「iLL」と一致するもの

Lee "Scratch" Perry - ele-king

 ついに御大が動き出す。まもなくコンピレーション『Pay It All Back Volume 7』を発売する〈ON-U〉から、今度はなんとリー・ペリーがニュー・アルバムをリリースするとの情報が飛び込んできた。エイドリアン・シャーウッドも音の面でがっつり関わっているらしい。タイトルは本名の「Rainford Hugh Perry」からとられていて、どうやら彼のパーソナルな側面も打ち出された作品に仕上がっているようだ。現在、『Pay It All Back Volume 7』にも収録される新曲“African Starship”が公開中。

本名を冠した最新アルバム『RAINFORD』を
〈ON-U SOUND〉から日本先行リリース決定!
新曲&トレーラー映像公開! Tシャツ・セットの発売も決定!

伝説の中の伝説、リー・スクラッチ・ペリーが、盟友エイドリアン・シャーウッドと再びタッグを組み、自らの本名を冠した最新アルバム『Rainford』を4月26日(金)にリリースする。発表とともに、新曲“African Starship”が公開された。本作は、エイドリアン・シャーウッドが操縦桿を握り、ジャマイカ、ブラジル、ロンドンで録音された最新音源が収録される。

Lee “Scratch” Perry - African Starship
https://soundcloud.com/on-u-sound-records/lee-scratch-perry-african-starship/s-q6yZV

トレーラー映像はこちら!
https://youtu.be/QCMLNAUsz0s

これは今までリーが作った中で最も私的なアルバムであると同時に、音楽的発想はすごく新鮮で、こういった作品を完成させられたことを非常に誇りに思っている。 ━━エイドリアン・シャーウッド

レゲエ界のみならず、全音楽史を見渡しても、リー・ペリーが、他に類を見ないほどの偉人であることは、もはや説明不要だろう。巨匠ブライアン・イーノが「録音音楽屈指の天才」と称するグラミー賞プロデューサーであり、キース・リチャーズからデヴィッド・リンチ、ザ・コンゴスからザ・クラッシュ、ジュニア・マーヴィン、ビースティ・ボーイズなど、多くのアーティストのコラボレーターであると同時に、80歳を超えた今もなお、その革新的な姿勢で、多くのファンを魅了する伝説の存在だ。

一方エイドリアン・シャーウッドは、80年代から90年代にかけて確立したそのレフトフィールドなサウンドを通して、UKダブを当時最も先進的なサウンドとして世界に広めると同時に、後の音楽史に多大な影響を及ぼしたプロデューサーとして、40年近く第一線で活躍。ナイン・インチ・ネイルズ、プライマル・スクリーム、ブラー、デペッシュ・モード、ザ・フォール、ルーツ・マヌーヴァといった多様なアーティストたちとコラボレートし、自身の武器であるミキシング・デスクを通して、唯一無二のサウンド・サイエンスを提供してきた。

リーとエイドリアンの友情は1980年代半ばまで遡る。ふたりはアンダーグラウンドのラジオ界における伝説的人物スティーヴ・ベイカーの仲介で出会った。この出会いが、『Time Boom X De Devil Dead』や『From The Secret Laboratory』といった〈On-U〉の傑作や、リーが生き生きとしたヴォーカルをダブ・シンジケートのレコードに吹き込むといったことに繋がる。今回完成した『Rainford』は、2年以上に及ぶ制作の成果で、ふたりが信頼を寄せる一流ミュージシャンたちと共に、三つの国でレコーディングされている。後世に残る作品を作ろうという決意で臨んだ今回、シャーウッドはこの作品をリック・ルービンがジョニー・キャッシュと組んで〈American Recordings〉からリリースした一連の作品になぞらえ、アルバムのタイトルに本名が使われていることからも明らかなように、リーにとって、かつてないほどパーソナルな作品であると共に、間違いなくリーのキャリアの中でも最も力強い作品の一つとなっている。

アルバムの1曲目を飾る“Cxricket On The Moon”の雰囲気あるフィールド・レコーディングとワウペダルを使ったギター、ゴシック調のチェロをあしらった“Let It Rain”、“Makumba Rock”の刻まれ圧縮された管楽セクション、そしてアルバム全般に渡って天のコーラスのように響く、レイヤーが重ねられ注意深くアレンジされたバック・ヴォーカル、本作では、すべてのグルーヴとディテールにふたりの音楽愛が注がれている。アルバムを締めくくる“Autobiography Of The Upsetter”では、1930年代の植民地時代のジャマイカの農園で育った子供時代から世界的スーパースターになるまでの人生のストーリーをリー自身がナレーションで語る。なお、国内盤CDにはナレーション訳が封入される。

リー・スクラッチ・ペリーの最新作『Rainford』は、4月26日(金)に日本先行リリース。国内盤にはボーナストラック“Heaven And Hell”が追加収録され、“Autobiography Of The Upsetter”のナレーション訳を含む解説書が封入される。数量限定でオリジナルTシャツとのセット販売も決定。iTunesでアルバムを予約すると、公開中の“African Starship”がいち早くダウンロードできる。また限定輸入盤LPは、争奪戦必至のゴールド・ヴァイナル仕様となっている。

label: On-U Sound / Beat Records
artist: Lee "Scratch" Perry
title: Rainford
release date: 2019.04.26 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-596 ¥2,400+税
国内盤CD+Tシャツ BRC-596T ¥5,500+税
限定盤LP(ゴールドディスク)ONULP144X ¥OPEN

TRACKLISTING
01. Cricket On The Moon
02. Run Evil Spirit
03. Let It Rain
04. House Of Angels
05. Makumba Rock
06. African Starship
07. Kill Them Dreams Money Worshippers
08. Children Of The Light
09. Heaven And Hell (Bonus Track for Japan)
10. Autobiography Of The Upsetter

JH1.FS3 - ele-king

 2019年に突入しても〈Posh Isolation〉が発表したクロアチアン・アムール 『Isa』、〈Alter〉からリリースされたクリストフ・デ・ババロン『Hectic Shakes』、〈Blackest Ever Black〉から出たブラック・レイン「Computer Soul EP」など、世界の表層と内面に蠢くような同時代的無意識を反映したモダンなノイズ・ミュージックのリリースが相次いでいる。
 これらのオルタナティヴなノイズ音響作品は現代世界特有の先の見えない不安を体現しつつも、「音楽であること」に対してことさらに抵抗していないことが特徴である。むしろ積極的に「音楽」と融合しようとすらしている。これは反動ではない。「抵抗への意志」が変化してきたというべきかもしれない。

 〈Posh Isolation〉、〈PAN〉などの先端的レーベルからのリリースで知られる現代ノイズの象徴存在ピュース・マリー(Puce Mary)=フレドリッケ ・ホフマイヤー(Frederikke Hoffmeier)とUSのハードコア・パンク・バンド HOAX の元メンバーで、リーベストート(Liebestod)のジェシー・セーン(Jesse Sane)によるインダストリアル・ノイズ・デュオ JH1.FS3 の新作『Trials And Tribulations』もそのような「ノイズの同時代性」の中に位置づけられる作品だった。リリースは近年、メルツバウ/ヘキサ、コイル、ソノイオなどのアルバムで知られる〈Dais Records〉からというのも興味深い。

 https://jh1fs3.bandcamp.com/album/trials-tribulations

 彼らは2015年に自主レーベルでカセット『Silence.DOM』を送り出し、2017年にはヨアヒム・ノードウォール(Joachim Nordwall)率いる〈iDEAL Recordings〉からアルバム『Loyalty』をリリースした。どこかソワー・エレクション(Sewer Election)的ともいえる幽玄かつ物質的な音のアトモスフィアに耳が惹きつけられた。

 https://jh1fs3.bandcamp.com/album/loyalty

 2017年には自主レーベルでカセット『Allegiance』、2018年には〈iDEAL Recordings〉の20周年記念コンピレーション・アルバム『The Black Book』にも参加したが、アルバムとしては本作『Trials And Tribulations』が約2年ぶりの作品となる。ピュース・マリーはコペンハーゲンの〈Posh Isolation〉から2016年に発表した『The Spiral』、ベルリンの〈PAN〉から2018年にリリースした『The Drought』などが高評価を受け、加えて〈Warp〉からの話題作イヴ・トゥモア『Safe In The Hands Of Love』(2018)への参加など、彼女への注目度が高まっている時期ということを考慮すると非常に重要なリリースに思えるのだが、本アルバムは当然ながら JH1.FS3 の作品であり、それぞれソロ作品と安易な比較は意味はなさないことは言うまでもない。
 では JH1.FS3 的な音とは何か。先にソワー・エレクションと同質な音と書いたが、つまりはスウェーデン的なノイズ音響のムードなのである。いわば冬のイメージだ。冷たく乾いた空気感。さらにはノイズのコンポジションに構成美があるという点も重要である。これは〈Posh Isolation〉、〈PAN〉などから作品を発表するアーティストに共通の傾向で、現代的ノイズ・ミュージックに共通する意識といえる。ノイズ・ミュージックは紛れもなく反=音楽として生まれたものだが、先に書いたように2010年代のノイズ・アーティストにとって「音楽」であることは、ことさらに抵抗すべきものではなくなったのだろう。ノイズの発生とエモーショナルの結晶体としての音楽の融合を恐れていない。
 私は『Trials And Tribulations』のサウンドを聴いて、同時代のモードにアクセスする感覚を強く持った。1曲め“Far From Spring”などは、まさに2019年の「世界」が軋みを上げ唸っているかのようなトラックである。JH1.FS3 はコラボレーションといっても安易な融合というより異質な存在が異なったまま拮抗・存在するような印象だが、“Far From Spring”はジェシー・セーンの硬いノイズ特性とフレドリッケ ・ホフマイヤーの官能的なノイズが拮抗しつつ存在するような曲に仕上がっており、アルバムのオープニングに相応しいトラックであった。
 物音を変調させたサウンドに、ピュース・マリー=フレドリッケ ・ホフマイヤーのポエトリー・リーディングが重なる2曲め“Every Little Detail”もギシギシと軋むようなジェシー・セーン的なノイズ・ドローンを展開する。冒頭2曲で聴き手をアルバムの荒廃したムードの世界観に引きずり込んでいく。
 3曲め“Aleppo In Headlines”と4曲め“The Chaos Of Illusions”はシンプルにして不安なベースやリズムが入り、ノイズ、ドローン化した瀕死のハードコアといった趣の曲が展開し、音楽的な構造もより明確になる。以降、アルバムはこのトーンを基調としながら展開する。
 同時にふたりのノイズが融解していくような感覚が生まれてくる。7曲め“At The Bottom Of The Night”におけるノイズと環境音とヴォイスの高密度なミックスは、JH1.FS3 というユニットが新しいサウンドを発見したかのような印象を持った。ピュース・マリー=フレドリッケ ・ホフマイヤーの声の透明なカーテンのような響きの存在感が際立つ。続く古いラジオ音声のような音にさまざまなノイズの残骸がレイヤーされ、微かに聴こえる声が生々しくエディットされる8曲め“Pipe Talk”にも注目だ。ヴィデオも制作された本トラックは、亡霊のような声とノイズが音響空間の中を動きまわり、さまざまな環境音がまるで粉々に砕かれるように鳴り続ける。

 “Infinite Emptiness Of A Heavy Heart”と“Nice”のラスト2曲ではノイズのむこうに「旋律」がついに姿があらわす。アルバムの終わりを飾る2曲はサウンドもさらに細やかになり、まるで記憶の逆回転のように展開する。

 『Trials And Tribulations』は、エモーショナルなノイズと精密なサウンド・コンポジションによって世界を高密度にスキャンしていくような印象をもたらすアルバムである。激情と冷静の果てにある荒涼としたアフターモダンな地平のごときサウンドとでもいうべきか。
 「不満と不穏の時代」、音楽家はそれぞれの実存をかけて作品を制作している。となれば聴き手もまた安易な分類の誘惑に抗いながら自身の実存をかけて聴取すべきはず。むろん強靭な同時代性ゆえ、数年後に聴くとまた違った印象を持ってしまう作品かもしれないが、変動の時代の渦中にあって、蠢く世界のムードを摂取するように聴取すべきアルバムであることに違いはない。

Silk Road Assassins - ele-king

 〈Planet Mu〉からUKの Tom E. Vercetti、Lovedr0id、Chemist の3人によるプロジェクト、Silk Road Assassins (以下SRA)による14曲入りデビュー・アルバム『State Of Ruin』がリリースされた。過去にはそれぞれ Tom E. Vercetti と Chemist がグライムをベースとしたロンドンの実験的なレーベル〈Coyote Records〉からリリースを重ね、また Mr. Mitch や Rabit、Last Japan といったアーティストの楽曲のリミックスを手掛けてきた。SRA の作風は、グライム、トラップ、ドリル・ミュージックのインストゥルメンタルに込められた冷たさを取り出し、トランシーなパッドと混ぜ合わせるというスタイルで、Clams Casino 以降の Chillwave やそれらを発展させた「Wave」というジャンルとの共通した質感でもある。

 14曲のインストゥルメンタルを聴き通して思い浮かぶのは、アルバム・タイトルのように人気のない「廃墟」のイメージだ。昔は存在していたのにいまでは人間が「不在である」ことを強く感じさせる空間のイメージ。それは特にラップ・ミュージックのフォーマットを用いていることにある。アルバムの序盤は特にメロディではなく冷たいシンセパッドを核とした構成となっており、より強く「声の不在」を感じさせる。同じく〈Planet Mu〉から Kuedo が参加している“Split Matter”では、女性風の合成音声のように聞こえる音が使われている。またフルートやベルといった音色も打ち込みでしか出せないような音で、むき出しな無機質さをたたえている。UKドリルらしいハネ感が際立つ“Familiars”では、ハードコアやガバを思わせるリフがドリルラッパーの代わりにそのテンションを発散、アルバム中盤“Bloom” “Pulling The String”でダウンテンポで美しいメロディを挟み、WWWINGS が参加した“Shadow Realm”のグリッチやノイズの嵐、そして本作のハイライトとなる“Taste Of Metal”へと流れ込んでいく。“Taste Of Metal”にはMCの K9 を迎えた別ヴァージョンが存在するが、本作に収録されているのは声なしのインストゥルメンタルである。“Saint”からラスト・ソング“Blink”までの4曲はまた一転して、メロディックなシーケンスとパーカッションとしての銃声、消防車・警察車両のサイレンの不穏な音が重なりひとつの世界観を作り上げている。

 SRA の3人がゲーム音楽を制作していることは、クラブ・ミュージックとゲーム音楽の大きな結節点であるベリアル(Burial)の『Untrue』を思い起こさせる。Burial はUKガラージのリズムを、『メタルギアソリッド』の主人公が移動するときに持っている武器が「カチャカチャ」と立てる音をサンプリングし、パーカッションとして組み立てた。マーク・フィッシャーによれば「未来の不在に取り憑かれた時代精神を象徴した」サウンドは、仮想現実という「別の世界」からやってきたと言える。そしてここで取り上げたいのは、ベリアルがサンプリングしたように、ゲームにおける音の役割はBGMから広がり、いまでは足音や空調の音、風の音といった「リアリティ」(現実らしさ)を「シミュレーション」し構成することにあるということだ。もともとはプレイヤーの2Dの背景であったはずのゲーム内の空間は3D・4Dとなって情報量と自由度を増し、もはやゲームのプレイヤー・主人公とはパラレルで自律した世界が無限に、そして事前に演算され続ける。こうしたある種の「自然」を表現した作品にブレント・ワタナベの「サンアンドレアス・ストリーミング・ディア・カム」がある*。この作品はプレイヤーと直接関わらない一匹の鹿のキャラクターがAIによってゲーム空間を自由に動き回る様を録画している。その様子は「人間(プレイヤー)と関わらない世界」という意味での世界や現実が、こちら側の現実と同じようにゲームの中においても確かに存在していることを直感的に表現している。

 私たちがFPSゲームをするとき、スクリーン、あるいはVRヘッドセットをひとつの「窓」にしてもうひとつの完全に自律した世界を覗くことになる。そのときゲームは視覚と同時に聴覚も奪ってしまうことで完全に別の世界に没入することができる。SRA のアルバムを聴きながら、自分と音楽をつなぐ「声」は不在であり、そこにプレイヤー、あるいは主体としての「人間」が奇妙に取り除かれている。主人公不在のゲーム的リアリティが耳から流れ込み、「私」が目で追いかける風景と二重写しとなる。このアルバムを聴き思い浮かぶ情景は歪んだ現実感をもって私たちに迫ってくる。

* 現在初台ICCで開催されている「イン・ア・ゲームスケープ ヴィデオ・ゲームの風景,リアリティ,物語,自我」で3/10まで上映中。 https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2018/in-a-gamescape/

What’s the point of indie rock? - ele-king

 2019年になったいま、日本のなかで、あるいは世界の他の国々のなかで生まれている、もっとも刺激的で、また文化的な意義をもった音楽を思い浮かべてみるとき、ただちに気づくのは、どうやらそこにインディー・ロックのバンドは入ってきそうにないということだ。ヒップ・ホップやダンス・ミュージック、あるいはアイドル音楽でさえもがいま、定期的に、誰も予想していなかったような新しいアイデアを、この世界にたいしてはっきりと表明している。そのいっぽうでインディー・ロックは(あるいはより一般的にいってロック・ミュージック全般は)、刺激的で文化的な音楽の場から引きこもってしまい、ジャズに似たポジションを占めることになっている。つまりそれは、ニッチな世界のなかでは実験的な可能性を残しているものの、そうした世界を超えた先での影響は断片的なものにとどまり、より文化的な意義をもった音楽の形式によって、たいていの場合ノスタルジーに溢れた楽観的な雰囲気とともに参照されたりサンプリングされたりするという、そんなポジジョンに置かれているわけである。
 
 2018年におけるインディー・ロックのハイライトを振りかえってみるとそこには、1990年代の影が覆いかぶさっているのが、ありありと見てとれる。そこにはヨ・ラ・テンゴ、ザ・ブリーダーズ、ガイデッド・バイ・ヴォイシズ、クリスティン・ハーシュ、ロウ、ジェフ・トゥイーディー、そしてスティーヴン・マルクマスといった、いずれもその当時に高い評価を受けたアルバムをリリースしているバンドが登場してくるわけである。そうしたアーティストたちの多くは、ブライアン・イーノが「農夫たち farmers」と分類した者たちである。彼らは同じ土地の一角で何年も何年も仕事を続け、その土地を豊かで生産的なものに維持してはいる。だが彼らが新たな領域へ踏みこむことはけっして起こらない。インディー・ロック界には多くの農夫たちがいるが、カウボーイはごくわずかしかいないのである。
 
 このことは、そうしたアーティストたちが間違っているということを意味するわけではないし、まして彼らが、否定的な意味でノスタルジックだということ意味するわけでもない。彼らがいかにザ・フーやチープ・トリックや、その他の過去の古典的なロックを参照しているかを聴いてみればわかることだが、ガイデッド・バイ・ヴォイシズは、あからさまにノスタルジックなバンドである。だが彼らがそうした要素を操作するやり方は同時に、みずからを記念碑的な何かへと変えようとするロックのもつ傾向を、まったく意に介すことのないものだ。ガイデッド・バイ・ヴォイシズの素晴らしく多産なソングライターであるロバート・ポラードにとって、ロックはつねに動きつづけるものであり、そしてそのバンド名にもあるとおり、ひとりの「ガイド」としての彼がもっている理念は、まったくラディカルなものでありつづけている。すなわち、ロックの曲を生みだすことなど簡単なことであり、誰にだって可能なことなのだというわけだ。

 それじたい皮肉な話だが、ノスタルジックなものはまた、われわれが過去に夢見ていた未来のヴィジョンを想起させるものでもある。ヨ・ラ・テンゴの『ゼアズ・ア・ライオット・ゴーイング・オン』のいくつかの曲は、クラウトロックのもつ流れるようでモータリックな未来主義をふたたび取りあげていながら、しかしどこかで、物悲しい雰囲気に取り憑かれてもいる。クラウトロックのような音楽が当初われわれに約束していた未来に、いったい何が起こってしまったというのだろうか。やはり90年代からの難民のひとりである音楽プロデューサーのジェフ・バーロウも、ビークの『>>>』において、ヨ・ラ・テンゴと同じような領域を探求している。じっさいのところもはやロックとは見なせないほどに、進歩的で実験的なロックやエレクトロニカの領域へと進んでいるといいうるこのアルバムの特徴は、次のような重要な問いを喚起するものだ。すなわち、インディー・ロックがいままでとは異なった何かをやるとすぐに、別のカテゴリーに分類されてしまうのだとしたら、ではいったいどうやってそれは、いまより以上の何かに変化することを望んだらいいというのだろうか。 

 2018年のもっとも優れたインディー・ロックのアルバムであり、ことによればその年のベスト・アルバムともいえるものだったのは、ロウの『ダブル・ネガティヴ』だった。そのなかに集められた曲はどれも美しく、たがいに絡みあい、歪曲しあい、引き裂かれあっている。この作品は、いっぽうで幻惑的で、スリリングで、爆発的な斬新さをもつものでありながら、同時に、ロウのその長いキャリアのなかの他のどんな作品より、巧妙かつ控えめなものになりえている。われわれが習慣的に「ロック」と呼んでいるものからあまりにも遠ざかっているがゆえに、にわかには認めがたく、別の何かに分類したくもなるが、しかしにもかかわらず彼らの作品は、その核心部分においてひとつのロック・アルバムであり、ひじょうに洗練された美しいものとなっているのである。

 いったいどうすればインディー・ロックが、2019年において意義のあるものとなるのかを理解するためには、ここであらためて、それがどのようなものとして開始されたのかについて考えてみるべきだろう。おそらくそこには、それぞれに重要なものといいうる三つの点が存在している。

 第一に、インディー・ロックはメインストリームなポップ・カルチャーから距離を取り、そのなかに見られる強迫観念的で弱い者いじめ的な消費にたいするトップダウン式の命令から距離を取った空間を提供するものだ、という点が挙げられる。ポップ・カルチャーはひとを疲れさせるものである。それがかたちづくっている機械はすべてを飲みこみ、搾取して、その金属製の顎のなかに入ってくるありとあらゆるものを抜け殻に変えて吐きだしていく。そうしたものにたいし、1980年代におけるその誕生の時点でインディー・ロックは、(それじたい不完全で、多くの場合困難を抱えたものではあったわけだが)オルタナティヴなインフラや、理念や、美学をつくりだすことによって、パンクが中断してしまった空間をふたたび取りあげていたのわけである。

 そして第二に挙げられるのは、メインストリームなものから離れた世界は、これまでにないような魅力をもつオルタナティヴな存在でなくてはならない、という点である。インディー・ロックは、万人受けするようなやり方で物事を組織する必要はないのだということを示すものでなくてはならない。そしてだからこそ問題は、音楽さえあればそれだけでいいということにはならないわけだ。

 ミュージシャンたちがじっさいに演奏する音と同じくらいに、音以外の部分でのその表現や、それと分かるような目印がとなるものが、音楽にとって重要な要素となってくる。他のどんなミュージシャンよりもデヴィッド・ボウイが今日的な意義を保ったままであるその理由の大部分は、ジェンダー規範がことさらに保守的なものだった時代のなかにあって、男性性の再定義にたいし、彼がどれほど寄与したかという点にこそある。2018年の年末アンケートのなかで、多くの評者がソフィーやイヴ・トゥモアのようなジェンダーの揺らいだエレクトロニックなエイリアンの出現を賛美しているのを見ればわかるとおり、ボウイの遺産はいまやあきらかに、ロックというジャンルの範囲を超えて広がっている。

 インディー・ロックが1980年代に自立したものとなっていったのは、パンクのDIYという理念や、それがもっていた場所や時間についての現代的な感覚が、1960年代や70年代の音楽をノスタルジックなかたちでふたたびじぶんたちのものにすることと融合するなかでのことだった。ザ・スミスなどというバンド名のもつ、キッチンシンク派的な単調さと、モリッシーのグラジオラスの花にも例えられる波打つような派手な動きや、ジョニー・マーのリズミカルなギターの旋律との対比は、1980年代のマンチェスターにおける灰色をした郊外の団地の只中で、美しいものを熱望する憂鬱さをあらわしている。その音楽とイメージによって、それまで誰にも承認されることのないままに過ごしてきた者たちによってじっさいに生きられている現実と、彼らのもつロマンチックなものにたいする渇望を同時に表現することによって、ザ・スミスは、以上のような点をはっきりと象徴するバンドだったといえる。

 欧米では、ロックはだんだんと、白人による伝統的で文化的な庶民的表現にすぎないものとして、安易なかたちで見放されていくことになる。そんななかでインディー・ロックも、白人のミドルクラスによる庶民の表現という曖昧な役割を担っていくことになる。UKのエンド・オブ・ザ・ロードのようなフェスにひしめいている溢れるような白い顔の群れがはっきりと示しているように、こうしたジャンルの音楽は、だんだんと文化や人種が混淆したものになっている国家の多様性にたいして語りかける言葉をもってはいない。こうした問題は部分的に、有色人種のアーティストたちーーとくに黒人のアーティストたちーーが、インディー・ロックの分類の外に置かれ、「ブラック・ミュージック」として分類されるジャンルのなかに組みいれられているからだといえる。LAを拠点にしたシンガーソングライターであるモーゼス・サムニーの音楽はたとえば、両者からの影響によって特徴づけられるものであるにもかかわらず、ほとんどの場合インディー・ロックというよりソウルと呼ばれている。パンクの遺産を非白人アーティストのために解放することを目指したロンドンのデコロナイズ・フェスティヴァルによって、ロックの白人性にたいするバックラッシュは進んでいる。こうした傾向はやがて、トラッシュ・キットやビッグ・ジョニーのようなバンドを介して、インディー・ロックのなかにも広がっていくはずである。

 そのアルバム「ビー・ザ・カウボーイ」を多くのライターが2018年のベストにあげていた日系アメリカ人のシンガーソングライターであるミツキの人気は、彼女の音楽的才能だけではなく、そのアイデンティティーにも由来している。彼女のよくできたギター・ロックのなかには、ことさらにラディカルなところがあるわけではない。だがその音楽が、斬新でユーモアがありつつ、感情をさらけだすような正直さでじぶんじしんを表現するスキルをもった、非白人で女性のアーティストの視点から生みだされているという事実によって彼女は、いまのアメリカをかたちづくっているように見える攻撃的な白人男性たちからなる世界にうんざりしたオーディエンスに訴えかける声となっているのである。ミツキはじしんの弱さをさらけだして表現していくことを恐れないが、いっぽうでその歌詞は、ある意味でひとを元気づけるような、そんな世界観を提示するものでもある。クリスティン・ハーシュによる素晴らしいアルバム「ポッシブル・ダスト・クラウズ」のなかに聞かれる、自己を引き裂くような1990年代のジェネレーションXに特有のパニック発作のような調子と比べると、ミツキは、希望のかすかな光や慰めを提示している。そしてそうしたものこそが彼女の世界を、よりぞっとするような時代のなかで育ってきたファンたちにたいしてアピールする場所へと変えているわけである。

 根本的に白人的かつ男性的なものとしてのインディー・ロックにたいする批判は、たとえば日本のような、アジアの国の音楽を取りあげる場合、そのまま当てはまるものではない。もし西洋のオーディエンスが包括性や異種混淆性をいまよりももっと評価するようになっていけば、きっと日本は世界にたいして、多くのものを提示することができるようになるはずだ。だが、エレクトロニカやポップ・ミュージックの界隈では、じぶんたちが何をすべきなのかが自覚的に推し進められている傾向にある一方で、日本のインディー・ロックはいまだに多くの点で、イギリスやアメリカの音楽に頭の上がらない状態にあり、じぶんたちが崇める欧米のアイドルたちの美学を模倣し、それに適応することに夢中になっている。

 2018年の日本でリリースされたなかで、もっとも優れたインディー・ロックのアルバムはおそらく、ルビー・スパークスによるセルフタイトル・アルバムだろう。この作品は、まるで1995年のUKで製作されたかのような音を聴かせるものなのだが、いずれにしても美しく、魅力あるアルバムである。同様のことは、彼らと同じシーンにいる仲間たち、たとえば去年の夏にパンキッシュなシングル曲「バッド・キックス」をリリースした活きのいいバンドであるDYGLについても当てはまる。どちらも日本の音楽シーンにエキゾチックで斬新な何かをもたらしてはいるが、それは彼らがその音楽によって、当の欧米それじたいのなかでもはや失われてしまった欧米らしさを、わずかに漂わせているからだ。いっぽうで、インディー・ロックの周辺に位置しているクラン・アイリーンやクジャクのようなバンドは、サイケデリック・ロックやノイズ・ロックといった日本に固有の力強い伝統から多くの要素を引き出すことによって、Jポップのメインストリームにたいするオルタナティブを、よりはっきりと日本文化のなかに根づいたかたちで提示しているが、しかしそうしたバンドはいまだ、ニッチななかでもさらにニッチな場所に留まっている。

 インディー・ロックが日本のなかで、欧米の音楽と関係しないままでは立ち行かないような状態にある理由のひとつは、おそらく、それがもつ三つ目の価値に関連しているはずである。インディー・ロックがメインストリームから離れた空間を提供するものであり、そしてそうした場所が物事のあり方にたいする魅力的なオルタナティブをもたらすものなのだとしたら、定義上それは、いずれにしろ何かしらのレヴェルで、メインストリームなものと敵対するような関係のなかに入っていくことになる。いうまでもなく、日本のアーティストたちのなかで、あえてそうした関係のなかに入っていこうとする者たちは、ほとんど見られない。ルビー・スパークスやDYGLのようなバンドがやっているのは、Jポップ的なメインストリームなものに肩をすくめてみせることであり、そしてその上で、海外に慰めを求めることだ。だが、日本におけるインディー・ロックが、たんに「メジャーに行くほど有名ではないロック・ミュージック」以上の何かを意味するために必要なのは、お行儀のよさや寛容さを捨てさることであり、みずからを、支配的な自国内のポップ・カルチャーにたいするより明確な批判へと変えていくことなのである。

 より露骨にいっておこう。ロバート・ポラードがいっていることにもかかわらず、日本の場合であれ、他のどこかの場合であれ、インディー・ロックというものはもはや、わざわざそれを生みだそうと思うような音楽ではないのだ。いまの人々の生活のなかには、グループになって集まって曲を作ったり、練習したりするような自由な時間はない。みなリハーサルやレコーディングのために使う金をもっていないし、(とくに日本の場合に見られることだが)自腹を切ってライブをするのに使うような金をもっていない。いま現在でもっとも取っつきやすく、だからこそすぐに新たな才能を吸収していくことにもなる音楽は、じぶんの部屋のラップトップ上で、ひとりで聞くことのできるような音楽なのである。

 インディー・ロックはいま、1980年代や90年代におけるその全盛期にあったような意義を失ってしまっている。だが歴史にその身を委ねる必要などないのだ。アーティストたちがじぶんたちを取りまく世界に目覚め、そこに介入し、それに立ちむかい、それを批判して、その世界から疎外されている人々のありようを表現し、そして失われた過去の夢をふたたび取りあげることによって、あるいはじぶんたちじしんのまったく新しい何かを鍛えあげることによって、オルタナティヴなものを作りだすために動きだすことができるなら、インディー・ロックはきっと、人々との繋がりを保ちつづけ、彼らにたいし、ホームと呼べるような音楽的な空間をもたらすことになるはずである。 

What's the point of indie rock?

text : Ian F. Martin

The year is 2019. Try to think of the most exciting, culturally relevant music happening in Japan or the rest of the world is right now and the chances are it's not an indie rock band you're thinking of. Hip hop, dance music, pop, and even idol music regularly throw new and unexpected ideas out into the world. Meanwhile, indie rock (and rock music more generally) has retreated from the conversation and now occupies a position similar to jazz, where experimentation is possible within its niche, but its influence beyond that is fragmentary, referenced and sampled with what is often a wistful air of nostalgia by more culturally relevant musical forms.

Looking back over the indie rock highlights of 2018, the shadow of the 1990s looms long, with Yo La Tengo, The Breeders, Guided By Voices, Kristin Hersh, Low, Jeff Tweedy and Stephen Malkmus all releasing well-regarded albums. Many of these artists are what what Brian Eno would categorise as “farmers”, working the same patch of land year after year, keeping it fertile and productive but never really raiding new territory. Indie rock has many farmers and very few cowboys.

That doesn't make these artists wrong or even nostalgic in a negative sense. Guided By Voices are openly nostalgic in how they hearken back to The Who, Cheap Trick and other classic rock of the past, but the way they operate is also disdainful of rock's tendency to turn itself into a monument. Rock, for GBV's ridiculously prolific man songwriter Robert Pollard, is a constantly moving thing, and his guiding ethos remains a radical one: that writing rock songs is easy and anyone can do it.

It's ironic too, perhaps, but nostalgia can also remind us of future visions that we dreamed of in the past. Several tracks on Yo La Tengo's “There's A Riot Going On” revisit the sleek, motorik futurism of krautrock, but they're haunted by an air of melancholy. What happened to the future that this music originally promised us? Fellow '90s refugee Geoff Barrow explores similar territory on Beak's “>>>”, an album that some might argue pushes so far into the territory of progressive or experimental rock and electronica that it can't really be considered indie rock anymore. This raises the important question that if indie rock is immediately recategorised as soon as it does something different, how can it ever hope to become more than it is now?

The best indie rock album of 2018, and possibly the best album of the year full stop, was Low's “Double Negative” – an album that takes a collection of beautiful songs and twists, contorts and tears them apart. It manages to be as subtle and understated as anything Low have done in their long career, while at the same time dazzling, thrilling, explosively fresh. It's so far from what we conventionally think of as “rock” that it's tempting to discount or reclassify it, but it's nevertheless a rock album at its core, and it's an exquisitely beautiful one.

To understand how indie rock can be relevant in 2019, it's worth taking some time to think about what indie rock is for to begin with. There are perhaps three things it can do to be of value.

The first is that it provides a space away from mainstream pop culture and its obsessive, bullying, top-down dictates to consume. Pop culture is exhausting: it's a machine that eats up, grins down and spits out the empty husks of all who enter its metal jaws. At its birth in the 1980s, indie rock picked up where punk left off by building an alternative (albeit imperfect and often troublesome in its own way) infrastructure, ethos and aesthetic.

Secondly, this world away from the mainstream needs to be an attractive alternative. It needs to show that things don't have to be the way they are in a way that feels relevant to people, and for that, music alone isn't always going to be enough.

Music is just as much about representation and identification as it about the actual sunds the musicians are making. The reason David Bowie, more than any other rock musician, remains relevant is in large part because of how he helped redefine masculinity in an age where gender norms were particularly conservative. With 2018 year-end critics' polls lauding gender-fluid electronic alien visitations like Sophie and Yves Tumor, it's clear that in many ways Bowie's legacy has outrun the rock genre.

When indie rock began to come of age in the 1980s, it did so by wedding the DIY ethos and contempory sense of place and time of punk to a nostalgic reappropriation of the music of the 1960s and '70s. The contrast of the kitchen-sink drabness of a band name like The Smiths with Morrissey's gladioli-waving camp and Johnny Marr's chiming guitar lines expressed a melancholy longing for beauty amid the grey housing estates and suburbs of 1980s Manchester. The Smiths meant such a lot because the music and image articulated both the lived reality and the romantic aspirations of people who had never felt recognised before.

In the West, rock is increasingly easily dismissed as merely the traditional cultural folk expression of white people, with indie rock taking the even more dubious role of folk expression of the white middle classes. The sea of white faces that populates indie music events like the UK's End of the Road festival makes it clear that the music doesn't speak to the diversity of an increasingly culturally and racially heterogeneous nation. Part of the problem is that people of colour – especially black artists – are often classified out of indie rock and into genres coded as “black music”. The music of LA-based singer-songwriter Moses Sumney is more often described as soul than indie rock, despite being informed by influences of both. There has been a backlash to rock's whiteness, with London's Decolonise festival seeking to reclaim the legacy of punk for nonwhite artists, and this may yet spill over into indie rock via bands like Trash Kit and Big Joanie.

The popularity of Japanese-American singer-songwriter Mitski, whose album “Be the Cowboy” topped many writers' 2018 polls, owes as much to her identity as it does to her talent as a musician. While there's nothing particularly radical about her well-crafted guitar rock, the fact that her music comes from the perspetive of a nonwhite, female artist combined with her skill at articulating herself in a fresh, funny and emotionally honest way makes her a powerful voice for audiences tired of the aggressively white, male world America seems to have become. While she is unafraid of dwelling on her own frailties, Mitski's lyrics also offer a worldview that is on some level empowering. Compared with the self-lacerating, 1990s Generation X panic attack of Kristin Hersh's excellent “Possible Dust Clouds”, Mitski offers a glimmer of hope and comfort that makes her world an appealing place to fans growing up in these more frightening times.

The critique of indie rock as being something fundamentally white and male is less straightforward when we look at music in an Asian nation like Japan. If Western audiences are coming to value inclusiveness and heterogeneity more, Japan could have a lot to offer the world. However, electronic and pop-adjacent acts are still driving the agenda, while Japanese indie rock is still in many ways tied to the apron strings of British and American music, its artists hung up on trying to imitate and match the aesthetics of their Western idols.

Probably the best Japanese indie rock album of 2018 was Luby Sparks' self-titled debut album – a beautiful and charming record that nonetheless sounds like it could have been made in the UK in 1995. The same is true of fellow travellers like the effervescent DYGL, who dropped the punkish “Bad Kicks” single last summer. These are both bands who bring something exotic and fresh to the music scene in Japan, but at the expense of offering the West little musically that it doesn't already have in spades. Drawing more from Japan's own powerful tradition of psychedelia and noise-rock, bands on the fringes of indie rock like Klan Aileen and Qujaku offer an alternative to the J-Pop mainstream more recognisably rooted in Japanese music culture, but bands like these remain as yet very much a niche within a niche.

One reason indie rock might struggle in Japan without an umbilical relationship with Western music could be related the third aspect of indie rock's value. If indie rock is to offer a space away from the mainstream, and if that place is to offer an attractive alternative to the way things are, it is by definition entering into what is, at least on some level, an antagonistic relationship with the mainstream. Needless to say, this is something few artists in Japan seem willing to do. What the likes of Luby Sparks and DYGL do is shrug at the J-Pop mainstream and look for comfort overseas, but what indie rock in Japan needs if it is to ever mean anything more than simply “rock music that's not popular enough to be on a major” is to become less polite, more intolerant, and let itself become a more explicit critique of the dominant domestic pop culture.

More broadly, despite what someone like Robert Pollard says, indie rock in Japan and elsewhere is no longer a particularly accessible form of music to make. People's lives don't have the free time to gather as a group to write and practice. People don't have the money to spend on rehearsals, recording and (in Japan) pay-to-play live shows. The most accessible music, and therefore the kind that absorbs new talent most readily, is the music that you can make alone in your room on a laptop.

Indie rock is clearly not as relevant as it was in its heyday in the 1980s and '90s, but it needn't consign itself completely to history. If artists can wake up to the world around them, engage with it, confront it, criticise it, articulate people's alienation from it and work to build alternatives – whether reviving lost dreams from the past or forging fresh ones of their own – indie rock will continue to connect with people and give them a musical space they can call home.

Fat White Family - ele-king

 これは次世代のスリーフォード・モッズか!? ジャズだけでなくロックも活況を呈するサウス・ロンドンから、またも強烈なバンドが現れた……といってもすでに2枚のアルバムを発表しているので新人というわけではないのだけれど、今回はなんとあの〈Domino〉からの新作ということで、期待せずにはいられない。「太った白人家族」なるバンド名からして皮肉が効いているし、ネオナチを諷刺したようなビデオの数々もインパクト大。過去には“I Am Mark E Smith”なんて曲も発表している(ちなみに前作収録の“Whitest Boy On The Beach”は『T2 トレインスポッティング』でも使用された)。ガッツあふれる彼らの前途に期待しよう。

FAT WHITE FAMILY

群雄割拠のサウス・ロンドンから真打登場!
シェイムからゴート・ガールまでが憧れる史上最凶のカリスマ
〈Domino〉移籍第1弾アルバム発売決定!


Photo: Ben Graville

キング・クルール、トム・ミッシュ、ジョルジャ・スミスを筆頭に才能あふれるタレントを次々と輩出する一方で、ジャズからパンクまで様々な音楽が渦巻き、新たなカウンター・カルチャーの震源地となっているサウス・ロンドンから、史上最凶のカルト・ヒーローとしてシーンへ絶大な影響を与えるファット・ホワイト・ファミリーが、最新アルバム『Serfs Up!』のリリースを発表!

最新シングル「Feet」が現在公開中。
Fat White Family - Feet (Official Video) (Explicit)
https://youtu.be/avXN2a0WJ5U

アークティック・モンキーズやフランツ・フェルディナンドを擁する〈Domino〉移籍第1弾作品となる本作は、まるでジム・モリソン、スーサイド、アフリカ・バンバータが激突したかのような、代名詞であるアナーキーな姿勢はそのままに、60年代のトロピカーナから、ヴェルヴェッツやデヴィッド・ボウイの妖艶さとスター性、80年代のダンスホール、デヴィッド・アクセルロッドを彷彿とさせるフュージョン、ペット・ショップ・ボーイズのシンセ・サウンド、アシッド・ハウス、PIL以降のダブなど、実に多彩な音楽要素を発露し、アルコール臭キツめのサイケデリアにドブ漬けした怪作となった。またイアン・デューリーの息子で、独特のヴォーカル・スタイルで人気を集めるバクスター・デューリーもゲスト参加している。

ファット・ホワイト・ファミリーの最新作『Serfs Up!』は、4月19日(金)に世界同時リリース! 国内盤CDには、ボーナストラック“Waterfall”を追加収録。iTunes でアルバムを予約すると、公開中の“Feet”がいち早くダウンロードできる。

label: Domino / Beat Records
artist: Fat White Family
title: Serfs Up!
cat no.: BRC-597
release date: 2019/04/19 FRI ON SALE

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10130

[TRACKLISTING]
01. Feet
02. I Believe In Something Better
03. Vagina Dentata
04. Kim’s Sunsets
05. Fringe Runner
06. Oh Sebastian
07. Tastes Good With The Money
08. Rock Fishes
09. When I Leave
10. Bobby’s Boyfriend
11. Waterfall (Bonus Track For Japan)

仙人掌 - ele-king

 昨年6月にリリースされ、各所で話題を集めた仙人掌のセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』。NY在住のプロデューサー DJ SCRATCH NICE による全面サポートのもと制作された同作のリミックス盤が登場! 今回は BudaMunk をはじめ日本のビート・シーンで活躍する凄腕のビートメイカーたち10人がリミキサーとして参加。デジタルで先行発売されたものとは異なるリミックスや、仙人掌の新曲“TBA”も収録されるとのこと。オリジナルを踏まえたジャケも良い感じです。リリースは3月20日。心して待て!

仙人掌のマスターピースなセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』の楽曲をビート・シーンで活躍する先鋭ビートメイカーたちが再構築した珠玉のリミックス・アルバム! 待望となる新曲“TBA”も収録!

◆ 2016年リリースの初となるオフィシャル・ソロ・アルバム『VOICE』に続き、2018年6月にNY在住のプロデューサー、DJ SCRATCH NICE とのジョイントでリリースしたマスターピースなセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』も高評価を獲得。全国4都市をまわる《BOY MEETS WORLD 4 CITY TOUR》でも満員御礼の各会場を沸かせた仙人掌の次なるリリースは、その『BOY MEETS WORLD』のリミックス・アルバム!

◆ 仙人掌主導による本リミックス・プロジェクトは日本のビート・シーンをベースに、世界レベルでその名が知られている先鋭のクリエイターたちが集結! 仙人掌とも幾度となくコラボしている BudaMunk を筆頭に、ILLSUGI、BUGSEED、Aru-2、CRAM、RLP、EYTREG、dhrma、JUN NAGAOSA、YOTARO の10名のビートメイカーたちがラインナップ!

◆ 仙人掌を中心にその BudaMunk や ILLSUGI らが出演した DOMMUNE での本リミックス・プロジェクトとの連動スペシャル・プログラム「BEAT MEETS WORLD」や参加リミキサー勢が J-WAVE の夜を6日間ジャックし、スペシャル・ミックスをお届けした「TOKYO M.A.A.D SPIN」とのジョイント企画、さらには10週連続での先行デジタル・シングルのリリースも大きな話題に!

◆ また本アルバム用に、先行デジタル・リリースしたものとは異なるリミックス/ミックスも幾つか収録。そして、仙人掌による待望の新曲“TBA”(Prod by NARISK)も収録!

◆ オリジナルの『BOY MEETS WORLD』のジャケットをオマージュした今作のジャケットは JELLY FLASH の手によるもの。

[アルバム情報]
アーティスト:仙人掌 (センニンショウ)
タイトル:BOY MEETS WORLD - REMIX (ボーイ・ミーツ・ワールド:リミックス)
レーベル:WDsounds / Dogear Records / P-VINE
品番:PCD-24794
発売日:2019年3月20日(水)
税抜販売価格:2,400円

[TRACKLIST]
1. 99'Til Infinity (dhrma REMIX)
 Remixed by dhrma
2. Boy Meets World (KO REMIX)
 Remixed by Yotaro
3. Penetrate (CRAM REMIX)
 Remixed by CRAM
4. Darlin' feat. jjj (EYETREG REMIX)
 Remixed by EYETREG
5. Water Flow (Junnagaosa REMIX)
 Remixed by Junnagaosa
6. Bottles Up (Aru-2 REMIX)
 Remixed by Aru-2
7. Rap Savor feat. MILES WORD (ILLSUGI REMIX)
 Remixed by ILLSUGI
8. Show Off (BudaMunk REMIX)
 Remixed by BudaMunk
9. So Far (Bugseed REMIX)
 Remixed by Bugseed
10. World Full Of Sadness (RLP REMIX)
 Remixed by RLP
 Additional Vocal by SOGUMM
11. TBA
 Prod by NARISK

The Concept of The Remix Album is Made by BudaMunk & 仙人掌
All Mixed and Mastered by Aru-2

[仙人掌 - PROFILE]
MONJU / DOWN NORTH CAMP のメンバー。東京最高峰のMC。
吐き出すバースの危険さは数々の楽曲で証明済み。今までにストリート・アルバム、メンバーズオンリー・アルバム、オフィシャル・ファースト・アルバム『VOICE』(2016年)、2018年には3月にEP『Word From ...』、6月にセカンド・アルバム『BOY MEETS WORLD』をリリース。

Carpainter - ele-king

 昨年設立6周年を迎え、果敢なリリースとパーティでどんどん新たなリスナーを獲得していっているレーベル、〈TREKKIE TRAX〉。その創設者のひとりでもあるDJ/トラックメイカーの Carpainter が新作となるミニ・アルバム『Declare Victory』を2月22日にリリースする。全体的にレイヴィな感触で、スピーカーでもヘッドフォンでもアガること間違いなしの内容だ。現在“Mission Accepted”が先行公開されているけれど、同曲の Otira によるリミックスおよび、おなじく『Declare Victory』収録の“Sylenth Warrior”がポーター・ロビンソン(ヴァーチャル・セルフ名義)のDJセットにフィーチャーされるなど、すでに海外でも注目を集めている。これは要チェック!

Carpainter - Declare Victory

『仮面ライダーエグゼイド』オープニング・テーマ、三浦大知“EXCITE”を共同作曲・編曲し、オリコン1位を獲得するなど、着実にそのキャリアを歩んでいるDJ/トラックメイカーの Carpainter、彼のニュー・ミニ・アルバムが自身が主宰する〈TREKKIE TRAX〉よりリリース!

本作は Carpainter の得意とするジャパニーズ・テクノの回帰と昇華を引き続きテーマに、テクノ・レイヴ・ブレイクス、そして現行のフューチャーベースともミックスした音源を集めたレイヴィーなミニ・アルバム。

Remix には新進気鋭のテクノ・ミュージック・アーティスト Otira を起用し、ハード・テクノ・テイストの Remix をも収録!

既にグラミー賞でもノミネートした Porter Robinson の別プロジェクト、Virtual Self の最新DJセットにもEP収録曲が2曲もプレイされており、リリース前から全世界から称賛を受ける注目の1作となっている。

Carpainter - Declare Victory
発売日 : 2019/2/22
価格 : 1,350yen

Track List
1. Transonic Flight
2. Declare Victory
3. Mission Accepted
4. Enrichment Center
5. Sylenth Warrior
6. Wut U Tryin
7. Noctiluca
8. Future Folklore
9. Mission Accepted (Otira Remix)

iTunes、Bandcampで発売
Apple Music、Spotifyなどの各種ストリーミング・サービスでも配信!
配信URLまとめ : https://smarturl.it/CarpainterDeclareV

iTunes : https://itunes.apple.com/jp/album/declare-victory/1451190075
Bandcamp : https://trekkietrax.bandcamp.com/album/declare-victory
Spotify : https://open.spotify.com/album/0XMFwTtdAQZW0XpZJGAoCc

Carpainter
横浜在住の Taimei Kawai によるソロ・プロジェクト。Bass music / Techno music といったクラブ・サウンドを軸に制作した個性的な楽曲は国内外問わず高い評価を得ており、これまで自身の主宰するレーベル〈TREKKIE TRAX〉や〈Maltine Records〉よりEPをデジタル・リリース、2015年にはレコード形態でのEPやCDアルバムをリリースするなど、積極的な制作活動を行っている。
またポーター・ロビンソン、tofubeats、初音ミク、東京女子流、カプコンといったメジャーアーティストにRemix提供など行っているほか、人気マンガ家 浅野いにお がキャラクターデザインを務めた映像作品「WHITE FANTASY」では全編において楽曲を提供。2016年には『仮面ライダーエグゼイドの主題歌』である、三浦大知の“EXCITE”の作曲・編曲を共同で手掛け、同楽曲はオリコン・シングルチャート1位を記録した。
その勢いは国内だけにとどまらず、フィンランドの〈Top Billin〉、イギリスの〈L2S Recordings〉〈Heka Trax〉〈Activia Benz〉、カナダの〈Secret Songs〉やアメリカの〈Hot Mom USA〉など、諸外国のレーベルからもリリースを行なうだけでなく、イギリスの国営ラジオ局「BBCRadio1」や「Rinse.fm」「Sub FM」でも楽曲が日夜プレイされている。またアメリカ、オーストラリア、中国や韓国でもDJツアーも敢行した。
2016年からは自身の楽曲により構成されたLive Setもスタートし、ライヴ配信サイト「BOILER ROOM」での出演などを果たしている。
ほかにも、m-flo の ☆Taku Takahashi が主宰する日本最大のダンス・ミュージック専門インターネットラジオ局「block.fm」では、レーベルメイトと Bass Music を中心としたプログラム「REWIND!!!」のパーソナリティも担当しているなど幅広く活動している。

Twitter / Soundcloud / Facebook / Spotify

AJ Tracey - ele-king

 「グライムの次世代」からオールラウンダーMCへ

 2014年以降のグライム“リヴァイヴァル” のなかで、SNSやインターネット・ラジオでは次世代のグライムMCが頭角を現してきた。ストームジーノヴェリストといった才能とともに注目を集めてきたのがエージェー・トレーシー(AJ Tracey)だ。2012年よりビッグ・ズー、ジェイ・アモらとクルーMTP(My Team Paid)を組み、ヒップホップやグライムのミックステープをリリースする一方、ソロ名義で2015年にリリースした2枚のEP「The Front」「Alex Moran」はグライム・シーンを釘付けにした。

初期のキャリアを決定づけたヒットチューン :
AJ Tracey - Naila

 その後2016年~2017年にはEP「Lil Tracey」「Secure the Bag!」でトラップ色の強いメロディックなトラックにも自在に乗りこなす幅を見せ、昨年にはUSのヒットメイカー、バウワー(Baauer)とのコラボレーションを実現。「AJ Tracey - Butterflies (ft. Not3s)」では、ミドルテンポのアフロビーツを乗りこなし大ヒット、夏のアンセムとしてYoutubeだけで2000万回以上の再生回数を記録した。

AJ Tracey - Butterflies (ft. Not3s)

 数多くの客演やコラボレーションを経て、2019年2月、子ヤギを抱えたジャケットでリリースさえたデビューアルバム「AJ Tracey」は、G.O.A.T (greatest of all time)であることを証明するようにその才能を存分に発揮している。彼がが他のMCと一線を画してきたのは、トラップ、アフロビーツに対応する柔軟なフローと、「グライムMC」であることに囚われないトピックの幅である。
 とくに今作に収録されている“Wifey Riddim”は彼のパーソナリティを示している。自分の元カノやWifey(妻のように真剣な関係な彼女のこと)とのトピックを扱ったこのシリーズは、彼のスピットする本人の経験談、ストーリーが魅力となっている。

  ロンドン、西ロンドン、キングスロード近くのチェルシー
  彼女はエリアの郵便番号に興味もないし、
  彼女が住んでる郵便番号なんて知りもしない
  エセックスの双子は知ってるけど、
  俺のことを求めすぎて無理になった
  言っておくが、俺はそういう人はwifeしない

   Yo, I've got this ting from London West London,
    Chelsea, near Kings Road
   She don't care about my area code
   She's about like she ain't aware of the road
   And I know twins from Essex
   But one of them wants me bad,
   I might dead it
   I don't wife these tings, I'll stress it

“Wifey Riddm” (EP『The Front』より)

 本作に収録されている“Wifey Riddim 3”でも、彼の女性に対する考え方や女性遍歴がスムーズなラップに載せて披露されている。

 これは“Wifey” Pt.3 、
 俺のグッチは「盲目的な愛」って言ってるけど見えないな
 きみは俺のWifeyにはなれないけど、ジーンズを脱いだ姿が見たいな
 これは“Wifey”Pt.3 、俺の携帯を鳴らしまくっても、
 おれは「読む」にしたままだ*
 友だちとはもう終わりだぜ、
 俺はプレイボーイ、いろんなシーンから女の子をゲットする

 *スマホの通知欄にあるメッセージを開かないという意味

 It's "Wifey" part three My Gucci says,
  "Blind for love," I can’t see, yeah
 My girl, you can't be
 But I wanna see you up and out of them jeans, yeah
 It's "Wifey" part three If you’re blowin' up my phone,
 I'll leave you on "Read," yeah
 I'm done with them fiends (Uh)
 I'm a playboy, babe, got girl from all scenes, yeah (Ayy, ayy)
   

“Wifey Riddim 3”

 こうしたトピックを披露するのは、男性らしさ、ハードコアさ、バトル性を追求することの多いUKラップ・シーンにおいて異色だ。比較的スラングの少なくわかりやすい言葉選びとメロディックなセンスは彼の音楽性を高めているが、さらに彼の見た目の醸し出す雰囲気には、父親がトリニダード出身であるというミックスルーツも関係しているかもしれない。彼自身、しばし南国のロケーションでミュージック・ヴィデオを撮影しているが、その姿には見応えがあって白々しく見えない。
 そして最近のラッパーと同じように、プラダやグッチ、バレンシアガ、フェンディといったラグジュアリー・ブランド、またヴィー・ロン(V LONE)やオフホワイト(Off-White)といったUSのストリート・ブランドを言及しているが、そうしたブランド名には引っ張られない存在感を放っている。

AJ Tracey - LO(V/S)ER

 アルバム前半をアフロビーツのミドルテンポな曲が占めるのに対して、アルバム後半にはハードで聴き応えのあるグライムトラックやクラブ映えするトラックが収録されている。
 とくにギグス(Giggs)を客演に迎えた“Nothing But Net”には耳を奪われた。

 奴らはフローについてペラペラ話してるけど
 俺が一番バッドで一番マッド、
 そういうラッパーは俺のつま先に及ばない
 キルしてカマす、あいつらは後ろに下がっとけ
 ラップしまくって、祈ってるって、
 お前は(自分のお葬式の)手向けの薔薇でも用意しときな

 Niggas chattin' and braggin' about flows (Uh?)
 I'm the baddest and maddest, I got these rappers on toes (Woah)
 Killin' and spillin', I hope these brothers lay low
 'Cause I'm sprayin' and prayin', you're gonna have to lay rose (Lay low)

AJ Tracey & Giggs“Nothing But Net”

 高速フローとそれをまったく無理なくはめ込む技量、さらに内容も自分のラップスキルについてラップしながらそのスキルを見せつけるという部分で非常にウィットに富んでいる。客演のギグスに対してもまったく引けを取っていない。  自分の出身地をタイトルにした“Ladbroke Grove”ではUKガラージ・スタイルのトラックのうえを往年のガラージMCスタイルでラップ、コーラスに参加しているJorja Smithのヴォーカルも素晴らしい。

 アフロビーツからクラブ・トラックまで、本作を手がけているトラックメイカーの人選も興味深い。以前UKラップ・プロデューサー特集で取り上げたナイジ(Nyge)やADP、スティール・バングルス(Steel Banglez)、カデンザ(Cadenza)といったUKラップのヒットメイカー、さらにリル・ウジ・バード(Lil Uzi Vert)を手がけてきたマーリー・ロー(Maaly Raw)、アップカミングなMCでもあるマリック・ナインティファイブ(Malik Ninety Five)、グライムのヒット曲をプロデュースしてきたサー・スパイロ(Sir Spyro)、スウェフタ・ビーター(Swifta Beater)、さらにUKガラージのDJ/プロデューサーとして知られるコンダクタ(Conducta)らが参加。幅を持ちつつもバランス感のある人選に彼の賢さが光る。

 前半ではトレンドのアフロビーツを自在に乗りこなし、後半ではグライム、トラップ、UKガラージといったUKクラブ・ミュージックをアップデートする。AJ Traceyのデビュー・アルバムはオールラウンドな才能が存分に発揮した作品となっている。

Nkisi - ele-king

うちゅうろん【宇宙論】
宇宙の起源・構造・終末などについての理論の総称。宇宙を対象とした自然学として哲学や宗教の重要部門をなすが、現在では現代物理学的・天文学的研究をいう。コスモロジー。

 と、『スーパー大辞林 3.0』には載っている。リー・ギャンブルのレーベル〈UIQ〉から、去年のズリ『Terminal』に続くレーベル史上2枚のアルバム『7 Directions』を発表したプロデューサーの意図は、自らがここ数年リサーチを重ねてきたアフリカのバントゥ・コンゴのコスモロジーに着想を得たサウンドの構築にある。
 作り手の名前はアルファベットで「Nkisi」と書いて「キシ」と読む(本人に確認したので間違いない)。「Nkisi」とは、中央アフリカ、コンゴに伝わる、魂が宿るとされるオブジェクトのことである。その名前を自らに宿した作り手の本名は、メリカ・ゴンベ・コロンゴ(Melika Ngombe Kolongo)という。コンゴ出身でベルギーのルーヴェンで生まれ育ち、6年ほど前からロンドン在住。

 アメリカ、ヴァージニア州リッチモンドに拠点を置くチーノ・アモービ、南アフリカのケープ・タウンのエンジェル・ホとともに彼女が2015年に立ち上げたレーベル、あるいは世界に散らばる表現者たちの共同体である〈NON Worldwide〉は、アカデミックな理論、詩、ファッション、チャリティ活動まで様々な表現を横断しまくることによって、音楽シーンに「黒い」衝撃を与え続けている。
 レーベル設立当初のコンセプトをいくつかあげてみれば、「脱中心」、「反バイナリー構造」、「アフロ・ディアスポラ」など、アカデミアで主に使用される言葉が散りばめられている。〈NON〉には中心的リーダーや拠点がなく(脱中心)、白や黒、男と女、正義や悪、といった二元構造(バイナリー)の破壊を希求し、そのパワーの構成員は、奴隷制以降世界に離散していたアフリカにルーツを持った者たちだ(アフロ・ディアスポラ)。よって、〈NON〉は2017年の『Paradiso』で脚光を浴びたアモービのレーベルなどとされることがあるが、それは検討外れであり、個である構成員がその共同体を作り上げている(むしろ、アモービによれば〈NON〉の初期コンセプトの多くを考案したのはキシらしい)。

 キシのここ数年の動きを整理してみる。2015年の〈NON〉の第一弾コンピに “Collective Self Defense”を、2018年の第二弾コンピには “Afro Primitive”を発表している。ソロワークでは、2017年に〈Rush Hour〉傘下の〈MW〉からEP「Kill」を、2018年には〈Warp〉傘下の〈Arcola〉からEP「The Dark Orchestra 」をリリース。そのどれもが高い評価を得ていて、去年の英誌「Wire」年間ベスト・アルバムには「The Dark Orchestra」がEPとしてランクインした。キシの影響元である、ドゥーム・コアやガバがミニマリズムを媒介し、オリジナリティを作り出しており、彼女のDJスタイルにある凶暴性と高速性は、深夜のロンドンのフロアで多くを惹きつけている。
 近年、ロンドンの大学で心理学系の修士課程を修了したキシは写真家やインスタレーション・アーティストとしても活動しており、2018年にはロンドンのギャラリー、アルカディア・ミサで『Resonance (Forced Vibration)』サウンドとオブジェクトを用いた個展を開催している (https://arcadiamissa.com/resonance-forced-vibrations/)。
 そのインスタレーションでもテーマになっていたのが、『7 Directions』も基づいている、冒頭のバントゥ・コンゴのコスモロジーだ。また今アルバムはアフリカ研究の権威であるキムワンデンデ・キア・ブンセキ・フーキオ(Kimbwandende Kia Bunseki Fu-Kiau。著書に『African Cosmology of the Bantu-Kongo: Principles of Life and Living』など)に捧げられている。個展の説明や、先日ロンドンのブリープのポップアップ・ストアで開かれた「Wire」主催のトーク・イベントでの発言によれば、その宇宙の捉え方において、時間は直線系ではなく円系であったり、「見ること」は「聞くこと」であったりと、西洋近代の「宇宙」のあり方とはまったく違うことがわかる。

 今作『7 Directions』はタイトルが示す通り、7曲のトラックで構成され、曲名には「Ⅰ~Ⅶ」の数字が割り振られている。曲順通りに展開していく従来のアルバムの概念をフォローしているというよりは、別々の方向を向いた7つのオブジェクトが序列なく並存している様子が思い浮かぶ。今作のレコード盤のラベルには、レコードの回転方向である「右」とは逆の方向を向いた矢印が、自身の名前をあしらったダイアグラムとともにプリントされており、時間感覚の非論理性が増大されている。特定のコスモロジーを示したダイアグラムはコスモグラムと呼ばれるが、このラベルはそれに該当するだろう。ドレクシアが過去を前方向に押し進め続けているように、キシの円循環は右向きに左の指針を歩む。西洋のコスモロジーが音を立てて崩れていく。そして、そのサウンドとともに聴くものはアフロの宇宙に包まれる。


【『7 Directions』のレコード盤のラベル】

 “Ⅰ”は、ヨハン・ヨハンソンの劇伴を思わせる、霧のかかったフィルターで減退していく持続音ではじまる。同様のアンビエンスのもと、その背後では太鼓が鳴り響き、異なったモチーフのドラムが徐々に追加されていく。メインテーマのシンセとともに、TR-707的タムのビートと、スティックが、プリミティヴな循環を穏やかに描いていく。
 BPMは140に保たれたまま、“Ⅱ”はテープ・ディレイ的な反響音とともに開始。10分にも及ぶトラックの内部において、前半部は楽曲のリズムの骨組みが示されたあと、中盤から一定音を保持したロングトーンのシンセが階層化し、序盤の楽曲構造に最終部では回帰、音像はフェードアウトする。
 “Ⅲ”では速度が上昇し、ここに至るまでに示されたものと類型のリズムを通過したのち、1:44からガバ的な4/4キックが投入される。キシのDJセットで展開される高速のヴァイオレンスへと、自身の音楽的ルーツを提示するようにして、『7 Direction』は接続されてもいるのだ。
 “Ⅳ”では遠方から群衆が攻めてくるのが予感されるようなキックが冒頭で鳴り響き、50秒経過したあと、50-60ヘルツ音域の低音が倍増された低音ドラムが合流し、聴く者の身体を大いに揺さぶる。深いディレイと淡いディストーションがかかったテクスチャーの2種類のメロディ・モチーフが交互に入れ替わって現れる。低域のブレイクはほとんどなく、ドラム・パートの抜き差しが巧妙に行われる。変化と持続と低域の破壊力という意味では、今作最高のダンス・チューンだと断言できるだろう。
 再生される前から楽曲が開始していたことを示唆するようにフェードインではじまる“Ⅴ”は、淡々とループされるモチーフに、断続するスネアがリズムに表情をつける。終部のパーカッションの連打から、シンセ・オンリーのアウトロに息を飲む。
 “Ⅵ”でビートはバウンシーに跳ね上がり、これまでのシンセ・モチーフとの類型がここでも示される。ハイファイにシンセサイズされたパーカッションと衝突を繰り返すスティックがブレイク部分で展開する合奏が、キシ流のダブを彩っている。
 漂流するコードと広域へと押し上げられた金属音で開始する“Ⅶ”では、それぞれが別のリズム軸で進行する歪んだスネアと絃楽器のフレーズが交互に現れ、時にその二つが重なり見事なポリリズムを生む。このアルバムでの標準速度とも言えるBPM140代でトラックは進行し、決して遅くはないスピードであるものの、散発するシンセとポリリズムによって、身体が吸収するその速度感は緩やかになる。僅かなスネアと低域ビートを残し、アルバムは構成上終わりを告げる。

 最近ではベルギー時代の〈R&S〉からリリースされたアフロトランスをフェイヴァリットに挙げているキシだが、典型的なダンス・ミュージックのスタイルは、今作に高い強度を持ったパーカッションの大群に追いやられている。ハイハットもなければ、定位置のスネアもクラップもなく、ビート間のブレイクもほぼない。けれども先日公開された『RA』での彼女のミックスを聴けば明らかなように、『7 Direction』の楽曲はガバやトランスとの混成も可能な潜在性に満ち溢れている。
 現代思想の文脈を鑑みれば、人類学者のフィリップ・デスコラやエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロがアマゾンやアジアのコスモロジーから存在論的転回を起こしたように、我々の宇宙観の「外部」には「内部」を転覆させるような、あるいはその内外の境目など曖昧であることを示唆するような可能性に満ち溢れている。ここではその分析に踏み込むことはできないが、オルタナティヴが無いかのように見える昨今において、多元的な世界を感じる意味を『7 Directions』は日々の視点にも与えてくれるのではないか。

 『ele-king vol.22』のインタヴューで述べられているように、理論を応用し、文化や政治、エコロジーを表現するチーノ・アモービのインスピレーションは日常からやってくる。先日のトーク・イベントでは、それを踏まえた上で「日々の生活はあなたのコスモロジーのどこに位置していますか?」と僕は本人に質問した。彼女によれば、アフリカのコスモロジーは日常の「普通」を疑う自分に妥当性を与えてくれるものだ。コンゴからやってきた両親のもとで、ヨーロッパ社会で育つことは、日常に生活に常に疑問を持つことの連続だったとキシは答える。友人や家族がグローバルに散らばるディアスポラな世界を生きる彼女は、「国境などなくなってしまえばいい」とも力強くいう。キシの日常生活とは異なる宇宙を行き来するメタフィジカルな交差空間だ(彼女のサウンドクラウドに上がっているトラック“Deconstruction of Power”のタグは「metaphysics」だ!)。その意味で『7 Directions』は、異なる宇宙の境目で現代を生きる彼女の宇宙観を示すコスモグラムであるとも断言できるだろう。

The Matthew Herbert Big Band - ele-king

 やはり、きました。2016年の国民投票の結果を受け、ブレグジットに抗議するビッグ・バンドを編成し、各地をツアーしていたマシュー・ハーバート。日本にもおよそ1年前に来日し、ブルーノートで素晴らしいライヴを披露してくれましたが、そのビッグ・バンド名義でのアルバムがついにリリースされます。同作にはEU加盟国出身のミュージシャンが1000人以上(!)も参加しているそうで、さらにはアート・リンゼイの名も。発売日は、イギリスがEUを離脱する3月29日。これまでもさまざまなコンセプトにもとづいて作品を発表してきたハーバートですが、はたして今回、彼はイギリスのEU離脱にたいしどのような試みで対峙しているのか──楽しみです。

The Matthew Herbert Big Band
『The State Between Us』
(ザ・マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド/ザ・ステイト・ビトウィーン・アス)
2019.3.29 (金) 発売

★鬼才マシュー・ハーバートがビッグ・バンド名義で約11年振りとなるアルバムをリリース!!
★今回のコンセプトはイギリスのEU脱退に対する抗議! EU全加盟国のミュージシャン、アーティストとのコラボレート・アルバム! 発売日はEU脱退日=2019年3月29日!
★アート・リンゼイ、マルチ・インストルメンタル・プレイヤーであるメルツ、ラヘル・デビビ・デッサレーニ、パトリック・クラーク、ソロ・インストルメンタリストであるエンリコ・ラヴァ、ヴァイロン・ウォーレン、シェイラ・モーリス・グレイ、ナサニエル・クロスら総勢1000名以上のEU加盟国出身のミュージシャンが参加。更に劇作家キャリル・チャーチル、18世紀の英国詩人パーシー・ビッシュ・シェリー、16世紀の詩人ジョン・ダン、更にイギリス独立党の政治家らの言葉が歌詞に仕様されている。今作アートワークにはベルギー出身のフォトグラファー、エヴァ・ヴァーマンデルの写真を基に芸術家サラ・ホッパーがアートワークを制作した。

不動の人気・支持を誇るダンス・ミュージック/サンプリング界の鬼才マシュー・ハーバートがビッグ・バンド名義で約11 年振りとなるアルバムをリリースする。ハーバートは作品毎に設定するコンセプトを基にアルバムを制作しファンを魅了してきた。本作はイギリスのEU 脱退に対して抗議する為に、EU全加盟国のミュージシャン、アーティスト達とのコラボレートで制作された。ハーバートはEU脱退がイギリスの国民投票で決定した後、イギリス、ヨーロッパ、日本をビッグ・バンド編成でツアーしプロジェクトの締めくくりとして本アルバムをEU脱退の日=2019年3月29日にリリースする。

artist: The Matthew Herbert Big Band (ザ・マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド)
title: The State Between Us (ザ・ステイト・ビトウィーン・アス)
label: Accidental / Hostess
format: 2CD
cat no: HSU-10288/9
pos: 4582214518947
発売日: 2019/3/29 (金) 世界同時発売
定価: 2,590円+税
■ボーナストラック、歌詞対訳、ライナーノーツ付(予定)

【TRACKLIST】
01. A Devotion Upon Emergent Occasions
02. Fiesta
03. You're Welcome Here
04. Run It Down
05. The Tower
06. An A-Z Of Endangered Animals
07. Reisezehrung
08. Moonlight Serenade
09. Be Still
10. The Words
11. The Special Relationship
12. Where's Home
13. Fish And Chips
14. Backstop (Newbury to Strabane)
15. Feedback
16. Women Of England

https://hostess.co.jp/releases/2019/03/HSU-10288-89.html

【バイオグラフィー】
1972年、BBCの録音技師だった父親のもとに生まれる。幼児期からピアノとヴァイオリンを学ぶ。エクセター大学で演劇を専攻したのち、1995年に Wishmountain 名義で音楽活動をスタートさせる。以降、ハーバート(Herbert)、ドクター・ロキット、レディオボーイ、本名のマシュー・ハーバートなど様々な名義を使い分け、次々に作品を発表。彼の作品はミニマル・ハウスからミュジーク・コンクレート、社会・政治色の強いプロテスト・ポップに至るまでジャンル、内容を越え多岐に亘っている。また、プロデューサーとしても、ビョーク、REM、ジョン・ケイル、ヨーコ・オノ、セルジュ・ゲンズブール等のアーティストのプロデュースおよびリミックスを手掛けている。2010年、本名であるマシュー・ハーバート名義で「ONE」シリーズ3作品(ワン・ワン、ワン・クラブ、ワン・ピッグ)をリリース。2014年には4曲収録EPを3作品連続でリリースしている。そして2015年に『ザ・シェイクス』を発表し HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER で来日公演を行う。2016 年、アルバム『ア・ヌード(ザ・パーフェクト・ボディ)』を発表。2016&2017年に開催した HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER ではレジデントDJとして2年連続出演、更に2017年にビッグ・バンドとしてモントルー・ジャズ・フェスティバル・ジャパン、ブルーノート・トウキョウ(単独2日間)での来日公演を行った。

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