「iLL」と一致するもの

André 3000 - ele-king

 数ヶ月前、渋谷のど真んなかにある高いタワーで開催されたWeb3のイベントに参加していたとき、私は、そこにいた何人かの人びとのあいだの小さな騒ぎを感じた。目の前にはフルートを持った背の高い黒人の後ろ姿があった。世界各地において幽霊が訪れたかのごとき「目撃(sitting ) 」情報は何度か耳にしていたが、私は幸運にもアンドレ3000を目の当たりにすることができたわけだ。もっとも怖気づいた私は舌を噛むだけで、彼に何かしたわけではなかった。だいたい特段アウトキャストのファンではなかった私は、ノスタルジーからスターストラック(スターに夢中) になったわけではないのだ。彼のことを意識するようになったのは、アウトキャストの最後の2枚のリリースと、その後何年にもわたってアンドレがランダムに発表したゲスト作品がきっかけだ。まあ、いまとなってはファンかもしれない。みんなと同じように私も彼の精神状態を心配していたのだから。

 アンドレ3000の17年ぶりとなるアルバムが、パレスチナのガザで大虐殺が起こっているのとまったく同じ時期にリリースされたのは偶然の一致だろう。だが、ほんとうにそうなのだろうか? 宇宙はおかしなものだ。彼は「No Bars(小節はない)」とはっきり言っているので、この音楽のアクアティックな性質に驚く人はいないだろう。瞑想的、アンビエント、シンプル、リラックス、退屈などなど。誰も予想していなかったこのレフトフィールド作品を形容する形容詞はまこと多い。フランク・オーシャンの古典 (クラシック) 『Blonde』収録の“Solo (Reprise)”で、息もつかせぬ勢いを見せた男の作品だ。クラシック (古典) のさらにそのうえのクラシカル (古典的) なミュージシャン。

 2024年、文字通り指先ひとつでどんな音楽にもアクセスできるようになったいま、1970年代と聞いてもピンとこないかもしれない。ファラオ・サンダースの『Thembi』(1971)を彷彿させる緑色の服を着たジャケット写真は、多くの人が西洋社会の侵略に抗議するために着ていた、インドの影響を受けたスピリチュアルな服装に似ている。だが、そんなことをもう多くの人が理解しようとすることはないし、憶えていないかもしれない。フリー・ジャズやスピリチュアル・ジャズの伝説的なジャズの多くが、高次な意識に到達するためにフルートを演奏していたことを多くの人は理解していないし、憶えていないかもしれない。

 『ニュー・ブルー・サン』はラップの世界にとっては驚きだが、70年代のジャズの名人芸を排した黒人的伝統に完璧にフィットしている(インドから音楽的、精神的に影響を受けたことは注目に値する)。マイルス・デイヴィスの『In a Silent Way』を思い出せばいい。絹のようなメロディ、スローモーションのヴァイブ、リズムが飛び込んでくるまでのムーグ演奏によるゴージャスな地図。あるいは、コルトレーンの『A Love Supreme』における感情的な呪文。そして、数多のサン・ラー作品で聴ける、インストゥルメンタル神秘主義の奇妙な響き。アンドレは、経済的な状況を顧みることなく非商業的でエキセントリックな道を受け入れ、かれこれ50年以上にわたって継続されている、フォロワーたちにカーブボールを投げることを決めた黒人アーティストの系譜をたどっているのだ。

 各トラックに付けられた凝った皮肉たっぷりのタイトルは、誰もが面白がるだろう(*)。だけどジャズ・ヘッズは音楽のシンプルさにがっかりするかもしれない。しかし、それでいいのだ。皮肉屋は、この太陽の下に新しいものは何もないと言うだろう。しかし、そんなことはない。アンドレ3000のレフトフィールド・リリースは、いまのところ唯一、インスタグラムのストーリーやソーシャルメディア上で伝染していく実験的音楽だ。あたかもビートとフローがあるかのように、ほとんどビートのないニュー・アルバムにうなずくアトランタのヒップホップ・ファンのユーモアを反映したミームがインターネット上には溢れかえっているのだ。CD/レコード店の実験的ジャンルの売り場には足を踏み入れたこともない、つまりこのようなアルバムを手に取ることもないような人たちが、アンドレ3000が作ったこのチルな新世界について、友人たちに(私がそうだったように!)チェックしておくべきだと吹聴しているのは明らかな事実だ。

 ときに歴史は繰り返されるものだが、重要なのは文脈なのだ。セラピーの適切さが広く認識されるようになったいま、ブラック・ライヴス・マターであれガザ占領の終結であれ、人びとが抗議のために通りに飛び出す準備が整っているいま、自殺や深刻な精神疾患は治療や予防が可能だと多くの人が感じているいま、『ニュー・ブルー・サン』は、みんなの重たい心を休ませるために作られた、この戦争の年の最後の 鎮静剤 (レッド・チル・ピル**) であり目印である。


訳注 *たとえば1曲目は “本当に "Rap "アルバムを作りたかったんだけど、今回は文字通り風が吹いてきた”。2曲目“俗語であるプッシーは、正式表現であるヴァギナよりも遥かに簡単に舌を転がす。同意する?” /**レッド・ピル=『マトリックス』に出てくる現実が見える薬/チル・ビル=リラックス剤。


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Andre 3000 - New Blue Sun

by Kinnara : Desi La

Several months ago, while attending a web3 event in a tall tower in the center of Shibuya, I felt a small commotion among some of the people there. In front of me was the back of a tall Black man carrying a flute. Having heard the stories numerous times of these “sitings” around the world, like a ghost visiting, I was lucky enough to witness Andre 3000 myself. Intimidated, I bit my tongue and let him be. Never an OutKast fan, I wasn’t star struck from nostalgia. I came to him late with their last 2 releases and then the scattered guest drops he popped up on randomly over the years. A fan, yes but also concerned of his mental state knowing other people had similar concerns.

The release of Andre 3000`s first album in 17 years at exactly the same time as a genocide is occurring in Gaza, Palestine is a coincidence. Is it? The universe is funny that way. He's said very clearly “No bars” so no one is surprised by the aquatic nature of the music. Meditative, ambient, simplistic, relaxing, boring, etc. There are numerous adjectives that could be used to describe this left-field work that no one was expecting. This from the man that killed “Solo (Reprise)” on Frank Ocean`s classic Blonde breathlessly. A classic musician upon a classic.

2024 with access to any type of music at ones finger tips literally, heads may not connect the dots to the 1970`s. Or the jacket photo`s resemblance to Thembi by Pharaoh Sanders with green clothing similar to the Indian influenced spiritual garb that many wore to protest the aggressions of western society. Many may not understand or remember that many Jazz legends of free jazz or spiritual jazz took on the flute to reach higher consciousness.

New Blue Sun is a surprise to the world of rap but fits perfectly in the Black tradition of 70`s out Jazz minus the virtuosity (which notably was influenced musically and spiritually by India). You only need to look back at Miles Davis` In a Silent Way. A gorgeous map of silky melodies, slow motion vibes and Moog vistas before the rhythms jumps in. Or the emotional incantations of Coltrane`s A Love Supreme. Numerous Sun Ra albums too many to mention evoke the quirky side of instrumental mysticism. Andre follows a lineage stretching over 50 years of Black artists who decided to throw curve balls to their followers embracing noncommercial eccentric pathways regardless of economic fallback.

The elaborate tongue in cheek titles of each track will amuse anyone. Jazz heads may be disappointed in the simplicity of the music. But that’s ok. The cynic will say there is nothing new here under the sun. But that’s not what is happening. Andre 3000`s left field release is probably the only experimental music that is viral across instagram stories and otters social media. Memes have flooded the internet reflecting humor of Atlanta hip hop fans nodding to the almost beatless new album as if there were beats and flows. Its a clear fact that people who would never venture into the experimental aisle of a music store (if there were one) and pick up such an album are dming their friends (as happened to me!) about this chill new world made by Andre 3000 which I should check out. Though history sometimes repeats itself, the context is most important. In a time of wider recognition of therapy’s relevance, in such a time when people are ready to run out into the street to protest, whether for Black Lives Matter or the end of occupation in Gaza, in such times that many feel that suicides and severe mental illness is treatable and preventable, A New Blue Sun is a red chill pill last earmark in this year of war made to lay everyone’s heavy heart to rest.

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SPECIAL REQUEST - ele-king

 UKのリーズ出身のテクノ/ブレイクーツのプロデューサー、スペシャル・リクエストがザ・KLFのカヴァー集『WHAT TIME IS LOVE? SESSIONS』をbandcampにアップした。なぜこのタイミングで? という思われる方も多いかと思いますが、よくわからないです。ただ思い出すのは、“What Time is Love?”がヒットしたのは湾岸戦争のときでした。アルバムには『Chill Out』のカヴァーもあります。とにかくここにスペシャル・リクエストは「ムーへの神秘的な入口を開けた」と。

 


KMRU - ele-king

 ジョセフ・カマル(KMRU)はナイロビ出身、現在ベルリンを拠点とするアンビエント・アーティストである。彼は2020年に〈エディションズ・メゴ〉より『Peel』をリリースしたことでアンビエント・マニアに広く知られることになった。むろん『Peel』以前から彼はアンビエント・トラックを制作しリリースしていたが、やはり老舗エクスペリメンタル・レーベルからのリリースは、彼の名を知らしめる良い機会になった。
 同時に『Peel』はコロナ禍初期段階で制作されたアンビエント・アルバムであった。『Peel』は不安な状況のなかエモーショナルな感情が横溢するようなアンビエントに仕上がっていた。時代の空気を反映したようなアルバムだったのだ。20年以降、ロックアウト下で制作されたアルバムは多くリリースされたが、どの作品もどこか閉塞感から脱したいというエモーショナルなムードに満ちていたと記憶する。『Peel』はその嚆矢ともなった作品ではないかと思う。

 『Peel』以降、カマルの活動はさらに活発化した。特にアルバム・リリースが一気に増えた。またコラボレーション・アルバムのリリースもいくつかなされた。ソロ作では、2021年にリリースされたUKのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Injazero Records〉からリリースされた『Logue』が重要であろう。カマルのセルフ・リリースをまとめたアルバムで非常に貴重なものである。また、ドイツはフランクフルトのレーベル〈Seil Records〉から2022年にカセット/デジタルでリリースされた『Epoch』では、環境音や持続音のサウンドのレイヤーがより繊細かつ緻密に変化した。
 その『Epoch』のサウンドの延長線上にありつつ、カマルの変化が見事に定着したアルバムが同じく2022年にリリースされたアホ・スサン(Aho Ssan)とのコラボレーション作『Limen』であった。スサンの硬質な音響と、カマルのサウンドの交錯が実に見事で、インダストリアル・アンビエントとでも形容したい作品に仕上がっていた。

 今年(2023)にリリースされた『Dissolution Grip』はベルリン芸術大学でジャスミン・グフォンド(Jasmine Guffond)の指導のもと制作された(ジャスミン・グフォンドは〈エディションズ・メゴ〉からアルバムをリリースしている)。リリースはカマル自身が主宰するレーベル〈OFNOT〉からで、その第一弾リリースである。
 サウンド的には『Epoch』と『Limen』の硬質なインダストリアル・アンビエントを発展させたようなサウンドスケープを展開していた。メインのモチーフはカマルが録音したフィールド・レコーディング素材のようで、それを加工することで全編に活用しているという。
 カマルは、まずその音の「波形」に注目した。そしてその波形の形状からスコアを描き、それをシンセサイザーの音に変換していくプロセスを経て、ドローンを生成していったという。要は環境音の波形をシンセサイザーのドローン音で再生してみせたというべきか。その結果、元の音素材である環境音はほぼ原型を止めず、全編を覆う硬質な音響が生成されたというわけだ。
 そのサウンドはメタリックでありながらエモーショナルでもあるという初期から変わらないカマルのアンビエントなのだが、緻密で空間的、硬質なサウンドスケープを構成してもいる。スサンとのコラボレーションの成果を取り入れつつも、自身の音を追求し、より深みのある音響空間を生み出すことに成功したといえよう。アルバムは長尺2曲(デジタル版はボーナストラック1曲追加)が収録されている。 
 アルバムは非常にドラマチックな仕上がりである。1曲目 “Till Hurricane Bisect” の冒頭、遠くからコンコンと何かを打つような音が聴こえてくる。まるで工事現場の音のような音だ。それが次第に音の波に覆われていき、メタリックなドローンに覆われていく。どうやら暴風の音の波形をシンセサイザーに置き換えていったようだが、そのせいか自然現象と人工性が交錯するような不思議な音に聴こえてくるなら不思議だ。音が知覚を侵食するような感覚がある。
 2曲目 “Dissolution Grip” は、音が波のように折り重なり、どこかシンフォニックな音響を生成していくアンビエントだ。1曲目が自然現象の音響化であるとすれば、2曲目は、ドローンによるロマンティックな交響曲とでもいうべきか。この対比は見事だ。
 だが両曲とも本質は変わらない。ドローン/環境音の境界線を越境するような、無化するような、もしく溶かすようなアンビエントなのである。デジタル版には “Along A Wall” という12分22秒のボーナストラックが収録されているが、“Till Hurricane Bisect” と “Dissolution Grip” をミックスしたような音楽性である。ある意味、アルバムの「ダイジェスト」ともいえる曲といえよう。アルバムの「本質」を凝縮したようなトラックだ。単なるボーナストラックにしておくにはもったいほどの出来である。

 『Epoch』と『Limen』以降、より緻密な音響へと変化しつつあるクムルだが、本作『Dissolution Grip』はその彼の「変化」を刻み込んでいる見事なアルバムである。本年、カマルはフィンランドはヘルシンキのレーベル〈Other Power〉から『Stupor』をリリースしている。この二作合わせて聴くことで、彼が目指している最先端のアンビエント/音響空間を聴取できるだろう。新しい「静謐」と「感情」と「知覚」の交錯がここに鳴り響いている。

Billy Garner - I Got Some (Part 1) / I Got Some (Part 2) - ele-king

BGPS 070

CS + Kreme, Kassem Mosse, livwutang & YPY - ele-king

 今年精力的にパーティを開催してきたファッション・ブランドの〈C.E〉。その2023年最後のパーティの内容が発表されている。〈The Trilogy Tapes〉から作品をリリースするメルボルンのCS + Kremeは今回が初来日。
今年充実のアルバムを送り出したカッセム・モッセ。さらにそこに〈C.E〉のパーティには初出演となるlivwutangYPYの2組が加わる。全4組中3組がライヴでの出演とのことで、新しい試みに満ちた〈C.E〉のパーティを堪能しよう。会場はおなじみの表参道VENTです。

[11月27日追記]
 新たに追加出演者が発表されました。ロンドンをベースに活動するDJのCõvcoが登場。また、会場のみ限定で販売されるTシャツについても告知されています。


ブライアン・イーノ - ele-king

 グラム・ロック、アート・ポップ、エレクトロニック・ミュージック、前衛、アンビエント等、いくつもの領域にリーチし「万能ポリマス」ぶりを誇ってきたブライアン・イーノにも死角がある。ライヴ・パフォーマンスだ。

 ライヴ活動を完全に回避してきたわけではないが、近年では2009&10年開催の芸術祭向けプログラム「This is Pure Scenius!」、21年にアクロポリスで弟ロジャーと初コンサートと、散発的なのは確かだ。ワークシャイ(仕事嫌い)ならぬツアーシャイ? その意味でも、ロキシー・ミュージックを脱退しソロに転じて50年後に、イーノが「Ships across Europe」と題してヴェニス、ベルリン、パリ、ユトレヒト、ロンドンを初めてツアーすることになったニュースは世界の音楽ファンを驚かせた。

 ヴェネツィア・ビエンナーレで特別功労賞を受賞したイーノは、同ビエンナーレ音楽部門向けのプログラム制作を依頼された。結果生まれたクリスチャン・ヤルヴィ指揮バルト海フィルハーモニーとの共演作『Ships』を、フェニーチェ劇場でのプレミア後、欧州数カ所のコンサート・ホールで披露。2016年のアルバム『The Ship』篇、そして過去の作品からセレクトされた「歌もの/ヴォイスもの」篇から成る二部構成だ。ゲストとして、イーノ組常連リオ・エイブラムス(G)とピーター・チルヴァース(Keys)、そして声楽家/作曲家メラニー・パッペンハイムと俳優ピーター・セラフィノヴィッチ(朗読)も参加した。

 開演前からスモークがうっすら漂う会場内。後方にキーボード、ドラム他の演奏台がひな壇式に組まれただけのシンプルなステージだ。着席しても、イーノの重い腰を上げさせたのは何か? なぜ「今」実現したのか?と素朴な疑問が頭をよぎる。その疑問は、ヤルヴィとバルト海フィルを実際に体験して氷解した。イーノ自身、『The Ship』のライヴ版を構想していく中で浮かんだ「スコアではなくハートから演奏する、若くフレッシュな演奏家を」という要望を彼らはすべて満たしていた、と述べているが(しかも「海」が名前に付くので「船」とも語呂がいいのが決め手だったらしい)、このオケがあってこそ実現可能なパフォーマンスだった。

 客電が落ち、数秒の沈黙の後、フルートの響きがかすかに流れてくる。フルート奏者を先頭に両袖からオーケストラのメンバーがひとり、またひとり……と暗いステージに足を踏み入れ、徐々に増すアンビエンスの中に霧笛を思わせるホーンが寂しげにうなる。ドローンやかすれる弦が生むノイズは「綺麗ではないアンビエント」で、『The Ship』のモチーフのひとつであるタイタニック号の夜間航行の雰囲気。ヴァイオリン他の手持ち楽器を担当するミュージシャンは演奏しながらステージを淡々と歩き回り、その光景は雑踏のようでもあり、幽霊の群れのようでもあり、集団労働の場のようでもある。全員、黒地に様々な色の大きな丸を染め抜いたTシャツ&黒ズボン姿。ひな壇の上の、シンセ他のハードウェアが囲む中央ブースにイーノが立った。

 バルト海沿岸10国(ヤルヴィの出身国エストニアも含む)の音楽家育成のため2008年に設立されたユース・オーケストラを母体とするバルト海フィル(32名)は見たところ20〜30代。ハープやチェロといった大型楽器奏者以外は椅子を使わず譜面台もなしで、リード/弦/金管勢は曲の展開に合わせて持ち場を変え、観客に背を向けたり床に座ったり、コーラスを添える。バスティルとの共演はオーソドックスなスタイルで演奏しているが、今晩の彼らは「バックの楽団」ではなく文字通り「パフォーマー」だ。

 それ以上に目を奪うのがヤルヴィの指揮ぶり。「熱血指導」と形容される彼のスタイルは、クラシック音楽ファンの間ではつとに知られているらしい。一応ステージ前方中央がポジションとはいえ、団員の中に分け入って面前で細かく指示を出し、歩き回り、跳ね、グルーヴにノり、歌い、フレームドラムを叩き、満面の笑顔で観客を煽る――イーノはヤルヴィを「船長」と呼び、かつ「この人はトチ狂ってる!(笑)」と紹介していたが、ここまで「全身を使ってコンダクト」する指揮者にはお目にかかったことがない。ジャズやヒップホップを吸収した室内楽アンサンブルから始まり、スティーヴ・ライシュからマックス・リヒターまで多彩な共演を果たす等、20世紀の重鎮(旧世代)と彼らに影響されたコンポーザー(新世代)を橋渡しする意欲的なこの御仁(作曲家でもある)は、なるほど複数のモードとジャンルが混じった本パフォーマンスのキャプテンにふさわしい。

 ゆえにこの型破りなコンサートをデイヴィッド・バーンの『American Utopia』と比較する声があったのも、ある程度は理解できた。しかし『Ships』は『〜Utopia』のようにガチに振付けされたミュージカルではなく、ストーリー性も「提示」というより「喚起」だ。それは、刻々とモーフしていく音像と抽象的なヴォーカリゼイション――『The Ship』で歌われる/朗読されるのは、第一次世界大戦時の歌やタイタニック号沈没報告書等をアルゴリズムを用いて変換・生成した言葉だ――というコンポジションの性質が大きい。

 20分以上にわたるダーク・アンビエントなタイトル組曲“The Ship”は、冒頭のさざめきがいつしか群青の海に姿を変え、ピンスポットに浮かび上がったイーノが歌い始める。ハーモナイザーで加工しているものの、ロシア正教会聖歌風の歌唱が深々と響く。アルバム版はシンセが基調だが、オケの生音で聴くと立体的な隆起性や重力がそこに加わる。『The Ship』は元々オーディオ・インスタレーションとして創案され、多種多様なスピーカーやチャンネルが用いられた。イーノは「スピーカー群をオーケストラ楽器の一群のように捉える」と語っていたが、このパフォーマンスはその発想を逆転させたものと言える。演奏者が移動し、向きを変え、しゃがんでいた状態から立ち上がるにつれ、サウンドの遠近・高低・バランスも微妙に変化。「動き回るオケ」というのは一見ギミックぽいが、それは『The Ship』を生演奏で体験するための必然だった。

 雅楽的なパーカッションに同期して照明が明滅し、女性と男性のミステリアスなささやき――テープではなく、リアルタイムで加工されてはいただろうが、ブレスやマイクとの距離等々で声の響き方を見事にコントロールしている――が入り混じる。すれ違う記憶、もどかしさ。クリス・マルケルの映画を思わせる瞑想的なムードの中、最後は「Wave, after wave / after wave…」のリフレインが引き潮のように残った。

 続く“Fickle Sun”組曲は、コントラストを強調しドラマ性を高めた演奏だった。“Fickle Sun 1”で、チェロやヴィオラが敷く不気味なドローンの上をイーノの達観した「And on the day the work is done…」の声が流れる。縁の下の力持ち的存在だった管楽器が威力を発揮し出し、弦の刻む重音とねじられうめくヴォーカルも緊迫感を煽る。暗かった舞台をオレンジの照明が煌々と照らし、吹き荒れるスモーク――クレッシェンドの迫力はさながら『地獄の黙示録』の爆撃場面(いや、この楽曲のモチーフを思えば『西部戦線異状なし』か)で、うなり、振動する大音圧が皮膚にじかに感じられる。ドゥームメタルのライヴに近い聴体験だったが、決して耳に負担ではないのはライヴ音響担当者の功績だ。ほんと、とんでもなく良いサウンドだった。

 業火が吹き荒れた後に、「All the boys are falling down…」と歌い始めるイーノ。このパートはマニピュレートしない地声で、無防備なぶん哀感が増す。古い宗教歌や民謡を彷彿させるハーモニーがせりあがり、「テ・テ・テ・テ・テ…」と一音をループする女声が精霊のように飛び交う異界に落ち、舞台は暗転した。しばし間を置き、頭上から黄金色の照明がハープに注がれ、その雅びなメロディとコントラバスのかすかなタッチを伴い、セラフィノヴィッチが美声で朗読を披露。短歌にしろソネットにしろ、詩とは本来こうして「耳で聴く」ものだったのを思い起こす。声は楽器だ。

 ムードが落ち着いたところで舞台全体に少しずつ照明が復活し、フルートの調べに導かれる形でヴァイオリン奏者9名もステージに戻ってくる。デリケートな潮のごとく満ちていく音の海の中から、紛うことなきルー・リードのあのコード感覚が浮上してくる。それだけで筆者は不覚にも涙してしまったが、甘くも芯は太い声でイーノの歌いあげる「And now I'm set free / To find a new illusion」にどうしようもなく情感が高まり、涙腺の堰は決壊。ステージ上の全員が初めて一斉に観客に顔を向け、照らされた観客席と一体となった。「私は自由になった/また新たな幻影(物語)を見つけるために」のフレーズのイーノ解釈は、歴史という名の「物語の累積」から解放され、自分自身で新たな物語を見つける自由を得た歓びだ。未来に希望を捧げるフィナーレ。

 この貴重な機会を無駄にするわけにはいかないとばかりに、「じゃあ、あと何曲かやるよ」と第二部がスタート。「50年近く前に書いた曲だ」のMCに場内にさざめきが走り、照明が緑/青/紫にスイッチしのどかな鳥の歌声と川のせせらぎが響き出す――名曲“By This River”だ。至福。ピアノのパートをハープが紡いだことで、アルカイックとモダンが混ざり合った不思議に根元的で透徹した原曲の味わいに素朴でメルヘンな響きが増している。ピアニッシモな美とメランコリーで内側から輝く素晴らしい演奏だった。

 続いて、最新作『Foreverandevernomore』から“Who Gives a Thought”。「誰が蛍のことを気にかけるだろう」という問いかけから始まる歌詞は、川のテーマ続きで納得だ。ディテールに富んだサウンドでアンビエントなサウンドスケープが構築されており、オケの繊細な演奏を堪能。ヤルヴィが振り始めたシェイカーにのってドラムがリズムを刻み、リオ・エイブラムスが軽やかなフレーズを吹き流す。「まさか、“Spinning Away”!?(だったら嬉し過ぎる!)」――と一瞬思ったが、ソロ・コンサートなのでやはりそんなことはなく、(これまたレアなイーノのヴォーカル・アルバム)『Another Day on Earth』収録の“And Then So Clear”。

 この晩初めて一般的な意味での「グルーヴ」が広がり、前列にじーっと座っていた高校生くらいの少年が嬉しそうに身体を揺らし始める。プロセスされたヴォーカルは『Age of』期のOPNを思わせる響きだったが、イーノらしいリリカルでポジなメロディと歌詞の朝焼けのイメージ、バラ色の照明に包まれ、ステージ上の38名が作り出す「歌」――文字通り全員が合唱し、「演奏」していないプレイヤーも楽器のボディを軽く叩きパーカッション部に貢献していた――はあまりに温かく、「アァァァ〜ッ」の最後のコーラスはゴスペル合唱団を思わせるグロリアスさ。これが普通のコンサートだったら、観客も立ち上がり歌に参加していたことだろう。

 スタンディング・オベイションと鳴り止まないアンコールの喝采を受け、パフォーマーがステージに戻ってくる。ヴィオラとチェロのリズミカルなリフがズン・ズン……と拍動し始めムードは一転、不穏に。マリンバも加わりスティーヴ・ライシュ的なミニマリズムが形成され、パッペンハイムの朗誦がダークなサウンド・ポエトリーを編んでいく。演奏後、この“Bone Bomb”(『Another Day on Earth』収録)の背景についてイーノは以下のように語った:

「新聞を読んでいて、自爆テロ犯になることを決意したパレスチナ人少女と、その逆の立場にいるイスラエル人医師の談話、その両方に出くわした。医師いわく自爆テロ犯の骨片は一種の散弾になり、被害・負傷は悲惨さを増す。一方、少女は自分が役に立つにはそれ以外にない、と考えている。実に悲しいことだ。曲を書いた当時(※第二次インティファーダ期)、私は『この紛争はなんとか解決するだろう』と思っていたが、もちろんそれは甘い考えだった」
「過去12日ほどの間に戦火は激化し、パレスチナ人の子供は4千人近く、おそらくイスラエル人もそれくらい命を落としている。にも関わらず英政府は、イスラエル支援のために軍艦を送り込んでいる。とにかく――停戦しようじゃないか! 今夜のマーチャンダイズ販売の収益はチャリティ団体『Medical Aid for Palestinians』に寄付されます。皆さんもぜひ、停戦を求める次回のデモ(※イギリスでは10月14日以来毎土曜に行進がおこなわれている)に参加ください。それが無理でも、寄付をしてください」

 このツアーの始まる少し前に、パレスチナ・イスラエルの即時停戦を訴えるアート・コミュニティからの公開書状にイーノは署名している。しかしこの真摯な人道的呼びかけに対し、満場一致の大喝采……とはいかず、客席の反応がやや及び腰だったのは軽いショックだった。イーノのファンであるような左派〜リベラル勢の間ですら、パレスチナ・イスラエル戦争に対するスタンスを表明することは一種のタブー、触れられたくない腫れ物なのか、と(もちろん、「純粋に音楽を聴くために来たのであって、政治に関する説教は要らん」と感じる観客がいても当然だが)。ちなみに前労働党党首のジェレミー・コービンも観に来ていたが、彼は「一般市民の犠牲に対する批判」としてパレスチナ支援を表明したことで反ユダヤ主義の疑惑をかけられ、党員資格を一時停止されたことがある。それくらい歴史的・政治的・感情的に複雑に入り組んだ問題であり、分断でささくれたこの時代、おいそれとクチバシを突っ込まない方が無難な「火中の栗」なわけだが、公なプラットフォームを持つ者としての責任を放棄せず、自らの信念をはっきり打ち出したイーノに筆者は感動した。

 「この曲を、パレスチナ・イスラエル紛争の犠牲者への一種の鎮魂歌に作り替えました」の言葉に続き、“Making Gardens Out Of Silence”。原曲は寂寥たるアンビエント・ピースだが、コオロギの鳴き声をイントロにサウンドがゆったり膨らんでいき、ヴォコーダー等で処理されたヴォイスの切れ端が織り込まれながら、やがてコズミックな聖歌に発展。宇宙へ――この感覚は、最後に披露された“There Were Bells”の悠久な響きにも流れていた。鳥の声のフィールドレコーディング(空)から始まり、現在のイーノが誇るディープな歌声がおごそかに(地に)降り積もっていく。「Never mind, my love / Let’s wait for the dove」――実に悲痛なメロディは、おそらくこの晩もっともエモーティヴな歌唱で客席に落ちてきた。ミラーボール調の照明はさながら光の祭典で、激しく隆起するサウンドもアナザー・ワールドに向かっていくが、イーノの歌は地に足を着けていた。

 まさに「乗り切った」と言いたい熱演。喝采の中、改めての挨拶でヤルヴィが「皆さん、ブライアン・イーノです!」と紹介し、ライヴ音響エンジニア(3名)&照明スタッフの秀逸な仕事にも謝辞が送られ、熱いねぎらいの喝采が起こる。楽団員、ゲスト・パフォーマーら、全員がステージ前列に並び、そろってお辞儀――これはロック・コンサートでは「お約束」の図式だが、中央のイーノがぼーっと突っ立ったままだったのが印象的だった(ヤルヴィに促され、「あ、そうだっけ!」とばかりに、慌ててお辞儀に参加していた)。ベテランでありながら、この人はどこまでも「素人」だ。

 その微笑ましい姿と、三世代――イーノを最年長に、中年(ヤルヴィ他)、青年(オケ)――が達成感いっぱいの笑顔を浮かべる光景を見ていて、イーノの語った音楽システムの「ヒエラルキー」を思い出した。彼は伝統的な西洋クラシック音楽のオーケストラ構造を、神を頂点に、その声を耳にし記譜した作曲家とそれを指揮するコンダクターが上部に、その下に演奏家が位置し、またそれら演奏家の中でも第一奏者から副奏者までいる……というトップダウン型のピラミッドになぞらえた。対してアフリカ音楽では、実はもっとも大事な基盤を成しているのは単純なビートを淡々と鳴らし続けるいわばヒラの演奏家だ。

 この形容は「音楽はそもそもその成り立ちからして政治的」という話の中で出て来たものだったが、後者の例が民主主義モデルのそれであるのは言うまでもない。この晩の演奏にしても、ポップ〜ロック系コンサートであればヴォーカルが担うフォーカル・ポイントは固定せず、歌う場面でたまにスポットライトが当たる以外はイーノも終始後方に潜んでいた。先述したように、「歌い手」ではない指揮者やオケのメンバーも合唱していた。有機生命体のように全パートが関わり合い、シナプスで連携し、その場の状況に自らの意志・判断でリアクションする集団。それはまさに一隻の大きな船だった。

 アンビエント曲をオケに翻案していく過程で、クラシック音楽界では耳慣れないような、抽象的なリクエストも飛んだことだろう。だが、ヤルヴィとバルト海フィルは「楽譜に書かれた通りの指定を忠実に遂行する」クラシックの伝統に縛られない若さ、そして生き生き自己主張しながらも全体像に貢献するポジなエネルギーで、イーノのアイディアを具現化したと思う。キャリア初期に、イーノはポーツマス・シンフォニアやスクラッチ・オーケストラといった、素人も参加OKの実験的な楽団に加わったことがあった。以降、アートの大海をひとりでボートを漕いで進むことが多かったとはいえ(エゴ云々ではなく、次々生まれるアイディアを形にするのにはその方が速いからだろう)、コラボレーションから生まれるシナジーは常に大事にしてきた。遂に理想的なオケと出会った彼は、75歳にしてこの初体験に果敢に挑んだ。その衰えないチャレンジ精神、サウンドとビジュアルに対する尽きせぬ好奇心、そして過去数年より顕著になっている活動家としての面をひとつにまとめて提示してみせた、まさに「イーノのナウ」が凝縮された素晴らしいコンサートだった。


SET LIST

The Ship
Fickle Sun 1
Fickle Sun 2 - The Hour Is Thin
Fickle Sun 3 - I’m Set Free

By This River
Who Gives a Thought
And Then So Clear
_________________

Bone Bomb
Making Gardens Out Of Silence
There Were Bells

interview with Gazelle Twin - ele-king

 作曲家、プロデューサー、シンガーであるエリザベス・バーンホルツの別名として知られるガゼル・ツインの作品は、トランスフォーメイション(変化・変容)によって定義されてきた。2011年に『The Entire City』でデビューした際には、マックス・エルンストの鳥のような分身、ロプロップに触発された衣装でパフォーマンスを行った。2014年の『Unflesh』では、彼女の学校の運動着をモチーフにした衣装を身に着け、ナイロン・ストッキングを頭にかぶって顔を覆い、内臓をえぐるような(ホラーな)音楽を演奏した。これまででもっとも高い評価を得た2018年のアルバム『Pastoral』では、バーンホルツは、アディダスのトレーナーに野球帽をかぶり、ブレグジット派とリトル・イングランドの有害な遺産を標的にした邪悪なハーレクインに扮している。

 ニュー・アルバム『Black Dog』では、仮面ははずされたものの、彼女はまだ自分自身に戻ったわけではない。このアルバムでは、イギリス・ケント州にある農家を改造した家で過ごした幼少期に遡り、彼女を含む家族の何人かが遭遇した超自然的存在で、アルバム・タイトルとなった黒い犬が取り上げられている。一家は彼女が6歳の時に引っ越しをしたのだが、彼女のなかには漠然とした恐怖が残っており、一人目の子を出産した後にそれが余計に強くなっていた。そこで、彼女は古い記憶を掘り起こして幽霊話に没頭し、自分を悩ませているものの正体を解明しようとしたのだ。
 以前、バーンホルツはガゼル・ツインを操り人形に例えていたが、今回は自分自身を媒体として声をチャネリングさせている。アルバム中に撹拌された、薄気味悪いエレクトロニクスの響きは、時折不穏な静けさに中断され、聴く者を不安にし、時には不気味なサウンド・デザインと激しいヴォーカル・パフォーマンスの両面で、後期のスコット・ウォーカーを彷彿とさせる。完璧なハロウィーン向きのサウンドトラックともいえる。このアルバムは、ホラー映画『Nocturne』などの彼女の最近のスコアをリリースしているInvada Recordsからの初のソロ・アルバムとなっている。

だから子どもたちには、反抗心を植え付ける必要がある。学校では無理なら、家庭でね。

数日前に初めて『Black Dog』を聴いたのですが、ジェニファー・ケントの『The Babadook(ババドック 暗闇の魔物)』を思い出しました。この映画はご覧になりましたか?

GT:一度飛行機のなかで観たのだけど、もう一度観なくてはと思っています。自分が親になる前に観ていて、映画については微かな記憶があるだけ。いま観ると、また違ってみえると思う。

かなり不快に思われるかもしれませんね。ホラー的な要素がありながら、実生活での難しい子供の母親であることの痛みが混ざり合っていますから。見ているものが本当に超自然的なものなのか、あるいは母親の経験が明示されているのかがわからなくなります。

GT:この映画が公開され、自分が母親になってから、この映画について書かれたことをたくさん読みました。おそらくもう一度観たら、ショッキングだと思う。このレコードで出てきた表現のように。親にとっては間違いなく普遍的なものなのに、ほとんど語られることがないように思う。

その理由は、子どもを持つ経験をした人たちが、他の人が親になるのを怖がらせないようにするためでもあるのでしょうか?

GT:それもあるでしょう。そして、それは自分だけの唯一無二の経験だと思っていて、他の人が同じような経験をするとは想像したくないのかもしれない。そして、一定の人たちは、このことをどこかへ埋めて忘れてしまい、前に進みたい気持ちもあるのだと思います。女性が出産について語るときにも似ていて、あんなに痛くて大変な思いをするのは無理だと思いつつ、次の日には「ふむふむ。私はやり遂げた!」という感じ。でもときには、その経験があまりにも強烈で、無視できないこともある。想像以上に物事がひっくり返るような経験だから、みんながもっとそれについて語ればよいのにと思っている。それはすごく大きなトランスフォーメイションで、人間関係や、個人的な感覚や肉体的な感覚においてもそう。とても壮大で重大な出来事だから。これほど長い間、人間がそれを続けてきたことが信じられない! うまくいかないこともあるようだけど、それは起こり続けているしね。

幽霊や不吉なことに付きまとわれる性質には、ほとんど不安や憂鬱、そしてストレスがテンプレートのようにセットになっているのだと思う。物事には生理学的な繋がりがあって、幽霊のループでは、同じことを繰り返す幽霊と、同じ音を繰り返し出すことが繋がっているのではないかと感じる。

『Babadook』を思い浮かべたもうひとつの理由は、映画の結末を覚えていらっしゃるかわからないけれど、彼らを恐怖に陥れていた生物が、まるで手に負えないペットのように、地下室に住み着くことになってしまったからです。関係性が変わり、もはや恐怖の対象ではなく、共存することを学ぶようになった。あなたがアルバムで書いた黒い犬が、アルバムを通してヌメっと現れる存在であるところにも、共通点を感じました。

GT:そうね、それは魅力的な繋がりかもしれない。今晩、絶対に映画『Babadook』をもう一度観てみるわ(笑)。アルバムを制作する過程で、こういうものを観たり、接したりした微かな記憶を辿ったのだけど、当時は怖く感じていなかったことに気付いた。その奇妙さを思い出したのは歳をとってからで、兄弟や父と話して、彼らの同じような体験のヴァージョンを共有することで、これは奇妙で、変で、怖いことだと気がついたのです。このレコードでは、最初はごく大雑把に幽霊について書いたものだったのだけど、子ども時代から10代、大人、そして親に成長するまでの間に経験した不安や鬱との関係性と深くからみついたものになった。幼少期の記憶というのはずっと残っていて、ループされて止めることができないの。

ご兄弟やお父さんも経験したことだったのですね?

GT:たぶんね。いま、そのことを話そうとすると、兄弟はすごく積極的で真剣に語るから。彼にとっても多くのことが未解決なのだと思う。父の方は、いつもそのことを喜んで話してくれるんだけど、多くのことが、なんというか……ありがちだけど、時間がたつにつれて内容が変わっていくの。ストーリーが洗練されていったり、語り口も少し変化したり。でも、私と、特に兄弟が100%の確率で覚えているのは、それが小さな黒い犬だったということ。彼は犬がベッドの下で鳴いているのを聞いたというし、興味深いことに、犬を見たこと、匂いを嗅いだことも覚えているの。私が覚えているのはそれとはかなり違って、それはいつも、ただの影で、ベッドの横に存在する小さな頭部だった。父の話だと、夜中に犬が唸り声をあげたのを覚えていると。それはかなり怖いと思うけど(笑)。それらが、このアルバムのイメージの原動力になっているのはたしかね。でも同時に私のなかでも、それは、実存的で象徴的なものになった。幽霊や不吉なことに付きまとわれる性質には、ほとんど不安や憂鬱、そしてストレスがテンプレートのようにセットになっているのだと思う。物事には生理学的な繋がりがあって、幽霊のループでは、同じことを繰り返す幽霊と、同じ音を繰り返し出すことが繋がっているのではないかと感じる。このアルバムの制作時に、例えば何度もトラウマのような経験を思い返してしまうPTSDの仕組みと似ている部分が多くあることに気がついた。自分で助けを求めて行動を起こさなければ、そのサイクルを断ち切ることはできない。怪談も同じで、断ち切らなければならないループがあって、そのループは、トラウマになるような、精神的な苦痛をともなう経験によって引き起こされるのだと考えられる。ごめんなさい、話がゴチャゴチャになってしまった……。もう4杯もコーヒーを飲んでしまったわ。

いえいえ、全部いい話ですよ。Bandcampの『Black Dog』 のページには、このアルバムの制作期間が5年にわたったとありますが、かなり長い時間の作業だったのですね。

GT:そう、本当に長かったです。予想していたより長くかかってしまったけど、2年間は、COVIDで中断されてしまったし。COVIDよりも前に、もう一人子どもを産もうと決めていて、最初のロックダウン中にその子供が生まれた。これには良いこと、悪いことの両方があったけど、より時間をかけて考えを煮詰めることができたわ。このアルバムを作ろうと思ったのは、本当に瞬間的なことで、『Pastoral』ツアーの最終公演の会場が幽霊の出そうな場所で、一歩足を踏み入れると、瞬時に違和感と不快感に襲われた。そこに何か得体のしれないものがいるような。その場所に居るのが嫌で、ショウの間は本当に不安だった。でもその日、ショウの後に「次のアルバムは幽霊をテーマにして、自分はその霊媒になろう」と思いついた(笑)。複数の声を通す導管になるというのが2019年頃の計画だった。それ以降、その計画が頭にあって、超常現象や幽霊や祟りについての話や理論に浸っていた。ポッドキャストや映画、本などを通じて、本当に怖くなり、心が高ぶっていった。知人にもそれぞれの物語を語ってもらった。できるだけ多くのヴァージョンを集めたかったし、これまでに自分の超常現象について語ったことのない人たちの話も聞きたかったから。

このような探求プロセスを経た後、どのようにして音楽で表現するに至ったのですか?

GT:おかしな話だけど、そのこととの繋がりを意識する前に、すでに多くの曲を作っていた気がします。アルバムの大半は、今年のはじめ頃に作ったの。音楽をわりと早く完成させることができたのは、それまでに大量の感情や思考を貯め込んでいて、今にも吹き出しそうだったから(笑)。その前年の夏に友人の家でサンプルをたくさん作っていた。Moog (Sound) Labという、基本的には可動式の素晴らしいアナログ・スタジオを使用する機会を得たの。全部ヴィンテージのMoogの機材で、さらにサリー大学のものだと思われるヴィンテージのVCS3もあって、光栄にも、夏の間、借りることができた。私の家にはそれを置く場所がなくて、友人の家に置かせてもらったというわけ。私は友人の家に行って奇妙な音を出して、音源を家に持ち帰り、コンピュータに入れるだけであまり触らなかった。そして、今年の初めにまたその作業を再開し、曲に編み込み始めた。音楽作りはとても幽玄なことだと思う(笑)。私にとって、完成するまでは、それが何の意味も持たないものに思えるし、私の脳がそうなっているのかわからないけれど、半分ぐらいはやったことを覚えてもいないの。ただ、何曲かは、レコーディングするのにかなりの苦痛が伴う作業だったことは覚えている。すべてが一気に出てきて、歌詞も溢れ出てくる。レコーディング中、私はとても感情的になり、自分を律する必要があった。それと同時に、溢れ出てくるものに驚いてもいた。「これは何? 私から溢れ出てくるこれは何なの?」と。

このアルバムについてあなたが言っていた、媒体としての役割についてですが、過去にあなたはガゼル・ツインをご自身のアイディアを表現する操り人形のようなものだと説明しました。表面的には、操り人形と媒体は似たような機能を持つものだと思えるのですが、あなたにとっては違いがあるのでしょうか?

GT:そうね、とても近いものだとは思います。たぶん、媒体という概念は、幽霊のルートを辿る以前から頭にあったことだと思う。ガゼル・ツインについては、何枚かアルバムを出したり、プロジェクトを進めたりするうちに、自分自身のキャラクターやヴァージョンが乗っとられるのを許容した自分を感じたのだけれど、でも実はそれとはまた何か違うものだったりする。過去2枚のアルバム『Pastoral』と『Unflesh』では、それらのキャラクターに独自の方法で命が吹き込まれたのです。ライヴ・パフォーマンスでは、私の体のなかで事前に計画したわけではない動きが生まれ、それがぴたりと合って、自分の体のなかを力強く流れているように感じました。まるで憑かれているような、ほとんど悪魔的な奇妙な出来事で、その体験が、まるで霊媒になって自分のなかに霊魂を流し込むようなことだと感じた。その時、幽霊のことを思いついて、そのふたつを掛け合わせてみたというのが本当のところかな。

11月には、このツアーが予定されていますよね。どのような内容になるのでしょう?
この音楽のレコーディングは苦痛の伴うものだったとお話されましたが、そのような経験を何度も繰り返すことになるのでしょうか。あるいは、繰り返すうちに楽になるのでしょうか?

GT:最終的には後者の方であってほしいです。ライヴについては、おそらくそれが理由で、これまででいちばんアンビヴァレントな気持ちになっています。まず、今回は仮面を伴わずに、自分をさらけだすことになるので。完全な自分自身であるとは言わないけれど、私という者の正体が見えやすいでしょう。音楽も、このレコードでは鼓動が高まるような激しく容赦のないビートは多くない。瞬間的にはそのような場面もあるけど、今回は大きく、感情的に歌いあげる部分や大きなコード・チェンジもあります。レコードを通じてムードが大きく変化する。これまでのライヴでは、容赦なく鼓動が高まるような、まるでワークアウトのような状態を、深く考えることなくできていましたが、今回はより多くの思考や、うまくペースを作ることも必要になる。正しいウォームアップが必須だし、自分の身の置き所を間違えないようにしないといけない。

そうそう、このアルバムであなたは本当に歌いあげていますよね。思いっきり!

GT:本当に、大きく歌い上げる場面が多いんです。ツアー中に風邪でもひいたら台無し。

そういう季節でもありますしね。

GT:そうなの。すでにCOVIDや胃腸炎などの悪夢へと向かう時期だし。ツアーに出るには最悪の時期だけど、なぜかいつもこの季節になってしまう。秋にアルバムを出し、寒くて皆が体調を崩しやすいときにツアーに出るという……。

長い間、インディーズで音楽をリリースしてきたガゼル・ツインのソロ・アルバムを、初めてレーベルからリリースする理由は何でしょうか?

GT:長年、私をサポートしてくれている〈Invada Records〉との継続的で本当に素晴らしい友情と関係を築くことができ、彼らが私にチャンスを与えてくれたからです。『Pastoral』の後、私はそれを喜んで受け入れました。それまでは、すべてのレコード発売のためにPRS基金(イギリスの新しい音楽と才能開発のための慈善資金提供団体)やその他から資金を調達し、関係者に報酬を支払い、作品を制作して世に送り出すまで、あらゆることをする必要があった。いずれはレーベルと契約したいという野心は常に持っていました。誰かと一緒に仕事をすることで、スケール感を大きくすることができるし。オファーされたとき、頭を悩ます必要はまったくなかった。私は物心ついた頃からポーティスヘッドの大ファンだったし、ジェフ・バロウが〈Invada Records〉と関係があることは知っていたから。私は彼に少しばかり恐れを抱いていたと同時に、いつかは出会えるかもしれないと密に期待していました。まだ会えてはいないけど、会えることを願っています。

まだ会えていないのですか。

GT:そうなんです。彼らはブリストルにいるし、ロックダウンやら、子どもたちの誕生やら色々なことがあったので、まだブリストルに挨拶しに行けていません。でも2月にブリストルでショウをやるので、その前には彼らに会えるといいいのだけど……。これまではすべてがリモートで行われていたし。皆信じられないほどのハードワーカーで、思いやりにあふれた人たち。長いお付き合いになるといいのだけど。いまこの時というのは、音楽業界にとって非常に厳しい時期で、Brexit(英国EU離脱)がそれをさらに悪化させている。彼らには、『ストレンジャー・シングス』のサウンドトラックのような大きなリリースもあるのに、それさえも利益を出すのが難しいと聞いて、とても憂鬱な気分になります! でも、彼らは仕事を続けていて、それを目の当たりにするのはすごく刺激的。彼らはその仕事を愛しているから、やらずにはいられない。そのような姿勢の人たちと仕事をするのは最高です。

多少、頑なで血の気の多いぐらいの方が、長い道程を歩めることもありますよね。

GT:その通り。粘り強く、できることをやり続ける。沈没しない限りは。タイタニック状態でない限り!

ただただ、希望の光が差し込むことを願うばかり。トーリー党はもう終わらせなければならない。彼らが一掃されなければ、おかしいと思う。そうでなければ、その時点で私は絶望してしまう。だからこそ、私はファンタジーの世界に引きこもるの(笑)。

『Pastoral』の話に戻りますが、これはBrexitの後、私が最初に聴いたアルバムのなかで、イギリスで起こった大きな分裂について、心の中を整理する方法を教えてくれたもののひとつでした。他の多くの人にとっても、同じように心に響いたようですね。

GT:そのようですね。なぜだかはわからないけれど……。まず、タイミングはよかったのだと思う。インディーズでのリリースで、少々PRSの資金提供は受けていたけど、広く流通させるつもりはなかった。でも、なぜか人びとの心に響いたようで、いくつか素晴らしいレヴューや書き込みがありました。ただ自分が田舎に引っ越したときの気分をレコードにしたつもりだったから、驚いたというのが本当のところ(笑)。イギリス人であること、突然そのアイデンティティについて少し疑問を感じてしまうこと。私は常に歴史に興味を抱いてきたけれど、歴史と宗教などがアイデンティティを形成し、それがイギリス人のアイデンティティにどのように使われてきたのか。私は親になったばかりだったので、少し変になりそうだった。そのことを心底バカにしたり、からかったりしたいと思っていた。少しパンクな態度をとろうと思った。本当に悔しかったし、腹立たしく感じていから!

それを発表して反響を得たいま、あなたはイギリスについてどのように感じていますか? 遠くから見ていると、どんどん悪化しているように見えるのですが。

GT:相当ひどい状況だと思う。私の知り合いでも億万長者でないほとんどの人は宮殿のなかでほんの数人によって決められたことのせいで、突然、ライフスタイルのダウングレイドを余儀なくされた。私は自分の正気を保つために、政治の話についての記事や、それにまつわる日々更新されていく負のループから距離をとる必要があった。私は自分の子どもたちの幼少期を、常に絶対的な落胆や鬱々とした感覚に覆われたものにはしたくない。でも、残念ながら彼らはすでにそれらの影響を受けているし、これからの彼らの人生にもかなり影響すると思う。腹立たしいのは、1980年代のトーリー党(保守党)の時代でさえ、私はもっと良い時間を過ごしていたということ。学校では、私に親切ではなかった数人を除けば、楽しく過ごせたし、良い教育、音楽教育を受けることができた。

(音楽教育は)いつも真っ先にカットされるものですよね?

GT:本当に信じられない!  トーリー党のイデオロギーのどこかに、アーティストたちが物のわかった人たちであることを知っていて(笑)、彼らの繁栄を許せば、自分たちの所にやってくるという認識があるのではないかと思う。それはあるんじゃないかな。だから子どもたちには、反抗心を植え付ける必要がある。学校では無理なら、家庭でね。

次の総選挙に期待。

GT:ただただ、希望の光が差し込むことを願うばかり。トーリー党はもう終わらせなければならない。彼らが一掃されなければ、おかしいと思う。そうでなければ、その時点で私は絶望してしまう。だからこそ、私はファンタジーの世界に引きこもるの(笑)。まったく異なる方向に興味を持つことの方が、よほど見返りがあるというものよ。ところで、あなたは日本のどのあたりに居るの?

東京です。

GT:ああ、そうなの! 本当にいつか東京に行ってみたいと思っているの。ショウをしにでも、旅行でもいいから。息子たちがスタジオ・ギブリの大ファンだし。私、正しく発音できてた? 「ギブリ」?「ジブリ」?

「ジブリ」ですね。

GT:なるほど。これでわかったわ!

いまは、ジブリ・パークもあるんですよ。映画に出てきた場所などが再現されていて、『となりのトトロ』の家に行ったりできる。

GT:ああ、それは子どもたちより私の方が興奮するかもしれない。今日も家を出るとすぐに「Hey Let’s Go」(「さんぽ」の歌詞〝あるこう〟の英語版)を口ずさんでいたぐらいだから。うちの子のひとりは、レインコートを着て、もうひとりは小さな虎のつなぎを着ていたのだけど、車のなかではこの曲をかけさせてくれず、かわりにヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースの“パワー・オブ・ラヴ”をかけさせられたわ。

それは興味深いチョイスですね。

GT:彼らは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が大好きだからね。とくに車のデロリアンが。実は、私が子どもの頃に好きだったものばかりなんだけど。

 

interview with Gazelle Twin

by James Hadfield

The work of Gazelle Twin – the alias of composer, producer and singer Elizabeth Bernholz – has been defined by transformation. When she debuted with “The Entire City” in 2011, she performed in a costume inspired by Max Ernst’s birdlike alter ego, Loplop. With 2014’s “Unflesh,” she donned an outfit based on her school PE kit and pulled a nylon stocking over her face while performing visceral body(-horror) music. 2018’s “Pastoral,” her most acclaimed album to date, found Benrholz she adopting the guise of a malevolent harlequin in Adidas trainers and baseball cap, as she took aim at Brexiteers and the toxic heritage of Little England.

On new album “Black Dog,” the masks are off, but she still isn’t quite herself. The album reaches back to the early years of her childhood, spent in a converted farmhouse in Kent, where she and some of her family had encounters with a supernatural presence – the black dog of the title. Although the family moved when she was six, an inchoate fear stayed with her, and grew stronger after the birth of her first child. So she started dredging up old memories and immersing herself in ghost stories, trying to understand what exactly was haunting her.

While Bernholz has previously compared Gazelle Twin to a puppet, this time she saw herself as a medium, channeling voices. The album’s churning, eldritch electronics, punctured by moments of uneasy calm, make for a disquieting listen, at times recalling late-period Scott Walker both in the uncanniness of the sound design and the intensity of the vocal performances. A perfect Halloween soundtrack, in other words. It’s her first solo album for Invada Records, which has also released some of her recent scores, including for the horror film “Nocturne.”

I listened to “Black Dog” for the first time a few days ago, without reading anything about it beforehand, and it was making me think of Jennifer Kent’s “The Badadook.” Have you seen the film?

I’ve seen it once, on a plane, and I really need to revisit it. I have a faint memory of what that film is, and I watched it before becoming a parent. I think it would be very different watching it now.

Yeah, it might be quite uncomfortable. The way it has this horror element, but then just mixed in with the real-life pains of being a mother to a very difficult child. It makes you question whether what you’re seeing is something genuinely supernatural, or if it’s this manifestation of what the mother is going through.

I’ve read a lot about it since it came out, and since I’ve become a parent. I think it’s going to be a bit mind-blowing if I watch it again, in terms of what has come out on this record – which is a universal thing, no doubt, for parents. It’s just rarely spoken about, I think.

Do you think that’s partly because people who've gone through the experience of having kids don't want to scare anyone off from becoming parents themselves?

I think it is partly that. I think also, you know that it’s your experience, and unique, and you don’t want to presume that anyone else will necessarily have that same experience. I think also, there’s a certain degree of wanting to just bury it, and just move on. It’s kind of similar to how women talk about childbirth. You can’t believe that it’s possible to go through so much pain and effort, but then the next day you’re like: “Hmm! I've done it.” But sometimes, the experience can be so intense that you can’t really ignore it. I wish people did talk more about it, because it really does turn things upside down, in many ways – many more ways than I ever imagined it would. It’s a huge transformation that happens: in a relationship, but then in your own individual sense, and your physical sense. It’s just an epic, momentous thing. I can’t believe people have been doing it for so long! It doesn’t seem to work that well, sometimes, but it does keep happening.

I guess another reason I was thinking of “The Babadook” is because – I’m not sure if you remember the ending of the film, but this creature that’s been terrorising them, they end up with it living down in the basement, almost like an unruly pet. It’s like the relationship has changed, so it’s not this object of fear any more, but something that they're learning to coexist with. Reading what you’ve written about the black dog – which is this presence that looms throughout the album – it seemed like maybe there was some similarity there as well.

Yeah, that’s a really fascinating connection to make. I'm definitely going to go and watch “The Babadook” again tonight (laughs). Through the process of making the album, I went from these very faint memories of this sort of thing that I would see, and interact with – which I was never afraid of at the time. It was only through the bizarreness of remembering it when I was older, and then conversations with my brother and my dad about their version of it, that made me think: God, that’s creepy and weird, and scary. The record started out as something, very broadly, about ghosts, and became much more intertwined with my development from childhood into teenhood, into adulthood, into parenthood, and the connection with anxiety and depression. These memories of childhood just linger, and they stay with you – it's just like this loop that doesn’t stop, and I couldn't put it to bed.

So this is something that your brother and dad also experienced?

Well, supposedly. I mean, when I try to talk to them about it now, my brother’s very active and very serious about it. For him, a lot of it, I think, is unresolved too. I know that my dad was always really happy to talk about this stuff, but a lot of it’s kind of... you know, things change over time, the way people tell their story. The story gets refined, or the narrative slightly shifts. But from what I remember – and my brother absolutely, 100% remembers this – it was a small dog, a small black dog. He remembers hearing it under his bed, he remembers seeing it and smelling it – which is quite interesting. For me, it was very different: It was just a shadow, it was a small head that was by the bedside. My dad, I think, had a story about seeing it growling at him in the night, which is pretty terrifying (laughs). And obviously, that drives a lot of the imagery of the album. But also, it’s become something that's really quite symbolic to me, as an existential thing, really. I think there’s so much in the nature of ghosts and hauntings that is almost like a template for anxiety and depression, and stress. I feel like there’s connections in the physiology of things, the looping of ghosts – if you're talking about a ghost that does the same thing over and over again, or the same sounds. I became aware, when I was making this album, just how many similarities there are with how PTSD works, for example, and you’re reliving a traumatic moment, over and over again. You can’t break the cycle until you seek help and you do something about it, and it feels like ghost stories are the same. They’re this kind of loop that needs to be broken, somehow, and those loops are supposedly caused by these emotionally traumatic events. Sorry, I’m really, really waffling. I’ve had four coffees.

No, it’s all good. Looking at the Bandcamp page for “Black Dog,” it says you were working on the album over a five-year period. So it was quite a drawn-out process, right?

Yeah, really long. Longer than I really expected, but we had a couple of years’ interruption with COVID. I’d already decided before COVID that I was going to have one more child, and it just so happened that I had that child in the first lockdown – which was good and bad, really, but it gave me more time to just sort of stew. I made the decision to make the album, really, on a split-second moment – on the last show of the “Pastoral” tour, in fact, in what I felt was a haunted venue. I’d walked in and felt instantly different and weird. I just had that instant sense of, like: There’s something in this room. I really didn’t like being in there, and I was really anxious during that show. But that day, at the end of that show, I thought: I’m going to make the next album about ghosts, and I’m going to be a medium (laughs). I'm going to be like a conduit for multiple voices to come through – that was the plan, back in 2019. Then over that period of time, I kind of kept that in my head, and I just lived and breathed stories and theories about the supernatural, and about hauntings and ghosts. I was listening to podcasts, watching films, reading books – getting myself really scared and worked up. I was asking people I knew, as well, to send me their stories, because what I wanted was to have as many versions of paranormal events as I could, stuff from people that have never really spoken about it before.

When you’re going through all this process of exploration, how did you then go about expressing that in music?

Well, it’s funny, because I think I'd probably made a lot of the music before I’d clocked the connections. I think that the majority of the album was made this year, the beginning of this year. It came out quite quickly, and I think I’d just stored up so much of these feelings and thoughts that I was ready to blow (laughs). I’d made a lot of samples in my friend’s house the previous summer. I had the chance to use the Moog (Sound) Lab, which is a really amazing analogue studio, basically, that’s mobile. It’s all vintage Moog equipment – plus there was a vintage VCS3, which I believe belongs to the University of Surrey, that lent it to me for the summer. I was really privileged to have that, and my friend had to put it in their house, because I didn’t have space for it. I’d be going there and making these weird sounds, and then bringing them home and just putting them on my computer and not really touching them. But then I went back to it early this year, and started to kind of weave them into songs. Making music is a very ethereal thing, I think (laughs). For me, it doesn’t really seem to make any sense until it’s all done. I don’t remember even doing half of it – I don’t know if that’s just the way my brain is – but I do remember that quite a few of the songs were very wrenching to record. They would come out in one go, and the lyrics would just sort of pour out. I’d be very emotional during the process of recording, trying to sort of gather myself up, but also kind of surprised at what was coming out. It was like: What is this? What’s this thing flowing out of me?

With what you were saying about acting as a medium on this album: In the past, you've described Gazelle Twin as being like a puppet for your ideas. On the face of it, a puppet and a medium would both seem to serve a similar function, but what’s the distinction for you?

Yeah, I think it’s very close. I think the idea of the medium thing had already been in my head, before I’d gone down the ghost route. I’d actually thought of Gazelle Twin – you know, having come a few albums down the line, and a few projects down the line – I thought it’s like I'm allowing myself to be taken over by these characters, or these versions of myself, but they’re kind of something else. With the previous two albums, “Pastoral” and “Unflesh,” those characters came to life in their own, very unique ways. In the live performance of them, there would be movements that would just happen, in my body, that I didn’t plan, but they felt really right – like it was fully flowing through me, that energy. It’s almost like being possessed. It’s this almost demonic, strange event. So I had it in my head – I was thinking it’s like being a medium, and letting these spirits flow through me. Then I hit on the ghost thing, and I just put those two things together, really.

You're going to be taking this on tour in November. What’s that going to involve? You were just saying how wrenching it was to record some of these songs – do you think you’ll be having to go through that experience again and again, or will it perhaps become easier with repetition?

Well, I hope the latter, by the end. I am more ambivalent than ever about the live shows – for that reason, I think. Firstly, I don’t have the mask thing going on: I’m very much revealed. I wouldn't say I’m completely myself, but I’m very much visible. And with the music, there isn’t so much pounding, intense, unrelenting beats on this record. There are moments of that, but there’s a lot of moments of big, emotional singing – and chords, lots of big chord changes. There’s a lot of shifts in mood throughout the record. I think where I’ve previously been able to put on a live show that’s just relentless and pounding, and it’s kind of a workout situation – I can do it without thinking too much about it, and really go for it – this time it’s going to require a lot more thought, and a lot more pacing. I’m going to need to really warm up properly, and get myself in the right space and stuff.

Yeah, because you really belt it on this album. I mean, God!

There’s a lot of big singing, yeah. I’ll be buggered if I have a cold or anything throughout the tour.

Yeah, it’s that time of year as well, isn't it?

Yeah, exactly, I know. We’re already heading into the nightmare of COVID and stomach bugs and all that. It’s the worst time of year for me to ever be going out on the road, but it just happens that way every time. I always end up doing autumn records, and going and touring when it’s freezing, and everyone’s ill.

Having released all your music independently for such a long time, this is the first Gazelle Twin solo album that’s coming out on a label. What was the reason for that?

Just a sort of ongoing, really nice friendship and relationship with Invada Records, who had begun to support me over the years, and they just offered me that chance. I was all for it, after “Pastoral.” I’d gone through various stages of funding to release every record that I’d done; I had to have funding from the PRS Foundation and elsewhere to make that happen, to pay people, to get it made and get it out there. I’d always had the ambition to be signed, eventually, because it’s potentially a really nice thing to have – to work with somebody, and to be able to increase the scale of what you do. It was a no-brainer for me when they offered. For as long as I can remember, I was a huge Portishead fan, and I always knew that Geoff (Barrow) was associated with Invada Records. Whilst I was a bit terrified of him, I was secretly hoping that one day I might be able to meet him – I haven’t yet, actually, but I hope to.

Oh, have you not?

No, because they’re in Bristol, and since all this stuff’s been happening, it’s been lockdown and kids, so I’ve never been able to get back to Bristol to say hi or anything. But I’m doing a show in Bristol in February. Hopefully I’ll see them before then – but no, everything’s been remote so far. They all work so hard – I can’t believe how hard they work – and they really care. I hope it’s a longterm relationship. It just happens to be a really bad time for the music industry at the moment, where Brexit makes it even harder. Some of the records that they’ve released, like the “Stranger Things” soundtrack – these are huge, huge things. And to know that even that is hard to make a profit, or whatever, it’s so depressing! But they carry on doing it, which is more impressive, because they just love it so much. It’s all they know. I love working with people who have that attitude.

A bit of bloody-mindedness gets you a long way, sometimes.

Absolutely. Yeah, you’ve got to be persistent, and just carry on if you can. As long as things aren’t sinking. As long as you’re not in a Titanic situation!

Just going back to “Pastoral”: After Brexit, it was one of the first albums I’d heard that really gave me a way of, I guess, processing this great schism that had happened in the UK. It seems like it resonated with a lot of other people, too.

Yeah, I mean, I don’t know... well, I do know why. Firstly, I think just the timing was probably quite lucky. You know, it’s an independent release. I had a bit of PRS funding, but we hadn’t planned for it to get really widely distributed. But it did seem to chime with people, and there were a couple of really excellent reviews and write-ups about it. I was surprised, really, because I thought I’d just made a record about what it feels like to move to the countryside (laughs). And being English, and then suddenly facing that identity and questioning it a bit, and wondering. You know, I’ve always been interested in history as well – history and religion, and how these things make an identity, and how they’ve been used in English identity. But I was also a new parent, and going a bit crazy. Also, I felt like I really wanted to mock things. I really wanted to take the mickey a bit, and just have a little bit of a punk attitude towards it. I was really frustrated, really angry.

Having put that out and seen the response it got, I was wondering how you feel about England now? Because looking from afar, it seems like stuff just gets worse and worse.

It’s a bit of a shit show, I think. For most people I know who aren’t millionaires, they are suddenly having to downgrade their lifestyle because of decisions made by a few people in a palace. I have had to step away from reading all about political life, being connected to the eternal loop of misery that is generated on a day-to-day basis, just for my sanity. I don’t want my children’s early years to be constantly overshadowed by this sense of absolute dejection and gloom – but unfortunately, it’s affecting them, and is going to affect them for a lot of their lives. It makes me so mad that this stuff is even... you know, I had a better time in the 80s, and it was still a Tory government. I had an amazing time at school – apart from individuals who weren’t kind to me – but in terms of education, music education.

It's always the first thing that gets cut back, isn't it?

It begs belief, doesn’t it? I think, somewhere in the Tory ideology, they know that artists are enlightened (laughs) and they know that they’ll be coming for them if they’re allowed to flourish. That’s part of it, really. There’s that rebelliousness that needs to be instilled (in children) – if it’s not at school, then at home.

Roll on the next general election.

I hope that genuinely brings a glimmer of hope. I mean, the Tory party have to be finished. I’d find it ludicrous if they didn’t get wiped out. I’d be in despair at that point, I think. But I think this is why I retreat into a world of fantasy (laughs). It’s so much more rewarding, isn’t it, just to be interested in a completely other dimension. Whereabouts in Japan are you, by the way?

Tokyo.

Oh, wow. I really hope to come to Tokyo one day, whether for a show or just to visit. I’ve promised to bring my boys there one day, because they’re massive Studio Ghibli fans. Have I said that right? Is it “Gib-lee” or “Jib-lee”?

“Jib-lee."

Right. Now I know!

They have the Ghibli Park now, as well. They’ve recreated some of the locations from the films, so you can go to the house from “My Neighbour Totoro” and stuff like that.

Oh, I’d probably be more excited than my children. I was literally singing “Hey let’s go!” as we left the house this morning. My little one was in a raincoat and one in a little tiger suit. They didn’t let me put it on in the car – we had to listen to "The Power of Love" by Huey Lewis and the News instead.

That’s a curious choice.

Well, they love it because of “Back to the Future.” They love the car, the DeLorean. It’s all stuff that I loved, really, when I was a kid.

ALCI&snuc - ele-king

 ダブとヒップホップの絶妙な組み合わせ──これはなかなか期待大のアルバムだ。東海のラッパー ALCI と吉祥寺のビートメイカー snuc による共作『縁』が10月28日に配信でリリースされる。ALCI は日系兄弟というラップ・デュオの片割れで、YUKSTA-ILL の『MONKEY OFF MY BACK』に参加していたことも記憶に新しい。クールなダブを聴かせる snuc は、さまざまな音楽を吸収してきたDJでもある。このコンビ、かなりいい感じなのでぜひチェックしてみて。

ALCI&snuc『縁』 INFO

■トラックリスト

1 INTRO
2 我々ノ世界 feat XICAO-RHYDA
3 DOPE JUNGLE feat HEKONDADEKO
4 CLEAN HIT feat Pcill
5 SKIT
6 JAZZ THING =縁=
7 HOOCHIE COOCHIE feat TONY THE WEED
8 SKIT
9 陽だまり
10 NATURAL BBB feat sulak-カナミaka.Ms.Miii
11 OUTRO

NAVIGATOR BLACKJOKER
SCRATCH JETT
DESIGN MARKS EDIT
STUDIO スタジオ民家 MAGICRUMBROOM
LABEL 5bitRecords SMELLTHECOFFEEWORKS
MIXING snuc
MASTERING EASTBLUE

■配信リリース
2023/10/28

■PROFILE

ALCI from NIKKEIKYOUDAI
日系兄弟でのギグは唯一無二、全国各地のAmigo達と作り出す良き酔い夜のこだわりは刺激とEnergyのなせる技、こしばきのフーテンは未だ見ぬ世界を又にかけるHiphopPlayer、老舗CLUB BUDDHAを輪に日々奮闘中 VIVA VIDA LOCA PAZ...

snuc
HIPHOP・REGGAE・LATIN・AFRO等をバックボーンに持ちながら自由奔放なアイディアと手法で聴き手の身体を本能で揺さぶるような野生的GROOVEを持ち、それらを独自のBASS MUSIC~DANCE MUSICへと落とし込むDJ,BEATMAKER。吉祥寺Cheekyを拠点とし全国各地へTropical Vibeをお届け。RHYDA & snuc ,じゃけ& snuc,ALCI & snuc等音源リリース、ソロ音源制作も絶賛進行中。

■コメント

snucにのってALCIの言葉がヨイッと背中を押す 生活の中で自分を少し立たせてくれるUPなアルバム
あなたにも縁がありますように

abeee / bar Cheeky

嘘偽りのない自然体であり,力強く心地の良いジプシーな作品
芯はブレず変化し続ける彼の今後も気になるくらいの一枚でした
chanDOI

陽気な2人が出会い産み出した『縁』生活に根ざした飾らない芯のある言葉とゆったりとしていながらもしっかりハイグレードなサウンドに遊び心が加わってできたこのアルバムは見事なまでにHIP HOPだ 『縁』が縁となりまた各地に仲間が増えていくんだろう リアルな音楽家たちいつもありがとう fujii / howwhat
初めてムタンチスを聴いた時の質感。東海の都会の南国の風 おめでとうございます marrom
いい加減というかイイ塩梅,シンプルだけど緻密,つまりRUFF&TUFFな名盤の誕生! Mal

Procare - ele-king

 不定期に開催されているパーティ「プロケア」。11月10日、久方ぶりに同パーティが渋谷・WWWβにて敢行される。NYを拠点に活動するプロデューサーの K Wata (yaeji のアルバムにロレイン・ジェイムズらに混ざってフィーチャーされていましたね)、オーストラリア出身の Cousin、ブランド〈C.E〉設立者 Toby Feltwell のゲスト3名に加え、同パーティのレジデンスの面々が出演。なかでもUS拠点の K Wata は、日本での初ライヴを披露する。詳細は下記より。

 まるでプラトンの「洞窟の寓話」みたいだ。男性優位にもとづいた家父長的な観念の数々が何千年ものあいだ女性の経験をかたちづくってきたために、その外でシスターフッドを概念化することは難しいし、ましてそれを定義することは難しい。
 いずれにせよ私は、フェミニズムがこんにち辿りついている地点を疑わしく思っている。いうまでもないことだが、たとえば日本とアメリカのあいだにある社会的・文化的なニュアンスの違いは、結果として女性の行為についての異なる基準を生みだすことになる——つまりジュディス・バトラーが述べたとおり、「ジェンダー[役割の数々]は行為遂行的なものであり[……それらが]行為されるかぎりにおいて実在する*2」ものなのだ。だけどけっきょくのところいま、ニューヨークから東京まで、誰もが同じ経験をしている。つまりいま現在のフェミニズムのなかでは、女性にたいする抑圧のメカニズムそのものが、私たちをエンパワーするための鍵としてブランド化されてしまっているのである。 
 とはいえ、10年たらず前まで、フェミニズムは刺激的な危険地帯に身を置いていた。#Metooの示した展望のあとで、いったい私たちは、どうしてこんなところに辿りついてしまったのだろうか?
 そのピークにおいて#Metooは、——そもそも女を支配し沈黙させる性質をもつ家父長的な管理が、原初的なかたちをとってあらわれたものである——性的暴行の証言とともに、有名無名を問わない女たちを公の場へと連れだした。2000年代初頭にこの運動を開始したとされるタラナ・バークの言葉を引用するなら、「”Me too”はたった二語で十分だった。(……)暴力は暴力である。トラウマはトラウマだ。だけど私たちはそれを軽んじるように教えこまれ、子供の遊びのようなものだと考えるようにさえ教えこまれている」
 だけどミュージシャンたち——つまり明確に社会のサウンドスケープを形成している者たち——は、2010年代なかばの絶頂期のさなかで、奇妙なほど沈黙したままだった。とはいえ、少数の女性たちが名乗り出たことは賞賛されるべきだろう。なかでもとくに挙げられるのは、虐待を受けたマネージャーにたいする10年以上に及ぶ訴訟につい最近決着をつけたばかりのケシャや、レディー・ガガビョークテイラー・スイフトなどの名前だ。とはいえしかし、こんにちのフェミニズムをより生産的な方向へと導きうる道しるべは、まさにいま現在ポップ・ミュージックのなかに身を置いている女性たちをより深く掘り下げてみることによって与えられる。

もうひとつの“F”ワード
——いったいいま誰がフェミニストになることを望んでいるのか?

 スキャンダラスな——いやむしろ虐待的な——男性ミュージシャンたちは、実質的にひとつの原型になっている。長い間彼らには、その行動にたいするフリーパスが与えられてきたのだ。マイケル・ジャクソンは金目当ての子供たちに性的虐待なんかしていない。たしかにデイヴィッド・ボウイは14才の「グルーピーの子供」とセックスしたが、彼女は自分からその状況を招いたのだ。だとしても、ではあの悪名高いレッド・ツェッペリンのサメ事件はどうなのか? いずれにせよいつも、「男ってのは困ったもんだ」で済まされるのだ。カニエ・ウエストでさえ擁護者を抱えている。YouTubeのコメント欄をざっと見てみると、敬虔なイーザス信者の軍勢がいることが見えてくる。なかでもとくに、以下のような悲痛なコメントは、こちらをノスタルジーというボディーブローで連打してくる。「カニエは『Graduation』を作った。『Graduation』を作った。『Graduation』を作ったんだ!」*3
 どうやら男たちの場合、アーティストと彼の作るアートは、つねに切り離すことが可能らしい。
 だがしかし、女たちの場合はどうだろう?
 人類学者のルース・ベハーは『Women Writing Culture』において、あえて発言する女たちに突きつけられる期待をあきらかにしながら、「女たちが書くとき、世界は見張っている*4」と警句めかして書いている。女性ミュージシャンたちもまた、その発言にかんして——文字どおりそれを注視するような——同様の圧力に直面している。よく知られているとおりだが、シネイド・オコナーが教皇の写真を破った直後にキャンセルされたことを思いだしておこう。より最近の例として、ラッパーのアジーリア・バンクスは、楽曲よりもそのスキャンダルで有名になっている。また誰もが覚えているとおり日本では、AKB48のメンバーが、ボーイフレンドと夜を共にするというとんでもない犯罪——嗚呼!——を犯したために、頭を丸め、公に謝罪したのだった。
 悲しいことに#Metooは、たった数年で頓挫しだしたが、おそらくそれは、不幸にも性的暴行とコミュニケーション不足が結びつけられていったからだろう。2022年になるとハリウッドは、配偶者からの虐待を主張して彼の「名誉を毀損」した元妻アンバー・ハードとの訴訟に勝ったジョニー・デップを、やさしく諸手を広げて受け入れた。#Metooのあとで、私たちに伝えられているメッセージはこれまで以上にはっきりしたものになった。私たち女は、火あぶりにならないよう目立つようなことはしないのが一番なのだ。
 当初は#Metooや、ジョー・バイデンにたいする性的暴行の申し立てを支持していたレディーガガが、にもかかわらず大統領就任式で歌うことになったのは、きっとそうした圧力があったからなのだろう。だがこのことはむしろ、アメリカの(そして他の後期資本主義社会の)政治が激しく分岐していることの証明なのかもしれない。「すべての女たちを信じる」[#Metoo運動のなかで生まれたスローガン”Belive women”の派生系。ハラスメントや暴行の申し立てをまずは信じることを主張する]——なるほどね、だけどそうすることが政治的に不都合じゃないかぎり、でしょ?
 またおそらく——以前は自身がフェミニストであることを宣言する光り輝く巨大な電飾の前でパフォーマンスをしていた——ビヨンセが、女性問題にたいする公然としたサポートをやめたのは、#Metooのあとで、もはや社会の同意が得られなくなったからなのだろう。
 あるいはまた、おそらくこのことは、あの業界の寵児について、そう、テイラー・スウィフトその人について説明するものでもあるはずだ。私は自分が「スウィフティー[Swiftie:スウィフトのファンの通称]」だとは思わないし、スフィフトが——フェミニスト的な立場を主張していたのに——カニエ・ウエストの「Famous」のなかの悪名高い歌詞(自分とスウィフトは「まだセックスしてるかもしれない」というもの)を[発表前に知っていながら]知らないふりをしていたことを、[カニエの元妻の]キム・カーダシアンが暴露したときは、真剣に眉をひそめもした。しかしキャリアがスタートに見られたコンプライアンスを重視するその公的な人格は、結果として彼女のファン層(とその経済的自由)を築きあげ、そして最終的には、いまいる場所まで彼女を辿りつかせることになった。こうして彼女はいま、倫理的な理由でSpotifyから楽曲を取り下げたり、最初の6枚のアルバムを自身のアーティストとしてのヴィジョンに合うように再録したり、摂食障害について率直に語ったりしているわけである。
 だからこそ、キム・カーダシアンには[SNS上で]すぐに捕まったとはいえ、スポットライトの外で一年を過ごしたすえに18キロも痩せて帰ってきながら、歴史に残るカムバック・アルバム『Reputation』であからさまに中指を突き立て、次のように歌っていた頃のテイラー・スウィフトこそが、私は大好きなのだ。「私は誰も信じないし、誰も私を信じない。私はあなたの悪夢の主演女優になってやる」  あれこそが最高(バッドアス)だった。

女の性の力

 #Metoo以降、他に何が起きたのかを考えてみよう。グローバル経済は着実に下降している。アメリカ人たちは2008年の破綻以降いまだにふらついたままだ。一方で日本では、バブル崩壊以後の終わりのない不況が、長い戦後史上でも最低の円安を招いている。またコロナ禍以降、インフレによって貧富を分けるうんざりするような隔たりが世界中で広がっている。
 苦境にあえぐ経済は、同じ立場で男が1ドル稼ぐあいだ、こんにちにいたってもいまだに77セントしか稼げていない女たちにとって、とくに深刻な含意をもっている。そうした状況がある以上、セックス・ワークが——なかでもOnlyfans[ファンクラブ型のSNS]のような界隈のなかや、「シュガー・ベイビーズ」というかたちでおこなわれるそれが——これまで以上に魅力的なものに見えているのも当然だといえる。『Harper’s Bazaar』誌でさえもが、カーディ・Bがストリッパーだったことを梃子にして登りつめたことを「シンデレラ・ストーリー」だと表現するくらいだ。
 「WAP」で共演しているメーガン・ザ・スタリオンは自身のリリックのなかで、ごくシンプルに、「この濡れたマンコにキスしたいなら学費を払ってよ」と歌っている。
 カーディ・Bのブランドになっている、いわゆる「売女ラップ[slut rap]」の土台には、当時としては革命的だった1990年代の遺産が横たわっている。リル・キムの“How Many Kicks”やキアの“My Neck, My Back (Lick It)”といった曲が、その当時のヒップホップの場を地ならしし、女たちも、異性をモノのように扱うことで悪名高い男たち——私がここで思い浮かべているのはスヌープ・ドッグの“Bitches Ain’t Shit”やジェイ・Zの“Big Pimpin’”のような曲だ——に肩を並べることができるようにしたのは疑いないことだ。
 だがけっきょくのところ売女ラップは、男性の眼差し(メイルゲイズ)からの持続的な解放にはいたらなかったと言えるのではないだろうか? 私は何もここで、女性のセクシュアリティや、「世界最古の職業」(このこと自体、女の「選択」よりも男の欲望の方が優先されてきたことの例だが)を侮辱しようというつもりはない。そうではなく——とくに女性のセクシュアリティの表象がどんどんと男性の眼差し(メイルゲイズ)におもねったものになっている状況のなかにおいて——こんにちのフェミニズムが、そうした選択は女性たちをエンパワーするものだと主張していることに疑問を投げかけたいのだ。もちろん、少なくともエルヴィス以来ずっと、ポップスターたちは自身のセクシュアリティを資本化してきたわけだが、ガールパワーを伝えるものだったローリン・ヒルの“Doo-Wop (That Thing)”やシャナイア・トゥエインの“Any Man of Mine”、ノー・ダウトの“Just a Girl”といった90年代のヒット曲は、“WAP”を隣に置かれると、まったくもって禁欲的なものに見えるてくる。
 つまり私たちのもとにはいま、男性ミュージシャンにたいして、何でもいいがたとえば、「バカなことするのはやめて」と頼みこむ代わりに、その先には袋小路しかない「性的エンパワーメント」なるものへと向かう道をどんどんと突き進んでいく女性のポップスターたち——しかも男性プロデューサーからなるチームに指導された*5女性ポップスターたち——がいるのだ。ドレイクが自身[と21サヴェージ]のアルバム『Her Loss』のなかでフェミニズムに言及しているのは、よく言えば自分で自分に鞭を打っているようなものだが——ああ、クソッ、俺は悪いビッチたちに惑わされた善人だ、というわけである——、悪く言えば人を侮辱するたぐいのものだ。「お前らのために50万ドル遣ってやるぜビッチ、おれはフェミニストだ」といったリリックによってドレイクは、男性の眼差し(メイルゲイズ)の外に自分たちのための価値を見いだそうとしてもがく女たちを嘲笑っている。だがそのことと、“WAP”の待望された続編である“Bongos”——そのMVのなかでは、Tバックを履いた二人のラッパーがセックスの真似をしながら、「ビッチ、私はお金そのものみたいにイケてる/私の顔をドル札を印刷したっていい/太鼓みたいにコイツを叩いてみたらどう?」とラップしている——とのあいだに違いがあるとした場合、けっきょくのところそれは、後者においては、女が主導権を握っているという点に求められることになるだろうか?
 たしかに、ポン引きに食い物にされるより、自分自身がポン引きになる方がいいだろうが、だが真剣に考えてみてほしい、はたしてそれだけが私たちの選択肢だといえるのだろうか?
 #Metoo以降メディアがどう変わったか(あるいは変わっていないか)を見ていると、私たちは完全に論点を見失っているのではないかと思えてくる。言っておくが、私はカーディ・Bのメディア上での人格が好きだ。彼女はクレバーでふてぶてしく、現代にとって決定的なものである経済的な戦いも上手くこなしている。彼女もまた最高(バッドアス)だ。だから我がシスターたちの一部とは違った考えをもっていることになるかもしれないが、とはいえ私は、ファミニズムを苦しめる内輪揉めに加わるつもりはまったくない(また平等を求めるその他の運動に加わるつもりもまったくない——この点については、次のように書くなかでシモーヌ・ド・ボーヴォワールが見事に要約しているとおりだ。「女たちの翼は切り取られている、その上で彼女は、飛び方を知らないといって責められる*6」)。プラトンの寓話の洞窟に捕らえられたあの魂のように、私たちにとって真の平等を概念化することは難しい。
 だけど、ねえ(メン)*7——カーディ・Bがあの素晴らしい声を何か他のことを言うために使ったとしたらどう思う? 
 けっきょくのところ性的暴行とは、不平等にもとづくより広範なシステムの悲劇的なあらわれなのであり、このシステムにおいて女たちは、男の期待によって拘束されつづけている。男たちに私たちの価値を定義するように頼っているかぎり、私たちの価値はあくまで、特定の(セックス)にかかっていることになる。つまり、男の喜びに向けて調整された(セックス)に。
 だがひどいセックスと同じで、そんなことはただ退屈なだけだ。

【プロフィール】
ジリアン・マーシャル/Jillian Marshall

ジリアン・マーシャル博士は、現在ニューヨークを拠点に活動しているライター、教育者、ミュージシャン。初の著作『JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes』 (Three Rooms Press: 2022)は、日本の伝統音楽、ポピュラー音楽、アンダーグラウンド音楽にたいする民族音楽的研究にもとづき、大学と公共圏を架橋している。博士号取得後にアカデミアを去ったが、その理由のひとつは、同僚たちからその半分もまともに受け取れないのに、彼らの二倍も努力するのに嫌気がさしたからである。https://wynndaquarius.net/

◆注

  • 1 [訳注:原題にある”hot take”とは、大方の予想とは異なる見方を強く示すことで、受け手の積極的な反応を引き出す一種のレトリックのこと。もともとはスポーツ・ジャーナリズムで用いられた言葉だが、SNS上で一般化した。日本語の語感としては「逆張り」にも近いが、もっぱらネガティヴな面が強調されてしまう点で本稿のもつ自覚的な戦略性にはそぐわないため、ここでは、カナによる音写で多義性を残しつつ、直訳的に訳した]
  • 2 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 3 はぁ。冗談ではなく私は、本当に昔のカニエが恋しい。
  • 4 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 5 カーディ・Bとメーガン・ザ・スタリオンは、自分たち以外の6人と作詞のクレジットを共有している——そのいずれもが男性だ。
  • 6 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.
  • 7 [訳注:英語では、性差を問わず誰かに呼びかけるさいの言葉として”man”が用いられるが、ここではそのことが、言語そのものに刻まれた男性優位の例として強調されている。]

なお、本コラムの第二回目(2010年代のカニエ・ウェスト)は、年末号のエレキングに掲載される。

Musicological Hot Take: Pop Music Post-#MeToo By Jillian Marshall, PhD

It’s like Plato’s “Allegory of the Cave": because patriarchal notions of male superiority have shaped the female experience for millennia, it’s hard to conceptualize —let alone define — womanhood outside of it.
Nevertheless, I find myself wondering about where feminism has ended up today. Of course, socio-cultural nuances between, say, Japan and the US create different standards of the feminine performance — and, as Judith Butler wrote, “Gender [roles] are performative… and are real only to the extent that [they] are performed.”*1 But in the end, it’s the same story from New York to Tokyo: in contemporary feminism, the mechanisms of women’s oppression are now branded as the keys to our empowerment.
Yet not even ten years ago, feminism was perched at an exciting precipice. So, how did we end up here after the promise of #Metoo?
At its peak, #MeToo brought forward women of both stature and obscurity with stories of sexual assault: a primary manifestation of patriarchal control that, by its nature, dominates and silences women. Quoting Tarana Burke, who is credited with starting the movement in the early 2000s, “‘Me too’ was just two words… Violence is violence. Trauma is trauma. And we are taught to downplay it, even think about it as chid’s play.”
Yet musicians — those who explicitly shape society’s soundscape— remained curiously silent during #MeToo’s height in the mid-2010s. Perhaps it should be celebrated that only a handful of women came forward with stories: notably KE$HA, who only recently settled a decade-plus lawsuit against her abusive manager, as well as Lady Gaga, Bjork, and Taylor Swift. But a deeper inquiry into women in pop music today provides a roadmap that could guide contemporary feminism toward a more productive direction.

The Other “F” Word: Who Wants to Be a Feminist, Anyway?

Scandalous — nay, abusive — male musicians are practically an archetype, and they’ve long been awarded free passes on their behavior. Michael Jackson didn’t sexually abuse those gold-digging children. Sure, David Bowie had sex with a fourteen-year-old “baby groupie,” but she put herself in that position. And that infamous shark incident with Led Zeppelin? Well, boys will be boys. Even Kanye West has his apologists: a quick look at YouTube comments reveals legions of faithful Yeezus devotees. One lament in particular hits me with a nostalgic gut punch: “He made Graduation. He made Graduation. He made Graduation!” *2
With men, we can always seem to separate the art from the artist.
But women?
In Women Writing Culture, anthropologist Ruth Behar quipped that “When women write, the world watches,”*3 articulating the expectations thrusted upon women who dare speak up. Female musicians face similar pressures regarding their voices— literally. Consider how Sinead O’Connor was famously cancelled for ripping up a photo of the Pope before cancellation itself. More recently, rapper Azalea Banks is more famous for her scandals than her songs. And in Japan, we all remember when the AKB48 member who shaved her head and publicly apologized for the egregious crime of — gasp! — spending the night with her boyfriend.
Sadly, #MeToo began fizzling out just a few years in, perhaps due to unfortunate conflations of sexual assault with poor communication. By 2022, Hollywood opened its loving arms to Johnny Depp following his victorious lawsuit against ex-wife Amber Heard, who “defamed” him with claims of spousal abuse. Post #MeToo, the message is clearer than ever: we women best stay in line, lest we burn at the stake.
So maybe this explicit pressure explains how Lady Gaga, despite her initial support for #MeToo and the sexual assault against allegations against Joe Biden, sang at his 2021 presidential inauguration ceremony. But this might be more of a testament to the bitter bifurcation of American (and other late-capitalist societal) politics. “Believe all women”— unless it’s politically inconvenient to do so, right?
And maybe Beyonce— who once performed in front of that giant, glowing sign declaring herself a FEMINIST — dropped her overt support of women’s issues because, post-#MeToo, societal permission was no longer granted.
Or maybe this all explains the industry’s darling: yes, Taylor Swift herself. Now, I’m not exactly a “Swiftie,” and I raised a serious eyebrow when Kim Kardashian revealed that she feigned ignorance — while claiming a feminist stance, no less — regarding Kanye West’s infamous lyric about how he and she “might still have sex” in his song “Famous.” But Swift’s compliant public persona at the start of her career is what built up her fan base (and financial freedom) to ultimately arrive where she is now: pulling her catalog from Spotify for ethical reasons, re-recording her first six albums to fit her artistic vision, and speaking candidly about her eating disorder.
And though Kim Kardashian caught her red-handed, I love that Taylor Swift came back forty pounds healthier and a year out of the spotlight later, middle fingers blazing on a come-back album for the ages, Reputation, singing: “I don’t trust nobody and nobody trusts me. I’ll be the actress starring in your bad dreams.” Badass.

The Power of Female Sex

Let’s consider what else has happened since #MeToo: the steady downturn of the global economy. Americans are still reeling from the crash of 2008; meanwhile, an endless post-Bubble recession in Japan has weakened the yen to its lowest value in the long postwar. And since coronavirus, inflation cleaves a disheartening chasm across the globe between the rich and poor.
The implications of a struggling economy are particularly grave for women who, to this day, still earn just 77 cents for every dollar made by men in identical positions. So it makes sense that sex work, especially in spheres like OnlyFans or as “sugar babies,” holds seemingly more appeal than ever. Cardi B’s upward mobility, leveraged by stripping, is even described by Harper’s Bazaar as a “Cinderella Story.”
“WAP”-collaborator Megan Thee Stallion puts it succinctly with her line, “Pay my tuition just to kiss me on this wet ass pussy.”
Cardi B’s brand of so-called “slut rap” builds on a legacy from the 1990s that was revolutionary for its time. There’s no doubt that Lil Kim’s “How Many Kicks” and Khia’s “My Neck, My Back (Lick It)” leveled the hip-hop playing field for a time, enabling women to keep up with boys notorious for their objectification of the opposite sex (Snoop Dawg’s “Bitches Ain’t Shit” comes to mind, along with Jay-Z’s “Big Pimpin’”).
But can we finally admit that slut rap didn’t impart lasting liberation from the Male Gaze? I don’t mean to shame female sexuality or the “world’s oldest profession” (itself a commentary on the prioritization of male desire more than female “choice”), but to question contemporary feminism’s insistence this choice is inherently empowering— particularly as representations of women’s sexuality increasingly pander to the Male Gaze. Of course, pop stars since at least as far back as Elvis have capitalized on their sexuality, but the 90s girl-power messaging of Lauryn Hill’s “Doo-Wop (That Thing),” Shania Twain’s “Any Man of Mine,” or No Doubt’s “Just a Girl” appear downright puritanical next to “WAP.”
So rather than imploring male musicians to, I don’t know, stop being assholes, instead we have female pop stars — coached by a team of male producers*4 — marching further down a dead-end road toward “sexual empowerment.” We can all agree that Drake’s nods to feminism on his album Her Loss, is self-flaggelating at best — aw, shucks, just a good guy led astray by bad bitches — and insulting at worst. With lyrics like “I blow half a million on you hoes, I’m a feminist,” Drake makes a mockery of women’s struggle to find worth for themselves outside the Male Gaze. But when the purported difference between this and “WAP”’s much-anticipated follow-up, “Bongos” — whose video features the two rappers in thongs, simulating sex, rapping “Bitch, I look like money / You could print my face on a dollar / Better beat this shit like a drum?” — is that, here, the women are in control?
Sure, I suppose being your own pimp is better than being pimped, but seriously: these are the options?
Seeing how things have (or haven’t) changed in media since #MeToo leaves me wondering if we’ve missed the point altogether. For the record, I like Cardi B’s media personality: she’s clever, unapologetic, and in tune with the economic struggles definitive of our times. She, too, is a badass, so while I might have differing ideas on feminism from some of my sisters, I’ll never participate in the infighting that plagues feminism (and any other movement for equality_, which Simone de Beauvoir eloquently summed up when she wrote, “Women’s wings are clipped, and then she’s blamed for not knowing how to fly.”*5 Like those souls trapped in Plato’s allegorical cave, it’s hard for us ladies to conceptualize true equality.
But man — can you imagine if Cardi B used that incredible voice of hers to say something else? Ultimately, sexual assault is a tragic symptom of a broader system of inequality, where women are imprisoned by male expectation. When we look to men — themselves increasingly socialized by pornography and violence — to define our value, our worth hinges upon a particular kind of sex: one geared toward male pleasure. Like bad sex itself, it’s all just so boring.

  • 1 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 2 Sigh. I really do miss the Old Kanye.
  • 3 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 4 Cardi B and Megan Thee Stallion share writing credits on “Bongos” with six others— all men.
  • 5 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.

Author Bio

Jillian Marshall, PhD, is a writer, educator, and musician currently based in Brooklyn New York. Her first book, JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes (Three Rooms Press: 2022) draws on her ethnomusicological research on Japan’s traditional, popular, underground music worlds, and bridges the university and the public sphere. She left academia following the completion of her doctorate, in part because she was tired of working twice as hard to be taken half as seriously by her colleagues.

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