「iLL」と一致するもの

Aaron Dilloway - ele-king

 モダン・ノイズのカリスマ、アーロン・ディロウェイが来日する。元ウルフ・アイズのメンバーにして、『Wire』誌にいわく「ノイズの扇動者」、そしてテープ・ミュージックの急進主義者、2021年にはルクレシア・ダルトとの素晴らしい共作『Lucy & Aaron』も記憶に新しいアーロン・ディロウェイが来日する。もちろんあの傑作『Modern Jester』(2012)や『The Gag File』(2017年)の作者です。
 ディロウェイは2013年に初来日しているが、そのときのすさまじいライヴ・パフォーマンスはすでに伝説になっている。今回は10年ぶりの再来日。東京の〈Ochiai soup〉と大阪の〈Namba Bears〉の2公演のみ。すべてのノイズ・ファンをはじめ、変な電子音楽/実験音楽/アヴァンギャルド好きは必見。

■Rockatansky Records Presents
Aaron Dilloway Japan Tour 2023

2/11 Sat at Ochiai soup
Open 6 pm, Start 6:30 pm
Door 3,500 yen
w/ Incapacitants
Rudolf Eb.er
Burried Machine
ご予約 | reservation:
https://ochiaisoup.com/?event=2022-02-11-sat-rockatansky-records-presents-aaron-dilloway-japan-tour-2023

2/19 Sun at Namba Bears
Open 6 pm, Start 6:30 pm
w/
Solmania
Burried Machine
Info: https://rockatanskyrecords.bandcamp.com
 
 なお、2月10日にはDOMMUNEにて、来日記念番組があり。アーロン・ディロウェイのほか、今回の競演者でもあるキング・オブ・ノイズこと美川俊治。初来日に続き今回の来日も主宰、Nate Youngの初来日も企画するなどWolf Eyes関連との交友を持つBurried Machineこと千田晋、そして編集部・野田も出ます。アーロン・ディロウェイってどんなアーティストなのかを知りたい方は、ぜひチェックしましょう!
 
Talk : Aaron Dilloway(Hanson Records)、美川俊治(Incapacitants)、千田晋(Rockatansky Records/Burried Machine)
ゲストMC:野田努(ele-king)
Live:The Nevari Butchers

坂本龍一 - ele-king

内田 学(a.k.a.Why Sheep?)

 坂本龍一とは何者なのだろう。アーティスト・芸能人・文化人・社会運動家、そうだ、俳優であったことさえある。たしかにそれらのどの側面も彼はもっている。だが、どれも坂本の本質を真っ向から言い当てていないように思う。
 では彼の紡ぎ出す音楽は、サウンドトラック・現代音楽・大衆音楽・民族音楽のどこに位置するのか、たしかに、そのどの領域にも踏み込んでいる、やはり坂本龍一はただただ音楽人なのだ、と、いまさらではあるが、この『12』を聴いて痛感した。アーティストという漠然としたものではなく、彼の血、肉、骨、細胞に至るまで、音楽を宿しているのだ。
 音源の資料に添えられた坂本龍一本人の短いメモには、音による日記のようなものと自らこのアルバムを評している。実際、そうなのだろう、収録曲のすべてのタイトルも日付のみ付されている。まるで記号のように。それは大きな手術を経て、疲弊しきった心と身体を癒すための作業だったともある。
 実際、坂本は、いままで定期的に行っていたソロ・コンサートを1ステージ通して行う体力はもう自分にはないと発言している。そしてライヴが気力と体力を求められるように、アルバム制作というのも、気力と体力が求められる。
 ことに、坂本のように直感力はもちろん、その思考の明晰さや論理性を持つ作家にとってはアルバム制作、ことに、他から委嘱されたサウンドトラックなどの作品と区別して、あえてオリジナル・アルバムと銘打たれている過去作品においては、アルバムを構成するそれぞれの楽曲から全体に至るまで、(作為的な場合を除いて)アルバムに通底するインスピレーション、そしてそれらを構成するそれぞれの楽曲まで、コンセプトというロジックに覆われているように思う。
 しかしこの『12』が、過去のオリジナル・アルバムと決定的に異なる点はそこにある。何度も繰り返し聴くうちにふと気付いたのは、いわゆる坂本が得意とする論理性や合理性のようなものが、欠落ではなく排除されているのだ。
 例えばひとつ前の、『async』(非同期の意)は、坂本自身が、「人に聞かせるのがもったいない」と評したアルバムだが、そのタイトルとは裏腹にそれは“andata”を主題としながらも、恒星の周囲を回る惑星、さらにその周囲に位置する衛星のように、変奏曲、派生曲で構成されたアルバムであったように思う。そして“andata”こそ、力作というより、作家としてのひとつの到達点となる作品のように思えるのだ。なるほど、坂本が主催した「Glenn Gould Gathering」で、バッハの「フーガの技法」の次の曲として配置されたのも頷ける。
 ところがこの『12』を何度も通じて聴く限り、3種類以上の音が重ねられている曲はないことに気づく。また、いまの技術なら簡単に除去できる偶発的なノイズや、マイクのヒスノイズもそのまま剥き出しである。坂本龍一ともなれば、エンジニアにそれらの作業を託すことも容易なことであろうはずなのに。
 また、技術的な点ではあるが、ピアノにかけられているエフェクトも、後から修正できるようなアフター・エフェクトではなく、後から修正の効かない「かけ録り」で録音されている。つまり、これらの曲を今までのように時間をかけて推敲してロジックで構築していくことをハナから想定していないのである。
 坂本に限らず一般的には、コンセプト・アルバムを制作する場合は、個々の楽曲の細部から、全体の俯瞰図に至るまで、行きつ戻りつ観照するものだが、この『12』は、その作業は行われていないのだ。ロジックがないから起承転結ももちろんない。ただただ水平線を眺めているような感覚を覚える。
 つまりは観念的に創作されたものでないということである。では何であるかいえば、むしろ瞑想なのだと思う。ヒトや動物が、睡眠時に呼吸が自然と浅くなり安定するように、坂本自身が深い瞑想状態に入り、音と対峙している様子がまるで目の前で行われているようにさえうかがえるのだ。それは音を視て観照するのとは違い、あたかも触覚によって手探りで音を弄っているかのようでもある。どこか20世紀初頭の自動筆記(オートマティスム)にも通じるかもしれない。そして、この緩やかな呼吸、脈動/テンポは、それを聴くものを同じ空(クウ)に誘おうとしているのだ。
 闘病の日々、ただただ日記をつけるように行っていた瞑想。ここまで後から手を加えられていないにも関わらず、その集中力、瞬発力と骨の髄まで染み込んだ音楽的感性を、病身の身でありながら絞り出す強靭な精神は驚異としか言いようがない。
 多少でもこのアルバムに作者の恣意性があるとしたら、数ある日記的スケッチのなかから、これらのトラックを選別したこと、そして時系列ではなく意図されて曲順が構成されていることだろう。
 個々の楽曲についての分析は割愛するとして、最後の曲に配置されたトラックは、坂本龍一からのメッセージのように思えて仕方がない。その内容は聴く者によって違うかもしれないが。

 本来このような作品、後の坂本龍一の研究者が発表するような作品を自らリリースしたこと、その意味も大きい。いわゆる「頭の中を覗く」のではなく、音楽人として細胞レベルまで露呈する。それも自らの意思で。あたかも検体を差し出すかのように。「後はまかせた」とでもいうかのように。

 この『12』が坂本龍一のオリジナル・アルバムとして音楽史においてどのような位置付けになるかは、まだ語られるべきではないが、坂本龍一という音楽人を知るためには貴重な音源であることは間違いない。教授、本当にありがとうございました。(1月15日記)

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デンシノオト

 音を置く------。ひとつひとつ丁寧に、慈しみながら、繊細に、 音がノイズが、旋律が、音の庭に、そっと置かれていく。
 坂本龍一の6年ぶりのアルバム『12』を聴いて、そんな印象を持った。坂本龍一が、ひとりでコツコツと、まるで毎日の大切な仕事のように、いうならば「音の庭師」のように、音を丁寧に、繊細に、置いていく光景が脳裏に浮かんだのだ。静かな庭に響く音たち。サイレント・ガーデンのような音楽とでもいうべきか。唐突だが、私は、どこか後期の武満徹の透明な響きを連想した。
 同時に『12』は00年代以降の坂本龍一が追求していたアンビエント/クラシカルな音響作品の結晶体ではないかと思う。この20年ほどの坂本龍一の活動が、静謐な音響のなかにミニマムに、そして複雑に息づいている。

 では、『12』は、これまでの坂本龍一のアルバムのなかでどのように位置付けにある作品だろうか。ひとことでいえばとてもパーソナルな作品だと思った。
 サウンドのムードとしては『async』(2017)の後半、 “ff” や “garden” を継承する透明なアンビエンスを展開している。しかし『async』よりもさらにパーソナルな音だ。これまでのようにコンプセプトを立てたソロアルバムではなく、いわば「日記」のように制作された楽曲を収めたアルバムゆえ、より個人的な音に感じられるのは当然かもしれない。
 スケッチのようなアンビエント/電子音楽を収めたアルバムというならば、2002年にリリースされた『COMICA』がある。『COMICA』は9.11から受けた衝撃を治癒するかのように内省的な電子音楽を展開していたという意味では、『12』との共通項を見出すことが可能だ(私見では『COMICA』があるからこそ2004年の『キャズム』があり、『キャズム』があるからこそ、2009年の『out of noise』が生まれ、あの傑作『async』に至ったと考えている)。しかし『COMICA』の楽曲は、ある程度は編集されていたようだが、この『12』の楽曲はほぼ無編集のまま収録されているという違いがある。
 さらに、1曲目、5曲目、7曲目などで聴くことができるシンセサイザーの音色や響きについては、『愛の悪魔』(1999)や『デリダ』(2002)の内省的な電子音/電子音楽も思い出しもする。クリアな残響が美しいミニマルなピアノ曲という意味では、『トニー滝谷』(2007)などのミニマルなサウンドトラックも想起してしまう。とはいえ『愛の悪魔』『デリダ』『トニー滝谷』は、映画音楽である。映画作品あってこそ作られた音楽だ。一方、『12』は、まるで日記をつけるように演奏・録音された楽曲であり、作品の成立過程がまるで異なる(私見だが『トニー滝谷』クリスタルな残響に満ちた透明なピアノの音は、『out of noise』以降のソロアルバムの音に受け継がれているように思える)。
 加えて坂本龍一のルーツがこれ以上ないほどに素直に表現されているパーソナルな作品という点では、ピアノ・ソロの『BTTB』(1999)系譜の作品と位置付けることもできるかもしれない。8曲目 “20220302 - sarabande” などは、普通のポップスではあまり使われない複雑な転調が自然に用いられ、より洗練・成熟した「20年後の『BTTB』」とでも称したい楽曲を収録している。だが、『BTTB』はピアノソロ・アルバムでもあり、電子音楽・電子音響的な要素はないという差異がある。
 小節構造にとらわれない自由な演奏/音響の記録という意味では、クリスチャン・フェネスとの共作『Flumina』(2011)を思わせもする。加えて冷たく美しいシンセサイザーの響きという意味では、アルヴァ・ノトと共作したサウンドトラック『レヴェナント』(2015)の音響のようでもある。00年代以降、彼らとの共作が、坂本に与えた影響を大きいことに違いはないが、『12』のサウンドは、純度100%の坂本龍一の音楽である。
 つまり、本作『12』は、2009年の『out of noise』、2017年の『async』のオリジナル・ソロ・アルバムで追求されたアンビエント音響、1999年の『愛の悪魔』、2002年の『デリダ』、2007年の『トニー滝谷』などのサウンドトラック・ワークで披露されたパーソナルなシンセやピアノの響き、アルヴァ・ノトやフェネスなどの電子音響アーティストとの共作による電子音とピアノの融合、1999年の『BTTB』で実現したバック・トゥー・ベーシックな坂本のピアノ楽曲など、坂本龍一の四つの系譜が交錯しつつ、しかしそのどれからも微かに逸脱している稀有なアルバムということにある。
 しかし坂本ファンであれば、じつは、この『12』のような「完全なソロ」、つまりは彼の音の結晶を聴きたかったのではないかと想像してしまう。じじつ私がそうだ。『12』は、私にとって長年夢見ていたようなアルバムなのである。私はこのアルバムをすでに深く愛してしまっている。
 このアルバムに満ちている美しさ、清潔さ、透明さ。それは意図されたものというより、ごく自然に坂本龍一の身体を通じて表出した結果ではないか。大病を患った坂本龍一が自身の心と体を癒すために、日々の感覚のままに、編み上げられたアルバムだからだろうか。
 じっさい坂本龍一は、このアルバムをつくるきっかけについて、治療後、それまでは音楽を聴いたり、作ったりする体力がなかったが、ある日、シンセサイザーの音を浴びたくなり、何も決めずにただ演奏したことが始まりだったという。その曲が、本作の1曲目 “20210310” に収められている曲らしい。以降、日記を書くように徒然なるままに、音のスケッチを残していった。いわば音による治癒のようなものを感じつつ、編まれていった曲たちといえよう。つまり自身の体力と病、そして坂本の長年にわたる音楽の経験が交錯し、一種、身体に作用するような音楽・音響作品に仕上がっていったのではないか。
 楽曲名から推測するに、2021年3月に2022年4月までに制作された12曲が収録されているが、坂本はこの「12」という数字に特別な意味は持たせていないと語っている(2023年1月1日・NHK FM放送・ラジオ特番「坂本龍一ニューイヤー・スペシャル」より)。
 曲名も制作日がわかるような簡素な数字になっている(自分としてはこのシンプルなミニマムさに河原温のミニマルアートを思い出してしまった)。 ただ「12」という数字には坂本がこだわり続けてきた時間の概念を象徴しているとも『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の最終回(「新潮」2023年2月号)でで語っている。たしかにこのアルバムを聴いていると「時」を意識する。
 シンセサイザーのシャワーのような曲に始まり、やがてピアノと電子音、環境音が交錯する電子音響になり、再びシンセサイザーによるアンビエントを経て、より洗練された「作曲」を意識した曲に変化し、メタリックな、鈴のような金属音でアルバムは終わる。まるで時の円環のように私は、またアルバム冒頭に戻り、はじめからアルバムを聴いてしまう。くりかえし、くりかえし…。
 音から音楽へ、そして音へ。私は、その曲すべてに、いや音のすべてに、音の一音、音の一粒を慈しむような感情を感じた。もちろん「美しい」という言葉は批評の放棄かもしれないが、しかしやはり「美しい」と私は何度もつぶやきたい。『12』はとても美しいアルバムだ。
 加えて『12』の収録曲を繰り返し聴いていると、まるでピアノやシンセサイザーの音色を間近で感じるような距離の近さを感じてしまった。曲が生まれる瞬間を聴いているような感覚とでもいうべきか。では「距離の近さ」とは何だろうか。私は、坂本龍一の生の「呼吸」が音楽に反映しているからではないかとも思えたのだ。
 その点から3曲目 “20220123” と4曲目 “20220123に注目したい。この2曲は、ピアノと環境音が、まるで森の中をゆっくりと歩くように交錯する瞑想的なトラックだ。そこに何か呼吸のような、もしくは環境音のような音が一定に反復されていく。私は勝手にこのスー、ハーという音を坂本の呼吸=リズムのように感じ取ってしまった。続く4曲目 “20220123” でも即興的なピアノに環境音がレイヤーされ、そこに呼吸音とも鳥の鳴き声ともいえる音が繰り返される。
 この2曲のピアノは即興的であり、「呼吸」は少し浅く、苦しげである。しかしその呼吸もまた透明な音楽の中に次第に溶けていくかのように残響を響かせる。まるで音によって身体が治癒されていくように。なによりピアノの透明な響きと「間」が実に美しい。呼吸。残響。間。ここにあるのは「時間」というものの美しい提示だと思う。

 音を置く。鳴らす。聴く。呼吸をする。すると持続と変化が起こる。ときに反復も逸脱ある。まるで「生きること」そのものように。生を治癒するように。そうして時間が無限に連なっていく。坂本龍一が「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」最終回(「新潮」2023年2月号)でひいていた武満徹『時の園丁』の言葉を思い出した。
『12』のミニマルな音響のなかには、無限の時/音の螺旋階段がうごめいている。2023年から未来に託すような名盤として、これからも聴き継がれていくに違いない。(1月7日記)

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野田努

 ぼくはこのアルバムを詩的な作品として受け取っている。これら12曲のなかには、恍惚とした瞬間もあれば喜びや哀歌めいたところもあり、甘美だが無常観すら感じるところもある。ほとんどピアノとシンセサイザーだけで作られて、日記のごとく記録(録音)された12曲は、即興めいているが、それぞれ異なる主旨/アプローチ/展開を見せている。
 『12』がすごいのは、死と向き合った音楽家の、肉体的にも精神的にもギリギリの状態を経験したうえで奏でる音楽がどんなものになるのかという、時折息づかいも聞こえるほど、それ自体がexperience(実験/体験)でありながらも、そうした壮絶な遍歴から切り離して聴くこともできる点にある。それほどこの音楽からは、慈しみのようなものが滲み出ている。それはある意味謙虚な佇まいで、誰もが入っていける寛容な音楽として記録されているのだ。
 とはいえ、やはりここからは強いものを感じないわけにもいかない。坂本龍一は、かつて自分のことを「アウターナショナル」という造語で形容した。ここ数年の日本のエレクトロニック・ミュージックにおいて、あるいはロックにおいても、日本的なエスニシティを強調することで西欧に受ける音楽が散見されるようになった。それはそれでひとつのやり方だろう。しかし、日本のどの音楽家よりも国際舞台において評価され、活動してきている坂本龍一は、自らの属性を日本の外側だと表現したことは忘れたくない。流浪の民のごとき存在であることを主張し、「国は存在しない、理想郷」、そのような言葉で自らの属性を語っているが、この『12』においてもその意思は貫かれている。

 音楽には受容力があり、言葉にすることのできない感覚さえ表現することができる。これは清浄で、超越的な音楽なのだろうか。繰り返すようだが、『12』は、たとえば歴史的なアンビエント作品、『ミュージック・フォー・エアポーツ』や『アンビエント・ワークスvol.ll』なんかと同列に聴くことだって可能なアルバムでもある。 “世界はぼくが思っているよりも速く動いている” 、この年末年始ずっと聴いていた、ディラン・へナーという(坂本龍一を尊敬している)いま注目のUKの若いアンビエント作家の新曲のひとつだが、『12』は、ぼくのなかでは、彼のやはり同じように詩的かつ哲学的な作品ともリンクしている。世俗的なものと切り離されているとは思えないが、世俗的な暗い底流からは解き放たれた音楽であることはたしかだろう。ここまでのところぼくがとくに好きなのは 3曲目“20211201” と 7曲目“20220214” 。どちらも残響音がたまらない。

 いずれにせよ、これはなんて美しい音楽であることか。そしてこれは誰も傷つけたりしない。いまはただただ聴いている。オリエンタリズムを否定しグレン・グールドを愛したエドワード・W・サイードなら「ユートピア的」と形容したかもしれないが、ユートピックでもディストピックでもない、より根源的なものに向かっているようにも感じる。最後の曲では、じつに暗示的に、ツリーチャイム(?)のような音だけが鳴っている。それはぼくには自然の音との回路のように聞こえるし、仮に『12』が個人的な作品だとしても、そこは確実に開かれているのだ。(1月10日記)

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三田格

 どうしてそうなったのか覚えていないのだけれど、大学生だった僕と小山登美夫は、その日、新宿アルタのステージにいた。映画『戦場のメリークリスマス』のプロモーション・イヴェントで、僕たちは「戦メリ」に夢中な若者たちという設定でステージ上の椅子に座っていた。2人ともまだ映画は観ていなくて、要するにサクラだった。ステージには30人ぐらいが3列に分けて座らされ、僕らから5席ほど右に坂本さんがいた。前口上のようなものが長くて、僕らは多少、緊張していたけれど、坂本さんはとっくに飽きてしまったらしく、やたらと目でこちらに合図を送ってくる。最初はなんだかわからなかった。坂本さんは視線をこっちに向けながらひっきりなしに眉毛を上下させている。もちろん面識はない。初対面というか、ただ近くにいるだけである。『戦場のメリークリスマス』という映画の意義が語られ続けているなか、坂本さんの眉毛は上下し続ける。僕も小山も吹き出すのを我慢して下を向いてこらえていた。しばらくしてからまた坂本さんの方をちらっと見ると、まだやっている。あのしつこさには参った。ようやくイヴェントが本題に入って坂本さんが若者たちの質問に答える時間が始まり、僕らは解放された(イヴェントの後で僕は坂本さんに “君に胸キュン。” を勝手にリミックスしたテープを渡し、それが坂本さんの番組でオン・エアされたのに、その時の放送を聞き逃してしまい、そのテープが放送されたことを教えてくれたのは砂原良徳だった。さすが「カルトQ」)。10年ぐらい前に坂本さんがドミューンに出演した際、打ち上げでたまたま隣の席になった僕はアルタのイヴェントのことを訊いてみた。なぜ僕らを笑わせようとしたのかと。坂本さんは爆笑して、「覚えていない! あの頃のことはなんにも覚えてない!」と実に楽しそうだった。「忙しすぎてなんにも覚えてないんだよ!」。そして、日本酒の中瓶を取り出すと「これは貴重なお酒で、美味しいから飲んでみて」という。僕はお酒が飲めないというか、お酒を飲むと偏頭痛が大爆発してしまうので、「いや、飲めないんです」と言うと、「いいから飲んで」と引き下がらない。「いやいやいや」と僕がいうと「いいから、いいから」とお酒を注ぎ始める。あのしつこさは変わっていなかった。僕は手塚治虫の酒や赤塚不二夫の酒を飲み、赤瀬川原平やビートたけしのお酒も飲んだ。忌野清志郎のビールもちょくちょく口にしている。ここで坂本龍一の酒だけ飲まないのもなんだよなと思い、頭痛のことは忘れてちょっと飲んでみた。基本的に飲まないので味のことはわからないけれど、それはとても美味しく、なんというか滑らか~で不思議な世界に出会ったような気がした。「お、美味しいですね」。「そうだろー」。坂本さんの眉毛がまた上がった。

 かつてスタジオボイスで坂本さんにインタヴューした際、坂本さんに「アンビエント・ミュージックはつくったことがない」と断言されてしまった。それもかなりきっぱりと。そんな無茶なと思ったけれど、それ以上追求しても眉毛が動くだけだと思って僕はあっさりと引き下がった。なので、『12』を前にして1曲目からアンビエント……と書き出すわけにもいかず、昨年から延々と悩み続け、晦日も正月も雑煮も初荷も通り過ぎ、そうか、この滑らかで不思議な感触はアンビエントではなく、お酒を飲んで気持ちよくなった状態、そう、酩酊音楽と呼べばいいのではないかと思いついた。日本酒の中瓶を持ち歩く坂本龍一の音楽を説明するのにぴったりのカテゴライズではないだろうか。『Gohatto』も『Elephantism』も『Comica』も『Alexei and the Spring』も『Love Is The Devil』もみな酩酊音楽の系譜に属している。坂本音楽の謎がこれでひとつ整理できた。ふー。それでは『12』を紐解いていこう。ここで安心して筆を置くと原稿料がもらえなくなる。『12』は何か遠くのことに想いを馳せているような酩酊音楽で幕を開ける。ブライアン・イーノ “An Ending (Ascent)” を思わせる悲しいドローン。いきなりエモーショナルで、生と死の境界を見つめるかのように透き通った諦観が冒頭から胸を撃つ。喜怒哀楽のどこにも寄せなかった『Comica』とはまったく違う。続く “20211130” からはアルヴァ・ノトとのコラボ・シリーズと同趣向で、少しばかり希望が増大し、ハロルド・バッド『The Room』がニューエイジぎりぎりと評されたように曲の表面を弱々しさが覆いつつ、背後に隠されたテンションが印象派の尊厳を仰ぎ見る。初ソロが『宇宙~人類の夢と希望~』だし、『Esperanto』や『The Fantasy Of Light & Life』の一部を聴くと坂本龍一は気質的にはニューエイジで、それは手塚治虫の影響であり、生まれ変わったら人類学者になりたいと言っていたことからもわかる通り人類全体に対する慈愛や興味が音楽から滲み出している。かといって一時期の知識人たちのようにオウム真理教や統一教会といった個別のニューエイジに引きずられなかったのはやはり知性や教養といった歯止めが効いていたからだろう。ひっきりなしに聞こえるのは坂本の息遣いだろうか。肩の上にジョン・ケージが乗っかっている。酩酊音楽というより、だんだんと瞑想音楽になってきたかと思いきや、息遣いがフィジカルな場面を想像させることで、完全にはスピってしまわない効果を上げている。続く “20211201” もアルヴァ・ノトとのコラボ・シリーズをさらにゆっくりと展開する感じか。余韻が主役。そして、病気をすると肺が弱り、呼吸が短くなるはずなのに、同じように息遣いを混ぜながら8分を超える長い曲に挑んだ “20220123” 。『Comica』にはなかった微妙な透明感が宿り、それがまた儚さを無限に醸し出している。教授、やっぱりこれはアンビエント・ミュージッ……いえ、なんでもありません。
 5曲目で『12』は一転する。重苦しく波打つシンセサイザーは “Carrying Glass(『The Revenant』)” から深刻さを割引いて、ムルコフや伊福部昭よりも92年のレイヴ・ヒット、ユーフォリア “Mercurial” に途中から被さるシンセサイザーをそのまま取り出した感もあり、当然のことながらブリープのループやトライバル・パーカッションは入ってこない。延々とシンセサイザーがとぐろを巻き、アシッドな汗が滲み出る。このグラマラスな厚み。ゴシックを気取った酩酊モードにもほどがある。 “20220207” で再び前半のタッチに戻り、不完全に反復されるミニマルの断片に18番ともいえるピアノの高音でアクセントをつけたイーノ “1/1” のオマージュか。 “戦場のメリークリスマス” で果たした西洋と東洋のクラッシュは継続され、とんでもなく想像力を広げさせてもらうと、上海華夏民族楽団が “ウルトラQのメイン・テーマ” をチョップしてスクリュードさせた大衆音楽の供養にも聞こえる。ジャズ系のダン・ニコルズがスマホだけで録音したという『Mattering And Meaning』にも一脈で通じるものがあり、とくに “Yeh Yeh” は近しい発想に思える。 “20220214” はただ静かにしていたいという気分が反映されているのか、前述の “An Ending (Ascent)” から歓びを差し引き、PIL “Radio 4” をスローダウンさせたようなシンセ・ドローン。喜びや楽しさにもエネルギーは必要だから、その手前で立ち止まり、ただここに「ある」というだけで恩寵があるという価値観がここには刻印されている。酩酊音楽はここまでとなり、以後はピアノ曲に移り、唯一、ヘンデルのカバーらしき副題がつけられた “20220302 - sarabande” は輪郭のはっきりとしたピアノが前景化している(音響のせいなのか、知識のない僕にはラフマニノフ “嬰ハ短調” に聞こえてしまう)。演奏はかなりゆっくりで、アンチ・ドラッグ系の人力スクリュード・プレイというか。続く3曲も短いピアノ・ソロで、『BTTB』でいえば “intermezzo” の系統。坂本龍一のピアノは( “aqua” みたいなものでなければ)どこを切ってもラヴェル(やサティ)が出てくるような気がする(知識が乏しいのでよくわからない)。悲しいともそれを押し殺しているとも、あるいは、メランコリーというのとも違って、前頭葉のどこかにある感情なんだろうけど、ひとまずは言語化できない楽しみができたと強がっておこう。80年代は坂本龍一のつくった音楽が時代の音になったけれど、90年代はハウスやブレイクビーツなど他人がつくったフォーマットを自分流に聞かせるだけで別に坂本龍一じゃなくてもいいんじゃないかと思う曲が多かった。それが『御法度』や『BTTB』で自分の音を取り戻し、坂本龍一でなければならないピアノ曲に昇華させ、それがここにも4曲並んでいる。クロージング・トラックは静かな鐘の音。これまでも時々鳴らされていた音だけれど、こうも続くとドビュッシーがパリ万博で聞いたガムランの音がそのまま坂本龍一のオブセッションとなっていまだに響き続けているかのようである。

 昨年は『Thriller』の40周年記念盤で初めてマイケル・ジャクソン版 “Behind the Mask” を聴いた。想像以上にこれがよかった。アレンジも原曲に忠実で、ポップスとしての完成度は高かった。原盤権を手放すことがカヴァーの条件だったそうで、坂本龍一がそれに応じなかったために『Thriller』への収録は見送られたという。もしも収録されていたらポップ・ミュージックの全体像はいまと少しは異なるものになっていたのだろうか。そうでもないのだろうか。坂本さん本人が “Behind the Mask” のリフはキンクス “You Really Got Me” と同じだったことに後で気がついたと話していて、当時、 “You Really Got Me” のカヴァーで売れまくりだったエディ・ヴァン・ヘイレンが『Thriller』でギターを弾いていたということはなかなかの符合だったとも思う。いずれにしろ坂本龍一はその翌年、 “戦場のメリークリスマス” がベルトルッチの耳にとまって世界に躍り出ることになり、日本では「世界の坂本」として奇妙な立ち位置を占めるようになる。80年代は北野武や村上春樹、川久保玲や安藤忠雄など「世界」に実力を認めさせた日本の文化人を多く輩出していて、なぜか「世界の川久保」とか「世界の村上」とは言われず、その後も「世界の宮崎」とか「世界の草間」もなく、ただ1人坂本龍一だけが「世界」呼ばわりされていた。日本で評価されるということは評価してくれた人の奴隷になると同義で、やがてはその権力を禅譲されるという習慣(家父長制度)がどこまでも染み渡り、若い才能が自由に活動する土壌が整っているとはとても言えないのだけれど、「世界の坂本」がそうした制度の外側で自由に動けたことは大いなる利点であると同時にいったん村の外に出てしまうと日本の村社会には戻りにくいという難点もあった。坂本龍一はそのまま藤田嗣治やオノ・ヨーコのように海外の才能になりきることもありだったという気がするけれど、坂本は日本を愛していると何度も発言し、00年代以降は政治的発言を有効にするために、無意識かもしれないけれど、ダウンタウンとの芸者ガールズだったり、労務者のコスプレをしてTVに出るなど、いわば「足立区のたけし 世界の北野」というパロディと同じ要領で日本の村社会に底辺から出入りする方法を見つけていく(日本人はスゴい才能にひれ伏す気持ちが薄く、どういうわけか素人芸を好むので、圧倒的な才能を実のところは煙たがっていて、自分たちよりも下に見える振る舞いをすれば「親しみやすい」といって受け入れるところが多分にある)。日本の村社会にはそのような抜け道があることを坂本龍一は教えてくれ、そして、そうまでして坂本が日本の才能であり続けてくれたことに感謝すべきではないかと思う。『12』というアルバムを僕は「日本の坂本」として聴きたい。(1月7日記)

audiot909 & Vinny Blackberry - ele-king

 南アフリカ生まれのダンス・ミュージック、アマピアノはこの2年でいろんなところに拡散し、世界中で愛されているダンスの一種となった。そしてここ日本にも、アマピアノに感化されたDJがいる。もともとハウスDJだったaudiot909がアマピアノに衝撃を受け、「Japanese Amapiano」を発信しはじめたのは2020年のこと。そんな彼がラッパーのVinny Blackberryをプロデュース。去る1月6日にデビュー・シングル「Willy Nilly」をリリースした。カッコいいので、ぜひ聴いてみて。


audiot909 & Vinny Blackberry
Willy Nilly

https://linkco.re/GUvPu8Se

■audiot909
元々ハウスDJだったが2020年正月に南アフリカ発のダンスミュージックAmapianoに出会ったことにより元々行なっていたトラックメイクを本格的に再開。 日本人によるAmapianoの制作は可能か否かの命題に真っ向から取り組み、2020年12月にリリースされた「This is Japanese Amapiano EP」(USI KUVO)はタイトル通り日本人で初めてEP単位でリリースされた作品となり話題になる。 
2022年にリリースされたラッパーのあっこゴリラをフィーチャーしたシングルRAT-TAT-TATはSpotifyの公式プレイリスト+81 Connect、Tokyo Rising、Electropolisなど複数のプレイリストに組まれるなど自主リリースながら異例のヒットを飛ばす。並行して執筆や対談、現地のプロデューサーへのインタビュー、J-WAVE 81.3 FM SONAR MUSICへのラジオ出演など様々なメディアにてAmapianoの魅力を発信し続けている。

Tomoyoshi Date - ele-king

 2022年、夏。日本ではブライアン・イーノの存在感が強まっていた。ゴージャスで華々しい大興行というわけではない展覧会「AMBIENT KYOTO」が想像以上の盛り上がりを見せたことは、暴力の吹きすさぶ大変な年にあって、落ち着いて物事を考えたいと願う人びとが多くいたことのあらわれだったのかもしれない。
 あるいは土壌が整っていたからとも言える。海外から眺めたとき、横田進吉村弘など、日本はアンビエント大国に映るだろう。伊達伯欣(トモヨシ)もまた、盟友ともいえる畠山地平と並び、00年代後半以降の日本のアンビエントを代表するプロデューサーだ。その新作は、イーノ『Music for Airports』を想起させる。12月19日にリリースされた同作は、日本の人びとがあらためてオリジナルの「アンビエント」に向き合うことになった2022年を締めくくるにふさわしく、そして、年始のどこか虚ろなこのムードにも適した音楽に仕上がっている。

『Music for Airports』を継承しようとする意志は、2011年のセカンド『Otoha』にすでによくあらわれていた。ピアノ以外にもギターやヴィブラフォン、アコーディオンなど多くの楽器がフィーチャーされた賑やかなファースト『Human Being』(2008)から一転、思い切ってピアノの旋律とフィールド・レコーディングとの共存に力点を置いた『Otoha』は、現代において『Music for Airports』の復権と更新を宣言するアルバムだったと言える。いかに『Music for Airports』を継承し、発展させていくか──それが音楽家としての伊達の使命だ。単独名義としては3枚目となる『438Hz As It Is, As You Are』もその系譜に連なる、ピアノが印象的な作品である。端的に、すごくいいアンビエント・アルバムだと思う。
 本作は「古いピアノを438Hzに調律して録音し、レコードのピッチを、その時の気分に合わせて自由に調整する」というコンセプトでつくられている。彼史上もっとも音質にこだわった作品でもあるという。『Music for Airports』同様、曲数は4。デジタル版にはそれぞれの45回転と33回転、計8トラックが収録されている。
 かさかさと微細な具体音がピアノを引き立てる “光”。あたたかな音階にベルがさりげない彩りを添える “熱”。じっさいにフィールド・レコーディングされた水音を交えつつも、あくまでピアノでその穏やかさを表現する “水”。小刻みに震える電子音と鳥たちの鳴き声がコントラストをなす “土”。どの曲も穏やかで、やさしい。
 振り返れば、彼の関わる作品のほとんどは明るく平穏で、日だまりのような安らぎに満ちていた。ダークで重々しかったり、寂寥感を漂わせる類のアンビエントとは真逆のアプローチだ。伊達の朗らかなサウンドは、シューゲイズから影響を受け、ときにサイケデリックな表情を見せる畠山とも異なっている。2007年のデビュー作、すなわち畠山とのオピトープ(Opitope)のアルバムは、そんな両者のよい部分がうまく折衷された作品だった。
 現時点で4枚(うち1枚は坂本龍一との共演盤)を残すメイン・プロジェクト、コリー・フラーとのイルハ(Illuha)もそうだし、ベットウィーン(Between)やメロディア(Melodía)といったユニット、近年のスタン・フヴァール(Stijn Hüwels)Asuna らとのコラボもそうだ。伊達のやさしさはおそらく、医者という職業よりもむしろ、彼の人柄に由来するものなのだろうと思う。それは本作のタイトル、「あるがまま、あなたのままに」ということばにもよくあらわれている。

 近年はクレア・ロウセイウラフェリシア・アトキンソンといった才能が頭角をあらわし高く評価されている。そういった音楽のファンで、すでに20年近くこの国で活躍している伊達の音楽をまだ知らないひとは、ぜひとも彼に注目してほしい。それは、この暗いご時世にひとときのカームダウンを体験させてくれるからという理由だけではない。最初の「アンビエント」がどのような音楽だったのか、思い出させてもくれるから。

R.I.P. Alan Rankine - ele-king

 昨年のウインブルドンではニック・キリオスが大活躍だった。全身に刺青が入った黒人のテニス・プレイヤーで、ショットが決まるたびに客席の誰かに大声で話しかけ、勝っても負けてもオーストラリア本国に戻ればレイプ疑惑で裁判が待っていた(精神障害を理由にいまだに裁判からは逃げている)。大坂なおみが開いたエージェント・オフィスが初めて契約した選手であり、日本に来た時はポケモンセンターの前に座り込んで「絶対にここから離れない」とSNSに投稿していた。僕の推しはカルロス・アルカラスだったんだけれど、昨年は早々とキリオスに負けてしまったので、そのまま惰性でキリオスを追っていた。そうなんだよ、危うくカルロス・アルカラスのことを忘れてしまうところだった。それだけインパクトの強い選手だった。僕がカルロス・アルカラスを応援し始めたのはピート・サンプラスに顔が似ていたから。90年代のプレースタイルを象徴するテニス・プレイヤーで、あまりにもプレーが完璧すぎて「退屈の王者」とまで言われた男。W杯のカタール大会でエンバペがゴールするたびにマクロンが飛び跳ねていたようにサンプラスが00年の全米オープンで4大大会最多優勝記録を打ち立てた時はクリントンも思わず立ち上がっていた。試合でリードしていても苦々しい表情だったサンプラス。内向的で1人が好きだったサンプラス。僕がピート・サンプラスを応援し始めたのはアラン・ランキンに顔が似ていたから。僕はアラン・ランキンの顔が大好きだった。セクシーでガッツに満ち、野獣に寄せたアラン・ドロンとでもいえばいいか。初めて『Fourth Drawer Down』のジャケット・デザインを見た時、この人たちは何者なんだろうと思い、どんな音楽なのかまったく想像がつかなかった。

The Associates – The Affectionate Punch(1980年)

 なんだかわからないままに聴き始めた『Fourth Drawer Down』はなんだかわからないままに聴き終わった。朗々と歌い上げるビリー・マッケンジーのヴォーカルと実験的なのかポップなのかもわからないサウンドは現在進行形の音楽だと感じられたと同時に「現在」がどこに向かっているかをわからなくするサウンドでもあった。その年、1981年はヒューマン・リーグがシンセ~ポップをオルタナティヴからポップ・ミュージックに昇格させた年で、シンセ~ポップのゴッドファーザーたるクラフトワークが『Computerwelt』で自ら応用編に挑むと同時にソフト・セル『Non-Stop Erotic Cabaret』からプリンス『Controversy』まで一気にヴァリエーションが増え、一方でギャング・オブ・フォー『Solid Gold』やタキシードムーン『Desire』がポスト・パンクにはまだ開けていない扉があることを指し示した年でもあった(タキシードムーンはとくにベースがアソシエイツと酷似し、アラン・ランキンは後にウインストン・トンのソロ作を何作もプロデュースする)。『Fourth Drawer Down』はそうした2種類の勢いにまたがって、両方の可能性を一気に試していたようなところがあった。それだけでなく、グレース・ジョーンズ『Nightclubbing』に顕著なファッション性やジャパン『Tin Drum』から受け継ぐ耽美性も共有し、オープニングの“White Car In Germany”では早くもDAF『Alles Ist Gut』を意識している感じもあった。混沌としていながら端正なテンポを崩さない“The Associate”を筆頭に、PILそのままの“A Girl Named Property”、物悲しい“Q Quarters”には咳をする音が延々とミックスされ、あとから知ったところでは“Kitchen Person”は掃除機のホースを使って歌い、“Message Oblique Speech”のカップリングだった“Blue Soap”は公園のようなところにバスタブを置いて、その中で反響させた声を使っているという。まるでジョー・ミークだけれど、ジョー・ミークにはない重いベースと破裂するようなキーボードが彼らをペダンチックな存在には見せていない。

 これらが、しかし、すべて助走であり、アラン・ランキンとビリー・マッケンジーが次に手掛けた『Sulk』はとんでない方向に向かって華開く。昨年、同作の40周年記念盤がリリースされ、全46曲というヴォリウムに圧倒されながらレビューを書いたので詳細はそちらを参照していただくとして、ここではスネアをメタル仕様に、タムを銅性の素材に変えたことで、インダストリアルとは言わないまでも、全体に金属的なドラム・サウンドが支配するアルバムだということを繰り返しておきたい。『Sulk』はパンク・ロックのパワーを持ったグラム・ロック・リヴァイヴァルであり、ニューウェイヴの爛熟期に最も退廃を恐れなかった作品でもある。あるいは15歳のビョークが夢中で聴いたアルバムであり、彼女のヴォーカル・スタイルに決定的な影響を与え、イギリスのアルバム・チャートでは最高10位に食い込んだサイケデリック・ポップの玉手箱になった。『Sulk』はちなみにイギリス盤と日本盤が同内容。アメリカ盤とドイツ盤がベスト盤的な内容になっていた。ジャケットの印刷技術もバラバラで、リイシューされるたびに緑色が青に近づき、裏ジャケットのトリミングも違う。オリジナル・プリントはイギリスのどこかの美術館に収蔵されているらしい。

 ビリー・マッケンジーが『Sulk』の北米ツアーを前にして喉に支障をきたし、アメリカで売れるチャンスを逃したとして怒ったアラン・ランキンはアソシエイツから脱退、『Sulk』に続いてリリースされたダブルAサイド・シングル「18 Carat Love Affair / Love Hangover」(後者はダイアナ・ロスのカヴァー)がデュオとしては最後の作品となってしまうも、『Fourth Drawer Down』以前にリリースされていたデビュー・アルバム『The Affectionate Punch』のミックス・ダウンをやり直して、同じ年の12月には再リリースされる。元々の『The Affectionate Punch』はなかなか手に入らず、その後、イギリスでようやく見つけたものと聴き比べてみると、ミックス・ダウンでこんなに変わってしまうものかと驚いたことはいうまでもない。たった2年でアラン・ランキンが音響技術の腕を確かなものにした自信が『The Affectionate Punch』の再リリースには漲っていた。同作からは“A Matter Of Gender”が先行カットされ、結局、デビュー・シングル“Boys Keep Swinging”(デヴィッド・ボウイの無許可カヴァー)などを加えて元のミックス盤も05年にはCD化される。『Sulk』に続く道も感じられはするけれど、オリジナル・ミックスはまだシンプルなニューウェイヴ・アルバムで、この時期は〈Fiction Records〉のレーベル・メイトだったキュアーとヨーロッパ・ツアーなどを行なっていたことからロバート・スミスがギターとバック・コーラスで参加、ベースのマイケル・デンプシーはその後もアソシエイツとキュアーを掛け持っていた。ロバート・スミスは後にビリー・マッケンジーが自殺する直前、キュアーのライヴを観に来てくれたのに声をかけ損なったことを悔やんで「Five Swing Live」をリリースしたり、“Cut Here”をつくったりしている。

The Associates – Sulk(1982年)

 バンドを脱退したとはいえ、『Sulk』の名声はアラン・ランキンにプロデュース業の仕事を舞い込ませる。ペイル・ファウンテインズ“Palm Of My Hand”は“Club Country”で用いたストリング・アレンジを流用しながら彼らのアコースティックな持ち味を存分に活かし、反対にコクトー・ツインズ“Peppermint Pig”はあまりにもアソシエイツそのままで、これは派手な失敗作となった。彼らのイメージからは程遠いインダストリアル・ドラムに加えて近くと遠くで2本のギターが同時に鳴り続けるだけでアソシエイツに聞こえてしまい、ノイジーなサウンドに尖ったリズ・フレイザーのヴォーカルが入るともはやスージー&ザ・バンシーズにしか聞こえなかった。そして、アンナ・ドミノやポール・ヘイグのプロデュースから縁ができたのか、アラン・ランキンのソロ・ワークも以後は〈Les Disques Du Crépuscule〉からとなる。アソシエイツ脱退から4年後となったソロ・デビュー・シングル“The Sandman”は幼児虐待をテーマにした静かな曲で、カップリングは戦争を取り上げた暗いインストゥルメンタル。続いてリリースされたファースト・ソロ・アルバム『The World Begins To Look Her Age』はアソシエイツのようなエッジは持たず、80年代中盤のニューウェイヴによくあるAOR風のシンセ~ポップに仕上がっていた。これはランキンを失ったマッケンジー単独のアソシエイツも同じくで、マッケンジーもまた気の抜けたアソシイツ・サウンドを鳴らすだけで、2人が離れてしまうと緊張感もないし、いずれもメローな部分ばかりが際立つ自らのエピゴーネンに成り下がってしまったことは誰の耳にも明らかだった。2人がそろった時の化学反応はやはり1+1が3にも100にもなるというマジックそのものだったのである。しかし、2人は93年まで再結成に意欲を示さず、とくにビリー・マッケンジーはイエロやモーリツ・フォン・オズワルドといったユーロ・テクノの才能と組んでサウンドの更新に勤め、それなりに意地は見せていた。アラン・ランキンは『The World Begins To Look Her Age』の曲を半分入れ替えて〈Virgin〉から『She Loves Me Not』として再リリースした後、〈Crépuscule〉から89年に『The Big Picture Sucks』を出して、まとまった音源はこれが最後となる。

Alan Rankine – The World Begins To Look Her Age(1986年)

 93年に再結成を果たしたアソシエイツは6曲のデモ・テープを製作するも94年からアラン・ランキンは地元グラスゴーのストウ・カレッジで教鞭に立ち、それほど頻繁に作業ができなくなった上にビリー・マッケンジーが97年1月に自殺、新しいアルバムが完成されるには至らなかった。そのうちの1曲となる“Edge Of The World”はその年の10月にリリースされたビリー・マッケンジーのソロ名義2作目『Beyond The Sun』に“At Edge Of The World”としてポスト・プロダクションを加えて収録され、さらに3年後、キャバレー・バンド時代のデモ・テープなどレア曲を37曲集めた『Double Hipness』には6曲とも再録されている。6曲のデモ・テープは『The Affectionate Punch』に戻ったような曲もあれば、新境地を感じさせる“Mama Used To Say”にドラムンベースを取り入れた“Gun Talk”など完成されていれば……などといっても、まあ、しょうがないか。ザ・スミスがビリー・マッケンジーを題材にした“William, It Was Really Nothing”に対する10年越しのアンサー・ソング、“Stephen, You're Really Something”も週刊誌的な興味を引くことになった。アラン・ランキンが残した音源は少ない。ビリー・マッケンジーと組んだアソシエイツとその変名プロジェクトにソロ・アルバム2.5枚とソロ・シングル3枚、クリス・イエイツらと組んだプレジャー・グラウンド名義でシングル2枚のみである。また、2010年まで大学教員を続けたランキンは大学内に〈Electric Honey〉を設け、ベル&セバスチャンのデビュー・アルバム『Tigermilk』など多くのリリースにも尽力している。

 ビリー・マッケンジーがソロでつくった曲は間延びした印象を与えることが多かったけれど、アラン・ランキンが加わるとそれがタイトになり、まるで伸び伸びとは歌わせまいとしているようなプロダクションに様変わりした。アソシエイツはそこが良かった。歌が演奏にのっているというよりも声と演奏が戦っているようなサウンドだったのである。まったくもって調和などという概念からは遠く、ビリー・マッケンジーがどれだけ気持ちよく歌っていてもアラン・ランキンのギターは容赦なくそれを搔き消し、いわば主役の取り合いだった。“Waiting for the Loveboat”も脱退前にアラン・ランキンが録っていたデモ・テープはぜんぜん緊張感が違っていた。アラン・ランキンはおそらくせっかちなのである。彼らの代表曲となった“Party Fears Two”がトップ10ヒットとなり、トップ・オブ・ザ・ポップスに出演した時もランキンは同番組が口パクであるのをいいことに鳴ってもいないバンジョーを弾いたり、ピエール瀧の綿アメみたいに客にチョコレートを食べさせるなどふざけまくっていたのは、たった1曲のために2時間以上も拘束されるため「飽きてしまったから」だと答えていた。『Fourth Drawer Down』も実はそれまでがあまりに狂騒状態だったので、少しは落ち着こうとしてつくった曲の数々だったというし、それがまた再び狂騒状態に戻ったのが『Sulk』だったから、あそこまで弾け飛んだということになるらしい。自分の人生を何倍にも巨大なものにしてくれる人との出会いがあるということはなんて素晴らしいことなのだろう。2人合わせて103歳の人生。短い。あまりに短いけれど、『Sulk』はこれから先、いつまでも聴かれるアルバムになるだろう。R.I.P.

R.I.P. Vivienne Westwood - ele-king

 サウス・ロンドンの湾岸地区にある巨大なスタジオで忌野清志郎のフォト・セッションが始まり、僕はやることもなくただ見学していた。彼の初ソロ・アルバム『レザー・シャープ』のために30着ほどの衣装が用意され、デイヴィス&スターが息のあった撮影を続けている。スペシャルズやピート・タウンゼンド、デヴィッド・ボウイやティアーズ・フォー・フィアーズのジャケット写真を手掛けてきた夫婦のフォトグラファーである。2人が交互にシャッターを切るので、清志郎はどっちに集中していいのかわからず、序盤はうまくいっているようには見えなかった。彼らが用意した衣装のなかにテディ・ボーイズのジャケットがあり、清志郎がそれを着てポーズを取ると、実に恰好良かった。ミックス・ダウンの合間を縫って、体を休める間もなく撮影に挑んでいる清志郎はその時、体重が38キロまで減っていて、ジャケットはややダブついて見えた。そのせいか、そのカットは最終的にアルバム用には使われず、宣伝用に回されたので一般の目には触れなかったかもしれない。半日がかりの撮影が終わり、今日の衣装でどれか買い取りたいものはあるかと訊かれた清志郎はとくに考えた様子もなく「ない」と答えた。普段着にはネルシャツとか目立たないものしか彼は着ない。デイヴィス&スターが「OK」といって衣装を片づけ始めた時、「僕が買ってもいいですか」と思わず僕は声に出していた。テディ・ボーイズのジャケットはその場で僕のものになった。ヴィヴィアン・ウエストウッドの一点ものである。ガーゼ・シャツはワールズ・エンドですでに買い込んでいた。ヴィヴィアンだらけになった旅行カバンを持って僕は初のイギリス旅行から日本に戻ってきた。10代でパンク・ロックに出会うということはこういうことである。カタチから入ってもしょうがないなどとは思わない。ヴィヴィアン・ウエストウッドの服で全身を固めたい。二木信がトミー ヒルフィガーで全身を決めているのと同じである。ヴィヴィアン・ウエストウッドのショップが日本にオープンするのは意外と早く、93年のことだけれど、80年代にはまだ海を渡る必要があった。『レザー・シャープ』の取材とパンクの聖地巡りで僕の24時間はバーストしっぱなしだった。出所したばかりのトッパー・ヒードンがレコーディング・スタジオにいるのもぶち上がった。PV撮影の合間にトッパー・ヒードンが自分で飲むビールを自分で買いに行くところまで恰好良く見えた。

 70年代当時、パンク・ロックについての情報はほとんど日本に入ってこなかった。マルカム・マクラーレンのことはまだしもヴィヴィアン・ウエストウッドがパンク・ファッションを生み出したと言われても、詳細はわからないし、破けたTシャツぐらい誰でもつくれるような気がした。パンク・ファッションではなくコンフロンテイション・ドレッシングというコレクション名がついていたことも知らなかったし、「サヴェージィズ(パイレーツ)」、「バッファロー/泥のノスタルジー」、「ニューロマンティクス」と移り変わるシーンの背後にウエストウッドがいるらしいというだけで、それが本当なのかどうかもよくわからなかった(バッファロー・ハットは00年代にファレル・ウイリアムズがリヴァイヴァルさせている)。ウエストウッドがどんな顔なのかさえわからなかったので、僕は映画『グレート・ロックンロール・スウィンドル』のレーザーディスクを買い、セックス・ピストルズが女王在位25周年を祝うジュビリー当日にテームズ河に浮かべた船上でボート・パーティを開催し、〝God Save The Queen〟を大音量で演奏するシーンを何度も繰り返し観たけれど、警官たちと揉み合うマルカム・マクラーレンは確認できてもウエストウッドが逮捕された瞬間は判然としなかった(ちなみに『グレート・ロックンロール・スウィンドル』にフィーチャーされた〝Who Killed Bambi〟はテン・ポール・チューダーとヴィヴィアン・ウエストウッドの共作)。それどころかローナ・カッター監督のドキュメンタリー作品『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観るまで、僕はニューロマンティクスが下火になってから子どもを育てるお金がなくなくなったウエストウッドが生活保護を受けていたことも知らなかった。僕がカーキ色のジャケットを買い取った頃である。当時は誰と話してもイギリスへ行ったらBOYのキャップやパンクTシャツの1枚や2枚は買ったよと話し合っていた時期なのに。あの売り上げはウエストウッドには入っていなかったのだろうか。同じドキュメンタリーでウエストウッドはパンクについては語りたくないと最初は口を閉ざしてしまう。追悼記事のほとんどが「パンク・ファッションの女王が……」という見出しを立てているというのに、ウエストウッドにとってパンクは思い出したくない過去だということもちょっとショックだった。監督がねばりにねばって最後は経営実態まで細かく語り始め、それもまた驚くような内容だったけれど、同作は全体にお金のことが明確に語られているところが新鮮な作品だった。

  ヴィヴィアン・ウエストウッドは80年代の後半にファッションの方向性を大きく変え、いわゆるヴィクトリア回帰を果たしたとされる。パンクやバッファローとは異なり、確かにエレガントと呼べる性格のものにはなっていたけれど、裾が広がれば広がるほどいいとされた19世紀のスカート(クリノリン)をミニにカットするなど、そのアイディアは上流階級のパロディと言われたり、過去(束縛された女性)と未来(自由になった女性)を同時に表現したとも評され、目に見えない部分では男性用ファッションを素材レヴェルから女性用につくり直すなど、対決を意味するコンフロンテイション・ドレッシングはひそかに続いていたともいえる。92年にバッキンガム宮殿で大英帝国勲章を受賞する際にはスカートに大胆なビキニとスケスケのタイツ姿で現れ、物議を醸す一幕もあった(これには宮殿に所属する写真家の撮り方に悪意があったとウエストウッドは反論している)。一方でBボーイ・ファッションを低脳呼ばわりするなど、クレジットの入れ方を巡って20年間の付き合いに終止符を打ったマルカム・マクラーレンが新たに入れ込んでいたヒップ・ホップには冷たく当たり、ストリート・カルチャーとは決定的に距離を置こうとしたことも確かである。ニューロマンティクス時代の最後に単独で「ウィッチ」というコレクションを発表したウエストウッドはキース・ヘリングをフィーチャーすることで自動的にマドンナが広告塔になってくれるなど、実際にはストリート・カルチャーが彼女の名声を後押しした面があったにせよ。マクラーレンとの残念な結末とは対照的に『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観ると彼女の後半生は大学の教え子だったアンドレアス・クロンターラーとの愛の物語であったこともよくわかる。クロンターラーの献身ぶりやウエストウッドを支える彼の努力は並大抵ではなく、彼女もそれがわかっているところはなかなかに感動的だった。オーストリー出身のクロンターラーは92年にウエストウッドよりも25歳下の夫となり、25年間にわたって発表してきた「ヴィヴィアン・ウエストウッド・ゴールドレーベル」は実質的にはクロンターラーが手掛けていたも同然だったと発表し、ブランド名も「アンドレアス・クロンターラー・フォー・ヴィヴィアン・ウエストウッド」に改名されている。

  00年代に入るとウエストウッドは政治的言動を強く繰り出すようになる。とくに「気候変動」に関しては語気が荒く、行動力もかなりのものがあり、緑の党支持を表明しているものの、ヴィヴィアン・ウエストウッドの商品にはポリエステルが使われているなど矛盾を指摘されることも多く、かなりな額を寄付したにもかかわらず緑の党からイヴェントに出演することを拒否されたこともある。驚いたのはシェール・ガスの掘削に反対してキャメロン首相の別荘に戦車で向かって行ったことで、何が起きているのかわからなかった僕はスケートシングと動画を送りあったりして、その夜は、一晩中、大騒ぎになった。道が細くなってウエストウッドを乗せた戦車が別荘に突っ込むことはできなかったけれど、戦車の上から拡声器で抗議する姿を見てウエストウッドがパンクを全うしていることは確かだと思った。またウィキリークスを高く評価していて、アメリカ政府に指名手配され、エクアドル大使館で軟禁状態となっている主幹のジュリアン・アサンジを長期にわたってサポートし、クロンターラーと2人で獄中結婚の衣装をデザインしたり、アメリカ政府への引き渡しに反対して裁判所の前でウエストウッド自らが鳥かごに入って宙づりにされるというパフォーマンスも行なっている。05年にはキャサリン・ハムネットが90年代に定着させたメッセージTシャツに「私はテロリストではない。逮捕しないで下さい(I AM NOT A TERRORIST, please don't arrest me)」というメッセージに赤いハート・マークを付け加えてトレンドTシャツとして生まれ変わらせ、ワン・ダイレクションのゼインがこれを着てツイッターで広めたり、ジェレミー・コービンが労働党党首になった時は派手に応援し、ボリス・ジョンソンに大敗を喫することも。政治に比べてTVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で使われたウェディング・ドレスが1時間で売り切れたとかファッションの話題が少ないことは気になるところだけれど、『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観ると、そっちの方はクロンターラーがちゃんとやっているのかなと思ってしまうのはやはりマズいだろうか。

  05年に姪たちを連れて森アーツセンターギャラリーで開催されたヴィヴィアン・ウエストウッド展を観に行くと、まだファッションには興味がなかった彼女たちの反応は「魔女みた~い」というものだった。確かに装飾過多だし、とくに黒い服が集められた部屋は森の中にいるみたいで、妙な落ち着きがあった(日本ではゴスロリや矢沢あい『NANA』が流行の火つけ役になったと言われるし、ヴィヴィアン・ウエストウッドが人の名前だと思っていない世代には福袋で有名みたいだし……)。パンク・ロックは遠い夢。ヴィヴィアン・ウエストウッドが家族に囲まれて静かに息を引き取ったことを知らせる公式アカウントには「ヴィヴィアンは自分をタオイストだと考えていた」と綴られている。イギリスはニューエイジ大国なので驚くまいとは思うけれど、ここへ来て最後にタオイストというのは与謝野晶子のアナーキズム擁護に通じる空想性を想起させ、あんまり聞きたくなかったなとは思う。ヴィヴィアン・ウエストウッドの真骨頂はやはり力が漲るデザイン力であり、無為自然という意味でのアナーキズムではなく、大胆に布をカットするように制度として立ちはだかる壁を突破しようとする実行力に直結させたことだと思うから。またひとつパンクの星が消えてしまった。R.I.P.

interview with Pantha Du Prince - ele-king

 2022年はビヨンセが高らかに、ハウスがもともとブラック・ミュージックでありゲイ・コミュニティから生まれた音楽であることを訴えた年だった。テクノでいえば、2018年からディフォレスト・ブラウン・ジュニア(スピーカー・ミュージック)が「テクノを黒人の手にとりもどせ(Make Techno Black Again)」を掲げて活動している。そういった動きを受けこの見出しをつけたわけだが、ホワイトウォッシング(白人化:詳しくは紙エレ年末号の浅沼優子さんのコラムを)が問題の時代にあって、いわゆるミニマル・テクノ~ハウスにくくられる音楽をやっているパンサ・デュ・プリンスことヘンドリック・ヴェーバーが、それらのルーツを忘れていないことは重要だろう。
 最新作『Garden Gaia』のサウンドや彼の来歴については、先日のアルバム・レヴューを参照していただきたい。今回は《MUTEK.JP》出演のため初の来日を果たした彼に、清らかで逃避的なあの音楽がどのように生まれたのか、その背景を探るべくいくつかの質問を投げかけている。サウンドから予想されるとおり感じのいい気さくな人柄で、好きな音楽から環境問題まで、大いに語ってくれた。

都会からちょっと離れたところに行くと、いきなり手つかずの自然が広がっていたりするんです。そのぶつかり合いみたいなところが好きなんです。たとえば東京も、すごく都会なんですけど、少し歩くだけで田舎のようなところに出たり、みんなが知らないような自然があったり。

今回が初来日ですよね。どこか行かれましたか? 気になるものはありました?

ヘンドリック・ヴェーバー(以下HW):じつは日本に住んでいるインテリア・デザイナーの友人がいるんです。彼に渋谷とかを案内してもらって、カフェとか、「COSMIC WONDER」というブランドのストアに連れていってもらいました。月曜日(12月12日)からは「Sense Island」という島(横須賀市猿島の無人島)のエキシビションのようなイヴェントに行く予定です。まだそれほど観光できていないので、ほかにもいろいろ見てまわりたいなと思っています。ドイツにも日本人の友人がたくさんいるんですよ。竹之内淳志さんという日本のマスターから舞踏を習っていて。だから日本とは強いつながりを感じています。

現在の拠点はベルリンですか?

HW:エリア的にはそうですね。ベルリンの郊外に住んでいます。

あなたの2004年のデビュー作はミニマルなダンス・ミュージックにフォーカスするベルリンのレーベル〈Dial〉から出ていました。今年は〈Perlon〉からメルキオール・プロダクションズ15年ぶりのアルバムが出て話題になりましたが、現在でもベルリンのミニマルのシーンは勢いがあるのでしょうか?

HW:わかりません(笑)。以前と比べて、わたし自身変化したし、スタイルも少しずつ変わってきました。いまでもクラブでプレイしますが、自分のジャンルはどんどんちがう方向へ向かっているし、コンパクトさやミニマルさは薄れて自分独自のジャンルを確立できてきていると思うんです。いまはクラブだけでなく、クラシック音楽やアンビエントのフェスティヴァルでも演奏しますし、ほんとうに幅が広がったんです。最近はモダン・アートやヴィジュアル・アート、サウンド・アートの場で演奏することもあります。わたしの音楽はひとつのセッティングだけで完結するものではありません。オーディエンスのひとたちが座って聴くこともできれば、パーティでダンスしながら聴くこともできるし、あるいはふつうのコンサートのように楽しむこともできる。時間帯や場所もさまざまで、幅広い層に聴いてもらえる音楽に変わってきていると思います。

そのようにご自身の音楽が変わっていくきっかけになったことはありますか?

HW:やっぱり自分自身が変わってきて……たとえば自分の身体やフィーリングについて知るようになっていったことが、ひとつのきっかけとしてあるように思います。それともうひとつ、「音楽はつねにすべてのひとのものである」という意識が自分のなかにあって。夜クラブに来るひとたちのためだけではなく、あらゆるひとに届けられる音楽をつくることに興味がありました。それで、みなさんが家で聴いても楽しめる音楽をつくりたくて、自然と変化していったのかなと。あと、自然環境とのつながり、植物や動物と人びととのつながりを表現したいというのもありますし……まわりのひとたちにも自分自身について知ってもらうことで、自分たちが周囲とどうつながっているかを追求できますし、それにともなって音楽も変わっていくんだと思います。わたしはアルコールも飲まないしドラッグもやらないので、まわりの人たちや環境から影響されて変わっていったんだと思いますね。

自然とのつながりというお話が出ましたが、あなたの音楽にはよく鳥の鳴き声と水のフィールド・レコーディングが導入されています。「自然」のなかでも、とりわけ「鳥」と「水」にフォーカスするのはなぜですか?

HW:わたし自身がもっとも多くの時間を過ごすのがそういう場所なんです。もちろん東京みたいな都会も好きですよ。人びとが集まっているエナジーを感じますが、でもやっぱり自分は自然のなかでインスピレイションをもらったり、自然とつながりを感じることが多いんです。リラックスできますし、身体的にも精神的にも癒されますし。健康を保つためにはとてもたいせつな場所なんです。だからよく森に行って鳥の鳴き声を聴いたり、海辺に行ったり、あと南スペインやハノーファーに行ったり。今回のアルバムはじっさいにそういう場所でレコーディングしました。都会からちょっと離れたところに行くと、いきなり手つかずの自然が広がっていたりするんです。それがとてもおもしろくて、そのぶつかり合いみたいなところが好きなんです。たとえば東京も、すごく都会なんですけど、少し歩くだけで田舎のようなところに出たり、みんなが知らないような自然があったり。
 鳥にかんしては……鳥ってもっとも古くから存在する動物なんです。恐竜が鳥になったんです(※鳥は恐竜の一種だと考えられている)。だから鳥の鳴き声を聴くと、人生や歴史、いろんなものが混ざりあって考えさせられるんです。テクスチャーも、フリークエンシーがとても複雑で、それがすごくおもしろい。小さい動物なのにあんなにインパクトのある大きなサウンドをつくりだすことができるのはすごいと思います。水も、ヴァラエティ豊かですばらしい。速い流れと遅い流れで音がぜんぜんちがうし、山からちょっと流れてくる少量の水でも地面や草に流れる音がありますし、アグレッシヴで強い音が出たと思いきや、アンビエント的でハーモニーのような美しい音も出るし、ラウドな音も出るし。美しい音がいきなり強い音に変わったり、ちょろちょろした小さな音でも奇妙に、危険に感じられることもある。そういった水の音の幅広さはすばらしいです。だから鳥と水が多いんです。

自然への関心は幼いころから抱いていたのですか?

HW:そうですね。もちろん小さいころから興味はありました。自分は都会のそばに住んでいて、都会と田舎のあいだで育ったんですが、どちらも孤独を感じます。

都会の孤独というのは、「ひとがいっぱいいるけどだれも知り合いじゃない」みたいな感覚でしょうか?

HW:そうです。逆に田舎の場合は、文化や文明が恋しくなる。自分のまわりにその両方があることが当たり前の環境で育ったんです。

病気になることは必ずしもダメなことではありません。それによってからだがバランスをとれるようになり、もっと強くなる。メンタルヘルスについてもおなじだと思います。なにかよくないことがあっても、それはよりよい方向へ変化するためのステップだと思うんです。

新作『Garden Gaia』の制作は、パンデミック中ですか? ウイルスも自然から発生するものですが、人間たちに壊滅的な状況をもたらしました。先ほど自然と都会のバランスについての話がありましたけれど、今回の新型コロナウイルスについてはどう思いましたか?

HW:非常に複雑な状況だったと思うんですが、人間が変化するべきだという警告だったような気もします。もっとサステイナブルに生きよう、自分の健康にも気をつかおうと思いましたし、コミュニティでひとと一緒になにかをやることのたいせつさにも気づきました。そして自分にとってなにが幸せなのか、なにが自分を幸せにしてくれるのか考えさせられました。多くを学べるいいレッスンだったと思っています。自分たちの人生においてなにがたいせつかという問いを持ち、自身の心をより深い部分まで掘り下げるようになりましたし、起こっていることと自分とのつながりについても考えるようになりました。コロナって、みずからそれを受けいれないといけないんですよね。それによって自分の体も変化していくと思うんです。ワクチンもそうです。もしかしたらもうみんなに抗体ができているのかもしれない、わたしのなかにも存在しているのかもしれない──そうやってひとのからだも、なにかがあるたびにそれを受け入れることで変化していくんだなと感じました。これはわたしたちにとって新しいチャレンジだと思います。どう受けいれ、どう付きあっていくか、どう変化していくかがたいせつです。あと、ひとりではなにもできないこと、すべてがつながっていることにも気づかされましたね。パンデミックが起こったら、日本だけではどうすることもできないし、ドイツだけでも中国だけでもダメだし、やっぱり世界じゅうのみんながつながって、みんなでなにかをしないと乗りこえることはできないんです。
今回のパンデミックでは、ガイア(※大地、地球)という大きなもののなかでみんながつながってシステムを形成し、それが機能していることのバランスを強く感じました。そのバランスを表現して、世界に発信したいと思いました。たとえば、病気になることは必ずしもダメなことではありません。それによってからだがバランスをとれるようになり、もっと強くなる。メンタルヘルスについてもおなじだと思います。なにかよくないことがあっても、それはよりよい方向へ変化するためのステップだと思うんです。受けいれて、変化していく。まわりとバランスをとりながら、乗りこえていく。そういったつながりとバランスを感じる機会が今回のパンデミックでした。

わたしはエレクトロニック・ミュージックが好きでよく聴くのですが、ときどきエレクトロニック・ミュージックが電気を使わざるをえないことについて考えます。クラブのサウンドシステムもそうですし、ヴァイナル・レコードやCDの生産もそうで、石油由来のものをいっぱい使わなければいけない。と同時にわたしたちは、気候や自然について考えることを避けて通れない段階にきている──そういったテクノロジーと自然の関係についてはどう思いますか?

HW:じつはわたしは、テクノロジーと自然を分けて考えていないんです。文明が生まれたことにより、自然も人類も発達してきたと思っています。わたしにとってより重要なのは、いかにテクノロジーを使わないかではなく、どのように使うかです。じっさいテクノロジーはすばらしいものですし、それを利用することで自分たちの人生をエンジョイすることも、とても大事なことです。飛行機に乗ってもいいし、パーティをしてもいい。ただ、それらを楽しむなかで、どのようにテクノロジーをとりいれ、有効活用できるかを考えることがいちばん大事だと思います。使うだけなら簡単ですが、すべてにノーと言うのでもなく、どのようにとりいれて使うか。テクノロジーが生みだすエネルギーはすばらしいものなのだから、その使い方を考えていくべきだ、と。そこがテクノロジーと自然を分けて考えるよりもたいせつなことだと思いますね。

デトロイトのすべての音楽もそうです。セオ・パリッシュや友人になったマッド・マイクからは強く影響を受けています。それらすべてが、自分の音楽からは聞こえてくるんじゃないかなと思います。

もっとも影響を受けた音楽や作品はなんでしょう?

HW:すごくたくさんの音楽から影響を受けましたね。うーん……まず、ドイツのクラウトロックからは大きな影響を受けました。ハルモニアやクラスター、もちろんノイ!も。80年代後半のイギリスのインディ・ミュージックからも大きくインスパイアされましたね。あとたとえばパン・ソニックだったり、日本のノイズ・ミュージック。すごく好きなのは……カールステン・ニコライ、〈Mille Plateaux〉、池田亮司。とくに〈Mille Plateaux〉からは特別な影響を受けました。〈Mille Plateaux〉と、〈Mego〉ですね。フロリアン・ヘッカーだったり……あとはフランシスコ・ロペス。もちろん、リカルド・ヴィラロボスやベーシック・チャンネルもですし、ハウスだとハーバートですね。デトロイトのすべての音楽もそうです。セオ・パリッシュや友人になったマッド・マイクからは強く影響を受けています。それらすべてが、自分の音楽からは聞こえてくるんじゃないかなと思います。子どものころはクラシック音楽をよく聴いていたので、その影響も大きいです。バッハやリスト、シューベルト。とくにシューベルトは自分にとって大きな存在です。それと、リゲティの影響も大きい。……まだまだ出てくるんですが、このあたりにしておきます(笑)。いま挙げたひとたちは自分にとってとても大事なエッセンスになっていますね。

マッド・マイクと友だちになったというのはすごいですね。デトロイトに行ったんですか?

HW:ツアーで会って、いっしょに時間を過ごすことができました。アンダーグラウンド・レジスタンス・ミュージアムに行ったんですが、なんとそこに彼がいて、自分のところに来てくれて、歓迎してくれました。魔法のような体験でした。スペシャルなエディションのレコードを全部くれたりして、とても友好的で、すごくクールないいひとでした。

アンダーグラウンド・レジスタンスのベスト・レコードはなんですか?

HW:フーッ! ……うーん、答えられないな(笑)。……DJロランドの「Knights Of The Jaguar」かな。大きなヒットですけど、自分はヒットが好きなので。いまだに大好きです。ご存じのとおり、わたしの音楽はとてもメロディックだと思うんですが、やはりデトロイトのああいう感じとメロディが合わさることで、よりダークでアップリフティングな感じのサウンドをつくりだすことができていると思います。みんなが知らないようなものを挙げられなくて、アンダーグラウンド・レジスタンス・ファンの答えじゃないですね(笑)。でも、デトロイトのあのコミュニティが世界的な大ヒットを生みだすことができたということがすばらしいですよね。とても賢くて、シンプルなライフのなかで可能性を活かして、規模の大きいものをつくっているところが魅力だと思います。

あなたの音楽には、いい意味での逃避性があると思います。気候危機だけでなく、近年は大きな戦争などいろいろなことが起こり、暗い時代がつづいています。とくに2022年はそうでした。そういったなかで、音楽にできる最良のことはなんだと思いますか?

HW:つねに音楽はそういう役割を担ってきたと思います。たとえばナポレオンの時代にしても、乱世から美しい音楽が生まれています。社会にエネルギーをもたらすのも音楽だと思いますね。そこから生まれるダークでアグレッシヴな音楽にも希望が見えたりするでしょうし。あと、アーティストや音楽それ自体は政治的になってはいけないと思っています。やっぱりコミュニティが大事なんです。先ほども話したように、この地球でどうバランスをとり、どうみんなでひとつになって生きていくかがたいせるだと思います。政治的になりたければ政治家になればいいんです。音楽をつくって届ける身としては、他人とは異なる見方をして、なにが大切か、どんな可能性があるのか、どのような美しさが存在しているかを見つけだして、それをみんなに届けることで、人びとがつながってコミュニティを形成できるようにしたい。それが自分たちアーティストにできることだと思います。たとえばウクライナでも、レイヴ・ミュージックによってみんながひとつになってエネルギーを生みだすことができています。なにがたいせつか、人びとが心でなにを感じているか、そういうものを伝えあって広げていくのが音楽にできることだと思います。

R.I.P. Terry Hall - ele-king

野田努

 「テリー・ホールの声は、まったくレゲエ向きじゃない」と、ジョー・ストラマーは言った。「だから良いんだ」。ザ・クラッシュの前座にオートマティックスを起用したときの話である。たしかに、テリー・ホールといえばまずはその声だ。ダンサブルで、パーカッシヴで、ポップで、エネルギッシュな曲をバックに歌っても憂いを隠しきれないそれは、最初から魅力的で、忘れがたい声だった。

 12月18日、テリー・ホールが逝去したという。この年の瀬に、悲しいニュースがまた届いた。10代のときからずっと好きだったアーティストのひとりで、とくにザ・スペシャルズの『モア・スペシャルズ』(1980)とファン・ボーイ・スリーの『ウェイティング』(1983)、UKポスト・パンクにおける傑出した2枚だが、ぼくにとっても思い入れがあるレコードだ。これまでの人生で何回聴いたかわからない類のアルバムで、この原稿を書いているたったいまはFB3のファースト(1982)をターンテーブルの上に載せている。
 ザ・スペシャルズの功績や「ゴーストタウン」(1981)の重要性についてはすでに多くが語られてきているし、ぼくも書いてきているので、サウンド面でも歌詞の面でも、「ゴーストタウン」の序章としての『モア・スペシャルズ』、その続編としてのFB3についてこの機会にフォーカスしてみたい。
 そもそも、エネルギッシュなスカ・パンクとして登場したバンドの2作目にしては、『モア・スペシャルズ』はじつにダークで空しく、苛立っている。アルバムは、ドリス・デイの50年代のヒット曲のカヴァー“Enjoy Yourself (It's Later Than You Think)”にはじまり同曲で終わっているが、この「君自身が楽しめ」をテリー・ホールが歌うと曲名の字面ほど前向きにはならないところがぼくにはたまらなかった。なにせこの曲は、「楽しめ」「遅すぎるけど」と歌っているのだ。楽しむにはもはや遅いかもしれない。それほど事態は最悪のほうに向かっている。アルバムのなかの、とくに“Do Nothing”や“I Can't Stand It”といった曲には耐え難い空しさや苛立ちが表現されているが、それらの感情がサッチャー政権のもたらした貧困と失業の増加、軍国主義、人種差別や性差別が横行する当時のイギリス社会から来ていることは、「ゴーストタウン」を経て始動したFB3の作品においてより明白になっていく。
 ザ・スペシャルズのメンバーふたり(リンヴァル・ゴールディングとネヴィル・ステイプル)と組んだ「楽しい男の子3人衆」は、まったく楽しくない言葉を、非西欧音楽にインスパイアされたそのパーカッシヴなサウンドとしばし陽気なメロディのなかに混ぜていった。「イカれた連中が収容所を支配し、俺の言葉の自由を奪う」などと歌っている音楽においては、「ファン・ボーイ・スリーがやって来る、ファン、ファン、ファン!」という当時の日本盤の邦題は的外れも甚だしいと思われるかもしれないが、しかし、FB3が見かけは明るいポップ・バンドであって、なおかつ彼らの皮肉屋めいた側面を思えばこの邦題もあながち滑っているわけではなかった。
 ファッショナブルで華やかなファンカラティーナの季節にリリースされたそのセカンド、デイヴィッド・バーンがプロデュースしたもうひとつの傑作『ウェイティング』は、翌年登場するザ・スミスよりも以前にイングランドをとことん辛辣な言葉で叩いた1枚で、悲しいことにいまでもテリー・ホールの言葉は通用している。「旧植民地から月を作る/戦争難民のように扱われる/あなたがいるからぼくたちはここにいる/ここがぼくの故郷だ」“Going Home”
 そんなわけでいま、ぼくのターンテーブルには『ウィティング』が回っている。絶対的な名曲“Our Lips are Sealed”(EPのB面はウルドゥー語のヴァージョン)を収録したこのアルバムは、またしても暗いメッセージに満ちている。彼個人が受けた性的虐待を明かした“Well Fancy That”は有名だが、サウンド面でも古びていないこのアルバムにはいまでも考えさせられる言葉がいくつもある。「ヒップなソーシャルワーカーがコーディロイのジャケットに過激派のバッジをつけている/自分の信念を見せるためか?/人は何かしなければならないことをしたのかな?」“The Things We Do”

 こんなリリックの音楽だが、先述したように、FB3はさわやかな衣装を好むメロディックなポップ・バンドだったのだ(FB3の1stでコーラスを担当した女性たちは後にバナナラマとしてポップ・チャートを駆け上がっていく)。こうしたコントラストは、ある程度は自分たちでコントロールしていたのだろう。とはいえトリッキーが、テリー・ホールこそ我がヒーローだとニアリー・ゴッド・プロジェクト(1996)において共演を果たしているように、決して本人がそれを望んだとは思わないが彼は暗くネガティヴな歌を歌っているときこそもっとも輝くシンガーだった。ソロになってからの2枚目の、デーモン・アルバーンやショーン・オヘイガンが参加した、しかもある意味ソフトロックめいた『笑い(Laugh)』(1997)は、笑顔どころか涙で溢れている。

 テリー・ホールは、1999年には日本のサイレント・ポエツのアルバム『To Come...』に招かれているが、21世紀になってからはゴリラズとデトロイトのヒップホップ・チーム、D12とともび911へのリアクション「911」を2001年に発表し、続いてゴリラズの『Laika Come Home』(2002)でも2曲歌っている。で、2019年にはザ・スペシャルズのメンバーとして『Encore』を発表。2021年には過去のプロテストソングのカヴァー集『Protest Songs 1924-2012』(ゴスペルからレナード・コーエン、ボブ・マーレー、イーノ&バーンの曲までカヴァーしたこの選曲は面白い)をリリースしている。テリー・ホールの声は「イギリス人の声だ」とジョー・ストラマーは言ったが、結局彼は、コヴェントリーというイングランドの自動車工業で栄えた労働者の街の子孫として、自分の信念から大きくぶれたことなどなかったといえる。
 没年63歳とは、しかし早すぎる。とはいえ、彼がザ・スペシャルズやFB3でやったことは、これからも我々にインスピレーションを与えてくれるだろう。この先良くなる気配の感じられないようなきつい時代に、では我々は何をしたらいいのか、何を歌うべきなのか、もし迷うことがあったらテリー・ホールの声を温ねたらいい。「君自身が楽しめ。もう遅いけど。元気があるうちに」

 なお、現在ロンドンにいる高橋勇人は、どういうわけかそのご子息であるフェリックス・ホールと友だちになった。在英中の日本人DJ、チャンシーとも交流のある彼はいま〈Chrome〉レーベルを運営しつつロンドンのアンダーグラウンド・シーンには欠かせないレゲトン/ダンスホールのDJとして活躍している。

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三田格

 それまでの輝かしい功績の数々に比べて94年にリリースされたテリー・ホール初のソロ・アルバム『Home』はあまりパッとしなかった。オープニングからミシェル・ルグランの影響が窺え、彼のキャリアのなかではカラーフィールドを受け継ぐシンプルなギター・ロック・サウンドが中心。アンディ・パートリッジやニック・ヘイワードとの共作が目を引くものの、全体的にはクレイグ・ギャノンやプロデュースを務めたイアン・ブロウディの色が強く出たのか、10年遅れのザ・スミスといった仕上がりに。ジャケット・デザインはとても彼らしく、初のソロだからといって虚勢を張るポーズではなく、床にしゃがみこんで体育座りをしている。わざわざコンセプトはホール自身だというクレジットも入っている。デーモン・アルバーンをフィーチャーした「Rainbows EP」を挟んで続くセカンド・ソロ『Laugh』(97)も同じくで、前作よりは厚塗りのサウンドでゴージャスな面もあるものの、ジャケット・デザインはやはりオフ・ビート的なユルいポートレイトが選ばれている。この時期は肩の力を抜きたかったということなのだろう、“Misty Water”などは安全地帯“ワインレッドの心”にも聞こえるし、エンディングはトッド・ラングレン“I Saw the Light”のカヴァー(シングルのカップリングではジョン・レノンやカーペンターズも取り上げている)。 

 さすがだったのはそれから6年後にファン・ダ・メンタルのムシュタークと組んだジョイント・アルバム『The Hour Of Two Lights』。ファン・ダ・メンタルはレイヴに対するリアクションとしてトランスグローバル・アンダーグラウンドやループ・グールーなどと共に現れたコンシャス・ヒップ・ホップで、スペシャルズの理念を受け継いだ人種混淆ユニット。同作ではアラブ音楽に多くを借りながらマッシヴ・アタックを思わせるブレイクビートにエスニックな要素をふんだんに盛り込み、ファン・ボーイ・スリー“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”が重みを増したようなサウンドになっていた。これをリリースしたのもデイモン・アルバーンで、彼が後にイギリスのプロデューサーたちを大挙してコンゴまで引き連れ、DRCミュージックによるチャリティ・アルバムを製作した際のモデル・ケースとなったことは想像に難くない。『The Hour Of Two Lights』にはシリアやレバノン、アルジェリアやポーランドのジプシーなどマイノリティで、しかも子どもや障害者のミュージシャンが多数招かれ、それだけで強いメッセージを放つものになっていた。そう、テリー・ホールのキャリアは70年代のスペシャルズに遡る。白人と黒人が一緒にグループを組んだことで知られるスカ・リヴァイヴァルのグループである。

〈Two-Tone〉以前にイギリスで白人と黒人が一緒に音楽を演奏をしなかったわけではない。トラフィックにはロスコ・ジーやリーバップがいたし、ラヴにもジョー・ブロッカーがいた。しかし、白人と黒人が一緒に演奏することをレーベル・デザインにまでしたのはなかなかに強い主張であった(鮎川誠がデザインを見て「スカッとしている」とTVでダジャレを言っていた)。テリー・ホールの訃報を伝える記事にも「いまストームジーがやっていることを、かつてやっていたのがテリー・ホールだった」という見出しがあったほどである。スペシャルズの詳細は野田努ががっつり書くだろうから、簡単にするけれど、“Gangsters”と“International Jet Set”のことは書いておきたい。“Gangsters”のイントロはいま聴くと大したことはないけれど、当時は一体これから何が始まるのだろうと思うようなもので、これとポップ・グループ“We Are All Prostitutes”、そして、PIL“The Cowboy Song”は10代の僕が3大トラウマになったイントロダクションである。スペシャルズが分裂する原因になったとはいえ、スカとラウンジ・ミュージックを融合させるというジェリー・ダマーズのアイディアが炸裂した“International Jet Set”も本当にヘンな曲で、スペシャルズに影響を受けたというバンドはこの後、続々と出てくるけれど、この曲だけは誰も引き取り手がないままいまだに宙をさまよっている。また、コヴェントリーの自動車産業が衰退していく様を題材にした“Ghost Town”が普遍的な価値を得たことについてテリー・ホールは、後に「若気の至りで書いた曲だけど、いまだに説得力があるのは悲しいことだ」とも話していた。

 “Ghost Town”はスペシャルズにとって2枚目の12インチ・シングルだった。よくアナログ・レコード世代という言い方があるけれど、僕は自分のことを12インチ・ジェネレーションだと勝手に思っていて、スペシャルズからファン・ボーイ・スリーへと移り変わって行ったプロセスがまさに12インチ・シングルのポテンシャルが発揮され出した時期に当たっていた。方向性の違いでスペシャルズを脱退したテリー・ホール、リンヴァッル・ゴールディング、ネイヴィル・ステイプルズの3人で新たにスタートを切ったのがファン・ボーイ・スリーで、デビュー・シングル“The Lunatics Have Taken Over The Asylum”はスカではなく、アフリカン・ドラムを基調にしたブリティッシュ・ファンクにエキゾチック・サウンドを取り入れた変化球。ラウンジ・ミュージックを巡ってジェリー・ダマーズと袂を分かったとはいえ、彼のアイディアが部分的に生かされている気がしないでもない。バス・ドラムがゆっくりと全体をドライヴさせていく感じはそのままマッシヴ・アタック“Daydreaming”につながるし、“Daydreaming”もブリティッシュ・ファンクのワリー・バダルーをサンプリングしているのだから似ていて当たり前ともいえる。テリー・ホールが『Laugh』をリリースした頃だと記憶しているけれど、イギリスの音楽誌でトリッキーがテリー・ホールと対談するという企画があり、その席でトリッキーは緊張しすぎて完全に舞い上がっていた。トリッキーにしてみればサウンド面では明らかにパイオニアだし、彼のような次世代がファン・ボーイ・スリーに会うというのはそういうことだったのだろう。

 “The Lunatics Have Taken Over The Asylum”のカップリングは同趣向の“Faith, Hope And Charity”。驚いたのは高木完がハウス・ミュージックが台頭してきた時期に“Faith, Hope And Charity”はハウス・ミュージックになると話していたことで、実際に同曲はFX名義でハウス・ヴァージョンがリリースされたこと。手掛けたのはドイツのフェリックス・リヒターで、“Faith, Hope And Charity”はものの見事にアシッド・サマーに溶け込んでいた。続く“It Ain't What You Do..”は意表をついて30年代のジャズ・クラシックをスカでカヴァー。一気に彼らの音楽性が挑戦的になり、コーラスにはまだシヴォーン・ファーイが在籍していたバナナラマをフィーチャー。ここまではアルバム・テイクと12インチ・シングルは同じもので、カップリングとなる“The Funrama Theme”でロング・ヴァージョンが初めて試される。てんやわんやのヨイヨイヨイみたいな曲をダブにしたお遊びである。そのオリジナルにあたる“Funrama 2”が収録されたデビュー・アルバム『The Fun Boy Three』がついに82年3月にリリースされる。現代風にいうとトライバル・ファンクの宝庫で、様々な方向に向かい出していたニュー・ウェイヴのなかでもとりわけ猥雑さにあふれ、同時期に様式美を追求していたニューロマンティクスとは対極にあると感じられた。ここから“The Telephone Always Rings”がカットされ、初めてAサイドにダブ・パートを入れたロング・ヴァージョンがフィーチャーされる。転調を繰り返す構成やテリー・ホールの歌い方は“Ghost Town”に揺り戻したようなところがあり、リズム・ボックスの重い響きはあまりほかでは聴いたことがない。

 ファン・ボーイ・スリーはライヴを観たことがなかったので、ユーチューブにライヴがアップされた時は、そのユニークなバンド構成に目を見張った。白人の男はテリー・ホールだけで、リンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは当然ながら黒人、そしてバックを固めていたミュージシャンはドラムから何から全員が女性だった。ダイヴァーシティのダの字もなかった80年代初頭のことである。学校のクラスは3分の2が黒人だったとテリー・ホールは話していたことがあったから、彼にとっては特別なことではなかっただろうし、パンクが女性の表現と共にあったことを思うと、それも自然な流れだったのかとは思うけれど、それにしても面白い映像だった。このライヴ映像は何度観たかわからない。“The More I See (The Less I Believe)”で始まるので、セカンド・アルバム『Waiting』がリリースされた頃のライヴなのだろう。あれだけリズム・コンシャスな音楽をやっていながらテリー・ホールが最初から最後まで直立不動でビクとも動かないのも興味深く、ステージでも楽屋でも笑顔はほとんど見せない。対照的にリンヴァル・ゴールディングとネイヴィル・ステイプルズは時に楽器も触らないでステージ狭しと踊りまくっていたり。2人が“We're Having All The Fun”でちょこっとだけ歌うシーンもある。クライマックスはなんとスペシャルズの“Gangsters”。つーか、またしても全編観てしまった。

 スペシャルズにはゴー・ゴーズやプリテンダーズのクリッシー・ハインドがコーラスで参加し、ファン・ボーイ・スリーにもバナナラマがいて、テリー・ホールのまわりにはいつも女性たちがいるという印象だけれど、テリー・ホールはセカンド・アルバムに収録された“Our Lips Are Sealed”をゴー・ゴーズのジェーン・ウィードリンと共作し、波に乗っていたゴー・ゴーズのヴァージョンはあっさりと全米チャートを駆け上がる。ゴー・ゴーズの“Our Lips Are Sealed”があまりにもアメリカン・ロックの王道だったので、これを追ってファン・ボーイ・スリーのヴァージョンを聴いた時は最初はどんよりと淀んだ曲に聴こえたぐらい。しかし、粘っこいリズムが癖になってくると、だんぜんファン・ボーイ・スリーの方がいい。この曲も12インチ・ヴァージョンは10分を超える2部構成で、ファンク・テイストを前面に出し、中盤はほとんどプリンスと同じ、さらにはウルドゥー語ヴァージョンまで収録するという凝り方だった。デヴィッド・バーンがプロデュースにあたったセカンド・アルバム『Waiting』は長い間、不思議なタイトルだと思っていたけれど、どうやら「あなたのような人を待っている」という意味らしく、「あなた」というのはこのアルバムを聴く人ということなのだろうかと疑問はいまだに続いている。『Waiting』は60年代の映画「ミス・マープル」シリーズの主題歌“Murder She Said”のカヴァーで幕を開け、先行シングル“The More I See (The Less I Believe)”や“The Pressure Of Life (Takes Weight Off The Body)”はやはりジェリー・ダマーズともめたはずのジョン・バリー調、タンゴに取り組んだ“The Tunnel Of Love”を先行シングルとしてカットし、なかでは、最後に収められた“Well Fancy That”が最大の問題作だろう。この曲の歌詞をかいつまんで訳してみる。

あなたはフランス語を教えてくれるといって
僕をフランスに連れていった
10時に集合だとあなたは言った
僕は12歳でまだナイーヴだった
あなたは旅行の計画を立て、僕はあなたの車に座っていた
僕の初めての海外旅行
フランスに行くんだ
信じられないよ
週末はフランスにいるんだ
信じられないよ
ホテルを見つけてチェック・インし、荷物を解いた
長い1日だった
あなたはベッドに入ろうと言った
あなたが僕を観ていると僕は感じた
僕はベッドに入り、あなたは本を読んでいるフリをしていた
灯りが消え、僕は眠り、驚きで目がさめた
あなたの手が僕の体を触っていた
僕は声を出すことができなかった
僕は横を向いて泣いた
フランスで最初の夜
信じられないよ
あなたは僕を怖がらせる
僕は眠りたかった
信じられないよ
朝が来てフランスを離れ、僕は家に帰った
フランスへの旅
信じられないよ
あなたはいい時間を過ごした
セックスを犯罪に変えて
信じられないよ

 これは実話だそうで、12歳の時に学校の先生に誘拐されてフランスまで行き、ナラティヴに綴られた歌詞にある通りペドフィリア(小児性愛)にいたずらをされ、なんとか最後は力づくで逃げ帰ってきたのだという。これが原因で元の生活には戻れず、14歳で学校もドロップ・アウト、掟ポルシェのように様々なアルバイトを転々としながらパンク・バンドで歌っていたところをジェリー・ダマーズにスカウトされてスペシャルズに加わることができたという。前述したムシュタークとの『The Hour Of Two Lights』をリリースした翌年にもこの事件のことが原因で鬱になり、自殺未遂を起こしている。このことについて話すポッドキャストを聞いていたら、12歳の時に精神安定剤漬けになってしまい、それをまた誤って服用したことがトリガーになったらしい。“Well Fancy That”を書いたことで少し軽くなったろうと思いたいけれど、テリー・ホールがここまで黒人や女性たちとバンドを組んできたこともこういったことが影響はしているのかなと。そして、ファン・ボーイ・スリー解散後に彼は初めて白人の男性だけで結成したカラーフィールドに歩を進める。

 カラーフィールドはなぜかマンチェスターで結成され(バンドにマンチェスター出身はいない)、深刻な雰囲気のギター・ポップ“The Colourfield”で84年にデビュー。続く“Take”の12インチにはミシェル・ルグラン“Windmills Of Your Mind”のカヴァーが収録され、この選曲がある意味ですべてを物語っていた。60年代をストレートに振り返るノスタルジー・ポップスやスウィンギン・ロンドンに焦点を当て、テリー・ホールは泣きに力を入れて歌い始めたのである。スペシャルズとファン・ボーイ・スリーには音楽的な連続性があったけれど、それがスパッとここでは断ち切れていた。すでにテリー・ホール信者となっていた僕に戸惑いはなく、時代もスキゾフレニアを推奨していた時期である(ポール・ウェラーという例もあった)。“Windmills Of Your Mind”を換骨奪胎したような“Castles In The Air”やデビュー・アルバム『Virgins And Philistines』の冒頭にも置かれていたサード・シングル“Thinking Of You”もとても素晴らしく、懐古調を僕もとても楽しんだ。なかではザ・ローチェス“Hammond Song”のカヴァーは群を抜いた優しさを運んできた。セカンド・アルバムではそれが、しかし、早くも崩れることになる。当時、イギリスのヒット・チャートは同じシクスティーズでも、ユーリズミックスやスクリッティ・ポリッティはそれをエレクトロニック・ポップの文脈でリヴァイヴァルさせていた。カラーフィールドも『Deception』でプログラム・サウンドへの移行を試みるも、そのような変化を必要としていたサウンドには聞こえず、彼らの良さをすべて失ってしまったように感じたものである。

 次から次へとバンドを立ち上げていくテリー・ホールが次に組んだユニットが、そして、テリー、ブレア&アヌーシュカ。黒人2人と組んだファン・ボーイ・スリー、白人男性2人と組んだカラーフィールドに続いて、今度は女性2人と組んだわけである。ブレア・ブースはアメリカの役者で、アヌーシュカ・グロースは宝石を扱う人らしい。『超近代的子守唄(Ultra Modern Nursery Rhymes)』と題されたアルバムはダスティ・スプリングフィールドを思わせる曲が多く、やはりスウィンギン・ロンドンには心を残していたのかなと。カラーフィールドよりもタイトで、繊細さはなく、もしかするとゴー・ゴーズに近いサウンドだったといえる。さらに2年後にはユーリズミックスのデイヴ・ステューワトとヴェガスを結成し、このユニットが一番記憶に薄く、時期的にもレイヴに飲み込まれて存在感はまったくなかったと思う。いま、聴いてみても『Deception』をもう一度繰り返しているという感じで、新しい発見はなかった。そして、冒頭に挙げたソロ・ワークへと続き、近年はデイモン・アルバーンとの親交が深かったようで、ゴリラズに参加したり、ヴェテラン・レゲエのトゥーツ&ザ・メイタルズが様々なヴォーカリストをゲストに迎えた『True Love』で歌うなど細々とした活動を続けていた一方、07年にはついにジェリー・ダマーズ抜きでスペシャルズを再結成。スペシャルズはその後もメンバーの交代が激しく、13年にはネヴィル・ステイプルズがいち早く脱退。テリー・ホールとネヴィル・ステイプルズが違う道を進むのはこれが初めてとなる。スペシャルズは、そして、19年には『Encore』、20年にもプロテスト・ソングばかりをカヴァーした『Protest Songs 1924-2012』と新作まで完成させたのはなかなかにスゴく、次にレゲエ・アルバムの準備を始めたところでテリー・ホールのすい臓がんが見つかったという。昨年、自身のソロ・アルバムをリリースしたばかりのネヴィル・ステイプルズはテリー・ホールの訃報に触れてファン・ボーイ・スリーのレコーディング状況を回想しており、レコーディング慣れしていないテリー・ホールに力が発揮できるようデヴィッド・バーンが努力したことを明かしている。

 テリー・ホールという人はとにかく一貫性がないし、人々の記憶に残る場面もきっとバラバラなのだろう。ユニットの組み方がとにかく多様で、彼よりも前に同じようなことをやったミュージシャンはきっといないに違いない。テクノ以降にはそれも普通になった印象はあるけれど、ロック・ミュージックがまだ主流の時代に多面体として活動できる前例をつくり、デヴィッド・ボウイが1人でやっていたことを、ある意味で、どんな人と組んでもやってのけたといえる。さらにはナショナル・フロントに目を付けられる一方、単に感傷的な歌を熱唱するだけだったりと、共通しているのは彼の歌がエモーショナルだということぐらいだった。そう、彼のヴォーカルはいつもまっすぐに僕の胸に飛び込んできた。テリー・ホールのまっすぐな感じが僕は好きだったな。TOO YOUNG TO DIE。R.I.P.

※12月26日に原稿の一部を修正

Shovel Dance Collective - ele-king

 伝統的なフォーク・ソングは、上手く演奏されると尋常ではないクオリティーの高さを発揮する。空気中の何かが変化したかのように、演奏者もオーディエンスも、その会場にいるのが自分たちだけではないことに気付くのだ。シャーリー・コリンズが、かつてインタヴューで「私が歌うと、過去の世代が自分の背面に立っているように感じる」と語ったように。
 これは、現代のフォーク・アンサンブル、Shovel Dance Collectiveの音楽を特徴付ける性質のひとつである。ロンドンの9人組は、いわゆるフォーク・ソング歌手のようには見えない。まずほとんどのメンバーがまだ20代であり、ドローン、メタル、アーリー・ミュージック、そしてフリー・インプロヴィゼーションなどの異端なジャンルへの愛着を公言する。数年前の結成以来、まるで歴史修正主義者のような熱意でフォークの正典に向き合い、労働者階級、クィア、黒人、プロト・フェミニズムの物語を前面に出してきた。その切迫感が音楽にも乗り移り、生々しく、土臭く、非常に生き生きと感じられる。端的に言えば、存在感があるのだ。
 2021年のクリスマスにShovel Dance CollectiveのYouTubeアカウントに投稿された動画は、まさに彼らの典型的なアプローチの仕方といえる。ヴォーカリストのマタイオ・オースティン・ディーンが、がらんとした工業用建物に独り佇み、19世紀の哀歌“The Four Loom Weaver”を歌う。労働者階級の失業と飢餓についての苦悩の物語だ。荒涼としたセットの感じが、ディーンの、首を垂れ、目を閉じてトランス状態にあるかのように切々と歌うパフォーマンスにさらにパンチを加えている。

 これまでのShovel Dance Collectiveのレコーディングの多くは、洗練よりも即時性を重視している。彼らの最初のリリース、2020年の『Offcuts and Oddities』は、手持ちのレコーダーや携帯電話で収録され、しばしばハープ奏者のフィデルマ・ハンラハンのリビング・ルームで録音されているのだ。彼らが従来のスタジオ録音を行うことは想像しにくく、これまででもっとも充実したリリースとなった『The Water is the Shovel of the Shore』(水は岸辺のシャヴェルである、の意)も、勿論そうではない。
 アルバムは4つの長尺の作品(シンプルにIからIVと番号付けられている)で構成され、ヴォーカルとインストゥルメンタルの演奏に、ロンドンのテムズ川とその近辺の水路などで収録された環境音がブレンドされている。マルチ・インストゥルメンタリストのダニエル・S.エヴァンスにより継ぎ合わされたこれらのメドレー/サウンドコラージュは、存分に感情に訴えてくる。
 そこかしこに水が在る。激しく流れ、足元を跳ね上げ、天上から滴り落ちる。たくさんの声が、溺れた恋人や海で遭難した船員、捕鯨船団や、海軍の遠征の話を語り、亡霊のように霧の中から浮かび上がる。しかし同時に、観光客がカモメに餌をやる音、艤装の際の軋む音、そして聖職者が毎年行う川への祝福の音なども聞こえてくる。過去が現在と共存している。歌と、歌に込められた物語は、街そのものから切り離せないものとなる。
 このアルバムは、エヴァンス、ディーンと同じくヴォーカルのニック・グラナータが、ロンドン南東部のかつては水車で埋め尽くされていた地帯であるエルヴァーソン・ロードDLR駅地下を走るトンネルで録音したセッションに端を発する。航海にまつわるテーマの“Lowlands”や“The Cruel Grave”といった曲ではディーンとグラナータの声が幽霊のように空間に轟く。
 他のメンバーたち(彼らのことをショヴェラーズと呼んでもOK?)も水にまつわるテーマを取り上げ、ヴァイオリン、ハンマー・ダルシマー(訳注:イギリスの伝統音楽で多用されるピアノの原型の打弦楽器)、そして私のお気に入りであるバスハーモニカなどの楽器で、バラッドやジグやシーシャンティ(船乗りたちの労働歌の一種)に貢献している。多種多様な録音の忠実度が、hi-fi/lo-fiがブレンドされたcaroline(キャロライン)の自身の名を冠したアルバムを思わせる、ある種の面白いコントラストを生み出している。実際、「The Rolling Waves」の美しいヴァージョンを演奏しているヴァイオリニストのオリヴァー・ハミルトンとロー・ホイッスル奏者のアレックス・マッケンジーは、両方のグループに共通のメンバーだ。
 アルバムに付随するエッセイでは、テムズ川の象徴性と一般的な水について深く掘り下げている。「土地と人々の支配に欠かせない水は、土地の文化とは一線を画した、植民地化、奴隷制度、人種差別、資本、商品や人々の移動の過程で形成された独自の文化を持っている。」という認識は、選曲や演奏のスピリットにも反映される。それは決して騒々しいものではないが、ブリティッシュ・フォークと聞いて多くの人が想像するような気取った田園風のものでもない。
 複数の民族の血を引くこの集団のメンバーと同様に、音楽は特定の国や地域に限定されておらず、イングランド、スコットランド、アイルランドにガイアナの歌がある。アルバムはガイアナ人の母親を持つディーンが歌う「Ova Canje Water」で幕を閉じるが、この曲は旧イギリス領ギアナで逃亡した奴隷が、新しく手にした自由について思いを巡らせながら、タイトルにもなっているカンジェ川の水を振り返って見渡すと言う内容だ。
 荒涼とした話になりがちなこのアルバムのなかでは、希望のある終わり方だ。特に第2部の冒頭を飾る悲痛なバラッド“In Charlestown there Dwelled a Lass ”(チャールズタウンに一人の小娘が住んでいた)がそうで、ハンラハンのハープをバックに、グラナータがアノーニのような情感豊かな震える声で、悲運のロマンスを表現している。衝撃的だ。
 全員によるアンサンブルを聴けるのは、冒頭の“The Bold Fisherman”の1曲のみであるにも関わらず、このレコードにみる団結力のすごさは印象的だ。個々の声が組み合わさり、何よりも大きな物を創造する、真の意味での集団的な仕事なのである。曲の多くが断片としてしか聴こえてこないのも、生きた伝統に触れているという感覚を高めてくれる。人から人へと受け継がれるもの、時が止まっているのではなく、常に動いているもの。過去から未来へと流れる共同体のようなものを。

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Shovel Dance Collective

The Water is the Shovel of the Shore

Memorials of Distinction / Double Dare

James Hadfield
 
Performed well, traditional folk songs can have an uncanny quality. Something in the air seems to shift, as players and audience alike become aware that they’re no longer the only ones in the room. As Shirley Collins once told an interviewer[1] : “When I sing, I feel past generations standing behind me.”
This is a defining quality of the music made by contemporary folk ensemble Shovel Dance Collective. The London nine-piece don’t look like your typical folkies: most of the members are still in their twenties, for starters, and they cite an affection for such heterodox genres as drone, metal, early music and free improvisation. Since forming a few years ago, they’ve been tackling the folk canon with the zeal of revisionist historians, foregrounding working-class, queer, Black and proto-feminist narratives. That sense of urgency carries over into the music itself, which can feel raw, earthy, and very much alive. Simply put, it has presence.
A video[2]  posted to Shovel Dance Collective’s YouTube account on Christmas Eve in 2021 is typical their approach. Vocalist Mataio Austin Dean stands alone in a vacant industrial building and sings the 19th-century lament ‘The Four Loom Weaver’, a wrenching tale of working-class unemployment and starvation. The starkness of the setting gives added punch to what’s already an impassioned performance – which Dean delivers with his head bowed and eyes shut, as if in a trance.
Much of Shovel Dance Collective’s recorded output to date has prized immediacy over polish. Their first release, 2020’s “Offcuts and Oddities,” was captured on handheld recorders and phones; they often record in harp player Fidelma Hanrahan’s living room. It’s hard to imagine the group making a conventional studio record – and “The Water is the Shovel of the Shore,” their most substantial release to date, certainly isn’t it.
The album comprises four lengthy pieces (simply numbered ‘I’ to ‘IV’), in which vocal and instrumental performances are blended with environmental recordings captured along London’s River Thames and nearby waterways. Spliced together by multi-instrumentalist Daniel S. Evans, these medley/sound collages are richly evocative.
Water is everywhere: flowing in torrents, sloshing underfoot, dripping from the ceilings. Voices emerge like revenants stumbling out of the fog, telling stories of drowned lovers and sailors lost at sea, whaling expeditions and naval campaigns. But we also hear tourists feeding gulls, the creaking of rigging, and clergy conducting their annual blessing of the river. The past coexists with the present. The songs, and the stories they contain, become indivisible from the city itself.
The genesis of the album was a session recorded by Evans, Dean and fellow vocalist Nick Granata in a tunnel that runs under the Elverson Road DLR station in south-east London, a site once occupied by a watermill. Dean and Granata’s voices resound through the space, haunting it, as they perform nautically themed fare including ‘Lowlands’ and ‘The Cruel Grave.’
The other members (is it OK to call them “shovelers”?) pick up the aquatic theme, contributing ballads, jigs and sea shanties on instruments ranging from violin to hammered dulcimer and – my personal favourite – bass harmonica. The varying fidelity of the recordings makes for some delicious textural contrasts, redolent of the hi-fi/lo-fi blend on caroline’s self-titled album. Indeed, the groups share a couple of members – violinist Oliver Hamilton and low whistle player Alex Mckenzie – who do a beautiful version of ‘The Rolling Waves’ here.
An accompanying essay delves deeper into the symbolism of the Thames, and water in general: “Vital in the control of lands and people, water has its own culture, distinct from land cultures, formed by processes of colonisation, slavery, racialisation, movement of capital, goods, people.” This awareness informs both the choice of songs and the spirit in which they’re performed. It isn’t raucous, exactly, but nor is this the kind of genteel, bucolic stuff that most people think of when you mention British folk.
In keeping with the mixed heritage of the collective’s members, the music isn’t restricted to any one country or region. There are songs from England, Scotland, Ireland and Guyana. The album concludes with Dean – whose mother is Guyanese – singing ‘Ova Canje Water’, in which an escaped slave in what was then British Guiana looks back across the waters of the titular Canje River, contemplating his newfound freedom.
It’s a hopeful finish to an album whose tales tend to be bleaker in nature. That’s especially true of ‘In Charlestown there Dwelled a Lass’, the heartbreaking ballad that opens the second part. Accompanied by Hanrahan’s harp, Granata delivers a story of doomed romance in a quavering vocal with the emotional intensity of Anohni. It’s a stunner.
Only once – on the opening performance of ‘The Bold Fisherman’ – do we hear all of the ensemble together, yet it’s impressive how cohesive the record is. It’s a collective undertaking in the truest sense, in how the individual voices combine to create something greater than all of them. The way many of the songs are only heard as fragments heightens the sense of tapping into a living tradition: something passed on from one person to the next, in constant motion rather than fixed in time. Something communal, flowing from the past to the future.

Ellen Arkbro & Johan Graden - ele-king

 レベッカ・ゲイツの『Ruby Series』を覚えている方はいるだろうか。2001年にリリースされた『Ruby Series』は、トータスのジョン・マッケンタイアのプロデュース・録音のもと、ザ・シー・アンド・ケイクのメンバーが参加したことで知られる静謐で清潔な印象のSSWアルバムである。
 『Ruby Series』に限らずだが、90年代末期~00年代初頭に、「シカゴ音響派」の音楽家たちがヴォーカル・アルバムを手掛けていく潮流があった。なかでも一際深く印象に残ったのが、『Ruby Series』であったのだ。透明な歌声と簡素だが繊細でミニマルな演奏/編曲にとても惹きつけられたことを覚えている。
 そして2022年。〈Thrill Jockey〉からリリースされた『I get along without you very well』を聴いたとき脳裏に浮かんだのが『Ruby Series』だった。なんというか、極めて曖昧にだが、かつての(後期)「シカゴ音響派」との近似性を強く(勝手に)感じてしまったのである。洗練されたミニマリズムな演奏と歌声のアンサンブルの妙ゆえだろうか。何より実験とポップの領域が溶けていくような風通しの良さが気持ちよかった。

 スウェーデン・ストックホルム出身のサウンド・アーティスト/パフォーマーでもあるエレン・アークブロは、〈Subtext〉からリリースされた硬派なドローン・アルバム『For Organ And Brass』(2017)、『Chords』(2019)などでエクスペリメンタル・ミュージック・マニアから知られていた音楽家だが、『I get along without you very well』では楽器演奏はもとより、アークブロはその美しい歌声を披露している。
 そしてこの作品にはコラボレーターがいる。スウェーデンのマルチインストゥルメンタリスト、ヨハン・グレイデンである。1991年生まれの彼はどちらかといえばオーセンティックなジャズの領域で活動しているようだが、彼の技巧的な演奏や編曲は、アークブロのクラシカルで実験性と非常に良い対称性を描いていて、素晴らしいコラボレーションだと思う。
 彼と共に作り上げた本作は、アーティストとプロデューサーという関係ではないのだろう。アークブロとグレイデンはおそらく対等の立場で曲を作りあげているのだ。ふたりは作曲・編曲のみならずミックスも手がけている。まさに協働作業といえよう。
 じっさい一聴してみると分かるが、『I get along without you very well』は、アークブロの滋味に満ちた歌声を聴くことができる「うたもの」としての魅力に加えて、音と音のタペストリーのような演奏と編曲による豊穣な音世界を展開している。
 声と音。声と楽器。それらが溶け合っていくことで、慎ましやかで、繊細な音楽が立ち現れる。そのアンサンブルの構築に、グレイデンの技巧的な編曲の構築が非常に重要だったのではないか。聴き込んでいくとわかってくるが、楽器と楽器の層によって生まれる音響には、どこか鳴っていないドローンがうっすらと響いているような錯覚をしてしまう。アークブロは「うたもの」である本作に、そのような鳴っていない「ドローン」の存在を紛れ込ませたのではないか。そんな妄想さえ抱くほどに、このアルバムの演奏/編曲は洗練されている。じじつ、収録されている楽曲は、静謐な響きを持続させながら、静かに、しかし緊張感を持って持続する曲ばかりである。
 アークブロの「声」という意味では2015年にリリースされた Hästköttskandalen『Spacegirls』を思い出すマニアの方も多いだろう。いまや人気ドローン作家のひとりでもあるカリ・マローンらとのユニットである Hästköttskandalen は、『I get along without you very well』以前にアークブロの声を記録した貴重なアルバムともいえる。
 もちろん『I get along without you very well』の方がよりヴォーカリストとして成長(?)している。少なくとも彼女の声が楽曲の重要な部分を占めているし、ある意味、アルバムに収録された曲の要ともいえるのだから。
 全8曲収録されているが、個人的にはアルバムの最初のハイライトは3曲目 “All in bloom” と4曲目 “Never near” だ。特に “All in bloom” に静かにレイヤーされていく管楽器の響き/持続には、どこかジム・オルークの『ユリイカ』を思い出してしまった。この曲だけではないが聴き込むほどに細かな仕掛けやアレンジ、サウンドの妙に気がついくる。たとえばザ・ビーチ・ボーイズ/ブライアン・ウィルソン『ペット・サウンズ』からの引用(ある曲のベースラインだが)にも気が付くだろう。ポップ・ミュージックの歴史への意識(参照)も忘れていない点に、90年代のシカゴ音響派的な歴史意識も強く感じることができた。

 ともあれ、このアルバムは素晴らしい。何回でも聴きたくなるし、特に疲れ切った日の深夜に聴くと(耳を傾けると、というべきかもしれない)、本当に心身に染み込む。卓抜だが慎ましやかな演奏が音の層を生み出し、そこにアークブロの素朴にして美しい歌声のアンサンブルが大きな波を描くように響く。聴き手はただその波に身を委ね、音楽の直中を浮遊するように漂っていけばいいだけだ。なんて「贅沢」な音楽体験だろうか。まさにタイムレスなアルバムである。

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