「You me」と一致するもの

MIKUMARI × OWL BEATS - ele-king

 な、なんだ、このトラックは!? 呪術的というのか辺境的というのか中毒的というのか……不思議な魅力を放つビートのうえを荒々しいラップが駆け抜けていく。「ルードボーイの荒々しいラップとエクスペリメンタル・ビート・ミュージックの最高の結合」……なるほど、これはかっこいい。
 NEO TOKAIと呼ばれ、いま大きな盛り上がりを見せている東海地方のヒップホップ・シーン。その流れを加速させるかのような注目のアルバムが10月11日にリリースされる。名古屋のSLUM RCのラッパー=MIKUMARIと、ビートメイカー=OWL BEATSの共作アルバム『FINE MALT No.7』。これは見逃せないですよ。

MIKUMARI × OWL BEATS

SLUM RCの重要ラッパー、MIKUMARIとビートメイカー、OWL BEATSの共作『FINE MALT No.7』が完成!
ルードボーイの荒々しいラップとエクスペリメンタル・ビート・ミュージックの最高の結合!

東海地方のラッパーやDJ、ビートメイカーの活躍が目覚しい。その躍進は名古屋のレーベル/クルー、RC SLUM/SLUM RC抜きには語れない。この揺るぎのない事実、彼らの影響力の大きさ、またNEO TOKAIと呼ばれるシーンの実情が近年少しずつだが多くの人の知るところになってきた。正当な評価がされつつあるということだ。そして、今年3月にリリースされたMC KHAZZのファースト・ソロ作につづき、4年ぶりとなるMIKUMARIのフル・アルバムが到着した。

ATOSONE、MC KHAZZと組むINFAMY FAM as M.O.S(MARUMI OUTSIDERS)のラッパーとしても知られるMIKUMARIは、RC SLUM/SLUM RCにおいて最も悪ノリを追求する陽気なルードボーイだ。ライムにもリリックにもその荒々しさとひょうきんさが出ている。上澄みなんかではない。MIKUMARIのラップはルードボーイの魂の原液である。ゲスト・ラッパーはMC KHAZZ、HARAKUDARIに絞られた。

すべてのビートを制作したのはビートメイカーのOWL BEATS。ダブ、ルーツ・レゲエ、ラテン、デジタル・ファンク、ジャズを歪め、エクスペリメンタル・ビート・ミュージックを作り出している。不良と実験の組み合わせは最高だ。『FINE MALT No.7』によってさらに多くの人がNEO TOKAIのヒップホップの真髄に触れることになるのは間違いない。

Artist: MIKUMARI × OWL BEATS (ミクマリ × オウル・ビーツ)
Title: FINE MALT NO.7 (ファイン・モルト・ナンバー・セヴン)
Label: RCSLUM RECORDINGS
Barcode: 4988044891050
Cat No: RCSRC014
Format: CD (国内盤)
販売価格: 2,200 円(税抜) + 税
発売日: 2017年10月11日 (水)

TRACK LIST:
01. OVERTURE
02. Fine Malt
03. The Naked Gun
04. Gun Shot Represent Me
05. Super Groove
06. No Dissolve 2017
07. Natuowari
08. VOODOO feat MC KHAZZ
09. Yota Rude Boy
10. AKUTARO feat HARAKUDARI
11. 32MF96
12. Happy Go Lucky Me
13. RC Brother Hood
14. See You Next Music

MIKUMARI × OWLBEATS FINEMALT NO.7 HP: https://t.co/EdbGErd8iC

【MIKUMARI profile】
既にO.G。メジャーリーグ入団後ネクストバッターサークルから逃亡。その後アルコール、薬物依存症に罹る。その時路上で独り言を大きな声で呟いていたら、RAPに変わる。そのセンスの良さが評判を呼びRCSLUMに加入。太る。その後『FROM TOP OF THE BOTTOM』を発表、パンチラインを封印し殺し文句を産み出す。体重増加に伴い息切れがなくなる。故にスムースなライミングを体得する。酒と麻薬でいい感じに焼けた喉はいい声を吐き出す。さらに太る。太る友達のOWLBEATSと『URA BOTTOM』を発表。すごいスピードで売りきる。発売前に完売。奇跡。原付を貰いOWLBEATSと二人乗りをしたところパンクする。その後盗まれる。新しい原付の資金を獲得するため、僕は音に乗ると言い出す。皆んな納得する。紆余曲折を経て今年10月2NDアルバム『FINE MALT No.7』を発表する ORIGINAL RC。

【OWL BEATS profile】
鹿児島―奄美大島出身、南の男。狂気的で南国的であり、不良でヲタクな雰囲気を感じる音を好み、その存在感を現場でのPlayや作り出すBeatで聞かせるDJ、BEAT MAKER、PRODUCER。2012年、First album『? LIFE』を全国に発信した後、Remix album、Beat album、DJ mix、Live dvd、beat提供など、様々な作品を様々な形で世に放つと同時に地元鹿児島で定期的にイベントを企画し各都市にいる音の猛者を収集し音で会話を楽しみ評価を得て進化を続けている。2015 年にOTAI RECORD主催の名古屋で行われたビートメーカーのバトルイベント【BEAT GRAND PRIX 2015】で勝ち抜き初代王者となる。話題と進化と自他の解放を求め続ける南国音人間。

女神の見えざる手 - ele-king

 主演がジェシカ・チャステインだから観たいと思った。邦題も気を引いた(原題は『Miss Sloane』)。経済の話ではなく、ロビイストが立ち回る話なので、だとしたらジャンルが違うのではないかと思い、実際、上映が終わった刹那は違和感が残ったものの、時間が経ってみると、なるほどと思えてきた。ジェシカ・チャステインは『ゼロ・ダーク・サーティ』で上司の言うことを聞かなかったCIA役を踏襲するようにエキセントリックなトラクター役に挑んでいる。そのことを考えるとリーダーとしての成長ぶりを示すにはこのタイトルはメタ的な面白さも含んでいる(完全に術中にはまっているとも言える)。そう、ここ数年、経済的な痛手からニューエイジ志向へと進んだハリウッド映画が底を打って反転し、詐欺師でもなんでもいいから金を稼ぐ人物像に焦点を当て(『ele-king』15号参照)、そこで醸成されたリーダー像を『マネー・ショート』や『スティーヴ・ジョブズ』と言った合法的レヴェルに割り当てたのち、この作品ではさらに異常ともいえる領域に踏み込みんでいく。「神の見えざる手」に引っ掛けた邦題をそのまま経済の文脈で捉えてしまえば主体は人間ではないと思いがちだけれど、人間の定義からはみ出したリーダー像を思い描ければその限りではないという意味で「なるほど」と思ったのである。

 ジェシカ・チャステイン演じるエリザベス・スローンは冒頭、ロビイストの極意をゆっくりと暗唱し始める。その内容は最後のカードを切ったものが勝つという方法論で結ばれる。この映画を観ている人たちは必然的に最後にどんなカードが切られるのか、それを推測しながら観続けることになる。どの場面を観ていても、これかな、これかなと、「最後のカード」という言葉が頭から離れない。
 物語は公聴会を舞台にしてスローンが取った方法論を振り返る形で進められる。最初はスローンが所属していた会社に銃規制を弱めて欲しいという依頼が持ち込まれ、スローンはこの依頼を拒否したことで同社からの辞職を余儀なくされる。そして、別な会社に移って銃規制を強化するという反対のイニシアティヴを取って議員たちへの働きかけを行い始める。どうやって世論を動かすか。中盤の展開は押したり引いたりの繰り返しで、テニスやサッカーの試合でも観ているようにスリリング。とはいえ銃規制の議論自体はとくに深められない。法案の成立に至るプロセスだけがここでは緻密に描かれる。

 このところ欧米では盛んにサイコパスの有用性ということが論じられている。犯罪者として収監されているサイコパスはそのポテンシャルをマイナスに振り切っただけで、むしろ企業の経営者などには多くいるタイプだという研究が脚光を浴びているのである(あなたのサイコパス度チェックあり→https://www.youtube.com/watch?v=KApgaC_hI7M)。スティーヴン・ソダーバーグが『インフォーマント!』で扱った双極性障害や北欧ドラマ『ザ・ブリッジ』が人物造形に取り入れたアスペルガー症候群と同じく、サイコパスも資本主義のネクストには必要なものであり、新しい経営者像を探ろうという機運が高まっているのだろう。これまでの経営理念や哲学ではさらなる資本主義は召喚できないし、そのような資質のものを犯罪者として無駄にするのは社会の損失になるという判断である。そう思うと、『女神の見えざる手』はあまりにもタイミングが良すぎる。ミス・スローンが切った「最後のカード」はさすがに常軌を逸しているし、私生活では男娼を買い続けるという習慣だけが、むしろ、彼女に人間味を残すという展開はそれこそ皮肉が効きすぎている。

 しかし、この映画を観て、僕はドナルド・トランプの存在意義について考えざるを得なかった。トランプの支持率は現在、底だと言われている(55歳以上の大学を出ていない女性が岩盤支持らしい)。今年のエミー賞授賞式にクビになったスパイサー報道官が現れ、「就任式の聴衆の数は過去最大」というフェイク報道の名ゼリフをリピートし(目の前には彼のモノマネで大爆笑を取ったメリッサ・マッカーシーもいた)、まるで現職の時からトランプは支持していなかったと言わんばかりだったのを始め、トランプ・タワーをモスクワに建てる計画から経費の問題まで、あらゆる角度からトランプは信用を失っているかに見える。ウクライナや日本に武器を買わせるのは成功しているみたいだけれど、ホワイトハウスはいまだに職員が集まらないそうで、職員ひとり当たりの労働量には尋常ではないものがあるらしい。これはしかし、サイコパスとしての資質が裏目に出ているだけであって、そのことにみんなが慣れてしまうのではなく、一気にひっくり返ってしまう可能性を秘めているような気がしてきたのである。

 スローンが取った戦略はトランプ政権の現在とまったくの相似形を描いている。そのような窮地に自分を追いやっていく。そもそも公聴会を開かせることさえ計算済みだったのだろう。そして、これかな、これかなと、「最後のカード」について考えながら観ていた観客には、これは、ほんと、思いもよらない展開であった。そして、ドナルド・トランプに、もしもこの先、「勝ち」があるとしたら、この手があると思わせる映画なのである(粉川哲夫氏の「雑日記」でトランプに触れられている項目を読んでいると、だんだんそういう気にもなってくる→https://utopos.jp/diary/)。わからないのは、現実の世界でトランプがそれによって何を得るかであるけれど、この映画では、ミス・スローンは当然のことながらロビイストとしての「勝ち」を得る。クライマックスを過ぎ、静かなエンディングを迎えても、それがまたダーティー過ぎて、ほんと、すっきりしなかった。

 ドナルド・トランプが就任式で引用した……というか、ベインのセリフを丸パクリした『ダーク・ナイト・ライジング』を始め『ダメージ』や『Mr. ロボット』など、いまから思えば多くのサブカルチャーがトランプへの流れを予見していたにもかかわらず、こんな世界がやってくるとはまったく思ってもいなかった。『女神の見えざる手』はそんな気分に追い打ちをかけてくる。なんか、違うジェシカ・チャステインが観たくなってきた。


interview with Bicep - ele-king


Bicep - Bicep
Ninja Tune / ビート

HouseTechno

Amazon Tower HMV iTunes

 UKにおけるヒップホップ~トリップホップ~ブレイクビーツの系譜をしっかり継承する一方で、そのかつてのイメージを拭い去ろうとするかのように近年どんどん多角化を進めている〈Ninja Tune〉。今年に入ってからも、ボノボアクトレスフォレスト・スウォーズにと、非常に高い水準の作品のリリースが続いている(傘下の〈Brainfeeder〉や〈Big Dada〉まで含めるなら、サンダーキャットクートマのアルバムもある)。
 その〈Ninja Tune〉がいま大きくプッシュしているのが、マット・マクブライアーとアンディ・ファーガソンのふたりから成るハウス・デュオ、バイセップである。00年代末に開設したブログをきっかけに活動を始めたという彼らは、いかにもインターネット時代を象徴しているように見えるが、じっさいに彼らのルーツとなっているのは80~90年代のハウスやテクノのようだ。たしかに、“Glue”の機能的なビートの上に乗っかるアンビエント・タッチの美しい旋律や、“Spring”におけるある時期のエイフェックスを想起させる音響、“Rain”のヴォーカルの使い方や展開など、バイセップが「あの時代」のサウンドから多大な影響を受けていることは間違いない。初めて彼らのライヴ映像を観たときは、オーディエンスの熱気に気圧されてしまい、またロゴもマッチョな雰囲気が漂っていたので、変な先入観を抱いていたのだけれど、このアルバムで彼らが鳴らしているのは想像以上に繊細で、詩情豊かなダンス・ミュージックだった。
 そんな今後の〈Ninja Tune〉の未来を占う存在とも呼ぶべき彼らに、活動開始から10年近く経ってリリースされた待望のファースト・アルバムについて、そして彼らのバックグラウンドやアティテュードについて話を伺った。

Bicep | バイセップ
ベルファスト生まれ、現在はロンドンを拠点に活動するマット・マクブライアーとアンディ・ファーガソンによるDJ/プロデューサー・デュオ。2008年に開設したレコード収集の趣味を披露したりミックスやエディットをアップするブログ「Feelmybicep」が瞬く間に話題を呼び、月に20万人がアクセスするこの人気ブログをきっかけに世界中をDJツアーで回るようになった。また〈Throne Of Blood〉〈Traveller Records〉〈Mystery Meat〉〈Love Fever〉といったレーベルと手を組んだ後、ウィル・ソウル主宰〈Aus Music〉からリリースした「Just EP」がヒットし、タイトル曲はじつに多くの著名DJがプレイ、『Mixmag』と『DJ Mag』双方の「Track of the Year」を獲得。2016年には「RA Poll」で8位を獲得し、世界ツアーで数々のパーティをソールドアウトさせ、2017年には記念すべきデビュー・アルバムを〈Ninja Tune〉よりリリース。

EDMはマス用の商業音楽で、本物のアンダーグラウンド・ミュージックのように生き残ることはないだろうね。

「Bicep(上腕二頭筋)」というユニット名にはどのような思いが込められているのでしょう? ロゴにも3本の上腕が描かれており、マッチョな印象を抱いたのですが。

バイセップ(Bicep、以下B):オリジナルのアイデアは、70年代~80年代のディスコ、そしてとくにイタロ・ディスコのイメージから影響を受けていて、たとえばスカット・ブラザーズ“Walk The Night”、ビデオはカノ“It's a war”あたりがパッと思いつくね。名前はおもしろさ以外にとくに意味はなかったんだけど、最終的にこれに収まったんだ。ロゴに関してはヴァイナルが回っているときに見た目が良くなるように意識して、すぐに思いついたのがあのイラストなんだ。

『Bicep』はあなたたちにとって初めてのアルバムとなりますが、シングルを作るときと違いはありましたか?

B:そうだね、シングルに比べてサウンドの構築により多くの時間を使ったね。たとえばいつもとは違うシンセを使用したりミックスを試してみたりと、新しいアプローチを試みたんだ。いままでは自分たちのなかで合格点のレヴェルに達したものはそれ以上とくに手をつけなかったんだけど、今回はベストのサウンドになるまでとことん作り込んだ。たとえばある曲では4つの異なるシンセでベース・ラインの鳴り方を試したりね。

ハウスやテクノはシングル盤によって育まれた文化です。また最近はインターネットの影響もあり、音楽は曲単位で聴かれることも多いと思うのですが、アルバムを作ることの意義はなんだと思いますか?

B:そういった考え方からは距離を置きながら、家や電車のなか、クラブにまで対応できる曲を作りたかったんだ。これはこのアルバムの軸となるアイデアのうちのひとつなんだ。

このアルバムを作っているとき、フロアで身体を揺らしているオーディエンスと、ベッドルームでヘッドフォンをして聴いているリスナーと、どちらのほうをより強く意識しましたか?

B:言ったように、“バランス感”を保つことがこのアルバムでのひとつのチャレンジだったんだ。曲によってはダンスとリスニングのグルーヴを行き来するものもある。たとえば“Spring”はもともとクラブでのプレイ用に作ったんだけど、ミキシングやシンセを調整したからリスニング用としても機能するはずだよ。

今回のアルバムの収録曲のタイトルはすべて1単語ですが、これには何か意図があるのでしょうか?

B:くどいタイトルはやめて、アブストラクトかつシンプルなワン・ワードの曲名をつけたんだ。ほとんどの曲が自分たちにとって特別な意味を持っているんだけど、意味の捉え方は聴き手に委ねることにしたんだ。

本作を作るにあたって、もっとも苦労したことはなんでしょう?

B:まず、ベースとなるアイデアを持たずに、さまざまなスタイルで実験をしながら制作を始めたんだ。60曲ほどでき上がったところで、そこからアルバム用に曲を絞り込む作業がとにかく大変だった。制作には、完成後の後悔やパーツに飽きてしまうということが付きものなんだけど、そういった感情を押し殺しながらすべてを完成させるという作業はとても強い意志が必要だったね。まあ、それもひとつのチャレンジだったよ。

今作を〈Ninja Tune〉からリリースすることになった経緯を教えてください。

B:セルフ・リリースの可能性も持ちつつ、いくつかのレーベルにデモを送っていたんだ。そのなかでも〈Ninja Tune〉は最初に送ったデモの時点からとてもポジティヴな反応を見せてくれて、いっさい妥協をせずに気持ち良くアルバム制作に取り組むことができた。〈Ninja Tune〉の手厚いサポートにはすごく感謝しているよ。

音楽に興味を持つようになったきっかけはなんですか? 子どもの頃はどのような音楽を聴いていたのでしょう?

アンディ:若い頃はラジオで流れている音楽をテープに録音するのが好きで、オールドスクールなミックステープをよく作っていたんだ。さらに遡ると、ドラムンベースやジャングル、ニューウェイヴやポップスをひとつのテープにまとめていたね。

マット:僕は音楽に囲まれて育ったんだ。両親が一日中ヴァン・モリソンやメアリー・ブラック、エニグマをかけているような家でね。母親はコンテンポラリー・ダンスが大好きで、いつも世界中から集めた奇妙で素晴らしい音楽や、ニューエイジ、電子音楽がかかっていて、僕の無意識下に大きな影響を与えたと思う。父親はエンジニアで、自作のサウンドシステムが家にあり、倉庫には放送用の機材が溢れていたんだ。アルバムのプロダクションやテクニカルな面でとても大きな影響を受けていると思う。

資料によると、おふたりはエイフェックス・ツインやロラン・ガルニエを通してエレクトロニック・ミュージックに触れたそうですが、かれらの音楽のどういうところに惹かれたのでしょう? また、彼らの作品でもっとも好きなものはなんですか?

アンディ:地元のクラブのShineでロラン・ガルニエを観て以来すっかりテクノ/ハウスの虜になったんだ。当時はパンクやバンドのエネルギーが好きだったんだけど、テクノ/ハウスの持つエネルギーは別ものだったね。“Crispy Bacon”みたいなトラックはまったく異なるやり方でエネルギーを放っていたと思う。

マット:僕は、エイフェックス・ツインの多様で狂ったアイデアと、アナログ・サウンドの音像や荒々しい質感との融合に衝撃を受けたよ。

2012年に発表された“Vision Of Love”は、翌年カール・クレイグにエディットされ、ケヴィン・サンダーソンのレーベル〈KMS〉からリリースされました。デトロイト・テクノが成し遂げた最大の功績は何だと思いますか?

B:おそらく、世界に自分たちのテクノ・ブランドを紹介したことじゃないかな? デトロイトは昔からつねに音楽の街として存在し続け、とてもオープンマインドな場所という印象を与えてくれる。去年ベルファストでおこなわれた“AVAフェスティヴァル”でホアン・アトキンスが話していた「テクノのルーツ」に関するエピソードがとても興味深いものだったね。まるで彼らのような先駆者たちが街の個性を反映しているようで、現在も人びとがそのことに言及することはとても素晴らしいことだと思う。

2013年にはシミアン・モバイル・ディスコとも共作されています。かれらのルーツのひとつにはインディ・ロックもあると思うのですが、あなたたちから見てかれらのおもしろいところはどこですか?

B:シミアン・モバイル・ディスコはとても良い友人で、デュオとしての活動の仕方にとても影響を受けている。スタジオで彼らと過ごした時間には非常にインスパイアされたね。彼らがインディ~ロック~ディスコ~エレクトロなサウンドで2005~2006年にヒットを飛ばしたことは周知のとおりだけど、彼らはふたりともジャンルレスに音楽を愛しているし、彼らのサウンドを包括的に捉えればジャンルにこだわることは取るに足らないことだと気づかされるね。シンセ・サウンドのクリエイティヴィティやプロダクションのスタイルがとくに素晴らしいと思う。

あなたたちは昨年、ブレイズや808・ステイトのリミックスも手がけています。おそらくかれらの音楽に触れたのはリアルタイムではないと思うのですが、あなたたちにとってブレイズや808・ステイトはどのような存在でしょう? また、あの時代のハウスやテクノについてどのようにお考えですか?

B:たしか2000年初期~中期にかけて、初めて彼らの音楽を聴いたと思う。80年代後期から90年代初期のサウンドを掘るのが好きなんだよ。この時期はとても実験的かつクリエイティヴな音楽に溢れた時代で、ハウス/テクノ系の僕たちのフェイヴァリット・レコードはこの時期に作られたものが多いね。

あなたたちなりにハウスとテクノを定義するとしたら、両者の違いは何でしょう?

B:たぶん、“スピード”と“ムード”のバランス感じゃないかな。このふたつの音楽の境界線は最近とくに曖昧で、定義するのが難しくなってきてると思う。多くのサブジャンルも生まれているし。僕たちがUSB上で曲を管理する際も、ジャズ・ハウス、ファスト・ディスコ、ファン・テクノ、といった分け方をするんだけど、ひとつのトラックがこの3つのジャンルをカヴァーしてしまうこともあるしね(笑)。

ハウスやテクノはもともとアンダーグラウンドから生まれた音楽ですが、最近のEDMのようなダンス・ミュージックについてはどうお考えですか?

B:EDMのトレンドはフォロウしないようにしている。当初は、EDMファンもいずれアンダーグラウンドに流れると思ってたんだけど、どうやら違ったようだね(笑)。EDMはマス用の商業音楽で、本物のアンダーグラウンド・ミュージックのように生き残ることはないだろうね。

あなたたちはブログ「Feel My Bicep」で音楽を紹介したり情報を交換したりするところから活動をはじめ、それがレーベルやイベントにまで発展していきましたが、インターネットやSNSについてはどうお考えですか?

B:インターネットは、音楽のセンスが近い人びとと繋がり共有することのできる素晴らしいツールだね。僕たちはブログを、愛する音楽をポジティヴに議論する場として活用している。それは素晴らしいことだよ。ただ、オープンで誰とでも繋がれるがゆえに、議論や意見がつねに良い方向に行くとは限らなかった。僕たちはつねにポジティヴに音楽を捉え、好きな音楽の話に時間を費やし、決して他者の作品がいかに良くないかなどと吹聴するようなことはしない。良いものについて話をしたり共有したりするほうが、良くない音楽について議論をするよりもマシだと思う。

あなたたちが運営するレーベル〈Feel My Bicep〉からは、ご自身の作品に加え、BrassicaやSandboardsの作品もリリースされています。レーベルの方針のようなものはあるのでしょうか?

B:現在はとくにこれといったアイデアはないんだ。僕たちは、僕たちが好きな音楽をアウトプットし、好きなアーティストにプラットフォームを提供するだけだよ。

いまもっとも注目しているアーティストは誰ですか? また、今後リミックスしてみたいアーティストがいれば教えてください。

B:最近はフローティング・ポインツのサウンドが気に入ってる。リミックスに関しては、これから僕らのアルバムのリミックスを考えているんだけど、誰かに「ユニークかつ新しい“何か”を加えながら音楽的にトラックを発展させる」ということを頼むのは、なかなか難しいことだと思う。何人か全幅の信頼を置いている人たちにリミックスをお願いしてるけど、まだ秘密だね(笑)。

ファースト・アルバムのリリースを終え、いまおふたりがいちばんやりたいことはなんですか?

B:アルバム完成後からノンストップでプロモーションやツアーをやってるんだけど、これが今年いっぱい続くんだ。僕たちはすでに新しい作品に取り組みたくてうずうずしてるんだけど、スタジオから数ヶ月離れるのも必要なことかもね。


【アルバム情報】

label: Beat Records / Ninja Tune
artist: BICEP
title: Bicep
release date: 2017/09/01 FRI ON SALE
cat no.: BRZN244
price: ¥1,929 (+tax)
国内盤仕様: 帯/解説付き

amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B0733PW3KH/
beatkart: https://shop.beatink.com/shopdetail/000000002175
tower records: https://tower.jp/item/4553534/Bicep
hmv: https://bit.ly/2wcw9Ne

【来日公演情報】

1:朝霧JAM 2017
日時:2017年10月7日 (土)
場所:富士山麓 朝霧アリーナ・ふもとっぱら
詳細:https://asagirijam.jp/

2:単独東京公演 at Contact Tokyo
日時:2017年10月8日 (日) 22時 OPEN
場所:東京都渋谷区道玄坂2-10-12 新大宗ビルB2F
詳細:https://www.contacttokyo.com/

Martin Rev - ele-king

 demolition。取り壊し。破壊。打破。解体。爆破。そのタイトルにふさわしく、ディストーションで歪みきったドラム・サウンドでブルータルに幕を切るMartin Revのソロ・アルバム最新作。

 もはやSUICIDEの新作を望めなくなった今、ソロと書くのも蛇足でしょうか。A面B面ともに17曲ずつ、1分前後の曲が並ぶ怪作です。彼のこれまでの作品群が、多種多様なソングライティング能力を既に証明していますが、これまでは比較的アルバム単位で楽曲の大まかな傾向を揃えていた節も見受けられました。しかし今作は非常に混沌とした内容です。そして冒頭の“Stickball”のように歪みきったドラム・サウンドはこれまでになかったもの。何かがこれまでとは違う。そう感じずにはいられません。

 その混沌とした内容の中でも、主にフィーチャーされているのは映像作家Stefan Roloffとのコラボレーションの成果をソロ・アルバムで披露したと思しき、亡き妻Mariに捧げられた前作『Stigmata』の流れを汲んだ楽曲です。シンセ・オーケストレーションと声だけで壮大な曲や優しいメロディーにあふれた曲を構成していた前作。Stefanとのコラボレーションをチェックしていなかった僕は『Stigmata』が出た時点でその作風にとても驚きました。そしてその内容とタイトルに対して、自ら十字架を模したかのようなジャケットの写真がただならぬ気配を漂わせていました。

 SUICIDEとして今は亡きAlan Vegaと共に活動し、ことによるとディズニーのサントラも担当できそうなMartin。そんな彼の最新作は全体的にはサウンドトラック・アルバム的と言えそうですが、サウンドトラック・アルバムにありがちな、ひとつのテーマのヴァリエーションが様々に変奏されるのではなく、ひとつひとつの独立した楽曲が34曲収録されています。そして短い曲ばかりなのですが、アイデアのスケッチという感じがなく、プリミティヴではあるけれどもそれぞれが確固たる完成度を誇っているように感じられます。

 “My Street”はお得意のオールディーズ・リファレンスなフレーズに歪みまくったディストーション・ギター(キーボードかも)でリフを弾くという、これが俺の道だと言わんばかりの格好良さ。でも2分しかやってくれませんのでループ再生をオススメします。“Into The Blue”はまたしても歪みきったディストーションまみれのドラム・サウンドが炸裂します。音を出してご家庭で聴かれる場合には、非常に迷惑な音量設定です。次にかかるとても美しい“Requiem”になると“Into The Blue”であわてて下げにいったボリュームをまた上げにいかないといけません。しかしここまで楽曲間の音楽性や音量のギャップが共に激しいアルバムもそうそう無いと思います。

 “Now”は新機軸で、激しく、深いリヴァーブのかかったドラム・サウンドが、『Stigmata』の流れを汲んだ壮大なオーケストレーションと融合しています。とてもかっこいい。この曲は2分半もやってくれています。でももっと長くやってほしい。“In Our Name”はなにやら意味ありげで歌詞をちゃんと聴き取れれば良いのですが、最後に「Now you're gone」と言っているのは僕にもわかります。我々の名において。SUICIDEの事なのでしょうか。美しい“Vision Of Mari”はおそらく亡き妻の事を想って作られた曲でしょう。本当に美しいメロディーを書ける素晴らしいソングライター。3、3、7拍子のようなリズムを刻む“RBL”も非常にノイジーな音色に包まれています。

 この流れでRock'n'RollなMartin節炸裂の“Creation”が来るとそのギャップにも興奮しますが、次の“Toi”がまた可愛らしい曲で、子供をあやすかのような優しさを湛えています。続く“Pièta”では優雅なメロディーが奏でられますが30秒で終わってしまい、次の“It's Time”も30秒で終わってしまいます。冒頭の“Stickball”、“Into The Blue”、“Back To Philly”、“Beatus”、“Concrete”と、ドラム・ソロがインタールードのように挿入され、主にシンセサイザー・オーケストレーションによる短い楽曲が多数収録された本作も終盤に差し掛かり、“She”ではドラム主体のサウンドにMartinの囁くような歌がのり、壮大な、しかし非常に短い“Darling”、“Excelsis”の2曲がアルバムを締めくくります。

 最後の2曲のような楽曲をもっと構築した、長い組曲のようなものを作ってほしいし、David Lynchの映画をAngelo Badalamentiの代わりにMartinがサウンドトラックを担当したら面白そうだから、何かの間違いでそんな事が起こりはしないかと期待し続けていたいし、もっと彼の楽曲で驚かされたいので、まだまだ元気でいてほしいと願う僕の胸をジャケット・アートワークの1stアルバムとの相似性が妙に騒がせますが、Alanの遺作となってしまった『IT』のジャケットの「EXIT」大写しに比べれば安心できるというもの。

 YouTubeで見られる最近のLive映像では、インナースリーヴの写真のように、色とりどりのカラフルでどぎつい色合いに照らされたMartinの音が、全体的にノイジーな音色になってきているのが感じられます。ウィキペディアによると彼は1947年12月18日生まれ。この情報が正しいとすると今年で70歳になる彼。老いてますますアグレッシヴになっていますが、それは78歳で亡くなったAlanとて同じ。『IT』は現行の〈Jealous God〉などのEBMリヴァイヴァル的楽曲群やインダストリアル・トラックなどと混ぜても使えるような曲満載のアルバムでした。それに比べてMartinの『Demolition 9』はほとんどの曲が1分前後、長くても2分台、短くて奇妙な曲が多く収録されたNot DJ friendlyなアルバムですが、音楽の価値は当然そんな事とは関係なく、“Requiem”や“Vision of Mari”、“Toi”などの美しい曲と荒々しい楽曲たちを壮大なオーケストレーションでつないだMartin Rev独自の孤高のアルバム。そしてこのこれまでにない荒々しさは、MariとAlanに先立たれた喪失感と無縁ではないでしょう。

 先日DOMMUNEのECD 7時間特集番組でECD氏がDJの最後にSUICIDEの“Cheree”をかけていましたが、今YouTubeではMartinのソロ・パフォーマンスによる“Cheree”を見ることができます。キーボードを指ではなく拳や手の平、腕で叩くように演奏し、音階とリズムとノイズを同時に出しながら歌うMartin。長年の経験に裏打ちされた荒々しい演奏です。

 ECD氏とRev氏の健康を願って、筆を置きたいと思います。

汚れたダイヤモンド - ele-king

 木津毅が巣鴨の喫茶店で語気を荒げた。「今年のワー○○・ワンは『パトリオット・デイ』ですよ!」(次の中から○○にふさわしい言葉を選びなさい。1・ルド 2・スト 3・ワー)。今年の映画の話である。「そこまで言うほど……」とも思ったけれど、日夜、アメリカ社会の分断に心を寄せ、傷つき、もがき苦しんでいる木津くんらしい感情の高まりだと思い、僕は「そうだね」と相槌を打つだけにした。ピーター・バーグ監督による『パトリオット・デイ』はボストン・マラソンがかつては女性の参加を認めなかったことを回顧する作品……ではなく、2013年にボストン・マラソンを狙って起きた爆弾テロをジャーナリスティックに再現した作品で、テロに屈せず、市民たちが「ボストン・ストロング」を合言葉に一丸となって危機を乗り越える姿が描かれている。犯人を特定するまでのプロセスや住宅地に逃げ込んだ犯人を追い詰める緊迫感、妻が主人公に惚れ直しちゃったり、ケヴィン・ベーコン演じるFBI捜査官の嫌味な感じなど娯楽映画に期待する要素はだいたい満たされていて、逃亡する犯人たちに中国人が脅されるなどトピカルなレイシズムへの配慮も抜かりがない。三度の飯より愛国心という人が観れば小田急線や帝京高校のように愛国心が燃え盛ること請け合いでしょう。メラメラ。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 そう、愛国心はまあ、いいです。この場合にはない方が不自然である。しかし、愛国心とセットで語られることが多い家族の描き方には少し微妙なものがあった。それ以前に犯人たちのことは何も語られていないに等しく、実際には犯人たちの親族がTVを通して投降を呼びかけていたことは完全に無視されている。詳しくはわからないけれど、当初ホームグロウンではないかと言われていたテロリストたちはチェチェンからの難民であり、違う州には親戚も住んでいたそうで、犯人たちが何に反発し、誰に疎外されていたかは何も検証されていない。それは必ずしもアメリカだけの問題だけではなかったのかもしれないし、どこからがアメリカという国の問題なのかがわからない。犯人の家族も含めて執拗に頑なさを強調するだけで、むしろイスラム系に対するイメージを各人が好きなように膨らませればいいというつくりなのである。トレント・レズナーの音楽がその感情をまた効果的に盛り上げていく。上手いんだな、これがまた。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 テロと家族について考えるきっかけは意外なところからやってきた。テロとはなんの関係もない『汚れたダイヤモンド』という映画がそれだった。相変わらずフランス映画が低調なので、新人監督のデビュー作というだけで観てみようかと思い立った。なので、いつものこととはいえ設定もジャンルもわからないままに同作を観始める。最初は押し込み強盗の話かと思った。主人公のピエール・ウルマン(ニールス・シュネデール)が手際よく民間人の家から美術品を奪い取り、親分みたいな人が売りさばいてくれる。美術品を見る目があれば効率もいいんだろうけど、どうでもいいような絵を盗んだりもして、あぶく銭をせしめるという訳にはいかないらしい。普段は便利屋のようなことをしている。そこに警察がやってきて逮捕されるのかと思ったら、生き別れとなっていた父の死を知らされる。葬式のシーンでは彼が親族とは異常に仲が悪いということが示唆され、にもかかわらず、いとこのガブリエルに金額の大きな仕事を発注されてピエールはアントワープまで出掛けていく。まあ、話はここからである。いとこの会社というのは宝石商で、彼はだんだん宝石商の仕事にも興味を持ち始める。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 宝石商の仕事というのがまずは興味深かった。ピエールとガブリエルはインドに出かけ、下請け業者の労働環境を視察する。ダイヤモンドのカットというのは、どちらかというとアーティスティックな仕事であることが一方では強調されているにもかかわらず、そこではグローバル化による工場労働の実態がクローズ・アップされる。ピエールが属していた窃盗グループのリーダーはアブデル・アフェド・ベノトマンが演じており、彼は実生活では銀行強盗などによって何度か刑務所に入っていたこともある役者である。監督は当初、この役を『クスクス粒の秘密』や『アデル、ブルーは熱い色』の大ヒットで知られるチュニジア出身のアブデラティフ・ケシシュ監督に役者として演じるよう依頼したところ、ケシシュからベノトマンを推薦されたのだという(このようなキャスティングの仕方だけでも新人らしからぬ大胆さに感心してしまう)。そして、作品内に移民たちのフォーメイションががっちりと組まれた上でピエールがインドを視察するという物語が進められ、ここで後半の展開に向かって大きな布石がひとつ打たれることになる。途上国の人たちと同じ目線になるという発想がないため、同行していたガブリエルはこれらの動きにまったく気がつかない。


© LFP‐Les Films Pelléas / Savage Film / Frakas Productions / France 2 cinéma / Jouror Productions

 物語のクライマックスは『トイストーリー2』を5分か10分に凝縮したようなものだった。『トイストーリー2』ではウッディが古い仲間と新しい仲間のどちらを選択するか迫られたあげく、思いもよらない解決法でエンディングを導き出す。ウッディたちはオモチャなので人種やトポスといったファクターに左右されることはなかったけれど、人間というのはやはりそう簡単には行かない。『トイストーリー2』で起きた奇跡はここでは何ひとつ起こらなかった。ヨーロッパの家族主義からハグれたピエールはウッディとは正反対のコースに足を踏み入れ、残酷な結末へと加速度を増していく。そう、「窃盗グループ」の存在には実に説得力があり、ピエールはいわば『パトリオット・デイ』におけるテロリストの位置に立たされたも同然だと僕には見えた。この作品に少し時事的なバイアスがかけられているとしたら、それこそヨーロッパという共同体がいま、テロリズムへとなびいていく息子たちに「待ってくれ」と呼びかけているとしか思えなかったことだろうか。それはただの願望にしか思えなかったし、監督自身はそれを「罠」と表現している。家族や擬似家族の呪縛からすべて解き放たれることが唯一の解決法だという意味では『トイストーリー2』ではなく、親を失うことで初めて(アメリカの国家制度の中で)個人として解放される『プレシャス』を想起すべきだったのかもしれない。そうだとしても、しかし、ヨーロッパというのは国家も家族も少し複雑に過ぎるのだろう。監督が望むように、この作品を希望的な結末と受け取ることは僕にはやはり難しかった。ダイヤモンドを扱っているだけに、本当に光も闇もすべてが屈折し過ぎていた(ピエールという役名はちなみに60年代に強盗などで知られる極左の活動家、ピエール・ゴールドマンにちなむらしい)。

 共同体からハグれてしまった人物像に興味があるのか、アルチュール・アラリの2作目は小野田少尉を題材にしたものだという。2010年代はじめからハリウッド寄りになり、どこか方向性が怪しくなっていたフランス映画がどことなく軌道修正を始めたのかなと思う昨今、新人では『アスファルト』のサミュエル・ベンシェトリしか目につかなかった中で、アルチュール・アラリの登場はかなり期待すべきものがあるように思う。つーか、ミシェル・ルクレールやレア・フェネールは新作を撮らないのかな~。



flau - ele-king

 CuusheやMasayoshi Fujit、Stefan Jos、Fabio Caramuruなどなど、つねにクオリティの高い作品──ポップなエレクトロニック・ミュージック、アンビエント、IDM、ポスト・クラシカル等々を、上品なアートに包んでリリースしているレーベル〈Flau〉が今年で設立10周年を迎える。
 この9月から10月8日(日)まで、代官山の蔦屋書店3号館の2階音楽フロアにて、〈Flau〉の回顧展が開催されています。音楽がモノではなくなり、服を脱ぎ捨てるかのような消費物になってきている今日、〈Flau〉が確固たるインディペンデント・レーベルとしてファンを少しずつだろうが増やし続けていることは、賞賛に値する。いまでは国際的な人気をほこるこのレーベルの10年の歩みを見ながら、彼らのユニークな音楽とその素晴らしいアートワークにぜひ触れて欲しい。

 Flau classic 5 (by ele-king)
  Masayoshi Fujita - Stories
  Liz Christine - Sweet Mellow Cat
  Cuushe - Girl you know that I am here but the dream
  El Fog - Reverberate Slowly
  IKEBANA - when you arrive there

■FLAU10 RETROSPECTIVE 2007-2017

会場:代官山 蔦屋書店 3号館 2階 音楽フロア
会期:9/1〜10/8

https://real.tsite.jp/daikanyama/event/2017/08/flau-10-retrospective-2007-2017.html
https://flau.jp/2017/08/28/flau10-retrospectiv


Ben Frost - ele-king

 世界的な成功を収めた前作『A U R O R A』から3年。ついにベン・フロストのニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』がリリースされる。発売日は9月29日。この新作はなんとスティーヴ・アルビニとともにレコーディングした作品となっており、なんでも制作中のスタジオではスピーカーがぶっ飛んだそうで……いったいどんな内容に仕上がっているのやら。稀代のプロデューサーがさらなる高みへと挑んだ意欲作、注目である。

エレクトロ・ノイズの鬼才ベン・フロスト、スティーヴ・アルビニとの
レコーディングによるニュー・アルバム(9/29)より新曲「lonia」を公開!

前作『A U R O R A』での大成功の後に発表されたこの曲(「スレッショルド・オヴ・フェイス」)は、前作を踏襲したものではない。それはまるで雪に反射した太陽の光で視界がきかない、そんな境地で制作されたようなサウンドだ。 ― Pitchfork

世界的な大成功を収めた前作『A U R O R A』(2014年)から3年、エレクトロ・ノイズの鬼才ベン・フロストは、スティーヴ・アルビニとのレコーディングで生み出されたニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』を9月29日にリリースする。ニュー・アルバムは、シカゴにあるスティーヴ・アルビニのスタジオで約10日間に渡ってレコーディングされ、その制作期間中にスタジオ空間で鳴らされたサウンドは、時に制御不可能になり、ベン・フロストとスティーヴ・アルビニに対し熱く激しく張り合うかの如く火花を散らしたのだった。ニュー・アルバムはそのスタジオで起こったドキュメントである。

プリズムから放たれるスペクトル、その虹色の中の鮮やかな群青色をサウンド化したというニュー・アルバム、アートワークやミュージック・ビデオなどヴィジュアル全般がこの鮮やかな群青色で統一されている。

■アルバム制作概要
2016年夏、ベン・フロストはシカゴに降り立った。それはあのスティーヴ・アルビニとの共同作業に入るためであった。約2週間を超える期間に制作された、今まさに崩壊しそうなくらい膨大に膨らんだ音の塊を、ガランとしたスタジオの中に並べられたアンプ群に流し込んだ途端、スピーカーの方がぶっ飛んだのだった。またスタジオのガラスの向こう側では、アルビニがスタジオで演奏された音源を縦横無尽にぶった切っていった。

轟音と静寂のシューゲイズ/エレクトロ・サウンドの決定打となった前作『A U R O R A』(2014年)は、『ピッチフォーク』で「ベスト・ニュー・ミュージック」を獲得するなど世界的な成功を収め、またブライアン・イーノ、ティム・ヘッカー、ビョークなどとのコラボレーション、映画音楽制作など多岐にわたる活動を続けてきたベン・フロスト。その飽くなき挑戦を続けてきた彼が新たに踏み込んでいった先は、シカゴでのスティーヴ・アルビニとの共同レコーディングだった。

■商品概要

アーティスト:ベン・フロスト (Ben Frost)
タイトル:ザ・センター・キャンノット・ホールド (The Centre Cannot Hold)
発売日:2017年9月29日(金)
品番:TRCP-217
JAN:4571260587144
ボーナス・トラック収録
解説:三田 格

[Tracklist]
1. Threshold of Faith
2. A Sharp Blow In Passing
3. Trauma Theory
4. A Single Hellfire Missile Costs $100,000
5. Eurydice’s Heel
6. Meg Ryan Eyez
7. Ionia
8. Healthcare
9. All That You Love Will Be Eviscerated
10. Entropy In Blue
11. Meg Ryan Eyez (Albini Suspension Mix) *ボーナス・トラック

[amazon] https://amzn.asia/7pXtgi6
[iTunes/ Apple Music] https://apple.co/2wygh41
[Spotify] https://spoti.fi/2hB7QSX

■プロフィール
1980年、豪州メルボルン生まれ。2005年、アイスランドのレイキャビックに移住。 Bedroom Community 創設者ヴァルゲイル・シグルズソンなどとともに音楽活動をおこなう。2003年、デビュー・アルバム『Steel Wound』リリース。2010年、ブライアン・イーノからの依頼により、映画『惑星ソラリス』にインスパイアされた作品を制作。また、スワンズの『The Seer』や、アンビエント、ドローン・ミュージック界の重鎮ティム・ヘッカー、ビョークの「Desire Constellation」のリミックス、映画のスコア作品も多く手掛けるなど活動は多岐に渡る。前作『A U R O R A』(2014年)は、『ピッチフォーク』で「ベスト・ニュー・ミュージック」を獲得するなど世界的な成功を収め、同年来日公演を東京と大阪にて実施。2016年夏、新作の制作をスティーヴ・アルビニとともにおこない、2017年にその作品群からの最初の作品「スレッショルド・オヴ・フェイス」(EP)を7/28にデジタル配信にて、ニュー・アルバム『ザ・センター・キャンノット・ホールド』を9/29にリリース。

ethermachines.com
mute.com

Arca × Ryuichi Sakamoto - ele-king

 最新作『Arca』も好評なアルカが、なんと坂本龍一のリミックスを手がけました。原曲は坂本の最新作『async』収録のタイトル・トラック“async”で、このリミックス・ヴァージョンではアルカ本人が歌っております。しかも日本語で。去る7月にはOPNが坂本龍一のリミックスを発表しましたが、今度はアルカということで、現在エレクトロニック・ミュージックの最尖端を走り続けている2巨頭いずれもが坂本龍一と邂逅したということになります。この交差は2017年を象徴する出来事かもしれません。教授のリミックス・アルバム、楽しみですね。

奇才アルカが坂本龍一をリミックス
Ryuichi Sakamoto - “async - Arca Remix" (async Remodels)

ビョークやFKAツイッグス等のプロデューサーとしても知られ、今年〈XL Recordings〉からサード・アルバム『Arca』をリリース、初出演となったフジロックでは、ヴィジュアル・アーティスト、ジェシー・カンダを伴ったAVセットも話題になった他、ビョークのステージにも上がるなど、ますます注目を集めるアルカが、坂本龍一の最新アルバム『async』のタイトル・トラック“async”のリミックス・ワークを公開した。『Arca』でも全面に打ち出された自身の歌声がここでも披露されており、日本語の歌詞が歌われている。

async - Arca Remix (async Remodels)
https://youtu.be/aKxPhAb6OMA

本楽曲は、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーが手がけた“Andata (Oneohtrix Point Never Rework)”、アルヴァ・ノトによる“disintegration (Alva Noto Remodel)”、エレクトリック・ユースによる“andata (Electric Youth Remix)”に続いて公開されたもので、その他、コーネリアス、ヨハン・ヨハンソン、モーション・グラフィックス、エレクトリック・ユースなどの参加が明かされている。

Andata (Oneohtrix Point Never Rework)
https://youtu.be/G0p647mDqT0

andata (Electric Youth Remix)
https://youtu.be/6g9LEBYJ1oU

disintegration (Alva Noto Remodel)
https://youtu.be/sxZ9AwIPDa4

早くからカニエ・ウェストやビョークらがその才能を絶賛し、FKAツイッグスやケレラ、ディーン・ブラントといった新世代アーティストからも絶大な指示を集めるアルカ。セルフタイトルとなった本作『Arca』は、2014年の『Xen』、2015年の『Mutant』に続くサード・アルバムとなり、〈XL Recordings〉からの初作品となる。国内盤CDにはボーナス・トラックが追加収録され、解説書が封入される。

label: BEAT RECORDS / XL RECORDINGS
artist: Arca
title: Arca
release date: 2017/04/07 FRI ON SALE

国内盤特典 ボーナス・トラック追加収録 / 解説書封入
XLCDJ834 ¥2,200+税

yahyelと語り合うマウント・キンビーの魅力 - ele-king


Mount Kimbie
Love What Survives

Warp / ビート

ElectronicKrautrockNeu!Post-Punk

Tower HMV Amazon iTunes

 うん、これは良いアルバム。4年待った甲斐がある。マウント・キンビー、3枚目となる『Love What Survives』、これが〈Warp〉からリリースされて、10月には東京/大阪での来日ライヴも控えている。
 今回同じステージに立つyahyelの篠田ミルといっしょに、あらためてマウント・キンビーについて語った。

野田:マウント・キンビーはいつ聴いたんですか?

篠田:えっと、2010年かな。ファーストが出たタイミングですね。あの頃はまだ高校生でしたね。

野田:ジェイムス・ブレイクとかも同じ時期に聴いたの? 「CMYK」が出た年なんですけど。

篠田:まさしくそうですね。でもジェイムス・ブレイクを本格的に聴いたのはやっぱり「Limit To Your Love」以降ですね。

野田:当時の高校生はマウント・キンビーってどう聴いたの(笑)?

篠田:かなり背伸びしていたというか、僕は中学生のときに『rockin'on』の「ベスト・ディスク500枚」みたいな本を偶然買って、それをパラパラ読んでTSUTAYAに行って大量に借りるみたいなことをしていて。その時代はまだ継続して『rockin'on』を読んでいて、たしか『rockin'on』の誌面にマウント・キンビーのファーストが出ていて。

野田:へー、意外だね。『rockin'on』なんてその辺あんまわかってないじゃん。

篠田:なんか違和感があったんですよね。これはなんか違うし、書いてある単語がよくわからなくて。ダブステップとかポスト・ダブステップってなんだよっていう(笑)。全然わからないなと思って借りて、最初聴いたときもしっくりこなかったというか、まだギター・ロック少年だったからこの人たちがどういうところから来ているのかわからなかったんですよね。まあ聴いてはいたんですけど、それがそのときの感想ですかね。

野田:僕はアナログで買ったな。むちゃくちゃリアルタイム。どんな時代だったかと言うと、マウント・キンビーが出てくるちょい前は、USではチルウェイヴがあったり、ビーチ・ハウスに代表されるドリーム・ポップがあったり。ヒプナゴジック・ポップなんていう言葉が生まれたり、OPNが出てきたのもこの時期だよね。いっぽう、UKではジェイムス・ブレイクが「CMYK」で脚光を浴びる。マウント・キンビーはそれに続いたよね。

篠田:雨後の筍感というか(笑)。

野田:当時からマウント・キンビーは完全にずば抜けていたけどね。彼らの音響は、ジェイムス・ブレイクよりもドリーミーだったから、USの流れともリンクしやすかったし。篠田君はチルウェイヴの頃は何を聴いていたんですか?

篠田:当時はインディ・ロックが強かった印象があって、2008年あたりはMGMTとかヴァンパイア・ウィークエンドとか聴いていたんじゃないかなあ。あとはアーケイド・ファイヤーとか。

野田:10代だったら普通そうだよね。当たり前だよ(笑)。

篠田:トロ・イ・モアとかウォッシュト・アウトとかもなんとなく聴いていたんですけど、そんなに本のめりじゃなくて。その本のめりではないなかにマウント・キンビーやジェイムス・ブレイクがあったというのが僕らの世代だと思うんですけど。とりあえず潜った音像のものが流行っているのかな、みたいな。これあんまりあがんないけど気持ちいいな、くらいの程度で聴いていた印象があります。

野田:当時、マウント・キンビーやジェイムス・ブレイク、あと、〈ヘッスル・オーディオ〉やアントールドとか、ああいうのはポスト・ダブステップという言葉で括られていたんだけど、それは何かというと、明確な理由があるのね。だいたい2008年~2009年の時点で、すでにダブステップはTVのCMでも流れるような、無茶苦茶コマーシャルな音楽にもなっていて、ウォブリー・ベースを入れたクリシェにもなっていたのね。それがやがてブロー・ステップと呼ばれ、EDMにも連なっていくんだけど、そういうマッチョな商業レイヴ化したダブステップへの反論みたいな格好で、音楽の面白さを取り戻そうとした動き全般がポスト・ダブステップと括られたものだったよね。だからレコード店に行けば必ず発見があるみたいな、ものすごく重要な時期で、「CMYK」もピアソン・サウンドも、そうとうショックがあったよ。で、〈ヘッスル・オーディオ〉やアントールドなんかがベース・ミュージックにテクノのセンスを混ぜたのに対して、マウント・キンビーはR&BとIDMのセンスを取り入れたよね。あれはすごく新鮮だったな。yahyelって、やっぱりR&Bヴォーカルが際立っているんだけど、トラックを聴くとマウント・キンビーとの接点はあるように思えるんだけど、実際のところ、どうんですか?

篠田:曲を作るときに参考音源としてたまに挙がることはありますね。たとえばマウント・キンビーの“Made To Stray”の最初のビートみたいなのいいよねえ、みたいな参照のされかたはされるけど、マウント・キンビーっぽい音像に仕上げようみたいな感じで進んだことはそんなにないっちゃないですね。

野田:篠田君はさっきの話では、もともとインディ・ロックを聴いていたんだけど、なぜエレクトロニック・ミュージックになったの?

篠田:2010、11年くらいにジェイムス・ブレイクやマウント・キンビーが出揃って、2013年くらいに彼らがセカンドを出すじゃないですか。そのあいだでかなり地場が変わった感じというのがあって、ギター・ロックが死んでいっているのを目の当たりにしつつ、おもしろいことがこっちで起きているというのがあって。ギターを持っていた人間がこっちをやれるんじゃないか、というのはぼんやりとありましたね。
 というのも当時僕は大学生で普通にベースを弾いてギター・ロック・バンドをやっていたんですよ。でも音楽的にはつまんねえなっていう感じはあって(笑)。ギター・ロックをあまり聴かなくなっているなかで、それこそジェイムス・ブレイクやマウント・キンビーのセカンドみたいなものがあったり、そのあとにインディR&Bとかのポスト・ダブステップのサウンドで歌モノを作っている人たちが出てきて、それをすごく聴いていたんですね。それで2013、14年あたりでそれをやりたいなってことになってきたのかな。

 

野田:篠田君の人生の重要な時期でジェイムス・ブレイクやマウント・キンビーが当たったんだね(笑)。

篠田:まさに成熟していく過程ですよね(笑)。

野田:彼らが尊敬していたひとりがBurial(日本盤表記:ブリアル)なんだけど、「CMYK」なんかはブリアルの『Untrue』の影響下にあるでしょ。R&Bサンプルの使い方は完全にあの流れだよね。本当はヴォーカルをスタジオ録りしたいんだろうけど、そんなお金がないからサンプリングするっていう。マウント・キンビーもR&Bサンプルを使っているよね。あとは〈Night Slugs〉の連中とかさ、みんなそんな感じだよね。ボク・ボク(Bok Bok)とかさ。

篠田:ジェイムス・ブレイクの別名義(Harmonimix)かなんかでスヌープ・ドッグとかとR&Bをやっていましたよね。

野田:デスチャとかも使ってるし。あれブートでヴァイナルが出たんだよ。持ってるけど。しかしさっきも言ったけど、あの当時は、UKとUSではスタイルや出自は違うのに、感覚的には微妙にリンクするようなところがあったよね。チル&Bとかさ。

篠田:そうですね。受容のしかたとしてはそんな離れたものを聴いている印象はなかったですね。

野田:マウント・キンビーのファーストとセカンドだとどっちが好きなの?

篠田:セカンドですね。

野田:おお~。ぼくは断固としてファースト派だったんだけど、今回の取材にあたってセカンドを聴き直したのね。そうしたらすごくいいと思った。

(一同笑)

野田:自分がベース・ミュージックという文脈にこだわり過ぎていたなと思ったんだよね。いまは全然そこに対するこだわりがないんで、わりとまっさらに聴けて、すごくいいと思ったね。

篠田:ダブステップとかベース・ミュージックの手法で歌モノをやるというところからそういうものを聴く体験がスタートしているので、セカンドはすごくピンと来て、文脈を知らなかったからむしろファーストはわからなかったんですよ。

野田:あのファーストはマニア受けだからね。ベース・ミュージックにIDMの要素を取り入れたのがドリーミーな音楽っていうか。

篠田:ボーズ・オブ・カナダっぽさというか。

野田:そうだね。ただ、マウント・キンビーが素晴らしいと思うのはあの言葉とジャケットですよね。マウント・キンビーのファースト『Crooks & Lovers』は2010年でしょう。あのジャケットの写真って、おそらくチャヴ(chav)なんですよ。それで2010年ってキャメロン政権のスタートした年なんですよね。つまり、UKの緊縮財政がはじまった年で、政治的な意味でいうとああいうチャヴに表象される下層階級の人たちをキャメロンがものすごく批判しはじめた時代だよね。その時代にあのタイトル(『ペテン師と恋人たち』)と写真で出すというのは考えさせられるものがあるじゃないですか。

篠田:あのふたりはサウス(・ロンドン)でしたっけ? (サウス)だったら身の回りにチャヴがいるのが当たり前の光景だったんでしょうね。

野田:とにかく、深読みしたくなるタイトルと写真だよね。篠田君が好きなセカンド・アルバムのタイトルもいいよね。『Cold Spring Fault Less Youth』。なんていうの、「冷たい春の間違いのよりすくない若さ」って、すごいタイトルじゃない! 今回のタイトルもすごくおもしろいよね。『Love What Survives』で。「生き残るものを愛せ」なんだけど、ジャケットを開くと「But Don't Hate What Dies」、「しかし死せるものを憎むな」という言葉が記されている。マウント・キンビーは言葉もうまいよ。

篠田:そうですね。

野田:ポスト・ダブステップって言われた人たちって、ダブステップがダメになったときに出てきて、結果としてUKのクラブ・ミュージックを蘇らせるんだけど、そのほとんどがもともとダブステップをやっていた人たちじゃないでしょう? 自分たちの帰属するスタイルがとくにあるわけじゃない。マウント・キンビーなんかは本当にそうで、逆に言えばなんでもできるんだよね。そこはyahyelと似ているのかなと。

篠田:たしかにそうですよね。初期のジェイムス・ブレイクはまだフロアへの意識があった気がするけど、マウント・キンビーは初めからないですもんね。ブリアルの手癖みたいなものが乗り移っているな、みたいな瞬間はファーストとかでチラホラ見られるけど、ダンスフロアの人たちではないですよね。本人たちもインタヴューで「ダンスフロアに向けるというのがどういうことなのかよくわからないし、あんまりそれは意識していなかった」みたいなことを言っていたんじゃないかな。

野田:ある意味では、ひょっとしたらセカンドが本来の自分たちの姿なのかもしれないよね。

篠田:そうだし、これ(サード・アルバム)も賛否両論が分かれると思うんですよ。でもこれも本来の姿だなっていうだけで。

野田:本当にそう思う。

篠田:とくに1、2曲目はものすごくギター・ロックの響きがするというか(笑)。ドラムの作りかたから構成からギターまで、まあクラウトロックなのかな。

野田:クラウトロックだよねえ(笑)。ノイ!というかね。

篠田:1曲目とかダイヴ(DIIV)のアルバムに入っていてもおかしくないなあって鳴りをしていて。でもマウント・キンビーってずっと一貫してギターを持ってライヴをやっているじゃないですか。ファーストでも使っていたし。

野田:そこはやっぱ共感する?

篠田:そうですね。若かったらこれやりたかったなというサウンドだったというか(笑)。むしろ成熟したサウンドではない感じがしたんですよね。

野田:昨年パウウェルが出てきたっていうのもあるのかもね。強いて言えばアルビニ系の感性も内包しているというか。あと、セカンドでは歌っているのがキング・クルールだけだったけど、今回は複数のヴォーカリストを使っているよね。

篠田:ミカチュー(MICACHU)とか。

野田:ミカチューとやっている曲いいよねー。いまいち日本には伝わってこないけど、彼女はUKではものすごく評価が高い人。

篠田:あれはめちゃくちゃいいですね。

野田:今回の目玉として、ジェイムス・ブレイクとやった曲が2曲あるけど、“We Go Home Together”はけっこう実験的なビートのある曲で、アルバムのクローザーとなるもう1曲の“We Go Home Together”は最高に美しい曲だったね。アルバムでは、クラウトロック的というかパウウェル的というか、躍動感を前面に出した曲とちょうど対を成しているかのようだね。We Go Home Together”は良い曲だよ。ジェイムス・ブレイクのメランコリックな感覚がいい感じで映えているね。

篠田:ジェイムス・ブレイクはどれくらい作業をしているんですかね。歌っているだけなのかなあ。

野田:どうだろうね。エレクトーンぽい音とか、“How We Got By”のピアノとか弾いているのかね。“We Go Home Together”なんか、そのままベタに歌わせても予定調和だから、トラックはだいぶ捻ってはいるよね。

篠田:たしかに。

野田:“How We Got By”は共同プロデュースしているようだけど。それにしてもジェイムス・ブレイクとは7年ぶりのコラボだってね。もともとは同じところからはじまって……。

白川:同じ学校でね。同じ学生寮にいたらしいですよ。

野田:ええ、そうなんだ。

篠田:YouTubeに3人で一緒にライヴしている動画がありますよね。

野田:では、あらためて彼らとのライヴ・ツアーの意気込みを(笑)?

篠田:いや、負けないぞっていうのがあるんですけど。

野田:はははは。

篠田:こういうタイプの音楽をバンド・フォーマットでやるという点では間違いなく先達だし、影響を受けていますね。たぶんバンド・フォーマットでやったのって彼らくらいじゃないですか? ジェイムス・ブレイクも結果的にバンド隊でやっているけど、バンド然としているというか。彼らがいて、ボノボがいてというか。作るときは全然バンド・スタイルで作らないけどライヴだとバンド・スタイルでやる、というのってじつはなくて。yahyel自身もそれは僕たちの新しさだと思っているところなんですけど……、とはいえ彼らは先達で(笑)。それをどう更新したかを見せなきゃというのはひとつありますね。だから原形を示してくれたのは彼らなんですけど、進化させたのは僕たちだっていう自負はあるくらい(笑)。

野田:素晴らしい(笑)。本当にライヴを見るのが楽しみなんだけど。篠田君がマウント・キンビーのライヴで楽しみにしているところはなんですか?

篠田:まず何人で来るのかってところですね(笑)。4人らしいですけどね。マウント・キンビーのふたりとドラムとギターですかね。もうひとつ楽しみなのは、新作にもフィーチャリング曲が4曲入ってますけど、それをどうやって再現するのかというところですかね。あとはやっぱり同じジャンルをライヴでやる人間として、どれくらい同期でやるのかは気になりますね。

野田:yahyelはどういうライヴをやるの? バンドでやるの?

篠田:バンドですね。基本的にビートはドラマーだし、シンセは半分弾いていてループものはシーケンスにしてで杉本が出していて。僕はヴォイス・サンプルとかパーカッシヴなサンプルを叩いていてって感じなんですけど。僕らは逆にビートの同期を増やしてみたいという欲求があって。それがマウント・キンビーまでに敵うかどうかはわからないですけど。というのも僕らはフジロックくらいまでのあいだにテクノ返りしていたというか、かなり、テクノを聴いていて。

野田:へえ、どのへんのテクノですか?

篠田:思いっきりベルリン界隈の〈Ostgut Ton〉のものを聴いていて。

野田:それはめちゃくちゃベルリンだね(笑)。

篠田:新鮮に思えましたね。僕らのなかではあのザ・ジャーマンな感じがすごく新鮮なんですよね。だから前作とか今回のシングルにはまだJ Dilla以降というか、ネオ・ソウルっぽいズレたビートへの志向というのがかなりあったと思うんですけど、いまはわりとあれがそんなでもないというか。合う曲ではやってもいいけどそんな全面に押し出さなくてもいいなっていうのもあって、ここ半年くらいはイーブンな4つが面白いなと(笑)。

野田:へー、その新しいyahyelのサウンドがどんなになるのかも楽しみだね。

(了)


Mount Kimbie
Love What Survives

BEAT RECORDS / WARP RECORDS

ElectronicKrautrockIDM

Tower HMV Amazon iTunes

Mount Kimbie - ele-king

 ドミニク・メイカーとカイ・カンポスによるマウント・キンビーは、2010年代のビート・ミュージックにおいて常に新しいサウンドスケープを生みだしてきたバンド/ユニットである。いわゆるポスト・ダブステップの先駆的な存在として知られる彼らだが、その音楽性はひとつのジャンルに収束・回収できるようなものではない。ダブステップ、ベース・ミュージック、アンビエント、ヒップホップ、テクノなどの様々なエレクトロニック・ミュージックが渾然一体となってなり、まさにマウント・キンビー的としか言いようのないビート・ミュージックを形成しているのだ。
 しかし、である。では「マウント・キンビー的な音とは何か?」と考え直すと、今度は途方に暮れてしまう。なんというか不意にどこかに逃げ去ってしまうような身軽さを感じられるのだ。一時期はジェイムス・ブレイクが共にプレイしていたことでも知られ、2010年代のビート・ミュージックにおいて先駆的な存在である彼らだが、いまだ実体が掴み切れない謎な感覚がある。じじつ、この新作『ラブ・ホワット・サバイブス』でも、彼らはスタイルをまたも変貌させている。
 『ラブ・ホワット・サバイブス』は、2013年のセカンド・アルバム『コールド・スプリング・フォルト・レス・ユース』以来、実に4年ぶりのアルバムである。3年の月日をかけて制作された楽曲群が11曲(日本盤にはボーナストラックが1曲追加されている)収録されているが、当然のことながら本作もまた新たなサウンド・モードへと突入しており、安直な自己模倣には陥っていない。その名を知らしめたファースト・アルバム『クルックス&ラヴァーズ』(2010)とも、〈ワープ〉に移籍し多くのリスナーを獲得した『コールド・スプリング・フォルト・レス・ユース』ともまったく違う音楽性へと変貌を遂げている。それでいてやはりマウント・キンビーはマウント・キンビーであるという分母、つまりはビート・ミュージックの実験と現在の追求という点では一貫しているのだ。

 では、どういった変化なのか。端的にいって現行インディ的・パンク的というか、非常に開放感に満ちたシンプルでパンキッシュな音楽性を展開しているのだ。と同時に何かに祈るような深い崇高さすらも感じさせる。パンクと崇高。二重性こそ本作のポイントではないかと思う。具体的にはシンプルなビートをサウンドのテクスチャーに気を使いながら組み上げ、シンセサイザーのノイジーな音とレイヤーさせている。じっさい、アルバムは主にコルグ社MS-20とデルタといった2台の古いシンセサイザーを用いて制作されたというのだが、これは自分たちのこれまでのプロセスをいったん払拭し、新たな音楽を生み出すためのクリエイティヴな制限とでもいうべきものであろう。
 その結果、アルバムのサウンドは、単に新しいだけでも、単に古いだけでもない独特な質感を生み出すことに成功している。カイ・カンポスは本作を称して「パンクかつジャンキーで、ロバート・ワイアット的な音質」と語っている(アルバムのキーのひとつに3コードのコード進行とパンキッシュなビートがあるように思える)。パンクとロバート・ワイアット。いわば攻撃と静謐か。本作特有の二重性が端的な言葉で語られているといえる。

 アルバム前半はパンキッシュなモードでスピード感と開放感に満ちた楽曲を収録している。 アンビエントなイントロから次第に前面化してくる乾いたビートと電子ノイズが気持ち良い1曲め“Four Years and One Day”、前作(“You Took Your Time”、“Meter, Pale, Tone”)にも参加したキング・クルエルの掠れた声のシャウトと、前のめりのハットとビートが焦燥感に満ちているハードコアな2曲め“Blue Train Lines”、70年代のクラウトロックと80年代のテクノポップをミックスさせたような3曲め“Audition”、インディ/エクスペリメンタル・ミュージック界隈を魅了し、そのうえグラミー受賞の映画音楽も手掛けたミカチューを招いたニューウェイヴ/レゲエな4曲め“Marilyn”、そしてトライバルなリズムとパンキッシュでシンプルなコード進行とシンプルなビートをミックスさせたインストである5曲め“SP12 Beat”を経て、アンドレア・バレンシーを迎えた90年代のステレオラブを思わせるエクスペリメンタル・ミニマル・ポップの6曲め“You Look Certain (I'm Not So Sure)”まで一気に駆け抜ける。まるで現代のキッズたちに向けたパンク・ミュージックのように。


 そして、インタールード的なピアノ・トラックの7曲め“Poison”を転換点とし、アルバムにはメランコリックなムードが満ちてくる。ロバート・ワイアットがエレクトロニック・ミュージックで復活したようなジェイムス・ブレイクのヴォーカルの8曲め“We Go Home Together”、80年代初頭のニューウェイヴな雰囲気が濃厚な9曲め“Delta”、ドミニク自身がヴォーカルを披露している10曲め“T.A.M.E.D”(彼らはこの曲を「マウント・キンビー版のポップ・ソング、完全にぶっとんでいるポップ・ソング」と語っている)と、シンプルな中にどこか内省的な香りを漂わすトラックを続けて展開するのだ。


 アルバム・ラストである11曲め“How We Got By”において再びジェイムス・ブレイクを召喚し、まるで深い祈りのような曲を披露する。ブレイクのシルキーな声と雨粒のような透明なピアノと霧のごとき電子音が交錯し、崇高なムードすら漂わせる名曲である。この曲を持って『ラブ・ホワット・サバイブス』はしめやかな終焉を迎えるわけだ。
 このように『ラブ・ホワット・サバイブス』は前半と後半で対照的な音楽を展開している。光と影。動と静。陰と陽。太陽と雨。もしかするとこの二重性はドミニク・メイカーがアメリカの西海岸に移住し、ロサンゼルスとロンドンの両都市を行き来するようにアルバムが創り上げられてきたことにもよるのかもしれない。
 そして何よりこの二重性は、希望と絶望が混じり合う2017年以降の都市やストリートのムードに思いのほかしっくりと馴染む。無邪気に未来を求めるだけでもない。しかし単なる懐古趣味でもない。いわば、未来/ノスタルジア。そう、彼らはまたも時代にアジャストするサウンドスケープ/サウンドトラックを作り上げたのだ。
 いずれにせよ『ラブ・ホワット・サバイブス』は、2017年におけるビート・ミュージックの転換を刻印した記念すべき作品である。もはやビート・ミュージックはエレクトロニック・ミュージックのクリシェを反復する必要はないと宣言しているように聴こえてくる(今年リリースされたアルバムではジャンルと音楽性の融解/越境という意味において、ローレル・ヘイローの新作『ダスト』に近いかもしれない)。
 ジョイフルで、美しく、時代を、都市を、ストリートを疾走し、深い祈りを捧げる「音楽」であること。『ラブ・ホワット・サバイブス』には、そんなアティテュードがサウンド全体に漲っているように感じられた。まるで2017年の大人たち/子供たちに捧げる“キッズ・アー・オールライト”のようだ。

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