「iLL」と一致するもの

Don Letts - ele-king

 1956年にブリクストンで生まれたドン・レッツも今年で60歳。BBCのラジオ6での彼のDJは、いまでは日本で暮らしながら聴けるので、チェックしている方も少なくないでしょう。先月のブリストル特集も良かったですよね。選曲が素晴らしいです。
 ドン・レッツは、パンクの時代、パンクロッカーたちからものすごく信用されていたレゲエDJで、以来ずっとDJをやりつつ、映像作家としても活躍しています。UKが誇るファッション・ブランドのフレッド・ペリーのサイトでは、UKサブカルチャー史の映像作品も発表しているので、興味のある方はぜひ見てください。ちなみに神宮前にあらたにオープンしたフレッド・ペリーのお店では、今年はドン・レッツとの共同企画のラインも並ぶそうです。
 昨年は井出靖さんのレーベルの10周年を記念してリリースされたミックスCDも話題になりました。日本人によるレゲエ音源をドン・レッツが選曲したものです。

 来週はドン・レッツが渋谷のミクロコスモスでDJします。パンキー・レゲエな人はマストです。来て下さい!

cafe school No.2 開催 - ele-king

「ジェントリフィケーション(gentrification)」ということばをご存知だろうか? 「〔老朽または下層地域などを[が]〕高級(住宅地)化する」という意味の英語の動詞、「gentrify」の名詞形であり、現在のロンドンやニューヨークといった先進国の都市で起こっていることだ。とくにロンドンの例が顕著で、ジェントリフィケーションによる地価の高騰によって、多くのミュージシャンたちがロンドンの、ひいてはUKの外へと活動の拠点を移している。

 東京は、日本は無関係か? いや、そんなことはないだろう。オリンピックによる都市開発によって、老舗のレコード店やクラブが閉店してしまったという知らせは、多くのひとびとを悲しませた。ロンドンがその姿を変えてしまったきっかけのひとつもまたオリンピックである。東京はこれからどうなってしまうのか? またその状況にどうやって抵抗できるのか? 今週土曜、そんな問いに答えるイベントが新宿で開催される。講師は酒井隆隆史と平井玄。抵抗のスペシャリストとともに考えましょう。

KiliKiliVilla - ele-king

 いま日本で猛烈な勢いで新作をリリースしている元気いっぱいのインディ・ロックのレーベル、〈キリキリヴィラ〉からマヒトゥー・ザ・ピーポー率いるGEZANの写真集が刊行されました!
 2015年の夏、アメリカのバンド、MEAN JEANSとTHE GUAYSとGEZANによる13日間の公演ツアーの模様をドキュメントしたもので、撮影は新進気鋭のカメラウーマン、池野詩織さん。バンドに密着しながらでなければ撮れない写真ばかりで、ライヴハウスをかけめぐるロック・バンドの非日常的な激しさと日常的なセンチメントが交錯する。ロックの生々しい現場の断片からは、何とも言えないエモーションが立ち上がる。こういうリアリティって、ネットや雑誌では、なかなかお目にかかれない。手作りのジンだからこそ伝わるものだ。
 限定500部なので、お早めに!

池野詩織
『BUBBLE BLUE』
kilikilivilla
https://kilikilivilla.com/

MOODYMANN - ele-king

 選挙戦略もありなんだろうけど、トランプにしろクリントにしろ「グレートなアメリカ」と叫んでしまうところに思わず引いてはしまうものの、まあ昔はパティ・スミスだってブルース・スプリングスティーンだって星条旗を振りかざしていたし、こんなものかと思って見ているのだけれど、TVのニュースでクリントンが黒人票(ないしはヒスパニック票)をつかんでいると言われると、いや、もうそういう〝黒人〟という括りですべてを表現できる時代ではないだろうと反発したくなる人は少なくないでしょう。とくにデトロイト・テクノを聴いている人たちは。
 ビル・クリントンが大統領時代に初めてデトロイトに行ったんだよなー。いま思えば懐かしい、海外の新聞でも日本の経済破綻が大々的に報じられていた頃で、「デトロイトの黒人は日本車が好きなんだぜ」という社交辞令を言ったのがマイク・バンクスだった。当時ビル・クリントがアメリカ国内の経済政策の一環として日本製品の輸入規制をしていたからで、なるほど世の中には国境を越えたそういう挨拶の仕方もあるのかと感心したものだった。
 この手の話は得意ではないのでもう止めておくが、その頃(1998年)だって、大雑把に見ても、もはや〝黒人〟という言葉ですべてをまとめて表現できる時代ではなかった。

 アメリカ──この惑星上のグレートな泥棒、かつてはそんなタイトルの作品を出しているケニー・ディクソン・ジュニア=ムーディーマンがこれほど長いあいだファンを夢中にさせ、いまもなお増やしているのは、彼のなかには鋭く対立するものが内在しているからだと思う。彼の音楽はよく「黒い」という言葉で表現されるが、じつは「黒」という単色ではないことは、今回の初の公式ミックスCDでも明らかにされている。
 彼のDJを聴いたことがある人は、その選曲の幅の広さにまず驚く。まさかマッシヴ・アタックをかけるとは、まさかローリング・ストーンズをかけるとは……下手したら「黒い」という言葉の乱用によって漂うある種の閉塞性とは逆なのだ。いや、そうじゃないな。黒さ(カラード)とはじつはハイブリッドを意味するからだ。いろいろな色を混ぜたときの黒。
 選曲についていちいちコメントすることは控えるが、このトラックリストが発表されたとき、ぼくは唸った。さすが、素晴らしい、こんなところまで聴いているのか……ヨーロッパの音もけっこうある。セクシーなソウルもあれば、ハイブリッド・ミュージックの最前線にいるUKベース音楽もある。ミックスさえしない箇所もある。音楽をよく知っていて選曲家として優れていることは、DJとしてとても重要な要素だ。しかしなによりも増して感動的なのは、このミックスCDから感じる風通しの良さだ。音楽をかけることが創造的行為であることを彼もまた証明している。

 あらためて選曲リスト。

01. Yaw - Where Will You Be
02. Cody ChesnuTT - Serve This Royalty
03. Dopehead - Guttah Guttah
04. Jitwam - Keepyourbusinesstoyourself
05. Talc - Robot's Return (Modern Sleepover Part 2)
06. Beady Belle - When My Anger Starts To Cry
07. Shawn Lee feat. Nino Moschella - Kiss The Sky
08. Jai Paul - BTSTU
09. Flying Lotus feat. Andreya Triana - Tea Leaf Dancers
10. Nightmares On Wax - Les Nuits
11. Rich Medina feat. Sy Smith - Can’t Hold Back (Platinum Pied Pipers Remix)
12. Julien Dyne feat. Mara TK - Stained Glass Fresh Frozen
13. Little Dragon - Come Home
14. Andrés feat. Lady - El Ritmo De Mi Gente
15. Fort Knox Five feat. Mustafa Akbar - Uptown Tricks (Rodney Hunter Remix)
16. Daniel Bortz - Cuz You're The One
17. José González - Remain
18. Big Muff - My Funny Valentine
19. Les Sins - Grind
20. Tirogo - Disco Maniac
21. SLF & Merkin - Tag Team Triangle
22. Joeski feat. Jesánte - How Do I Go On
23. Kings Of Tomorrow feat. April - Fall For You (Sandy Rivera's Classic Mix)
24. Soulful Session, Lynn Lockamy - Hostile Takeover
25. Anne Clark - Our Darkness
26. Peter Digital Orchestra - Jeux De Langues
27. Noir & Haze - Around (Solomun Vox)
28. Marcellus Pittman - 1044 Coplin (Give You Whatcha Lookin 4)
29. Lady Alma - It's House Music
30. Daniela La Luz - Did You Ever

RAINBOW DISCO CLUB 2016 - ele-king

 基本中の基本だけど、言っておきますね。ダンス・カルチャーが野外フェスティヴァルを蘇らせたんだよ。レイヴ・カルチャーがなければ1993年のグランストンベリー・フェスティヴァルはなかったんだよ。そして、ただたんにダンサブルな音楽やエレクトロニックな音楽を並べることが、その本質ではない。ひと晩の、あるいは1日の、そのとき限りの物語が必要だ。個人的な物語(そんなものは山に登っても、ショッピングに出かけても得られる)ではなく、その場にいる人たちで共有できる物語が。
 条件:それなりの考え、音楽性をもった出演者。ロケーション。愛を持った主催者。その場を理解しているオーディエンス。
 野外音楽フェスティヴァルの良さは、スリルとチルアウトという、本来なら対立するふたつが共存することだろう。音と静寂、夢と現実、宇宙と世俗、スピリチュアルとギャグ──こうしたものが融合するところ、つまり、『ネヴァー・マインド・ボロックス』と『サージェント・ペパース~』が融合する場所とでも言えばいいのか。
 来たるGW。2016年4月29日(金・祝)~5月1日(日)までの3日間、静岡県 東伊豆クロスカントリーコースにて開催される「RAINBOW DISCO CLUB 2016」はすべての条件を兼ね備えている。
 今回はアンドリュー・ウェザオールとジャイルス・ピーターソンという、最高に信用できるDJ/選曲家が出演する。
 ウェザオールはテクノとダブの名人で知られるが、トリップホップからサウンドトラックまでと、ロケーションや状況に応じて幅広い選曲ができる。かたやジャイルスはジャズ、ラテン、ソウル、ワールド、最新のUKのベース音楽のエキスパートとして知られている。ウェザオールもジャイルスも、ともに80年代末から活動を続けているロンドンのDJで、いまでもオーディエンスから尊敬されている。このふたりのリジェンドが共演するとういのも大きいが、瀧見賢司や井上薫など日本人DJのメンツを見ても、きっとこの3日間でなにか新しい物語が生まれるんじゃないかという期待が高まる。新人ばかり並べてもJ2に落ちるんだ。こういうときこそ頼りになるのがベテランですよ。
 この時期の伊豆も最高だし、海、山、空、そして最高の音楽と食物(これもかなり重要な要素)、「RAINBOW DISCO CLUB 2016」にはすべてがある。

Omar from Berlin - ele-king

2016.3.1

interview with DMA's - ele-king


DMA's
DMA's

Infectious / ホステス

Rock

Tower HMV Amazon

 DMA'sを本当にオアシスの後継だと考えるひとはいるだろうか? もちろんひとつの売り文句にすぎないが、そうした喧伝が彼らに翼をつけるとも思われない。われわれはべつに次のオアシスを求めているわけではなく、ただそこで90年代のUKインディを思わせる音が素朴に素直に鳴っていることを喜び、また、オーストラリアのバンドであるという出自が、洒落っ気と愛嬌を伴った「いなたさ」としてうまく読み替えられていることに大いに反応しているのだ。

 素朴さの価値はいまそれほどまでに高い。そして、コートニー・バーネットの存在によってにわかに熱いまなざしを向けられているオーストラリアは、その金脈であるかのように幻想されている。彼女は先日グラミー賞「最優秀新人賞」にノミネートされたが、むしろその事実よりも、ロンドンでのゲリラ・ライヴの様子のほうが、この現象をうまく伝えているといえるだろう。みな、ロックを継ぎ得るヒーローではなくて、ふと聴こえてきた素朴さ、その清新な力に足を止めているのだ。

 それに加えて、昨年作『カレンツ』の絶賛ムードで存在感を増したテーム・インパラもオーストラリア熱を支える。系譜としては彼らに近いサイケ・バンド、ガンズにジェザベルズ、あるいはシドニーのインディ・ポッパー、アレックス・ザ・アストロノート、もう少しヴィンテージ感のあるオーシャン・アレイなどなど、ロックはどこに残っているのかと「発掘」が止まらない。

 しかしてDMA'sは? 彼らもまた、素直で少し懐かしい音を聴かせてくれる。ただし、アークティック・モンキーズ以降のロックであることがわかる。かつ、90年代のUKインディだけではなく、同時期のUSインディの感覚もうっすらと漂う。「オルタナ」という名のまま古びていった音を、彼らはいまの感性のまま無邪気に楽しんでいる。

 また、キウイ・ポップの牙城にして、USインディとかの地のロックとの紐帯である〈フライング・ナン〉とも関わりが深いようだ。一貫してガレージ―で素朴なスタイルによって強固なレーベル・カラーを築き愛されてきた彼らの縁戚に、このようにフレッシュなバンドが生まれていることは、現在のバブル状況に関係なく、そもそものシーンの層の厚さを証明しているといえるだろう。

 よって、DMA'sについてはもう、聴くだけだ。彼らが楽しむようにわれわれも楽しめばいい。ただ、ロックというジャンルの可能性について割合にクールな視点を持っているところは現代ふうというべきである。けっしてレイドバック志向なわけではない。コートニー・バーネットがそうであるように、彼らはとても自然にその音を呼吸していて、それがなにより気持ちよいと感じる。もし「大型」新人と呼ぶのなら、そのような点をこそ大型と表現したい。

■DMA's / ディー・エム・エーズ
オーストラリアはシドニー出身の3ピース。トミー・オーデル(Vo)、ジョニー・トゥック(Gt)、マット・メイソン(SW, Gt,Vo)によって2012年に結成。地元の小レーベル〈I Oh You〉からのシングル・リリースなどを経て〈Infectious〉と契約。2015年11月、日本独自EPをリリースし、その直後初来日している。2016年2月、デビュー・アルバム『ヒルズ・エンド(Hills End)』を発表。

シドニーではオーストラリアのヒップホップがとても人気だよ。あとはEDMみたいなエレクトロニック・ミュージックとかね。(ジョニー・トゥック)

みなさんは何歳なんですか?

マット・メイソン:平均26ってとこかな。俺は25歳、ジョニーが26歳で、ここにはいないトミー(・オーデル)が27歳だから。

楽器やバンドをはじめるきっかけになったアルバムやアーティストを教えてください。

マット:俺は13歳のときにソニック・ユースを聴いたのがきっかけでギターを弾きはじめた。友だちのバンドに巻き込まれて、みんなと同じ音楽を聴くようになった。

ジョニー・トゥック:若いころはそこまで音楽が好きじゃなかったんだけど、学校で楽器ひとつをクラリネットとベースの二択からを強制的に選ばせられて、自分はベースを弾くようになった。クラリネットでもよかったかもね(笑)。それでベースをやるようになったら、お父さんがジョニー・ミッチェルの曲を教えてくれて、それを聴いてすごくインスパイアされた。

シドニーではどんな音楽に人気がありますか? またUKとアメリカを比べるとしたらどちらの影響が強いですか?

マット:オーストラリアはイングランドの子どもみたいなものだけど、アメリカの影響のほうが最近は強いと思う。

ジョニー:シドニーではオーストラリアのヒップホップがとても人気だよ。あとはEDMみたいなエレクトロニック・ミュージックとかね。でもヒップホップのMCがオーストラリアなまりでラップしてると、ちょっと笑っちゃうよね(笑)。アメリカでもイギリスなまりでもなくて、オーストラリアなまりで歌うひとも一部にはいるよ。俺たちが好きなポール・ケリーもそうだし、最近出てきたコートニー・バネットなんかも彼にすごく影響を受けているねと思う。あと、ハードコア・メタルが人気で、他の街のメルボルンにはメルボルンのシーンがあったりする。

オーストラリアのインディ系レーベルで1年以上続いているってすごいことだよ。(マット・メイソン)

〈アイ・オー・ユー(I Oh You)〉というレーベルについて教えてください。とくにロック専門レーベルというわけではないですよね。シドニーでどのような役割を担っているのでしょうか?

マット:最初はレーベルもマネージャーもいない状態でやっていたんだけど、あるときビデオをとってネットにアップしたら、マネージャーやブッキング・エージェントみたいなひとたちから、連絡が舞い込んでくるようになった。その流れでいまのマネージャーが決まって、彼が〈アイ・オー・ユー〉を教えてくれたんだよね。大きなレーベルじゃないし、所属アーティストもそんなにいないんだけど、オーストラリアのインディ系レーベルで1年以上続いているってすごいことだよ。すごくヘヴィーなバンドや、俺たちに似ているバンド、女の子のポップ・シンガーとも最近契約したよ。音楽的には幅広いし、運営の仕方もすごくうまいからオーストラリアですごく大きな存在になると言われているし、俺たちも彼ならそうなれると思っているよ。

ニュージーランドについても教えてください。〈フライング・ナン(Flyng Nun)〉やサーフ・シティといったバンドがいて、彼らにはオリジナリティがありますが、同時に90年代の音楽を参照することもあります。ニュージーランドのシーンは馴染み深いものですか?

ジョニー:よく行き来はするよ。実際にいまのライヴ・バンドのギタリストはポップ・ストレンジっていう〈フライング・ナン〉と契約しているバンドのメンバーなんだよね。だから好きなバンドも多いけど、いろんな音楽を聴いているから、とくにニュージーランドのシーンから影響を受けているわけではないかな。

新しい音楽はどのようにして知りますか? 

マット:友だちから教えてもらうことは多いよ。〈アイ・オー・ユー〉のヨハン(Johann Ponniah)がいろいろおすすめしてくれるんだ。あとスポティファイはいいよね。それからいまはライヴ・サーキットにもよく出ているんだけど、知らないバンドのライヴが見られるから、新しい音楽を知るきっかけになっている。

自分たちが楽しめる曲を書いていたらそうなっただけ。だから、昔の音楽に似ているものをやろうとは思ったことはないね。(マット・メイソン)

いまの音楽と比べると、90年代や80年代の方に好きなバンドは多いですか?

マット:たしかに普段聴く音楽は昔のバンドが多いけど、その理由は自分でもよくわからない。でもだからといって、いまの音楽がよくないとは言いたくないし、いいバンドもたくさん出てきているけど、全体的なテイストは時代とともに変わってしまって、自分たちは昔の方が好きなんだと思う。

よく80年代や90年代のバンドと比較されることが多いと思いますが、あなたたちはそういった音楽を参照している意識がありますか? また〈ファクトリー〉や〈クリエイション〉といったレーベルに興味がありますか?

マット:90年代の音楽はよく聴くんだけど、ものすごく影響を受けたわけでもなくて、自分たちが楽しめる曲を書いていたらそうなっただけ。だから、昔の音楽に似ているものをやろうとは思ったことはないね。それからトミーはイギリスの音楽を聴くんだけど、曲を作る俺たちはそこまで聴くわけでもない。

エレクトロニック・ミュージック、たとえばダンス・ミュージックといった他のスタイルにも興味がありますか? 

マット:バンドをはじめたときは生ドラムじゃなかったから、ドラムマシーンを使っていたんだけど、いまはリアムっていうものすごくいいドラマーがいるから必要ない。でも将来的にはまた使う可能性もあると思う。自分たちが新しいシンセを買えば、セカンドではそれを使うし、個人的にヒップホップのビートを作ったりもしているから、エレクトロニック・ミュージックの要素を取り入れる可能性はいまでも十分にあるよ。トミーはダンス・ミュージックのファンでいろいろ聴いているしね。

アルバムの構成はどのように考えたのでしょうか?

マット:本当にシンプルに全体のバランスを考えただけだよ。ビリヤードの玉を三角に並べるときって隣に同じ玉がこないように揃えるけど、そんな感じでラウドな曲と静かな曲が続かないように意識した。

ジョニー:あと全体のダイナミズムは考えたよね。

マット:ストーリー・ラインがあるわけでもないし、曲の流れを決めていたくらいで、そこまで考えて構成したわけでもない。でもEPで作った流れをこのアルバムでも続けたいとは思った。

世の中を変えるような可能性があった頃からやっているひとたちにとっては、そんなこと意味がないように見えるかもしれないけど、いまやっていることにだってちゃんと意味があるんじゃないかな。(マット・メイソン)

「DMA」とはどのような意味を持つ名前なのでしょうか?

マット:初期のバンド名の省略で、とくに意味はないよ(笑)。自分たちの音楽を表すシンボルみたいなものなんだけど、みんなどんな意味があるのか勘ぐるんだよね。オランダのラジオ局へ行ったときは20個くらい意味の候補があって、ここでは言えないような名前の省略形を考えついたひともいた(笑)。そういうのもおもしろいけど、実際には何の意味もないんだよね。

ロックという音楽はいまでも多くのバンドを生んでいますが、音楽的なポテンシャルやその可能性は出尽くしたと思うことはありませんか?

マット:新しく出てきて一気に世の中を変えてしまうような音楽が生まれるという点に関しては、ロックはポテンシャルを失っていると感じることはあるけれども、もう既にあるジャンルで自分が好きなことをやることはできるし、それを楽しむことも可能だと思うよ。世の中を変えるような可能性があった頃からやっているひとたちにとっては、そんなこと意味がないように見えるかもしれないけど、いまやっていることにだってちゃんと意味があるんじゃないかな。

みなさんにとってロックバンドがどのような価値を持ったものなのか教えてください。

マット:ロックバンドをやるってことは、やっていることを楽しむってことだよ。自分たちにとってはね。

IO - ele-king

イメージがリアルを追いつめる “CHECK MY LEDGE”

 2015年の東京のアンダーグラウンドを騒がせたビッグ・ハイプのひとつは、間違いなくKANDYTOWNだった。世田谷区南西部のベッドタウンを拠点とするこのクルーは、ランダムにドロップするヴィデオやミックステープ、さらにはストリート限定のフィジカルCDを通じて、東京の山の手エリア特有の、アーバンで洗練された空気を緻密に演出してみせた。トラックメイク、ラップとともに、映像制作やモデルまでこなす総勢15人。北区王子や川崎南部など、東京の郊外エリアからハードコアなバックグラウンドのトラップ・ミュージックが隆盛する中、「KANDYTOWN」という架空の街のコンセプトと、メロウなサンプリング・アートによって構築される90’Sサウンドは異彩を放っていた。じゅうにぶんに盛り上がったハイプと、おそらくは水面下でくすぶるジェラス混じりの反感。デビューの舞台としては申しぶんない好奇心が渦巻く中、KANDYTOWNの中心人物であるIOのファースト・ソロ・アルバム『SOUL LONG』はリリースされた。

 結論から言おう。IOは見事にハイプの内実を埋めた。彼はこの30年来の日本のヒップホップの伝統の正統な後継者だ。そして同時に『SOUL LONG』は、ジャンルの壁を超え、CEROやSUCHMOSなど、ヒップホップ以降のソウルやファンク、ジャズの咀嚼を通じてシティ・ポップスを現代的に更新/拡張しようとする、新世代のインディ・バンドたちの隣に置かれるべきレコードでもある。つまり、日本の若い世代による、アメリカ音楽のコンテンポラリーでフレッシュな再解釈。そこには、これまでの日本のヒップホップのエッセンスの継承だけでなく、それ以前から東京の文化エリートが綿々とつむぎ続けてきた、外国音楽の真摯な翻訳の伝統が息づいている。豪華プロデューサーたちの集結をうけて、巷では「日本版Illmatic」との言葉も飛び交っているみたいだけれど、『SOUL LONG』は20年前の黄金期ニューヨーク・ラップの焼き直しなんかじゃない。これは、噴出するリアルに対抗しようとする、想像力を武器にしたスタイルの美学だ。

                   *

 ルー・コートニーの“SINCE I LAID EYES ON YOU”の流麗なコーラスをバックに亡き親友の肉声をサンプルする”CHECK MY LEDGE”から期待を裏切らない。腰を落ち着けたIOのラップはどこまでもスムース。いわゆるトラップ以降の、フロウの独創性とフレーズの面白さで勝負する最近の流行とはまるで真逆だ。フロウを壊さぬようになめらかなライミングをキープし、ヴァースの終わりには狙いすましたパンチラインをキックしてみせる。それ以降も、なかばクリシェ的なセルフ・ボースティングやワン・ナイト・スタンド的な色恋沙汰、警察の職務質問をかわすきわどいシーンまで、あくまで一線を越えないクールさだ。

 世代を超えた精鋭プロデューサーたちによるトラックもそれぞれの個性を際立たせながら統一感を失わない。新世代の筆頭、ビート・アルバム『OMBS』で世界水準のビート・メイカーであることを証明したSIMI LABのOMSBによる“HERE I AM”、そしてDOWN NORTH CAMPの若きキーマン、KID FRESINOがビート・メイクとリミックスでの客演をこなす“TAP FOUR”が、とにかく素晴らしい。NEETZが笠井紀美子の楽曲をサンプルして90年代生まれのIOが歌う“PLAY LIKE 80’S”も、いまの東京のバブリーで、どこか殺伐とした空気をうまく切り取っている。KANDYTOWNの面々をゲストに迎えた“119MEASURES”ではスリリングに、BCDMGのJASHWONによる“CITY NEVER SLEEP”では叙情的に、それぞれ対照的にストリングスを使いわけるバランスも新鮮だ。
 クライマックスの終盤、ライムスターのMummy-Dによる完全に90’Sマナーの“PLUSH SAFE HE THINK”ではジャン・ミシェル・バスキアをさらりと引用し、生歌の日本語フックに挑戦した疾走感溢れる追悼タイトル・トラック、“SOUL LONG”はKING OF DIGGIN’、御大MUROプロデュース。いまや太平洋を越えた現象である、90年代の黄金期ニューヨーク・ヒップホップ再評価の流れに呼応して、どれもトラップ的なアプローチとは一線を画す、メロウな90’Sサウンドだ。とくにMummy-DとMUROのベテランならではのプロデュース・ワークは、フレッシュでありながらオーセンティック、というアルバム全体の印象を決定づけている。リリックには故DEV LARGEの名もさらりと飛び出すけれど、彼が存命中ならきっとこの豪華布陣に名を連ねていたに違いない、なんてことも思わずにはいられない。

 日米の90’Sリヴァイバラーの中でのIOの個性は、間違いなくそのメロウネスにある。それはけしてサンプリングを基調としたサウンドのムードだけのことではない。スムースなラップというのはたいてい歌に接近するものだけれど、IOはあくまでクラシカルなラップによって、ソウルフルなフィーリングを表現する。たとえば、ビースト・コーストの震源であるニューヨークのPRO ERAとその中心人物JOEY BADA$$には、サウンドにもリリックにもハードコアなヒップホップ・マナーが顕著にみてとれるし、そもそも長らく90’Sヒップホップの文法に呪縛されてきた日本のシーンで、真の意味での90’Sリバイバルを決定づけたFla$hBackSの洗練されたサウンドにさえ、そのフロウやビート・マナーには言語化以前の鋭い反抗のアティチュードが感じられる。それに対してIOは、あくまで優雅でドライなスタンスを崩さない。葛藤や苛立ちの棘、強い叙情を完璧なまでにコントロールして、ひたすらソフィスティケートされたドラマを演出してみせる。

 ラップというのはえてしてリアルを追求するものだけれど、ここにあるのは逆に、イメージを駆使してリアルを塗り替えようとする想像力だ。KANDYTOWNのミックスやヴィデオにはアメリカのソウルだけでなく、山下達郎の“甘く危険な香り”など、日本産のシティ・ポップスが印象的に登場する。そのことを踏まえれば、口にしてはいけないことを口にしない、この禁欲的な美学は、かなり確信犯的に選びとられている。東京郊外でリアリティ・ラップが盛り上がり、地上波ではフリースタイル・バトルの泥くさい熱気が溢れる中、サウンドの感触と言葉選びによって演出されるこのクールネスは、そのスムースな見た目とは裏腹に、とても野心的なものだ。郊外のトラップ・ミュージックがVICE JAPANのショート・ドキュメンタリーをきっかけに注目を浴びたのとあえて対比させるなら、IOとKANDYTOWNのバックボーンには明確に、映画的な感性がある。

 シティ・ポップス的な想像力を媒介とした、ヒップホップ以降のソウルやジャズ、ファンクのメロウネスの再構築。その音楽的な方向性は、足取りはまったく真逆だけれど、現在の日本のインディ・ロックともリンクする。それは、たとえばCEROがディアンジェロやロバート・グラスパーを経由して最新作『OBSCURE RIDE』で完成させたサウンドや、KANDYTOWNの一員である呂布も客演するSUCHMOSのデビュー盤『THE BAY』とも、切れ目なくつながっている。事実、CEROの“SUMMER SOUL”の12インチのリミックスを担当したのはOMSBだし、STILLICHIMIYAの田我流とカイザーソゼ、5lackの生バンドとのセッションなど、最近のアンダーグラウンド・シーンはバンドサウンドとの実験的融合に舵を切りつつある。
 ただ、こうした交錯現象は、いわゆるクロスオーヴァーとは少しおもむきが違う。本作には昨年急逝したKANDYTOWNの創設者、YUSHIが残したラップやビートがいくつか使われているけれど、彼はかつて、現在のOKAMOTO’Sの前身バンドのフロントマンをつとめていた。つまり、異なった音楽的バックグラウンドを持つ者たちが異種交流し、ハイブリッド的になにか生み出しているというよりは、もともと共通の音楽的素養を持つ者たちが、アウトプットとしてそれぞれ異なる表現方法を選ぶことで、自然にジャンルの壁を超えた交錯が生まれているとみるべきだ。これはディアンジェロやグラスパーの登場を背景とする、90年代以降のヒップホップを軸にしたソウルやジャズの更新なしにはありえなかったことだ。

 少し大げさな話になってしまうけれど、文句なしに去年のベスト・アルバムだったケンドリック・ラマーの『TO PIMP A BUTTERFLY』は、ヒップホップの人脈と若手のジャズ・プレイヤーの人脈が実際の血縁関係も含むクランとしてつながり、その制作を支えていた。サウンド面でのリーダーだったテレス・マーティンにいたってはア・トライブ・コールド・クエストとの出会いがきっかけでジャズの魅力に没頭していったというから、ようはヒップホップ以降の世代にとって、マシンのビートと生楽器による演奏というのはとくに大仰に線が引かれるものじゃない。J・ディラ以降の身体的なズレを反映させたマシン・ビートはすでにクリス・デイヴなど、ディアンジェロやグラスパーのサウンドを支えるドラム・プレイヤーによって、再帰的なプレイ・スタイルに昇華されてさえいるのだ。もちろん『SOUL LONG』そのものは、オーソドックスなヒップホップの方法論で制作されているけれど、そのスタイルがメロウネスを結節点にシティ・ポップスとの共振の萌芽をみせていることは、今後のシーンの動向を占ううえでも非常に重要だ。

 このアルバムのリリースされた2月14日は、KANDYTOWNとっては肉親同然の幼馴染みだった、故YUSHIの一周忌にあたる。作品に昇華するにはいまだ生々しいだろうその傷も、YUSHIの遺した謎の言葉を「ソー・ロング(さよなら)」と読ませるタイトル、詩的なリリックやアートワークを通じて、あくまでも寡黙に、コンセプチュアルに表現される。KANDYTOWN名義のミックステープ『KOLD TAPE』では、サックスをフィーチャーしたバンドサウンド、大橋純子の“キャシーの噂”といった昭和歌謡、JAY-Zやディアンジェロなどの90’Sクラシックをひょうひょうとビートジャックする、自由奔放な実験が繰り広げられていた。『SOUL LONG』のストイックなサウンドとワード・チョイスはおそらく、確固たるスタイルの美学に従って構築されている。

 KANDYTOWNのベースにシティ・ポップス的な洗練の美学がある、というのは、けして表面的な直感だけにとどまらない。1980年代に誕生したシティ・ポップスという日本独自のジャンルを牽引した大瀧詠一や山下達郎といったミュージシャンは、アメリカから遠く離れた島国で、本来は借りものであるソウルやドゥーワップ、ロックンロールなどの海外音楽のエッセンスを抽出し、綿密な計算にもとづいて、なかばフィクショナルに都市的な洗練を演出しようとしていた。それは同時に、直前の学生運動の熱狂、そしてその運動に同期したフォーク・ミュージックの情念や直接的なポリティカル・メッセージから意識的/無意識的に距離をとり、自分たちの新たなリアリティを創造する試みでもあった。

 海外音楽をヒントにした新たなリアリティの創出、というその伝統の遺伝子は、90年代来の日本のヒップホップのルーツにも、もちろん強く刻印されている。そもそもヒップホップのサウンドは、ジャズやソウル、ファンクの偉大な遺産を切り刻み、自分勝手なフレッシュさで再構築するという不遜な哲学にもとづいているけれど、参照先の音楽的遺産がもとより輸入文化である日本では、その情熱はいよいよレコードというフェティッシュなモノへのネクロフィリック(屍体性愛的)なものにならざるをえない。掘りおこした黒いヴァイナルに封印された異国の音楽の屍骸をむさぼり、その音の魔力を血肉化して、自分たちの新たなリアリティの発明を試みる若者たち。そのとても豊かで、どこか屈折した光景は、日本のヒップホップにとっての、愛すべき原風景でもある。

 おそらく、リアリティ・ラップの台頭をうけて最近よく口にされる、裕福なフィクションの時代が終わり、より切実なリアルの時代が始まった、という一見わかりやすいストーリーそのものが、ひとつの罠なのだ。なぜならヒップホップの母胎となった1970年代のニューヨークのゲットーは、警察も立ち入れない、ギャングによる熾烈な内戦状態にあった。いくら経済格差が拡大しているとはいえ、数字上の治安状態としてそこまでの荒廃を経験してはいないはずの日本から、生々しいラップ・ミュージックが生まれる理由は、なし崩しに下降線をたどる自分たちの社会の現実に、ゲットーという虚構=フィクションの補助線を引くことによって、初めて理解される。いかなる切実なリアリティも、リアルにフィクションを足すことなしには存在できない。客観的に現実を切り取ろうとするドキュメンタリーさえ、作り手の主観なしにはけして成立しないように、ここには、リアルとフィクションをめぐる、根源的な秘密がある。

 そして、ヒップホップにおいてそのリアルとフィクションの配合の秘密は、誰もが知るひとつの言葉で表現される。つまり、スタイル、と。いみじくも「スタイル・ウォーズ」という言葉に端的に表れている通り、ヒップホップにとってスタイルとは、けして表層的な飾りではない。明確な意志で選びとられたスタイルこそが、リアルに拮抗するリアリティを創りだし、やがてリアルそのものを変えていく。東京の地下のクラブで、物静かなベッドタウンで醸成された異国由来の夢は、いまその狭い空間から溢れ出し、震災後の東京の真っ暗な路上を覆おうとしている。このロマンティックなドラマは、リアルから逃避するのではなく、リアルをなぞるのでもなく、リアルに牙をむいているのだ。

 KANDYTWONのホームである世田谷区喜多見は閑静な住宅街だ。そこから大規模な再開発によってバブリーな賑わいをみせる二子玉川を抜けて、さらに多摩川を下流にそって橋を渡ると、東京近郊のリアリティ・ラップの雄、BAD HOPを擁する川崎市がある。デ・ラ・ソウルやパブリック・エネミーら、ロングアイランド郊外のサバービア・ヒップホップに対し、インナーシティのプロジェクトから突きつけられたのが、Nasのハードコア・ラップだった。KANDYTOWNが提示するのは、むしろ東京の山の手エリアの音楽的な歴史の蓄積の豊さだ。そこには、ニューヨークと東京の地政学的なズレを背景とした転倒がある。音楽の力学は、都市の力学の反映でもあるのだ。音とイメージはからみあい、ほどけ、予想もしない仕方で連鎖する。

 そして2015年のもうひとつのビッグ・ハイプは、また別な架空の街をつくりあげたYENTOWNのクルーだった。トラップをドラッギーかつフレッシュなスタイルに昇華した彼らの本格的な活動も、今年は期待されている。それにシーンは違うけれど、SUCHMOSのフロントマンであるYONCEのインタヴューなんて、茅ヶ崎のフッドへの愛着やあけっぴろげな上昇志向、社会に中指を立ててみせる挑発的な態度などなど、完璧にヒップホップ的なストリート・マナーで笑ってしまうほどだ。2016年の東京は大きく動くだろう。自由な想像力が、Googleの無味乾燥なマップを上書きし、街を塗り替えていく。異なるスタイルと異なるリアリティがせめぎあう、その衝突のなかで、10年代のリアルは生まれようとしている。時代を語るヒマがあったら想像力を語れ、この音の強靭な美学はそう告げている。

Miki Yui - ele-king

 音楽とアートとの関係は、生活のただなかに生まれる「意識」とともにある。意識は変化と同義であり、生活とは、当然、生と同義である。変化と生。つまりはアート・オブ・ライフというわけだ。アートは高尚な芸術というだけではない。それは生きていることにまつわる表現=生産行為であり、もしくはその隙間に潜む過剰さでもある。だからこそ人が、それぞれさまざまな生き方をするように、アートもまた「違う方法」を考え、生み出されていかねばならない(同時に、それはただのスキャンダラスを意味しない。あのウォーホルも、何より別の手法と新しいコンセプトを生みだすことで世界を一新したのだから。スキャンダラスなだけの行動は、そのほとんどが凡庸である)。

当然、音楽というアートも同様だ。音を鳴らすこと。それはある意味、何かを叩けばいい。ではそこに表現としての自律性や浸透性や持続性を、どう付与すればいいのか。その方法を「考えること」が「アート」であり、それは人生において誰にも平等に与えられた「権利」にすら思える。生産=芸術にまつわる権利と言い換えてもいい。
その意味で、デュッセルドルフ在住のミキ・ユイの作り出す音たちは、アートそのものである。00年代初頭にマイクロ・スコピック時代の〈ライン〉からアルバムを2作リリースしていた彼女だが、最新作『オシラ』は、さらに高次の次元に移行している。1曲め“チャノ(Cyano)”がはじまった瞬間にそう確信をした。まるで、架空の生物たちが生まれ、舞い、蠢くさまが、幽玄で柔らかい音の連なりとして生成しているのだから。じつに見事な音響・音楽作品であり、しなやかな佇まいのアート作品といえよう。

 その「しなやかさ」の理由は、持続音や環境録音、ビートなどが、けっして固定されることなく、先行するいくつもの音楽とは「違う方法」でコンポジションされているからではないかと思う。そう、この作品は単なるアンビエントではない。音のフィギュールは、まるで透明な空間の中で分解され、宙に舞うように「違う方法」で再構成されていくのである(たとえば、3曲め“ボーデンフェルド(Bodenfeld)”から4曲め“オシラ(Osicilla)”へと連なる環境音とサウンドの交錯!)。その結果、アンビエントであっても安易な癒しではなく、ビートであってもありきたりな律動から離れ、ノイズであっても「しなやか」に再生成されていくのである。
 私は、そのような音響交錯=工作の手つきを、サウンド・アートならぬミュージック/アートと名づけたい衝動にかられる。柔らかいのに、たしかな存在感のあるその音たち。その生成。聴き込むほどに、耳に、体に浸透していく不思議な音の魅力。それはミキ・ユイの「人/生」から生まれた「方法=アート」によって鳴っているように思える。だから自然なのだ。

 そして本作は、5曲め“アニマトスコープ(Animatoscope)”など、ときにクラウトロック的なビートも聴かせてくれる。当然、そこに彼女とクラウス・ディンガー(ノイ!)の関係をつい読み取ってしまいたくもなるが(クラウス・ディンガーのパートナーでもあった彼女は、晩年のプロジェクトで遺作にもなった『ジャパンドーフ』に参加しており、没後、クラウス・ディンガーの作品集を編集・出版している)、やはり大切なことはクラウトロックと日本、音響実験とロックを「違う方法」で越境している点にある。なんという水の中でフローティングするようなモータリック・ビートなのだろうか。そのうえ、“アニマトスコープ”は途中でビートが(あたかも幽霊のように?)ミュートするのである。
 そう、何より大切なのは、その音たちが、とても自由な優雅な(個人としての)実験性を称えている点である。そもそもクラウトロックと呼ばれたドイツで生まれた実験性を伴ったロック・ミュージックは、そんなアート・オブ・ライフを象徴するような「自由さ」の象徴ではないか。だから「歴史」を背負っていても重くないのだ。

 商業音楽が巻き起こす猛威から抜け出し、真夜中に行う、もうひとつの、音の遊戯。実験とは何か、などと難しく考える必要はない。別の方法で/の音を楽しむこと。かのシュトックハウゼンだってワクワクしながら電子音を混成させていたはずだ。そこに大文字の芸術の歴史には回収されない実験/遊戯の系譜としてのミュージック/アート・オブ・ライフが生まれる。本作には、そんな見事な音のゆらめきがある。生活の中で、ひっそりと、そして、いつまでも鳴らしていたい音楽だ。

 最後に、本作のマスタリングを手がけたのは、ラシャド・ベッカーであることも記しておく。

KOHH - ele-king

 友達は毎日のようにしてる犯罪
 薬物の売人とか色んな人たちがいる
 あの子の父親 あの子の母親 いまごろ刑務所の中
 俺たちも馬鹿 笑っていたいけどいつかはお墓に入る
 天国にも地獄にも持っていけない財布
 俺たちは一人で生きるこの人生
 でかいと思ってたものも近くで見ると実はちいせえ
 たくさんいるひとりの人間
 ひとりで死んで みんなで生きてる
“一人”

 ああ、もうこんなところまで来てしまったのか、というのが最初の感情で、その感覚はリリースから3ヶ月たったいまでも、ずっとつきまとっている。たぶんこれからもしばらくは薄れることはない。もうこんなものができてしまったのか。ほんとに、あっというまだ。

 音と言葉。それらは本来、同じものだ。なにかがひらめき、息を吸って、喉をふるわせ、舌をうごかし、唇をひらく。あるいはその逆。無意識に口をついてでた音が、ある意味をつくりだして、それに驚いたり、なにか理解したりする。叫びやつぶやきは、それ自体が言葉であり音楽だ。
 シンセサイザーとドラムマシン。人間が作り出した機械は、とっくの昔に人間の模倣をやめた。生身の肉体にはけして演奏することのできない音色とリズム。プログラムとインターフェイスが、人間そのものをつくりかえる。感情をデジタライズし、マシンをからだの一部にする。人間に制御できない未知のテクノロジーが、自然界には存在しないミュータントを生み出すように。

 『DIRT』と名づけられた、マシンのビートと人間の肉声による13曲。しなやかだ。そして鋭利だ。ユーモアも忘れてない。ドロドロしてる。渇いている。熱っぽくて、でも醒めている。法律的な意味で悪くて、それでいてとても倫理的だ。薬物。嘘。欲望。裏切り。暴力。それはどこにでもある。慈愛。幸福。赦し。感謝。これもありふれたことだ。騙すのも盗むのも悪いことだと知りながら、それでもみんな騙したり盗んだりする。世界がゆがんでいるのはそんな自分たちの仕業だ。神様を信じていない人間も原罪の感覚を抱く。犯罪。懲罰。奪うこと。わけあうこと。モラルの意味を考える。わかんなくなる。ぞっとする。声をあげて笑う。

 ラップはラップというよりは、ヴォーカリゼーションの極限を探求している。死の瞬間のような絶叫。耳をくすぐるつぶやき。電気を帯びたような歌声。一音一音まで研ぎすまされたトラックが精密なマシンのように駆動している。凶暴なベースの蛇がうねる。ハイハットの針が鼓膜を刺す。感情のないグリッチノイズ。無感覚なアンビエントの音色。機械の冷たく完璧な音のうえで、不完全な人間の声が踊り、交差し、破裂する。打楽器のビートにあわせて人間が喋る/歌う、たったそれだけの普遍的なアートを、わざわざラップだなんて呼んでいるのが、ばかばかしくなる。

 生と死。そう言葉にするのはかんたんだ。だけど、ほんとは誰もそれを知らない。物音。光。匂い。感触。味。五感が伝えるものは確かなのに、つかまえようとすれば逃げていく。音である言葉。言葉である音。言葉でできているのに、それは言葉じゃない。音でできているのに、それは音じゃない。大切なのはイメージだ。想像するって言葉の意味を想像しろ(Imagine the meaning of Imagine)。

             *

 「すべての美は傷から生まれる」
 パリ生まれのそいつは泥棒で、少年院でホモ・セクシャルに目覚めて、18才で軍隊に入って脱走し、投獄と放浪を繰り返して終身刑を宣告され、それでもデッチあげの日記で有名になって大統領の恩赦をうけ釈放されて、晩年はブラックパンサーとパレスチナの蜂起に身を捧げた。根性焼きの痕。包丁の傷。肌に安全ピンと墨汁で彫った落書き。それを隠すために、マシンの針でインクを流しこむ。皮膚に刻まれた美しいアートは、呼吸にあわせてうごめく。いちばん最初の傷は消えるわけじゃない。生き物みたいな自傷の絵画の下に、ずっと残っている。けして癒えることない傷口。それは女の性器に似ている。

 「たったひとりの女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。一人ぼっちの。一人の女の子の落ち方というものを」
 河原の白骨死体を囲む子供たち。暴力、薬物、幼いセックス。おたがいに傷つけあって、だけどその痛みには気づかない。20年前、東京生まれの女がそんな物語を書いた。郊外の団地。たなびく工場の煙。排水で濁った河。時代は変わっても、場所は残る。リバーズ・エッジ。さっきまでそこにいたのはひとりの少年だ。ただしいまは、落ちていくところじゃなくて、たくましく成長して、どんどん上に昇っていくところ。

 「飢えた子がいなくて芸術は可能なのか」
 昔むかしアフリカの飢餓をみて、飢えた子どもを前に文学は可能か、といったマヌケな哲学者がいた。どうやらそいつは、圧倒的な現実の前では、文化や芸術は無力だ、と言いたかったらしい。とんでもないバカだ。その衰弱した問いは、正しく逆転させられなきゃならない。圧倒的な現実なしに、はたして価値ある芸術は生まれるのか、と。カップラーメンと、醤油をかけた白い飯。父親がいない。母親がいない。空腹にたえかねて犯罪をする。シンナーとマリファナの匂いを嗅ぐと保育園のときを思い出して、子どもの頃に見ていた白い粉の正体を物心ついてすぐ理解する。つくりものの言葉や文化がすべて意味を失う。そんな現実からこそ生まれる芸術がある。

             *

 じゃあ戻ろう。I-DeAプロデュースの“BE ME”。アルバムで最初で最後の強烈な叙情。ざらつくギターに誘われて、モーリス・アルバートの“FEELINGS”がセンチメンタルに鳴りひびく。「わたしは愛の感情を忘れようとしている」。この寂しさは決意の伴侶だ。ストリングスの哀愁を、キックとスネアが余裕をもって追いかけていく。エフェクトのかけられてない生の声。ヴォーカルの音量が大きい。吐き出される言葉に躊躇はない。素朴さと、刻々と変化していく確信に満ちている。これだけでもう、じゅうぶんだ。

 以降のサウンドはすべて最新のトラップ。“DIRT BOYS”は香港の言葉では「汚垢男孩」。オリエンタルで金属的なループに、硬質で隙間のある空間的なビート。阿片戦争でイギリスに征服されて繁栄し、いまは中国共産党から弾圧される都市のゲットーで、旧大日本帝国の末裔のチェイン・ギャングたちが歌っている。中華料理店の厨房にぶらさがる生首のラップは、最近のUSシーンの軽薄なエキゾティシズムの搾取への、痛烈なカウンターだ。USのトレンドを手当り次第に奪いまくっているうちに、ついに驚異的に異形なパスティーシュをつくりだしてしまった。こんなもの、アメリカ人にはつくれっこない。

 きっと誰もがびっくりする、“一人”や“社交”の電気を帯びたような歌声も、盗品だ。もともとの持ち主は、アトランタのYOUNG THUG。だけど奪ってきたものは、もう誰のものでもない。まるで子どもが泣きながら歌っているような声だ。言語能力が未発達な子どもは、泣き声だけで自分の感情を伝えようとする。だから泣き声というのは、もっとも切実なコミュニケーションだ。電気がほとばしるように、声が感情を放電し、びりびりと鼓膜を感電させる。語族不明の孤児言語である日本語による、いままで誰も聴いたことのない歌。

 USシーンへのカウンターというなら、最高に盗人猛々しいのは“LIVING LEGEND”。咆哮フロウのオリジネイター、OG MACOと同じDEEDOTWILLのビート。耳を引き裂くディストーション。みぞおちをえぐるベース。これは完全にラップによるパンクだ。シンプルな韻律に従って、直情的に言葉が放り出される。合衆国の文化的な植民地である極東の島国のラッパーが、本土アメリカのアーティストを笑いながら脅かしている。ふつう「LIVING LEGEND」といえば「LEGEND」のほうが強調されるものだけど、KOHHは「LIVING」ばかり何度も繰り返している。

 死んだら意味ない。生きてるのがいい。その生の感覚は、死の輪郭をなぞって確かめられる。2PACの言葉を引き継ぐ“IF I DIE TONGHIT”。金のために悪いことをする/いや、悪いことをしなくても。ガムテープで手足を縛られ、車のトランクに詰められる。最後はピストルかナイフか鉄パイプ。あるいは車が突っ込んで。そうじゃなくたって生の結論はいつも死だ。みんないつか死ぬ。それは今夜かもしれない。だとしても/だからこそ、ラップは楽しげだ。アウトロのホラーコアじみたコーラスは圧巻。3人のマイクリレーなのに、ひどく孤独。

 ハイライトは、生と死のテーマがもっともストレートに吐き出される“NOW”、そして“死にやしない”。オーヴァードーズで死んだシド・ヴィシャス。猟銃をくわえて頭を吹き飛ばしたカート・コベイン。剃刀で耳を切り取ったヴァン・ゴッホ。異常者に撃ち殺されたジョン・レノン。たいていみんな銃か薬物に殺される。ドラッグはコカインやヘロイン、日本ならやっぱりスピード。そんなことばかりやってたらすぐに死んじゃうから、LSDを舌で溶かして音をつくり、絵を描く。金を稼いで新しい女と出会う。いつかピカソのように死ぬまで。誰かを憎むのは、いつまでも同じ場所にいる奴だけだ。なにをするのもすべて不自由で自由。愛するのも殺すのも。

 明日なんていらない、とKOHHが歌うとき、それは文字通りの意味だ。明日という概念自体が存在しない。明日も明後日も、その後もずっと、死ぬまでの未来のすべてが、現在だ。死の瞬間まで永遠に続く現在を生きるならば、肉体後の不滅さえ信じられるだろう。これは、明日をも知れないから今日を楽しむ、という古きよきハードコア・ヒップホップのニヒリズムとは決定的に違う。未来を否定して現在を肯定するのではない。現在への圧倒的な肯定によって、むしろ未来の概念そのものを書き換える。トラップ以降のシンプルな日本語だけで、Nasのあの有名なパンチライン「人生なんてくだらない(LIFE IS A BITCH)」を更新してしまっている。

               *

 『DIRT』はまぎれもなく、21世紀の日本で誕生したばかりのゲットー・リアリズムだ。KOHHはしかし、日本的な情緒にうったえて叙情の涙を誘うのではなく、最新のフロウを駆使してプリミティヴな感情をえぐりだす。そもそも彼はトラップ・ラッパーだ。トラッシュな言葉を並べたて、ナンセンスなジョークを平然と口にし、誰もが嫌悪する下世話なリアリティを歌う。ドラッグにハイファッション、女たちと犯罪。それは使い古された既存のストーリーへのアンチテーゼだ。無意味による意味への襲撃だ。真顔で口にされた言葉が、次の瞬間にはひっくり返される。彼のリアリズムはけして、おざなりの感動の物語をなぞることはない。

 犯罪と貧困。売人や中毒患者。刑務所にいる誰かの父親、誰かの母親。そんな光景を描く“一人”は、もっとも音楽的な実験性に溢れる曲でもある。まずもって驚くのは、その斬新なフロウの複数性。涙声のような歌の叙情は、地声のラップの乾いた笑いによって切り裂かれる。それに、キックもスネアもかき消してしまう強烈なベース。その奇妙な浮遊感に煽られて、いっさいの物語から解放された不定形な感情の塊が、目には見えないオブジェのように宙を舞っている。これはリアリズムのナイフで彫刻された、音と言葉によるアブストラクト・アートだ。圧倒的で、繊細なものが浮き彫りにされているけれど、それにありきたりの名前を与えることはできない。

 制作方法でいえば、このアルバムのいくつかの曲は、一度も文字になってない。KOHHはリリックをいっさい書き留めずに、いくつかのフレーズだけをその場で暗記して何度か復唱し、あとは直感のままにレコーディングしている。最近のUSのラッパーたちがよく使う手法だ。フリースタイルでライヴ感を出そうというのではなく、創作上の方法論として無意識のインスピレーションをすくいとろうとしている点で、むしろシュルレアリスムの自動筆記に近い。あるひとりの人間の脳裏にひらめいた言葉が、ノートにも、iPhoneの画面にもつかまらずに、そのままステレオを振動させ、音になって鼓膜までとどく。かつてアンドレ・ブルトンに毛嫌いされてシュルレアリスム運動から排除された音楽は、いま日米のゲットー・カルチャーのまっただ中で、そのオートマティスムを現代的に蘇生させつつある。自意識の鎖から解き放たれた視線は、生々しい傷を至近距離で見つめながら、物語の涙に溺れることを拒否して、瞬間ごとに生成する感情をリアルに写しとっている。見事だ。ああ、もうこんなものができてしまったのか。

               *

 ヒップホップ映画のクラシック『ワイルド・スタイル』が日本で上映されたのは、もう30年以上も前のことだ。当時、世界一の経済的安定を謳歌していた日本は、バブルの狂騒と崩壊を経験し、その後のながいながい経済停滞は、社会全体の地盤沈下をともないつつ、「失われた10年」から「失われた20年」へとその呼び名を変えた。だから、もうこんなところまで来てしまったのか、というのは、ひとりのアーティストの成長への驚きというだけじゃなくて、この社会の変化に対する嘆息でもある。いつのまにか、こんなところまで来てしまった。ほんとに、あっというまだ。

 はっきりと言っておく。ヒップホップ創成期1982年のグランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴの“THE MESSAGE”以来、ラップ・ミュージックは、ゲットー・ミュージックだ。1950年代のリズム&ブルースがそうであったように。1970年代のファンクがそうであったように。この音楽は社会の傷口から生まれた。すくなくとも、その始まりにおいて。ラップはゲットーに鳴りひびく銃声に負けないように、ヴォーカルの声を破裂させた。傷口を癒すハーモニーを捨て、痛みを吹き飛ばすほどの快楽を求めた。始まりの傷を忘れてしまえば、音楽は子どもを楽しませるだけの玩具になる。逆に傷に支配されてしまうなら、それは老人の感傷を慰めるだけの標本になる。どちらにせよ、ただのグッド・ミュージックだ。ゲットー・ミュージックは、けして傷を忘れず、かといって傷の奴隷にもならない。ラップはいまだゲットー・ミュージックだ。すくなくとも、その現在地点において。

 『DIRT』はひとことも社会についてなど歌っていない。表現されているのは、むきだしの感情と、世界中を移動する半径5メートルほどのリアリティだけだ。それでも、そこに見え隠れするアンダークラスの現実は、一億総中流の神話によって隠蔽されてきたこの社会の傷口を、否応なく炙りだしてしまう。それも、爆発的な解放感とともに。社会問題を告発しようとするあらゆるジャーナリズムや政治的な芸術が、どこまでも退屈な凡庸さから逃れられないのは、同情と差別の視線にさらされるその傷が、すべての力の源泉であることを知らないからだ。この音楽は、社会の傷にぎりぎりまで肉迫しながら、同時に、その傷からもっとも自由なところにいる。傷を忘れてはいないが、けして傷の奴隷にもなっていない。

 日本列島の10年代は、2011年の震災で始まり、2020年の東京オリンピックで終わる。そのディケイドもすでに半ばを過ぎ、いまだミドルクラス幻想のノスタルジーにまどろむ日本にとって、この音楽は、強烈な異物だ。「クール・ジャパン」のかけ声のもと、傷ひとつない顔で微笑んでみせるアイドルがチャートを占領し、ただでさえカラオケ文化に支配されて久しいこの島国では、いつのまにか微温的な共感だけがポップ・ミュージックの定義となっている。おびただしいタトゥーや黒社会の影、クランベリージュースで割ったコデイン、マリファナの匂いを隠すファブリーズ、着ている服も隣にいる女もすぐに変わって、周りではまた誰かが捕まり、また誰かが帰ってくる。そんな日常は誰にとっても共感可能なものじゃない。だが、芸術とはそもそも越境のことだ。この世界に引かれたあらゆる境界線を侵犯し、異物=他者に出会い、精神と肉体を爆発的に変化させることだ。

 KOHHがそのダーティであけすけなラップによって切りひらきつつあるのは、日本の新たなポップ・スターのあり方そのものだ。USシーンとの共振のもと、アンダーグラウンドで生まれたこの音楽の射程は、けして地下だけにとどまってはいない。仲間内で媚びを売り買いするクラブの社交会には背中を向け、むしろグローバルなポップ・フィールドをみすえている。このずば抜けたクオリティのアルバムは、突き抜けるようにラフなエンディングで終わっているけれど、才能あるアーティストが最高峰のプロダクション・チームを味方につければ、このくらいの作品は楽しみながらつくれてしまう、ということだろう。メジャー・シーンがますます内向きに自閉していくのに反比例するように、アンダーグラウンド・シーンはいよいよグローバルな進化を遂げつつある。まるでギャング映画を楽しむように音楽を聴く? 冗談じゃない。この最高にクールでポップなゲットー・ミュージックは、いまこの瞬間、この日本で鳴らされている。列島の住人たちは、みずからのリアリティと地続きの、そのよろこばしい戦慄を、まずはぞんぶんに味わうべきだ。

               *

 すべての仕事は売春である、とジャン・リュック・ゴダールは言って、岡崎京子はそこに、そしてすべての仕事は愛でもあります、とつけ足した。誰もが交換可能な商品であること。誰もが唯一無二のアートであること。平坦な戦場(Flat Field)とは、「終わりなき日常」といった時代の気分のことじゃない。それは、終わらないはずの日常が終わっても残る、あるトポスのことだ。大人になれない大人たち。子どものままではいられない子どもたち。男と女。そのどちらでもない誰か。すれ違って傷つけあう。結ばれて慰めあう。つかのまの永遠。惨劇と祝福。銃声と産声。窓の外を見ろ。すべてのことが起きうるのを。

 かつて岡崎京子が世界に冠たる巨大で空虚な消費空間として描き出したメトロポリス東京は、マルセル・デュシャンやジョアン・ミロをこよなく愛する北区王子出身の不良の手によって、こんなにも危なっかしく、楽しげな場所に描きなおされた。永遠に続くかに思えた栄華と閉塞のほころびは、20年前の女の直感どおり、東京郊外の河べり、リバーズ・エッジで生まれた。明暗のコントラストを激しくした大都市は何度もその名を呼ばれ、いま目覚めの時刻を告げられる。TOKYO、TOKYO、TOKYO、TOKYO….

 すべて聴き終えて、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからない。ひとつの社会から、これほどまでに傷だらけで、美しい音楽が誕生することは、もしかすると手ばなしに賞賛されるべきじゃないのかもしれない。まず初めに傷があった。このとてもいびつで、爆発的な自由の感覚を宿した音楽は、傷がなければ生まれなかった。皮膚の傷にインクが染みこみ、タトゥーという生きたアートになるように、ラップ・ミュージックは社会の傷に流れこみ、この歓喜と痛みの声をひびかせる。いちばん最初の傷。与え/与えられる始まりの傷。その傷口にそっくりの女の器官から、すべての命は生まれる。その傷口にそっくりの唇から、すべての言葉は生まれる。血と、音にまみれて。

 信じてもいない神様を憎み、感謝する。
 すべては、傷から生まれたんだ。

  

Inspirations from;
ジャン・ジュネ「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」
岡崎京子「ノート(ある日の)」
中上健次「飢えた子がいなくて文学は可能か?」

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