「iLL」と一致するもの

CAFROM - ele-king

 スカやロックステディを取り入れながら、甘いメロディにハードな歌詞を載せるバンド、CAFROMがいまライヴハウスのシーンで話題になっている。昨年暮れに〈Feelin'fellows〉から出した1st EP「Letter To Young Djs」は瞬間的に完売、そのセカンドEPがこのたびリリースされる。
 CAFROMとは、松田CHABE岳二が下北沢のライヴハウスTHREEにて毎月9日に行われている〈9Party〉のために、身近なバンドマンに声をかけてはじまったバンド。新作は、はRAMONESとジャポニカ・ソング・サンバンチのカヴァー2曲(ひとつは反レイシズムの曲ですね)。完売した1st EPのリプレスも同時リリースされます。
 また、レーベルの元でもあり、このバンドの拠点である下北沢THREEのパーティ〈Feelin'fellows〉の拡大版が5月でリキッドであるので、そちらもぜひどうぞ〜。

Cosey Fanni Tutti - ele-king

 『トゥッティ』のなかに一貫して存在している、不吉で、ゾッとするような、何かを引きずって滑っていくような感覚──いいかえるなら、すぐ側にまで迫りくる湿り気のある暗さが生む、閉所恐怖症的な強度。オープニング曲“トゥッティ”の単調なベースラインと機械的でガタガタと騒々しいパーカッションのなかにはそうしたものがあり、そしてそれはそのままずっと、クロージング曲“オレンダ”のもつ、近づきがたいような重い足どりのリズムのなかにも存在しつづけている。最初から最後までこのアルバムは、息苦しいほどの霧に、隙間なく包まれている。

 この霧をとおして、おぼろげな影がかたちを結んでいく──ときに現れた瞬間に消えてしまうほどかすかに、そしてときに水晶のような明るさのなかにある舞台を貫き、それを照らしだしながら。オープニング曲では、トランペットのような音が暗闇を引き裂いていく一方で、5曲目の“スプリット”における、音の薄闇のなかを進んでいく、かすかに光る金属の線のような粒子は、おぼろげだが、しかし距離をおいてたしかに聞こえてくる天上的な雰囲気をもったコーラスによって、悪しきもののヴェールを貫いてるそのメランコリックな美しさによって、そのまま次の曲“ヘイリー”へと繋がっていく。

 おそらくはきっと、メランコリーの感覚へとつづいていく、ガス状のノスタルジーのフィルターのようなものが存在していて、それがトゥッティのこのサード・アルバムに入りこんでいるのだろう。このアルバムは、コージー・ファニー・トゥッティの2017年の回想録『アート・セックス・ミュージック』のあとに作られる作品としては、またとないほどにふさわしいものとなっている。というのもそれは、部分的に、彼女の生まれ故郷であるイングランド東部の街ハルで、同年に開催された文化祭のために作られたものをもとにしているからだ。やがてロンドンにおいてインダストリアルの先駆者となるバンド、スロッビング・グリッスルを結成する前の時代を、彼女はその街を中心にして過ごしていたわけである。

 1969年における、パフォーマンス・アート集団COMUトランスミッションの結成からはじまり、スロッビング・グリッスルやクリス&コージーによるインダストリアルでエレクトロニックな音の実験を経由する、過去50年にわたる経験と影響関係を描いていくなかで、過去について内省し、ふかく考えるそうした期間が、『トゥッティ』という作品の性格を、根本的な次元において決定づけているようにおもわれる。その回想録や近年に見られるその他の回想的な作品をふまえると、トゥッティはこのじしんの名を冠したアルバムによって、ひとつの円環を──はじめてじしんの名義のみでリリースした1983年の『タイム・トゥ・テル』以来の円環を、閉じようとしているのだという感覚がもたらされる。

 だが、コージー・ファニー・トゥッティはまた、まとまりのあるひとつの物語のなかに収めるにはあまりに複雑で、たえずその先へと向かっていくアーティストでもある。たしかにトゥッティは、幽霊的な風景をとおって進むビートとともに、彼女の作品のなかに一貫して拍動している人間と機械の連続性のようなものを、じしんの過去から引きだしている。だが彼女にとって過去とは、みずからの作品を前方へと進めていく力をもったエンジンなのである。『タイム・トゥ・テル』におけるリズムは、捉えがたく、ときに純粋なアンビエントのなかに消えさっていくようなものだったが、それに比べると『トゥッティ』は、はるかに攻撃的で躊躇を感じさせないものとなっている。こうした意味で、この作品に直接繋がっている過去の作品はおそらく、比較的近年にリリースされた、クリス・カーターと、ファクトリー・フロアーのニック・コルク・ヴォイドとともに制作された、2015年のカーター・トゥッティ・ヴォイドでのアルバムだろう。とはいえこの作品と比べると『トゥッティ』は、より精密に研ぎすまされ、より洗練されたものとなっていて、その攻撃性や落ちつきのなさは、節度をもって抑えられている。

 ゾッとするような暗さをもつものであるにもかかわらず、そうした落ちつきのなさと節度の組みあわせのなかで、『トゥッティ』はまた、これ以上ないほどに力強い希望の道を描きだしてもいる。というのも、このアルバムが強力で完成されたものであればあるほど、そこらからさらに多くのものがもたらされるのだという兆しが高まっていくからだ。
(訳:五井健太郎)


A sinister, creeping darkness slithers through “Tutti” – the claustrophobic intensity of humid darkness that clings too close. It’s there in the grinding bassline and mechanical, clattering percussion of opening track “Tutti”, and it lingers on in the grimly trudging rhythm of the closing “Orenda”. From start to finish, the album is wrapped tight in a suffocating fog.

Through this fog, shapes take form – sometimes faintly, fading away as quickly as they appeared, sometimes piercing through and illuminating the scene in a moment of crystal clarity. On the opening track, a trumpet cuts through the darkness, while on “Split”, solar winds seem to shimmer matallic through the sonic murk, joined on “Heliy” by a celestial chorus, blurred but distantly chiming, a touch of melancholy beauty piercing the veil of evil.

There’s perhaps a gauzy filter of nostalgia to the melancholy that creeps into the Tutti’s later third, which is fitting for an album that comes off the back of Cosey Fanni Tutti’s 2017 memoir “Art Sex Music” and has some of its roots in work she created for a culture festival in her hometown of Hull that same year, which she based around her own early years before leaving for London with her then-band, industrial pioneers Throbbing Gristle.

This period of introspection and reflection seems to have informed “Tutti” on a fundamental level, drawing on five decades of experiences and influences from the founding of the COUM Transmissions performance art collective in 1969, through the industrial and electronic sonic experimentations of Throbbing Gristle and Chris & Cosey. Taken together with her memoir and other recent reflective works, there is a sense that Tutti is closing a loop with with this self-titled release – her first album solely under her own name since 1983’s “Time to Tell”.

But Cosey Fanny Tutti is also too complex and forward-thinking an artist to let that be the whole story. Certainly “Tutti” draws from the past, with the beats punding through the ghostly soundscapes a continuation of a man-machine heartbeat that has always pulsed through her work. However, for her the past is an engine powering her work ahead into the future. Where the rhythms of “Time to Tell” were subtle, occasionally dissolving into pure ambient, “Tutti” is far more aggressively forthright. In that sense, the release it hews closest to is perhaps the comparatively recent 2015 “Carter Tutti Void” work, produced with Chris Carter and Factory Floor’s Nik Colk Void. Still, “Tutti” is a more finely honed, more refined work, its aggression and restlessness tempered by restraint.

Through its creeping darkness, it’s in that combination of restlessness and restraint that “Tutti” also holds out its strongest line of hope, because as powerful and accomplished as this album is, it also extends the promise of more to come.

YUKSTA-ILL - ele-king

 東海3県(三重、愛知、岐阜)を拠点とするヒップホップ・コレクティヴ、NEO TOKAI/TOKAI DOPENESSの一員であり、いまの東海シーンを代表するレーベル/クルーであるRC SLUM/SLUM RCの中心メンバーであるYUKSTA-ILL(ユークスタイル)の、約2年ぶり3枚目となるソロ・アルバム『DEFY』。これまでもさまざまなアーティストやプロデューサーとともに作品を作り上げてきた彼だが、本作ではフィーチャリングゲストはいっさい入れず、計12名のヒップホップ・プロデューサーと一対一の真剣勝負を繰り広げる。2013年にはKID FRESINOやPUNPEEなど東京のビートメイカー6名と組んだEP『tokyo ill method』をリリースしているが、今回は地元東海エリアや東京勢はもちろんのこと、北は北海道から南は九州まで、ベテランから若手まで年齢層も幅広く揃え、このバラエティに富んだ人選は直接、作品としての厚みにも繋がっている。

 JJJによるドラムとウワモノが深く絡みつくビートに乗って、本作に対する所信表明とも言える“DEFY INTRO”でアルバムの幕は開け、さらに畳み込むようにOMSBが手がけるド直球なファンク・トラックが最高な“SELFISH”、そして“RUMOR'S ROOM”では1982sの盟友であるMASS-HOLEのトラックの上で、嘘と噂が蔓延する世の中へ皮肉を込めたメッセージを放つ。この冒頭3曲だけでもトラックのスタイルは実に多種多様であるが、YUKSTA-ILLは変幻自在なフロウによってこれらのトラックを見事に操り、言葉ひとつひとつをしっかりと耳にはめ込んでくる。

 名古屋の重鎮、刃頭によるいぶし銀なトラックの“LONELY CLOWN”、2000年前後のアンダーグラウンド・ヒップホップにも通じるレイドバック感溢れるDJ Whitesmithの“OWN LANE”、曲のテーマ通りのインダストリアル・テイストなJUNPLANTによる変則チューン“ASTHMA 059”を経て、アルバム中盤の個人的なピークは田我流およびstillichimiya周辺の謎のトラックメイカーとして知られるFALCONが手がけた“COMPLEX”だ。YUKSTA-ILLの地元のシーンに対する愛憎交わる熱い思いが、ヴァースごとに小技がいろいろと効いたFALCONのトラックに乗ることによって、結果的に愛情豊かな1曲として見事に仕上がっている。後半では、オールド・エレクトロのテイストも感じられるDJ HIGHSCHOOLによる“IT'S ON ME”、北のベテラン、DJ SEIJIによるブーンバップ全開な“MY STANCE WIT' ATTITUDE”、クリーンかつ深く耳に突き刺さるDJ MOTORAの“PIECE OF MIND”、昨年リリースのアルバム『here』でも共演したKOJOEがトラックを手がける、まるで永遠に時が続いていくような感覚の“TILL THE END OF TIME”と続き、ラストは前述の『tokyo ill method』にも参加していたBUSHMINDによるドリーミーなメロディが印象的な“DEFY OUTRO”で、アルバムの幕は綺麗に閉じる。

 全てYUKSTA-ILL自身が選んだプロデューサーおよびトラックであり、当然、そこに一貫した流れはあるわけだが、ラッパーとしてこれほどの多彩なメンツをひとつにまとめる手腕は実に見事だ。そして、自らの内面やヒップホップ・シーン、あるいは社会に対する時にストレートで時に屈折した感情が込められたYUKSTA-ILLのライムの説得力と、スキルに裏打ちされたフロウの力が、本作の完成度を高めている最大の要因であることは言うまでもない。1曲ごとに「次に何が出てくるか?!」というワクワク感を楽しむためにも、ぜひアルバム単位で頭から最後までじっくりと堪能して欲しい作品だ。

Corey Fuller - ele-king

 坂本龍一、テイラー・デュプリー、Illuha による2015年のライヴ・レコーディング作品『Perpetual』は、なんともすばらしい音の戯れを聞かせてくれる良盤で、いまでもこの季節になると聴き返したくなる。その Illuha を伊達伯欣とともに構成しているのがコリー・フラーだ。彼は去る2月にデュプリーの〈12k〉から『Break』というじつに興味深い新作を発表しているけれど、なんとそのアルバムのリリース・パーティが5月27日に開催される。会場はWWWで、当日は特別編成のアンサンブルによる生演奏が披露されるとのこと。詳細は下記より。

Corey Fuller + Break Ensemble with Special Guest
5/27 MON @WWW

OPEN / START: 19:00 / 19:30
ADV / DOOR: ¥3,500 / ¥4,000 (税込 / ドリンク代別 / 全自由)
LINE UP:
Corey Fuller + Break Ensemble
Corey Fuller (Piano + Electronics) / 一ノ瀬響 (Piano) / 須原杏 (Violin) / 波多野敦子 (Viola) / 千葉広樹 (contrabass)
with special guest
TICKET: 一般発売: 3/2 (土)
チケットぴあ / ローソンチケット / e+ / iFlyer (English available) / WWW店頭
INFORMATION: WWW 03-5458-7685

坂本龍一、テイラー・デュプリーらともコラボレーションをする、ILLUHA の片割れであるアメリカ人実力派サウンド・アーティスト、Corey Fuller (コリー・フラー)が待望のソロ・アルバム『Break』のリリース・パーティを開催! アルバムの世界観をライヴで表現するため、The Break Ensemble:波多野敦子(Viola)、須原杏(Violin)、一ノ瀬響(Piano)、千葉広樹(Contrabass)、そしてPAエンジニアには zAk を迎えた特別編成でお送りします。また、オープニングにはスペシャル・ゲストも出演予定。エレクトロニクスと生楽器が織りなす繊細かつ壮大なサウンドスケープ、ご期待ください!

Corey Fuller (コリー・フラー)

アメリカ生まれ、日本育ち。現在、東京在住。ミュージシャン、サウンドデザイナー、エンジニア、映像作家、写真家、として幅広く活動中。2009年にファースト・ソロ・アルバム『Seas Between』〈米Dragon's Eye〉を発表して以来、NYの名門老舗レーベル〈12k〉より ILLUHA 名義でアルバムを数々リリース。その後ヨーロッパ、北米、日本を含め世界各国をツアーで周り、Stephan Mathieu や Slowdive の Simon Scott などといった様々なアーティストとコラボレーションを積み重ねる。2013年には坂本龍一、Taylor Deupree らとYCAMで共演を果たし、そのライヴ音源『Perpetual』がリリースされた。2019年2月1日に〈12k〉より待望のセカンド・ソロ・アルバム『Break』のリリース。バックミンスター・フラーの親戚でもあるコリー・フラーは同様に自然とテクノロジー、場の力などをテーマに、建築、空間演出、写真、舞踏、短歌、書道、映画など、幅広い分野でコラボレーションを展開し、型に嵌める事なく活動の場を広げている。

Yves Jarvis - ele-king

 今期はTVドラマに面白い作品が多く、最終回まで見てしまったものが5作品もあった(最後の最後まで低視聴率だった『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』が個人的にはダントツでした)。興味深かったのは登場人物が人の悪いやつばかりという『グッドワイフ』が面白かったのは、まあ、当然だったとして(オリジナルはアメリカ作品なのでキャラクターは日本人離れし過ぎだったけれど)、逆にいい人しか出てこない『初めて恋をした日に読む話』は面白くなるはずがないと思ったにもかかわらず、なぜか最後まで楽しめてしまった。いい人しか出てこないなんて、話に陰影のつけようがないし、そもそも世界が単調で嘘くさいだけだと頭ではわかっているのに……(それこそ『3年A組』は人間の裏表だけで突っ走ったようなドラマだったし……)。音楽も同じくで、少しは毒だったりネガティヴな要素がないとリアリティのあるものにはならないのではないかと頭では思うのに、どういうわけかごくごくたまにピュアなムードだけで押し切られてしまうこともある。ここ1ヶ月ほど繰り返し聴いていたイヴ・ジャーヴィスもそうで、あまりに無防備で素直な作風なのに、それとなく心に引っかかり、何度も聴いてしまったというか。こういう人もたまにはいるんだよな。

 世田谷の空が狭すぎるならケベックの空はもっと狭いのか。弾け出すには何か足りないどころか、弾け出すという考えにも至らないのだろう。モントリオールのジャン・セバスチャン・オーデットが、これまで使っていたアン・ブロンド(Un Blonde)の名義からイヴ・ジャーヴィスに名義を切り替えて1作目はソウルフルな宅録風のアコースティック・ポップで、これがとても心地よく優しい響き。サーラ・クリエイティヴが腰砕けになったようなヘロヘロのヒップホップ調だった初期のアン・ブロンドは、最終的に『Good Will Come To You』(18)でサイケデリック・フォークを志向するようになり、それまでは「楽観的で朝の喜び」を表現していたものにフィールド・レコーディングやエレクトロニックな処理を増やし、さらには「寝る前に感じる苦痛」というテーマを与えることで『The Same But By Different Means(違う意味で同じ)』へとヴァージョン・アップを果たすこととなった。1曲だけヒップホップに揺り戻したようなビートもありつつ(“That Don't Make It So”)、全体としてはソフトで温かみのあるフォーク・ロックを軸に、しんみりと落ち着いた気分にさせてくれる全22曲という構成(曲の長さは14秒から8分12秒までかなり幅がある)。エアリアル・ピンクがスティーヴィー・ワンダーを取り入れたといえば少しは雰囲気が伝わるだろうか。

 ノワール・フォーク・シュールレアリズムと称されたりもしているので歌詞にはけっこう不穏な部分もあるのかもしれないけれど、何を歌っているのかはよくわからない&とくに話題にもされていない。ジャム・セッション風の“Blue V“、鳥の声だらけの“Dew of the Dusk”に“Exercise E”はとても美しいアンビエント・ドローン。よく聴くとかなりハイブリッドな音楽性で、これらを見事にまとめあげているというか、全体を貫くイメージがしっかりとしているので、それらが手法によって引き裂かれてしまうということがない。自分だけに接近して語りかけてくるかのような歌い方のことを枕を意味するピロウィーと形容するらしいけれど、オーデッドのそれはまさに耳元で囁かれているかのごとく。声の調子を変えることもなく、ひたすら穏やかにメランコリーが煮詰められていく。彼の音楽ヴィデオにはいつも彼だけしか映し出されず、ほかはすべて死に絶えたかのようで、まるで地球上で生き残ったのはこの人と僕だけ……みたいな。そんな聴き方も悪くない気がして。

『違う意味で同じ』というタイトルは、なんか、しかし、ジレ・ジョーヌのことみたいだな。

音楽性が豊か(very musical)で、直球(direct)で、そして簡潔(concise)ね。
(オフィシャル・インタヴューより)

 というのが、「ニューアルバム『GREY Area』を3語で表すなら?」という質問に対しての、リトル・シムズ本人による回答だ。本作の、たとえば“Selfish” “Pressure”や“Flowers”で聞かれるピアノとフックの歌メロが印象的な、内省的でメロウな楽曲群に「豊かな音楽性」を見出すのは難しくない。しかし何よりも“Offense”や“Boss”のように生ドラムのサウンドが印象的な生楽器で構築されたビート群に絡みつく、単にメロディックという意味だけでなく、リズムと発声が完全にコントールされた「音楽的」としか言いようのない彼女のフロウは、僕たちの鼓膜を「直球」で捉える。そしてそのリリックは、タイトルのシンプルさが示すようにとても「簡潔」で、曲のコンセプトもまた直球でストンと落ちてくる。

 しかしこの3語の回答は、リトル・シムズというラッパーの本質を突いているようでもある。

 ロンドン出身の25歳、ケンドリック・ラマーをして「一番ヤバい(=illest)」アーティストだと言わしめる彼女は、プロのラッパーを志して大学を中退してから、ひたすら走り続けてきた。前作『Stillness In Wonderland』──『不思議の国のアリス』に目配せするコンセプト・アルバムでもある──でその実力を見せつけ、アンダーソン・パークゴリラズ、そして憧れのローリン・ヒルらとツアーを重ね、数あるMV群でも独特のレトロ・モダンなヴィジュアルイメージをまとってファッションアイコンとしても認知され、絶対数の圧倒的に少ない女性ラッパーの中でも順風満帆に成功への道を辿っているように見えた。しかし、彼女を待っていた「ワンダーランド」は単に夢見ていたファンタジックな世界ではなかった。

周りに有名人が増えてくると彼らの成功と自分を比べてしまったり。そして「これじゃダメだ。ああなりたい」と思ってしまったり。そんなことにばかり目が向いてしまいがち。自分の足場を固めないといけないのに。
(オフィシャル・インタヴューより)

 成功への階段を上ることで、自分を見失う。あるいは、ツアーばかりの生活も、彼女にとっては厳しい経験だった。

家を離れている時間が長いのは、ホント大変。すごく寂しいし孤独を感じるし、色んなものを見逃している気がする。それだけじゃなくて、前は普通だった体験を共有できないっていうか、ね? それがキツかったな。
(オフィシャル・インタヴューより)

 しかしそれらも含めて、彼女は自身の経験を音楽という形に造形し、世界と共有する。それらを溜め込まずに、リリックにしたためる。

ほとんどもう、セラピーみたいなものよ、そうやって…うーん、なんだろ、形に残してケリをつける、かな、それができるのはセラピーのようなもの。 (オフィシャル・インタヴューより)

 本作に収録の“Therapy”もそんな彼女の曲作りについての歌だろうか。しかし聞こえてくるのは、「なんでセラピーに来る時間を作ったのかも分からない/あんたの言葉に助けられることなんてないんだから/あんたが何かを理解してるなんて信じない」といった、むしろセラピーを咎めるようなリリックだった。そうだ。彼女は誰のものでもない、自身の経験に基づいて、創作活動というセラピーを見つけたのだ。だから、紋切り型の表面的な言葉を発する人々をセラピストになぞらえながら警鐘を鳴らしつつ、「私たちは欺瞞と虚構に満ちた社会に生きてる/なんとかヒット曲を生もうと、人々は必死になってる/大きな声で言うべきことじゃないかもしれない/もう言っちゃったけどね」と毒づく。

 何よりも今作における彼女は「直球」だ。たとえば「Tiny Desktop」に出演する彼女の、いかにも人懐っこい笑顔やその物腰から、無防備に彼女のライムに近寄ってはならない。制作に
サンダーキャットとモノポリーも迎えた、その名も“Venom(=毒)”で驚異的なスキルを見せつける彼女のライムに噛みつかれるのがオチだ。

男たちはプッシーを舐めてる、ケツの穴もね/あら、怒ったの? なら私のところに来てみなさいよ、ディックヘッド
“Venom”より

 “Offense”や“Boss”にも通底している攻撃性には、ロクサーヌ・シャンテからニッキー・ミナージュまで引き継がれるフォーミュラが息衝いている。“Therapy”の韻を踏みまくるスタイルといい、“Venom”のアカペラが映えるいかにもスキルフルな高速フロウといい、彼女がヒップホップらしいスキルフルなラップに魅了されたラッパーであろうことは一目瞭然だが、フェイヴァリットは誰なのだろう。

間違いなくビギー・スモールズ、ナズ、ジェイZ、カニエ・ウエスト、あと…モズ・デフ、ウータン、それと…2パック…ミッシー・エリオット、バスタ・ライムス、ルダクリス…その他諸々。
(オフィシャル・インタヴューより)

 なんとも頼もしい。確かにブレイドにも、ルーツ・マヌーヴァにも、あるいはダーティ・ダイクにも、要所要所で僕たちはUKのアーティストたちにヒップホップの良心を見てきた。このアルバムには、そんな彼女のラッパー/ヒップホップ観が表れている。つまりここには、しばしば現在のヒップホップが失ってしまったと嘆かれるクリエイティヴィティが満ち溢れているのだ。
ではそれは、どのように生まれたのか。成功への道に導かれつつも自身を見失ってしまいそうになったときに彼女が選択したのは、「コラボレーション」だった。本作は、同じロンドン出身で彼女のことを9歳から知っているという Inflo をプロデューサーに迎え、何人かのゲストをフィーチャーしつつも基本的にはふたりのコラボレーションで制作された。

全部最初から一緒に作っていったから、本当の意味でのコラボレーションだった。ビートが送られてくるのとは違って…いや、それだってコラボレーションには違いないけど、今回みたいに本格的に誰かと共同作業をしたことは今までなかった。それもプロジェクトの最初から最後まで。相手のアイデア、私のアイデア、と出し合って、私が相手の作ったものを気に入らなかったり、相手が私に作ったものを気に入らなかったりすることがあっても、お互いに歩み寄って納得のいくところを探し出すっていうのは単純にやり方が違ったし、おかげで本当に強力なプロジェクトになったと思う。
(オフィシャル・インタヴューより)

 結果生まれた、ファンキーかつアトモスフェリックな生楽器の演奏を中心に据えたプロダクションと彼女のラップの相乗効果はどうか。一聴してすぐに分かるのは、それが現行のアメリカのヒップホップ・チャートからは決して聞こえてこないであろうサウンドだということだ。

今度のアルバムのサウンドは完全に異質だと思う。私の前のアルバムとも全然違うし、今耳にする音楽と比べても違うし、なんて言うんだろう…とにかく個性的。
(オフィシャル・インタヴューより)

 生楽器中心ということもあり、それは恐ろしく「簡潔」なサウンドだ。しかしそれは単調というのは違う。むしろそれは、「簡潔かつ複雑」とでも言うべき音空間なのだ。たとえばオープニングの“Offense”を貫くのはファンキーなブレイクビーツとブリブリのシンセベースだが、シムズのために十分に空けられた音の隙間に挿入されるフルートやストリングス、あるいはコーラスといったウワネタは、どれもオーヴァードライヴで歪まされ、かつリヴァーブでさらに空間性を強調されている。しかしどの音も互いに埋没することなく、しっかりとフレーズ単位でその輪郭を主張しながら絡み合うのだ。そしてビートの隙間を縫うように、彼女は一ライン毎に十分に間を空けながら、ここしかありえないという絶妙な位置にライムを配置していく。いつの間にかラッパーたちは、隙間を空けることを怖がり、強迫症にかかったように言葉数を多くして息継ぎをする間もないヴァースを量産してきた(そんな状況に疑問を呈したのがトラップというジャンルだという捉え方もできるかもしれないが)。“Venom”のようにリスナーを窒息させるラップにもスキルが必要なら、この“Offense”のように行間のグルーヴに語らせる「簡潔」なヴァースもまた、並々ならぬスキルに裏打ちされたものだ。

 さらに「簡潔」なビートを「複雑」に彩る、“Wounds”や“Sherbet Sunset”、“Flowers”で聞こえてくるギターは、独学で身につけてきたという、彼女自身によるものと思われる。

こんなにメンタルがおかしい世界でどうやって正気でいられるか/世界は十分病んでるわ/ヴードゥー・チャイルドがパープル・ヘイズで遊ぶほどに/一人でいる時は決して安息できない/これは一時的なものじゃない
(“Flowers”より)

 彼女が以前からリスペクトを公言しているジミ・ヘンドリクスと共に、カート・コベインやバスキア、ジャニス・ジョプリンといった27歳で亡くなったアーティストたちに花を手向ける“Flowers”で幕を閉じる本作(日本盤には去年の来日のことだろうか、渋谷を訪問した様子もリリックに登場するボーナス・トラック“She”が収録)は、確かに「音楽性が豊か」で、「直球」で、そして「簡潔」な作品だ。しかしそのような作品を、彼女はなぜ『GREY Area』と命名したのだろうか。

SNSの時代は特に、あっという間に本来の自分じゃないものになってしまいかねないから、とにかく自分に正直に、自分の気持ちに正直に、そして自分は完璧じゃないということをオープンに受け入れて、みんなと同じで間違いも犯すし、まだ24才で自分が何者でこの世界で何をしようとしているのかわからないまま模索していて…女性としてもはっきりしないことがまだ沢山あって、世の中は白黒はっきりしたことばかりじゃなくてグレーゾーンがたっぷりあるってことをそれでヨシとしたい。だからアルバムのタイトルもグレー・エリアにしたの。白黒で割り切れるものなんかなくて、見た目ほどシンプルじゃないから混乱もするし、そこで迷うことも多いけど、それが人生なんじゃない?
(オフィシャル・インタヴューより)

 世界を前にして、ときにはグレーの無限のグラデーションのなかで方向性を見失うことすらも、率直に示すこと。本作を形作る濃淡様々なグレーのピースたちは、彼女の足跡だ。そのようなグレーのなかで迷い、引き裂かれるラッパー像といえば、やはりケンドリックを思い起こしてしまうが、果たして彼女は、どこへ向かうのだろう。しかし今はまず、本作の直球で簡潔な表現の底を流れるそのグレーな豊かさに、耳を澄ますことにしよう。

 ヒップホップは、個人のオリジナリティやアイデンティティを尊重するが、ひとつの音楽ジャンルとしてのヒップホップは、集団性によって更新されてきた。トレンドセッターが切り開いた方法論を共通のルールとするかのように、ヒップホップ・ゲームの競技場のプレイヤーたちが集団となって更新されたルールをフォローし、互いの似姿に多かれ少なかれ擬態し合い、互いのヴァースのみならずスタイルをもフィーチャーし合い、互いに切磋琢磨し、表現を洗練させ、ジャンル全体(あるいは各サブジャンル)を発展させる。隣の仲間が進行方向を変えれば自分も向きを変える、ムクドリの群れさながらに。数え切れないほどのビートが、フロウが、僅かな差異を積み重ねグラデーションを描きながら上方に堆積していく。より高み(ネクストプラトゥー)を指向して。しかし、そのような集団性のなかで、トレンドをセットするわけではないほどにアヴァンギャルドさを持ち合わせているがために、単独で逸脱する、ベクトルを異にする個体が、突如として現れる。
 たとえば2000年前後のアンダーグラウンド・ヒップホップの興隆の中でも、特にアンチ・ポップ・コンソーティアムやアンチコンの作品群の記憶が鮮烈に蘇るし、ゴールデンエイジにおけるビズ・マーキーやクール・キースを端緒に、ODB(オール・ダーティ・バスタード)の孤高を思い出してもいい。もっと近年ではクリッピングクラムス・カジノリー・バノンデス・グリップスヤング・ファーザーズシャバズ・パレセズらのビートとフロウがもたらす異化、ダニー・ブラウンジェレマイア・ジェイ、スペース・ゴースト・パープの変態性、そしてタイラー・ザ・クリエイターやアール・スウェットシャーツらオッド・フューチャー勢の快進撃がこのジャンルの外縁を示し、僕たちはその稜線を祈るような思いでみつめてきた。「ヒップホップ・イズ・ノット・デッド」と呪文のように繰り返しながら。特に近年、ネットというインフラ上で発光するエレクトリック・ミュージックの多面体と、その乱反射するジャンルレスの煌めきは、明らかに、ヒップホップの集団性からの逸脱を誘引する磁力として働いている。

 ルイジアナ出身の28歳のペギー(Peggy)こと JPEGMAFIA は、その乱反射を吸引し尽くし、自らが多面体化するのを最早留められなくなった如き異能の人だ。彼のオフィシャルでは2枚目のアルバム『Veteran』は、エスクペリメンタルなトラップ以降のビートをベースに、ローファイに歪ませたサウンドのバラバラの欠片やグリッチーに暴走するリズムをあちこちに地雷のように仕組んで、全体を多重人格的な──多声による──メタラップで塗り固めた怪作だった。
 メタラップというのは、前作『Black Ben Carson』収録の“Drake Era”に“This That Shit Kid Cudi Coulda Been”や、シングルの“Puff Daddy”、そして“Thug Tear”といったようにラップ・ゲームやリリックで歌われることをメタ視点で俯瞰する、人を食ったようなタイトル群を見ても明らかだろう。
 しかし彼がそのメタ視点を用いて差し出すのは、モリッシーをディスったことで大きな話題をさらった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”に代表されるような、ポリティカルなメッセージ群だ。初めはインスト音楽を作っていたペギーは、自分がラップすべき本当に言いたいことがあるのかという懐疑に捉われていた。多くのラップのリリックを聞いても、所詮皆同じことを歌っているだけではないかと。だがジャーナリズムで修士号を持つ彼は、アイス・キューブのやり方と出会うことで、ポリティカル・ラップに活路を見出したという。
 1990年にリリースしたファースト・ソロ・アルバム『AmeriKKKa's Most Wanted』において、フッドの現実を過激な言葉で描写したアイス・キューブは、実存というよりも、「アイス・キューブ」という視座を仮構してみせた。そして同アルバムのオープニング“The Nigga Ya Love To Hate”では、人々が「ファック・ユー・アイス・キューブ!」と叫ぶ様をフックとした。
 一方のペギーはオフィシャルのファースト・アルバム『Black Ben Carson』で、2015年に共和党から初の大統領選への黒人立候補者となり早くからトランプ支持を表明、現在アメリカ合衆国住宅都市開発長官を務めるベン・カーソンにあえて「Black」を付けて、リリックのなかで「white boys」を煽ってみせる。ここには確かに、キューブの方法論と通底するメタ視点が働いてはいないか。さらに後述するように、彼は表現のレベルにおいても、従来のコンシャス・ラップを俯瞰するように、異なる方法で実装してみせる。

 『Veteran』というタイトルは二重の意味を持つ。文字通りペギーは元空軍出身(=退役軍人/veteran)だということ。そして14歳から音楽制作を始めていた彼は、クリエイターとしてキャリアを積んでいるということ。自身、インタヴューで次のように語っている。曰く、この世界には誰にも知られることなく長い間音楽を作り続けている人間(=ベテラン)がいるし、『Veteran』収録曲の中にもどうせ誰も聞くことはないと思って作ったものもある、と。
 かつての MySpace はそのような音楽家たちが論理上は万人に開かれるインフラとして機能したし、SoundCloud や Bandcamp においてもその点は同様だ。しかし星の数ほど存在するアカウントの小宇宙を相手取り、衆目を集めるのは簡単ではない。『Veteran』は高評価で受け入れられたが、このようなメッセージ面でもサウンド面でもエッジィな作品が受け入れられたのは、たまたまタイミングが合ったからだと本人は分析している。
 しかし逆に、誰にも聞かれることがないと思っているからこそ、クレイジーな音楽が生まれる可能性もまた、存在するだろう。そしてそのようにして作られた音楽が世界に接続されうるメディウムとして、インターネットは、かつての人々が抱いた理想像の残滓を担保したまま、そこに存在し続けている。
 2019年3月9日現在ペギーの SoundCloud のアカウントにアップされている最も古い楽曲は“Fatal Fury”で、アップの日付は7年前と表示されている。総再生回数は6478回と、決して多いとは言えない数字で、5件のコメントが付いているがどれもこの10ヶ月以内だ。つまり、この楽曲は2012~2018年まで、具体的には『Veteran』のブレイクまで、ほとんど誰にも発見されずにインターネットの小宇宙の片隅に鎮座していたのではないか。
 しかしその〈黙殺〉にも関わらず/のおかげで、彼のエッジィな創作意欲は『Veteran』と名付けられた作品にまで昇華された。そう考えることはできないだろうか。この作品は幸運にも、巨大な迷宮として、その姿をはっきりと僕たちの前に示している。

 この『Veteran』という複雑に入り組んで先の読めない迷宮はしかし、いかにも平熱を保った表情で幕を開ける。冒頭の“1539 N. Calvert”は、ウワモノのメロウな響きが支配する耳障りの良いオープニングだが、そこかしこに痙攣するように乱打されるビートが顔を覗かせ、様々な素材からサンプリングされ引用される短い文言の断片や、多重人格さを披露するペギーのヴァースがジャブのように繰り出される小曲だ。だが決して、その喉越しの爽やかさに騙されてはいけない。いや、一旦は彼の策略に乗ってみてもいい。すぐにやってくる狂乱とのギャップを楽しむために。
 ODBの喉ぼとけの震えのループがトライバルなドラムを狂気に駆り立ててしまう2曲目“Real Nega”を前に、僕たちはどんな風に四肢を振り回しながら踊ればいいのか? しかも、ベッドルームで。というのも、彼の表現はクラブのダンスフロアよりも、僕たちの薄汚れたベッドルームで踊り狂う想像力を掻き立ててくれるからだ。これらのビートの雨あられに身を曝し、どうしようもなくエレクトするプリミティヴな欲求を必死に隠し薄ら笑いを浮かべながら、僕たちは終盤の子供声のようなハイピッチ・ヴォイスが煽るフレーズに頷くしかない。こいつは「ホンモノのxx」だ。
 続く“Thug Tears”でも、分裂症の残酷さが開陳される。冒頭のキックと逆回転で乱射されるグリッチの雨から、転がる電子音のリフとその間を埋め尽くすボンゴのリズムに楔を打つゴミ箱を叩くようなローファイなスネアに、僕たちのダンスステップはもつれる。今度は体を揺らさずに黙って聞いていろと? ペギーの透明感溢れるコーラスと捻くれたシャウトの対比をベースにしつつも、そこに次々と闖入してくるサンプリングされた文言の数々が、綿密にデザインされたコラージュの語りを駆動する。しかし突然ビートのスカスカな時空間を埋めるブリブリに潰れたベースラインが現れる中盤以降、今度はペギーの語り口は一気にクールを気取り、剃刀のフロウで溌剌とビートを乗りこなす。
 シングル曲“Baby I'm Bleeding”が匿う快楽。冒頭から僕たちのアテンションをコルクボードに画鋲で止めてしまうミニマルなヴォイスの反復の上に、ペギーのフロウが先行して絡まり、やがてキックとスネアが後を追うようにビートに飛び込んでくる瞬間のカタルシスよ。さらに1分35秒で聞かせるハードコアなシンガロングとEDMのアゲアゲシークエンスの超ローファイ版を挟み、またもやモードを変化させるキックとスネアの上で何が歌われているのか。もともとは“Black Kanye West”という曲名だったというヴァースは、「ペギーをキメる田舎者/俺は次のビヨンセさ/俺の銃には悪魔が憑いてる/ダンテのように切り裂く(カプコンのヴィデオゲーム、デビルメイクライのキャラクター)/絶対カニエのように金髪にはしないと約束するぜ(カニエ は2016年、ライブ中にトランプを賛美する演説をしてツアーの残り日程をキャンセル、その後金髪にして再びその姿を見せた)/その代わり俺はたくさんのスタイル(so many styles)を持ってるからペギーAJと呼んでくれ(WWEのチャンピオン、AJ Stylesと掛けたワードプレイ)」とのこと。分かった。しかしこの男が匿っているスタイルの数は「so many」じゃない、「too many」だ。

 そのスタイルの多声性は、ビートのサウンドにも、リズムにも、旋律にも充満している。そして勿論ラップのサウンドにも、ライムにも、デリヴァリーにもだ。そしてメッセージという観点で見れば、前述の通り、いわゆるコンシャス・ラップと呼ばれうる、ポリティカルなスタンスを表明するライムが混沌としたサウンドに包囲され異彩を放っている。しかし彼曰く、彼はそれをコンシャス・ラップの括りではなく、「イケてる」曲として援用できるというのだ。そう聞いて想起されるのは、次の事実かもしれない。パブリック・エネミーがあれだけ人気を博した大きな原因のひとつは、彼らのヴィジュアル面を含めた方法論が「イケて」いたからだ。しかしペギーのアプローチはそれとは異なる。
 モリッシーを直接的にディスったことで話題となった“I Cannot Fucking Wait Until Morrissey Dies”では、その直球なタイトルそのまま、右翼的発言を繰り返し、ジェイムズ・ボールドウィンをデザインしたTシャツを売るモリッシーに対し「俺は左翼のハデスさ、フレッシュな.380ACP弾で武装した26歳のね」と怒りを爆発させる。しかしそれはあくまでも「イケてる」方法でだ。確かにビートを牽引するシンセのアルペジオがポップかつ美しく、音楽的な洗練とペギー自身の歌唱の先鋭さが、ある種のコンシャスなメッセージに含まれる鈍重さを無化してしまうようだ。
 他にも“Germs”ではトランプをメイフィールドのようにのしてしまいたいと批判するし、“Rainbow Six”でも銃とフラッグを掲げて集会を開くオルタナ右翼をからかう。それらはどれも、サウンドや歌唱の徹底的にエクスペリメンタルな展開のなかにあって、多重に張り巡らされたレイヤーのひとつとして、受け取られる。
 かつてタリブ・クウェリは、コンシャス・ラッパーとしてレッテルを貼られることへの違和感を指摘した。一旦そのイメージが付いてしまうと、リスナーを著しく限定してしまうことになるというのだ。しかしペギーのやり方はどうか。厳めしい顔で説教めいたライムをドロップするでもない。パンチラインとしてリフレインするでもない。あくまでもそれらは多くのレイヤーのうち、次々と通り過ぎていく一行として、表明される。そしてその言葉が発される声色やフロウも、それを支えるビートも、音楽的かつ現在進行形のテクスチャーが担保された──こう言ってよければ──「ポップさ」に満ちている。イケてるコンシャス・ラップとは、そのような多才さ=多重人格性の所以と言えるのではないか。

 しかし、、、数え上げればキリがないほど、このアルバムには豊かな細部が溢れている。折角なのでもういくつか数え上げておこう。またもや逆回転攻勢のアトモスフェリック・コラージュ・アンビエントの上で、何度目か数え切れないが明らかにペギーがロックを殺す瞬間を目撃できる“Rock N Roll Is Dead”。ペギー流のイカれたメロウネスが炸裂する“DD Form 214”では、ドリーミーなフィメール・ヴォーカルやウワモノを提出したそばから、下卑たキックと割れたベースのコンビネーションがくぐもったニュアンスを加えるために、いつまで経ってもドリームに到達できないという、つまりイキ切れない一曲。シャワーでパニック発作に襲われた際にレコーディングしたという“Panic Emoji”では、文字通りシャワーの環境音と並走するメロウなアルペジオにブーミンなベースがこれまでないエモい、エクスペリメンタル・トラップチューン。パニック発作に襲われ「俺は厄介者で/使えない奴だ/最悪だ/苦しい」と嘆く抑えたフロウが悲痛に響く。
 最後にもう一度触れておきたいのは、ペギーのサウンドの質感だ。たとえばノイジーなアンビエント・ラップ“Williamsburg”では、アクトレスことダレン・カンニガムばりに粗いヤスリで磨かれたノイズの層が、ビートにこれでもかと言わんばかりに馴染んでいる。組み合わされているサウンドのひとつひとつが、元々そのようなロービットな音像で、生まれ落ちたものであるかのように。しかしローファイをデザインするとき、ここまで馴染みのよい肌理を見つけ出すことのできる所以は? それこそが、JPEGという非可逆圧縮方式をその名に持つ彼の、天賦の才なのだろう。
 繰り返し、繰り返し、決して飽くことなくイメージをJPEG変換するように、サウンドの粒子は荒く膨張していく。この奇才の脳内に溢れ返るロービットの想像力に押しつぶされないよう、僕たちは、本作を噛みしだく、噛みしだく。

中原昌也 - ele-king

 先週のDOMMUNEで宇川直宏、『前衛音楽入門』を刊行したばかりの松村正人とともに、目の覚めるようなトーク&ライヴを披露してくれた中原昌也。彼の作家デビュー20周年を記念し、最新の小説が河出書房新社より刊行される。……だけではない。さらになんと、さまざまなアーティストが中原の小説を“リミックス”したというトリビュート作品集までリリース! 朝吹真理子、OMSB、五所純子、柴崎友香、曽我部恵一、高橋源一郎、町田康、三宅唱、やくしまるえつこ、湯浅学と、そうそうたる顔ぶれである。発売は3月26日。詳細は下記を。

日本列島を震撼させた話題作、
『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』
から20年!!
中原昌也最新作、2冊同時リリース決定!

【最新小説】
『パートタイム・デスライフ』
職場から逃亡した男に次々と襲いかかる正体不明の暴力――。
圧倒的スピード感で押し寄せる悪夢の洪水に、終わりはあるのか?
中原昌也のマスターピース、ついに刊行!

巻末に「中原昌也の世界」を特別収録。青山真治、小山田圭吾、椹木野衣が異才20年の軌跡と奇蹟を描く。

【あらすじ】
MIT仕込みのノウハウによって完璧に管理された職場から逃亡したパートタイムで働く男に次々と襲いかかる正体不明の暴力。NHKのビデオテープ紛失事件、アウトドアショップでの定員の諍い、スクランブル交差点で遭遇したサポーターの狂乱と警官からの痛打……。この悪夢に終わりはあるのか!? 徹底的な絶望を生きる男の悲劇的な人生が怒涛の笑いと爽やかな感動を誘う、中原昌也の最新小説。

【仕様】
タイトル:中原昌也『パートタイム・デスライフ』
解説  :青山真治・小山田圭吾・椹木野衣(巻末別丁「中原昌也の世界」に掲載)
刊行予定:2019年3月26日(予定)
仕様  :168ページ/仮フランス装/定価本体2,200円
AD  :前田晃伸+馬渡亮剛
Art work:中原昌也

【トリビュート作品集】
『虐殺ソングブック remix』
remixed by 朝吹真理子、OMSB、五所純子、柴崎友香、曽我部恵一、高橋源一郎、町田康、三宅唱、やくしまるえつこ、湯浅学

前代未聞!!! 既存のテクストをコラージュし、文学を、世界を震撼させる作家・中原昌也。その破壊的作品群を、各界第一線の才能が大胆不敵にリミックス。いま、中原昌也の新たな衝撃が鳴り響く!

【目次】
Ⅰ remix edition
待望の短篇は忘却の彼方に(町田康 tabure remix)
独り言は、人間をより孤独にするだけだ(OMSB’s “路傍の結石” remix)
子猫が読む乱暴者日記×レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー(柴崎友香 Kittens remix)
天真爛漫な女性(曽我部恵一 “Tell her No” remix)
怪力の文芸編集者×誰も映っていない(朝吹真理子 remix)
『待望の短篇は忘却の彼方に』文庫版あとがき(三宅唱 “小日本” remix)
鳩嫌い(五所純子 tinnitus remix)
子猫が読む乱暴者日記(湯浅学 “博愛断食” mix)
『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(やくしまるえつこ “type_ナカハラ_BOT_Log” remix)
『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(高橋源一郎 “こんな日もある” remix)
Ⅱ Original version
待望の短篇は忘却の彼方に/独り言は、人間をより孤独にするだけだ/路傍の墓石/子猫が読む乱暴者日記/天真爛漫な女性/怪力の文芸編集者/誰も映っていない/『待望の短篇は忘却の彼方に』文庫版あとがき/鳩嫌い/『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(抄)

中原昌也と同じく文学と音楽を横断する町田康やドゥ・マゴ文学賞で『作業日誌』を支持した高橋源一郎を始め、柴崎友香や朝吹真理子など豪華な小説家が結集。音楽シーンからは「すべての若き動物たち HAIR STYLISTICS REMIX」の記憶も新しい曽我部恵一(サニーデイ・サービス)、SIMI LAB で活躍するラッパーOMSB(初小説)、そして相対性理論などを手がけ美術や文筆でも注目を集めるアーティスト・やくしまるえつこが参加。映画『きみの鳥は歌える』の監督・三宅唱(初小説)や文筆家・五所純子(初小説)ら新たな才能に、音楽仲間の湯浅学(音楽評論)も加わった。さらにカバーではコラージュアーティストとして活躍する河村康輔が中原のデビュー作『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』単行本カバーをリミックス。20周年を記念した豪華なグルーヴが響き渡る!!

【仕様】
タイトル:中原昌也ほか『虐殺ソングブック remix』
刊行予定:2019年3月26日(予定)
仕様  :288ページ/並製/定価本体2,400円
AD  :前田晃伸+馬渡亮剛
Art work:河村康輔 (Mari & Fifi's Massacre Songbook Re-ILL-mix)

Holly Herndon - ele-king

 人工知能、ほんとうにブームである。書店へ行けば「シンギュラリティ」という言葉を掲げた本をよく見かけるし、私たちも紙エレ最新号で「なぜ音楽はいま人間以外をテーマにするのか?」という特集を組んだけれど、渡辺信一郎の新作アニメの世界で音楽を作っているのはAIということになっているようだし、今月末にリリースされるカーリーンのデビュー作もAIとのコラボだ。そしてホーリー・ハーンダンもその波に乗ると。なんでも、彼女がニュー・アルバムで共作している相手は「Spawn」という名のAIの“赤子”なんだとか。はてさて、いったいどんなアルバムに仕上がっているのやら。発売は5月10日。

HOLLY HERNDON

海外主要メディア大絶賛! エレクトロニック・ミュージックと知性の融合。
ホーリー・ハーンダン、人工知能と共作した挑戦的な最新アルバム『PROTO』を5月10日に発売へ。

エレクトロニック・ミュージックとアヴァンギャルドなポップ・ミュージックを追求し続け、常識を突き崩す作品を世に出してきたホーリー・ハーンダンが、英名門インディーレーベル〈4AD〉から最新アルバム『PROTO』を5月10日にリリースすると発表した。人工知能(AI)とのコラボレーションによって生み出されたという前代未聞の作品となっている。今回発表に合わせて、新曲“Eternal”が公開された。

Holly Herndon – Eternal
https://www.youtube.com/watch?v=r4sROgbaeOs

ホーリー・ハーンダンは、米南部テネシー州出身。幼い頃は合唱団などに参加していたものの、ダンス・ミュージックやテクノの中心地として知られるベルリンへの交換留学プログラムに参加したことを機にベルリンのクラブで演奏経験を積むなど、クラブ・ミュージックに傾倒していった。米国に帰国してからは、カリフォルニア州のミルズカレッジでエレクトロ・ミュージックとレコーディング・メディアの博士号を取得。また The Elizabeth Mills Crothers Prize の最優秀作曲賞を受賞している。2012年にデビュー・アルバム『Movement』をリリースし、2015年には〈4AD〉から 2nd アルバム『Platform』を発表。米音楽メディア Pitchfork で10点中8.5点を獲得するなど各メディアから賞賛された。現在は米名門スタンフォード大学の博士課程に在籍し、Max/MSP などのプログラムを使用してエクスペリメンタル・ミュージックの可能性をさらなる高みへと突き詰めている。

最新アルバムは、「Spawn」と名付けられたホーリー自身のAIの“赤ちゃん”とのコラボレーションの中で生まれた。しかし、決して今作がAIについてが主要のテーマとなっている訳ではないという。テクノロジーの進歩と音楽を結び付けたスタンフォード大に在籍するホーリーならではの知性あふれるアプローチが取られた傑作となっている。

今回公開された新曲“Eternal”は、人間の精神をコンピューターなどの人工物に転送するという“マインド・アップローディング”を通じて転送された“永遠の愛”にインスピレーションを得ている。同時に解禁されたMVは、人間の顔を分析し探しているというAIの視点から映像を加工して作られたという。

最新アルバム『PROTO』は、5月10日(金)にリリース決定! 国内仕様盤には、歌詞対訳、ライナーノーツが封入される。現在 iTunes Store でアルバムを予約すると、公開されている“Eternal”と先にリリースされた“Godmother”がいち早くダウンロードできる。

Holly Herndon & Jlin (feat. Spawn) - Godmother
https://www.youtube.com/watch?v=sc9OjL6Mjqo

「AIの未来を形作っている」 ──CNN
「野心的」 ──FADER
「ハミングしたり、口ごもったりしているそれには、生々しい、新生の性質があり、それはまるでジリジリと音を立てて女王蜂を探している蜂の群のようだ。」 ──NPR(“Godmother”について)
「人間のインプットを、非人間的なタイミングでアウトプットした、多層からなるグリッチなビートボックス」 ──NY Times(“Godmother”について)

label: BEAT RECORDS / 4AD
artist: Holly Herndon
title: Proto
release date: 2019/05/10 FRI ON SALE
国内仕様盤CD 歌詞対訳/解説書封入
4AD0140CDJP ¥2,000+税

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10174

TRACKLISTING
01. Birth
02. Alienation
03. Canaan (Live Training)
04. Eternal
05. Crawler
06. Extreme Love (with Lily Anna Haynes and Jenna Sutela)
07. Frontier
08. Fear, Uncertainty, Doubt
09. SWIM
10. Evening Shades (Live Training)
11. Bridge (with Martine Syms)
12. Godmother (with Jlin)
13. Last Gasp

空間現代 - ele-king

 昨秋坂本龍一とのコラボLPが話題になった空間現代ですが、そのときから噂になっていたリリースがついに実現! 来る4月26日、〈Editions Mego〉傘下のレーベルで Sunn O))) のスティーヴン・オマリーの主宰する〈Ideologic Organ〉から、じつに7年ぶりとなる空間現代のオリジナル・アルバム、その名も『Palm』が発売されます。同バンドにとっては初の海外リリースです。録音とミックスは goat やテニスコーツなども手がける西川文章、マスタリング&カッティングはラシャド・ベッカー。現在、〈Editions Mego〉の SoundCloud にて新曲“Singou”が公開されています。出だしからもうかっこいい……。

 なお、空間現代はこの3月からアメリカ・ツアーも開催中で、アルヴィン・ルシエやアート・アンサンブル・オブ・シカゴも出演する《Big Ears Festival》への出演も決定しています。詳細は下記よりご確認を。

[Album Information]

空間現代(Kukangendai)
『Palm』

Format: LP / Digital
Label: Ideologic Organ / Editions Mego
Cat no: SOMA032
発売日: 2019年4月26日

1. Singou
2. Mure
3. Menomae
4. Hi-Vision
5. Sougei
6. Chigaukoto wo Kangaeyo

Recorded and mixed by Bunsho Nisikawa
Recorded at Soto, Kyoto JP
Mastered and cut by Rashad Becker at Dubplates & Mastering Berlin
Photographs by Mayumi Hosokura
Graphic design by Shun Ishizuka

https://editionsmego.com/release/SOMA032

[Tour Information]

March 10 Pioneer Works, Brooklyn // SECOND SUNDAYS 4-9PM // Kukangendai 7-8PM
https://pioneerworks.org/programs/second-sundays-march-2019/
https://www.facebook.com/events/413208172757505/

March 17 The Half Moon, Hudson
https://thehalfmoonhudson.com/

March 21 Big Ears Festival, Knoxville
https://bigearsfestival.org/

March 23 The Lab, San Francisco
https://www.thelab.org/projects/2019/3/23/kukangendai
https://www.facebook.com/events/584462182027642/

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