「OTO」と一致するもの

NxWorries - ele-king

 次世代のモクモク・ユニットは、2016年に何を残すのか。
 アンダーソン・パークとノレッジからなる、ノー・ウォーリーズがファースト・アルバム『Yes Lawd!』を10月21日にリリースすることを発表した。
 昨年12月にノー・ウォーリーズとして初のEPとなる『Link Up & Suede』を発表し、話題となったが、2016年はアンダーソン・パークが自身名義のソロ・アルバム『Malibu』をリリースしたことも重なり、ノー・ウォーリーズとしての表だった活動はほぼ見られなかった。
 しかし今年6月にはアンダーソン・パークがツイッター上で、ノー・ウォーリーズのスタジオ・アルバムが完成したことを発言し、期待が高まっていた矢先でのリリース発表となった。
 本日9月20日は、WWW Xのオープニング・シリーズとしてアンダーソン・パークの単独公演が開催される。残念ながらチケットは売り切れてしまったようだが、このタイミングでの単独公演となると何か期待したくなるもの。新曲は披露されるのか、淡い期待を抱きながら、今夜は楽しもう。


ノー・ウォーリーズによる「Suede」のライブ映像


また、今回の発表に合わせて、アルバム収録曲の中から「Lyk Dis」が公開された。こちらもマスト・チェック。


『Yes Lawd!』:トラックリスト

1. Intro
2. Livvin
3. Wngs
4. Best One
5. What More Can I Say
6. Kutless
7. Lyk Dis
8. Can’t Stop
9. Get Bigger / Do U Luv
10. Khadijah
11. H.A.N.
12. Scared Money
13. Suede
14. Starlite
15. Sidepiece
16. Jodi
17. Link Up
18. Another Time
19. Fkku
https://www.stonesthrow.com/store/album/nxworries/yes-lawd

DJ Shadow - ele-king

 1996年に〈Mo' Wax〉からリリースされたDJシャドウのファースト・アルバム『Endtroducing.....』は、既存の音源のみで構築されたサンプリング・ミュージックの金字塔として、いまなおポップ・ミュージックの歴史に燦々と輝いている。
 同作は来る11月19日をもってリリース20周年を迎えるが、このたび、それを記念したリミックス盤の企画が進行中であることが明らかになった。DJシャドウは9月12日に放送された「トークハウス・ミュージック・ポッドキャスト」の最新回でクラムス・カシーノと対話をおこなっているが、そこで『Endtroducing.....』のリミックス・アルバムの計画について言及している。リリースの日程やトラック・リストなどはまだ明らかにされていないが、リミキサーとしてクラムス・カシーノやハドソン・モホークが参加しているとのことである。

 ちなみにDJシャドウは、去る7月27日にロンドンのエレクトリック・ブリクストンにておこなわれたライヴで、自身のクラシック "Midnight In A Perfect World" のハドソン・モホークによる未発表リミックスを披露している。その音源が計画中のリミックス・アルバムに収録されることになるのかどうか、注目である。

ファンが撮影した映像


 タイコ・スーパー・キックスの樺山太地と、元・森は生きているの岡田拓郎による対談&即興ギターセッションを収めた動画が公開された。
 本動画は9月4日に開催されたタイコ・スーパー・キックスによる自主企画、「オマツリ2」にて配布されたZINE『TBD』に収録された企画、「ソリッド・ギタリスト・セッション」によるもの。ふたりの即興演奏を交えた24分もの対談動画となっている。
 お互いのギター・プレイのルーツから、使用機材や音作りの話まで、ギタリストならではの濃密な内容のトークと、ブルース~ノイズを中心とした即興セッションは、ギタリストでなくても必見だ。
 ふたりのギタリストによるセッション、というのはよくある形式だが、そのスピンオフ感にときめいてしまうのは私だけだろうか。今回のセッション動画はそのときめきを感じさせてくれるものであるし、ふたりのギター・プレイの違いも顕著で、音からも、話からも彼らの背景が見えてくることが印象的であった。この企画の続編を願うばかりである。
 なお今回の企画が収録されたZINE『TBD』は、タイコ・スーパー・キックスのライブ会場で販売中とのこと。こちらも合わせてチェックすべし。

ソリッド・ギタリスト・セッション 樺山太地(タイコ・スーパー・キックス)×岡田拓郎(ex, 森は生きている)

■タイコ・スーパー・キックス(Taiko Super Kicks)
東京都内を中心に活動中。
2014年8月、ミニアルバム『霊感』をダウンロード・フィジカル盤ともにリリース。2015年7月、FUJI ROCK FESTIVAL'15「ROOKIE A GO-GO」に出演。
2015年12月、ファーストアルバム『Many Shapes』をリリース。
https://taikosuperkicks.tumblr.com/

■岡田 拓郎
1991年生まれ。東京都福生市で育つ。ギター、ペダルスティール、マンドリン、エレクトロニクスなどを扱うマルチ楽器奏者/作曲家。
コンテンポラリー・フォーク、インプロヴィゼーション、実験音楽、映画音楽など様々な分野で活動。
2012年にバンド「森は生きている」を結成。P-VINE RECORDSより『森は生きている』、自身がミキシングを手がけた『グッド・ナイト』をリリース。両アルバムとも、ジャケット写真も手がける。2015年に解散。個人活動としては、Daniel Kwon、James Blackshawなどのレコーディング、ライブに参加。2015年には菊地健雄監督作品、映画『ディアーディアー 』の音楽を担当。福岡のカセット・レーベルduennのコンピレーション・アルバム『V.A one plus pne』に楽曲提供。 『Jazz The New Chapter』、『ポストロック・ディスク・ガイド』、『レコード・コレクターズ』などにて執筆も行う。
https://www.outlandfolk.com/

interview with Michael Rother - ele-king


Harmonia - Musik Von Harmonia
Brain/Grönland/Pヴァイン

Krautrock

Amazon


Harmonia - Deluxe
Brain/Grönland/Pヴァイン

Krautrock

Amazon

 クラウトロック、あるいはジャーマン・エレクトロニク・ミュージックの最重要人物の一人であるミヒャエル・ローターが、去る7月末に来日公演をおこなった。
ローターは70年代初頭、結成されて間もないクラフトワークにギタリストとして短期間参加した後、同じくクラフトワークでドラムを叩いていたクラウス・ディンガーと共にノイ!を結成。“ハンマー・ビート”と呼ばれる剛直な8ビートを軸にしたパンキーなサウンドはクラウトロックの一つの象徴的モードとして、後のパンク~ニュー・ウェイヴに絶大な影響を与え、更に90年代以降のクラウトロック再発見/再評価のきっかけにもなった。
 ローターはまた、ノイ!での活動と並行してクラスター(ディーター・メビウス&ハンス・ヨアヒム・レデリウス)と共に結成したハルモニアでも活動。ポップでパンクでストレンジでアンビエントなそのエレクトロニク・サウンドは、80年代から今日に至る様々なスタイルのエレクトロニク・ミュージックに影響を与え続けている。ローターの業績に対するリスペクトを公言するミュージシャンも、古くはブライアン・イーノから近年はステレオラブやエイフェックス・ツイン、オウテカに至るまで、枚挙にいとまがない。
 ローターは、ハルモニア解散後はソロ活動に専念し、たくさんのアルバムを発表してきたが、特にここ数年、ノイ!やハルモニア時代のレパートリーを中心にしたライヴ活動が増えているのは、クラウトロックに対する若いリスナーたちの関心と評価がますます高まっている証でもある。今回の日本公演を企画したのがクラウトロックのテイストを受け継ぐ前衛ロック集団オウガ・ユー・アスホールだったことも、実に納得がゆく。ドラムのハンス・ランペ(ex.ノイ!~ラ・デュッセルドルフ)、ギターのフランツ・ベルクマン(ex.カメラ)とのトリオ編成によるそのライヴでは、ノイ!やハルモニアの名曲がふんだんに演奏され、会場につめかけた新旧クラウトロック/エレクトロニク・ミュージック・ファンたちを熱狂させた。
 おりしも『フューチャー・デイズ~クラウトロックとモダン・ドイツの構築』日本版も出たばかりというジャスト・ミートなタイミングでの本インタヴューがおこなわれたのは、東京でのライヴ直前の楽屋。時間が短かったため、ハルモニア結成あたりで話が終わってしまったのは残念だが、ほぼノーカットで、“クラウトロック大使”ミヒャエル・ローターの貴重な肉声をお届けしよう。

当時は音楽だけではなく、芸術や映画、さらに政治や社会制度でも大きな変化が起こっていた。私の成長をそのような変化と切り離すことは不可能だ。私は“変化の暴力”とでも言うべきものに強く影響されたんだよ。

近年、ライヴでノイ!やハルモニアの曲を積極的にやっているようですが、どういう理由からですか?

ミヒャエル・ローター(Michael Rother、以下MR):まずは、それらの曲を演奏することが楽しいというのが第一の理由だ。あと、音楽に対する私の考え方が昔から変わっていないというのもあるね。いや、少しずつ変わってはいるんだげど、それが円を描くように元の場所に戻っていく様子を、違った場所から眺めているとでも言うか……。私の場合、時にはより抽象的な音楽を好むし、メロディやリズムにより強い関心が向かうこともある。近年は、実験を更に重ねる必要性を感じているんだけど、オーディエンスたちは、速くリズミカルなビートを求めているように思える。まあ私も最近はそういったものも好きなんだけどね。

昔の曲を演奏してほしいというリクエストが、プロモーターやファンから直接あるんですか?

MR:ない。それはあくまでも私が決めたことだ。だけど、ノイ!やハルモニアの曲をやると告知すれば、どんな感じのショウになるのかオーディエンスたちにとってイメージしやすいよね。だから昔の曲をやるとあらかじめ発表している部分もある。

ノイ!やハルモニアは90年代以降に再評価のムーヴメントが興ったわけですが、その背景にはソニック・ユースやステレオラブのリスペクト宣言の効果もあったと思いますか?

MR:うーん、それはわからないけど(笑)……確かに、私たちは80年代には一旦忘れ去られた存在であり、90年代にはノイ!について話しているドイツのミュージシャンなんて誰もいなかった。でも、我々の音楽がCDや海賊盤によって世界中を移動した結果、ソニック・ユースやステレオラブといったバンド、あるいは『クラウトロックサンプラー』(95年)を書いたジュリアン・コープなどのミュージシャンがその音楽を聴いてくれた。特にジュリアン・コープの本は、大きな衝撃をもたらしたと思う。理由はわからないんたけど、ずっと、ドイツのジャーナリストは私たちのようなミュージシャンに対する理解がなかったし、誇りにも思ってなかった(笑)。そういう状況の中、「あなたの音楽は素晴らしい」と外部からやってきた人間に言われたわけだ。ノイ!のアルバムが2001年に〈Gronland Records〉から再発されたのは、大きな一歩になった。それら再発アルバムはそれまで以上にたくさん売れたわけで。
当時は、Eメールやウェブ・サイトなど、コミュニケイションにおいても大きな変化が見られた時期で、世界中の人々と直接連絡をとれるようになった。今や私はフェイスブックだってやっているからね。もっとも、更新にはさほど時間をかけているわけじゃないけど。たとえば東京でライヴをすることになったら、その報告をする程度で。自分の朝食にコンプレックスがあるので、それをフェイスブックに載せるなんて、とてもじゃないができない(笑)。

90年代にはステレオラブが盛んにノイ!的なサウンドをやって人気を集めたわけですが、当時、クラウス・ディンガーはそれに対して怒っていましたよね。つまり、「おれたちのサウンドが盗まれた」と思っていた。あなた自身はどう思っていましたか?

MR:友人がステレオラブのライヴに連れて行ってくれたことがあった。私はそれまで彼らを聴いたことがなかったので、演奏が始まると「あれ? これは自分の曲かな?」と思ってしまったんだ(笑)。それはそれで面白いけどね。どんなミュージシャンも情報に晒されているので、そこから影響を受けることもあるし、むしろ影響に身を任せてしまった方がいろいろと楽なこともあるとは思う。
でも、私はそうじゃないんだ。ずっと、周囲とは違うことをやりたかったし、誰かのコピーではなくオリジナルになりたかった。だから私が満足することなんて、これからも決してないと思う。他人から「君のアイディアは20年前に別のミュージシャンがやっていたよ」なんて言われた日には動揺してしまうよね(笑)。もし音楽を作るのが好きなら、その創作活動のアイディアは、「なぜ音楽を作るのか?」というところからくるべきだ。そして心や空間に漂っているメロディやリズムを拾い上げる。そういうことをしないで、誰かのモノマネをするなんてけっしてやってはいけないことだと思っている。
私が音楽を始めたのは激動の時代だったので、新しいものを作ることによって自分自身の音楽的アイデンティティを獲得するのは自然なことだったんだ。当時は音楽だけではなく、芸術や映画、さらに政治や社会制度でも大きな変化が起こっていた。私の成長をそのような変化と切り離すことは不可能だ。私は“変化の暴力”とでも言うべきものに強く影響されたんだよ。
とはいっても、私が作った音楽に誰かが反応してくれるのは率直に嬉しいものだよ。オアシスやレッド・ホット・チリ・ペッパーズのような人気バンドまで関心を持ってくれているわけだしね(笑)。その結果、ある日、ジョン・フルシアンテに会ってセッションをして、ステージにも一緒に立つことになったわけで。共演がどんな感じになるのか最初は見当もつかなかったけどね。私だって、他のミュージシャンからインスパイアされることは大歓迎だ。いつも、新しいものを作るべきだと思っているからね。


photo: 松山晋也

ジミ・ヘンドリクスやビートルズを繰り返すことはまっぴらごめんだったんだ。とにかく違うことがしたいと、いつも意識していた。

最近の若者たちが、ノイ!やハルモニアのようなプリミティヴなロック・サウンドに魅せられるのはなぜだと思いますか?

MR:それは、どうして音楽が好きなのかを尋ねるようなもので、とても難しい質問だな(笑)……でも、ちゃんと答えるなら……その楽曲がある特定の状況に結びついているものだからだと思う。私たちはゼロから物事を始めなければならなかった。音楽に対するラディカルなアプロウチをもってして、アメリカやイギリス的な構造を持つ音楽的過去から脱却する必要があった。つまり……「OK、いったん全部をぶっ壊そう。そして小さなかけらを拾い集めて、新しい方向に向かい、新しい音楽を始めよう」という具合に。ジミ・ヘンドリクスやビートルズを繰り返すことはまっぴらごめんだったんだ。とにかく違うことがしたいと、いつも意識していた。私は昔も今も、他の音楽に対しては敬意を抱いている。でもそれは私の音楽じゃない。私のラディカルさが若い人々に魅力的に映るかもしれないのは、こういった姿勢がいつの時代でも生じうるものではないからじゃないかな。
たまに「これはノイ!やハルモニアにそっくりじゃないか !?」と思う曲に出会うけど、それが先週録音されたものなのか、はたまた15年前の作品なのか知る由はない。なぜならそれは、音楽の発展の時間軸とは切り離されているものであり、私のしてきたこととは違うまったく新しい一歩だからだ。特定の時代の音楽のテイスト、さらにはファッションなどから切り離された独自性があり、新鮮に感じる……そういった曲を作る若者たちが、私の作品を聴いてくれているのは嬉しい限りだね。だいたい、自分と同世代の人間にしか音楽が届かないのは悲しいことだし。

70年代初頭にクラフトワークに加わる前、あなたはいくつかアマチュアのバンドをやっていましたよね。スピリッツ・オブ・サウンドその他。当時は主にどのような音楽をやっていたんですか?

MR:私は65年にバンド活動を始めたんだが、その頃はまだギターを始めて1年くらいしか経ってなかったし、みんながみんなイギリスの音楽に夢中になっていた。ヒーローは言うまでもなくビートルズやストーンズだったから、私たちも進んでコピーをしていた。それを2~3年続けていくうちに、自分たちが何をやっているかがわかるようになり、即興演奏をするようになったんだ。そこから自分たちのアイディアを自由に持ち込むようになり、70年代に入る頃にはかなりの変化を遂げていた。あと、サイケデリック文化の影響などもあったよね。ひとつはっきりしているのは、そこにはいつも壁があったということだ。他人の音楽やポップ・カルチャーから引用してきたアイディアをいくら使っても、その壁の向こう側へは到達できなかった。つまり、そのドアを開けるために、いったん自分たちのやっていることをやめなければならなかったというわけだ。

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私たちは、白紙を前にしてその場でいきなり描き出す画家のようなものだった。

60年代から70年代半ばにかけて、他の国と同じように西ドイツはとても政治的な時代でした。ドイツのロック・シーンにも政治に積極的にコミットしていた人々が多くいましたが、あなた自身の立場はどうでしたか?

MR:当時のミュージシャンたちに比べたら、私は若手だった。特に60年代後半なんか、どこに顔を出してもみんな年上だった。でも、その時点で私は明確な政治的意見を持っており、具体的にはヴィリー・ブラント(註:ドイツ社会民主党党首で、69~74年には西独首相)を支持していた。過去にナチス・ドイツはポーランドに侵攻したりしたわけだが、そういった歴史を乗り越えて、彼は東側の国々との和解を主張していた。ヴィリー・ブラントの前は保守政権だったが、彼らはワシントンしか見ておらず、西側の一部になろうとしていて、当然、東側は敵と見なされていた。そんな政治状況の中、ブラントは東側との協調をはかり、それが1970年の“ワルシャワでの跪き”(註:ワルシャワのユダヤ人ゲットー跡地でブラントが跪いて献花し、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺を公式に謝罪した)につながったわけだ。
私は学校を卒業した67年、当時義務だった兵役を拒否したんだが、その際、精神的な理由で銃を握れないことを証明するために、かなり厳しいテストを受けさせられた。それは、私の発言に矛盾がないかを検査する試験官を前にして、文章を書いていくというものだった。その時、試験官と激しい口論をしたのを憶えているよ。「君の意見にはまったく説得力がないが、もう行ってよろしい」と最後に試験官は言い放った。それで兵役を逃れる代わりに、精神病院で働くことになったんだ。あの体験は、私の人生でとても重要な意味を
持っている。
また、冷戦からの影響も避けては通れない。あの当時は、戦争の悪夢をよく見たものだ。ベルリンは、文字通り分断されていたし、80年代にソ連のゴルバチョフがグラスノスチやペレストロイカを唱えるまで、本当に何が起こるかわからない状況だったから。私はハルモニア時代(70年代半ば)にドイツの片田舎のフォーストに引っ越したんだが、とても綺麗な風景が広がっていたにもかかわらず、上空では戦闘機が飛び交っていた。彼らはレーダーに映るのを避けるために、家の屋根すれすれのところを低空飛行していて、その騒音は想像を絶するものだった。ほぼ毎日だよ。それを耳にした子供たちは泣き叫び、動物たちは暴れまわり……。街には戦車が列をなしていたし。いつでも臨戦態勢なんだ。そんな時代が終わった時、本当に嬉しかった。とにかくいつも、保守政党やその政策とは対極的
なところに私の考えは位置していたんだ。

その精神病院での雑務時代に、カンやアモン・デュールが登場してきました。当時、彼らの音楽をどのように感じていましたか?

MR:当時、私のガールフレンドはカンを知っていたんだが、私は知らなかった(笑)。その後、クラフトワーク時代にカンとは何回か一緒にコンサートをやったけどね。ヤキ・リーベツァイトは素晴らしいドラマーだと思う。彼のリズムの流れが本当に大好きなんだ。他には……(笑)いずれにせよ、バンドそのものもポジティヴに捉えていたよ。ただ当時は斜に構えがちで、自分たちはカンとは違うと思っていたけどね。

クラフトワークのラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダーに初めて会った時の印象はどうでしたか?

MR:クラフトワークについても、それまでは全く知らなかったんだ。知り合いのギタリストが、クラフトワークで演奏してくれと彼らに頼まれ、私も一緒に付いて行くことになった。「どんなバンドか知らないし、変な曲だなぁ。おまけに名前は“発電所”か(笑)。まぁ、行ってみよう」くらいの軽い気持ちだった。それがきっかけで、ラルフ・ヒュッターとジャムをしながら曲を作るようになったんだ。それまで私は、あまり他のミュージシャンには共感を覚えなかったんだが、彼らは違った。自分は一人じゃないんだな、と思えた。クラウス・ディンガーはフローリアン・シュナイダーの音楽を聴いていて理解があったので、バンドに誘われたという流れだった。

ノイ!時代、そのクラウス・ディンガーとあなたの間には常に衝突があったとファンの間では言われてきました。ですが、最近日本版も出た『フューチャー・デイズ』の中で、あなたは、クラウスとは音楽的ヴィジョンが完全に一致していて、いつも同じ方向を向いていたと語っています。その共通していたものを言葉で説明することはできますか?

MR:それはとても直感的なものだ。私たちは音楽について議論することも計画を立てることもなかった。やりたいことがあったら、すぐに試していた。結果的に、お互いのやり方が好きだったし、周りにもそれが認められるようになった。そして完成したのがノイ!のファースト・アルバムだ。たとえるならば、私たちは、白紙を前にしてその場でいきなり描き出す画家のようなものだった。現代のミュージシャンたちはテクノロジーの発達もあり、簡単に準備ができまるけど、私たちは準備なんてしたことがなかった。事前に決めることといえば、「今からEメジャー・スケールの長い道を走るぞ」くらいだった(笑)。それで経過を見ながら色を足していくわけさ。作業を進めながら、今何が起こっているのか、これからどうすればいいのかがわかってくる。つまり、常に作業中の状態だった。だからこそ、コニー・プランクがノイ!のチームに加わったのは大きかった。彼には、作品に適した瞬間を捕まえる能力が備わっていたし、説明せずとも私たちがやろうとしていることを感じて理解してくれたからね。彼はどんな実験にも前向きで、私たちと同じくらいクレイジーで、クラスターやクラフトワークとの仕事も喜んでやっていた。彼がいなかったら、ノイ!の作品はありえなかったと思う。

今振り返ってみて、とりわけ際立っていたクラウス・ディンガーの才能は何だったと思いますか?

MR:私は、彼のパワフルなドラミングには強く感化された。クラウスはヤキ・リーベツァイトのように神がかった技術の持ち主ではなかったけど、彼の力強さには誰もが圧倒されていたよ。彼はマシーンのような存在で、ひとたび彼が音楽の中に投入されると、他のすべてが動き出すんだ。けれど、クラウスの先導力と決断力は、後に問題になることもあった。彼はけっして自分の見解や意図を説明しようとはしなかったからね。「なんで俺のやっていることをそのまま理解しようとしないんだ?」という具合だ。それに、私はクラウスの間違いを指摘することもできなかった。クラウスが亡くなった今、私は、彼の気難しさや意地悪なところではなく、その創造性に改めて注目するようになった。性格的には、私と彼は対極だ。クラウスは要求が強いし、あまり人を信用しなかった。そういったものが先天性なのか、両親との関係によるものなのかはわからないが、最終的には彼自身の才能の開花や私とのコンビネイションにも繋がっていった。かくして彼は、多くの人々にインスピレイションを与えるミュージシャンになったわけだ。


photo: 松山晋也

お互い影響されないことは不可能だよね。私たち3人はハルモニアの音楽を発展させることを大いに楽しんでいた。

あなたは73年の後半からクラスターの二人と一緒に本格的に演奏し始め、それはやがてハルモニアになったわけですが、彼らに初めて出会ったのはいつですか?

MR:あれは、私がクラフトワークと演奏していた71年だったね。二人がコニー・プランクと作業をしている時に知り合ったんだ。彼らの音楽を初めて聴いた時、私は希望を感じた。彼らと一緒だったら、(当時準備していた)ノイ!の曲をライヴでも演奏できるかもしれないなと思ったんだ。私とクラウスはデュオだったので、スタジオ・ワークの再現がうまくできず、サポート・メンバーを探していたんだ。それで私はギターを持って彼らの元へ行った。結果、ハルモニアは素晴らしいものになった(笑)。

あなたにとって彼らのサウンド、表現は、どういう点が特に魅力的だったんですか?

MR:まず耳を奪われたのは、『Cluster II』(72年)に入っている「Im Suden」という曲のメロディだった。(ハンス=ヨアヒム・)レデリウスによる、ギターの弦4本が奏でるリピート・フレーズの音程が素晴らしかったんだよ(笑)。それで彼らとはうまく作業ができると確信した。当時はまだギターでブルーズを弾くのが大多数であり、そういう類の音階を耳にする度に私は曲への関心を失っていた。今だってそうさ。1音でもそういうフレーズが鳴れば、「わかった、もうけっこうです」となってしまう(笑)。

レデリウスとディーター・メビウスも、かなり個性の異なるコンビですが、当時のあなたが受けた二人のキャラクターの印象はどのようなものでしたか?

MR:メビウスは前に出てくることはなく、後ろから状況を見極めるタイプだ。彼はまた、奇妙な音を追求していて、驚かせることのスペシャリストだった。レデリウスはもっとオープンで、一緒にメロディを書けるミュージシャンを探していた。レデリウスがキーボー
ドなどでメロディを反復させて、私がギターを重ね、メビウスが変な音を加える、といった形が多かったかな。
ただ、彼らのキャラクターを一言で説明するのは、とても危険だね。メビウスに関して言えば、彼と私はとても似ていると思う。亡くなる数週間前、彼は私の住むフォーストにやってきたこともあった。当時、私はハルモニアのボックス・セットの作業を進めており、メンバーの意向を確かめるためにメビウスの奥さんとレデリウスにアイディアをいろいろ送っていた。メビウスは(病気のため)ガリガリだったが、心は元気で、ユーモアも健在だった。だから彼の人柄を一言で言い表すなら、「ユーモア」を選ぶ。もちろん、私たちには違いもたくさんある。私は働くけど、彼は働きたかったことなんて一度もないはずだ(笑)。98年に、20年ぶりにメビウスからライヴに誘われた。スタジオに入り、最初の5分で機材をチェックし終えると、「じゃあ料理を始めるぞ」と彼は言った。つまり、彼は音楽で働くなんてことをしたがらなかったということだ。メビウスの才能は自発的な即興に特化していた。これははっきりしていることだが、私たちの音楽の作り方は兄弟関係のようなものだったんだ。

クラスターの二人とあなたが、互いに与えあった影響はどんなものだと思いますか?

MR:お互い影響されないことは不可能だよね。私たち3人はハルモニアの音楽を発展させることを大いに楽しんでいた。調子が良い時は、コンサートやスタジオで自発的に様々なアイディアが生まれた。あの一瞬一瞬は、3人揃って初めて生まれるものだった。ノイ!のようにスタジオのテクノロジーに依拠したものではない。3人の具体的な相互影響について語るのは、単純化してしまうかもしれないので避けたいが……ただ、私がリズムを彼らに与え、彼らはもっと抽象的な音楽へのアプロウチ方法を私に示してくれたとは言えるだろうね。

あなたは幼少期に数年間パキスタンで暮らしていましたよね。その体験は、あなたの音楽性にも深く影響しているように僕は感じているんですが、どうですか?

MR:その結びつきを明確にすることは難しいが……当時聴いた音楽はとても印象的だったね。単調だが魔術的で、どこで始まってどこで終わるのかがわからないエンドレスな音楽だった。路上で演奏していたバンドのことを今でもよく憶えている。けっしてヘビ使いの笛のようなものではなく(笑)、とても反復の多い音楽だったから、ノイ!の「Hallogallo」のような曲と直接的ではないけど、つながりがなくはないだろうね。私は今でもインドやパキスタンの音楽は好きだ。

あなたは猫も好きですよね。『Katzenmusik』(79年)というソロ・アルバムもあるし。猫のどういうところが好きですか?

MR:猫はミステリアスでインディペンデント、そして美しい。あと、猫は自分が友達になると決めた相手としか友達にならない。無理やり友達にならせることは不可能なんだよね。飼い主を尊敬してくれる犬とはまったく違う。そういう点に惹かれるんだ。

自分の音楽と猫に共通点があると思いますか?

MR:見当もつかないな(笑)。ただ、さっき君が言った『Katzenmusik』、あれはもちろん猫への愛から生まれた作品だ。少なくとも、猫はたくさんのインスピレイションを私に与えてくれる存在ではある。隣にいるとリラックスもできるしね。

vol.85:変わりゆくNY、新たな胎動 - ele-king

 9月に入り少し涼しくなってきたNY。毎日変わり続ける、この地域のアップデートを少し。

 Palisades、Aviv、Blackbearなどの比較的新しかった音楽会場が2年弱でクローズし、新たにthe Glove、Sunnyvale、Footlight Barといった会場がオープン。シーンの中心はブッシュウィックやリッジウッドにどんどん移っている。ウィリアムスバーグにはアップルストアやホールフーズが出店し、あたりはハイエンドなレストランばかりで、アーティストたちはもはや立ち寄りもしなくなっている。
 今回は、家賃の高騰が原因で10月にクローズするグリーンポイントのAvivに、〈サマーズ・エンド・ミュージック・フェスティヴァル〉を見に行ってきた。

 9/2から9/4にわたって開催されたこのフェスには、ホンジュラス(Tidal)、ゲリラ・トス(DFA)、トール・ホワン、サーフロック・イズ・デッド(でもやっている音楽はドリームポップ)、ピル(Mexican Summer)、アナ・ワイズ(ケンドリック・ラマーのコラボレーター)、マル・バルム&ザ・バルムス(Don Giovanni)などが出演。夏の終わりのフェスではあるものの、どのバンドもエネルギーがみなぎっており、スピーカーは倒れるわ、押し潰されるわ、男率は高いわで、フロアが揺れる揺れる!


Audience

 私のおすすめは、ゲリラ・トスとホンジュラス。ゲリラ・トスは何度か見ているが、見るたびにどんどん良くなっている。パーフェクト・プッシーとグライムスがオーケストラをバックにラップして、ジャジー感までとり入れたような、とにかくいままでにない新しい音楽が目の前で紡ぎ出され、フロアも大変な盛り上がり。ディスコ、パンク、ノイズ、アートロックなど、どれも当てはまるようで当てはまらない。そんなかれらはすでに4枚のアルバムを出している。

Guerilla Toss merch

 ヘッドライナーのホンジュラスは、グリーン・デイのようなメジャー・コードと、ストロークスやブラーのようなヴィジュアルおよびインテリさを持ち合わせた、いまどきのブルックリンで大人気のパンク・ロック・ガレージ・バンドだ。バンド名を見て、「ん、中央アメリカのちょー治安悪い国だよね?」などと思うなかれ。メンバーは誰もホンジュラスに行ったことはない。ギターのタイソンとシンガーのパット(首のタトゥーがポイント)は、ミッソーニ州の小学校時代からの友達で、メンバーはもう10年以上ブルックリンに住んでいる。
 かれらが鳴らすのは、70年代後半のブリティッシュ・ロックとパンクの匂いを漂わせつつも、リチャード・ヘルなどアメリカのシンガー・ソングライターの要素まで盛り込んだガレージ・ロック。後ろのスクリーンにはHマークがぼんやり映し出され、友達やファンからヤジが飛ばされている。少しアット・ザ・ドライヴインを思い起こさせる。激しそうに見えて、決して極端には走らないさじ加減がいまっぽい。ルックスも良し。セックス・ピストルズの現代版?

 ホンジュラスは最近、Tidalのドキュメンタリー『Road to Made in America』シリーズに出演したり、9/4にフィラデルフィアでおこなわれたTidalのジェイ・Z主催の〈メイド・イン・アメリカ・フェスティヴァル〉に、リアーナ、コールドプレイ、グライムス、カー・シート・ヘッドレスト、ファット・ホワイト・ファミリーなどと出演したりしている。期待のブルックリン・バンドである。


Audience

ビデオをチェック→
https://www.brooklynvegan.com/honduras-prep-for-market-hotel-show-in-road-to-made-in-america-video-watch/

https://www.brooklynvegan.com/made-in-america-2016-rihanna-chance-the-rapper-grimes-aap-ferg-jamie-xx-touche-amore-more/

Yoko Sawai
9/4/2016

NHK yx Koyxen - ele-king

 もうそろそろ20年になろうかというコーヘイ・マツナガの歩みを眺めていると、「浪費」や「放蕩」といった単語が思い浮かんでくる。1998年に〈Mille Plateaux〉からデビューを果たした彼は、これまでに Koyxeи や NHK bs、NHKyx や NHK'Koyxeи といった名義を使い分け、メルツバウやセンセーショナル(元ジャングル・ブラザーズ)、ショーン・ブース(オウテカ)やハイ・プリースト(アンチポップ・コンソーティアム)、あるいは SND といった多様な個性たちとコラボレイションをおこない、〈Tigerbeat6〉や〈Raster-Noton〉、〈Skam〉や〈Pan〉といったエレクトロニック・ミュージックの名門レーベルからリリースを重ねてきた。ややこしい名義を使い分け、様々なレーベルを未練なく渡り歩いていくその姿は、リリースを重ねるごとに意識的に何かを捨て去っていこうとしているかのようにも見える。その「使い捨て」感は曲名にも表れていて、彼のアルバムには "587" や "367"、"629" といったよくわからない数字が並んでいる。

 多作な彼による膨大な作品群は、大きくエクスペリメンタルなものとフロア・オリエンテッドなものに分別することができる。昨年の12インチ「Hallucinogenic Doom Steppy Verbs」に続いて〈Diagonal〉からリリースされた本作『Doom Steppy Reverb』は、後者に属するものだ。
このアルバムの内容は、一言で言ってしまえば「ダンサブルなテクノ」ということになるのだけれど、本作にはどこか徹底して覚めた態度、あるいは極端に冷え切った何かがある。極めて身体的・機能的でありながらも、EDMのような下品さとは決して相容れない享楽性。インテリジェントな香りもそこはかとなく漂ってはいるが、それもとっつきにくい類の高尚さとは無縁である。ここにはただ淡々とした、だが強靭なテクノ・トラックが並んでいる。

 かつてブリアルが登場してきたとき、なんて冷たいダンス・チューンを鳴らすのだろうと思ったものだが、本作を聴き終えた後に襲ってくる戦慄にも似た不思議な余韻は、初めてブリアルの音楽に触れたときの感覚に近い。実際、"1073+Snare" や "1038 Lo Oct Short"、"Y" や "1048" といったトラックには、ダブステップ以降のリズム感覚・音響感覚が具わっている。
 だが、ブリアルの音楽には荒廃したロンドンの情景が強く刻み込まれていた。NHK yx Koyxen 名義のこのアルバムには、そういった情景を連想させる要素が一切ない。あるいは仮にそういった要素が含まれているのだとしても、それは決して具体的な都市や人間の断片などではなく、世界のどこかの、もしかしたら存在するかどうかさえわからない、ある閉じられたフロアの抽象的な情景だ。
 ただ踊り、ただ飲み、ただ吸い、ただ遊び尽くす。これは「いま」という時間を意図的に使い捨てていくための音楽である。たとえば "1082 S" の残響音が鳴らしているのは、そのような空虚な「いま」の痕跡なのではないだろうか。このアルバムを聴いていると「蕩尽」という言葉すら使いたくなってくる。

 フロアで床を見つめながら、あるいは天井を見上げながら、何も考えずに踊り続ける。そこに大きな意味などはなく、ただ過ぎ去っていく現在だけがある。その享楽を彼はベルリンのシーンのなかで見つけてきたのだろうか? 一体、この音楽の先には何があるのだろう?
たぶん、何もない。低俗でもなければ高尚でもない、どこまでもストレートなこの踊るためのテクノ・アルバムは、ただ「いま」という時間を消費し、虚無を見つめる。

SOUL definitive 1956 - 2016 - ele-king

ブラック・カルチャーが燃え上がるいまだからこそ読みたい、
60年分のソウル/ファンク/R&Bのディスク・ガイド決定版!

サム・クックからビヨンセ、ジェイムズ・ブラウンからディアンジェロまで。
時代に応じてスタイルを変化させながら、これほど社会と密接した関係にあり、
そしてこれほど世界を魅了してきた大衆音楽はほかにない。

“definitive”シリーズ最新刊は、60年にもおよぶソウル/ファンク/R&B年代記。
黎明期から2016年の現在までを網羅した本書は、ソウルがどのように始まり、
どのように変化しながら現在に至っているかという流れをあぶり出す。
ブラック・カルチャーが燃え上がるいまだからこそ読みたい1冊。

監修・著者は、30年以上もブラック・ミュージックについて書き続けている、
ベテラン音楽ライターの河地依子。まさに「決定版」です!

初版のみ 電子版へのアクセスキー付き


第1章:1950年代~ ソウルの黎明期
p7 Sam Cook / p8 James Brown & The Famous Flames / p9 Ray Charles / p10 歌姫たち / p11 ドゥーワップの系譜 / p13 ニューオリンズ / p14 その他の先達

第2章:1960~ ソウルの躍進
p16 The MIracles / p17 デトロイト~Motown / p19 Stevie Wonder / p20 Marvin Gaye / p21 Supremes / p22 The Temptations / p23 For Tops / p26 The Jackson 5 / p27 Invicuts / p31 Chaimen Of The Board / p32 メンフィス~Stax / p33 Otis Redding / p37 その他の南部 / p38 Atlantic / p42 Wilson Pichett / p43 Aretha Franklin / p44 シカゴ~Chess / p46 Okeh / p47 その他 / p49 Ike & Tina Turner

第3章:1964~初期のファンク
p52 James Brown / p54 Sly & The Family Stone

第4章:1969~ファンクに火が点いた
p56 Sly & The Family Stone / p57 James Brown / The JB's / p58 P- Funk / p63 Ohio Playersおよび関連作 / p65 オハイオその他 / p67 The Isley Brothers / p68 Earth, Wind & Fireおよび関連作 / p71 東海岸(NY/NJ) / P73 西海岸 / p76 デトロイト / p78 Isaac Hayes / p79 The Bar-Kays / p80 The Meters / p81 Allen Toussaint および関連作 / p82 その他の地域 /

第5章:1971 ~ニュー・ソウル
p84 Marvin Gaye / p85 Curtis Mayfield / p87 Donny Hatherway / p88 Stevie Wonder / p92 番外編:「言葉」のアルバム

第6章:1972~ソウル百花繚乱
p94 Al Green / p95 メンフィス~Hi / p98 メンフィス~Stax / p101 Bobby Womack / p102 その他 / p104 Philadelphia International / p105 フィラデルフィア / p110 The Stylistics / p111 その他 / p112 Buddah / p113 ニューヨーク / p116 Brunswick/Dakar / p117 Barry White / p118 西海岸 / p121 西海岸~Motown / p124 デトロイト / p126 Prince / p127 その他

第7章:1979~ エレクトロ時代の洗練
p129 Michael Jackson / p130 Chicおよび関連作 / p132 Rick Jamesおよび関連作 / p134 Jazz→→→Funk / p135 ニューヨークその他 / p137 Zappおよび関連作 / p139 オハイオその他 / p140 Princeおよび関連作 / p142 Reggie Griffinおよび関連作 / p143 ミシガン / p145 Solar / p148 西海岸その他 / p150 その他の地域 / p152 Go-Go / p154 ニューオリンズ / p155 シンガーたち:旧世代 / p162 Luther Vandrossおよび関連作 / p163 シンガーたち:新世代 / p167 シンガーたち:英国 /

第8章:1988~ ニュー・ジャック・スウィング→ヒップホップ・ソウル→ビート革命
p171 Guy / p172 Teddy Rileyおよび関連作 / p174 Uptown / p174 Jam & Lewisプロデュース作、Perspective作品 / p178 LA & Babyfaceプロデュース作、Laface作品 / p181 New Editionおよび関連作 / p183 Foster & MacEloryプロデュース作 / p185 LeVertおよび関連作 / p186 Motown / p189 Def Jam/OBR / p191 Keith Sweatおよび関連作 / p192 R. Kellyおよび関連作 / p193 Dallas Austin関連作 / p194 セルフ・プロデュースの人々 / p196 Timbalandおよび関連作 / p199 その他 / p207 我が道を行く人々 / p209 英国バンド / p211 シンガーたち:英国

第9章:1995~ ネオ・ソウルとR&B(1)
p213 D'Angelo / p214 ネオ・ソウル / p219 R&B / P220 Destiny's Child / p223 ゴスペル /

第10章:2000~ネオ・フィリー
p226 Jill Scott / p227 ネオ・フィリー

第11章:2001~ネオ・ソウルとR&B(2)
p233 Alicia Keys / p234 R&B / p242 ネオ・ソウル / p244 Anthony Hamilton / p252 番外編:Bruno Marsおよび関連作 / p253 レトロ・ソウル / p257 全方位型 / p260 ゴスペル / p261 英国 /

第12章:2005~ エレクトロ~アンビエント~ドリーム
p264 Riahnna / p265 ダンス、ポップ / p267 アンビエント、ドリーム /

第13章:~2016 新世代プロテスト
p272 Beyonce / p273 新世代プロテスト


コラム
p35
「全盛期のレヴューのライヴ盤」
p90
「ブラックスプロイテーションのサントラ」
p100
「社会的な目的の慈善ライヴ」
p169
「反アパルトヘイト・アーティスト連合」
p224
コラム「ファンクの復活」
p230
「銀幕の中のアーティストたち」
p231
「ザ・ルーツの暗躍」
p258
「トリビュート盤」
p262
「相次ぐヴェテランの復活劇」

p274
索引

SOUL definitive 1956 - 2016 - ele-king

21番目の「笑っていた」で泣いてしまった。「あなたがアメリカの黒人だったら殺されるかもしれない23の状況(23 Ways You Could Be Killed If You Are Black in America)」という動画のことだ。合衆国で無抵抗の黒人が警官に殺害され続けていることに抗議するため、ビヨンセやリアーナ、アリシア・キーズといった錚々たる顔ぶれが集結し、それまでに殺害された23人が殺される直前に何をしていたかを淡々と語っていく動画である。21番目に登場する被害者は、単に「笑っていた」というだけで殺されてしまった。もう本当にどうしようもないくらい悲惨だ。
2016年はビヨンセの年である。黒人であることと女性であること、政治の問題と恋愛の問題を同時に気高く歌い上げる彼女の姿は、昨年のケンドリック・ラマーと同様、ポピュラー・ミュージックの歴史に深く刻み込まれることになるだろう。何がすごいって、元デスティニーズ・チャイルドだよ。90年代に誰がこんな姿の彼女を想像できただろうか。
だが落ち着いて考えてみると、いまの彼女の力強い姿は当然の帰結なのかもしれない。なぜなら彼女の背後では、われわれが想像するよりもはるかに大きな川がこれまで一度も途切れることなく脈々と流れ続けていたのだから。かつてアミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)はその川を「変わっていく同じもの(the Changing Same)」と名付けた。
ブラック・ミュージックは刹那的で、うつろいやすいと言われる。そのときそのときで新しいスタイルが生み出され、聴衆はそれを次々と消費しては捨てていく。こう書くとただむなしいだけのように感じられるかもしれないが、それはつまり、ブラック・ミュージックが各々の時代の社会情勢と相互に作用し合っているということでもある。公民権運動があった。ヴェトナム戦争があった。LA暴動があった。イラク戦争があった。それらはみな一本の大きな本流へと注ぎ、2016年という河口まで流れ込んでいる。直接的なメッセージが歌われているかどうかだけが重要なのではない。楽器が、リズムが、音色が、歌声そのものが、20世紀後半の合衆国の歩みに呼応しているのだ。
サム・クックがいた。ジェイムズ・ブラウンがいた。ディアンジェロがいる。ビヨンセがいる。『ディフィニティヴ』シリーズ最新作は、「ソウル」である。

SOUL definitive 1956-2016
河地依子



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第1章:1950年代~ ソウルの黎明期
p7 Sam Cook / p8 James Brown & The Famous Flames / p9 Ray Charles / p10 歌姫たち / p11 ドゥーワップの系譜 / p13 ニューオリンズ / p14 その他の先達

第2章:1960~ ソウルの躍進
p16 The MIracles / p17 デトロイト~Motown / p19 Stevie Wonder / p20 Marvin Gaye / p21 Supremes / p22 The Temptations / p23 For Tops / p26 The Jackson 5 / p27 Invicuts / p31 Chaimen Of The Board / p32 メンフィス~Stax / p33 Otis Redding / p37 その他の南部 / p38 Atlantic / p42 Wilson Pichett / p43 Aretha Franklin / p44 シカゴ~Chess / p46 Okeh / p47 その他 / p49 Ike & Tina Turner

第3章:1964~初期のファンク
p52 James Brown / p54 Sly & The Family Stone

第4章:1969~ファンクに火が点いた
p56 Sly & The Family Stone / p57 James Brown / The JB's / p58 P- Funk / p63 Ohio Playersおよび関連作 / p65 オハイオその他 / p67 The Isley Brothers / p68 Earth, Wind & Fireおよび関連作 / p71 東海岸(NY/NJ) / P73 西海岸 / p76 デトロイト / p78 Isaac Hayes / p79 The Bar-Kays / p80 The Meters / p81 Allen Toussaint および関連作 / p82 その他の地域 /

第5章:1971 ~ニュー・ソウル
p84 Marvin Gaye / p85 Curtis Mayfield / p87 Donny Hatherway / p88 Stevie Wonder / p92 番外編:「言葉」のアルバム

第6章:1972~ソウル百花繚乱
p94 Al Green / p95 メンフィス~Hi / p98 メンフィス~Stax / p101 Bobby Womack / p102 その他 / p104 Philadelphia International / p105 フィラデルフィア / p110 The Stylistics / p111 その他 / p112 Buddah / p113 ニューヨーク / p116 Brunswick/Dakar / p117 Barry White / p118 西海岸 / p121 西海岸~Motown / p124 デトロイト / p126 Prince / p127 その他

第7章:1979~ エレクトロ時代の洗練
p129 Michael Jackson / p130 Chicおよび関連作 / p132 Rick Jamesおよび関連作 / p134 Jazz→→→Funk / p135 ニューヨークその他 / p137 Zappおよび関連作 / p139 オハイオその他 / p140 Princeおよび関連作 / p142 Reggie Griffinおよび関連作 / p143 ミシガン / p145 Solar / p148 西海岸その他 / p150 その他の地域 / p152 Go-Go / p154 ニューオリンズ / p155 シンガーたち:旧世代 / p162 Luther Vandrossおよび関連作 / p163 シンガーたち:新世代 / p167 シンガーたち:英国 /

第8章:1988~ ニュー・ジャック・スウィング→ヒップホップ・ソウル→ビート革命
p171 Guy / p172 Teddy Rileyおよび関連作 / p174 Uptown / p174 Jam & Lewisプロデュース作、Perspective作品 / p178 LA & Babyfaceプロデュース作、Laface作品 / p181 New Editionおよび関連作 / p183 Foster & MacEloryプロデュース作 / p185 LeVertおよび関連作 / p186 Motown / p189 Def Jam/OBR / p191 Keith Sweatおよび関連作 / p192 R. Kellyおよび関連作 / p193 Dallas Austin関連作 / p194 セルフ・プロデュースの人々 / p196 Timbalandおよび関連作 / p199 その他 / p207 我が道を行く人々 / p209 英国バンド / p211 シンガーたち:英国

第9章:1995~ ネオ・ソウルとR&B(1)
p213 D'Angelo / p214 ネオ・ソウル / p219 R&B / P220 Destiny's Child / p223 ゴスペル /

第10章:2000~ネオ・フィリー
p226 Jill Scott / p227 ネオ・フィリー

第11章:2001~ネオ・ソウルとR&B(2)
p233 Alicia Keys / p234 R&B / p242 ネオ・ソウル / p244 Anthony Hamilton / p252 番外編:Bruno Marsおよび関連作 / p253 レトロ・ソウル / p257 全方位型 / p260 ゴスペル / p261 英国 /

第12章:2005~ エレクトロ~アンビエント~ドリーム
p264 Riahnna / p265 ダンス、ポップ / p267 アンビエント、ドリーム /

第13章:~2016 新世代プロテスト
p272 Beyonce / p273 新世代プロテスト


コラム
p35 「全盛期のレヴューのライヴ盤」
p90 「ブラックスプロイテーションのサントラ」
p100 「社会的な目的の慈善ライヴ」
p169 「反アパルトヘイト・アーティスト連合」
p224 コラム「ファンクの復活」
p230 「銀幕の中のアーティストたち」
p231 「ザ・ルーツの暗躍」
p258 「トリビュート盤」
p262 「相次ぐヴェテランの復活劇」

p274 索引

WIRED CLASH - ele-king

 来る9月3日(土)、日本随一の大型テクノ・パーティ『WIRED CLASH』が今年もageHaで開催される。
いまノりにノっている石野卓球が盟友ウエストバムと共演する──これは見逃すわけにはいかないだろう。ベルリンのテクノ・シーンの礎を築いたこの男、実は相当ラディカルなDJである。11月半ばに刊行予定のウエストバムの自伝『夜の力』(大方の予想を裏切るとんでもない内容です)によると、ベルリンの壁で暴動が起こったとき、彼はその傍らでシカゴ・ハウスをスピンしたのだという。そんなアツい男がこの日本随一のパーティでどんなプレイを見せるのか──それだけでも十分「買い」な『WIRED CLASH』だが、日本からはケン・イシイ、大沢伸一、スギウラムといった大御所が出演するなど、素晴らしいアーティストたちが目白押しである。
 また、同パーティではおなじみの VENUS LASERとLIGHTING MIURAによるライティング&レーザーや、REALROCKDESIGN、HEART BOMB、VJ MANAMIら映像チームによる演出にも注目だ(各アーティストの出演エリアやタイムテーブルは後日発表予定)。
なお、現在『クラベリア』にて発売中の前売チケットは、9月2日の『STERNE』および9月3日の『WIRED CLASH』というふたつのパーティへ入場可能な、とってもお得な共通券となっている。この機会を逃すな!

WIRED CLASH
2016.09.03.Sat. at ageHa
23:00 Open/Start Door 5,000yen/ageHa MEMBER 4,000yen

■LINE UP
TAKKYU ISHINO [Tokyo/JP]
WESTBAM [Berlin/GER]
DER DRITTE RAUM [Berlin/GER]
POPOF [Paris/FRA]
FRANK LORBER [Frankfurt/GER]
DJ COOKIE [Taipei/TW]
DOZEGUISE [ASYLUM/Hawaii/US]
ERIC HSUEH [6AM/Guam/US]
KEN ISHII [Tokyo/JP]
SHINICHI OSAWA [Tokyo/KP]
SUGIURUMN [BWR/Tokyo/JP]
DJ SODEYAMA [Tokyo/JP]
A.MOCHI [Tokyo/JP]
OSAMU M [Tokyo/JP]
DJ PI-GE & KIKIORIX [TRESVIBES/Tokyo/JP]
SEKITOVA [Osaka/JP]
SUNSEAKER [Tokyo/JP]
NAO NOMURA [BWR/Osaka/JP]
SAKIKO OSAWA [Tokyo/JP]
KiTE [SUNNY/Tokyo/JP]
QUE SAKAMOTO [Tokyo/JP]

■VJ
REALROCK DESIGN
HEART BOMB
VJ MANAMI

■LIGHTING
MIURA

■LASER
VENUS LASER

■HOSTED BY
YASUHIRO ARAKI & MANABU HOSAKA


料金:
当日:5,000円 ageHa MEMBER 4,000円
第1弾 : 4000円 8/5(金)~8/9(火) ※受付終了
第2弾 : 4250円 8/10(木)~8/15(月) ※受付終了
第3弾 : 4500円 8/16(火)~8/21(日) ※受付終了
第4弾 : 5000円 8/22(月)~9/2(金)
※前売チケットは『STERNE』、『WIRED CLASH』共通券として両パーティーでご使用いただけます。

■前売チケット販売サイト
クラベリア→https://www.clubberia.com/ja/events/255980-WIRED-CLASH/

・『STERNE』の詳細は下記ウェブサイトからご確認いただけます。
https://www.womb.co.jp/event/2016/09/02/sterne-12/


コザの表と裏側 with 宮島真一 - ele-king

 7月10日の参院選投票日を前に、私はイハ陣営からもアイコ陣営からもプチ逃亡を決め込んだ。都合よくコザでロックフェスがある。トリまで観たら夜9時だし、投票は無理だった、というテイで。が、常日頃もっと世の中を勉強しろと私にガミガミ言われているオタクのノンポリダンナが嬉々として、「高速入る手前で期日前投票が出来る」とほざいてきた。
 コザ弾丸ツアー。那覇の自宅を出発し、期日前投票所に寄り、“いない”の3文字を、書き殴った。

*  *  *

 コザは、かつて沖縄本島中部にあった日本で唯一のカタカナ表記の市で、今は統合され沖縄市となっている
 初めて沖縄を訪れた8年前、美しい海を堪能した後真っ先に訪れた街だ。10年間のロンドン滞在を切り上げようやく戻れた東京で日本のロックシーンを軽く嘆いていた私にとって、ORANGE RANGEやモンゴル800等異彩を放ちながら次々に出てきたバンドがコザの出身だったりコザで活躍していたからだ。
 そこは広大なシャッター商店街であって、なにかしないとならないという空気は漂っていたものの、平日の昼間は退廃感しかなかった。

 まだ1歳だった小さな娘は、沖縄の海に投げ入れられ、母親がゲラゲラ笑っているものだからそのまま魚のように泳ぐようになり、
 ガジュマルの木の下では延々と、大人には見えないなにかと語り合っていた。翌年また訪れ、次は半年後、3ヶ月後と、すっかり沖縄病。こんなところで暮らせたら夢のようだと思ったけど、夢は夢のままがいいはずと、沖縄戦やいまだ続いている基地問題を知れば知るほど、住む場所ではなく訪れる場所だと、沖縄とはそういうところだった。しかし、311によって、それは現実となる。簡単に言えば放射能避難移住だが、決行するまで1年半、その間は血を吐くような葛藤があり、子どもなんて生まなきゃ良かったとさえ思った。仕事への執着が強く東京を離れる気は一切なかったからだ。

 放射能汚染に関しては情報収集の努力はするものの、それらの正誤について判断出来ると思っていない。ただ我が家は、居住拠点の位置を変える条件が揃ったから、東京を離れただけのことだ。脚本家としての仕事は、311以降テレビドラマを観なくなったことに気付いてからは、多少吹っ切れた。と思い込むようにして。
 沖縄の海にしばし癒されようと、ロング・ヴァケーションが始まるのだと。

 ある程度は覚悟していたことだが、沖縄移住は易しいものではない。毎年多くが沖縄に引っ越し、8~9割が1年未満で引き上げるという。主な理由として賃金の安さが上げられるが、それだけではない。私たちはまず見た目、そして名字で、「ヤマト」もしくは「ナイチャー」として区別(差別)される。「いちゃりばちょーでー(会えば皆兄弟)」とうちなんちゅ(定義は人それぞれだが、ざっと、琉球民族の血筋ということだと思う)にもてなされ、その優しさに感激していた客人だったときとは変わって、気を使うことも求められる。70年前の沖縄戦終盤、日本兵によって自害を促された辛い過去は今も深く人々の心に刻まれている。
 沖縄問題のひとつに、基地云々の抗議活動にナイチャーが躍起に成り過ぎる、というのがある。先日辺野古でのもめ事の際に、海上保安官が抗議市民に「腐れナイチャーや」と言い放ち、問題になった。他所から来てガタガタウルサいのはナイチャーばっかりだと真剣に言ううちなんちゅも少なくない。まあ、移住者は大抵沖縄の自然が好きなわけで、離島に橋をかけるなとかコンビニ作るなとか思うんだけど、うちなんちゅからしたら開発の何が悪い? と。そんなこんなはあるが辺野古での新基地反対についてはうちなんちゅも多くが反対している。ここで沖縄県民として、ナイチャーも含めて仲良く抗議活動が出来るかとハチマキ締めなおすも、ことはそう単純ではない。
 ここのところの安倍政権のやり口によって、ヤマト全批判の論調が生まれた。時の施政者を糾弾するのであれば個々人が手が組めるのだが、全批判、である。
「あんたたちヤマトは、お上の言うこと聞くだけが能で、自分で考える頭がない」と親しくしていた年配の女性。
「でも多くの移住者が辺野古に対する抗議をがんばっていますよ」と返すと、
「迎合しないとここには住めないからね」
 最初の1年は辺野古も県民大会にも足を運んでいたが、もう行かなくなってしまった。
 全国紙と比べてなんと気概があることかと賞賛していた沖縄2紙については、やはり偏重が過ぎる。それは別に悪いことではない。ただ一般市民がその論調に引きずられることに気付かないのが問題なのだ。
 日本のソメイヨシノを、接ぎ木で増えるクローンであり軍国主義の象徴としたコラムが一面に掲載され、私は沖縄タイムスの購読を止めた。

 4月にうるま市で米軍属による暴行・殺人事件が起き、2紙とSNSでは一斉に米軍と日本叩きが始まる。シールズ琉球の女子大生は、「安倍首相と本土に住む日本国民は第二の加害者だ」と涙ながらに訴えた。
 そこで多くの心優しき移住者たちは沖縄に迎合するのだが、私はしなかった。することで問題が解決するとは思わないからだ。
 直後県議選があり、当選した革新系の新人議員が、「うるま市の事件で、風がこちらに吹きました」と、笑顔で取材に答えていた。
「私たちも悲しんでいます」というカードを持ち米軍勤務者が路上に立つムーヴメントが起きたが、「幸福実現党がやらせている」と、一蹴された。
 日本国民、米軍等、ひとまとめにする想像力の欠如とも取れる糾弾の仕方は、怒りや憎しみが高じたことによるものなのかと、沖縄紙とSNSを閉じて、溜息をついた。
「怒りは限界を越した」とする人々の代表、イハ氏と、安倍内閣の大臣であるアイコ氏、その一騎打ちの参院選だった。

* * *

 コザはたまに行くが、交通手段が車しかないので、夜までいることは滅多にない。この日は友人が運営するゲストハウス「羊屋」にチェックインした。素泊まり2000円。沖縄はこういう安宿が多くて県内旅行が気軽に出来るのが楽しい。

 誰をも踊らせてしまう沖縄民謡。
 アメリカ統治下時代の影響を色濃く持つ骨太なオキナワンロック。
 チャンプルーでユニークな琉球ポップス。
 安室奈美恵、SPEEDなど存在感ハンパなかった沖縄アイドル。

 沖縄に惚れた理由のひとつは間違いなく音楽だ。しかしここ数年、それが生まれて来る場所が空気が、気配はあるのだけど、見付けられてなかった。それにどっぷり浸かりたかった。

「最近言われることだけど、沖縄のロックを観光用にって予算がついてタダでライヴが観られるようになって、エンターテイメントにお金を出す人が少なくなってしまった。価値には対価を払わないと、育たない。そういう側面もあるかもしれない」

 コザのことはこの人に聞こうと、宮島真一に会った。メインMCを張る『コザの裏側』は、ディープなタウンガイドを緩い笑いで紡いで人気がある深夜番組だ。ラジオの帯からテレビ、全島エイサー祭りの司会から観光大使と、すっかりコザの顔として名前を知らない人の方が沖縄では少ない。



宮島真一

「別にコザにこだわっているわけじゃなくてどこにでも出てくぜって強く思ってるけど(笑)、色々やらせてもらっているのと、場所を作ったので」

 昨年シアタードーナツという映画館をコザの中心地に立ち上げた。  
 このミニシアター受難の時代に。
 映画制作者でもある彼は、『ハルサーエイカー』、『ハイサイゾンビ』など、全国展開可能な良い映画をコンスタントに制作している。が、現代沖縄もやはりシネコン中心。

シアタードーナツ https://theater-donut.okinawa

「上映をお願いするよりも、もう映画館作ってしまおうと(笑)、必然的に。まず僕がこのあたりに映画館欲しかったし。昔はあったから入り浸ってたんですよ、ラジオとか懸賞にまめに応募して。映画、しかも映画館が好きでね。だから今は楽しくてしょうがないですよ。いろんな人が来てくれるし。映画って全てを巻き込む力があるでしょ」

 彼が力強く語るのを聞いていると、好きなことを仕事にしては嫌いになるという悪い癖のある私はしばらく日本映画が嫌いだったのだけど、純粋に映画を映画館を好きだった気持ちが甦ってきて嬉しくなった。

「僕もその繰り返しですよ。嫌いにもなるし。でも好きっていうのが根本であって、いちいちそれを思い出す作業。ライヴハウス立ち上げたりラジオやったり、難儀しながらものを作るんだけど、行く先々に必ず映画がある。それに映画には音楽が必ず付いてくる」

 コザは音楽が生まれる土地だと思っていたのだけど一体どこに?との私の問いに対する答えが、冒頭の彼の台詞だった。

* * *

 シアタードーナツの周りを歩いてみる。コザ/現・沖縄市の中心街、その昔はさぞかし栄えていたであろう商店街が整然と広がっている。
 アメリカ統治下時代、軍人らが遊ぶ場所として栄えた。明日戦場に行って生きて戻る可能性はほぼないことを知る彼らは、湯水のように金を使った。民謡バーなど一晩で家が建つほどの、ドラム缶一杯のドル札を稼ぎ、殺気立った軍人らを満足させるライブで、毎晩賑わった。
 その後沖縄は日本に復帰し、基地の規律も厳しくなり基地外での飲食も規制されるようになってからは、街は一気に活力を失う。シャッター商店街となり、地元の青年会を中心にもう10年も前から空き店舗貸し出し等町おこし事業が精力的にされてはいるのだが。那覇市から高速に乗れば30分と言えども、タクシーや代行で那覇に帰るには遠い。

 先月名護市(辺野古を有する、かつての大都市)のあまりの荒廃ぶりにすっかり落ち込んでしまった私は、暗澹たる気持ちで街を眺めていたのだが、気をつけて歩いているとそこには明確に確実に、変化があった。何かを生み出す荒廃の匂いがあった。

 車を捨てよ、町を歩こう。

 雑貨屋やレコード店、派手な色柄が並ぶ洋品店などを冷やかし、ライヴハウスの点在するパークアヴェニューまで出ると、路上ライブにBBQブースが出ていた。
 一番街まで行き、今宵の宿泊先のゲストハウス『羊屋』おすすめの『りんりん』という飲食店を、手書きの地図を手に探すも見つからない。このあたりに人を呼び戻したと言われている人気焼き鳥店『鶏五郎』の前で途方に暮れていると、店員さんが『りんりん』まで連れていってくれる。なんという親切! 『鶏五郎』、飲み放題1時間770円。大にぎわいである。えっと、さっき、ミュージックタウン音市場あたりで60分飲み放題380円という看板も見ました。酒好きにはたまらない町、コザ。

 『りんりん』に着いたはいいが、看板が『パナマ原人』……。表を貸してるということらしく、中に入っていくと一応店らしきものが。暗いし生活感溢れたスナック的趣きと営業気なさげな空気感。が、ここ沖縄で私たちやまとんちゅが満足出来る魚介類を出す店は少ない。隠れた名店であった。

 話をそれとなく、先日起きた軍属の暴行殺人事件に持っていく。
「このあたりで飲んでいた米軍勤務の子たちは皆、礼儀正しくて優しい人ばかり。一部の犯罪者のせいで外出禁止まで出されるのはどうかと思うねぇ。金払いも良く本当にいいお客さんたちなのに」
 そうなのだ、メディアで報道されるような反基地感情を強く露に出す沖縄県民は、一体どのくらいの割合なのだろうと、沖縄で生活していると常に意識させられる。オール沖縄とは一体何なのだろう。オールに属していない沖縄県民は非難の対象になるのだろうか。避難をする側は果たしていつも正しいのだろうか。闘うことが目的になっていないだろうか。

 何軒かハシゴ酒をして、ゲート通りの『オーシャン』に入る。その昔Aサイン(本土復帰前の沖縄で米軍公認の飲食/風俗店に与えられた営業許可証)バーとして名を馳せた老舗だが、この夜は地元客らしき男性のみがマスターと参院選の話に終始していた。

 すっかり夜も更けてゲート通りに出ると、この通りだけは軍勤務者で盛り上がっているようだった。
 コザの空気が混沌としていることに、少し安心した。


*  *  *

「だからさー、みんなでETを観ればいいと思ったわけ。小学生の自分は。違う者たちの友情とか普遍的なものが全部織り込まれていて、絶対観た方がいいって言うに決まってる! だから学校にETのレコードとスピーカー付きのプレイヤー持って行ってみんなに聴いてもらった(笑)。こういう、吸収するという作業を子どもの時にした方がいい。楽して生きたいから公務員になります、って子ばっかりになっちゃう。
 戦争がすぐになくならないのであれば、子どもの教育をちゃんとやっていくこと。その点コザはいろんな人種がいて盛り上がることがあって、極端に何かを言うよりは、この空気に触れてもらうとこういう沖縄もあるんだと考えてもらえる。そういう街。若い子たちの価値観にもちゃんと寄り添える。地道にこういう活動もやってるので、もっと評価してもらいたいんだけど(笑)」



ピースフルラブロックフェスティバル https://peaceful-love-rock.com

 『コザの裏側』収録終わりの宮島真一と、プレイヤーズ・カフェで合流した。この週末は沖縄市野外ステージで、ピースフル・ロック・フェスティバルが開催されていた。1983年から続いているロックフェスの草分けで、沖縄ロックの登竜門。
 沖縄ロックの中心メンバーの一人であるかっちゃん(川満勝弘)はコンディション・グリーンのヴォーカル時代、ヘビを喰いちぎったりヒヨコをステージにバラまいて踏みつぶしていったり過激なパフォーマンスで知られる。米兵相手に育った沖縄ロックは、生半可なコピー・ロックであるわけがない。イギリスでようやく出会えたロックは、沖縄でも出会えるのだ。
 マンドリルを纏いステージで座っていた宮島は、客席から現れた
 かっちゃんから何かを受け取り、仮面を外し、バックステージへ消えた。確かに、何かを、託されていた。

 音楽が生まれてくる渦は確かにあった。ただ客が少なかった。「PRするのが得意でない」とは宮島の言葉だが、演る側としては外にアピールすることよりも、コザのこの空気の中で生かされるものに向き合っているだけなのかもしれない。沖縄の地の力は強く、それ故に癒されたり傷ついたり、魔性の魅力があるのだ。

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