「OTO」と一致するもの

きのこ帝国 presents「退屈しのぎ vol.3」 - ele-king

 この晩、きのこ帝国は最初に新曲を3曲演奏した。その3曲とも、前作からの飛躍があった。
 1曲目は、クラウトロック(大げさに言えば、オウガ・ユー・アスホール)をバックにボス・ザ・MCがラップしているような……といってしまうと本当に乱暴な表現だが、BMP125ぐらいのピッチの曲で佐藤はラップもどきを披露した。早口で何を言ってるかわからないが、それが前向きさを表していることはわかる。
 あとで訊いたら初めてのライヴ演奏だったという。それにしちゃあ、鮮烈なインパクトがあった。佐藤のラップ・ミュージックへの関心の高さを具体化した最初の曲でもあった。きのこ帝国がバンドとしていまどんどん動いていることがうかがえる。初演ということもあってドラミングは先走り、ピッチは速まってしまったそうだが、逆に言えば意味がわからないほどのファスト・ラップの最後で唯一聞き取れる「生きている」という言葉が、するどく胸を射貫いた。悪いことは言わない。この曲はシングルにして発表するべきだ。12インチ作りましょうよ! 良いリミキサーは日本にはたくさんいる。何よりも、この曲を必要としているリスナーはたくさんいます!
 「退屈しのぎ」とは、きのこ帝国の代表曲だが、彼らのオーガナイズするイヴェント名でもある、ということをその晩僕は知った。その晩は、編集部で橋元の二次元話に付き合わされたあと、JET SETのM君の四次元話にハマってしまったおかげで、4つ出演したバンドのうちのふたつ、きのこ帝国をのぞくとひとつしか見れなかった。そのひとつ、大阪からやって来た吉野というイントゥルメンタル・ロック・バンドは、最初から見ることができた。しかし、吉野とは……佐藤と匹敵するほど検索不能なネーミングだ。吉野は、ギター、ベース、ドラマーの3人組で、エレクトロニクスを用いた導入からモグワイめいたダークなギター・サウンドへと巧妙に展開して、ライヴをはじめる。ポテンシャルの高さを感じさせる演奏で、最後のチルなフィーリングも良かった。まだ非常に若いバンドだが、ビートに磨きがかかれば、より多くの注目を集めることになるだろう。がんばってくれ。しかし、大阪人のくせに東京のラーメンが美味いと言ってはいけないよ。


きのこ帝国の物販で働く菊地君。筆者はドラマーのコン君のデザインしたピックを1枚購入。

 下北沢ERAは、100人も入ればパンパンの小さいライヴ・ハウスだったが、満員だった。先述したように、きのこ帝国は、ラップの曲のあとにふたつ新曲を披露した。その2曲も良かったことは覚えているが、最初の曲のインパクトが強すぎてどんな曲だったか忘れた。バンドに音の隙間が生まれ、それによって音の空間が広がってた。それ以外のことは忘れた。こういうときは、明け方の5時でも、マニェエル・ゲッチングのライヴでメモを取っている菊地祐樹君を見習うべきなんだろう。菊地君は、物販で働きながら、お姉さんと妹さんもライヴに呼んでいた。3人とも顔が似ているどころか、誰が年上で誰が年下かわからない。しかもお母さんが僕と同じ歳という……なんということだ!

 きのこ帝国の演奏が終わると、大きな拍手とアンコール。アンコールに出てきたあーちゃんは慣れないMCを続け、ジョイ・ディヴィジョンの『アンノウン・プレジャー』のTシャツを着た相変わらず佐藤はクールに構えている。最後の曲って“夜が明けたら”だっけ? “退屈しのぎ”だっけ? 忘れた。が、細かいことはいいだろう。良いライヴだった。翌日は「WIREに行くんです」と嬉しそうに喋っている菊地君をその場において、僕は12時20分過ぎの小田急線に乗った。

BASSの時代 - ele-king

 日本のベース・ミュージックについて改めて考えてみると、「ベース・ミュージック」という言葉を日本人が使いだしたのは東では〈Drum & Bass Sessions〉、西では1945 a.k.a KURANAKAが率いる〈ZETTAI-MU〉に代表される方々が支えてきた「ドラムンベース」や「ラガ・ジャングル」の登場以降だと推測される。
 しかし、近年では「ベース・ミュージック」という言葉の意味にかなり広がりを持つように進化し続けていると思う。もともとは海外でマイアミ・ベースやゲットー・ベースなどのヒップホップやエレクトロからの流れが「ベース・ミュージック」と言われだしたのがはじまりだろうし、「DUB STEP」という言葉にある「DUB」についてはもっと昔から存在する手法だ。
 そんな「ベース・ミュージック」の言葉が持つ深いポテンシャルに注目し、日本におけるベース・ミュージックの現在進行形を体験できる貴重な機会があったので、少々時間は経ってしまったが、レポートしようと思う。

 〈Outlook Festival〉とは、ヨーロッパはクロアチアにて数日間に渡って開催され、世界中のアーティストやDJ、そしてサウンドシステムが集結する世界最大級のベース・ミュージックの祭典だ。その錚々たるラインナップには、リー"スクラッチ"ペリーやマックス・ロメオやジャー・シャカといった、生きるレゲエ・レジェンドたちからスクリームやデジタル・ミスティックズなど、最先端ダブステップ・アーティストが一斉に名を連ねる。

 ある日、Part2Style Soundの出演するクロアチアの〈Outlook Festival〉に同行したeast audio sound system(イーストオーディオ・サウンドシステム)のtocciの体験談として「BASS MUSICは体で体感する音楽である。しかるべきサウンドシステムで鳴らせば、その重低音は肌から伝わり、体のなかを振動させ、ついには喉が震えて咳き込むほどの音楽だ」という見解を、過去にサイトにアップしていたのを読んで、自分の目を疑ったのと同時に「体感してみたい」という思いが芽生えた。その個人的な思いは「Outlook Festival Producer Competition」という、勝者はクロアチアへのチケットを手にすることができるコンペに自作曲を応募する形でぶつけてみた。仲間や応援してくれたみんなのおかげもあって、数多く存在するファイナリストまでは残れたものの、結果としては敗北に終わり、悔しい思いをしたのも記憶に新しい。
 そんな〈Outlook Festival〉の日本版がPart2Style とイーストオーディオ・サウンドシステムによって、今年も開催されると知ったのは春のはじまりのころで、それを知ってからは毎日のように「Outlookを体験したい」と心のなかで連呼したが、どうしても行きたい思いとは裏腹に、諸事情により今回のフェスへの参加を諦めていた。
 その矢先、小説家であり、ライターであり、大阪の夜の飲み先輩であるモブ・ノリオさんから一本の電話がかかってきた。
 以前、モブさんにとあるパーティで会ったときに酒を飲みながら〈Outlook Festival Japan Launch Party〉がいかなるものかと熱く説明したことがあり、そのときに何度も「それにはお前は行かなあかんやろ」と言われたが、「行きたいですねぇ......」と返すのが僕の精一杯の返答だった。それを察しての電話口だった。「〈Outlook〉行くの?」と聞かれ、「めちゃくちゃ行きたいですけど、もう諦めました」と返すと「行かんとあかんときっていうのは、どうしても行かんとあかん。お前、ああいうことを自分で書いといて、いかへんつもりなん? それはあかんぞ......あのな、エレキングで取材の仕事をセッティングしたから、行って来てレポートを書いてみぃへんか? 文化を体験するって行為は絶やしたらあかんで」
 涙がでるほどの奇跡が起きた。僕のなかで行かない理由はなくなった。

 5月26日、TABLOIDの隣にある、日の出駅に着いたときに、まず驚いた。改札を通るときに重低音の唸りが聴こえてきたからだ。駅から会場までの近さも手伝って、初めて行く会場への方向と道のりを重低音が案内してくれた。会場の建物がどれなのかは、低音の振動でコンクリートが「ピシッ」と軋む音でわかった。ついに ここに来ることができた、と胸が高まった瞬間だ。

 会場に入り、さっそくメインフロアであるホワイト・アリーナへ向かうと、先ほどの駅で聴いた重低音の唸りがSPLIFE RECORDINGSがかけるラガ・ダブステップだったことがわかる。そびえ立つモンスター・スピーカーたちの城から発せられるその音は、「爆音」なんてものではなく、まるで生き物のようにスピーカーから"BASS"が生まれ、フロア中を駆けめぐった後、壁を登り、遥か高い天井で蠢く、「獣帝音」と言えば伝わるであろうか。そう、これがイーストオーディオ・サウンドシステムとTASTEE DISCOが繰り出す、メインフロアの音だ。驚いたのは、出番が終わったあとにSPLIFE RECORDINGSのKOZOから聞いたところによると、これでまだ50%ぐらいの音量だというのだ。驚きとともに、100%の音量を出したときに自分は正気でいられるのだろうか? 建物は大丈夫なのだろうか? などと、少しの不安と緊張感を抱くとともに、武者震いをするかのように心を踊らせた。

 大阪から到着したばかりで腹がすいていたので、メインフロアの後方にあるFOODブースへと向かった。
 DUUSRAAのカレーを注文し、待っているあいだにおもしろい出来事があった。テーブルの上に置いてあった誰かのカクテルのカップが、重低音の振動で勝手に動き出し、なかに入ってあるカクテルが噴水のようにしぶきを上げ、こぼれだしたのだ。それぐらい、建物自体が振動していたということだ。

 知人の皆と、久しぶり感がまったくない(1ヶ月前に会ったばかり)挨拶やジョーク等を交わし、会場全体をウロウロとまわるうちに最初の狼煙が上がった。Part2Style最重要ユニット、ラバダブマーケットの登場だ。Erection FLOORと名付けられたフロアで鳴り響く、姫路は最高音響サウンド・システムの音も、サブ・フロアという陳腐な言葉では片づけられない、まさしく最高の音だった。その音は暖かく、どれだけの音量で鳴っていたとしても耳が疲れない、例えて言うならマホガニーサウンドだ。しかし、鳴っている音量はかなりのもので、ここのフロアが階段を登った2階にあったのも手伝ってか 振動が床を伝い、足から体全体が震え、まるで自分がスピーカーになったような錯覚すら覚えた。そんな最高音響でのラバダブマーケットのライヴは、フロアの反応も最高だった。Dread Squadの"Sleng Teng International Riddim"にジャーゲ・ジョージとMaLが歌う"Digital dancing mood"~e-muraのJUNGLEビート本領発揮の"Bubblin'"~突き抜ける"MAN A LEADER"の流れは、正にリーダーが告げるこのフェスの本格的開始合図だった。そしてその勢いは櫻井饗のエフェクターを駆使した多彩なビートボックス・ライヴへと継がれていった。

 ホワイト・アリーナへ戻ると会場にも人が溢れ返っていて、LEF!!!CREW!!!が、フロアにいるオーディエンスをハイテンションでガンガンにロックしていた。休憩しようと外へ向かう途中にグラス・ルームではDJ DONが、まだ生まれて間もないベース・ミュージック、ムーンバートンのリズムで"Bam Bam"をプレイしていた。僕もよくかけるリミックスだ。ついつい休憩のつもりがまたひと踊りすることに。Jon kwestのアーメンブレイクを切り刻んだムーンバートン(これまた僕もよくかける)など、ニクイ選曲にTRIDENTがパトワのMCで煽る。108BPMという、遅いような早いような不思議なテンポに錯覚してしまい、ついつい踊らされてしまうのがムーンバートンの魅力だろう。

 外の喫煙ブースでマールボロのタバコをもらい一服してからなかへ戻ると、さっきのグラス・ルームでは函館MDS CREWのボス、SHORT-ARROWがSUKEKIYOのMCとともにジャングルをプレイしていた。同じく函館から来ていたKO$は今回、カメラマンとしてもかなりいい写真を撮っていたので、是非チェックしてほしい。ここでも先ほどラバダブマーケットのライヴでも聴いたDread Squadの"Sleng Teng international"が聴けたし、時を同じくしてホワイト・アリーナではTASTEE DISCOがスレンテンをかけていた。

 この〈Outlook Festival Japan Launch Party〉の興味深いポイントとして、「ベース・ミュージックに特化したフェスティヴァル」ということでは日本ではかなり早いアクションだということだ。以前からPart2Styleは"FUTURE RAGGA"というコンセプトのもと、コンピュータライズドなレゲエをやっていたし、ジャングルやドラムンベースはもちろんのこと、最近ではダブステップやクンビアも自分たち流に消化して発信していたし、ムーンバートンを僕が知ったきっかけはMaL氏とNisi-p氏がふたりで作ったミックスだった。それらやその他もろもろを総じて、ベース・ミュージックと日本内で呼ばれ、波及しだしたのは ごく最近のことであり、まだまだ発展途上といえる段階だろう。スレンテンのベースラインは、この新しい試みのなかでも 互いに芯の部分を確かめ合うように呼応する不思議な信号や、電波のようにも聴こえた。

 時間が深まっていくなか、eastee(eastaoudio+TASTEE)が本領を発揮しだしたと感じたのはBROKEN HAZEのプレイだった。重低音が何回も何回も、ボディブローをいれてくるように体に刺さりまくる。激しいビートとベースで、まるでボクシングの試合でボコボコにされ、痛いどころか逆に気持ちよくなってしまう感覚だ。パンチドランカー状態になってしまった体を休めに、バー・スペースへ行きDUUSRAA Loungeの音が流れる中、友人と談笑したりした。

 上の階では、ZEN-LA-ROCKPUNPEE、そしてファンキーなダンサーたちによってオーディエンスが熱狂の渦と化していた。音の振動によってトラックの音が飛ぶトラブルもなんのその。
「皆さん、低音感じてますか? Macも感じすぎちゃって、ついつい音が飛んじゃいました。低音はついに800メガヘルツに到達! Everybody say BASS!!」とトラブルすらエンターテイメントへと変換させる話術は、お見事の一言では片づけられないほど素晴らしく、ごまかしや隠すことの一切ない、正に全裸ライヴだと実感した。ZEN-LA-ROCKは独自にこのフェスティヴァルをレポートしているので併せて見てほしい。



 楽しいライヴを満喫した後は、D.J. FULLTONOを見にグラス・ルームへと移動する。個人的にエレクトロやシカゴ・ハウス、ゲットーベース等を2枚使いでジャグリングをガンガンやっていた頃を知っているだけに、いま、日本のJUKE/JIT第一人者として〈Outlook Festival Japan〉に出演していることが不思議であり、同じ大阪人として嬉しくもあった。彼がプレイしている時間のフロアは、このフェスのなかでもっとも独特な空気を放っていただろう。矢継ぎ早に、時にはトリッキーに繰り広げられるJUKEトラック、"FootWurk"という超高速ステップ、難しいことは言わず自然体な言葉でフロアを煽るMC、仲間たちお揃いのBOOTY TUNE(FULLTONO主宰レーベル)のTシャツ、ブースに群がるクラウド、汗だくになりながらも、次々とフットワークを踊り、DJブース前のフットワークサークルを絶やそうとしないダンサーたち、出演者、観客、スタッフ、なんて枠組みは取り払われたかのように、そこにいる皆で夢中になってフロアを創った時間だった。その素晴らしさは、FULLTONOが最後の曲をかけてすぐさまフロアに飛び出し、さっきまでDJをしていた男がいきなり高速フットワークを踊りだした時に確認できた。僕にはその姿が輝いて見えた。

 メインフロアに戻ると、Part2Style Soundがいままで録りためたキラーなダブ・プレートを惜しげもなくバンバン投下しフロアをロックし続けていた。そのスペシャル・チューンの連発にフロアのヴォルテージが高まりすぎて、次の日に出演予定のチャーリー・Pが我慢できずにマイクを取ったほどの盛り上がりだ。そしてその興奮のバトンとマイクは、DADDY FREDDY(ダディ・フレディ)へと渡された。高速で言葉をたたみかけるダディ・フレディのライヴは圧巻であった。何回も執拗にライターに火を灯せ! とオーディエンスに求め、フロアは上がりに上がった。早口世界チャンピオンは上げに上げた後、だだをこねるように「もう行っちゃうぞ?」とフロアに問う。フロアは声に応え、ダディ・フレディを放そうとはしない。チャンピオンはノリノリでネクスト・チューンをうたい終えた後、またフロアに問う。「おれはもういくぞ!?」と。もちろん皆は声に応える。するとチャンピオンはノリノリで「ワンモアチューン!」と、まだまだ歌い足りなさそうだが、やはりチャンピオン。どのアクトよりも怒涛の勢いを見せつけた、素晴らしいステージだった。

 チャンピオンの勢いに圧倒された後に続いて、特別な時間がやってきた。
 DJ、セレクタのセンスと腕が問われる真剣勝負、サウンド・クラッシュ。今回、かなり楽しみにしていたイベントだ。NISI-Pの司会によってルール説明が行われ、場内は緊張感に溢れた。今回のルールとして、はじめにくじ引きで第1ラウンド出場者である3組の順番を決め、1ラウンド目はダブ・プレートではない曲で3曲ずつかけ、次ラウンドの順番が決まる。第2ラウンドが「Dub Fi Dub」(ダブプレートを1曲ずつかける)の流れだ。第2ラウンドで決勝進出の2組が決まり、ファイナルラウンドで一対一の対決となる。
 第1ラウンドの一番手はHABANERO POSSE(ハバネロ・ポッセ)だ。普段からイーストオーディオ・サウンドシステムの音を研究しているだけあって、音の鳴りはピカイチだった。ガンヘッドのDJにFYS a.k.a. BINGOのMCの勢いもハンパなく、スピーカーとオーディエンスを存分に震わせた。続いて、JUNGLE ROCKがプレイするジャングルはレゲエのサウンドマンの登場を物語る。サウンドクラッシュはレゲエから発生した文化だ、と言わんばかりにフロアに問いただす。最後に登場したDEXPISTOLSは、なんとレゲエ・ネタで応戦し、エレクトロの先駆者が異文化であるクラッシュへの参戦表明を見せつけたことで、このサウンドクラッシュがいままでのどのサウンドクラッシュとも違う、斬新なものであるかがわかっただろう。今回のサウンドクラッシュの見どころとして、ヒップホップやエレクトロの文化やレゲエの文化などが、カードの組み合わせによって異種格闘技戦となっていることも、おもしろい試みだ。
 肩慣らしともいえる第1ラウンドを終え、いよいよ本番、ガチンコ対決となる第2ラウンドへと続く。トップバッターはDEXPISTOLSだ。第1ラウンドのときとは、やはり気合いの入り方が違い、ダブプレートには自身たちの曲にも参加している、ZeebraJON-Eがエレクトロのビート上で声をあげ、DEXPISTOLSがDEXPISTOLSであることをオーディエンスに見せつけた。
 続くはHABANERO POSSE。ムーンバートン・ビートにのるラップの声の持ち主に耳を疑った。なんと、Zeebraのダブ・プレートである。まずは「ベース好きなヤツは手を叩け!」と、"公開処刑"、そしてビートがエレクトロへと急激にピッチが上がり、DEXPISTOLS自身がZeebraをフィーチャーした"FIRE"のダブへと展開し、DEXPISTOLSへ向けたレクイエムを送る。逆回転のスピンの音が少し短くて、思ったことがあった。「あれはもしかして、レコードかもしれない......。」その盤はアセテート盤と呼ばれる、アナログレコードをわざわざカットして鳴らされたものであるのも、block.fmで放送された後日談にて確認できた。HABANERO POSSEは、ぬかりのない綿密な作戦と、業が成せる完璧な仕事を僕らに見せつけたのだ。
 ラストのジャングル・ロックは、アーメンブレイクと呼ばれるジャングル・ビートに、猛りまくったMCで問う。「さっきも、V.I.Pクルーがかかってたけど、V.I.Pクルーって言ったらこの人だろ!?」と、BOY-KENがうたう様々なクラッシュ・チューンでレゲエの底力を見せつけた。
 ファイナルラウンドに駒を進めたのは、HABANERO POSSEとJUNGLE ROCKの2組だ。本気の真剣勝負の結果である。誰もそこに異論を唱える者はいなかったと思うし、オーディエンスの反応にも間違いなく現れていた。戦うセンスと実力だけがものをいう、音と音のぶつかり合い。それがサウンドクラッシュという音楽の対話だ。
 ファイナルラウンド、先行はJUNGLE ROCKだ。「おれがこのダブとるのに、いくら使ったと思ってんだよ!」と意気込みを叫び、ダブを投下した。鎮座ドープネスリップ・スライムからはPESとRYO-Zという、豪華なメンツにフロアは沸きに沸いた。そして後攻にHABANERO POSSE。なんとその場のゲストMCにSEX山口を迎え、マイクでフロアに物申す。「おれらの敵はJUNGLE ROCKでも、DEXPISTOLSでもない。本当の敵は、風営法だ!」なんと、YOU THE ROCKがラップする"Hoo! Ei! Ho!"のダブだった。



 優勝は満場一致で、HABANERO POSSEが受賞した。展開の読み、選曲、音像、すべてにおいて郡を抜く存在だった。本当に、普段から音の鳴りを研究した努力の賜物だったと思うし、あの時間にあのダブ・プレートを聴いた時の、ドラマのような展開に感動した。近年、風営法を利用した警察が、文化を発信している場所となるクラブを摘発していることへの、強烈なアンチテーゼを意味するメッセージでもあった。クラバーたちの真の戦いとなる風営法を、サウンドクラッシュという戦のなかで伝え、勝利という名の栄光を掴んだ、真のチャンピオン誕生の瞬間だった。

 この頃には酔いもできあがってしまって、BUNBUN the MCのライヴではPart2Styleのメンバー、DJ 1TA-RAWがカット(バックDJ)をやっているにも関わらず、大阪のオジキの大舞台を応援したい気持ちで僕もDJブースにノリこんでカットをやるが、酔った手がCDJの盤面に当たってしまい、ズレなくてもいいリズムがズレてしまって、「WHEEL UP!Selecta!」とすぐにお声がかかり、ネクストチューンへ。大変、お邪魔いたしました。。もちろん、ライヴはいつにも増して、大盛況であった。酔いも深まる中、タカラダミチノブのジャーゲジョージをフィーチャーしたDJにシビれ、朝を迎えた。

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 2日目はひどい2日酔いのなか、昨日が夢のような1日だったため、目が覚めてもまどろみ状態がなかなか覚めなかった。そんな状態で、酒を飲む気分になれなかったので、この日はレッド・ブルだけを飲んで過ごした。
 会場に到着して、ブランチに虎子食堂のごはんを食べようと、真っ先にフードブースへ足が進む。フェジョアーダという黒豆ごはんを注文し、知人と一緒に「初めて食べる味ですねー」なんて話しながら、美味しくいただく。ふと、ブースの方へ向くと、Soi Productions(ソイ・プロダクションズ)がスタートダッシュのドラムンベースをブンブン鳴らしていた。会場の音も、昨日よりも開始直後からよく鳴っている印象だった。考えたら昼の2時だ。鳴らせる時間には鳴らさないと、サウンドシステムがもったいない。目もスッキリ覚めるほどのベースを浴びて、2日目がはじまったことを改めて確認した。

 バー・スペースではDJ DONがクンビアを気持ちよくかけている。今日はどうやって過ごそうかな? とタイムテーブルを見ながら周りを見渡す。ここは〈DUB STORE RECORDS〉や〈DISC SHOP ZERO〉がレコードを販売しているフロアでもある。ふと見ると、E-JIMA氏がレコードをクリーニングするサービスなんてのもあって、もしレコードをもってきてたら、超重低音でプレイする前にキレイにしたくなるだろうな、と思ったりした。

 入り口付近のグラス・ルームではKAN TAKAHIKOがダブステップのベースの鳴りをしっかりとたしかめるように、自作曲も交えながらプレイしていたり、2階へ行くと、DJ YOGURTがスモーキーで渋いラガ・ジャングルをかけていて、最高音響で聴くアーメン・ブレイクは体にスッと馴染みやすく刺さってくることを確認したり、NOOLIO氏との久々の再会がグローカル・アリーナで太陽を浴びながら聴くグローカルなハウスだったり、ホワイト・アリーナに戻っては、G.RINAの生で聴く初めてのDJにテンションが上がってしまい、BUNBUN氏とふたりしてかっこええわ~なんて言いながら楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 グラス・ルームでワイワイと楽しそうにやってたNEO TOKYO BASSの姿は、誤解を招くのも承知で書くと、やんちゃな子どもたちが はしゃいでいるようにも見えて、その楽しそうな姿に、ついついこっちまで指がガンショットの形になってしまった。クボタタケシのクンビア・ムーンバートンを交えたセットも素晴らしかった。この時にかかっていたKAN TAKAHIKOの"TOUR OF JAMAICA"のエディットはこのパーティ中に最も聴いたチューンのひとつだ。

 Tribal Connection(トライバル・コネクション)の1曲目は、ジャングル・ロックの昨日の決勝戦のチューンだった。昨日のバトルの雰囲気とはうってかわって、パーティ・チューンに聴こえたのもセレクター、DJとしてかける意味がかわって聴こえたりもして、趣が深かった。悔しそうに、そして楽しそうに。深いジャングルの時間だった。続くJxJxはグラス・ルームをファンキーに彩るムーンバートンで、大都会の夕暮れの時間を鮮やかに彩った。

 そうこうしている内にはじまったPart2Style Soundが、確実にメインフロアを唸らす。興奮もピークに近づいてきたところで、やってきたのはCharlie P(チャーリー・P)だ。まだ若いらしいが、堂々としたステージはベテランのようで、スムーシーに唄うその声は、ときに激しく、ときにまとわりつくように耳から脳へとスルリと入ってくる。続いて登場したSolo Banton(ソロ・バントン)は先日、大阪で見た時よりもキレがあり、"Kung Fu Master"や"MUSIC ADDICT"など、堂々としたステージングでオーディエンスをグイグイ引き寄せる。そして時には、ソロとチャーリーが交互に歌ったり、お互いの声質が異なることによるスペシャルなブレンド・ライヴを展開した。かなりマイクを回しあっただろう。時間が終盤に近づくにつれ、グルグルと回るマイクをもっと回せと口火をきったのはRUMIだ。"Breath for SPEAKER"の「揺らせ! スピーカー!」のフレーズで、正にスピーカーとフロアを存分に揺らした。すかさずソロがたたみかけるようにうたう、すると今度はなんと、CHUCK MORIS(チャック・モリス)が出てきては「まんまんなかなか、まんまんなかなか、ド真ん中!」と、すごい勢いで登場し、「たまりにたまった うさばらし! Outlookでおお騒ぎ!」と、けしかけては、「ハイ! 次! ソロー!」とソロ・バントンにマイクを煽る。ソロがすかさず歌い返すも、Pull UP! ちょっと待ったと、いきなり現れた二人のMCに たまったもんじゃないソロはなんと、ダディ・フレディの名を呼んだ。「ジーザス、クライスト!」とダディフレディが一言、そこからのトースティングは即座にフロアを頂点へとのし上げた!!! ダディ・フレディは会場に集まった皆と、Part2Styleに感謝を述べ、よし、マイクリレーしよう!と閃き、なんとスペシャルなことか、ダディ・フレディとソロ・バントンとチャーリー・P、3人の怒涛のマイクリレーがはじまった。これにはフロアもガンショットの嵐!! 最高のスペシャルプレゼントステージだった。Nisi-pが「もう一度、3人に大きな拍手を!!」と叫ぶと、会場は拍手大喝采に見舞われた。



 SKYFISHがクンタ・キンテのフレーズを流したのはその直後だ。ラスコの"Jahova"にチャック・モリスが歌う、"BASS LINE ADDICT"。続くRUMIのアンサーソング"BAD BWOY ADDICT"と、さすが、UK勢にも引けをとらないふたりのコンビネーションがフロアをぶちかました。今回のフェスで誰が一番のアクトだったかなんてことは、到底決められないけども、個人的にBASSを浴びる、いや、BASSをくらったのはNEO TOKYO BASSのときだ。腹にかなり直撃で受けてしまい、なんというかお腹のなかで内臓が揺れているのだ。いや、いま思い返せばそれが本当だったかはわからない。しかし、記憶していることは、体のなかが、なかごと、ようするに全身震えていたのだ。音が凶器にも感じた瞬間だった。ずっとフロアで聴いていたから低音には慣れているはずなのに、NEO TOKYO BASSがエグる、BASSの塊に完全にKOされてしまった。
 メインフロアを出た後、グラス・ルームでは、KEN2D-SPECIALが"EL CONDOR PASA"を演奏していた。どうやらラスト・チューンだったらしく、もっと見たかったが、そこで久しぶりの友だちと会い、話をしながらINSIDEMAN aka Qのかけるディープなトラックに癒された。少し外で休憩した後はクタクタだったのもあり、グローカル・エリアの帽子屋チロリンにて少し談笑したりした。すぐ隣にあるグローカル・エリアで見た1TA-RAWから大石始への流れはトロピカル・ベース~ムーンバートン~クンビア~民謡と、自然に流れるダイナミクスへと昇華され、僕が見たグローカル・エリアでは一番のパーティ・ショットだった。そして最後に見たのは、OBRIGARRD(オブリガード)だ。ハウスのビートから徐々にブレイクビーツ、クンビアへとビートダウンしてく"Largebeats"~"Ground Cumbia"の流れは素晴らしく、個人的にエンディング・テーマを聴いているような、寂しく、狂おしい瞬間だった。

 僕の〈Outlook Festival 2012 Japan〉Launch Partyは、こうして幕を閉じた。
 いまになって思い返してみても、なんて素晴らしく、楽しい体験だったのだ。体験したすべての人たちが、それぞれの形で、記憶に残る2日間になったと思う。そして日本のベース・ミュージックにとっても、キーポイントとなるような歴史的な2日間だったのではないか。
 出演していた あるアーティストに「今回出演できて、本当に良かった。もし、出演できていなかったら、自分がいままでベース・ミュージックを頑張ってきたことはなんだったんだろう? と、思っていたかもしれない」という話を聞いた。もちろん、自分も「出たいか?」と問われたら、即答で「出たい」と答えるだろう。それほどまでに、魅力溢れるパーティだ。個人的に思う〈Outlook Festival 2012 Japan Launch Party〉が残した大きな功績は、アーティストやDJたちが「次も出演したい」と、または「次は必ず出演したい」と、いわば、「目標」を主宰たちが知らず知らずのうちに創ったことだろう。その目標を叶えるためにも、来年、再来年と、また日本で〈Outlook Festival〉が開催されることを、切実に願っている。

 Part2Styleとイーストオーディオ・サウンドシステム、会えた方々、関係者の方々、そして体験する機会を与えてくれた「ele-king」の松村正人さんとモブさんに最大級の感謝をここに記します。

追記
 そしてこの夏、Part2Style Soundが2011年に引き続き、本場はクロアチアで開催される〈Outlook Festival 2012〉に出演する。本場のベース・ミュージック フェスティヴァアルに2年連続で出演し、何万人といった海外のオーディエンスを熱狂させることを思うと、同じ日本人としてとても誇らしい気分にさせてくれる。
 きっと彼らはまた素晴らしい音楽体験を得た後、その景色を少しでも日本へと、形を変えて伝えようとしてくれるだろう。
 進化し続ける「ベース・ミュージック」。未来のベース・ミュージックはどんな音が鳴っているのだろうか。
 僕はその進化し続ける音楽を体感して追っていきたい。

 8月2日(木曜日)、〈ハウス・オブ・ヴァンズ〉にて、ワッシュド・アウト、チェアリフト、レモネード......というツボをついたラインアップがあった(https://www.brooklynvegan.com/archives/2012/08/washed_out_play_2.html)。
これに行こうかなと思っていた矢先に、〈カメオ・ギャラリー〉で、ジーノ・アンド・オークランダーがプレイすると聞いた。『エレキング』に載ってるローレル・ヘイローも出演するという。これは興味深いと「女性と電子音楽」がテーマのエレキング・ブック『vol.6』を持参した。その『vol.6』をジーノ・アンド・オークランダーのリズに渡すと、興味深そうに自分たちのインタヴューを読み(見て)、共演の日本人アーティストのナオ・キタフチに「なんて書いてあるの?」と質問攻めにする。 
 会場の〈カメオ・ギャラリー〉は、ラヴィンカップ・カフェの奥にあり、カフェと  会場を行ったり来たりできる。近くに、ラ・サラ(音楽会場)/カンティナ・ロイヤル(レストラン)もあるが、ショーを見にきた人も、食事しに来たお客さんもミックスで出演バンドたちがブースでハング・アウトしているのが見れる。

 ローレル・ヘイローは、ショーを通して「男前」な印象だった。長い髪を振り乱し、スニーカーに半パン 、Tシャツというラフな格好で、目の前にある機材をすらすら操る。ネオン色のライトが照らされ、ところどころでスニーカーのラインが蛍光ピンクに光り、妖艶な雰囲気をも醸し出していた。観客がステージ上の彼女ひとりをじーっと凝視している図は少しおかしな感じがしたが、みんな真剣に見入っていた。   
 それに比べてジーノ・アンド・オークランダーは、見せるライヴだった。インタヴューで「毎回ライヴは違う」とリズが言っていた通り、前回見たときと印象は違った。前回は、初めて見たので、すべてにおいて新しい感じだった。今回は基本の流れと、次に来る物が何となく想像できた。目新しさより、瞬間瞬間に音を作り上げていく、ふたりのやり取りが興味深かった。明確な合図はないのだが、ピンポイントで互いの音を受け止め、横に上に広げていくのは、長年築き上げたチームワークなのだろう。突然登場するリズのフランス語のヴォーカルも音に沿っていて、音楽というより見るアートピースであった。

Laurel Halo/Xeno & Oaklander@ Cameo 8/2/2012
photos by Daniel Catucci

 次の日金曜日は、「セレブレート・ブルックリン」という毎年夏にプロスペクト・パークで開かれるイヴェントにワイルド・フラッグ、ミッション・オブ・バーマ、テッド・レオを見に行った。会場には簡易シートがあり、その後ろや横の芝生にもシートを引いて、のびのびしている人たちがいる。
 今回のショーはフリー(任意で$3の寄付)で、野外だというのに、サウンドも悪くなく、電飾も凝り、プロフェッショナルなカメラが数箇所で動き、後ろからでも、スクリーンで見ることができた。オーディエンスの層がウィリアムスバーグと違って、マナーのある大人で、オールエイジだからか、子供も多かったし、隣に座ったお姉さんもとても爽やかに席を譲ってくれた。

 ミッション・オブ・バーマは、経歴が長いだけあり(80年代から活動している)、演奏がタイトで安心して見れた。オーディエンスも年配なのだろう、みんな椅子に大人しく座って見ていた。ワイルド・フラッグがはじまると、どこからともなく人が現れ、椅子のあいだを立っている人が占領した。係員が「スペースを開けて!」と注意していたが、すでにロックしはじめたオーディエンスは言うことを聞くはずがない。私の隣では、子供も踊っていた。

セレブレート・ブルックリン
Wild Flag at Prospect Park - photos by Amanda Hatfield@BrooklynVegan

 ワイルド・フラッグを見るのは3回目。出てきた瞬間から大きな声援で、彼女たちの人気が伺える。キャリーは黒のトップにタイト・パンツ。メアリーは赤のボーダートップに黒のタイトスカート、レベッカは白黒ボーダーシャツに黒スカート、ジャネットはフロントに光ものがついた黒のドレスと、すでにキャラ分けもできている。
 全員女の子で、ステージに華があるし、みんな歌える。コーラスにも熟練を感じる。日本でまだ人気が出ないのは、このど迫力のライヴを見ていないからだと思う。演奏している彼女たちからは目が離せないし、スーパー・バンドと呼ぶに相応しいオーラを放っていた。

Wild Flag @ Propect Park Band Shell 8/3/2012
photos by Amanda Hatfield@BrooklynVegan

 こういった野外ライヴは、プロスペクトパーク以外にも、ウィリアムスバーグパーク、マカレンパーク、サウスシーポート、ピア84などで毎日のようにやっている(今週のセレブレート・ブルックリンは、元ダムダム・ガールズ、ヴィヴィアン・ガールズなどのフランキー・ローズとリトル・ドラゴン)。ニューヨークでライヴを見たいなら夏はオススメの季節だ。フラッと遊びに行くといろんなミュージシャンにも出会えるし、現実逃避もできる。

THE OTOGIBANASHI'Sとパブリック娘。 - ele-king

 夏休みがきたんだな、と思った。それはもう、個人的には12年ぶりくらいのやつが。

 ついきのうまで高校生でしたというような若いオーディエンスのいきれにむせる会場で、しばし回想するのは「夏休み」だ。8月にまだ手の届かない若々しい夏の夜に、なにかを期待するように集まった彼らからは、シャンプーの香のようにその幻影がたちのぼっていた。あれはなんなのだろう? 制度としての夏休みから派生した、ファンタジーとしての、意味としての夏休みに、われわれは抗しがたくとらえられている。

 この日のライヴは2組出たラップ・グループが印象に残った。いっぽうはその「夏休み」という強迫観念を背負って無方向に走り回り、もういっぽうはそうした「夏休み」をひっそりと置き去りにする。すでに日数もたっていることだから、本レポートでは彼らについて言及することにしたい。


 ザ・オトギバナシズはこの夜もっとも美しかった。気持ちの純粋さが擦り切れないぎりぎりの声量で、ごくやわらかく、詩的なイメージや言葉を切りとってくるB.M & bokuを見て、ヒップホップにはこんな表現があるのかとおどろいた。絵本の世界のような表象が、自身の自然な思考や感情表現と結びつき、美学ではなしに引き寄せられている。そしてそんなラップが、チルウェイヴやヒプナゴジックのフィーリングにささえられたミニマルなアンビエント・トラックにのってナイーヴに展開されていく。なるほどこれはクラウド・ラップのフィーリングだ。そしてそれはおとぎ話を語るのに向いている。

 彼らは2番めのアクトだったが、ステージではなくうしろのDJブースで行われるらしく、先に出演した進行方向別通行区分の変拍子とシニカルな文学性にみっちりと揉まれたオーディエンスの後方で、まるで幕間のDJセットのように始められなければならなかった。ただでさえロック色のつよいイヴェントである上、人々はまだステージの方を向いたまま次を待っている。出入りも困難な混雑状況であるから向きを変えるのもむずかしい。なかなかのアウェイだ。しかしすぐにトロ・イ・モワがかかると、フロアの空気が撹拌されるのを感じ、そしてとてもいい予感がした。進行方向別通行区分→トロ・イ・モワ。

 オトギバナシズは彼らのまわりの小さな半円から、徐々にフロアのルールを書き換えていった。ソフトなビートでゆっくりと。みんながこっちを向かなくてもいい。それぞれがそれぞれに、この場所を遊び場に変えればいいのだとばかりに、まず率先してひとり遊びをはじめたという感じだ。いでたちはやんちゃだったが、とても洗練された印象を受けた。赤い色の服もキャップの下のタオルも怪奇的なマスクも、すべてドリーミーにやさしく世界をかたちづくっていたと思う。"プール"以外のトラックもあらべぇ(a.k.a. Blackaaat / ovoviolooooa)なる少年の手になるものだったのだろうか。羽化したばかりのセミの翅のように、あのエスリアルな音づかいは、あの夜あの会場で果敢に響いていたと思う。よくもわるくも一種の閉鎖性から逃れることが困難な日本のインディ・ロック空間に、彼らのフィーリングは涼やかな外の空気をもたらしていた。トロ・イ・モワに表象されるある種の音が、記号的な役割を果たした部分もあったかもしれない。それに、最終的にフロアの全体を制するというような影響をおよぼしたわけでもなかった。しかしそれでも、彼らが鳴っていることに筆者はとても未来を感じた。


 オトギバナシズが小さな足音でこの夏休みの島を飛び立ったのと対照的に、パブリック娘。はにぎやかにフロアを制した。このころには人々のあいだに隙間ができていたこともあってか、彼らはのびのびと動き回り、オーディエンスの注意を集めている。じつにただの結婚式の2次会ノリであって、愛嬌と素人感覚をブースターとして、屈託ないステージングを繰り広げた。終始アッパーなトラック、ディスコや歌謡曲、アニソンもあっただろうか。それら自体にセンスを感じるわけではないが、彼らにはドキュメンタリー性ともいうべき華があった。いままさに目の前で進行する彼らの青春、生活、互いの関係性、そうしたものが奇妙にくっきりと、いやみなく開陳されている。"初恋とは何ぞや"などのリリックにもあきらかなように、そこにはやや文学的な、あわい問いかけがあり、このグループの個性を形成している。彼らはなにかをパッケージングしようとし、それを懸命に追いかけている。言葉にすると凡庸だが、いまという時間のもろさをはからずも取り出し、まぶしく散らせているようにみえた。

 しかし、ならばもう少しひねりがあってもいいかもしれない。サウンドももちろんだが、詞においても童貞景気で盛り上がりをねらうようなやりかたは新しいとは言えない。「あの娘」という手垢にまみれたモチーフを多用するなら、それなりの工夫が必要ではないかと思う。彼らのサマー・フィールには、どこか強迫観念としての「夏休み」を感じる。宿題をしなければ、友だち(彼女)を作らなければ、かけがえのない時間を過ごさねば......イビサでもサーフでもない、この「夏休み」という特殊な時間性への感度は、磨けば武器となるだろう。ぜひベタに落ち着けることなく、飛翔させていってほしいと思う。

 あと、客いじりももう少し洗練させてほしいと思う。被害者としてだが。

 7/31火曜日の朝、突然やってきた知らせ。「オリヴィア・トレマ・コントロールのビル・ドスが逝去」
 アセンスのローカル新聞フラッグ・ポールのゲイブ・ヴォディッカがいち早くツイートすると、『ブルックリン・ヴィーガン』も「これが嘘であって欲しい」と祈りながら、アップデートをはじめた。
 そのツイートから数時間後、オリヴィア・トレマ・コントロールのオフィシャル・サイトが、「We are devastated by the loss of our brother Bill doss. We are at a loss for words.(僕達の兄弟分、ビル・ドスの逝去に打ちひしがれ、言葉を失っています)」とコメントを載せる。チャンクレットなど、他のサイトでも、どんどんアップデートがはじまり、真実として受け止めるしかなかった。

 私もその日は、何も手に付かなかったが、彼との思い出を少しでもシェア出来たらとここに書いて見る。

 オリヴィア・トレマ・コントロールを初めて知ったのは、私がLAにいた1996年のことだった。その頃、アップルズ・イン・ステレオの『ファン・トリック・ノイズメイカー』が日本のトラットリアからリリースされ、私も大好きで聴いていたので、彼らのショーに行った。そのときの対バンがミュージック・テープスとオリヴィア・トレマ・コントロールで、アップルズ・イン・ステレオを見に行ったにも関わらず、私はこのふたつの対バンにいままでにない感動を覚えた。これがきっかけで、日本ではまだ知られていない、こういった素敵なアメリカのインディ・バンドを紹介していこうとレコード・レーベルをはじめた。彼らとの出会いで、自分の進んで行く道を確認したのだ。

 彼らとたちまち友だちになった私は、彼らの住むアセンスに滞在することになる。いまでも1年にいちどは里帰りしている。

 私が住んでいたのは、ビルのバンド・メイトで、エレファント6の中心人物のウィルの家だった。そこでは毎日のようにオリヴィア・トレマ・コントロールの練習がおこなわれていた。ビルはリーダー的役割で、まわりに気を使い、心優しく、まだ英語もろくにしゃべれなかった私の面倒を見てくれた。オリヴィアにインタビューするときは彼が答えてくれた。初来日したときに、みんなで渋谷を散策したのが、つい最近のように思い出される。

 彼らは2010年再結成し、先月6月のノースサイド・フェスティヴァルでNYでプレイした。そのとき久々にビルと会って、これからのオリヴィアの活動などについて話した。「ヨーロッパは、すでに決まっているから、次は日本にも行きたいね。この(ノースサイド)次は、シカゴのピッチフォーク・フェスだから、来るなら言ってね。ゲストにいれるから」とウィンクされたのが、最後の会話になった。
 エレファント6に関する記事をまとめようと、彼用のインタヴューもすでに送り、会ったときに「インタヴュー返すの遅れてゴメン! ツアーから帰ったらすぐに返すよ」と言われたのに、返って来ないインタヴューになった。

 彼のお葬式は8/4(土曜日)アセンスの音楽会場である40ワットでおこなわれる。オリヴィアも良くプレイした馴染み深い場所だ。彼の家族は、地元の音楽家支援サイトに寄付ページ(nuci's place)を設けている。彼にお花、愛を贈りたい人は、こちらへ。 https://www.nuci.org/help/donate-online/

 ビルは、クリアな声でハーモニーを大事にする、素晴らしいシンガーだった。暫くはオリヴィア・トレマばかりを聴いてしまうんだろう。
https://m.pitchfork.com/features/afterword/8908-bill-doss/
(写真の下の文章の最後の"here"をクリックすると、ビルの素晴らしい作品集が聞ける)

 最初にアッタチした写真(01/02)は、1996年に彼らを始めてLAで見た時に撮った物。写真ケースに入れたら、くっついて離れずNYに移っても、ずっと私の部屋に飾られている。その他、アセンス時代の思い入れのある写真。書きかけのUS POP LIFE本を仕上げなければ。

 レスト・イン・ピース、ビル
 安らかにお眠り下さい。

 Rest in peace Bill Doss
 8/1/2012 Yoko Sawai

ele-kingの読者の皆さまこんにちは。わたくしNaBaBaという者です。先日はインタヴュー記事を特集していただき、記憶に新しい方も多いかと思います。突然ですがなんと、今回からこちらで連載記事を書かせていただくことになりました。しかもテーマは海外ゲーム・レヴュー! このele-kingで! いったいどういうことなのでしょうか!?

ひとまず改めて自己紹介させていただくと、わたくしNaBaBaは本業はゲームのデザイナーとして働くかたわら、個人で絵画制作も行っており、ネットとリアル双方で活動をしております。まだまだ駆け出しの身の上ですが、先日はカイカイキキにて「A Nightmare Is A Dream Come True: Anime Expressionist Painting AKA:悪夢のドリカム」というグループ展にも参加させていただいておりました。その経緯からこちらでインタヴューをさせていただくことにもなったのです。

インタヴューでも触れていますが、僕は海外ゲームの大ファンであります。一時は年間60本くらいのペースで遊ぶこともありました。こうした趣味が昂じてゲーム会社に就職を決めたほか、自身のHPでもゲームのレヴューを書いたりもしていました。もっともここ数年はHPの方はだいぶご無沙汰していたのですが。

かつてゲーム大国と呼ばれた日本ですが、海外ゲームは日本ではとても馴染みが薄いものです。世界では300万本や400万本売れている作品が、日本では10万本にも届かないということもよくあります。それを文化の違いと一蹴するのは簡単ですが、やはり数百万本という数字を叩き出すのはそれなりの理由がある。

いち開発者としてはそういうところを学び取らなければという思いで遊んできましたし、自分以外の人たちへは向こうのゲームのパワフルさを知り、楽しんでもらいたいという思いで今まで地道に紹介をしてきました。

ここele-kingはインディーズのミュージック・シーンを紹介されるサイトです。マスほどの知名度はないけれども、そこにある価値を信じて紹介されているサイトであると思います。このお互いが見ているシーンへの思い、そこの意気投合から今回の連載をさせていただくことになったのでした。

ele-kingは現在は音楽ひとすじのようですが、これから徐々に音楽以外のジャンルも取り扱っていくときいています。その先駆けとして僕のこの連載、題して『NaBaBaの洋ゲー・レヴュー超教条主義』をお送りしていきたいと思います。みなさまよろしくお願い致します!

ご挨拶はこれくらいにして、さっそく本題に入ってまいりましょう。このレヴューの趣旨としては毎回1本の作品をテーマに、なるべくわかりやすく、しかし突っ込むところは突っ込んで、できるならそれを元に海外ゲーム全体のトレンドとかムーヴメントもご紹介していきたいです。みなさまの理解を深める一助になればと思います。

そういうことで記念すべき連載第1回を飾るのにふさわしい作品は、ズバリ『Half-Life 2』を差し置いて他にないでしょう。現代の海外ゲーム、特にFPSにおいてはその多くがこの作品が指し示した方向性の延長線上に立脚していると言っても過言ではありません。また僕個人にとっても思春期に直撃した作品として、後々のゲーム観に多大な影響を与えました。そんな多くの意味で後のゲームの先駆けとなった『Half-Life 2』。今回はこのゲームをご紹介していきたいと思います。

■04年の衝撃、現代FPSの先駆者、『Half-Life 2』

『Half-Life 2』は04年に〈Valve〉から開発・発売されたPCゲームで、SF的世界観のFPS。98年に発売された初代『Half-Life』の続編で、前作以来エイリアンや人間が混然一体となった近未来を舞台に、主人公のGordon Freemanが仲間とともに、圧政に立ち向かっていくストーリーです。

『Half-Life 2』が発売されてからもう8年も経つわけですが、この作品が出た当時は業界全体がものすごい衝撃を受けていたと記憶しています。ゲームはテクノロジーと強い因果関係を持つメディアで、新しい技術が開発されるたび、それを取り入れた新しい遊びを提示する。その繰り返しで進化してきています。

そういう観点で見ると、『Half-Life 2』はまさに従来にはなかった新技術をふんだんに使い、それまでのゲームでは不可能だった様々な表現の可能性を提示した、ブレイクスルーそのものでした。

フォトレアリスティックなグラフィックス、物理エンジンを利用した物体の高度な物理的挙動の再現、キャラクターのリアルなフェイシャル・アニメーション......専門用語をつらつらと並べてしまいましたが、要は現代では当たり前になっているいわゆる「リアル」な表現を、現代の作品へと続くクオリティで初めて提示したのが『Half-Life 2』だったのです。


リアルな表情を見せるキャラクターとのドラマ。それまでのゲームでは考えられないことだった。

しかし上記の技術的ブレイクスルーのみが本作の特徴だったとしたら、後年にいたるまで絶対的な影響力を放つ作品にはなりえていなかったでしょう。『Half-Life 2』の同年に発売された〈id Software〉の『DOOM 3』がまさにそういう作品でした。

〈id Software〉といえばFPSというジャンルを始めて世に確立せしめた『DOOM』を生み出した、老舗にして業界トップの開発会社でした。圧倒的技術力を誇る同社が当時開発していた『DOOM 3』もまた『Half-Life 2』と同じく最新技術のショーケースで、当時は二大FPSの巨人の頂上決戦と、前にも後にもこれ以上無いんじゃないかというくらい盛り上がったものです。


こちらはDOOM 3。FPSの始祖の最新作。Half-Life 2と二分する、04年のもうひとりの主役だった。

最終的にどちらが勝利したかというと、それは今回主役の『Half-Life 2』でした。本作の勝利は歴史が如実に語っており、後続のゲームは『DOOM 3』の作風ではなく、『Half-Life 2』の影響を受けていったように見えます。

どちらも技術的には最先端を走っていたはずなのに、いったいどこで差が出たのか。いまから思えば『DOOM 3』は確かに最先端の技術を搭載はしていましたが、ゲームとしての遊び自体は従来の方法論の延長線上にあるに過ぎなかったのでしょう。べつの言い方をするなら、見た目はすごくリアルになったけれども、正直、昔のままのリアルじゃない見た目だったとしても、ゲームとしてのおもしろさはそこまで変わらないのではないか、とか。

その点が『Half-Life 2』はちがいました。最先端の技術と、その裏づけなくしては表現しえない「没入感」があったのです。ちなみに「没入感」は僕がゲームを遊ぶ上で最重要視している要素のひとつ。『Half-Life 2』には他にも語れる点はたくさんあるのですが、今回は後続へ与えた影響も鑑みて、『Half-Life 2』の持つ「没入感」に話題を絞って解説していきましょう。

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■没入感の追求とは

さて、「没入感」といってもゲームを普段遊ばれない人はピンとこないと思います。実際これはゲーム特有の感覚で、言語化するのがなかなか難しいのですが、しいて言うなれば「ゲームと自分という一歩引いた距離感を取り払い、自分がまるでゲームの主人公になりきり、ゲーム内で起きたことを我が身に起きたことのようにありありと感じられる状態」、でしょうか。

これはゲームに「熱中」している状態とは一見同じようでまったくちがいます。「熱中」というのは、たとえばテトリスを遊んでいたとして、どんどんブロックの落ちる速度が速くなり、それに対応してミスすることなく消しまくっている状態がそれです。言いかえるなら徹底的な効率化であり、まるで機械になったかのようにミスなく特定の操作を繰り返していく状態のことを指します。

『Half-Life 2』はまさにいま示した「没入感」の方を追求した作品。ゲームをより良いスコアでクリアしたり、高い難易度をミスなくクリアすることを目的とするのではなく、ゲーム内の出来事をありありと感じ入ることを優先的に考えた作品でした。しかしありありと感じるためには、それに耐えるだけの説得力、リアリティが必要です。そのために本作は先ほど挙げたフォトレアリスティックなグラフィックスだとかという、数々の最新技術を必要としたわけです。

しかし広く捉えれば、「没入感」を重視したゲームは『Half-Life 2』以前にも無かったわけではありません。本作が旧来の「没入感」志向のゲームの中でもひときわ革新的と評価されたのは、ゲームのはじめから終わりまで一貫して主人公の一人称視点で展開されること、どんなときでもプレイヤーの自由操作を奪いきらないこと、そして最も重要なのが、それでいてシネマティックな演出あふれる展開を描いたことの3点があったからです。

『Half-Life 2』、というよりも『Half-Life』シリーズにはカット・シーンというものがありません。カット・シーンというのはつまりゲームの合間にストーリー進行的な意味あいで挿入される映像のことですね。ゲーム・プレイだけでは追えないストーリーの複雑な部分を説明できるので、多くのゲームが使う手なわけですが、遊び手としてはそこを操作させろ! と思うこともよくあるわけです。

その点『Half-Life』シリーズはどんな時でも一人称視点のままゲームが進行する、つまりすべてを自分自身の視野で目の当たりにすることになるわけです。しかも基本的に自由操作が奪われない。仮に動けなくても、その時は拘束されているとかハッキリとした理由があり、そういう状況でも視点を動かすことはできる。見たくなければ目をそらしてもいい。

等身大の視点で強引な束縛を受けずに、事態を体感することができる。こうした作りが、従来のゲームのやらされている感や、見せられているだけ感を払拭し、自らの意志で立ち会っている感、ひいては自らなりにありありと感じる「没入感」を表現しえたのです。


主観視点に徹する作品はFPSのなかでも実は珍しい。Half-Lifeシリーズはそのようなゲームの代表格だ。

■初代『Half-Life』と『Half-Life 2』のちがい

ただこの一貫した一人称視点と自由操作の2点は、実は先程“『Half-Life』シリーズ”と呼んだように、そもそもは98年の初代『Half-Life』の発明なのです。しかしそれで『Half-Life 2』の評価を下げるのは早計ですよ。前述したように、そこにシネマティックな演出を共存させたことこそが『Half-Life 2』の革新性なわけですから。

先に初代『Half-Life』ついて少し触れてみましょう。この作品は先の2点を発明した、いわばゲーム内世界を等身大に感じさせることに注力した初めての作品だと言えます。むしろこの2点以外にもゲームのあらゆる要素が等身大であることに強くこだわっていたとも言えるでしょう。

たとえばプレイヤーの分身となる主人公のGordon Freemanは、屈強な兵士でも魔法使いでもなく、ただの科学者という設定。舞台も地味な科学研究所。実験失敗から異世界への扉が開き、研究所内をエイリアンが跋扈するというストーリーはセンセーショナルですが、かといってそれを誇張するわけではなく、ただ事実を積み重ねていくだけのように、その後の研究所の様子を淡々と描いていくことに終始します。ただしその淡々とした様子自体はしっかり描ききる。

そのどこまでも等身大であることに徹底したことが、まるで記録映像のようなリアリティ、もといただの人間=プレイヤーが突然渦中に放り込まれてしまった感がすごく出ていました。当時のゲームはどれも宇宙海兵隊だとか地獄の使者だとか、フィクション性が強く、またストーリーはあってないような作品ばかりだったこともあり、いままでにないストーリーと、それを体感させる仕組を編み出した名作という評価につながったのです。


Half-Lifeはモノレールに乗って出勤するシーンから始まる。記録映像的な本作を象徴する場面だ。

しかしこれはべつの見方をすると、初代『Half-Life』の表現は、リアリティある体験を描きたいのだが、当時の技術ではどうあがいても宇宙海兵隊にリアリティを持たせることはできない、というところからの逆説だったとも捉えられます。嘘だとバレやすいフィクション性や演出を徹底的に排除していって、結果として記録映像的な展開に行き着いたというような。

ところが続編の『Half-Life 2』ではそれが一転します。主人公のGordon Freemanは前作の事件の生き残りとして英雄視され、舞台のCity 17もスチーム・パンク的なケレン味が増しています。ゲームの目的も前作のただ生き残ることから圧政へのレジスタンス活動へと変わり、仲間とのヒューマン・ドラマあり、戦闘ヘリを相手に激しいカー・チェイスを繰り広げる場面もありと、とにかくすべてがシネマティックな方向性へと変わりました。

ある意味この変化は初代がこだわった等身大からの脱却です。みなから尊敬される英雄で、激しいアクションで敵をなぎ倒していく様子はもはや以前のしがない科学者とは思えません。嫌味な言い方をするなら、かつて初代で否定した宇宙海兵隊と同じではないか。しかし驚くべきことは、そんな設定や演出でも没入できるわけですよ。最新技術を駆使した随所のリアリティの向上によって!

先ほども少し触れたとおり、ゲームはもともと複雑なストーリーを描くことが苦手です。少なくともアニメや映画といった従来のメディアと比べるとすごく苦手。ゲームとはプレイヤーが自分の意志で気ままに操作するものですから、強固なストーリー・ラインを構築するのが難しい。がちがちにストーリーを決めて、主人公がやることなすこと全部決めてしまっては、逆にプレイヤーがわざわざ操作する意味がなくなってしまいます。

こういったジレンマに、多くのゲームはカット・シーンの挿入という安易な方法にはしったり、荒いポリゴンの感情移入しきれない寸劇に甘んじたり、初代『Half-Life』は記録映像的な変化球で対応した。そんななか『Half-Life 2』は、真正面からゲーム・プレイそのもののなかに劇的な演出を混在させ、それをリアリティと感じられる水準まで作りこんだ、初めての作品と言えるでしょう。

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■『Half-Life 2』以後のゲーム

この『Half-Life 2』の登場以降、業界全体のグラフィックス技術の大幅な上昇により、技術向上の恩恵を受けやすいFPSの一大ブームとなり、没入感重視のゲームもいっきに増えました。

ゲームの発売には周期性があるのがおもしろいもので、だいたい1本のゲームを開発するには、現代では2年から4年ほどかかると言われています。だから04年に発売した『Half-Life 2』の影響を受けたゲームが世に登場するのはだいたい07年くらい。

実際その年には『Call of Duty 4: Modern Warfare』や『Bioshock』等といった、『Half-Life 2』のコンセプトを独自解釈・発展させたかのような作品が多数登場するにいたっています。これらの作品も、後々この連載で取り上げていくことになるかもしれません。

一方で『Half-Life 2』の後続への悪しき影響についても触れておきましょうか。「没入感」という点では非常に秀でたものを持っていた本作でしたが、ゲーム・システムそのものの完成度であるとか、駆け引きの面白さはいまひとつな出来となっています。

ひと言で表すなら散漫なんですね。各チャプターごとでステージごとのコンセプトがころころ変わる。そこまでは体験のバリエーションが多いってことなのでべつにいいのですが、おもしろさまでころころ変わって出来不出来の差が激しいのは問題。

純粋なゲーム性のおもしろさを求めた人からはこの点が不満としてあがりがちで、またそういう人たちにとっては本作の人間ドラマだ演出だってのは不要なものという意見も多かった。いいからはやく銃を撃たせろよ! ってことですね。そういった求めるもののちがいにより当時から賛否両論を招く作品でもありました。


ゲーム中2回登場する乗り物によるチェイス・シーンは退屈だとする意見が多い。

そしてこの『Half-Life 2』の登場以降、演出重視でゲーム性イマイチみたいな作品を見ることが多くなっていきましたね。作品として勝負する点が変わってしまったということです。

これは本作の影響のみならず、2006年末に発売されたPlayStation 3により口火を切ったいま世代の家庭用ゲーム機の登場、それによるゲームのより広いユーザーへの浸透や、そのなかでより遊んでもらうための訴求性の追求だとか、もっとマーケット全体の傾向からの結果でもあります。しかしその先駆けだったのは『Half-Life 2』。それはまちがいありません。

■まとめ

というわけで今回は『Half-Life 2』というゲームを、良きにつけ悪しきにつけ今日のFPSに多大な影響を与えた歴史的意義の深い作品として、連載第1回目にご紹介させていただきました。

今回初回ということもあり、概要の説明もまじえてかなり長文となってしまいましたが、みなさまいかがでしたでしょうか。『Half-Life 2』は今回取り上げた以外にもまだまだネタのつきない作品で、というよりも開発元の〈Valve〉自体がゲーム業界の異端児かつ先行者といった感じで、本当に話題に事欠きません。というよりもむしろ台風の目のようにつねに話題の中心にいるような会社です。

おそらく今後の連載でも何度もその名前を見ることになるでしょう。その意味でもそんな〈Valve〉の代表作の『Half-Life 2』はぜひ取り上げようと思いました。

さて次回は、視点を変えて今年発売された最新のゲームのなかからひとつ紹介させていただきたいと思います。最後までご拝読ありがとうございました。それではまた会いましょう。



Dum Dum Party 2012 - ele-king

 7月1日、〈河口湖ステラシアター〉で開かれた「Dum Dum Party 2012」は、ビッグ・フェスティヴァルが当たり前のこのご時世で、原点回帰をうながすような内容だった。

 Dum Dum Llpがヴァセリンズを呼んだ理由は、好きだからだ。2009年に設立されたこのイヴェント会社の名前は、ヴァセリンズの代表曲"Dum Dum"から取られている。「当初からいくつかバンドを呼びたいと思っていたけれど、まさかこんなに早く彼らを呼べると思っていなくて、早い段階で最終地点に着いてしまったような感じがしているね(笑)」と、今回の招聘について、Dum Dum Llp代表の富樫陸氏は話してくれた。
 今回のイヴェントのプロモーターでもあるOffice Glasgowの安永和俊氏はこう語る。「もちろん商業的に成功しなくてはいけない部分もあるけれど、まず企画する側が好きなバンドを呼んで、バンドを好きな人たちが会場に集まる。そして日本のことが好きなアーティストがライヴをする。ハッピーでしかないからね。当たり前のようだけど、それがいちばんでしょ」
 Corneliusの小山田圭吾氏は今回のイヴェントについて、富樫氏に向かいこう言ったそうだ。「これ、完全に富樫君のイヴェントだよね(笑)」

 日本の大きなイヴェント(フェスティヴァルなど)は、このようなシンプルなモチヴェーションを失ってはいないだろうか。ミュージック・フェスティヴァルとはそれを好きな人たちが好きな文化のためにはじめたもので、その主役は"音楽"と"リスナー"だったはずだ。
 僕も自分でイヴェントを開催したことがある。現在もいくつかのイヴェントのお手伝いをする機会があるので、企画する側の苦労などは(その規模によってかなり違うが)、ある程度は理解はしているつもりだ。自分が思っているようにアーティストは集まらないし、集客などはとても不安だった。経済的なリスクがつねにある。
 しかし、「イヴェントをなぜ企画するのか」というもっとも大切な命題にぶつかったとき、意外と答えは簡単に見つかる。好きだからやる。イヴェントは、その音楽を輝かせる手段、ルーティーンでは決して味わえない自由な空間を創造することなんだと僕は思う。
 ここ5年くらい、僕も毎年のようにいろいろなフェスティヴァルに出かけている。近年はそのイヴェントに「参加している/共有している」というよりも、「普段見れないアーティストを見に行っている」という感覚のほうがどうしても強い。いわゆるショーケースとして受け止めている。そういう意味で7月1日の「Dum Dum Party 2012」は、自分も忘れていたフェス的なものへの初期衝動を喚起させてくれたのだった。

 当日は、ヴァセリンズの"Dum Dum"と相対性理論の"Qkmac"が収録された、限定のスプリット 7インチ・シングルが発売されていた(もちろん即ゲット)。そうそう、この日出演者はスティーヴィー・ジャクソン、ヴァセリンズ、相対性理論、ゲストに小山田圭吾。流行やビッグネームに頼らない、企画側の愛情がわかる、面白い組み合わせだったと思う。だいたい平日の月曜を翌日に控えた日曜日の夕方から山中湖でやるイヴェントには、本気で好きな人しか来ないだろう(笑)。

 スティーヴィー・ジャクソンはベル・アンド・セバスチャンよりも内省的で、もの哀しくも、やさしく包み込むような歌声が良かった。山地特有の天候が独特の雰囲気を醸し出し、ちょっとグラスゴーの風景を空想してしまった。

 スティーヴィー・ジャクソンがリード・ギターとして入ったヴァセリンズは、フランシス・マーキーのチャーミングな赤いスカートが華々しかった。ところ"Oliver Twisted"で演奏がはじまると、そんな可愛い印象は一転。ファズのかかった挑発的なギター・サウンド、ユージン・ケリーとフランシス・マーキーによる男女ツイン・ヴォーカルに乗せられながら、ステージは矢継ぎ早に展開。"Molly's Lips"では小山田圭吾と安永和俊が登場、ホーンを演奏した。"Son of A Gun"あたりから座っていたリスナーも立ち上がり、踊りはじめた。"Dum Dum"を演奏する前のMCで、Dum Dum Llp関係者などに感謝の言葉を述べた。会場は拍手に包まれ、"Dying For It"がはじまった。

 相対性理論は、リヴァーヴのなかで溶け合うふたつのドラムが躍動的だった。ボサノヴァ風のアレンジや、やくしまるえつこのヴォーカリゼーションは魅惑的だった。小山田圭吾をギターに迎えたその日最後の曲、"ムーンライト銀河"は白眉だった。甘いノイズ・ギターは、どこまでも遠くへ続くようだった......。それは企画側の愛情のこもった気持ちの良いフェスティヴァルに相応しい幕引きだった......。

 洋楽聴くと売れなくなるぞ、売れたきゃバンプだけ聴いてろぉと業界では言われているとかいないとか......、そんな話がまとこしやかに囁かれている今日の邦楽で、たとえ無意識であろうとシーンのガラパゴス化に抵抗し、音楽という想像力に意識的なアーティストたちのリリースが相次ぐ。
とはいえ、ほんとうにつまらない音楽ばかりなのかといえばそうでもない。無名の才能たちを拾い上げることができなくなってしまった痩せて力ない音楽業界を、彼ら先達者たちやわれわれリスナーが揺さぶらなければならない。投票だと仮想してみようではないか。あなたはどの票でもって意思を表明するだろう? 全部買ってもいい。しかしどれもそれに値しないかもしれない。あなたの期待の作品を、どうぞコメントしてください!

 8月8日の七尾旅人『リトルメロディ』は、前作『ビリオン・ヴォイシズ』発表以降全国を行脚し、とりわけ震災以降の福島へいち早く赴くなかで受けた大きなインスピレーションが止められている。ツイッター上のコミュニケーションを制作に援用したり、多くの個性的な奏者たちを交えるレコーディング・スタイルをとったりと、七尾らしい取り組みも健在だ。また、昨今のSSWブームの火付け役でもある。
詳細 https://tavito.net/

 9月5日のコーネリアスは、これまでに手がけたリミックスやミックス作品のコンピレーション「CMシリーズ」の第4弾。1995年から2012年まで、国の内外を問わずオファーを受けた作品を一挙収録している。こちらは残念ながらオリジナル・アルバムではないが、定評ある小山田圭吾のリミックス作品をまとめて聴けるのは嬉しい。MGMT、相対性理論、アート、リンゼイ、小野洋子、布袋寅泰、三波春夫......などなどの曲のコーネリアス・リミックスが収録される。"赤とんぼ"のリミックスは必聴。

 同日のトクマルシューゴは約2年半ぶりのリリースとなる。予定されているフル・アルバムに先駆けたシングルだ。タイトルは『デコレート』。CDやデジタル・フォーマットのほかにソノシートも予定されているところにインディ・シーンの時流がとらえられているようにもみえる。ご存知バグルスの名曲"ヴィデオ・キルド・レディオ・スター"カヴァーなどはアルバムへは収録されない注目トラックだ。
詳細 https://blog.shugotokumaru.com/?eid=1030256

 9月19日はオウガ・ユー・アスホール。演奏力もさることながら、若いバンドのなかではダントツに多種多様なレコードを買い、探求をつづける志高きバンドでもある。物事が移りかわったり終わったりしていくことは、悪いことではない......『ホームリー』とは真逆のチルな境地を目指しつつ、ポップ・センスも注がれている『100年後』には、そうした意味もこめられているようだ。
詳細 https://www.ogreyouasshole.com/news.html

100% Silk x Diskotopia - ele-king

 オイは生まれてはじめてミラーボールば見たんばい......筆者は生まれてはじめてミラー・ボールをこの目に見た。ききかじりの長崎弁もどきをつかうのは、そうストレートに告白するのがしのびないからである。はずかしながら、このように4つ打ちがとどろく場所に来たことがなく、押すのか引くのかわからない重い扉を開けてものすごい音の波動が押し寄せてきたとき、筆者はほんとうに驚いた。前日に諸先輩方から「外国にも行きたくない、クラブにも行かない、××もやったことがない、それではいかんというか異常。」というような説教を受けてきたが、じつのところオールナイトも初めてで、いろんな先入観からやや腰が重かった。だが、緊張しながらも筆者は仮眠をとり、尋常に準備をととのえ、24時過ぎに人の群れを逆行して渋谷へたどりついたのである。おお、免許証がいるのか。後ろのひと大変すみません。初めてなもので......と、受付に見知った担当者の方の顔をみつけてほっとしながら、ご挨拶もそこそこに混みあったロビーに足を踏み入れると、ビールを手に入れるのもひと苦労なほどの人の入りようだ。〈100%シルク〉というから、マーク・マグワイヤのときのようなムードや客層を漠然と思い描いていたのだが、それはくだんの音圧とともに吹き飛んだ。同じように混んでいるが雰囲気は真逆である。たぶん、シルクが何なのか知らないできている人もいる。だが、ジュリア・ホルターが来ていたならともかく、彼らのプレイはその客層にうまく機能していた。マグワイヤには(そしておそらくジュリア・ホルターやアマンダ・ブラウンなどにも)ステージへの集中があったが、ここには発散がある。ここはダンスをするところだ。なるほど思ってもみないところに来てしまった。そのときはじまっていたマジック・タッチがなにか特別に優れていたり目立っていたりしたわけではないと思うのだが、とにかくバキバキに4つ打ちで、「パワー」というより「フォース」というに近いその音圧には意外なほどわくわくした。なにか、人生で初の部類のことに触れようとしていたのだ。明確にそう直感された。よって、ここまでお読みくださって苦笑されているみなさんも、どうかそんなおぼこいやつの体験記としてあたたかくお目こぼしいただければと思います。

 ただ、そのときたまたまうしろのモニターが摩天楼の夜景をレトロなタッチで映し出していたのにはすこし笑った。まさに幻想のエイティーズというか、ヘリからの空撮といった趣でゴージャスに、なかばアイロニカルに街が輝いている。そして時おりシルクのロゴがひらめく。オーソドックスで制圧的な力にみちたマジック・タッチに似合っていた。それに比して、概して隙間の多めの音響構築、ウラ拍とズレをいかしたマーク・バートルズのほうは、最大の盛り上がりポイントでVJがいい仕事をして盛り上がった。温泉・カラオケ・大人数宴会やその他設備を盛ったスーパー旅館のCMが用いられていて、人々の髪型や大写しになったすきやきの色合いや画質などから、これまた失われし80年代への、そして80年代ノスタルジーじたいへのシニカルなオマージュがうかがわれる。タイミングは完全に偶然なのかもしれないが、それならば彼は偶然をうまく引き寄せた。

 小さい前ならえほどのスペースをあけて人々が踊りあっている空間は居ごこちがよかった。みなよく相手の耳もとに大きな声で話しかけていたが、ちっともうるさいと感じなかった。そこでは自分もただ大勢のなかのひとりで、音が互いの距離をほどよく遮蔽している。そして暗さがやさしく意識をまもってくれる。ビートと音量が圧倒的で、あまりなにも気にしなくてよくなる。自我や自意識を相対化されるというか、インディ・ロックを聴きにいくときの一種独特の緊張感からは自由であった(その緊張感も大事なものであるが)。ぼーっとしている人もいる。スポーツ観戦に近いのかもしれない。ある瞬間には一体感が訪れる。さまざまな例外はあるものの、ロックの場合、たとえみんなで合唱したとしても一体感はステージ側との1:1の関係で生まれる精神的なものであることが多いのではないだろうか。ここに時おり生まれる一体感とは、もっと動物的な、たとえば一羽のカモが方向を変えるといっせいにみなついていくというような種類のものであるように思われた。

 さて、2杯めのビールの調達に手間どっているあいだにサファイア・スロウズがはじまってしまっていた。先のふたりの手練とはちがい、音圧がうすく、出音はやや平面的な印象であったが、彼女は果敢に、その場にライヴを取り戻した。あれだけガンガンと4つ打ちに支配されていたフロアには、いまやメランコリックにピアノの旋律が響いている。生演奏による単純なメロディが、一瞬は場違いにも思われた。目の前のふたり連れが「なんだ、ただのライヴじゃん」と言っていたが、そうした当初の当惑を、彼女はじつに堂々と変えていった。マイクをつかみ、ハイ・プレイシズナイト・ジュエルのあいだを縫うような感覚で反復するフレーズを丁寧に歌いつづけ、繊細なエレクトロニカは叙情をやめようとしない、そうしているうちにすっかり会場が説得されてしまった。ほとんどの人が踊りをやめていたが、ゆるやかに音に身をもたせて、最後はとてもよい雰囲気で終わった。マジック・タッチとの共作というトラックを披露して幕。非常に勇気のあるステージだったと思う。

 さあ、そしてアイタルの独壇場がはじまる。あたまから唐突に、半端なくナルシスティックでわがままで横暴な高音ヴォーカルがすさまじいノイズとともに押しつけられ、なんというか完全に場が異化された。これはなにかが違う。と誰もが感じるのを、またしてもカモの一羽のように察知した。間髪をいれずモニターにはきのこ雲......これも偶然なのか。激しいドンツクの上に、満ち潮のようにノイズが這い上がってきて、そのある一点をとらえ、海鳥のように鋭い彼の鳴き声が滑降する。まさにブラック・アイズが、しかし思ってもみなかったところで重なった。異様なくらいに彼という人間のエネルギーがほとばしっている。ちょっとのあいだ、言葉を失うほどにかっこよかった。インダストリアル風の音もじつにエモーショナルに取り込んでいたと思う。ローファイなテクスチャーも生きていた。なぜ、これがこんなふうにパッケージされないのか? CD作品とのあいだには深い乖離を感じずにはいられない。間違いなく、CDやアナログのメディアに落とし込まれた段階で、彼の中心のエネルギーは20パーセントくらいに削られてしまっている。背景にはきのこ雲を茂らせた木々が動き、星の夜空がまわる。ほとんどシューゲイズと呼べる展開をみせ、突如としてケトルばりの叙情性がはさみこまれてまもなく、大興奮につつまれてアイタルはライヴを終えた。つづくBD1982はすこしかわいそうだった。ナードで落ち着いた趣向をみせたが、みんな外に出て行ってしまって。みんな、どこへ行ったんだろうか。この間、ちょうど2、3人の知人にバタバタと出会ったが、そのうちのひとりはこれから寝ようと思っていたとのことだ。寝る、どこで? ここで? ワイルドだ。

 つづくミ・アミにむけて、よい場所を取っておくことにした。ケータイで写真も撮らなければならない。筆者のようにひとりで突っ立ってとくに踊りもせずにいる人間は、ぶつかられたり何だか不明な水沫を浴びたりすることになるのだ。ということも学習した。ステージが収まる写真など、いい場所じゃないと撮れないにきまっている。べつに、それでまったく腹も立たないのがこの空間の不思議さだ。

 そしてミ・アミもまたすばらしかった。マジック・タッチとアイタルは、デュオでの立ち姿もとんでもなくきまっている。彼らには華がある。アイタルのノイズ感は薄れてタイトな印象のステージだったが、ビートが入るとともにまたしてもブラック・アイズなハイ・トーンの機関銃ヴォーカルにあおられ、足元と脳が揺れた。地面にはいつくばってペダルやツマミをいじりながら叫びまくるというスタイルもいいだろうが、卓とサンプラーやミキサー一式のむこうで直立してマイクを握ってさけぶのもいい。叫びながらも手元をするどく見つめてせわしく音を調節し、またときどき言葉を交わしてなにごとか確認しあう、その動作ひとつひとつがわれわれを惹きつけた。ラストは先のアイタルと同様にエモーショナルな展開をみせ、ひと刷毛のメランコリーが加えられた。オーディエンスの動物的な神経はいつしか精神の琴線へと抜き替えられ、微量のものがなしさを含んだコード感と、身体のなかに残存する昂揚感を、迎えつつある夜明けのけだるさのなかに迎え入れた。非常に充実したライヴだった。その後はぼちぼち始発の時間で、知的でミニマルなプレイをするア・トウト・ラインの途中で筆者も出てきてしまった。4割ほどの人たちが思い思いに休んだり話したり、あるいはまだ中で踊ったりしている。
こうして初のオールナイトはつつがなく楽しんだ。ちなみにミラー・ボールはいちども回っていない。最後に驚いたのは、早朝の渋谷にこんなにも帰路につく人々がいるのか、ということでした。

Your Favorite Summer Song - ele-king

 「夏が来た、路上で踊るには良い季節」......こう歌ったのは1960年代のマーサ&ザ・ヴァンデラスでした。彼女たちがデトロイト市内のホールでこの曲を歌っているときに、町では暴動が起きていたという話は有名です。
 さて、梅雨が明けて、夏到来です。スタンダード・ナンバーの"サマータイム"にたくさんの名カヴァーがあるように(ジャニス・ジョップリン、ニーナ・シモン、ブッカー・T&ザ・MG'S、サム・クック......)、この世界には夏をテーマにした名曲がたくさんあります。ビーチ・ボーイズは夏だらけだし、マーサ&ザ・ヴァンデラスには他にも"ヒートウェイヴ"があります、エレクトロニカ/IDMには『エンドレス・サマー』があるし、ハウス・ミュージックにもベースメント・ジャックスの「サマー・デイズEP」があり、チルウェイヴにはウォッシュト・アウトの「ライフ・オブ・レイジャー」があります。あるいはドナ・サマーやメキシカン・サマー......芸名やレーベル名が"夏"であるケースもあります。
 
 夏の音楽は多くの場合ロマンティックですが、セックス・ピストルズの"ホリデー・イン・ザ・サン"を聴いたら怒りがこみ上がってきて、ザ・ドアーズの"サマーズ・オールモスト・ゴーン"を聴いたら夏が終わってしまった気持ちになるかもしれません。そしてジミ・ヘンドリクスの"ロング・ホット・サマー・ナイト"を聴けば、あたり一面は燃え上がるでしょう。
 MFSBの『サマータイム』のアートワークに使われている写真も素敵ですね。熱波で焼けた路上でひとりの女性が水浴びしている姿にグッと来ます。
 日本の音楽にも多くの夏の曲があります。曽我部恵一"Summer '71"、フィッシュマンズの"夏の思い出"や"Sunny Blue"......RCサクセションなどはホントに多くの夏の曲を作っています。
 
 以下のチャートを見て、自分の「Favorite Summer Song」が入ってないじゃないかという方は、コメント欄に書いてください!


1
Martha And The Vandellas - Dancing In The Street

2
Miles Davis - Summertime

3
Jimi Hendrix - Long Hot Summer Night

4
Fennesz - Endless Summer

5
Sex Pistols - Holiday in the Sun

6
The Associates- Fire To Ice

7
The Ramones - Rockaway Beach

8
RCサクセション - 海辺のワインディイングロード

9
Alice Cooper - School's Out

10
The Beatles - Mr. Moonlight

11
RCサクセション - 楽しい夕に

12
Eddie Cochrane - Summertime Blues

13
The Style Council - Long Hot Summer

14
Best Coast - Summer Mood

15
The Doors - Summer's Almost Gone

16
Sly And The Family Stone - Hot Fun In The Summertime

17
The Drums - Saddest Summer

18
Pub - Summer Pt 1

19
MFSB - Summertime

20
The Beach Boys - All Summer Long

21
RC サクセション - サマータイムブルース

22
Girls - Summertime

23
Yo La Tengo - Beach Party Tonight

24
Bruce Springsteen - Backstreets

25
Pink Floyd -Summer '68

沢井陽子

The Beach Boys - Endless Summer

サマーソングといえば、いまのタイミング的にも真っ先にビーチ・ボーイズ。イメージが先行しているのですが、こちらは、1966年前のヒットソングのコレクションで、初心者も十分楽しめる内容。ロスアンジェルスにいた頃、ジョニー・ロケットというレトロなハンバーガー・チェーン店に行って、ハンバーガーとフライズを食べながら、ジューク・ボックスに"サーフィンU.S.A."を入れて、パーフェクトな夏を満喫した思い出があるので、曲も素敵だが、そのときのイメージも多々影響。楽しい出来事ばかりでなく"イン・マイ・ルーム"で、もの悲しい夏の残骸を胸に抱え、自分の心の中にグッとしまっても、最後に"グッド・ヴァイブレーション"が流れると、ドラマチックな夏物語を「まあ、いいか」とまるく収めてくれる。全体が、夏のさまざまなシチュエーションに当てはまり、イメージが膨らむが、サマーソングって、結局それが楽しいのです。

DJ Yogurt(Upset Rec)

RCサクセション - サマータイム・ブルース

"サマー・マッドネス"、"サマー・イン・ザ・シティー"、"サマー・ミーンズ・ファン"、etc...
いろいろな曲が頭に浮かんだけど、2012年の日本の夏にハマっているのは、エディ・コクラン作の名曲に、いまは亡き清志郎が日本語の歌詞をのせた"サマータイム・ブルース"ではないかと。「電力は余ってる、いらねー、欲しくねーー」。

大久保潤 aka junne(メディア総合研究所/大甲子園/Filth)

SxOxB - "レッツ・ゴー・ビーチ"("ドント・ビー・スウィンドル")

ハードコア・パンクはナパーム・デスなどにより"速さ"という点において90年前後にネクスト・ステージに進み、90年代半ばにはファストコアとかパワー・バイオレンスとか呼ばれる激速なバンド群がシーンを席巻した(あの頃はそういうバンドの7インチが毎週のようにリリースされて本当に楽しかったなー)わけだが、そのルーツのひとつが初期S.O.Bである。大阪ハードコア・シーンから現れた彼らは「世界最速」と謳われ、日本にとどまらず世界のハードコアに多大な影響を与えた。
そんな彼らの初期の代表曲のひとつが"Let's Go Beach"で、歌詞はただ「Hot Summe soon comes again.
Let's Go Beach. Let's Go Surfin」だけ。ハードコア・パンクとサーフィンという組み合わせ(当時はまだ日本ではハードコアとスケートの関係もあまり一般的じゃなかったはず)、そしてファスト・パートから後半はキャッチーなシンガロング(♪レッツゴサマービ~~~チ!)に移行するポップなセンスもおそらく当時は斬新だったろうし影響力もデカかったんじゃないかな。ポップに始まって一転して激速! みたいなのって90年代には(たぶん今も)本当にたくさんありましたからね。
この曲と、ハノイ・ロックスの"Malibu Beach Nightmare"とラモーンズの"ロッカウェイ・ビーチ"を「新・三大ビーチソング」とさせていただきます!(全然新しくないけど)

DJ Hakka-K (Luv&Dub Paradise)

Baiser - Summer Breeze

夏といえばレゲエやその他大好きな曲はたくさんあるのですが、僕がいちばん最初に影響を受けたDJ Soneが夏になると必ずかけてたのが、83年に発表されたこの曲。いまでも夏になるとレコード・バッグに入れておく想い出がたくさん詰まったDISCOの隠れた名曲です。

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山田蓉子

ピーナッツ - 恋のバカンス

言わずと知れた昭和歌謡の大名曲。中学生の頃からカラオケで必ず歌っているのだが、気持ちよくハモりながらひたすら「そっかーバカンスってのは、金色にかがやく熱い砂の上で裸で恋をするのねー。素敵」と思い続けてきた。全国民が一年中バカンスのことばっかり考えて暮らしているフランスで生活するようになったのも、そんな刷り込みのせいなのだろうか。でもまだ金色にかがやく熱い砂の上で裸で恋なんかしたことない。バカンスのために生き続ければいつかできるんだろうか...。
合掌。

why sheep?

私見ですが、夏は24,25と2日で勝負のクリスマスと違って日本人にも長丁場ですので、一曲に絞るのはむずかしいのです。

というわけで、アルバム単位で失礼します。これは、僕のサマー・ソングのオールタイム・フェイバリットで、オールタイムというからには理由があって、日本がどの季節であっても、暑くてビーチのあるところになら、僕が必ず持っていくアルバムだからでもあります。実家のある茅ヶ崎に帰郷する際はどんな季節であっても必ずです。

ちなみにわたくし、渋谷区神宮前生まれ、現住所湘南というプレミアムな、昔なら免許証だけでナンパできると言わましたがそれは昔の話で、もし免許証に写真を載せなくて良かったら、人生は今とずいぶん違ったことでしょう。さて、

閑話休題、

神奈川県茅ケ崎市の出身であればだれもが知ってることですが、
茅ヶ崎市民=サザン・オールスターズ・ファン
というのが公理となります。
茅ヶ崎市民≒サザン・オールスターズ・ファン
は許されませんし、
茅ヶ崎市民なのに≠サザンオールスターズ・ファン
はばれたらその場で公開処刑されます。

しかし、どんなところにも反逆者はいるもので、江戸時代の隠れキリシタンのように
そんな中でサザンを崇拝しなかったのがこの私です。もちろんサザンの曲も大好きですが、神宮前の生まれの私にはあまりにも野暮ったすぎました。

長くなるとあれなので順不同ということで三枚選ばせていただきますと、

Boz scaggs - Down To Then Left

もちろんbozの名盤といえばsilk degreesですし、一枚後のmiddle manは東海岸AORあげての名盤ですが、その中庸にあるこのアルバムなぜか期待されていたほどに売れませんでした。だからこそぜひ聴いてみてください。超ゴールド・ディスクのsilk・degreesの直後になんでこんなアルバム作ったのかと俄ファンは首をかしげたかもしれまえんが、ルーツと言えばパンクと忌野氏の話しかしない三田格が即座にこのアルバムの名前を言えるということだけお伝えすれば、ele king読者は気持ちは動くことでしょう。三田さんが好きかどうかは知りませんが。

Bobby Caldwell - Carry On

アルバムのすべての曲が珠玉としか言いようががありません!
邦題は原題とまったく関係ない「センチメンタル・シーサイド」と付けられてましたが、その心は当たらずとも遠からず。。
1980年代、日本のサマーリゾートの代表である湘南は傍目はアメリカ西海岸、(実情はサザン=茅ヶ崎駅南口)だったのですが、桑田圭祐もその音楽的ホームグラウンドであるという茅ヶ崎の現存するレコード屋さん「CHIYAMA」(桑田さんが青学に通ってる頃厨房の私が通っていた)につつましげに張ってあったポスターが忘れられません。
「マイアミの蒼い風」
そこにはそう書いてありました。
当時の日本の理想とするカリフォルニアでもなく、はたまた湘南の実情ださいヤンキー文化でもない、架空のビーチがあった!そこはマイアミ(本当のマイアミは行ったことないので知りません。。)
あぁ...哀れなるかなbobby caldwell。3枚目にして自身のもてるすべてを注ぎ込んだ、そして当時のレコード会社も起死回生を図って宣伝したこのアルバム、期待ほど売れませんでした。当然です。日本人はカリフォルニアしか頭になかったのですから。

長々と前節書きましたが、この感傷性の至高とも言えるアルバム。アラサー独身男子の方ならきっと理解してもらえることでしょう。はまっちゃったら一生結婚できないこと請け合いです。

さて最後、

J.D.Souther - You're Only Lonely

あぁ、このメロディーにこの歌詞に極め付けのこの声。同胞のイーグルスのほうが100倍有名ですが、彼はイーグルスの第五(第六だったかな?)のメンバーと言われるほどイーグルスに貢献したソロ・シンガー・ソングライターです。(名曲"New Kid In Town"は彼の曲)
一聴したら単なるアメリカの野暮ったいカントリー&ウエスタンの歌手と間違える人もいるかもしれませんが、よく聴いてくださいこの声。
現代音楽の大家メシアンは音を色に例え、詩人ランボーは言葉を色に例えたそうですが、わたしに言わせればJ.Dの声は「いぶし銀の声」と呼んでいます。
それをもっとも感じるのはこの前のアルバムの『Black Rose』収録の"Silver Blue"ですが、夏の間聴くべきはこのアルバムです。
とくに一押しは彼の出世曲の"You're Only Lonely"ではなく!!!!"If You Don't Want My Love"、このモラトリアムから抜け切れないガキっぽい歌詞が胸をえぐります。しかしなんといっても必聴すべきは、彼の声もさることながらハモンド・オルガンB3の旋律というかその音色!!!
はっきり言って"Let It Be"のBilly Prestonを軽やかに凌駕しています。その名はJai Winding。ちょっと調べた限りでは往時の人気スタジオ・ミュージシャンということですが、実際のところよくわかりません。"My Funny Valentine"のときのJimmy.Smithぐらい良い!!!知ってる人いたら情報求む!!!

それでもどうしてもと野田努に一曲選べと言われたらこの曲、

佐野元春
Heartbeat』収録 "Interlude"~"Heartbeat"
↑ここには私の少年ゆえの切ない恋愛体験がすべて詰まっております。くれぐれも("Interlude"から聴いてください)

他にも山下達郎の"Big Wave"(口が裂けても『Beach Boys』の"Pet Sounds"とか言いたくない)とかあるんだけど、この企画が来年も続いたらその時にでも。

おやすみなさい。みなさん家のエアコン止めてビーチでセンチメンタル・シーサイドしようぜ!

summer, 2012
why sheep?

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三田格(e-Busters...)

Wham! - Club Tropicana

なんてな

竹内正太郎

□□□ - 渚のシンデレラ

夏、夏か、、、。この、永遠に思わせぶりで無責任な季節は、これからもギリギリのところで前向きな予感たりえてくれるのだろうか? いや、しかしこうも明らかな異常気象が続き、つい先日も日本国内の最高気温都市の上位三位を独占したような場所に住んでいる身としては、サマー・ソングを悠長にセレクトするにも体力を使って仕方がない。しかし橋元優歩に催促され、限られた時間内に直感で選ぶとしたら、("真夏のラストチューン"も捨てがたいが)やはりこの曲になるだろう。クチロロがバンド編成時代に残したきらきらのクラシック。超多層構造のトラックをハイパーなまでに軽く聴かせるその手さばきは、今なお並々ならぬセンスを見せつけている。それはもう、嫌らしいほどに。ヴォーカル/大木美佐子の安定しない高音域もいい。夏は楽しく充実しているべきか? この疑問自体、広告業的な価値観に刷り込まれたちゃちな不安でしかないわけだが、優れたサマー・ポップは何度だってその空虚さを上塗りする。とても鮮やかに。パルコの広告にほだされ、私は今年も嫌々と海に出掛けるのだろう。一年に一度くらい、まったく見当違いの恋をしてみるのもいいものだ。それがどれほど軽薄なものであっても。「ここから物語は続く/忘れたものもあの角を曲がればきっと思い出すさ」!!

松村正人

XTC - Summer's Cauldron

私は夏が大好きなので、好きな曲はビーチの砂の数ほどありますが、そのなかでもこの曲は、陽がのぼるとすぐにうだるようで、退屈で、楽しくないので、どこかに逃げたいがまわりは海ばかりで、しょうがないと諦めつつ、それもそう悪くないかと思いはじめたころ、暑気がひけて、虫や鳥の声が際だちはじめた、島に住んでいたころの夏の日の宵の記憶をくすぐるようでとても甘美だ。

水越真紀

戸川純 - 隣りの印度人(玉姫様)

21世紀の日本の夏、80年代に比べて湿度は低くなった。絶対なったと思うのだ。数年前、そのことを示すグラフをネットで見つけたのだけど、二度と出会えないでいる。
ともあれ、目の前の暑さをどうにかして「涼しぃ?」と断言する、言いくるめる、歌い上げる姿勢に私は共感するのである。ポストモダンな感じがする。人間の知恵、つー感じだ。しかし、現実逃避の知恵ばかり身につけてしまうのもどうかとも思う。
私は冷房を使っていない。本当に暑いには空気がゆらゆら揺れているのが見える。汗が吹き出しては乾いて皮膚を冷やす。
去年の夏は2時間置きに猫を冷やす保冷剤を取り替えていた。濡れたタオルで拭いてやり、耳を氷で冷やしたりした。今年こそ冷房を入れてやらねばと思っていたが、それを待たずに彼女は逝った。今年、冷房を入れる理由はなにひとつなくなった。

橋元優歩(e-Busters...)

Animal Collective - Fireworks
Photodisco - 盆踊り

わたしも夏が大好きです。黄色といったときに山吹からレモンとかまでいろいろあるように、夏というのもいろいろあって、お盆とかかなり好きです。"Fireworks"は詞に夏が明示されているわけではないのですが、わたしには幻想的なお盆メンタル・ソングとしか考えられません。海外にお盆はないでしょうが。

木津毅

R.E.M. - Nightswimming

 昔から自分が惹かれてきたのは、夏の盛りよりも夏の終わりの歌でした。それは青春そのものよりも終わっていく若さ、すなわち中年に惹かれるのと似ている......かもしれません。真夏を謳歌するのと同じくらい、夏を無駄にした......という感覚をポップ・ソングは拾ってきたようにも思えます。
 R.E.M.のこのナンバーは彼らの代表曲のひとつで、もう去ってしまった誰かのことを思いながら、晩夏の夜にひとりで月に焦がれながらプールで泳いでいるという、「夏を無駄にした」度では抜きん出た名曲です。リリカルな風景描写はマイケル・スタイプの詩人としての才能を見せつけ、それ以上にこのポップ・ソングに美しいフォルムを与えています。「君のことを、僕は知っていると思っていた」......悲しすぎますが、それがとても穏やかに歌われることで、夏の終わりの感傷が許されるようでもあります。「9月がじきにやって来る」......。

國枝志郎

Chapterhouse - Summer Chill

俺と言えばシューゲイザー、シューゲイザーと言えば俺(反論上等)なんで。チャプターハウスが1stアルバム『Whirlpool』と2nd『Blood Music』の間に発表した神シングル「Mesmerise」(俺的にはスロウダイヴのシングル「5 ep」と並ぶ究極ロッキン・チルアウト)収録の1曲。2ndアルバムにはもうひとつサマーネタで「Summer's Gone」というナンバーもあるけどやっぱりこっちでしょう。タイトルも最高!!!!!!!!!! あーチルりたい。

Photodisco

H Jungle with t - GOING GOING HOME


夏といえば、やっぱりこの曲ですね。お盆に帰省した際、実家でビールを飲みながら聴きこうと思います。

オノマトペ大臣(Maltine Record/TJNY)

Phillis Dyllon - Nice Time

夏になるたびに学生時代を思い出します。

白い太陽、青い海、赤く日焼けしたあの子の細い腕
楽しいはずなのに何故だか寂しい、いつか終わってしまう刹那的な煌めく青春の夏。。。

どこかの誰かが過ごしているそんな極彩色の夏を尻目に、マジで永遠に続くんじゃないかと思うような怠惰な余暇を、クーラーガンガンの部屋でカーテンを閉め切り、ゴローンと横になって手に持った黒い文字の羅列を追うことでやり過ごしていたしょっぱい夏。
ベッド横に置かれたローテーブル上に、氷が沢山入った透明なグラスが置かれ、カナダドライのジンジャーエールがパチパチとはじけると、西宮の六畳間にも、にわかに夏の気配が漂います。
近所の外資系CDショップで買ってきた3枚組3000円ちょっとのTrojanのCalypso Box Setをミニコンポにセットすると、いよいよ目の前に常夏のトリニダードトバゴが広がるのでした。
内容の薄っぺらい新書を読み進め、40ページぐらい行ったところでPhillis Dyllonの歌声が響き渡ると、心は完全に夏の夢の中。
新書をベランダから捨て去って、背中の羽をパタパタとして舞い上がり、ヤシの木の上の方に座り心地よく揺られたものでした。

それから4年が過ぎた、2012年の夏。
永遠に続きそうだった怠惰な夏は、心のアルバムの中で色褪せるどころか、それなりに輝いて見えます。

今年の夏はどのように過ごそうか、とりあえずPhillis Dyllonを聞いて、西宮のトリニダードトバゴで考えようと思っております。

(最近サンクラに上がってたCoconuts Beat Clubによるmoombahton editもすごく好きです。https://soundcloud.com/coconuts-beat-club/nice-time-coconuts-beat-club )

赤塚りえ子

Brian Jones Presents the Pipes of Pan at Joujouka

44年前の7月29日、ブライアン・ジョーンズは真夏のジャジューカ(モロッコ)に行きMaster Musicians of Joujoukaの演奏を現地で録音した。
彼の死の二年後にリリースされたこのアルバムでは、ブライアン・ジョーンズというフィルターを通したジャジューカを体験できる。
今年6月、ついにそのMaster Musicians of Joujoukaの生演奏を現地で体験してきた。
全身にものすごいグルーヴ浴びて、何本もの生ガイタ音が立体的に脳を直撃、そのまままっすぐに脳ミソを突き抜けた。
ブライアン・ジョーンズがなぜジャジューカにハマったのか?一瞬にして体でわかった。
来年の夏もまたジャジューカで、4000年のダンスミュージックで踊りまくってくるゼィ!

Yuji Oda (The Beauty/Cuz Me Pain)

No Joy - Negaverse

カナダの男女3人組バンドNo Joyが送り出す12インチシングル。
全てが正しいと思わせるオルタナギターと儚いボーカルが夏の荒野を駆け抜け交差する疾走シューゲイズ。
2012年の夏はこれ。

YYOKKE (White Wear/Jesse Ruins/Cuz Me Pain)

Junei - You Must Go On

夏はこんな涼しげな曲を何も考えずにずっと聴いていたいです。

Nobuyuki Sakuma (Jesse Ruins/Cuz Me Pain)

Prurient - There Are Still Secrets

夏に熱いものを食べる的な感じで暑苦しい曲も聴きたくなります。

寺尾紗穂

サニーデイ・サービス -"海岸行き"
saigenji - El Sur

夏の終わりを歌う以下の二曲が好きですが、youtubeにはあがっていないようです。

サニーデイ・サービス「海岸行き」
サニーデイの曾我部さんのさらりとした感触の歌詞は自分にはなかなか書けないもので、よく羨ましく思います。いつかカヴァーしたい曲。

saigenji「El Sur」
「El Sur」はサイゲンジさんと歌ったことがありますがもう一度歌いたいです。
「南へ帰るなら僕のさみしさもその翼に乗せていっておくれ」とツバメに語りかける歌詞が切ないです。サイゲンジさんのライブというとアップテンポの曲でノセたりアゲたりしてくれるイメージがありますがスロウで穏やかな曲にも名曲が多いです。

洋楽で好きなJudee Sillの歌詞を読み直したら「Jesus Was A Cross Maker」がちょっと夏の気配でしたので挙げておこうかと思います。
クラシック的な手法を織り込むというのは色んな人がやっていることなのだろうと思うのですがこの人の場合、その織り込み方がとても大胆で生き生きとしていていつ聞いても新鮮な感じを受けます。


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