「You me」と一致するもの

interview with Hocori - ele-king


Hocori - Duet
Conbini

J-PopSynth PopHouse

Tower

 Hocoriのふたりの話には、「(笑)」が多い。
かたや聞き手への気づかいや持ち前のエンターテインメント精神から。かたや謙虚さや韜晦、自分たちへの客観的な視線から。心地よく笑いが差し挟まれ、空気がほぐされていく。とても自然で落ち着いた間合い。Hocoriの音楽の魅力もちょうどそんなふうだ。

 現在の音楽にかつてほどのカルチャー的な求心力はないかもしれないが、それでもポップ・ミュージックにはまだまだ役割がある。10代のめちゃくちゃさや20代の機動力ではなく、少し引いたような落ち着きの中に、苦みもけだるさも熱もとけているHocoriのダンス・ナンバーは、イヤホンの中でふと筆者を我に返らせ、ときおり忘れがたいフレーズをあたまの中に繰り返しては帰路の足取りを軽くしてくれる。ちょうどいい音で、ちょうどいい距離感で、少し深めに間合いに入ってくる。それは年齢が近いせいもあるかもしれない。本で読むものとも映像として入ってくるものともちがうやりかたで、日常の中にとけこみながら、その風景を少し揺すぶって弾ませてくれる。彼らの息づかいを通して、いま生きている場所へのシンパシーの回路が開いていく。

 桃野はモノブライト、関根はgolf、それぞれ別にバンドの活動があり、彼らはそれらと並行して、つくりたいときにつくり、やりたいことだけをやり、出せそうになったら盤を出すというこの「ホコリ」を積み上げている。そうした緩やかなスタンスに、彼らの音の気持ちよさと鋭さのヒントがあるだろう。ガツガツいくだけが能ではなく、ただ続けるだけが吉でもない。このたびリリースされた5曲入りEP『Duet』を題材に、彼らのありかたについて訊ねてみよう。

■Hocori / ホコリ
ロック・バンドMONOBRIGHTのフロントマン桃野陽介と、エレクトロ・ポップ・バンドgolf、映像グループSLEEPERS FILMにて活動する関根卓史による音楽デュオ。2014年に結成され、2015年7月、ファースト・ミニ・アルバム『Hocori』を発表。アパレル・ブランド〈ユキヒーロープロレス〉とのコラボ盤『Tag』などにつづき、2016年3月、モデルの田中シェンを迎えた企画盤『Duet』をリリースした。

以前お話をうかがってから、少し時間が経ちましたね。Hocori自体はとてもマイペースにご活動されているユニットだと思うんですけれども、この間、おふたりはそれぞれどんなことをされていたんですか? 桃野さんはバンド(モノブライト)のほうが動き出したりしましたよね。

桃野陽介(以下桃野):そうですね。バンドのほうの曲をつくったり、レコーディングのタイミングも近かったので、Hocoriと並行してかなり引きこもり気味に集中していました。引きこもるのは珍しいんですけどね。でも、ライヴもなかったですし。

ああ、年内はなかったですもんね。

桃野:ただ、今回は関根さんがトラックをまるまるやっているので、僕はメロディとか詞だけというか──バンドではけっこう頭を使ってデモをつくっていたけど、こっちのほう(Hocori)では関根さんのトラックに感じたものを乗せていく、というやり方になりましたね。

関根卓史(以下関根):より合作っぽくなっているかもしれないですね。『Hocori』は半分くらい桃野くんのデモから起こした曲があったけど、今回は一からつくっていったんですよ。僕から投げて桃野くんから返してもらう……そういう曲しかないんで。

それは大きくちがいますね。今回の盤を考える上で根本的なことかなと思います。関根さんはSLEEPERS FILMのほうでお仕事として映像をつくったりという時間が長かったんですか?

関根:そうですね。あとはミックスとか、そういう仕事もわりとやっていました。自分のgolfのほうの音源も作っていましたが……、ついに出せなかったですね(笑)。

桃野:ついに(笑)。

ははは。きっと、このHocoriっていうプロジェクトは、その意味ではやりやすいんでしょうね。リラックスしてつくれるというか。

関根:停滞しないっていうか。いい感じに責任が分担されるので(笑)、重くないんですよ。

桃野:そう、重くない。

関根:すごくいいですね、それが。健全って感じ。

あはは。縛られずに、やりたいことだけやれると。

関根:そうですね、やったことのないことをやれたりとか。かなり貴重なことだと思います。

そうやって自分たちのペースを保てるのは、このユニットの肝かもしれないですね。ほんとに、のびのびつくられている感じがします。

今回はもうちょっと「聴かせたくて」つくった感じがあるかなと思います。目の前にいるひとたちに。(関根卓史)

さて、リリースなどを読むかぎりだと、今回の作品はかなりはっきりコンセプトが掲げられていますね。「聴いて見てオシャレになれる新しい1枚の続編」。

桃野:ははは。

とすれば、この一枚の中におふたりの「オシャレ」の観念とか基準が反映されているというふうに読めますが、どうですか? 

桃野:まずは、好きなことをやってますよね。それから、デュエットということを意識しているので、コラボレーションの要素は強いです。あと、以前は曲をつくってから──つまり盤を出してからライヴをやるという順番でしたけど、今回はライヴをすることで「こんな曲も欲しいな」という必要が生まれてきたことも大きいかもしれません。僕だけで歌ってるのもなあ……って。いっしょに歌おうよというノリが出てきましたね。

ライヴのプロセスは今作にとって大きい、と。

関根:それは大きいですね。むしろ、その雰囲気がいちばん先にあるかもしれません。

なるほど、そう言われてみれば『Hocori』はもっとベッドルーム感が強かったかもしれないですね。

関根:そう、それに比べれば、今回はもうちょっと「聴かせたくて」つくった感じがあるかなと思います。目の前にいるひとたちに。

前に向ける感じ、一歩出る感じはよくわかります。まず関根さんにおうかがいしたいんですが、今回も総じてファンキーなシンセ・ポップで、そのあたりは前作の延長上にあるものかと思います。一方で、たとえば音色的にトレンドとして意識したものなんかはありますか?

関根:ああ……トレンドとはけっこう無縁かもしれないです。でも僕の中のトレンドはあって、今回はLinn Drumの音をたくさん使いたかったのと、707(Roland TR-707)っていうリズムマシンも使いたかった。あとはエレキ・ギターを使いたかったですね。

ねえ! そこは印象深かったですよ。1曲目もそうですけど、その次とかも(“Game ft.田中シェン”)。

関根:そうそう、ロングトーンのエレキ・ギターが使いたかったんですよ。そういうふうに、やりたいもののキーワードはあって。自分でちょうどブギーっぽいものとかシンセ・ファンクとかをよく聴いていたので、その影響もあるかもしれないですね。あとは前回いただいたハウスの本(『HOUSE definitive 1974 - 2014』)をずっと読んでましたよ(笑)。

おおー、ありがとうございます。ブギーはやっぱり、ここしばらくは流れが来てたみたいですけどね。その意味では、トレンドは意識せずとも、時代とちゃんとリンクしている部分はあるんじゃないですか。

関根:ああ、自然とそういうところはあるのかもしれないですね。……そうできているのかわからないなあと思いながらつくっていたんですが。

でも、“Free Fall”はファッション・ブランド〈ユキヒーロープロレス〉さんのショーケースで使われるということですよね。それは流行とか世間とも無関係でいられない部分というか。この曲は、ショーケースのお話ありきでつくられた曲ですか?

“Free Fall”

関根:発端としてはそうですね。むしろ曲のイメージとかは向こうからいただきました。ミュージシャンの方ではないので、具体的にこうつくってほしいというような要望があったわけではなくて、印象だけですけども。「バーンといく!」みたいな。

桃野:感覚的なものを伝えてくださったわけです(笑)。

ははは。でもファッション・ショー的な場所でかかるわけですよね。ランウェイで鳴るっていうようなことを意識しました?

関根:プロレスとかだとオープニングが重要じゃないですか。入口の曲というか。それに相当するものをつくってほしいということだったので、僕らなりに考えまして。……本当にこれで合っているのかというのはわからないですが。

桃野:そもそも〈ユキヒーロープロレス〉の手嶋(幸弘)さんというひとが、ファッションの方ではあるんですが、プロレスとか特撮とか、ヒーロー的要素を取り込んでいらっしゃるんですよ。だから曲のイメージなんかも「闘いの前の男の気持ちを……」みたいにおっしゃって。でも、「闘いの前」といっても……僕は闘ったことがないというか、闘わずに生きてきたわけでして。

関根:30数年間ね(笑)。

あはは! 深夜の愛を歌ったりされているわけですからね。

桃野:そう。でもとにかく熱いものをお持ちの方なんですよね。レスラーのパッションがあるというか。だからファッションと僕らが交わるといっても、このかたがすでに変化球といいますか。ファッション業界において。

ああ、王道ではないと。

桃野:そう、言っていることもそうだと思うんですよね。僕は前の作品のときから、Hocoriでは夜の歌を歌いたいと思っていたところがあるので、その気持ちとうまく合わせられるようなものにしたいなと──言葉はプロレスっぽいものを意識しながらも、夜の男女の雰囲気やメッセージになっていればいいかなって考えていました。

なるほど。歌詞の冒頭のカウントダウンみたいな部分(「3.2.1 Are you ready?」)も、闘いの幕開けを告げるようなイメージだったり?

桃野:そうですね。格闘的な言葉を散りばめてやりたいなというところですよね。

関根:盛り上がっていく雰囲気を解釈するとこうなったという。

「そうでもないひと」代表として、こんなに楽しいことができるよというものを示せたらいいのかなと思います。何か……ポジティヴなものを。(桃野陽介)

なるほど。では「前に行く」雰囲気が感じられるのは、曲そのもののコンセプトでもあるわけですね。……しかし闘ってこなかったひとが考える闘いの曲というのはおもしろいです。

桃野:普通の家庭でしたしね。パンクの人でもないし……。

関根:怒ってない。

桃野:そう、怒れてない。だけど、どっちかというと僕のほうが怒っていると思います、関根さんと比較したら(笑)。

ははは。怒りが根本にある音楽もありますけれども、おふたりのモチヴェーションからは遠そうですね。

桃野:それに、何かに秀でる人生を歩んできたわけでもないので。「そうでもないひと」代表として、こんなに楽しいことができるよというものを示せたらいいのかなと思います。何か……ポジティヴなものを。

怒りを楽しいものに読み替えるというか。その感じはよくわかります。

桃野:いままでより明るい要素を考えようという気持ちは、わりとはっきりあったと思います。

関根:そうだね、すぐマイナーになっちゃうので。

たしかに(笑)。

関根:僕の中では勝手にハードロックっていうのもありました。すごく浅いハードロックだけど。

ギューンっていうのはね、ほんと今回チャーム・ポイントっていうか。すごくいいですよね。関根さんのすごく巧妙な……老獪といってもいいようなプロダクションづくりによって、なんともオシャレに仕上げられていると思います。

関根:ヤなかんじのギターをね……入れてるんですよ(笑)。

だからすごく楽しくつくられていつつ、攻めた曲にもなっていると思うんですが、一方では「お仕事」の作品でもあったわけじゃないですか。

関根:題材をもらってつくったという意味では、まあ、そうではありますね。

そういうのは、Hocoriとしては初めてになりますか?

関根:そうですね。

それは、クリエイティヴの上ではなにか作用があったと思います?

桃野:僕は、何かテーマをいただいてつくるというのが好きなので。マイペースにつくっているのとはちがう刺激があった気がしますね。「ない発想」をいただく、というか。

関根:僕らのプロジェクト自体がそういう発想の下に成り立っているから──

桃野:外部からの刺激でつくる、みたいなね。

関根:そう、もともとこのふたりの間での成り立ち方でもあるから、けっこう自然に受け入れられましたね。何の違和感もなく、Hocoriっぽい音楽として消化できているかなと思います。

ええ、ええ。お仕事というと「割り切る」ものというイメージがありますけど、ぜんぜんそんなふうな感じがないですね。

関根:むしろ楽しんでいるという感じですかね。とくに今回はそういうひととお仕事できている。あくまで僕らのスタンスを理解してくれた上でいっしょにやろうよと言ってくれているので。だから、「仕事」であるために何かができなかったというようなことはないですね。

桃野:そうですね。「男」とか「闘い」とかも、べつに押しつけられるわけではなかったですから。「Hocoriの中のそれをお願いします」というような。

絵を描いていたりとか、発想を楽しむひとなんだなあと思うところがあって、ものづくりを楽しむひとなのかなあと。(桃野)

なるほど。2曲目の“Game ft. 田中シェン”ですけれども。ピアノからはじまって、ファンキーなベースが入ってきて、シンセやらギターやらが入って……って音数が増えていきつつもミニマルな感じが崩れないですよね。抜き差しが絶妙です。これは田中シェンさんが入るということで、詞とかに影響はありました?

“Game ft.田中シェン”

桃野:もともとデュエットというか、コラボ的なものをやりたい気持ちはあって。それは最初のミニ・アルバムの頃からアイディアとしてはありましたね。田中シェンちゃんは、“Lonely Hearts Club”のMVに出てもらっていたので、そこからのきっかけです。インスタグラムとかを見ていても、絵を描いていたりとか、発想を楽しむひとなんだなあと思うところがあって、ものづくりを楽しむひとなのかなあと。歌は聴いたことがなかったんですけど……というか一回も歌ってないかもしれないですけど、そういう心意気のひとはいい声だろうと予想して。きっとお願いしても大丈夫だろう、なんとかなるだろうと思ってお願いしたら、「やってみたいです」ということになりました。

そうなんですね。お願いする前から曲はできていたんですか?

桃野:デモみたいのはありましたよね?

関根:そうですね、でも同時進行だったかな。「これを歌ってください」という感じではなかった(笑)。ちゃんと用意ができている段階ではないのに「やってくれよ」と言っている感じで、ちょっと無茶なお願いだったかもしれません。

でも、まさにそれこそインディ的なつながりというか。準備できたものの上に座ってもらうっていうのじゃなくて、ある意味理想的ですね。

関根:そうですね。いつになったらその曲が出てくるのかなって思われていたとは思いますが。やるって言ったけど、何をやるのかなーって(笑)。

桃野:何かやりたいなあというくらいでずーっと止まっていたので(笑)。

じゃ、田中さんがどんな声だったりヴォーカリゼーションだったりっていうことは何も知らずに進めていった?

桃野:まるで知らなかったですよね?

関根:そんなことありえるのかという。ほぼぶっつけ本番なかたちでしたね。

すごい(笑)。でも結果とてもハマりましたね。

関根:めちゃくちゃよかったですね。

桃野:やっぱりよかったじゃん! と。「ジャケ買い」に近いものがありましたけどね(笑)。やっぱいいジャケっていいアルバムなんだなという喜びに近いものが。

ははは。でも、それを曲でもって実証したわけですから、結果オーライというか。もともと歌い上げるようにはつくられていませんしね。どちらかというとコーラスっぽい感じで。

関根:そこはそうかもしれませんね。

では、彼女が歌ってくれるものとしてではなくて、いちおうご自身の曲のような感じで言葉をつくられているわけですね。

桃野:そうですね……二人称的なものを出した歌をHocoriでやりたいなと思っていたので、どっちみちハマるような気はしてましたかね。さすがに別のひとでもいいとは言いませんけれども、歌として「二人の関係」を歌うものであれば大丈夫かなあと。

二人称的というのは、二人の関係性に焦点があたるものっていう意味ですかね。なるほど。

桃野:そうなればいいなあと。“God Vibration”もそういう曲のつもりなんです。でも今回はとくに夜の営みっぽい曲なので……それはできたらかわいいひとがいいなあと。

ははは!

桃野:欲望が注ぎ込まれていますね(笑)。

かつけばけばしくないというか、少し中性的な雰囲気もあって、素敵な方ですよね。サウンドの点ではどうですか。とくにそういうことには左右されることなく?

関根:そうですね、これ自体はかなりミニマルにつくったもので……ベースラインだけで曲の展開を構成していく感じなので、どう料理してもいいトラックだなあと自分では思っていて。そこに桃野くんがおもしろいリリックとメロディを持ってきてくれたので、奇妙な感じで。これは成功だなあと感じました。

どんどん空気が入れ替わってもいいと思っているし、濃くなってもいいと思ってるし。さらに違和感を乗せられるひとをくっつけられれば楽しい、みたいな。(関根)

桃野さんも本当に桃野節というか、独特のフロウをお持ちですからね。ああ、これこれ、きたぁ! っていう。はっきり記名性を持った歌唱ですよね。しかも関根さんのトラックに対してこってりめというか……

関根:そうですね(笑)。こってりしたものが乗ってくるのが本当に楽しくて。

桃野:Hocoriはそれが売りですね(笑)。どんなに濃くしてもけっこうちゃんとマイルドに混ざるという。僕はけっこう安易なので、この曲なんかはトラックをもらったときに「ピアノではじまる曲かあ」と、すぐにホール&オーツを思い浮かべたので、じゃそういう感じにしようと思いまして。

関根:PVが送られてきましたね。“プライヴェート・アイズ”のPVが。

ははは!

関根:ぜんぜん思っているものがちがったんですけど、やっぱいいなと思いましたね。おもしろいです。

Hocoriはマインドもインディだし、音楽もわざわざポピュラリティにおもねるようなものじゃないのに、プロダクションが本当に整ってるんですよね。そこはあんまりインディ感がないというか。目立たないけどキメが細かい。今回は他のゲスト迎えられて、きっと手ごたえがおありだと思います。

関根:二人とも閉じたものにする気はなくて、どんどん空気が入れ替わってもいいと思っているし、濃くなってもいいと思ってるし。さらに違和感を乗せられるひとをくっつけられれば楽しい、みたいな。

この曲は現段階での、そのひとつの極点かもしれないですね。

関根:ああ、そうかもしれないですね。僕ら的にも。いちばんわからなかったかもしれない。最後まで。いったいどうなるのかが(笑)。

桃野:(田中シェンさんの)歌知らないでやってますからね。

関根:きっと良いに違いないということだけで、全員をつれていった。

ちゃんと駅に着きましたね。

関根:ほっとしたって感じです。

前回のインタヴューでも言っておられたとおり、桃野さんの独特の韻律と語呂合わせというか、意味はわからないんだけどこれでしかない、なぜかストンとはまる、というものがあるじゃないですか。フレージングふくめ。

桃野:ははは。いや、その、この曲の詞の場合は、行為をどう音楽的に伝えるかという問題もあったので……。

結果バンド名でそれをほのめかすという(笑)。
※(「a-ha ABBA リフレインしてAH-BA」“Game”歌詞より)

桃野:ABBAとかa-haという形で(笑)。

こういう奇蹟みたいなものがあるわけですよね、関根さん。

関根:これが来るとほんとに僕は楽しくて。なんだよこれ、と思って(笑)。

桃野:意味はないわけですから、「a-ha」とか言ってても。

あー、すごいエイティーズとか好きなんだなー、くらいにも聴こえますしね。

男二人組っていうと、どうしてもエレキ・ギターとヴォーカルみたいなスタンスですもんね。エイティーズって。(桃野)

“狂熱の二人”なんですけども。これはもう、最強感がやばいです。無敵感というか。男声コーラス最強ですね。

桃野:これはライヴで先にやってたんですよ。

関根:それがすごくよくって。ウケもよかったし、僕らも楽しいから。……僕と桃野くんの声って、ぜんぜん合わないんですよね。合わないというか、ちがうというか。だから録るとすごくおもしろいんですよ。

ヴォーカルの比重がわりと半々ですよね。

関根:曲名で「二人」って言ってるだけあって、かなり「デュエット」な曲になりましたね。

桃野:ライヴでよかったっていうこともありますけど、盛り上がるというか、明るいのもひとつやっとこうか、ということで。

関根:明るくなってるかは謎だけど(笑)。まあ、二人で歌えるいい感じのが欲しいということになって。

Hocoriでこんなにがっつり関根さんが歌われるのは──

関根:初めてですね。Cメロ歌っちゃってますよ。

ははは。私はこの曲がいちばん好きなんですよ。男性が二人で暑苦しく歌うっていうのがいいですよね。

関根:最近あんまりないですよね。そこは思いましたね。

ホール&オーツはちがうとはいえ、少しそういう気分もあったんですかね。

桃野:男二人組っていうと、どうしてもエレキ・ギターとヴォーカルみたいなスタンスですもんね。エイティーズって。

関根:(ギターに対して)オマエ、出てきちゃったな、みたいなパターンすごくあるもんね。ずっと後ろにいたのに(笑)。でもまあ、僕はどうせ出るならがっつり出ようと思って。そこはすごく意識しましたね。
 でも、僕と桃野くんの声が混ざると、びっくりするくらい僕の声が前に来ないんですよね。自分のをめちゃくちゃ前にしないとそろわない。ほんと、恐ろしいくらい出てこないんですよ。

いや、恐ろしい声をしていらっしゃいますから。それは単に声量の問題とかではなくて?

関根:たぶん占めてる音域が全然別だと思うんですよ。

桃野:僕は中域をずーん! とひた走るような声なので。

関根:僕のほうはもうちょっと上と、下に滲んでいるので……いくらやっても絡まないんですよ。

桃野:ドンシャリが(笑)。たぶんいちばん耳にくる中域を僕ががっつり占めちゃっているから。

関根:でも逆に言えば、うまくヴォーカルを配置できるんですよ。なので、音像としては一体になっていると思います。ミックスのイメージとしては真ん中が桃野くんで、まわりが全部僕、というような。そこはおもしろかったですね。

桃野:サビとかすっごい混ざりましたよね。

だからといって、強い個がひとつあって、それをもうひとつが包んでいるというよりは、ちゃんと競合しているというか。「狂熱の二人」っていう感じがしますよ。ということは、歌詞とかは自分の部分だけ分担して?

関根:そうですね、いちおう考えて。

桃野:でも掛け合いをしようというときは、関根さんが「こんなメロどう?」って投げてくれたものに歌詞をつけたりはしました。

音なりメロディなりを優先してつくられているということですよね。ものすごく複雑な詞というわけじゃないですから、もともとそこまで作りこむということはないのかなとは思いますが。

関根:そうですね。

それこそクラシックなヒップホップみたいな、みんなでワイワイやってる感じ、それでコーラスまでやっちゃうようなイメージをなるべく持てればいいなって。(関根)

この曲は本当に好きなんですよ。つくる上で、仮想のライヴァルというか、これに対抗しようというようなものがあったりしました?

関根:それは、まったくないんですよ。すごくオリジナルなものだと思います、その意味では(笑)。なにか、「できちゃった」という感覚がありますね。

桃野:『狂熱のライヴ』って意味ではレッド・ツェッペリンですが(笑)。

関根:名前だけね! 

桃野:あの雰囲気はすごくイメージしたんですけどね。「ギターがこっちは歪んできたぞ、どれどれこっちも……」みたいな。

関根:まあ、ノリはね(笑)。

ははは!

桃野:そう、ノリは(笑)。でも、いびつさ、ということだと、レッド・ツェッペリンはすごくいびつですよね。

関根:うまいのかうまくないのかよくわからない。

桃野:たぶん、どっちかの比較で言えばうまくないのかもしれない。でも、4人混ざったときのノリみたいなものがかっこいい。その意味ではこの曲もそういう揺れがあるような気がします。

関根:僕はHocori全般について、ポップス──も、そうなんですけど、わりとヒップホップに近いイメージを持ってつくっているところがあるんですよね。たとえば“狂熱の二人”とかも、それこそクラシックなヒップホップみたいな、みんなでワイワイやってる感じ、それでコーラスまでやっちゃうようなイメージをなるべく持てればいいなって。この曲もほとんどワン・ループでつくっているんですけど、それこそアフリカ・バンバータだったりとか、みんなでガヤガヤとやってるノリが出てたらいいなって思います。まあ、比較になっているかどうかはわからないですけど(笑)。

トラック自体が、そういう空気なりノリなりを乗せるための枠というか乗り物になっているというか。それはたしかに感じられますよ。

関根:そうですね、そういうものがあるようになればいいなというふうには思っています。気持ちとしてはカニエ・ウェストに近いというか(笑)。

ええ、ええ。曲がとても開かれたものだっていうのはわかります。趣味性はあるけどけっして閉塞しないし。

関根:やりたいことやりつつ、みんなと混ざって、それで新しいものにしようと考えているというか。ヒップホップのひとたちのそういうマインドが好きなんです。「いいよね」とか言いながら、ほんとにいいかどうかわからないものをみんなでつくっていっちゃう、みたいな。すごくシンプルなことをやっているんだけど楽しい、という感じ。

「作曲」ではなくて、なにか空気を混ぜていくというような考え方ですかね。

関根:そうですね。だから枠組はシンプルなほうがいいし、それでいて特徴がちゃんと出たほうがいいし、きれいにまとまらないほうがいいし。

でもほんとに、そのシンプルなベースラインがとても艶っぽかったり、とにかく洗練されているんですよね、関根さんのつくられる音っていうのは。しかし、いま「みんなと混ざる」っておっしゃいましたけど、実際は二人ですよね(笑)。二人だけど「みんな」って雰囲気は、言われればたしかに感じますね。

関根:二人だし、閉じた空間という気がするけど、でも何かいろんなものを巻き込んでつくっているイメージではあるというか。

桃野:想像はしていますね。いろんなひとを巻き込むような感覚は。しかし“狂熱の二人”っていう曲で、歌い出しが「狂熱の二人」っていうのは……

(一同笑)

桃野:もう、すごいベタな……。でもサビ始まりなんだ、みたいな(笑)。

関根:洒落たタイトルはなんだったんだ、って(笑)。

ツェッペリンを下敷きに感じさせつつ、でもすごいテンションのタイトルで素敵ですよ。普段使わない言葉じゃないですか。

関根:言い過ぎ感がありますよね。

そう、過剰さがいいですよね。邦題つけたひとはすごいと思うんですけど、「熱狂」はあっても狂熱ってふつう言いませんから。

桃野:マスタリングのとき、間違えられてましたからね、この曲。「熱狂の二人」になってました(笑)。普段使わない言葉だから、パッと見て「熱狂」ってインプットされちゃったんでしょうね。

その違和感は大事なものだと思いますよ。ほんとのところはどこから付いたタイトルなんですか?

桃野:先に詞ができていたんで……。でも、もともとは英語のタイトルで縛りをつけていたんですけど、1曲くらいは日本語もいいんじゃないかと。それに「狂熱の二人」でしかないという感じもあったので(笑)。ライヴでもずっと呼び名がない状態たったんですよ、この曲は。

あと、「の」の用法も特殊。『進撃の巨人』の「の」みたいな。どういう「の」なんだっていうところにもインパクトというか違和感があります。

桃野:それは、『狂熱のライヴ』だったので……。

いや、「ライヴ」ならわかるんですけど、「二人」っておかしなことになりませんか(笑)。そういう違和感が、詩ってものを生む。

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ちゃんと前に進んだ感じは僕らの中にもありました。まったく関係のない別のことをやったわけではなくて、前の作品を踏まえた上で、音楽的に前に進めたのかなと。(関根)

ではぜひ4曲目のお話も。これは「4曲目」というよりも“Intro”(『Hocori』収録)のリ・エディット的という……?

関根:そうですね。「リ・エディット」ということにしたんですけど、僕の〈Conbini〉ってレーベルにはもうひとり相方がいて、〈ENNDISC〉っていうレーベルをやってるひと(DEGUCHI YASUHIRO)なんですが、そのひとといっしょに前の作品の1曲をぐちゃぐちゃにして、再構築して。そしたらこうなったという感じです。

リ・エディットというかたちだからこそできたことかもしれないんですが、最初、わりと流行とは無縁のところでつくった盤だとおっしゃっていたじゃないですか。でも、この曲はある意味でいちばん流行を感じるというか。

関根:いまっぽい?

そうそう、いまっぽいと感じましたね。それこそオルタナR&Bみたいなものから〈PCミュージック〉みたいな音楽性までの間をとるような。

関根:たしかにそれは多少あるかもしれないですね。

それはやはり「リ・エディット」みたいなかたちだからこそできた実験、みたいなことでしょうか?

関根:そうですね、Hocoriらしさみたいなものを僕も出口さんもつかめているからこそ考えられることというか。もともと歌が入っていて、それもすごくよかったんですよ。もともとのアレンジに歌詞をつけていたものがあったんです。でもそのまま出してもおもしろくないということで、再構築しようと。それはわりと気軽な感じでやったんですけどね。

あ、気軽な感じで。唐突に終わる感じもありますね。やりかけ感というか。

関根:いい曲っぽいんだけど……みたいな(笑)。

そうそう、いい曲っぽいんだけどここまでなんだ? という感じ。5曲目を1曲としてカウントするかどうかはいったん措くとして(“Game”のインスト。コンセプチュアルな1曲と考えることもできる)、4、5曲というコンパクトなものなのに、けっこう多彩な音楽性が盛り込まれているんですよね。前作からは基本的な方向性は変わらないながらも、すごく異なった作品だと思います。

関根:そうですね。煮詰められた感じもしますしね。ちゃんと前に進んだ感じは僕らの中にもありました。まったく関係のない別のことをやったわけではなくて、前の作品を踏まえた上で、音楽的に前に進めたのかなと。

桃野:より混ざって、ちゃんと音をつくれる体制になったんじゃないかなという気がしますね。

世界中でいちばん僕が僕の声に飽きているんです! そこをどう楽しくやるか。(桃野)

関根さんに対して、前回から差別化してとくにやってほしかったこととかはありました?

桃野:一方的な要望はとくになかったですけど、いっしょに歌いたいというのはありましたよ。やっぱりgolfのフロントマンというのもあるし。Hocoriで関根さんの声を聴きたいなということは大きかったと思います。……僕の歌にいちばん飽きているのは僕なので。

関根:あはは!

桃野:たぶんそうなんですよ。世界中でいちばん僕が僕の声に飽きているんです! そこをどう楽しくやるか。音楽は自分が楽しい、大好きなものなんだけど、その音楽をやる上で自分の声をどう楽しむかという問題がありますからね。そのときに、コーラスだったりとか、ちがう声というものが僕にとってはすごく大事で。

声って、プロダクションというのとはまた別のレベルでも意味を持ちますもんね。

関根:そうですね、かなりのレベルで音楽の識別子になるというか。絶対的におもしろいものですし。絶対にそこがオリジナルになりますから。

桃野:最終的に、決定的にちがってくるものは声ですからね。

たしかにそうですね。ひとの声を聞くときは音楽的な耳で聞いてしまうものですか?

桃野:僕、けっこう誰の声か当てるの得意なんですよ。テレビっ子なんですけども。いつも当てっこしてるんです。「あ、いまの声は有村架純ちゃんだ」とか。……まあ、主にドラマです。

(一同笑)

桃野:CMの曲なんて、たまにわからないときは調べたりして。

テレビっ子のドラマ好きというのは以前もおっしゃっていましたけれど、言葉とか世界観にも影響ありますもんね(笑)。関根さんのことはヴォーカルとしてはどう見えます?

桃野:僕は好きですね。最初に聴いたイメージは、やっぱりバンド畑からすると、マシュー・スウィートの──

ああー! たしかに。

桃野:そう、ちょっとハスキーというか、なんというか。あの声の感じがあって、じつはギター・ポップとかはめっちゃハマるんだろうなとか思いながら聴いてはいて。……だからマシュー・スウィートだと思ってしゃべります。

ははは!

桃野:ははは! そういうイメージを、初めてしゃべったときにも持ちました。歌声のほうがいいですけども。

Hocoriのまわりには、どこかギター・ポップ的なものも感じられるかもしれないですね。直接的に参照する部分はないと思うんですけど、成分の中に含まれているというか。お二人ともそこは共通していますか?

桃野:もともとの立ち位置みたいなものにはあるかなと思います。

関根:僕自身はそんなに熱心に聴いていたわけではないんですけど、やっぱり言われることが多くて。

へえ。いまピンときました。

自分らからただ自然に流れ出しているものが、懐かしいものになっているというか……原体験が出てきているんでしょうね。(桃野)

桃野:僕はモノブライトとかで「いい曲」風にしたいなと思うときは、基本マシュー・スウィートの『ガール・フレンド』(1991年)を聴きますね。いい曲いっぱい入ってるんで。

ははは! でも、なるほどですね。「いい曲」の概念そのものになっていると(笑)。

桃野:あれはほんと、そうですよね。まずあのアルバムを聴いて、それで方向性を決めるんですよ。でも、そうやってつくっていくとだいたいコード感が近くなってしまって。

リアルタイム……じゃないですよね?

桃野:いや、僕その頃、小3ですもん。さすがにあんな毛皮のコートを羽織って「寒いね」みたいなことは……

(一同笑)

ちょっとませてますね。

桃野:まだしも『キミがスキ・ライフ』(2003年)とかなら、奈良美智さんのジャケットとか可愛いですけど。

それもまたちょっとませてるとは思いますが(笑)。でも流行云々は意識しないながらも、お二人ともちょっと古いものに気持ちが惹かれるんですかね。そういう、ある種「懐かしい」モードはこれからのHocoriにも基本的に引き継がれていくものです?

関根:どうなんだろう、わからないですね。たしかに言われてみればちょっと懐かしいものなんですけどね、全部。

桃野:自分らからただ自然に流れ出しているものが、懐かしいものになっているというか……原体験が出てきているんでしょうね。10代のときに刺激を受けたものが、リアルタイムではないにしろ、身体に染みついたものとして出てきている。

関根:でも、どうしたって懐かしくて哀しい感じになるんだよね、たぶん。

ああ、「どうしたって」そうなる。それはほんとにこのユニットの個性ですね。“God Vibration”のPVとか、あの駐車場のターンテーブルで外国人が踊っている感じ……あの切ない、夜が回って音楽が回ってっていう感じ。あそこには回るということが醸し出すノスタルジーみたいなものがありますよね。その上でHocoriの音楽はホログラムみたいに回るんですよ。

桃野:アナログ世代ではけっしてないんですけどね。でも、回るっていうのは何かあるかもしれないですね、音楽との間に共通するものが。

メリーゴーランドとか、懐かしいものは回る(笑)。

関根:繰り返す、とかね。それはあるかもしれないです。

どうしたって悲しくなるというのは、どうしたって懐かしくなるってことでもあるというか。

関根:意識しなくてもついて回るのかなあ。限りなく未来感を描いているつもりでも、僕らがやるとどこか懐かしくなってしまう。

桃野:未来っていうのはすでに懐かしいですよね。……これ、なんかカッコいい言葉じゃない?

ははは。でも、わかりますよ。『未来世紀ブラジル』とかっていうとほんとに懐かしくなってしまいますけども。

桃野:どのみち全部懐かしいものってことにもなっちゃうかもしれないですよ。自分たちが新しいものだと思ってつくっていても。ポストロックとかが出てきたときも、無理してんなって感じたりしましたもんね。これ、ジミヘンとかがセッションでやるようなことじゃない? 無理して新しくない? って。ジミヘンのライヴの余韻の部分を曲として出しているのがトータスみたいな感じがしてて。

ああ、なるほど。当時は「壁紙の音楽」って呼ばれていたくらいなので、当たっているんじゃないでしょうか。マイク前でエゴを剥き出しにして歌うのに対して、壁紙みたいな音楽がポストだという。

和感を大事にしているというのは、新しさを求めているということでもあって。毎回、新しいプロダクションをつくっているイメージではありますね。(関根)

では、本当に「狂熱のライヴ」をやることはないんですか?

関根:やりたいよね。

桃野:びっくりするほどライヴの予定が決まってないんですけどね(笑)。

いや、コンセプトの上だけでも(笑)。今回はぜったい哀しくしないぞ! とか。

関根:それは、ぜんぜんあり得ますね。

それでもどうしても哀しくなってしまうなら、それも素晴らしいですね。なんでしょう、お二人から考えつかないような音って。

桃野:なんだろう……。

関根:スタイルじゃないんだろうと思うんですけどね。ジャンルとかではない部分で新しさがあると、思いもよらないことになるかもしれない。

桃野:かといって、トム・ヨークみたいに工事現場の音を録って……っていうような方向もはたして新しさなのかどうか。本当に新しいものって、何なんでしょうか……。

そういう話になってきますよね。

桃野:新しいものなんて生まれうるのか、みたいな。

関根:僕の中では、Hocoriの作業というのは、「○○みたいに」っていうふうに思ってつくらないことが多いんです。本当に。違和感を大事にしているというのは、新しさを求めているということでもあって。毎回、新しいプロダクションをつくっているイメージではありますね。アウトプットとして新しい感じが出ていないのは、まあ、キラキラな音にしていないからですかね……。

ああ、なるほど。キラキラふうに想像させるところはあると思うんですけど、実際キラキラじゃないですよね。

関根:だから、新しい音楽という意味ではすごく意識してつくっているんですよね。自分たちでコントロールできないもの同士がぶつかったところに何かないかなあとずっと思っている、というか。

桃野:本当に新しいものを探すのはすごく大変なことなので、やっぱりいま新鮮な音を探すということになるかもしれないですね。それが違和感につながるものなんですかねえ。

Hocoriは、お互いが違和感を与えあっているわけですもんね。

桃野:そうですね。僕は、ソロで、ひとりで音楽活動をやるというのはぜんぜん考えられないタイプで。たとえば「関根さんがやろうとしてたのはこういうことか」って、発見することで何か新しい要素に出会いたいんです。そうじゃないと自分の楽曲が退屈に感じちゃうんですよ。

ただでさえご自身の声に飽きているのに(笑)。それで、違和感に出会いにくいソロ活動はあんまり考えられないと。

桃野:僕はそうなんですよね。予想しかつかない。予想通りでしかない(笑)。ソロってそうじゃないですか!?

(一同笑)

桃野:だから、予想通りを新しいと思ってやれる方というのがうらやましいです。それでユニットを組んだりバンドを組んだりということになりますね。

それはおもしろいですね。ソロだからこそほんとにやりたかったことがやれる、というわけではない。

桃野:そうですね。

Hocoriは新しい記号を準備するとかそういう派手な新しさを示すユニットではないと思うんですけど、「そういえばあまり聴いたことがない」という意味では攻めていますよね。ただ、趣味が良すぎて。すごく地味な差を突いてくるわけじゃないですか、関根さんなんて。けっしてわかりやすい新しさじゃないんですよね……。

関根:わかりやすくはないかもしれないですよね(笑)。

雑食的にいろいろなものを取り入れるけど、いまのプロダクションでやるし、流行もうまく入れるけど、最終的には強烈な個性に落とし込んでいく──そういう感じが好きなんです。(関根)

では、音楽にこだわらずにいまかっこいいな、おもしろいな、と感じるものは何でしょう? ポップ・ミュージシャンでもあるわけなので、流行と切れてはいても、何がかっこいいかという感度はバリバリ働いているわけじゃないですか。

桃野:テレビばっかり観てますね……。いまパッと思いつくのは、ハリウッドザコシショウですかね。去年、自分の中で大ブレイクした芸人さんなんですよね。最近は天変地異というか、こんなものが理解されるんだろうか、っていうようなものがボンボンと注目されていて、お笑いってすごいんですよ。僕はグランジが好きだったんですけど、なにか、そういうひっくり返されるような驚きがあるんです。ニルヴァーナみたいな。

ちょうど話題になっていますね。賞を取られた?

桃野:でも、新しいというよりは、スタンスはずっと一貫していて、時代のほうがはまったという感じなんです。

関根:僕、その賞を獲ったネタを見たんですけど、たぶんあれでもめちゃくちゃポップスに落とし込んだんじゃないかな。でも、それってすごく大事だなって思った。本当にアンダーグラウンドなんだけど。僕も昔からすごく好きだったんですよ。

桃野:ものまねってものを破壊して、めちゃくちゃ似てないことをやっているだけなんですよ。あえて言葉で説明するなら。ただの破壊活動なのに、それを成立させるものが何なのか……。

関根:漫☆画太郎だよね。

桃野:音楽でいうと誰だろう。レジデンツとか? ……それは音楽なのか? ってところまで行っているのに、ちゃんと音楽として成立させるっていう、ちょうどそんな感じなんですよ。

へえー。やっぱり、シーンが成熟しているからこそ賞をもらえる、みたいなところもあるんでしょうか。

桃野:それはあるんでしょうねえ。

関根:いろんなタイプのひとが出てオッケーな状態にはなっているのかもしれないですよね。

そこは音楽も難しいですよね。産業としては行くとこまで行ってどん詰まっているのに、それを破れるようなものを見つけて評価できるのかというと……。

関根:あそこまでバンっと出られるかというと、難しいかもしれないですね。

桃野:ジャンルももういっぱいあってよくわからないし。だから、そのひとの発想に触れるということになってくるのかな。

「ひと」はたしかに違和感の源泉ですよね。関根さんはどうですか? 最近カッコいいと思うものは。

関根:僕は、ベタですけど、去年はあれを聴いていたんですよ。ダニー・トランペット&ザ・ソーシャル・エクスペリメント。

おお!

関根:すごく好きで。さっき言っていたようなことと重なるんですけど、とにかくみんなで何かおもしろくていいものをつくろうというムードがすごくあるんですよ。それで、雑食的にいろいろなものを取り入れるけど、いまのプロダクションでやるし、流行もうまく入れるけど、最終的には強烈な個性に落とし込んでいく──そういう感じが好きなんです。去年は本当に、そればっかり聴いてましたね。

へえー。関根さんの映像にもそういうムードはあるかもしれないですね。

関根:どこかちゃんとジャンクで、でもどこかリッチな部分が残っているという感じ。それが好きなんですよ。音楽ではそれが衝撃的にヒット作でした。僕の中では。

「ホコリまみれ」になった音楽を楽しめたらいいなと思いますね。(桃野)
いまの出会いの中に、きっと次の出会いが入ってるんじゃないかっていう感じ。そこでハプニングは起こると思うんですよね。(関根)

固有名詞がきけてうれしいです。Hocoriはプロジェクトをふたりで完結させるつもりでもないというお話でしたが、ここから考えられる展開としてはどんなことがあるんでしょうか?

桃野:この企画盤をつくって、「ホコリなもの」──プライドという意味ですけど──って、意外とひとつじゃないなと思ったんです。音楽一筋ではなくて、大なり小なり、みんな何か持っているじゃないですか。マンガでもテレビでも。誰かの中に、そういう「ホコリなもの」を感じたときに、コラボなんかをやっていければなと。ユキヒーロープロレスさんだったら、自分のファッションという土俵に特撮とかプロレスを持ってきたりしているし、シェンちゃんだったらイラストとか。そうやって「ホコリまみれ」になった音楽を楽しめたらいいなと思いますね。

わざわざ「どうコラボレーションするか」って、形から考える必要はない。

関根:ひたすらハプニングを期待していますね。

期待というのは、「ハプニングを獲りにいく!」という能動的な意味ではないですよね(笑)。

関根:どこかにいつも転がっているものなんですよ。きっと(笑)。

そのスタンスはいいですね。いまっぽいとすら言えるかも。獲りにいかなくてもあるじゃないか、出会えるじゃないかと。

関根:出会えるんじゃないかと思うし、いまの出会いの中に、きっと次の出会いが入ってるんじゃないかっていう感じ。そこでハプニングは起こると思うんですよね。何もないところに突然生まれるわけではないかなって。

音楽のありかたとしてすごく健康──健康というとヘンなニュアンスが混じりますけど、やりたいときにやって、出せるときに出すっていうのが、それが音楽だっていうところがあると思います。祝福すべきありかたじゃないですかね。

関根:気持ちのいい音楽のやり方、つくり方ですよね。そうじゃなきゃいけないって……やっぱりちょっと思います。

桃野:こういうことって、なかなか、意外と成立しないですから。あと、曲数的にはやっと8曲9曲ってくらいになるので、ようやくツーマン・ライヴができます(笑)。

関根:ようやく。これまでは30分以上できないっていうのがあったので。

ははは。でも、今回ライヴの中から発想された曲があったように、ライヴができるとまたいろいろ動いていきそうですね。

桃野:まだ決まってないですけど、そうですね。

音楽的には、「夜の音楽」が「昼の音楽」になったりという展開はないですかね? 4曲めなんて資料には「この曲を通して伝えたいことは『深夜0時、僕の電車で。走らなきゃいけない愛(レール)がある』」って書いてありますから。

関根:ははは! だからなんだよ、っていう。この曲は歌詞をCDに載せていないので、代わりに何が重要なのかを言おう、って(笑)。

桃野:簡潔に書こう、って(笑)。

ははは。その「夜感」ですよ。そのテーマはやっぱり不動なんでしょうか。

桃野:いや、昼に愛が落ちていれば、拾いにいきますよ。でも、何か、落ちてる感じがしないんですよね。それでやっぱり夜ばっかりになってしまう。

昼に愛が落ちていれば、拾いにいきますよ。(桃野)

では、何か年齢が上がるなりいろんな変化を迎えることで、昼の音楽が出てくるかもしれないですね。

桃野:高齢者になれば昼の愛が見つかるかもしれないですね。

それはきっと早朝ですね(笑)。

関根:早朝の愛。カロリー低そうでいいね。

桃野:でもまだこの年齢だと、みんな日中働いて……っていうサイクルになるじゃないですか。だからやっぱりまだ夜ですかね。

以前も言いましたけど、若いひとがポップスで夜の愛を歌うっていうのは、いまはけっこう珍しくないですか。夜の愛っていうテーマを歌うのは難しいんだなって。

桃野:昼にがっつりした愛があると、それは夜までがっつりつかっちゃうことになると思うので、10分以上の尺がないと歌いきれなくなると思いますね。

関根:そうなの(笑)?

桃野:夜だったらもう、バッと表現できるんですけど、昼はきっと尺が必要です。

ユニットのイメージが曲のテーマといっしょになって入ってくるというのは、すごくおもしろいことだと思います。Hocoriは夜の愛。──そんなふうに単純に考えてはおられないでしょうけど、突発的な人たちではないということは重要だなと。

関根:そうですね。そういう、何か同じものを見ているところはあると思います。そこがガラッと変わることがあるかどうかはわからないですけど。

桃野:バンドでやれないことをやっているという面もあるので、ひとつのテーマ性を持った歌詞をどこまで書きつづけられるのかというチャレンジもありますね。

なるほど。いつか切り干し大根のように低カロリーな愛を歌われるときにも、きっと関根さんは絶妙のトラックを準備してくださると思うので、年を経るのも楽しみにしています。

Kerridge - ele-king

 サミュエル・ケーリッジの新譜『ファタル・ライト・アトラクション』が、カール・オコーナー(リージス)主宰の〈ダウンワーズ〉からリリースされた。〈エディションズ・メゴ〉が送り出した刺客イヴ・ドゥ・メイの新譜と並んで、2016年初頭の重要トピックといえよう。これらの作品にはインダストリアル/テクノのモードを刷新する新しさがあるように思える。それは何か。ひとつは人間以降の世界への渇望ともいうべき終末論的な雰囲気が濃厚であること。さらには、そのアトモスフィアを体現するために、サウンドの分裂性や分断性がより推し進められ、テクノの領域に強烈なノイズが侵食していること。とくに『ファタル・ライト・アトラクション』は、その傾向が非常に強い。まさに、闇の中に生成する光とノイズの饗宴だが、ベルリンで開催されたアブストラクトでモダンなテクノ・ミュージックのフェス〈ベルリン・アトーナル〉でのパフォーマンスを元にしているという点も大きな要因かもしれない。

 〈ベルリン・アトーナル〉は、ディミトリ・ヘーゲマンにより1982年から開催され、ベルリンの壁が崩壊した1990年にその歴史に幕を下ろした「伝説」のエクスペリメンタル・ミュージック/テクノ・フェスで、2013年に23年ぶりの復活を遂げている。
 2015年の同フェスにおいては、トニー・コンラッドとファウストの名盤『アウトサイド・ザ・ドリームシンジケート』のパフォーマンスをヘッドライナーに、リージス、ペダー・マネーフェルト、モーリッツ・ヴォン・オズワルド、マイク・パーカーらのパフォーマンス、カンディング・レイとモグワイのバリー・バーンズの競演、そして日本からはリョウ・ムラカミを迎えるなど、じつに見事なアーティスト・キュレーションで話題を呼んだ。しかも会場は、2014年に続き原子力発電所跡地=クラフトヴェルク(現在はディミトリ・ヘーゲマンの〈トレゾア〉がある建物内にある工業スペース)という。

 ケーリッジのライヴ・パフォーマンスの模様は、映像でも(わずかな時間だが)観ることができる。会場である原子力発電所跡地=クラフトヴェルグは、まるで西欧の廃墟となったカテドラルのようなダーク・ロマンティックな雰囲気を漂わせており、まさに完璧なロケーション。その巨大な天井の高さは日本では再現不可能とも思えるほどで、薄暗い巨大な空間に縦に長くそびえる純白のスクリーンに投影される光と影と音響のコントラストが途轍もなくクールだ。これは会場で体験してみたいという欲望を強く持ってしまう。

 このアルバムには、そんな彼のパフォーマンスの記録が冷凍保存されている。高圧的な電子ノイズと、歪んだアジテーション・ヴォイスと、性急なリズムによって脳髄を刺激するようなサウンドは、この会場からの影響も大きいとも思えるが、しかしもともとケーリッジの音楽/音響の中に炸裂していた終末論的な思想とフィードバックを起こした結果でもあるのだろう。私などは、その融合の結果として、本作のようなインダストリアル/テクノ「以降」の現在を象徴するような作品が生まれたのではないかと想像してしまう。

 1曲め“FLA1”からして凄まじい。高周波電子ノイズとアジテーション・ヴォイスのループとレイヤー、錆びた鉄を打つかのような打撃音、生々しい電子音、性急なキック、強烈な電子ノイズが鼓膜を強烈に刺激する。このような音こそ、2010年代のインダストリアル/テクノのモードを刷新するサウンドではないか。ノイズから律動へ。アタックから絶滅的光景へ。光の律動(爆心地?)のような終末的な音響。不穏な世界の空気を、モダン/クールなアートフォームにトランスレーションしてきた先端的なインダストリアル/テクノが描き出す光景は、いま、別の領域へとシフトしつつある。光の臨界点の中で。

 それほどまでに、このアルバムが放射している光の刹那のようなノイズには新しいモードを感じるのだ。もはやインダストリアル/テクノというよりも、パワーエレクトロニクス/テクノとでも形容したいほどである。リリースされたばかりのジェノサイド・オルガンの新譜(最強にして最高)とともに聴いてもまったく遜色がない(とあえていってしまおう)。

 2010年代的なインダストリアル/テクノのネガティヴ・モダン・モードは、いま、刷新されたのかもしれない。怒りと衝動、それを俯瞰する人類絶滅以降の冷徹さ。光。絶滅的。そんな「いま」の気分とモードが、このアルバムには、たしかにある。 だが、それは世界不穏そのものであり、いま、西欧社会がクラッシュしつつあることの反映でもあるはずだ。そう、音楽は世界の無意識を映し出す鏡なのだから。

Peng and Andy Compton - ele-king

 キミが家で打ち込みの音楽を作っているなら、ハウス・ミュージックは聴いておいたほうがいいと思う(もちろんクラブでも聴いたほうがいい)。なぜなら、ハウスをある程度わかっているだけで、キミの音楽がより多くの人に聴かれる可能性はいっきに高まるんだから。ことネット時代の今日においては。
 シンプルでありながら、ハウスのビートの上にはいろいろなものを載せることができる。ハウスほど雑食的に多くを受け入れるビートはほかにはない。ソウルやジャズ、エレクトロニックな響き、実験的な音響、クラシカルな旋律、オールド・ロック,すべての歌モノ、そしてダブ、アフロ、アラブ、ラテン……この音楽が何かを拒むことはないように思えるし、本当にあらゆる音楽はハウスの上でミックスされる。
 ここで用語解説。ディープ・ハウスとは、90年代半ば以降に意識して使われはじめたタームで、別に深さを競って生まれたわけではない。当時は、いまでは信じられないくらいにハウスはメジャーな(コマーシャルな)音楽で、数多くのスターDJが生まれ、いまで言うEDM状態だった。シカゴやデトロイトやNYやニュージャージーのアンダーグラウンドは切り捨てられ、テンポもアッパーになり、若い白人向けの音楽になった。ディープ・ハウスはそうした状況へのカウンターとして、主にUK中北部で広がった。当時ぼくもこのシーンを追いかけ、力を入れてレポートしたので、個人的にも思い入れもある。サブカル的に受けているのではなく、そのへんで働いている普通の姉さんや兄さんが週末ハウスのパーティに出かける。無駄に着飾らず、ロンドンよりも自分たちのほうが正しい音楽を好んでいるんだという自負も彼らにはあった(数年後にダフト・パンクがフックアップするロマンソニーのような連中もグラスゴー~ノッティンガムあたりでは人気だったし、ピッチをなるべくマイナスにしてミックスするという技法も彼らは早くから好んでいた)。
 UK最良のディープ・ハウスの多くにはソウルやジャズの成分が含まれている。それはノーザン・ソウルの伝統だという分析は当時もあった。ブリストルを拠点にする〈Peng〉とアンディ・コンプトンは、UKディープ・ハウスの精神とスタイルを継承している。1999年にはじまったこのレーベルは、伝統を守りながら、デジタル環境もポジティヴに受け入れて、毎年コンスタントなリリースを続けている。ちなみにアンディ・コンプトンはThe Rurals名義では、すでに10枚以上のアルバムを発表しているほどの多作家。
 インターネット時代は、地球の距離が縮まったというけれど、実際ele-kingは海外からのアクセスも少なくない。先日掲載したブリストル・ハウスの記事を見て、アンディ・コンプトン本人から編集部にメールが来た。ブリストルには俺もいるぜということなのだろう。良いレーベルだし、ちょうど良い機会なのでメール取材した。彼は南アフリカのシーンとも強い繋がりがあり、そのあたりの面白い話も聞けた。
 記事の最後には、アンディ・コンプトンに選んでもらったUKディープ・ハウスの名曲も紹介している。これを機会に、UKディープ・ハウス、そして〈Peng〉とアンディ・コンプトンの音楽の温かい魅力に触れて欲しい。



あなたはどのようにしてブリストル・ハウスの記事を知ったんですか?

A:Facebookで知ったんだよ。良いプロデューサー、アーティストが日本でも気に入られているのを知って嬉しかったよ。

ぼくはUKディープ・ハウス・シーンのラフでパワフルな感じが本当に好きなんですけど、あなたの名前を初めて見たのは、1997年のDiY(※)のコンピレーション『DiY: Serve Chilled Volume 1』でした。

A:俺は、1992年/1993年とノッティンガムに住んでいたんだ。それまでは南西部で暮らしながらロック・バンドをやっていたんだけど(ギター担当)、ナイトクラブに行きはじめてからエレクトロニック・ミュージックとディープ・ハウスに恋してしまったんだ!
 幸運だったのは、俺が住んだノッティンガムにはDiYがいたってこと。なにぜ俺は彼らのイベントに行くようになって、最良のディープ・スピリチュアル・ハウスを聴いたんだからね! 俺はそれからデヴォンに戻って、友だちのピート・モリスといっしょにハウス・ミュージックを作るようになった。そしてデモをDiYに送ったんだ。1997年に彼らのレーベル〈DiY Discs〉からリリースされた「Groove Orchard EP」がそれだよ。

1997年ぐらいにぼくがイングランド中部で経験したディープ・ハウスのシーンは、ロンドンのともすればファッショナブルなそれと違って、ごくごく普通の労働者たちが踊っていることに衝撃を受けたものでしたが、この20年のあいだでディープ・ハウス・シーンはどのように発展したのでしょうか?

A:昔のシーンは大きかったよな。エクスタシー文化によって、誰もが愛と良いヴァイ部ブの素晴らしい週末を望んでいたからね。今日の事情はあの頃とは少々違っている。ディープ・ハウスは玄人の音楽、通の音楽になっているんだ。それに、現代の多くの労働者階級が好むのは、おおよそコマーシャルな音楽なんだよ。

あなたはなぜブリストルに越したんですか?

A:ブリストルに来たのは3年前。それまではデヴォンに住んでいた。デヴォンは美しいところだった。The Rurals(彼のプロジェクト)はそこで生まれたからね! とはいえ、音楽シーンはとても静かなんだ。だから俺はブリストルに引っ越すことにした。ブリストルのシーンは驚異的で、多くの偉大なミュージシャンがジャムしたがっているし、音楽を作っているんだ。

あなた自身のレーベル、〈Peng〉はどのように生まれたのですか?

A:90年代後半、俺はThe Ruralsとして多くのレーベルと仕事をしてきたんだけど、自分たちのジャジーでソウルフルな音楽のためにレーベルをはじめようと思った。〈Peng〉といえば高品質だって、みんなもうわかっているよ!

あなたはいまでは南アフリカとの繋がりも深く、南アフリカの人たちといっしょにプロジェクトもやっていますよね。

A:2000年、〈House Afrika〉という南アフリカのレーベルがコンピレーションのためにうちらの曲をライセンスしたいと言ってきたんだけど、そのコンピが10万枚売れているんだよ! それで俺は、南アフリカにはでっかいハウス・ミュージックのシーンがあることを知ったんだ。それからも〈House Afrika〉に〈Peng〉の楽曲や俺の曲をライセンスしていたんだけど、2011年、思い切って南アフリカをツアーしてみることしたんだ。自分で日程を調整ながらね。素晴らしい体験だったよ。俺は主に白人が住んでいないエリアでまわすんだけど、彼らは本当にハウス・ミュージックを愛している。ハウスは彼ら(南アフリカ)の文化の一部なんだ!! ちなみに来月は、俺の18回目の南アフリカ・ツアーだよ! 
 南アフリカでは、ハウスはもっとも人気のあるジャンルで、ラジオもTVもすべてハウス・ミュージックを流している。俺のグループ、Ruralsだってあそこじゃ有名なんだ。南アフリカこそハウス・ネーションだ!
 2014年、俺はソウェト(ヨハネスブルグのエリア名)でAndy Compton's Sowetan Onestepsというグループを結成したんだよ。来たる4月にその最初のアルバムが出る。それが俺にとっての30枚目のアルバムになるんだけどな!





Andy Compton’s Sowetan Onesteps
Sowetan Onesteps

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ダンス・ミュージックは細部化されて、シーンにはトレンドがあります。しかし、ディープ・ハウスはそうしたトレンディなシーンとは距離を置いているように思いますが、いかがでしょう?

A:ハウス・ミュージックは本当に重要なジャンルで、あらゆる多くの他のジャンルのなかで大規模に進化している。いまUKでディープ・ハウスと呼ばれているものは90年代にそう呼んでいたものとは別モノだな。現代のそれはテック・ハウスよりだし、チャートを意識したり、まったくトレンディな音楽だよ! とはいえ良いこともある。この時代、一部の人たちはより深く掘って、ハウスのルーツを見つけているんだ!

UKのオリジナル世代はいまどうしているんですか?

A:ほとんどの90年代世代のレイヴァーはいまは落ち着いて、もう家族があって、それほど出かけていないね!

若い世代がいまディープ・ハウス・シーンに入って来ているって本当ですか?

A:その通り! ブリストルのディープ・ハウス・シーンでは、1000人の若者に会うことは珍しくない。ここブリストルにはアンダーグラウンド・ミュージックを扱っている小さなクラブとともに素晴らしい繁栄がある。キミも知っているように、ブリストルからはどんどんすごいプロデューサーが出てきている。

〈Peng〉はこの15年、コンスタントに作品をリリースしていますが、それはどうしてでしょう?

A:俺たちはこの時代、130枚のEP、35枚のアルバムを(フィジカルあるいはデジタルで)発表している。俺が焦点を当てているのはサウンドが新鮮であること、そのことにエネルギーを注いでいる。デジタルの時代においては、実験はやりやすくなっている。フィジカルと違って、かかる諸経費はないからな。デジタルではより安価にリースできるんだ!

あなたの将来の計画は?

A:音楽を作り続けること! 俺は30枚のアルバムを発売できて満足している。そして俺はさらに世界をツアーするつもりでいる。うまくいけば、日本にも行けるかもしれないな! 俺は、すでに驚くべきに場所に行けて幸せだ。俺の使命は、できるだけ遠くに俺の音楽と愛を広げることなんだ!

(※)ノッティンガムのフリー(無料)パーティ集団。1989年に発足され、英国最大規模となったフリー・レイヴでは、当局が軍をもって鎮圧させたほど。かずかずの伝説を残している。のちにレーベルも運営して、英国中部/北部のディープ・ハウス・シーンの拠点となった。



Brain Eno - ele-king

 昨年のブライアン・イーノは、アフリカ・エクスプレスやコールドプレイのアルバムにひっそりと参加したり、失われたアルバムと言われていた『マイ・スケルチィ・ライフ』を正式にリイシューしたりするなど、散発的な動きは見せていたものの、とりたてて目立つ音楽活動を行っていたわけではなかった。
 とはいえイーノは決して隠遁生活を送っていたのではない。労働党党首ジェレミー・コービンへの支持を表明したり、ギリシャの元財務大臣ヤニス・バルファキスと対談したり、パリ襲撃事件の後にはシリアへの空爆に反対するデモで演説したり、ベーシック・インカムの会合でデヴィッド・グレーバーらとともに講演したりと、昨年のイーノは音楽以外の分野で精力的に活動を行っていたのである。
 年が明けてすぐにボウイという盟友を失ったイーノだが(ふたりはもう一度一緒に仕事をしよう、『アウトサイド』について再考しようと話し合っていたらしい)、おそらくいまの彼には涙に明け暮れている時間的余裕などないのだろう。昨年から続く政治活動の一区切りとなるイベントが2月9日にベルリンで開催され、DiEM25 というプロジェクトが正式に発表された。
 DiEM25 とは Democracy in Europe Movement 2025 の略で、昨年バルファキスによって起ち上げられた、EUの改革を目指す政治運動である。その参加者リストにはイーノの他にも、ジュリアン・アサンジ、スーザン・ジョージ、ケン・ローチ、クリスティアン・マラッツィ、アントニオ・ネグリ、サスキア・サッセン、スラヴォイ・ジジェクなど、錚々たるメンバーが名を連ねている。この新たなムーヴメントのアンセムとしてイベント当日に公開されたのが、イーノによる書き下ろしの新曲 “Stochastic Processional (DiEM)” である。



 ドラムとベースが不穏な雰囲気を形成しながら、暗くも美しい旋律を誘導する。そう、これがいまのイーノのムードなのだ。このトラックは DiEM25 という運動のテーマ曲であると同時に、あまりに混沌としたUKの、ヨーロッパの、そして世界の情勢に対する、イーノなりの切実な応答でもあるのだろう。
 そのような緊迫したムードの中、ソロ名義としては3年半ぶりとなる新作『ザ・シップ』のリリースがアナウンスされた(4月27日、日本先行発売)。同時に公表されたイーノ自身によるメッセージを読むと、来るべき新作にもこのアンセムのような痛切なムードが引き継がれているのではないかと想像させられる。
 なお、イーノは3月9日にリリースされたフォウヴィア・ヘックスのEPおよび3月18日にリリースされたジェイムスの新作にひっそりと参加している。また、4月1日にリリースされるスリー・トラップド・タイガーズ(TTT)のセカンド・アルバムにもカール・ハイドとともに参加しており、TTTのトム・ロジャーソンとイーノとの共作アルバムも年内にリリースされる予定だそうだ。さらに、イーノは同じく年内リリース予定のU2の新作『ソングス・オヴ・エクスペリエンス』のプロデューサーも務めており、今年は音楽の分野でも精力的に活動を行っていくようである。(小林拓音)

Oneohtrix Point Never - ele-king

 1月23日、ファッションブランドのケンゾーがパリ・コレクションにてメンズの新作を発表した。そこでOPNがジャネット・ジャクソンのヒット曲をカヴァーしている。

https://www.facebook.com/nowfashion/videos/10154566478983289/
https://m.nowfashion.com/video-kenzo-menswear-fall-winter-2016-paris-18139

 原曲は1989年リリースの「リズム・ネイション」。これまでのOPNにも声に対する意識は垣間見られたが、実際に合唱隊まで従えた曲を公表するのは今回が初めてだろう(因みに合唱隊のアレンジを手掛けたのは、ジェフ・ミルズとの仕事でも知られるパリの作曲家トマ・ルーセル)。キャッチーなR&Bだった原曲がまるで別物のような声楽ドローンへと生まれ変わっており、なるほど、『ファクト』誌が「脱構築」という言葉を使いたくなるのも頷ける。


(ジャネット原曲)

 2年前にルトスワフスキの「前奏曲」を独自に解釈してみせたときもそうだったけれど、ここまで大胆に改変してくれるとやはり聴いている方も楽しい。カヴァーたるもの、かくあるべし。今後何らかの形で音源化されることがあるのかどうか、気になるところだ。

 2月19日。フォー・テットはOPNの “Sticky Drama” を1時間のロング・ヴァージョンへと仕立て直し、ボイラー・ルームにてストリーミング配信を行った。そのお返しなのか、3月4日にはOPNによるフォー・テット “Evening Side” のエディットが公開されている。まるで往復書簡のようなやりとりだが、もしかしたら今後この二人が本格的にコラボレイトする可能性もあるのかもしれない。



 2月29日。テックライフの一員であるDJアールは、OPNと一緒にアルバムを制作していることを明らかにした。ローンチされたばかりの同クルーのレーベル〈テックライフ〉からリリースされる予定とのことだが、アールによれば、ダニエル・ロパティンは彼に自身のレーベルである〈ソフトウェア〉に来て欲しいとまで語ったそうで、今回の共同作業はOPNからの熱烈なアプローチによって始まったものなのではないかと想像させられる。
ともあれ、このふたりの出会いに興奮するリスナーも多いだろう。なぜならこの邂逅が示唆しているのは、「上」も「下」もどちらも面白い音楽が生み出される可能性なのだから。昨年行われたリキッドルームでのライヴでも明らかになったように、OPNの弱点は「下」にある。「下」とはつまりベースやドラム、ビートやリズムのことだ。これまで圧倒的な強度の「上」を呈示し続けてきたOPNが、フットワークすなわち「下」の精鋭とコラボレイトする。これは期待せずにはいられないだろう。

 そして、ようやくである。昨年から何度も報じられていたアントニー・ヘガティによる新プロジェクト、アノーニのアルバムが5月6日にリリースされる。この新作でOPNはハドソン・モホークとともにプロダクションを手掛け、全編に渡って参加している。3月9日に公開された “Drone Bomb Me” のMVはナオミ・キャンベルが主演を務めており、アントニーとハドモーとOPNというそもそもなぜ成立したのかよくわからない不思議なトライアングルの緊張感が伝わってくる映像になっている。(小林拓音)

https://itunes.apple.com/us/post/idsa.c9f49974-e62f-11e5-a769-f18b118b72da

Treatment - ele-king

 『クラブ/インディ レーベル・ガイドブック』をつくっている時に、テクノやハウスの分野で多大なフォローを依頼した河村祐介が「このところロウ・ハウスからオールド・エレクトロに流れが変わってきた」という大胆かつ不敵な指摘をしていて、それにはまー、僕も一票だなと思った(18歳以上はみな一票)。DJオーヴァードーズが騒がれはじめたのももうだいぶ前だし、同じくダッチ・エレクトロのレゴヴェルトが第2のピークに突入してか らもだいぶ経っている。エレクトロがそのような単線のリヴァイヴァルであれば、細分化された趣味の一部にフィットする程度の波でしかないのかもしれないけれど、ピンクマンやセントラル・プロセッシング・ユニットといったレーベル、パウウェルやロブスター・ボーイ、そして、ベルリンからビンことジャーマン・グエンとトルコ系のウヌル・ウザー(『カシュミール』!)が新たに組んだトリートメントはベルリンでももっとも新しい傾向といわれ (詳しくは『クラブ/インディ レーベル・ガイドブック』p.144)、いわゆるヴィラロボス・タッチのミニマル・ハウスを柔軟にエレクトロに移し変えたものとなっている。DJとしての評価が鰻上りに高まっているビンはとくに、ここ数年、90年代後半にイギリスで起きたディープ・ハウス・リヴァイヴァルに関心があったそうで、ということは「リコズ・ヘリー」や『タイニー・リマインダーズ』の時期のアンディ・ウェザオールを通過しない わけがない。イージーにいえば、下品ではないエレクトロ。そう、トリートメントのデビューLP『LP』はオールド・エレクトロのさらに次を突いてきた(https://soundcloud.com/efd-tokyo/sets/treatment-untitled-02- treatment

 アルビジョア十字軍によるカタリ派の大虐殺があった南フランスで4年に渡ってカタリ派の儀式「コンヴェナンザ」をテーマとしてきたアンディ・ ウェザオールもSSWに転身していたニーナ・ウォルシュとのタッグを前年から回復したせいか(ディープ・ハウスなどを聴かせるザ・ウッドレイ・リ サーチ・ファシリティ名義『ザ・フェニックス・サバーブ』)、90年代のテイストを織り込むような作風に戻っていることがわかる。トリートメント 『LP』と『コンヴェナンザ』を交互に聴いていると、若さと老練の両サイドから同じテーマを畳み掛けられているようで、肩の力が抜けたウェザオー ル&ウォルシュに驚くほど洗練されたビン&ウザーが同じ螺旋状の異なるポイントに位置しているようで、短時間の間に時間が伸び縮みしているような 安上がりの錯覚に陥ってしまう。もちろん『コンヴェンザ』にはスペシャルズやニュー・オーダーみたいなところもあるし(ヴォーカル・アルバムで す、念のため)、トリートメントはほとんどの曲がルーマニアン・ミニマルとオーヴァーラップするなど異なる面も多い。しかし、『LP』のクロージング・トラックなんてTLS『ザ・フィフス・ミッション』の未発表曲にしか聴こえないし。

 さらに、ここ最近でもっともエレクトロの可能性を感じさせてくれたのがよくも悪くもライアン・リー・ウエストによる3作め『ハウル(=遠吠え)』 だった。前作まではオルター・イーゴ“ロッカー”を思わせるエレクトロ(クラッシュ)にしか聴こえなかったリズムが4年も経つうちにポリリズム化し、ジュークのような16分刻みのベースを取り入れたり、全体にトライバル・ビートを強調しながらもメロディはクラシカルな重厚さを持たせるな ど、なんというか、ポスト・クラシカルとエレクトロクラッシュが出会ったような奇妙なサウンドに様変わりしていたのである(僕も最初はダブステップに聴こえたほど)。とてもエレクトロが原型にあるとは思えないし、様式性を求める人にはありえない展開としか言えず、物悲しいトーンはリスナーをえり分けてしまうだろう(IDMヴァージョンのキュアーというか、メランコリック・ヴァージョンのパウウェルというか。実際、ボーズ・オブ・カ ナダとはファン層が被るっぽい)。


interview with ASA-CHANG&巡礼 - ele-king


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

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 古代インド神話におけるトリムルティ(三神一体論)に登場するシヴァ神は、破壊神でありながら、破壊後の創造をも担うという両義性を持つ。ヒンドゥー教の経典『リグ・ヴェーダ』では、シヴァは暴風雨神ルドラとして現れ、暴風雨による風水害を引き起こす一方で土地を肥沃に潤し、作物の恵みをもたらす。またルドラには人々の病を治癒する超能力があるという。

 破壊とその後の再生を担うという両義性。病を治癒する力。ルドラやシヴァのこうした特性は、ASA-CHANGという優れて特異な音楽家の創作態度とぴったり重なる。既成の様式を破壊するだけでなく、根底から創り直して再生させる――ASA-CHANG&巡礼のこれまでの軌跡は、文字通り破壊と再生の連続であった。ASA-CHANGが切り開いた“けものみち”に咲きみだれる、美しくも異形の花々は、いつしか世界中に散らばる同志たちにとってのひとつの道標となっている。

 2009年の5thアルバム『影の無いヒト』をピークとして、翌10年にこれまでの編成を一旦解体したASA-CHANG&巡礼から、7年ぶりの新作『まほう』が届いた。後関好宏と須原杏という二人の新メンバーを迎えて制作された初のオリジナル・アルバムとなる今作は、全曲歌モノで構成された、まさに初ものずくしの作品となった。とりわけその核となる“まほう”と“告白”の2曲は、かつてない方法論でつくられ、体験したことのない衝撃を聴き手にもたらす未知の音楽であると同時に、日本語のポップスが未踏の領域に足を踏み入れた瞬間の記録でもある。前者の歌詞は、『惡の華』(『別冊少年マガジン』09年10月創刊号~14年6月号連載、講談社コミックス全11巻刊)などで知られる漫画家の押見修造が、吃音に悩む少女を主人公にした学園物の短篇“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”(太田出版WEB連載空間『ぽこぽこ』11年12月~12年10月連載、13年1月同題のコミックス全1巻刊)からサンプリングしたことばのぶつ切りと作中に登場する歌詞の引用がミックスされ、後者の歌詞は、今作のジャケットも手がけたアート・ディレクター/映像作家の勅使河原一雅のウェブサイトに上げられた赤裸々なプロフィールをそのまま引用した。「そんなのありか!?」と思わず叫びたくなる意表をついたアプローチだが、チョップされたことばと音が曼荼羅のように脳内を回り出す、ASA-CHANG&巡礼の専売特許というべきえもいわれぬ聴き心地がさらに深まって、なんと形容していいか分からない、まったく新しい感情が自分の中に芽生えるのを感じる。

 1969年にカナダのトロントで行われたマーシャル・マクルーハンとジョン・レノンの対話のなかで、マクルーハンは言う。「言葉というものは、どもりを整理した形態だ。人は喋るときに、文字通り音を切り刻んでいる。ところが、うたうとき人はどもらない。つまり、うたうという行為は、言語記号をひきのばして、長く調和のとれたさまざまなパターンと周波をつくり出すことなのだ」。

 一方、レノンは言う。「私にとって言葉とか歌は、理論的に震動がどうのこうのということを別にすれば、夢を語ろうとするようなものなのです」。そして、「どもることに関しての話はたしかにおっしゃるとおりですね――言いたいことって言えないものです。どんなふうに言っても、いいたいようにはけっして言えませんよ」と述懐した後、「音楽が新しいリズム、新しいパターンを採用する方向に向いつつあることをどう思う?」というマクルーハンの問いかけに対し、「完全な自由があるべきですね。とにかく、人間が何千年もかかえてきたパターンをいったん捨ててみることです」と言い切っている。

 「ビートルズの音楽はよい趣味になりつつある危険に瀕しているのかね?」とマクルーハンに問われたレノンは即答する。「その段階はもう通りすぎましたよ。もっと徹底的にむちうたれなくてはいけないのです」。ぼくには、ASA-CHANGとレノンが、47年間という時の隔たりを超えて、方法論こそ違えども、創造にかかわる問題意識を共有しているように思えてならない。マクルーハン曰く、「それが、中央集権化している現代の世界を白紙に戻す方法でもある」。

 押見、勅使河原の両氏は、ASA-CHANG&巡礼が14年に始動した、異なる分野の表現者とマンツーマンでセッションするライヴ・イヴェント「アウフヘーベン!」のvol.3とvol.2 にそれぞれ出演しているが、aufhebenというドイツ語には、廃棄する・否定するという意味と、保存する・高めるという二つの矛盾する意味がある。これはドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した弁証法の基底となる概念であり、否定を発展の契機としてとらえる考え方である。テーゼ(命題)に対するアンチテーゼ(反対命題)として古きを否定する新しきものが現れるとき、矛盾するもの同士を高次の段階でジンテーゼ(統合)することにより新しい何かを生み出し、さらなる高みに到達しようという、このプロセスをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。それはまさしく「ASA-CHANGという哲学」そのものだ。

 今作『まほう』は、否定の感情をぶつけあい傷つけあって、いたずらに混迷するばかりの世界に向けてASA-CHANG&巡礼という破壊神が投じた、止揚への大いなる一石であり、決して癒されることのない痛みに苦しむ人たちにおくる鎮魂歌集である。


■ASA-CHANG&巡礼
1997年、ASA-CHANGのソロユニットとして始動。国内で評価されるとともに各国のメディアにも取り上げられる。 また、ミュージックビデオにおけるコンテンポラリーダンサーとの共演が世界的な話題となり、09年に音楽×ダンス公演『JUNRAY DANCE CHANG』を世田谷パブリックシアターにて開催。 12年に後関好宏、須原杏をメンバーに迎え、国際的な舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT 2012」への参加、アニメ『惡の華』のEDテーマ曲の提供など、多岐にわたり活動を展開している。 また、14年9月からライブシリーズ「アウフヘーベン!」を始動、世界的な舞踏家・室伏鴻や映像作家・勅使河原一雅、漫画家・押見修造といったジャンルを横断した作家とのコラボレーションを行う。2016年3月、6thアルバム「まほう」をP-VINEより発売。

音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。

新しい編成になって、いろんな意味で新しいスタートラインに立った──ご自身もそういう気持ちでレコーディングをされたのでしょうか?

ASA-CHANG(以下AC):そうですね。メンバーが変わりましたからね。で、ひとが変わったわけだから、音も変わりますね。

前の3人編成のときに、ASA-CHANG&巡礼の音楽は確立されていました。ぼくは活動が広がっていくにつれて、少しずつ理解できるようになったというか。最初は突然変異系の音楽だと受けとめていたんです。だけど、やっぱり“花”という曲がぼくも好きで、ずっと心に残っているんですよね。あの曲があるから、たとえ変わったとしても全然関係のないところへ行ってしまうことはないだろう、という気持ちはありますね。今回のアルバムを聴いても、作品から受ける感動の性質は変わらなかった。生と死の両方を感じさせ、なおかつ、ぎりぎりの果ての果てからそれでも先に行かなければいけないときに支えになってくれる音楽というか。新しいメンバーはどういう経緯で集まったのですか?

AC:前のメンバーとの形が解体して、それ以降、自分のソロとして続けると告知したんですけどね。そのちょっと前から舞台芸術というか、コンテンポラリー・ダンサーといっしょにやったり、世田谷パブリックシアターなんて大きな劇場から声をかけてもらったりとか。やっぱりソロでは活動できなかったので新メンバーを公募したりしていたのですが、なかなか見つからない……。それでようやく巡りあったメンバーが後関(好宏)さんと須原(杏)さんだったんですね。

後関さんは在日ファンクのメンバーですよね。

AC:そのときは在日ファンクのメンバーじゃなかったと思います。いまはそうですが……。ちょっと定かではないです。

管楽器ができるひとが欲しかったのですか?

AC:正直そういう見方でもなくて、音楽=サウンドだけだと思えませんでした。本当に管楽器が欲しかったら、そのメンバーに歌ってもらうなんてことはしないと思うんですよ(笑)。そのひとと作りたい、その滲み出るもの全部と関わりたいんですね。だからヴァイオリニストにヴァイオリンだけを望まないし、管楽器奏者から管楽器だけを望まない。その限られた人数のなかでつくっていこうと思うと、どうしても起こってくるんですけど。かといって、そのひとを深く知ろうとするわけでもないんですけど。

そのひとがピンとくるポイントってどこですか?

AC:んーわかんない。相性というか。感覚よりも明確な何かがあるでしょうけれども……、わからないですね。鍵穴みたいなものというか……。

音を出す前から、どんな感じかわかるのですか?

AC:音は関係なくなっちゃいますね。当然音はいいだろうと確信しているので。

後関(好宏) さんとの出会いはどんな感じでしたか?

AC:覚えてないです(笑)。メンバーになる前から知っていたので。ゴセッキーというアダ名がありまして。ゴセッキーとまさか巡礼をやるとは思いもしなかったですね。この東京の音楽業界の片隅に必ずいた人物なので。念頭にはなかったんですが、メンバーを探していたときにお願いしてみたというか。

須原(杏)さんは?

AC:ひとづてです。こういうことを話しても、ドラマ性がなくて面白くないんですよ(笑)。

「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。

きっとなにがしか引き合うものがあって、メンバーになっているわけですよね?

AC:そうですね。でも僕らは、バンド体質を持っていないというのは大きいですね。ベースがいてドラムがいてピアノがいないと成り立たない音楽だとは思わないので。バンドマンが持っているような考え方や、出会いのドラマチックさが、ある意味全然なんですよ。

それは前からそうなんですか?

AC:うん……。あんまりそういうのはないかもですね。あったらロック・バンドをやっていますって。スカ・バンドしかやってないですから。「ワン、ツー、スリー、フォー」ってドラマーがバチをカンカン鳴らしてカウントするのも、なんだか恥ずかしいと思っていましたから。自分の好き嫌いは相対的なもので、もっとかっこいいものが他にあったら、浮気症な男なんで、自分の音楽哲学みたいなものは変わってしまいますよね。だから、出会いかたはつまんないんですけど、いまは本当に大切なメンバーですね。

新編成になってからの第一歩を、どういう形で記したのですか?

AC:前の編成(ASA-CHANG、ギタリスト/プログラマーの浦山秀彦、タブラ奏者のU-zhaan) を2009年に解体しました。加入した時には、まさかお茶の間レベルにまで浸透するなるなんて想像もつかなかったU-zhaanという存在、彼と活動をともにしなくなってから、3年後ですか。京都で舞台芸術のイヴェント(「KYOTO EXPERIMENT 2012」) があって、それに出ることになったんですが、そのとき初めて新体制で動きました。

2010年から2012年の間は、朝倉さんがひとりでいろんなことをやっていたのですか?

AC:いや、何もやってないです。正直ちょっと面倒くさくなっちゃいました。

ある意味、一旦解散したような感覚があったのですか?

AC:辞めようとまでは思っていませんでした。でも、言い方が悪いですが、本当に面倒くさくなっちゃったんですよ。これはぼくのいけないところだと思うんですけど、(巡礼以外の)他のプロデュースや演奏に集中してしまうと、そこに鍵をかけて置いておけるんです。一旦そうすると、自分で何か始めるまでおいておけるんですね。そういうナマケモノの場所が自分にはあるので、数年間はほっぽっておいちゃいました。

ASA-CHANG&巡礼は、朝倉さんが他所に心がいっているときは、別に動かさなくてもいいわけですね?

AC:それがすごくナマケモノなところだと思います。

舞台芸術なんていうと、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。

「KYOTO EXPERIMENT 2012」に参加したときに、新メンバーとリハーサルで音を出してみて、そこでいっしょにやる音楽が見えてきた感じですか?

AC:舞台表現だから、相当な稽古量なんですよ。だからその音楽だけのリハーサルなんていうのは、本当に歯車の一個という感じで。台本に合わせた細かい打ち合わせを毎日やるわけです。ライヴバンドみたいに「やっちまえ!」という感覚は許されない。

演出家が指示を出して、それにミュージシャンも従うという。

AC:その演出家が自分なんですよ。だからいい意味で音だけに集中しなくて済んだので、音は他のふたりに預けておけた。それが自分にとって良い形のスタートを切れたのかもしれないですね。舞台芸術なんていうと、なんかアカデミックで、モノクロの光がわぁーっときて、なんでみんなそんな同じような表現しかないのかな、というところに自分のアンチがあったので、たとえ野暮でも極彩色で明るいものにしようと。なんでいつもこう暗黒舞踏みたいなのだろう、と。誰が決めたんですかね? 舞台芸術の常識っていうのはとても不思議だなと。

ぼくは観客として舞台や演劇に接するとき、なかなかその世界に素直に入れないタイプなんです。

AC:ぼくもそうです。ちょっとかゆくなっちゃうというか(笑)。正直、わざわざお金を出して観に行こうとは思わなかったんです。突然奇声を張り上げたりとか、ステージ脇から走ってきて止まってバタンと倒れたり(笑)。あのスタイルは誰が決めたんだと。それが(効果的に)作用するときがあったんだろうと思うんだけど、それを固定してやられても、ちょっと気持ち悪いですよね。でも、気持ち悪いと思っているひとだから切り開ける部分もあって。だとしたら、ずっと走っていてバタンと倒れるのが上手くなれば「最高」ってなるわけじゃないですか?

それってコントみたいですね。

AC:何かの思想だけで表現しているみたいなのがね……。しかしそういう界隈で巡礼の音楽はすごく評価されているんですよ。それで観に行って勉強するというか、通ってみたりして。ただ嫌い、って言うのもいやになっちゃって、好きなものもあるかもしれないぞと。でも、どうしても嫌いで。

そんなに急には変らないですよね(笑)。

AC:好きなカンパニーも少しは出来たんです。そのひとたちと手を組んで強烈にいろんなことをやっていったら、「KYOTO EXPERIMENT」の舞台の演出の話がきたんです。嬉しかったですね。

その試みは『JUNRAY DANCE CHANG』(※09年5月15日~17日、世田谷パブリックシアターで開催された音楽×ダンスの3DAYS公演。音楽・演奏:ASA-CHANG&巡礼/構成・総合演出:ASA-CHANG×菅尾なぎさ/振付・出演:熊谷和徳、菅尾なぎさ、斉藤美音子、康本雅子/出演:井手茂太、上田創、酒井幸菜、佐藤亮介、鈴木美奈子、須加めぐみ、中村達哉、中澤聖子、松之木天辺、メガネ、U-zhaan、ASA-CHANG、他)/空間美術:宇治野宗輝×ASA-CHANG)からはじまっているんですか?

AC:そうです。その前(06年3月29日~31日)にも、六本木の〈スーパー・デラックス〉で『アオイロ劇場』(※ASA-CHANG&巡礼とMV“つぎねぷと言ってみた”、“背中”、“カな”のミュージック・ヴィデオに出演したダンサーたちが舞台空間で競演する、JUNRAY DANCE CHANG名義の3DAYS公演)というのをやりました。そういう感じですね。

『アオイロ劇場』はどういうきっかけではじめたのですか?

AC:自分の作った“花”とか、“つぎねぷと言ってみた”を「公演で使っていいか?」という依頼が、いろんなダンス・カンパニーから――ヨーロッパやアメリカ、もちろん日本からもくるようになって。

それは思いがけない反響でしたか?

AC:思いがけないです。まさか身体表現のひとからそんなに愛されるとは思っていなかったですね。そういう反応があって、自分もそっちへ接近していったんです。

なぜ身体表現をするひとたちに好かれるのか。あるいは、なぜ彼らがASA-CHANG&巡礼に触発されるのか。その理由について、朝倉さん自身が接近していくにつれて何か見えてくるものはありましたか?

AC:「なぜ」かはわからないですね。ただみんな好きで使ってくれたみたいです。「なぜ」を問うたりしなかったです。既存の曲のように1番があって2番があって間奏があってエンディングに向かって盛り上がってダンっと終わる曲が踊りづらいんでしょうね。同じビートが続いて……それじゃ、クラブ・ミュージックで自然に反応するような動きしかできなくなっちゃうんですよ。パルス過ぎるんでしょうね。かといって、巡礼の“花”なんかクラブで結構かかっていた時期もありましたね。

エクスペリメンタルな音楽には、想像力を喚起して身体を動かしたくなる不思議な作用があって、そういう要素がASA-CHANG&巡礼には入っているような気がしますね。

AC:そうだと嬉しいのですけれど……。ぼくは例えば本を作ろうとすると、紙の原料になるコウゾやミツマタの木を伐採に行くようなことから始めるわけです。そこから作って紙をすいて、そのインクまで作るみたいなことをしないと、自分のなかではオリジナルだとは思えなくなってしまって。そうしないといけないと前世で誰かに言われてしまったんだと思うぐらいです。

家を作るんだったら、まず瓦を作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。

そういう気持ちが高まってきたのはいつぐらいからですか?

AC:昔からです。スカパラのときもそうでした。どこにもないから作るという、収まりきらないようなモノをね。家を作るんだったら、まず瓦から作りたいんです。そういうことをすることが音楽だと思ってしまっている。例えば、DJはターンテーブルを作らないでしょう?

そうですね。ターンテーブルはすでに用意されている、という前提がありますね。

AC:それだと個人のスタイルが違うだけで、フォーマットは違わないじゃないですか? そこでフォーマットを変えることが音楽だと思っちゃったんですよ、ぼくは。ただそんなことをやっているとキツいんです。それは80年代に当時のファッションの最高にアツい現場にいて、20代でそういうことを感じてしまったことが影響しているのかもしれないですけどね。雑誌の「流行通信」などの撮影現場で、ものすごいモノを作り上げていて、ぼくはびっくりしたんです。そこで初めてクリエーターと呼ばれるひとたちに会うわけですよ。

朝倉さんはヘアメイクのお仕事をされていましたよね。その頃に出会って、とくに印象に残っているひとたちは?

AC:写真家の小暮徹さん。いまでも親交があります。伊島薫さんもそうです。素晴らしいひとたちと会い過ぎちゃって。自分は全然ダメで、ただ東北の田舎から出てきてカタカナ商売に憧れていただけの未成熟な少年で、ここで何かしなきゃ!と焦って、もがいていました。原宿のど真ん中で……入り込んだ美容集団が凄すぎたのは、ぼくにとってはとても大きいですね。そのなかで小泉今日子さんとも出会うわけですけど。だから、音楽にもその当時のクリエイティヴの熱気を求めますね。

あのころの……80年代の熱気って特別な感じがしますね。

AC:ただ、いまと空気が違うから、そのまますり合わせるのも無理なので、それをいまの自分とすり合わせて上手く作っていこうと思うんですけど。

創造性を触発されるクリエイターとセッションするという感覚は、朝倉さんのなかでずっと続いているんでしょうね。

AC:そうですね。ぼくはあまりにもそのひとたちと世代が違ったので、(相手が)デカすぎたんでしょうね。そういう風になりたい、大人になりたい、と常に思っています。「スタイリストって本当に洋服を選んでいるだけのか?」って思っちゃうくらいすごかったので。だから、音楽をやるために音楽だけに入り込むというのがまったくつまらなく思えたんですね。それよりも音楽を壊していくことが音楽を作ることに近い気がします。

スカパラも、初期の頃は魑魅魍魎が現れたというか、それまでの日本には存在しないニュータイプの楽団だった。でもスタイリッシュでカッコいい、まったく新しいグループとして世に出た記憶がありますね。

AC:とにかく人数が多くて、ライヴハウスのステージから常にひとりかふたりはみ出しているわけですから(笑)。

しかも当時はクリーンヘッド・ギムラという煽り役がステージの中心にいて、担当は“匂い”だという。そういうスペシャルなメンバーもいましたからね。

AC:それを作ろうと思ってああなったわけじゃないけど、いまでも使われている“東京スカパラダイスオーケストラ”というあのロゴをぼくが書くわけなんです。そういうデッサンみたいなものをぼくが(スカパラを構想したときに)書いているわけですよ。そういうことをイメージしちゃうと、それを実際にやりたくなって。でもそれは数年しかやれないわけですよ。じゃあ辞めて別のバンドに入ればいいわけですけど、ぼくの場合はそうじゃないんです。

スカパラのロゴが頭に浮かんで、そのデッサンを形にした後は、イメージが膨らんでくるのを楽しんでいる状態でしたか?

AC:ぜんぜん楽しくないですよ。焦りともがき。「これかっこよくない?! やろうよ!」って常に周りに勧誘してたと思います。やっぱり(実現するにはふさわしい)時があるんでしょうね。急速に集まり出すんです。それでデビューしていくわけですけど。

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みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちはいまでも全然ありますね。


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80年代の終わりから90年代の頭にかけての東京の空気って、ぼくがこれまでに経験したなかでも、いまだにああいうザワザワした感じってなかったな、と思うんですよね。街中に新しいものが生まれる空気があって。

AC:それは、いまだとネット上のあるところには存在するのかもしれないけど。でも当時は街角とか、ある店に行くと(何かハプニング的な出会いがある)……っていう感じでしたからね。あの煩わしいくらいのひととの(距離感の)近さは、いまは作れないですよね。

街の空気はあの頃のようには戻らない、そこは決定的に変わっちゃったなと思いますね。いまは音楽と人間との関わり方が新たに問われている時代というか。

AC:そういう場所が好きだったら、そのままやっていたでしょうけど、そうじゃないんですよね。あと、音楽業界に慣れないんですよ。所属事務所も(スカパラを)どう扱っていいかわからない、でも人気があるぞ、と。だからスカパラの代表としてのぼくは、風当りが強かったですね。なのにメンバーはみんな暴れん坊だし……。

ぼくらからすると、突然ASA-CHANGが抜けちゃったっていう感じだったので困惑しました(93年3月、3rdアルバム『PIONEERS』発表後に脱退)。創始者がいなくなったんですから。スカパラも、メジャーデビューしてからは音楽業界の仕組みのなかに入って、既成のルールに則って動かなきゃいけないような感じになって、そこにハマらないメンバーは順次抜けていったようにも見えたし……。

AC:でも、脱退のことは20年ぐらい前にどこかの雑誌で聞かれても答えようとしなかったんですけど、「お茶の間にスカを」なんて言ったのはぼくですからね。そういうことをやりたかったんです。『夜のヒットスタジオ』に出たいとか。みんなで、世間をかき回せればいいと思いました。何かを挑発してね。そういう気持ちは(いまでも)全然ありますね。

静かに、すごく挑発していると思いますよ。

AC:前までの巡礼は、本当にひとの心の奥までムリヤリ触りに行っていたと思うんですよ。そういう挑発をやっていたと思うんですけど、今の作品は、そんな気持ちにはなれなかったんですよね。

『まほう』にはすごく痛みを感じるんですよね。完全には癒しきれない、ずっと引きずらざるを得ないその痛みにどう寄り添えるのか、懸命に取り組んでいる。そういう音楽にも聴こえましたね。

AC:嬉しいですね。

聴き終えたとき、自分のなかに新しい感情が芽生えたんですよね。“まほう”というタイトル曲とか、まさにそういう感じで。これは吃音の女の子を主人公にした押見修造さんという漫画家の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」という作品に触発されて生まれたわけですよね。押見先生との出会いは、まず作品を読んで?

AC:いや。押見先生って講談社からコミックスを出してるくらい有名な方で、代表作の『惡の華』、それがアニメ化されるんですね(2013年4月よりTOKYO MXなどの独立局、BSアニマックスなどのアニメ専門局で放送)。そのとき、押見先生から直々に指名されて「エンディングに“花”を使わせてほしい」と。でもいろんな意味でリニューアルしないといけなくて。あれは古い作品ですもんね。

押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にもあるでしょ、という描き方。

古い作品といっても、あれは真のクラシックだと思います。

AC:でも、巡礼の作品を指名してくれて。それで訊いてみたら、押見先生は巡礼のライヴにすごく来てくださっていたんですよ。初期のライヴから見てくれていて。しかも『惡の華』は巡礼からインスパイアされている部分もあると。それを聞いて本当に嬉しかったから、「ぼく、作り直します」て言って、もう一回全然違うひとの声をレコーディングして、その音声を切ってはめていくってことをやったんですけれども……。それが先生との出会いですね。それから、実は押見先生自身が吃音を持っていたと。(ご自身の経験を下敷きにして描いた)その作品に出会うんですけど、押見先生がすごいのは、吃音のハンデを理解してほしいという漫画じゃないってことなんですね。もっと上のレベルにいっている。さらにいうと、こういうひとが普通の社会にも存在するでしょ、という描き方。登場人物には、普通の基準からズレている子たちがたくさん出てくるけど、それも普通の子たちといっしょにいて。それがただの重い作品として終わらないんですよ。それが“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”っていう作品なんですけど。この漫画の風通しのよさを音楽にできないかなと思いました。普通の日常が普通に終わっていく作品なんですが、だから風通しのよい曲にしちゃいました。

作詞のクレジットは押見先生と朝倉さんの共作になっていますが、それは漫画から朝倉さんがことばをちぎってはエディットしていくようなやり方ですか?

AC:押見先生のセリフなんですけど、それをある程度いじっちゃったので。使う言葉もぼくが決めちゃったので。

“花”とか“つぎねぷ”もそうですが、ASA-CHANG&巡礼の代表作に共通するコンストラクション/コンポジションを感じる作品ですね。

AC:普段はポップスで使わないリズムにはめていくというか。いまだに日本語はグルーヴしないと言われているけれども、日本語(の特性)に起因することが多いんですよね。流れていかないから。韓国語もそうですけど、サウンドがブツ切れなので、だからこそのかっこいい音楽ができるんじゃないの、と。そこにすがるようにね。それで今でも自問自答して作るんですけどね。気持ち悪いひとにとっては気持ち悪いと思いますけどね。

それこそ60年代から70年代にかけてフリージャズのムーヴメントがあったときに、詩人とジャズメンが共演して、ことばと音のセッションは当時盛んに行われていました。ことばと音をなんとかしたいという気持ちは、詩人や音楽家には同じようにあったけれど、いまは必ずしも即時性に拘らなくて、サンプラーが生まれて以降だから、わりといろんな要素を組み合わせることがやりやすくなっているのかもしれないですね。

AC:そうですね。昔はそういうのをやるにしても、いちいちアナログテープを切ったり貼ったりしてやっていたけれども。ターンテーブルを使ってコラージュしたりね。だけどそれもスタイルになっちゃったっていうのもあって。

どうしても、何事も生まれたときがいちばん面白くて、それをみんなで共有できるようになると、それが型になりますよね。

AC:巡礼はもうちょっと仲間を増やしたいですけどね(笑)。

仲間だと思えるひとたちは国内外にいますか?

AC:ヨーロッパのDJやアーティストはよく扱ってくれて、仲間というか、かけてくれる時点でありがたかったですね。

どういうかけ方をするんですか?

AC:普通にDJフォームですよね。日本語のブツ切れ感がエキゾチックに感じるのかもしれないんですけど。

ことばの使い方が最初から厳密な意味性に捕われていない。ぽっとことばが出てきて、それがつらつらっと想念のように続いていく。もしくは途切れて、また次に飛んでいくというか。

AC:日本にはレイ・ハラカミがいました。なんでこんなことができるんだろうって思うような美しさを、ハラカミくんは安いシーケンサーでやっていて惚れました。あとはコーネリアスでしょうか。小山田くん本人が言ってくれていますけど、彼の声の捉え方には巡礼の影響があると思います。

(コーネリアス・リミックスは)すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ぼくもそれは『Point』以降のコーネリアス作品に感じますね。

AC:だから、音楽界ももうちょっと巡礼を汲み取ってもいいと思いますけど(笑)。コーネリアスに巡礼の影響があるのも、まさか?!っていう感じなんですかね。

でも、小山田くんとはフリッパーズ・ギター時代から交流があったりして、〈トラットリア〉から巡礼のデビュー・アルバムが出ますよね。あれが出たときは、コーネリアスは現在のようなスタイルではなかったですよね。

AC:コーネリアスのレコーディングに呼ばれたのは、まだ初期の頃でしたね。バンド編成で、まさに渋谷系直系の音でしたね。

初期のコーネリアスは、ポップスとしてオーソドックスなコンポジションだったけれど、どんどんそれ以降変わっていきますよね(※97年9月にコーネリアスの3rdアルバム『FANTASMA』が、翌98年にASA-CHANG&巡礼の1stアルバム『タブラマグマボンゴ』がリリースされた)。2000年代以降はエクスペリメンタルな、まさに巡礼的なフォームになっていった。

AC:あとSalyu × Salyuの声をチョップする感じとか。ただ、格好のつけ方は巡礼と違うので面白いんですよ。「これどうやってんの?」って訊いちゃうもん。そしたら、「……っていうか、巡礼のあれはどうやってるんですか?」みたいな会話になって(笑)。ある日「小山田くん、巡礼の新譜を出すんだけど関わってくれないか?」って依頼したら「OK」と。そしたら、ものすごく作業が早いんですよ。他の曲ができる前にコーネリアスのリミックスが出来上がっていて。ぼくらの他の曲のミックスダウンが終わってないのに、コーネリアスのやつだけドーンっと届いて(笑)。「これは超えらんないかも。頑張るしか……」みたいな。

元になる“告白”のトラックは、すでにできていたのですか?

AC:できていました。ただ“告白”と“まほう”の2曲は、不思議なんですけど、バンドっぽくライヴをやっていたらできちゃったんですよ。そのときにはリズム分割や声を切っていく作業もすでに終わっていて、あとは磨き上げるだけの状態でした。ここから仕上げるぞいうときに、コーネリアス・リミックスが届いたんですよ。すごかったですね。すべての音の光沢がきれいで、嗚咽して聴きました。

ASA-CHANG&巡礼 - 告白 (Official Music Video)

ぼくはこのアルバムの最後の曲というかたちで聴くことになったから、余計にそういう気持ちになりました。心が洗われるというか。小山田くんは一音一音をどう研ぎ澄ませるかという作業を延々と続けてきているから、音楽的な筋肉が鍛え上げられている。だけど、彼の場合は緻密な作業を軽やかにやってのける。そこがすごく好きですね。本当に美しい形でASA-CHANG&巡礼とコーネリアスが合流した。

AC:小山田くんの音の磨き方は素晴らしいけど、それを真似して磨いても敵わないんで。ぼくにはそんな研磨剤はないんです。粒子の荒い写真だってかっこいいですよね? だからああいう感じのザワザワした肌触りしかできなかったですね。そういう雑味というか、生活ノイズみたいなものも今回は普通にありますね。

口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。

たしかに流れるように聴けるアルバムじゃなくて、あちこち引っかかりながら聴いていく感じではあるんですけど、最後まで聴き通さずにはいられない。

AC:いちいちなんでこんな歌い方をしなきゃいけのっていう曲もありますもんね。前のインタヴューで「もっと歌えるひとにちゃんと歌ってもらえばいいじゃないですか?」って言われたみたいなことが(笑)。

資料のキャッチコピーに「全曲歌モノ&インスト曲なし!」と書いてあって、たしかにインスト曲ではないけれど、これを歌モノと言っていいのかと。

AC:たとえば「花が咲いたよ」と自分でそう言ってみて口ずさめたら、口ずさめる事こそポップスの定義だというひとがいて、だから巡礼はポップスなんです、と。それを聞いて嬉しいような感じもしました。そういうことで言えば、ぼくもまだポップスの領域にいるかなと。自分ではその領域にいてほしいんですけどね。

■極めてエクスペリメンタルな音楽なのに、ポップスの領域にちゃんと足を引っかけている。聴くひとを選ばず、リスナーの心にこれまで見たことがない足跡とか爪痕とか、何かを残そうとしている。普通はなかなか成立しづらい難しいことに挑戦しつづけてきた巡礼だからこそ果たせた、ネクスト・レヴェルの達成を感じます。“告白”の、ひとのプロフィールをチョップして歌詞にするなんて作り方も聞いた事がないですね。

AC:これは(原型を) ほとんどいじっていないプロフィールですね。

最初からいきなり主語も何もなしに「産まれた。」というフレーズからはじまるので、てっきりプロフィールをチョップしたのだと思っていました。

AC:固有名詞のところだけ濁して「工場」だけにしたりしますけど。勅使河原(一雅)さんの作家ネームのqubibiのサイトを見ればわかるんですけど、本当にいじっていないんです。場所を断定するようなところだけ消してるんです。勅使河原一雅っていう映像作家なんですけど。

あの草月流の勅使河原家の一族の方ですか?

AC:本人は違うって言っていますけどね。ぼくも絶対にそうだと思ったんですけど。もちろん本名なんですけどね。去年あたりからの定期的なコラボをしていくと気になるキーワードが現れてきたんですよ。学園ものというか、学校を舞台にしているところというか、青春感が漂うもので。押見先生の“志乃ちゃんは自分の名前が言えない”もモロにそうで、勅使河原さんの生い立ちというか、「登校拒否をしていた」というクダリとか、そういう合致も自然にうまれていて。それのリアルさは巡礼にとっては追い風でした。

自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。

朝倉さん自身はどういう少年時代を過ごされたのですか?

AC:普通ですねぇ……。自宅とくっついているタイプの住宅地のなかの美容院の息子です。

じゃあ岡崎京子さんみたいな。

AC:あ! そうです。町の美容室の。でも町の美容室の娘と息子では、けっこう立場的な違いが大きいと思いますけど。父親は本当に髪結いの亭主でしたね。ダメ人間でした。赤い鉛筆を耳に挟んで、週末は競輪ばっかり行ってました。

競輪場に連れて行ってもらったりはしなかったのですか?

AC:なかったですね。酒に溺れるようなひとでほとんどいい印象がないです。

自分はこうはなるまいと思った?

AC:完全にそう……。自分の高校時代に父親が死ぬんですけど、完全に自分の進路が変わっちゃったんですよね。家業の美容室を継がなきゃいけなくなったわけです。正直、こんな片田舎の美容室なんて継いで「先生」とか言われて終わっちゃうのかなと思ったら、なんだかどうにも継げなくて。そういうときに美容雑誌をなんとなく見てたんです。そしたらバルセロナのガウディや詩人のランボーが白日夢のように登場するサントリーのTVCMの美術担当がヘアメイクのひとで「自分がやろうとしている仕事から派生したところに、こんな仕事があるのか!」と閃光が走ってね。で、継ぐという点から飛躍しないで嘘をつくように上京しました。

朝倉さんはどちらのご出身ですか?

AC:福島県のいわき市出身です。いまは震災でいろいろあるところです。

震災のときはかなり心配された……。

AC:そうですね……。でも心配のしようのないくらいの大変な出来事だったので。うちは半壊、というかヒビが大きく入れば行政では半壊認定になるんですけどね。その程度で収まって。知り合いを辿れば、津波で流されたひとはいっぱいいます。それ以降ほぼ毎年、地元いわき市で鎮魂の念仏踊りの行事に参加しているんです。自分は音楽家ですけど、自分の音楽なんて震災のなかではなんの効力もないとつくづく思い知らされました。だから例えばギターを抱えて応援しているシンガーソングライターに対して、やるなとは思わないですけど……ある種の違和感がね。巡礼の音楽なんてとくに機能しないし。それで、地元に伝わる念仏踊りを手伝うようになりました。御盆の行事なので、夏フェスのシーズンと重なるんですが、毎年稽古に通うようにしていますね。

それはパーカッショニストとして参加したということですか?

AC:違いますよ。「プロジェクトFUKIUSHIMAいわき」といって、DOMMUNEとも近い存在なんですけど、大友良英さんがやっているチームと暖簾分けするような形で活動してます。

震災があったのは、巡礼が活動を停止しているときですものね。

AC:そうでしたね。ただ不思議なのは、ばく自身、3月11日は大友さんのレコーディングをしていたんですよ。で、その前日までいわき市にいたんです。いわきでワークショップをしていて、大友さんのレコーディングのために常磐線に乗って戻ってきたんです。

■震災はどういうかたちで知ったのですか?

AC:いや、だから東京も揺れましたから。あの震災を大友良英とともに経験するわけですよ。ぼくは大友さんが毎年福島市でフェスティバルをやる日に、いわき市での弔いの郷土芸能が必ず重なるので、いわき市から数時間かかる大友さん達の福島市の行事には物理的に行けないわけですよ。毎年の行事の日程は変わらないですから。それと、福島は原発事故でとんでもない事態になっちゃったけれど、それをも知らないで津波で流されたまんまのひとが、いわき市にはたくさんいるんだと。この風習はね、レクイエム過ぎるほどのね……。

今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。

死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

そのレクイエムの空気は、このアルバムに確実に確実に入っていますね。

AC:(“花-a last flower-”の歌詞の)「花が咲イタヨ」の「花」もそうかもしれません。でも、あれはちょっと神様っぽいというか……今回は「ひと」なんですよ。ひとに向けているし、なにげなく生活のそのへんに存在する音楽であってほしい。そういう思いが強いですね。

今作には“2月(まほうver.)”が入っていますね。オリジナルの作者、bloodthirsty butchersの吉村秀樹さんもすでに亡くなられていますし。

AC:死んでしまったとか、生きてないとか、そういうことが多く関わっている作品ですよね。ただ、やっぱり、死んじゃうんですよね……ひとは。だからといってこの作品が「死のまとめ」ということにはならなくて。死がいっぱいというだけではね。

結局受け入れるしかないというのか。震災にしてもいろんな理不尽に対する怒りはありつつ、しかし、受け入れないとどうしようもないことが多すぎる。死はその究極ですよね。

AC:悲しんでいる場合でもないというか。たしかに、受け入れるということでしょうね。受け入れなくてもいいけど、ただそうある。

(目の前の過酷な現実を)認めるというのはつらいことだけど……。

AC:死を語らないという死への触り方もあるのかもしれないですけど、死についてなにか言及したいというつもりも何もないのに、生きていたらこんなふうになったんです。ただ巡礼としての曲をつくっただけなんですけどね。だから、後付けではいろいろ言えるんですが。ただただ、出会ったり、死んだり、人間に普通に起こることが起こってくるんです。不思議なものです。いびつに見えるかもしれないけど、きわめて愛に満ちた音楽ではあると思ってるんですよ。

愛に満ちていると思いますよ。「受け入れる」という行為だって、愛をもってそうしなければ、できないですよね。とくに死は。

AC:あとは、ごまかすということですね。悲しみなんてごまかしちゃえばいいとも言えるんです。ことばって、終わっていくじゃないですか。僕はそういうときのことばが好きなんです。リズムというか。たとえば強めにものを言うときに「あ」とか「えっと」とか言う、これもひとつのリズムだし。なぜかわからないですけど、リズムのことや太鼓のことを考えていると、それを音符で書けるようになっちゃって。それがベーシックなんです。それをPCでチョップしていくんです。

それはすごいな……どうして音符に書けるようになったんですかね。

AC:ぜんぜん複雑な構成のものでも、即興的なものでもないんですけど。「お お おお おお しま お お」(“まほう”)……とか、こういうのも全部音符で書いているんですよ。

譜面化できるんだ! コードは付いていないんですよね?

AC:まだ付いていないですね。このリズム譜で言葉はチョップできるんです。僕はPCで作業をするのが下手なので、こういう譜面がないとイメージ通りにならないんですよ。ウチコミ担当のひとといっしょにつくっていくんですけど。

いっしょにつくる方というのはどなたですか?

AC:安宅(あたか)秀紀さんといいます。クレジットではエンジニア扱いになってますけど、メンバーみたいな人です。

いつから共同作業をされているんですか?

AC:えっと、以前に巡礼でプログラミングとかをやってくださっていた浦山秀彦さんが辞める前後からですね。

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最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。


ASA-CHANG&巡礼
まほう

Pヴァイン

PopExperimental

Tower HMV Amazon

今回はゲストがたくさん参加されていますけれども、どんなふうに決められたんですか? たとえば「おかぽん」さんはどういう経緯でのオファーになったんでしょう。

AC:おかぽんは普通の女の子なんですけど(笑)。あんまり自分の名前を出したくないということでそういう表記になってます。とてもこのアルバムに似合うような、声優っぽい声をした子で、それで「やってくんない?」って誘ったんです。匿名希望の一般人です(笑)。

朝倉さんがイメージされている声にぴったりだった、と?

AC:「お お 」(同前)とか言ってるのも全部彼女なんですけど、あの声が魅力的だなと思って。

“ビンロウと女の子”にもすごく合いますね。

AC:李香蘭とかじゃないんですけど、結果的にあんなふうになりましたね。ぜんぜん中国風のものではないものをつくろうとしていたんですけどね(笑)。アジアの中でも南国のほうの雰囲気で。

ビンロウ(※中国語で檳榔。ヤシ科の植物。種子は嗜好品として噛みタバコに似た使われ方をする南方の特産物)ですからね。  

AC:そうなんですよね。最近ミャンマーのトラディショナル・ミュージックがおもしろくて。これまであまり紹介されてこなかったみたいなんですけど、ハマっちゃって。すごくかわいいんですよ。コシが入っていなくてふわふわしていて、でもかっこよく聴こえて。それに影響されているかもしれませんね、この曲は。

どこで聴く機会があったのですか?

AC:民族系パーカッションみたいなことをやっていたりすると、コメントを書いてくれっていう依頼がきますから、それで知ったんです。まあ、“ビンロウと女の子”だってそれほどミャンマーっぽいわけではないんですけどね。ベトナムとかカンボジアとかって、映画とかの影響かもしれないですけど、ちょっとエロティックなイメージもあって。それに口の中を真っ赤にしてビンロウを噛んでいる男性がいっぱい登場しますよね。そんな不思議な感じにも影響されているかもしれません。

作詞の松沼文鳥さんはどういう方ですか?

AC:NHKの番組なんかに作品を提供していらっしゃる方なんですが、作詞家さんというわけではないんです。ただ、とても言葉がおもしろいので、けっこう前からいっしょにやらせていただいています。

松沼さんの言葉のどんなところに惹かれるのですか? 今作では“アオイロ賛歌”、“ビンロウと女の子”、“木琴の唄 –Xylophone-”と3曲の作詞に参加されていますよね。

AC:“アオイロ賛歌”は、2012年にお願いしました。戦前感というか、そんな雰囲気のものがおもしろくて。「壊れちゃった懐メロ」という感じの曲が巡礼には多いので、彼女の詞がおもしろくなっちゃったんですね。

スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。

壊れた懐メロ(笑)。そうですよね、昭和歌謡がブームになるずっと前──スカパラ時代からそういう和モノの影響は垣間見えましたよね。

AC:そう、あまりテイストは変わってないんですよ。

一貫していますよね。

AC:で、ヴォーカル・チョップ以外の曲がはじまると、「スカとマンボ」(=“スカンボ”  )なんて感じで壊して、ごちゃ混ぜミックスするようなことをやって楽しんでみちゃう。やっていることはわりといっしょなんですよね。“木琴の唄”の詞がすごく好きですね。

あ、これは『つぎねぷ』(02年)の収録曲“Xylophone”をつくり直したんですね。

AC:『つぎねぷ』にも入っていた曲ですね。こういう曲調にもかかわらず英語の詞だったんです。それを今度は和モノでやろうという。テイストは、スカパラ時代から知っている人にしてみれば何にも変わらないじゃんっていう感じだと思います。メインストリームからの外れ方も、昭和感も……そんなふうに言ってくれる人がいるのはとてもうれしいですよ。よくぞ、ずっと聴いてくださっているなあと。

撒かれた胞子が世界中にどんどん広がって、これからもたくさん、不思議なおもしろい花が咲いていくのでしょうね。ところで、“2月(まほうver.)”の間奏に“ハイサイおじさん”っぽいメロディが出てきますよね。あれはかなり意識されて入れられたものなんですか?

AC:意識したわけじゃないんですけど……。“2月”は、ほんとはダークな曲で。それで、なにか、茶化したい気持ちがあったんですね。bloodthirsty butchersの名曲中の名曲なんですけど(96年発表の4thアルバム『Kocorono』収録)、映画になっちゃうくらいの吉村(秀樹)くんの精神の暴れん坊が凄いというか、彼とは結構深く付き合っていた時期があったんです。それで、ななんだか茶化したかったというのが、なぜかあるんですよね。ブッチャーズ・ファンからは相当糾弾される曲なんじゃないかと思うけど。でも、似たヴァージョンをすごく前に出したことがあるんですけど、そのときは無反応でしたね(笑)。

どう受け止めていいかわからない?

AC:そう、わからないみたいです。フォロワー的なアーティストによるトリビュート・アルバムとかも出たんですけど(※14年1月、3月、5月にかけて『Yes, We Love butchers ~Tribute to bloodthirsty butchers~』という通しタイトルのもと、『Mumps』、『Abandoned Puppy』、『Night Walking』、『The Last Match』と計4作が〈日本クラウン〉からリリースされる。ASA-CHANG&巡礼による“2月”のカヴァーは『The Last Match』に収録)、いちばんいじっちゃいけないような曲なので……。

“花”を聴いたときに、同じタイトルを持つ喜納昌吉さんの曲(“花~すべての人の心に花を~”)  をどうしても思い浮かべてしまったんですけど、あれもいつのまにかスタンダード中のスタンダードになりましたよね。そういう「いつのまにか」感も似ているなと思いました。

AC:最初は言われましたね、やっぱり。「あの“花”やろ? 最高やなあ!」とかって。「人は流れて……ってやつやろ? よくぞあれをカヴァーしたねえ!」(笑)。もう面倒くさいから「ハイ」って言っとくしかないかなあって思ってました。

朝倉さんの“花”は、安直な解釈を受け付けない、ある種のカウンターとして現れたというところはあると思うんです。これからも、ぼくらの想像を超える残り方をしていくんじゃないかと思います。

エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。

椎名もたさんのお話も伺いたいのですが、昨年7月に20歳という若さで亡くなられたボカロPですよね。前からお付き合いがあったんですか? 

AC:亡くなるちょっと前にイヴェントでいっしょになったんですよ。対バンというかたちで。それで、30歳も離れているのに意気投合しちゃったんです。「今度いっしょに何かつくろうねー」って。でも、いつ死んじゃってもかまわないっていうような……ポーズではなくて、本当にまわりが危機感を感じるくらい、生への執着がないようなところがありましたね。(レイ)ハラカミくんが亡くなった後、関係者が彼のPCに残っていた未完の音源を発掘したりしてましたよね。あのとき僕はあんまりいい気持ちがしなかった。そんなの当然望んでないよって。でも、今回は何か大丈夫な気がして、実際に提案すると反対も起きなかった。レーベルからもご親族の方からも。それでつくっちゃいました。ボカロの人なんですけど、本人の声があるのでそれを使って。

生声で、というところに意味があるのでしょうか。

AC:彼は歌がボカロかどうかというところは執着があまりないみたいでね、できれば自分で歌いたいと思っていたみたいです。ちょうどそういう時期だったというか。

では、ある意味ではその願いが叶ったというか。

AC:そうですね、ちょっと未完成っぽく、リハスタで録ったみたいなラフな感じの音にしました。完成形にはしない──僕だけが完成形をリリースするということはしたくないなと。ほとんど言い訳ですが。

ASA-CHANG&巡礼が音楽を手がけた映画『合葬』(監督:小林達夫、原作:杉浦日向子/2015年9月公開)のED曲をリアレンジしたもの(“エンディング”)が、ラストの“告白(Cornelius ver.)のひとつ前に置かれていますが、丸ごとサントラを手掛けられたのは初めてですか? 

AC:初めてですね。エンディング曲だけは、お話をいただいたりはするんですけどね、“花”はそうです(01年、監督:須永秀明、原作:町田康の映画『けものがれ、俺らの猿と』主題歌に起用) 。でもサントラそのものはあまりお声が掛かんなかった。だから、やれることがとてもうれしくて。サントラが盤になりにくい時代に盤になったりとかもしているので、そのあたりもありがたいです。それで、このアルバムに使っているものは、この作品に合うようにつくり直したものです。

ANI(スチャダラパー)くんは前からASA-CHANG&巡礼の舞台公演やライヴにダンサーとして参加していたのですね?

AC:そうなんです。もう、声は出さなくてもいいよって。存在がつねに大好きです。職業「ANI」っていう……(笑)。彼はしゅんしゅんと敏捷には動けないんだけど、とても存在感があるダンスをしてくれるんです。フリースタイルというわけではなくて、ちゃんと振付があるんですが、それも覚えてくれてるし。舞台人としてとてもちゃんとしているんです。

演劇人であるかのように存在してますよね、この“ANIの「エンドレスダンス」体操”という作品の中に。。

AC:そうですね。宮沢章夫さんのところとかでもやっていると思うんですよ。あとは映画とか。……ちょい役のスーパースターみたいなところで。

そこを攫っていく。

AC:そうそう。「さっき出てたの誰!?」みたいな(笑)。そんな良さがあって。それで、幕間に「ANIの声だな」ってなったらおもしろいなと思ったんです。おもしろい、というか、景色が変わってくる気がして。

挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。

そう、まさにそんな役割ですよね。今作『まほう』は、これまで以上にいろんな言葉がアルバムの中で跳ねたり、宙を舞ったり漂ったりして、それが音と絡み合っている様が、シアトリカルでもあり、すごく立体的に世界がひろがってくる感じがして、本当に独特ですよね。こういうのを何て表現したらいいんだろう。映像的だというのもちょっとちがうし……今回のアルバムは、結果的に全部歌ものになったという感じですか?  

AC:そうですね。(出来上がってから)「インストないや!」って、びっくりしちゃって。

ある意味ではインストありきのバンドであるかのように感じますけれども。

AC:ねぇ、あたらしく器楽奏者を2人も迎えといてね。「これちょっと歌って」っていうことばかりで、みんな我慢してて偉いなあって思います(笑)。

(笑)では、完成したときの手ごたえはいかがでしたか?

AC:こうやって取材をしてくださって、褒めていただいたりしてから、ちょっと勇気が出ましたけど、はじめはもうダメだと思ったんです。

それはどうしてですか?

AC:挑発するような、トゲのある音をやめてしまったし、風通しのいい音だけにしちゃったので、「巡礼は“花”の時代で終わったな」「巡礼・イズ・デッド」って言われるんじゃないかって。それを考えると、マスタリングをして完成しても通して聴けなかったりしました。失敗作をつくってしまったんじゃないかと……。巡礼の音楽には雛形がないから、擦れ合わせるような保険がないんですよね。

聴いたひとのリアクションを待たないとわからない。

AC:だから、ライターさんとか、こうやって取材で質問してくれるひとが褒めてくれるだけで、いまは僕は幸せです。

01年にセカンドの『花』が出た後に、ファーストとセカンドをカップリングしたイギリス盤が出ますよね(『Jun Ray Song Chang』02年/リーフ)。最近リイシューされましたけれども(『20th anniversary vinyl reissues』15年/リーフ)、僕はヴァイナルが欲しいなと思って、それを買っちゃいました。

AC:ほんとですか。あれカッコイイですよね。いったい何枚入ってるんだっていうボックス・セット(『Leaf 20 Vinyl Box Set』15年/リーフ)俺も買おう(笑)。 

(『花』の当時は)音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。

『Jun Ray Song Chang』が最初に〈リーフ〉から出たとき、『WIRE』誌の2002年ベスト・アルバム第4位に選ばれましたよね。『MOJO』や『MUSIK』の年間ベストにも取り上げられたりして、ヨーロッパで大評判になったわけですけれども、そのときはどんなふうに感じられました?

AC:もう、褒められるのが好きなので、そりゃあうれしかったですよ。ざまーみろ日本て(笑)。

国内の反応は?

AC:まあ、ゲテモノ扱いですよね(笑)。「なんだかヤバい」──これはいまふうの言い方ですが、そんな雰囲気はありましたけども、音楽評論としてはどう書いていいかわからなかったんじゃないですかね。あたりさわりのないかたちで触れられていたと思います。ディスるならディスってくれ、とまではいはいわないんだけど……。

それが、意外なことに海外では評判だったと。

AC:はい。チリとかアルゼンチンとかからの反応もあって。あとはヨーロッパ。でも、不思議とアメリカからの反応はほとんどなかったですね。カレッジ・チャートとかにもかすりもせず。

そうなんですね。「ピッチフォーク」とかにも載らなかったんですか?

AC:どうだったかなぁ(※2003年1月8日付で『Jun Ray Song Chang』、同年3月23日付で『つぎねぷ』のレヴューが掲載されている。前者は8.0、後者は7.0と評価された)。でも、トーキング・ヘッズの──

あ、デヴィッド・バーンが?

AC:そう、彼と周辺のひとたちが追っかけてくれたりはしました。ものすごく褒めてくれたのは覚えていますね。本当にうれしかったですよ。フランスだと、日本で言えばマツキヨみたいな、どこにでもあるドラッグストアのCM音楽になってました。

フランスに親和性があるというのは、なぜかわかる気がしますね。アヴァンギャルドとポップが入り混じることに対する許容度が高い。しかし〈リーフ〉から出たASA-CHANG&巡礼のイギリス盤は、レーベル始まって以来の売り上げだったそうですね。

AC:ススム・ヨコタとか、巡礼とかっていうイメージはありますよね、〈リーフ〉は。

ススム・ヨコタさんの『Sakura』とかも〈リーフ〉なんですね。今回の作品は海外リリースの予定はあるんですか?

AC:それは、お話があればぜひ。でも、どういうかたちで出そうかというのは迷うところですよね。

CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。

朝倉さんは、「かつては楽曲を再現することに苦労していたけれど、いまはライヴ先行なんだ」と発言されていましたけれど、それはいつごろから意識の変化が起きたのですか?

AC:“まほう”とか“告白”とか、僕らにとって大きな意味のある曲は、まずCDでどーんと発表して、まさかライブで演奏なんかできるのか、という感じだったんです。それをあとから演奏可能にしていくというね。CDの前にライヴで曲をつくるなんてことは考えられなかった。でもいまはなぜかアルバムの前にライヴでを新曲をやっているんですね。人とコラボする「アウフヘーベン!」っていうライヴ・シリーズがあって(※「vol.1 室伏鴻(振付家/舞踏家)」14年9月23日@青山CAY、「vol.2 勅使河原一雅(アート・ディレクター/映像作家)」14年12月6日@青山CAY、「vol.3 押見修造(漫画家)」15年3月10日@渋谷WWW)  

ここまで越境的な異種格闘をしているのは、他に七尾旅人くんぐらいしか思い浮かびません。旅人くんとは時々共演されていますね。表現の可能性を探る実験としてものすごくアヴァンギャルドなのにポップな表現として成立するところが、朝倉さんと旅人くんの共通点であり、稀有なところだと思います。新編成になる前(10年4月)に事務所をプリコグに移籍されていますね。そのへんも何か影響があったのでしょうか。

AC:そうですね。ミュージシャンをマネジメントするのではないひとたちのほうが、僕らとうまくタッグが組めるのかなと思いました。演劇というか、パフォーミング・アーツのチームですけどね。

J-POPにも現行の東京インディー・シーンにも属さないASA-CHANG&巡礼の居所としては、いちばんしっくりきているような気がしますね。今後どういう活動をしていきたいというふうに思っておられますか?  

AC:活動がここまで本当にとびとびだったので、巡礼をもうちょっとうまく機能させていくっていうことが、僕の力だと──僕のやるべきことだと思っていますね。

Techno & Dub & Jungle & Grime & Pop Rap in UK - ele-king

Four Tet - Evening Side (Oneohtrix Point Never edit)

 これはすごいです。昨年リリースされたフォー・テットの2曲入り『Morning/Evening』、その“Evening Side ”をOPNがロング・エディット。あんなに踊れない音楽をやっているOPNがこんなにも桃源郷的なテクノ・トラックに参加しているのがいい。それにしてもOPNの売れっ子ぶりには目を見張るものがある。アントニー話題のプロジェクト、ANOHNIの“4 DEGREES”もプロデュースしているし、しばらく目が離せないです。

Babyfather - Meditation (Prod. by Dean Blunt & Arca) Hyperdub

 ディーン・ブラントのベイビーファザー名義のアルバムは〈ハイパーダブ〉からもうすぐリリース。こちらはARCAをフィーチャーした収録曲で、つい先日ヴァイナルもリリースされている。聴いたことのあるようなないような、斬新なダブ・サウンド。ミックステープも発表しています。彼がeBayに出品した車は希望価格に到達しなかったそうですが、アルバムへの期待も高まります。


Roni Size - Snapshot (Swindle Remix)

 ブリストル・ジャングルの王様、ロニ・サイズのクラシックをスウィンドルがリミックスするという。世代を超えたUKハイブリッド・ダンス・ミュージック、格好いいです。

Kero Kero Bonito - Lipslap

 最近早くも新作を出したばかりのケンドリック・ラマーがリリック・コンテストをやっているいっぽうで、UKのケロ・ケロ・ボニトときたら……。日本語でもラップする女性ラッパー、サラちゃん擁する3人組、最新曲。電話の「もしもし」、箸で弁当を食べてと……いまトレンディなポップ・ラップ・コメディ。

 モノブライトのフロントマン 桃野陽介と、golf / SLEEPERS FILMで活動する関根卓史による音楽デュオ Hocori。時代からも地理からも自由でありながら、どこまでも「トーキョー」な風景を立ち上げるシンセ・ポップ・ミニ・アルバム『Hocori』に次いで、企画盤『Duet』のリリースが発表された。「デュエット」をコンセプトとする今作では、メルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク・東京に初参加となる気鋭のアパレル・ブランド〈ユキヒーロープロレス〉、そのショーケースに向けた書き下ろし楽曲や、ファッション・モデル、田中シェンとのコラボレーション曲などが収録される模様だが、続報も楽しみだ。ele-kingでも後日インタヴューを掲載予定です!

 モノブライトのフロントマン 桃野陽介と、golf / SLEEPERS FILMで活動する関根卓史による音楽デュオ Hocoriが3月23日(水)にタワーレコード限定でリリースする企画盤『 Duet 』の第2弾発表として、人気モデル 田中シェンとのコラボレーションを発表した。

 今作は、Duet=二重唱、二重奏というタイトル通り、 2人で歌う楽曲を中心に構成された企画盤であり、第1弾では「誰かのヒーローになれる服」をコンセプトに展開する、新進気鋭のアパレルブランド”ユキヒーロープロレス”とのコラボを発表している。今回発表された田中シェンは、ELLE girlやNYLON JAPAN、装苑など人気ファッション誌に多数登場し、花王 ロリエのCMにも出演し、Instagramで65,000以上のフォロワーを誇る、人気ファッションモデル。Hocoriが昨夏にリリースした1st Mini Album『 Hocori 』に収録されている「 Lonely Hearts Club 」のMusic Videoでの共演をきっかけに、桃野と関根から「ぜひ、彼女と歌ってみたい!」と兼ねてからのラブコールが実る形となった。コラボ曲「Game ft. 田中シェン」では、ワンナイトラブという”突然”を”必然”に変えるためのナンバーとして、止まらない二人の衝動を歌の掛け合いで表現し、ピアノの音色でクールに納めている。さらに今回はアートワークでもコラボレーション。モデルと同時に、イラストレーターとしても活躍めざましい田中が、360°視点で『 Duet 』を描き、ジャケット写真を手掛けた。

 企画盤のその他詳細としては、ライブで既に披露されていた、夜の無敵な感情を歌う「 狂熱の二人 」、前作『 Hocori 』の「 Intro 」をリエディットした「 Train Conbini Edit 」など収録曲も同時に発表。Hocoriはタワーレコード渋谷店スカイガーデンにて開催される、ユキヒーロープロレス 2016-2017 A/W COLLECTIONのサウンドプロデュースも決定しており、この企画盤を引っ提げて当日にはライブパフォーマンスも実施予定。これを記念して、リリース日より一週間早く、3月16日(水)に企画盤『 Duet 』は会場となるタワーレコード渋谷店で先行リリースされるので、いち早くジャケット写真を手に取りたい! 音源を聴きたい! というDuet希望者は、お見逃しなく。


■リリース情報

Hocori『Duet』

CNBN-03 / ¥1,300(Tax Out)

発売日:2016年3月23日(水)タワーレコード限定リリース
※タワーレコード渋谷店のみ、3月16日(水)先行リリース

レーベル:Conbini

収録曲:
1.「Free Fall」(ユキヒーロープロレス東京コレクションショーケース書き下ろし曲)
2.「Game ft. 田中シェン」
3.「狂熱の二人」
4.「Train Conbini Edit」
5.「Game Instrumental」


Game ft. 田中シェン


Free Fall

Don Letts - ele-king

 1956年にブリクストンで生まれたドン・レッツも今年で60歳。BBCのラジオ6での彼のDJは、いまでは日本で暮らしながら聴けるので、チェックしている方も少なくないでしょう。先月のブリストル特集も良かったですよね。選曲が素晴らしいです。
 ドン・レッツは、パンクの時代、パンクロッカーたちからものすごく信用されていたレゲエDJで、以来ずっとDJをやりつつ、映像作家としても活躍しています。UKが誇るファッション・ブランドのフレッド・ペリーのサイトでは、UKサブカルチャー史の映像作品も発表しているので、興味のある方はぜひ見てください。ちなみに神宮前にあらたにオープンしたフレッド・ペリーのお店では、今年はドン・レッツとの共同企画のラインも並ぶそうです。
 昨年は井出靖さんのレーベルの10周年を記念してリリースされたミックスCDも話題になりました。日本人によるレゲエ音源をドン・レッツが選曲したものです。

 来週はドン・レッツが渋谷のミクロコスモスでDJします。パンキー・レゲエな人はマストです。来て下さい!

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