「iLL」と一致するもの

Tomas Phillips - ele-king

 アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身のサウンド・アーティスト、トーマス・フィリップスの新しい音響作品が、日本・東京を拠点とするサウンド・アート・レーベル〈SAD rec.〉(https://sad-tokyo.com/)からCDリリースされた。 2016年に〈13〉からCDリリース作品『Chuchoter Pas De Mots』と〈LINE〉からデジタルリリース作品『Limit_Fold 』以来なので、約4年ぶりのアルバム・リリースということになる。

 本作リリース元の〈SAD rec.〉は2013年の発足以降、 ケネス・カイアーシェナーとの共作『Five Transpositions‎』、ソロ作品『Two Compositions』のリリースと、この類まれな聴覚/感覚を持っているアーティストの音響作品を送り出してきたが、本作『Pulse Bit Silt』は〈SAD rec.〉/トーマス・フィリップスの協働における最高傑作ではないかと思う。音の質、空間性、コンポジション、ノイズ、音響そのどれもがかつての傑作群よりも一歩も二歩も抜きんでたからである。フランスコ・ロペスのハードコア・フィールドレコーディングに対して、エレガンスなフィールド・レコーディング作品とでも形容すべきか。
 これまでのトーマス・フィリップスのリリース作品で印象に残っているアルバムは、〈SAD rec.〉の2作に加え、2006年に〈LINE〉からリリースされた『Intermission / Six Feuilles』、日本・東京の〈ATAK〉から2009年にリリースされたi8u + Tomas Phillips 『Ligne』(i8uはサウンド・アーティストのフランス・ジョビン変名。彼女もまた本年5月に新作を〈Editions Mego〉からリリースしたばかり)などだったが、本作『Pulse Bit Silt』は、どの作品よりもアルバムを通して見事な「流れ」を形成しているように聴こえた。アルバム作品として、より成熟しているのだ。

 『Pulse Bit Silt』には計6曲(合計収録時間は46分。昨今のアルバム作品としては比較的長い収録時間といえる)の音響作品が収められているが、どのトラックとトラックもシームレスに連結し、ミニマルにして静謐な音響空間が次第に生成変化するような感覚を得ることができた。グリッチな電子ノイズやアトモスフィアな持続音に加えて、女性のヴォイスやインダストリアルなサウンドが要所に適切にレイヤーされていく。音の粒子が空気中に舞い踊り、音の粒が知覚に浸透するような麗しい音響たちを、その音の一粒、一粒を愛でるように聴取していくと、まるでゴダールやタルコフスキーの映画作品のように、カットとシークエンスが独自の持続感で進行していく総合的な芸術作品にすら思えてくるから不思議だ(彼は作家/小説家としても作品を発表しているらしい。音と言葉の両方から自らの芸術を追求しているのだろう)。

 そう、本作はトーマス・フィリップスの新しい代表作にして、いまの時代におけるサウンド・アート作品を象徴するCDではないかと思う。〈SAD rec.〉から同時リリースされたビージェイ・ニルセン(BJ Nilsen)『The Accursed Mountains』、ケン・イケダ、ユキ・アイダ、ケイタ・アサヒ(Ken Ikeda,Yuki Aida,Keita Asahi)『Summer Sessions』を合わせて聴くことで「環境録音、電子音響、ドローンなどのエクスペリンタル・ミュージック」の現在を深いレベル体験/体感できるはず。3作とも高品質/高音質な「CD作品」だ。ぜひとも聴いて頂きたい。

Roger Eno & Brian Eno - ele-king

 これは意表を突かれた。クラシックの殿堂〈ドイツ・グラムフォン〉からイーノ・ブラザーズによるコラボレイト・アルバム。兄は言わずと知れたアンビエント・ミュージックの提唱者で現実派。弟は兄が敷いた路線にのりながらも、どちらかといえばニュー・エイジに傾いた資質を持ち、ララージやビル・ニルソンと共にチャンネル・ライト・ヴェッセル(Channel Light Vessel)としても活動していた夢想派タイプである(オリエンタル調のCLVはヴォーカルにドリーム・アカデミーのケイト・ジョンを加えていた)。しかも2010年代のアンビエント・ミュージックは大雑把にいってインターネット・カルチャーを背景にシェアを伸ばしたヴェイパーウェイヴ〜ニュー・エイジの流れと、ブライアン・イーノがバックボーンとするミュジーク・コンクレート〜モダン・クラシカルの刷新へとシーンは二極化し、いずれもテンションを衰えさせることなく拮抗関係を持続した上で、兄と弟は手を組んだことになる(2017年に〈パン〉からリリースされたコンピレイション『Mono No Aware』もニュー・エイジとミュジーク・コンクレートの共存や融合を模索する試みだった。2010年代のアンビエントにはさらにシューゲイザー〜ドリーム・ポップも重要なファクターをなしているものの、複雑になるのでここでは省略)。

 ブライアン・イーノとロジャー・イーノが共同作業に従事するのは、これが初めてではなく、1983年にリリースされた『Apollo』はすでにブライアン・イーノ・ウイズ・ダニエル・ラノワ・アンド・ロジャー・イーノという共作名義となっていたし、その後も『Thursday Afternoon』 (85)から2000年代初頭の諸作まで2人は途切れることなく様々なかたちで共作を続けている。80年代であればブライアン・イーノの作品にロジャー・イーノが参加し、2000年前後ではこれが逆の立場になっているという違いがあるくらいだろうか。 『Mixing Colours』は2005年から取り掛かった作品だそうで、どの辺りで集中的に作業を進めたかはわからないけれど、2015年には久々にブライアン・イーノ名義の『My Squelchy』にロジャー・イーノがイディオフォンという打楽器でOMD風の穏やかなシンセ–ポップSome Words”に参加している(ちなみに『Apollo 』は昨年、新たに11曲を追加した「Extended Edition」がリリースされている──デヴィッド・リンチ監督『デューン』に提供された“Prophecy Theme”は未収録)。

『Mixing Colours』は名義が「ロジャー・イーノ&ブライアン・イーノ」という順番になっている通り、前半はとくにロジャー・イーノの文脈を柱としている。「ロジャー・イーノの文脈」とはピアノ主体のニュー・エイジであり、ブライアン・イーノが「あの手の音楽を聴くと、誰かを殴りたい気分にさせられる」と批判するスタイルで(本誌19号のインタビュー参照)、実をいうと僕もチャンネル・ライト・ヴェッセル以降、ロジャー・イーノのソロ作はキツいと感じ、2010年代以降の作品はさきほど、このレビューを書くためにまとめて聴いたばかり。そして、誰かを殴りたいとまでは思わなかったものの、卑弥呼のマグマエネルギーが吹き出しかけ……いや。ロジャー・イーノは2010年代後半になるとジ・オーブのメンバーに加わり、『COW / Chill Out, World!』(いつもの感じ)、『No Sounds Are Out Of Bounds』(これは傑作だと思う)、『Abolition Of The Royal Familia』(これは前作の出がらしだと思う)でピアノやトランペットを演奏し、現在はすでに脱退している。音楽的なスタイルは懐古的ながらもジ・オーブとして充実の演奏を聴かせた時期だったこともあり、ロジャー・イーノへのフィードバックもそれなりに期待させるものがあったかかわらず、ここ数年の彼のソロ・アルバムは代わり映えしないどころか、あまりにスノッブなそれに終始し、悪くすれば「太田胃散、いいクスリです」のCM音楽と同じに聞こえてしまう(あれはショパンか)。しかし、ブライアン・イーノはさすが、である。『Mixing Colours』は「ロジャー・イーノの文脈」を無視することなく、それらの発展形をなし、必要なだけの抑制がブライアン・イーノによって持ち込まれている。オープニングからギリギリでイージー・リスニングと近接し、同じ音階でも楽器の種類を変えたり、ロジャー・イーノに特有のチープなコード感を活かしたまま『Music For Airports』(78)で試した音の奥行きやグラディエーションをつくり出すなどしてニュー・エイジにありがちなクリシェを避けていく。メロ・ドラマ調の“Celeste(空色)”やシューベルトにインスパイアされたというわりにやはりショパンのパロディに聞こえてしまう“Quicksilver(銀鼠色)”がこうして音響的に洗練されたモードへと移植されていく。イーノの言葉に即していえばニュー・エイジに欠けている「闇」を埋め込んだということになるのだろうか(同インタビュー)。また、”Obsidian(シャープな緑)”や“Desert Sand(ベージュ色)”と、曲名はすべて色の種類で統一され、いかにもニュー・エイジが好みそうなネーミングであると同時に(Colour=)人種を混合させるという含みも持たせたのかもしれない(ないかもしれない)。国内盤にはオリジナルの17曲目と18曲目の間に『Apollo』を思わせる“Puter(青灰色)”が追加され、レアな色ばかり全19色が取り揃えられた。

「ロジャー・イーノの文脈」では以上のような聞こえ方でいいのかもしれないけれど、『The Ship』(16)や『Reflection』(17)と続いてきた「ブライアン・イーノの文脈」に『Mixing Colours』を続けてみると、さかなクンでなくてもぎょっとする。ポップ・ミュージックの作法に則るか、さもなければ作曲のシステムそのものを考案することがブライアン・イーノのアイデンティティだと思っていれば、それはなおさらである。ブライアン・イーノに過大な期待を寄せるのではなく、ここでの彼はトリートメントに徹しているようだし、『Mixing Colours』では音響アレンジャーとしての手腕を聴くに止めるのが正解だろうと思う。エンディングに近づくにつれ、ピアノの音が残っていないほど変形され、そのことによってピアノがピアノ以上の存在感を醸し出すのは『Music For Airports』と同じく。とくにそのことは“Deep Saffron(サフラン色)”や“Cerulean Blue(セルリアン・ブルー)”に顕著で、もしかすると、このあたりはブライアン・イーノのソロ作なのかもしれない(?)。それこそ前半から続く下世話なメロディに慣れた耳が一気に浄化される思いがあり、ブライアン・イーノが主張してきた「無意識にプロセスを感じさせる」構成となっている。そして、最後の最後に納得の着地も用意されている。

〈ドイツ・グラムフォン〉も最近ではエルヴィス・コステロのオーケストラ作品やスティングの中世音楽までリリースしていて、そういった意味ではこれだけニュー・エイジ趣味が突出していても驚きはないし、レデリウスやマックス・リヒターもカタログに加えてきたことを思うとブライアン・イーノを逃す手はないという判断なのだろう。そして、ニュー・エイジとミュジーク・コンクレートが混ざり合うヴィジョンを示したことは『Mono No Aware』やフェリシア・アトキンソン&ジェフリー・キャントゥ=レデスマ『Limpid As The Solitudes』(18)以降のアンビエント・ミュージックにどんな影響を与えるのだろうか。

三田格

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interview with Brian Eno
ブライアン・イーノ、ミニ・インタヴュー
(協力:ビートインク)

 以下のインタヴューは、6月24日刊行のエレキング臨時増刊号『コロナ時代の生き方』のために、5月6日ロンドン在住の坂本麻里子氏を介してノーフォーク在住のイーノに電話を通じておこなったもので、本作『Mixing Colours』についての話の抜粋になる。川のせせらぎや野鳥のさえずりが聞こえるのどかな村にいまはひとりで暮らしているそうで、5月15日に誕生日を迎えた際も、ひとりで迎えるつもりだとこの取材では語っている。クリスマスも誕生日も、ひとりで過ごすのが好きなのだといい、寂しくなったら自転車を漕いでロジャーの家に行って、彼の家族と会うのだそうだ。アンビエントの巨匠の素朴な日常である。
 とはいえ、彼の日常で思考された言葉が人を動かすこともある。臨時増刊号『コロナ時代の生き方』は、じっさいのところイーノと経済学者ヤニス・ヴァルファキスとの対談があったから実現させようと思った企画なのだ。その対談のなかでイーノは、資本主義の限界とアートの意味について明解に話している。あらためて問う。なぜアートは必要なのか? そしてアートとは何なのか? 
 我々が5月6日に取ることができた取材はその対談とは別の単独取材だった。音楽、とりわけインディ・ミュージックに関わる人にはぜひ読んでもらいたい内容なのだが、まずは彼の作品解説と香水の話をお楽しみください。(編集部)

ロジャー・イーノとはこれまで何度も共同作業をしてきましたが、2人の名義で作品を発表するのは初めてです(ダニエル・ラノワを含めた3人による共同名義の『Apollo』から数えても37年ぶりです)。

BE:うん。

なぜこのタイミングで2人の作品を出そうと思ったのですか?

BE:(苦笑)。

やっと、ですよね。なぜいまになって連名作品なんだろう? と。

BE:(笑)ああ、たしかに可笑しいよねぇ……でもあれは本当に、かなり偶発的に生まれた作品でね。ロジャーはキーボードを使ったちょっとしたピースをあれこれとやっていて、たまにこちらにも作品をメールしてくれるんだ。そこで、「だったらMIDIファイルを送ってくれないか?」と伝えたところ、MIDIファイルを送ってくるようになって。そこから、わたしも考え始めて……だから、ロジャーは純粋にピアノだけで作っていたんだけれども、それらを聴いて思ったんだ、「というか、これはサウンド面でもっと面白いことをやれるピースだぞ」と。というわけで、わたしはピアノの音を自分でこしらえたサウンドに置き換える作業をやり始め、そこから更に、コンポジションそのものの形状にもちょっと手を加えるようになっていった。

(苦笑)。

BE:「フム、このセクションは実に素敵な響きだな。じゃあ、この箇所を最後にリピートしたらどうだろう?」云々と考え始めたわけ。いやだから……正直、ただ楽しいからやっていたんだよ。別に「2人でアルバムを作ろう」なんて狙いはなかった。実際、この作業をやり始めたのは、かれこれ15年くらい前の話だしね(苦笑)。

そうだったんですね。お腹の中で育つのに長くかかった作品だ、と。
BE いや、というか懐胎すらしていなかったというか。自分でも、ここから何かが生まれるだろうとは思っていなかった(笑)。

(笑)。

BE:というわけで、正直なところ、これが形になったのはほんの1年半か、1年くらい前の話でね。あの頃に、わたしのマネージャー、たぶん君も知っているだろうけど……?

はい。レイ・ハーン氏ですね。

BE:うんうん、で、あの頃、レイに「実は、ロジャーと一緒にやってきたインスト作品があるんだ。映画作家向けにプレゼンしてもらえないかな? きっと、いいサントラになると思うんだけど」と話していたんだ。で、そのためにいくつかの楽曲を、過去何年もの間に既に仕上げてあった楽曲をセットにまとめる作業をしていたところ、聴き返しているうちにハタと気づいたんだ、「これって実は、美しい1枚のアルバムになっているよな」と(笑)。あの段階で初めて考えはじめたんだよ、「おや? どうやら我々はアルバムを1枚作っていたようだぞ!?」と。というか、最初にそれを伝えた相手はロジャーだったな。で、彼にそう言ったら、返ってきたのは(ドライな口調で)「へえ。自分じゃそうは思わないけど。だろ?」というもので……(クククッと笑い出しながら)だから、当初の彼は、あれをアルバムだとすら考えていなかったっていう。

(苦笑)。

BE:でも、その後彼も何回か聴き直して、「うん、これは本当にいい」と認めてくれてね。だからこのアルバムは実にこう、もっとも未計画な、まったく計算外なところから生まれた1枚、ということになる。

『Mixing Colours』というタイトルの意味について教えていただければ幸いです。そもそも今回、色および自然現象をテーマにしたのはなぜでしょう? 

BE:まあ……実を言うと、各曲のタイトルとして単純に番号を振るのはどうか、という案を検討したこともあったんだよ。要するに、我々としてもあまり物語性の強い題名を曲に付けたくなかった。

イメージを特定し過ぎるタイトルは避けたかった、と。

BE:ああ。だから、この手の音楽は、得てして“暗い秋の夕暮れ”みたいな曲名になりがちだよね?

(笑)ええ。

BE:でも、あまりにかっちりしたイメージを付与したくなかったし、聴き手に定義してもらいたい。これらの色を使い、とにかく聴き手それぞれに自由に絵を描いてもらえたらいいな、そう思った。というわけで、今回のタイトル/テーマの色という点については……実は、ロンドンにある自分のフラットの一室の壁を塗っていたところだったんだ。で、色見本帳が手元にあった、と。

(笑)。

BE:(笑)。その、色んな色彩の名称を眺めているうちに、「綺麗な名前だよなあ」と思い始めてしまってね。(苦笑)というわけで、うん、そこから来ているんだ。とにかく、あまり深読みしなくて済むネーミングにはこれがいいんじゃないか? というごく単純な発想が元になっている。

パントンの色見本帳のようなものだ、と。

BE:うん、そういうこと。

だからなんですね、あなたがたがこのアルバム向けに、音楽のイメージに基づいた聴き手による自主制作ヴィデオをウェブサイトを通じて募っているのは……。

BE:うん。

あと、もうひとつ面白いなと思ったのは、『Mixing Colours』の曲目を眺めていたら、そのほとんどが香水の名前になりそうなタイトルだな、と感じたことで。

BE:(苦笑)ああ、うんうん!

「これらの曲名にちなんだ香水を調香師に作ってもらったらいいかもしれない」なんて思ってしまいました。

BE:(笑)。

(笑)「嗅ぐ」ヴァージョンのアルバム、ということで。

BE:というか、わたしの趣味は香水の調合なんだけれども。

ああ、そうなんですか! それは知りませんでした。

BE:うん、そうなんだ。で……ほんと、君には我々の先を見越されたな。というのも、このレコードの2、3曲向けに香水を作ろうかという計画を自分でも立てていて。

それは素敵ですね!

BE:だから、今から1年くらいの間に、その香水を作るつもりだ。

非常に楽しみです。

BE:そういえば、知ってるかな? どのパヒューマーも、日本の香水会社で働いた経験があるってことを?

へえ?

BE:どうしてかと言えば──わたし自身、かなりの数の調香師と知り合いだから知っているんだけれども──イギリスやフランス、アメリカの香水会社で働くとして、そこで彼らの作った香水は40ドルくらいの価格で販売される、と。ところが肝心な材料の原価は2ドル程度でね。それ以外のもろもろはすべて製品パッケージだのマーケティング費用に費やされている、と。でも日本の会社は、原価に5ドル支払うんだね。だから日本製香水は、通常、欧米の会社以上に質の高い原料を使っているわけ。だからなんだよ、調香師が日本の会社で働きたがるのは。とは言っても、これは20年前の話であって、いまでもそうなのかはさだかじゃないが。もしかしたら、その状況も今では変化しているのかもしれない。

ともあれ、あなたの香水を嗅げる日を(笑)、楽しみに待とうと思います。

BE:(笑)うん、いつかやるつもりだ。その暁には、最初の1本を送る人たちのリストの中に君もちゃんと含むようにするから(笑)。

ありがとうございます! というわけで、そろそろ終わりにしようします。またお話を聞けて本当に楽しかったです。どうぞ、お体には気をつけて。

BE:お互いにね。じゃあ、バイバイ!

Tom Misch & Yussef Dayes - ele-king

「『What Kinda Music』はサウス・ロンドン・ジャズ・シーンの集大成なのか?」

 昨今の音楽シーンを語る上でいまや欠かせない存在となったトム・ミッシュとユセフ・デイズ。今年の2月頃にふたりのコラボ・リリースのアナウンスがされたときはもちろん衝撃的だったが、トムが18年にリリースしたソロ・アルバム『Geography』のツアーの合間にインスタグラムでユセフとのスタジオ・セッションの動画をアップしたときに「いよいよこのときが来るのか!?」と興奮したのを鮮明に覚えている。それからあっという間に2年の歳月が経ち、ジャズ名門レーベルの〈Blue Note〉からこうして陽の目を浴びることになった。

 いまさらここの読者にふたりの経歴について語るのも野暮かもしれないので、クラブ畑で育った僕がふたりを知ったキッカケを少し綴りたい。どちらも4~5年前のこと、ユセフ・デイズに触れたのはカマール・ウィリアムスとのコラボ・ユニット、ユセフ・カマールの『Black Focus』が最初。カマール・ウィリアムスの別名義、ヘンリー・ウーの存在がすでにハウス界隈で騒がれていたし、このアルバムが所謂「UKジャズ・シーン」というコトバに火をつけたキッカケになっているのは間違いない。17年に Billboard Live Tokyo で来日した際はカマール・ウィリアムスがまさかのドタキャンで驚かせてくれたが、残念半分で観たライヴで「あのヤバイドラマーは誰なんだ!?」とそれを超える驚きを見せてくれたのはいい思い出だ。
 対するトム・ミッシュは16年にリリースしたシングル「Watch Me Dance」がハウス・プロデューサーのクラカザットにリミックスされた辺りから。翌年に発表した「South Of The River」はオランダのディープ・ハウス・デュオ、デトロイト・スウィンドルにもリミックスされるなど、ハウス/ディスコ界隈でその名を目にしていた記憶がある。その後リリースした『Geography』からは言うまでもないだろう。サマーソニックやフジロックにもその名を連ねるなど、その勢いは止まることを知らない。

 つまり多少距離はあったにせよ、どちらも「界隈」にいたわけで、今回のコラボはお互いの活動の延長線上、起こるべくして起こった化学反応なのは間違いない。どちらもサウス・ロンドンを拠点に活動し、世代も近く、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイ、ニーナ・シモンらアメリカのジャズやソウルの教科書的アーティストもしっかりと通過し、ジャンルに縛られることなく自由に横断する「フュージョン感」はアルバムの中にも随所に散りばめられている。

What Kinda Music - Documentary

 『Geography』のファンであればアルバムの冒頭から随分とダークな内容に仕上がっていると感じるだろう。この部分は実験的なサウンドを好むユセフ・デイズのカラーが前に出ている。アルバム・ドキュメンタリーで「大半はジャムをしながら作っていった」と語っているように、日頃からのライヴで培ったユセフのスキル溢れるドラムにトムがギターで重ねてセッションしていくというのが主な制作の流れだったんだろう。アルバムすべてにおいて、まさにドラムがメイン・パートになっており、彼の十八番でもある高速ドラミングから4曲目の “Tidal Wave” のようにスローだがグルーヴの感じるトラックまで様々だ。

 多くの曲のクレジットに「Produced by Tom Misch」と書かれているのにも注目して欲しい。ベッドルーム・スタジオでのビートメイク上がりのトム・ミッシュが自身のアルバムを通して、レコーディングのスキルをより充実させより理論的にサウンドをプロデュースしていく部分も非常に興味深い。「ジャムで作った」と簡単に言いながらも、音楽に対する間違いのない技術と豊富な経験値や知識がなければこのレヴェルの高い作品はできるはずがない。

 ドキュメンタリーの後半では「15年前くらいにユセフが学校のイベントでドラムを叩いてるのを観たことがある」、「お互いの親父がアルバムを通していまでは自分たちより仲良くなってる」と語るように、親の世代でも距離が近く、世代や人種、ジャンルを超えてコラボレーションが盛んなロンドンのミュージック・シーンならではのコンセプトがこのアルバムのなかに強烈に落とし込まれている。何度もアルバムを聴き返し、彼らの言葉にも耳を傾けると、ある種2015年ごろから火がついた「UKジャズ・シーン」と呼ばれる一種のムーヴメントの集大成的アルバムの位置付けのような気もしてくる。トム・ミッシュしか知らなかった人はユセフ・デイズや彼の関連作品を、逆もまた然り。このアルバムをキッカケにまた色々な作品を掘り下げていけばジャンルを超えた新たな音楽体験が待っているのかもしれない。

Laurine Frost - ele-king

 エディプス・コンプレックスとは男の子が母親との仲を裂かれまいとして無意識に父を敵視することで、フロイトはこれを誰にでもある普遍的な概念として定義した(女の子と父親の場合はエレクトラ・コンプレックス)。しかし、子どもが(年齢とは関係なく)そうした感情を自覚できないうちに父が病気になったり、死んだりすると、父が倒れたのは自分自身の敵意が原因だという罪悪感を持ってしまったり、悪くすれば「対象喪失」という感覚に陥るなど場合によっては生きる意欲を失ってしまう可能性もある。自分を「完璧な子ども」に育てようとした「父」を題材に、初めて本人名義のアルバム制作に乗り出したローリン・フロストはその途中で実際に父を失うこととなった。「半分まで完成したところで父が自殺した。このプロジェクトのことは知らずに」。死後ではなく、その前から制作を進めていたことで、彼は「対象喪失」に陥ることはなく、むしろ完成度の高いアルバムに仕上げられたのだろう。ヒーローだった父親が日に日に信念や尊厳を失っていく──その姿を描こうとしたのだから。

 ペトレ・インスピレスクがルーマニアン・ミニマルの「表の顔」ならローリン・フロストは「裏の顔」だろう。ルーマニアで〈オール・イン・レコーズ〉を立ち上げ(後にハンガリーに移動)、ロシアや東欧のプロデューサーを広くフック・アップし、〈オール・イン〉を逆から読んだサブ・レーベル、〈Nilla〉でもフランスのアフリクァ(Afriqua)や最近ではスウェーデンのアルカホ(Arkajo)など素晴らしいリリースを続けている。フロスト自身は13年にコールドフィッシュ名義でリリースしたアルバム『The Orphans』がブレイク作となり、同じ年に本人名義のシングル「Metafora Of The Wolves」や、とりわけ「Swings Of Liberty」では作風もミニマルにジャズを取り入れるなど『Lena』への大いなる助走は早くから始まっていた(『The Orphans』は孤児という意味で、やはりチャウセスク政権下で軍事訓練を受けていた子どもたちのことなのかしらと思いながら、いまだにどうなのかわからない。険しい表情で何かを睨みつけている少年の表情が印象的なジャケット・デザイン)。

 父を題材にするといいながら『Lena』のコンセプトはかなり複雑である。ベースとなっているのはドストエフスキーの短編「おかしな人間の夢」で、自殺しようとしている男を彼の父に置き換えたという。男は夢を見る。そして、「真理を発見」して自殺はやめにするというストーリーで、実際には起きなかったことがシュールリアリスティックに展開されている。これを音楽に移し替えたとフロストは解説している。現実には父は自殺しているわけだから「起きなかったこと」とは、父が夢を見て啓示を得ることである。そのようにして父に生きていて欲しかったということかもしれないし、あくまでも弱さを認めなかった父の存在を否定しているとも考えられる。どちらの解釈であれエディプス・コンプレックスの克服を通り越して作者が「成熟」に至ったことは確かである。テクノに美学が持ち込まれることは頻繁にあったかもしれないけれど、ここまで文学趣味を作品に押し被せた作品は珍しい。うがった見方をすれば、父はソ連(現ロシア)で、連邦体制が崩れなかった場合の東欧がフロストたちルーマニアン・ミニマルとして投影されていると見なすことも可能だろう。ルーマニアン・ミニマルの異常なまでの暗さは「対象喪失」に由来し、それは計画経済が破綻したという「歴史」を受け入れるプロセスだというか(いつのまにか話がユング的になってしまった)。

 ここまで書いたことは忘れて虚心坦懐に『Lena』を聴いてみよう。ドラムン・ベースを簡素化したようなジャズ・ドラムとヴィラロボス流ミニマルの衝突。ハットとベースが絡みつき、ドラムでアクセントをつけた退屈ギリギリの2コード・ミニマルと獰猛なベース・ライン。不協和音を響かせるピアノのループと緊張感のあるホーンに無機質なダブと、フロストが醸し出す雰囲気にはいつも「余地」が確保され、それこそ息がつまるような交響曲の暗闇へと引きずりこむペトレ・インスピレスクとは対照的である。「このアルバムはクリシェに逆らい、単なる過去の再生産に抗っている」「最も大事なことは過去に学び、未来へ繋げていくこと」とフロストは力強く書き記し、ポップ・カルチャーにおける歴史意識を強調する。そう、できることなら彼にザ・ポップ・グループ『Y』のリミックス・アルバムをつくらせてみたい。

Shabaka And The Ancestors - ele-king

舞い戻ってくる過去、そこから想像されるオルタナティヴな現在

髙橋勇人

 本作『We Are Sent Here By History』は、バルバドス/イギリス出身でロンドンを拠点に活動するサックス奏者シャバカ・ハッチングスが率いるバンド、シャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ(以下、ジ・アンセスターズ)による、2016年作のファースト『Wisdom of Elders』に続く二枚目となるスタジオ・アルバムである。タイトルを直訳すれば「我々は歴史によってここに送られる」となる。ハッチングスの思想的探求が結実した作品となっている。
 これは、現在において途方もない問題に直面している我々とは誰なのかを、アフロ・ルーツへと立ち返り、それを人類規模で思考する壮大なサウンド・プロジェクトだ。合評ということなので、僕のテキストは今作の思想的な背景に焦点を絞って読み解いていきたいと思う。

 今作に関するインタヴューでハッチングスが述べるように、西アフリカ文化に伝わるグリオ(Griot)と呼ばれる、物語の語り手や音楽家が主にその役を担う存在が、今作に着想を与えている。グリオは国家の歴史や教訓を切り取り、それを楽曲や物語のなかに生きながらえさせ、人々に伝える。ハッチングスはそれに着想を得て、過去の一部分を違った角度から語り、それを保存していくことの意義を今作で示しているのだという。
 また、『CRACK』などの媒体で引用されているように、ハッチングスはこのアルバムを以下のようにも説明している。「(今作は)我々がひとつの種として絶滅しかかっている事実に関する熟考である。それは、廃墟からの、あるいは燃え盛るものからの内省だ。もしその終焉が悲劇的な敗北以外の何かであるとしたら、個人的な、あるいは社会的な我々の転換において取られるべき方向への問いだ」。経済的、環境的、パンデミック的な災害は、惑星規模で人類を蝕んでいる。ジ・アンセスターズは、そこに希望を見出すために歴史の概念にアフリカを経由して向かっているのだろうか。そして、「歴史によって我々はここに送られる」とはどういうことなのか。

 この点を考えていく上でヒントになるのは、ハッチングスがインスタグラムで最近読んでいる一冊に挙げていた、ロンドン拠点の地理学者カトリン・ユゾフの2018年発表の著書『十億の黒い人新世たち、もしくは無(A Billion Black Anthropocenes or None)』である。
 人類が地球環境に甚大な影響を及ぼす時代区分を示す人新世という地質学的な時代区分に対して、賛否を含めて多くの議論がある。そのなかでもひときわ重要なのは、人新世における「人間」とは誰なのか、という問いである。種としての人類はたしかにひとつかもしれないが、そこで文化的にも形成される「人間」の定義はひとつではありえない。その形成過程は文化が生じる歴史の経路によっても多元化しているからだ。
 「人新世」というタームが西洋のアカデミズムから出てきていて、その論理の根拠となるデータがそのコミュニティから派生しているのならば、その時代における「人間」とは西洋白人というカテゴリーに限定されてしまってはいないだろうか? その場合、地球規模の問題として人類が直面する天候クライシスなどのイシューに関わる主語としての「人間」の定義は、そんな狭義でよいのだろうか?
 ユゾフの『黒い人新世』は、そういった観点から、地球環境を把握する地質学(geology)という手法が、どのように特定の「人間」、あるいは「人種」に作用しているかを、ポストコロニアリズム研究などを経由して発展したブラック・スタディーズを武器に、果敢に切り込んでいく。先行する研究が説いてきたように、近代化の過程において、特定の他者を排除する奴隷制や、植民地主義といったシステムが、そういった「人間」のあり方を規定してきた。
 その文脈において、現代において惑星規模で危機に直面する者たちが誰なのかを、そして、その存在が活動する場所について考えるためには、現代のグローバルシステムにおいて形成される単一的な「白」ではなく、その歴史的な背後にうごめく制度によって除外されてきた数十億の「黒」を含めた「人間」を描かなければいかない。ざっくりいえば、それがユゾフの主張である。

 このクリティークがハッチングスの基本姿勢に通底している。彼が『The Quietus』に語っているように、アフリカの宇宙論において、時間は直線的にではなく、循環的に存在している。冒頭で引いたように、グリオたちを経由して過去が現在に舞い戻ってくる歴史観がまさにそれである。すでに起きてしまったことも、グリオたちの焦点の当て方によって変化していく。ハッチングスが参照する歴史観において、過去とは一様のものではなく、このようにして、いく通りにも変化していく潜在性の貯蔵庫のようなものだ。
 「我々は歴史によってここに送られる」。つまり、「ここ」を形作るのは歴史である。そして、「ここ」に問題があるならば、それを形成する歴史という潜在性に目を向け、その問題を打ち消すようなべつの「ここ」を想像しなければならない。
 ジ・アンセスターズは「ここ」を生きる「人間」の概念にも焦点を当てている。8曲目の “We Will Work (On Redefining Manhood)” のタイトルにある「Manhood」は「男らしさ」とも解釈できるが、この文脈では「人間としてのman」の再定義としても理解することができるだろう。
 サウンドにもこの思考は顕在化している。ジ・アンセスターズはクラブ・ミュージックのように、しばし反復的なメロディを刻む。加えて、今作で歌唱を担当する詩人のシヤボンガ・ムセンブが、消えゆく人間の末路が歌われている冒頭曲 “They Who Must Die” で最初に口にする「We are sent here by history」というラインは、二曲目 “You’ve Been Called” でメロディとともに現れ、その旋律が終曲の “Teach Me How To Be Vulnerable” で、哀愁を帯びたハッチングスのテナーから溢れてくる。言葉とサウンドで自己参照を繰り返し、ジ・アンセスターズは事象の多元性を描いてみせる。
 冒頭のハッチングスの言葉にあるように、語り部は、歴史のタイムラインを複数化させ、来るべき未来の可能性を示すことができる。この意味において、去年日本版が出た『わが人生の幽霊たち』でマーク・フィッシャーが描いた、息が詰まる資本主義リアリズムの現実の外側から「ノイズ」として到来する、別様の未来の可能性を内包した希望としての幽霊たちとも、『We Are Sent Here By History』のテーマは重なると言ってもいい。彼らはサウンドを通して、「ここ」と、その場所を生きる者たちの別の姿を、歴史的な潜在性に立脚し描こうとしている。

 ジ・アンセスターズが横断するジャズの地平線において、このアプローチは全く斬新なもの、というわけではない。2019年に再発された数あるジャズの名作のなかで、ひときわ注目された一枚は、サックス奏者ジョー・マクフィーの1971年作『Nation Time』だった。アミリ・バラカに触発され世の中に送り込まれたこの起爆剤は、当時のブラック・ムーヴメントに共振したものである。
 そこでは「time」は「時代」を表している。そのダブル・ミーニングでマクフィーが冒頭で叫ぶ「いま何時だ!?(What time is it!?)」という問いは、いまは奴らのじゃない、俺たちが作る国の時代なんだぜ、というアジテーションだった。観客はそのコールに「Nation Time!」とレスポンスし、マクフィーの怒涛のサックスが鳴り響く。
 『We Are Sent Here By History』は、異なる現実を示唆/提示するという意味ではマクフィー的なブラック・パワーともオーバーラップしている。しかし、ジ・アンセスターズの射程はそれだけではない。焦点の当て方で変わる過去の事象と現在、という歴史のシステムにも向かっている。この、現実を作り出すシステムを鳥瞰図的に描くと言う意味で、彼らには形而上学的なユニークさがある。
 ジャケットのヴィジュアルにも、それに通じる点がある。黒い四角形の後方部には、歴史の存在容態とその複数性を表しているであろう円形の模様が蠢いている。その前方に位置する、ひとりの黒人の姿。その歴史/人間が放つアフリカ時間と視線を合わせ、現在から我々の視点は、数十億の黒がひしめき合う過去へと引きずり込まれていく。そのようにしてしか、過去と未来が到来し続ける現在を考えることができない。身体は斜め前に向かいつつも、その眼光は力強く、こちらを向いている。

髙橋勇人

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口述的/非筆記的な「グリオ」というテーマに映る英国自由即興音楽の経験

細田成嗣

 英国現代ジャズ・シーンの中心的存在として活躍するサックス/クラリネット奏者シャバカ・ハッチングスが率いるシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズ(以下:アンセスターズ)による4年ぶり2枚めのアルバムが発表された。リリースもとは〈インパルス!〉で、これでサンズ・オブ・ケメットザ・コメット・イズ・カミングに続き、シャバカが現在取り組んでいる3つの主要プロジェクトすべてが米国の名門ジャズ・レーベルからデビューを果たすこととなった。

 アンセスターズはシャバカが南アフリカのジャズ・ミュージシャンとともに2016年に結成したグループである。以前よりエチオ・ジャズの巨匠ムラートゥ・アスタトゥケとコラボレートするほか、南アフリカ出身のドラマーであるルイス・モホロと共演するなど、シャバカはアフリカをルーツに持つミュージシャンと関わりを持っていた。モホロといえば、かつて1960年代後半に南アフリカ出身のピアニスト/作曲家クリス・マクレガーが英国の先鋭的なジャズ・ミュージシャンらと結成したビッグバンド、ブラザーフッド・オブ・ブレスのメンバーとしても知られている。むろんアパルトヘイトによって祖国を追われた当時の南アフリカのミュージシャンと英国の関係をそのまま現代に置き換えることはできないものの、少なくとも英国と南アフリカのつながりから生まれたジャズの系譜は長い歴史を経て現在のアンセスターズへと流れ着いたと言うことはできる。ただしシャバカはアフリカを唯一のルーツとして考えているわけではない。1984年にロンドンで生まれながらも少年時代をカリブ海の島国バルバドスで過ごした彼は、アフリカン/カリビアン・ディアスポラとして自身の音楽活動を捉えている。

 シャバカが推し進める主要3グループのなかで、アンセスターズは編成も内容もいわゆるジャズにもっとも近しいプロジェクトだと言っていい。それも執拗に反復するベースラインと力強く詩を叫びあげるヴォイス、そして陶酔的/祝祭的なサウンド・メイキングは、サン・ラやファラオ・サンダースをはじめとしたスピリチュアル・ジャズを彷彿させる音楽性となっている。今作は西アフリカにおいて物語や教訓などの口頭伝承を担う演奏家を意味する「グリオ」およびカリブ海でカリプソをもとに時事問題を歌いあげる即興詩人を意味する「カリプソニアン」になることを目し、人類の絶滅をテーマに制作したというものの、そのサウンド面に着目するだけでも前作からの音響的変化を聴き取ることができる。

 真っ先に耳が引かれるのは、前作において複数の楽曲でシャバカがメインのサックスを朗々と吹いていたのに対し、今作ではアルト・サックスのムトゥンジ・ムヴブとともに対位法的に2管の旋律を絡み合わせていく演奏が主体となっていることである。前作の4曲め “The Sea” の方向性がより洗練されたかたちで前景化したと言ってもいい。さらに今作ではシャバカ自身による不定形な即興性が前作に比して抑えられている。言い換えればコンポジションの比重が高まったということでもあり、それは2管が絡み合う旋律を構築的に聴かせるということとも無縁ではないだろう。そしてこうした諸々の変化は、グループにおけるシャバカの演奏家としての立ち位置が突出することなく、あくまでも他のメンバーと共同でアンサンブルを編み上げていくことを重視するようになったと受け取れるとともに、その表面的な構築性とは裏腹に、口述的で非筆記的な「グリオ」や即興歌唱を行なう「カリプソニアン」をテーマとして取り上げたことを考え合わせるならば、記譜作品とは異なる快楽を求めてきたシャバカのもうひとつの顔、すなわち即興演奏家としての経験がリフレクトされた音楽としても聴き取れるように思う。

 シャバカ・ハッチングスは2007年にロンドンの芸術大学ギルドホール音楽院を卒業後、一方では英国カリビアンの先達でもあるサックス奏者コートニー・パイン率いるジャズ・ウォーリアーズに参加しつつ、他方ではいまや英国即興シーンの拠点のひとつとなっているロンドンのカフェ・オト(2008年設立)周辺のミュージシャンたち、たとえばエヴァン・パーカーやスティーヴ・ベレスフォード、アレキサンダー・ホーキンス、ルイス・モホロらと共演することで即興音楽の世界との関わりを深めていった。のちにサンズ・オブ・ケメットで活躍するドラマーのトム・スキナーらとその頃に結成したトリオ・Zed-Uでは、こうした自由即興の文脈を取り入れたアルバムも制作している。

 即興演奏家としてのシャバカの足跡を辿るうえでひときわ注目に価するイベントがある。2011年10月6日から8日にかけてドイツ・ベルリンを舞台に開催された《Just Not Cricket!》という音楽フェスティヴァルである。テーマは他でもなく英国自由即興音楽だった。当日の模様は4枚組のレコードとしてアーカイヴされている。ドキュメンタリー映画も製作が進められていたものの、現時点ではまだ完成していないようだ。同映画は仮の副題として「英国自由即興音楽のマッピング」を掲げており、ジョン・ブッチャー、スティーヴ・ベレスフォード、ロードリ・デイヴィス、アダム・ボーマンの4人をシーンの主要人物として捉え、四世代にわたる英国自由即興音楽の担い手たちをカメラに収めているという。そのうち最も若い世代にあたるのが、当時20代のシャバカ・ハッチングスだった。

 英国は自由即興音楽が盛んな土地としても知られている。かつて60年代にはリトル・シアター・クラブを拠点に多くのミュージシャンが新たなフリー・フォームの音楽を探求し、デレク・ベイリーやエヴァン・パーカー、ジョン・スティーヴンスらを輩出した。なかでもスティーヴンスはスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)を組織しつつ、さらに即興演奏のワークショップを行なうことで後進の育成にも貢献した。ベイリーとパーカーはトニー・オクスリーらとともにミュージシャンによるレーベル〈インカス〉を創設したことでも知られている。
 またこうした交流とは別の文脈で、キース・ロウやエディ・プレヴォらによるグループ・AMM も活動を行なっていた。70年代半ばからは、のちにオルタレーションズとしても活躍するデイヴィッド・トゥープやスティーヴ・ベレスフォードらが参加したロンドン・ミュージシャンズ・コレクティヴ(LMC)が始動し、コンサートやワークショップが継続的に開催された。トゥープやベレスフォードに加え、ジョン・ブッチャー、ジョン・ラッセルらを含めたミュージシャンが第二世代と言われている。90年代終わりにはコンダクションを用いた即興アンサンブルのロンドン・インプロヴァイザーズ・オーケストラ(LIO)が組織され、数多くのミュージシャンが去来した同グループにはのちにシャバカも参加している。90年代後半からゼロ年代にかけてはベルリンやウィーンにおけるリダクショニズム、あるいは東京の音響系/音響的即興と同時代的な潮流もあらわれ、ロードリ・デイヴィスやマーク・ウォステルら第三世代の立役者たちは「ニュー・ロンドン・サイレンス」という言葉とともに語られた。

 シャバカはそのような英国即興音楽の系譜のなかではゼロ年代後半からテン年代にかけて頭角をあらわした第四世代に位置している。レコードとしてリリースされた『Just Not Cricket!』で彼は3つのトラックに参加しており、なかでも同じく第四世代にあたり、ジャズ・グループのほかヴァンデルヴァイザー楽派をはじめとした現代音楽作品を再解釈する試みを行なっているセット・アンサンブルの一員でもあるコントラバス奏者ドミニク・ラッシュと、第三世代のハープ奏者ロードリ・デイヴィスとのトリオ・セッションで顕著なのだが、点描的な弦楽器のサウンドに対してシャバカは流麗なメロディをクラリネットで淀みなく演奏していく。それは特殊奏法を駆使した音色の探求や力強い咆哮によって生じるノイズ、あるいはメロディやリズムを巧妙に避けるノン・イディオマティックなアプローチといった自由即興の文脈とはやや異なるサウンドであり、クラシックとジャズをバックグラウンドに持ちつつ背後に仄かにグルーヴが流れ続けているような演奏とでも言えばいいだろうか。いずれにしてもこのように活動領域や文脈が大きく異なる3人がセッションを行なうことができるのは、英国においてミュージシャン同士を結びつける自由即興音楽のコミュニティが強く根づいていることの証左でもあるのだろう。

 アンセスターズの作品、とりわけこのたびリリースされたセカンド・アルバムでは、こうしたシャバカの即興演奏家としての側面は明示的なサウンドとしてはあらわれていない。もとより即興セッションにおいても構築的な演奏を重視していたと言うこともできる。むろんなかには深い残響処理が施されたアコースティック・ピアノのアブストラクトな響きから幕を開ける2曲め “You’ve Been Called” や、激しく飛び交うトランペットの即物的かつストレンジな音色が印象的な7曲め “Beast Too Spoke Of Suffering” といった楽曲も収録されている。だがいずれもその裏では骨子となるようなポエトリー・リーディングやテーマ・メロディが奏でられており、演奏全体が音響的にカオティックな状態に陥ることはなく、かえってそのコンポジションのありようを際立たせている。このことはしかし本盤が固定された構築美を示しているというよりも、むしろ「グリオ」のように口述的/非筆記的に、すなわち即興的にさまざまな変化を遂げていくことの原型となり得ることを示唆している。そこにはシャバカが自由即興の世界で幾度も出会ってきたはずの、音楽における記譜の伝統とは別種の快楽に対する志向がうかがえる。

 そしてそのような音楽へと赴くことができた背景には、ミュージシャンが修練を積むためのさまざまなコミュニティが、誰でも参入可能な開かれたかたちで存在しているという英国ならではの土壌があることを見落としてはならない。英国において自由即興音楽は特権的で閉鎖的なものではなく、おそらくミュージシャンを志す誰もが小さなきっかけから自然と触れることができ、学ぶことができるようなものとしてある。少なくともこれまで見てきたように、英国には即興音楽を実践するためのコミュニティが歴史的に数多く存在してきたのである。ジャズに目を転ずれば、若手ミュージシャンの育成機関であるトゥモローズ・ウォーリアーズがそのような役割の一端を担っており、他でもなくシャバカはそこでも音楽を学んでいたのであった。彼の音楽はこうしたさまざまなコミュニティのアマルガムとして産み落とされている。それはアフリカン/カリビアン・ディアスポラとしての音楽を模索する彼が、一方では英国という土地で歩んできた固有の経験を自らの音楽に刻んでいることを意味しているとも言えるのではないだろうか。

細田成嗣

vol.126 NYシャットダウン#4 - ele-king

 5月になった。3月中旬から始まったコロナヴァイラス隔離生活も1ヶ月半になリ、朝起きなくて良い、何もしない生活がデフォルトになった。

 天気が良くなってきたので、人は外に出ているし、マスクをしているだけで、あまり普段と変わりがなくなってきた。バーのカクテル、ビールなどのテイクアウトも流行っていて、週中、週末関係なく昼から列ができている。買っても店内で飲めないので、結局外で飲むのだが、警察に止められることはないらしい。この状況なので、警察も見て見ぬ振りなのか、ニューヨークもニューオリンズみたいになってきた。

 バスは無料になり、地下鉄は15ヶ月かかると言われていたLトレインのトンネル工事が12ヶ月で終わり、夜中1時から5時にサニタイズをする為に、24時間営業が一時停止になっている。
 学校からは月曜日から金曜日まで食事が支給され、$1200のチェックが送られ、失業保険にはプラス$600が毎週支給されている。アンチボディ(抗体)テストも無料でできるようになった。お金を使う所がない。

 というわけで、ニューヨーカーたちはグローサリーショッピングに精を出し、料理の腕を上げ、パンやケーキなど、ベイキングする人が増えた結果、小麦粉が品切れ状態。私はたこ焼きの小麦粉を買いに行こうとしたら、どこのスーパーも売り切れていて、はてと思ったのであるが、私も最近パン作りにはまり、毎日のように酒粕ミルクパンを焼いている。知人が、ブッシュウィックに酒ブリュワリーをオープンし、よく酒粕を分けてもらっているが、オープンしたとたんにこの状況。が、最近デリバリーを始めたところ結構オーダーが入っているらしい。近くのファンシーなペイストリー屋さんは普段より忙しい、と言っていた。買いに行ったら、そこだけ行列ができていたし、自分のためというより、お土産や人に送るものが売れているらしい。公園に行くとお花見しているグループもいたし、そろそろ自炊に飽きてきた人が外に出始め、ちょっとファンシーな食べ物やカクテルに、お金を使うようになってきたようだ。

 音楽ライヴは今年はお預けという噂が流れるなか、ミュージシャンはライヴストリームをしたりインスタをあげたりしてはいるが、それがオンラインの売り上げにつながれば良し。毎日のように新作はリリースされているが、ライヴ活動はできないので、オンラインだけでの売り上げとなる。バンドキャンプは3月20日に手数料を無料にする日を設けた。ここでは430万ドルを集め、プラットフォームの歴史上最大の販売日となった。 音楽、商品からの収益は、24時間でバンドキャンプの通常の15倍になり、1秒間で11アイテムが販売された。これを受けて、5、6、7月の第一金曜日も、手数料を無料にする日を設けた。このように音楽プラットフォームも少しずつ動き始めている。
https://techcrunch.com/2020/05/01/bandcamp-is-waiving-fees-today-in-support-of-artists/

 普段に近づいているようだが、人に会えないのが辛い。アパートの前で6フィート離れて話したり、窓越しに話したりはするが、一緒にジャムしたり、遊びに行くのはまだ遠い。外に出る時は、マスクやフェイスカバーをつけ手袋をしている。マスクも無料で配られている。

 5/2現在でのコロナウイルス統計:ニューヨークでの流行の追跡

 ニューヨーク市では17万人が感染して2万人弱が死亡している。私の周りにはかかっている人はあまりいないが、病院には霊柩車がいつも止まっているし、先日ユダヤ人の大規模なお葬式がウィリアムスバーグであり、ソーシャルディスタンスが守られていない。ということで、デブラシオ市長が怒っていた。
https://gothamist.com/news/crowded-hasidic-funeral-williamsburg-coordinated-approved-nypd

 またニューヨーク図書館が「失われたニューヨークの音」というサウンドトラックをリリースした。
 アンダーグラウンド・ショーを見に行く音、ラッシュアワーの音、公園の音、夜のバーの音、タクシーを呼ぶ時の音、近所の音、図書館の中の音などなど。普通な音が懐かしいと思うのもこういう時だからこそ。
https://gothamist.com/arts-entertainment/nypl-has-released-album-nyc-sounds

 ライヴ会場を救おうというUKの#saveourvenuesは、すでにドネーションが100万ポンド(約1億4千万円)に達したそうだ。これは、アマゾン・ミュージック、ベガーズ・グループ、ソニー、キリマジェロ・ライヴ、DHPなどといった企業からの寄付が大きい。さらに現ロンドン市長サディク・カーンの緊急文化援助基金より、45万ポンド(約6300万円)が追加される見込。
 #saveourvenuesを主宰するMVT(The Music Venue Trust)は、当初、営業できない全国のヴェニューを救うには最低100万ポンド必要だと公表してこのキャンペーンを開始した。ベガーズ・グループ社長のマーティン・ミルズは即「私たちが生き残るにはこれらの場所が必要だ」として「このキャンペーンを完全に支持する」と意思表示している。欧州アマゾン・ミュージックの責任者も「UKのライヴ事業は特別で、UK音楽文化の重要な要素だ」とし、UKの音楽コミュニティのサポートに手応えを感じているようだ。

 これを日本に当てはめて考えると、#saveourspaceに東京都知事がぼんと6千万の援助金、およびいくつかの儲かってる企業もぼんとお金を出して、とにかく音楽は重要な文化なのだから全国のヴェニューを救おうと、そういうムーヴメントが起きているという洗煉された話です(金なら無利子で貸すという冷たい話じゃありません)。

出典(https://completemusicupdate.com/article/mvts-saveourvenues-secures-1-million-in-donations-but-more-needs-to-be-done/

Session Victim - ele-king

 レコード屋のセールス文句では「若き日のナイトメアズ・オン・ワックスやDJシャドウを連想させる」と表現され、RAでは「ドイツ人のデュオがダウンテンポへ、これは果たして成功か?」という見出しで語られるが、どんな表現をされようが超マイペースな彼らには関係のないことだ。昨年クルアンビンとリオン・ブリッジズのアルバム『Texas Sun』のリリースも好調なレーベル〈Night Time Stories〉(〈LateNightTales〉の姉妹レーベルでもある)から、ハウス・プロデューサー、セッション・ヴィクティムの最新アルバム『Needledrop』がリリースされた。

 ドイツ人プロデューサーのハウケ・フリーアとマティアス・レーリングのふたりはどちらも大のレコード・ディガーで、DJプレイもヴァイナル・オンリー。アーティストからのプロモ音源もレコードでなければほとんど受け取らない程の徹底ぶり。リリースの大半もいわゆる「ヴァイナル・オンリー」が大半を占め、過去に発表したアルバム3枚はジンプスター主宰のレーベル、〈Delusions Of Grandeur〉からのみ(アルバムはデジタルもリリース)という、とてつもなく限定的な活動を展開するが、エネルギッシュなライヴ・パフォーマンスと、独特なサンプリング・センスと生音を融合させたプロダクションが人気を集め、ハウス/ディスコ・シーンでは安定の位置を確立。今回は一気に舵を切り全編に渡りスローなジャムを展開している。

 11曲中10曲がインスト・トラックで、唯一のヴォーカル曲には98年にリリースされたエールのファースト・アルバム『Moon Safari』にも参加したベス・ハーシュをフィーチャー。“Made Me Fly (Ft. Beth Hirsch)” としてアルバムのリード・トラックに。なるほど、ハウス方面に限らず、エールを聴いていたようなリスナーにとってもどこか共感が持てるような角度をこのアルバムは潜めているかもしれない。というよりも元々彼らの聴いてきた音楽的なバックグラウンドや趣味嗜好がより反映されたアルバムになっているのかもと感じさせてくれる。

 個人的なオススメは6曲目の “Waller and Pierce” と9曲目の “Cold Chills”。ライヴでもベースを担当するマティアス・レーリングのレイドバックなベースラインと絶妙な雰囲気で重なる音のレイヤーは繰り返し聴いても飽きが来ない。アルバムとはいえ全編通して聴いても約30分程度。一周した後に「もう終わり?」と思いながらもう一度頭から針を落とす。(レコードはグリーンカラーのクリアヴァイナル。もちろんCDやデジタル、ストリーミングだってなんでも構わない。)

 トラックのタイトルには「Bad Weather」「Pain」「No Sky」「Cold」など決して明るくポジティヴなメッセージが込められているとは思えないが、楽しいだけが人生じゃない、あえて暗いムード、落ち着いた雰囲気のときに選んでほしい1枚な気がする。

LIQUIDROOM - ele-king

 新型コロナウイルスの影響により、現在すべての公演を中止している恵比寿のリキッドルームが、ふたたび訪れるだろういつかの日を願い、「We will meet again」なるプロジェクトを始動させている。その第1弾として企画されたのが、電気グルーヴおよび坂本慎太郎とのコラボを含むTシャツのリリース。幾多のすばらしい夜を演出してきた同会場でふたたび笑いあえる日を夢見て、このプロジェクトをサポートしよう。

◆リキッドのライヴ・レポ一覧
2018年6月13日 Autechre
2018年1月17日 坂本慎太郎
2017年12月9日 DYGL
2016年8月24日 The Birthday × THA BLUE HERB
2013年9月24日 Disclosure / AlunaGeorge
2013年5月1日 Andy Stott
2012年7月25日 電気グルーヴ vs 神聖かまってちゃん
2012年3月25日 トクマルシューゴ
2012年1月24日 Washed Out
2011年9月30日 Alva Noto & Blixa Bargeld
2011年9月22日 Mathew Herbert
2010年12月22日 神聖かまってちゃん
2010年1月9日 七尾旅人
2009年12月30日 ゆらゆら帝国、Hair Stylistics、巨人ゆえにデカイ


電気グルーヴ、坂本慎太郎と LIQUIDROOM によるこの2020年を刻む T-shirts を受注販売!

現在、LIQUIDROOM は世界中の音楽施設と同様に、新型コロナ・ウィルス感染拡大防止の協力のため、全公演の自粛をよぎなくされています。LIQUIDROOM ではこの惨禍が過ぎ去った後に、ふたたびこの場所で最高の音楽をともにする日を願ってプロジェクト〈We will meet again〉をスタートします。まずは LIQUIDROOM とも縁が深く、幾度もの伝説的な夜を作り上げてきたアーティストとメッセージ入りTシャツをリリースします。フジロックの出演も発表され、復活の機運高まる電気グルーヴとの「NO LIQUID, NO DENKI」Tシャツ。そしてリキッドで予定されていたワンマンが延期となってしまった坂本慎太郎との「Let’s Dance Raw」Tシャツ。さらに LIQUIDROOM の「We will meet again」。本日正午より受注販売をスタート、詳しくは公式ウェブサイトにて。

受注販売期間:2020年5月1日(金)12:00 ~ 2020年5月31日(日)22:00
※商品は6月末頃に順次発送を予定しております。

販売種類:

LIQUIDROOM We will meet again T-shirts ¥3,500
LIQUIDROOM We will meet again T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)1個 ¥4,000
LIQUIDROOM We will meet again T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)2個 ¥4,500


LIQUIDROOM × 電気グルーヴ NO LIQUID,NO DENKI T-shirts ¥3,800
LIQUIDROOM × 電気グルーヴ NO LIQUID,NO DENKI T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)1個 ¥4,300
LIQUIDROOM × 電気グルーヴ NO LIQUID,NO DENKI T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)2個 ¥4,800


LIQUIDROOM × 坂本慎太郎 Let’s Dance Raw T-shirts ¥3,800
LIQUIDROOM × 坂本慎太郎 Let’s Dance Raw T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)1個 ¥4,300
LIQUIDROOM × 坂本慎太郎 Let’s Dance Raw T-shirts + LRロゴ缶バッチ(designed by 五木田智央)2個 ¥4,800

※LRロゴ缶バッチはリキッド公演時にバーカウンターにてドリンクと交換できます。

販売サイト:https://liquidroom.shop-pro.jp

問い合わせ先:LIQUIDROOM 03-5464-0800 https://www.liquidroom.net

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We will meet again
LIQUIDROOM 2020

音楽、そしてライブを愛するすべてのみなさまへ
-再会できる未来のために-

新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、世界中の人々が、いまだかつてない経験を強いられていることと思います。

これまでアーティストたちの表現の場として活用していただいた LIQUIDROOM も深刻な問題に直面し、出口の見えない日々に不安を感じています。

LIQUIDROOM は様々なカルチャーがひしめき合う新宿歌舞伎町でスタートし、恵比寿に移転して以来25年間、たくさんのアーティストの方々、ファンのみなさまと、かけがえのない瞬間・空間・時間を共有させていただきました。これはアーティストやそれを支えるスタッフ、そしてなにより音楽ファンのみなさまと作り上げてきた、一言では語り尽くせないたくさんの思いが込められた場所です。

本来、こんな不安定な状況であれば、LIQUIDROOM は音楽で、みなさまの不安な気持ちを率先して解消させたいところですが現状それもかないません。
しかし、今後、どんな険しい道が待ち受けているのか計りかねませんが、後ろは振り向かないことにいたしました。

すでに温かいお言葉やご支援の声をいただいく機会もありましたが、この惨禍が過ぎ去った後に、ふたたびこの場で最高の音楽とともに分かち合える瞬間を願い、今、みなさまのご協力をお願いしたいです。

アーティストの方々にもご協力をいただき、決して忘れられることができないであろう2020年をライブではなく言葉でTシャツに刻んでいただきました。

いつか笑って、あの時は……なんて話せる日を願って。

LIQUIDROOM

Clear Soul Forces - ele-king

 2012年リリースのアルバム『Detroit Revolution(s)』によってデビューし、これまで 2nd 『Gold PP7s』、3rd 『Fab Five』を経て、昨年(2019年)には4年ぶりのアルバム『Still』をリリースした、デトロイトを拠点とする4人組のヒップホップ・グループ、Clear Soul Forces。ゴールデンエイジとも呼ばれる90年代のヒップホップから強い影響を受けた、いわゆるブーンバップ・ヒップホップの流れにあり、アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパにも根強いファンを持っている彼らであるが、今回リリースされたこのアルバム『ForcesWithYou』をもって、グループとしての活動に終止符を打つという。

 グループのメンバーでもあるメイン・プロデューサーである Ilajide に加えて、7曲目 “Watch Ya Mouth” にもクレジットされている Radio Galaxy が2曲プロデュースを手がける本作だが、Clear Soul Forces のトラックの肝となっているのは、やはりビート(=ドラム)の部分だ。以前、筆者が彼らのアルバム『Fab Five』のライナーノーツを書いた際に、Ilajide のサウンドに関して「A Tribe Called Quest の後期の作品などにも繋がるような、’90年代後半の空気を強く感じる」と表現したのだが、シンプルでありながらも非常に練られたドラムの音色とパターンに、シンセを多用したシンプルな上ネタ、そしてベースのコンビネーションによって極上のファンクネスが生み出されている。同じくデトロイト出身である故 J Dilla からの強い影響を受けているのは、彼らの過去のインタヴューなどからも明らかであるが、さらに4MCによる巧みなマイクリレーが乗ることで Clear Soul Forces にしか出しえないグルーヴが完成している。

 アルバムの幕開けを飾るバトル・チューン “Gimme the Mic” やオリエンタルな雰囲気漂うキャッチーな “Chinese Funk”、PVも公開されているリード曲の “Chip$” など、アルバムの軸となっている曲はいくつかあるが、全体的にはミディアム・テンポが貫かれ、一定のトーンで進んでいくのが実に心地良い。全体のテンションもアゲすぎたり、また極端にレイドバックしたりということもなく、個々のフロウの変化でコントラストをつけながら、彼らの好きなゲームやSF、アニメの世界観が見え隠れし、それと同時にヒップホップへの愛というものがストレートに感じ取れる。

 すでに個々にソロでの作品リリースや客演などを展開しており、今後はソロ活動がますます盛んになっていくであろう彼らであるが、いずれまたリユニオンを果たして、4人での新作を出してくれそうな気がしてならない。そんな思いの残る、まだまだ何かが続きそうな Clear Soul Forces のファイナル・アルバムである。

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