「OTO」と一致するもの

Koshiro Hino + Shotaro Ikeda - ele-king

 昨年はバンドgoatの復活で注目を集めた音楽家、日野浩志郎が新たな試みをスタートさせる。詩人・池田昇太郎と組んだ、音と声の表現を探求するプロジェクトだ。3年がかりになるそうで、初年度にあたる今年は、大阪・名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪にて、新作公演「歌と逆に。歌に。」が発表される。
 テーマは戦前から活動していた大阪のアナキスト詩人、小野十三郎。かつて彼の見た街や道をめぐりつつ、彼がもとめた「新たな抒情」を独自に解釈した音楽公演になるとのこと。メンバーにはKAKUHANの中川裕貴、パーカッショニストの谷口かんな、goatの田上敦巳などこれまで日野と共演してきた面々に加え、朗読に坂井遥香、音楽家の白丸たくトが加わる。
 公演は8月16日(金)から18日(日)の4回。日野と池田による新しいチャレンジに注目しましょう。

新作音楽公演「歌と逆に。歌に。」
2024年8月16日〜18日、クリエイティブセンター大阪にて4公演開催。
音楽家・日野浩志郎と詩人・池田昇太郎による、
音と声の表現を探る、3カ年プロジェクトがスタート。

詩人・小野十三郎の書く「大阪」を巡り、
音と声による「歌」の可能性を探る

大阪を拠点とし、既存の奏法に捉われず音楽の新たな可能性を追求し続けてきた音楽家・日野浩志郎と詩人・池田昇太郎による、音と声の表現を探る3カ年プロジェクト「歌と逆に。歌に。」。
初年度は、大阪・名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪にて、新作公演を発表する。

本プロジェクトにおいて重要なテーマとなるのが、1903年に大阪で生まれ、戦前から戦後にかけて大阪の風景や土地の人々を眼差してきた詩人・小野十三郎だ。1936年〜52年、小野が大阪の重工業地帯を取材し、1953年に刊行された詩集『大阪』と、彼の詩論の柱である「歌と逆に。歌に。」を手がかりに、同詩集で描かれた地域や地名をフィールドワークとして辿る。

小野十三郎という詩人の作品に向き合うということは彼の生きた時代とその社会、彼の生まれた街、育った街、住んだ街、通った道、生活、彼の思想、友人や影響を受けた詩人を訪れることでもある。本作ではそうした街や道、風景を巡りながら、詩集『大阪』にて描かれる北加賀屋を舞台に、小野が試み、希求した「新たな抒情」を感受し、独自に解釈し、編み直し、それを音楽公演という時間と空間の中に試みる。

公演情報
新作音楽公演|「歌と逆に。歌に。」
日程:2024年8月16日(金)〜18日(日)
公演日時:
 ①8月16日(金)19:30-
 ②8月17日(土)14:30-
 ③8月17日(土)19:30-
 ④8月18日(日)14:30-
 ※開場は各開演の30分前を予定
会場:クリエイティブセンター大阪内 Black Chamber https://namura.cc/
料金:一般=4,000円、U25=3,000円、当日=5,000円
チケット取扱い:ZAIKOイベントページにて

関連イベント|オープンスタジオ
公演を前に、作品制作の現場を間近でご覧いただけます。
当日はリハーサルだけではなく、クリエーションやリサーチの進捗共有なども行う予定です。
日時:2024年7月7日(日)14:00-17:00
会場:音ビル(大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-5-1)
料金:500円(要申込・途中入退場自由)
申込:Googleフォームにて

クレジット
作曲:日野浩志郎
詩・構成:池田昇太郎
出演:池田昇太郎、坂井遥香、白丸たくト、田上敦巳、谷口かんな、中川裕貴、日野浩志郎
舞台監督:小林勇陽
音響:西川文章
照明:中山奈美
美術:LOYALTY FLOWERS
宣伝美術:大槻智央
宣伝写真:Katja Stuke & Oliver Sieber
宣伝・記録編集:永江大
記録映像:Nishi Junnosuke
記録写真:井上嘉和、Richard James Dunn
制作:伴朱音

主催:株式会社鳥友会、日野浩志郎
共催:一般財団法人 おおさか創造千島財団「KCVセレクション」
助成:大阪市助成事業、全国税理士共栄会
協力:大阪文学学校、エル・ライブラリー
問合:utagyaku@gmail.com

コメント
日野浩志郎(作曲)|制作にあたって共同制作者へ向けたメッセージ

発端となったのは大阪北加賀屋を拠点とする「おおさか創造千島財団」から2年連続のシリーズ公演を提案されたことでした。声をテーマにした音楽公演を以前から模索していたのもあり、大阪で山本製菓というギャラリーを運営していた詩人の池田昇太郎くんに声をかけたところ、大阪の詩人である小野十三郎に焦点を当てた公演を行うのはどうかと提案してくれました。
 小野十三郎は戦前から活動を行ってきた詩人であり、アナーキズムに傾倒した詩集の出版等を経て、「短歌的抒情の否定」、つまり短歌(57577)の形式や感情的な表現を否定するという主張を行った詩人です。中でも1939年に出版された小野の代表的詩集「大阪」を読んでいると、詩の構造や感情的な表現へのカウンター/嫌悪感のようなものを感じると同時に、「硫酸」、「マグネシウム」、「ドブ」、「葦(植物のあし)」、のような冷たく虚無を感じる荒廃した言葉が際立ち、ポストパンクを聴いてるようなソリッドさに何度もゾクっとさせられました。詩集の中で大阪の様々な地名や川等が登場しますが、今回の会場である名村造船所周辺を含む工場地帯は詩集の中でも重要な場所であることが分かります。
 公演内容についてはこれからのクリエーションによって定めていきますが、現状では小野の代表的詩集「大阪」(1939)を中心に置き、小野の詩を読み取りながら音楽と昇太郎くんのテキストを制作していきます。一般化された短歌のような形式の否定というのは詩だけに留まらず、音楽に対しても同様に言及されているところがあり、音楽的常識に則ったものや直接感情的に訴えるような音楽は制作しない予定です。詩と音楽に対する関わり方も難しく、音楽を聴かせる為の詩でも、詩を聴かせるためのBGMでもない、必然的で詩と関係性の強い音楽を作ることが目標であると思っています。
 このプロジェクトは一旦3年を計画しています。最初の2年は大阪で公演を行った後、公演に関する音源作品と出版物をEU拠点の音楽レーベルから発売、そして3年目には海外公演を行うという目標で進めています。
 制作を始めてまだ間もないですが、取り上げた題材の強大さと責任の大きさを感じています。「詩と音楽」ということだけでも難しいですが、天邪鬼で尖った小野の美学に沿うには単にかっこいい表現というだけでは許してくれそうもありません。主に自分と昇太郎くんが表現の方向性の舵を切って進めていく予定ですが、各々でも小野の詩や思想に触れて解像度を上げてもらえると心強いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2024.2.15 日野浩志郎

池田昇太郎(詩・構成)|小野十三郎という詩人と向き合うこと

小野十三郎という詩人の詩と詩論に向き合うことは彼の生きた時代とその社会、彼の生まれた街、育った街、住んだ街、通った道、生活、彼の思想、友人や影響を受けた詩人を訪れることでもある。
 翻って、それは私たちの生きる時代とその社会、私たちの生まれた街、育った街、住む街、通る道、生活、私たちの思想、つまり私たち自身を訪れることでもある。
その上で、詩集「大阪」を通して小野が試み、希求した「新たな抒情」を感受し、独自に解釈し、編み直し、それを音楽公演という時間と空間の中で再構成することを試みる。

 本作のタイトル「歌と逆に。歌に。」は小野十三郎の詩論の一節に基づくものだが、公演に用いたテキストでは、小野の詩や詩論を引用することを最低限にし、書き下ろしとすることにした。そのようにするしかなかった諸般の事情もあったが、詩人の遺した言葉から感銘を受けるに留まるのではなく、新たに言葉を紡ごうとする意義を問い直す必要があった。

 1936年から52年という時代の中で強固な意志を持って書き記された詩篇を読み解き、自らの創作言語にしていくことは並大抵ではなく、仮にあらゆる必然がそこにあったとしても、容易いことではない。
 小野の見つめた、ある時代の大阪。その時代のその街と風景以上に普遍的な目。土地から切り離された人々が、もう一度土地と結ばれるためではなく、その断絶の上で、大きな力に抗い続ける個としてあること。このアスファルトの下に流れる水が、流れ出る場所、浸み出す場所、それを吸って育つ葦、そして枯れる葦。その繰り返し。その見えない流れを捉えること。

2024.6.17 池田昇太郎

photo: Katja Stuke & Oliver Sieber

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プロフィール|出演者

photo: Dai Fujimura

日野浩志郎 / Koshiro Hino
音楽家、作曲家。1985年生まれ、島根県出身。現在は大阪を拠点に活動。メロディ楽器も打楽器として使い、複数拍子を組み合わせた作曲などをバンド編成で試みる「goat」や、そのノイズ/ハードコア的解釈のバンド「bonanzas」、電子音楽ソロプロジェクト「YPY」等を行っており、そのアウトプットの方向性はダンスミュージックや前衛的コラージュ/ノイズと多岐に渡る。これまでの主な作曲作品は、クラシック楽器や 電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」(2018-)の他、サウンドアーティストFUJI|||||||||||TAと共に作曲・演奏した作品「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)、古舘健や藤田正嘉らと共に作曲した「Phase Transition」(2023)、等。佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童とは2019年以降コラボレーションを重ねており、中でも延べ1ヶ月に及ぶ佐渡島での滞在制作で映像化した音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021、監督 豊田利晃)では全編の作曲を日野が担当し、その演奏を鼓童が行った。音楽家・演出家のカジワラトシオと舞踊家・振付家の東野祥子によって設立されたANTIBODIES Collectiveに所属する他、振付師Cindy Van Acker「Without References」、映画「The Invisible Fighit」(2024年公開、監督Rainer Sarnet)等の音楽制作を行う。

(C) tramminhduc

池田昇太郎 / Shotaro Ikeda
1991年大阪生まれ。詩人。詩的営為としての場の運営と並行して、特定の土地や出来事の痕跡、遺構から過去と現在を結ぶ営みの集積をリサーチ、フィールドワークし、それらを基にテクストやパフォーマンスを用いて作品を制作、あるいはプロジェクトを行なっている。廃屋を展覧会場として開くことの意味を視線と身体の運動からアプローチしたインスタレーション「さらされることのあらわれ」(奈良・町家の芸術祭はならぁと2021)、一見するとただの空き地である元市民農園を参加者と共に清掃しながら、その痕跡を辿り、かつての様子を無線越しに語るパフォーマンス「Only the Persiomon knows」(PARADE#25、2019)西成区天下茶屋にて元おかき工場の経過を廻るスペース⇆プロジェクト「山本製菓」(2015~)、「骨董と詩学 蛇韻律」(2019~)他。

坂井遥香 / Haruka Sakai
2014年野外劇で知られる大阪の劇団維新派に入団し、2017年解散までの作品に出演。2018年岩手県陸前高田市で滞在制作された映画『二重のまち/交代地のうたを編む』(監督:小森はるか+瀬尾夏美)に参加。近年の出演作に孤独の練習『Lost & Found』(音ビル, 2020)、許家維+張碩尹+鄭先喻『浪のしたにも都のさぶらふぞ』(YCAM)、梅田哲也『入船 23』、『梅田哲也展 wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』(ワタリウム美術館)など。場所や土地と関わりを持ちながらつくる作品に縁・興味がある。

白丸たくト / Takuto Shiromaru
音楽家。1992年生まれ。兵庫県出身。茨城県大洗町在住。実感のなさや決して当事者にはなれない事柄を、社会・歴史・その土地に生きる人々との関わりから音楽を始めとする様々なメディアを用いて翻訳し、それらを読み解くための痕跡として制作を続けている。「詩人の声をうたに訳す」をコンセプトに行う弾き語り(2016〜)や、ラッパー達と都市を再考するプロジェクト「FREESTYLUS」(2021〜)等。

田上敦巳 / Atsumi Tagami
1985年生まれ。広島県出身。音楽家日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブル「goat」のベースを担当。バンド以外に不定形電子音ユニット「black root(s) crew」のメンバーとして黒いオパールと共に不定期に活動。2011年~2018年まで「BOREDOMS」のサポートを行う他、2022年からはダンサー東野洋子とカジワラトシオによるパフォーマンスグループ「ANTIBODIES Collective」に参加。

谷口かんな / Kanna Taniguchi
京都市立京都堀川音楽高校、京都市立芸術大学の打楽器科を卒業。在学時はライブパフォーマンスグループに所属し、美術家、パフォーマー等と共演、即興演奏の経験を積む。卒業後はフリーランスの音楽家として室内楽を中心に活動。卒業後も継続して他分野との即興演奏に取り組んでいる。これまでに、東京フィルハーモニー交響楽団、京都室内合奏団と共演。近年はヴィブラフォンでの演奏に最も力を入れており、2023年11月にヴィブラフォンソロを中心とした初のソロリサイタル「vib.」を京都芸術センターで開催。

中川裕貴 / Yuki Nakagawa
1986年生まれ。三重/京都在住の音楽家。チェロを独学で学び、そこから独自の作曲、演奏活動を行う。人間の「声」に最も近いとも言われる「チェロ」という楽器を使用しながら、同時にチェロを打楽器のように使用する特殊奏法や自作の弓を使用した演奏を行う。音楽以外の表現形式との交流も長く、様々な団体やアーティストへの音楽提供や共同パフォーマンスを継続して行っている。2022年からは音楽家・日野浩志郎とのDUOプロジェクト「KAKUHAN」がスタート。令和6年度京都市芸術文化特別奨励者。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music” - ele-king

 坂本龍一への敬意を表する国内外 41 名の音楽家による未発表の 39 作品を収録した コンピレーション、2023 年ドイツ音楽評論家賞 Electronic & Experimental部門を受賞した『Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”』が、2024 年5月29日から配信されている。また、同時にアナログ盤もリリースされる。以下、リリース・スケジュールとその内容です。

Tribute to Ryuichi Sakamoto “Micro Ambient Music”

Vol. 1 2024 年 5月31日 (水)発売
01. Tetuzi Akiyama / Transparent Encephalon
02. Otomo Yoshihide / Moonless Night
03. Toshimaru Nakamura / nimb#75
04. Sachiko M / to the sunny man
05. David Toop / Hearing Cries From the Lake
06. Rie Nakajima and David Cunningham / Slow Out
07. Lawrence English / It Is Night, Outside

Vol. 2 2024年7月31日 (水)発売
01. SUGAI KEN / Swallow & Electronic Swallow (2023 Rainy Season)
02. Kazuya Matsumoto / ice
03. Shuta Hasunuma / FL
04. Takashi Kokubo / Rainforest soloist
05. Miki Yui / Hotaru
06. Tomoko Sauvage / Weld
07. Christophe Charles / microguitar

Vol. 3 2024年9月25日 (水)発売
01. Alva Noto / für ryuichi
02. Yui Onodera / Untitled #1
03. Marihiko Hara / extr/action
04. Ken Ikeda / Circulation
05. Hideki Umezawa / Sculpting in Time
06. AOKI takamasa / UKIYO
07. ASUNA / Elephant Eye
Tribute to Ryuichi Sakamoto "Micro Ambient Music"

Vol. 4 2024年11月27日(水)発売
01. Stephen Vitiello / Motionless Wings
02. Sawako / Tokyo Rain Forest 35°40ʼ 25” N 139°45ʼ 21” E
03. Tujiko Noriko / Iʼ ll Name It Tomorrow
04. ILLUHA / Gratitude
05. Christopher Willits / Study for Sakamoto (March 2023)
06. Tomotsugu Nakamura / backword to blue
07. Kane Ikin / Pulsari
08. Bill Seaman / Tears Namida

Vol. 5 2025年1月29日(水発売
01. Tomoyoshi Date / Placement Of The Drops
02. Federico Durand / Alguien escribió su nombre en el vidrio empañado
03. Marcus Fischer / Overlapse
04. Taylor Deupree / A Small Morning Garden
05. Chihei Hatakeyama / Mexican Restaurant
06. Stijn Hüwels / Shinsetsu
07. hakobune / hotarubune


Vol. 6 2025年3月26日 (水)発売
収録曲未定

Blue Bendy - ele-king

 サウス・ロンドンのポスト・バンク・バンドを中心にここ数年で大流行した喋るように唄うスタイルは聞くものに新たな感覚を残したのではないだろうか。つまりは芝居がかった演劇的な側面を音楽にもたらして、プレイリスト、曲単位で盛り上がる観賞スタイルが普通になった中で、再びアルバムという物語を意識させたのではないかということだ。歌い手が言葉を使いストーリーを表現し、その主体の感情を描写するように音楽が追従する。ストリングスやサックスがバンドの中にあるというのが当たり前になった編成で、セリフをつぶやくかのごとく唄うバンドの音楽は舞台で行われる演劇やミュージカルに近く、物語性を持った楽曲との相性が非常に良かった。その一番の成功例は高い評価を得たブラック・カントリー・ニューロードの1stアルバム、および2ndアルバムだろう。アイザック・ウッドの固有名詞にイメージを持たせキーワードのようにしてアルバムの楽曲を繋ぐスタイルを1stアルバムでは偶発的に2ndアルバムでは意図的にイメージを喚起させるように楽曲を組み立てたとバンドは言う。
 そうして時間が経って物語を追う感覚がリスナーに浸透したタイミングで違ったアプローチをする流れも生まれて来た。喋るように唄うスタイルではなくもっとメロディアスで、もっと色鮮やかに。HMLTDのデイヴィッド・ボウイ的SF、精神世界の大活劇の素晴らしき復活作『The Whorm』(この作品はエヴァンゲリオンにも影響を受けたという)が昨年リリースされ、今年、24年にはフォークのアプローチをしたテイパー!の傑作『The Pilgrim, Their God and The King Of My Decrepit Mountain』が生み出された。表面の音楽はまったく違うがどちらのアルバムもいくつかの章に分かれ、それらをナレーションで繋ぐという手法を用いより一層アルバムという物語を強調するものだった。

 さて、このロンドンの6人組ブルー・ベンディーのデビュー作『So Medieval』はどうだろう? 僕にはこれが喋るように唄うポスト・パンク・バンドが生み出したシーンのその先に進んだ音楽に思えてならならない。ピアノが鳴りアコースティック・ギターが咲く柔らかなサウンド、楽曲構成にポスト・パンクの気配を残しながら冷たく鋭い音楽から離れ、陽光の差す平原へ。あるいはそれはブラック・カントリー・ニューロードが2ndアルバムで目指した場所なのかもしれないが、ブルー・ベンディはさらにその先へと歩みを進めている。シンセサイザーが奇妙な音を作りシリアスになりすぎないようにバランスを取り、ねちっこく唄うヴォーカルはミュージカルのように熱を持ち、ギターが感情を作り出す。そして現在のロンドンの多くのバンドたちが共有している感覚であるフォークのアプローチを試み、その中に混ぜる。22年のEP「Motorbike」から進化した音楽はまた一つの特定のジャンルとして形容するのが難しい音楽になったが、歴史の流れの中で歩みを進める実験的なポップ・ミュージックとして完璧に機能している。

 粘り気があって艶があるアーサー・ノーランのヴォーカルは喋るようにメロディを唄いストーリーを語る。マコーレー・カルキンにケンダル・ロイ(ドラマの中のキャラクター)、スーパーマンのコミック、超次元ソニックマン、自らを取り囲むポップカルチャーの固有名詞をふんだんに使い、実存的危機にさいなまれる人生がユーモア交じりに物語られる。宗教的な価値観を織り交ぜながら俗っぽく、壮大な物語はしかしミームと物にあふれた小さな生活の中にかえっていく。たとえば“Darp 2 / Exorcism”のインターネットの惑星に漂う孤独は、暖かいギターの音色ともの悲しいヴォーカルメロディ、壮大というには一歩及ばないコーラス、爆発する小さな起伏に彩られ、最後には車の中、鼻で笑うような会話の中に戻っていく。感情を一気に持っていくようなものではなくニュアンスと空気のレイヤーを重ねてシフトチェンジしていくような音楽がなんとも心を揺り動かすのだ。美しい旋律の快感と、それを壊すようなユーモア、静かに積み上げられていく柔らかな興奮、6分を超える冒険“Cloudy”はまさにそんなブルー・ベンディの魅力がつまったもので、ぐるぐる周るピアノとアコースティック・ギターの爆発に彩られドライヴしていく物語は途中で緩み、展開し、まるでミュージカルのようなコーラスを伴った後半へと突入する。柔らかに着実にどこまでも上っていくように、爆発と展開を繰り返すブルー・ベンディのこの柔らかなカオスはたまらない快感を連れて来るのだ。

 「ロンドンで3番目にいいギターバンドであることはどうにかできる」“Mr. Bubblegum”で唄われるこの言葉はおそらくブラック・カントリー・ニューロードの“Science Fair"の「世界で2番目のスリントのトリビュートバンド」のラインを意識した言葉なのだろうが、彼らはその後にこう続ける「でも僕はなにかで一番になりたいんだ」と。
サウス・ロンドンのインディシーンを見つめ続けてきたバンドは見事にその先へと歩みを進めている。極端にならない方法で、カウンターではなく進化するように。そうして作られたこのアルバムはロンドンのポスト・パンク・バンドとテイパー!やアグリーなどのフォークの要素を強めたバンドの中間のグラデーションとして機能する。固有名詞に囲まれた物語と柔らかいサウンドの彩り、ブルー・ベンディのこのデビュー・アルバムはこんな風になったのだと変わりゆく季節、シーンの未来を確かに感じさせ、そしてなんとも胸を揺さぶってくる。

interview with Keiji Haino - ele-king

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の素の対話を公開するシリーズの3回目。今回は、灰野の初の電子音楽作品『天乃川』についての回想。『天乃川』は宇川直宏が主宰するインディ・レーベル〈Mom'n'DaD〉から93年にリリースされたソロ・アルバムだが、実際に録音されたのは73年だった。流行とは無関係のあの特異な作品がどのようにして作られたのか、そして制作から20年の時を経て世に出るまでの経緯について、語ってもらった。

宇川くんの〈Mom'n'DaD〉から出た『天乃川』は73年のライヴ音源ですよね。


『天乃川』

灰野敬二(以下、灰野):ロスト・アラーフがまだぎりぎり続いていた頃、京都でやったソロ・ライヴの記録だね。機材を全部一人で持って行って大変だった。昔は両方の手でそれぞれ20キロずつの荷物を現場まで持っていってたからね。ある時なんか、右の肩にサックスをかけ、背中にチェロを背負い、旧式の重いテープ・エコーなどエフェクター類とギターを手に持って移動したこともあった。

京都でやった経緯は?

灰野:確か、ダムハウス(本シリーズ第1回で紹介)で知り合った後、何度か連絡を取り合っていた人からのお誘いだったと思う。当時はジャズやブルースにどっぷりだっけど、エレクトロニクスに対する興味も強まっており、どうせだったらそれでやってみようと思ったんだ。

音を聴いただけではわからないんですが、どういう機材を使ったんですか?

灰野:実は、メインの楽器は生のアップライトピアノなの。ものすごく速い演奏をしているし、しかもディレイをかなり深くかけているから、ちょっと聴いただけではわからないと思うけど、よーく聴くと、ちゃんとピアノの音が聴こえるはずだよ。で、そのピアノの音を電子的に変調させている。ピアノの中に仕込んだ1本のマイクでは、ファズ、ファズワウ、エコー・チェンバーをかけて音をループ状にして出し、もう1本のマイクではエレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーを使ってピッチを変化させた。あと、電子オルガンの基盤部分を発信機として使っているし、ヴォイスとコブラの笛(プーンギ)とリズム・マシーンの音も重ねている。
 コブラの笛からはダブル・リード付きの管が2本出ているんだけど、その1本のリードは自分でリードを削って音色を変えていた。リズム・マシーンは、昔のすごくシンプルというかチープなやつね。それのシンバルのボタンをガムテープで固定して、ずっと高速でオンにしたままでテープ・エコーをかけている。
 エレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーは当時、ロスト・アラーフにちょっとだけ在籍していたベイシストに教えてもらったもので、画期的な機材だった。今中古で買うと、かなりするんじゃないかな。コントロールするのが難しいから、使っている人は当時もほとんどいなかったけど、ゴングの初期のアルバムなどでは使われてるよ。


『天乃川』

かなり手のこんだパフォーマンスだったんですね。

灰野:うん、自宅でかなり時間をかけて準備して、ライヴに臨んだからね。だんだん思い出してきた……マイクは少なくとも3本あったはず。歌っている時、なぜか足も使っていた。身体全部でやった記憶がある。もしかしたら、リズム・マシーンのガムテープがはがれないように、ずっと足で押さえつけていたのかもしれない。だから、すごくカッコ悪い体勢で演奏していたと思う。あの頃、エレクトロニクスにもっと本格的に取り組んでいたらミキサーを買ってたと思うけど、まだそこまでは行ってなかったし、なにしろ高価で、個人で宅録に使えるような手頃なものはまだなかった。だから今でも残念なんだけど、エコーのかかっていない楽器もあったんだ。もしミキサーを使って、エフェクターを全部かませていたら、音色も統一できただろうに。でも反対に、音色がばらついていたから、妙に生々しい音になったんだとも思うけどね。

非常に独創的なサウンドですよね。これが73年のソロ・ライヴの音だとは思えない。今聴いても、刺激的です。

灰野:オーレン・アンバーチも、「一体どうやってあのサウンドは作ったんだ。うちで出したい」と言って、2016年にはLPで再発してくれた。

その時のお客はどれくらいいたんですか?

灰野:10人もいなかったと思う。その企画した友達が集客してくれたから、きっと大半が彼の知り合いだったんじゃないかな。


『天乃川』で使用した電子オルガンの基盤部分

そもそもなぜ、エレクトロニクスへの興味が強まったんでしょう。何かきっかけがあったんですか? 

灰野:それはよく憶えていないんだけど…たぶん楽器屋のセールで安い機材を買ったことだったんじゃないかな。リズム・ボックスとか。

レコードは? タンジェリン・ドリームなどジャーマン・ロックとか。

灰野:その可能性もあるね。3作目の『Zeit』(72年)とか4作目『Atem』(73年) あたりは聴いていたし。あるいはシュトックハウゼンなどの現代音楽系の電子音楽とか。当時からロックだろうが現代音楽だろうが、自分の知らないものは区別なく関心を持って聴いていたからね。キーボードを入手したのは、テリー・ライリーがきっかけだった気もするな。BYG盤のGerm, Terry Riley, Pierre Mariétan『Keyboard Study 2 / Initiative 1 (+ Systèmes)』(70年) ね。当時、テリー・ライリーのアルバムで日本で手軽に入手できるのはあれしかなかった。もっとも、あのアルバムからは特に影響は受けなかったし、あまり興味もなかったけどね。

未発表音源をまとめた4枚組ボックス『魂の純愛』(95年)にも、70年代の宅録エレクトロニクス作品が収録されてましたよね。

灰野:そう、あの音源の方が『天乃川』よりも半年ぐらい前なんだ。だから、あれが俺の電子音楽の原点だね。『魂の純愛』に入っているエレクトロニクス作品を作った時は、入力レヴェルが大きすぎた上に、エフェクター類をむちゃくちゃぶち込んじゃったのでテープ・レコーダーが壊れたんだった。当時はレッド・ゾーンなんて知ったこっちゃなかったし。自宅で多重録音をやり始めたのは、そのちょっと前だったから、72年頃かな。『魂の純愛』には、クラリネットとヴァイオリンの多重録音曲も入っているし。あの頃は、発信機やテレコでどういうことができるのか、いろいろ実験していた。


『魂の純愛』

そのテープ・レコーダーというのは、カセット?

灰野:いや、もちろん家庭用のオープン・リール・レコーダーだよ。録音した音をスピーカーから流しながら、演奏を重ねていく。途中でテープ走行がおかしくなったりテープがよじれたりすると止めて、ピンチローラーを洗浄したりと、かなり大変な作業だった。だから逆に、今のエレクトロニクス機材は嫌いなんだよ。苦労しないで、簡単に音を作れるから。とは言っても、テープの切り貼りまではやらなかったけどね。あの頃もし、ロック・バンドはやーめた、となってたら本格的にエレクトロニクス音楽やっていたかもしれないね。

カセット・テープのマルチ・トラック・レコーダーを手軽に買えるようになったのは70年代末期でしたよね。

灰野:そうだね。その頃、俺も買って1年ぐらい使ってたけど、レヴェル調整とかがすごくストレスなので、すぐに使うのを止めた。ああいう作業は、俺にとってはロックじゃないし、何よりも、あの安易さが嫌だった。

『天乃川』のソロ・ライヴも、オープン・リール・レコーダーで録音したんですか?

灰野:いや、カセットだよ。70年代の半ばに一度、そのカセットを間章さんに預けたことがあった。彼がヨーロッパに行くので、何かチャンスがあるかもしれないと思って。で、彼がロンドンのヴァージン・レコード本社に行った時、たまたまクラウス・シュルツェに会ったので、そのカセットを彼に聴かせたら、ものすごく関心を持ったそうだ。彼曰く「青ざめていた」と(笑)。でも間さんはなにしろ話を盛る人だったし、ヨーロッパ滞在中にそのカセットを紛失しちゃったんだ。だから、俺の怒りをなだめるためにそんなお世辞を言ったのかもしれない。

当時は間章さんとかなり親密なつきあいだったんですよね。

灰野:そうだね。73~74年は俺はヨガに熱心で、人と会うことはほとんどなかった。それこそ、よく会っていたのは間さんぐらいだった。彼との会話は面白かったからね。月に1~2回は会っていたんじゃないかな。いつも渋谷の名曲喫茶「らんぶる」で。そういう時に、これを誰かに聴いてほしいと言って『天乃川』のカセットを渡したんだったと思う。

では、結局93年に〈Mom'n'DaD〉から『天乃川』を出す時は、音源はどこから調達したんですか?

灰野:紆余曲折あってね……間さんが無くしたと思っていたカセットは、ちょっと後に、カバンの底にあったと言って返してくれたんだけど、その後、今度は俺がフランスで盗まれたんだ。92年5月末から7月頭にかけてヨーロッパでライヴ・ツアーをやり、フランスではクリストフ・シャルルが仕切ってくれた。ヨーロッパでも関係者に聴かせたいと思って、俺はそのカセットを持って行ってたんだけど、それが入った荷物をニースで盗まれたの。8個あった荷物を全部。警察にも届けたけど、窃盗集団の仕業なので、もう出てこないと言われた。現金とパスポートだけは身につけていたから帰国できたんだけど。
 だから、その時点でマスター音源のカセットは永遠に消えたわけ。でも、その10年ほど前に、ピナコテカで1stソロ・アルバム『わたしだけ?』を作る時、ピナコテカの佐藤隆史くんが『天乃川』のカセット音源をオープン・リールにダビングしてくれたんだよ。ピナコテカから出すアルバムの候補として、最初に俺が『天乃川』を提案していたから。そのテープを佐藤くんがちゃんと保管してくれていたから、〈Mom'n'DaD〉で出せたの。

〈Mom'n'DaD〉の宇川くんには、灰野さんからアプロウチしたんですか?

灰野:いや、〈Mom'n'DaD〉からハナタラシ(92年) やマジカル・パワー・マコ(93年) が出た少し後、突然彼が「ファンです」と会いに来た。そして「灰野さん、何か出しましょうよ」と。始めは、ロスト・アラーフの〈幻野祭〉での完全版を出そうと思ったんだけど、当時俺の手元にあった〈幻野祭〉のライヴ音源は状態がイマイチで、迫力に欠けた。で、この音源のことを思い出して彼に聴かせたら「これです!」と一発で気に入った。

『天乃川』というタイトルは宇川くんがつけたんですか?

灰野:あれは作った当時から俺がつけていたものだよ。真っ暗な中にキラキラしたものが流れている感じがするから。面白いことに天の川って宇宙の川で、宇川も宇宙の川なんだよね。偶然だけど。そういう意味でも〈Mom'n'DaD〉にふさわしい。

間さんに渡し、ピナコテカの佐藤さんにも提案し、宇川くんにも聴かせたということは、灰野さん自身、この音源には20年間ずっと強い愛着があったわけですよね?

灰野:もちろん。自信作だったし、思い入れも強かった。俺は元々、レコードを作ることは好きじゃなかった。音楽は一瞬で消えるものだと言いながらもレコードを作るってのは矛盾していると思っていたから。でも、あれ(『天乃川』)だったらいいんじゃないかという気持ちが最初からあった。あと、『天乃川』があったからこそ最初の『わたしだけ?』も納得いくまで時間をかけて完成させられたのかもしれない。実際、『わたしだけ?』はジャケット写真の件で写真家の佐藤ジンさんと揉めにもめて、リリースも1年近く延び、もうやめようかなという状況にもなったしね。そういう時にも、『天乃川』が心の支えになっていたんだよ。

そういう自信作だったにもかかわらず、エレクトロニクスでの作業は、その後長いこと途絶えましたね。

灰野:ある意味、『天乃川』はフィニッシュだったんだよ。自分の中でのエレクトロニク・ミュージックとしては。近年、俺はエア・シンセを使っているけど、あれは形態の違うデジタル・サウンドだしね。センサーを使って音を出すなんて70年代当時は考えもしなかった。テルミンもオンド・マルトノも、ものすごく高価だったし。当時もしそういう楽器が手軽に入手できていたら、真っ先にやっていたかもしれないね。
 あと、『天乃川』の後エレクトロニクスを使わなくなった背景には、ヤニス・クセナキスの存在があるの。70年代に彼の電子音楽作品をいろいろ聴いて、電子音楽はもうこれでいいんじゃない? という思いが強まった。特に『ペルセポリス』は圧巻だよね。ついでに言うと、72年にEL&Pの初来日公演を観てがっかりしたこともちょっと関係あるかな。その時、キース・エマーソンはすごく高価で巨大なシンセサイザーを使っていたんだけど、そのシンセから出てくるのはピョ~ンピョ~ンみたいな、俺にとってはつまらない音ばかりで、あきれちゃったんだよね。


『わたしだけ?』
米Black Editions からの2017年再発LP

Cornelius - ele-king

 昨年、あのなんとも言えない影と陽を秘めた復帰作『夢中夢 -Dream In Dream-』であらためて存在感を示したコーネリアス。今年はソロ活動30周年にあたるが、ここへ来て新たなリリースがアナウンスされている。題して『Ethereal Essence(イーサリアル・エッセンス)』。近年発表してきたアンビエント寄りの楽曲を中心に構成した作品だという。今作のために再編集や再レコーディングをおこなった曲がメインとなっており、初発表作品が多数を占める、オリジナル・アルバムに近い内容になっている模様。小山田圭吾は一年前のインタヴューでアンビエントへの関心を語っていたけれど、はたして今回どんなアルバムに仕上がっているのか──発売は6月26日。現在 “Sketch For Spring” が先行配信中です。
 なおコーネリアスは、5月より中国での初ライヴに挑戦(5/26上海・ワンマン、5/28北京・ワンマン)、7月には日本で活動30周年記念ライヴも控えている(7/7東京ガーデンシアター、7/13ロームシアター京都)。9月にはヨーロッパやアメリカでもツアーをおこなう予定だ。『Ethereal Essence』という新しい試みとともに、アニヴァーサリー・イヤーを見届けよう。

[商品情報]
Cornelius / Ethereal Essence
WPCL-13566
通常盤 CD 1枚組
¥3,300(税込)

https://cornelius.lnk.to/sketchforspring

https://Cornelius.lnk.to/etherealessence

01 Quantum Ghost 〔アナログ7inch「火花」カップリング曲。初CD化〕
02 Sketch For Spring 〔渋谷パルコオープン記念BGM。初CD化。初配信〕
03 Heaven Is Waiting 〔初CD化。初配信〕
04 サウナ好きすぎ、より深く / Too Much Love For Sauna (Falling Deep) 〔テレビ東京 ドラマ「サ道」テーマ曲のリアレンジ曲。初CD化。初配信〕
05 Xanadu 〔初CD化。初配信〕
06 ここ 〔谷川俊太郎展(2018)展示楽曲。初CD化。初配信〕
07 Step Into Exovera 〔初CD化。初配信〕
08 Forbidden Apple 〔21年配信シングル。初CD化〕
09 Melting Moment 〔「BYSAKUU」第5弾のカセットに収録された楽曲リアレンジ。初CD化。初配信〕
10 告白 - Cornelius ver. 〔ASA-CHANG & 巡礼「まほう」収録曲〕
11 Mind Matrix 〔初CD化。初配信〕
12 Windmills Of My Mind 〔雑誌「Nero」10周年記念号エキシビジョンで販売されたアナログ7inch収録。初CD化。初配信〕
13 Thatness And Thereness - Cornelius Remodel 〔「A Tribute to Ryuichi Sakamoto」収録〕

[ライブ情報]
“Cornelius 30th Anniversary Set”
7/7(日) 東京ガーデンシアター
7/13(土) ロームシアター京都 メインホール

“Cornelius "Dream In Dream" World Tour 2024”
中国
5/26(日) Bandai Namco Shanghai Base Dream Hall – 上海
5/28(火) Fullof Livehouse – 北京
ヨーロッパ
8/30(金) - 9/1(日) End of the Road Festival - Salisbury, UK (TBA)
9/3(火) Paradiso - Amsterdam (NL)
9/6(金) Barbican - London (UK)
アメリカ
9/21(土) Music Box - San Diego, CA
9/22(日) Pappy + Harriet's - Pioneertown, CA
9/24(火) The Fonda Theatre - Los Angeles, CA
9/25(水) UC Theatre - Berkeley, CA
9/27(金) Crystal Ballroom - Portland, OR
9/29(日) The Neptune Theatre - Seattle, WA

海外チケットリンク:https://www.corneliusjapan.com/tour1

[グッズ情報]
Cornelius Official Merchandising
ワーナーミュージック・ストアにて販売中。
https://store.wmg.jp/collections/cornelius

[PROFILE]
Cornelius(コーネリアス)
小山田圭吾のソロプロジェクト。
'93年、Corneliusとして活動をスタート。現在まで7枚のオリジナルアルバムをリリース。自身の活動以外にも、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやREMIX、インスタレーションやプロデュースなど幅広く活動中。

Ryuichi Sakamoto | Opus - ele-king

 近所の本屋で立ち読みをしていたらBGMがなんとも素敵なドローンに変わった。スーパーの上にある店にしては粋な選曲じゃないかとうっとり耳を傾けていたら、店員さんが押している台車が視界の端に入ってきた。ドローンどころか音楽でもなくて、台車がガラガラと立てていた音だった。ガラガラガラ……。いや、でも、坂本龍一が言っていたのは、こういうことだよなと気を取り直す。あらゆる音に音楽を聴き取るということはこういうことだろうと。ほんの数秒だったけれど、それはとても素敵なドローンだった。自分が好きな種類の音だったことに変わりはない。台車の重さだとか、店員さんが押すスピードだとか、様々な条件が重なって出た音がそれだったのである。それから数日後、同じ本屋の前を通りかかると、再び、ガラガラガラ……と同じ音が聞こえてきた。ああ、また、台車の音かと僕の脳は初めからその音を音楽としては受けつけてくれない。覚めきった脳である。もう一度ぐらい騙されてくれてもいいではないか。そして、そのまま歩き続けると、その音は台車ではなく福引きのガラガラポンを回す音だった……

 坂本龍一の最後のピアノ演奏を収めた記録映画。坂本龍一が音響設計に携わった109シネマズプレミアム新宿で観ることができた。『Playing The Piano 2022』と同じく坂本龍一がひたすらピアノを弾き続けるだけで、「opus」は「作品」の意(『BTTB』の冒頭を飾る〝Opus〟はかなりゆっくりとしたアレンジに改められている)。

 最初の曲は〝Lack of Love〟。坂本龍一の訃報が伝えられた直後にSpotifyで1位になった曲である。死後に何が起きるか予言していたみたいで、ちょっと驚く。真上とか横からカメラが寄っていくのではなく、穏やかでどことなくミステリアスなピアノを演奏する坂本龍一の背後からカメラが近づいていく。もしも撮影しているのが他人であれば、坂本は手を止めて振り返るような気がするけれど、息子が監督だからだろうか、無防備な背中は振り返ることなく、後ろを向いたまま。背中というより「気配」の視覚化と言いたい。こんなところから見ていいのだろうか。そんな気分に襲われる。大袈裟にいえば家族の一員になれたようなオープニングである。

 宣伝資料には「コンサート映画」と謳われている。だとしたら、以下、具体的な曲名は伏せて「作品」を眺望してみよう。意外な選曲。意外な曲の構成をひた隠しにして宣伝の片棒を担ぐことにしたい。ユーチューブを検索すると坂本龍一は自分がかかわった映画についてあれこれと話す動画をたくさんアップしていることがわかる。そして、そのどれもがあまり視聴されていない。『あなたの顔』や『さよなら、ティラノ』など、いろんな映画を見てもらいたくて彼は勝手に宣伝していたのだろう。僕もいまは似たような気持ちである。

 ピアノの演奏を収めた映像となると背中ばかりを映し出すわけにはいかない。坂本親子といえどもそこまでは前衛ではない。何曲か観ていると、定石通りに手元のクローズ・アップが映し出される。角度の妙なのだろうか、手元のクローズ・アップを何度か観ているうちに坂本の両手が2匹の魚に見えてきた。飛び魚が水面を跳ねて泳ぐように坂本の両手が抜いたり抜き返したりを繰り返す。曲が終わると両手がふわっと宙に持ち上げられる。坂本龍一追悼号で坂本とコラボレーションを続けたテイラー・デュプリーにどうして『Disappearance(減衰)』というタイトルにしたのか尋ね、「2人とも人生や自然の儚さに惹かれていたから」(p43)という答えを得たのだけれど、坂本がふわっと手を宙に持ち上げると、手の先にはまだ音が残っていて、それがゆっくりと空中に消えていくプロセスが目に見えるよう。曲の終わりだけではない。ひとつの音が現れては消え、次の音が現れては消える。その繰り返しに2匹の魚が自然と重なっていく。

 『Opus』が捉えたのは、結果的に最後の演奏ということになったわけだけれど、どういうわけか、枯れた演奏という感じはしなかった。どの曲も次の演奏はなく、「これで終わり感」のようなものはあるのに、そのことと「枯れる」という感覚が結びつくことはなかった。似たような和音を続けざまに抑えたり、少しずつ音階がずれていく展開など、なんというか、正解を探り続けているというのか、坂本の中で完結したものを聴かされているという気がしないのである。うまく言えないけれど、この世界には感情のツボがあって、そこを一緒になって探っているような能動的な気分になっている。僕は長いあいだ『B-2 Unit』や『Esperanto』がとても好きだった。だけど『Out Of Noise』が自分の気持ちに入り込んだ瞬間から初期の作品には幼さを感じるようになり、以前と同じ気持ちで聴くことができなくなって名盤として同列に扱うことも無理になり、それだけ『Out Of Noise』が醸し出す慈しみやスケールの大きさに圧倒されて〝Merry Christmas Mr. Lawrence〟が無限大に膨れ上がったヴィジョンに包まれたような気がしていた。『Opus』を観ていて感じたこともそれに似たものがあり、枯淡の境地というような距離感のあるものには思えなかった。

 そして、それらとまったく違ったのが〝Tong Poo〟。この曲だけは「次はない」という気がしなかった。やはりこの曲にはこれからYMOを始めるぞという坂本の野心が目一杯つまっていたからだろう。それまでずっと続いていた穏やかな海とは違い、〝Tong Poo〟からは人生の荒波に乗り出す期待がいまだに躍り出してくる。だからか、逆説的に「枯れた演奏」という表現がこの曲だけには当てはまると思う。少なくとも『BTTB』に収められた獰猛なヴァージョンと比較したらそれこそ老いを感じさせる演奏ではある。そして、他の曲とはあまりにトーンが違うからか、〝Tong Poo〟だけはすぐに演奏が始まらない。ほかの曲でもやり直しや単純な失敗はあったのだろうけれど、調子を整える場面を残したのはこの曲だけだったというのは映画の構成的にも正解だったと思う。

 ピアノ1台だけなのにベースが聴こえてくるような気がする曲もある。演奏しながら鼻の下を伸ばす仕草も監督は逃していない。比較的好きではなかった曲もまったく違った曲に聴こえた。〝Merry Christmas Mr. Lawrence〟は様々な時期の演奏を聴いてきたつもりだけれど、極端に高音を強調した初期の演奏や最も落ち着いた2010年代の演奏、あるいはイントロの前に別なイントロがついたヴァージョンなど、そのどれとも異なる演奏で、音階が違うわけではないと思うけれど、そこはかとなく音数が多い気がして、あまりに簡素だった『Playing the Piano 2022』やモチーフによってテンポが急変する〝Merry Christmas Mr. Lawrence - Version 2020〟の演奏がまだ頭に残っているせいか、一度だけでは消化できない情報量が耳に残ったままになっている。この情報量をしばらく頭の中で転がし続けられることが、おそらくは幸せなことなのだろう。

PS

 昨年始めに『12』のレビューで坂本龍一が盛んに大学生の僕たちを笑わせようとしたことを書き、これを読んでくれた小山登美夫が、イヴェントが終わってから坂本さんに「暗いよ」と言われ、だからしつこく笑わせようとしたのだということが判明いたしました。40年前も前のナゾがいまさら解き明かされるなんて。


interview with Lias Saoudi(Fat White Family) - ele-king

 ロックの本質をラディカルなものだと捉えているバンドマンは絶滅種に近い、とまでは思わない。日本からUKを見た場合、リアス・サウディやスリーフォード・モッズのような人たちはすぐに思い浮かぶけれど、まだ紹介されていないだけで、じつはほかにもいる。だから、UKロックがいよいよファッショナブルな装飾品になった、というのは早計だ。が、こんにちのロック界がラディカルなものを求めているのかどうか……ぼくにはわからない。
 ジョン・ライドンやジョー・ストラマー、あるいはポスト・パンク世代たちのインタヴューが面白かったのは、彼ら彼女らが、自分が言いたくても言えなかったことを言っていたから、という気持ちだけの話ではない。彼ら彼女らの発言には、たとえ平易な言葉であっても社会学や哲学、政治の話を聴いているかのような、知性に訴えるものもあった。リアス・サウディのインタヴューは、あの時代のUKインディ・ロックの濃密な実験が完全に消失されていなかったことを証明している。意識高い系へのウィットに富んだ反論という点では宮藤官九郎の「不適切にもほどがある」と微妙にリンクしているかも……いやいや、ファット・ホワイト・ファミリーのリスナーの大部分は昭和など知らない、ずっと若い世代です。
 とまれ、ファット・ホワイト・ファミリーが5年ぶりの4枚目のアルバムをリリースするまでのあいだ、バンドの評判が母国において上がっているとしたら、ベストセラーとなった共著『1万の謝罪』の効果もあろう。が、音楽シーンにおける難民となっている彼らだから見えている光景を、人はもうこれ以上、目を逸らすことができなくなってきているという状況があるとぼくはにらんでいる。この、いかんともしがたいダークな事態が続くなか、風穴をあけんとジタバタし、破れかぶれにもなり、じつを言えばなんとしてでもロックンロールを終わらせたくない男=リアス・サウディへの共感は、スマートではないからこそさらに熱を帯びることだろう。彼にはいま、作家としての道も開けているそうだが、ぼくとしては、ひとりでも多くの日本人がファット・ホワイト・ファミリーの音楽を聴いてくれることを願うばかりだ。


中央にいるのが、取材に応えてくれたリアス・サウンディ

テイラー・スウィフトを聴く方が、あの手のバンドを聴くよりも「侮辱された」って気にならないだろうな。例の「ポスト・ポスト・ポスト・ポスト・パンク」バンドの手合いね。生真面目で、時機に即した正義感あふれる歌詞、たとえば「自分たちはどれだけ移民を愛してるか」だの、ジェンダー問題云々、まあなんであれ、そのときそのときでホットな話題を取りあげる連中。

素晴らしい新作だと思いました。

Lias Saoudi(LS):オーケイ。

この時代のムード、とくにやるせなさや空しさをひしひしと感じました。

LS:うん。

最初にアルバムを通して聴いたとき、いちばん心にひっかかったのは、“Religion For One”でした。ぼくは英語の聞き取りのできない日本人なので、頼りはサウンドだけです。その次が“Today You Become Man”で、これが気になったのはサウンドと曲名です。ほかの曲も好きですが、この2曲から感じた、恐怖、混乱、倒錯的な快楽、目眩、空しさ、これらはこのアルバムのなかで重要な意味をなしているように思いました。この感想についての感想をお願いします。

LS:ああ、だから一種の、想像力およびアクションの麻痺、みたいなことなんだろうな。ある種……それが注意力を引きつけるのは当然のことだ、というか。だって、それ以外に何も起きてないわけだから。

通訳:それは、現在の世界では何も起きていない、ということでしょうか?

LS:そう。いまやこう、ぞっとするくらいの停滞状態、というポイントにまで到達したと思うし。だから一種の、この……アポカリプスか何かの一歩手前、って状態が恒久的に続いている、みたいな? つまり、そうなる寸前の段階で時間が凍りついて止まってる感じ。だから逆に、いっそ物事が崩れ落ちてくれる方がむしろ救いになるんじゃないか、と。それってだから、永遠に変わらない型/枠組みが存在する、波頭が砕けることはない、ということだし。とにかく、そういう……まじりっけなしの不安感がある、と。で、思うにそれがおそらく、「これ」と明確にわかるやり方で、ではないにせよ、おれが伝えようとしてることなんじゃないのかな。とは言っても〝Today You Become Man〟、あの曲は、おれの兄の体験した割礼のお話で。

通訳:えぇっ? そ、そうなんですか!

LS:(苦笑)うん、彼は子供の頃に割礼を受けて……おれたちは半分アルジェリア人の血が混じってるんだ。だから兄は父方の故郷で、北アフリカの山々で割礼を受けた、と。

通訳:なるほど。かなり残忍な儀式、という印象ですが。

LS:ああ、かなりむごい。兄は麻酔も受けずにカットされたし……

通訳:ぐわぁ〜っ、聞いてるだけで痛そうで、きついなあ。

LS:フハハハハッ! でも、だからなんだよ、あの曲がかなりナーヴァスなものに響くのは。

音だけだと、あの曲はフィリップ・K・ディックの小説で描かれる悪夢みたいで、強烈に惹きつけられました。

LS:なるほど。一種、そうかもね。ハッハッハッハッ!(※ディックは「陰茎」を意味する言葉でもある)

通訳:たしかに……(苦笑)。

LS:でも、あのとき兄は5歳くらいだったはずで。だからあの曲では、兄があの思い出を語るときにやるおれたちの父親の物真似、それをおれが真似てるっていう。あの曲で起きてるのは、そういうことだよ。

このグループのなかに、アルバート・アイラー的な面はあるよね。思うに……おれ自身は、フリー・ジャズに造詣が深いとは言えないだろうな。ただ、誰もが色々でっちあげたというか、アルバム作りのあの時点で、みんな、思いつくままクソをあれこれと壁に投げつけて、何がこびりつくか見てみよう、と。

フリー・ジャズは聴くんですか? “Today You Become Man”にその影響がありますが、もしそうなら、とくに好きな作品/アーティストは?

LS:まあ、このグループのなかに、アルバート・アイラー的な面はあるよね。思うに……おれ自身は、フリー・ジャズに造詣が深いとは言えないだろうな。ただ、誰もが色々でっちあげたというか、アルバム作りのあの時点で、みんな、思いつくままクソをあれこれと壁に投げつけて、何がこびりつくか見てみよう、と。

通訳:(笑)

LS:あの曲は実は、9人で演奏した、20分近いジャムみたいなものだったんだ。だからアルバムに収録したのは、そこからカットした短い部分。

通訳:ジャムから編集してアルバム向けの尺にした、と?

LS:っていうか、あの曲のヴォーカルにとって「これだ」と完璧に納得できる、その箇所だけ使った。

FWFの10年の歩みを綴った、アデル・ストライプとあなたの共著『Ten Thousand Apologies: Fat White Family and the Miracle of Failure(1万の謝罪:ファット・ホワイト・ファミリーと失敗の奇跡)』(2022)はいつか読みたい本です。レヴューを読む限りでは、FWFの歴史においての、おもにドラッグ常用者の手記みたいなものらしいですが、合ってます?

LS:ああ……。

通訳:もちろんドラッグ体験ばかりではなく、バンド・ヒストリーも追っているのでしょうが。

LS:まあ、本の多くは、おれとおれの弟(Nathan Saoudi)の生い立ちについて、だね。アルジェリア半分/英国半分の子供で、北アイルランド、そしてスコットランドで育ち……ということで、まあ、とにかくちょっとばかし奇妙なお膳立てだったわけ。で、続いて20年くらい前のロンドン音楽シーンの話になり、みすぼらしい生活、一時的なスクウォット暮らし等々……不潔さ、カオス、ドラッグが山ほど出てくるよ、うん。でも、どうなんだろ? たぶん、これくらい早い時点でああいう本を書くのは、ちょっと妙なんだろうな。ただ、パンデミック期だったし、おかげでほかに何もやることがなかったし、だったらまあ、ここでひとつ過去を吟味してもいいだろう、と。当時は音楽活動をまったくやってなかったし。

この本を書こうと思った動機について聞きたいのですが、たしかに「バンドの伝記」はちょっと早いですよね。いまおっしゃったように、コロナがきっかけだった? それともいつか書きたいと思っていた?

LS:いいや、たぶんアデル・ストライプは、どっちにせよこのバンドのバイオグラフィを書くつもりだったんだと思う。彼女はパンデミックの前から、おれに協力を要請していたからね。パンデミックが世界的に爆発したまさにその頃に、おれたちは日本・中国・台湾・香港etcを回ってるはずだったんだよ(※2020年3月に予定されていたがキャンセルになったツアー)。だから本来は、おれがロード生活の合間に彼女にいくつかのパラグラフをメールする予定だったわけ。ところが何もかも一時停止し、バンド全員が家にこもっていたし、ほんと、こりゃ執筆には完璧なタイミングだな、と。うん、あれはまあ、一種のセラピー的なプロセスだったというか。どうかな? とにかく、もっと過去に起きた、とんでもなくカオスな出来事の数々を自分なりに理解するのに役立った。ほんの少しだけど、それらからなにがしかの理解を引き出せた。

書名を『Apologies(謝罪)』としたのはなぜ? 単純な話、まわりに迷惑をかけたからでしょうか?

LS:んー、おれが思ったのはそれよりももっとこう、このバンド内には常に、非常に悪意に満ちた、有害な対人関係の力学が存在してきたわけ。おかげでその歴史は丸ごと、絶え間ない川の流れのような無意味な謝罪の連続、みたいな。つまり、あれは一種の内輪ジョークというか。ほとんどもう、いちいち相手に謝るのすら面倒くさいというのに近い。どうせまた険悪になるんだし、だったら中身のない謝罪ってことだから(苦笑)。

通訳:なるほど。バンド内のテンションや個人間の葛藤もありつつ、それでも仲直りし再出発するものの、でもまた誰かがおじゃんにする、の繰り返しで続いてきた、と。

LS:まあ、悲惨なのは、この……「仕事」というのか何というのか、そのいちばん魅力的な面というか、本当はたぶんそうするべきじゃないのに、でも続けたくなってしまう、その理由って、パフォーマンスをやることと、そしてそれにまつわる経験すべてのもたらすハイなんだよね。だから、おれたちの間で起きた口論の数々は、みんなの生きてる自然界での当たり前の人間関係だったら、たぶん完全な仲違い・絶交に繫がっていただろう、そういう類いのものだったわけ。普通なら、自然死していたはずだ。でも、おれはこの、いわば痛みを感じにくい生命維持装置めいたものをまとい続けていたし、それって風呂に浸かったまま生きるようなもんで、だから毎晩のようにマジにエクストリームなことをやっていた、と。ところがいったんライヴが終わるや、一気に罪悪感が出てきて、全員がハイな状態のままで「ごめんな」「悪かった」とか、謝り合うわけ。すると急に、「何もかも滅茶苦茶だけど、それでもオーライ!」って信じることができるっていう。それってある意味……勝手な思い込み・妄想なんだろうな。一種、毛布をひっかぶってイヤなものは遮断する、そういう幻想っていうかさ。そうやってひたすら目をつぶって邁進し続け、でも状況はどんどん悪化し、恨みや憤りもどんどん積み重なっていく、と。うん、そんなとこ。

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そもそもこのバンドは常に、なかばダダイスト的な、社会実験みたいなものだったからね。だから、ヒットを出して大きく当てる、みたいなことはハナから意図してなかった。

“Religion For One”には不思議なパワーを感じます。負の感情が横溢していますが、この曲には陶酔感もありますよね。曲ができた経緯を教えてください。

LS:えーと、あの曲を書いたのはいつだったっけ? フーム……ああ、パンデミックが起こる直前に、おれは曲を書き始めて、それとフィンガー・ピッキングのギター奏法も勉強し始めたんだ。フィンガー・ピッキングでギターを弾きたいとずっと思ってきたし、ここでもまたパンデミックが、アコギで指弾きをやるのを習得する格好のタイミングになった、と。で、おれはちょっとした曲を作り始めたし、それらは、そうねえ……「えせレナード・コーエン」調とでもいうか? 単に自分で浸って書いていたし、あとまあ、〝Suzannne〟をギターで弾こうとえんえん練習してたから、というのもある。で、そのプロセスのなかからこの曲が浮上してきた、みたいな。たしかあの頃は、ルーマニア人の悲観主義作家/思想家のE・M・シオラン(Emil Mihai Cioran)をよく読んでたな。

通訳:ほう。

LS:彼の文章はまあ、「宇宙的にブラックな笑い」、みたいな? で、あのときのおれが向かおうとしていたのも、そのノリだったわけ。というわけで、そうだな……(小声でつぶやく)さて、あの曲を書いたのはいつだったかな、はっきり思い出せない……まあともかく、いまからずいぶん前の話だよ。おれが、いわゆる「タートルネックを着た、真面目なフォーク吟遊詩人」になろうとしていた間に書いた曲だ。

通訳:(笑)ボブ・ディランみたいな?

LS:そう、ボブ・ディランか何かみたいな(笑)

FWFのなかは、ロックにおける成功とはいったいなんなのか?という、カート・コベイン的なヒニリスティックな疑問があるのでしょうか? たとえば、大衆受けする曲を書いて、こうして取材を受けて、売れて、儲かるという、それらすべてのポイントってなんなんだ? みたいな。

LS:いや、おれは複数のバンドを掛け持ちしようとしてるし、執筆活動もやる。だから、9時5時の普通の仕事をせずに食いつなぐためには、色んなことをやらなくちゃいけないわけ。だからおれからすれば、自分が標準的な職に就くのを回避できたら、それは漠然とした「成功」と捉えていいだろう、と。もっとも、公正を期すために言うと、今のこの仕事(=バンド〜アーティスト活動)だって、ある意味、普通の仕事と同じくらい嫌いなんだけどね。普通の仕事をやってる方が、たぶんもっと経済的に楽だろうし。ってことは、自分はそこすら勘違いしてたんだろうな、つまり自分なりの「成功」の定義のレベルですら、あまりうまくいかなかった、と。いやだから、以前のおれは、ステージに登場しただけで、バンドがまだ何も始めてないのに観客が拍手喝采する、そうなったら成功だろうと思ってたんだよ。ほら、人気を確立したバンドのライブだと、彼らがステージに上がった途端に、もうお客は拍手するわけじゃない? そうなったら、たぶん自分はそれだけで満足だな、昔はそう思っていたわけ。でも、満足するってことはなかった。それ以外にも、求めることはいろいろあるっていう。ただ、近頃じゃ……スポティファイ等々の権力を持つ側が基本的に、「お前にはなんの価値もない」と決めてしまったわけでね。だからおれたちも、「ロックンロールのサクセスとは何か」の定義/尺度を格下げしなくちゃならなかった、と。その公式見解に足並みをそろえるのは可能だし、そうすればもうちょっとバンドも長続きするかもしれないけど、そもそもこのバンドは常に、なかばダダイスト的な、社会実験みたいなものだったからね。だから、ヒットを出して大きく当てる、みたいなことはハナから意図してなかった、という。まあ、いわゆる「インディ・ロック」と呼ばれる類いの音楽で実際に成功してるもの、それらの実に多くはマジに、もっとも憂鬱にさせられるような戯言だしね。あれを聴くくらいなら、おれはむしろ……いや、実際にテイラー・スウィフトを聴いたことはないけど、たとえば彼女の類いの音楽を聴く方が、あの手のバンドを聴くよりも「侮辱された」って気にならないだろうな、と。つまり、例の「ポスト・ポスト・ポスト・ポスト・パンク」バンドの手合いね。生真面目で、時機に即した正義感あふれる歌詞、たとえば「自分たちはどれだけ移民を愛してるか」だの、ジェンダー問題云々、まあなんであれ、そのときそのときでホットな話題を取りあげる連中。それこそもう、「いま熱い」トピックを次々に繰り出す糸車みたいだし、しかもそのすべてに歯を食いしばるようなひたむきさが備わってて。だから、ユーモアにもセックスにも欠けるし、ただひたすらこう、「乾いてる」という。そういうのには、おれはとにかく、一切興味が持てない。

通訳:カート・コベインについてはどう思いますか? ニルヴァーナは90年代でもっとも成功したロック・バンドのひとつになり、彼はその重圧に苦しみました。で、大ヒット作のパート2ではない『In Utero』を作ったのは一種の「自己サボタージュ」だったと思います。『In Utero』はいまではクラシック・アルバムとされていますが、当時はニルヴァーナのキャリアを棒に振ると言われた問題作でしたし――実際、彼は自らの命を絶ってしまいました。彼のそういう厭世的なところは、理解/共感できたりしますか?

LS:そうだな、今日の……おれたちが生きてる時代の音楽の歴史って、実際面での再編成に影響されてるんじゃないかな。つまり、音楽をやってもちっとも金にならない、と。その点は本当に、とにかく何もかもの力学を丸ごと変えたと思う。不可能だ、と。だからもう、そうしたことをやる権限はないわけ。おれが見渡す限り、そういうタイプのスター、あるいはならず者的な存在は見当たらないし、うん、少なくともロックンロールの世界では、そうした人物は過去の遺物だね。まあ、もしかしたらカニエが、ラップ界でその旗を振ってるのかもしれないけど(苦笑)?

通訳:(笑)たしかに。

LS:(笑)「マジにファッキン狂った男」をやってて、危ない奴だ、と手かせ足かせで拘束されるっていう。一方でロックンロールはいまや、ブルジョワ階級の道楽めいたものになってる。こけおどしの儀式/祭典みたいなもんだし、これといった文化的な生命力は、そこにはもはやない。とにかく都会暮らしの中流階級のガキが繰り広げる仮装大会だし、要するに、そこには鋭い切れ味がすっかり欠けている、と。だから、いま言われたような「成功を拒絶する」型の声明を打ち出すのは、もう、どんどんどんどん、むずかしくなる一方なわけ。ってのも、メンバー全員が完全に頭がおかしくなり、あっという間に爆発してしまうことなしにバンド活動を続け、作品を出しツアーに出続けるのは、もう不可能だから。いまバンドをやってる連中は、そこにこもってODできるような私邸すら持ってない。三回離婚しても慰謝料を払えるほど稼いでもいないし、個人的なメルトダウンを起こしたら逃げ込める私有牧場も持ってない。コカインは高過ぎて買えないから、それより安いスピードに切り替えるしかないし、ヘロインの代わりにフェンタニル(※合成オピオイドの鎮痛剤)を使う……みたいな感じで、とにかくあらゆる基準において、何もかもが格下げされてきた。もちろんほかのすべて、生活基準etcもグレードが落ちてるけど、音楽におけるそれは、とりわけひどい。音楽がいかにシェアされるか、という意味でね。それこそもう、基準なんて存在しない、というのに近い。少し前に――これまた一種の「ロックンロールの自殺者」と呼んでいいだろうけど――デイヴィッド・バーマンに関する記事を読んで。

通訳:ああ、シルヴァー・ジュウズの(※1989年結成のUSバンド。2005年にラスト・アルバムを発表し09年に解散、フロントパーソンのバーマンは2019年に新プロジェクトをデビューさせたものの程なくして自殺)。

LS:うん。デイヴ・バーマンについて読んでたんだ、彼が自ら命を絶つ少し前にリリースした、最期のアルバムがとても好きだから。

通訳:『Purple Mountains』ですね。

LS:そう。あれはほんと……今世紀のもっとも美しいレコードのひとつ、というか。それくらい、本当にあのアルバムが好きで。でまあ、それで彼に関する記事を読んでたんだけど、そこに「彼はナッシュヴィルに家を買った」みたいな記述があって。90年代のレコード売上げ等々で彼には家を買えた、と。それを読みながら、おれは……いやだから、シルヴァー・ジュウズを聴くと、そのいくつかはとんでもない内容で(苦笑)。

通訳:(笑)

LS:それこそ、もっとも商業性のないオールドスクールなフォーク・ロックみたいなノリだし、歌詞にしてもへんてこで脱線気味。どう考えても「ヒット曲満載」ってもんじゃないし、支離滅裂で。だから「えぇっ、デイヴ・バーマンはあれでも家を買えたんだ!」と驚いた。「一体どうやって?」と思った。でも、ああそうか、90年代だったからか、と納得したっていう。

通訳:時代もありますし、あの頃のナッシュヴィルでも、郊外ならまだなんとかなったんじゃないですか?

LS:ん〜〜、たしかに。それはそうだな。ナッシュヴィルの不動産価格をきちんと調べた上でじゃないと、これに関して早合点はできないかもしれない。

通訳:(笑)。いまは、たとえばナッシュヴィルで腕を磨いたテイラー・スウィフトの成功で再び新世代のカントリー・シーンが盛り上がり、状況も違うんでしょうが。

LS:だけど、カントリーは常にかなり人気があるジャンルだと思うけど? それって、アメリカ国外のおれたちみたいな連中には認識できない、そういうもののひとつだと思う。ただ実際には、カントリーはアメリカでいちばん人気のある音楽と言っていいくらいポピュラーで。ヘタしたらヒップホップよりビッグかもしれないし、産業としてもめちゃめちゃ巨大だろうし。で、その再重要地点がナッシュヴィル、みたいな。だから、いまはもちろん90年代ですら、家の価格はかなり高かったんじゃないかと思うな……。ちょっと話が逸れたけども。

メンバー全員が完全に頭がおかしくなり、あっという間に爆発してしまうことなしにバンド活動を続け、作品を出しツアーに出続けるのは、もう不可能だから。いまバンドをやってる連中は三回離婚しても慰謝料を払えるほど稼いでもいないし……みたいな感じで。

たしかに。質問に戻りますが、先ほど「音楽にヴァイタリティがなくなってしまった」とおっしゃっていましたが、文化全般についてはいかがですか? 60年代末のカウンターカルチャー、パンク〜レイヴ・カルチャーの時代に比べて、文化の力が弱まったという意見がありますよね。あなたもそう思いますか? もしそういう自覚があるようだったら、その苛立ちというのはFWFに通底していると言えるのでしょうか?

LS:まあ、基本的にインターネットがそうした物事のすべて、君がいま挙げたようなサブカルチャーetcのポテンシャルを一掃してしまったんだと思う。それらはみんな、「ポスト・インターネット時代」においては認知不可能なものになってしまった、と。人びとの頭のなかに入り込んでしまう、この、奇妙な均質化と関連してね。つまり、インターネットの本質に不可欠なのは、可能な限り誰もがほかのみんなと似たり寄ったりになる、ということだし、そうすればマシンもより円滑に機能するわけで。思うに、かつて特定のファッションなり、音楽やサウンドなり、とある地域なりの周辺に集まって融合したエネルギーというのはすべて……そのエネルギーはきっと、何かに対する反抗だったり、あるいは単に、抑圧された表現の奔出だったんだろうけども――それらは全部、この「オンライン空間」みたいなものにパワーを集中し直したんじゃないかと。というわけで、意地の悪いケチな争い合いの数々に、色んなヴァイラル/TikTokのバズの堆積物の山だの……要するに君は、エンドレスに連続する、減少していく一方の無数の「無」を前にしてる、みたいな。フィジカルな世界で有機的に成長していくことのできる、真の意味での焦点/中心点ではなくてね。何もかもからそれが剥ぎ取られてしまい、そうした過去のサブカルetcに対するノスタルジアがそれに取って代わった感じ。おかげで、安っぽいイミテーションだのパロディが絶え間なく出て来るし、いまやもう「パロディのパロディの、そのまたパロディ」みたいな地点にまで達してる。でも、たとえばUKを例にとってみても――もちろん、音楽はいまだに英国有数の大産業だし、もっとも稼ぐ輸出産業のひとつなんだよ。ただ、そんな国なのに、全国各地で小規模のライヴ・ハウスやクラブ会場が消えつつあって、その存在は風前の灯。代わりに、新たなアリーナ会場が作られてる。

通訳:ああ、そうですよね。

LS:アリーナ公演のチケット代が天井知らずで上がる一方で、200〜300人規模のヴェニューは店じまいしてるわけ。だからなんというか、ギー・ドゥボール的な「スペクタクルの社会」になってる、というか? そこにはプラスチックでにせの「神」的存在が次々担ぎ出され、古風なロックンローラー、それこそテイラー・スウィフトでもいいし、ポール・マッカートニーでもいいけど、その手の重々しい「巨人たち」が登場する、と。ただ、そんな見世物はどう考えてもこっちも即応できる反応的なものじゃないし、観客が参加することも、何か加えることもできない。そこでは何もかも司令部からのお達しに従っているし、すべては大企業型の、こちらを疎外するような中央集権的なノリ。でも、そこが変化するとは、おれは思わないな。というのも、60年代等々の、文化がまだ重要だった時代から遠ざかれば遠ざかるほど、それに対するノスタルジアは強まる一方だろうから。人びとは20世紀半ば以降の半世紀を振り返って、あの頃は文化的に最高な時期だったと思うんだろうし、とくに、ポップやロックンロールといったタイプの音楽に関してはそうだろうね。ただ、あれらは本当にその時代特有の、かつ、当時の社会経済およびテクノロジー状況に固有の音楽であって。つまり、あの頃にはまだ第二次大戦後復興期の若々しい元気さがあったし、ある種のナイーヴさもあったわけで。新たに生まれた各種テクノロジーに対する、子供のあどけなさに近いものもあったし、そうやってラジオやロックンロールのパワーをコントロールしていった若者たちに、まだ企業/体制側も追いついていなかった、と。うん、いまの時代に、それはまったく不可能な話だと思う。

新作には、ダンサブルな曲がいくつかあります。“What’s That You Say”や“Bullet Of Dignity”のことですが、こうしたエレクトロ・ディスコな曲をやった経緯について教えてください。つまり、あなたはダンス・ミュージックにどんな可能性を見ているのか。

LS:いや、っていうか、おれはDecius(ディーシアス)って名前のダンス・ミュージックのプロジェクトもやってるんだ、パラノイド・ロンドンの奴らと一緒にね。そこではクラシックなハウス〜テクノ系の音楽をやってるよ。でもまあ、ダンス・ミュージックへの傾倒は以前からあったし、何年もの間に自然に、徐々にそっちに向かっていたんだと思う。だから、とくに深く考えてのことじゃないね。たまたまそういう流れだった、と。おれたち、ドナ・サマーのファンだし。

通訳:(笑)彼女は最高です! とにかく『Forgiveness Is Yours』は時代のムードに合っている作品でとても気に入っています。どうも、ありがとうございました。

LS:ありがとう。バイバイ!

interview with Keiji Haino - ele-king

ドアーズを初めて聴いたのが中3で、その後の2~3年で、すごいスピードでいろんな音楽を吸収した。レコードやラジオで。そして、ハードなもの、他にないもの、この二つが自分は好きなんだとわかった。

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の対話を紹介するシリーズの2回目。今回は、高校時代からロスト・アラーフ参加までの1969~70年頃のエピソードを2本ピックアップする。ロック・シンガー灰野敬二の揺籃期である。
 ちなみに本稿がネットにアップされる頃、灰野は今年2度目のヨーロッパ公演(イタリア、ベルギー、フランス)へと旅立っているはずだ。

■ロリー・ギャラガーとレッド・ツェッペリン

灰野さんが高校時代からドアーズやブルー・チアの熱心なファンだったことは有名ですが、当時、特に好きだったミュージシャンとしては他にはどういう人たちがいたんですか?

灰野敬二(以下、灰野):高校の学園祭では “サティスファクション” などを歌ったんだよ。先輩たちのバンドのシンガーとして。学園祭のためだけの即席バンドね。3年生のギタリストはジェフ・ベックに似ていた。その他にも、ビートルズやナインティーンテン・フルーツガム・カンパニー(1910 Fruitgum Company)の “サイモン・セッズ Simon Says” とか歌った。当時流行っていたロックやポップスの曲ばかり。先輩から声をかけられて参加したバンドだし、曲も先輩たちが決めていたからね。でも、“テル・ミー” と “サティスファクション” を10分ぐらいずつやった時は、普通の演奏をバックに、ドアーズ “When The Music's Over” を意識したストーリーテリング的ヴォーカルにしたんだ。あと、俺はテイスト(Taste)の「シュガー・ママ Sugar Mama」(69年のデビュー・アルバム『Taste』に収録)をやりたいと言ったの。でも、誰も知らなかった。俺は『Taste』の米盤を持ってて、特にロリー・ギャラガーのギターが大好きだったから。
 ギターに関しては、もちろん最初はエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリクスなどを熱心に聴いていたけど、ロリー・ギャラガーはそういったブルース・ロック・ギタリストとはどこか違うと感じていた。変だなと。曲の作りが、ロックでもブルースでもカントリーでもない。リフも他のギタリストとは全然違う。理論ではなく直感としてそう思った。たとえば、ジミヘンやクラプトンの音楽が五つの要素から成っているとすると、ギャラガーは七つの要素で成っている。だから、飽きない。バロック音楽的要素も感じたりして。で、当時の自分の中でギャラガーは最高のギタリストになった。ちょっと後、渋谷ジァン・ジァンなどに日本のバンドのライヴを観に行くとみんなでクラプトン大会とかやってて、フーンと思っていた。当時から日本のロック・シーンはそんな感じだったんだ。


Taste “Sugar Mama”

今の若い世代は音像ではなく音響に関心を向けがちだけど、そのあたりは世代格差を感じる。センスという言葉で音の加工を重視するけど、俺はそういうのは好きじゃない。ロックを感じない。

17才でロリー・ギャラガーの特異性をしっかり感じ取れたってのはすごいですね。

灰野:とにかくいつも “違うもの” を探し求めていたから。ドアーズを初めて聴いたのが中3で、その後の2~3年で、すごいスピードでいろんな音楽を吸収した。レコードやラジオで。そして、ハードなもの、他にないもの、この二つが自分は好きなんだとわかった。ジミヘンもクラプトンもカッコいいけど、彼らはやはりロックの優等生なの。ギャラガーだってもちろん優等生だけど、そこにとどまらない、更に何か違うものがある。

アイリッシュという属性も関係してたんでしょうね。

灰野:そうそう。彼の表現の根底には反イギリスの感覚がある。ヤマトの人間が持ちえないセンスをアイヌや沖縄の音楽家が持っているように。俺はお前たちとは違うぞ、俺たちにも目を向けろ、という意志を感じる。彼の音楽の中にあるカントリー・テイストも、ルーツはアイリッシュ・フォークだし。

ロリー・ギャラガーの他には?

灰野:デビュー時のレッド・ツェッペリン。高校1年の冬だったと思うけど、パック・イン・ミュージックの火曜日、福田一郎さんが、日本盤はまだ出てなかったツェッペリンの1st『Led Zeppelin』(欧米では1969年1月リリース)の “You Shook Me” をかけたのを聴いてショックを受け、翌日か翌々日、日本の発売元だと思われる日本グラモフォンに電話した。「ツェッペリンのファン・クラブを作ってくれ」と。それぐらいこのデビュー・アルバムにはずっと、ものすごい愛情を持ってきた。“You Shook Me” の最後の部分のギターとヴォーカルの掛け合い、俺はあれでヴォーカリゼイションに目覚めたの。ブルー・チアのグルーヴ感とロバート・プラントのヴォーカルが、ミュージシャンとしての自分のスタート地点になったと思う。ドアーズの演劇的表現は別にして。


Led Zeppelin “You Shook Me”

 とにかく “You Shook Me” はショックで、パック・イン・ミュージックを聴いた後、寝られなくなった。当時はまだ高校を辞めてなかった頃で、翌日学校から戻るとすぐにお金を握りしめて渋谷ヤマハに駆け込んだ。当時あそこは6時15分が閉店で、学校から帰宅してから急いで行くとだいたい6時ちょい前ぐらいに着く。だから、試聴している時間などない。幸い、盤はあり、それを大事に抱えて帰宅したのを憶えている。米盤で、3000円近くした。当時は英盤はなかなか入ってこなかった。
 日本の発売元が日本グラモフォンだとどうやってわかったのか……はっきり憶えてないけど……当時の日本ではいいバンドの発売元はだいたいグラモフォンだったから、勘で電話したんだと思う。でも、電話に出た人はツェッペリンのことを知らず、話がまったく通じなかった。もしわかっている人が出ていたら、俺は日本のツェッペリン・ファン・クラブ会長になっていたかもしれない。だいたい、当時はヤードバーズやキンクスだって、日本ではあまり知られてなかったからね。
 ツェッペリンは今でも1stが一番好きだね。というか、2作目以降は関心がなくなった。1stはアヴァンギャルドでしょう。今の若い世代は音像ではなく音響に関心を向けがちだけど、そのあたりは世代格差を感じる。センスという言葉で音の加工を重視するけど、俺はそういうのは好きじゃない。ロックを感じない。
 “You Shook Me” を聴いて、音楽や歌や声に対する概念が自分の中で変わったと思う。ああいうことをしてもいいんだ、なんでもありなんだ、と。あと、ロックじゃないけど、ヴォーカリゼイションのヒントということだと、パティ・ウォーターズも大きかった。今はもうロバート・プラントは嫌いだよ。歌がヘタだから。声を出すことと歌うことは違う。「歌」ではなく「ヴォイス」と呼ばれることを俺が嫌いなのは、ヴォイスの人たちは歌がヘタだから。歌は、ずっと歌い続けていかないと上手くはならないんだ。

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声を出すことと歌うことは違う。「歌」ではなく「ヴォイス」と呼ばれることを俺が嫌いなのは、ヴォイスの人たちは歌がヘタだから。歌は、ずっと歌い続けていかないと上手くはならないんだ。

■錦糸町の実況録音

 音楽家になる決意を固めた灰野敬二が高校を中退したのは1969年、高校2年の2学期。17才になって間もなくの頃だ。そして、ロスト・アラーフに参加するのが70年7月。その間に灰野が短期間参加したバンドが錦糸町を拠点とする実況録音である。

狭山の高校を中退してからロスト・アラーフに参加するまでの1年ほどは、どういう活動をしていたんですか?

灰野:中退したちょっと後、69年の秋だったと思うけど……都内の高校に通っていた中学時代の級友から「友人のロック・バンドがシンガーを探しているんだけど、会ってみないか?」と誘われたんだ。彼は中学時代に俺に最初にビートルズを教えてくれた友人で、高校に入ってからも地元でのつきあいが続いていた。
 で、さっそくそのバンドのドラマーの実家の倉庫でバンドと対面した。川越の高校生とは違い、格好からして全員すごく洗練されてて、ギタリストなんて3才ぐらい年上に見えたし、最初、ちょっとナメられている感じもした。で、その彼からいきなりポール・バターフィールド・ブルース・バンドの “絶望の人生 I Got A Mind To Give Up Living”(66年の2nd『East-West』に収録)を歌ってみてくれと言われてね。当時、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドなんてちゃんと聴いている人はほとんどいなかったし、いきなり “絶望の人生” を歌ってくれと言われて驚いたけど、俺はちゃんと歌えた。最初の一節を歌っただけで、ナメた態度だった彼ら3人は「オーッ!」とびっくりした。結局その倉庫で2回ぐらい練習した後、メンバーの一人が通っていた高校の学園祭に出たんだ。その時一緒に出ていた別のバンドのシンガーが俺のヴォーカルを絶賛してくれたのはよく憶えている。彼は俺以上の長髪で、レッド・ツェッペリンの大ファンだった。


The Paul Butterfield Blues Band “I Got A Mind To Give Up Living”

そのバンドとはその後も一緒にやったんですか?

灰野:いや、それっきりだったと思うけど、その学園祭を見に来ていた人から声をかけられたんだよ。高橋さんというドラマーだった。「自分たちは錦糸町界隈でブルース・バンドをやっているんだが、歌ってくれないか?」と誘われて、会いに行った。まだバンド名がないそのグループのメンバーは皆、俺よりもちょっと年上で、俺が加入してから実況録音というバンド名をつけた。彼らは当時、フリートウッド・マックのカヴァーなどをやっていた。皆、ピーター・グリーン好きで。でも、俺がグランド・ファンク・レイルロードやMC5を歌いたいと提案したら、面白そうだからやろうということになった。その時のベイスが、70年代にカルメン・マキ&OZに参加した川上シゲ(川上茂幸)だよ。

その実況録音というバンドが、初めて参加したプロのバンドですか?

灰野:一応形の上ではギャラが発生するバンドという意味では、そういうことになるね。実際はギャラなんてなかったけど。
 実況録音はビアガーデンやゴーゴー喫茶などで演奏していた。鶯谷とかの怪しい店で。俺が実況録音で歌っていたのは、1970年の前半の半年足らずだったと思うけど、どの場所でもたいていは、一回演奏しただけで、あるいは途中で止められて、もういいと帰されていた。客が全然踊れないし、いつも俺が絶叫していたから。実況録音はロック・バンドと名乗っていたけど、彼らにしてみればロックでもなんでもなく、ノイズだったわけ。でも、メンバーも、もっと普通に歌えとかは一度も言わなかった。俺は一番年下なんだけど、彼らは常に俺に興味を持ってくれてたし、ソウルフルで礼儀正しい奴、という見方をしてくれていた。とてもいい関係だった。俺はライヴが終わると川越まで帰れないから、よく川上が泊めてくれたんだ。

客席からバンバン物が飛んできたので「かかってこい、この野郎!」と怒鳴り返した。結局、客がどんどん帰ってゆき、4ステージやることになっていた最初のステージで俺たちはクビになった。

実況録音の音を録音したものは残ってないんですか?

灰野:いや、まったく。もしかしたら、どこかにあるのかもしれないけど……あったとしても、俺が怒鳴っている声とかが入っていると思う。いつも「ヤメロー!」とか野次る客と怒鳴り合いをしてたから。銀座のソニー・ビルの屋上ビアガーデンでやった時のことはよく憶えている。1曲目でグランド・ファンク・レイルロードの “Are You Ready”(69年のデビュー・アルバム『On Time』に収録)をブルー・チア風にやったら、客席からバンバン物が飛んできたので「かかってこい、この野郎!」と怒鳴り返した。結局、客がどんどん帰ってゆき、4ステージやることになっていた最初のステージで俺たちはクビになった。もちろんギャラももらえなかった。ビートルズの “And I Love Her” とか、当時のビアガーデンの定番曲を普通にやっていればいいものをね(笑)。


Grand Funk Railroad “Are You Ready”

 実況録音のメンバーとはその後は長いことつきあいが途絶えたままだった。川上がOZなどメジャーで活動していることは知っていたけど、俺的にはOZは違うという認識だったし。でも、彼らとは数年前に再会したんだよ。ネットで調べて、ギタリストでリーダーだった伊藤寿雄さんを見つけた。伊藤さんたちは、今でも年に一度ぐらい集まってライヴをやってて、俺も彼らのライヴを観に行った。2019年の正月には、普段は錦糸町で惣菜屋をやっている伊藤さんの家に招かれて、食事もしたし。伊藤さんには俺のライヴも観てもらった。俺がギターを弾くなんて彼は知らなかったからびっくりしていたけど、「ロックだな」と言われて、うれしかった。

 ちなみに、このインタヴュー後の2022年7月2日、灰野は《三様》なるライヴ・イヴェント(高円寺 ShowBoat)で52年ぶりに伊藤、川上と一緒にステージに立った。伊藤がスタンブル・ブルース・バンド(Stumble Blues Band)のギタリストとして、川上が川上シゲ with The Sea のベイシストとして、そして灰野が川口雅巳とのデュオとしてそれぞれのライヴをこなした後、最後に、伊藤・川上・灰野 +サポート・メンバーという形で実況録音の同窓会ライヴが繰り広げられた。ステージ上で時折笑顔になる灰野を私が観たのは、後にも先にも、その時だけである。


2022年7月2日高円寺 ShowBoatでのライヴ

Loraine James / Whatever The Weather - ele-king

 歓喜とはこのこと。2022年のすばらしいライヴをおぼえているだろうか。いまもっとも重要なエレクトロニック・ミュージシャンのひとり、ロレイン・ジェイムズの再来日が決定している。嬉しいことに、今回もロレイン・ジェイムズ名義とワットエヴァー・ザ・ウェザー名義の2公演。しかも、ジェイムズが敬愛しているという aus蓮沼執太がそれぞれの公演をサポートする。いやこれ組み合わせもナイスでしょう。
 ワットエヴァー・ザ・ウェザー&ausは5/15に、ロレイン・ジェイムズ&蓮沼執太は5/17に、いずれもCIRCUS Tokyoに登場。なお、ジェイムズはその後STAR FESTIVALにも両名義で出演します。ゴールデンウィーク後はしっかり予定を空けておくべし。

LORAINE JAMES // WHATEVER THE WEATHER JAPAN TOUR 2024
2022年の初来日公演が各所で絶賛され、2023年にLoraine James名義でHyperdubからリリースした最新作『Gentle Confrontation』が様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連らね、現代のエレクトロニック・ミュージック・シーンにおける再注目の存在であるLoraine James // Whatever The Weatherの再来日が決定致しました!
Loraine JamesとWhatever The Weatherでそれぞれ東京公演を行い、京都のSTAR FESTIVALにも両名義で出演致します。
また、東京公演のサポート・アクトにはLoraineが敬愛するaus(5/15公演)と蓮沼執太(5/17公演)が出演致します。
ausはハイブリッドなDJ+ライブセットを、蓮沼執太はソロセットを披露致します。

イベント・ページ:
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/news/loraine-james-2024/

Loraine James // Whatever The Weather
Japan Tour 2024

Whatever The Weather 東京公演
Ghostly International 25th Anniversary in Japan vol.1

日程:5/15(水)
会場:CIRCUS Tokyo
時間:OPEN 19:00 / START 20:00
料金:ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000 *別途1ドリンク代金700円必要

出演:
Whatever The Weather
aus

チケット:
イープラス https://circus.zaiko.io/e/whatever
ZAIKO https://eplus.jp/sf/detail/4082320001-P0030001

Loraine James 東京公演
日程:5/17(金)
会場:CIRCUS Tokyo
時間:OPEN 18:30 START 19:30
料金:ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000 *別途1ドリンク代金700円必要

出演:
Loraine James
Shuta Hasunuma

チケット:
イープラス https://circus.zaiko.io/e/lorain
ZAIKO https://eplus.jp/sf/detail/4082290001-P0030001

STAR FESTIVAL
日程:2024年5月18日(土)〜19日(日)
会場:府民の森ひよし 京都府南丹市日吉町天若上ノ所25 Google Map forest-hiyoshi.jp
時間:2024年5月18日(土)10:00開場 〜 19日(日)17:00閉場
Loraine James, Whatever The Weatherは両名義とも5/18に出演

料金:
前売入場券(ADV TICKET) ¥13,000
グループ割引入場券(4枚):¥46,000(1枚11,500円)
駐車券(PARKING TICKET) ¥3,000(オートキャンプA ¥20,000 / オートキャンプB ¥16,000 / オートキャンプC ¥6,000)

出演:
Craig Richards
DJ Marky
DJ Masda
Fumiya Tanaka
Loraine James
Whatever The Weather
Zip
and more…

チケット:
イープラス https://eplus.jp/starfestival2024/
ZAIKO https://thestarfestival.zaiko.io/e/2024MAY
楽天チケット http://r-t.jp/tsf

オフィシャルサイト:https://thestarfestival.com/

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主催・企画制作:CIRCUS / PLANCHA
協力:BEATINK


Photo by Ivor Alice

Loraine James // Whatever The Weather:

ロレイン・ジェイムス(Loraine James)はノース・ロンドン出身のエレクトロニッック・ミュージック・プロデューサー。エンフィールドの高層住宅アルマ・エステートで生まれ育ち、母親がヘヴィ・メタルからカリプソまで、あらゆる音楽に夢中になっていたおかげで、エレクトロニカ、UKドリル、ジャズなど幼少期から様々な音楽に触れることとなる。10代でピアノを習い、エモ、ポップ、マス・ロックのライヴに頻繁に通い(彼女は日本のマスロックの大ファンである)、その後MIDIキーボードとラップトップで電子音楽制作を独学で学び始める。自宅のささやかなスタジオで、ロレインは幅広い興味をパーソナルなサウンドに注ぎ込み、やがてそのスタイルは独自なものへと進化していった。
スクエアプッシャーやテレフォン・テル・アヴィヴといった様々なアーティストやバンドに影響を受けながら、エレクトロニカ、マスロック、ジャズをスムースにブレンドし、アンビエントな歪んだビートからヴォーカル・サンプル主導のテクノまで、独自のサウンドを作り上げた。
彼女は2017年にデビュー・アルバム『Detail』をリリースし、DJ/プロデューサーであるobject blueの耳に留まった。彼女はロレインの才能を高く評価し、自身のRinse FMの番組にゲストとして招き、Hyperdubのオーナーであるスティーヴ・グッドマン(別名:Kode 9)にリプライ・ツイートをして、Hyperdubと契約するように促した。それが功を奏し、Hyperdubは2019年に彼女独特のIDMにアヴァンギャルドな美学と感性に自由なアプローチを加えたアルバム『For You and I』をリリースし、各所で絶賛されブレイク作となった。その後『Nothing EP』、リミックス、コラボレーションをコンスタントにリリースし、2021年に同様に誠実で多彩なフルレングス『Reflection』を発表。さらなる評価とリスナーを獲得した。2022年には1990年に惜しくも他界したものの近年再評価が著しい才人、Julius Eastmanの楽曲を独自の感性で再解釈・再創造した『Building Something Beautiful For Me』をPhantom Limbからリリースし、初来日ツアーも行った。そして2023年には自身にとっての新しい章を開く作品『Gentle Confrontation』をHyperdubから発表。これまで以上に多くのゲストを起用しエレクトロニック・ミュージックの新たな地平を開く、彼女にとって現時点での最高傑作として様々なメディアの年間ベスト・アルバムにも名を連ねた。

そしてロレインは本名名義での活動と並行して、別名義プロジェクトWhatever The Weatherを2022年に始動した。パンデミック以降の激動のこの2年間をアートを通じて駆け抜けてきた彼女はNTSラジオでマンスリーのショーを始め、Bandcampでいくつかのプロジェクトを共有し、前述のHyperdubから『Nothing EP』と『Reflection』の2作のリリースした。そして同時に自身が10代の頃に持っていた未知の創造的な領域へと回帰し、この別名義プロジェクトの発足へと至る。Whatever The Weather名義ではクラブ・ミュージックとは対照的に、キーボードの即興演奏とヴォーカルの実験が行われ、パーカッシヴな構造を捨ててアトモスフィアと音色の形成が優先されている。
そしてデビュー作となるセイム・タイトル・アルバム『Whatever The Weather』が自身が長年ファンだったというGhoslty Internationalから2022年4月にリリースされた。ロレインは本アルバムのマスタリングを依頼したテレフォン・テル・アヴィヴをはじめ、HTRK(メンバーのJonnine StandishはロレインのEPに参加)、Lusine(ロレインがリミックスを手がけた)など、アンビエントと親和性の高いGhostly Internationalのアーティスト達のファンである。
「天気がどうであれ」というタイトルにもちなんで、曲名は全て温度数で示されている。周期的、季節的、そして予測不可能に展開されるアンビエント~IDMを横断するサウンドで、20年代エレクトロニカの傑作(ele-king booksの『AMBIENT definitive 増補改訂版』にも掲載)として幅広いリスナーから支持を得ている。


aus:

東京出身のミュージシャン。10代の頃から実験映像作品の音楽を手がける。長らく自身の音楽活動は休止していたが、昨年1月Seb Wildblood主宰All My Thoughtsより久々となるシングル”Until Then”のリリースを皮切りに、4月にはイギリスの老舗レーベルLo Recordingsより15年ぶりのニューアルバム”Everis”をリリース。同作のリミックス・アルバムにはJohn Beltran、Li Yileiらが参加した。Craig Armstrong、Seahawksほかリミックス・ワークも多数。当公演はDJ+ライブセットでの出演となる。


Shuta Hasunuma (蓮沼執太):

1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、多数の音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンスなどを制作する。主な個展に「Compositions」(Pioneer Works 、ニューヨーク/ 2018)、「 ~ ing」(資生堂ギャラリー、東京 / 2018)などがある。また、近年のプロジェクトやグループ展に「Someone’s public and private / Something’s public and private」(Tompkins Square Park 、ニューヨーク/ 2019)、「FACES」(SCAI PIRAMIDE、東京 / 2021)など。最新アルバムに『unpeople』(2023)。第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

web: https://linktr.ee/shutahasunuma
Instagram: https://www.instagram.com/shuta_hasunuma/

interview with Keiji Haino - ele-king

俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の取材を始めてからちょうど3年が経った。周辺関係者インタヴューも含めて今なお継続中である。この取材は、「灰野さんの本を書いてくれ」というエレキング編集部からの依頼がきっかけだが、私自身の中にも「灰野さんの軌跡をちゃんと残さなくてはならない」という思いがずいぶん前からずっとくすぶっていた。灰野敬二ほどオリジナルな世界を探求し続けてきた音楽家は世界的にも稀、というか他にいないという確信があったから。半世紀以上にわたり、自分だけの音楽を追い求め、膨大な数の作品を残してきた彼の評価は、日本よりもむしろ海外での方が高いし、灰野の全貌を知りたがっているファンが世界中にいる。この貴重な文化遺産をできるだけ詳細かつ正確に文字として残さなくてはならないという一種の使命感に背中を押されて、私はこの仕事を引き受けた。

 灰野と私の関係についても少し説明しておく。私が灰野の存在を知ったのは1979年、彼が不失者を結成して間もなくの頃で、私は大学2年生だった。10月14日に吉祥マイナーで初めて不失者のライヴを体験し、続く27日にも法政大学学館ホールで観た。当時の不失者のベイスはガセネタの浜野純。その後も80年代には不失者だけでなくソロなどいろんな形態での彼のライヴに通い続けた。85年頃からは個人的なつきあいも始まり、不失者のライヴ・ツアーを主催したこともあったし、互いの家でレコードに聴き浸ることもしばしばだった。90年代以降は、ライヴを観る機会がめっきり減り、雑誌の取材などで時々会う程度の希薄な関係になったが、レコード・リリースやライヴ・ツアーなど海外での活躍が目立つようになった彼を遠くから眺めつつ、「ようやく灰野敬二の重要さが認められる時代になってきたな」とうれしく思っていた。そして、ここ3年間、100回以上のライヴに通い、彼の自宅でのインタヴューを続けてきた。

 今年秋に出すつもりで進めている本は、灰野敬二の音楽家としての歩みをまとめた、伝記的なものになるだろう。2012年に出た『捧げる 灰野敬二の世界』(河出書房新社)は、灰野が音楽家としての哲学を語った対談集とディスク紹介、年譜という内容だったが、今回の本では自身の言葉で音楽活動の軌跡を詳細に語ってもらっている。また、私生活や様々な交友関係など音楽からちょっと離れたことにもできるだけ触れてもらい、人間・灰野敬二の全体像、それを取り巻く時代の空気を描くことをめざしている。雑談的に語られるエピソードが彼の本性を照らし出すことは少なくないはずだ。まだリストアップされていないが、灰野が好きな音楽家やレコードを紹介するページは、私も楽しみにしている。

 というわけで、今月から、本の前宣伝を兼ねて、これまでにおこなってきた灰野インタヴューの中からちょっと面白いエピソードをランダムに紹介していく。単行本にする際は、膨大な発言を整理、編集しなくてはならないわけだが、ここではできるだけ対話を素起こしのまま(若干の補足説明を加えつつ)紹介したいと思う。単行本には載らないであろう言葉も多いはずだ。第1回目は、「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」、そして「ダムハウス」について。

■《エレクトリック・ピュア・ランド》と水谷孝

 《エレクトリック・ピュア・ランド》は、ロスト・アラーフのヴォーカルの灰野とドラマーの高橋廣行=通称オシメ、そして裸のラリーズの水谷孝が共同で企画したライヴ・イヴェント・シリーズで、73年から74年にかけて計5回開催された。ロスト・アラーフ(当時はキーボードの須田とベイスの斉藤も随時参加)とラリーズ以外に出演したのは、頭脳警察、カルメン・マキ&OZ、セブン(アシッド・セブン)、紅とかげ、南正人などである。

《エレクトリック・ピュア・ランド》の第1回は73年7月3日、池袋シアターグリーンですね。

1秒をどれぐらい自由自在に操れるかの訓練を自分でやった。別の言い方をすれば、間と呼吸の訓練。それは、生易しいもんじゃない。

灰野敬二(以下、灰野):1回目の出演者はロスト・アラーフと裸のラリーズだけだったけど、その後、南正人さんなどいろんな人たちに出てもらった。中心になって企画を進め、現場を仕切っていたのはオシメ。彼は元々プロデューサー志向が強い人だったからね。

灰野さん自身とラリーズとの接点は?

灰野:水谷氏と初めてちゃんと話したのは70年、7月に富士急ハイランドで開催された《ロック・イン・ハイランド》の少し後だったと思う。場所は、ちょうど楽器セールをやっていた渋谷道玄坂のヤマハだった。「君の声と僕のファズ・ギターを絡めたい」と言われたんだよ。でも、俺が初めて彼を見たのは、70年3月の南正人さんの《魂のコンサート》の時だった。俺が学生服姿で飛び入り参加したそのコンサートでは、南さんが「渋谷を歩いていたら雰囲気のある奴がいて、シンガーだというから連れてきた」と言って水谷氏をステージに上げ、彼は弾き語りをしたんだよ。俺はそれを観ていただけで、彼との会話はなかったけど。水谷氏が俺を初めて認識したのはさっきの《ロック・イン・ハイランド》にロスト・アラーフが出た時だったみたいだね。「ラリーズが会場に着いた時ちょうどロスト・アラーフをやっていた」と、後日、山口富士夫がオシメに言ったそうだよ。だから、水谷氏はヤマハで俺に話しかけたのかもしれない。あと、俺がロスト・アラーフに加わって最初に練習した(70年7月)のが渋谷の宮益坂のミウラ・ピアノ・スタジオという場所だけど、後にラリーズもそこをよく使っていたね。
 当時の我々の行動パターンは、道玄坂のヤマハでレコードを買って、ブラックホークかBYGかムルギーに行くという流れだったから、そのあたりで音楽関係者と顔見知りになることが多かった。水谷氏と道玄坂ヤマハで立ち話をした時、俺は下の部分がない中途半端なフルートとコンガを買ったのを憶えている。持って帰るのが大変だった。フルートはその頃から練習し始めたけど、人前で吹き出したのは80年代以降だね。

オシメはロスト・アラーフ解散後の75年には、一時期、ラリーズのドラマーとしても活動してましたよね。水谷さんと仲が良かったのかな?

灰野:《エレクトリック・ピュア・ランド》からのつきあいに加え、オシメが経営していた渋谷のアダン・ミュージック・スタジオをラリーズがよく使っていたからね。ラリーズはちょうど、ドラムの正田俊一郎が脱退した頃だったから、オシメが代わりのドラマーになったんだよ。で、オシメの後にサミー(三巻俊郎)がドラマーになった。

ヤマハで水谷さんから「君の声と僕のファズ・ギターを絡めたい」と言われた時、灰野さんはラリーズに関してはどの程度知ってたんですか?

灰野:ほとんど聴く機会はなかったけど……まあ、普通の8ビートのロックだなと思っていた。《ロック・イン・ハイランド》の時も俺は観ていない。ライヴをちゃんと聴いたのは、《エレクトリック・ピュア・ランド》の第1回(1973年7月3日 池袋シアターグリーン)の時だった。その時俺は水谷氏に「ヘタだけど好きです」と言ったんだ。水谷氏は「ヘタは余計じゃないか」とあの口調で言った。俺はいつも正直に言うからね。それに、上手い下手よりも、好きかどうかが大事だし。気持ちって、隠そうとしても、どうしても伝わってしまうからね。ラリーズはロックの新古典派だと思っている。

水谷さんは灰野さんの歌に関してはどう言ってました?

灰野:その頃ではなく、『わたしだけ?』(81年)が出た頃のことだけど……彼とは《エレクトリック・ピュア・ランド》の後もずっとつきあいがあり、時々会ったりもしていたし、喧嘩も何度もした。アルトーとマラルメのことでもめたり(笑)。で、『わたしだけ?』が出た後、「歌詞もしっかり読んだよ」と彼に言われてうれしかった。


灰野敬二『わたしだけ?』

 俺と水谷氏はみんなが思っているほど仲が良かったわけじゃないし、みんなが思っているほど仲が悪くもなかった。俺はラリーズに関しては、皆がけなすとほめたくなるし、絶賛すると批判したくなる。そういうフラットな立場でずっと接してきた。なにごとも、神話化されることが嫌いだし。
 時間と共に、皆、優等生になっていってしまう。90年代に流行ったロウファイとかヘタウマも、そういうスタイルの優等生にすぎない。自分たちの世界を作り上げたがゆえに、それを保険にして、その枠から出ようとしなくなる。俺は絶対に自分の形を守ろうとはしないよ。

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あの体験がなかったら、ポップ・スターになっていたかもしれないよね。音楽の何に着目するかで、その後の音楽家としての生き方が全然違ってしまったわけで。

■ダムハウスのアニキ

73年に京都にしばらく滞在していたそうですね?

灰野:銀閣寺の近くにあるダムハウスという喫茶店ね。俺がアニキと呼んでいるそのマスター飯田さんと最初に会ったのは渋谷のアップルハウスだった。オシメが浅海さん(ロスト・アラーフの初代ピアニスト浅海章)と出会い、ロスト・アラーフ結成のきっかけにもなった場所で、ビートルズ・シネ・クラブの本部があった場所。俺も時々行ってて、京都からふらりと遊びに来たアニキとそこで出会った。ジャズやブルースに非常に詳しい彼から、「ジャズを聴いた方がいいよ。君だったらいつ来てもうちに泊めてあげるから」と言われたんだ。当時俺はジャズにはほとんど興味がなかったんだけど、時間もあったので、京都まで行ってみた。結局ダムハウスの2階に一ヵ月半滞在し、ひたすらジャズとブルースのレコードだけを聴いていた。店の手伝いをしながら。店が1階で、2階が住居。毎日、定食もごちそうになって。隣が風呂屋だったから便利だったな。バックパッカーみたいな連中もよく泊まってた。音楽中心のちょっとしたコミューンみたいな感じだった。後の「どらっぐすとぅあ」などにつながってゆく感じだね。

京都では演奏はしなかったんですか?

灰野:いや、その一ヵ月半は一切しなかった。レコードを聴くだけ。でも、ライヴを観に行ったりはしたよ。思い出深いのは、京都大学西部講堂での山下洋輔トリオだね。アニキはチャーリー・パーカー以上はいないと言い切るほどのパーカー信者で、巷間「フリー・ジャズ」と呼ばれているものにはまったく興味ない人だったけど、なんとなく一緒に観に行ったの。オシメが山下洋輔ファンだったから、俺も彼から『木喰』(70年)だけは借りて聴いていたけど、あまり惹かれなかった。既に聴いていたセシル・テイラーの二番煎じみたいだな、という印象で。彼らはステージ上ではなく、フロアで演奏しており、俺は一番前、彼らのすぐ目の前で聴いていた。21才の若造が、フーン、なるほどね……みたいな感じで。で、演奏の途中で突然ブレイクして音が一瞬止まった時、俺はジャンプしたんだ。彼らを試してみたくなって。でも、彼らはまったく動揺することなく、また演奏が始まった。その時、彼らの覚悟を見た気がした。これは違うなと。

その時のメンバーは?

灰野:山下洋輔(p)、坂田明(as)、森山威男(ds)。30年ぐらい後、一緒にやるようになってから坂田さんにその時のことを話したけど、彼は全然憶えてなかった。


山下洋輔トリオ『Clay』

で、ダムハウスでは具体的にどういうレコードを聴きこんだんですか?

灰野:ジャズとブルースだけ。毎日、何度も何度も聴き続けた。これだけを徹底的に聴けば他は必要ないと、アニキが12枚のLPを選んでくれたんだよ。その12枚は、チャーリー・パーカー『"Bird" Symbols』(61年)、チャーリー・パーカー・クァルテット『Now's The Time』(57年)、ピアニスト/シンガーのリロイ・カーとギタリストのクラッパー・ブラックウェルのデュオ作『Naptown Blues 1929-1934』(73年)、ファッツ・ナヴァロ『The Fabulous Fats Navarro Volume 1』(57年)、セロニアス・モンク『Genius Of Modern Music Vol. 1』(56年)、ブラインド・レモン・ジェファーソン『The Immortal Blind Lemon Jefferson』(67年)、ジョン・リー・フッカー『No Friend Around』(69年)、T-ボーン・ウォーカー『Stormy Monday Blues』(70年)、ゴスペルのコンピレイション盤『Ain't That Good News』(69年)。タイトルがすぐ出てこないけど、レスター・ヤングとグレン・グールドもあったな。彼にとってはグールドもジャズというとらえ方だった。あっ、一番肝心なのを忘れてた。チャーリー・クリスチャン & ディジー・ガレスピー 『Dizzy Gillespie / Charley Christian 1941 (Minton's Playhouse & Monroe's Uptown, New York City)』(53年)。これは特に徹底的に聴かされた。

アニキとはその後のつきあいは?

灰野:ずっとある。いつだったか、ダムハウスはその後閉店したんだけど、アニキとは10年に1度ぐらい連絡を取り合い、うちにも遊びに来たことがあった。彼はその後、新たな店を始めたんだ。バロック音楽しかかけない「ロココ」という喫茶店。

このダムハウスでの修行的な集中リスニング体験は、その後のミュージシャンとしての活動にどのような影響を与えたと思いますか。あるいは、土台になってますか?

灰野:もちろんなっているんだけど、特にジャズは勉強として聴いたし、こうあるべきだという聴き方をしたせいで、ジャズが楽しくなくなっちゃたんだよね。ずっと呪縛があった。反対に、スワン・シルヴァートーンズなど50年代のゴスペルはロックとして聴けるようになったけど。

でも、モンクやチャーリー・クリスチャンなどは大好きだとずっと言ってきたじゃないですか。昔、僕にもずいぶん勧めましたよね。実際僕は、80年代半ばに灰野さんに言われてチャーリー・クリスチャンのレコードを買ったし。

灰野:ジャズの美しい形として聴くべきだと言ったの。なんでもそうだけど、ひとつのことをやると、もう一方のことを忘れてしまいがち。俺の場合は、ジャズの色を楽しむということを遮断されちゃった感じなの。音の表と裏の関係は深く理解できたけど。だからこそ俺は、表と裏の真ん中を自分で勉強したわけ。そこから生まれたのが不失者だよ。微妙なタイミングのとらえ方は、この時のジャズとブルースの勉強が土台になっていると思う。そこから更に、1秒をどれぐらい自由自在に操れるかの訓練を自分でやった。別の言い方をすれば、間と呼吸の訓練。それは、生易しいもんじゃない。俺は京都から戻ってから、この12枚を自分で揃えて、更に徹底的に聴いて学習した。冬、コタツに入って夜中にずっと聴き続けてそのまま寝落ちして、明け方牛乳配達の音や小鳥のさえずり、通りを箒で掃く音などで目が覚めるんだけど、そういった一つひとつの音を裏、表、裏、表……と感知して、頭がおかしくなりそうだった。物と物が触れているか触れていないか、その関係を無限に探求し続けるぞと思った。

京都での一ヵ月半は、その後の音楽家人生にとってものすごく重要だったわけですね。

灰野:そう。笑っていいけど、あの体験がなかったら、ポップ・スターになっていたかもしれないよね。音楽の何に着目するかで、その後の音楽家としての生き方が全然違ってしまったわけで。俺はあの時から、音楽の根源を知りたいと思うようになったの。あれが本当の始まりだったと思う。当時、アニキは「君は既にやっているよ、無意識で」と言っていたけど。よせばいいのにということをやっちゃう、それでしか得られないことがある。アルバート・アイラーはやったけど、コルトレインはやっていない。だから俺はずっとアイラー派なの。アニキと俺の関係は、ボクシングの名トレーナーが一つの才能を見つけて育てたようなものだと思う。間違いなく恩人だよ。彼と出会わなくてもモンクもチャーリー・クリスチャンも聴いただろうけど、彼はそこに違う見方や回路を示してくれたんだから。

灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回「ロリー・ギャラガーとレッド・ツェッペリン」そして「錦糸町の実況録音」について

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