「You me」と一致するもの

interview with Boom Boom Satellites - ele-king


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 ブンブンサテライツの川島道行の脳腫瘍が最初に発覚したのは、1997年のことだった。僕が彼らに初めて(そして過去、唯一)取材したのは1998年で、欧米では〈R&S〉からの作品の評判が最高潮に達していた頃だった。
 それは『OUT LOUD』が出た年で、ビッグビートと呼ばれたロック的なカタルシスをダンス・ミュージックに取り入れた音楽がブームになったときだった。が、しかし、彼らはしばらくするとさらに加速して、いつの間にかブームを追い抜いてしまった。
 ダークなイメージだが、疾走感のあるビートがやって来て、そして目の前を駆け抜けていくようだった。姿は見えないが、音だけは残っている。「あまりにストレートにハッピーなものにはリアリティを感じない」と1998年の中野雅之は話しているが、実際の話、ブンブンサテライツは流行を追うことも、取り繕いも、みせかけの飾りも必要としない。

 『SHINE LIKE A BILLION SUNS』は、川島道行にとって3度の手術、4度目の再発を経てのアルバムとなる。宿命的だったとはいえ、ブンブンサテライツが「生と死」と向き合わなければならなかったという事実に、僕は正直うろたえてしまうのだが、逃れることはできない。これは生身の音楽なのだ。

川島くんの脳腫瘍っていうのは、積極的に話せば、音楽を作る上でのモチベーションというか、「なぜ音楽をやるのか?」と問いただされるキッカケにはなるんですよね。

久しぶりに聴かせていただき、ざっくり言うと、変わっていないとも思ったんですよね。聴いてて、「あ、ブンブンだ」って。でも、ヴォーカリゼーションは本当に変わりましたね。

川島道行(以下、川島):はい。

で、1曲目の“SHINE”が象徴的なんですけど、曲の途中から、4つ打ちが入るじゃないですか? 90年代的なエレクトロニック・ビートが入って来るんですけど、1998年のインタヴューを読み返すと、中野くんが音楽的なアイデンティティで葛藤しているんですよ。

中野雅之(以下、中野):あ、そうなんですか?

自分たちは、どこにも属していない。ロックでもテクノでもないみたいな。ヨーロッパをツアーしても自分の居場所がない気がするし、日本にいても居場所がない気がするし、っていうような。

中野:なるほど。

ノーマン・クックに評価されてすごく嬉しいんだけど、自分たちはビッグ・ビートだとは思えないし、みたいなね。でも今作の『SHINE LIKE A BILLION SUNS』を聴くと、ふたりのなかには「ブンブンサテライツ道」っていうのがあって、そこをそのままいったのかなって。過去の作品にはロック色が強いものもあるんですけど、大きくは変わらないというかね。

中野:90年代からだとCDバブルって時代があってとか、音楽産業という環境だけでもすごく変化は続いているので、その時々で何にフォーカスをして作っていくかとかは、音楽をやる上でなかなか切り離せないところがあって。それと、自分たちの人生とか境遇とかっていうものも、刻々と変化していくので、やっぱりそれに従って音楽を作っていたと思うんですよね。川島くんの脳腫瘍っていうのは、積極的に話せば、音楽を作る上でのモチベーションというか、「なぜ音楽をやるのか?」と問いただされるキッカケにはなるんですよね。

97年に腫瘍があることが発覚したんでしょう? ということは、ファースト・アルバムが〈R&S〉からが出たときにはそのことを知っているんですよね?

川島:はい。

ブンブンサテライツの内側でそんなことがあったなんて、本当になんと言っていいのか……。

川島:2013年に組んでいたツアーをキャンセルしなきゃいけないっていうことで、発表せざるをえないところがありました。

26ヶ所もの大規模なツアーを組んでいたら、しっかりと誠実に対応しなければならないもんね。

中野:そのときが一番こたえました。

言うか、言わないかというところで?

中野:それもそうですし、決めた予定にたくさんの人が関わっているので、そこで迷惑をかけることになるし。今まではそれが守れていたんですけど、とうとうそれが1回ゼロになってしまって、迷惑をかけてしまったりとか。たとえば、マネージメントとかライヴ制作会社とかが、けっこうな損失を出すことになるし、あとはやっぱりファンですよね。

逆に、いままで病気を公表しなかったのはなぜなんですか?

中野:そういうところで音楽を聴いてほしくなかったですね。

川島:うん。「それでも頑張っている」というのは、音楽の本質とは別のところで起きていることなので、聴く人には純粋に音楽として楽しんでもらって、何かメッセージを受け取ってもらいたいというのがありました。

なるほどね。でもやっぱり、音楽作品っていうのは作り手の人生とは切り離せないところがあると思うんですよね。ブンブンサテライツの創作活動にとっては、命であるとか、死であるとか、人生であるとか、ひとの一生であるとか。そういうようなものに直面せざるをえない問題じゃないですか。それをなぜ言いたくなかったんですか?

中野:なんだろう。セカンドの『UMBRA』(2001年)を出したときとかは苦しい感じがしましたね。それが2回目の再発のときでした。ファースト・アルバム(『OUT LOUD』)が日本もそうだし、いろんな国で受け入れられたところがあって、セカンド・アルバムに期待されることっていうのはその延長線上のもので。川島くんが音楽に向き合うモチベーションをどこに作るかって考えないといけないなと。歌う理由が必要だな、と思いました。川島くんの状態を見ながら音楽を作っていたら、とてもヘヴィなものになったんです。
 そういうものに対して、結局、自分も川島くんも嘘はつけなかったんだなって思います。フラストレーションとか反抗的な感覚を持った音楽を作る理由っていうのは、バンド内のことだけじゃなくても理由はたくさんあったので、ファーストからセカンドにかけてなぜそうなったのかを対外的に話すことにおいて、そんなには不自由しなかったというか。でも、何かを押し黙っているというのは、どこかで感覚的にはありました。

さっき川島くんは音楽とポイントがずれてしまうみたいなすごく冷静な話をしたと思うんですけど、たしかにひとりの個人の命をリスナーがどこまで共有するかっていうところもそうだし。だからやっぱり慎重にならざるえないですよね。話は変わるのですが、ブンブンサテライツってバンド名からすると、この名前にしたことに後悔はないですか?

中野:つけたのは自分ではないので、僕は後悔のしようがないんですけど(笑)。

川島:ハハハハ! 後悔がないかと聞かれれば、ないというのは嘘になりますけどね。自分はもっとロック・バンド然になることを想像していたので。でも後悔はそんなにはないです。

「ものすごくジグ・ジグ・スパトニックが好きなんですね?」とか訊かれたりしない?

川島:まぁ、言われたこともありますけど、それは昔のことで現在は自分たちの音楽があるので、いまはないです。

ジグ・ジグ・スパトニックというのは、これは良い意味で言いますけど、B級色物バンドじゃないですか? おふざけをやったバンドであるわけでしょう? そこからバンド名を引用したわけだからね。ていうか、最初はブンブンサテライツにも少なからずそういう部分があったの?

中野:僕が川島くんと音楽を作るようになったときには、既にその名前があったんです。もちろん、ジグ・ジグ・スパトニックも知っているし。ただ、そこから名前をとったとか、そういうことを僕はあまり気にかけることなく制作をしたので。川島くんのB級っぽいものに対しての……、なんだろう……。

愛情とかこだわり?

川島:ハハハハ。

中野:そうですね。フェティシズムというか、憧れみたいなものはあると思う。そこに憂いがあったり、ちょっと笑ってしったりというか。

川島:うん。そういうユーモアがあるもの魅かれたりね。

中野:それは理解していたんですけど、それは『タイムボカンシリーズ』とかの笑っていいのか、どうなのか、面白いのか、そうじゃないのか、というものでもずっとそうだったと思うし。だからそういうところは、僕と川島はルーツとまではいかないけど、違った感覚だったと思う。

川島くんは基本的にああいうナンセンスなものが好きだったの? 

川島:そうですね。映画にしても、音楽にしても、そういうエッセンスが含まれているものは好き。

ギターのサウンドの感触とかはインダストリアル・テイストのものが入っていて、80年代のニューウェイヴ的なセンスみたいなものは、お互いにずっとあるのかなって思うんです。バックボーン的にはそこにあるの?

中野:すごく意識はしていないけど、あります。若い頃は、バウハウスとか……

シスター・オブ・マーシーとか?

中野:そうですね。川島くんは?

川島:キリング・ジョークとか好きでしたね。

中野:その頃の音楽好きが注目していたものは聴いていたと思うし。エレクトロニックな要素が80年代はポップスのシーンにも出てきていたんで、自然に耳にしていました。80年代の終わりから90年代のハウスやテクノっていうのは、このバンドが形になる上で大きな影響ですけどね。あと、当時はヒップホップがサンプラーを使い出したときで、違うジャンルのものがサンプリングされて別の景色を見せるという、その流れでインストのヒップホップが流行っていたので。

そうだよね。ブンブンは、コールドカットにもリミックスを依頼していたもんね。

中野:そうですね。

初期の“ダブ・ミー・クレイジー”が、2012年のキング・ブリットのミックスに入っていたんだよね。

中野:へぇー。全然知らなかったです。

えー、1997年の曲がいまでもちゃんと通用しているって、すごいよね。長い間いろいろやっているし、テクノやヒップホップや、いろいろ実験してきたと思うんだけど、ブンブンの美学の根幹にあるものって何でしょうね? つねに立ち返るところみたいなものは?

中野:そういう問いに対して、リズム・スタイルだったりとか、音楽ジャンルだったりとか、答えられればいいのかもしれないけど、この間の3回目と4回目の脳腫瘍っていうふうに立て続けにあって厳しかったとき、で、そのときに何をやるのかってなったときに、音楽的なルーツとかが頭に浮かばないというか、川島くんの声をどうやって残していこうかなってことを考えていました。

なるほど。

中野:言葉とか、声とか、そういうものを残す。それで、それが伝わりやすいメロディとかハーモニーにする。だから、リズムというものを取っ払ってしまっても、成立するくらいのものにしたいなと思いました。だから、自分たちの戻るところっていうのが歌とかメロディとかだったりするんだなと。最初の頃はほぼインストだったりするんですけどね。
 知り合ってから20年以上一緒に音楽をやってきて、自分のなかでできていった人間関係とか、人生を共有していることになるじゃないですか。だからいま何をしたいか、そもそも音楽ができるのかできないのか、というところから制作がスタートしているので。

それは今作に限らずにってこと?

中野:いや、とくに今作はその思いが強かった。

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「それでも頑張っている」というのは、音楽の本質とは別のところで起きていることなので、聴く人には純粋に音楽として楽しんでもらって、何かメッセージを受け取ってもらいたいというのがありました。


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〈R&S〉時代のサウンドは、ヴォーカルというよりは全体でひとつのオーガニックな音を作っていたって感じだったよね。でも、途中からは、川島くんのヴォーカルが確立されていくじゃないですか。川島くんはヴォーカリストとして影響をうけたひとはいるんですか?

川島:そう考えると、あまり見当たらないんです。最初の方に立ち返ると、歌を歌いたいと思ったことは、バンドを始めたころはなかったんですよね。ただ、自分がやりたい音楽を実現していくためには仲間が必要だし、誰もそれを共有する人がいなかったんです。自分が楽器をベースからギターに変えて、歌も歌うようになったというなかで、もう一方ではダンス・ミュージックにも憧れがあったので、自分がその飛び道具的な存在としてバンドのなかに存在する音楽がやりたかった。なので、「こういうシンガーになりたい」という感じではなかったんです。「今、誰が好きですか?」と聞かれると……。好きなシンガーはたくさんいますけど、この人に影響を受けてっていうのはないかもしれないですね。

“JOYRIDE”の時代は声もサウンドの一部という感じで、中野くんが当時のハードディスクをいじり倒して作り出したブレイクビーツと、声とギターが絡み合った感じでしたよね。それ以前というか、本当に初期の頃は歌っていたんですか?

川島:歌っていましたね。

中野:歌モノの曲は多かったんじゃないかな。デモテープを作ったりして、ライヴハウスでやって、それを100円で売ったりしていたので。

僕の記憶だと、初めてみたのはイエローのクラブ・イベントだったと思うんですよね。

中野:あの頃は一番、インストのインプロビゼーションっぽいものとか、そういう形でライヴをやっていたんじゃなかったかな。それで、ブレイク・ビーツとか、そういうものに一番傾倒してた。

それ以前は?

中野:その前は学生時代ですね。

川島:ライヴハウスに出ていた頃は、たしかに歌モノが多かったですね。

中野:その頃はすでに、特定のジャンルというよりは、インダストリアルなテイストがあったり、ブレイクビーツだったり、ヒップホップの影響もあったりとか。そのへんはバンドをやっているってだけだったので、特定のジャンルの何かをやっているつもりはなかったです。

なるほどね。でもキリング・ジョークとかバウハウスを聴いていたひとが、ハウスはあるかもしれないけど、ヒップホップっていうと遠い感じがするから。

中野:そうですか?

川島:でも、90年代はパブリック・エネミーとかアンスラックスがいて、そういうミクスチャーなサウンドが刺激的だったし。

中野:あとはパブリック・イメージ・リミテッドのダブっぽい要素とか、いろんなクロスオーヴァーがあった時代だったから。それらは全部外国で起こったことじゃないですか? だから、現場の実態ってわからなくて音楽雑誌を読んで、レコード屋に行って。下北沢の〈スリッツ〉とか〈ズー〉とかに行くと、バレアリックというか、なんでもかけるっていう……

インディ・ロックとハウスをね。インダストリアルとかボディビートとか。

中野:そうですね。メタルよりのものと、エレクトロよりのものを分け隔てなく聴いていたというか。

ボディとかインダストリアルの影響は受けているでしょう?

中野:受けていると思います。川島くんはニッツァー・エブが好きだったんじゃなかったっけ?

川島:うん、好きだね。

ちょうど世代的にはそのへんが一番出てきたときというか。

中野:ちょうどそのときはこのバンドをやっていましたね。

ああ、ミート・ビート・マニフェストが好きだって言っていたもんね。歌詞は川島くんが書いているんだよね?

川島:はい。書いています。

歌詞の主題は、どのように考えていますか?

川島:僕の死生観といいますか。それと、その歌のメロディに自然と口をついて出てくる、フレージングとしての言葉というものがあるんです。それをストーリー仕立てにして、歌詞を書いていくんですけど、メッセージについては強く意識していないですね。そのメロディがちゃんと曲に沿って心地よく聴けるものであれば、それでよくて。メッセージを取り立てて意識して書いたことは、そんなにはないです。むしろ、そういうことをすると、おかしなことが起きるんですよね。

なるほど。中野くんはそこにどう絡むんですか?

中野:うーん。すごい喧嘩したこともあるんですよね。そういう境遇に甘ったれているような感じとか。

それは厳しすぎじゃないですか(笑)?

中野:なんというか、なんだかんだ言っても自分の足で生きていくしかないんで。こんなとこでしゃべれないくらいの口汚い言葉で罵倒したこともあるんですよ(笑)。やっぱり感情的になって。そういう話もたくさんしたし、やっぱり20年も経つとひとって変化も成長もするんですよね。なので、デビューした頃と今の川島くんはまったくの別人と言ってもいいくらい、いろんなことに揉まれることで磨かれていったところがあると思います。考え方とか、姿勢とか、生き方や死生観もそうだし。そのなかに、自分が音楽とどう向き合っていくのかっていうことも含まれているので、運命というか、そういうものを受け入れようと。僕は健康な体を持っているわけですけれども、あまりにも長い時間を共有してきたので、同じとは言わないですけど、痛みとか重みとかはだいぶ共有しているつもりではいるんですけど。

前作の『EMBRACE』は「抱擁」って意味じゃないですか? ブンブンサテライツはラウドでインダストリアルでダークで、海外ではときに「残忍なビート(ブルータ・ビート)」などと形容されたりもする音楽ですけど、タイトルに「抱擁」って言葉を持ってきたってことは何なんでしょうね?

川島:『EMBRACE』を作っていたときには、十何年も発症していなかったので、病気のことはほとんど忘れていたというか、ちょっと遠い存在になっていたんですよね。ただ、音楽が変わってきているということは体感して感じていたので、そのビートの強さがひとに与える印象やメッセージとか、それが与える包容力が僕たちの音のなかに色濃くではじめたので、そのタイトルは自然と出てきた感覚ですね。

十年以上も再発していなかったんだね。完全に治ったと思っていたということ?

川島:薬はずっと飲んでいなければいけない病気だったので、そのことに気をつけていれば、この先もしばらくはないだろうなって思ってましたね。

中野:震災後っていうものに対して、クリエイティヴにどう向き合っていけばいいのかを模索した時期を経て、できたのがそのアルバムでしたね。それだけがあの作品を作っているわけではないんですけど、もう一度、物作りをするっていうことや、音楽というアート・フォーム自体の役割とか、そういうものを考えないと前に進めない時期ではあったんです。僕たちはそのへんを器用に立ち回れないところがあって、たとえばチャリティ的なわかりやすい行動とかが得意ではなくて、じっくりと腰を据えて考える感じになったら、それはそれですごく重いことだったなっていう。その震災のタイミングと、僕たちのキャリア的なタイミングが重なって、ああいうアルバムができたんだと思います。

あのアルバムには、今作に通じるような4つ打ちを使っているんですけど、あのリズムは意識していますか?

中野:4つ打ちっていうのは、普遍的だからなんですよね。

でも、4つ打ち的なダンス・ミュージックを避けていた時期もあったんじゃないですか? もっとロック寄りだったというか。だからクラブ的なセンスが久しぶりに注がれたのかなって。リズムのところだけですけどね。

中野:リズムのところに関しては、それほど意識はしていないですね。あのアルバムあたりは、ビートのスタイルってトレンドで更新されていくもので、昔はそういうものにワクワクしながら12インチを買い漁って、みたいなことをしていたんですけど、『EMBRACE』のあたりからそういうものよりも、ギターやピアノ一本で歌えるものとかに頭がいっているんですよ。今回のアルバムではさっきも言ったように、どうやって川島くんの声と言葉を残していこうかなと。だから、より『EMBRACE』以上にそういう気持ちが強くなって、普遍的なメロディや古典的なコンポーズが中心になっているので、リズムはメロディを後押しするための一要素としてしか、捉えていないところがあるんじゃないですかね。

極論を言ってしまえば黒子みたいな?

中野:そうですね。だからその点に関してはデビュー当初と真逆というか。

98年のインタヴューでも、「どうしても自分たちはハッピーな音楽に対して抵抗があるんだ」みたいなことを言っているんですけど、やっぱその頃はもっとササクレだっていたってことなのかな?

中野:いや、そのへんは変わってないんですよね。ああいうビッグ・ビーチ・フェスティバルとかEDMの大きいイベントを見ていると、音楽が大事にされてないんじゃないかなっていう感覚になったりとか。もともと、音楽が社会に大きな影響力を持って、ひとびとのなかに革命を起こしていくことに直結していくような、イギリスのレイヴが持つ感覚にとても憧れていて。それはパンク・ミュージックともレベル・ミュージックと言えるんじゃないかとか、そういう部分が大きかったんです。だから、そうじゃない完全的な商業的なエンターテイメントになった音楽を見ると、どこか寂しい気持ちになるところはいまでもあるんですよ。

是非スリーフォード・モッズを聴いてください。パンクの感覚って、中野くんのなかではいまでもあると思いますか?

中野:表現の幅が出てきたと思うので、攻撃的であることだけが音楽を作るモチベーションではなくなってきていますね。漠然とした言い方になってしまいますが、音楽の役割として聴いている人に良いことを起こしたい。聴いた人に何か作用を残していきたいと思っているので。それは歌でもなんでもいいんですけど。ビートでも、ビートじゃなくても。聴覚で感じ取ったものが、心で変換されて心で何かを起こすような、そういうことが音楽では起こり得るから、それがあればいいなって思えていて。もう僕たちも40歳を過ぎて、ベテランのアーティストなんですけど、この間に身につけてきた表現の幅ってそれなりにあると思います。ただただ攻撃的な表現じゃなくても、いろんな伝え方があるんじゃないかと。

そういう意味では、川島くんのヴォーカリゼーションは、いままで一番ソウルフルに感じました。

川島:なんでですかね。

中野:僕はソウルフルというより、エゴがない声だと思いました。聴かせようという気持ちが強い歌というよりは、自然に出ている声というか。僕の印象はいわゆるシンガー然とした、きちんとテクニックも持っている歌い手というよりは、表現自体に対してあまり欲がない歌というか、まっすぐ歌うというか。僕はそれがヴォーカリストとして珍しいと思います。歌がうまい人ほど歌の抑揚とかをコントロールしながら歌うので、演歌だったらこぶしがあったりとか、オペラがあったりとかヴィブラートがあったりとか。そういうものをふんだんに使って、自分の歌っていうものを表現するなかで、その欲が川島くんから一切感じられないんです。

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その頃はすでに、特定のジャンルというよりは、インダストリアルなテイストがあったり、ブレイクビーツだったり、ヒップホップの影響もあったりとか。そのへんはバンドをやっているってだけだったので、特定のジャンルの何かをやっているつもりはなかったです。


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作る前から「今回はこれでいこう」というのはあったの?

中野:これも脳腫瘍の話と切り離せないところがあるんですけど、開頭手術をして、約1ヶ月入院していたのでツアーもキャセルになってしまって、これからどうやって生きていこうかなってぐらいに思っていたんです。もちろん、まわりでサポートしてくれている人たちは、無事に手術が終って復帰して、アルバムの制作とかライヴ活動をやっていこうよとなっているけれども、僕は退院して出てくるのを待っている間は、それはやってみないとわからないなと思っていて。もちろんポジティヴに考えているけれども、やっぱり手術後の状態というのは過去の経験として知っているので。まずはリハビリから始めるんですよ。そのリハビリのための曲というか、入院中に僕がメロディから何から書いてしまって、退院してすぐ僕の家のスタジオに来てもらってすぐに歌ってもらったんですけど、それが“SHINE”なんです。それがソウルというか……

ジャンルというよりはね。

中野:そうですね。メンタリティの上でのものというか。そういったものを僕は深く感じ取りましたね。川島くんは意識もまだはっきりしていなくて、まだぼーっとしている状態で歌っていて。で、何に感動したのか理由も明確に言えないくらいにその声を聴いてハッとさせられたんです。こういう歌を残していくのはいいなと思ったけど、それは大変な作業になるだろうなと。

なるほどね。意識とか集中力はやはり大変なんですか?

川島:そうですね。入院生活自体が社会から切り離されたところで行なわれているので、どこかに出てくると馴染めない感覚をもっていたりとかはするんですよね。でも、スタジオに行ったのは退院して3日目ぐらいだったので、そういった意味では自分の様子を窺うというか、自分は大丈夫なのかなということもありますし。様子を窺っているような、馴染めない感覚というか、ぼーっとしている感覚があったんですよね。

反射神経的な部分とか?

中野:川島くんは本人だから、あんまりわからない部分もあるんじゃない?

川島:まぁ、そうだね。

中野:僕は長年、川島くんという人をずーっと見続けているんで、脳腫瘍に限らずに考え方とか、単純に身体能力の衰えとか、いろいろな変化を見てきているし。それで退院直後にレコーディングをはじめたときの川島くんの様子っていうのは、いろんなことがすごく不自由だけど、それでも音楽をやるんだなと思って、すごいことだなと。そのときに完全にヴォーカリストとプロデューサーという関係になっちゃって、トラックメイカーとかそういう感覚はなかったですね。その佇まいだとかを見て、これはどうやって人に伝えていこうかな、というところで考えるようになって。なので、アルバムの制作を始めたときは痛々しいところは痛々しかったです。

川島くん本人はどんな気持ちを持って、このアルバムに臨んだんですか?

川島:とにかくやりたいことはこれなんだ、っていうことは入院中に思っていたので、退院したらこれまで以上のいい音楽を作って成長していきたいなと。何がいい音楽なのかはっきりとしていませんでしたけどね。振り返ると、人生をアーティストとして生きてきたところがあって、それをこれからも続けていこうと退院してきたので、すごく大変な時期もありましたけど、そのことについてあまり迷いはありませんでしたね。

今作は病気のことをファンに公表したあとの作品ですし、とくに伝えたいことってたぶんあったと思うんですけど、それは何なんですかね?

川島:完成させること自体と、佇まいですよね。言葉ではっきりとした「これ」と言える集約されたものではないと思いますけど、病気のことを知った上で、その命の強さというか……

中野:たぶん、そこは意識していないんじゃない?

川島:うん、していないけどね。

中野:まず毎日の生活の中に、自分たちが音楽を続けられるかどうかっていうのがテーマのひとつにありました。人に音楽を聴いてもらう上で何を与えていきたいのかっていうのは、自分の病気と切り離したところで考えているところがあるんじゃない?

川島:うん、そうだね。ただ、諦めないということは格闘家のような姿勢だと思うんですけど、音楽は音楽として美しかったり、高揚感を与えたりとかっていう様々な感情レベルで繋がっていきたいという志は、今でも持っていますけどね。

中野:自分がデビューするときとか、20代で音楽を作っているときとかって、40代になった自分のバンドが続いているイメージって全くなかったです。

夢中だったと?

中野:そういう将来的設計みたいなことは音楽を作る人ってないんじゃないの?

たぶんないよね(笑)。

中野:そのとき、そのときでけっこう精一杯で、そういう私小説的にアルバム単位で音楽を残したり、曲単位で残していったり、それをやり遂げていって、ちょっと先の未来に対してのイメージとかやりたいことのモチベーションが見えてきて……。
 要は何も考えてなかったんですけど、自分たちの考え方とか、生き方とか、そういうものが変化していくことと、音楽的な変化をイコールで考えていて、エンターテイメントとして演じる音楽ではないと思っているところで、作品を作っているんです。だから最初の方で言われた「ブンブンサテライツというバンド名に後悔したことはないんですか?」っていう質問なんですが、たしかにもう似つかわしくはないかもしれないんですけど、たとえば、山田太郎は生まれてから、ものすごく悪い不良少年を経て、すごく立派な大人になるまでずっと山田太郎じゃないですか? まぁ、それでいいのかなって。

川島:ハハハハ。

生と死は、非日常的なことではなく、ものすごく日常的なことでもあるからね。誰もが平等に、それを迎えるものだから。普遍的で、実は日常的なテーマでもあるんだよね。

中野:それはもう、生まれてきた全員に共通して平等に与えられた死という機会で、それまでの時間が長いか短いか話しなので。だから、普遍的なテーマだと思うし、その生に対する執着も当然テーマになりえるし。

そういう生と死といった大きなテーマを思いながら、音楽性を何か変えようとはしなかった? たとえばアンビエント・タッチを取り入れるとか。

中野:自然とできたアルバムではあるので……

やっぱりビートが入らなければという話?

中野:うーん、あまり考えないですね。

川島:むしろビートは入っていないと嫌だなと思っていた。

中野:そういう手法を入れると、僕の感覚だと、あまりにも演出めいている感じがしちゃいますね。やっぱり、いつも通りの川島道行がいることが大事で、その背景としてのトラックやアレンジとかっていうのは、バランスの感覚としか言えないところがしますけど……。

自分たちのなかで、ブンブンサテライツはこうじゃなきゃいけないっていうのはあるんですか?

中野:うーん、言葉でできる部分ではないですけど、日常的に音を出すということはやっているから、そのなかでの取捨選択というのはあると思います。たとえば、10個の音がどんなバランスで組合わさるかっていうときに、そこに長年かけて出てきているアイデンティティみたいなものは、存在しているかもしれないです。

そのアイデンティティというのは、言葉では言うのは難しいんですか?

中野:そうですね。アンビエントみたいなものと言っても、自分が好きなテイストのものと、そうでもないものっていうのが明確にあるんですけど、言葉で説明しきることっていうのは難しいんだよね。

先日、砂原良徳に取材で会ったら、「バンドっていいよ」って言ってたんだけど、ふたり組という単位で続けていることに関しては、どうですか?

中野:これは全然音楽的な話ではないですけど、縁としか言えないところがあるのかなって。たとえば、オービタルとかだったら兄弟としてやっていたとしても、音楽を作るのが難しくなることもあるわけじゃん? 僕と川島くんは家族でもなんでもないんですけど、ここまで続けてきて摩擦っていうものはあるし、違う人間が同じ部屋で作業して何もかもが同意だけで進むことは、ほとんどないわけですね。それで諦めないとか嫌気がささないとか、それはひとが変われば諦めややめるタイミングも早くやってくるのかもしれない。たまたま、巡り会った人と人との縁っていうところもひとつにはあると思うし。2人で音楽を作るってことはハードなんですよ。3人と4人とやるのと比べてもね。

1対1だからね。

中野:妥協というものが存在しないというか、議論するんだったらどっちかがどっちかをねじ伏せるか、もしくは深く納得するとか。

やっぱり議論はいつも起こるの?

中野:はい、制作中に起きます。

とくにこういうところで議論にあるってことはある?

川島:表現方法とかだよね?

中野:そうだね。あとは、リリックのことでも。

川島:内容のとこではないよね。

中野:音楽的のスムーズさとか、伝えることの情報量とか整理とか。やっぱり思いが強いときっていうのは、音楽的じゃない表現方法で情報量が多いから、それだとやっぱり伝わらないというのがあって。あとは歌唱方法ですかね。

なるほど。どちらかと言えば、中野くんが注文をするというか。

川島:そうですね。ディレクションを受けますね。

中野:納得しながら進まないと、そういう声も出てこないので。

川島くんから中野くんに「いや、このトラックはもうちょっとピッチを下げて欲しい」とかって言ったりしないの?

川島:そんなに激しくはないんじゃないかな? だいたい僕が出せる良いところの声を理解して、キー設定なりをしているので、僕がそれに対してもうちょっと低くないとってことはあまりないですね。

でも、お互いにいまでも意見をぶつけ合ってやるってことは、すごく健康的な関係性だよね。

中野:完全にお互いの役割分担ができていて、メールとかサーバーのやり取りだけで済むような感じは一切ないですね。

いまは、そうやってデータのやり取りができちゃう時代だから。

中野:顔を付き合わせて話して、実際に音を出してやるっていうふうにやっていかないとバンドでは全然進まないですね。

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僕と川島くんは家族でもなんでもないんですけど、ここまで続けてきて摩擦っていうものはあるし、違う人間が同じ部屋で作業して何もかもが同意だけで進むことは、ほとんどないわけですね。2人で音楽を作るってことはハードなんですよ。3人や4人でやるのと比べてもね。


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いまとりあえず一番やりたいことってなんですか? ライヴ?

川島:ツアーですね。

中野:けっこうな期間、ちゃんとツアーをやれていないですからね。小さいツアーは、クアトロとか、東京、大阪、名古屋、仙台とかはの規模では去年やって、これができたからいよいよ本格的に、っていう思いはあったんですけど。そこで再発しちゃったから、全国ツアーはキャンセルしました。ツアーはやっぱり顔が見えるのでライフワークのひとつだと考えていて、それができていないから実現したいなと。

オフのときとかに自分の気持ちが癒されるような音楽ってあります?

川島:音楽でですか?

あまり聴かない?

中野:音楽を休みの時間に聴くってことをしなくなった。

川島:そうだね。しなくなった。

中野:休みは静かに過ごしますね。音楽を聴くときってスイッチが入る気持ちになるんで。それこそ、アンビエントとかドローンとかを四六時中部屋で流しておくようなこととかは、やっぱりないね。なんでだろうね?

川島:なんでだろう。聴いたら反能を……

中野:そうだ。音楽に対してセンシティヴ過ぎてしまって、疲れてしまう(笑)。

なるほど(笑)。音楽のことばかり考えてしまう?

川島:オフにならないっていう(笑)。

中野:自分たちが音楽を作る時点ですり減らしてしまう、というところがあるんです。やっぱり、絶対に歳なんだよね。

ハハハハ。

川島:そうなのかな。

中野:これは年齢だと思う。

それはどうかはわからないですけどね。ちなみに、音楽以外でやりたいことって何ですか?

中野:僕はないんですよね(笑)。

ないの(笑)? それはマズいね(笑)。ワーカホリックだよ。

中野:川島くんはないの? 旅とか?

川島:あんまりないね。細美武士くんとかは旅をしたくなるって言っていたけど。「自分が音楽を作っている途中で病気にかかったら、きっと旅に出ると思います」って言ってました。で、彼はアルバムを作ると実際に旅に出るんだけど、俺はそういうのはないなと。

中野:ちょっと変わってはいるんだと思う。よく聞かれるんですよ。「休みの日は何をしているんですか?」とか。まともに答えられたことがないね。「ずっと布団のなかにいます」とかね(笑)。

川島:そうそう(笑)。

ハハハハ。

中野:でも、本当にここ10年くらいでインプットに仕方が変わったというか、音楽を作るモチベーションも昔とは全然違うところからきているから。自分たちの内側からくるところに重心があって、前は外からの情報に対してのリアクションとか、ガキっぽかったので反抗的なところからスタートすることもあったと思うんです。そうすると、クラブへ行ってとか、レコード屋に行ってとか、海賊ラジオをずっとつけておくとか、そういうことで日常を過ごして、制作に入ったときにそれを一気に集約するような感じだったのが、今は静かに過ごして、自分たちから何が出てくるのかっていうことに耳を傾けているような感じですね。

いまは情報過多な時代というかね。

中野:それはこういうメディアを作っていても思いますか?

ある日目が覚めて、「いま自分は何年代にいるんだろう?」って思うくらいに世の中は変わったじゃないですか? ブンブンがデビューしたころに比べると。いろんな意味でね。とくにインターネットというものが普及してから、世界は大きく変わったと思うので。逆に、若い世代で情報を積極的に閉じようとするミュージシャンもいるくらいだからね。だから、ブンブンがそうなったのは年齢じゃないかもしれないよ。

中野:でもテレビとかは、アンテナの線を抜いちゃったりとか。でも、インターネットを見ているから一緒なんですけどね(笑)。本当にそれは思うところがあります。

川島くん、いま何か言いたそうだったね?

川島:あっ、大丈夫です。

アルバムを聴いてくださいと?

川島:はい。アルバムを聴いてください(笑)。

ありがとうございました。

川島&中野:ありがとうございました。


Chicklette - ele-king

 2011年春、某クソバンドでクソな活動をしていた僕はLAにていくつかのクソなショウをこなし、オースティンまで13時間のドライヴで〈SXSW(サウス・バイ・サウス・ウエスト)〉へ向かった。僕以外の同乗者全員が運転できない過酷な状況の下、車内から見える、ただ永遠と広大な荒れ地と砂漠がつづく光景は、まさしくループするようで猛烈な眠気を誘い、時折道中に転がる大型野生動物の屍骸をよけて死にかけつつ疲労困憊の限界を超えて到着した先で無銭で同乗していたハイウルフが交換条件として提示していた宿先が確保できていなかったことはいまだに忘れることができない。

 ……といったことは以前に紙版『ele-king』のほうにも書いていて、何をくどくど同じことをほざいているかというと、そんな最悪な思い出もいまにつながる妙な縁を自分に残しているからである。はたしてそれが自分の現在を良いものにしているどうかは別として。

 DJ ドックディックとのユニット、ドッグ・レザーをはじめたばかりのソーン・レザー、現スカル・カタログ(SKULL KATALOG)のグリフィンを誘って、初めて対面したのもこのときであったし、エンジェルス・イン・アメリカ(Angels in America)のエスラに出会った(ナンパした)のもこのときであった。

 チックレット(Chicklette)は現在NY在住のエスラによるソロ・プロジェクトである。エンジェルス・イン・アメリカではシンガーを務め、DJデュオ、バンビ&チェブス(BAMBI & C.H.E.B.S.)としてモントリオールからボルチモア、ファー・ロカウェイを股にかけリジデントのパーティを主催する。ザリー・アドラーによる秀逸なアート・ピースとしても定評のあるカセット・レーベル、〈ゴーティー・テープス(Goaty Tapes)〉よりリリースされた初音源である前作『ロンリエスト・ビッチ(Loneliest Bitch)』(──そう、僕はいつだって誇り高きアバズレに人生を振り回されているのだ)は、USヘンテコ・ミュージック愛好家の間で話題を呼んだ。

スカル・カタログやDJドッグディックらとともに多くの時間をボルチモアのスクワット生活で過ごした、エンジェルス・イン・アメリカのクラストパンク・フォークとでも形容すべきサウンドが、この小汚い連中に多大なリスペクトを送りつづけるドラキュラ・ルイス(Dracura Lewis)ことシモーネ・トラブッチによる〈ハンデビス・レコーズ〉からのリリースとなったのは必然であったと言えよう。〈ハンデビス〉よりカセット音源『VH1 DRUNK』をリリースしたエンジェルスは同レーベルによるサポートの下、ヨーロッパ・ツアーも敢行したようだ。

 このたび、ハンデビスより満を持して発表されるチックレットのカセット音源がこのアンフェイスフル(UNFAITHFUL)である。シモーネによる毎度最高なCMはこちら。

 このアンフェイスフル、正直カセット音源であることがもったいない。

 ファルマコン(※リンクおねがいしますhttps://www.ele-king.net/review/album/004087/)と同等、いや、それ以上の女子的な闇と病巣を宿していながらも非常にバカバカしく、キッチュかつポップに聴かせてしまうセンスにはまさしく戦慄をおぼえる。エンジェルスでは、ある種拷問的に聴者に襲いかかっていた彼女の狂気は、このような形にまとめあげられるべきであったのかもしれない。ハンマービート、EBM、フォークソングと、ヴァリエーション豊かなトラック群にさらりと乗る底抜けに病んだリリック、それはまさしく1ドルショップに並ぶ、毒々しい蛍光色で輝く有害物質が桁外れに含まれた幼児玩具のようでもある。

 また、エンジェルスの相方であるマークもプロヴィデンスを拠点にフェアウェル・マイ・コンキュバイン(Farewell My Concubine)として活動する。こちらも『チックレット』に劣らない最高のポップ・センスとヘロイン・ライクな心地よすぎるダウナー・トリップ。ぜひともチェックしていただきたい。

Frank Bretschneider - ele-king

 フランク・ブレットシュナイダーは東ドイツ出身の音楽家・映像作家である。1956年生まれで、あのカールステン・ニコライらとともに〈ラスター・ノートン〉の設立に関わっている人物だ(フランク・ブレットシュナイダーとオラフ・ベンダーが1996年に設立した〈ラスター・ミュージック〉と、カールステン・ニコライの〈ノートン〉が1999年に合併することで現在の〈ラスター・ノートン〉が生まれた)。

 ブレットシュナイダーは1980年代より音楽活動をはじめている。1986年にAG Geigeを結成し、1987年にカセット・アルバムをリリースした。いま聴いてみると奇妙に整合性のあるパンク/エレクトロ・バンドで、現在の彼とはまるでちがう音楽性だが、そのカッチリとしたリズムに後年のブレットシュナイダーを感じもする。その活動は東ドイツのアンダーグラウンドの歴史に大きな影響を残したという。
 そして1999年から2000年代にかけて、正確/複雑なサウンド・デザインと、ミニマルなリズム構造による「数学的」とも形容できるグリッチ/マイクロスコピックな作風を確立し、あの〈ミル・プラトー〉や〈12k〉などからソロ・アルバムをリリースすることになる。コラボレーション作品も多く、たとえば〈ミル・プラトー〉からテイラー・デュプリーとの『バランス』(2002)、〈12k〉からはシュタインブリュッヘルとの『ステータス』(2005)などを発表した(どちらも傑作!)。カールステン・ニコライ、オラフ・ベンダーとのユニット、シグナルのアルバムも素晴らしいものだった。また昨年(2014年)もスティーヴ・ロデンとの競演作(録音は2004年)を〈ライン〉からリリースした。

 2000年代中盤以降のソロ・アルバムは、おもに〈ラスター・ノートン〉から発表している。『リズム』(2007)や『EXP』(2010)などは、反復するリズム構造と、複雑なグリッチ・ノイズのコンポジションによってほかにはない端正なミニマリズムが実現されており、レイト・ゼロ年代を代表する電子音響作品に仕上がっている傑作だ。また、2011年にコメット名義でリリースした『コメット』(〈Shitkatapult〉)もフロア向けに特化した実に瀟洒なミニマル・テクノ・アルバムである。
 2013年、〈ラスター・ノートン〉からリリースした『スーパー.トリガー』は、カールステン・ニコライとオラフ・ベンダーのダイアモンド・ヴァージョンとも繋がるようなエレガント/ゴージャズなエレクトロ・グリッチ・テクノ・アルバムである。いわば「音響エレクトロ」とでもいうべきポップでダンサンブルな音響作品であり、彼の新境地を拓くものだった。

 そして、本年リリースされた新作において、その作風はさらに一転する。サージ・アナログ・シンセサイザーなどモジュラー・シンセサイザーを鳴らしまくったインプロヴィゼーション/エクスペリメンタルなアルバムに仕上がっていたのである。音の雰囲気としては2012年に〈ライン〉からリリースされた『Kippschwingungen』に近い(東ドイツのラジオ/テレビの技術センターRFZで、8台のみ開発されたという電子楽器Subharchordを用いて制作された)が、本作の方がよりノイジーである。アルバム全8曲41分にわたって、アナログ・シンセサイザーの電子音のみが横溢しており、電子音フェチ悶絶の作品といえよう。
 制作は2014年7月にスウェーデンはストックホルムのEMSスタジオに滞在して行われたという。じつはすでに2017年7月に、EMSでモジュラー・シンセを駆使する動画が公開されていたので、まさに待望のリリースでもあった。

 アルバム・タイトルはドイツ語で「形式と内容」という意味で、カオス(=ノイズ)を操作して、デザイン(形式化)していくという意味にも読み込める。ジャケットの幾何学的なアートワークや、アルバム・リリースに先駆けて公開されたMVにも、そのような「形式と内容=デザインとカオス」の拮抗と融合と反復とズレを感じることができるはずだ。

 この「フランク・ブレットシュナイダーによるモジュラー・シンセサイザーのみのアルバム」というある意味では破格の作品が成立した過程には、近年のモジュラー・シンセによるコンクレート・サウンドの流行も関係しているだろう。町田良夫からトーマス・アンカーシュミット、マシーン・ファブリックまで、サージなどのモジュラー・アナログ・シンセサイザーを用いた音楽/音響作品がひとつのトレンドを形成しているのである。
 しかし、そこはサイン派やホワイトノイズを用いて、リズミックかつ建築的なウルトラ・ミニマル・テクノを作り続けてきた電子音響・グリッチ界の「美しきミニマリスト」、もしくは「世界のミニマル先生」、フランク・ブレットシュナイダーの作品だ。「ツマミとプラグの抜き差しによるグルーヴ」とでもいうべき電子音が自由自在に生成変化を繰り返すのだが、そのフリーなサウンドの中にも、どこかカッチリとしたリズム/デザインを聴き取ることができるのである。とくにシーケンスとノイズを同時に生成させる4曲め“Free Market”にその傾向が随所だ。また、5曲め“Funkstille”や6曲め“Data Mining”などは、エレクトロニカ的なクリッキーなリズムも感じさせるトラックである。
 カオスと形式(=ノイズとリズム)に着目して聴くと、複数の音のパターンがモチーフになって変化していることも聴き取れてくる。その傾向は、1曲め“Pattern Recognition”、8曲め“The Machinery Of Freedom”に特徴的に表れている。いくつもの音のエレメントが反復・変化するモチーフとして展開していくさまが手にとるように(?)わかるだろう。
 そう、このアルバムで、フランク・ブレットシュナイダーが鳴らしている電子音は、インプロヴィゼーションであっても、どこかデザイン的なのだ。たとえば、3曲め“Fehlfunktion”のように極めてノイジーなトラックであっても、そこにデザイン化されたリズム(形式化)を聴取することが可能である。

 前作『スーパー.トリガー』における「80's的なゴージャズなエレクトロとグリッチ・ビートの融合」が2013年~2014年のモードだったすると、本作の情報量豊富なフリー・インプロヴィゼーション的電子ノイズの生成・運動感覚は、紛れもなく2015年のモードだ。もしかすると、現在のわれわれの耳は、電子音楽/音響の中にあるマシニックな形式性を侵食する音響の運動性・肉体性のようなものを求めているのかも知れない。その意味で、まさに「いま」の時代ならではのアナログ・シンセサイザー・アルバムである。現在進行形の電子音楽マニア、全員必聴と断言してしまおう。

 最後に。本作に関係する重要なプロジェクトして、フランク・ブレットシュナイダーがピアース・ワルネッケ((https://piercewarnecke.blogspot.jp/)と共同制作をした同名インスタレーション作品を挙げておこう(ふたりはベルリンで開催されたエレクトロニック・ミュージック・フェスティバル“CTM”でもパフォーマンスを披露したという)。このインスタ作品は、本作を思考する上で重要な補助線を引いてくるはずである。

SINN + FORM // Preview from Pierce Warnecke on Vimeo.


Vakula - ele-king

 ブライアン・イーノにベースを足せばジ・オーブ、ジョン・ケージにベースを足せばOPN、テリー・ライリーにベースを足せばジェフ・ミルズで、ペリー&キングスレーにベースを足せばジェントル・ピープル。そう、ニュー・ウェイヴにベースを足せばエレクトロクラッシュで、UKガラージにベースを足せばダブステップと、なんでもベースを足せばクラブ・サウンドに早変わりしてしまう(われながらテキトーだなー)。では、ピンク・フロイ ドにベースを足せば……『アルクトゥールスへの旅』である。TJ・ヘルツによるオブジェクトが19世紀の中編小説「フラットランド」にヒントを得れば、こちらは20世紀初頭にコーンウォールへと引きこもったSF作家の代表作を一大音楽絵巻に仕立て上げた。基本的にはシンセサイザーが波打ちつつも、曲によってはホーンが炸裂し、ギターもソロのリードを弾きまくる。風景は次から次へと移り変わる。まさに「旅」である。(1時間29分40秒)

 トーン・ホークやマーク・マッガイアーによるアメリカのクラウトロック・リヴァイヴァルとはやはりどこかが違う。ヨーロッパに特有の淀みがあり、〈デノファリ(Denovali)〉に通じる絶望感も成分としてはしたたかに含まれている。ここまでくるとディープ・ハウスという文脈もさすがに遠のいて、プログレッシヴ・ロックをエレクトロニック・ヴァージョンとして再定義したと捉えるほうがぜんぜん素直だと言える。そういう意味では2000年に再始動したブレインチケットの試みに追従するものとはいえ、全体的な瞑想性の強さでも踏襲している部分は多い。フュージョン的なセンスもまったくといっていいくらい同じ。違いがあるとすれば、それぞれの立場だろうか。ヴァクラはご存知の通り、停戦とは名ばかりの状態が続くウクライナからこの作品を発している。彼が住み、前作のタイトルにも使われたコノトープは軍事的な意味合いの多い場所だという。ヨーロッパで売れなくなった天然ガスを日本に売るため、サハリンと茨城をパイプラインで結ぶという計画がいまも話し合われていると思うと、ウクライナが置かれている立場はまったくの他人事とは行かないだろう。

 前人未踏の地へ突き進んでいく勇気を描いた『アルクトゥールスへの旅』は彼の音楽的なチャレンジ精神をトレースするものであると同時に、真実と虚偽やこの世とあの世を超越しようという哲学の書でもある。本人がそこまで意識しているかどうかはわからないけれど、戦争体験を経た水木しげるが『河童の三平』で同じ問いを投げかけていたことを思うと、彼の目の前で起きていることから人間というものについて何かを考えざる得なかったのだろうという推測はどうしても進んでしまう。そして、そのような思索のなかに彼がハウス世代であること、つまりは、プログレッシヴ・ロックの世代にはない若さやわずかな希望を聴き取れるような気がしてしまう。少なくとも〈デノファリ(Denovali)〉にはもはやこのような足掻きさえ感じられないからである。あるいはフランスのトランペット奏者とメキシコのモダン・ミニマルが組んだ『ビーイング・ヒューマン・ビーイング』である。2回めのコラボレイションとなるトラファズとムルコフのセッションはあまりにも絶望感が強く、アルクトゥールスへと旅立つ前にそのまま座り込んでしまう音楽にしか聴こえない。そして、もちろん、それには説得力がある。

 エリック・トラファズはジャズにクラブ・ミュージックの要素を持ち込もうとした先駆者のひとりである。初期の代表作となった『ベンディング・ニュー・コーナーズ』(1999)からいきなりラップをフィーチャーし、最後まで一定のテンションを保つ演奏内容はなかなか見事だった。その後もアラブ音楽を取り入れたり、トリップ・ホップをイメ-ジしているようなサウンドと、ここまでやってしまうと果たしてジャズ・ファンは聴くのかなというぐらいの逸脱ぶりを見せたものの、個人的にはどうにも締りのない演奏に成り果てていったという印象が拭えない。ムルコフとのジョイント・アルバム『メキシコ』(2008)はそのような低迷を経て彼がたどりついた新機軸であった。ベーシック・チャンネル・ミー ツ・ジョン・ハッセルとでもいえばいいだろうか。スウィングすることを拒否されたようなビートがストイックに構築され、トランペットはどこか凍りついたように悲しみを掻き立てていく。どちらかというとムルコフの世界観にトラファズが色を添えたものに思えた。

 これが6年を経て、もっと複雑な音楽性を表現するものに発展することとなった。リズムは多様性にあふれ、等しく絶望的でありながらも、そこにはさまざまな色合いが認められるような瞬間の連続に成りかわっていったのである。『人間であること』というタイトル=問いはヴァクラとそう遠くにあるものとも思えない。遠くまで行く体力はもうないかもしれないけれど、考える力なら同じかそれ以上だと言いたげでもある。社会が効率を求めれば意味と自由は失われるとマックス・ヴェーバーが予言し、それを回復するのではなく、肯定するところからはじめようといったハーバーマスの言葉を思い出す。

ジャンル的にはまったく異なるものの、『アルクトゥールスへの旅』と『ビーイング・ヒューマン・ビーイング』がどうしても合わせ鏡のように聴こえて仕方がない(ジャケット・デザインが似ていることには、いま、ここまで書いてから気がついた)。悪く言えばヨーロッパ的な観念性は堂々巡りでしかない。しかし、ヨーロッパ的な精神にはそれができることが取り柄だともいえる。ウクライナでまた兵士が4人ほど死んだらしい。 

RHYDA(VITAL) - ele-king

都内を中心に活動するサウンドフリーク集団「VITAL」のMC。B-BOY文学でありながらパンクとも形容されるLIVEは唯一無二!必見です!

3.15土曜、今年一発目の”You gonna PUFF?”@吉祥寺WARP開催します。
チャートにもいれたvvorldはtoo smell record店長赤石による新band。
鬼すぎるのでチェック12!

3.15sat
You gonna PUFF?
@吉祥寺WARP
open 0:00 Entrance 1500/1d

Live:
櫻井響 / vvorld / RHYDA

DJ:
Libelate / OG / RESORT / m28 / g1
NSR Dubby X / charabomb

Clothing:
Delta Creation Studio
mo'
MBJP

https://vitality-blog.blogspot.jp/

special talk : tofubeats × Yoshinori Sunahara - ele-king


tofubeats
First Album Remixes

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 つい先日デジタルで発売されたトーフビーツの『First Album Remixes』の1曲目が“Don't Stop The Music”の砂原良徳リミックス。新世代の作品にベテランが手を貸した最初のヴァージョンとなった。

 トーフビーツからは「現在」が見える。インターネット時代の(カオスの)申し子としての彼の音楽には、90年代を楽しく過ごした世代には見えにくい、重大な問題提起がある。ゆえに彼の楽曲には「音楽」という主語がたくさん出てくる。音楽産業、音楽文化、あるいは知識、音楽の質そのもの。

 自分が若かった頃に好きだった音楽をやる若者は理解しやすいが、自分が若かった頃にはあり得なかった文化を理解することは難しい。なるほど、ボブ・ディランは最近ロックンロール誕生以前の大衆音楽をほぼ一発で録音して、発表した。これは、インターネット時代の破壊的なまでに相対化された大衆音楽文化への本気のファイティングポーズなんじゃないだろうか……だとした、さすがディランだ。しかしもう時代の針を戻すことはできない。
 インターネット文化には、そもそもヒッピーの聖地近郊のシリコンバレーには、カウンターカルチャーの遺伝子がある、と今さら言うのは、80年代を懐かしんでいるわけではない。僕がUSの若い世代の音楽批評を読んでいてあらためて感じるのはそのことなのだ。ヴェイパーウェイヴの「日本」には、『ニューロマンサー』の「チバシティ」と似たものを感じるでしょう? それはずっとあり続けているのだ。
 が、しかし……それを反乱と呼ぶには、瞬く間に資本に取り込まれているのかもしれない。自由であるはずが、意外なほど窮屈だったりするのかもしれない。トーフビーツは、そうしたもうひとつの現実も知っている。親は、子供がライヴハウスに出演することよりも四六時中インターネットにアクセスしているほうを心配するだろう。電気グルーヴが登場したときのように、トーフビーツにも賛否両論の新しい価値観がある。ものすごーく引き裂かれたものとして。


だから電気グルーヴは聴かなきゃいけないみんなの教科書的なものなんですよ。──トーフビーツ
電気グルーヴが教科書ってどうかと思うけど(笑)。──砂原良徳

今日が初対面っていうのがあまりにも意外でした。

砂原良徳(以下、砂原):ハハハハ!

当然もう何回も会っているものかと。

砂原:クラブとかの入れ替わりで1回くらいはどっかのイベントでね。

トーフビーツ(tofubeats以下、T):それこそサーカスとかで1回くらい会っていてもおかしくはないんですけど。

砂原:会ってなかったね。

意外だよね。とにかく、今回のリミックス・アルバム『First Album Remixes』は、まりんが参加したってことが大きなトピックだから。トーフビーツ世代と電気グルーヴ世代がいままで一緒になることって、作品というカタチではなかったよね?

T:そうなんですよね。こっちからソニーに「マスターをください!」って言って“MAD EBIS”をリミックスしたことはあったけど。

砂原:あったねー! それは俺も聴いたよ。

T:実は僕、××(大手メジャーの新人発掘部門)に5年くらいいて。

砂原:あ、そこにいたんだ!

だってWIREに出てるんだよ。

T:WIRE08の一番上のちっちゃいアリーナに出てて。

しかも高校生で。

T:それで、てっきりそこからデビューすると思っていたら、ワーナーさんからデビューすることになって。

このひと(トーフのマネージャーのS氏)もそこだったんだよね。

T:だから、最後の最後に、これまでのリミックスをまとめたアルバムを出しましょうってなって、「“MAD EBIS”のパラをもらえますか?」って聞いたら、「DATがテープしかないから、スタジオに請求するから」という流れでいただいて作ったんですよね。

砂原:俺はそれを何で知ったんだっけな。電気のリミックスをやったんだって経緯を後で聞いたんだけど。

T:そのときに「“Shangri-La”じゃなくていいの?」みたいな話をされたって言いましたよね。

砂原:ははは、自惚れ。

T:ハハハハ!

あれは何年前?

T:まだ3、4年前ですね。

砂原:ちなみにいまはおいくつなの?

T:僕は24です。

砂原:まだ若いもんね。

T:90年生まれです。

砂原:90年生まれ! そうかぁ……。

それは……って感じだよね(笑)。

砂原:いやでもまぁ、そんなもんなんだろうね。

24歳のときって何してた?

砂原:電気グルーヴですよ。24歳のころはアルバムでいうと『DRAGON』のときかな。

ちなみにWIREに出ていながら、いままで面識がなかったじゃない? トーフビーツのなかで電気グルーヴとか砂原さんはどういう存在だったんですか?

T:卓球さんには僕はまだ会ったことないんですよ。

砂原:会ってないんだ。いずれはどっかで会うと思うけどね。

T:WIREは僕、2回出させてもらったんですけど、どっちもあいさつできなくて。

砂原:まぁ、DJしてないときは遊んでるからね。あと、あの日はあいさつしたりいろいろあるんだよね。

T:あとNHKの『MJ』でご一緒したときも、『メロン牧場』で「楽屋挨拶にきたら殴る」っていうのをまだ読んでいなくて、あいさつに行っちゃって、マネージャーさんに「ダメだから」っていわれて(笑)。

砂原:ハハハハ!

T:後から考えて、「そうだ! 『メロン牧場』を読んでなかった!」って。あの日はすごい後悔したんですよ。「ほんと、すいません」って。

WIREに出てたっていっても、まだ10代だったし、早い時間の出演で、早い時間に帰らなきゃならなかったしね。

T:そうなんですよ。だから帰らされてたんですよね。

砂原:そうかぁ。90年代に生まれたってことは、本当にうちらの音楽を聴いていたときは、4歳とか5歳っていってもウソじゃないっていうことだもんね。僕らのアルバムで『KARATEKA』って作品があるんだけど、あれはパカって開けたところに赤ちゃんが出てくるじゃん? あの世代ってことだもんね(笑)。

T:そうです(笑)。

砂原:恐ろしいな(笑)。

T:いま25周年じゃないですか? だから(電気グルーヴは)僕より年上なんですよ。

ハハハハ!

砂原:そうだね。まぁ、でもそのくらい時間はたってるよ。だって人間って20年ちょっとでこんなんになっちゃうんだよ(笑)?

T:でもそのときは『DRAGON』だったわけじゃないですか? 僕はまだデビューして間もないですけど、『DRAGON』のときは砂原さんはすでに何枚か出しているじゃないですか?

砂原:でもまぁ、あのときといまじゃ音楽のあり方が違うもんね。もっとリリースすることが主体だったというか。

そこは今日のテーマですよ。

T:そんな時代に生まれたっていう話ですから。

いま思うと象徴的だったね。トーフビーツがWIREに出たときに、ちょうど僕が〈マルチネ・レコーズ〉周辺の子たちをWIREに連れて行って。

T:ありましたね。

まだみんな高校生や大学生でね。4、5人で行ったんだよ。そのときに、みんなが「トーフくんが出てるんで」って言ってて。トーフは神戸で、みんな東京の子どもたちだからね。ネットでは知り合っていても、そんなに会えるわけじゃなかっただろうし。で、僕はそこで初めてトーフに会うんだけど、みんなを引き連れて会場に入ろうとしたときに、ちょうどタサカくんが通りかかって、「なんか引率の先生みたいだね」って言われてね。

砂原&T:ハハハハ!

おじさんが子どもたちを連れているようにしか見えないよね(笑)。でも、そのときの子供たちがネット・レーベル世代として日本のサブ・カルチャーに大きな影響与える存在になるわけだから。その晩のWIREではそういうことも起きていたんだよ。

T:その頃は、全員まだクラブに行ったことがない歳ですから。まだ18にもなっていなかったし。

砂原:でも本当にはじめるのってそのくらいの歳だったよね? 僕もライブハウスとかに出だしたのって高1とかだよ。中学の3年くらいのときに早いやつは出てたから。それを知って、「これはヤバいな」って焦った記憶があるくらいで。

T:おー。

砂原:高1でライブハウスに出てなかったら、もうやる気がないやつみたいな感じだったよ。

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ドミューンで初めて見たとき、「コイツ面白いな」というのと「いい顔してんな」って思った(笑)。──砂原良徳
宇川さんが悪意たっぷりで俺の顔のアップとかを超抜きまくってていまだにけっこう言われるんですよ。「コイツの説明よりも顔が面白い」って。──トーフビーツ

昔、もう何年も前だけど、トマドくんにインタヴューをしたとき、何に影響を受けたのか聞いてみたら、最初はライムスターとかが好きだったみたいで。

T:そうだ! 俺、その話、超好きなんですよね。

だから最初は日本語ラップが好きで、その延長で電気グルーヴへ……っていう。

T:リップ・スライムの“ジョイント”って曲を聴いて、2曲くらい聴いたらもうジャングルへいっちゃったんですよ。それで、この音楽をもっと聴きたいってなって電気グルーヴのラジオを聴いて。それで、こんなことになってしまいました、って出てきたのが僕の友だちのレーベルなんですよ。だから、日本語ラップを2曲くらい聴いて、あとはテクノを聴きだしたっていうのが僕らのヘッドというか。

砂原:へぇー!

T:だから電気グルーヴは聴かなきゃいけないみんなの教科書に的なものなんですよ。

砂原:電気グルーヴが教科書ってどうかと思うけど(笑)。

ハハハハ!

T:そこで流れていた当時の音源とかをシェアして、シカゴ・ハウスをチェックしてとかそんな感じでした。

砂原:なるほどね。

世代的に情報源がTSUTAYAなんだよね。小学校、中学校のお小遣いがないときはとくにね。

T:TSUTAYAだけで聴ける絞られた有名なテクノだけを。

砂原:でも野田さんとかが出していたコンピレーションはけっこうあるもんね。

石野卓球とやっていた『テクノ専門学校』ね(笑)。

T:そうなんですよ。あと、ソウルとかも『フリー・ソウル』でしか聴けない。ボサノヴァもコンピでしか聴けない。そういう感じでTSUTAYAで頑張るみたいな。そうやって最初はスタートしましたね。

そこでいきなり電気グルーヴの影響がね。90年代にはあまりなかったじゃない? 2000年代も出てこなかったと思うしね。

砂原:あんまり出てこなかったもんね。だから、それくらいの時間が一応必要だったというか。影響力もないわけじゃないけど。まぁ、こんなものなのかな、くらいに思っていて。だいぶ遅れて影響が出てきているところっていうのはあるのかな。

T:どうなんですかね。そのサイクルは意識したことがないですけど。

砂原:たまにイベントとか行って、若い子とかとごはんを食べながら話しをしてて「昔は何を聴いていたの?」って聞くと、「電気グルーヴとか」って言うんですよ(笑)。「いや、まじめに話しをしてよ!」「いや、まじめですよ!」みたいになるのね。

T:まじめですよ(笑)。

砂原:「えー! そうなの!」ってなることはありましたね。あとは「小学生のときに聴いていました!」とか。「ウソつけ! そんなことねぇだろ!」って思って計算してみたら当たってるっていう(笑)。

T:ハハハハ!


tofubeats
First Album Remixes

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まりんは、トーフビーツの名前を当然知っていたんだよね?

砂原:いつ知ったかは憶えてないけど、最初は「またこんな名前付けやがって」って思った(笑)。

T:えー! 名前なんすか!?

砂原:まずその印象で、自分にインプットされて。それでドミューンか何かに出てたのを見たのかなぁ……。なんかね、サンプルを細かく切り刻む説明をしていたような気がする。

T:やってました。

砂原:だよね? それってやっぱり、音楽の手法としてはメインにくるものではないじゃないですか? それを主食とするような説明をしてて、「コイツ面白いな」というのと「いい顔してんな」って思った(笑)。

一同:(爆笑)

T:その日すごく憶えてるのが、宇川(直宏)さんが悪意たっぷりで俺の顔のアップとかを超抜きまくってて。

砂原:ハハハハ!

T:いまだにけっこう言われるんですよ。「コイツの説明よりも顔が面白い」って。

砂原:実はそのとき、顔を見たてたら、瀧の若い頃とちょっとかぶって見えたんだよ。

一同:(爆笑)

砂原:それでたぶん、いい顔だって思っちゃったんだよ。その後、ツイッターとかフェイスブックみたいなものが浸透してくるとさ、どんなことをやっているかが自動的に流れてくるじゃん? 

T:はい。

砂原:それで曲を聴いてみたら、意外と普通の……

T:顔のわりにはちゃんとというか(笑)。

砂原:普通というか曲っぽい曲をちゃんと作っていて、「あ、こういうのも作れるんだ!」って思って。でもサンプルを切り刻むのはずっと主食なんだなって。強く認知されたのは、どこがポイントだったの?

T:メジャー・デビューの前にボンってなったのは、テイ・トウワさんと今田耕司さんが作った曲を弾き直して作った曲がインディーズ・ヒットになったんです。そこでアルバムを出して、そのままメジャー・デビューって感じだったんで。

“水星”だよね。

T:そうですね。

でも、その前の“しらきや”とか。

T:それがターニング・ポイントになっていると言うのは、野田さんだけですよ(笑)!

トーフビーツには電気グルーヴにとっての人生みたいな時期があったんですよ。

砂原:そうそう。最初はその印象だったんだよ。

T:某グループのブートレグとかを作ったり、リミックスのCD-Rをゴニョゴニョとかしてて、高校のときはそれでお小遣いを作っていました。

“しらきや”っていう曲は初期の電気グルーヴに似ているといえば似てるよ。言葉のコンセプト的には。

T:どうなんですかね。ハイ・ファイ・セットのループで2ちゃんのコピペを読み上げただけなんですけど。

砂原:わりと初期衝動をそのままパッキングするようなね。

ようするに、白木屋でバイトしている友だちとの会話みたいな感じで、「あの頃の俺は時給いくらだった」みたいな。アホみたいな会話のなかのディレイのかけ方とか。

砂原:でもさぁ、そういうのって面白いよね。ああいうのって、何だろうね。そういうのは、そういうときにしか作れないし。そんなくだらないこと大人になったらやらないから、やっとくべきだよ。記録しておくべきだね。

T:大事にとってあります。

砂原:あとからすごく面白くなると思うんだよね。

しかも、なんで俺がトーフビーツを知ったかっていうと、静岡のクラブで“しらきや”がかかってたんだよね。電気グルーヴっていまでこそ誰もが評価しているけど、初期の頃は、当時の若い世代が熱心に支持していた印象があって、その感じも似ているんじゃないかと思った。

砂原:へぇー!

若い大学生くらいの子たちのパーティに行ったらアンセムになってたんだよね。

T:青臭いヤツらだ(笑)。

砂原:それは随分いびつな状況だ(笑)。

T:いびつな流行り方をしていって、最終的には就職しようってなったときに、ワーナーさんが申し出をくれまして。まぁ、一応は体良くアーティストっぽく収まった感じなんですよ。

砂原:なるほどね。まぁ、でも、ミュージシャンも野球選手みたいなものでポジションがなかったらすぐに「いけ」って言われるけど、外で空いていたら「じゃあうちで」っていうのはあるよね。

まりんのマネージャー氏の前で言うのもあれだけど、本来であれば電気グルーヴを見いだしたソニーがね(笑)。

T:その話は実際に野田さんとしていたじゃないですか?

砂原:でもねぇ、そうじゃないところの方がいいかも。やっぱり過去にこういうことがあったってところに、当てはめちゃうきがしない? 

たしかにね。

砂原:だからそれが必ず正解だというわけじゃないからね。

まりんも昔、(YMOがいた)アルファ・レコードから出したいって思ったものなの?

砂原:思ったこともあったけど、ほんの一瞬だけかな。スタジオが見たかったからね。2回くらい見たけど。

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サンプルを切るのもそうなんですけど、切ると現実じゃない音を出したりできるのがよくて。ピッチを落とすのもそれに近いというか。──トーフビーツ
そういう意味でいうと、僕も昔、音楽を聴いていたときに、タンテで自分が好きなところにピッチを合わせて聴いて「コレは落とした方がいいんだよ」とか、「45回転でもいける」とかね。──砂原良徳

それでまりんはトーフビーツの、顔やサンプリング以外では、他にどんなところが気になってたの?

砂原:その、ネット・レーベルと言っていいのか、電気グルーヴを子どものころに聴いていた世代と言っていいのかわからないけど、なんかそういう地位みたいなものがうようよあって。そのなかのわりと目立っているひとつなんだなって認知はしてたね。やっぱり気にしてみてたんじゃないかな。やっぱり記事とかあるとクリックして読んだりとかしていたと思うし。興味がなかったらクリックすらしないからね。


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音は今回のリミックスより前も聴いてたの?

砂原:ネットにあがってるのとかは聴いてたよ。

T:マジっすか! ヤバい。

砂原:だから、最初の初期衝動っぽいやつとかも聴いたことがあるし。あと、わりと普通っぽい曲を聴いたときに、こういうのも作れるんだって思ったかな。

T:それはありがたいです。

砂原:それでなんか、化ける兆候が見えてきたなってそのときは思った。それでアルバムが出たっていうから、聴いたんだけど、「あっ、普通に作るんだな」って思ったかな。ただ、普通なんだけど、サンプルを切り刻むのがね。

T:本当はそれをやりたいけど、メジャーにいくと権利のクリアランスとかもあるので。

砂原:でもそういうのを取り入れるバランス感というか、それはよくできてるなって。電気とかだとさ、そうじゃなくて初期騒動をそのまま7インチで出そうとかってなっちゃうこともあったけど、それをひとりでうまくまとめてる気はしますね。

T:電気グルーヴを見てて思うのが、僕はひとりなんで、それができないっていうのか、それがずっと俺の悩みというか。このひとといたら、俺を開放できるとか。あと、このひとがふざけてくれるから、俺はまじめにやろうとか、そういうのもないので。

砂原:ソロはねぇ、いいところもあるけど、バンドっていいよ(笑)。

ハハハハ! それは何周目かして言える意見だよね。

砂原:バンドってホントいいよ。楽しいしね。

T:いいな!って思いながら見てます。

砂原:僕自身音楽を聴いてきてさ、ソロで好きなひとがいなかったわけじゃないけど、やっぱり最初に好きになるのはバンドだよね。僕の場合は。クラフトワークだって、最初はラルフ・ヒュッターを好きになったわけじゃないし。

たしかに。

砂原:4人が並んでああやっている感じがよかったわけで。YMOやディーヴォやトーキング・ヘッズとかもそうだけど。あのへんはバンドとしてかっこ良かったというか。

そうだよね。そのバンドっていう単位も、現代ではカジュアルではなくなっているよね。この10年で、いろいろなものが変わったからね。たとえば、トーフビーツの『First Album』を聴いてひとつ思ったことがあって。アルバムのなかで、テーマとして「音楽」って言葉をくり返し使うじゃない? まりんがリミックスした曲も“ドント・ストップ・ザ・ミュージック”だけどさ、「音楽を止めないで」っていうのはクリシェ的なところもあるんだけど、トーフビーツが「音楽を」とかって言うとさ……アルバムのはじまりも「音楽サイコー」っていう言葉でしょ。で、「音楽で~」って歌がはじまって、なんか、大袈裟に言うと、「音楽」っていうものはいまどうなっているのか?っていうか。不自然なほど「音楽」という言葉が出てくるんだよ。

T:悲壮感が漂っていることが多いですからね。

「音楽」に、複層的な感情が込められている気がするの。それは夢であり、もはやたんなる消費物で、もはや過去の文化かもしれなとか……それは、トーフがインターネット時代に打ち込みの音楽をやっているということが、大きいと思うんだよね。初期の電気グルーヴがライヴハウスでやっていた時代とはぜんぜん別の世界でしょ。

砂原:うんうん。

だから、トーフビーツのアルバムを聴いていると、なんか問題提起を聞いているような気持ちになるんだよ。

T:みなさん打ち込みだけど、スタジオとかでやって、マスタリングへいって、トラックダウンもひとがやってとか、当たり前ですけど、結局僕は90%くらいが家ですもん。

あと、トーフビーツはわざわざ「僕はメジャー・デビューしました」ってすごく主張するんだけど、90年代に同じことを言ったとしても全然意味が違うというか。

砂原:うん。全然違うよね。

インターネット時代には、ヴェイパーウェイヴだとかチルウェイヴだとか、シーパンクだとかって、ある種のアマチュアリズムを面白がる文化空間があって。そこは、機会のチャンスの増えた分、音楽の価値が相対化している場所でもあるんだよね。だから、トーフの表現には、そのアンビヴァレンスがすごく出ている。

T:アンビヴァレンスというか、僕は単純に昔が羨ましいって一点張りなんで。

ハハハハ。でも『First Album』の前半なんかは、サンプリングをするにしてもスクリューしたりね、それは現代のネット音楽や若い世代が好んで使っている手法なんだよね。そういうディテールは、明らかに現代的なんだけどね。

砂原:あのピッチをすごく落とすのはなんなの? 西海岸のあれなの?

アメリカのテキサスにDJスクリューってやつがいてね。

T:「ピッチを下げたほうがよく歌詞が聴こえるじゃないか」って名言を残しているひとなんですけど。

砂原:なんか僕そういうのを探してたな。エイティーズのもののピッチをガツンと落としたものばっかりあって。そこに俺の曲のネタも入ってて。それで俺の曲とか聴いてんだって思って。

あー、まさにそのノリ。さっき言ったヴェイパーウェイヴとかって。

T:日本語は一番スクリューにいいっていう話しがあって。中高域が出てるから、下げるとちょうどよくなるっていう。

砂原:なるほどね。

T:僕は意味もなくピッチを下げるのが超好きなんです。普通に自分で聴くように、ピッチを70パーセントくらいにしたボニー・ピンクの曲とかがiPhoneに入っているんですよ。そういうのをやりたいみたいな。

砂原:あのピッチを落としたのを聴いたときに、意味はわからないけどすごくいいと思って。

T:DTMをやっていて一番いいのは、現実にはできない音が作れるってところが好きなんで。

砂原:例えばどういう音?

T:サンプルを切るのもそうなんですけど、切ると現実じゃない音を出したりできるのがよくて。ピッチを落とすのもそれに近いというか。

砂原:そういう意味でいうと、僕も昔、音楽を聴いていたときに、タンテで自分が好きなところにピッチを合わせて聴いて「コレは落とした方がいいんだよ」とか、「45回転でもいける」とかね。

T:『音楽図鑑』の“チベタン・ダンス”とかみんなが45でかけているのを見て、俺はあの曲はずっとあの速さだと思っていたんですよ(笑)。家で『音楽図鑑』を聴いてみたら、全然違うじゃんって。

ここ5年くらい、ずっとスクリューは流行りなんだよね。

砂原:あれ流行りなんだね。

アンダーグラウンド・シーンの流行りだよね。だから、トーフビーツは、ポップスを意識しているけど、アンダーグラウンドの要素もちゃんと入っている。そこも電気グルーヴっぽいんだけど、ただし現代では、そういうトレンドが生まれる場所はインターネットで、しかもそこでは音楽がタダでもある。

砂原:そうなんだよね。

だからトーフは、敢えてメジャーにいったってことを強調しなきゃいけない。

T:そうそう。いまはこれで生計を立ててるぞっていう。

そうすると、「音楽を止めないで」っていう彼の言葉も意味深に思えてくるんだよね。

砂原:「音楽を止めないで」は、音楽をやるひとの普遍的なテーマというか、それこそクラフトワークですら「ミュージック・ノン・ストップ」って言っているくらいだから(笑)。でもいまそう言うってことはそういう意味があるってことなんだね。

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俺がいま高校生だったらCDとか絶対に買わないと思うよ。──砂原良徳
データもクレジットカードがないから買えないしっていう話なんですよね。そうなるともう八方塞がりで。──トーフビーツ

インターネットはいろんなものを破壊しちゃったから。


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砂原:そういうことができていたのって僕らくらいまでだよね。僕より下の世代とかだと、ACOとかスーパーカーのナカコーとかさ、あのへんの世代って多いじゃん? あの世代になってくると、それで生活できていたひとと、そうじゃないひとが分かれてきている感じがするんだよね。そのくらいからそうなってきていて、現代では、ほとんど難しいっていうことだよね。

そういう意味ではトーフビーツは、シーンというか現在に対して問いかけをしている存在でもあるんだよね。

T:あと、あんまり言いたくはないんですけど、「こうこうこうだから買ってくれ」って言うって感じですけどね。

砂原:難しいよね。昔だったら普通にCDっていう形しか方法がなかったから、お金を出していたんだけど。

T:いまは形がどうこうっていうよりも、あんまりみんな聴いてもないって気もしますし。

砂原:シーンとか音楽の内容とかよりも、システムの話になっちゃうけど、昔だったらCDやレコードの棚とかプレイヤーを買ってさ、そういうことをやらなきゃいけなかったじゃない? 音楽を聴くためのシステムとして、棚からプレイヤーから全部あったってことなんだけど、いまそれをきちんと代用できるものがないんだよね。

T:たしかに。

砂原:たとえば、iTuneで買っても歌詞カードはどこで見るんだよっていう。

T:クレジットも見れないし。

砂原:そうそう。そういうところがパーフェクトにできるシステムが存在していないわけ。お金を稼ぐことだけがその唯一の道じゃないと思うけど、世界中の音楽ビジネスを守っていきたいってひとがいたら、ある程度は合意して統合したシステムを作らないといけないと、守れないような気がしているんだよね。
 だから、「いまハイレゾって言っとけば、とりあえずは稼げるか」みたいな雑なビジネスをしようとしているひとはいっぱいいるでしょう?

ハハハハ。

砂原:そうじゃないひともいるけども、せっかくハイレゾにするんだったら、もうちょっと音楽が周りのことも巻き込んでカルチャーを作ってきたことを認識して、いままでできてきたことを当たり前のようにできるようにしなきゃいけないんじゃない? なんでそうしないのかなって思うんだけど。

T:それはホントにマジですよね。

砂原:音だけ良くなったらいいと思う?

T:僕、ハイレゾはあんまり信仰していないです。

砂原:まぁ、音が良いのはいいんだけどね。

T:先日、小室哲哉さんと対談させて頂いたんですけど、作っていたときの音質で聴ければ大丈夫だよっていう。

砂原:それはそうなんだけど、歌詞カードもクレジットもないし。ヴィジュアル的に音楽を聴くためのきっかけみたいなものを与えてくれないとうかね。

T:ハイレゾの機械はデカいし、液晶画面は小さいから、iPhoneよりもテンションが下がるんじゃねえかって思いますよね。

砂原:それでなんでiPodクラシックがバカ売れしてくるかっていうと、入れる曲そのものがなかったりとか、電話とプレイヤーが一緒になっていると、電話がかかってくると音楽を止めなきゃいけないからっていうのもあるんじゃないかな。「音楽を止めないで」って言っているのにさ(笑)。

T:そうそう。それはありますね。

砂原:あるでしょう? だから音楽プレイヤーは独立する必要性があると僕は思うんだよね。

友人にハイレゾでまた音楽に夢中になっている男がいて、それなりに魅力はあるんじゃないの。

砂原:ハイレゾ自体はそうなんだけど、なんでそこで止まるんだってね。

T:結局はヘッドフォンを売るためとか、そういうところに着地しているような気がしてて。

砂原:カルチャーを守ろうとか育てるっていう気があまりなくて、「とりあえずお金になるものはなんだ?」ってところしか考えていない感じがしちゃう。音が良いことだけで満足できるひともいるとは思うんだけどね。

T:自分のインタヴューでも言うんですけど、「最近は音楽そのものがカッコいいと思われていないんじゃないか?」説というものがあって。最近、マネージャーと〈トリロジー・テープス〉の話しをしていて、あれを聴いてカッコいいって話せるひとが国内に数百人くらいしかいない。「これをどうすればいいんだ!」っていう話になっても、「どうすることもできないよね」ってなるんです。そもそも「CDを出しました、買ってください」ってところを、昔に比べたら聴いているひとの10分の1くらいしか音楽をカッコいいと思っていないんじゃないかなって。

砂原:テレビを見ているとさ、これから音楽が流行りますってなってCDプレイヤーが出てきて、芸人が「えっ! いまどき!?」って言うシーンを何回も見てるよ。だから一般的な考えだと、CD買ったり、CDプレイヤーを持っていることって「いまどきそんなことあんの?」みたいなことなんだよ。

T:電車で隣のひととかを見ていても、携帯でYouTubeを開いて曲を聴いてる、みたいな。

それはホントに多いよね。ほとんどスマホでYouTubeで音楽聴いているよね。

T:それが悪いこととは言えないんですけど。でも昔みたいに、ウォークマンでカセットのミックスを聴いてる俺ってもうないわけで。それはどうにかならないのかってよく思うんですけどね。

砂原:YouTubeが潰れるだけで、状況は随分と変わると思うけどね。

T:YouTubeが潰れても状況は変わらないんじゃないですか?

砂原:いや、変わってくると思うね。YouTubeに情報が一極集中で蓄えられているのが僕は問題だとおもうんだよね。だから、それが分散していけば違ってくるんじゃないかな。投稿系はここで、聴く用の音楽はここ、みたいにね。でも、YouTubeがどういうものかよくわからないからね。日本のものでもないし。

トーフビーツの場合は、そこでネガティヴなことも言っているけど……

T:恩恵も超受けている世代でもあるんですよね。

砂原:もしYouTubeに違法アップロードがなくなったとしても、プロモーション的なことはそこでやるわけじゃん? そういう合法のものもあるわけで、それはこっちが認証するかしないかの話だから、それはそれでいいと思う。でも買ったCDを違法に拡散する権利を俺は獲得したと思っているひとがいるけども。

T:そのおかげで、僕たちが中高時代の音楽を聴けた側面も無視はできないというか。

砂原:それを言ったら、レコード時代からカセットのコピーとかはあったし。レンタル・レコード屋で堂々とカセットが売られていたりとか。そういうことは昔からある程度あったからね。みんながそうなったっていうのが問題なんだよね。

T:結局、それが普通になっちゃって、たまに大学生に会うんですけど、CDを買ったことがないっていうレベルのひともいるんですよ。CDドライヴがついていないパソコンもありますからね。

砂原:俺がいま高校生だったらCDとか絶対に買わないと思うよ。

T:でも、データも(高校生にとっては)クレジットカードがないから買えないしっていう話なんですよね。そうなるともう八方塞がりで。

砂原:なるほどね。カードがなきゃ買えないか。

T:母校の高校生に話を聞いたら、みんなPCでDJをはじめているんですよ。オートでピッチを合わせてくれるやるです。「曲はどうしてるの?」って聞くと「サウンドクラウドで落としてます」みたいな。どうしよう?ですよね(笑)。何もかける言葉がない、みたいな。

トーフビーツはインターネットの恩恵を授かりながら、アナログ盤も必ず出すじゃない? ホント引き裂かれているっていうか。

T:それはアナログを自分が買うからなんですけどね。

トーフのアナログ盤って売れているんだよね。CDもちゃんと売ってるでしょう。

T:でも、絶対的な量でいうと、1万って大学のひと学年より少ないわけですから。

まぁ、いまの時代を考えると、それだけでもね。

T:普通に考えて、1万売れたら僕らも「おー!」ってテンションが上がるんですけど、俺の母校のひとたち全員にCDが売れたらオリコンでデイリー1位だって思う虚無感というか。幕張メッセでフェスをやってて、ここにいるひとたち全員がCDを買ったらオリコンで絶対に1位って思う、あの感じが……。

砂原:いや、そう考えると1万なんて規模はすごく小さいよ。業界はそれに馴れちゃって、「1万、うぉー! やったー!」って感じかもしれないけど、冷静にみたら全然そうじゃないからね。

T:フェスもいいんですけど、「CDは買わなくて4千円のTシャツを買って帰るって、なんなんだそれ!?」って。

砂原:ハハハハ。

T:この状況はほんとにどうしよう?って思います。自分がそう思ってても、そうじゃないひとが大半だとしたら、俺にはこれはどうすることもできんと。でも「どうにかなるんやったら、一応ここにおったらおもろいかな」みたいな。この状況がどうなるか見てみたいなと。

砂原:昔は音楽を楽しもうと思ったら受け手に回ろうと思うことが多かったんだけど……

T:いまはみんなやり出すんですよね。

砂原:そう。やるってこと自体が音楽を楽しむ形に変わってきている。だから、電子楽器とかはそれなりに売れていると思うんだよね。

T:だから高校生のDJがめっちゃ増えているんですよ。

砂原:パソコンに何かをくっつける形で何かとりあえずはできるじゃない? そう考えると、受け手になるよりも送り手になって楽しもうってひとが多くて。たとえば、20人、30人のサークルみたいなものが星のように日本中にあってさ、定期的にイベントをやったりして。そこから爆発的に広がっていくことは稀だと思うけど、そういうものが点在していて音楽自体の勢いは、そういうところに担保されていると僕は思うんだよね。

T:楽器メーカーの調子がいいみたいな話ですよね?

砂原:だから消費していくという形だけじゃくて、消費しながらも送り手に回るっていうそういう状況に変わってきている感じがするかなって。

T:でも、純粋に音楽ファンとしてインストラクターと生徒だけみたいになるのって気持ち悪いなって気もするんですよね。

砂原:それはわかるね。

T:いま、DJスクールってむちゃくちゃあるんですよね。道玄坂にも大きいのができて。

砂原:学校を批判するわけじゃないけど、DJスクールって何を教えてくれるの?

T:知らないですよ、そんなの(笑)。言い方が悪いですけど、DJなんて30分あれば仕組みなんて全部わかるんですから。あとはそれをどうするかって話じゃないですか? ギターとかと全然違いますよ。

砂原:それこそ寺とかに3日くらい入って、最初の30分だけDJのインストラクションをしてあとは座禅でも組んで叩かれたりした方が、よっぽどいいDJができそうだよね(笑)。

T:座学みたいな話ですからね。

砂原:でさぁ、いろんなひとがいるんだけれども、たまにそういう若い子と接して「何かやってみなよ!」って言っても何をやっていいのかわからない。でも、何をどうやるかっていうことはみんなわかっている。この状況は異常だなって僕は思うんだよね。

T:最近よく言うんですけど、DTMをやっているひとは多いと。ただ、面白くないひともいると。

砂原:面白くないひとのほうが多いよ。好みは増えたよね。

T:でも、その溝は何なんだって話をみんなでしてたんです。たとえば素人とひとが、プロの描いた丸と素人が描いた丸を見分けられんのか、みたいな話で。僕らもDTMで作っている。それで若い子も作っていると。その間の違いを売上っていう意味でもそこまでちゃんと説明できていないし。

砂原:それはでも、説明できるものであったらつまらないと思うね。

T:でもそれで結局、「打ち込みってあんまりうまくないひとが多いんだ」ってイメージがついていって、「打ち込みとかダサくね?」みたいになったら大丈夫かよって思います。いまって音楽のほとんどが打ち込みですからね。いまのアイドルとかもそうですけど、よくわからないアイドルがいっぱい出てきて、良いアイドルもいるけど、「アイドルってつまんなくね?」ってあるけど、打ち込みがそうならないのかっていう。

砂原:わかる。たまにYouTubeとかに自分で作りましたってやつが上がってて、ヒドいのがあるときはあるよね。

T:あとはそれっぽいだけとか。上手いけど毒がないというか。

砂原:要するに手法だけを知っていてコアがないというか。

T:自分でお金を使って音楽を聴いていない、つまりギャンブルをして対価を得ていないから、そりゃそうだろって気もするんですよね。痛い目をみないと覚えないじゃないですか? だからネットで流行っぽいものを聴いて、それを作る方法を自分で調べて、それっぽいモノを作って俺に送ってくれたりするんですけけど「うーん」って思うんです。だけど、サークルでそうやってみんなで楽しいってなったら……。

砂原:わかるわかる。だから、それのことも言ってるんだよね。

T:だから自分が音楽をやるんだったら、説明をちゃんとしなきゃダメだ、みたいな。だからアナログを切ることもしないといけないわけです。それでも、わかってくれるひとはちょっとだろうって気持ちはあるというか。

砂原:若い子の方がそういう危機感はあるのかもね。

T:同世代に対しては余計ありますね。「コイツら、何も考えてないんだな」というか。

砂原:ちょっと、ソニーの会社にきてその話をみんなにこれからしてあげようよ。

ハハハハ。

T:そういうことを言ってたら、ソニーから3年くらい前にパーンってされて(笑)。「iTuneやりましょうよ!」、パーンッみたいな。

砂原:それでやってんじゃん、みたいなね。

T:あとあとね。あのときはスゲえ笑いましたよ。だからそのときはアグリゲーターと個人で契約して、僕はiTunesでシングルを出しました。そういう感じでやってましたね。

砂原:そういえば、ミュージック・アンリミテッドがなくなったんだよね? スポティファイに変わるんだっけ。あれは合併なの? 名前は消えるんだよね? それって吸収されたってことじゃないの(笑)?

T:まぁ、スポティファイの方がブランドは強いですよね。

砂原:データとして、いままでアナログやCDでできていたことがある程度は仮想現実として確立すれば、音楽産業にお金が入ってきて自分たちのやりたいことができると僕は思うんだよね。世界中のいろんな事情が関係あるからさ、どっちにいくかはわからないけど。最近、アナログが爆発的に売れてって言うひとがいるけど、あれは勘違いだから。

T:「爆発的」ではないですよね。

砂原:それこそスカイマークの株とかでもいいんだけどさ(笑)。

T:ハハハハ!

砂原:株を持ちまくったらちょっと上がるから。どんなもので落ちるときは大体落ちて、またちょっと上がるって感じだよね。だから、そのちょっと上がっているところを指して「去年の20倍」っていうのは、去年がすごく落ちていただけじゃんっていう。

でも、実際に工場にプレスを頼むと予約がいっぱいなんだよ。

T:まぁ、それは工場が減ったというのもありますからね。

UKとUSは事情が全然違っていて、ヨーロッパはどっちかっていうと昔のリイシュー版をアナログ180グラムで出すっていうのがメインなんだけど、USはトーフビーツじゃないけど、ネットの洗礼を世界でいち早く浴びている国なんだよね。最初にタワーレコードがなくなって、作品では稼げないかもという瀬戸際でやっている国だから、インディ・シーンにとってのアナログ盤、カセットテープは、ちょっと切実な問題かもね。

T:USとかってインディはフィジカルでちょろっと100、100くらいで出して、あとはデータで売ってツアーで回るって感じですよね。

砂原:「100、100」っていうのは100枚ずつ出すってこと?

T:そうですね。カセット100本、7インチ100枚とか作って。

砂原:100枚じゃねぇ……。

ちょっと話題になっている人でも、まあ、500枚限定から、いっても1000枚とかね。とにかく、音楽を取り巻くシーンは、こうやって変化しているわけですよ。

砂原:でも起こっていることは大体わかっているというか。気にはしていることだけどね。もし自分にたくさんのお金と決定権があったら、統一規格を作りたいなと。そうしたほうが、一番音楽って変わるんじゃないかなって僕は思うんだよね。

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すごいモノを作っているやつに「何を聴いてきたの?」って聞いて「いや、何も聴いてない」って答えられるのが一番恐いていうか、「うわぁ、お前すげえ!」って。──砂原良徳
でも、インターネットをやっていてわかったのは、何かしらをやっていたやつからじゃないと、結局は何も出てこないってことなんですよ。──トーフビーツ


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PC一台で音楽が作れて、発表の場もあって、それは、民主主義的には良いとするじゃない? もうひとつ問題提起すると、インターネット時代の作り手の多くが、歴史から切り離されているってことだよね。まりんやトーフビーツにはバックボーンがあるけど、歴史なんてそんな重たいモノ、必要ないじゃんっていう考え方もあるし……

砂原:俺はそのなかからとんでもないものが出てくる可能性ってかなり高いと思っているけど。

それはたしかにあるんだよ。

砂原:それが一番恐ろしいというか、すごいところっていうか。

さっき言ったペーパーウェイヴやシーパンクみたいなものって、ひょっとしたら彼らにはある程度の知識はあるんだろうけど。

T:彼らはどっちかって言うと、歴史参照派ですよ。

砂原:すごいモノを作っているやつに「何を聴いてきたの?」って聞いて「いや、何も聴いてない」って答えられるのが一番恐いていうか、「うわぁ、お前すげえ!」って。

T:でも、インターネットをやっていてわかったのは、何かしらをやっていたやつからじゃないと、結局は何も出てこないってことなんですよ。

砂原:なるほどね。

T:これが逆に言うとよくわかるというのがあって。今回のリミックスにまりんさんを呼んで、僕の友だちもたくさん入れたのは、言い方は悪いですけど、僕の友だちはプロの仕事を全然見たことがないから、自分と同じレベルの素材をもらってどうなるかっていうのを、見てほしかったっていうのもあるんですよね。

あー、そこには熟練や経験も必要だと。

T:自分がメジャーにいって、マスタリングをひとにやってもらったりとか、そういうことの機会さえ普通のひとには与えられていないわけですよ。今回のまりんさんの納品のされ方とかも、「ちゃんとこのビット・レートで長さはこのくらいで納品してくださっていますよ」とか、「原曲のパラデータをちゃんと歌以外のところも使っていますよ」とか。そういうのって勉強というよりも経験と自分が習得した技術の上にしか絶対に築けないんですよ。突然の天才も出てくるんですけど、そいつも見ず知らずにうちにやっているから、意識して勉強しないで出てくるって話で。

砂原:そうだね。

T:その手の知り合いが長野にひとりいるんですけど、結局は見ず知らずのうちに勉強していたってことなんですよ。してないって思っていただけで。昔みたいに、勉強のためにスタジオに入るような端から見て明らかに歴史を勉強したっていうのがないだけで、逆に家にいながらもトップクラスの勉強ができる時代にはなってきているんですよね。

砂原:それはそれでいいよね。

T:だから、僕らも早い段階でDTMをはじめられたと思うんですけど。

砂原:昔ははじめるとなったら一大決心というか。出家に近い感じだったからね(笑)。

T:何十万とか、何百万の世界ですもんね。DTMがギターみたいになればいいって思ったりもするんですよね。

砂原:昔は僕がテクノをやろうと思ったら、ドラムマシンを買って、シーケンサーを買って、シンセサイザーを買って、MTRを買ってってさ、一通りやろうと思ったら最低でも5、60万はかかっちゃうわけ。でもギターのやつは5万円で済むわけ(笑)。ギターはスタジオに抱えて来れるじゃん? 俺なんか父ちゃんにお願いして、車で運んでもらって機材を一緒にセッティングしてってすげえ大変だったんだよ(笑)。昔はホントに大変だったけど、いまは逆に一番楽になっちゃっているもんな。

T:そうですね。

砂原:USBだけもってきましたとかさ。

T:ライヴとかでは、僕はラップトップだけなんですけど、家で作るときはどうしてもそれがいやで。ハードを使いたくて、使いたくて、みたいなのがすごくありました。僕の周りで一緒にやっているひとはけっこうお金をハードに使ってますね。逆にみんなパソコンだけの音だから、それだけでやっていても面白くないというか、ベッタリしちゃうから。ハードを買うくらいの努力はしなきゃ無理っていうか。

砂原:買えば全てを解決できるとは言わないけど、でもやっぱりそこにはそういう差がある程度は存在するよね。

T:そうそう。めちゃくちゃあればいいってわけでもないですけど、必要なものは必要だなと。

砂原:ただ僕は、それなりの時間を使って、すごく高い機材を使ったりとか、すごく高いスタジオを使ったりしてきたけど、たまにインターフェイスとパソコンだけですごい音が良いひととかいて、そのときは「うわぁ、恥ずかしいな、俺」って思うね(笑)。これを使えば間違いなく音がよくなるって機材はいまもあるんだけど、僕はそういうのを安易に採用しないようにしているんだよね。やっぱり、同じ土俵で戦いたいというのが自分のなかであって。にしてもお金は使わなきゃだめだけどね。

T:そんなことを言ったらプラグインだってそうじゃないですか? パソコンだけでやるひともプラグインに金を使っているかもしれないし。

砂原:昔はプラグインもすごく高かったんだよ。

T:って言いますよね。僕が高校のときと比べても、いまは当時の半分以下というかね。

砂原:いや、4分の1くらいじゃない?

T:僕は高校生のときにアカデミック版のエイブルトンを買ったんだけど、それでも8万円とかして、「学生じゃ買えねえよ!」ってなったのを憶えてますもん。

砂原:プラグインを買うにしても、WAVESに何十万と使ってたよ。

T:WAVESは良いやつだといまでも40万くらいはしますよ。でも年に1回くらいは安くなったりするっていう。あれ、すげえ腹立つんですよね(笑)。

砂原:腹立つよね(笑)。でも、昔は売れたらお金が入るからさ、たとえば、ファッション、映像、文学の世界のひとたちが音楽の世界に入ってくるんだよね。だから違うジャンルの融合みたいなものが盛んにあったような気がするんだけど。そういうのが一時よりは減っている感じがするね。

T:てか、いまは全員がお金がないっていう。ファッションも映像もデザインもないし。

 

※以下、続編&ele-king vol.16(3月30日発売)に続く……。

Eccy - ele-king

どもです!エクシーです。

2月も半ばになりましたが、2014年のアルバムチャートを発表したいと思いますー!!

今年はCandleさんとFollow The White Rabbitというヒップホップユニットを組んだので、アルバム出します。その他もまだ発表出来ないプロジェクトなどもあるので、お楽しみに!

10 Best Albums Of 2014

愛国と狂気を見つめる - ele-king

アメリカン・スナイパー
監督 / クリント・イーストウッド
出演 / ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー 他
配給 / ワーナー・ブラザース映画
2014年 アメリカ
©2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
2月21日(土)より、全国公開。

 『アメリカン・スナイパー』劇中、ある海兵の葬儀の場面では弔砲が鳴らされ、トランペットの高らかで悲壮な演奏が響く……日本に住んでいる僕たちでも、この儀式は知っている。なぜならば、何度もその場面をアメリカ映画のなかで目撃してきたからだ。そう、何度も何度も……そこで広がっていくアメリカ映画的としか言いようのない叙情。だけど僕たちは、どうして繰り返し兵隊たちの死を見届けているのだろう?

 イラク戦争で160人を射殺したクリス・カイルを取り上げ、予想を遥かに上回る大ヒットとなっているイーストウッドの新作は、「殺戮者を英雄視する、コンサバティヴな映画」との批判も受けつつ、まさにいまもっともコントラバーシャルな一本としてアメリカを揺らしている。立場的には共和党支持者である(実際は中道に近いとも言われるが)イーストウッドへの色眼鏡もあるのだろう、とくにリベラルを自認するメディアからは疑問の声も多い。オバマ政権の行き詰まりに際して、ブッシュ政権時の「英雄」を浮上させる試みなのではないか、と。
 しかし、たとえばキャスリン・ビグロー『ハート・ロッカー』(2008)を「戦意昂揚映画だ」とするひとがいたときも、自分にはどうも、そんなふうには思えなかった。戦時下のイラクの張り詰める死の匂いのなか、地雷処理という命懸けの作業に向かって行くジェレミー・レナーは大義もないままただ「処理」としての戦争に向かいつづけるアメリカの呪われた姿の化身にしか見えなかったのである。たしかにそこに立ち向かっていく兵士たちは勇壮にも見える。が、イラク戦争においてはそれがいったい何のための勇ましさか見えなくなっていたのは誰もが多かれ少なかれ気づいていたことで、だからそこには剥き出しの映画的反復のみが残っていたのだろう。『アメリカン・スナイパー』のブラッドリー・クーパーも自宅とイラクの戦場を往復するなかで壊れていくが、それでも戦地で遥か彼方の敵に銃を向ける。そうしないと生きる理由を見失う、とでも言うかのように。
 だからこれはイーストウッドが繰り返し描いてきた、トラウマを抱えた男の物語であるだろう。そしてその傷痕は、紛れもなくアメリカの歪みが生んだものである。『ミスティック・リバー』(2003)の頃には「良心的な」アメリカのリベラルたちは「この国にいるのが恥ずかしい」と言っていた。だが、ラストで償いようのない罪を背負うことになるショーン・ペンを思い返すとき、そこに横たわっていたのはイーストウッドからの「それを負え」という重々しい念のようなものだった……かつてひとを殺しまくっていたダーティハリーだけがあのとき、そのことを告げていたのだ。

 『世界にひとつのプレイブック』(2012)でも怒りをコントロールできなくなったブラッドリー・クーパーは、ここでは「レジェンド」と讃えられるいっぽうで精神に混乱をきたし、父であることも剥奪されている。強い父になることがアメリカのかつての理想だったとして、太平洋戦争における『父親たちの星条旗(Flags of Our Fathers)』(2006)、すなわち「父たちのアメリカ」と、イラク戦争における「アメリカの狙撃手」であることには大きな隔たりがあるようなのだ。彼を所有するのはあくまで国家であり、個人であることは後回しにされている。イーストウッドはこれまでも――とくに21世紀の作品において――二分される政治的立場を超える倫理的葛藤を問いつづけてきたが、舞台がイラクであることで、フィルム自体が混乱しているようにも見える。クリス・カイルは英雄か被害者か? ではなく、同時にそのどちらでもあることが起こってしまっている。
 映画ではクリス・カイルが志願したきっかけはテロのニュースを見たからだとされているが、そこで「国のために」と迷いなく宣言する姿を理解することが僕にはできない。しかし理屈ではない何か強烈にエモーショナルな迸りがそこにはあり、だとすれば、それは「政治的立場」なんてものよりも遥かに恐ろしいもののように思える。愛国という狂気の下で、クリス・カイルは英雄の自分と被害者の自分に引き裂かれていった。ただそのことが痛切だ。

フォックスキャッチャー
監督 / ベネット・ミラー
出演 / スティーヴ・カレル、チャニング・テイタム、マーク・ラファロ 他
配給 / ロングライド
2014年 アメリカ
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2月14日(土)より、全国公開。

 ベネット・ミラー『フォックスキャッチャー』もそのような愛国の下で熟成される狂気を見つめる一本である。映画は財閥の御曹司がレスリングの金メダリストを殺害するまでを張り詰めた空気で映し出すが、スティーヴ・カレル演じる御曹司ジョン・デュポンは経済力によってチャニング・テイタム扮するレスリング選手の疑似的な父親になろうと試みているように見えなくもない。が、それはけっして達成されないまま、関与した人間たちの運命をひたすら狂わせていくことになる。
 それはデュポン自身の内面の問題であったからなのか、母親との確執のせいだったか映画では明示されないが、しかし「強いアメリカ」を標榜する彼の目は宙を泳いでいるようだ。それが「ありもしないもの」だったことが証明されたのがこの四半世紀ないしは半世紀だったとして(映画の舞台は30年前)……しかし彼らはなおも、諦められないのだろうか? 映画はそして、「USA!」の大歓声で幕を閉じる。

 愛国心にまつわる問題をアメリカ映画や、あるいはスプリングスティーンの作品などに見出してきたとき、ヘヴィなものだと認識はしつつもそれでも「よそのこと」だと感じていたのだと僕はいま認めざるを得ない。なぜなら、ここに来て日本に住む人間にとってもそれが急激に生々しいものとして立ち上がってきているからだ。「強い国家」「美しい国」が幻であると、うすうすそのことに気づいていたとしても、熱狂は止められないのだろうか? だとすれば、それはいったいどこに向かっているのだろうか?

 『アメリカン・スナイパー』のエンド・クレジット、そこで流れる映像にはただうなだれるしかなかった。それはたぶん、これからもその場面を繰り返し見なければならないという予感が的中しているからだろう。

『アメリカン・スナイパー』予告編

『フォックスキャッチャー』予告編

Carlton and the Shoes - ele-king

 恋したときの気持ちというのは、悲しいかな、時間とともに薄まり、そして忘れていくものである。理屈でわかっていても、それが性の衝動と結びついている以上、動物としてやむを得ないのかもしれない。しかし、カールトン・アンド・ザ・シューズを知っている私たちは、恋したときの気持ちを何度でも思い出すことができる。私たちは生きている限り、“ラヴ・ミー・フォーエヴァー”や“ギヴ・ミー・リトル・モア”を何度でも繰り返し聴くだろう。
 ジャマイカが生んだ伝説的なロックステディ・グループ、カールトン・アンド・ザ・シューズが来日する。すでに涙ぐんでいる人もいるのではないだろうか……来日を記念して、7インチ・シングルもリリースされる。

 以下、OVERHEATから告知文です。

 1992年に開催された”Rock Steady Night”でGladstone” Gladdy” Andersonらと初来日し、SKA、Rock Steady、Reggaeファンを驚喜させたCarlton and the Shoes(カールトン・アンド・ザ・シューズ)が帰ってくる!!!

 1966年から1968年のジャマイカでは、それまでのSKAに変わりRock Steady(ロック・ステディ)が大流行。その中でもRock Steadyを代表する最高峰のコーラス・グループと言えばCarlton and the Shoesをおいて右に出るものはいない。しかし、当時(76年)わずかたった1枚のアルバム『LOVE ME FOREVER』をCoxsone Doddのレーベル、Studio One(ジャマイカのモータウンと言われる)からリリースしただけであったが、その高い評価は今でも同じである。こうしてジャマイカ音楽の発展に多きな影響を与えた1stアルバムはクラッシックと呼ばれ、その作曲センスと絶妙なハーモニー・ワークは唯一無二、その後にリリースされた2ndアルバム『THIS HEART OF MINE』(Quality)の発売は82年である。
 そのアルバムは日本でもフィッシュマンズの曲「ランニングマン」にも影響を与え、クレモンティーヌが「Give Me Little More」をカヴァーしたり、最近ではCHAN-MIKAも同曲をカバーしたりというように何度も再発やカバーが繰り返されている超名盤である。
 そして昨年(2014年)は精力的にLAやシエラネバダ・ワールドミュージック・フェスへの出演を果たしている。

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〈ツアー日程〉
4月23日(木) 名古屋 クラブクアトロ(Tel:052-264-8211) /
ADV ¥4,500 DOOR ¥5,500
4月24日(金) 代官山 UNIT(Tel:03-5459-8630) /
ADV ¥4,500 DOOR ¥5,500
他、追加予定あり
チケット:2月28日 各プレイガイドにて発売予定
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■来日記念盤として7インチ・シングルも発売!!

発売日:2月20日 1,200円(税別)OVE-7-0123
Side A : You(Part1) / Carlton and The Shoes
Side B : Wanna Be Free / Carlton and The Shoes

 『LOVE ME FOREVER』(Studio One)をリリースした後、『THIS HEART OF MINE』をQualityからリリース。どちらも再発され続けているのはご存知の通り。ジャマイカン・アーティストの中でもオリジナルな曲センスとコーラス・ワークには世界中のマニアが一目置くところ。 昨年のLA公演も話題となっている彼らの来日にも期待がかかるが、今回は90年代の音源から選曲されたRock SteadyとSKAがカップリングされた良質な7インチ発売です。

Side A : You(Part1) / Carlton and The Shoes
『THIS HEART OF MINE』に続き95年、OVERHEATからリリースされたアルバム『Sweet Feeling』収録の純甘Rock Steady曲。 エレキ・ドラムにうねるベース、ジャマイカのゲットーを思わせる重いスリリングなリズムに極上のハーモニー。Rock Steadyに似合うのはやはりLove Songだと確信させられる曲。

Side B : Wanna Be Free / Carlton and The Shoes
ディーン・フレイザーとヴィン・ゴードンのホーンで始まる軽快なスカ・チューン。
2002年にOVERHEATからリリースされたアルバム『Music For Lovers』に収録されていた曲。カールトンの脱力ヴォーカルにからむコーラスとホーン・セクションに加え、ピアノの裏打ちはメロウ・キーボーディストことロビー・リンである。


 1月末、NYでは「史上最大の暴風雪に見舞われる」との警報があり、住民をあたふたさせた。地下鉄などの交通機関が止まり、食料調達も十分(スーパーマーケットに入るのに長い行列!)「危険なので、家にから出ないように」など住民に呼びかけ、万全で暴風雪に備えた。が、結局、史上最大ではなく、よくある雪の1日で終わった。
 みんなが悶々していた暴風雪警報が出た月曜日の夜、ほとんどのショーがキャンセルの中で、勇敢にもショーを行ったのがゾラ・ジーサス(https://www.zolajesus.com)だ。予定より早めに行われたショーの途中で、彼女は「ついてきて」、トロンボーン・プレイヤーを率い会場の外に出て、1曲「Nail」をアカペラで歌いだすなど、雪ならではのパフォーマンスを披露した。車も通らない、ガランとした雪のストリートにこだまする彼女の声と、それをあたたかく見守るオーディンス。大停電や台風の時といい、ニューヨーカーは災難時でも、エンターテインメントの心を忘れない。因みに、彼女はウィスコンシン出身、雪には慣れたものだったのかもしれない。
https://www.brooklynvegan.com/archives/2015/01/zola_jesus_perf.html



 暴風雪騒ぎから1週間経った今日2月2日も雪は降っていて、外はマイナス10度の世界。雪が降ろうが槍が降ろうがイベントは普通にある。昨日2月1日はスーパーボウル、フットボールの決勝戦。個人的に興味ないが、周りが盛り上がっているので、いやでも目に入ってくる。行き着けのバーに行くと、この日だけは大きいスクリーンを出し、みんなが大画面でスーパーボウルを鑑賞している。お客さんはもちろん、店員も仕事そっちのけで画面を熱く見守っている。点を入れなくても、何か好プレイ珍プレイをするたびに、「おーー!!!」や「ノーーー!!」や、「ぎゃーーー」などの奇声が飛び交うので、ドリンクもうかうかオーダー出来ない。一緒に行った友だちは、接戦の最後の5分は「もう心配で心配でしかたない!!!」と、私の手をぎゅっと握り、自分の事のようにハラハラドキドキしていた。
 結果、ニューイングランドのペイトリオッツが勝利(10年ぶり)。ルールがわからない著者にも、周りの気迫で好ゲームだったことが伝わってくる。
 スーパーボウルで注目されるのは、ハーフ・タイムショー。過去に、マドンナ(w/M.I.A.,ニッキー・ミナージュ)、ビヨンセ(w/ディスティニー・チャイルド)、ブルノ・マーズ(w/レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)などが出演しているが、今年はケイティ・ペリーとレニー・クラヴィッツ、ミッシー・エリオット。旬なのか、古いのかわからないラインナップだった。
 そういえば、テロリスト(?)に揺すられ、公開中止になりかけた、問題の映画『インタビュー』のなかで、主役のセス・ローガン(役名アラン)が、北朝鮮の最高指導者の金正恩の戦車に乗った時に、流れてきた曲を聴いて一言「あんた、ケイティ・ペリー聞いてるの?」。著者は、それで初めてケイティ・ペリーを知った。それだけ、彼女が「いま」の大衆音楽を表している。ハーフタイム・ショーの彼女も見事だった。レニー・クラヴィッツもミッシー・エリオットも貫禄抜群だったが、今年の顔はケイティ・ペリーで万場一致。

 ケイティ・ペリーは、メイクやポップなファッションが特徴で、一見今の時代どこにでもいるような女の子。歌がこの上なくうまいとか、ダンスが飛び抜けて上手とかではなく、格好を付けようとせず、素で勝負しているところが、同世代からの共感をかっているのだろう。下積みも長く、所詮ポップスなのだから流通しないと意味がないと、堂に入ったあきらめ感もあるし、彼女のキャラクターや世界観は、見る人を素直にハッピーにさせてくれる。プライヴェートもさらけ出し、ポップスターにも悩みはあるのよと、オーディエンスに近い感覚が現代のスーパースターのあり方なのだ。
 楽曲も親しみやすく耳に残り、カラオケに行ったらみんながシンガロングで歌いたくなるつぼを抑えている。ハーフタイムショーの1曲目に演奏した「ロアー」は聴いているとヴォリュームを上げたくなってしまう。映画で流れた「ファイア・ワークス」も、ヘリコプターを爆破するシーンに使われたが、周りの雰囲気を壊すことなく、シーンにぴったりとはまっていた。実際、彼女の曲は人の生活のなかに入って来ても邪魔しない。そこが現代的で彼女が支持されている理由なのだろう。

 ファイア・ワークスと言えば、スーパーボウルの1日前の1月31日に、ウィリアムスバーグの北の川沿いで大規模な火災があった。N11とケントアベニューの4F建ての貯蔵施設シティ・ストレッジから発炎し、200人以上の消防士が出動し、寒い中消火にあたった(制服に氷柱がしたたっていた)。一駅離れた著者の家の周りさえも灰が飛んできたり、こげた臭いが充満し、窓を開けることが出来ない。周辺の住人お店やレストランは、避難したり休店したり、暴風雪よりも大きい被害を被っている。完全鎮火には1週間ほどかかる見込みだそうだ。ドミノ・シュガー・ビルディングなど周辺ビル/コンドミニアムの契約書類が保管されていたのだが、無残にも焼かれてしまった。ここは、デス・バイ・オーディオやグラスランズなどの音楽会場を閉店に追いやった、ヴァイス・オフィスの真近くでもある。実はあまり報道されていないが同じ頃、グリーン・ポイントでも火災があったのだが、このふたつの火災の関係は? ウィリアムバーグの家賃高騰に対する嫌がらせだと言う噂も飛び交っているのだけれど……。

 スーパーボウルの日、誰もが家でピザやバッファローウィングを食べながらテレビを見ると思われたが、著者がスタジオをシェアしているバンドは「今日ショーがあるんだ」と雪のなか揚々と出て行った。雪+スーパーボウルという悪条件で「人は来るの~?」と思われたが、「友だちがたくさん来てくれた」とご機嫌に話してくれた。彼らは20代前半で、「スーパーボウルなんて、ピザしか食べない年寄りの見る物」と思っているらしい。
 彼らが演奏したのは、トラッシュ・バーという、ウィリアムスバーグの音楽会場。こちらも他の会場と同じく、リースが継続できず(家賃が4倍(!)になると言われたらしい)、3月の閉店が決まった。閉店後は、ブッシュウィックに移る予定らしいが、既にブッシュウィックはヒップスターの聖地、どうなることやら。
 また、元ウィリアムスバーグにあったガラパゴスという音楽会場は、ダンボで数年営業した後、来年ニューヨークを飛び出し、デトロイトに移ることを決めた。NYの小さなアパートメントと同じ値段で、デトロイトでは10,000スクエアフィートの湖つきの会場が手に入るらしい。ガラパゴスはウィリアムスバーグ時代は、ガラス張りの外から見える会場にある湖がトレードマークだった。ダンボに移った時点で、会場に湖なんて夢のまた夢と忘れられていたが、デトロイトで初心に戻るのだろう。ゴーストタウンと言われるデトロイトだが、そろそろ移住してもいいかもと思えるようになったのは新たな希望だ。アメリカの地方都市がこれからなるべき姿なのかもしれない。もちろんいまもNYは特別で、人が集まりたい場所であることは否定できない。が、ウィリアムスバーグの家賃問題は深刻極まりないし、火事も起こる(!)。地価問題と戦いながら、バンドは残されたところで演奏して行く。露出されなければ意味がないが、転がっているチャンスを、掴むことも可能な場所だから……。

スーパーボウル
https://www.nfl.com/superbowl/49
https://www.billboard.com/articles/events/super-bowl-2015/6458199/katy-perry-super-bowl-xlix-halftime-show-review

ウィリアムバーグの火事
https://bedfordandbowery.com/2015/01/photos-six-alarm-fire-on-williamsburg-waterfront/
https://bedfordandbowery.com/2015/02/photos-epic-warehouse-fire-enters-day-2-in-williamsburg/

トラッシュバー
https://www.thetrashbar.com

ガラパゴス
https://www.galapagosartspace.com

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