「OTO」と一致するもの

Marcellus Pittman - ele-king

 ムーディマンセオ・パリッシュリック・ウィルハイトから成る3チェアーズ、その第4のメンバーとしても知られるマーセラス・ピットマンの来日がアナウンスされている。11月1日(金)@大阪NOON、11月2日(土)@名古屋CLUB MAGO、11月8日(金)@東京VENTの3か所をツアー。次はいつ体験できるかわからない、デトロイト・ハウスの至宝によるDJセット──なにごとも速すぎる現代、ビートダウンしてダンスを楽しみたい。

Marcellus Pittman Japan Tour 2024


◆11/1 (Fri) 大阪 @NOON

DJ: Marcellus Pittman, MITSUKI (Mole Music), YOSHIMI (HIGH TIDE)
PA: Kabamix

Open 22:00

Advance Ticket 3,000yen + 1 Drink
U-23 3,000yen + 1 Drink
Door 4,000yen + 1 Drink

Info: NOON + CAFE http://noon-cafe.com
大阪市北区中崎西3-3-8 TEL 06-6373-4919
AHB Production http://ahbproduction.com


◆11/2 (Sat) 名古屋 @CLUB MAGO

DJ: Marcellus Pittman, TAIHEI, CAN TEE, SBT

Open/Start 22:00

Advance Ticket 3,000yen + 1 Drink
Ticket Information
https://club-mago.zaiko.io/item/366967

Door 4,000yen + 1Drink

Info: Club Mago http://club-mago.co.jp
名古屋市中区新栄2-1-9 雲竜フレックスビル西館B2F TEL 052-243-1818


◆11/8 (Fri) 東京 @VENT

=ROOM1=
Marcelus Pittman
Midori Aoyama
SUZU

Open 23:00

Door ¥4000
Advance Ticket 2,500yen (priority entry) https://t.livepocket.jp/e/vent_20241108
※The purchase of ADV will be available until 23:59 on the day before the event.
※前売券の販売はイベント開催の前日23:59までです。
Before 24:00 2,000yen
SNS DISCOUNT: 3,000yen

Info: VENT http://vent-tokyo.net
東京都港区南青山3-18-19 フェスタ表参道ビルB1 TEL 03-6804-6652

[プロフィール]

Marcellus Pittman | Boiler Room x Beacon Festival

Marcellus Pittman (Unirhythm, 3Chairs / from Detroit)

マーセラス・ピットマンは、デトロイトに生まれ育ち、自身のレーベルUnirhythmを主宰する。
10代初めにはローカルのラジオステーションWJZZの熱心なリスナーになり多くを学び、Larry “Doc” Elliott や “the Rose” Rosetta Hinesの番組を聞いていたという。
ディスコがフェイドアウトし、よりプログレッシブな音楽が出始めた頃(当時デトロイトではハウスやテクノ、またそのプロトタイプ的なものは”Progressive"と呼ばれていた)、The Wizardと名乗っていたJeff MillsやElectrifying Mojoがラジオ電波上で新しいアーティストをプッシュし続け、世界中からの音楽をリスナーに提供していた。ヒップホップ、エレクトロ、テクノ、ハウス、ディスコをミックスするそのフリーなスタイルに大きく影響されたという。
Home Grownというヒップホップグループでトラックメイカーとして活動していたが、Theo Parrishに出会い、『Essential Selections』Vol.1、Vol.2をSound Signatureからリリース。Rick Wilhite、Kenny Dixon Jr. aka Moodymann、Theo Parrishで構成されていた3Chairsに、4番目のメンバーとしてDJツアーやプロダクションに参加している。また、Theo、Omar-S、Marcellusのプロジェクト、T.O.M Projectにも参加し、Omar Sのレーベル、FXHEからはM.Pittmanとして『M.Pittman EP』と『#2』をリリースしている。
デトロイトの新興レーベル/ディストリビューター、FITからリリースされた12”レコード、M.PITTMAN『Erase The Pain』は、某大御所DJ達の間でカルト的賞賛を得た。Hungry Ghost (International Feel), Ackin’ (Internasjonal), Madteo, Nina Kraviz, Erika (Interdimensional Transmissions), Motor City Drum Ensemble, Funkadelicらにリミックスを提供している。

IG https://www.instagram.com/marcelluspittman
RA https://jp.residentadvisor.net/dj/marcelluspittman

Bonna Pot - ele-king

 2022年、川崎のちどり公園での開催が話題となった野外パーティ「Bonna Pot」。音響に対する高いこだわりで知られる、アンダーグラウンドでもっとも信頼の厚いこのレイヴが2024年も敢行されることとなった。
 今回は11月8日(金)~10日(日)の二晩、西伊豆の「オートキャンプ銀河」にてオールナイト・パーティとして開催。
 メルボルンのCS + Kreme、ベルリンのTHOMASH、O/Yのライヴが予定されており、DJには∈Y∋をはじめバンコクの人気テクノDJ、Sunju Hargun、デトロイトのScott Zachariasなどが登場する。出演者からサウンドシステム、タイムテーブルまでこだわり抜かれた二夜。秋の森で良質な音楽に浸りたい。

今年のBonna Potは西伊豆のオートキャンプ銀河で開催します。前回、会場の使用許可がおりなかった一番美しい森の中の空がひらけた芝生のサイトがダンスフロアになります。
サウンドシステムは前回以上に細部に至るまで磨きをかけ、この2年間で検証とアップデートを繰り返した、最先端のハイエンド機器とオリジナルで組んだ唯一無二の仕様です。しっとりとしたパワフルな低域の質感と、滑らかさと繊細さが同居し、聴覚を可視化するような立体感と表現力で楽曲制作者の細部に渡る意図/意思を再生します。とろけるような快楽性と浄化性、感覚のより深いところまで到達するサウンドを目指します。
そんなサウンドシステムを奏でるのは、一人一人が幅広い音楽性とオリジナリティを持ったDJ/ライブアクトです。海外からはデトロイト、ベルリン、バンコク、メルボルンから計7アーティストが来日します。初来日の人も複数いるので初めて聞く名前も多いかと思いますが、全てのアーティストのプレイを生で聴いて、BonnaPotで一緒にやりたいと思った人たちです。国内勢も初出演の4人を含め全員絶大な信頼をベースにイメージを共有しています。
太陽と月、星空と空間の移り変わりをベースに構成されたタイムテーブルを組んでいますので、是非金曜日から日曜日まで三連休にしてご参加下さい。あらゆる音楽や芸術、人々、世代、国籍、人種、宗教、それぞれの信じるもの、などが音楽の下で溶けて混ざり合うことをイメージし、それぞれが光を失わずにどう調和していけるのか、そういったことを考えながら全体を組んでいます。
持ち込みたい芸術作品や創作物、装飾やパフォーマンスなど、会場内に飾って頂いたり販売して頂いて大丈夫です。ぜひ自由奔放な発想で参加して頂ければと思います。ヴェジやハラル対応のフードなども用意します。
新しいモノに触れた時に伴う違和感や、どうなるのか分からないドキドキ感、でもあらがえない好奇心で未知の世界へ一歩踏み込むような、そんな気持ちで参加していただけたら嬉しいです。11月の澄み渡った空の下で広がる想像力とインスピレーションに溢れた音楽体験を一緒につくりあげることを楽しみにしています。

開 催 概 要
名 称:BONNA POT

日 時:
2024年11月8日(金)〜10日(日)

会 場:
オートキャンプ銀河 西伊豆

出 演(A to Z):
Abiu
AKIRAMEN
ALICIA CARRERA
An-i
CHIDA
CS + Kreme -LIVE-
∈Y∋
鏡民
nø¡R
O/Y -LIVE-
Scott Zacharias
Shhhhh
Sunju Hargun
THOMASH -LIVE&DJ HYBRID-
Toshio “BING” Kajiwara
7e

Sound Space:
HIRANYA ACCESS

Speaker System:
TAGUCHI

Lighting, Deco & Structure:
Hikariasobi Club
密林東京
RGB
SHINOBU HASHIMOTO
Stretch Tent Company
and more

料 金:
・早割入場チケット: ¥18,000 (販売終)
・GA(一般入場): ¥20,000
・駐車場A(再入場不可): ¥4,000
・駐車場B(再入場可): ¥7,000 (完売)
・テントチケット: ¥3,000 (1テント/タープにつき1枚必要、最大4m x 3.5m)

チケット購入:
https://bonnapot.zaiko.io/e/bonnapot24
※チケット販売は11月7日(木)23:59 JSTまで

Instagram:
https://www.instagram.com/bonnapot_nusic/

SoundCloud:
https://soundcloud.com/bonnapot

X:
https://x.com/Bonna_Pot

 空が澄んでいる。8月7日午後、僕は緑豊かなトイエン公園でノルウェーの夏を満喫していた。日本のサマー・フェスが温暖化に伴って年々危機的な状況に直面している一方で、北国は夏の野外イヴェントには最高の気候だ。とにかく心地いい。さっそくビールを買いに行くと、1杯125クローネ(約1700円)。…………。まあいっか! この開放感を躊躇していられない。

 前夜の〈Club Øya〉を腰が動かなくなるまで楽しんだのちにオイヤ・フェスティヴァル本番を迎えたわけだが、まず驚いたのが会場の近さだ。僕が宿泊していた街の中心地にあるホテルから地下鉄で2駅、ほんの5分ほどで着いてしまう。自転車やキックボードで来ているひとも多く、そういう意味でも環境負荷の少ない大型イヴェントになっているという。
 会場は思っていたより小さく、15分もあれば会場全体を歩き回れるくらいの規模感だ。ステージ間は2、3分で歩ける距離にあるので、隣同士のステージの時間をずらしてタイムテーブルが組んである。つまり、ひとつのアクトを見終えたらすぐに次のアクトを観られる状態なので、歩き回らなくても気軽に次々ライヴを楽しむことができる。天気に恵まれたということもあるけれど、正直に言って、これまで参加してきた音楽フェスでもっとも楽な環境だと感じた。ポンチョと上着とレジャーシートをバッグに突っこんでさえいれば、街の公園にリラックスしに来た感覚そのままで過ごせるのだ。


Øya 会場


Øya 会場

 ゴミの分別や資源の回収に力を入れているだけでなく、無駄なゴミが発生しないようにスポンサーには試供品の提供を禁止し、使い捨てプラスティックも禁止。トイレの排泄物ですら地域暖房のためにリサイクルに回しているそうだ。会場で売られているフードもオーガニックなものの割合を増やすよう努めている。また、近年の音楽フェスで議題となっているジェンダー・バランスの問題にも10年以上取り組んでおり、すべてのステージでアーティストの男女比をほぼ半々にしていることを発表している。こうした北欧らしい(と感じられる)「意識の高さ」は、しかし、実際に会場で過ごしていると無理している感じがしない。フェスティヴァル側が啓発的に上から目線でそういう取り組みをおこなっているというより、街ないしは社会全体にそうした意識が行き届いていて、参加者の想いに応えているような自然さが感じられるのだ。環境や他者に配慮することは、自分の心を整えることでもあるのだと。


Øya 会場


Øya 会場

 会場内にパートナーシップを組んでいるというLGBTQの権利を訴えるオスロ・プライドのブースがあったので、話を聞いてみた。このタッグは昨年オスロの歴史あるゲイ・クラブにテロ行為があったことに対するリアクションとして実現したそうで、プライド・イヴェントをプロモートすると同時に参加者に対してグリッターのフェイスペイント・サーヴィスをおこなっているという。そうしたテロ行為が起きることもあるし、世界中と同じようにトランスフォビアは問題だし、差別主義者は少数ながら存在するものの、ノルウェー社会全体で性の多様性を受容し合っているというコンセンサスがあるので、クィア当事者は暮らしやすいと感じているひとがほとんどなんじゃないかな、とブースにいたふたりは話してくれた。もちろん、そこにはコミュニティが権利を勝ち取ってきた自負もあるのだろう。このあと、僕はグリッターを顔につけて楽しそうに過ごす若者たちの姿を会場内で多く見ることになる。


オスロ・プライドのブースにて

 そんなわけで、よくオーガナイズされたフェスで僕は4日間まったく困ることもなく(トイレもまったく並ばなかった)、日本の暑さを忘れて存分に別世界を味わったのだった。ご飯がハチャメチャに高いのは致し方なし、というかフェスのせいではない。街のレストランが多く出店しているので味のレベルは高く、199クローネ(2700円ぐらい)のフィッシュ&チップスはフェス関係なく人生最高のうまさだった。


水も無料で飲むことができる


白身魚がものすごくおいしかったフィッシュ&チップス

 アクトについては細かく書いているとキリがないので、印象的だったものをいくつか挙げておこう。近年のフォーキーなテイストと初期の生々しいロックを行き来しながら、圧倒的な存在感で会場全体の空気を引き締めたPJハーヴェイ。ときには観客をステージに上げて踊らせながら、超ファンキー&エロティックなパフォーマンスで沸かせたジャネール・モネイ。クラブ・ミュージック新世代としてのニア・アーカイヴスやLSDXOXOの若いオーディエンスからの人気ぶりには目を見張ったし、カオティックなIDMとレゲトンをハチャメチャに混ぜながらスモークをまき散らしたりブランコに乗ったりやりたい放題だったアルカも痛快だった。個人的にずっと観たかったディスコ・モードのジェシー・ウェアは、クィア・ダンサーを引き連れ本人も踊りまくるアッパーなステージを披露。USインディ・ロックからは話題のウェンズデイやビッグ・シーフもそれぞれバンド・ミュージックとしてのロウな感覚を提示していた。パルプやエールに関しては、なぜ90年代のビッグ・アクトを僕は2024年にノルウェーで観ているのだろうか……と不思議な感覚を抱いたが、世代の異なるオーディエンスに受け入れられていて、これもストリーミング・サーヴィスによって時代感覚が撹拌している現代のフェスならではの光景と言える。パルプが “Disco 2000” をプレイしたとき、隣にいた20代前半くらいの女の子グループが大騒ぎしていて、思わず笑ってしまった。
 しかしながら、今回の僕のオイヤ・フェスティヴァル参加で強く印象に残っているのは、知らなかったノルウェーのミュージシャンたちだ。ジャジーなテイストを持ったヒップホップ・ユニットのトイエン・ホールディング(Tøyen Holding)のステージではなぜかステージ上からシェフが焼いた牡蠣が振る舞われ独自のユーモア・センスを提示していた(?)し、ノルウェーのひとから「絶対観て!」と言われていた「ハッピー・マンデーズへのノルウェーからの回答」というコピーのフョールデン・ベイビー!(Fjorden Baby!)もいい感じにやさぐれたダンス・ロックで楽しかった。スカンディナヴィアの先住民サーミの文化をするエラ・マリー(Ella Marie)は、フォークロアが持つ政治性を浮かびあがらせるとともに北欧社会で見落とされてきた音楽風景を立ちあげていた。アッパーなダンス・ポップで地元のオーディエンスを大いに沸かせていたカシオキッズ(Casiokids)や4日間の大トリを飾ったポップ・シンガーのガブリエル(Gabrielle)はノルウェー国内でよく知られたポップ・アクトだがグローバルにもっと人気が出る可能性のある存在だと感じたし、日本の音楽リスナーにもアピールしうる存在ではないだろうか。あと、バリトン・ヴォイスで渋いアート・ロックを演奏するシヴァート・ホイエム(Sivert Høyem)はノルウェー版のインディ叙情ロックという感じで、僕はすっかりファンになったのだった。レコード・ストアのひとが話してくれたようにジャンルもスタイルも本当に多様で、発見と興奮に満ちている。


Tøyen Holding


Fjorden Baby!


Sivert Høyem

 クラブ・シーンの充実も垣間見ることができた。klubben(ノルウェー語でクラブ)という名前のステージではジョイ・オービソンらが出演していたのだが、地元ノルウェーのアクトとしては日本にもしばしば来てプレイしている人気のDJスケートボードはベテランらしい卓越したプレイでオーディエンスを気持ちよく踊らせ続けていたし、新世代のアーティストも多数登場していた。なかでも面白かったのは、冷たくアグレッシヴな感覚を持ったエレクトロニックなトラックとオルタナティヴR&Bをミックスするスワンク・マミ(Swank Mami)。ケレラFKAツイッグスらと北欧からシンクロする存在と言えるかもしれないが、奇抜な衣装で歌い踊るパフォーマンスにはユーモラスな風合いもあって引きこまれる。これからの躍進を予感させる個性を放っていた。


Swank Mami

 またフェス関連イベントとして、チケットは別なのだが〈Øyanatt〉というプログラムもあり、これは各日の深夜、街のクラブやヴェニューでDJプレイやライヴが観られるもの。僕は2日目の深夜にクラブに行ってリンドストロームを観ることができた。当然だが会場は大入りだ。勝手にDJと思いこんでいたら、生ドラムとシンセも入れた3人編成のライヴで、誰もが彼に期待する「コズミック」な大らかさや楽天性を感じさせる高揚感があり、ああ、自分はいまノルウェーで踊っているんだなあ……! という感慨に浸ったのだった。
 ライヴが終わったあとの深夜2時ごろ、横で踊っていた兄ちゃんに「これから別のクラブに行くけど、きみも来る?」と誘われたのだが、やはり腰が限界なので残念ながら断った。元気だなー。聞けば彼はオイヤ・フェスティヴァルそのものには参加していないそうで、街を挙げた音楽イヴェントとして多様な楽しみ方ができるのもよいと思った。

 3日目に少し小雨が降ったくらいで、4日間と半日、僕はひたすら快適な気候と穏やかな街と多彩な音楽を味わったのだった。フェスティヴァルがグローバルな産業として似通ってくるなかで、僕が体験したオイヤ・フェスティヴァルはオスロという街、ひいてはノルウェーの音楽文化のムードをたっぷり吸いこんだものだ。それは社会のあり方とも繋がっている。ノルウェーも近年は移民・難民問題の議論で荒れているところもあると聞くし、一週間少しの滞在ごときでいち観光客がわかった気になってはならないとは思うが、日々の暮らしを快適にすることと社会をよりよくしていこうという意識がこの街では地続きであると僕には感じられた。


自転車で来ているひとも多い


キックボード派も

 とにかく、オスロの街の空気感と音楽を同時に堪能するには最高のフェスティヴァルであることは間違いない。僕は行く前よりもはるかにノルウェーを身近に感じられるようになったけれど、もっともっと知りたくなったし、何よりこの国の音楽をもっと聴きたい。そう遠くない未来に、オスロの明るくて涼しい夏をまた体験したいと思う。

Special Thanks:キティさん、髙橋くん。ありがとう!

 ジェニー・ヴァルジャガ・ジャジストリンドストロームトッド・テリエスメーツ……。乗り継ぎを含めて計22時間のフライトのなかで朦朧としながら、僕は自分が好きなノルウェー出身のミュージシャンをあらためて思い返していた。いや、たしかに好きな音楽や映画はあるし、北欧はいいところなんだろうなあー……程度の漠然とした憧れはあったものの、まさか自分がノルウェーに来ることになるとは思っていなかった。30代のうちにひとりで海外でも行きたいなー、などと呑気なことをコロナ禍前には考えていたが、大混乱のパンデミック、そしてこの円安。なかば諦めていたところを、どういうわけか縁あってノルウェーの首都オスロで開かれる音楽フェスティヴァルに招待していただき、39歳にして生まれてはじめて北欧の地を踏むことになったのだった。いや、というかヨーロッパですらはじめてだ。だからこれは、フェス・レポートであると同時に、海外慣れしていない中年のオスロ初体験記として読んでいただければ幸いだ。

 8月6日の朝、ヘロヘロになってオスロの空港に到着。そこから街の中心地までは電車で30分足らずだ。市街地に着いてまず感じたのは、す、す、す、涼しい……。感覚としては日本の春ぐらいなんじゃないか。地獄のような暑さの日本から逃れ、一週間この気候で過ごせることにまず感動する。すっかり元気を取り戻した僕は、ホテルに荷物を預けてさっそくオスロの街を歩き回るのだった。

 今回、僕が参加したのは毎年夏にオスロの街なかで開催されているオイヤ・フェスティヴァル(Øya Festival)。聞いたことがあるというひとも多いのではないだろうか。日本でも人気のあるビッグ・アーティストが多数出演してきた、いまやノルウェーを代表する音楽フェスティヴァルだ。逆に言うと、僕もその程度の知識しかなかったので渡航前にいろいろと調べてみたのだが、1999年の初開催以降、場所を変えつつ規模を大きくしてきたイヴェントで、オスロの中心地にあるトイエン公園で開かれている現在も高い環境意識のもとに運営されており「世界でもっともグリーンなフェスティヴァル」とも言われているそうだ。
 2024年は4日間の開催で、ヘッドライナーはパルプ、ジャネール・モネイ、(クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジが病気のためキャンセルになり)ジャック・ホワイト、そしてノルウェーのポップ・ミュージシャンであるガブリエル。英米のアーティストを中心にノルウェーのアーティストをミックスしたラインアップで、日本でいうとフジロックと似た傾向の、それよりはやや規模の小さい音楽フェスといった感じだろうか。海外慣れしていないとはいえ僕も音楽フェスは数多く参加してきたので、どういうところがオイヤ・フェスティヴァル独自の面白さなのかを見極めたかった。
 と言いつつ、街のなかで開かれるフェスなので、僕は何よりオスロの街を見られることに興奮していた。それは開催側としてもそういった狙いがあるようで、今回僕がわざわざ日本から呼んでもらったのも、〈Visit Oslo〉というオスロの観光案内会社とフェスが協力しているからだ。オイヤにはほとんどオスロの住民が参加しているそうだが、国外から来るひとに向けて豊かな音楽シーンのある街としてのオスロを見せる意欲があるのだ。


オスロの街なか

 そのことがよく表れているのが、前夜祭的な位置づけとなる〈Club Øya〉というイヴェントで、まずこれが本当に刺激的だった。オスロの街なかにあるヴェニューやクラブ、さらにはオシャレなワイン・バーみたいなところでノルウェーの新人アーティストがライヴを披露するもので、ノルウェーでもまだあまり知られていない存在をアピールするショーケースであると同時に、僕のような観光客にとっては街を歩く機会にもなっているのだ。


Club Øya会場周り


Club Øya会場周り


Club Øya

 それで僕もオスロに着いた初日から、ライヴを観ながら街のあちこちを見ることができた。オスロはちょっと歩いただけで中心部の位置関係が把握できるぐらいのこじんまりした街で、ほとんどのひとが公共機関と自転車、あと電動キックボードで移動している。公園とベンチがたくさんあり、レインボー・フラッグが至るところに掲げてあり、公共的な施設のほとんどはオール・ジェンダー・トイレで、平日昼間からパパが子どもの世話をしている……。ある意味、こちらが勝手に抱いている公共意識や環境意識やジェンダー平等意識が高いとされる北欧のイメージをそのまま引き受けてくれるような都市だ。そして、首都とは思えないぐらいゆったりした空気が流れている。

 街のレコード・ショップ〈big dipper〉(https://bigdipper.no/)にもさっそく行ってみた。オスロでは最大規模のお店だそうだが、店内はワンフロアでこじんまりしている。これがオイヤ・フェスティヴァルのラインアップにそのまま通じているというか、国外のインディ/オルタナティヴ系のアーティストのレコードとノルウェーのアーティストのレコードが6:3くらいの割合で置いてあり、あとは北欧メタル、ジャズなども混ざっている。


big dipper外観


big dipper店内

 お店のひとに話を聞くと、オスロの音楽リスナーはほとんど国内/国外を分けずに聴いているそうで、ノルウェーの音楽シーンはたしかにメタルやIDM/エレクトロニカといった北欧が強いとされているジャンルは人気があるけれども、じつのところものすごく多様なのだという。そのなかで根強く人気があるのはエクスペリメンタルな傾向のあるジャズ。最近はハイパーポップ周りも話題なんだとか。ノルウェーのアーティストって英語で歌うひとも多いですけど、あれはマーケティング的な戦略なんですかと尋ねると、それもあるけど、言葉の響きがまったく違うから音楽的な理由で選択しているミュージシャンも多いと思うよと話してくれた。ガブリエルなんかはノルウェー語で歌ってビッグなポップ・アーティストになったし、と。なるほど、日本にも置き換えられる話かもしれない……などと考えていると、20代前半ぐらいの店員の若者が日本に旅行したときにレコードを買いまくったという話をまくしたててくれた。やはり音楽オタクは世界共通である。


フレンドリーに話してくれたbig dipperのスタッフ

 そのあと実際にいくつかのヴェニューを回ってライヴを観て気づいたのは、ほとんどの会場が小規模で、この〈Club Øya〉というプログラム自体がオスロの音楽シーンをサポートするものだということだ。フェスの案内を読むまで知らなかったのだが、オスロの音楽シーンはコペンハーゲンやストックホルムに比べてヴェニューの数で比較してみてもかなり大きく、「スカンディナヴィアのライヴの首都」とも呼ばれているそうだ。ただ、それらの多くはインディペンデントな規模感で運営されていて、その活気がどの会場からも感じられた。
 僕は6つほどの新人アクトを観たのだけど、総じて音楽的な水準が高く、ジャンルも多様でそれぞれ個性も豊かだ。とくに気に入ったのが洒脱なハウス・トラックにテンション低めだが流麗なラップを乗せるノム・ド・ゲール(NOM DE GUERRE)と、ムードたっぷりのシンセ・ポップを艶やかに立ちあげるグレイトフルーツ(Greatfruit)、ジャガ・ジャジストが好きなひとはきっと気に入るだろうエクスペリメンタルでコズミックな感覚を持ったジャズ・バンドのモンステラ(monstera)。ここからグローバルに人気の出るアーティストもきっといるだろう。様子を見ていると全然違う音楽をやってるバンド同士が気軽にコミュニケーションを取っており、いい意味でシーンの狭さも窺えた。


NOM DE GUERRE


Greatfruit


monstera

 夜21時過ぎまでは明るいので、すっかりフワフワした気分で1杯1500円ぐらいのビールを飲みながら音楽に溢れたオスロの夜を満喫したのだが、朝からノンストップで動き回っていたため23時で腰が限界に。ヨロヨロとホテルに戻る。こんなことで明日からのフェス本番は持つんかいなと自分にツッコミを入れつつ、しかし高揚感と充足感で満たされていたのだった。

(続)

Nídia & Valentina - ele-king

 ダンス・ミュージック界には複数の新鮮が風が吹いている。当然そのなかには、アフリカ系ポルトガル人のニディア、イタリア系イギリス人の前衛ドラマー、ヴァレンティーナ・マガレッティというふたりの女性によるアルバム『エストラダス』も含まれるのだった。
 ニディアからいこう。彼女は、エレキングでもお馴染みの、リスボンは〈Príncipe〉レーベルで活躍するビートメイカー。いっぽうマガレッティは、すでに多くの共演作を持つロンドン在住の打楽器奏者。古くはRaime、グレアム・ルイス(Wire)とのUUUULafawndah、〈Incus〉から〈On-U〉を横断するスティーヴ・ベレスフォードとのFrequency Disastersニコラス・ジャーとのライヴ向井進とのV/Zおよび最近はシャックルトンとの共作を出したばかりのHoly TonguemRaimeのメンバーとのMoin、近年ではBetter Cornersでのアンビエント作品も注目されているが、広く知られているソロ作品は、おそらくCafe Otoのレーベル〈Takuroku〉からリリースされた『A Queer Anthology of Drums』だろう。去る6月には来日し、彼女のドラミングのみでひとつの世界を作れてしまえることを証明したばかりだ。
 その打楽器による表現力は、本作『エストラダス』において、ニディアのエレクトロニクスと融合し、駆動力をもった多彩なグルーヴへと変換されている。ポルトガル語で「道」を意味するという『エストラダス』のアートワーク——岩石のあいだを走る道路にタイヤの跡が付いたこの写真、本作の冒険的かつドライヴする作風にじつによく合っている。太陽に晒され、暑く、乾いた道路のカーヴ、疾駆した車の痕跡……自分のなかにひきこもっている場合ではない。

 〈Príncipe〉が昨年、クドゥロ(アンゴラ起源のアフロとハウスの融合)のコンピレーションを出しているように、近年はバイレ・ファンキといい、ジャージー・クラブといい、チリのセックストランスといい、200BPM以上の超ハイテンポで踊るタンザニア産シンゲリといい、アマ・ピアノほど広範囲な流行はしていないかもしれないが、ディアスポリックなマイクロ・ジャンルがあちこちで息を吹き返している(そしてオンライン上ではクラッシュクラブにフォンクにジャンプと……このあたりはいつか松島君と話したい。ぼくはいま20代の背中を追いかけているのだ)。そんなわけで、ダンス・カルチャーは、昔ながらの世界もデジタル世界も活気に満ちているのだった。

 ここでいきなり予告です。年末号のエレキングでは「ミニマリズム」を特集しようと思っている。ミニマル・ミュージックとは、白人文化における50年代〜60年代の、クラシックの前衛のみで定義できるものではない。たとえば、その分水嶺的作品『In C』においてテリー・ライリーがサックスを、ジョン・ハッセルがトランペットを吹いていることにもヒントがあるだろう。「ミニマリズム」はアフリカ起源のじつに多くの音楽(戦前ブルースからファンクほか)にも通底している。アフロ・ミニマリズムと呼びうるそれは、ことエレクトロニック・ミュージックに関して言えば、アシッド・ハウス以降、さまざまなスタイルを生みながら発展し、クドゥロやファンキのような明らかにエクスペリメンタルなサウンドをIDMとは呼ばないシーンのなかで力強く継承されているし、拡散している。ローレル・ヘイローラファウンダサム・カイデルなど、これまで知性派の作品を出してきたフランスのレーベル〈Latency〉がかようにも溌剌とした、ポリリズミックなアフロ・ダンス・ミュージック・アルバムを出したことが嬉しい。

 生ドラムと打ち込みのビートとの組み合わせ自体が新しいわけではない。本作では、それぞれの曲でそれぞれ魅力的なリズムが生成されていく、まるで生き物のように、その有機的な感覚が格好いいのだ……というわけで、このレヴューを読みながらコニー・プランクとマニ・ノイマイヤーとメビウスの『ゼロ・セット』などと口走ってしまう古参方には、4曲目の “Mata” から聴くことをお薦めしたい。もちろん、フィールド・レコーディングによる妙な雑音から親指ピアノ、そして未来的なシンセサイザーに重たいベースが地を這う、冒頭の “Andiamo” (イタリア語で「さあ、行こう」)からでもいい。未来はたしかにトライバルだった。
 だが、表題曲になるとどうだろうか。おそらくこの曲は、ヒップホップ/R&Bからの影響が注がれたダウンテンポのフュージョン・サウンドを画策している。路上の砂埃を巻き込みながら、親指ピアノと打楽器、エレクトロニクスの鮮やかな調和。それから、ザ・スリッツがエレクトロックに発展していったらこんなサウンドになったに違いない、というのがミドルテンポの “Tutta la note” のような曲だ。
 そうは言っても “Rapido” を聴けば、このアルバムの使命を思い出す。そう、 ベースとドラムが醸し出す強力なうねり、すなわちダンスすること。ま、ぼくはひとり、心のなかでダンスです。

MODE AT LIQUIDROOM - ele-king

 去る6月の「MODE 2024」、草月ホールに入ったときには、すでにヴァレンティーナ・マガレッティは最後の3曲くらいで(そのあと出演した坂田明が圧倒的だったとはいえ)、ほんとうにもったいないことをした。イタリア出身でロンドン在住のこの女性ドラマーは、いろんなプロジェクトでいろんなことをしていて、今年は、Holy Tongueのメンバーとしてシャックルトンとの共作アルバムを〈AD93〉からリリースし、そしてつい先日は〈プリンシペ〉のニディアとの素晴らしい共作アルバムを出したばかり。Toneglowに載った彼女のインタヴューの悲観的な予想によれば、AIに頼った未来の音楽シーンではDJは絶滅し、生楽器による生演奏が最後のアートになるという。9月21日の「MODE」の会場リキッドルームに到着すると、だいたい通常のライヴではお約束としあるBGM(ないしは前座DJ)のいっさいがなかった。開演前も転換の時間も、ただ場内のざわざわした音があるだけで、それがなんか妙に新鮮に思えたりもした。しかも、その夜出演したStill House Plantsもgoatも、生演奏の生ドラムのバンドだ。


素晴らしきスティル・ハウス・プランツ

 少しばかり気が早いが、この夜のライヴが今年の自分にとってのクライマックスだと思っていた。そして、期待以上のものがあった。最初はSHPだった。なにげに3人は登場し、音を出したと思ったら演奏がはじまった。それは不規則さの自由というか、ドラムとギターとヴォーカルのみでできることの驚くほどの展開をみせるものだった。フィンレイ・クラークのギターとデイヴィッド・ケネディのドラムとのコンビネーションは、ほとんど奇数拍子、変拍子のリズムにおいて、即興的だがあり得ないほど決まるところが決まっている。ジェシカ・ヒッキー=カレンバックのジャズやブルーズを押しつぶしたようなヴォーカリゼーションが、その空間を自由に出入りする。ディス・ヒートが普通のロック・バンドに聴こえるほどSHPは変幻自在に屈折しているし、しかもそこにはブラック・ミュージックにも通じる艶めかしさがある。最初の2曲を聴いた時点で、ぼくの涙腺は緩んでしまった。
 いっぽうのgoatと言えばその逆で、ドラムとパーカッションによるまったく規則正しいリズムが重なりあうなか、いっさいのメロディを排したサックスとギターがベースと共鳴し、やがてそれぞれが結合すると、どこか『オン・ザ・コーナー』めいた、しかもじつに推進力のあるサウンドが創出される。その奇妙な迫力は、人間よりもメトロノームに近づこうとしたCANのようなミニマリズムをさらに徹底的に、機械よりも正確にやろうとして生じるものかもしれないし、メロディをまったく排したそのサウンドから立ち上がる無機質さとリズムのすさまじい躍動感との調和が発するものかもしれない。
 それにしても、BGMもMCもアンコールも(そしてCGも動画も)ないシンプルな照明のなか、極めて独創的なサウンドを持つこのふたつのバンドで、リキッドルームが身動き取れないほど超満員になったことにも希望が持てる。ぼくにとって今年のベストなライヴどころか、ここ10年のなかでもベストな体験だった。


オーディエンスをダンスさせたゴートの圧倒的なライヴ。

Yoshitaka Mori - ele-king

 ストリート、といってもこれは「ストリート系」と呼ばれる商品解説ではない。むしろそうしたお決まりの箱から脱出してきた文化のお話。日本の音楽文化を政治の文脈で再解釈し、2000年代から展開されるサウンドデモ〜素人の乱〜SEALDs〜プロテスト・レイヴの流れを追い、ダメ連やIRA、RLLのようなじつに緩やかなアンダーグラウンドな運動体を説く、毛利嘉孝の『ストリートの思想』が、20年代の状況もあらたに加筆した増補版として刊行された。1980年代のポストモダニズム的文化相対主義の泥沼から、旧来の左翼や体育会系のマッチョな活動に収まらない新しい抵抗の文化がいかにして生まれ、育っていったのかがわかりやすく(ドゥルーズからハキム・ペイ、ネグリ、あるいはギルロイといった現代思想を援用しながら)解説されている。日本のサブカルチャー史の政治的文脈に関心を持つひとにもぜひ読んで欲しい。サウンドデモのところは当事者としてちょっと納得いきませんが、まあ、ここはヨシとしましょう(笑)。かつて日本ではデモに行っても音楽の欠片もなかった。ミュージシャンもいなかったし、誰とも会わなかった。だからデモのなかに音楽を取り入れたかった。ただそれだけのことだった。いちばん最初のサウンドデモで何がプレイされたのか、だいぶ忘れてしまったが、とにかくPファンクをかけたときに、なんと、どこからかOTOさんが「Pファンクだ!」と笑顔で走ってきのだった。どうだ、毛利先生、知らなかっただろう。なーんてね。
 そう、毛利先生も書いているように、ストリートの思想には抵抗を創造することの楽しみがあり、その生気こそ重要なのだ。毛利嘉孝の『ストリートの思想』はちくま文庫として発売中。表紙はプロテスト・レイヴです。

interview with Still House Plants - ele-king

 スティル・ハウス・プランツのインタヴューの終盤で、ヴォーカリストのジェス・ヒッキー=カレンバックは、バンド・メイトのギタリスト、フィンレイ・クラークとドラマーのデイヴィッド・ケネディと一緒に演奏する過程で完全に「裏から表にひっくり返された」と語っている。彼女はその独特のスタイル——深みのある声、生々しさ、警戒心が解かれてしまうほどのエモさ——をどのようにして確立したかについて話しているのだが、同時にバンドの根本的な曲というものに対する脱構築についても説明している。

 ギター、ドラムスとヴォーカルというミニマルなセット・アップで演奏するロンドンを拠点とするこのトリオは、絶えず変化し続ける音楽を作っている。2020年のアルバム『Fast Edit』では、彼らはローファイの電話のメモ音やリハーサル・テープをスタジオ録音に一緒に組み込むことで、曲の創作過程のさまざまな段階を聴いているかのような感覚を演出した。今年の初めにリリースされた後続アルバム『If I don’t make it, I love u』はより物憂げで、2018年のバンドの名を冠したデビューEPでも明らかだったスロウコアの影響が前景に映し出されている。だが、それでも十分にスリリングかつ予測不可能で、彼ら独自のロジックのもとにピンと張りつめたり緩めたりと自在に紡がれる曲で溢れている。

 クラーク、ヒッキー=カレンバックとケネディは、2013年にグラスゴー芸術大学で出会い、初期の録音がグラスゴーのカセットに特化したレーベル〈GLARC〉よりリリースされている。2016年にはロンドンの〈Cafe Oto〉で行ったギグで、同会場のアーキヴィスト、アビ―・トマスの耳に留まり、トマスが彼らの音楽をリリースするために〈BISON〉レーベルを立ち上げた。同会場は重要なサポーターとなり、2019年にはバンドを3日間のレジデント・キュレーターに迎え、一時的に開設されたプロジェクト・スペース・スタジオを、リハーサルや新しい作品に取り組むために彼らに提供した。(ツアー中以外の時間には、ヒッキー=カレンバックが〈Cafe Oto〉のバー・カウンターのなかで働いているのを目にすることができる)

 日本でのデビュー公演では、スティル・ハウス・プランツはgoatと共演するが、これは理に適っている。双方とも、名目上はロック系のインストゥルメンテーションを採用しながら、
エレクトロニック・ミュージックの手法とロジックに深く通じているからだ。2020年のTone Glowでのインタヴューでヒッキー=カレンバックは、自身の初期の音楽作りの記憶について、「6、7歳の頃にすごく酷いドラムン・ベースのトラックを父親のPCで一緒に作った」と話しており、スティル・ハウス・プランツも曲をカット&ペーストのアプローチで創造し再編集しているが、これはDAWのソフトウェアをいじったことのある人には馴染み深いものだろう。

 ズームを通じての対談でも、メンバー3人はライヴと同じような心の通い合った雰囲気を見せている。誰も会話を独占しようとせず、互いの話を注意深く聞き合い、前の話者の話を引き継ぐように次の話者が話し出す。なお、以下の会話は、長さと質を考慮し、編集されている。

私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。

あなたたちのバンドの歴史においてかなり重要な役割を果たした〈Cafe Oto〉についてお話を伺いたいのですが、読者のなかにはその場所に馴染みのない人もいるかもしれません。そこへ行ったことのない人に説明するとしたら?

ジェス・ヒッキー・カレンバック(以下、ジェス):そこは小さな会場だけどじつに多様なプログラムを展開していて、歴史的には、たしかフリー・ジャズ寄りのところからはじまっている。現在はあらゆる種類の実験的な音楽、バンド系やノイズ、パフォーマンス寄りのものにも門戸を広げている。私たちが最初に関わりを持ったのは、2019年に彼らがジャーウッド財団——若いアーティストを支援する団体——と組んでいるときで、私たちをノミネートしてくれた。当時はまだ会場のひとつとして出会ったという感じだった。

デイヴィッド・ケネディ(以下、デイヴィッド):それ以前にも演奏はしたことがあったんじゃないかな?

ジェス:そうだね、もしかするとそれより前に1〜2回演奏していたかも。ただその頃は
まだ距離を感じていて、ひとつの会場としか思っていなかった。でもその後に「ああ、彼らは本心から若いアーティストたちを支援したいのだ」とわかって……いや、それほど若くはなかったけど、新しいアクトをね。

デイヴィッド:ある時点で、彼らはフリー・ジャズ・スペース、あるいは実験音楽の場というイメージを払拭したいという声に押されたこともあったみたいだ。クモの巣をとりのぞかないと、という感じで。だけど、そういったことを定義するのは誰なのだろう?

ジェス:その通り! その実験音楽、あるいは変わった音楽の定義という考えを変える必要があったのだと思う。そしてそれがどういう意味を持つのかを決めるのはひとりの人間ではないはず。

フィンレイ・クラーク(以下、フィン):僕は〈Cafe Oto〉に対しては本当に温かい気持ちを持っている。僕たちが音楽をはじめた頃にものすごく手厚いサポートをしてくれた。僕たちもいまではかなり多くの場所で演奏しているけど、彼らが毎年積み上げてきたものに驚きを隠せない。もちろん美味しいごはんやお茶、そして日本酒なんかも含めてね……。

私の〈Cafe Oto〉での体験からいうと、とにかく観客の熱中ぶりがすごいと感じました。あのような場所での演奏は、例えばフェスなどの出演時に比べてパフォーマンスに違いがでてくるものでしょうか?

ジェス:最近、イギリスのフェス〈End of the Road〉に出たんだけど、キャンピング・フェスティヴァルみたいな感じの場だった。前に都会でのフェスには出たことがあったけど、今回のは、伝統的なウェリントン・ブーツ着用で赤ちゃん連れも多い、イギリスらしいタイプのフェス。それでもみんなが集中してくれていたように感じた。みんなが本当に熱心に聴きたいと思ってくれていると感じられる場所で演奏できるのは、ただラッキーなだけなのかもしれないけど。

デイヴィッド:ティルザ(https://www.ele-king.net/review/album/009532/)のツアーのサポートとしてロンドンのブリクストン・エレクトリックという会場で演奏したんだけど、たぶん2000人ぐらいのキャパで、ステージがかなり大きくて高いところにあり、「ああ、こんな環境ではどうやって(音楽が)伝わるんだろう」と思った。だけど、演奏後にうまく行った感触があり、結局何も変える必要はないことがわかった——つまり、僕たちはどこででも演奏できるということを教えてくれたんだよね(笑)。

ジェス:そうそう。私たちは多くを必要としないの。皆が近くで寄り添いあって、すべてをシンプルに保つ必要があるだけ。そしてそれは、どこででもできることでもある。とても心強い感覚だよね。

フィン、何か追加で言おうとしていたのではないですか?

フィン:そう。言おうと思ったのは、フェスと〈Cafe Oto〉にはそう大きな違いはないということ。というのも、僕はあまり観客の方を見ずに、ジェスとデイヴィッドの音を聴くことに集中しているし、自分のなかに閉じこもっているから。そして自分の右側、つまり観客席で何が起きているのかには左右されない感じなんだ。

デイヴィッド:(顔をしかめながら)ウゥ……参った……。

大丈夫? 何かあった?

デイヴィッド:うーん。首が痛くなってしまったから、枕を変えないと。

フィン:ああ、それなら何て言うんだっけ? 僕が使っているのは低反発枕ではなくて
パンダのロゴがあるやつなんだけど。

デイヴィッド:あ、それ見たことあるかも。

フィン:すごくいいんだよ。

ジェス:ピロー・トークだね? 私は極薄のが好き。極・極薄のやつ。ほとんど何も中身がないぐらいの。

フィン:昔は僕もそっち派だったんだけど、いまではしっかりと首をサポートするタイプ。

ジェス:でも、あまり枕を高くすると首にはよくない気がするよ。知らんけど。とにかく、私が言いたかったのは、重要なのはサウンドチェックをきっちりやること。それがすべてを左右する気がする。でも全体的に私たちはうまくやれていると思う。もちろん、上手くいかないとき、例えば正しいサウンドになっていないとかだとつまらないけど。もうひとつは、私たちがステージ上で三角形のセット・アップで演奏しているのがよいのかもしれない。このセット・アップのおかげで、常に互いをサポートしあうことができるし。

多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

あなたたちの音楽は、非常にオープンエンデッド(途中で変更可能な)である感じを受けますが、もちろん、はじまりと終わりの地点はあるわけで、制約もありますよね? ただ、完全に従順というわけではないと。

デイヴィッド:多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

それに反発したいと感じることはありますか?

デイヴィッド:それはあると思う。物事を変えたいという気持ちがあるのを自分たちでわかっているから、皆でそれも念頭に置くようにしている。それは通常、パフォーマンスの前に起こることが多い。このセットは半分にして、後半をトップに持ってこようとか、入る曲を変更しようとか。そういう感じでトランジションなんかにも取り組むんだ。

ジェス:長いあいだ演奏して作業を続けるうちに、実際のレコーディングで面白いことが起きたりもする。そういう時に曲が本当に固まってくるんだと思う。いま、レコード(『If I don’t make it, I love u』) からの曲をたくさん演奏しているから、物事の瀬戸際や曲の境界線なんかがよくわかるようになった。私たちにとって曲の変化というのは、ムードとかそういうもののことが多いのと、もうひとつは、その隣に何が配置されるかということ。曲から別の曲に移るときのやり方を探すということかな。そのことにすごく興味を覚える。私たちは、セットにある種のDJセットのような曲と曲が混ざり合うようなフロー(流れ)があることを好むの。 そうやってツアーとともに、曲が変化していくんだと思う。でも、私はヴォーカルだから、デイヴィッドとはかなり違う時間を過ごしているのかも。私の方がすぐ簡単に思いついたことができるから。私がやっていることにも一貫性はあるけれど、違う表現をするためのスペースが多くある気がする。

フィン:うん。君が言っていることはよくわかるよ。ドラムのパートがしっかりしていると、とんでもなく自由な形も可能になる。そして構造にも自由度を与えられると思う。あるとき、俳優のイアン・マッケランのモノローグ(独白劇)を観たことがあるんだけど、台詞をしっかり覚えていると、ものすごく自然に言葉を届けることができると彼が言っていたのを思い出した。自分のパートを本当によく把握していると、少なくとも僕は、まるでその場で音楽を作っているように見えるらしい。自分がやっていることを正確に把握することによる自由があって、それが自発的なものであるという印象を与えるようだ。

ジェス:そのことで面白いのは、私たちの音楽は誰もが何か特殊な即興演奏だと思いこんでいる節があるということ。当然揺らぎもあれば、変化するところもあるから、聴いた人が「すごい! これは基本的に100%が即興だ」と思うらしいのね。どうしてだろう? もしかすると、完全に即興である方が都合よく理解しやすいのかもしれない。発作的なことや、奇妙に思える変更もあるから。でも、私にとっては基本的にこういう……ドロップとかがあることなんかは非常にタイトに感じる(笑)。ある意味、これをどうやって即興しているというの? という感じ。でも同時にすべてが真実でもあるような気もしてくる。私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。曲のはじめと終わりやトランジションにも練習して対処する。そして、セットのなかの曲を一枚岩に仕上げるの(笑)。

デイヴィッド:ジェス、それはいい指摘だね。曲をレコーディングしたときって、曲が完全にできあがったと思いがちだけど、僕はとくに新しい曲については、ライヴで演奏しているうちに初めて強化される要素があると思う。これまでにも、ライヴで、曲をあるやり方で演奏した後で「あれ?  なんか全然よくなかったな」と感じて、突然次のセットで違うドラム・パートを入れたり、別の曲と繋げたりしたこともある。つまり、とくに新しめの曲については、ライヴ演奏を通じてどんどん形成され続けていくものなんだと思う。

ジェス:私もそう思う。曲全体の構造は変わらないにしても、いろいろ切り刻んだり、別の曲と繋げたりして新しい曲になっていく。いまもちょうど曲を書いているところだし、新しい曲の演奏もしている。それらは変化しているし、まだ固まる前だから、たぶんツアー中にも変化し続けるのではないかな。

フィン:とにかくステージで曲を試すのが一番良い方法だよね。いつも思っていたんだけど、ステージでやると直感的に善し悪しが判断しやすいと感じる。

その直感は、バンドをやっている何年かのあいだに向上したと思いますか?

フィン:そうだなぁ……質問への答えとしては迷惑な回答かもしれないけど、イエスでもあり、ノーでもある。実際、注意深く聴くことを覚えたし、自分のアーティスティックな判断を信じることを学んだ。自分に耳を傾けて直感を信じることができるようになるには、長い時間が必要だ。いまの方がより多くの問いかけをするようにもなった。20代前半の頃は、いまよりも自信があったと同時にナイーヴなところもあったけど、現在ではより慎重になり、自分自身の声を聴いて直感を知ることができるようになっている。だから、僕にとっては両方あるな。

ジェス:私はその逆で、自信がなくなり、前よりもっとうっとうしい。冗談だけど。

デイヴィッド:直感について考えるのは面白いよね。少なくとも曲作りでは、ただ成長することと楽器を心地よく使いこなせるようになることとの関連性についても考えてしまう。

ジェス:長くかかったからね。私たちが音楽をはじめたとき、デイヴィッドはしばらくドラムを叩いていなかったし、たぶんみんなも同じだったと思う。とにかくお互いのことを学ぶ時間だったともいえる。つまり、それぞれの演奏方法がそれだけ違っていたということ。例えば、フィンはギターを弾いてきて明らかに楽器のことを熟知していたけど、私たちふたりの反応を考えて演奏方法を模索していた。そうしたことに対応するのは、本当に長い時間がかかるものだから。

デイヴィッド:本当にそう。実際、僕がドラムを心底楽しいと感じたのは、ここ1年半ぐらいになってからのことだし。

フィン:僕もそれについて考えていた。君はすごくよくドラムの練習をするでしょ。僕はギターではあまり練習しないけど、家でよくピアノの練習をするんだ。それが僕の練習方法なんだけど。ギターに関しては……じつは上手すぎるギターの音があまり好きではないんだよね(笑)。ロバート・フリップという名前だったっけ? あの完璧なテクニシャン。それは僕にはあまり関係ない。少しルーズな方が好きだから、あえて練習し過ぎないようにしているともいえる。

ジェス:でもフィン、あなたはたくさん演奏しているじゃない。それはイアン・マッケランについて語ったこととは逆だよね! 私たちはたくさん演奏するから、あなたもしているということだよ。

フィン:僕が言いたかったのは、スケールなんかは練習しないということだよ。

ジェス:それは必要ないよ。

フィン:例えば、さっきのイアン・マッケランのところで出てきた、彼が言う台詞を覚えることと、楽器を練習することは別の意味な気がする。僕は、パートやセットを覚えることの方が多いね。そう、キース・リチャーズについて考えてみると、彼は基本的にはおびただしいほどギターを弾いている。まったく別のことだよね。

デイヴィッド:僕も以前、ドラムで同じようなことをしていたよ。ドラムは嫌いだ、ドラム文化も嫌いだと言いまくっていた。ドラムをどう演奏するかについても、本当に目に見えない地雷原のような危険もある。フィルインを叩く人をみていられないとか、そんな感じになって。練習ばかりしていると、自分もそういうドラマーになってしまうのではないかと思った。でも、またある別の時点では、「僕には十分個性もあるし、自分の直感を信じよう」と楽器と向き合い練習を重ねて、実際にいい演奏ができるようになったりするんだ(笑)。

ジェス、あなた自身の楽器——つまりあなたの声——との関係はどのように変わってきていますか? あなたはバンドをはじめた当初よりもだいぶ低い声で歌っていますよね。

ジェス:自分はラッキーだったと思う。というのも、音楽を作りはじめる前には歌ったことがなかったから。歌いたいとは思っていたのに、あまり自信がなかった——自分の声がすごく小さいと感じていた。あっという間の出来事だったけど、すべてが私にとっては適切なタイミングで起こったし、私たちは物を作りはじめ、それと同時に私は自分の人としての本当の声も見つけた気がするんだ……。おかしな言い方だけど、演奏すればするほど、自分が完全に裏から表にひっくり返されたような気がする。つまり、自分が感じていることをそのまま表現できるようになったように思うし、それで声が変わったとも言える。基本的には自信の問題だったと思う。

デイヴィッド:ああ、それは大きいよね。

ジェス:そして傷つきやすくなったこともね。それはとても大きなことだった。

※スティル・ハウス・プランツは9月21日(土)に、恵比寿リキッドルームにてライヴ公演!
2024.09.21SAT
MODE AT LIQUIDROOM
https://mode.exchange/
https://www.liquidroom.net/schedule/mode_20240921

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by James Hadfield

Towards the end of a conversation with Still House Plants, vocalist Jess Hickie-Kallenbach speaks of being “turned inside-out” in the course of playing together with her bandmates, guitarist Finlay Clark and drummer David Kennedy. She’s talking about how she developed her inimitable style – deep-voiced, raw, disarmingly emotive – but she could equally be describing the band’s radical deconstruction of the art of song.
Working with a minimal set-up of guitar, drums and voice, the London-based trio make music that is in a constant state of becoming. On their 2020 album, “Fast Edit,” they incorporated lo-fi phone memos and rehearsal tapes alongside studio recordings, giving the sense of hearing the songs at various stages in their creation. Follow-up “If I don’t make it, I love u,” released earlier this year, is more languid, foregrounding the slowcore influences that were evident on the group’s 2016 self-titled debut EP. Yet it’s still thrillingly unpredictable, full of songs that come unspooled and snap taut with a logic entirely unto themselves.
Clark, Hickie-Kallenbach and Kennedy first met as students at Glasgow School of Art in 2013, and their early recordings were released on Glasgow cassette label GLARC. A 2016 gig at London’s Cafe Oto caught the ears of the venue’s archivist, Abby Thomas, who started the bison label in order to release their music. The venue would become a crucial supporter, inviting the band to curate a three-day residency in 2019 and letting them use its temporary Project Space studio to rehearse and work on new material. (When she isn’t touring, Hickie-Kallenbach can be found working behind the bar at Cafe Oto.)
For their debut Japan show, Still House Plants will be sharing a bill with goat, which makes sense: both groups use nominally rock instrumentation but are deeply informed by the methods and logic of electronic music. In a 2020 interview with Tone Glow, Hickie-Kallenbach said her earliest memories of making music were producing “really bad drum ‘n’ bass” tracks on computer with her dad at the age of six or seven, and Still House Plants create and re-arrange songs with a cut-and-paste approach that will be familiar to anyone who’s messed around with DAW software.
Speaking via Zoom, the three members show the same rapport that’s on display during their live performances. Nobody dominates the conversation: they listen carefully to each other, often picking up on what someone else has said. The following conversation has been edited for length and clarity.

I was hoping to ask about Cafe Oto, since people reading this might not be familiar with the venue, but it's played quite a significant part in the band's history. How would you describe it to somebody who's not been there before?

Jess Hickie-Kallenbach: It's a small-sized venue that has very varied programming. I guess historically, maybe, it was more free jazz. Now, it's broadened out to any kind of experimental music, from band stuff to noise, more performative things. Our introduction to the place was in 2019, I guess, when they were working with Jerwood [Foundation] – a sort of funding body to help out young artists – and they nominated us. That was where we first encountered it, properly, as a venue.

David Kennedy: I suppose we'd played there before.

JHK: Yeah, we'd played there once, I think, at that point. Maybe twice. But I think it felt a bit more disconnected – it just felt like a venue. And then after that, it was like: Oh, right, they actually want to support young... well, not necessarily young, but new acts.

DK: I feel there was a bit of a push, at one point, to try and kind of shake off the cobwebs (laughs), of being this sort of free jazz space or experimental music space – but who defines what that is?

JHK: That's exactly it. I think the definition of what that is – of what experimental music, or whatever odd music, is – had to change. And [it's] not one person [who] decides what that means.

Finlay Clark: I was just going to say, I have very warm feelings towards [Cafe Oto], because they were just so supportive when we were starting out. We've played at quite a few venues now, and it just amazes me how they put it together, year after year. And delicious food, and tea! Sake and stuff…

In my experience of going to Oto, I've felt like the audience there is very engaged. Do you find playing somewhere like that, compared to at a festival or something, changes things for you in the course of the performance?

JHK: We recently played at a festival in the UK [End of the Road], which was like a camping festival. We've played at festivals before, in cities, but this was like a proper British, wellies-and-babies sort of festival. It still felt like people were paying attention. I don't know if we're just lucky, that we find places where people actually really want to listen, or engage.

DK: We were doing this support tour with Tirzah, and we were playing at this venue in London called Brixton Electric. I think it was like 2,000 people-ish, in this big, quite raised stage, and I remember thinking, "Oh, I don't know how it's going to translate in that sort of setting…” But I remember afterwards, I really got the feeling that it worked, and we didn't have to change anything – which sort of tells me that we could literally play anywhere (laughs).

JHK: Yeah, we don't need much. We kind of need to stand close together, and we need to keep everything feeling kind of simple. But that can literally happen anywhere, you know? It's quite a fortifying feeling.

Sorry, Fin, were you going to add something there?

FC: Yeah, I was going to say, the difference between a festival and Oto – in a way, not much. I don't really look out at the audience much. I'm kind of just listening to Jess and David, and just locked in, and what's happening to the right of me – which is normally where the audience is – it doesn't change [things].

DK (grimacing): Uh. Oh my God…

Are you okay there?

DK: Yeah, I need to replace my pillows, because my neck is in pain.

FC: Oh, you should get – what are they? I've got one of these... It's not memory foam, but it's got a panda [logo] on it.

DK: Oh, I've seen those.

FC: Yeah, they're really, really good.

JHK: Pillow talk, yeah? I go for super-thin. Super, super thin. Basically nothing.

FC: I used to do that, and now I'm all into neck support.

JHK: But it feels like it does worse to have your neck up high. I dunno, whatever. I was gonna say, obviously it's really nice to do a proper sound check. That's the thing that really changes everything. But I think we're pretty good at doing it all. It's obviously not fun if things are going wrong, like if the sound isn't quite right. But also, there's something about the way that we're set up, which means that we're kind of constantly supporting each other. I guess that's the good thing about being set up as a triangle.

Your music feels very open-ended, but then I guess there are start points and end points, and there are constraints, right? It's not just completely malleable.

DK: A lot of the songs, I feel, have become quite structured. Not all of them, but with a lot of them, I know exactly what I'm going to play all the time.

Do you ever feel any sort of desire to push back against that?

DK: I think I do. I suppose we do try to account for that as well, of wanting to change things up. Usually, that often happens before [the performance]. We discuss, like, “This set, we're cutting it in half, and moving the second half to the top, or maybe we'll change what songs we go into.” So it'll be, like, working on transitions and stuff.

JHK: There's something interesting that happens, when we actually record songs, after playing and working on them for a long time. I think that's when they get really cemented. I think that right now, playing quite a lot of songs from the record [“If I don’t make it, I love u”] means that we really do know the edges of things, and the boundaries of the songs. The way that they change, for us, is more like mood and stuff like that, but also what they sit next to: transitioning from one song to another, finding ways to do that. That feels interesting to us. We like a set to have a sort of flow, almost like a DJ set or something – songs blurring into each other. So that's how songs change, I guess, as we tour them. But I think, as the voice, I have a very different time to DK [David]. I can kind of do what I want much more easily. There's a consistency to what I do, but also there's room for different kinds of expressing.

FC: Yeah, I totally hear what you're saying. Having a drum part that's pretty solid gives you a ground to kind of free-form, sometimes, over the top. Also, I think there's freedom in structure. I remember I saw Ian McKellen do a monologue, and he was talking about how when you know your lines so well, you can deliver them in a really natural way. When you know your parts really well – at least for me – I find that you can kind of give the impression that you're making it up. I think there's a freedom to knowing exactly what you're doing, because it gives the impression of spontaneity.

JHK: It's funny that thing, because I feel like the presumption about our music is that everyone assumes that it's at this particular level of improvised. Obviously, there's fluctuations – there's things that change – but people are like, "Woah, that's basically 100% improvised" as they hear it. And I wonder what that is about it. Maybe it's convenient for it to be imagined as entirely improvised, because it's jerky and has strange changes. But to me, it feels so tight, having these – essentially – drops (laughs) and stuff like that. In a way, it's like: How could that be improvised? But yeah, I think it's all kind of true at the same time. We know what we're gonna do. We know that there's going to be some kind of fluctuations. We practise the starts and ends of songs, and the transitions, and we work those all out, and we make this sort of monolith of a song that is a set (laughs).

DK: I thought that was a good point you made, Jess. When stuff is being recorded, things start to feel fully formed. I do feel like there is an element of sort of firming up the songs through playing them live, especially the newer ones. We've even had points where we played a song a certain way, and then we'd be like, "Oh, I didn't really like how that went." And all of a sudden, the next set we do it, it would have a different drum part and be connected to the end of another song, or something like that. So there is an element of – especially with newer stuff – that it forms and forms and forms through playing live.

JHK: Yeah, I think so. It might not be that the whole structure of a song changes, but we chop things up and we just stick them next to something else, and that becomes the new song. We're writing now, and we're playing some new things. They're changing, they're still solidifying, so they're probably going to change across the tour.

FC: It's definitely a good way to test out material, on stage. I've always felt that you kind of know when something works or not, quite instinctively.

Do you think that those instincts have improved over the years of doing the band?

FC: I think... it's an annoying answer, but sort of yes and no. I've learnt to listen to and trust my judgment, artistically. It takes a long time, to really be able to listen to yourself and trust your instincts. I do question things a lot more, as well. I found when I was in my early 20s, I had more confidence and sort of naivety at the same time, and that's kind of transformed into being more cautious, but also being able to listen to myself and know my instincts better. So it's kind of a bit of both, for me.

JHK: I feel the opposite. I've become less confident and more annoying. Joking.

DK: It's funny thinking about instinct, isn't it? At least in terms of songwriting stuff. I wonder how much of that comes from just growing. I'm trying to think if there's a link, as well, to just actually getting more comfortable with an instrument.

JHK: Yeah, like, it's taken you a long time. When we started making music, David hadn't played drums in a while. I guess it was probably the same for all of us. In a way, we were learning how to play with each other, which actually meant we played very differently. Obviously, Fin, you'd played guitar and you knew the instrument, but you were working out a new way of playing, and that was in response to both of us. That stuff takes a really, really long time.

DK: Yeah, it's probably only in the last year and a half, I've realised that I actually really enjoy playing drums.

FC: I've also been thinking, because you practise drums a lot – I don't practise the guitar. I sit at home and practise the piano a lot, and that's kind of where my practice goes, but guitar... I think that I don't like how guitar sounds, when it's too good (laughs). Is it Robert Fripp, is that his name? Very perfectly technical. That's not for me. I like it being a bit loose. In a way, I'm intentionally not practising it.

JHK: You play a lot, though, Fin. That's the opposite of what you said about the Ian McKellen lines! And you do play a lot, because we play a lot.

FC: What I mean is, like, I don't practise scales.

JHK: You don't need to.

FC: It's more like learning the part – the set – in reference to learning lines, the Ian McKellen lines, and practising the instrument is separate. And yeah, just thinking about Keith Richards, basically, playing copiously. I think they're separate things.

DK: I used to have a similar thing with drums. I was like: Oh, I hate drums, I hate drum culture. There's a real minefield, as well, in just how you can play drums. I can't be arsed with people doing fills, and all this sort of stuff. There's a point where I was like: If I start practising all the time, am I just going to become one of those drummers? But then there's a certain point where you're like: I have enough personality, I'm a real person who's taken a break from an instrument and come back to it as a more fully formed human. I trust in my own instincts, that I'll be able to actually engage with this instrument and practise it, and be able to actually make it good (laughs).

Jess, how has your relationship with your instrument – your voice – changed? Obviously you're singing a lot lower than you did when the band first started...

JHK: I was really lucky, I guess, because I didn't sing before we started making music. I'd always wanted to, but I wasn't very confident – I guess my voice felt really small. It happened pretty fast, but everything sort of aligned at the right moment for me, where we started making stuff, and I also started really finding my own voice as a person… It feels like the more we were playing, the more I would just be – without sounding crazy – kind of turned inside-out. I was just more able to wear what I was feeling, and that meant that my voice changed. I think it was confidence, basically.

DK: Yeah, that's a big thing.

JHK: And to be vulnerable. Big time.

Interview with Beatink. - ele-king

 9月14日の『Dub Sessions 2024』、このイベントが終わってから、主催者であるビートインクが自らの30周年を祝ってのパーティをオールナイトで行う。この疲れ知らずのインディ・レーベルで、創業以来がむしゃらに働いてきた大村大助にいたっては、その前日に名古屋での『Dub Sessions』を終えてからの東京入り。オーディオ・アクティヴでエレクトロニクスを担当していたこの男は、あれから30年以上経ったいまも、並々ならぬ気迫と持久力でレーベルをひっぱっているようだ。

 現在、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめ、〈Beggars〉傘下の〈4AD〉〈Rough Trade〉〈XL〉に〈Young〉〈Matador〉、そして〈Domino〉など多くのインディ・レーベルとライセンス契約をし、日本でのリリースを引き受けている。もっとも、そもそものその原点は〈On-U Sound〉の日本でのリリースを手がけたことにはじまり、つまり、ある意味、30年前と同じことをずっとやり続けてきたことの蓄積だったりするのだ。

 いよいよ〈BEATINK 30th Anniversary Party〉を控えたビートのスタッフ3名、大村大助、若鍋匠太、寺島茂雄に話を聞いた。


オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー

〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

30周年おめでとうございます!

一同:ありがとうございます!

大村(大助)くんとぼくは、ビート設立の前からの知り合いなんです。

大村:そうですよね。

91年、渋谷のエスニック料理屋を週末だけ借りてやっていた、アンダーグラウンドなテクノ・パーティがありましたね、ぼくはよく遊びに行ってたんですが、大村くんはね、見張り番をしてたんだよね(笑)。

大村:いや、ぼくはただ単に遊びに行ってただけですよ(笑)。

え? そうだったんだ。いつも入口付近にいたから、警察が来たら知らせる見張り番だとずっと思っていました(笑)。

大村:伊藤洋一さんという、YMOのマネジャーやっていた方が、そのころジェオという会社をやっていて、そこで働いていたスタッフたちといっしょに遊びに行ってましたね。ビートが立ち上がる前の助走期間というかね、もう、とんでもないデコボコ道でしたけどね。

当時大村くんはオーディオ・アクティヴとしての活動も精力的にやっていてね、のちに新宿リキッドルームで活躍する山根(克己)さんがマネージャーみたいなことをやってたんだよね。

大村:そうです。

ビートを立ち上げる前は、レイ・ハーンもジェオで働いていて。

大村:ジェオのときに芝浦GOLDにエイドリアン・シャーウッドを呼んでますね。

ぼくもあのとき行ったんですが、あれはすごいイベントでしたね。低音がすごかった。

大村:あの頃、〈On-U〉は〈Alfa Records〉とライセンス契約していて、オーディオ・アクティヴのデモも〈Alfa Records〉で録音しているんです。だから、オーディオ・アクティヴのファースト・アルバム『AUDIO ACTIVE』は、1993年の11月に〈Alfa Records〉から出ているんですよ。でも、ファーストが出た数ヶ月後に〈Alfa Records〉は倒産するんです。「さてどうする?」ってところから、ビートの立ち上げがはじまっている。

なるほどね。自分たちでやるしかないと。

大村:そして、〈On-U〉から1994年の9月にアルバム『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys)』が出るんです。ただ、その前の6月には「Free The Marijuana」という12インチ・シングルも出ているんです。

いまでも持っています。ビートインクの最高傑作ですね!

大村:マーク・スチュワートがあのシングルもアルバムもデザインをしてくれたんです。

いや、そこはマジで素晴らしいですね。あの曲のなかのトースティングは?

大村:ビム・シャーマンですね。スキップ・マクドナルドも参加している。

まさに、ここにビートインクが凝縮されている。もう、いまやっていることと変わらない(笑)。30年間、ずっとそれをやり続けているんですね! すごいよね。

大村:そういうことですね(笑)。


伝説のエイドリアン・シャーウッド@芝浦GOLD

ビート前史としては、山根さんがまだ渋谷ON AIRのブッキング・マネジメントをやっていた頃に、1992年から1993年にかけて、ダブ・シンジケート、ビム・シャーマン、ゲイリー・クレイル、マーク・スチュワート、リー・ペリーなんかの招聘をやっているでしょ。あれも当時は大きかった。

大村:ビートを会社として登記したのが、1994年の6月。そして、7月に新宿リキッドルームができてるんです。で、そのプレ・こけら落としというのがあって、それはうちがアンダーワールドとドラム・クラブを呼んだんです。

いろんなものが同時にはじまりましたよね。ぼくも1994年に独立して、エレキングをはじめた。そのくらい、1992〜94年の日本のアンダーグラウンド・シーンは熱かったですね。最初、ビートはレイの恵比寿のマンションの自宅ではじまっているけど、何人ではじまったんですか?

大村:俺とレイと、あとは井出さんという女性の方がいました。

井出さんにもお世話になりました。で、最初は〈On-U〉のディストリビューション?

大村:〈On-U〉ではじまって、やがて〈All Saints〉(※イーノ作品で知られる)もやったり……。

寺島:ちなみに、ビートのカタログナンバー〈BRC〉の1番がオーディオ・アクティヴ。2番がアフリカン・ヘッド・チャージで、3番がニュー・エイジ・ステッパーズ

(笑)いまとやっていることがまったく変わらないね!

大村:(笑)〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

若鍋:よくレイさんも言いますよね。音楽をディストリビュートするというアイデア自体は、エイドリアンからもらったって。

大村:〈On-U〉からいろいろ繋がっていったんだよね。

寺島:アタリ・ティーンエイジ・ライオットもそう。

大村:〈DHR〉(※アレック・エンパイアのレーベル)も、そして〈Emissions〉(※アンドリュー・ウェザオールのレーベル)も。ほかにも、〈On-U〉のサブレーベルとして〈Puressure Sounds〉もあった。

最初は全国のレゲエ系のお店をはじめ、独自の流通網を作っていったんだよね。

大村:なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

1994年にビートがはじまって、最初は〈On-U〉からやっていくんだけど、大きかったのって何だったですか?

大村:〈DHR〉がやっぱデカかった。

90年代は、オーディオ・アクティヴもすごくがんばってやっていたじゃないですか。リキッドルームでオーディオ・アクティヴとエイドリアンとアンドリュー・ウェザオールってあったよね? あれは良かった。あとリー・ペリーのライヴもよく憶えている。大村くんは何がいちばん思い出深い?

大村:アンダーワールドの初来日はよく憶えていますね。アタリ・ティーンエイジ・ライオットのライヴもお客さんの熱気がすごかった。湿度で天井から雨が降ってくるくらいだったし、後にも先にもあんな光景は見たことないです。

リー・ペリーと?

大村:リー・ペリーはめちゃくちゃ思い出あります。最初のON AIRでやったときは、まず空港に迎えに行ったときに、カシオトーンを頭の上に乗っけて歩いてきたんです。「ええ!? とんでもない人出てきたな……」みたいな。もう、誰がどう見てもすごい人なんですよ(笑)。

それはもう、なんか超越的というか(笑)。普通に?

大村:それが、普通にめちゃめちゃ安定してるんですよ。何もくくらないで、そのまま頭に乗っけてて。リズム・ボタンを押して、ピッコピッコ鳴らしてるんですよ(笑)。

ハハハハ。

大村:会場入りするときもそうでしたね。車から降りて、カシオトーン乗っけて、ピッコピッコって(笑)。楽屋に入ると、ガラス張りの楽屋に、ろうそくでガラス全部に隙間ないぐらい言葉とか絵とかいろいろ描きはじめて、すごい光景でしたね。

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オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー。ペリーの後方に写っているのが、大村氏。

あのときはバックのメンバーも最高だったよね。

大村:ダブ・シンジケートがバックで来て、スタイル・スコットも元気だったし。

ところで、これは大村くんの名誉のために言っておくと、オーディオ・アクティヴは当時イギリスで評価が高くて、人気だったんですよ。グラストンベリー・フェスティヴァルがいまみたいにコマーシャルになる前のいい時代に出演しているし。若鍋くんはそのころは何歳だったの?

若鍋:小学生でしたよ。94年はぼく、小学校5年生。

若鍋くんが入ったのっていつなんですか?

若鍋:ぼくは2007年です。

大村:(寺島)茂雄くんはその4年前ぐらい。だから、いまいるスタッフは〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめた後ですね。

〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめたのは?

大村:2001年。

若鍋:まずは「エレクトラグライド(エレグラ)」(※2005年まで続いた、テクノに特化したオールナイトのイベント。冒頭の写真はその第一回目)が2000年からスタートするんです。その前は、フジロックの最初の5年間ホワイト・ステージのプロデュースをビートがやっていて、そこでスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインをブッキングしているんですね。で、その流れで、エレグラにも〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のアーティストが出演している。

大村:一回目がアンダーワールド、オービタル、リッチー・ホウティン、ルーク・スレーター、トゥー・ローン・スウォーズメン、トモヒラタ……。

若鍋:2年目がファットボーイ・スリム、エイフェックス・ツイン、ダレン・エマーソン、ローラン・ガルニエ、マウス・オン・マーズ、ハウィー・B、プラッド、バッファロー・ドーター、リチャード・マーシャル……。

大村:そういうなかで、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉からアプローチを受けて、最初はキャパ的に、ふたつのレーベルを同時にやるのは無理だろうと思ってたんだけど、悩みに悩んで、両方ともやることになりました。

寺島:〈Warp〉をやることになって、最初に出した作品がオウテカの『Confield』。

名盤じゃないですか。それは良いタイミングでしたね。

大村:そうなんですよ。ボーズ・オブ・カナダもそうだし、とんでもなくいいタイミングだった。

その二大レーベルをやったことでだいぶ状況は変わったんじゃないですか?

大村:〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやる前は、オーディオ・アクティヴ、ドライ&ヘビー、ロンパリ、日本人のアーティストが精力的に活動していましたね。「ハッパーズ」もやったし。

「ハッパーズ」! これはビートインク史における快挙のひとつだよね。8月8日をハッパの日と定めて、2000年8月8日に代々木公園でフリー・フェスティヴァルを開いた。いやー、あれはほんとうにすごかったなぁ。

大村:画期的でしたよね(笑)。そこにブルー・ハーブも出て。

寺島:オーディオ・アクティヴ、ドラヘビ、ブルー・ハーブ、クラナカ、DJ YASU。

そのメンツで、野外で、無料で、「ハッパーズ」。しかも都会のど真ん中。いや、素晴らしい。

大村:ただ、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやるようになってから、もうそっちで忙しくて、なかなか日本人のアーティストができなくなってしまったんですけどね。

それはすごく残念でした。やっぱ、オーディオ・アクティヴとビートインクの仕事との両立はできなくなっていった?

大村:できなかったですね。若いころは寝ないでやればいいって感じだったけど、それもどんどんできなくなりますからね(笑)。ビートの仕事が終わってから夜中、「スタートレック」っていう高津にあったスタジオで朝まで作業して、そしてその朝ビートに来て仕事するという生活は、もう……。

それはたしかに(笑)。ところで、第一期が90年代だとすると、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約してからが第二期と言えますよね。第二期以降のビートインクは、どういうふうに変わっていったと思いますか?

大村:発売の量自体が一気に増えたんで、まわすのが大変になりましたね。

ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

若鍋くんと寺島さんのおふたりはなんでビートに入ったんですか?

寺島:ぼくはオーディオ・アクティヴとドライ&ヘビーがすごく好きで、さらに大好きな〈On-U〉やエイドリアン・シャーウッド、アンドリュー・ウェザオールもやっているし、プレフューズ73とかもやっていた。ここで働きたいと思って、バイトからはじめましたね。

若鍋:ぼくもバイトですね。ちょうどオーディオ・アクティヴやドラヘビが盛り上がっていた当時、ぼくは留学をしてまして、日本にいなかったんです。でも留学中に友だちから〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のことを教えられるんです。しかも、その友だちがのちに日本に留学してビートでバイトするんですよ。で、彼からある日「お前スクエアプッシャーとか大好きじゃん。いま自分がアルバイトしてるビートインクでは、日本でそれを扱っているんだよ」と言われ、最初は翻訳のバイトからはじまりました。

大村:最初に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやることになったときは、インディだし、どうやってやろうか考えましたね。それ以前は、〈Sony〉と〈TOY’S FACTORY〉という、日本のメジャーとライセンス契約していたじゃないですか。お金もたくさん使ってやっていただろうし、うちには同じことはできない、だから機転を効かせたり、スピード感で勝負するしかなかったですね。隙を突いていくような、うちだったらこういうやり方で攻めるというような。

営業をやっていた関井さんが、ボーズ・オブ・カナダの大きなパネルつくってそれを新幹線に乗って関西のお店にまで配るとか、いろいろ泥臭い戦術でやっていましたね。

若鍋:ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

音楽産業の昔ながらの生態系が変わるのって2010年代以降じゃないですか。いろんなものがインターネットや配信などで変わってしまった。

大村:デジタルへの移行もたしかにそうでしたけど、90年代にWAVEがなくなったときはほんとうにショックがデカかったんです。うちの商品って、ほとんどWAVE頼みみたいなところがあって、だからWAVEがなくなるって聞いたときのほうが「どうなるんだろう?」ってビビりましたね。あれが最初の地殻変動でした。その後のデカいのって言ったらやっぱデジタルですね。2000年代に入ってからちょうど4〜5年くらい経って、出荷数落ちてきたなと感じたりしましたね。

30年もやっていれば、状況も変化するし、良いときもあれば悪いときもありますよ。それこそ雨、風、嵐が(笑)。

若鍋:デジタルがはじまってからは、いきなり大きな衝撃というより、その変化を徐々に体感していった感じですね。

大村:下手したら盛り下がっていることに気づかないくらい、静かに変化していったよね。ただ、日本ではフィジカルが好きな人はずっとフィジカル買うし、ヴァイナル買うのが流行れば、若い子もヴァイナル買うような感じになっているし。必ずしも、ストリーミングが喜ばれてないというか。

若鍋:ビートが創業してからいまだに変わってないのって、たぶんイベントだと思うんですよ。要はそこでしか体験できないことっていうのは、昔から変わっていない。そもそも、「ハッパーズ」じゃないですけど、ビートは「そこにそんなに力入れるんだ?」みたいなことをやってきているんです。採算度外視でも、それをやった方がお客さんに伝わるということならやる。アイデア・ベースというか、採算度外視のことをやって、でもそれが良くてリピーターになったり、アーティストのファンになってくれたりしてるのかな、みたいなことも、実感する瞬間は多々あるんです。

たとえば?

大村:ロビーやエントランスの照明にこだわったり、とにかく、雰囲気をつくりたくて。

なるほど〜。そして、ビートの第3期は、やっぱ〈Beggars〉グループとの契約だよね?

若鍋:2017年が〈Beggars〉、2019年が〈Domino〉だったと思います。

大村:〈Beggars〉は〈XL〉、〈Young〉、〈4AD〉、 〈Rough Trade〉、〈Matador〉の5レーベル。

もう、UKインディの大きなところほぼすべてじゃないですか。まさかビートがそんなことになるなんて、大村くんも夢にも思わなかったでしょ。

大村:思ってなかったですね。じつは2000年代からずっといろんな話が来ていたんです。いろいろ断っていた話はたくさんあるんですけどね。

若鍋:ただね、時代が良ければメジャーがやっていてもおかしくないようなビッグ・アーティストを、もう日本で誰もやらなくなっちゃった状況があるじゃないですか。

それはそうなんですよね。

若鍋:となると結局、マーケットがシュリンクすることを受け入れる感じになっちゃうし、そこにビートは我関せずではいられないよねっていうことで、ぼくらもちゃんとリスペクトのあるレーベルと仕事しているっていう話なんですけど、正直レーベルを取り合うような状況になったことはほとんどないんですよ。

単純に、カウンターではいられなくなってしまったと。

若鍋:海外でどういう新しいエキサイティングなことが生まれているのか? っていう考え自体が、日本においてはレフトフィールドなものになっちゃっているっていうことなんでしょうね。

海外文化の新しいもの自体が日本ではレフトフィールドになっているにではないかという感覚があるんですね。ただ、向こうのインディ・レーベルと直に仕事をしていると、良い意味で刺激を受けますよね?

若鍋:今週のチャートがまさに、1位がサブリナ・カーペンターで2位がフォンテインズD.C.で。いまはトップ・チャートも全然インディで、ブラック・カントリー・ニュー・ロードとかもトップ3位を獲ってるから、新人がトップ5とかってもうザラにあって。彼らはそれを本気で狙っているから、いいなと思います。

フォンテインズD.C.やBCNRみたいなロックは、UKでは、インディでもメインストリームとも言えるだろうし、自分たちもオリコン・チャート1位目指すぞ、と(笑)。

若鍋:物怖じはしないでおこうと思います (笑)。

ビートインクとして、紹介するのは、UKのインディ・シーンにこだわってますか?

大村:たとえばUSだと〈ROIR〉とか、〈Gold Standard Laboratories〉みたいなレーベルも扱っていたし、90年代のカーティス・マントロニックがいた〈OMW(オキシジェン・ミュージック・ワークス)〉はニューヨークのレーベルだったと思うんですけど、そこから出たアルバムの日本盤を出したりしてましたし、とくにUKにこだわってはいないです。ただ、やっぱり〈On-U〉、エイドリアンを起点に広がったところがあるので、そうなっているのかなと思いますね。

ビートインクは、海外の最高にエキサイティングな音源をいまだに日本で配給している拠点だし、海外で起きていることを伝えるメディア的な役目も果たしているわけだし、ほんとうに頑張ってほしいなと思いますね。最後に、これからの展望なんかも聞かせてもらえたらと思います。

大村:2000年代に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約して、2010年代には〈Domino〉や〈Beggars〉も来て、ずいぶん変化しているように見えるかもしれないけど、美意識がちゃんとあれば、ずっと続けていけるかな、と。

この会議室にもリー・ペリーの写真が飾ってあるぞ、と(笑)。

大村:リーに見られても恥ずかしくない生き様で続けていこう、と思います(笑)。

若鍋:時代とともに「なにがレフトフィールドなものに見えるか」みたいなことも変わっていますよね。ビートの軸は変わらないけど、マーケットが変わっていったら、それによってビートインクがやっていることは変わっていっているように見えているかもしれない。でも、じつはビートのアティチュードや信念みたいなものは変わっていないし、たぶん、それはいつの時代にも必要とされるものなんじゃないかと思います。

そして最終的には、30周年のイベントを、エイドリアン・シャーウッドを迎えてやると。さすがですね、立派に筋が通っています!

一同:なので、9月14日の30周年パーティにもぜひ足を運んでください!

interview with Galliano - ele-king

(ガリアーノのスタイルには)ロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。

 UKでアシッド・ジャズ・ムーヴメントが巻き起こった1980年代後半から1990年代前半、ヤング・ディサイプルズ、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイなどと並んでシーンを牽引したガリアーノ。その後1997年に解散し、中心人物のロブ・ギャラガーも別のプロジェクトなどで活動していたが、そのガリアーノがなんと再始動し、ニュー・アルバムの『Halfway Somewhere』を発表するという驚きのニュースが飛び込んできた。ガリアーノにとって『Halfway Somewhere』は、スタジオ録音作としては1996年の『4』以来28年ぶりの新作となるのだが、アシッド・ジャズ時代をリアル・タイムで体験してきた者にとって、彼らの復活はまったく予想外であった。しかし、現在はかつてのガリアーノについて知らない人も少なくないと思うので、まず当時の活動状況やシーンの様子などから振り返りたい。

 ガリアーノのデビューは1988年で、当時のロンドンはヤング・ディサイプルズやザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズらが出てきて、俗に言うアシッド・ジャズのムーヴメントが巻き起こっていた時代だった。ガリアーノのデビュー曲は、カーティス・メイフィールドの “Freddie’s Dead” をリメイクした “Frederic Lies Still” で、リリース元はDJのエディ・ピラーとジャイルス・ピーターソンが設立して間もない〈アシッド・ジャズ〉。当時のアシッド・ハウスに対抗して作られたと言われる標語をレーベル名に持つ〈アシッド・ジャズ〉の名前を一気に広め、その頃同様に盛り上がりを見せるレア・グルーヴ・ムーヴメントともリンクして人気を集める。
 ガリアーノはロブ・ギャラガーとコンスタンティン・ウィアーのツイン・ヴォーカルを中心に、マイケル・スナイスのヴァイブ・コントローラー(MC的な役割)、スプライことクリスピン・ロビンソンのコンガという編成で、サポートでミュージシャンやコーラスが加わり、ライヴではダンサーなども入る。バンドというよりロブ・ギャラガーのプロジェクトという色合いが強い。サポート・メンバーにはドラマーのクリスピン・テイラー、ベーシストのアーニー・マッコーン、ギタリストのマーク・ヴァンダーグフトらがおり、一時はスタイル・カウンシルのミック・タルボットもキーボードで参加していた。ジャズ、ファンク、ソウル、ゴスペル、アフロ、レゲエなどをミックスした音楽性、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート詩人の流れを汲む歌詞、ラスト・ポエッツやワッツ・プロフェッツのようなポエトリー・リーディング・スタイル、そしてモッズとラスタファリをミックスしたような独特のファッションに、アート、デザイン、カルチャーなども結び付け、USのジャズ・ヒップホップに対するUKのアシッド・ジャズのムーヴメントを牽引していく。

 1990年にジャイルス・ピーターソンとノーマン・ジェイが〈トーキン・ラウド〉を設立すると、そこに加入してファースト・アルバムの『In Pursuit Of The 13th Note』(1991年)、『A Joyful Noise Unto The Creator』(1992年)を発表し、ファラオ・サンダースアーチー・シェップ、ダグ・カーン、ロイ・エアーズなどのジャズ系のカヴァーやサンプリングで高い支持を得る。特にスピリチュアル・ジャズ系のネタ使いはそれまでほかのアーティストに見られなかったもので、またほかのアーティストに比べて強いメッセージ性を有する歌詞やスタイル、言動により、ガリアーノは一種のカリスマ的な人気を博する。
 その後、アシッド・ジャズ・ブームが沈静化してきた1994年、オリジナル・メンバーのコンスタンティン・ウィアーが脱退し、代わりにサブ・メンバーとしてコーラスをやっていたヴァレリー・エティエンヌが正式メンバーとなる。そうしてリリースした『The Plot Thickens』は、クロスビー・スティルス&ナッシュのカヴァーである “Long Time Gone” をはじめ、フォーキーなロックやソウルを取り入れて新境地を開拓。ヴァレリーのソウルフルなヴォーカルがガリアーノの音楽性に化学反応を生じさせ、アーシーでアコースティックな音楽性が加わる。そして、ハンプシャー州トワイフォード・ダウンの高速道路計画に対する抗議曲の “Twyford Down” を収録するなど、これまで以上に政治的なメッセージ性を示したアルバムだった。
 1996年に入ってリリースした『4』は、『The Plot Thickens』のフォーク・ロックに加えてスワンプ・ロックやファンキー・ロック、サイケ・ロックやオルタナ・ロックの要素が増し、同時期に活躍したレディオヘッドに通じるところも見受けられる。トリップホップやディスコ・ダブ的なアプローチはじめ、当時のクラブ・シーンでも最先端として注目されたジャングル/ドラムンベースの要素を導入し、初期のアシッド・ジャズのスタイルから大きく変貌を遂げる。ただし、メディアや世間はその急激な変化や実験性に困惑し、『4』は以前の作品に比べてあまり評価されることなく1997年にガリアーノは解散する。解散前の1996年12月に新宿のリキッド・ルームで公演をおこない、『Live At The Liquid Room』としてリリースされたのが最後の作品となる。そのほか、アンドリュー・ウェザオール、ザ・ルーツ、DJクラッシュらによるミックスをまとめたリミックス・アルバム『A Thicker Plot – Remixes 93-94』も1994年にリリースされている。

 解散後の1998年にロブ・ギャラガーは、ガリアーノやヤング・ディサイプルズのエンジニアを務めていた通称ディーマスことディル・ハリスと双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成する。ロブの公私に渡るパートナーとなったヴァレリー・エティエンヌと、後期ガリアーノのサポート・メンバーで、K・クリエイティヴやロウ・スタイラスなどで活躍してきたキーボード奏者/プロデューサーのスキ・オークンフルも合流した。セカンド・アルバムの『Three Street Worlds』(2003年)は、モーダルなスピリチュアル・ジャズとダウンテンポ・ソウルが結びついた傑作として高く評価される。
 当時のクラブ・ジャズ・シーンは4ヒーローやジャザノヴァなどが活躍し、ドラムンベース、ブロークンビーツ、2ステップ、ディープ・ハウス、テクノなどと結びついていた時期で、トゥー・バンクス・オブ・フォーもジャズやソウルを基調にしつつも、エレクトロニクスを導入した実験性の高い世界を作り出していく。当時のディーマスはウェスト・ロンドン・シーンと繋がりが深く、ブロークンビーツのシーンともコミットし、リミックスにはフォー・テット、ゼッド・バイアス、マシュー・ハーバートらも起用されていた。

 今回のニュー・アルバム『Halfway Somewhere』に関して、インタヴューを受けてもらうのはロブ・ギャラガーと、合間でヴァレリー・エティエンヌも入ってもらうのだが、こうしたガリアーノからトゥー・バンクス・オブ・フォーへの流れを踏まえた上で話をはじめることにする。

私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。

最初に1990年代まで遡って話を伺いたいと思います。当時ガリアーノが解散に至った理由などについて、改めて教えてください。

ロブ・ギャラガー(以下、RG):ガリアーノは10年の間にさまざまな変遷をたどった。そもそもガリアーノという名前は、1984年頃にジャイルス・ピーターソンの「マッド・オン・ジャズ」というパイレーツ・ラジオの番組で、ロンドンでおこなわれるライヴを案内するために作られたキャラクターに由来しているんだ。ガリアーノのスタイルというのは、ポエトリーやコンガ、ファンクからドラムンベースまで、すべてが一貫しているようなある種の「声」の中でおこなわれていた。つまり、それはロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。でも僕は、1996年までには、個人的にほかの方法で音楽を探求したいと思うようになっていた。そして、その「声」に窮屈さを感じていたんだ。ガリアーノは世間の需要がまだ強く、ライヴを続ければ続けることはできたけど、それは活動を続ける十分な理由ではなかったんだよ。

その後、1998年にディーマス(ディル・ハリス)と双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成します。この1990年代後半から2000年代前半は、とても創造的で刺激的な時代だったと思いますが、改めて振り返ってみていかがですか?

RG:トゥー・バンクス・オブ・フォーは、さっき話したような領域を探検するのに使った出口のひとつだった。いまも変わらず、僕はディーマスのアートや音楽に対するセンスを心から信頼している。僕らは同じインスピレーションをたくさん共有しているし、そういう意味で僕は本当に感謝しているんだ。同じ周波数にいる人を見つけるのは、簡単なことではないからね。僕らは彼のナンバーズというプロジェクトでも一緒に仕事をした。それらだけでなく、僕らは様々な名義で一緒に曲を作ったんだ。レゲエ・シンガーのフェリックス・バントンとシーズというバンド名義で “Dance Credential” という曲をリリースし、それを演奏しに日本に行ったこともあるしね。僕たちの最高傑作は、ウィリアム・アダムソン名義の僕のアルバム『Under An East Coast Moon』だと思う。そして、僕らはロンドン映画祭のサントラ部門で短編映画のトップ10にも入った。
 余談になるけど、ディーマスの娘リーラはガリアーノの最新シングル “Pleasure Joy And Happiness” のビデオにも出演しているんだ。そんな感じで僕たちのコラボレーションはずっと続いているんだよ。いまもクリエイティヴだけど、1990年代後半から2000年代前半はとてもクリエイティヴだったと思うね。

この当時のロブはアール・ジンガー名義でソロ活動もはじめて、レゲエやダンスホール、ダブやサウンドシステムに影響を受けたスタイルで、ガリアーノ時代にはじまるポエトリー・リーディングの世界をより広げていきます。また、自身のレーベルである〈レッド・エジプシャンズ〉を設立し、トゥー・バンクス・オブ・フォーの覆面バンドであるザ・シークレット・ワルツ・バンドはじめ、いろいろな変名を駆使して活動していきます。まさにパンク的なDIYの精神に基づく〈レッド・エジプシャンズ〉ですが、その後のアレックス・パッチワーク(アレックス・スティーヴンソン)とのユニットのザ・ディアボリカル・リバティーズ、今話に上がった変名ソロ・ユニットのウィリアム・アダムソンとしての活動も、すべて〈レッド・エジプシャンズ〉設立から繋がっています。ある意味で時代のトレンドとは離れ、自身が思うままに自由な活動をしていったわけですが、トゥー・バンクス・オブ・フォーが解散した2008年以降は、どの方向に向かって活動していきましたか?

RG:実際のところ、トゥー・バンクス・オブ・フォーは解散したわけではないんだ。リミックス・ワークもいろいろとやっているし、ギグもたくさんやった。だから、レコードは出していないけれど、僕らは様々な別の方法で活動しているんだ。僕は多くのDJやバンドと一緒に活動してきた。ジャイルスはいつもそこにいたし、クルーダー&ドルフマイスターもそうだった。僕はアール・ジンガーのバンドと一緒にツアーをして東京でプレイしたこともあるし、当時はジャズトロニックの野崎良太とも仕事をしていたね。
 そしてもうひとつのプロジェクトで、いまでも活動しているディアボリカル・リバティーズはあの頃にはじまった。当時の方向性はあまり明確ではなく、もっと実験的な時期だったと思う。フリー・ジャズの詩からDJのアシュリー・ビードルとの曲作りまで、いろいろなことをやっていたからね。友人のアンドリュー・ウェザウォールがよく言っていたように、僕はただ何かを作るという過程を楽しんでいるんだ。詩であれ、コラージュであれ、映画であれ、音楽であれ、この世にまだ存在していないものを作り、それを送り出すことをね。

個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。

あなたのパートナーでもあるヴァレリー・エティエンヌは、ガリアーノ、トゥー・バンクス・オブ・フォーを通じて一緒に活動していましたが、その後出産や子育てもあって音楽活動から離れる時期もありました。2010年代以降はジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートやブルーイのユニットのシトラス・サンなどの作品に加わるなど、近年はまた活動が活発になってきています。2010年代に入ってロブとヴァレリーのふたりがクレジットされるプロジェクトでは、2014年にジャイルス・ピーターソンが立ち上げたブラジリアン・ユニットのソンゼイラがあり、さらに2020年代ではブルーイによるSTR4TA(ストラータ)があります。特にストラータの『Str4tasfear』(2022年)にはゲストでオマーが参加し、アウトサイドやインコグニートで活躍してきたマット・クーパーや、スキ・オークンフルなど〈トーキン・ラウド〉時代の仲間もセッションしていて、恐らくガリアーノのリユニオンへと繋がるプロジェクトではなかったのかと思うのですが、いかがですか?

RG:ソンゼイラはジャイルスがはじめたプロジェクトだったけど、僕とディーマスはリオに行き、作曲とプロデュースという形でコラボし、参加したんだ。ヴァレリーもヴォーカルで参加して欲しいと頼まれた。とても楽しかったし、たくさんのブラジルのミュージシャンたちに出会えたのは本当に光栄だったね。そしてそのうちのひとりが、僕たちの大親友であるカッシンで、彼は僕らと一緒にソース・アンド・ドッグスというプロジェクトをやっている。あのプロジェクトは、これまで携わってきた中でも最高のプロジェクトのひとつだと思う。ライヴもやってて、シチリア島のパフォーマンスではダンサーも入れたんだ。あのショーはすごかった! いまは1970年代に活動していたホセ・マウロの音楽を基盤にしたアルバムを書いているんだけど、近々リリースできたら嬉しいね。スキ・オークンフルは新しいガリアーノのプロジェクトで一際目立っている。彼はいま、ソロのミュージシャンとしても大成功しているし、自身のYouTubeチャンネルで楽曲制作過程を機材や楽器を使って技術的にレクチャーする番組をやってるんだけど、それがすごく人気なんだ。ガリアーノの再結成に至った経緯には正直僕にもよくわからないところもあるけれど、自分では気づかないことが頭の中でいろいろと起こってたんだと思う。ある意味、「再結成」なんてするつもりはなかったから自分でも驚いているんだけど、この「声」の中にある創造的な衝動がいまとても強くなってきていると思うから、再結成できてとても嬉しいよ。

2023年春にガリアーノのリユニオンが発表されます。コンスタンティン・ウィアーやミック・タルボットといった初期の主要メンバーは参加していませんが、ロブ、ヴァレリー、スキのほか、オリジナル・メンバーのクリスピン・ロビンソンや、長らくサポートをしてきたアーニー・マッコーン、クリスピン・テイラーが中心となります。メンバーにはどのようにガリアーノ再結成の話をし、参加してもらったのですか?

RG:再結成の経緯は曖昧だと言ったけど、ひとつのきっかけとしては友人でもあるマシュー・ハーバートから電話がかかってきて、彼の友だちの誕生日パーティで演奏してくれないかと言われてね。ガリアーノで演奏することはもうないだろうと思っていたんだけど、「きっと楽しいから!」と説得されたんだ。

ヴァレリー・エティエンヌ(以下、VE):集まって数曲演奏するだけだから、なんとかなるはずってね。

RG:それで30年ぶりにリハーサル室に皆で集まったんだけれど、顔を見合わせたとき、これはなかなか面白いなと思った。それからいくつか曲をプレイしてみたら、素晴らしいことに脳みそが全てを覚えていたんだ。どこでストップするとか、どこで何を演奏するとかね。で、ヴァレリーが “Masterplan”(ファラオ・サンダースとレオン・トーマスによる “The Creator Has A Masterplan” のこと)をリハーサルとは違う歌い方で歌いはじめたんだ。歌詞全体を織り交ぜるような歌い方だったんだけど、それを聴いた途端に、いまでも昔と同じようにできるだけでなく、どこか違う、新しい方向に進むこともできるんだと思った。それが可能だということが僕を興奮させたんだ。

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「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリュー・ウェザオールが「自己破壊的、非出世主義者」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。

2023年8月のジャイルスの「We Out Here」フェスティヴァルへの参加を経て、アルバム制作に入り、そして『Halfway Somewhere』が発表となります。「道途中のどこか」という意味のこのアルバムですが、どのような思いが込められているのでしょう?

RG:何かを失くしたとき、あるいは自分の人生がどこに向かっているわからなくなったとき、人はそれがどこかにあるはずだと考える。自分の鍵はどこにあるんだろう? 絶対どこかにあるはず、とね。私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。でも僕らがどこにいるのかというのは、自分たちにはよくわからない。しかし僕たちがどこかにいるのは確かで、たぶん中間地点くらいにはいるんじゃないかなと思って、そのタイトルにしたんだ。君がもし、自分がいる場所がどこかもっと明確にわかっている場合は、中間じゃなくてその場所だととらえてもらって構わない。どこにいるのかは、たぶん僕ももっとよく考えないといけないな。でも、もう手遅れかも(笑)。今週末のWOHフェスティヴァル用に『Halfway Somewhere』と書いてあるポールを作ってしまったからね(笑)。僕は映像作家でアーティストのドナルド・ハーディングとコラボして、ポールにぶら下げるスローガン風の楽譜のオブジェを作ったんだ。ちょうど1960年代にオノ・ヨーコがやってたようなヤツをね。「好きな方向に5歩踏み出せ」とか、「東を向け」とかね。だから、少なくとも今週末は中間地点でたくさんの動きがあるだろう。この答えが参考になるといいけど。

1990年代と現在では音楽や社会も変化していますが、新生ガリアーノは約30年ものブランクをどのように埋め、そして新たな発信をしていこうと考えていますか? 逆に30年前から現在においても継承し、続けている部分もあるのでしょうか?

RG:僕たちはいま起こっていること、いま使われている様々な方法から学びたいと思っている。だから、ライヴをやって観客から何を得るかがこれから楽しみだね。当時のガリアーノのライヴはとても集団的だった。悪い言い方をすると、皆個性を殺して、混ざり合った集団になる。でもいまは、僕らも観客も、少しずつ違う場所からやってきて、違うものを持ってくる。だから、ギグに何が求められるのか、何が必要なのか、実際にそこに行ってみるまでわからない。行ってみて突如、知らなかった何かを感じるのは面白いだろうね。そして、人間というのは理性的な部分と感情的な部分で構成されている。だから、後になってあのとき何が起こっていたんだろうと考えることができる。でも僕は、自分の精神が自分の身体に影響される時間というものにとても興味がある。踊ってそれに没頭すればトランス状態に近づき、自分の体の外に出たような気分になる。音楽はそういう逃避の手段なのかもしれないね。ライヴの環境には制御できない、コントロールできない何かが存在している。音楽は目に見えないけれど、波形のようなものが存在していて、僕たちには理解できないことが起こっているんだ。その一体感というのは瞬間瞬間に感じるものであって、その後に感じることはできないのかもしれない。だから、これから学ぶことはたくさんあるし、技術的な面でも、また違ったやり方で音楽をやることもできる。いままで知らなかったことを学び、それを実験する方法がたくさんあるからね。僕たちは皆違うことをやって、またこのプロジェクトに戻ってきた。それによって構造から少し自由になるかもしれない。そして自由になると、そこから何が起こるかは誰にもわからないんだ。

VE:いまの私たちは、ただその瞬間を楽しもうとしているの。前はもっと構造的だったと思うから。

RG:かつてのガリアーノのライヴは、結構アナーキーな雰囲気だった。オーディエンスがステージに登ってきたりしてね(笑)。ステージ・マネージャーが「ステージが壊れるから人を降ろせ!」と言うほどだった。当時はそれについて考えたこともなかったし、ガリアーノをやめてからもあまりガリアーノについて考えたことがなかった。先のこと、未来のことしか見ていなかったからね。でも、いま何が起こっているのかを理解することも重要なことなんだ。たぶん、いまというときは初めてスローダウンして、自分たちがどこから来たのかを振り返るチャンスだと思う。

近年のロンドン、特にサウス・ロンドンではジャズが再び盛り上がりを見せ、トム・ミッシュロイル・カーナーキング・クルールといったシンガー・ソングライターたちも活躍しています。こうした状況の中、ガリアーノとしてはどのような活動を思い描いていますか? 個人的にはガリアーノの精神はキング・クルール、ブラック・ミディ、プーマ・ブルー、ジャークカーブあたりに受け継がれているのかなと思いますが。

RG:キング・クルールはディーマスがプロデュースとミックスを担当していて、そうした点で繋がりがあるとも言えるし、ブラック・ミディも大好きだよ。YouTubeに彼らがホルンを使って素晴らしいセッションをやっている動画あるんだけど、あれは最高だった。ガリアーノのクリスピン・ロビンソンは、ときどき彼らと一緒にパーカッションを演奏している。音楽はかつてないほど生き生きとしていて、彼らが知り合いかそうでないかにかかわらず、とても親しみを感じるんだ。個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。それから、僕らの近所にカフェ「OTO」という素晴らしいヴェニューもあるんだけれど、そこでは何曜日に行っても良いショーが観られる。先週はジャズ・カフェでリオ出身のアナ・フランゴ・エレトリコのショーを観たんだけれど、それもすごく良かったね。
 あと、現役のアーティストじゃないけど、ライフトーンズ(1980年代前半に活動したポスト・パンク系のエレクトロニック・ダブ・トリオで、1983年にリリースした『For A Reason』というアルバムが2016年にリイシューされた)も素晴らしいバンドで、いまもよく聴いているんだ。ヴァレリーはいま、アシャ・プトゥリ(1970年代にリリースした “Space Talk” や “Right Down Here” で知られるインド出身の伝説的なシンガー)と一緒に歌っているんだけど、彼女たちのショーもすごく面白いんだ。ヴァレリーがそれについていろいろ話を聞かせてくれるんだよ。きりがないからこの辺で止めておこう。でももうひとり、アメリカの詩人のピーター・ジッツィも素晴らしい。彼の最新の詩集『Fierce Elergy』には度肝を抜かれたね。

マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。

『Halfway Somewhere』の話に戻りますが、『In Pursuit Of The 13th Note』収録の “57th Min” と “Power And Glory”、『A Joyful Noise Unto The Creator』収録の “Jazz” をセルフ・カヴァーしています。これらについてどんな意識でカヴァーしたのでしょう?

RG:それはディーマスのアイデアだったんだ。彼が僕たちのライヴを見たんだけど、その後、ニュー・アルバムにいくつか昔のトラックを収録したほうがいいと言ってきたんだよ。それらの曲は前と全然違って聴こえるし、昔よりも今のサウンドに合わせたほうがいいから、と。だから、じゃあレコーディングしようということになった。つまり、昔のトラックの新しいヴァージョンやった、という感じだね。たとえば “Jazz” は、ふたつ目のヴァースが違うんだ。最初のヴァースは1990年かその前に書かれたもので、ふたつ目のヴァースは2023年に書かれたもの。だから新ヴァージョンには、例えばニューヨークのジャズ・トランペッターのジェイミー・ブランチなんかが出てくる。彼女は残念ながら2022年に亡くなってしまったけれど、曲の中では彼女の名前が出てくるんだ。
それから、歌詞では「チャーチ・オブ・サウンド」にも触れている。「チャーチ・オブ・サウンド」というのは、イースト・ロンドンのクラプトンでおこなわれていたギグ・イベントで、トータル・リフレッシュメント・センターともリンクしているんだ。そして、トム・スキナーの作品でプレイしていたジェイソン・ヤードにも参加してもらった。彼も素晴らしいジャズ・サックス奏者で、僕たちがそんな彼らと一緒に仕事ができたのは本当に幸運だったと思う。だから、彼らの名前が歌詞にも出てくるんだ。前回の曲に新しい歌詞が加わったアップデート・ヴァージョンがそれらのカヴァーなんだよ。これもまた時間遊びで、こういった方法で時間を楽しんでいるのも面白いと思うね。

“Golden Shovel (Someone Else’s Idea)” はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” にインスパイアされた曲ですね。トゥー・バンクス・オブ・フォー時代もサン・ラーからの影響が見られたのですが、今回はどのようなアイデアからこの曲を作ったのですか?

RG:僕は詩の形式にかなり興味を持っているんだ。“Golden Shovel” では明らかなソネットの形式を取り入れ、それから様々な異なる詩の形式を用いている。“Golden Shovel” はかなり現代的な形式の詩で、この形式はニューヨークに住むテレンス・ヘイズという詩人が考案したものなんだ。彼はワンダ・コールマンという詩人と一緒にその形式を考案し、彼女が詩の中で使った言葉を最後のフレーズにして詩を書いた。そのやり方を参考にして僕はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” を使い、この言葉を最後のフレーズとして使ったんだ。そうやってできたのが “Golden Shovel” なんだよ。

“Cabin Fever Dub” は、親交のあったアンドリュー・ウェザオールに捧げている曲ですね。彼が手掛けた “Skunk Funk” の “Cabin Fever Mix” 及びダブ・ヴァージョンの “Cabin Fever Dub” は、ガリアーノのいろいろあるリミックスの中で一番のものだと思いますが、2017年に彼が亡くなって、改めてこの曲に込めたオマージュについてお聞かせください。

RG:死というのは、起こるべきではなかったと思えるもの。だから簡単に受け入れることができないんだ。全ての死がそうだと思う。不在、というものと向き合うのはとても寂しい。彼がいなくなり、僕も本当に寂しいんだ。彼は、僕がかつて「僕は自分の人生で何もやり遂げていない」と悩んでいたときに、僕の人生に価値を見出してくれた。「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリューはダルストンでラジオ番組をやっていたんだけど、そのとき彼が「Sabotaging, Non careerist(自己破壊的、非出世主義者)」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。それで今回、あのリミックスをもとに新しく歌詞をつけたんだ。彼の死と、喪失感についての歌詞をね。

“Circles Going Round The Sun” の歌詞には、そのウェザオールはじめ、ジェイムズ・ブラウン、デヴィッド・マンキューソ、アーサー・ラッセル、ジャー・ウォブル、KRS・ワンのクリス・パーカー、後にLDCサウンドシステムを結成するジェームズ・マーフィーなどのミュージシャンやDJが登場します。初めてニューヨークやベルリンに行ったときの体験をもとにしているようですが、どのようなイメージの曲ですか? マンキューソの「ザ・ロフト」での体験を歌っているのですか? 楽曲もロフト・クラシックであるウォーの “Flying Machine” のフレーズを引用しているみたいですが。

RG:あの歌詞の内容は「ダンス」について。僕が大好きな素晴らしいポッドキャストの番組で「Love Is The Message」というのがあって、DJでもあるふたりの学者、ジェレミー・ギルバートとティム・ローレンスがホストを務めているんだけれど、彼らは理論と音楽を番組の中で一致させるんだ。彼らは1970年代のニューヨークを出発点とした。それは世界が文化的にひとつになった場所だったけれど、経済的には失敗とみなされ、街は荒廃していった。しかし、そこにはたくさんのクリエイティヴィティが存在していた。ロフト・シーンやらジャズ・シーン、ヒップホップの登場まで、あらゆることが起こっていたんだ。そして、どのようにしてディスコが見向きもされなくなったのかもまた興味深い。シカゴでは、DJがディスコのレコードを破壊したりもした。そういった出来事を振り返りながら、人種、経済、哲学、その他様々なことを理論的に考察しているんだ。“Circles Going Round The Sun” は、そのすべてを取り入れたもの。そして、当時の僕の頭の中にあった様々なことに目を向けている。ガリアーノがはじまり、僕らが初めてニューヨークに行ったとき、そこにはジェイムズ・ブラウンがいたし、僕らはクリス・パーカーにも会った。そしてそのあと、ポッドキャストにも出てくるデヴィッド・マンキューソが登場する。マンキューソはDJで、パーティを開催し、コミュニティやパーティから生まれるものに興味を持った最初のDJだった。彼はかなりの集団主義者だったんだ。つまりあの歌詞は、スパースターDJや個人のことについて触れているのではなく、コレクティヴや、そこで何が起きていたのか、そして人びとが何をしようとしていたのか、ということを表現しているんだよ。そして、その後にはソニックスから生まれた様々な哲学があり、ジャングルは非常に異なるサウンドを持つ最後の本物の音楽だったかもしれない。
 面白いのは、1969年の音楽とその制作方法について考え、1974年の音楽を聴いてみると、69年と74年の違いがよくわかること。でも一方で、2000年、2005年、2010年の音楽を聴いてみるとどうだろう? 違いが全然わからない。これは、テクノロジー社会がどうなっていくかというメッセージでもある。インターネットが登場してから、未来はかき乱されてしまったんだ。イタリアにフランコ・ベラルディという哲学者がいるんだけれど、彼は、「未来はキャンセルされてしまった(正しくは、未来の穏やかなキャンセル)」と言った。僕は、それが面白いと思ったんだ。1970年代の若かりし頃は、未来に目を向けたとき、未来はもっとよくなると思っていた。でも気候変動やそういった問題とともに、当時思い描いていた未来は姿を変えてしまったんだ。そして文化的には、マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。YouTubeを見れば、1960年代のものにも、2004年の作品にも同じように触れ、それに夢中になることができるからね。全てが繋がっていて自分の目の前に同じように存在するとき、自分にとってそれが何を意味するのか? 文化的に頭がグルグルするんだよ。そういうわけで、そのトラックには様々な人たちが出てくるんだ。まあ結局、全ては輪になっているからね。

この曲にはスコットランドの詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンや、アメリカの文化理論学者で詩人のフレッド・モートンの名前も登場します。ガリアーノの歌詞には彼らからの影響も大きいのでしょうか?  また、イギリスの現代アート作家であるマーク・レッキーの名も引用していますが、何かインスピレーションがあったのですか?

RG:僕はジョージ・マッカイ・ブラウンが大好きで、あの歌詞は彼の詩 “Hamnavoe” を引用していて、僕が大好きな詩のひとつなんだ。歌詞の内容は「イメージ」について。ジョージ・マッカイ・ブラウンは詩の中で、ハムナヴォーで郵便配達をしていた父親のことを書いていて、詩の中に “In the fire of images, Gladly I put my hand, To save that day for him(イメージの炎の中で、喜んで手を差し伸べた、彼のためにその日を救うために)”という箇所があるんだけれど、僕はそのフレーズを歌詞に入れたんだ。そして、アンドリュー・ウェザウォールも彼のことを知っていたんだよ。ジョージ・マッカイ・ブラウンについて知っている人は少ないし、特にDJで彼を知っている人なんてほとんどいないと思う。でもアンドリューにその話をしたら、「もう彼の伝記は読んだかい?」と言ってきた。彼以外でそんな答えをくれる人なんていないだろうね(笑)。

1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

“Of Peace” はファラオ・サンダースの “Prince Of Peace” がモチーフとなっています。ガリアーノらしいネタ使いですが、改めてファラオ・サンダースの影響についてお聞かせください。

RG:このアルバムの柱のひとつは、消去というアートへの強い興味だと思う。つまり、いろいろなものを取り除いて新しいものだけを残す、というアート。そこで “Prince Of Peace” の歌詞を使ってそれをやりはじめ、プリンス(エジプトのファラオ王子=ファラオ・サンダース)が亡くなったからタイトルからプリンスを取って、「Of Peace」を残したんだ。

ダビーなエフェクトが印象的な “Crow Foot Hustling” では、ミルトン・ナシメントのクレジットもあります。確かにヴァレリーが歌うサビのフレーズのメロディはミルトンらしいものですが、何かインスパイアされているのですか?

VE:私は彼のメロディが大好きで。ソウル・ミュージックやフォーク・ミュージック、ロックを歌うことに慣れていると、ブラジル人の視点で歌うのはとても難しい。でも私は、そこが興味深いと思った。すごく挑戦的だし、そっちの方が私自身にとってはエキサイティングで。新しい視点や側面を楽しむ、という考え方からその曲は生まれたの。

“Euston Warehouse” は1980年代後半のロンドンのウェアハウス・パーティがモチーフになっているようですね。改めて当時のウェアハウス・パーティの思い出や、その意義について教えてください。

RG:僕は正直、記憶とはほとんど創造的なものだと考えている。人はいつも自分の記憶はかなり明確なものだと思っているけれど、歳を重ねるにつれて、記憶とは創造的な行為であることに気づくんだ。そこで、だから僕の頭の中で10個くらいのウェアハウス・パーティがつなぎ合わされて、ウェアハウスについての詩ができ上がった。でも実際は、10個どころかもっとたくさんのウェアハウス・パーティだと思う。1980年代は本当に数え切れないほどのウェアハウス・パーティがあったから。でも、ロンドンのユーストン駅の車庫で行われたパーティは確実にその中のひとつで、僕は絶対にあのパーティに行ったのを覚えている。そしてその上に、ほかのいろいろな思い出が重なってきたんだ。でもあの曲はおもにそのユーストンのパーティについて。1980年代は音楽的に自由で、本当にいろいろな音楽が演奏された。それに、会場そのものかなり自由で面白かったしね。あの時代は、音楽が爆発的にロンドンを支配した。当時のロンドンはすごく灰色で、いまのロンドンとは全然違っていたから。ロンドンにはまだ波形鉄板の屋根とかが残っていて、第二次世界大戦の爆撃跡もたくさんあったんだ。でも安く住める場所だったし、倉庫に侵入してパーティを開くこともできた。いまではそんなことはあまりできないからね。

VE:正直、私はあまりウェアハウス・パーティには行かなかった。いくつか行きはしたけど、多くはなかったな。

RG:当時のロンドンはいまより物価が安かったかもしれないし、いろいろな意味で劣っていたかもしれない。でも、ある種の自由があった。いまではロンドンで安く生活するなんてできないからね。1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

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