「iLL」と一致するもの

Laurel Halo - ele-king

 イタリアのテクノ系プロデューサー、シェヴェル(シュヴェール?)ことダリオ・トロンシャンによるダブルパック『In A Rush And Mercurial』が興味深かった。これは4月にリリースされた彼の5thアルバム『Always Yours(いつもあなたを思っています)』がどのようにしてつくられたかを想像させる内容だったのである。彼は3年前までダブ・テクノにグライムを持ち込むことで大きな興味を引いた存在だった。その彼がマムダンスのレーヴェルに移り、さらにウエイトレスと呼ばれるジャンルにチャレンジし、またしても大きな飛躍を見せたのが『Always Yours』であった。個人的にはいまのところ今年のベスト・スリーに入る充実作である。2枚のEPから構成された『In A Rush And Mercurial』は一聴すると『Always Yours』よりも以前のスタイルに揺り戻したかのような印象を与える。実際にそうだったのかもしれない。しかし、『In A Rush And Mercurial』は『Always Yours』を作り上げる段階で捨てられた曲をまとめて出したと考えた方が得心のいく曲が多い。彼はダブ・テクノにもウエイトレスに通じる部分はあると考えているようだけれど、それまで彼の重心部分であったダブ・テクノの比重を減らし、グライムからウエイトレスを抽出して後者の方法論を肥大させていく過程でダブ・テクノから充分に脱却できなかったものを一度は捨てたのではないかというストーリーを勝手に組み上げてみたくなるのである。『In A Rush And Mercurial』もよくできてはいる。しかし、先に『Always Yours』を聴いてしまった耳には『In A Rush And Mercurial』は物足りなくなる部分があるし、逆に言えば『Always Yours』がどれだけ跳躍力が高かったかをあらためて実感できたともいえる。
 
 マーラのDJがUKサウンドとの出会いだったというトロンシャンはウエイトレスに進路を定める上でとくに参考にした曲としてフランコ・バティアトーの6thアルバムから「Za」を挙げている。バティアトーは70年代のイタリアン・プログレッシヴ・ロックでもけっこうな異端児で、「Za」はとくにストレンジでコンセプチュアルな曲といえる(『アンビエント・ディフィニティヴ』P152)。そして、これとまったく同じ発想で作ったとしか思えない曲がローレル・ヘイローの5thアルバムにもフィーチャーされていた。“Quietude”である。スカしたタイトルはヴァンガード・ジャズ・オーケストラが60年代に録音していた曲と同じだけれど、それとは関係がないようで、バティアトーを飛び越えて、さらにその向こうにいるジョン・ケージやプリペアード・ピアノから着想を得たものなのだろう。トロンシャンでいえば『In A Rush And Mercurial』に収録された”Faded”にかなり近いものがあり、ふたりが同じところをウロウロしているのは間違いない。
 『Raw Silk Uncut Wood』は、そう、オリヴァー・コーツのチェロをフィーチャーしたタイトル曲からしてモロだし、全体にミュジーク・コンクレートからのフィードバックが濃厚な1枚で、イーライ・ケッセラーのドラムを使い倒した“Mercury”ではフリー・ジャズ、“The Sick Mind”ではリュック・フェラーリのような名前がどうしても浮かんでしまう。あるいは例によって解体されたデトロイト・テクノのリズムにも強く注意が払われ、そのことによってトロンシャンとも同じく現在形の表現になっていることも保障されている(デリック・メイたちに“Mercury”の感想を訊いてみたい!)。テーマ的にはオランダのデザイン・スタジオ、メタヘヴンとアーシュラ・ル・グインが訳した道教の本からインスピレーションを得たそうで、音楽とイメージをどう結びつけるかはなんとでも言えるし、ああそうですかとしか言えないので、観念的な側面は省略。イージーにいえば瞑想的で静謐な曲が多い。

 ローレル・ヘイローのサウンドはそれにしても完成度が高く、女子高生言葉でいうところの「雑味」がまったくない。だからといって息苦しいわけでもなく、冒険のセンスにもあふれている。リリース元はエナ『Distillation』や今年に入ってイヴ・デ・メイ『Bleak Comfor』をリリースしたフランスの〈レイテンシ〉。当初はシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノを発していたものが、すぐにも実験的な作品ばかり扱うようになったレーベルである。『Raw Silk Uncut Wood』のエンディング、“Nahbarkeit(親しみやすさ)”をヴォルフガング・フォイト(マイク・インク)のガス名義に喩えたレヴューがいくつかあったので、たまたま同時期にリリースされたガス名義の6作目『Rausch(酩酊)』を聴いてみたら、まあ、確かにそうかなとも思いつつ、意外にもヘイローの方が快楽的だったので、クラブ・ミュージックの連続性も切り捨てられてはいないといえる。ちなみにトロンシャンも『Flowers From The Ashes: Contemporary Italian Electronic Music』でリュック・フェラーリを思わせる極上のアンビエント・チューンを聞かせくれる。


大胆不敵な音楽の熟達者たち――AMM論 - ele-king

黙殺された歴史

 「極北実験音楽の巣窟」を掲げ、一般的なメディアでは取り上げられることの少ないコアな音楽を数多く取り扱っているレコード・ショップ「オメガポイント」の新譜紹介コメントに、英国の即興集団 AMM がいま現在置かれている状況が端的に示されているように思う。まずはその文言を引用しよう。

説明の必要もない英国実験音楽の象徴だが、10年くらい前にピアノのティルバリーが抜けて、残りの二人だけでAMMを名乗っていた。それがいつの間にか三人に復活!(*1

 紹介文として適切だから引用したのではない。むしろここに書かれていることには致命的な誤謬が含まれている。およそ10年前に AMM を脱退したのはジョン・ティルバリーではなくギタリストのキース・ロウだ。さらに言えばティルバリーはそもそも AMM に途中から加入したメンバーであるし、結成から50周年という記念すべき節目に三人が集った極めてモニュメンタルな出来事を「いつの間にか三人に復活」とするのも正確ではない。だが何もこうした不正確さを論うために引用したのでもない。なぜこのような紹介文を引用したのかと言えば、これは AMM がすでに50年以上もの活動歴を誇りながらもいまだに無理解に晒されているということの一つの例証であり、そしてそうであるにもかかわらず、いや「英国実験音楽の象徴」と見做され得る巨大な存在であるがゆえに、「説明の必要もない」とされて正確な記述に至らないということ、こうしたことが現在の AMM がどのように受容されているのかを端的に示していると思ったからだ。たとえ多くの誤解と表層的な理解に晒されているのだとしても、すでに確立された評価があると思われていて、当たり前の存在であるがゆえに、あらためて振り返る必要はないとされてしまう。その結果半ば必然的にこうした紹介文が登場する。だがそうであればこそむしろ AMM を「説明」することは不要どころか急務であるはずだ。

 とはいえもちろん AMM 50年の歴史をすべて詳らかにすることは容易ではない。そこでまずはその成立過程をあらためて確認するところからはじめたい(*2)。主に1940年前後に生まれたメンバーによって構成されているAMMは、もともとハード・バップのグループで活動していたサックス奏者のルー・ゲアとドラマーのエディ・プレヴォー、それにゲアとともにマイク・ウェストブルックのジャズ・バンドに参加していたギタリストのキース・ロウが、1965年にロンドンの国立美術大学である「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」で週末にセッションをおこなっていたことからはじまった。この時点では彼らにグループ名は無かったものの、ほどなくしてウェストブルックのもとでベーシストとして活動していたローレンス・シーフと現代音楽の世界ですでに知られた存在だった作曲家/ピアニストのコーネリアス・カーデューが加入し、翌66年には AMM と名乗って活動をおこなうようになる。AMM というグループ名はラテン語の「Audacis Music Magistri (Audacious Music Masters)」すなわち「大胆不敵な音楽の熟達者たち」の略称だとされているものの、たとえば同時期に発足した自由即興集団のムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァ(MEV)やスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)が、略称よりもむしろ活動の方向性を体現する本来の名称で知られているのとは異なって、彼らはもっぱら AMM という三文字で知られている。グループ名については2001年のインタビューでキース・ロウが「AMMの成立過程は非常に複雑だった」のであり「何を略したのかは秘密」だと語っているように(*3)、たとえ本来の名称があったとしてもその意味に還元することはできないのだろう。かつて音楽批評家の間章はAMMを「冒険的音楽運動」(*4)の略称だとしたものの、これは「Adventurous Music Movement」をあてがって翻訳したのではないだろうか 。

 ちなみに1966年には米国に留学していたエヴァン・パーカーが英国ロンドンへと移住し、そのころニュー・ジャズ揺籃の地として賑わいをみせていた「リトル・シアター・クラブ」に通い詰めていた。同スペースにはのちにパーカーと共闘関係を結ぶことになるデレク・ベイリーや SME を先導するジョン・スティーヴンスらも頻繁に出演しており、もしも AMM のメンバーがここで盛んに交流をしていたら英国即興音楽史はまったく異なる様相を呈していたかもしれない。だが彼らはパーカーとは接近するもののベイリーやスティーヴンスとはほとんど関わることがなかった。接点だけでいえば AMM はピンク・フロイドやクリームと同じギグに参加しているほかポール・マッカートニーとも関わるなど広範に及ぶものの、英国の自由即興という文脈で同列に語られることの多い SME やその周辺の人脈と深い交流がなかったことは意外にも思える。後年ベイリーは AMM について「よく知らないな」(*5)と述べており、ロウも「私がデレクに対してそうであるように、彼はAMMについて無知なのかもしれない」(*6)と語っている。だが彼らが関わらなかったことは不幸というよりも、むしろ言語に喩えられた音楽の語法から離れようとするベイリーらの即興アプローチと、言語化以前の音響それ自体をやりとりする AMM の即興アプローチの、それぞれに特徴をなす明確な差異を形成することに役立ったに違いない。

 またカールハインツ・シュトックハウゼンのもとで研鑽を積み、その後ジョン・ケージやデイヴィッド・チュードアなどアメリカ実験音楽の成果を独自に継承し発展させることで、当時すでに現代音楽方面で名を馳せていたカーデューの名声にあやかったのか、AMM は不本意にもメディアによって初期のいくつかのパフォーマンスが「コーネリアス・カーデュー・クインテット」として宣伝されていた。67年にリリースされたファースト・アルバム『AMMmusic』も「ザ・コーネリアス・カーデュー・アンサンブル」(『Musical Times』)や「ザ・コーネリアス・カーデュー・クインテット」(『Jazz Journal』)などのクレジットで記事にされていたという(*7)。そのためかのちに「AMMはコーネリアス・カーデューが率いるグループである」という誤った認識が蔓延していくことになった。だがこれはまったくの誤解である。先のインタビューで「多くの人々はカーデューがAMMの創設メンバーだと勘違いしています」と言われたロウは、即座に「それは違う、むしろ私がカーデューをAMMに招き入れたんだ」と応えている(*8)。

 AMM の活動について多くのページを費やしたデイヴィッド・グラブスの名著『レコードは風景をだいなしにする』でさえ、「AMMは、作曲家コーネリアス・カーデューを中心に、彼と長年演奏や仕事を一緒にしてきた若手のミュージシャンやアーティスト志望の学生から成るグループであった」(*9)といったふうにこの誤った認識が共有されている(ただし後のページでは「プレヴォー、ロウ、ルー・ゲアが1965年の創設メンバーであったが、すぐにローレンス・シーフ、そして次にカーデューが加わった」(*10)と正しい記述もなされているものの)。だがグラブスだけならまだしも、それがそのままなんの引っかかりもなく翻訳され流通しているのは、はっきり言ってわたしたちの AMM に対する理解の低さを示している。それは単に AMM に対して無知であるということにとどまらず、より広い視野で眺めてみるならば、こと日本語の実験音楽と即興音楽をめぐる言説において、わたしたちがあまりにも長い間、ジョン・ケージとデレク・ベイリーというたった二人の思想を中心に置いてきたのではないかという懸念を彷彿させる。この二人を取り巻く言説の多さ、そしてそれに比したときの AMM に関する言説の圧倒的な少なさ。

 無論これから述べるように AMM に語るべき魅力や思想がなかったというわけではない。それは端的にケージとベイリーという二人に著作があり、そしてそれが手に届くようになっていたということによるのではないだろうか。AMM をめぐる言説自体が無かったわけでもないからだ。アルバムにはしばしば長文のライナーノーツが付されていたし、プレヴォーには AMM の活動を詳らかに綴った『No Sound is Innocent』をはじめ複数の著作もある。こうした文章がほとんど読まれていないことは音楽の歴史を少なからず貧しくしてきたことだろう。さらに言えばそれは AMM に限らず、たとえばアンソニー・ブラクストンの『Tri-Axium Writings』が届いていたら黒人音楽の捉え方も偶然性や不確定性の意味合いも変わっていただろうし、たとえばアルヴィン・ルシエのインタビューとスコアに加えてルシエ自身のテキストも収録された『Reflections』が届いていたら「音響派」の受容のされ方も変わっていたかもしれない。言うまでもなく歴史は単線的に進むものではない。あるいはそのように単純化されたものが歴史であるのだとするならば、わたしたちが即興音楽の系譜を歴史の外側であらためて考え直すためにも、AMM に対する理解を少しでも深めることは有意義であるはずだ。歴史に残らなかった音楽があるのではなく、特定の音楽を残さない歴史があるだけだということは、なんにせよ心に留めておかなければならない。

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AMM の足跡を音盤で辿り返す

 ここで AMM の活動の変遷を音盤を参照しつつ辿り返してみよう。なおアルバムに付随する年号は彼らのアーカイヴの表記の仕方に従ってリリース年ではなく録音年を中心に記している。

『The Crypt』(1968)

【コーネリアス・カーデュー在籍時代――60年代】
最初期の録音として先に触れた「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」での1966年のライヴ演奏が収録されたコンピレーション『Not necessarily "English music"』がある。ただし同作品はデイヴィッド・トゥープが2001年に編纂したもの――英国実験音楽/電子音楽の歴史の再検証として注目に値する仕事だった――であり、リアルタイムでは日の目を見ていない。実質的なファースト・アルバムとしては AMM 史上もっともよく知られているだろう『AMMMusic』(1966)がある。フリー・ジャズのエネルギッシュな箇所を音響的に取り出したかのような極めてノイジーな作品だ。だがこの録音ののちローレンス・シーフは AMM を去り、音楽活動をもやめてしまうことになる。そして入れ替わるようにして1968年にはカーデューの教え子でもある打楽器奏者のクリストファー・ホッブスが加入。そしてこのメンバーで同年にロンドンのスペース「ザ・クリプト」でおこなわれたライヴが1970年に MEV とのスプリット盤『Live Electronic Music Improvised』としてリリースされることになる。このときのライヴの長尺版はおよそ10年後に『The Crypt』として、1979年にプレヴォーが立ち上げた〈Matchless Recordings〉から発表された。ファースト・アルバムに引き続きノイジーであるもののより持続音が主体となった演奏は、グラブスが言うような「音色という側面におけるAMMの即興的な反応のあり方」(*11)を確立させた記念碑的作品だった。フリー・ジャズ由来の集団即興におけるようにそれぞれの演奏家の発語的な対話に焦点が当てられるのとは異なり、むしろ「音色の変容は各パフォーマーに、探究的な聴取を要求する」(*12)という極めて特異なアンサンブルの在り方。またこの作品には AMM の活動をアーカイヴした冊子の復刻版が付されており、その中の「AMM活動報告書1970年10月」には「1965年6月(AMMがロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで11ヶ月にわたり毎週行なったセッションの開始時期)から1970年9月25日までの間にグループが行なったコンサート、ワークショップ、録音セッション、メンバー個々が行なったレクチャーのすべてが記載されてい」(*13)た。そこに記されている公演のなかには、1969年におこなわれた AMM のメンバーを含む総勢50名以上もの集団によってプレヴォーの「Silver Pyramid」という図形楽譜を演奏するという試みもあった。ドキュメンタリー的なその模様は2001年にリリースされた『Music Now Ensemble 1969』というアルバムから聴き取ることができる。

『It Had Been an Ordinary Enough Day in Pueblo, Colorado』(1979)

【第一次分裂時代――70年代】
プレヴォーは1971年に「今や、物たちのみが、変化する時に変化するのであり、その方がよっぽどよい」(*14)と言ったそうだ。AMMの音楽が円熟の境地に達しつつあることを示した言葉だが、他方では70年代に入るとグループ内部に亀裂が走りはじめることにもなる。毛沢東主義に傾倒したカーデューとそれに従ったロウが、音楽においても自らの政治を反映しなければならないとする一方、プレヴォーがそうした二人の意向を批判することによって、グループ内部の関係が悪化していったのである(*15)。1972年にはカーデューとロウがグループを脱退し、AMM にはプレヴォーとゲアの二人が残されることになった。カーデューの弟子クリストファー・ホッブスもこのころにはグループを離れている。こうした事情もあって70年代の AMM の活動は停滞するが、その間の記録としてゲアとプレヴォーのデュオによる『At the Roundhouse』(1972)と『To Hear and Back Again』(1974)が残されている。この二枚のアルバムについて誤解を恐れずに述べるとするならば、まったくもって AMM の良さが感じられない内容になっている。つまりフリー・ジャズのデュオとしては極めてスリリングで白熱した記録なのだが、サウンド・テクスチュアを探求してきた AMM の音楽性とはまるで別物なのだ。その後1976年に関係解消の兆しが見え、カーデュー、ロウ、プレヴォー、ゲアの四人で非公開セッションをおこなうこともあったものの、翌77年にはこうしたいざこざに愛想を尽かしたゲアがこんどは脱退する。カーデューもまた自らの活動に専念し――1974年にはエッセイ本『シュトックハウゼンは帝国主義に奉仕する』を出版して自らの60年代の活動さえ批判していた――、結果的にプレヴォーとロウが残されることになった。その頃の模様は「AMMⅢ」とクレジットされた『It Had Been an Ordinary Enough Day in Pueblo, Colorado』(1979)で聴くことができる。〈ECM Records〉からリリースされたこのアルバムは異色作と言ってよく、フィードバックを駆使したリリカルなギター・フレーズを奏でたりボサノバ風のバッキングを奏でたりするロウを聴くことができる貴重な作品だ――ただしこの意味でやはり AMM 的とは言い難い内容ではあるものの。

『Generative Themes』(1983)

【ジョン・ティルバリーの参加――80年代】
コーネリアス・カーデューが轢き逃げに遭いわずか45歳にしてこの世を去ったのは1981年12月のことだった。この痛ましい事件が発生した直後に、ジョン・ティルバリーが AMM に参加することになった。ティルバリーはモートン・フェルドマンの作品を演奏する逸材として知られ、これまでにも60年代にときおりカーデューの代わりに AMM とともに演奏をおこなっていたピアニストである。当時は思いもよらなかったのかもしれないが、彼の加入によって20年以上も継続する AMM のラインナップが揃うことになる。トリオとなった最初の成果は『Generative Themes』(1983)として発表された。教育思想家パウロ・フレイレの「生成テーマ」をタイトルに冠したこの作品は、それまでの持続音主体の騒音的合奏からは大きな変化を遂げ、トリオというもっともミニマムな合奏形態によりながら節々に切断の契機を挟んでいく。こうした傾向は続く『Combine + Laminates』(1984)でも聴くことができるが、同作品のリイシュー盤にはカーデューの「Treatise」の演奏も収録されており、ティルバリーを迎えたトリオとなってからもカーデューの仕事を継承しようとしていたということがわかる。1986年から94年にかけてはさらに新たなメンバーとしてチェリストのロハン・デ・サラムが参加しており、その唯一の記録として『The Inexhaustible Document』(1987)が残されている。デ・サラムの演奏が聴こえるたびに室内楽的あるいはクラスター的に響くアンサンブルは、13年ぶりにゲアが参加した『The Nameless Uncarved Block』(1990)とは対照的な内容だ。後者の録音ではジャズ的なゲアのサックス・フレーズが奏でられると一気に全体がジャズ・セッションの趣を呈していくのである。非正統性を貫く AMM はカメレオンのようにサウンドの意味を変化させることができるのだ。また80年代後半には例外的な試みとしてトム・フィリップスのオペラ作品を複数のゲストを交えてリアライズした『IRMA – an opera by Tom Phillips』(1988)もリリースされている。作曲家のマイケル・ナイマンは74年の著作『実験音楽』のなかで「初期の頃には、AMMは、もっと意識的に、新しい音、普通でない音の実験を行なっていたようだ」(*16)と述べ、その一方で「年を追うに従って、楽器による新しい手法は、少なくなってゆき、音響は、川の自然な流れのように、それ自身のカーヴを描くように放っておかれるようになった――優しく、単調で、速い流れもあれば、驚きもあるような」(*17)と書いているものの、こうした特徴は70年代初頭よりむしろ80年代以降のトリオ編成での彼らに当て嵌まるだろう。もっと言えばその後も90年代からゼロ年代にかけてこうした傾向は深化していった。あるいはナイマンはそうした AMM の行く先を予言的に感じ取っていたのかもしれない。

『Before Driving to the Chapel We Took Coffee with Rick and Jennifer Reed』(1996)

【「音響的即興」との共振――90年代】
90年代以降のAMMはますます「物たちのみが、変化する時に変化する」と言うべき自在境に到達し、音響の襞をあるがままに揺蕩わせていく。この時期のトリオの豊穣な記録として、カナダでのライヴを収めた『Newfoundland』(1993)、ペンシルベニア州アレンタウンでの『Live in Allentown USA』(1994)、来日時の記録『From a Strange Place』(1995)、さらにテキサス州ヒューストンでの『Before Driving to the Chapel We Took Coffee with Rick and Jennifer Reed』(1996)と、彼らは世界中を巡りながら矢継ぎ早に年一回のペースで録音を残していった。さらに1996年にリリースされた『1969/1982/1994: LAMINAL』では、60年代のクインテット時代、80年代のティルバリー参加初期、そして90年代という三つの時代を比較しながら聴くことができる内容になっている。持続から切断へ、騒音から静寂へと変化してきた彼らが、90年代には物音の接触する微細な響きをアンサンブルの基層に置いていることがわかる。それは録音環境が向上し微細な響きを記録できるようになったというテクノロジカルな条件もあったには違いないが、少なくともそのような条件を含めて変化した彼ら自身の新たな音楽性を打ち出すためにこの音盤をリリースしたのだと言うことはできるだろう。薄層が重なり合う微弱音への接近は『Tunes without Measure or End』(2000)で物音の動きそのものが中心にくるほどにまでクローズアップされ、『Fine』(2001)ではダンサーとの共演において踊る身体の痕跡と分け隔てなく立ち上がる響きを聴かせるまでになる。この頃のAMMの演奏がどのようなものだったのかについては、一つの証言として「現在の彼らは、音楽的なクライマックスに向かうほど音数は減っていく。(註:ライヴ演奏の)半ばを過ぎたあたりから、幾度も終曲と間違えそうな沈黙が訪れ、やがて退屈すら通り過ぎて、会場の衣擦れの音まで鮮やかに聞こえ始めた。初期とは隔世の感がある」(*18)という2000年のライヴ・レポートを読むことができる。また他の作品としてはエイフェックス・ツインらが参加したアンビエント・ミュージックのコンピレーションに「Vandoevre」(1994)と題したトラックを、メルツバウとのスプリット盤には「For Ute」(1998)と題したトラックを寄せている。カーデュー没後20年の節目には「Treatise」をリアライズした『AMM & Formanex』(2002)を出し、同楽曲を取り上げたアルバムを制作していたグループの Formanex と共演。またおよそ30年振りの MEV との共作アルバムとして『Apogee』(2004)がリリースされている。幾分物語的な演奏を聴かせる MEV と比べたとき、物語の彼岸で物音の変化に焦点を当てるAMMの特徴は一層際立って聴こえてくる。

『Norwich』(2005)

【第二次分裂時代――ゼロ年代以降】
MEV と共演する前年にロウはティルバリーとのデュオ・アルバム『Duos For Doris』(2003)を録音している。これに限らずロウは90年代終盤からゼロ年代初頭にかけて、AMM での活動とは別にソロをはじめ集団セッションまで短期間に数多くのアルバムをリリースしていた。そのなかの一枚であり2000年にリリースされたソロ作品『Harsh』が、その2年後に刊行されたプレヴォーの著書『Minute Particulars』のなかで批判的に言及されてしまう。これを一つの契機としてプレヴォーとの関係は再び悪化し、ロウは二度目の AMM 脱退を経験することになる。『エクスペリメンタル・ミュージック』の著者フィリップ・ロベールによれば、プレヴォーが「ソロ・アルバム『Harsh』の極限的な騒音経験は人々の苦痛への感情移入を生み出すだけだったとしてロウを非難した」(*19)そうだ。そのため AMM はプレヴォーとティルバリーのデュオとして活動することを余儀なくされる。実はロウが脱退する直前にすでにこのデュオによるアルバム『Discrete Moments』(2004)はリリースされていたのだが、AMM 名義で最初に発表されたデュオ作品は全曲無題の『Norwich』(2005)だった。それまでの AMM の弱音を基層に置く志向をさらに推し進めた内容になっているものの、ときに耽美的に奏でられるティルバリーのピアノ演奏が前面に出てしまうデュオ編成は、それぞれのサウンドが屹立しながらも淡く混じり合っていたトリオ時代とは異なるものであり、あえて言えばやはり AMM 的とは言い難い。即興というよりも楽曲のように構成的に響くこうした傾向はその後リリースされた複数のアルバム『Uncovered Correspondence: A Postcard from Jaslo』(2011)『Two London Concerts』(2012)『Place sub. v』(2012)『Spanish Fighters』(2012)においてより洗練されていくことになる。またジョン・ブッチャーを招いた『Trinity』(2009)、そしてブッチャーの他にクリスチャン・ウォルフとウテ・カンギエッサーが参加した『Sounding Music』(2010)もリリースされており、とりわけ後者のアルバムはデュオよりも AMM らしい音響の襞の重なりを揺蕩わせている。ちなみに同年にはティルバリーとロウによる『E.E. Tension and circumstance』(2010)も録音されていて、この二人の関係は続いていたことを明かしている。また2014年には英国即興音楽シーンの現代の揺籃の地「カフェ・オト」において、エヴァン・パーカーの古希を祝したイベントがおこなわれ、その際に AMM とパーカーが共演した演奏が『Title Goes Here』として翌2015年に音盤化された。同じく15年にはベイルートのアコースティック即興グループ A trio とコラボレーションした『AAMM』も録音されている。

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AMM を特徴づける要素

 これまで「コーネリアス・カーデュー在籍時代」「第一次分裂時代」「ジョン・ティルバリーの参加」「『音響的即興』との共振」「第二次分裂時代」と、おおよそ年代ごとに五つに区切ることで AMM の足跡を辿り直してきた。それぞれの時代には異なる特徴があるものの、ほぼすべてに一貫している「決まりごと」もある。それは他でもない、AMM のパフォーマンスは決して計画されることがなく、リハーサルもしなければライヴの後にその日の演奏について議論することもなかったということだ。つまりその時その場にしか起こり得ない完全即興を貫いてきたわけだが、同時代の多くの自由即興演奏と比したとき、AMM のアプローチは非常に独創的でもあり、それはしばしば次のような言葉によって語られてきた。

 AMMがきわめてユニークなのは、彼らが目指しているのが、音を、そしてそれに付随する反応を探求することであり、音を考え出し、用意し、つくり出すことではないからだ。つまり、音を媒介として探求を行なうことであり、実験の中心にいるのはミュージシャン自身なのだ。(*20

 明晰かつ当を得た指摘である。だが実はこの文章はコーネリアス・カーデューによる1971年の論考「即興演奏の倫理に向かって」(*21)の一節が元になっており、自らがメンバーとして活動していたカーデューだからこそ言い得た表現だったのだろう。いずれにしても AMM は音をあらかじめ用意するのではなく、むしろその時その場に発生した音を通して探求をおこない、ミュージシャンはそうした出来事の只中にその身を置いていた。それはまずは楽器を非器楽的に使用することからはじめられた。非規則的であったとしてもリズムを形成するフリー・ジャズ的なドラムスとは明らかに異なるプレヴォーの演奏や、ギターを卓上に寝かせた「テーブルトップ・ギター」によってボウイング奏法やさまざまな音具を駆使してギターを音響生成装置として扱うロウの演奏。こうしたことは SME やデレク・ベイリーがあくまでも器楽的演奏によって即興的自由を模索していたこととは好対照をなすだろう(*22)。音楽批評家の福島恵一が慧眼にも指摘したように、「AMMは、フリー・ジャズ演奏における主要な構成原理である対話(コール&レスポンス)に頼ることなく、サウンドの次元での複合的/重層的な重ね合わせのみを構成原理としている」(*23)のである。それは必然的に「非正統的な音響の探求に没頭」(*24)することになり、「圧縮されたミクロなポリフォニーを聴き取ろうと耳を澄まし、対話もなく、リズムの構造もなく、演奏の全てをサウンドの次元へと送り返し、空間へと捧げた」(*25)音楽になる。つまり音は何かを伝達するための道具ではなく、むしろ音それ自体が AMM の音楽を構成しているのであり、演奏家は発することより聴くことを、そして時間を構成することよりも音の行き交う空間を意識することが要求される。こうした「聴くこと」と「空間性」から生まれるサウンドの層状の自由即興が旧来の音楽の三要素とは別の原理に従っていることについては、ロベールも「ミュージシャン間の全面的な相互作用と『拡張的実践』にもとづいた複数の層の重なりによって、複雑な音の絡まりはアクシデントさえも組み込み、その音楽は電子音響に近い抽象性を帯びながら、メロディや、ハーモニーや、リズムの概念は忘れ去られてしまう」(*26)と書きあらわしている。

 またこのようにジャンルはもちろんのこと音においても正統性を索めることのない活動は、とりわけコーネリアス・カーデューにとって「いかにして対等な関係性を取り結ぶか」というテーマ、すなわち音楽における社会的/政治的な課題へと流れ着いていった。AMM 加入時期に並行して「Treatise」を完成させたカーデューが、脱退後は非音楽家による演奏集団スクラッチ・オーケストラを創設し、音楽の民主的な参加の可能性を探ることを中心的なテーマに据えるようになったことにも、AMM での経験が大きな影響をもたらしていたことは疑いないだろう。音楽批評家/大正琴奏者の竹田賢一が述べるように AMM はカーデューに対して「音楽と社会の関係に眼を開かせることにな」(*27)ったのである。いわば「社会的作業としての音楽の制作」(*28)であり、単なる楽しみや美しさに還元し難いアンサンブルのプロセスには「一人一人の、そしてメンバー全体を規定する文化の歴史的段階が透視され、各々の精神界も含めた生活が反応される」(*29)ことになる。カーデュー自身も「私が以前には見付けられずに、AMMの中に発見したものの一番よい見本は、ちょうど、私がそこへ行き、演奏することができる、それも、まさしく欲しているものが演奏できる、ということ」(*30)だと述べていたが、それは AMM が参加メンバーに等しく自由をもたらすような音楽の開かれたありようを体現していたことを物語っている。

 他方ではカーデューの参加はジャズを出自に持つ他のメンバーにとっても大いなる刺激をもたらした。振り返ってみるならば、カーデューだけでなく、クリスチャン・ウォルフ、クリストファー・ホッブス、ロハン・デ・サラム、そしてジョン・ティルバリー等々、AMM には現代音楽を出自に持つミュージシャンが作曲家ではなく演奏家としてつねに参加していた。それはグループが複数の視点を保つための方策だったとも言えるが、キース・ロウ自身が「AMMにおいて重要なことの一つは現代音楽の演奏家を引き入れたことだった」(*31)と述べているこうした重要性は、具体的な音としても、現代音楽の演奏家が不在だった「第一次分裂時代」の時期に収録された音源が、AMM らしからぬ音楽を奏でていたことからも逆照射できるだろう。

 こうしたなか、現代音楽との差異として注目に値するのが AMM に特徴的な要素の一つであるラジオの音声の使用である。正体不明の音響の層が重なり合う AMM の音楽のなかでふと訪れる、ニュースのナレーションやポップスからクラシック音楽までの具体的で意味が認識できる響き。それは不確定性をもたらす要素というよりもグループの外部にある音の具象性をもたらす手段だった。「実験音楽における初期のラジオの使用が、音楽のコンテンツの並置(……)によって新奇だったのに対して、AMMの音楽におけるラジオは、どうしようもなくわけのわからないグループが演奏する音のレパートリーに対して、認識可能な音響を提示するという意味がある」(*32)とグラブスが述べるように、AMM の音楽においてはラジオの使用それ自体に意味があるというよりも、むしろラジオのサウンドそのものが明確な役割を果たしていた。それは非正統的な音響の重なり合いにおいて、その非正統性を照らし出すことに貢献する。グラブスはラジオが参照する世界を「日常」と捉えているが、そこでポップスやクラシック音楽が流されるとき、それらは「ノイズ」を排除してきた「楽音」であり「音」を体系化してきた「音楽」であり、そうした正統性が AMM の世界ではむしろ「ノイズ」でありアンサンブルの彼岸にある「音」であるといったふうに逆転しているところに、その役割の過激さがあると言うことができるだろう。

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「音響的即興」再考

 メロディーやハーモニーやリズムに根拠を置くことのない、薄層状のサウンドを重ね合わせることによって現出する音の交歓。そこから導き出されてくる音の空間性に対する意識と「聴くこと」の称揚。以上で見てきたような AMM の特徴は、2000年前後に盛んになった即興音楽の一つの潮流と多くの点で共通するように思われる。潮流とはすなわち彼ら自身が同時代を過ごしてきたいわゆる「音響的即興」である。言うまでもなくいくつかの特徴が共通するからといって AMM を「音響的即興」と同じものだとしてしまうわけにはいかない。かつて杉本拓が批判したように「音響的即興」をめぐる言説は特徴を共有するかに思えるまったく別の試みを捉え損ない、その可能性を停滞させる原因にもなってきた(*33)。だからここでは言説による囲い込みではなくあくまでも言説の辿り直しを通して、AMM と「音響的即興」がどのように共振し、あるいはどのように異なっていたのかを探りたい。

 「音響的即興」という言葉それ自体の起源は不確かであるものの(*34)、この言葉によってどのような動向が指し示されていたのかについては、ゼロ年代初頭に音楽評論家の野々村禎彦が『季刊エクスムジカ』で連載していた「『現代音楽』の後継者たち」という論考に見ることができる。「前衛の時代」における現代音楽の語法や精神が、1970年代半ば以降の広義のポピュラー音楽の領域にどのように受け継がれていったのかを、即興をいかに扱うかという問題を底流に据えつつ検証していくこの連載の中で、第七回まで漠然と「音響派」と呼ばれていた動向が、第八回に至って「音響的即興」と呼び直されることになる。野々村は長大な註というかたちをとった「『音響的即興』外観」のなかで、シカゴ、ボストン、ニューヨーク、ベルリン、東京、ウィーンそしてロンドンにおける「音響的即興」の主要なミュージシャンたち、および彼らが90年代後半からゼロ年代初頭にかけて発表した音盤に言及しつつ、それらをたとえば「凝縮と構築」への志向とは対照的な「浮遊し拡散する音楽」であり、「繊細な持続音主体の抽象的な世界」であり、「エレクトロニクスとの親和性が高い」ものであるとして特徴づけていた(*35)。これらを「音響派外観」ではなく「音響的即興外観」としたことには、「音響派」の即興音楽シーンにおける展開を捉えるという目的があったと言えるものの、それだけでなく、ジャーナリズムによって次第に広まりゆく「音響派」という言葉が、その実質を欠いて有象無象に当て嵌められていくという「メジャーによる言葉の収奪に対抗」(*36)する意味もあったのだろう。それまで「音響派」という言葉で言いあらわされてきた同時代的傾向の核心部分が、「音響的即興」と呼び直されることによってあらためて俎上に乗せられる。野々村による「外観」からは、しばしば言われるように「音響的即興」が日本発祥のムーヴメントというわけではなく、むしろこの時代を貫く同時代的かつ世界的――厳密には欧米が中心の世界であるものの――な潮流としてたしかに聴き取られていたということがわかる。

 「浮遊し拡散する音楽」あるいは「繊細な持続音主体の抽象的な世界」、これらの言葉によってあらわされていた動向が同時多発的であった必然性を批評家の佐々木敦は原理的に考察した(*37)。彼によれば「音響的即興」は次のように展開していく。まずはじめに「音響」という語の意味として、彼は「コンポジション/コンストラクションの次元では捨象されてしまう『音』のテクスチュアルな相を専ら問題にするということ」(*38)を出発点に置く。だがあらゆる音楽は音を介している限りテクスチュアルな相と切り離すことはできないため、どのような音楽であってもこの相を問題にすることはできてしまう。そのため「音響」は二段階のアプローチへと分かれていく。第一段階では「テクスチュアルな相」を特定の響きへのフェティッシュなこだわりとすることによって問題を限定する。だがこのようなフェティシズムは「音響」が演奏者と聴き手それぞれの趣味判断へと収束していくことになり、それは昔ながらの「音色」の議論から逸脱するものではない。そうではなく音楽における「音響」の可能性を問うとき、第二段階として「モノとしての『音』とコトとしての『聴取』という双つの主題をワンセットとして前景化したもの」(*39)へと向かっていくことになる。果たして「音」とは何であり、それを「聴くこと」とはどのような出来事なのか――こうした問いの即興音楽への導入は、「楽音=楽器からの離脱」と「『聴取』の問題化」という二つの要素をもたらしたと佐々木はまとめている(*40)。たとえばアコーディオンの筐体を擦る、あるいはアンプをオン・オフするだけといった演奏のように、楽音や楽器から逸脱した「ノイズ」を使用することによってあらかじめ決められていない音を探求すること。なかでも誰にでも可能と言っていいだろう方法によって生じた音は、これまでの即興演奏における演奏家の個性のような音の帰属先を持たず、むしろそれが何の音なのかというふうに「聴くこと」のほうが重要なものとして浮かび上がってくる。「ノイズ」の使用と「聴くこと」の称揚という、このどちらをも AMM が最初期からその音楽に取り入れていたことは驚異に値するが、ともあれ「ノイズ」にせよ「聴くこと」にせよ、そこには楽音=楽器あるいは演奏という広義の制度性に絡め取られることのないモノとしての「音」があるということ、すなわちどちらも「音楽」から切り離された「音」の存在が前提になっている。ならばなぜ、このように「音楽」から「音」を切り離そうとする欲望は生まれたのか。

 「やみくもに『音楽』から『音』を分離したいという、正体不明の欲望」(*41)こそが当時の音楽シーンを駆動させてきたと書いたのは音楽批評家の北里義之だった。北里は「音響的即興」を「ポストモダニズムに対するモダニズム復権の試みの多彩なヴァリエーション」(*42)とする作業仮説を打ち立て、『臨床医学の誕生』の中でミシェル・フーコーが描き出した近代医学の成立時期における医師たちの「まなざしの変容」とアナロジカルな構造を見出すことによって論証していった。そして「欲望」の源泉として彼が措定したのが「音響の臓器性」なるものだった。一見すると言葉の神秘化に向かいかねないこの奇妙な造語は、しかしながら極めて具体的な意味を持っているようにも思う。つまりそれは屍体を初めて切り開いたときに露わになる臓器が「いまだ名前をもたない構造を支える可視的なものだけで成り立つ空間」(*43)であるのと同じように、「音」を「いまだ名前をもたない構造と、可聴的なものだけで成り立つ空間」(*44)として解釈しようとする試みだった。人体を切開(decomposition)するように音楽を解体(decomposition)するとき、そこにはこれまでの体系では捉えられないような音楽以前の「音」が顔を出す。だが臓器が人間によって差異化される以前からそれ自身の構造を保持しているように、「『音楽』という生体から切り離され、すでに屍体化しているはずの『音』にも、なにがしかの構造が影のように寄り添っている」(*45)。それは「音」が単にそれ自体としてあるのではなく、つねに複数の「音楽」へと変化し得る力動性とともにあるということを意味している。あらゆる「音楽」が検討され尽くしたとされるなか、それでも「音楽」をモダニスティックに前進させるためには、あり得たかもしれない別の「音楽」を見出すことへと、つまりは「音楽」から切り離された「音」の潜在性をいちど検討してみることへと駆り立てられることになるだろう。すなわち「欲望」の源泉とは、つねにすでに「音楽」としての潜在性を秘めているような「音」のありように触れることからもたらされているということを、北里は「音響の臓器性」という言葉で言いあらわそうとしたのではないだろうか。だがならばなぜ、そのような「音響の臓器性」に触れることができたのか。

 北里の議論の背景には大谷能生による即興論があった(*46)。大谷は2000年前後の日本の即興音楽シーンにおいては録音メディアが「経験の基盤」となっていたと述べる(*47)。わたしたちが「音楽」と「音」を区別するのとは異なって、録音メディアは物理的な振動を「圧倒的に非人間的」(*48)な仕方で記録する。もちろん録音メディア自体の起源は19世紀にまで遡ることができる。だが「音響的即興」盛んなりし頃、「音」は「デジタル・メディアによって、完全な非直進性・非破壊性・非空間性」(*49)を得ることになり、それは極めて人間的な儀式性を温存していたレコードやその衣を纏ったCDとは異なって、徹底して生とは切り離されたもの、すなわち完全なる「死の空間」(*50)を獲得していった。こうした「死の空間」が特別なものではなく、誰もが触れることができてしまうという状況であればこそ、それは「経験の基盤」たり得ていたのだろう。そして大谷はそのようにしてサウンドを記録することは「フォームを持たない音、意味づけの済んでいない音を聴くこと=音楽化することができる世界」(*51)でもあると述べていた。このことはわたしたちに次のような考察をもたらしてくれる。つまり「すでに屍体化しているはずの『音』」とは極めて具体的に録音メディアがもたらす「死の空間」なのであり、そしてそこからもう一度「音楽」を立ち上げようとする試みを触発することが「音響の臓器性」なのだと言えるだろう――そして即興とは「音楽」を解体するのではなくむしろ再編成するために、繰り返しのきかない剥き出しの「生の空間」で「あらためて『音楽』と呼べる体験を作り上げてゆく」(*52)実践だった。デジタル・データ化した録音メディアが「経験の基盤」となることがこうした「音響の臓器性」へとわたしたちを導き、そして「音楽」から切り離された「音」を欲望することへと駆り立てていく。図らずも北里はフーコーを経由して大谷が書き記した「経験の基盤」を「欲望の源泉」として見出していたのだ(*53)。

 以上のことをまとめると次のようになる。「音響的即興」なるムーヴメントは90年代後半からゼロ年代初頭にかけて同時多発的/世界的に出来し、その「浮遊し拡散する音楽」あるいは「繊細な持続音主体の抽象的な世界」には、「音楽」から「音」を切り離すことによる「ノイズ」の探求と「聴くこと」の称揚があった。さらにこのような乖離現象を欲望する源泉として「音響の臓器性」があり、それは「音」が「音楽」になる動的な潜在性を意味するとともに、完全なる「死の空間」としてのデジタル・データ化された録音メディアが「経験の基盤」となることがその入口を用意していた。ここで思い起こさなければならないのは、このように録音メディアが音楽の意識的あるいは無意識的な基盤となっている「音響的即興」に対して、AMM はあくまでも録音を忌まわしきものとして捉えてきたということである。だが AMM にとって録音の経験は表面上は拒絶していたものの、感覚的には受け入れていたのだと言うことはできないだろうか。たとえば大谷は「個人的な好みを排した、匿名的な音の世界」を、すなわち「音楽」と録音メディアがもたらす「音」とのあいだにある領域を説明するために、高橋悠治のワークショップに言及した大友良英の文章を引用していたが、その元になった文章の別の箇所で大友が、その領域を「今自分を取り巻いている音が、まるでAMMの演奏のよう」(*54)だと形容していたことは、このことを聴覚的に裏付ける証言であるように思う。

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意図されざる遺産

 AMM が録音を否定的に捉えてきたことは次の事実からもわかる。たとえば「AMM活動報告書」が付された冊子には「この音楽は明らかに機械的な再生には適していない。(……)再生という目的では『その役に立たなさ』を披瀝している」(*55)と書かれていた。さらに1989年に『AMMMusic』がCD化されたときには「われわれ(AMM)はLPレコードのフォーマットがAMMの音楽の本質を伝えるのに適しているとは決して思っていません。このCDも十全ではなく、複製と反復聴取は即興の豊かな意味を変容させ、歪める可能性さえあります」(*56)という文言が付されていた。カーデューもかつて「即興演奏のテープ録音のような記録は本質的に空虚である」(*57)と述べていたことがある。だが同時に彼らは数多くの録音を残してきたこともまた事実である。それは AMM が録音作品を単に忌み嫌っていただけだと言い切ってしまえないことを意味しているのではないだろうか。

 2015年11月、英国で10日間にわたって開催されたハダースフィールド・コンテンポラリー・ミュージック・フェスティバルの最終プログラムに、結成から50周年を迎えた AMM が出演した。そこには11年前に脱退したキース・ロウの姿があった。どのような経緯があったのかはわからない。だが AMM はトリオ編成として再始動し、翌月にはロンドンの「カフェ・オト」でライヴを敢行。翌2016年もパリ、トロンハイム、ブダペストでコンサートを開き、グループの歴史に新たなページを刻んでいった。このたびリリースされた『An Unintended Legacy』には、そのうちのロンドン、パリ、トロンハイムでのライヴの模様が収められている。ジャケットにあしらわれているロウによる絵画――彼は AMM の多くの作品のジャケットを手がけている――は、実はもともとファースト・アルバムで使用される予定だったものだそうだ。本盤は半世紀を経た AMM というグループがあらためて出発点を設定し直すことによって、逆説的にこれまでの活動を総括した紛うかたなき歴史的作品だと言っていいだろう。なお本盤は収録後にこの世を去った AMM 創設時のメンバーであるルー・ゲアの死に捧げられている。

 どのコンサートにおいても構造的な始点も終点もなく、また合奏にはカタルシスをもたらすような起伏もなく、聴き手による様々な音楽的期待を多方向に裏切っていくなかで、延々と続く川の流れにも比すべき融通無碍な音が発生しては消えていく。トリオ最後期の作品『Fine』に近いところがあるものの、より一層音楽的な展開からは遠くなっている。プレヴォーはティルバリーとのデュオ時代に次第に傾倒していったような、シンバルを弓奏したり横置きのバスドラムに物を擦り付けたりすることによって繊細な響きを生み出す奏法を中心におこない、またフィードバック音や電子ノイズを駆使するロウは、以前に比してさらに抑制された響きを生み出していく。ラジオの使用も微弱音かノイズが多く、印象に残るのはロンドン公演で用いた際に合奏にかき消されながらも流れたビーチ・ボーイズの楽曲だろうか。そうしたなかでときにロマンティシズム溢れるフレーズを反復するティルバリーの演奏はアンサンブルを構造化するかに聴こえるものの、デュオ時代にみられたような牽引力があるわけではなく、プレヴォーの擦過音やロウの持続音の響きが入り混じることによって構造がいわば宙吊りにされていく。こうしたたしかにそれとわかる三人の個性が聴こえてくる一方で、擬音語によってしかあらわし得ないような即物的かつ匿名的なサウンドも多々現れる。三人になるとやはり誰がどの音を発しているのかわからなくなる場面が多くなり、音の帰属先を探す耳の思考が活発化される。だがそもそもロウにとって AMM には「三つの要素」がなければならなかったという。

 私たちはいつもAMMには三つの要素がなければならないと思っていた。もし二つの要素しかないのであれば、それはAMMではない。AMMには二人だけで活動していた時期もあるものの、私はそれをAMMとして考えてはいない。(*58

 即興演奏においてソロやデュオと異なるトリオ(あるいはそれ以上)という編成。その特異性をコミュニケーションに喩えて考えてみるならば、自分自身と対話するソロ、あるいは決められた一人の相手と対話するデュオとは異なって、トリオではまずは対話相手を探すところからはじめなければならない。とりわけ非正統的な音響を扱う場合、音の帰属先が判別し得るソロやデュオに対して、トリオではときに自分以外の音が誰によって発されたのかわからなくなることがある。それは単に人数が多いというだけでなく、即興演奏における合奏の在り方がソロやデュオとは根本的に異なるような極めて複雑な過程を経ることを意味するだろう。コール&レスポンスに代表される音楽の「対話」とは縁遠い AMM にあって、こうした複雑性こそが特徴だとするならば、分裂時代の彼らがなぜ AMM らしからぬ音楽を奏でていたのかもわかる。そしてほとんどの場合 AMM における「三つの要素」というものは、キース・ロウとエディ・プレヴォーというジャズを出自に持つ両極に、第三項としての現代音楽の作曲家が加わることによって成立していたのだった。

 こうした複雑性を考えるとき、音盤となることは決して否定的な結果だけをもたらすとは限らないはずだ。音盤においては実際に演奏した彼ら自身でさえ、「誰がどの音を発したり、止めたりしているのかと思い、考えてみるとそれは自分自身であったことに気付くことも珍しいことではなかった」(*59)と述べていたように、音はより匿名性を帯びたものへとなっていく。だがそもそも AMM は音の意味が不分明であること、だからこそ「聴くこと」が活性化されることにその魅力の一端があった。たとえばデイヴィッド・トゥープによる「私は1966年以降、AMMのライヴによく足を運んでいたが、いつも暗がりの中での演奏だったため、ロウが何をやっているか見ることはできなかった」(*60)という証言にあるように、彼らはライヴにおいても結果的には視覚的要素を遠ざけるような試みをしていたのであるが、それはその魅力をより一層引き立てることに資しただろう。だとすれば音に手がかりを与える視覚的な要素がないという録音作品の在り方を、AMM の特徴をよりよくあらわすための手段として考えることができるのではないか。「聴くことを聴くこと」と題されたライナーノーツの中で、AMM の録音作品を聴くことについてアレン・フィッシャーとペイジ・ミッチェルは、新奇な音や不明瞭な音に接する視覚的な手がかりがわたしたちにない場合、むしろ聴覚のプロセスの重要性が高まるがゆえに、「AMMのコンサートを聴くことのいくつかの側面は録音作品によって強化されると論じることは可能だ」として次のように述べている。

録音作品を聴くことは、私たちを、音が意味を獲得し始めるような聴覚的なシステムの一部分へと、より一層駆り立ててくれる。それはまた、音に対して一段と集中し、そして聴くことのコンディションを変えるという特権を、私たちに与えてくれる。大まかなアウトラインを除いて、その体験は繰り返すことの難しいものであるだろう。なぜならAMMの本質と聴くことの本質は、私たちがいつも同じシグナルを拾い上げることなどありそうにもないということを意味しているからだ。(*61

 AMM の演奏とわたしたちが聴くことは同じ本質を、すなわちつねに移り変わりゆくことを意味している。ここで演奏だけでなく「聴くこと」もまた繰り返し得ないとされていることは重要だ。たとえ同じ一音が延々と続く演奏だったとしても、「聴くこと」は時間の経過とともに異なる要素を拾い上げていく。あるいは反復再生が可能な録音物であったとしても、わたしたちは「聴くこと」の反復のなかから差異を掴み取る。二度目の聴取は一度目の聴取とは異なる要素を拾い上げるからだ。それはまさしく複数の「音楽」への潜在性を秘めた「音」が「聴くこと」によって再編されているということ、すなわち「音響の臓器性」に触れる経験でもあるだろう。AMM は録音作品が「生の空間」にある音楽的経験を骨抜きにしてしまう「役に立たないもの」として捉えていた。しかし同時に「空間性」と「聴くこと」の称揚、あるいは「ノイズ」を探求することによって、「いまだ名前をもたない構造と、可聴的なものだけで成り立つ空間」すなわち「死の空間」を「生の空間」に積極的に持ち込む術を模索してもいた。ならば彼らの録音作品には「死の空間」が二重に織り込まれていることになる――一つは非正統的な音響の探求によって、もう一つは録音によって(*62)。わたしたちが AMM の録音作品を聴くということは、単に「生の空間」における音楽の仮初めの姿を追体験する空虚な営みなのではなく、むしろ彼らが触れていた「死の空間」の体験をその作用方式において反復するための方法なのだ。それだけにとどまらず、わたしたちが「聴くこと」の対象となるのが他でもない AMM の演奏であることは、つまり二重化された「死の空間」に接するということは、ライヴによっては決して現出しなかっただろう「音」の二重化された潜在性をわたしたちに経験させてくれることにもなるのである。

 これまでの言明からは意外にも、実はキース・ロウは AMM の過去の作品を聴き返すと語っていたことがある。彼は「これまでにリリースしてきたアルバムのうちのいくつかには容易には受け入れ難いところがあると思う。けれどもそれが録音作品の偉大さだとも思う」(*63)と言い、AMM に限らずその時代の最も重要な録音作品の一つとして『The Crypt』を挙げていた。彼が言う「受け入れ難さ」をこれまで述べてきた「音響の臓器性」と言い換えてもいいだろう。あるいは録音作品が生演奏の不完全な再現だとするならば、まさしくその不完全性によって生演奏には成し得ない音楽的な価値を持つ。そしてそうした余白があればこそ、プレヴォーはレーベル運営を通して精力的に音源を、単なる記録ではなくタイトルを付した作品としてリリースしてきたのではないだろうか。彼らは録音を拒絶する素振りを見せながらも録音によって可能になる音楽体験があるということをも否定していたわけではないのだ。カーデューによる「録音が作り出すものは(実際の演奏とは)別の現象であり、実際の演奏よりも遥かに見知らぬ何かである」(*64)という言葉を肯定的に捉え返そう。空虚なのは録音自体ではなくそれが「生の空間」と見做されたときに生じる齟齬に起因する。その意味でふたたびわたしたちはカーデューの言葉――「音を媒介として探求を行なうこと、そしてミュージシャン自身が実験の中心にいるということ」――へと、こんどは録音作品を肯定するために還ってくることができる。彼らは完全即興を本懐とし、音を媒介とした探求という実験の只中に居続けることによって、結果的に数多の録音を残してきた。スタジオ・レコーディングを含めて録音作品を意図的に残すために演奏をおこなってきたわけではないのである。だがこのことによってまさしく AMM のレコーディングの数々は、「生の空間」のなかで「死の空間」を呼び込もうとする彼らの姿が、つまりは「聴くこと」によって毎回異なる音楽へと編成される二重化された「音」が織り込まれた、かけがえのない遺産として残り続けることになるだろう。

 ノルウェイのトロンドヘイム(Trondheim)で、毎年8月の3週目の週末に行われる、音楽フェスティバル、Pstereo Festivalに行った。2007年にはじまり、11年目の今年は8/16~8/18で、約35,000人が参加した。トロンドヘイムはオスロから北へ、車で約6時間、飛行機だと55分。大学生街なので音楽が盛んな、ノルウェイで3番目に大きい都市である。

 今年のメインは、クラフトワーク、モグワイ、オーロラ、ビッグ・チーフ、メンタル・オーバードライヴ、マウント・キンビー、シグリッド、ミレンコリン、セパルチュラなど、北欧、イギリス、アメリカのバンドが多いが、ブラジル、アルゼチンのバンドも出演した。ちなみに過去には、シガーロス、ロイクロップ、ダムダム・ボーイズ、セント・ヴィンセント、サーストン・ムーア、ウォーペイント、ザ・XX、フランツ・フェルディナンドなどが出演している。

 このフェスの名前は、ダムダム・ボーイズのアルバム『Pstereo』から来ていて、エレクトロニカ、ロック、ポップなどのジャンルに焦点を当てている。地元の食材や会社を使い、リサイクルに力を入れ(ゴミの仕分けは軽く5パターン)環境に優しく、青の似顔絵Tシャツを着たボランティアが700人ほどいてフェスを清潔にスムースに保っていた。手書き風のアーティストの似顔絵が特徴のポスター、Tシャツも魅力である。

 会場は、ニデルヴァ(Nidelva)川の隣にある、マリナ(Marinen)というピクニックに最適な野外スペースで行われた。「ノルウェイの教会」と言われる、1,000年以上の歴史がある、ニダロス(Nidaros)教会が隣にあり、歴史的建築物も拝むことができる。赤い礼服を着たガイドに教会を案内して頂いたが、歴史や宗教的なエピソード(北には悪がいて、東に向かって眠り、十字架マークの下に死者が葬られているなど)他、建築、アート、タギング、まで細部を説明してくれるので、自力でいくより良い。さらに、地元のコーヒーショップ、レストラン/ブリュワリー(habitat, monkey brew)、ジーンズショップ(Livid jeans)など、トロンドヘイムの見るべき名所を、Pstereo festivalがセットアップしてくれ、地元のビジネスも近くで見ることができた。何処も自分のお店、仕事に誇りを持っていて、ジーンズショップのLivid jeansなどは、地下にヴィンテージと靴も扱い、私の雨で傷んだ靴を見て、サッと綺麗に磨いてくれた。

 このフェスの3日間はずっと雨だったが、人は、そんなことはお構いなしに、カラフルなレインコート(殆どがデンマークのRAINS)を着て、盛り上がっていた。フェスは3日間だが、その4日前から準備が行われ、芝生は黒の布で覆われ、雨でもぐちゃぐちゃににならないように対応され、カラフルなイスが設置され、バーガーやインディアン、ファラフェルなどのフードトラック、ラジオ局、ゲーム会社、銀行などがお店を出していた。

 今年のステージは4つで、ひとつがはじまれば、もうひとつはセットアップ中で、殆どのバンドを見る事ができた。3つが野外ステージ、ひとつがインドア・ステージ。私が好きだったのは、マウント・キンビー(UK)、データロック(NO)、カンパニー・インク(NO)、モグワイ(UK)、サッシー009(NO) 辺りで、地元のバンドの勢いが良かった。ロックバンドも、エレクトロよりで、データロックのインドアのショーでは、床が抜けそうなくらい軋んでい。夜にはクラブに移動してのイベントもあり、朝までパーティが続いた。この次の週から学校が始まるので、それに合わせているのだろう。

 日本のフジ・ロックからバルセロナのプリマヴェラ、レイキャビックのエア・ウエイブ、オスロのオイヤなど、世界中の音楽フェスに行っているが、Pstereoは、先出のフェスより規模は小さく、人がフレンドリーで、主催者とも気軽に話すことができる。3日間すべて雨(!)という状況でありながら、ここまで人を惹きつけるのが凄い(普段は天気が良い時期だが今年は例外とのこと)。音は、川を伝って遠くまで聞こえるので、川岸でピクニックシートをひいて楽しんでいる学生たちもいたし、町をあげての町興しになっているのだろう、マーチングバンドも練り歩いていた。Pstereoはほどよい人混みで、エアウエイブのように会場を毎回移動しなくていいし、ガバナーズボールやパノラマのように、バンドがオーバーラップすることもない。自然に囲まれ、自分のペースで行動でき、地元の人とも仲良くなり、ハウス・パーティまで参加してきた。

 このフェスがなかったらなかなか行く機会はない町だが、親切な人たちが我よと説明してくれるし、英語もだいたい通じる。来年も行こうと考えている。興味のある人は是非この親密なフェスを体験して欲しい。

 フェスティバルの3日パスは1949kr ($230)、学生は1599kr ($188)、1日パスは899kr ($106)。

Frances Wave @veita stage
Lonely Kamel @veita stage
Sepulture (BR) @elvescenen
Morbo y Mambo (AR) @veita stage
Datarock @forte
Thulsa Doom @veita stage
Skatebard (club Pstereo) @lokal bar

Sat 8/18
Millencolin (SE) @canon stage
Company Ink @veita stage
Sassy 009 @forte
Mogwai (UK) @elvescenen
Mount Kimbie (UK) @canon stage
Aurora @elvescenen
Villrosa (club Pstereo) @fru lundgreen

https://www.pstereo.no/


観客、後ろに見えるのがニデルヴァ川


雨が降る直前のショットです。この後大雨になりました。


カラフルな椅子

interview with X-Altera (Tadd Mullinix) - ele-king


X-Altera
X-Altera

Ghostly International / ホステス

Drum 'n' BassTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 ダブリー(Dabrye)名義の諸作で知られるタッド・マリニックスによるエクスペリメンタル・ビーツ・プロジェクト、エックス・アルテラ(X-Altera)が同名義のアルバムを発表した。1994~95年頃のジャングル/ドラム&ベースを思わせる、というかモロに「あの時代」なディテールがあちこちに仕掛けられており、思わずニヤリとしてしまう。
 アルバム『エックス・アルテラ』で聴ける「あの時代」のディテールとは? まずはドラム。ピッチを上げたブレイクビートのビットレートを粗くしてさらにフェイザーで潰したドラムは、ファットなヒップホップのドラム・キットにはないメタル・パーカッションのようなクランチな響きと、頭上から音の粒が降ってくるような不思議な聴感をもつ。このドラムをサイン波を用いた低周波のベースと組み合わせることで、中音域にスペースを取った広がりのある音響空間を設計し、浮遊感のあるサウンド・エフェクトを演出することができる。
 こうして書いてみると、やっぱりものすごい発明だったんだなあ、あれは。当時のジャングル/ドラム&ベースのシーンでは、イノベーションがものすごい速度と物量でおこなわれていた。その後ドラム&ベースはより機能的に、ダンス・オリエンテッドに進化していき、機材もサンプラー+シーケンサーからDTMへと変化していった。そんなわけで、あの時代のドラム&ベース・サウンドは、いまでは再現困難な技術革新期のロスト・テクノロジーのような存在となっている。
 『エックス・アルテラ』には、ほかにも当時の定番というかお約束の、トランスポーズしたシンセ・ストリングスのブロックコードや、タイムストレッチしたラガMCのかけ声、エコーのかかった女性のヴォイス・サンプルなんかもあちこちに散りばめられており、あまりの懐かしさに思わず笑ってしまう、そして、エレクトロニック・ミュージックが無邪気でオプティミスティックだった時代の空気が真空パックされているような感覚に、ちょっぴり切なくなってしまうアルバムだ。
 いわばシークレット・テクノロジーとなってしまったこういった音作りを、なぜいま再現しようとしたのか? というわけで、コンセプトや制作に至る背景、制作環境などを本人にたずねてみた。

強すぎるコンプレッションやサチュレイション、超広域での極端なスタジオ・エフェクトに、俺の耳はうんざりしてきてしまった。90年代半ばのポスト・プロダクションが、いまの自分にしっくりくるんだ。

X-Altera のアルバムは、1994年~95年頃のドラム&ベースを思わせる音作りで、とても懐かしく、新鮮に感じました。あなたがどのような思いでこのアルバムを制作したのか、とても興味があります。まず、当時アメリカであなたはどのようにドラム&ベースに出会い、触れていましたか? レコード・ショップやクラブ、ラジオなど、当時のあなたの音楽と出会う環境について教えてください。

タッド・マリニックス(Tadd Mullinix、以下TM):90年代半ば、エレクトロニック・ミュージックにハマり出した時期にドラム&ベースと出会ったんだ。高校の友だちとスケートボードをはじめて、デトロイトのレイヴ・パーティなんかにも行くようになって。俺よりもいくつか年上の Mike Servito が Submerge に連れていってくれて、そこでDJをさせてもらったりね。友だちとレコード・ショップに通って、レイヴで聴いた曲のレコードを集めるようになった。いつも誰かと一緒に音楽を作っていたな。スピード・メタルからパンク、パンクからインディ・ロック、ロックからシューゲイズ、シューゲイズからIDMって感じで、いろんなジャンルをとおったよ。
 当時は欲しかった機材の値段が高くて、10代だった俺に買えたのはせいぜい Boss のドラムマシーンか中古のグルーヴボックスくらいだったんだけど、それだけじゃジャングルみたいなスタイルの音楽はどう頑張っても作れないから、それがすごく不満で。だけどそんなときに、ロジャーっていう友だちのパソコンオタクが、自分のコンピューターで動かせるトラッカーソフトの使い方を教えてくれてね。それからそのソフトウェアで実験的に、テクノやヒップホップ、ハウス、アシッドにジャングルと、いろんなタイプの音楽を作りはじめた。いま思えば、あれが大きな転機だったな。
 デトロイトのテクノのレイヴにはゲットーテックかディープ・ハウス、もしくはジャングルだけを流すセカンド・ルームがわりとあったりしたんだ。そこで地元のレジェンド的存在だった Rotator がワイルドでヤバいジャングルをプレイしてるのを見て、そのときかけた曲を必死でレコード・ショップで探したよ。そういったパーティの現場とか、友だちとテープを交換したり、レコード・ショップを漁っているうちに、様々な発見があった。当時レコード・ショップってのは本当にどこにでもあって、ジャングルとドラム&ベースも必ず置いてあったしね。Goldie の『Timeless』と AFX の『Hangable Auto Bulb』が新作の棚に並んでいたのを思い出すよ。
 そのうちに Todd Osborn がやってた Dubplate Pressure って店を知って、気づけば常連になっていて、Toddと一緒に音楽を作るようになった。店にはグラフィティの雑誌とか、ターンテーブリズムのテープにブレイクダンスのビデオ、ジャングルとヒップホップのレコードがとくに充実していて、ユニークで最高だったよ。その後、彼のところで仕事をするためにアナーバーに引っ越して、一緒に〈Rewind〉っていうレーベルを立ち上げてから、Soundmurderer & SK-1 って名義でジャングルの曲をリリースできるようになった。そのうちに Todd が俺に Sam Valenti (註:〈Ghostly International〉の創立者)を紹介してくれて、それが〈Ghostly〉でのキャリアに繋がった経緯でもあるんだけど、それ以前は Todd とふたり、デトロイトでジャングルのレジデントDJとしても活動していたよ。

あなたが好きだった1994年~95年頃のドラム&ベースのアーティストやDJ、レーベルを教えてください。

TM:Photek、Source Direct、Peshay、Dillinja、Doc Scott、Jamie Myerson、4 Hero、Goldie、LTJ Bukem。レーベルは〈Metalheadz〉、〈Reinforced〉と〈Certificate 18〉だね。

2018年の新譜でこういう音が聴けるとは思ってもいなかったので、とても驚きました。90年代にすでにあなたはドラム&ベース・トラックを作っていましたか?

TM:90年代はラガ・ジャングル・スタイルのプロデュースをしていたよ。それからダークなドラム&ベースも。X-Altera はそのほかにいろいろなストラテジーやテクニックを取り入れているけど、基本の部分はとても似ている。X-Altera はテクノやIDM、アンビエントな雰囲気をより多く持っているけど、本質的に、その文脈にブレイクビートのサンプルは含まれていない。パーカッションのデザインもまったく違うね。
 ミックスの仕方については、X-Altera が90年代と結びついているといえるもうひとつの要素だ。一般的に、現代的なエレクトロニック・ミュージックはミックスもマスタリングもすごくアグレッシヴなんだ。強すぎるコンプレッションやサチュレイション、超広域での極端なスタジオ・エフェクトに、俺の耳はうんざりしてきてしまった。90年代半ばのポスト・プロダクション、アーティストとしての形成期だった頃のやり方が、いまの自分にしっくりくるんだ。もっと自然で、よりダイナミック、コマーシャルな要素が少ないサウンドがね。

アルバムの楽曲の多くは1993~1994年頃のドラム&ベースと同じく、BPM 140~150で作られています。このテンポは、ブレイクビートを使ってダブやジャズ、ブラジル音楽のような刻みが細かく複雑で豊かなリズムを作ることができます。その後、1996年以降のドラム&ベースはBPMが160~170に上がり、リズムの隙間がなくなり刻みが半分になります。BPMが上がりリズムが単純になることで、ドラム&ベースはダンスフロアでより踊りやすく機能的な音楽になりましたが、そのぶんリズムの複雑性と多様性は失われました。アルバムの楽曲をこのBPMに設定した意図は?

TM:そのとおりだよ。テンポに少し空間があることによって、より複雑に作り込むことができるし、テクノやゲットーテックへとリンクさせることも容易になるからね。それに、ジャングルとドラム&ベースのアーティストは比較的短い期間だけど、同様にデトロイト・テクノを解析していたんだ。多くのドラム&ベースがテクノからの影響を受けているのは明らかだけど、デトロイトはそこに異なる作用をもたらしているということを強調しておきたい。デトロイト・テクノは奥深いし、その時点から新たに切り開かれていった要素も多くある。遅めのテンポのレンジに関してもうひとつ言えるのは、ポスト・ダブステップやトラップ、ネオ・フットワークのようなスタイルや、そこで流行している半拍のグルーヴからは完全に分岐しているということだね。

多くのドラム&ベースがテクノからの影響を受けているのは明らかだけど、デトロイトはそこに異なる作用をもたらしているということを強調しておきたい。

『X-Altera』の制作機材について教えてください。当時はサンプラーとソフトウェア・シーケンサー(CuBaseやLogic)、ラック・タイプのコンプレッサーやエフェクターが多かったのですが、サンプラーのメモリーには限界があり、またブレイクビートのエディットも手間のかかるものでした。当時は機材の制約がありましたが、それゆえのクリエイティヴィティもありました。ラップトップですべて制作できる現在の環境とはずいぶん違いますが、あなたはどうやってこの音を作りましたか? あえて機材の制約を設けて作ったのではないかと、私は想像しています。

TM:素材をいじりすぎないってのがベストなんだ。厳密に言えば、それはもちろん制約ではあるけれど、自分の作業のなかでいうと、もっと自制に近い感じさ。考え方としては絵を描くことと同じだよ。絵が完成するまでに執拗に手を加えすぎると、その作品に「手さばき」みたいなものが出てきてしまうだろう? そこで、自信を持ってプロセスを完遂できるかどうかが試されるのさ。機材には Renoise という最新のトラッカーと、Ableton Live を使ってアレンジ、エフェクト、ミックスまでやった。Ableton 内蔵の数多くの楽器に加えて、いくつかハードウェア・シンセも使った。自分仕様にした Make Noise Shared System に、Alpha Juno 2、JV-2080。それに自分が90年代から溜め込んできたサンプルもたくさん使ったよ。

クラブ・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックの歴史において、ドラム&ベースが成し遂げた最大の功績はなんだと思いますか?

TM:いちばんの偉業は、ひとつのサンプルに対して何ができるのかっていう問いを作り手側に投げかけたことじゃないかな。

『X-Altera』のリズムや音響に対するアプローチは、当時の A Guy Called Gerald に似ていると思いますが、ご自身ではどう思いますか?

TM:核心をついてるね! 俺が何に影響を受けたかといえば、彼のレーベル〈Juice Box〉のサウンドと、『Black Secret Technology』さ。それこそが自分のバックグラウンドやいまの環境を作ってきた音楽だけど、タイムレスだし、いま聴いてなお未来的なものだよ。

X-Altera をはじめるきっかけのひとつが、Kenny Larkin の『Azimuth』を聴き直したことだったそうですね。また「X-Altera」という名義には X-102 や X-103 へのオマージュも込められているそうですが、あなたにとってデトロイト・テクノはどのような存在なのでしょう?

TM:そのとおりさ。「X-Altera」の「X-」って部分は自分に多大なる影響を与えた H&M/UR のプロジェクトのリファレンスだよ。それに、Larkin や Twonz、K Hand、Claude Young に D-Knox、D Wynn、Bone をはじめとするデトロイトのテクノ・フューチャリストたちへのリスペクトははかりしれないね。ちなみにこの名前はラテン語の「ex altera」にも由来していて、「べつの面から」という意味でもあるんだ。

他方で、本作を作るにあたって B12 や The Black Dog などの〈Warp〉の「Artificial Intelligence」シリーズからもインスパイアされたそうですね。そのようなサウンドとドラム&ベースを両立させるときに、もっとも苦心したことはなんですか?

TM:そういった作業のなかでいちばん難しかったことは、コンセプトに執着しすぎないようにすることだった。あくまで健全に、リラックスした姿勢でいることが大事なんだ。そういった自分のなかの勝手な制約みたいなものは、作品に音として出るべきではないと思うし、ひとつのアイデアに囚われすぎることのないよう意識したよ。

このアルバムを作ったことであなた自身に変化はありましたか?

TM:確実にあったね。とくにこれからの針路や目的において、かなり重要な変化があったように感じている。

あなたは Dabrye 名義でのヒップホップを筆頭に、James T. Cotton 名義ではアシッド・テクノをやったり、Charles Manier 名義ではインダストリアルなEBMをやったり、あるいは 2 AM/FM や MM Studi といったグループではほかのアーティストとも積極的にコラボレイトしています。じつに多くの活動をされていますが、各々のプロジェクトにはコンセプトがあるのでしょうか? またそれぞれのあいだに優先順位のようなものはありますか?

TM:すべてのプロジェクトにはユニークなエッセンスがあって、順位ではなく、各々に伝えたいことが異なっているんだ。それぞれがジャンルで切り分けられるけれど、どれもその原型に忠実になりすぎないようにしているんだ。

次はどんな音楽を作ろうと考えていますか?

TM:Nancy Fortune の新しいプロジェクト Deathwidth を X-Altera がリミックスする予定で、いまはちょうどそれに取り組んでいるんだ。すぐにでもレコーディングに取りかかれそうな、新しい JTC の素材も揃っているし。それに、Dabrye のビートについても新たなチャプターに進むつもりでいるよ。できることなら、どれも早めに届けられるといいけど。

いま音楽以外でいちばんやってみたいことはなんでしょう?

TM:じつは絵を書いているんだ。アブストラクト、もしくはフィギュラティヴなもの。アール・ブリュットやネオ・エクスプレッショニズムと呼ばれるジャンルのものをね。それからワインと料理することが好きだから、食に関連することもできたら、なんて思うこともあるよ。

The Sea and Cake - ele-king

 去る5月、じつに6年ぶりとなるニュー・アルバム『Any Day』をリリースしたザ・シー・アンド・ケイクが、今秋11月に来日公演を催します。前回の来日は2014年ですから、4年ぶりですね。この滅多にないチャンスを逃す手はありません。11月5日@ビルボードライブ大阪、11月7日@ビルボードライブ東京、いずれも1日2回公演となっております。詳細は下記よりご確認ください。

ザ・シー・アンド・ケイクの来日公演が11月に東京・大阪で開催決定

【来日公演詳細】
11/5(月)ビルボードライブ大阪
https://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11163&shop=2
11/7(水)ビルボードライブ東京
https://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11162&shop=1

【CD情報】
The Sea and Cake (ザ・シー・アンド・ケイク)
『Any Day』 (エニイ・デイ)
https://www.faderbyheadz.com/release/headz229.html


【ビルボードライブ大阪】 (1日2回公演)

11/5(月)
1st ステージ 開場17:30 開演18:30
2nd ステージ 開場20:30 開演21:30

サービスエリア ¥7,000-
カジュアルエリア ¥6,000- (1ドリンク付き)
※上記に加え別途ご飲食代が掛かります。

【ビルボードライブ東京】 (1日2回公演)

11/7(水)
1st ステージ 開場17:30 開演19:00
2nd ステージ 開場20:45 開演21:30

サービスエリア ¥7,000-
カジュアルエリア ¥6,000- (1ドリンク付き)
※上記に加え別途ご飲食代が掛かります。


【発売日】
Club BBL 会員先行=8/29(水)AM11:00 より
一般予約受付開始=9/5(水)AM11:00 より
Billboard Live Official Web:https://www.billboard-live.com/


Tim Hecker - ele-king

 先日、雅楽グループの東京楽所(とうきょうがくそ)とコラボした新作のリリースを公表し、ファンを驚かせたティム・ヘッカー。2016年の『Love Streams』に続くその新作『Konoyo』は9月28日に〈Kranky〉より発売されますが、すでにワールド・ツアーも決定しており、10月2日には東京公演も開催されます。ティム・ヘッカー本人と、彼の長年のコラボレイターであるカラ=リズ・カヴァーデイル、そしてコノヨ・アンサンブルなる名のもとに集った雅楽のミュージシャンたちによるパフォーマンスが披露されるとのこと。なんと、「全着席」の公演です。公開された新曲を聴きながら、楽しみに待っていましょう。

カナダ人エクスペリメンタル・コンポーザー Tim Hecker (ティム・ヘッカー)が、昨年“東京の郊外のとある寺”で雅楽団体・東京楽所のメンバーと共同作業し制作した9枚目のソロ・アルバム『Konoyo (この世)』を〈Kranky〉から9月にリリースすることを発表。

“Konoyo Ensemble”と題した雅楽のミュージシャンと、Tim Hecker の長年のコラボレーターであるコンポーザー Kara-Lis Coverdale (カラ・リズ・カバーデール)を伴うライヴ・パフォーマンスの世界初演を、10/2、WWW X にて開催します。

今回の公演は、これまでの東京でのパフォーマンスの際オーディエンスからのリクエストが多かった“全着席”公演。西洋的な音階、繊細な静寂と暴力的なまでのラウドネス、あらゆる境界の狭間をたゆたうように行き来し、これまで常に“音”の新たな境地を切り拓いてきた Tim Hecker による最新のパフォーマンスを存分に堪能してください。

アルバムのオープニング・トラック“This Life”が公開されました。
https://www.youtube.com/watch?v=90unmGG4eKI

東京公演を皮切りにスタートするワールドツアーは下記の通り。
10-02 - Tokyo, Japan - WWW X
10-06 - London, England - Barbican
10-07 - Krakow, Poland - Unsound
10-08 - Berlin, Germany - Funkhaus

【東京公演 概要】
タイトル:Tim Hecker “Konoyo” Live in Tokyo
出  演:Tim Hecker + the Konoyo Ensemble
日  程:2019年10月2日(火)
会  場:WWW X
時  間:OPEN 19:00 / START 20:00
料  金:前売¥5,000 / 当日¥5,500(税込 / ドリンク代別 / 全自由席)
チケット:一般発売:8月8日(水)e+ / ローソンチケット / Resident Advisor / WWW店頭
問い合せ:WWW X:03-5458-7688

主催・企画制作:WWW


■Tim Hecker (ティム・ヘッカー)

カナダ出身、現在は米ロサンゼルスを拠点に活動するサウンド・デザイナー/コンポーザー。00年代前後のグリッチやクリックといった音響エレクトロニック・ミュージックにおける一代ムーヴメントで頭角を表し、ノイズ、不協和音、音の断片を巧みに用いたメロディや空間を構築する、シーンきっての人気・実力共にトップクラスのアーティスト。これまでに Jetone 名義で〈Force Inc.〉、本名名義で〈Mille Plateaux〉、〈Alien8〉、〈Kranky〉といった名門レーベルからコンスタントに作品を発表。2011年にリリースされた『Ravedeath, 1972』は、Pitchfork をはじめとする様々なメディアで非常に高い評価を受け、ジュノー賞(カナダ版グラミー賞)ではベスト・カナディアン・エレクトロニック・ミュージック・アルバムを受賞。2012年には Daniel Lopatin (Oneohtrix Point Never)との共作『Instrumental Tourist』を発表。2013年には初のジャパン・ツアーもおこない、圧巻のパフォーマンスを披露。その後発表された最新アルバム『Virgins』(2013年)は前作を凌ぐ傑作と絶賛された。2014年には再来日を果たし《TAICOCLUB》に出演、深夜のこだまの森で幽玄なアンビエントを響かせた。2016年、8枚目のフルアルバムとなる『Love Streams』を英〈4AD〉からリリース。親交の深い Jóhann Jóhannsson や Ben Frost らも参加した今作で、アイスランドの聖歌隊のヴォーカルや加工された木管楽器などの生音とアブストラクトなエレクトロニック・サウンドを融合、新境地のサウンドスケープを提示した。そして2018年9月に9枚目のフル・アルバムとなる『Konoyo』のリリースを発表。本作は雅楽団体“東京楽所”のメンバーと共に東京郊外のとある寺でその大部分を制作。日本の伝統音楽である雅楽と Tim Hecker 独自のアブストラクトなマニピュレーションスタイルを融合させた新境地となっている。

https://sunblind.net/

Gondwana Records - ele-king

 昨今のUKジャズの盛り上がりを支えているレーベルのひとつ、マンチェスターの〈ゴンドワナ〉が今年で設立10周年を迎えます。それを記念したイベント《Gondwana 10》がロンドンとベルリン、そして東京でも開催。9月28日、代官山UNITにて、昨秋以来の来日となるママル・ハンズ、昨年素敵なアルバムを届けてくれたポルティコ・カルテット、レーベル設立者のマシュー・ハルソール、新世代エレクトロニック・ソウルを鳴らすノヤ・ラオが出演します。現在進行形のジャズ・ファンはもちろん、電子音楽やクラブ・ミュージック好きまでが楽しめる一夜になること間違いなし。いまから予定を空けておきましょう。

あの GoGo Penguin を輩出したUKのジャズ・レーベル
〈Gondwana Records〉が日本で設立10周年イベントを開催!
Portico Quartet、Mammal Hands、Matthew Halsall、Noya Rao 出演決定!

新世代ピアノ・トリオ Gogo Penguin を輩出したことで知られ、UKジャズ・シーンで今最も先鋭的なサウンドを展開し注目を集めているジャズ・レーベル〈Gondwana Records〉。2018年に設立10周年を迎え、レーベル名を冠とし、所属アーティストによるワールド・ツアー《Gondwana 10》をロンドン、ベルリン、そして東京で開催します。

東京での開催は、9月28日(金)。レーベルに所属するアーティストが4組来日し、パフォーマンスを繰り広げます。出演者には、UKの新世代ジャズ・トリオを牽引する Mammal Hands、あの Gilles Peterson も絶賛する Portico Quartet、レーベル・オーナーの Matthew Halsall、デビューしたばかりのエレクトロニック・ソウル・バンド Noya Rao が決定いたしました。

新世代ジャズ・シーンが好きな方はもちろん、実験的な電子音楽やクラブ・ミュージック好きの方まで、音楽が好きなら間違いなく楽しめるショーケースとなっています。

Gondwana Records (ゴンドワナ・レコーズ)

イギリス・マンチェスターのレコード・レーベル。2018年に設立10周年を迎える。GoGo Penguin を輩出したレーベルとして有名。最近では同レーベル所属の Mammal Hands の活躍も著しい。過去には、あの The Cinematic Orchestra の中心的メンバーとしても知られる Phil France もリリースするなど、UKジャズ・シーンで今最も先鋭的なサウンドを展開し注目を集めている。設立者はトランペット奏者の Matthew Halsall。
https://www.gondwanarecords.com/


【開催概要】
イベント名:GONDWANA 10 TOKYO
日程:2018年9月28日(金)
会場:UNIT/UNICE(東京都渋谷区恵比寿西1-34-17 ZaHOUSE)
時間:開場18:00/開演18:30/終演24:00
料金:前売 5500円(税込)/当日 6000円(税込) ※未就学児童入場不可
出演:Mammal Hands、Portico Quartet、Matthew Halsall (DJ Set)、Noya Rao、and more
主催:GONDWANA 10 TOKYO 実行委員会/GONDWANA RECORDS
問い合わせ:03-6681-5326 GONDWANA 10 TOKYO 実行委員会(株式会社クラベリア内)

【チケット情報】
販売先:イープラス / clubberia / iFLYER
販売期間:8月3日(金)正午 ~ 9月27日(木)23:59


出演者プロフィール

■Mammal Hands(ママル・ハンズ)

Jordan Smart(サックス)、Nick Smart(ピアノ)、Jesse Barrett(ドラム&パーカッション)

https://www.youtube.com/watch?v=bmjFJd6q4Es

UKのモダン・ジャズ・バンド。スピリチュアルなジャズやノースインディアン、フォーク、クラシック、エレクトロニック・ミュージックなど、さまざまな音楽からの影響を受けた、繊細かつ荘厳な音楽を奏でる。また、ベースが不在の編成も特徴的。2016年に彼らの作品が、タワーレコード輸入盤ジャズCDで渋谷店、新宿店の2016年輸入盤CD年間ジャズチャート1位を獲得。2018年には、世界3大ジャズ・フェスティバルのひとつスイス《モントルー・ジャズ・フェスティバル》へも出演している。
https://mammalhands.com/

■Portico Quartet(ポルティコ・カルテット)

Duncan Bellamy(ドラム)、Jack Wyllie(サックス)、Milo Fitzpatrick(ベース)、Keir Vine(キーボード)

https://www.youtube.com/watch?v=m9wdAU1S2Q0

2005年にロンドンで結成された、インストゥルメンタル・グループ。2007年にリリースしたデビュー・アルバム『Knee-deep In The North Sea』が権威あるマーキュリー・プライズ賞にノミネートされる。アシッド・ジャズの世界的DJ、Gilles Peterson も絶賛する4人組。特徴は、最初期から使用しているハングドラムの叙情的な音色を取り入れたジャズサウンド。4枚目のアルバム『Living Fields』では、打ち込みサウンドも導入し、Portico 名義で世界的クラブ・ミュージック系のレーベル〈Ninja Tune〉からもリリースしている。2017年に〈Gondwana Records〉に移籍し、アルバム『Art in the Age of Automation』をリリースした。
https://porticoquartet.com/

■Matthew Halsall(マシュー・ハルソール)

https://www.youtube.com/watch?v=qw-iqa3AxFM

イギリス・マンチェスターを拠点に活動する作曲家、プロデューサー、トランペッター、DJ。そしてモダン・ジャズ・レーベル〈Gondwana Records〉の創設者。彼の音楽には、エレクトロニック・ミュージックの要素と超越的でスピリチュアルな要素、様式的なジャズへ深い愛情と探究心がある。その姿勢は自身の〈Gondwana Records〉にも強く反映されている。
https://www.matthewhalsall.com/

■Noya Rao(ノヤ・ラオ)

Tom Henry(キーボード)、Jim Wiltshire(ベース)、Matt Davies(ドラム)、Olivia Bhattacharjee(ボーカル)

https://www.youtube.com/watch?v=__hLo1KsCxY

鍵盤奏者でプロデューサーの Tom Henry を中心に結成された、イギリス・リーズを拠点とするエレクトロニック・ソウル・バンド。電子音楽をベースにジャズ、ヒップホップなど、さまざまな音楽が反映されたバンドサウンドと、ライブにおけるパワフルでエモーショナルなパフォーマンスが魅力。2017年にデビュー・アルバム『Icaros』をリリースしたばかり。
https://www.noyaraomusic.com/

Gang Gang Dance - ele-king

 前作『Eye Contact』は2011年のリリースだから、本作は7年ぶりのアルバムとなる。ブライアン・デグロウ、リジー・ボウガツォス、ジョシュ・ダイアモンドらによるギャング・ギャング・ダンスの新作アルバムがついにリリースされた。
 思えば2005年の『God's Money』から2008年の『Saint Dymphna』までの彼らは、いわば「ゼロ年代初期から中期」という「ミニマル/トライバル」「音響/リズム」の時代を象徴するようなバンド=存在だった(あえて単純化していえばゼロ年代初期から中期とはポスト・パンク・リヴァイヴァルとエレクトロニカの時代である)。
 ポスト・パンク・リヴァイヴァル・ムーヴメントのなかでは比較的後発に入るGGDだが、ポスト・パンクからエレクトロニカ、トライバルからサイケデリック、ロックからポップまでをゴッタ煮にした雑食性に満ちた都市型のエクレクティック・サウンドは、ニューヨークの猥雑さと共に、ゼロ年代の特有の空気を存分に感じさせてくれた。特に2008年8月8日に、ボアダムスの EYE によって発案された「88 Boadrum」で指揮を任されたことは、90年代以降の「トライバル・サウンドの継承」という意味でも重要かもしれない。00年代のアート、音楽、トライバル、ノイズ、ミニマル、ポップが、シャーマニティックに結晶したわけだ。

 「88 Boadrum」から3年後、名門〈4AD〉からリリースされた『Eye Contact』は、GGDなりのテン年代宣言ともいえる刺激的なサウンドのアルバムだったわけだが、そこから先が長かった。
 むろん、そのあいだもメンバー個々人の活動は展開していた。デグロウはビーディージー名義のアルバム『SUM/ONE』を2013年に〈4AD〉からリリースしているし、ボウガツォスも2014年に MoMA において開催されたジョン・ケージ展に合わせて制作された「4分33秒」をテーマとするジョン・ケージのトリビュート・アルバム『There Will Never Be Silence』を刀根康尚らと合同制作している。ダイアモンドもライヴ活動や音楽制作を続けていた。

 とはいえ、GGDは沈黙していた。となると、この7年間は、時代を象徴していたバンドが、次の時代の変貌や変化に対応するために必要な時間だったのかもしれない。だがそんな憶測はとりあえずどうでもいいだろう。いま、この時代に彼らが再始動した意味は「音」にある。じっさいこの新作を聴くと、なるほどと思わせるものがある。

 一聴して分かるように新作『Kazuashita』は、ここ数年のモードであるニューエイジかつシネマティックなサウンドスケープを持った音楽性へと変貌を遂げた作品なのだ。そこに彼らのトライバルなリズムがうまく交錯しているのである。
 ノイズ成分は控えめになり、クリーンなサウンドが全面的に展開されている。聴きやすく、精密で、ビートも展開されているが、一方で、〈L.I.E.S.〉や〈Music From Memory〉などからアルバムをリリースする Terekke の瞑想的なアンビエント/ドローンも感じさせる仕上がりとなっていた(じじつ、バンドの休止期間中、デグロウはアンビエントやインド音楽などを聴き込んでいたという)。そのうえで彼らなりの「ポップ・ミュージック」を構築しているわけだ。

 冒頭の壮大な電子音楽トラック“( infirma terrae )”を経て、ミニマルなリズムとヴォーカルによるスペイシーな“J-TREE”が始まった瞬間に「GGD新生」を誰しも確信するだろう。そして80年代モードなエレクトロニック・ポップ“Lotus”、インターバル的な電子音トラック“( birth canal )”、ニューエイジ・アンビエントな音楽性から10年代的なマシン・ミニマルな電子トラックへと移行するタイトル・トラック“Kazuashita”などの見事なコンポジションには一気に耳を奪われてしまった。続く未来的なトライバル・リズムとコラージュ・ポップといった趣の6曲め“Young Boy (Marika In Amerika)”のサウンドも筆舌に尽くしがたい。

 そして、ヴォイスと電子音とビートがグリッチーに交錯し、立体的な音響空間のなかポスト・ヴェイパーなサウンドが生成する“Snake Dub”、ディック・ハイマンの初期電子音楽の名作『Moon Gas』やディック・ラージメーカーズなどの初期電子音楽を思わせつつも、ヴォーカル・レイヤーとサウンド・レイヤーを巧みに折り重ねることで2010年代後半のエクスペリメンタル・ポップ・ミュージックへと昇華する“Too Much, Too Soon”を経て、シンセ・ストリングスとヴォイス・コラージュによるインタールード的トラック“( novae terrae )”からオリジナル・アルバムのラスト曲“Salve On The Sorrow”までは、まさに映画音楽/音響のような壮大かつ繊細なサウンドスケープを展開していくのだ(日本盤CDにはボーナス・トラックとして“Siamese Locust”を収録)。

 アルバムを一気に聴きとおすとギャング・ギャング・ダンスが2010年代後半の時代のモードに見事に対応したことに驚いてしまった。ノイズな要素をクリーンなシンセ/電子音へと変化させることで、彼らは時代のモードに即したサウンドをまたも手に入れたわけだ。だが不思議と「時代に合わせました」という姑息な作為も感じない。「新しい音楽を作る」という必然性と好奇心があるからか。ニューヨークという都市に根ざした何か。
 参加アーティストをみれば、それが分かってくる。プロデュースはブライアン・デグロウ本人。ニューヨークのスタジオやアートスペースでレコーディング・セッションをおこなったらしい。そして「Boadrum」で知り合ったドラマーのライアン・ソーヤーや、アリエル・ピンクとのコラボレーションで知られるホルヘ・エルブレヒトらと共に本作を完成させたという(エルブレヒトはプロダクションの一部とミキシングを担当)。そしてアートワークにはアメリカの気鋭フォトグラファー、デヴィッド・ベンジャミン・シェリーの作品を起用しているのだ。

 ともあれ本作は聴きごたえのあるアルバムだ。細野晴臣や高田みどりら日本の80年代アンビエント音楽や、〈RVNG Intl.〉からリリースされている作品、〈Root Strata〉から出た KAGAMI『Kagami』などの現行ニューエイジ・シーンとも繋がるトラックは、まさに時代の空気を捉えている。そのうえGGDならではのリズムと音響を追求した独創性もある。まさにニューエイジ・リヴァイヴァル時代の空気(モード)を味わい尽くすかのように(拮抗するように?)、心から楽しんで聴き込める一作といえよう。

Kanye West - ele-king

 タイトルの「ye」とはもちろん〈Kan“ye”〉のことだ。しかし同時にこれは古語で「汝ら」を指す。アートワークで宣言される、双極性障害との付き合い。オープニングの“I Thought About Killing You”の「You」とは誰か。
 計画殺人。カニエはその暗い企図を吐露する。それは、アウト・オブ・コントロールの自己だ。
 人の思考は自由だ。人の発言は自由だ。それは何者にも抑圧されてはならない。俺は自分自身を愛している。お前よりもずっと。だけど俺は自殺について考える。そしてお前を殺すことを真剣に考える。これは計画殺人だ。
 カニエが語りかけるその声色は、度々ピッチが上がり下がり、変化する。ふたつの極を行き来するように。そして挿入される、オートチューンでコントロールされた鼻歌。無意識的に現れる、もうひとりの自己。

 度々ピッチ/フォルマントが変わりゆく声色によるまた別のヴァースを、僕たちは知っている。ケンドリック・ラマーの“PRIDE.”(=傲慢さ)がそれだ。死の観念に取り憑かれているのは、ケンドリックもカニエと同様だ。しかしそれ以上に共通点はあるだろうか。ふたりが匿う、別のピッチを持つ声色は、一体誰のものか。
 ふたりのヴァースに共通する言葉がある。「go numb=感覚が麻痺する」というフレーズ。
 同曲の後半のラップパートでカニエは「とても眩しいが/太陽じゃない/とてもでかい音だけど/俺には聞こえない/でかい声で叫んで/声量はなくなって/傷付いて/俺の感覚は麻痺する(I go numb)」とライムする。
 一方のケンドリックは「この前はどうでもいいって感じだったけど/今でもそれは変わってないぜ/俺の感覚は麻痺してるのかもしれない(My feelings might go numb)/お前はそんな冷たい奴を相手にしてるんだ」とヴァースをキックする。彼が自分の不完全さをあからさまに描くヴァースの一節だ。そのピッチの上下の不安定さは、七つの大罪のうち最も重いとされている、傲慢さとの関係性を示している。ルシファーが紐づけられた、罪の重み。自分の意思で自由にコントロールできない傲慢さが現れたり消えたりするにつれて、ピッチは上下する。
 ではカニエはどうか。ピッチの変化は、アウト・オブ・コントロールになった自己が、ある極へと振られている様を示す。件のラインでは、双極性障害を考え合わせれば、躁状態の症状でもある尊大さの表れとして「太陽」が引き合いに出される。だがすぐに太陽は堕ち、暗闇で何も聞こえない震える自己の身体だけが残る。「感覚が麻痺する」ことで、自分の身体がより一層意識される。
 その輪郭を意識させるのは、言葉だ。そしてその言葉を発声することだ。発声し、ビートに寄り添わせることだ。ビートのグリッドに、自らを押し込むことだ。
 同曲の後半のビートは、ウワネタに叫び声(=スーパーヒーローの雄叫び)がコラージュされた電気仕掛けの箱だ。カニエは箱の内側から、ライムでドンドンと壁を叩きまくる。それが壊れてしまうまで。だが声色のピッチはもはやブレない。
 その尊大さと、これまでヒップホップの歴史の中で、ラップの一人称が培ってきたメンタリティの違いを、どのように見ればよいのか。その境界は極めて曖昧だ。
 同曲のラストをカニエはこう締めくくる「“ye”のことを話し続けろ/お前の歯がフリトレーみたいに欠けちまわないように」。

 ヒップホップは、これまで新しい一人称像を求め続けてきた。ギャングスタ、コンシャス、ブラックリーダー、ナード、グッドキッド……。ありきたりな話を聞いてもつまらない。だからギャングスタであれば一層ハードコアな描写が求められるし、逆にマッチョなステレオタイプに抗うように、自分の殻に引きこもったり、悶々と悩んだりするキャラクターが要請される。「ye」の存在を公言するカニエは、これまでもそうだったが、その一人称の新しさの地平を開拓し続けている。

 このピッチの不安定な一人称は、続く“Yikes”においても顕著だ。
 上目遣いで自身の窮乏を訴えかけるようなフックのトーン。ヴァースをキックしているカニエの自信過剰でこちらを煽るようなトーン。そしてその煽りを凝縮し爆発させる喋りのトーン。
 これら三つのトーンの危ういバランス感が、この曲に名状しがたい緊張感を張り巡らせている。ビートの浮ついたシンセ音が、まさに地に足のつかない感覚を助長する。「ときどき自分が怖くなるんだ」とフックで歌い上げる彼のトーンには、確かに切実さが宿っている。しかしラストの喋りのパートでは、リスナーやメディアを挑発し、嘲笑するかのように、このアウト・オブ・コントロールの自己こそを「ye」と名付け、スーパーパワーなのだと喝破する。
 楽曲を締めくくる、スーパーヒーロー「ye」誕生の雄叫び。あるいはそれはルシファーの咆哮なのだろうか。しかしその雄叫びの直後に聞こえてくるのは、その声の持ち主の誕生を賛美する、柔らかく静謐なオルガンの調べに他ならない。
 4曲からラストの7曲目までに通底する感覚は、このオルガンのサウンドにも象徴されるように、「ソウルフル」の一言に尽きる。家族を賛美するコーラスが、妻のキム・カーダシアンと二人の娘たちに捧げられる。家族と魂。かつての子供が親になり、子供を持ち、子供に歌う。
 混迷した私生活とソウル・ミュージックといえば即座にマーヴィン・ゲイ、スライ・ストーン、そしてダニー・ハサウェイと言った名前が想起させられる。一方に『Yeezus』のような緻密で攻撃的なサウンドがあり、他方に今作のようなラフでソウルフルなスケッチが鎮座する。これらもまた、互いに「極」を示しているのだろう。
 ここで聞こえるのは、これまでの彼のアルバムの緻密なプロダクションとは対極的な、先行する感情だけを凝縮しパッケージしたような非常にラフなものだ。しかしそれだけに、余分なレトリックなしに、彼と音楽の関係性が透けて見えるようなのだ。

 鍵は6曲目の“Ghost Town”にある。PARTYNEXTDOOR が歌い上げる冒頭部。天まで響きわたるオルガンと、温かみのあるオーヴァードライヴのギターサウンドは、否応無しに教会という場における歌の効用を思い起こさせられる。
 白眉は後半だ。オルガンの持続音が響くなか、天上を指差しながら Kid Cudi が歌うのは、Vanilla Fudge の“Take Me For A Little While”の冒頭の一節だ。「俺は君に愛されるように努力してる/でもそうすればするほど君は遠くへ行ってしまう」。
 すると雲の間から漏れる光のように 070 Shake の歌声が降臨する。ゴーストタウンを闊歩しながら、彼女は朗々と歌い上げる。
 「もうなにがあっても傷つかない/なんだか自由を感じる/私たちはあのときと同じ子供のままだから/ストーブに手を当てて/まだ血が流れているか確かめる」
 背後で響きわたるスネアと炸裂する残響音は、子供のころに見上げた花火の残照だ。七色の閃光が、ゴーストタウンを見下ろす。大人が築き上げ、やがて荒廃した世界を見下ろす。
 そしてこの子供であることの自由は、カニエの Kid Cudi との KIDS SEE GHOSTS 名義のセルフ・タイトルのアルバム収録の“Freeee (Ghost Town, Pt.2)”へと引き継がれる。「もう痛くない/なんでか分かる?/自由だからだよ/もうなにがあっても傷つかない」。
 070 Shake は「ローリングストーン」のインタヴューに答えて言っている、「血を流しているときは、感覚が麻痺してなくなって(it’s so numb)なにも感じさえしない」と。
 カニエとケンドリックのリリックに表れていた「go numb」に連なるようにここで示唆されているのは、子供になること=感覚をなくすことではないか。
 感覚をなくすこととは、音楽制作に没頭することだ。ワイオミングの大自然の中で。さらには、頭を空っぽにして、韻だけを頼りに即興的にリリックを書いていくことだ。たとえば“I Thought About Killing You”では「親戚(cousins)」と「ムスリム(Muslims)」が、“Yikes”では「ゾンビ(zombie)」と「ガンジー(Gandhi)」と「アバクロ(Abercrombie)」が隣に並び、突発的に縁を持ってしまう。
 精神の空白地帯に頭をもたげる言葉を、即興的に吐き出すこと。彼のライムも、そして様々の発言も、そのような突発を患っている。

 カニエが連発する7曲入りのアルバム群もまた、突発の申し子だ。その中でも、『KIDS SEE GHOSTS』のリズム/サウンドの両面で子供が持ちうる冒険心に溢れる楽曲の数々は、『ye』と対にして、あるいは併せてひとつのアルバムと捉えうる性質を持っている。
 両者が示してくれるのは、カニエが決して手放さないサンプリングという手法を交えて音楽を作ることが、いかに子供に「なる」という感覚と密接かということだ。人生のあるモメントにおいて、それが重要な役割を果たしてくれるかということだ。
 カニエの自己への倒錯的な愛情が、表面張力ギリギリで形をなす彼の音楽に、どのような波紋を広げていくのか。彼自身がまさにそれを期待しているように、僕たちはその一挙手一投足から、目が離せない。

Laraaji - ele-king

 まさに待望といっていいでしょう。70年代にストリートでパフォーマンスをはじめたところからキャリアをスタートし、ブライアン・イーノにその才を見出されたアンビエントの大御所、ララージ。近年のニューエイジ・ブームともリンクしながら、いまなお現役として新作の発表やさまざまなアーティストとのコラボを繰り広げている彼が、ついに来日ツアーを開催します。東京は単独公演、全席座りで2回のロング・セットを披露とのこと。大阪と京都もまわります。この絶好の機会を逃すなかれ。

Laraaji Boiler Room London - Deep Listening Session

[8/30追記]
ララージ待望の来日ツアーに、追加公演が決定しました。9月13日、渋谷WWW X にて開催。7FO、UNIT aa+畠山地平、Chee Shimizu も出演します。詳細は下記をご参照ください!

Laraaji Japan Tour 2018

澄み渡る空、開かれる静域。巨匠 Brian Eno に見出され、近年のニューエイジ/アンビエントの再興により生ける伝説となったNYCのパーカッション奏者/電子音楽家 Laraaji (ララージ)待望の単独初来日ツアー。

9.15 sat WWW Tokyo
9.16 sun Nanko Sunset Hall Osaka
9.17 mon Metro Kyoto

テン年代初頭よりエレクトロニック・ミュージックの新潮流の一つとして拡張を続けるニューエイジ/アンビエントの権化とも言える、ミュージシャン、パーカッション奏者、“笑い瞑想”の施術者でもある Laraaji (ララージ)の東京は単独公演、全席座りで2回のロング・セットを披露、大阪、京都を巡る待望の単独初来日ツアーが決定。そのキャリアは70年代のストリート・パフォーマンスから始まり、Brian Eno に発見されアンビエント・シリーズへ参加以降、Harold Budd、Bill Laswell、John Cale、細野晴臣、Audio Active などとコラボレーションを果たし、近年のニューエイジの再興から発掘音源含む再発で再び注目を集め、後世に影響を与えたオリジネーターとして新世代の音楽家 Blues Control、Sun Araw、Seahawks とのコラボレーション作品、遂には新譜もリリース、各国でのツアーやフェスティバルに出演し、ワールドワイドに活動の幅を広げている。風のようにそよぎ、水のように流れる瑞々しいアルペジオや朗らかなドローン、土のようにほっこりとしたソウルフルなボーカルや温かなアナログ・シンセ、ドラム・マシーン、テープ・サンプリング、瞑想的なアンビエントから時にボーカルも織り交ぜたパーカッシヴなシンセ・ポップ、ヨガのワークショップまでも展開。風、水、空、土といった自然への回帰と神秘さえも感じさせる圧倒的な心地良さと静的空間、情報渦巻く現代のデジタル社会に“癒し”として呼び起こされる懐かしくも新しいサウンドとヴィジョン、ニューエイジの真髄が遂に本邦初公開を迎える。

ツアー詳細:https://www-shibuya.jp/feature/009311.php

■9/15土 東京 単独公演 at Shibuya WWW
Title: Laraaji - Tokyo Premiere Shows -
1st set OPEN 16:00 / START 16:30
2nd set OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥5,500+1D *各セット150席限定・全席座り / Limited to 150 seats for each set
Ticket Outlet: e+ / Lawson [L:73365] / PIA [P:125-858] / RA / WWW *8/1 (水) 一般発売
LIVE: Laraaji *solo long set
more info: https://www-shibuya.jp/schedule/009310.php

■9/16日 大阪 at Nanko Sunset Hall
Title: brane
OPEN 17:30 / START 18:00
ADV ¥4,800 / DOOR ¥5,500
Ticket Info: TBA
LIVE: Laraaji + more
Visual Installation: COSMIC LAB
info: https://www.newtone-records.com

■9/17月・祝 京都 at Metro
Title: Laraaji Japan Tour in Kyoto supported by 外/Meditations
OPEN 18:30 / START 19:30
ADV ¥4,500 / DOOR ¥5,000
Ticket Info: 公演日・お名前・枚数を(ticket@metro.ne.jp)までお送りください。
LIVE: Laraaji + more
more info: https://www.metro.ne.jp

Laraaji [from NYC]

本名エドワード・ラリー・ゴードン・ジュニア、1943年生まれのアメリカ人。ツィターによる瞑想的な演奏と共に、ニューエイジ/アンビエント・ミュージックの生ける伝説として知られる。70年代にストリート・パフォーマンスをはじめ、ワシントン・スクエア公園で演奏していた Laraaji を見かけた Brian Eno に声をかけられたことから、1980年リリースの名作、アンビエント・シリーズ第3弾『Ambient 3: Day of Radiance』に参加し、脚光をあびる。その他の代表作には、神々しい弦の反響と反復を繰り返す『Celestial Vibration』、電子モードのツィターが天空のドローンを描く『Essence / Universe』、大胆なボーカルとともに深く拡張していく Audio Active とのダブ作『The Way Out Is The Way In』などがあり、また Harold Budd、Brian Eno、Bill Laswell、John Cale、細野晴臣などとのコラボレーションやライブ音源含め、これまでに多数の作品を発表している。近年は〈All Saints〉から新作『Bring On The Sun』やコンピレーション『Celestial Music 1978 - 2011』に加え、Blues Control (〈RVNG Intl.〉より)や Sun Araw、最新作ではSeahwks とのコラボレーション、また〈Leaving Records〉からの発掘音源など、近年のニューエイジ/アンビエントのリヴァイヴァルも相交わり新旧共に活発なリリースとライブを展開中。音楽と平行して笑い瞑想のワークショップも行っている。

https://laraaji.blogspot.com

Laraaji - Celestial Music 1978 - 2011 [All Saints RE2013]
https://laraajimusic.bandcamp.com/album/celestial-music-1978-2011

■9/13木 追加公演 at WWW X

Title: Balearic Park - Laraaji - *FLOOR LIVE
OPEN / START 19:00
ADV ¥3,300 / DOOR ¥3,800 / U23 ¥2,800
Ticket Outlet: e+ / Lawson [L:71297] / PIA [P:127-579] / RA / WWW *8/22 (水) 一般発売

Laraaji [from NYC]
7FO [EM Records / RVNG Intl.]
UNIT aa (YoshidaDaikiti & KyuRi) + Chihei Hatakeyama [White Paddy Mountain]
Chee Shimizu [Organic Music / 17853 Records]

ニューエイジの権化 Laraaji 追加公演! 都市型アンビエント・イベント《Balearic Park》 WWW X 初開催のフロア・ライヴに登場。国内からは昨年NYの〈RVNG Intl.〉からアルバムを発表、間もなく〈EM Records〉よりリリースされるニューエイジ・ダブな最新作『竜のぬけがら』で更なる反響を呼ぶ大阪の電子音楽家 7FO、古典から電子音楽まで様々なフィールドで活躍するシタール奏者 YoshidaDaikiti とタブラ奏者 KyuRi による UNIT aa に数々の作品を残すアンビエント/ドローン作家、レーベル〈White Paddy Mountain〉主宰の Chihei Hatakeyama 参加のスペシャル・セッション、そしてディスク・ガイド、再発、コンピレーションの監修等、日本含め様々なオブスキュアを世界へ広める東京屈指のディガー Chee Shimizu (Organic Music) がDJ出演。今回は Laraaji のチターを始め、ギター、シタール、タブラ等の生楽器を主体としたフロア・ライブをフィーチャー、Gigi Masin、Suzanne Kraft、Andras、Visible Cloaks に続く《Balearic Park》の新境地をお見逃しなく。

https://www-shibuya.jp/schedule/009420.php

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