「OTO」と一致するもの

Midori Aoyama - ele-king

 DJのMidori Aoyamaが全国ツアーを開始している。すでに別府・熊本・福岡公演は終了しているが、8/10の大阪から9/21の名古屋まで、計11か所をめぐる予定。今回のツアーでは「euphonia」という話題のミキサーを使用、会場や状況によってはワークショップも実施されるそうだ。詳しくは下記より。

Midori Aoyama、新ロータリーミキサー "euphonia" と共に14か所を巡る夏の全国ツアー【TSUBAKI fm presents Midori Aoyama Japan tour 2024 supported by OTAIRECORD】をスタート!

国内外で活躍するDJ/プロデューサーのMidori Aoyamaが、新ロータリーミキサー "euphonia" と共に14か所を巡る全国ツアー【TSUBAKI fm presents Midori Aoyama Japan tour 2024 supported by OTAIRECORD】をスタートする。
初日7月26日の別府・CREOLE CAFEを皮切りに、7月〜9月末まで熊本・福岡・大阪・京都・富山・加賀・白馬・新潟・広島・岡山・藤沢・名古屋と全国のクラブやミュージックバーなど計14か所を周り、イベントを開催。
今回ツアーで使用するのは、AlphaThetaの新ロータリーミキサー "euphonia"。会場の状況やイベントの内容によってチュートリアルやワークショップも実施予定。

是非この機会に新ロータリーミキサー "euphonia" の魅力とハウスを軸に、新旧問わずあらゆるジャンルを独特のセンスとスキルでクロスオーバーさせていくMidori Aoyamaのパフォーマンスを体感して欲しい。

TSUBAKI fm presents Midori Aoyama Japan tour 2024 supported by OTAIRECORD

7/26(金) 別府 CREOLE CAFE
7/27(土) 熊本 Mellow Mellow
7/28(日) 福岡 Kieth Flack
8/10(土) 大阪 BAR Inc
8/11(日) 京都 Metro
8/12(月) 京都 NOHGA HOTEL KIYOMIZU KYOTO
8/16(金) 富山 NEWPORT
8/17(土) 黑崎海水浴場 (Kurosaki Beach)
8/23(金) 白馬 Concrete
8/24(土) 新潟 meme studio
8/30(金) 広島 音楽食堂 ONDO
8/31(土) 岡山 PINE&SONS
9/6(金) 藤沢 chillout酒場 常夏
9/21(土) 名古屋 Normal

Seerkesinternational - ele-king

 そう、時代はDUB。先日、すばらしいアルバム『KINTSUGI SOUL STEPPERS』をリリースしたseekersinternationalが来日。東京公演ではMars89がTemple Ov Subsonic Youth名義でのライヴも披露。さらに先日USの〈Digital Sting〉より強力なアルバムをリリースしたばかりのG Version III、イベントを主催する〈Riddim Chango〉の1TA、Elementも出演。ぜひ、現在進行形のダブを体験して欲しい。

2024.08.10 FRI
OPEN/START23:30
Over 20 only・Photo ID required
20未満入場不可・要顔写真付ID

Riddim Chango presents GHOST DANCE

LINE UP>>>
LIVE:
Papa Cool Breeze from Seerkesinternational
Temple Ov Subsonic Youth a.k.a. Mars89

DJ:
G Version III
Element
1TA

artwork: Boram Momo Lee

ADV./DOORU23 ¥2,500 / ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500
TICKET: https://t.livepocket.jp/e/20240810wwwb

詳細: https://www-shibuya.jp/schedule/018076.php

Riddim Chango
https://riddimchango.bandcamp.com/
https://www.youtube.com/@riddimchango


nmnhn sp vol.4
8月13日(火曜日)
場所 SOCORE FACTORY
開演 19:00~

出演者
Papa Cool Breeze from Seekersinternational
1729
Element
yudayajazz
Nakam

ADV 3,000 (1D)
DOOR 3,000 (+1D)

https://socorefactory.com/schedule/2024/08/13/nmnhn-sp-vol-4/

interview with xiexie - ele-king

 オルタナティヴ・ロック・バンド、xiexie(シエシエ)が1stアルバム『wellwell』をリリースする。
 2020年1月に東京で結成。2021年2月に1stデジタルEP「XIEXIE」でデビュー。以降、EPとシングルを続々とリリースし、ライヴ・シーンで存在感を示してきた。活動期間は4年を超えるが、今回が初めてのフル・アルバムとなる。
 USインディ、ドリーム・ポップ、サイケといったフレーズで説明されることの多いこのバンドは、日本のみならず、アジア諸外国で評価が高まっている特異な存在だ。
 なかでも台湾でのあるエピソードはちょっと、興奮なしには語れない。まるでバンドをはじめたばかりの少年少女が思い描く夢物語。映画や漫画のような光景を実現してしまったのだ。

 2023年秋、台湾の音楽フェス「浪人祭」に出演することになったxiexie。この時点でのxiexieは現地のオーディエンスにとってまったくの無名と言っていい「外国のバンド」だ。
 開演時刻を迎えても会場はガラガラ。しかし演奏を続けるうち、目を輝かせたオーディエンスが続々と引き寄せられてくる。
 ステージ間の移動中、たまたま耳に入ったxiexieのサウンドに心を掴まれた人びとが集まってきたのだ。彼らが惹かれたのはネーム・ヴァリューでも物珍しさでも奇抜なパフォーマンスでもない。純粋にその音楽をもっと聴きたいという思いが足を運ばせた。その夜は結局、超満員のオーディエンスからの大歓声を浴びながら終演を迎え、翌々日の同地でのワンマンはソールドアウト。
 「音楽が大衆に見つかるときはこうあってほしい」と界隈の人間が願う理想そのもののような体験を得て帰国した。

 台湾の落日飛車/Sunset Rollercoaster(サンセットローラーコースター)をはじめとして、韓国やタイなどのアジアの国と地域には、USインディやその周辺ジャンルの影響を感じさせるバンドが数多く存在し、またそうしたバンドが支持される土壌が豊かにある。xiexieの台湾での反響はそうした背景からくるものといえるだろう。ただ、音楽性の近い他のバンド同様、xiexieにはxiexie独自の持ち味、特異性がある。今回のインタヴューでは、メンバーたちとの対話を通してその特異性の一端の言語化を試みる。
 その過程で、バンドの成り立ち、メンバーそれぞれの音楽的ルーツ、最新アルバムの聴きどころ、今後の展望など、包括的に話を聞いた。

作ってる側としてはドリーム・ポップと思ってないんですよ。そう思われるのが不服ってわけじゃないんですけど、なんでドリーミーとか言われるんだろう? って不思議ではあって。(幸田)

バンド結成の経緯はどういったものだったんでしょうか。

飛田興一:僕がこのバンドの発起人です。ビッグ・シーフリアル・エステートが好きで、それくらいの時期のUSインディ的なサウンドのバンドをやりたいなっていうコンセプトでメンバーを集めました。

幸田大和:僕はもともと飛田さんと別のバンドを組んでたんですけど、その頃はいまとぜんぜん違う音楽性でした。

「USインディ」以外だと、「ドリーム・ポップ」もxiexieの音楽を表現するうえでよく使われるフレーズです。

幸田:僕がバンドのメイン・コンポーザーなんですけど、作ってる側としてはドリーム・ポップと思ってないんですよ。そう思われるのが不服ってわけじゃないんですけど、なんでドリーミーとか言われるんだろう? って不思議ではあって。

皆さんの自認としてはオルタナ(オルタナティヴ・ロック)?

Meari:そうですね。

飛田:こういう音楽性ではあるんですけど、似たような音楽が好きな人たちのなかでちょっと浮いてるかもと思うこともあって。僕個人としてはですけどね、こう、アングラなコミュニティに居心地のよさを感じるわけではないんですよね。割と陽気な方で。

開輝之:陽気(笑)。

飛田:だから売れなくていいとはまったく思ってなくて、xiexieとしても「どうすればこういう音楽をオーヴァーグラウンドに持っていけるか?」って意識は共有してます。
 そもそも、USインディ的だと言われるような音楽性ってポップでキャッチーだと思ってるんですよね。

Meari:本当にね。

開:それはあるよね。

抽象的な話になってしまうんですが、かつてのUSインディ系のバンドと、近年のそういった傾向のバンドとを比較して、思うことがあります。ダンス・ミュージック的というか、ファンクネスが感じられることが増えたように思うんです。

Meari:あー、そうかもしれない。

もともと私は踊りたいほうというか、踊るのが好きですね。(Meari)

チャートにおけるいわゆるブラック・ミュージックの存在感が一段強まって以降の世代というのも関係するのか。断定的なことは何も言えないのですが、その点でいうとxiexieはなかでもかなり “踊れる” タイプのUSインディ・サウンドだなと。

Meari:実際、私がギター置いてタンバリン振って踊る曲ありますよ。今回のアルバムに入ってる “City” って曲です。もともと私は踊りたいほうというか、踊るのが好きですね。

開:言われてみると確かにって思いましたね。意識してたわけではないけど。

飛田:僕もブラック・ミュージック寄りだけど、幸田くんなんてもともとモロにそっち側の人じゃない?

幸田:カッティングしかしてなかった時期あります。カッティングで右に出るものはいねえぜと。

ナイル(・ロジャース)よりも。

幸田:ああもう全然。俺(のほうが上)ですね(笑)。

飛田:個人的には、ブラック・ミュージック寄りな音楽で自分にできることは前のバンドでやりきった感じがあって。そういう要素を持ちつつ、それだけじゃないことをやりたくてはじめたのがこのバンド。
 それで言うと、xiexieをはじめるときに開くんを誘おうと思ったのは、ブラック・ミュージック寄りな音楽と縦のノリの音楽、どっちをやっても説得力があるんですよね。
 彼を尊敬しているところなんですけど、どっちをやってもグルーヴのクオリティが変わらない人ってなかなかいないと僕は感じてるので、彼とリズム隊をやりたいなと思ったんです。

開:そうだったんだ。いま初めて聞きました(笑)。

いろんな要素を内包しているのもあり、皆さんとしては「オルタナ」くらい抽象度の高い括りが居心地いい、というところなんでしょうか。

幸田:オルタナティヴ・ダンス・ロック・ポップ・バンドでいいんじゃない?

Meari:ダンスとポップ入れたくないなあ……。

幸田:オルタナティヴ・ロック・バンドでいきます。

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ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを知って、いろいろ聴き漁るようになりました。ジャズとか〈モータウン〉とか。(開)

ここからは最新アルバム『wellwell』について1曲ずつ伺っていきます。まずはM1 “please me” から。

幸田:このリフが聴こえてきたら「あの曲だ!」ってわっと反応が来るような曲が欲しかったのと、「アルバムの1曲目」としてどんな曲がいいかというのを考えて作った曲です。
 そもそも、これまでxiexieにはリフからはじまる曲がなかったんですよね。

飛田:うちらのなかではかなりエッジィな曲だよね。

幸田:今回のアルバムはかなりライヴを意識して作ってるんですけど、なかでもアンセム的なものになるといいなと思って書いたものです。

飛田:xiexieでは僕がミックスをやってるのでちょっとエンジニア的な話もしちゃうんですけど、ドラム・ソロのところにMeariの声が重なって入ってて。

Meari:うにゃうにゃうにゃ~って。

飛田:そこが聴きどころです。

あの声があることで浮遊感が一層増した感があります。

Meari:2曲目は “UMA”。シングルですね。

開:僕はこれけっこうベースライン気に入ってる。

飛田:何パターンか弾いたなかで、これがいちばん少年たちが弾きたくなるような音だったんですよね。

開:レコーディングのときにそう言われて確かにと思って。それで好きになりました(笑)。

開さんもルーツとしてはファンク寄りなんでしょうか?

開:いや、そういうわけではないですね。最初の頃聴いていたのはギター・ポップ、ネオアコ辺り。初期のカーディガンズ、シンバルズ、アドバンテージ・ルーシーとか。上京してからレッド・ツェッペリンとかサンタナとか、60~70年代ハード・ロックを聴くようになったんですけど。
 そのあとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを知って、いろいろ聴き漁るようになりました。ジャズとか〈モータウン〉とか。

いわゆるブラック・ミュージックを聴くようになるまでにいろいろと下地があったんですね。

開:そうですね。そこからはもう雑食です。

飛田:僕が彼と初めて会ったときはボサノヴァのバンドやってました。

Meari:飛田さんだってもともとはV系でしょ。

そうなんですね!

飛田:少年の頃、BUCK-TICKやSOFT BALLETから入ってヴィジュアル系を聴いてましたね。そこからテクノに行って、ジャズを演奏していた時期もあります。でも、いちばんコアになってるのはアシッド・ジャズ、なかでもイギリスの人たちが解釈したものが肌に合うんです。
マザー・アース、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、コーデュロイ。インコグニートやジャミロクワイももちろん好きです。

『wellwell』でそういったファンクネスが感じられる曲というとどの辺りでしょうか。

幸田:今回はアルバム全体かなりファンク要素が強いです。なかでも “Nile” はかなりファンクっぽい曲ですね。僕が歌わされた曲です。

Meari:歌わされたって(笑)。

幸田:ただxiexieはがっつりのファンクをやるバンドではないので、バランスを調整するのに苦労しました。

開:ベースもかなりファンキー。今回は1枚目のEPでやったことを土台にかなり幅広くやれた。

幸田:1枚目の頃にも僕の手元にはファンキーな曲があったんですけど、アルバムに入れなかったんです。いまならいいかと思って。そしたら歌わされた。

飛田:幸田くんの活躍する曲でいうと、今作でわたくしがいちばん好きな曲が “calm sea”。彼が初めてデモを弾いたときに、改めて「いや~いい曲書くな」と。

幸田:デモ時点ではxiexieにしてはポップで、作り方難しいなと思ってたんですけど、飛田さんが作ったトラックがよかったんでいい感じにまとめられたなと。もともとあったBメロを抜いたのもよかった。

洋楽的な構成になってポップさが抑えられたと。幸田さんのルーツとしてはやはりファンクネスを感じるようなジャンル?

幸田:ええと、僕はもともと父親が銀座でジャズ・バーをやってて。

Meari:そうなんだ。

メンバーも知らなかったんだ……。

Meari:案外あんまり家族のこととか話さないかも。

幸田:子どもの頃から聴いてたんで、やっぱりジャズに馴染みはあります。父親はその後、田町でラーメン屋さんをはじめるんですけど。

Meari:そうなんだ(笑)!?

幸田:そうなのそうなの。で、ラーメン屋さんでもジャズかけてましたね。

いい店……。

幸田:その影響で僕は久保田利伸とかいいなあと思うような子どもで。ギターは中学を卒業する頃にはじめたんですけど、エレキじゃなくアコースティック・ギターが好きだったんです。
 xiexieの前に飛田さんとバンドやってた頃もアコギにしか興味なかったです。いろいろ聴くようになったのは本格的に曲を作るようになってからですね。曲を作るうえで必要を感じて新しいものを聴いて取り入れるような感じで。女性ヴォーカルの音楽を意識的に聴くようになったのもxiexieをはじめてから。

飛田:今回のアルバムでアコギ期の幸田くんを感じられるのが “my time” です。僕は最初にデモを聴いたとき「幸田ってこういう奴だったなあ」ってなんかうれしくなっちゃったんですよね。

幸田:自分としてもこれはやりたいことをやったというか、「イメージ通りやれた」って感じです。

飛田:アコギとガットギターと、ピアノも幸田くんが弾いてるんですよ。

Meari:ヴォーカルはいままででいちばん低くて、ギリギリ出ないくらいの音域。キーを上げるか悩んだんですけど、いろいろ試してみてこれがいちばんいいキーだなって思ったので挑戦してみました。こういうこと、1stのEPの頃にはできなかったなって思います。声の変化もあるし、マインド的にも。

いちばんコアになってるのはアシッド・ジャズ、なかでもイギリスの人たちが解釈したものが肌に合うんです。マザー・アース、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、コーデュロイ。インコグニートやジャミロクワイももちろん好きです。(飛田)

Meariさんの持ち味が全面に出た曲というとやはり踊りながら歌うという “City” でしょうか。

Meari:“City”はバンドの初期の頃からある曲で、ライヴで必ずやってるって言ってもいいくらい。

開:お客さんからの人気も高いよね。

Meari:私はダンスありきの音楽が好きで。音楽を聴きはじめたのも、最初はミュージカル・ソングだったんです。子どもの頃からショー的なものに触れてた影響は大きいです。マドンナとか、歌いながらダンスする人に夢中になってました。

ショー的なものが身近だったのはどういった背景で?

Meari:母がシンガーなんです。ミュージカルに出たり、テクノ・ポップを歌ったりしていた人で。
 あと父親がドラマーで、バンド・サウンドも子どもの頃から浴びてました。小さいうちからライヴ・ハウスによく行ってて。(ローリング・)ストーンズ、ビートルズ、ラモーンズ、ブロンディなんかが馴染み深いです。

なるほど、どちらの影響も現在に結実していますね。ところで “City” ですが、初期からあるけれど音源化は今回初めてなんですね。

飛田:お客さんからはずっと音源化してくれって声があったんですけど、3人はしたくなかったんだよね。

開:したくないというか、ライヴでやってこそのグルーヴだから。うーんって。

Meari:ライヴの場の熱量でやっている曲というか、タンバリン振って踊りながら歌ってるムードを音源に落とし込むってなったときに、どうしてもイメージが湧かなかった。

それが今回音源化に至ったのはどういった経緯で?

飛田:またエンジニア方面の話になるんですけど、僕がずっと欲しかったWARM AUDIOっていうメーカーのプリアンプをたまたま開くんが持ってるってことを知って、「それがあれば “City” 録れるんじゃないか?」となって、やってみたらメンバーも受け入れてくれたんです。

開:これなら出せるなって。

Meari:ね。

現状打破のきっかけが機材というのが非常にリアルな制作の裏側ですね。ちなみに、他にも今回のアルバムに昔からある曲が収録されていたり?

幸田:昔からあるのとはちょっと違いますけど、“alien II” って曲は1stに収録されてる “alien” って曲の続編ですね。

連作なんですね。

飛田:THE 虎舞竜の「ロード」みたいな感じでね。

幸田:alienシリーズではほとんど同じリフをヴァージョン違いみたいな感じで使っていくつもりで、歌詞にはストーリーを持たせてて。全8部作を考えてます。今後バンドの公式ファンクラブを発足するつもりなんですけど、会員限定でalien 3.5とか、オフィシャルにリリースされてる曲の合間のスピンオフ的な曲も聴けるようにしていく予定です。

飛田:我々にとってかなり大事な曲です。決してシングルにするような曲ではないんですけどね。

幸田:これがあるから心がチューニングできるなっていう曲ですね。いろいろとこれまでにない作風にチャレンジしても、alienシリーズを作るとxiexieに戻ってこられるというか。

開:元来こういう感じのサウンドをやりたかったんだよなっていうのが再確認できるんだよね。

うれしかったのが、本当に音楽だけで人が集まってくれたんですよね。ネーム・ヴァリューはほぼゼロの状態だし、人目を引くような奇抜な見た目ってわけでもないですし、本当に純粋に音楽だけ。それが大きかったと思います。(飛田)

ここまでお話を伺ってきて改めて、USインディの系譜にある同時代のバンドのなかでも特に強いファンクネスやダンスの要素がxiexie独自の味になっているのかなという印象を受けました。
 また、ドリーム・ポップやシューゲイズなどのジャンルを自覚的に踏襲しようとしているわけではないというスタンスも、作るもののおもしろさに繋がっているように思います。

飛田:そんな気がします。でも振り返ると、1st EPの頃はもっとこう、違ったよね。

Meari:そうだね。

飛田:1st EPの頃は「オルタナ・バンドってこうだ!」っていうのにこだわってたんですよ。よりオルタナらしくしようって思って作ってた。オルタナのマナーに則ってというか。
 もっとメロディアスにしたい気もするけど、いやここは最初から最後まで暗くいこう、なんなら単調すぎるくらいでいい、なんて。「これしかできないんだろうなこいつら」と思われるようなもののほうがいいだろうと。

ある種こう、ナメられないためのカマしみたいなところがあったんですね。そういう頑なさが今作では和らいだ?

飛田:そうですねえ。ファンクっぽい曲が増えました。幸田くんがヴォーカルをとるっていうのもいまだからできたよね。

開:今作はベースもかなりファンキー。1枚目ではこういうことできなかったなというのは僕も思います。

Meari:今回なんでやろうって思ったんだろうね?

自己分析してみるとどんな要因が考えられるでしょうか?

飛田:でもやっぱり、台湾で音楽を評価されたことなのかなと思います。それで憑き物が落ちたというか。

アジアのバンドを追っている人にとっては有名人ですが、台湾には落日飛車/Sunset Rollercoaster(サンセットローラーコースター)がいて、他にも打倒三明治(だとうサンドイッチ)など、xiexieと親和性の高いバンドが支持を得ていますよね。

飛田:そうですね。我々自身、もともとそういったシーン事情を知っていたわけではないんですけど。xiexieの活動を続けていくなかで、似た感じのバンドがけっこういるってわかって、それから聴くようになりましたね。

韓国にもHYUKOH(ヒョゴ)やSE SO NEON(セソニョン)がいて、アジア諸外国にはインディ系の音楽の土壌が豊かな場所が少なくないといえます。

飛田:そういえば台湾に行ったとき、現地でお客さんが評価してくれたポイントがこう、アカデミックだったんですよね。「あなたのゴーストノートが最高!」とか、高校生くらいの子に言ってもらったりして。

評価を得やすい場所で順当に評価されたというか。自分たちの作るものが大勢の人に響くのを目の当たりにしたのが今、皆さんにとてもいい変化をもたらしているんですね。

飛田:幸田くんもね、台湾のギタリストたちがペダルボードを覗きに来たりして。

幸田:ベリンガー(プロがあまり使用しない安価なブランド)とか、知り合いのおじさんが自主的に作ってるやつとか使ってるんで、参考にはならなかったと思うんですけどね。

飛田:うれしかったのが、本当に音楽だけで人が集まってくれたんですよね。ネーム・ヴァリューはほぼゼロの状態だし、人目を引くような奇抜な見た目ってわけでもないですし、本当に純粋に音楽だけ。それが大きかったと思います。
 それを経て、いまはもっとリアルに自分たちがやりたいことをやろうってモードになってますね。

[xiexieツアー情報]

xiexie wellwell Tour Tokyo
2024年8月2日(金)
東京・青山・月見ル君想フ
Guest Act : Living Rita
open:18:00 / start:18:30
料金:adv. ¥3,850+1D
Ticket:https://eplus.jp/sf/detail/4105580001-P0030001P021001?P1=1221

xiexie wellwell Tour Kyoto
2024 8月10日(土)
京都・UrBANGUILD(アバンギルド)
Guest Act : Summer Whales
open:17:30 / start:18:00
チケット料金:adv. ¥3,850+1D
Ticket:https://eplus.jp/sf/detail/4106330001?P6=001&P1=0402&P59=1

xiexie wellwell Tour Nagoya
2024 8月12日(月・祝)
名古屋・KDハポン
open:17:30 / start:18:00
チケット料金:adv ¥3,850+1D
Ticket:https://t.livepocket.jp/e/u5wp_

Lusine - ele-king

 近年ではロレイン・ジェイムズがフェイヴァリットにあげていたことを憶えているだろうか。そうした新しい世代にも影響を与えているエレクトロニカのヴェテラン、〈Ghostly International〉からリリースを重ねるルシーンの来日公演がアナウンスされた。2013年以来とのことなので、じつに11年ぶり。今回はドラマーを従えての公演で、迫力あるパフォーマンスが期待できそうだ。8/30(金)@CIRCUS Tokyo、8/31(土)@落合Soup、9/1(日)@CIRCUS Osakaの3公演、詳しくは下記をご確認あれ(なお落合Soup公演はソロでのパフォーマンスです)。

LUSINE JAPAN TOUR 2024 | エレクトロニカの重鎮11年ぶりにして、初のサポート・ドラマーを率いての来日決定!

昨年6年ぶりのニュー・アルバム『Long Light』をリリースしたエレクトロニカの重鎮LUSINEの、2013年の『EMAF TOKYO 2013』以来となる、およそ11年ぶりの来日公演が決定致しました。

今回はサポート・ドラマーのTrent Moormanを率いての初来日。エレクトロニクスとライヴ・ドラミングを組みわせてダイナミックなパフォーマンスが展開されます。(落合Soup公演はドラマー無しのソロ・エレクトロニック・セットです)
貴重な機会を是非お観逃しなく!

Ghostly International 25th Anniversary in Japan vol.2
LUSINE JAPAN TOUR 2024

LUSINE 東京公演①
feat. live drumming
日程:8/30(金)
会場:CIRCUS Tokyo
時間:OPEN 19:00 / START 20:00
料金:ADV ¥4,800 / DOOR ¥5,300 *別途1ドリンク代金700円必要

出演:
LUSINE (feat. live drumming)
and more…

前売りチケットのご購入はこちらから:
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/shop/?p=3165


LUSINE 東京公演②
solo set

日程:8/31(土)
会場:Ochiai Soup
時間:OPEN 18:30 START 19:00
料金:ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000

出演:
LUSINE (solo set)
and more…

前売りチケットのご購入はこちらから:
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/shop/?p=3165


LUSINE 大阪公演
feat. live drumming

日程:9/1(日)
会場:CIRCUS Osaka
時間:OPEN 18:00 / START 19:00
料金:ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000 *別途1ドリンク代金700円必要

出演:
LUSINE (feat. live drumming)
and more…

前売りチケットのご購入はこちらから:
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/shop/?p=3165


Lusine - Full Performance (Live on KEXP)

LUSINE:
テキサス出身のJeff McIlwainによるソロ・プロジェクト。L’usineやLusine Iclなどの名義でも活動を続してきた。デトロイト・テクノと初期IDMの影響を受けて制作を始め、メランコリックでメロディックなダウンビート・テクノとでも呼ぶべき独自のサウンドを生みだしたエレクトロニック・ミュージック界の才人のひとり。1998年よりカリフォルニア芸術大学で20世紀エレクトロニック・ミュージックとサウンド・デザイン、映画を専行、そこでShad Scottと出会い、1999年にL’usine名義でファースト・アルバム『L’usine』をIsophlux Recordsよりリリース。新人アーティストの作品としては異例なほど高い支持を受ける。2002年には、URB誌恒例のNext 100にも選出され、アメリカのエレクトロニック・ミュージックの今後を担う重要アーティストと位置づけられた。その後2002年後半からシアトルに移り現在に至るまで拠点にしている。様々なレーベルを股にかけ活動し、『A Pseudo Steady State』、『Coalition 2000』(U-Cover)、『Condensed』、『Language Barrier』(Hymen)、『Serial Hodgepodge』、『Podgelism』、『A Certain Distance』、『The Waiting Room』、『Sensorimotor』(Ghostly International)などのアルバム、数々の12インチ・シングル、EPなどをリリース。また、Funckarma、 Marumari、Lawrence、School of Seven Bells、Tycho、Max Cooper、Loraine Jamesなどのリミックス、McIlwainは、Mute、!K7、Kompakt、Asthmatic Kitty、Shitkatapultなど様々なコンピレーション、さらにはフィルム・プロジェクトのスコア制作など、多岐にわたる活動を展開。シアトルに移ってからはエレクトロニック・ミュージックの優良レーベルGhostly Internationalを母体にリリースをしており、
2023年にはおよそ6年ぶりとなるアルバム『Long Light』をGhostlyから発表。2017年の『Sensorimotor』で確立したインテリジェント且つエレガントなスタイルをさらにアップデートしたサウンドをみせた。また、Loraine Jamesなど、エレクトロニック・ミュージックの新世代からもリスペクトされている存在だ。

Tribute to Augustus Pablo - ele-king

 1999年5月18日に永眠したルーツ・レゲエの偉人、オーガスタス・パブロ。そのご子息であるADDIS PABLO が今週末から日本をツァーする。それに連動してADDIS PABLO PRESENTS “TRIBUTE TO AUGUSTUS PABLO”、「Rockers International 51st year anniversary pop up & photo exhibition & Additional」が7月15日より神泉の JULY TREE(ロゴは坂本慎太郎デザイン)にて開催される。
 Rockers InternationalやADDIS PABLO関連グッズ、音源の販売、カメラマン菊地昇、石田昌隆、仁礼博による往年のオーガスタス・パブロのポートレイト、さらに生前のパブロと親交の深かった石井“EC”志津男(OVERHEAT RECORDSプロデューサー、雑誌『Riddim』発行人)によるパブロゆかりの品々を展示。また、7月15日にはADDIS PABLOのサイン会とDJによるウエルカム・パーティ。7月19日にはADDIS PABLOほか、石井“EC”志津男、石田昌隆をゲストに招きトークショー、およびADDIS PABLOによるミニ・ライヴもあり。
 ちなみに、ただいま絶賛発売中の、早くも売り切れ店が出てきているele-king books刊行の『キング・タビー――ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男』も会期中に JULY TREEにて販売されます。

■ADDIS PABLO:プロフィール
メロディカ・キーボード奏者でレゲエミュージシャン、作曲家でプロデューサーでもあるAddis Pablo。ルーツレゲエの代名詞の1人でダブの先駆者であるAugustus Pabloの息子である。 早くに夭折した父と過ごした日々の中で父の創作活動過程を目の当たりにしてきた事を基に、2005年に父親の作品を練習し始めてメロディカとキーボードにおいて自身の音楽スタイルを発見し始め、2010年にはそのキャリアをスタートさせた。 2013年からは多数のヨーロッパの主要フェス、日本を含めたアジア、アメリカ、メキシコやプエルトリコをツアーして、2014年にEarl 16などのベテランゲストアーティストを迎えて録音したデビューアルバム“In My Fathers House”をリリース。2022年5月にドロップした2枚目のアルバムLPの “Melodies from the House of Levi”は自身の成長と音楽的成長を示すものになった。 父、Augustus Pabloが創立したRockers International Labelの51周年である今年2024年は、 その歴史の新たな歩みを刻み始める為に父の誕生日である6月21日のロンドンの老舗クラブ Jazz Cafe でのAugustus Pablo Tribute Showを皮切りに アディスは日本でも7月13日のGEZANとの共演によるSUPERNOVA KAWASAKI でのB.O.B. (Blessings On Blessings) vol.2から父A.Pabloと録音、セッション経験がある日本人ラスタミュージシャンを中心メンバーにRockers Far East名義で活動するベテランバンドを従えてのフルバンドショーを中心とするツアーを予定している。 同バンドでのFUJI ROCK出演も決定している。

■展示情報
ADDIS PABLO PRESENTS
TRIBUTE TO AUGUSTUS PABLO
Rockers International 51st year anniversary
pop up & photo exhibition & Additional
会期:7月15日(月)〜7月25日(木)*予定
会場:JULY TREE(ジュライ・トゥリー)
*詳しい営業日等詳細はSNSをご参照下さい。

■イベント情報
2024.7.15(mon)サイン会+DJ
出演:ADDIS PABLO
START:18:00
ENTRANCE FEE:\1,500+1drink

2024.7.19(fri)TALK & MINI LIVE
出演:ADDIS PABLO
TALKゲスト:石井”EC”志津男、石田昌隆
START:19:00
ENTRANCE FEE:\2,000+1drink

お申込み方法:こちらのインスタグラムDMにてお名前と人数をお伝えください。
19日のみ定員20名予定となります。

■ライヴ情報

STANDARD WORKS CO. LTD.
presents
=B.O.B. (Blessings On Blessings) vol.2=
-Tribute to Augustus Pablo - Rockers International 51st year anniversary Japan Tour with ADDIS PABLO
associated with All Di Best Music
7/13(sat)
17:00-22:15
Ticket:
advance / 4,500yen
at door / 5,500yen
別途1ドリンク

-Live Act-
•ADDIS PABLO(from JAMAICA)
with ROCKERS FAR EAST
•GEZAN
Sound Engineer : 内田直之(NAOYUKI UCHIDA)
-Selector-
ITAK SHAGGY TOJO @itaktojo KEN-ROOTS @abyssinia_jah_rising RAS KOUSKE
-Soundsystem-
JAH RISING S.S

-Food-
JAMAICAN FOOD
RICE&PEAS

Live House
SUPERNOVA KAWASAKI
神奈川県川崎市幸区大宮町1-13,
1-13, Omiyacho, Saiwai-ku, Kawasaki-city, Kanagawa
@supernova_kawasaki

招聘:(株)錦コミュニケーションズ @nishikicommunications

〈店舗情報〉
JULY TREE(ジュライ・トゥリー)
住所:153-0042
東京都目黒区青葉台4-7-27 ロイヤルステージ01-1A
・HP: www.julytree.tokyo
・Instagram:@july_tree_tokyo
・Twitter:https://twitter.com/julytree2023
営業日: 基本月火休館13時~18時ではございますが不定期での営業となります。
*営業日等お問い合わせについてはJULY TREE 公式Instagram、Twitterにてお願いいたします。

John Carroll Kirby - ele-king

 2010年代後半、ニューエイジとジャズのあわいを行く作風で徐々にその名を広めていったジョン・キャロル・カービーソランジュのプロデュースからコーネリアスのリミックスまで幅広く手がけるこのLAの鍵盤奏者、近年は〈Stones Throw〉から着々とリリースを重ねている彼の単独来日公演が決定した。しかもバンド・セットと聞けば、どんなパフォーマンスが披露されるのか気になってしかたがなくなる。《朝霧JAM 2024》への出演を控える10月11日、渋谷WWW Xでそのステージを目撃しよう。

ジャズ、ソウル、アンビエントからエレクトロニックまで横断するメロウなサウンドに、どこか癖になる不思議な魅力を携え注目を集めるJohn Carroll Kirby。フルバンドセットでは初となる単独公演が10/11(金)東京・WWW Xにて決定!

SolangeやFrank Oceanのコラボレーターとしても注目され、多くのソロ作を世に送り出し、多方面の音楽ファンやミュージシャンから愛される音楽家・John Carroll Kirby。今年、USではKhruangbinのツアーサポートを務めライブパフォーマンスの実力を示し、またYMOのメンバー細野晴臣のトリビュート企画への参加や、高円寺の街中で撮影したミュージックビデオの公開で話題を呼ぶなど、日本のシーンとの交流も窺える中での待望の来日公演が決定した。昨年のフジロック出演以来の来日となり、フルバンドセットでの初の単独公演となる。

出演が予定されている朝霧JAM 2024直前となる10月11日(金)、東京・WWW Xにて開催。チケットはただいまより抽選先行予約の受付を開始。

John Carroll Kirby
出演:John Carroll Kirby (Band Set)
日程:2024年10月11日(金)
会場:WWW X https://www-shibuya.jp/
時間:open 18:30 / start 19:30
料金:前売 ¥7,800(税込/ドリンク代別/オールスタンディング)

<<チケット>>
先行受付(抽選)
受付期間:7月9日(火)17:00~7月15日(月祝)23:59
受付URL:https://eplus.jp/johncarrollkirby/

一般発売:7月20日(土)10:00-
e+ https://eplus.jp/johncarrollkirby/
Zaiko https://wwwwwwx.zaiko.io/e/johncarrollkirby (English available)

主催:WWW X
協力:SMASH / STONES THROW

お問い合せ:WWW X 03-5458-7688
公演詳細:https://www-shibuya.jp/schedule/018045.php


John Carroll Kirby(ジョン キャロル カービー)
LA出身の鍵盤奏者/プロデューサー/作曲家のジョン・キャロル・カービー。
これまでR&B界のイノベーターでもあるソランジュやフランク・オーシャンとのコラボ、多作のソロ作品リリース、2023年フジロックの出演、クルアンビンとのUSツアーなどで、ジャズ~ソウル/R&B~アンビエント~ニューエイジ~エレクトロニックなど多方面の音楽リスナーから大注目のアーティストの一人である。
2020年、LAの優良レーベルStones Throwからデビューアルバム“My Garden”をリリース。メロウでドリ-ミーなサウンド、ジャズからアンビエントまで飲み込んだこれまでにないフレッシュなスタイルで大きな話題を呼んだ。その後も不思議な魅力に溢れたバンドサウンドや、独創的なエレクトロニックなど、様々なスタイルを取り入れたアルバムやサウンドトラックを次々と発表。現在、6作の作品がリリースされている。2023年には、各方面から称賛されたエディ・チャコンの最新アルバムのトータルプロデュースを行ったほか、自身の最新アルバム”Blowout”も立て続けにリリース。本作はインディー音楽界のグラミー賞と呼ばれる「A2IM Libera Awards」で、Best of Jazz Albumを受賞し高く評価された。2024年にはYMOの細野晴臣氏のトリビュート企画に参加し、カバー曲をリリースしたばかりだ。

Spotify
Apple Music

"Rainmaker"
"Sun Go Down"
"Mates"
"Oropendola"
"Blueberry Beads"

John Carroll Kirby - Fuku Wa Uchi Oni Wa Soto (feat. The Mizuhara Sisters)
*Haruomi Hosono cover song 細野晴臣トリビュート企画 カバー曲
https://youtu.be/TLxa-jEgAgY?feature=shared

Li Yilei Japan Tour 2024 - ele-king

 2021年にリリースした『之 / OF』がロングセラーとなり、今年リリースした最新アルバム『NONAGE / 垂髫』で日本デビューも果たした、ロンドンを拠点とする中国人サウンドアーティスト/作曲家 Li Yileiの初来日ツアーの開催が8月に決定しました。
 京都、東京、和歌山、名古屋の全4公演他、8/30(金)には都内某所にてLi Yileiとausのサウンド・インスタレーションも予定しています。

京都・外
日程:8/21 (水)
会場:外(京都市左京区鹿ケ谷法然院西町18) http://soto-kyoto.jp/
時間:OPEN 18:00 / START 19:00
料金:ADV ¥2,500 / DOOR ¥3,000 / 23歳以下 ¥2,000
出演:Li Yilei、Kazumichi Komatsu & more
予約:外 http://soto-kyoto.jp/

東京 大森・成田山圓能寺
日程:8/24 (土)
会場:成田山圓能寺(大田区山王1-6-30)http://ennoji.or.jp/
時間:OPEN 13:00 / START 13:30
料金:ADV ¥3,500 / DOOR ¥4,000
出演:Li Yilei、aus、iu takahashi
PA:Fly sound
協力:PLANCHA
予約:FLAU https://flau.stores.jp/items/668489a324fa03132d97dd79

和歌山・あしべ屋妹背別荘
日程:8/25 (日)
冥丁『古風』完結編 Tour 〜瑪瑙〜和歌山公演
会場:あしべ屋妹背別荘(和歌山市和歌浦中3-4-28)
時間:OPEN 17:00 / START 18:00 /
料金:ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500
出演:冥丁 - 暮 set -、Li Yilei
予約:Pass Market https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02yjdmguw5t31.html
主催:お還りなさい、中谷 一陽 (和歌山EXPO)

名古屋・K.D japon

日程:8/28 (水)
会場:K.D japon(名古屋市中区千代田5-12-7)
時間:OPEN 18:30 / START 19:00
料金:ADV ¥3,500 / DOOR ¥4,000 + 1D
出演:Li Yilei、marucoporoporo, CazU-23
予約:メール予約 https://docs.google.com/

東京
日程:8/30 (金)
詳細:TBA

■ ツアー詳細:
https://flau.jp/event/li-yilei-japan-tour-2024/

Li Yilei
 中国出身で現在はロンドンを拠点に活動しているコンポーザー/マルチ・インストゥルメンタリスト。また、ロンドンのアーティスト・コレクティヴNON DUAL(無二行動)のファウンダーでもある。アスペルガー症候群を持つノンバイナリーのアーティストであり、その経験は混沌と、時には痛みを伴う静寂の間を変動し、存在と実存のさまざまな状態を反映している。
 2021年にMétron Recordsからリリースされたアルバム『之 / OF』は、パンデミックの混乱の中、中国へ戻り自身と向き合う中で、宋王朝の芸術をインスピレーション源に作り上げ、2020年代のアンビエントの傑作のひとつとして高い評価を得てロングセラーとなった。そして2024年に、過去の自己と記憶が現在と出会う瞑想的な転生の瞬間を音像化した傑作『NONAGE / 垂髫』(https://www.ele-king.net/review/album/011245/)を再びMétron Recordsからリリース。PLANCHAからCD化もされ、日本デビューも果たす。
 アジア的エッセンスも感じさせるアンビエントとエレクトロニカを横断するようなサウンドが各所から注目を集める中、リミックスをして交流を深めたausのレーベルFLAUの企画により初来日ツアーが決定。

 自分でも気付かぬうちに、スティーヴ・アルビニは私の人生を変えていた。彼の特定の作品との出会いによって啓示を受け、人生の中にそれ以前と以後という明確な境界線が引かれたということでは全くない。それよりも彼の影響は、私の育った音楽世界の土壌に染み込んでそれを肥沃にしたものであり、そうとは知らない私が無意識に歩き回った風景そのものだったのだ。ようやく獲得し得た視野と意識によって振り返ってみると、私が通ってきた世界のすべてに彼の手が及んでいたことを思い知らされる。

 世代的なことも関係している。1962年生まれのアルビニは、ちょうど1980年代にジェネレーションXが成人し始めた頃の音楽シーンで地位を確立し、彼の音楽とアティチュードはその世代の心に響く多くの特徴を体現していたのだ。

 彼の作品は挑戦的で、パンクが退屈さに怒りをぶつける方法をさらに推し進めたものだった。彼自身の初期のビッグ・ブラックやそれ以降の音楽の中で、児童虐待やレイプ、暴力について恥も外聞もなく言及し、その言葉は人種差別や同性愛嫌悪の枠をはるかに超えるようなものだった。それでも後年には、彼のそういった挑発を裏打ちしていたのは無知と特権意識によるものだったという反省を、恥ずかしがらずに口にしてみせた。彼はこれらの考察を自分自身の個人的な言葉で組み立てることに細心の注意を払ってはいたが、それは同時に、1980/90年代の慣習に逆らった、エッジ―なポップ・カルチャーの多くが社会の隅に追いやられた人々の実生活の経験について、いかに無頓着で認識が甘かったのか、さらに、批評的かつ皮肉な出発点から一線を越えてしまったアートが、いかに他の人々に、昨今彼もよく目にするようになった本物のヘイト(憎しみ)によって、同じようなことを言うための扉を開いてきたかについての鋭い分析でもあった。

 アルビニの場合、人々に衝撃を与えたいという意欲が、彼のもうひとつの側面であるメインストリームといわれるもの全般、特に音楽業界の偽善的な常識を無視する姿勢と密接に結びついているのだ。ピクシーズ、ブリーダーズ、PJハーヴェイ、ニルヴァーナやジミー・ペイジとロバート・プラントなどの多大な影響力のあるアルバムの仕事で軌道に乗った、彼のレコーディング・エンジニアとしてのキャリアでは、業界のゲームに参加さえすれば莫大な金を稼ぐことができたのに、インディペンデント・アーティストに拘り続けた。

 そして、彼が実際に一緒に仕事をしたアーティストたちの話を聞いてみると、近年の内省的なアルビニは、以前の作品から想像されるような口汚い挑発者とそれほど対照的ではないかもしれないことに気が付く。そこから伝わってくるのは、自分の意見についてはぶっきらぼうで率直だが、バンドが望むものを達成するために自分の持つ専門知識を惜しみなく差し出して深い集中力でもって彼らを手助けするという人物像だ。1990年代にアルビニとアルバムを録音したバンドのメルトバナナによると、彼らは自分たちがレコーディングの主導権を握り始めた時の彼の寛大さを強調し、「3枚目を自分たちでレコーディングすると決めた時に、録音のアドバイスや必要な機材について尋ねると、たくさんのことを教えてくれた」と語った。ZENI GEVAの一員としてアルビニと仕事をした田畑満は、彼のことを「レコーディングについて知ることが、音楽の秘密に近づくことに繋がると気付かせてくれた人」と言い表した。

 彼が私自身の音楽世界に与えた影響の大きさが、長いこと私のレーダーから影を潜めていたことの理由のひとつに、彼が手掛けた多くの作品での自分の役割を最小限に抑えようとしていたことがある。プロデューサーとしてよりも、エンジニアとしてクレジットされることを好み、多くで偽名を使っていたことでも知られている。彼の死を知った後で、自分の持っているレコードを確認すると、アルビニが録音した作品でのクレジットは、Ding Rollski (シルヴァーフィッシュの『Fat Axl』)、Some Fuckin’ Derd Niffer(スリントの『Tweez (トゥイーズ)』)、そして彼の猫のFluss (ガイデッド・バイ・ヴォイシズの『アンダー・ザ・ブッシズ・アンダー・ザ・スターズ』の数曲)などとなっていた。それでも、ピクシーズとブリーダーズのキム・ディールはインタヴューで、彼が認めたがるよりもはるかに、スタジオでの影響力は絶大だったと示唆している。

 ビッグ・ブラックやシェラックにすでに影響を受けていたバンドが、‶スティーヴ・アルビニ・サウンド〟を求めて彼のエレクトリカル・オーディオ・スタジオでレコーディングを行ったことには、ほぼ間違いなく(とりわけ時が経つにつれて)、自主的な選択がはたらいていた傾向にあるが、やはり、彼の作品全体に繰り返し見られる識別可能な特徴があったのも確かだ。彼はアナログで作業することを好み、(田畑は「彼は世界最速のテープ・エディターでもあり、DAW使用者よりも速かった」と語っている)、ほとんどの装飾を取りはらった、広がりのあるサウンドを創りだした。彼の録音では、ドラムの自然なリヴァーヴを好んだことで、まるでミュージシャンと同じ部屋に一緒にいるかのような感覚が味わえる。彼の録音の多くに、独特のクランチーなベースのサウンドとスクラッチのような耳障りなギターがフィーチャーされている。それは、個別のアーティストたちが目指したゴールに応じて微調整された還元的で多様な作品の要約ではあるが、アルビニ自身の作品群をはるかに凌駕し、彼に影響を受けた何千人ものアーティストやエンジニアたちの作品にこだましたサウンドなのだ。そしてこのサウンドは、私が東京のミュージック・シーンに参入して足場を固めようとしていた頃の東京中のアンダーグラウンドのライヴ・ハウスで鳴り響いていたものであり、私が観たり一緒に仕事をしたりした全世代のアンダーグラウンド・バンドの作品を彩っていたものだった。

 彼が築き上げるのを手伝った音楽世界で育った者としては、スティーヴ・アルビニの死去によるひとつの世代の衰退を感じざるを得ない。彼が後悔していた‶クソなエッジロード(重度の厨二病患者)〟のことばかりではなく、彼が精力的に支持した反メインストリーム主義のDIYのエートス全体が、ますます過ぎ去った過去の遺物のようになってしまう――少なくとも、当時のような形ではなくなっていくのが感じられる。インディとメインストリームのニ極化的な対立や、それに付随する‶裏切り〟という非難は、文化的な戦線が他に移行し、オルタナティヴが必ずしもミュージシャンにとって経済的に存続可能な空間でなくなってきている現在においては、さほど重要な意味を持たなくなっている。アルビニ自身も、90年代に比べて独立系ミュージシャンが生きていくのがいかに難しくなったかについて言及している。彼がどれほど手頃な価格でスタジオを提供しようとしても、エレクトリカル・オーディオのようなインディに優しいスタジオでさえ、そのコストは大半のアーティストにとって回収できる金額を超えているのだ。

 これは、我々が失った世界への自分ではどうすることもできない類の叫びなのかもしれないが、それでもスティーヴ・アルビニの死は、私に音楽界のコミュニティにとって必要な物の多くを浮き彫りにしてくれた。我々には、疲れを知らずに働き続け、自分が勝ち得た成功を惜しみなく、まだ道を切り開こうとしている人々を支援するために活用できる人、潮流が自分に著しく不利に傾いた時でも、倫理的に正しいと信じることを貫き通せる人、過去の過ちを認識し、必要な時には新たな方向性を示すキャパシティの広さを持つ人、そして、私たちが間違ったことをしている時に、そうと教えてくれる辛辣な知性を備えた人々が必要なのだ。

 ミュージシャンが亡くなると、天国で他の偉大な仲間たちとジャム・セッションをする場面を想像したりするという、お決まりの言い回しがある――ジェフ・ベックのギターに、チャーリー・ワッツのドラム、そしてベースはウォルター・ベッカーといった具合の。スティーヴ・アルビニのファンの何人かは、これらの天使になった巨匠たちには、ようやく天上の世界で自分たちのことをクソだと進言してくれる人ができたのだと提言している。

私自身はスティーヴ・アルビニと直接知り合う機会はなかったものの、東京のアンダーグラウンド・シーンにいれば、必ずや彼と知り合いだった人に行きあたる。上に引用したように、この記事を書いている間に何人かに話を聞き、彼らのコメント全文を掲載するべきだと思ったので、ここに記す。

「スティーヴ・アルビニはレコーディングについて知ることが、音楽の秘密に近づくことに繋がると気付かせてくれた人。彼は世界最速のテープ・エディターでもあった――DAWユーザーよりも速いほどの。彼が恋しい。一緒に音楽を創ってくれてありがとう、スティーヴ。」
 田畑 満

 「スティーヴが亡くなったことは本当に悲しいです。彼は私たちの最初の2枚のレコードを録音してくれました。私たちは彼の昔の自宅のレコーディングスタジオでアルバムを録音しました。みんなで彼の家に泊まって過ごした時はとても楽しかったです。3枚目を自分たちでレコーディングすることを決めた時に、録音のアドバイスや必要な機材について尋ねると、たくさんのことを教えてくれました。それに、彼のバンド、シェラックとアメリカ、イギリス、フランス、ドイツで一緒にライブすることができて本当によかったです。私が彼の姿で一番よく覚えているのは、1枚目のレコーディングの時に彼がミキシングボードに向かって、深夜まで一人で黙々と作業をしていた後ろ姿です。その時、私は彼が飼っていた猫のFlussとずっと遊んでいました。彼は、私たちにたくさんのことを与えてくれました。スティーヴ、ありがとう。」
メルトバナナ/Yako/Agata


How Steve Albini secretly changed my world


By Ian F. Martin

Without me even noticing it was happening, Steve Albini changed my life. There was no single revelatory encounter with his work that drew a clear line in my life between before and after. Rather his was an influence that seeped into and fertilised the ground of the musical world I grew up in — a landscape I walked ignorantly around, before eventually gaining the perspective and consciousness to look back and see his hand in everything.

Part of this is generational. Born in 1962, Albini established himself in the music scene just as Generation X began coming of age in the 1980s, and his music and attitude embodied a lot of the characteristics that generation took to heart.

His work was confrontational, taking the way punk railed against boredom even further. In his own early music with Big Black and beyond, he wasn’t shy about making references to child abuse, rape and violence, language that stepped way beyond the boundaries of racism and homophobia. But nor was he shy in later years about reckoning with the ignorance and privilege that underscored a lot of his provocations. While he was careful to frame these reflections in his own personal terms, they were also an incisive breakdown of how carelessly naive a lot of transgressive or edgy 1980s/90s pop culture was about marginalised people’s real life experience, and how art that crossed those lines from a critical or ironic startpoint opened the door for others to say similar things with the genuine hate he came to see so widely around him in recent times.

In Albini’s case, his willingness to shock also went hand in hand with another of his defining characteristics: his disregard for the hypocritical niceties of the mainstream generally and the music industry in particular. As his career as a recording engineer took off with influential albums by the Pixies, The Breeders, PJ Harvey and Nirvana, not to mention his work with Jimmy Page and Robert Plant, he could have made obscene amounts of money by playing the industry game, but his focus remained on independent artists.

And it’s when talking to the artists he actually worked with that the reflective Albini of recent years feels like less of a contrast with the foul-mouthed provocateur his earlier work might lead you to imagine. The picture that comes across is of a man who was blunt in his opinions but deeply focused on deploying his expertise to help bands to achieve what they want. Speaking to the band Melt-Banana, who recorded with Albini in the 1990s, they highlighted his generosity when they began to take control of their own recording, noting that, “When we decided to record our third album ourselves, he gave us a lot of advice and equipment we needed, and he gave us all sorts of information.” Mitsuru Tabata, who worked with Albini as part of the band Zeni Geva, described Albini as “the man who made me realise that getting to know about recording could help get me close to the secret of music.”

Part of why the extent of his impact on my own musical world stayed under my radar for so long was down to the way he minimised his role in so much of the music he worked on. He famously preferred to be credited as an engineer rather than a producer, and in many cases worked under assumed names. Looking through my records after learning of his death, I found Albini’s recording work credited variously to Ding Rollski (Silverfish’s “Fat Axl”), Some Fuckin’ Derd Niffer (“Tweez” by Slint) and his cat Fluss (a couple of tracks on Guided By Voices’ “Under The Bushes Under The Stars”). Still, in interviews, Kim Deal from the Pixies and The Breeders has suggested that he was a far more influential factor in the studio than he liked to admit.

There was almost certainly (and especially as time went on) something self-selecting in how bands already influenced by Big Black and Shellac recorded at his Electrical Audio studios because they wanted “the Steve Albini sound”, but there were nonetheless identifiable characteristics that recurred throughout his work. He preferred to work analogue (Tabata remarks that “He was also the fastest tape editor in the world — even faster than DAW users”) and created a spacious sound with most of the frills stripped away. His recordings show a preference for natural reverb on the drums that creates a sense of them being there in the room with you. Many of his recordings feature a distinct, crunchy bass sound and scratchy, abrasive guitar. Of course this is a reductive summary of a diverse array of work that was finetuned according to each individual artist’s goals, but it describes a sound that reverberated far beyond the body of Albini’s own work into that of the thousands of artists and engineers who were influenced by him. It’s a sound that rang through basement live shows across Tokyo when I was first finding my feet in the music scene here, and it coloured the work of a whole generation of underground bands I saw and worked with.

As someone who grew up in the musical world he helped build, it’s hard not to see the fading of a generation in the passing of Steve Albini. Not just the “edgelord shit” he came to regret, but also the whole anti-mainstream DIY ethos Albini supported so vigorously feels increasingly like a relic of a generation whose time has gone — at least in the form it took at that time. The often confrontational dichotomy between indie and mainstream, and the related accusation of selling out, carry far less weight nowadays as cultural battle lines shift elsewhere and the alternative ceases to be a financially viable space for musicians. Albini himself remarked on how much more difficult it had become for independent musicians to stay afloat compared to in the 90s. No matter how affordable he tried to make it, even an indie-friendly studio like Electrical Audio’s costs are beyond what most artists can hope to recoup.

So maybe this is a helpless cry to a world we’ve lost, but Steve Albini’s passing still highlights to me a lot of what the musical community needs. We need people who work tirelessly, using whatever success they gain in ways that help support those still trying to make their way; we need people who stick to their guns ethically when they know they’re right, even at times when the tide seems to be inexorably turning against them; we need people with the capacity to recognise past mistakes and chart a new direction when needed; we need people with the caustic intelligence to tell us when we’re doing it wrong.

There’s an insipid trope when a musician dies of imagining them in heaven, jamming with all the other dead greats — Jeff Beck on guitar with Charlie Watts on drums and Walter Becker on bass. A few Steve Albini fans have suggested that these angelic maestros now finally have someone up there to tell them they’re shit.

__________

I didn’t know Steve Albini, but everyone in the Tokyo underground scene knows someone who did. As quoted above, I spoke to a couple of these people while writing this article, and felt I ought to post their full comments as well:

“Steve Albini was the man who made me realise that getting to know about recording could help get me close to the secret of music. He was also the fastest tape editor in the world — even faster than DAW users. I miss him. Thank you for creating music with me, Steve.” - Mitsuru Tabata

“I'm really saddened that Steve passed away. He recorded our first two records. We recorded the in his old home recording studio and had so much fun staying at his house. When we decided to record our third album ourselves, he gave us a lot of advice and equipment we needed, and he gave us all sorts of information. It was fantastic, too, to be able to perform with his band Shellac in the US, UK, France and Germany. What I remember most about him is seeing his back as he was working alone at the mixing board until late at night during the recording of our first album. While he worked, I just spent the whole time playing with his cat Fluss. He gave us a lot. Thank you, Steve.” - MELT-BANANA / Yako / Agata

Terry Riley - ele-king

 ミニマル・ミュージックの歴史的金字塔、「In C」。それが初演から60周年を祝して、京都で実演される。この曲をやるのは15年ぶりとのこと。しかも50名のミュージシャンとともに清水寺にて演奏。チケットは早めにね。

会場:⾳⽻⼭ 清⽔寺 本堂舞台
日程: 2024年7月21日(日)

テリー・ライリーより 開催に向けて

「In C」の曲(一部)が私の中に降りてきたのは、1964年の或る夜。その瞬間、私はバスに乗っていました。サンフランシスコのゴールドストリートにあるサルーンでラグタイム・ピアノを弾くピアノ弾きとして生計を立てていたのです。
 この曲は、まさに世界がその出現を待ち望んでいたイヴェントであったかの如く、非常に有名になり長年にわたって世界中で数えきれないほど演奏されてきました。
 2024年の今日、私は、今年60周年を迎えた「In C」を上演し、お祝いをしたいと思いつきました。言うなれば「歳をとった女の子」へのお誕生会です 。
 どの場所が良いだろうかと思案した結果、京都が良いだろうと思いました。街が纏うスピリチュアルな雰囲気は、「In C」という楽曲が狙う意図にも一致します。
 多くの演奏家に参加いただくことで、宇宙に捧げる歴史的な祝祭になるであろうと、胸を躍らせています。
 素晴らしく、そして京都にあって非常に重要な寺院・清水寺は、この祝祭にうってつけの場所でしょう。仮に雨に降られたとしても、それから守ってくれさえもします。
 2009年に行った、ニューヨークのカーネギーホールでの演奏の後、私はこの「In C」を演奏することからリタイアしていました。ですが、私は喜んでこの京都での祝祭を例外とするつもりです。
 このアイディアを実行に移してくれ、実現させるために助けてくれた全ての人に、特に清水寺の大西英玄氏、中村周市氏と宮本端氏に感謝を。最後に「In C」の60周年を祝うために駆け付けてくれた全ての演奏家の皆さんに感謝を。

2024年6月 テリー・ライリー

◉開催概要
タイトル:
In C-60th Birthday Full Moon Celebration at Kyoto Kiyomizu-dera Temple, July 21, 2024
〜「In C」誕生60年を祝う奉納演奏 〜

会場:⾳⽻⼭ 清⽔寺 本堂舞台
住所:京都市東山区清水1-294
www.kiyomizudera.or.jp/access.php
日程:2024年7月21日(日)
開場時間:20:00
開催時間:20:30(終演:21:30頃を予定)

チケット発売日時:2024年7月6日正午12時より
チケット発売サイト:inc60-kiyomizu-dera.peatix.com 
          *発売開始日時より有効となります。
奉納チケット料:10,000円(税込/限定記念グッズ付き)
※本奉納公演は商業目的ではありません

本公演に関する問い合わせ先:
メール terry.riley.info@gmail.com
電話 070-7488-0346
(電話の受付時間:13:00〜19:00)
※音羽山 清水寺へのお問い合わせはご遠慮ください。

出演:テリー・ライリー、SARA(宮本沙羅)他、梅津和時、永田砂知子、大野由美子(Buffalo Daughter)、ヨシダダイキチ、蓮沼執太、AYAら、50名程度を予定

企画・主催:テリー・ライリー
制作総指揮:しばし
協力:音羽山 清水寺
   「Feel Kiyomizudera」プロジェクトチーム

◉「In C」60周年記念グッズ

「In C」誕生60周年を記念して、限定グッズ(Tシャツ、ステッカー、トートバッグ)を販売します。全て、本人が新たに書き下ろした手書き譜面をあしらった、貴重なアイテム。
terryriley.base.shop

 今年に入って、20数年ぶりに拙著『ブラック・マシン・ミュージック』を読み返す機会があった。近い将来文庫化されるというので、加筆修正のためではあったが、20年以上前に自分の書いたものを読むというのはなかなかの重苦だった。その痛みに身悶えしながら、書き足りていないと思ったのは、デトロイト・テクノにおけるプリンスの影響の箇所である。本のなかではエレクトリファイン・モジョのところで少しばかり触れているが、あまりに少しばかりだ。デトロイトにおけるプリンスの人気はすさまじく、言うなれば、70年代のブラック・デトロイトのエースがPファンクだとしたら80年代のその座はミネアポリス出身のプリンスだった。取材するのが困難だった80年代の人気絶頂期にプリンスが快くインタヴューに応じたのがエレクトリファイン・モジョのラジオ・ショーだった。『サイン・オブ・ザ・タイムズ』の前年には、彼の誕生パーティをデトロイトで開いたほどだ。これはこれで文化現象としていろんな深読みができるトピックだが、当時の原稿では、その程度の事実しか書いていない。
 デトロイト・テクノ第一世代は70年代後半に思春期を送っているので、最初の影響という点では圧倒的にPファンクだ。が、カール・クレイグやムーディーマンといったその下の世代になるとその影響は明らかになってくる。クレイグの初期作のエロティシズムおよびキュアーを愛したニューウェイヴ趣味もさることながら、ムーディーマンにいたっては(モジョのインタヴューまでサンプリングしているし)彼の身なりからも影響はあからさまだ。

 80年代の『ダーティ・マインド』から『ラヴセクシー』までのプリンスがあらゆる位相において、いま聴き直しても発見があるほどすばらしかったことは言うまでもない。ここでは、彼のディスコ/白人ニューウェイヴ趣味、そして、いまでは“先駆的だった”と各方面から評価されている露骨なクィア・センス(あるいは、レーガンの80年代に“If I was Your Girlfriend”を歌うこと)に着目したい。なにしろ、シカゴの野球場で大量のディスコのレコードが爆破されてから1年後の『ダーティ・マインド』なのだ。「ディスコとして知られる恐ろしい音楽病を根絶するための戦争」のピークのまだその翌年の話である、ブリーフ一丁でアルバムの1曲目からディスコ・ビート。80年代、「黒人らしくない」という批判(参照:ネルソン・ジョージ『リズム&ブルースの死』の最終章およびプリンス “コントラヴァーシー” の歌詞)を浴びていたプリンスは、ストレートなソウルやファンクをやらなかった、のではない。そもそもソウルやファンクには時代のモードこそあれ、スタイルは流動性にあることをこの黒人イノヴェイターは時間をかけて証明し、21世紀へと続く未来を切り拓いたのだった(例:ジャネル・モネイとフランク・オーシャン)。

グラムこそパンクである、歴史的にもコンセプトにおいても。
──マーク・フィッシャー

 にしても……である。彼とザ・レヴォリューションはハードコアだった。数年前に映画『サマー・オブ・ソウル』に登場する全盛期のスライ&ザ・ファミリー・ストーンの、黒人女性も白人女性もメンバーにした圧倒的なステージを見ると、ああなるほど、ザ・レヴォリューションの原型はここにあるのかと思ったものだが、ディスコもセクシャリティの攻撃的な発露は当然のことまだない。よく言われるように、ロックの性表現は、基本男根的で、男性優位のそれだった。対してディスコのエロティシズムは両性具有的、ないしは女性的だった(例:グレイス・ジョーンズの“I Need a Man”)。もちろんなかには、マッチョを強調したゲイ・ディスコもあったが(例:ヴィレッジ・ピープル)、「本物の男になれ」という時代にあっては、ディスコは野球場で爆破されるまでのなかば国民的な敵意を生んだというわけだ。

 Pファンクがディスコの時代にディスコを非難しながらディスコをやった話はよく知られている。彼らの数あるクレイジーな傑作のなかのひとつ、『Funkentelechy Vs. The Placebo Syndrome』(1977)がそれだ。その前年、Pファンカーたちは、ファンカデリックの“Undisco Kidd”(『Tales Of Kidd Funkadelic』収録)という曲においてディスコの性的な光景をコミカルに風刺した。「一面的なファンクや一面的なディスコは好きじゃない」とジョージ・クリントは言っているが、逆に言えば、一面的でなければ彼はディスコもやった。その最初の成果が消費主義社会を批判したくだんのアルバムに収録の、ヒット曲“Flash Light”だった。そして、そう、続いては、お馴染みの“One Nation Under a Groove”(1978)が待っている。これはファンク神秘主義と政治性が結合した励ましのディスコ・ソングであり、音楽的に見てもプリンスのディスコ・ビートがもうすぐ聞こえてきそうだ。
 ディスコは、(ロックもそうだったが、ロック以上に)黒人音楽のリズムを応用している。パーカッシヴな特質をより発展させ、簡素化しわかりやすくしているが、活かしているのだ。しかしながら映画『サタデー・ナイト・フィーバー』がヒットする1977年には、それは音楽産業にとって都合の良いブームとなった(参照:トム・ウルフ『そしてみんな軽くなった』)。庶民からの音楽ではなく、プロデューサー主導型の、庶民に供給され売りつけられる音楽となった。また、性的表現も、おおよそ男性目線のポルノグラフィーと化したことは、当時のレコード・ジャケットを見ても察せられよう。〈スタジオ54〉に代表されるセレブ趣味/金儲け主義が強調されたこと、その恍惚が個人主義の産物であったことは、さらにまた文化的見地からの批判を集めている。Pファンクが反論したのもこうした点だった。“One Nation Under a Groove”は、セレブ趣味の選民性から排除された人たちに呼びかけ、著述家でDJでもあるクリス・ニーズによれば「ディスコ本来の団結力をPファンクの桶のなかで再構築した」曲だった。
 ここでデトロイト・テクノのファンのためにもうひとつ、ホアン・アトキンスに影響を与えた曲を挙げておく。ヒップホップのファンにはお馴染みの1979年の“Knee Deep”だ。“Flash Light”、“One Nation Under a Groove”、そして“Knee Deep”、これをぼくはPファンク流ディスコ三部作と呼んでいるが、当初この原稿で書きたかったのは、さらにもう1曲のPファンク流ディスコのクラシック、1978年の“Aqua Boogie”のことだった。ふぅ。やっと本題だ。
 
 “Aqua Boogie”——“A Psychoalphadiscobetabioaquadoloop(サイコアルファディスコベータバイオアクアドゥループ)”なる副題が付いたこの曲も、人気曲のひとつで、そしてデトロイト・テクノのファンなら、ドレクシアの“アクアバーン(Aquabahn)”が、この曲とクラフトワークの“アウトバーン”との語呂合わせであることに気がつくだろう。「水」はいまなら、資本主義社会すなわち「うじ虫(magott)」が生きづらい社会というメタファーとして解釈できる。さすればおのずと、ドレクシア神話の意味もより複層化されるというもの、だ。そう、“Aqua Boogie”を擁する『Motor Booty Affair』は、Pファンクによる水中SF作品なのだ。

水は嫌いだ、俺を行かせてくれ、下ろしてくれ
ひゃぁぁあ、あんたら濡れてるじゃん! 溺れてたまるか

 梅雨の季節にも相応しく思えるこの曲は、いつものように脳天気を装いながらも、メッセージはじつにシリアスで、謎めいてもいる。「ああ、息が詰まりそうだ」とわめき立てる“Aqua Boogie”には、ジョージ・クリントならではのキラーなフレーズがある。「With the rhythm it takes to dance to what we have to live through. You can dance underwater and not get wet」(俺らが生き延びるべく踊るために必要なリズムをもってすれば、水のなかで踊っても濡れない)。ジョージ・クリントンはつまり、どんなに苦しい生活でも、苦しさに支配されないリズムがあると言っている。それなら水のなかでも踊っても濡れない。


 Pファンクを聴いてつくづく感服するのは……、まあ、しかもこの時期は、ブーツィー、バーニー、ジェローム・ブレイリー、フレッド・ウェズレーにメイシオ・パーカーらJ.B.難民たち、デビー・ライトやジャネット・ワシントン、マッドボーン・クーパー、ジュニー・モリソン、故ゲイリー・シャイダー……燦々と輝く黄金のメンバーが揃っているのでどの楽曲もたいてい魅力的なのだが、文化的なすごさを考えるに、ジョージ・クリントンの表現力の、白い社会(およびそれに憧れる日本)からは見えない奥深い面白さにはあらためて、ほんとうに舌を巻く。その昔デリック・メイが「それを俺たちは哲学として聴いた」と言ったのは、決して誇張ではない。政治的なメッセージを、高級化したリベラル層ではなく街の与太者たちに伝えるには、高度なストリート用語と黒人英語を駆使し、笑えるくらいの言い表しでなければならない。そのためには「ウジ虫」の目を通して宇宙を語り、タイトなブリーフどころか大きなオムツをはいて演奏することも必要だった。

どうせ社会の片隅に追いやられるのであれば、片隅の言葉で話せばいいじゃないか。
——イアン・ペンマン

 息もつけないほど苦しい時代のなかで生きていることを、あらためて説明するまでもないだろう。この私めは、先日、ベス・ギボンズのレヴューでうかつにも「小池vs蓮舫」で都知事選が面白くなったなどと軽口を叩いてしまったことを、公約を見てつくづく後悔している次第だ。「ウジ虫」の目を通して言えば、まったく面白くない! だから面白いことを考えよう。Pファンカーたちのことを考えてPファンクのレコードを聴こう。彼らのたくさんある狂った名曲のひとつに、“Give up the Funk (Tear the Roof off the Sucker)”がある。直訳すると「ファンクなんて止めちまえ(その建物の屋根を引っ剥がせ)」、意訳すれば「ファンクをよこせしやがれ(屋根を剥がすほど騒いでパーティしよう)」。Give up the Funk=Give us the Funk。「おまえがファンクを諦めてくれたらそのファンクは俺のもの(だからおまえはファンクを諦められない)」。この共有感覚はハウス・ミュージックの定義を言葉で表現したチャック・ロバーツの“In the Beginning (There was Jack)”を彷彿させる。「君のハウスは俺のハウス、だからこれは俺らのハウス」。しかもPファンクのリズムは、UKポスト・パンク(例:ザ・ポップ・グループ)へと伝染し、“One Nation Under a Groove”を経て人種的ステレオタイプを超越するプリンスの、たとえば “Let's Go Crazy”のような曲へと連なっているのであった。
 
 ジョージ・クリントは自伝『ファンクはつらいよ』のなかで、80年代に「最高に格好良かったのはプリンスだ」と言っている。「彼の曲をじっくり聴いてみると、俺たちがファンカデリックでやっていたことを、ロックやニューウェイヴでアップデートしていることがわかった」
 エレクトリファイン・モジョの耳は間違っていなかった。デトロイトがプリンスを愛し、プリンスもデトロイトを「第二の故郷」と呼ぶほど愛したのも、音楽的にも、社会的にも文化的にもなるべくしてなったことだった。それはそれで美しい話だが、問題なのはいま我々が水のなかにいるってことだ。だから、たとえ水のなかでも濡れない、そんなリズムを見つけよう。そして願わくば、永遠の課題である、我らの新しい片隅の言葉を。

※本稿を書くに当たって、Pファンクを愛するふたりのアフリカ系アメリカ人の友人、ニール・オリヴィエラとデ・ジラの助けがあったことを追記しておく。


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