「You me」と一致するもの

interview with IO - ele-king

タグ付きのティンバーで街中をムーヴィン
――IO“Soul Long”

 千歳船橋の駅前でIOと合流する。真っ白のタイトなパンツを穿き、丈が短めの黒いブルゾンのようなアウターを着ている。すらりと伸びる長い足が強調されてみえる。握手を交わして二言三言会話する。あっさりしているが、よそよそしくはない。無愛想でもなく、ヘラヘラもしていない。威圧的でもなく、必要以上に低姿勢でもない。ダンディだが、笑うと10代の少年のようなあどけなさもある。クールだ。ひとつ前の取材でIOの対談相手だったというOMSBに別れを告げ、KANDYTOWNのラッパー、GOTTZの運転する車に乗り込み、閑静な住宅街を抜けファミレスへと向かう。このあたりはIOとKANDYTOWNのホームだ。


IO
Soul Long

Pヴァイン

Hip-Hop

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 ラッパー、IOのファースト・アルバム『SOUL LONG』は2016年の東京のヒップホップを占う一枚と言える。彼が所属するKANDYTOWNはこの1、2年で東京のシーンの話題をさらうクルーとなった。2009年頃に世田谷を主なフッドとする数十人の仲間たちによってKANDYTOWNの原型はできあがる。クルーの名前が付いたのは一昨年ぐらいだという。そして、2014年にフリーミックステープ『KOLD TAPE』、2015年にフィジカル・アルバム『BLAKK MOTEL』と『Kruise'』を発表する。KANDYTOWNのアーバンとストリートの間を行くような洒落たサウンドとファッションに多くのヘッズが魅了された。メンバーの中にはすでにソロ・アルバムをリリースしているラッパーもいる。が、『SOUL LONG』は彼らが脚光を浴びて以降に初めてクルー内のラッパーが出すソロ・アルバムだ。

『SOUL LONG』のサウンドはソウルフルでレイドバックしている。ときにファンキーだ。意味よりも感覚を重視するIOのラップには情熱がほとばしっている。言葉に強烈な主張はないが、彼と彼の仲間たちの日常とアーバン・ライフが刻まれている。ジョーイ・バッドアスやプロ・エラに通じるものもある。さらに、ベテランから中堅、若手まで国内のヒップホップのサウンド・メイキングをけん引するプロデューサーたち――MASS-HOLE、Neetz、KID FRESINO、DJ WATARAI、OMSB、Gradis Nice、Mr. Drunk、MURO、JASHWON――の渾身のトラックが聴ける。昨年不慮の事故で亡くなったIOの親友で、KANDYTOWNの中心人物・YUSHIのビートもある。ミックスとマスタリングはI-DeAだ。

 いま、男も女もヘッズの多くがIOとKANDYTOWNのライフスタイルやファッション、身振りや表情や態度、ラップ・ミュージックに新しい時代のクールのあり方を感じはじめている。そんなIOは1月で25歳になったという。KANDYTOWNの仲間、アルバムの制作――MUROやMUMMY-Dとのやり取り、作詞法、K-TOWN、そしてIOの考えるクールの美学についておおいに語ってくれた。

■IO / イオ
幼少期より同じ街で育ってきたメンバーで構成されているKANDYTOWN LIFEの中心メンバーであり、JASHWON、BOMBRUSH!、LostFace、G.O.Kらを擁するクリエイター集団、BCDMGのメンバーでもある。ラッパー以外にもアート・ディレクター、ヴィジュアル・クリエイターなど表現者として多彩な顔を持つ。2014年末にUNITED ARROWS企画のサイファー「NiCE UA 37.5: “Break Beats is Traditional”」にMUROのDJのもと、ANARCHY、KOHHらとともにKANDYTOWNのメンバーであるYOUNG JUJU、DONY JOINTと揃って参加したことでストリートのみならずファッション界隈からも注目を集め、KID FRESINOの最新作『Conq.u.er』にも客演するなど、待望される中で2016年2月、デビュー・アルバム『Soul Long』をリリースする。

ずっと曲は作っていたんですけど、出すことをあんまり意識してこなかったんです。

アルバムの制作はいつから始めたんですか?

IO:アルバムを出すって決まったのが夏の終わりぐらいだったと思います。それからトラックを集めて、自分がリリックを書いてレック(録音)しはじめたのが11月中旬ぐらいからだと思います。だから、自分が実際に制作してた期間は2ヶ月ないぐらいだったと思いますね。KANDYTOWNの動きやCARHARTT WIPとのミックステープ(IO, DONY JOINT, YOUNG JUJU『Nothing New EP』)を作ったりもしていたので、ソロの制作が少し遅れてしまいました。

IO,DONY JOINT,YOUNG JUJU feat. KANDYTOWN“All bout me”

IO,DONY JOINT,YOUNG JUJU“We & 4Ever U”

KANDYTOWNは2014年にフリーミックステープ『KOLD TAPE』、2015年にフィジカル・アルバム『BLAKK MOTEL』と『Kruise'』を出しましたね。KANDYTOWNは2009年ぐらいにはクルーとしての形ができあがって、名前が付いたのが一昨年ぐらいですよね。なぜ、ここ1、2年で急に活動が活発になったんですか?

IO:ずっと曲は作っていたんですけど、出すことをあんまり意識してこなかったんです。クルー全体で50曲ぐらい……いや、もっとありましたね。それを一度まとめてフリーで出してみようとなった。それが『KOLD TAPE』だった。出してみると思ったより反響があって自分たちが動けば状況も変わることがわかったんです。それからみんな意識して作品を作って出すようになったのはあります。作品への反響や変化が起きる事にビックリはしましたね。オレらはずっと何十人しかいない小箱でやっていたのにいきなり何百人もの前でやるようになったりして、ステージもどんどん大きくなっていったから変化は感じました。それはKANDYTOWNのみんなが感じていると思います。

IO“K14 (Noise Ver)”

KANDYTOWN “KOLD CHAIN (Kruise' Edition)”

KANDYTOWNはどういう場所でライヴをしてきたんですか?

IO:30人入ればパンパンに見えるようなところばかりです。行ってもラッパーとか出る側の人間しかいないようなところ、そこでさっきまでLIVEしてたやつらが今度はフロアで俺らのLIVEを睨んで見てるみたいな。そういう感じがほとんどでした。町田だとVOXとかFLAVA、あと、下北沢のthreeや渋谷のNo Styleは多かった。そういうところでやってましたね。

BANKROLL“LOST MY MIND (BANKFRIDAY -Last week-) Presents by KANDYTOWN”

オレは外は全員敵っていう雰囲気でしたね(笑)。だから、あんまり外のヤツと話す気はないし、関わるつもりもなかった。

これまで活動してきて現場で顔を合わせたり、フィールしたり、仲良くなったりする同世代はいましたか?

IO:俺はほとんどないです。

けっこう孤立してたんですか?

IO:シーンでやってる人たちと現場で会ってちゃんと話したりすることは全然なかった。オレはメンバーの中でもとくになかった方だと思います。SANTAとかメンバーによってはいろんな人と仲良くしてたりはあったと思いますけど。

あと菊丸くんはMCバトルに出たりソロ・アルバムも出したりしてますし、RYOHU(呂布)くんも独自にいろんな活動をしてきていましたよね。

IO:菊丸は人当たりもいいですしね。オレは外は全員敵っていう雰囲気でしたね(笑)。だから、あんまり外のヤツと話す気はないし、関わるつもりもなかった。オムス(OMSB)くんとかとかSIMI LABとかは昔からLIVEとかで会ってましたけど、そんなに仲良く遊んだりとかはしてなかったですし、オレはずっと地元で仲間と遊んでいた感じですね。

じゃあ、『KOLD TAPE』のリリースをきっかけに状況や環境がガラッと変化した感覚なんじゃないですか?

IO:そうですね。あとはソロで言えばBCDMGに入って、その反響もありますね。

IO“DIG 2 ME”Produced by JASHWON(BCDMG)

アルバムのトラックメイカーの豪華さはやはり最初に目を引きますよね。人選はどのようにしていったんですか?

IO:まず、カッコイイ人のカッコイイビートでとやれればいいなっていうのがありました。あと、あまり外の人とやったこともなかったですし、自分が昔から聴いていたMUROさんやMUMMY-Dさん(Mr.Drunk)とか、そういう人たちとできたらうれしいなというのもありましたね。そういう部分はアルバムのプロデューサーのNOBUさんやPヴァインの升本さん(A&R)にやってもらった感じです。だから、プロデューサーに関してははわりとお任せしました。オレはとにかくその中からフィールしたビートを選ばせてもらって決めていきました。

とにかくカッコイイビートでやりたかったっすね。

エグゼクティヴ・プロデューサーがJASHWONさんで、コ・プロデューサーがNOBU(a.k.a. BOMBRUSH)さん、クリエイティヴ・ディレクターがKANDYTOWNのNeetzさんですよね。それぞれどういう役割分担でアルバムを制作していったんですか?

IO:JASHWONさんに大まかな流れを作ってもらって、NOBUさんとアイディアをより明確にしていった感じですね。Neetzはレコーディングをすべて担当してくれて、たとえば、2つレックしたらどちらのフロウを選ぶかとか、そういう細かいところまで関わってくれた。そういう感じですね。

プロデューサー陣やトラックメイカーとのやり取りの中でアルバムの根幹に関わるような印象に残っている言葉やキーワードはありますか?

IO:とくにないですかね。いままで通り、あるトラックに思いついた言葉を1小節1小節歌っていくというのは変わらなかった。

たとえば、MUROさんやMUMMY-Dさんとはどういうやり取りがありました?

IO: MUROさんのスタジオにお邪魔してレコードを選ばせてもらいましたね。

へぇぇぇ。

IO:MUROさんとNOBUさんとレコードを聴きながら、この曲カッコいいですね。みたいな話をして、あとはMUROさんがやってくれました。

MUROさんの仕事場に行ったわけですよね。貴重な体験だと思うんですけど、どうでしたか?

IO:シーンを作ってきた方だし、あまり経験できないことだと思うのでうれしかったですね。

MUMMY-Dさんには「どんな曲がいいかな?」と訊かれたので、好きな曲を18曲ぐらいCD-Rに焼いて渡したんですよね。ナズからジェット・ライフまで、自分の好きなニュアンスの曲をCD-Rにして。

MUMMY-Dさんとのやり取りはどうでした。「Plush Safe He Think」では「耳ヲ貨スベキ」ってワードで最後のヴァースを落としてるじゃないですか。

IO:はい。

RHYMESTERも聴いてきたんだろうなと。

IO:そうですね。リスペクトですね。MUMMY-Dさんには「どんな曲がいいかな?」と訊かれたので、好きな曲を18曲ぐらいCD-Rに焼いて渡したんですよね。ナズからジェット・ライフまで、自分の好きなニュアンスの曲をCD-Rにして。

粘っこいベースとどっしりしたビートが絡む90Sマナーの曲じゃないですか。仕上がったトラックを聴いてどうでした?

IO:いい意味で驚きがありましたね。もっとフレッシュで明るめのトラックかなってなんとなくイメージしてたんだけど。来たものはいつもオレが好んで選びそうなトーンのトラックだった。オレの曲とかも聴いてもらっているのかと思うぐらいで。メロウで哀愁のあるトラックで俺の好きな色でした。

他のビートメイカーとも同じようにやり取りがあったんですか?

IO:いや、あとは基本的にトラックを送ってもらって、その中から自分の好きな曲を選ばせてもらいました。(KID)FRESINOには、去年ニューヨークに行ってPV撮ったときにFRESINOの家で何曲か聴かせてもらって、いくつかもらうトラックを決めていましたね。

KID FRESINO 「Special Radio ft IO」

GOTTZ:1曲め(「Check My Ledge」/MASS-HOLEのビート)が決まったのはけっこう最後の方ですよね。

IO:いちばん最後だったと思います。MASS-HOLEさんのトラック、カッコイイよくて、ストックを送ってもらって、8曲ぐらいはやりたいのがありましたね。

スタジオにKANDYのみんなが溜まっていたので、「いいワードくれよ」みたいな感じで言葉をもらったりしていましたね。

ファースト・アルバムは誰にとっても名刺代わりになるじゃないですか。そういう意味での気負いやプレッシャーはなかったですか?

IO:そこはあまり気にしなかったですけど、KANDYTOWNのIOとはちがうIOが出せたらいいなと思いました。

制作で悩んだり苦労したりはしなかったですか?

IO:多少はありましたね。時間が無くてとにかくそれがキツかった。まあ自分が悪いんですけど。

宿題をギリギリまで残すタイプ?

IO:完全にそうですね。

それはリリックを書きあぐねたとか?

IO:ぜんぜんありました。スタジオにKANDYのみんなが溜まっていたので、「いいワードくれよ」みたいな感じで言葉をもらったりしていましたね。ひとつワードをもらったら、「次はどうくる?」とか誘導してみんなで作り上げたヴァースもありますね。たとえば、DONYが何かのワードを出したら、GOTTZがそこに付け足すワードを出して、さらにRYOHUが加える。そうやって1小節を作って、「OK! じゃあ次に行こう!」って。ラップの勉強にもなりましたね。ここで言葉を切るのがカッコイイとか、ここで間を置いた方がいいよねとか、みんなでラップの勉強しているみたいな感じになっておもしろかったですね。

GOTTZ:「ここは(韻を)踏まない方がかっこいいんじゃないの?」と誰かが言ったりして。

IO:そうそう。モヒートで韻を踏みたいからそのためにみんなで考えたりした。

GOTTZ:IOくんに振られて考えていたのに、「いや、アル・パチーノだろ」と答えを出したりすることもあった。

IO:あった、あった(笑)。ワードを出してもらってるのにぜんぜんちがうって言って、結局ひとりで解決させることもあった。

時間のあるときは羽田空港の屋上に行ったりしますね。車で行く間にビートを聴いて、屋上に着いたらバーッと8小節とか1ヴァースとか書く。

それはおもしろい話ですね。具体的にどのヴァースをみんなで作りました?

IO:“City Never Sleep”の2ヴァースめですね。そのヴァースを最初は“Check My Ledge”で使っていたんですよ。でも、このヴァースは“City Never Sleep”の方に使った方がいいと思って変えたりした。

スタジオでリリックを書いてそのままレックしていた?

IO:ほぼそのやり方でした。何曲かは家である程度書いてからスタジオに行きましたね。あと、オレは車で走ってるときにけっこう書くんです。書くというか、ボイスメモで録音するんです。ビートを聴いて、そこに浮かんだ言葉をハメていく。時間のあるときは羽田空港の屋上に行ったりしますね。車で行く間にビートを聴いて、屋上に着いたらバーッと8小節とか1ヴァースとか書く。それから空港内にある国際便のカフェでホットミルクを買って、帰りにボイスメモで録りながら帰る。そういうことをやってましたね。

ファーストだからこれだけは言っておきたい!ということはありました?

IO:あまり無いかもしれないです。「オレってイケてるでしょ」「オレらってクールでしょ」、基本的にはそれがベースだと思います。それは昔から変わんない。とにかく、オレらは「この街でクールにプレイしてるんだぜ」っていうのをひたすら言って見せているって感じだと思います。

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(クールって言葉の定義は)シンプルなことだと思います。仲間を大事にするとか、女の子を大事にするとか、親を大事にするとか。

クールって言葉をよく使うじゃないですか。IOくんが定義するクール、またはクールな男ってどういうものですか?

IO:はははは。それは、すごく難しい(質問)じゃないですか(笑)。でも、ほんとにシンプルなことからだと思います。仲間や女の子を大事にするとか、親を大事にするとか。だから、テンションが低くて冷静であんまりはっちゃけないのがクールっていうわけではないです。

GOTTZ :Neetzのスタジオに「KoolBoy―10のルール―」みたいな紙が貼ってあるんすけど、9個までしかないんですよ。「ピザはピッツアと呼べ」とか書いてある(笑)。

はははは。

IO:いや、ほんとは11個あるんです。オレが4、5年前にバーッと書いたんです。紙が2枚あったんですけど、2枚めがどこかにいっちゃったから壁には9個で終わっているんです。「1日1回熱いシャワーをキメる」「誰の事も見下すな」とか書いた「KoolBoy―10のルール―」なんですけど、じつは11個めがある。それは「ルールにしばられるな」と。クールじゃないですか?

自分でルールを並べて、最後に「ルールにしばられるな」と。

IO:はい。でも当たり前のことだと思いますね。おばあちゃんには優しくするとか、ゴシップに振り回されないとか。オレの中には11個以上ありますね。


じつは11個めがある「KoolBoy ― 10のルール ―」

やっぱりクールの定義が明確にありますね。

IO:ですね。

クールにつながる話なんですけど、ラッパーや先輩、俳優とか歌手でもいいですし、カッコイイと思うってどういう人ですか?

IO:挙げたらキリないですけど、いまパッと出てくるのは『モ'・ベター・ブルース』(監督・スパイク・リー/1990年公開)のデンゼル・ワシントンですね。

僕もあの映画だいぶ昔に観ました。ジャズ・トランぺッターの話ですよね。

IO:言葉で説明するのは難しいですけど、あのデンゼルのストイックさがすごいカッコイイと思う。何時から何時まで楽器を練習すると決めて、音楽に対してちゃんと向き合う姿勢とかが渋いと思う。自分にそういうストイックさがないからかもしれないけど、そういう習慣のある男はカッコイイと感じますね。他にもジョー山中とかアル・パチーノとか自分の父親とか、NOBUさんやJashwonさんもGottzもクールだと思います。

KANDYTOWN“IT'z REVL (IO, RYOHU, Mr.K, MUD)”

フッドは街っていう感じで、タウンはもっとディープでオレらとか俺たちがいま立っている場所とか状況っていう意味かもしれないですね。

IOくんのファッションや立ち振る舞い、ラップにも街の匂いをすごく感じるんですね。ラップの中でも、シティ、タウン、フッドという単語が出てくるじゃないですか。その3つはどのように使い分けていますか?

IO:その言葉を言ったときのオレに訊いてみないとわからないですね。


IO
Soul Long

Pヴァイン

Hip-Hop

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たとえば、“City Never Sleep”という曲名は“Town Never Sleep”では意味が変わってくる?

IO:タウンは寝ますね。

タウンは寝るんだ。

IO:ガン寝です。

シティは?

IO:寝ないです(笑)。

アハハ。

IO:シティは大まかに言うと東京だったり世の中という意味が大きいと思うんです。タウンはオレらが居るとことか今みたいな事かもしれない。フッドよりタウンの方がオレ的には狭いかもしれないすね。

一般的にはフッドは近所でタウンは街だからフッドの方が狭いですよね。でもそこは感覚的には逆なんですね。

IO:逆かもしれないですね(笑)。フッドは街っていう感じで、タウンはもっとディープでオレらとか俺たちがいま立っている場所とか状況っていう意味かもしれないですね。

KANDYTOWNの“K”は喜多見の“K”ですよね。

IO:そうですね。

IO“City Never Sleep” (pro. by JASHWON for BCDMG) - Official Video -

(K TOWNとは)オレたちを作ってくれた街。べつに何かがあるってわけじゃないんですよ。ただ、オレたちが育ってともに時間を過ごして、いまもいる街ですね。

K TOWNをまったくの部外者に説明すると、どういう街ですか?

IO:オレたちを作ってくれた街。べつに何かがあるってわけじゃないんですよ。高いビルが建ってたりとか、いいブティックがあるとか、そういうわけでもない。ただ、オレたちが育ってともに時間を過ごして、いまもいる街ですね。

KANDYTOWNのメンバーはこの周辺の団地や一軒家でそれぞれ育っている感じなんですね。

IO:そうですね。オレらには団地で生まれたヤツもいるし、ハイクラスなシティ・ボーイもいる。全員がゲトーなわけでもないし、全員がハイソサエティでもない。だからといってお互いにヘイトもなく、みんながリスペクトし合ってる。そういう生まれた環境は抜きでオレらはずっと遊んできたんです。団地で遊ぶこともあるし、誰かの家で遊ぶときもある。バランスはいいと思いますね。

そういういろんなバックグラウンドの仲間が自然に仲よくしているんですね。

IO:そうですね。誰かを僻んだりもしない。団地で生まれたって事に引け目を感じたり、変な形でそこに固執してるやつはいないと思う。ラッパーとしてしっかりレペゼンするときはして、高みを目指す。みんなが目指すところはだいたい同じ方向だと思うし。逆にいい生まれでもそれに感謝して以上を目指せば素晴らしいことだと思う。それがHIPHOP的にハンデになるとも思わない。ほんとにシンプルにこの街にいっしょにいるっていう感じですね。

最近はどんな遊び方をしているんですか。飲み屋に行ったりとか?

IO: あまり居酒屋とかは行かないんで。だいたいは恵比寿のソウル・バーですね。〈SOUL SISTERS〉っていうよくしてもらっているソウル・バーがあって、そこにけっこう溜まっています。そこからクラブに行ったりもするときもありますね。途中で来るヤツもいるし、途中で帰るヤツもいる。で、残ったヤツでフッドに戻って来てレコーディングして曲を作る。そういう感じです。

そういう流れの中で曲が大量に溜まっていったんですね。実際、それぞれの作品の曲数も多いですよね。

IO:そうですね。街で遊んで、地元に帰って、曲を作る。それだけなんで苦でもないし、遊んでいたら自然とそのぐらいの曲が溜まっていたんです。でも、はじいた曲もあるから実際にはもっとありますよ。純粋にラッパーだけで10人は超えているんで曲数は多いですね。

街で遊んで、地元に帰って、曲を作る。それだけなんで苦でもないし、遊んでいたら自然とそのぐらいの曲が溜まっていたんです。

KANDYTOWNのメンバーはラッパーやビートメイカーやデザイナーだけじゃないわけですよね。

IO:そうですね。そういうヤツらも数え出したらもうわけがわからなくなりますね。ラップしていないヤツもたまにステージに上がっているし、「今日来てるんだね」って感じですね。

「遊びに来てるならステージに上がりなよ」という感じ?

IO:いや、言わなくても上がってる(笑)。

ははは。IOくんにとってKANDYTOWNの仲間とは何ですか?

IO:友だちですかね(笑)。

それは言い替えてるだけでしょ(笑)。

IO:KANDYTOWNは多くがラッパーでライバルでもあるけど、今回オレがソロを出すとなったときにみんながいろいろなサポートをしてくれた。穴があったら誰かが埋めたり、お互い支え合ったりしてアルバムができて、すごく仲間のありがたみを感じたんです。でも、ほんとは支え合うとかはあまり言いたくないんですけど……

そういうこと言うのがちょっと恥ずかしい?

IO:そうですね。でも、今後誰かが何かをするときには、オレも自分がしてもらったように全力でサポートできればいいなとは思いますね。だから友だちです。

さっきのリリックの制作過程の話を聞いていても共同作業の側面も相当大きそうですもんね。

IO:ほんとにそう思いますね。メンバーのみんながこのアルバムが好みかはわからないけど、みんなを代表して作ってやっと1枚できたという気持ちはありますね。

そういう責任感みたいなものはあった?

IO:ほんとにもうありんこぐらいの。

ふふふ。

IO:KANDYTOWNやBCDMG、P-VINE、プロデューサーやトラックメイカー、いろんな人が関わってサポートしてくれたから、そういう人たちの期待を裏切りたくないという気持ちはありました。でもそれがプレッシャーにはなっていないですね。

KANDYTOWN“Skweeze Me”

『SOUL LONG』は去年亡くなられた親友のYUSHIさんのノートに書いてあった言葉からきているんですよね。

IO:響きがよかったですね。フィールして、ほんとうにそれだけですね。YUSHIのリリック帳を読むと、おそらく“SO LONG”という意味だと思うんですけど、オレもまだわからないし一生わからないかもしれない。いろんな想像をさせてくれる言葉だから、聴いた人、見た人がそれぞれ感じて解釈をしてくれればいいかなと思います。

YUSHIさんが亡くなったとき、それまでの人生で初めて考えたことはありましたか?

IO:うーん、まだあんまりわかんないです。そのことをまだ冷静に理解できていない。もうそろそろ1年経つんですけど。

発売日(2月14日)が命日ですよね。

IO:そうですね。亡くなったときにどう思ったとかはあんまりこう……会いたいなとか淋しいなとか、そういうのは思うんすけど……。

整理がまだついてない?

IO:一生つかないかもしれないです。6歳からいっしょだったんで、起きてることがよくわかんない。まだあんま理解できてないです。

YUSHI“42st.”

BANKROLL“KING”

フェイクな音楽はやりたくない。自分がやりたくない音楽をやることほどキツイものはないと思うんですよ。

インナースリーヴの最後のページにYUSHIさんの顔のタトゥーが入った肩がうつっているじゃないですか。あれはIOくんの肩ですか?

IO:そうですね。YUSHIがNYが大好きだったのでYUSHIのお姉ちゃんとNYに行って、YUSHIの骨を撒いてきました。そのときにハーレムで入れてきました。

アルバムへの反響はこれからだと思うんですけど、今後ラッパーとしてどうしていきたいですか?

IO:このアルバムはもう自分の中での評価は下っているんで、次のステージに活かして音楽をやれる時期にやれるだけやって自分のラップをして、仲間と楽しくクールにやる。もうそれだけですね。

ギラギラした野心みたいなものはそこまでない?

IO:もちろんリッチになりたいとは思います。でも、フェイクな音楽はやりたくない。自分がやりたくない音楽をやることほどキツイものはないと思うんですよ。だから自分が納得できるのがいちばん重要なことです。その上でみんなが認めてくれてお金もついてきたらいちばんいいと思う。ラッパーやラップをナメているわけではなくて、ラッパーだけが自分の可能性だとは思っていないんです。いまのオレがいちばん好きなのが音楽だからラップしているんです。そういうことなんです。だから自分の好きな音楽をやってそのあとに結果がついてくる。それが成功だと思いますね。先のことはわからないですね。

■IO リリース・ライヴ情報

2016.3.25 (金)
BCDMG Presents IO 『Soul Long』 Release Live
@ 代官山UNIT & SALOON
OPEN/START 23:00
Release Live: IO (KANDYTOWN)
Live: KANDYTOWN
more information coming soon...

interview with Mark Stewart & Gareth Sager - ele-king

 マーク・スチュワートにとって音楽とは、ひとつには、政治的声明を表すものだろう。それが革命運動の扇動者のように見えるのは、彼のヴォーカリゼーションに怒りで煮えたぎったものがあるからだ。激しく、ふつふつと燃える炎のような正義感がUSブラック・ファンクとフリー・ジャズ、ジャマイカのダブ──彼らはファンカデリックをコピーして、『オン・ザ・コーナー』とサン・ラーとプリンス・ファーライに心酔した──、そしてUKのパンクとの融合のなかで醸成される。1979年、ザ・ポップ・グループという名前で彼らが世界に登場したときのインパクトは相当なものだった。


The Pop Group
For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?

ビクターエンタテインメント

Post-PunkFunkDub

Amazon

 『ハウ・マッチ・ロンガー』は、ザ・ポップ・グループの『Y』に続くセカンド・アルバムで、『Y』と同様に必聴盤だ。ここには──For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?(我々はいつまで大量殺戮を見過ごすのか?)、We Are All Prostitutes (我々は売春婦)などなど、より挑発的な強い言葉が並べられている。アートワークは新聞のコラージュで、冷戦時代の核戦争への不安が露わにされている。サウンドは、『Y』のファンクがよりアグレッシヴに研ぎ済まれている。
 この度、このアルバムがリマスタリングによって再発される。近年、ブリストルへの注目──ピンチからヤング・エコーまで──がまたもや高まっているということもあるだろう。マーク・スチュワートの精力的なソロ活動の成果もあるだろう。もちろん、再結成したザ・ポップ・グループのライヴの評判の良さもあるだろう。そして、この音楽がいまだエッジを失わない、リズミックな躍動に満ちたダンサブルな音楽だからでもあるだろう。
 マーク・スチュワートは最近の作品で、現代人を、魂の抜かれたゾンビだと表現している。電車に乗っていると、車両に乗っている人の半分以上が、スマホに目も耳も首も手も、魂(ソウル)も、そして生きる世界までも支配されているように見える。『ハウ・マッチ・ロンガー』は、インドネシアのバリ島の合唱、ケチャのループからはじまるが、それは当時もいまも、世界における倫理を伴わないテクノロジーの更新への警鐘として機能する。挿入されるベース&ドラム、ギターと声は、戦いの狼煙のようだ。が……、しかし、取材の部屋で喋っているマーク・スチュワートとギタリストのギャレス・セイガー(ザ・ポップ・グループ~リップ・リグ&パニック)は、大声でバカ笑いをする、いたってファンキーなオジサンたちだった。

イギリスのコービンやアメリカのサンダースやギリシアのチプラスは、とくに若者たちの関心を政治へ向けさせている。それこそ『ハウ・マッチ・ロンガー』を作っていたときにザ・ポップ・グループがやっていたことだよ。

『ハウ・マッチ・ロンガー(For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?)』をリリースしてから35年の年月を経てからのリマスター盤のリリースとなるわけですが、オリジナル盤とはどこがどう違うのでしょうか?

ギャレス・セイガー(Gareth Sager、以下GS):新しいやつの方が音が抜群に良い。実はマスタリングの出来が最初はパッとしなかったんだ。リマスターによって音にパンチが出たし、現代的な感じになったよな。とくに歌詞の聞こえも良くなったと思う。まるでつい昨日書かれたみたいだぜ(笑)。

オリジナル・ヴァージョンの聞こえもいいと思いますよ。

GS:きゃははは。

『ハウ・マッチ・ロンガー』はジャケのインパクトもあったので、目と耳の両方に来ましたけど、とにかく最初のドラムとベースが入った瞬間にぶっ飛びました。

GS:サウンド自体は変わっていないから安心しろな。

マーク・スチュワート(Mark Stewart、以下MS):ああ、サウンドは変わっていないぜ。俺たちがやったのはリミックスじゃなくてリマスターだからな。俺たちは何時間も何時間もかけて、ライヴ感を出すために細かいところまでいじった。テクノロジーが進歩したおかげで、当時のサウンドが損なわれることがなくてよかったよ。

『ハウ・マッチ・ロンガー』においてとくに重要な曲はなんだと思いますか?

GS:毎日変わる(笑)。

MS:そのときの気分でも変わるよな。最近になってこのアルバムについて気づいたことがある。俺たちは何年も『ハウ・マッチ・ロンガー』に入ってる曲を演奏してこなかったんだが、これを作った当時の自分が曲のなかにいて、何かアドヴァイスをしているように感じるんだ。妙な気分だよ。若い頃の自分と隣り合わせなんて映画みたいだろ? 
 このアルバムには14歳ぐらいのときに実家のベッドルームで書いた歌詞も入っている。まさかその歌詞がいまになって社会情勢的な意味を持つなんてな。俺たちがまたいっしょにバンドをやるようになってから、ヨーロッパや中東ではヤバいことが起きるようになった。そういうことを35年前の俺の歌詞は訴えていて、似たような出来事がニュースから流れてくる。ファック……。恐ろしいことだ。

いま、9.11以降に生まれた歪みがものすごく恐ろしいものとして露わらになってきているし、また、ヨーロッパでは難民問題も大きいですよね。こうした情況も今回のリイシューに関係しているんですか?

GS:偶然だな。

MS:その通り。この前、ブライアン・ウィルソンの『ペットサウンズ』のドキュメンタリーを見ていたんだが、彼も似たようなことを言っていた。「昔書いていたことが、現実になりつつある」だったかな。俺たちは当時、バリ島のモンキーチャント(注:バリ島で行われる男声合唱。別名はケチャ)みたいなことをやっていた。音楽と芸術のシャーマン的な用法というのかな。存在する並行宇宙を音楽という儀式を通して覗き込んでいた。世界をツアーをしていてわかったんだが、俺たちのライヴはまるで教会みたいなんだ。いまではその状態のことを自分は「チャーチ・オブ・ウィンドウ(church of window)」と呼んでいる。音楽に合わせてひとびとが自身を解放すると、強い力に触れることができるというか……。前に俺たちがサマー・ソニックに出たときの演奏を見たんだが、ガレスが即興をやっているとき、俺は何もしないでぼーっと突っ立っているだけ。まるでステージの上に俺の「実存」があるようだった。エネルギーの球体がステージ上に浮かんでいる感じだ。

『ハウ・マッチ・ロンガー』の時代は、マーガレット・サッチャーという倒すべき敵がはっきりしていましたが、現在はいかがでしょか。そういえば、スコットランドの独立を求めるSNP(スコットランド国民党)が、先日の総選挙でイングランドの左派勢力からも高い得票率を得ていましたね。

GS:サッチャーは右傾化のはじまりだったな。SNPは政策的にはまっとうな左派だから、かつては労働党に投票していたイングランドの左派層からの得票率を上げたわけだ。

そして、労働党の党首にはベテランのジェレミー・コービンが就きましたよね。

MS:彼はずっとレフトと呼ばれてきた。彼のことばには希望のメッセージがあるから、支持政党を持っていない普通の人間からも支持を得られる。いまのイングランドには、バカなエリートが多い。そいつらは民衆は洗脳して、ひとびとから人生の舵を奪ってしまう。自分たちで何も考えられないゾンビを量産しようとしているってわけだ。でも、イギリスのコービンやアメリカのサンダースやギリシアのチプラスは、とくに若者たちの関心を政治へ向けさせている。それこそ『ハウ・マッチ・ロンガー』を作っていたときに自分たちがやっていたことだよ。
 俺は政治とは人生の活力だと思って積極的に政治に関わるようにしていた。核兵器撲滅デモにも協力したし、いろんな集会でもライヴをやった。そのひとつのトラファルガー広場での集会には、核兵器に反対するために50万人が集まった。若者たちは自分に政治と未来を変える力があると感じることができたんだ。詩人として俺はこう思う。ひとびとが世界について知れば知るほど、その情報が伝播していき、最終的には自分たちを取り巻いている幻想を壊すことができるとね。それではじめて、お互いの考えを交わすことが可能になるはずだ。

GS:俺にとって『ハウ・マッチ・ロンガー』は特定の政党の考えを代弁するものではないな。そういったものに固執せずに、マークの歌詞は様々な状況をどんどん告発していくだろ? そしてひとびとの目をグローバリゼーションや飢餓へと向かわせる。

MS:笑えるんだが、その数年後にバンド・エイドがはじまった(笑)。俺が“フィード・ザ・ハングリー”を歌った後だ。俺はジャーナリストのジョン・ピルジャー(John Pilger)のカンボジアに関するレポートに刺激されたんだけど、そのあとにマイケル・バーク(Michael Buerk)という別のジャーナリストがやったアフリカの飢餓報道がバンド・エイドに繋がったんだ。

ところで、『ハウ・マッチ・ロンガー』を作っているとき、バンドは解散寸前だったというのは本当ですか?

MS:そんなことが言われているのか。初耳だぜ。

バンド内で何か摩擦があったとか?

GS:そんなのいつものことだぜ(笑)。摩擦がなきゃ集団で良いものなんて作れっこないよ。

MS:仲が良くなかったらそれは全部ギャレスのせいだな(笑)。

GS:ぎゃははは。

マークのメッセージのラディカルさは、ギャレスにはいき過ぎているように見えませんでしたか?

GS:それはない。言ってしまえば全員ラディカルだからな。ブリストルは小さい街だから、みんな同じ本屋にいって、同じ本に影響を受けていたりした。メンバーで共有していた情報は同じだったんだ。ま。パラノイアの集団だったよな。ぎゃははは!

MS:ぎゃははは! いまは違うけどな(笑)。当時はいろんなものに飢えていた。エクストリームな音楽、クレイジーなアイディア……、自分の頭を肥やすためにいろんなものが欲しかった。狂ったコンクリート・ポエトリー、フリー・ジャズ、実験的な電子音楽……。シーンの裏側にあるあらゆるものを見ようと心がけていた。このアルバムは日本に大きな影響を与えたって聞いたんだけど、実際そうなのか?

ファーストもセカンドも同じように影響を与えましたよ。

MS:ケーケー・ヌル(KK NUL)がセカンドに影響を受けたって言ってたな。

実際どこまで影響受けたのかわからないけど、音楽を通して政治や社会を考える契機にはなったと思います。そういえば、当時、このアルバムが出た頃のUKのロックは、ただ単に音楽活動をするんじゃなくて、さっきマークが言ったように積極的に社会運動に関わっていましたよね?

MS:俺がポップ・グループをやめた理由のひとつは、バンドが嫌だったからではなくて、世界に存在する不平等を見つめることが難しくなったからだ。「芸術に何ができるのか?」、こんな質問を自分によくぶつけていたよ。この前、イギリスのジャーナリストに「最近恥ずかしかったのはいつ?」という質問をされた。子どもに見つめられたとき、その子どもの未来がどうなるのかを考えると思う。世界をこのままにしておくことはすごく恥ずかしいことだ。もし自分が何もしないゾンビだったら、子どもたちの未来は明るいものではないだろう。“ウィ・アー・オール・プロスティチューツ”では、他人を責めるのは偽善だと言ってる。だから『ハウ・マッチ・ロンガー』は俺にとってファーストの『Y』よりもパーソナルなものだ。ひとに説教を垂れるのではなく、自分の感じる苦悩を歌っているんだからな。

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マーク:あとさ……、スタジオには栽培中のマッシュルームがあったんだよな。
ギャレス:ああ、いまでもよく覚えているよ。空がきれいで流れ星がたくさん見えたことをな。あれはマジカルな体験だった。

どうして今回のリマスター盤でラスト・ポエッツとの“ワン・アウト・オブ・マネー”と“ウィ・アー・オール・プロスティチューツ”を入れ替えたんですか?

GS:“ウィ・アー・オール・プロスティチューツ”は、もともと入る予定だったんだよ。当時、急いで作業を進めていてマスタリングしたものが届かなかったから、ラスト・ポエッツとの曲を入れた。だからライセンスの問題で入れ替えたわけではない。

ちなみに、2014年に公開されたイギリス映画『プライド』はご覧になりましたか?

MS:マイナー・ストライキについて映画だろ? 見たよ。俺たちが若かったころを映している映画だ。マイナー・ストライキは1984年だから、ポップ・グループよりもちょっと後だけどね。ただね、ロンドンに比べて、ブリストルには階級の問題はそこまでなかったんだ。当時、ロンドンの労働者階級のひとびとのなかには、北部へ出稼ぎに行く者もいた。でもイングランドの地方都市だと規模が小さいから、階級のバリアは大して意味をなさなかった。当時、ブリストルにはナイト・クラブが一軒しかなかったから、いろんな階級や人種が1カ所に集まっていたよ。

なるほど。『ハウ・マッチ・ロンガー』制作時で、ふたりがよく覚えていることを教えてください。

MS:俺たちがこのアルバムを録音した場所は、ウェールズのド田舎だ。イギリスで『ザ・ヤング・ワンズ(The Young Ones)』というコメディ番組がやってたんだけど、たしか5人の登場人物が海に行く回があって、俺たちのノリはまさにそんな感じだった(笑)。ギャレスはいつも歯磨き粉を持ってくるのを忘れててさ(笑)。ダニエルのママは靴下にいつもアイロンをかけてくれた。俺はそれまで靴下にアイロンをかけるヤツがいるなんて思いもしなかったよ(笑)。

GS:ぎゃはは! 

MS:あとさ……、ふふふふ(笑)、スタジオには栽培中のマッシュルームがあったんだよな。

GS:ああ、いまでもよく覚えているよ。空がきれいで流れ星がたくさん見えたことをな。あれはマジカルな体験だった。

つまりあの作品にはマッシュルームが関係していると?

一同:ぎゃっっはははは!(大笑)

(ここで、マークは席を立って筆者にハイタッチ)

MS:サイケデリックな体験だったぜ(笑)!

それであの音響だったんですね……。

GS:いや、俺はマッシュルームを使わなかったぜ(笑)。

なるほど、あのミキシングは、本当にパーフェクトだと思いました。

一同:ぎゃっっはははは!(大笑)

MS:ありがとうよ。ふふふふ。

おところで、互いのどんなところが好きですか?

GS:ガハハハハ! こいつに好きなところなんかなんもないぜ(笑)!

はははは(笑)!

MS:当たり前だろ、俺たちはファッキンなバンクスだからな(笑)。イングランドのパンクスは成長してクラブへ行くようになると、他にアホなガキがいないか探しまわってケンカするんだよ。フーリガンやギャングは違う。ギャング同士が近所に住んでいても、決してケンカしたりはしないんだ。

はははは。ギャレスから見てマークはどんな人物ですか?

MS:おいおい、いつまで女性誌みたいな質問を続けるんだよ。

一同:ぎゃはははは!(大笑)

MS:次は俺の好きな食べ物を訊くんだろ(笑)!

はははは、いや、ギャレスから見てマーク・スチュワートはどんなアーティストなんでしょうか?

GS:『ハウ・マッチ・ロンガー』の歌詞がマークを表していると思うよ。メンバー全員が考えていた政治的な事柄や時事問題を代弁してくれてもいる。

ギャレスがとくに好きな歌詞はどれですか?

GS:“ウィ・アー・オール・プロスティチューツ”だね。

とくにどの部分ですか?

GS:どの母音の使い方が良いとか、どの発音が好きとかそういうことか(笑)? 

一同:ぎゃっはははは!

GS:いや、マジメに答えよう。「子どもたちは俺たちに刃向かい立ち上がるだろう(Our children shall rise up against us)」というフレーズを選ぶよ。

なるほど。今日はどうもありがとうございました。



interview with agraph - ele-king

 遠くから眺めると光ばかりの美しい夜の都市は、寄ればそれがさまざまな要素の過密な集合であることを露呈する。同じように、大雑把な環境で聴けば抒情的なエレクトロニカだと思われるagraphの音楽は、微視的に検分すれば、音響的な配慮をきわめてコンセプチュアルに凝らされた、細密な情報の塊であることが見えてくる。

 寄っても寄っても細部がある。それは世界の構造を模写するようでもあり、あるいは音のオープンワールドともたとえられるかもしれない。その意味で、agraphは彼自身がそう述べるように「表現者」ではない。つくる人、だ。

E王
agraph
the shader

ビート

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 だから、彼が彼自身を「作曲家」と呼ぶのはとてもしっくりくるように思う。エゴを発信するのではなく、世界の構造をつくることを自らの仕事だとする認識。さらには、これはagraphの憧れと矜持とをともに表す肩書きでもあるだろう。作曲家とは、スティーヴ・ライヒなりリュック・フェラーリなり、彼が思いを寄せる先人たちに付せられた呼び方でもあるから。

 しかし、そうした偉大な名前や以下語られる愛すべき小難しさにもかかわらず、agraphの音楽は本当に開かれていてポピュラリティがある。この『the shader』は、たとえばフィリップ・グラスの『フォトグラファー』が多くのひとに聴かれたというように、ジャンル意識や予備知識にわずらわされない地点で、ミニマル・ミュージックを更新する。

 ポップなものが偉いと言うわけではない。しかし、たとえば“inversion/91”が、そうした彼の中の両極端な嗜好や音楽性をとても高い水準で結びあわせていることに感動せざるをえない。わかりやすいのではなく、普遍性がある。自由でありながら、聴かれるということを考えぬいている。自分の神に正直でありながら、ひとが見えている。「ミュ~コミ+プラス」とインディ・ミュージック誌とにまたがって新譜を語る。そんな若いひと、じっさい他にいるだろうか。

 オーディオセットの前で腕組みをして聴けばそれに応えてくれ、雑踏や車中に聴けば、何気なく置かれたバケツさえ、本作の持つ「構造」の上に配置されたものであるかのように感じられる。これを書き終えたら田舎の母親に商品リンクをメールしてあげようと思っている。彼女はきっと「なんやわからんけど、いいわ~」と言ってくれるにちがいない。「なんやわからんけど」が時代を進め、「いいわ~」が時代をなぐさめるだろう。それはオーヴァーグラウンドでもアンダーグラウンドでも変わらない。筆者にとっても本作は2016年のベストだ。

agraph / アグラフ
牛尾憲輔によるソロ・ユニット。2003年、石野卓球との出会いから、電気グルーヴ、石野卓球、DISCO TWINS(DJ TASAKA+KAGAMI)などの制作、ライブでのサポートでキャリアを積む。ソロアーティストとして、2007年に石野卓球のレーベル〈PLATIK〉よりリリースしたコンビレーション・アルバム『GATHERING TRAXX VOL.1』にkensuke ushio名義で参加。
2008年にソロユニット「agraph」としてデビュー・アルバム『a day, phases』をリリース。WIREのサードエリアステージに07年から10年まで4年連続でライヴ出演を果たした他、2010年10月にはアンダーワールドのフロントアクトを務めた。2010年にはセカンド・アルバム『equal』をリリース。2016年2月、サード・アルバム『the shader』が発表される。

agraphさんのインタヴューってけっこうたくさんネットで読めるんです。なので、基本的なバイオの部分をざっとまとめさせてくださいね。
 まず、石野卓球さんにご自身のデモ──イタロ・ディスコを聴いてもらうところからはじまるんですよね。そこでかなり辛い反応をもらって、もっと自分に素直に音をつくらなければと反省・奮起なさる。そしていまの音楽性というか、agraphの始点ともなる“Colours”(コンピ盤『GATHERING TRAXX VOL.1』にkensuke ushio名義で収録)が生まれる。

agraph:はい。

そして、その「素直」につくった音楽がやがてファースト『a day, phases』(2008年)になり、そこからダンス要素なんかも引いていって、さらに正直に自分の音を追求していく先に、セカンド『equal』(2010年)が形を結んでいく、と。

agraph:はい。

その追求の過程にはレイ・ハラカミさんであったり、カールステン・ニコライだったり、あるいはエイフェックス・ツインであったり、そういったアーティストへの素朴な憧憬も溶け込んでいるでしょうし、ジョン・ケージからスティーヴ・ライヒ、あるいはマルセル・デュシャンといった人たちの思考なり実験なりの跡が、まさに「graph」として示されている……。

agraph:いやあ、「はい」しか言えないですね。

すみません、強引に物語みたいにしちゃって。そこまではいろんな記事に共通する部分なんですよね。なので、「はい」と言っていただければひとまず次に進めます(笑)。

agraph:はい。すべて私がやりました(笑)。

僕がこれまで影響を受けてきた要素を俯瞰的に配置することが、今回の作品をつくっていておもしろかったことです。

ありがとうございます(笑)。では今作はというところですが、すごく部分的な印象かもしれないですけど、冒頭の“reference frame”の声のパートだったり、ラストの“inversion/91”のマレットを使う感じとかライヒっぽいんですけど──

agraph:ああ、マレットを使おうとすると、どうしてもああいうフレーズが出てきてしまうというか。ライヒの印象が骨身に沁みているんですよね。他の曲でも使っている「フェイジング」っていう技法なんかもそうで。

なるほど、でも今回念頭にあったのはリュック・フェラーリなんだそうですね。

agraph:リュック・フェラーリのほうが大きいですね。ケージであったりライヒであったり、僕がこれまで影響を受けてきた要素を俯瞰的に配置することが、今回の作品をつくっていておもしろかったことです。その配置の仕方とか俯瞰的に見るという行為自体がフェラーリの影響ということになるかもしれない。

“プレスク・リヤン”だと。

agraph:そうですね。ひとつひとつのメロディとか、あるいは細かいアレンジを追っていくと、それぞれライヒだったりいろいろな影響があると思うんですけど、それはもう一要素に過ぎないというか。

たしかに、そういう部分もあるというだけですよね。なるほど、ご自身の影響源を意識的に編集してるわけですね。

agraph:そうですね。それからサーストン・ムーアがやった“4分33秒”。あれは音が鳴っている“4分33秒”なんですね。演奏を4分33秒分切り取っているというだけ。つまり、4分33秒っていう枠の中で何かが起きていればいいっていうところまで音楽を俯瞰的に見ているんですよ。そういうことにすごく共感したということもあります。ミュージック・コンクレートみたいなものって、とても現代音楽的なアプローチなんだけど、その構造自体がおもしろいというか。3曲め(“greyscale”)なんて、ラジオ・エディットをつくったりするようなキャッチーなフレーズの出てくる曲ではあるんだけど、それもじつは、そんなフレーズなりメロディがあって、後ろには不穏なテクスチャーが鳴っていて……というパースペクティヴがおもしろいのであって。
 そうやって構造をつくると、世界観が立ち上がると思うんですね。……世界観というか、雰囲気というくらいの曖昧なものですけれども、そのかたちをつくりたかったんです。

なんというか、前作の『equal』について、「イコール」っていうのはバランスなんだというようなことをおっしゃっていましたよね。世界を構成している情報量はものすごいわけだから、人間にはその全部は処理しきれないと。全部受け取ったらパンクしちゃう。でも、どうやったらパンクしないで適度に世界を感知できるのかっていう、その適度さを探るための調節弁がイコールなんだ──強引にまとめると、そういうようなことを説明されていたと思います。

agraph:そうですね。

で、そうやって世界の情報量を適度に調節することが『equal』の取り組みだったとすれば、いまのお話をうかがう限り、今作はその構造自体を……

agraph:うん、構造自体を把握すること。『equal』について思っていたことはその通りなんだけど、いま言われたような言葉で考えたことがなかったので、なるほどなあって感じですね。今回のアルバムはすごく長い時間をかけた結果、ものすごく細かいことをやれていて、『equal』に比べてずっと情報量も多いと思うんです。メロディを追いきれないし、リズムのパターンに乗りきれないし、コードのプログレッションを把握しきれないと思う。で、そこまで突き放すと、音楽を俯瞰的に見れるんですよね。主観的に歌おうとか踊ろうとか思わないから。そして、そんなふうに前のめりに聴けなくなったときに、構造が見えてくる。そこに世界観が立ち昇る。……と、思うんですよね。今回の制作にあたっては、本当によくリュック・フェラーリを聴いていた時期があったんです。そのときは、意識があるんだかないんだか、寝てるんだか起きてるんだかが曖昧で、ぼやっと視界を把握していたような、すごく説明しづらいリリカルな状況が生まれてきたりしましたね。

inversion/91”……あの曲ができたときに、このアルバムのことがわかった。

agraph:それからもう一点。“inversion/91”っていう曲は、アントニー・ゴームリーっていう彫刻家のつくった「インマーション(IMMERSION)」っていう作品をオマージュしてるんです。日本語では「浸礼」ってタイトルで呼ばれてたりします。コンクリートの塊なんですけど、中に人型の空洞があるんですよ。それで、「浸礼」っていうのはキリスト教の儀式のひとつなので宗教的な意味がある作品なんだとは思うんですが、僕がその作品を見たときに感じたのはもっとちがうことなんですね。その……彫刻って、彫り上げたり作り上げたりするものじゃないですか。たとえば人型であるならば木から削り出したり粘土で練り上げたりする。でもこの作品は、空間をコンクリートで埋めることで空間を削りとる作品なんだなと思ったんですよ。ということは、これは彫り上げ作り上げるという意味での彫刻の概念に、マイナス1を掛けたものだなって。反転してるんですよね。

あ、「反転(inversion)」ってそういうことですか! うまい。

agraph:そうです。でも同時に、これは彫刻の概念そのものだとも思った。彫刻って何? と問われたときの答え。辞書にこのまま載っていいものだって感じたんです。背理法で考えると、これの反対が彫刻になるっていうことだから。

なるほど、それで「マイナス1を掛ける」っておっしゃったわけですか。

agarph:そう、絶対値は一緒なんだけど反対側に行っている。だから、逆に、向こうに彫り上げているものが鮮明に見える──というのはただの僕の解釈なので、そんなこと作者はもとより、誰も思ってはいないかもしれないですけども。
 で、今回は、音楽に含まれる構造を意識させるっていうことに、最後の曲で行きつけたので、そういうアルバムなのかなと思いました。

おお、ラストの曲で「反転」ってタイトルを見ちゃうと、つい短絡的に「これまでやってきたことをひっくり返す」みたいな意味かなって想像するんですけど、ひっくり返すんじゃなくて反対側に出っ張るみたいなニュアンスなんですね。

agraph:そう、反対側に出ることで、いままでやってきたことがよく見えるってことです。なんか、狙ったというよりは行きついたという感じで。アルバムのタイトル『the shader』のベースには文学的なコンセプトがあるんですけど、それは同心円状に影響が広がっていくというようなものなんですね。で、その円のエッジの部分に“inversion/91”があったんです。そこまで行きついた……だからあの曲ができたときに、このアルバムのことがわかった。

僕は「表現する」っていう言葉がすごく嫌いで。インタヴューとかで思わず「表現する」って言っちゃって、「つくる」って言い直すんですけど(笑)。

「同心円状に広がる」というのは、さっきおっしゃっていた、(世界の)構造部分を築くことによって上に表れてくる影響、みたいなことですか。

agraph:そうです。構造っていうのは、いちばんマスな話なのでもちろん大事なんですが、『the shader』っていうタイトルについて、いちばん最初にその言葉の器に入れる水としてあったものは、もうちょっと感覚的なんです。散歩しているときのことだったんですが、ちょうど陽が昇ってきて、そのとき、木についてる葉っぱの、葉脈が透けて見えたんですよ。で、葉が光を隠すことによって、光がそこにあることを理解できるなって思った。「影なすもの」によって光は感知される。それで「影なすもの=the shader」というタイトルにしたんです。同心円状に広がっていく上に、影を成すなにかがあって、それによって構造がわかるという、そういうコンセプトで。まあ、それは文学的な意味においてのことなので、わざわざ言うものでもないんですけど。

なんか、コウモリって目が見えなくて、超音波をぶつけて、その反響というか跳ね返りでモノがそこにあることを感知するっていいますけれども、agraphさんが物事を理解するやり方自体が、ちょっとそういう独特の傾向をもっておられるみたいに感じますね。今作のコンセプト云々にかかわらず。

agraph:単純に、僕には物理趣味があって。詳しくはないんですけど、そういう本を読むのが好きなんです。統一場理論とか相対性理論とか。そうした世界のありかたみたいなものを読んでいると、ちょっと神秘主義すぎるかもしれないけれど、翻って音楽の場合はどうなのかなって、観測者の立場みたいなものに立って考えてしまう。そうすると、いまソナーに喩えてくださいましたけど、自分は少し引いて、俯瞰したところから物事をつくっていきたいんだろうなって思います。

agraphさんの音楽は、表面的な音の上ではベッドルーム・ポップに近接するものとして考えることができると思うんですけど、でもベッドルームって、ある意味では自意識の延長みたいな場所じゃないですか。あるいはロックのような音楽も自分の内側からじかにつかみにいくものだったりしますよね。agraphさんはそういうエゴというか、直接的に世界をつかみにいくみたいなことはぜんぜんないわけですか。

agraph:僕は「表現する」っていう言葉がすごく嫌いで。それ、あんまりよくわかんないんですよ。なぜ嫌いかっていうこともよくわかんないんですけど。だから、よくインタヴューとかでも思わず「表現する」って言っちゃって、「つくる」って言い直すんですけど(笑)。

ああ、なるほど!

agraph:自意識みたいなものを自分で言ったり、「俺はこうなんだ」っていう意識をすることがすごくイヤで。それは思い返せば自分のアート趣味に根ざしていると思うんですけどね。個人的にはまずデュシャンがあって、ジョセフ・コスースがあって、90年代のターナー賞作家たちがある。つまり僕はネオ・コンセプチュアリズムのアーティストが好きなんです。たとえば日本なら2011年以降に顕著だと思うんだけど、リレーション・アートみたいなものが主流にあるじゃないですか。アートにはサジェストがあるべきものだし、90年代以降は、そのサジェストの方向が人間だったり社会だったりに行くものが多く目について。僕、そういうものにまったく興味がないんですよ。コスースとかって、ひとつひとつの物体に対して、その先にあるアイコンを目指していくっていうか、イデアを目指していくじゃないですか。そういうふうに概念自体を語り上げることに興味がある。人間には惹かれないんです。

ははは! たしかに「表現する」っていうと木から像を彫り上げていくみたいな方向のニュアンスですよね。

サンプリングとコンクレートって、誤用があるんですけど、まったくちがうものなんですよね。絵画と写真くらいちがう。

ところで、agraphさんはあまりサンプリング・ミュージックというか、ヒップホップ的な方法にはならないですよね? “プレスク・リヤン”というお話も出ましたが、テープ・ミュージックのようなものがイメージされていて。

agraph:意識しているわけじゃないんですが、そんなにサンプリングはやらないんですよ。サンプリングっていう手法を取りはじめたこと自体が最近で。

前作の中の“a ray”とかはビル・エヴァンスをサンプリングされてますけども、なんというか、ヒップホップのサンプリングとはちょっと発想がちがうような感じがするというか。

agraph:サンプリングとコンクレートって、誤用があるんですけど、まったくちがうものなんですよね。絵画と写真くらいちがう。それで僕の場合、コンクレートでありたいという気持ちが少しあるんです。いわゆるカットアップの手法とかは自分の中にあまりない。……職業柄、たとえば電気グルーヴの仕事をするときに、サンプリングをしたりということはあるので、技術としては知っているんですけど、僕のルーツになくて。

あはは。

agraph:日本でコンクレートをちゃんとやったり、論じていらっしゃる方として、大友良英さんとか鈴木治行さんがいらっしゃいますよね。僕の通っていた大学には鈴木さんがいらっしゃったんですよ。僕は指導を担当いただいたわけではないんですけど、尊敬も影響もあって、コンクレートについては調べたりもしたんですね。そんなこともあって、音を録る、録音して使うっていうっていうほうに意識が向かなかったんです。

そうなんですね。加えて、ビートへの意識なんかもそれほど強くはないというか。どちらかというと音響に関心が向かれるという感じなんでしょうか。

agraph:そうですね。ビートっぽいもの、「ステップ」のつくもの、あるいはグライムだったりとか……そういうものはまったく通ってないんですよね。マネージャーさんによく「お前は黒さが足りない」って言われるんですけど(笑)。

黒さ信仰はありますよね。コンプレックスというか。でもagraphさんは自由でいらっしゃる(笑)。

agraph:いやいや、僕はコンプレックスだらけですよ。だからこうやって難しげなことを言って虚勢を張ってるんですよ(笑)!

いつかもっと何も気にしなくなったときに、きっと「ピー」とか「ガー」とかやっちゃうんだとも思うんです。それをやるために必要な経験はものすごく大きいはず。

でも、「難しげ」とはいいつつ、agraphさんが目指されているのは一種の快楽性でもあると。他のインタヴューでも読んだんですけどね。それはやっぱり、ミュージシャンとしての目標というか。

agraph:そうですね、ミュージシャンというか、ポピュラー作曲家としての矜持なのかなあと。

「ポピュラー作曲家」という意識がおありになる?

agraph:あるんですよね。象牙の塔にいるわけじゃないですし。音大閥どころか、ちゃんとした音楽教育を受けているわけでもなくて、憧れているだけなんですよ。いま普通のひとが小難しい現代音楽といって思い浮かべるのは、滅茶苦茶やってるようにみえる曲だと思いますけど、そういうものも書けないし、数学を使ったようなもの、みたいなものも書けないし。自分のできることの範囲でそういうものへの憧れを取り入れて、つくりあげていくというだけなんです。

よりポピュラリティのあるものを積極的に目指されたいということではなく? 「ポピュラー作曲家」みたいなかたちを意識されるのはなぜなんですかね?

agraph:なぜなんでしょうね。僕はこの5年間、agraphとして音楽をつくっていたので、agraph以外ほとんど何もやっていなかったんですよ。つまりポピュラリティのあることをやらせていただいてたというか。電気グルーヴでもやらせていただいたり、アニメの劇伴だったり、LAMA(中村弘二、フルカワミキ、田渕ひさ子とのバンド)だったりとか。だから、その揺り戻しでもっとマニアックなことをやっていてもおかしくないはずなんですけどね。

なんでしょう、原体験みたいなものと関係があるとか?

agraph:ああ、TMNETWORKとか。それもそうかもしれないですけどね。

だって、憧れているものと、目指されているものが、すごいちがってるじゃないですか(笑)。ある面では。

agraph:いやあ、でも、僕が「ピー」とか「ガー」とかってノイズだけ出していたら、こんなふうに取材に来てくれないじゃないですか(笑)。それに、「ピー」「ガー」っていうのは、自分だけでできることなんですよ。だけど、それを一人でやるには自分にはまだ深みがないというか。いまは、より難しい音楽を追求するのと、もっとポピュラリティを持ったものの間にいて、遊んでいたいという感じなんです。僕が今回のアルバムでやったようなことって、一生はやれないと思うんですよ。
 でも、いつかもっと何も気にしなくなったときに、きっと「ピー」とか「ガー」とかやっちゃうんだとも思うんです。それをやるために必要な経験はものすごく大きいはず。表面的には、やろうと思えばすぐにやれちゃうことなんですね、それって。でもちがいを出すのはとても難しいんです。そのためにいまは人のできないことをやったりしたい。

いまは、ポップ・ミュージックという形態を通して他者に出会う、みたいなことでしょうか。しかして、ひとりでやれる「ピー」「ガー」に向かう……。

agraph:そうかもしれないですね。そういう音は、いまは昔よりずっとつくりやすくなっているはずなんですけどね。でも最初からそうしていたら……もしagraphをやっていなかったら、僕は電気グルーヴの裏方ではあったかもしれないけど、ステージでやることはなかったかもしれない。バンドも組まなかったかもしれないし、mitoさんとやることもなかったかもしれないし、劇伴やプロデュース、楽曲提供だってそうです。そういうところの経験は、誰もかれもが持っているものでもないから、おもしろいものにつながるんじゃないかなという期待もあるんです。先の見通しはぜんぜんないので、どうなるかはわからないですけどね(笑)。

agraph - greyscale (video edit)

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普通のポップ・アルバムとして聴ける要素を残したいし、(抒情的なピアノが用いられていることは)ポピュラリティのある作曲家としての矜持なのかもしれないです。

さて、ではアルバムの話に戻りまして。冒頭の曲のタイトルなんですが、“reference frame”っていうのは何の「基準」なんですか?

agraph:「こういうアルバムですよ」っていう。

ははは! すごい。

agraph:これからいろんなことを言いますけど、こういうグラフになってますよ、という。x軸とy軸がこう引かれてますよ、基準点はこれですよと。

なるほど。では、その基準点にピアノが鳴っていることの意味を考えたりとかしていくのは、ちょっとちがいますか?

agraph:なるほど、そこは、配置のひとつというか。今回はひとつひとつの楽器自体にそれほど意味はないんですよね。

冒頭でピアノが出てきて旋律が奏でられると、つい叙情的なアルバムの幕開けと考えてしまうというか。

agraph:いえいえ、それもそうだと思うし、さっきの快楽性の話もそうですけど、普通のポップ・アルバムとして聴ける要素を残したいし、ポピュラリティのある作曲家としての矜持なのかもしれないです。もちろんどう取っていただいてもかまわないんですけどね。僕自身としては、よくピアノのことを指摘されはするんですが、そんなに意識していないんです。というか、あんまりピアノを弾いていたときの意識自体が残ってないかも。今回、構造のことを考えた記憶はあるんだけど、ひとつひとつの音のことを覚えていないんですよね。
 僕はこの5年間のうちに、一度アルバムを放棄しているんですけど──『equal』のつづきになるからやめよう、って思って捨てちゃったものがあるんです。で、今回はそれをコンクレートでいうテープみたいなものとして使ってつくっているんですけど、そうすると5年前の自分のことなんて覚えていないから、本当に再配置という感じだったんですよね。演奏しているときの細かい意識のことは覚えていない。

ピアノ弾きみたいな意識はないんですね。なるほど。

agraph:いろんなひとに出会う中で、僕よりピアノに思い入れのある人はいっぱいいるなあって思って。じゃあ僕はいっか! と。音に対するフェティシズムはあるので、使っている音はいっぱいあるんですけどね。

同心円状に広がる時間はきっとあると思うんですよね。そうだ、「時間」は今回の裏テーマだったと思います。

“asymptote”という曲ですけれども、「漸近線」というとこれは「基準」たる“reference frame”に対して漸近していくという?

agraph:“reference frame”でxとyを引いて、ああ漸近していくんだなあという。

交わらないという。その交わらなさって何のことなんですかね?

agraph:あれは、終わらない曲なんですよ。もちろん時間で切ってますけれどね。そういうふうに極限にいたる、というか。同心円状に広がっていくっていうイメージのお話もしましたけれど、この曲は、その先がどこまでもどこまでも、極限まで行くんだろうなって思ったんですよね。有限ではあるんだけど果てがない……そんな意識をつくっていこうとした曲ですね。

終わらない時間というのは、なにか、リニアなものとしてのびていくイメージでいいんですか?

agraph:同心円状に広がる時間はきっとあると思うんですよね。そうだ、「時間」は今回の裏テーマだったと思います。音楽って時間芸術であって、時間以外に音楽を特徴づけるものはないというか、時間しか持っていないということが音楽の唯一の特徴だと──僕はそう考えるので。“inversion/91”では時間の使い方に発展や発見があったけど、“asymptote”も「終わらない、極限にいたる」というところで、時間に対する意識が強かったですね。逆に1分くらいの曲もつくってみたいと思ったけど(笑)。

そういえば終わらないわりに短く切られている。

agraph:「終わらない」と「始まらない」は同じかなと。

抒情的でロマンティックな部分というのはやっぱり要素なんですよね。自分がピアノを弾いているときの気持ちは封入されているんだけど、それはすべてもう息をしていない。

「すべての要素をドライに配置しただけ」というふうにおっしゃいますが、その語りの中にもしかしたらトリックがあるのかもしれないですけど、でも一方で、もっと普通にドラマチックな、エモーションの幅を感じるようなところもあるんですが。

agraph:それはね、いま思い返すとなんですけど、アンドレアス・グルスキーの、ジャクソン・ポロックの絵を撮った作品があるんですけど、僕はその写真がすごく好きで。ポロックのああいうアクション・ペインティングみたいなものって、すごく熱量をもって描かれるものじゃないですか。関連して、「絵の中にいるときに絵なんか意識しない(=自分が何をしているかなんて意識しない)」っていうような言葉もあったと思うんですけど、そんなふうにつくられるものの、その写真を撮るっていうのはすごい残酷なことだなと思ったんですよね。ポロックの無意識とか、絵の中にいるというすごくエモーショナルな状態をパッケージしてしまう。封をしてしまう。真空にしてしまう。その行為ってすごく力のあることだなと思って。それで、僕の音楽をエモーショナルに聴けるというのは、さっきの話のように、ひとつひとつの要素としてピアノを弾いているし、盛り上げるためにエフェクトを使っているし、叙情的な部分も含んでいるからなんだけど、それを一歩引いてパッケージするということでもあったかもしれない。だから、抒情的でロマンティックな部分というのはやっぱり要素なんですよね。自分がピアノを弾いているときの気持ちは封入されているんだけど、それはすべてもう息をしていない。

撮られて配置されている。なるほど……こんなふうに作者に解題を求めるのって、はしたないことなのかもしれないですけど、やっぱり聞いておもしろいこともあると思うんですよね。

agraph:いや、僕もなるべく言いたくないんですけどね。文章家じゃないし、伝わり方だっていっぱいあるし。でも音楽雑誌とか批評で自分の評価が辛いと、わー、伝わってなーいって思いますね(笑)。

あはは!

agraph:傷ついて帰って、枕を濡らすんですよ。

そんな抒情的なシーンがあったとは(笑)。

すごく悔しいんですけど、OPNには耳を更新されたという気持ちがあって。

一方で、部分や要素で聴くと“reference frame”のマレットというか、マリンバみたいな音が出てくる部分は、一瞬OPNみたいになったりもするじゃないですか。

agraph:ギャグですけども(笑)。

「ニヤッ」て言うとちょっとやな感じですけど、すごい同時代のものが聴こえてうれしいというか。

agraph:すごく悔しいんですけど、OPNには耳を更新されたという気持ちがあって。今回リュック・フェラーリを聴いていた時期とOPNやヴェイパーウェイヴを聴いていた時期があるんですけど、後者については誰もべつにメロディもコードもリズムも聴いていないと思うんですよね。僕自身はそうで。そこに立ちのぼっている湯気のような世界観だけを聴いている。リュック・フェラーリもそうなんです。それから、とくに理由もないままリュック・フェラーリとベーシック・チャンネルを聴いたりもしていたんだけど、ベーシック・チャンネルもそうだしアンディ・ストットもそうだと思って。テクノとかハウスとかも、それからカールステン・ニコライにしても、僕はテクスチャーと世界観を眺めているというか、それが好きだと思って聴いていたんですよね。僕の聴取体験の中では、歌える部分や踊れる部分に惹かれて聴いていたこともあったけど、いまはそういうことがないなと思いました。そういう気づきのきっかけにはなりましたね。

OPNを似たようなアーティストと分けているのはコンセプチュアルなところかなと思いますね。アルカとかはその点、一時の若さで成立しているものでしかなくて、それが美しくもあるけど圧倒的に弱いというか。

agraph:彼もまた構造的なんだと思うんですよね。一つ一つの要素には、どうしても読み取らなきゃいけないような意味はない。そこには勝手に共感を覚えるんです。アラン・ソーカル事件はご存知ですか? アラン・ソーカルというひとが、ある哲学論文を評論誌に送るんですけど、それは文学とか哲学にすごく難解な数学とか物理とかを結びつけて書かれた、まったくでたらめな意味のないものだったんです。当時はそういうものを結びつけるのが流行っていたので、彼はわざとそういうことをして、そのでたらめさが見破られるかどうか試したわけなんですよ。でも、評論誌には「そういうものを結びつけるのはよくない」という意見に反論する論文としてそれが掲載されてしまったので、ほらやっぱり意味がないじゃないかということになった。……という時代に、まさにフランスの現代思想を数学と結びつけていた急先鋒である女性哲学者がいるんですが、OPNが彼女のことをフェイヴァリットに挙げているのをたまたま見て。僕は彼とも話したんだけど、彼はこの事件のことを知らないと言いはっていた。でも、たぶん嘘じゃないかって(笑)。

ははは! ええ、だって……

agraph:そう、だって、あんたがやっていることがアラン・ソーカルじゃないか、と。

いや、お話の途中でオチが見えましたよ。たしかに。

agraph:僕はそこに勝手に共感するんですよね。いや、本当に知らないんだと思うんですが(笑)

agraphさんご自身がたとえ時代やシーンを意識していなかったとしても、OPNがいたりagraphさんがいたり、それぞれの点が結びたくなってしまうように存在しているんですよ。その意味で時代性のあるアーティストさんなんだと思うんですが。

agraph:いやー、早く見つけてほしいですよ。

ヴェイパーウェイヴは、90年代の文化、っていう具体的な形をテープにしてるんだと思うな。あれは写真に近いんじゃないかな。すごく偽悪的な。

しかし意外だったのがヴェイパーウェイヴをちゃんと聴いていらっしゃるというところで。いったい、牛尾さんにヴェイパーウェイヴなんて必要なんですか?

agraph:ヴェイパーウェイヴは単純に質感がよかったです。流行った頃は好きでした。もうけっこう経ちますよね。

でも、あれこそはサンプリング・ミュージックの──

agraph:いや、僕はあれコンクレートだと思う。

なるほど。とすると、インターネットという環境からの?

agraph:うーん、90年代の文化、っていう具体的な形をテープにしてるんだと思うな。あれは写真に近いんじゃないかな。すごく偽悪的な。

へえ! 表面的な行為としては、「ネット空間からゴミをたくさん拾ってきてどんどん奇怪なものをつくりました」ってだけのイタズラか遊びみたいなもので、でもそのこと自体が時代の中で批評的な意味を帯びて見えたわけですよね。ただ、ご指摘のように、引っぱってこられるネタがなぜかしら特定の年代や国に固執しているのはたしかで。それで盛り上がったんだという部分も否定できない。

agraph:そうそう。おもしろいんですよ。それに、もっと僕の個人的な趣味嗜好の部分で言うなら、シンセサイザーの音色について発見があったということですね。90年代の前半の音がわりと使われているじゃないですか? 僕は83年生まれなので、ちょうどそのころは意識が芽生えはじめた時期なんです。だから、そういう音がいちばんカッコ悪く感じられる。絶対にさわっちゃいけない音色だったし、シンセサイザーだったんだけど、それを忘れていたところに放たれたカウンター・パンチだったんですよね、ヴェイパーウェイヴは。あの時期「~ウェイヴ」はいっぱいあったけど、僕はそのなかでいちばんおもしろかったかな。在り方が。

結局ジェイムス・フェラーロとかは現代美術館にまで入りこみましたからね(東京アートミーティングⅥ “TOKYO”──見えない都市を見せる https://www.mot-art-museum.jp/exhibition/TAM6-tokyo.html)。

agraph:そうですよね。それもわかるんですよ。ただ──さっき触れたように、彼らの求めるテープの先が90年代なのだとすれば、きっと、社会だったり文化だったり人類だったり、「ひとの営み」に視座があるじゃないですか。僕の趣味からすれば、そこには興味がないんですよね。

なるほど、構造と、あとは音だったと。

agraph:リュック・フェラーリは2007年に亡くなっているんですけど、作品はいまも出ているんですよ。それは彼が遺した作品の中に、このテープを使って何かやれっていうようなものがあるようで。たとえばそれで、奥さんであるブリュンヒルド=マイヤー・フェラーリさんが作品をつくられたりしている。その構造と同じかなと思うんです。僕は奥さんも音楽家としてとても好きなんですけどね。

僕は詩に対する理解がまったくないんです。

ところで、「言葉」っていうレベルにはとくに探求しようという欲求はないんですか? 言葉というか……ライヒとかには、たとえば“テヒリーム”みたいなものがあるわけじゃないですか。ルーツにつながるヘブライ語の中に降りていくというか。今回の作品の中にも声とか言葉を持った部分がありますけど、今後そういうテーマなんかは?

agraph:あれはすごく迷いました。人間を描くのがいやなので、発声をどうしようかなと思って……音楽を規定するときに詩が入ってくるのがすごくいやなんですね。僕は詩に対する理解がまったくないんです。大学ではケージの『サイレンス』の詩を扱ってもいるんですけど、でもやっぱり自分でつくるというのは難しかったですね。セカンドで円城塔さんに文章をお願いしたのは、あの方だったら意味にとらわれない複素数平面を音楽と言葉でつくれるんじゃないかと思ったからで……。なかなか難しいですね。

そうか、前作には円城さんが添えておられますよね。でも、「詩」というと複雑になりますけど、「言葉」というともうちょっと算数や科学で扱えそうな対象になりませんか。

agraph:それはまだ僕の能力不足ですね。群論的な──言葉が指し示すことができる領域とそうでない領域があるという、そういう複雑系の話から使えるものは出てくるかもしれないですけど、理解も足りないし。

いやいや、五・七・五・七・七って、もう千何百年も残ってきた韻律ですけど、あれとかをagraphさんが微分積分してくださいよ。

agraph:あれはおもしろいですよね。「タタタタタ・タタタタタタタ・タタタタタ」……。僕は子どものころからああいう韻律をぜんぶ変数にして、たとえば「タタタタタータ」っていうリズムがあったとして、そこに何を入れるのがおもしろいかっていうのを考えていたんですよね。「ハシモトユーホ」とか、入りますね(笑)。韻律っていうものにはすごく興味があるんだけど、でも自分の中ではなかなか解決のつかない要素が多いから、いつかは。

agraphさんがやってくれないと。楽しみにしていますね!

5年間で、過去3日だけ霧がかかった日に巡り会えて、いまのところその3日は逃さず写真を撮りに行っているんですよ。

最後に、今作のジャケットについてうかがってもいいでしょうか。アートワークとして用いられているのは、ずばり渋谷です?

agraph:あれは●●●●です。内緒です。

内緒ですか(笑)。

agraph:特定できるものを何も残したくないんですよね。インタヴューでこんなに話しておいて言うことでもないですが(笑)。「何だろう?」って思ってほしくって。アルバムをつくるときに杖の代わりになるような写真を撮ることがあって、その中の一枚です。

「何だろう?」って思いましたよ。ご自身で撮られた写真なんですね。

agraph:そうです。

最近は、アー写ひとつとっても、ミュージシャンがどこの街で写ってたら画になるんだろうというのがわからなくて。渋谷下北ではないし、どこで写ってたとしても「たまたま」というだけで。そもそも地理が何も語らないというか。

agraph:ないですよね。

あのジャケは、だからといって「どこでもなさ」を表している感じでもなくて。

agraph:この5年間で、過去3日だけ霧がかかった日に巡り会えて、いまのところその3日は逃さず写真を撮りに行っているんですよ。それでたまたま撮れたものなんですが。

構造の上に霧のように立ち上がる世界っていうイメージにもつながりますね。

agraph:もやっとしたもの。それに、器に注ぐ水が「shader」(=影なすもの)であるという、作品のコンセプトも出せればなと思いました。

では記事の中でもぜひ数枚ご紹介させてくださいね。本日はありがとうございました。

agraph - the shader(ティザー)

interview with Swindle - ele-king

 ぼくが初めて買ったスウィンドルのレコードは、〈ディープ・メディ〉から出た2012年の“ドゥ・ザ・ジャズ”なので、彼の音楽を最初からリアルタイムで聴いてきたわけではない。彼がロンドンの〈バターズ〉からシングルをリリースしていたことも、2009年にすでに自分のレーベルからアルバム『カリキュラム・ヴィータイ(履歴書)』を出していたことも、あの赤いスリーヴが店頭に並んだときは知らなかった。でもあのベースラインとハンドクラップを聴いて、一瞬でぼくは彼の虜になってしまった。当時のダブステップ界隈ではテクノへの接近がひとつの流れになっていて、DJのピンチが言うように、それはある意味「コールド」な感覚を有するものだ。そこにスウィンドルがあのジャジーでファンキーな熱い曲を持ってきたのだから目立たないわけにはいかなかった。
 2013年、スウィンドルが〈ディープ・メディ〉からアルバム『ロング・リヴ・ザ・ジャズ』をリリースし、それにともなうライヴをUKで行うと発表したとき、ぼくは迷うことなくロンドン行きのチケットを買った。そのときにピンチのコールドなセットも、アコードのひとりシンクロの透き通ったベース・ミュージック・セットも、ジェイムズ・ブレイクのクラシック・ネタ満載のDJも見たけれど、それらと比べ物にならないほどスウィンドルのライヴはポジティヴに感じられた。このインタヴューで彼が言うように、自身のルーツにも目を向けたその音楽は、流動的なシーンのなかでも強いのである。


Swindle
Peace, Love&Music

Butterz / Pヴァイン

BassFunkJazzDubstepGrime

Tower HMV Amazon

 初来日の2013年にはじまり、これまでにスウィンドルは4回も来日しており、世界中をツアーでまわってきた。2015年に先述の〈バターズ〉から発表した『ピース, ラヴ&ミュージック』は、ツアー先で出会ったミュージシャンとの共作を多く収録し、JMEとフロウダンというグライムの重鎮MCも参加した快作だ。
 2016年、スウィンドルは〈バターズ〉のレーベル・メイト、フレイヴァDと来日ツアーを行った。東京公演にはレーベル・オーナーであるイライジャとスキリアムも急遽参加し、その夜が大いに盛り上がったことは言うまでもない。この取材はそのバックステージで行われた。投げかける質問に対して、そのことばの意味を噛みしめるようにして、スウィンドルはじっくりと答える。彼の音楽が情熱的なように、彼自身もまた素晴らしい男だ。そのことが少しでも伝わればと思う。

スウィンドル / Swindle
スウィンドルはロンドン出身のマルチ奏者、プロデュサー、DJとして活動している。2006年より自主制作で自分の音楽をリリース、多くのプロジェクトに関わってきた。2013年にはベース・ミュージックの人気アーティストマーラの〈ディープ・メディ〉レーベルより『ロング・リヴ・ザ・ジャズ』をリリースし、DJ、ライヴ・アクトとして世界規模のツアーを行ってきた。
ジャイルス・ピーターソンのワールドワイド・アワードにて披露したパフォーマンスと、ボイラールームでのジャズの伝説的キーボーディスト、ロニー・リストン・スミスとのギグが大きな話題を呼び、現代における最も将来有望なエレクトロニック音楽の若手として今後の活動が期待されている。

俺は何かオファーをされたら、その依頼の内容には完全には従わないタチだ(笑)。音楽以外でもそう。もし「黄色い外観、赤い屋根、窓はふたつ、芝生つきの家を作れ」って言われても、絶対にその通りには作らないと思う。俺は自分の住みたい家しか作らないだろうな(笑)。

『ele-king』に本人が登場するのは初めてなので、最初の質問は「スウィンドルって誰?」にしましょう。

スウィンドル(Swindle、以下S):オーケー! スウィンドルは平和と愛と音楽の使者。ファンク、ジャズ、ベース・ミュージックに根付いた新しいサウンドの開拓に、その人生の大半を捧げている。1987年生まれ、ロンドンのクロイドン出身。料理が好き。スポーツはやらないしテレビも見ない。

では音楽をはじめたのはいつですか?

S:小さいときから何かしら音で遊んでいて、12歳ぐらいのときにキーボードをはじめたね。プレイステーションと同じように楽器もオモチャみたいなものだった。それで14歳のときにトラック・メイクにハマって、DJをするようになったのもちょうどその頃だ。絵に描いたような音楽好きな家族からの影響がデカいね。

たしかお父さんはギターを弾いていますよね?

S:そうそう! 実は親父は『ピース, ラヴ&ミュージック』のジャケットに写っているんだよ。俺とマーラといっしょにいるのがおやじ。2013年にロンドンのファブリックでライヴをやったんだけど、そのときにいっしょに撮った(笑)。

そうなんですか! ぼく、あの日ファブリックへあなたのライヴを見に行ったんですよ。DJ EZからロスカ、ジョーカー、ピンチまで出ていて豪華な夜でしたよね。あなたはグライムやダブステップのプロデューサーとして知られていますが、最初はどんなジャンルが好きだったんですか?

S:ドラムンベースだね。あとGファンク。そのふたつといっしょに育ったようなもんだよ。

ダンスミュージックからR&Bのようなトラックまで手掛けるあなたのスタイルからプリンスを連想したりもしました。あなたはいろんな楽器ができますから、プロデューサーとしてだけではなく、マルチ・プレイヤーという点でも共通しています。

S:なるほどね。でもオレはプリンスのレコードをそこまで持ってないんだ。もちろん聴いてはいるけれど、それはオレの音楽を聴いたひとが「お前はもっとプリンスを聴いたほうがいいよ」ってオススメしてくれたから。でも彼がアーティストのプリンスとして完成するまで、多くのファンク・ミュージシャンと共演してるだろ? ブーツィ・コリンズやジョージ・クリントンとかとね。俺も彼らから多大な影響を受けているから、その意味ではプリンスと音楽的に共通点があってもおかしくないよ。

ではあなたが理想とするミュージシャンは誰ですか?

S:クインシー・ジョーンズだね。間違いない。彼は究極のプロデューサーだと思っているよ。

UKアンダーグラウンドでは?

S:ロニ・サイズやデリンジャー。数え切れないくらいいる。

ドラムンベースのプロデューサーですね。あなたはダブステップ・プロデューサーのシルキーとも共作を残しています。あなたのスタイルは彼にも通じるところがありますよね。ダブステップのシーンで、シルキーはフュージョンやファンクをいち早く参照していました。

S:たしかに。シルキーに初めて会ったきっかけも、知り合いに彼をチェックした方がいいってアドバイスされたからなんだけどね。それで実際に会っていっしょにやることになった。ブリストルのジョーカーともそんな感じだったな。俺たちにはサウンド面で共通点があるけど、お互いの音からインスパイアされているわけではない。似たような音楽経歴を持っていたから共感できたんだと思う。俺が17歳くらいのときあいつとはネットで知り合った。それから曲を交換して意見を出し合っていたけど、実際に会ったのはその数年後だったね。

インターネット世代らしいですね。ちなみに〈バターズ〉のイライジャとはどうやって知り合ったんですか?

S:それもネットだね。あれは2009年だったかな。テラー・デインジャが俺たちを繋げてくれたんだ。MSNってサイトでみんな連絡を取っていた。当時はフェイスブックとかはなかったんだけど、そういったソーシャル・メディアとMSNの違いは相手の顔がわからなくて、曲だけが公開されているってこと。だから余計な情報なしに、音だけで相手を判断できたってわけだね。「うお!こいつの曲ヤベえじゃん!」と思ったらすぐに連絡、みたいな感じだった。

アルバムのライナーにはあなたがイライジャの「グライムを作ってみれば?」というオファーを断ったエピソードが載っています。詳しく教えていただけますか?

S:そのときにはもう普通なことはやりたくなかったんだ。それは自分のスタイルじゃないってわかっていたからね。一生グライムのトラックを作ることはできるよ。でも俺は何かオファーをされたら、その依頼の内容には完全には従わないタチだ(笑)。音楽以外でもそう。もし「黄色い外観、赤い屋根、窓はふたつ、芝生つきの家を作れ」って言われても、絶対にその通りには作らないと思う。俺は自分の住みたい家しか作らないだろうな(笑)。

なるほど。でもあなたの曲はジャズやファンクの要素が強いけれども、グライムのフォーマットを完全に捨て去ったこともありませんよね。グライムの何があなたを魅了するのでしょうか?

S:グライムは常に「新しいアイディア」でできているってとこだ。グライムの主役は若者で、17とか18、ひょっとしたらそれよりも若いやつらが音楽を作っている。その世代の多くには養う家族も恋人も子供もやるべき仕事もないだろ? だから全ての想像力が音楽に向かう。その結果、ルールに縛られない興味深い音楽が生まれてくるわけだ。ロックやファンクが好きなのも同じ理由だよ。ジェームズ・ブラウンがオーディエンスを驚かせたとき、彼には従来のルールなんか通用しなかった。シカゴのフットワークだってそう。ルールがない場所からヤバい音楽はやってくる。

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人生でベストDJができたと語る2015年3月21日DBSの様子

世界をツアーして、旅先の音楽を自分の音楽に取り入れるってことの重要性もマーラから学んだ。いまって世界中をツアーで回るDJはたくさんいるけど、彼らがその経験を自分たちの曲に反映させることって、あんまりなくない? それってすごくつまんないことだ。未知なる場所での新しい出会いから得られるものってすごく大きいし、その影響は絶対に音楽にもいい形で現れるって俺は思うんだけどね。

ちなみにMCをやったことはないんですか?

S:実は昔、ドラムンベースのMCをやっていたよ(笑)。マジメにやっていたわけじゃなかったけどね。MCでは自分を表現できないってわかったから、そっちの方向には進まなかったな。

あなたがファンクやドラムンベースに熱中しているとき、周りのひとたちもそういった音楽を聴いていたんですか?

S:親父がジャズ、友だちはガラージやドラムンベースって感じだったね。だから俺のなかで音楽のバランスが取れているんだと思う。グライムやファンキー・ハウスを聴くようになっても、いろんなジャンルを並行して聴いていたよ。

当時のあなたはオーバーグラウンドのチャート・ミュージックをどのように捉えていましたか?

S:あんまりチェックはしてなかったね。自分がフォローすべき音楽があまりないように思えたんだ。チャートのなかには金儲けにために作られているようにしか思えない曲もあったしね。そういった類のモノに昔から興味が持てなくてね。いまでもメジャーのラジオ番組は全然聴かない。

ラジオということばが出ましたが、『ピース, ラヴ&ミュージック』ではラジオのような編集がされている箇所もあります。10代の頃、あなたは海賊ラジオを聴いて育ったとも聞いています。

S:その通り。毎日聴いてたよ。俺にとってラジオとは海賊ラジオだっていうくらいにね。10代? もっと若かったよ(笑)。初めて海賊ラジオを聴いたのって、たぶん6歳のときだ。うちに古いコンピューターがあって、それを使ってカセットにラジオを録音してたのを覚えているな。海賊ラジオの電波を探すのって本当に巡り合わせが重要だったんだよ。特定の日、サウス・ロンドンの特定の場所、特定の時間。この条件が揃わないと電波を受信することすらできなかったし、かっこいい曲がかかった途端に電波が途切れて、同じ曲には二度と出会えないってことなんてしょっちゅうだったよ。ネットのポッドキャストやCDじゃ絶対に味わえない体験だった。

エリック・ドルフィーみたいですね。「音楽を聴き、終わった後、それは空中に消えてしまい、二度と捕まえることはできない」。

S:それそれ(笑)! ホント、音を捕まえるためにカセットがあってよかった(笑)。そういった具合に、本当のラジオが何なのかを知る前に海賊ラジオに出会ったわけ。

6歳だったわけですもんね(笑)。このアルバムでは、グラスゴーのマンゴズ・ハイファイとの“グローバル・ダンス”の前に、ラジオ中継のようにマンゴズの会話が入ってきます。

S:それは彼らがやっている本物のラジオ番組からの抜粋なんだよね。曲を作った日にそのラジオの放送があったんだけど、そこに俺も出演したんだよ。音楽に対して正直になることはオレのテーマなんだけど、ラジオは人生の重要な一部でそのテーマともつながってもいる。

そうでしたか。あなたはその曲でコラボしているグライムMCのフロウダンとグラスゴーでプレイしています。スコットランドってグライムがそんなに人気がないようにも見えるんですが、あなたはどう思いますか? またスコットランドとイングランドとオーディエンスの反応に違いはありますか?

S:いまはそんなことないんだよ。スコットランドに限らず、UKのメインストリームでもグライムはすごく大きな存在感を持っている。反応の違い? 酒だよ(笑)。「こいつらどれだけ飲むんだ!?」っていうくらいスコティッシュはウィスキーが好きだよね。ケルトの血はクレイジーだ(笑)。ロンドンは雰囲気的にちょっと閉じているところもあるけど、スコットランドはオープンだからやりやすかった。

2013年にあなたはソロと『マーラ・イン・キューバ』のキーボーディストとして2回来日していますよね。マーラからバンドへの参加のオファーがあったそうですね。

S:マーラとはいっしょに作業をする機会があったんだけど、ちょうどそのときに彼は『マーラ・イン・キューバ』をライヴでやることを計画していてね。「キーボード弾けるんだからセッションに参加しないか?」って誘われて、すぐに了解の返事をしたよ。
 あの作品、それから一連のセッションからはものすごくインスパイアされた。音楽を表現するのに必ずしもDJである必要はないんだって気づけたから、自分のバンドを持とうと思ったし、それを実行する上でマーラ・バンドへの参加は大きな自信にもなった。
 世界をツアーして、旅先の音楽を自分の音楽に取り入れるってことの重要性もマーラから学んだ。いまって世界中をツアーで回るDJはたくさんいるけど、彼らがその経験を自分たちの曲に反映させることって、あんまりなくない? それってすごくつまんないことだ。未知なる場所での新しい出会いから得られるものってすごく大きいし、その影響は絶対に音楽にもいい形で現れるって俺は思うんだけどね。

おっしゃるように、あなた自身も自分のバンドを率いて演奏を行いますが、それは文字通りライヴです。いまって、クラブにラップトップを持ち込んでエイブルトンのコントローラーをいじっているだけでもライヴって呼ばれる時代ですよね。そういう状況についてどう思いますか?

S:すごい音楽をやるプレイヤーもいるから、そのスタイルを決して否定はしないよ。でもなかにはステージに立ってタバコ吸ってプレイ・ボタンを押して金を貰っているヤツもいる。ふざけんなって話だよな。そんなのオーディエンスにとっては、家でユーチューブを見ているのと変わらない。ちなみに俺もよく「ツアーでエイブルトンを使ってライヴをやれば?」って言われるんだけど、これからもそれは絶対にやらないと思う。やっぱり俺が考えるライヴはバンドがいてこそ成り立つものなんだよね。それにDJするのも大好きだから、ひとりでツアーをするときはDJで十分だよ。もし現場にキーボードがあったら曲に合わせて弾きたいけどね。

マーラのレーベル、〈ディープ・メディ・ミュージック〉から出した“ドゥ・ザ・ジャズ”であなたを知ったリスナーは多いと思います。あの曲はどうやって生まれたのか教えてくれますか?

S:オーケー。本当のことを話そう。あの曲が生まれたのは、母親の家の地下室で夜も遅かったな。それで俺はめちゃくちゃクサを吸っててさ……(笑)。で、気づいたら朝になっていて曲が完成してたんだよ。作っている間のことはまったく覚えてない。あのベースラインが先にできたのか、ハンドクラップが先だったのかも記憶にないね(笑)。

Swindle - Do The Jazz (DEEP MEDi Musik) 2012

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どれだけ「愛と平和」を叫んでも、「愛と平和」がこの世界に満ち足りたことってないだろ? だったらそれを打ち出す必要があると俺は思う。それがダサいって言われようとも、自分のことを「平和と愛と音楽の使者」って呼ぶことに何の躊躇もしないよ。それに、なんで「愛と平和」はダメで、「ギャングスタ」や「悪」のイメージはいいんだ? 売れるから? そんなのおかしいと思うね。だったら俺は言いたいことを言うよ。


Swindle
Peace, Love&Music

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では『ピース, ラヴ&ミュージック』についてお訊きします。作品が発表された2015年はグライムのアニヴァーサリー・イヤーとも言える年で、ボーイ・ベター・ノウの結成、それからロール・ディープのファースト『イン・アット・ザ・ディープ・エンド』のリリースからちょうど10年という節目でした。そしてあなたは今回のアルバムでボーイ・ベター・ノウのJME、ロール・ディープの主要メンバーだったフロウダンと共演しているわけです。ノヴェリストやストームジーといった若手も注目されていますが、なぜこのふたりを選んだのでしょうか?

S:そうか、気づかなかったけどたしかに10年だね。当時からふたりの大ファンだったよ。俺は曲を作るときに、「この曲には絶対にあのアーティストが必要だ!」って制限を設けるようなことはしないし、いまの流行りとか、売れ線とかが共作者を選ぶ基準にはなることもない。だって音楽じゃん? 自分の意図が伝わる相手といっしょにやらなきゃ、結局は自分に嘘をつくことになる。今回も音楽を優先した結果、相手がフロウダンとJMEになっただけだよ。「音楽がビジネスを決めるのであって、ビジネスが音楽を決めるのではない」。これに尽きるね。

あなたから見たふたりの違いとはなんでしょうか? 音楽的、人間的、どんな側面でもかまいません。

S:うーん、違いは多いね(笑)。だから共通点について言わせてもらうよ。ふたりともどんな状況でも自分自身になることができるよね。そこがふたりの魅力だよ。だからこそスタイルの違いが出てくるんだと思う。
 ちなみにさっき若手MCの名前が出たけど、俺は彼らのスキルがベテランたちに劣っているとはこれっぽっちも思わない。というかそれは個性の問題であって、優劣の問題ではないよね。いつの時代も比較の上での良し悪しをつけるのは簡単だし、その基準は個人によっても変わる。だから音楽を楽しむ上では個性の違いを尊重するべきだと思うんだよ。

ネット上の動画などであなたのスタジオを見ることができますが、今作はあそこで作られたんですか?

S:このアルバムは世界のいたるところで作ったよ。ちなみにこのアルバムを作っている間、俺は3回引っ越しててさ(笑)。ちょうどそのときロンドンでいい物件が見つからなくてね。いまロンドンでは昔から住んでいるひとたちが、街を出ていかざるを得ない深刻な状況になっているんだよ。ロンドンの外からやってくる人口の増加や家賃の高騰が影響している。だから俺もロンドンを離れるしか術がなかったんだ。いまでもロンドンが大好きだし、自分のことをロンドナーだと思っているけど、音楽のためにはロンドンを出るしか選択肢はなかった。やっぱり都会だと隣人との間隔が狭くて満足に音を出せないからね。いまはロンドンから1時間くらいはなれた田舎に住んでいる。住民の誰も俺のことをしらないような街だよ。だからゆっくりできるし、音楽にも没頭できている。ツアーで刺激的な場所に行くことができるから、いまの街に何もないことは大して問題にならないね。

世界のいたるところで曲を作ったとおっしゃいましたが、例えば一曲目のアッシュ・ライザーとのコラボ曲“ロンドン・トゥ・LA”はロサンゼルスで作ったということですか?

S:その通り! いつもスタジオを持ち歩いていたからね。俺はロスのロウ・エンド・セオリーでプレイしたんだけど、この曲はそのショーの前にだいたい完成していたよ。

スタジオを持ち歩いていた……?

S:つまり、バッグにサウンド・カード、スモール・マイクとか必要なものを詰め込んでツアーに出かけた(笑)。ロサンゼルスはエコパークが最高だったね。それで現地でレコーディングしたものをイングランドに持ち帰って編集をした。あとから外国の知り合いに音を送ってもらったりもしたね。アルバムの日本語の部分はパーツースタイルのニシピーにお願いしたよ。

あなたはよくシンガーと共演していますが、どのように歌が生まれるのでしょうか?

S:理想としては音楽と歌詞が同時にできることが望ましいよね。“ロンドン・トゥ・LA”では俺がどういう歌詞にしたいかシンガーに要望を伝えた。曲を作ったとき、俺は文字通りロスにいるロンドン・ボーイで、気分は2パックの“トゥ・リヴ・アンド・ダイ・イン・LA”や“カルフォルニア・ラヴ”みたいだった。そのときの俺の気持ちを知ってほしくて、あの歌詞ができたってわけ。

Swindle - London To LA Ft. Ash Riser

世界各地に思い入れがあると思いますが、日本はあなたにとってどんな場所ですか?

S:たくさんの場所に行ったけど、日本は世界で一番音楽をプレイするのが楽しい場所だよ。けっしてお世辞じゃない。オーディエンスの反応、人間性、どれも最高だ。前回ロスカと出たDBSは、俺の人生で一番楽しいDJだった。いつか日本で自分のバンドのライヴをやりたい!

今回のアルバム収録曲の多くにはあなたのツアー先での様子が動画で収められていますが、それを試みた理由とはなんでしょうか?

S:そのアイディアを思いついたのは『ロング・リヴ・ザ・ジャズ』のあとだね。俺は日本に来るのがこれで4回目なんだけど、音楽をやっていなかったらフィリピンにも南アフリカにもロサンゼルスにもグラスゴーにも行けなかったと思う。あんまり恵まれていない境遇だったからね。そんな俺に音楽が世界に出る機会をくれたんだ。だから自分は音楽に感謝する必要があると思ったし、それを自分の作品に還元する必要性を感じた。自分のツアー先での様子をドキュメンタリー的に動画に残すことはその方法のひとつだね。
 それと別にあることを伝えたかった。俺は世界中を回って、人種、文化、言語といったあらゆる差異を目の当たりにしてきたけど、ひとつだけ共通点を発見したんだ。クラブで俺がプレイ・ボタンを押したあとのフロアの反応は、世界のどこに行ったって変わらなかった。そのことをどうしても記録してみんなに見せたかったね。それから、素晴らしいパーティには、必ず素晴らしいひとびとが関わっていることも伝えたかった。

個人的には“マシンボ”のPVで、フィリピンのコミュニティへあなたが出向いて、現地のミュージシャンたちとセッションする様子にびっくりしました。

S:あれはすごい体験だったなぁ。フィリピン土着の竹でできた楽器を“マラシンボ”ではメインで使っている。共作者のヒラリアス・ドーガのスタジオで録音したんだけど、その小屋も竹でできてんだよ(笑)! 自分が住んでいる地域の山に生えてる竹を自分で採ってきて作ったらしくて、その山の名前がマラシンボって言うんだよね。もちろんフルートからパーカッションにいたる彼の楽器は自作で竹でできている。いままでそんな人間に会ったことがなかったから衝撃だったよ。彼はすごくスピリチュアルなひとで、霊のために音楽を作っているらしい。
 こんな出来事があった。俺はヒラリアスとレコーディングをするために彼の
場所へ行ったんだけど、そこは電話も通じないようなところでさ。フェスに俺は出る予定だったから、他の出演者を含めて5人でヒラリアスに会いでかけた。その場所に着くとヒラリアスがいて、彼の楽器も置いてあるわけ。で、連れのひとりがその楽器のなかからフルートを手に取って吹こうとしたとき、ヒラリアスが「やめとけ! そのフルートには霊が入っているから危険だぞ!」って言うんだ。でも彼はそのフルートを吹いちゃってさ。それでしばらくして振り返って彼を見たら意識を失っていた……。「だからやめとけって言ったんだよ。霊が彼に憑依したんだな」ってヒラリアスは言うんだ。40分くらいで彼は目覚めたんだけど、彼は自分が寝ていることさえ覚えていなかった。言っとくけど本当の話の話だからね。だから“マラシンボ”を聴くとその出来事を思い出すよ。

Swindle - Malasimbo Ft. Hilarius Dauag (Philippines)

アルバムのタイトルに「平和と愛と音楽」を掲げた理由を教えてください。

S:その3つが世界的にどんな人間にも共通している事柄だからだね。それに、たとえ音楽をやらないひとでも平和と愛を必要とする。それに音楽を聴いたときって、好き嫌いを問わずに何かしらの感情を抱くだろ? そういった意味でも音楽は全人類に共通していると思ったから選んだんだ。

なるほど。でもポピュラー音楽の歴史を振り返ってみると、「愛と平和」は散々歌われてきたテーマで、現在はシニカルな態度をとって、それを口にするミュージシャンを馬鹿にするひとも少なくありません。そういう状況で「愛と平和」を打ち出すことに躊躇しませんでしたか?

S:まったくしなかったよ。だってどれだけ「愛と平和」を叫んでも、「愛と平和」がこの世界に満ち足りたことってないだろ? だったらそれを打ち出す必要があると俺は思う。それがダサいって言われようとも、自分のことを「平和と愛と音楽の使者」って呼ぶことに何の躊躇もしないよ。それに、なんで「愛と平和」はダメで、「ギャングスタ」や「悪」のイメージはいいんだ? 売れるから? そんなのおかしいと思うね。だったら俺は言いたいことを言うよ。

そういう覚悟がある上でやっているからこそ、あなたの音楽は多くの人に届いているのかもしれません。あなたのライヴをロンドンで見たとき、最初は「白人がやっぱり多いんだな」と思っていたんですけど、いざライヴがはじまって周りを見回したら、ブラック、アジア系もたくさんいてびっくりしました。あなたの音楽はフロアの人種をミックスしていたんです。

S:それは俺が音楽をやる上で超重要なテーマだ。俺が作っているのは特定のジャンルの音楽っていうよりもミクスチャー・ミュージックだと思う。俺の母親はホワイト、父親がジャマイカ人で、ジャマイカ、イングランド、イタリアの血が俺には流れている。でも見た目がブラックだから俺と兄弟は幼い頃につらい差別を受けたこともあった。だから人種や文化をミックスすることは、俺の人生においてとても重要なことだと意識するようになったね。個人的には音楽においてその壁を越えることは、差別するよりも簡単だと思うんだ。俺はブラックやアジアン、どんな音楽も好きだけど、ただ好きになりさえすれば壁は越えられる。音楽にもう「色」は関係ないね。
  俺がベース・ミュージックをやる理由のひとつには、そのルーツがレゲエにあることも関係しているよ。レゲエはジャマイカ人の苦しみから生まれたけど、いまはジャマイカにルーツがあるかどうかなんて関係なく世界中でポピュラーになっているだろ? それはまさに俺が音楽でやりたいことだ。どんどん人種や文化の壁を壊していきたいね。

これからの活躍に期待していますね。では最後に日本のリスナーにメッセージをお願いします。

S:これで4回目の来日だけど、毎回日本に来るたびに素晴らしいオーディエンスの期待に応えようと思えるよ。ツアー中、2年前に撮った俺との写真を見せてくれるひとや、今夜来るのが初めてだってひとにも会えて最高だった。また絶対に戻ってくるよ! 素晴らしいイベントを企画してくれたDBS、グッドウェザー、それから日本で俺の作品の流通に関わっている方々にも感謝したい。みんな本当にありがとう!

取材協力:DBS

Swindle All Time Best

Quincy Jones – Body Heat – A &M Records – 1974
Herbie Hancock – Just Around The Corner – CBS – 1980
George Benson – White Rabbit – CTI Records – 1971
Ed Rush & Optical – The Creeps(Incredible And Deadly!) – Virus Records – 2000
Bad Company – Inside The Machine – BC Recordings – 2000
Dr. Dre – 2001 – Aftermath Entertainment – 1999
Zapp &Roger – So Ruff, So Tuff – 1981
Parliamentの全ての作品

KOHH - ele-king

 友達は毎日のようにしてる犯罪
 薬物の売人とか色んな人たちがいる
 あの子の父親 あの子の母親 いまごろ刑務所の中
 俺たちも馬鹿 笑っていたいけどいつかはお墓に入る
 天国にも地獄にも持っていけない財布
 俺たちは一人で生きるこの人生
 でかいと思ってたものも近くで見ると実はちいせえ
 たくさんいるひとりの人間
 ひとりで死んで みんなで生きてる
“一人”

 ああ、もうこんなところまで来てしまったのか、というのが最初の感情で、その感覚はリリースから3ヶ月たったいまでも、ずっとつきまとっている。たぶんこれからもしばらくは薄れることはない。もうこんなものができてしまったのか。ほんとに、あっというまだ。

 音と言葉。それらは本来、同じものだ。なにかがひらめき、息を吸って、喉をふるわせ、舌をうごかし、唇をひらく。あるいはその逆。無意識に口をついてでた音が、ある意味をつくりだして、それに驚いたり、なにか理解したりする。叫びやつぶやきは、それ自体が言葉であり音楽だ。
 シンセサイザーとドラムマシン。人間が作り出した機械は、とっくの昔に人間の模倣をやめた。生身の肉体にはけして演奏することのできない音色とリズム。プログラムとインターフェイスが、人間そのものをつくりかえる。感情をデジタライズし、マシンをからだの一部にする。人間に制御できない未知のテクノロジーが、自然界には存在しないミュータントを生み出すように。

 『DIRT』と名づけられた、マシンのビートと人間の肉声による13曲。しなやかだ。そして鋭利だ。ユーモアも忘れてない。ドロドロしてる。渇いている。熱っぽくて、でも醒めている。法律的な意味で悪くて、それでいてとても倫理的だ。薬物。嘘。欲望。裏切り。暴力。それはどこにでもある。慈愛。幸福。赦し。感謝。これもありふれたことだ。騙すのも盗むのも悪いことだと知りながら、それでもみんな騙したり盗んだりする。世界がゆがんでいるのはそんな自分たちの仕業だ。神様を信じていない人間も原罪の感覚を抱く。犯罪。懲罰。奪うこと。わけあうこと。モラルの意味を考える。わかんなくなる。ぞっとする。声をあげて笑う。

 ラップはラップというよりは、ヴォーカリゼーションの極限を探求している。死の瞬間のような絶叫。耳をくすぐるつぶやき。電気を帯びたような歌声。一音一音まで研ぎすまされたトラックが精密なマシンのように駆動している。凶暴なベースの蛇がうねる。ハイハットの針が鼓膜を刺す。感情のないグリッチノイズ。無感覚なアンビエントの音色。機械の冷たく完璧な音のうえで、不完全な人間の声が踊り、交差し、破裂する。打楽器のビートにあわせて人間が喋る/歌う、たったそれだけの普遍的なアートを、わざわざラップだなんて呼んでいるのが、ばかばかしくなる。

 生と死。そう言葉にするのはかんたんだ。だけど、ほんとは誰もそれを知らない。物音。光。匂い。感触。味。五感が伝えるものは確かなのに、つかまえようとすれば逃げていく。音である言葉。言葉である音。言葉でできているのに、それは言葉じゃない。音でできているのに、それは音じゃない。大切なのはイメージだ。想像するって言葉の意味を想像しろ(Imagine the meaning of Imagine)。

             *

 「すべての美は傷から生まれる」
 パリ生まれのそいつは泥棒で、少年院でホモ・セクシャルに目覚めて、18才で軍隊に入って脱走し、投獄と放浪を繰り返して終身刑を宣告され、それでもデッチあげの日記で有名になって大統領の恩赦をうけ釈放されて、晩年はブラックパンサーとパレスチナの蜂起に身を捧げた。根性焼きの痕。包丁の傷。肌に安全ピンと墨汁で彫った落書き。それを隠すために、マシンの針でインクを流しこむ。皮膚に刻まれた美しいアートは、呼吸にあわせてうごめく。いちばん最初の傷は消えるわけじゃない。生き物みたいな自傷の絵画の下に、ずっと残っている。けして癒えることない傷口。それは女の性器に似ている。

 「たったひとりの女の子のことを書こうと思っている。いつも。たった一人の。一人ぼっちの。一人の女の子の落ち方というものを」
 河原の白骨死体を囲む子供たち。暴力、薬物、幼いセックス。おたがいに傷つけあって、だけどその痛みには気づかない。20年前、東京生まれの女がそんな物語を書いた。郊外の団地。たなびく工場の煙。排水で濁った河。時代は変わっても、場所は残る。リバーズ・エッジ。さっきまでそこにいたのはひとりの少年だ。ただしいまは、落ちていくところじゃなくて、たくましく成長して、どんどん上に昇っていくところ。

 「飢えた子がいなくて芸術は可能なのか」
 昔むかしアフリカの飢餓をみて、飢えた子どもを前に文学は可能か、といったマヌケな哲学者がいた。どうやらそいつは、圧倒的な現実の前では、文化や芸術は無力だ、と言いたかったらしい。とんでもないバカだ。その衰弱した問いは、正しく逆転させられなきゃならない。圧倒的な現実なしに、はたして価値ある芸術は生まれるのか、と。カップラーメンと、醤油をかけた白い飯。父親がいない。母親がいない。空腹にたえかねて犯罪をする。シンナーとマリファナの匂いを嗅ぐと保育園のときを思い出して、子どもの頃に見ていた白い粉の正体を物心ついてすぐ理解する。つくりものの言葉や文化がすべて意味を失う。そんな現実からこそ生まれる芸術がある。

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 じゃあ戻ろう。I-DeAプロデュースの“BE ME”。アルバムで最初で最後の強烈な叙情。ざらつくギターに誘われて、モーリス・アルバートの“FEELINGS”がセンチメンタルに鳴りひびく。「わたしは愛の感情を忘れようとしている」。この寂しさは決意の伴侶だ。ストリングスの哀愁を、キックとスネアが余裕をもって追いかけていく。エフェクトのかけられてない生の声。ヴォーカルの音量が大きい。吐き出される言葉に躊躇はない。素朴さと、刻々と変化していく確信に満ちている。これだけでもう、じゅうぶんだ。

 以降のサウンドはすべて最新のトラップ。“DIRT BOYS”は香港の言葉では「汚垢男孩」。オリエンタルで金属的なループに、硬質で隙間のある空間的なビート。阿片戦争でイギリスに征服されて繁栄し、いまは中国共産党から弾圧される都市のゲットーで、旧大日本帝国の末裔のチェイン・ギャングたちが歌っている。中華料理店の厨房にぶらさがる生首のラップは、最近のUSシーンの軽薄なエキゾティシズムの搾取への、痛烈なカウンターだ。USのトレンドを手当り次第に奪いまくっているうちに、ついに驚異的に異形なパスティーシュをつくりだしてしまった。こんなもの、アメリカ人にはつくれっこない。

 きっと誰もがびっくりする、“一人”や“社交”の電気を帯びたような歌声も、盗品だ。もともとの持ち主は、アトランタのYOUNG THUG。だけど奪ってきたものは、もう誰のものでもない。まるで子どもが泣きながら歌っているような声だ。言語能力が未発達な子どもは、泣き声だけで自分の感情を伝えようとする。だから泣き声というのは、もっとも切実なコミュニケーションだ。電気がほとばしるように、声が感情を放電し、びりびりと鼓膜を感電させる。語族不明の孤児言語である日本語による、いままで誰も聴いたことのない歌。

 USシーンへのカウンターというなら、最高に盗人猛々しいのは“LIVING LEGEND”。咆哮フロウのオリジネイター、OG MACOと同じDEEDOTWILLのビート。耳を引き裂くディストーション。みぞおちをえぐるベース。これは完全にラップによるパンクだ。シンプルな韻律に従って、直情的に言葉が放り出される。合衆国の文化的な植民地である極東の島国のラッパーが、本土アメリカのアーティストを笑いながら脅かしている。ふつう「LIVING LEGEND」といえば「LEGEND」のほうが強調されるものだけど、KOHHは「LIVING」ばかり何度も繰り返している。

 死んだら意味ない。生きてるのがいい。その生の感覚は、死の輪郭をなぞって確かめられる。2PACの言葉を引き継ぐ“IF I DIE TONGHIT”。金のために悪いことをする/いや、悪いことをしなくても。ガムテープで手足を縛られ、車のトランクに詰められる。最後はピストルかナイフか鉄パイプ。あるいは車が突っ込んで。そうじゃなくたって生の結論はいつも死だ。みんないつか死ぬ。それは今夜かもしれない。だとしても/だからこそ、ラップは楽しげだ。アウトロのホラーコアじみたコーラスは圧巻。3人のマイクリレーなのに、ひどく孤独。

 ハイライトは、生と死のテーマがもっともストレートに吐き出される“NOW”、そして“死にやしない”。オーヴァードーズで死んだシド・ヴィシャス。猟銃をくわえて頭を吹き飛ばしたカート・コベイン。剃刀で耳を切り取ったヴァン・ゴッホ。異常者に撃ち殺されたジョン・レノン。たいていみんな銃か薬物に殺される。ドラッグはコカインやヘロイン、日本ならやっぱりスピード。そんなことばかりやってたらすぐに死んじゃうから、LSDを舌で溶かして音をつくり、絵を描く。金を稼いで新しい女と出会う。いつかピカソのように死ぬまで。誰かを憎むのは、いつまでも同じ場所にいる奴だけだ。なにをするのもすべて不自由で自由。愛するのも殺すのも。

 明日なんていらない、とKOHHが歌うとき、それは文字通りの意味だ。明日という概念自体が存在しない。明日も明後日も、その後もずっと、死ぬまでの未来のすべてが、現在だ。死の瞬間まで永遠に続く現在を生きるならば、肉体後の不滅さえ信じられるだろう。これは、明日をも知れないから今日を楽しむ、という古きよきハードコア・ヒップホップのニヒリズムとは決定的に違う。未来を否定して現在を肯定するのではない。現在への圧倒的な肯定によって、むしろ未来の概念そのものを書き換える。トラップ以降のシンプルな日本語だけで、Nasのあの有名なパンチライン「人生なんてくだらない(LIFE IS A BITCH)」を更新してしまっている。

               *

 『DIRT』はまぎれもなく、21世紀の日本で誕生したばかりのゲットー・リアリズムだ。KOHHはしかし、日本的な情緒にうったえて叙情の涙を誘うのではなく、最新のフロウを駆使してプリミティヴな感情をえぐりだす。そもそも彼はトラップ・ラッパーだ。トラッシュな言葉を並べたて、ナンセンスなジョークを平然と口にし、誰もが嫌悪する下世話なリアリティを歌う。ドラッグにハイファッション、女たちと犯罪。それは使い古された既存のストーリーへのアンチテーゼだ。無意味による意味への襲撃だ。真顔で口にされた言葉が、次の瞬間にはひっくり返される。彼のリアリズムはけして、おざなりの感動の物語をなぞることはない。

 犯罪と貧困。売人や中毒患者。刑務所にいる誰かの父親、誰かの母親。そんな光景を描く“一人”は、もっとも音楽的な実験性に溢れる曲でもある。まずもって驚くのは、その斬新なフロウの複数性。涙声のような歌の叙情は、地声のラップの乾いた笑いによって切り裂かれる。それに、キックもスネアもかき消してしまう強烈なベース。その奇妙な浮遊感に煽られて、いっさいの物語から解放された不定形な感情の塊が、目には見えないオブジェのように宙を舞っている。これはリアリズムのナイフで彫刻された、音と言葉によるアブストラクト・アートだ。圧倒的で、繊細なものが浮き彫りにされているけれど、それにありきたりの名前を与えることはできない。

 制作方法でいえば、このアルバムのいくつかの曲は、一度も文字になってない。KOHHはリリックをいっさい書き留めずに、いくつかのフレーズだけをその場で暗記して何度か復唱し、あとは直感のままにレコーディングしている。最近のUSのラッパーたちがよく使う手法だ。フリースタイルでライヴ感を出そうというのではなく、創作上の方法論として無意識のインスピレーションをすくいとろうとしている点で、むしろシュルレアリスムの自動筆記に近い。あるひとりの人間の脳裏にひらめいた言葉が、ノートにも、iPhoneの画面にもつかまらずに、そのままステレオを振動させ、音になって鼓膜までとどく。かつてアンドレ・ブルトンに毛嫌いされてシュルレアリスム運動から排除された音楽は、いま日米のゲットー・カルチャーのまっただ中で、そのオートマティスムを現代的に蘇生させつつある。自意識の鎖から解き放たれた視線は、生々しい傷を至近距離で見つめながら、物語の涙に溺れることを拒否して、瞬間ごとに生成する感情をリアルに写しとっている。見事だ。ああ、もうこんなものができてしまったのか。

               *

 ヒップホップ映画のクラシック『ワイルド・スタイル』が日本で上映されたのは、もう30年以上も前のことだ。当時、世界一の経済的安定を謳歌していた日本は、バブルの狂騒と崩壊を経験し、その後のながいながい経済停滞は、社会全体の地盤沈下をともないつつ、「失われた10年」から「失われた20年」へとその呼び名を変えた。だから、もうこんなところまで来てしまったのか、というのは、ひとりのアーティストの成長への驚きというだけじゃなくて、この社会の変化に対する嘆息でもある。いつのまにか、こんなところまで来てしまった。ほんとに、あっというまだ。

 はっきりと言っておく。ヒップホップ創成期1982年のグランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイヴの“THE MESSAGE”以来、ラップ・ミュージックは、ゲットー・ミュージックだ。1950年代のリズム&ブルースがそうであったように。1970年代のファンクがそうであったように。この音楽は社会の傷口から生まれた。すくなくとも、その始まりにおいて。ラップはゲットーに鳴りひびく銃声に負けないように、ヴォーカルの声を破裂させた。傷口を癒すハーモニーを捨て、痛みを吹き飛ばすほどの快楽を求めた。始まりの傷を忘れてしまえば、音楽は子どもを楽しませるだけの玩具になる。逆に傷に支配されてしまうなら、それは老人の感傷を慰めるだけの標本になる。どちらにせよ、ただのグッド・ミュージックだ。ゲットー・ミュージックは、けして傷を忘れず、かといって傷の奴隷にもならない。ラップはいまだゲットー・ミュージックだ。すくなくとも、その現在地点において。

 『DIRT』はひとことも社会についてなど歌っていない。表現されているのは、むきだしの感情と、世界中を移動する半径5メートルほどのリアリティだけだ。それでも、そこに見え隠れするアンダークラスの現実は、一億総中流の神話によって隠蔽されてきたこの社会の傷口を、否応なく炙りだしてしまう。それも、爆発的な解放感とともに。社会問題を告発しようとするあらゆるジャーナリズムや政治的な芸術が、どこまでも退屈な凡庸さから逃れられないのは、同情と差別の視線にさらされるその傷が、すべての力の源泉であることを知らないからだ。この音楽は、社会の傷にぎりぎりまで肉迫しながら、同時に、その傷からもっとも自由なところにいる。傷を忘れてはいないが、けして傷の奴隷にもなっていない。

 日本列島の10年代は、2011年の震災で始まり、2020年の東京オリンピックで終わる。そのディケイドもすでに半ばを過ぎ、いまだミドルクラス幻想のノスタルジーにまどろむ日本にとって、この音楽は、強烈な異物だ。「クール・ジャパン」のかけ声のもと、傷ひとつない顔で微笑んでみせるアイドルがチャートを占領し、ただでさえカラオケ文化に支配されて久しいこの島国では、いつのまにか微温的な共感だけがポップ・ミュージックの定義となっている。おびただしいタトゥーや黒社会の影、クランベリージュースで割ったコデイン、マリファナの匂いを隠すファブリーズ、着ている服も隣にいる女もすぐに変わって、周りではまた誰かが捕まり、また誰かが帰ってくる。そんな日常は誰にとっても共感可能なものじゃない。だが、芸術とはそもそも越境のことだ。この世界に引かれたあらゆる境界線を侵犯し、異物=他者に出会い、精神と肉体を爆発的に変化させることだ。

 KOHHがそのダーティであけすけなラップによって切りひらきつつあるのは、日本の新たなポップ・スターのあり方そのものだ。USシーンとの共振のもと、アンダーグラウンドで生まれたこの音楽の射程は、けして地下だけにとどまってはいない。仲間内で媚びを売り買いするクラブの社交会には背中を向け、むしろグローバルなポップ・フィールドをみすえている。このずば抜けたクオリティのアルバムは、突き抜けるようにラフなエンディングで終わっているけれど、才能あるアーティストが最高峰のプロダクション・チームを味方につければ、このくらいの作品は楽しみながらつくれてしまう、ということだろう。メジャー・シーンがますます内向きに自閉していくのに反比例するように、アンダーグラウンド・シーンはいよいよグローバルな進化を遂げつつある。まるでギャング映画を楽しむように音楽を聴く? 冗談じゃない。この最高にクールでポップなゲットー・ミュージックは、いまこの瞬間、この日本で鳴らされている。列島の住人たちは、みずからのリアリティと地続きの、そのよろこばしい戦慄を、まずはぞんぶんに味わうべきだ。

               *

 すべての仕事は売春である、とジャン・リュック・ゴダールは言って、岡崎京子はそこに、そしてすべての仕事は愛でもあります、とつけ足した。誰もが交換可能な商品であること。誰もが唯一無二のアートであること。平坦な戦場(Flat Field)とは、「終わりなき日常」といった時代の気分のことじゃない。それは、終わらないはずの日常が終わっても残る、あるトポスのことだ。大人になれない大人たち。子どものままではいられない子どもたち。男と女。そのどちらでもない誰か。すれ違って傷つけあう。結ばれて慰めあう。つかのまの永遠。惨劇と祝福。銃声と産声。窓の外を見ろ。すべてのことが起きうるのを。

 かつて岡崎京子が世界に冠たる巨大で空虚な消費空間として描き出したメトロポリス東京は、マルセル・デュシャンやジョアン・ミロをこよなく愛する北区王子出身の不良の手によって、こんなにも危なっかしく、楽しげな場所に描きなおされた。永遠に続くかに思えた栄華と閉塞のほころびは、20年前の女の直感どおり、東京郊外の河べり、リバーズ・エッジで生まれた。明暗のコントラストを激しくした大都市は何度もその名を呼ばれ、いま目覚めの時刻を告げられる。TOKYO、TOKYO、TOKYO、TOKYO….

 すべて聴き終えて、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからない。ひとつの社会から、これほどまでに傷だらけで、美しい音楽が誕生することは、もしかすると手ばなしに賞賛されるべきじゃないのかもしれない。まず初めに傷があった。このとてもいびつで、爆発的な自由の感覚を宿した音楽は、傷がなければ生まれなかった。皮膚の傷にインクが染みこみ、タトゥーという生きたアートになるように、ラップ・ミュージックは社会の傷に流れこみ、この歓喜と痛みの声をひびかせる。いちばん最初の傷。与え/与えられる始まりの傷。その傷口にそっくりの女の器官から、すべての命は生まれる。その傷口にそっくりの唇から、すべての言葉は生まれる。血と、音にまみれて。

 信じてもいない神様を憎み、感謝する。
 すべては、傷から生まれたんだ。

  

Inspirations from;
ジャン・ジュネ「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」
岡崎京子「ノート(ある日の)」
中上健次「飢えた子がいなくて文学は可能か?」

interview with Yo Irie - ele-king


ベース・ハウス歌謡、グライム歌謡、ポスト・Jディラ歌謡……。入江陽が大谷能生と共に制作したアルバム『仕事』のテーマがネオ・ソウル歌謡だったとしたら、それに続く、セルフ・プロデュースの新作『SF』はさながら現代版リズム歌謡のショーケースだ。もしくは、昨年、幾つかの日本のインディ・ロック・バンドが真正性を求めてシティ・ポップからブラック・ミュージックへと向かっていったのに対して、彼の音楽にはむしろニュー・ミュージック・リヴァイヴァルとでも呼びたくなるような浮世の色気が漂っている。「くすぐりたい 足をかけたい クスっとさせたい あきれあいたい/たのしいこと しようぜ 俺と おそろしいとこ みてみたい 君の こどもぽいとこ 守りたい それも ところてんとかで 包みたい」(“わがまま”より)。そんな怪し気な誘いから始まる『SF』について、この、まだまだ謎の多いシンガーソングライターに話を訊いた。

入江陽 / Yo Irie
1987年生まれ。東京都新宿区大久保出身。シンガーソングライター、映画音楽家。学生時代はジャズ研究会でピアノを、管弦楽団でオーボエを演奏する一方、学外ではパンクバンドやフリージャズなどの演奏にも参加。2013年10月シンガーソングライターとしてのファースト・アルバム『水』をリリース。2015年1月、音楽家/批評家の大谷能生氏プロデュースでセカンド・アルバム「仕事」をリリース。映画音楽家としては、『マリアの乳房』(瀬々敬久監督)、『青二才』『モーニングセット、牛乳、ハル』(サトウトシキ監督)、『Sweet Sickness』(西村晋也監督)他の音楽を制作。2015年8月、シンガーソングライターbutajiと『探偵物語』、同年11月、トラックメイカーsoakubeatsと『激突!~愛のカーチェイス~』(7インチ)をともに共作名義でリリース。




作詞、作曲、歌、アレンジ、それぞれを全部違うひとがやる曲っていうのは、最近のポップ・ミュージックではあんまりないかなと。









入江陽

SF


Pヴァイン


Tower
HMV
Amazon


今回のアルバム『SF』は入江さんのセルフ・プロデュースになります。前作『仕事』(2015)は大谷能生プロデュースでしたけど、現行のダンス・ミュージックをいかに翻訳するかという点では、『SF』も基本的にはその“仕事”を引き継いでいると思いました。ただ、前作のテーマとして“ネオ・ソウル歌謡”みたいなものがあったとしたら、今回はビートがよりカラフルになっている。そこには、さまざまなトラックメイカーを起用していることも関わっているんでしょうが、まずは、今回のアルバムを自分でプロデュースしようと思った経緯を教えてください。

入江陽(以下、入江):ファースト・アルバムの『』(2013)は自分のバンドでつくったのに対して、セカンドは大谷さんにトラックを作っていただき、そのうえで歌を歌いました。それを踏まえて、今回のアルバムでは、いったんは自分ひとりでやってみようと思ったんです。トラックメイカーの方も、身近で同年代のひとといっしょにやろうということを念頭に置いて。大島(輝之)さんだけはベテランの方なんですけど、他の方々は自分の上下3歳以内で、交友範囲も友だちかその友だちくらいというか。あと、前回の大谷さんのプロデュースは、ゆっくりした、打点がズレたリズムのヒップホップということがテーマでもあったので、今回は逆に速い曲とか普通の8ビートとかもやっています。


イタリア / 入江陽 MV (ファースト・アルバム『水』より)

実際は『仕事』も、“鎌倉(feat. 池田智子 (Shiggy Jr.))”、“フリスビー”、“マフラー”……のようなポップな楽曲もありましたけど、先行MVとして公開された“やけど(feat. OMSB from SIMI LAB)”のようなポスト・Jディラ的なビートが多かったので、どうしてもそっちの印象が強くなってしまったというか。一方、『SF』にも“おひっこし”のような後者寄りの楽曲もありますが、全体的には前者寄りなのかなと思いました。

入江:おっしゃるように“やけど”の印象が強いと思ったので、そうじゃない曲を今回はつくろうと思いました。



入江陽 - やけど [feat. OMSB (SIMI LAB)]



入江陽 - 鎌倉 [duet with 池田智子(Shiggy Jr.)]


ゲストに関して、同年代かつ親しいひとを選んだというのは、趣味趣向が近いひとがよかったということですか? あるいは、その方がコミュニケーションが取りやすいから?

入江:どちらかというと今回はコミュニケーションのほうですね。長いつきあいのひとばかりというか。

やはり、大谷さんだと恐縮してしまうとか?

入江:いやいや(笑)。もちろんそれもありましたけど、それが嫌だったわけではないです。ただ、その反動というか。

大谷さんとはいまも一緒に入江陽バンドをやっていますもんね。

入江:そうです。それに、毎回違うほうがおもしろいかなと思いまして。

不勉強ながら、今作のゲストは知らない方が多かったのですが……。

入江:まぁ、友だちって感じなので。

10曲中4曲を入江さんと共同で作曲をしている「カマクラくん」というのは?

入江:シンガーソングライターで、メロディを書く能力がすごく高い人です。なので、そこだけ担当してもらって、アレンジやトラックは違うひとにつくってもらいました。

入江さんのようなシンガーソングライターが、作曲にゲストを招くというのは珍しいですよね。

入江:僕が書くメロディだと少し凝ってしまう気がしたんです。でも、カマクラくんが書くとすごくシンプルで覚えやすくなるので、何曲かお願いしたというか。それに、分業する楽しさもありました。作詞、作曲、歌、アレンジ、それぞれを全部違うひとがやる曲っていうのは、最近のポップ・ミュージックではあんまりないかなと。

作業の手順としては、トラックをもらってから、それに合わせて曲を書いていった感じですか?

入江:そういう曲もあります。“おひっこし”と“悪魔のガム”がそうですね。それ以外の曲は、まず、大体のコードとメロディを書きました。


入江陽 - おひっこし (Lyric Video)


『仕事』のときも「ネオ・ソウル歌謡」と言いつつ、だんだんとアレンジが変わり、結局、全曲がバラバラという感じになったんですが、今回も音像としてのコンセプトはなくなっていったというか。

『仕事』がネオ・ソウル歌謡だとしたら、『SF』はハウス歌謡もあれば、EDM歌謡もあれば、グライム歌謡もありますけど、そういった、いわゆる現代版リズム歌謡の見本市みたいなものをつくろうというテーマはあったんですか?

入江:途中までは80年代っぽい音像にしようと考えていたんですけどね。エンジニアの中村(公輔)さんともそんなふうに話していたものの、送られてくるのがそれとは関係ないトラックだったりして。『仕事』のときも「ネオ・ソウル歌謡」と言いつつ、だんだんとアレンジが変わり、結局、全曲がバラバラという感じになったんですが、今回も音像としてのコンセプトはなくなっていったというか。

参加したトラックメイカーの方たちは、普段はダンス・ミュージックをつくっているひとが多いんでしょうか? 4曲を手掛けている「Awa」は、ダンス・ミュージックの手法を使ってシティ・ポップをつくるユニット「檸檬」にも参加していますよね。ちなみに、入江さんはその檸檬の7インチ「君と出逢えば」にヴォーカルとしてフィーチャーされています。

入江:そうですね。Awaくんはクラブ・ミュージックやヒップホップが好きで。檸檬にはギターやアレンジで参加していて、エスペシアにも1曲提供していました。

〝hikaru yamada〟というのは?

入江:ライブラリアンズという女性ヴォーカルのユニットもやっています。前作『仕事』の表題曲の共同制作者でもあります。でも、yamadaくんもAwaくんもやっている曲が好きというよりも、友だちだから誘ったという感じですかね。5年くらいのつきあいで、ふたりとも年齢が1つ下なので。mixiのコミュニティで知り合ったんですが(笑)。

どんなコミュニティだったんですか?

入江:いまとなっては少し恥ずかしいんですが、「近現代和声音楽好きなひとたち」みたいな(笑)。“悪魔のガム”の耶麻ユウキさんってひとは、yamadaくんの大学の先輩ですね。彼はグライムとかハウスが好きみたいで、3歳くらい上です。

「Teppei Kakuda」は?

入江:彼はちょっと変わっていて、トラックメイカーでもあるんですけど、バークリーのジャズ作曲科を中退して去年日本に帰ってきた方なんです。だから和声や譜面にも強い。それでドラムも叩いています。ここも友だちだったので誘いました(笑)。

そして、最後に「Chic Alien」。

入江:butajiくんと共作した“別れの季節”(入江陽とbutaji『探偵物語』収録)のトラックメイカーで、このひとも3歳くらい下なんですけど。

ちなみに、いまやっている入江陽バンドのライヴもすごくいいですが、あのメンバーでアルバムをつくろうとは思わなかったんですか?

入江:アルバムのアレンジはアルバムでやって、ライヴはまた別でリアレンジしたらおもしろいかなと。

『Jazz The New Chapter』(シンコー・ミュージック)がピックアップした現行のクロスオーヴァー・ジャズのように、打ち込みと生演奏の相互作用を意識している?

入江:それはちょっと考えていて、あとはバンドではできないこと、ライヴではできないことを音源でやりたいんですね。まぁ、レコ発はバンドでやるのでかなり矛盾していますが。ライヴ用のアレンジに関しては、大谷さんが音源を初めて聴いたところからはじめる。そうやって、翻訳をしていく過程で、失敗したり成功したりするのがおもしろいというか。あと、音源として良質なトラックを作る能力と、ライヴで演奏する能力はまた別なので。


粗悪さんとは、ふたりのユーモアの感覚というか、ふざけたい感じが一致したんです。同い年なのもあるかもしれません。

入江さんのディスコグラフィーにおいて、『仕事』と『SF』の間のリリースで特に重要なものがふたつがあると思って。ひとつはbutajiとつくったEP『探偵物語』(2015)で、クレジットを確認せず初めて聴いた時、カヴァー集かと勘違いしたくらいポピュラリティを感じました。もうひとつは粗悪ビーツとつくった7インチ「激突!~愛のカーチェイス~/薄いサラミ」で、あれはトラップ歌謡というか、大谷さんが現行のヒップホップ/R&Bを取り入れた延長にありますけど、さらにモダンかつイビツになっていました。

入江:探偵物語は、butajiくん作曲のものが多かったので、そういう感じになったのかもしれませんね。粗悪ビーツさんとの7インチは、粗悪さんのトラックがマイナー・コード一発の構造なので、相性がいいかなと思って歌謡曲っぽくつくってみたのと、ふたりのユーモアの感覚というか、ふざけたい感じが一致したんです。同い年なのもあるかもしれません。「同い年ですよね」って言ったら、「学年はいっこ上だから」って怒られましたけど(笑)。

それにしても、さっきからやたらと年齢のことを気にしますね。

入江:いや、年齢が近いということを言いたかっただけなんですけど……たしかに気にするほうかもしれないです。一方で、年齢が近いひとに対してもタメ口を使うのがヘタで(笑)。

それは恐縮してしまって?

入江:僕は医学部だったんですが、誰にでも敬語で話す文化があったんです。5浪して入ってくるひととかもいますから、使い分けがけっこうやっかいなんですね。それがまだ抜けてないのかもしれません。

なるほど。歳上を敬うためではなく、事を無難に運ぶために敬語を使う。

入江:よく言えば、敬語でも仲良くできる。悪く言えば、誰とでも壁ができている感じですね。

これは悪口じゃないんですけど、大谷さんのトラックは複雑ですし、僕の歌詞もめちゃくちゃじゃないですか(笑)?

『SF』では『探偵物語』と「激突!」の方向性が合わさっているというか、より積極的に現行のダンス・ミュージックを取り入れている一方で、ポップな印象を持つひとが多いと思うんです。

入江陽とbutaji - 探偵物語




激突!〜愛のカーチェイス〜


入江:実際、明るい曲調も多いと思います。

BPMも早いし、リズムの手数も多い。

入江:前作とはまた違うことをやって、音楽性の幅を広げたかった感じですね。

『仕事』がリリースされた時、僕は入江さんのことを知らなかったので、まるで突然現れたかのように思えました。そのあと、渋谷〈OTO〉でやっている〈Mango Sundae〉というヒップホップのイヴェントで、大谷さんとのデュオのライヴを観ましたが、MCがぎこちないことを大谷さんにずっとダメだしされていて(笑)。でも、曲と歌は文句なしにいいので、大谷さんはこんな変わった才能を持つひとをどこで見つけてきたんだろうと。アルバムが出たあと、本格的にライヴをやりだしたという感じですか?

入江:弾き語りやバンドでのライヴは数年前からやっていましたが、『仕事』リリース後、ライヴの機会が増えましたね。

やはり、『仕事』を出したあとに経験してきたことは大きい?

入江:だいぶ大きいですね。2015年は『仕事』をきっかけにライヴをたくさんやりましたし、誘いも増えたので。

『仕事』の頃の話でいうと、当時、『ele-king』に載った矢野利裕さんが聞き手で、入江さんと大谷さんがふたりで答えたインタヴューを改めて読んだら、そんなにインディと呼ばれるのが嫌だったのかと思って。2015年末に恵比寿〈リキッドルーム〉のカウントダウン・イヴェント(2016 LIQUID -NEW YEAR PARTY- + LIQUIDOMMUNE Presents『遊びつかれた元旦の朝に2016』)に出てもらいましたけど、ブッキングしたフロアが「インディ・ミュージック」という括りだったので、申し訳ないことをしたなと。

入江:いやいやいや(笑)。出演できてとてもうれしかったです。本当にありがとうございます。大谷さんと僕におそらく共通しているのが、インディ音楽とメジャー音楽をあまり分けて考えていないというか。リスナーとしての耳がそういう分かれ方をしていない、という話な気がします。

他方、あのインタヴューでは一貫して「インディじゃなくて、J-POP、歌謡曲なんだ」ということを言っていて。本当に当時から自分の音楽にそこまでポピュラリティがあると思っていました?

入江:思っていました。でも、これは悪口じゃないんですけど、大谷さんのトラックは複雑ですし、僕の歌詞もめちゃくちゃじゃないですか(笑)? 本当にポピュラリティを求めているのか、っていう。

僕もそう思うんですよ。たとえば、入江陽の音楽のオルタナティヴさだとか、ステージ上のどこかキマっていない佇まいだとか、聴いている方、観ている方がそわそわするあの感じは、もしポピュラリティを目指しているのだとすれば、単に未熟な部分として片付けられてしまいますよね。ただ、そうではないんじゃないか。

入江:未熟な部分もあると思うんですけど、大谷さんもぼくも違和感みたいなものが好きでやっている部分もあるので、それは自己矛盾というか。たぶんその話でのメジャーという言葉は、聴く耳の問題だと思うんですよね。松田聖子やジュディ・アンド・マリーみたいに、歌が真ん中にバーンとある感じでやりたいっていう精神論というか(笑)。

『SF』は『仕事』よりもポップになったと思うんですけど、それは狙ったところ?

入江:今回、それは個人的にはなくて、どちらかといえば技術的な挑戦の意味合いが大きかったんです。例えば1曲目の“わがまま”は、速い曲をつくりたいと思って取り組んだ。前作やライヴでやっている曲のBPMを測ったら、大体が100前後だと分かって、マンネリ化してはダメだなと感じたんです。

ライヴをやっていく中で気持ちに変化があった?

入江:そうですね。ライヴの音源を聴いたら全部いっしょというか。

遅い曲で客を掴むのは難しいですよね。特に対バンがいる時は。

入江:厳しい状態を強いられたときもあったので(笑)。

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べつにインディ感が嫌いとかではないんですけど、自分の声でやる場合にはエセ商業感があったほうがおもしろいんじゃないかとは思っていまして。

ポピュラリティと言えば、影響を受けたアーティストとして井上陽水の名前をよく挙げていますよね?

入江:井上陽水さんのようになりたいというよりは、井上陽水さんのように変なことばを使いながらも、とても美しい歌詞を成立させることへの憧れ、みたいなものはありますね。

先程挙げたインタヴューで、大谷さんが『仕事』は『氷の世界』(1973)を目指したと言っていて、それはちょっと意味が分からないなと思ったんですけど……(笑)。

入江:あれは『氷の世界』ぐらいの曲を作る、っていう気合いのことだと思うんですけどね。ヘタに言い換えて大谷さんに「違う」って言われるのも怖いですけど(笑)。

『氷の世界』は日本初のミリオン・セラー・アルバムですからね。むしろ、僕は『あやしい夜をまって』(1981)とか『LION & PELICAN』(1982)なんかに入っている、EP4の川島裕二がアレンジした楽曲のヤバさに近い感覚を入江さんの音楽に感じるんですが。

入江:川島裕二ってバナナさんのことですよね? 大好きです! あと、今回、エンジニアの中村さんと80年代っぽい音にしたいって相談する中で、リアルにそれを目指せる機材がスタジオに増えていったんです。そのおかげで、本格的な80年代の音になったのかもしれないですね。あの頃の陽水のアルバムはいま聴くといい意味でうさん臭いというか……。

ポピュラーな例として挙げましたけど、実際はいちばん売れていなかった時期ですしね(笑)。

入江:あとすごくバブル感がするというか。ぼく世代の耳で聴くと新鮮だと思うんですけどね。

僕もよく知らなかったんですが、DJのクリスタル(Traks Boys/(((さらうんど)))/Jintana & Emeralds.)と呑んでいるときに、川島裕二がアレンジした「背中まで45分」を聴かせてもらい、ぶっ飛ばされて、中古レコードを買い集めるようになりました。べつに狙ったわけじゃないんですが、さっきも〈レコファン〉で……(87年のアルバム『Negative』のレコードを取り出す)。

入江:あー、これはいちばんすごいジャケの! タイトルも酷いですよね。売れる気がない。

この後に“少年時代”(1990)が出て、世間的には復活するというか。いや、セルフ・カヴァー集の『9.5カラット』(1984)なんかは売れたのか。

入江:べつにインディ感が嫌いとかではないんですけど、自分の声でやる場合にはエセ商業感があったほうがおもしろいんじゃないかとは思っていまして。

ポピュラーな音楽が好きというよりは、ポピュラーな音楽の中で実験的なことをやってしまったがゆえに、商業的には失敗してしまったものが好き、とか?

入江:僕がお金がかかっている感の音楽をやったらおもしろそうだなと。

あるいは、日本のインディ・ポップでは、何年も前から「シティ・ポップ」がキーワードのひとつになってますけど、入江さんの音楽からはむしろ「ニュー・ミュージック」を感じます。

入江:たしかにシティ・ポップ感はないですよね。

かつてのシティ・ポップもいまのシティ・ポップも架空の都市を歌っているというか、言い換えると土着性から逃れようとするものだと思うんですけど、入江陽の場合、海外の音楽を参照していても、どこか土着的な感じがするからそう思うんですかね。

入江:あと、シティ・ポップの歌詞は風景描写的だったり、BGMとしての機能も重要だと思うのですが、僕の場合、必ずしもそういう感じではないですよね。









入江陽

SF


Pヴァイン


Tower
HMV
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そういえば、『SF』をつくりはじめた際にどうして「80年代」をテーマにしようと思ったんですか?

入江:4つ打ちと8ビートが多いので80年代っぽい音が合うんじゃないかと。あと、アレンジを70年代っぽくしてしまうと、僕の声だと完全に渋くなってしまう予感がするので(笑)。

さっきのブラック・ミュージックの話にも通じるんですけれども、今年はラップもかなり聴いたので、憧れを強めていて。

インディ云々の話を蒸し返すと、『仕事』は決して孤高の作品というわけではなくて。昨年の日本のインディ・ロックでは、ブラック・ミュージックの要素をいかにして取り入れるかということがある種のトレンドになりましたよね。そういった作品を聴いたりはしました?

入江:Suchmos(サチモス)とか普通にかっこいいと思いました(笑)。

入江陽とは真逆のスタイリッシュな音楽ですよね(笑)。

入江:なんというか、そういう流れのものも聴いてはいるんです。でも、意識すると変になってしまいそうなので……。作り手それぞれがあまり意識しあわずに、その時どきで好きなことをやったほうが、自然な流れが生まれておもしろくなると思うんです。だから、今回もその流れをそこまで意識したわけではないですね。ただ、やっぱり自分の声はブラック・ミュージックっぽいんだなとか、リズムの揺らし方とかがネオ・ソウルっぽいんだなということは再確認したんですけど。

『仕事』はある意味で大谷さんとの共作だったわけですし、ポスト・Jディラ的なビートをどう消化するかという問題意識は、JAZZ DOMMUNISTERSの延長線上にあるとも言えると思うんですよね。一方、『SF』は大谷さんのプロデュースがなくなった分、入江さんがもともと持っていたニュー・ミュージック感がより強く出たとか?

入江:ニューミュージック感はファーストの『水』にも少しあると思うので、それは言われて腑に落ちるところはあります。

『探偵物語』を聴いたときにそう思いましたね。実際、「夏の終わりのハーモニー」(井上陽水・安全地帯、1986)のカヴァーも入ってますが。

入江:butajiくんの声質も、往年の何かを感じるというか。カラオケ感があまりなくて歌手っぽいというか。上手いというよりも歌い上げているところが自分とは近いのかなと。

そういえば、先程、井上陽水のように歌詞を書きたいと言っていましたが、今作の作詞は井上陽水とラップのライミングが合流したような感じがあります。

入江:さっきのブラック・ミュージックの話にも通じるんですけれども、今年はラップもかなり聴いたので、憧れを強めていて。

いまって、歌とラップの境目がどんどん曖昧になってきていて。ヤング・サグとかフェティ・ワップとか。

入江:そうですよね。ラップのひとたちが歌っぽくなっていたりして。「ポストラップ」とおっしゃっていたのが個人的にはすごくしっくりきました。

僕がラジオで入江さんの作詞を「ポストロックならぬポストラップ的だ」と評したことですかね。補足しておくと、もともと、「ポストラップ」という言葉を使い出したのは岡田利規で、彼がラッパーの動きを拡張するというテーマでSOCCERBOYに振り付けをした公演のタイトルだったんです。それに対して、僕は、現在、もっとも影響力のある表現はラップで、むしろ、他の表現はそれによって拡張されているのではないかと、岡田さんの意図を反転させた意味で「ポストラップ」という言葉を使い出したんですね。いまの話だと、入江さんもラップはけっこう聴いていると。

入江:そうですね。

『仕事』にOMSBが参加していたのは、大谷さんの人脈ですよね。それがきっかけで聴き出したという感じですか?

入江:それもありつつ、もともと、SIMI LABも聴いていて、最近だとRAU DEFさんの新譜がすごくかっこよくて。あとは5lackさんPUNPEEさん兄弟とかへの憧れが強くて、今回も韻を踏む方向に……(笑)。

ただ、実際にがっつりタッグを組むのは粗悪ビーツのようなオルタナティヴな存在という。

入江:なんというか、ぼくが正統派のヒップホップを意識しすぎずに、そこまで堅い韻を意識しすぎずに、勘で作ったほうがおもしろい面もある気がします。個人の中の誤訳というか。そういう部分は粗悪ビーツさんに、個人的には共鳴します。

作詞は即興ですか?

入江:そうですね。ことばを発音して作るというか。前はもう少し書いていたんですけどね。語感を重視するようになりましたね。

まさに「ポストラップ」だと思うんですけど、ポップスだと思って聴いているものがヒップホップだったりとか、そこの境目が曖昧というか。

ただ、入江陽の音楽に関して、「すごくいいんだけど、歌詞はどうなんだろう?」という意見をちらほらと見聞きするんですよね。僕もそれについては思うところがあって。たとえば、ポストラップ的な側面でいうと、入江さんはまだライミングすることを面白がっている段階であって……井上陽水と比べるのも何ですけど、彼のようにライミングの連なりから新たなイメージを生み出すまでには至っていない曲が多いように感じます。実際、前作のインタヴューでは歌詞を重要視していない、考えないでつくっていると言っていましたよね。

入江:その発言の意図は、意味が成り立っている文章をつくることにはこだわらず、いろいろな言葉を並べて聞いたときに、全体として、何か不思議な印象、面白い印象があるものをつくりたかったというか。あとは、無意識に浮かんでくる言葉を尊重している部分もあります。

今回の歌詞では、“わがまま”がいいと思いました。入江さんの歌詞には一貫して、歪な恋愛みたいなテーマがあると思うんですけど、それがいままでになくはっきりと描けているなと。

入江:ありがとうございます。先程言ったように、以前は何か特定の印象を与えることを恐れていた感じはあって、それでおそらくはぼんやりしていたんだと思います。

「シュール」って言われがちじゃないですか?

入江:「シュール」だけだと、伝わっていないところがあると今回は思いました。それで“わがまま”は情報を絞って、かなりはっきりとイメージを伝えようとしたというか。

作詞をする上での恥ずかしさみたいなものが消えた?

入江:それもありますね。あとは、曲によって言葉遊びの量を変えた部分もあります。“STAR WARS”とか“悪魔のガム”は、恋愛とか金とか、ぼんやりとしたテーマはありつつも、意味よりはことば遊びを重視しています。

なるほど。そして、ラップからの影響も大きいと。

入江:かなりありますね。あるというか、意識しなくても入っちゃっている感じがして。まさに「ポストラップ」だと思うんですけど、ポップスだと思って聴いているものがヒップホップだったりとか、そこの境目が曖昧というか。

そういえば、以前、『仕事』のあとに、次はどういう作品をつくるのかと訊いたら、ラップのひとたちと一緒にやりたいみたいなことを言っていたような。

入江:もしかしたら粗悪さんといっしょに、もう少しいろんな方とやろうとしていたのかもしれません。

粗悪ビーツのDJで、ラッパーのマイクリレーに混じって入江さんが「金貸せ~」みたいなことを歌う未発表曲がかかっていて、かなりインパクトがありました。

入江:あれは“4万貸せ”って曲なんですけど、ラッパーのなかに混じってしまったときにああなってしまった結果が楽しいというか。

粗悪さんからいきなりメールがきて、「入江さん、今後のテーマが決まりました。今後は哀愁です」って(笑)。

粗悪ビーツとの共作は今後も続けていくんですか?

入江:はい。今も新曲をつくっていて、今後もいっしょにつくっていこうと思います。

何かひとつにまとめることも考えている?

入江:ぼくも粗悪さんも曲が多いタイプというか、わりとサクサク、悪くいえば雑にできる方なので、まとまってできる予感もかなりありますね。いまのところ“心のみかん”という、“薄いサラミ”のシリーズを作っています(笑)。

そういえば、どうして、入江さんの歌詞のモチーフは食べ物が多いんですか?

入江:それは完全に自覚したんですけど、好きだからですね。前は自覚がなかったんですけど、今回、作詞していたら食べ物がどんどん出てきて。口ずさみながら作ると、ふだん言っていることばが出てきてしまうというか。でも、グルメなわけじゃなくて、粗悪さん同様にジャンクなものが好きなんですけど。

粗悪ビーツがSNSに写真を上げてる粗悪飯ですね。あれはジャンクを通り越してハードボイルドというか。自宅でインタヴューをした時につくってくれたんですけど、100円ショップで買った包丁とまな板で、安売りの豚肉とネギを床に屈んだまま刻んで、煮込んだだけのものが鍋ごと出てきて。酒は発泡酒とキンキンに冷やしたスミノフでした。

入江:粗悪さんは計算してやっている部分もあるけど、天然でやっている部分もありますよね(笑)。



沈黙の羊たちの沈黙 feat.DEKISHI, OUTRAGE BEYOND, onnen, 入江陽

[prod by soakubeats]



彼のつくるトラップにはブルースを感じるんですよね。トラップが好きになったのは、ブラック企業で働いていたときにあのトリップ感が辛さを忘れさせてくれたからだって言ってて。

入江:哀愁があってそこが歌謡曲っぽいというか。いきなりメールがきて、「入江さん、今後のテーマが決まりました。今後は哀愁です」って(笑)。前からそうでしょ! って思いましたけど。

入江さんにとってラップ・ミュージックはどういうものですか? 自分からは遠い音楽という感じ?

入江:音楽好きとして音楽を聴いてしまうところがあって、ヒップホップを聴いていても感動するのは、本人のリアルなストーリーよりもライムの技術とかです。ヒップホップも黒人さんたちから生まれた高度なリズムの芸術だと感じていて、それを日本人がぼやかしたらこうなったというか。なので、クラシックと同じ耳で聴いてしまうところがあって。

ゴシップやゲームを面白がるのではなく、あくまでも音楽を聴いているのだと。

入江:もちろん実話やらのストーリーに感動することもありますし、興味も無くはないんですけど、どちらかというと音楽的な技術の部分に興味がある感じですね。

揺らぎのリズムが好きすぎるので、全体としてはあえて回避したところはありますね。なので反動でいまは揺らいだものがやりたいです(笑)。

『SF』のトラックには、さまざまなダンス・ミュージックの影響が感じられるという話をしましたが、入江さん自身もそういったものは聴いているんでしょうか?

入江:勉強しようと思ったんですけど今回の制作には間に合わずで、ぜんぜん知らないです(笑)。トラックのジャンルが何かわからないのに、聴いてダメ出しをするというか。

トラックメイカーと共作する上で、やり取りの往復はあった?

入江:かなりありましたね。

結果、「グライム歌謡」といってもグライムをそのままトレースしたようにはなっていないというか。

入江:恐らく“悪魔のガム”の耶麻さんのトラックはグライムを意識していると思うんですけど、ミックスの段階ではグライムであることを無視して、歌モノとしてどう聴こえるかという点を重視しましたからね。そういう意味では、今回、音楽の細かいジャンルへの意識は弱いかもしれないです。むしろ、歌モノとしてどう聴こえるか、への意識が強いです。

『仕事』では、大谷さんがヒップホップだったりR&Bだったりを意識していたと思うんですけど。

入江:ちょっと共通していると思うのは、大谷さんもR&Bを参照しつつも、結局、歌モノとしてどう響いているかを意識しているような気がするんです。

一方で、大谷さんとの趣味の違いも感じるなと。〈OTO〉でライヴがあった時、彼と話していたら、DJがかけているEDMっぽいトラップに対して、「オレは頭打ちの音楽がダメだから、こういう今っぽいヒップホップが苦手で」みたいなことを言っていて。

入江:でも、この前〈リキッドルーム〉で、「現場でデカい音で聴けばなんでも最高だ!」って言ってましたよね(笑)。

いい加減だな(笑)。

入江:けっこう共感しましたけどね(笑)。

ただ、大谷さんから入江さんにプロデュースが移ったことによって、やはり、リズムの感覚は変わったんじゃないですかね。もちろん、『仕事』を引き継ぐような揺らいでいるトラックもありますが。

入江:“おひっこし”ですかね。揺らぎのリズムが好きすぎるので、全体としてはあえて回避したところはありますね。なので反動でいまは揺らいだものがやりたいです(笑)。

オープニングの“わがまま”とかアッパーな4つ打ちですもんね。

入江:そうですね。“わがまま”についてはBPM150以上というのが自分のテーマだったので。


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シンガー然として入り込んで歌うわけではなく、むしろ……ぜんぜん入り込めないというか。だから、歌っている自分につねに違和感を感じていますね。

弾き語りではなくハンドマイクで歌うことには慣れてきましたか?

入江:最初よりは慣れてきましたね。2月、3月のレコ発ではもっと慣れた姿を見せられるかと思います(笑)。だいぶ楽しめる感じにはなってきました。

入江さんはキャリアの途中でシンガーになったわけじゃないですか。先程、ポピュラーなものを目指しつつ、隠しきれないオルタナティヴさがあるという話をしましたけど、実際、ナチュラル・ボーン・シンガーというわけではない。歌がすごくうまいので、ついそう思ってしまうのですが。

入江:楽器ばかりやっていたので、本当は楽器だけでやりたいんですけど、歌ったときのほうが反応がよかったので、そこは需要に合わせていこうと。自己啓発本的に言うと「置かれた場所で咲きなさい」的な(笑)。好きなことより、需要があることをしなさいという。そういう感じでやっているので、シンガー然として入り込んで歌うわけではなく、むしろ……問題かもしれないですけど、ぜんぜん入り込めないというか。だから、歌っている自分につねに違和感を感じていますね。

内面を掘り下げたり、文学性にこだわるのではなく、ライミングで遊びながら歌詞をつくるのもそういった理由からですか?

入江:それはありますね。自分の歌い方で超シリアスな歌詞だと聴いていられないというか(笑)。「歌は本格的なのに、歌詞にはこんなのが入っているの?」っていうのが楽しいというか。

でも、リスナーとしてはディアンジェロみたいなオーセンティックなものも好きなんですよね?

入江:たしかに矛盾してますね。でも、ディアンジェロみたいになりたかったら筋トレをしているハズですし(笑)。正直、ブラック・ミュージックはそんなに掘っていないというか。ディアンジェロは本当に好きだけど、ブートまでチェックしたりというわけではなくて、ある曲のある部分の展開が好きという感じなので。……よくも悪くも浅く広くが好きなところがあって。ラップもそうですし。

ラップに関して言うと、昨年、菊地成孔さんに歌詞についてのインタヴューをした時、「ポップスとラップは言葉の数が一番の違いですよね。僕が目指すのはその二つを融合していくことで、ポップスにおける歌のフローや音程が、ラッパーのライムと同じくらいの細かさで動いていくということが、ネクスト・レベルじゃないかなと思っているんです。今のポップスのメロディって変化が大らかじゃないですか。でも、ラップのフローはもっと細かいですよね。で、ジャズのアドリブなんかも細かいわけで、ああいう感じでラップにもうちょっと音程がついたものというか……そうやって歌えるヴォーカリスト、そうやって作詞できるソングライターがこれから出てくるんじゃないかと」と言っていました(SPACE SHOWER BOOKS、『新しい音楽とことば』より)。入江さんの歌はそれに近いというか、最近のラップが歌に寄っていく一方で、入江さんの場合は歌からラップへと寄っていっていますよね。

入江:それは自覚的にしていたところはありますね。

それは、やはり、ラップが構造的に見ておもしろいから?

入江:構造や技術に興味があるのはその通りですね。今後はルーツというか、自分がどういう音楽が好きだからどんな音楽をやるのか、ということにも取り組みたいんです。でも、『SF』に関しては「そのときに思いついたこと」という美学でやっていました。無意識的に生じているものの方に可能性を感じているというか。

ルーツは、じつはクラシックが大きいですね。

では、自身のルーツは何だと思いますか?

入江:ルーツは、じつはクラシックが大きいですね。大学のアマチュア・オーケストラでオーボエを吹いていましたから。ただ、それを歌で掘っていっても、“千の風になって”みたいになってしまうので避けたいなと(笑)。

アルバムは打ち込みが中心ですが、オーケストラを使ってみたいと思ったりもする?

入江:生楽器のアンサンブルを使いたいとは思いますね。『SF』の反動でいま聴いているものがキップ・ハンラハンとかなんです。

キップ・ハンラハン! 意外ですけど、いいですね。ちなみに、現在、バンドはサックスやトラックに大谷さん、ギターに小杉岳さん、ベースに吉良憲一さん、ドラムスに藤巻鉄郎さん、キーボードに別所和洋さんというメンバーですが、それは固定?

入江:しばらくはあのメンバーでやっていこうと思っています。編成にウッドベースとトラックが入っているので、生感と生じゃない感が混じるのがおもしろいなと。

ライヴ盤の制作は考えていないんでしょうか?

入江:それはちょっと考えています。いまのバンドは、メンバー全員、ジャンルの出自が少しずつズレていて。たとえばドラムとウッドベースの2人はジャズやポストロックなんですけど、ギターの小杉くんはロックしか弾けないので、全体のアンサンブルとしてはジャズへいけないっていう縛りがあるんです。逆にあんまりロックの方にもいけないので、そこらへんがおもしろいんです。あと、大谷さんのリズムのクセがすごく強いので、それがバンドに必ず入ってくるっていうか。みんな器用なのか不器用なのかわからないキャラクターというか(笑)。

『SF』にはさまざまなタイプの楽曲が入っていますけど、考えてみると、butajiや粗悪ビーツとのコラボレーション、そして、バンドと、それぞれ、試みとしてベクトルがバラバラですよね。ヴォーカルが強いのでどれも入江陽の歌になっているんですが。

入江:悪いことばしか出てこないんですけど、「浅く広く」とか「飽きっぽい」とか「ミーハー」な部分が自分にはすごくあるんです。

共作が好きなんですか?

入江:好きですね。

『SF』のつくり方もそうですが、「入江陽と○○○」みたいな名義がこんなに次々と出るシンガーソングライターも珍しいなと。

入江:「入江陽と○○○」はシリーズ化したいと考えてますね。他のシンガーソングライターのみなさんの性格って、もっと一貫性があって内省的だと思うんですけど、ぼくはぜんぜん違って。飽きっぽくて、いろんなひととやってみたいというか。あんまり自分と向き合うタイプではない。ただ、今回、歌詞に関してはゲストなしで、自分で書いてみました。だからといって私小説的なアルバムなわけではないですけどね。

先程から、内面を掘り下げることに興味がないというような発言が多いですね。

入江:それが強いんですが、今後は内面を掘り下げていこうと思っていて。

「今後は内面を掘り下げていこうと思っていて」って、自然じゃない感じがありありですね(笑)。

入江:そこが他のシンガーソングライターと違いますよね(笑)。リスナーとして聴いたときに、泣き言的なものが出てくるのが個人的に苦手なんです。もっと楽しませてほしいというか。私小説的なアルバムもいつかは作ってみたいですけどね。

私小説的なアルバムもいつかは作ってみたいですけどね。

地元の新大久保について書いてみたり?

入江:新大久保のストリートについて(笑)。やっぱり住んでいると色々と思うことがあるので、そういうことに関しては書いてみたいですね。

ただ、現状でも、入江さんの歌に漂う猥雑さみたいなものからは、何となく新大久保の雰囲気が感じられます。

入江:それはすごく影響している気がしますね。発砲事件があったりとか、ビルからひとが落ちてきたりとか、そういうことを何度か体験したので。僕自身はリアルに治安が悪いところに住んでいたわけじゃなくて、ぜんぜん安全なところに暮らしていましたけど、それでも垣間見えたことはすごくありましたからね。

最近の新大久保は綺麗ですけど、ぼくは20歳くらいのときに、駅から大久保通り沿いをちょっと行ったところにある雑居ビルで出会い系サイトのサクラの仕事をやっていて。あの頃の街にはまだまだ猥雑な雰囲気が残っていて、いつもそれにあてられてげんなりしてました(笑)。

入江:マジっすか。ぼくはあの近くの喫茶シュベールとかの近くに防音室を見つけてしまって。

スタジオも新大久保なんですか?

入江:そうなんですよ。かつては世田谷に住んでいるひとに憧れていたので、「何で自分は新大久保に生まれたんだろう」と思ってたんですけど(笑)。汚いところではなくても、きれいなところでもないですからね。それで、飯田橋や神楽坂の方に住んでみたんですけど、ちょっと刺激が足りなくて。そんなときに新大久保にワンルームの防音室を発見したので戻ってきました。


嘘でもいいから、聴いている間はすごく景気がいいとか。そういうもののほうがいいかなと。

しかし、今回、お話をきいて、『仕事』のインタヴューで疑問を持った「ポピュラリティについてどう考えているのか」という部分に合点がいきました。もちろん、ポピュラリティど真ん中の音楽を目指してはいるものの、まるでディラのビートのようにズレが生まれてしまう。それこそが入江陽の面白さなんだと。

入江:ぼくにとってポピュラリティのあるものが好きというのは愛嬌みたいなもので、それがないと遊び心は生まれないような気がして。実際には、ポピュラリティのある音楽というと「多くのひとに聴かれている~」って意味ですよね。だから、言葉のチョイスが間違っていたのかもしれないです。

また、内省的な表現に距離を置いてきたというのもなるほどなと。そこでも、洒落っ気だったり、はぐらかしが重要で。

入江:私小説的なものやシリアスなものを避けてきたというよりは、フィクションだったり愛嬌のあるものにどちらかというと興味があるというか。嘘でもいいから、聴いている間はすごく景気がいいとか。そういうもののほうがいいかなと。あと、かわいいものが好きなのかもしれません。最近も思いつきでDSを買ってポケモンをやっているくらいなので(笑)。気持ち悪いかもしれませんが、喫茶店でプリンとかがあったら絶対に頼むみたいな。今回の歌詞にしても、かわいい物好きの面が出ているんじゃないでしょうか。

……そうでしょうか?(笑)

入江:「カステラ」って言うだけでもかわいいなって(笑)。自分がかわいくなりたいというわけではなくて……一概に言うのは難しいんですけど。

ポピュラリティのあるものを目指して金をかけたのに失敗してしまったものが面白い、と気付いたのも収穫でした。

入江:そこに感じているのも愛嬌であって。あるいは、成功しているものでも……。たとえば、ダフト・パンクとかも好きなんです。音楽的にあれだけ高度なのに、一貫してエンタメで。ジャケからアー写からすごく遊び心がありますし、サービス精神を感じる。そういう心の豊かさに惹かれるんです。相手への思いやりを持つ余裕を感じるというか。変な言い方ですけど(笑)。

(笑)。まぁ、余裕がない時代ですからね。

入江:そうかもしれません。

音楽メディアの年間チャートを総嘗めにしたケンドリック・ラマーのアルバムなんかも、メッセージにしてもラップのスタイルにしてもまったく抜きがないところが、現在を象徴しているのかもしれません。一方で、そういったチャートにはまったく出てこないフェティ・ワップみたいな緩いラップも売れているんですが、音楽好きはシリアスだったり密度が濃かったりするものを評価しがちで。

入江:リスナーとしてはシリアスなものも好きですが、自分がつくる場合は、どちらかというと愛嬌がある表現の方が得意かもしれません。以前、女性シンガーソングライターの作詞の仕事を引き受けたことがあって、そのひとがすごくシリアスなひとだったんですよね。厳しい環境で育って、親子関係でも苦労して……みたいな。で、彼女の曲の作詞を偽名でやってほしいと。それがぜんぜんできなくて。すぐにふざけたくなっちゃうんです(笑)。それは自分の出自がおめでたいというのもあるのかもしれないんですけど、実際にツラいひとにツラいものを聴かせても……って思ってしまうというか。

その話を訊くと、入江さんの歌詞の、ダジャレのようなライミングの印象も変わってきますね。

入江:それはよかったです。本当にダジャレはくすっと笑ってほしいくらいの感じなので(笑)。

まとめると、前作『仕事』は比較的曲調に統一感があったからこそ、今回の『SF』はカラフルなつくりにしてみた。それは、変化したというよりは、対になっているような感じだと。

入江:そうですね。今作のような内容「だけが」やりたかったわけではなくて、これ「も」やりたかった感じです。

ただ、ポリュラリティという観点から考えると進化だと思いますし、売れるんじゃないでしょうか。

入江:そうなるとうれしいです(笑)。

入江陽 - UFO (Lyric Video)



UFO(live)/入江陽バンド@渋谷WWW



入江陽 "SF" Release Tour 2016

【京都公演】
2016年2月6日(土) @ 京都UrBANGUILD
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV ¥2,800(+1D) / DOOR ¥3,300(+1D)
w/ 山本精一、もぐらが一周するまで、本日休演

【名古屋公演】
2016年2月7日(日) @ 名古屋今池TOKUZO
OPEN 18:00 / START 19:00
ADV ¥2,300(+1D) / DOOR ¥2,800(+1D)
w/ 角田波健太波バンド(角田健太(vo.g)、服部将典(ba)、渡邉久範(dr)、j­r(sax)、tomoyo(vo.key) )
※角田波健太波バンド「Rele」入江陽「SF」ダブルレコ発

【東京公演】
2016年3月30日(水) @ 渋谷WWW
OPEN 19:00 / START 19:30
ADV ¥2,800(+1D) / DOOR ¥3,300(+1D)

interview with KILLahBEEN - ele-king

 KILLahBEENのライヴを体験した事があるだろうか?

「理屈は誰にでも振り回せる
切れる刃物だからリアル重んじる」
アルバム『夜襲』収録 "2014"


KILLahBEEN
夜襲

APOLLO REC

Hip Hop

Amazon

 バッチバチの言葉が舞う。ファースト・アルバム『公開』リリースの数年前に出会ったKILLahBEENは、アンダーグラウンドでは知らなければならない人物のひとりだった。初めて池袋bedで見たそのライヴはMCも含め、圧倒的以外の何ものでもなかった。
 ONE-LAWやKING104、そして何よりもBLYYの導きによって出会ったKILLahBEENは、厳格でいて、人のことをしっかりと見るMCだった。徹底的な現場主義という言葉通り、20年近いキャリアのなかでリリースした作品は2枚のアルバムと客演作品。彼はライヴでその名前を知らしめて来た。
 ファーストの『公開』から3年、約1年のライヴをやらない期間を経て、セカンド・アルバムとなる『夜襲』をリリース。この作品は、CLUBでのDJプレイやEATやGUINESSといったアーティストへのトラック提供やプロデュースを手掛け、2014年にEP「CIRKLE」をリリースしているNOZによるサポートがあって完成したとも聞いた。そんな事情もあって、取材にはNOZにも同席してもらった。
 このインタヴューが鋭利な言葉と音の裏側への手がかりになれば嬉しく思う。

DISPECT

いまでも若い頃見たZEEBRAになりたい。初めて誰かになりたいと思わされ、衝撃的だったあの日のZEEBRAになりたいと思ってる。これまではフロアーと向き合ったライヴという音楽それだけだった。

自己紹介をお願いします。

KILLahBEEN:KILLahBEENです。ラップを始めて20年です。ソロでは3年前にアルバム『公開』とその前にMIX CD『公開前』をリリース。昔にWAQWADOM ( KILLah BEEN / CASPER ACE / COBA 5000 / 本田Qによるグループ。2007年に出したアルバムはアンダーグラウンドクラッシックとヘッズ/アーティスト双方からの大きな支持を受けている。)でアルバムを1枚リリースしてます。

NOZ:NOZです。2014年の5月にEP 「CIRKLE"」 ( febbや仙人掌等が参加したEP。AKIYAHEADとDMJを迎えた“MICHI"は是非とも聴いて欲しい)をリリースしました。その前にEATの"THE EAT" ( EATは最近ではRYKEYのセカンド・アルバムやCENJUのファースト・アルバムに客演でも参加したNOZとは同郷の青森の怪人ラッパー )、GUINESSのアルバム『ME AND THE PAPES』の制作に関わってます。

EATのアルバムも制作にも関わってるんですね

N:がっつりっていう形ではないですが、何だかんだで関わってますね。

今回、NOZがKILLaHBEENのアルバムの制作面をサポートするっていうのはどういった経緯からですか?

K:俺はライヴばっかりじゃん。レコーディングに向けての姿勢とかマイクとの向き合い方とかイマイチわかってなくてさ。ライヴでフロアーしか相手にして来てないから。そこでひとり、楽曲制作の時にその辺示唆してくれる人が欲しくて。一度きりのライヴじゃなく、ずっとこの先残っていく楽曲を作る際、「今のバース良かったけど、ここをもうちょい」とか「もう一回」とか、そういう感じで指示出ししてもらったりでアルバムを完成させた。BIGGIEで言うところのPUFF DADDYみたいな感じの。

監修的なプロデュースですね。それってどちらからオファーしたんですが?

K:元々NOZがビートをやりたいって言ってくれて、1曲作った時点で自分っぽくないからもう1曲やらせてくれって、それでアルバムには2曲入れてるんだけど。まあ、両方ともNOZらしくないビートなんだけど(笑)。2曲作ってるし、普段も音楽を聴き合う仲ってのもあって、やろうと。過去にもEATの作品のときにスタジオにお邪魔した際も、指示出しとかしてたのも知ってたから。録音に集中する為の環境を作ってもらってた感じだね。

トラック提供が先でプロデュースする流れになったんですね。じゃあ今回いちばん最初に作った曲はやはり。

K:NOZとの曲だね。まず家でプリプロって感じで録って。俺のレコーディングの仕方なんだけど人によっては1曲1曲間隔開けながらスタジオ入って、一定の期間を持って録っていくみたいなのもあると思うんだけど、俺はまず全曲プリプロしてみてアルバム全体像ハッキリさせた上で、2日とか3日で全曲いっきに録っちゃう。ドーンって。自分はそのやり方でしか録音したことないし、それで間に合ってるから。

アルバムの緊張感はそういう制作状況も影響してるんですね。前作はプロデューサー的な人はいたんですか?

K:前作では、レコーディングを手伝ってくれたエンジニアが意見するっていう場面はあったけど、プロデューサーってのはいなかったね。音のことだけじゃなく、音に向き合う姿勢というかそういう部分で共有し合える間柄では無かったんだよね。金に邪魔されてたカンジよ。

録音をしてる状態だとあまり厳しい意見とかは言わない事が多いですよね。

K:言えないんだろね。そういったこともあり、今回は友人で、音楽を共有し合える仲、厳しくも意見を言えるNOZってなったんだろうね。JAY-Zが「音楽に嘘付く奴をスタジオに入れるな」って感じのことを言ってて。そういうこと。

NOZの視点としてはどの様にKILLahBEENを捉えて作ったんですか?

N:根本的にはBEENさんが持ってくるトラックありきの制作のなかで意見を言うという感じですね。ファーストも聴いてるので、まったく新しいものを作り上げようというよりは、その延長線上のセカンドを作ろうと思いましたね。BEENさんの持ってきたもののなかから新しいBEENさんを作るというか。ラップの手法というか録音の仕方だったり、そういう部分について言わせてもらいましたね。自分の曲も含めて新しい事はやりたい。そういうのはあって、延長線上とは言ったんですが、BEENさんの内面も含めて新しいものを出したいと思って作りましたね。

プロデューサー視点からのこの作品の聴きどころはどこになりますか?

N:まったりして聴くというよりは攻めてるというか。ヒップホップ全体もそういうものだと思うんですけど。普段の生活で攻めてるというか。そういう人に聴いて欲しいっていうのはありますね。何かわからないけど戦ってる人というか(笑)。

K:リスナーと共有できる話。レペゼンって言葉も曲で言ったりしてるけど。最近本質がわかってきて、レペゼンってものが。誰しもわかる話というか、怖い人でも優しい人でも、男でも女でも人として分かち合える普遍的な道理を代表してラップすることがレペゼン。

地元だったりとか、そういった意味でのレペゼンとは違う?

K:まぁ地元にも反りが合わない奴とかいたりって考えてくと、それは絶対とは言えなくなるじゃない。レペゼンBROOKLYNとか言ってるのを真似するタイプじゃないし、俺は。レペゼンの本質は地域というよりコミュニティの中にあるし、何より人に有り。

地元っていう考え方だと矛盾抱えてますもんね。

K:うん。俺は生まれは東京、育ちは福岡で、NOZは青森じゃん。だけど、同じ街の知らない奴をレペゼンする前に隣に居る奴とのことをレペゼンする。そしたらもう地元=レペゼンって概念はそこですでに崩れているワケよ。そういった事実をこのアルバムの中にあちこち忍ばせてあるのね。リリックで"いざという時夢のデカさがものを言うからいつでもガムシャラ"って言ってるけど、夢をデカく持ってるといちいちヘコたれないし、愚痴も出ない、困難すらも夢の通り道だとすればヨシヨシって思えてくる。夢のサイズがデカいことで、レペゼンというものやHIP HOPってものをより大きく捉える事が出来ている。

その"夢"っていう具体的に言える範囲でありますか?

K:ZEEBRAになる(笑)。これねぇ、どっかの楽屋で言ったら 「まだ誰かになりたいわけ?」って言われたんだけどさ。でもいまでも若い頃見たZEEBRAになりたい。初めて誰かになりたいと思わされ、衝撃的だったあの日のZEEBRAになりたいと思ってる。これまではフロアと向き合ったライヴという音楽それだけだった。でも、作品をリリースする度に、携わってくれる人も増えて、ひとりじゃないって思えたことで必然とやりたいことのスケールも大きくなっている。

N:BEENさんもそうですけど、ビートメーカーというよりはプロデュースする形で関わる作品、仕事を増やして行きたいですね。いまは、形になってはいないすけど、水面下でいろいろと仕込んでますね。

K:NOZは人の見えないところでやってる。遊ぼうって連絡しても「今日は1日ビート作る気分で過ごしてるから無理です!」って言われることもよくある。この先もデカくありたいからその為にお互い長い目での運び方を知ってるんだろうね。前はライヴで派手に一期一会だったけど。今は一年間通して集中した生活をして、一年後に報われる瞬間をステージで迎えられるような。その為の我慢はもはや苦じゃなくなってるね。

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「お前がピンチなときこそ男を上げるチャンスなんだ」って。お金や地位といったものより、人種や性別などすら超えた根っこの部分。精神論なのかもしれないが、そういうものって息も長いし、いつの世にも存在しているものだから。


KILLahBEEN
夜襲

APOLLO REC

Hip Hop

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以前に比べればだいぶライヴの本数は減ったと思うんですが、そのことはやはり影響してますか? MONSTER BOX ( 池袋のBEDで毎月第二金曜日に行われているアンダーグラウンドを代表するMC / DJによるイベント。今までのレギュラーを並べてみればどんなイベントか分かるので調べて欲しい)のレギュラーをやめたのが。

K:9ヶ月前かな。

ビートだったり今回のアルバムのプランはその前からあったと思うんですけど、実際レコーディングという意味での制作期間はライヴはやってないんですよね?

K:そうだね。たまたまなんだけど、月いちレギュラーでライヴやっててそれなりに責任感も出て来て。いままで人のイベント枠内でのレギュラー出演ってやったことがなくて。作品出してなかったけど、何時もゲスト・ライヴって枠内ばかりでここまで来たから。人のイベントのレギュラー出演するのって、実はMONSTER BOXが初めてだったんだよね。結局、途中で必要以上の責任を感じ出したりして、結果やめたんだけど。とくに制作に関しては……意識してないかな。

ライヴをやってるかやってないかはあまり影響してない?

K:影響はあると思う。俺さ、分かんない事は自分の友人や先輩、後輩とかに相談するわけよ。そうしたらファーストはやりたいようにやれと。やりたい放題作った。ただセカンドはどうしよう?って時、ペンは走ってるんだけど、まだ見ぬリスナーを想い制作に入れるようになったから、ライヴ感という事に関してはファーストよりかは感じにくいかもね。もっと、ガッチリ曲というかクラブ以外の場所でも聴ける音楽を意識してセカンドは出来た。

NOZの方ではどういうイメージでこのアルバム『夜襲』を捉えている?

N:曲にもよりますけど、水泳選手とかスタートする直前までイヤホンで聴いてるじゃないですか、そういうシュチュエーションですかね。一例ではありますけど。

K:ここ一番。そうだね。今回はいままで以上に身を削いだことから生まれた言葉を紡いで歌にしたから。自分が聞いても勇気が沸く音楽。ファーストから一貫して、ヒップホップは自分にとって勇気が湧く音楽なんだ。

そういうイメージで頭に浮かぶアーティストっていますか?

K:GZAとRAEKWONだね。このふたりのリリックはとくに勇気が湧く。「お前がピンチなときこそ男を上げるチャンスなんだ」って。お金や地位といったものより、人種や性別などすら超えた根っこの部分。精神論なのかもしれないが、そういうものって息も長いし、いつの世にも存在しているものだから。

そういうのって言葉にすると野暮になったり、しつこくなったりすることもあると思うんですよ。KILLahBEENのラップはしつこく聴こえない。

K:言葉って強制力が強いからクラッちゃうんだよね。視野が狭くなってしまいがち。だから自分はボカすではないけど、完全にこれとは言い切らないような表現を目指している。

この間のPV ( DISPECT )もラップしてる映像でっていうイメージでしたけど、ラップしてるイメージなんですよね。KILLahBEENのラップは。

K:昔仲間に言われてさ、「俺等は音楽のなかで生きてき過ぎた」って。でも、いまは「生活のなかから生まれてくる音楽」をやっていきたいんだ。そのあたりりがリリックに表れてる。あえて作品として作っていないというか。結局街のなかに転がってる話の延長にあるものというか。

スッとやってるイメージがありますね。

K:スッとしたラップを聴いたソイツのなかで熱くなったりすることはあっても、俺の熱さを全開で表現したからといってソイツの中で同等の熱さが芽生えるかというとそれは違うと思うんだ。

音楽はライヴでも音源でも外に出せば、最終的には聴く方に委ねられてると思うんです。

K:俺もリスナーに委ねている。だけど、発した言葉に責任はあって、だからこっちで最終決定したいっていう思いはいつもあるんだ。聴く側に強制する様な形じゃなくても伝わるんだよ普遍的なことは。まぁだからと言って委ねられても、「面倒臭いだろ。じゃ俺に委ねとけって」(笑)、主観的にこう思ってくれというよりは、自分も客観視できるひとりで、俺のことだけじゃなく誰もが思うだろうことを主に歌ってる。さっきも言ったけど、レペゼンだね。代弁、代表。俺のラップに答えがあるんじゃなくて、それを聴いた人が答えを見い出す。そういう余力のある作風に努めている。自分の理想だけだと100点満点までしかないから、101点以上のものを生むのにひとりで考えてないね。

昔仲間に言われてさ、「俺等は音楽のなかで生きてき過ぎた」って。でも、いまは「生活のなかから生まれてくる音楽」をやっていきたいんだ。そのあたりりがリリックに表れてる。あえて作品として作っていないというか。結局街のなかに転がってる話の延長にあるものというか。

NOZは聴いてる側に対してどういうスタンスで観てるんですか?

N:イメージ的には、重た過ぎるメッセージに関してのバランスは考えてて。

完成したアルバムを聴いたときには重いという印象はなかっですが。

K:作ってる途中、6曲くらいできたときに聴いてみたら凄く重たくて、NOZにも「お腹いっぱいです」って言われてさ。だから何か削るってワケじゃないが、その時点から少なからずアルバム全体像を意識して作ったね。

WAQWADAM(CASPERR ACE, 本田Q, COBA5000,GREENBEE,NOSYとKILLahBEENによるグループ)がfeatされてるけど、これはどういう意図で?

K:WAQWADAMは解散したって言われてるけど、ガキの頃からずっと一緒に育ってるみたいな。KILLahBEENなんかよりもグループは人気があるんだろうけどさ(笑)。ワクワダムには絶対的な支柱があって、いまも家族ぐるみで繋がってる関係だからさ。さっきの重くならないようにって話とも少し被るけど、featってどっかにあると華が出るじゃん。

alled ( BLYY ) がプロデュースしてる曲もalledの声をスクラッチで使ってるじゃないですか。そういう風に別の人の声が入ってるのが印象に残りました。

K:他の声が入るといっきに空気が変わる。昔からやりたかったんだよ。身内の声をそういう風に使うっていう。GANG STARRがGROUP HOMEでサビをコスってるのとかさ。そういうのがやりたくて意図して作ったんだ。DJ SHINJI ( BLYY ) にまず俺のラップ聞かせて後はalledのまだ世に出てない楽曲の中からお任せって丸投げした。あのスクラッチ収録もNOZの自宅兼スタジオにDJ SHINJIを招いて録ったんだよね。

アルバムはNOZのスタジオで録ってるんですか?

K:プリプロは全曲そうだけど本録に関しては別の場所。これまでほとんどライヴしかして来なかったから、レコーディング作業ってのをあまり分かってないのね、俺自身。

でもディスコグラフィーを見ると客演を含めるとかなりレコーディングしてますよね?

K:客演に関してもここ4年位での中の話だからね。

そうか、キャリアは20年でそこから見ると少ないですね。たしかに。

K:2016年で活動20年目になるそのうちの4年、まだわかってないよね。だからスタジオ行く時は今もド緊張する。

もっとトラック選びとかも含めプロデュースって考えてないですか?

K:今回、俺の魅せ方を分かってるNOZだったからこそ成し得たワケで。俺もビートとかには結構うるさいよ。

制作中にぶつかったりしなかったんですか?

K:今回は俺の持つアイデアを具現化していき、さらにアレンジを加え、肉付けしていくという立ち位置で作業したから。NOZはクラブDJで、新譜もCLASSICも知ってる。俺の周りの人間でここまで偏りなく音楽に執着している人間はいないね。そこが大きい。あとは、ラッパーとは違ったグルーヴ操作方法みたいなものを心得ているのがクラブDJ。ブレンドとかミックスがわかる人って、魅せ方わかってるんだよね。どんな良い絵も額縁や飾りどころが悪かったら絵は死んじゃう。その額縁選びに始まり、飾りどころをNOZを中心に繊細に練って実行した。示唆する存在があるとラップに集中できる。迷いがあったとて、良いものにしたい気持ちは一緒だったからNOZの意見やアイデアも取り込もうとする。

プロデューサーって日本だとあまり馴染みない感じもあるけど。そこって大切ですよね。

K:重要だし、可能性のあるポジション。NOZに妥協はない。

N:プロデューサーだとDJってついてても全く音作らない人とか普通に海外だといるじゃないですか。そういうかっこ良さというか。

たしかにプロデュースってそう言う感じですよね。

K:ファーストのビートは意外と身内感が強いけど、セカンドは人選の窓口は広がっている。NOZやDOPEY、MASS-HOLE、JUCOにしても。俺のなかでいまをときめくプロデューサー。知らない奴は知ってくれって意味も込めている。今回ビートメーカーのほとんどは、有りものビートから選んだわけじゃなく、自身のアルバムのために新たに用意してもらった。大先輩であるDJ YAS、SOUTHPAW CHOPもいて、そのなかでこれもある。俺がやれる立ち位置に居て、そこでやってること、やるべきことがビートからも滲み出ていることだろう。YAS氏も20年前、初めて福岡でDJしたときかな、朝方、牛丼食いに行こうっみたいになって、自分も「『証言』みたいなビートでいつかやってみたいです」って言ってた記憶があって。それから19年経ってひとつの夢が実現した。SOUTHPAW CHOP氏は「もう1回懲役行ったらやってやる」って言われたんだけど、「一回行ったらやるって話だったじゃないすか?」って流れでやってもらったんだよね(笑)。今回のはクレジット見たらある程度わかることあるじゃん、俺のスタンスを感じてもらえる作品となった。

では最後にアルバム『夜襲』を一言で言うと。

K:完全にお昼聴く音楽ではない、かな。俺が夜に襲うってイメージを持ってる人が多いと思うけど、俺も含め、夜巻き起こるグルーヴの渦に襲われるというか。

N:同じような感じになっちゃいますけどね。ファースト聴いた人にはまた違ったKILLahBEENの一面を見れるだろうし。初めての人には入りやすいKILLahBEENになってると思う。最新という表現とは違う、日本では希有な音楽だと思う。

K:数字は持ってないけど、人は持ってるぜ。アーィ!!

adidas Originals presents STORMZY - ele-king

  現在、UKのオーバーグラウンドでも圧倒的な人気を誇っているグライム。そのなかでもっとも人気があると言っても過言ではないであろうMCのストームジーが、なんと明日東京で急遽来日公演を行う。XTCのグライム・クラシックにラップを乗せた動画が話題になり(動画の再生回数は2000万回を超えている)、同年のBETアワードではベスト・インターナショナル・アクトを受賞。今回の公演は、名実ともにシーンの先端をいくそのセンスを生で体感できる貴重なチャンスだ。DJアクトには先日のスウィンドルとフレイヴァDの来日公演でフロアを沸かせたハイパー・ジュースのハラ、昨年スラックを東京に招いたT.Rレディオのサカナとノダが出演する。

STORMZY [@STORMZY1] - SHUT UP

Interview with METAFIVE - ele-king



質問:元をたどればここにいるO/S/Tの皆さんが……。

TOWA TEI:吸収合併されました。


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METAFIVE

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 昨年、ele-king編集部からMETAFIVEの取材をオファーされたとき、ぼくが手にしていた情報は、歌詞やクレジットなどの記載が皆無なアルバムの音源と、高橋幸宏、TOWA TEI、小山田圭吾、砂原良徳、ゴンドウトモヒロ、LEO今井からなる6人編成のバンドであるという、この二点のみだった。
 何も考えずに音源を再生した瞬間から、1曲目“Don’t Move”のインパクトにまずやられ、2曲目“Luv U Tokio”の遊び心いっぱいの仕掛けに思わず笑みがこぼれ、収録された12曲をすべて聴き終えたあとの心地よい興奮は、期待をはるかに超えていた。
 その期待値の超えかたは、ジョージ・ミラー監督やジョルジオ・モロダーといった、老境に入って久しいはずの巨匠が放った破格のカムバック作(前者は30年ぶりのマッドマックス・シリーズ最新作『マッドマックス/怒りのデス・ロード』、後者はソロ名義としては30年ぶりのニュー・アルバム『Déjà vu』)から受けた衝撃や驚嘆、あるいはデヴィッド・ボウイが癌と闘いながら珠玉の復帰作『ザ・ネクスト・デイ』(13年)に続いて、彼らしく尖鋭的な新作『★(ブラックスター)』(16年)を遺し、鮮烈な印象とともにこの世を去ったことへの深い感動とはまた別の意味合いで、伊達に年齢を重ねていない者たちの底力がどれほどのものかを思い知らせてくれた痛快事であった。
 平均年齢47歳のMETAFIVEは、日本のみならず世界のポップ・ミュージック史に大きな足跡を残した偉大なるバンドのメンバーを含む、一騎当千のミュージシャンの集合体である。楽曲制作に関してはプロダクションからポスト・プロダクションまでの全工程を担えるプロデューサー集団でもあり、ヴィジュアルの表現にも長けている。各人各様の才能と個性が見事に融合したMETAFIVEには、キャリアを重ねた者が自己の可能性をさらに拡張するための叡智がそこかしこに散りばめられている。そして、その進化の秘訣は、「メタ」という本作のタイトルにも使われたキーワードに集約される。
 “meta-”はギリシャ語に由来する接頭辞で、「後続」;「変化・変成」;「超越」「高次の」「抽象度を高めた」などの意を表わす。
 このバンドの言わば発起人となった高橋幸宏によると、METAFIVEというネーミングの由来は、“メタモルフォーゼ(変身、変態)”の「メタ」と、かつて細野晴臣がYMOのテーマとして提唱した“メタ(超)・ポップス”の「メタ」から来ているという。ちなみにYMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(79年)の仮タイトルは、「YMO の音楽は超突然変異のポップスである」という意味合いを込めた『メタマー』であった。

 これからの世の中は、ひとまず表面的なものは全部捨てちゃって、人間が変わってゆかなけりゃ、解決しないような危機感がある。だれも先が読めないし、否定的な世の中だ。そんなときに、売れればいいような音楽ばかり作っていたら、まず自分がダメになってしまう。
 イエロー・マジック・オーケストラのテーマはメタ(超)・ポップス。
トミー・リピューマ(※YMOと契約を結んだアメリカのA&Mレコーズの名プロデューサー)に、プロモート用のメッセージを送ったんだ。内容は、「自分としては、この音楽をメタ・ポップスと呼びたい。われわれの目標は、メタマー(変形態)」。
──細野晴臣『レコード・プロデューサーはスーパー・マンをめざす』(79年/CBS・ソニー出版)

 細野晴臣は、この「メタマー」というテーゼについて、「ディーヴォの逆なんだ」と前掲書の中で語っている。
 1972年にアメリカのオハイオ州ケント州立大学(※70年5月4日、同大学構内で開かれたヴェトナム反戦集会の参加者に対して、警備に就いていた州兵が発砲し、死傷者が出るという「May 4th事件」が発生。それをきっかけにニール・ヤング作詞・作曲によるクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの名曲「オハイオ」が生まれたことで知られる)の美術学生、マーク・マザーズボーとジェラルド・V・キャセールが出会い、彼らが中心となって74年に結成されたディーヴォ(DEVO)は、「人間は進化した生き物ではなく、退化した生き物だ」という人間退化論に基づき、“De-Evolution”を短縮した“DEVO”をバンド名に冠し、コンセプチュアル・アートとしての音楽活動を開始した。
 ディーヴォはエレクトロニクスを取り入れたバンドの元祖的存在であり、クラフトワークとともにYMO に大いなるインスピレーションを与えたが、METAFIVEのメンバーをつなぐ接点となったロキシー・ミュージックやトーキング・ヘッズ、デヴィッド・ボウイらと、ブライアン・イーノを介してリンクしているといえる。つまりディーヴォの人間退化論を裏返した新たな人間進化論こそ、METAFIVEがめざす地平であり、しかもそれがけっして単なる理想論ではないことは、今作『META』の成果をみれば明らかである。

 《常に変化してゆくこと。ひとつひとつがすぐれていて、しかも際限なく、どんどんよくなってゆく。可能性が広がってゆくっていうのが、このグループ全体のコンセプトなんだ。このコンセプト以外に、レコーディング前に決まっていたのは、3人のメンバーが、それぞれ、3曲ずつ作品を書くこと、そして、レコーディング・スケジュールだけだった。》

 《考えてみたんだけど、音楽の魔術というのがあるんだね。もちろん、音楽だけで生きてゆくことはできないんだけど、人間の潜在意識に働きかけて、緊張させたり、悲観させたり、そういう現実的な力があることを思い出した。(中略)
 つきつめてゆくと、超感覚的なものを身につけてゆくようにしないと、ダメだと思った。すると、いまの自分じゃダメだ。病気じゃダメなんだ。歌を歌うにも、病気じゃ、それが聴いている人にうつってしまう。
 それくらい、音楽には力がある、と思ったんだ。だから、自分が健康なだけじゃダメで、もっと強い波動を持たなけりゃと思ったんだ。他人に売る曲を書くにも、無理に作ったんじゃなくて、ほんとうに自分の中から出てきたもの。何もいわなくても、必然的に人が動かされる、そういうものを作ろう。まず、そういうものを底辺に持とうと思った。》

 前掲書から引用した細野晴臣の思弁は、時を超えてMETAFIVEのメンバー全員の意識とおそらく共振するものであろうし、METAFIVEというスーパー・グループがYMOの根幹にあったコンセプトを引き継ぎ、発展させようという想いを内に秘めていることも、想像するに難くない。
 METAFIVEがYMOの再現ライヴを起点に誕生したことは、メタフィクション(※小説というジャンルそのものを批評する小説)のように「何かを取り込んだ何か」や「何かについての何か」といった自己言及的な方法論を用いているという意味で、最初からメタ的なはじまりかたであったが、理想的なメンバー構成のもと、正しき時と場を得ることで目覚めた理力(フォース)は、驚くべき「メタ(超越する、高次の)進化」をもたらすことを、今作で見事に証明してみせた。
 イエロー・マジック・オーケストラというバンドは、細野晴臣の構想によれば「ブラック・マジック(黒魔術)とホワイト・マジック(白魔術)、善と悪の対立ではなく、トータルな統合された世界」をめざすところからはじまったが、地球全体が当時危惧した以上の混乱に覆われ、文字通り存亡の危機に瀕しているいまとなっては、METAFIVEも、そしてぼくらも、「トータルな統合された世界」の実現は、少なくとも現実世界においてはほぼ不可能であろうというところからはじめざるをえないのではないか。
 ここにきて、ディーヴォの人間退化論がいよいよ真実味を帯びてきたといえるが、何が善で何が悪なのか判断不能な世の中においても、METAFIVEが示してくれたように、ひとりひとりが散り散りばらばらになるのではなく、有機的につながることで超えられるものは確かにあるのだ。
 今作を何度もリピートしながら原稿を書いていると、高揚のあまり、前説の範疇を超えて、話がスター・ウォーズ・サーガのようにめったやたらに広がってしまう。そろそろMETAFIVEの最年長(高橋幸宏)と最年少(LEO今井)の中間に位置する3人のメンバー、TOWA TEI、小山田圭吾、砂原良徳とのミーティングに移ろう。


TOWA TEI:幸宏さんが僕の家がある軽井沢にちょくちょく来て、いっしょにYMOのレコードを聴いたりするんです(笑)。

小山田:幸宏さん、YMO聴くの好きだよね。


METAFIVEのデビュー・アルバム『META』がいよいよ2016年1月13日にリリースされます。元をたどればここにいるO/S/T(Oyamada/Sunahara/TEI)の皆さんが……。

TOWA TEI(以下、TT):吸収合併されました。

M&Aの産物なんですね(笑)。では、その辺りから訊いてみたいと思います。お三方は、O/S/T名義で高橋幸宏さんのトリビュート・アルバム『RED DIAMOND 〜Tribute to Yukihiro Takahashi』(12年)に参加していますが 、O/S/Tはどのような経緯で結成されたのでしょう?

TT:結成とかそういう感じじゃないよね(笑)。はじめようとしていたのは、もう10年くらい前じゃない?

砂原良徳(以下、砂原):そうだね。オフィシャルなバンドっていうより、組合的な……っていうかレジスタンス的なもの(笑)。

TT:個人商店の組合ですよね。「3人で何かやれたらいいね」って10年くらい言ってたんですよ。幸宏さんにO/S/Tで(リミックスを)やってくれって頼まれる前に何かやったっけ?

砂原:やってないんですよ。でもテイさんのソロとかではあったよね。

TT:そうだったね。ふたりに「なんかやってよ」って声をかけて、「As O/S/T」として曲を出してたね(“SUNNY SIDE OF THE MOON”as O/S/T、6thアルバム『SUNNY』収録/11年)。

それが幸宏さんのトリビュートでいよいよ実体化されたわけですね。

砂原:打ち合わせとかやったよね。テイさんの事務所へ行ってさ、どういう風につくろうかって。

小山田圭吾(以下、小山田):あー、リミックスのときね。何を話したかあんま覚えてないけど。

楽曲は自分たちで選んだのですか?(“Drip Dry Eyes”O/S/T with Valerie Trebeljahr [from Lali Puna])

TT:そうですね。

ミーティングでは3人の意見は近かった?

TT:うん。でもぶっちゃけ、あれはまりんがたくさんやってたよね。それを僕と小山田くんで「いいね!」って言ってただけだし。「これもいいけど、ひとつ前のヴァージョンの方が良かったかな」とかね。

砂原:そんなことないよ(笑)。

TT:でも“Drip Dry Eyes”を選んだのはこのふたりで、僕じゃないんですよ。僕が提案したら決まっちゃいそうだったからね。O/S/Tでいつか6曲くらい作ろうと思っていました。そのくらいの曲数でもクラフトワークの初期を考えればアルバムといえるかなと。そうやって話していたんですが、全然具体化していなかったんです。まりんは「小山田くんは歌わない方がいいね」って言っていたよね。

砂原:そっちの方が3人でやりやすいと思ったんだよね。毎回フィーチャリングで誰かに歌ってもらって、僕ら3人がバックでやるのを考えてた。

TT:最初は誰に歌ってもらうか決まっていなかったんですが、幸宏さんとLEO(今井)くんに歌ってもらう方向で考えていました。幸宏さんからLEOくんとゴンちゃん(ゴンドウトモヒコ)とO/S/Tの3人で何かやろうと言われた時点で、「あ、吸収合併されたな」って思いました。それで良かったと思います。

その6人になってから最初の音源は、小山田くんがサントラを担当した『攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone』(14年)のED曲、“Split Spirit”ですよね?

TT:そうですね。あの頃は、まだ名義は高橋幸宏&METAFIVEだったかな。

そのときの音源制作のやりかたは、最初に小山田くんがラフなデモを作って、みんなで回して、最後に小山田くんと幸宏さんとLEOくんとゴンドウさんで歌入れをしたという流れだったと。

小山田:うん。そういう意味では、バンドというよりは、まだ僕のプロデュースっぽかったかな。僕が言い出しっぺだったしね。だから一応、自分でやんなきゃなと。

ライヴも何回かやって、バンドが温まってきたから、フル・アルバムを作ることになったのですか?

砂原:最初はライヴだけをやっていて、そこからじょじょに曲も出来上がっていくんです。最後にライヴをしたのが去年(14年)の11月で、科学未来館というところなんですが、そのときは演奏も良かったし、映像も良かった。ライヴを録音してもらったんですけど、その状態もすごく良かったんです。だから、このままじゃもったいないと言いつつ、そこから活動をしていなかったんですけど。

TT:それで、その後の2月にメシ会を開くんです。

砂原:そこで誰かがアルバムを作ることを決めたんだよね。でも誰がアルバムを作るって言い出したのか覚えてないんですよ。

TT:水面下で幸宏さんのマネージャーの長谷川さんが動いているという話は聞いてたから、幸宏さんがそう考えていそうだとは思っていました。(当初の名義は)高橋幸宏&METAFIVEだったけれど、そこで幸宏さんは自分をM&Aして、6人のバンドにした。だからMETAFIVEに関しては幸宏さんありき、なんですよね。

砂原:ライヴをやるにしてもレパートリーがほとんどなかったので、YMOのカヴァーからはじめたんですよ。だからそこで持ち曲がほしいなと思っていました。

小山田:あとはテイさんのソロで、幸宏さんが歌った流れもあったよね。“RADIO”(TOWA TEI with Yukihiro Takahashi & Tina Tamashiro、7thアルバム『LUCKY』収録/13年)とか。

TT:そうだ。幸宏さんが“RADIO”をやりたいって言ってくれたんだ。(幸宏さんは)自分のコンサートでこの曲はやらないから、小山田くんがギターを弾いてこのメンバーでやれたらいいなと。最初は僕のヴァージョンでやっていたけど、途中からはまりんのリミックスを土台にして、ゴンちゃんのアレンジ、小山田くんのギター、LEOくんの歌を入れたらだいぶ変わった。

小山田:“Turn Turn”とかはテイさんがやっていたりするから(※細野晴臣と高橋幸宏によるSketch Showが02年に発表した1stアルバム『AUDIO SPONGE』に収録されたオリジナル・ヴァージョンの編曲にテイトウワが参加、07年の『細野晴臣トリビュート・アルバム-Tribute to Haruomi Hosono』にコーネリアス+坂本龍一によるカヴァーを収録)、いろんな曲が混じっているなかでMETAFIVEへの伏線があったりする。

その後、まとめ役は幸宏さんからテイさんへ移ったとか?

TT:全然そんなことないですよ(笑)。2番目に年長というだけで、幸宏さんとやりとりすることもあります。(幸宏さんが)僕の家がある軽井沢にちょくちょく来て、いっしょにYMOのレコードを聴いたりするんです(笑)。

小山田:幸宏さん、YMO聴くの好きだよね。

砂原:昔は聴けなかったと思うんだけど、時間が経ったから大丈夫なのかな。

TT:いつもは家でターンテーブルを2台触ることってめったにないんですよ。でも、(YMOの)“Ballet/バレエ”をかけて、幸宏さんの曲をそこに繋いだりとかしてました(笑)。けっこう面白かったです。プロダクションに関しては、METAFIVEの推進力はまりんだと思いますね。

砂原:いやいや。みんなが推進力になっている部分もある。でもLEOくんの存在はけっこう大きいですね。やっぱり若いやつが先頭を走るというか。そこにみんなが引っ張られているのもあると思うんですよね。

TT:LEOくんはプロダクションもやるし、詞も書けるからね。


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小山田:みんな一度バンドをやってるから、嫌なこともわかってるしね。

砂原:バンドを辞めた連中の集まりですから(笑)。


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今作は楽曲が粒ぞろいだから、1枚のアルバムとして本当に楽しめるんです。サンプル盤を何度もリピートして聴いていますが、LEOくんと幸宏さんのツイン・ヴォーカルの融合具合がとにかく素晴らしいと思いました。

TT:その組み合わせがみんな好きなので、それも推進力になっているというか、あのふたりに歌ってもらえる演奏をしようとする。話が戻りますけど、O/S/Tをやっていてもそうなった気はしますけどね。

リリースに先駆けてスタジオ・ライヴの映像が公開された“Don’t Move”は今作のオープニング・ナンバーですが、あれを1曲目に置くとか、シングル代わりになる曲だというのは、最初から決まっていたのですか?

TT:最初に聴いたときは難解すぎると思った。曲が全部揃ったときに“Luv U Tokio”もリード曲の候補だったんだけど、バンドとしての面白さを表現しているのは、“Don’t Move”の方なんじゃないかなと。

聴いていると、なぜかパワー・ステーションを思い出すんですよ。

砂原:あっ! それ、また言われた。

小山田:よく言われるんだよね。

LEOくんのヴォーカルの節回しがロバート・パーマーっぽいと思って。サウンドもけっこう近い。パワー・ステーション(※a)はデュラン・デュラン×シック×ロバート・パーマーだから、そういう意味では彼らも「メタ」なバンドですね。

※a デュラン・デュランのベーシスト、ジョン・テイラーと同じくギタリストのアンディ・テイラーがヴォーカリスト/ソロ・アーティストのロバート・パーマーとシックのドラマー、トニー・トンプソンを誘って結成したスーパー・グループ。85年にシックのバーナード・エドワーズのプロデュースにより同名のアルバムを発表、シングル第1弾の“Some Like It Hot”とT・レックスのカヴァー“Get It On”が大ヒットした。

砂原:それね、僕らまったく意識してなかったんですよね(笑)。ドラムの響きが強くて、LEOくんの声がそんな感じで、ちょっとファンクっぽくて、ゴンちゃんのホーンも入って、それでかなりパワー・ステーションに似たんです。でもそれで良かったと思いますよ。

TT:うん、全然OK。幸宏さんのアイディアで“Don’t Move”が1曲目になったんですが、それで良かったな。いちばんエクストリームだし。かと言って、この曲だけではこのアルバム全体を表現できているわけではないですけどね。

2曲目の“Luv U Tokio”もすごくキャッチーですよね。

TT:これは……スナック狙いです(笑)。

ちょっとひねったダンサブルなラヴ・ソングというか。日本語詞と英語詞の混合で、曲間に女性の語りが入ったり、「Tokio」というロボ声がシャレで入ったり(笑)、いろんなフックがある曲だなと。今作は1曲ごとにリーダーを交代しながら作ったのですか?

TT:ひとり2曲がノルマでした。“Don’t Move”は小山田くんの発動、“Luv U Tokio”はまりんからだし。

最初にどんな投げかけをしたのか教えてもらえますか?

小山田:“Don’t Move”は、(『攻殻機動隊ARISE』のために)“Split Spirit”を作ったときに1回やってるんだけど、メンバーが多かったから、回したデモが戻ってきたときには、けっこう(トラックが)埋まっちゃったんだよね。あと、前は僕があらかじめ作りこんでいたから、自分の色が強すぎたような気がした。今回はもうちょっとバンドっぽくやりたいと思っていて、ベースとドラムとギターくらいしか入っていない薄めのトラックをみんなに回したんですよ。最初のトラックには上モノが入っていたんだけど、それをカットした状態で回しました。そこにテイさんとLEOくんがヴォーカル・ラインと上モノを考えてくれて、次にまりんがオーケストラを入れてくれて、ゴンちゃんがホーンを入れて、幸宏さんがドラムを入れて。だから戻ってきたものは、ひとりの顔が見えないものというか、全員の感じがすごく出たかな。

TT:小山田くんが最後にバッサリ切ったもんね。たしかに、そうしないと音数がちょっと多かった。次作があるかどうか未定だけど、制約の美学を課すのはありかなと思います。ひとり担当するのは2トラックまで、とかさ。

小山田:そうだね(笑)。まんべんなく全部のトラックに音が入ってる必要もないし。入っていてもバランスは良い方がいい。

TT:ひとり4つでやったら、4×6で24トラックだね。昔は24トラックとか48トラックで十分に(曲が)できていたじゃないですか? いま200トラックとか使うひといるもんね(笑)。

小山田:まぁ、1stアルバムだったし、とくに何も決めずにはじまったので、みんな濃いものを最初に出していた。だから、こういうアルバムになったんだけど。

TT:“Albore”は僕が発動の曲で、はじまりのサビのメロディは僕が作りました。オケも作ったんですけど、ハネていたところをまりんが修正して、僕が入れたシャッフルを外して、もうちょっとスクエアにして、ドラムの音も全部変えたんです。鳴っている雰囲気はそのままなんですけどね。バンドっぽいですよね。小山田くんのギターがそこに入ってきて、どんどん変わっていきました。明るい曲が暗くなったということはないんですけど、曲の骨組みは残ったまま、面白い形になっていったかな。

“Albore”は幸宏さんとLEOくんのダブル・ハーモニーからはじまって、YMOのフィーリングもありつつ、踊れるテクノというか。

TT:僕はそれをアルバムの冒頭にもってくるのもありかなと思ったんですよ。だけど、“Don't Move”ではじまるのも、それはそれでいいなと。

たしかに、あのふたりのハモりでアルバムがはじまると、「おおっ!」というインパクトがありますからね。

TT:でも僕が発動したんだから、本来なら仕上げも僕がやるべきだったんですけど、やらなかったです。まりんにまかせっぱなし。僕は育ての親。生むだけ生んで、1歳ぐらいから会っていない、みたいな(笑)。

砂原:テイさんのアルバムでも作業をやっているし、他人の曲をいじるのは日常的にやっているので、自然にやれたといいますかね。

TT:僕は返ってきたものにさらに自分で手を入れることもするんですが、今回はそれがあんまりなかったよね。返ってきたものが良かったら、こっちでエディットする必要もないもんね。

たしかに全員の色が混ざって、そこがしっくりきて……という意味では、実にバンドらしい作品ですよね。

砂原:最初はこの6人が集まっても、各々がちゃんと役割をもったバンドになるのかどうか不安でした。でもちゃんとなるもんなんだなと。

TT:そういう意味では、ひとりだけガツガツしているひとはいないよね。

砂原:年齢的にもよかったのかもしれないね。もうちょっと若かったらこうはいかなかったかもしれない。

小山田:みんな一度バンドをやってるから、嫌なこともわかってるしね。

砂原:バンドを辞めた連中の集まりですから(笑)。

フリッパーズ・ギターだって最初は5人組だったでしょう。それが最近忘れられがちじゃない?

小山田:僕も忘れがちなんだよね(笑)、最初は5人だったって。

LEOくんはソロでやりつつ、向井(秀徳)くんとKIMONOSをやっている。

TT:でも、彼はバンドは初めてだって言いはってるよね。

彼には若いだけじゃない勢いも感じました。

TT:若いだけじゃないですよ。それに、そんなに若くもないでしょ(笑)。

小山田:若すぎないっていうのもよかった。

フロントマンとして様になっているし、独特の存在感がある。日本語と英語の両方で詞を書けるし、スウェーデン語もできるんでしょう?

小山田:LEOくんはスウェーデンと日本のハーフ。お母さんがスウェーデン人で、“Luv U Tokio”で喋ってるのはLEOくんのお母さん。

あのナレーション、LEOくんのお母さんだったんだ! 

TT:僕はLEOくんと話してると英語圏のひとと話してる感じがするけどね。ふたりで英語で話すことも多い気がするな。

彼が書く詞にはヴィジターの視点を感じます。常に外から見ているというか、ストレンジャーっぽい感覚だなと。

TT:ちょっと日本語がユニークだよね。

砂原:特徴ありますよね。「これワタシ」みたいな。

小山田:一人称がワタシだもんね。

砂原:「LEOくん、これってこうだっけ?」って訊いたら、「うん……」みたいな(笑)。

METAFIVEはスター・プレイヤーが集まって結成した、言わばスーパー・グループではあるけれど、単に「顔」で集まっていない独自のバンドらしさを感じるんです。

TT:AKBですかね(笑)。

テイさんは“Albore”と“Radio”の2曲を主導された?

TT:そう。僕と小山田くんには“Radio”と“Split Spirit”があったので、お互いあと1曲でよかったからノルマが低かった。

砂原:シード枠みたいに途中からトーナメントに参加した感じだったよね(笑)。

小山田:その2曲は僕とテイさんの曲だけど、アルバム・ヴァージョンに関してはまりんに育ててもらった(笑)。

砂原さんが各曲の土台を作った?

砂原:いやいや、そんなことないですよ。みんなそれぞれ2曲ずつ出してますからね。

小山田:でもプロダクションに関してはまりんがやっていて、後半はマスタリングやミックスも中心的に担当してたよね。

砂原さんが主導した2曲というのは?

砂原:僕は“Luv U Tokio”と、後ろから2曲目の“Whiteout”ですね。

“Whiteout”はメランコリックなメロディとLEOくんの内省的な歌声が相性抜群で、心に残りますね。エレクトロニカとかテクノの要素も少し感じます。

砂原:何っぽいっていうのかな。ヒップホップっぽいところもあるし、ファンクなところもあるし。音はちょっと黒っぽいんだけど、上に乗ってる要素は白いかな。
 僕、最初はみんなが曲を出すのを見てたんですよ。それである程度見えてきたところで、足りないものを出そうと思ってたんです。“Luv U Tokio”はテイさんから「リード曲らしいものを作るように」っていう指令が出たんですよ(笑)。

TT:僕のノルマは終わっていたので、言うだけなら言えるなと(笑)。

砂原:それで比較的わかりやすいものを作りました。ある程度できたところでテイさんに聴かせて、テーマとかをどんどん言ってもらったかな。全体的に勢いのある曲が多かったので、“Whiteout”はちょっとクールダウンさせるために作りました。

これは砂原さんがメロディを作ってから、LEOくんに詞を書いてもらった?

砂原:そうですね。とりあえず「立ちくらみの曲を作りたい」っていうテーマだけ考えて。

歌詞カードなしに聴いていて、「〜shades of gray」っていうフレーズに引っかかって、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』と何か関係があるのかと思ったんだけど、ここで歌詞カードをさっと見たら、“Shed some light on your shades of grey”(灰色だらけに少し明かりを点す)と韻を踏んでいる。ライミングしただけで別にあのベストセラー小説や映画とは関係ないのかもしれないけど、フックとして洒落てるなって。

TT:今回はひとつこだわりがあって、歌詞カードに英語詞と対訳を全部(シンメトリーに配置して)載せてるんですよね。(英語詞と日本語詞のパートを)まったく反転させて、アートワークも黒と白だったり……本当は予算の関係で黒と白しか使えなかったりして(笑)。

小山田:コンセプチュアルな感じで白黒反転させて、日本語と英語が反転してる。

砂原:でも、最近対訳が載ってる作品はあんまりないよね? 日本企画版とかならありそうだけど。

TT:読み応えはありますね。まだ読んでないけど(笑)。

このサウンドにあのふたりのツイン・ヴォーカルが載るとなれば、いったい何を歌っているのか興味を引かれて、歌詞を知りたくなりますよ。

TT:アナログ盤だと歌詞(を載せるスリーヴ)がもっと大きいんで、そのときにじっくり歌詞を見ながら聴こうかなと思います。

このなかですごく苦労した曲ってありますか?

TT :うちらの活動に関しては、ものすごく悩んだっていうのはないかな。

砂原:メールで曲を投げたあとに「どうしようかな」って悩んでいても、一周して曲が戻ってくると解決されてることが多かったですね。

たしかにそこはバンドの強みですよね。

砂原:ひとりだと作業が止まっちゃうので……。

TT:それで10年くらい作業が止まってたんでしょう?

砂原:ははは(笑)。いまも止まってます(笑)。

ぼくは全曲好きなんですが、ラスト・ナンバーの“Threads”はこのバンドならではのエッセンスが凝縮された曲に聞こえます。メロディは幸宏節が炸裂してるし、全員のテイストが見事に融合してる。これを最後に聴くと気分が上がりますね。

砂原:“Threads”はもっと幸宏さんっぽかったけど、テイさんはけっこう手を入れましたよね。

TT:そうですね。暇だったから(笑)。ただ、幸宏さんはご自分でおっしゃっているけど、けっこう幸宏さんとゴンちゃんの曲って、(はじめから)でき上がっちゃってたんですよ。

砂原:そうですよね。余白があんまりない状態で回ってきたから。

TT:アレンジもできてたから、そのまま進めばいいんですよ。幸宏さん主導の“Threads”と“Anodyne”のドラムをまりんに整理してもらって、そこからもうちょっと足したり引いたりしたんだよね。

“Anodyne”の日本語のサビが歌謡曲っぽくて、おそらく幸宏さんが書いたフレーズだと思いますが、歌謡曲の全盛時代を通過しているひとならではのものを感じました。

砂原:最初はもっと歌謡曲っぽかったと思いますね。テイさんのシンセが入ったら、突然ジャパンっぽくなって、ニューウェイヴ感が強くなった(笑)。

間奏はフリューゲル・ホルンですよね。ギター・ソロは小山田くん?

小山田:あれはLEOくんだね。

その味付けもすごく面白い。サビは歌謡曲っぽいのにニューウェイヴなアレンジで、そこに宙を舞うようなフリューゲル・ホルンとうねりまくるギターのソロが入る――このハイブリッドなミックスは新鮮でした。

TT:なるほど……それは評論家ならではの視点で、渦中にいるときはそうは思っていなかったですね。曲はできてるから、何かを入れたり、何かを引いたりすることしか念頭になかった。ゴンちゃんの“Gravetrippin'"では小山田くんのギターが炸裂してる。

それを聴いて、コーネリアスがリミックスした、Gotyeの“Eyes Wide Open”っぽいと思った。リズムはスカっぽい性急なテンポで、わりとコーネリアス・テイストだなと。

砂原:ギターがかっこいいよね。

小山田:ゴンちゃんにしてはずいぶんロックっぽい曲だと思ったけどね。デモの段階で良かった。

各曲のデモを聴くと面白そうですね。デラックス・エディションで再発するときにはぜひ……。

TT:出さないです(笑)。

“W.G.S.F.”は誰の主導ですか?

TT:これもゴンちゃんですね。

これもコーネリアスっぽい変拍子のニューウェイヴだなと思いました。

小山田:ファンキーっていうよりも、8ビートっぽいのがゴンちゃんの曲には多いね。

TT:LEOくんとゴンちゃんの曲は、素質的にロックっぽい気がしたね。幸宏さんはポップスというか。

全体的にダンサブルなトラックが多くて、そこはテイさんの味なのかな、と推測していたんですが。

小山田:最初にまりんが「踊れる感じがいいね」って言ってたんだよね。

砂原:なぜかというと、ライヴ先攻のバンドだったんで、体が動くような曲の方がいいんじゃないかと。

TT:かといって、EDMみたいな感じじゃないでしょう?

そういう感じはしなかったですね。ダンスといってもタテノリではなく横揺れのグルーヴで、ファンクなノリがあって、そこにニューウェイヴとか、ときどきノー・ウェイヴやポスト・パンクの要素も感じたり。でもR&Bのテイストもあって、すごく好きな感じでした。METAFIVEみたいなコスモポリタンが作るハイブリッドな音楽を気に入るひとは人種を問わず世界中にたくさんいると思うし、海外のひとたちに聴かせて感想を聞いてみたいですね。

TT:僕らのなかでは、ダンサブルなものが通奏低音としてあった上でのバンドを描いていました。でも、かといってEDMじゃない。だからクラブ・ミュージックっていうのは意識してないかもね。だけどクラブでたまにバイトしてるんで(笑)、要素としては入ってるんです。僕は自分のDJのときにMETAFIVEをかけますよ。“Don't Move”もずいぶん前からかけてるし。

砂原:“Don't Move”をかけてるとき、僕は客席に行ってちゃんと音をチェックしてます(笑)。

“Don't Move”は、テイさんのセットではどういう役割ですか?

TT:4つ打ちなんだけどロック、みたいな。EDM聴くくらいならロックを聴いてた方が楽しいですよね。

砂原:あとファンク色は強いですよね。

TT:そうですね。ファンクはいつも好き。あとロキシー(・ミュージック)。ジャケットはロキシー感が出てると思う。

砂原:とにかく引用だらけなんだよね。

ジャケットの絵を描いた五木田(智央)くんには何かキーワードを投げかけましたか?

TT:(アルバムを作ってる)途中で“Don't Move”と“Luv U Tokio”を聴かせたんですよ。幸宏さんが五木田くんの絵をけっこう好きなんだよね。五木田くんは小山田くんとまりんと同い年で、彼の兄貴が僕と同い年。それもあって音楽的なボキャブラリーが合うんです。それで五木田くんにMETAFIVEの印象を聴いてみたら、LEOくんと幸宏さんの声がブライアン・フェリーとかデヴィッド・バーンっぽいと。僕らが好きなロックとかニューウェイヴの感じを、五木田くんも音で解釈してくれたんで、(デザインの)内容は何も話さなかったんですよ。それで完成した作品を聴かせたら、「ロキシーっぽいね」と。それでロキシーってジャケットにバンド名しか書いてないからMETAFIVEもバンド名だけで、書体も細い方がロキシーっぽさが出るんじゃないか、とか。そこは幸宏さんも同意見でした。

そもそもバンド名は、最初はMETAMORPHOSE FIVEで、それをテイさんが縮めてMETAFIVEになったそうですね。

TT:でも、いずれにしろバンド名はMETAMORPHOSE FIVEにはならなかったでしょう。長いし、同じ名前のイベントがあるし。幸宏さんはイベントの「METAMORPHOSE」を知らなかったんじゃないかな。途中からMETAでもいいんじゃないかという説もあったよね。最近はみんなMETAって呼んでるけど(笑)。僕は、五木田くんは7人目のメンバーだと思っていますけどね。これだけ理解してくれる絵描きはいないんじゃないかなと。五木田くんは自分で作っている音楽も面白いんですよ。めちゃくちゃ多重録音していて、昔はバンドをやってたみたいですね。まりんがマスタリングしてあげなよ(笑)。

砂原:曲を送ってください(笑)。

最後にハンコを押すみたいに、アートには名前を付けてやることが必要なんですね。

TT:でもやっぱし、カラオケでは“Luv U Tokio”がいいんじゃないんですかね。

その曲名もいいですよね。

TT:あれはずっと“Tokio 2000”って言ってたよね。それで、「オリンピック、ちょっとまずくね?」って話すようになって(笑)。

砂原:「泥舟だ。逃げろ!」っていう(笑)。

「オリンピックまで日本はもつのか……!?」っていう。

小山田:“Luv U Tokio”ってちょっと歌謡コーラス系じゃないですか?

ロス・プリモスの“ラブユー東京”が元ネタでしょ?(笑)

小山田:METAFIVEになる前はCOOLFIVEとかって呼んでたんだよね。いまはおっさんばっかりだから、なんとなく歌謡コーラス的な感じもいいかなと(笑)。

たしかに「歌謡曲」と言うよりも「歌謡コーラス」ってピンポイントで言った方が気分だね(笑)。でも、そういう意味では「ちょっと女っ気がないな」とは思いました。例えばテイさんは、ご自身の作品を作るとき、必ず華やかな女性の存在を意識してフィーチャーされていますよね。そういうフェミニンな、もしくはグラマーな要素は、今回は必要ではないと思われたのですか?

TT:僕が若いときに衝撃的だったことのひとつが、YMOのメンバーのなかにいる矢野(顕子)さんの存在だったんですよ。あと“Nice Age”とかサビを女のひとが歌ってて、メンバーじゃねぇじゃん!みたいな(驚きがあった)。そういうときに、もちろん幸宏さんの歌も好きなんだけど、その対称に女性の声があると。これはいま分析するとしての発想ですが、幸宏さんを立たせつつ、何かがあった方がいいな、と考えていたかもしれないです。実は“Luv U Tokio”のサビのところはヒューマン・リーグ(※英国シェフィールド出身のシンセポップ・バンド。結成当初はボウイ、ロキシーとジョルジオ・モロダーを掛け合わせたような実験的な電子音楽を志向していたが、リード・ヴォーカルのフィル・オーキー以外の主要メンバーが脱退してへヴン17を結成。残ったオーキーらはディスコでスカウトした音楽歴ゼロの女子2人をヴォーカル兼ダンサーとして加入させ、「エレクトリック・アバ」と評される大胆な路線変更を行い、80年代初頭のMTV揺籃期に全英・全米チャートNo.1を記録した“Don’ t You Want Me”などの大ヒットを放った)のイメージでした。LEOくんが歌っているパートは女性のイメージだったんですよ。そしたらまりんに「外注はやめましょう」って却下された(笑)。

砂原:メンバーが豊富なんで、身内でやりましょうと。

TT:でもLEOくんと幸宏さんとで成立したんで、結果的にはこれで良かった。間奏のところに「かわいい娘(の声を)入れようよ」って言ったんだけど、またまりんに却下された。そこで「身内がいい」って言うから、LEOくんのお母さんになったんだよね(笑)。

砂原:でもLEOくんのお母さん、すごく良かった。60年代の(外国の)万博のソノシートに入ってるようなノヴェルティ感がある。そしたら、昔、NHKで本当にアナウンサー的なことをやってたみたいだね。

TT:独占契約して他のバンドでやるなって言わないと(笑)。


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TT:僕らはクラブでDJをしてるから、いまどういう音が流れているかも知ってるけど、そういう耳で聴いても古くさくない自負がありますね。

砂原:マーケティングをやるとしたら、スネークマンショーみたいなギャグっぽい音楽は、逆にやれるかもしれないんですけどね。


META
METAFIVE

ワーナーミュージック・ジャパン

Synth-PopElectro FunkYMO

Amazon

2作目を作ることになったら、女性ヴォーカルを入れるのもありかな、と思うんですけど、却下ですか?

砂原:そのときにならないと全然わからないですね。テイさんの“LUV PANDEMIC”っていう曲があるんですけど、ライヴでそういう曲をやるときは女の子に出てもらったりしましたよね。

TT:そうですね。この前、まだ21の水原佑果ちゃんに出てもらったんです。

砂原:ライヴの最後に女の子に出てきてもらうと、ちょっといいなっていうのはありますよね。

ヒューマン・リーグとまではいかなくても、音楽的には女性の声が入っている方がカラフルだし、そういうMETAもちょっと見てみたい気がしました。

TT:まりんも自分の曲で女のひとのヴォーカルを使ってるよね?

砂原:そうですね。踊りと歌は女性の方がいいって、僕は思っているんですよ。

TT:そこで幸宏さんとLEOくんっていうのはどういうこと?

砂原:ああ……ちょっとわかんないですね(笑)。

TT:でも、「Radio〜」って言っている女性の声は今回生かしている(※“RADIO [META Version]”にはTina Tamashiro & Ema のコーラスがフィーチャーされている)。

小山田:あとゴンちゃんの娘の声だよね。最初の「メタ!」ってやつ。

まったく野郎だけというわけじゃないんですね(笑)。今作を作ってみて、かなりの手応えがあったと思うのですが、今後どうしたいか、目標みたいなものはありますか?

TT:まずはワンマンだよね。ライヴをやってもレパートリーがなかったのが、このメンバーだからこそできる曲が十分にできたので、美味しいものがある関西では優先的にフェスに出て(笑)。それでみんなの反応を見て手応えを確かめてから、これから何をやるのかを決める感じじゃないですかね?

砂原:次の作品を考えるよりも、ライヴの準備をしなきゃとか。

小山田:それにみんなそれぞれ(の活動を)やってるからね。若者が集まってバンドでやったるぜ、みたいな感じでもないから。

海外リリースをして、一回くらいツアーをやると面白い反応が来る気がするんですが、テイさんは海外ツアーはNGですか?

TT:そんなことないですよ。いまはインターネットもあるし、どこへ行ってもラーメン・ブームだし。僕は90年代から海外ツアーをやってるけど、海外は昔とはだいぶ違いますよね。ヨーロッパの方がいいかな。昔、アメリカをツアーで2周したけどギヴ(・アップ)でしたね。

砂原:すべての食い物がバターの味みたいな(笑)。

TT:すべての味はバターを基調に、肉か魚を食べるみたいな。肉だけのときもありましたからね。

砂原:いまって、ツアーを周るっていうよりも、フェスを周るって感じじゃないですか? そこも昔と変わりましたよね。でも向こうの反応は聴いてみたいね。行く行かないは別として。

TT:いま海外ではあんまり盤って作らないですよね? 

これだけ英語詞がフィーチャーされている作品だし、海外向きだと思いますよ。

砂原:英語と日本語の区別に対する認識も、昔とは変わってきていると思うんです。とあるアメリカの女の子の曲を聴いていたんだけど、最初は英語なんだけど、途中から完全な日本語になるんだよね。それで調べてみたら、その子が昔は日本にいて英語も日本語も両方喋れるみたいなんですよ。途中で日本語になるのは本当にびっくりして、なんかもう(英語とか日本語とか)関係ないなと思いました(笑)。

TT:僕も最初のソロを出したときに、英語の曲をもっと入れろとか、インストが多いとか言われましたね。“Technova”とかリード曲なのに、なんでポルトガル語なんだ、とかね(笑)。考え方、古いなーと思った。

そういう意味では、世界がグローバル化したことで良くなったところもあって、異文化を昔ほど抵抗感なく受け入れて楽しむ土壌ができて来たのかもしれない。

砂原:“江南スタイル”とかって、ことばは関係ないじゃないですか?(笑)

最近の韓国は、日本よりも先に音楽の新しいスタイルを躊躇なく受け入れて発信もするからすごいですよね。

TT:10年前にアジアへ行ったときは、日本のものをマネしていた感じだったんです。でも数年前に韓国やインドネシアへ行ったら、韓国がデフォルトになっていた。和食屋へ行ってもKポップが流れているんですよ。それを見て中国人とかがキャーキャー言ってる。

ここ数年疑問に思っていることのひとつが、日本における「歌の上手さ」の基準がかつて自分が思っていた基準と変わってしまって、それこそ三代目(J Soul Brothers from EXILE TRIBE)とか、ああいう歌い方がデフォルトになっているような気がして。ヴォーカル・スクールの先生をやっているミュージシャンの友だちに訊いてみたら、それはKポップの影響大なんだと。ここ最近のアメリカのチャートでヒットしている曲によくあるヴォーカルの発声のスタイルを日本より先に韓流が消化して、それを日本が後追いで取り入れているという説を聞いて、なるほど……と納得したんです。

TT:日本より韓国の方がアメリカに近かったですよね。韓国語の発音の方が英語に近いっていうのもあるのかもしれないですね。

砂原:韓国の音圧感も、日本じゃなくて、アメリカとかヨーロッパの感じなんだよね。アメリカに近いかな。

TT:そのテリトリーを取られちゃった感じですね。ウチらには関係ないけど。

砂原:Kポップはエンターテイメント性が強いのかな。遊園地ぽいっていうか。

テイさんやコーネリアスとはまったくクロスしない感じですよね。

TT:まったくしないですね。

リミックスもコラボレーションもしていないし。マーケットに合わせて音楽を作るということを、METAFIVEのメンバーは誰もやって来なかったという共通項はありますね。

砂原:この前、“Don't Move”のビデオを見たときに、それがないから良いと思いましたね。それがないからこその勢いがあるのかなと。

TT:三代目とか、それ以外のEDMみたいなトレンドを気にしていないというか。

ロック魂やファンク魂を感じて、すごく清々しかったですね。

TT:僕らはクラブでDJをしてるから、いまどういう音が流れているかも知ってるけど、そういう耳で聴いても古くさくない自負がありますね。

砂原:そういうマーケティングをやるとしたら、スネークマンショーみたいなギャグっぽい音楽は、逆にやれるかもしれないんですけどね。

たしかにMETAFIVEでスネークマンショーみたいなギャグをフィーチャーした作品はありかもしれない。だれか尖ったひとたちと組んだMETAFIVE版『増殖』はぜひ聴いてみたいですね。……野田さん、何か補足したいことはありますか?

野田(以下、△)ちなみにテイさんから見て、どういうところで、このふたりとは気が合うと思いますか?

TT:同世代にあんまりいないんですよね。64年生まれって高野寛くんくらいしか合うひとがいなくて。ふたりは5つ下だけどたまたま共通言語が多いっていうだけのことです。

△それは趣味が合うということですか?

TT:趣味が合うかはわからないですけど。他の趣味とか全然知らないので。

砂原:テイさんの世代だと、まだ生で楽器をやっているひとが多かったですよね?

TT:ケンジ・ジャマー(鈴木賢司)さんとか?

小山田:あー。僕、中学生くらいのときに、学生服を着た天才ギタリスト少年って言われて登場したのを覚えてるな。

TT:あとはパードン木村さんとか。

△小山田くんやまりんはバンドに参加していたので、複数の人間で音楽をやっていた経験はありますけど、テイさんは基本的にソロでやっていますよね。そういう意味で、テイさんが誰かといっしょにやるのはどういう感じですか?

TT:このふたりも、ひとりでやっていて停滞してるんだろうなと思ったから、気楽にO/S/Tやんないかって10年前に持ちかけたんですよ。有言不実行でしたけど(笑)。

O/S/Tという名前だから、映画のサントラからはじめる手もあったかなと。

TT:依頼があれば、ですけど。それ、いいですね。

砂原:いまはMETAFIVEが子会社になりましたもんね(笑)。

映画部門もぜひ。

TT:いや、でも僕一回やったことあるんですけど、きつかったですね。何曲か決めていた劇伴とかあったけど。

砂原:僕もやったことあります。小山田くんもやってますよね。

TT:ひとつの作品を全部やるのってきつくない?

砂原:僕の場合は制作サイドが優しくていろいろ言うことを聞いてくれましたね。けっこうサントラって(音楽を)ぶつ切りにされちゃうじゃない? 「えー! こんな使い方するの!」みたいなことはなかったな。

TT:坂本(龍一)さんとご飯を食べていて、「サントラっていうのは、画を見て音がないともたないな……っていうところからはじめるんだ」と言われて、「あ、そうなんですね!」って(笑)。知らなかったからね。僕が音楽を担当した『大日本人』(松本人志監督/07年)はテーマ曲から作った。それはすっと通ったんですけど、他は松本人志さんがピンとこないってことで、大変でしたね。二度とやんないって思いましたけどね。

砂原:僕も音が必要なところに(音を付ける)っていう考えなんですけど、もっとわかりやすくストーリーを感じて音を付けるパターンが多い気がするんですよね。だから解釈がひとつしかない。それはつまんないというか、考える余地はあった方が面白いと思うんですけど。

TT:個人的には、音が少ない映画は好きなんですけどね。使うべきところにバシッと入っているのがいいですよね。車に乗っていてカーステからラジオが流れて、カットが変わったときにそれがラインになって原曲の実音が流れたりとか。そのくらいの感じが好きなんです。数年前の『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン監督/11年)はすごく上手いなと思いました。使っている音楽はテクノだけでしょう?

『ドライヴ』は映像がすごく80年代っぽかったですよね。

TT:音楽はフレンチ・テクノのひと(クリフ・マルティネス)の曲で、どうしてここで「ズデデデ、ズデデデ」って鳴るのかなって思うんだけど、カットが変わったときに「あ!」と思う。伏線的にイントロのシーケンスを弾いたりするのが良かった。

砂原:小山田くんが言ってたけど、最近の映画は効果音が適当というか。

小山田:僕がやったのはアニメで画面の情報が少ないでしょう? だから音楽の量がけっこうあるんだよね。あとバトル・シーンとか効果音が多いからさ(笑)。規模が大きい映画だから、まず音響監督さんがいて、音効さんがいて、それから音楽があって、っていう感じで、楽曲を必要な場面で入れるのもその音響監督さんがやるんだよね。だから、とりあえず素材をたくさんくださいと言われて、それでバンバンと素材になる音を出して、そのなかから監督が選ぶような感じだったから、あんまり自分で考えて音楽をやれたという感じでもないんですよ。いま教育番組(NHK『デザインあ』)の音楽をやっているんだけど、それに関しては、もうちょっと狭いプロダクションで、僕も入っていっしょにできている感じがあるんだけどね。

砂原さんがサントラを担当した作品というと、“神様のいうとおり”(いしわたり淳治&砂原良徳+やくしまるえつこ、TVアニメ『四畳半神話大系』主題歌/10年)ですか?

砂原:それはエンディング・テーマですね。サントラは韓国と日本の合作で妻夫木聡とハ・ジョンウが出ていた映画(『ノーボーイズ、ノークライ』キム・ヨンナム監督/09年)を担当しました。わりと自由にやらせてくれました。

TT:昨日『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を2回観たんですけど、けっこうずっと音が鳴ってるんですよね。あれ、うるさかったですか?

ぼくはあれを観て、ジョン・ウィリアムズはさすがだな、と思いました。引き出しが広いし。

TT:僕も上手いと思うんですよ。足すだけじゃなくて引くことも上手だし。全部スコアの世界なんだけど、新しい登場人物のレイのテーマに、それまでの曲をアレンジしたものがミックスされていたりとか。2回見たので冷静に観察できたんですけど、とにかく自分には全く作れない世界だと思いました。教授のサントラの世界もすごいですけどね。いまディカプリオ主演の映画(『レヴェナント:蘇えりし者』アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督/16年1月全米公開)の音楽もやっているでしょう? けっこう重い感じの映画ですよね。そういうのじゃなくて、「音があってもなくてもいいから」という作品の依頼はO/S/Tへ(笑)。

例えばタルコフスキーの映画を観ると、劇中で使われる音楽よりも水の音が頭に残ったりするんです。「映画音楽」というものを音響的に捉えていて、そういう映画を初めて観たのでハッとさせられた記憶があります。武満徹もタルコフスキーが好きで、いちばん音楽的な映画作家だと評価していて、なるほどそういう見方もあるなと。

TT:(映画作家のなかには)音楽を効果的に使いたいという方もいると思うんですよね。音で(観客を)心理的に引っ張っていく劇伴的なアプローチと、逆に音を聴かせるだけじゃもたないから、そこで印象を付けるためには(既成の楽曲の)選曲でも可能というか。『大日本人』は全部自分で作らなきゃと思っていたけど、ヴィンセント・ギャロみたいにやってもよかったかな。

ギャロは選曲のセンスが絶妙ですよね。『ブラウン・バニー』(03年)のサントラも1曲目に60年代のTVドラマ『トワイライト・ゾーン』の劇中歌を持ってきたり、『バッファロー'66』(98年)ではイエスの隠れた名曲を持ってきたりとか。

TT :それで自分で作った曲もむちゃくちゃ良かったりするじゃないですか? ああいうのはいいですね。ということは、ハリウッド映画じゃないってことですね(笑)。

砂原:ハリウッド系は大変そうだよね。

△でも、DJカルチャーではハリウッドへ行ったひとが多いよ。デヴィッド・ホームズとかさ。あとはフレンチ・ハウスのカシアスとか。

砂原:そうか! カシアスは昔からよくできてたから、そうなるのはわかる気がする。

小山田:ダニー・エルフマン(※ロサンゼルスのニューウェイヴ・バンド、オインゴ・ボインゴの元リーダー。80年代から映画音楽を多数手がけ、特にティム・バートン監督との名コンビで知られる)とか。

エルフマンのポジションはちょうどいい按配じゃない? 仕事するときのスタンスは小山田くんに似てるかもね。ティム・バートンの他にもハリウッド大作からインディペンデント映画まで作品本位で手がけていて、アカデミー賞作曲賞ノミネートの常連だし。ダニー・エルフマンってキム・ゴードンの高校時代の彼氏なんだって。キム・ゴードンの自伝を読んでいたらそう書いてあってびっくりした。それって意外だよね。

小山田:そうなんだ。あの自伝買ったけど、まだ読んでないんだよね。

△インタヴューを始める前に、小山田くんが『スター・ウォーズ』より『未知との遭遇』派だというのを聞いて、すごく意外でしたね(笑)。だってコーネリアスのイメージって、絶対に『スター・ウォーズ』じゃないですか?

TT:そうなの?

小山田:僕は『未知との遭遇』です。

※ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』第1作(「エピソード4/新たなる希望」)とスティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』はいずれも77年に全米公開、78年に日本公開という同時期に上映され、SF 映画ブームを巻き起こした。

音楽的には『未知との遭遇』のテーマの、あのリフの方が耳に残るよね。

小山田:♪タララララ〜。僕、ライヴで絶対にあのフレーズ弾くんだよね。

砂原:弾いてたよね(笑)。でも『FANTASMA』の頃のコーネリアスだと、ちょっと『スター・ウォーズ』っぽい感じはあったかもね。

TT:まりん、『スター・ウォーズ』ひとつも観てないくせに(笑)。

……という感じで話は尽きませんが(笑)、最後にあらためて、お三方から見たヴォーカリストとしての幸宏さんとLEOくんについて、見解を聞かせてください。

TT:さっき言ったことと同じになりますけど、もしもO/S/Tでアルバムを作っていたとしても、LEOくんと幸宏さんは最高のヴォーカリストだと思うので、吸収合併されて良かったなということですかね。

砂原:テイさんがよく言っているんですけど、自分のヴォーカリストのデフォルトは幸宏さんの声だと。僕もYMOで幸宏さんの声を聴いていたので、そういう感覚に近いですね。

TT:「Tokio」って言ってたのは教授だけどね(笑)。

砂原:LEOくんはバンドをはじめるときのミーティングで出会ったんですけど、彼がMETAFIVEをやっていくうえでキーになるような気がしていました。最初はなんで彼を呼んだのかわからなかったんですけど、KIMONOSは知っていたので、その「わからなさ」に何かあるなと。

小山田:幸宏さんとバンド(高橋幸宏 with In Phase)をやっていたジェームズ・イハの代役で入ってきたんだよね。ユニヴァーサルで幸宏さんを担当していたひとがレオくんも担当していたという縁もあるし。

TT:ギターもキーボードも打ち込みもできて歌も歌えるから、自分に近い存在っていうことも、幸宏さんにはわかってたんだよね。だから僕らに紹介しようと思ったのかな。

砂原:“Whiteout”の歌詞を書いてもらったときも、僕は何となく「立ちくらみ」っていう情報を伝えただけだったのに、彼の解釈がすごく良かった。

TT:僕もタイトルは“Albore”って伝えただけ。夜明けに作ったということもあるし、バンドをはじめることも新しい夜明けだという気がするとか、最近は音楽にしか夢はないよね、っていう話を飲み屋で散々したので。それでできた詞を見たら、すごくポエティックだった。(テーマやイメージを)具体的に良いことばにする才能がある。

小山田くんは?

小山田:幸宏さんとLEOくんがちょうど最年長と最年少で、共通している部分も感じているし。さっきブライアン・フェリーとデヴィッド・バーンって言ったけど、両方ともブライアン・イーノが関わっている感じで(笑)。

TT:あとディーヴォもイーノだよね(※78年の1stアルバム『Q:Are We Not Men? A:We Are Devo!(頽廃的美学論)』のプロデュースをイーノが手がけた)。“Don't Move”の大サビみたいなところはディーヴォっぽく歌って、って言ってたんだけどね。

小山田:ちょっとマーク・マザーズボー(※ディーヴォのオリジナル・メンバー。ウェス・アンダーソン監督作品など映画音楽も多数手がける)が入ってる感じ。そういうイメージで僕は作ったから。

砂原:幸宏さんとLEOくんは声の混ざり方もいいし、コントラストもあるし。

小山田:静と動の混じり具合が絶妙だなって。これだけ良い素材だったら、何をやってもそこそこ良い料理が作れそうだなっていう。

まさに理想のツイン・ヴォーカルという感じがしますね。

TT:親子であってもおかしくない年齢ですよね。それでふたりともブリティッシュ・アクセントがベースにあるんですよね。幸宏さんの師匠がピーター・バラカンさんだから。そのうえでアメリカン・アクセントもいける。

小山田:LEOくんもずっとイギリス育ちだもんね。

TT:でも僕の曲で、「これはワタシ、どっちで歌えばいいですか?」って訊いてくれる。アメリカンか、それともブリティッシュ・アクセントか、って(笑)。

たしかにアルバムの全曲で、ふたりのヴォーカルの独特の混ざり方やコントラストが鮮やかに栄えているのが、成功の第一の要因だと思います。

TT:みんながふたりのツイン・ヴォーカルが好きだから、結局全曲歌ものになったっていうことですからね。それは想定していなかったでしょう?

砂原:それはすごい成果でしたね。そういう決まりを作ったわけじゃないんですよ。

そういえばゴンドウさんの役割はどんな感じでしたか?

砂原:ゴンちゃんはホーンとかスパイス的なアレンジをやってくれるし、プロダクションもできる。だから僕は悩んだときはゴンちゃんに相談してました。

TT:あと、幸宏さんはなくてはならない存在というか。幸宏さんって最初にプロダクションありきの音楽を作るひとのハシリじゃないですか? その頃ってマニピュレーターがいたんですよね。いつの間にか自分たちでやるようになって、シンセを買ったらプリセットが1000個とか入っていて。でも幸宏さんは、その分オールド・スタイルを貫きたいと思っている。自分で詞を考えたいし、衣装も考えたいし、ライヴの選曲も考えたい……そういうオールマイティなタイプなんですよ。幸宏さんだけ自宅スタジオがないじゃん? あれは美学なんだよね。家にはドラムもシンセも何もないっていう。アール・デコの鏡とかはまだあるらしいよ(笑)。

小山田:そういえば幸宏さんの家、行ったことあるな。あの時計、まだあったよ。

TT:だから、僕が軽井沢の自宅でレコードとシンセとターン・テーブルを置いて、DJをだーっとやってるのを「だせえな」って思ってるはず(笑)。

そんなわけないですよ(笑)。でも「ダンディとは美学を生きた宗教のように高める者」というボードレールの定義に従えば、ダンディという称号が似合う日本のミュージシャンは、加藤和彦さん亡きいまとなっては幸宏さんが最後かもしれない、という気もします。
METAFIVEは、パーマネントなバンドとしてのポテンシャルに計り知れないものがあるので、これからの展開次第では大化けして、予想を超える飛躍を見せてくれる予感もあってワクワクしているんです。ディーヴォが『In The Beginning Was The End:The Truth About De-Evolution』(76年/チャック・スタットラー監督)みたいなショート・フィルムを作ったように、METAFIVEならではの映像作品も作ってもらえると嬉しいですね。

DUBKASM - ele-king

 ブリストルを拠点に活動するDJストライダとディジステップによるレゲエ/ダブのデュオ、ダブカズムが2月に来日ツアーを行う。2013年に発表された“ヴィクトリー”は、ダブ界の重鎮ジャー・シャカやダブステップのパイオニア、マーラにもプレイされ、多くの人々に愛されるアンセムとなった。去年リリースされたマーラによるリミックス・バージョンも、発売後すぐにソールド・アウトになるほどの人気ぶりだ。

Victory - Dubkasm (Mala Remix)

 世界各地域において独自のシーンを持つサウンドシステム文化において、グローバルな広がりはもちろんのこと、現地のミュージシャン同士の繋がりを見るだけでも心が踊るものだ。テクノ・シーンでも評価される〈リヴィティ・サウンド〉のペヴァラリスト、ダブステップやグライムのシーンで活躍するカーン&ニーク、スミス&マイティとして多くのクラシックを生み出したロブ・スミス。日本でも馴染み深い彼らは、各々が少しずつ異なったフィールドに身を置いているものの、ブリストルというひとつの街のなかで実に有機的な関係性を築いている。

 そのなかで重要な役割を果たしているのがダブカズムのふたりだ。ブリストルにみずからのスタジオを構え、自分たちのプロダクションに専念するだけではなく、他のプロデューサーたちとも積極的にコラボレーションを続ける彼らは、ブリストルのハートのような存在なのかもしれない。2014年に発表された“マイ・ミュージック”の音楽とビデオで描かれるのは、ブリストル、ひいては他の街のミュージシャンたちとダブカズムの繋がりだ。テクノロジーの発達により、個人作業の可能性がどこまで拡張される現在。そんな時代においても、素晴らしい音楽は人々が交差する「場所」からやってくることを、彼らは思い出させてくれる。

 ツアーは2月5日からはじまり、東京、京都、福岡、相模原、札幌の5都市をダブカズムが巡る。東京公演ではロブ・スミスことRSDもプレイする予定だ。近くの会場でブリストルのハートを心して聴こう。

'My Music' - Dubkasm meets Solo Banton (Feat. Buggsy)

Dubkasm( from Bristol, UK)

DJ StrydaとDigistepは、15才の頃に地元ブリストルで体験したJah Shakaのセッションで人生を変えられ、サウンドシステム文化に没入していく。以降、20年以上に渡りトラック制作/ライヴ&DJ/ラジオ番組などでシーンに関わり続けている。そのトラックはJah Shaka、Aba Shantiらのセッションでも常連で、昨年リリースの「Victory」はここ日本でもアンセムと化している。09年に発表したアルバム『Tranform I』は高い評価を受け、全編を地元の盟友ダブステッパーたちがリミックスしたアルバムも大きな話題となった。最近ではMalaやPinch、Gorgon Soundらとの交流も盛んで、ダブをキーにした幅広いシーンから厚い信頼を獲得している。2016年2月、BS0の第2弾として待望の初来日を果たす。


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