「iLL」と一致するもの

anemone - ele-king

 ユニットとは「虚構的存在」である。二人以上、三人未満で何らかの名を名乗ること(4人以上はグループ、もしくはバンドだ)。その類まれな「虚構性」。名乗った時点でそれぞれの人格は、ユニットという虚構的存在へと吸収される。いや包括されるとでもいうべきか。人格とも違う「存在」がそこに生成する。ユニットという「存在」の「現実化」。
 日本のエレクトロニカ・レーベルの老舗〈PROGRESSIVE FOrM〉からリリースされた anemone のファーストアルバム『anemone』を聴いたとき、私はそんな「ユニットという存在」がもたらす虚構性の魅惑を強く感じた。存在と非存在のあいだに鳴り響く、ロマンティックな光のようなエレクトロニカ・ポップ・ユニットの誕生とでもいうべきか。
 まるで繊細な和菓子のようなエレクトロニック・サウンドの折り重なりと、華のように、もしくは夢のように、やがて消え入りそうな儚いヴォーカルが交錯し、全曲12曲アルバム1枚にわたって、ひとつの(そして12の)小さな物語が語られ、意識の欠片のような詩情を鳴らす。それはときに光のように強く、ときに空気のように儚く、ときに消失する心のように切ないものだった。まさにニュー・ロマンティック。それが私を強く魅了した。世界のむこうへ。音の彼方へ。意識の儚さへ。電子音楽の美しさへ。声の官能性へ。電子音、シンセサイザー、ピアノ、声、ギター、グリッチ・ノイズ、エレクトロニクスが光の雨のように降り続ける感覚……。

 anemone は日本在住、1992年生まれのトラックメイカー ninomiya tatsuki と中国在住のヴォーカリスト Yikii による「日中デュオ」とアナウンスされている。2015年、ninomiya tatsuki と Yikii はSoundCloud上に公開していたお互いのトラックに惹かれ、競作を始めたという。そうして名曲“夢うつつ”が2016年に生まれたらしい。「初めて人と音楽を作る楽しさを見出した」。そう思った ninomiya は、Yikii にユニットの結成を提案する。anemone の誕生である(記念すべき“夢うつつ”は本作10曲めに収録されている)。アルバムは1年ほどの時間をかけて丁寧に制作されたのだろう。夢の光のようなアトモスフィアを放ち、誕生の祝福と消失の儚さの両方を持っている作品に仕上がっていた。

 本アルバムの曲は、どれも儚い光のようだ。Yikii のヴォイスも、ninomiya tatsuki のトラックも、ロマンティックな虚構性をまとっているのである。
 例えば2曲め“killing me softly”を聴いてほしい。ゆっくりと時間に浸透するかのごとき可憐なピアノのアルペジオと、シルキーな声が交錯する中、さまざまなサウンド・エレメントが優しくトラックをコーティングする。そのサウンドの虚構のような脆さ、儚さ。そして何より曲が良い。細やかな和声・コード進行で展開し、単なるミニマリズムでは終わらない慎ましやかなドラマ性が生まれている。

 記憶を慈しみ、しかし、その純粋性ゆえ、自らの手で記憶を消失させてしまうようなイノセントな残酷さを象徴するようなソングライティングとアレンジメント。そのムードは“insomnnia”という曲にも強く感じた。

 さらには光の粒子のごとき電子音と淡いアンビエンスに Yikii のヴォーカルがレイヤーされ、液晶のロマンティシズムとでも形容したい“tablet”(曲中盤のラップパート? も素晴らしい)、光と影がガラスの欠片の中に結晶するかのような短いインスト・トラック“vain”、Yikii のリーディング的なヴォイス/ヴォーカルと深海の交信を思わせるエレクトロニクス、ファットなビートの交錯が耳に心地よい“pain”、グリッチ・ノイズと旋律が交錯する“requiem”など、どの曲も、どのトラックも声と電子音が記憶の深層心理に響くような見事な出来栄えである。フランス印象派の響きに、オリエンタリズムの香水を落としたエレクトロニカ・ポップ・アルバム。

 ここでアートワークに改めて目を向けてみると、やや逆光気味のアートワークにも「光」の儚さが満ちていた。まさに「夢うつつ」である。それは虚構への希求でもあるのかもしれない。このユニットは自らを虚構の中に封じこめることによって世界の醜さを一掃し、類まれな美的感覚を差し出そうとしているのではないか。いわば「虚構内存在」としての「印象派オリエンタル・エレクトロニカ・ポップ・ユニット」として……。
 ともあれ、エレクトロニカ・ポップという領域において、近年稀にみるアルバムである。ぜひともアルバムを聴いてほしいと思う。リスニング後、あなたの感覚が浄化されるだろうから。

 1年でのうちもっともピザとチキン・ウィングが出る日、スーパーボウルの日曜日だ。今年2018年は2月4日、ミネアポリスのUSバンク・スタジアムでタイトなユニフォームを着た男たちの戦いがおこなわれた。フィラデルフィアのイーグルスとニュー・イングランドのぺイトリオットの対戦。ハーフタイムにはこの2日後にニュー・アルバム『Man of the Woods』をリリースするジャスティン・ティンバーレイクが出演。2004年のジャネット・ジャクソンとのおっぱいポロリ騒動のパフォーマンス以来だ。そして、それに関する記事がいまさら出てくる出てくる。

 スペシャル・ゲストは誰か? 噂はいろいろあったが、結局ジャネット・ジャクソンもイン・シンクも出演せず。代わりにミネアポリスに敬意を払い、プリンスの映像がプロジェクターに映し出された。ピアノを弾くJTが”I would die 4 U”を歌い、そしてミネアポリスの街がプリンス色に染まるという壮大な演出がはじまった。エンターテイメント! JTのダンサーたちの衣装は、いまどきのカラフルなラフスタイルで、ビッグバンドはお揃いの赤のスーツと見た目も華やか。ハーフ・タイムショーは最近の個人的な楽しみになっている。
https://www.brooklynvegan.com/justin-timberlake-played-the-super-bowl-lii-halftime-show-prince-tribute-included-watch/

 とはいっても私がスーパー・ボウルに興味を持ったのは数年前、ビヨンセがハーフ・タイムに出場した2016年のスーパーボウル50からである。たまたまバーでスーパーボウルが放映されていた(50回目ということで)。ビヨンセのパワフルなパフォーマンスに圧倒され、スーパーボウルを見るようになった。国を挙げた究極のエンターテイメントがここにあり、アメリカのパワーを感じることができる。
 過去のラインナップを遡ってみると……

2012:マドンナ with LMFAO、MIA、ニッキー・ミナージュ
2013:ビヨンセ、ディスティニー・チャイルド
2014:ブルーノ・マーズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
2015:ケイティ・ペリー、ミッシー・エリオット、レニー・クラヴィッツ
2016(スーパーボウル50):コールド・プレイ、ビヨンセ、ブルーノ・マーズ、マーク・ロンソン
2017:レディ・ガガ
2018:ジャスティン・ティンバーレイク

 こう見ると、それぞれの年を象徴するエンターテイナーが出場しているのがわかる。MIAが中指を立てたことや、ケイティ・ペリーのダンサー、左のイルカがやる気なかったことなど、毎年、さまざまなゴシップが飛び舞っている。
 そしてスーパーボウルが近づくとピザ屋もファストフードも広告に力を入れる。バーも何かとスーパーボウルに託けてスペシャルを用意する。
https://bushwickdaily.com/bushwick/categories/sponsored/5201-big-game-bushwick

 コマーシャルにも注目。アマゾン・エコーにはカーディB、レベル・ウィルソン、ゴーダン・ラムゼイ、アンソニー・ホプキンス他、ドリトス・ブレイズとマウンテン・デュー・アイスではバスタ・ライムスとクリス・ブラウン、モーガン・フリーマン、ミッシー・エリオットが、スクエア・スペースにはキアヌ・リーブスが出演……まさにセレブ満載。
 オーディエンスは試合以外にも、コマーシャルなんかにも注視する。こんかい反応大だったのが、ニルバーナのララバイ・カヴァーの“All Apologies”がバックに流れるT-Mobileの宣伝。可愛い赤ちゃんが登場する。「小さい人、この世界にようこそ。貴方が征服するこの大きな世界では、貴方は繋がることができ、一人ではありません。変化は始まっています」
https://youtu.be/C-rumHvmqCA

 試合の結果は、41-33でフィラデルフィアのイーグルスがニューイングランドのペイトリオッツを負かした。イーグルスは1960年以来の優勝。私の友だちはみんなイーグルス派だったので大騒ぎ。理由を聞くとペイトリオッツは強いし(今年は6連覇を狙っていた)、ただたんにトム・ブレイディが嫌いで勝って欲しくなかったと。
 ペイトリオッツのトム・ブレイディはNFLを代表する選手の一人で、リーグMVPとスーパーボウルMVP双方の複数回受賞していて(歴代で2人のみ)、2017年まで負け越したシーズンはなかった。モデルの妻と3人の子供がいて、ボストンのブルックラインに豪邸を構える。
 「彼の人生はパーフェクトだし、トランプ支持者だし、とにかくいけ好かない」と。

 こういう話をはじめると止まらないのがアメリカ人。トランプ・サポーターの話から今回かけたビットコインの話で盛り上がる。スーパーボウルではいろいろな角度からアメリカという国が見える。

interview with Kode9 - ele-king


Various Artists
Diggin In The Carts

Hyperdub / ビート

Amazon Tower HMV iTunes

 2004年に設立された〈ハイパーダブ〉はそれ以降、現代のエレクトロニック・ミュージックにおける最重要レーベルとしての地位を堅守し続けてきた。昨年に限定して振り返ってみても、アイコニカやローレル・ヘイローの意欲的なアルバム、クラインおよびリー・ギャンブルという尖鋭的な音楽家との契約、さらには日本のゲーム・ミュージックに特化したコンピレイション『Diggin In The Carts』のリリースと、興味深い動きが続いている。
 その〈ハイパーダブ〉の設立者がコード9ことスティーヴ・グッドマンである。去る11月、LIQUIDROOMにて催された『DITC』のイベントのために来日していた彼は、そのコンピレイションが持つコンセプトについて、昨年の〈ハイパーダブ〉の動きや最近注目している音楽について、そして自身が序文を執筆しているとある重要な本について、われわれの質問に対し真摯に応答してくれた。レーベル・オウナーであると同時にアーティストでもあり、さらには思索する者でもある彼の言葉を以下にお届けする。

僕がいいなと思った音楽のゲームは、じつはものすごくつまらなかったりもしたんだ(笑)。でも音自体は良かったので、それはぜんぶ選んだね。

今回日本のゲーム・ミュージックに特化したコンピレイションがリリースされましたが、〈ハイパーダブ〉はこれまでもクアルタ330のようなチップ・チューンのアーティストを送り出しています。以前から日本の音楽には関心が高かったのでしょうか?

スティーヴ・グッドマン(Steve Goodman、以下SG):〈ハイパーダブ〉はもともと、2005~06年くらいまではダブステップのレーベルだった。でもそういったサウンドにちょっと飽きを感じてしまって、もっと自分の音楽をカラフルなものにしたいと思っていたんだ。そんなときに友人がクアルタ330のリミックスを送ってくれて、それが気に入ったんだよね。それと、自分の音楽としてもう少しキラキラしたサウンドを作るために、ヴィデオ・ゲームの要素を取り入れるようになった。アイコニカゾンビージョーカーダークスターテラー・デンジャーたちもゲームの音楽から影響を受けているアーティストだった。テクスチャーを変えるためにゲーム音楽に興味を持ち始めたのが2005、06年で、その時代にレーベルに入ってきたものを今回また取り戻してリリースした、という感じだね。

日本のゲーム・ミュージックには幼い頃から触れてきたのですか?

SG:少しは遊んでいたね。でもそれが日本のものという意識はあまりなかった。自分がプレイしていたものが日本のゲームかどうかもわからなかった。ゲームはやっていたとはいえゲーマーではなかったし、今回のコンピレイションもけっして自分がゲームをしていた頃を懐かしむようなノスタルジックな作品ではないんだ。
〈ハイパーダブ〉というレーベルの目線で言うと、2010年に日本の80年代のエレクトロニック・ミュージックに注目するようになった。YMOや、YMOのメンバーそれぞれのソロ作品などから影響を受けていたから、(ゲーム音楽を)ゲームというよりもエレクトロニック・ミュージックとして見ているんだよね。伝統音楽とエレクトロニックのブレンドのようなところに魅力を感じている。5、6年前にスペンサーD(Spencer Doran)の『Fairlights, Mallets and Bamboo: Fourth-World Japan, Years 1980-1986』というDJミックスを聴いたんだけど、それでより興味を持つようになって、今回のコンピもそういう内容になっている。そのミックスにはマライア、坂本龍一や細野晴臣、高田みどり、ロジック・システム、清水靖晃、あとは越美晴なんかが入っていて、そこから日本の80年代の音楽をいろいろと学んだ。もちろんそういう音楽とゲーム・ミュージックは違うものではあるけれど、チップというものを使っている点は共通しているし、おもしろい時代の音楽だと思う。

先日監修者のニック・ドワイヤーさんに取材したのですが、『DITC』はゲーム・ミュージックのなかでもサウンドとしておもしろいものを選んでいると言っていました。つまり今回のコンピは、ゲーム音楽のファンよりもふだんから〈ハイパーダブ〉の音楽を聴いているような層に向けて、「ゲーム・ミュージックにもおもしろいものがあるんだよ」ということを伝える、というような意図で制作されたのでしょうか?

SG:その両方と言えるね。僕もゲームは好きだけれど、そこまでゲーマーではない。そういう両方の人たちが楽しめる作品になっていると思う。ニックがすごく深いリサーチをして、フィルターをかけた上で何百もの曲を送ってくれたんだけど、それまで自分が聴いたことのない音楽ばかりだった。それらのゲームに関して僕はいっさい思い入れがないんだ。ただたんに曲が良かったから選んだ。ゲームのプレイヤーがどうのというよりも、音としてベストだと思ったものを使った。やっぱり人気のあったゲームって、先にゲームがあってそれに合わせて音楽が作られているわけで、(音楽は)優先順位としては二番目のものだったと思うんだよ。それもあってか、人気のゲームのBGMにはあまりいいと思えるものがなかった。コマーシャルっぽいものもあるだろうし。だから、僕がいいなと思った音楽のゲームは、じつはものすごくつまらなかったりもしたんだ(笑)。でも音自体は良かったので、それはぜんぶ選んだね。

ヒップホップやクラシック音楽にはなりえない、ゲーム・ミュージックとしてだけ存在していたものを捉えるのが今回の目的だった。

先ほど「ノスタルジックな作品ではない」と仰っていましたが、送り手と受け手とのあいだである程度ギャップは生じると思うんですね。このコンピに先駆けて公開されたドキュメンタリーにはフライング・ロータスファティマ・アル・ケイディリらが出演していて、どちらかというといわゆる音楽ファンに向けて作られているように感じました。ですが、日本で今回のコンピを手にとってくれる人の多くは、懐かしさを求めているのではないかという気もします。そういう方たちがこのコンピをきっかけに、たとえば他の〈ハイパーダブ〉の作品を聴くようになってほしいと思いますか?

SG:それはすごく難しいところで、もちろんゲーム好きの人たちにも聴いてほしいとは思うし、他方でエレクトロニックな世界ともオーヴァーラップしているんだけれども、やっぱり同時に違う世界でもあるんだよね。ただ、いまはテクノロジーの進化でよりオーヴァーラップしているかもしれない。ニックが言っていたように、僕が捉えたかったのはメモリーやチップという制限のある時代のゲーム・ミュージックなんだ。質問への答えにはなっていないかもしれないけど、ゲームがそれ自身だけのゾーンのなかに存在していた時代のゲーム・ミュージックというものを捉えたかった。ヒップホップやクラシック音楽にはなりえない、ゲーム・ミュージックとしてだけ存在していたものを捉えるのが今回の目的だった。

今回のコンピには80年代後期から90年代中期までの音源が収められていますが、それはデトロイト・テクノやアシッド・ハウス、レイヴ・カルチャーやジャングルが出てきた時期と重なります。その時代に日本でこのような音楽が作られていたこと、その同時代性についてはどう思いますか?

SG:僕にとってデトロイト・テクノはデトロイトから来ているものだし、同時期に流行っていたアシッド・ハウスはシカゴから、ジャングルはロンドンから出てきたものだよね。日本ではそれがチップ・ミュージックだったということだね。そうやってそれぞれの場所から違うエレクトロニック・ミュージックが流行っていったんだと思う。それがお互いに影響し合っていた、いい時代だったと思う。

ゲーム・ミュージックには「音がメインではない、音が主張しすぎてはいけない」という側面があると思うのですが、それもある意味では8ビットや16ビットといったテクノロジーの問題と同じように制約と捉えることもできます。そういう側面についてはどう思いますか?

SG:音楽が第二に来るというのは映画音楽と同じだと思う。やっぱりまず映像があっての音楽だし、そのぶん予算も削られるし、音楽はいつも最後のギリギリのところで付けられるから、そこは共通していると思う。テクノロジーに限界があることと、音楽が第二に来ることは繋がっていると思うんだよね。音楽が第二だったからこそ、予算があるにもかかわらずそれが使われない、だから制限が生まれたんだと思う。お金をかければ音楽のためにすごくいい機材を使うことだってできたはずなんだ。でもヴィジュアルが最初にあるからこそ、音楽が第二のものになってしまった。だからこそ制作に使われるものに制限ができた。そのことによって逆にユニークなものが偶然生まれたという点がおもしろいと思うし、僕たちはそのユニークさに惹かれたんだ。

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僕はブリアルっぽいサウンドはいっさい聴かないんだ。だからぜんぜん知らない。10年くらい前から彼の影響を受けたアーティストがたくさん出てきていると思うんだけど、その頃からいっさい聴いていない


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2017年、〈ハイパーダブ〉はクラインと契約してEPをリリースしました。彼女のEPを出すことになった経緯や、彼女の音楽の魅力について教えてください。

SG:彼女はすごくユニークなアーティストなんだけど……この質問は難しいね。

通訳:難しいのはなぜですか?

SG:なぜ難しいかって、彼女が特別でユニークだからなんだけど、それがどこにもフィットしないので、言葉で表現するのが難しいということ。あと彼女は歌声がとても美しいんだけど、音楽はちょっと奇妙で本当に予想がつかないから、これから彼女がどう進化していくかがすごく楽しみだね。彼女の音楽からはすごく即興性が感じられて、何か計画して作ったものではなく、自分がいま思ったことを外に表現している、そういう音楽だと思う。

同じく2017年、〈ハイパーダブ〉はリー・ギャンブルとも契約しました。彼の作品を出そうと思ったのはなぜですか?

SG:僕も彼もジャングルが大好きで、その意味ではふたりとも同じバックグラウンドを持っているんだ。音楽性は少し違うけど、ジャングルの要素は彼の曲のなかに活かされているし、彼は哲学が本当に好きでそれを表現しようともしている。それについても僕と似ているから、シェアできるものがたくさんあるんだよね。彼のことはリスペクトしている。それはなぜかというと、サウンドの扱い方やエレクトロニック・ミュージックに対する姿勢などにすごく共感できたからなんだ。

そういったクラインやリー・ギャンブルとの契約のあとにこの『DITC』のリリースの話が入ってきたので、とても驚きました。サウンドの種類はまったく異なると思うのですが、今回のコンピもクラインやリー・ギャンブルと同じ地平に連なるものと考えているのでしょうか?

SG:共通点はないね(笑)。

なるほど(笑)。共通点はないがそれぞれ個別におもしろい、と。

SG:そのとおり。互いに違うからこそユニークなんだよ。

2017年はブリアルの『Untrue』がリリースされてからちょうど10年ということもあってか、ヴェイカントや〈フェント・プレイツ〉の諸作など、ブリアルから影響を受けた音楽が盛り上がりましたが――

SG:ヴェイカントは知らないね。僕はブリアルっぽいサウンドはいっさい聴かないんだ。だからぜんぜん知らない。10年くらい前から彼の影響を受けたアーティストがたくさん出てきていると思うんだけど、その頃からいっさい聴いていないので、知らないんだ。

そうなんですね。近年はフェイク・ニュースが横行したり「ポスト・トゥルース」という言葉が取り沙汰されたりしていますが、いま振り返ると『Untrue』というアルバム・タイトルは意味深長で、そういった昨今の情況を先取りしていたようにも思えます。

SG:いいセオリーだと思う。そうだと思うよ。

『Untrue』はいまでも聴き返しますか?

SG:やっぱりリリース10周年ということで、みんなが盛り上がっているのを見たり聞いたりして聴き返すことはあるんだけど、僕もブリアル当人も10周年というのは気にしていないんだ。僕たちが気にしているのは「彼が次に何をやるか」ということ。だからリリース10周年ということに関してはあまり意識していない。ファンだけが盛り上がっているような感じだね。

南アフリカで生まれたゴム(gqom)という音楽は、あなたがDJセットに取り入れたことで世界中に広がりましたが――

SG:(「ごむ」という日本語の発音を受けて)コッ(と口のなかで舌を鳴らす)。コッ、コッ(と「gqo」の部分の音を実演してくれる)。本当はこう発音するんだ。

へえ! そのゴムの魅力はどこにあると思いますか?

SG:リズムがすごく好きなんだ。3連符のリズムやダークなところが好きだし、あとはミニマルなんだけどダンサブルなところもすごく魅力的だと思う。

彼は左翼だったんだけど、いまは右翼になってしまった。当時彼の考え方に賛同していた人たちはいまはもう彼とは正反対で、嫌ってしまっているというか。僕も彼の90年代の考え方のほうに興味がある。

ゴム以降、非欧米の音楽で何かおもしろいものを発見しましたか?

SG:僕はここ最近ずっと中国でDJをしていて、中国の音楽にすごく興味を持っている。上海には〈Genome 6.66 Mbp〉というおもしろいレーベルもあるし、クラブ・イベントもどんどん増えてきていて、キッズたちが外の音楽を吸収するのはもちろん、それだけではなく、いま彼らは自分たちのエレクトロニック・ミュージックを作ろうとしている時期なんだと思う。これから中国のエレクトロニック・シーンはすごくおもしろくなっていくと思う。
もうひとつ、最近気になっているのはロンドンで「UKドリル」と呼ばれている音楽だね。これはグライムから進化したジャンルなんだけど、いまサウス・ロンドンのラッパーがすごく人気なんだ。ギグスというラッパーはすごく人気だし、あと67やハーレム・スパルタンズ(Harlem Spartans)といったクルーもとてもいい。やっぱりロンドンは自分が育った場所だから、僕にとってはローカル・ミュージックなんだよね。ブリクストンやペックハム、キャンバーウェルあたりの音楽はいまアンダーグラウンド・シーンが盛況で、メインにはスケプタストームジーがいるんだけど、そうじゃないもっとアンダーグラウンドなところも盛り上がってきている。

スケプタやストームジーはマーキュリー・プライズを受賞したりチャートの上位に食いこんだりと、オーヴァーグラウンドで彼らの人気が高いことは情報としては伝わってくるんですが、ここ日本にいると実感としてはわかりづらいんですよね。UKの若者たちはやはり日常的に彼らの音楽を聴いているのでしょうか?

SG:ロンドンではポップ・スターだね。ロンドンに限らず、イギリス全土でもアメリカでもポップ・スターだよ。まさにオーヴァーグラウンドなんだよね。それが影響して、これからヨーロッパでもポップ・スターになると思う。

日本でスケプタやストームジーを聴いていたら、おそらく「アンダーグラウンドな音楽好き」ということになります。

SG:はははは。やっぱりヴォーカルが何を言っているかということが重要な音楽だから、言語が理解できないと人気にはならないよね。難しいと思う。

ベルリンでもグライムはぜんぜん人気がないという話を聞いたことがあるのですが、それも変わっていくと思いますか?

SG:たしかにアンダーグラウンドだね。やっぱりそれも言語の壁があって、行けたとしても「ビッグなアンダーグラウンド」までだろうね。オーヴァーグラウンドまでは行けないと思う。たとえばフェスティヴァルで何千人もを前にしてプレイする、ということにはなるだろうけど、オーヴァーグラウンドのチャートに入れるかというと、入れないと思う。英語圏ではない国ではね。

2年前に『Nothing』がリリースされたときのインタヴューで、「加速主義に関心がある」と仰っていましたが(紙版『ele-king vol.17』掲載)、それ(accelerationism)に影響を与えたとされる哲学者ニック・ランド(Nick Land)は、UKではどのようなポジションにいるのでしょう? オルト=ライト(オルタナ右翼)にも影響を与えているそうですが。

SG:彼はいま上海に住んでいるよ。

通訳:ロンドンでは知られていないのでしょうか?

SG:そうだね。僕が90年代に勉強をしていたとき、彼は僕のスーパーヴァイザーだったんだよ。彼は左翼だったんだけど、いまは右翼になってしまった。当時彼の考え方に賛同していた人たちはいまはもう彼とは正反対で、嫌ってしまっているというか。僕も彼の90年代の考え方のほうに興味がある。いまはもう変わってしまったけれど、その政治論のオリジナルが90年代の彼の考え方だったんだよね。

私たちは2018年の秋頃に、コドウォ・エシュン(Kodwo Eshun)の『More Brilliant than the Sun』の翻訳を出版する予定です。

SG:ああ、その本の翻訳者がいまロンドンに住んでいてね、彼を知っているよ。マンスリー・イベントにいつも来てくれるんだ。

髙橋勇人くんですよね?

SG:そう。彼はいつも僕のインスタグラムを見てくれているしね(笑)。

彼はイギリスへ渡る前、ele-king編集部にいたんですよ。

SG:彼を知っているよ。ゴールドスミス大学で勉強していたね。その本を書いたコドウォ・エシュンがそこで教えていて、彼はエシュンのもとで研究しているんだ。

『More Brilliant than the Sun』は新版が発売される予定で、あなたがその序文を書いているんですよね。

SG:そのイントロダクションを書くために彼(コドウォ・エシュン)にインタヴューする予定なんだけど、まだできていないんだよね。

『More Brilliant than the Sun』の重要性について教えてください。

SG:僕にとってすごく影響力のある本で、本当にいろいろなアイデアが詰まっている。1000冊もの本がひとつになったような濃い内容の本なんだ。ソニック・フィクションからアフロフューチャリズムまで、エレクトロニック・ミュージックの歴史が詰まっていて、サン・ラやジョージ・クリントン、リー・スクラッチ・ペリーから始まって、ブラック・エレクトロのことも書いてあるんだけど、90年代の本だからジャングルで止まっているんだよね。〈ハイパーダブ〉はそのあとにできたレーベルだから、僕たちがその本のあとを辿っているような感じだね。

Various Artists - ele-king

 現代のアンビエント音楽が生成する「アンビエンス」は聴き手にどういった「イメージ」を与えることになるのだろうか。
 それは抽象的な「ムード」かもしれないし、ときには具体的な景色や光景、あるいはモノなどの「何か」かもしれない。もしくは身体的「効用」を感じとっているかもれない。
 私見だが2010年代以降の「アンビエント音楽」が聴き手に与える「イメージ」は、「環境」「時間」「空気」を取り込みつつも、どこかアブストラクトなアート作品のような「存在感」を放っているように思える。
 ブライアン・イーノの提唱した「アンビエント・ミュージック」から40年以上の月日が流れたのだから現代のアンビエント作家たちが奏でる音が「環境のための音楽」だけに留まらず、さまざまなフォームへと多様化を遂げつつあるのは当然のことだ。そもそもロックもジャズも、いやオーセンティックなクラシック音楽ですらも音のアンビエンスは時代と共に変化をし続けている。であれば「アンビエント音楽」も今と昔では違う響きを放っていて当然ではないか。

 2017年末、国内有数のアンビエント・アーティストであるダエンが自ら主宰するカセット・レーベル〈ダエン・レーベル〉から「風景画」をテーマとするアンビエント・コンピレーション・アルバム『Landscape Painting』がリリースされた。このようなテーマに即した方法論も現代アンビエント音楽の重要な要素である。じじつ、同レーベルは2016年11月にフランシスコ・ロペス、DJオリーブ、ローレンス・イングリッシュ、ニャントラ+ダエンらが参加した『TIME EP』という「時間」をテーマとしたアンビエント・コンピレーション・アルバムをリリースしている。
 前述した『TIME EP』でも国境を超えて才能豊かな音響作家が集結していたが、本作『Landscape Painting』でも同様である。〈アントラクト〉からのリリースでも知られるオランダの電子音響作家マシーン・ファブリック、〈ゴーストリー・インターナショナル〉のアルバムも素晴らしいフィラデルフィアの音響ハープ奏者メアリー・ラティモア、Alive Painting としても活動する中山晃子、ベルギーのフィールド・レコーディング作家リーヴォン・マーティンス・モアーナ、そしてダエンなど、まさに現在最高峰ともいえる世界各国のアンビエント/エクスペリメンタル音響作家たちがトラックを提供しているのだ。さらに音響のアンビエンス感覚を見事に表現したスリーブ・アートワークを手掛けたのは、mihara aya。何はともあれ素晴らしいエクスペリメンタル・アンビエント・ミュージック・コンピレーション作品なので、まずは聴いて頂きたいと思う。

 アンビエント的なムードが横溢していた『TIME EP』と比べると、曲のムードがトラックごとに異なり、それぞれのアーティストの手法がより全面化しているエクスペリメンタルな作品集にも思えるがアルバム全編を聴き終えたときは、不思議と統一したトーンを感じたものだ。多層的な音響の線が交錯し、確かに「風景画」を思わせるアトモスフィアを感じてしまうのである。このあたりは主宰ダエンのキュレーション力の賜物といえよう。そう、手法やフォームが違えども共通するトーン、アンビエント感覚があったのだ。
 1曲め、マシーン・ファブリックの“Metallic”は、その名のとおりメタリックな質感の電子音響サウンドだが、その音の多層的に生成変化していくさまに「絵画的」な表層の美を感じてしまう。続く2曲めのメアリー・ラティモア“Stupid Porches”はハープによるフォークロア・ミニマル・ミュージックといった趣で、その音楽のむこうに風景のイマジネーションを感じた。3曲め中山晃子の“Drawing”は、電子音と環境音のミニマムな音の連なりが繊細な線の集積のようである。アルバム中、もっとも短いトラックだが印象に残るサウンドであった。
 B面1曲め、リーヴォン・マーティンス・モアーナの“A VILLAGE SCENE”は現れては消えてゆく柔らかな音色のアンビエント・ドローン。風景画の全体と部分が同時に生成するような感覚を聴き取ることができた。この淡い感覚は、ダエンによる時間が止まるように美しい静謐なアンビエント・トラック“seeing it self”へと受け継がれ、アルバム全体を風景画と、それが存在する(展示される?)架空の空間の澄み切った空気を生成するような音響空間を鳴らすことになるだろう。アルバムのラスト・トラックとして、これ以上ないほどに素晴らしいアンビエンスを生成している。

 さて、アンビエント・ミュージックは環境音楽でもあるのだが、ではその「環境」は、どのようなイメージで生まれるものなのか。そのヒントに「絵画」などのアート作品との関係性が挙げられると思う。現代アンビエントの複雑にして多用な音の質感は、絵画/アートの色彩のそれに近いものかもしれないし、そのアートがモノとして存在する空間もまたアンビエント・ミュージックの存在を意識するものになるように思える。
 ダエンは昨年2017年、日本の〈きょうレコード〉から2枚組アンビエント・アルバムの傑作『monad』をリリースしたが、このアルバムもまたアートワークと音響が饗宴するかのように存在する作品であった。この「感覚」が本作『Landscape Painting』にも継承されているように思えてならない。それは絵画やアート作品と連携することで生まれる、より具体的な「存在する」音への希求かもしれない。また。「それ」よって身体に「効く」アンビエントの生成を実践しているのかもしれない。
 じじつ、ダエンの音を聴くと耳から身体が綺麗な空気によって「浄化」される気分になるのだ。これはいささかも神秘主義的なものではなく、その音の精度がかつてのアンビエント・ミュージックの何十倍も柔らかく、そして高まっているから、とはいえないか。『Landscape Painting』を聴いて感銘を受けた方でもしも『monad』を未聴ならば、ぜひともCDを手に取って聴いて頂きたい。「アンビエント・ミュージックの現在」が、ここにもある。

Filastine & Nova - ele-king

 いまエレクトロニック/クラブ・ミュージックはどんどんワールド・ミュージックと交錯していっている。とはいえ、一言で「ワールド・ミュージック」といってもそのあり方はじつに多岐にわたる。その多様性や複雑さを損なうことなく新たな形で示してくれるアクトのひとつが、世界各地の音楽を実験精神をもって表現しているデュオ、フィラスティン&ノヴァだ。バルセロナを拠点としているフィラスティンとインドネシア出身のノヴァから成るこのユニット、詳しくは下記のバイオを読んでいただきたいが、なかなかに尖っている(ちなみにフィラスティンは先日亡くなったECDこんな曲を共作してもいる)。そんな彼らの久しぶりの日本ツアーが開催されるとのことで、これは足を運ばずにはいられない。東京公演には KILLER-BONG や ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)らも出演。要チェック。

越境するマルチメディア・デュオ、FILASTINE & NOVAのジャパン・ツアー決定!
東京公演は2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催!

 2月にバルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオが来日、ジャパン・ツアーを敢行する。「都市の未来を崩壊させるようなベース・ミュージック(Spin)」、「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」と評される、映像、音楽、デザイン、ダンスを駆使したダイナミックなライヴ・パフォーマンスは必見だ。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018

2/6 福岡 art space tetra
2/7 尾道 浄泉寺
2/8 名古屋 K.D Japon
2/9 京都 octave
2/11 東京 SALOON
2/12 札幌 第2三谷ビル6F 特設会場

 2/11(sun)に代官山のSALOONにて開催される東京公演では、“最も黒い男” KILLER-BONG、アヴァン・エレポップ/ストレンジ・テクノイズを響かせる ZVIZMO(伊東篤宏×テンテンコ)がライヴを披露、また、オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動も展開する Shhhhh、空族の映画『バンコクナイツ』への参加でも知られる Soi48、ヒップホップやアンビエントを行き来しながら活動を展開する YAMAAN といった独創的なDJたちがスペシャルなプレイをくり広げる。VJとして rokapenis の参加も決定している。世界各地域の音楽、文化を実験精神をもって独自に表現する面々によるクレイジーでダンサンブルな一夜になるだろう。

FILASTINE & NOVA
Drapetomania Japan Tour 2018 in Tokyo

2018.02.11 (sun)
@代官山 SALOON
Open/Start 18:00
Adv 2500yen(1D付き)/ Door 3000yen(1D付き)

| Live |
FILASTINE & NOVA
KILLER-BONG
ZVIZMO

| DJ |
Shhhhh
Soi48
YAMAAN

| VJ |
rokapenis

| Ticket |
前売りチケット取扱い店
・IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
・disk union
└ 渋谷クラブミュージックショップ
└ 下北沢クラブミュージックショップ
└ 新宿クラブミュージックショップ
└ 新宿ラテン・ブラジル館
└ 吉祥寺店
└ 池袋店

・予約 filastine.tokyo2018@gmail.com

| Info |
IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
https://ira.tokyo/filastine-nova-tokyo/ | 03-3352-6916


【PROFILE】

●FILASTINE & NOVA

バルセロナを拠点とする作曲家/映像作家フィラスティンと、インドネシア出身のネオ・ソウル・ヴォーカリスト、ノヴァ・ルスによるデュオ。ブラジルのカーニバルのバトゥカーダやモロッコの神秘主義者たちとの関わりから打楽器を学び、ラディカル・マーチングバンド The Infernal Noise Brigade を率いたフィラスティンと、幼い頃からペンテコステ派の霊歌やコーランを歌い、ガムラン・パーカッションを演奏し、インドネシアのヒップホップ・シーン草創期にラッパーとしても活躍したノヴァが生み出す音楽は、まさに「ワールド・ミュージックというよりも、もう一つの世界から来た音楽(Pitchfork)」である。世界各地の音楽フェスティバルに出演する以外にも、ドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』の公式ミックステープ制作や、フランス・カレーの巨大難民キャンプ「ジャングル」でのライヴ、掃除婦や鉱夫などの底辺の労働者がダンスによって解放される映像シリーズの制作など、音楽を通して「もう一つの世界」の実現を目指すラディカルな表現活動を続けている。2017年に最新アルバム『Drapetomania』を発表した。
https://soundcloud.com/filastine

●KILLER-BONG

〈BLACK SMOKER RECORDS〉主宰、最も黒い男。

●ZVIZMO

蛍光灯音具 OPTRON (オプトロン) プレイヤーの伊東篤宏と、アンダーグラウンド⇔メジャーを縦横無尽に行き来する テンテンコ によるデュオ・ユニット。テンテンコの聴き易いが意外に重たいエレクトロ・ビートと伊東のフリーキーだが意外とキャッチーな OPTRON が作り出すその音世界は「奇天烈だが何故かフレンドリー」な響きに満ちている。2017年11月に〈BLACK SMOKER RECORDS〉より1st アルバムをリリースした。

●Shhhhh(El Folclore Paradox)

DJ/東京出身。オリジナルなワールド・ミュージック/伝統伝承の発掘活動。フロアでは民族音楽から最新の電子音楽全般を操るフリースタイル・グルーヴを発明。13年に発表したオフィシャルミックスCD、『EL FOLCLORE PARADOX』のコンセプトを発展させた同名レーベルを2017年から始動し、南米から Nicola Cruz、DJ Spaniol らを招聘。アート/パーティ・コレクティヴ、Voodoohop のコンピレーションLPのリリースなど。dublab.jp のレギュラーや、オトナとコドモのニュー・サマー・キャンプ“NU VILLAGE”のオーガナイズ・チーム。ライナーノーツ、ディスク・レヴューなど執筆活動やジャンルを跨いだ海外アーティストとの共演や招聘活動のサポート。全国各地のカルト野外パーティー/奇祭からフェス。はたまた町の酒場で幅広く活動中。
https://soundcloud.com/shhhhhsunhouse
https://twitter.com/shhhhhsunhouse
https://www.facebook.com/kanekosunhouse

●Soi48(KEIICHI UTSUKI & SHINSUKE TAKAGI)

旅行先で出会ったレコード、カセット、CD、VCD、USBなどフォーマットを問わないスタイルで音楽発掘し、再発する2人組DJユニット。空族の新作映画『バンコクナイツ』にDJとして参加、〈EM Records〉タイ作品の監修、『爆音映画祭タイ・イサーン特集』主催。フジロックや海外でのDJツアー、トークショーやラジオなどでタイ音楽や旅の魅力を伝えている。その活動の様子はNHKのTV番組にも取り上げられ大きな話題となった。CDジャーナル、boidマガジンにて連載中。英Wire Magazineにも紹介された、『Soi48』というパーティーを新宿歌舞伎町にて不定期開催中。Brian Shimkovitz (AWESOME TAPES FROM AFRICA)、Zack Bar (FORTUNA RECORDS) からモーラム歌手アンカナーン・クンチャイ、弓神楽ただ一人の後継者、田中律子宮司など個性的なゲストを招いてのパーティーは大きな反響を呼んでいる。タイ音楽と旅についての書籍『TRIP TO ISAN: 旅するタイ・イサーン音楽ディスクガイド』好評発売中。
https://soi48.blogspot.jp/
https://www.instagram.com/soi48/

●YAMAAN

HIPHOPやAMBIENTを行き来しながら活動中。2017年2月に“NN EP”をリリースした。
@Mirage______

R.I.P. ECD - ele-king

ECDさんといつまでも(Together forever)

矢野利裕

 ECDさんが亡くなってしまったことが、とても悲しく、つらいです。

 ele-kingのかたより「ECDさんの追悼文を書きませんか」と連絡をいただきました。わざわざ人前で追悼文を発表することに抵抗感があるし、「オレなんかが」という気持ちもあります。しかし、そういう局面において、いつでも覚悟を持って言葉を発することを選び続けることが、ECDさんをはじめとする日本語ラップの格闘だったはずで、僕自身、この20年、日本語ラップのそういうアティテュードにおおいに勇気づけられてきたので、自分なりにECDさんについて書かせてもらいます。

 紋切の言いかたですが、20年まえ、14歳のときに『BIG YOUTH』という作品でECDを知ったことからこそ現在の僕がいます。本気でそう思っています。具体的に言うと、地に足をつけた労働者であるとともに、表現者であるということ。僕はいま、自分なりのヒップホップ観の延長で、中高一貫校の教員という仕事をしています(ようするに、KRS ONE的「TEACHA」による「Edu-tainment」を目指している、ということです)。幸いなことに、それなりにまともな給料をもらっています。ただ、よく言われるように、教員というのはなかなか休みに恵まれません。運動部の顧問ということもあり、土日の休みもままならず、肉体労働の側面も強いと感じます。疲労とストレスがたまって、肉体的・精神的に弱ってくるたびに「いっそ文章を書くことに専念したい」と思います。でも、辞めない。なぜか。でも、お金の問題は関係ない。仕事を続けるのは、労働をしながら表現をすることが誠実でかっこいいことだ、と思っているからです。労働者であることと表現者であることが深く結びついていること。生活が表現を生むこと。その表現が生活に戻ってくること。そういう生きかたを強烈に体現した人が、ECDさんでした。「21世紀のECD」以降を生きる僕にとって、「好きなことをして食べる」という一途な生きかたは、それほど魅力的には映っていないのです。

 『BIG YOUTH』を初めて聴いたとき、ヒップホップというものに触れること自体がほとんど初めてだったから、めくるめくサウンドとラップに本当に衝撃を受けました。ああ、こんなにもスリルと喜びに満ちた音楽があるのか! すぐに心を奪われました。『BIG YOUTH』は、自分が音楽にのめり込むきっかけの大きなひとつで、例えば、マーヴィン・ゲイを聴くようになったのは、「ECDのロンリー・ガール feat. K DUB SHINE」で下敷きにされていたからでした。その他、ミュート・ビートにしてもデ・スーナーズにしても、「ECDが使ったから」が根拠になって、自分の音楽の世界は広がりました。『BIG YOUTH』の冒頭、クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、ラキム、KRS ONEの名前が出てくるのですが、無知な自分としては、それらがなにを意味しているのかまったくわからない。人の名前だったと知るまで、まるで呪文のように頭にこびりついていました。あるいは、「復活祭」においてシャウトアウトされるポール・Cや江戸アケミの名前。こちらは、人名だとは分かったけど、いくらヒップホップの棚を見ても、ポール・CのCDなどないし(エンジニアだから当然だ)、江戸アケミという人も見つからない。だから、さらに調べて探す(遅いぞ、追いついて来い)。僕にとって1998年とは、ECDさんに導かれるように、次々と新しい音楽に出会う幸福な時期でした(この点においては、実はもうひとり、同時期のDEV LEARGEという存在もすごく大きかったです。ECDさんもDEV LEARGEさんも亡くなってしまい、僕の音楽的原風景が無くなってしまった気持ちです)。

 ECDさんはその後、ヒップホップ自体から距離を取るようになりました。「ヒップホップでなければ何でもいい」という態度で制作された『MELTING POT』をはじめ、この時期の作品(ka『MELTING POT』『THRILL OF IT ALL』『SEASON OFF』)は、アルコール中毒に悩んでいた時期ということもあるのか、いびつな印象もありますが、そのぶん、ECDさんが切り拓く新しい領域に食らいついて行こうと、熱心に聴き込んだことを覚えています。だから、いずれも大好きな作品です。avexを辞め、ECDさんが本格的に働き始めるのもこの時期で、個人的には、このあたりからECDさんがまた違うフェーズに入ったと思っています。自主盤として『失点 in the park』『ECDVD』『Private Control』シリーズなどが、安価で発売されました。『失点 in the park』のジャケットは、「反戦」「スペクタクル社会」と書かれた公衆トイレの写真です。この公衆トイレがあるわかば公園は、まさにECDさんを聴き始めた中学生時代、友人たちとのたまり場になっていたところだったので、驚きました。この頃から、音楽以上にECDさんの生きかたや態度について、深く受け止めるようになった記憶があります。正確に言えば、ECDさんの音楽に向き合うことがそのままECDさんの生活や考えに向き合うことを意味した、という感じでしょうか。例えば、アルバム『失点 in the park』はたしか、定価が1500円でした。レコード会社を通して高くするより自主盤で安く届けたほうがいい、というECDさんの信念の反映です。あるいは、サウンドデモの不当逮捕に対して作られた「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」という曲は、著作権とは関係のないところで朱里エイコの曲をそのまま使い、即日ウェブにアップされました。政治的なリリックだから政治的なのだということではなく、音楽にともなうECDさんの振る舞いすべてが、政治的なアティテュードとしてありました。僕自身、社会問題や政治思想を自分の問題として考えるようになったのは、明確にこの時期、ECDさんがきっかけでした。僕が刺激を受け、惹かれていたのは、労働も生活も表現もすべて飲み込んで、全身で社会と対峙しているECDさんのありかたでした。意欲的であり続けるECDさんの新作を聴くたび、生活人としての自分の中途半端さに恥じ入るような気持ちとともに、またエネルギーが湧いてくるのでした(遅いぞ、追いついてない)。

 日々、仕事して給料をもらう。充実してもいるが、ときには疲弊もする。そんなときは、愛すべき音楽を聴いて、明日へのエネルギーとする。日々の労働のなかで感じたことや考えたことを、言葉にして文章を書く。生活のなかから言葉を練り上げる。その言葉をまた生活のほうに戻す。僕の暮らしは、だいたいこんなものです。でも、このなかに、話したこともないECDさんから受け取ったものがどれほどあることか。もちろん僕は、教員になるような退屈な男で、ECDさんのようなラディカルさやアナーキーさはありません。個別には、意見の違いもあるでしょう。とは言え、個人的な思いとしては、いま、この文章を書いている、明日、また仕事に行く、その行動ひとつひとつのなかに、ECDさんの存在が入り込んでいるように感じます。もしECDさんがいなかったら、いまの僕はばらばらにほどけてしまいそうです。その意味で、多くのファンと同じように、自分にとっていちばん大事なミュージシャンでした。とても悲しく、つらいです。

 昨年、ECDさんの自伝的エッセイ『他人の始まり 因果の終わり』が出ました。家族をめぐるこの作品は、パンクスとして「個」になったECDさんが、その地点から、ヒップホップによって新しい「つながり」(POSSE)を築く物語だと思いました。大学院生のとき、アルバイトさきの中古レコード店が素人の乱の近くでした。夕方になると、近所のバンドマンから冷えた味噌汁の差し入れがあるなど、オルタナティヴな「つながり」を肌で感じていました。素人の乱店主のひとり、松本哉さんがおこなった「高円寺一揆」にECDさんが来るかもしれない、ということを、僕がECDファンであることを知っている、インテリパンクさんという年上の友人に教えてもらいました。当日、フィラスティンのDJ中にふらりと現れたECDさんは、アカペラで「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」を披露しました。高円寺駅前に出現した一時的自律ゾーンで大好きな「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」がラップされる、というスリリングな状況に、僕はずいぶん興奮し、いちばんまえで、ECDさんに合わせて、ずっと大声でラップをしていました。このときのことについては、ECDさんの『いるべき場所』という音楽的自伝の最後に書かれています。

 しばらくして、司会らしきひとのリクエストで僕はアカペラで「言うこと~」をやることになった。最近のライヴではレパートリーから外れていた「言うこと~」は歌詞がうろ覚えで誤魔化し誤魔化しのラップだったが、ひとびとのレスポンスがそれを補って余りあるものだった。コール&レスポンスがあんなに自然発生的に盛り上ったのは自分のライブでは初めてのことだった。

 いまでも思い出すのは、このとき、ECDさんが「わかっちゃいるけど路上解放区」という一節が出てこなくて、大声で歌っていた僕の声だけが一瞬、鳴り響いてしまったこと。僕のなかでは気恥ずかしい思い出として残っていたのですが、のちの『いるべき場所』によれば、ECDさんはその場面を「ひとびとのレスポンス」として捉えていました。ECDさんが書いている場面と僕が思い出している場面が同じという保証もないのですが、『いるべき場所』を読んだとき、自分がECDさんの「音楽的自伝」のなかに参加したようで勝手に嬉しくなりました。なかば妄想として自分に言い聞かせるように書きますが、単にテンションが上がっているだけの僕の声が、目のまえのECDさんにとって、ほんの少しだけでも力になったのなら、それはなんと喜ばしいことでしょう。涙が出そうです。もっとも、僕がECDさんから受け取ったエネルギーに比べたら、ほんの微々たるものですが。まったくの「他人」である僕は、「他人」であるからこその仕方でECDさんとともに歩ませてもらった、という気持ちがあります。ここには書ききれませんが、アルバムから12インチから、本当に全作品がそれぞれに素晴らしいです。そのようなECDさんの表現に触れることは、僕にとって生きることの一部でした。これは、ECDさんの言う「つながり」(POSSE)と言えるでしょうか。言いたい気持ちはあるけど、わかりません。ECDさんの死後も、そのような「つながり」(POSSE)の感覚は維持されるでしょうか。ECDさんといつまでも。

 労働と生活と表現のすべてを飲み込んで、最後まで全身でこの社会を生ききったECDさんが亡くなってしまいました。ECDさんのファンである僕も、ECDさんのように、働き、生活をし、表現をし、全身で生ききりたいという気持ちがあります。でも。でも、ECDさんが亡くなった以降にそれを実践するのは、とても厳しいよ! ああ、悲しいよ! 体がばらばらになって、ふとしたとき、自分が自分でなくなってしまうようだ! だって、いまの仕事をしていることも、それを続けていることも、その合間にこうやって文章を書いていることも、その出発点にはECDがいるじゃないか! あの、まっすぐに社会と対峙し、そこから唯一無二の表現を練り上げるECDの姿が! ECDがいたから! 本当にありがとうございました! 本当に本当にありがとうございました! これからがんばってみます! どうか、安らかに。


追悼ECD

野田努

 ぼくが石田さんの曲でいまでも強く印象に残っているのは、“言うこと聴くよな奴らじゃないぞ”だ。2003年の対イラク戦争への反戦集会で、石田さんは1枚100円でこの曲のCDRを手売りしていた。その曲はデモ隊への励ましの曲だった。2年前のSEALDs主宰の国会議事堂前の抗議集会のときに、酸欠か何かでひとりの女性が倒れたことがあった。数人の男性がその女性を救護していたのだが、そのひとりが石田さんだった。あ、ECDがいる、と遠目に見ながら思った。石田さんはずっと変わらずに、仕事をしながら音楽活動を続け、ある時期からご家族を支えようと奮闘し、現場での献身的な(反戦、反原発、反差別などの)抗議活動も続けていた。そんなアーティストがこの世から消えたのだ。覚悟していたこととはいえ、あらためてその喪失感を感じている。とても悲しい。24日朝方の悲報に日本中のファンが大きな悲しを覚えたことと思う。
 ぼくが初めてお会いしたのは『Big Youth』(1997年)のときだった。「最近は働きながらバンドやっている連中に共感する」みたいなことを、当時はメジャーレーベルに所属して、ヒップホップのスポークスマン的な立場をこなしていた彼は言った(まだミュージシャンがそれなりに潤っていた時代にである)。『シック・オブ・オール・イット』のときは自分はヒップホップと同じようにパンクも好きなんだと、この元ロック少年はなんども「パンク」を強調した。それ以降も断続的にお会いする機会があった。2000年代前半の『ファイナル・ジャンキー』の頃はライヴハウスでなんどかライヴを観ている(共演者はハードコア・バンドのSFPであったり、ヒップホップ・グループのMSC であったり……まさにパンクとヒップホップのECDだった)。個人的に好きな曲がMute Beatをサンプリングした“ECDのAfter The Rain”だったので、こだま和文さんと対談してもらったこともあったな。
 ぼくが最後に編集長を務めた009年の『remix』で(『天国よりマシなパンの耳』の頃)、「ボヘミアン」をテーマに原稿を依頼したことがあった。そうしたら文中に当時の自分の所得額をしっかり書いて、月40万もらっていたメジャー時代の収入の半分にも満たない「いま」のほうが、もちろん不安を抱えてはいるが、生きていて楽しいというようなことを書いてきた(家族がある身でそれだけじゃダメなんだけど、とも加えて)。そういうことを本心からさらっと言えてしまうのが、ECDだった。ピュア、あるいはピュアリストという言葉は、ときにシニカルな使われ方をするけれど、石田さんはぼくから見て、デヴィッド・ボウイの歌詞の世界を本気で実践しているかのような、あまりにもピュアで、ある意味ピュアリストだった。その真面目さに息苦しさを感じたこともあったけれど、ぼくが知る限りで言っても、ECDは見えないところで人を助ける人だった。くだんの原稿のときは、ジョージ・オーウェルの『葉蘭を窓辺に飾れ』の翻訳本の表紙を自分のページのヴィジュアルに指定してきたが、この世知辛いご時世のなか、ある種プロレタリアートめいた自分を誇りにさえ思っていたのではないだろうか。それはいわゆる清貧主義ではないと思う。それはいまになってもぼくには説明がつかない、ひとつの信念のようなものが彼にはあるんだとずっと感じていた。そうえいば、ECDとは稲垣足穂の『弥勒』に出てくる江美留について話したこともあった。
 昨年の春頃、紙エレキングのヒップホップ特集の際に取材でお会いしたのが結局は最後となってしまった。貧困問題をテーマに喋ってもらったそのときにも「お金がなくても自由だぜ」ってことを伝えたい、と彼は言った。気の利いた未来像などラッパーは言わない、ただ「生きてるぜ」ってことを見せるのがラッパーだ、と彼は言った。なんて力強い言葉だろう。いつだってECDは弱き者、不器用な者、ドロップアウター、スマートには生きられない者たちの味方であり、基本的にそこから外れたことはなかった。石田さん、本当に本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。心からご冥福を祈ります。
(※写真は、カメラマンの小原泰広が2007年に『失点 in the Park』で描かれた下北沢の公園で撮影したものです)
 
 


『いるべき場所』のこと

大久保潤

 ECDによる私的音楽史を書いてほしいと思ったのは、『RECORDer』というミニコミと『クイック・ジャパン』誌に載った「ECDの音楽史」という記事がきっかけだ。前者は日本のパンク/ニューウェイヴ、後者は日本のヒップホップ・シーンについての貴重な目撃証言だった。
 とはいえ、当時の自分はECDとは面識もなく、紹介してもらえるような知人もいない。どうやって連絡を取ったらいいか考えた末、『SEASON OFF』収録の“GO!”という曲で、自分の住所をラップしていたので(!)、それを頼りに手紙を書くことにした。
 「もう引っ越してるかも……ていうかそもそも本当の住所なのかな?」とか思いつつ投函するとほどなくメールが届き、下北沢駅前の、駅舎に隣接したドトールで会うことになる。寡黙だが発言に無駄のない人なので、話は早かった。音楽的自伝という趣旨で、基本的に1章につき10年分とすること(1960年生まれなので、産まれてからのことを10年ごとに書いていくとちょうど60年代、70年代……となるのだ)にして、毎月1章ずつ書いてもらうことにした。途中から内容の濃くなる時期は5年で1章になったりもするが、それでも半年くらいで書き上がる計算だ。
 それから月に1度、同じドトールで会うことになる。原稿用紙に鉛筆書きで推敲の跡も生々しく残った原稿を受け取り、その場で目を通す。書いた本人が目の前にいて、無言でじっと見ている中で原稿を読むというのはこちらも緊張する時間だったが、さいわい毎回面白かった。そのドトールはもうずいぶん前になくなってしまったけれど、下北の南口に出ると今でも当時の店内の様子とECDの顔が目に浮かぶ。
 締め切りはきっちり守ってくれて(時にはちょっと前倒しでくれることすらあり)、そこから本が出るまではスムーズだった。こちらは『ECDの音楽史』というタイトルを考えていたのだが、本人が『いるべき場所』にしたいという。ちょっとわかりにくいでは?という気もしたのだが、居場所を求めて様々なシーンを転々とする軌跡を描いた本なので、すぐに納得した。一冊の本のタイトルであることを超えて、ECDの人生を表すキーワードのとなったと思う。
 最後に新しく彼女ができたことを明かしてこの本は終わっている。その「彼女」と結婚して間もなく子供も生まれ、ECDの人生はまた新たな局面を迎えた。それ以外にもいろんなことがあったその後10年のことを加えた『増補版 いるべき場所』を作りたかったのだけれど、それもかなわなくなってしまった。「直したい箇所がある」とは聞いていたので、せめてそこだけでもちゃんと教えてもらっておけばよかった。今はそのことばかり考えている。

Media Culture in Asia: A Transnational Platform - ele-king

 魅力的なカルチャー・イヴェント情報が編集部に届きました。
 “Media Culture in Asia: A Transnational Platform”、略して「MeCA(ミーカ)」が2月9日から18日までの10日間開催されます。近年急速な発展を続けているというアジアのメディアカルチャーを、展覧会やオールナイト・ライヴ、ワークショップなどを通して発信する試みのようです。
2月9日にはWWW、WWW Xにて<Maltine Records>のトマドがディレクターを務めるオールナイト・イヴェントも開催されるようで、日本からはトーフビーツ、ヤング・ジュブナイル・ユース、パークゴルフらのほか、KimoKal、Meuko! Meuko! などアジア諸国のアーティストも出演する。またモートン・サボトニックが作り上げた電子音楽史に残る60年代の名作『Silver Apples of the Moon』を、アルバム・リリース50周年記念ヴァージョンとして、リレヴァン、アレック・エンパイアらと再構築するパフォーマンスも見逃せない。
 展覧会では坂本龍一+高谷史郎をはじめとした様々な地域からのアーティストが、日本初公開作品を含むメディアアートの展示が行われる。
 アジア・ハイカルチャーの最先端をお見逃しなく!

MeCA
Media Culture in Asia: A Transnational Platform

開催期間:2018年2月9日(金)~18日(日)
会場:表参道ヒルズ スペースオー、ラフォーレミュージアム原宿、Red Bull Studios Tokyo、WWW、WWW X 他

スケジュール:
メインイベント
1 展覧会(Art Exhibition):2月9日(金)~18日(日)
2 音楽プログラム(Music Program):2月9日(金)
3 教育普及プログラム(Education Program):
  2月10日(土)、12日(月・振休)、17日(土)、18日(日)
4 関連プログラム(トークイベント、ギャラリーツアー):会期中
同時開催イベント
1 公募型キャンププログラム(Camp Program):2月10日(土)~17日(土)
2 国際シンポジウム(International Symposium):2月11日(日・祝)

<展覧会>
会期:2月9日(金)~18日(日) 開場時間:11:00~20:00(最終日は17:00まで)
会場:表参道ヒルズ スペース オー、ラフォーレミュージアム原宿
出展アーティスト:坂本龍一+高谷史郎(日本)、平川紀道(日本)、Guillaume Marmin and Philippe
Gordiani(フランス)、Couch(日本)、Bani Haykal(シンガポール)ほか(約10組を予定)

入場料(MeCAチケット):ワンデイチケット 1000円/オールデイパス 1800円 / 中学生以下無料
※トークイベント、ギャラリートーク、ワークショップにも参加可。

<音楽プログラム>
日時:2月9日(金)21:00~29:00(開場20:00)
会場:WWW、WWW X(渋谷)
出演者:tofubeats(日本)、Meishi Smile(アメリカ)、similarobjects(BuwanBuwan Collective トーフビーツメイシスマイルシミラーオブジェクツ
/フィリピン)、KIMOKAL(インドネシア)、Morton Subotnick(アメリカ)、Lillevan(ドイツ)、キモカルモートンスボトニックリレヴァン
Alec Empire(ドイツ)、Jacques(フランス)、ほか(全13組を予定)

チケット:前売り 3500円/当日 4000円
※MeCAチケットをお持ちの方は当日受付にて1ドリンク無料。

詳細は以下のリンクにて。
https://meca.excite.co.jp/projects/ticket/

interview with Kojoe - ele-king


KOJOE - here
Pヴァイン

RapHip-Hop

Amazon Tower HMV iTunes

 Keep on movin’、動きつづけることで存在を証明していく。曲をつくりウェブにアップし、CDやレコードというフィジカルを制作し、ライヴをこなす。とにかく動きつづけていないとあっという間に忘れられてしまう。特にいまのヒップホップの世界は目まぐるしい。そんなシビアな世界でKojoeはエネルギッシュに動き、自身の表現を更新しつづけてきたアーティストのひとりだ。そして、今年の11月に最新作『here』を完成させた。

 Kojoeについて少し説明しておきたい。彼はラッパーであると同時にシンガーであり、ビートもつくる。プロデューサーでもある。そんな彼は10代のころにNYクイーンズにわたり、2007年にアジア人としてはじめてNYのインディ・レーベル〈ローカス〉と契約を交わしている。2009年に帰国後は日本を拠点に活動を展開してきた。SEEDAとともに参加した、5lack(当時はS.L.A.C.K.)『我時想う愛』収録の“東京23時”で彼をはじめて知った人も多いかもしれないが、タリブ・クウェリやスタイルズ・P、レイクウォンらとの共演曲も発表している。その後、『MIXED IDENTITIES 2.0』、『51st State』といったソロ・アルバムをリリースする一方で、OLIVE OILAaron Choulaiとの共作も制作してきた。

 日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップをいかに折衷するか。『here』には、そんな問いへのKojoeなりの現在の答えがあると僕は感じた。日本とアメリカというふたつのホームに引き裂かれていたアイデンティティを統合した結果が『here』ではないか、というのはあくまでも僕の解釈だが、多彩なゲストで構成された全18曲にはハードコアでソウルフルでエモーショナルなKojoeの多面的な魅力があふれている。

 このインタヴューは、Kojoeがホストを務める番組「Joe’s Kitchen」(〈Abema TV / FRESH!〉で毎週木曜に放送)の放送後に、その日のゲストであるPUNPEE、GAPPER、WATTERらが見守るなか、彼のスタジオ〈J STUDIO〉でおこなわれた。Kojoeはすでに2時間しゃべりっぱなしだ。だが、まだまだいける。Keep on movin’、彼の体力を舐めてはいけない。




俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。


『blacknote』(2014年)リリースのときのAmebreakのインタヴューで次のように語っていましたね。「例えば向こうのヤツに聴かせて『スゲェ良い』って言われるような、ブラック・ミュージックとして認められるようなモノが、逆に日本では全然分かってくれなかったりとか、そういうフラストレーションはスゲェあるよね」。僕なりに要約すると、日本語ラップとブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで葛藤していた、ということかなと思います。そして、日本に移り住んでから数年間の経験を経て、『here』でKojoeさんなりのいまの答えを見つけたのかなという感想を持ちました。

Kojoe(以下、K):作っているときにそれをねらったり意識していたわけではなくて、それよりも意識したことのひとつは、俺の経験や葛藤を歌ったり、メッセージを訴えることはいままでやってきたから、このアルバムではこういう曲をこういう面子でやったら聴く人が喜ぶだろうなとかブチ上がるだろうなとか、いたずらを仕掛ける子供のような視点で作ったね。だから、日本語ラップとブラック・ミュージックの両方を良いバランスに混ぜてみようとかは考えていなかった。いま言われて逆にうれしいっていうか、そういう風に受け取られるんだって実感してきてる。

ゲストのラッパーやシンガーも多いですよね。たとえば“Prodigy”というフックなしのマイクリレーの曲がありますけど、このラッパーたち(OMSB, PETZ, YUKSTA-ILL, SOCKS, Miles Word, BES)のマイクリレーは他では聴けないですよね。

K:うん。TR-808でビートを鳴らして、ベースも強いトラップはやっぱり魅力があって人の心をつかむと思う。いまのヒップホップの流行のひとつのトラップを俺も好きだし、そういうモノと90年代のサンプリング・ヒップホップを合わせたらかっこいいんじゃないかって思ってこの曲を作った。BPMも90ぐらいだから、ブーム・バップが得意なラッパーはいつも通りフロウすればいいしね。MilesとかYUKSTA-ILL、BESくんとか、こういうビートで歌わなさそうなラッパーと、いまのトラップでもラップするPETZやSOCKSにマイクリレーしてもらったら面白いと思った。混ざらなさそうで、結果的に混ざったよね。

それと、これだけ充実した、制作/録音環境が整った〈J STUDIO〉ができたのも、ゲストが多数参加する『here』を作る上で大きそうですね。多くのラッパーがここで録音しましたか?

K:それはいろいろだね。ただ、このスタジオができたのはデカいよ。1月から作りはじめて3月ぐらいに完成した。それからAaronとの自主制作のやつ(ピアニスト/作曲家/ビート・メイカーのAaron Choulaiとの共作『ERY DAY FLO』)をスタジオのテストランも兼ねて作って、「ここで録れるな」と確認した。で、今回のアルバムを作りはじめた。ここに常に人が集まるようになったから、作っている途中で俺以外の人の耳に聴かせて反応を見たりできるようになった。いろんなヤツに「これどう?」って聴かせて感想をきいたりしてた。それもけっこう大事だった。

18曲と曲数も多いですし、ヴァリエーションも豊富ですよね。ハードコアな“KING SONG”からはじまり、“Prodigy”のようなマイクリレーがあり、またKojoeさんがラップだけじゃなく歌も歌う“PPP”のようなソウルフルな曲も際立っています。

K:良い意味で力を抜けた結果だと思う。運動するときも力が入っている状態だと動きって鈍いじゃん。それと似てるんじゃないかな。『51st State』に入ってる“無性に”みたいな曲は「歌手にも負けねぇぐらいに歌いてぇ!」という気持ちで歌い上げていた。もちろん今回もそういう情熱がないわけじゃない。ただ俺は当然、アンダーソン・パックやBJ・ザ・シカゴ・キッド、ダニー・ハサウェイのようには歌えない。だから、たとえば“PPP”とか“Cross Color”とかのソウルフルな曲も、俺は俺のようにしか歌えないという気持ちで良い意味で力抜いてる。本気なんだけど本気出してないから本気が出せた、みたいな。それを今回見つけた。そういう力の抜き方でヒントをもらったのはそれこそ(インタヴューの場にいたPUNPEEに視線をやりながら)PUNPEEや5lackだよね。あいつらには、「わざと力抜くのかっこよくないすか?」みたいな感じがあるじゃん。PSGとかも歌のメロディがすっげぇイケてるけど、いい感じに力が抜けてる。それが逆に研ぎ澄まされて、すごいソウルフルに聴こえる。

そうですね。わかります。

K:ある程度スキルを求めて動いたヤツにしかたぶんできないことなんだろうけどさ。俺も自分にたいしてそうやって楽しみな、みたいな気持ちになれたんだろうね。

Kojoe“Cross Color feat. Daichi Yamamoto”

俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

そういう力の抜き方によってソウルフルに歌うというのをPUNPEEや5lackから受け取ったのは面白いですね。ラッパー、シンガーという側面だけでなく、ビート・メイカー、プロデューサーとしてのKojoeさんの個性がより際立っているようにも感じました。

K:そこはちょっと意識したかもしれない。ただ、曲順に関してはそこまで深く考えず、ここ以外は置く場所はないっていうところに曲を入れていった。序盤はゲストのラッパーがたくさんいて、スピットしまくってるラップを並べて、途中で女性について歌う“Mayaku”とか“PPP”なんかを持ってくる。そうやってセクションを分けて、最後は自分について歌って終わる。そういう構成になってるね。ビート・メイキングは、ニューヨークにいた17年前ぐらいにMPC2000XLを手に入れてはじめた。ちゃんとしたビート・メイカーみたいにコンスタントに作り続けてきたわけじゃないけど、ずっと好きだったからいままでに3、400曲ぐらいは作ってると思う。前の嫁がラッパーだったからさ。

アパニー・Bですよね。

K:うん。彼女がプレミアとか俺の超憧れのいろんなビート・メイカーからビートをもらってて。そういうビートを横で聴いていたから自分のビートがダサ過ぎると思ってたね。でもこのスタジオを作ったときに、2000年ぐらいから作っていた自分のビートのCDがいっぱい出てきて久々に聴き直したら、「あれ?! けっこうイケてんじゃん!」って。2周ぐらいしてMPCで作ってたイナたいビートがすごいいいなあって。いちばん最後のRITTOとやってる“Everything”で11、2年前ぐらいに作ったビートを使ってる。

レゲエ・シンガーのAKANEと今年大躍進したラッパーのAwichを客演にむかえた“BoSS RuN DeM”(12月11日に5lack, RUDEBWOY FACE ,kZmが参加したリミックスがYouTubeにアップされた)もKojoeさんがビートを作ってますよね。この曲は突き抜けていますね。かなりの自信作なんじゃないですか?

K:超好きだね。ヒップホップよりヒップホップで、トラップよりトラップで、レゲエよりレゲエで、いろんなジャンルの人が「おわ~!」とブチ上がってくれるんじゃないかな。クラブのソファで女にセクシーな格好をさせて、男が彼女たちをはべらかしてる、みたいなMVは日本のヒップホップにも多いよね。でも俺は強い女のほうが色気があると思うし、そういう強い女性を見せたかった。“ボスって”、頭張ってやってる男と女を両方鼓舞するような歌にしたかった。「みんなボスれー!」って。そういうコンセプトはできていて俺が先にサビも録っていた。で、俺がいまいちばんイケてる女性で、俺が一緒に曲をやりたいと思うAKANEちゃんとAwichに声をかけた。イケイケなAKANEちゃんを見られたし、Awichもすごいハマってくれた。

Kojoe“BoSS RuN DeM Feat. AKANE, Awich”

Kojoe“BoSS RuN DeM -Remix- Feat.5lack, RUDEBWOY FACE, kZm”

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世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。









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このアルバムで大フィーチャーされていると言えば、18曲中6曲のビートを作っているillmoreですね。どういう方ですか?

K:こいつはもともと大分の人間で、OLIVEくんがすごい薦めてくれたビート・メイカーなんだ。〈OILWORKS〉のイベントか何かでいっしょの現場になって、ビートが超ヤバかった。他の若いビート・メイカーもいたけど、illmoreは突出していた。超真面目なくせにドープな音も作るし、耳がすごく良くて器用でどんなタイプの曲でも作れちゃう。EDMもトラップもブーム・バップも作るし、超オシャレなジャジーな曲も作れる。ゴリゴリの“KING SONG”みたいなビートも作れるからさ。あと、ベースの乗せ方が上手い。BUPPONとやってる“Road”のネタはMFドゥームも使ってるから(MFドゥームとマッドリブが組んだマッドヴィレインのある曲と同ネタ)、そこってビート・メイカーにとって勝負どころじゃん。他のビート・メイカーと同じネタ使っているからにはフリップしたり工夫しないといけない。その上でこのビートはすげぇ良かった。

“Cross Color”に参加しているDaichi Yamamotoさんはどういう方ですか?

K:京都生まれのジャマイカ人のお母さんと日本人のお父さんがいて京都で育ったヤツで、大学のあいだ3年半から4年ぐらいUKに行ってたんだけど、最近また日本に戻ってきた。いまAaronともいろいろ作ってるし、JJJとやったり、水面下でいろんなヤツとつながってるね。


フックアップの意識はあったりしますか?

K:そういうのはない。俺、フックアップは絶対しないもん。瞬発的に良いタイミングに出くわしてノリが良かったからやっちゃうっていうのはあるとしてもヤバいと思うヤツとしかやりたくない。illmoreは仕事がすごいできてビートが超かっこよかったし、Daichi Yamamotoもそう。俺はイケてりゃ何でもいいかなって思う。

なるほど。ところで、『here』っていうアルバムのタイトルに込められた想いについても語ってもらえますか。

K:俺はガキのころからずっと転校とか多かった。で、10代でニューヨークのクイーンズに行ったから俺の人生でクイーンズがいちばん長くいた場所なんだ。だからニューヨークのクイーンズが地元っていう感覚もあったけど、こっちに戻ってきて7年ぐらい経つから、もちろんいままで自分がいた場所はレペゼンしていきたいけど、クイーンズをレペゼンするのもちょっとナンセンスだなって思うところがあった。居場所を探していたのもあったし、日本に戻ってきて『MIXED IDENTITIES 2.0』(2012年)を出したときは、「ここはけっきょくアメリカじゃねぇかよ!」って文句を言ってみたりもしていた。

自分のアイデンティティについての葛藤みたいのがあったということなんですね。

K:うん。そうだろうね。無意識に苛立ちがあったのかもしれない。そういうのが落ち着いてきたから、『here』というタイトルにした。俺がどの土地にいて、どこに立っていようと、音楽でつながっている場所が俺の居場所だって気づいた。音が居場所なんだって。だから、『here』というタイトルになったんだよね。

やっぱりそれは、5lackやOLIVE OIL、Aaron、このアルバムに参加しているラッパーやビート・メイカー、アーティストたちとの出会いも大きかったのかなって感じます。

K:デカい、デカい。面白いヤツは世の中にはいっぱいいるけれど、そいつの音楽をリスペクトできて、さらに人間も面白いヤツとなると少なくなるよね。俺は運良く素晴らしいアーティストたちに出会って、そういう人間が周りにいてくれるから、多少、自分が開けた部分は絶対あるよね。

最初の僕の感想に戻してしまうんですけど、Kojoeさんが日本のラップ、ヒップホップとニューヨーク、クイーンズで体験してきたブラック・ミュージックとしてのヒップホップのあいだで産み落とした作品なのかなという気がします。

K:俺が10年以上前から言っているのは、世界でも日本人の英語のラップがかっこいいって言われる時代が絶対来るってことなんだよね。たとえばジャマイカのパトワみたいに日本人の発音の英語がかっこいいって50年後ぐらいにはなると思う。日本人の発音のままフロウやリズムに関してはケンドリックだったり、(ブルーノ・)マーズだったり、レイクウォンみたいにできるようになっていく時代が来ると思う。いつになるかわかんないけど、最近の10代とか20代前半のヤツのほうがやっぱ敏感で、昔の日本語ラップみたいにこうじゃなくちゃいけないみたいなのがなくなってきて、日本語と英語が混ざったりしててもオッケーみたいな世代がやっぱり出て来てるから。そういうヤツらが逆に俺の音楽を聴いて、「ヤベェ!」って思ってくれたら面白いと思ってる。若いヤツの耳も脳みそも進化してるよね。受け皿が広いというか、柔軟というかさ。いずれにせよ、世界中のヤツらが日本のヒップホップがヤベェっていう時代はいつになるかわからないけど来ると思うよ。

『here』はとにかくオープンな、開けたアルバムだなって今日の話を聞いてさらに感じましたね。

マサトさん(KojoeのA&R/JAZZY SPORT):この作品はKojoeくんが日本のシーンにたいしてフラットでいられる環境で作れたのがいちばんデカいと僕は思います。日本に帰ってきてから数年は周りからの“英語を使う日本人のラッパー”という先入観も強かっただろうし、いろんな意味でコンプレックスもあったと思う。ここ数年は徐々に変わってきてるけど、日本語だけじゃないとサポートされない土壌が日本にはあったと思うので。それがいろんなアーティストとの出会いを通じてKojoeくんがフラットになってきたのがやっぱり大きい。

なるほど。それは僕も感じました。今後の予定はどうですか?

K:うん。とりあえず、来年1月13日の安比高原でやる〈APPI JAZZY SPORT〉でのライヴを皮切りに、1月後半、2月ぐらいからがっつりツアーをはじめようと思ってる。来年はツアー以外でもできるだけライヴはやっていこうと思ってるね。こんな感じで大丈夫?

はい、番組のあとで疲れてるでしょうし、ばっちりです。

K:俺の体力ディスってんの?

いや、ははは。それ、使わせてもらいます(笑)。今後のライヴ、楽しみにしてます!


[イベント情報]

J presents 『bla9 marke2 #4』
日程:12/29 (Fri)
会場:中野heavysick ZERO
OPEN:23:00
¥2,000+1D
W.F ¥1,500+1D
24:00まで ¥1,000+1D


SUMMIT Presents. AVALANCHE 8
日程:12/30 (Sat)
会場:代官山UNIT
OPEN:23:30 / START:23:30
ADV ¥3,000
Diagonal & AVALANCHE 8通し券 ¥4,800
DOOR ¥3,500


Sam Purcell - ele-king

2017 in No Particular Order

Babe Roots - ele-king

 イタリアの2人組ベイブ・ルーツを知るキッカケは、レーベルやWebマガジンなど多角的に活動している、〈Electronique.it〉のポッドキャストだった。そこに提供したミックスでふたりは、ジャッキー・ミットゥ、ホレス・アンディー、リズム・アンド・サウンドらの曲を接続し、メロウなグルーヴと小さじ一杯のトリップをもたらしてくれた。さらに面白いのは、ベイブ・ルーツというユニット名だ。このミックスを紹介する記事に提供されたアーティスト写真がベイブ・ルースだったから、“そういうことか……”とすぐ察しがついた。こうしたストレートな遊び心は嫌いじゃない。

 というわけで、ミックスを聴いたあと、さっそくふたりの作品を手に入れた。手始めに購入したのは、2016年に〈Rohs!〉からリリースされたシングル「Dub Sessions 1」。先述のミックスから、ダブ/レゲエの要素が顕著なのだろうと予想していたが、良い意味で期待が裏切られた。より正確に言うと、緊張感漂うシャープな音像はダブ/レゲエ色を滲ませるが、そこへ冷ややかな電子音を混ぜていたのだ。そうして生まれたサウンドには、リズム・アンド・サウンド以上に、ベーシック・チャンネルの影を見いだせる。このふたつのユニットは、共にモーリッツ・フォン・オズワルドとマーク・エルネストゥスによるものだが、それぞれの良いとこだけを頂戴したような音楽が「Dub Sessions 1」だった。その後もふたりは、〈Linear Movement〉から発表した「Tribal War/Sweet」など、コンスタントに作品を作りあげてきた。作品ごとの違いはあるものの、ダブ/レゲエを基本としているのは変わらない。節操なく流行を追いかけるより、自分たちの音を追求するのがふたりの質らしい。

 そんなふたりが、ファースト・アルバム『Babe Roots』を完成させた。ここでもふたりは、やはりダブ/レゲエを軸にしている。ヘヴィーな低音を強調し、無駄のない音像は非常にシャープだ。そのうえでトリッピーなグルーヴを生みだし、甘美な心地よさが作品全体を覆っている。ディレイやリヴァーブの長さといった、細かいところに行き届いたプロダクションも相変わらず。ファースト・アルバムにしては、あまりに出来過ぎな完成度。
 特筆したいのは、オープニングを飾る“Intro”だ。メタリックな電子音とユーフォリックなホーンの響きで始まるこの曲は、これまでふたりが見せてこなかった表情を楽しめる。ダブ/レゲエはもちろんのこと、秘境的な雰囲気が漂うサウンドスケープはニュー・エイジを彷彿させるのだ。こうした方向性のアルバムも、ぜひ聴いてみたい。

 “Intro”以外はヴォーカルをフィーチャーしているのも興味深い。〈ZamZam Sounds〉から発表した「Be Still」など、これまでも何度かゲスト・ヴォーカルを迎えることはあったものの、ここまで歌を前面に出してくるとは思わなかった。とりわけ秀逸なのは、ミリー・ジェイムスが参加した“Falling”だ。幻惑的なサウンドが舞う中で、ミリーが蠱惑的な声を聞かせてくれる。そこにはトリップ・ホップを想起させる酩酊感があり、クラブのチルアウト・タイムで機能するのはもちろんのこと、ポップ・ソングとして聴いても違和感がない。

 最近のイタリアといえば、〈Editions Mego〉や〈Warp〉から作品をリリースしているロレンツォ・セニといった、テクノ方面の盛り上がりが注目されている。しかしベイブ・ルーツは、ベース・ミュージック方面も面白いと私たちに気づかせてくれる。

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