「You me」と一致するもの

OG from Militant B - ele-king

ヴァイナルゾンビでありながらお祭り男OG。レゲエのバイブスを放つボムを連チャンラクラク投下。Militant Bでの活動の他、現在はラッパーRUMIのライブDJとしてもその名を聞くことができる。

今回はR&R特集!ということで、スクランブルロッケンロール~...ではなく、"ラガマフィン"と"ラッパー"のコンビ曲を挙げてみました。REGGAEとHIP HOPの関係、歴史を歌で知れるヒビキラー氏とジブさんの"Culture 365"も先ずはオススメ。そしてランキング曲をチェックして少しでもレゲエを好きになってくれたら嬉しいです。みんな!踊ろう!パーティーしよう!

9/2 吉祥寺cheeky "FORMATION"
9/10 新宿open "PSYCHO RHYTHMIC"
9/12 渋谷虎子食堂 "虎子食堂5周年"
9/14 渋谷asia "IN TIME"
9/15 渋谷neo "AKA"
9/19 代官山unit
10/3 吉祥寺cheeky "MELLOW FELLOW"
10/7 吉祥寺cheeky "FORMATION"
10/12 青山蜂
10/18 渋谷asia "EL NINO"
10/25 吉祥寺warp "YougonnaPUFF?"

俺とお前とR&R (2014/08/26)


1
Juelz Santana feat. Cam'ron&Sizzla - Shottas - Def Jam
説明不要、サンタナ、キャム、シズラによるMilitant HIP HOPチューン。俺のアイドル的存在、そして青春の1ページ!ブーン!

2
Shyne feat. Barrington Levy - Bonnie&Shyne - Bad Boy ent
まずシャインの声が最高。そこに絡むバーリントン、疾走感が◎同コンビで送る別曲"Bad Boyz"はハードでこれもカッコいい!

3
Damian Marley feat. Stephen&Black Thought - Pimpa's Paradise - Tuff Gong
ボブの同名曲のリメイクで、息子2人とThe Rootsのブラックソートのコンビネーション。歌とは関係ないけど昔先輩のDJが「金髪パァラダイス~」と、唄ってたのが懐かしい思い出です。元気かな?

4
The Game feat. Junior Reid - It's Okay - Geffen
ハードなトラックにゲームの男気ラップ、Jr.リードの名曲One Bloodが見事に融合した一曲。悪そうな仲間たち大集合なPVも必見!

5
Shabba Ranks feat. Queen Latifah - What'cha Gonna Do?(Club Mix) - Epic
90年代、ジャマイカンでいち早くインターナショナルヒットした男シャバランキン。Mix違いで4曲収録してるけどこのバージョンはディスコっぽくてイイ。ダンス!

6
Rhymester feat. Boy-Ken - 隣の芝生にホール・イン・ワン - File
Love Punnany MAX!ライムス2人の物語にバイブス番長ケンさんのラガが見事にマッチ。今日もどこかでナイスショット!

7
Super Cat feat. Method Man - Scalp Dem(Wu Mix) - Columbia
94年RZAプロデュース。レゲエとヒップホップが密に関わってた時期。乾いたスネア、ベースライン、謎の上物オケに2人のトーストがバッチリはまってます

8
Foxy Brown feat. Spragga Benz - Oh Yeah - Def Jam
Toots&Maytals"54-46"、ボブの"Punky Reggae~"に"Africa Unite"もサンプリングしたレゲエ臭プンプンなトラック。ウォヨーイ

9
Sticky feat. Shiba-Yankee - お好きにどうぞ - Scars ent
男のSAGA全開な曲。女の子はドン引?でもクラブってそういうとこじゃん。駆け引き駆け引き。相手が本物か見極めろ!

10
Jamalski feat. Cool MB&Topcat - If The Clip Fits - Baraka Foundation
2001年ジャマルスキーのレーベルコンピから。今ランキング中、ラガとラッパーの掛け合いが一番タイトで大人ワルな曲。Cool MBって名前も!

FKA twigs - ele-king

 「今年はゼロ年代がちゃんと終わった」などという生意気を、『ele-king vol.12(BEST OF 2013特集)』のマイ・プライベート・チャート10に書き込んだのは、アルカの『&&&&&』(self-released)を1位に、そしてそのアルカがプロデュースしたFKAツイッグスの『EP2』(Young Turks)を6位に選んだことで説明責任は果たせるだろう、と思ったからだった。そう、かつて『remix』マガジンが副題に掲げていた「THE SHAPE OF MUSIC TO COME」というコピーがいまでも僕は好きだが、そういったものがいまでももしあり得るなら、『&&&&&』を聴いたときの戸惑いこそを信じてみよう、と。
 そして、一部の好事家はその得体の知れない音楽を便宜的に「ディストロイド(ディストピック・アンドロイド)」と呼んだわけだが、そのイメージを決定づけたのはやはり、FKA ツイッグスの『EP2』によるところが大きい。FKAツイッグスをめぐっては、通常、コクトー・ツインズやポーティスヘッドの名が出がちだが、むしろ『EP2』は、あそこまで人間臭い音楽はとても聴いていられない、という人向けに遺伝子操作された極めて人工度の高い音楽だったハズであり、それはアルカとの異次元的なコラボレーションで知られ、この『LP1』にもヴィジュアル面の担当で参加しているジェシー・カンダの作り出す世界観が背景にあるのも大きいだろう。
 音楽の中から人間の気配を極力消し去ってしまうこと。『EP2』までのFKAツイッグスとArcaの試みを比較すべきは、だから、〈フェイド・トゥ・マインド〉のケレラではなく、正しくは〈リヴェンジ〉のホーリー・ハードンだったのだろう。同じ2012年に“ブリーズ”なる同名曲を各々リリースしているのが興味深いが、声の質感やトラックの中での配置「だけ」を楽しむ世界というか、そこではヴォーカルとオケのどちらが偉いというわけでもない。いわゆる「インディR&B」的な機運を準備したのがジ・ウィークエンドだったにせよ、インディ・ロックの側からその機運に応えていたのがハウ・トゥ・ドレス・ウェルだったにせよ(彼を「BPM20ヴァージョンのマイケル・ジャクソン」と評したのはどこの海外メディアだったか)、僕に言わせれば彼らはいささか「歌い過ぎ」た。

 そういう意味で言うと、引きつづき〈ヤング・タークス〉からのリリースとなった本作『LP1』も、やや歌い過ぎといえば歌い過ぎの作品ではある。レーベル側の都合なのか、それとも正式なフル・アルバムを準備中のアルカとのスケジュール調整の都合なのか、あるいは彼女自身の要望なのかはわからないけれども、一転してアルカのプロデュース曲が激減した本作では、『EP1』から『EP2』に飛躍したときほどの距離を飛べてはいない。「10年早い音楽」が「3年早い音楽」くらいのポップ・バランスになった、とでも言うか。一方、アルカの代わりに主役級の抜擢を受けているのは、キッド・カディの『マン・オン・ザ・ムーン』シリーズや、ラナ・デル・レイの『ボーン・トゥ・ダイ』等々で知られる、「暗いのに売れるUSダウンテンポ」の名手であるエミール・ヘイニーだ。〈ヤング・タークス〉も恐ろしいことを考えるもので、要は「マーキュリー賞とグラミー賞の両方を狙え」というわけだろう。
 もちろん、この狙いが必ずしも裏目に出ているとは言い切れない。エミール・ヘイニーのプロデュースをアルカが演奏/打ちこみ面でサポートする“トゥー・ウィークス”と“ギヴ・アップ”は本作の目玉で、ヴォーカルとオケのどちらを聴けばいいのかわからなくなるような戸惑いや、未来を窃視しているような緊張感は薄まったが、なるほど、未来のトップ40チャートから迷い込んできたような変種のR&Bとしてうまくコントロールされている。“ペンデュラム”をプロデュースしている大御所、ポール・エプワースも同様で、『EP2』までに築かれたツイッグスの世界観を壊さぬよう、慎重に音を選んでいる配慮が伝わってくる。あるいは逆に、『EP2』の世界観に囚われ過ぎでは、という気がしないでもないが。
 逆に、アルカが唯一プロデュースを手掛ける“ライツ・オン”は、最後の1分間の展開には唸らされるが、アルバム全体からすればややインパクトに欠けるか。まあ、自分のアルバムを準備中の人間に“ハウズ・ザット”や“ウォーター・ミー”レベルのものを10曲用意しろ、というのはさすがに無理な相談のようである。そしてこれは僕の耳がひねくれ過ぎているのか、エミール・ヘイニー、デヴォンテ・ハインズ(a.k.a ブラッド・オレンジ)、クラムス・カジノ、アルカの名がズラリと並べられた“アワーズ”のプロデュース欄には驚いたが、いろいろなものを足し過ぎた結果、全員の個性がうまい具合で相殺されてしまっているように感じられたのは残念だ。意外なところで面白いのは、UKの新人R&Bシンガー、ジョエル・コンパスが作曲の共作者に名を連ねる、おそらくは本作の中でもっともふつうのR&Bに近い素材であるハズのクローサー・トラック“キックス”が、意外とドハマりしていて、ツイッグスのセルフ・プロデュース力の高さというか、どんな曲でも自分色に変えることのできる圧倒的な声の力をむしろ実証する形になっている。

 すっかり長くなってしまったが、ここまで来たので風呂敷を広げてしまおう。米メディア『ピッチフォーク』は今から2年前、インディとメインストリームのあいだに広がる第3の道を「スモール・ポップ」と呼んで何組かのアーティストを(おもにブラッド・オレンジ以降という文脈で)紹介していたけれども、そうした二項対立そのものがはたしていまでも有効なのか、ということを執念深く検証しつづけているのが今年の『タイニー・ミックス・テープス』だ。不得意な英語に目を通しながら、僕がアルカとFKAツイッグスの登場に受けたあの拭いがたい衝撃を思い出したのは、『タイニー』のコラムで次の一文を読んだときだ。「同時代に生み出される最新・最良の音楽は、いつだって私たちが想像するよりもはるかにスマートで、かつ生産的なものである」。なるほどたしかに、『EP2』や『&&&&&』は「気付けば到来していた未来」としていつの間にか眼前に迫り、ミュージック・フリークたちを中心とした決して小さくない市場を生んでしまった。そう、心配することなど何もないのだろう。
 ついでに言えば、クィア・ラップのプロデューサー陣からは、アルカと同じくミッキー・ブランコのプロデュースでブレイクしたベルリンのデュオ(?)のアムネシア・スキャナー(Amnesia Scanner)が、それこそ『&&&&&』の2014年ヴァージョンのようなディストロイド系のミックステープ『AS LIVE [][][][][]』(自主盤)をリリースしているし、そのミッキー・ブランコは自身の正式フル・アルバムを準備するかたわら、トリッキーの2014年作『エイドリアン・ゾーズ(Thaws)』にも参加、オーディションを開いてまで選び抜いたネクスト・ディーヴァ、フランチェスカ・ベルモンテと“ロニー・リッスン(Lonnie Listen)”で共演している。あるいは、メロウなR&Bに落ち着いてしまうのか、と心配されたケレラはご存じ、BOK BOKとの“メルバズ・コール(Melba's Call)”でグリッチR&Bと呼ばれるネクスト・レヴェルを披露、さらには、筆者が個人的に贔屓にしているラッパー、リーフと“OICU”で共演、彼方のR&Bを目指している。
 これらはあくまで一例に過ぎないが、とにかくクィア・ラップ、インディR&B、そしてディストロイドと、筆者がここ数年でなんとなくおもしろいと思ってきた変わり種の音楽が、インターネットを介して少しずつ折り重なってシーンのようなものを形成しつつある。トップ40との両立でも、もちろんいい。そのとき、FKAツイッグスにも「こちら側」にいてほしいと思うのである。あくまでもそうした先端部の動きと比べれば、という前置きは絶対に必要だが、FKAツイッグスは『LP1』でポップ・シーンへの配慮が過ぎたかもしれない。守りに入るには、いくらなんでも早すぎるだろう。「来たるべき音楽」が鳴る場所というものは、既知の情報がもたらす安らぎのなかで団らんする場所ではけっしてあり得ない、ということを、あなたは教えてくれたじゃないか。

interview with Jun Miyake - ele-king

 ここ数年の三宅純の想像のひろがりはとどまるところを知らない。ボサノヴァやサンバやジャズや弦楽曲とシャンソンとブルガリアン・ヴォイスにジャズ、形式を異にする音楽が矛盾なく同居しまるでとけあうような、猥雑なのに遠目からはきわめて滑らかな音の織物とでも呼びたくなる彼の音楽は2007年の『Stolen from strangers』、昨年出した『Lost Memory Theatre act-1』で「Lost Memory Theatre」なるコンセプトを得てまさに水を得た魚になった。


三宅純
Lost Memory Theatre act-2

Pヴァイン

Tower HMV Amazon

 というのは慣用句ですけれども、ある枠組みを設け、それを水にひたせば、水は枠組みのなかに還流する。マドレーヌと紅茶の関係をもちだすまでもなく、記憶はささいなきっかけで呼びさまされるが、作品のかたちをとるには虚構のフレームが必要であり、三宅純はそれを劇場になぞらえる。その一幕目(『act-1』)ではアート・リンゼイからニナ・ハーゲンまでが記憶のよりしろとなった。はやくも登場した『act-2』はサティを思わせるピアノ曲“the locked room”で、部屋の扉に後ろ手で鍵をかけられたかのように、幕が開いてしまえば、終曲の“across the ice”まで、エレガントなのにときにリンチ的(あるいはバダラメンティ的)な迷宮の回廊沿いの小部屋を覗いてまわらねばなるまい。なぜなら、そこにはフロイトのいう夢のヘソのような、カフカを論じてガタリのいう抗いがたいものが働いている気がしてならない。

 インタヴューは私鉄の駅からすこし歩いた先の、側面いっぱいに窓をとった三宅さんの部屋で行った。取材を終えて、帰ろうと思ったとき、一時間前にやってきた道筋があやふやになり、帰り道を教えてもらった。
 なんのことはない一本道だった。
 記憶が還流してしまったのだろうか。

■三宅純 / Jun Miyake
日野皓正に見出され、バークリー音楽大学に学び、ジャズトランペッターとして活動開始、時代の盲点を突いたアーティスト活動の傍ら作曲家としても頭角を現し、CM、映画、アニメ、ドキュメンタリー、コンテンポラリーダンス等多くの作品に関わる。3000作を優に超えるCM作品の中にはカンヌ国際広告映画祭、デジタルメディア・グランプリ等での受賞作も多数。05年秋よりパリにも拠点を設け、精力的に活動中。アルバム”Stolen from strangers”はフランス、ドイツの音楽誌で「年間ベストアルバム」「音楽批評家大賞」などを受賞。ギャラリーラファイエット・オムの「2009年の男」に選出され、同年5月にはパリの街を三宅純のポスターが埋め尽くした。主要楽曲を提供したヴィム・ヴェンダース監督作品「ピナ/踊り続けるいのち」はEuropean film award 2011 でベスト・ドキュメンタリー賞受賞。またアカデミー賞2012年ドキュメンタリー部門、および英国アカデミー賞2012年外国語映画部門にノミネートされた。


このテーマこそ、自分のずっとやってきたことなんだと思います。言葉で言うのはやさしいけど、音楽にするのは至難で、ようやく年も食ってきて、記憶の蓄積も、失われた記憶もある。そういう状態になったんですね。

(刷り上がったばかりの『Lost Memory Thatre act-2』のジャケット・デザインを見ながら)三宅さんはデザインの指示もされるんですか?

三宅:ええ、好みははっきりしているので。ジャン=ポール・グードのグラフィック・デザインをすべてやっているヤン・スティーヴさんという方がいらして、彼と結託して、ジャン=ポール・グードの作品から気に入ったものを選んでプロトタイプを仕上げ、こういう感じになったのですが許して頂けますでしょうか、と。

事後承諾ですね(笑)。

三宅:むこうも最近用心しているみたいですね(笑)。『Stolen from strangers』でも彼の写真を使っているんですが、けっこう変えちゃったので一ヶ月くらい口をきいてもらえなかった。

ジャケットは『act-1』と『act-2』で白と黒といった対称性を出そうということでしょうか?

三宅:対称性は意識していません。ジャン=ポールの作品を使いたいとは思っていたんですが、アルバムの構想が固まってから選びはじめたんです。

最後にうかがおうと思っていたんですが、『act 3』も当然考えておられるんですよね。

三宅:考えています。いままでこういうつくり方をしたことがなかったんですけど、『act-2』はあくまで一幕と三幕があっての二幕目の立ち位置だと僕は思っているんです。

そのように私も感じました。

三宅:いままでは一枚ごと「どうだ!?」って感じで出してきたんですけど、そういう意味ではちょっと性格がちがうんですよね。

『act-1』は、聴いたことがないのにどこかそれを喚起するような音楽に誘われて、記憶の劇場に足を踏み入れたような、『act-2』は迷宮のなかにいくつかの小部屋があって、そこにある扉をのぞいてまわるような印象を受けました。たとえば“across the ice”の余韻のあとになにかが訪れるのではないかという期待をおぼえたんですね。『Lost Memory Theatre』シリーズは三宅さんのライフ・ワークというか、このテーマは三宅さんの作風にぴったりだと思いました。

三宅:このテーマこそ、自分のずっとやってきたことなんだと思います。言葉で言うのはやさしいけど、音楽にするのは至難で、ようやく年も食ってきて、記憶の蓄積も、失われた記憶もある。そういう状態になったんですね。

失われてしまった記憶があるからこそ、『Lost Memory Theatre』が成り立つんですね。

三宅:そうです。そのなかには強制終了した記憶もあるんですけど。

強制終了するというのは具体的にどういう意味ですか?

三宅:個人的な記憶も含めて、憶えていたくない記憶ですね。

そういうものも――

三宅:なくはない(笑)。『act-1』に参加してくれたメヒチルド・グロスマンというピナ・バウシュとも仕事をしていた女優さんがいるんですけれど、彼女とのレコーディング(“Ich Bin Schon”『act-1』収録)でロスト・メモリーとはなにかという話になったとき、「失われたということは、あなたが消したんでしょ?」と釘を刺されたんですが、「うーん、必ずしもそうではないな」と思ったんです。ライナーにも書いたように、場所と結びついた記憶はなくなってしまうものでもあるし、津波なども含めればかならずしも彼女がいうとおりではないんですが、彼女が言っている意味もわかる。たとえば彼女とピナ・バウシュとの記憶はいったん消さないと痛みが強すぎて耐えられないものではあったと思うんです。

ロスト・メモリーとはなにかという話になったとき、「失われたということは、あなたが消したんでしょ?」と釘を刺されたんですが、「うーん、必ずしもそうではないな」と思ったんです。

ピナ・バウシュもそうですが、亡くなることで失われてしまうことも、人とのつきあいにおいてはありますからね。

三宅:僕はピナにかんしては、亡くなって存在が消滅したのではなく、圧倒的に不在していると感じています。徹底的に不在している、と。作品もまだ生きていて彼女の存在はあるのだけど、その席が空いちゃっているということですね。

アルバムの話を順番にうかがっていきますが、前作から今作まで1年かかっています。『act-1』を録り終えてすぐ『act-2』の制作にとりかかられたのでしょうか?

三宅:もっと前からです。目的もなく録っている曲もけっこうあって、そういう半分手のついていた曲もたくさんありましたし、『act-2』のうちの8曲くらいは過去の舞台作品で使ったものなんです。白井晃さんの作品ばかりなんですけれど、舞台作品というのはサントラが出るような珍しいケースもありますが、そうでない場合はひとびとの記憶のなかにしか残らない。その意味でまさに“Lost Memory Theatre”なんですね。そのなかで自分が気に入っていたものがいくつかあったので――ピアノ曲が多いのですが――それが今回キーになると思ったんです。
 僕は『act-1』については、劇場に人を呼び込み、そこではかぎりなく失われた記憶を喚起する曲が流れているけれども、それは過去に聴いた音楽そのものではない、というのを目指していました。今回はむしろ、個人の小さな部屋を開けるとそこに詰まっている匂い、温度、湿度があって、場合によっては慌てて閉めて出てしまう、そういうイメージなんです。でもそれはもちろん聴く方の自由なので、限定をするつもりはないんですけれど。

ピアノを使った曲が中心になったのは、ピアノは記憶に働きかける機能が強いということですか?

三宅:そういうわけではないです。どの楽器もそういう要素があるとは思いますけれど、たまたまそういう舞台のためにつくった曲がそういう曲調だったんですね。

CD化された『中国の不思議な役人』とか『Woyzeck(ヴォイツェック)』ともちがう舞台ですか?

三宅:そうです。ポール・オースター原作だったり、フィリップ・リドリー原作の舞台です。

収録するにあたってアレンジし直しましたか?

三宅:曲によって手を入れたものもあれば、そのまま使っているものもあります。

今回は前作よりもインストの比重が大きくなっているのもピアノの影響でしょうか?

三宅:今回はインスト中心でいこうという気持ちが最初からあって。やっぱりその小部屋のイメージが自分にはあったので。歌が入ると部屋がだんだんと大きくなっていっちゃうんです(笑)。

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音楽なんて、最初から理論はないわけだから。イノヴェイターがいて、「これはどうなってるんだろう」って、理論はあとづけなんですよ。それなのに、音楽学校は逆に教えちゃうので型にはまった人が出てきちゃう。


三宅純
Lost Memory Theatre act-2

Pヴァイン

Tower HMV Amazon

『act-1』には“Eden-1”が入っていて、『act-2』には“Eden-3”“Eden-4”と収録されていますが、“Eden-2”はどこにいってしまったんでしょう?

三宅:“Eden”シリーズは20年くらい前に書いた曲なんです。とあるプロデューサーと話していたときに「レーベルをやらないか」みたいなお誘いを受けて、そのとき考えたコンセプトが今回の『Lost Memory Theatre』に近かったんですね。ただ、当時はまだ30代の若造ですから、そういったテーマを立ててみても、たんにノスタルジックになってしまったり、ひとりよがりになってしまうおそれがあったんですが、それをいまふりかえり、楽曲自体は時間の風雪に耐えられると思い、出すことにしました。曲名は仮のタイトルが残ってしまっているだけで、名前をつけ替えればそういう疑問は残らなかったかもしれませんけど、20年前の曲としてそのまま使っているんですね。“Eden-2”がどうなったかはデータを見直さなきゃわからないですが、もしかしたらそれだけ別個に世に出ている可能性もあります。

なるほど、CMなどで耳にしているかもしれませんね。三宅さんはCMや舞台のような、依頼される仕事のほかにつねにご自分のアルバムを同時並行で制作されているんですか?

三宅:つねに同時並行です。以前レコード会社にまだ体力がある頃は、〆切も与えられて期限付きでそれだけに集中するようなこともあり得ましたが、いまはそういう時代でもありません。自発的にやる場合はある程度思いついたときにやっておかないと、かたちになっていきませんし。

話はそれますけれど、音楽をとりまく現状を三宅さんはどう思われますか?

三宅:違法ダウンロードみたいなものにかんしては、憤りを感じないわけではないですけれど、どうしようもないレベルにまでいっちゃっているから、パッケージを買うだけの熱意とリスペクトがある方に買っていただければいいという気持ちです。でも音楽自体が必要とされていないという感じはしていないんです。昔から極北の音楽をやっていますから、ファンの方に向けてつくるというよりは、そのつど欠落している自分の部分を埋めようとしているので、制作へのモチヴェーションにも変わりはありません。もちろん音楽産業がさかんであればよいのにな、とは思います。

欠落しているというのは、ご自身が聴きたい音楽がないからつくらざるをえないということもあるのでしょうか?

三宅:それはありますね。おもに流通している音楽のなかに、ということかもしれませんが。もちろんいまはあらゆる種類の音楽が飽和していますから、発掘していけばそういった音楽もあるかもしれませんが、僕の作品のようにハイブリッドな音楽は少ないかもしれません。

三宅さんは、たとえばジャズでもサンバでもボサノヴァでもいいですが、あるジャンルの音楽をご自分のなかに取りこむとき、形式そのものを援用するのでしょうか? あるいはその音楽が表象する感覚を先に考えますか?

三宅:大きくわけると後者にちかくて、エッセンスのようなものをとりこもうと考えています。これはほとんどフィジカルなプロセスなんですけれども、昔は聴いたこともないような音楽をサンプルに、明日までにこういう曲をつくってくれみたいなことがCMではよくあったんですよ。

明日ですか!?

三宅:バブルの時期はよくありました。そんな時も、理論的に分析して作れば似たものはできるかもしれないんですけど、おもしろくもなんともないんですよ。ある音楽が奏でられる地方があって、その地方の人たち、その音楽が暮らしのなかにある人たちはなにを聴いたらうれしくなるだろう? 彼らの体がよろこぶ感じをいつも心がけていたんですね。そうすると、意外と現地の方が聴いたときに「これって昔からあったような曲だね」といってくれたりするんです。『Innocent Bossa in the mirror』(2000年)をつくったときも、ボサノヴァは名曲が多くて一種のアンタッチャブルな領域だと思ったんですけれど、そこで100年前からあったような曲をつくってみようと大それたことを考えて、珍しくピアノだけで主要曲をつくりました。

三宅さんにとって音楽はロジカルなものではないということでしょうか?

三宅:ロジカルな側面は当然ありますけれど、それはあとからとってつけた理論なんですね。音楽なんて、最初から理論はないわけだから。イノヴェイターがいて、「これはどうなってるんだろう」って、理論はあとづけなんですよ。それなのに、音楽学校は逆に教えちゃうので型にはまった人が出てきちゃう。

でも三宅さんも学校ではそういうふうに教わったんですよね?

三宅:幸か不幸か僕は即興演奏だけを目指して学校に入り、必須の作曲の科目以外はけっこうドロップしちゃっていたんです。基礎的なところはわかりますし、あとからは勉強しましたけれど、即興演奏って、つまりその場で作曲することじゃないですか? 作曲なんてやるやつはゆっくりしか即興ができないんだと、当時僕はそう思っていました。ほんとうはまちがっているんですけど。理論は自分でダメだなって思ったときにやればいいと思っていたんですよ。

さっさと学校を出て活動したかったということですね。

三宅:入ったときから外で演奏していました。

僕はずっと移動しているせいか、生きている間は旅だと思っているんです。

三宅さんはアメリカで活動され、いまはパリを拠点にされていますが、ローカリティが音楽そのものに働きかける部分は大きいと思いますか?

三宅:もちろん居住環境が変わったり国が変わることで意識せざるリフレクションはあると思いますが、基本的なメンタリティは変わらないですよ。そんなことをいえば、今日ここにいらっしゃるまでに歩いた道とか乗った交通機関とかでみなさんもそれなりの影響を受けているわけで。僕はずっと移動しているせいか、生きている間は旅だと思っているんです。そのなかのどこを切りとるかということですよね。

移動しつづけるなかで、伝統のようなものから遠ざかってしまうのではないかという危惧はないですか? たとえば日本的なものから。

三宅:それは日本の音楽教育システムが悪すぎるせいなんですよ(笑)。つまり、文明開化のときに新しい西洋の音楽の教育システムをつくってしまって、伝統音楽に対して一回切っちゃったでしょ? だから僕の世代でも(伝統的なものは)ないし、もっと上の方でもすでにない人が多い。皆さんの世代もきっとそうでしょう。ただ、そんなに聴いたことがなくても血の中にお祭りの太鼓とか能の間のとり方とかが入っていると思うんです。というのは、僕は白井さんの舞台で泉鏡花の『天守物語』という演目をやったことがあって、能管とか琴とか三味線とかを使って、はじめて和ものにがっぷり挑戦したんですね。そのときに和の旋律というのはあえて聴かなくても、「あっ、そうか。こういう感じか」とつづきが出てきちゃうことがわかったんです。和の感覚を僕はそんなに肯定してこなかったのに。けっこう怖いなとは思いました。で、答えに戻ると、日本から離れたからといって日本の伝統と切れるという気はしていません。なぜかというと、日本では伝統自体が切れているから(笑)。

逆に、海外で日本的なものを期待されることはありませんか?

三宅:それはあります。つらいんですね。その場合は、僕たちは伝統から切られているんだと。きっとあなたたちが聴いているのと同じか、あるいはもっと雑食的にいろんなものを聴いて育っている、と答えますね。

たしかに、日本の国土は自分たちでも気づかないくらい雑多なものでできているかもしれないですね。

三宅:僕がやっていることもそういうことだと思うんです。だから、そういう意味でこれは日本的な音楽だと僕は思っています(笑)。

話は戻りますが、『Lost Memory Theatre』における記憶とはどのような種類のものでしょう?

三宅:通過してきたありとあらゆる記憶のレイヤーです。

東京だと昨日まであった建物が壊されて更地になったあと、そこにかつてなにがあったかまったく思い出せないことがありますよね。東京とパリを較べてどう思われますか?

三宅:パリは街の美観を維持することが法律で決まっているんですよ。変えてはいけない地域があって、エアコンの室外機も付けられない。1階のお店の入れ替わりとかはありますけど、建物の外観は変えられないんですね。日本だと築40年の建物は古いですが、パリには三百年四百年の建物はざらにあって、それを直しながら使っているわけで、その感覚はすごくちがいますよね。

記憶のあり方もちがう気がしますね。

三宅:ちがうと思います。パリも中心部はそうだとしても、郊外は近代化しているので一概にはいえませんけどね。

でもどちらが正しいということではなくて、それぞれの都市のありようだとは思いますが。

三宅:もちろんどちらが正しいということではないんですが、さっきの教育の分断と同じように、フランスの人たちは何百年、何千年という流れが途切れていないとは思います。つまり、昔から何代も暮らしてきたところに自分も暮らしていて、営みが昔から脈々とある。そこはいまの日本にあまりないところだと思うんです。とくに東京なんかだと。

電車に乗っても、どの駅に着いたのかパッと見はわからないですからね。

三宅:あれはちょっと問題ですよね。アレックス・カーさんという著述家が日本の美についていろいろ書かれていますけど非常に共感したんです。彼は京都に庵があって、そこで古美術品などを集めたりしていたんですが、それを入手する手段が開発とともに変わってきてしまった。あるいは、彼は四国の山村にも別の庵があるんですが、その村自体が過疎化してダムができちゃうとか。

そういう現実がいたるところで進行していますよね。

三宅:田中角栄の『列島改造論』あたりからもうよくなかったのかもしれないね。たとえ改造するのであっても、この美しい国土をどうやったら美しいまま発展できるかって考えればよかったと思うんですけどね。

日本的な美しさは往々にして外から発見されますね。

三宅:この小さな島の中だけで価値観がまわっているからそうなるんでしょうね。どうせなら鎖国していればよかったのかもしれない(笑)。

急に極論が(笑)。でも三宅さんは閉塞した日本が息苦しくてフランスでの活動を選ばれたんじゃないですか?

三宅:それもありますが、もし鎖国していたら出なかったかもしれないですよ(笑)。そのなかにきれいなものはいっぱいあるんだから、それを極めればいいと思っていたかもしれない。さっきの教育システムの話にまた戻ってしまうかもしれないけれど、他の国のおもしろいものを知ってしまったから、彼らとコラボレーションするためには日本は地理的に遠い、その点がいちばん大きいです。

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コラボレーションでもなんでもそうですが、最初からうまくいくことは非常に稀なので、なんらかのコミュニケーションで埋めなくてはならなかったり、たがいに思っていた音の方向がちがうとかそういうことはいくらでもあります。

三宅さんはこれまで数え切れないほど仕事をしてきたと思いますが、いままでのキャリアで迎えた最大とピンチというと何を思い浮かべますか?

三宅:つねに臨戦態勢なので、マズいという感じがあたりまえなんですよね(笑)。コラボレーションでもなんでもそうですが、最初からうまくいくことは非常に稀なので、なんらかのコミュニケーションで埋めなくてはならなかったり、たがいに思っていた音の方向がちがうとかそういうことはいくらでもあります。僕は締切に遅れることはないので、言われたけどできないみたいなピンチはないんです。

較べるのもおこがましいですが、私も仮にも締切のある仕事をしていますけれども、三宅さんのように自信をもって遅れないとはいいきれないです(笑)。

三宅:瞬間湯沸かし的にやっちゃうんですよ(笑)。

壁に突きあたったりしませんか?

三宅:曲を完成させることにかんしていうと、頭の中できちんと音が聴こえていれば、そこにむかって走るだけなんです。まあ曲をつくっている最中に話かけられるとなにするかわかりませんけど(笑)。

CMの曲をつくるのでも、舞台でも映画のサウンド・トラックでも同じことですか?

三宅:同じです。デモを完成させてオーケストレーションするまで、だいたい3時間くらいなんですね。たまに「今日はこのくらいにして、つづきは明日やると楽しいかも」と思ってわざとやめるときもたまにあります。そうじゃないときは早く出しちゃわないと落ち着かないから。

出して自分の頭の中のスペースを空けるみたいな感じですか?

三宅:キャパは狭いけど、べつに音楽のことばかり考えているわけじゃないですよ。もっとほかによくないことも考えてますし(笑)、でもつくっているときは音楽に異常に集中しています。曲をつくるまではそういうプロセスなんですけれども、実際それをおのおののミュージシャンを呼んで、録って、そしてひとり増えるごとにプリ・ミックスしていくにはものすごく時間がかかります。なので、1曲3時間で書いたとしても、アルバムとして出すのに5年とか7年かかるんですね。青写真は短期間で出せたとしても、それは自分の頭のなかのものだけであって、人に会って、この人だと思う方に参加してもうらうたびに、その人なりの奥行が出てくる。それを微調整しながら、思いどおりにいかない場合は「どうしようかな」というのがいつもあるんです。

その録る環境そのものが楽音だと思うんです。僕は人肌、環境が集まったときにひとつの音楽になる、と考えます。だから無音のアイソレートされた、めちゃくちゃデッドな部屋で録る楽器の音はそんなに好きじゃない。

いまだとPCのシミュレーションでかなりリアルなサウンドができますが、それでもやはり誰かといっしょに音楽をつくりあげたいという気持ちが強いですか?

三宅:どんなに機械が進化しても人肌とはまるでちがいます。楽音というのは、たとえばサンプリング・サウンドはそこで録った環境も含めての音ですけど、(三宅氏の住居の階上から音が聞こえる)いま上で工事の音がしている、これも音楽の一部じゃないですか? その録る環境そのものが楽音だと思うんです。僕は人肌、環境が集まったときにひとつの音楽になる、と考えます。だから無音のアイソレートされた、めちゃくちゃデッドな部屋で録る楽器の音はそんなに好きじゃない。それなりの響きがあるところ、ふさわしい響きがあるところで録りたいと思いますね。


三宅純
Lost Memory Theatre act-2

Pヴァイン

Tower HMV Amazon

『act-2』も、階層化した音が奥行を感じさせますが、三宅さんの音楽は音響までふくめて成り立っているんですね。

三宅:それはもちろん。たとえば、自宅でストリングスを録ろうとなって、予算の都合でひとりしか呼べなくて、でも30人分の音がほしいときには、ただ30回音を重ねるのではなくて、椅子を少しずらしていったりとか、マイクを途中で変えてみたりとかそういうことは自分でやります。最終的にはエンジニアの腕にかかってきます。

サンプリングの小さなノイズを曲のなかにとりいれていますよね。そういった音は漫然と聴いたら聞こえないかもしれない。そういう音ものも含めての音楽だと考えていらっしゃるのでしょうか? あるいは記憶を音楽で表すには瑕(ノイズ)が必要なのでしょうか?

三宅:目的もなく好きだから入れています。というのは、いま解像度という意味では、テクノロジーの発達でクリーン過ぎる音の領域にまで入ってきているんです。デジタルでクリーンな状態は音が冷たい。だからものすごくクリーンな音を録っておいて、それを汚す音を入れないと僕は落ち着かないんです。

その判断はプレイ・バックしながらそのつど考えていく?

三宅:はい、そうです。音をひとつ足しただけでも全部のバランスを繰り返しとり直します。エンジニアに渡すときはほぼ完成形に近くなっているので、「バランスはこれね!」と指定して、音響処理だけをお願いするんです。プリ・ミックスにはすごく時間をかけます。

バランスが崩れるとまったくちがうものになってしまうんですね。

三宅:すべてバランスだと思います。シンプルなディレイとかリヴァーヴとほんのすこしコンプレッサーをかけることはありますが、お化粧でやるのはあまり好きじゃないです。

そう考えると、構想とか楽想とかがあったとしてもレコードのかたちになるまでには時間がかかりますね。

三宅:非常にかかりますし、そこの段階ではいろいろな迷いも生じます。レコードにするには反復に耐えうる普遍性ももたせなければならないので。

だから三宅さんの音楽は古びないんですね。

三宅:だとうれしいですけどね。そうあってほしいと思っていますけれど。

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──三宅さんが現在の三宅さんになった、つまり納得できた最初の作品はどこからですか?

『永遠之掌(とこしえのてのひら)』(88年)から『星ノ玉ノ緒』(93年)に移るこの2作かな。

録音にもトレンドがありますから、たとえば80年代のゲート・リヴァーヴが強くかかった作品などは、いま聴いたらちょっと大仰かもしれませんが、それでも三宅さんの作品は初期から一貫して残っていくものだという気が私はします。

三宅:それを目指していますけれども。やっぱり、ゲート・リヴァーヴもそうだけど、当時の最先端だったシンセの音とか、やっぱ恥ずかしいよね(笑)。自分のアルバムではそんなに使っていないと思うけど、CMでは使っているんですよね。

先日森美術館のアンディ・ウォーホール展へ行ったんですけど、最後のほうでウォーホルのテレビCMが流れていたんですよ。そういえば、この曲は三宅さんだったなと思い出しました。あれは最初のアルバムですよね?

三宅:そうですね。

〈TDK〉から出された──

三宅:よく知ってますね(笑)。

いや、私、もってますよ(笑)。

三宅:ほんとに!? いくつなの(笑)?

四〇代です(笑)。ウォーホルもインパクトありましたが、曲も気になったんですね。CMで使ったのは“I Knew I Was”ですよね。あのアルバムは再発されないんですか?

三宅:〈TDK〉の2枚は、自分にとって、あっ、あれは一種のピンチだね(笑)。僕はそれまでは「どジャズ」をやっていて、当時はフュージョン真っ盛りで、会社の意向もあったんです。それを全部飲んじゃうとほんとうにフュージョンになってしまうので、せめてブラコン止まりにしよう思っていたんですね。自分なりにベストを尽くしたんですが、2枚録ったあとで「レコード会社のいうことを聞きすぎると、自分の作品としてあとで反省することが多いな」と思って、こういう極北の音楽をやりはじめた気がします。

三宅さんが現在の三宅さんになった、つまり納得できた最初の作品はどこからですか?

三宅:『永遠之掌(とこしえのてのひら)』(88年)から『星ノ玉ノ緒』(93年)に移るこの2作かな。『永遠之掌』は80年代的に生の割合と機械の割合がイーヴンくらいになっていて、いま聴くとここは生にすればいいのにというのはいくらでもありますけれど、コンセプトとしては自分のやりたかったものではあった。ハル・ウィルナーとやった『星ノ玉ノ緒』はいま聴いても大丈夫かなと思いますね。

『星ノ玉ノ緒』は初期の代表作だと思います。スブリームさんとはこのころからのおつきあいですものね。スブリームさんとのアルバム『リュディック』を再発することにしたというのは、どういう理由からでしょう?

三宅:ライセンス期間が前のところときれたから(笑)。

もっとメロウなことをおっしゃっていただいた方がいい気がしますが(笑)。

三宅:そうだね。そういうトークができればいいんだけど(笑)。僕だけの意志ではないので。でもこれは彼女にとってこれは大きなアルバムだと思うので、マーケットからなくなってしまうのはいけないと思うんですね。

お見舞いに行ったら、「ジュン、この保険金でアルバムをつくろう!」と(笑)。すごい人だなと思いました。

三宅さんがフランスへ行かれて、東京を拠点とするスブリームさんがクロスフェードするようなかたちで制作されたアルバムですからね。

三宅:このアルバムをつくる前、彼女は大きな交通事故に遭ったんです。事故のかなり前から、アルバムをやってほしいとはいっていたんですけど、レコードディールがなかったので「機が熟したら」ととりあえずいっていたんですが、お見舞いに行ったら、「ジュン、この保険金でアルバムをつくろう!」と(笑)。すごい人だなと思いました。そういう思いが詰まっているのでこの作品をマーケットから消してはいけないとも思ったんですね。

『リュディック』の“Chinchilla”を聴いていたときに、私は娘がいるんですが、彼女が「このひと誰?」と聞いてきたので『ぜんまいざむらい』のひとだよ、と答えたときに、すごく納得していたおぼえがあります。

三宅:あぁ、少しイントロが似てるかもね。さらに補足するなら“Chinchilla”はレクサスのCMでした。節操なくてすみません(笑)。

いえ、三宅さんの音楽を耳にする機会が多く、強く記憶に残るものだからだと思うんですね。なので『Lost Memory Theatre』もどんどんアクトを重ねていっていただければと思います。

三宅:『act-3』でいったんきって、次に行きたい気持ちもありますけれど(笑)。『act-3』に関してはまだまっさらな状態なんですね。

そういえば、『act-1』の“A Dream Is A Wish Your Heart Makes”、『act-2』の“Que Sera Sera”ともに映画にまつわるカヴァー曲が入っています。どちらもアルバムの中間部に位置していますが、アルバムの構成に共通点をもたせる意味でそうされたんですか?

三宅:あっ、ほんとうに?

意図的ではないんですか?

三宅:曲順はこういう世界をつくるのにいちばん悩むとこで。ピンチは曲順でやってくるのかもしれない(笑)。アルバムというのは曲順でまるっきり変わってしまいます。同じ曲を収録していても曲順が変わるだけで流れもちがうし聴こえ方もちがう。「1曲目はこれだな」と決めたところから(曲順を考える作業が)はじまるんですけれど、真ん中にもってこようという意図はなかったですね。ここまでこうきたらこれかなと。

作品としてシンメトリックな構造を通底させたのかと思っていました。『act-1』は“Assimetrica”からはじまりますし。

三宅:そういうことをいえばかっこよかった(笑)。

(笑)最初にも申しあげましたが、『Act-2』は次を予兆させる作品だったので、いちファンとしてもぜひケジメをつけていただきたいと思っています。

三宅:ありがとうございます。たくさん聴いていただいてうれしいです。

Burial Hex - ele-king

 今年のはじめごろ、ブリアル・ヘックス(Burial Hex)が初めてLAでショウをおこなうとのことでEBMやミニマル・ウェーヴなんかのパーティをガンガン推している寝床から、近所のハコ、〈コンプレックス〉に観に行った。かなりキモかっこ良かった。90分近い、終始スーパー・ラウドなロングセットを飽きさせず……いや、途中のドローン・パートで一服していたけれども、充実したパフォーマンスであった。いったいどこからこんなに湧いてきたのか、ショウに群がるLAのゴス女子は不思議とメンヘラ感が薄い。カリフォルニアの気候とゴス、情熱的なラテン系女子とゴス、自然な調和をみせる光と影かな、などとゴスな衣装に包まれるたくさんの谷間やケツを目で追っていたから妙に満足しただけかもしらんが。

 話がだいぶ逸れた。アメリカ中西部のド田舎、ウィスコンシン州マディソンを拠点に活動する暗黒電子音楽家クレイ・ルビー(Cray Ruby)ことブリアル・ヘックスに僕はデビューから現在に至るまで毎度、黒くてぬるっとした感銘を受けている。ホラー・エレクトロニクスと形容されるクレイのサウンドはインダストリアル、儀式音楽、アンビエント、フリー・インプロヴ、サイケ・フォーク、ネオクラシカル、コズミック・シンセジス、ブラック・メタル、といったアンダーグラウンド・ミュージックに湧き出る黒い泉の水にディスコの油を加えて完成させたエリクサーである。その完璧な配合は錬金術師クレイにしかおこなえない。書いていることがだいぶ中2じみてるな。クレイいわくブリアル・ヘックス(埋葬された呪い)は地底深くに隠されたある種のエネルギー・サイクルであり、それはヒンドゥー教の宇宙論において循環するとされる4つの時期の最終段階、万物が破滅にいたる終末の状態を表すそうだ。カリ・ユガ(Kali Yuga)である。なんのこっちゃ。

 ブリアル・ヘックスのサウンドを単なる中2で終わらせないのは、そのオカルトな思想体系や芸術的探求心のズブッズブなドープさ、それにギリギリ悪趣味にならない完璧なバランスで成立する比類なきトラックの完成度にある。
 サイキックTVやメルツバウのリリースでもお馴染み、ノイズ/ゴス系大御所レーベル、〈コールド・スプリング(Cold Spring)〉から前回ココでレヴューした『惑わしの書(Book of Delusion)』に引きつづき、12インチや7インチ、テープなどのキラーなトラックだけを集めたコンピレーション・アルバム『心霊の護り(In Psychic Defense)』(同名タイトルの12インチも存在するので注意)が発売された。これがまた名曲揃いで、購入後にディグりがいのある音源だ。それに、毎度毎度僕のお気に入りの映画のシーンを持ってきては勝手にミュージック・クリップにしてやがるのも気になりやがるのだ。前作、『惑わしの書(Book of Delusion)』のタイトル・トラックではフェリーニのローマだし、

 今作に収録される“ハンガー”にいたっては僕もその昔自分のバンドのライヴで濫用していたマヤ・デレンの『ディヴァイン・ホースメン(Divine Horsemen)』だし! おまけにリリックはランボーの詩だし、

 ラストの“ザ・タワー”はデレク・ジャーマンの『セバスチャン』だし……

 このトラックは収録されなかったが、“ザ・ナイト”のリリックはリルケの詩だし、

 今作に収録される7インチにカットされたトラック“ファンタジー”はピュンピュン系のアシッド嫌いの僕でも聴き入るほどキモかっこいい名曲だ。ぜひダンスフロアで聴きたい。

 かつてのニノス・ドゥ・ブラジル(Ninos Du Brazil)のニコ・ヴァセラリとクレイのコラボレーションであったアート・インスタレーション、『I hear a shadow』の共鳴から連なる暗闇からのズンドコの誘いはこんな現代だからよく響くのかもしれない。CDなんで手に入りやすいと思います。

第22回:フットボールとソリダリティー - ele-king

 夏休みにうちの息子を初めてフットボール・コースに通わせた。
 これはブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCという地域のクラブが運営している小学生向けのコースで、夏休みとかイースター休みとかには必ずやっているのだが、働く親には送り迎えがたいへん不便な時間帯に行われているので、これまでうちの息子は通えなかったのである。

 が、今年はどうにか送り迎えの都合がつくことになり、フットボール狂のうちの息子は喜び勇んでコースに行ったのだが、初日からどんよりした顔つきで帰って来た。
 「どうしたの」
 「ジャパーンはシットだって言われた」
 ああ。と思った。グラウンドに彼を送って行ったときに、それはちょっと思ったのである。子供たちのほとんどは、ブライトン・アンド・ホーヴのキットを着ていた。地元クラブ運営のコースなので当前である。少数派として、チェルシーやマンUなどの定番人気クラブのキットを着ている少年たちもいたが、日本代表のキットなど着て行ったうちの息子はマイノリティー中のマイノリティーだ。しかも、そのチームがまた、どちらかと言えば強くないことで有名である。そりゃからかわれる標的にはなるだろう。
 「明日は日本代表のは着たくない」
 「ほんなこと言ったって、あんたブライトン&ホーヴのキット持ってないじゃん」
 「ウエストハムのキットを着る」
 「いや、それもブライトンじゃ超マイノリティーだよ。強いわけでもないし」
 「ウエストハムなら何と言われてもいい。“僕のチーム”だから」

               *****

 ある日、食事中にうちの息子が、妙に青年っぽく潤んだ瞳で言った。
 「こないだ、父ちゃんとロンドンに行った時、ウエストハムのリュックを背負って行ったんだ。地下鉄を降りて、プラットフォームを歩いていたら後ろから男の人がいきなり僕のリュックをパンチした。で、彼は言ったんだ。『ウエストハム・フォー・ライフ』って」
 わたしは黙って聞いていた。あれほど熱っぽく、しかし静かな息子の微笑は見たことがなかった。8歳児があんな顔するのかよと思った。

 またある時、息子は言った。
 「母ちゃんは実用的なことを教えてくれるけど、父ちゃんは人生について話してくれる」
 「例えば、どんな?」
 「僕たちは一度このクラブをサポートすると決めたら一生変えないんだとか、そういうこと」
 要するにフットボールである。
 うちの息子がウエストハムのサポーターである理由は、ロンドン東部で生まれ育った連合いのローカル・クラブがウエストハムだったからであり、彼の「ウエストハム・フォー・ライフ」はいわば世襲のものである。フットボールには「世襲」だの「帰属」だのといった風通しの悪いコンセプトがつきまとう。そもそも、「○○・フォー・ライフ」などという思い込みの迸りは限りなく愛国精神じみているし。フットボールがウヨク的と言われる所以だろう。

                *****

 『Awaydays』という映画があった。例によってこれも日本には輸入されていないようだが、『This Is England』のフットボール版と言われた映画で、1979年の英国北部の若者たちを描いた作品である。

サッチャーが政権に就いた年の灰色の北部の街で、ちょうど『This Is England』の主人公ショーンがナショナル・フロントに惹かれて行ったように、『Awaydays』の主人公はフーリガニズムに惹かれて行く。『Awaydays』もサブカル色が強く、ここに出て来る北部のフットボール・フーリガンたちは、いやにモッズである。アラン・マッギーが初めてグラスゴーのライブハウスでオアシスを見た時の印象を、「そこら辺を破壊して暴れ出しそうな不良のモッズが隅に陣取っていた。はっきり言ってビビった」と語っているのを読んだことがあるが、モッズにはどうしたって地方のヤンキーという側面がある。この流れを現代に汲んでいるいるのが、スリーフォード・モッズだろう。ああいうおっさんたちは、ブライトンの職安の前に行くとけっこういる。
 『Awaydays』はポストパンク・ミュージックをふんだんに使い、フーリガンたちがワイヤーやマガジンを聴いていたり、主人公の部屋にルー・リードのポスターが貼られていてたりするのだが、これは連合いの世代の人びとに言わせれば、「フーリガンはポストパンクじゃなくて、ディスコかジャズ・ファンクを聴いていた」という時代考証的な矛盾があるらしい。
 が、本作の主人公は、もともとおタクっぽいレコード・コレクターで、田舎のヤンキー文化には溶け込めなかった。そういう青年が何故かフーリガンたちの世界に憧れ、自ら飛び込み、やがてグループの中で最も凶暴なメンバーになるというのは、面白い構図だ。ポストパンクとフーリガンは相容れない世界だったとしても、その境界を飛び越えて行った人もいた筈だ。
 男子が暴れたくなる理由はホルモンの暴走とかいろいろあるんだろうが、この映画では、閉塞や孤独やノー・フューチャーな感じ、禁じられた同性愛などの対極にあるものへの渇望。が満たされない故に疾走する行為として描かれている。そして、あの徒党感。「族」を描く映画には欠かせない、「横並びに共に立っている」という感覚である。それはうちの息子が駅でウエストハムのリュックをパンチされた体験を語る時の、潤んだ微笑でもある。


              *******

 過日。
 若き左派論客オーウェン・ジョーンズがガーディアン紙ですすり泣いていた。この人はダイハードな左翼ライターとして有名で、左派のわりには全くヒューマニティーを感じさせないほど沈着冷静、皮肉屋で残酷。眉ひとつ動かさずにバサバサと右派を斬る人なのだが、その彼が『Pride』という新作映画を見て「僕はすすり泣いた」などと新聞に書いている。
 同作もサッチャー時代の話らしい。炭鉱労働者たちのストライキをサポートするために同性愛者コミュニティーが立ち上がる。という実話ベースの話だそうで、これを見てあのオーウェン・ジョーンズが泣いたというのである。
 「サッチャーが殺すことができなかった伝統がある。それは英国人のソリダリティーだ。どれほど彼女が個人主義の鉈を振り下ろしても、この伝統だけは殺せなかった」
 と彼は書く。うーむ。これも「横並びに共に立つ」というアレだよなあと思った。

 思えば、例えばこのアラフィフのばばあが育って来た時代から現代まで、西洋文化にかぶれた日本人にとっても、ソリダリティーというやつは最もダサいもので、憎むべきものであった。個人主義こそがクールで、おまえはおまえで俺は俺。群れる奴らは弱いとか、団結はおロマンティックなバカどもの幻想だとか言われてきた。わたしなんかも、すっかりその洗脳にやられて生きて来た老害ばばあである。

 最近、UKでは頻繁に「サッチャー」という言葉を耳にする。ひとつのキーワードになっていると思うが、この国で育った人間たちは今つらいのだと思う。組合は駄目、フーリガンは駄目、福祉国家は駄目(この駄目というのは、禁止という意味ではない。「もはやお話にもならないもの」ということ)、人間が結束することを全て駄目化する形で庶民は分割統治されてきた。自力本願が花開く上昇の時代ならそれでも良い。が、人が支え合わなければ生き残れない下降の時代になっても個人主義という基本は変わらない。それでもソリダリティーに惹かれてしまう者は、それこそ左から右にジャンプするしかないというか、ポストパンクからフーリガンに飛び込むしかなかったのだ。
 けれどもそこはやはり人間が繋がることが駄目化された社会なので、『Awaydays』でも主人公のひとりは自殺するし、もうひとりは「やっぱ結束なんてクソだよな」とフーリガンを抜ける。『Pride』のほうだって、炭鉱労働者たちが現実にどうなったかを考えると「勝利」みたいなハッピーエンドではないだろう。が、きっと人間のソリダリティーを否定しない形で終わった映画だからこそ、オーウェン・ジョーンズのような人まで泣いたのではないか。 
 ソリダリティーはいいことなんだよ。と言ってくれる人はこれまでいなかったから。

 サッチャーからはじまった個人主義の果てにあった修羅の如きブロークン・ブリテンに、きっとみんな疲れているのだ。だからちょっとソリダリティーとか言われたら泣いたりする。
 アホか。
 ゲット・リアル。
 とはわたしはもう思わない。
 次の時代は、意外とそういうところからはじまるかもしれないからだ。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 これは挑戦です。ロック・サウンドの実験です。よし、試しにやってみようじゃないか。そうだ、やってしまおう。飼い慣らされる前に、飛べ。
 化石となったロック・バンドを尻目に、しかし、バンド・サウンドにはまだ開拓の余地があるとオウガ・ユー・アスホールは考えています。彼らはマーケティングに支配された音楽シーンをささーと駆け抜けます。
 彼らはこの3年のあいだ、『homely』、『100年後』という2枚の重要なアルバムを残しました。それらの作品で、彼らは、細かく分解されたクラウトロックとAORの部品を新しく磨き、あらためて組み立てました。皮肉たっぷりの歌詞と甘美なサウンドで、彼らはリスナーをいろいろな場所に連れて行きました。そして、いまでも彼らはそのことを止めません。
 今年の10月15日、オウガ・ユー・アスホールは『homely』『100年後』に続くニュー・アルバムをリリースします。タイトルは『ペーパークラフト』。すでにライヴではお馴染みで、ele-kingの12インチ・シングルとしてリリースした「見えないルール」のオリジナル・ヴァージョンも収録されています。
 『ペーパークラフト』は、いままで以上に甘いアルバムです。同時に、毒々しくもあります。DJのENAのインタヴューでも話題にしていますが、いま「ノっているんだけど、醒めている」「興奮しているんだけど、冷ややか」な感覚がダンス・ミュージック、とくにUKのテクノの世界では急速に拡大しています。必要以上に上がりもしなければ、必要以上に絶望もしない。オウガ・ユー・アスホールがいま鳴らしている音は、そんなテクノの現在性とも重なっています。
 『ペーパークラフト』の初回限定版は、特別ボックス仕様で、カセットテープが付きます。セッションを録音した音源で、ダウンロードのナンバー入りです。

※10月2日、恵比寿リキッドルームにて、オウガ・ユー・アスホールのライヴあります。

LIQUIDROOM 10th ANNIVERSARY ele-king night
「オウガ・ユー・アスホールvs森は生きている」

■OPEN / START 18:00 / 19:00
■ADV ¥3,500(税込・ドリンクチャージ別)
■LINE UP OGRE YOU ASSHOLE/森は生きている
■TICKET チケットぴあ [232-675] ローソンチケット [79610] e+ ■INFO  LIQUIDROOM 03(5464)0800  


『ブリングリング』 - ele-king

大金持ちの子どもたち やりたい放題
大金持ちの子どもたち 偽物の友だちしかいない
本物の愛 求めているのは本物の愛
フランク・オーシャン“スーパー・リッチ・キッズ”

 そう、『ブリングリング』はそんな話だ。その歌が使われていても不思議ではない。甘やかされて育ち、ぼんやりとした孤独と退屈があり、生活に困っているわけではなくて、そしてセレブリティの家に侵入して服や宝石を強盗する、そんな子どもたちがいたとして彼/彼女らだけに罪はないのだろうし、この時代になんとなく漂う行き止まり感を表象した映画だと言えるだろう。もう子どもたちは夢を見ていないし、強奪するにせよひと山当てるにせよカネを得ることは目的ですらなくなっている。映画のメインの舞台となるパリス・ヒルトンだかリンジー・ローハンだかのブランドものの服や靴が並ぶクローゼットは資本主義が召喚した虚無そのものだが、「キッズ」の居場所はそこにしかない(あるいは、そこにあるのだと思いたがっている)。そしてそこは、インターネットで検索すれば見つけることができるのだ。サウンドトラックの選曲のオシャレさには定評のあるソフィア・コッポラだが、本作ではなかなか先鋭的なセレクトになっているとはじめは思った。しかしながら、彼女はかつてエイフェックス・ツインの楽曲を使用していたが、それと同じことがテン年代の『ブリングリング』におけるOPNのダニエル・ロパティンとして反復されていると見なせばそう驚くことでもない。
 同じこと……。『スプリング・ブレイカーズ』における頭の弱い女子大生たちの春休みを美しいと思った僕が、『ブリングリング』におけるセレブリティ・カルチャーへの逃避をただ眺めてしまうのは、ソフィア・コッポラがどうも同じことを繰り返しているように見えるからだ。『ヴァージン・スーサイズ』(99)、『ロスト・イン・トランスレーション』(03)、『マリー・アントワネット』(06)……そこには、自分の居場所が何となく見つからないガールばかりがいなかったか。本作は、自分のからっぽの人生に呆然とする俳優をふんわりと描いた前作『SOMEWHERE』(10)を逆サイドから描いていると言え、そして気がつけばそれはシームレスに繋がっている。パソコンの画面のなかの華やかなセレブリティたちの世界と、そこに行けば何かが変わるかもしれないと憧れた子どもたちの世界、そのふたつにそのじつ大した違いはない(そのことは『ブリングリング』のラストで明らかになる)。その虚しさを繰り返すことがもしフランシス・フォード・コッポラという偉大すぎる父の娘として生まれたソフィアの宿命であるならば……彼女をかばいたいくもあるがしかし、それを何度も見るのは侘しいものだ。

 変わらないと言えば、ソフィア・コッポラの元夫であるスパイク・ジョーンズ『her/世界でひとつの彼女』もそうだった。siriのように話せば優しく答えてくれる人工知能との恋。と言われても、ここには生身の感情のやり取りや生々しい手ざわりはどこにもなく、それは『マルコヴィッチの穴』(99)でジョン・マルコヴィッチの脳内に入ってはじめて「世界」を感じることができたことととてもよく似ている。淡い映像で包まれた映画には切ない気分が終始漂っているが、触れれば血が噴き出すような傷は見つからない。
いや、『her』には人工知能のガールフレンドに対比させるように、現実世界の「ボクの思い通りにいかない女たち」もきちんと登場する。だが、それ以上にOSサマンサの柔らかい肯定感――ぬるま湯感と言おうか――がそれらをたやすく上から色づけして隠してしまう。パステル・カラーで。生身の官能がないセックス・シーンが強烈な皮肉だったらいいのだが、たぶんにここでは一種の「夢」として描かれている。それは避妊も性病予防も体液の交換もなく、面倒で気持ち悪いベトベトやネチネチのない、とてもクリーンで、後腐れのない性愛である。だが、そこにエクスタシーは本当に存在するのだろうか。

 気になるのは、『ブリングリング』も『her』もインターネット・その後が強く意識されていることだ。どちらの主人公たちも自分が許される場所を求めていて、そして無限に広がる情報の海のどこかにそれがあるのかもしれないとぼんやりと信じているようだ。回答を見つけるためではなく、見つけないために検索をかけ続けるかのようだ。すなわち、「居場所はない」のだという現実を。

 『ヴァージン・スーサイズ』や『マルコヴィッチの穴』の頃のトレンディな装いを引きずったまま、ソフィア・コッポラとスパイク・ジョーンズはここまで来てしまったのではないか……「この世界」を受け止めないままに。ということを考えたとき、強引であるのは承知した上で、同じく90年代から映像派として鳴らしたデヴィッド・フィンチャーを僕は補助線としたい。
 たとえば『セブン』(95)、たとえば『ファイト・クラブ』(99)はそれぞれ時代をえぐった傑作とされているが、僕はあくまで彼の最高傑作は『ゾディアック』(07)だと言い張ろう。それまで映画のなかにゲーム的世界を入れ子構造的に用意していた彼が、そこではじめて現実世界に向けてそのような遊戯を「諦めた」と言えるからだ。(それまでフィンチャーが題材にしてきたような)猟奇的事件は解決せず、謎に近づけば近づくほど関わった人間たちは自らの人生を狂わせ、ただひたすら無為に時間ばかりが過ぎていく……。確実にそこでフィンチャーは何かを掴んだ。そして、インターネットばりの更新速度でシェイクスピアをやったような……つまり古典的な物語がたしかに息づいていた『ソーシャル・ネットワーク』(10)では、結局ソーシャル・ネットワーク・サーヴィス上には「誰もいない」ことをあっさりと認めてしまっていた。しかしだからこそ、映画の終わりではロウなコミュニケーションの可能性が示唆されるのである。彼の新作『GONE GIRL(原題、14)』が、妻の失踪を機に人間性を疑われる男を描いていると聞けば、不可解で理不尽な現実を彼がいまでははっきりと見据えていることがわかる。

 切実な表現がいつも素晴らしいと言いたいわけではない。だが、フランク・オーシャンはその歌の正直さにおいて、「スーパー・リッチ・キッズ」を皮肉りながらも、たしかに本物の愛を求めていたのだとわかる。が、『ブリングリング』の子どもたちは……どうなのだろう。本当にこの歌がこの映画のサウンドトラックになるのだろうか? だが、僕はその答えを検索しようとは思わない。


『ブリングリング』予告編


『her/世界でひとつの彼女』予告編

 15年間NYに住んでいるが、今年ほど涼しいNYの夏はない。原稿を書いているのが8月20日だから、これから新たな熱波が来るのかもしれない。しかし、現時点で、野外コンサートに野外映画、ビーチ、BBQ、車で小旅行などしても「夏だー」という感じがない。地下鉄もオフィスも店もホテルも、冷房効き過ぎで、夏でも長袖が手放せないし、先週の今年最後のサマースクリーンは、スカーフをぐるぐる巻いたり、ブランケットを被ったりしている人が多数いた。

 サマー・スクリーンは、 ブルックリンのウィリアムスバーグ/グリーンポイントにある大きな公園、マッカレン・パークで開催される『L・マガジン』主催の野外映画である。過去にも何度もレポートしている

 映画の前には毎回、ショーペーパーがキュレートするバンドが演奏。彼らがピックするこれから来そうなバンドが、見れるので、毎年通っている。と言っても今年見たのは、ショーン・レノンのバンド、ザ・ゴースト・オフ・サバー・トゥース・タイガーだけだった。その他はこちら
 クリネックス・ガール・ワンダーは、インディ・ポップ世代には懐かしいが(90年代後期)、最近はNYポップ・フェストも復活し、エイラーズ・セットのアルバムが再リリースされるなど、インディ・ポップも盛り返している模様。ラットキングは去年も出演していたし、これから来るバンドと言うよりは、彼らの友だちのバンド(20代前半から40代中盤の中堅まで)を安全にブックしているように思えた。

 映画と謳っているが、野外ピクニックを楽しむ感じなので(公園内ではアルコールもOK)、映画自体は重要でないかもしれないが「あれ、この映画去年もやってなかった?」と言う回が何度かあった。

 ライセンスの問題なのかネタ切れなのか、オーディエンスは毎年変わっているからよいのか、などと思い何回か通った後、最後の回の盛り上がりが凄かった。毎年最後の週の映画はオーディエンスが投票で選ぶのだが、今年はスパイス・ガールズの映画『スパイス・ワールド』が選ばれた。いつもは映画がはじまってもおしゃべりが止まらない観客が、この映画がはじまると、「ひゅー!!! わー!!!」と言う大歓声。ただでさえ、映画の音が、後ろから前から横から立体的に聞こえるのだが、歌がはじまるともっとすごい。さらに3D、と思っていたら、なんとオーディエンスが一緒に歌っているのである、しかも大合唱。さらに映画のクライマックス、スパイス・ガールズがステージに駆けつけ、いざ、曲がはじまるシーンでは、座っていたオーディエンスが立って、歌いながら踊りはじめた! 先週、先々週見た映画『ヘザーズ』や『ビッグリボウスキー』でも、クライマックスや決めのシーンではヤジが飛んでいたが、実際に立って踊りだしたのは、サマースクリーン史上(著者の記憶では)この映画が初めて。映画の前にプレイしたバンド(今回は、ガーディアン・エイリアンのアレックスのソロ・プロジェクトのアース・イーターとDJドッグ・ディックと言うインディ通好み!)よりも何倍も盛り上がっていた。恐るべきスパイス・ガールズ世代。映画の前にはスパイス・ガールズ・コスチューム・コンテストまで行う気合の入れよう。オーガナイザーも観客も、スパイス・ガールズを聞いて育った世代なのね。


photos by Amanda Hatfield

 野外ライヴと言えば、前回レポートしたダム・ダム・ガールズと同じ場所、プロスペクト・パークで行われたセレブレイト・ブルックリンで、今年最後のショーを見た。最後を飾ったのは、アニー・クラークのプロジェクト、セント・ヴィンセント。元イーノンのトーコさんがバンドに参加しているということもあり、期待して見に行った。
https://www.brooklynvegan.com/archives/2014/08/st_vincent_clos.html

 公園内では、家族でBBQしている人や、ピクニックしている人などたくさんいるが、それを横目に見ながら、目的地のバンド・シェルへ(いつも通り)。最後ということと、天気が良かったこともあり、バンドシェル内はあっという間に人数制限超え。このショーにお昼の12時から並んでいる人もいたとか(ドア・オープンが6時のフリーショー)。非常口の柵に集まりぎゅうぎゅうになってみる人、公園の周りを走る一般道路からバンドを見る人など、シェルに入れない人続出。なかには見るのを諦め、道路に勝手にブランケットを引いて飲み会を始める輩もいた。

 ライヴは、ピンク色の3段の階段をステージのセンターに配置し、シルバーヘアに、白のトップに黒のタイト・ミニスカートにハイヒールのアニーと、バンドメンバー(キーボード2人とドラム)の合計4人。10センチはあると思われるハイヒールで飄々とステージを練り歩き、階段の上に登ってそこでプレイしたり、バンドメンバーと絡み、ヘビーメタル・ギターテク、ギクシャク動くロボテック・ダンスをみると、魂を乗っ取られた(もしくは乗っ取った)妖精に見えてくる。ダムダム・ガールズが感情を剥き出しにする「痛さ」だったら、セント・ヴィンセントは「超絶」だ。が、その仮面の下の本性はまだ見えない。人工的で、妖艶で何にでも化けそう。パフォーマンス は有無も言わさず圧倒的に素晴らしく、曲が終わる度に「オー!!!」と感嘆の嵐、思わず拍手せずにはいられない。新曲中心に、新旧ミックスしたセットで、アンコールにも悠々と答え、轟ギター・ノイズで最後を飾った後、時計を見ると10:28 pm。最終音出し時間10:30pmのところ、完璧主義でもこれは凄くない?

この日のセットリストは以下:
 Rattlesnake
 Digital Witness
 Cruel
 Marrow
 Every Tear Disappears
 I Prefer Your Love
 Actor Out Of Work
 Surgeon
 Cheerleader
 Prince Johnny
 Birth In Reverse
 Regret
 Huey Newton
 Bring Me Your Loves

 Strange Mercy
 Year Of The Tiger
 Your Lips Are Red




photos by Amanda Hatfield

 テクニックといいパフォーマンスといい、彼女の才能は際立っている。 「ソロアーティストの良いところは、いろんなミュージシャンとコラボレートできること」と言う彼女は、2012年にデヴィッド・バーンとの共演作品『ラブ・ディス・ジャイアント』をリリースし、ニルバーナが表彰されたロックン・ロール・ホール・オブ・フェイムでは、ジョーン・ジェット、キム・ゴードン、ロードらと一緒にヴォーカルを取り、セレブレイト・ブルックリンでプレイした次の週では、ポートランディアでお馴染みのフレッド・アーミセン率いる、レイト・ナイト・ウィズ・セス・メイヤーズのTVショーのハウス・バンド、8Gバンドでリーダーも務めるなど、さまざまなミュージシャンと積極的に共演している。

 最近このコラムは、女性ミュージシャンのレヴューが多いが、ブルックリンではTHE MEN,、HONEY、THE JOHNNYなど男性(混合)バンドも、新しくて面白いバンドがたくさんいる。彼らも機会があれば紹介していくつもりだ。

8/20/2014
Yoko Sawai

jjj & febb - ele-king

 みんな知っていると思うけど、新風を巻き起こす、テン年代のヒップホップ・シーンの最大のインパクト=Fla$hBackS。とにかく、格好いいよね! 最近では、中島哲也監督による話題の映画、『渇き。」への楽曲提供など、活動の場も広がりつつある。
 そのメンバーのjjjとfebb、それぞれのソロ・アルバム発売を記念してのWリリース・パーティが今週末日曜の渋谷で開かれる。

 febbと言えば早い時期から噂が噂を呼んでいた、今年1月リリースのファースト・アルバム『THE SEASON』が記憶に新しい。アルバムを一聴したD.L氏が「ここ10年で最高の邦楽ヒップホップ・アルバムである」と発言するなど、識者からの賛辞の声も後を絶たないけれど、新世代の勢いを感じる1枚であることは間違いないので、まだ聴いてない人はぜひチェックを。
 で、jjj。彼も12インチ・シングルが春にリリースされたことで、アルバムへの期待感は日増しに強まっている。今週末には、いち早くアルバム曲も聴けるかもしれない!

 豪華な出演者もヘッズにはたまらない。B.DやONE-LAW、ERA、ISSUGI、KNZZといった東京ストリートの一角・池袋bedホームボーイたち、名古屋からはアルバム『VIVID』が評判のCAMPANELLA、YUKSTA-ILLによるTOKYO ILL METHOD SET、MARINやPRIMALの名前もある。
 DJ49、DJ HIGHSCHOOLによるエクスクルーシヴ・セットは必聴だし、DJ BUSHMINDはより幅の広い選曲で、普段ヒップホップの現場に行かないオーディエンスさえも虜にするだろう。
 そして、この日のメンツには、FILLMOREやKZA、PUNPEEの名前もクレジットされていて、ここまでくると“真夏の白昼夢"とでも言いたくなる。フードコーナーやスペシャル・マーチャンダイズの販売も予定されている。昼過ぎ15時スタートっていうのも良いね。年齢制限なしのオープンなパーティの気概を感じる。

 さらに、8/21(木)には、DOMMUNEにて「Road to "LEGIT SUMMER"」と題した前哨戦プログラムの放送も決定。こちらは〈WDsounds〉よりLIL MERCY、そしてシンガーのMARINをMCに迎え、当日出演者による生ライヴやスペシャル音源のOAも予定されている。是非チェックして、日曜日の当日に備えていただきたい。

イベントトレイラー映像


『jjj & febb solo album W release party LEGIT SUMMER』

日程:2014.8.24 (sun)
会場:SOUND MUSEUM VISION
Open / Start 15:00
Advance:2,800yen+1d
Door:3,500yen+1d

release live : jjj / febb

LIVE : B.D. / CAMPANELLA / DJ HIGHSCHOOL (Exclusive SET) / DJ ONE-LAW
(Chronic SET) / ERA / ISSUGI / KNZZ / MARIN / MEDULLA / PRIMAL /
YUKSTA-ILL(TOKYO ILL METHOD SET)

DJ : BUSHMIND / DJ49 / DJ BEERT / FILLMORE / GRINGOOSE / KZA /
MASS-HOLE /MS-DOS / PUNPEE / RYUJIN

FOOD : BEARS FOOD / GINZA SUKIBAR

■前売りチケット好評発売中
プレイガイド:
チケットぴあ:Pコード:235-703
ローソンチケット:Lコード:72791
e+(イープラス)

取扱店舗:
Disk Union
TRASMUNDO
Jazzy Sport
FEEVER BUG
SKARFACE

主催:AWDR/LR2 / SPACE SHOWER NETWORKS INC.
協力:WDsounds / P-VINE, Inc.
協賛 : TANNUS / NIXON / Us Versus Them
問い合わせ先:Global Hearts (03-6415-6231)

https://www.vision-tokyo.com


■DOMMUNEでも特番あり!

『2014/08/21 (木)JAPANESE HIPHOP STYLE WARS / Presented by P-VINE』
19:00~21:00 「Road to "LEGIT SUMMER"/ BROADJ♯1392」
TALK & LIVE:febb、CAMPANELLA、ERA、DJ HIGH SCHOOL and more... 司会:MARIN、Lil MERCY

DOMMUNE>>>https://www.dommune.com/reserve/2014/0821/

ENA - ele-king

 2012年のとある木曜日の深夜、初めて行ったバック・トゥ・チルでのこと。ダブトロ、100mado、そして中心人物ゴス・トラッドによる硬派なダブステップに続いたENAのステージは、まさに異色そのものだった。音が溶け出しているかのような抽象的なリズムと、緩やかに跳ね上げるベースライン。期待していた「いわゆる」ダブステップは流れなかったものの、素晴らしいミュージシャンを発見した喜びで僕は包まれていた。
 2006年にログ・エージェント名義で参加した〈FenomENA〉から出された日本のドラムンベース・コンピレーション『Tokyo Rockers: The Best of Japanese Drum & Bass Vol.1』がENAの公式なデビューになる。翌年には自身のレーベル〈イアイ・レコーディングス〉を立ち上げ、7インチ・シングル「アダウチ/ カントリー・ダブ」をリリースした。現在のENAのスタイルとは違ったものだが、和太鼓の音色や空間使いに見いだされる自由さと奇抜さは今日まで受け継がれている。
 フェイスブックやサウンドクラウドによってパソコン一台で世界と繋がれる時代だが、ENAは早い段階から海外のシーンとも交流を持っていた。ロンドン、ベルリン、さらにはイスタンブールまでその交遊域は広がり、それは2011年にフランスの〈セヴン・レコーディング〉からのリリース「サイン/インスティンクティヴ」へと結実する。“サイン”で虚ろに響くヴォイス・サンプリングや切り刻まれた低音は多くのコアなリスナーを引きつけた。その後も〈セヴン〉からのリリースを続け、2013年にはそれまでの総括でもあるかのような傑作『バイラテラル』を世に送り出した。今年の3月には新天地の〈サムライ・ホロ〉から「バクテリウム EP」を発表。現在は10月に同レーベルから出されるアルバムに向けて準備を進めている。
 ユニークであり続けることはアーティストのある種の宿命だが、ENAは自身の活動でそれを体現してきた。ベース・ミュージック界隈で頭角を表し、やバック・トゥ・チルのレジデントDJとしても認知されるが、果たしてそれが彼のすべてなのだろうか? 彼が何を考え、これからどこへ向かうのか。ENAは存分に語ってくれた。
(高橋勇人)

90年代に音楽を聴いているとドラムンベースもやっぱり逃げられないものでしたね。アンダーグラウンドにもヒット・チャートにもあったし。

野田:DJは何年くらいやっているんですか?

ENA(以下、E):何年くらいかな。まぁ、でも俺は10代からDJをやっているわけじゃないんですよ。今年34歳なんですけど、10年くらいじゃないですかね?

野田:ちなみにジャングルやドラムンベースから入ったと聞いていますが、本当のところはどうですか?

E:もともとの始まりは70年代とかのロックで、DJカルチャーはヒップホップで入りましたね。世代的に90年代ってどんな音楽を聴いていてもヒップホップって避けられないじゃないですか? ビギーとかD.I.T.C.とかモロでしたね。

野田:なるほど。90年代中期のギャング・スターが全盛期のときですね。

E:特にD.I.T.C.が好きだったんですよ。音がすごくダークだったし。あの頃はウェスト・サイドもちゃんとブラック・ミュージックに根ざしたパーティ・ミュージックでしたからね。そのあとチャラくなってからのはちゃんと聴いてないんですけどね。
 それでヒップホップに入ったきっかけは、はっきりとはしてないんですけど、コーンとかレイジとか。さらに言えばアンスラックスとかパブリック・エネミーとかのミクスチャーだと思います。

野田:“ブリング・ザ・ノイズ”とかリアル・タイムですか?

E:10代で一気に掘ったせいもあって、何がリアル・タイムなのかわからないんですよね。あの時代はなんでもかっこ良かったですよね。

野田:MTVですごかったですよね。

E:もう録画しまくってましたね(笑)。

野田:その頃はもう音楽活動はされてたんですよね?

E:そのころはバンドでジャミロクワイみたいなアシッド・ジャズをやってましたね。それが高校から20歳くらいまでかな。そのもとには自分のジミ・ヘンドリックス好きがあって、ブートとかも集めまくってたくさん持ってるんですよ。

野田:それはENAさん世代にしては変わっていますね。

E:完全に頭おかしかったっすよ。友だちいなかったっすもん(笑)。

野田:そりゃ話が合わないでしょ(笑)。

E:その代わり、友だちの親父とすごく話が合ったんですよね。

一同:(笑)

E:ジミヘンからって色々派生するじゃないですか? アシッド・ジャズにもファンクにも、マイルス・デイヴィスにも繋がったし。中学のときはもうマイルスを聴いていましたね。ジミヘンはプリンスとも繋がるから、それで80年代のとかもたくさん知りましたね。結果的に10代のうちで全方向に進んだ感じがします(笑)。

野田:そこからDJミュージックへはどうやっていくんですか?

E:ヒップホップからDJクラッシュにいくんですよ。歌ものだけではなくてインストものも結構好きだったんですよね。それでヒップホップっていうと、クラッシュ、シャドウ、カムの3人とかヴァディムとかってなるじゃないですか?
 クラッシュさんの周りを聴いていると、マイルスのビル・ラズウェルが監修しているやつとかでドック・スコットがリミックスしていたりして、ドラムンベースにも広がっていくんですよ。
 90年代に音楽を聴いているとドラムンベースもやっぱり逃げられないものでしたね。アンダーグラウンドにもヒット・チャートにもあったし。

高橋:否応なくドラムンベースが流れるなかでそれを率直に好きになれましたか?

E:やっぱりインパクトが強かったですからね。エイフェックスやスクエア・プッシャーは当時ドラムンベースとは呼ばれていなかった。だけど、何もない所にそれがやってくるとかっこよかった。それが結局ドラムンベースの入り口になってますね。で、例のごとくDBSがある。リキッド・ルームでDBSに行ってドラムンベースを聴けば、そりゃ好きになるでしょ(笑)。

野田:一番最初に行ったDBSって覚えてます?

E:いやー、覚えてないですね。10代の終わりか20歳くらいだったと思うけど。

野田:その頃にはターンテーブルは揃えてましたか?

E:俺はバンドをやっていたせいもあってスクラッチがやりたかったんですよね。だから1台だけ持っていました。

野田:ヒップホップの人は最初1台だけ買って練習しますもんね。

E:そうですね(笑)。金がないのもあったんですけど、それで練習してました。その辺のタイミングを覚えてないのは、やっぱりその頃に一気に聴きすぎたからですね。

野田:ちなみに生まれは東京ですか?

E:そうですね、某多摩地区です。レゲエの街ですね。レコード屋さんも多かったです。
 うちはクラシック一家だったんですけど、親の世代は60年代のロックを通っているので、そのレコード・コレクションを聴いていたのもデカいと思います。コレクションにはビートルズもクリームもドアーズもありましたね。

野田:それを子供の頃に聴いていたんですね。

E:聴いていましたね。YMOとかもあったんですけど、俺はあんまり入れ込みませんでした。

野田:親がそういうのが好きだったりすると反発しませんでしたか?

E:いや、なかったですね。やっぱりドアーズとか普通にかっこよかったですからね。例えば、俺が10代のときは小室とかが全盛だったと思うんですけど、あれが好きになれなくて。それで、ドアーズとかを聴いたらこっちの方がいいじゃんってなりますよね。そう思う中学生もどうかと思うんですけどね(笑)。

高橋:一方で小室はジャングルやドラムンベースを取り込んでいったりもしてましたよね。

E:あれでドラムンベースは殺されたっていう人もいるけど、まぁ、何とも言えないですね。

野田:そういった意味でも世代的にはドラムンベース直撃なんですね。

E:そうですね。でも結局マーラとかピンチも同じじゃないですか。〈メタル・ヘッズ〉直撃世代で。〈コールド・レコーディングス〉も〈メタル・ヘッズ〉を130BPMでやっているニュアンスがあるし。
 だから、アブストラクト・ヒップホップからジャングルにいくって王道と言えば王道なんですよ。なぜかテクノにはいかなかったんですけどね。

野田:最近の作風はテクノっぽいと思いますよ。最新作の「バクテリウム EP」なんか、テクノが好きな人は絶対に好きな音だもん。

E:テクノにはまったのはここ3、4年なんですよ。それまではヒップホップの人にありがちなキックを4つ打つとつまらないっていう感じでしたね。ドラムンベースは違ったからはまったっていうのはありますね。テクノのイーヴン・キックは強いなって思いますけど、それ以外のリズムのほうが好きですね。

野田:アブストラクトな感じからは、ベーシック・チャンネルとか好きだと思ってました。

E:たぶんディープなドラムンベースを作りはじめて、「テクノっていろいろあるんだ」って気付いた部分はあります。もちろんベーシック・チャンネルは知ってましたけど、良さをあらためて再認識した感じですね。
 最近は自分の曲がテクノの層に受け入れられてるっていう実感も少しあります。この前、ルーラルに出ていたアブデュール・ラシムに「俺は一度もドラムンベースにはまったことがないけど、お前の音楽は好きだ」って言われて嬉しかったです。自分はドラムンベース以外のところで支持されるのかもしれない(笑)。
 自分みたいな音楽って隙間じゃないですか? フェリックス・Kみたいな人もいるけど、数は少ないし。まだまだ可能性はあると思います。

野田:最初がアブストラクト・ヒップホップのDJっていうところがゴス・トラッドと近いですね。

E:そうですね。ゴス・トラッドは俺のひとつ上だから聴いている音楽は多少違えど、被っている部分は多いですね。

野田:彼はテクノ・アニマルの方へいきましたよね。

E:俺はそっちじゃなかったんですよ。俺が10代の終わりから 20代のころ一緒にやってたのが、この前〈サミット〉から出たBLYYの連中なんですよ。あいつらもアブストラクトが好きで、D.I.T.C.みたいに音響系をサンプリグしたトラックを作ってましたね。

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シャドウとかもレア・グルーヴのほうへいったし、カムはよくわからなくなったし。その中でクラッシュさんだけ我が道を行く感じだったじゃないですか? だから一番好きでしたね。

野田:人前でDJをやるようになったのはいつ頃からなんですか?

E:さっき忘れたとか言ってたけど、ちょうどその頃だから20歳くらいですかね。池袋のマダム・カラスとかに出てました。あのホント怪しいとこで(笑)。BLYYのパーティとかで DJ してましたね。

野田:ENAさんは本質的にダンス・ミュージックのDJというイメージがあるんですが、ダンス・ミュージックにのめり込んでいったきっかけは?

E:うーん、まずバンドってひとりじゃできないじゃないですか? 人が必要だから、それが嫌になってひとりで完結するものをやりたかったんです。その頃はラップトップでライヴをするっていうのいが一般的ではなくて、DJがそれに取って代わる表現方法だった。最初から自分のトラックをかけたりしてました。

野田:曲を作るのとDJをはじめたのが同時期ですか?

E:俺の場合は曲を作りはじめた方が先ですね。

野田:ちなみに最初はやっぱりサンプラーから?

E:そうですね。DJクラッシュが使ってたからアカイのS1000とかですね(笑)。まだ持ってますよ。いろいろ高かったな。メモリが8メガで10万しましたからね。いまはパソコンだけで作ってます。

高橋:それで最初のリリースが2006年になるわけですね。ドラムンベースの作品でした。

E:そうですね。〈FenomENA〉から出た、SoiのDxさんが母体のコンピレーション『Tokyo Rockers: The Best of Japanese Drum & Bass Vol.1』に参加しました。それにはマコトさんも入ってたし、レーベルからはブンさんとかも出してましたね。
 そのころカーズとかと出会ってログ・エージェント名義で出したりしてたかな。

野田:そのころ目標にしていたDJとかはいますか?

E:それはやっぱりクラッシュさんですよ。結局あのあとに続いた人ってだれもいなかったじゃないですか? シャドウとかもレアグルーヴのほうへいったし、カムはよくわからなくなったし。そのなかでクラッシュさんだけ我が道を行く感じだったじゃないですか? だから一番好きでしたね。

野田:ちなみクラッシュさんの作品で一番好きなのは?

E:うーん、やっぱりセカンド(『ストリクトリー・ターンテーブライズド』94年)ですかね。

野田:当時のクラッシュさんですごいと思ったのが、“ケムリ”みたいな遅い曲をセットのクライマックスに持ってくるところですよね。

E:リキッドみたいなキャパのあるハコでもあれでピークが作れるのがすごいですよね。

野田:テクノやハウスのDJにはパーティをサポートするっていう意識が多かれ少なかれあると思いますが、クラッシュさんはそうじゃなくてDJを自分の表現だと捉えていました。

E:だから正式にはDJじゃないかもしれないけど、あのスタイルでレコードを使って表現するっていうことからのインパクが強かったんですよ。

野田:ENAさんの目指すべき方向はいまでもそこにありますか?

E:いまもパーティの一部でDJをしているかって言われるとそうでもないですね。たぶん、いま認知のされ方が好き勝手やる人って思われている節があると思う。

曲を作る人なら誰しもそうだと思うけど、人と違うものを作ろうっていうのが基本のスタンスだと思うから、いわゆるダブステップを作ることはしなかったんですよ。

野田:自分のDJスタイルはダブステップによってできあがったと思いますか?

E:そう思います。ダブステップのダブプレート・カルチャーだったりとか、そこで一気にのめり込んだ感じです。ただ、ダブステップがピークの2008、9年とかも俺は普通にドラムンベースをやっていました。ドラムンベースをやめた時期ってないんですよ。だから、自分のスタイルができつつあったときにダブステップが出てきた印象です。
 去年の『バイラテラル』とか140BPMのダブステップ的なことをしてるけど、その頃もドラムンベースを継続的にリリースしていますね。〈サムライ・ホロ〉から出たEPもドラムンベースのアプローチで作ってます。

野田:自分のスタイルが確立しはじめたのはいつですか?

E:たぶん、〈7even Recordings〉から出しはじめたときからですかね。でもその前にロキシーとかと仲良くなりはじめてから徐々に変わりはじめました。「これって多分、だれもやってないよな」って思うようになったのは2010年くらいです。コンスタントにDJをするようになったのもそのくらいです。

野田:ENAさんは海外にも積極的に出向く数少ないミュージシャンですが、初の海外はいつですか?

E:2008年とかですね。当時はただ行こうっていう感じでした。DMZのアニヴァーサリーとかでハコの前の公演を2周くらいまわって人が並ぶとか、そういう情報だけがネットで入ってくる状態だったからそれを見なきゃダメでしょって思ったんですよ。子供の頃に旅行とかはしましたけど、音楽目的で行ったのは2008年ですね。とにかく現場はすごかったです。コイツらアホだって思いました(笑)。

野田:(笑)。どのへんがですか?

E:やっぱり人のパワーですよね。ディープなものをかけてもベースが入った瞬間のフロアは、はっきり言って狂ってた。それでゴス・トラッドがそこでやっていたりするわけだし。サージェント・ポークスがMCしないで酒ばっかり作ってるとか(笑)。その頃はもうネットで海外と交流もあったから行きやすかったですね。

野田:最初に気に入ったダブステップのプロデューサーは誰ですか?

E:誰ですかね……。エレメンタルとかはずっと好きでした。もちろんスクリームやデジタル・ミスティックズといった定番とされるアーティストも聴いていました。

野田:作っている曲にも表れているように、そういったアーティストの曲にはあまり入れ込んでいない印象でした。

E:曲を作る人なら誰しもそうだと思うけど、人と違うものを作ろうっていうのが基本のスタンスだと思うから、いわゆるダブステップを作ることはしなかったんですよ。ゴス・トラッドも自分が作ったものがダブステップになったわけだし、自分の音楽をやっているという感じですよね。〈サムライ・ホロ〉みたいなディープなドラムンベースも、もちろんオートノミックみたいなものもあったけど俺は前から勝手に作っていて、それがいまシーンから出てきているだけなんですよ。ブームに乗って曲を作ったことはないですね。

野田:ドラムンベースでは誰が好きなの?

E:俺はロキシーがずっと好きですね。DJとしても、プロデューサーとしても。

野田:UKガラージはどうでした?

E:俺はあんまりなんですよね。

野田:ギャングスタ・ラップが好きだったらワイリーみたなのもOKなのかと。

E:もちろん聴くには聴くんですけど、そんなにはまってないんですよね。インストになってからのほうが好きです。アブストラクトが好きだったから、やっぱり音響っぽさを求めてたんですよ。だからピンチやムーヴィング・ニンジャとか初期の〈テクトニック〉が好きです。UKガラージになってくると、音響っぽさがなくなってくるじゃないですか? 

野田:中学時代に聴いていたジミヘンやドアーズから、歌ものとかでなくて音で表現する方向へいってるのはどうしてですか?

E:うーん、全ては話せるわけではないけど、俺は仕事でJポップとかTVCMを作っていたりするんですよ。大物と言われるような人のアレンジとかも担当してます。だからENAとしての活動では歌ものをやりたくないんですよね。
 そういうのもあってギターだったり楽器の音は使い尽くされているって思いはじめて、これは自分が追求する音ではないかなって思ったのもありました。いまのプロダクションの基本スタンスとして、現存する楽器っぽい音を使わないようにしてるんですよ。わかりやすい音を使うのにちょっと抵抗がありますね。

野田:そういうパーソナルなことを抜きにして、能動的にアブストラクトなものが好きだというのもあると思うんですが、アンダーグラウンド・ミュージックはどこがいいんだと思いますか?

E: 音が単純に好きっていうのもありますが、アーティストがコントロールできる部分が多いことにも共感しますね。自分でレーベルをやっているやつもいるし、リリースまでの流れがダイレクトで早いじゃないですか? 

野田:ちなみにDBSに行って踊っていたほうですか?

E:あー、全然踊ってましたよ。汗かいてました(笑)。

一同:(笑)

高橋:想像できないな(笑)。ENAさんといったらいつもフロアの後方で腕を組んで音を聴いているイメージです。

E:もう10年くらい酒は飲んでないんですけど、その前は結構な飲んべえでしたからね。いまは酒もタバコもやらないです。

野田:それは音楽がその代わりになってるってことですか?

E:基本的に音楽がいいときって何もいらないですよね。また個人的な話ですけど、俺はフリーランスなんで急ぎの仕事に対応できるかって重要なんですよ。これをストイックと取るか、急ぎの仕事は割りがいいと取るかはお任せしますけれども(笑)。

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もちろん、表現するっていう意味で自分の音楽もパーソナルだとは思うけれど、ダンス・ミュージックの範疇で実験的なことをやってもグルーヴが存在している限り受け入られやすいっていうのがあります。

野田:すごいですね(笑)。なぜダンス・ミュージックっていう点は?

E:ノイズのような実験的なものも好きなんですけど、そういう音楽はパーソナル過ぎる面があるじゃないですか? もちろん、表現するっていう意味で自分の音楽もパーソナルだとは思うけれど、ダンス・ミュージックの範疇で実験的なことをやってもグルーヴが存在している限り受け入られやすいっていうのがあります。だから、音響的よりもグルーヴを優先して作ってます。グルーヴがあってDJで使えるっていうのが前提ですね。
 あと、俺はライヴはやらないんですよ。音響っぽいやつを作っていると「なんでライヴやんないの?」って聞かれるんですけど、ライヴってダンス・ミュージックから離れやすいんですよね。DJをやっているとBPMも限定されるし、選択肢が少なくなるじゃないですか? だからあくまでダンス・ミュージックのためにDJ用の曲を作っているっていうのもあります。
 まあ、とはいえ踊りやすいとは思わないですけどね(笑)。

野田:踊りやすいとは思います。〈7even〉から出したときはレーベルのディレクションはありましたか?

E:何もないです。自由にやってくれって言われました。

イスタンブールにはフラット・ライナーズの紹介で呼ばれて行ったんですよ。2年くらい前かな? DJしてたらモニター・スピーカーが落ちてきて、荷物を置く台がぶっ壊れたりして面白かったです(笑)。

野田:2010年にダブステップが日本でも脚光を集めました。そのときにゴス・トラッドと共にシーンの先頭をきっていたこともあるじゃないですか? そうなるとシーンのことも気にせずにはいられなかったと察しますが。

E:そこまで気にしていたわけではないですけどね。もちろん、シーンができて根付くのが一番いいんだろうけど、難しいだろうなとも思ってました。あと、2010年の段階で東京もそこまで悪くはないと思ってました。

野田:UKのダブステップのピークが2008年だとしたら、それを境にジェイムズ・ブレイクとかが出てきてアンダーグラウンドだったものが知れ渡って、シーンの中心にいた人たちが抜けていくってことがありました。ここ数年のシーンの移り変わりはどう思いますか?

E:こういうときはいずれ来るだろうなって予想してたのもあります。ドラムンベースが十数年でやったことをダブステップは5、6年でやってしまっただけじゃないですか? 小室とジェイムズ・ブレイクは違うけど、歌ものになってメジャーになって終わるっていうのはドラムンベースも経験しましたからね。
 だから、割と冷静に移り変わりをみてました。ジェイムズ・ブレイクは普通にかっこいいと思って聴いていたし(笑)。

野田:次号の紙ele-kingは、「コールド」という言葉で現在のシーンを括って特集を組む予定で、アクトレス、ミリー&アンドレア、テセラ……それからアコードやENAさんみたいな音楽が入ると思います。ジャングルとテクノが混ざっていて、なんか、盛り上がるようで盛り上がらないというのがよいとされている感じがあります。EDMへの反動からきているのかなと思う部分も。

E:ディープなドラムンベースのプロデューサーにはペンデュラムみたいなものにうんざりしているやつも多いですよ。反動はやっぱりあると思います。

高橋:ENAさんはやっぱりディープな流れと同調していますよね。フェリックス・Kの〈ヒドゥン・ハワイ〉からリリースされた943っていうアーティストは別名儀のプロジェクトなんですよね?

E:そうですね。フェリックス・Kとのコラボレーションで2曲参加してます。

高橋:定期的に海外とコラボしていてすごいと思います。ベルリンやイスタンブールにも行ってますもんね。

E:イスタンブールにはフラット・ライナーズの紹介で呼ばれて行ったんですよ。2年くらい前かな? DJしてたらモニター・スピーカーが落ちてきて、荷物を置く台がぶっ壊れたりして面白かったです(笑)。ちっちゃなハコでしたけどみんな踊ってましたね。たまたまフラット・ライナーズやガンツがいるだけでベース・ミュージックのシーンとかはないみたいですけどね。レゲエのシーンはあって、友だちがザイオン・トレインを呼んで野外で千人くらい来たって言ってました。それがダブステップとリンクはしていないみたいです。

野田:トルコは政治的にはEUに加盟させてもらえないけど、〈ディープ・メディ〉がガンツをフック・アップすると大ヒットして、アンダーグラウンドは外へ外へと開けているなと思いました。日本の、サウンド的にウチにウチに向かうポップスとは逆ですよね。中東やアフリカ、南米とか、民主化されていない外側へとアプローチしている。ガンツなんか、エイフェックス・ツインもDJでかけているし。

E:やっぱりガンツはインパクトありましたからね。去年くらいから三連系のダブステップがたくさん出てきたけど、それを最初にやったのはガンツなわけだし。前から曲をもらってたけど、リズムに対して光るものがありましたね。

野田:ダブステップに限らず、オマール・スレイマンが脚光を浴びたりとかアラブ圏内のビートが人気な流れがアンダーグラウンドにはあるじゃないですか? 彼らのなかにはリズムに対するそういう文化があると思いますか?

E:パーカッション的なところではあると思います。トルコの民族音楽のリミックスもあったりしますからね。

野田:TPPみたいなものとは逆の、いわばアンダーグラウンドにおけるグローバリゼーションの流れには可能性を感じますか?

E:それがやっぱりアンダーグラウンドの面白いところじゃないですか? 新しい国のアーティストをリリースする事によって、その国でブッキングされるかもって邪な考えもあるかもしれないけど、〈ディープ・メディ〉がガンツをフック・アップしたのは、単純に音が良かったからだし。音が良ければ国を越えて繋がって作品が出せるのは利点ですよね。これが大きな会社だとそうも言っていられないわけじゃないですか。

野田:どのくらいの頻度で海外へはDJで行っていますか?

E:毎年行っていますね。多分2009年からやってます。今年は9月末からツアーの予定です。〈サムライ・ホロ〉から10月に出るアルバムが出るんですが、そのリリース・パーティを兼ねたイベントにも出ます。ロンドン、パリ、ベルリン、マンチェスターやブリストルにも行きますね。今年は場所が多いです。

高橋:マンチェスターの知り合いが、ENAさんが出るイベントには人がたくさん来るって言ってましたよ。

E:ケース・バイ・ケースですけどね。ベルリンではDJがやりやすいです。セットでピークを作らなくていいんですよ。ゆっくり盛り上げて、波で引っぱれる。これがイギリスになると、ドーンって一発やらないといけないんですよ(笑)。ゴス・トラッドはUKのほうが合ってるって言ってましたけど。

サンプリングもしません。自分のコピーもしません。それは自分のキャリアを殺すことになっちゃうんですよ。

高橋:ENAさんは現在もヴァイナルをリリースしているわけですが、ヴァイナルについてどう思いますか?

E:賛否両論色々あるけれど、ヴァイナルを出さないとキャリアになっていかない感じがありますね。デジタルだけだとサラッと終わっちゃうというか。
 いまはCDJをメインで使っているけど、家ではヴァイナルでも聴くし、もちろん物自体も好きっていうのもあります。現場でレコードを使わないのは、デジタル向けにハコがセッティングされていることが多いので、ハウリングの問題もデカいです。レコードでハウリングを起こす低域も現場では出したいんですよ。だから音を優先してデジタルでやっているのが現状です。
 レコードでDJするほうがかっこ好いのは間違いないですけどね(笑)。

野田:DJやトラックメイカーとしての信念みたいなものはありますか?

E:そんなにすごい信念があるわけではないんですけど、好きな音楽をやるってことですかね。ものすごくお金になるわけじゃないのに、どうして好きじゃない音楽をやるのかっていう裏返しみたいなものですけど。
 プロダクション面に関しては、聴いたことあるような曲は作らない。気をつけている程度のことですけどね。さっきも言った仕事の反動かもしれないです。
 数年前にあったJハウスの流れもそうですけど、コピーする能力ってJポップの職業作家ってすごいんですよ。みんな職人なんですよね。そうやってコピーされる音楽は消費されるわけです。それで、そういう職人たちがアンダーグラウンドの曲をお金をかけて作ると、アンダーの人たちが食われちゃうんですよ。新興のインディ・レーベルがふたを開けてみたら、メジャーの会社がお金をかけてやってたりなんてこともありました。そういうのを踏まえて、コピーされ難い音楽かなと思っています。
 あと、自分のシグネイチャー・サウンドができると、その音を使い回す人も多いんですよ。型ができた結果、それはコピーされる音楽になってしまうわけです。ダブステップのハーフ・ステップとかもそうだった。だから、俺は毎回全てのサウンドをゼロから作ってます。サンプリングもしません。自分のコピーもしません。それは自分のキャリアを殺すことになっちゃうんですよ。
 そういうことをする反面、わかりづらくなっているのかもしれないけど、そこはリスナーが頑張ってくれって感じです(笑)。

高橋:容易にマネされない音楽だからこそ、ENAさんの音楽は多くの人に聴いてもらいたいっていうのはあります。ジャンルを越えてリスナーに届く音楽を作っているとも思いますし。

E:さっきも言ったけど、ルーラルにこの前出演させてもらったことは本当に嬉しかったです。あのメンツの中で周りはテクノやハウスの人たちで、ベース系のミュージシャンは俺だけでしたからね。それでアブデュール・ラシムみたいな土壌が違うアーティストが気に入ってくれたりしたわけで。自分のことを評価してくれる層がどんどん広がっていけばいいなと思ってます。

高橋:将来の構想はあったりしますか? 

E:ひたすら精度を高めるだけですかね。それ以外は邪な考えを持たないようにしてます(笑)。あんまり良い結果にはならないと思うから。
 強いて言えば、自分を刺激してくれるようなプロデューサーがたくさん出てきてくれたら嬉しいですね。日本にはいいDJはたくさんいるけれど、プロデューサーはあんまりいないんですよ。マコトさんやゴス・トラッドはさすがなんですけれど、なかなか次に繋がらないのが現状です。テクノ界隈ではすごいと思える人が多いんですけどね。
 あとはとくにないです。海外に比べて東京の音楽シーンそのものが悪いとは思わないんですよ。海外だとイベントにもよるけど、オーディエンスの要求が強かったりする。だけど日本のアンダーグラウンドの人たちは俺の音楽を理解しようとしてくれるんです。日本はいいところですよ(笑)。

ENA
BIRATERAL

7even Recordings/Pヴァイン

Tower HMV Amazon


ENA-All Time Favorite Chart

01.Jimi hendrix - Red House (live at Winterlnad) - Polygram

02.King Crimson - Red - Island

03.Allan Holdsworth - Home - Enigma

04.BB King - How Blue can youget?(Live in Cook County Jail) - MCA

05.Black Sabbath - Children of the grave - Vertigo

06.Company Flow - The Fire In Which You Burn - Rawkus

07.DJ Krush- Escapee - Sony

09.Showbiz & AG - Next Level (DJ Premier remix) - PayDay

10.DJ Vadim - Headz Still Ain't Ready - Ninja Tune

11.Savath + Savalas - Paths In Soft Focus - Hefty Records

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