「OTO」と一致するもの

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 およそ6年ぶりのオリジナル・アルバムにして生前最後のアルバムとなった『12』。アナログ盤も発売されているのだが、初回生産限定盤(RZJM-77655~6)はそっこうで完売、一昨日の4月5日に発売となった通常盤(RZJM-77717~8:「自筆スケッチ | 譜面 プリント」は付属せず、またカラーヴァイナルではない黒盤)も品薄となったため、追加プレスが決定した。入荷時期などはまだ明かされていないため、随時公式サイトをチェックしておきたい。『12』の試聴・購入はこちらから。

Buffalo Daughter - ele-king

 昨年は力作『We Are Time』を発表、また『New Rock』と『I』のアナログ盤はそっこうで売り切れと、そうです、日本のオルタナティヴにおけるリジェンドと呼んでいいでしょう、結成30周年のバッファロー・ドーターが、なんと、新進気鋭のLAUSBUBを迎えてのライヴを開催する。これはもう行くしかない。

Buffalo Daughter presents Neu Rock with LAUSBUB

2023年6月25日 (日) 開場 17:00 / 開演 18:00
@表参道WALL&WALL

出演:
Buffalo Daughter
LAUSBUB

【チケット情報】
前売入場券:¥4,000 +1drink ¥700
<販売期間:4/6 18:00〜6/24 23:59>

当日入場券:¥4,500 +1drink ¥700
<販売期間:6/25 17:00〜>

チケット購入URL(ZAIKO):
https://wallwall.zaiko.io/item/355562

WALL&WALLオフィシャルイベントページURL:
http://wallwall.tokyo/schedule/20230625_buffalodaughter_lausbub/

■Buffalo Daughter プロフィール

シュガー吉永 (g, vo, tb-303) 大野由美子 (b, vo, electronics) 山本ムーグ(turntable,vo)

1993年結成以来、ジャンルレス・ボーダーレスに自由で柔軟な姿勢で同時代性溢れるサウンドを生み出し続けてきたオルタナティブ・ロック・バンド。ライヴにも定評がありワールドワイドで大きな評価を得ている。
2021年9月に、現在最新作となる8thアルバム 『We Are The Times』をワールドワイドでリリース。7年ぶりのアルバムは長い期間の色々な思いが惜しみなく曲の中に凝縮され、パンデミックにより大きな変化を迎えた世界の確かな指標を示す作品となった。
2022年は日本でのツアーに加え6月に行われたメルボルンでのRising Festivalに出演。
結成30周年を迎える2023年は、1998年にリリースした『New Rock』(Grand Royal)と、2001年発売の『I』(Emperor Norton Records)のアナログ盤を、それぞれボーナストラックを収録した2枚組で再発。2023年5~6月には3つのアルバムを提げパンデミック後初の北米ツアーを行う。
official site: https://buffalodaughter.com
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■LAUSBUB (ラウスバブ) プロフィール

2020年3月、北海道札幌市の同じ高校の軽音楽部に所属していた、岩井莉子と髙橋芽以によって結成されたニューウェーブ・テクノポップ・バンド。
2021年1月18日、Twitter投稿を機に爆発的に話題を集め、ドイツの無料音楽プラットフォーム”SoundCloud”で全世界ウィークリーチャート1位を記録。同時期に国内インディーズ音楽プラットフォーム”Eggs”でもウィークリー1位を記録。同年6月18日、初のDSP配信となる配信シングル『Telefon』をリリース。翌日6月19日 初の有観客イベント「OTO TO TABI in GREEN (札幌芸術の森)」出演。
2022年11月16日には初フィジカル作品となる1st EP「M.I.D. The First Annual Report of LAUSBUB」をリリース。

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interview with Martin Terefe (London Brew) - ele-king

あのレコードを再発明したようなもの、派生的なもの、マイルスに繋がり過ぎるものは絶対に作りたくないと思っていた。それもあって、トランペットは入れないことにしたんだ。

 ジャズの歴史上、もっとも革新的な創造と破壊がおこなわれたアルバムとして記憶されるのが、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』である。ジャズのエレクトリック化が進みはじめた1970年、ロックやファンクなど異種の音楽を巻き込み、それまでのモダン・ジャズやフリー・ジャズの流れからも逸脱した音楽実験がおこなわれたアルバムである。フュージョンやクロスオーヴァーといった1970年代のジャズの潮流とも異なり、あくまで自由で混沌とした集団的即興演奏がおこなわれたこのアルバムは、以後のミュージシャンにも多大な影響を及ぼし、マイルス・デイヴィスの名作の一枚というのみならず、ジャズを変えた歴史的な一枚という評価を残している。

 そして2020年の初め、『ビッチェズ・ブリュー』が生まれてから50周年を記念し、トリビュート的なプロジェクトがロンドンではじまった。『ロンドン・ブリュー』というこのプロジェクトは、当初はロンドンで記念ライヴをおこなう予定だったが、コロナ・パンデミックによるロックダウンで中止を余儀なくされる。しかし、発案者であるプロデューサーのマーティン・テレフはライヴから形態を変え、ミュージシャンたちによるセッションを録音し、それを編集した形でのリリースへとこぎ着けた。セッションに参加したミュージシャンはシャバカ・ハッチングスヌバイア・ガルシア、テオン・クロスなど、主にサウス・ロンドン周辺のジャズ・シーンで注目を集める面々から、ザ・シネマティック・オーケストラなどで演奏してきたニック・ラム、そしてトム・スキナー、トム・ハーバート、デイヴ・オクムという、ロンドンのジャズ~フリー・インプロヴィゼイション~オルタナ・ロック・シーンを繋ぐ面々(3人はかつてジェイド・フォックスで活動し、現在はオクム=ハーバート=スキナー名義で共演するほか、オクムとハーバートはジ・インヴィジブルでも活動する)。


London Brew
Concord Jazz / ユニバーサル

UK JazzFree JazzDub

Amazon Tower HMV disk union

 こうした面々が集まった『ロンドン・ブリュー』は、単に『ビッチェズ・ブリュー』を再現したりするのではなく、あくまでマイルスたちミュージシャンがおこなった音楽的な実験精神をもとに、自身のアイデアで新しく自由な音楽をクリエイトしていくというもの。そして、パンデミックという閉塞した状況の中、逆にそれがミュージシャンたちの結束や自由な精神を強め、大きなパワーを生み出すことになった。マーティン・テレフェはスウェーデン出身で、幼少期はヴェネズエラで育った音楽プロデューサー。コールドプレイのガイ・ベリーマン、アーハのマグネ・フルホルメル、ミューのヨーナス・ビエーレヨハンとアパラチックというユニットを結成したことで知られるが、一転して『ロンドン・ブリュー』ではシャバカやヌバイアなど多彩なミュージシャンから、DJのベンジーBやエンジニアのディル・ハリスなどスタッフを束ね、それぞれの自由で創造的な表現をまとめ、最終的に一枚のアルバムという形で世に送り出した。そんなマーティン・テレフェに、『ロンドン・ブリュー』のはじまりから話を伺った。

やりたかったのは、マイルスがミュージシャンたちに与えた自由と信頼、そしてレコードの精神を自分たちの音で表現することだった。『ビッチェズ・ブリュー』を再現するというよりも、あの作品におけるマイルスのスピリットを祝福する、という意味合いが強かったんだ。

マーティンさんは『ロンドン・ブリュー』のプロデュースをされているのですが、このプロジェクトはマイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』からインスパイアされたものと伺います。どのようにして企画が生まれ、スタートしていったのですか?

マーティン・テレフェ(Martin Terefe、以下MT):『ビッチェズ・ブリュー』の50周年を記念して、ライヴをやろうというアイデアがはじまりだった。もちろん、それを話していたのはパンデミックの前のこと。友人のブルース・ラムコフがこのプロジェクトについて連絡をくれて、マイルス・デイヴィスの息子と甥と一緒にマイルスを祝い、敬意を表するためのアイデアを考えている、と教えてくれたんだ。で、彼らがロンドンにあるエレクトリック・ブリクストンというヴェニューで演奏していたロンドンのミュージシャンたちのパフォーマンスに感動したらしく、彼らにこのプロジェクトのためにバービカン・センターで開かれるイベントで演奏してくれないかと依頼することになった。でも、そこでパンデミックがはじまってしまい、ライヴ・イベントは実現できなくなってしまって。そこで皆と話を続けて、何か代わりにできることがないかアイデアを出してみることにしたんだ。そして、最終的にポール・エプワースのチャーチ・スタジオに3日間だけこもって、その豪華なミュージシャンたちと一緒に音楽を作ることにしたんだよ。


今回取材に応じてくれたプロデューサーのマーティン・テレフェ

個人的にマイルス・デイヴィスと『ビッチェズ・ブリュー』に対してどのような思いがありますか?

MT:私はつねに様々な種類の音楽に夢中だった。南米で育ったから、アメリカの音楽、アメリカのソウル・ミュージック、R&B、ラテン・ミュージックなんかをたくさん聴いて育ってきたんだ。でも、母国であるスウェーデンに戻ってからは、ロック・ギターをたくさん弾くようになった。そして最終的には、マイク・スターンやジョン・スコフィールドのようなギタリストたちにインスパイアされるようになったんだけれど、それらの作品すべてがマイルスと繋がりがあったんだ。私が最初にマイルスの音楽に出会ったのは、彼の初期のアコースティックな作品だった。でも、『ビッチェズ・ブリュー』のアルバムを手にしたとき、「このレコードはロック・レコードだ」と思ったんだよね。それが僕にとっての『ビッチェズ・ブリュー』の経験だったんだ。いい意味で危険を冒したレコードというか、すごく異質に感じた。そして火と怒りに満ちていて、同時に自由も感じられた。すごく自由な音楽だなという印象があったんだ。だから僕にとって『ビッチェズ・ブリュー』は、自由の炎を意味するレコードだと思う。

それを2023年のロンドンでどう表現しようと考えたのでしょう?

MT:私たちはあのレコードを再発明したようなもの、派生的なもの、マイルスに繋がり過ぎるものは絶対に作りたくないと思っていた。それもあって、トランペットは入れないことにしたんだ。しかもトランペットを入れると、トランペット奏者にとってもかなりプレッシャーになるからね。僕たちがやりたかったのは、マイルスがミュージシャンたちに与えた自由と信頼、そしてレコードの精神を自分たちの音で表現することだった。『ビッチェズ・ブリュー』を再現するというよりも、あの作品におけるマイルスのスピリットを祝福する、という意味合いが強かったんだ。だから、このアルバムはいろいろな意味で『ビッチェズ・ブリュー』とは全然違うと思う。このアルバムはパンデミックの時期に制作されたから、皆一緒に演奏できない、他の人に会えないというフラストレーションが溜まっていた直後に小さなスタジオで皆で集まり、さらに自由に演奏し、表現することを楽しむことができた。スタジオには本当に生き生きとした激しい瞬間も、静かで瞑想的な瞬間もあったね。そして、メランコリーなフィーリングが生まれたりもした。サウンドは『ビッチェズ・ブリュー』と違えども、自由を皆で共有しているのはあの作品と繋がる部分なんじゃないかと思う。スタジオに入る前、あらかじめ書かれた音楽はまったく存在しなかった。計画さえなかったし、3日間の完全な即興演奏であの曲の数々が生まれたんだ。当時のマイルスたちがそうであったように、私たちも同じ方法でまったく新しいものを作ったんだよ。

参加ミュージシャンはヌバイア・ガルシア、シャバカ・ハッチングス、テオン・クロスなど、主にサウス・ロンドン周辺のジャズ・シーンで注目を集める面々から、ザ・シネマティック・オーケストラなどで演奏してきたニック・ラム、それからトム・スキナー、トム・ハーバート、デイヴ・オクムというかつてジェイド・フォックスというユニットで活動してきた人たちが中心となっています。人選はどのようにおこなったのですか? トム・スキナー、トム・ハーバート、デイヴ・オクムの3人が中心となっているように思うのですが。

MT:前にも言ったようにそのメンバーは、最初にやる予定だったライヴ・イベントに参加してもらうはずだったミュージシャンたち。ブルースとマイルスの息子のエリン、そしてマイルスの甥でドラマーのヴィンスが見て感動したミュージシャンたちだね。で、パンデミックに入り一緒にプレイできなくなった人、会えない人たちも出てきたから、レコーディングに参加できるミュージシャンを後からまた選ばなければならなかった。決まりに沿って準備するのは大変だったんだ。スタジオに入れる人数は最大15人に絞らなければいけない、とかね。それで、僕と音楽ディレクターのデイヴ・オクムで誰がいいかを話し合い、いろいろな人に声をかけて、今回のアンサンブルを実現したんだ。特に誰が中心っていうのはないよ。12人のアンサンブルで、全員が全曲で演奏しているからね。参加ミュージシャン全員がメイン・ミュージシャン。もしかすると、ヌバイア・ガルシアとシャバカ・ハッチングスのふたりはソロイストとしてとくに目立っているかもしれないけれど、このレコードに参加しているミュージシャン全員がこのプロジェクトに同じくらい不可欠な存在なんだ。

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ヌバイア・ガルシア


シャバカ・ハッチングス

スタジオに入る前、あらかじめ書かれた音楽はまったく存在しなかった。計画さえなかったし、3日間の完全な即興演奏であの曲の数々が生まれたんだ。当時のマイルスたちがそうであったように、私たちも同じ方法でまったく新しいものを作ったんだよ。

ミュージシャンたちは参加するにあたって、どのようなプロジェクトにしていきたい、どのように演奏していきたいなど、述べていたことはありますか?

MT:多くのミュージシャンが、「なぜこんなことをするんだろう? この神話的で画期的なアルバムからどんなインスピレーションを得て、それをどう使う意図なんだろう?」と疑問に思っていた。それは私自身も最初に思ったことだったしね。だから、彼らにはそれを説明する必要があったんだ。でも同時に、ルールは設けず、明確な指示はしなかった。初日はロックダウンで何を経験したか、それを表現した音をひとつだけ演奏してもらうところからはじめ、そこから広げていったんだ。

楽曲自体はマイルス・デイヴィスをカヴァーするのではなく、『ビッチェズ・ブリュー』からのインスピレーションをもとに新たに作曲しているのですが、具体的には何かのテーマを設けて作曲していったのでしょうか? 例えばヌバイア・ガルシアによると、“マイルス・チェイシズ・ニュー・ヴードゥー・イン・ザ・チャーチ” という楽曲は、マイルスがジミ・ヘンドリックスに捧げたとされる “マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン” を再解釈したもので、ふたりの音楽の革命家をイメージしてエフェクトを施したと聞きますが。

MT:今回のセッションには歌がなかったから、テーマに関してはちょっと複雑なんだ。丸三日間すべて即興演奏というセッションだったからね。曲はそれらの録音素材を使って後から構成していったんだ。長いセッションを聴いて、その中から何か面白い部分を見つけ、その7分や15分の気に入った部分をミックスしながらトラックを作っていった。そしてその後、タイトルを考えたんだ。で、タイトルを考えているとき、あの曲のヌバイアのサックスは、確かにジミ・ヘンドリックスに似たリアルなフィーリングがあると感じた。だからそのタイトルにしたんだよ。ヌバイアにあの曲のインスピレーションは何だったのかと聞いたのはそのあと。そしたらヌバイアが、“マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン” とジミ・ヘンドリックスだって答えたんだ。他のトラックもテーマを設けたわけじゃなかった。1日のセッションで3時間録音したから3日間で合計9時間、とにかく自然に生まれるものをレコーディングしたんだ。ループも何もなく、ただ演奏するのみ。必要なのは、スタートとストップだけだった。最初の曲はなんと元の音源は24分もあったんだよ。自然にでき上がっていったから、レコーディングした曲の長さは様々だったんだ。

現代の音楽は多くの制約が設けられていると思うんだ。TikTokなんかもそうだし、曲が短くあることが強要されている感じがある。そして短い作品だと、ジャンルも限られてきてしまうと思うんだ。でも、このアルバムにはその制約が全くない。

主に作曲や編曲を担当したメンバー、リーダーとなって演奏を引っ張ったメンバーはいますか?

MT:作曲はやはり全員が同じくらい関わっていると言えると思う。完全な曲というものを皆で作ったわけではないけど、即興ででき上がった音楽だから、全員が制作に参加したと言えるんじゃないかな。制作をリードしていたのは、僕とデイヴ・オクムのふたりだったと思う。プロデューサーと音楽ディレクターという役割を担っていたし、バンドでも演奏もしていたし。セッション中に指示を出したりはしていたから。


デイヴ・オクム

例えばどんな指示を?

MT:こんなふうにはじまる曲を演奏してみよう、とか。あとはキーを決めてみたりもしたんだ。


London Brew
Concord Jazz / ユニバーサル

UK JazzFree JazzDub

Amazon Tower HMV disk union

多数のメンバーが参加するビッグ・バンド的な編成で、フリー・ジャズからアヴァンギャルド、ジャズ・ロックやプログレッシヴ・ロックなどが融合した演奏を繰り広げるというのは、歴史を遡れば今から50年以上も前のロンドンで活動したマイク・ウェストブルックのコンサート・バンドや、キース・ティペットキング・クリムゾン、ソフト・マシーン、ニュークリアスなどが参加したセンティピードを思い起こさせるところがあります。こうした先人たちを意識したところはありますか?

MT:意識はしていなかったけど、私はソフト・マシーンやプログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロックに実際夢中だった時期があるから、その影響が自然と出てきたのかもしれない。ソフト・マシーンは何年もかけて進化してきたバンドだし、ハイブリッドな音楽として存在しているし。彼らの音楽はジャズでもなくロックでもない。自由で実験的で抽象的なものが許された音楽だから、彼らの音楽が連想されるのは良いことだと思う。

楽曲は生演奏だけではなく、プログラミングやエフェクトなども交え、最終的にはミキシングやポスト・プロダクションを経て完成されています。DJのベンジーB、エンジニアのディル・ハリスも参加しており、マーティンさん自身もギターのほかにプログラミングやミキシングを担当しているようですが、『ロンドン・ブリュー』において演奏以外のプロダクションはどのような働きを担っているのですか? 『ビッチズ・ブリュー』もテオ・マセロのプロダクションが重要な役割を果たしていたように、『ロンドン・ブリュー』におけるあなたの役割も大きいのではと思うのですが。

MT:プログラミングは交えてないけれど、電子的なエフェクトはたくさん使っている。今回はDJであるベンジーBがいてくれたから、あらかじめ録音しておいたギターの断片を、セッションの中で皆にヘッドフォンで聴かせたりもした。私はミックスと編集を担当したけど、私がそれを担当したのは、やはりパンデミックという特殊な状況で、人とコラボレーションするのが容易ではなかったから。それに時間もたくさんあったから、スタジオに行って何時間も何時間も音楽を聴いて、その中から面白いものを選ぶことができたんだ。編集やミックスをはじめたときは、このアルバムがどんな作品になるのか確信が持てなかった。でも、エグゼクティヴ・プロデューサーのブルース・ラムコフは、さっき話したようにマイルスの家族と繋がりがあったから、彼がこのプロジェクト全体をまとめる手助けをしてくれたんだ。ブルースに電話で私のアイデアについて話したとき、彼はとても協力的だった。彼には本当に助けられたよ。


ベンジーB

マイルスがいかに周りのミュージシャンを信頼していたか、そして彼らに多くのスペース、自由に演奏する余白を残していたかを学んだ。彼はとても聴き上手だったんだよ。

このアルバム自体もそうですし、パンデミックがあったからこそ生まれたというような作品も多いみたいですね。

MT:そうだね。もちろん、パンデミック期間中は多くの悲しみと悲劇も起こった。でも同時に、多くの人びとにとって多くの時間と空間が与えられた時期でもあると思うんだ。だからこそ、ある種の再編成と自由が生まれたんだと思う。長い間ほかのミュージシャンたちと一緒に演奏できていない状態で皆が集まったから、突然15人が集まって演奏がはじまったときのエネルギーは本当にすごかった。ほかの人間を身近に感じることができて、そこからすごく大きなパワーが生まれたんだ。

シャバカ・ハッチングスはこのプロジェクトについて、「音楽を作ることが好きなミュージシャンたちが、社会的な力として、また社会的な構成要素として、音楽を作っている。彼らは団結と動きを表現するものを作っている。それが生きているということなんだ。統一があり、運動があり、振動がある」ということを述べています。たんなる音楽活動ではなく、社会活動も見据えての発言かと思いますが、実際に『ロンドン・ブリュー』には社会活動としての意識はあるのでしょうか?

MT:シャバカは今回のセッションが、大きな鍋の中で音楽を皆でかき混ぜながら、キャンプ・ファイヤーの周りに座っているようなとても共同的な感覚だった、と言っていた。実際に皆円形になって演奏していたし、全員がお互いに向き合って顔を合わせながらセッションしたんだ。そこからは確かに団結感のようなものが生まれていたと思う。

『ロンドン・ブリュー』の成り立ちにも関わってくるかと思いますが、コロナによるパンデミックは音楽界にも多大な影響を与え、それまでの演奏形態や音楽制作も変化してきているところがあると思います。そうしたことがあって、先ほどのシャバカの社会活動としての音楽という発言もあるのかなと思いますが、改めて『ロンドン・ブリュー』の持つ意義についてお聞かせください。

MT:現代の音楽は多くの制約が設けられていると思うんだ。TikTokなんかもそうだし、曲が短くあることが強要されている感じがある。そして短い作品だと、ジャンルも限られてきてしまうと思うんだ。でも、このアルバムにはその制約が全くない。ジャズとかロックとか、そういうことを意識せずに自分たちを自由に表現できるのはすごく幸運だったと思う。そしてそれこそが、他のミュージシャンたちと一緒にマイルスのプロセスを研究したことによって得た教訓だったんだ。彼がいかに周りのミュージシャンを信頼していたか、そして彼らに多くのスペース、自由に演奏する余白を残していたかを学んだ。彼はとても聴き上手だったんだよ。だから2023年のいま、このレコードはそれを皆に思い出させる存在になると思う。音楽はこれほどまでに大きくなることができ、それ自体がひとつの宇宙であることに気づかせてくれる作品。リスナーの皆には、そこから得られるとても力強く大きな経験にぜひ触れてほしいね。

interview with Lex Blondel (Total Refreshment Centre) - ele-king

 サウス・ロンドンのジャズ・シーンで活躍するミュージシャンたちが、その活動拠点とする場所やヴェニューとしてよく挙げるところがある。レーベル活動やイヴェントなどをおこなう〈ジャズ・リフレッシュド〉や〈トータル・リフレッシュメント・センター〉がそれである。〈トータル・リフレッシュメント・センター〉はロンドン北東部のダルストンという町にあるスタジオで、南ロンドンのミュージシャンもよく利用しており、箱側としても彼らの活動をサポートしている。リハーサル・スタジオなどの設備も完備しており、比較的安価な料金で誰でも利用できるという点がポイントで、通常のライヴ営業時間の後にフリーで飛び入り参加できるアフター・アワーズ・セッションがある。このセッションでミュージシャンたちは腕を競い、お互いの技術向上を図り、横の繋がりが生まれていく。こうした環境が南ロンドンのジャズ・シーンが発達していく要因のひとつでもあるのだ。〈トータル・リフレッシュメント・センター〉はレーベル運営もおこない、ヴェルス・トリオやニュー・グラフィック・アンサンブルがアルバムやEPを出し、シカゴからやってきたマカヤ・マクレイヴンがロンドンのミュージシャンたちとセッションを繰り広げたライヴ録音『ホエア・ウィ・カム・フロム』もリリースしている。ほかにサンズ・オブ・ケメットザ・コメット・イズ・カミング、トライフォース、ビンカー・アンド・モーゼスイル・コンシダードなどが録音スタジオとして用いている。

 こうして、およそ10年ほどロンドンの音楽シーンを支えてきた〈トータル・リフレッシュメント・センター〉が、このたび初のレーベル・オムニバス・アルバムを〈ブルーノート〉経由でリリースした。収録には馴染み深いサッカー96はじめ、バイロン・ウォーレン、ジェイク・ロング、マターズ・アンノウン、ツァイトガイスト・フリーダム・エナジー・エクスチェンジ、ニュー・グラフィック、レザヴォアと、サウス・ロンドンのみならず、世界中から新旧の気鋭ミュージシャンが参加する。また、ジャズというスタイルにとらわれることなく、ヒップホップ、ダブ、ソウル、ファンク、ドリルなどさまざまな音楽が融合し、ロンドンらしい折衷的なサウンドを聴かせている点も特徴だ。このアルバムのことを含め、〈トータル・リフレッシュメント・センター〉の設立やこれまでの歩みなどについて、創設者であるレックス・ブロンデルに話を訊いた。

「人」なんだよ。基本的にはそこにあるコミュニティなんだ。同じような考えを持っていたり、異なるスキルを持ったりする人たちと出会うことができる。他のところだと皆自分のスタジオにこもって誰とも出逢わないよね。何の繋がりもないっていうのがよくあるけど、ここは全く逆。

レックスさんはトータル・リフレッシュメント・センター(以下、TRC)の設立者とのことですが、いつ、どのように設立されたのかからお伺いできますか? また、今回の取材には同席できなかったようですが、当初同席予定だったエマさんという人物はどのようなご担当なのですか?

レックス・ブロンデル(Lex Blondel、以下LB):2012年に友人と一緒にTRCをはじめたんだけど、もともとはロンドン東部のハックニーでレコーディング・スタジオを立ち上げようと思っていたところだった。その直前にスタジオを作るためのスペースを見つけて作業をはじめたんだけど、問題があってかなり急ぎ足で進めなければならなくなったんだ。それで別のスペースを探しはじめた。するとガムトゥリーっていうクレイグス・リストのようなサイトでこの広告を見つけたんだ。そこに「ここ知っているぞ」っていうスペースがあがっていた。
 そこはもともとジャマイカの社交場みたいなところで、イヴェントをやったり、リハーサル・スタジオがあったりして、レゲエの、それも伝説的なレゲエ・ミュージシャンがよく通っていたところ。知っている場所だったこともあって、エキサイトしてすぐに見に行ったら、友人たちとレコーディング・スタジオを作るのに最適なスペースだった。で、すぐに決めたんだ。スペースがとても広かったし、レコーディング・スタジオひとつだけじゃなくて、いろいろな部屋も共用スペースもあったからね。すぐに一緒にやりたい人たちとコンタクトを取ったんだ。スタジオでは、すぐにプロデューサーのキャピトルKに仕事をするために来てもらった。スペースのひとつがミュージック・ヴェニューとして使われていた大きな部屋だったから、すぐにギグをはじめた。サッカー96のダン・リーヴァーズやマックス・ハレットとかは早い時期に来るようになって、ギグをはじめたんだ。アルバムのアートワークを担当しているのはライムンド・ウォンという人物なんだけど、彼もまたライヴの共同企画ですぐに関わることになったんだ。レコーディング・スタジオを持ち、一緒に仕事をしたい人たちに囲まれているという動機だけで、ごくごく有機的な形ではじまったんだ。
 エマ・ウォーレンはTRC出身のジャーナリスト。彼女はもともとクラブ・ナイトで踊ったり、ライヴ・ミュージックを見に来たりする客としてやってきて、すぐに友だちになった。彼女がよく来ていた当時は、会場そのものが政府の審議会によって閉鎖の危機にさらされていた。ムーヴメントとまではいかなくとも、結構大きな流れになって文化を作っていたこともあって、彼女はそれを記録し、その場所のストーリーとそこにいる人びとのストーリーを伝えるための小さなパンフレットみたいなものか、本を作りたいと思っていた。そこで彼女は記録用にと、そこにいる僕たち全員にインタヴューをはじめた。ありがたいことに、そのときTRCはなんとかその場所にとどまることができたんだけど、彼女はその後インタヴューや取材記事を本にまとめた。エマはプロの音楽ジャーナリストで、普段から講演会の仕事や対談なんかもしていて、文化やコミュニティを生み出す空間の例としていつも僕たちのことを話しているんだ。

RCはライヴ・ヴェニューであると同時に、実験的なスタジオ・ラボとしての機能も備えています。それらを含めてこの施設の特徴などを伺えますか?

LB:スタジオは2階建ての大きなジョージアン様式の倉庫で、メインのレコーディング・スタジオがひとつあって、キャピトルKやジョーダン・パリー、ダン・リーヴァーズのような人たちが利用している。そこでプロデューサーとして、バンドのレコーディングやミキシング、アルバムのマスタリングなど、全てをおこなうんだけど、マカヤ・マクレイヴンヌバイア・ガルシアサンズ・オブ・ケメットなんかが長年に渡ってアルバムを作っている。プロダクション・ルームも11室ほどある。6~7年前からの常連のアラバスター・デプルームをはじめ、スナップド・アンクルズというバンドのマイキー・チェスナットなど、様々な人がそれら11のスタジオを使っているんだ。それぞれのスタジオは、基本的に誰かが音楽を書き、プロデュースし、人とコラボレーションする場所。たとえばスナップド・アンクルズのマイキーは、そこで全てのアルバムを制作したし、以前はアートワーク担当だったライムンド・ウォンと一緒にフローティング・ワールド・ピクチャーという新しいバンドを立ち上げた。人びとが出会い、知り合い、そして互いにプロジェクトを作り上げていく例のひとつだね。ライヴ・ヴェニューは、以前は1階に大きな会場があって、そこでいろいろなことをやっていた。いまはもう少し小さなスペースになっていて、そこで試聴会やライヴ・ショーケースなどをおこなうんだけど、高品質の4チャンネル・ステレオを導入している。
 少し調べてみたんだけど、この建物が建てられたのは20世紀初頭のようで、1906年頃だと思う。この建物の全貌は、さっき話したエマ・ウォーレンの著書でも語られている。ちなみにタイトルは『メイク・サム・スペース』。彼女は僕たちのTRCとそれに関わる人びとの物語を語っていて、僕たちの前に存在したジャマイカン・ソーシャル・クラブの人びとの物語も語り、20世紀初頭に製薬会社のバイエルがこの建物を建てたときまで遡っているんだ。そう誰が建てたのか、その人についてまで書いている。すべてを洗いざらい書いているよ。

サウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集める近年ですが、そうしたシーンにいるアーティストたちの活動拠点のひとつがTRCです。こうしたアーティストたちがTRCで活動するようになったのはどのような理由からですか?

LB:アラバスター・デプルームがいつも言っているように、「人」なんだよ。基本的にはそこにあるコミュニティなんだ。同じような考えを持っていたり、異なるスキルを持ったりする人たちと出会うことができる。たとえばアートワークを作ってくれる人に出会える。TRCではバンドのレコーディング、ミックス、写真撮影、ヴィデオ作成も可能だ。スペースの中で何でもできるっていうのもあるけど、他のところだと、スタジオがあっても皆自分のスタジオにこもって、誰とも出逢わないよね。そこでは他人と何の繋がりもないっていうのがよくあるけど、ここは全く逆。皆がお互いを知っていて、お互いに協力し合い、チャンスを作り出している。
 アラバスター・デプルームとかはその恰好の例さ。彼は7年程前にマンチェスターからやってきて、ロンドンに知り合いがいるわけでもなかった。でもスタジオを構えたらすぐに馴染んでくれて、ヴェニューをやっていた頃に声をかけてくれた。そこから月1回開催するシリーズを一緒にはじめたんだ。彼は毎回新しいミュージシャンを招いて、自分の音楽を一緒に演奏するギグをキュレーションしていた。そのおかげで、一方では新しいミュージシャンと出会い、新しいコラボレーションを生み出すこともできた。もう一方で、商業的にあまり偏らない方法でオーディエンスを開拓することにも繋がった。僕たちはただ彼の音楽が好きで、それを信じていたんだ。僕たちがこれらのイヴェントをやったのは、その音楽が好きだからであって、お金目当てではなかった。もともとカッコイイからやろうぜって感じだったんだ。50人しか来なくてもいい、これはすごくいいからやり続けようってね。5年後には2000人規模にしようなんて考えていなかった。実際にそうはなったけど、当時はそれを目指していなかった。音楽も素晴らしいし、いいなって思うから、とにかくやってみよう、やり続けようという感じだった。自分の心の中から出てくるもので、質が高ければ、それを大事にすればいい。コンサートを開くと、音響エンジニアがいい仕事をしてくれないとか、嫌な思いをしたりすることってあるよね。あそこでは皆自分のやっていることが好きだから、その空間が好きだから、その空間を象徴するものが好きだから、皆一生懸命やってくれる。皆がベストを尽くし、皆がお互いを思いやり、仕事をするんだ。こういう理由があるからこそ、皆来てくれるんだと思う。

RCの歴史の中で、特に印象に残っているギグなどありますか?

LB:たくさんあるけど、少しメインストリームに近いところに進出できたことがあって、物事がうまく行って、人も仕事も蒔いた種が育っている感じがすることがあったんだ。ジャイルス・ピーターソンと一緒にスペースで何度かイヴェントをやったんだけど、基本的には僕がバンドをブッキングした。その日はザ・コメット・イズ・カミングが来てくれたんだけど、まだ彼らがブレイクする前だったね。ライターやDJにも来てもらったよ。それは当時の僕たちにとって大きな出来事であり、ちょっとしたステップ・アップのようなものだった。たぶん、2016年か2017年のことだったはず。
 ここまで来るのにたくさんのステップがあった。大きな一歩のように聞こえるかもしれないけど、それ以外で言うと最初のイヴェントだね。サッカー96、スナップド・アンクルズ、そして今日まで実際にスタジオにいるような人たちっていう、お気に入りのミュージシャンに演奏してもらった。当時の彼らは超人気者ではなかったけど、同じような意識の仲間たちが集まって、素晴らしい時間を過ごすことができて、誰かに頼ることなく、自分たちのやりたいことを自分たちでできるって気づけるきっかけになった。また、スペースは少し狭くなってはいたんだけど、シード・アンサンブルやジョー・アーモン・ジョーンズのような人たちが本当に好きで見に来てくれる、そんなオーディエンスが集った黄金時代もあったね。本当に美しい時期だった。マイシャのギグもそうだね、話をはじめたらきりがないし、本当にたくさんあったから選べないね。
 黄金期に関してはけっこうずっとあったと思う。それぞれの時期にそれぞれの素晴らしいところがあったからね。特にジャズ・シーンを語るなら、その前はジャズというよりポスト・パンクに近いものだった。そのムーヴメントについて言うのならば、僕たちは2015年頃から関わっていたかな。2015年から2017年はTRCの中でジャズが飛躍的に成長した時期だ。テオン・クロスやジョー・アーモン・ジョーンズ、ヌバイア・ガルシア、ジェシー・カーマイケルといった人たちと初めてライヴをしたんだよ。誰も知らなかったロンドンの若いジャズ・シーンだね。僕たちは2015年頃から彼らと仕事をはじめて、何年も一緒に仕事をしてきた。でも、何かが動いているな、このシーンが本当に遠くまで届くものだなと確信したのは、2017年のことだったと思う。200人くらいのライヴだったものが、500人とか毎週来てくれるようになったんだ。その頃からレーベルとの契約が決まっていき、ローリング・ストーン誌に大きな記事が掲載されるようになり、注目されるようになった。だから僕にとっての黄金期は、いまに繋がっているすべてのことなんだ。彼らとのこうしたムーヴメントを一緒に生み出してきたこともそうだけど、誰よりも先に僕たちがその音楽に興奮できたことそのものかな。それが僕にとっての黄金期だろうね。

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シャバカ・ハッチングスの誕生日に、〈ブルーノート〉のドン・ウォズが来たことがきっかけだった。たしかジャイルス・ピーターソンが彼を連れてきてくれたんだけど、中を案内して自分たちの活動を説明しスタジオで作った作品を聴かせたら気に入ってくれたんだ。1970年代のデトロイトにあった音楽を作っていた空間を思い出したって言っていた。

スタジオ運営と並行して、ヴェルス・トリオ、ニュー・グラフィック・アンサンブルマカヤ・マクレイヴンなどの作品リリースもおこなっていますね。こうしたレーベル運営のディレクションはどのようにおこなっているのですか?

LB:いろいろなやり方でやってきたんだよね。ヴェルス・トリオは全部自分たちでやったね。これらのリリースにおける僕の役割は基本的にA&R、つまりミュージシャンや楽曲のアイデアを現実のものにすること。プロデューサー、ミックス・エンジニア、マスタリング、クールなアートワークの発掘、ヴィデオの作成、ディストリビューションなどで、様々な人と仕事をしてきた。
 僕の仕事は基本的にTRCにミュージシャンやバンドを迎え入れて、その音楽で最高の結果を出すために周りにいる人たちと協力すること。もうひとつ、1年半前に出た作品があって、ダン・リーヴァーズとアラバスター・デプルームのもの。彼らはやはり長年に渡って一緒に仕事をしてきた仲間。いざアルバムを作るとなると、スペースにスタジオがあるから、半年間ノンストップで自分たちのものを作れる。スタジオに入って3日間で全部レコーディングするというようなことはそんなにない。スタジオで一気に録音するよりも、2日間くらいかけて録音したものを分解して、オーヴァー・ダブして再レコーディングするなど、プロセスが長い。いろいろなやり方があるんだ、それぞれアーティストによって違うけど。
 いままた取り組んでいるプロジェクトで、今月レコーディングするニュー・リージェンシー・オーケストラという20人編成のバンド、アフロ・キューバン・ジャズ・オーケストラがあるんだけど、それはまた全く違うプロセスだね。チャートを作って、リハーサルをして、セクションごとに全てのミュージシャンを録音して、それを編集して、リミックスする必要があるんだ。どのプロジェクトも、実現する方法が違う。

こうしたレーベル活動の一環として、今回コンピレーション・アルバムの『トランスミッションズ・フロム・トータル・リフレッシュメント・センター』をリリースします。このアルバムをリリースする主旨や目的について伺えますか?

LB:シャバカ・ハッチングスの誕生日に、TRCに〈ブルーノート〉のドン・ウォズが来たことがきっかけだった。たしかジャイルス・ピーターソンが彼を連れてきてくれたんだけど、中を案内して、自分たちの活動を説明し、スタジオで作った作品を聴かせたら気に入ってくれたんだ。1970年代のデトロイトにあった音楽を作っていた空間を思い出したって言っていた。話していく中で彼は、「君たちはいい仕事をしているようだから、一緒にアルバムを作ろう」と言ってくれたんだ。彼は僕たちがやりたいことを何でもできるように自由にやっていいよって言ってくれた。それから新型コロナウイルスが起こり、ロックダウンが起こったことで、どうしたいかを考える時間がかなりあったんだ。
 基本的には長年にわたるヴァラエティ溢れる折衷的なタイプの音楽、そして様々なタイプのサウンドを持つバンドを紹介したかった。それが実現できたと思う。7つのトラックは、一度は一緒に仕事をしたことのある人たちによるもので、どれも全く違うものだ。サッカー96とラッパーのキーラン・ブースは初めて一緒に仕事をしたんだけれど、彼らにとってコラボレーションという要素がとても大きいんだよね。僕が彼らを互いに紹介し、ちょっとうまくいくかもしれないってなった。レザヴォアはシカゴ出身だけど、彼らがロンドンに来たときに一緒に仕事をしたことがあった。じつは僕らが企画したボイラー・ルームのセッションのために来てくれたんだ。で、それが終わってからこのアルバムのためにトラックをレコーディングしようということになった。チャールズ・トリヴァーの “プライト” という曲のカヴァーを提案した。彼らはスタジオに来たとき、技術的にできないんじゃないか、トラッキングが非常に難しいという疑念を抱いていたんだけど、スタジオに入ると基本的に一回目を完璧なピッチでこなした。結局彼らはそれを取り上げて分解し、全く異なるヴァージョンに仕上げた。なぜなら、彼らは自分たちのスタイルを入れたかったからだ。ミュージシャンやバンドがコラボレーションする中で、その場で何かを再現してしまう、信じられないような光景を目撃できた。4、5時間かけて曲を書き換えて、新しい作品に仕上げたんだからね。
 このアルバムは、スタジオでのサウンドもそうだけれど、僕たちと繋がりのある人たちや過去にたくさん一緒に仕事をしたことのある人たちにも参加してもらって、スタジオに入ってもらって、僕たちのごちゃ混ぜのこのスタイルをうまく見せられていると思う。


サッカー96とキーラン・ブース

スタジオはもうひとつの楽器のようなものだと思うんだ。僕たちのスタジオに人が集まる理由は、音にこだわりがあって、その前後でエンジニアがクリエイティヴなサウンドを作ってくれるからだと思う。

録音に参加したアーティストはどのような観点から選んだのですか? バイロン・ウォーレンのようなジャズ・シーンのヴェテランから、サッカー69のようなジャズや他の音楽をまたぐ活動をする新しいアーティスト、ニュー・グラフィックのようなジャズの中でもクラブ・ミュージック、ストリート・ミュージックに近いタイプのアーティストと、いろいろな種類のアーティストが参加しているのですが。

LB:先ほども言ったけど、折衷主義であることが大きいね。ここ数年は、このシーンの中の特定の若いミュージシャンにしか脚光があたってこなかった。もちろん、それはとてもいいことだと思うよ。それがきっかけとなって、新しい世代のミュージシャンが、こんなことができるんだ、こんな新しいジャズの見方があるんだと、刺激を受けるようになったからね。また、チャーチ・オブ・サウンドというライヴ・イヴェントも開催している。僕たちはジャズの大ファンだけど、若い世代だけを通してジャズに親しんだ訳ではない。僕たちはずっとジャズを聴いてきたジャズ・ファンだから、新しいシーンが爆発する前からそのシーンを知っていたんだ。バイロン・ウォーレンのように、知識の宝庫で本当に優秀な作曲家もいる。彼らはひと通りやりつくしてきたし、伝説的な存在で、その音楽は本当に素晴らしいけど、彼らのことを知らない人たちに彼らを改めて紹介しなければならないと思っている。
 どのバンドにも言えることだけど、トラックを依頼したり、アルバムを作ったりするときって、「彼らなら素晴らしい仕事をしてくれるだろう」という大きな信頼があるんだ。だから端的に言うと、それが基準だったと言えるかもしれない。この人たちは素晴らしい音楽を作るだけでなく、何かを構想し、素晴らしいものを作り上げることができるんだと。あとは機会を与えるということでもあるよね。誰もが知っているような有名アーティストを起用することもできたし、露出という点で各バンドの利益にもなるし、そこが繋がるっていうのも素晴らしい。バイロン・ウォーレンなんてある意味伝説的な存在だから、アルバム5枚作りたいくらいだ。とても意味のあることだと思うし、彼がアルバムに参加してくれて本当に嬉しい。基準は基本的に素晴らしい音楽を作るために信頼できる人たち、それだね。


バイロン・ウォーレン

まさにジェントリフィケーションだね。だから場所に関しては、僕たちは永遠にはあそこにいられないとはわかっている。残念ながら300万ポンドは持っていないから、誰か持っている人がいれば教えて欲しいね。

メルボルン出身のジギー・ツァイトガイストによるツァイトガイスト・フリーダム・エナジー・エクスチェンジ、シガゴのレザヴォアなど、ロンドン以外のアーティストも参加しています。マカヤ・マクレイヴンのときもそうでしたが、TRCがロンドンに限定することなく、より広い視野で世界中のアーティストたちの活動の受け皿になっている事を示していると思います。こうした点についてはどのようにお考えですか?

LB:僕たちは多くの国際的なアーティストがロンドンに来て演奏するときの拠点としてとても重要な役割を担っている。(レザヴォアやマカヤ・マクレイヴンなどが所属するシカゴのレーベルの)〈インターナショナル・アンセム〉の皆は、基本的にロンドンにいるときはリハーサルのためにスタジオでレコーディングしたり、純粋に遊んだり、スタジオで一緒に時間を過ごすんだ。ジギー・ツァイトガイストはいまはベルリンに拠点を置いているけど、TRCはロンドンにあるから、ライヴをしに来るときもここに来てリハーサルをする。つねにコラボレーションの機会があるし、アーティストたちは、新しいバンドが結成されたり、新しいプロジェクトやレコーディングがおこなわれたりする可能性があることに価値を見出しているんだろうね。
 これらのことはすべて、アーティストとして非常に価値のあることだし、それ以上に人びとが利用できるネットワークがあるんだと思う。というのも、このスタジオで何かが作られると、結構興味を持ってもらえるんだ。10年前からやっているから、このスタジオから面白いものが生まれるということを皆知っているんだ。でもその先にあるのは、「入ってきてくれたら、皆友だちになれる」という考え方だと思う。つまり、「たまり場」という要素がとても重要なんだ。シンプルにリハーサル、レコーディング、コラボレーションができる可能性があることだよね。


ツァイトガイスト・フリーダム・エナジー・エクスチェンジ

スウェーデンとエリトリアをルーツに持つミリアム・ソロモンをフィーチャーしたマターズ・アンノウンというグループが参加していますが、これはどのようなグループなのですか?

LB:マターズ・アンノウンは、ヌビアン・ツイストというバンドのトランペット奏者であるジョニー・エンサーが率いるバンドで、彼の新しいプロジェクト。〈ニュー・ソイル〉というレーベルからアルバムをリリースしているよ。ロックダウンの直後に、僕たちのスペースでミュージック・ヴィデオを撮影したことがきっかけで知り合ったんだ。セッティングのためにバンド・リーダーのジョニーがかなりの頻度で電話をかけてくるうちに、すぐに仲良くなった。彼らと一緒にさっき話したチャーチ・オブ・サウンドというライヴ・イヴェントをやったんだけど、僕は最初から彼らの音楽の大ファンで、かなり大々的なサポーターだったこともあって、けっこうライヴに出しているんだ。
 入っているミュージシャンは皆すごいよ。ミリアム・ソロモンは今回スポット的にフィーチャーされているけど、彼女はここロンドンで様々なバンドと一緒にやっている。彼らの他の作品をチェックするといいよ。アルバムを出していて、それもとてもいいんだ。

マイシャのジェイク・ロングが “クレッセント(シティ・スワンプ・ダブ)” という曲をやっています。マイシャのようなアフロ・ジャズとは異なり、重厚なダブ・サウンドを聴かせてくれるのですが、このようにエレクトリックなダブ・ミックスを収録したのは、TRCがたんにライヴの生演奏だけではなく、スタジオのポスト・プロダクションにおいてもアーティストたちの活動をサポートしていることを示す一例なのでしょうか?

LB:もちろん。ダブの要素はスタジオ・プロデューサーのキャピトルKが得意とするところ。全体のダブ要素、全体のミックスとダブの要素は、かなりスタジオでやっていることだ。スタジオはもうひとつの楽器のようなものだと思うんだ。僕たちのスタジオに人が集まる理由は、音にこだわりがあって、その前後でエンジニアがクリエイティヴなサウンドを作ってくれるからだと思う。それが大きな理由だと思うけど、それ以外に長年に渡ってライヴで演奏される音楽の種類や参加しているバンドの影響からダブの要素もあるのかもしれないね。空間とプロダクションが関連づけられているっていうのもあるかもしれない。
 スタジオにいるプロデューサーはよく、1980年代初頭のアナログ機器が手頃な価格で手に入り、しかも本当に良いものだったころの夢のホームスタジオのようなセットアップだと言うんだ。いま、スタジオは確実に進化していると思う。24トラックのオープン・リール・テープ・マシンがあって、あらゆる種類のアート・ボードやシンセサイザーなどがあるんだ。すべてが完全にアナログで、80年代のポスト・パンクやダブ、エレクトロニック・ミュージックで使われていた機材があるっていうことがいいんだろうね。そうしたものを使うと、そこに音の個性が出るんだ。アコースティック・バンドをレコーディングして、スタジオに入ってミックスすると、機材やプロデューサーのスキルによって、まったく違うものができあがる。だからこそ、音を形作るにあたってスタジオが大きな役割を果たすと思うんだ。

最後に、今後TRCをどのように発展させていきたいかお聞かせください。

LB:いまいるビルが永遠に使えるかどうかはわからない。こんなに長くいられたっていうのだけでも恵まれている。注目されている地域にあるとても古いビルなんだ。地価が上がって誰かが建物を買い取り、壊して、新しいマンションを建てちゃうって、ロンドンではよくあることだからね。まさにジェントリフィケーションだね。だから場所に関しては、僕たちは永遠にはあそこにいられないとはわかっている。残念ながら300万ポンドは持っていないから、誰か持っている人がいれば教えて欲しいね。
 そこで、次のステップとして、TRCのデジタル・フットプリントのようなドキュメントを作りたいと考えている。できる限りレコーディングを続けながら、この空間を多くの人に見てもらうためにドキュメンタリー風に記録して、音の背後にあるものをヴィジュアル的に示すようなコンテンツをオンラインで作成する、ということだ。そしてその先には、コンサートをしたり、デジタル・コンテンツを持ってなるべくいろいろなところに行って、コラボレーションも生み出したいね。レーベルについては、一緒に仕事をしたいバンドや、進行中のプロジェクトがたくさんあるから、まだまだ続くだろうね。
 今年はとにかく、ドキュメントを作り、TV番組のようなイメージで、コンテンツのようなものを作っていこうと思っている。ライヴを収録したり、ライヴ・バンドにインタヴューしたり、観客をデジタル空間に招待して、あそこにいる人たち、彼らが何をしているのか、どうやっているのか、舞台裏をたくさん紹介するつもりだよ。

Alva Noto - ele-king

 アルヴァ・ノトの新作情報がアナウンスされている。タイトルは『Kinder Der Sonne』で自身のレーベル〈NOTON〉より5月5日リリース……とのことなのだけれど、収録される14曲はスイスの作家サイモン・ストーンによる舞台作品『Komplizen』のために2021年に作曲されたものだという。
 タイトルの『Kinder Der Sonne』は英訳すると『Children Of Sun』で、文豪ゴーリキーがロシア革命の年にものした戯曲『太陽の子』に由来している。どうやらサウンドのほうも登場人物たちが遵守したり抵抗したりしている複雑な社会規範を反映しているようだ。
 現在、リード・トラックの “Die Untergründigen(=アンダーグラウンド)” が公開中。演劇作品ともども注目しておきたい。

artist: Alva Noto
title: Kinder Der Sonne
label: NOTON
format: CD, Digital, Vinyl
release: 5 May 2023

01. Kinder Der Sonne - Intro
02. Verlauf
03. Die Untergründigen
04. Sehnsuchtsvoll
05. Ungewissheit Im Sinus
06. Kinder Der Sonne - Reprise
07. Unwohl
08. Sehnsuchtsvoll - Reverso
09. Ungewiss
10. Aufstand
11. Die Untergründigen - Redux
12. Virus
13. Son
14. Nie Anhaltender Strom

https://noton.info/product/n-058/

JULY TREE - ele-king

 渋谷に小さなギャラリーが誕生する。名前はJULY TREE(ジュライ・トゥリー)(www.julytree.tokyo)。ポール・トーマス・アンダーソン映画『リコリス・ピザ』の冒頭で使用されていたニーナ・シモンの同名曲に由来。また、JULY TREEのロゴデザインは坂本慎太郎による。
 さて、3月25日のこけら落とし、その記念すべき第一回目の展示は世界各国の様々なミュージシャンの写真を撮り続けているフォトグラファー石田昌隆による “RELAXIN’ WITH LOVERS 〜photographs〜” 。人気コンピレーション『RELAXIN' WITH LOVERS』シリーズで使用された作品を中心とした写真展だ。レゲエ、ラヴァーズ・ファン垂涎、80年代当時のUK、ロンドンのブリクストンなどを活写した貴重な写真30数点を見ることができる。
 今回は石田昌隆がシルク・スクリーンに挑戦し、ジャケでも使用された2点の作品を芸術性、希少性の高いアート作品としてサインとシリアル・ナンバーを記した形で限定販売もする。また、会期中はTシャツ、トート・バックなどの販売もアリ。
 さらに、『RELAXIN' WITH LOVERS』発足時に音源のライセンス交渉、マスタリング、アナログ・カッテイングのため渡英したプロジェクト・スタッフ両名をゲストに迎え、石田昌隆による4月7日ゲスト:薮下晃正(RELAXIN' WITH LOVERS)、4月15日ゲスト:八幡浩司(24x7 RECORDS)という布陣でトークショーも決定している。
 詳細は後日、JULY TREE 公式Instagram、Twitterにて発表されるとのこと。

 

■展覧会情報
【Masataka Ishida Photo Exhibition RELAXIN’ WITH LOVERS 〜photographs〜】
会期:2023年3月25 日(土) 〜4月25日
会場:JULY TREE(ジュライ・トゥリー)

〈店舗情報〉
JULY TREE(ジュライ・トゥリー)
住所:153-0042
東京都目黒区青葉台4-7-27 ロイヤルステージ01-1A
・HP: www.julytree.tokyo
・Instagram:https://instagram.com/july_tree_tokyo?igshid=YmMyMTA2M2Y=
・Twitter:https://twitter.com/julytree2023
営業日: 基本月火休館13時〜18時営ではございますがオープン日以降、不定期での営業となります。
*営業日等お問い合わせについてはJULY TREE 公式Instagram、Twitterにてお願いいたします。

■イベント情報
<トークショー開催のお知らせ!>
石田昌隆写真展『RELAXIN’ WITH LOVERS ~photographs~』の開催を記念して、4月7日(金)と15日(土)の2日間、JULY TREEにてトークイベントを開催いたします。18時以降開催予定となりますが料金、時間、応募方法等詳細は後日、JULY TREE 公式Instagram、Twitterにて発表させて頂きます。
(各回20名様限定)

【日 時】:
4月7日(金)石田昌隆×薮下晃正(RELAXIN' WITH LOVERS/DUB STATION)
4月15日(土)石田昌隆×八幡浩司(24x7 RECORDS)

【会 場】:JULY TREE 〒153-0042 東京都目黒区青葉台4-7-27 ロイヤルステージ01-1A

■プロフィール
石田 昌隆(いしだ まさたか)/ PHOTOGRAPHER
1958年生まれ。たくさんの国を旅行して音楽関連の写真を撮影してきた。著書、写真集は、『1989 If You Love Somebody Set Them free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた』、『JAMAICA 1982』、『ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍』、『オルタナティヴ・ミュージック』、『黒いグルーヴ』。毎日インスタグラムに写真を出している。 https://www.instagram.com/masataka_ishida/#

interview with Black Country, New Road - ele-king

ワンテイクで撮ったのだと思って欲しくないな、と思った。ここは正直に、3日間の公演を通して撮られたものだと知ってもらいたかった。そこで毎晩違った格好をしようということになった。(エヴァンズ)

 アイザック・ウッドがブラック・カントリー・ニュー・ロードを脱退して1年が経った。
 正直、僕はまだ彼の才能が恋しいし、もうBCNRが『Ants From Up There』をプレイしないということを本当に残念に思っている。しかしBCNRは止まらない。メイン・ヴォーカルの脱退というバンドにとって致命的なアクシデントを乗り越え、BCNRの絆はより強固なものになっている。『Ants From Up There』は言うまでもなく美しい名盤で、様々なメディアでも2022年のベスト・アルバムの上位に並んだ。しかしウッドの脱退を受け、バンドは全曲新曲でのツアーを決めた。ツアーがはじまるまでの限られた時間で曲を持ち寄り作られたライヴ・セットは一年のツアーを経て研磨され『Live at Bush Hall』へ帰結する。

 過去のインタヴューでメンバーがよく口にしていた民主的なバンドの意思決定プロセスが『Live at Bush Hall』では濃く反映されているように感じる。各曲でメイン・ヴォーカルが変わるスタイルも要因として大きいだろうが、誰かひとりが編曲を統括しないことで生まれる流動的で自由なグルーヴがライヴ・アルバムというアイデアと相性が良く、これはスタジオではなくライヴで録るべきだというバンドの選択に合点がいく。プロムや学芸会的なアイデアも、会場を友人やレーベルの人間と飾りつける様子もBCNRが獲得したスタイルをよく表現している。

 サウンド面でも評価されるべきアルバムだと思う。ただでさえメンバーが多いBCNRだが、ピアノ、ドラム、ヴァイオリン、サックス、フルートなど音量がバラバラな上、パーテーションで仕切ってあったが、ステージはかなり小さいので録音はかなり難しかったと思う。先行してYouTubeにアップされているライヴ映像を見ると、ギターのルーク・マークとベースのタイラー・ハイドの後ろにはアンプがなくステージの後方、ピアノの裏まで押し込んであったりいろいろ工夫が施されてある。マスタリングにアビー・ロード・スタジオのエンジニアがクレジットされているのでしっかりしているのは納得だが、生々しいがクリアで暖かく重厚感のあるサウンドはライヴ・アルバムとして理想的な録音になっている。

 語るべきストーリーのあるバンドは多くの人から愛される。我々ファンや音楽ライターは往々にして悲劇やそれを乗り越えるバンドのストーリーを勝手に作りあげてしまうが、そんなことは彼らには関係なく、「ミュージシャンとしては、1日を大切に生きてその瞬間を楽しむということが大事だと思うんだ」と言う彼らの素直に音楽を楽しむ姿勢は、そんなストーリーよりも貴重で素晴らしいと思う。

よくあるライヴ映像は、複数のライヴ映像のうまい部分を編集して繋ぎ合わせて、見栄えを良くしているけれど、僕たちはそのやり方はしたくないと思った。(マーク)

シングル「Sunglasses」のリリース時から聴いていたのでインタヴューできることを大変嬉しく思います。まずは簡単な質問から。BCNRのSpotifyにみなさんのプレイリストがあります。多彩で面白く楽しみに聴いているのですが、あれはみなさんが普段聴いている曲なのでしょうか? それともバンドのためのリファレンスのような物として共有しているのでしょうか?

ルイス・エヴァンズ(Lewis Evans、以下LE):あれはバンド・メンバーで共有しているプレイリストで、各自が好きな音楽を追加しているんだ。普段みんなが聴いている曲を入れているだけで、BNCRが作る音楽のレファレンスとも言えるけど、僕たちは具体的な曲をレファレンスにして制作をすることはあまりしないから、その時々に聴いている曲をシェアしている感じだね。

ルーク・マーク(Luke Mark、以下LM):BCNRがこういう曲を聴いているとか、こういう曲に影響されているということをリスナーに知ってもらいたいという意識は特になくて、僕があのプレイリストに載せているのは、ただそのときに自分が聴きまくっていた曲というのが多い。だから、同じ曲がプレイリストに何回も入っていることもある。誰かが載せた曲を、他のメンバーが聴いて、またそれをプレイリストに載せたりするからね。

いちばん最近のものに青葉市子やBuffalo Daughterなど日本のアーティストが入っていましたが、日本のアーティストも普段聞きますか? どんなアーティストでしょう?

LM:チャーリー(・ウェイン/ドラム)とメイ(・カーショウ/キーボード)が青葉市子の大ファンなんだ。僕は彼女の音楽を聴いたことがなかったんだけど、今度、彼女とロッテルダムのMOMOというフェスティヴァルで共演することになった。だから残りのメンバーはこれから彼女の音楽を聴いて知ろうと思っているところだよ。

LE:プレイリストに載せたかどうか覚えてないけど僕は渡辺美里をよく聴くよ。“My Revolution” とか。ポップ・ソングの書き方に関してはエキスパートだと思うからね。トップ・クオリティだよ!

LM:僕たちの家では朝食の時間にかける音楽だよな。

LE:そうそう、コーヒーを飲みながら聴いてるんだ。


今回取材に応じてくれたルーク・マーク(ギター)


今回取材に応じてくれたルイス・エヴァンズ(サックス/フルート/ヴォーカル)

アイザックが抜ける前の時点で、BCNRにはライヴやフェスティヴァル出演をする機会がたくさん予定されていた。その機会を活かしてライヴなどに出演するのか、音楽以外の現実味のある仕事を見つけるかという話で、全員が前者を希望した。(エヴァンズ)

いろいろなインタヴューでもお話しのように、様々な音楽的バックグラウンドをお持ちですが、音楽以外の影響はどうでしょうか? 好きな映画や本やアートなど、音楽以外からの影響について教えてください。

LM:バンドのメンバーたちは様々なメディアから影響を受けているよ。たとえばタイラーはアート専攻だったから現代美術について詳しいし、チャーリーは美術史が好きだからヨーロッパをツアーしているときは美術館に行きたがる。チャーリーがメンバーの中で、いやタイラーと同じくらい、いちばん美術史について知っていると思う。僕はヴィジュアル・アートに関しては好きなものは少しあるけれど、あまり知識がない方なんだ。最近は、近代美術家のピーター・ドイルという人がロンドンで展示会をやっていたから行ったけど、とても良かった。とても親しみやすいというかわかりやすいから自分でも好きなんだろうな(笑)。デカいサイズの、カラフルな絵を描く人だ。僕がいちばん好きなのはピーター・ドイルかな。本はどうだろう……?

LE:僕は本をあまり読まないんだ。

青木:では映画はいかがですか?

LE:映画は好きだよ。映画は大好き。僕には本は読むだけの集中力がないんだ。だから1時間半くらいの映画が僕にとってはちょうどいい。映画かあ……僕がいちばん好きな映画って何だっけ?

LM:ルイスがいちばん好きな映画は『Waiting for Guffman』(96:クリストファー・ゲスト監督)だよ。

LE:そう、『Waiting for Guffman』で、えーと誰が作ったんだっけ?

LM:あれだよ、あの人!

LE:『Spinal Tap』(84:ロブ・ライナー監督)を作った人! 彼(*脚本のクリストファー・ゲスト)と、彼がいつも起用するキャストのメンバーが登場する、最高な90年代の映画だよ。全てがアドリブなんだ。『Waiting for Guffman』は本当に大好き! あとはかっこいいホラー映画も好きだよ。最近は日本のホラー映画も観てるんだ。『仄暗い水の底から』(02)も観たし……

LM:『仄暗い水の底から』はすごく良かったよな。

LE:『リング』(98)も観た。あれは有名だよね。

LM:『リング』も『仄暗い水の底から』と同じ監督だよね(*中田秀夫)。『仄暗い水の底から』の方が怖かったと思う。

LE:『仄暗い水の底から』の方が?

LM:『リング』の描写は他の映画で何度も模倣されているというか……去年も『Smile』(22)というホラー映画を観たんだけど、『Smile』の基本的なストーリーは、『リング』の結末から始まる感じなんだ。だからパクリだと思ったよ。僕は映画にあまり詳しくないけれど、今年は、可能な限り、映画を一日一本見るということをして、映画に詳しくなろうとしているんだ。これをやれば年末までに365本の映画を観たことになる。ルイスと僕にはルームメイトがふたりいるんだけど、そのふたりとも映画が大好きなんだ。彼らの方が僕よりもずっと映画には詳しい。だから僕は最近、デュー・デリジェンスの取り組みとして、昔の名作映画をたくさん観ているよ。イングマール・ベルイマンやフェデリコ・フェリーニといったアートハウス系の名監督の作品を観ている。いままでそういう作品を観たことがなかったからね。最近は初めて『8 ½』を観たけど、素晴らしいと思ったよ。

映像の途中でみなさんがセットを作るシーンが印象的でした。プロムや学芸会的な演出はどこから出てきたのでしょうか?

LE:今回のプロジェクトのフォーカスは、通常のアルバム・リリースではなく、ライヴ映像にしたいと思っていたこと。このプロジェクトに収録されている曲は、アルバムのために書いた曲ではないんだよ。だからライヴ公演みたいな感じにしたかった。でもライヴ公演では、全てのテイクが最高なテイクになるとは限らない。だからなるべく最高なテイクを披露できるための環境を自分たちで作り上げた。つまり、公演を複数回おこなうということだ。でも、今後テレビなりYouTubeなりでこの映像を観た人が、これをワンテイクで撮ったのだと思って欲しくないな、と思った。ここは正直に、3日間の公演を通して撮られたものだと知ってもらいたかった。そこで毎晩違った格好をしようということになった。確か、アート・ディレクターのローズ(Rosalind Murray)が学芸会的なアイデアを思い付いたんだと思う。それか僕かタイラー。よく覚えてないけど、3人の誰かが思いついた。

LM:(爆笑)僕もそのときにいたよ。

LE:タイラーがイメージの絵を描いていて、ローズがアイデアを思いついて、みんなで脚本を書いたんだっけな? とにかくアート・ディレクターと一緒にこのアイデアを思いついたんだ。それに加えて、これをすごく楽しくて、馬鹿げていて、面白いヴィジュアル・プロジェクトにしようという思いがあった。そうすることで映像主体のリリースにすることができた。そして観客に対しても、一連の曲を聴くという体験よりも、映像を観るという体験を提供できるという、クリエイティヴで面白い手法になった。

LM:3公演やったのは、曲を上手に演奏する機会を3回設けるためだった。それに、よくあるライヴ映像は、複数のライヴ映像のうまい部分を編集して繋ぎ合わせて、見栄えを良くしているけれど、僕たちはそのやり方はしたくないと思った。だから学芸会的なアイデアが出る以前から、ひとつひとつの公演のヴィジュアルを独特なものにしようと話していたんだ。だから公演ごとにバンドとして統一感のある格好にしようと決めていた。その方が、どの公演の演奏なのかが明確になるからね。その考えが発展して、学芸会のアイデアへとつながったんだ。

青木:つまり、一晩ごとに同じ衣装を着て、次の夜の公演はまた別の衣装、という流れだったんですね。

LM:その通り。だから僕たちがひとつの衣装を着ているときは、その衣装でワンテイクしかしていないということなんだ。各曲はひとつの公演で一回ずつしかやっていないということだよ。

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僕たちが近い将来、新曲を披露しはじめたら、その曲はおそらく、『Bush Hall』に収録されている曲とほぼ同じ状態だと考えていいと思う。(マーク)

スタジオ・アルバムではなく、ライヴ・アルバムでのリリースになったのはどういう経緯があったのでしょうか?

LE:アイザックがバンドを脱退したとき、僕たちは「活動を休止するか、しないか」という究極の選択を迫られた。アイザックが抜ける前の時点で、BCNRにはライヴやフェスティヴァル出演をする機会がたくさん予定されていた。その機会を活かしてライヴなどに出演するのか、音楽以外の現実味のある仕事を見つけるかという話で、全員が前者を希望した。

LM:もちろんバンド活動を続けたいし、ライヴをやりたいという気持ちもあったよ!

LE:そこでフェスティヴァルで演奏できるようなライヴ・セットを3カ月間という短期間で書き上げたんだ。だから今回の曲は、アルバムを想定されて作られたものではなかった。各曲についても、他の曲を考慮しながら書かれたものでもなかった。「手持ちの曲がある人は、リハーサル室に持ち寄ってきて。いま、それをみんなで練習しよう! 締切があるんだ」──そういう感じだった。このプロジェクトの仕上がりに満足していないわけではないけれど、これはアルバムとしては適切ではないと感じていたんだ。アルバムとしてリリースするのはしっくりこなかった。だからこうやってライヴ・アルバムとしてリリースできたことは嬉しい。良いリリースの仕方だったと思う。今回の曲がライヴのために書かれたものだということが明確に伝わる作品になったと思う。

LM:僕も同感だ。

ブッシュ・ホールでのライヴは去年のフジロックで来日されたときよりもアレンジも変わりかなり演奏がまとまり、一種のBCNR第二章の総括のような印象を受けました。以前のインタヴューでは(チャーリー・ウェインが)発展途上だとおっしゃっていましたがいまはどう考えますか?

LM:以前、曲についてインタヴューされたときは、今後もっと変更していこうと考えていたんだと思う。僕たちは通常そうやって曲を発展させていくから。曲をライヴで演奏したら、その後にはリハーサル室に集まって、細かい修正をしながら、曲を改善していく。でも今回は、ライヴの回数が多すぎて、あまりそれをやることができなかったんだ。去年はすごく忙しくて、自由な時間があっても僕たちはみんな疲弊していたから、追加の作曲セッションはほとんどやらなかった。だから通常のBCNRの曲と比べて、今回のアルバムの曲はオリジナルに比較的忠実だと思う。

LE:でも今後6カ月くらいのうちに、『Bush Hall Live』アルバムの曲のどれかに嫌気が差して、書き直したいと思う時期が来ると思う。そのときには曲の修正をするよ。

LM:最終的にどの曲も書き直しが入るんじゃないかな。お客さんも『Bush Hall Live』の曲を気に入ってくれているし、今後僕たちが、ライヴ向けではない、アルバム向けの作曲をしていくに連れて、お客さんは『Bush Hall Live』の曲もアルバム・ヴァージョンを聴きたいと思うんじゃないかな。そのときに、僕たちの最新の音源に合うように、『Bush Hall Live』の曲を調整していくと思う。僕たちはいままでもそういうアプローチでやってきたんだ。それが気に入らない人も一部いるんだけどね。でもそれがベストなやり方だと思う。

LE:自分たちがいちばん納得できるやり方だよね。

演奏力もさることながら、楽器の数にしてはすごくタイトになってきて、すごいバランス感だと思います。全体の編曲はどなたかが担当されたのでしょうか? それともツアー中に研磨されていったのでしょうか。

LE:ツアー中に研磨していったものがほとんどだった。中には1、2曲どうしてもうまくいかない曲があって、数カ月間ライヴで演奏していたんだけど、毎回問題があったから、スタジオに入って微調整をおこなわなければならないものはあった。自分たちの満足がいくように修正する必要があったんだ。でもそれ以外の曲は全て、編曲などはせずに、時間をかけて研磨されていった。編曲する時間がなかったということもある。ルークが言ったように、僕たちは10月頃に1カ月のオフがあったんだけど、みんな完全に疲弊しきっていて、一緒に集まって作曲するのは無理だということになり、ただ一緒に集まって遊んでいた。だから編曲というよりは研磨されたということだね。

ブッシュ・ホールではオーディエンスも曲を知っている様子ですごく暖かい印象でした。“Up Song” なんかはすでにアンセム的な情緒があると思います。昨年のツアーを経て新生BCNRは世界のリスナーにすでに受け入れられていると思いますが、オーディエンスの反応はどう感じていますか?

LM:みんなにとっては嬉しい驚きだったみたいだね。僕たちも、みんなが新曲を気に入ってくれたことが驚きだった。新生BCNRの最初のツアーはUK でやったんだけど、小さな会場で新譜を披露した。最初のライヴはブライトンだった。BCNRのファンだけでなく、僕たちの友人たちでバンドをやっている奴らもこのライヴを観にきてくれて、みんなすごく良いと言ってくれた。僕たちと関わりのあるPR会社の人や、マネージャーや、バンドの近しい人たちで、まだ新曲を聴いていなかった人たちもライヴに来てくれて、みんな新曲を素晴らしいと言ってくれた。とても嬉しかったよ。幸先が良いと思った。それ以降、公式な音源がリリースされるまでの間、様々な映像や情報がYouTubeなどで公開されてきたけれど、ネガティヴな反応はほとんどなかった。とてもポジティヴで寛容的なものばかりだった。みんな僕たちのことを応援してくれてサポートしてくれた。本当に嬉しいことだよ。

LE:素晴らしいことだよね。お客さん全員が僕たちの曲を知っているという、ニッチなシーンに出くわすのが面白いよねという話をごく最近していたんだ。去年の夏にラトヴィアに行ったんだけど、僕たちのことを知っている人はあまりいないと思っていた。案の定、そのフェスティヴァルは5000人収容の場所だったけど僕たちのライヴには150人くらいしかお客さんがいなかった。その1週間後、僕たちはリトアニアでライヴをやったんだけど、そのときは僕たちを観ている観客が1000人くらいいたんだ! しかも曲の歌詞を知っている人ばかり。「ラトヴィアとリトアニアは隣国同士なのに、なぜこんなにも違うんだろう!?」と思ったよ。自分が一生行くことがないだろうと思っていた二カ国に行くことになって、そのうちの一カ国では僕たちことを知っている人が大勢いた。とても奇妙な体験だったよ。
 先週は香港に行ったんだけど、香港でもBCNRの曲の歌詞を知っている人がたくさんいた。すごく変な感じだよ。それに、僕たちの曲を知らない人でも僕たちのライヴに来て、僕たちを観にきてくれるということが嬉しい。観客の前から3列目くらいまでは、コアなファンで、未発表の曲もすでに全て知っているという人たち。大人数の観客の場合、3列目より後ろの人たちは、曲を知らないけれど、僕たちがバンドとして上手いと思っているからライヴを観ていて、そのフェスティヴァルで同じ時間帯にやっている他のバンドが観れなくても、僕たちを観る方がいいと思ってくれている人たち。そういう人たちがいるのを見ると感激するし、そう思ってくれる人たちがいるということに感謝しているよ。僕たちが作る音楽は良いものだと自分でも思っているけれど、お客さんがいまでも僕たちのことを好きでいてくれて、リスペクトして観にきてくれるということは嬉しいことだよ。

わかっている唯一のことは映画音楽をやりたいということ。僕はインタヴューされるごとに必ずこう言っているんだ。いつか僕の言葉が映画監督かプロデューサーに届いて「BCNRを起用したい」と言ってくれるかもしれないことを願ってね。だから日本で映画音楽が必要な人がいたら教えてくれよ。僕たちがやりたい!(エヴァンズ)

アルバムの中で特にお気に入りの曲は何ですか?

LM:お気に入りの曲はいくつかあって、理由もそれぞれ違うから答えるのは難しいけれど、1曲だけ選ぶとしたら “Turbines” かな。初めて聴いたときも「なんて素晴らしい曲なんだ」と思ったんだ。

LE:“Turbines” はおそらくいちばん良い曲だろうな。でも演奏するのがいちばん好きという曲ではないかもしれない。演奏していてすごく疲れるし。

LM:ストレスを感じるよな。僕が演奏していて楽しいのは “Dancers” の終盤。“Up Song (Reprise)” も演奏していてすごく楽しかった。満足感もあったし、美しいと思った。あまり演奏する機会はないんだけれどね。先日は “Up Song (Reprise)” のロング・ヴァージョンをやったよね。台北でヘッドライン公演をやったんだけど、そのときは前座がいなかったし、僕たちのセットはそもそも短めなんだ。セットも急ぎな感じで演奏してしまったよね。お客さんはみんな楽しんでくれていたけれど、セットが終わりに近づくに連れて「今日のライヴではあまり長い時間演奏していないよね」ということに自分たちで気づいて、僕とタイラーとルイスが “Up Song (Reprise)” の即興部分を指揮しながら長いヴァージョンにしていったんだ。結構良い感じになったよな?

LE:ああ、クールだったよ! あとこれはセットの中でも良い曲に入る感じでは到底ないんだけど、“The Wrong Trousers” の後半部分を歌うのはめちゃくちゃ好きなんだ。

LM:タイラーと歌い合うところだろ? あれはストレスを感じないもんな。

LE:そうそう。僕は自分の歌う感じがクールだと思っていないけど、そのことを十分自覚した上であの後半部分を歌っているんだ。キーが変わる陳腐な感じも好きだし、タイラーと僕がお互いに問いかけ合うようにして歌っている感じや、僕とタイラーが一緒にやるダンスなどが気に入ってるんだ。自分が「Turn around(=振り向く)」という歌詞を歌うところでは実際に振り向いたりして、すごくダサい瞬間なんだけど、やっていてすごく楽しいんだ。

もし現在のBCNRを定義するとしたらどういうジャンルになると思いますか?

LE:オルタナ・フォーク・ロックかな?

LM:なんだろう? むずかしいな。

LE:ポスト・パンク以外ならなんでもいいや。

LM:ハハハ!

ブッシュ・ホールで演奏されている曲はメンバーが持ち寄って作られたと伺いました。今後スタジオ・アルバムを作るとして、作曲プロセスは変わらないのでしょうか?

LM:おそらく変わらないだろうね。僕たちはほぼずっとそうやって作曲をしてきたからね。次のスタジオ・アルバムがあると仮定したら、今回のライヴ・アルバムとの違いは、曲を研磨するプロセスが長くなるということだろう。曲がレコーディングされる前に、より多くの段階を経て、変化させていくだろう。僕たちが近い将来、新曲を披露しはじめたら、その曲はおそらく、『Bush Hall』に収録されている曲とほぼ同じ状態だと考えていいと思う。その新曲がレコーディングされるまでには多くの段階を経て、より洗練されていくだろう。でも僕たちはいまでも、メンバーが曲の骨格を持ち寄って、それにみんなで一緒に肉付けしていくというプロセスを多くの場合取っているよ。

最終日のプロム公演の準備では〈Ninja Tune〉のスタッフが総動員でセット制作の手伝いをしてくれて、風船を膨らませてくれたんだ。〈Ninja Tune〉のCEOでさえも!(エヴァンズ)

今後、BC,NRはどのような方向性を目指すと考えられますか?

LE:どうだろうね。わかっている唯一のことは映画音楽をやりたいということ。僕はインタヴューされるごとに必ずこう言っているんだ。いつか僕の言葉が映画監督かプロデューサーに届いて「BCNRを起用したい」と言ってくれるかもしれないことを願ってね。だから日本で映画音楽が必要な人がいたら教えてくれよ。僕たちがやりたい!

LM:しかも日本に行って音楽制作をするよ。

LE:そう、日本でやりますよ! バンドのみんなと将来どんなことをやりたいかと話すとき、具体的な話になるのは映画音楽をやりたいということだけなんだ。僕たちはバンド活動においては、毎日を1日ずつ生きている。バンドのみんなと一緒に音楽を作っているときは楽しいし、今後も一緒に音楽を作っていきたいと思っているよ。でもこの先、具体的にどうやって音楽を作っていくのかなどはあまり話さないんだ。いままでもそこまで計画的にやってこなかったけれど、うまく行っているし、ミュージシャンとしては、1日を大切に生きてその瞬間を楽しむということが大事だと思うんだ。

昨年はかなり長いツアーをされていましたが、フェスティヴァルなどで共演されたバンドの中で印象深いバンドはいましたか?

LE&LM:ギース(Geese)!

LE:彼らはクソ最高! めちゃ良い!

LM:実際にバンドの奴らと会うこともできたんだ。良い奴らだったよ。

LE:パリのフェスティヴァルはなんて言ったっけ? La Route du Rockだったよね。フランス北部のフェスティヴァルだったかも。そこで彼らを観たんだ。

LM:La Route du Rockだ。ギースの音楽は前にも聴いたことがあって、確か〈Speedy Wunderground〉のダン・キャリーがミックスを手がけたアルバムを出している。だからバンドのことは知っていたんだけど音楽はちゃんと聴いたことがなかった。でもそのフェスティヴァルで彼らのライヴ・セットを観ることができた。僕はルイスと一緒にいて、チャーリーとタイラーとメイはどこか他のところにいた。バンドのみんながギースを観ているとは知らずに、偶然彼らのライヴの後に他のメンバーと遭遇したんだよ。「すごく良かったよな!」ってみんなで話していた。ライヴの後にギースのメンバーと話す機会があって、彼らは今度リリースするセカンド・アルバムについて、BCNRのファーストからセカンド・アルバムへの移行と似ている感じだと教えてくれた。僕たちもファースト・アルバムをリリースした後は、いままでとは違う方向性に行きたいと思って、ワクワクしながらセカンド・アルバムの制作をした。彼らのセカンドもそんな感じになるらしいよ。セカンド・アルバムからのファースト・シングルはすでに公開されていて、すごく良い感じだよ! だからあのライヴでは彼らの新曲を聴くことができた。最高だったよ。

LE:あとは誰を観たかなあ。

LM:ボニー・ライト・ホースマンも良かった。

LE:ボニー・ライト・ホースマン!

LM:ボニー・ライト・ホースマンはトラディショナルなフォーク音楽をやるバンドで、イギリスのフォーク音楽を主にやっていると思うんだけど、カントリー調に演奏するんだ。カントリー・バンドのセットアップで、フェンダーのテレキャスター・エレクトリック・ギターを使ったりしている。バンド・メンバーたちはステージで、お互いに近い場所、1メートルくらいの距離で立って演奏していた。すごくタイトな演奏でメンバー全員が歌っていて、合唱していた。

LE:素晴らしいミュージシャンシップだったよ。確か僕たちと彼らは3つのフェスティヴァルに連続で共演したんだ。ヨーロッパ北部のフェスティヴァルが3件くらい連続でブッキングされていたんだよ。ドイツ北部とスカンジナビアの辺り。それで、その後、彼らとスイスのクラブに一緒に行ったんだよ。

LM:そのことをすっかり忘れていた!

LE:あれはすごく楽しかった。最高だったよ。

LM:僕はボニー・ライト・ホースマンのことを知らなかったんだけど、フェスティヴァルでは彼らの後にBCNRが演奏する予定だったから彼らの演奏中にステージの脇で機材のセットアップをしていたんだ。ステージ脇から彼らのセットをずっと観ていたよ。すごく感動したね。その後にも彼らと共演する機会があったんだけど、最初に彼らのライヴを観たときは素晴らしくて驚いたよ。

LE:あとは、Primaveraでゴリラズを観たときは興奮したね。最高だった。子どもの頃の思い出が一気に蘇った瞬間だったよ。

去年のアンソニー・ファンタノー(Anthony Fantano:アメリカのユーチューバー、音楽評論家)のインタヴューで〈Ninja Tune〉との契約について話されていたことが面白かったので、ぜひ日本のメディアでも紹介したいです。〈Matador〉や〈Sub Pop〉など伝統的なインディ・ロック・レーベルではなく〈Ninja Tune〉との契約を決めた経緯について教えてください。

LM:ミスター・スクラフをリリースしたレーベルということしか知らなかった。それはクールだと思ったけどね。〈Matador〉にも「〈Ninja Tune〉には期待しない方がいい」と言われていた。

LE:ダンス・ミュージックのレーベルだからという理由でね。

LM:そう、だから何の期待もしていなかった。しかもレーベルの所在地がサウス・ロンドンの少し怪しいところにあった。そしてオフィスの上に通されて、イギリス支店のトップだったと思う、エイドリアンに紹介された。彼の役職は定かではないんだけど、A&Rもやっていると思う。とにかくすごくいい人だった。エイドリアンは僕たちを座らせて、「これが変わった状況だというのはわかっている。我々は、君たちのようなバンドと契約するようなレーベルではない。でも逆になぜそれが良いことなのか説明するよ」と言っていろいろと説明してくれた。〈Ninja Tune〉は僕たちが公開した音楽が好きで、レーベルの人もBCNRという音楽をリリースすることにワクワクしているし、BCNRというプロジェクトに一緒に関わっていきたいと思っているということ。僕たちがいままでやってきた音楽や、僕たちの美的感覚を全て尊敬しているし、僕たちに今後もリリースに関する指揮を取ってほしいと。それはまさしく僕たちが望んでいたことだった。〈Ninja Tune〉には僕たちみたいなアーティストがいなかったから、そういう意味で僕たちはリリースのタイミングを自由に決めてよいということだった。似たようなバンドのリリースとかぶることがないからね。異例の選択をするということは僕たちにとっても有利になるということを説明してくれた。
 彼の説明はもっともだったけれど、いちばんの決め手はレーベルの人たちが僕たちのプロジェクトに熱意を感じていたことと、レーベルの人たちがいい感じだったから。そして僕たちが作り上げたものをベースに一緒に仕事をしていきたいと思ってくれていたから。当時はいまよりも、自分たちの音楽と、その表現方法だけで評価されたいと僕たちは強く思っていた。だからプレス写真も公開していなかったし、自分たちが作った音楽やカヴァーした音楽だけを公表していた。〈Ninja Tune〉はその考えに共感してくれたんだよ。それで僕たちもその場で説得された。〈Ninja Tune〉のオフィスを後にして、僕たちみんなはしばらくの間黙っていた。みんなが同じ気持ちかどうか気になったから。そしてすぐにみんなで「このレーベルが一番だね!」と道端で話し合ったよ。「〈Ninja Tune〉が最高だから彼らと契約しようぜ!」と話していた。そして結果的に僕たちは正しい選択をしたということが証明された。〈Ninja Tune〉は、活動をサポートしてくれる一方で、僕たちの好きなようにやらせてくれる。最もわかりやすい例がこの映像プロジェクトだよ。これはかなり実現が難しいものだった。事前の綿密な計画も必要だったし、費用もかさんだ。〈Ninja Tune〉にとってはキツかったと思うよ(笑)。でも全て僕たちのためにやってくれたんだ。

LE:これは映像には含まれていないけれど、最終日のプロム公演の準備では〈Ninja Tune〉のスタッフが総動員でセット制作の手伝いをしてくれて、風船を膨らませてくれたんだ。〈Ninja Tune〉のCEOでさえも! 僕たちのプロジェクト・マネージャーも細かい準備作業を全て手伝ってくれた。みんなすごく親切なんだよ。

LM:みんな本当に風船を膨らませていたんだよ。最高だった。彼らは僕たちを信頼しているし、僕たちも彼らを信頼している。少なくともいまのところは……(笑)

ありがとうございました。最後に日本に来る前に日本のファンに何か一言ありますか?

LE:日本に行くのがすごく楽しみだよ! 名古屋と大阪公演のチケットをたくさん買ってねー(笑)! とにかく、本当に日本に行くのが待てないよ。自分がいままで行った国の中で、いちばん最高な国だったと思うから、早くまた行きたい。すごくワクワクしてるよ!

LM:素晴らしい国だよね。日本で僕たちを見かけたときに、僕たちが興奮してはしゃいでいるように見えたら、それは興奮しているフリをしてるわけじゃなくて、本当に興奮してるってことだからね。日本のファンに会えるのも楽しみにしてる。みんなすごく良い人たちだったからね。

LE:ああ! 特に大阪と名古屋ではたくさんのファンに会えたらいいなって思ってるよ! みんなのお父さんもお母さんもライヴに連れてきてー!

青木:4月は前回の(フジロック)のように暑くないし、気候も最適だと思いますよ。

LM:それは僕とルイスにとってはありがたい。僕たちは暑さが苦手なんだ。いまいるタイも暑すぎるよ。

青木:ルイスさん、マークさん、今日はお時間をありがとうございました!

LE&LM:東京で会えるね。

青木:はい、もちろんです。タイとインドネシア・ツアーを楽しんでくださいね。東京でお会いしましょう!

LE&LM:ありがとう! またねー!

Todd Terje - ele-king

 少しずつ暖かくなっていきますね。春の予定は決まっていますか? そろそろファースト・アルバム『It's Album Time』から10年が経ちそうですが、きたるゴールデンウィーク、ノルウェイからニューディスコの王者トッド・テリエがやってきます。5月3日から6日にかけ岡山、東京、大阪の3都市を巡回するツアー。今回はDJとしてのプレイです。詳細は下記をご確認ください。

Todd Terje Japan Tour 2023

北欧NUディスコシーンの牽引者、Todd Terje (トッド・テリエ)の来日ツアーが決定!
代表作「Inspector Norse」を始め、「Eurodans」「Ragysh」「Snooze 4 Love」「Strandbar」といったヒット作で知られ、米ローリングストーン誌の「世界のトップDJ25人」のひとりに選ばれた。
アルバム『It's Album Time』収録曲「Alfonso Muskedunder」がテレビドラマシリーズ『Better Call Saul』シーズン3・エピソード3で使用されている。
2020年にはイラストレーター、Bendik Kaltenbornによる短編映画『LIKER STILEN』のサウンドトラックを担当した。

Todd Terje Japan Tour 2023

5.3(水/祝) 岡山@YEBISU YA PRO

DJ: Todd Terje (Olsen Records / from Norway) and more

Open 22:00
Advance 4000yen
早割チケット 3/14(火)10:00~ 3/24(金)23:59まで
一般チケット 3/25(土)10:00~
Door 5000yen
早割 3000yen
※ドリンク代別途要

Info: Yebisu Ya Pro http://yebisuyapro.jp
岡山市北区幸町7-6ビブレA館 B1F
TEL 086-222-1015

5.4(木/祝) 東京@ZEROTOKYO
- B4 Z HALL -


Todd Terje (Olsen Records / from Norway)
SPECIAL SECRET GUEST
CYK


REALROCKDESIGN

Open 21:00
Close 4:30
Advance 4500yen
Door 6000yen

Info: ZEROTOKYO https://zerotokyo.jp
東京都新宿区歌舞伎町1-29-1 東急歌舞伎町タワー B1-B4

5.6(土) 大阪@CLUB JOULE

=2F=
DJ:
Todd Terje (Olsen Records / from Norway)
AKIHIRO (NIAGARA)
SSSSSHIN

PA: Kabamix
Lighting: Gekko Abstract

=4F=
DJ:
SISI (Rainbow Disco Club / Timothy Really)
GUCHI (WALLS AND PALS)
misty
Ashikaga (C2C)
MIYUU

FOOD: KitchenMUMU

Open 22:00
Advance 3300yen
Door 4000yen

Info: CLUB JOULE https://club-joule.com
大阪市中央区西心斎橋2-11-7 南炭屋町ビル2F
TEL 06-6214-1223

Total Info: AHB Production http://ahbproduction.com

<アーティスト詳細>
TODD TERJE (Olsen Records / from Norway)

ノルウェー、オスロ在住のプロデューサー/DJ/ソングライターであるTODD TERJE(トッド・テリエ)。
数々の傑作リエディットでその名を知られ、本人によるリエディットやリミックス作品で構成されたベスト盤的コンピレーション&ミックスCD 『Remaster Of The Universe』がリリースされている。リエディットだけでなくオリジナル作品でもその才を発揮し、「Eurodans」「Ragysh」「Snooze 4 Love」はクラブアンセムとなった。『It’s The Arps』EP収録曲、「Inspector Norse」は世界的ヒット作となり、彼の代表曲である。
2014年、ファーストフルアルバム『It's Album Time』をリリース。ソロライブやフルバンドTHE OLSENSを率いてライブ・アクトとしても活動してきた。
2016年、TODD TERJE & THE OLSENS名義でのカヴァーEP『The Big Cover-Up』をリリース。
2020年、今回のツアーイメージを描いたイラストレーター、Bendik Kaltenbornによる短編映画『LIKER STILEN』のサウンドトラックを担当した。

● Todd Terje アーティストリンク
Web http://toddterje.com
Instagram https://www.instagram.com/toddterje
Facebook https://www.facebook.com/ToddTerje
Youtube https://www.youtube.com/@ToddTerje

YUKSTA-ILL - ele-king

 すでに3枚のフル・アルバムを送り出している三重は鈴鹿のラッパー、YUKSTA-ILL。これまで名古屋を拠点とするレーベル〈RCSLUM〉で培った経験をもとに、先日自身のレーベル〈WAVELENGTH PLANT〉を設立することになった彼だが、早速同レーベルより彼自身のニュー・アルバム『MONKEY OFF MY BACK』のリリースがアナウンスされた。
 セカンド『NEO TOKAI ON THE LINE』のときのインタヴューで「アタマからケツまで構成があって起承転結がある作品を作りたかった」との発言を残している YUKSTA-ILL は、単曲でのリリースがスタンダードになった昨今、1曲単位よりもフル・アルバムに強い思いを抱くラッパーである。レーベル設立の告知と同時に公開された新曲 “FIVE COUNT (WAVELENGTH PLANT ver.)” がまたべらぼうにかっこいい一発だっただけに、ひさびさのフルレングスにも期待大だ。新作『MONKEY OFF MY BACK』は4月5日(水)にリリース。フィジカル盤には盟友 DJ 2SHAN によるミックスCDが付属するとのこと。確実にゲットしておきたい。

三重鈴鹿を代表する東海の雄YUKSTA-ILLが4年ぶり4作目のフルアルバムリリースへ
自身の新レーベル「WAVELENGTH PLANT」からTEASER動画&トラックリストを公開

東海地方から全国へ発信を続ける名古屋の名門レーベル「RCSLUM RECORDINGS」で15年間培った経験・知識を地元三重に還元すべく、今月1日に自らのレーベル「WAVELENGTH PLANT」の設立を発表したばかりのYUKSTA-ILL。
同日より配信されている彼のローカルエリアを題材にしたシングル「FIVE COUNT」から間髪入れず、4年ぶり4作目となるフルアルバム「MONKEY OFF MY BACK」を4/5(水)にリリースする。
全13曲からなる今作にはBUPPON、Campanella、WELL-DONE、ALCI、GINMENが客演参加、トラックのプロデュースをMASS-HOLE、OWLBEATS、Kojoe、ISAZ、UCbeatsが担当。
ブレないスタンスをしっかりと維持しつつ、これまでリリースしてきたフルアルバムとはまたひと味違った世界観、アーティストとしての新境地を感じさせる内容の仕上がりとなっている。
尚、配信と同タイミングでリリースされるフィジカル盤には、YUKSTA-ILL自らホストを務めた地元の盟友DJ 2SHANによる白煙に包まれた工業地帯をイメージしたMIXCD「BLUE COLOR STATE OF MIND」が購入特典として付属される。
レーベルより公開されたTeaser動画、及びアルバム情報は以下の通り。

MONKEY OFF MY BACK Album Teaser
https://youtu.be/dpeE46hW7bU

【アルバム情報】
YUKSTA-ILL 4th FULL ALBUM
「MONKEY OFF MY BACK」

Label: WAVELENGTH PLANT
Release: 2023.4.5
Price: 3,000YEN with TAX
(フィジカル盤購入特典付)

{トラックリスト}
01. MONKEY OFF MY BACK
02. MOTOR YUK
03. FOREGONE CONCLUSION
04. GRIND IT OUT
05. JUST A THOUGHT
06. SPIT EAZY
07. OCEAN VIEW INTERLUDE
08. DOUGH RULES EVERYTHING
09. EXPERIMENTAL LABORATORY
10. TIME-LAG
11. BLOOD, SWEAT & TEARS
12. TBA
13. LINGERING MEMORY

{参加アーティスト}
ALCI
BUPPON
Campanella
GINMEN
WELL-DONE

{参加プロデューサー}
ISAZ
Kojoe
MASS-HOLE
OWLBEATS
UCbeats

【作品紹介】
ラッパーはフルアルバムを出してなんぼだ。
USの伝説的ヒップホップマガジン「THE SOURCE」のマイクレートシステムはフルアルバムでないと評価対象にすらならなかった。
派手なシングルや、コンパクトに凝縮されたミニアルバム、客演曲での印象的なバースも勿論良い。
だが、そのラッパーの力量・器量を計る指針となるのはやはりフルアルバムなのである。

三重鈴鹿から東海エリアをREPするYUKSTA-ILLは、まさにそのフルアルバムにかける思いを強く持つ“THE RAPPER”の一人だ。
自らの疑問が残る思想への解答を模索した1st「QUESTIONABLE THOUGHT」、
NEO TOKAIの軌道に乗った己を篩に掛けた2nd「NEO TOKAI ON THE LINE」、
世間を見渡しながらも自身のブレない精神力を全面に押し出した3rd「DEFY」、
これらはすべて明確なコンセプトの下、起承転結を意識して作り込まれたフルサイズのヒップホップアルバムである。

そんな彼が約4年ぶりにフルアルバムを引っ提げて戻ってきた。
「MONKEY OFF MY BACK」と名付けられた4枚目のフルとなる今作は、
立ち上げたばかりの自身のレーベル「WAVELENGTH PLANT」から世に送り出される。

「疫病の影響で時間は有り余る程にあった。その結果、楽曲は大量生産された。
只、アルバムを意識せず制作を続けていたので、まとまりを見いだすのに苦労した」、とは本人の弁。
しかし度重なる挫折と試行錯誤の末、やがてそれは本人の望むまとまった作品へと形を成していった。
その期間中に経験した、成長した、変化した、様々な出来事が楽曲に色濃く反映されたのは言うまでもない。

日々の葛藤、金銭問題、目を背けたくなるネガティビティをアートへ昇華する。
ローカルに身を置き、バスケを嗜み、嫁の待つ家へと帰り、リリックを書く。何気ない日常の描写すらドラマチックに魅せる。
適材適所に散りばめられた客演陣、そして夢見心地なサウンドプロダクションが、何かを始めるにはうってつけのSEASONに拍車をかける。
長い沈黙を破り2020年から2022年にかけフルアルバム4枚リリースの記録的なランを見せてくれたレジェンドNASの様に。
無二の境地に到達したYUKSTA-ILLが今、リスナーの鼓膜に向けてSPITを再開する。

【YUKSTA-ILL PROFILE】
三重県鈴鹿市在住、その地を代表するRAPPER。
バスケットボールカルチャー、SHAQでRAPを知り、何よりALLEN IVERSONからHIP HOPを教わる。
「CLUBで目にしたRAPPERのダサいライヴに耐えきれずマイクジャックをした」
「活動初期のグループB-ZIKで制作したデモを鈴鹿タワレコ内で勝手に配布しまくっていた」
という衝動を忘れることなく、スキルの研鑽と表現の追求、セルフプロモーションを日々重ねる。
2000年代後半はUMB名古屋予選で2度の優勝を果たし、長い沈黙と熟考を経てMCバトルへの参戦を2022年末より解禁。
地元で「AMAZON JUNGLE PARADISE」と称したオープンMICパーティーを平日に開催。
”RACOON CITY”と自称する地元の仲間達と結成したTYRANTの巻き起こしたHARD CORE HIP HOP MOVEMENTはNEO TOKAIという地域を作り出した。
そのトップに君臨するRC SLUMのオリジナルメンバーであり最重要なMCとして知られている。
RC SLUMの社長ATOSONEと共に2009年に「ADDICTIONARY」と題されたMIX CDをリリース。
立て続けに2011年にはP-VINE、WDsoundsとRC SLUMがコンビを組み1stアルバム「QUESTIONABLE THOUGHT」をリリース。その思考と行動を未来まで広げていく。
2013年にはGRADIS NICE、16FLIP、ONE-LAW、BUSHMIND、KID FRESINO、PUNPEEと東京を代表するトラックメーカーとの対決盤EP「TOKYO ILL METHOD」をリリース。YUKSTA-ILLのRAPの確かさを見せつける。
NEO TOKAIの暴風が吹き荒れたSLUM RCによるモンスターポッセアルバム「WHO WANNA RAP」「WHO WANNA RAP 2」を経て、2017年には2ndアルバム「NEO TOKAI ON THE LINE」、
2019年にはダメ押しの3rdアルバム「DEFY」をP-VINE、RC SLUMよりリリース。さらなる高みへと昇っていく。
OWLBEATS、MASS-HOLEとそれぞれ全国ツアーを敢行し、世界を知り、自身をアップデートしていく。
RAPへの絶対的な自信があるからこそ出来るトラック選び、時の経過と共にそこへ美学と遊び心が織り込まれていく。
ISSUGI, 仙人掌, Mr.PUG, YAHIKO, MASS-HOLEと82年のFINESTコレクティブ”1982S”のメンバーとしてシングル「82S/SOUNDTRACK」を2020年にリリース。
世界を覆ったコロナ禍の中「BANNED FROM FLAG EP」「BANNED FROM FLAG EP2」を2020年にリリース。ラッパーとは常に希望の光を灯す存在である。
2021年には自他共に認めるバスケットフリークであるRAMZAと故KOBE BRYANTに捧げる「TORCH / BLACK MAMBA REMIX」を7インチでリリースし、NBA情報誌「ダンクシュート」にも紹介される。
さらに同タッグはシングル「FAR EAST HOOP DREAM」をリリース。B.LEAGUEへの想いを放り込んだ、HIP HOPとバスケットボールの歴史に残るであろう1曲となっている。

”tha BOSS(THA BLUE HERB), DJ RYOW, KOJOE, SOCKS, 仙人掌, ISSUGI,
Campanella, MASS-HOLE, 呂布カルマ, NERO IMAI, BASE, K.lee, MULBE, DNC,
BUSHMIND, DJ MOTORA, MARCO, MIKUMARI, HVSTKINGS, BUPPON, Olive Oil,
RITTO, TONOSAPIENS, UCbeats, OWLBEATS, DJ SEIJI, DJ CO-MA, FACECARZ,
LIFESTYLE, HIRAGEN, ALCI, ハラクダリ, ILL-TEE, BOOTY'N'FREEZ, HI-DEF, J.COLUMBUS,
BACKDROPS, DJ SHARK, TOSHI蝮, GINMEN, MEXMAN, DJ BEERT&Jazadocument, and more..”

HIP HOPだけでなくHARD CORE BANDの作品にも参加。キラーバースの数々を叩きつけている。

2023年、自らのプロダクションWAVELENGTH PLANTを設立。鈴鹿のビートメーカーUCbeatsのプロデュースでリリースしたシングル「FIVE COUNT」に続き、約4年ぶりとなる4枚目のフルアルバム「MONKEY OFF MY BACK」をリリースする。
その目の先にあるものを捉え、言葉を巧みに扱い、次から次へと打ち立てていく。YUKSTA-ILLはまだまだ成長し続ける。

HP : https://wavelengthplant.com
Twitter : https://twitter.com/YUKSTA_ILL
Instagram : https://www.instagram.com/yuksta_ill/
YouTube : https://www.youtube.com/@wavelengthplant

interview with Toru Hashimoto - ele-king

 日本を代表するDJ/選曲家のひとり、橋本徹(SUBURBIA)。そのコンパイラー人生30周年を祝し、特別インタヴューを掲載しよう。
 クラブやDJなど、90年代渋谷で起こったストリート・ムーヴメントの中心で橋本は活躍し、その活動をパッケージ化したコンピレーションCD、「Free Soul」シリーズ第一弾を1994年春に発表している。同シリーズはジャンルではなく、時代のムードを感覚的にとらえつつ、過去の音源から選曲していく点が新しかった。すでに名盤・名曲としての地位を確立していた作品以外からも多くの素晴らしい曲を発掘していくことで、既存のコンピレーション概念を覆すこと──やがて「Free Soul」はたくさんのレコード会社から引く手あまたとなり、メジャー/インディペンデント問わず複数のレーベルをまたぎながら、数多くのタイトルを送り出していった。そのクオリティの高さとリリース量から同シリーズは大ヒットを記録し、橋本は一躍その名を全国区に広めていくことになる。音楽を選び編集すること。過去の音源をディグすること。そういった文化を日本に広めた貢献者のひとりが橋本徹である。
 今回のインタヴューのきっかけになったのは、これまでになんと350枚にも及ぶ人気コンピレーションを監修・選曲してきた橋本徹の、コンパイラーとしての人生30周年を祝した1枚『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE “Free Soul × Cafe Apres-midi × Mellow Beats × Jazz Supreme』(P-VINE)だ。以下、彼の活動のまさに集大成とも言えるこのコンピの制作にまつわる話を含め、これまでの選曲家人生を振り返るインタヴューをお楽しみください。

橋本さんのコンパイラー人生が2022年秋で30周年を迎えたとのことですが、「Free Soul」シリーズが始まったのは1994年ですよね?

橋本:今回のコンピCDのブックレットに入っている、30年を振り返るインタヴューにも書いてあるけど、フリーペーパーの『Suburbia Suite』を始めたのが1990年暮れ。その後91年夏から渋谷のDJ BAR INKSTIKでDJパーティなどを始めて、92年の春からTOKYO FMで『Suburbia's Party』という選曲番組がスタートしました。そして、それらのフリーペーパーやラジオで選曲してきたレコードを再編集して紹介する『Suburbia Suite; Especial Sweet Reprise』というディスクガイド本を92年の秋に出します。解説がないと音楽を楽しめないという傾向には違和感があったので、何年のリリースだとか、プロデューサーが誰かとかは記載せずに、そのレコードが持っている雰囲気や気分を伝えることで、リスナーにカジュアルに聴いてもらえたら、という思いで作ったディスクガイドでした。そのときに初めてコンピレーションのオファーをいただいて、『'tis blue drops; a sense of suburbia sweet』というCDを作りました。それが初めて僕が手がけたコンピレーションなんですね。今回のコンピのジャケットではそのアートワークをリデザインしています。
 その最初のコンピレーションは、先日亡くなったアート・ディレクター、コンテムポラリー・プロダクションの信藤三雄さんと、イラストレーターの森本美由紀さんと、僕の計3人が1枚ずつコンピレーションを作るという企画のうちの1枚で、当時の僕はまだ音楽を本職としていたわけではなく雑誌編集者でした。デザイナーとイラストレーターとエディターがそれぞれ90年代前半の東京の空気感を表現するという意味で、すごく象徴的なシリーズだったと思います。「Free Soul」を手がける前は、FM番組などで、サントラやソフト・ロック、ボサノヴァ、ラテン・ジャズからムード音楽的なものまで含めて、自分のなかの「白」っぽいセンスを表現していたんだけど、「『Suburbia』のディスクガイドに載っているものでうちのレコード会社から出せる音源はないか」というお話がたくさん来て、リイシュー・シリーズの監修をやったりしていたんですね。たとえば93年には〈Blue Note〉のBN-LAシリーズから選曲した『Blue Saudade Groove』というコンピレーションを手がけているけど、これもコンパイラーが3人いる企画の1枚で、二見裕志さんの『Blue Mellow Groove』と小林径さんの『Blue Bitter Groove』と一緒に出ています。

大手出版社に入るのは大変だと思うんですが、それを辞めてフリーランスになったのは、音楽に手応えみたいなものを感じたからですか?

橋本:気持ちが完全に音楽のほうに傾いていった感じかな。もう出版社にいた最後の1年くらいは完全にそういう感じで。92年のディスクガイドの波及効果が大きくて、レコード会社の方からリイシュー・シリーズの監修の話とかもたくさん来ていて、『Suburbia』以外のパーティでのDJも少しずつ増えてきて。そういう状況のなかで、92年のディスクガイドのテイストを段落変えして、自分のなかの「黒」っぽいセンスを形にしたい、という気持ちが93年はどんどん膨らんでいったんです。そのタイミングでボブ・トンプソンとヘンリー・マンシーニのリイシューの監修の依頼をいただいて、「それももちろんやりたいんですけど、70年代ソウル周辺のコンピレーションをやりませんか」ってこちらから提案したのが「Free Soul」コンピの始まり。94年4月のリリースに合わせて2冊目のディスクガイドも作ろう、その前の月からDJパーティも始めよう、三位一体で盛り上がっていきますよ、って話して。時代の空気感もそれを後押しする感じが増していってましたね。

音楽家ではない人が企画を持ってきて「じゃあそれやりましょう」という流れになるのが本当にすごいなと思いますが、それくらいの影響力が『Suburbia』のディスクガイドにはあったんですね。

橋本:それ以前のガイド本とは異なって、資料的なことにはこだわらず、エッセイ的というか、レコードの持っている雰囲気そのものを伝えるディスクガイドだったからでしょうね。レーベルや年代が書いていないから、レコード会社の方もどれなら自社から出せるか聞きに来るんですよ。そのときにいろんなレコード会社の方と知り合って、提案すると何でも実現してもらえるような雰囲気がありました。そうして94年の春に「Free Soul」がスタートすることになるんだけど、それが『Suburbia Suite』に負けないくらいブレイクしたんです。あの時代の気分を捉えていたんだと思う。
 背景として最初は渋谷系的なファン層がいたから、〈A&M〉のソフト・ロックとかサントラあたりまでは自然な流れでリスナーもついてきてくれたけど、そのころはまだリスナー側には「え、ソウル? ブラック・ミュージック?」みたいな感じはありました。でも『Free Soul Impressions』の音とあのジャケット、それ一発で「ソウルいいよね」って、すべてがひっくり返った。もちろん、他の背景としてジャミロクワイやブラン・ニュー・ヘヴィーズみたいに世界的に人気のあるアーティストがいたり、オリジナル・ラヴみたいな70年代のソウル・ミュージックを下敷きにした日本のバンドが人気を高めていったり、そういう状況も当然シンクロしていたと思います。アシッド・ジャズやレアグルーヴが、アーティストやファンたちにとってシンパシーを抱けるものになっていったタイミングにどんと出たのが「Free Soul」だった。
 よく覚えているのは、ちょうどそのころア・トライブ・コールド・クエストのシングル「Award Tour」(1993年。ウェルドン・アーヴィンの “We Gettin' Down” をサンプリングしている)が出て。渋谷のCISCOに1000枚入荷したものがあっという間になくなってしまうような、そういう熱気のあった時代でした。それが「Free Soul」の直前で、だから『Free Soul Impressions』にもウェルドン・アーヴィンの “We Gettin' Down” が入ることになる。当時、小西(康陽)さんに渋谷の引っ越したばかりの僕の家で “We Gettin' Down” を聴かせて、「これがATCQのあれなんだ」というような会話を交わしたことを覚えていますね。

当時の日本で「Free Soul」的なチョイスを開拓するのってすごく大変だったと思うんです。たとえばレコード屋でソウル・コーナーにあるのはよくてザ・シャイ・ライツくらいな状況で、(『Free Soul Actions』に入っている)ヴォイシズ・オブ・イースト・ハーレムが入っていたかというと、あまりその記憶がないんですよ。

橋本:それは、入荷してもすぐ売れちゃう時代だったっていうのもあるかも。94年春に出した『Suburbia Suite; Welcome To Free Soul Generation』っていうディスクガイドは、それまでのソウル・ミュージック界隈のプライオリティや価値観を変えました。それ以前のブラック・ミュージックのディスクガイドでは、たとえば「リロイ・ハトソンは歌が弱い」というように書かれていたりしたんだけど、そういった(低く評価されていた)ものを自分たちの感覚に忠実にもう一度取捨選択していくという行為が「Free Soul」の営みでした。

現代も古いものを掘り起こしていくことが流行っていますが、そこに「Free Soul」に通じるものを感じたりシンパシーを覚えたりはしますか?

橋本:まず、当時大きかったのはやっぱり現場があったこと。クラブでDJパーティがあったり、音楽好きが集まるレコード屋やCDショップがあったり。いまはもしかしたらそれがオンライン上にあるのかもしれないんだけど、僕のような(カフェやクラブで曲をかけたりレコード屋で掘ったりする)スタンスの人間からすると、それは見えづらい。インターネットのことは詳しくないから無責任なことは言えないけど、誰でも発信できる時代だからこそ、90年代の「Free Soul」のように突出した感じにはなりづらいのかもしれないですね。

最近知り合った20代の若い人からYouTubeに上がっている、90年代のトンネルを作る映像で流れている音楽がすごくかっこいいから聴いてみてくださいと教えてもらったのですが、じっさい僕も聴いてみてかっこいいと思ったんです。普通はそういう行政が作ったようなビデオにかっこいい音楽が入ってるとは思いもしないわけですが、いま若い子たちはそういうところから掘ってくるんですね。感覚は違うのかもしれませんが、ある意味ではかつての「Free Soul」と少し近いのかもしれません。

橋本:「Free Soul」だけでなく、『Suburbia』初期のころの “黄金の七人のテーマ” の「ダバダバ」(スキャット)とかもそうなんだけど、『11PM』(65年から90年まで放送された深夜のお色気番組)とかで使われているような音楽だったり、B級映画のサントラで聴けるようなもののなかから、「これかっこいいじゃん!」みたいに、親しい者同士の会話のなかで情報が精査されていって、ひとつのシーンやサブジャンルみたいなものが生まれていく、っていうのは90年代といまとで共通する部分があるのかもしれないですね。かつてであれば深夜の長電話だったり夜中のクラブのバーカンだったりで情報交換していたものが、いまではSNSとかになっているのかもしれない。

当時、他にも選曲家はいましたが、「Free Soul」のようなシリーズを構築できたのは橋本さんだけだと思うんですよね。

橋本:もちろん似たような趣味で僕以上に詳しい人も当然いたと思う。僕がたまたま「Free Soul」として始めたコンピやイベントが大きくなって、言葉がひとり歩きして、何かひとつのスタイルを指すようになったけれども、「橋本なんかに負けない!」っていろいろ掘ったりDJプレイしていた人はたくさんいたと思いますね。

とはいえ橋本さんの編集能力があったからこそフリーペーパーやCDとして形にできたと思います。音楽に詳しい他の人がああいうフリーペーパーを出せたかというと……

橋本:もし僕がそういう人たちと少し違ったとすれば、自分の好きなものをみんなと分かち合いたいっていう気持ちが強かったからかも。当時のDJは、お客さんから曲名を聞かれても教えない人もいたし、「俺は人とは違うんだぜ」っていうスタンスのマニアやコレクターも多かった。こだわりを持っているからこそ深いところまで行けたんだとは思いますけどね。僕は逆に、もっとフラットにカジュアルに多くの人に伝えて、一緒に楽しみたいっていうタイプだったので。

それとも関連すると思うんですが、昔のクラブは尖っていて怖かった。それが90年代に変わっていきますよね。オシャレな場所になっていきます。

橋本:もちろんそれもあると思う。クラブが、誰でも気軽に遊びに行ける場になっていった。クラブは90年代後半には、20歳前後の普通の若者にとって親密な場に変わっていたように思います。

世界的にもそういう流れだったような気がするんですよ。80年代ニューヨークのクラブは危険な場所だったけれど、そこにロンドンのシャレたクラブ・シーンの情報が入ってくるようになって。

橋本:役割が少しずつ変わってきたというか。それまではクラブが尖った人たちや、いろんな意味でマイノリティに属する人たちにとっての最高の遊び場だったのかもしれないけど、もうちょっと広くフレンドリーな存在になっていったのが90年代で。「Free Soul」のお客さんも、いかにも遊んでいる感じのクラバーだけじゃなくて、女性やカップルも多くて、ピースフルな雰囲気があった。その点はコンピCDを作るときも考えていました。「Free Soul」にはオープンマインドでポジティヴな気持ちが反映されている気がしますね。そこが他のDJやマニアやコレクターと比べて、自分が少し違っていたところなのかな。でもいまは僕みたいなタイプのほうが多くなっているのかも。それどころかたくさん「いいね」やフォロワーが欲しい、みたいな状態になっている(笑)。

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橋本さんの拠点は渋谷のイメージがありますが、渋谷だったのはなぜでしょう?

橋本:もともと駒沢で生まれ育って、就職して出版社時代は2年半目白にいて、フリーランスになって渋谷に来ました。会社を辞めるタイミングでCISCOのすぐそばに引っ越したんですね。その後そこが手狭になってカフェ・アプレミディを始める99年のタイミングで公園通りの渋谷ホームズへ移って。だから90年代後半は15秒でCISCOにレコードを買いに行って、オルガンバーでDJやって、30秒で家に帰ってくるみたいな生活(笑)。(当時編集長を務めていたタワーレコードのフリーマガジン)『bounce』の編集部までも5分かからない感じ。でもなぜ渋谷だったのかというと、やっぱりレコード屋がたくさんあって近かったからでしょうね。

「Free Soul」を手がけたりコンパイラー生活を続けていくなかで、印象に残った事件や出来事があれば教えてください。

橋本:コンピレーションCDのオファーが来るタイミングのときは、短い期間にものすごい数のオファーが来ていたのね。たとえば2007年はアントニオ・カルロス・ジョビンの生誕80周年記念の年で、リオに行ったりしつつ、ブラジル関連のコンピレーションが増えたこともあって32枚作りました。2014年は「Free Soul」20周年ということで、もう毎週のようにコンピのリリースがあって、たしか、10週連続でコンピCDが出ているような状況だったと思う。すごく楽しいし気持ちも乗って、「世界は45回転でまわってる」っていう感覚だったけど、逆に近年はパタッとそういうオファーが来なくなって。「30年間続けてきた」という言い方もできなくはないけれど、「進んだり止まったりを繰り返してきた」っていうのがじっさいのところなのかなと。

人生って進んだり止まったりするもので、でも止まったときにそのまま止まっちゃう人もいますよね。でもそういう波は絶対にあるんだよっていうのは、若い人には知っておいてほしいです。

橋本:僕もいまなら言える。けっして30年間で350枚ちょっと、年に12枚くらいをコンスタントに作ってきたわけではなくて。仕事も気持ちも浮き沈みがある。2009~11年くらいは精神的にもピンチでした。気持ちがダウナーで、鬱みたいな雰囲気もあって。2000年代前半にカフェ・アプレミディが大ブームになって、その勢いでレストランやセレクトショップを作って、僕としては楽しかったんだけど、経済的には赤字が続いて。お金がなくなっていったり、まわりの人が離れていったり、気分が落ちたり。『Suburbia』のディスクガイドの1冊目が出た後や「Free Soul」が成功したりカフェ・アプレミディが大人気になったりしたときは、ものすごくたくさんの人が寄ってくるのよ(笑)。それがもう2010年ころにはなくなっていった。それで夜中の12時ごろから朝の4時くらいまでニック・ドレイクみたいな音楽ばかり聴いて、ぼわんとした生活を送っていた時期もありました。自死がよぎったことさえあったし、自殺したミュージシャンの音楽以外聴きたくないと思っていた時期もあったくらいで。2010年の終わりには駒沢に戻ったんだけど、そのとき海に行こうと車で迎えにきてくれた友だちにはほんとうに感謝しかない。そういうことで少しずつ心のリハビリをしていって。負のスパイラルを逆回転させてもとに戻すことって、当人だけじゃとても無理だと思う。無償の愛のようなものがないと難しいと思いますね。
 2009年の秋に加藤和彦さんが亡くなって、2010年にはNujabesが亡くなって、その翌年には東日本大地震があって、さすがにそのころは音楽を聴ける感じではなかった。当時出たばかりだったジェイムズ・ブレイクファーストが救いになったのを覚えていますね。何も聴けない状態だったのに、それだけは聴けて。コンピも作ってはいたけど、内省的なものが増えていって。もちろんそれはそれである層の共感を呼ぶし、大切な人たちが聴いてくれたんだけど、「Free Soul」やカフェ・アプレミディのように一般の方たちも巻き込んで劇的に売れるというような状況にはならなくて。
 でもいまはこうやってアニヴァーサリーを迎えたり、去年結婚式を挙げたりして、一緒に幸せにならなきゃいけない人ができたりすると、あのとき命をつなぎ止めておいてよかったなと思うことはあります。生きていればなんとかなるから。お気楽に幸運に30年間暮らしてきたように映るかもしれないけど、僕でもそういう時期はあったんですということは、最近亡くなる方が多いこともあって、お伝えしたいことですね。だから生死の一線を超えないように、互いが互いを大切にしながら生きていきたいなと思います。そういうときに助けてくれた友人ってやっぱり特別だし。

それでは今回のコンピレーションの選曲について伺います。割と古めの音楽の比重が高いように思いましたが、それはどのような意図で?

橋本:まず、今回はメモリアルだという前提がありましたからね。僕のコンピレーションはおよそ350枚のうち27枚を〈Pヴァイン〉から出しているんですが、その「ベスト・オブ・ベスト」というのが今回の基本コンセプトで。ただ、それに加えて、自分が30年間やってきたことを、その断片でもいいから新しい世代やリスナーに伝えたいという気持ちも強くあって。昔からよく僕のコンピは、数が多すぎて初心者はどこから聴いたらいいのかわからないって言われていたので、そういう方のためになるものにするのもアニヴァーサリーにはふさわしいかなと思いました。コンピレーションのコンピレーションのような感じですかね。
 この場を借りて感謝すると、先ほど話した負のスパイラルを逆回転させるのが難しかったタイミングで、2013年に〈Pヴァイン〉から声がかかったんですよ。2014年の「Free Soul」20周年に向けて、『Free Soul meets P-VINE』と『Free Soul~2010s Urban-Mellow』を作らせてもらって。『Suburbia』の別冊扱いのディスクガイドも作ったことで現役復帰できるきっかけになりました。その少し前、2007年の「Mellow Beats」と2008年の「Jazz Supreme」も〈Pヴァイン〉がスタートでした。当時、現在進行形でよく聴いていて好きで選曲したいと思っていたテイストのものを、シリーズのファースト・リリースとして立ち上げてくれたのが〈Pヴァイン〉だったので、今回はその要素も反映させたいなと。だから、それらが全部サブタイトルに入っています。

難しいとは思いますが、今回のコンピレーションのなかから、あえて1曲選ぶとすれば?

橋本:うわっ、難しい(笑)。どれも本当に思い出深い曲ばかりだけど、「Free Soul」的にはその曲がかかると空間がとくに光り輝いていたのはアリス・クラークだよね。ジョン・ヴァレンティやジョイス・クーリング、12インチ探している人も多いDump「NYC Tonight」の坂本慎太郎ヴァージョンもだけど。カフェ・アプレミディ代表としては最後の2曲かな。ザ・ジー・ナイン・グループ “I've Got You Under My Skin” とメタ・ルース “Just The Way You Are”。「Mellow Beats」代表としては、プリサイズ・ヒーローとケロ・ワン。ボビー・ハッチャーソン “Montara” とアーマッド・ジャマル “Dolphin Dance” という僕の大好きなサンプル・ソース両雄をサンプリングしていて、共にシリーズ最初の『Mellow Beats, Rhymes & Vibes』に入れた曲でした。「Jazz Supreme」の観点からはやはり、もっとも思い出深いファラオ・サンダースを。

ホルガー・シューカイの “Persian Love” はちょっと意外でした。

橋本:“Persian Love” は本来であれば〈Suburbia Records〉の「Good Mellows」シリーズに入るようなテイストの曲だとは思うんだけど、2008年に『Groovy Summer Of Love』というコンピの選曲を依頼されたときにセレクトしているんだよね。イランのラジオ放送からサンプリングした歌声がほんとうに気持ちよくて。夏の海辺のDJではずっとかけつづけている曲で、自分のなかでは定番で、ある意味では僕の選曲を象徴している曲かなとも思う。一般的には元カンでジャーマン・ロックとされるけれど、バレアリックやスロウ・ハウス、サマー・チルアウトとして解釈してプレイしてきたということ。あと、中学生のころにサントリーのCMで聴いていたというのもある。そういういろんなパースペクティヴがあって思い出の詰まった曲なので、自分にとって重要な曲なんです。本当にグッとくる、心が洗われる大切な曲ですね。

今後のヴィジョンについて教えてください。

橋本:それほど大きなヴィジョンを抱いているわけではないけど、コンピCDをもうちょっとだけでも作っていけたらという気持ちはあります。「Free Soul」の30周年までもうひと頑張りできたらと思っています。今回これを作らせていただいたことで、そういう気持ちが湧いてきました。

最後に、これから何かを成し遂げたいと思っている若者にアドヴァイスをお願いします。

橋本:特にないですね(笑)。やりたいこと、やらずにはいられないことに忠実にというか……強いて言うなら、一歩踏み出す勇気みたいなものは重要なんじゃないかなと思います。

◆橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念インタヴュー
https://note.com/usen_apres_midi/n/n11d377e01339

◆橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念コンピ『Blessing』リリース記念トークショウ
3月4日(土)15時から16時半までタワーレコード渋谷店6Fにて
出演:橋本徹/柳樂光隆

◆橋本徹(SUBURBIA)コンパイラー人生30周年記念コンピ『Blessing』リリース記念パーティー
3月4日(土)17時から23時までカフェ・アプレミディにて
DJ:橋本徹/櫻木景/松田岳二/高橋晋一郎/三谷昌平/青野賢一/山崎真央/中村智昭/waltzanova/haraguchic/NARU/KITADE/MITCH/aribo/松下大亮
Live:サバービア大学フォークソング部(山下洋&安藤模亜)

橋本徹のコンパイラー人生30周年を記念したベスト・コンピ『Blessing ~ SUBURBIA meets P-VINE "Free Soul x Cafe Apres-midi x Mellow Beats x Jazz Supreme"』に連動したTシャツを発売。

VINYL GOES AROUNDでは過去350枚に及ぶ人気コンピレーションを監修・選曲してきた橋本徹(SUBURBIA)のコンパイラー人生30周年を記念したTシャツの受注販売を開始します。
90年代以降に全世界で人気を博したコンピレーション・シリーズ、『Free Soul』のロゴを使用し、30周年にちなんで30色のカラー・バリエーションで展開。
今回は完全受注生産になりますのでお早めにどうぞ。

橋本徹(SUBURBIA)
編集者/選曲家/DJ/プロデューサー。サバービア・ファクトリー主宰。渋谷の「カフェ・アプレミディ」「アプレミディ・セレソン」店主。『Free Soul』『Mellow Beats』『Cafe Apres-midi』『Jazz Supreme』『音楽のある風景』シリーズなど、選曲を手がけたコンピCDは350枚を越え世界一。USENでは音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」「usen for Free Soul」を監修・制作、1990年代から日本の都市型音楽シーンに多大なる影響力を持つ。現在はメロウ・チルアウトをテーマにした『Good Mellows』シリーズが国内・海外で大好評を博している。

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“Free Soul” Official T-Shirts

White / Black / Sport Grey / Ice Grey / Irish Green / Indigo Blue / Military Green / Mint Green / Light Pink / Lime /
Red / Royal / Safety Orange / Safety Pink / Safety Green / Tan / Daisy / Natural / Orange / Cardinal Red /
Gold / Cornsilk / Sand / Sky / Purple / Pistachio / Prairie Dust / Vegas Gold / Heliconia / Maroon

S/M/L/XL/XXL

¥3,000
(With Tax ¥3,300)

※商品の発送は 2023年4月下旬ごろを予定しています。
※Tシャツのボディはギルダン 2000 6.0オンス ウルトラコットン Tシャツになります。
※期間限定受注生産(〜2023年3月31日まで)
※限定品につき、なくなり次第終了となりますのでご了承ください。

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