「iLL」と一致するもの

Stolen@Tempodrom, Berlin - ele-king

 来年3月にニュー・オーダーの来日が決定、石野卓球と Stolen が追加出演することも発表された。その噂の Stolen とはいったい何者なのか? というわけで、この秋ベルリンで開催されたニュー・オーダーと Stolen のライヴの模様をレポートします。

世界が音楽に貪欲だった70年代の再来か!? 中国の新世代インディーズ・バンドがニュー・オーダーと共に欧州に君臨、そこで、手にした未来とは!?

 現代に残る社会主義国家でありながら、他の資本主義国家よりも圧倒的な経済発展を遂げている中国が閉鎖的であるというイメージはもはや過去の産物ではないだろうか。むしろ、時代を逆行するかのごとく、どんどん自由が制限され、それに気付く余裕さえないほど殺伐とした環境で、ピュアな感性が蝕まれていくように感じる今の日本の方がよほど危機感を覚えるのは筆者だけだろうか。物質的なものでも情報でも、いとも簡単に何でも手に入る環境が決して幸せで良いことであるとは言えないのだ。

 これは何も社会的なことに限った話ではない。アンダーグラウンドな音楽シーンにおいても同様に思うのだ。

 まだ10月初めだというのに冬物のジャケットが必要なほど冷え込んだ日、ベルリンのコンサートホール「Tempodrom」でヨーロッパ・ツアー真っ最中の New Order のライヴが行われた。そのサポートアクトを務めたのが、中国四川省成都出身の中国人5名、フランス人1名からなる6ピースバンド “Stolen” である。


Photo by Alexander Jung

 ヨーロッパでは未だ未知の領域である中国のインディーズ・シーンから、突如テクノの街ベルリンに現れたバンド Stolen とは一体何者なのだろうか? まず、アジア人のコンプレックスを隠そうとするありがちな “Too much なデコラティヴ” は一切なく、むしろ、全身黒の衣装で統一したシンプルなミニマル・スタイルに黒髪の彼らは控えめな若者の集まりと言った印象。

 それに反して、ライヴ・パフォーマンスはストイックと完璧主義の塊である。心の奥底に押し込めた欲望やら鬱憤やらをサウンドに打ち付けて、吐き出しているかのように激しく、それでいて荒削りで強引な演奏ではなく、インテリジェンスで完璧なまでのスキルに身震いするほどの衝撃を受けた。
 圧倒的な存在感を放つフロントマン Liang Yi による堂々たるナルシシズムを全面に出した独自の世界観に真っ先に引き込まれていく。歌詞はほとんどが英語で歌われており、その時点で中国だけでなく、世界の舞台を見据えているように思えた。そして、彼らの放つサウンドはポップではなく、一貫してダークである。VJ担当の Formol によるアートワークがその世界観をグラフィックと写真のコラージュで実にシュールに表現している。


Photo by Alexander Jung

 Kraftwerk や Joy Division に影響を受けているという彼らだが、全員まだ20代である。インターネットが監視下に置かれている中国で、違法ダウンロードによって手にした “外の世界の音” から、自分たちが生まれてもいない70年代のドイツのクラウトロックやイギリスのポストパンク、ニューウェイヴと運命的に出会う。そして、インスパイアされ、独自の解釈によって、ギターと打ち込みが疾走するオリジナリティー溢れる Stolen サウンドとして誕生したのだ。ダークでメランコリックであるが、そこに存在するのは絶望ではなく、暗闇で輝く生粋のアンダーグラウンドである。

 自国へ帰ればアルバイトで生活費を稼ぐ日常が待っている労働者階級出身の彼らに、ネット世界ではなく、本物のベルリンを見せ、スポットライトを当てた重要人物がいることを忘れてはいけない。彼らの成功への道は、プロデューサーの Mark Leeder の存在なくしては語れない。1990年、壁崩壊直後の混沌としていたベルリンで、自身のレーベル〈MFS〉を設立し、マイク・ヴァン・ダイクや電気グルーヴといったテクノ・アーティストのリリースを手掛ける傍、世界を飛び回り、アンダーグラウンド・シーンで光る原石を掘り続けてきた伝説のプロデューサーである。90年代から中国の音楽シーンに注目していた彼の目に止まったのが、平成生まれの若き Stolen である。マークは一体彼らにどんな未来を見たのだろうか?

 伝説のプロデューサーと言えば、もはや何度観たか分からない筆者の音楽人生のバイブル『24アワー・パーティー・ピープル』の故トニー・ウィルソンが頭に浮かんだが、壁に分断されていた80年代の西ベルリンを描いたドキュメンタリー映画『B-MOVIE』が、Mark Reeder そのものなのだ。彼の半生を描いた同作では、自身がストーリーテラーも務めており、狂乱に満ちた同じ時代を駆け抜けた同士として、当然ながらトニー・ウィルソンとの親交も深かったと言う。


Photo by Alexander Jung

 ベルリンは、時代を越えて心底アンダーグラウンド・ミュージックと共存している街であると言える。地下鉄の中やストリートでは日々パフォーマーたちによって様々なジャンルの音楽を耳にし、普通の女の子が Bluetooth スピーカーから爆音でビート・ミュージックを鳴らしながら闊歩する。世界最高峰と呼び名の高い Berghain では毎週末36時間ぶっ通しのパーティーが行われている。そこには年齢も性別も人種も関係ない、心底音楽が好きな人間たちが集まっている、ただ、それだけである。

 Joy Division の『Unknown Pleasures』のTシャツに身を包んだ熟練でシビアな New Oeder ファンを前で堂々たるプレイを見せつけ、取り込んだ Stolen は、アジアを代表するバンドとしてここヨーロッパで確固たる地位を築いていくだろう。この日、客席には彼らの楽曲 “Chaos” をミックスした石野卓球の姿があった。Stolen に昔の電気グルーヴの姿を重ねながら、70年代のマンチェスターやベルリンの再来を期待せずにはいられない一夜となった。

New Order (ニュー・オーダー)の来日公演に、ニュー・オーダーのバーナード・サムナー(Vo.)が絶賛する中国のインディーバンド Stolen と石野卓球が追加出演決定!!

1980年代後半から1990年代初頭にかけて起きたマンチェスター・ムーヴメントを描いた映画で2002年に公開され大ヒットした映画「24アワー・パーティー・ピープル』にも登場する、マンチェスター・ムーヴメントの象徴的アーティストで、ロックとダンスを融合させてサウンドが、ブラー、オアシス、レディオヘッドなど、その後のUKロックバンドに多大な影響を与えたイギリス、マンチェスター出身の伝説バンド、New Order (ニュー・オーダー)の来日公演に、中国のインディーバンド、Stolen と石野卓球の追加出演が決定しました。

Stolen はニュー・オーダーのバーナード・サムナー(Vo.)が彼らの音楽に惜しみなく賛辞を贈る、平均年齢26歳の5人の中国人と1人のフランス人による中国のインディーバンドで、10月からスタートしている、ヨーロッパでのニュー・オーダーのライブ・ツアーにスペシャルゲストとして帯同中。

石野卓球は、Stolen の全世界デビュー・アルバムとなる『Fragment (フラグメント)』にリミックスを提供していますが、実はこの3組のアーティストを繋ぐハブとなったのは、マンチェスター出身のプロデューサー、DJ、そしてドイツベルリンの伝説的音楽レーベル〈MFS〉のオーナーでもあるマーク・リーダーです。

マーク・リーダーはニュー・オーダーのバーナード・サムナーにいち早くベルリンのダンスミュージックを体験させた人物で、彼がいなければニュー・オーダーの名曲“Blue Monday”が生まれることはなかったと言われています。

また、電気グルーヴの『虹』を自身のレーベル〈MFS〉からリリースし、電気グルーヴと石野卓球がヨーロッパで活躍するきっかけを作ったのもマーク・リーダー。

そして、Stolenの全世界デビュー・アルバム『Fragment (フラグメント)』をベルリンでレコーディングし、このアルバムに石野卓球のリミックスが収録されることになったのもマーク・リーダーのプロデュースによるものなのです。

国も世代も異なるアーティストたちが、“音楽密輸人”の異名を持つマーク・リーダーを中心に日本公演で貴重な邂逅を果たします。

なお、ゲスト出演決定につき、開場・開演時間が変更になりますので、詳細は以下の情報をご覧ください。
【ライブ情報】

※ゲスト出演決定につき、開場・開演時間を変更させて頂きます。予めご了承ください。

東京 3月3日(火) 新木場 STUDIO COAST / special guest : 石野卓球
東京 3月4日(水) 新木場 STUDIO COAST / special guest : STOLEN / 石野卓球
OPEN 18:30→18:00 / START 19:30→19:00
TICKET スタンディング ¥10,000 指定席 ¥12,000(税込/別途1ドリンク)※未就学児入場不可
一般プレイガイド発売日:発売中 <問>クリエイティブマン 03-3499-6669

大阪 3月6日(金) Zepp Osaka Bayside / special guest : STOLEN
OPEN 18:30→18:00 / START 19:30→19:00
TICKET 1Fスタンディング ¥10,000 2F指定 ¥12,000(税込/別途1ドリンク)※未就学児入場不可 ※別途1ドリンクオーダー
一般プレイガイド発売日:発売中 <問>キョードーインフォメーション 0570-200-888

制作・招聘:クリエイティブマン
協力:Traffic

【ニュー・オーダー】
メンバー:バーナード・サムナー、ジリアン・ギルバート、スティーヴン・モリス、トム・チャップマン、フィル・カニンガム

マンチェスター出身。前身のバンドは、ジョイ・ディヴィジョン。80年、イアン・カーティスの自殺によりジョイ・ディヴィジョンは活動停止を余儀なくされ、バーナード・サムナー、ピーター・フック、スティーヴン・モリスの残された3人のメンバーでニュー・オーダーとして活動を開始。デビュー・アルバム『ムーヴメント』(81年)をリリース。82年、ジリアン・ギルバート加入。83年に2ndアルバム『権力の美学』をリリースし、ダンスとロックを融合させた彼らオリジナルのサウンドを確立した。85年リリースのシングル「ブルー・マンデー」は大ヒットを記録、12”シングルとして世界で最も売れた作品となった。同年初の来日公演を実施。所属レーベルのファクトリー・レコードが地元マンチェスターに設立したクラブ、ハシエンダ発のダンス・カルチャーは、80年代後半にマッド・チェスター、セカンド・サマー・オブ・ラヴといった世界を牽引する音楽シーンを生み出した。その一大カルチャーの中心的存在として、3rdアルバム『ロウ・ライフ』(85年)、4thアルバム『ブラザーフッド』(86年)、5thアルバム『テクニーク』(89年)をリリースし、その評価・人気共にUKユース・カルチャーの象徴となった。93年、ロンドン・レーベル移籍第1弾として、名曲「リグレット」等が収録された6thアルバム『リパブリック』をリリース。7thアルバム『ゲット・レディー』(2001年)と8thアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール』(2005年)は、ギター・サウンドに比重を置いたサウンドとなった。2007年、オリジナル・メンバーのピーター・フック(b)がバンドを脱退。2001年と2005年にフジ・ロック・フェスティヴァルに、2012年にサマー・ソニックに出演。2014年、MUTE移籍が発表され、2015年9月23日に9thアルバム『ミュージック・コンプリート』をリリース。2016年、実に29年ぶりの単独来日公園を行う。2017年、ライヴ盤『NOMC15』をリリース。2019年6月、地元マンチェスターの伝説の会場で2017年6月に5夜に渡って行われたライヴを収録した『∑(No,12k,Lg,17Mif)』を発売。

タイトル:∑(No,12k,Lg,17Mif) / ∑(No,12k,Lg,17Mif) New Order + Liam Gillick: So it goes..
品番:TRCP-243~244 / JAN: 4571260589032
定価:2,600円(税抜)*CD:2枚組

【石野卓球】
1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル“Love Parade”のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ“WIRE”を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。
2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。

www.takkyuishino.com

【STOLEN】
中国で今最も刺激的な音楽シーンになるつつある四川省の省都・成都(せいと)を拠点にする平均年齢26歳の5人の中国人と1人のフランス人で構成される6人組のインディーズバンド「STOLEN(ストールン:秘密行动)」。2011年の結成から7年、謎多き中国のインディーズシーンから全世界デビューアルバムとなる『Fragment(フラグメント)』はドイツベルリンの伝説的レーベル「MFS」のオーナーMark Reederがプロデューサーとなり、成都にある彼らのホームスタジオとベルリンのスタジオでレコーディングされた。テクノやロックといったカルチャーを独自に吸収したそのサウンドやライブステージ、アートワークは、中国の音楽好きな若者から人気を集めるポストロック〜ダークウェイブの旗手として、その注目度は世界中へ拡がっている。

STOLEN
日本デビュー・アルバム『Fragment』発売中
価格:¥2,500+税
商品仕様:CD / 紙ジャケ / リーフレット
品番:UMA-1121

interview with Takuma Watanabe - ele-king

 その端緒をひらいた2014年のソロ作『Ansiktet』の時点では、2010年代後半が映画と音楽の関係の再考に費やされるとは、本人に確証があったかどうかはいささかあやしいが、渡邊琢磨はその1年後の冨永昌敬監督の『ローリング』、2年後には吉田大八監督の『美しい星』などの劇場公開作品の音楽を手がけ、盟友染谷将太監督とは実験的な作風にとりくみ、今年ついにみずからメガフォンをとり、染谷将太と川瀬陽太、佐津川愛美が出演する『ECTO』を完成させるにいたった。同作は今年5月に委嘱元である水戸芸術館で、晩夏には山口県のYCAMの爆音映画祭でも、規模はことなるが弦楽器の伴奏つきの上演を行っている。もうしおくれたが、渡邊琢磨の『ECTO』は映画の上映と生演奏がひとつとなってはじめて作品となる舞台芸術的映画作品で、革新的な方法論もさることながら映画なる形式へのエモーショナルな自己言及によって画期的な作品にしあがった、その完成から間を置かずして、というより余勢を駆ったか、渡邊琢磨はさらに映画に広く深くかかわろうとしている。
 そのことは処女作となる映画作品と同名のレーベル〈ECTO Ltd.〉の始動にもうかがえる。またしてももうしおくれましたが、“ECTO”とは超常現象愛好家にはおなじみのあのエクトプラズムのエクトであり、ギリシャ語の「外」を意味するこのことばをレーベル名に冠した渡邊琢磨の胸中には、映画の内にありながら映像に外として付随する音楽の浮動する特異な位置を多角的にとらえんとする野心がうかがえる。とともに、音楽のみならず音をめぐるテクノロジーと価値観すなわち環境の変化が映画にいかに循環するのか、あるいはその逆は? との問いかけをふくみ、そのことはベルが鳴り客電が落ちた劇場の暗がりでおぼえる胸の高鳴りによく似たものを呼びおこす。
 サウンドトラック盤『ゴーストマスター』はECTOレーベルの第一弾である。青春群像恋愛SFホラー活劇とでも呼ぶべきヤング・ポール監督の同名作は幾多の形式と手法と記号と技法をDIY風に融合した秀作だが、それゆえに音楽にもとめられる要求にも幅があったという。音楽を担当した渡邊琢磨の苦闘ぶりは本文をご参照いただきたいが、取材の後日仙台から郵送されてきたサントラ盤に耳を傾けながら本編で聴いたのとも印象をことにする音楽のあり方にうたれたとき、私は渡邊琢磨の新たな試みの意義をあらためて認識した。すなわち、映画とは、音楽とは、映画音楽とはなにか、との問いである。

映画がなければ存在しえなかった音楽の傾向はあるかもしれませんね。フィルムスコアリングのあり方が音に反映されている作品は多々あると思うので、映画のなかでしか聴けない音楽は、たとえばそれがオーケストレーションありきの音楽でなくとも電子音楽でもあると思います。

映画音楽を中心にするレーベル〈ECTO Ltd.〉を発足させたんですよね。

渡邊:染谷(将太)くんが監督した『ブランク』(2017年)という映画があって、そのサントラをリリースするさい、ミックスダウンと部分的に録音もやり直して、アンビエントにつくり変えたんですけど、それが映画音楽の副産物として面白いなと。レコードのセールス的に映画音楽は少々厳しいかもしれませんが、メディアとして再利用するのはおもしろいのではないかと。それがレーベル〈ECTO Ltd.〉をはじめる発端でもあり、今回のサントラのリリースのきっかけでもあります。

野田:『ゴーストマスター』のジャケットをちょっとみせてもらいましたよ。鈴木(聖)くんがデザインしているじゃない。

渡邊:そうですね。じつは〈ECTO Ltd.〉のレーベル・ロゴも聖くんがつくってくれました。

その〈ECTO Ltd.〉レーベル第一弾が2019年12月に公開した映画『ゴーストマスター』のサントラだと。すでに2作目以降も決まっているんですよね。

渡邊:染谷くんが監督し、菊地凛子さんが脚本を書いた短編作品の音楽を担当したのですが、本編20分弱の間、音楽がずっと鳴り続けていて、モジュラーシンセを使ったりドローンになったり、音楽的にも発見がいろいろあったので、権利的な問題がクリアになれば、同作のサントラを出したいと思っています。

冨永昌敬監督の『ローリング』(2015年)、吉田大八監督の『美しい星』(2017年)、染谷監督の『ブランク』、今年上演(映)した作品としての『ECTO』もそうですが、琢磨さんはこの数年映画と音楽についてかなり意識的にかかわってきました。サウンドトラックというメディアの現状についてはどう考えていますか。

野田:最近じゃOPNなんかもサントラ(『Good Times』『Uncut Gems』)を手がけているよね。

渡邊:ダニエル・ロパティンのようなアーティストがサントラやるような状況って昔はそんなになかったと思うんですね。歌唱入りのテーマ曲をバンドやミュージシャンが担当するなどはありましたが、劇判をジョニー・グリーンウッドとかトレントレズナーとか、トム・ヨークもそうですし──

ムームのヒドゥル・グドナドッティルとかね。

渡邊:そうですね。彼女が手がけた『チェルノブイリ』(HBO制作のドラマ)の音楽は素晴らしかったです。最近、音楽好きな映画監督がミュージシャンに直談判するような状況も顕著になってきましたし、映画音楽すなわち職業作家だけの仕事という時代でもない。バジェットいかんにかかわらず、監督や制作部とのコミュニケーションから音楽を着想することも多々ありますし、ミュージシャンが可能性を追求できる現場でもあると思います。

野田:染谷さんと菊地凛子さんは芸術的な野心をすごくもっているじゃない。あれだけメインストリームにいながら彼女もアンダーグラウンドにたいする嗅覚もある。

渡邊:そうですね。凛子さんはこのところ、染谷監督作品の脚本も書いていますが、ご自身の直感と趣向をそれとなく仕事にとりこんでしまう、その才覚がすごいです。海外では女優のマーゴット・ロビーや、ブラッド・ピットなどが独自のプロダクションをたちあげて大作を製作していますが、表方も裏方も手がける人が増えてきました。凛子さんはハリウッドでも仕事をしているし、そういった考え方があってもぜんぜん不思議ではない。

彼らが制作に関与できる状況があるということですね。

渡邊:ブラッド・ピットが運営する製作会社〈PLAN B〉もそうですが、〈A24〉や〈Oscilloscope〉のような独立系製作会社が2000年以降増えました。最近はポスプロ(ポストプロダクション)なども、映画監督自身が編集ソフトを使って作業することもありますが、以前は分業というか、編集は編集マンにお願いするのが慣例だったと思います。それがいまやラップトップ一台で完結できてしまう。映画は一人で作るものではないので、相対的に考えると良し悪しありますが、テクノロジーの発展とともに映画制作の状況も変わってきましたね。

職域がゆらいでいる現状がある。

渡邊:私的にシンギュラリティに関心はありませんが、AIの問題なども含まれるかもですね。AIが実装されているツールが出回ることで職域問題のバイアスが多少なりともかわるかもしれない。音楽制作においてもマスタリングやミックスをAIが行うツールがありますし、自己完結できる部分はどんどん増えている。

映画音楽に特化した、あるいは関連したといってもいいかもしれませんが、そのようなレーベルの構想はいつから?

渡邊:じつはここ最近──なのです(笑)。基本サウンドトラックのリリースは映画の制作会社や委員会の意向に沿って決めるのですが、インディペンデント映画やショートフィルムの場合、サントラがリリースされることがまれだったりするので、監督や制作サイドにサントラの音盤化のご提案をして、話しがまとまればリリースするという感じです。

いまの予定ではサウンドトラックとその二次利用作品ということなんですか。

渡邊:あるいは映像作家自身がつくる音楽、音響作品ですとか。効果音のスタッフの仕事にフォーカスしたものとか。ECMでも、ゴダールの映画の音だけがパッケージされたアルバムがありましたよね。そういう傾向の作品も含め(映像や映画の)音全般をあつかっていくということです。

しかしよく考えると、サウンドトラック盤が存在する映画の基準って、音楽のよさ以外になにかあるんですか。いまはサントラはあまり出ませんが、中古市場ではサントラもひとつのジャンルを形成するほどの分量があって、掘っていくとけっこうマイナーな作品のサントラもありますよね。

渡邊:映画音楽の仕事に携わってわかったことですが、音楽コンテンツのとりあつかいが漠然としているケースもありまして、映画の最終行程であるダビング作業の後に、劇伴の出版管理ほか、本編における音楽の使用箇所を記載する「Qシート」を提出するなどの話しになるのですが、映画の公開からだいぶ時間が経って詳細な連絡をいただくことも多々ありまして。映画は制作行程が複雑ですし、音楽以外にも事後クリアしなければならない作業や問題も少なくありません。ただ、映画が公開されてから時間が空いてしまうと、作業内容もあやふやになってくるので、それなら劇伴が出揃った段、もしくはダビング作業直後にプロデューサーもしくは製作会社の担当者に出版の意向などをおうかがいし、所定の管理団体がない場合は、こちらでお預かりすることもできますとご提案しておくのもよいかなと。それから、サウンドトラックをリリースすると、今回の記事のようにパブリシティ効果も期待できるかもしれない。勝手がよいレーベルがあればマーチャンダイズとしてサウンドトラックをつくることも容易ですし。映画作品のPR、掲載メディアも横断的になるというか、音楽の観点から映画をとりあげるのも面白いのではないかと。あわせて、監督からサウンドトラック盤をつくりたいという要望が出る場合もあります。監督は個々の行程に思い入れがありますし、若い世代の監督にはクラブミュージックからサントラまで雑多に音楽好きな方もいます。

映画音楽をメディアとして再利用するのはおもしろいのではないかと。それがレーベル〈ECTO〉をはじめる発端でもあり、今回のサントラのリリースのきっかけでもあります。

『ゴーストマスター』のヤング・ポール監督は若い世代に入りますよね。これが処女作ですね。拝見しましたが、いい感じで──

渡邊:とっちらかってますよね(笑)。

(笑)やりたいこといろいろやった感がありますね。

渡邊:初長編作らしい大変、野心的な映画です。

『ゴーストマスター』の音楽はどのような取り組み方だったんですか。

渡邊:本作は恋愛映画の撮影現場が次第にホラーに転じていくという映画内映画の要素があります。キラキラ恋愛映画を撮っているのだけど、とにかく撮影現場が滞る。キャストもダダをこねるし、監督も投げやりで、プロデューサーもうまくとりもってくれない。三浦貴大くん演じる主人公のダメダメ助監督は、本心ではホラー映画を監督したい野心があります。その思いと現場のストレスがピークに達したとき、恋愛映画の台本がホラー映画にトランスフォームするということなのか、とにかく惨劇の現場と化していくわけです。脚本を担当された、楠野一郎さんは大御所ですが、何とも不可思議でブラックな喜劇性をもあわせもつ恋愛ホラーをお書きになられた。本を読んだ直後は一筋縄ではいかないと思い、じゃっかん身構えました(笑)ホラーとはいえ根底に恋愛映画が通底していて、そこにも監督の演出意図があるので、表層とメタ構造になっている下部の映画の選択肢、要するにホラーなのか恋愛なのかを場面毎に問われる作品でした。

判断するにあたっての基準や、要素から導き出せる正答みたいなものはあったんですか。

渡邊:それがないんですよ(笑)。正解がみえてこない。ホラーのシーンで恋愛映画のテーマを当てても、そういう演出に思えてきますし。

形式にたいする批評として成立しますからね。

渡邊:そうなんですよ。しかも映画制作それ自体を扱うという点では、監督のルサンチマンとはいいませんけど(笑)、ポール監督ご自身のいろんな現場の実感にも由来していると思いますので、そういう裏返った自我の面白さも反映したいなと思いまして。

いつごろからはじまったんですか。

渡邊:去年(2018年)には作業していたはずなので、ポスプロも含め1年はかかったかなと。

ヤング・ポール監督は琢磨さんの音楽をすでにご存じだったんですね。

渡邊:本作のプロデューサーの1人である、木滝(和幸)さんは、冨永昌敬監督の『ローリング』も手がけていまして、ポール監督も『ローリング』をご覧になっていたらしく、渡邊さんならということで、お話自体はだいぶ前にいただきました。企画の概要的に、最初はホラー映画とうかがっていたので、恋愛映画が作中どういうふうに機能するかわかっていなかったのですが、初稿をいただいた段で映画の構造的に重要なパートだとわかってきました。私的には、ホラーの音楽をやってみたいという思いがかねてよりあったので、音楽作業の開始当初はもっとホラー然とした劇伴をつくっていたのですが、何曲投げても監督が首を縦にふらないので、再度ミーティングしたところ、ホラーと恋愛のどちらかに寄るのではなく、双方の要素を折衷したいということで、ようやくニュアンスがつかめてきました。

でも音楽の面からいうと微妙ですよね。さきほどもうしましたように、どのようなものでもそのように聞こうとすればそう聞こえる。やりすぎると記号になるし、中庸でいいことでもないような気もする。あるいはジャンル映画風ということなのか。

渡邊:そうですね。だから正解が見えにくいというか、結局、画と音を合わせたときのフィーリングというか、理詰めではないですね。『ゴーストマスター』には、セルフパロディー化しているような登場人物も多々出てきて喜劇的な立ち振る舞いをするのですが、キャラクター自身はマジなので、滑稽でも泣けてくるという(笑)、そういうポール監督の演出の妙と、それを体現してしまうキャストの方々の絶妙さには脱帽しました。そういう異化効果的なバランスにはとてもシンパシーを感じたので、監督と意見が対立するということではなく、もうひと捻りできるかどうかを監督と熟慮しました。

けっこう音楽ついていますよね。

渡邊:それなりに量はありますね。

しかも映像でもスローやCGなどの特殊効果場面の音楽もありますよね。これは一概にはいえないかもしれませんが、その場合はホラーと恋愛の二項のほかにも撮影方法や、オマージュしている作品も加味しなければならないのではなかと思いました。

渡邊:トビー・フーパーですとか監督の名前や作品に言及する場面もありますからね。あわせて、旧来の映画音楽的な要素も欲しいという要望が監督からありましたし。それは職能でカヴァーすればよいのですが、音楽が著しく演出に影響してしまうので慎重につくりました。『ゴーストマスター』が面白いのは、意味不明なシーンや謎の伏線が回収されることなく、そのまま放置されるところです(笑)。屋上をみんなで歩いていくシーンとか。突如、ふりつけをしたかのような動きで人々が屋上を歩き出す、一体なんなのと(笑)、監督に演出意図をうかがっても、よくわからないとかおっしゃるし(笑)、そういうナゾのシーンが多々あるのが面白い。

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キップ・ハンラハンと仕事をしたときのレコーディングで弦楽四重奏を起用しましたが、なにもかも試してみたくなるんですね(笑)。バルトーク風だったりリゲティ風だったり印象派っぽいのとか、そういうみようみまねのトライアンドエラーの実践を現場でくりかえすうちに、旧来的な分業システムではつくられない、作家性の濃い付随音楽もできたりするわけで、それはそれで面白いなと。

話は変わりますが、冒頭でも話に出たミュージシャンで映画音楽を手がけるひとたちについて琢磨さんは同じ立場としてどう思われますか。ジョニー・グリーンウッドはもちろん、ダニエル・ロパティンも。彼らはグリーンウッドならPTA(ポール・トーマス・アンダーソン)、ロパティンならサフディ兄弟というふうに監督とのコンビネーションもあります。その点もふくめて、琢磨さんは映画音楽の現状をどうみておられますか。

渡邊:ポール・トーマス・アンダーソンとジョニー・グリーンウッドのコラボレーションについては、なりゆきがわからないので言及できませんが、その点は措いたうえで、グリーンウッドが手がける映画音楽には弦楽が採用されていたり、室内楽的な要素もあったりしますよね。その点を考慮すると、PTAがグリーンウッドを起用したのは別段レディオヘッドのメンバーだからとか、ギターのサウンドが使いたいとか、そういう表面的な事由ではないわけで、逆にいえばグリーンウッドの音楽性、資質をよく理解していたからこそ、弦楽や管楽の劇伴を発注できた、あるいはグリーンウッドのアイディアを採用したということではないかと思います。OPNは、サフディ兄弟との2作目は、ダニエル・ロパティン名義でしたが、初コラボの際は、イギーポップとのコラボを除けば、OPNがそれまで積み上げてきた作風から、さほど逸脱しない音楽を監督も求めている感じでしたね。だから、ジョニー・グリーンウッドの場合は、そもそも弦楽器をフルで使う音楽をつくりたくて、その欲求とポール・トーマス・アンダーソンの映画が邂逅した感じではないかと。音楽家にとっていい実験の場ができたというか。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)が彼らのはじめてのタッグだったと思いますが、現代音楽のありとあらゆる書法を使っていますよね。僕もキップ・ハンラハンと最初に仕事をしたときのレコーディングで弦楽四重奏を起用しましたが、なにもかも試してみたくなるんですよね(笑)。バルトーク風だったりリゲティ風だったり印象派っぽいのとか、そういった欲張りな感じがどっと出る。でも、そういうある種のアマチュア精神というか、みようみまねのトライアンドエラーの実践を現場でくりかえすうちに、旧来的な作曲は作曲家、編曲は編曲家というような分業システムではつくられない、作家性の濃い付随音楽もできたりするわけで、それはそれで面白いなと。その点、ジョニー・グリーンウッドは音のイメージがちゃんとありますよね。同時に音楽史上の参照点も分かりやすい。

気軽に生の弦は使えないものね。

渡邊:とくに弦は束になると非日常的な音像になるじゃないですか。それをそれなりの予算で使えるとなったときの欲望ってすごいわけですよ。私的にはそうそうあるわけじゃないですけど。PTAも音楽が好きなひとだからグリーンウッドに弦を書いてもらいというディレクションと、作曲者の状況や意思がうまい具合に化学反応を起こしたんだろうなと思います。それ以来ふたりのコラボレーションはつづいていますよね。最近はジョニー・グリーンウッドがやっている音楽をポール・トーマス・アンダーソンがドキュメントしてたりもするし。

それだけいい組み合わせだと本人たちも思っているということかもしれないですね。

渡邊:個人的には、PTAはヘイムとかフィオナ・アップルとか女性アーティストのMVなどを手がけているときの方がしっくりきますけどね。好みの女性アーティストばかり撮っているというか(笑)。

ジョニー・グリーンウッドやダニエル・ロパティンが映画音楽に進出してきているのは象徴的というか、琢磨さんが映画と音楽に関心をもつのもわかります。

渡邊:去年は私的に(映画を)監督し、編集もみようみまねで手がける過程で、映像と音の相対的な発見が多々ありました。過去に仕事をした映画監督、たとえば、冨永監督などは棒つなぎ(仮編集)などは、もしかしたら編集マンがやるのかもしれませんが、その後、冨永くん自身で再度編集や微調をすると、途端に冨永ワールドが立ち現れる。その点では音楽とも似ていますよね。そういう編集のリズム感、グルーヴ感をもっている監督は多々おられます。そういったことも念頭に、私的に映像編集をおこなった際は、完全に音楽的な感覚で切ったり繋いだりしていました。今後、ポストプロダクションを自身で手がける映画監督や映像作家も増えていくでしょうし、逆に、映画監督が音楽にかかわるあり方も変化していくのではないかと思います。サフディ兄弟の映画音楽にしても、タンジェリン・ドリームのようなシンセを駆使した映画音楽を参照しているのは間違いないですし、『神様なんかくそくらえ』(2014年)では冨田勲さんや、それこそタンジェリン・ドリームを使っています。アナログ・シンセサイザーが効果的に使われた70年代後期から80年代全般の映画のムードや質感が好きなんだろうなと思いますし、OPNもその辺の映画に通底する質感は熟知しているでしょう。そうやって1本組んで、前時代的なオマージュだとかリファレンスありきのシネフィル的な趣向を超えて、両者の協働のあり方が新作『Uncut Gems』に結実したのかもしれない。『Good Times』もそうでしたが、ロパティンの映画音楽はかつてのタンジェリン・ドリームやヴァンゲリスのようなエレクトリックワールドな演出とはちがうわけですよ。映像と音の親和性がカメラワークに由来していたり、編集のスピード(これは速い場合もハイスピードのように極端に遅い場合もです)が、現行の電子音楽と相性が良いような気がします。そういう撮影などの技術革新などもあって、映画と音の新たな関係性の土壌ができたのだと思います。ハーモニー・コリンもそうでしたし、『魂のゆくえ』(ポール・シュレイダー監督、2017年公開)でもラストモードが音楽をやっていたりだとか、かつてないような映像と音のインタラクションが増えてきていると思います。過去の仕事の概念からいったらほとんど効果音のような音も劇伴という括りで捉えていますし。ポール・シュレイダーのような巨匠がドローンのような音楽を非常に効果的に使っているというだけでも興奮しますよ。

現代の映画音楽の文脈的に、90年代以降の映画音楽らしさは「低音」なんだと思います。じっさいIMAXやドルビーアトモスなんかの売りもそこですし、それはジョージ・ルーカスがTHXを始動したときからつづいてきたことでもある。そんなことをふまえると、そろそろ反動で高音が流行るんじゃないかと(笑)!

レーベルの設立文で、〈ECTO Ltd.〉での活動の視野にはサウンドデザイン的な表現も入ってくると述べられていましたが、それはそのような認識からくるものですか。

渡邊:あの文章は自分の仕事に対する戒め的な側面もあるのですが(笑)、じっさいにそうだとは思います。オーディエンスの観点からしても、映画をみているときの体感として、いまやIMAXやドルビーのような典型があるわけじゃないですか。90年代初頭から現在のハリウッドライクなというか、ルーカスのTHXが主導する音響技術が定着していったと思うのですが、つくり手からすると、あの重低音やアタック音は少々食傷気味です。ある特色をもつ技術革新が進むと、最初のうちは物珍しさも手伝って、多くの人が追従する音楽をつくるのですが、二番煎じが昂じると、自分はそれをやらないぞというムーヴメントが反動的に起こります。個人的な見解だと、劇伴における重低音を個性的に推し進めたのが、ヨハン・ヨハンセンが手がけた、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ボーダーライン』(2015年)のサントラで、あのグリスアップを多用した弦と打楽器の音像は、一頃のアクション映画の代名詞になっていると思います。とにかくコンバスやチェロをひとまとめにしてグリスアップすれば「いま」っぽい(笑)。映画音楽には、そういう流行り廃りの面白さがあるんですよ、映画音楽のなかの音色傾向といいますか。

ムームのヒドゥル・グドナドッティルはヨハン・ヨハンセンの弟子筋ですよね。

渡邊:そうですね。くりかえしますが、彼女の『チェルノブイリ』の劇伴は、前述の低音演出の総括的な作品としても秀逸です。現代の映画音楽の文脈的に、90年代以降の映画音楽らしさは「低音」なんだと思います。じっさいIMAXやドルビーアトモスなんかの売りもそこですし、それはジョージ・ルーカスがTHXを始動したときからつづいてきたことでもある。そんなことをふまえると、そろそろ反動で高音が流行るんじゃないかと(笑)!

そんな単純な話なのか(笑)。

渡邊:ハハ、でも音の生理なんて単純なものだと思うんですよ。映画音楽史を意識しながらみていくと、何年かに一度そういった時期、傾向がありますよ。

高音というのを美学的に言い直すとどうなります。

渡邊:低音というのはアトモスフィアをつくりやすいわけです。体感もあります。低音というのはサウンドトラックだけにかかわらず、地鳴りのような効果音などにも多用されますよね。きわめて映画的なレンジだと思いますが、たとえば、武満(徹)さんのお仕事などは、そこまで低音重視ではないですよね。

そうですね。

渡邊:世界的にみても映画音楽史の上でも、かなり特異で鮮度のある映画音楽です。もちろん、作曲家=武満の作風というだけではなく、その時代の映画がもちえたトーンに呼応してるようにも思えますが。そういう響きが流行るかはさておき、一方の余白になっているとは思います。

低音でもグリスアップでもない基準ですね。

渡邊:そうですね。とはいえ、武満さんの映画音楽もある時代の参照点でもあるわけで。映画監督がみてきた映画の音がそのひとのなかに蓄積されているわけですし、それなりに邦画をみていけば、必ずあの独特の武満トーンが記憶に残っているはず。だから音楽に疎いとおっしゃる監督でも、映画における音のマナーやリテラシーはあって、実際、音を当ててみるとなにがしかの映画の記憶が思い起こされたり、具体的な作品名を出して、あの映画の音楽がよかったなどの話しになりますし。

発見ですよね。それはさきおっしゃっていた映画と音楽、テクノロジーや方法論との親和性と同じで、不可逆的なものでもあると思うんです。

渡邊:ええ、映画がなければ存在しえなかった音楽の傾向はあるかもしれませんね。フィルムスコアリングのあり方が音に反映されている作品は多々あると思うので、映画のなかでしか聴けない音楽は、たとえばそれがオーケストレーションありきの音楽でなくとも電子音楽でもあると思います。

〈ECTO〉レーベルはそのような映画音楽作品をリリースするレーベルであり、『ゴーストマスター』はその第一弾であると。そう考えると、琢磨さんほど映画音楽に真摯にとりくんでいるミュージシャンはいないかもね。

渡邊:いえいえ! 自重ではありませんが、私はまだまだ試行錯誤の段階ですし、映画音楽の世界もよい意味で魑魅魍魎うごめいていますからね(笑)。最近はノイズやヒップホップ界からもドラマや映画音楽に参入してくるアーティストがいますし。個人的に映画は好きですが、それだけが動機でもないと思いますし。ただ、映画音楽をつくるのも、レーベルをスタートするのも、映画や音楽からの呪いみたいなものであると同時に、つまるところ実験であり、結果的には音楽にフィードバックしてくるなにかだと思います。

■映画情報

映画『ゴーストマスター』
監督:ヤング ポール
脚本:楠野一郎/ヤング ポール
音楽:渡邊琢磨
主題歌:マテリアルクラブ「Fear」
出演:三浦貴大/成海璃子
配給:S・D・P(2019年 日本)
○新宿シネマカリテほか絶賛公開中!全国順次ロードショー
ghostmaster.jp/

 目に見えるよりも先に、音が聞こえてくる。穏やかな秋の日の午後、高円寺と阿佐ヶ谷のあいだにある青梅街道を、数百の人々が笑いあい、踊りながら、先導する何台かのトラックにつづいてゆっくりと進んでいく。そのなかの一台には何組かのバンド──ジャンルはパンクからレゲエ、ファンク、サイケデリック、ロックなど様々だ──が乗りこみ、他のトラックは過去の名曲を爆音でプレイするDJたちを乗せている。音は道沿いを前後に広がって、路地へと滲みだしていき、お祭り騒ぎをしながら道路の上を進んでいく小さな群衆がすぐ近くまで迫っていることを予告している。買い物客や通行人たちは、だんだんと近づいてくる音の壁をどこか楽しげに、興味深そうに眺めている。それが何のためのものなのかは誰にも分からない。だが音が近づいてくることは誰にでも分かる。
 東京という街において音は、特定の空間を誰が所有しているかを定義し、その所有権を主張するさいの鍵となる役割を果たしている。たとえば人の往来がせわしない駅周辺のエリアは、数えきれない広告の音や、店の入り口からとつぜん漏れだしてくる四つ打ちの音、あるいははるか頭上の街頭ヴィジョンから聞こえてくる音でたえず溢れかえっている。結果として人は、そうした領域が商業と資本に属している場所であることを知らされることになるわけである。だが商業的な通りからほんの少し外れると、今度は住宅エリアに入っていくことになる──するととつぜん静けさが訪れ、屋内での音は、一軒家やアパートの薄い壁の外に漏れないように配慮されることになる。このルールが侵された場合、家主を呼ばれるか、警察の訪問を受けるはめになる。騒がしい隣人が歓迎されることはありえない。音楽が演奏されるのは基本的に、薄暗い地下の空間や、ビルの上層階など、防音のしっかりした場所に限定される。公共の場で音を出すことが許される場合があるとしてもそれは、ボリュームを抑えた路上パフォーマンスというかたちであったり、広告のBGMなど、商業的な目的をもったものとして以外にはありえないのである。
 政治という場がおもしろいのは、日本の場合それが、音が社会的に定められた境界を侵犯していくことになる場だからだ。たとえば、期間中ずっと候補者の名前を叫びつづけ、住宅街のなかをゆっくりと走る選挙カーや、30年代の愛国的な軍歌を爆音で流して走る黒塗りの街宣車のことを考えてみればいい。ザ・クラッシュの“ロンドン・コーリング”の音に合わせ街頭で踊る抗議者たちによる、今回のお祭り騒ぎも同様である。こういった例のなかでは、人々の普段の暮らしのなかにある均衡を破り、別の何事かへと関心を向けされるために音が用いられているわけだ。

 今回の高円寺の場合でいうなら、その参加者たちは、街の北側まで目抜き通りを拡大しようとするジェントリフィケーション計画にたいして異議申したてをおこなっているのだといえる。彼らは、街を二分し、小さな家を立ち退かせて、どこにでもあるような複合施設や不動産投資事業によって、近隣一帯の商店の活性化を目論む計画にたいして抗議しているわけである。とはいえ、話はそれだけで終わるものではない。突きつめていえば、街を練り歩き騒ぎを起こす数百人の人々はかならずしも、開発業者の連中や、役人たちや政治家たちの考えを変えようとしているわけではない。そういった者たちの決定を覆すための現実的な戦いは、裁判所や杉並区役所のなかでおこなわれることになるはずである。今回のデモがああいったかたちでおこなわれたのには、そういった現実的な理由とは別の理由があったはずなのだ。
 ではじっさいのところ、今回のこの抗議はいったいなにを目指してデモをおこなっていたのだろうか。この問いにたいして答えようとおもうなら、そこで流れている音楽それじたいに注意を向けてみればいい。参加したミュージシャンやDJの多くは、高円寺のローカルな音楽シーンで活躍する者たちであり、デモの場で彼らは、普段は防音された室内でプレイしている曲を演奏していた。またこの抗議のオーガナイザーである素人の乱は、ふかく地域のコミュニティにかかわり、音楽シーンにもつよい繋がりをもつコレクティヴである。以上をふまえるなら、今回の抗議は、そこに参加した者たちそれじたいに向けられたものなのだといえるはずだ。つまりそれは、自分たちを互いに結びつけるための方法であり、一つのコミュニティとして、自分たちがいったいなにを目指しているのかを思いださせるための方法だったのである。
 さらにいえばそれは、高円寺というローカルな場所だけにかかわるものでもなかった。この抗議は、広い意味での住環境の問題に関係する活動家たちによってサポートされたものでもあった。じっさい、昨年おこなわれた同様の抗議では、京都の吉田寮の追い出し問題〔訳註1〕にたいする抗議者たちや、香港からやってきた民主活動家を含む多様なグループの代表者たちがスピーチするすがたが見られている。今回の抗議と同様の音楽的な形式でおこなわれた2011年の反原発運動のときにも、ソウルのホンデ地区における反ジェントリフィケーション運動に参加する韓国のパンク活動家が参加していた。したがってこれらの抗議は、場所を問わずよりよいコミュニティを築こうとする者たちが互いに出会い、アイデアや共通の地平を確認しあうための祝祭としておこなわれたものでもあるのだ。
 こうした抗議のなかにおける音楽は、なんらかのメッセージの媒介として機能しているわけではない。むしろ音楽はそこで、単純にそれが一番得意なことをしているだけなのである。つまりそれは、参加者たちのあいだにコミュニティの感覚が生じる手助けをしているのだ。音楽は、東京のいたるところにあるあの暗く狭い防音された部屋のなかで密かに、数メーター離れた場所で買い物し、働き、往来している人たちから隠れたまま、たえずそうした役割を果たしてきた。じっさい、音楽をきっかけにして出会った人間たちが、何十人と今回のデモの場に集まり、その場で自分たちのつながりを、つまり自分たちをパンクやインディー好きやノイズ狂いのコミュニティとして結びつけているつながりを、あらためて確認することになった。今回の高円寺のデモは、間違いなくこうした役割を果たしている。とはいえ、防音された薄暗いライヴ・ハウスのなかでも一つのコミュニティとして集まれるにもかかわらず、いったいなぜそれを街頭へと持ちだす必要があったのだろうか。
 この記事の冒頭で私は、いかに音が公共空間にたいする所有権を誇示するための方法になっているかについてや、政治的な行動が、特定の問題にたいして人の注意を引くために、体制によって定められた空間の所有権を音を用いて侵犯したり、あるいはぼやかしたりする場合が多く見られることについて言及した。いうまでもなくそうした政治と音のかかわりは、今回のサウンド・デモのなかでも確認されたものである──外部の聴衆の必要性は、「身をもってなにかを示すデモンストレーション」という方法にあらかじめ備わったものだといえる。だがそれだけではない。この抗議における音楽の用いられ方は、公共空間の所有権の問題だけでなく、同時にまた、コミュニティのあり方についての省察へと向けられたものでもあったのだ。
 われわれは、商業的な領域が公共空間を支配するのを許し、その所有権を主張するのを許すことに、あまりにも慣れすぎてしまっている。たえずあらゆる角度からやってくる音と映像による広告の弾幕は、商業的なものや資本が、われわれの都市やローカルな場にたいして好き放題にふるまう権利を抵抗なく認めさせるための、致命的なプロパガンダとして機能している。だがそれにたいして、高円寺の通りラインに沿った音楽による抗議(や、数週間前の2019年10月におこなわれた渋谷から表参道へといたるプロテスト・レイヴのような最近の同様の出来事〔訳註2〕)は、一種の音によるグラフィティなのである。それはじっさいのグラフィティと同様、商業の側がもっぱら自分たちだけのものだと考えている空間にたいして、われわれじしんの所有権を主張するための方法として機能するものなのだ。それをとおしてわれわれは、防音された地下の部屋から飛びだしていくことになり、街頭は自分たちのものだと、大きな声ではっきりと主張することができるようになるのである。

*訳注1 現在進行形のこの問題については、文末のURLに読まれるサイト『吉田寮を守りたい』および、笠木丈による論考「共に居ることの曖昧な厚み──京都大学当局による吉田寮退去通告に抗して」(『HAPAX 11──闘争の言説』収録)を参照。https://yoshidaryozaiki.wixsite.com/website-9

*訳註2 DJの Mars 89 らの呼びかによって2019年10月29日におこなわれた路上レイヴ。「我々は自身の身体の存在を以て、この国を覆う現状に抵抗する」(ステートメントより)。以下のURLを参照。https://www.residentadvisor.net/events/1335758 (編註:Mars89 は『ele-king vol.25』のインタヴューでその動機や背景について語ってくれています)


You hear us before you see us. A couple of hundred people, laughing, dancing, slowly making their way down Ome-kaido between Koenji and Asagaya on a chilly autumn afternoon, led by a couple of trucks, one hosting a series of bands – punk, reggae, funk, psychedelia, rock – and another carrying DJs blasting out celebratory anthems from ages past. The sound carries down the road ahead and behind, bleeding down sidestreets, heralding the passing of the small crowd of marching revellers. Shoppers and passers-by peer towards the advancing wall of sound, amused, curious. No one really knows what it’s for, but everyone knows we’re coming.

In Tokyo, sound plays a key role in defining and asserting ownership over particular spaces. The area around a busy station explodes with the sounds of a thousand adverts, jingles blasting from shop doorways and booming down from towering video displays. In this way, we know the territory belongs to commerce and capital. Step away from these commercial streets just a short few steps, though, and you may find yourself in a residential area – suddenly silent, domestic noises diligently suppressed within the thin walls of houses and apartments. Transgressions here are greeted with calls to the landlord or visits from the cops. No one likes a noisy neighbour. Music is typically confined to its own designated spots: dingy, carefully soundproofed boxes in the basements or upper floors of buildings. Where it is allowed out into public spaces, it does so either in the form of volume-suppressed street performances or as the servant of commerce, soundtracking adverts.

Politics is interesting because it is a sphere of Japanese life where sound transgresses its socially designated limits. The sound trucks that crawl around your neighbourhood, screaming out the names of politicians endlessly during election periods. The black vans blasting out patriotic military songs from the 1930s. The carnival of protesters dancing down the street in Koenji to the sound of “London Calling” by The Clash. All these people are using sound to disrupt the equilibrium of people’s daily lives and draw their attention to something else.

In the case of the Koenji marchers, we are protesting gentrification in the form of plans to extend a main road up through the north of the town, splitting the neighbourhood in two, and replacing small houses and bustling neighbourhood shops with generic condo complexes and real estate investment projects. That’s not all we’re doing, though. After all, a couple of hundred people marching around and making a noise aren’t going to make a bunch of developers, civil servants and politicians change their minds. The real fight against these proposals is going to happen in the courts and in Suginami City Office. There must be another reason why this march is happening and in this form.

Who is this protest march for? One way to answer this is to look at the music itself. A lot of the musicians and DJs are people involved in the local Koenji music scene, playing the music they always play, locked away in their little soundproofed boxes. The protest’s organisers, the Shiroto no Ran collective, are deeply embedded in the local community, and have strong links with the music scene. In this sense, the protest is for its own participants: a way of bringing us together and reminding us of what we stand for as a community.

It’s not just about the local area though. Also supporting the protest were activists who are engaged more broadly with environmental issues. A similar protest last year brought in speakers representing groups as diverse as the Yoshida Dormitory protests in Kyoto and pro-democracy activists from Hong Kong. The 2011 anti-nuclear protests, which kicked off in Koenji with a very similar musical format, also incorporated South Korean punk activists who were involved in anti-gentrification protests in Seoul’s Hongdae area. These kinds of protests, then, are also festivals for the meeting and sharing of ideas and common ground between those looking to build better communities everywhere.

Music in this protest is not functioning as a vehicle for a particular message in itself, but rather to simply do what it does best: to be a facilitator for a sense of community among participants. This is what music does all the time in those small, dark, soundproofed boxes all around Tokyo, locked away and hidden from the daily lives of people shopping, working and walking just a few metres away. A few dozen of us gather, joined by music, and reaffirm the links between us that make us a community of punks, indie kids, noiseniks or whatever. So the Koenji march is doing this, yes, but if we can come together as a community in a dingy soundproofed live venue, why do we need to take it out into the streets?

At the beginning of this article, I talked about how sound is a way of marking ownership over various public spaces, and how politics often behaves in ways that transgress or blur those established patterns of ownership in order to draw attention to one issue or another. Of course, that’s part of what we’re doing with this musical march – after all, the need for an external audience is inherent in the word “demonstration”. More than that, though, I think the use of music in this protest is where the issues of community consolidation and ownership of public space come together.

We are too comfortable in allowing the commercial sphere to dominate and assert its ownership over public space. The constant barrage of advertising coming at us from all angles in sound and vision functions as a deadening sort of propaganda that makes us too easily accept commerce and capital’s right to do whatever it wants with our cities and neighbourhoods. However, just as graffiti can function as a way of asserting citizens’ ownership over spaces that commerce thinks of as uniquely its territory, musical protests along the lines of the Koenji march (and similar recent events like the Shibuya/Omotesando protest rave a couple of weeks previously on October 2019) are a kind of sonic graffiti in which we can come out of our soundproofed underground boxes and say loudly that these streets are ours.

Bill Callahan - ele-king

 騒々しい街なかでイヤホンをつけて歩きながら聴くのには向かない。静かな部屋でひとり、あるいは誰かと、時間を確保してじっくり聴くのがいいだろう。このアルバムの美点は、うっかりすると聴き逃してしまいそうな細部にこそあるからだ。90年代からスモッグとして音楽活動をはじめ、ソロ名義になってからも細々とマイペースに活動してきたビル・キャラハンの新作──スモッグ名義と合わせて17枚めのアルバム──はいつもと同様にさりげなくリリースされ、さりげなく評価され、愛聴されている。ひとりの人間の小ささを表現しているようで、しかし、注意深く聴けばそこには幾多のドラマが宿っているというわけだ。2枚組の20曲、1時間と少し──それくらいの時間を、この音楽に身を任せてみてもいいだろう?
 2013年の『Dream River』以来オリジナルとしては約6年ぶりのアルバムとなるが、その間に彼は『Dream River』のダブ・ヴァージョンである『Have Fun with God』(2014)を発表している。そもそもキャラハンの作品はシンプルでミニマルな弾き語りフォークのようで高度なダブ・ミキシングが施されたものばかりだが、同作においてはとりわけ録音の実験をじゅうぶん満喫したということだ。キャラハンは本作『Shepherd in a Sheepskin Vest』のなかで引越やら何やらの人生のバタバタもあって「曲の書き方を忘れていた」と冗談めかして明かしているが、これまで得た経験が消え失せているわけではない。ナイロン弦のたっぷりの余韻や、曲によって鳴りが異なる打楽器、悠然と挿しこまれる弦楽器──それらは立体的に広がり、時間の流れ方を穏やかにしていく。音響意識の高いフォークは近年とくに注目されるものだが、キャラハンはトレンドと関係なくたんたんとそれに取り組み続けてきた。例を挙げればキリがないが、たとえば“Black Dog on the Beach”で奥のほうで小さく鳴って消えていくハーモニカ、“The Ballad of the Hulk”でかすかに、かすかに聴こえるギター・ノイズ、“Son of the Sea”でサササと重ねられるドラムブラシの音……といったものは、いかにこのアルバムがディテールに富んでいるかを表している。そこに悠然とやってくるキャラハンのバリトン・ヴォイス。それらすべてが合わさり、きわめて酩酊的なフォーク・ソングが現れては去っていく。

 これまでのどこかヘヴィな作風に比べ、穏やかな曲調のナンバーが増えたことも本作の特徴と言えるだろう。それはキャラハンが結婚し子どもをもうけたことが関係しているそうで、ここで彼は「父親」であることの意味をじっくりと考えている。それは母の死を前にして立ち上がる息子の生の眩しさであったり、おどけて語られる結婚生活の幸福であったりするのだが、これまで自身の悪夢や疎外感を歌ってきた彼としては驚くほど優しいものだ。彼の「男性的な」低い声はいっぽうでは父親としての責任を噛みしめ、もういっぽうではその重さにうろたえる弱さや危うさを見せている。普通のひとの普通の日常、または結婚や子どもの誕生や親の死といった普通のひとの人生における重大な出来事が、調子外れのユーモアやシュールなメタファー、ユニークなストーリーテリングとともに綴られていく(アルバム・タイトルは「羊の皮のベストを着た羊飼い」の意)。呟くようなヴォーカルも相まって、どこかレナード・コーエンの官能性を思わせるところもある。
 だから僕には、このアルバムはわたしたち小さなひとりひとりの人生の不可解さや謎、それゆえのおもしろさを小さな音に託しつつ多彩なタッチで描き出しているように思える。個人のささやかなリアリティが豊かな詩情によって普遍性を帯びた「ソング」となる、と。本作にはカーター・ファミリーのカヴァー(“Lonesome Valley”)が挿入されているが、そこに違和感はない。キャラハンのフォーク・ソングたちは個に根差しながらも、次第に個と個の境界を曖昧にしていくのである。だからこそ、ここで彼が自身に突きつけている「死を忘れることなかれ」というテーゼは、聴き手すべてに向けられている。いつか訪れる死という絶対的な事象を前に、お前は日々をどのように生きていきたいのか、そこに何を見出すのか、と。この騒然とした世のなかにあって、たぶん、わたしたちは自分のちっぽけな人生について思索する時間すら奪われようとしている。本作は細やかな音のやり取りによってこそ、その尊い時間をわたしたちの手に取り戻すのである。

JPEGMAFIA - ele-king

 「お前は俺を知らない(You think you know me)」。プロデューサーというのはタグ好きだ。主役は誰かをリスナーに分からせるための、自らの楽曲群にグラフィティのように走り書きするタグが。WWEレスラー、エッジのテーマ曲をサンプリングしたJPEGMAFIAのプロダクション・タグは、彼のやることの多くと同様にいくつもの意味を兼ねてみせる。音響的な目印であり、ポップ・カルチャーの引用であり、挑発でもある、という具合に。お前は俺を知ってるつもりかい?(You think you know me?)

 バーリントン・デヴォーン・ヘンドリックスには、前作『Veteran』(2018)の思いがけないヒットでその混乱した、自由連想に満ちた音楽がより広い層の聴き手に達する以前に自らを理解する時間がたっぷりあった。その前の段階のとある名義で、彼はミドル・ネームと姓から派生したデヴォン・ヘンドリックス(Devon Hendryx)を名乗っていた。彼がJPEGMAFIAに転生したのは米空軍を名誉除隊した後に日本で生活していた間のことだった。彼はよくペギー(Peggy)の名も使いたがるが、その愛称は彼にどこかのおばあちゃんめいた印象を与える。

 しかしまた、JPEGMAFIAは自らを色んな風に呼ぶのが好きだったりする。『All My Heroes Are Cornballs』(2019)の“BBW”で、彼は「若き、黒人のブライアン・ウィルソン」を自称する──自らのプロダクション・スキルの自慢というわけだが、ウィルソンは録音音楽の歴史上おそらくもっとも白人的なサウンドを出すミュージシャンのひとりであるゆえに余計に笑いを誘う。“Post Verified Lifestyle”での彼は「ビートルズとドゥームを少々に98ディグリーズが混ざった、ビーニー・シーゲル」だ。ひとつのラインの中でジェイ–Zの元子分、王道ロック・バンド、顔を見せないアンダーグラウンドなラッパー、90年代のティーン・ポップ・グループの四つの名が引き合いに出される。この曲の後の方に出て来る「俺は若き、黒いアリG」は、さりげなくも見事なギャグになっていると共に考えれば考えるほどおかしな気分になるフレーズだ(註1)。

 JPEGMAFIAはつかみどころがなく、シュールなユーモアと政治的な罵倒、エモーショナルな弱さとの間を推移していく。『All My Heroes Are Cornballs』のリリース前、彼はアルバムが出るのはいつなのかという質問をはぐらかし続け、きっとがっかりさせられる作品になると言い張るに留まっていた。彼のYouTubeチャンネルにはジェイムズ・ブレイク、ケニー・ビーツをはじめとするセレブな友人たちが登場し、アルバムをヌルく推薦するヴィデオがアップされた。DJ Dahiの1本がそのいい例で、彼は冒頭に「たぶん俺はこのクソを二度と聴かないと思うよ、個人的に」のコメントを寄せている(※JPEGMAFIAがアルバム発表前にYouTubeに公開した、「友人たちに新作のトラックをいくつか試聴してもらい率直な感想を聞く」という主旨のジョーク混じりのヴィデオ・シリーズ「Disappointed」のこと)。

 これらの証言の数々は、ヘンドリックスがソーシャル・メディアのしきたりを享受すると共にバカするやり口の典型例だ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”に「ニガー、やりたきゃやれよ、俺は認証済みだぜ」の宣戦布告が出て来るが、ここでの彼は自らのツイッター・ステイタスを見せびらかしつつオンライン上のヘイターたちをからかっている。“Beta Male Strategies”で彼はこう預言する──「俺が死んだら、墓碑はツイッター、ツイッター」

 Veteran』が盛り上がり始めた頃、ヘンドリックスは左頬の上に、目にポイントを向けたコンピュータのカーソルのタトゥーを小さく入れた。英音楽誌『CRACK』に対して彼は「何かの形でインターネットにトリビュートを捧げたかったんだ」と語っている。

 多くのラッパーがインターネットからキャリアをスタートさせてきたとはいえ、これほどオンライン文化の産物という感覚を抱かせるラッパーはあまりいない。ツィッター・フィードをスクロールしていくように、JPEGMAFIAの歌詞はおふざけから怒りっぽいもの、真情から軽薄なものまで次々に切り替わる。歌詞にはバスケットボール選手からファストフード・チェーン、ヴィデオ・ゲーム、90年代のテレビ番組、政治コメンテーター、インターネットのミームまで内輪受けのジョークとカルチャーの引用がみっしり詰まっていて、それらをすっかり解読するのには何時間も要する。

 その不条理なユーモアと割れた万華鏡を思わせるプロダクションに対し、手加減なしのずけずけとした政治的な毒舌がバランスを取っている。「政治的なネタ」についてラップしてもいいんだとアイス–Tから教わったとする彼は、人々の神経を逆撫でする機会を避けることはまずない。“All My Heroes Are Cornballs”で彼は「インセルどもは俺がクロスオーヴァーしたんで怒ってやがる」とラップする──「じゃあ連中はどうやってアン・ハザウェイからアン・クルターに鞍替えしたんだ?」(註2)。“PRONE!”は「一発でスティーヴ・バノンはスティーヴ(ン)・ホーキンスに早変わり」とオルタナ右翼勢にとことん悪趣味な嫌がらせを仕掛ける。(註3)。こうしたすべてを彼がどれだけ楽しんでいるかが万一伝わらなかった場合のために、“Papi I Missed U”で彼は「レッドネックどもの涙、ワヘーイ、なんて美味いドリンクだ」とほくそえむ。

 その挑発には、敵対する側からさんざん人種差別の虐待を浴びせられてもレヴェルを高く維持しようというオバマ時代の考え方あれこれに対する反動、というロジックが備わっている。ヘンドリックスは2018年に『The Wire』誌との取材で「一体全体どうして俺たちは、俺たちを蔑む連中にこれだけおとなしく丁寧に接してるんだ?」と疑問を発した。「『向こうが下劣になろうとするのなら、我々は高潔になろう』。むしろ俺は右派に対し、奴らが出しているのと同じ攻撃性をお返ししてやりたいね。効果てきめんだよ!」

 彼はまた従軍時代に体験したマッチョなカルチャーを引っくり返すのを大いに楽しんでもいて、タフ・ガイ的な記号の数々と典型的にフェミニンなお約束とを混ぜ合わせる。かつてのプリンスがそうだったようにJPEGMAFIAもジェンダーが流動的で、曲の中で女性の声にすんなりスウィッチするのだ。“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”のコーラスで彼は「どうやったらあたしの股を閉じたままにしておけるか教えて」と歌うが、この曲のタイトルは性的に放縦な女性に対するヒップホップの中傷語(Thot)を女性の側に奪還している。彼は“BasicBitchTearGas”で再び女性の視点を取り入れるが、この曲は予定調和な筋書きを反転させた女性のためのアンセム=TLCの“No Scrubs”の、意外ではあるものの皮肉は一切なしのカヴァーだ。

 ペギーは「お前のおばあちゃんにもらったお下がりに身を包んで」(“Jesus Forgive Me, I'm a Thot”)けばけばしいファッションでキメることもあるが、それでも激しく噛み付いてくる。オンラインの他愛ない舌戦とリアルな暴力の威嚇との間にはピンと張り詰めた対比が存在する。“Beta Male Strategies”で彼はツィッター上で彼を批判する面々に「くそったれなドレス姿のニガーに撃たれるんじゃないぜ」と警告する。“Thot Tactics”では「ブラザー、キーボードから離れろ、MACを引っ張り出せよ」とあざける。アップル製コンピュータのことかもしれないが、おそらくここで言っているのはMACサブマシンガンのことだろう。

 ギャングスタ・ラップの原型からはほど遠いラッパーとはいえ、JPEGMAFIAは小火器に目がない。“DOTS FREESTYLE REMIX”の「お前が『Toonami』を観てた頃から俺は銃をおもちゃに遊んでたぜ」のラップは、昔ながらの「お前が洟垂らしだった頃から俺はこれをやってきた」に匹敵する愚弄だ(註4)。西側の白人オタクたちは自分のお気に入りのアニメ界のフェティッシュの対象を「ワイフ(wiafu)」と呼ぶが、“Grimy Waifu”でペギーが官能的なR&Bヴォーカルを向ける相手は実は彼の銃だったりする。

 突然注目を浴びたラッパーの多くがそうであるのと同じように、『All My Heroes Are Cornballs』も音楽業界およびその中における自身の急上昇ぶりに対する辛辣な観察ぶりを示してみせる。“Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind”で彼は「俺はコーチェラから出演依頼を受けたけど、敵さんたちはそうはいかないよな」と自慢する。このトラックの他の箇所では、彼に取り入り利用しようとするレコード業界の重役たちにゲンナリしている様が聞こえる──「この白いA&Rの連中、俺を気軽に注文できる単品料理だと思ってるらしい/俺をお前らのケヴィン・ジェイムズにしたいのかよ、ビッチ、だったら俺にケヴィン・ハート並みに金を払うこった」(註5)。自分のショウを観に来る怒れる白人男連中は彼のお気に召さないのかもしれないが(「ニガーに人気が出ると、黒人ぶるのが好きな白人どもが毎回顔を出すのはどうしてなんだ?」──“All My Heroes Are Cornballs”)、その見返りを彼は喜んで受け取る。「年寄りのホワイト・ニガーは大嫌いだ、俺には偏見があるからな/ただしお前らニガーの金を教会の牧師が寄付金を集めるように俺の懐に入れてやるよ」(“Papi I Missed U”)

 と同時にペギーは彼自身、あるいは他の誰かを台座に就かせようという試みに抵抗してもいる。アルバム・タイトルがいみじくも表している──「俺のヒーローはダサい変人ばかり」と。アルバムの中でもっともエモーション面でガードを下ろした“Free the Frail”で、彼は「俺のイメージの力強さに頼っちゃだめだ」と忠告する。「良い作品なら、めでたいこった/細かく分析すればいいさ、もう俺の手を離れちまったんだし」。それは受け入れられたいとの訴えであり、完璧な人間などいないという事実の容認だ。あなたは彼を知っているつもりかもしれない。彼はそんなあなたを失望させるだけだ。

〈筆者註〉
註1:「アリG」は、ケンブリッジ大卒のユダヤ系イギリス人であるサシャ・バロン・コーエンの演じた「自分は黒人ギャングスタだ」と思い込んでいる白人キャラクター。コーエンはこのキャラを通じて「恵まれた若い白人層が彼らの思うところの『黒人の振る舞い』を猿真似する姿」を風刺しようとしたのだ、と主調している。しかし一部には、そのユーモアそのものが実はステレオタイプな黒人像を元にしたものだとしてアリGキャラを批判する声も上がっている。
(※アリGはマドンナの“Music”のPVでリムジン運転手役としても登場)

註2:インセルども=女嫌いのオンライン・コミュニティ「involuntary celibate(不本意ながらヤれずにいる禁欲者)」の面々は、JPEGMAFIAが少し前に成功しアンダーグラウンドからメインストリームに越境したことに怒りを発した。アン・クルターはヘイトをまき散らすアメリカ右派コメンテーターで、『プラダを着た悪魔』他で知られるお嬢さん系女優アン・ハザウェイ好きから、インセルたちはどうやってアン・クルターのファンに転じたのか? の意。

註3:ドナルド・トランプの元チーフ戦略家スティーヴ・バノンを車椅子生活に送り込むには一発の銃弾さえあれば足りる、の意。

註4:『Toonami』は1997年から2008年までカートゥーン・ネットワークで放映されたアクション/アニメ番組専門のテレビ枠。

註5:レーベル側のA&R担当者たちは彼らの求めた通りの何かを自分からいただけると思っているが、だったらもっと金を払ってくれないと、の意。ケヴィン・ジェイムズもケヴィン・ハートも俳優だが、人気黒人コメディアンであるハートはジェイムズよりもはるかに多額のギャラを要求できる立場にいる。


“You think you know me.” Producers love a tag: a graffiti-like signature to scrawl across their tracks, letting listeners know who’s in control. Sampled from the theme song for WWE wrestler Edge, JPEGMAFIA’s production tag—like a lot of what he does—manages to be many things at once: a sonic marker, a pop culture reference, a provocation. You think you know me?
Barrington DeVaughn Hendricks had plenty of time to get to know himself before the unexpected success of 2018’s Veteran brought his messy, free-associating music to a wider audience. In a previous incarnation, he was Devon Hendryx, a moniker derived from his middle and last names. It was while living in Japan, after an honourable discharge from the US Air Force, that he became JPEGMAFIA. He often prefers to use the diminutive Peggy, which makes him sound more like someone's grandmother.
Then again, JPEGMAFIA likes to call himself a lot of things. On “BBW,” from 2019’s All My Heroes Are Cornballs, he’s “the young, black Brian Wilson”—a boast about his production skills, made all the funnier by the fact Wilson must be one of the whitest-sounding musicians in the history of recorded music. On “Post Verified Lifestyle,” he’s “Beanie Sigel, mixed with Beatles with a dash of DOOM at 98 degrees”—in the space of a single line, name-checking a former Jay-Z protégé, a canonical rock band, a reclusive underground rapper and a 1990s teen-pop group. Later in the same track, he’s “the young, black Ali G,” which is a great throwaway gag that gets stranger the more you think about it.
JPEGMAFIA is elusive, shifting between surreal humour, political invective and moments of emotional vulnerability. In the run-up to the release of All My Heroes Are Cornballs, he constantly dodged questions about when the album was due, merely insisting that it would be a disappointment. His YouTube channel released videos of celebrity pals, including James Blake and Kenny Beats, offering lukewarm endorsements. DJ Dahi’s was characteristic: “I'll probably never listen to this shit again, personally.”
These testimonials are typical of the way Hendricks both embraces and mocks the conventions of social media. “Nigga, come kill me, I’m verified,” he declares on “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” taunting the online haters while flaunting his Twitter status. On “Beta Male Strategies,” he prophesies: “When I die, my tombstone’s Twitter, Twitter.”
When Veteran started blowing up, Hendricks got a small image of a computer cursor tattooed on his left cheekbone, pointing towards his eye. As he told Crack Magazine: “I wanted to pay tribute to the internet in some way.”
Many rappers have launched their careers on the internet, but few feel quite so much like a product of online culture. Like scrolling through a Twitter feed, JPEGMAFIA’s lyrics whiplash constantly between playful and bilious, heartfelt and irreverent. They’re dense with in-jokes and cultural references—to basketball players, fast-food chains, video games, ’90s TV shows, political pundits, internet memes—that would take hours to fully decode.
The absurdist humour and fractured-kaleidoscope production is counterbalanced by some unapologetically direct political invective. He credits Ice Cube with teaching him it was OK to rap “about political shit,” and seldom shies away from an opportunity to rile people. “Incels gettin’ crossed ’cause I crossed over,” he raps on “All My Heroes Are Cornballs.” “How they go from Anne Hathaway to Ann Coulter?” On "PRONE!," he trolls the alt-right as tastelessly as possible: “One shot turn Steve Bannon into Steve Hawking.” And just in case it wasn’t clear how much he’s enjoying all of this, “Papi I Missed U” gloats: “Redneck tears, woo, what a beverage.”
There’s logic to the provocation, a reaction to all that Obama-era stuff about taking the high ground while your opponents douse you in racist abuse. “Why the fuck are we so civil with people who despise us?" Hendricks asked The Wire in 2018. “‘They go low, we go high.’ I’d rather give the right the same aggression back. It works!”
He also delights in subverting the macho culture he experienced serving in the military, mixing tough-guy signifiers with stereotypically feminine tropes. JPEGMAFIA is gender-fluid in the way that Prince was, slipping naturally into a female voice during songs. “Show me how to keep my pussy closed,” he sings in the chorus of of “Jesus Forgive Me, I’m a Thot,” the title of which reclaims a hip-hop slur (“thot”) used against slutty women. He adopts a female perspective again on “BasicBitchTearGas,” an unexpected—and wholly unironic—cover of TLC’s script-flipping anthem, “No Scrubs.”
Peggy may sport flamboyant fashions—he’s “Dressed in your grandmama’s hand-me-downs” (“Jesus Forgive Me, I’m a Thot”)—but he still bites. There’s a bracing contrast between the online shit-talking and the threat of real violence. On “Beta Male Strategies,” he cautions his critics on Twitter: “Don't get capped by a nigga in a muhfuckin’ gown”. On “Thot Tactics,” he taunts: “Bruh, put the keyboard down, get the MAC out”—which could be talking about Apple computers, but is probably referring to the MAC submachine gun.
He’s a far cry from the gangsta-rap archetype, but JPEGMAFIA can’t get enough of his firearms. “I’ve been playing with pistols since you watching Toonami,” he raps on “DOTS FREESTYLE REMIX,” the equivalent of the old “I’ve been doing this since you were in diapers” jibe. While Western otaku use “waifu” to refer to their favourite anime fetish object, on “Grimy Waifu,” Peggy’s seductive R&B vocal is actually addressed to his gun.
Like many rappers who’ve been thrust suddenly into the spotlight, All My Heroes Are Cornballs offers caustic observations on the music industry and his rapid ascent within it. “I got booked for Coachella, enemies can’t say the same,” he brags on “Rap Grow Old & Die x No Child Left Behind.” Elsewhere on the same track, he’s unimpressed by record industry execs hoping to take advantage of him: “I feel these cracker A&Rs think I’m al a carte / They want me Kevin James, bitch, pay me like Kevin Hart.” He may not like the angry white dudes in the audience at his shows (“Why these wiggas always showin’ up when niggas be poppin’?” on “All My Heroes Are Cornballs”), but he’s happy to reap the rewards: “I hate old white niggas, I’m prejudiced / But I’ma take you niggas money like a reverend” (“Papi I Missed U”).
At the same time, Peggy resists attempts to put him, or anyone else, on a pedestal. It’s right there in the title: all my heroes are cornballs. “Don't rely on the strength of my image,” he cautions on “Free the Frail,” the album’s most emotionally unguarded track. “If it’s good, then it’s good / Break it down, this shit is outta my hands.” It’s a plea for acceptance, an acknowledgment that nobody’s perfect. You think you know him. He can only disappoint you.

Courtney Barnett - ele-king

 これは嬉しいお知らせだー。春の来日公演やフジでのパフォーマンスも話題を呼んだオーストラリアの宝、コートニー・バーネットが初めてのライヴ盤をリリースする。しかも、『MTV アンプラグド』である。本人コメントも到着しているが、どうやら「アンプラグド」には深い思い入れがあるようで……彼女の珠玉の楽曲たちがアコースティックではどのような表情を見せるのか。レナード・コーエンのカヴァー曲や新曲もあります。これは楽しみだー。

CHANGSIE - ele-king

 東京のアンダーグラウンドでその名を轟かせる実力派DJ、今年は〈BLACK SMOKER〉からミックス『THE FURY』をリリースしてもいる CHANGSIE (チャンシー)が、2020年1月24日、キャリア初にして渡英前最後のワンマン・パーティを WWWβ にて開催する。昨日公開されたRAのポッドキャストではUKガラージを軸にしたダイナミックなプレイを披露してくれているけれども、きたるパーティはオープンからクローズまでのオールナイトとのことで、より多彩なセットを楽しむことができそうだ。この機会を逃しちゃいけない。

ele-king vol.25 - ele-king

特集:21世紀DUB入門

いまやあらゆるエレクトロニック・ミュージックに浸透し、拡大しているダブ。
いまダブを聴かない手はない。いかにいまダブが熱いのか、その現在をレポート!

巻頭:リー・スクラッチ・ペリー
インタヴュー:Mars89/クルアンビン/ロウ・ジャック/1TA (Bim One Production)
ディスクガイド:21世紀のダブ必聴盤162枚

そして2019年のベスト・アルバム30枚も発表!!
識者が選ぶジャンル別ベスト10に加え、
アーティスト/DJ/ライター総勢31組による2019年個人チャートも!

目次

巻頭:リー・スクラッチ・ペリー

インタヴュー Lee “Scratch” Perry ダブは赤ん坊 (野田努)
コラム 21世紀のリー・ペリー (河村祐介)

特集:21世紀DUB入門

インタヴュー
Mars89 傷を舐めあって終わりにはしたくない──次の10年を担う才能が語る、ダブと社会 (小林拓音)
Khruangbin (クルアンビン) メロウ・ダブ・エキゾティカの魔術師 (野田努)
Low Jack (ロウ・ジャック) ダンスホール新世代の旗手が追い求める “音楽のまわり” (野田努+小林拓音)
1TA (Bim One Production) 抵抗飛行を続けること、サウンドシステムにこだわること (野田努)

ディスクガイド
──21世紀のダブ必聴盤162枚
(飯島直樹、小川充、河村祐介、小林拓音、野田努、三田格)
・ニュー・チャプター・オブ・ダブ
・ダブステップ/ジャングル/インダストリアル
・エクスペリメンタル/アンビエント/ロック/R&B
・ジャズ
・テクノ/ハウス
・ダンスホール
・ブリストル
・グローバル
・ニュールーツ/ステッパー
・リイシュー
・ヴェテラン

コラム
BS0 いまもっとも注目すべきパーティ&コレクティヴ (麻芝拓)
Dub Meeting Osaka ここにしかないヴァイブス (SAK-DUB-I)

2019年ベスト・アルバム30
──selected by ele-king編集部

ジャンル別2019年ベスト10

エレクトロニック・ダンス (髙橋勇人)
UKラップ&グライム (米澤慎太朗)
テクノ (佐藤吉春)
ハウス (Midori Aoyama)
USヒップホップ (大前至)
ジャズ (小川充)
インディ・ロック (木津毅)
日本語ラップ (磯部涼)
アンビエント/ドローン (デンシノオト)
インプロヴィゼーション (細田成嗣)
グローバル・ビーツ (三田格)

2019年わたしのお気に入りベスト10
──アーティスト/DJ/ライター総勢31組による2019年個人チャート

Midori Aoyama、天野龍太郎、飯島直樹 (DISC SHOP ZERO)、磯部涼、大前至、小川充、河村祐介、木津毅、Gr◯un土 a.k.a Ground、KEIHIN、Kenmochi Hidefumi (水曜日のカンパネラ)、Gonno、COMPUMA、佐藤吉春 (TECHNIQUE)、Chee Shimizu、高島鈴、髙橋勇人、田中克海 (民謡クルセイダーズ)、デンシノオト、德茂悠 (Wool & The Pants)、TREKKIE TRAX CREW、中村義響 (JET SET)、Koji Nakamura、James Hadfield、Gilles Peterson、細田成嗣、Mars89、Ian F. Martin、三田格、行松陽介、米澤慎太郎

マシューさんと振り返る2019年
──環境、ドラッグ、セクシー、そして宇宙人いなかった

ISSUGI - ele-king

 今年は 16FLIP 名義でジョージア・アン・マルドロウとコラボも果たした MONJU / DOWN NORTH CAMP の ISSUGI が、本日12月11日、久々のニュー・アルバム『GEMZ』を発売する。BUDAMUNK(SICK TEAM)、HIKARU ARATA(WONK)、KAN INOUE(WONK)、TAKUMI KANEKO(CRO-MAGNON)、MELRAW(DJ K-FLASH)が集結し、5lack、仙人掌、Mr.PUG、OYG、KOJOE、DEVIN MORRISON ら強力な面子を招いて制作された同作だけれど、そのリリースに合わせてなんと、キャリア初となるワンマンライヴの開催もアナウンスされた。日時は来年3月27日、会場は渋谷 WWWX で、『GEMZ』のバンド・メンバーたちが一堂に会する。これは見逃せない。いまから予定を空けておこう。

待望のニュー・アルバム『GEMZ』を本日リリースしたISSUGIが同作のバンドメンバーを伴って、初となるワンマンを来年3/27(金)に渋谷WWWXで開催!

BUDAMUNK(PADS)、WONKのHIKARU ARATA(DRUM)、KAN INOUE(BASS)、CRO-MAGNONのTAKUMI KANEKO(KEYS)、MELRAW(SAX, FLUTE, TRUMPET, GUITAR)、DJ K-FLASH(TURNTABLE)がバンド・メンバーとして集結し、Red BullのサポートのもとRed Bull Studioを拠点にセッションを繰り返して作られたニュー・アルバム『GEMZ』を本日リリースしたISSUGIが、キャリア初となるワンマンライブを来年3/27(金)に渋谷WWWXにて開催! 同作に参加しているバンド・メンバーを伴ったデイタイムでの公演となりますので今からその日は予定を空けておいてください。また同公演の前売りチケット発売情報やその他の地域でのライブに関しては追ってアナウンスする予定です。

「ISSUGI 『GEMZ』 RELEASE LIVE」
日程:2020年3月27日(金)
会場:渋谷WWWX
※開演時間や前売りチケットに関しては未定です。

Members are…
RAP:ISSUGI / DRUMS:HIKARU ARATA(WONK) / BASS:KAN INOUE(WONK)/
PADS:BUDAMUNK / TURNTABLE:DJ K-FLASH / KEYS:TAKUMI KANEKO(CRO-MAGNON)
/ SAX, FLUTE, TRUMPET, GUITAR:MELRAW

https://www.ele-king.net/upimgs/img/5131.jpg
アーティスト: ISSUGI (イスギ)
タイトル: GEMZ(ジェムズ)
レーベル: P-VINE, Inc. / Dogear Records
品番: PCD-25284
発売日: 2019年12月11日(水)
税抜販売価格: 2.500円
https://smarturl.it/issugi.gemz

[トラックリスト]
1. GEMZ INTRO / prod BUDAMUNK
2. ONE RIDDIM / prod BUDAMUNK
3. NEW DISH / prod 16FLIP & BUDAMUNK
4. BLACK DEEP ft. Mr.PUG, 仙人掌 / prod 16FLIP
5. DRUMLUDE / prod BUDAMUNK
6. HERE ISS / prod 16FLIP
7. LIL SUNSHINE REMIX
8. FIVE ELEMENTS ft OYG, Mr.PUG, 仙人掌 / prod BUDAMUNK
9. 踊狂REMIX ft. 5lack / prod BUDAMUNK
10. OLD SONG ft DEVIN MORRISON / prod BUDAMUNK
11. HEAT HAZE REMIX ft Mr.PUG / prod ENDRUN
12. LOUDER / prod 16FLIP & DJ SCRATCH NICE
13. MISSION ft KOJOE / prod HIKARU ARATA
14. 再生 / prod BUDAMUNK
15. No.171 / prod BUDAMUNK
16. GEMZ OUTRO / prod BUDAMUNK

[PROFILE]
東京出身のRapper/Beatmaker。MONJU (ISSUGI / Mr.Pug / 仙人掌)、SICKTEAM (5lack /ISSUGI / Budamunk) としても活動し、16FLIP名義でBeatmakeもこなす。ソロを含めこれまでに複数のALBUMをリリース。

Worked with: 仙人掌, Mr.PUG, 5lack, Budamunk, BES, SEEDA,KOJOE, JJJ, KID FRESINO, FEBB, MASS-HOLE, YUKSTA-ILL, DJ SCRATCH NICE, GRADIS NICE, CRAM, ILLSUGI, YOTARO, GQ, DJ SHOE, ENDRUN, ILLNANDES, 弗猫建物 ,Devin Morrison, Roc marciano, Evidence, Tek of Smif-n-wessun, Twiz the beat pro, Roddy rod, Gwop sullivan, DJ FRESH, Illa J, DJ DEZ, Khrysis, John robinson, Eloh kush, Al B smoov, Mr.Brady, Planet asia, Georgia Anne Muldrow & more

NYクラブ・ミュージックの新たな波動 - ele-king

 NYダンス・ミュージック・シーンの10年代の変遷については前編で伝えたけれど、20年代が始まろうとする今のブルックリンのアンダーグラウンドはどうなっているのだろう?

 2012年、〈Mister Saturday Night Records〉によってその才能を見出された Anthony Naples は、それから7年経った今、もはやブルックリンのダンス・ミュージック・シーンを牽引するといっていいほど勢いのある存在だ。ヨーロッパを中心に毎週世界のどこかでブッキングされる人気DJの傍ら、2017年には、まだ発掘されていないNYの新しいアーティストにフォーカスするインデペンデント・レーベル〈Incienso〉をデザイナーの Jenny Slattery とともに設立。その第1弾としてフィーチャーされたのが、10年代のブルックリンのユース・カルチャー・シーンをともに歩んできた、“DJ Phython”こと Brian Piñeyro のデビューLP『Dulce Compãnia』だ。

 実は DJ Python のほかに、表現するモノによって DJ Wey や Deejay Xanax、Luis などの名義も使い分ける Brian Piñeyro は、DJ Python では〈Incienso〉の前身のレーベル〈Proibito〉時代からすでに、ディープ・ハウスやシューゲイザー、トランス、レゲトンなどをスローテンポにしたサウンドのうねりをゆったりサーフライドしていくような「ディープ・レゲトン」と呼ばれる新たなスタイルを打ち出してきた。この『Dulce Compãnia』のリリースは、オンライン・マガジン「ローリング・ストーン」における「2017年ベスト・エレクトロニック・アルバム」にランクインされるほど高く評価され、そのスタイルを確かなものにした。
 さらに、今年6月にはアムステルダムを拠点とするレーベル〈Dekmantel〉からEP「Derretirse」をリリース。『Dulce Compãnia』に続き2作目となる本作では、ラテンにルーツを持つ Brian Piñeyro らしく、南半球から生まれる陽気なパーカッションやリヴァーブ、ディープ・シンセのリズムとともにレゲトンとアンビエント、ポストIDMがよりメローに融合していくようなさらなる進化を遂げている。そんなブルックリンのアンダーグラウンドで育まれたオリジナルのサウンドが「ディープ・レゲトン」として世界に広まりつつある今、DJ Phython は、間違いなくこれから活動の場を外へ広げていくNYの新世代アーティストのひとりだといえるだろう。

「Derretirse」より“Be Si To”

 そして、〈Incienso〉の第2弾には、カナダの〈1080p〉やシカゴの〈Lillerne Tape Club〉からカセットテープを発表してきたダンス・ミュージック・シーンの新星 Beta Librae のデビューLP『Sanguine Bond』をフィーチャー。実はブシュウィックの「Bossa Nova Civic Club」がオープンした当時(2012)からプレイしている Beta Librae は、この「Bossa Nova Civic Club」で、女性特定のDJ集団「Discwoman」を主宰する同郷の Umfang とともに今のNYのアンダーグラウンドで重要なポジションを占める「Techno feminism」というパーティのレジデントDJを務めている。


Bossa Nova Civic Club 2013 flyer “Techno feminism”

 そんなバックグラウンドの片鱗を垣間見せるような『Sanguine Bond』では、アンビエントなディープ・ハウスにエレクトロニック・サウンドをレイヴ感たっぷりにミックス。この新しい質感こそがまさに“今のNYサウンド”だと思わせる、NYのダンス・ミュージック・シーンに新境地を切り拓くアルバムとなった。

『Sanguine Bond』より“Pink Arcade”

 レーベルについて、「ポリシーは、“私たちが真価を認めている人たちの、新鮮でおもしろさを見出せる音楽をリリースする”こと。これまでのリリースでは身近な友人だけをフックアップしてきて、これは絶対的なルールじゃないけど、その人のことを知っているからこそすでに彼らとの信頼関係があるのは制作においてかなりやりやすいの。そして、まだリリースのない人を紹介することが何よりもエキサイティング!」と、Jenny Slattery。
 その後〈Incienso〉は、CZ Wang と Joli B. のデュオ People Plus によるEP「Olympus Mons」や、まだ記憶に新しい工藤キキのEP「Splashing」、最新作には Sleep D によるLP『Rebel Force』など、レーベル設立からたった2年でコンスタントに7つのタイトルを発表し、NYナイズされた気鋭のダンス・ミュージックを発信し続けている。さらに、Jenny Slattery は、「最初はNYの友人たち、そして次は世界中の友人たちへ。レーベルを通じて作り上げたコミュニティとアーティスト自身の小さな世界をリンクさせていくのは楽しいし、それを続けていくことがこれからも楽しみ。2020年は、DJ Python のセカンドLPから始まり、これまででいちばん有望な年になりそう」。


L to R: People Plus, Kiki Kudo, Sleep D

 そんなアンダーグラウンド・シーンで最もフレッシュなリリースといえば、ブルックリンに拠点を置き、Anthony Naples や DJ Phython、Beta Librae たちと一緒に肩を並べてきた Galcher Lustwerk のLP『Information』を真っ先に挙げたい。

 そもそも Galcher Lustwerk が世界から注目されるようになったきっかけまで話を遡ると、2013年に発表した初めてのミックス「100% Galcher」が決定的だろう。エクスペリメンタルなダンス・ミュージックをはじめ、エレクトロニック・サウンドに関連するさまざまなアーティストのミックスに焦点を当てた実験的なプロジェクト「Blowing Up The Workshop」のために未発表音源を集めて制作した「100% Galcher」は、オンライン・マガジン「FACT」の「2013年ベスト・アルバム50」では4位、「Resident Advisor(以下、RA)」の「2013年ミックス/コンピレーション・トップ30」ではオンライン・ミックス部門で堂々1位を獲得し、“無名の新人が自身の音源のみでミックスを公開するのは2013年のベスト・サプライズだった”と「RA」から絶賛された。ディープ・ハウスのようなドラムマシンに独自のスモーキーなヴォーカルをかけ合わせたサウンドは、平たく言うと控えめなヒップハウスのようで、ありそうでなかったオリジナリティーにほかならない。Galcher Lustwerk はそれほど鮮烈なデビューを果たしたのだ。


2012年のトラックを集めたプロモミックス「100% Galcher」

 そして、同年 Young Male と DJ Richard が主宰するブルックリンの〈White Material〉からヴァイナル・デビューとなるEP「Tape 22」をリリースするやいなやその新鮮なサウンドが世界のダンス・ミュージック・リスナーの心をつかみ、2015年に立ち上げた Galcher Lustwerk 自身のレーベル〈Lustwerk Music〉から立て続けに、「100% Galcher」のシングルカットとなるEP「Parlay」と「I Neva Seen」、〈White Material〉の Alvin Aronson とのプロジェクト「Studio OST」名義でLP『Scene (2012-2015)』をリリース。その意欲的な活動とユニークなサウンド・スタイルで、Galcher Lustwerk という存在を揺るぎないものにしていった。

 話を本題に戻すと、今年11月にリリースされたばかりの最新作『Information』は、2017年〈White Material〉からのデビューLP『Dark Bliss』、翌年2018年〈Lustwerk Music〉からのセカンドLP『200% Galcher』に次ぐ、待望のサード・アルバム。しかも、Matthew Dear や Gold PandaTychoShigeto などのアーティストをダンス・ミュージック・シーンに輩出してきたミシガンの名門〈Ghostly International〉のデビュー作品だ。Galcher Lustwerk は〈Lustwerk Music〉のホームページにこうコメントを寄せる。
 「アメリカはミッドウェスト、クリーヴランド出身の自分が〈Ghostly International〉と一緒に作品を出すのであれば、最もミッドウェスト的な“フックの強い”トラックを選び出すことがしっくりくると思う。このアルバムでは、ほかのクリーヴランドのプロデューサーが作る曲のなかで聴いたビターウィートな質感を表現したかったんだ」。

 その言葉の通り、『Information』は、Galcher Lustwerk ならではのスタイルが顕在しながらもよりライヴ感のあるドラムとジャズ・サックスを含んだ、これまで以上にダイナミックなサウンドを生み出している。

 このラインでブルックリンのアンダーグラウンド・シーンを紹介したなら、前編からの一連で登場した〈L.I.E.S. Records〉や〈Proibito〉、さらには Maxmillion Dunbar が主宰するワシントンD.C.の〈Future Times〉など10年代のアメリカで重要なレーベルからリリースのある“Huerco S.”こと Brian Leeds についても特筆すべきだと思うけれど、彼は、2018年に自身のレーベル〈West Mineral〉を立ち上げるとともにブルックリンからベルリンへ拠点を移した。アンビエントやドローン、エスニックに通ずるエクスペリメンタルなエレクトロニック・サウンドを発表してきた〈West Mineral〉では、Brian Leeds の故郷であるカンザスのアーティストを中心にフィーチャー。20年代が始まろうとする今、Brian Leeds はもはや「NYサウンド」というこの本題にはくくりにくい存在となってしまったが、拠点をベルリンに移した今でもNYで培ってきた大もとのスタンスは変わらないはず。

 もちろんほかにここで紹介しきれなかった新世代アーティストもたくさんいるが、実は今回取り上げた DJ Python と Beta Librae、Galcher Lustwerk は、DJ/プロデューサーの Aurora Halal が主宰するNYで数少ない野外レイヴ・パーティ「Sustain-Release」の国外初となるサテライト・イベント「S-R Meets Tokyo」のために来年1月に来日を予定している。そもそも、「NY」とか「新しい世代」とか、日常的になじみの薄い字面だけでハードルの高さを感じる人もなかにはいるかもしれない。だけど、一度彼らを見てみたら、きっと好きになると思う人たちの顔も目に浮かぶ。

Sustain-Release presents “S-R Meets Tokyo”

2020年1月25日(土)東京・Contact
OPEN 22:00

出演
Aurora Halal (NY)
Galcher Lustwerk (NY)
Wata Igarashi (Midgar | The Bunker NY)

DJ Python (NY)
Beta Librae (NY)
AKIRAM EN
JR Chaparro

Mari Sakurai
Ultrafog
Kotsu (CYK | UNTITLED)
Romy Mats (解体新書)
Celter (Eclipse)

料金
BEFORE 11PM ¥2500 | UNDER 23 ¥2500 | ADVANCE ¥2500 | GH S MEMBERS ¥3500 | W/F ¥3500 | DOOR ¥4000
詳細:https://www.contacttokyo.com/schedule/sustain-release-presents-s-r-meets-tokyo/

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