Swans The Glowing Man [2CD+DVD] Mute/トラフィック |
なんとやめるのだという。なにをって、スワンズを、だ。2010年に復活し、メンバーを固定し数多くの公演でアンサンブルの強度を高めに高め長大な作品におとしこむ、新生スワンズがとってきたサイクルは、私はちょっと考えれば、凡夫にかなわぬ道行きであったればこそ、彼らの新作を耳にし、ここ日本で演奏を観られることを望外のよろこびとしてきた。長い沈黙を破り発表した2010年の『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』でスワンズは、マイケル・ジラはゼロ年代的潮流の一部だったドローンを断片的なフレーズの反復に置き換え、彼のレーベル〈ヤング・ゴッズ〉が先鞭をつけたウィアードなフォーク感覚やダルシマーなどもまじえたワールド・ミュージック的な意匠と折衷することで特異な音響空間を現出させた。それがじっさいどのものであるかは、のちにライヴを観てはじめて腑に落ち、肌で理解することになるが、22年ぶりの来日の前年にリリースした『We Rose From Your Bed With The Sun In Our』も、前作とおなじくタイトルがおぼえにくいのをのぞけば、彼ら以外のロック・バンドではなかなかお目にかかれない熱、宗教的といいたくなる熱を帯びていた。
そもそも『My Father〜』は「No Words / No Thought」ではじまるのである。タワレコのキャッチフレーズを思わせるこの題名はしかし、あのようなふんわりした気分というよりも、あきらかに神の言であり、神としての父に導かれ天に昇ると題したタイトルに宗教的な意図を見出さないほうがおかしいではないか。それもあって、東日本大震災で中止となった来日公演のふりかえでもあった2013年の来日公演の直前、はじめてジラに書面でインタヴューしたとき、私はそのことをおりまぜ質問状をつくった、「私たち、宗教的に曖昧な日本人にはその意図は伝わりづらいかもしれない」との留保をつけて。ジラの回答は「私は音楽のスピリチュアルな面については特定の宗教に属してはいない」というものだった。くわえて、音楽の言葉を言葉で語ることへうっすら嫌悪をにじませてもいた。私はわかったようなわからなかったような、日本人らしい曖昧な気分だったが、ジラの忠告に背き、その後も彼らの言葉の意味を考えつづけるなかで、あのときのジラの言葉の重点は宗教よりスピリチュアルにかかっていたとおそまきながら気づいたのである。西欧人たるジラにはユダヤ/キリスト教、つまり一神教の価値観が支配的かと思いきや、仏教であり禅でありマニ教的である彼もいた。ジラ自身、おなじ質問への回答のなかですでにタントラといっていたではないか。宗教的な話をつづけるとヒクひともすくなくないだろうから、そろそろやめますが、つまるところジラの思考は神秘体験をもとにした汎神秘主義(パンミスティシズム)というべきものではないか。
『The Glowing Man』は新生スワンズの最後のアルバムになるのだという。『The Seer』『To Be Kind』と、私たちの望むが通じたかのようにタイトルを簡潔に中身をテンコモリに、ジラいわく音楽が不幸な時代に伽藍をうちたてるがごとき活動をつづけた新生スワンズがなぜそのサイクルを閉じなければならないのか、その理由は以下のインタヴューをお読みいただきたいが、20分を超える楽曲を3曲収めたこのアルバムは現在のスワンズのまさに集大成と呼ぶべきものだ。“Cloud Of Forgetting”“Cloud Of Unknowing”──人間の目から神を隠す遠大なベールとしての雲をあらわす冒頭の2曲、“The World Looks Red / The World Looks Black”はジラの詞にサーストン・ムーアが曲をつけ、ソニック・ユースがデビュー作『Confusion Is Sex』に収録した楽曲をジラみずから歌い直した同名異曲。アルバムにはコンパクトにアイデアを展開した楽曲もあるが、白眉は表題となった“The Glowing Man”であり、ジラとスワンズは30分になんなんとするこの曲で、メンバー個々が呼応し音楽があたかも巨大な生物になるかのような境地に達している。そのあとに訪れる終曲“Finally, Peace.”には動きが停まり収束するというより、ゆっくり歩み去るような力感がみちている。おそらく道行きにはまだ先があるのだ。
いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。
■現ラインナップでのラスト・アルバムとの報、おどろきました。無数の方からこのことは訊かれるかと存じますが、やはりこの質問からはじめさせてください。なぜ、2010年に再結成した新スワンズをリセットする必要があったのでしょう?
ジラ:これ以上バンドを続けるのはもうムリだと思った。私のほかの5人のミュージシャンたちと仕事をするのは好きだし、彼らとともに私はスワンズのキャリアにおける最高の作品をつくることができたと思っている。ただ、このライナップで挑むべき冒険はどれもすで探求し尽くした。だからいまは、友人である彼らとともに最後のツアーに出るのを楽しみしているが、その後は、やり方に変化を加えなければならない。おそらくスワンズの名前で私は今後も作品をつくるだろう、ツアーもすると思う。ただ、ライナップはそのつど必要に応じて変えていくつもりだ。これまで一緒にやってきたミュージシャンにも参加してもらうこともあるだろう。固定メンバーで活動するバンドではなくなる、ということだ。
■『The Glowing Man』の制作には、いつごろでどのようなきっかけで入りましたか。
ジラ:アルバムの音楽自体は、前作のライヴ・ツアーの中で発展していったものだ。ライヴ中の即興から生まれた曲がほとんどだ。“Cloud Of Forgetting”や“Cloud Of Unknowing”、“Frankie M.”“The Glowing Man”はすべてそのようにして生まれ、ライヴをつづける過程で、発展し、繰り返し変化していった。レコーディングがはじまったのは2015年の7月か8月くらいだった。ツアーを終えてから、すぐにとりかかったんだ。レコーディングでは、私が曲のアレンジなど、ひとりでおこなう作業が先行したのでバンドはひと月ほどオフをとった。
■アルバムの制作に入る前に、すでにこのアルバムを現布陣の最終作だと見なしていましたか。
ジラ:ああ。私の中では前回のツアーの終盤くらいから念頭にあった。アルバムの制作に入るころには、全員これが「この固定メンバーでのスワンズとしては最後の作品」だという認識だった。
■『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』『We Rose From Your Bed With The Sun In Our Head』『The Seer』『To Be Kind』と『The Glowing Man』──新生スワンズは前3作で音楽性を提示し、『To Be Kind』を境にどんどん反復的かつシンプルになった観があります、2010年代のスワンズを俯瞰して、その変化をご説明ください。
ジラ:私の口から説明するのはむずかしい。なぜならわれわれは、本質的にはサーフィンをしているようなものだから。そのときどきの波に乗っているんだ。自分の前にあるものだけを見ている。そしてサウンドの推進力で前に進んでいる。私なりに微妙なニュアンスをところどころで見つけながら。これまでの楽曲がどうしてそういうものになったのか、私にもわからない。当時、直感的に「正しい」と思ったからそうなったんだろうというほかない。過去にはあまり興味がないんだ。ただし、そこから学べることもある。「自分が追求し尽くしものを捨て、次に求めるものの片鱗を見つける」というということだ。個々のアルバムそのものは私にさほど大きな意味をもたない。むしろ、そこに行き着くまでの音楽をつくる一連の過程に私は興味がある。作品にとりくみ、そこから学び、あるものを排除し、別のものを追及する、という経験。その過程がすべてだ。
■あなたはスワンズをひとつの有機体とみなしますか、それとも個別の音楽の集合だと思いますか。
ジラ:私にとっては、35年続いているひとつのプロセスだ。学びと発見のプロセスであり歩みだ。
[[SplitPage]]できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。
■2年前のインタヴューであなたは当時のスワンズの音楽の状態を「雲のようなものだ」とおっしゃいました。『The Glowing Man』の冒頭の2曲のタイトルは“Cloud of Forgetting”“Cloud of Unknowing”です。「雲」はスワンズの音楽にみられる変化しつづける不動性が当時すでにあなたの念頭にあったことを物語ると同時に、その言葉に「忘却」「無知」という単語を重ねたのはとても示唆的です。表題に必要以上の意味を読むこむのは危険かもしれませんが、なぜそのようなタイトルにしたのか、教えてください。
ジラ:『The Cloud Of Unknowing』という中世のカトリック系キリスト教の僧侶が執筆した本がある(著者註:『不可知の雲』14世紀後半に成立したとされる瞑想の方法に言及した、キリスト教神秘主義ではよく知られた書物。作者不肖)。神とひとつになれる正しい方法を信徒達に教えるための教育的な指導書だ。その中で、“Cloud of Unknowing” とはつまり、現実に即した考えを捨てたときにたどり着く境地なのだと説いている。「自分が正しか、正しくないか」あるいは「自分はこういう人間だ」といった固定概念や、言葉さえからも自分を切り離し、神のいる「未知」の境地を信じて飛び込むこと。“Cloud of Forgetting”の方は、それと似ているが、自分が知っているすべてを忘れること。“Cloud Of Unknowing(不可知の雲)”に入るためには、まず“Cloud of Forgetting(忘却の雲)”に入り、われわれが日々の現実だとみなしている具体の根からみずからを断ち切らなければならない。その思考過程は非常に禅仏教に近いものがある。私としては、その心理状態が、自分自身の音楽と重なる部分があると感じた。曲の一節や、パフォーマンスの中で、音楽が絶対的な「いま」のなかで完全なる切迫感を帯び、我々の存在とそれ自身を消し去りながら我々を覚醒させてくれる。
■その“Cloud of Unknowing”には韓国人ミュージシャン、オッキョン・リーが参加しています。彼女が本作に参加した理由を教えてください。また彼女はジョン・ゾーンのTzadikやスティーヴン・オマリーのIdeologic Organにリリースのある卓越した即興演奏家ですが、彼女の音楽をどう思いますか。
ジラ:彼女は過去に二度のツアーでわれわれの前座をつとめてくれたことがある。そこで私は彼女の演奏のアプローチに感銘を受けた。まるで楽器と精神的レスリングの試合をやっているみたいだった。彼女の演奏はものすごくはりつめたものがある。すばらしいパフォーマンスだから公演を見る機会があったら是非見るといい。君のいうように、彼女は即興演奏家だから、今回彼女には曲の内容、目指すところ、もちろん楽曲キーも伝え、彼女は私の説明をもとに演奏してくれた。
■ほぼ1発録りだったのですか。
ジラ:そうだ。
■あなたの書かれた“The World Looks Red”の歌詞はソニック・ユースのデビュー作『Confusion Is Sex』にとりあげられています。今回この歌詞を「The World Looks Red / The World Looks Black」として楽曲にまとめた理由をあらためてお聞かせください。
ジラ:曲はできているのに歌詞がない楽曲が手元にあって、ふと思いついたんだ。気づいたらあの歌詞を歌っていた。35年前に書いた歌詞なのに。曲に合っているように思えたから、そのまま進めた。君がイうように、あの歌詞はサーストンがソニック・ユースの曲で取り上げた。彼らとは1982年当時NYのイースト・ヴィレッジにある同じリハーサル・スペースを使っていた。彼は私のタイプライターにあったあの歌詞を見つけて、私に使ってもかまわないかと聞いてきたんで、「もちろん」と答えた。それから何十年も経ったいまになって、どういうわけだからあれがまた頭に思い浮かんだのだ。せっかくだから使おうと思った。
■資料にある「もしかしたらある意味、一周回って同じところに来てるのかもしれません」との言葉は具体的にどのような意味なのでしょう。
ジラ:35年前に書いたあの歌詞を今回使ってみて、当時といまでは音楽性がまったくちがうと思ったんだ。でも、どういうわけだか、あの歌詞がいましっくりくると感覚、それをいいたかった。(あの歌詞は)おもしろい心の絵を描いているように思う(they paint a nice psychic picture)。あれを書いた若者が何を伝えようとしたのかはわからない(笑)。おそらく、ひどいパラノア状態に陥っていたのだろうね。思い返せばあの頃の私はよくそういう状態を経験していたからね。
■“The World Looks Red”を書かれてからすでに30年以上の時間が経っています。ソニック・ユースも実質的に存在していません。80、90、2000、そして2010年とあなたの見つめつづけてきたオルターナティヴな音楽シーンはどのような変化したと思われますか。
ジラ:そういうことについて考えることはあまりないのだが、あえて答えるなら……じつは当時といまとでは状況はさほどちがわないのかもしれない、と思う。いまや、レーベルに所属することは愚か者がやることだ。当時がそうだったように、いまも、音楽をつくって世に出したいなら、自分たちでやるほかない。自分で戦って、何らかの方法を自分で見つけて世に出す。それしか道はない。どちらかというと、いまの方が、音楽をつくって、それで生計を立てることがこれまで以上に厳しくなったと感じる。どれくらい変化したかはわからないが、少なくとも、インターネット環境の到来で、聴き手側の音楽の入手方法は変わった。でも、音楽をつくる、それを経済的に支える、そして世に出て行ってそれをライヴで演奏する、ノウハウが必要な点では、ちがいはないように思える。
■あなたの、とくに新生スワンズにスピリチュアルな側面を見出せるということについては以前のインタヴューでも話題になりました。私はそれは明確に上昇するベクトルをもつと思いますが(抽象的な話でもうしわけありません)、そのような志向ないし思考はあなたの人生観に根ざすものでしょうか。
ジラ:それは「探求すること」に根ざしている。私の人生観はつねに改訂を繰り返している。自分がいかなる価値観もほとんど理解していないことはわかっている。それでも私は、ただ存在しているという何も手を加えていない事実だけに根ざした本物の何かを探している。スピリチュアルな側面にかんしていえば、「われわれの音楽はスピリチュアルだ」といってしまうことは思いあがりにしか聞こえないかもしれないが、「何かを探求している」ものであるとはいえる。それはたしかだ。
■あなたのいう「愛」とはイエスのいうそれでしょうか。もっとほかの意味がこめられているのでしょうか。
ジラ:「愛」を説いているのはキリスト教に限ったことではない。東洋の宗教においても「慈悲心」がもっとも尊いものとされている。それこそが私のいう「愛」なのかもしれないし、それはまたイエスのいう「愛」も同じなのかもしれない。つまり、そこには「捧げること」や「受け入れる心」、そして「解放」がなければいけない。ライヴ・パフォーマンスにおいて、スワンズが最高潮に達したとき、当然これはいつもあるわけではないが、それが起きたときは、愛の行為に似たところがある。完全に自己喪失しつつ、「捧げること」も同時に起きている。
偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。
■“The Glowing Man”にとりいれた禅の公案とはどのようなものでしょうか?
ジラ:ナゾナゾとまではいわないが、論理的思考を泡立て器で攪拌するようなものだ。もっとも有名なのは「隻手の声」というものだ。答えのない問いだ。そうやって考える視点を捻じ曲げることで、その慣れない視点から新しい発見を見出すのが目的だ。この曲の中で私が引用している禅の公案は、「what is is what」で、私からするとこれにすべてが集約されている。なぜなら、何の意味ももたないからだ(笑)。答えのない不可能な質問みたいなものだ。そういう思考方法に魅了を感じる。
■今年は米国の大統領選の年です。ダニエル・トランプと、おそらく民主党候補になるであろうヒラリー・クリントについて、彼らの政策をどのように考え、どちらを支持しますか。またその結果、ジラさんを含む国民の生活はどう変化すると思いますか。
ジラ:その質問に答える前にはっきりさせておきたいのは、これはあくまで私個人の意見に過ぎず、私がミュージシャンだからといって、その意見がほかの誰かの意見よりも価値をもつものではないということだ。当然ドナルド・トランプには愕然としているし、おそろしいし、恥ずかしいし、不快に感じている。ヒラリー・クリントンはまあまあではあるけど、彼よりはいいのはたしかだ。私が政治の領域で一番関心があるのは地球の温暖化、気候変動の問題だ。それに対して、彼女なら何らかの改善策に向かって動いてくれるだろう。ドナルド・トランプになったら、完全に後退するのは明らかだ。
■新生スワンズにおけるジラさんのヴォーカルはときに仏教の声明を思わせるほど朗々としたものになっていきましたが、ヴォーカリストとしてご自分を客観的に評価するとどうなりますか。
ジラ:自分は欠点だらけのヴォーカリストだと思っている。ただ、たまに、自分の声にある動力源を見つけて、自分なりのかたちで鳴り響かせられることがある。できることなら、たとえばニック・ドレイクのように歌えるようになりたい。あるいはジム・モリソンとか。でも残念ながら私は彼らではない。だから、自分にあたえられた才能で自分にできることをやるほかない。
■3年前のインタヴューでは『The Seer』「Song For A Warrior」はあなたの6歳(というこはいまは9歳ですね)の娘さんへのラヴレターだとおっしゃっていました。またあなたはその曲はご自分の声でないほうがよいと判断したとおっしゃっていました。今回の“When Will I Return?”もそのような位置づけの楽曲といえるでしょうか。
ジラ:あの曲はジェニファーに歌ってもらうために書きおろした曲だ。はじめから自分で歌うつもりはなかった。人に歌ってもらう曲を書くのも好きなんだ。
■アルバムに女性が歌った曲を入れたいという音楽的な判断もあったのですか。
ジラ:もちろん。でも、あの曲は個人的にどうしても書かなければいけない曲でもあった。彼女への贈り物として。彼女の人生に深い傷跡を残した経験を歌にして、彼女に歌ってもらいたいと思った。そうすることが、彼女が少しでも救われればと思ったし、ほかの人にも彼女の立派な生き方に共感してもらえたらと思ったんだ。アルバムにはほかにも女性ヴォーカルが入っている。女性ヴォーカルをとりいれるのが好きなんだ。特に女性の歌声がエレキ・ギターとくみあわさった感じが好きなんだ。
■『The Glowing Man』では楽曲の多くは組曲形式ないし多楽章形式とでも呼ぶべきものになっています(またあるアルバムのある楽曲が別のアルバムの反復を担っていることさえあります)。音楽の内的必然性にしたがった結果、こうなったのだと想像しますが、現在のあなたにとってポピュラー音楽の楽曲やアルバムといった標準的な形式をどうお考えでしょうか。プロデューサーの観点からお答えください。
ジラ:偉大なポップ・ソングにかんしていえば、その形式は心から敬服している。とくに、60年代、70年代のポピュラー音楽全盛期のころのもの。ただ、自分にはその才がなく、やろうと思っても上手くできないから、はじめからやりもしないんだよ。
■アルバムという形式はどうでしょう。
ジラ:世の中の動向は自分とはまったく関係ないものだから、関心はない。すくなくともいまのところアルバムはまだ自分にとって意味のあるもので、またわれわれの音楽を支持してくれるひともいる。ということはまだアルバムを聴きたいと思っている人たちがどこかに存在しているということなのだろう。ただ、音楽をつくるうえで重要かどうかといわれれば、そうではない、すくなくとも私にとっては。私は聴き手がその瞬間だけでもどっぷり浸れる音の世界を創造することに興味がある。それをやっているまでだ。
■同じく音楽制作者の視点から、今度音楽シーンはどのように変化するとお考えですか。あるいはシステムの変化はスワンズとは無縁のことでしょうか。
ジラ:こういういい方をしよう。システムの中での自分の活動が終わりに近づいてきてうれしい、とね。
■音楽活動は今後もつづけるんですよね。
ジラ:もちろん。でも私にはさいわい自分のレーベルがあって、自分なりの支援体制もできている。仮に自分がまだ若くて、現状の中で音楽活動をはじめたばかりだったら、どうすればいいのか途方に暮れただろう。そのようなことが毎日ニュースにもとりあげられている。日に日に状況は厳しくなっている。音楽で生計を立てるのが不可能になってきた。大工であれば仕事をした分の代金が当然支払われる権利をもっている。ミュージシャンだって同じはずだ。
■インターネットによるシーンへの影響はどう見ていますか。
ジラ:自分たちの場合、旧譜のカタログがあって、その権利を私が自分でもっているから、収入の流れがどうであれ、私の手元にお金が支払われる。まだ駆け出しでこれからレーベルと契約をしたり、自分なりのシステムを築かなければいけないのに較べれば、そこまで先行きは暗くない。テクノロジーによって、この問題は改善、解決されると思っている。ただ、だれもそれをやろうとしないだけで。アルバムをつくるさい、あるいは曲をレコーディングするさい、すくなくと私の場合は、スタジオに入るから何万ドルとお金がかかるわけだ。さらに、これまでの人生経験すべてが注がれて、つくるのに何百時間をも費やす。そうやってできたものを、「そこにあったから奪う」権利はだれにもない。それは、たとえば大工が六つの非常に美しいテーブルを精魂込めて16ヶ月かけてつくったのを、だれかが彼の倉庫にある日やってきて、「これもらっていくよ」といって掠めるのとおなじことだ。
■今後について。資料ではより小さな規模での活動をほのめかしていますが、それはある種の反動なのでしょうか。
ジラ:たえまないツアーとレコーディング、それに加えておこなう資金調達用のプロジェクトにしても、それに何百時間と時間をとられるのだよ。そうやってほとんど休むことなく、7年間働きつづけた。そろそろスタミナの限界だ。同じペースでつづけるのはもうムリだ。だから、このアルバムのツアーが終わったら、まずしばらく睡眠をとってから、次に何をするか考えたい。
■以前お話をうかがったさい、本を書きたいとおっしゃっていましたが、その時間はとれそうですか?
ジラ:どうだろう。いまとなっては、自分が(本を書いて)何を伝えたいのかもわからなくなってしまったよ。それよりもまず本を読みむことが大事だ。じっくり本を読む時間をとることだ。脳のその部分をまず活性化させなければいけない。その結果何か出てくるかもしれない。
■たとえばあなたひとりでアコースティック・ギター一本の弾き語りをするときでもスワンズの名義を使いますか。
ジラ:じつはソロのヨーロッパ・ツアーを終えたばかりだ。アルバムを完成させた後、1ヶ月のソロ・アコースティック・ツアーをおこなった。ソロの弾き語りはマイケル・ジラ名義でやっていくつもりだ。
■ツアーを予定されているとのことですが、来日公演の予定はありますか?
ジラ:まだ具体的なツアー日程は決まっていないが、確実に行くとは思う。7月初旬からすくなくとも16ヶ月はツアーをやる予定だ。いずれはお目にかかることもあると思う。
■私は2013年と2015年の東京公演を拝見しましたが、とくに後者は圧倒的な音響空間で、スワンズがライヴをひとつの音響作品として考えていることがよくわかりました。新生スワンズで6人のメンバーの固定したのも音楽の連続性を目したものだったのかもしれないと思いました。あなたが2010年以降のライヴ活動で得たものがあれば教えてください。
ジラ:ライヴ活動はいつだって私により高い場所を目指したと思わせてくれる。ライヴで曲を演奏し、その中からなにを省いて、なにをのこすかを感じとり、さらに追求して、新しいものを見出していく。曲をアルバムの通りに演奏するなんてことは絶対にやらない。それは極めて安易で愚かでなんの刺激もない。観客の前で演奏しながら曲を構築していくというやり方は今度のツアーでも変わらないよ。