「おまえはおまえのロックンロールをやれ」とは、あらゆる抵抗がなかば強制的に運動へと一元化された時代への批評(反省)から生まれた言葉なのだろう。「おまえ」は殺され、「人びと」という主体だけが許された時代への。
その晩、僕はいったい何回「おまえはおまえのロックンロールをやれ」という言葉を聞いたことだろうか。
23日の夜遅く。よみがえったのは、ステージのうえでお揃いの赤いスーツを着ていたあの時代の、酒すら飲めない若いファンが途中で嘔吐てしまうほど圧倒的な存在感をはなっていた江戸アケミその人ではなかった。「おまえ」だった。新世界がいっぱいだから100人弱だろうか。集まったオーディエンスの半分は、どう見てもリアルタイム世代より若かった。
こだま和文を一目見たかったというのもある。
手術後の初ステージだったが、酒とタバコを持って登場した彼は、“もうがまんできない”を歌った。「ちょっとの搾取なら/がまんできる/それがちょっとの搾取ならば」──レゲエのリズムに乗って「がまんできる」ことを繰り返すことで「がまんできない」と表明する反語表現ならではのインパクトを持った曲だ。ぶっきらぼうに反復される言葉は、じょじょに熱を帯びながら重なっていく。見事なパフォーマンスだった。

江戸アケミ抜きで、そして篠田昌已抜きで、じゃがたらの曲をやること自体がリスキーなのは、ステージで演奏する人たち全員がわかっていたことだろう。とくに南流石、EBBY、エマーソン北村、桑原延享といった生前の江戸アケミを知る者たちからしたら、心のどこかに抵抗がないはずがない。南さんはステージで「こんなコピー・バンドにお金払って来てくれてありがとう」と言っていたけれど、自嘲や謙遜ではなく、本心なのだと思う。
しかし、それでもやるんだ、やりたいんだという純粋な気持ちが、とても清々しく伝わってくるライヴだった。故人を必要以上に崇めるような嫌味なところも、内輪的なところもなかった。感傷的にはなったけれど、過去を懐かしむ感じではなかった。OTOさんはその晩のために、熊本の農場から、現在の自分の暮らしぶりとじゃがたら弾き語りメドレーの動画を送ってくれた。
スペシャル・ゲストとしてラップを披露したいとうせいこうにも拍手したい。僕はその晩、Pヴァイン40周年のイヴェントがリキッドであったので、ECD〜B.D. & NIPPS、それからSIMI LABという錚々たるラッパーのパフォーマンスを聴いて新世界の駆けつけたのだけれど、いとうせいこうの、早送りで言葉の意味を解体していく──としか言い表しようのないラップは僕にはあらためて新鮮に聴こえた。
とにかく、その晩演奏された曲は、過去を懐かしむことを拒み、現在の曲として再現された。「ああしろこうしろそうしろと/あいつからが今日もがなりたてる」と歌う“みちくさ”なんか、橋元優歩が聴いたら泣くんじゃないのかな。
が、しかし、泣かないだろう。じゃがたらに涙は似合わない。ねっとりとしたファンク、腰をくねらせるアフロ、身体に響くレゲエの複合体。徹頭徹尾ミニマルなダンス・ミュージックなのだ。“都市生活の夜”や“裸の王様”は、いまでもみんなを踊らせる。そして、音楽における言葉はつねに音とともにある。音と一緒になったときに、書き言葉にはないマジカルな威力を持つ。とくにダンスと一緒になったときは。
江戸アケミという人には生きていくうえでのマリーシア、ある種のずる賢さ、ほとんどの人には備わっているであろう適度な欺瞞というものがなかったのだと思う。彼の並外れた愚直さは、語り継がれている多くのエピソードから容易にはかり知れる。
「おまえはおまえのロックンロールをやれ」と言ったのは、江戸アケミ自身が「おまえ」=個という主体になりきれなかったからだと僕は思う。「人びと」「ピープル」「私たち」「社会」とか、どうしようもなくそういう主体から逃れることができなかったのは、他でもない江戸アケミだったのではないか。音楽は世のため人のためにある。ダンス・ミュージックは共同体の音楽だ。じゃがらの楽曲は、あれだけ強烈なものを発しながらエゴイズムがない。江戸アケミの歌詞には、フォーク上がりの日本のロックにありがちな“僕”や“俺”の私小説性がないのだ。
じゃがたらのカヴァー演奏がリアルに思えたのは、楽曲が作者の所有物になることを拒んでいるからだろう。目の前に広がる風景のように、他の誰かに歌われてしかるべきものとしてある、ということなのかもしれない。だから、「おまえはおまえのロックンロールをやれ」とは、表向きには個を主張しながら、しかしむやみやたらに個に帰れと言っているわけでもない多重的な言葉なのだ。プロセスがあり、コンフリクトがあり、そしてどう考えても未来への期待と希望がある。夜も11時をまわったというのに拍手が鳴り止まなかった理由を説明せよと言われたら、僕にはそうとしか答えようがない。
アンコールは“タンゴ”だった。“タンゴ”がアンコールだった。ということは、あんなに大きな拍手がなければ、“タンゴ”はなかったのだろうか。レゲエのリズムを使っているとはいえ、あれはやはり重たい曲だ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの“ヘロイン”だ。街の悲しい闇だ。決して後味が良い曲ではない。しかしあえて、このハッピーではない人気曲を最後に持って来たのかもしれないな。
終電に乗って駅を降りて、「こーこーろーの〜もーちーよーさ〜」とか「ああしろこうしろそうしろと」とか歌いながら家に帰った。5年後にまた何かやるそうだ。でも、「今、今、今、今、今が最高」。「おまえはおまえのロックンロールをやれ」、至言とはこういう言葉を指すのだ。

東京ベルリンを拠点に活躍するアーティスト。写真家、芸妓、ミュージシャン、モデルなど多彩な顔を持つ。自身の日常を幻想的な色彩で切り取る写真やコラージュ、またこうした要素に音楽や立体表現を加えたインスタレーションを発表する。パレ・ド・トーキョーなどの個展、展覧会多数。ボーカルとしてdaisy chainsaw、Panacea、Kai Althoff、Mayo Thompson、Jonathan Bepler、Terre Thaemlitz、秋田昌美、中原昌也となどとコラボレーションする。tony conrad と舞台音楽で共演したり、bernhard willhelmのショウでライブパフォーマンス、そしてJürgen Paapeとカバーしたjoe le taxiはSoulwaxの2ManyDjsに使われ大ヒットした。写真作品集に『ハナヨメ』『MAGMA』『berlin』、音楽アルバム『 Gift /献上』『wooden veil』などがある。ギャラリー小柳所属。
音楽家。1990年生まれ。2010年アルバム『剃刀乙女』でデビュー。
tomoyoshi date, hiroki ono, takeshi tsubakiからなるアンビエントバンド。数多の諸概念・主義主張を融解する中庸思想を共有しながら、所作と無為を心がけ活動中。
1977年ブラジル・サンパウロ生まれ。3歳の時に日本へ移住。 ロック、ジャズ、ポスト・ロックなどを経て90年代後半より電子音楽を開始。 ソロ作品に加え、Opitope、ILLUHA、Melodiaとして活動するほか、中村としまる、KenIkeda、坂本龍一、TaylorDeupreeとも共作を重ね、世界各国のレーベルから14枚のフルアルバムをリリース。 西洋医学・東洋医学を併用する医師でもあり、2014年10月にアンビエント・クリニック「つゆくさ医院」を開院 (
イラストレーター。風景やモノを中心に、パターンワークやシンプルな形を使用したミニマルでリズミカルな作画で書籍や雑誌、CDジャケットを中心に活動。また音楽制作会社での勤務経験をもとに、ミュージックガイド「5X5ZINE」の制作/刊行を定期的におこなっている。
餡子作りという限られた材料を元に独自の配合を研究し、日々理想の餡子を模索し続ける小豆研究家、池谷一樹によるケータリング餡子屋。一丁焼きたい焼き屋を目指し日々試行錯誤を繰り返している。今回は最中をまた同時にadzuki名義で活動する音楽家でもある。
手造りどぶろく屋。

























