「iLL」と一致するもの

The Body - ele-king

 8月突入ということで2014年上半期の書き損じを記させていただきたい夏真っ盛りな今日このごろ、みなさまはいかがお過ごしだろうか?

 私は〈スカル・カタログ/スペンディング・ラウド・ジャパンツアー〉に全生命力を浪費し尽くし、一度ゲル状になり、再び人間らしい形を取り戻しつつある。そのなかでもとくにグッタリさせられたのがサウンド・チェックへ向かう車内や本番直前に必ずおこなっていたDJスカル・カタログ、というか彼のiPhoneのプレイリストを爆音で聴かされる儀式で、基本的にはメタルとビートの素晴らしい選曲ではあるのだけれど、おでこにサーチ・アンド・デストロイとか書いてある北斗の拳のキャラクターのようなノリノリの男を乗せて、そんなものを垂れ流しながらボロボロのハイエースを転がしていればつねに職質への警戒を怠ることはできぬし、イヴェント中に唐突にはじまる、「アイツの後でDJやるぜ!」みたいな対応に追われ溶けかけたりしていた。とはいえ自身のモチヴェーションを高めることを主としたミックスなのでそのアゲ作用も半端ではなく、とくにわれわれの話題にあがっていたのがコレであった。

 活動歴15年、米国はロードアイランド州プロヴィデンスで結成され、現在はポートランド州オレゴンを拠点に活動するジ・ボディ(The Body)と、電子音楽・メタル・デュード最右翼、ハクサン・クローク(Haxan Cloak)による今年度もっともオサレだけども重い一枚。永久に存在しているんじゃないかと思うほど長きに渡ってストイック極まる独自のドゥーム/スラッジを追求してきたデュオ、ザ・ボディは、かつて〈アット・ア・ロス(At A Loss)〉などのクラスト~ドゥームの流れを汲む、遅くておっもい、ダーク・クラストな感性を持つレーベルに発掘され、2011年発表の『オール・ザ・ウォーター・オブ・ザ・アース・ターン(All The Water Of The Earth Turn)』では総勢24名の女性コーラス隊、アッセンブリー・オブ・ライトとのとんでもないコラボレーションでわれわれの度肝を抜いた。Youtubeでいま見ることのできるそれは、思わず笑ってしまうが。

 これだけのインパクトをもった存在を、ゼロ年代以降のエクストリーム・ミュージックに対してインディへの架け橋を提示してきた〈スリル・ジョッキー〉が放っておくわけがない。コーラスやオーケストレーション、時にポスト・プロダクションによる大胆なインダストリアル的エディットを用いて孤高のサウンドを構築してきた彼らは、〈スリル・ジョッキー〉からの前作『クライスツ、レディーマース(Christs, Redeemers)』で、より大きなフィールドを得たのだ。そこに目を光らせたのが現在進行形インディ界随一の天才プロデュース・レーベル〈リヴェンジ・インターナショナル(RVNG Intl.)〉のマット・ウェルス(Matt Werth)である。彼はハクサン・クロークことボビー・ケリック(Bobby Krlic)をロンドンからニューヨークへ呼び出し、一週間スタジオに閉じ込めてジ・ボディのレコーディングのリミックスをおこなわせた。

 リミックスという表現は的確ではない。それはハクサン・クロークの前作『エクスカヴェイション(Excavation)』で証明された彼の職人芸とも呼べる天才的なリ・エディット術を今回も我々に存分に堪能させてくれる。ローファイにフラット化されるザ・ボディの断末魔の叫び、スロッビング・グリッスルなベースライン、ブーストされた拷問ドラムのディケイと打ち込みビートの絡み合いは最高に心地よい。ギター・リフとわかる状態で並べた展開の一部だけはチョイダサいけども、そのあたりも自身のメタル・バックグラウンドをアピールしたいボビー・ケリックの思いととれば微笑ましいではないか。解体、再構築によって両アーティストの才能と経験が加算ではなく乗算された、近年まれにみる好例だ。

 ザ・ボディを結成間もなくからつねに側で見守ってきた〈リヴェンジ・インターナショナル〉の敏腕プロデュースなくしては生まれなかった、最新型スタイリッシュ地獄絵図。「我ここに死すべし」にこめられた肉体の終焉と意識の宇宙的拡張を巡る漆黒の大スペクタクルにオサレ・ゴス・キッズも油ギッシュなノイズ/メタル・デュードも全員首と拳を振り下ろせ!

 スカル・カタログが漏らしていたザ・ボディの乗り物恐怖症伝説──具体的にはある時ヨーロッパ・ツアーをブッキングされたが飛行機が怖すぎて船によって東海岸からヨーロッパへ渡ろうと試みたものの、出航後に恐怖で発狂。救命ボートで陸に引き返したというすさまじい逸話があるらしい。祈来日! ぜひともがんばって克服してほしい。


Gr◯un土 (Chill Mountain / 御山EDIT) - ele-king

○S△K△生まれ古墳郡育ち。
今年10祭の誕生日を迎える大阪奥河内発のSoundCampParty (CHILL MOUNTAIN)主謀者。
全国各地大小様々なCLUB、BAR、CAFE、野外PARTY、はたまたTV塔展望台など DJをツールにレコードと供に年100回以上巡業するOSAKA UTORI世代DJ。
大阪十三に四年間存在した幻しのDJ喫茶ChillMountainHutteを運営&プロデュース。

楽曲制作も行い
“御山△EDIT a.k.aTHE△EDIT”名義でUK.MAGICWAND(UK)からの2枚の12inch.
ROTATING SOULS(US)からの1枚の12inch.
absolute timeとのスプリット12INCH(ChillMountainEp).
7枚のMIXCD.
FEELBACKRECからの計3枚のコンピCDにオリジナル楽曲を提供(ドイツのケーブルTVで使用放送される).
昨年ChillMountainRecより関西奇才19組大集合となるコンピCD(ChillMountainClassics)をプロデュースするなど活動、仕掛け、発想は多義にわたる。
只今チルアウト&アンビエント&ニューエイジに焦点をあてたNEW MIX(Koyabient)を発売中。
今年のCHILL MOUNTAINは9月20日~23日の4日間、河内長野荒滝キャンプ場にて開催。


1
Late Night Tuff Guy - Edits - Razor N Tape (US)

2
Damiand Von Erckert - Giant Pandas And Other Nice Things In Life - AVA

3
Africaine 808 - Lagos, Newyork - Golf Channel

4
John Wizards - Muizenberg - Planet MU Records LTD

5
Clap! Clap! - Tambacounda EP - Black Acre

6
Men In Burka - Techno Allah - Robot Elephant Records

7
Butric - UP - Sei Es Drum

8
Passavanti - Afro Boogie Super Hombre (Full) - Sunlightsquare

9
Chill Mountain Classics - V.A - Chill Mountain Rec(JPN)

10
The△Edit - Magic Wand Vol.5 - Magic Wand

Derrick May - ele-king

 ちょうど今頃、MAYDAY名義の1987年の作品が再発されて、地味に話題になっているデリック・メイのギグが、今週土曜日に代官山AIRであります。ダンス・ミュージック、ハウス・ミュージック、テクノ・ミュージックといったものに興味があって、デリック・メイのDJをまだ聴いたことがない人がいたら、週末はチャンスですよ。DJとしての技術、知識、アイデア、そしてアティチュードにおいて、いまだずば抜けていると思います。デリックの両脇を固めるDJたちも、ヒロシ・ワタナベ、ゴンノをはじめ、クラシック・セットを披露するDJワダなど最高のメンツ。

■7月26日(土)
Hi-TEK-SOUL

代官山AIR | July 26th, 2014

開催日時:
2014年7月26日(土)
OPEN / START 22:00

開催場所:
代官山AIR

出演:
Derrick May (Transmat from Detroit)
Hiroshi Watanabe a.k.a Kaito (Kompakt, Klik Records)
Gonnno (WC, Merkur, International Feel)
DJ WADA (Co-Fusion)
DJ YAMA (Sublime Records)
Ken Hidaka (Hangouter, Lone Star Production)
Milla
Naoki Shirakawa
C-Ken
Shade Sky
Gisu
mick

料金:
¥3500 Admission
¥3000 w/Flyer
¥2500 AIR members
¥2500 Under 23
¥2000 Before 11:30PM
¥1000 After 6PM


interview with Falty DL - ele-king


フォルティDL
In The Wild

Ninja Tune/ビート

TechnoExperimentalFuture JazzJungleAmbient

Amazon iTunes

 ドリュー・ラストマン(DL)は駄作のない男で、いまのところ、どの作品も悪くない。UKガラージ/ダブステップへのNYからのリアクションとして、2009年、〈プラネット・ミュー〉らしからぬラウンジ・ミュージックめいたスタイリッシュなジャケでデビューしたフォルティDLだが、実際その音楽には色気があり、洒落っけがある。
 彼には音楽的バックボーンがある。幼少期にクラシックを学んだという話だが、父の部屋にあったのは60年代ロックのコレクションだった。若きDLは、ときおりジャズ・バンドやオーケストラで演奏しながら、マイルス・デイヴィスの『Live At The Philharmonic』(1973)や『Live-Evil』(1971)といった2枚のライヴ盤をずいぶん聴き込んだという。追って彼は、エイフェックス・ツインの『Richard D. James』(1996)を入口に、マイク・パラディナスやルーク・ヴァイバートなどなど、90年代テクノ/エレクトロニカの探求の旅に出かけるのである。DLのエイフェックス・ツインへの並々ならぬ愛は過去のいくつかの取材で明かされているが、UKベース・ミュージックの世代とはいえ、この出会いが彼を電子音楽へと向かわせた、と言っても過言ではないだろう。

 DLは、自分の音楽を「“IDM”というジャンルおよびタームで呼んでもかまわないと思う」と語ったことがあるが、この発言は彼の音楽をよく表している。UKガラージをやろうが、ジュークやジャングルをやろうが、ジャズ・スタイルにアプローチしようが、彼の土台にはエレクトロニカがある。この1〜2年は、自身のレーベル〈Blueberry Records〉からヒップホップ系のブレイクビート集を出しているが、それらとてIDM的工夫があり、いわゆる「chill but exciting(チルだがワクワクする)」感性が一貫してあるのだ。日本でのDL人気の高さもこのあたりに根拠があるに違いない。

 フォルティDLの2年ぶり通算4枚目のアルバム『In The Wild』は、過去の3枚以上に、IDM的傾向、リスニング・ミュージックとしての趣が色濃い。アンビエントからはじまり、デトロイト・ハウスやUKジャングルをシャッフルしつつ、得意なロマンティックなラウンジ・スタイルも出し惜しみなく展開する。そして、新たにジャズ(流行っているおりますな~)へのアプローチを試みたりと、音楽的にもクラブ・ミュージックという括りにはおさまらない幅の広さを見せている。

ここ数年エレクトロニック・ミュージックが広く浸透して来たのもあって、もはやジャンルに括れなくなったと思う。今回、とくにいままでと大きく違うのは、ダンス・アルバムではなく「音楽のアルバム」を作ろうと試みたポイントかもしれない。

『In The Wild』は、過去の3枚とは一線を画した作品ですね。アルバムの1曲目から、雰囲気が違います。これまでになかったタイプの、よりコンセプチュアルな作品ですね。

DL:そうだね、いままでのアルバムと違うと言うのは、当たっていると思う。でも、アルバムを作るときいつも考えるのが、いままでやったことないことをやろうということだから、その辺はいままでも意識してやってきたことだね。今回、とくにいままでと大きく違うのは、ダンス・アルバムではなく「音楽のアルバム」を作ろうと試みたポイントかもしれないな。

アルバムの2曲目に“New Haven”という、あなたの故郷名が出てきます。これが今回のコンセプトとどんな関係がありますか?

DL:そうだね、もうひとつ、僕が最近行ったスペインの地名も出てくるんだけど、こういった地理を示す言葉を入れたのは、僕自身がもういちど自分の故郷について曲を作ることで、自分がそのとき、どういう夢を持って、どういう未来を描いていたのかっていうことを振り返ろうと思った、というのもある。

その“New Haven”もそうですが、“Do Me”も変調した声サンプリングを効果的に使っています。声ネタには、どんな意味が隠されていますか?

DL:“Do Me”は、この言葉が繰り返し流れることで、クラブで演奏したりするとオーディエンスがみんなそれを叫びはじめて、あっという間にダンス・ミュージックが成立する。“New Haven”は言葉と言葉のあいだにひと呼吸だけおいてサンプリングしているんだけど、これはヴォイス・サンプリングを楽器に例えているというか、ときどき、そのヴォーカル自体が楽器となって、曲を作り上げていくっていうのもいいんじゃないかなって思ったんだ。

“Nine”、“Do Me”、“Heart & Soul”といった曲は、アルバムのなかで重要な位置を占めているのでしょうか?

DL:この3曲はアルバムのなかでもパワフルな曲だね。僕はこのアルバムを作るにあたって、最初から最後までアルバムの流れで全部聴けるように構成したから、僕にとってはどの曲も重要な位置づけの曲ではある。しかし、“Nine”はかなり昔にサンプリングした曲で、この曲の導入部分に使われてるベースは、僕が昔演奏していたような感じにしたんだ。僕個人としてはこの曲は、コード9に捧げる曲として書いたんだ。これは本当だよ。

いままで、あなたはガラージ、テクノ、IDMなど、クラブ・カルチャーのいち部として作品を出してきたように思いますが、今回の作品は、そうしたムーヴメントからは切り離されたもののような印象を受けました。より独立した、ひとつの作品として成立しているんじゃないかと。

DL:そうだね、ここ数年エレクトロニック・ミュージックが広く浸透して来たのもあって、もはやジャンルに括れなくなったんじゃないかなって思うんだよね。たとえばエイフェックス・ツインが活躍した90年代と現代とでは、歌のないインストの音楽のとられられ方が違うからね。だから、いまのほうが、みんな普通にジャンルを問わず受け入れていると思うし、僕のアルバムもジャンルにカテゴライズされずに作品として受け止めてもらえたんじゃないかな。

今回のアルバムで、現代芸術家のクリス・シェンとのコラボレートを望んだ理由を教えてください。

DL:〈ニンジャ・チューン〉に推薦されたんだけど、僕は彼のウェブサイトで作品をみて完全に打ちのめされた。で、さっそく彼と一緒にやることになったんだけど、彼のやりたいようにやって欲しかったからあまり注文をつけたくなくて、お互いできたものを出し合って、何度も何度も修正して作業を進めた。それによって誰も想像できなかったような凄いものが生まれたと思ってる。

〈プラネット・ミュー〉との契約が無くなって、今回で2枚目の〈ニンジャ・チューン〉からのリリースになりますが、レーベルが変わったことで状況の変化はありましたか?

DL:〈プラネット・ミュー〉のときとはまったく違った。〈ニンジャ・チューン〉から初めてリリースしたときは、そのプロモーションの規模の違いに驚かされたよ。おかげで、いままで僕を知らなかった人も僕を知ってくれるようになった。大きいレーベルにいくとなかなか思い通りにならず、自由がきかなくなると言う人もいるけど、僕の場合は〈ニンジャ・チューン〉にいったことで、すべてが良い方向に動いてる。

前作はダンサブルだったし、フレンドリー・ファイヤーのエドワード・マクファーレンを起用するなど、幅広いリスナーに届くような配慮がなされていましたが、今作はそうした著名なゲストを起用しませんでした。

DL:実は、最初はアルバムに何人かヴォーカルで参加してもらおうと考えた。ラッパーとのコラボを中心に考えて作業をしていたんだけど、やっている過程で、僕のアルバムなんだから僕自身の音をたくさん入れればいいんじゃないか? と思った。もちろんいまでもたくさんのラッパーとコラボ作品を作ってるから、それが良い形で発表できると嬉しいよ。

[[SplitPage]]

エイフェックス・ツインの音楽って魂が入っているんだよね。超ハイテクなことをしているんだけど、どこかアナログで魂が宿っているというか。そこがやっぱり他の人とは違う非凡なところだなって思うし、とても影響されている。


フォルティDL
In The Wild

Ninja Tune/ビート

TechnoExperimentalFuture JazzJungleAmbient

Amazon iTunes

あなたは幼少期にクラシックを学び、オーケストラやジャズ・バンドでベースを弾いてましたが、そうした経験は作品のなかに活かされていると思いますか?

DL:ストリングスのサンプルはたくさんあるけど、僕は15歳のときからこういった音楽を聴きながらサンプリングしはじめた。だから、自分の経験として実に活かされていると思うよ。

“Some Jazz Shit”は、アルバムでは最長曲であり、ジャズへの挑戦です。この曲は『In The Wild』のなかである種のオプティミスティックな感覚を打ち出していますよね?

DL:そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとう。実はこの曲を作っているとき、〈プラネット・ミュー〉のマイク(・パラディナス)が手伝いに来てくれた。僕たちは長いこと一緒に仕事をしていた仲だからさ。1曲のなかでドラマチックな展開のある曲はいいねって言いながら作業していたから、実際にとても長くなったけど、アルバムのなかでもこの曲はもっともアップテンポでハッピーな曲だと思う。ハッピーな曲が入ってることって重要だからね。

エレクトロニック・ミュージックの世界には、「ジャズ」という言葉を曲名に入れた多くの名曲がありますよね。“Hi-Tech Jazz”とか“Jazz Is The Teacher”とか“Monkey Jazz”とか、そういう過去の名曲のことは意識しましたか?

DL:うーん、とくに意識してたというより、なんていうのかな……アメリカでは何となくシリアスにとられたくないときに使う、友だち同士で話すときの言葉というか。だからそんな深い意味でもないんだけど(笑)。しかし、そうとってもらえるとは光栄だよ(笑)。

“Heart & Soul”のようなジャングル、あるいは“In The Shit”や“Danger”のような曲には、あなたらしいブレイクビートの実験が見られます。あなたはいまでもジャングルやハードコアを聴いているのですか?

DL:うん、聴いてるし、作ってるよ。ヒップホップも作ったりするよ。いまはかっこいいドラムンベースとかたくさん出て来てるしね。今ヨーロッパではbpmの高いのが流行ってるんだけど、多分一過性のものだと思うんだよね。一回ピークを迎えたら今度はスローダウンしてくるんじゃないかなって思うんだけど。

あらためてエイフェックス・ツインからの影響について話してください。

DL:どこから話して良いのかわからない(笑)。彼の、とにかく全部がすごくて……アホっぽいこともやったり、超かっこいいことを軽くやってのけたり、とにかく一緒にいたら楽しいだろうなって思う。もしかしたら本当に狂ってるだけかもだけど(笑)。……なんていうか、彼の音楽って魂が入っているんだよね。超ハイテクなことをしているんだけど、どこかアナログで魂が宿っているというか。そこがやっぱり他の人とは違う非凡なところだなって思うし、とても影響されている。

あなたはこのアルバムで何かを憂いているようにも、訴えているようにも思います。このアルバムに漂う、メランコリーについて話してもらえますか?

DL:なんていうか、僕の人生にはハッピーなこととメランコリックな部分はたくさんある。ハッピーなことは、何をどうすればハッピーになれるのか自分でわかっているし、それを形にしなくて良いと思うんだ。むしろメランコリックなものを音にして広めるのがアートの役目だと思う。ハッピーなだけのアルバムは作ることができるけど、もっと難しいフィーリングを音に反映することに意味があると思う。

あなたはかねてからジュークを評価してましたが、今回の“Frontin”では、あなたなりの解釈を加えて試みています。現在いろいろな人たちがジュークを自分の作品のなかに取り入れているなか、あなたはジュークをどのような観点から評価しているのでしょうか?

DL:正直、その曲はアルバムに入れる予定じゃなかった。でもいろんな友だちに聴かせたら、みんなこの曲が一番良いっていうから入れたんだけど……。たしかにジュークを使ってはいるけれど、それはこの曲だからって言うのもあって、特別に評価しているから取り入れているってわけでもないんだ。

あなたは自分の作品の売れ行きを気にしますか? 

DL:何を言えばいいのかわからないけど(笑)。〈プラネット・ミュー〉のときはとても簡単で、売り上げが立ったらいくらかもらって、追加注文でアルバムが売れればまたお金を払ってくれるっていうわかりやすいシステムだったけど、〈ニンジャ・チューン〉はもっと複雑で……なんか明細がきてたけど、いまいち意味がわからなかった(笑)。アメリカではspotifyの再生回数すら売り上げとしてカウントする人もいるけれど、僕はその辺よくわからない。僕としては、いつかゴールドディスクがもらえたらそれ以上に嬉しいことはないね(笑)。

ロックをあなたに教えてくれたというあなたのお父さんは、あなたの音楽を聴いていますか?

DL:うん、聴くよ。でもね、僕は父に前のアルバムを送るんだ(笑)。例えばいま新しいアルバムが出たから3年前のアルバムを渡すとかね(笑)。もちろん新しいのも送るけど……なんか新しいのを送るって気恥ずかしいんだよね(笑)。だからいつも父は遅れをとっている(笑)。

ニューヨークの〈ミスター・サタデーナイト〉とはどんな付き合いなのでしょうか? また、今回一緒に来日するアンソニー・ネイプルスとは以前からの地元の友だちなのでしょうか?

DL:彼らのパーティに何度か行って知り合ったん。ついこの前に彼らがやったリリース・パーティは朝5時まで盛り上がった。みんなでクラブ内でご飯も食べて楽しく過ごしたよ。アンソニーとは1年くらい前に一緒にショーをブッキングされた。サンフランシスコだったと思うけど。僕たちはおたがいに忙しいから、なかなかプライヴェートで会うのは難しいけど、また一緒にできるのも嬉しいし、日本に行くのはとても楽しみだ。


■FALTY DL来日情報!

[大阪]
2014.07.18(金曜日)
@CIRCUS
Open : 22:00
Door : Y3500+1d _ Adv : Y3000+1d
Line up : FALTY DL & ANTHONY NAPLES, sou, peperkraft, YASHIRO

[東京]
2014.07.19(土曜日)
@代官山UNIT
Open : 23:00
Door : Y4000+1d _ Adv : Y3500+1d _ beatkart先行(*100枚限定) : Y3000+1d
Line up : FALTY DL & ANTHONY NAPLES, ALTZ, DJ YOGURT, NAOKI SHINOHARA, SEKITOVA, METOME, MADEGG


Anthony Naples - ele-king

 ハウス・ミュージック界の若いタレントとしては日本でも抜群の人気を誇る、現在23歳のアンソニー・ネイプルスが初来日する。7月18日(金)と19日(土)、大阪と東京でDJを披露する予定だ。
 アンソニー・ネイプルスは、2012年の暮れにNYの〈Mister Saturday Night 〉レーベルの第一弾としてリリースされた「Mad Disrespect」でデビューしている。メロディアスでムーディーなハウスだが、若さではち切れんばかりのリズムがあって、都内のレコード店ではあっという間に売り切れた1枚である。評判は瞬く間に広まって、フォー・テットや!!!といった有名どころからリミックスを依頼されたほど。2013年にUKの〈The Trilogy Tapes〉からリリースされた「El Portal 」は、ele-kingの年間チャートのハウス部門の1位に選ばれている。
 なお、今回の来日公演、新アルバムのリリースを間近に控えているNYのフォルティDLも同行する。今週末のカイル・ホールに引き続いて、実にフレッシュな、かなり良いメンツと言えるのではないでしょうか。
 以下、来日ギグまでおよそ1週間と迫ったアンソニー・ネイプルスが簡単に喋ってくれました。


こんにちわ、初来日を楽しみにしているele-kingです。

AN:ありがとう! 僕も日本に行くのを楽しみにしているよ! 

ハウス以外にも、いろいろな音楽を聴いているようですね。ブラック・ダイス、エイフェックス・ツイン、アーサー・ラッセル……アメリカで、エイフェックス・ツインを聴く15歳は珍しいんじゃないですか?

AN:そんなに珍しくもないよ。僕は、まわりの多くの人たちと同じようにラジオを聴いたり、両親の好みに影響をうけて育った。やがて、それに飽きたとしてもインターネットやまわりのクールな友だちから、そういった音楽を見つけたり、知ったりすることは簡単なことだった。僕がサウスフロリダにいた頃、一軒のレコードショップがあった。そのオーナーが、僕らとまったく同じような趣味をしていることに気づいてから、僕らに似た系統でもっと面白いものをどんどん紹介してくれるようになった。音楽に触れるのは本当に自然なことだったと思う。
 僕がエレクトロニック・ミュージックの世界に入ったのは、高校生に入学したばかりの頃だった。ギターに飽き飽きしていたんで、SP-303とか404みたいなサンプラーやシンセに触ってみることにした。めちゃくちゃな配線にしたり、曲がったキーボードとか、そんなもので友だちとたくさんジャムみたいなことをした。
 僕が2009年にNYに越してから、いわゆるクラブとかパーティに 「出かける」とか、まぁ遊び歩くだとか、するようになってからだね、本当の意味でエレクトロニック・ミュージックにインスパイアされるようになったのは。やっぱり、ただヘッドフォンで音楽を聴くだけではなく、そういう環境こそが僕に影響をおよぼしているんだと思う。

生まれは?

AN:生まれたのはフロリダ州のマイアミのはずれで、2009年にNYに越した。いまはロサンゼルスに移って1ヶ月くらいかな。

影響を受けたダンス・ミュージックのプロデューサーは?

AN:多すぎる(笑)! すべてのNYの人たち……音楽活動をはじめた頃はもちろんラリー・レヴァンからアーサー・ラッセル、ウォルター・ギボンズに影響されたし、で、それからUKのほうに興味が向くようになって、その頃はジョイ・オービソン、フローティング・ポインツ、ピアソン・サウンドなどからもインスパイアされた。探求しながら、理解を深めていったんだ。なかでも、とりわけのめり込んだのは、NYに来た頃に初めて買ったアクトレスの 『Hazyville』というアルバムだったな。自分のコンピュータといくつかのサンプルさえあれば、こんなすごいことができるってことを、僕に気づかせてくれたんだ。

先品にハウス・ミュージックのスタイルが多いのは何故でしょうか?

AN:そのときはハウス・ミュージックを作るってことがすごく新鮮に感じられたんだよ。本当の意味でハウスをジャンルとして理解した時期だったし、その頃はNYエリアのパーティに出向くたびにローカルのひとたちやNYにやってくる世界中のDJから新しいトラックを聴くことができた。それは僕にとってすごく刺激的だった。ほんとにエキサイティングなことだったんだ。
 NYを去ってロサンゼルスに住んでるいまは、そういった環境からは少し離れてしまっているように感じるね。ロスはNYやヨーロッパにくらべると、そこまでクラブ・カルチャーが発達しているわけではないからね。でも、この距離感はいま、クラブの環境のなかで聴く音楽やそういったツールとしての音楽について考える代わりに、音楽を本当に深く聴くことに集中させてくれている。それは僕がこれからやろうとしていることに確実に影響してくるよ。とにかく、クラブ・カルチャーは僕にとってはいまだに新しいものだから、どんな意味を持つかってことを言葉にするのは難しいな。

どのような経緯で〈Mister Saturday Night〉のレーベルの第一弾としてあなたの「Mad Disrespect」がリリースされる運びとなったのでしょう?

AN:彼らのパーティに行ってメーリングリストにサインアップしただけだよ。しばらくしてそのメールで彼らがはじめようとしているレーベルがデモを募集していることを知った。そしたら彼らが連絡をくれて、そこからリリースが決まったのさ。何も特別なことはないよ!

では、グラスゴーの〈Rubadub〉とは、どうして知り合ったのですか?

AN:〈Mister Saturday Night〉のひとたちと変わらない。僕は初期の頃、彼らにすごくサポートしてもらった。彼らが作品をつくろうってタイミングで声がかかって作品を提供した。僕はグラスゴーで彼らに会って仲良くなってたし、それも僕にとってはすごく自然なことだったよ。

ご自身のレーベル〈Proibito〉のコンセプト、そして、あなたのような若い世代とってヴァイナルで作品を出すことにはどんな意味があるのか知りたいと思います。

AN:僕は自分のレーベル〈Priibito〉の作品はHard Waxからデジタルでリリースしているし、たぶん他のところからもすぐ同じように配信されると思う。〈Mister Saturday Night〉の最初の2枚のシングルもデジタル配信をされる。〈Rubadub〉に関して言えば、デジタル配信はないだろうけど、でもどうせすべてがインターネット上にあるんだ。ヴァイナルは僕にとってはただの媒体だよ。僕は媒体を気にしたり、より好んだりはしていない。1日中YouTubeで音楽を聴いたりするし、それはヴァイナルでもカセットテープでもCDでもほかのものでも同じ。僕はこれに関して少しも「良い子」でいようと思わない。本当に好きでそれが手に入るなら、どんな形であれ買えばいいと思うし、もし買う余裕がないなら僕らにはYouTubeがあるじゃん(笑)。

アルバムについてはもう考えがありますか?

AN:来年中にはフルレングスのLPを2枚つくりたいと思っているけど、どうなることやら。1枚でもリリースできれば、ハッピーだな。やりとげる時間はあると思ってるけど、まずつくってみないといけない。でも結局は量よりも質にこだわるとは思うから、まぁやってみるよ。

一緒に来日するフォルティDLとはふだんから仲良しなんでしょうか?

AN:僕はイージーゴーイングな人間だから、シーンの誰とでも仲良くする。そして、たまに僕のことを嫌いなやつがインターネットに悪口を書いているのを見るとすごくヘコんだりする。USシーンがすごく健全に機能しようとしているときに、過去のNYの保護者みたいなひとたちが若い人たちがやっていることに対して大きな敵意をもつことは残念に思うよ。でもそれも全部僕の糧になると思うし、音楽をつくっていてライヴをしているすべての人たちにとってもそうだと思う。だから、それはそれ。
 フォルティDLに関して言えば、1度サンフランシスコで共演したことがあって、そのときは素晴らしかった。だから今回もそのときのようになるか、それ以上になるって確信しているよ。

LAに越してしまったという話ですが、現在のNYには、あなたのような若いプロデューサーがたくさんいるのでしょうか?

AN:ああ、そりゃあもう、ありがたいことにたくさんいるよ。そしてそれがNYだけのことじゃないと良いと思う。僕はシンプルなセットで音楽をつくっているんだ。200ドルで買った中古のPCにAlbetonのコピー、それにレコードだとかYouTubeから取ってきたサンプルだけ。誰にでもできるし、テクノロジーは誰にでも使えるようにできてる、だからみんながやるべきだ。もし誰かがこれを読んで、読むことをやめて、インターネットから数時間離れて、音楽をつくってみてもらえたらうれしいな。なにが自分につくれるかなんて誰にもわからないよ!

日本では、あなたの「Mad Disrespect」がリリースされたとき、いきなり反響がありました。今回の来日を楽しみにしているファンは多いと思います。

AN:あたりまえのことをする! いい人たちに出会って、いいレコードをかけて、新しいものを食べて、ただ本当に楽しい時間を過ごすだけのことさ。僕が知っている環境とは全然違った日本に行くことを本当に楽しみにしているし、それはいいことだよ。すばらしいに決まってるでしょう!

■ ANTHONY NAPLES、FALTY DL来日情報!

[大阪]
2014.07.18(金曜日)
@CIRCUS
Open : 22:00
Door : Y3500+1d _ Adv : Y3000+1d
Line up : FALTY DL & ANTHONY NAPLES, sou, peperkraft, YASHIRO

[東京]
2014.07.19(土曜日)
@代官山UNIT
Open : 23:00
Door : Y4000+1d _ Adv : Y3500+1d _ beatkart先行(*100枚限定) : Y3000+1d
Line up : FALTY DL & ANTHONY NAPLES, ALTZ, DJ YOGURT, NAOKI SHINOHARA, SEKITOVA, METOME, MADEGG

https://www.beatink.com/Events/FaltyDL/

interview with Ike Yard - ele-king

ダーク・アンビエントがもっとも盛んなのは、これといった特定の場所というよりも、おそらく僕たちの脳内だ。「ダークネスに対する大衆の欲望を甘く見るな」という台詞は、2012年のUKで話題になった。

 アイク・ヤードは、今日のゴシック/インダストリアル・リヴァイヴァルにおいて、人気レーベルの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉あたりを中心に再評価されているベテラン、NYを拠点とするステュワート・アーガブライトのプロジェクトで、彼は他にもヒップホップ・プロジェクトのデスコメット・クルー、ダーク・アンビエント/インダストリアルのブラック・レイン、退廃的なシンセポップのドミナトリックス……などでの活動でも知られている。ちなみにデスコメット・クルーにはアフロ・フューチャリズムの先駆者、故ラメルジーも関わっていた。

 アイク・ヤードの復活はタイミングも良かった。ブリアルとコード9という、コンセプト的にも音響的にも今日のゴシック/インダストリアル・リヴァイヴァルないしはウィッチ・ハウスにもインスピレーションを与えたUKダブステップからの暗黒郷の使者が、『ピッチフォーク』がべた褒めしたお陰だろうか、ジャンルを越えた幅広いシーンで注目を集めた時期と重なった。世代的にも若い頃は(日本でいうサンリオ文庫世代)、J.G.バラードやフィリップ・K・ディック、ウィリアム・S・バロウズらの小説から影響を受けているアイク・ヤードにとって、時代は巡ってきたのである。


Ike Yard
Remixed [ボーナストラック4曲(DLコード)付き]

melting bot / Desire Records

IndustrialMinimalTechnoNoiseExperimental

Amazon iTunes

 先日リリースされた『Remixed』は、この1〜2年で、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から12インチとして発表されたリミックス・ヴァージョンを中心に収録したもので、リミキサー陣にはいま旬な人たちばかりがいる──テクノの側からも大々的に再評価されているレジス(Regis)、〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からはトロピック・オブ・キャンサー、〈トライアングル〉とヤング・エコーを往復するヴェッセル……、インダストリアル・ミニマルのパウェル、〈ヘッスル・オーディオ〉のバンドシェル、フレンチ・ダーク・エレクトロのアルノー・レボティーニ(ブラック・ストロボ)も参加。さらに日本盤では、コールド・ネーム、ジェシー・ルインズ、hanaliなど、日本人プロデューサーのリミックスがダウンロードできるカードが付いている。
 
 7月18日から3日間にわたって新潟県マウンテンパーク津南にて繰り広げられる野外フェスティヴァル「rural 2014」にて来日ライヴを披露するアイク・ヤードが話してくれた。

初めてレイム(Raime)を聴いて好きになったときに〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉に音源を送った。すぐに仲良くなって2010年にロンドンで会ったよ。実はまだいろいろリリースのプランがあって、いま進んでいるところだ。

80年代初頭のポストパンク時代に活動をしていたアイク・ヤードが、2010年『Nord』で復活した理由を教えてください。

ステュワート・アーガブライト:2010年の『Nord』は、2006年の再発『コレクション!1980-82 』からの自然な流れで、またやれるんじゃないかと思って再結成した。アイク・ヤードは2003年と2004年にあったデスコメット・クルーの再発と再結成に続いたカタチだ。
 両方に言えることだけど、再結成してどうなるかはまったくわからなかったし、再結成すること自体がまったく予想していなかった。幸運にもまた連絡を取り合ってこうやって作品を作れているし、やるたびにどんどん良くなっているよ。

『Nord』が出てからというもの、アイク・ヤード的なものへの共感はますます顕在化しています。昨今では、ディストピアをコンセプトにするエレクトロニック・ミュージックはさらに広がって、アイク・ヤードが本格的に再評価されました。

SA:そうだね。アイク・ヤードのサウンドは世代をまたいで広がり続けている。いま聴いてもユニークだし、グループとしての音の相互作用、サンプルなしの完全なライヴもできる。1982年には4つのシンセサイザーからひとつに絞った。再結成したときはコンピュータ、デジタルとアナログ機材を組み合わせた。『Nord』は再結成後の最初の1年をかけて作ったんだけど、ミックスでは日本での旅やヨーロッパで受けたインスピレーションが反映されている。

ブラック・レイン名義の作品も2年ほど前に〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉から再発されました。

SA:初めてレイム(Raime)を聴いて好きになったときに〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉に音源を送った。すぐに仲良くなって2010年にロンドンで会ったよ。実はまだいろいろリリースのプランがあって、いま進んでいるところだ。

今回の『Remixed』は、〈Desire Records〉と〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉との共同リリースになっていますが、このアイデアも〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉からだったのでしょうか?

SA:レジス(Regis)のエディットが入っている最初のEP「Regis / Monoton Versions 」は〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉との共同リリースで、その後は〈Desire Records〉からだ。
 レジスとの作業は完璧でお互い上手く意見を出し合えた。スタジオを一晩借りて、そこにカール(・レジス)が来て、ずっと遊んでいるような感じだった。3枚のEPにあるリミックス・ヴァージョンを1枚にするのは、とても意味があったと思う。他のリミックスも良かった。新しい発見がたくさんあった。レジスが"Loss"をリマスターしたときは、新しいリミックスかと思うくらい、まったく違った響きがあったよ。
 2012年のブラック・レインでの初めてのヨーロッパ・ツアーは、スイスのルツェルンでレイム、ベルリンでダルハウス、ロンドンでの〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉のショーケースはレイム、レジス、プルーリエントのドム、ラッセル・ハスウェル、トーマス・コナー、ブラック・レインと勢揃いの最高のナイトだった。

ちなみに、2006年には、あなたは〈ソウル・ジャズ〉の『New York Noise Vol.3』の編集を担当していますよね。

SA:〈ソウル・ジャズ〉は素晴らしいレーベルだ。ニューヨーカーとしてあの仕事はとても意味があった。まずは欲しいトラックのリストを上げて、何曲かは難しかったから他を探したり、もっと面白くなうように工夫した。ボリス・ポリスバンドを探していたら、ブラック・レインのオリジナル・メンバーがいたホールの向かいに住んでいたことがわかったが、そのときはすでに亡くなっていた。あのコンピの選曲は、当時の幅広いニューヨーク・サウンドをリスナーに提示している。

UKのダブステップのDJ/プロデューサーのコード9は、かつて、「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」と言ってましたが、ご存じでしたか?

SA:もちろん。コード9はニューヨークの東南にある小さなクラブに彼のショーを見に行ったときにコンタクトをとった。そのときにいろいろやりとりしたんだが、彼の発言は、どこかで「アイク・ヤードは20年前にダブステップをやっていた」から「アイク・ヤードは最初のダブステップ・バンド」に変わっていた。『Öst』のEPの引用はそうなっている。自分としては、当時の4人のグループがダブステップ的なライヴをできたんじゃないかってことで彼の言葉を解釈してる。

コード9やブリアルを聴いた感想を教えてください。

SA:ふたつとも好きだ。とくにコード9 & スペース・エイプの最初のリリースが気に入っている。最初のブリアルに関しては、聴き逃すは難しいんじゃないかな。ものすごくバズっていたからね。

[[SplitPage]]

レジスはタフだ。彼はまた上昇している。ニーチェが呼ぶ「超人」のように働いている。自分は、テクノと密接な関係にある。やっている音楽はミニマル・ミュージックでもある。

ダブステップ以降のアンダーグラウンドの動きと、あなたはどのようにして接触を持ったのですか?

SA:アイク・ヤードのリミックスが出たときに、シーンからフレッシュなサウンドとして受け取ってもらえたことが大きい。あと、ここ数年のインダストリアル・テクノ・リヴァイヴァルと偶然にも繋がった。僕たちのほかとは違った音、リズム、ビートが面白かったんだろう。

ヴェッセルも作品を出している〈トライアングル〉、ないしは〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉など、新世代のどんなところにあなたは共感を覚えますか?

SA:新しいリリースはチェックしている。いま誰が面白いのかもね。彼らは知っているし、彼らのやっていることをリスペクトしてる。エヴィアン・クライストを出している〈トライアングル〉のロビンから連絡が来て、レッドブル・アカデミーのスタジオでエヴィアンと1日中セッションしたこともある。
 〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉はブラック・レインの『Dark Pool』のリリース後にとても仲良くなった。パウェルはブラック・レインの最初のライヴで一緒になって友だちになった。トーマス・コナーとファクションもいた。〈RVNG Intl.〉のマットのリリース『FRKWYS』の第5弾にもコラボレーションで参加したよ。

『Remixed』のリミキサーの選定はあなたがやったのですか? 

SA:だいたいの部分は僕がやったね。リミックスのアイデアは〈Desire Records〉と企画して、好きなアーティストを並べて決めた。

リミキサーのメンツは、みな顔見知りなのですか?

SA:ほとんど会ったことがある。ない人はEメールでやりとりしている。日本のリミキサー陣はまだ話したことはない。あとイントラ・ムロスとレボティ二。ブラック・ストロボはとても好きだ。2003年のDJヘルの再発で、ドミナトリックス(Dominatrix)の「The Dominatrix Sleeps Tonight」では本当に良いリミックスをしてくれた。

レジスやパウェル、アルノー・レボティーニ(ブラック・ストロボ)のような……、クラブ・カルチャーから来ている音楽のどんなところが好きですか?

SA:時間があるときはできるだけ多くのアーティストを聴くようにしている。クラブの世界は、いま起きている新しいことがアーティストやDJのあいだで回転しているんだ。実際、同じように聴こえるものばかりだし、面白いと思えるモノはたいしてないんだが……。そう考えると、次々と押し寄せる流行の波のなかで生き抜いているレジスはタフだ。彼はまた上昇している。ニーチェが呼ぶ「超人」のように働いている。
 僕は、テクノと密接な関係にある。やっている音楽はミニマル・ミュージックでもある。他のアーティストを見つけるのも、コラボレーションするのも楽しい。新曲でヴォーカルを何曲か録って、アイク・ヤードのマイケルと僕とでザ・セイタン・クリエーチャーと“Sparkle"を共作した。そのときのサミュエル・ケリッジのリミックスはキラーだよ。〈Styles Upon Styles〉からリリースされている。音楽もビートもすごいと思ったから、JBLAのEPもリリースした。自分まわりの友だちと2012年にブリュッセルでジャムして作ったやつで(〈Desire Records〉から現在リリース)、〈L.I.E.S.〉のボス、ロン・モアリとスヴェンガリーゴーストとベーカーのリミックスもある! 最後に収録されているオルファン・スウォーズとのコラボでは、彼らが曲を作って僕が詞を書いた。クラブ・ミュージックと完全に呼べるものは、来年には発表できると思うよ。

とくに印象に残っているギグについて教えてください。

SA:6月にグローバル・ビーツ・フェスティヴァルで見たDrakha Brakha (ウクライナ語で「押す引く」)は良すぎるくらい良かった。キエフのアーティストで、エスノなヴォーカルやヴァイブレーション、オーガニックなサウンド、チェロ、パーカッションが入っている。彼らは自分たちの音楽を「エスノ・カオス」と呼んでいた。
 毎年夏に都市型のフリー・フェスティヴァルがあるが、自分にとってはとても良い経験だ。いつでも発見がある。レジス、ファクトリー・フロア、ヴェッセル、スヴェンガリーゴースト、シャドーラスト、ピート・スワンソン、ヴェロニカ・ヴァシカ……なんかとのクラブ・ナイトを僕もやりたい。

ダーク・アンビエント、インダストリアル・サウンドがもっとも盛り上がっている都市はどこでしょう?

SA:ダーク・アンビエントは、これまでにも多くの秀作がある。アイク・ヤードの4人目のメンバーでもあるフレッド(アイク・ヤードのリミックスEP第2弾でもレコンビナントとして参加)の曲は素晴らしく、『Strom Of Drone』というコンピレーションに収録されいたと思う。
 ドリフトしているドローンが好きだ。たとえば、アトム・ハートの、『Cool Memories』に収録されている曲、トーマス・コナーの『Gobi』と『Nunatak』、プルーリエント、シェイプド・ノイズ、クセナキス、大田高充の作品には深い味わいがある。
 ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』に触発されたブラック・レインの『Night City Tokyo』(1994)は、自分たちがイメージする浮遊した世界観をより正確に鮮明に描いていると思う。つまり、ダーク・アンビエントがもっとも盛んなのは、これといった特定の場所というよりも、おそらく僕たちの脳内だ。「ダークネスに対する大衆の欲望を甘く見るな」という台詞は、2012年のUKで話題になった。

東欧には行かれましたか? 

SA:おそらく東ヨーロッパは次のアルバムのタイミングで回るだろう。母親がウクライナのカルパティア人なんだ。コサックがあったところだ。で、僕の父親はドイツ人。母親方が石炭採鉱のファミリーで、ウェスト・ヴァージニアにいて、沿岸部に移り住んでいった。ウクライナ、キエフ、プラハ、ブタペスト、イスタンブールは是非行ってみたい。

日本流通盤には、コールド・ネーム、ジェシー・ルインズ、hanaliなど、日本人プロデューサーのリミックスがダウンロードできます。とくにあなたが気に入ったのは誰のリミックスですか?

SA:コールド・ネームしかまだ聴けてないけど、とても気にっている。

こう何10年もあなたがディストピア・コンセプトにこだわっている理由はなんでしょう?

SA:「ダーク」と考えらている事象を掘り下げるなら、あの頃はストリートが「ダーク」だったかもしれない。1978年のニューヨークは人種問題で荒れていた。その影響もあってダークだったと言えるけど、実際はそんなにダークではなかった。
 1981年にアイク・ヤードのメンバーに「もし電源が落ちて真っ暗になっても、僕たちはそこでも演奏し続ける方法を見つけよう」と伝えた。そのとき得た回答は、自分がロマンティックになることだった。
 自分たちには陰陽がある。暗闇の光を常に持っている。もっともダークだったストリートにおけるそのセンスは、やがて世渡り上手でいるための有効な手段となった。僕は、近未来のディストピアのなかで前向きに生きることを夢見ていなたわけではなかった。シド・ミードは、未来とは、1984年までの『時計仕掛けのオレンジ』、『ブレードランナー』、『エイリアン』、『ターミネーター』と同じように、世界をエンタテイメント化していると認識していた。
 ジョージ・ブッシュの政権に突入したとき、どのように彼がイラク戦争をはじめるか、その口実にアメリカの関心は高まった。彼の親父はサダム・フセインからの脅しを受けていた。が、当時のディストピアは、時代に反応したものではなかった。ヒストリー・チャンネルは『ザ・ダーク・エイジ』や『バーバリアンズ』といったシリーズをはじめたが、母親のウクライナと父親のドイツの血が入っている僕にとって、自分たちがバーバリアンであると信じていた。バーバリアンから来ているオリジナルのゴスに関して言えば、僕にドイツ人の血が流れているか定かではないけど、ドイツにいるときその何かを感じたことはある。自然環境、場所、そしてミステリーの狭間でね。
 2005年から2009年にかけてのディストピアについても言おう。ブラック・レインのベーシストのボーンズと再結成前のスワンズのノーマン・ウェストバーグは、ペイガニズム、アミニズム、ブーディカといったイングランド教、ドルイド教、その他クリスチャンにさせようとするすべての勢力に反した歌詞を根幹とした。新しい「ローマ」がどこで、それが誰であるかを見つけなければならない。そしてそれがいつ崩壊するのかも。

[[SplitPage]]

1981年にアイク・ヤードのメンバーに「もしも電源が落ちて真っ暗になっても、僕たちはそこでも演奏し続ける方法を見つけよう」と伝えた。そのとき得た回答は、自分がロマンティックになることだった。

80年代初頭、あなたはニューヨークとベルリンを往復しましたが、あれから30年後の現在、ニューヨークとベルリンはどのように変わったのでしょうか?

SA:83年の春にベルリンに来たとき、デヴィッド・ボウイとブライアン・イーノによる『ロウ』や『ヒーローズ』の匂いが漂っていた。その2枚は自分にとってとてつもない大きな作品だったから、ワクワクしていたものさ。
 アイク・ヤードのその当時の友だちはマラリア!で、彼女たちは78年に自分が組んだザ・フュータンツのメンバー、マーティン・フィッシャーの友だちでもあった。マラリア!とは、リエゾン・ダンジェルーズ (ベアテ・バルテルはマラリア!の古き友人)と一緒に79年にニューヨークに来たときに出会ったんだ。
 クロイツベルクではリエゾン・ダンジェルーズのクリスロ・ハースのスタジオで何週間か泊まったこともあったよ。まだ彼が使っていたオーバーハイムのシンセサイザーは自分のラックに残っている。
 当時のベルリンは、ブリクサとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンが全盛期でね。初めて行ったときは幸運にも友だちがいろいろ案内してくれた。マラリア!のスーザン・クーンケがドレスデン・ストリートにあるスタジオで泊まらせてくれたり、ある日みんなで泳ぎに出かけようてなったときにイギー・ポップの彼女、エスターがすぐ上に住んでいることがわかったり……。78年から89年のナイト・クラビングは日記として出したいくらい良いストーリーがたくさんある。 そのときの古き良き西ベルリンは好きだった。いまのベルリンも好きだけどね。 83年以来、何回かニューヨークとベルリンを行き来してる。アイク・ヤードは8月25日にベルリンのコントートでライヴの予定があるよ。
 ニューヨークももちろん変わった。人生において80年代初期の「超」と言える文化的な爆発の一端は、いまでも人種問題に大きな跡を残してる。いまでも面白いやつらが来たり出たりしてるし、これまでもそうだった。女性はとくにすごい……まあ、これもいつだってそうか。音楽もどんどん目まぐるしく展開されて前に進む。
 〈L.I.E.S.〉をやっているロン・モアリは、近所のレコード屋によくいた。リチャード・ヘルとは向かいの14番地の道ばたで偶然会ったりする。
 しかし、ときが経つと、近所に誰がいるとか、状況がわからなくなってくるものだ。友だちも引っ越したり、家族を持ったりする。僕はイースト・ヴィレッジの北部にあるナイスなアパートに住んでいる。隔離されていて、とても静かだから仕事がしやすい。2012年のツアーではヨーロッパの20都市くらい回って、そのときはいろんな場所に住んだり、仕事もしてるが、ニューヨークがずっと僕の拠点だ。

最近のあなたにインスピレーションを与えた小説、映画などがあったら教えてください。

SA:以前も話したけど、僕のルーツは、J.G.バラード、P.K.ディック、ウィリアム・ギブソンだ。ワシントンDC郊外の高校に在籍していた多感な少年時代には、ウィリアム・バロウズの影響も大きかった。あとスタンリー・キューブリックだな。ドミナトリックスをやっていた頃の話だけど、1984年にワーナーにで会ったルビー・メリヤに「ソルジャー役で映画に出てみないか」と誘われたことがあった。フューチャリスティックな映画だったら良かったが、現代の戦争映画で自分が役を演じているという姿が想像つかなかった。が、しかし、その後、彼女は『フルメタル・ジャケット』のキャスティングをしていたってことがわかった(笑)。
 日本の映画では怪談モノが好きだし、黒澤明、今村昌平、若松孝二、鉄男、石井岳龍、森本晃司、大友克洋、アキラ、ネオ・トーキョー、川尻善昭『走る男』……なんかも好きだ。いまはK.W.ジーターとパオロ・バチガルピが気に入っている。
 ブラック・レインのアルバムでは、ふたつのサイエンス・フィクションが元になっていて、K.W.ジーター(P.K.ディックの弟子で、スター・トレックも含む多くの続編小説を生んだ作家)の『ブレード・ランナー2 :エッジ・オブ・ヒューマン』(1996)の小説。もうひとつはパオロ・バチガルピの『ザ・ウィンド・アップ・ガール』(2010)からのエミコの世界に出て来る新人類。
 いまちょうど著者のエヴァン・カルダー・ウィリアムスと、「今」を多次元のリアリティと様々な渦巻く陰謀を論じる新しい本と音楽のプロジェクトを書いている。
 もうひとつの本も進行中で、2000年頃から10年以上かけてロンドンのカルチャー・サイト、ディセンサスを取り入れてる。このスタイルの情報に基づいた書き方は、イニス・モード(意味を探さしたり、断定しないで大まかにスキャニングする)とジョン・ブラナー(『Stand On Zanzibar』、『Shockwave Rider』、『The Sheep Look Up』)に呼ばれている。ブラナーの『Stand On...』は、とくにウィリアム・ギブソンに影響を与えているようにも見えるね。

アイク・ヤードないしはあなた自身の今後の活動について話してください。

SA:早くアイク・ヤードの新しいEPを終わらせたい。新しい4曲はいまの自分たちを表している。そしてアルバムを終わらせること。『Nord』以降はメンバーが離ればなれで、みんな忙しいからなかなか進まなかった。
 次のアルバムは『Rejoy』と呼んでいる。日本の広告、日本語、英語を混ぜ合わせた言語で、アイク・ヤードにとっての新境地だ。ある楽曲では過去に作った歌詞も使われている。ケニーや僕のヴォーカルだけではなく、いろんなヴォーカルとも作業してる。アイク・ヤードのモードを変えてくれるかもしれない。
 また、新しいアルバムでは、ふたりの女性ヴォーカルがいる。日本のライヴの後、3人目ともレコーディングをする。そのなかのひとりは、エリカ・ベレという92年のブードゥー・プロジェクトで一緒になった人だ(日本ではヴィデオ・ドラッグ・シリーズの一部『ヴィデオ・ブードゥー』として知られている)。エリカは、昔はマドンナとも共演しているし、元々はダンサーだった。最初のリハーサルはマイケル・ギラ (スワンズ)と一緒でビックリしたね。
 新しいアルバムができた後は(EPは上手くいけば今年の終わりに〈Desire Records〉から、アルバムは来年以降)、「Night After Night」の再発にリミックスを付けて出そうかと思っている。ライヴ・アルバムもやりたい。
 あとは初期のブラック・レイン、ドミナトリックス、デスコメット・クルーのリリースも考えたい。サウンドトラックのコンピレーションも出るかもしれない。新しいテクノロジーを使いながら、新しいバンドも次のイヴェント、ホリゾンでやろうかとも思ってる。いまは何よりも日本でのライヴが楽しみだ。


※野外フェスティヴァル「rural 2014」にてアイク・ヤード、待望の初来日ライヴ! (レジスも同時出演!)

■rural 2014

7月19日(土)午前10時開場/正午開演
7月21日(月・祝日)正午終演/午後3時閉場 [2泊3日]
※7月18日(金)午後9時開場/午後10時開演 から前夜祭開催(入場料 2,000円 別途必要)

【会場】
マウンテンパーク津南(住所:新潟県津南町上郷上田甲1745-1)
https://www.manpaku.com/page_tour/index.html

【料金】
前売 3日通し券 12,000円
*販売期間:2014年5月16日(金)〜7月18日(金)
*オンライン販売:clubberia / Resident Advisor / disk union 及び rural website ( https://www.rural-jp.com/tickets/
*店頭販売:disk union(渋谷/新宿/下北沢/町田/吉祥寺/柏/千葉)/ テクニーク
*規定枚数に達しましたら当日券(15,000円)の販売はございません。

駐車料金(1台)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。

テント料金(1張)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。タープにもテント代金が必要になります。

前夜祭入場料(1人)2,000円
*当日エントランスでお支払いただきます。前夜祭だけのご参加はできません。



【出演】
〈OPEN AIR STAGE〉
Abdulla Rashim(Prologue/Northern Electronics/ARR) [LIVE]
AOKI takamasa(Raster-Noton/op.disc) [LIVE]
Benjamin Fehr(catenaccio records) [DJ]
Black Rain(ブラッケスト・エヴァー・ブラック) [LIVE]
Claudio PRC(Prologue) [DJ]
DJ NOBU(Future Terror/Bitta) [DJ]
DJ Skirt(Horizontal Ground/Semantica) [DJ]
Gonno(WC/Merkur/International Feel) [DJ]
Hubble(Sleep is commercial/Archipel) [LIVE]
Ike Yard(Desire) [LIVE]
Plaster(Stroboscopic Artefacts/Touchin'Bass/Kvitnu) [LIVE&DJ]
Positive Centre (Our Circula Sound) [LIVE]
REGIS(Downwards/Jealous God) [LIVE]
Samuel Kerridge(Downwards/Horizontal Ground) [LIVE]
Shawn O'Sullivan(Avian/L.I.E.S/The Corner) [DJ]

〈INDOOR STAGE〉
Abdulla Rashim(Prologue/Northern Electronics/ARR) [DJ]
AIDA(Copernicus/Factory) [DJ]
Ametsub [DJ]
asyl cahier(LSI Dream/FOULE) [DJ]
BOB ROGUE(Wiggle Room/Real Grooves) [LIVE]
BRUNA(VETA/A1S) [DJ]
Chris SSG(mnml ssg) [DJ]
circus(FANG/torus) [DJ]
David Dicembre(RA Japan) [DJ]
DJ YAZI(Black Terror/Twin Peaks) [DJ]
ENA(7even/Samurai Horo) [DJ]
GATE(from Nagoya) [LIVE]
Haruka(Future Terror/Twin Peaks) [DJ]
Kakiuchi(invisible/tanze) [DJ]
KOBA(form.) [DJ]
KO UMEHARA(-kikyu-) [DJ]
Matsusaka Daisuke(off-Tone) [DJ]
Naoki(addictedloop/from Niigata) [DJ]
NEHAN(FANG) [DJ]
'NOV' [DJ]
OCCA(SYNC/from Sapporo) [DJ]
OZMZO aka Sammy [DJ]
Qmico(olso/FOULE) [DJ]
raudica [LIVE]
sali (Nocturne/FOULE) [DJ]
SECO aka hiro3254(addictedloop) [DJ]
shimano(manosu) [DJ]
TAKAHASHI(VETA) [DJ]
Tasoko(from Okinawa) [DJ]
Tatsuoki(Broad/FBWC) [DJ]
TEANT(m.o.p.h delight/illU PHOTO) [DJ]
Wata Igarashi(DRONE) [Live&DJ Hybrid set]

< PRE PARTY >
Hubble (Sleep is commercial/Archipel) [DJ]
Benjamin Fehr (catenaccio records) [DJ]
kohei (tresur) [DJ]
KO-JAX [DJ]
NAO (addictedloop) [DJ]
YOSHIKI (op.disc/HiBRiDa) [DJ]

〈ruralとは…?〉
2009年にはじまった「rural」は、アーティストを選び抜く審美眼と自由な雰囲気作りによって、コアな音楽好きの間で徐々に認知度を上げ、2011年&2012年には「クラベリア」にて2年連続でフェスTOP20にランクイン。これまでにBasic Channel / Rhythm & Sound の Mark Ernestusをはじめ、DJ Pete aka Substance、Cio D'Or、Hubble、Milton Bradley、Brando Lupi、NESS、RØDHÅD、Claudio PRC、Cezar、Dino Sabatini、Sleeparchive、TR-101、Vladislav Delayなどテクノ、ミニマル、ダブ界のアンダーグラウンドなアーティストを来日させ、毎年来場者から賞賛を集めている野外パーティです。小規模・少人数でイベントを開催させることで、そのアンダーグラウンド・ポリシーを守り続けています。
https://www.rural-jp.com

The Swifter & David Maranha - ele-king

 ザ・スイフターは、ドラム・パーカッションのアンドレア・ベルフィ、ピアノのサイモン・ジェイムス・フィリップス、エレクトロニクスのBJ・ニルセンらによるトリオ編成のインプロヴィゼーション・グループである。リリースは、実験電子音楽レーベル〈エントラクト〉から。
 ザ・スイフターは2013年に〈ザ・ワームホール〉という〈タッチ〉のカセット専門レーベルの、サブ・レーベルからファースト・アルバムをヴァイナル・オンリーでリリースしており、本作が2作めのアルバムとなる。内容は、2013年2月にリスボンで行われたライヴ録音である。総収録時間は30分ちょうどで、ミックスはメンバーのアンドレア・ベルフィが担当。そしてゲスト奏者としてポルトガルのミニマル・ミュージックのベテラン、デヴィッド・マランハがオルガンで参加している。デヴィッド・マランハとアンドレア・ベルフィはこれまでにも競演がある。

 エレクトロニカ以降の電子音響シーンを多少でも知っている方ならばご存知だろうが、アンドレア・ベルフィ、サイモン・ジェイムス・フィリップス、BJ・ニルセンらは、〈ルーム40〉や〈タッチ〉などの老舗・著名音響レーベルなどからアルバムを発表しているアーティストである。
 近年では、アンドレア・ベルフィは、2012年に〈ルーム40〉から打楽器とドローンが絶妙に融合した作品を発表しており、サイモン・ジェイムス・フィリップスも同じく〈ルーム40〉から、シャルルマーニュ・パレスタインのようなミニマルなピアノ・アルバムをリリースしている。BJ・ニルセンは昨年〈タッチ〉から環境そのものを思考/聴取するような新譜を送り出している。デヴィッド・マランハは、ステファン・マシューやデヴィッド・グラブスなどともコラボレーションを行っている。

 ちなみに私がこのグループのことが気になったのはBJ・ニルセンが参加していたからだ。BJ・ニルセンは先に書いたようにフィールド・レコーディングにエレクトロニクスのエディットした環境工学的な作品で知られる音響作家である(環境と音を考察する著書を刊行したばかり。日本のサウンドアーティスト、ユイ・オノデラが参加)。その彼がまさかこのような演奏主体のフリー・ミュージックのメンバーに加わるとは思ってもみなかったのだ。もちろん3人の経歴(とデヴィッド・マランハの競演歴)を考えれば、それほど突飛なことではないと理解できるのだが。
 また、〈エントラクト〉から、このような演奏主体の音源をリリースされることも珍しい。実験電子音楽とフリー・ミュージックのジャンル性が越境されていくのはいいことだし、〈エントラクト〉にしては400部とプレス数も多いので、レーベル側も力を入れているのだろう。
 じじつ本作を聴いてみると、フリー・インプロ・リスナーだけでなく、エレクトロニカ/実験音響のリスナーにも訴求する力があるようにも思える。インプロ主体のフリー・ミュージックでありながら、フリーにありがちな極端な静寂と轟音を行き来する演奏というよりは、一定のミニマルな持続(ドローン)を中心線に置いているので、どんなにフリーな演奏が繰り広げられようと、エレクトロニカ以降のドローン/アンビエントを経由した聴き方ができると思うのだ。

 演奏のメインは、サイモン・ジェイムス・フィリップスのシャルルマーニュ・パレスタイン的なミニマル・ピアノとアンドレア・ベルフィのドラムスである。フィリップのピアノは光の点滅のようにミニマルな演奏を延々と続け、ベルフィのドラムは一定の反復を繰り返すハイハットに、アクセントのようにリズムを打ち込んでいく。そしてこれら演奏の中心線に、ドローン的な線の音楽が流れている。
 そのドローン感覚を浮き彫りにさせるのが、ゲスト参加デヴィッド・マランハによる電気オルガンだ。このオルガン・ドローンがじつに素晴らしい。デヴィッド・マランハのオルガンは比較的に小さくミックスされており、よく耳を澄まさないと聴こえない。もちろんこのミックスは意図的なものだろう。なぜなら、「聴こえるか/聴こえないか」の中間のほうが聴き手はより音に耳を傾けることになるのだから。その結果、覚醒と陶酔が同時に巻き起こるようなサウンドが生成しているのである。轟音といってもいいアンドレア・ベルフィのドラムと光のように点滅するサイモン・ジェイムス・フィリップスのピアノの「あいだ」に鳴り響く柔らかくシルキーで煌くようなドローン・サウンドの素晴らしさ。

 そう、このグループの演奏は、たしかにインプロだが、しかし音たちは、ひとつのドローン=中心線に沿って鳴っているのだ。アルペジオもドラムの自在なフィルも、すべて文節化されたドローンのようなものである。ここにこそ、このグループの演奏が、いわゆるフリージャズ的なインプロとは違う「音響的フリー・インプロヴィゼーション」として成功している理由があるように思える。
 そして、3人の演奏に異質な他者として介入してくるのが、BJ・ニルセンのエレクトロニクスだ。エレクトロニクスといっても、彼が自分のアルバムで使うようなフィールド・レコーディング素材なども変形されつつ用いられている。演奏の持続の中に、エレクトロニクスを介入させることによって、音楽の速度を、その内側から変えていくのだ。そこでは周期的な持続と非周期的な音が交錯している。つまりは演奏とグリッチの交錯。

 2014年現在、エレクトロニカ以降の環境は、クリック/グリッチからドローン/アンビエントを経由したフリー/インプロヴィゼーションへと移行しつつあるのではないか。もちろん、これはいまにはじまったことではないが(2004年からすでにフェネス、ピタ、大友良英、サチコMの競演盤などがあった)、緻密なプログラミングから豊穣な不確実性の導入という変化は、この時代において必然性がある(ジャズ人気の再燃やブラジル音楽の人気の背景には、人間による演奏とエレクトロニクスの拮抗が重要なポイントだろう)。たとえばこの7月には、〈スペック〉から音響作家マシーン・ファブリックが率いるインプロヴィゼーション・バンドPiiptsjillingの新作『Molkedrippen』がリリースされる。今年1月にはカフカ鼾の素晴らしい作品も発売されている。

 この「音響作家と演奏家によるフリー・インプロ・バンド」が、ドローン/アンビエント以降の新しい環境として、幾多の優れた先例(つまりは成功と失敗)を踏まえつつ、新たな潮流となていくのだろうか? さらに、ここにトータスからラディアンへと至り、現在、頓挫している演奏とエレクトロニクスのフォームの現在へと繋げてみると、どのようなパースペクティヴが浮かび上がるのだろうか? ドローン/アンビエントが、いささか紋切り型へとむかいつつある現在だからこそ注目したい動向である。

interview with Kyle Hall - ele-king

 最初のEPが出た2007年から、あるいはそれ以前から、大きな注目を集めていたカイル・ホールの初来日がやっと実現する。16歳でオマー・Sのレーベル〈FXHE〉から(14歳のときに作った曲で)登場し、翌年には自身のレーベル〈Wild Oats〉を設立。昨年には満を持してファースト・アルバム『The Boat Party』をリリースして高い評価を得た。そのサウンドには、デトロイトという特殊な音楽文化を持つ街で育まれたタフさと、若さと、希望が詰まっている。

 現在22歳の彼は、地元であるデトロイト市内を拠点に、世界を飛び回る人気DJとして、レーベル・オーナーとして、そしてプロデューサーとして、誰もが夢見るような生活を送っている……かのように見えるが、実はそれ故のストレスや悩みを抱えているようだ。
 今回、「せっかくの初来日だから」とインタヴューを申し込んだところ、実はいちど断られた。ここ最近はほとんど取材を受けていないという。二度目の懇願によって渋々承諾してくれたものの、当初はあまり乗り気ではなかった。話しているうちに、その理由が明らかになり、最終的には期待していた以上に深い対話が出来たと思う。そして彼の、いい意味での真面目さと成熟さが表れていると思う。本邦初の、1万字を超えるロング・インタヴューをじっくりお楽しみ下さい。


■KYLE HALL Asia Tour

2014年7月11日(金)
22:00〜
@代官山AIR

料金:3500円(フライヤー持参)、3000円(AIRメンバーズ)、2500円(23歳以下)、2000円(23時まで)

出演:
【MAIN】Kyle Hall(Wild Oats/from Detroit)、DJ Nobu(FUTURE TERROR/Bitta)、sauce81 ­Live­, You Forgot(Ugly.)
【LOUNGE】ya’man(THE OATH/Neon Lights)、Naoki Shinohara(Soul People)、Ryokei(How High?)、Hisacid(Tokyo Wasted)
【NoMad】O.O.C a.k.a Naoki Nishida(Jazzy Sport/O.O.C)、T.Seki(Sounds of Blackness)、Oibon(Champ)、mo2(smile village)、Masato Nakajima(Champ)


みんながオルタナティヴなサブカルチャーに属したがっていて、そのオピニオン・リーダー的なメディアの言いなりになっている。新しいサブカルチャーを創り出すために過去の歴史の解釈まで曲げられてしまっているようにさえ思う。インターネットは自分の意見を持っている人には素晴らしい道具だけど、ただのフォロワーには悪影響を及ぼすものだ。

日本語でのインタヴューは初めてなので、まず基本的なことから聞かせて下さい。

カイル・ホール(KH):あまりに基本的過ぎることは聞かないで欲しいな。最近あまりインタヴューを受けないようにしているんだけど、それはもう何度も何度も同じことを言い続けている気がするからなんだ。正直、「僕の言うことよりも、僕の音楽を聴いて下さい」って思う(笑)。それ以上に、あまり言うことはないよ。〈Wild Oats〉というレーベルをやっているから、それをチェックして下さい、くらいかな(笑)。

なるほど。わかりました。では、基本的な質問はやめましょう。私が聞いてみたいと思っていたことを、まず聞かせて下さい。音楽を作ることと、DJをすることは違う表現方法です。今回、あなたにとって初来日になりますから、日本のオーディエンスはあなたの作品は聴いているけど、DJプレイは聴いたことがないわけです。ですから、みんな「DJとしてのカイル・ホールはどうなのか?」ということに注目していると思います。ご自分ではどう思われますか? あなたにとって制作とDJの違いは? あなたの作品はDJとしてのあなたをも代弁していると思いますか?

KH:その答えは……ノーだね。僕の作る音楽は、そのときどきの自分を表現しているので、DJをしているときの自分とは必ずしも重ならない。DJをするときは、自分がかけたいと思うレコード、僕はアナログ・レコードをプレイするので、それをレコード・バッグに詰めるところからはじまっている。持っているレコードを全部詰められるわけではないので、そこには制限があって、そのときの自分の気分、どちらかというと自己満足のために選んだレコードを持っていく。自己満足というのは、自分だけを楽しませるという意味ではなくて、自分が思う、その状況に最適であろうと考えるレコードを選ぶということ。その判断には、僕が考えるそれぞれのオーディエンスの趣向や、期待を考慮する。
 DJプレイというのは会話みたいなもので、まず僕がいくつか自分が聴きたいと思う曲をかけてみて、お客さんの反応を見る。そうすると、ダンスフロアにいる人たちの耳がどこにあるのか、ということが少しわかる。途中でフロアを離れる人もいれば、入って来る人もいるから、それを繰り返しながら状況を掴んでいく。でも、人はみんな違うし、土地によっても違いがあるから、なかなか難しい。人によって、そのパーティに期待してくるものも違う。特定のものを聴きたくて来る人もいれば、オープンに違ったものを受け入れる人もいる。そのDJの芸術性を評価しに来る人もいれば、DJが誰だかよく知らずにただ踊りに来ている人もいる。こういったいろんな人たちと自分の相互作用が、その夜のエネルギーとなるから、予想がつかないよね。

ラインナップや、出演順によっても受け取り方が変わりますよね。

KH:そうそう。例えば、前のDJがものすごく速いテンポだとか、大音量とかでプレイしていたら、その後に出るDJの印象がまた変わる。DJにもいろいろいるしね。例えば、「俺はみんなと一緒にパーティしに来たんだ」と言うDJもいるけど、必ずしもお客さんが楽しむ音楽で自分が楽しめるわけではないから、妥協を強いられることもある。でも僕にとっては妥協をする方が難しいから、それならお客さんをそこまで盛り上げなくても、自分がかけたい音楽をかけようと思うこともある。

DJはエンターテイナーというだけではないですもんね。

KH:そう! エンターテイナーとアーティストは違うと思う。そしてアーティストの方が、お客さんとの接点を見つけるのに時間と努力を要するよね。その接点がなかなか見つからないと、「僕が音楽スノッブ過ぎるのかな?」と自問することもあるけど、僕が本当にいいと思ってかけたものに反応してもらえることもある。逆に、自分はそんなに好きじゃないけど、きっとお客さんには受けるだろうと思ってかけたら、全然ダメだったり(笑)。本当に優れたアーティストは、お客さんを自分の世界に引き込んで、その良さを知ってもらうことが出来るんだろうけど。

個人的には、DJ本人が本当に好きでかけたいものをかけることがもっとも重要だと思いますけどね。

KH:僕もとても重要だと思う。でも、誰もがそういう風にやっているわけじゃない。よく、「これは(フロアで)機能する」という曲をかける人がいる。それってただのツールということだよね。でも、そういったツールをかけることで、次にかける本当に思い入れのある曲を引き立たせるというテクニックもある。そういう風に、最適なコンテクスト(背景/文脈)を準備するということもDJの醍醐味だと思う。

それを踏まえて聞きたいんですが、だとすると、あなたがまったく知らない場所、例えばまだ行ったことのない日本でプレイする際には、どのような準備をするんですか? すでにあなたはヨーロッパ各地でたくさんプレイしていますし、アメリカでもしていますよね。でも日本はそのどちらとも違います。

KH:そうだね、僕もそういう印象を持っているよ。ユニークな場所だってね。たしかに、ヨーロッパはどの国でやるにしてもだいたい状況を把握している。例えばロンドンは、ほぼ自分の好き勝手にやっても大丈夫なんだ(笑)。でもイタリアとか、その地域によっても、もう少しベーシックなところを押さえないといけないな、とか。
 日本については、僕が知っている限りでは、かなりアーティスティックにやっても受け入れてもらえるところだと認識している。でも、RAのドキュメンタリー(Real Scenes: Tokyo)を観て、もしかしたらもっと制限されているのかな、とも思ったり。実はもっとニッチに細分化されていて、僕に期待されていることと僕が実際にやりたいことはかけ離れている可能性もあるのかな、とも思う。

[[SplitPage]]

本当に頭がおかしくなりそうになるよ。だって、僕がどんなにクリエイティヴに面白いことをやっても、必ず「デトロイト版の」とか「デトロイト・サウンド」って言われちゃうんだから! セオ・パリッシュがどうのとか、必ず他の誰かとの比較で書かれる。

日本のオーディエンスはあなたにどんな期待をしていると思いますか?

KH:わからないよ! 僕のレコードの印象かな? あとは、デトロイトのレガシー(遺産)との連続性を期待されているということはいろんなところで感じるよ。過去20年間、デトロイトの他のDJたちがやってきたこと。オンラインで僕の記事を見ても、だいたいそれと比較されている。

それは嫌ですか?

KH:嫌だよ! 僕が作る音楽はすべて、他の誰かのフィルターを通して語られるんだ。例えば、僕が〈Hyperdub〉から曲を出すと、「〈Hyperdub〉からのデトロイト・サウンド」と言われる。「カイル・ホールがたまたま〈Hyperdub〉から曲を出しました」とはならないんだよ。ただのアートなのに、たくさんの先入観があるんだ。日本についても、そこがちょっと怖いな。僕個人を、いろんな冠を付けずにそのまま受け入れてくれたらいいんだけど……本当に頭がおかしくなりそうになるよ。いつも何らかの「箱」に入れられて。

そうですか! そんなに苦しんでいたとは。

KH:だって、僕がどんなにクリエイティヴに、面白いことをやっても、必ず「デトロイト版の」とか「デトロイト・サウンド」って言われちゃうんだから! セオ・パリッシュがどうのとか、必ず他の誰かとの比較で書かれる。

たしかに私も書きました……(苦笑)。

KH:つねに先に誰かがやったことと比較されて、僕はいちばんになれないんだ。聴く前からこういうものだって決めつけているから、その枠の外、他のコンテクストで捉えられない。何も先入観を持たずに、ただ音を聴いてくれたらって思うよ。

たしかにそれは嫌かもしれません。でも、まったく何の先入観も持たずに音楽を聴くというのは無理ですよね。あなたの作品を手に取っている、聴こうとしているという時点で、すでに何かの情報を参考にして興味を持っているわけですから。

KH:それはそうだ。だから、先入観をまったく持たないで欲しいとは言わない。何らかの期待や楽しみを持って聴いてくれるのは構わないけど、決めつけて欲しくないんだ。多くの場合、曲を聴く前の段階ですでに何らかのパッケージに入れられてしまっているから。曲そのものよりも、それについての情報で評価/判断している。
 僕は、いまの、人びとのカルチャーについての情報の受け取り方全般に問題があると思っている。メディアでそれを発信している人たちが、そのカルチャーをあまり理解していないと感じるから。個人的に新しい音楽を発見したり、出会ったりするんじゃなくて、そういうところから与えられた情報のみで判断してしまっている。

鋭い指摘です。でも、例えば私の場合は、他のデトロイトのアーティストなどから、あなたの曲やDJプレイを聴く前にあなたのことを聞いていたので、それで興味を持ちました。デトロイトの先輩たちから、とてもかわいがられている若者という印象だったので、それがそれほどあなたの重荷になっているとは意外でした。

KH:それもおとぎ話だよ!! 実際はそんなにイイ話ではないんだ。もちろん、自分の周りにいる人たちや育った環境をありがたく思う面もあるけど、それには良い面と悪い面がある。ビター・スゥートというかね。僕が先輩たちにかわいがられて育てられたというのは、メディアで書かれていること。ある時点では、僕より年上のデトロイトのDJは全員僕の師匠ってことになっていたんじゃないかと思うよ(笑)。たしかに交流はあったかもしれないけど、たぶん僕の年齢のせいだろうね……たしかに親切にしてくれた人もいっぱいいたけど、すべてを彼らに教わったわけじゃない。実際はどちらかというとその逆で、僕は孤独なことが多かった。ひとりで試行錯誤しながら音楽の作り方も学んでいった。いつも誰かと一緒にスタジオに入って教えてもらっていた、なんてことはないんだ。僕はインターネット世代だから、自分で調べていたよ。
 たしかに、90年代などはみんな音楽仲間がいて、一緒に機材や情報をシェアして音楽を作っていたのかもしれないけど、僕の世代は違う。そういう環境ではなかった。僕は13歳だったからね。まわりにそんな仲間はいなかった。リック・ウィルハイトのレコード屋(Vibes New & Rare)に行って話をしたりはしていたけど、それ以外のレコード屋の多くは無くなってしまったし、デトロイトのアーティストはほとんどいつもヨーロッパに出払ってしまっていて、地元にいない。オマー・Sは例外で、たしかに彼はいろんなことを教えてくれた。ディストリビューションのこととか、ビジネスのことも。僕の音楽もオープンな耳で聴いてくれた。彼は、僕を手助けしてくれたけど、他の人についてはそんなに……(笑)。僕の音楽は、まわりからの影響よりも、内面から生まれている部分が大きいんだ。いまだに多くの人が、僕を12歳みたいに思っているようだけど、もう立派な大人だよ! もう22歳なんだから!

22歳ですか……(!)。先ほど、DJをする際に、たくさんのレコードを持って行くことは出来ないので制限があると言っていましたよね。レコードでDJすることは、いわばオールドスクールな方法で、新しいテクノロジーを使えば、もっと多くの曲を持ち込んだりすることも可能です。しかも若いのに、どうしてレコードという不便なフォーマットを選んでいるんですか?

KH:逆にそれは僕が不思議に思うことなんだけど、DJに関するテクノロジーの進化って、利便性を高める方向に進んでいる。例えば、ピアノ奏者に、「なぜいまだにピアノを使って演奏してるの?」と聞く人は誰もいない。本物のピアノの音がいいからに決まってる! 僕はレコードの音が好きなのと、レコードでDJすることは楽器を弾くみたいに楽しめるから。CDやUSBなどのレコードからリップした(録音した)デジタル音源も使うけど、リップするとそのときの録音状態に左右されるから、レコードそのものとは音が違う。僕は違う針を使ってみたりして何パターンか録ったりするよ。レコードの方が目に見えて、手に触れるから愛着が湧く。ピッチコントローラーひとつを触っても、レコードだと何か生のものを触っているという感触が得られるけど、デジタルだと実感が湧かないというか、ヴァーチャルな感覚だよね。変な感じ。でもレコードにもいろいろあって、同じ曲でもプレスによって聴こえ方が全然違ったりする。例えば、〈Rush Hour〉が出してる古いシカゴのリプレスは、コンプレスされ過ぎていて全然音が良くない。リリースしている人たちの好みに変えられている。人によってどこをいいと思うかは違うからね。文化的背景によっても違うかもしれない。それまで聴いてきたレコードとか。
 ヨーロッパとアメリカの違いは、僕にとっては興味深いよ。アメリカのブラック・ミュージックとヨーロッパの人たちがアメリカの音を真似して作っている音楽とか! 彼らが考えるアメリカ音楽のいいところと僕らの聴き方は違っている。その交流があって、お互いが影響を受けたりしている。
 カール・クレイグの音楽なんかは、そのいい例だと思う。彼の音楽的な変化は、明らかにヨーロッパからの反響を反映していると思うな。ヨーロッパのレコードは、凄くヴォリュームとパンチがあるけど、それはクラブの環境がそういう風に設定されているから、そういう音が映えるんだと思う。でもアメリカに戻って来ると、それほど強烈じゃなくてもいいというか、みんなもっと音楽の内容を聴いているという感じがする。だから、しょっちゅう行き来していると混乱してしまう。ヨーロッパでやるときは、音を大きくし過ぎてしまう傾向があるな、僕は。

そうですね、そういう違いは面白いですよね。私個人の印象では、ヨーロッパでは機能的な踊りやすいダンス・ミュージックが好まれ、そうではない異質なものに対しては許容範囲が狭い。それと比較すると、日本のオーディエンスはとても許容範囲が広いと思いますし、予期していない音楽が聴こえてきても、その良さを受け入れようとします。だから、結論としては、カイル君は自分のやりたいように、好きなものを思いっきりプレイすればいいと思いますよ!

KH:そうか。わかった(笑)。でも、その一方で「日本人に受ける」とされている曲もいくつかあるんだよ。「日本でこれをかければ間違いない」ってね! それが本当かどうかは僕にはまだわからないけど、クリーンなキーボード・サウンドやベースラインが入っているような曲は、日本の人は好きなのかなと思う。ハウス/ブラック・ダンス・ミュージックにおいて、だけどね。黒人のDJが来ると、それが「純正の」サウンドなんだと期待するようなもの。

それはたしかにあるかもしれませんね……少し話は変わりますが、私があなたについてとくに面白く興味深いと思っているのは、UKの同世代のアーティストたち、例えばファンキンイーヴンとのコラボをしたり、ベース・ミュージック・シーンと交流があって〈Hyperdub〉からもリリースをしているところです。いわゆる、「デトロイト・シーン」だけでなく、ロンドンの地元のシーンにも入り込んでいる。そういう人がデトロイトから出てきたことはかつてなかったんじゃないでしょうか。

KH:そうだね、「デトロイト」ってひとつの軍隊でもあるかのようだからね(笑)。でも、あなた自身が言うように、それでも僕はデトロイト組からは抜け出せてない。

いや、それはそんなに悲観しなくても、まったく違うバックグラウンドを持った他のシーンに同士を見つけて、一緒に音楽をやっているということは素晴らしいじゃないですか。

KH:うん、UKに関してはとくに、それほどバックグラウンドの違いを感じないんだ。同じようなものを聴いて育ってきて、同じようなものを好んでいると思う。僕がロンドンで交流のある人たちは、僕と音楽の聴き方がとても似ている。ファンクやソウルといったブラック・ミュージックがずっと聴かれてきた土壌があるからだろうね。
 でも、〈Hyperdub〉とファンキンイーヴンは全然別の繋がり方で、〈Hyperdub〉は2008〜2009年頃に僕の出した曲を聴いて向こうからアプローチしてきたんだ。僕の音楽は、UKでいちばん反響があったし、実際にいちばん売れた。最初は、リミックスを依頼されたところから親交がはじまったんだ。ヨーロッパでいちばん、僕を歓迎してくれた人たちだった。

[[SplitPage]]

僕の場合は17歳でこういう環境に放り込まれたから、何もわかっていなかったよね。まわりと比べると、年齢の割には音楽的な理解なども成熟している方だとは思うけど、気持ちの面ではまったく成熟していなかった。

私の印象では、多くのデトロイト・ファンたちが、あなたが次なるムーディーマンかオマー・Sのような作品を出すことを期待していたのに対して、あなたは凄くユニークで風変わりなリリースで世に出てきた。とても実験的なリズムでした。それが、UKのポスト・ダブステップのシーンにおいて、よりしっくりと馴染んだんじゃないですか?

KH:それはあると思う。僕が彼らにとって面白いことをやっていたというだけでなく、彼ら自身も僕がUKの〈Thirdear〉、〈Warp〉、〈Ninja Tune〉といったレーベルでリミックスを手がけりトラックを提供したことで余計にハイプ化していったところもあると思うよ。自分自身はそこまでベース・ミュージックに傾倒しているとは思わないけど、ウエスト・ロンドンの音楽には大きな影響を受けていると思う。ディーゴの〈2000 Black〉とか。それが、いまのベース・ミュージックにも反映されているんだろうけど、その部分を認識している人は少ないかもしれないね。僕がブロークンビーツのレコードをかけても、彼ら(UKのお客さん)は誰も知らないんだもん(笑)! DJやアーティストは知っているかもしれないけど、オーディエンスは本当に知らない。

それは彼らが若いからじゃないですか? あなた自身の若いのに、何でそんなに知っているの(笑)?

KH:それはおかしいよ。誰だって、僕と同じくらい知ってていいはずさ。だってインターネットがあるじゃない! 知らない方がおかしいと思うけどな!

でもあなたは、明らかにロンドンのクラブで遊んでいる20代前半のキッズたちよりも古い音楽を知っていますよね。

KH:それはそうかも。ときどき違う言語を喋っているような気分になるよ(笑)。たしかに、僕の音楽の善し悪しの判断に、それが新しいものかどうかということは考慮されない。自分が楽しめるかどうか、というだけ。ジャンルや時代はあまり意識しない。音楽を知りはじめの頃は、ある程度それを参考にしなければいけない時期もあるけど、インターネットですぐに辿ることが出来るし、レコードを買うことも出来る。
 いまは、サブカルチャーが主流の時代だと思うんだよね。みんながオルタナティヴなサブカルチャーに属したがっていて、そのオピニオン・リーダー的なメディアの言いなりになっている。新しいサブカルチャーを創り出すために過去の歴史の解釈まで曲げられてしまっているようにさえ思う。そういう意味で、インターネットは、自分の意見を持っている人には素晴らしい道具だけど、ただのフォロワーには悪影響を及ぼすものだと思うな。

おっしゃる通りです。それに、クラブにはパーティ好きと音楽好きの二種類のお客さんがいると思うんです。パーティ好きの子たちも、本人たちは音楽が好きだと思っています。だからしょっちゅう遊びに行くんだけど、レーベルやアーティストの名前くらいは知っていても、それ以上にその音楽的ルーツを遡ったりはしない。

KH:そうそう! それもあるよね。そして、そういう子たちは、自分の好きなレーベルやプロモーターが薦める音楽をそのまま「良い音楽」だとして鵜呑みにする。そうやって好みが形成されているんじゃないかな。でも、それはある程度は人間の持つ性質で、まわりに認めてもらいたい、自分の居場所を見つけたいという欲求から来ているんだろうと思う。僕もそういう部分はあるし。人間の営みのあらゆるレヴェルで現れてくること。音楽の趣味に留まらず、自分のアイデンティティそのものだよね。
 「黒人の男性はどうあるべきか」とか、「ロンドンの白人の若者は遊びに行くときにどんな格好をしているべきか」とか(笑)。自分が属したいと思う集団と、自分も似たような格好になってくるもの。誰だって、みんなに愛されたいんだから! 愛されたいけど、個性的でもありたい、というジレンマだよね。

おっしゃる通りです! これだけ正直にいろいろ話してもらえて嬉しいですよ。でも、いろいろとフラストレーションを抱えているようでちょっと驚きました(笑)。

KH:ものすごくフラストレーションを抱えているよ!! もともと気分屋なところもあるのかもしれないけど、僕は嘘がつけない性格なんだ。とても調子が良くてすべてが上手くいっていると思うときもあるけど、その裏側が見えてしまったりすることもある。いろんなことを知れば知るほど、複雑な気持ちになるというかさ。

基本的に音楽メディアやクラブ・ミュージック産業そのものに、活動していくなかでフラストレーションを感じますか?

KH:そうだね、つねに葛藤を感じるからフラストレーションがあるんだと思う。僕はもともと、ツアーをして回ることが好きな方ではなくて、クラブにいてそこで入って来る情報には疲れてしまうことが多い。自分の目的を惑わせるというのかな。僕は、自分自身の核となる目的意識を持っている。でもその一方で、ある程度は流れに身をまかせたい自分もいる。日々の出会いを受け入れて生きていくこと。それだけで幸せに生きていける人もいるけど、自分のなかで達成したい欲求、自分のユニークな部分を発揮して達成したいこともある。そういう自分の内面から沸き上がって来ることと、周囲の人びとや出来事から受ける刺激やエネルギーで成し遂げられることもある。それが自分以外の人を幸せにすることもある。
 僕はつねにこのふたつの側面の葛藤を感じているんだよね。実際に外国に行ってツアーをして、いろんな人と交流すると音楽の聴き方や受け取り方も変化してくる。まわりを楽しませたいという気持ちから、無意識に自分を変えているところがある。でも、家に帰って来ると、「あんなことやこんなこともやらなければ!』と思う。家に戻って来ると、ツアー中とはまた価値観がガラリと変わるからなんだ。凄く変な感覚だよ。二重生活を送っているみたいな。音楽的にもね。
 自分でも、クラブに出かけたり外国に行ったりする前と比べて、自分の音楽が凄く変わったと思う。ただひとりで音楽を作ってリリースしていた頃と比べるとね。それは、おそらく僕が自分自身のことを知る前の早い時期から、こうした極端な変化にさらされたことも関係していると思う。自分が何者なのかを知るのって、時間がかかることだと思うんだ。一生それがわからないまま生きていく人もいると思うし。僕の場合は、17歳でこういう環境に放り込まれたから、何もわかっていなかったよね。まわりと比べると、年齢の割には音楽的な理解なども成熟している方だとは思うけど、気持ちの面ではまったく成熟していなかった。

私なんて22歳でも自分が誰だかなんてわかってなかったですよ! 17歳でデトロイトに住みながら、しょっちゅうヨーロッパのツアーをしていろんな人に会って……という体験をするのは消化するのが大変だったでしょうね。

KH:そうなんだ! 消化しきれなくて、そういう二面性が出来上がってしまう。海の向こうにいるときの自分と家にいるときの自分。自分が求めている以上の範囲の人付き合いをしなくてはいけないから、逆に感覚が麻痺してくる。DJがどうのこうのという以前に、人としてさ。ヨーロッパでは、自分が喋りたいとも思わない人と喋りたいとも思わないことを喋らないといけない、あるいは自分自身が望んでいる以上に、周囲を楽しませないといけない、という気分になるんだ。

家(地元)に居た方が落ち着きますか?

KH:イエスでありノーだね。落ち着く部分もあるけど、やはりここから脱出したいと感じることもある。地理的に、もっと気候のいいところがいいなと思ったりもする。例えば、LAに行ったりすると、もっと気候がいいから人も明るい。デトロイトにはデトロイト特有の、人間関係のめんどくささがある。ちょっと変な部分がね。

それほど大きいコミュニティではないですもんね、何となく想像はつきます。

KH:そう、あまり人が多くないからね。それにいまは、新しく移り住んできた人たちとずっとここに住んできた人たちとの間の摩擦があるし、単純に黒人と白人との間の摩擦もあるし、人と人が凄く分離されていると感じる。例えばレストランに食事に行くと、僕が黒人だからサービスがあまり良くないと感じることがある。他の町では感じないのに。ミッドタウンにいると、理由もなく警察に車を止められたり……ニューヨークではこんなことは起こらないのに。ニューヨークではみんな自分のことに忙しくて、価値観や美学もそれぞれにあり過ぎて、お互いをかまっていられない。競争が激しいから誰に対しても最高のサービスを提供しないと生き残れない。でもデトロイトでは人が少ないせいで、余計にお互いのことを干渉して、摩擦が起きている。黒人同士の変な摩擦も感じるよ。過去の歴史のせいで、埋め込まれてしまって消えない敵対心が残っていると思う。

どこか別の場所へ引っ越そうとは思ったことはありますか?

KH:いや、長期的に引っ越そうと思ったことはないな。

とくに、デトロイト・シーンとつねに関連づけられることが嫌だったら、どこか別の町に引っ越してしまうのが手っ取り早いのでは(笑)?

KH:あはは、そこまで嫌がっているわけではないよ! そういう意味で距離を置きたいという意味ではないんだ! 僕はデトロイト出身だからって自分のやっていることを判断されたくない、他のデトロイトのアーティストたちの副産物みたいな扱いをされたくないというだけで、デトロイトとの関係性を否定するつもりはないよ。ここに住んでいることの利点もあるんだ。良いところも、そして悪いところも。まず、ここに家を買ったから、ここが地元だし去るつもりはない。

22歳で家を買ったんですか!

KH:コンドミニアムだけどね。デトロイトのダウンタウンに。いまの状況を考えると、それが得策だと思ったし、それにここが僕の地元だから、自分の力で変えていきたいという気持ちもある。僕とジェイ・ダニエルでやっているパーティなんかも、僕ら自身がここで楽しめることをやりたいと思ってやっている。生活のためにならヨーロッパのギグだけこなしていればいいんだけど、地元の環境も変えていきたいからなんだよ。自分たちの居場所を確認する作業でもあるかな。

[[SplitPage]]

僕は「白人みたいな喋り方をする」と言われて、壁を感じた。自分の居場所を探すのに苦労したんだよね。そういうときに人はどうするかというと、自分の好きなことに没頭するようになる。僕の場合は、それが音楽だった。

以前、あなたのアルバム『Boat Party』の日本版CDにライナーノーツを書かせてもらったんですが、あなたがデトロイトの希望であると書いて締めくくったんです。もしかしたら、若さを強調されることも自分では嫌かもしれませんが、その若さで完全にDIYでレーベルをやって、音楽を制作して、しかもジェイ・ダニエルやMガンといった地元の同世代の若い子たちをそこから紹介している。率直に凄いと思いますよ!

KH:たまたま僕の場合は他より少し若いときにはじめたというだけで、やっていることはそれほど珍しいことじゃないんじゃないかなぁ。

その若さで、自分がやりたいことの方向性が定まっていて、しかも実行に移しているというだけで本当に凄いと思います! 自分が16歳の頃なんて音楽のことすら大して知りませんでしたよ。

KH:それはもしかしたら、僕の場合は「何も考えずに適当に生きる」というオプションがなかったからかもしれないな。僕の場合はすべてが目の前で選択を迫ってくるような環境だったから、ぼんやりとしている余裕はなかったというか。僕は姉がいるんだけど、ひとりっ子みたいな育ち方をしたんだ。だから、退屈だったら自分で遊びを考えなければいけなかった。僕は単純に、他のアーティストとプレイしているだけでもいい、という選択肢があることを知らなかった(笑)。何か変化を起こしたければ、自分でやるしかないと思い込んでいたんだ。子供の頃から、「もっとこうなればいいな」と思うことがたくさんあったし、その変化への欲求が原動力になると思っていた。デトロイトは、他の多くの町よりも嫌なところ、過酷なところが目につきやすい町だからね。年上の人と付き合うことが多かったことも影響しているかな。もっと若いときに、リック・ウィルハイトのレコード屋に通っていたことはすでに話したけど、僕の交友関係や情報源になっていたのは、僕の両親くらいの年齢の人が多かった。
 デトロイトでは、自分の社会的・文化的な立ち位置によって、かなりの部分の人格が決まる。例えばどんな喋り方をするか、どうして僕の好むような音楽を好きになったか、ということもだいたい説明がつく。例えばデトロイト市内の人口はほとんどが黒人で、ほとんどの子供は市内の公立学校に行く。でも、公立学校は問題を抱えているところが多い。僕の場合は平均的か、もしかしたら平均よりも恵まれた環境で両親にもちゃんとケアしてもらって育って来た。僕は市内ではなく郊外の学校に入れてもらったから、より広い視野を持てたと思う。エレクトロニック・ミュージックについて知ったのも、郊外の白人学校に通っている友だちからだった。彼らは黒人だったけど、白人ばかりの学校に行っていたんだ。
 だからかなり早い時期から、自分は何者なのか、ということを意識させられ続けていたと思う。まわりは白人の子ばかりで、僕が住んでいたデトロイト市内は「危険なところ」という見方をしていることを知ったり、例えば僕はカトリックの学校に行ったから、市内によくいる、結婚していない両親のあいだに生まれた子は地獄に行くって教えられたり……こういうことが子供にとっては重いプレッシャーになる。だから、郊外の学校から市内の自分の家に戻ると、自分がエイリアンに感じるんだ。逆にまわりの黒人の子供たちがどんなことをやっているかわからなくなるから。
 僕はその後、高校は市内の学校、Detroit School of Artsに進学した。公立だけど良い学校とされている。でも、やはり公立だから、そこに来ている子たちは僕とは違った育ち方をしていたりする。ものの見方も違うし、人との付き合い方も違った。僕は「白人みたいな喋り方をする」と言われて、壁を感じた。自分の居場所を探すのに苦労したんだよね。そういうときに人はどうするかというと、自分の好きなことに没頭するようになる。僕の場合は、それが音楽だった。僕の母はシンガーで、音楽をやっている友だちがたくさんいた。そのなかでもとくに仲が良かったのがDJレイボーンという人で、彼が僕にレコードでのDJの仕方を教えてくれた。それが僕の楽しみになって、音楽を通じて仲間が見つかった。

私個人も似たような体験をしたので良くわかります! 私の経験から言うと、ハイスクールで負け組だった子の方が、その後活躍しますよね!

KH:ははは。そうかもしれない。自分のことに集中出来るからかもね。ハイスクールの頃から恵まれていて、そのまま調子良くいく人もいるけどね! まあ僕の場合はそうではなかった。僕は同年代の子にはそれほど共感できなかったから、上の世代の人たちに音楽のことを教えてもらって、こういう好みになっているんだと思う。

自分に置き換えて考えると、15〜16歳の音楽に興味を持っている子が自分の近くにいたら、喜んで何でも教えてあげちゃうと思うんですよね。やはりリック・ウィルハイトのような年上の人たちからかわいがられたでしょう?

KH:リックは本当にそうだったね。彼は音楽の知識を人に伝えるのが大好きなんだ。単純にレコードの話をするのが好きだしね。そうじゃない人もたくさんいるよ。教えたくない、話さないって人も! まだお前には早いとか、もっと努力しないと得られないものだとか、そういう風な態度の人もね。デトロイトのダンス・ミュージックのシーンは、若者に解放されたものではなかった。どこへ行っても、いつも僕が最年少だった。若い人たちにとって魅力があるものではなかったとも言える。お母さんと同じ年の人たちとつるみたくない、とかね(笑)。
 人気のあるダンス系のミュージシャンは、ヨーロッパにファン基盤があって、地元にはあまりない。地元の若者たちにその魅力を伝える方法すらなかったと言える。世代間の隔たりは大きいと思うね。僕が高校に行っていたときも、「こんなのゲイの音楽だ」とか、「年寄りの音楽だ」、「何だこのゴミみたいな音楽」って言われていたもん。

そんな(笑)! でもいまは、あなたやジェイ・ダニエルが一緒にパーティをやったりしているじゃないですか? 少しは若い子たち、あなたと同世代の子たちも興味を持ちはじめたと思いますか?

KH:うん! いまはまったく状況が変わったと思う。僕自身も、自分がこの世界に足を踏み入れたときよりもずっと楽観的だよ。僕は自分の経験を、なるべく多くの人とシェアしたいと思っているから、僕が「いい」と言えば、僕のことを好きでいてくれる人が興味を持ってくれるんじゃないかと思う。僕がやっていることに興味を持って聴いてくれる若い子もいるし、実際にパーティにも来てくれるよ。
 僕らがMotor City Wineというバーでパーティをやりはじめたときは、年齢制限の問題があった。アメリカで若い子がダンス・ミュージックに興味を持たない理由のひとつが、この年齢制限だと思う。ほとんどの州では21歳以上じゃないとクラブに入れないから。飲酒が21歳からだからね。
 でもいまは、僕がある種前の世代といまの世代の架け橋になっているのかな、と思う。年上の人たちに聞いてもたぶん若い子のシーンは知らないと思うけど(笑)、確実に出来てきていると思うよ。だから、僕は希望を持っている。音楽を作っている子がたくさんいるし、これから大きくなってくると思う。僕より若い子もいっぱいるし、もともとこういう音楽に興味があってデトロイトに移り住んで来ている若い子もいる。

素晴らしい! それは嬉しいですね。このインタヴューがあなたのDJツアーの宣伝になるかは疑問ですが(笑)、インタヴューとしてはとてもいい内容になったと思います。ありがとうございます。

KH:DJの宣伝のためのインタヴューなんて、意味がないよ! 僕は逆にこういう話が出来て良かったと思っている。ありがとう!

あなたのDJを楽しむに当たって日本のお客さんには、先入観なしに、自然な反応を素直に出してくれたらいいですね。

KH:そうだね、そうしてもらえるのがいちばんありがたい。

最後に何か今後のプロジェクトなどの告知はありますか?

KH:あまり先に情報は出さない主義だけど……近々、〈Wild Oats〉から、必ずしもデトロイト出身ではない若いアーティストを紹介していくので、注目していて下さい。いい音楽を用意していますから!



■KYLE HALL Asia Tour

2014年7月11日(金)
22:00〜
@代官山AIR

料金:3500円(フライヤー持参)、3000円(AIRメンバーズ)、2500円(23歳以下)、2000円(23時まで)

出演:
【MAIN】Kyle Hall(Wild Oats/from Detroit)、DJ Nobu(FUTURE TERROR/Bitta)、sauce81 ­Live­, You Forgot(Ugly.)
【LOUNGE】ya’man(THE OATH/Neon Lights)、Naoki Shinohara(Soul People)、Ryokei(How High?)、Hisacid(Tokyo Wasted)
【NoMad】O.O.C a.k.a Naoki Nishida(Jazzy Sport/O.O.C)、T.Seki(Sounds of Blackness)、Oibon(Champ)、mo2(smile village)、Masato Nakajima(Champ)

 目下、海外では「YouTubeからインディ・ミュージックがいなくなる?」という議論が起きている。
 YouTubeがサブスクリプション(定額制)サービスをはじめるという話は、ご存じの方も多いだろう。サービス開始にあたって、YouTubeは、メジャーよりも悪い条件での契約( The Worldwide Independent Network (WIN)によれば『フェアは言えない条件』)をインディ・レーベルに強いているというのだ。そして、新しい契約に合意しないインディ・レーベルは、コンテンツを取り下げられてしまう状況にあるという。
 このところ、ほとんどの海外(音楽)メディア──『ガーディアン』から『ピッチフォーク』がそのことを話題にしている。有料化自体を反対する『GIZMODO』のようなメディアもある。
 こうした動きに対して、XLをはじめとするインディ・レーベルは反対の動きを見せ、アメリカのインディ・レーベル連合A2IMは米連邦取引委員会に抗議、契約の不当性を問うているという。また、レディオヘッドのエド・オブライエンは、今回の衝突のもっとも危惧すべきこととして、『ビルボード』に以下のようなコメントを寄せている。「インディ・アーティストとレーベルは、音楽の未来の最先端にいる。彼らを規制することは、インターネットをスーパースターとビッグ・ビジネスのために構築するという危険を孕んでいる」
 たとえば、日本では洋楽が売れなくなった……などとこの10年よく言われる。たしかに旧来の産業構造においては売れなくなったのだろうが、これはインターネットの普及によって消費のされ方が大ヒット依存型から脱却したに過ぎないのではないか、ということを本サイトをやっていると感じる。たとえば、アジカンを好きなマサやんがアルカを聴く──前者はともかく後者のような実験的な音楽は、ネット普及前の世界では、それなりにマニアックな店に行かなければ聴けなかったが、いまでは簡単にアクセスすることができる。ひと昔前なら「売れないから」という理由で店から閉め出された多様性は、この10年、より身近なところに来ている……はずだった。
 何にせよ、インディ・ミュージックのファンにとって、今後の動向が気になるところだろう。(野田)

 いまさらって感じもあるんで、飛ばしていきます。
 前回は……ビザも帰りの航空券もなかったものの、EU加盟国でないスイスに無事入国。かの地のゲストへの歓待ぶりに感心し、まだもう少しつづくはずの旅について夢想しつつ結んだのだった。ローブドア(Robedoor)のブリット・ブラウン(〈NNF〉代表)、アレックス・ブラウン(ローブドア)、マーティン(サンド・サークルズ/Sand Circles)僕の4人はチューリッヒからバーゼルへ入った。

■OCT 18th
 最初にツアー日程を確認した際に、なるほど、18日はバーゼルでデイオフなのね。観光できるのね。と浮かれてみたものの、まさかのハコの名前が〈OFF〉っつーオチでした。この日はよくも悪くもいわゆるパンク・スクワットな場所で音質はもちろん劣悪。集客もマチマチといったところで不完全燃焼であった感は否めない。翌朝にロザーン入りする前にギーガー美術館へ行こうということになり、イヴェント終了後に身内で勝手に『エイリアン』をスクリーンに上映しながら飲みはじめる。僕ら4人が『エイリアン』にエキサイトしている階下にお客さんのひとりが申し訳なさそうに降りてきて『マーチを売ってほしいんだけど……』と言われるまで完全にライヴをおこなったことを忘れていた。ちなみにこのハコっつーか、ビルに宿泊してたわけだが、シャワー風呂がなぜか台所に置いてあるフランシス・ベーコン・スタイルで家人にモロ出しだった。しかも窓際でカーテン無しなので向かいの家にもモロ出し。逆にお返しのつもりなのか、向かいのお姉ちゃんがベランダからオッパイ見せてくれました。これ、バーゼルのハイライト。

■OCT 19th


ギーガー美術館にたたずむアレックス

 ロザーン入りする前にグリュイエールのギーガー美術館へ(R.I.P.)行く。山腹にそびえ立つグリュイエール城への道のりに建立されるこの美術館はパーソナル・コレクションや併設展も含めて予想以上に見応えのあるものであった。ギーガーのイラストレーションとグリュイエールの幻想的なランドスケープが相乗する不思議な感覚には体験する価値があるとここに記しておこう。ロザーンでの衝撃はele-kingのウェブ版にも紙面にも書いてしまったのでこれ以上はクドいため割愛させていただこう。〈ル・ボーグ〉、ルフ・フェスティヴァル、エンプティセット、エンドン最高!

■OCT 20th
 ジュネーヴでこれまで同行してきたサンド・サークル(Sand Circle)のマーティンとの共演も最後となる。そして翌日から代わって同行するカンクン(Cankun)のヴィンセントとホーリー・ストレイズ(Holy Strays)のセバスチャンが合流する。ヴィンセントはモンペリエ、セバスチャンはパリを拠点にするフレンチ・ドュードだ。早速レーヌのハイ・ウルフ(High Wolf)をネタにして盛り上がる。ハイ・ウルフことマックス・プリモールトは素晴らしい。彼と時間を過ごしたことのある人間は彼をネタにせずにはいられないのだ。すべてのツアー・ミュージシャンはそうあるべきではないだろうか?


“サイケデリック・ループペダル・ガイ”、カンクンのステージ

 サンプリング・ループとギター演奏によるリアルタイム・ループで構成される初期サン・アロー以降、〈NNF〉周辺で定番化した「サイケデリック・ループペダル・ガイ」という点では、カンクンもハイ・ウルフに近いスタイルだ。しかしハイ・ウルフがクラウト・ロックをベースとしたワンマン・ジャムであるのに対し、カンクンの展開はもっとDJミックスに近い。ダンス・ミュージックとしてのグルーヴが強いのだ。〈メキシカン・サマー〉からの次回作を期待させられる演奏を披露してくれた。
 セバスチャンのホーリー・ストレイズはなんだろう……僕が聴いた初期の〈NNF〉リリースのサウンドとはだいぶ異なっていて、ラウンジっぽかったり、トリップホップっぽかったり、ジュークっぽかったり、ウィッチハウス的な雰囲気も……まぁ如何せんものすっごい若いのでいろいろやりたいのでしょう。インターネット世代のミュージシャンと少し垣根を感じる今日このごろなのです。
 アナーキスト・バー的なハコ、〈L'Ecurie〉もナイスなメシ、ナイスガイズ、ナイスPAと最高のアテンドを見せてくれた。このハコや〈ル・ボーグ〉のようにアトリエ、ギャラリー、居住スペース、パフォーマンス・スペース、バーを一か所に集約している場ってやっぱり発信力とかアテンドが圧倒的に強いと思う。


〈ル・ボーグ〉にて

■OCT 21st


BUKAのステージ

 マーティンとの別れを惜しみつつも5人編成となりミラノ入り。この日のハコの〈BUKA〉はかなりイケてた。もともと70年代に建てられた大手レコード会社(Compagnia Generale del Disco)のビル、つまりオフィス、ウェアハウス、レコーディングスタジオ、プレス工場や印刷工場が併設される巨大な建造物の廃墟なのだ。このレコード会社は80年代のイタロ・ディスコ・ブームで一世を風靡するものの倒産、88年に建物をワーナーが購入するも90年代半ばに断念、長らく放棄させられていた場所で、その一部を改築し、2012年からアート/イヴェント・スペースとして再生したのが〈BUKA〉である。一部というのは本当に一部の地上階からアクセス可能なオフィス、講堂(70年代風のレトロ・フューチャリスティックなコロッセオ型の講堂! ライヴはここでおこなった)のみで、敷地の大半は完全に打ち捨てられた状態である。もちろん電気も通っておらず、サウンドチェックを終えた僕とブリットらは懐中電灯を頼りに探索、男子たるものはいつになってもこーゆーのに心くすぐられるのである。この日のライヴはURサウンドが収録してくれたようだ。

■OCT 22nd
 この日からフランス入り、初日はモンペリエ。これまでサウンドチェックに入る際に必ずスタッフに訊ねていたことがふたつある。ひとつはDIはいくつあるのか? もうひとつは誰がネタを持っているのか? だ。フランスに入ったこの日からふたつめの問いかけに対するリアクションがあまりよろしくなかった。この日はライヴ終了後にマイクでオーディエンスに問いかけるものの単なる笑いものになってしまった。イヴェント終了後、みんなはディスコ・パーティへ向かうものの僕ひとり不貞腐れて宿に着いて寝た。ちなみにここまであんまり書いてないけどツアー中は男同士ふたりでワン・ベッドでも普通に寝れる。ツアーって恐ろしいよねーって朝起きて横で半裸で寝ているブリットを見て思った。

■OCT 23rd
 フランスのお次はトゥールーズ。前日に引きつづきライヴ・バー的な場所。この日もハコの連中は僕の要求に応じてくれず、このあたりからフランス自体にムカツキはじめるもこの日は対バンのサード(SAÅAD)が爽やかな笑顔でわけてくれた。サードはローブドアやカンクンのリリース元であるハンズ・イン・ザ・ダーク〈(Hands in the Dark)〉がプッシュするドゥーム・ゲイズっつーかダーク・アンビエントなバンドである。先日同レーベルからデビュー・アルバムであるディープ/フロート(Deep/Float)が発売されたようだ。シネマティックなダーク・アンビエント好きは要チェックだ。


ブリットとスティーヴ

 この日の僕のハイライトはシルヴェスター・アンファング(Silvester Anfang)のスティーブがたまたまライヴに遊びに来てくれていたことだ。スティーヴはフランダース発、暗黒フリーフォーク集団フューネラル・フォーク(Funeral Folk)及び現在のシルヴェスター・アンファングII(Sylvester Anfang II)の母体となったシルヴェスター・アンファングの創始者である(ややこしいんですけど改名前はサイケ・フリーフォークを主体とし、改名後はサイケ・クラウトロックを主体とする別バンドなんだ! と力説していた。そのあたりもアモン・デュールに対して超リスペクトってことなんですね)。ベルギーのエクスペリメンタル・レーベル代表格、〈クラーク(Kraak)〉のメンバーでもある彼がなぜここに? というのも嫁がトゥールーズの大学へ通っているとのことで数ヶ月前に越してきたらしい。数年前からアートワーク等を通して交流はあったものの、このようなかたちで偶然会えるとは本当にうれしかった。

■OCT 24th


ソーヌ川に浮かぶハコ〈ソニック〉

 リヨンへ到着。この日の〈ソニック〉はソーヌ川に浮かぶハコ……というか船なのだ。その昔サンフランシスコでバスの座席を全部取り外して移動式のハコにしていた連中を思い出す。リヨンの町並みは息を呑むほど美しい。ユラユラするハコも素晴らしい。ワインもおいしい。音は90db以下だったけれどもまぁまぁよかった。この日も誰もネタをわけてくれなかった。フランス人の田舎モンどもなんかファ……などとヴィンセントに悪態をつきながら床に着いた。

■OCT 25th


パリス・キッズ。

 パリへ到着。僕は今回のローブドアのヨーロッパ・ツアー最終地点であるバーミンガムの〈ブリング・ダ・ライト・フェスティヴァル〉には参加しないのでこの晩が彼らとの最後の共演となる。パリでのショウを仕切ってくれたフランチ・アレックス(アレックスはいっぱいいるので)はフランスのインディ・ミュージックのウェブジン、『ハートジン(hartzine)』のリポーターで、DIYテープ・レーベル、〈セブン・サンズ〉の主宰者でもある。フリー・スペース〈ガレージ・ミュー(Garage MU)〉でのイヴェントの集客と盛り上がりはすさまじい熱気であった。パリのキッズはイケている。今回のツアーでもっともヒップスタティックな客層であったかもしれない。カンクンもホーリー・ストレイズも最終日ということで気合いの入ったラウドのセットを披露してくれたし、ローブドアもこれまででもっとも長いセットを披露した。ネタも大量良質で感無量である。例のごとくチーズとワインとジョイントで夜が白むまで最終日を祝った。僕はパリにもう一日滞在してグスタフ・モーロウ美術館をチェックすることに決めた。パリ最高!

■OCT 26th
 ローブドアのブリット、アレックス、カンクンのヴィンセントと別れを惜しみつつも単身パリに残る。この場を借りてブリットとアレックス、マーティンにヴィンセント、セバスチャンとそして何よりプロモーターのオニトと各地でアテンドしてくれたローカル・メイトたちに心底感謝を表する。あんたら全員最高。

 パリなんかクソだ。グスタフ・モーロー美術館は改装中で閉館していた。門の前で呆然と立ちすくむ僕とブルガリアからの旅行者のじじい。ダメ元でピンポンを連打し、出てきたおばちゃんに作品あるならチョコっとでも見せて~と懇願するも鼻で笑われ門前払い。仕方なくポンピドー・センターへ向かい、クリス・マルケルの回顧上映会を見るが煮え切らず。カフェでレバノン出身のカワイ子ちゃんと談笑して癒されるもメイク・アウトできず。物価も高い。駅のジプシーウザい。パリなんかクソだ。

■OCT 27th


トゥールーズにて、夜景。

 ツアー終了とともに足が無くなったので激安長距離バス、ユーロ・ラインで友人の家へ転がりこむためパリからバルセロナへ向かう。激安なので赤ん坊が泣き叫ぶ車内で隣の席の人の体臭がゴイスーな小便クサいゴミまみれのクソバスを想像していたがンなことはなく、むしろ快適に(ワイファイ有り)移動する。途中で停車したパーキング・エリアで、トイレ休憩がいったい何分なのか、フランス語がまったくわからないので他の旅行者風の乗客に訊ねる。ようやく英語が介せるジャーマン女子がいて助かった。なになに、バルサには瞑想プログラムを受講しに行くだって? ニューエイジだね。スピってるね。次の休憩所でドリフター風のフレンチ男子に話しかける。なになに、とくに目的もなく旅行中? いい感じじゃない。え? ネタ持ってきてんの!? じゃあとりあえず巻こうよ。バスがしっとりとした闇夜の荒野を疾走していく中、僕はこの旅が終わらないことを夢想しながら眠りについた。

 無駄にドリフトはつづく……次回はバルセロナから極寒のNYへ。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196