「iLL」と一致するもの

Ezra Collective - ele-king

 ドラムとベースのコレオソ兄弟を中心に、ジョー・アーモン・ジョーンズも名を連ねるロンドンの五人組、エズラ・コレクティヴの新作『Where I'm Meant To Be』が11月4日にリリースされる。ファースト『You Can't Steal My Joy』から3年ぶりのアルバムだ。サンパ・ザ・グレイト、コージー・ラディカルといったゲストも参加。楽しみに待っていよう。

ジャズと様々なジャンルをシームレスに融合させたサウンドでシーンをリードするUKのクインテット、エズラ・コレクティヴ。名門パルチザン・レコードより、待望のセカンド・アルバム『ホェア・アイム・メント・トゥ・ビー』をリリース。

●ゲスト:サンパ・ザ・グレイト、コージー・ラディカル、エミリー・サンデー、ネイオ

アルバムより、「Life Goes On (Feat. Sampa the Great)」のビデオを公開。
★Ezra Collective - Life Goes On (Feat. Sampa the Great) (Official Video)
https://youtu.be/9sS-QEyLycs

2022.11.4 ON SALE[世界同時発売]

アーティスト:EZRA COLLECTIVE(エズラ・コレクティヴ)
タイトル:WHERE I'M MEANT TO BE(ホェア・アイム・メント・トゥ・ビー)
品番:PTKF3020-2J[CD/国内流通仕様]
定価:未定
その他:世界同時発売、解説付
発売元:ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ

収録曲目:
01. Life Goes On (feat. Sampa the Great)
02. Victory Dance
03. No Confusion (feat. Kojey Radical)
04. Welcome To My World
05. Togetherness
06. Ego Killah
07. Smile
08. Live Strong
09. Siesta (feat. Emeli Sandé)
10. Words by Steve
11. Belonging
12. Never The Same Again
13. Words by TJ
14. Love In Outer Space (feat. Nao)

★Ezra Collective - Victory Dance (Official Video)
https://youtu.be/NiZPsN2pbTM

●Ezra Collectiveは11月4日にPartisan Recordsからニュー・アルバム『Where I'm Meant To Be』をリリースする。『Where I'm Meant To Be』は、Ezra Collectiveのハイブリッド・サウンドと洗練された集団としての個性を昇華させた作品だ。Thelonious Monkの『Underground』をモチーフにしたアルバム・ジャケットをはじめ、楽曲はクールな自信と明るいエネルギーに満ちている。アンサンブル・パート間でのコール・アンド・レスポンスによる会話に満ちたこのアルバムは、長年ステージ上で共にインプロヴィゼーションを行ってきた成果である。Sampa The Great、Kojey Radical、Emile Sande、Nao等も参加したこのアルバムは、汗に満ちたダンス・フロアと夏のディナーのサウンドトラックを等しく明るくする。バンドの2019年デビュー・アルバム『You Can't Steal My Joy』は、ジャズの繊細さとクラシックなサウンドをアフロビート、ヒップホップ、ダンスホールのリズムとシームレスに融合させたサウンドで、イギリスでのジャズ復活の中、彼らを最もエキサイティングなアクトの1つとして確立させた。結果、Rolling Stone、Pigeons & Plane、The New York Times(London)は注目すべき新進バンドのひとつとして、彼らを取り上げた。

●Ezra CollectiveはUKのジャズ・シーンをリードするバンドだ。メンバーはドラムのFemi Koleoso、ベースのTJ Koleoso、キーボードのJoe Armon-Jones、サックスのJames Mollison、トランペットのIfe Ogunjobiの5人。イギリスの音楽教育機関、トゥモローズ・ウォリアーズで出会ったことにより、活動がスタートした。2枚のEPをリリース後、2019年にデビュー・アルバム『You Can't Steal My Joy』をリリース。高い評価を博した。バンドは事実上のスーパーグループで、Ezra Collectiveとしての活動以外でも多忙を極める。ドラマーでバンド・リーダーのFemi Koleosoは今やGorillazのラインナップに欠かせない存在だ。ベースのTJ KoleosoはYazmin Laceyと共演。キーボードのJoe Armon-JonesはMick Jenkinのニュー・アルバムに参加。Nubya Garciaとツアーをおこない、FatimaとのコラボレーションEPをリリースする予定である。サックスのJames MollisonはNala Sinephroのバンドでプレイし、トランペットのIfe OgunjobiはBurna Boyと共に、ソールドアウトのスタジアムでプレイしている。

■More info: https://bignothing.net/ezracollective.html

Waajeed - ele-king

 Waajeed(ワージード)といえば、デトロイト・ヒップホップを代表するプロデューサーのひとりで、J Dillaとともにスラム・ヴィレッジのメンバーであり、PPP(Platinum Pied Pipers)としての作品も知られている。ワージードが、来る11月、ベルリンの〈トレゾア〉からソロ・アルバム『Memoirs of Hi-Tech Jazz』をリリース。まずはアルバムに先駆けて、シングル曲“Motor City Madness”が発表された。ヒップホップとテクノとジャズがブレンドされた素晴らしい曲だ



以下、資料より抜粋。

『Memoirs of Hi-Tech Jazz』は、デトロイトや世界中の黒人居住区における抑圧的なヘゲモニーに対する革命的な取り組みからインスピレーションを得た、レジスタンスを想起させるサウンドスコアである。このアルバムを抗議運動と並行してプレイすることはできるが、音楽は、抑圧の視線の外側に存在する平凡な瞬間により適している。暴力や不正義がまかり通っているが、それは私たちによっての唯一の物語ではない。私たちは、私たちを抑圧するモノどもよりも遙かに多くのものだ。このアルバムは、黒人の余暇と遊びを称えるもので、枯渇する現実にもかかわらず持続する平凡な喜びを表現している。


Waajeed
Memoirs of Hi-Tech Jazz

Tresor


Revenge of the She-Punks Compilation - ele-king

 『女パンクの逆襲』(ヴィヴィエン・ゴールドマン 著/野中モモ 訳)は、このご時世にあって、いや、このご時世だからこそ読まれ続けているのだろう。ディスクガイドでもないしポップスターの評伝でもない、しかも英米白人オンリーでもない、「女パンク」をめぐる言葉は、世界のいろんなところで、それを読んだ女性たちの魂に響き、それを読んだ男性たちの思考に変化を与えているはずだ。
 原書が刊行されてから3年、ついにその本のコンピレーション・アルバムが、来る9月、全28曲、CDで2枚組、アナログ盤で4枚組(そして配信)としてドイツのレーベルからリリースされることになった。

 以下、ヴィヴィエン・ゴールドマンの言葉を抜粋。

   本書は、英米圏に限らず、アフリカ、カリブ海、アジア、東欧、中南米、ヨーロッパ大陸で活動する女性たちによる38曲の歌の背景を語ることで、家父長制の迷宮である音楽業界を突破するためのひな形を提供するものだ。手本となるものが皆無か、もしくはほとんどないなかで、いかに女たちがいち音いち音に新しい基準を打ち立て、閉塞状況に風穴を開け、伝統や期待を打破しながら自己表現のできる音楽家となったかのかを著している。残念ながら、そのすべての音楽を収録することはできなかったものの、ここに心揺さぶる代表的な作品を紹介することができた。この本の核となるテーマ、つまり、どこにいても私たちをつなぐ、生きるための基本的な事柄について、世界中の女性アーティストたちがどのように心を動かされて歌っているかがわかるだろう。 (略)  このコンピレーションのシークエンスにおいて重要なことは、歌詞よりもリズムとサウンドに導かれ、私たちの創造性の幅を音で表現することだった。私のパンクに対する見解は、このジャンルを熱狂的な音の総攻撃として崇拝する向きに固執することではない、むしろその精神に基づいている。とくに女性アーティストの道は男性のそれよりも険しいことが多々ある。(略)しかし、これらのトラックで聴けるように、そのあらゆる形態において、激しいサウンドであろうと柔らかいサウンドであろうと、パンクは抵抗の音楽であり、女性のパンクはとくにそうなのだ。  私たちは、アメリカで、そして長いあいだ女性に抑圧的であることで知られていた国々でも、とくに同一賃金や中絶に関わる問題など、人間の基本的な能力が複数の面で攻撃を受けているシステムを変えようと、自分たちの音楽を用いて憤怒しつづけている。創造性を諦めず、音楽をもって環境を整え、自分の空間を作り自己実現したアーティストとして生きてきた女性たちの、とても必要で、しかも多くの場合、あまり知られていない声へようこそ。

ヴィヴィエン・ゴールドマン


Various Artists
Revenge of the She-Punks Compilation

Inspired by the Book by Vivien Goldman
2-CD / 4-LP and Digital Download – Released September 30th 2022 on Tapete Records
https://shop.tapeterecords.com

Tracklist
1) Tanya Stephens – Welcome To The Rebelution
2) Au Pairs – It’s Obvious
3) X-Ray Spex – Identity
4) Fea – Mujer Moderna
5) The Bags – Babylonian Gorgon
6) Fértil Miseria – Visiones de la Muerte
7) Crass – Smother Love
8) Rhoda with The Special AKA – The Boiler
9) Jayne Cortez and the Firespitters – Maintain Control
10) Skinny Girl Diet – Silver Spoons
11) Big Joanie – Dream No 9
12) Malaria! – Geld
13) The Slits – Spend, Spend, Spend
14) Poison Girls – Persons Unknown
15) Bush Tetras – Too Many Creeps
16) Grace Jones – My Jamaican Guy
17) Patti Smith – Free Money
18) Tribe 8 – Checking Out Your Babe
19) Cherry Vanilla – The Punk
20) Blondie – Rip Her To Shreds
21) Sleater-Kinney – Little Babies
22) The Selecter – On My Radio
23) Mo-Dettes– White Mice
24) Shonen Knife – It’s A New Find
25) The Raincoats – No One’s Little Girl
26) Vivien Goldman – Launderette
27) Zuby Nehty – Sokol
28) Neneh Cherry – Buffalo Stance

新世代ホラー2022 - ele-king

いま注目のホラー監督を一挙紹介!!

この夏、続々と公開される新時代のホラー映画!
鬼才ジョーダン・ピールをはじめ、いま注目のホラー作家たちをまとめて紹介!!

■2022話題の新作紹介
『女神の継承』(『哭声/コクソン』のナ・ホンジン原案・プロデュース)
『ザ・ミソジニー』(『リング』『霊的ボルシェビキ』の高橋洋監督)
『哭悲』(世界が戦慄した容赦なきエクストリーム・ホラー)
『X エックス』『ブラックフォン』(現在最重要プロダクション「A24」新作)
『戦慄のリンク』(「Jホラーの父」鶴田法男監督による中国ホラー)ほか

■インタヴュー
高橋洋(『ザ・ミソジー』『恐怖』『霊的ボリシェビキ』(監督)『リング』(脚本))
佐々木勝己(『真・事故物件/本当に怖い住民たち』)

■最新ホラー監督名鑑
ジョーダン・ピール、ジェームズ・ワン、アリ・アスターをはじめ現在注目のホラー作家を一挙紹介!

■執筆陣
伊東美和/氏家譲寿(ナマニク)/片刃/児玉美月/後藤護/高橋ヨシキ/てらさわホーク/中原昌也/はるひさ/ヒロシニコフ/真魚八重子/丸屋九兵衛/三田格/森本在臣/柳下毅一郎/山崎圭司

目次

巻頭特集 新世代ホラーの旗手 ジョーダン・ピール
 ・FILM REVIEW 『ゲット・アウト』(高橋ヨシキ)/『アス』(後藤護)
 ・作家論 ジョーダン・ピールと陰謀論の導入(三田格)
コラム
ブラック・ホラーの系譜(丸屋九兵衛)

特集 2022年夏の新作
『哭悲/SADNESS』(ヒロシニコフ)
『女神の継承』(真魚八重子)
監督名鑑 ナ・ホンジン(真魚八重子)
『ザ・ミソジニー』(柳下毅一郎)
高橋洋インタヴュー(取材:柳下毅一郎)
『戦慄のリンク』(森本在臣)
『ブラック・フォン』(山崎圭司)
監督名鑑 スコット・デリクソン(山崎圭司)
『X エックス』(伊東美和)
監督名鑑 タイ・ウェスト(伊東美和)

コラム
「アートハウス・ホラー」──A24の快進撃(伊東美和)
重要ホラー映画プロダクション(ヒロシニコフ)

新世代ホラー監督名鑑
 ジェームズ・ワン(高橋ヨシキ)
 ロブ・ゾンビ(高橋ヨシキ)
 イーライ・ロス(てらさわホーク)
 ブランドン・クローネンバーグ(森本在臣)
 アリ・アスター(後藤護)
 ジュリア・デュクルノー(真魚八重子)
 マイク・フラナガン(氏家譲寿(ナマニク))
 アダム・ウィンガード(氏家譲寿(ナマニク))
 ジョコ・アンワル(氏家譲寿(ナマニク))
 リー・ワネル(氏家譲寿(ナマニク)
 サイモン・バレット(氏家譲寿(ナマニク))
 ケヴィン・コルシュ& デニス・ウィドマイヤー(氏家譲寿(ナマニク))
 S・クレイグ・ザラー(中原昌也)
 アナ・リリ・アミリプール(氏家譲寿(ナマニク))
 ジェニファー・ケント(はるひさ)
 ロバート・エガース(氏家譲寿(ナマニク))
 ソニー・ラグーナ(氏家譲寿(ナマニク))
 ジェイソン・レイ・ハウデン(片刃)
 テッド・ゲーガン(ヒロシニコフ)
 ブライアン・ポーリン(ヒロシニコフ)
 ジョー・ベゴス(ヒロシニコフ)
 ソスカ姉妹(ヒロシニコフ)
 RKSS(Road Kill Super Star)(ヒロシニコフ)
 アドリアン・ガルシア・ボグリアーノ(はるひさ)
 ジョー・リンチ(はるひさ)
 オネッティ兄弟(森本在臣)
 パノス・コスマトス(片刃)
 ロバート・ホール(ヒロシニコフ)
 トミー・ウィルコラ(はるひさ)
 ドリュー・ボルディック(ヒロシニコフ)
 デヴィッド・ブルックナー(片刃)
 アダム・グリーン(はるひさ)
 ライアン・ニコルソン(ヒロシニコフ)
 マーカス・コッチ(ヒロシニコフ)
 ジェシー・T・クック(ヒロシニコフ)
 フレッド・ヴォーゲル(ヒロシニコフ)
 ジャフ・リロイ(ヒロシニコフ)

INTERVIEW 佐々木勝己(取材:ヒロシニコフ)

FILM REVIEWS
 『キャビン』(後藤護)
 『クワイエット・プレイス』(森本在臣)
 『スクリーム(2022)』(山崎圭司)
 『テルマ』(児玉美月)
 『ラストナイト・イン・ソーホー』(森本在臣)
 『ドント・ブリーズ』(森本在臣)
 『ジェニファーズ・ボディ』(氏家譲寿(ナマニク))
 『バクラム 地図から消された村』(片刃)
 『パージ(シリーズ)』(森本在臣)
 『ファブリック』(片刃)
 『THRESHOLD』(森本在臣)
 『マニアック・ドライバー』(森本在臣)
コラム お薦め配信作品10選(はるひさ)

オンラインにてお買い求めいただける店舗一覧
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Rakuten ブックス
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TOWER RECORDS
紀伊國屋書店
honto
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Alchemy Records - ele-king

 JOJO広重が1984年に大阪で設立した、関西アンダーグラウンド・シーンを代表するレーベル〈Alchemy〉。自身がリーダーを務める非常階段をはじめ、赤痢やハナタラシ、THE原爆オナニーズや想い出波止場など多くのバンドを送り出してきた同レーベルだが、そのリイシュー・プロジェクト「Alchemy Records Essential Collections」が始動している。
 すでにCDがリリースされ、秋にLPの発売が予定されているものに SOB階段『NOISE,VIOLENCE & DESTROY』、Slap Happy Humphrey『Slap Happy Humphrey』、Angel'in Heavy Syrup『Angel'in Heavy Syrup』、ほぶらきん『グレイテストヒッツ』、赤痢『私を赤痢に連れてって』の5作がある。
 また、Angel'in Heavy Syrup「僕と観光バスに乗ってみませんかc/w春爛漫」(7”)、赤痢『PUSH PUSH BABY~LOVE STAR』(CD/LP)、シェシズ『約束はできない』(LP)、想い出波止場『水中JOE』(LP)、ウルトラ・ビデ『ザ・オリジナル・ウルトラ・ビデ』(LP)の5タイトルも今秋から来年にかけリリース予定。詳しくは下記よりご確認を。

1984年にJOJO広重(非常階段 他)が設立した〈Alchemy Records〉のリイシュー・プロジェクト!

1984年6月にノイズ・ミュージシャンであるJOJO広重が設立した〈Alchemy Records〉。リリース作品はJOJO広重がリーダーをとるバンド非常階段のアルバムをはじめ、ノイズ、パンク、サイケデリックなど幅広いジャンルをフォローしています。
その関西のインディーの雄、〈Alchemy Records〉の代表的なアーティスト/アルバムのリイシュー企画「Alchemy Records Essential Collections」がこの度始動します。


アーティスト名:SOB階段
タイトル:NOISE,VIOLENCE & DESTROY
フォーマット:CD / LP
レーベル:P-VINE
発売日
CD:2022年6月2日(水)
LP:2022年10月19日(水)
品番
CD:ALPCD-1
LP:ALPLP-1
価格
CD:¥2,750(税込)(税抜:¥2,500)
LP:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き
★CD盤限定ボーナストラック収録

■トラックリスト
01. INTRODUCTION
02. NOT ME
03. SUDDEN RISE OF DESIRE
04. TRAP
05. FUCK OR DIE
06. NOISE, VIOLENCE&DESTROY
07. RISING HELL
08. LOOK LIKE DEVIL
09. NEVER AGAIN
10. TO BE CONTINUED
11. NEVER AGAIN *CD盤限定ボーナストラック
12. EPILOGUE *CD盤限定ボーナストラック


アーティスト名:Slap Happy Humphrey
タイトル:Slap Happy Humphrey
フォーマット:CD / LP
レーベル:P-VINE
発売日
CD:2022年6月2日(水)
LP:2022年10月19日(水)
品番
CD:ALPCD-2
LP:ALPLP-2
価格
CD:¥2,750(税込)(税抜:¥2,500)
LP:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き
★CD盤限定ボーナストラック収録

■トラックリスト
01. 地平線
02. たとえばぼくが死んだら
03. 逆光線
04. センチメンタル通
05. G線上にひとり
06. みんな夢でありました
07. 蒼き夜は
08. ふるえているね
09. スナフキンのうた(Slap Happy Humphrey Ⅱ) *CD盤限定ボーナストラック


アーティスト名:Angel'in Heavy Syrup
タイトル:僕と観光バスに乗ってみませんかc/w春爛漫
フォーマット:7inch
レーベル:P-VINE
発売日:2022年10月19日(水)
品番:ALP7-1
価格:¥2,255(税込)(税抜:¥2,050)
★初回完全限定生産

■トラックリスト
A. 僕と観光バスに乗ってみませんか
B. 春爛漫


アーティスト名:Angel'in Heavy Syrup
タイトル:Angel'in Heavy Syrup
フォーマット:CD / LP
レーベル:P-VINE
発売日
CD:2022年7月6日(水)
LP:2022年11月2日(水)
品番
CD:ALPCD-3
LP:ALPLP-3
価格
CD:¥2,750(税込)(税抜:¥2,500)
LP:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き
★CD盤限定ボーナストラック収録

■CD/LPトラックリスト
01. S.G.E (Space Giant Eye)
02. きっと逢えるよ
03. ぼくと観光バスに乗ってみませんか
04. Underground Railroad
05. My Dream
06. Crazy Blues(bonus track) *CD盤限定ボーナストラック


アーティスト名:ほぶらきん
タイトル:グレイテストヒッツ
フォーマット:CD / LP
レーベル:P-VINE
発売日
CD:2022年7月6日(水)
LP:2022年11月2日(水)
品番
CD:ALPCD-4
LP:ALPLP-4
価格
CD:¥2,750(税込)(税抜:¥2,500)
LP:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き

■CDトラックリスト
01. 私はライオン
02. いけいけブッチャー
03. 牧場の少女
04. アックンチャ
05. 山はサンタだ
06. 陽気なサイパネ人
07. こがねむし(黄金虫)
08. ピーピーパピパピー
09. 暴れん坊将軍K
10. 村のかじや
11. 頭がほしい
12. ペリカンガール
13. アメリカこけし
14. 魚うり
15. ゴースン
16. センチメンタル・ヘッケル(カラオケ)
17. 単位踊
18. とんがりとしき
19. どまぐれじんぎ
20. 京阪牛乳
21. はちぶんぶ
22. かもられてかも
23. まらだしガンマン危機一髪
24. 金勝は信楽守る山
25. ゴースンゴー
26. 俺はなんでも食う男
27. わらびもち
28. ピコリーノ
29. おおがみらす
30. 俺はなんでも食う男 (2)
31. ああ我れ身に油をぬりて勇気百倍まっ先かけて突撃せん
32. うさぎ音頭で大暴れ
33. ますかきラッキー
34. ゴースンのテーマ
35. どくろ忍者の歌
36. 怪人タツドロド
37. ライオン丸のテーマ
38. 大仏小仏
39. 水中まつり
40. ゴースン,城を攻める
41. ゴースンの子守り歌
42. 猪股蟇衛門
43. タイガージョー
44. 秘密兵器コンパニオン
45. ゴースン鉄工所
46. ゴースンの川下り
47. 死んだら赤貝
48. 赤五筒~完~
49. 潜水艦
50. 京阪牛乳(un released studio track 1)
51. 京阪牛乳(un released studio track 2)

■LPトラックリスト
A01. 私はライオン
A02. いけいけブッチャー
A03. 牧場の少女
A04. アックンチャ
A05. 山はサンタだ
A06. 陽気なサイパネ人
A07. こがねむし(黄金虫)
A08. ピーピーパピパピー
A09. 暴れん坊将軍K
A10. 村のかじや
A11. 頭がほしい
A12. ペリカンガール
A13. アメリカこけし
A14. 魚うり
A15. ゴースン
A16. センチメンタル・ヘッケル(カラオケ)
A17. 単位踊
A18. とんがりとしき
A19. どまぐれじんぎ
A20. 京阪牛乳
A21. はちぶんぶ
A22. かもられてかも
A23. まらだしガンマン危機一髪
A24. 金勝は信楽守る山
A25. ゴースンゴー
B01. 俺はなんでも食う男
B02. わらびもち
B03. ピコリーノ
B04. おおがみらす
B05. 俺はなんでも食う男 (2)
B06. ああ我れ身に油をぬりて勇気百倍まっ先かけて突撃せん
B07. うさぎ音頭で大暴れ
B08. ますかきラッキー
B09. いけいけブッチャー
B10. 暴れん坊将軍K
B11. 魚うり
B12. アメリカこけし
B13. 山はサンタだ
B14. とんがりとしき
B15. ゴースン
B16. 私はライオン
B17. 村のかじや
B18. 牧場の少女
B19. アックンチャ
B20. 不思議な魔法びん
B21. 陽気なサイパネ人
B22. ミネソタの玉子売り


アーティスト名:赤痢
タイトル:私を赤痢に連れてって
フォーマット:CD / LP
レーベル:P-VINE
発売日
CD:2022年8月3日(水)
LP:2022年11月2日(水)
品番
CD:ALPCD-5
LP:ALPLP-5
価格
CD:¥2,750(税込)(税抜:¥2,500)
LP:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き

■CDトラックリスト
01. デスマッチ
02. 4649
03. ヨーレイヒ
04. どろどろ大江戸
05. ウィウィロック
06. だーらだら(駄獣)
07. 春
08. 仏滅ラプソディー
09. カメレオン
10. ファック
11. ちった
12. エンドレス
13. ナンバー
14. ニャンニャンで行こう
15. 赤痢作用(セキリプロセス)
16. 夢見るオマンコ

■LPトラックリスト
A1. デスマッチ
A2. 4649
A3. ヨーレイヒ
A4. どろどろ大江戸
A5. かつかつロック
A6. だーらだら(駄獣)
A7. 青春
B1. 仏滅ラプソディー
B2. カメレオン
B3. ファックしよう
B4. ちった
B5. エンドレス


アーティスト名:赤痢
タイトル:PUSH PUSH BABY~LOVE STAR
フォーマット:CD / LP
レーベル:P-VINE
発売日
CD:2022年11月16日(水)
LP:2022年2月15日(水)
品番
CD:ALPCD-6
LP:ALPLP-9
価格
CD:¥2,750(税込)(税抜:¥2,500)
LP:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き

■CD/LPトラックリスト
01. PANCH
02. ORILLA
03. ベリー・グウ
04. HAPPY NEW YEAR
05. 俺のドジ
06. 駄馬
07. サバビアン
08. 19才
09. ラブラブショックラブショック
10. CHOCOLATE BLUES
11. くすり天国
12. 睡魔


アーティスト名:シェシズ
タイトル:約束はできない
フォーマット:LP
レーベル:P-VINE
発売日
LP:2022年12月21日(水)
品番:ALPLP-6
価格:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き

■LPトラックリスト
A1. I'm dancing in my heart~祭歌
A2. 連舞
A3. 君が目
A4. 火の海
A5. 月と明り窓
B1. 約束はできない
B2. 黒い瞳の
B3. カチューシャ
B4. 불의 바다
B5. 輪舞
B6. 三度目は武装して美しく無関心


アーティスト名:想い出波止場
タイトル:水中JOE
フォーマット:LP
レーベル:P-VINE
発売日
LP:2022年1月7日(水)
品番:ALPLP-7
価格:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き

■LPトラックリスト
A1. 22次元
A2. サムライ ACID CONTEMPORARY
A3. BLUES FOR TURN TABLE
A4. ROUTE 99999
A5. 水中JOE
A6. 中核
A7. SHOOTING DUB
B1. 太ッ腹(玉砕ワルツ)
B2. ハウ
B3. N.C.C.P1701-1
B4. 第三ROCK
B5. IN
B6. SEA MONK


アーティスト名:ウルトラ・ビデ
タイトル:ザ・オリジナル・ウルトラ・ビデ
フォーマット:LP
レーベル:P-VINE
発売日
LP:2022年1月18日(水)
品番:ALPLP-8
価格:¥4,378(税込)(税抜:¥3,980)
★LP初回完全限定生産
★LP帯付き

■LPトラックリスト
A1. インプロビゼーション・アナーキー(屋根裏'79)
A2. わかえらんわからんしゅびしゅびだ(屋根裏'79)
A3. やくざなコミューン(屋根裏'79)
A4. 落ちこんだらあかへんで(屋根裏'79)
A5. メリーゴーランド(屋根裏'79)
A6. 恋するベイリー(ギャルソン'78)
A7. 嫌われもののパンク(屋根裏'79)
A8. 大怪獣の歌
B1. 単なる曲(太奏'78)
B2. ポニーテイルのかわいいあの娘(ガレージ'79)
B3. 世界はひとつ(ガレージ'79)
B4. ウギャギャでパンクPart2(ガレージ'79)
B5. そしてジャマイカへ(日和'79)
B6. ラッパのあれ(医大'79)
B7. キンタロイド(恐怖'79)

HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS - ele-king

文:ジェイムズ・ハッドフィールド(訳:江口理恵)[8月19日公開]

 1960年代に入ってしばらくするまで、カヴァー・ヴァージョンというのはロック・バンドが普通にやるものだった。ビートルズの最初の2枚のアルバムに収録されている曲の半分近くは他のアーティストの作品だ。初期のローリング・ストーンズは、自らのソングライターとしての才能を証明するよりも、ボ・ディドリーを模倣することの方に関心があった。しかし、LPがロック・ミュージックのフォーマットに選ばれるようになると、ファンはアーティストにより多くの革新を期待し、レーベルもオリジナルの音源の方が金になることに気付き出した。カヴァー・ヴァージョンは、ありふれたお馴染みのものから、ロック・ミュージシャンがより慎重に意図を持って使うものになっていった。敬意を表したり、いつもの定番曲に新風を吹き込んだり、キュレーターとしてのテイストをひけらかしたり、あるいは完全に冒涜的な行為を行うための。

 『きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか』の収録曲では、これらのことの多くが、時に同時進行で行われている。灰野敬二が70歳の誕生日を迎えたわずか数週間後にCDとしてリリースされたこの変形したロックのカヴァー集は、実質的にはパーティ・アルバムであり、クリエイターの音楽的ルーツを探る、疑いようのない無礼講なツアーのようだ。全曲を英語のみで歌う灰野敬二が、角のあるガレージ・ロック・スタイルのコンボ(川口雅巳(ギター)、なるけしんご(ベース)、片野利彦(ドラム))のヴォーカルを務め、ロックの正典ともいうべき有名曲のいくつかを、ようやくそれと認識できるぐらいのヴァージョンで披露している。

 灰野がカヴァー・バンドのフロントを務めるというのはそれほどばかげた考えではない。彼の1990年代のグループ、哀秘謡では、ドラマーの高橋幾郎、ベースの川口とともに、50年代・60年代のラジオのヒット曲の、幻覚的な解釈をしてみせた。ザ・ハーディ・ロックスの前には、よりリズム&ブルースに焦点を当てたハーディ・ソウルがあり、その一方で灰野はクラシック・ロックの歌詞を即興のライブ・セットに取り入れることでも知られていた。つまり、このアルバムが、一部の人間が勘違いしそうな、使い捨てのノヴェルティのレコード(さらに悪くいえば、セルフ・パロディのような行為)ではないことを意味している。

 2017年に、ザ・ハーディ・ロックスを結成したばかりの灰野にインタヴューしたとき、彼はバンドがやっていることを「異化」という言葉で表現した。これは英語では“dissimilation”あるいは“catabolism”と訳されるが、ベルトルト・ブレヒトの、観客が認識していると思われるものから距離を置くプロセスである“Verfremdung”の概念にも相当する。ここでは“(I Can’t Get No ) Satisfaction”のように馴染み深い曲でさえ、じつに奇怪にきこえる。キース・リチャーズの3音のギター・フックが重たいドゥームメタル・リフへと変わり、灰野が喉からひとつひとつの言葉をひねり出すような激しさで歌詞を紡ぐ。驚くべきヴォーカル・パフォーマンスを中心にして音楽がそのまわりを伸縮し、次の“Hey Hey Hey”への期待で、いろいろな箇所で震えて停止してしまう。

 あえて言うまでもないが、灰野は中途半端なことはしない。レコーディング・エンジニアの近藤祥昭が、不規則で不完全な状態を捉えたこのアルバムでの灰野のヴォーカルは、まるで憑りつかれているかのようだ。金切り声や唾を吐く音が多いにもかかわらず、何を歌っているのか判別するのはそれほど難しいことではない。バンドは重々しい足取りでボブ・ディランの“Blowin’ In The Wind”をとりあげているが、それはもっとも不機嫌な不失者のようでオリジナルとは似ても似つかないが、それでもディラン自身が2018年のフジロックフェスティバルで演奏したヴァージョンよりは曲を認識できる。

 注意深く聴くとたまに元のリフが無傷で残っているのがわかるが、音の多くの素材は、不協和音のコード進行や故意に不格好なリズムで再構築されている。このバンドの“Born To Be Wild”では、有名なリフレインに辿り着く前に灰野がジョン・レノンの“Imagine”からこっそりと数行滑り込ませている。“My Generation”では、崩壊寸前の狂気じみた変拍子でヴァースに突進していく。川口が灰野のヴォーカルに合わせて支えるように、しばしば、エフェクターなしでアンプに直接つないだ生々しいギターの音色を響かせる。なるけと片野は、様々なポイントでタール抗の中をかき分けて進むかのように演奏している。

 ビッグネームのカヴァーが多くの人の注目を引くだろうが、ザ・ハーディ・ロックスは、日本のMORでも粋なことをしている。アルバムのオープニング曲の“Down To The Bones”は、てっきり『Nuggets』のコンピレーションの収録曲を元にしていると思っていたが、YouTubeのプレイリストを見て、これが実際には1966年に「骨まで愛して」で再デビューした歌謡曲のクルーナー、城卓矢のカヴァーだと判明した。“Black Petal”は、水原弘の“黒い花びら”をプロト・パンク風の暴力に変えるが、日系アメリカ人デュオのKとブルンネンの“何故に二人はここに”については、灰野にかかっても救いようのない凡庸さだ。

 もっとも異彩を放つのは、アルバム終盤に収録されたアカペラ・ヴァージョンの“Strange Fruit”だろう。これは奇妙な選択であり、「Black bodies swinging in the southern breeze(黒い体が南部の風に揺れる)」という歌詞を静かに泣くように歌い、本当の恐怖を伝える灰野の曲へのアプローチの仕方には敬意を表するが、私はこの曲を再び急いで聴こうという気にはならない。しかし、アルバム全体は非常に面白く、このクリエイターの近寄り難いほど膨大なディスコグラフィへの入り口としては、理想的な作品である。



HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS


きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか
(“You’re either standing facing me or next to me”)


P-Vine Records

by James Hadfield

Until well into the 1960s, cover versions were just something that rock bands did. Nearly half of the songs on the first two Beatles albums were by other artists. The early Rolling Stones were more interested in channeling Bo Diddley than in proving their own abilities as songwriters. But as the LP became the format of choice for rock music, fans began to expect more innovation from artists, while labels came to realise there was more money to be made from original material. Cover versions went from being ubiquitous to something that rock musicians used more sparingly, and intentionally: to pay respects, put a fresh spin on familiar staples, flaunt their curatorial taste, or commit acts of outright sacrilege.

The songs on “You’re either standing facing me or next to me” are many of these things, sometimes all at once. Released on CD just a few weeks after Keiji Haino celebrated his 70th birthday, this collection of deformed rock covers is practically a party album, and a distinctly un-reverential tour of its creator’s musical roots. Singing entirely in English, Haino acts as vocalist for an angular, garage rock-style combo (consisting of guitarist Masami Kawaguchi, bassist Shingo Naruke and drummer Toshihiko Katano), who serve up just-about-recognisable versions of some of the most famous entries in the rock canon.

The idea of Haino fronting a covers band isn’t as absurd as it may seem. His 1990s group Aihiyo, with drummer Ikuro Takahashi and Kawaguchi on bass, did strung-out interpretations of radio hits from the ’50s and ’60s. The Hardy Rocks were preceded by the more rhythm and blues-focused Hardy Soul, while Haino has also been known to incorporate lyrics from classic rock songs into his improvised live sets. All of which is a way of saying that this isn’t the throwaway novelty record that some might mistake it for (or, worse, an act of self-parody).

When I interviewed Haino in 2017, not long after he’d formed The Hardy Rocks, he used the term “ika” (異化) to describe what the band were doing. The word can be translated as “dissimilation” or “catabolism” in English, though it also corresponds with Bertolt Brecht’s idea of “Verfremdung”: the process of distancing an audience from something they think they recognise. Even a song as familiar as “(I Can’t Get No) Satisfaction” sounds downright freaky here. Keith Richards’ three-note guitar hook is transformed into a lumbering doom metal riff, as Haino delivers the lyrics with an intensity that suggests he’s wrenching each word from his own throat. It’s a remarkable vocal performance, and the music seems to expand and contract around it, at various points shuddering to a halt in anticipation of his next “Hey hey HEY.”

As if it needed stating at this point, Haino doesn’t do anything by halves, and his vocals on the album—captured in all their ragged imperfection by recording engineer Yoshiaki Kondo—sound like a man possessed. But for all the shrieks and spittle, it’s seldom too hard to figure out what he’s actually singing. The band’s lumbering take on Bob Dylan’s “Blowin’ in the Wind”—like Fushitsusha at their most morose—may sound nothing like the original, but it’s still more recognisable than the version Dylan himself played at Fuji Rock Festival in 2018.

Listen closely and you can pick out the occasional riff that’s survived intact, though more often the source material is reconfigured with dissonant chord sequences and deliberately ungainly rhythms. The band’s version of “Born To Be Wild” eventually gets to the song’s famous refrain, but not before Haino has slipped in a few lines from John Lennon’s “Imagine.” On “My Generation,” they hurtle through the song’s verses in a frantic, irregular meter that’s constantly on the verge of collapse. Kawaguchi matches Haino’s vocals with a bracingly raw guitar tone, often jacking straight into the amp without any effects pedals. At various points, Naruke and Katano play like they’re wading through a tar pit.

While it’s the big-name covers that will grab most people’s attention, The Hardy Rocks also do some nifty things with Japanese MOR. I was convinced that album opener “Down To The Bones” was based on something from the “Nuggets” compilations, until a YouTube playlist alerted me to the fact that it was actually “Hone Made Ai Shite,” the 1966 debut by kayōkyoku crooner Takuya Jo. “Black Petal” turns Hiroshi Mizuhara’s “Kuroi Hanabira” into a bracing proto-punk assault, though the band’s take on “Naze ni Futari wa Koko ni,” by Japanese-American duo K & Brunnen , is a pedestrian chug that even Haino can’t salvage.

The most out-of-character moment comes near the end of the album, with an a cappella version of “Strange Fruit.” It’s an odd choice, and while I can respect the way that Haino approaches the song—delivering the lyrics in a hushed whimper that conveys the true horror of those “Black bodies swinging in the southern breeze”—it isn’t a track that I’ll be returning to in any hurry. But the album as a whole is a hoot, and an ideal entry point into its creator’s intimidatingly vast discography.

ジェイムズ・ハッドフィールド

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文:松山晋也[9月5日公開]

 9月7日に出るLPが届いた昨日だけで立て続けに3回聴いた。いま、そのハードさに改めて打ちのめされている。LP版は、11曲収録のCD版よりも2曲少ない9曲入りなのだが、「最初からLPを念頭に作ったアルバム」と灰野が語るとおり、サウンド全体のヘヴィネスと密度が強烈で、ハーディ・ロックスというユニット名に込められた灰野の思いもより明瞭に伝わってくる。5月に出たCDを買った人もぜひLPの方も聴いてほしいなと思う。ひとりのファンとして。

 ロックを極限までハードに表現すること──ハーディ・ロックスという名前に込められた灰野の思いは明快である。実際、ライヴ・パフォーマンスも極めてハードだ。灰野+川口雅巳(ギター)+なるけしんご(ベイス)+片野利彦(ドラム)から成るこのユニットでは灰野はギターを弾かず、ヴォーカルに専念している(曲によってはブルース・ハープも吹く)のだが、1回ライヴをやると体調が完全に回復するまで半年かかると本人は笑う。それくらい尋常ではないエネルギーを放出するわけだ。しかし、ハード=ラウドということでもない。バンドの演奏も灰野のヴォーカルもなるほどラウドではあるけど、彼らの表現の核にあるのは音量やノイズや速度では測れない何物かだ。原曲の歌詞やメロディに埋め込まれた思いや熱量にどこまで誠実かつ繊細に向き合えるのか、という “覚悟” が一音一音に刻み込まれている。その覚悟の真摯さ、強固さを灰野は「ハーディ」という造語で表明しているのだと思う。

 ハーディ・ロックスは、海外の楽曲(ロックや、R&B、ジャズなど)や日本の歌謡曲を英語でカヴァするためのプロジェクトとして数年前にスタートした。98年にアルバム『哀秘謡』も出た歌謡曲のカヴァ・プロジェクト=哀秘謡、2010年代にやっていたソウルやR&Bのカヴァ・プロジェクト=ハーディ・ソウルの延長線上というか、総決算的プロジェクトと言っていい。これら3つのプロジェクトに共通しているのは、“なぜ(原曲は)こんな演奏と歌い方なんだ!” という原曲に対する愛と不満だろう。
 今回のアルバム(CD版)に収録された曲目は以下のとおり。このうち⑤⑥の2曲はLP版ではカットされている。

① 城卓矢 “Down To The Bones(骨まで愛して)”
② ボブ・ディラン “Blowin’In The Wind”
③ ステッペンウルフ “Born To Be Wild”
④ エディ・コクラン/ブルー・チア “Summertime Blues”
⑤ バレット・ストロング/ビートルズ “Money (That’s What I Want)”
⑥ Kとブルンネン “Two Of Us(何故に二人はここに)”
⑦ ローリング・ストーンズ “(I Can’t Get No) Satisfaction”
⑧ ドアーズ “End Of The Night”
⑨ 水原弘 “Black Petal(黒い花びら)”
⑩ ビリー・ホリデイ “Strange Fruit”
⑪ フー “My Generation”

 ① “骨まで愛して” と⑥ “何故に二人はここに” は『哀秘謡』でも日本語でカヴァされていたが、今回の英語ヴァージョンと聴き比べてみると、20数年の歳月が灰野の表現にどのような変化/深化をもたらしたかよくわかる。“骨まで愛して” は『哀秘謡』版ではリズムもメロディも極限まで解体されていたが、その独特すぎる間合いと呼吸が今回はロック・バンドとしてのノリへと昇華された感じか。“何故に二人はここに” の『哀秘謡』版は灰野にしては意外なほどシンプルだったが、今回はそのシンプルさに拍車をかけたダイレクトなガレージ・ロック調。灰野の作品でこれほどポップな(演奏のコード進行もヴォーカルのメロディもほぼ原曲どおり!)楽曲を私は聴いたことがない。LPに収録されなかったのは、時間的制限という問題もあろうが、もしかしてシングル盤として別に出したかったからでは?とも勘ぐってしまう。ちなみに灰野が14才のとき(66年)に大ヒットした “骨まで愛して” は、発売当時から灰野はもちろん知ってはいたが、本当に惹かれたのは後年、前衛舞踏家・大野一雄のドキュメンタリー映画『O氏の死者の書』(73年)の中で、サム・テイラー(たぶん)がテナー・サックスで吹くこの曲をBGMに大野が豚小屋で舞うシーンを観たときだったという。また、第二のヒデとロザンナとして売り出されたKとブルンネンの “何故に二人はここに”(69年)は、『哀秘謡』を作るときにモダーン・ミュージック/P.S.F レコードの故・生悦住英夫から「歌詞が素晴らしい曲」として推薦されたのだとか。

 海外の曲の大半は、灰野が10代から愛聴してきた、あるいは影響を受けた作品ばかりだと思われるが、中でも④ “Summertime Blues” と⑧ “End Of The Night” に対する思い入れは強いはずだ。なにしろブルー・チアとドアーズは、灰野のロック観の土台を形成したバンドだし。70年代前半の一時期、灰野は裸のラリーズの水谷孝とともにブルー・チアの曲だけをやるその名もブルー・チアというバンドをやっていたこともあるほどだ。だから、曲の解釈や練り上げ方にも一段とキレと余裕を感じさせる。ジム・モリスンがセリーヌの「夜の果てへの旅」にインスパイアされて書いた “End Of The Night”(ドアーズの67年のデビュー・アルバム『The Doors』に収録)は短いフレーズのよじれたリフレインから成るドラッギーな小曲だが、原曲と同じ尺(約2分50秒)で演奏されるハーディ・ロックスのヴァージョンは、ドアーズが描いた荒涼たる虚無の原野を突き抜けた孤立者としての覚醒を感じさせる。灰野敬二の表現者としての原点というか、灰野の心臓そのもののように私には思えるのだ。

 その他、特に面白いのが、アカペラによる⑩ “Strange Fruit(奇妙な果実)” か。彼らは最初これを演奏付きで何度も試してみたのだが、どうもしっくりこず、最終的にヴォーカルだけにしたのだという。なるほど、この歌で描かれる凄惨な情景、木に吊り下げられた黒い躯の冷たさにここまで肉薄したカヴァはなかなかないだろう。あと、③ “Born To Be Wild(ワイルドで行こう!)” の途中で突然ジョン・レノン “イマジン” のワン・フレーズが挿入されているのも興味深い。ノー・ボーダーな野生児による宇宙との一体化という歌詞の共通点から挿入したのか、単なる直感や気まぐれなのか、そのあたりは不明だが。

 これらのカヴァ・ワークは、“何故に二人はここに” 以外はいずれも、ちょっと聴いただけでは原曲が何なのかわからないほどメロディもリズムも解体されており、ビーフハート作品のごとく極めて微妙なニュアンスに溢れた演奏の背後には、かなり長時間の集団鍛錬があったはずだ。抽象的な言葉を多用する灰野のヴィジョンをサウンドとして完璧に具現化するためだったら、すべての楽器を灰野自身が担当した方が録音もスムースだろうし、実際それは可能だと思うのだが、それをあえてやらないのがこのユニットの醍醐味だろう。誤解や齟齬によって生まれる別の匂いを楽しむこと、「わからないということを理解する」(灰野)ことこそが灰野にとっては大事なのだから。

 振り返れば、灰野の目はつねに “音楽の始原” という一点だけを見つめてきた。灰野のライヴでいつも驚かされるのは、どんな形態、どんな条件下であっても我々は音楽が生まれる瞬間を目撃できるということである。ここにあるのは、誰もが知っている有名な曲ばかりだが、同時に誰も聴いたことがない曲ばかりでもある。

松山晋也

Associates - ele-king

 今年もアナ・ウィンターは名前を呼ばれなかった。NHKのアナウンサーはトム・クルーズやウイリアムズ王子の姿をウインブルドンの客席に見つけるとすぐに名前を呼んだのに、同大会に毎年姿を見せるアナ・ウィンターは名前を呼ばれたことがない。ラミ・マレックやレベル・ウィルソンまで呼ばれたのに、映画『プラダを着た悪魔』のモデルとなった『ヴォーク』の編集長は一度も名前を呼ばれたことがない。ロンドン・オリンピックで『モンティ・パイソン』もわからなかったNHKとはいえ、それにしてもウィンターは日本で知名度がない。もしかするとウィンター本人よりも彼女が毎年、NYで主催するファッションの祭典、メット・ガラの方が最近は認知度が高いのかもしれない。今年もグッチのドレスを着たビリー・アイリッシュ、ほとんど裸だったカーラ・デルヴィーニュ あるいはキム・カーダシアンとピート・デヴィッドソンのツーショットや赤い芋虫と化したジジ・ハディッドの画像が次々とスマホの画面に流れてきた。ウィンターが今年のテーマとして掲げたのは「金ピカのグラマー」だったにもかかわらず、白い魔女と黒い魔女に扮したジェンナー姉妹も僕には楽しかった。金持ちが力の限り見栄を張る世界を僕は否定しない。ポップ・カルチャーからゴージャスという価値観をなくすことに僕は賛成できない。明るくて華やかなヴィジュアルはそれだけで心躍るものがある。しかし、3年前のメット・ガラはさすがに悲惨だった。ウィンターが提示したテーマは「キャンプ」。メット・ガラのレッド・カーペットを埋め尽くしたセレブの誰1人として「キャンプ」を理解していなかった。シャンデリアに扮したケイティ・ペリーは論外としても、ほぼ全員が「キャンプ」を「わざとらしい」という意味でしか捉えられず、都会的な生活様式に対するアイロニーやダンディズムを演じるという文脈でファッションが具現化されることはなかった。並みいるファッション・デザイナーたちも70年代のコピーがようやくといったところで、シャネルやマーク・ジェイコブスもひどければ、お題を出した当のアナ・ウィンターまで酷評されることとなった。そう、現代のセレブたちに「キャンプ」はいささか高尚過ぎた。「キャンプ」というのは70年代初頭に現れたゲイ・ファッションや映画『ピンク・フラミンゴ』を論じる際にスーザン・ソンタグらが用いた美術用語。ポップ・ミュージックでいえばデヴィッド・ボウイやルー・リードが牽引したグラム・ロックのタームと大体のところは重なっている。「グラマラス」が語源とされるグラム・ロックには音楽的な共通性はないとされるのが普通で、マーク・ボランのT・レックスやブライアン・イーノが在籍していたロキシー・ミュージックがポップ・ミュージックをアートの領域へと推し進め、ダニエル・J・ブーアスティンが『幻影の時代』で指摘したマスメディアによる情報操作や「スペクタクル」といった概念を「スターを演じるスター」というメタ表現によってリプレゼンテーションしたもの。いわば熱狂の戯画化である。


 グラム・ロックは1975年には下火になり、時代はパンク・ロックへと移り変わる。「スペクタクル」という概念をそのまま引き継ぎ、「グラマラス」を(ヴィヴィアン・ウエストウッドがパンク・ファッションを指して名付けた)「コンフロンテイション(敵対)」に置き換えればパンク・ロックはグラム・ロックのヴァリエーションだったとも考えられ、ハード・グラム・ロックという呼称でも通用したように思える(ダムドなどはまさにそれだった)。しかし、「パンク」や「コンフロンテイション」はあまりに時宜を得過ぎていたために社会的な仕草としてアートの領域にとどまるにしてはポテンシャルが高過ぎた。その影響について多くを書く余裕はないけれど、ポップ・ミュージックだけを見ても、その余波は多岐に及び、2年間の混沌が過ぎた後もなお混乱は続くことになる。スロッビン・グリッスルによるインダストリアル・ミュージックは「コンフロンテイション」を純粋培養し、政治用語だったオルタナティヴがアンダーグラウンドのロックを形容するジャンル用語として採用される。個人的な雑感をひとまとめにいえば、70年代末に「衝動」として存在した気運が「破壊」や「反動」を経て80年代には全体が解きほぐれることなくそのまま異なるステージまで移動したという印象。同じものがメジャーとアンダーグラウンドの両方から同じ力で引っ張られ、どちらも譲らない状態が長く続いたというか。アラン・ランキンとビリー・マッケンジーによるアソシエイツがブライアン・イーノの隠れた名曲でもあるデヴィッド・ボウイ“Boys Keep Swinging”をカヴァーしてデビューした1979年はまさにそうした時期にあたり、翌年に入ってリリースされたデビュー・アルバム『The Affectionate Punch』もメジャーとアンダーグラウンドの両方に向かうヴェクトルが錯綜し、彼らが何をしたいのかすぐに理解できるようなアルバムではなかった。実際、このアルバムは彼らが進むべき道を明確にした2年後に丸ごとリミックスされ、驚くほど引き締まった内容に改められ、ミックスだけでこんなに変わってしまうのかと、けっこうな感動を覚えたものである。だいぶ後になってアソシエイツのライヴ音源を聞くことができるようになると、その当時の演奏があまりにもパンクだったことに驚かされ、そのありあまる衝動が『The Affectionate Punch』には滲みでていたということも理解できるようになったけれど、“Transport To Central”のような曲はスロッビン・グリッスルとも近しく聞こえてしまうギターのアレンジだったり、現在に至ってもまだ素直に楽しめる内容ではない。そう、彼らのライヴ・テイクを聞くことができたのは89年にリリースされた『The Peel Sessions』が初めてで、『The Affectionate Punch』ではミドル・テンポのディスコ・ナンバーとしてアレンジされていた“A Matter Of Gender”が81年のそれではスラッシュ・ヴァージョンとでも言いたくなるような早さで演奏され、エフェクトをかけたギターが鳴りっぱなしだったり、セッション全体がほとんどノイズのようなパフォーマンスだったことにはほんとに驚かされた。数合わせのようにしてニューロマンティクスに分類されがちだったアソシエイツが、現在はポスト・パンクに数えられるようになったのも当然というか("Club Country" はニューロマンティクスの気をひくためにつくられたらしいけれど)。

 『The Affectionate Punch』がキュアーの成功で勢いを得ていた〈フィクション・レコーズ〉にライセンスされたランキン&マッケンジーは続いて〈ベガーズ・バンケット〉傘下の〈シチュエーション・トゥー〉と契約。81年に5枚のシングルをリリースし、それをコンピレーション・アルバム『Fourth Drawer Down』にまとめると、それらが格別大きなヒットとなったわけでもないのに〈ベガーズ・バンケット〉傘下に〈アソシエイツ〉レーベルを新設するという高待遇を受け、セカンド・アルバムのために1000万円近いアドヴァンスを受け取る。このことが彼らの方向性を決定的にする。大金を手にした彼らはまず500万円を投じて倉庫を改造したスタジオをつくり、残りも派手に使いまくった。「バカげたお金の使い方をした」と、キュアーと掛け持ちだったベースのマイケル・デンプシーは後のインタヴューで答えている。主には洋服代とドラッグに消え、マッケンジーは愛犬のためにホテルのルームサーヴィスでスモーク・サーモンを取り寄せるなど「それこそ狂気だったと言っても過言ではない」とランキンも回想している。「自分たちは自信満々だったし、あれだけの浪費がなければあんなアルバムはできなかった」と。そう、『Sulk』というアルバムはとにかくゴージャスで、贅沢を音楽にしたらこうなるだろうという作品である。音楽的な連続性はもちろんあるものの、『The Affectionate Punch』や『Fourth Drawer Down』に残っていたしみったれムードは粉微塵に消し飛んでいた。時期的にもポスト・パンクの大半が闇に向かい、PILやザ・フォールなどアンダーグラウンドも手法的に充実していたので、余計にその差は際立った。ジョージ・マイケルがジョイ・ディヴィジョンの作品を愛していたことはイギリスでは周知のエピソードだけれども、ジョイ・ディヴィジョンがワム!の曲を演奏し、カルチャー・クラブが“Love Will Tear Us Apart”をカヴァーしてもアソシエイツのようにはならなかっただろう。アソシエイツが表現したグラマラスで華やかな世界観はとても独特で、プリンスでさえ地味に思えるほどである。アソシエイツというグループがデヴィッド・ボウイのカヴァーでデビューしたことを思い出すと、おそらく彼らの本質はグラム・ロックにあり、パンク・ロックからグラム・ロックへと揺り戻しを図りながら、その過程でパンク・ロックから得た過剰さを光り輝くような世界観に転化させた。それが『Sulk』というアルバムだったのではないだろうか。パンク・ロックのパワーを持ったグラム・ロック。『Sulk(不機嫌)』というタイトルにはそれこそ当時、パンク的なものを感じたものである。ABCを指してブライアン・フェリーが「僕より僕みたいだ」というコメントを残しているので、グラム・ロック的なスペクタクルはパンク以降も衰える気配はなかったとは思うけれど、その多くはニューロマンティクスのような反動ではあってもアソシエイツのようなかたちでモディフィケーションを表現できた例は少なかったのだと思う。

 ビリー・マッケンジーというシンガーはどこか名曲歌手のような風情があり、実際、イエロやホルガー・ヒラーなど客演の幅は広く、ビリーと名乗っているのもビリー・ホリデイにあやかっているからだといっていたのにもかかわらず『Sulk』は軽快なインストゥルメンタルで幕を開ける。いつかオリンピックの開会式で聴きたい“Arrogance Gave Him Up”は勇壮として、流線型という形容詞はこの曲のためにあるとしか思えない。『Sulk』は全編を通してドラムがかなり派手で、それはスネアをメタル仕様に、タムを銅性の素材に変えたことに由来するらしく、“Arrogance Gave Him Up”でもスネアを叩き込む箇所の激しさは容赦なく、これが流れるようなシンセサイザーとの対比でくっきりとした輪郭が浮かび上がる。かと思うと続く“No”ではまさに名曲歌手が思う存分に歌い上げるモードへと一変し、”Bap De La Bap”では再び金属音の乱舞に舞い戻る。ギターもヴォーカルも、あるいは複数のシンセサイザーも一歩も引かないと言った鬩ぎ合いを続け、それこそ「デヴィッド・ボウイよりデヴィッド・ボウイみたい」なサウンドになっていく。スピードを出しては落とし、上げてはまた落とすといった感じで”Gloomy Sunday”のカヴァーへ。ヨーロッパでは自殺の歌として知られる30年代のクラシックで、その成立過程を追った映画までつくられた曲をビリー・ホリディが戦後すぐにアメリカでヒットさせたスタンダード・ナンバー。これをアソシエイツはラバーズ・ロック調のシンセポップにアレンジし、悲しみに沈んだ曲調からその情緒をナルシシスティックな感情へと反転させてしまう(ビョークはこの曲をアソシエイツのオリジナルだと思い込んでいて、オーケストラが演奏し始めた時に驚いたという話をしている)。アナログ盤ではAサイドのラストを飾るのが“Nude Spoons”。ノイ!を思わせるメトロノミック・ビートを強調したパンク風ディスコ・ナンバーで、ビリー・マッケンジーが15歳の頃に体験したLSDによるトリップが歌詞の元になっているらしい。彼の書く歌詞は曖昧で意味が取れず、日本語には訳しづらいし、当時から大した意味はないとも言われていたので、あまり気にしたことはなかったけれど、10年ほど前に昭和女子大で英語を教えている清水みちさんに“Arrogance Gave Him Up”や“Party Fears Two”の訳し方を訊いてみたところ、非常に興味深い英語の使い方だということで、彼女が参加しているシェイクスピア研究会で議題に取り上げてくれたりして、とてもユニークだということは教えてもらったものの、どう訳したらいいかはやはりよくわからなかった。彼らの最大のヒットとなった“Party Fears Two”などはPartyを政党として解釈すると共産党と保守党の意味にも取れるらしく、とてもスキゾフレニックな感覚を表現しているなどイギリスでの解釈も多岐にわたっている(これ以上はもっと英語に詳しい人に委ねたい。そして、意味がわかったらぜひ教えて下さい。清水みちはちなみに保坂和志の奥さんです)。

 Bサイドに移って“Skipping”。個人的には洋楽でベスト3に入るフェイヴァリット・ナンバー。ミステリアスなスキャットで始まり、ランキンの弾くギターの循環コードとデンプシーによるソリッドなベースが入ってくるだけで昇天しかけてしまう。調子にのってスキップし続けていくうちにだんだんと意識がかすれていくような情感に襲われる曲で、宙を泳ぐようなキーボードはここでも効果的。とはいえ、彼らの曲はサイケデリックではなく、ドラッグの影響がダイレクトに出たものはない。そこはやはりパンク・スピリットが色濃いというか。続く“It's Better This Way”もノイ!とデヴィッド・ボウイが手を組んだような曲で、メトロノミック・ビートとスコットランドらしい燻んだ叙情が見事に溶け合った傑作。スタイリッシュで、実にかっこいい。そして、最大のヒット・シングルとなった“Party Fears Two”。完成に3年をかけたという大作で、他の曲よりも少しテンポを落とし、ノイジーな要素も後退。全編でヴォーカルが引き立てられ、圧倒的にセクシーで、これでもかと艶やかさを増している。きらびやかな音が背景で鳴り続け、これまでになくソウルを感じさせ、実際、パンク色は薄れ、ランキン&マッケンジーによる最後のシングルとなった「18 Carat Love Affair」への導線となった曲である。『Sulk』がリリースされた4ヶ月後にアラン・ランキンが脱退してアソシエイツは実質的に解散したも同然となり、それはツアーに対する2人の考えが違ったからだということになっているけれど、“Party Fears Two”で疾走感とは異なる価値観に足を踏み入れたことが分裂の遠因となったのではないかと僕には思えて仕方がない。それだけこの曲は他の曲とは異なるフォーマットを有しているし、新しいものをつくりたいと願った2人の到達点だったのではないかと。達成されてしまうと、目的はなくなってしまうのである。続いて“Club Country”。『Sulk』では最も大袈裟な曲で、明らかに大団円という位置に置かれている。手法的にも彼らの集大成になっている。エンディングは“Nothinginsomethingparticula”。前述した”18 Carat Love Affair”のイントロが2分だけ収録され、続いてリリースされた”18 Carat Love Affair”のフル・ヴァージョンにはカップリングとしてダイアナ・ロス“Love Hangover”のカヴァーも収録。『Sulk』の40周年記念盤はここまでの10曲がアナログ化されたものと、さらに同内容のCDと「Outtakes, Monitor Mixes & Rarities」、「The Peel Sessions」及び「Gigant, Apeldoorn 10/01/81」でのライヴを収めた計46曲がプラスされたエディションに加えて“Party Fears Two”のヴァージョンを集めたCDシングルか、”18 Carat Love Affair”の7インチ・シングルがおまけに付いているデラックス・エディションと4パターンがリリースされている。2016年にリリースされたエディションで13曲追加されていた曲も再度リマスターされているなど「The Peel Sessions」以外は重複していない模様。マニア泣かせです。でっぷり太ったアラン・ランキンが3年前から各曲の解説動画をユーチューブにアップしているので、興味のある方はそちらもどうぞ。

 『Sulk』というアルバムはとても幸福なアルバムで、リリース当初に理解されなかったという経験はしなかった。ヒット・チャートも駆け上がり、批評家の絶賛も同時に手に入れた。ただし、モノマネやフォロワーというものがまったくなく、時代のなかにポツンと取り残された作品となっていく。ニュー・オーダー、ザ・スミス、ジーザス&メリー・チェインと続いたブリティッシュ・ロック・シーンに彼らの陰が落ちることはなく、アシッド・ハウス期にはグラム・ロックよりもサイケデリック・ロックが復活したことは歴史に刻まれている通り。ザ・スミス“William, It Was Really Nothing”のWilliamはビリー・マッケンジーのことを指していて、どうやらモリッシーとマッケンジーは恋人関係にあったということが後々にはわかってくるのだけれど、そのことと音楽シーンはまったく関係がない。ビリー・マッケンジーもアラン・ランキンもソロ活動は細々としたもので、2人とも『Sulk』に迫るような作品はつくれず、何が原因かはわからないけれど再結成もうまくはいかなかったらしい。そして、1997年にはビリー・マッケンジーの訃報が流れる。当時のエレキングで追悼文を書いた時はガンを苦にして自殺という報道だったので、それをそのまま引き写してしまったのだけれど、その後、BBCがマッケンジーの姉と父親に取材した追悼番組を製作し、そこでは母親の死に耐えきれず、実際には後追い自殺だったということが明らかにされていた。イギリスでは珍しく労働階級出身のファッション・デザイナー、アレキサンダー・マックイーンと同じである。アソシエイツのファッショナブルなジャケット・デザインはすべてマッケンジーのアイディアで、レザー・ファッションでプールに浸かるというハード・ゲイまがいの『Fourth Drawer Down』はDAF『Gold Und Liebe』と同じ時期であり、両者はまさに都会的な生活様式に対するアイロニーやダンディズムを体現するものだった。プロモーション・ヴィデオやシングルのジャケットを飾るマッケンジーはいつもファッショナブルで、自分たちの音楽性を見事にヴィジュアル化した『Sulk』が見事だったことは繰り返すまでもない。アレキサンダー・マックイーンはデヴィッド・ボウイ『Earthling』やビョーク『Homogenic』のジャケット・デザインも手掛けていて、ボウイの影響を隠さないマッケンジーにビョークが影響を受けているなど、マッケンジーとマックイーンがどうも重なって見えてしまう僕はマッケンジーとマックイーンが2019年のメット・ガラでコラボレーションしていたら、どんなスタイリングを見せてくれただろうかなどとつい考えてしまう。

Jeff Mills - ele-king

 ジェフ・ミルズ・アンド・ザ・ザンザ22名義の『Wonderland』にソロ名義の『Mind Power Mind Control』にと、2022年も精力的にリリースを重ねているジェフ・ミルズ。ここへ来て、急遽来日公演が決定した。8月31日、クローズ前の渋谷CONTACTに登場。Wata Igarashiも出演する。いやーこれは行くしかないでしょう。詳細は下記リンクより。

https://www.contacttokyo.com/schedule/jeff-mills-at-contact/

Whitearmor - ele-king

 今年の3月に「オウムが終わったんだなあ」と書いたら7月になってニューエイジの本丸たる統一教会(現なんちゃら家庭連合)が急浮上し、昔はよくTVで観た合同結婚式の映像がまたTVで流れるようになった。久しぶりに目にしても相変わらずのインパクトで、見渡す限りの花婿と花嫁の列また列。白と黒しかないマス・ゲームのようで、合同結婚式で結婚したカップルはどんな体位でセックスするかも決められているらしく、その夜もマス・ゲームが続くというか。(ここからはジョーク)いま観ると自民党がこの儀式をもっと広範囲に推し進めれば少子化対策に有効だったかもとさえ思ったり(ジョークはここまで)。そういえば少し前に『結婚式のための音楽』というアンビエント調のアルバムが出ていたなと思って、ちゃんとクレジットを確認してみたら、なんとホワイトアーマーのデビュー・アルバムだった! マジか! 改めて聴き直す。

 ホワイトアーマーはDJカナビス(笑)の名義で2011年にデビューしたスヴェンスキャ・ラップ(スウェディッシュ・ヒップホップ)のプロデューサー。本名はルーードヴィッヒ・ローゼンバーグで、2020年に手掛けたブレイディーやヤング・リーン(『アンビエント・ディフィニティヴ増補改訂版』P245)といったクラウド・ラップの諸作が予想を超えてアメリカでも受けまくり、一気に知名度を上げたトラックメイカー。あまりにもダラダラとした作風が、そして、そのままデビュー・アルバムに発展していく過程で、ヒップホップではなく、アンビエント方向へと振り切れる結果になったと思われる。どうして結婚式をテーマにしたのかは不明だけれど、「白い鎧」を名乗ることと関係があるのか、日本の少女マンガからトレースしたようなジャケット・デザインには純白のウェディング・ドレスが描かれている(ウェディング・ドレスが白いのは家制度の名残で死装束の意)。

 幻想的な始まりは同じスウェーデンの大御所、ラルフ・ルンゼンの後期作を彷彿。流麗でチープなメロディを畳み掛ける“Could Be Us”から“Kisses And Hugs”へと夢見心地は途切れず、あくまでも現実感のない世界を旅し続ける。坂本龍一“Self Portrait”なんかを思い出しながら、バッハを混ぜ込んだような“Eternal Hills Highest Crest”へ橋渡し。モーション・グラフィックス『Motion Graphics』(16)を筆頭に、近作では方向性を変えたヴェルーム・ブレイク『Bench Manoeuvres』(19)やトランス系のネイキッド・フレイムス『Miracle In Transit』(22)など、このところ日本で80年代に流行った「テクノ・ポップ」にがっつりとインスピレーションを得たのかなと思わせる作品は多く、そのなかでは北欧風のフレイヴァーが染みわたっていて最もオリジナリティを感じさせる。とくに“Smile (Reprise)”は、オプティモのJ・D・トゥイッチが昨年、日本のテクノ・ポップをミックスした『Polyphonic Cosmos』にも収録していたテストパターン“Hope”に迫る楽天性を感じさせ、ひとしきり明るい気持ちにさせてもらった(続けて『アポジー&ペリジー』も聴きたくなるというか)。再びバロック調の“Tar Feathers”もよくて、“Slow Dance”~“Gåvor”と、後半は落ち着いた曲を並べ、着地はとても滑らか。

『結婚式のための音楽』というタイトルの前には「In the Abyss」という設定も付け加えられている。ゼクシーの結婚式は山の頂上で行われていたけれど、こちらは「the Abyss」と大文字で表記されているのでジェームズ・キャメロン監督『アビス』(89)に端を発する「深淵」のイメージなのだろう(小文字だと「地獄」という意も)。すべては海底で行われた結婚式の風景。エソテリックで、なんというか、ニューエイジぎりぎり(笑)。23世紀には地球の表面温度が150度まで上がるという試算もあるので、人類はこの先、海底で暮らさなければいけなくなるという警告……ではなさそう。

interview with HASE-T - ele-king

 ダンスホールのベテラン・プロデューサーの新たな挑戦だ。もともとパンク少年だった HASE-T は1980代後半からレゲエ・ディージェイとして活動を開始、『Sentiment』(1997年)、『SOUND OF WISDOM』(1998年)、『OVER & OVER』(2001年)という3枚の作品を発表後、プロデューサーの活動に移行する。その後、数多くのダンスホールのコンピレーションのプロデュース等を手掛けてきた。すなわち、プロデュース活動20周年を記念する『TWENTY』はサード・アルバム以来のソロ・アルバムとなる。レゲエを基盤としつつ、そこだけに留まらない多彩なリズムとメロディ、サウンドを取り入れ、自らも歌詞を書き、歌い、音楽における言葉の力に向き合った作品でもある。

 「ボブ・マーリーの曲がぜんぶ歌詞もわかって日本語のように頭に入ってきたら人生が変わる」と HASE-T は語る。これまで幾度となくジャマイカに渡り、そこで音楽を作り、ジャマイカの酸いも甘いも知っている音楽家の説得力のある言葉だ。が、ジャマイカとの距離が表現されているのも本作の肝だ。

 HASE-T のキャリアを振り返ることは、日本のダンスホール・レゲエの歴史の一端に触れることでもあり、個人的には日本におけるヒップホップとレゲエの発展史におけるミッシング・リンクを発見する経験でもあった。それこそ先行曲は、HASE-T が80年代後半から付き合いのあるスチャダラパーの3人と、シンガーの PUSHIM との共作曲 “夕暮れサマー” である。心地良いリディムに乗って BOSE がくり出す “サマージャム’95” のセルフ・パロディには、HASE-T が抱く時代への違和感と通じる真っ当な時代認識がある。アルバムの話を皮切りに、自身のバイオグラフィーやジャマイカでの経験をはじめ、大いに語ってくれた。

ランキンさんを出待ちして、自己紹介をして「手伝わせてください!」って直談判した。それからスピーカーを運ばせてもらうようになって、そのあいだに歌も歌わせてもらうようにもなって。最初にランキンさんに会ったときはまだ10代でしたね。

レゲエが基盤にありつつ、いろんな音楽が自然に混じった作品に仕上がっていますよね。

HASE-T:プロデューサー活動の20周年でどんなアルバムを作ろうかまず考えたわけです。自分がプロデューサーで歌わない前提でダンスホールのコンピレーションを作っていたときは、ジャマイカの新しいトレンドを意識したり、そこにヒップホップを混ぜたらどうなるかを実験もしたりしていた。けれども、いざソロ・アルバムでみずからも歌うとなると、最先端のリズムトラックが自分の表現に合わない。まず、そこのバランスを取ろうと考えましたね。

例えば、CDのみに収録されるボーナストラックの11~15曲めは直球のダンスホールですよね。

HASE-T:そうですね。ボーナストラックは過去自分のレーベルでリリースしていた曲のリミックス中心に収録しています。普通にダンスホール・レゲエのレーベルだったのでおのずと直球のダンスホールになってます。
 あと、RYO the SKYWALKER に歌ってもらった “Black Swan” はいまのジャマイカの最先端のオケに近いものですね。そういうイケイケなのは今回は自分らしくないなと。けれどバランスとしていまっぽいオケも入れたかったので、それに合うと思ったアーティストに参加オファーをして、自分が歌うオケはもうちょっとスカっぽい曲とか90年代っぽいレゲエにしようとか、自由にチョイスにしました。90年代のレゲエがお題の場合は当時使っていたドラムマシーンの音を使ったりとその辺はこだわって作ってます。そういう意味でも、このアルバムが現在のダンスホール・レゲエを表現するアルバムだとは1ミリも考えていなくて、あくまでも自分が好きな音楽をやった作品ですね。

多彩なビートやリズムがあるのが本作のひとつの特徴ですよね。

HASE-T:これは種明かしになっちゃうけれど、後半の “Walk On By” と “Go Around (Album Version)” はアフロですね。

たしかに。アフロビーツ/アフロフュージョンですね。

HASE-T:めちゃくちゃ聴いていますね。レマ(Rema)にまずハマりました。バーナ・ボーイ(Burna Boy)も。

僕はウィズキッド(Wizkid)のアルバム『Made in Lagos』が好みでけっこう聴きました。

HASE-T:ウィズキッドも好きですね。いまのジャマイカの音楽、レゲエはアフロビーツを、アフロビーツはレゲエを吸収して進化しているなという感じでいいなと思って聴いています。

スティクリが出てきたときは本当に斬新でした。機材もいまみたいなDTMがあったわけじゃなくて〔……〕プリミティヴだけど、音はデジタルという組み合わせですよね。スタジオに楽器を持たずに、キーボードを持っていく姿が未来的でカッコ良かったんです。

HASE-T さんは80年代後半からレゲエ・ディージェイとして活動をはじめられてから、その後ジャマイカに何度もわたり、00年代以降はプロデューサーの活動に移行されていきますね。最初にどのようにしてレゲエの世界に足を踏み入れましたか?

HASE-T:やっぱりランキン(・タクシー)さんですよね。当時日本で「ダンスホール・レゲエをやりたい、聴きたい」ってなったら、ランキンさんの TAXI Hi-Fi(ランキン・タクシーのサウンドシステム)のところに行くしかなかった。やっている人が他にいなかったんですよ。それぐらい少数派だったから。80年代後半の当時、ランキンさんは自分で作った小さいスピーカーをハイエースに乗っけて、いろんなクラブを回ってレゲエをかけていたんです。俺も歌いたかったから、ランキンさんを出待ちして、自己紹介をして「手伝わせてください!」って直談判した。それからスピーカーを運ばせてもらうようになって、そのあいだに歌も歌わせてもらうようにもなって。最初にランキンさんに会ったときはまだ10代でしたね。

そんな若かったんですね。HASE-T さんは元々パンク好きの少年だったと聞きました。

HASE-T:そうですね。イギリスの初期パンクから入って、ずっとイギリスのロックを聴いていましたよ。ザ・スミスまでは聴きましたけど、その後イギリスのロックには興味を失ってしまって。パンクを聴いていると自然とレゲエに行くじゃないですか。ザ・クラッシュのアルバム『サンディニスタ!』(1980年)で歌っているマイキー・ドレッドを聴いたりして。それからジャマイカの音楽を聴こうとしたけれど、ジャマイカの情報を当時日本で手に入れるのは本当に難しかったですね。「イエローマンって誰だろう?」とかそういうレベルですから。でも、とにかく聴き漁っていく。

同時期にヒップホップも入ってきていましたよね?

HASE-T:当時公開された『ワイルド・スタイル』(日本公開は1983年)も観ましたけど、自分はコンピュータライズドされていくレゲエの方に「なんだこれ!?」っていうメチャクチャ感を強く感じてそっちにドーンと行ってしまうわけです。パンク上がりだったのもあって、シュガーヒル・ギャングとかのディスコのノリが自分のなかで熱くなくて。

いわゆる「ブラコン」の延長に聴こえてしまった、と。

HASE-T:そういうことです。「ベストヒットUSA」とかをぜんぜん楽しめなかったタイプだったので、ヒップホップに関してはビースティ・ボーイズの『ライセンス・トゥ・イル』(1986年)や〈デフ・ジャム〉からハマっていった感じですね。で、二十歳のころに行ったニューヨークとジャマイカがカルチャー・ショック過ぎて。音楽をやりに行っているのに自分のちっぽけさを見つめ直してしまう経験でした。

コンピュータライズドされていくレゲエの虜になったということですが、HASE-T さんも多大な影響を受けたスティーリー&クリーヴィの魅力とは何でしょうか?

HASE-T:自分のなかでスティクリはダンスホール・レゲエを作った人たちという認識です(*)。当時、ジャマイカにもアメリカの音楽の情報は入ってきていただろうけど、とうぜんいまほど情報はなかったわけです。そういう情報がない状況でジャマイカの人らのアメリカへの憧れと感覚で作っていたのがあのオケだと思っています。スティクリが出てきたときは本当に斬新でした。機材もいまみたいなDTMがあったわけじゃなくて、テープを回して電子楽器をシーケンスなしで弾いてドラムとベースを作っていく。手法はプリミティヴだけど、音はデジタルという組み合わせですよね。スタジオに楽器を持たずに、キーボードを持っていく姿が未来的でカッコ良かったんです。

その後、ジャマイカのスタジオで音楽作品を作っていくぐらい現地の音楽の世界に入り込んでいくわけですよね。

HASE-T:最初はダンスホールのリディムを打ち込みでどうやって作るのかを知りたかったんです。ドラムマシーンを買って見よう見まねでやっていたけれど、どうしてもわからなくて。当時日本でダンスホールのリディムを作っていたのは、V.I.P. Crew の人たちをはじめ数人しかいなかったと思いますね。それで作り方を知りたくて90年代のはじめにジャマイカに行きました。ジャマイカのスタジオは「すみません、見せてください」って行くとけっこう入れてくれるんですよ。ジャミーズやペントハウスといった当時のジャマイカのスタジオを巡りましたね。当時のスタジオはほとんど全部行ったんじゃないかな。

本格的にプロデューサーとして活動しはじめるのが00年以降ということは、それだけノウハウや作り方を会得するまで時間がかかったということですか?

HASE-T:そうですね。わからないことだらけだったので時間がかかりました。けど、ジャマイカでエンジニアがミックスをする姿をみてなぞが解けたというか、目から鱗でした。エンジニアが卓の前に座ってミックスする姿がまるで楽器を弾いているみたいで驚きました。各チャンネルにそれぞれ楽器の音が入っていて、ベース、キック、スネア、ピアノ、シンセとかその複数のチャンネルを曲に合わせてミュートして、その場で曲を作っていく。エンジニアが曲を作っていることをそこで初めて知って。最初に観たミックスはスキャッタ(SKATTA)でした。そのときはまだ駆け出しエンジニア、トラックメーカーな感じでしたけど、その後彼はニーナ・スカイの大ヒット曲 “Move Ya Body” でも使われた “Coolie Dance” のリディムで世界的ヒットを出した人になりましたね。彼が卓を触る姿は神がかって見えて、またカッコ良くやるんですよ(笑)。卓のミュート・ボタンを押すときの決めポーズみたいのもあって。そうやってヴァイブスで曲を作っているのを見て、「これはすげえ」って思いました。

まさにダブですね。

HASE-T:そう。ルーツ・レゲエ、ダブからダンスホールまで、脈々と受け継がれて繋がってるんだなと。そういう伝統芸みたいな作り方をスタジオで目の当たりにして一気になぞが解けました。

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弱者に優しくないと感じます。それはすごい思う。強い人は何やっても強くて、弱い人は何やっても弱くて、誰も助けてくれない。そういうことを空気で感じていたら若い子らもどうでもいいやって、自分の未来が輝くように思えないんじゃないかな

2011年に 24x7 レコードにアップされたインタヴューを読みまして。そこで、スティーヴン・マクレガー(Stephen "Di Genius" McGregor)を面白いプロデューサーとして挙げています。彼はドレイクやジョン・レジェンドらにも曲を書いていますし、レゲエ、ヒップホップ、R&Bを横断していきますね。HASE-T さんも00年代に入ってから、さまざまなダンスホールのコンピレーションを手掛け、ヒップホップのラッパー、レゲエのディージェイ、シンガーの方々と制作していきます。

HASE-T:ジャマイカのダンスホール・レゲエはその音を世界で華咲かせるにはヒップホップを混ぜていくというのがあった。そうやって混ぜながらやっていて、ダンスホールだけでも行けるんじゃないっていう扉を00年代初頭に開いたのがショーン・ポールだった。彼がメジャーに行ってドカンとヒットして、そこからスティーヴンの世代につながっていく。ダンスホールの世界史ということで言えば、そのふたりの登場は大きかったですね。00年代初頭にジャマイカに行ってMTVを観ていると、レゲエのアーティストがたくさん出るようになって、ダンスホールがブレイクしたなと認識しましたね。

HASE-T さんがプロデューサーとして関わって記憶に残っているディージェイやシンガー、ラッパーにはどんな人がいますか?

HASE-T:本当にたくさんの人とやってきましたからね(笑)。ラッパーでは、KREVA がすごかったです。『TREASURE HOUSE RECORDS STREET RYDERS VOL.1』というコンピに収録された “醤油ベビ” でやっていますね。歌い直しなしの一発録りでしたね。そこまで気持ち良くスパッと終わる人はいなかったです。あと、ラッパ我リヤとは、『DANCEHALL PREMIER』というコンピの “MAJIKADEABINA” という曲でやりましたし、そのシリーズの『DANCEHALL PREMIER 2』の “湾岸BAD BOYS” には BOSE と ANI が参加していますね。
 さらに遡れば、自分のソロ・アルバム『Sentiment』(1997年)に収録された “この街でPart.2” は、MAKI(THE MAGIC)くんにトラックを作ってもらって、MR.DRUNK 名義で MUMMY-D にラップしてもらって、ミックスが(ILLICIT)TSUBOI くんで、ネタをスクラッチしたのが WATARAI くんでした。MUMMY-D は、“音の種族”(『SOUND OF WISDOM』収録)とソロ曲をリミックスしてくれましたね。

このあたりは日本のヒップホップとレゲエの関係について考えるときに重要な歴史ですね。

HASE-T:ジャンルの架け橋とかはあんまり当時考えてなくて、普段のクラブ活動の中にみんながいたというか、自然な流れというかそんな感じです。振り返ると重要な歴史とか言われるかもですが、自然な流れの結果ですかね。
記憶に残っているラッパーと言えば、今回のスチャダラパーもほぼ一発録りで終わりましたね。1時間で歌録り終わっています。

今回スチャダラパーと PUSHIM さんとの “夕暮れサマー” の共作はどのように実現したんですか? PUSHIM さんとの出会いについてもご自身の note に書かれていました。また、ドラム・パターンとサックスのアレンジのアイディアは SHINCO さんが出したそうですね。

HASE-T:スチャダラパーと PUSHIM がやったら合うんじゃないかなという感覚的なアイディアがはじまりです。PUSHIM と出会ったのが00年ぐらい。その頃の大阪では、PUSHIM、NG HEAD、RYO the SKYWALKER、JUMBO MAATCH、TAKAFIN、BOXER KID ら大阪のシーンを作る人たちが地下で集まってふつふつしていた時代。スチャダラパーとは80年代後半に芝浦のインクスティックであった「DJアンダーグラウンドコンテスト」で会っているからかなり古いです。そのコンテストは自分も出演してました。

“夕暮れサマー”で BOSE さんは、“サマージャム’95” のリリックをセルフ・パロディしている箇所もありますね。

HASE-T:そういうサーヴィスまでしてくれたからありがたいですよ。ANI さんの「棒アイス/ガリガリ齧り」もなかなか出てこないだろうし、やっぱりすごい人たちだなって思いました。SHINCO は繊細かつ大胆なセンスもあって、今回の楽曲の BOSE、ANI ラップ部分後半8小節は、彼のアイディアのサンプリング・ネタが大元にあって、それを自分が最終的にアレンジ、弾き直しているんですよ。

HASE-T「夕暮れサマーfeat. スチャダラパー&PUSHIM」

HASE-T:それと、今回は言葉重視のアルバムにするのを意識したんです。前半は直球の言葉で、後半にすこし何を言っているかわからないけれど、トータル的に感じてもらえるようにストーリー性も意識しました。例えば、“いいわけないよ” はすごく直球です。

「いいわけなんてないよ/世界が悲鳴をあげて痛いよ」からはじまり、「今まであった森が今無いよ/代わりににょきにょき伸びたビルばかりだよ」と続きますね。自然破壊と気候変動について言及されています。

HASE-T:歌詞を書いていて「いいわけなんてないよ/世界が悲鳴をあげて痛いよ」って言葉が出てきて、そこから頭の中にあることがぽろぽろ出てきたと言うか、初めからお題で「気候変動」について書こうとか決めて書いたわけじゃないです。あと、言葉重視と言うのは、かつてランキンさんと家が近かった時期にいっしょにタクシーで帰ったことがあるんです。そのときランキンさんが「音楽は言葉の力なんだよね」ってボソッと言って、そのことについて話したことをいまもよくおぼえています。その言葉に影響された感じです。自分はむかしからRCサクセションが好きで聴いていていま改めて聞くと言葉が生きてるなと。直球で歌詞を書けるようになったのは年齢も関係してるかなとも思いますが。

ボブ・マーリーの曲がぜんぶ歌詞もわかって日本語のように頭に入ってきたら人生が変わるような音楽だと思う。そういう消費物じゃない音楽がもっとあってもいいし、作ってもいいんじゃないかなって

歌詞には全体を通していまの時代に対する違和感が出ていると思うのですが、いまの時代の何にいちばん違和感を抱きますか?

HASE-T:弱者に優しくないと感じます。それはすごい思う。強い人は何やっても強くて、弱い人は何やっても弱くて、誰も助けてくれない。そういうことを空気で感じていたら若い子らもどうでもいいやって、自分の未来が輝くように思えないんじゃないかなって思います。このままじゃいかんよねと。自分は政治活動をするわけではないので、作品のなかで何かを伝えたいと考えて。音楽は半分は言葉ですし、それこそボブ・マーリーの曲がぜんぶ歌詞もわかって日本語のように頭に入ってきたら人生が変わるような音楽だと思う。そういう消費物じゃない音楽がもっとあってもいいし、作ってもいいんじゃないかなって。

含みのある歌詞ということで言えば、“深海魚” が面白かったです。

HASE-T:“深海魚” は正直レゲエ・マナーでもないし、ヒップホップでもないし、言葉数の少ない歌ですね。自分の中ではバラード感覚。

HASE-T さんがレゲエやダンスホールなどこれまで吸収してきた音楽を用いて自分の音楽作品に落とし込んでいく段階に入ったということですよね。

HASE-T:そういうことですね。音楽のジャンルごとに表現のルールみたいなものがあると思うんだけど、それを守りつつ、けど壊して自分のフィルターを通して自由につくる感じですかね。あと、作品を出してからライヴをやるつもりでもいます。やりたいことがあって、それをやるには練習のための準備期間が必要なんです。ただ単純にバンドでアルバムを再現するということではなく、それこそスティクリみたいなコンピューター・バンドというかメジャー・レイザーのようなサウンドシステムのラバダブセットを消化したエレクトロニック・ミュージックというか、そういうイメージです。どこまでやれるかわからないですが……

そこまで見えているんですね(笑)。メンバーは?

HASE-T:それをこれから探そうとしているんですよ。例えば、アスワドの曲のインストをやったり、ダンスホールのインストをやったりしつつ、ゲストが歌って、俺もたまに歌う。MPCを使ってフィンガードラムでレゲエができる人がいたらいいですね。

それは面白そうですね。

HASE-T:ジャマイカに行くと、スタジオやディージェイや踊っている人、何を観ても「すげえ!」ってなるんです。最初はやっぱりジャマイカ最高ってなりますし、それぐらい魅力のある島なんです。すべてをわかったつもりじゃないけど、「ジャマイカ最高」からジャマイカの嫌なところを体験したりして、好き、嫌い、けどここは好き、ここだけは嫌いとか、好き嫌いの周期は3、4周はしたと思います。またあるとき、サウンドシステムを観に行って、朝方若い子らが輪になってワッショイワッショイ踊っているのを観たとき、「若いなあ」って引いて観ている自分に気づいて、それは「ジャマイカ最高」からのひとつの区切りになるきっかけになりましたね。自分も元々はハードコアなレゲエ野郎ではありますけど、いまはちゃんと自分のフィルターを通して音楽をやりたいんです。その延長で長らくやっていなかったセレクター(DJ)も自分のフィルターを通した選曲で復活したいと考えていますね。

*編註:じっさいは、ディジタル・ダンスホールの画期はウェイン・スミスの85年の楽曲 “Under Mi Sleng Teng”(通称 “Sleng Teng”)とされる。カシオのキーボードのプリセット音を用いたそのリディムを手がけたのは、プリンス・ジャミー。鈴木孝弥『REGGAE definitive』135頁参照。

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