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RICARDO VILLALOBOS / PRINS THOMAS / DJ NOBU
ZERO SET 2 RECONSTRUCTED
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RICARDO VILLALOBOS / PRINS THOMAS / DJ NOBU
ZERO SET 2 RECONSTRUCTED
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VARIOUS ARTISTS
International Feel
INTERNATIONAL FEEL / JPN
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PULSHAR
Inside
DESOLAT / GER
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ROY DAVIS JR./OMARS FEAT.DJ B-LEN-D
All I Do/Da-Teys
FXHE RECORDS / US
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TRAVERSABLE WORMHOLE
Vol.1-5
CLR / JPN
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MIKE HUCKABY
From The Mind Of Synth
SYNTH / US
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SOFT VS DJ DUCT
LOOP SEGUNDO / FEEL MORE
NNNF / JPN / 2010/10/20
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BURNT FRIEDMAN & JAKI LIEBEZEIT
5 7 EP
NONPLACE / GER / 2010/10/20
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V.A. (MOODMAN / SHHHHH)
ZZK RECORDS PRESENTS THE DIGITAL CUMBIA EXPLOSION
RUDIMENTS / JPN / 2010/10/13
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TRUJILLO
BABY YOU'RE STILL THE SAME
APERSONAL MUSIC / UK / 2010/10/20
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NICOLAS JAAR
LOVE YOU GOTTA LOSE AGAIN EP
DOUBLE STANDARD / US / 2010/10/18
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RONDENION
BEGINNING OF THE RING EP
BOSCONI EXTRA VIRGIN / ITA / 2010/10/9
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ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの再発を2枚。
その前にギュンター・シッカートが75年にリリースしたファースト・ソロがこれまで〈メトロノーム〉から復刻されていたものをイタリアのワウ・ワウがオリジナル・ジャケットで再-再発。どっちが先なのか知らないけれど、同時期にマニュエル・ゲッチングが『インヴェンションズ・フォー・エレクトリック・ギター』で試みていたミニマリズムを荒削りなアプローチで変奏しているようで、ソニック・ユースがマニュエル・ゲッチングをカヴァーしているようなトリップ・スケールは、ダイナミックでありながらヒプノティックな感性も損なわず、複数の情報を同時に処理できるようになった現在のリスナーのほうが楽しめるのでは。もしもダメンバルトが『インプレッショネン』を録音した当時(71年)、その音源をすぐにリリースしていたらアシュ・ラ・テンペルは確実に方向性を変えていたとかなんとかいわれているのに対し(そうだったかもしれないし、あまりにノイバウテンなどの感覚を先取りし過ぎていて、結局はスルーされたかもしれないけれど)、同じ時間軸に存在しながらも『ザムトヴォーゲル』はゲッチングらに影響を与えなかったことが、むしろ、この結果につながっているともいえる。
また、『ザムトヴォーゲル』の冒頭を飾る比較的短めの"アプリコット・ブランディ"は早くもノイエ・ドイッチェ・ヴェレを先取りしているようなところがあり(偶然だろうなー)、次の世代への橋渡しもせずに消えた人だという印象を強めるところもある。ミッシング・リンクとしては実に興味深い存在だろう。
同じように、この春に初めてコンパイルされた〈ククク〉(というレーベル)の『クラウド・ククランド』は、これまで同レーベルからはドイターやエバハルト・シェーナーといったアンビエント系のヴェテランばかりが名を残していたので、アトモスフェリックな音楽の総本山のようなものかと思っていたんだけれど、まったくそんなことはなくて、ジミ・ヘンドリクスばりのサイケデリック・コピーからノイエ・ドイッチェ・ヴェレへの助走段階まであらゆるフォーマットが多岐に渡って並べられ、音資料としてはなかなか貴重なものになった。ファインダー・キーパーズからはサム・スペンス『サウンズ』も同時に復刻されている。
さて、本題。
「81年」にカセットのみのリリースだったというナーキ・ブリラン『ゴーズ・イントゥ・オーボ...』が初めてアナログ化(つーか、CD化されたことはない)。コンテンポラリーばかりをリリースしてきたイタリアの〈アルガ・マーゲン〉が新たに設立したサブ・レーベルの第1弾としてリリースされ(確かに親レーベルからは出せない音です)、数あるノイエ・ドイッチェ・ヴェレのなかでもここまでヒネくれたものもそうはない。のっけっからパレ・シャブールがトリオと合体したような曲の洪水で、さらには現代音楽に通じる感性も呑みこみつつ、すべてをナンセンスという共通項によって押し進めていく。この当時にしてはベースも深々と響き、鼻声のヴォーカルも含めて典型的ともいえるパターンでも(いまごろ聴くからかもしれないけれど)どこか新鮮。楽しいのか悲しいのか感情のコードがまったく読めないのも飽きない要因のひとつかも。奇妙なSEに覆われたサーフ・ミュージックやエンディングはどう説明していいのかさっぱりわからないし、ほんとアイディアが尽きない。よくぞ復刻してくれました。ジャケットも良すぎ(リイッシュー・オブ・ジ・イアーはこれに変更でしょう)。
80年代前半に4枚のアルバムを残したE.M.A.K.のコンピレイションは、ドイツ国内のクラフトワーク・フォロワーとして、これも当時はありがちだった情緒過多をなるべく回避してこれもラブリーなスタイルを作り出している。すでにヒューマン・リーグやOMDなどイギリスからのリアクションにも影響を受けているらしく、その辺りも吸収しつつ、それをまたドイツのフィールドに戻しているところが興味を引くところ。とはいえ、こちらはロートルのみに推薦。若い人は砂原まりんやゴールド・パンダを聴こー。
ボアダムス、ゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル......いずれも日本国内にとどまらず世界的な規模で活動しているバンドであり、欧米で高く評価されているバンドだ。そしてこの3バンドにはひとつの共通点がある。それが、今回紹介する田畑満というギタリストである。ボアダムスのオリジナル・メンバーであり、現在もゼニゲバ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノに在籍、それ以外にも数限りないバンド/ユニットに参加して毎日のように世界のどこかで演奏している。
まずは彼のプロフィールを紹介しよう。80年代前半にレゲエ・バンド「蛹」でデビュー。「関西ノー・ウェイヴ」などと呼ばれ盛り上がりを見せていたポスト・パンク/ニューウェイヴ・シーンの影響を浴びながら、和風ニューウェイヴとでも言うべき奇異なバンド「のいづんずり」に参加、ほぼ時を同じくして当時ハナタラシでの活動悪名高かった山塚アイとボアダムスを結成。
ボアダムス脱退・のいづんずり解散の後、K.K.NULL率いるプログレッシヴ・ヘヴィ・ロック・バンド、ゼニゲバのリード・ギタリストとしてワールドワイドな活躍を開始。デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラによるレーベル〈Alternative Tentacles〉より数々のアルバムをリリースする。ベースレスのトリオというコンパクトな編成ながら、その緻密かつパワフルなアンサンブルはどんなメタル・バンドにも負けない鋼のようなサウンドだ。
タバタミツル ルシファー map / Compare Notes Records |
00年代に入ると参加バンド、ユニットの数は加速度的に増殖する。河端一率いる"魂の共同体"アシッド・マザーズ・テンプル関連バンドのひとつ、アシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノでベーシストとしてデビュー。レニングラード・ブルース・マシーンは自身のリーダー・バンドであり、幾多のメンバーチェンジがありつつも現在に至るまでもっとも長く続いているジャム・バンドだ。酔いどれブルース・シンガー/ギタリスト、スズキジュンゾとのデュオ、 20ギルダーズ(20 Guilders)はエレキ・ギターの弾き語りによる歌もので、レニングラードでも垣間見せていた歌心がじっくり味わえる。関西パンクの伝説ウルトラビデのヒデ率いるアマゾン・サリヴァ(Amazon Saliva)はボガルタの砂十島Naniをドラムに迎え強力なテンションで突っ走るスーパー・パンク・バンド。「Pagtas」ではポップながらも奇妙にギクシャクしたリズムをベーシストとして支えている。その他にも個性豊かなさまざまなバンドが活動中であり、その数は依然として増え続けているようだ。
また、ヨーロッパをはじめとした多くの国のレーベルからリリースされているソロ作品の数々は逆回転や回転数の操作など多様な音響実験の施された、世界に類を見ない奇妙なサイケデリック・インストゥルメンタル・ミュージックを聴くことができる。残念ながら国内ではあまり流通していないようなので、本人のオンライン・ショップをチェックすることをおすすめする。(https://tabata.cart.fc2.com/)
今年7月に渋谷のO-Nestで開催された高円寺円盤主催のフェスティヴァル「円盤ジャンボリー」の初日には「タバタミツル SPECIAL」と称してソロを含めた6バンド/ユニットでの大特集が組まれるなど、アンダーグラウンド・シーンにおけるその信頼と愛され方は既に揺ぎ無いものがある。そんな田畑満という人物の魅力の一端を伝えることができれば幸いだ。
変なところでいっぱいやってますよ。オハイオ州のコロンバスにランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。
■ご出身は京都なんですよね。
田畑:京都です。京都府立鴨沂高校中退。同じ軽音部の先輩にピアノのリクオさんがいて。彼が部長でした。
■最初の本格的なバンド(蛹)はレゲエバンドだったということですが、軽音楽部で結成したんですか。
田畑:同じ軽音楽部だった小学生からの友人と、学外の人間と結成しました。ベースは『ミュージック・ライフ』で募集しましたね。最初は女の子でしたが、途中から細井尚登さん(壁画家、チルドレン・クーデター)に代わりました。当時ポニーキャニオンが日本のレゲエ・バンドのコンピを出すって言うので、デモテープを送ったら受かって。六本木のS-KENスタジオで録音したんです。中間試験の真っ最中で、それで落第して(笑)。めんどくさくなって中退しました。
■軽音部時代はどんな音楽を?
田畑:いやあ......INUのコピーとか(笑)。あとピンク・フロイドとか。
■INUとピンク・フロイドじゃだいぶ違いますけど(笑)。
田畑:まあ軽音バンドってメンバーがやりたい曲を1曲ずつ持ち寄ったらたいてい無茶苦茶になるから。
■INUに関しては、同じ関西っていう意識はあったんですか?
田畑:まあそうですね。当時どらっぐすとぅあっていうお店が京都にあって、ライヴ・テープがたくさんあったんで聴いてました。当時SSがいちばん好きでしたね。
■じゃあウルトラビデなんかもその頃から見てたんですか?
田畑:知ってましたけど、ちょっと高校生にとっては理解を超えてて(笑)。『ドッキリレコード』(INU、ウルトラビデ、変身キリン、チャイニーズ・クラブの4バンド収録のコンピレーション・アルバム)でしか聴いたことなかったんですよ。その他の音源は聴いたことなかったから。EP-4はよく行きましたね。蛹のデビュー・ライヴか何かの時に佐藤薫さんがおめでとうとか言って一升瓶を差し入れしてくれました。高校生やのに(笑)。
■S-KENスタジオで録音したものっていうのは、世に出てるんですか?
田畑:『JAPAN REGGAE CRUSH』っていうコンピで。ほかにP.J & Cool Runningsとか。
■その後の活動を見てると田畑さんとレゲエってあまり結びつかないんですけど、当時はレゲエがお好きだったんですか?
田畑:ギターが簡単じゃないですか(笑)。ギターが弾けるようになる前にバンドを組んだから。楽器買う前にバンドはじめてたんで。
■じゃあできないものを引いていくと残ったのがレゲエだったと。
田畑:あとディレイ。
■ダブですね(笑)。
田畑:あ、そうですね(笑)。
[[SplitPage]]裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。
■音源が出た後もある程度は活動されてたんですか?
田畑:すぐ終わっちゃいましたね。ベースの細井くんが辞めて、ドラムの子が進学するって言って。それで解散しました。
■高校生バンドっぽい終わり方ですね。それが82、3年。その後はのいづんずりですが、誘われて入った感じですか?
田畑:いや、その前にSSでベースを弾いていた竹野さんがやっていた「アイ・ラヴ・マリー」というバンドでギターを弾いていました。あれは一発でクビになったんかな? そして「セッティング一発」。ニプリッツでギターをやってるジンさんがいまでもやってるダストってバンドがあって、そこのヴォーカルのタチメさんがやっていたバンド。そこにちょっと入ってて、その後のいづんずりに入った理由はわからないですね。志願したのかな。
■音楽性は田畑さんが入る前からある程度固まってたんでしょうか。
田畑:もともとまあ、ニューウェイヴですよね。不気味な(笑)。その前にいたのが東京でカメラマンをやっている方で、わざわざ京都まで来てやってたから、その方と交代というか......最初はふたりともいたのかな、録音には。ライヴ活動は僕がひとりでギター弾いてたんですけど。
■アルバムには戸川純さんも参加されてるじゃないですか。割とポップ・シーンに近いバンドだったわけですよね。
田畑:あれは何ででしょうね。リーダーの福田研さんの知り合いだったみたいですけど。ライヴもやったりしましたね、ライヴ・インとかで。レコ発だったのかな。そのときに限ってお客さんがいっぱい来て(笑)。ギャラも結構な額がもらえたから、そんなの若いもんに与えたらねえ。帰る頃にはもう一銭もなくなってましたけど。六本木とかで無茶苦茶やって(笑)。レッドシューズってお店に行ったり。
■ヴォーカルのインドリ・イガミさんは結構強烈なキャラの方だったそうですが、結局クビみたいな形になるんですかね。
田畑:そうですね、最後は京都芸術大学で少年ナイフとかの出たコンサートがあって、その日にクビになりました。学祭って模擬店というかお店がいっぱい出るじゃないですか。それで早い時間から飲みすぎでほとんど歌が歌えないような状態やったんで、みんな怒って。
■当時の関西ってEP-4がいたりINUがいたりして、ニューウェイヴで個性的で魅力的なバンドが多かったですよね。やっぱりそういう環境みたいなものには影響されてましたか?
田畑:そうでしょうね。聴いてる音楽は違いましたけど。高校生のときに京都にDee Beesっていうお店があったけど、あんま行かなかったですね。
■当時は京大とか、大学でも東京のニューウェイヴバンドを招聘してやったりしてましたけど、あんまりそういうのは行ってないですか?
田畑:いや、それは行ってますね。お店系に行かなかっただけで。あの頃の京都ってだいたい3つの大きいグループに分かれてたんですよ。EP-4とかのスタック・オリエンテーション。あとは西部講堂のビートクレイジーですよね。コンチネンタル・キッズとか。それと僕らは「服屋系」って呼んでた人たちがいたんですけど。ノンカテリアンズっていう、ノーコメンツにいた人たちが作ったバンドで。あとHIP-SEE-KID(ハープシコード)って、モンド・グロッソの大沢伸一さんがいたバンド。それはお洒落な人たちで、だいたい服屋でバイトしてたから「服屋系」(笑)。だいたい大きくその3つの流れがありました。
■のいづずりというか、田畑さんはそのなかではどちらに?
田畑:のいづんずりのファーストLPは〈テレグラフ〉からリリースされたんですけど、EP-4の佐藤薫さんがプロデュースする話もあったりしたから、その周辺ということになるんでしょうね。個人的に良く遊びに行ってたのはビートクレイジーでしたけど。
■当時もっともよく覚えてるライヴってありますか? 衝撃を受けたライヴとか。
田畑:裸のラリーズですかね。ちょっと後なんですけど、高校3年の頃に。7時開場・開演とかだったんですけど、終わったのが夜中の3時頃だったと思います。お客さんは少なかったんですけど、アンコールもあって同じ曲を3回くらいやって。僕もよくわかってないんですけど、そのくらい衝撃を受けたんでしょうね。終わった後に駐車場のところに水谷孝さんが立ってて、駆け寄って「おつかれさまです!」とか言ったら「煙草持ってる?」って言われて、ピースを差し出して。「何かバンドやってるの?」って言われたんだけど、そのときなぜかボブ・マーリーか何かのTシャツを着てて(笑)。で、「レゲエ・バンドやってるんですわ」って言ったら「あ、そう」みたいな、それはよく覚えてます(笑)。あの頃でいちばん印象に残ったライヴっていったらそれですねえ。わけわからんかったですけど。事前情報も何もなくて、謎のバンドが来るみたいな。
■7時から3時までって言ったら8時間ですよね。
田畑:それも何か曖昧な......あっと言う間に過ぎたのか。途中で1回寝てるんですけど(笑)。他にはINUの町田さんがアーント・サリーのビッケさんとやりだした「ふな」ってバンドがいて。あれはすごく印象に残ってます。
■キャプテン・ビーフハートみたいなことやってましたよね。
田畑:ちょっとレゲエも入ったりしてて。
■あれはすぐ終わっちゃいましたよね。音源とかも出さないで。
田畑:最後のライヴはメンバーが全員いなくなって、ひとりで出たっていうのがありました。経緯を覚えてないんですけど、そのあとで大阪の町田町蔵さんの家まで遊びに行ったことがありますね。停電になったか何かでアルコール・ランプで火をつけようって言って、でもアルコールがなかったからライターのガス入れたらどうやって。やってみたら爆発して眉毛が焦げたっていう(笑)。その後はもう全然会ってないですね。うちの実家に来たこともあったんですけど。何かサンマの頭も食べたはったのは覚えてますね。たんについて回ってただけなんでしょうけどね。子供が兄貴分みたいなのについていくっていう。僕がそのとき17とかだから、向こうも21とかじゃないですか。
[[SplitPage]]木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。
タバタミツル ルシファー map / Compare Notes Records |
■ハナタラシはボアダムスをやる前から見てたんですか?
田畑:のいづんずりのライヴで知り合ったのかな。あ、ノイバウテンのライヴがあって、そのときにアマリリスのアリス・セイラーさんから紹介してもらったのか。アマリリスのライヴが血糊とか使ったホラーショウみたいな演出になってて、そこに山塚アイさんが出てたんですよ。これまた経緯が前後しててよく覚えてないんですけど、いっしょのアパートに住んでたんです。京都に安田荘っていうアパートがあって、そこに間借りしたりしてた。ハナタラシがサイキックTVの前座をやったときに爆弾を持ち込んだ事件のときも、僕はその日バイトで、スタッフも同じアパートやったから「まあ頑張ってきてやー」って送り出した覚えがある(笑)。それで夜中に帰ってくる音がして、「アカンかったわー」とか言って。
■すごいですね(笑)。同じ部屋に住んでたんですか?
田畑:いや部屋は一応バラバラでトイレは共同でしたけど。いまでもあるんですよ、そのアパート。木造の4畳半で、当時家賃が9000円。6畳の部屋もあってそっちは1万ちょっとかな。部屋交換しようやとか言って僕が山塚さんの使ってた部屋に移ったら、ハナタラシのマークが壁にでっかくペンキで描いてあって「うわ、何やこれ!」って(笑)。......アイちゃんもずっと会ってないな。
■いっしょに音楽を作ろうってなっていくわけですよね
田畑:とりあえずハナタラシがライヴできないからバンドをやりたいって言ってて。どこも出入り禁止だったから。最初はバズコックスみたいなバンドっをやろうてことで、ボアダムスって名前もバズコックスの曲名から取ったんですよ。メンバーは身近なところで、竹谷郁夫さん(元ハナタラシ、現在はヴァーミリオン・サンズのリーダー)がドラムで、細井尚登さんがベース。でもアイちゃんが持ってくる曲はバズコッコスとは全然違うんですよ。ブラック・サバスみたいなのとか。デビュー・ライヴは映像があるはずなんですよね。こないだハイライズがDVDを出したんですけど、そのときのライヴが入ってたので。デビュー・ライヴはハイライズとオフマスク00が対バンでエッグプラントでやったんです。どんな曲やってたかな。バットホール・サーファーズのコピーとか、あとはブラック・サバスみたいな曲。
■山塚さんが曲を持ってくるような感じだったんですか
田畑:そうだったと思うんですけど、うーん......よく覚えてないな。何かもうワケわからんことをやってて、みんなもたぶんわかってなかったと思うんですけど(笑)。
■ファースト・シングルの「Anal By Anal」はふたりで録音したんですよね。
田畑:そうです。アイちゃんのアパートで。
■同じアパートですか?
田畑:いや、それもよく覚えてないんですけど、そのときはもういなかったんですよ、安田荘には。八尾にアパートを借りて住んでて。ひょっとしたら両方に住んでたのかな。八尾まで行って録音したんですよ。何を録ろうかって喫茶店で相談して、焼き飯を食って。その焼き飯がめちゃ旨かった(笑)。それで録音は村上ポンタさんのドラム教習ヴィデオに音を被せて、歌は後で入れとくわとか言ったのかな。それで帰りにいっしょに駅に行く途中に曲名を考えてて、ずっと「アナルなんとか」って、アナルアナル言うてたのはよく覚えてる。
■その頃から曲名にこだわってたんですね。
田畑:そうですよ。そういうノート見たことがある。「アル&ナイナイズ」とか(笑)。
■バンド名をいっぱい考えるのが好きみたいな話はよくしてましたよね。
田畑:その前にたしか〈トランス・レコード〉のコンピに参加してるんですよ。そのときは一応録ろうって言ってスタジオで全員で録音したんですけど、使われたのは最後の五秒くらいで。前半はずっとアイちゃんがひとりでやってるノイズみたいなので、何でそうなったのかわからない(笑)。
■その頃からそういう、素材を後からいじり回すような感じだったんですね。それはのいづんずりと並行してやってた感じなんですよね。ボアダムスでもライヴは結構やったんですか、そのメンバーで。
田畑:10回以上はやってますかね。まあだんだん客は減ってくる(笑)。途中から吉川豊人くんがドラムになって、その経緯もよくわからないですけど。しばらくしたら細井くんも辞めてベースがヒラくんになって。ヒラくんが入ってからは吉川くんの家で練習するようになりましたね。けっこう大きい家だったんで。集まりが悪いんですよ。それで遅刻したら罰金ってことにして、30分千円とかにしたらピタっとくるようになったんですけど(笑)。それで何回かライヴをやりましたね。
■ボアダムスを辞めたのは?
田畑:のいづんずりのメンバーからセカンド・アルバムを出すって話が来て、そのときに「お前、ボアダムスとのいづんずり、どっちを選ぶねん」みたいな掛け持ちに対する圧力があったんですよ(笑)。ウルトラビデのヒデさんとアマゾン・サリヴァを結成したときにその話をしたんですよ。ヒデさんはニューヨークに行ってたから事情を知らないんで。それで「僕ボアダムスにいたんですよ」「ほんま!?」「あのときボアダムスとのいづんずりどっちを選ぶって言われてのいづんずりを選んだんです」って言うたら、「それ人生最大のミステイクちゃうの」って(爆笑)。でもたぶん、俺があのままいたらボアダムスは存在してないですよ。ギターが山本精一さんに変わって、ヨシミちゃんが入ってバッチリ形になった感じがする。
■それで、のいづんずり一本でいこうって決めてからは。
田畑:それがその後すぐにイガミさんがクビになった事件っていうのがあって(笑)、宙ぶらりんになった。ベースの福田研さんがボーカルをやるからって言って、ベースを入れたような気もするんだけど全然印象にないんですよ。インパクトが薄れてて。何回かライヴもやってるはずなんですけど。そのうち東京に行くとか言い出したんで、「俺は行かないから辞めるわ」って。イガミさんがインドリイガミ&ワイルド・ターキーっていうのをやってて、もう分裂状態。たしか僕は一時期両方やってたんちゃうかな。それで両方やるとはどういうことだってまた責められた記憶が(笑)。
■当時はちょうどバンド・ブームとかインディーズ・ブームがあったじゃないですか。『宝島』あたりの。ああいうのはどういうふうに思ってましたか?
田畑:いやもう、載ったらモテるかなと(笑)。でも自分が載ったときは白塗りで阪神タイガースのユニホームを着てて、これじゃあかんやろっていう(笑)。もうちょっと見栄えのいいバンドに入ったらよかった。でも読んでましたね、時々は。『宝島』とか『フールズメイト』とか。ただ、雑誌がレーベルやるってどうなのかなって思った覚えがある。悪く書けないじゃないですか。
■じゃあボアダムスも辞めてのいづんずりも失速していったと。
田畑:その頃何やってたんでしょうね。
■レニングラード(LENINGRAD BLUES MACHINE)ってその頃からですよね
田畑:あ、そうですね。ベースが林直人くんって、アウシュヴィッツ(AUSCHWITZ)の林さんとは同姓同名なんです。ドラムが山崎くんっていう。いまはオショーと呼ばれたはるみたいですが、ユニ(UNI)っていうふたり組のバンドをやってます。ドラムと打ち込みの四つ打ちで、すごい人気あるらしいけど世界が全然違うんでまったくわからない(笑)。その3人でやってました。
■レニングラードはメンバーを変えながらずっとやってる感じですけど、原型はこの時期に出来てたんですかね。
田畑:その後、僕がいない時期があったんですよ。
■ああ、リズム隊のふたりでやってた時期が。そのときって田畑さんはハカイダーズっていうのやってましたよね。
田畑:あー、やってましたね! あれは東京出てきてからちゃうかな。
■あ、じゃあもうゼニゲバに入った後ですね。
田畑:そうですね。ゼニゲバは竹谷さんがドラムだったので、関西でやってたんですよ。
■ゼニゲバにはどういう経緯で入ったんですか?
田畑:NULLさんから電話があって、やってみようかなという話になったんですよ。それで何回かライヴをやった後に、『Maximum Love & Fuck』というLPをリリースしました。そして竹谷さんが辞めたあとで、吉田達也さんが加入して暫く叩いてました。今のメンバーですね。それでゼニゲバで東京に行くことになって。
[[SplitPage]]東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。
■東京へ出てきた理由は何なんですか?
田畑:当時CBGBってライヴ・ハウスに勤めてて、その上に住んでたんですよ。そこの店長が何と言うか難儀な人で。俺このまま一生ここにいるんやろかって思って。
■それで心機一転というか。
田畑:そうですね、環境を変えたかった。
■新しいバンドで環境も一新して。関西の人が東京に出てくるときってそれなりに決意とかがあるじゃないですか。
田畑:いないですよ、実際あんまり。俺が知ってる人だと芳垣安洋さんとか向井千恵さんくらいですよね、関西生まれでいまもこっちに住んでる人は。東京に来なくてもできるじゃないですか。東京に出てきてまずびっくりしたのが家賃が高いことで。このくらいだったら払えるっていうところだと国立とかになるんですよ。国立で、音の出せるピアノ可みたいな部屋にしたら電車の真横で。引越しの仕事をしながらやってましたね。アメリカに初めて行った頃には。
■ディスクユニオンで働いてたのはゼニゲバで出て来てすぐですか?
田畑:国立で働いてたときに、駅のそばに国立店があったんですよ。それで前をいつも通ってて、肉体労働がキツくなってきた頃に募集してたから。
■じゃあ最初から新宿店ではなかったんですか。
田畑:じゃなかったんですけど、そのうちに新宿店から来いよって言われて異動して。
■やっぱりレコードに詳しいっていうのがあったんですか。たしかその頃ディスクユニオンのフリーペーパーがあってサイケのマイナー盤を紹介するような連載をやってましたよね。レコードマニアだったのかなと思ってたんですけど。
田畑:いや、あそこにいると詳しくなるんですよ。西口にヴィニールってレコード屋があるじゃないですか。昼休みになると走ってあそこにレコード買いに行ってて。レコード買いすぎて金銭感覚がおかしくなってきて「○○のオリジナルを2万5千円で見つけたよ!」「安いですね!」とか言って。2万5千円のLPのどこが安いねんっていまは思うけど、その頃は真剣に「安いですね」って言ってた(笑)。全部売りましたけどね(笑)。
■ゼニゲバは海外ツアーを精力的にやってますけど、最初から海外を視野に入れてやろうっていうのはあったんですか?
田畑:いや、そんなことは全然ないと思います。最初NULLさんがソロで呼ばれて、その後バンドもってことになって。『全体去勢』ってアルバムのレコーディングをシカゴのスティーヴ・アルビニのスタジオでやったんですよ。スティーヴ・アルビニのスタジオはいまは「エレクトリカル・オーディオ」って言ってますけど、その頃は普通の民家の地下にあって、トイレが流れる音がすると録音に入っちゃうようなとこでしたね。当時は8チャンネルで。アルバムのレコーディングを5日くらいでやって、録り終わったら初ライヴがあって、対バンがバストロやったんです。
■ああ、じゃあ今日のTシャツはそのときに。
田畑:そのときもらったやつです。そのときはXLでブカブカやってんけど(笑)。
■アメリカでライヴをした体験は、その後どのようにフィードバックされましたか?
田畑:ほんまに人気あったんやって思いましたね(笑)。アメリカに行く前はお客さんも少なくて、〈トランス・レコード〉周辺なんかのシーンも終わりかけてた頃で。そんな時期に向こうに行ったら、日本の音楽っていうのがこんなに求められてるのかって。その頃からボアダムスとかもみんな知ってましたね。ボアも行く前やったんですけど。それが91年。
■日本ではいわゆるバンド・ブームが終わった頃ですね。
田畑:呼んでくれた人の家がマディソンってところにあって、小さい街だったんですけど、そこでライヴをやったりしてて。そこに行ったら対バンがメルヴィンズやったんです。当時は全然知らなくて、そのときに知り合いになったんですけど。その後はNULLさんがツテがあったからサンフランシスコに行って。
■ほぁ。
田畑:ペイン・ティーンズが知り合いで、シスコでいっしょにやったんですが、最初に出たのがニューロシス(NEUROSIS)やったんですよ。まだみんな20歳とかで。そのときにジェロ・ビアフラが来てて、うちから出さないかって話になって。
■どういう人でした、ビアフラは。
田畑:いや、よくしゃべる親爺やなって(笑)。そのときに録った『全体去勢』ってアルバムは、マディソンの人がやってた〈パブリック・バス(Public Bath)〉ってところから出たんですよ。〈パブリック・バス〉っていうのは日本のバンドをアメリカに紹介するレーベルで。最初にそこから出して、その次からがビアフラの〈オルタナティヴ・テンタクルス〉で。
■93年の『苦痛志向』ですね。その前にNULLさんのレーベルから『内破』(92年)が出てますけど、これも録音はアルビニですね。
田畑:そうです。その時から2ヶ月とかツアーするようになって。わけわからへんですよ、2ヶ月も回ってると。最初は全然英語しゃべれへんかったんですけど、しゃべれるようになったからねえ。
■じゃあもうそういうツアー生活っていうのも20年近いんですね。アメリカのバンドは、ほんとに小さいところまでツアーを回りますよね。
田畑:変なところでいっぱいやってますよ。ランドリー・バーっていうのがあって、ランドリーとバーが合体してるんですよ。洗濯しながらライヴを見る(笑)。オハイオ州のコロンバスってところで。「こんなところ誰もやらんやろ」って思ったけど、日程見たらジーザス・リザードとか書いてあるから「みんなやってんや」って。あとゲームセンターね。日を空けたらあかんので、移動の距離が開いてるときは間に無理矢理ライヴを入れたりするんですよ、ゲームセンターでオールエイジ・ショーとか。やらないよりマシやから。最後のほうはここがどこだかわからなくなってきますね。
■ゼニゲバって日本のバンドで長い海外ツアーをやるっていうスタイルの先駆けに近かったんじゃないかと思うんですよ。
田畑:どうなんでしょうね。いまだったらメルト・バナナがすごいやってますけど。
■そうですね。メルト・バナナもやっぱりゼニゲバの影響はあったんじゃないですか。
田畑:NULLさんが最初にメルト・バナナのアルバムをリリースして、そのときから海外ツアーをはじめたんじゃないかと思います。
■91年ならスティーヴ・アルビニってもうかなりのビッグ・ネームでしたよね。
田畑:そうなんでしょうけど、あまりそういう感じを与えない人ですよ。日本にも呼んだりしましたね。シェラックとか。あ、シェラックの前にひとりで呼んだのか。ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニで。あのときは初めての日本だったんですけど、ツアーするバンドと違ってひとりで来るから、着いていきなり日常に放り込まれて。大学の寮に泊まってました。
■ゼニゲバ&スティーヴ・アルビニでライヴ・アルバムが出てますね。『内破』の録音もそのときで。ゼニゲバのヨーロッパ・ツアーはどういういきさつで行くことになったんですか?
田畑:〈サザン・レコーズ〉っていう〈オルタナティヴ・テンタクルス〉の支社があって、ヨーロッパでのディストリビュートもやってるところで。結構もう確立されてたんですね。いろんなバンドが使うバンを貸す会社みたいなのもあった。93年くらいで。そのときのツアーマネージャー兼ドライバーがアメリカ人なんやけどヨーロッパに来て気ままにやってるような女の子で、後でGREEN DAYのマネージャーになりました。フランスからイギリスに入るときにワーキングビザが絶対必要じゃないですか。そしたらイギリスのオーガナイザーがその女の子の分だけ取ってくれてなかったんです。だから前日に物販担当の女の子とふたりで先に行ってるからってことになって。それでバンドだけでワゴンを運転して行ったら、フェリーに乗り込む段階で警官に囲まれて犬がぶわーっと出てきて。いろんなバンドに貸してるから、怪しい匂いでも染み付いてたのか(笑)、身ぐるみ調べられてるあいだに「ああー、フェリーが行っちゃうー」とか。ポーランドで車ごと機材を盗難に遭ったりとか、いろいろとタフな経験もしてます。
■ヨーロッパだとどこがいちばん受けましたか?
田畑:当時はイタリアでしょうかね......。いちばんクールな感じなのはドイツで。でもドイツがいちばん重要で、いちばん回らなきゃいけないって言われますけど。
■ゼニゲバが活動休止状態になったり、レニングラードも2000年前後にはあんまり活動しなくなった時期があったと思うんですけど。
田畑:あのときはまあプライヴェートでややこしかった時期やったんで、生活をまず立て直さないとあかんかった(笑)。
■2002年くらいからまた活動が活発になって、バンドやユニットも爆発的に増えていきますね。
田畑:ちょうどその頃またゼニゲバをやるようになったんですよ。オール・トゥモローズ・パーティーズに呼ばれて。それが2002年だったと思います、ワールドカップがあった年だから。そのときはワイヤーとかチープ・トリックとか。俺らはチープ・トリックの前の前の前くらいやったんです。会場の2階が2000人くらい入る大きいボールルームになってて、ゼニゲバのときも結構満員だったんですけど、チープ・トリックの番になったらごそーっと減って。1階の1000人くらいのホールでザ・フォールがやってて満員になってて、うわ可哀想って思った。ああいうところではやっぱチープ・トリックとか人気ないねんな。
■日本じゃ武道館なのに。
田畑:毎日のヘッド・ライナーがワイヤーとチープ・トリックとブリーダーズ。シェラックがキュレーターだったんですけど、シェラックは一階の小さいほうのホールで毎朝オープニングでやるんですよ。普通キュレーターのバンドがトリじゃないですか。シェラックは毎日前座(笑)。
■アルビニもチープ・トリック好きですもんね、たしか。
田畑:たぶんはよ終わって観たかったんやないかな。
[[SplitPage]]■いまレギュラーでやってるバンドがたくさんありますけど、それぞれ簡単に紹介していただけますか。まずは20GUILDERS。
田畑:これはスズキジュンゾくんとやってる歌もののデュオで、エレキギター弾き語りです。ギューンカセットからアルバムが11月に発売になります。いっしょには曲作らないんですよ。それぞれの作品で、コーラス入れる程度だったんですけど、最近やっと形になってきたかなと。前は本当に勝手にやってるっていうか、各自の曲をやるだけだったので。
タバタミツル ルシファー map / Compare Notes Records |
■じゃあここでアルバムが出るっていうのはタイミングとしてはいいですね。20ギルダーズで最近よくやってる、高校のときに初めて作ったって曲がありますよね。名曲だと思うんですけど。
田畑:中学のときですね。あれはアルバムに入りますよ。"ストロベリー・キッス"(笑)。歌詞書いたのはこの前ですけど。30年間ずっとハナモゲラで。最近やっと日本語で歌うようになって。こないだ山本(精一)さんたちのグレイトフル・デッドのトリビュート・ライヴっていうのが大阪であって、練習で入ったときに「お前よく歌詞覚えられるな」って言われて「いやハナモゲラですよ」「うそ!」って。30年間ハナモゲラだって言ったらビックリしてました、それもすごいなって(笑)。ハナモゲラでも良かったんやけど、レコーディングしたらそれはマズいんちゃうかなと思って(笑)。
■アシッド・マザーズ・テンプルは、ベーシストとしてはあれが最初のバンドになるんですか?
田畑:そうです。実はベースやってたバンドもあるんですけど、本格的には。
■あれはどういう経緯で参加することになったんですか。
田畑:どうやったかな。アシッド・マザーズ・テンプルっていうのはもともと河端一を中心にしたいろんなメンバーの集団であって、それが途中からメルティング・パライソ・UFO(Melting Paraiso UFO)っていうひとつのバンドっぽくなってきたんです。それである時期からまた元の形に帰ろうみたなことで、もうひとつバンドを作るっていう時に「ベースでやらん?」って。同じアシッド・マザーズ・テンプルって名前の下にいろいろ違う名前がつくっていう形で、僕が入ったのはアシッド・マザーズ・テンプル アンド・ザ・コズミック・インフェルノ。
■スタート当時といまではだいぶ感じが変わってると思うんですが。
田畑:変わってますね、最初はもっとワン・グルーヴ一発でハードにやる感じだったんですけど、いちばん大きいのはツインドラムの片方が変わったんですよ。最初はサバート・ブレイズ(SUBVERT BLAZE)の岡野くんと、志村浩二(みみのこと他)さんだった。岡野くんに代わってピカ(あふりらんぽ)が入ってイメージが変わってきましたね。
■たしかに、ピカチュウさんの色はかなりありますね。何か大らかな感じがするようになった。いまのレニングラードはいつ頃から今のメンバーになったんですか?
田畑:2004年くらいかな。これがいちばん活動がマイペースで、こうしなきゃいけないみたいなのは全然なくて、ライヴを楽しんでやってる感じですよね。
■最近はレニングラードのことを「ジャム・バンド」って言ってますよね。それは昔から感覚としてはそういうものだったけど、当時はそういう言葉がなかったって感じですか?
田畑:そうですね。一般的なジャム・バンドよりはもうちょっと曲があるとは思いますけど。でもそれやったらフィッシュもそうやし、僕らもロック系のジャム・バンドって感じですね。最近はサックスで狂うクルーのアックンが入って。
■よりジャム・バンドっぽくなったというか。
田畑:ええ。
■ベースを弾いてるバンドだと、最近はグリーン・フレイムス(GREEN FLAMES)がありますね。
田畑:それはほんとについ最近ですね。ハイ・ライズのギターの成田宗弘さんと。ドラムは最初はナツメン(NATSUMEN)の山本達久くんだったんですけど。それがもともとハイ・ライズにいた氏家さんに変わりまして、活動中。
■アマゾン・サリヴァはヒデさんがニューヨークから帰ってきて結成したわけですか。
田畑:高校生の頃から知ってるんですけどね、ヒデさんのことは。それでいつの間にかニューヨークに行ったって聞いてて。それで忘れてたんですけどゼニゲバでオルタナティヴ・テンタクルス〉のツアーを回ってたら、ATの次のリリースはこれだって、あの道頓堀のジャケットのやつで。それで「あれ、これって?」と思って裏見たら写真にヒデさんがおるし(笑)。それでイギリスで対バンしたんですよ。イギリスのツアーは全部ウルトラビデといっしょで、アリス・ドーナッツ(ALICE DONUTS)と3バンドで。そのときに久々に会って、またしばらく音信不通になってて。それで帰ってきてるでって話は聞いてたんですけど、東京でウルトラビデの何周年ってことで、オリジナル・ウルトラビデのライヴがモストとかと対バンで、クアトロでやったのかな。そのときに「うち泊まりや」って言ったら泊まりに来たんです。それでいきなりその次の日にイギー・ポップのトリビュート・ライヴみたいなので「ベースで弾き語りしよう思うんやけどいっしょにやらへん?」って言われて、そのままリズムボックス入れてやって。大阪のライヴは対バンがズイノシン(Zuinosin)で、「若くてええのおるやん」ってことで「いっしょにやらへん?」って現ボガルタ(BOGULTA)のナニくんを誘った。
■じゃあ結構なりゆきで。
田畑:この前ようやく『AMAZON PUNCH』ってアルバムが出まして。
■それまで出してたCD-Rってライヴと全然感じが違いましたよね。
田畑:CD-Rは、物販がないとツアーしてもギャラが......っていう。新人バンドなんで(笑)。いつの間にかたくさん出してますけど、3枚目くらいまで1曲も3人揃ってやってない。
■ライヴでヒデさんが「ナニくんの生ドラムを録るのが夢だったんです!」って言ってましたよね。やっぱり基本的にはヒデさんが中心のバンドなんですか。
田畑:全員ヴォーカルは取ってますけど、まあリーダーはヒデさんってことですね。みんな自分のバンドもいろいろあるし、住んでるところもバラバラだから。大阪と京都と東京で、もうツアー・バンドですね。全然新曲が増えない(笑)。もう5年くらい同じ曲やってますね。やらなくなった曲をまた戻したりしてるだけで、ずーっといっしょ。
■青春18切符でツアーをするんですよね。
田畑:してますね(笑)、このバンドだけですよ。
■あれはヒデさんが言い出したんですか。
田畑:まあそうなんですけど、こないだも疲れたとか言ってサウナに行ってマッサージ受けてるんですよ。その金を回して新幹線乗ったほうがええんちゃうかって言われて、そういえばそうやなって(笑)。18切符の時期しかツアーしてないです。
■『AMAZON PUNCH』はたしか高知のレーベルからのリリースですよね。
田畑:高知のカオティック・ノイズっていうところから。
■ライヴ・ハウスなんでしたっけ。
田畑:いや、レコード屋ですね。インストアライヴをやってるんですよ。レコード屋の棚を片付けてライヴをやってる。だから週末しかライヴはやってなくて普段はレコード屋。すごくいいレコード屋ですよ、パンク中心で。
■あとPagtasはちょうどアルバムが出たところですね(『poi』)。
田畑:〈ペダル・レコード〉から。
■昔からやってるバンドというかユニットですよね。
田畑:基本的には坂田律子さんがひとりでやることもあるんですけど、バンド編成でやるときには僕がベースで、NATSUMENの山本達久くんがドラム。それでレコーディングはゆらゆら帝国のエンジニアの中村宗一郎さんが録音してくれました。〈ペダル・レコード〉って中村さんのレーベルなんで。
■Pagtasではサポートメンバーみたいな感じなんですかね。
田畑:そうですね、メンバーの都合が悪いときもライヴを断るんじゃなくて坂田さんがひとりでやったりするから。いちばん難しいんですよ、曲が。
■独特ですもんね。もともとひとりでやるのが前提で作った曲にメンバーが合わせていく形だからなんですかね。
田畑:拍子とかがクルクル変わるんです、感覚でやってるから。難しいんですよ。
■あとWabo-Chaoは。
田畑:それはMandogの宮下敬一くん(ギター)と前にゼニゲバのドラムをやってた藤掛正隆くんの三人で。これは即興ですね。歌ったりもしますけど。活動もそんなに頻繁ではないですけど、今度ダモ鈴木さんがまた来るのでそのときにやります。
■あとデュエル(DUEL)っていうのがありますね。
田畑:ああ、あれはギターのケリー・チュルコっていう、オジー・オズボーンのプロデューサーのケヴィン・チュルコの弟なんです。あとASTRO(元C.C.C.C.の長谷川洋、エレクトロニクス)さんとヒグチケイコ(ヴォイス)さんで、これはインダストリアル・ノイズですね。新しく組んだバンドなので、これからです。
[[SplitPage]]それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。
田畑:それだけやったっけ、バンドって。
■まだまだたくさんあるとは思いますけど(笑)、ここらでソロの『ルシファー』の話を聴きたいと思うんですが。
タバタミツル / ルシファー map / Compare Notes Records |
田畑:事前に作ってた曲は1曲しかなかったんですよ。ゼニゲバの関西ツアーを3箇所くらいやった後にアシッド・マザーズの河端くんの家の山寺まで行って録音したんやけど、それまで全然準備してなくて。ツアーの最終日が神戸で、打ち上げが朝まであって、酔っ払ってその時にみんなでしゃべってた話を歌詞にしたんです。「キブンハショウニ」ってヤバい歌があるんですけど、それはライヴ・ハウスの店長が何かの拍子に「気分はショウニや」って言ってたから「これや」とか。
■今回はソロでは初めての歌ものですが、これまでのソロは全部インストでしたよね。
田畑:今回は〈Mapレコード〉からそもそも歌を入れることって言われてたんですよ。いままでソロは海外のレーベルからしか出してなかったから、日本語で歌うのはどうなんかなってのもあったんですよね。まあギタリストやからギターのアルバムを出さないかんのかなって単純に思って何枚か出してたんですけど。
■いままでのソロアルバムと今回のアルバムでは作り方で違いはありましたか?
田畑:まず自分ちで録ってたのと違うのは、帰る日を決めてたんです。だからそれまでにやらなきゃいけない。3日で録ったんですけど、正味2日ですね。毎日終わるたびに鍋とかやってたんでずっと二日酔いで(笑)。声とか擦れてるんですよ。曲はない、アイデアない、ないない尽くしで(笑)。
■とてもそうは聴こえないですけどねえ。仕上がりは割と構築感があると思うんですけど。録音がすごくいいですよね、空間処理とか。音数が少ないのも逆にいい。
田畑:それはもうプロデューサーのおかげです。それで河端くんがアシッド・マザーズはいつも吉田達也さんにマスタリングやってもらってるからって言うので、じゃあいつもの調子でお願いしますって言ったら「いつもと全然違うじゃん」(笑)。吉田さんも最初困ってたみたいです。だいたいドラムが入ってないし(笑)。何か参考になるものないかって言ってCD棚探してたけど、「ないな」って。それでレインコーツ出してきて聞いてたんですけど、全然ちゃうやんけ(笑)。
■ギター以外の楽器が結構少ないながらも効果的に使われてますが、録音するときには河端さんからのアイデアも結構あったんですか。
田畑:そうですね、それはすごくありましたね。あと自分が弾けない楽器をリクエストしたり。ハーディガーディ弾いてくださいよとか。本当にアイデア無かったので。
■「ルシファー」っていうのはどこから来たんですか。
田畑:それは最初から決まってましたね、なぜか。日本語タイトルは"世界最古のヤクザ"で、「ルシファーってヤクザやったんや」っていう(笑)。
■何でルシファーなんですか。
田畑:いや、それが何だったのか......悪魔憑きみたいなのに凝ってたことがあったんですよ。エクソシスト系の映画が好きで片っ端から観てたんです。取り憑くやつ。
■もともとあった曲っていうのは?
田畑:"海の藻屑"って曲。あとは全部その場で作りました。
■"月の石"あたりは結構ちゃんと曲になってるというか、もとからあったのかと思ってたんですけど。
田畑:あれは録る5分前に作った(笑)。かなり焦ってましたね。
■歌もので3日間ってすごいですよね。昔のノイ!とかも3日とかで作ってるけど、あれはほとんどインストだから。
田畑:そういうノリで作ってますよ、たぶん。歌は入ってるけど何かワケがわからん音楽なんで(笑)。
■たしかにフォーク的な歌ものとは違いますけど、でも歌詞は書いたわけですよね。
田畑:メモ帳が残ってますよ。よく聴くとわかるんですけど、書いて歌ってるのと、頭の中だけでやってるのがあって、書いてないのは歌がちょっと出遅れてるんです。自分だからわかりますけど。よくそんなんで出してくれたな(笑)。
■〈Map〉から田畑さんの歌もののソロが出るって話を最初に聞いたのは実は1年以上前なんですけど、随分かかりましたよね。
田畑:だからやるぞって締め切りを作らないとやらないですよ。それまでに準備しとけよって感じですけど(笑)、何かと忙しくて。たくさんバンドやってるのも余裕でやってるように見えるけど結構いっぱいいっぱいなんです。もうわけがわからない(笑)。Pagtasも「パグタスノート」っていうのがあって、そこに自分の演奏メモが書いてあるんです。覚えられないくらい難しいし、それがないと演奏できない。もうそんな状態ですよね。ゼニゲバだけは長くやってるんで身体で覚えこんでますけど、あとは最近やり出したバンドばっかりなんで、曲があるバンドは苦労してますね。
■あれだけたくさんのバンドを掛け持ちするっていうのはどういう感じなんですか。
田畑:わけがわからないですよ。
■意図して増やそうと思ってたわけでもないんですね。
田畑:まだ楽は楽かもしれないですね。バンド・リーダーとかじゃないんで。
■そうか、リーダー・バンドはあまりないですね。
田畑:リーダー・バンドはないけど社長やってるバンドはありますよ。
■社長?
田畑:物販の(笑)。リーダーではないけど物販業はずっとやってますね。アシッド・マザーズでもそうだし。
■アシッド・マザーズの物販はメルティング・パライソ・UFOのほうは津山篤さんがずっとやってますよね。
田畑:津山さんはたとえマジソン・スクエア・ガーデンでやっても、物販は俺がやるって言ってますね(笑)。
■出番までにステージに行くのが大変ですよね(笑)。それでは今後のリリース予定とかを最後にお聞きしたいと思いますが。
田畑:まずこないだ『ルシファー』の後に『Mankind Spree』っていうソロアルバムが出ました。それはインストゥルメンタルで。
■いろいろゲストが入ったりしてますよね。
田畑:そうですね、山本達久くんとか、一楽誉志幸くん(FRATENN他)とか、アシッド・マザーズのシンセの東洋之くんとか。あとはPagtasが出たところで、11月に20ギルダーズ。それとGREEN FLAMESを録音するかも。ゼニゲバは今月、イギリスのバーミンガムでスーパーソニックっていうフェスに出ます。対バンがスワンズにゴッドフレッシュにナパーム・デス(笑)。「いつやねん」っていう、どれも微妙に古い(笑)。メルト・バナナもいっしょですね。あ、そのときノイ!も出るんですよ。ミヒャエル・ローターがノイ!の曲をやるっていう。20ギルダーズのレコ発ツアーもやりますね。それは国内ですけど。帰ってきてすぐなんですよ、ゼニゲバのツアーから。かなり音楽性が違うんで頭切り替えんと。その後、11月25日にゼニゲバで初のワンマン・ライヴが新大久保のアースドムであります。
●LENINGRAD BLUES MACHINE
2010/10/20(水)
@ 新大久保 EARTHDOM (03-3205-4469)
w/ MARBLE SHEEP, THE DEAD PAN SPEAKERS, no:sign△ls
open 19:00 / start 19:30 // adv. 1700 yen / door 2000 yen
●ZENI GEVA UK Tour
10/24 sun Supersonic Festival @ Custard Factory - Birmingham, GB
10/25 mon @ The Croft - Bristol, GB
w/ RUINS alone, ANTA
10/26 tue @ Corsica Studios - London, GB
w/ RUINS alone + support
10/27 wed @ The Arches - Glasgow, GB
w/ GODFLESH
10/28 thu (*solo sets not ZG) @ Woodmill - London, GB
line up / KK NULL, TABATA, Z'EV, RYAN JORDAN, THE NOISER
●ダモ鈴木 + WABO-CHAO(宮下敬一 + 田畑満 + 藤掛正隆)
2010/10/31(日)
@ 所沢 MOJO (04-2923-3323)
1st Set: Damo Suzuki with Wabo-Chao(宮下敬一 + 田畑満 + 藤掛正隆)
2nd Set: Damo Suzuki with Indus & Rocks
open 19:00 / start 20:00 // adv. 2000 yen / door 2500 yen
●20 GUILDERS 1st Album 「20 GUILDERS」発売記念ツアー
2010/11/2(火)
20GUILDERS feat. 東洋之(Acid Mothers Temple)
@ 名古屋鶴舞 KD Japon (052-251-0324)
w/ 村上ゴンゾ, Gofish, フリーダム
open 18:30 / start 19:00 // adv. 2000 yen / door 2400 yen + 1drink
2010年11月3日(水・祝)
@ 彦根 カフェ朴 (0749-22-0839)
w/ 村岡ゆか(岡山)and more・・・
open 18:00 / start 19:00 // adv. 2000 yen / door 2500 yen + 1drink
2010年11月4日(木)
@ 京都夜想(075-211-0901)
w/ シモーヌの星, VAMPIRE!, したっぱ親分
open 18:30 / start 19:00 // 1500 yen + 1drink
2010年11月5日(金)
20 GUILDERS (バンド編成 : Bass 須原敬三, drums あいが)
@ 梅田 ムジカジャポニカ (06-6363-0848)
w/ ソニックケトル, スパスパスパデリック (砂十島NANI、KA4U (MIDI_sai), イトウ (neco眠る))
open 19:00 / start 19:30 // adv. 2000 yen / door 2500 yen
2010年11月6日(土)
@ 神戸 Helluva Lounge (078-331-7732)
w/ response man, tress pass, and more・・・
open 18:30 / start 19:00 // adv. 1500 yen / door 1800 yen
2010年11月7日(日)
@ 高知 CHAOTIC NOISE (088-823-8190)
w/ THE RED PONY, 足袋猫, 他未定
open 18:30 / start 19:00 // adv. 1500 yen / door 2000 yen
2010年11月14日(日)
20 GUILDERS(バンド編成 : Bass 須原敬三, Drums 山崎巌)
@ 高円寺 PENGUIN HOUSE (03-3330-6294)
w/ The Bite, 埋火デュオ編成(見汐麻衣 + 須原敬三), Americo
open 18:30 / start 19:00 // adv. 2000 yen / door 2400 yen + 1Drink
●タカダアキコ (dance) + 田畑満 (guitar) + mori-shige (cello)
2010/11/10(水)
@ 渋谷 BAR ISSHEE(080-3289-6913)
open 19:30 / start 20:00
料金:投げ銭(終演後:別途バーチャージ500円+ドリンク代)
●ZENI GEVA ワンマン
2010/11/25(木)
@ 新大久保 EARTHDOM (03-3205-4469)
open 18:30 / start 19:00 // adv. 2300 yen / door 2500 yen
●20 GUILDERS
2010/11/28(土)
@ 千駄ヶ谷 LOOP LINE(03-5411-1312)
"HOLY GARDEN vol.3"
w/shim a.k.a. nenjango
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〈カリヨン〉や〈セクーエ(Secouer)〉といった新興レーベルが活発な動きを見せ、にわかに勢いを増すイタロ・モダン・ハウスのシーン。コスミック・ディスコの起源とも言われ、北欧ニュー・ディスコ・シーンにも影響を与えたイタリアの伝説的クラブ〈Cosmic〉のサウンドが再評価されている機運も関係しているのか、サイケデリックなサウンドのなかにオーガニックでほんのり土の匂いがするようなサウンドのテック・ハウスが多いようだ。そんなシーンにおいて、数ある新興レーベルのなかでも最近とくに元気があるレーベル〈セクーエ〉から届けられたのは、チェーザレ・デッランナとグイド・ネモラという畑違いの奇才たちによるコラボレート・シングルだ。
チェレーザ・デッランナはイタリア南部の都市、プーリア州レッチェを拠点に活動するトランペッター。ジャズやトラッド・ミュージックをルーツに持つ彼は、地元で自身のレーベル〈11/8〉を運営しており、多国籍ブラス・バンド"オパ・クパ"や、アルジェリア音楽を取り入れたユニット"ジーナ"としての活動も知られている。また、地元のDJやサウンドシステムとの交流にも積極的で、ローカルなダンスミュージックアーティストとのプロジェクト"タランタ・ヴィールス"としても活動している。このプロジェクトには、今回のパートナーであるグイド・ネモラも参加している。まぁ、言うならば、地元の顔役ってやつなのだろう。
グイド・ネモラもグイド・ネモラで、アクが強く雑食性を感じるトラックをリリースすることで知られるアーティストだ。先日〈Joyful Noise〉からリリースされた「アマリ(AMARI)」は、ブルーグラス調なカントリー・サウンドをフィーチャーしたハウス・トラックだった。そんな、畑は違えど通ずる雑食なマインドを持つふたりがローカル・コミュニティで繋がったことは、幸福な出会いと言わずになんと言おうか。
A1に収録されているオリジナル・ヴァージョンは、フェンダーローズとウッドベース、そしてスウィングするアコースティック・ドラムを基調としたトラックの上でチェーザレが吹きまくる煙たいジャズ・ハウスだ。エレピもウッドベースもスウィング・ドラムも、演奏は控えめでクールな空気感を作っている。その上を駆け回るように演奏するチェーザレのトランペットに施された控えめなダブ処理も良い湯加減だ。
サイドBには、〈Apparel Music〉を中心に、上質なジャジー・テック・ハウスを数多くリリースしてきたキスク(KISK)によるリミックスも収録されている。こちらはスウィングするドラムを生かしつつも、イーブンキックを強調したフロアライクなミックスだ。深度を増した空間処理と、新たに追加された重たいサブベースがダンス強度を増しながらもよりドス黒く煙たい空気を作っている。ローカル・コミュニティから生まれた1枚ながら、すでにフランソワ・Kにも注目されている今作。ここにきて、イタリア南部のシーンに要注目である。
ルーカス・スーラス(Locussolus)は、もうほとんど生きる伝説と化しているDJハーヴィによる変名プロジェクトだ。盛況を極めた今春のDJツアーも記憶に新しいところだろう。ハーヴィの音楽キャリアは、彼が10代前半の頃にニューウェイヴ・バンドのドラマーとしてスタートしている。80年代の初頭にパンク/ニューウェイヴの文化圏に居るということは必然的にヒップホップの洗礼を受けることになる。旅行先のNYでヒップホップと出会い、レコードを使ってオーディエンスを操るDJという存在を知ったハーヴィも、例に漏れずその世界に飛び込んでいった。そしてセカンド・サマー・オブ・ラヴの到来により、いよいよハーヴィのプレイはフリーフォームになっていく。そして90年代には自身のパーティ〈Moist〉に敬愛するラリー・レヴァンを招聘するなど、精力的な活動によりシーンへの影響を強めていった。それ以降の、つまりバレアリックやディスコ・ダブ、あるいは北欧コズミック・ディスコ・シーンにまで影響力を持ったカリスマとしてのハーヴィについてはみなさんのご存知の通り。ちなみに、この〈Moist〉には、当時イギリスに留学中だったサイコジェム(Psychogem)ことDJ
HIROAKIも通っており、多大な影響を受けたそうな。
さて、何故わざわざハーヴィのキャリアを再確認したかというと、このEPのサウンドこそが、それこそハーヴィのキャリアを総ざらいするような内容だからだ。A1に収録されている"タン・セダン"は、80'sニューウェイヴ感バリバリのシンセリフが印象的な、熱量の大きいディスコ・ハウスだ。イーブンキックをキープするリズム・マシンと、アコースティックなドラムの絡みも絶妙だ。オーガニックなグルーヴとマシン・ビートのハイブリットという手法はまったく珍しいものではないが、今作ではハーヴィのエディットによって巧妙にその比率が刻々と変化し、ときにディスコ・ダブ的に、ときにシカゴ・ハウス的にと、ビートの印象が玉虫色に変化する。ドラッギーな空間処理が施された電子音が、それらの要素の間を埋めるように飛び交い、そして熱く男っぽいヴォーカルがリフレインする。各サウンドのフレーズは総じてどこかぶっきらぼうだが、確実にこちらのダンス衝動を鼓舞してくれる。
B1収録の"スロー・ダウン"は、ハーヴィ自身がヴォーカルをとる、メランコリックなギターのアルペジオを基調としたダウンテンポなバレアリック・チューンだ。こちらではサイドAとは対照的に、あくまでフォーキーなサウンドで攻めている。チルアウトしているつもりが、いつの間にか深いサイケデリアの沼にハマってしまうような、そんなトラックだ。B2には、ベースとビートを強調して、全体をよりいっそう煙たくダブワイズしたヴァージョンも収録されている。
先日、エレキングに掲載されたインタヴューも話題を読んだ17歳の新星、マッドメイドの新作EPが〈マルチネ・レコーズ〉からリリースされた。前作の『Who Killed Rave at Yoyogi Park EP』に続き、今作も大胆なフレーズサンプリングを用いたベースライン・ハウスを展開しているが......、一言で言うならば「やり過ぎ」である(良い意味で)。
M1の"telstar"は、シャイFXのジャングル・クラシックス"Original Nuttah"のMCを引用したハードコアなベースライン・ハウスだ。ベースライン・ハウスは、スピードガラージの流れを組むUKのベース・ミュージックのひとつで、グライムやダブステップとも影響しあっている。両者ともLFOによって大きくうねるウォブリーなベース・サウンドがキモになっているが、マッドメイドのそれはもはや一言でウォブル・ベースと呼んで良いのか不安になるほど、うねりは過剰になり、そして高速になっている。シンセサイザーの音作りに明るい人ならピンとくるだろうが、音色を高速で揺さぶると元の音色には無かった高次倍音が発生する。マッドメイドの今作は、そうして音色そのものが変化するギリギリまで攻め込んだ音作りがなされている。前作では、あくまでサンプリングしたネタを中心に置いたプロダクションだったが、今作ではサンプリングは自らのアイデンティティを表明するためのエッセンスに留まっている。聴かせたいのはなによりベースだという気持ちが伝わってくる。このEPの凄いところは、ウォブル・ベースのヴァリエーションがまるでおもちゃ箱をひっくり返したように入れ替わり立ち代わり、目まぐるしく登場するところだ。決してワンアイディアになることなく、ポスト・ダブステップのベース・ミュージックを楽しみながら作っているのをひしひしと感じる。
先日マッドメイドのインタヴューをおこなった際に、ルーツのひとつとして、『ビートマニア』などの所謂"音ゲー"と呼ばれるヴィデオ・ゲームに収録されていたレイヴ・サウンドの影響を語ってくれた。ここでのレイヴ・サウンドというのは90年代初頭にエイベックス・トラックスが主導して"ハイパー・テクノ"などと言う呼び名で打ち出していた、日本的に解釈されたハードコア・テクノのことだ。これらのサウンドは、当時のコアなテクノ・リスナーには好意的に受け入れられず、むしろ物笑いの種にすらされていた。しかし、マッドメイドの持ち味である無邪気で行き過ぎた感じは、そういったサウンドの「ハイパー感」も大きく影響しているのだろう。それはある意味で、日本の土壌だからこそなしえた、良性の転移とも言うべきものなのかもしれない。
セオ・パリッシュやムーディマン、そして10代の注目株であるカイル・ホールなど、今年はデトロイト・ハウスの良質なリリースが続いている。そこで忘れてはならないのが、いぶし銀ともいうべきリック・ウェイドの存在だろう。ムーディマンのむせ返るようなエロディシズムやセオ・パリッシュの埃っぽい黒さとはまた異なる黒さがリック・ウェイドの音にはある。
幼少期から、シカゴのラジオ〈WBMX〉を聴いて育ち、若くしてデトロイトの名レコード・ショップ〈レコード・タイム〉でバイヤーも勤めていたリック・ウェードは、その広いライブラリーを駆使した絶妙なサンプル使いに定評がある。丁寧に磨き上げられたサンプルを用いて、ワンループを基調に構築されるそのトラックは、DJプレミアやピー・トロックにも通じるクールな黒さがある。そしてなにより、リック・ウェイドのサウンドでは、ささくれ立ったトゲっぽさや不良性のアイコンとしての煙たさは巧妙に隠されており、一聴すると極めてエレガントな印象を受ける。が、エレガントな上物のベールに覆い隠されているのは、サウンドシステムで再生してはじめて牙を剥く、どすの利いた強烈なボトムの音作りだ。老獪な"ワル"の音作りがそこにはある。ムーヴDもリリースする、モスクワの〈Shanti〉からリリースされた今作も、例によって、クールでエレガントで、そしてワルい。
A1の"need you back"は、ギリギリまで装飾を排して、エレピ、シンセベース、ビートのシンプルなループで引っ張っていくディープ・ハウス・トラックだ。メインのシンセ・ベースにはアタックを遅らせたサブベースが重なっており、一小節のなかで一箇所だけ裏拍でサブベースのみが鳴る箇所が作られているのが絶妙なアクセントになっている。ときおり現れるシンセ・ストリングスの音色も美しい。
A2の"Big Score"はさらにミニマルな構成になっており、さらにワン・ループの抜き差しだけでグルーヴを作るコンセプトが推し進められている。派手な空間処理はないが、異なる質感のサンプルをレイヤーすることで、独自の音空間を作るテクニックは流石というべきだろう。この巧みなグルーヴ・コントロールのテクニックは、彼のDJプレイにも反映されている。10月末にはハック・アブドゥルとともに来日し、渋谷の〈amate-raxi〉にてプレイするということで個人的にも非常に楽しみにしている。
ファルティDLもリリースするオランダの名門レーベル〈ラッシュアワー〉。ここで、このところ勢いがあるのがアリステア・ギブス(Alistair Gibbs)のプロジェクトであるネブラスカだ。DJスニーク周りのビート感と、デトロイト・ビートダウンのファンクネスをいい所取りしたようなサウンドながら、ネブラスカのサウンドの根底から滲み出てくるのは、言うなれば"クリスタル感"とでも言うべきだろうか? 80'sサウンドにも散見されるような独特なアーバン・テイストだ。
A1の"This Is The Way"、フィルタリングされたディスコ・ループが心地よいジャッキン・ハウスだが、注目するべきはタイトルの由来にもなっている「This Is The Way~♪」と歌い上げるヴォイス・サンプルだ。このサンプル、良く聴くと阿川泰子の"Skindo-le-le"をサンプリングしているではないか! なんというか、まさかのオシャレ30・30。アーバンもここに極まれりといったところか。
A2の"Bar Story"は、キラキラしたエレピの二小節ループを中心に展開する小洒落たトラックだが、こちらも一筋縄な展開ではない。中盤以降トラックの主導権を握るのは、降り注ぐようにフィルタリングされたホワイト・ノイズや細かくカットされ、リヴァーブとディレイで飛ばされたシンセ・リード、そして図太く粗野なムーグ系のシンセ・ベースだ。小洒落たディープ・ハウスが、いつの間にかデトロイト・フレーバーのするテック・トラックに姿を変える。
B2の"Ras El Hanout"は、よりテッキーな路線を突き進め、ファンキーなベースラインでぐいぐいと引っ張っていく。デリック・メイの初期作にも見られたような、ピッチ・ベンドで捻じ曲げられた粘っこいシンセ・リードと、空間を分かつように疾走するストリングスの絡みには、デトロイト・テクノ好きは否応無しにもアゲられてしまうだろう。しかし、ここまでの多様な音楽的アイディアを、良くぞ一貫してウェルメイド感のある作品に纏め上げたものだ。正直感心して唸ってしまった1枚。
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HOLGER CZUKAY
PERSIAN LOVE
CLAREMONT 56 / UK / 2010/8/24
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BLAST HEAD
IN WATER DISCO
RUDIMENTS / JPN / 2010/9/1
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COFFEE & CIGARETTES BAND
ELECTRIC ROOTS FM VOL.5 -BACK 2 LIFE-
ELECTRIC ROOTS / JPN / 2010/9/23
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SUN RA
PARIS TAPES
ART YARD/KINDRED SPIRITS / NL / 2010/9/28
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TURN ON THE SUNLIGHT [CARLOS NINO & JESSE PETERSON]
TURN ON THE SUNLIGHT
DISQUES CORDE / JPN / 2010/9/8
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