このアルバムに確実に確実に入っていますね。

AC:(“花-a last flower-”の歌詞の)「花が咲イタヨ」の「花」もそうかもしれません。でも、あれはちょっと神様っぽいというか……今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。そういう思いが強いですね。

今作には“2月(まほうver.)”が入っていますね。オリジナルの作者、bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんもすでに亡くなられていますし。

AC:死んでしまったとか、生きてないとか、そういうことが多く関わっている作品ですよね。ただ、やっぱり、死んじゃうんですよね……ひとは。だからといってこの作品が「死のまとめ」ということにはならなくて。死がいっぱいというだけではね。

結局受け入れるしかないというのか。震災にしてもいろんな理不尽に対する怒りはありつつ、しかし、受け入れないとどうしようもないことが多すぎる。死はその究極ですよね。

AC:悲しんでいる場合でもないというか。たしかに、受け入れるということでしょうね。受け入れなくてもいいけど、ただそうある。

(目の前の過酷な現実を)認めるというのはつらいことだけど……。

AC:死を語らないという死への触り方もあるのかもしれないですけど、死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。だから、後付けではいろいろ言えるんですが。ただただ、出会ったり、死んだり、人間に普通に起こることが起こってくるんです。不思議なものです。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

愛に満ちていると思いますよ。「受け入れる」という行為だって、愛をもってそうしなければ、できないですよね。とくに死は。

AC:あとは、ごまかすということですね。悲しみなんてごまかしちゃえばいいとも言えるんです。ことばって、終わっていくじゃないですか。僕はそういうときのことばが好きなんです。リズムというか。たとえば強めにものを言うときに「あ」とか「えっと」とか言う、これもひとつのリズムだし。なぜかわからないですけど、リズムのことや太鼓のことを考えていると、それを音符で書けるようになっちゃって。それがベーシックなんです。それをPCでチョップしていくんです。

それはすごいな……どうして音符に書けるようになったんですかね。

AC:ぜんぜん複雑な構成のものでも、即興的なものでもないんですけど。「お お おお おお しま お お」(“まほう”)……とか、こういうのも全部音符で書いているんですよ。

譜面化できるんだ! コードは付いていないんですよね?

AC:まだ付いていないですね。このリズム譜で言葉はチョップできるんです。僕はPCで作業をするのが下手なので、こういう譜面がないとイメージ通りにならないんですよ。ウチコミ担当のひとといっしょにつくっていくんですけど。

いっしょにつくる方というのはどなたですか?

AC:安宅(あたか)秀紀さんといいます。クレジットではエンジニア扱いになってますけど、メンバーみたいな人です。

いつから共同作業をされているんですか?

AC:えっと、以前に巡礼でプログラミングとかをやってくださっていた浦山秀彦さんが辞める前後からですね。

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最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

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今回はゲストがたくさん参加されていますけれども、どんなふうに決められたんですか? たとえば「おかぽん」さんはどういう経緯でのオファーになったんでしょう。

AC:おかぽんは普通の女の子なんですけど(笑)。あんまり自分の名前を出したくないということでそういう表記になってます。とてもこのアルバムに似合うような、声優っぽい声をした子で、それで「やってくんない?」って誘ったんです。匿名希望の一般人です(笑)。

朝倉さんがイメージされている声にぴったりだった、と?

AC:「お お 」(同前)とか言ってるのも全部彼女なんですけど、あの声が魅力的だなと思って。

“ビンロウと女の子”にもすごく合いますね。

AC:李香蘭とかじゃないんですけど、結果的にあんなふうになりましたね。ぜんぜん中国風のものではないものをつくろうとしていたんですけどね(笑)。アジアの中でも南国のほうの雰囲気で。

ビンロウ(※中国語で檳榔。ヤシ科の植物。種子は嗜好品として噛みタバコに似た使われ方をする南方の特産物)ですからね。  

AC:そうなんですよね。最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。すごくかわいいんですよ。コシが入っていなくてふわふわしていて、でもかっこよく聴こえて。それに影響されているかもしれませんね、この曲は。

どこで聴く機会があったのですか?

AC:民族系パーカッションみたいなことをやっていたりすると、コメントを書いてくれっていう依頼がきますから、それで知ったんです。まあ、“ビンロウと女の子”だってそれほどミャンマーっぽいわけではないんですけどね。ベトナムとかカンボジアとかって、映画とかの影響かもしれないですけど、ちょっとエロティックなイメージもあって。それに口の中を真っ赤にしてビンロウを噛んでいる男性がいっぱい登場しますよね。そんな不思議な感じにも影響されているかもしれません。

作詞の松沼文鳥さんはどういう方ですか?

AC:NHKの番組なんかに作品を提供していらっしゃる方なんですが、作詞家さんというわけではないんです。ただ、とても言葉がおもしろいので、けっこう前からいっしょにやらせていただいています。

松沼さんの言葉のどんなところに惹かれるのですか? 今作では“アオイロ賛歌”、“ビンロウと女の子”、“木琴の唄 –Xylophone-”と3曲の作詞に参加されていますよね。

AC:“アオイロ賛歌”は、2012年にお願いしました。戦前感というか、そんな雰囲気のものがおもしろくて。「壊れちゃった懐メロ」という感じの曲が巡礼には多いので、彼女の詞がおもしろくなっちゃったんですね。

スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。

壊れた懐メロ(笑)。そうですよね、昭和歌謡がブームになるずっと前──スカパラ時代からそういう和モノの影響は垣間見えましたよね。

AC:そう、あまりテイストは変わってないんですよ。

一貫していますよね。

AC:で、ヴォーカル・チョップ以外の曲がはじまると、「スカとマンボ」(=“スカンボ”  )なんて感じで壊して、ごちゃ混ぜミックスするようなことをやって楽しんでみちゃう。やっていることはわりといっしょなんですよね。“木琴の唄”の詞がすごく好きですね。

あ、これは『つぎねぷ』(02年)の収録曲“Xylophone”をつくり直したんですね。

AC:『つぎねぷ』にも入っていた曲ですね。こういう曲調にもかかわらず英語の詞だったんです。それを今度は和モノでやろうという。テイストは、スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。よくぞ、ずっと聴いてくださっているなあと。

撒かれた胞子が世界中にどんどん広がって、これからもたくさん、不思議なおもしろい花が咲いていくのでしょうね。ところで、“2月(まほうver.)”の間奏に“ハイサイおじさん”っぽいメロディが出てきますよね。あれはかなり意識されて入れられたものなんですか?

AC:意識したわけじゃないんですけど……。“2月”は、ほんとはダークな曲で。それで、なにか、茶化したい気持ちがあったんですね。bloodthirsty butchersの名曲中の名曲なんですけど(96年発表の4thアルバム『Kocorono』収録)、映画になっちゃうくらいの吉村(秀樹)くんの精神の暴れん坊が凄いというか、彼とは結構深く付き合っていた時期があったんです。それで、ななんだか茶化したかったというのが、なぜかあるんですよね。ブッチャーズ・ファンからは相当糾弾される曲なんじゃないかと思うけど。でも、似たヴァージョンをすごく前に出したことがあるんですけど、そのときは無反応でしたね(笑)。

どう受け止めていいかわからない?

AC:そう、わからないみたいです。フォロワー的なアーティストによるトリビュート・アルバムとかも出たんですけど(※14年1月、3月、5月にかけて『Yes, We Love butchers ~Tribute to bloodthirsty butchers~』という通しタイトルのもと、『Mumps』、『Abandoned Puppy』、『Night Walking』、『The Last Match』と計4作が〈日本クラウン〉からリリースされる。ASA-CHANG&巡礼による“2月”のカヴァーは『The Last Match』に収録)、いちばんいじっちゃいけないような曲なので……。

“花”を聴いたときに、同じタイトルを持つ喜納昌吉さんの曲(“花~すべての人の心に花を~”)  をどうしても思い浮かべてしまったんですけど、あれもいつのまにかスタンダード中のスタンダードになりましたよね。そういう「いつのまにか」感も似ているなと思いました。

AC:最初は言われましたね、やっぱり。「あの“花”やろ? 最高やなあ!」とかって。「人は流れて……ってやつやろ? よくぞあれをカヴァーしたねえ!」(笑)。もう面倒くさいから「ハイ」って言っとくしかないかなあって思ってました。

朝倉さんの“花”は、安直な解釈を受け付けない、ある種のカウンターとして現れたというところはあると思うんです。これからも、ぼくらの想像を超える残り方をしていくんじゃないかと思います。

エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。

椎名もたさんのお話も伺いたいのですが、昨年7月に20歳という若さで亡くなられたボカロPですよね。前からお付き合いがあったんですか? 

AC:亡くなるちょっと前にイヴェントでいっしょになったんですよ。対バンというかたちで。それで、30歳も離れているのに意気投合しちゃったんです。「今度いっしょに何かつくろうねー」って。でも、いつ死んじゃってもかまわないっていうような……ポーズではなくて、本当にまわりが危機感を感じるくらい、生への執着がないようなところがありましたね。(レイ)ハラカミくんが亡くなった後、関係者が彼のPCに残っていた未完の音源を発掘したりしてましたよね。あのとき僕はあんまりいい気持ちがしなかった。そんなの当然望んでないよって。でも、今回は何か大丈夫な気がして、実際に提案すると反対も起きなかった。レーベルからもご親族の方からも。それでつくっちゃいました。ボカロの人なんですけど、本人の声があるのでそれを使って。

生声で、というところに意味があるのでしょうか。

AC:彼は歌がボカロかどうかというところは執着があまりないみたいでね、できれば自分で歌いたいと思っていたみたいです。ちょうどそういう時期だったというか。

では、ある意味ではその願いが叶ったというか。

AC:そうですね、ちょっと未完成っぽく、リハスタで録ったみたいなラフな感じの音にしました。完成形にはしない──僕だけが完成形をリリースするということはしたくないなと。ほとんど言い訳ですが。

ASA-CHANG&巡礼が音楽を手がけた映画『合葬』(監督:小林達夫、原作:杉浦日向子/2015年9月公開)のED曲をリアレンジしたもの(“エンディング”)が、ラストの“告白(Cornelius ver.)のひとつ前に置かれていますが、丸ごとサントラを手掛けられたのは初めてですか? 

AC:初めてですね。エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね、“花”はそうです(01年、監督:須永秀明、原作:町田康の映画『けものがれ、俺らの猿と』主題歌に起用) 。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。サントラが盤になりにくい時代に盤になったりとかもしているので、そのあたりもありがたいです。それで、このアルバムに使っているものは、この作品に合うようにつくり直したものです。

ANI(スチャダラパー)くんは前からASA-CHANG&巡礼の舞台公演やライヴにダンサーとして参加していたのですね?

AC:そうなんです。もう、声は出さなくてもいいよって。存在がつねに大好きです。職業「ANI」っていう……(笑)。彼はしゅんしゅんと敏捷には動けないんだけど、とても存在感があるダンスをしてくれるんです。フリースタイルというわけではなくて、ちゃんと振付があるんですが、それも覚えてくれてるし。舞台人としてとてもちゃんとしているんです。

演劇人であるかのように存在してますよね、この“ANIの「エンドレスダンス」体操”という作品の中に。。

AC:そうですね。宮沢章夫さんのところとかでもやっていると思うんですよ。あとは映画とか。……ちょい役のスーパースターみたいなところで。

そこを攫っていく。

AC:そうそう。「さっき出てたの誰!?」みたいな(笑)。そんな良さがあって。それで、幕間に「ANIの声だな」ってなったらおもしろいなと思ったんです。おもしろい、というか、景色が変わってくる気がして。

挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。

そう、まさにそんな役割ですよね。今作『まほう』は、これまで以上にいろんな言葉がアルバムの中で跳ねたり、宙を舞ったり漂ったりして、それが音と絡み合っている様が、シアトリカルでもあり、すごく立体的に世界がひろがってくる感じがして、本当に独特ですよね。こういうのを何て表現したらいいんだろう。映像的だというのもちょっとちがうし……今回のアルバムは、結果的に全部歌ものになったという感じですか?  

AC:そうですね。(出来上がってから)「インストないや!」って、びっくりしちゃって。

ある意味ではインストありきのバンドであるかのように感じますけれども。

AC:ねぇ、あたらしく器楽奏者を2人も迎えといてね。「これちょっと歌って」っていうことばかりで、みんな我慢してて偉いなあって思います(笑)。

(笑)では、完成したときの手ごたえはいかがでしたか?

AC:こうやって取材をしてくださって、褒めていただいたりしてから、ちょっと勇気が出ましたけど、はじめはもうダメだと思ったんです。

それはどうしてですか?

AC:挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。それを考えると、マスタリングをして完成しても通して聴けなかったりしました。失敗作をつくってしまったんじゃないかと……。巡礼の音楽には雛形がないから、擦れ合わせるような保険がないんですよね。

聴いたひとのリアクションを待たないとわからない。

AC:だから、ライターさんとか、こうやって取材で質問してくれるひとが褒めてくれるだけで、いまは僕は幸せです。

01年にセカンドの『花』が出た後に、ファーストとセカンドをカップリングしたイギリス盤が出ますよね(『Jun Ray Song Chang』02年/リーフ)。最近リイシューされましたけれども(『20th anniversary vinyl reissues』15年/リーフ)、僕はヴァイナルが欲しいなと思って、それを買っちゃいました。

AC:ほんとですか。あれカッコイイですよね。いったい何枚入ってるんだっていうボックス・セット(『Leaf 20 Vinyl Box Set』15年/リーフ)俺も買おう(笑)。 

(『花』の当時は)音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。

『Jun Ray Song Chang』が最初に〈リーフ〉から出たとき、『WIRE』誌の2002年ベスト・アルバム第4位に選ばれましたよね。『MOJO』や『MUSIK』の年間ベストにも取り上げられたりして、ヨーロッパで大評判になったわけですけれども、そのときはどんなふうに感じられました?

AC:もう、褒められるのが好きなので、そりゃあうれしかったですよ。ざまーみろ日本て(笑)。

国内の反応は?

AC:まあ、ゲテモノ扱いですよね(笑)。「なんだかヤバい」──これはいまふうの言い方ですが、そんな雰囲気はありましたけども、音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。ディスるならディスってくれ、とまではいはいわないんだけど……。

それが、意外なことに海外では評判だったと。

AC:はい。チリとかアルゼンチンとかからの反応もあって。あとはヨーロッパ。でも、不思議とアメリカからの反応はほとんどなかったですね。カレッジ・チャートとかにもかすりもせず。

そうなんですね。「ピッチフォーク」とかにも載らなかったんですか?

AC:どうだったかなぁ(※2003年1月8日付で『Jun Ray Song Chang』、同年3月23日付で『つぎねぷ』のレヴューが掲載されている。前者は8.0、後者は7.0と評価された)。でも、トーキング・ヘッズの──

あ、デヴィッド・バーンが?

AC:そう、彼と周辺のひとたちが追っかけてくれたりはしました。ものすごく褒めてくれたのは覚えていますね。本当にうれしかったですよ。フランスだと、日本で言えばマツキヨみたいな、どこにでもあるドラッグストアのCM音楽になってました。

フランスに親和性があるというのは、なぜかわかる気がしますね。アヴァンギャルドとポップが入り混じることに対する許容度が高い。しかし〈リーフ〉から出たASA-CHANG&巡礼のイギリス盤は、レーベル始まって以来の売り上げだったそうですね。

AC:ススム・ヨコタとか、巡礼とかっていうイメージはありますよね、〈リーフ〉は。

ススム・ヨコタさんの『Sakura』とかも〈リーフ〉なんですね。今回の作品は海外リリースの予定はあるんですか?

AC:それは、お話があればぜひ。でも、どういうかたちで出そうかというのは迷うところですよね。

CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。

朝倉さんは、「かつては楽曲を再現することに苦労していたけれど、いまはライヴ先行なんだ」と発言されていましたけれど、それはいつごろから意識の変化が起きたのですか?

AC:“まほう”とか“告白”とか、僕らにとって大きな意味のある曲は、まずCDでどーんと発表して、まさかライブで演奏なんかできるのか、という感じだったんです。それをあとから演奏可能にしていくというね。CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。人とコラボする「アウフヘーベン!」っていうライヴ・シリーズがあって(※「vol.1 室伏鴻(振付家/舞踏家)」14年9月23日@青山CAY、「vol.2 勅使河原一雅(アート・ディレクター/映像作家)」14年12月6日@青山CAY、「vol.3 押見修造(漫画家)」15年3月10日@渋谷WWW)  

ここまで越境的な異種格闘をしているのは、他に七尾旅人くんぐらいしか思い浮かびません。旅人くんとは時々共演されていますね。表現の可能性を探る実験としてものすごくアヴァンギャルドなのにポップな表現として成立するところが、朝倉さんと旅人くんの共通点であり、稀有なところだと思います。新編成になる前(10年4月)に事務所をプリコグに移籍されていますね。そのへんも何か影響があったのでしょうか。

AC:そうですね。ミュージシャンをマネジメントするのではないひとたちのほうが、僕らとうまくタッグが組めるのかなと思いました。演劇というか、パフォーミング・アーツのチームですけどね。

J-POPにも現行の東京インディー・シーンにも属さないASA-CHANG&巡礼の居所としては、いちばんしっくりきているような気がしますね。今後どういう活動をしていきたいというふうに思っておられますか?  

AC:活動がここまで本当にとびとびだったので、巡礼をもうちょっとうまく機能させていくっていうことが、僕の力だと──僕のやるべきことだと思っていますね。

Kiyoshi Izumi - ele-king

 キミは和泉希洋志を知っているか? どうだ、知っているか? るかるかるかるかるか……(←ディレイをかけたつもりです)
 和泉希洋志は1997年、リチャード・D・ジェイムスとグラント・ウィルソン・クラリッジによるレーベル〈Rephlex〉から六角形のCDケースに入ったEPでデビューしたプロデューサーで、まったくつかみどころのないエレクトロニック・ミュージシャンである。2004年に『Protocol A 』というまったく素晴らしいアンビエント作品、2011年にaSymMedley名義でアルツのレーベルから『A G E Of Sun Edge』を出して以来、しばらく音沙汰のなかった彼だが、どうやらカレー屋を運営していたようだ。
 久しぶりにリリースされた新作『BOUNDARIES』は、CDにして4枚組。しかもカレー屋SOMAのレシピ付き、かなり本格的に、カラー写真込み、9品の料理のレシピが紹介されている。パンチの効いた味で心身共にすっきりなれるからだろうか、音楽が好きでエスニック料理が好きな人はなぜか多いのだが、このブックレットはかなりそそられますぞ!
 4枚のCDは、エレクトロニックな1枚があり、ジャズ/ビートの1枚がありと、1枚ずつテーマがあるが、そのすべてが和泉希洋志らしくまったくつかみどころがない。
 4枚のCDの入ったダンボール紙のボックスには、自身が描いた7メートルに及ぶ絵画の切れ端が貼られている。まさにアーツ&クラフト運動的なインディのあり方で、この手作りの感覚こそいま最先端なのだ。


和泉希洋志
BOUNDARIES Limited Edition

bitSOMA

ElectronicBreaksExerimentalDowntempo

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interview with Koshiro Hino - ele-king

 昨年のセカンド『Rhythm & Sound』で、goatはオルタナティヴなロック界隈はもとより、クラブ・ミュージック、とくにエクスペリメンタルな志向性のダンス・カルチャー周辺にもその存在感を浸透させつつあるのは、暮れにDJ NOBUの話を訊いたときにも思ったのだった――と、だしぬけの宣伝で恐縮だが、そのインタヴューを収録した『クラブ / インディ・レーベル・ガイドブック』がもうしばらくしたら店頭に並びます。古今東西のクラブ、インディ系のレーベルを国別に総括した類例のないガイドブックで、刺激的な音に目のない親愛なる弊媒体読者にはうってつけであるとともに、この世にはかくも音楽レーベルがなるものがあるかや、と感嘆必至の一冊になったと自負するが、goatの日野浩志郎が運営するレーベル〈birdFriend〉も本書はとりあげている。〈birdFriend〉はフィジカル・リリースにおいてカセットが復権したころあいをみはからった感があるが、レーベルを手がけながらgoatと並行してハードコア・ユニット、ボナンザスを率い、YPY名義でソロ活動にいそしむ日野浩志郎があらたに大編成のプロジェクトを始動すると聞いたのは、本書の入稿を終えたころだった。新プロジェクトはヴァージナル・ヴァリエーションズなる名称で、昨年12月大阪で一度ライヴを行い、今週末の東京で公演は2度めだが、ロック・コンボの可能性をきりつめ、機能性へ反転させた日野浩志郎が、大阪公演よりさらに人数を増やした編成――そのなかにはさきごろ新作をリリースした服部峻らも含む――でなにを志向し、どうおとしこむのか、大阪の日野浩志郎に質問状を送った。これは宣伝ではないどころか、ジャンルを問わず、2016年のもっとも刺激的な音を耳にするまたとないチャンスである、マジで。

■日野浩志郎 / ひの・こうしろう
大阪を拠点として活動するミュージシャン。バンドとしてはgoat、bonanzasのリーダーとして、ソロではYPY名義で名を馳せ、カセットレーベル〈birdFriend〉も主宰する。goatでは2013年にファースト・アルバム『NEW GAMES』、2015年にはセカンド・アルバム『Rhythm & Sound』を、bonanzasでは2枚のライヴ・アルバムにつづいて2013年にファースト・アルバム『BONANZAS』を発表。

クラシック楽器を含めた大編成ユニットの構想は3~4年前くらいからありました。

新プロジェクト「ヴァージナル・ヴァリエーションズ(Virginal Variations)」はどのような経緯で生まれたのでしょう? またヴァージナル・ヴァリエーションズ(以下VV)というグループ名の由来について教えてください。

日野浩志郎(以下日野):アイデアが生まれた具体的なきっかけは憶えていないんですが、クラシック楽器を含めた大編成ユニットの構想は3~4年前くらいからありました。わかりづらい表記にしてしまったんですが、ヴァージナル・ヴァリエーションズというのは作品のタイトル名兼ユニット名であり、次の作品ができた際は「Hino Koshiro plays」の後ろが次の作品名に入れ替わる予定です。
 正直なところ、このプロジェクトをはじめようと踏み切ったときにはっきりとしたコンセプトは定まっていませんでしたが、このユニットで試したいと思っていた漠然としたアイデアはいくつもありました。しかしこれといって統一性はなく、さらにそのアイデアは実際に音を出してみないと使えるかがわかりませんでした。とにかくやっていくうちにまとめていこうと思い、最初につくった曲群の作品ということでヴァージナル(処女らしい、無垢の)ヴァリエーションズと名づけました。

日野さんはgoatやbonanzasでも活動されていますが、これらはいわゆるロック・バンドの編成です。より大部の編成で音楽をつくりにあたり、これまでとちがったところはありましたか。

日野:初ライヴは昨年の12月に行ったんですが、結成のタイミングにかんして特別ななにかを狙ったわけではありません。前にロンドンに行ったとき世話になったグリム・グリムの大阪公演を僕が企画することになったんですが、ソロもバンドも合わないかもしれないと思いこのユニットを試してみることにしました。
 公演の約一カ月前にメンバーを集めて練習を開始したんですが、じつはそのときかなり苦戦しました。バンドの制作をする際は、goatやbonanzasは弦楽器があるものの各楽器をほぼ打楽器として捉えてダンス・トラックを作るようにPC上でデモをつくっていくんですが、VVはハーモニーも重要となります。DTMはそこまで得意ではないのでPCではデモをつくらず、ギターと鍵盤を使いながら脳内で想像しノートとペンで作曲をしていく必要がありました。それも慣れない編成なので事前に考えていたアイデアは使えるものは少なく、練習でアイデアを出していちからつくるはめになりました。それはそれで楽しかったんですが、人数も多いのでなかなか全員で音を出すことができず時間もないので初ライヴ前は本当に気が気でない状態でした……。

DTMはそこまで得意ではないのでPCではデモをつくらず、ギターと鍵盤を使いながら脳内で想像しノートとペンで作曲をしていく必要がありました。

始動にあたり参考にされた作品やグループなどありましたか? 音楽でなくともかまわないですが。

日野:参考にした作品は多くあります。3月13日に原宿VACANTで行うライヴは全部で5つのフェーズに分かれているんですが、それぞれのフェーズで少なくともひとつ以上のモチーフがあります。それを解体していき自分なりに表現していこうとしているんですが、それひとつひとついうのもヤボなのでここでは控えておこうと思います。
 ただ、作品を組み立てていく上で少しずつコンセプトのようなものが見えてきました。ヒントのひとつはエリオット・カーターの弦楽四重奏曲です。正直なところその曲自体はとっつきにくいんですが、作曲の方法がとても興味深いものでした。たとえばある人は巨匠のように、また別のある人はおどおどした感じで弾くなどそれぞれの演奏者にキャラクターを割り当てたり、グループを分けて同時にまったくちがうことを演奏するなどしているところに大きくインスパイアされました。

VVにはさきごろ〈noble〉から新譜を出した服部峻さんやゑでぃまぁこんの元山ツトムさんなども参加されていますが、メンバー編成はどのように決まったのでしょう? また13日のライヴでは〈関西メンバー〉にさらに多数の管と弦が〈東京メンバー〉として加わるようですが、これは(ユニゾンによる)音量の獲得を意図しているのか、それとも(アンサンブルの)複雑さを目的としているのでしょうか?

日野:服部くんにかんしては元々VVとは別に二人で新しいユニットをはじめようとしていました。お互いに忙しくてなかなか進んでいなかったんですが、今後一緒にやるユニットの潤滑剤になればと思い誘いました。このVVが土台となり服部くんとなにか新しいことをする可能性もあります。
 モツさん(元山ツトム)や元ウリチパン郡のカメイナホコさん、チェリストの中川くんなど、参加してもらっているメンバーには本当に感謝しかないです! ゼロからはじめたユニットだったのでかたちにするまでにかなりの労力が強いられるだろうと思い、twitterでメンバーを公募して学生などと実験をしながらつくっていきたいと思っていたんですが、なんと連絡は一人も来ず! 結局身近な人たちにお願いすることになりました。
 初ライヴでは合計8人で当初考えていたハーモニーのアイデアをうまく生かすことができなかったため、東京メンバーを足して表現の幅を増やそうと思いました。あと単純に音量獲得も目的のひとつです。なるべく生楽器はマイキングせず、スピーカーから出る音は電子音だけにして生楽器と電子楽器を完全に分けてしまいたいというのが理想です。しかし実際は楽器の配置を考えたとしても弦はドラムや管に負けてしまうので恐らく弦楽器はラインかマイクで拾ってスピーカーから出さないといけなくなりそうです。理想をかなえるには弦楽器があと2~3倍程度必要かもしれないですね。

譜面はありますが、ほとんどメモ書きのようです。実際に会って説明しなければ、その譜面を見ても理解することは難しかったと思います。

音楽の話が後手にまわってしまいましたが、お送りいただいた練習音源を一聴したところ、VVにはハードコア、ドローンの点描的、という形容はそもそもドローンと矛盾していますが、そのまさに拡大版の趣きだと感じました。厳密に譜面とはいえなくとも、おそらくなにがしかのスコアはあると思いますが、それはどのようなものでしょうか? それにスコアがあるとしたら、それぞれの演奏者はどれくらい裁量を任せられているのでしょう。

日野:聴いてもらったのは初ライヴ前の荒削りな音源なんですね。実はこれでもほとんど演奏者には自由はなくて、決められているものを演奏してもらっているんです。もちろん譜面はありますが、ほとんどメモ書きのようです。東京のメンバーとは先日はじめて練習をしたんですが、実際に会って説明しなければ、その譜面を見ても理解することは難しかったと思います。
 Yoshi Wadaの『The Appointed Cloud』という作品があるんですね。この作品にはグラフィック・スコアのような譜面があるんですが、実際はもっと細かく決められていて特にドラムにかんしては詳細なドラム譜が存在します。
 「ヴァージナル・ヴァリエーションズ」は、フェーズのある部分によってはルールを設けたり、また即興のパートもありますが、このユニットで表現したいのは個人個人の能力を発揮させていくようなものではありません。もちろん作品の範疇で自分らしさを表現するのは大歓迎ですが、海外公演も視野に入れていて現地の人を入れての演奏も考えているので「その人にしか演奏できない」というようなものを譜面に入れるのは避けています。

日野さんはgoatなどで、最近はDJ NOBUさんら、クラブ・ミュージックにも接近しています。YPY名義での活動はもちろんありましたが、『Rhythm & Sound』移行の環境の変化(?)とVVの音楽とはなにか関係がありますか

日野:クラブ界隈と密接につながりはじめたのは最近ですが、goatをはじめる前から好んでクラブ・ミュージックをよく聴いていたのでVVの音楽への影響というのはあまりないと思います。しかしながらドネイト・ドジーやRrose、クラブ以外ではスティーヴン・オマリーやオーレン・アンバーチなどジャンルを軽く超えて表現をしていくひとには深い共感を持っていますし少なからず影響を受けています。『Rhythm & Sound』後の変化といえばEUのブッキングエージェントを獲得したということがいちばん大きいですね。さらに昨年末のFUTURE TERRORで、ある方からすごく光栄なお話もいただき、こういったことの積み重ねがVVをはじめる自信のひとつとなりました。
 VVでやろうとしている音楽というのははっきりいって広い層に対してアピールできるものではないかもしれません。だからといって難しそうなものの表面だけをさらってポップに表現し、あたかもそれらしい説明をつけ加えてアート初心者にもどうぞ……というのは正直毛嫌いしているものが多いです。最終的によかったらなんでもいいんですが。

誰でもできそうな単純なパターンの快楽は避けていて、聴いたひとが簡単に説明できないナゾをつくり出したいと思ってます。

 自分なりにVVの音楽はわかりやすくパッケージングしたつもりですが、全体を通して聴くと少し複雑に聴こえるかもしれません。これだけの人数を揃えてドローンをして快楽に向かうというのは比較的簡単に思いつきます。なので誰でもできそうな単純なパターンの快楽は避けていて、聴いたひとが簡単に説明できないナゾをつくり出したいと思ってます。しかし説明がないと聴いても面白くないというのも避けていて、よくわからないけどとにかくすごい! と思えるものをつくることが目標ですが、実際にそういった音を実験するためには責任と経費が重くのしかかってきます……。3月13日のVACANTの公演はソールド・アウトになっても赤字になる可能性があります。これがもしgoatやYPYなどの活動をしていなかった場合は興味をもってもらうのも大変なことで、もし数年前にVVをやっていたらいまよりもっと厳しい状況だったでしょう。

日野さんには楽器のクレジットがありませんが、VVではコンダクターということなのでしょうか、それとも演奏パートを担当されるのでしょうか。

日野:宣伝を開始した時点で全体があまり見えていなかったので、自分が何を担当するかは決めていませんでした。今回の公演では9割コンダクターに徹し、残りはドラムマシンを操作する予定です。ちなみに初公演の際はギターとピアノも担当していました。理想はコンダクトのみですね。

VVでは服部峻さんは「アレンジャー」とのことですが、おふたりはどのようにして曲をかためていったんですか。

日野:服部くんはアイデアに富んでいて本当に刺激を受けます! 初公演では服部くんは未参加でしたが、最初の公演に向けて作曲しているときに服部くんの新作『MOON』を聴いてとてもインスパイアされました。今回の公演ではアレンジをする時間があまりとれず、服部くんにかぎらずモツさんやカメイさんの意見を取り入れて少しずつアレンジを加えていきましたが、今後服部くんの存在は大きくなっていくだろうと思っています。

お金もかけひとを巻き込んで実験をしていて、以後同じ内容の公演はないのでぜひ公演に足を運んでください。

VVの音源のリリースは予定されていますか(フィジカルでなくても)? 予定があるとすれば、気の早い話で恐縮ですが、いつになりそうですか?

日野:リリースの話をしているレーベルはあります。それも僕にとってそのレーベルはVVを出す上でいちばんの理想といえるレーベルです。本当にリリースできるか現段階ではわかりませんがとても興奮しています! 時期は分かりませんが今年中に録音できればと考えています。録音のアイデアもいくつか浮かんでいるので録音が楽しみです!

3月13日のライヴにかける意気込みをお聞かせください。あと公演告知のヴァージナル・ヴァリエーションズの後に(プロトタイプ)とつけたのはなぜですか。

日野:VVはいずれヴァリエーション群を固めていき、ひとつの大きな作品に落とし込もうと考えています。いまはそのヴァリエーションを増やしたりひとつひとつビルドアップさせている段階なのでプロトタイプとつけましたが、先にもいったように海外公演なども視野に入れメンバーは流動的に考えています。メンバーのスキルや人数によってつくったヴァリエーションも変化していくかと思うので、演奏が固定することはなく永遠にプトロタイプなのかもしれませんがそれはそれで面白いかと思っています。
 僕にとってこのVVは大きなリスクを持ちつつ時間、精神力、体力をすべて注ぎ込んで臨んでいるプロジェクトです。お金もかけひとを巻き込んで実験をしていて、以後同じ内容の公演はないのでぜひ公演に足を運んでください。あとこの場を借りて恐縮ですが、関西もしくは関東在住で実験に付き合っていただける志高い弦楽器、管楽器の方のご連絡をお待ちしています!!

Hino Koshiro plays prototype Virginal Variations
日野浩志郎 ヴァージナル・ヴァリエーションズ(プロトタイプ)

2016年3月13日(日)18時
原宿VACANT
開場17:30 / 開演18:00

出演:
Hino Koshiro plays prototype Virginal Variations
〈関西メンバー〉
日野浩志郎
石原只寛(サックス)
呉山夕子(シンセサイザー)
服部峻(シンセサイザー)
島田孝之(ドラムス)
西河徹志(ドラムス)
中川裕貴(チェロ)
元山ツトム(スチールギター)
カメイナホコ(クラリネット、他)

〈東京メンバー〉
安藤暁彦(サックス)
安藤達哉(サックス)
戸畑春彦(サックス)
出川美樹子(チェロ)
池田陽子(ヴァイオリン)
本田琢也(コントラバス)
448(コントラバス)
Kevin McHugh(アコーディオン)
石原雄治(ティンパニー)
水谷貴次(クラリネット)
松村拓海(フルート)

オープニングアクト:福留麻里
DJ:Shhhhh

料金:予約2,500円 当日3,000円(+1ドリンクオーダー)

予約:info@snac.in
件名「3/13 VV予約」とし、本文に「名前・電話番号・枚数」をご記入の上、ご送信ください。
こちらからの返信を持ってご予約完了となります。定員になり次第受付を締め切らせていただきます。

問い合わせ:SNAC
メール info@snac.in 電話 03-3770-5721(HEADZ内)
電話でのお問い合わせは13:00以降にお願いいたします。不在の場合はご了承ください。

照明:渡辺敬之、佐藤円
PA:馬場友美

主催:吾妻橋ダンスクロッシング実行委員会
助成:公益財団法人セゾン文化財団
協力:HEADZ、VACANT

IO - ele-king

イメージがリアルを追いつめる “CHECK MY LEDGE”

 2015年の東京のアンダーグラウンドを騒がせたビッグ・ハイプのひとつは、間違いなくKANDYTOWNだった。世田谷区南西部のベッドタウンを拠点とするこのクルーは、ランダムにドロップするヴィデオやミックステープ、さらにはストリート限定のフィジカルCDを通じて、東京の山の手エリア特有の、アーバンで洗練された空気を緻密に演出してみせた。トラックメイク、ラップとともに、映像制作やモデルまでこなす総勢15人。北区王子や川崎南部など、東京の郊外エリアからハードコアなバックグラウンドのトラップ・ミュージックが隆盛する中、「KANDYTOWN」という架空の街のコンセプトと、メロウなサンプリング・アートによって構築される90’Sサウンドは異彩を放っていた。じゅうにぶんに盛り上がったハイプと、おそらくは水面下でくすぶるジェラス混じりの反感。デビューの舞台としては申しぶんない好奇心が渦巻く中、KANDYTOWNの中心人物であるIOのファースト・ソロ・アルバム『SOUL LONG』はリリースされた。

 結論から言おう。IOは見事にハイプの内実を埋めた。彼はこの30年来の日本のヒップホップの伝統の正統な後継者だ。そして同時に『SOUL LONG』は、ジャンルの壁を超え、CEROやSUCHMOSなど、ヒップホップ以降のソウルやファンク、ジャズの咀嚼を通じてシティ・ポップスを現代的に更新/拡張しようとする、新世代のインディ・バンドたちの隣に置かれるべきレコードでもある。つまり、日本の若い世代による、アメリカ音楽のコンテンポラリーでフレッシュな再解釈。そこには、これまでの日本のヒップホップのエッセンスの継承だけでなく、それ以前から東京の文化エリートが綿々とつむぎ続けてきた、外国音楽の真摯な翻訳の伝統が息づいている。豪華プロデューサーたちの集結をうけて、巷では「日本版Illmatic」との言葉も飛び交っているみたいだけれど、『SOUL LONG』は20年前の黄金期ニューヨーク・ラップの焼き直しなんかじゃない。これは、噴出するリアルに対抗しようとする、想像力を武器にしたスタイルの美学だ。

                   *

 ルー・コートニーの“SINCE I LAID EYES ON YOU”の流麗なコーラスをバックに亡き親友の肉声をサンプルする”CHECK MY LEDGE”から期待を裏切らない。腰を落ち着けたIOのラップはどこまでもスムース。いわゆるトラップ以降の、フロウの独創性とフレーズの面白さで勝負する最近の流行とはまるで真逆だ。フロウを壊さぬようになめらかなライミングをキープし、ヴァースの終わりには狙いすましたパンチラインをキックしてみせる。それ以降も、なかばクリシェ的なセルフ・ボースティングやワン・ナイト・スタンド的な色恋沙汰、警察の職務質問をかわすきわどいシーンまで、あくまで一線を越えないクールさだ。

 世代を超えた精鋭プロデューサーたちによるトラックもそれぞれの個性を際立たせながら統一感を失わない。新世代の筆頭、ビート・アルバム『OMBS』で世界水準のビート・メイカーであることを証明したSIMI LABのOMSBによる“HERE I AM”、そしてDOWN NORTH CAMPの若きキーマン、KID FRESINOがビート・メイクとリミックスでの客演をこなす“TAP FOUR”が、とにかく素晴らしい。NEETZが笠井紀美子の楽曲をサンプルして90年代生まれのIOが歌う“PLAY LIKE 80’S”も、いまの東京のバブリーで、どこか殺伐とした空気をうまく切り取っている。KANDYTOWNの面々をゲストに迎えた“119MEASURES”ではスリリングに、BCDMGのJASHWONによる“CITY NEVER SLEEP”では叙情的に、それぞれ対照的にストリングスを使いわけるバランスも新鮮だ。
 クライマックスの終盤、ライムスターのMummy-Dによる完全に90’Sマナーの“PLUSH SAFE HE THINK”ではジャン・ミシェル・バスキアをさらりと引用し、生歌の日本語フックに挑戦した疾走感溢れる追悼タイトル・トラック、“SOUL LONG”はKING OF DIGGIN’、御大MUROプロデュース。いまや太平洋を越えた現象である、90年代の黄金期ニューヨーク・ヒップホップ再評価の流れに呼応して、どれもトラップ的なアプローチとは一線を画す、メロウな90’Sサウンドだ。とくにMummy-DとMUROのベテランならではのプロデュース・ワークは、フレッシュでありながらオーセンティック、というアルバム全体の印象を決定づけている。リリックには故DEV LARGEの名もさらりと飛び出すけれど、彼が存命中ならきっとこの豪華布陣に名を連ねていたに違いない、なんてことも思わずにはいられない。

 日米の90’Sリヴァイバラーの中でのIOの個性は、間違いなくそのメロウネスにある。それはけしてサンプリングを基調としたサウンドのムードだけのことではない。スムースなラップというのはたいてい歌に接近するものだけれど、IOはあくまでクラシカルなラップによって、ソウルフルなフィーリングを表現する。たとえば、ビースト・コーストの震源であるニューヨークのPRO ERAとその中心人物JOEY BADA$$には、サウンドにもリリックにもハードコアなヒップホップ・マナーが顕著にみてとれるし、そもそも長らく90’Sヒップホップの文法に呪縛されてきた日本のシーンで、真の意味での90’Sリバイバルを決定づけたFla$hBackSの洗練されたサウンドにさえ、そのフロウやビート・マナーには言語化以前の鋭い反抗のアティチュードが感じられる。それに対してIOは、あくまで優雅でドライなスタンスを崩さない。葛藤や苛立ちの棘、強い叙情を完璧なまでにコントロールして、ひたすらソフィスティケートされたドラマを演出してみせる。

 ラップというのはえてしてリアルを追求するものだけれど、ここにあるのは逆に、イメージを駆使してリアルを塗り替えようとする想像力だ。KANDYTOWNのミックスやヴィデオにはアメリカのソウルだけでなく、山下達郎の“甘く危険な香り”など、日本産のシティ・ポップスが印象的に登場する。そのことを踏まえれば、口にしてはいけないことを口にしない、この禁欲的な美学は、かなり確信犯的に選びとられている。東京郊外でリアリティ・ラップが盛り上がり、地上波ではフリースタイル・バトルの泥くさい熱気が溢れる中、サウンドの感触と言葉選びによって演出されるこのクールネスは、そのスムースな見た目とは裏腹に、とても野心的なものだ。郊外のトラップ・ミュージックがVICE JAPANのショート・ドキュメンタリーをきっかけに注目を浴びたのとあえて対比させるなら、IOとKANDYTOWNのバックボーンには明確に、映画的な感性がある。

 シティ・ポップス的な想像力を媒介とした、ヒップホップ以降のソウルやジャズ、ファンクのメロウネスの再構築。その音楽的な方向性は、足取りはまったく真逆だけれど、現在の日本のインディ・ロックともリンクする。それは、たとえばCEROがディアンジェロやロバート・グラスパーを経由して最新作『OBSCURE RIDE』で完成させたサウンドや、KANDYTOWNの一員である呂布も客演するSUCHMOSのデビュー盤『THE BAY』とも、切れ目なくつながっている。事実、CEROの“SUMMER SOUL”の12インチのリミックスを担当したのはOMSBだし、STILLICHIMIYAの田我流とカイザーソゼ、5lackの生バンドとのセッションなど、最近のアンダーグラウンド・シーンはバンドサウンドとの実験的融合に舵を切りつつある。
 ただ、こうした交錯現象は、いわゆるクロスオーヴァーとは少しおもむきが違う。本作には昨年急逝したKANDYTOWNの創設者、YUSHIが残したラップやビートがいくつか使われているけれど、彼はかつて、現在のOKAMOTO’Sの前身バンドのフロントマンをつとめていた。つまり、異なった音楽的バックグラウンドを持つ者たちが異種交流し、ハイブリッド的になにか生み出しているというよりは、もともと共通の音楽的素養を持つ者たちが、アウトプットとしてそれぞれ異なる表現方法を選ぶことで、自然にジャンルの壁を超えた交錯が生まれているとみるべきだ。これはディアンジェロやグラスパーの登場を背景とする、90年代以降のヒップホップを軸にしたソウルやジャズの更新なしにはありえなかったことだ。

 少し大げさな話になってしまうけれど、文句なしに去年のベスト・アルバムだったケンドリック・ラマーの『TO PIMP A BUTTERFLY』は、ヒップホップの人脈と若手のジャズ・プレイヤーの人脈が実際の血縁関係も含むクランとしてつながり、その制作を支えていた。サウンド面でのリーダーだったテレス・マーティンにいたってはア・トライブ・コールド・クエストとの出会いがきっかけでジャズの魅力に没頭していったというから、ようはヒップホップ以降の世代にとって、マシンのビートと生楽器による演奏というのはとくに大仰に線が引かれるものじゃない。J・ディラ以降の身体的なズレを反映させたマシン・ビートはすでにクリス・デイヴなど、ディアンジェロやグラスパーのサウンドを支えるドラム・プレイヤーによって、再帰的なプレイ・スタイルに昇華されてさえいるのだ。もちろん『SOUL LONG』そのものは、オーソドックスなヒップホップの方法論で制作されているけれど、そのスタイルがメロウネスを結節点にシティ・ポップスとの共振の萌芽をみせていることは、今後のシーンの動向を占ううえでも非常に重要だ。

 このアルバムのリリースされた2月14日は、KANDYTOWNとっては肉親同然の幼馴染みだった、故YUSHIの一周忌にあたる。作品に昇華するにはいまだ生々しいだろうその傷も、YUSHIの遺した謎の言葉を「ソー・ロング(さよなら)」と読ませるタイトル、詩的なリリックやアートワークを通じて、あくまでも寡黙に、コンセプチュアルに表現される。KANDYTOWN名義のミックステープ『KOLD TAPE』では、サックスをフィーチャーしたバンドサウンド、大橋純子の“キャシーの噂”といった昭和歌謡、JAY-Zやディアンジェロなどの90’Sクラシックをひょうひょうとビートジャックする、自由奔放な実験が繰り広げられていた。『SOUL LONG』のストイックなサウンドとワード・チョイスはおそらく、確固たるスタイルの美学に従って構築されている。

 KANDYTOWNのベースにシティ・ポップス的な洗練の美学がある、というのは、けして表面的な直感だけにとどまらない。1980年代に誕生したシティ・ポップスという日本独自のジャンルを牽引した大瀧詠一や山下達郎といったミュージシャンは、アメリカから遠く離れた島国で、本来は借りものであるソウルやドゥーワップ、ロックンロールなどの海外音楽のエッセンスを抽出し、綿密な計算にもとづいて、なかばフィクショナルに都市的な洗練を演出しようとしていた。それは同時に、直前の学生運動の熱狂、そしてその運動に同期したフォーク・ミュージックの情念や直接的なポリティカル・メッセージから意識的/無意識的に距離をとり、自分たちの新たなリアリティを創造する試みでもあった。

 海外音楽をヒントにした新たなリアリティの創出、というその伝統の遺伝子は、90年代来の日本のヒップホップのルーツにも、もちろん強く刻印されている。そもそもヒップホップのサウンドは、ジャズやソウル、ファンクの偉大な遺産を切り刻み、自分勝手なフレッシュさで再構築するという不遜な哲学にもとづいているけれど、参照先の音楽的遺産がもとより輸入文化である日本では、その情熱はいよいよレコードというフェティッシュなモノへのネクロフィリック(屍体性愛的)なものにならざるをえない。掘りおこした黒いヴァイナルに封印された異国の音楽の屍骸をむさぼり、その音の魔力を血肉化して、自分たちの新たなリアリティの発明を試みる若者たち。そのとても豊かで、どこか屈折した光景は、日本のヒップホップにとっての、愛すべき原風景でもある。

 おそらく、リアリティ・ラップの台頭をうけて最近よく口にされる、裕福なフィクションの時代が終わり、より切実なリアルの時代が始まった、という一見わかりやすいストーリーそのものが、ひとつの罠なのだ。なぜならヒップホップの母胎となった1970年代のニューヨークのゲットーは、警察も立ち入れない、ギャングによる熾烈な内戦状態にあった。いくら経済格差が拡大しているとはいえ、数字上の治安状態としてそこまでの荒廃を経験してはいないはずの日本から、生々しいラップ・ミュージックが生まれる理由は、なし崩しに下降線をたどる自分たちの社会の現実に、ゲットーという虚構=フィクションの補助線を引くことによって、初めて理解される。いかなる切実なリアリティも、リアルにフィクションを足すことなしには存在できない。客観的に現実を切り取ろうとするドキュメンタリーさえ、作り手の主観なしにはけして成立しないように、ここには、リアルとフィクションをめぐる、根源的な秘密がある。

 そして、ヒップホップにおいてそのリアルとフィクションの配合の秘密は、誰もが知るひとつの言葉で表現される。つまり、スタイル、と。いみじくも「スタイル・ウォーズ」という言葉に端的に表れている通り、ヒップホップにとってスタイルとは、けして表層的な飾りではない。明確な意志で選びとられたスタイルこそが、リアルに拮抗するリアリティを創りだし、やがてリアルそのものを変えていく。東京の地下のクラブで、物静かなベッドタウンで醸成された異国由来の夢は、いまその狭い空間から溢れ出し、震災後の東京の真っ暗な路上を覆おうとしている。このロマンティックなドラマは、リアルから逃避するのではなく、リアルをなぞるのでもなく、リアルに牙をむいているのだ。

 KANDYTWONのホームである世田谷区喜多見は閑静な住宅街だ。そこから大規模な再開発によってバブリーな賑わいをみせる二子玉川を抜けて、さらに多摩川を下流にそって橋を渡ると、東京近郊のリアリティ・ラップの雄、BAD HOPを擁する川崎市がある。デ・ラ・ソウルやパブリック・エネミーら、ロングアイランド郊外のサバービア・ヒップホップに対し、インナーシティのプロジェクトから突きつけられたのが、Nasのハードコア・ラップだった。KANDYTOWNが提示するのは、むしろ東京の山の手エリアの音楽的な歴史の蓄積の豊さだ。そこには、ニューヨークと東京の地政学的なズレを背景とした転倒がある。音楽の力学は、都市の力学の反映でもあるのだ。音とイメージはからみあい、ほどけ、予想もしない仕方で連鎖する。

 そして2015年のもうひとつのビッグ・ハイプは、また別な架空の街をつくりあげたYENTOWNのクルーだった。トラップをドラッギーかつフレッシュなスタイルに昇華した彼らの本格的な活動も、今年は期待されている。それにシーンは違うけれど、SUCHMOSのフロントマンであるYONCEのインタヴューなんて、茅ヶ崎のフッドへの愛着やあけっぴろげな上昇志向、社会に中指を立ててみせる挑発的な態度などなど、完璧にヒップホップ的なストリート・マナーで笑ってしまうほどだ。2016年の東京は大きく動くだろう。自由な想像力が、Googleの無味乾燥なマップを上書きし、街を塗り替えていく。異なるスタイルと異なるリアリティがせめぎあう、その衝突のなかで、10年代のリアルは生まれようとしている。時代を語るヒマがあったら想像力を語れ、この音の強靭な美学はそう告げている。

interview with Yo Irie - ele-king


ベース・ハウス歌謡、グライム歌謡、ポスト・Jディラ歌謡……。入江陽が大谷能生と共に制作したアルバム『仕事』のテーマがネオ・ソウル歌謡だったとしたら、それに続く、セルフ・プロデュースの新作『SF』はさながら現代版リズム歌謡のショーケースだ。もしくは、昨年、幾つかの日本のインディ・ロック・バンドが真正性を求めてシティ・ポップからブラック・ミュージックへと向かっていったのに対して、彼の音楽にはむしろニュー・ミュージック・リヴァイヴァルとでも呼びたくなるような浮世の色気が漂っている。「くすぐりたい 足をかけたい クスっとさせたい あきれあいたい/たのしいこと しようぜ 俺と おそろしいとこ みてみたい 君の こどもぽいとこ 守りたい それも ところてんとかで 包みたい」(“わがまま”より)。そんな怪し気な誘いから始まる『SF』について、この、まだまだ謎の多いシンガーソングライターに話を訊いた。

入江陽 / Yo Irie
1987年生まれ。東京都新宿区大久保出身。シンガーソングライター、映画音楽家。学生時代はジャズ研究会でピアノを、管弦楽団でオーボエを演奏する一方、学外ではパンクバンドやフリージャズなどの演奏にも参加。2013年10月シンガーソングライターとしてのファースト・アルバム『水』をリリース。2015年1月、音楽家/批評家の大谷能生氏プロデュースでセカンド・アルバム「仕事」をリリース。映画音楽家としては、『マリアの乳房』(瀬々敬久監督)、『青二才』『モーニングセット、牛乳、ハル』(サトウトシキ監督)、『Sweet Sickness』(西村晋也監督)他の音楽を制作。2015年8月、シンガーソングライターbutajiと『探偵物語』、同年11月、トラックメイカーsoakubeatsと『激突!~愛のカーチェイス~』(7インチ)をともに共作名義でリリース。




作詞、作曲、歌、アレンジ、それぞれを全部違うひとがやる曲っていうのは、最近のポップ・ミュージックではあんまりないかなと。









入江陽

SF


Pヴァイン


Tower
HMV
Amazon


今回のアルバム『SF』は入江さんのセルフ・プロデュースになります。前作『仕事』(2015)は大谷能生プロデュースでしたけど、現行のダンス・ミュージックをいかに翻訳するかという点では、『SF』も基本的にはその“仕事”を引き継いでいると思いました。ただ、前作のテーマとして“ネオ・ソウル歌謡”みたいなものがあったとしたら、今回はビートがよりカラフルになっている。そこには、さまざまなトラックメイカーを起用していることも関わっているんでしょうが、まずは、今回のアルバムを自分でプロデュースしようと思った経緯を教えてください。

入江陽(以下、入江):ファースト・アルバムの『』(2013)は自分のバンドでつくったのに対して、セカンドは大谷さんにトラックを作っていただき、そのうえで歌を歌いました。それを踏まえて、今回のアルバムでは、いったんは自分ひとりでやってみようと思ったんです。トラックメイカーの方も、身近で同年代のひとといっしょにやろうということを念頭に置いて。大島(輝之)さんだけはベテランの方なんですけど、他の方々は自分の上下3歳以内で、交友範囲も友だちかその友だちくらいというか。あと、前回の大谷さんのプロデュースは、ゆっくりした、打点がズレたリズムのヒップホップということがテーマでもあったので、今回は逆に速い曲とか普通の8ビートとかもやっています。


イタリア / 入江陽 MV (ファースト・アルバム『水』より)

実際は『仕事』も、“鎌倉(feat. 池田智子 (Shiggy Jr.))”、“フリスビー”、“マフラー”……のようなポップな楽曲もありましたけど、先行MVとして公開された“やけど(feat. OMSB from SIMI LAB)”のようなポスト・Jディラ的なビートが多かったので、どうしてもそっちの印象が強くなってしまったというか。一方、『SF』にも“おひっこし”のような後者寄りの楽曲もありますが、全体的には前者寄りなのかなと思いました。

入江:おっしゃるように“やけど”の印象が強いと思ったので、そうじゃない曲を今回はつくろうと思いました。



入江陽 - やけど [feat. OMSB (SIMI LAB)]



入江陽 - 鎌倉 [duet with 池田智子(Shiggy Jr.)]


ゲストに関して、同年代かつ親しいひとを選んだというのは、趣味趣向が近いひとがよかったということですか? あるいは、その方がコミュニケーションが取りやすいから?

入江:どちらかというと今回はコミュニケーションのほうですね。長いつきあいのひとばかりというか。

やはり、大谷さんだと恐縮してしまうとか?

入江:いやいや(笑)。もちろんそれもありましたけど、それが嫌だったわけではないです。ただ、その反動というか。

大谷さんとはいまも一緒に入江陽バンドをやっていますもんね。

入江:そうです。それに、毎回違うほうがおもしろいかなと思いまして。

不勉強ながら、今作のゲストは知らない方が多かったのですが……。

入江:まぁ、友だちって感じなので。

10曲中4曲を入江さんと共同で作曲をしている「カマクラくん」というのは?

入江:シンガーソングライターで、メロディを書く能力がすごく高い人です。なので、そこだけ担当してもらって、アレンジやトラックは違うひとにつくってもらいました。

入江さんのようなシンガーソングライターが、作曲にゲストを招くというのは珍しいですよね。

入江:僕が書くメロディだと少し凝ってしまう気がしたんです。でも、カマクラくんが書くとすごくシンプルで覚えやすくなるので、何曲かお願いしたというか。それに、分業する楽しさもありました。作詞、作曲、歌、アレンジ、それぞれを全部違うひとがやる曲っていうのは、最近のポップ・ミュージックではあんまりないかなと。

作業の手順としては、トラックをもらってから、それに合わせて曲を書いていった感じですか?

入江:そういう曲もあります。“おひっこし”と“悪魔のガム”がそうですね。それ以外の曲は、まず、大体のコードとメロディを書きました。


入江陽 - おひっこし (Lyric Video)


『仕事』のときも「ネオ・ソウル歌謡」と言いつつ、だんだんとアレンジが変わり、結局、全曲がバラバラという感じになったんですが、今回も音像としてのコンセプトはなくなっていったというか。

『仕事』がネオ・ソウル歌謡だとしたら、『SF』はハウス歌謡もあれば、EDM歌謡もあれば、グライム歌謡もありますけど、そういった、いわゆる現代版リズム歌謡の見本市みたいなものをつくろうというテーマはあったんですか?

入江:途中までは80年代っぽい音像にしようと考えていたんですけどね。エンジニアの中村(公輔)さんともそんなふうに話していたものの、送られてくるのがそれとは関係ないトラックだったりして。『仕事』のときも「ネオ・ソウル歌謡」と言いつつ、だんだんとアレンジが変わり、結局、全曲がバラバラという感じになったんですが、今回も音像としてのコンセプトはなくなっていったというか。

参加したトラックメイカーの方たちは、普段はダンス・ミュージックをつくっているひとが多いんでしょうか? 4曲を手掛けている「Awa」は、ダンス・ミュージックの手法を使ってシティ・ポップをつくるユニット「檸檬」にも参加していますよね。ちなみに、入江さんはその檸檬の7インチ「君と出逢えば」にヴォーカルとしてフィーチャーされています。

入江:そうですね。Awaくんはクラブ・ミュージックやヒップホップが好きで。檸檬にはギターやアレンジで参加していて、エスペシアにも1曲提供していました。

〝hikaru yamada〟というのは?

入江:ライブラリアンズという女性ヴォーカルのユニットもやっています。前作『仕事』の表題曲の共同制作者でもあります。でも、yamadaくんもAwaくんもやっている曲が好きというよりも、友だちだから誘ったという感じですかね。5年くらいのつきあいで、ふたりとも年齢が1つ下なので。mixiのコミュニティで知り合ったんですが(笑)。

どんなコミュニティだったんですか?

入江:いまとなっては少し恥ずかしいんですが、「近現代和声音楽好きなひとたち」みたいな(笑)。“悪魔のガム”の耶麻ユウキさんってひとは、yamadaくんの大学の先輩ですね。彼はグライムとかハウスが好きみたいで、3歳くらい上です。

「Teppei Kakuda」は?

入江:彼はちょっと変わっていて、トラックメイカーでもあるんですけど、バークリーのジャズ作曲科を中退して去年日本に帰ってきた方なんです。だから和声や譜面にも強い。それでドラムも叩いています。ここも友だちだったので誘いました(笑)。

そして、最後に「Chic Alien」。

入江:butajiくんと共作した“別れの季節”(入江陽とbutaji『探偵物語』収録)のトラックメイカーで、このひとも3歳くらい下なんですけど。

ちなみに、いまやっている入江陽バンドのライヴもすごくいいですが、あのメンバーでアルバムをつくろうとは思わなかったんですか?

入江:アルバムのアレンジはアルバムでやって、ライヴはまた別でリアレンジしたらおもしろいかなと。

『Jazz The New Chapter』(シンコー・ミュージック)がピックアップした現行のクロスオーヴァー・ジャズのように、打ち込みと生演奏の相互作用を意識している?

入江:それはちょっと考えていて、あとはバンドではできないこと、ライヴではできないことを音源でやりたいんですね。まぁ、レコ発はバンドでやるのでかなり矛盾していますが。ライヴ用のアレンジに関しては、大谷さんが音源を初めて聴いたところからはじめる。そうやって、翻訳をしていく過程で、失敗したり成功したりするのがおもしろいというか。あと、音源として良質なトラックを作る能力と、ライヴで演奏する能力はまた別なので。


粗悪さんとは、ふたりのユーモアの感覚というか、ふざけたい感じが一致したんです。同い年なのもあるかもしれません。

入江さんのディスコグラフィーにおいて、『仕事』と『SF』の間のリリースで特に重要なものがふたつがあると思って。ひとつはbutajiとつくったEP『探偵物語』(2015)で、クレジットを確認せず初めて聴いた時、カヴァー集かと勘違いしたくらいポピュラリティを感じました。もうひとつは粗悪ビーツとつくった7インチ「激突!~愛のカーチェイス~/薄いサラミ」で、あれはトラップ歌謡というか、大谷さんが現行のヒップホップ/R&Bを取り入れた延長にありますけど、さらにモダンかつイビツになっていました。

入江:探偵物語は、butajiくん作曲のものが多かったので、そういう感じになったのかもしれませんね。粗悪ビーツさんとの7インチは、粗悪さんのトラックがマイナー・コード一発の構造なので、相性がいいかなと思って歌謡曲っぽくつくってみたのと、ふたりのユーモアの感覚というか、ふざけたい感じが一致したんです。同い年なのもあるかもしれません。「同い年ですよね」って言ったら、「学年はいっこ上だから」って怒られましたけど(笑)。

それにしても、さっきからやたらと年齢のことを気にしますね。

入江:いや、年齢が近いということを言いたかっただけなんですけど……たしかに気にするほうかもしれないです。一方で、年齢が近いひとに対してもタメ口を使うのがヘタで(笑)。

それは恐縮してしまって?

入江:僕は医学部だったんですが、誰にでも敬語で話す文化があったんです。5浪して入ってくるひととかもいますから、使い分けがけっこうやっかいなんですね。それがまだ抜けてないのかもしれません。

なるほど。歳上を敬うためではなく、事を無難に運ぶために敬語を使う。

入江:よく言えば、敬語でも仲良くできる。悪く言えば、誰とでも壁ができている感じですね。

これは悪口じゃないんですけど、大谷さんのトラックは複雑ですし、僕の歌詞もめちゃくちゃじゃないですか(笑)?

『SF』では『探偵物語』と「激突!」の方向性が合わさっているというか、より積極的に現行のダンス・ミュージックを取り入れている一方で、ポップな印象を持つひとが多いと思うんです。

入江陽とbutaji - 探偵物語




激突!〜愛のカーチェイス〜


入江:実際、明るい曲調も多いと思います。

BPMも早いし、リズムの手数も多い。

入江:前作とはまた違うことをやって、音楽性の幅を広げたかった感じですね。

『仕事』がリリースされた時、僕は入江さんのことを知らなかったので、まるで突然現れたかのように思えました。そのあと、渋谷〈OTO〉でやっている〈Mango Sundae〉というヒップホップのイヴェントで、大谷さんとのデュオのライヴを観ましたが、MCがぎこちないことを大谷さんにずっとダメだしされていて(笑)。でも、曲と歌は文句なしにいいので、大谷さんはこんな変わった才能を持つひとをどこで見つけてきたんだろうと。アルバムが出たあと、本格的にライヴをやりだしたという感じですか?

入江:弾き語りやバンドでのライヴは数年前からやっていましたが、『仕事』リリース後、ライヴの機会が増えましたね。

やはり、『仕事』を出したあとに経験してきたことは大きい?

入江:だいぶ大きいですね。2015年は『仕事』をきっかけにライヴをたくさんやりましたし、誘いも増えたので。

『仕事』の頃の話でいうと、当時、『ele-king』に載った矢野利裕さんが聞き手で、入江さんと大谷さんがふたりで答えたインタヴューを改めて読んだら、そんなにインディと呼ばれるのが嫌だったのかと思って。2015年末に恵比寿〈リキッドルーム〉のカウントダウン・イヴェント(2016 LIQUID -NEW YEAR PARTY- + LIQUIDOMMUNE Presents『遊びつかれた元旦の朝に2016』)に出てもらいましたけど、ブッキングしたフロアが「インディ・ミュージック」という括りだったので、申し訳ないことをしたなと。

入江:いやいやいや(笑)。出演できてとてもうれしかったです。本当にありがとうございます。大谷さんと僕におそらく共通しているのが、インディ音楽とメジャー音楽をあまり分けて考えていないというか。リスナーとしての耳がそういう分かれ方をしていない、という話な気がします。

他方、あのインタヴューでは一貫して「インディじゃなくて、J-POP、歌謡曲なんだ」ということを言っていて。本当に当時から自分の音楽にそこまでポピュラリティがあると思っていました?

入江:思っていました。でも、これは悪口じゃないんですけど、大谷さんのトラックは複雑ですし、僕の歌詞もめちゃくちゃじゃないですか(笑)? 本当にポピュラリティを求めているのか、っていう。

僕もそう思うんですよ。たとえば、入江陽の音楽のオルタナティヴさだとか、ステージ上のどこかキマっていない佇まいだとか、聴いている方、観ている方がそわそわするあの感じは、もしポピュラリティを目指しているのだとすれば、単に未熟な部分として片付けられてしまいますよね。ただ、そうではないんじゃないか。

入江:未熟な部分もあると思うんですけど、大谷さんもぼくも違和感みたいなものが好きでやっている部分もあるので、それは自己矛盾というか。たぶんその話でのメジャーという言葉は、聴く耳の問題だと思うんですよね。松田聖子やジュディ・アンド・マリーみたいに、歌が真ん中にバーンとある感じでやりたいっていう精神論というか(笑)。

『SF』は『仕事』よりもポップになったと思うんですけど、それは狙ったところ?

入江:今回、それは個人的にはなくて、どちらかといえば技術的な挑戦の意味合いが大きかったんです。例えば1曲目の“わがまま”は、速い曲をつくりたいと思って取り組んだ。前作やライヴでやっている曲のBPMを測ったら、大体が100前後だと分かって、マンネリ化してはダメだなと感じたんです。

ライヴをやっていく中で気持ちに変化があった?

入江:そうですね。ライヴの音源を聴いたら全部いっしょというか。

遅い曲で客を掴むのは難しいですよね。特に対バンがいる時は。

入江:厳しい状態を強いられたときもあったので(笑)。

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べつにインディ感が嫌いとかではないんですけど、自分の声でやる場合にはエセ商業感があったほうがおもしろいんじゃないかとは思っていまして。

ポピュラリティと言えば、影響を受けたアーティストとして井上陽水の名前をよく挙げていますよね?

入江:井上陽水さんのようになりたいというよりは、井上陽水さんのように変なことばを使いながらも、とても美しい歌詞を成立させることへの憧れ、みたいなものはありますね。

先程挙げたインタヴューで、大谷さんが『仕事』は『氷の世界』(1973)を目指したと言っていて、それはちょっと意味が分からないなと思ったんですけど……(笑)。

入江:あれは『氷の世界』ぐらいの曲を作る、っていう気合いのことだと思うんですけどね。ヘタに言い換えて大谷さんに「違う」って言われるのも怖いですけど(笑)。

『氷の世界』は日本初のミリオン・セラー・アルバムですからね。むしろ、僕は『あやしい夜をまって』(1981)とか『LION & PELICAN』(1982)なんかに入っている、EP4の川島裕二がアレンジした楽曲のヤバさに近い感覚を入江さんの音楽に感じるんですが。

入江:川島裕二ってバナナさんのことですよね? 大好きです! あと、今回、エンジニアの中村さんと80年代っぽい音にしたいって相談する中で、リアルにそれを目指せる機材がスタジオに増えていったんです。そのおかげで、本格的な80年代の音になったのかもしれないですね。あの頃の陽水のアルバムはいま聴くといい意味でうさん臭いというか……。

ポピュラーな例として挙げましたけど、実際はいちばん売れていなかった時期ですしね(笑)。

入江:あとすごくバブル感がするというか。ぼく世代の耳で聴くと新鮮だと思うんですけどね。

僕もよく知らなかったんですが、DJのクリスタル(Traks Boys/(((さらうんど)))/Jintana & Emeralds.)と呑んでいるときに、川島裕二がアレンジした「背中まで45分」を聴かせてもらい、ぶっ飛ばされて、中古レコードを買い集めるようになりました。べつに狙ったわけじゃないんですが、さっきも〈レコファン〉で……(87年のアルバム『Negative』のレコードを取り出す)。

入江:あー、これはいちばんすごいジャケの! タイトルも酷いですよね。売れる気がない。

この後に“少年時代”(1990)が出て、世間的には復活するというか。いや、セルフ・カヴァー集の『9.5カラット』(1984)なんかは売れたのか。

入江:べつにインディ感が嫌いとかではないんですけど、自分の声でやる場合にはエセ商業感があったほうがおもしろいんじゃないかとは思っていまして。

ポピュラーな音楽が好きというよりは、ポピュラーな音楽の中で実験的なことをやってしまったがゆえに、商業的には失敗してしまったものが好き、とか?

入江:僕がお金がかかっている感の音楽をやったらおもしろそうだなと。

あるいは、日本のインディ・ポップでは、何年も前から「シティ・ポップ」がキーワードのひとつになってますけど、入江さんの音楽からはむしろ「ニュー・ミュージック」を感じます。

入江:たしかにシティ・ポップ感はないですよね。

かつてのシティ・ポップもいまのシティ・ポップも架空の都市を歌っているというか、言い換えると土着性から逃れようとするものだと思うんですけど、入江陽の場合、海外の音楽を参照していても、どこか土着的な感じがするからそう思うんですかね。

入江:あと、シティ・ポップの歌詞は風景描写的だったり、BGMとしての機能も重要だと思うのですが、僕の場合、必ずしもそういう感じではないですよね。









入江陽

SF


Pヴァイン


Tower
HMV
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そういえば、『SF』をつくりはじめた際にどうして「80年代」をテーマにしようと思ったんですか?

入江:4つ打ちと8ビートが多いので80年代っぽい音が合うんじゃないかと。あと、アレンジを70年代っぽくしてしまうと、僕の声だと完全に渋くなってしまう予感がするので(笑)。

さっきのブラック・ミュージックの話にも通じるんですけれども、今年はラップもかなり聴いたので、憧れを強めていて。

インディ云々の話を蒸し返すと、『仕事』は決して孤高の作品というわけではなくて。昨年の日本のインディ・ロックでは、ブラック・ミュージックの要素をいかにして取り入れるかということがある種のトレンドになりましたよね。そういった作品を聴いたりはしました?

入江:Suchmos(サチモス)とか普通にかっこいいと思いました(笑)。

入江陽とは真逆のスタイリッシュな音楽ですよね(笑)。

入江:なんというか、そういう流れのものも聴いてはいるんです。でも、意識すると変になってしまいそうなので……。作り手それぞれがあまり意識しあわずに、その時どきで好きなことをやったほうが、自然な流れが生まれておもしろくなると思うんです。だから、今回もその流れをそこまで意識したわけではないですね。ただ、やっぱり自分の声はブラック・ミュージックっぽいんだなとか、リズムの揺らし方とかがネオ・ソウルっぽいんだなということは再確認したんですけど。

『仕事』はある意味で大谷さんとの共作だったわけですし、ポスト・Jディラ的なビートをどう消化するかという問題意識は、JAZZ DOMMUNISTERSの延長線上にあるとも言えると思うんですよね。一方、『SF』は大谷さんのプロデュースがなくなった分、入江さんがもともと持っていたニュー・ミュージック感がより強く出たとか?

入江:ニューミュージック感はファーストの『水』にも少しあると思うので、それは言われて腑に落ちるところはあります。

『探偵物語』を聴いたときにそう思いましたね。実際、「夏の終わりのハーモニー」(井上陽水・安全地帯、1986)のカヴァーも入ってますが。

入江:butajiくんの声質も、往年の何かを感じるというか。カラオケ感があまりなくて歌手っぽいというか。上手いというよりも歌い上げているところが自分とは近いのかなと。

そういえば、先程、井上陽水のように歌詞を書きたいと言っていましたが、今作の作詞は井上陽水とラップのライミングが合流したような感じがあります。

入江:さっきのブラック・ミュージックの話にも通じるんですけれども、今年はラップもかなり聴いたので、憧れを強めていて。

いまって、歌とラップの境目がどんどん曖昧になってきていて。ヤング・サグとかフェティ・ワップとか。

入江:そうですよね。ラップのひとたちが歌っぽくなっていたりして。「ポストラップ」とおっしゃっていたのが個人的にはすごくしっくりきました。

僕がラジオで入江さんの作詞を「ポストロックならぬポストラップ的だ」と評したことですかね。補足しておくと、もともと、「ポストラップ」という言葉を使い出したのは岡田利規で、彼がラッパーの動きを拡張するというテーマでSOCCERBOYに振り付けをした公演のタイトルだったんです。それに対して、僕は、現在、もっとも影響力のある表現はラップで、むしろ、他の表現はそれによって拡張されているのではないかと、岡田さんの意図を反転させた意味で「ポストラップ」という言葉を使い出したんですね。いまの話だと、入江さんもラップはけっこう聴いていると。

入江:そうですね。

『仕事』にOMSBが参加していたのは、大谷さんの人脈ですよね。それがきっかけで聴き出したという感じですか?

入江:それもありつつ、もともと、SIMI LABも聴いていて、最近だとRAU DEFさんの新譜がすごくかっこよくて。あとは5lackさんPUNPEEさん兄弟とかへの憧れが強くて、今回も韻を踏む方向に……(笑)。

ただ、実際にがっつりタッグを組むのは粗悪ビーツのようなオルタナティヴな存在という。

入江:なんというか、ぼくが正統派のヒップホップを意識しすぎずに、そこまで堅い韻を意識しすぎずに、勘で作ったほうがおもしろい面もある気がします。個人の中の誤訳というか。そういう部分は粗悪ビーツさんに、個人的には共鳴します。

作詞は即興ですか?

入江:そうですね。ことばを発音して作るというか。前はもう少し書いていたんですけどね。語感を重視するようになりましたね。

まさに「ポストラップ」だと思うんですけど、ポップスだと思って聴いているものがヒップホップだったりとか、そこの境目が曖昧というか。

ただ、入江陽の音楽に関して、「すごくいいんだけど、歌詞はどうなんだろう?」という意見をちらほらと見聞きするんですよね。僕もそれについては思うところがあって。たとえば、ポストラップ的な側面でいうと、入江さんはまだライミングすることを面白がっている段階であって……井上陽水と比べるのも何ですけど、彼のようにライミングの連なりから新たなイメージを生み出すまでには至っていない曲が多いように感じます。実際、前作のインタヴューでは歌詞を重要視していない、考えないでつくっていると言っていましたよね。

入江:その発言の意図は、意味が成り立っている文章をつくることにはこだわらず、いろいろな言葉を並べて聞いたときに、全体として、何か不思議な印象、面白い印象があるものをつくりたかったというか。あとは、無意識に浮かんでくる言葉を尊重している部分もあります。

今回の歌詞では、“わがまま”がいいと思いました。入江さんの歌詞には一貫して、歪な恋愛みたいなテーマがあると思うんですけど、それがいままでになくはっきりと描けているなと。

入江:ありがとうございます。先程言ったように、以前は何か特定の印象を与えることを恐れていた感じはあって、それでおそらくはぼんやりしていたんだと思います。

「シュール」って言われがちじゃないですか?

入江:「シュール」だけだと、伝わっていないところがあると今回は思いました。それで“わがまま”は情報を絞って、かなりはっきりとイメージを伝えようとしたというか。

作詞をする上での恥ずかしさみたいなものが消えた?

入江:それもありますね。あとは、曲によって言葉遊びの量を変えた部分もあります。“STAR WARS”とか“悪魔のガム”は、恋愛とか金とか、ぼんやりとしたテーマはありつつも、意味よりはことば遊びを重視しています。

なるほど。そして、ラップからの影響も大きいと。

入江:かなりありますね。あるというか、意識しなくても入っちゃっている感じがして。まさに「ポストラップ」だと思うんですけど、ポップスだと思って聴いているものがヒップホップだったりとか、そこの境目が曖昧というか。

そういえば、以前、『仕事』のあとに、次はどういう作品をつくるのかと訊いたら、ラップのひとたちと一緒にやりたいみたいなことを言っていたような。

入江:もしかしたら粗悪さんといっしょに、もう少しいろんな方とやろうとしていたのかもしれません。

粗悪ビーツのDJで、ラッパーのマイクリレーに混じって入江さんが「金貸せ~」みたいなことを歌う未発表曲がかかっていて、かなりインパクトがありました。

入江:あれは“4万貸せ”って曲なんですけど、ラッパーのなかに混じってしまったときにああなってしまった結果が楽しいというか。

粗悪さんからいきなりメールがきて、「入江さん、今後のテーマが決まりました。今後は哀愁です」って(笑)。

粗悪ビーツとの共作は今後も続けていくんですか?

入江:はい。今も新曲をつくっていて、今後もいっしょにつくっていこうと思います。

何かひとつにまとめることも考えている?

入江:ぼくも粗悪さんも曲が多いタイプというか、わりとサクサク、悪くいえば雑にできる方なので、まとまってできる予感もかなりありますね。いまのところ“心のみかん”という、“薄いサラミ”のシリーズを作っています(笑)。

そういえば、どうして、入江さんの歌詞のモチーフは食べ物が多いんですか?

入江:それは完全に自覚したんですけど、好きだからですね。前は自覚がなかったんですけど、今回、作詞していたら食べ物がどんどん出てきて。口ずさみながら作ると、ふだん言っていることばが出てきてしまうというか。でも、グルメなわけじゃなくて、粗悪さん同様にジャンクなものが好きなんですけど。

粗悪ビーツがSNSに写真を上げてる粗悪飯ですね。あれはジャンクを通り越してハードボイルドというか。自宅でインタヴューをした時につくってくれたんですけど、100円ショップで買った包丁とまな板で、安売りの豚肉とネギを床に屈んだまま刻んで、煮込んだだけのものが鍋ごと出てきて。酒は発泡酒とキンキンに冷やしたスミノフでした。

入江:粗悪さんは計算してやっている部分もあるけど、天然でやっている部分もありますよね(笑)。



沈黙の羊たちの沈黙 feat.DEKISHI, OUTRAGE BEYOND, onnen, 入江陽

[prod by soakubeats]



彼のつくるトラップにはブルースを感じるんですよね。トラップが好きになったのは、ブラック企業で働いていたときにあのトリップ感が辛さを忘れさせてくれたからだって言ってて。

入江:哀愁があってそこが歌謡曲っぽいというか。いきなりメールがきて、「入江さん、今後のテーマが決まりました。今後は哀愁です」って(笑)。前からそうでしょ! って思いましたけど。

入江さんにとってラップ・ミュージックはどういうものですか? 自分からは遠い音楽という感じ?

入江:音楽好きとして音楽を聴いてしまうところがあって、ヒップホップを聴いていても感動するのは、本人のリアルなストーリーよりもライムの技術とかです。ヒップホップも黒人さんたちから生まれた高度なリズムの芸術だと感じていて、それを日本人がぼやかしたらこうなったというか。なので、クラシックと同じ耳で聴いてしまうところがあって。

ゴシップやゲームを面白がるのではなく、あくまでも音楽を聴いているのだと。

入江:もちろん実話やらのストーリーに感動することもありますし、興味も無くはないんですけど、どちらかというと音楽的な技術の部分に興味がある感じですね。

揺らぎのリズムが好きすぎるので、全体としてはあえて回避したところはありますね。なので反動でいまは揺らいだものがやりたいです(笑)。

『SF』のトラックには、さまざまなダンス・ミュージックの影響が感じられるという話をしましたが、入江さん自身もそういったものは聴いているんでしょうか?

入江:勉強しようと思ったんですけど今回の制作には間に合わずで、ぜんぜん知らないです(笑)。トラックのジャンルが何かわからないのに、聴いてダメ出しをするというか。

トラックメイカーと共作する上で、やり取りの往復はあった?

入江:かなりありましたね。

結果、「グライム歌謡」といってもグライムをそのままトレースしたようにはなっていないというか。

入江:恐らく“悪魔のガム”の耶麻さんのトラックはグライムを意識していると思うんですけど、ミックスの段階ではグライムであることを無視して、歌モノとしてどう聴こえるかという点を重視しましたからね。そういう意味では、今回、音楽の細かいジャンルへの意識は弱いかもしれないです。むしろ、歌モノとしてどう聴こえるか、への意識が強いです。

『仕事』では、大谷さんがヒップホップだったりR&Bだったりを意識していたと思うんですけど。

入江:ちょっと共通していると思うのは、大谷さんもR&Bを参照しつつも、結局、歌モノとしてどう響いているかを意識しているような気がするんです。

一方で、大谷さんとの趣味の違いも感じるなと。〈OTO〉でライヴがあった時、彼と話していたら、DJがかけているEDMっぽいトラップに対して、「オレは頭打ちの音楽がダメだから、こういう今っぽいヒップホップが苦手で」みたいなことを言っていて。

入江:でも、この前〈リキッドルーム〉で、「現場でデカい音で聴けばなんでも最高だ!」って言ってましたよね(笑)。

いい加減だな(笑)。

入江:けっこう共感しましたけどね(笑)。

ただ、大谷さんから入江さんにプロデュースが移ったことによって、やはり、リズムの感覚は変わったんじゃないですかね。もちろん、『仕事』を引き継ぐような揺らいでいるトラックもありますが。

入江:“おひっこし”ですかね。揺らぎのリズムが好きすぎるので、全体としてはあえて回避したところはありますね。なので反動でいまは揺らいだものがやりたいです(笑)。

オープニングの“わがまま”とかアッパーな4つ打ちですもんね。

入江:そうですね。“わがまま”についてはBPM150以上というのが自分のテーマだったので。


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シンガー然として入り込んで歌うわけではなく、むしろ……ぜんぜん入り込めないというか。だから、歌っている自分につねに違和感を感じていますね。

弾き語りではなくハンドマイクで歌うことには慣れてきましたか?

入江:最初よりは慣れてきましたね。2月、3月のレコ発ではもっと慣れた姿を見せられるかと思います(笑)。だいぶ楽しめる感じにはなってきました。

入江さんはキャリアの途中でシンガーになったわけじゃないですか。先程、ポピュラーなものを目指しつつ、隠しきれないオルタナティヴさがあるという話をしましたけど、実際、ナチュラル・ボーン・シンガーというわけではない。歌がすごくうまいので、ついそう思ってしまうのですが。

入江:楽器ばかりやっていたので、本当は楽器だけでやりたいんですけど、歌ったときのほうが反応がよかったので、そこは需要に合わせていこうと。自己啓発本的に言うと「置かれた場所で咲きなさい」的な(笑)。好きなことより、需要があることをしなさいという。そういう感じでやっているので、シンガー然として入り込んで歌うわけではなく、むしろ……問題かもしれないですけど、ぜんぜん入り込めないというか。だから、歌っている自分につねに違和感を感じていますね。

内面を掘り下げたり、文学性にこだわるのではなく、ライミングで遊びながら歌詞をつくるのもそういった理由からですか?

入江:それはありますね。自分の歌い方で超シリアスな歌詞だと聴いていられないというか(笑)。「歌は本格的なのに、歌詞にはこんなのが入っているの?」っていうのが楽しいというか。

でも、リスナーとしてはディアンジェロみたいなオーセンティックなものも好きなんですよね?

入江:たしかに矛盾してますね。でも、ディアンジェロみたいになりたかったら筋トレをしているハズですし(笑)。正直、ブラック・ミュージックはそんなに掘っていないというか。ディアンジェロは本当に好きだけど、ブートまでチェックしたりというわけではなくて、ある曲のある部分の展開が好きという感じなので。……よくも悪くも浅く広くが好きなところがあって。ラップもそうですし。

ラップに関して言うと、昨年、菊地成孔さんに歌詞についてのインタヴューをした時、「ポップスとラップは言葉の数が一番の違いですよね。僕が目指すのはその二つを融合していくことで、ポップスにおける歌のフローや音程が、ラッパーのライムと同じくらいの細かさで動いていくということが、ネクスト・レベルじゃないかなと思っているんです。今のポップスのメロディって変化が大らかじゃないですか。でも、ラップのフローはもっと細かいですよね。で、ジャズのアドリブなんかも細かいわけで、ああいう感じでラップにもうちょっと音程がついたものというか……そうやって歌えるヴォーカリスト、そうやって作詞できるソングライターがこれから出てくるんじゃないかと」と言っていました(SPACE SHOWER BOOKS、『新しい音楽とことば』より)。入江さんの歌はそれに近いというか、最近のラップが歌に寄っていく一方で、入江さんの場合は歌からラップへと寄っていっていますよね。

入江:それは自覚的にしていたところはありますね。

それは、やはり、ラップが構造的に見ておもしろいから?

入江:構造や技術に興味があるのはその通りですね。今後はルーツというか、自分がどういう音楽が好きだからどんな音楽をやるのか、ということにも取り組みたいんです。でも、『SF』に関しては「そのときに思いついたこと」という美学でやっていました。無意識的に生じているものの方に可能性を感じているというか。

ルーツは、じつはクラシックが大きいですね。

では、自身のルーツは何だと思いますか?

入江:ルーツは、じつはクラシックが大きいですね。大学のアマチュア・オーケストラでオーボエを吹いていましたから。ただ、それを歌で掘っていっても、“千の風になって”みたいになってしまうので避けたいなと(笑)。

アルバムは打ち込みが中心ですが、オーケストラを使ってみたいと思ったりもする?

入江:生楽器のアンサンブルを使いたいとは思いますね。『SF』の反動でいま聴いているものがキップ・ハンラハンとかなんです。

キップ・ハンラハン! 意外ですけど、いいですね。ちなみに、現在、バンドはサックスやトラックに大谷さん、ギターに小杉岳さん、ベースに吉良憲一さん、ドラムスに藤巻鉄郎さん、キーボードに別所和洋さんというメンバーですが、それは固定?

入江:しばらくはあのメンバーでやっていこうと思っています。編成にウッドベースとトラックが入っているので、生感と生じゃない感が混じるのがおもしろいなと。

ライヴ盤の制作は考えていないんでしょうか?

入江:それはちょっと考えています。いまのバンドは、メンバー全員、ジャンルの出自が少しずつズレていて。たとえばドラムとウッドベースの2人はジャズやポストロックなんですけど、ギターの小杉くんはロックしか弾けないので、全体のアンサンブルとしてはジャズへいけないっていう縛りがあるんです。逆にあんまりロックの方にもいけないので、そこらへんがおもしろいんです。あと、大谷さんのリズムのクセがすごく強いので、それがバンドに必ず入ってくるっていうか。みんな器用なのか不器用なのかわからないキャラクターというか(笑)。

『SF』にはさまざまなタイプの楽曲が入っていますけど、考えてみると、butajiや粗悪ビーツとのコラボレーション、そして、バンドと、それぞれ、試みとしてベクトルがバラバラですよね。ヴォーカルが強いのでどれも入江陽の歌になっているんですが。

入江:悪いことばしか出てこないんですけど、「浅く広く」とか「飽きっぽい」とか「ミーハー」な部分が自分にはすごくあるんです。

共作が好きなんですか?

入江:好きですね。

『SF』のつくり方もそうですが、「入江陽と○○○」みたいな名義がこんなに次々と出るシンガーソングライターも珍しいなと。

入江:「入江陽と○○○」はシリーズ化したいと考えてますね。他のシンガーソングライターのみなさんの性格って、もっと一貫性があって内省的だと思うんですけど、ぼくはぜんぜん違って。飽きっぽくて、いろんなひととやってみたいというか。あんまり自分と向き合うタイプではない。ただ、今回、歌詞に関してはゲストなしで、自分で書いてみました。だからといって私小説的なアルバムなわけではないですけどね。

先程から、内面を掘り下げることに興味がないというような発言が多いですね。

入江:それが強いんですが、今後は内面を掘り下げていこうと思っていて。

「今後は内面を掘り下げていこうと思っていて」って、自然じゃない感じがありありですね(笑)。

入江:そこが他のシンガーソングライターと違いますよね(笑)。リスナーとして聴いたときに、泣き言的なものが出てくるのが個人的に苦手なんです。もっと楽しませてほしいというか。私小説的なアルバムもいつかは作ってみたいですけどね。

私小説的なアルバムもいつかは作ってみたいですけどね。

地元の新大久保について書いてみたり?

入江:新大久保のストリートについて(笑)。やっぱり住んでいると色々と思うことがあるので、そういうことに関しては書いてみたいですね。

ただ、現状でも、入江さんの歌に漂う猥雑さみたいなものからは、何となく新大久保の雰囲気が感じられます。

入江:それはすごく影響している気がしますね。発砲事件があったりとか、ビルからひとが落ちてきたりとか、そういうことを何度か体験したので。僕自身はリアルに治安が悪いところに住んでいたわけじゃなくて、ぜんぜん安全なところに暮らしていましたけど、それでも垣間見えたことはすごくありましたからね。

最近の新大久保は綺麗ですけど、ぼくは20歳くらいのときに、駅から大久保通り沿いをちょっと行ったところにある雑居ビルで出会い系サイトのサクラの仕事をやっていて。あの頃の街にはまだまだ猥雑な雰囲気が残っていて、いつもそれにあてられてげんなりしてました(笑)。

入江:マジっすか。ぼくはあの近くの喫茶シュベールとかの近くに防音室を見つけてしまって。

スタジオも新大久保なんですか?

入江:そうなんですよ。かつては世田谷に住んでいるひとに憧れていたので、「何で自分は新大久保に生まれたんだろう」と思ってたんですけど(笑)。汚いところではなくても、きれいなところでもないですからね。それで、飯田橋や神楽坂の方に住んでみたんですけど、ちょっと刺激が足りなくて。そんなときに新大久保にワンルームの防音室を発見したので戻ってきました。


嘘でもいいから、聴いている間はすごく景気がいいとか。そういうもののほうがいいかなと。

しかし、今回、お話をきいて、『仕事』のインタヴューで疑問を持った「ポピュラリティについてどう考えているのか」という部分に合点がいきました。もちろん、ポピュラリティど真ん中の音楽を目指してはいるものの、まるでディラのビートのようにズレが生まれてしまう。それこそが入江陽の面白さなんだと。

入江:ぼくにとってポピュラリティのあるものが好きというのは愛嬌みたいなもので、それがないと遊び心は生まれないような気がして。実際には、ポピュラリティのある音楽というと「多くのひとに聴かれている~」って意味ですよね。だから、言葉のチョイスが間違っていたのかもしれないです。

また、内省的な表現に距離を置いてきたというのもなるほどなと。そこでも、洒落っ気だったり、はぐらかしが重要で。

入江:私小説的なものやシリアスなものを避けてきたというよりは、フィクションだったり愛嬌のあるものにどちらかというと興味があるというか。嘘でもいいから、聴いている間はすごく景気がいいとか。そういうもののほうがいいかなと。あと、かわいいものが好きなのかもしれません。最近も思いつきでDSを買ってポケモンをやっているくらいなので(笑)。気持ち悪いかもしれませんが、喫茶店でプリンとかがあったら絶対に頼むみたいな。今回の歌詞にしても、かわいい物好きの面が出ているんじゃないでしょうか。

……そうでしょうか?(笑)

入江:「カステラ」って言うだけでもかわいいなって(笑)。自分がかわいくなりたいというわけではなくて……一概に言うのは難しいんですけど。

ポピュラリティのあるものを目指して金をかけたのに失敗してしまったものが面白い、と気付いたのも収穫でした。

入江:そこに感じているのも愛嬌であって。あるいは、成功しているものでも……。たとえば、ダフト・パンクとかも好きなんです。音楽的にあれだけ高度なのに、一貫してエンタメで。ジャケからアー写からすごく遊び心がありますし、サービス精神を感じる。そういう心の豊かさに惹かれるんです。相手への思いやりを持つ余裕を感じるというか。変な言い方ですけど(笑)。

(笑)。まぁ、余裕がない時代ですからね。

入江:そうかもしれません。

音楽メディアの年間チャートを総嘗めにしたケンドリック・ラマーのアルバムなんかも、メッセージにしてもラップのスタイルにしてもまったく抜きがないところが、現在を象徴しているのかもしれません。一方で、そういったチャートにはまったく出てこないフェティ・ワップみたいな緩いラップも売れているんですが、音楽好きはシリアスだったり密度が濃かったりするものを評価しがちで。

入江:リスナーとしてはシリアスなものも好きですが、自分がつくる場合は、どちらかというと愛嬌がある表現の方が得意かもしれません。以前、女性シンガーソングライターの作詞の仕事を引き受けたことがあって、そのひとがすごくシリアスなひとだったんですよね。厳しい環境で育って、親子関係でも苦労して……みたいな。で、彼女の曲の作詞を偽名でやってほしいと。それがぜんぜんできなくて。すぐにふざけたくなっちゃうんです(笑)。それは自分の出自がおめでたいというのもあるのかもしれないんですけど、実際にツラいひとにツラいものを聴かせても……って思ってしまうというか。

その話を訊くと、入江さんの歌詞の、ダジャレのようなライミングの印象も変わってきますね。

入江:それはよかったです。本当にダジャレはくすっと笑ってほしいくらいの感じなので(笑)。

まとめると、前作『仕事』は比較的曲調に統一感があったからこそ、今回の『SF』はカラフルなつくりにしてみた。それは、変化したというよりは、対になっているような感じだと。

入江:そうですね。今作のような内容「だけが」やりたかったわけではなくて、これ「も」やりたかった感じです。

ただ、ポリュラリティという観点から考えると進化だと思いますし、売れるんじゃないでしょうか。

入江:そうなるとうれしいです(笑)。

入江陽 - UFO (Lyric Video)



UFO(live)/入江陽バンド@渋谷WWW



入江陽 "SF" Release Tour 2016

【京都公演】
2016年2月6日(土) @ 京都UrBANGUILD
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV ¥2,800(+1D) / DOOR ¥3,300(+1D)
w/ 山本精一、もぐらが一周するまで、本日休演

【名古屋公演】
2016年2月7日(日) @ 名古屋今池TOKUZO
OPEN 18:00 / START 19:00
ADV ¥2,300(+1D) / DOOR ¥2,800(+1D)
w/ 角田波健太波バンド(角田健太(vo.g)、服部将典(ba)、渡邉久範(dr)、j­r(sax)、tomoyo(vo.key) )
※角田波健太波バンド「Rele」入江陽「SF」ダブルレコ発

【東京公演】
2016年3月30日(水) @ 渋谷WWW
OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥2,800(+1D) / DOOR ¥3,300(+1D)

adidas Originals presents STORMZY - ele-king

  現在、UKのオーバーグラウンドでも圧倒的な人気を誇っているグライム。そのなかでもっとも人気があると言っても過言ではないであろうMCのストームジーが、なんと明日東京で急遽来日公演を行う。XTCのグライム・クラシックにラップを乗せた動画が話題になり(動画の再生回数は2000万回を超えている)、同年のBETアワードではベスト・インターナショナル・アクトを受賞。今回の公演は、名実ともにシーンの先端をいくそのセンスを生で体感できる貴重なチャンスだ。DJアクトには先日のスウィンドルとフレイヴァDの来日公演でフロアを沸かせたハイパー・ジュースのハラ、昨年スラックを東京に招いたT.Rレディオのサカナとノダが出演する。

STORMZY [@STORMZY1] - SHUT UP

DUBKASM - ele-king

 ブリストルを拠点に活動するDJストライダとディジステップによるレゲエ/ダブのデュオ、ダブカズムが2月に来日ツアーを行う。2013年に発表された“ヴィクトリー”は、ダブ界の重鎮ジャー・シャカやダブステップのパイオニア、マーラにもプレイされ、多くの人々に愛されるアンセムとなった。去年リリースされたマーラによるリミックス・バージョンも、発売後すぐにソールド・アウトになるほどの人気ぶりだ。

Victory - Dubkasm (Mala Remix)

 世界各地域において独自のシーンを持つサウンドシステム文化において、グローバルな広がりはもちろんのこと、現地のミュージシャン同士の繋がりを見るだけでも心が踊るものだ。テクノ・シーンでも評価される〈リヴィティ・サウンド〉のペヴァラリスト、ダブステップやグライムのシーンで活躍するカーン&ニーク、スミス&マイティとして多くのクラシックを生み出したロブ・スミス。日本でも馴染み深い彼らは、各々が少しずつ異なったフィールドに身を置いているものの、ブリストルというひとつの街のなかで実に有機的な関係性を築いている。

 そのなかで重要な役割を果たしているのがダブカズムのふたりだ。ブリストルにみずからのスタジオを構え、自分たちのプロダクションに専念するだけではなく、他のプロデューサーたちとも積極的にコラボレーションを続ける彼らは、ブリストルのハートのような存在なのかもしれない。2014年に発表された“マイ・ミュージック”の音楽とビデオで描かれるのは、ブリストル、ひいては他の街のミュージシャンたちとダブカズムの繋がりだ。テクノロジーの発達により、個人作業の可能性がどこまで拡張される現在。そんな時代においても、素晴らしい音楽は人々が交差する「場所」からやってくることを、彼らは思い出させてくれる。

 ツアーは2月5日からはじまり、東京、京都、福岡、相模原、札幌の5都市をダブカズムが巡る。東京公演ではロブ・スミスことRSDもプレイする予定だ。近くの会場でブリストルのハートを心して聴こう。

'My Music' - Dubkasm meets Solo Banton (Feat. Buggsy)

Dubkasm( from Bristol, UK)

DJ StrydaとDigistepは、15才の頃に地元ブリストルで体験したJah Shakaのセッションで人生を変えられ、サウンドシステム文化に没入していく。以降、20年以上に渡りトラック制作/ライヴ&DJ/ラジオ番組などでシーンに関わり続けている。そのトラックはJah Shaka、Aba Shantiらのセッションでも常連で、昨年リリースの「Victory」はここ日本でもアンセムと化している。09年に発表したアルバム『Tranform I』は高い評価を受け、全編を地元の盟友ダブステッパーたちがリミックスしたアルバムも大きな話題となった。最近ではMalaやPinch、Gorgon Soundらとの交流も盛んで、ダブをキーにした幅広いシーンから厚い信頼を獲得している。2016年2月、BS0の第2弾として待望の初来日を果たす。


vol.80:今年は中古レコード店が熱い - ele-king

 ここ数年ヴァイナル・レコード市場が熱いと言われている。とくに2016年、自分をハッピーにしてくれる何かがあると言うことを覚えておいて欲しい。毎日の生活に忙しいのはわかるが、週に1回でも、レコード店に足を伸ばしてみるのはどうだろう。人間らしい喜びと、価値ある消費者経験が待っているかもしれない。
 ラフ・トレードアーバン・アウト・フィッターズも、新譜から定番まで、新しいレコードを扱っている。カフェやバーにレコードが置いてあるのはもちろん、人気ホテルのエースホテルには客室に1台ずつレコードプレイヤーが置いてあり、スタッフが選択したレコードがプレイできるようになっている。レコードは、人びとの生活のアクセサリーとなった。

 中古レコード市場はどうだろう。マンハッタンにはたくさんの中古レコード屋があったが、一部を除き、いつの間にか消えた。レコードはどこに行ったのだろう……。2016年、中古レコード・ビジネスを世界的に考える男がいる。マイク・スニパー、キャプチャード・トラックスのオーナー、無類のレコード好き。
 以前、キャプチャード・トラックスの5周年フェスをレポートしたが/、あれからすでに3年経ったいまも、キャプチャード・トラックスの挑戦は拡大している。
 2008年に、アカデミー・レコードで働いていたスニパーが、地下で始めたレコード・レーベル、キャプチャード・トラックス。何度かオフィスを移動し、2013年にグリーンポイントにレコード・ストアを構えている。やがてオフィスはブシュウィックに移動。そこでは、キャプチャード・トラックスの傘下に生まれた新しいレーベルの集合体、オムニアン・ミュージック・グループ(OMG)が運営されている。目的は、OMGの様な大規模な構造から利益が受けられる革新的レーベルや、新しい別個のレーベルを探すと同時に、既存レコード(ボディダブル、ファンタジーメモリー)やキャプチャード・トラックスのパートナーシップ(フライング・ナン)を発展させることである。
 OMGファミリーには、シアトルのカップル・スケート、ニューヨークのスクオール・シング他、OMG傘下にできた新レーベルのシンダーリン、再発レーベルのマニファクチャード・レコーディングス、イタリアンズ・ドウ・イット・ベター、トラブルマン・アンリミテッドのマイク・シモネッティが運営するダンス・ミュージック・レコードレーベルの2MRレコーズ、パーフェクト・プッシーのメガデスが運営するブルックリンのレコード・レーベル、出版社のホナー・プレスがある。
 そのすべてを統括するのがスニパーだ。彼は仕事をしている以外は、レコード・ハントしている、というくらい中古レコード好きだ。田舎のガレージセール、誰かの地下コレクション、バケーションの間にレコード・ハントなど、「中毒みたいなものだよ」とスニパーは言うが、元アカデミー・レコーズの店員である彼の個人コレクションは、驚くほどの量と質を誇る。
 その中毒をフィードするために、と言うわけでもないが、キャプチャード・トラックス・ストアでも中古レコードの売り買いはやっているが、彼が考える新しい中古レコード・ビジネスは世界規模。フォート・グリーンのサイドマン・レコーズを共同経営。それはヒップな床屋内にある。「サイドマン・レコーズは、会社のアウトポストとして考えて、僕らの店だけでなく、アメリカ中、世界中のお店のライフ・スタイルのストックとしてレコードの売り買いが出来るように、会社を発展させようと思っている」

 サウス・ポートランド・アベニューにあるサイドマン・レコーズは小さい。スタイリッシュな男子のためのパーソンズ・オブ・インタレストという床屋内にオープンし、10,000個ぐらいのアルバムをストックする。パーソンズ・オブ・インタレストのウィリアムバーグ店はパーラーコーヒーと提携、フォート・グリーン店ではすでにカフェ・グランピーと提携していたが、サイドマン・レコーズのオープンの話を聞いてレコード店と床屋の組み合わせも悪くない、と思ったらしい。
 スニパーとサイドマン・レコーズのダミアン・グレイフとロブ・ゲディスは古くからの友だちで、18年前にはニュージャージーにある伝説のプリンセトン・レコード・エクスチェンジで一緒に働いていたこともある。いわゆる中古レコード・オタク仲間だ。
 共同経営にしたのは、単純にスニパーひとりではすべてできないからだ。お店はレコード好きな、スタッフに任せ、ふたりはレコード・ハントに出かける。彼らが見つけた価値ある珍しいレコードは、サイドマンやキャプチャード・トラックスだけでなく、世界中のお店に並ぶことになる。
 「ロブとダミアンは中古レコードのことになると熱いんだ。1日中あらゆるところでオタクなことを話し、コレクションを集めたりできる。ぼくにはそんな時間がないから」とスニパー。ロブが、主に大きなヴァンを運転して、今日収穫したものを、ドンドン、フェイスブックに載せていく。
 スニパーが世界の中古レコードのアイディアを思いついたのは、アメリカの中古レコードをお店にストックするのは難しいと、ニュージーランドのレコード・ストアと話しているときだった。
 「通り過ぎるには、難しすぎるし、ヴァイナルの復活もひとつの決め手だった」
 中古レコードのビジネスは別のゲーム。エキサイティングだが、ストックするのが難しい。
「新しいレコードを求めてお店に入ったときは、何があるかは予想ができる。レコードXが欲しくて、そこにあるとお店に入ったときにわかる。でも中古レコードは、インターネット前の不思議なポータル買い物経験が出来る。宇宙規模のね」
 ひとつのコンピュータ・スクリーンが、この惑星にある、購入可能な物体の詳細をリストしてくれる。ほとんどがバルク状態で入手可能である。中古レコード屋に行くことは、燃料を蓄えた宝探しの心を保有し続ける、数少ない消費者経験のひとつである。「中古レコード店に入ったら、壁にかかっているレコードは何だ? 新しく入ったコーナーはどこだ、カウンターの向こうで誰かがプレイしているのは何だ? いままで聞いたことないといくらでも訊けるし、すべてがクールだ」


Sideman record's sound track


@ Sideman records


@ Sideman records


@ Sideman records

photo:Via bk mag

 オーナーとして、中古レコードの方が利益率が良いことも魅力だ。新品は返品できない。中古なら、小売店は30パーセントしか利益はないが、リスクは少ない。
 「例えばミッドウエストの田舎の屋根裏部屋にある、誰かの見捨てられたレコード・コレクションが、ペニーに値するかもしれない。誰かのゴミは誰かの宝でもある。経済的にも環境にもいいし、面白いショッピング経験ができるし、やり遂げる感が良いんだよね」
 サイドマンはまだ初期段階で、ただいま、スニパー・チームはニューヨーク近辺から他の土地でもレコードを集めるのに大忙し。ヴァイナルも売って、新しいヴァラエティに富んだ物も売りたいと、例えばストランドのようなお店を例えに使う。
 スニパーのもうひとつの大きなヴィジョンは、中古レコード店をクリントン・ヒル、フォート・グリーン地域に持ってくること。3年ほど前、この地域に住んでいたスニパーは、グリーンポイントと違って、中古レコード店がないことにがっかりしていた。
 「ニューヨーカーにとって、週末に中古レコード屋に行く事は、ファーマーズマーケットやコーヒーを買ったりするのと同じ事。一種の儀式だよ。例え、カジュアルなレコード・バイヤーでもね。」

 数ヶ月前、ブシュウィックのバーに行ったときに、DJブースの隣にレコードの箱がいくつか置いてあり、そこにたくさんの若者がフラッシュライトを片手に、群がっているのを見た。聞くと、毎週水曜はサイドマン・レコーズ・ナイトがあり、レコードを販売しているのだった。ほとんどのレコードが1ドル。「これが好きだったら、これ聞いてみなよ」とダミアンと話しながら、レコード箱を漁るのは楽しいし、お酒も入り、勢いでまとめ買いする人もいる。そのときお店はまだオープン前だったが、このときも目を輝かせ、「もうすぐレコード店をオープンするんだ。絶対気にいるから遊びに来てね」と言った。

 そして、ついにオープンしたサイドマン・レコーズ。中古レコード市場が新たな展開をするかもしれない2016年。自分のニーズを考えるとビジネスに行き着くという例。好きなことをやり続けるとこうなったと、彼らの冒険はまだ続く。

Captured tracks
195 Calyer St
Brooklyn, NY 11222
12 pm-8 pm

Sideman records
88 s Portland Ave
Brooklyn, NY 11217
11 am-8 pm

RILLA - ele-king

この時期なので2015年を振り返って

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130