「You me」と一致するもの

ミッドナイト・トラベラー - ele-king

 スマホだけで撮ったドキュメンタリー。実験的な映像が随所にインサートされ、洒脱な仕上がりに。そして、なによりもアブストラクトな音楽が素晴らしい(エンディングはシガー・ロスみたいだったけど……?)。登場人物は監督の家族だけで、いわばホームヴィデオ。ただし、一家はタリバーンから殺害命令が出され、アフガニスタンには住めなくなった映画監督と妻、そして2人の娘である。監督のハッサン・ファジリには若い頃に意気投合した親友がいた。そいつがまさかのタリバーンに加わっていたため、だったら、捕まっても助けてくれるだろうと高を括っていた。が、彼が撮った映画の主演俳優が殺され、お前も危ないと忠告を受けてファジリは国外に脱出する。彼がどれだけ慌てていたかは、脱出部分の映像が一切ないことでも容易に推し量れる。

 一家はまずタジキスタンに逃れた。この時点であっという間に難民である。世界に約7000万人にいるという難民のうち国外に出た難民は2500万人だとされ、これに4人が加わったことになる。タジキスタンは中国に接していることやコンドリーサ・ライスらの経営する石油会社があることから米軍がそれなりの兵力を置く駐屯地となっている。アメリカとタリバーンの関係を考えると、確かにタジキスタンに逃れたのは賢い選択だったかに見えたけれど、難民申請は受理されず、賄賂を要求された一家は再びアフガニスタンに戻り、そのまま国を反対側へと突き抜けてイランにたどり着く。イランやトルコは最初からスルーで、目的地はヨーロッパと定められている。イランは確かに映画監督の追放が相次ぎ、『人生タクシー』(15)のような作品は命がけで撮られたりしているけれど、アスガー・ファルハディのように高く評価されている監督もいるし、麻生久美子が主演した『ハーフェズ』のような作品もある。トルコもエルドアンによる独裁が進んでいるとはいえ、ヌリ・ビルゲ・ジェイランやデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンはなんとかやっていると思うと、イランやトルコが選択肢に入っていないのはちょっと納得が行かなかった。理由は娘たちの教育のことを考えて合法的に移民できる国に落ち着きたいからで、現在のヨーロッパがそう簡単に移民を受け入れる場所ではなく、仮りにヨーロッパに入れてもトルコに移送されて不法移民として落ち着く可能性が高いなら「最低でもトルコ」という可能性は残しながら、なるべく高望みをしたということなのだろう。だとしたら、その後の難民生活を「地獄めぐり」と呼んだことはその通りになっていったとは思うけれど、結果的にトルコに落ち着けば、家族がやったことはもしかして「しなくてもいい努力」だったのではないかというエクスキューズが残ってしまうことになった。

 難民としての苦労はフル・コースで襲ってくる。威嚇射撃はなかったものの、ファジリ一家は通称バルカン・ルートでブルガリアに辿り着く。まずは密航業者に騙されて大金を巻き上げられる。娘たちを誘拐すると脅される。食べ物がない。果樹園に忍び込む。寝る場所がない。冬山で野宿。フェンスをくぐる。廊下で寝る。走る。窓から雪が吹き込んでくる。そして難民キャンプに移民排斥デモが押し寄せる。カメン・カレフ監督『ソフィアの夜明け』(09)に移民が暗がりで殴られるというシーンがあったけれど、まさにブルガリアの首都ソフィアでファジリもまったく同じように殴られる。先の予定がまったくわからない。入国できるまでトランジットで何ヶ月も過ごさなければいけない。どれもキツい。セルビアで比較的まともな難民キャンプに入れた時は、もうそれ以上動かなくていいじゃないかとさえ思ってしまった。これらのハードなシーンの合間には、しかし、ファジリ一家の楽しい日常がこれでもかと詰め込まれている。妻のファティマ・ファジリは笑い上戸なのか、このような極限状態のなかでピリピリしそうなものなのに、料理をしながら笑いが止まらない様子。出発する前に大きな世界地図を広げ、娘2人にオーストリアまでの道のりを教えながら、途中で自分でもどこがどこだかわからなくなってしまう場面はなかなか愛らしかった。娘たちの無邪気さは難民の逃避行をどこか異常なピクニックといった趣に変えてしまい、思わず笑ってしまう場面も少なくなかった。ハッサン・ファジリはかつて女性は髪を隠さなければいけないと考えていたらしいのだけれど、髪を隠すのが面倒だと口に出して言うファティマの影響か、「お前はどうしたい?」と聞かれた長女のナルギスは思い切って「私は隠したくない」と意見を述べる。ナルギスが身をよじって、言いにくそうに話す様子を見てしまうと、イランという選択肢はなかったかなと。都市部はだいぶ緩くなってきたとはいえ、スマホでアングリー・ラップを聴きながらガシガシ踊るナルギスにイランはやはり過酷な環境になりかねない。法律が変わって女性が自由に行動できると思ったサウジアラビアでも考えの古い男たちが女性に暴力を振るうという事件も起きているし、最先端だけを見て行動するのは危険というか。

 ハッサン・ファジリが捉える娘たちの映像には彼女たちがぐっすりと眠りこけるシーンが何回もあった。次女のザフラはとんでもない寝相である。手足を好きなように伸ばして眠るポーズはまさに「自由」。

 2年前、日本中の電気が止まってしまい、鈴木一家が東京から九州まで自転車で旅をする『サバイバル・ファミリー』という邦画があった。なにがあっても家族は離れない。1人ぐらい途中で出会った人の家に残るとか、その方が自然な流れだし、いい人にはたくさん会うので、誰にとっても楽だろうと思うのに、バラバラだった家族が団結を固くするという教条主義が作品に柔軟性を与えず、とにかく不自然極まりなかった。これとは反対にファジリ一家の難民生活では家族と仲良くなる人が1人も現れない。現地の人たちは無理でも、かなりな日数を過ごした難民キャンプで多少は顔なじみになる人もいるはずだと思うのに、意図的にカットしたのでなければ、これもやはり不自然である。渡辺志帆氏による監督インタビューを読むと、ハッサン・ファジリは定期的に録画したデータをプロデューサーに渡し、スマホにはなるべく情報を残さないようにして撮影を続けたとあるので、外部との接触はプロデューサーがいわば集約的に引き受けていたのかもしれない。そのことによって純粋な難民生活というよりはやはり最終的には作品として回収されるプロセスとして、この旅は存在したという印象が強くなる。「カメラが入れないところにスマホが入った」的な考え方は、そういう意味では大した意味がない。撮影の道具があることによって明らかに意識は変性し、最終的に仕上げられた映像の美しさや音楽の素晴らしさは素材をまったく違う次元で昇華させているということもある。おそらくは難民生活を作品として完成させることで芸術家として他の難民とは区別され、ヨーロッパに認められる可能性も頭の片隅にはあったに違いない。映像のクオリティの高さはだから、ファジリが実力以上のクリエイティヴを爆発させた可能性もあるだろう。実際の生活はもっと過酷で芸術のことを考える余裕もないに等しかったのではないかと思うけれど、難民生活の悪い面に終始する作品ではなく、こんなにヒドいところでも人間は生きていけてしまうんだなということも含め、人が生きていることを力強く伝えてくれるドキュメンタリーになっている。強くなれることがむしろ人間の不幸だと思えてくるほどに。

*『ミッドナイト・トラベラー』は山形国際ドキュメンタリー映画祭(11日・15日)、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭(14日・17日)で上映予定。

また、名古屋国際センターで行われるUNHCR WILL2LIVE映画祭で13日と14日に無料上映会があります。詳しくは→https://unhcr.refugeefilm.org/2019/venue/nic-nagoya/

Throbbing Gristle - ele-king

 スロッビン・グリッスルの音楽はどこから来ているのか。メンバーのジェネシス・P–オーリッジ(以下、GPO)は1969年からCOUMトランスミッションズというアート集団で活動を開始し、70年代前半にはコージー・ファニ・トゥッティ(以下、CFT)もこれに加わっている。フルクサスの流れを引くハプニング・アートの系統だというから、彼らが表現の一環として音(楽)を取り入れたのは自然な流れだったのだろう。そして、彼らがメインとしていた身体的パフォーマンスから全面的に音楽を演奏する方向に注力し始める要因は2つあったと思う。70年代中期から胎動をはじめたパンク・ロックの気運と、音楽的なまとめ役としてタイミングよくクリス・カーターと出会ったことである。GPOはかなりパンク・ロックに入れ込んだようで、オルタナティヴTVによる初期のライヴ盤『Live At The Rat Club '77』は彼がカセットで録音した音源が元になっているし、マーク・ペリーや、とりわけアレックス・ファーガソンとはその後も長く付き合いが続き、スロッビン・グリッスルのスタジオ・ライヴ盤『Heathen Earth』(80)にもごく少数の招待客としてファーガソンの名前が散見できる。オルタナティヴTVはプラネット・ゴングの名義でダヴィッド・アレン(ゴング)のバック・バンドを務めていたヒア&ナウと長らくツアーを組んでいたバンドなので、もしかするとヒッピー・カルチャーとパンク・ロックの接点がその辺りで生まれ、ヒッピー育ちのGPOもその流れでパンクに関与していったのかもしれない。

 とはいえ、GPOとはまた異なる音楽的なバックボーンを持つCFTの存在もそうだし、アート集団として長らく活動を続けてきた彼らが、そのままパンク・バンドの形態を踏襲するわけがなく、彼らが音楽をやるからにはアートを体現してきた者たちの自意識がしっかりとサウンドに刻印される必要があった。そうなると音楽的なまとまりにすんなり向かうわけがないというか、スロッビン・グリッスルというアイディアをかたちにしたいのに、なかなかそれが上手くいかないプロセスはCFTの自伝『アート・セックス・ミュージック』にじれったいほど詳述されている。そして、それがクリス・カーターとの出会いによって一気にかたちをなすことも。現実的にはクリス・カーターによる手作りのシンセサイザー、グリッサライザーをメンバーそれぞれが操作し、これに何重にもエフェクトをかけたCFTのギターやGPOのヴォーカル、最後の最後にピーター・クリストファーソンのテープ操作が加わってスロッビン・グリッスルは鉄壁のフォーメイションに移行する。アートとパンクが純粋にぶつかり合った瞬間であり、他の不純物が少しでも混じっていたらこうはならなかったのではないかと思うほど、それはクリエイティヴな融合だった。ペリー&キングスレーがなぜかシンセサイザーを使ったポップ・ミュージックの輝きをいつまでも失わないように、ある種のジャンルを確立したミュージシャンの音楽が決して古びないのは、そこに真の葛藤や誕生の喜びがしっかりと刻み込まれるからに違いない。スロッビン・グリッスルによって確立されたインダストリアル・ミュージックもそうした歴史のひとつとなり、80年代前半に入るとさらなる広がりを見せ、2017年には回顧も含めてかつてないほどのピークに達している。オーストラリアのSPK、スペインのエスプレンダー・ジオメトリコ、日本のザ・マスク・オブ・ザ・インペリアル・ファミリー(杉林恭雄)、ドイツのアインシュツルツェンデ・ノイバウテンやラムスタイン、ユーゴスラヴィア(当時)のライバッハ、アメリカのスワンズやナイン・インチ・ネイルズと、世界に拡散していったスピードも早く、クロアチアン・アモールやヴァチカン・シャドウ、デムダイク・ステアやカツノリ・サワといった新世代もあとを絶たない。コースティック・ウインドウ(エイフェックス・ツイン)やデヴィッド・ボウイをこれらのリストに加える人もいるだろう。

 彼らの活動期間は短かった。オフィシャルには75年9月から81年6月まで。ライヴ・デビューが76年で、最後の「ギグ」はヒッピーの聖地サン・フランシスコ。活動期間が短いということはそれだけに彼らの残した軌跡も濃く、ムダも少ない。解散までにリリースしたオフィシャル・アルバムは4枚で、シングルは5枚(77年11月にファースト・アルバム『The Second Annual Report』、78年5月にファースト・シングル「United / Zyklon B Zombie」と12月にセカンド・アルバム『D.o.A. The Third And Final Report』、79年5月にセカンド・シングル「We Hate You (Little Girls) / Five Knuckle Shuffle」と12月にサード・アルバム『20 Jazz Funk Greats』、80年6月にスタジオ・ライヴ『Heathen Earth』と10月にはサード&4thシングルとして「Adrenalin / Distant Dreams (Part Two)」と「Subhuman / Something Came Over Me」を2枚同時、81年に初の12インチ・シングル「Discipline」と解散ライヴを収めた『Mission Of Dead Souls』。解散後にも『Funeral In Berlin』や『Rafters』といったアルバムに「S.O. 36 Berlin: Führer Der Mensheit」といったシングルが続々とリリースされ、デレク・ジャーマンのために録音したサウンドトラック盤『In The Shadow Of The Sun』は84年まで待つことに)。これらの活動履歴から11曲を選んで(解散の4ヶ月後に)〈ラフ・トレード〉がリリースした「ベスト盤」が『Greatest Hits - Entertainment Through Pain』(81年)である。実は初めて聴いた。シングルもほとんど持っていたし、2〜3曲のために買うほどではなく、すでにクリス&コージーも始動していて、『20 Jazz Funk Greats』というタイトルに迷わされた記憶にも左右された(トリッキーな要素の多い人たちなので、素直に聴くのに38年かかったということにしておこう)。

 オープニングは『D.o.A. 』から“Hamburger Lady”。ハンバーガーのように焼かれて死にかけている女性の歌。続いて『20 Jazz Funk Greats』のB1に収められ、なんともエロチックな響きを放っていた“Hot On The Heels Of Love”と、その原型ともいえる“AB/7A”も1曲飛ばして再録されている。シングル曲は“Subhuman”と“Adrenalin”、“United”もアルバムの早回し(?)ではなく、ゆったりとしたシングル・ヴァージョンがエントリー。この曲は労働者の団結を歌って……いるわけではなく、君と僕でくっつこうというただのエロ・ソング。音楽評論家のジョン・サヴェージによればエレクトロ・ポップの先駆作に数えられるという。スロッビン・グリッスルの様々な面をわざとカチ合わせてるような並べ方で、改めて多彩な人たちであったことが印象付けられる。“20 Jazz Funk Greats”はGPOとピーター・クリストファーソンで結成されるサイキックTVのテイストをすでに持っているし、“Tiab Guls”は『2nd Annual Report』の“Slug Bait - ICA”を逆回しで再録したもの(タイトルも逆スペル)。“Six Six Sixtie”“ What A Day”とやはり『20 Jazz Funk Greats』からの選曲が一番多い。

 CD2は2011年に再発されたものと同内容で、未収録のシングルから“Zyklon B Zombie”(78)やフランスの〈ソルディド・サンチメンタル〉からリリースされた“We Hate You (Little Girls)”と“Five Knuckle Shuffle”の両面(79)、同じく“Distant Dreams (Part Two)”(80)。『D.o.A. 』から“AB/7A”のミックス違いは初収録で、“The Old Man Smiled”は『Éditions Frankfurt-Berlin』(83)から。“Discipline”に“Persuasion”とやはり『20 Jazz Funk Greats』が多くなっている。

Throbbing Gristle - ele-king

 高校生の僕にはけっこうな背伸びだった。それまでビートルズの“Revolution 9”以外は実験音楽というものを聴いたことがなかったので、僕にとって『D.o.A. The Third And Final Report』(1978)を聴くことはかなり大きな扉を開ける行為となった。正確にいうとクラフトワークを初めて聴いた時にも自分が何を聴いたのかよくわからなくて、「実験音楽」を聴いた時に感じるような気持ちは大いに味わってはいた。扉の向こうにクラフトワークのようなものがたくさんいる世界を勝手に想像し、扉を閉めてしまえば知らなかったことにできるとも思った。しかし、スロッビン・グリッスルはそういった感覚ともまた違った。扉の向こうにあるのは「部屋」ではなく、立ち入り禁止区画のようなもので、わくわくするような感情からはほど遠く、どちらかというと、知ってもなんの得にもならないものなんじゃないかという懐疑心の方が僕は強かった。その時の訝しさはいまでもジャケット・デザインを見るだけで思い出すことができる。パンク・ロックでさえあっという間に一般的なコモディティへと落とし込んだミュージック・インダストリーが気を利かせてつくり出すヴィジュアルとは、『D.o.A. 』のそれは一線を画していた。彼らがCOUMトランスミッションズというアート集団として活動していたことは知らなかった。しかし、彼らがどこに位置していて、ほかのものとは違うタイプのものを発信していたことは一発でわかるデザインだった。スロッビン・グリッスルのメンバーにはヒプノシスのピーター・クリストファーソンがいて、ヒプノシスがハード・ロックやプログレッシヴ・ロックのためにわざとらしいデザインを量産していたことを思うと、この変化には驚くべきものがある。現代音楽のジャケット・デザインにも多少は存在したのかもしれないけれど、それにしてもここまで即物的なデザインは珍しく、『D.o.A. 』以降、この種のアート表現は確実にスタンダード化していったことは忘れてはならない(被写体となった少女はCOUMがアート・パフォーマンスのために訪れたドイツで出会ったポーランド人アーティストの娘、カーマ)。

『D.o.A. 』の前で扉を閉めてしまおうかどうか迷っていた僕に、虚心坦懐になれるチャンスをつくり出してくれたのは音楽誌の言葉だった。『ロック・マガジン』や『同時代音楽』といった音楽雑誌でスロッビン・グリッスルが熱く語られていなければ、僕はこうした音楽がなんのためにあるのかということを考え続けることはなかったかもしれない。『ロック・マガジン』や『同時代音楽』が取り上げてきた音楽は納得のいくものが多かったので、簡単にいえば信用があったから、もう少し『D.o.A. 』に付き合ってみようと思えたのである。あるいは彼らの音楽を評して「ノイズ・インダストリアル」というレッテルが貼られたことも僕には大きかった。概念化して初めて存在が認められる音楽というか、パンク時代とはいえ、結局は好きな歌手をミーハー的に聴くという習慣しかなかった僕には抽象化という理解のレヴェルが新しい遊びのように思えたのである。知的だった。いまから思えば同じ年にブライアン・イーノ『Music For Airports』がリリースされていた。

 しかし、実際にはクラフトワークの中期を思わせる“AB/7A”ぐらいしか最初は楽しむことができなかった。メカニカルで、スペイシーで、なんともロマンティックな響きはどう考えても浮いていた。どうしてこの曲が入ったのか、それはいま聴いても謎だけれど、この曲がなかったら、僕には取っ掛かりというものがなかったままだったかもしれない。クリス&コージーの出発点だと言われれば、あーそうかとは思うし、この路線は続く『20 Jazz Funk Greats』の“Hot On The Heels Of Love”にソフィスティケイトされて受け継がれる。AB/7A”と似た曲で、アルバム・タイトルにもなっている“Dead On Arrival”が僕の心を少しスロッビン・グリッスルに近づけていく。AB/7A”よりもノイジーで、電子音で荒々しさを表現するということが少しずつ新鮮に思えてきた。AB/7A”がそうであったように、シンセサイザーという楽器はまだどこか瞑想的であったり、夢を見るようなムードと結びついていた頃なので、スロッビン・グリッスルのような使い方はまだ始まったばかりだったのである。空間をノイズで埋め尽くしてしまうことを彼らは、フィル・スペクターと同じく“Walls Of Sound”と称していて、それをそのままタイトルとした曲ではさらに混沌とし、ディストーションを効かせた「ノイズ・インダストリアル」が展開される。

 ハードでノイジーな曲ばかりではない。コージー・ファニ・トゥッティ(以下、CFT)の自伝『アート・セックス・ミュージック』を読んだ後でジェネシス・P–オーリッジ(以下、GPO)の話を信じるか信じないかは微妙だけれど、GPOは“Weeping(すすり泣き)”という曲について興味深いエピソードを語っていたことがある。この曲をイアン・カーティスが「好きだ」と公言していたことをやめさせようとカーティス本人にクレームの電話をかけ、その数時間後にカーティスは首を吊ったというのである。電話から感じとれる雰囲気に違和感があったので、GPOはすぐにジョイ・ディヴィジョンのスタッフに連絡を入れ、彼らが本気にしなかったから、カーティスを死なせてしまったのだとも。また、『アート・セックス・ミュージック』では“Weeping”がCFTと男女の関係を解消したGPOがその悲しみの中でつくった曲だということも明かされている。スロッビン・グリッスルの曲をそうした色恋沙汰の文脈で理解することはちょっとがっかりな感じもあるけれど、歳もとったことだし、そうした下世話な面白さを楽しむことも、まあ、ありかなと。同じようにCFTがソロでつくったという“Hometime”も静かで優しい響きをなびかせている。これはCFTの甥と姪が遊んでいるところをフィールド・レコーディングしたものだそうで、それこそ近年のアンビエント・アルバムには必ず1曲ぐらいは入っているパターン。CFTにしてもリュック・フェラーリのクラシック『Presque Rien No.1』(70)の真似をしただけだろう。

 スロッビン・グリッスルの音楽もすべてが新しかったわけではなく、ミュジーク・コンクレートから受け継いだものも少なからずあるだろうし、それをアカデミックな領域ではなく、ストリート・カルチャーとして展開したところは大きな可能性だったといえる。そして彼らのつくり出した図式を踏襲したミュージシャンがどれだけの数に上り、巨大な負のエネルギーの受け皿となってきたことか。サージョンが“Hamburger Lady”をサンプリングし、フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンが“I.B.M.”をサンプリングし、ディアフーフが“Blood On The Floor”をサンプリングし……

 なお、今回の再発にあたっては2011年の再発盤よりもボーナス・トラックが増え、カセットのみのリリースだった『At Goldsmiths College, London』(79)から「D.o.A.」のライヴ・ヴァージョンが追加されている。他の11曲は同じで、やはりカセットのみのリリースだった『At Butlers Wharf, London 23rd December 1979』(79)の「Introduction」を皮切りに、『At The Industrial Training College, Wakefield』(79)から「Industrial Muzak」や『At Goldsmiths College, London』(79)から“Hamburger Lady”のライヴ・ヴァージョンなどが猛威を振るう。『At Goldsmiths College, London』(79)から再録された“I.B.M.”はとくに素晴らしく、メンバーにとって思い出深いステージだったという『At The ICA London』(79)から“We Hate You (Little Girls)”が奇妙な余韻を残してすべては終わる。

Stereolab - ele-king

 ステレオラブ復刻プロジェクトがついに完結。5月の2nd&3rd、9月の4th~6th に続き、今度は2001年の7作目『Sound-Dust』と2004年の8作目『Margerine Eclipse』がリイシューされる。発売は11月29日。これまで同様、全曲リマスタリング&ボーナス音源追加。両作ともにショーン・オヘイガンが参加しており、前者ではおなじみのジム・オルークとジョン・マッケンタイアがエンジニアリングとミックスを担当している。現在『Sound-Dust』より“Baby Lulu”が先行解禁中。

STEREOLAB

90年代オルタナ・シーンでも異彩を放ったステレオラブ
10年ぶりに再始動をした彼らの再発キャンペーン第三弾発表!
『SOUND-DUST』と『MARGERINE ECLIPSE』の名盤2作が全曲リマスター+ボーナス音源を追加収録でリリース!

90年代に結成され、クラウト・ロック、ポスト・パンク、ポップ・ミュージック、ラウンジ、ポスト・ロックなど、様々な音楽を網羅した幅広い音楽性で、オルタナティヴ・ミュージックを語る上で欠かせないバンドであるステレオラブ。その唯一無二のサウンドには、音楽ファンのみならず、多くのアーティストがリスペクトを送っている。10年ぶりに再始動を果たし、今年のプリマヴェーラ・サウンドではヘッドライナーのひとりとして出演。5月には、再発キャンペーン第一弾として『Transient Random-Noise Bursts With Announcements [Expanded Edition]』(1993年)、『Mars Audiac Quintet [Expanded Edition]』(1994年)の2タイトルが、9月に第二弾として『Emperor Tomato Ketchup』(1996年)、『Dots And Loops』(1997年)、『Phases Group Play Voltage In The Milky Night』(1999年)の3作がアナログ、CD、デジタルで再リリースされている。

7タイトル再発キャンペーンの締めくくりとなる第三弾として、ジム・オルークとジョン・マッケンタイア共同プロデュースによる2001年の『Sound-Dust』と、久々のセルフ・プロデュース・アルバムとなった2004年の『Margerine Eclipse』の2作が、全曲リマスター+ボーナス音源を追加収録した“エクスパンデッド・エディション”で再発されることが発表された。また合わせて『Sound-Dust』より“Baby Lulu”が先行解禁されている。

Stereolab - Expanded Album Reissues Part 3
https://youtu.be/5mlLux_PEhc

Baby Lulu
https://stereolab.ffm.to/baby-lulu

今回の再発キャンペーンでは、メンバーのティム・ゲインが監修し、世界中のアーティストが信頼を置くカリックス・マスタリング (Calyx Mastering)のエンジニア、ボー・コンドレン(Bo Kondren)によって、オリジナル・テープから再マスタリングされた音源が収録されており、ボーナス・トラックとして、別ヴァージョンやデモ音源、未発表ミックスなどが追加収録される。


『Sound Dust [Expanded Edition]』と『Margerine Eclipse [Expanded Edition]』は2019年11月29日リリース。国内流通盤CDには、解説書とオリジナル・ステッカーが封入され、初回生産限定アナログ盤は3枚組のクリア・ヴァイナル仕様となり、ポスターとティム・ゲイン本人によるライナーノートが封入される。また、スクラッチカードも同封されており、当選者には限定12インチがプレゼントされる。さらに対象店舗でCDおよびLPを購入すると、先着でジャケットのデザインを起用した缶バッヂがもらえる。

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: SOUND DUST [Expanded Edition]
release date: 2019/11/29 FRI ON SALE

[TRACKLISTING]

Disk 1
01. Black Ants In Sound-Dust
02. Space Moth
03. Captain Easychord
04. Baby Lulu
05. The Black Arts
06. Hallucinex
07. Double Rocker
08. Gus The Mynah Bird
09. Naught More Terrific Than Man
10. Nothing To Do With Me
11. Suggestion Diabolique
12. Les Bons Bons Des Raisons

Disk 2
01. Black Ants Demo
02. Spacemoth Intro Demo
03. Spacemoth Demo
04. Baby Lulu Demo
05. Hallucinex pt 1 Demo
06. Hallucinex pt 2 Demo
07. Long Live Love Demo
08. Les Bon Bons Des Raisons Demo

label: Duophonic / Warp Records / Beat Records
artist: Stereolab
title: MARGERINE ECLIPSE [Expanded Edition]
release date: 2019/11/29 FRI ON SALE

[TRACKLISTING]

Disk 1
01. Vonal Declosion
02. Need To Be
03. Sudden Stars
04. Cosmic Country Noir
05. La Demeure
06. Margerine Rock
07. The Man With 100 Cells
08. Margerine Melodie
09. Hillbilly Motorbike
10. Feel And Triple
11. Bop Scotch
12. Dear Marge

Disk 2
01. Mass Riff
02. Good Is Me
03. Microclimate
04. Mass Riff Instrumental
05. Jaunty Monty And The Bubbles Of Silence
06. Banana Monster Ne Répond Plus
07. University Microfilms International
08. Rose, My Rocket-Brain! (Rose, Le Cerveau Electronique De Ma Fusée!)

Anna Wise - ele-king

 きみは覚えているかい? ケンドリック・ラマーの2015年の名盤『To Pimp A Butterfly』を? 同作収録の“These Walls”などで素晴らしい歌声を響かせていたシンガーがアンナ・ワイズだ(ゴンジャスーフィ『Callus』のリミックス盤でも気だるげなヴォーカルを披露)。そんな彼女がついにみずからのファースト・アルバムを発表する。先行シングル曲ではニック・ハキム&ジョン・バップと共作、ほかの曲にはデンゼル・カリーやマインドデザイン、それに2019年の重要なアルバムの1枚である『Grey Area』を送り出したリトル・シムズも参加している模様。こいつはチェックしておかないといけない1枚でっせ。

ANNA WISE
As If It Were Forever

ケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』への参加や、長年のコラボーレータとしても輝かしい実績と魅力を放つシンガー、Anna Wise(アンナ・ワイズ)。
エクスペリメンタルなサウンドと素晴らしい歌声に、抜群の才能を発揮したデビュー・アルバムを、遂にリリース!!

Official HP: https://www.ringstokyo.com/annawise

バークレーを経てソニームーンを結成し、ケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』へのフィーチャーでグラミーも受賞という、確かな才能と輝かしい実績を持つアンナ・ワイズ。誰もが彼女の本格的なソロ作を望んでいたはず。その期待に十二分に応えたアルバムです。
ニック・ハキムとジョン・バップと共に僅か一晩で作った先行シングル“Nerve”が象徴的。言葉もメロディもビートもこれまでにない躍動感があり、複雑で魅力的です。彼女の歌はネクストレヴェルにあることを証明しています。 (原 雅明 rings プロデューサー)

アーティスト : ANNA WISE (アンナ・ワイズ)
タイトル : As If It Were Forever (アズ・イフ・イット・ワー・フォーエバー)
発売日 : 2019/11/20
価格 : 2,400円+税
レーベル/品番 : rings (RINC61)
フォーマット : CD (日本限定CD)

Tracklist :
01. Worm's Playground
02. Blue Rose
03. Abracadabra (with Little Simz)
04. Nerve
05. Count My Blessings (with Denzel Curry)
06. What's Up With You?
07. The Moment (Interlude)
08. One Of These Changes Is You (with Pink Siifu)
09. Vivre d'Amour et d'Eau Fraîche (with Jon Bap)
10. Mirror
11. Coming Home
12. Juice
& Bonus Track 追加予定

たしかに、目を閉じて、音楽が純粋に音響的な現象であるかのように認識することもできるが、コンサートの最中には、人は音楽を見るし、音楽を目で読む。音楽は身振りでもあるのだ。 ──カールハインツ・シュトックハウゼン(*1)

容易には判別のつかない状況

 たとえばチェロを抱え持ち、弓を弦に押し当てている男がいるとする。わたしたちはおそらく、彼が演奏をしていると認識するはずである。だがなぜ、演奏をしていると言うことができるのだろうか。楽器という音楽を奏でるための道具を手にしているからだろうか。たしかに抱えているのが木箱であるなら演奏しているようには見えないかもしれない。だがもしかしたら彼もまた演奏しておらず、単にチェロを抱えているだけなのかもしれない。それに木箱を抱えていたとしても必ずしも演奏していないとは言い切れない。20世紀の様々な前衛と実験を振り返るまでもなく、たとえば日用品や廃物などの非楽器であっても、演奏する道具として用いることができるからである。ならば行為の結果として組織化された音響が聴こえてくれば演奏していると言い得るだろうか。しかしなにも手に持たずに椅子に座り、なにも音を出さなくとも演奏と言い得る場合もある──音と沈黙を等価な構成要素として認めるのであるならば。おそらくわたしたちは、チェロを抱えるその男のみならず、あらゆる人間の行為に関して、彼/彼女が演奏行為をしているのか否か、手がかりになる別の情報を抜きにして決定的な判断を下すことはできないだろう。だが演奏行為か否か容易には判別のつかないような状況においてこそ、見えてくる光景や聞こえてくる音響があるのだと言うこともできるのではないだろうか。少なくともそのような状況は、演奏行為をわたしたちが見知った音楽なるものにそのまま当て嵌めてしまうことに対して、いちど立ち止まって考えてみるきっかけを設けてくれる。

 平易かつ実践的な道徳を説いた石門心学の拠点のひとつとして、18世紀の京都に明倫舎という施設が建立された。1869年にその跡地に小学校が開校し、戦前には大幅な改築が施されることで現在にも残る校舎が完成するものの、120年以上の歴史を経た1993年に閉校。そしてその校舎をもとに2000年に京都芸術センターが開館した。同センターが主催する音楽にスポットライトを当てた事業のひとつに、2013年から開始した「KAC Performing Arts Program / Music」がある。講堂や教室など、廃校となった建造物の空間を活かすことによって、いわゆる音楽のための設備が整えられたコンサート・ホールとは異なる音の体験を目的に、若手作曲家のシリーズからユニークなコンセプトの公演まで、これまで様々なイベントがおこなわれてきた。その2018年度のプログラムとして、2019年2月22日から24日までの三日間、京都を拠点に活動するチェロ奏者の中川裕貴を中心とした企画『ここでひくことについて』が開催された。同イベント全体を貫くテーマは「演奏行為」である。ふつう演奏とは音楽を現実に鳴り響かせるための行為として認識されている。だが演奏行為が立ち上げるのは本当に音楽だけなのか。演奏行為によって可能になる出来事をつぶさに眺めていくならば、それは音楽と呼ばれるものとは異なるなにか別の可能性を秘めているのではないか。こうした問いを問いながら中川は、「『演奏』という行為を通じて、私たちの周りに存在する身体、イメージ、距離、意識、接触について考える」(*2)試みとして『ここでひくことについて』を企画したという。

 1986年に三重県で生まれた中川は、10代の終わり頃より演奏活動をはじめ、京都市立芸術大学大学院では音響心理学および聴覚について学んでいた。2009年頃にチェロと出会うもののいわゆるクラシカルな道には進まず、「音の鳴る箱」としてのチェロを叩いたり擦ったりするなかで独自の非正統的な演奏法を開拓していった。中川は敬愛するチェロ奏者として米国の即興演奏家トム・コラ、および前衛音楽からクラブ・ミュージックまでジャンル横断的に活躍した同じく米国のアーサー・ラッセルを特に挙げている。中川もまた即興演奏家として活動するとともに、言葉と音の関係性を中心にしたバンド「swimm」、さらに劇団「烏丸ストロークロック」の舞台音楽を手がけるなど、ジャンルの垣根を超えて幅広く活躍してきている。2013年からはメイン・プロジェクトと言ってよいグループ「中川裕貴、バンド」を始動。「音楽を演奏しながら、音楽を通して観客に伝わるものについて思考する」(*3)というテーマのもとライヴを重ね、2017年にはファースト・アルバム『音楽と、軌道を外れた』をリリース、さらに同年末には京都芸術センターが主催する公募事業のひとつ「Co-program」の一環として初の単独コンサート『対蹠地』を実施している。唯一無二の個性を発揮するチェロ奏者であるとともに、単なる自己表現ではなく、受け手の知覚と認識のプロセスを取り込んだ批評的な制作スタンスを併せ持つという類稀な才能が評価されたのだろう、京都芸術センターにおける中川を中心とした二度目の大規模な試みとして『ここでひくことについて』が開催されることになったのである。

 本公演には三つのプログラムが用意されている。「PLAY through ICONO/MUSICO/CLASH」と題されたプログラムAでは、小さな体育館のようなフリースペースで、造形作品や照明を効果的に織り交ぜた、中川裕貴によるソロ・パフォーマンスが披露された。プログラムBは「Not saying "We (band)"」と題されており、五人のメンバーからなる「中川裕貴、バンド」による、音楽を中心に舞台空間を全面的に使用した公演がおこなわれた。そしてプログラムC「“You are not here” is no use there」には特定の舞台はなく、京都芸術センターのいたるところで勃発する出来事を、ポータブル・ラジオとイヤホンを渡された観客が自由に歩き回りながら体験していくというイベントがおこなわれた。三日間にわたって開催された本公演は、初日がC→A→B、中日がB→C→A、最終日がC→B→Aという順番でおこなわれており、三つのプログラムを通して聴くのであれば、これらの順番はそれぞれに決定的と言ってよい体験の相異をもたらしたことだろう。だがここではあえてA→B→Cという実在することのなかったプログラムの順序に沿って記述していく。それは各日の相異よりも三日間を通したイベントのトータルな意義に着目するからであるとともに、ある意味では企画の趣旨には反するのかもしれないが、ここでは音楽としての演奏行為がいかにして成立しているのかという問いを念頭に置きながら、演奏行為に関わる批評的な視座を得ようと試みるためでもある。

  • *1 ジャン=イヴ・ボスール『現代音楽を読み解く88のキーワード』(栗原詩子訳、音楽之友社、2008年)191頁。
  • *2 KAC Performing Arts Program 2018 / Music #1 中川裕貴『ここでひくことについて』パンフレットより。
  • *3 「INTERVIEW WITH NAKAGAWA YUKI Vol.1 1/2」(『&ART』2015年)https://www.andart.jp/artist/nakagawa_yuki/interview/150505/
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分断された視聴覚と演奏行為──プログラムA「PLAY through ICONO/MUSICO/CLASH」

 プログラムAは中川裕貴によるソロ・パフォーマンスであるものの、パフォーマンスの鍵として舞台美術を担当したカミイケタクヤによる巨大な船のような造形作品──正確には船ではなく地球をかたちづくった作品であり、左右にゆらゆらと揺れることから「地球シーソー」と呼ばれていた──や、照明担当の魚森理恵による巧みな光の操作があり、実質的には協働制作によってこうした複数の要素がミクストメディア的に組み合わされた舞台公演だったと言える。とはいえ名目上はソロ公演であるため、中川の演奏行為をここでは辿っていく。パフォーマンスはまず、暗闇のなか造形物の奥で中川が演奏開始のアナウンスをするところからはじまった。アナウンスにはジョージ・クブラー、九鬼周造、そしてブリュノ・ラトゥールという三人それぞれの文献からの引用が織り込まれていた。なかでも「聖像衝突」を論じたラトゥールのテクストは一部が言い換えられていた──「この演奏会は衝突を論じるのであり、破壊を論じるのではない」というように(*4)。ラトゥールによれば「破壊行為が何を意味するのかが分かっており、それが一つの破壊計画として明確に現れ、その動機が何であるかが分かっている場合」が聖像破壊であるのに対して、「補足的な手掛かりなしでは破壊的なのか構築的なのか知ることのできない行為によって動揺している場合」が聖像衝突であるという(*5)。すなわち演奏によって既存の音楽秩序を単に破壊するのではなく、破壊的なのか構築的なのか容易には判別のつかないような行為の意味の揺らぎへと向かうこと。引用文の言い換えはこの「衝突」をこれから披露することの宣言として受け取れるだろう。

 アナウンスが終わるとマイクから手を離し、スティーヴ・ライヒの「振り子の音楽」のように天井からぶら下げられたマイクがぶらりぶらりと往復する。中川はチェロを持ってゆっくりと歩きながら即興的に演奏しはじめる。そして会場中央にある椅子に座すとチェロを膝の上に横向きに置き、エンドピンを出したり閉まったり回したり、弦の上をさっと摩ったりボディを指で軽やかに叩いたりするなど、楽器の調整をするかのような仕草を見せていく。そうした行為にともなう響きはしかし完全にランダムではなく、一定のパターンがかたちづくられることによって驚くほど音楽的に聴こえてくる。だが同時に奇妙な違和感を覚えるようなサウンドでもあった。この奇妙さはいったいなんだろうかと考えていると、ごく自然な流れで中川がチェロから手を離していた。しかし音は先ほどまでと変わらずに響き続けている。行為にともなう響きはリアルタイムで録音され、いつの間にか楽曲のように構築されてスピーカーから再生されていたのである。その後ブリッジ付近を細かく弓奏することによる季節外れの蝉時雨のような高周波のノイズになり、音量の大きさも相俟って耳元で音が蠢くような感覚にさせられる。徐々に音量は下がり、チェロをゆっくりとしかしリズミカルに弾きはじめる。だがこれもまた、演奏する手を止めても音が鳴り続けている。弾いていると見せかけて気づいたら弾いていない。いつの間にかその場で録音されたサウンドが再生されている。わたしたちは彼の演奏行為を目撃しながら、まさにいま鳴っている響きを彼がいま・ここで発したものとして聴いていたにもかかわらず。

プログラムA「PLAY through ICONO/MUSICO/CLASH」(撮影:大島拓也)

 その後チェロをカホンのように叩くことによって、ドラムンベースのように、あるいはタブラによる打楽のようにビートの効いた演奏を披露し、さらにそのサウンドはエフェクター類を介して残響が強調されることによって、深海に沈み込むようなドローンへと変化していく。手元にある紐を中川が引っ張ると、頭上に置かれていた壊れたチェロ──これは中川が以前使用していた、初めて手にしたチェロだという──が落下し、そしてそこにくくりつけられたもうひとつの紐が「地球シーソー」を動かすことで照明とコンプレッサーが作動する。唸るようなコンプレッサーが切れるとチェロを置き、弓を空振りしながら「地球シーソー」の裏側へ。そしてもういちど紐を引っ張ることでシーソーをもとの傾きに戻してからあらためて椅子に座し、ヘッドホンを被って黙々とチェロを弾きはじめる。かさこそと静かな弦の音が会場内に響き、しばらくすると「曲ができました」と述べ、多重録音されたチェロが喚き叫ぶような楽曲がスピーカーから再生される。録音のプロセスを開示したとも、音からは切り離された演奏行為を披露してみせたとも言えるだろうか。シーソーを再度傾かせると聖骸布を模した大きな布がばさりと広がり、その裏に隠れるようにして中川は演奏しはじめる。複数の光源から照らされることによって、演奏する中川の影が様々にかたちを変えながら聖骸布に分身のように浮かび上がっていく。烈しさを増したサウンドは会場内で乱反射するかのように響きわたる。演奏を終えるとまたもやシーソーが動いて暗転し、小さなプレートにぼんやりと「No Playing」という蓄光シートによる文字が光りだす──同じプレートには先ほどまで「Now Playing」と表示されていたのだった。

 演奏する身振りと聴こえてくる音響は必ずしも一致しているわけではない。この当たり前と言えば当たり前の事実を、しかし普段のわたしたちはほとんど問題にすることなく演奏を聴いている。眼の前で演奏行為がおこなわれ、そして音が聴こえてくるのであるならば、その音は当の演奏行為によって生み出された響きだというふうにまずは認識する。だが中川は巧妙なまでに演奏行為と音を切り離して提示する。いま・ここで見えている光景が必ずしも音と地続きではないことをなんども知らしめる。それはしかしいわゆる当て振りとは決定的に異なっている。当て振りが音に合わせて身体を動かし、いま・ここで出来事が生起していることを仮構するのに対して、中川はむしろいま・ここで生起する諸々の出来事が結びつくことの無根拠さを暴き立てているからだ。むろん演奏行為と音響が必然的に結びついていることもあるだろう。だが演奏行為を見て音響を聴く受け手にとっては、自らの経験において視聴覚を恣意的に統合するしかないのである。だからこそ聖骸布に映る影もまた、単なる影像ではなく演奏行為の分身としてわたしたちの視界に入ってくる。わたしたちは中川による演奏行為の分身としての影のかたちを目で追い、同じように演奏行為の分身としてスピーカーから流れる響きを耳で追う。もしかしたら「地球シーソー」もまた分身かもしれない。演奏行為を目撃することは、ふつう、このように根源的には分断状態にあるはずの受け手の視聴覚を統合するための契機となる。それによって音楽が成立してきたと言ってもいい。しかし中川は演奏行為によってむしろ仮構された統合状態を分断しようとする。受け手が視覚と聴覚を結びつけることの無根拠性を演奏行為それ自体によって明らかにするのである。

  • *4 もとのテクストは「この展覧会は聖像衝突を論じるのであり、聖像破壊を論じるのではない」(ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について──ならびに「聖像衝突」』(荒金直人訳、以文社、2017年))。なお、他の引用は「原型が無ければ複製はあり得ない」(ジョージ・クブラー『時のかたち』(中谷礼仁・田中伸幸訳、鹿島出版会、2018年))、「スリルというのも『スルリ』と関係があるに相違ない。私はかつて偶然性の誕生を『離接肢(選択肢)の1つが現実性へするりと滑っていく推移のスピード』と言うようにス音の連続であらわしてみたこともある」(九鬼周造「音と匂──偶然性の音と可能性の匂」(『九鬼周造随筆集』菅野昭正編、岩波書店、1991年))だった。
  • *5 ブリュノ・ラトゥール『近代の〈物神事実〉崇拝について──ならびに「聖像衝突」』152~153頁。
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コンサートという形式と演奏行為──プログラムB「“You are not here” is no use there」

 プログラムBの「中川裕貴、バンド(以下:、バンド)」によるコンサートは、合成音声によるアナウンスから幕を開けた。「転換中はコンサート・プログラムなどを見てください。よろしいでしょうか」という台詞が繰り返され、奇妙なイントネーションと声質も相俟って否応なく印象に残る。しばらくすると中川、ピアノの菊池有里子、ヴァイオリンの横山祥子が登場し、きわめて様式的に演奏がはじめられた。一曲めは激しい変拍子のリフが繰り返され、その後点描的な即興セッションも織り交ぜながら展開が次々に変わっていく「A traffic accident resulting in death, I took different trains, in random order」。アルバム『音楽と、軌道を外れた』にも収録されていた通称「事故(自己)」という楽曲で、あらたなヴァージョンにアレンジされている。演奏が終わると三人の奏者は一礼し、丁寧な足取りでステージを後にする。すると二人の「黒子」が出てきて舞台の転換がはじまった。ほとんどの観客は冒頭のアナウンスに従って楽曲の解説が記されたパンフレットへと目を落としている。「黒子」たちはステージ中央にマイクを立てたりコードをまとめたりなどしている。転換にしてはいくらか長く、やけにぶっきらぼうに機材を動かしているようにも見える。次第にその様子が明らかにおかしいことがわかってくる。立てたはずのマイクを片づけ、置いたはずの椅子を別の場所に移動させる。会場内で動き回る二人は、転換をしているようで実はなにもしていないのではないか。その予断は「黒子」の二人がステージ上の楽器類をはじめの状態に戻し、あらためて中川、菊池、横山の三人が入場してくるころには確信へと変わっていた。

 実は「黒子」の二人は「、バンド」のメンバーである出村弘美と穐月萌だったのである。もともとは俳優であり、ノン・ミュージシャンとして「、バンド」に参加していた彼女らは、転換をおこなうそぶりを見せながら、ステージ上でパフォーマンスをおこなっていたのだ。この二人が舞台後方の緞帳を開けると、煌びやかな銀色のカーテンが出現する。その煌びやかさに呼応するように「セクシーポーズー!」というかけ声の録音が再生される。水族館でおこなわれたアシカとセイウチのショーをフィールド録音した音源を流す「異なる遊戯と訓練の終わりの前にⅠ」という楽曲だ。チェロとヴァイオリンの二人がじりじりと弦を擦る不協和な音を出し、楽しげな海獣ショーの録音の再生が途絶えるとその鬱々としたノイズが前面に出てくる。そのうちに菊池が朗らかなピアノ・フレーズを弾きはじめた。だが唐突に演奏がなんども打ち切られ、海獣の雄叫びが再生されるとともにその鳴き声を模したかのような響きを三人が出す。音が引き起こす聴き手の感情の変化を聴き手自らに自覚させるかのように矢継ぎ早に変化するサウンド。続いて演奏されたのは「私たちとさえ言うことのできない私たちについてⅢ」という楽曲だった。こんどはヴァイオリンの横山が朗らかなメロディを奏でていく。そして彼女が一曲を演奏するあいだにピアノの菊池が三曲を、チェロの中川が五曲を演奏するというコンセプトの楽曲なのだが、この日はパフォーマーの出村と穐月が銀のカーテンを少しずつくるくると巻き上げていくなどの行為がさらに重なり、次第にステージ奥の窓がある空間が露わになっていった。

プログラムB「“You are not here” is no use there」(撮影:大島拓也)

 四曲めに披露された「ひとり、ふたり、或いは三つ目のために」は、クリスチャン・ウォルフの「For 1, 2 or 3 People」からインスピレーションを得た曲だという。出村と穐月がそれぞれエレキベースとエレキギターを抱えて座り、二人の前で教師のように立つ中川が演奏開始の指示を出す。不慣れにも見える手つきで弦を弾き、あるいは単音が静かにぽつりぽつりと鳴らされていくものの、これがあたかも演劇のように舞台上で繰り広げられているために飽きることがない。しばらくするとステージ奥からピアニカとヴァイオリンの音が聴こえてきた。同じ楽曲を菊池と横山がひっそりと演奏しているようだ。音遊びのように楽しげなセッションで、演奏する姿ははっきりとは見えないものの、出村と穐月のデュオに比べると多分に音楽的なやり取りに聴こえてくる。最後の楽曲は「106 Kerri Chandler Chords featuring 異なる遊戯と訓練の終わりの前にⅡ」。die Reihe 名義でも活動するジャック・キャラハンが、ディープハウスのDJとして知られるケリー・チャンドラーが制作したすべての楽曲に共通する106種類のコードを抽出した作品を、この日のためにリアレンジしたものだそうだ。チェロ、ピアノ、ヴァイオリンという編成による106種類の持続する音響が徐々に音量を増していくとともに張り裂けるように鳴り響く、ノイジーだが美しいサウンドだった。そしてそこに伴奏するように「、バンド」によるグルーヴ感溢れる演奏の録音が再生され、さらにステージ後方では装飾が施された小型ロボット掃除機のようなものが動き回っていた。

 「、バンド」の三人によるそれぞれの楽曲の演奏はどれもクオリティが高く、それだけでも公演としては十分に成立していたと言うことができるものの、楽曲と楽曲のあいだ、あるいは楽曲と同時並行的に別のパフォーマンスがあったということがやはりこのプログラムの特長を際立たせている。わたしたちはふつう、コンサートにおいて、ステージ上で披露される楽曲の演奏のことを音楽作品として捉えている。演奏と演奏のあいだは音楽の外部にある時間であり、ステージの外でおこなわれる行為は作品とは異なるものだと認識している。だが本当はそのときもまた、わたしたちはなにかを見ており、なにかを聞いているはずなのである。この事実が省みられることがないのはひとえに、わたしたちが音楽をコンサートという形式において聴いているからに他ならない。演奏者がステージに上がったら客席が静まり返り、あるいは歓声を上げ、演奏者が呼びかけたら応答し、演奏を終えたら拍手を捧げる。次の演奏がはじまるまでは作品外の時間として自由に過ごす。むろんジャンルによってその形式は異なるものの、形式において音楽を経験するという点では変わりない。さらに言うなら形式を抜きにして音楽そのものを経験することはないのである。そして「、バンド」による公演ではまさにこの形式それ自体が音楽として上演されていた。演奏、転換、演奏という流れや、ステージの内外を行き来することが、コンサートという形式の制度的なるものを演劇的な時間/空間として俎上に載せる。わたしたちはコンサートにおいて単に組織化された音響を享受しているのではなく、記憶と知覚が関連したトータルな出来事を体験しているのであり、このとき音楽を成立させるところの演奏行為とは出来事を産出するすべての──ロボット掃除機さえ含んだ(!)──行為者の振る舞いを指すことにさえなるだろう。

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選択する聴取体験と演奏行為──プログラムC「“You are not here” is no use there」

 プログラムC ではまず、FMラジオとイヤホン、それにイベントがいつ・どこでおこなわれるのかが記された用紙を渡され、来場者たちは芸術センター二階の大広間に集められた。試しにラジオを聴いてみると爽やかな小鳥の声が聴こえてくる。しばらくすると出村弘美が登場し、イベントの開始をアナウンスするとともに、囁くような小声で語りかけてきた。リアルタイムでマイクを通してラジオへと音声を流し、観客が持っている機器が正常に作動するかどうかの確認をおこなっているようだ。その後、同じ階にある講堂へと移動すると、なにか物音のようなものがラジオから聴こえてきた。講堂正面の緞帳の奥でパフォーマンスがおこなわれているのか、それとも録音が流されているだけなのかはわからない。すると講堂に置かれたピアノに菊池有里子が座り、演奏がはじまった。取り上げる楽曲はフランツ・シューベルトの「四つの即興曲」の第二曲、変ホ長調。だがこれはその練習だという。たしかに弾き間違いや弾き直しを繰り返しながら、やけにぎこちなく演奏が続けられていく。しかし練習と本番の違いを、ステージにおける演奏行為からわたしたち受け手が判別することは実は容易ではない。たしかに即興曲とはいえ作曲作品である以上、「正しい演奏」があるように見える。だが弾き間違いや弾き直しを交えて演奏することが作曲作品のひとつの解釈ではないと、なぜ言うことができるのだろうか。むしろこの公演においては相応しい解釈の在り方だとさえ言えるのではないか。そしてその間もイヤホンからは、テニスやゴルフなどのスポーツに興じているらしきフィールド録音が流れ続けていた。

 その後、文様作家であり怪談蒐集家の Apsu Shusei が創作し、中川が編集を加えた怪談が、建物の外にある二宮金次郎像の周辺で読み上げられるようだ。移動してみると建物の内部から窓越しにぼうっとこちらを覗いている人物がいた。虚ろな表情の出村弘美だった。手元のラジオからは彼女が朗読する怪談が流れはじめる。怪談の内容は次のようなものだった。田舎町の山奥にある洞穴に、「けいじさま」と名づけられた像があるという。それは鳥籠のような、あるいは人間の頭のようなかたちをしており、ある日、些細なことから家を飛び出した子供の「私」は、町を彷徨い歩くなか「けいじさま」に呼びかけられてしまう……。たしかに怖ろしい怪談ではあったものの、それ以上に、なんども反復されるこの「けいじさま」という言葉が妙に印象に残った。朗読が続けられるなか、講堂内では中川によるレコードを再生するというパフォーマンスがおこなわれていた。フィットネスのためのリズミカルな音楽で、怪談とは真反対で能天気にも聴こえる曲調が諧謔的に響く。同時に講堂では照明が点いたり消えたりするなど、「照明テスト」もおこなわれていた。続いて最初の大広間にて、横山翔子がアコーディオンを抱えて前説を交えながら、「上海帰りのリル」や「憧れのハワイ航路」など数曲の弾き語りをおこなった。この間もイヤホンからは、車両が行き交う街中の響きや汽笛が飛び交う漁港の響きなどのフィールド録音が流され続けていた。なおプログラムCではさらに、プログラムAの会場であったフリースペースにおいて、本公演の美術を担当したカミイケタクヤが、終始その造形作品を「調整する」という行為を継続しておこなっていたことも付記しておく。

プログラムC「“You are not here” is no use there」(撮影:大島拓也)

 そして最後は講堂を舞台に、出村とチェロを抱えた中川の二人によるライヴがおこなわれた。「最後に一曲演奏します」と中川が言った後、ジョン・ケージの「4分33秒」を演奏することが宣言される。周知のように「無音」の、つまりは演奏行為だけがある楽曲である。プログラムAおよびBを通して演奏行為とそれを取り巻く認識や形式を問いかけてきただけあって、いったいどのように趣向の凝らされた「4分33秒」が披露されるのだろうかと少し勘繰ったものの、演奏はきわめて正統的におこなわれた。出村がストップウォッチを用いて時間を測りながら、楽器を持った中川はじっと身構えてなにも音を出さずにいる。だがこのとき怪談における「けいじさま」が想起されるとともに、怪談を聴く手段であったポータブル・ラジオから音が流れ続けていることを思い起こした。急いでイヤホンを耳につけてみると、中川がかつて演奏した録音やフィールド録音が流されていた。目の前には演奏行為だけがある。他方でラジオからは音だけが流れている。この二つの時間を重ね合わせることによって、中川による演奏が音をともなって仮構される。しかしラジオの音はかつて演奏行為があったことの痕跡でもある。発音することのない演奏行為と、音を残して過ぎ去った演奏行為の、どちらがいま音楽を生み出している演奏行為だと言えるだろうか。むろん現実には無音などなく、つねになにかが、それも意図されざる響きが聴こえてくるということが「4分33秒」の要点でもあった。しかし想像を広げてみるならば、いまや様々な意図のもとに録音された過去の響きが現実のどこかで鳴り続けているのであり、これに「無音」の演奏行為を前にした聴き手が耳を傾けていてもなお、「4分33秒」はその体裁を保ち続けていることになるのだろうか。

 プログラムAおよびBを通して、わたしたちは演奏行為というものが、決して作り手の行為それ自体によって完結するものではなく、たとえば受け手による認識のプロセスによって視聴覚の統合がなされることもあれば、受け手が慣れ親しんできた形式のうちにあらわれもするということを経験してきたのだった。つまり演奏行為の成立条件のひとつとして受け手の存在が欠くべからざるものとしてあったのだが、プログラムCでは露骨なまでに受け手の行為が演奏行為の現出に関わっている。ここでは同時多発的にイベントが起きるというものの、実際にはメインになるイベントは限られており、結果としてほとんどの聴衆はあたかもパレードのように──ラジオとイヤホンを用いて散策するスタイルは、大阪で米子匡司らが主催してきた「PARADE」というイベントがもとになっており、同じ機材のシステムも借り受けているという──おおよそ同じ経路を移動していった。それはこのプログラムがイベントの同時多発性よりも受け手が聴くことを選択する行為に主眼があったということでもある。わたしたちはイヤホンを耳に入れることで別の時間/空間における響きを経験する。あるいはイヤホンを外すことでいま・ここで生起する響きを経験する。この二種類の時間と空間を、一人ひとりの聴き手が選択することによって、個々別々の経験を織り成していく。そのとき眼の前で繰り広げられている演奏行為は、たとえ練習であっても、レコードの再生であっても、前説を交えた弾き語りであっても、「無音」の上演であっても、あるいは身震いするような怪談であっても、聴き手の選択によって自由に遮られ、すぐさま断ち切られてしまうような無力なものでしかない。だがこのように無力だからこそ、演奏行為が聴き手のうちに音楽として立ちあらわれるときの強度は計り知れないのだとは言えないか。

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音楽の成立条件を問うこと──幽霊的な演奏行為を通して

 分断された視聴覚、コンサートという形式、そして選択する聴取体験。これら三つの公演を貫いていたのは、単なる組織化された音響ではなく、作り手の身振りや行為、空間や物体、受け手の記憶や知覚作用など、音を取り巻く音ならざる要素によって音楽と言うべき出来事が成り立っていたということである。なかでも演奏行為によって出来事が生み出され、あるいは出来事が演奏行為として立ちあらわれることは、『ここでひくことについて』の核となるテーマでもあった。このように音楽における行為を前景化する試み──それもミクストメディア、音楽的演劇、遊歩音楽会とも言い換えられるような実践からは、かつて1950年代から60年代にかけて盛んにおこなわれたシアター・ピースを思い起こすことができる。行為や身振りなどを音楽の要素として取り入れたシアター・ピースは、庄野進によれば二つの流れに分けて捉えることができる(*6)。ひとつはジョン・ケージらに代表されるアメリカを中心とした流れであり、音をともなう行為によっていま・ここで生起する偶然性を、作り手が意図し得ない出来事の総体としてあるがままに現出するという非構成的な傾向である。もうひとつはマウリシオ・カーゲルやディーター・シュネーベルらに代表されるドイツを中心とした流れであり、身振りや言葉といった演劇的な要素を音楽の素材として作曲していくという構成的な傾向である。この二つの流れは様相を異にするもののいずれも非物語的であり非再現的であるという点で共通しており、この意味でそれまでのオペラやミュージカルをはじめとした音楽劇とは一線を画していたと庄野は言う。そのため「劇場は模倣され、再現されたものを伝達し、理解する場ではなく、そこに居合わせる人々とともに、その場で起こる出来事を共有し、しかも日常生活へとそれを持ち帰り、常に我々の生の意味を確認し、再活性化するための『コミュニオン』の場」(*7)となっていったのである。

 しかしこうしたシアター・ピースにおける基本的な性格として見落としてはならないのは、どちらの流れにおいても第一に演奏家の身体を「再発見」したという意義があったことである。その裏には演奏行為が置かれ続けてきた立場を見なければならない(*8)。西洋音楽の歴史においては長らく、演奏行為とはまずもって解釈行為のことだった。創造の源泉となるのは記譜された作曲作品であり、その作品のイデアルな芸術性を受け手に届けるために、作品を解釈し、現実の鳴り響きとして具体化することが演奏家の役目だった。このとき演奏行為は作曲作品の芸術性をできるだけ損なうことなく受け手に伝達することが重要であり、アルノルト・シェーンベルクが語ったとされる「演奏家はおよそ不要な存在なのだ。十分に楽譜が読めない気の毒な聴き手に楽曲をわからせるため、演奏してみせる場合を除いて」(*9)という言葉のように、ときには透明であることさえ望まれるような音楽の付帯的な存在でしかなかった。それはたとえヴィルトゥオーゾのように演奏家自身の創造性に光が当てられることがあったとしても、あくまでもまずは作曲作品があり、その解釈において生み出されるヴァリエーションとしてしか輝くことができなかった。だが音楽の現場にいるのは演奏家であり、音を発するのもまた演奏家である。そしてどれほど理想的な解釈であろうとも、作曲作品のイデアそのものに到達することはできない。むしろ音響が生起する場所を考えるならば、作曲作品こそが音楽における付帯的な要素とさえ言えないか。ここから演奏家というものの重要性があらためて立ち上がる。音楽が生まれる現場には演奏家の身体があるという当たり前と言えば当たり前の事実に気づくことになる。

 このように見出された演奏家の身体を、しかしシアター・ピースのようにあらためて作曲家の創造性を伝達するための媒介物とするのではなく、演奏行為それ自体が創造の源泉であり、むしろそれのみが音楽を成り立たせているのだと捉えるとき、期せずしてヨーロッパにおける自由即興の文脈へと近接していくことになる。自由即興もまた、作曲家を中心とした西洋近代主義的なヒエラルキーに対して、貶められてきた演奏家の役割を取り戻すという批評性があったのである。すなわち演奏行為について思考と実践を徹底的に積み重ねるならば、なかば必然的に即興性をめぐる問題へと関わっていく(*10)。むろん『ここでひくことについて』は三つのプログラムが三日間をかけてそれぞれ三回反復されており、そのためのリハーサルもおこなわれている。その意味ではどの公演も即興性とは相容れない再現性を持っているように見える。だが同時にこれら三つの公演は、記号の領域へと抽出し、別の場所で別の人物によって再現できる性格のものでもない。京都芸術センターという特有の空間があり、そして中川裕貴および「、バンド」という集団の個々の身体と密接に結びつきながら、はじめて実現し得る出来事なのである。その意味ではいま・ここにある個々の身体を離れては再現不可能な出来事であり、だからこそそれぞれの受け手にとってもまた再現不可能な経験がもたらされている。それは作曲作品において尊ばれる同一性よりも、即興性がその原理において触れるところの非同一性を湛えている。あたかも演劇が同一の舞台公演を反復しながらも、ひとつとしてまったく同じ出来事にはなり得ないように。

 演劇ではステージ上の人々がここにはいない人物を演じ、ここには存在しないはずの物語を立ち上げる。それに対して演奏行為はステージ上の人々がまさに当の本人であることによって、ここにしか響くことのない音楽を立ち上げる。だが本公演を通して経験してきた出来事は、どれもここで起きることが不確かなものであり、目に見えるものと耳に聞こえるものが、いま・ここで繰り広げられている演奏行為とは別様に体験されるということだった。わたしたちは視覚と聴覚が結びつくことの無根拠さを経験し、音楽を享受することを規定している形式性を経験し、そして異なる時間/空間へと聴覚的に旅することによって演奏行為の無力さを経験してきた。それらはシアター・ピースにも似ているものの、それは単にいま・ここにある身体的な行為を前景化しているからというよりも、むしろいま・ここにはないものを現出するという意味で演劇的なのである。三度反復される演奏行為は同一のものの再現ではなく、いま・ここへと徹底的に縛られた即興性が原理的に非再現的であるようにして、しかしながらいま・ここには存在しないはずのものの根源的な非同一性としてその都度現出する。そして受け手であるわたしたちはこの幽霊のように見えないものと聞こえないものに立ち会うことになる。このとき演奏行為は音楽を鳴り響きとして現実化するための手段ではなく、わたしたちがなにを音楽として捉え、どのように享受し、あるいはいかにして接することができるのかということの、いわば音楽の成立条件を経験のうちに明らかにするものとしてある。そうであるがゆえに『ここでひくことについて』における演奏行為は音楽へと捧げられていたと言ってもいい。それはこれまでの音楽秩序を破壊していたのでも、あらたな音楽秩序を構築していたのでもない。そうではなくむしろ、その成立条件に触れることで明かされる音楽秩序なるものの不安定な揺らぎを、破壊的か構築的か容易には判別のつかないような行為によって、すなわち幽霊的な演奏行為の「衝突」を発生させることから、来たるべき音楽の姿として呼び寄せていたのではないだろうか。

  • *6 庄野進「新しい劇場音楽」(『音楽のテアトロン』庄野進・高野紀子編、勁草書房、1994年)。
  • *7 同前書、51頁。
  • *8 もうひとつの背景として、松平頼暁が「アクションなしのサウンド」と述べたように、録音音楽さらには電子音楽といった、行為を必要としない音楽が一般化してきたことも挙げられる。なお、松平はシアター・ピースを「従来の演奏行為の延長としてのアクション」と「インターメディアまたはマルチメディア的な手法で、サウンド以外のメディアとしてアクションが加わるもの」という二種類のアプローチに区分けし、前者の例としてケージらを、後者の例としてカーゲルらを挙げている(『音楽=振動する建築』青土社、1982年)。
  • *9 大久保賢『演奏行為論』(春秋社、2018年)13頁。
  • *10 反対に即興性に関する思考と実践を徹底的に積み重ねることは必ずしも演奏行為をめぐる問題に突き当たるわけではない。たとえば Sachiko M がサンプラーそれ自体に内蔵されているサイン波を発する動作、あるいは梅田哲也が動くオブジェクトを会場に設置していく振る舞いなどは、即興的なパフォーマンスとは呼べるものの演奏行為および身体性とは異質な側面があるということには留意しておかなければならない。

Common - ele-king

 デビューからすでに四半世紀以上のキャリアを重ねながら、いまなおヒップホップ・アーティストとして意欲的な作品をリリースし続けている Common。特に Karriem Riggins との強固なタッグによって制作された、2016年リリースの前作『Black America Again』以降の動きは凄まじく、『Black America Again』の延長として Karriem Riggins と Robert Glasper と組んだスーパーグループ、August Greene 名義でのアルバムも、昨年のUS音楽シーンを代表する素晴らしい出来であった。『Black America Again』は、大統領に就任したばかりのドナルド・トランプに対する強烈なメッセージが込められ、コンシャス・ラッパーとしての自らの姿勢を改めて提示した Common であったが、『Let Love』というアルバム・タイトルが示す通り、通算12作目となる本作のテーマはストレートに「愛」だ。

 前作同様に Karriem Riggins がメイン・プロデューサーを務めているが、アルバムの先行シングルであり実質上のメイン・トラックである“HER Love”のみ故 J Dilla がプロデューサーとしてクレジットされている。「her」を敢えて大文字で表記していることからも分かるように、この曲は Common のクラシック中のクラシック“I Used To Love H.E.R.”の続編(正確に言うと、2013年に発表された J.Period のプロデュースによる“The Next Chapter (Still Love H.E.R.)”に次ぐ続々編)となっており、今年亡くなった Nipsey Hussle を筆頭に Kendrick Lamar など様々なラッパーの名前を交えながら、ヒップホップに対する愛をラップしている。Common にとって、この曲に最もふさわしいプロデューサーが個人的にも関わりの深い J Dilla であることは間違いないが、J Dilla の未発表のビート集である『Dillatronic』からピックアップされたトラックが実に見事に曲のテーマともマッチしており、まるでこの曲のために作られたかのような錯覚すら覚える。

 サンプリングによって作られた“HER Love”に対して、Karriem Riggins が中心となって作られた他の曲はサンプリングと生楽器とのバランスが実に絶妙だ。『Black America Again』や August Greene の流れの延長上ではあるのだが、Common のラップとのコンビネーションも含めて、作品を追うごとにそのサウンドはより洗練されたものになっており、ヒップホップというアートフォームの中のひとつの方向性としては、究極の域にすら達しているようにも感じる。BJ The Chicago Kid や Swizz Beatz、Jill Scott、A-Trak などを含めて、有名無名揃ったゲスト・アーティストも見事なスパイスと機能し、ときにハードにソウルフルにスウィートに、アルバムのテーマ性をそれぞれの方法で表現豊かに膨らませている。

 本作を聴いて改めて思うのが、ラッパーとしての Common の絶対的な普遍性だ。おそらく、今から25年前にリリースされたセカンド・アルバム『Ressurrection』から、Common のラップのスタイルというものは大きくは変わってない。メッセージ性はより強くなってはいるが、コンシャスというベースの部分は同じで、さらにフロウに関しては Common が得意とするパターンというのはすでに初期の時点でほとんど完成していたようにも思う。しかし、本作のラップを聴いても、そこに古さは感じられず、より研ぎ澄まされたことによって、いまが彼にとっての最高点とすら感じられるから驚きだ。

 本来はユール・カルチャーであるヒップホップだが、ベテランである Common だからこそなしえる、新たな景色をこれからも見せてくれることを期待したい。

Fatima Al Qadiri - ele-king

 セネガル生まれ、クウェイト育ち、最近はベルリン在住だというファティマ・アル・カディリは、これまで〈Hyperdub〉から『Asiatisch』『Brute』「Shaneera」と立て続けに素晴らしい作品を送り出してきたプロデューサーである。架空のアジア、警察の暴力、アラブのクィアと、毎度しっかりテーマを練ってくるタイプのアーティストだが、その次なる一手はどうやらサウンドトラックのようだ。
 今回彼女がスコアを手がけたのは『Atlantics』という、今年のカンヌ国際映画祭でグランプリ(審査員特別賞)に輝いたフィルムで、建設労働者の青年に思いを寄せる少女の恋物語が描かれている。監督はセネガル系のマティ・ディオップで、今回が初の長編作品。ファティマによるサントラは11月15日に発売、映画のほうはネットフリックスにて11月29日より公開される。現在、同サントラより“Boys In The Mirror”が公開中。

Fatima Al Qadiri - Boys In The Mirror

Atlantics - Trailer

artist: Fatima Al Qadiri
title: Original Music From Atlantics
label: Milan / Sony Masterworks
release: 2019/11/15

tracklist:
01. Souleiman's Theme
02. Ada And Souleiman
03. Qasida Nightmare
04. Yelwa Procession
05. Wedding Interlude
06. 10-34 Reprise
07. Qasida - Sunset Fever 1
08. Alleil
09. Suñu Khalis
10. Qasida - Sunset Fever 2
11. Boys In The Mirror
12. Souleiman's Theme - Issa Against The Sun
13. Body Double

special talk - ele-king

 今週末の10月12日、渋谷 CONTACT にてジャイルス・ピーターソンの来日公演が開催される。もしかするとこれは今年もっとも重要なパーティになるかもしれない。ジャイルスのプレイが楽しみなのはもちろんではあるが、それ以上に注目すべきなのは、90年代から日本の音楽シーンを支え続け、昨年現行のUKジャズとリンクする新作を送り出した松浦俊夫と、日本の現状を変革しようと日々奮闘している Midori Aoyama、Masaki Tamura、Souta Raw ら TSUBAKI FM の面々との邂逅だ。さらに言えば、GONNO × MASUMURA も出演するし、Leo Gabriel や Mayu Amano ら20代の若い面々も集合する。ここには素晴らしい雑食があり……つまりこの夜は、いまUKでいちばんおもしろいサウンドが聴ける最大のチャンスであると同時に、ジャンルが細分化し、世代ごとに分断されてしまった日本の音楽シーンに一石を投じる一夜にもなるかもしれないのだ。20代も50代も交じり合う奇跡の時間──それは最高の瞬間だと、松浦は言う。というわけで、今回のイヴェントを企画することになった動機や意気込みについて、松浦と青山のふたりに語り合ってもらった。

[10月11日追記]
 10/12(土)開催予定だった《Gilles Peterson at Contact》は、台風19号の影響により、中止となりました。詳細はこちらをご確認ください。

いまの音楽を追わなくなった人がすごく多い。懐かしいものに帰ろうとしている傾向がある。90年代の音楽を聴きなおすことも大事だけど、いま自分たちが生きているなかで、日々たくさんのフレッシュな音楽が生まれていることは事実。 (松浦)

10月12日にジャイルス・ピーターソンの来日公演があります。松浦俊夫さんとともに青山さんたちも出演されます。自分たちの世代と松浦さんの世代を橋渡ししたいというような考えが青山さんにはあったんでしょうか?

Midori Aoyama(以下、青山):そうですね。松浦さんがジャイルスのパーティをオーガナイズすることを知ったので手をあげました。自分もジャイルスが紹介している音楽をかけているDJのひとりだし、ラジオもずっと聴いていますし。TSUBAKI FM というラジオをはじめて、いままでハウス・ミュージックをやっていたところから、少しずつ広がっていくのをこの2年間で肌で感じたんです。こういうタイミングがきて、自分のなかで「いまかな」と思って。もし縁があればおもしろいことができるんじゃないかなと思いました。

松浦俊夫(以下、松浦):もちろん青山さんのお名前は知っていましたけど、実は今回の件で初めてお会いしてお話したんですよね。

青山:以前何度かご挨拶だけはさせてもらったんですが、そのときは自分の音楽について話すということもなかったですし、松浦さんと深く時間をとって話すことはなかったので。この対談はお互いの考え方とか意見を交換する貴重な機会だと思っています。

松浦:日本ではジャンルとか世代が、いままでバラバラだったところがあって。シーンが細分化されて、それぞれがそれぞれの細かいところにいて、全体として勢いを失った印象です。UKのシーンのおかげかわかりませんが、またジャンルが関係ないところで音楽がひとつのところに寄ってきているのをここ何年か感じています。ジャンルとともに世代もつながっていることをヨーロッパには感じていたんですけど、日本では自分たちは自分たちみたいな感じなので、どうそこを突破していこうかなということを数年悩んでいたんです。青山さんみたいにある意味でアンビシャスがある人たちが日本にはちょっと少ないかなと。今回の企画はそれぞれの叶えたいこととともにシーンのことを考えてもっとジャンルと世代を関係なくつなげていこうというところでひとつになっているなと思います。今回一緒にやるという意義をそこにすごく感じています。

それぞれが叶えたいこととは?

松浦:世代を超えたいというところ。50歳を超えてクラブに来る人も当然いるけど、90年代にクラブだったり、音楽にどっぷりつかった生活をしていた人たちって、社会に出たり、家庭ができたりで、いまの音楽を追わなくなった人がすごく多い。懐かしいものに帰ろうとしている傾向がある。学生時代に聴いていた90年代の音楽を聴きなおすことも大事だけど、いま自分たちが生きているなかで、日々たくさんのフレッシュな音楽が生まれていることは事実。それを味わってもらうために自分はDJとして選曲家として、クラブやその他のメディアで活動をしているつもりです。
 さらに若い人たちにジョインしてもらうためにはある程度降りていかなきゃいけないなと思っている。自分はどんどん濃くしていきたいんだけど、これを薄めて若い人たちにつなげていくというのは、自分的には違うから、若い人も巻き込んでいくやり方がいいんじゃないかなって思います。それがうまくできているのがUKのシーン。そのスペシャリストがジャイルスなのかなという気がする。イギリスだけじゃなくて、ヨーロッパでも、自分が手掛けてない音楽も含めてひとつにまとめてくれる、それが彼の感覚のすごさですよね。これをなんで日本ではできないのかという葛藤があっただけに、今回こういう機会を作ってもらえたので彼の手を借りて、みなひとつにするチャンスだと思っています。

降りていくというのは、キャッチーな曲をかけるとか?

松浦:そういうことですね。これは音楽だけではないと思うけど、ちょっと難しくなると暗いとか。それは昔から変わらないですよね。かといってマイナーなことが格好いいかというとそうでもないと思う。誰も聴いたことがないプライヴェート・プレスで、アルバムで3000ドルくらいしますみたいなものでも、聴いてみると別にそんなすごいアルバムじゃない。そうではなくて、聴いたときに誰の何かわからないけど、これっていいよねということをシェアできるようにしなきゃいけない。ここ数年でイギリスのシーンが動き出したことでライヴ・ミュージックとしてミュージシャンが作る音楽とクラブで完結していたダンス・ミュージックが、やっと30年くらいかかってひとつになった。それは人力テクノとかではなくて、これこそオルタナティヴな音楽が生まれる瞬間なのかな。これは日本にも当然余波として来るべきですね。90年代のレアグルーヴだったり、アシッド・ジャズの流れで東京からいろんなユニットやバンドが出てきたように、東京からももっと出てくるタイミングじゃないかなと思っています。

パーティやDJを10年間くらい続けてきて同世代には広げ切ったという感じがあった。次何をするかとなったら、若い人と何かやるか、上の世代とやるしかない。松浦さんやジャイルスのお客さんにも自分たちのやっていること、自分の実力を証明したい。 (青山)

青山さんの野心は?

青山:僕と松浦さんって音楽的にリンクしてないって周りの人は思っている。これが伝わっていないことが自分のなかのジレンマです。松浦さんはジャズ、僕はハウスというイメージで完全に分かれている感じ。でも松浦さんがラジオで、僕が Eureka! でブッキングする外国人DJをプッシュしてくれていたことは知っていたし、ありがたいなと思っていました。
 パーティやDJを10年間くらい続けてきて同世代には広げ切った、自分のなかではつながれるところはほとんどつながった、やりたいクラブでも全部やったし、呼びたい海外DJも呼んだし、自分のやりたいパーティもやって、なんか終わったなという感じが正直あった。次何をするかとなったら、若い人と何かやるか、上の世代の人と何かやるしかない。世代、環境、性別、国とかを超えて何かもっと強く発信していかなきゃいけないなと思っていたんです。そのなかで自分がいまいちばんおもしろいなと思っているシーンはUKのジャズ・シーンだったり、UKのハウスだったりするんですね。だからこそ松浦さんとやるということはひとつのカギだったし、松浦さんやジャイルスのお客さんにも自分たちのやっていること、自分の実力を証明したいなと思っている。全然ダメじゃんと言われたらそこまでですけど(笑)。
 一回背伸びしてチャレンジするいいタイミングかなって思っています。いまの自分たちに何ができるのか。どういうものを知ってもらえるのかというのをこっちから表現して、松浦さんやジャイルスの世代のひとたちが、もっとこうしたほうがいいとか、こういうのが足りないと思ってくれるのならそれを取り入れて改善したい。最終的にはもともと自分が持っているハウスとかテクノのコミュニティにも刺さったらいいですね。そもそもジャイルスのイヴェントに自分たちが出てくるということ自体雰囲気的にハテナな人もいると思う。とくに今回のラインナップで言うと、Masaki (Tamura) 君とかは納得いくけど、Souta Raw はディスコだし、ジャイルスとどこがリンクするの? みたいな話になる。でもやっている本人たちはそんなことないんです。ジャイルスがかけているディスコとかファンクとか、彼が紹介しているハウスとかにすごくインスパイアされている。そこはもう少し目に見えるかたちで、身体で感じられるレヴェルで表現したいと思った。それが今回いちばんやりたいこと。

松浦:自分は意識していないけど、寄り付かせない何かをまとっている部分があると思うんです。だから、実際に大きな音で聴いてもらって、みんなが思っているジャズだけというイメージとは違うということをわかってもらえるといいですね。聴いたことない人たちにも、今回青山さんがお手伝いしてくださることによって集まってくれた人たちにも届けることができたらお互いに新しいお客さんを巻き込むことになる。これがうまくいけばその次もあるんじゃないかなって思う。

いまのUKでいちばんおもしろい音を聴けるチャンスですよね。UKのジャズのおもしろさは雑食性、ジャズの定義の緩さというか、新しいビートを取り入れることなわけですから、今回のパーティはまさにその雑食性を表現しているように思います。

松浦:そうだと思いますね。たぶんジャズをやろうとしてはいないんじゃないかな。ジャズというフォーマットのなかで勝負するのであればアメリカに行ってアメリカのなかでジャズをやると思う。新しいものを生み出すということのなかで、あえてジャズにしようとしていないのはたぶん意図的にやっているんじゃないかな。

アシッド・ジャズのときも、あれはジャズではないですよね。

松浦:また30年くらいたったときにやっていることは違うけど、ムードが近い雰囲気になってきているなと思いますね。ちょっと遅れて日本に届いてくる感じもあのときの感じに近い。やっとここで動くんじゃないかなという期待が今回のイヴェントにある。いちばん若い子だと Leo (Gabriel) 君ですね。

青山:あとは Mayu Amano ちゃんという一緒に TSUBAKI FM を運営してくれている彼女も20代前半ですし。

松浦:プレイする方も混ぜたいけど、お客さんにも混ざってほしいな。90年代に yellow というクラブがあて、21時オープンで5時まで Jazzin’(ジャジン)というレギュラーをやっていたんですけど、21時から0時くらいまでではサラリーマンとかOLの人たちでひと盛り上がりして、2時くらいから六本木の水商売の人がやってきてまた盛り上がるという二段階。それが交わる瞬間が0時から2時くらい。そのとき交じり合っている世代は50代から20まで。そういう景色を見るとやっぱり音楽ってすごいんだなって思いますよね。ジャンルとか、年齢みたいなものがぐちゃぐちゃになっていてみんな楽しそうにしている景色を見るのは最高の瞬間ですよ。

青山:yellow のときの状況はすごかったと思うんです。僕が20とかのときに最後の yellow に行っていたから僕のクラブの初期衝動はあの場所が大きい。自分でこういうパーティをつくりたいというイメージはけっきょく遊んだときのもの。年齢の垣根を越えている感じとか、熱量、あれが自分基準値になっている。

他のジャンルでも世代は固まっている気がしますね。

青山:だからこそ熱量のある空間をできる限りつくっていくというのが20代以上の世代の人たちがクラブとか音楽シーンに求められていることだと思うんです。そうやって下の世代に引き継いでいくことはすごく大事だと思う。
 松浦さんはご自分で発信している音楽とか、U.F.O.で昔やっていた曲とかが、いまの世代にまた伝わりはじめているなと感じることはありますか?

松浦:そうですね。なぜそうなったのかはわからないですけど。時代の周期みたいなものがあるのかな。その周期を見ながら、現在も新しいものをつくろうという気持ちは変えずにいきたいな。あと、自分で自分がやりたいことをできるような場を作るにはどうすればいいかということはつねに考えている。

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ジャンルとか、年齢みたいなものがぐちゃぐちゃになっていてみんな楽しそうにしている景色を見るのは最高の瞬間ですよ。 (松浦)

すごいなと思った最近のUKのジャズは?

青山:でもけっきょくヴェテランがいいなと思っちゃいますね。最近はカイディ・テイタムが好き。

松浦:アルバム単位というよりかは、自分の場合は曲単位で選んでいます。アシュリー・ヘンリーのアルバムとか、〈Sony〉が久々にああいうUKのアーティストを出してきたのはすごくおもしろい。ソランジュの曲をピアノでカヴァーしたり。ネリーヤ(Nérija)もそうだし。あとはポーランドのアーティストもすごくおもしろくなってきている。ジャズのなかでのせめぎあいではなくて、オルタナティヴ・ジャズのシーンみたいなものがあるとしたら、そのなかで勝負している感じが非常におもしろい。その方向性は人によってはアフロに寄ったり、カリビアンによったりする。ただストレートにどこかのジャンルに一直線に走っているわけではなくて、いろんな要素を加えながらそのアーティスト独自の表現を探そうとしているところがきっとおもしろいんだろうな。

イギリスにはジャイルスみたいな人が何人かいますよね。〈Honest Jon's〉みたいなレコード店だってそう。若い世代でいうと、ベンジー・Bがジャイルスの後継者になっている。イギリスにはこれがいい音楽だって言える目利きの文化みたいなものがありますよね。あとはブラック・ライヴズ・マターとか、人種暴動があったり、ヘイトクライムがあったりそういう世の中で、UKジャズが体現しているのは人種やジェンダーを超えたひとつのコミュニティ。それはいまの時代に説得力がある。

松浦:テロが起きたことと、コスモポリタンになったということがイギリスが強くひとつになれる理由なのかな。

やっぱり日本って借り物の印象がすごく強いと思います。どうしても外タレ崇拝みたいなところがある。ファッションもDJも全部そう。そこをまず変えていかなきゃいけないのかなという使命感があります。 (青山)

イギリスから音楽の文化が弱くなったように見えたためしがない。つねにみんな音楽が好きだし、いい曲が出れば「これいいよね」という会話が普通に成り立つような国だから。

松浦:アンダーグラウンドの場所が世の中にあるというのがすごいですよね。自分がいくつになっても自分の楽しみを続けていこうという姿勢は強いかな。

青山:イギリスって自国から生まれたものをすごく大事にする印象がある。やっぱり日本って借り物の印象がすごく強いと思います。どうしても外タレ崇拝みたいなところがある。ファッションもDJも全部そう。海外のカルチャーを受け入れてどう日本で消化させていくかということがこの20年~30年続いているなと思う。そこをまず変えていかなきゃいけないのかなという使命感があります。

松浦:そうですね。Worldwide FM をやっていて、日本の番組だから日本発の新しい音楽をできるだけ紹介したいし、ゲストも若い日本人の人を紹介したいんだけど、なかなか難しい。

青山:それは僕も正直ある。他のネットラジオなどを聴いていても、こんなに毎週毎月UKから新しいミュージシャンやアルバム、コンピレーションがガンガン出ているのに、日本からは1枚も出ない。もちろんアーティストのレヴェルの問題もありますけど、仕組み自体を変えないとダメだなと思う。UKが仕組みとしておもしろいのはジャイルスみたいな良い曲を判断してくれるキュレーターがいて、そういう音楽を発信するプラットフォームがあって、そこで曲を発信したいと思って作曲するアーティストが増えるという形で循環しているところ。ジャイルスだけじゃダメだし。アーティストがいるだけでもダメだし、ラジオがあるだけでもダメ。全部がはじめてひとつの輪になってグルーヴが生まれて、それがシーンになっていくと思うんですけど、日本にはそれがない。あるかもしれないけど、局地的だったたり、つながってない。そこをまずひとつにしていくという作業が次の10年で大事なのかなと思う。それを僕は TSUBAKI FM で体現したい。海外のラジオを日本でやろうとかということではなくて、日本オリジナルのブランドを作らないとどうにもならないなって。  さらにもうひとつはアーティストもレーベルも、ディストリビューションも日本になるといいですね。日本でプロモーションを世界に向けて発信して、世界で評価されるというところまでもっていきたい。それが次の日本の音楽シーンが目指す目標だと思う。それを目指すためのひとつのピースとして TSUBAKI FM だったり、もっとみんな真剣に考えて取り組まなきゃいけないなと思います。

松浦:それこそ90年代に『Multidirection』っていうのを2枚作りましたけど、そのくらい集めたくなるほど新しい音楽を生み出せる環境、インターナショナルで聴かせたいというものがもっと出てきてほしいな。もうちょっとグルーヴのある音楽で出てきてくれるといいな。でも巻き込んでいくしかないのかな。こういう音楽をつくっても出ていけるというふうに感じないとダメなのかな。

青山:そこはDJや僕らの仕事かもしれないですね。ここの曲のこういうところにグルーヴがあればかけられるんだよとか、使えるんだよなということを、アーティストに要求していく。日本にはレールもないし、アーティストに対して要求する人が全然いない。アーティストがこれが良いと思ったものをそのまま出しちゃっているから、そのアーティストの仲間は受け入れてくれるかもしれないけど、周りの人に伝わるかといったら伝わらないこともある。そこは第三者がディレクションをしてあげることでもっと深みがでると思う。なので、アーティストに対してDJとかプロモーターとかレーベルをやっている人が近づいて要求していくという作業も必要ですね。

松浦:流れができれば国内からも必然的に出しましょうという話になると思う。

青山:そういうことをやりたいという目標があるけど、それをちょっとずつ広げていくために今回のイヴェントはすごくいい機会です。松浦さんとお仕事ができただけで価値あることだと思う。

松浦:まだまだはじまったばかりだからね。僕にとっての大先輩、トランスミッション・バリケードというラジオをやられていたふたりと一緒にDJをやったとき、自分はここにいていいのかなくらいの緊張感があった。でも終わってから選曲がよかったと言ってもらえたので嬉しかったですね。この年でもまだ緊張感が生まれる先輩がいてよかったなと思う。逆にそういう関係性が世代を超えてできたらいいですね。年齢的に一回り以上年上の方でも新しい音楽を中心にプレイしようという意思が感じられたので、自分ももっとがんばらなきゃなと思いました。

(聞き手:野田努+小林拓音)

Gilles Peterson at Contact
2019年10月12日(土)

Studio X:
GILLES PETERSON (Brownswood Recordings | Worldwide FM | UK)
TOSHIO MATSUURA (TOSHIO MATSUURA GROUP | HEX)
GONNO x MASUMURA -LIVE-

Contact:
DJ KAWASAKI
SHACHO (SOIL&”PIMP”SESSIONS)
MASAKI TAMURA
SOUTA RAW
MIDORI AOYAMA

Foyer:
MIDO (Menace)
GOMEZ (Face to Face)
DJ EMERALD
LEO GABRIEL
MAYU AMANO

OPEN: 10PM
¥1000 Under 23
¥2500 Before 11PM / Early Bird
(LIMITED 100 e+ / Resident Advisor / clubbeia / iflyer)
¥2800 GH S Member I ¥3000 Advance
¥3300 With Flyer I ¥3800 Door

https://www.contacttokyo.com/schedule/gilles-peterson-at-contact/

Contact
東京都渋谷区道玄坂2-10-12 新大宗ビル4号館B2
Tel: 03-6427-8107
https://www.contacttokyo.com
You must be 20 and over with photo ID

ジョン・ウィック:パラベラム - ele-king

 何年か後にはオタクの山ができていそうな映画である。いや、もうすでにできているかな。その山に登らず、どこに山があるのかだけを考えたい。山の一部をなしているのは『燃えよドラゴン』で、「鏡の部屋」って『ローマの休日』が起源かなーなどとも言い放ってはみたいけれど、返り討ちに会うのが関の山なので、黙って『徹子の部屋』でも観ていよう。今日のゲストは高嶋ちさ子かな……

 シリーズ3作目なので、これまでのあらましを多少は述べないといけないだろう。ニューヨーク中にいる殺し屋がジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)を狙い、果たして彼らの手をすり抜けてアメリカから脱出できるのか……というところで『チャプター2』(17)は終わってしまい、そこからいきなり『パラベラム』は始まるし。こんなTVドラマのように続く映画もないぜとは思うものの、観てよかったなーと思うから『ジョン・ウィック』シリーズは侮れない。「ミレニアム」とか「メン・イン・ブラック」も全部観ちゃったけどさ。

 ジョン・ウィックは恋人を失い、彼女の死後に形見として子犬が届く。ガソリン・スタンドでガンをつけてきたチンピラたちがジョン・ウィックの家を襲い、犬を殺し、彼の愛車フォード・マスタングを奪っていく。殺し屋稼業から足を洗っていたジョン・ウィックは復讐のためにやむなくカム・バック。チンピラは実はロシアン・マフィアを牛耳るボスの息子で、ジョン・ウィックとロシアン・マフィアは全面戦争に突入していく。ハリウッドが遠ざかりつつあった暴力表現がこれでもかとテンコ盛りになっているだけでなく、復讐というモチーフや鬱蒼とした音楽の被せ方、そしてフィルターをかけっぱなしにした映像など、1作目は明らかに韓国ノワールの影響を感じさせる。ここ数年、ハリウッドの代わりにヴァイオレンスで客足を引きつけた韓国映画やスペイン映画が「ジョン・ウィック」シリーズの演出に大幅に取り入れられている。そこがまずは魅力。

 フォード・マスタングを取り戻すところから『チャプター2』は始まる。ジョン・ウィックが所属する組織には手厚い厚生施設が整い、ソムリエと呼ばれる武器調達係がいたりと、世界規模で行動がしやすくなっている代わりに「誓印」と呼ばれる「貸し・借り」のシステムが絶対の条件となっており(ほかにもヘンなルールがいっぱいあってこれがまた実に楽しい)、ジョン・ウィックはサンティーノ・ダントニオの依頼によって「主席連合」の次期代表に就任する予定のジアナ・ダントニオを暗殺しなければならなくなる。そして、ジョン・ウィックはローマに飛ぶ――

 とにかく暴力、暴力、暴力である。「パラベラム」というのは銃のことらしい。韓国映画『アシュラ』(16)はいくらなんでも人が死に過ぎると思ったけれど、これはそれ以上。ただし、毎回のようにクラブで銃撃戦があるにもかかわらず、一般の人には絶対に当たらず、関係者しか死なない。『パラベラム』ではそれがエスカレートして駅の構内や電車のなかでも撃ち合うのに通勤客はそれに気づかず、普通に歩いているだけだったり。ほとんどギャグである。暴力映画が好きな人には可視化されているけれど、観たくない人には見えないと、R指定という倫理コードそのものが映像化されているよう。

 目の前にジョン・ウィックが現れたことで、ジアナ・ダントニオは死期を悟り、自らバスタブのなかで手首を切る。ジョン・ウィックは死体に弾を撃ち込み、ローマから脱出する。ジアナ・ダントニオの暗殺依頼がバレると「主席連合」の時期代表に就任できないと判断したサンティーノ・ダントニオは口封じのためにジョン・ウィックに700万ドルの賞金をかけ、ニューヨーク中の殺し屋に始末させようとする。次から次へと殺し屋がジョン・ウィックを襲う――

『チャプター2』から『パラベラム』にかけて持続するテーマは、日本の忍者ものでいう「抜け忍」である。一度は組織から抜けることのできたジョン・ウィックが再度、組織から抜けるためにカサブランカへ飛び、砂漠のどこかにいるという組織のリーダーに会いに行くことが『パラベラム』の主要ストーリーをなしている。そのためにジョン・ウィックが様々なコネクションの助けを求め、その過程で「貸し・借り」が清算されたり、さらに増えたりする。そして、よくもまあ、これだけ新しいアイディアが思いつくよなと思うほど斬新なアクション・シーンが薄いストーリーの隙間をぎっしりと埋めていく。半端ではない量のガラスを割り、犬が走り、馬が走り、ビルから落ちても助かっている。そう、「ジョン・ウィック」シリーズのプロデューサーとディレクターは『マトリックス』(99)でスタントマンを務めていたチャド・スタエルスキとデヴィッド・リーチなのである。2人は『マトリックス』からインターネットや仮想空間というアイディアをすべて捨て去り、アクション・シーンだけで新たな世界観をつくりあげた。それどころではない。「ジョン・ウィック」シリーズにはインターネットを思わせる電子機器はまったく登場せず、電話は交換台で繋がれ、報酬は金貨でやりとりされている。最も驚いたのはジョン・ウィックに力を貸すバワリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)はインターネットより早いといって伝書鳩で情報を集めている(そんなバカな!)。キアヌ・リーヴスとローレンス・フィッシュバーンはちなみに『マトリックス』ではネオとモーフィアスを演じた救世主コンビ(大事なモノを本のなかに隠すというアイディアも持ち越されている)。

『マトリックス』はよくできた作品だった。インターネットの影響を、それが地球を覆い尽くす前に予見し、可能な限り悪い想像を巡らせたという意味ではなかなかのものであった。いま観ると『マトリックス』は陰謀論に取り憑かれたネット中毒者がくだらない正義感を振りかざして悦に入っているようにしか観えなかったりもするけれど、公開当時は、みんな、来るべき未来像として真剣に観ていたのである。しかし、そうした部分は時間の経過が古びさせたというか、過剰な思い込みは勝手に剥がれ落ちたというか、自然と真剣に観るようなものではなくなっていったのに対し、むしろスタエルスキ&リーチが問題にしたのはネット時代における身体性の定義であった。『マトリックス』にはインターネットに未来を感じていた者にとって、ある種のユートピアが描かれている場面も多く、たとえばネオは体を1ミリも動かさず、あらゆる格闘技を耳からの情報だけで身につけてしまう。そして、ストーリーのなかでは実際に優れた格闘家として振る舞い、『マトリックス』はある意味、アクション映画として成功した作品となった。ところが、本当に鍛えた体ではないために、空中に浮くときの筋肉の動きだとか、どこにも力が入っていない状態で無理な姿勢になったりと、いわば子どもが人形で遊んでいるようなぺらぺらの身体性しか画面には映し出されない。それこそ幽霊のような動きだし、アクションとしての説得力はないけれど、フリークスとしては面白いというような。『マトリックス』でスタントマンを務めていたスタエルスキ&リーチがそれに納得するはずはなかった。

 松本人志は格闘ゲームをやっていて、実際の自分がそんなに強いわけではないことに疑問を持ってジムで体を鍛えるようになったという。『マトリックス』から『ジョン・ウィック』に起きた変化もそれと同じことだろう。キアヌ・リーヴスが撮影の4ヶ月前から体づくりに取り組み、『パラベラム』では車に跳ねられるシーン以外はすべて自分でこなしたという撮影エピソードが売りになるのもインターネットによって萎縮した身体性やギーク・カルチャーが全般的に売りにならなくなってきたことを明瞭に表している(僕が最も感心したのは『パラベラム』のクライマックスは格闘シーンが長過ぎてジョン・ウィックの身体が疲れを表現していたところ)。いまから思えば三池崇史監督『クローズZERO』(07)とかギャレス・エヴァンス監督『ザ・レイド』(11)とか、最初から最後まで殴り合いしかない映画がなぜか面白かったのは、インターネットの普及によって劣化していた身体性が早くも氾濫を起こしていたからなのだろう。それを『マトリックス』を完全否定するというかたちで「ジョン・ウィック」シリーズが似たようなキャストで世界観ごと覆してしまったのである。「ジョン・ウィック」シリーズに与えられた設定も完全にファンタジーというか、マンガのような世界観なので、その対称性は歴然である。

 

『ジョン・ウィック:パラベラム』予告編

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