「iLL」と一致するもの

Slackk - ele-king

 ヴィジョニスやマーロなど、11月はグライム・シーンの最前線で活躍するアーティストたちの来日が決定しており、スラックの名前もそこに堂々と連なっている。彼は〈ローカル・アクション〉や〈アンノウン・トゥ・ジ・アンノウン〉といったレーベルからのリリースや、ロゴスらとともに開催するパーティ〈ボックスド〉を通し、グライムの可能性を開拓する第一人者だ。ジェイムス・ブレイクからニコラス・ジャーにいたるまで、幅広い音を提供し続ける老舗レーベル〈R&S〉からも、スラックはEP「ブラックワーズ・ライト」(2015)をリリースした。今回、その凶暴なビートと端麗なメロディが混在するサウンドを携え、スラックが初めて日本の現場へやってくる。
 来日公演は11月12日に大阪、翌日13日に東京で開催。大阪公演にはCE$や行松陽介ら関西シーンの立役者たちが出演し、フォトグラファーの横山純によるUKにおけるグライム・シーンの現在をおさめた写真展も行われる予定だ。東京公演には、1-ドリンク、DXやポータルといった多彩なプレイヤーたちが、「グライム」や「ベース」をキーワードに集う。グライム・ヘッズだけではなく、新しい音に飢えている方も是非お近くの現場へ。

Slackk - Bells - R&S Records - 2015

Slackk(Boxed / R&S Records/ Local Action Records)


(Photo credit: Jun Yokoyama)

 インスト・グライムのシーンにおいて指標となる存在、Slackk。彼が創設したロンドンにおける重要なクラブ・イベントであるBoxedでは、いままさに頭角を現さんとするプロデューサーと、時代の数歩先をいく音を探求するDJがステージに立つ。そこでの活動や、週一でレギュラーを務めるリンスFMでの彼のDJセットは、まさに次なるシーンの最前線において鳴らされる音の縮図だ。
 スラックは自身の楽曲においても、細分化するグライムの核心を突いており、〈Local Action〉、〈UTTU〉、〈Numbers〉そして〈Big Dada〉といったレーベルからリリースを重ねている。それらの作品で方々から賞賛の言葉を浴びた後、2015年には伝説的なレーベル〈R&S〉と契約し、EP「Blackwards Light」を発表した。


【大阪公演】
Hillraiser
日時:2015年11月12月 19:00開演
会場:Socore Factory
料金:2000円
DJ:
Slackk
CE$
行松陽介
satinko
ECIV_TAKIZUMI
Photo Exhibition:Jun Yokoyama

【東京公演】
T.R Radio presents Slackk From London at Forestlimit
日時:2015年11月13月 21:00開演
会場:幡ヶ谷Forestlimit
料金:2000円
DJ:
Slackk
Dx (Soi)
1-DRINK
BRF
Zodiak (MGMD)
PortaL (Soundgram / PLLEX)
NODA
Zato
Sakana
MC:Dekishi

今年もJOLTがやって来る! - ele-king

 在豪ソニックアートの先駆的組織「JOLT Arts INC.」と、スーパーデラックスを根城にながらく先鋭的なパフォーマンスを展開してきた「TEST TONE」がタッグを組むライヴ・パフォーマンス・シリーズの2デイズ、昨年は鈴木昭男と齋藤徹、メルツバウと千住宗臣とロカペニスに、日豪オールスターキャストのTHE NISなど、日豪の表現の先端をきりとってきた、JOLTが今年も来襲!

 たんなる見本市的なお披露目にとどまらず、音と映像の科学反応を通して、観客のみならず演者の耳をも拓きつづけるこの企画らしい組み合わせが今年も目白押し。詳細は以下や関連HPなりで確認していただきたいが、灰野敬二と大友良英のおよそ10年ぶりのデュオはもちろん、PHEWとロカペニス、昨年のパフォーマンスもすばらしかったAMPLIFIED ELEPHANTSはこのフェスのための作品をひっさげて登場するという、あらたな視聴覚体験を求める貪婪な観客にこれ以上ないうってつけのイヴェントであることうけあい。個人的には──いや、全部観たいにきまってます。豪華ラインナップを謳うイヴェントはあまたあれど、またそれらに少々食傷気味ないま、外からの視点をもちこんだJOLTのようなイベントはまことに貴重といわざるを得ない。

■JOLT TOURING FESTIVAL 2015

●2015年11月12日(木)


AMPLIFIED ELEPHANTS

場所:
SuperDeluxe
www.sdlx.jp/2015/11/12

時間:
開場19時/開演19時30分

チケット:
前売り2800円/当日3300円 (+drink)

出演:
PHEW×ROKAPENIS(V.I.I.M project)
BLACK ZENITH(DARREN MOORE×BRIAN O’REILLY)
AMPLIFIED ELEPHANTS(from AUSTRALIA)
PHILIP BROPHY(from AUSTRALIA)
DJ: Evil Penguin

●2015年11月13日(金)


灰野敬二 大友良英

場所:
SuperDeluxe
www.sdlx.jp/2015/11/13

時間:
開場19時/開演19時30分

チケット:
前売り2800円/当日3300円 (+drink)

出演:
灰野敬二(HAINO KEIJI)×大友良英(OTOMO YOSHIHIDE)
L?K?O×SIN:NED ×牧野貴(MAKINO TAKASHI / FILMWORKS)
田中悠美子(YUMIKO TANAKA)×MARY DOUMANY
森重靖宗(MORISHIGE YASUMUNE)×CAL LYALL×)-(u||!c|<(JAMES HULLICK)×中山晃子(NAKAYAMA AKIKO / ALIVE PAINTING)
DJ: Evil Penguin

2 DAY PASS 前売り4500円/当日(11月12日)5000円(+drink)

企画・制作:JOLT, Test Tone and The Click Clack Project
問い合わせ:jolt2015@super-deluxe.com
INFO:joltarts.org


Funkstörung - ele-king

 世はエレクトロニカ・リヴァイヴァルである。完全復活のAFX,アクトレス、アルカ、OPN、ローレル・ヘイロー、今年はプレフューズ73も復活したし……ポスト・ロックへの注目と平行してそれが存在感を増していった90年代後半の様相がそのまま移植されたかのようだ。
 ドイツのファンクステルングは、90年代後半のエレクトロニカ第一波における主役のひとつである。ビョークの「オール・イズ・フル・オブ・ラヴ」(1998年)は、オリジナルよりも彼らのリミックスのほうが人気があった。しかもそのヴァイナルは、メジャーではなく、〈ファットキャット〉という小さなレーベル(後にシガー・ロスやアニマル・コレクティヴを見出す)からのリリースだったのにも関わらず、相当にヒットした。また、その曲はビョークがエレクトロに/IDM的なアプローチを見せた最初期の曲でもあったので、エポックメイキングな曲ともなった。インダストリアルなテイストで、音をひん曲げたようなあのドラミングに誰もが驚き、「ファンクステラングって何もの?」となったわけである。当時は、「あれがグリッチ・ホップっていうんだよ」などと言っていたね。そう、彼らはその名の通り、IDMだろうがテクノだろうが、ファンキーなのだ。

 そんな伝説のプロジェクトが10年振りに復活して、新作を発表した。往年のファンはもちろん、最近この手の音にはまっている若い世代にまで評判が広まっている。そこへきて、11月7日には日本でのライヴも発表された。エレクトロニック・ミュージックの祭典、EMAF TOKYOへの出演だ(他にもアクフェンやヒロシ・ワタナベ、インナー・サイエンスなど大物が出演)。
 ここに彼らの復活を祝って、ミニ・インタヴューを掲載。記事の最後には、日本のためのエクスクルーシヴ・ミックスのリンク(これが格好いい!)もあります。
 読んで、聴いて、EMAFに行きましょう。

Funkstörung インタビュー

■マイケル、クリス、今回の来日を非常に楽しみにしています! 公演に先だって幾つか質問させて下さい。

F:ぼくらも楽しみだよ! もちろんさ。

■10年振りのニュー・アルバム『Funkstörung』のリリースおめでとうございます! 日本でもアルバムは好評ですが、先ずは再結成の経緯を教えて下さい。

F:ありがとう! 友人であるMouse On MarsのAndi Tomaが、ぼくらふたりを彼らの活動の21周年記念の作品である「21 Again」に誘ってくれたんだ。その際にぼくらふたりは多くのことを話したんだけど、Funkstörungを再結成する良い切っ掛けなのかもしれない、とお互いに考えたんだよね。いろいろな曲をふたりで聴きながら、すぐにぼくらは(しばらく活動を一緒にしていなかったんだけど)いまでも「波長が合っている」ことに気付いたんだ。

■ニュー・アルバム『Funkstörung』はModeselektor主催のMonkeytownレーベルからのリリースとなり、とても興奮しましたが、どういった経緯でMonkeytownからのリリースとなったのですか?

:とてもエキサイティングなことだよね。:-) Andi Toma(Mouse On Mars)がMonkeytown Recordsを薦めてくれたんだ。Monkeytownのリリースは好きだったし、Modeselektorを昔から知っていた事もあって直感的に良い事だと思ったね。

■本作ではAnothr、ADI、Audego、Jamie Lidell、Jay-Jay Johanson、Taprikk Sweezee(アルファベット順)という6組のゲスト・ヴォーカルが9曲で参加していますが、ヴォーカル作品を多く収録した意図やコンセプトなどを教えて下さい。またヴォーカルの人選はどのようにしたのですか?

:これと言ったコンセプトはないんだけど、敢えて言うなら成熟したアルバムを作りたかったんだ。ブレイクの多用や過剰なディテールへの拘りではなく「リアル」な曲を書きたかった。インストゥルメンタルの楽曲は、多くの場合ぼくらを満足されてくれないから、ヴォーカリストをフィーチャーしたアルバムを制作することに決めたんだ。何か人間的な要素、もしくは声が与えてくれるインスピレショーン、をぼくらは必要としていた。良い例なのが、親しい友人であり近所に住んでいる「Anothr」なんだけど、彼はいわゆる「インディ・ロック」の人で、複数の楽器を演奏するマルチプレイヤーなんだけど、何か特別な要素をぼくらの楽曲に与えてくれたよ。多くのことを彼から学んだね。SoundCloudを通して知り合ったオースラリアのシンガー「Audego」との制作も楽しかったね。彼女の声を聴いてぼくらは鳥肌が立つんだ。テルアビブの「ADI」はぼくらのマネージャーの友人なんだけど、ぼくらにとって完璧な調和と言えるモノになったよ。彼女は近くビッグスターになると思う、素晴らしいのひと言だね。「Jay-Jay Johanson」とは、古き良き時代からの知り合いで、もう15年前のになるのかな、当時の彼のアルバムをプロデュースしているんだ。「Taprikk Sweezee」はハンブルクで知り合った気の知れた友人で、過去にも多くの制作を一緒にしている。(Michael Fakeschのアルバム『Dos』のシンガーは彼なんだ)18年くらい前に初めて「Jamie Lidell」のパフォーマンスを見たんだけど、彼と制作を共に出来たことは夢の様だったね。いくつかの理由があって彼とは一緒に制作を行えていなかったんだけど、今回のアルバムでそれが叶ってとても誇りに思うよ。

■1995年に発表された「Acid Planet 1995」から20年経ちますが、制作や作品に関する一貫した考えはありますか?

:20年……。長い期間だよね? 実際には1992年に収録曲を制作していたから、20年以上音楽を作り続けていることになるよね……。Crazy! 一貫した考えと言えるのはたぶん、つまらない音楽を作りたくないということなんだと思うよ。ぼくらの楽曲は(多くの場合)いろいろな音やディテールが詰め込まれていて複雑だと思うんだけど、このアルバムに関して言うと(代わりに)いろいろなアイデアが楽曲に詰め込まれているんだ。リスナーをつまらない気持ちにさせたくないし、もっと言えばぼくら自身がつまらない気持ちになりたくないんだ。

■最新作に関する何か特筆するエピソードがあれば教えて下さい。

:一番特別なエピソードと言えば、ぼくらがこのアルバムを完成させたということだろうね。。10年間コミュニケーションを取っていなかったからね。こんなに長い期間を置いてからたFunkstörungとしてアルバムを完成させた、というのはとても特別なことだと思うね。

■現在はミュンヘンを拠点に活動されていると思いますが、ミュンヘンまたドイツの音楽やアートの状況に関して、マイケル、クリスが感じられる事を教えて下さい。

:多くの音楽、イベントなんかはたしかにあるんだけど、ぼくらはあまりそれらにコミットしていないんだ。スタジオに居て毎日音楽を作っている、只それだけなんだよ。;-)

■ 印象に残っている国、イベント、アーティスト等あったら教えて下さい。

:もちろんだよ。ビョークと一緒に仕事をした事は強烈な記憶として残っている。リミックスを2曲作っただけなんだけどね。魔法の瞬間だったよ、彼女の声をエディットしていたときっていうのは。その他にもニューヨークのグッゲンハイム美術館でパフォーマンスしたことは素晴らしかったね。Jamie Lidell、LambのLou Rhodesと仕事出来たことも特別だし……。Wu-Tang Clanのリミックスをしたことも……。オーストラリアでのツアーも……。この20年間、とても素晴らしい瞬間が幾つもあったね。

■ 今後のプラン等をお聞かせ下さい。

:新しい楽曲を制作していて、今年中に発表されるかもしれないんだ。12月には幾つかのライヴが控えている。新しいミュージック・ヴィデオも制作中だね。

■今回日本を訪れる際に、何か楽しみにしていることはありますか?

:和食を食べることだね! (本当に美味しいよね)他には、秋葉原にクレイジーなモノを探しに行くこと、渋谷のスクランブル交差点で人の波に押し潰されること、原宿で(流行の先端を行っている)ヒップスターたちを見ること、大阪のアメリカ村で買い物をする事こと。本当に日本ではクールなことがいろいろと出来るよね。今回は実現出来なさそうなんだけど、富士山に登るのも良いアイデアだね。(日本は大好きだし、いつも良い時間を過ごさせてもらってるよ!)

■最後に、日本の電子音楽リスナーにメッセージをお願いします。

:イベントで会えるのを楽しみにしてるよ!

Funkstörung▼プロフィール
 1996年結成、かつて、オランダの〈Acid Planet〉〈Bunker〉レーベルからアシッド・テクノ作品も発表していたドイツはローゼンハイム出身のマイケル・ファケッシュとクリス・デ・ルーカによるエレクトロニック・デュオ。それぞれのソロ名義ではセルフ・レーベル〈Musik Aus Strom〉からも作品を発表。
 エレクトロニカ、アンビエント、ヒップホップ、ポップスの要素を融合させたサウンドをベースに穏やかな風が吹き抜ける草原と溶岩が流れ出す活火山の風景が同居したかのような、未知のエクスペリメンタル・ポップを生み出し、爆発的人気を博す。
 99年のリミックス・アルバム『Adittional Productions』における、ビョークやウータン・クランといった大物たちのリミックスで知名度を上げ、00年に1stアルバム『Appetite For Distruction』をリリース。脱力したヴォーカルと感電したラップが絡み合う、メロウかつ鋭い金属質のブレイク・ビーツ・サウンドでその実力を遺憾なく発揮し、テクノ界に新風を吹き込んだ。クリストファー・ノーラン監督映画『メメント』の日本版トレーラーにビョーク「All Is Full Of Love (Funkstorung Mix)」が起用された事でも注目を集める。またテイ・トウワをはじめ日本のリミックスなども手掛け、国内外において非常に高い評価を得ている。 
 2015年、活動休止を経てモードセレクター主宰レーベル〈Monkeytown〉から10年振りに新作を発表、ゲスト・ヴォーカルとして、ジェイミー・リデルをはじめ、ハーバートやテイ・トウワ作品に参加してきたドイツ人シンガーのタプリック・スウィージー、スウェーデン人シンガーのジェイ・ジェイ・ヨハンソンらが参加。究極に研ぎ澄まされたトラックをポップソングまで昇華させた最高傑作が誕生した。
https://www.funkstorung.com

        **********************

★新作情報
『Funkstörung』-Funkstörung
https://itunes.apple.com/jp/album/funkstorung/id998420339

★来日情報
11月7日(土曜日)EMAF TOKYO 2015@LIQUIDROOM
https://www.emaftokyo.com

★エクスクルーシヴ・ミックス音源
Funkstörung Exclusive Mix for Japan, Oct 2015
https://soundcloud.com/emaftokyo/funkstorung-phonk-set-oct-2015



Funkstörung interview

I'm looking forward to your appearance at EMAF Tokyo. Could I have some questions prior to the event please?

We are looking forward to it, too!!! Sure.

Congratulations on the release of your new album entitled "Funkstörung".
1. How the reunion of the unit come about?

Arrogate Gozaimasu!
Our friend Andi Toma (Mouse On Mars) invited us to do a song with Mouse On Mars for their anniversary record '21 again'. We met and talked a lot and soon we thought this might be a good chance to reactivate Funkstörung. After listening to loads of songs we instantly recognized that we are still on the 'same wavelength'...

The album "Funkstörung" has been released on Monkeytown Records run by Modeselektor.
2. What has made you decide to release the album on the label?

I'm so excited about this. :-)
Andi Toma recommended Monkeytown to us...and since we liked the MTR releases and knew the Modeselektor guys from back in the days, we had a good feeling about it.

There are 6 vocalists featured for 9 tracks in this album. (To name all alphabetically, ADI, Anothr, Audego , Jamie Lidell, Jay-Jay Johanson and Taprikk Sweezee)
3.  What was your intention / concept about these vocalist selections?

We had no real concept, but somehow we wanted to do a grown-up album. Instead of focusing on breaks and an overload of details we wanted to write 'real' songs. Since instrumental tracks don't satisfy us most of the times we decided to do a vocal album. We needed that human element and as well the inspiration vocals give us. Anothr, who is a close friend and neighbour is the best example: He added some special flavour to our songs since he is more a kinda 'Indie Rock' guy and multiinstrumentalist...we learned a lot from him. Australian singer 'Audego' we found via soundcloud was really a pleasure to work with, Her voice really gave us goose bumps. ADI from Tel Aviv is a friend of our manager and for us it was a perfect match. She is going to be a big star soon...she is brilliant! Jay-Jay Johanson we knew from 'the good old times'...we have been producing one of his albums almost 15 years ago. Taprikk Sweezee is a good friend from Hamburg with whom we have been working a lot together in the past (he is the singer on Michael Fakesch's album 'Dos'...) Jamie Lidell was a dream to work with from the day we saw him playing for the first time (which is about 18 years ago)...due to different reasons we never managed to work with him and so we are extremely proud that this time it really happened.

20 Years have been passed since the release of "Acid Planet 13" in 1995.
4. Is there any consistent thoughts behind your production throughout?

Long time...isn't it? In fact we did those track back in 1992, which means we are doing music since over 20 years...crazy!

Maybe the most consistent thought is that we don't wanna do boring music. That's the reason why our songs are often so complex with loads of sounds and details and -like on this album- with loads of ideas within the song. We just don't wanna bore people...and even more important we don't wanna bore ourselves.

5. If there's a special story / episode regarding the latest album, it would be great to hear it.

The most special story is that we really did this album...after not talking to eachother for 10 years. I think this is something very special if you re-unite after such a long time.

You are currently based in Munich, Germany.
6. Could you tell us about your opinions on a situation music (and/or) art in Munich / Germany are in? (from each of you, please?)

There is definitely a lot music, events, etc. going on but we are kind of isolated from all that. We are sitting in our studios all day making music and do nothing else ;-)

7. Please let us know of any countries, events or artists you have been impressed by and would still remember?

Of course one of the most intense memory from the past was working with Björk. Even if we only did two remixes, but to work with her vocals was a very magic moment. Besides to that playing at Guggenheim Museum New York was amazing...also working with Jamie Lidell or Lou Rhodes from Lamb was very special....or remixing Wu-Tang...and our Australia tour...oh man...we had some great moments over the last 20 years.

8. Please let us know of your upcoming plans. (Excuse me if this is too fast to ask..) 

We are working on new tracks right now (which might be released already this year) and we're going to play some live shows coming up in December. There is also a few new videos in the making.

9. Is there any particular thing(s) you've been looking forward to do in Japan? 

...to eat Japanese food (which we love!), to check out all the crazy toys in Akihabara, to get squashed a Shibuya crossing, to see all the super hippsters at Harajuku, to do some shopping at american village Osaka...oh man, there is so much cool stuff to do in Japan. Actually it would have been great to walk up Mount Fuji, but unfortunately it's not the right time :-(...anyway...we love Japan and always had a great time there!

10. Lastly, please leave a message for electronic music listeners in Japan.

Come to our concerts!! We hope to see you guys there!


Bim One Production (1TA & e-mura) - ele-king

Roots / Dubフェイバリット

interview with tha BOSS - ele-king


tha BOSS
IN THE NAME OF HIPHOP

THA BLUE HERB RECORDINGS

Hip Hop

Amazon

 北海道・札幌をリプレゼントするTHA BLUE HERBのラッパー、tha BOSSが全国から敬愛するビートメイカー、ラッパーを招き、初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』を完成させた。
 BOSSといえば常にO.N.Oと二人三脚で作られるTHA BLUE HERBの音源のイメージが強いが、本作はトラックメイカー陣にPUNPEEの名があったり、客演陣にYOU THE ROCK★の名があったりと、かなり外に開かれた内容になっている。
 BOSS自身このインタヴューで、参加アーティストに寄り添って作ったと話しているように、このアルバムは18年前にマイク稼業を始めたひとりのMCのユナイトの賜物だ。トピックもシンプルで、聴き手を選ぶ類のものではない。
 とはいえ、もちろんBOSS“節”は健在で、さらに磨きがかかったといってもいいほどだ。tha BOSS名義のソロ作品ゆえ、彼の純度が増したのだともいえるし、デビュー当時の攻撃性は鳴りを潜め、作品そのものの深みが増したともいえるだろう。
 この“節”に関しては作品を聴いていただく他ないが、『IN THE NAME OF HIPHOP』=“ヒップホップの名のもとに”というアルバム・タイトルは、この作品を実によく表している。「ユナイト」や「純度」や「深み」の意味を象徴し、よく伝えている。インタヴュー時間はジャスト30分、雑談はなし。一気呵成に訊きたいことを聞いた。

ファーストの頃は自分の居場所を作るために命を張って勝負をかけるという意味では、俺にとってその時代の俺のヒップホップは、俺に力をくれたし、その大 義っていうものを信じて生きてきた。けど、それと同時にヒップホップはユナイトする音楽、人と人を繋げる音楽という側面もあって、18年後にやっとここに 辿り着けたよね。

このアルバムに関しては、昨年末に制作を発表して、そこから1年を待たずに、この高密度なアルバムが完成されたわけですが、そこに至るまでの経緯から伺いたいです。

tha BOSS:そうだね。まずは1997年からマイク稼業をはじめて、今日まで18年か、その間に出会った人と曲を作ってみたいっていうのがまずはじめにあって。現場でいつか曲を作ろうよっていう話をしていた人たちもたくさんいたし。でも、それだけじゃなくて、やっぱり自分がそんなにまだ、なんていうんだろう……たとえ現場ですれ違う程度の人でも、この人のビートに乗せてみたいだとか、いろんなスタッフも含めて、ヒップホップに詳しい人は俺の周りにたくさんいるから、みんなとも話して、一緒にやりたいと思った人に声をかせさせてもらった感じだね。

いまのお話の住み分けをもう少し具体的に伺いたいです。

tha BOSS:DJ KRUSHさんとかDJ YASとかDJ KAZZ-K、INGENIOUS DJ MAKINOとかは俺にとっては昔からの知り合い。Olive Oilもそうだし。 NAGMATICとかPENTAX.B.FとかPUNPEEやHIMUKIとかは、なんていうのか、今回は俺の方から一線を越えてオファーした人たちだね。

HIMUKIのビート(2“I PAY BACK”)は凄かったですね。この曲を聴いた瞬間、このアルバムの意味というか、アルバム全体が持つ高揚感みたいなものが駆け抜けた気がしました。

tha BOSS:HIMUKIのトラックは一番最初にレコーディングした曲なんだよね。今年の2月にレコーディングを始めたんだけど、、それが実はこの曲。聴けばわかるけど、俺的にも、力も入ってるし。弾みをつけたかったという気持ちを感じられるというか。すごい、なんかねぇ……HIMUKIとの曲が最初で良かったなと思う。

全国どこのヒップホップのアーティストも、最初は地元のトラックメイカーだったり自分たちでビートを作ったりするわけですが、ことTHA BLUE HERBに関しては最新作に至るまでですし、O.N.Oさんとの結びつきが強いですよね。THA BLUE HERBとはO.N.Oさんでもあるわけで。

tha BOSS:そうそう。まさにその通り。

だから、これだけまとまった楽曲群を他の人と作るというのは、BOSSさんにとって、かなり新しい体験だったと思いますし、発見もあったと思いますが、その辺はいかがですか?

tha BOSS:うん。それ(体験や発見)はたくさんあったよ。なんていうかな……基本的にその……O.N.Oとのやり取りという意味では、俺的にはある意味『TOTAL』で頂点を極めた感覚があったんだよね。『TOTAL』というアルバムの細部に渡るまでに、いまも崩れずに傷つけられずに、汚れずに、いまだに全曲ピシッと成立している世界というのは、俺にとってはある意味パーフェクトで。あれを作り終わったあとには、しばらくあれを乗り越える作品を作るというのは、ちょっともう……ってくらい、俺たちは『TOTAL』でデカい山を登ってきたんだ。
 だからやっぱり、そのTHA BLUE HERBの次作の前に、ソロ・アルバムを作ってみたいなと思って、今回こういう、たくさんの人たちとやらせてもらったんだけど、みんな育ってきた環境も使ってる機材も年齢も違うからね。ひとりひとりと、メールなり電話なり、作業なりをずっとしていくと……O.N.Oと俺の場合は、THA BLUE HERBというひとつの人格を最初から最後まで成長の過程として共有してるわけだけどさ、今度のは15曲、特典のセロリ(Mr.BEATS a.k.a. DJ CELORY)くんを含めて16曲、2曲提供してくれたのがふたりだから、つまり14人との制作だったんだ。1対1が×14人分あって、それがみんな違うから、ずっとひとりのビートメイカーとやってきた人間からすると、それはやっぱり全然違うよね。
 でも、そこを本気で誠実に向き合うことで……対決して音楽を作るというよりは、せっかくこういう人たちとやるんだし……ハーモニー……調和した音楽を作るというか、その人と一緒に最高の曲を創りたいというか……そういう気持ちが強いからね。その人それぞれの違いに寄っていくと、自分も自分の中になかった感情であり、手法であり、声の質であり、言葉遣いでありが14人分出てきたよね。だから新鮮で楽しかったよ。

トラックメイカーとの顔合わせ(食い合わせ)の話で言えば、もうひとり、やっぱりPUNPEEさんが面白かったのですが、PUNPEEさんいかがでしたか?

tha BOSS:PUNPEEも最高だったよ。PUNPEEと一緒にやるのも俺にとっては結構挑戦だった。今回参加してくれているのは、みんな、今すごいと言われてる人たちで。でも実際外から見てるだけではわからないし、一緒に作ってみないとわからないから誘ってみたんだけど、本当だね。みんながすごいと言うには、ちゃんとした理由があるっていうのは、仕事をするとわかるよね。
 PUNPEEはずっと一緒に、お互いに意見を出し合ってスタジオで作ったんだ。そこはみんな同じで、遠慮なしに「ここはこうして欲しいし、こうした方がいい」と言い合って作ったけど、そういう意味じゃPUNPEEは、1回か2回現場で会って、そこから俺がオファーして実現したんだけど、キャリアのことは知っていてもお互いのことを知っているわけじゃなかった。俺の性格とか人間に関しては付き合いは深いわけじゃないところで、スタジオに入ったけど、相当PUNPEEも切り込んでくるし、俺も逆にそれ待ちだったからね。PUNPEEに俺を操縦して欲しいという感覚が強かったし、ビートメイカーとプロデューサーの違いという意味でも、PUNPEEはどっちかというとプロデューサー。ラップもできるし、アレンジもできるし、ミックスもできるし、ビートも作れるっていうマルチでそれぞれがすべてハイクオリティな人間だから。PUNPEEのリクエストは、こっちも耳を傾けたし楽しかったね。

PUNPEEさんは、すごい俊敏な印象があります。

tha BOSS:そうだね。俊敏だね。メロウだしね。言葉にすると誤解を招くかもしれないけど、PUNPEEが持ってるポップさって、逆にTHA BLUE HERBではなかなか接近できない世界なんだけど、今回は挑戦してみたいと思ったんだよね。ポップなフィーリングっていうか。ポップにもいろいろあるんだろうけど、PUNPEEのトラックは今回の中ではすごい開かれているというか。この曲が、ここの9曲目にあるかないかで、随分印象が違うからね。一緒にやれて本当に良かったよ。

そうですね。元々のTHA BLUE HERBという存在は、ポップという言葉が多様な意味を持つものであるにせよ、それでもポップという語と結びつく存在ではなかったですし。今回のインタヴューにあたって、ファースト・アルバムをあらためて聴いたんですけど、“孤憤”とか(単刀直入にいえば、BOSSが「業界」じみたMCやメディアをdisった曲)を聴いて、あのアルバムからはじまったのかと思うと、やっぱり今回のアルバムの広がり、そういった多様性には奇跡のようなものを感じてしまいます。

tha BOSS:俺もそう思うよ。このタイトル自体もそうなんだけど、ヒップホップがあったからやっぱりここまで来れたと思うよね。ファーストの頃は自分の居場所を作るために命を張って勝負をかけるという意味では、俺にとってその時代の俺のヒップホップは、俺に力をくれたし、その大義っていうものを信じて生きてきた。けど、それと同時にヒップホップはユナイトする音楽、人と人を繋げる音楽という側面もあって、18年後にやっとここに辿り着けたよね。
 俺の……なんて言うんだろう……俺のTHA BLUE HERBのファーストの頃のアティチュードからの変化に、もしかしたらクエスチョンの人もいるのかもしれないけど、俺は俺の思ったままに生きてるだけなんだよね。俺は俺のこの道で良かったと思う。ヒップホップを長くやってきて、走り続けてきてよかったと思った。こういうオチがあるんだったら、うん、最初に中指立てたことも、そして変化を否定せずに続けてきて良かったなと思ったね。

ただ、ファーストの言葉はたしかに中指も立っていましたが、あのアルバムで確実に「草冠に音と言葉(THA BLUE HERBのロゴ)」の旗も全国に立ちましたし。たんなるネガティヴ・メッセージでは全然なかったですよね。そういう力を持った音楽だった。

tha BOSS:なんで俺がその……中指を立てたかっていうと、自分の居場所が欲しかったのと、日本中のヒップホッパーに対して、ただたんに俺と俺らのヒップホップ、俺らの街、俺がずっと住んでいる札幌という街を認めさせたかったんだよ。それだけのためにずっと中指を立てていたから、認めてくれた人に対しては、さらにそこからツバを吐くような真似は俺はしないし。認めてくれたら逆に相手のことも知ろうとするっていうのが人としての礼儀というか、それが俺にとってのヒップホップのマナーだから。そこを経たあとは……ここに集まった人たちは……みんな友だちだしね。それもヒップホップだよなぁと思う。お互い認め合ったら、なんていうのかな……曲を作ろうよっていう風に14人分帰結したっていうのは、ヒップホップ好きなら当たり前のことだよねと思う。

田我流はね……田我流はもうある意味俺がファンだから。いつか一緒にやりたいっていう、なんて言うの、初めて会ってからずっとだけど……田我流は本当に凄い。やりたいラッパーはもっとたくさんいたんだけど、でも、そういう意味では、この世代では田我流だったね。

今度はフィーチャリングについて伺いたいのですが、それこそ、こうして完成した作品、結実したものを聴けば、これもまた必然だとは思えるのですが、それでも、すごいバランスだと思います。このメンツはたんなる計算では絶対にありえないと思いますし、BUPPON(ブッポン)さんとYUKSTA-ILL(ユークスタイル)さんの楽曲(4“HELL’S BELLS”)ひとつとっても、2人とも昨日今日はじまったMCではないとはいえ、フレッシュでした。

tha BOSS:俺のラップ稼業の中では三重に行けば必ずYUKSTA-ILLとリンクしてたし、BUPPONも何度も俺らを山口に呼んでくれたし。東京のラッパー、山口のラッパー、三重のラッパーは俺にとってはみんな同じ、札幌以外のラッパーだから。そういう中で普通に同じラインで見たら、このふたりは本当に昔から俺のことをサポートしてくれた……なんていうのかな……超大切な友だちっていうか。ふたりに関しては昔から本当に俺のことを励まして受け入れて世話してくれてる人たち。いつか一緒に曲を作りたいと思ってた。だからYUKSTA-ILLもBUPPONも若いけど、俺にとっては友人だし、若い奴にチャンスを……なんてことはまったく思ってない。俺はただ昔からの友だちとマイクリレーをしたかっただけだね。

たしかに、ふたりともソリッドなヴァースをカマしていますね。ソリッドなヴァースをカマしているといえば、もうひとり、札幌のELIAS(エリアス)。この楽曲(6“S.A.P.P.O.R.A.W.”)がまたトンデモなくタイトで……。

tha BOSS:ELIASに関しては……本当に札幌という街で、B.I.G. JOEと俺のふたりがいて……、次は誰だって言えば、ELIASだというのはずっと言われ続けてきて。それは札幌のアンダーグランドでは常識なんだけど。昔から札幌のアンダーグラウンドの最前線にいる。そういう意味では、本当にラッパーとして、大きな世界に出て行くためにやらなきゃいけないことは、これまでずっとやってきている人間だから。フックアップとかではなくて、ELIASに関してはこれが何かのいいきっかけになればいいなと思ってる。YUKSTA-ILLとBUPPONと同じくELIASもアンダーグランドヒップホップの世界では常識なんだけど、まだまだその広がっていく余地がたくさんあるアーティストだと思ってるよ。3人とも違うし、すごいおもしろいし格好良いよね。ELIASは本当ソリッドだよ。

田我流(5“WORD…LIVE”)は前の3人とはまったく違う色合いで……もう……凄いですよね。

tha BOSS:田我流はね……田我流はもうある意味俺がファンだから。いつか一緒にやりたいっていう、なんて言うの、初めて会ってからずっとだけど……田我流は本当に凄い。やりたいラッパーはもっとたくさんいたんだけど、でも、そういう意味では、この世代では田我流だったね。

20代、30代、40代……と、見える視線によって、ヒップホップというのは変化していくわけで。20代のヒップホップを否定する気もないし、格好良い音源も多い。でも、俺らみたいな40代のヒップホップにも価値があると思ってやってるから。

はい(笑)。そして、このアルバムのひとつの白眉だと思います、YOU THE ROCK★を招いての“44YEARS OLD”、トラックはDJ YAS。先ほども触れたファーストのときの東京dis、業界disというのは、具体的に言えば、対「さんピンキャンプ」的な……と言っていいと思うんです。「さんピン」が象徴したものというか。YOU THE ROCK★さんはその象徴の中の、さらに最たるキャラクターといってもいいラッパーですから、本当に驚いたし、感動もしました。これがまた凄いヴァースで……。なので、YOU THE ROCK★さんに関しては、おふたりの出会いから、この曲に行き着く流れまで伺いたいです。

tha BOSS:YOU THE ROCK★と俺がここで一緒に曲をやるっていうのは、いまの子たちにはなんのことやらって感じかもしれないけど、あの時代、90年代の後半からのヒップホップ、THA BLUE HERBの最初からを知っていた人にしてみれば、これぞ奇跡みたいな。俺は彼をdisったし、彼はこの街(東京)でボスのひとりだったから、俺以外の人間からもいろんな攻撃に晒されたし、そこで頑張ってやってて、いま2015年になって……。
 俺はお手手つないで仲良くじゃなかったから、YOU THE ROCK★とかのことをどかして、居場所を作ってきたという気持ちも強くて。そうは言っても、同じ齢というのもあったし、YOU THE ROCK★は俺のことを受け入れてくれてはいたし、この18年の間にも同じ現場でちょいちょいは会ってたんだよね。まあ乾杯して楽しんで話したりとかって、そういうときは別に一杯飲むとかそんなレベルだったけど、そんなことが3年に一度とかのスパンで続いてて。俺もYOU THE ROCK★という人間をだんだん知ってきてたし、今回のタイミングで、ラッパーで誰を誘いたいかって、一番最初が彼だったんだよね。
 曲がりなりにも、俺自身がYOU THE ROCK★という人間を削って上がってきた人間だったから、今度は俺がひとつ、ちゃんと落とし前を付けなきゃいけないと思ってた。他人が介入して「ボスとユーちゃん一緒に曲やんなよ」「俺の曲でユナイトしなよ」という話じゃなくて、仕掛けた俺がその場所を作って、彼に来てもらって、「で、今何を歌うんだ?」っていう場所を俺が作りたかったんだ。それで俺が今年、彼に連絡して、中目黒の居酒屋でふたりでがっつり飲んで、そこはもう超ガチだったね。俺も超ガチだったし、あいつも超ガチだった。2、3時間、はたから見たら口喧嘩してるんじゃないかっていうテンションでずっと話して、俺は「俺はおまえを削ってここまで上がってきた。ここでおまえも一発ライムかまして、俺の曲を聴いてくれてるお客さんたちを俺から奪うつもりでやれや」って言って。彼も「やってやるよこの野郎」みたいな感じになって。それで曲を作った。それで、ビートメイカーはDJ YASで、3人とも44歳だから“44YEARS OLD”っていう曲にしようって。
 あいつも本当にいろいろあったし、俺もあったけど、たぶんYOU THE ROCK★をひとつの、わかりやすいハイプなキャラクター、陽気なピエロみたいなやつという認識で終わってるやつもいたと思うし、彼も意識的か無意識的にかは俺は知らないけど、それを自分のキャラとしてやってた時期もあった。ただ、その後の……あいつの人生で起きたこと、あいつがそれを乗り越えてきたこと、孤独だとか、そういうことっていうのは、まだあいつは語ってないし。でも、俺は語られるべきだと思ったんだよね。それはこれからの若いラッパーたちにとっても、俺とか彼とかみたいな人間がどういう感じで、もう一度、ここでユナイトするのか。YOU THE ROCK★がいままで乗り越えてきたことについてのリリックは残されるべきだと思ったという感じだね。

僕は音源についての取材やインタヴューをするとき、基本的にいつも資料をいっさい読まずに音源から聴くようにしているんですよ。それはまずまったく先入観抜きに楽しみたいと思ってのことなのですが、だからどういうアルバムかまったく考えもせずに聴いていたら、YOU THE ROCK★の声が耳に入ってきて、もうびっくりしました。「ええ!?」って。

tha BOSS:「俺にもあるぜBOSS」って入ってきたでしょ(笑)。間違いない。でも、やっぱり、さっきの話じゃないけど、さんピン時代とか……そういう時代にヒップホップを聴いてた人、いまはKOHHとかの時代だからさ、が、その時代に聴いてたいま30代後半とかの人が、どこで何をしているのかって考えると……それは人それぞれだけど、でも、そういう人たちにもまだやってるぜっていうか、そういうメッセージを投げかけたかったんだよね。20代、30代、40代……と、見える視線によって、ヒップホップというのは変化していくわけで。20代のヒップホップを否定する気もないし、格好良い音源も多い。でも、俺らみたいな40代のヒップホップにも価値があると思ってやってるから。しかも歌っていくのは、その20代の子たちに向けたラップというよりは、自分の目線で歌う、自然と自分の同じ年代の曲になっていくわけで、そういう時代にいた人たちに、俺とYOU THE ROCK★がやってるぜっていう。もう一度クラブに来いとは言わないけど、「もう一回俺らのヒップホップを聴いてみないか?」みたいな。彼を誘った時点で、そういうメッセージがあるよね。彼もすごいさらけ出してリリック書いて、俺のオファーをシリアスに重く受け止めてくれたから、やっぱり誘ってよかったなと思う。

客演に関して、もうひとり。同じく札幌のB.I.G. JOE(6“WE WERE,WE ARE”)。これは顔合わせのおもしろさという次元の話ではなく、ヴァースのクオリティーが圧倒的でした。

tha BOSS:B.I.G. JOEのヴァースは……神がかってたね。本当に……それこそB.I.G. JOEは俺がラップやる前からの付き合いだから、20年以上の付き合いになるけど。この人と同じ街でラップをやり続けて、こうやってお互い、いまもこうして一緒にレコーディングできているのは素晴らしいことだよね。本当にもう……神がかったバースを残してくれて感謝してる。

今度はアルバムで扱われるトラックについても少し伺いたいのですが、これまで歌われたことのない、BOSSさんの幼少期の光景が歌われたり(“REMEMBER IN LAST DECEMBER”)もしています。こういったことも、僕には少し不思議な気がしました。

tha BOSS:THA BLUE HERBではそこまでいけないからね。自分のパーソナリティーまでは曲にならないから、そういうとこもやっぱり違うよね。書いてるトピックが。

それってなんでなんですかね。要するにお互い何もかも知り尽くしているO.N.Oさんのビートではなく、初めてのトラックメイカーたちとの中で、そういうトピックが出てくるというのは……

tha BOSS:それはそうだよ。O.N.Oとだからというわけではなくて、THA BLUE HERBとしてやってるわけだから。THA BLUE HERBにはTHA BLUE HERBっていう人格があるんだよ。97年に「SHOCK-SHINEの乱」から始まったTHA BLUE HERBって存在があって、それは97年に産まれた存在で、そこから成長して、のし上がっていくわけだよ。でも、これに関しては俺だからね。俺は97年にマイク稼業を始めたけど、そこが俺の始まりではないっていうか。そこの違いはやっぱりあるよね。

ああ、なるほど。そう伺うと、それもそうですね。ちなみに、このアルバムのライヴはやるんですか?

tha BOSS:やる。THA BLUE HERBで12月からリリースツアーを始めるよ。THA BLUE HERBの曲たちの中に、この曲が入っていく。そういうことになるよ……。今言ったTHA BLUE HERBの世界観と俺個人の世界観が違うという中で、それがライヴの中でどう混ざっていくのかが楽しみなところだよね。

では、時間が迫ってきたのでシメたいと思います。『IN THE NAME OF HIPHOP』、ヒップホップの名のもとに……というのは、このアルバムのタイトルとして、いかにもふさわしいと思いました。先ほども曲名に挙がりました“SHOCK-SHINEの乱”ではじまったTHA BLUE HERB。そのMCのBOSSさんが、いまこうして全国のビートメイカー、ラッパーとユナイトして、1枚のヒップホップアルバムを作り上げたという……これは制作当初からのコンセプトだったのですか?

tha BOSS:だんだん途中からそう思い始めていったんだよね。アルバム制作中も俺はこのパソコンでずっと仕事をしていたんだけど(インタヴュー前もBOSS氏はノートパソコンに向かって仕事しており、すぐ前にパソコンがあった)、作業の終盤に入ってくると、その受信トレイに入ってくる名前がさ……KRUSHさん、PUNPEE、grooveman Spot、YAS、YOU THE ROCK★、BUPPON、B.I.G. JOE……って、いろんな人と同時にやり取りしてたからさ。うわ~、この並びすげぇなと思って。本当にヒップホップの名のもとにとしか言いようがないなと思ったんだ。

ありがとうございました!

[[SplitPage]]

History of TBH

 北海道・札幌をリプレゼントするTHA BLUE HERBのラッパー、tha BOSSが、初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』をリリースした。これまでにもコラボ経験のあるDJ KRUSH、DJ YASといった顔触れから、PUNPEEやHIMUKIといったまったく新しいメンツ、客演には田我流やYOU THE ROCK★など、全国のビートメイカー、ラッパーを招いた画期的な作品である。
 THA BLUE HERBについてはいまさら説明されなくてもよく知っているという方は、ぜひこの画期的なアルバムを手にとり、これをいま聴けることの喜びを共有したい。
 だが、最近になってTHA BLUE HERBを聴き始めた(tha BOSSを知った)という方は、tha BOSSが今度のソロ作品を出すまでの経緯を把握すれば、このアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』をより楽しめることがあるように思うので、以下に少し書いてみたい。

 18年前に始まったTHA BLUE HERBが世に放ったファースト・アルバム『STILLING STILL DREAMING』(1998)は、リリース当時から熱烈な賛否を持って迎えられた。
 これはBOSS THE MC(その頃はこう名乗っていた。以下BOSS)とビートメイカーのO.N.Oの2人の「シンプルな音と言葉」による、東京中心のヒップホップシーンへのほとんど宣戦布告といってもいい1枚だった。たしかにその頃のBOSSの言葉は、ファースト・アルバムを一聴すればわかるように、かなり攻撃的である。ヒップホップでのdisは具体的であるほど意味を持つものだから、攻撃の対象は聴いていても明らかだったし、当時のBOSSのリリックはほのめかしという類のものではなかった。
 そうである以上、そこに賛否の「否」が生まれるのは必然である。ヒップホップもショービジネスであり、そのdisがTHA BLUE HERBの名を広く流布したひとつの大きな要素と考えれば、そこにはBOSSの戦略めいたものもあったのかもしれない。だが、それはやはりプロレスでいうストロング・スタイルのようなショー的なものではなく、極端な話生きるか死ぬかの類の、もっと切迫したものであった。

「北から陽が昇ることに慣れてないお前達は俺達の存在そのものにまだ戸惑っているんだろう?」

 “ONCE UPON A LAIF IN SAPPORO”におけるBOSSのこの挑発的な言葉は、それを象徴しているだろう。だが、同時にこういった挑発が生む「否」と「賛」は表裏の関係にある。
 初期のTHA BLUE HERBに対する「賛」には、列島の「北」から下すべてに中指を立てるようなリリックが一役も二役も買っているといっていい。まだ無名のハングリーな新人が、優遇された有力な相手を叩きのめすのがカタルシスであるのは言うまでもない。言わば、強烈なカウンターによるノックアウト劇。それが初期のTHA BLUE HERBの賛否の「賛」にはあった。
 ここに書いた「強烈なカウンターによるノックアウト劇」の意味はシンプルで、北海道の無名のTHA BLUE HERBの記念すべきファースト・アルバム『STILLING STILL DREAMING』は売れたのだ。そのヒットは、彼らが地方でくすぶっているB-BOYのハートを鷲掴んだだけでなく、それまで日本人のラップを聴かなかったリスナーまでをも一気に取り込んだゆえでもあった。
 筆者は当時からヒップホップや日本人のラップを聴いていたし、アーティストによってはライヴを見たこともあったが、クラブに日常的に顔を出すというタイプではなかった(結局、いまもほとんど変わっていないのだが)。レディオヘッドやベックやアンダーワールドを聴きながら日本人のラップにも興味津々な、ただ自分にフィットするレベル・ミュージックに出会いたいという願望を抑えられない、つまり、どこにでもいる至極普通の学生だった。BOSSの言葉やTHA BLUE HERBの音楽が取り込み光を当てたひとつにあるのは、パーティのノリが苦手で(楽しみ方を知らないだけなのだが)、鬱屈した煮え切らない日常の中で自分のためのレベル・ミュージックを探す筆者のような人間だったと思う。
 上に引用したリリックにある「北」という語が、北海道・札幌を拠点に活動する彼らのフッドを指すのはいうまでもないわけだが、それはまた「魂の極北」といったときに使われる、ある種の極限的状況を彷彿させる機能も果たしていた。同アルバムの収録曲の“STOICIZM”というタイトルや、THA BLUE HERBファンが好きな曲の1位、2位にランクするだろうクラシックス“BOSSIZM”の「焦点の合わぬ目はそのまま明け方、氷点下の証言台に立つ」といったリリックは、すべて「極北」に含まれる“北”という語が象徴するものと響き合っている。
 THA BLUE HERB初期のこうしたBOSSの言葉群は、自身に本質的な変革を導くには、まずその(つまり自分自身の)極北で孤独を知ることだという普遍的な訴えであり、その訴えの場として北海道はふさわしい詩的フィールドだったと言っていいかもしれない。

 言うまでもないことだが、THA BLUE HERBの音楽がB-BOY以外のリスナーを取り込んだことを語るためには、ビートメイカーのO.N.Oの存在も不可欠である。これはTHA BLUE HERBの音楽の前提だ。つまりTHA BLUE HERBは=BOSSだが、まったく同じ強度で=O.N.Oでもある。それは最新アルバム『TOTAL』まで微塵も揺らがないTHA BLUE HERBの不文律だ。
 THA BLUE HERBでO.N.Oが鳴らすビートは圧倒的なドープなヒップホップであり、日本でこんなにソウルフルな音を鳴らすビートメイカーが他にいるだろうかと思わせるものだが、同時に彼の描き出す、たぶんな静謐を含んだ高揚や荒涼は、たとえばアイス・ランドのロックバンド、sigur rósが作り出す美しい奥行きを持った音像を筆者には彷彿させる。
 これは個人的な見解だが、O.N.Oは演奏家というより建築家に近い。O.N.Oが打ち出すビートは、機能美と前衛、未来的な遺跡とでもいった一見矛盾を孕みながら、だが確かにそれは圧倒的な存在感を持って目の前にあるのだという、ある種の印象的な現代建築を思わせるのである。BOSSのリリック同様、O.N.Oのビートの完成度と中毒性があまりに高いからこそ、ヒップホップのファンに限らずTHA BLUE HERBの音楽は幅広く聴かれているのである。

 BOSSの言葉はセカンド・アルバム『Sell Our Soul』でまた別のベクトルへの深化へ向かうのだが、それでもいまだ挑発的であり、彼らの孤独な進軍は続いていた。

 「はっきり言って同業者がつくった曲はつまらん。さぁこれでまた敵さんが増えてくれるかな?」

 “STILL STANDING IN THE BOG”でBOSSがラップする、このワンラインをとってもそれは明らかだろう。この時点で曲のタイトル通り、彼らはまだ泥濘(BOG)に立っているわけだ。
 THA BLUE HERBはこうしてふたりだけで他を寄せつけぬスタンスではじまり、連帯を拒み、孤独こそ美学と信じるヘッズを数多く培養していた。筆者は信者という表現を好きではないし正確と思わないのだが、THA BLUE HERBがそういう語られ方をするアーティストであったことは否定できない。そうしたヘッズにとって、THA BLUE HERBのすべての音源、BOSSのヴァースはすべて貴重であり、リアルであり真実だった。

              ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 3rdアルバム『LIFE STORY』(2007)はTHA BLUE HERBのターニングポイントとなる作品だ。

 「今回は策は立てない 水面に硬い石を投げるだけさ 伝わる波紋が辿る場所は果てない 音楽の力に全て任せた」
 「今や俺等とは君を含めた四人だ」(“The Alert”)

 「勝ちたい負けない ただそれだけじゃ レースを生き残る事は諦めな」(“Hip Hop番外地”)

 上に引用したリリックにあるように、ここにもはや策(つまり戦略)はないし、具体的な敵が祭り上げられているわけでもない。そうかと言って日和ったり客演が参加しているわけではないし、全国的に認知されて評価を勝ち得たという王者や勝者の余裕が歌われているわけでもない(収録楽曲“Motivation”に〜挑戦者のマナー噛み付いたら放さず〜というリリックがある)。
 そうではなく『LIFE STORY』において、O.N.OのビートとBOSSの言葉、THA BLUE HERBの音楽はシンプルに、さらに純化されたのだ。そして「音楽の力に全て任せた」というリリックを証明するように、このアルバムを引っさげTHA BLUE HERBの音楽は、BOSSとDJ DYEの1MC1DJという形で全国を旅する。その模様は仙台から宮崎までのツアーの行程を収めた“STRAIGHT DAYS/ AUTUMN BRIGHTNESS TOUR '08”(2009)、また2010年の春以降の(北海道の北見から沖縄の辺野古の米軍基地の境界ギリギリまでの)ツアーの模様を収録した“PHASE 3.9”というふたつのDVD作品で確認できる。


 ひとりのMCとひとりのビートメイカーで作られた音楽を持って、1MC1DJで全国を回る。最小限の構成で作られるTHA BLUE HERBの音楽だが、膨大な数のオーディエンスの前で(なんせ野外フェスまで含む日本全国のツアーだ)膨大な言葉を吐くことで、その残響は否が応でもTHA BLUE HERBの言葉を変質させていく(これは日本刀を鍛えるのに似ている気がする)。その変質を文章で説明するのは難しいが、上のふたつの映像作品はその変質の過程が見て取れることでも興味深いものだ。

 実に3年半におよぶツアーを終え、THA BLUE HERBは新たなアルバムの制作に入る。来たるべきアルバムは長いツアーで言葉を鍛え上げ、そして言霊の力、重さ、怖さを誰よりも熟知したBOSSというMCが、2011年3月11日を経て書き上げたものでもある。その4thアルバムに、彼らは『TOTAL』(2012年)と名付けるのだ。

              ✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 駆け足でTHA BLUE HERBの4thアルバムまでの流れを見てきたが、今では以前よりBOSSのヴァースは身近に聴ける(我々はTHA BLUE HERBのツアーに行くことができる)ようになったし、映像作品も増えた。もちろん時を経るごとに、BOSSが客演で参加した楽曲も増えていった。THA BLUE HERBが始まって18年と考えれば、そのとき生まれた子供が高校を卒業する年である。そう考えれば、人が成長するように、アーティストが変化するのも当たり前のことだ。しかし、それでも、THA BLUE HERBが初めて他のアーティストを自分たちのブースに迎え入れるのは、昨年2014年の般若との楽曲“NEW YEAR'S DAY”において。まだわずかに1年前のことなのである。そして2014年12月26日、東京・恵比寿のリキッドルームにて、tha BOSSと般若による1MC1DJ同士によるショウケース「ONEMIC」が開催され、この夜のステージでBOSSは全国のビートメイカーを招き、ソロアルバムを制作すると発表したのだ。
 そう考えれば、tha BOSSのソロアルバムが決して一朝一夕に生まれたものではないことがわかるだろう。

 THA BLUE HERBは=BOSSだが、まったく同じ強度で=O.N.Oで、それはTHA BLUE HERBの不文律だと前述した(今ではDJ DYEも然りだろう)。この不文律にはいまもいささかの揺らぎも感じない。だが、同時に、「誰彼構わず中指を立てていた」(これは今度のアルバムでBOSS自身が言っていた言葉だ)BOSSが、今では魅力的なアーティストであればユナイトすることを疑いなく知っている。またごく自然な欲求として、BOSSとコラボして欲しいと思うような魅力的なアーティストが日本に数多いることも知っている。
 tha BOSSの初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』は、タイトル通り“ヒップホップの名の下に”18年の歳月をかけて、北海道は札幌のTHA BLUE HERBから広がった美しい波紋なのである。

(山田文大)

 みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

 だいぶ冷え込んできた近頃。過去の人間関係の傷跡が疼きだすのも、ちょうどこういった秋から冬に向かっていく気候の遷移とゆるやかに連動しての話なのかもしれませんね。

 のっけから何を言っているんだかって感じですが、今回も筆者の借りパク音楽全集より、渾身の作をお届けして参りたいと思います。
 さて! 本日ご紹介するのはこちら。

(注:手書きポップに書かれているイニシャル「W.A」とは僕のこと。このポップを書いた2012年当時は33歳だったが現在はもう少し歳をとっている。以後すべて同。)

 まず、一言。このアルバム、名盤です。っていうか、あの齊藤由紀が全作詞&セルフプロデュースを担当した重厚なアルバムを制作していたことを、読者の中にご存知の方はおられるでしょうか? しかも歌と歌の間に全編に渡って彼女自身のナレーションが挿入される、いわゆるひとつのコンセプト・アルバム。この写真のパッケージ自体がまさしくそうなのですが、初回生産盤は5面折り特製ジャケット仕様で、棚に置いているだけで異様な存在感を放つジャケット・ワークとなっています。

 さて、なんでこんなCDが現在僕の手元にあるかと言いますと、ずばりこれは「元カノ系借りパク」というやつですね(べつにそんな分類ないけど)。大阪で大学生活をはじめたときに、僕は地元の書店でアルバイトをしていたのですが、そこで2才年上の先輩女子と恋に落ちたのです。彼女をひとまずOさんとします。Oさんはなかなかぶっとんだ女性で、当時小説家になることを夢見つつ(もちろん書店でも文庫担当)、京都の私立大学の4回生として就職活動という現実とのハザマで右往左往していた感じだったんだけど、とにかく浮き沈みが激しかった。でもまぁとても優しい方で、新入りの僕の指導をしてくれたり、いつしかお互いの音楽や映画の話で盛り上がったりしているうちに、まぁお付き合いがはじまったんですね。

 でも恋人同士になってみたらですね、すごく楽しい反面、まぁなかなか大変なことも多かったんですよ。まず年下の僕と付き合っているってことが父母にバレて、「そんな大学入りたての結婚する気もないような男とは別れろ。さもなくば勘当!」みたくなり、突然、二人で原付で逃亡(もちろん二人乗り、お巡りさんごめんなさい)。ラブホ暮らし数日。そしたら僕の親から電話がかかってきて、家に帰ったら先方の父母がおられて協議の時間へ。結局は、「まぁ若いもんには若いもんの世界がありますから、認めてあげましょう」みたいな話になって、正式なお付き合いがはじまる……みたいな。

 とにかく、波瀾万丈だったんです。彼女自身も躁鬱を患っていたし、いっしょに交通事故にあって警察にお世話になったり、彼女に恋心を抱いていた書店の上司からものすごいパワハラを受けたりとか。でもそんな困難を乗り越え、彼女もなんとか就職をしたんです。そう、小説家になるという夢は傍らに置きつつ、金融系の大手の職を得ました。そして、彼女は一人暮らしをはじめたんです。そこで僕の「棚漁り」がはじまります。CD、VHS、本……などなど。2日に1度は泊まりに行っていた僕と彼女は当然、同じものを聴き、同じものを観て、同じものを読むわけですよね。ああ、青春。そんななかで、突如として現れたのがそう、この斉藤由貴の『MOON』というアルバムでした。

 彼女は、中古CD屋でこれを手に入れてきたようで、「これさ、なんかすごいテンションのアルバムなんよ」って言いながら、僕に聴かせてくれました。そして、僕は斉藤由貴のこのあまりにも独特な歌世界が誘う時間旅行を体験したんです。とくに2曲めの“大正イカレポンチ娘”(笠置シヅ子風)と4曲めの“回転木馬”(サビの「まわれメリーゴーランド〜♫」という歌詞が頭にこびりつきます)はやばかった。

 さてさて、彼女とは1年ほどのお付き合いで結局別れてしまいました。別れてからも友人として会うこともたびたびあり、いまはご結婚もされてお子さんもおられて幸せな家庭を築かれているようです。何度もこのCDを返すタイミングはあったのですが、なんだか返せなかった。まぁ端的に言うと、こんな濃厚なアルバム(思い出とともにというのはもちろんあります)、なかなかもう手に入らないだろうなと思ったから、どっかで意図的に返さなかったんだと思います。Oさん、ごめんなさいね。もうお子さん、だいぶ大きくなったでしょう?


Illust:うまの

■借りパク音楽大募集!

この連載では、ぜひ皆さまの「借りパク音楽」をご紹介いただき、ともにその記憶を旅し、音を偲び、前を向いて反省していきたいと思っております。
 ぜひ下記フォームよりあなたの一枚をお寄せください。限りはございますが、連載内にてご紹介し、ささやかながらコメントとともにその供養をさせていただきます。

interview with Fever The Ghost - ele-king


Fever The Ghost
Zirconium Meconium

Indie RockPsychedelicGarage

Tower HMV Amazon

 テンションの高い、エキセントリックなサイケ・ポップはいま流行らないだろうか? しかし、まさにテームなドリーム・ポップ化を遂げてしまったテーム・インパラを多少歯がゆく感じている人などは、ぜひこのフィーバー・ザ・ゴーストにぶっ飛ばされてみてほしい(ドゥンエンの新譜もいいけれど)。テームなインパラがノンアルコール・ビールだとすれば、FTGはさしずめドクターペッパーか、ソーダ・フロートに花火の刺さったやつというところ。それは子どもが大好きな、目に悪い色をした、極端な味の、高カロリーの、悪趣味すれすれの、おいしい体験である。

 西海岸というサイケデリック・ロック揺籃の地から現れたサイケデリック・ロック・バンド、フィーバー・ザ・ゴースト。骨太なガレージ感、圧巻のグルーヴ、酩酊感も十分(このライヴが楽しい→https://www.youtube.com/watch?v=s97ZqaFv-O0)、ここでも答えてくれているようにキャプテン・ビーフハートあるいはラヴといった西海岸の先達の影響を奥底にしのばせながら、ホークウインド的なスペーシーなプログレ要素、あるいはグラム・ロックのカブいたポップ・センス、そしてフレーミング・リップスやオブ・モントリオールのエキセントリシティを放射する……とにかく派手なエネルギーを充溢させた4人組である。

 それでいてチャイルディッシュなヴォーカル・スタイルをはじめとして、PVから一連のアートワークにいたるまで、幼形成熟的で得体の知れないキュートさが大きな特徴になっている。彼らの奇矯さの象徴たるこのヴォーカル=キャスパーには、近年のロック・バンドにおける「コレクトな感じ」──グッド・ミュージック志向で行儀のいい、あるいはファッショナブルにヴィンテージ・ポップを奏でる器用さといったものから程遠い、ひとつの業のようなものも感じるだろう。リズム隊が年長でテクニカル、シンセ・マニアがいるのもいいバランスだ。ショーン・レノンによって発見され、ウェイン・コイン(フレーミング・リップス)が入れ込んだというエピソードにもうなずかされる。

 さて、今回取材したのはベースのメイソンだが、じつにマインド・エクスパンデッドな回答を戻してくれた。キャスパー(オバケのあれ)ばかりではない、みながそれぞれに大らかな世界観を持っているのだろう。フィーバー・ザ・ゴースト、そのアンチ・ビタミン・カラーのサイケデリアは、2015年というタイミングにおいてはとくに美味に感じられる。召されませ。

■Fever The Ghost / フィーヴァー・ザ・ゴースト
テンプルズを輩出した〈Heavenly Recordings〉と契約したロサンゼルス出身の4人組バンド。2014年にデビューEP『クラブ・イン・ハニー(Crab In Honey)』をリリース。これまでザ・フレーミング・リップス、ショーン・レノンやテンプルズとツアーを周り、2015年のレコード・ストア・デイには、テンプルズとお互いの楽曲をカヴァーするスプリット・シングルを発売。そして同年9月、デビュー・アルバム『ジルコニウム・メコニウム』の発売が決定した。ラインナップはキャスパー(vocal /guitar)、ボーナビン(synth)、ニコラス(drums)とメイソン(bass)。

僕らに影響を与えたものはたくさんあるんだ。拡張現実、テクノロジーの発達、森、YouTubeのフード・レヴュー……

結成はいつで、どのような経緯で集まったメンバーなのでしょう? 年齢はみなさん近いのですか?

メイソン(bass):結成は2年半くらい前で、もともとはヴォーカルのキャスパーがひとりでシングルをいくつかレコーディングしたところからはじまった。その後いくつかの幸運な偶然が続いて、キャスパーとキーボードのボビーがいっしょにリハーサルをしたり、ショウで演奏するようになって、その少しあとに、僕らのプロデューサーでありゴッドファーザーのルーター・ラッセルが、ベーシストの僕(メイソン)とドラマーのニックをキャスパーに紹介したんだ。ニックと僕はそれ以前にも他のバンドでいっしょに演奏していて、いっしょにロサンゼルスに移ってきた。年齢は僕らのうち2人が30歳で、もう2人が23歳だから、少し離れているね。

西海岸はサイケデリック・ロックの揺りかごともなった土地ですが、実際に生まれ育った場所として、そうした影響の残る土地だと思いますか? また、自分たちの音楽性を決定する上で影響があったと思いますか?

メイソン:たしかにそういう面はあるし、僕ら自身も間違いなく西海岸出身のミュージシャンからの影響は受けていると思うよ。キャプテン・ビーフハートやアーサー・リーのラヴとか。でも僕らがどこで生まれたかに関わらず、そういった音楽に惹かれていたと思うし、それらが僕らが影響を受けた唯一の音楽ってわけでもない。僕らに影響を与えたものはたくさんあるんだ。拡張現実、テクノロジーの発達、森、YouTubeのフード・レヴュー……

(通訳)フード・レヴュー?

メイソン:うん、とくに「ゲイリーズ・フード・レヴューズ(Gary’s Food Reviews)」。ゲイリーは僕らバンドにとってのヒーローみたいな存在だよ。食べ物が好きだから観るというよりもゲイリーのレヴューの仕方が好きだから観るような感じさ。

あなたがたは、エキセントリックな雰囲気があるのに、とてもスキルフルなバンドだと思います。曲作りをリードしているのはどなたですか?

メイソン:曲作りのプロセスは、まずキャスパーが曲を書いて、バンドの他の全員にそのヴィジョンを共有する。そして僕らそれぞれが自分のパートを作って、曲が発展していくんだ。

視覚的な表現においても、斬新でありながら、ある意味では正統的なサイケの伝統を引いていると思います(“バーベナ/Vervain (Dreams Of An Old Wooden Cage)”など)。MVやアートワークのディレクションは誰が行っているのですか? また、その際にとくにこだわる部分や哲学について教えてください。

僕らの美学は、「何であれナチュラルに感じることをする」ってことだよ。

メイソン:誰かひとりがディレクションをしているというよりも、バンド・メンバー全員と、バンドのまわりに不思議と現れた人たちとのコラボレーションだよ。オリバー・ハイバートと弟のスペンサー・ハイバートとは人からの紹介で知り合って、それ以来いろいろなことをいっしょにやることができた。それと同じようにキャスパーはゲーム・デザイナーのテイト・モセシアンを家族ぐるみで子どもの頃からよく知っているんだけど、僕らの新しいアルバムのジャケットのアートはテイトが作ってくれた。そういうふうに僕らのまわりにはたくさん興味深い人たちがいて、僕らはいつもそういうまわりの人たちからインスピレーションを受けたり、コラボレーションしているんだ。僕らの美学は、「何であれナチュラルに感じることをする」ってことだよ。僕らが作る音楽、アート、着る服まで、どれも自由さの産物で、僕らは自分たちをひとつのスタイルやジャンルに縛ったりはしないんだ。表現の自由が僕らの哲学だよ。

ライヴ・ヴィデオなどでは、録音環境もあるのでしょうが、非常にガレージ―でラフなプロダクションが目指されているように感じます。対して、アルバムの方はクリアに整えられていますね。今作のサウンド・プロダクションについて、何か目指すところがありましたら教えてください。

メイソン:目指していたのは、僕らが自信を持って出すことができて、自分たち自身で聴きたくなるようなレコードだった。サウンドについて、バンド内でとくにはっきり「こういうサウンドにするべきだ」みたいな会話をしたわけじゃなくて、僕らが使ったスタジオや、制作に費やすことのできた時間といったいろいろなファクターが組合わさって、自然と彫刻が彫り出されるように、結果的にこのアルバムができ上がったんだ。

とはいえ、“サーフズ・アップ! ネヴァーマインド(Surf's UP!...Nevermind.)”などは絶妙にワイルドですね。エンジニアはどんな方なのでしょう?

メイソン:エンジニアはクリス・ステフェンって名前で、〈セージ・アンド・サウンド〉ってスタジオで仕事をしている。彼はキャスパーの父親と長いこといっしょに仕事をしていて、キャスパーともレコーディングをしたことがあった。すごくいいヤツで、パイレートって名前のすごく可愛い犬を飼っていて、その犬がいつもいっしょにいるんだ。それとヴィクター・インドリッゾ(キャスパーの父)も僕らのガイドになってくれたよ。

(通訳)ヴィクターがプロデューサー?

メイソン:うん、というか、プロデュースは基本僕ら自分たちでやったんだけど、彼は僕らのカウンセラー、ガイダンス、グル、友人としていっしょにいてくれたんだ。

僕らみんなきゃりーぱみゅぱみゅや(初音)ミクの大ファンなんだ。サウンド面でも、ヴィジュアル面でもかなり影響を受けているよ。

このアルバムの制作の進め方についても教えてください。

メイソン:制作のプロセスは曲によってかなりちがっていたよ。いくつかの曲は実際のスタジオの中でキャスパーが作りはじめて、他のいくつかはAbleton Live上で作りはじめて、そのあとスタジオに持ち込んでバンドが加わって、さらに他の曲はバンドでライヴ・トラックとして生まれて、いったんそれを破棄して、それぞれのメンバーが別々に自分のパートを録音して作られた。それぞれの曲に必要な方法で形作っていったんだ。レコーディングのプロセスは全部で18ヶ月くらいにわたったよ。ときにはまったくレコーディングをしない時期があったり、逆に一週間毎日レコーディングを続けたり、スケジュールや時間が許すときに断続的にレコーディングを進めたんだ。

“1518”はドラムマシンを用いてダンス・ビートが敷かれていますね。ファンキーですが、曲調もくるくるとめまぐるしく表情を変えていきます。どんなプロセスででき上がった曲なのでしょう?

メイソン:“1518”にはドラムマシンも少し使っているけれど、大部分は生のドラムの録音なんだ。ニックのドラムに加えて、ヴィクター・インドリッゾの演奏するコンサート・タムもレコーディングに入っているよ──コンサート・タムを演奏できるとヴィクターはすごくハッピーになるから、少し彼に演奏する機会をあげる必要があったのさ。もともとキャスパーが以前に自分の部屋でレコーディングしたセッションからのステム・ファイルがあって、それを僕の家でドラマーのニックに聴かせたんだ。そのとき家の上階の住人からストラトキャスターを買って、僕らのヴァージョンのナイル・ロジャース・サウンドを作ろうとしたんだ。その後にそれを〈セージ・アンド・サウンド〉スタジオに持っていって、他のシンセサイザーのトラックや、ヴォーカルの大部分を加えていった。だから3つのちがったレコーディング環境の組み合わさった曲だと言える。

“イコール・ピデストリアン(Equal Pedestrian)”も非常に自由です。ヴォーカルにはオートチューンまでかかっていますね。とても意外な展開でもありましたし、あなたがたが柔軟なバンドだということもわかりました。少しJ-POP的であるとさえ思ったのですが……

メイソン:そう言ってくれてすごくうれしいよ! 僕らみんなきゃりーぱみゅぱみゅや(初音)ミクの大ファンなんだ。きゃりーぱみゅぱみゅはプロダクションも素晴らしいし、ミュージックビデオも最高で、サウンド面でも、ヴィジュアル面でもかなり影響を受けているよ。僕らのお気に入りのミュージックビデオのいくつかはきゃりーぱみゅぱみゅのビデオさ。

Massiveは複雑なシンセサイザーだから、たとえばキャスパーが「ボビー、フワフワのピンクのスパイダーがたくさん空から降ってきて、地上2フィートのところに着地して、その下を屈んで歩かなきゃいけない、みたいなサウンドが欲しいんだけど」とか言ったとしても、それに対応することができるんだ。

これにヴィデオをつけるとすれば、どんな作品にしますか?

メイソン:この曲のヴィデオはほぼ間違いなく実際作ることになると思うよ。できればきゃりーぱみゅぱみゅのMVの監督に作ってもらいたいな。もしもこのインタヴューを読んでいたら、ぜひお願いしたいね!

ムーグも非常に大きな役割を果たしていると思います。あなたはシンセにも好みがありますか?

メイソン:僕らのキーボーディストのボビーはムーグのLittle Phattyを使っていて、このアルバム中の曲にもかなり使われているよ。それとネイティヴ・インストゥルメンツのデジタル・シンセであるMassiveもかなり多用しているよ。ボビーはサウンドデザインのエキスパートで、MassiveはLittle Phattyよりずっと複雑なシンセサイザーだから、それを使って、たとえばキャスパーが「ボビー、フワフワのピンクのスパイダーがたくさん空から降ってきて、地上2フィートのところに着地して、その下を屈んで歩かなきゃいけない、みたいなサウンドが欲しいんだけど」とか言ったとしても、それに対応することができるんだ。

デヴィッド・ボウイとマーク・ボランだとどっちに共感しますか?

メイソン:うーん、たぶんデヴィッド・ボウイかな。彼の方がマーク・ボランより宇宙が好きだと思うから。

シド・バレットとジム・モリソンなら?

メイソン:間違いなくシド・バレット。彼の方が自転車に乗るのが好きだから。レザー・パンツを履いてちゃ自転車に乗れないもの。

(シド・バレットとジム・モリソンなら)間違いなくシド・バレット。彼の方が自転車に乗るのが好きだから。レザー・パンツを履いてちゃ自転車に乗れないもの。

(通訳)ジム・モリソンは何に乗ると思いますか?

メイソン:彼はたぶん虎から生えた女性の頭に乗るね。

ニンジャとサムライなら?

メイソン:ニンジャとサムライ? いいね、この質問。ニンジャかな、サムライはもっとタフガイっぽいっていうか、英語で言う「bro」って感じがするけど、ニンジャはシャイだと思うから。ニンジャはきっと感情面が発達していると思う。

アリエル・ピンクは好きですか?

メイソン:うん、アリエル・ピンクは好きだよ。ときどきフランク・ザッパの、まるで子どもみたいな性格を思い起こさせるところがあってさ。新しいアルバムはいつも聴くといい時間が過ごせるよ。

現実と非現実というふうに世界を分けるのは馬鹿げていると思いますか?

メイソン:現実と非現実を分けずに考えるのは不可能だと思うよ。現実っていうのはそれを認識する個々人や存在ごとに分裂していっているから、現実と非現実で世界を分けるのは自然な認識で、馬鹿げているとは思わないな。そしてテクノロジーの面について言えば、僕らの世界の上によりよい世界が構築されて、そこに行けるようになるといいなと思うよ。

マインド・エクスパンディングとは、いまの世界を生きていくのに有効な考え方だと思いますか?

メイソン:マインド・エクスパンションはいつでも有効な考え方だよ。必ずしも達成されなければいけないものだとは思わないけれど、マインドを発達させていくことこそが、人間のもっともよい資質のひとつだと思うし、それをやめてしまったら(人間)みんながストップしてしまうよ。いまの時代だけじゃなくて、これまでも、人類の進歩の途上から現在に至るまで、ずっと人間はマインドを成長させてきたと思う。いつか『スター・トレック』の世界が実現したらいいなと思うんだ。すべてが受け容れられて、すべてが与えられて、みなが芸術や科学や探求にフォーカスする世界。それがいちばん楽しいことだと思うし、人々はそういうことを十分していないと思うからさ。

マインド・エクスパンションはいつでも有効な考え方だよ。マインドを発達させていくことこそが、人間のもっともよい資質のひとつだと思うし、それをやめてしまったら(人間)みんながストップしてしまうよ。

アニメやゲームが好きなんですか? 好きな作品を挙げてもらえませんか?

メイソン:うん、アニメやゲームは僕らみんな好きだよ。『アドベンチャー・タイム』とか、『マインクラフト』なんかがお気に入りかな。

日本の作品で好きなものがあったら、ジャンルを問わず教えてほしいです。

メイソン:いろいろあるけど、さっきも言ったようにJ-POPは僕らみんな大好きだし、アニメだったら『(新世紀)エヴァンゲリオン』とかにはかなり影響を受けていると思う。

(通訳)『エヴァンゲリオン』はアメリカでも広く知られているんですか?

メイソン:うん、かなり有名だよ。もちろんメインストリームとしてのレベルで有名なわけではないけど、サブカルチャーとしては有名だと思う。

いまおもしろいなと思う同時代の音楽があれば教えてください。

メイソン:アワー・オブ・ザ・タイム・マジェスティ・トゥエルヴ(Hour Of The Time Majesty Twelve)っていって、略してHOTT MTっていうバンドがいるんだけど、彼らはクールだよ。あと、ヴァイナル・ウィリアムス(Vinyl Williams)も。彼はもうすぐアンノウン・モータル・オーケストラ(Unknown Mortal Orchestra)のサポートをすることになっているんだけど、アンノウン・モータル・オーケストラも好きだよ。HOTT MTとは、他の僕らの友だちのバンドも含めて12月にいっしょに大きなショウをしたいと思っているんだ。同じようなラインアップで日本にも行けたら最高だね!

ILLA J - ele-king

「の弟」であることに向かいあう 小川充

 1967年にコルトレーンが亡くなってからのジャズ界は、長年に渡ってその亡霊に憑りつかれていた。彼の死後に台頭したテナー・サックス奏者の多くは、コルトレーンからの影響を引き合いに出され(サックス奏者に限らず、実際にその影響を受けたジャズ・ミュージシャンは多かった)、比較され、結局そのフォロワーというような位置づけをされた。ヒップホップの世界ではジェイ・ディラが似たような立場にある。その死から9年を経た現在、彼の影響力はいまだに色褪せていなし、一種の神格化された存在に近い。ただ、一方で多くのジェイ・ディラ・フォロワーを生み出し、右へ倣えといった状況も生み出した。本人が望む、望まないにかかわらず、「ジェイ・ディラ風」というレッテルを貼られるアーティストも少なくない。実弟であるイラ・ジェイとなれば、なおさらそうした視線にさらされるわけだ。

 イラ・ジェイのデビュー・アルバム『ヤンシー・ボーイズ』は、ミルトン・ナシメントの『ミナス』を模したジャケットで、2008年にリリースされるやいなや大きな反響を集めた。いまも高く評価されるアルバムだが、純粋な意味でイラ・ジェイ個人が反映されたものかというと、少々様子が異なる。というのも、1995年から98年にかけて生前のジェイ・ディラ(この頃はジェイ・ディーと名乗っていた)が残した未発表トラックを使用し、そこにイラ・ジェイのラップをのせた変則的な作品だったからだ。当時はジェイ・ディラ・トリビュート企画が次々と生まれ、そうした流れの中で評価をされてきた。その後のイラ・ジェイは、2010年にはかつてジェイ・ディラが参加したスラム・ヴィレッジの新しいアルバム『ヴィラ・マニフェスト』に客演し、2013年にはフランクン・ダンクのフランク・ニットとヤンシー・ボーイズの名義でアルバム『サンセット・ブルーヴァード』をリリースするが、これらもジェイ・ディラのビートを使用していた。つまり、よくも悪くもイラ・ジェイはジェイ・ディラの亡骸を後ろ盾にしていたのだ。

 そんなイラ・ジェイにとって、2014年にカナダのモントリオールへ移住したことは、大きな転機となったようだ。それによってモカ・オンリー、ポテトヘッド・ピープル、ケイトラナーダといった現地のアーティストたちと新しい交流が生まれた。そうしていままでとは異なる自分のサウンドを見つけようとしていることが、『ヤンシー・ボーイズ』以来7年ぶりとなるこのニュー・アルバム『イラ・ジェイ』から感じ取れる。本作はポテトヘッド・ピープルとの共同制作となるが、彼らはヒップホップだけでなくハウス、ニュー・ディスコ、ブロークンビーツなどの要素も加え、より多彩なビート・メイクをするユニット。本作でも“ユニヴァース”のようなメロウ・ブギーは、こうしたポテトヘッド・ピープルとのコラボがあればこそ生まれた楽曲で、それこそデイム・ファンクやオンラなどに近いものを感じさせる。女性シンガーのアリーを交えたフュージョン・ソウルの“サンフラワー”は、フォーリン・エクスチェンジとか4ヒーローあたりの作品といってもいいくらいだ。このあたりはポスト・ジェイ・ディラとは異なる世界を感じさせる代表で、ほかにもアルバム前半はモカ・オンリーをフィーチャーしたコズミックな質感の“シー・バーンド”、ジャジーなグルーヴに満ちた“キャノンボール”や“オール・グッド”にしても、デトロイトのヒップホップとは異なるトーンを感じさせる。モントリオールで新しいサウンドへ取り組もうとするイラ・ジェイの現在の姿を反映した楽曲群といえるだろう。

 一方、“ストリッパーズ”は比較的ジェイ・ディラ・マナーのヒップホップと言え、サー・ラー・クリエイティヴ・パートナーズやプラティナム・パイド・パイパーズなど、ジェイ・ディラのキャリアの中でも後期に関わったアーティストたちの音に近い。アルバムの後半は“オール・アイ・ニード”“フレンチ・キッス”“フー・ゴット・イット”“パーフェクト・ゲーム”と、こうした流れが続く。イラ・ジェイがジェイ・ディラの影響から訣別することはできない。偉大な兄だから当然だろう。影響を素直に消化し、遺志を継ぎ、その上で新しく発展させるという姿勢が、とくに“フー・ゴット・イット”“パーフェクト・ゲーム”というフューチャリスティックな匂いを漂わせる2曲に表れているのではないだろうか。そして、アルバム最後のメロウな浮遊感に彩られた“ネヴァー・レフト”は亡き兄に捧げた曲となっている。


»Next 矢野利裕

[[SplitPage]]

“ストリッパーズ”──よれたビート、浮遊するシンセ矢野利裕

 ジェイ・ディラの弟というイメージがついてまわらざるをえないイラ・ジェイ。とは言え、スラム・ヴィレッジに加入もする彼が、偉大な兄をリスペクトしているだろうことは間違いない。フランク・ニッティとのヤンシー・ボーイズも含め、ジェイ・ディラのビートのうえでラップを続けてきた経緯を考えても、イラ・ジェイは、ジェイ・ディラの影を真正面から引き受けてきた。しかし、イラ・ジェイは今回、次のステップを踏み出している。

 本作で注目すべきはやはり、新世代プロデューサー陣によるサウンドワークだろう。とくに、全編にわたって関わっているポテトヘッド・ピープルの活躍がめざましい。本作は確実に、イラ・ジェイとモカ・オンリー(本作でも多く関わっている)が客演したポテトヘッド・ピープル“エクスプローシヴ”の方向性で作られている。本作におけるポテトヘッド・ピープルのサウンドは、“ユニヴァース”のPVなどで早くに示されていた。電子音から始まる“ユニヴァース”は、そのメロウさとベースの強さに一瞬西海岸のギャングスタ・ラップを感じるが、イラ・ジェイのヴォーカルが入ると現代的なR&Bっぽいたたずまいになる。ラップのパートになると、シンセ・ベースとクラップ音のビートが、とてもグルーヴィーにラップに絡む。ラストの、ビートが抜けてシンセだけになる展開も気持ち良い。わかりやすい派手さがあるわけではないが、細部に聴きどころ満載の変則型シンセ・ブギーだ。あるいは、オープニングを飾る“シー・バーント・マイ・アート・ft・モカ・オンリー”は、タメのあるビートに、くぐもったベースと浮遊感のあるシンセ音が背後で薄く流れ続け、イラ・ジェイの変速的なフロウが映える。その他、挙げればキリがないが、ラストの“ネヴァー・レフト”なども、低音・中音・高音のシンセサイザーが絡まるように鳴らされていて、静謐なサウンドの印象とは裏腹の緊張感がある。同じように緊張感が抜群なのは“キャノンボール”だ。反復するキーボードのフレーズとスナップ音のフェイド・インからはじまり、その後、ピノ・パラディーノを彷彿とさせるベースが入ったところから、一気にグルーヴィーになっていく。と思ったら、今度は、ずっとくり返されていたフレーズが抜かれ、イラ・ジェイのラップのフロウが奔放になる。ラップやヴォーカルも含め、各レイヤーのサウンドが同じ曲のなかで奔放に振る舞っており、にもかかわらず、危ういながら統一感もあり、とてもスリリングだ。生楽器が入っているのが、いいアクセントになっている。同じように、ビートこそ4つ打ちだが、全体として生楽器のフィーリングを大事にしている“サンフラワー・ft・アリー”も、ビートがしっかりしているぶん、小節をまたいで鳴らされるギターが解放的に響く。このあたり、LAビートとジャズのフィーリングが融合したテイラー・マクファーリンなどを連想しながら聴いた。

 このように、イラ・ジェイのセカンド・アルバムが、ポテトヘッド・ピープルをはじめとするプロデューサー陣に支えられているのは間違いない。とくに、アルバム全体のそこかしこで聴くことのできる、浮遊感のあるシンセ音は、イラ・ジェイの新しい魅力を引き出して、曲全体に中毒性をもたらしているように感じる。“フレンチ・キス”の浮遊感など、とてもいい。このような現代的とも言えるシンセの使いかたは、たしかにジェイ・ディラのトラックには、あまり見られない。ジェイ・ディラに対して、90年代的なサンプリング・ヒップホップのイメージ――つまり、Jay Dee名義のころのイメージ――を持っているリスナーならば、なるほど本作は、宣伝文句にあるように「偉大すぎる兄の呪縛から解き放たれた」という面があるかもしれない。それはそれで事実だろう。しかしそれは、一面的な見方でしかないと思う。本作において同時に注目すべきは、そのビート感覚である。調子を少しずつズラされ、つんのめる感じのよれたビートこそ、一方で本作を特徴づけるものである。そして、もちろんそれこそは、ジェイ・ディラのビートの特徴にほかならない。クォンタイズ機能を使わずに打ち込んだ独特のビート、キックではなくスネアの響きを重視したドラム、その音響とゆらぎ――ジェイ・ディラの偉大さは、そうしたグルーヴ感の創出にこそあったはずだ。その点からすれば、本作もまた、ジェイ・ディラの偉大な影響下にある。さらに言えば、ジェイ・ディラ的ゆらぎを自身の作品に意欲的に取り込んだのがディ・アンジェロの『ヴードゥー』だが、たとえば“フー・ゴット・イット・ft・モカ・オンリー”のビート感と多重コーラスなどは、あきらかにネオ・ソウル以降のものとしてある。あるいは、すでに触れた“キャノンボール”も、コーラスから各楽器にいたるまで、ネオ・ソウルのフィーリングに溢れている。本作にとってコーラス・ワークというのはすごく重要で、イラ・ジェイとモカ・オンリーのコーラスこそが、ジェイ・ディラ的な抜けのいいビートに厚みを持たせている。モカ・オンリーと言えば、個人的には“ライヴ・フロム・リオ”におけるラップと歌の器用さが印象的だったのだが、そんなモカ・オンリーが本作に要請されるのは、したがって、納得と言えば納得である。多彩なヴォーカル技術は、ジェイ・ディラ以降の歌モノにおいて大事なのだ。その意味で、多彩なヴォーカルが飛び交う“オール・グッド・パート・2・ft・モカ・オンリー、アイヴァン・エイヴ”もまた、素晴らしい歌モノとして聴くことができる。ヒップホップともR&Bとも言えない/言える、美しいゆらぎとグルーヴに満ちた曲だ。

 本作はたしかに、イラ・ジェイの次なるステップだろう。現代的なシンセサイザーの音が、そのことを強く示しているようである。しかし、同時に本作は、ジェイ・ディラに端を発したクリエイティヴィティが詰まってもいる。だとすれば、中毒的で浮遊感のあるシンセサイザーが、よれたビートのうえで印象的に鳴らされる“ストリッパーズ”は、まぎれもなく本作のハイライトである。ところどころに入る多重コーラスによって演出されるネオ・ソウル感も聴き逃せない。というか、この楽曲自体、とても鮮烈なフィーリングを獲得していて、何度も聴き直したくなる。ケイトラナーダという新しい才能も関わった、とても素晴らしい曲だ。“ストリッパーズ”のような曲を聴く限り、「兄の呪縛」は解けたとも言えるし、とらわれたままだとも言える。まあ、なんだっていい。ジェイ・ディラがいたのは事実だし、時代が変わっていくのも事実だ。そして、“ストリッパーズ”が素晴らしい曲であることも、もちろん事実なのだから。イラ・ジェイは、それらすべての事実を真正面から引き受ける。

メロウ大王の帰還 - ele-king

 アイズレー・ブラザーズ(THE ISLEY BROTHERS)のメロウ大王、シルキー・ヴォイスのロナルド・アイズリー。最近は目立った動きがないが、74歳の高齢だけに、元気にしているだろうかと気にしていたところ、この夏、ケンドリック・ラマーのアルバム『To Pimp A Butterfly』の“How Much 2 Dollar Cost”にゲスト参加して、だいぶかすれたとはいえ相変わらず魅力的な美声を聴かせてくれた。これはそろそろ新作が期待できるのでは、と思っていた矢先のつい先日、ネット上で突然の訃報が飛び交って驚いたが、もちろんこれはデマ。すぐさまロナルドは元気だとオフィシャルの声明が出された。そしてそのニュースの流れで、ロナルドは新作を制作中で、来年にはワールド・ツアーを計画していることがわかった。
 同じく『To Pimp A Butterfly』に参加し、冒頭の“Wesley's Theory”で、迫力のある語りをガッツリ聴かせた同い年のジョージ・クリントンが、近年すっきりと体重を落としてどんどん健康になっていることを思えば、同い年のロナルドもまだまだ元気で歌い続けられるはずで、心配など余計なお世話だったか。

 オハイオ州シンシナティ出身のアイズレー・ブラザーズの出発点は、ご多分にもれずゴスペルのファミリー・ヴォーカル・グループだが、世俗音楽に照準を合わせ、57年にNYに拠点を移した。その形態は、大まかにいって、60年代を通しては兄弟3人のヴォーカル・グループ、70年代はそこにギターとベースの弟2人、キーボードの義弟1人が加わった6人組のファミリー・グループだ。ミュージシャンが時代とともにスタイルを変化させるのは当然のことだが、アイズレーズは変化してもその都度、大きなヒットを出し、とくに70年代の全盛期にはファンクとメロウという対照的なスタイルを並行して打ち出しながら、その両方で頂点を極めた。
 さらに90年代には、彼らのメロウの名曲“Footsteps In The Dark”をサンプリングしたアイス・キューブの“It Was A Good Day”、同じく“Between The Sheets”をサンプリングしたビギーの“Big Poppa”を筆頭に、再評価の風潮が高まる。ロナルド自身も若いアーティストの作品のゲストとして引く手あまたとなり、その勢いで00年代にはアイズレー・ブラザーズを再始動させ、ミリオン・セラーとなるアルバムを連発するなど、第二次黄金期を築き上げるに至った。
 ヒップホップのおかげで90年代に息を吹き返し、新作を出したりツアーを再開したりしたアーティストはたくさんいるが、その多くが懐メロの域を脱しなかったのに対し、ロナルドは時代に沿ったトレンディーなプロダクションとがっぷり組んで第一線に返り咲き、他に類を見ない破格の復活劇を繰り広げた。サンプリング・ネタとしての人気もすっかり定着し、先のケンドリック・ラマーも、“I”ではアイズレーズの73年の大ヒット曲“That Lady”をサンプリングしている。


The Isley Brothers
The RCA Victor & T-Neck Album Masters(1959-1983)

Amazon

 さて、先ごろそのアイズレー・ブラザーズの『The RCA Victor & T-Neck Album Masters(1959-1983)』という、23枚組のとんでもないボックスが発売された。タイトルからもわかるとおり、59〜83年にRCAとTネックから発表された全23枚(2枚組があるので全22作)を網羅したボックスで、50ページにおよぶカラー・ブックレットと、初回版には限定特典として解説の邦訳も付いている。RCAとTネックの間の60〜69年に発表されたアルバム、そして再評価で改めて人気が高まった90年代半ば以降を含め、Tネック後に出したアルバムは対象外なので、全盛期を含むTネック期69〜83年の全21作22枚に、RCAからの59年に出た『Shout!』が付いている、と言った方が実態に即しているだろうか。以下、本ボックスに収録されたアルバムを1枚ずつひもときながら、アイズレーズの足跡を辿ってみよう。

 まずは初アルバムの『Shout!』。これはRCAからのセカンド・シングルだったタイトル曲がヒットして、それを軸に組まれた59年のアルバムだ。兄弟3人の作となる“Shout!”は、チャート・アクションこそ地味だったがロング・ヒットとなって、最終的にはミリオン・セラーに達したらしい。ここでの彼らは、いくらか節度のあるコントゥアーズと言いたくなるくらい、実にエネルギッシュなドゥーワップ・グループで、それは3人が飛び跳ねるジャケットにもよく表れている。シンプルな作りの陽気なドゥーワップに交じって、トラディショナルの“When The Saints Go Marching In”、R&Rの“Rock Around The Clock”なども歌っており、街角からそのままやってきたような活きの良さだが、それもそのはず、この年、一番年長のオーケリーでも22歳、ロナルドはまだ18歳だ。

 だがヒットはこれ1曲にとどまって、この後は前記のとおり、本ボックスには収録されていない10年間が挟まり、アイズレーズはいくつものレーベルを渡り歩く。その過程で、ワンド在籍時の62年には“Twist & Shout”が大ヒットし、翌年にはビートルズがカヴァーするに至った。
 また64年には、友人の紹介で故郷シアトルから出てきたばかりのジミ・ヘンドリックスに出会い、自宅に居候させて活動を共にするようになる。この頃の録音は、当時、彼らが住んでいたニュージャージ州ティーネックに立ち上げたレーベルのTネック、そしてアトランティックから、シングル4枚がリリースされているが、全く話題にならなかった。
 ジミが65年にUKに渡ったため共演は短期に終わったが、アイズレーズは翌66年、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったタムラ・モータウンとの契約を得て、最初のシングル“This Old Heart Of Mine”を大ヒットさせた。この曲を収録した66年の同名アルバムが手元にあるが、スプリームスの“Stop! In The Name Of Love”や“I Hear A Symphony”、マーサ&ザ・ヴァンデラスの“No Where To Run”などのカヴァーを含め、ここではホランド/ドジャー/ホランドによるモータウン・サウンドをバックに歌うアイズレーズという、彼らの歴史の中ではある種、異色な姿が確認できる。そしてよくも悪くも制作体制が完全にコントロールされたモータウンを3年ほどで離れると、アイズレーズはTネックを本格始動させて、すべてを自分たちで管理する活動形態に移行する。

 セルフ・プロデュース体制を手に入れたアイズレーズは、69年には勢い余って3作も発表している。スーツ着用が基本だったそれまでの面影が残って髪型はきちんとしているが、衣装はぐっとサイケに決めた姿がジャケットに収められた『It's Our Thing』には、モータウンの軽快なポップスとはひと味違う、深みのあるソウルが詰まっている。
 中でも実質的にタイトル曲であるファンキーな“It's Your Thing”はR&Bチャートで1位、ポップ・チャートでも2位の大ヒットとなった。これを受けて、ついこの間まで、モータウンのアーティストのカヴァーを歌わされていたアイズレーズの曲を、ジャクソン5やテンプテーションズがすかさずカヴァーするという逆転現象も起こり、アイズレーズにとってはさぞ痛快だったことだろう。
 またファンク色が一気に表面化しているのもこのアルバムの特徴だが、それはこの頃のJBのファンクやテンプテーションズのサイケなファンキー路線などを考えると腑に落ちる。とくに“Give The Women What They Want”は、JBの影響がストレートに表れたファンクだ。なお後にギターに転向する弟のアーニーが、このアルバムにはベースで参加している。

 続く『The Brothers: Isley』からは、“It's Your Thing”のテンポを落としてヘヴィーにしたような“I Turned On You”がヒット。全体的にも前作よりヘヴィーな感触を増すとともに、サイケ色も加わっており、この頃、デトロイトではファンカデリックがレコード・デビューしていたことに思いを馳せる。

 その一方では、ルドルフの真摯なリード・ヴォーカルに、ロナルドの激しいバック・アップ・ヴォーカルが絡むスロー“I Got To Get Myself Together”もあるし、ロナルドの“Get Down Off Of The Train”での男臭い熱唱や、“Holdin' On”での部分的なシルキー・ヴォイス使いも聴きものだ。そしてこのアルバムでは、アーニーはドラムスとベース、もうひとつ下の弟のマーヴィンがベースで参加した。

 69年の3作目は、アナログでは2枚組だったライヴ盤『The Isley Brothers Live At Yankee Stadium』。この年の6月、アイズレーズは「若くてクリエイティヴなアーティスト」を集めた大規模なコンサートを開催し、そのドキュメンタリー映画『It's Your Thing』を製作するという大仕事をやってのけた。本作はその音源版で、アイズレーズに加え、ゴスペルのエドウィン・ホーキンス・シンガーズにブルックリン・ブリッジ、Tネックで売り出し中だった女性シンガーのジュディ・ホワイト(本ボックスでもボーナス・トラックで何枚かのシングルを聴くことができる)、そしてファイヴ・ステアステップスらのパフォーマンスが収められている。アイズレーズの演目は“Shout!”と“It's Your Thing”を含む4曲だけだが、アーニーはドラムス、マーヴィンもベースで参加し、喉を枯らして熱唱するロナルドをはじめ、当時の若いエネルギーと熱気あふれるパフォーマンスの一端を垣間見ることができる。

 1年に3作発表しても、乗りに乗っているアイズレーズは休むことを知らず、翌70年には『Get Into Something』を発表。ここからはアーニー(ds, g)、マーヴィン(b)、義弟(ラドルフの妻の末の弟)のクリス・ジャスパー(p)が全面参加するようになる。ホーン・セクションもストリングスも使った壮大な長尺ファンク・ロックの冒頭の2曲が耳を引くが、前年にアイザック・ヘイズが『Hot Buttered Soul』を発表していることを考えると、この流れも順当だ。そしてこの2曲はバーナード・パーディーとアーニーによるツイン・ドラムも聴きもの。全体的にはギターの役割が大きくなってサイケ色を増したのに伴い、ロナルドの歌にもナスティかつダーティーな味わいが加わっている。なおラストの“Bless Your Heart”は、どこから見ても“It's Your Thing”の別ヴァージョンとしか思えない。

 次の『In The Beginning… The Isley Brothers & Jimi Hendrix』は、一旦、時系列から外れるが貴重なアルバムだ。前記したとおり、64〜65年に録音され、設立したばかりのTネックから1枚、アトランティックから3枚リリースされたシングルの両面全8曲入りのアルバムだが、そのうちの6曲に、当時21〜22歳のジミが参加しているのだ。アトランティックとの権利関係の契約が満了して、アイズレーズの手に権利が戻ったため、やっとリリースできたそうだが、ジミの死の翌71年の発表なので、彼らなりの追悼盤でもあったのだろう。まだワウワウもファズも使ってないが、すでにジミは唯一無二のスタイルを確立しているばかりか、後の十八番のひとつとなる夢の世界のように美しいスローの萌芽も現れている。ここにはジミが歌った曲はないが、1曲目の“Move Over And Let Me Dance”は、ロナルドが明らかにジミの唱法をまねて歌っており、ブーツィー・コリンズの歌が、ジミのものまねから生まれたことが思い出された。なお当時のジミとの生活が、まだ12〜13歳だったアーニーに及ぼした強烈な影響は、後のアーニーのギター・プレイにくっきりと表れることになる。

 本筋に戻ろう。この後は、R&Bチャートのトップ20ヒットとなったサイケでファンキーな“Warpath”のシングル発表を挟んで、71年に『Givin' It Back』(“Warpath”もボーナス収録されている)が発表された。前作では主にファンク・ロックの流れを突き進んでいたが、今回はカーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイらによってもたらされたニュー・ソウルの流れを捉えて、ニール・ヤング、ジェイムズ・テイラー、ボブ・ディランなど、男性ミュージシャンのカヴァー集だ。3人揃ってアコースティック・ギターを抱えたジャケットからも想像できるようにアコースティックな作りで、多用されたパーカッションが耳を引く。そしてロナルドは激しいヴォーカルだけでなく、シルキー・ヴォイスで切々と歌う場面も多い。ここからはCSNYのカヴァー“Love The One You're With”がヒットした。

 そのヒットに気を良くしたか、続く72年の『Brother, Brother, Brother』も半分はカヴァーで、今度は女性シンガーに照準を合わせ、キャロル・キングのカヴァーが3曲もある。そのうちシングル・カットされた“It's Too Late”は、歌にも演奏にも原曲の名残がほとんどない10分半の長尺版。ロナルドの独自の解釈による歌も含め、すっかり自分たちの曲のような佇まいだ。だが人気が高かったのはオリジナル曲の方で、R&Bチャート3位になった“Pop That Thing”をはじめ3曲がヒットした。またジミの死に思うところがあったのか、アーニーのギター・ソロは堂々として進境著しい。加えてクラシカルの正式な教育を受けているクリスも、全体に華やかさや重厚さなど、様々な彩りをもたらし、その活躍には目を見張る。

 急速に頼もしさを増した弟たちとともに、その勢いをダイレクトに刻んだのが、73年発表の『The Isleys Live』だ。オリジナルはアナログ2枚組で、前2作の収録曲からのセレクトに“It's Your Thing”を加えた曲目は、やはりカヴァーとオリジナルが半々。衣装もすっかりサイケになったヴォーカルのオーケリー、ルドルフ、ロナルド、ギターとベースに弟のアーニーとマーヴィン、キーボードに義弟クリス、このラインナップにドラムスとパーカッションを加えたバンドはとてもまとまりがあり、間もなく始まる絶頂期を予感させる熱い演奏が繰り広げられている。特に“featuring Ernest Isley, Lead Guitar”というクレジットに恥じず、アーニーは各曲で燃え上がるようなソロを聴かせる。ブックレットには、まるでジミのようにバンダナを巻いた頭の後ろにギターを抱える姿が見られるし、すべての曲が終わった後の独演は、もはやジミそのものだ。

 この後、アイズレーズは年長の兄3人のヴォーカル隊に、弟と義弟の3人が正式に加わったバンド体制となり、73年の『3+3』は、ジャケットにも6人が揃って写った記念すべき第一弾アルバムだ。半分ほどはジェイムス・テイラー、ドゥービー・ブラザーズなどのカヴァーでフォーキーな路線を残すが、その中で、ヴォーカル・グループ時代の64年にシングル発売したオリジナル曲“Who's That Lady”の新装版“That Lady”は、パーカッションとアーニーの唸るギターが映える、ファンキーさとメロウさを兼ね備えた名曲で、R&B/ポップ両チャートのトップ10に入り、69年の“It's Your Thing”以来の大ヒットとなった。クラヴィネットを交えたクリスの演奏の鮮烈な彩りも加わって、アイズレーズは明らかにパワーアップしており、他にもスライ&ザ・ファミリー・ストーンのリズム・パターンを流用した“What It Comes Down To”、シールズ&クロフツの曲を極上のメロウにリメイクした“Summer Breeze”がヒットし、アルバムはR&B/ポップの両チャートで初めてトップ10入りを果たした。なお余談ながら、“If You Were There”は、シュガーベイブ/山下達郎の「ダウン・タウン」の下敷きになった曲だ。

 続く74年の『Live It Up』は、タイトル曲を筆頭とする激しいファンク、Tネック期では最後のカヴァー曲となるトッド・ラングレンの“Hello, It's Me”を含むメロウを二本柱とした方向性が示され、絶頂期の音楽性の基盤が固まった手応えが感じられる1枚だ。ファンクとメロウのいずれでも、アーニーとクリスが力強さ、美しさの両面を膨らませて強化し、大いに貢献しており、中でもクラヴィネット、モーグと、順次、新しい機材を導入してきたクリスが持ち込んだアープ・シンセの美しく繊細な音色は、以後のアイズレーズには欠かせないトレードマークのひとつとなる。

 そしてアーニーがドラムスを兼任し、名実ともに3+3の6人だけの録音体制となった翌75年の『The Heat Is On』は、弟たちが曲作りにも力を発揮してカヴァー曲を排し、ついにR&B/ポップの両アルバム・チャートを制覇した。後にパブリック・エネミーが同名曲を出す“Fight The Power”では、“Bullshit is going down”というストレートかつ強烈なメッセージを発信されているのに驚く。作詞をしたアーニーは“nonsense”と書いたのだが、それでは生易しいと感じたロナルドが、録音時に急遽“bullshit”に変えて歌ったとのことだ。初めてかどうかはわからないが、この時期に“bullshit”という言葉が歌詞で歌われるのは異例。そしてそのロナルドの本気がみなぎる歌を、クリスのクラヴィネットのバッキングが熱く盛り上げている。この曲を含めアナログ盤のA面にあたる前半はファンク、B面にあたる後半には、後年サンプリングで大人気となる“For The Love Of You”をはじめとするメロウが収録されており、クリスのアープ・シンセの格調高く甘い音色が加わったメロウは、とろけるような威力を身につけた。なおボーナス収録されている“Fight The Power”のラジオ・エディットでは、やはり“bullshit”にピー音がかぶせられている。

 翌76年の『Harvest For The World』は、クリスのピアノを軸とした壮大な前奏曲で始まる。前作と比べるとファンクの比重は抑え気味で、ヒットしたのも、アーニーのギターともどもスムースな疾走感で駆け抜ける“Who Loves You Better”と、フォーキーなメッセージ・ソングのタイトル曲だ。だがクリスのクラヴィネットによる同じフレーズの繰り返しのバッキングが高揚感を煽る“People Of The Today”や“You Still Feel The Need”など、ヘヴィーなファンクも健在で、この辺りはスティーヴィー・ワンダーの「迷信」や「回想」などの作風がベースになっていそうだ。そしてまどろみを誘う“(At Your Best) You Are Love”をはじめとするメロウともども、音の幅をどんどん広げるクリスの手腕が随所に活かされている。

 続く77年の『Go For Your Guns』ではファンクが盛り返す。ヒットした“The Pride”はEW&Fを意識したようなファンクで、マーヴィンが拙いスラップ・ベースで頑張っているのが愛おしい。もう1曲のファンク“Tell Me When You Need It Again”は、久々に外部のメンバーがアディショナル・キーボードとベースで参加しており、マーヴィンにはまだ無理そうなこなれたスラップなどを加味。またファンク・ロックの“Climbin' Up The Ladder”は、ファンカデリックの“Alice In My Fantasies”が下敷きになっているのは明らかで、アーニーのギター・ソロも、ジミとファンカデリックのエディ・ヘイゼルが混ざり合ったイメージだ。もっともエディもジミの大ファンだったので、3人のプレイにはもともと共通点が多いのだが。一方のメロウも名曲が揃い、特に“Footsteps In The Dark”と“Voyage To Atlantis”の2曲は、神秘的なメロウという新境地を切り開いた。今になって思うと、アイズレーズはドリーム・ポップの先駆者でもあったのかもしれない。

 再度6人体制に戻した78年の『Showdown』も、ファンクとメロウのバランスが取れたアルバムで、前者は“Take Me To The Next Phase”、後者は“Groove With You”という名曲を生んだ。この2曲を聴くだけでも、ロナルド、ひいてはアイズレーズの、ファンクでの力強さとメロウでの繊細さ、その対照的な両者を極めた高い表現力を実感できるだろう。また、多数のカヴァー曲に取り組んでいた頃から一貫して、他者のいいところを自分たちの流儀にあてはめて取り込むことに長けていたアイズレーズだが、この頃は、当時のファンク・バンドが当然のように使っていたホーン・セクションやストリングスを、何故か取り入れていない。アーニーが“Groove With You”のドラムスでハイハットを入れていないことに言及しながら、アイズレーズの場合は「あるものがないところが特徴」と語っているが、その言葉は核心をついている。歌3人、楽器3人でできることに敢えてこだわり、その結果、音数の少ない組み立てでオリジナリティが確立されているのだ。ただアーニーの言葉には、ひと言付け加えて、「あるものがないが、足りないものは何もない」とさせてもらいたい。

 こうしてアイズレーズは自分たちの流儀で、『Live It Up』からの5作を連続してR&Bのアルバム・チャート1位にし、そのうちの4作はポップ・チャートでもトップ10に送り込んだ。この勢いに乗って、79年の『Winner Takes All』は2枚組と大きく出た。1枚目はファンク主体、2枚目はメロウ主体で、細かいところでは、クリスがペンペンした特徴的な音のアレンビックのベースを弾くなどの新しい試みや、フレーズの幅を広げたアーニーのギターの成長といった部分的な変化はあるが、大筋ではこれまでのアルバムの拡大版だ。となると若干の冗長さを免れず、セールス的には後退。そうはいってもアルバムはR&Bチャートで3位、ポップ・チャートで14位だし、3曲のシングルのうち、ファンクの“I Wanna Be With You”はR&Bチャートで1位になっているので、セールスの後退の主な要因は2枚組の高価格だったのだろう。だがディスコの隆盛やエレクトロの発展によって、セルフ・コンテインド・バンドによるファンクの時代の終焉が徐々に近づいていた、という背景も、じわじわと影響を及ぼし始めていたのかもしれない。

 いずれにせよ次作、80年の『Go All The Way』は1枚組に戻し、ファンクとメロウをほぼ交互に収録。さらにこれまで先行シングルはファンクと決まっていたが、今回はメロウの“Don't Say Goodnight”を選択した。この曲が“It's Your Thing”以来のR&Bチャート連続4週1位となり、その人気に引っ張られて、アルバムもこれまでで最高のR&Bチャート連続5週1位を記録、前作でのつまづきを帳消しにした。メロウを前面に出した背景には、AORやクワイエット・ストーム人気の高まりがあるのだろうが、骨太のファンクも、とろけるようなメロウも、どちらも独自の流儀で超一流のレベルに高めていたアイズレーズだからこそのなせる業だ。

 このタイミングで、これまでのヒット曲をライヴ用のアレンジでスタジオ録音した擬似ライヴを2枚組で出したいと考え、アイズレーズはドラマーとパーカッション奏者を迎えて『Wild In Woodstock: The Isley Brothers Live At Bearsville Sound Studio 1980』をレコーディングした。しかしこのアルバムは配給元のCBSから発売を却下されてお蔵入りとなったため、これまでに5曲を除いてボーナス・トラックなどでバラけて発表されてきたが、完全な形で陽の目を見たのは今回が初めてだ。そもそも何故スタジオ録音の擬似ライヴを録りたかったかというと、実際のライヴでは機材の不調や故障、ノイズといった不測の事態が起こりがちだし、一概に悪いこととは言えないが、勢い余って演奏が荒れることもある。そうした可能性を排除した状態で、ベストの演奏を残したかったようだ。冒頭の“That Lady”を聴くだけでも、バンドの力量がオリジナル録音当時とは比べ物にならないほど上がっているのがわかるだけに、彼らがそうした思いを強く持ったことには何の不思議もない。余談ながら、Pファンクも77年のアース・ツアーのリハーサル風景を収めたアルバム『Mothership Connection Newberg Session』を95年に発表しているが、観客のいない空間で、ある程度の冷静さと緊張感を保ちながら、自分たちの演奏とインタラクションの力だけで熱くなるパフォーマンス特有の雰囲気が、私は結構好きだ。人前で披露するためではなく、自分たちで最高の演奏を目指して一丸となって楽しむ、そんな心持ちの演奏の魅力だろうか。だからこのアルバムも、私は大好きだ。

 お蔵入りでつまずいたか、純然たる新作としては2年ぶりとなった82年の『Glandslum』には、時代の変化が明確に感じ取れる。以前のアイレーズは、先行シングルをファンクにするだけでなく、アルバムの1曲目にはファンクを配するのが通例となっていたが、今回は静謐なハープの音で幕を開けるスローが冒頭に配されている。ここに至るまでの80、81年には何枚かのシングルを発売しており、80年末に出したファンクの“Who Said?”がR&Bチャートで20位どまりだったことも手伝って、メロウを主軸とする方針を定めたのだろう。実際にこのアルバムの中でゴリゴリのファンクは、この“Who Said?”のみで、それもアルバムの最後の曲としての収録になった。結局、本作から大きなヒットは出なかったが、そのわりにアルバムはR&Bチャートで3位と健闘している。

 その流れを引き継いで、同年、発表された『Inside You』からは、ジャケットこそ勇ましいが生粋のファンクは姿を消し、アップ・テンポはファンクというよりもディスコ寄りのダンス・チューンとなって、ロナルドもファルセットで歌う場面が多くなっている。そしてスローではクリスのアレンジによるストリングスが全面的に導入され、アルバム全体のイメージがメロウに大きくシフト。またクリスは“First Love”のコーラスをひとりで担うなど、歌にも意欲を見せて、より積極的に関わっている。統一感のある流麗なアルバムだが、ヒットはタイトル曲がR&Bチャート10位となったのが最高で、残念ながらセールスは思わしくなかった。

 そのためか翌82年の『The Real Deal』では、ファンクをエレクトロに衣替えして復活させ、以前のようにメロウとほぼ半々の構成となった。カジノを舞台にしたジャケットも、これまでになくアーバンぽさが漂っており、時代に沿ったイメージの演出に心を砕いた跡が見受けられる。繊細な情感をたたえて美しさを増したアーニーのギターと、ロナルドのシルキー・ヴォイスの饗宴“All In My Lover's Eye”、アーニーが遠慮無く弾きまくる渋いブルース“Under The Influence”などの名曲/名演もあるが、エレクトロ・ファンクのタイトル曲がそこそこヒットしたのみ。時代の変化の中で、ちょっとした不調の連鎖に苛まれるアイズレーズであった。

 そしてTネックからの最終作となる83年のアルバム『Between The Sheets』のジャケットは、真紅の薔薇に寄り添うようなサーモンピンクのシーツ。どちらかといえば無骨なメンバーの姿は裏ジャケットに隠された。音を聴くまでもなく、アーバン&メロウに照準を定めたことが察せられ、実際に本作からは、今でもメロウの名曲として聴き継がれるタイトル曲と、“Choosey Lover”の2曲がトップ10ヒットとなった。甘美な香りを放つサウンド・プロダクションにはクリスの貢献が大きく、ロナルドのシルキー・ヴォイスにはさらに磨きが掛かってトロトロである。そうした中にあって、胸を強烈に揺さぶるメッセージ・ソングの“Ballad For The Fallen Soldiers”は、決してメロウなだけではないアイズレーズの骨太の一面を表わした、面目躍如たる1曲だ。そしてアルバムは久々にR&Bチャートの1位となり、アイズレーズはTネックでの有終の美を飾った。

 本ボックスに収録されたアルバムはこれで全部だ。残念なことに、85年には、ヴォーカル隊の3人によるアイズレー・ブラザーズと、バンドの3人によるアイズレー=ジャスパー=アイズレーに分裂し、それぞれの道を歩み始めることになる。だが86年には長兄のオーケリーが他界、89年にはルドルフが引退して聖職に就いたため、前者で残ったのはロナルドひとり。後者もアルバムを2枚出して88年に解散し、クリスはソロとなり、アーニーも90年に唯一のソロ作『High Wire』を発表、残った4人はバラバラになってしまった。そんなところへやってきたのが先述した再評価の波だ。その波に乗って、ロナルド、アーニー、マーヴィンの3兄弟は再度、結束し、96年にアイズレー・ブラザーズとしての活動を再開。その直後にマーヴィンは持病の糖尿病の悪化で引退を余儀なくされるが、ロナルドとアーニーのふたりはアイズレー・ブラザーズ名義で活動を続けた。

 だが、いい時期は長く続かないのが常。ロナルドは脱税の罪で07年からの3年間、まさかの獄中生活を送ることになる。60代後半とそこそこ高齢だし、以前から腎臓を患っているという報道もあったので心配されたが、無事に刑期を務め上げて10年には釈放されたのがせめてもの救いだ。その直後、長い闘病の末、マーヴィンが他界するという不幸があったが、ロナルドは年内に初のソロ名義で新作『Mr. I』を発表。これまでずっと兄弟とともにアイズレー・ブラザーズを名乗ってきたが、デビューから50年以上のキャリアを経て、健在の兄弟も少なくなったところでの初ソロ名義作ということで、若干の寂しさを感じさせるものの、世界はロナルドの元気な復活に湧いた。続く13年の『This Song Is For You』が、現時点でのロナルドの最新作で、近況はこの記事の冒頭に書いたとおりだ。

 というわけで、このボックス、もし1枚も持っていなければ完全にお買い得だし、仮に半分近く持っていても一考の余地があるのでは。ライナー邦訳には知らないことがたくさん書いてあったし、時系列に添って1枚ずつ聴き進んでいくのは単純に楽しく、つい盛り上がってこんな長編記事を書いてしまったくらいだ。

interview with Yppah - ele-king


Yppah
Tiny Pause

Counter / ビート

ElectronicPsychedelic

Tower HMV Amazon

 筆者が初めてイパの音楽を聴いたのは、セカンド『ゼイ・ノウ・ワット・ゴースト・ノウ(They Know What Ghost Know)』(2009)が出た頃で、当時はエレクトロ・シューゲイズと謳われていた。ノイズ+疾走感+甘いメロディというシューゲイズ・ポップの黄金律が、穏やかなエレクトロニクスと清新なギター・ワークによってほどよく割られていて、同種のタグの中で比較するなら、ハンモックよりもビート・オリエンテッド、ウルリッヒ・シュナウスよりもミニマル……とてもバランスも趣味もいいという印象のプロデューサーだった。チルウェイヴの機運もまさに盛り上がろうというタイミングで、そうした時代性とも響き合うアルバムだったと記憶している。

 そうしたバランスのためでもあるだろう、後年『ラスベガスをぶっつぶせ』『CSI: 科学捜査班』など、映画やドラマ、ゲームなどに使われる機会も増えたようだ。そもそもサントラを作ってみたくて音楽制作をはじめたというから、イパことジョー・コラレス・ジュニアにとって、その約10年にわたるキャリアは理想的な歩みだったとも言える。

 そして4枚めとなる『タイニー・ポーズ』がリリースされた。本作を特徴づける一曲を挙げるならば、“ブッシュミルズ(Bushmillls)”だ。それは彼がフェイバリットのひとつだと語るカリブー(マニトバ)の『アンドラ(Andorra)』(2007)を彷彿させ、ブロードキャストや、あるいはソフトサイケの埋もれた名盤といった趣を宿し、ドゥンエンの本年作の隣で、ハイプ化したテーム・インパラよりも一層奥のサイケデリアを引き出してくる。
 彼のドリーミーさ甘美さは砂糖ぐるみなのではない、それはもうちょっと深いところにある情感から生まれたものだ。そして年齢や経験とともに彼はより自然な手つきでそれを引き出すようになった──のではないか。本作はその意味で成熟したイパを示しており、前作『81』でやや野暮ったく感じられたパーソナルな感触を完全に過渡期のものとして、その先の音とスタンスをポジティヴに描き出している。以下語られている犬の影響というのは……よくわからないけれども。

■Yppah / イパ
イパことジョー・コラレス・ジュニアによるソロ・プロジェクト。2006年のデビュー・フル『ユー・アービューティフル・アット・オール・タイムズ(You Are Beautiful At All Times)』以降、これまでに〈ニンジャ・チューン(Ninja Tune)〉から3枚のアルバムをリリース。映画『ラスベガスをぶっつぶせ』やゲーム『アローン・イン・ザ・ダーク』、連続テレビ番組『ドクター・ハウス』『CSI: 科学捜査班』などにも楽曲が起用されるほか、世界ツアーなど活動の幅を広げている。

カリフォルニアに越してきてから犬を飼いはじめたんだけど、彼らはこのアルバムのライティングのプロセスに大きく影響していてね(笑)。

前作はもう少しアンビエントなものだったと思います。『81』という生まれ年をタイトルに据えた、パーソナルな内容でしたね。今回はその意味ではどんな作品でしたか?

イパ:新作は、前作の続きのような作品なんだ。類似点がたくさんあると思う。2つの作品のちがいは、前回のほうはもっと純粋で感情的だったけど、今回はもっとディテールにこだわっているところかな。もっと内容が凝縮されているんだ。

いったいどういう点で「小休止」だったのでしょうか?

イパ:これは、犬に餌をやるときに使う「待て」の意味だよ。カリフォルニアに越してきてから犬を飼いはじめたんだけど、彼らはこのアルバムのライティングのプロセスに大きく影響していてね(笑)。家で作業してるから、制作中、ずっと犬たちと過ごしていたんだ。
 彼らとすごしていることでサウンドに影響があるわけではないけど、作っている間、彼らにずっと囲まれていたから、そういう意味で影響を受けてるんだよ。製作期間の大半を犬たちと過ごしていたから、そのタイトルにしたんだ。

たとえば『ゼイ・ノウ・ワット・ゴースト・ノウ(They Know What Ghost Know)』(2009)などには見られたフィードバック・ノイズや、いわゆる「シューゲイザー」的な表現は、その後、音の表面にはあまり出てこなくなりましたね。イパというのはあなたにとってそもそもどういうユニットなのでしょう?

イパ:たしかにそうだね。このアルバムでは、雰囲気が前回よりももっとコントロールされているから。イパは僕のお気に入りのプロジェクトで、そうやって自由に変化を加えられるところが魅力なんだ。決まった方向性がないからこそ特別。何も考えずに、楽器を触ることから自由に曲作りをはじめることができる。そこから自分が好きなサウンドが生まれるまでライティングを続けるんだ。それがイパというプロジェクトのテーマ。考えすぎずに、直感に任せるんだよ。その過程で良いサウンドが生まれたら、そこからいろいろと考えていく。そうすることで、自分が聴いていて心地のいい音楽が作れるんだ。

(通訳)今回、その自由なプロセスの中でサウンド的に変化した部分は?

イパ:ほとんど同じだと思う。少しテンポが早いものを好むようになったり、アンビエントなサウンドをもっと広げていったというのはあるかもしれないね。ギターのグライムっぽいエッジーなサウンドをより好むようになったのもあるかもしれないし。あとは、さっきもいったようにもっとまとまりのあるサウンドを意識するようになったのもその一つだと思う。サウンドや曲同士にもっとつながりがあるんだ。

この2年、ギアをたくさん買いはじめて、それを使ってサウンド・デザインをするようになったんだけど、それを曲に使えたらとずっと思っていたんだ。

サウンド・プロダクションについて、とくに今回こだわったり気をつけた部分はありますか?

イパ:この2年、ギアをたくさん買いはじめて、それを使ってサウンド・デザインをするようになったんだけど、それを曲に使えたらとずっと思っていたんだ。サンプルしたり、レコーディングしたエレクトロニック・サウンドのまわりに生の楽器のサウンドを重ねていくっていうのが主なやり方だった。だからこそアルバムが完成するまでに時間がかかったのさ。サウンドを作る中でいろいろな変化や発見があったから、なかなか方向性が定まらなかったんだ。

“ブッシュミルズ(Bushmillls)”のヴォーカルはあなた自身ですか? 声や歌を楽曲に用いるときの基準を教えてください。

イパ:そう。前よりは自分の声を評価するようになったけど、やっぱりまだ自分の声は好きにはなれないな(笑)。基準はとくにないね。声や歌を使いたいと思う時には自分が欲しいサウンドが決まっているから、エフェクトを使ってそれを作るようにしているくらい。いまではいろいろなエフェクトがかけれるし、自分がいいと思えるものができあがるまでに時間がかかることもあるけどね。

ジャケに使われている絵の作者、パット・マレック(Pat Marek)は、物事や生命の断面を象徴的に表すような作品を多く描かれていますね。彼の絵を用いようと考えたのはなぜですか?

イパ:彼から僕にコンタクトをとってきて、自分のアートワークを僕の音楽に使う気はないかと訊いてきたんだ。で、僕もアートワークが必要だったし、彼の作品集を見てみたら素晴らしかったから、彼にデザインしてもらうことにした。彼から連絡があったのは、2年くらい前の話。彼にアルバムの制作過程や音、犬の話をしたんだけど(笑)、よく見ると、すごく抽象的だけどアルバムのアートワークの中にはさっき話した犬が描かれているんだ。ソング・タイトルや音、制作環境の雰囲気、僕が話したことを、彼が抽象的に表現してくれたのがあのアートワーク。ヴァイナルに印刷されたあのデザインを見るのが楽しみだね。

エイフェックス・ツインが昨年の新作以来元気に活動していますね。エイフェックス・ツインはあなたにとって重要なアーティストですか?

イパ:エイフェックス・ツインは大好き。彼の作品はつねに聴いているよ。おもしろいのは、彼の作品って家でじっくりと座って聴くわけではないんだけど、彼のプロダクション技術からは大きく影響を受けているんだ。僕の音楽の中のグリッチっぽい部分は、彼からの影響だね。

新作を聴かれていたら感想を教えてください。

イパ:聴いたよ。あまり言いたくないけど、正直少しガッカリしたんだ。もう少しアイディアが詰まっていてもいいんじゃないかなと思った。人の作品のことをインタヴューで批判するのはあまりいいことではないし、僕にとやかく言う筋合いはないけど(笑)、僕の感想はそれ。アルバムを聴く前に新作のシングルを聴いた時はすごく興奮したんだよね。すごくいいアルバムになるんだろうなと思った。ああいう曲をもっと収録したらいいのにっていうのが正直な意見だけど、僕の期待がきっとみんなの期待とちがっているんだろうな。

では、ボーズ・オブ・カナダでいちばん好きな作品と、好きな理由などを教えてください。

イパ:どれだろう……それぞれに魅力があるから……難しすぎて答えられないよ(笑)。すべてが好きだから、一枚は選べない。どうしてもって言われたら、『キャンプファイア・ヘッドフェイズ(The Campfire Headphase)』(ワープ、2005)って答えるべきだろうな。好きなトラックがいちばん多く入ってるから。

(通訳)彼らの魅力とは?

イパ:彼らの音楽はずーっと聴いてる。彼らのサウンドって、シンプルだけどすごくいいと思うんだ。あと、僕にとって、エレクトロニック・アーティストでいまだにミステリアスだと思うアーティストはあまりいないんだけど、彼らにはまだミステリアスな部分がある。彼らのローファイなヴィジュアルも魅力的だし、とくにヴィデオなんかはすごくおもしろいと思うね。あのランドスケープや質感にはインスパイアされているんだ。

ロングビーチに住んでいるといつだって外に出られるし、家の外にいることをエンジョイできる。サーフィンもするようになったし、そういうのも影響していると思うよ。

現在の活動拠点はカリフォルニアですか? カリフォルニアの風土やカルチャーから受けた影響はありますか?

イパ:そうそう。ロング・ビーチに住んでるんだ。テキサスの暑さに耐えられなくて(笑)。夏の間に外にいられるっていう環境は影響していると思う。ヒューストンは、夏は暑すぎて外に出ていられないからね。ここに住んでいるといつだって外に出られるし、家の外にいることをエンジョイできる。サーフィンもするようになったし、そういうのも影響していると思うよ。開放感があるから、より多くのものにインスパイアされるようになったんじゃないかな。

以前、カリブーの『アンドラ(andra)』(マージ、2007)に影響を受けているとおっしゃっていたのを読んでとても納得できました。エレクトロニックなんですが、根底にサイケデリック・ロックを感じさせます。あるいは『アンドラ』がそうであるようにクラウトロック的なトラックもありますね。あなたにとってのカリブーという存在についても語ってもらえませんか?

イパ:『アンドラ』は僕のお気に入りで、大きなインパクトを与えてくれた作品なんだ。そのアルバムのパフォーマンスを見たんだけど、そこで彼は、僕がやりたいと思っていたことをたくさんやっていて、それが刺激的だった。エレクトロと生楽器をミックスしたりね。いまでこそいろいろなギアなんかが出てきてそこまで難しくないのかもしれないけど、当時は「ワーオ! どうやってエレクトロのプログラムを楽器とつなげているんだろう!?」って衝撃だったんだ。彼は博士号も持っていて、ピアニストでもあって、とにかく何でもできる。僕も彼みたいだったらいいのにな(笑)。

テキサスといえばサーティーンス・フロア・エレヴェーターズ(13th Floor Elevators)ですが、テキサスのサイケデリック・ミュージックに思い入れがあったりしますか?

イパ:彼らのファンでもあるし、影響は大きく受けてるよ。シューゲイズの部分もそうだし、あのドリーミーな部分が好きなんだ。そのあたりは自分の音楽にも取り入れようとしている要素だね。

あなたの音楽を「シューゲイザー」と呼ぶかどうかは別として、あなたはそのように呼ばれる音楽に興味を持ってこられたのですか?

イパ:いまもそういったヘヴィーでサイケデリックな作品を好んで聴いているよ。僕が初期に受けた影響だしね。

そうだとすれば、どのようなアーティストが好きですか?

イパ:ライドはもちろんそうだし、ポスト・パンクのアーティストたちも好きなんだ。ヴァン・シーもシューゲイズっぽいところがあると思うし、スロウダイヴも好きだね。ジーザス・アンド・メリー・チェインも。あとは……スペースメン・3からも大きく影響を受けてるよ。



変化というより、今回の新作は初期に戻っている感じがする。

最初のアルバムである『ユー・アー・ビューティフル・アット・オール・タイムズ(You Are Beautiful At All Times)』(2006)からいままでで、制作環境におけるいちばんの変化を挙げていただくとすれば、どんなことですか?

イパ:うーん、変化というより、今回の新作は初期に戻っている感じがする。最初のアルバムのときはレコードをサンプルしていて、そのサウンドを使ってアンビエントな雰囲気を作り出していた。で、いまはそういうサウンドはおもにシンセで作っているんだ。モジュラー・シンセサイザーを使って、そのサウンドをサンプルしてる。だから、変化というよりは初期に戻った感じがするんだよね。すごく似ていると思う。まあ、内容はもちろんちがっているけど、メインの要素はある意味で原点回帰しているんじゃないかな。

ちょうどキャリアがもう少しで10年に差しかかろうとしていますね。この10年の間に、20代から30代へという変化も迎えられたと思いますが、アーティストとしてその変化をどのように受け止めていますか?

イパ:そうなんだ。気づいたらって感じ(笑)。変化は、ジャンルを考えなくなったことだね。前は、エレクトロの要素を使ったロック・アルバムを作りたいとか、そういう考え方をしていたけど、いまはただ、エレクトロの要素を使っておもしろいアルバムを作りたいというふうに考えるようになった。いまの時代、音楽が混ざり合っているのは当たり前だし、いろいろなアプローチをとることができるしね。

ギターはあなたの音楽の重要なキャラクターだと思いますが、ギターをつかわないイパのアルバムは考えられますか?

イパ:イエス。たまにリミックスをするんだけど、リミックスする作品の中には、シンセがメインでまったくギターが使われていないものもある。そういう作品を聴くと、自分もギターを使わない曲を使ってみてもいいかもしれないなって思うね。

(通訳)すでに作ったことはあります?

イパ:あるよ。いま作業しているプロジェクトがあって、それがミニマル・ウェーヴっぽいんだけど、いまのところギターは使っていない。だから、使わないまま進めていこうかと思ってるんだ。

(通訳)サウンドはやはりぜんぜんちがいます?

イパ:もちろん。やっぱりよりダークになるよね。80年代のミニマル・ウェーヴサウンドって感じ。でも、コピーしようとしてるんじゃなくて、そういう要素を使おうとしてるだけなんだ。

音楽を作りはじめたきっかけのひとつが映像だからね。映画のサウンド・トラックを作ってみたくて音楽制作をはじめたんだ。

曲のメイキングとしては、もしかすると弾き語りが原型となっていることも多いでしょうか?

イパ:いや、時と場合によるよ。モジュラー・シンセからはじめるときもあるし、他のものからはじめるときもある。でも大体は、雰囲気作りからはじめるかな。質感を決めたり、そこから曲作りをはじめるんだ。サンプルを使うときなんかは、サウンドはほとんど偶然に生まれるものばかりだしね。そうやって生まれたサウンドや雰囲気にインスパイアされながら、曲作りを進めていくんだ。

音楽以外で、たとえば本や映画など、この1年ほどの間でおもしろいと感じたものがあれば教えてください。

イパ:僕は映画や映像が大好きだから、フィルムに影響されて音楽を作ることが多い。おもしろいと思ったものは、タイトルさえもないビデオクリップとか、そういう作品だね。サーフィンのビデオ・クリップとか、スケボーのビデオ・クリップとか。そういったものをインターネットで見つけるんだ。ボーズ・オブ・カナダのローファイなイメージにも影響されてる。そういう映像を見ると、曲を書きたくなるんだよね。クレイジーなアーカイヴ映像の時もある。たまに、自分の50年代とか60年代の先祖のファミリー・フィルムをアップロードしている人なんかもいてさ。そういうのってすごくクールだし、見るのが大好きなんだ。

映像に音をつけることに興味はありますか? なにか音をつけてみたいと思う作品を挙げてもらえませんか?

イパ:もちろん。音楽を作りはじめたきっかけのひとつが映像だからね。映画のサウンド・トラックを作ってみたくて音楽制作をはじめたんだ。音をつけてみたい作品はたくさんあるけど、いま関わっているプロジェクトでは、アパートの中にいる人たちが、外で何か起こっているけどそれが何なのかわからなくて、でも確実に殺人が起こっている、みたいな……(苦笑)。シリアスではないダーク・コメディの映像に乗せる音を作ろうとしているところ。おもしろくなるだろうな。作るのが楽しみなんだ。あとは……わからないな。ロマンティック・コメディみたいな映像にはあまり興味がないね。もっと、ホラー・ドラマっぽい作品がいい。ホラーだと、いい意味で真剣に曲を作れるからさ。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196