「You me」と一致するもの

JAWS - ele-king

 ロバートってのがいてなんだか危ないらしい。というような、ものすごいざっくりとした感じではあるが、昨年末から今年にかけた出会ったナイスな人たち、たとえばブルース・コントロールのふたりやドラキュラ・ルイス(Dracula Lewis)のシモーネ・トラブッチがそう漏らしていて、どう危ないのよ、と訊ねたところブルース・コントロールのギタリストであるラスがこれをみせてくれた。

 なるほど。こりゃ危ない。

 これは、「エクスペリメンタル・ハーフ・アワー(Experimental ½ Hour)」という、音楽家に限らないあらゆるパフォーマンス・アートをブロードキャストで配信する移動スタジオ式TVプログラムである。2010年にポートランドからはじまり、現在はLAにその拠点を置く本プログラムには、過去にも素晴らしいキャストが出演しているので時間がある人にはぜひチェックしていただきたい。
 話を戻すと、これは噂のジョーズ(JAWS)ことロバート・ジラルディンとドラキュラ・ルイスのシモーネのセッションであり、このふたりの親交は深く、過去にジャームスのクソカヴァー・ユニット、セックス・ボーイズ(Sex Boyz)としてベルギーのアート・スカム・レーベル、〈ウルトラ・エクゼマ〉から出していた7インチの印象を裏切らない見事な妙技をみせつけてくれている。

 くだんのシモーネが主宰する〈ハンデビス・レコーズ〉より2011年の『ストレス・テスト(Stress Test)』以来のアルバムである『キーズ・トゥ・ザ・ユニヴァース(Keys To The Universe)』がリリースされた。仲よすぎですが彼らはゲイではありません。ロバートは神出鬼没の人物のようであり、LAを拠点に活動しているとのことだが、僕は彼をLAで見かけたことはなく、シモーネとミラノにいたり、NYでエクセプター(Excepter)の連中に混ざっていたりとフラフラしながらも精力的なパフォーマンス/音楽活動をおこなっているようだ。
 過去の〈ハンデビス〉のリリース同様、ジョーズもパフォーマンスを重要とするアーティストではあるので、ライヴ未見の僕が早急に判断できる代物ではないのかもしれないが、上記の動画や彼が制作した過去の怪しい自画撮りPVでその狂気と油ギッシュな世界観を垣間みることができる。しかし、モトクロス系のクラッシュをコンパイルしたアルバムからのトラックのヴィデオは単純に美しく、カタルシスに満ちている。

 スターゲイト、プリミティヴ・アート、スカル・カタログことソーン・レザーとともにハンデビス・ギャングを構成するにふさわしい超マイウェイな感覚を捉えた世界観とコンセプチュアルな表現様式の可能性は完全に未知数! 危ないですな。

Hyperdub - ele-king

 思えば、2014年は、1月におこなわれた〈ハイパーダブ〉のショーケースにはじまたのだった。ジュークの世界に足を踏み入れたコード9がシカゴのDJラシャドを引き連れて来日した記念すべきイベント(最初で最後の、DJラシャドの来日となってしまったけれど)。
 あれから11ヶ月。レーベル誕生から10周年を記念する4部作のコンピレーションのリリースを経て、コード9はこの年の末、再度来日する。
 またしても強力なメンチだ。ハウス・レジェンドからブロークン・ビーツの魔術師へと変貌を遂げたキング・ブリットことフロストン・パラダイム。シカゴ・ジュークの使者、DJスピン。新作アルバム『ウェイト・ティル・ナイト』をリリースしたばかりのアンダーグラウンド・ディーバ、クーリー・G(アントールド曰く「DJも激ドープ」)。
 そして、D.J.フルトノやフルーティといったジュークDJも出演、ダンサーも登場。日本代表ウィージー、レペゼン・シカゴのライトバルブのフットワークが生で見れる! 
 まあ、2014年を締めるには、最高のメンツのイベントですな……存分に踊って、2015年を迎えましょう! Let me show your footwork!

Slackk - ele-king

 『イン・ディス・ワールド』や『グアンタナモ』など政治的な映画を撮ることが多いマイケル・ウインターボトム(日本では『24アワー・パーティー・ピープル』がもっともよく知られているか)の『グルメトリップ』を観ていて、久しぶりに会う親子がドアを開けるなり「ノー・ポリティクス、サンキュー」と言い放つシーンがあった。これまでにどれだけ言い争ってきたかということだけれど、このセリフが耳から離れなくなって、『ele-king vol.14』の第2特集で使うことにした。自分たちがノン・ポリだということもあるし、このところの政治の話題は本当に遠ざけたいほどヒドいものばかりだということもある。あれは本当に心の叫びなんですよ。驚いたのはリチャード・D・ジェイムズで、軽くあしらわれると思っていた政治の話題に彼は、セカイ系的なニュアンスではあるけれど、多少なりとも言葉を返してくれた。しかも、彼が伝えようとしている内容はそれこそ「ノー・ポリティクス、サンキュー」と同じようなことである。一冊の雑誌のなかで同じテーマが入れ子状に絡み合っていると評してくれたのは〈ゼロ〉の飯島さんだけれど、ある種の音楽と政治は似たような距離にあるのかもしれないと、それこそ錯覚を覚えてしまいそうな符号だった。これを編集部はコンテクストとして自覚するべきで、ビジネスマンたちが好んで使うバンドル・メディアの必須条件と考えるべきなんだろうけど、「ぼさ~っとすること」という105ページの見出しにいつも心は飛んでしまう。ぼさ~っとしたいよなー。ノー・ワーキング、サンキュー……。

 ラッカー(Lakker)の8枚めのシングル『マウンテン・ディヴァイド』は意表をつくノイジーな歪みが非常に気持ちよかった。そして、それ以上に予想外だったのがポール・リンチによるアンビエント・グライムである(……という言い方は誰もしていないけれど)。なるほど打ち込み方はグライムのリズム・パターンだし、そもそもデビュー・シングル「テーマEP」(2010)はベースメント・ジャックスが派手にブリープ音を撒き散らしているような曲だった。それがどんどんスタイルを変えていき、何をやろうとしているのかさっぱりわからない時期を経て(とくに『フェイルド・ゴッズ(Failed Gods)』)、ついに新境地を切り開いたのである。ガッツである。UKガラージはまだまだポテンシャルがあるんだなーというか、そもそもスラック(slack)というのは「ユルさ」という意味だから、字義どおりに収まったといえばそれまでなんだけど、それにしてもおもしろい展開である。『やしの木が燃える』というヴィジュアルもアーサー・ライマン(『アンビエント・ディフィニティヴ』P.21)とはきっとなんの関係もないだろうし、発想の源がまったくわからない。いや、とにかく変わったことをやってくれました。

 フロアユースか否かという耳で聴くと、このアルバムはおそらくどこにも行き場はない。クラブ・ミュージックであるにもかかわらず、そのような対立項とは無縁の場所で音は鳴りつづけ、アンビエント・グライムとは書いたものの、チル・アウトにはまったくもって適していない。中途半端に身体は触発され、気持ちだけが宙に吊り下げられたまま全15曲がさまざまなイメージを展開していく。なんというか悶え苦しみながら少しずつカラダが聴き方を覚えてくると、後半に入ってワールド色が薄く滲み出したり、さらにはエイフェックス・ツインめいたりしながら、いつまでも宙吊り状態を維持してくれる。いい感じである。何度聴いても的確な言葉が浮かんでこない。

 現在はロンドンがベースで、昨年末にUKガラージの変化球として『コールド・ミッション』が話題になったロゴスらとボックスドというDJチーム(?)も組んでいるらしい。ロゴスことジェイムズ・パーカーもけっこうな変則ビートを聴かせる逸材で、どこか通じるものもなくはないけれど、急速にファッション化しつつあるインダストリアルの要素を引きずっていたロゴスとは違い、スラックはむしろ 対照的にハッパの世界観を一気に更新した感がある。それこそブライアン・イーノ『アナザー・グリーン・ワールド』(1975)のガラージ・ヴァージョンというか。アーサー・ライマン→ブライアン・イーノ→『アーティフィシアル・インテリジェンス』→『パーム・トゥリー・ファイアー』と、20年おきに受け継がれたシミュレイションの引き延ばしがここまで達している。これは、つまり、「ぼさ~っ」としたい人たちがいつも一定数いるということだろうな……。

interview with Vashti Bunyan - ele-king


Vashti Bunyan
Heartleap[歌詞対訳/ボーナストラック1曲のDLコードつき]

インパートメント

Folk

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 イギリスのフォーク・シーンで伝説のごとく語り継がれてきたシンガー・ソングライター、ヴァシュティ・バニアン。まるで英国の深い森に住むフェアリーのような存在だった彼女の名が再びシーンをにぎわすようになったのは、1990年代末期だった。1970年にリリースされた唯一のアルバム『Just Another Diamond Day』が、当時のアメリカーナ〜フリー・フォーク系ミュージシャンたちの間で再評価され、それがきっかけとなって2000年に正式CD化。長い間、音楽シーンから遠ざかっていた彼女も、やがて活動を再開し、2005年にはなんと35年ぶりとなるアルバム『Lookaftering』を発表し、ファンを驚かせた。
 それから9年。またしても長い歳月が流れたが、通算3作目となるアルバム『Heartleap』がようやく登場した。新作発表にここまで時間がかかったのは、ほとんどの曲のアレンジと演奏、そしてプロデュースを自分一人でこなしたからのようだ(一部、ストリングスやギターなどでゲストが参加)。そのぶん、前作と比べてかなりプリミティヴかつインティメットな感触の内容となっており、たとえば、編集盤『Some Things Just Stick In Your Mind』(2007年)で現在聴ける60年代デビュー前のデモ音源などに似た印象すら受ける。まさに、手作りの織物のような愛らしさ。
 発売元の公式アナウンスによれば、これが最後のアルバムになると本人は語っているという。再び彼女は、森のフェアリーに戻るのだろうか……

“スウィンギン・ロンドン”は、他に類のないくらいインスピレーションが旺盛で創造性に富む時代だったわ。大好きだったし、関わっていたかった。ただし、他人の音楽ではなく、自分の音楽でね。たとえミック・ジャガーやキース・リチャーズの曲だったとしても、自分の音楽として関わっていたかったの。

今作が最後のアルバムになると宣言しているようですが、なぜこれでやめるのですか?

VB:やめるというか……1枚のアルバムに必要な分だけの曲を書き終えるためには、これから何年もの年月が必要になると思う。でも、その頃にはもうアルバムという形式はなくなるんじゃないかと思っているの。まあ、誰にもわからないことだけどね。

じゃあ、新しいアルバムは作らないとしても、音楽活動自体は続けるんですよね?

VB:自分がこれまで書いた曲を全てシングルとしてデジタル・リリースすることに興味があるわ。

全体的に、60年代にレコード・デビューする前の64年のデモ音源に近い印象を受けました。こういう素朴さ、透明感は、制作前から意図していたものなのですか?

VB:アレンジのたくさんの部分に膨大な時間を費やしたこのアルバムを、素朴とか透明感があるとは自分では感じないけど……でもたしかにこれは私の初期の頃、一番最初にレコーディングしていた頃にやりたかったことができた作品なの。あの頃私は楽譜を読めなかったし、書けなかったから、頭のなかにある楽器構成を現実化できなかった。でも、いまはできるわ。

長い休止期間を経た後の復活作だった前作『Lookaftering』は、ピアノ・サーカスなど実験音楽シーンで活躍してきたマックス・リヒターがプロデュースしてましたが、今回はセルフ・プロデュースです。その理由は?

VB:マックスと一緒に仕事をしたとき、彼から様々なことを学んだし、あの時間は私にとってとても価値あるものだった。私はあれ以来ずっと、自分でパソコンのソフトを使って曲を録音し、アレンジする方法を勉強してきた。そういった方法にとても興味を持つようになったわけだけど、私の場合、その制作プロセスにとても時間がかかるの。そんな自分に辛抱してくれとは、どんなプロデューサーにも頼めないわ。だから今回は、セルフ・プロデュースになった。前作では、マックスに対しては何の不満もなかったし、音楽的才能を惜しみなく提供してくれたマックスと他の若い仲間たちに出会えたことは、本当に運が良かったわ。皆、信じられないくらい素晴らしい人びとだった。

そもそも前作で、あなたとは縁のないように見えるマックス・リヒターがプロデュースを担当した経緯は、どのようなものだったんですか。

VB:『Lookaftering』は〈FatCat〉レーベルからのリリースだけど、当時マックスも FatCat に関わっていた。で、レーベル関係者が彼の存在を教えてくれたの。しかも彼は、その頃私と同じ町に住んでいた。彼のソロ・アルバム『Blue Notebooks』(2004年)を聴いた瞬間、私の新しい曲を取り扱ってくれるにふさわしい人だとすぐに思ったの。

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1968年のロバートとの旅物語は、私の次のプロジェクトね。私たちは、自由という夢を追って、家族や他の全てを捨て、ロンドンを離れたの。音楽業界で突き進むことに失敗したんだと思い至り、そこから離れたかった。もう録音なんかするまいと。

今回は、プロデュースだけでなく、大半の演奏と録音も自宅で自分でおこなったそうですが、とくに苦労した点、刺激的だった点は?

VB:作業途中で誰にも立ち聴きされず、スタジオの使用時間も制限されないようにするには、その方法しか考えつかなかったの。ただ、私がアレンジしたいくつかの楽器の演奏は、まずスタジオで別のミュージシャンが録音し、その音源が私の手元に届けられ、それを元に私が自宅で改めて演奏、再構成するという形で完成させた。だから、とても時間がかかったわ。

本当はロバート・カービーにアレンジを頼む予定だったのが、彼の死(2009年)で不可能になったということも、アレンジや演奏を自分でやった理由のひとつだったみたいですね。ニック・ドレイクの作品をはじめ、60年代末期から70年代にかけて、傑出したアレンジャーとして名を上げたカービーは、あなたのデビュー・アルバム『Just Another Diamond Day』(1970年)や、前作『Lookaftering』にも関わってました。カービーのアレンジのどういう点にあなたは惹かれてましたか?

VB:ロバートはとても面白く、素敵で、突拍子も無いけど最高のミュージシャンだったわ。パソコンなんて使わず、ピアノでアレンジしたものを紙の楽譜に書く人だったから、彼は自分の曲が実際にライヴで演奏されてから初めて耳にするのよ。すごい才能だった。そんな彼を失ってとても辛かったし、彼がこの世から去ってしまったことが、ただただ悲しかった。彼は、いま私が自分の曲で何をしたいのかちゃんと理解してくれていて、すぐにでも一緒に制作にとりかかろうとしていたところだったのよ。

今回も演奏に参加しているギタリストのガレス・ディクソンは、復活後のあなたが特に親しくつきあってきた音楽家ですが、彼との出会いの経緯や、彼の音楽家としての魅力について教えてください。

VB:『Lookaftering』リリース後、最初のライヴで伴奏してくれるギタリストを私が探している時に、これもまた〈FatCat〉がガレスのことを教えてくれたの。彼はとても洗練されたギタリストで、彼自身の曲もとても美しいのよ。彼は私の曲を繊細にとりあつかい、理解してくれるし、私が何を言わんとしているかもわかってくれるから、本当に助けられたわ。私たちは、ふたりとも楽譜が読めないから、お互いに発達させた私たちだけの音楽言語があるんだけど、他のミュージシャンたちが聞いたら笑ってしまうでしょうね。私たちだって、自分たちのことを笑っているし。

アルバム・ジャケットの絵は、今回もあなたの娘さんのウィン・ルイスが描いています。彼女の絵は、あなたの音楽にも刺激を与えているようですね。

VB:『Lookaftering』と今回の『Heartleap』に使った絵は、それぞれのアルバムの制作が終わるずっと前にウィンが描いていたものなの。どちらも、とても力強いイメージよね。『Heartleap』のジャケットに使った絵は「Hart's Leap」というタイトルで、しばらくの間私のパソコンのデスクトップの写真にしてたものなの。今年の頭頃、それを見つめていた時に、今作の最後に収録されているアルバム・タイトル曲「Heartleap」が浮かんだの。彼女の絵をアルバムのジャケットに使わせてもらうだけでなく、絵のタイトルも盗んで「Heartleap」という言葉に作り変えさせてもらえた私は本当にラッキーだわ。

ここで、昔のことについても、質問させてください。レコード・デビュー時のプロデューサー、アンドリュー・ルーグ・オールダムとは、どうやって出会ったんですか。

VB:1965年に、母の友人の女優さんが主催するパーティーで歌ったことがあったんだけど、アンドリューを知っているエージェントがたまたまその場にいた。彼女は、アンドリューが私の曲を気にいるかもしれないと思い、彼に紹介してくれたの。そして、その機会を与えてくれた彼女の事務所で、アンドリューを前に歌った。そしたらアンドリューは、ミック・ジャガー&キース・リチャーズの曲“Some Things Just Stick In Your Mind”を私が歌ったものをシングルとして出したいと言ったの。でも私は、自分の作品を録音したかった。だからそれ(“I Want To Be Alone”)がB面に入ったの。とてもわくわくした時期だったわ。

当時アンドリューは、第二のマリアンヌ・フェイスフルやフランソワーズ・アルディのような路線を狙っていたように見えますが、あなた自身はどうだったんですか。

VB:実は、そういう風に見られていたなんて、だいぶ後になるまで私自身は気づかなかったの。私を、アンドリューのマネージメントを離れたばかりのマリアンヌ・フェイスフルの代理だとメディアが書いていたのを見たときは、とても落ち込んだわ。当たり前でしょ。実際いまだって、彼女の名前が出てこない私のインタヴュー記事なんて、ほとんどないんだから。

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当時メディアが書いたような、子供向けの童謡などではなく、その時代のドキュメントだと彼らは理解してくれたの。発売当時は誰も感じとれなかったものを、いまの若い人たちが身近に感じとってくれる様子に、私はいつもびっくりさせられるし、うれしく思うわ。

デビュー当時の“スウィンギン・ロンドン”の雰囲気は、当時のあなたにとって心地よいものではなかったんですか。

VB:いいえ、そういうわけじゃない。他に類のないくらいインスピレーションが旺盛で創造性に富む時代だったわ。大好きだったし、関わっていたかった。ただし、他人の音楽ではなく、自分の音楽でね。たとえミック・ジャガーやキース・リチャーズの曲だったとしても、自分の音楽として関わっていたかったの。

その後、恋人のロバート・ルイスと共に、馬車で長い旅に出ました。スコットランドのルイス島のヒッピー・コミューンのことなど、たくさんの思い出やエピソードがあるんでしょうね。

VB:あの当時のことを話すには、一週間はかかるわ! 自分でも、書き留めたいとは思っているのよ。1968年のロバートとの旅物語は、私の次のプロジェクトね。私たちは、自由という夢を追って、家族や他の全てを捨て、ロンドンを離れたの。音楽業界で突き進むことに失敗したんだと思い至り、そこから離れたかった。もう録音なんかするまいと。でも曲は書き続けたわ。デビュー・アルバム『Just Another Diamond Day』に収録された曲のほとんどが、その旅のことだった。

その『Just Another Diamond Day』は、フェアポート・コンヴェンションやニック・ドレイクなどを手がけていたジョー・ボイドがプロデュースしましたが、彼とのとの出会いの経緯は?

VB:彼は、例の馬車の旅の途中、ちょっとロンドンで身を休めていたときに知り合った友だちの友だちだったの。私は、彼に会いに行って、何曲か歌ったわ。私たちがスコットランドの西海岸にあるルイス島までたどり着いて馬車の旅を終えたら、彼はその曲をアルバムとして制作すると約束してくれたの。彼は約束を守り、翌年(1969年)私たちはロンドンでレコーディングをしたのよ。

でも、『Just Another Diamond Day』をリリースした後、突然、音楽活動を止めてしまいましたよね。メディアにひどいことを書かれて失望したから、と聞いたことがありますが。

VB:その通りよ。アルバム制作からリリースまで、時間がだいぶかかり、リリースされた頃には自分の中で多くのことが変わっていて、作品は意味を失っていた。そして、メディアでも、子供の童話のようにとても軽くて、取るに足らないアルバムと評価された。私にとって、とても難しい状況だったわ。だから、再びレコードを作ったことは間違いだった、もう二度とやらないと自分に言い聞かせたの。それから長いこと、決してギターを手にしなかったわ。

そして1990年代、若い音楽家たちの間で『Just Another Diamond Day』が再評価されはじめました。それを知ったときの気持ちは?

VB:あの作品の価値をわかり、周囲にも広めてくれるような適切な人たちに私がやっと出会えたのは、2000年にアルバムを再発したときだった。『Just Another Diamond Day』は、当時メディアが書いたような、子供向けの童謡などではなく、その時代のドキュメントだと彼らは理解してくれたの。発売当時は誰も感じとれなかったものを、いまの若い人たちが身近に感じとってくれる様子に、私はいつもびっくりさせられるし、うれしく思うわ。

そういう若手音楽家、たとえばディヴェンドラ・バンハートやアダム・ピアースなどと自分のあいだには、どういう点で共通性を感じますか?

VB:ちょっと難しい問題ね……ただ彼らは、私の若い頃とは違って、精神的な強さを持った人たちだと思うわ。

復帰作『Lookaftering』の“Wayward”では、「自分は家を守って炊事や洗濯ばかりして過ごす人間ではなく、ブーツを埃まみれにしながら、気ままに果てしない道を旅する人間になりたかった」と歌ってました。隠遁後の主婦生活では、いろんな葛藤があったんでしょうね。

VB:そうね……あの曲は、家庭生活と自分の抱いていた夢のあいだに生じた葛藤の日々のことを書いたものなの。『Just Another Diamond Day』を作っている頃に最初の子供を授かり、その後の家庭生活では、もちろん我が子たちを溺愛していたけど、なんとなくいつも、自由な旅路に憧れていたのね。とくに、子供の学校生活がはじまった頃はね。

その主婦生活の20数年間は、音楽からは完全に離れていたんですか?

VB:そうね。それ以上の年月だったわ。ほとんど他の人の音楽を聴かなかったし、子供にも歌ってあげなかった。音楽的な要素のない教育を子供にしてしまったことは後悔しているわ。

前述どおり、今回の新作は、正式デビュー前の歌に近い印象を受けます。それはつまり、あなたはプロ歌手になる前から現在までずっと、ひとつの確固たる音楽的イメージや世界観を持ち続けてきたということなのかも……とも思うんですが。

VB:その通りよ。ほとんどの場合、その曲がどうあるべきなのかという自分だけのアイデアだけが頼りだし。つまり、自分の頭のなかでどう聴こえるかってことよ。初期の作品は、ギターだけでできたシンプルな構成だった。だってそれしか弾けなかったから。さっきも言ったけど、私は楽譜が読めないから、曲のアレンジはイメージできても、頭のなかにあるだけだったの。いまは音楽用ソフトとキーボードのおかげで、これまで考えもしなかった音楽構成を実現することができるわ。でも、昔同じことができたとしても、きっと最近の作品にかなり似たものだったでしょうね。

最後に、ヴァシュティという素晴らしい名前をつけてくれたご両親について教えてください。

VB:そうね、すごくユニークな名前を授けてくれたと思うわ! 私の兄と姉の名前は John と Susan で、普通のイギリス的名前なの。Vashtiという名前は、聖書に出てくる“気難しい”女性の物語に由来しており、最初は母のニックネームとして、次に父のヨットの名前として、そして最後になぜだか私に名づけられたの。私のファースト・ネームは Jennifer なんだけど、 Jennifer と呼ばれたことはないし、いつも Vashti だった。私の両親は素晴らしい人たちだった。ずっと昔に亡くなってしまったけど、もちろんいまも、いつも彼らのことを思っているわ。

死の黒は春の黒へ - ele-king

 現〈アンチコン〉を代表するビートメイカー、バスが、今年発表したEP『オーシャン・デス』でみせた意外な展開──ダークでミニマルなテクノ──は、音楽のモードばかりでなくもうひとつの“モード”にも接続した。〈ディオール・オム〉2015年春のビデオ・ルックブックのサウンドに、そのタイトル・トラックである“オーシャン・デス”が起用されたのだ。
 デイデラスの寵愛を受けるLAビート・シーンの鬼っ子、といった説明はすでに過去のものになっているが、当時もいまも、「どこか」のジャンルに繰り入れられることなく、アーティに、かつポップに、そしてオリジナルなフォームのもとに独自の世界をひらいてきたバスが、ファッションとの交差においてするどい緊張感をはらみながら魅せる音の色は、『オブシディアン』(2013)から引き継ぐ黒。3人の男たちのまとうディオールからは、そのつややかな黒をやぶって萌えいづる春の色がのぞいている。パリのクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)によるデザインが完璧なフレームを提供する、この欠けるところなきヴィデオをご覧あれ。



 Dior Homme 2015年春ビデオルックブックのサウンドに、Baths「Ocean Death」が起用されました!!

 ビデオに登場する、モデル達が佇むモジュラー式シーティングのデザインはビョークやカニエ・ウェスト、そして数多くのビッグメゾンとコラボレーションをした、パリを拠点に活動するクリエイティヴ・ユニットM/M (Paris)(エムエムパリス)によるもの。

 コレクションの世界を象徴するBathsの曲“Ocean Death”のエネルギッシュなビートにのって映像ははじまります。

■詳細
https://www.dior.com/magazine/jp_jp/News/アーバン-ミックス

■Baths『Ocean Death』

リード楽曲


ライヴ映像 (収録曲「Ocean Death」パフォーマンスは12分50秒から)



Baths
Ocean Death EP

Anticon / Tugboat

TowerHMVAmazon

作品詳細

https://www.tugboatrecords.jp/4912

・発売日:2014年07月16日発売
・価格:¥1,380+tax
・発売元: Tugboat Records Inc.
・品番:TUGR-015
・歌詞・対訳・対訳付き

■Baths
 LA在住、Will WiesenfeldことBathsは現在25歳。音楽キャリアのスタートは、両親にピアノ教室に入れてもらった4歳まで遡る。13歳の頃にはすでにMIDIキーボードでレコーディングをするようになっていた。あるとき、Björkの音楽に出会い衝撃を受けた彼は、すぐにヴィオラ、コントラバス、そしてギターを習得し、新たな独自性を開花させていった。大傑作ファースト・アルバム『Cerulean』は、LAのanticonよりリリースされインディ・ロック~ヒップホップリスナーまで巻き込んだ。満を持して2013年にリリースしたセカンド・アルバム『Obsidian』はPitchforkをはじめ各メディアから高い評価を得た。いまもっとも目が離せないアーティストと言ってもけっして過言ではない。


Sugiurumn - ele-king

 スギウラム、ワイルドで、情熱的な、ベテランDJ……。ハウス、トランス、ロック、ブレイクビート、ミニマル、この男にジャンルがあるとしたら、ダンス・ミュージックってことのみ。踊れるってことがもっとも重要なんだよ。
 スギウラムは、90年代初頭に活躍した日本のインディ・ロック・バンド、エレクトリック・グラス・バルーンのメンバーとしてシーンで頭角をあらわすと、インディ・ダンスのDJとしての活動をおっぱじめて、ずーっとDJであり続けている。ハッピー・マンデイズのベズが彼のトラックで歌ったこともあるし、イビサではパチャのメイン・フロアを沸かせたこともある、京都では24時間ぶっ通しでプレイした。電気グルーヴのリミックスも手がけている。ほんとにいろんなことをやってきた。
 スギウラムが主宰する〈BASS WORKS RECORDINGS〉がレーベル初となるオリジナル・アルバムをリリースする。
 実は〈BASS WORKS RECORDINGS〉は、2013年の4月から、毎週水曜日に新曲をリリースするという、週刊リリースを続けている。この11月、週刊リリースが前人未踏の80週を超えた。配信だからできることだが、しかし、個人でここまでオーガナイズするのは並大抵のことじゃない。
 この1年半のあいだにリリースした楽曲数は250曲以上。アーティスト、リミキサーなどの顔ぶれをみれば、ハウス、テクノ、若手、ベテラン、アンダーグラウンドなどなど、ジャンルや世代を超えて数多くの人たちが参加していることがわかるが、こんなバレアリックな離れ業ができるのもスギウラムだからだろう。

 スギウラムが満を持してレーベル初のオリジナル・アルバムとして、自身の作品『20xx』をリリースする。初のフィジカルCDリリースだ。研ぎ澄まされたテック・ハウス満載で、彼自身がDJブースとダンスフロアから学び取ってきたスピリットの結晶である。この20年、日本のパーティ・シーンをつっぱしてきた男のソウルを聴こうじゃないか!

https://bass-works-recordings.com

SUGIURUMN / Seventy-Seven



SUGIURUMN - 20xx
BASS WORKS RECORDINGS

 先日はele-kingでも合評を掲載! ディアフーフが結成20周年と新作リリースを記念して大ツアーを敢行する。12月2日の代官山〈UNIT〉を皮切りに全国11都市にて13公演。20年経ってもいまだリアルなシーンに緊張感を生み、古びない音と世界観を提示しつづけている彼らは、今回も必ずや記憶に残るライヴを披露してくれるだろう。

 新作『La Isla Bonita』から公開中の“Mirror Monster”MVを再生しながらチェックしよう!




Burial Hex - ele-king

 ウェブ・レヴュー3度めの登場、久方ぶりのフルレンス・アルバム。え? 何枚めかって? 今年でデビュー10周年、CDRやカセットを含むと過去音源は通算80以上にのぼるブリアル・ヘックスのどれがスタジオ・アルバム仕様なのか、と遡るのを想像するだけでしんどい……。
 これがラスト音源だぜ! といったアナウンスが流れているが、過去に何度か同じことを言われ、騙されているわけで、今回もにわかに信じがたい……が、たしかに内容は最後を締めくくるにふさわしいと、言わざるをえないだろう。

 以前のレヴューでの紹介と重複するのでハショりますが、ブリアル・ヘックス(埋葬された呪い)は地底深くに隠されたある種のエネルギー・サイクルであり、それはヒンドゥー教の宇宙論において循環するとされる4つの時期の最終段階、万物が破滅にいたる終末の状態を表すそうだ。カリ・ユガ(Kali Yuga)である。
 クレイ・ルビー(Cray Ruby)にとってこのプロジェクトが自身の内包するドゥーム・スケープ(終末のヴィジョンとでも形容しようか)の具現化であることは過去十年間揺らがないのだ。ドゥーム/ドローン・メタル、パワー・アンビエントが台頭していたゼロ年代半ばにそのキャリアをスタートさせたブリアル・ヘックスはその後のネオ・サイケ・フォーク・リヴァイヴァルへの流れへと先陣を切りながら、自身が形容するところのホラー・エレクトロニクスという形で、近年〈デスワルツ・レコーディング(Death Waltz Recordings)〉がヴァイナルでの再発をおこなうようなカルト・ホラー・ムーヴィーのサントラから触発されたようなファンタジー性の高いソング・ライティングをおこなってきた。

 本作、ザ・ハイエロファント(The Hierophant)のタイトルは花京院のスタンドでお馴染み? の教皇のタロット・カードである。ステーク・ヘクセン(Sutekh Hexen)のケヴィンによる強烈な牛ジャケ・デザイン。そもそも教皇のカードを星座の牡牛に対応させるのは黄金の夜明け団による解釈であり、さまざまなオカルティズムにディープに精通するクレイによる暗喩がいつもより多めにこのアルバムに収められていることを象徴しているようだ。
 収録される楽曲も過去音源と比較してもダントツでキャッチーである。パワー・エレクトロニクス感は一切鳴りを潜め、同郷のゾラ・ジーザスばりにポップなアプローチを試みたと言っていいだろう。

 ちなみに過去の地元繋がりの両者による以下のコラボレーションは秀逸。)

 ハイエロファントの楽曲は上記のようなブリアル・ヘックスのポップ・センスが全面的にフィーチャーされたアルバムだ。ニューロマな方向にエモ過ぎる展開、じつはけっこう凝っているキャッチーな打ち込みビート、ファンキーな手弾きベース、やり過ぎなほどゴシックなオーケストレーション、そしてわりと全面通してウィスパーしたり唱いあげるクレイ。大聖堂のステンドグラスに降り注ぐ神々しい光と冬山に隠された洞穴でおこなわれる血塗られた儀式が交互にフラッシュバックする初冬に相応しいゴスな一枚。

Kero Kero Bonito - ele-king

 ここ数年、戸川純のライヴは皆勤に近いほど観に行っている。そのうち半分は対バン・シリーズで、大森靖子やマヒトゥ率いる下山など、なぜか彼女は若いバンドとしかカードを組まない。そして、そうした若手はしっかりとした美学を持っていることが多く、神聖かまってちゃんでもVampillia(ヴァンピリア)でもコンセプトが明快で、どこか80年代を思わせるムードに彩られている。先日もフロッピーというラップ・トップ使いが対バンで、氣志團がYMOに憑依したようなストリート風エレクトロニック・ポップを展開していた。つづいて登場した戸川純がMCで思わず「同期モノがやりたくなってしまった」というほど派手なステージだった。原宿〈クロコダイル〉で観たクリスタルバカンスがフラッシュバックするほど。

 可及的速やかに視野を狭めて80年代リヴァイヴァルがどうだとか言う気はない。プリンスがカムバックし、ブラッド・オレンジやカインドネスが呼び水になったとか、イギリスではABCが『レキシコン・オブ・ラヴ』(1982)全曲再現ライヴを何度もソールド・アウトし、ボーイ・ジョージやジョン・フォックスの復活も本格的だとか。そもそもヴェイパーウェイヴはどうして80年代のクズ拾いに躍起になっているのか。セイント・ヴィンセント、モリッシー、ディアフーフ……そういうことをいくつか並べ立てていれば、なんでも現象にしてしまえるのがメディアというものだし、もともとが見たいものしか見ないのが人間というものなので、インターネットは、その「見たいもの」を加速させる装置としては申し分ないこともわかっている。わかってはいるけれど……しかし、そう、サウス・ロンドンから現れた男女3人組はまったくもってフランク・チキンズではないか! 彼らの存在をほかに、どのような文脈に当てはめてケース・クローズドにすればいいのか(それは完全に職業病です)。関係ないけど、フランク・チキンズの歌を思い出そうとすると、山田邦子『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』(1981)と歌詞が混ざってしまって、いつもヘンな歌になってしまいます……。

 ケロケロ・ボニトのデビュー・アルバムをまずは聴いてみるケロ。


 ラップ担当のサラはフランスと日本のハーフだそうで、歌詞も半分は日本語。微妙に感性を掴んでいるようなズレているような内容で、「発音のいい英語」に比べてどうも無表情に聴こえてしまう。音楽性でもいいし、バンドのコンセプトでもいいけれど、人工性を強調することは80年代におけるひとつの様式美だった。どこか覚めたところがあって、没入の否定=「呑み込まれていない」ということを示す必要があったケロだろう。それが、ここでは、そのような紆余曲折もなく、素直に人工的なセンスが実現されていて、なんとなく妙な気分ではある。それだけ日本のエイティーズが多様な屈折の上に咲いた花だったということかもしれないので、それがいつしか聴き応えというようなものにすり替わってしまい、僕の耳が素直なものにはそのまま向かい合えないということもあるのかもしれない。歌詞がストレートにティーンエイジのそれだということも手伝って、つまり、日本の音楽史のどこかに置こうとしても、どの時代にも属しようがないために、聴けば聴くほど、この妙な感じは増幅する。どう考えても歌詞が日本語でなければ、こんなことにはならなかったはずである。こんなことが続けば……そう、ヴェイパーウェイヴだって、いい加減、戸惑う時があるのに、この先、日本を意識したポップ・ミュージックが増えてきたりすれば、さらに混乱した気分になってしまいそう。

 ディプロがゴテゴテのマッチョにしか思えなくなってくるほどチープでシンプルなサウンドもその効果には一役買っている。イギリスから発信されている以上、90年代もゼロ年代もなかったかのようなエイティーズ・サウンドが繰り返されるわけもなく、ここにはUTFO・ミーツ・ジェントル・ピープルとでも言いたくなるような箱庭的世界観の敷衍からグライムの反対側にネクストを探ろうとする野心は見つけられる(身体性が希薄であることも80年代の様式美には組み込まれていた)。日本のラップがなんだかんだいって情緒過多だということもあって「乾いたサウンドに日本語」という組み合わせはそれだけで驚くほど新鮮で、さらにはオキナワン・エレクトロみたいな曲もドライさには拍車をかけている。

※日本先行CDにはスパッズキッドほかによる6曲のリミックスがプラスされている。

alt-J - ele-king

 2012年のマーキュリー・プライズを受賞したalt-J。というのが彼らのレヴューの普遍的なオープニング文のようだが、ele-king的にいえば、2012年ele-kingベストアルバム・ランキングで16位。わたし個人のリストでは2位だったalt-Jのデビュー・アルバム『An Awesome Wave』に次ぐ2作目が『This Is All Yours』だ。
 あれ? ほんでわたし1位は何にしてたんだっけ。と見てみると、パンク母ちゃんだのロックばばあだの言われているわりには、1位はジャズ系じゃん。と気づいたが、やっぱそれはロック系よりそっち側の人たちのほうが全然おもしろかったからだろう。
 が、alt-Jは相変わらずクールだ。彼らはジャズに負けてない。

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 だいたい日本の地名を曲の題名にするにしても、彼らは“Nara”だ。京都でも、大阪でも、神戸ですらない。緑の芝の上で鹿が寝そべっている日本の古都、奈良を背景に、ジョー・ニューマンが「ハレルヤ、ハレルヤ」と独特のとぼけた哀愁のある声で歌う。フォーク・ステップと呼ばれるサウンドを生んだバンドの面目躍如といったところだろう。実際、2曲目“Arriving Nara”と3曲目“Nara”から、最終曲“Leaving Nara”まで、どうやら本作のalt-Jは、全編を通じて奈良を散策しているらしい。
 ギターの音が前面に躍り出て、ピアノ、フルート、鐘の音などが印象的に散りばめられている本作は、フォーク・ステップのフォークの部分が前作より遥かに強くなっている。よって前作の独特のアーバン・ギーク感は希薄になっているが、聴いているとサウンドから脳内に立ち上がる光景がやけに広がるようになった。というか、リスナーの意識が広がるというべきか。Alt-Jは本作で「マッシュルーム・ステップ」に移行した。と言う人がいるのも頷ける。チル。と呼んでしまうには、なんかこの眼前に広がる森林はドラッギーでいかがわしい。
 
 歌詞もまた、相変わらず淫猥である。

ハレルヤ、ボヴェイ、アラバマ
他の誰とも違う男と 僕は結婚する“Nara”

 アルバムの初頭では、同性愛婚を違法としているアラバマ州や共和党の創設者の1人ボヴェイの名を出したりして、芝に寝そべる鹿を眺めながらホモフォビアについて思索しているようだ。が、奈良を去る頃には

ハレルヤ、ボヴェイ、アラバマ
僕は恋人のたてがみの中に深く手を埋める“Leaving Nara”

 と想いはしっかり遂げたようだし、

女性の中に転がり入る猫のようにあなたの中に侵入したい
あなたをひっくり返してポテトチップスの袋みたいに舐めたい “Every Other Freckle”

 に至ってはもう、いったい彼らは奈良で何をしているのか。
 おタクのセクシネスが濡れぼそった森林の中から立ち昇るようではないか。
 音楽的な実験性いう点で、彼らはよくレディオヘッドと比較される。『ピッチフォーク』に至っては「レディオヘッドの2番煎じ。ギターとコンピュータが好きなUKバンド」などと乱暴に決めつけているが、わたしに言わせれば両者は似ても似つかぬ別物だ。
 alt-Jには、独りよがりではない、コミュニケイト可能な官能性があるからである。
 「ギターとコンピュータが好きなUKバンド」と『ピッチフォーク』が呼ぶジャンルの音楽、即ちナード・ロックを大人も聴けるセクシーな音楽にしたのはalt-Jである。

alt-Jの音楽は70年代のプログレッシヴ・ロックともよく比較される。が、わたしにとってプログレとalt-Jもまったくの別物だ。alt-Jの醒めた目で細部までコントロールし尽くしたサウンドは、自己耽溺性の強いプログレとは異質のものだからである。
前衛的インディー・ロックをすっきり理性的なポップ・ミュージックにしたのもalt-Jなのである。
 今年のUKロックは団子レース状態で似たりよったりゴロゴロ転がっていた。としか言いようがない。が、わたしはalt-Jには大きな期待を寄せている。
 セクシーさというのは、知性ではなく、理性のことだな。と最近とみに思うからだ。
 そして蛇足ながら、『ピッチフォーク』の評価とUK国内での評価が極端に違うUKバンドや個人ほど見どころがある。ということはもう広く知られていることだろう。

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