「You me」と一致するもの

Koji Nakamura+duenn+Takuro Okada - ele-king

 ナカコーと duenn が主催するプロジェクト《Hardcore Ambience CH.》の最新映像作品に、ゲストとして岡田拓郎が登場している。先日の GONNO × MASUMURA のライヴでもギターで参加し華を添えていた岡田だが、ナカコーと duenn のサウンドにマルチプレイヤーの彼が加わることで、いったいどんな化学反応が生まれるのか? ぜひ動画を観て確認してみてください。

ナカコーとduenn主催のアンビエントに特化したプロジェクト『Hardcore Ambience CH.』
今回はKoji Nakamura+ duenn + 岡田拓郎によるライブパフォーマンスを公開。

『Hardcore Ambience』は、“ナカコー”(Koji Nakamura, Nyantora, LAMA, exスーパーカー)と、福岡を拠点とするコンポーザー “duenn” によるライブや映像作品を展開するプロジェクト。
第5回となる今回は、ライブゲストに孤高の天才音楽家“岡田拓郎”を迎え、ナカコー・duennと共演する。岡田拓郎はバンド「森は生きている」で活動したのち、現在ソロ活動の他にもギタリスト, プロデューサー, ミキシング・エンジニアとしても活躍している。今回のライブでは岡田のマルチプレイヤーならではの特質的な演奏に、ナカコーのギターと、duennのシンセが加わり、どこか温かみと優しさが感じられる音楽映像作品に仕上がっている。

Hardcore Ambience CH.

■HARDCORE AMBIENCE #5-2【LIVE】-Koji Nakamura + duenn + Okada Takuro

■URL https://youtu.be/Bn13y3fHo_U

dip in the pool - ele-king

 近年ヴィジブル・クロークスとのコラボなどを機に再評価の高まっているdip in the pool。木村達司と甲田益也子から成るこのデュオが、なんと、ラリー・ハードをカヴァー。曲はミスター・フィンガーズ名義で89年にリリースされた“What About This Love”。10月20日に発売されるアルバム『8 red noW』に収録されます。
 また10月8日・11月13日・12月5日には東京・京都・札幌での公演も決定している。あわせてチェックしておこう。

interview with Jordan Rakei - ele-king

すでにハッピーな人をもっとハッピーにすることができる、そう信じているんだ。セラピーは何も、鬱や、PTSDといったものの治療ばかりとは限らない。あれは実は、この世界をもっとより客観的に眺めるのを助けてくれる、アメイジングな道具なんだよ。

 これまで3枚のアルバムをリリースし、新世代のシンガー・ソングライターとしてのポジションを確立させたジョーダン・ラカイ。もともとニュージーランド出身で、オーストラリアで活動基盤を築いた後にロンドンへ渡り、そこでトム・ミッシュロイル・カーナーアルファ・ミストリチャード・スペイヴンといった面々とコラボし、さらなる成功を収めていく。さらにはアメリカのコモンとも共演するなどワールドワイドに活躍の場を広げているジョーダンだが、そうした活動の華々しさに対して音楽そのものには非常に繊細で内省的な面がある。セカンド・アルバムの『ウォールフラワー』(2017年)がそうした一枚で、ネオ・ソウルの新星と持てはやされたファースト・アルバムの『クローク』(2016年)とは違う世界を見せてくれた。「AIシステムに立ち向かう人間の未来」を描いたサード・アルバムの『オリジン』(2019年)では、テクノロジーやネット社会が進化したゆえのディストピアへの警鐘を鳴らし、一方でディスコやAORテイストのダンサブルなサウンドも目立っていた。

 3枚のアルバムでそれぞれ異なる世界や音楽性を披露してきたジョーダンだが、ニュー・アルバムの『ワット・ウィ・コール・ライフ』もまた、いままでとは違う作品となっている。録音スタイルで見ると、いままではひとりでスタジオに入ってトラック制作をすることが多かったのだが、今作はすべてバンドとリハーサルしながら曲作りをおこなっている。そして、歌詞の世界を見ると実体験に基づくパーソナルな作品が多く、より深みとリアリティを増したものとなっている。結果として『ウォールフラワー』のように内省的でアコースティックな質感の楽曲が多いのだが、そこにはセラピーによって自己の振り返りをおこなったこと、ブラック・ライヴズ・マター運動を通じて自身のルーツに思いを馳せたこと、そしてコロナ禍での生活など、さまざまな経験が『ワット・ウィ・コール・ライフ』を作っている。音楽家としてはもちろん、ひとりの人間としてのジョーダン・ラカイの成長が『ワット・ウィ・コール・ライフ』にはあるのだ。

振り返ってみると、実は非常に多くのアドヴァンテージを与えられてきたじゃないか、と。単に自分の肌の色、そして自分のジェンダーのおかげでね。自分の特権を理解することを通じて、格差をもっと縮めようとし、できるだけ誰にとっても平等なフィールドをもたらしたい。

今日は、お時間いただきありがとうございます。

ジョーダン・ラカイ(Jordan Rakei、以下JR):いやいや、こちらこそ、取材してくれてありがとう!

いまはどんな感じですか?

JR:うん、アルバムが出たところでハッピーだし、エネルギーの波に乗ってる感じ(笑)。エキサイトしていて、アルバム・リリースのドーパミンが出てるよ。フフフフッ!

(笑)。近年のあなたを振り返ると、2019年にリリースしたサード・アルバムの『オリジン』のリリース後、日本公演も含むワールド・ツアーやアメリカの公共ラジオNPRがおこなうライヴ企画「タイニー・デスク・コンサート」への出演、『オリジン』を絶賛したコモンとの共演、別名義のハウス・プロジェクトであるダン・カイによるアルバム『スモール・モーメンツ』のリリース、コンピ・シリーズの『レイト・ナイト・テールズ』や〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトである『ブルーノート・リ:イマジンド 2020』への参加など、忙しい活動が続いていました。

JR:うんうん。

そうした中でコロナ禍があり、以前とは日常生活や社会、そして音楽業界も変化してきていると思います。あなた自身や周りではいろいろ変化はありましたか?

JR:いい質問だね。うん、あれで僕は……コロナが(昨年春)ロンドンに広まったとき、あそこから確か、僕たちは4ヶ月近くロックダウン状態に入ったんだ。で、あの状況のおかげで僕は、自分に音楽があるってことをありがたく思うようになったね。音楽は僕にとってホビーであり、と同時に自分のキャリアでもある。もちろん、自分の家にこもってばかりいたから、ロックダウン期はやっぱりとても退屈ではあったんだ。ただ、僕はアルバムを作っていたし、サイド・プロジェクトとしてダン・カイ名義で『スモール・モーメンツ』を作ったり。だからあのロックダウン期間中の多くを、自己投資する時間を見出しながら過ごしていた、というのかな? これがパンデミック状況じゃなかったら、僕は大抵他の人びとの作品をプロデュースしたり、ツアーをやったり、他のアーティストのために曲を書いて過ごしているわけで、今回はほんと、自分自身にフォーカスできる滅多にない機会だった、みたいな。だからなんだ(笑)、ここしばらくとても生産的だったのは! コンピレーションをまとめることもできたし、〈ブルーノート〉のプロジェクトにも参加でき、『スモール・モーメンツ』に今回のアルバム、と。うん、ほんと創作にいそしんでいたなぁ自分、みたいな(笑)。そんなわけで音楽的な面で言えば、自分のために時間を割くことができるようになったのは本当に良かったし、一方でパーソナルな面では、些細なことにもっと感謝するようになった。たとえば友人に会う機会を以前より大事に思うようになったし、それだとかディナーで外食に出かけることとか。外食はいままで別に大したことないと思っていたんだけど、ロックダウン中はそうした機会はすべて僕たちから取り去られてしまったわけで。だからいまの自分は、人生全般に対してもっとありがたさを感じるようになった。

ニュー・アルバムの『ワット・ウィ・コール・ライフ』は、そうしたコロナ禍によって変わってしまった世界と結びつく部分はありますか?

JR:ああ、そうなんだろうね。今回のアルバムの響きには、もうちょっとこう、静観的というのか、内省的な要素がある。自分に言わせればよりダークというか、かなり楽しくダンスフロア向けだった『オリジン』に較べて、もう少しエモーショナルかつダークなんだよ。だから、そうした面は部分的にインパクトを受けたと思う。けれども、実際に僕がこのアルバムを作っていた間は、僕のスピリットそのものはかなりポジティヴだったんだ。先ほども話したように、ロックダウン中は時間をすべて自分のために使えたわけだし、アルバムを作ることに対して相当エキサイトしてもいた。だから、やや入り混じっているというのかな、アルバムには明るくポジティヴな面もあるし、一方でかなりダークな部分もある。僕自身としてはかなり良いミックスになったと思ってるよ。

『オリジン』のテーマには「AIシステムに立ち向かう人間の未来」があり、テクノロジーやネット社会が進化したがゆえのディストピアを描いていましたが、『ワット・ウィ・コール・ライフ』におけるテーマは何でしょうか?

JR:主たるテーマと言えば、心理セラピーを受けに行き、そこで自分が学んだ教訓すべて、だったね。自分の子供時代について、結婚したこと、オーストラリアからロンドンへの移住、自分の両親、そして兄弟との関係についてなどなど、セラピーを通じて学んだ教訓のすべて。というわけで基本的にアルバムの全体的なストーリーは僕が自分自身について学んだことだし、それらを聴き手とシェアしようとしている。だから歌詞の面での表現も、いわゆる内面で観念化したものより、もっとずっとパーソナルになっているっていう。

具体的にどのようなセラピーだったのですか? いわゆる「セラピストのもとに通い、寝椅子に横たわって過去を語る」というもの?

JR:(笑)その通り。そもそもは実験として、面白そうだからやってみよう、ということだったんだ。というのも、セラピーを受けた当時の自分はかなりハッピーな状態だったし、とにかくセラピストがどんなことをやるのか興味があった。自分はそういったことに詳しくなかったから、実際はどんなものなんだろう? と。そんなわけで、とてもオープン・マインドかつハッピーな状態でセラピーを受けにいったところ、セラピストの女性からあれこれ質問されていくうちに、この(苦笑)、自分の心の内側にフタをしてあった邪悪な部分みたいなものをいろいろ明かしている自分に気がついた、というか。

へえ、そうなんですか!

JR:うん、かなり驚異的な体験だった。セラピーの過程をナビゲートしていくのを手伝ってくれる、いわば第三者的な存在の人と一緒に自分自身の人生を振り返る、という行為は。そうだな、おかげで自分の子供時代にも戻ることになったし、学校で起こった様々な出来事だとか、もっと小さかった頃の兄弟との思い出なども出てきて……あれはかなりいろんなことを明かしてくれる体験だったし、僕はセラピーをみんなに勧めているんだ。そうは言っても、中には自らの過去に改めて深く潜っていくのがとても難しい、と感じる人も確実にいるだろうし、無理にではないよ。ただ、いま現在の自分を人間として理解するのに、セラピーは非常に役に立つと思う。

でも、あなたはセラピーを受けるには若過ぎじゃないかと思うんですが(笑)?

JR:ハハハハハッ!

実験や興味半分でやってみたとはいえ、普通セラピーと言えば、メンタル面で問題があるとか、「中年の危機」に際して受けるものではないかと?

JR:フフフッ! それは、僕がいわゆる「ポジティヴ・サイコロジー」というコンセプトを信じている、というところから来ている。どういうことかと言えば、メンタル・ヘルスの療法や心理学で用いられるツールを使い、悲しい状態からノーマルな状態に持っていくのではなく、通常の状態からハッピーな状態へ、そしてハッピーな状態からさらにハッピーな状態に人間を導いていく、というもので。だから僕はセラピーを利用することで、すでにハッピーな人をもっとハッピーにすることができる、そう信じているんだ。セラピーは何も、鬱や、PTSDといったものの治療ばかりとは限らない。あれは実は、この世界をもっとより客観的に眺めるのを助けてくれる、アメイジングな道具なんだよ。

そうやってセラピーを通じて子供の頃のこと、両親や兄弟との関係、ロンドンに移住して自立したこと、結婚生活について、両親の夫婦関係と自身の夫婦関係との比較や理解など、いろいろなことに考えを巡らせました。また、幼い頃からの鳥恐怖症や――

JR:うん、フフフッ!(苦笑)

その根源となる予測不可能なものに対する恐怖など、自身の内面にあった疑問がいろいろわかってきたと聞きます。恐れは克服できました?

JR:(うなずきながら)あれはおかしな話でね。僕のこれまでの人生ずっと、鳥は恐れる対象だった、みたいな。バカげた、根拠のない恐怖なんだよ。自分では説明がつくんだけど、ただ、いまだに鳥はおっかない。ほんとバカらしいよね、でも、なんとか克服しようとがんばっているところだよ。でまあ、僕が気づいたのは、鳥は……僕のいろんな恐れの中心めいた対象だったんだけど、いまやそれを、予測のつかないものに対して抱く恐れを象徴するものとして捉えている、みたいな? 僕はルーティンを守ったり、前もって計画を立てるのがかなり好きな方だし、けれどもたとえば、誰かに立ち向かうといった予測不可能な事柄、知らない人に面と向かうのは本当に怖い。それだとか社交面で感じる不安もあって、他の人びとと接して社交する状況にもビビる。そういったものはどうなるか予測できないし、何につけても、予測不可能なものには苦戦してしまうんだね。というのも……そうだなぁ、自分の中に何らかの反応が引き起こされてしまう、というか? セラピーに通って気づいたことのひとつも、僕はそういう体験には困難を感じるってことだったね。

ライヴ・パフォーマンスの場ではどうなんでしょう? あれも見知らぬ人が多く集まる、ある意味予測不可能な状況だと思うんですが。

JR:(笑)確かに。ただ、ライヴは対処できるんだ。おもしろいことに、僕はアガることがまったくなくてね。ステージに上がるのが怖いってことは一切ない。どうしてかと言えば、自分は本当にしっかり練習してきたし、リハーサルもよくやって、観客に向けて自分がどんなことをやりたいかきちっと把握している、という感覚があるからで。それに大抵は、観客もこちらのやることに拍手を送ってくれるわけで(笑)。ある意味、観客が喝采してくれ、僕が何か語りかけるとみんなが笑いを返してくれる、というのはある程度は予想可能だし、その状況を自分も理解している、と。とは言っても、(単独公演ではなく)フェスティヴァルでプレイするのは少し勝手が違って、状況を予測するのがやや難しくなるね。お客さんも僕が何者か知らないし、だからフェス出演では普段より少しだけナーヴァスになる。うん、それは自然な成り行きだし……とは言っても、基本的に僕はステージではアガらない。

そうしたセラピーによって音楽制作も影響されるところは大きかったのでしょうか?

JR:ああ、確実に作詞面では影響された。どの曲も、歌詞に関してはあのセラピー体験について、みたいなものだから。ただし音楽面で言えば、「たぶんそうじゃないか」ってところかな……? たぶん影響されたんだろうな、僕はあのムードにマッチするような音のパレットを作り出そうとしていたわけだし。そうしたムードの多くは生々しくエモーショナル、かつアトモスフェリックなものだったし、僕はあれらのストーリーを運び伝える詩的な媒体を与えたかった。そうだね、セラピーは僕に、歌詞そして音楽の両面で大きく影響したと思う。

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自分の傷つきやすさを捨てて、誰かに対してやっとオープンになれた自分についての歌だし……それはほんと、メタファーを使って書けることではない。

昨今の社会情勢が『ワット・ウィ・コール・ライフ』にも反映されていて、たとえば“クラウズ”はブラック・ライヴズ・マター運動に触発された曲です。あなたのルーツを辿ると、父親はクック諸島のマオリ族出身で、母親はニュージーランドの白人という混血ですが、肌は白かったので白人としての扱い、いわゆる「ホワイト・プリヴィレッジ」を受けてきた。で、オーストラリアという白人が大半の国で育ち、その後イギリスへ渡った。BLM運動によってそれまであまり気にしてこなかった自身の肌の色やルーツを見つめ直し、それによって受けてきた経験に思いを馳せて書いたのが“クラウズ”というわけです。改めてこの曲にこめたメッセージについて教えてください。

JR:うん、いま言われたことは基本的にあの曲をよく要約してくれている。ただ、あの曲で僕が話しているのは……まず、自分は人種が混じっていると自覚した、というのがあって。だから、これまで成長してきた間に、人種が混じっているということすら忘れてしまっていたんだよね、というのも僕の肌の色はご覧の通り白人のそれなわけで。で、ああした(BLM運動の)様々なことが起きていた中で考えていたんだ、「ああ、自分の父親の肌の色がブラウンだったことをすっかり忘れてたな!」と。父親はニュージーランド、そしてオーストラリアで暮らしてきた人生の間ずっと、ああした経験に対処してきたに違いないし、でも僕はそれについて彼と話し合ったことがなかった。彼がこうむったかもしれない人種差別に、僕はちゃんと共感したことがなかった、というか。で、先ほど言われたような自分が受けてきた特別扱い、純粋に自分の肌の色ゆえに与えられた特権について僕も考えさせられたし、白人の多い国オーストラリアで育ったことについて考え、また現在もロンドンのような場所で暮らしているし──ロンドンはもちろん多文化社会とはいえ、やはり白人が多いわけで。だから僕はとにかく、「ちょっと待てよ」と思った。というのも、僕はこれまでずっと一所懸命働いてきたし、自分が成功できたのはその努力の賜物だよ。ところがそんな自分のこれまでを振り返ってみると、実は非常に多くのアドヴァンテージを与えられてきたじゃないか、と。単に自分の肌の色、そして自分のジェンダーのおかげでね。白人の男性であるおかげで自分は成功を収めることができたというか、ハード・ワークに由来するものではなく、自分は最初の段階から得をしてきたんだな、と。で、あの曲は一種、そこから来る自分の罪悪感というか、その点を理解し、自ら認め、その上で問題に取り組みつつ前に進んでいこうとする歌なんだ。自分の特権を理解することを通じて、格差をもっと縮めようとし、できるだけ誰にとっても平等なフィールドをもたらしたい、そういうことだと思う。

そうしたリアリティと向き合うのは難しいことですよね。あなたが非常に努力して現在の立場にいるのは我々も理解していますが、現在の社会では「白人男性」のアイデンティティはとても多くの角度から敵視されてもいて。

JR:(うなずきつつ聞いている)。

そうしたアイデンティティの持ち主というだけで批判されてしまうのは、フェアではないんじゃないか? という気持ちも抱きます。たとえばの話、私からすれば旧型の「白人男性の特権」の象徴と言えばドナルド・トランプで。

JR:フハハッ!(苦笑)

彼は親からビジネスを受け継いだだけで、まさに父系社会の産物ですが、あなたはそうではなく自力でここまで来た。そんなあなたが罪悪感を抱くのは、逆にこちらもモヤモヤしてしまいます。とても複雑な話なので仕方ないとはいえ……。

JR:そうだね、複雑だ。だから、さっきも話したように、自分の中でも入り混じっているんだと思う。これまでずっと、本当に努力を重ねてきたのは自分でも承知しているからね。ただ、それと同時に、たとえば……キャリア初期の頃、僕はもっとトラディショナルなソウル・ミュージックを作っていたわけだよね。ところが、UKはもちろんアメリカ、いやそれ以外の世界中にも、とんでもなく優れた黒人のソウル・シンガーで、成功していない人たちはいる。でも、僕は白人でそれをやっていたからちょっとした存在になったというか、アウトサイダーながらソウル・ミュージックをやっている風変わりな奴みたいなものになって、人びとから「おっ、彼は白人なのにこういう音楽をやってて変わってるぞ、クールだ、彼の音楽を流そう」と注目された。その点ひとつとってすら、伝統的なソウルのコミュニティの中では僕には違いがあり、それが有利に作用して初期の自分が他の人より成功することに繫がった、というか。間違いなく僕は努力したし、練習も多く重ねて歌もさんざん歌い、少ないお客相手に何年も演奏するなどの下積みはやってきた。けれども、一方で、それとは別の側面では恩恵を受けてもきたんだよ。

“ファミリー”をはじめ家族や兄弟などについて書かれた曲もいろいろあります。家族や兄弟などプライヴェートな部分を歌詞にするのはとても勇気がいることかと思います。また歌詞も以前のように曖昧で比喩的なものではなく、“ファミリー”や“アンガーディッド”では直接的な言葉を使ってストレートに表現している場面もあります。ソングライティングをする上でいろいろ心境の変化があったのでしょうか? 以前に比べて自分をさらけ出すことを恥ずかしく思わなくなったそうですが。

JR:うん、それは確かにある。特に、君の言う通り“ファミリー”のようなトラックはそうだね。以前の僕は両義的な曖昧さ、そしてメタファーを用いて歌詞の意味合いを隠すのが好きだった。それはきっと僕自身に、ストーリーをオープンにさらけ出す自信が充分なかったからだろうね。ところが“ファミリー”では、あのストーリーを語る唯一の手段は本当に、比喩を用いずダイレクトに語ることだけだろう、そう思えた。その方が、もっと理解しやすいからね。そうは言っても、アルバム曲のいくつかにはやっぱり抽象的というか、比喩を用いたものもあるけどね、僕はああいう曲の書き方のスタイルも好きだから。ただ、数曲は、自分がこの内容を本当に語りたいのならばダイレクトに書くしかない、というものだね。たとえばさっき君の挙げた“アンガーディッド”、あれは妻との出会い、そしてそこで自分の傷つきやすさを捨てて、誰かに対してやっとオープンになれた自分についての歌だし……それはほんと、メタファーを使って書けることではないし、どんな風だったか、とにかくありのままに書く以外になかった(笑)。だから、そうしたふたつの書き方の混ざったものだし、おそらくそれは自分も成長した、人間として以前より成熟しつつあるってことなんだろうね。おかげで、場合によってはもっとオープンになった方がいいこともあると気づかされたっていう。

そうやって歌詞の中で自分を出し、弱さも見せることには勇気が必要だと思います。

JR:うん、僕もそう思う。妙な話だけれども、僕の場合、歌を通じてそれをやる方がずっと楽に感じられるんだ。たとえばどこかで友人と会って、そこで「お前の子供時代がどうだったか教えてよ」と友人に言われたら、面と向かって話す方がずっとやりにくいだろうな、みたいな?(苦笑)

(笑)確かに。

JR:いざ話そうとすると難しい。でも、それを歌に書くとなったら、曲作りは僕自身のスペースの中でやれるし、ある意味音楽の後ろに隠れて語ることができる、という面もあるからね。んー、まあ、音楽の中での方がほんと、自分をさらけ出すのがずっと楽なんだ。で、いまの自分としては、その方向にもっと進んでいきたいな、と。

サウンド面を見ると、いままでのようにあなたがある程度のベース・トラックを作った上で必要に応じてゲスト・ミュージシャンを入れて録音していくのではなく、バンドとしてスタジオに入っていちからサウンドを作り上げていくレコーディングがおこなわれています。あなたのバンドはいろいろツアーをしてきて結束も強くなり、今回はそうしたバンド・サウンドを求めてレコーディングに入ったのですか?

JR:その通り、まさにそう。僕がこの作品で捉えたかったのは……以前は、音楽はすべて自分で書いて、ライヴの準備のためにそれをリハーサル場に持ち込んで皆でプレイする、というものだった。で、彼ら(=バンド)は毎回、さらに良いサウンドにしてくれるんだよ。というわけで僕も「彼らと一緒に書かなくちゃいけないな」と思ったんだ、そうすれば、レコーディングする前の段階で彼らにもっと良いサウンドにしてもらえるから(笑)。というわけでスタジオに入って──うん、これまた混ざっているんだよね。彼らバンド側の出してきたアイデアをすべて享受しつつ、でも、自分自身にも挑戦を課したかったから、僕は今回は典型的な、オールドスクールなプロデューサーの役割を自分にもっと割り当てたんだ。ある意味少し後ろに退いて、耳を傾けた。キーボード、ギター、といった具合に各パートに集中するよりも、むしろもっと音楽全体の視界を聴くというか、音楽そのものと、そこからどんなフィーリングを受け取るかに耳を傾けていった。だから実際、今回はスタジオのコントロール・ルームで過ごすことが多かったんだ、他のみんながレコーディングしている間も、自分は昔気質なプロデューサー役をやっていたっていう。あれをやるのはチャレンジだったけれども、とても楽しんだし、これまでとはまた別のやり方で音楽について多くを学んだ、という気がしている。僕はアルバムごとに音楽作りのプロセスを変えていくのが好きだし、だから次のアルバムではまた違う創作過程を踏むかもしれないよ(苦笑)、まあ、どうなるかわからないけれども。ただ、今回のようなアルバムの作り方は素晴らしかったね、うん。

ウェールズの田舎で友人のミュージシャンたちと作ったそうですが、利便性の高いロンドンではなくウェールズを選んだのは何か理由がありますか?

JR:(笑)それは、僕たちは気を散らされるあれこれから逃れたかったからなんだ。僕としては、このレコーディング・セッションを一種の曲作りのために向かう小旅行とか休暇、それとも田舎の隠遁所で過ごす経験、みたいなものにしたかった。でも、いつもとは違う空間にいると、なんというか、自分の頭を別の働き方のモードに置くことになる、というのかな? たとえば、ロンドンにいたとしようか。僕たち全員がロンドンでこのアルバムを制作していたとして、ある日ひとつトラックを仕上げたら、みんな「さーて、どうやって家に帰ろうかな。夕飯は何を食べよう?」と考えなくちゃならない。日常生活のあれこれも考えながらやっているわけ。ところが田舎に滞在していると、日常は忘れて音楽だけに集中することになる。散歩に出かけて、木立の中を歩いて樹々を眺めているうちにインスピレーションが湧いて、スタジオに戻ってまた別のトラックに取り組んで、それで“ファミリー”ができ上がった、とか。だからあれは本当にオープンで、かつリラックスした音楽の作り方だった。と同時に、プレッシャーもあったけどね、自分たちが何をやろうとしているのか、僕たちにはまったくわかっていなかったから。でもその一方で、ああやってスタジオにいられるのはとても解放的な体験だった。だからあの2週間は本当に、くつろぎながらあの環境に入っていった、というか。

バンドのメンバーが全員揃って強制的にスタートするのではなく、ジャム・セッション的なことをしていく中でメンバーからいろいろなアイデアが生まれ、そうした自然発生的でクリエイティヴな雰囲気の中で楽曲が磨かれていったと聞きます。ただ、前もって何も決まっていないと、「さて、どうしようか?」と途方にくれてうまくいかない場合もたまにあったんじゃないかと……。

JR:(苦笑)。

自由だったセッションを、どんな風に舵取りしていったんでしょうか?

JR:いや、意外なことに、そういう困った場面に僕たちはあまり出くわさなかったよ(笑)。それにはクールな逸話があって……ある朝、僕たちは作業をはじめて1曲仕上げたんだ。アルバムの6曲目の“ワット・ウィ・コール・ライフ”、あれをその朝に録り終えた。よし、ということで、ランチを食べ昼休みをとって、作業再開になった。ところがみんな腹一杯ランチを食べたせいで、かなり無気力になってしまって。

(笑)。

JR:(苦笑)おかげで、みんなやる気を起こそうと必死だった。僕はそうじゃなかったけどね、そもそも、普段からそんなに食べない方だから(笑)。で、自分はまだエネルギーが余っていたし、一方でバンドの連中は満腹で不活発になっていて、でも僕は「よし、あのシンセサイザーで何かやろう」って感じで。そこで、“アンガーディッド”のイントロになっていくベース・ラインを弾きはじめた。だからなんだ、あの曲の冒頭部がとても剥き出しな感じになったのは。そういう風に自分が淡々と弾いていたベース・ラインに過ぎなかったからだし、でも、弾いているうちにこれはいいぞ、レコーディングしよう、と思い立った。そこからはじまったようなものだったし、徐々に僕はあの曲、“アンガーディッド”へと組み立てていった。ああした素敵な、ゆったり動いていく歌が生まれたのは、僕たちがみんなパスタを腹一杯食べてダルくなっていたからだった、という(苦笑)。

(笑)。

JR:(笑)あのときくらいだったかな、僕たちが作業を進めるのにてこずったのは。でも、ある意味あれはあれで良かったんだ、だってあそこから“アンガーディッド”が生まれたんだからね。

ビートメイカー的で、よりプロセスの細部まで突っ込んでいくタイプのプロデューサーではなくて、今回の僕はもっと俯瞰するプロデューサーをやってみたんだ。

メンバー間の意思疎通が豊かであるからこそ生まれる雰囲気ですし、先ほどもおっしゃっていたように、今回あなたはいわばクインシー・ジョーンズ的に全体像を見るアプローチをとった、と。やはり、そこにはあなた自身のミュージシャンとしての成長もあったわけですか?

JR:その通りだ。おそらく、5年くらい前の自分にこの作品は作れていなかっただろうと思う。ロンドンで過去数年、実に多くのミュージシャンをプロデュースし一緒に仕事してきたし、いろいろな人びとのために曲もたくさん書いてきた。そうやって僕はある意味、制作プロセスへの異なるアプローチの仕方を学んできた。そこで考えたんだ、これと同じことを自分のアルバムでやってみたらどうだろう? と。プレイヤーとして演奏の多くをこなすというより、むしろもっと総合プロデューサー的にあらゆる面に目を配る、というね。で、アーティストでありつつ自分でそれをやれるのは本当にラッキーだと思っているよ、セッションそのもの、あるいはクリエイティヴなプロセスを前進させるためにプロデューサーに頼らざるを得ないアーティストをたくさん知っているからね。でも、僕には自分の音楽をどんなサウンドにしたいか、そのヴィジョンがちゃんとあるし、と同時に曲を書いてもいる。だから非常にラッキーというのかな、曲を書くことができ、かつ、それをどう仕上げるか、プロセスの最後まで見通すこともできるのは。自分の頭の中にヴィジョンが存在するからね。で、それはこれまでの経験を通じて学んだことだったし、クインシー・ジョーンズ的な全体を見るスタイルのプロデューサーという意味で、確実に自分ももっと進歩したと思う。たとえばそうだなぁ、フライング・ロータスのようなビートメイカー的で、よりプロセスの細部まで突っ込んでいくタイプのプロデューサーではなくて、今回の僕はもっと俯瞰するプロデューサーをやってみたんだ。

『オリジン』では曲作りにおいてスティーヴィー・ワンダーやスティーリー・ダンからの影響を述べていましたが、『ワット・ウィ・コール・ライフ』を作る上で聴いていたのはローラ・マーリング、スコット・マシューズ、ジョニ・ミッチェル、ジョン・マーティンだそうですね。新旧のフォークやフォーク・ロック系のシンガー・ソングライターたちですが、彼らのどのような部分があなたの音楽に影響を与えているのでしょうか?

JR:彼らみたいな人たちは、音楽の中でもっとストーリー・テリングを基盤にしているからだと思うし、それに音楽的にもはるかにそぎ落とされて簡潔だよね。もちろん僕のアルバムはそぎ落としたものではないし、実に多く幾層も音が重なっている。とはいえ、思うに自分は、彼らの歌詞の書き方、そしてその歌詞の伝え方からインスピレーションをもらったんだろうね。それから、ハーモニーとメロディに対する彼らのアプローチの仕方にも。たとえば、スティーヴィー・ワンダーは非常にエキサイティングなハーモニーを使うんだ、非常にジャズ・ベースなハーモニー、あるいはファンクが強く基盤になったハーモニー、といった具合に。でも、今回のアルバムで僕はあまりそれはやっていなくて、それよりもっとソングライターがベースの、非常に多くレイヤーを重ねたものになっている。うん、そういったことに自分は足を踏み入れていったんだね、より歌がベースの、フォークが基盤の音楽へと。で、「このフォークがベースになっている音楽を、どうやったらもう少しモダンな、エレクトロニックな響きを持つものにできるだろう?」と自問していた。だからこのアルバムは新旧の世界の間に架かった橋、そこに存在するものだと思う。

以前のインタヴューではボン・イヴェールとも共演したいといったことも述べていました。世間からはネオ・ソウルというイメージで捉えられがちなあなたですが、いま述べたようなアーティストたちや『ワット・ウィ・コール・ライフ』のサウンドからは、よりアコースティックでフォーキーな世界を指向しているのかなという気がしますが、いかがでしょうか?

JR:そうだね。以前の自分は……いや、誰もが僕のことをこの、「ソウル・シンガーの新星が登場」みたいに評してくれたこと、それはとても感謝しているんだよ。ただ、僕はいつだって非常に幅広く音楽を聴いてきたし、たとえば昔作った「ソウル」なレコードにしても、他に較べて少しオルタナな曲がいくつか混じっていたこともあった。要するに僕の中には常に、異なる領域を探ってみようとする側面があるっていう。ダンス・ミュージックのプロジェクトであるダン・カイをやったり、あるいはセカンドの『ウォールフラワー』ではもっとアコギ寄りだったりしたのはだからだし、僕はアルバムごとに異なるサウンドを探究している。本当にたくさんいろんなタイプの音楽を聴いているから、毎回、それらすべてを聴き手とシェアしたいと思う。だから次のアルバムではまた、もしかしたらガラッと違うサウンドをやるかもしれない(笑)。とはいっても、現時点ではどうなるかまだわからないけどね! ただ、自分はきっと違うことをやるだろう、それは確信しているし、それが楽しみでもあるんだ。というのも僕はアルバム作りを、ファンや人びとに対して自分の持つ音楽的に異なる側面を見せる場であると同時に、ある種の学びのプロセスとして考えているから。僕は決して「これ」という風に、たとえば「僕はソウル・シンガー」と狭いひとつの箱に分類されたくないし、それは自身について「ソウル・シンガー」のレッテルだけに留まらない、もっとずっと多くのことをやる人間だと感じているからであって。そうだな、それが僕のキャリアのゴールみたいなものかな、(ジャンルや名称の区分云々を越えて)もっと「アーティスト」になりたい。

あなたの数多くの側面をパッケージした総合的な存在を目指す、と。

JR:そういうことだね。

先ほども「次はどうなるか」という話がありましたが、今後の予定やプロジェクト、やってみたいことなどお聞かせください。まずは、可能になったところで本作向けのツアーがあるでしょうが、それを終えたら?

JR:うん、やってみたいと思っていることはいくつかある。とはいっても現時点ではまだ歌詞のコンセプトはちゃんと考えていないんだけどね、僕は前もって歌詞コンセプトを想定するのが好きだから。でも、そうだね、やりたいと思っていることがふたつあって、まずひとつはクック諸島に戻ること、なんらかの形で自分の家系的な遺産を受け入れる、ということで。だからたぶん、何ヶ月かクック諸島に滞在して、地元ミュージシャンとコラボしながら曲を書く、みたいな。それができたら本当に素晴らしいだろうと思うんだ、自分自身のカルチャーと再び触れ合うということだからね。でも、それと同時に……発表したばかりの今回のアルバムは、音の重ね方やアレンジという意味で自分としてはかなり密度の濃い作品だと思っていて。だからぜひそれとはまったく逆の、思いっきりそぎ落とした作品、ミニマル調なものをやりたいと思っているんだ(笑)。

(笑)なるほど。

JR:(笑)僕はずっとこういう感じでやっているんだよ。ファースト・アルバムを作って、あれはかなりファンキーな作品だったから、次はもっとスローなものを作る必要があると思ったし、それでセカンドはスローなものになった。で、サードはまたファンキーな内容だったし、対して今回のアルバムはものすごく密度が濃い……という具合で、自分は作品を作りながら何もかものつり合いをとっている、そういう感覚がある。でもまあ、現時点でやりたいと考えているのはそのふたつだね。クック諸島でのなんらかのコラボレーション、そしてもっとシンプルな美しい音楽をやる。とにかくシンプルで、聴いていてリラックスできるような音楽を。というのも、いまちょうど、アンビエント・ミュージックにハマっているところでね。だからもしかしたら、2時間近い長さのアンビエントな曲をやる、とか?(笑)

それはいいですね。たまたまですが、私もアンビエント音楽はここ最近よく聴いています。

JR:いいよね、美しい音楽だ。

アンビエントの古典、ブライアン・イーノ作品だとか……

JR:うんうん、ブライアン・イーノね! 瞑想をやっているときや電車に乗って移動中に、僕もブライアン・イーノの『ミュージック・フォア・インスタレーションズ』なんかを聴いている。とにかく美しい経験というか、一種のムードを、心を落ち着けるムードを感じさせてくれる音楽だ。

もう時間ですので、終了させていただきます。今日はお時間いただきありがとうございます。また、あなたとバンドの皆さんが日本にツアーに来られる日を楽しみにしています。

JR:うん、できれば来年、日本に行くつもりだよ!

Popp - ele-king

 ミュンヘンからツイン・ドラムのジャズ・ユニット、ファジー(Fazer)のサイモン・ポップによるセカンド・ソロ。ハッセル&イーノ『Possible Music』を思わせる2年前の『Laya』と同じく打楽器だけで構成されたインプロヴァイゼイション・アルバム。複数の打楽器や細かいパーカッション・ワークを駆使し、全体にインド音楽のテイストを残しながらもアフリカ色が強くなったことで同じようにスタティックな作風でも静謐さの種類に変化がもたらされている。ファジーが元々、ラウンジ・ミュージックに近い音楽性だったこともあり、テンションをみなぎらせるようなインプロヴァイゼイションではなく、かといってニューエイジのようなユルユルでもなく、ビアトリス・ディロンへのクラブ・ジャズからのアンサーというのか、スティーヴ・ライヒから可能な限り緊張感を取り除いたアンビエント・ドラミングというのか。あくまでも演奏を基本にしていることでフィールド・レコーディングとプロセッシングでつくり出すアンビエント・ミュージックにはないオーガニックなムードが全体のトーンを決めている(90年代の雰囲気を出すためにゲート・リヴァーブとピッチ・シフトは多用したらしい)。サイモン・ポップはファジー以外の活動としてアブシュタン(Abstand)やファジーのドラマー2人によるファジー・ドラムス名義のアルバム『Sound Measures』などでミニマルにフォーカスした試行も並行して続けており、そのためか、サイモン・ポップのソロ作を取り上げた欧米のレヴューでは「サード・ストリーム・ミニマリズム」という定義がやたらとコピペされて使われているものの、僕が調べた限りどこにも定義の内容は書かれていない(ので、よくわからない)。お笑いの第7世代みたいなものなのだろうか?



 前作の『Laya』は鐘の使い方やランダムなビートの刻み方など明らかにメディテイションを目的としていて、フィジカルではなく音の効果は意識に集中していた。『Devi』ではそれがガーナのリズムなど東アフリカのリズムを取り入れた結果、一転してフィジカルに訴えかける要素が増え、全体的に内省的な気分を誘発するものではなくなっている。“Gundel”や“Jilu”などインドとアフリカが融合し、なんとも気持ちのいいハイブリッドに仕上がっていて、透き通るような残響音が美しい“Myna”や、いまにもデヴィッド・アレンがごにょごにょとマントラじみたヴォーカルを歌い出しそうな“Dama”などどの曲も素晴らしく、『Devi』はドイツのミュージシャンがアフリカ音楽を取り入れた最高傑作といえるのではないだろうか(“Xolotl”は食品まつりのリミックスが聴いてみたい)。クラシック大国ドイツによるアフリカ音楽の受容はこれまで悲惨としか言いようがない過程を辿ってきた。ボアダムズ『77 Bore Drum』にヒントを与えたらしきナイアガラ(クラウス・ヴァイス)や最近のアフロ・ハウスまで、まったく横揺れがしないドイツ人のアフリカ趣味は彼らの生真面目な性格を伝えるだけで(なにせメトロノミック・ビートである)、カンのヤキ・リーベツァイトを例外としながらマーク・エルネスタスによるジェリ・ジェリやタイヒマン兄弟によるアフリカとの交流によって発展してきたクラブ・ミュージックの片隅でようやく重要が喚起されてきた程度だろう。その上でのサイモン・ポップであり、『Devi』なのである。

 70年代のクラウトロックでもミヒャエル・フェッター(Michael Vetter)やドイター(Deuter)がインド音楽をメインに似たようなことはやっていた。しかし、これらとモンバサやオム・ブッシュマンといったドイツのジャズ・ドラムが結びつくことはなく、2017年にヤン・シュルツ(=ヴォルフ・ミュラー)が『Tropical Drums Of Deutschland』を編纂することで新たなフュージョンの可能性が出てきたということなのだろう。70年代の空気と80年代のテクニックが結びつき、これに「サード・ストリーム・ミニマリズム」wを加えることでサイモン・ポップの音楽性は立ち上がってきたといえる。“Higlehasn”がクラフトワーク“Tanzmusik”のアンビエント・ヴァージョンに聞こえてしまったのは僕だけだろうか。ちなみに「Laya」はインドの音楽用語、「Devi」はインドの女神を意味しているのかなと思うけど、正確にはよくわからない。

YOUNG JUJU - ele-king

 この春にEP「LOCAL SERVICE 2」をリリースしたKANDYTOWN。同クルーのYOUNG JUJU、現在はKEIJUとして活動するラッパーが2016年に発表した記念すべきファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』がアナログ化される。オレンジのクリア・ヴァイナル仕様で完全限定プレスとのこと。客演にもプロデュースにも豪華面子が集結した1枚を、いま改めてヴァイナルで楽しもう。

KANDYTOWNのYOUNG JUJU(現KEIJU)が2016年に発表したファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』がオレンジのクリア・ヴァイナル/帯付きジャケット/完全限定プレスで待望のアナログ化!

◆ KANDYTOWNのラッパー、YOUNG JUJU(現KEIJU)が2016年に発表したファースト・ソロ・アルバム『juzzy 92'』が待望のアナログ化! 客演にはIO、DONY
JOINT、Neetz、Ryohu、GottzのKANDYTOWN勢に加えてB.D.やFEBB、プロデュースにはKANDYTOWNからNeetzにRyohu、MIKI、Fla$hBackSからFEBBとJJJ、さらにはJashwon、Jazadocument、MASS-HOLE、DJ Scratch Nice、U-LEEが参加! MASS-HOLEのプロデュースで先行カットされた "The Way" やIOとNeetzが参加した "Angel Dust" といったライブでもお馴染みな楽曲や縁の深いB.D.とのコラボによる"Live Now"(プロデュースはJJJ)等を収録した傑作!
◆ 親交の深かったFEBBのレコメンにより、ミックス&マスタリングはベニー・ザ・ブッチャーやカレンシー、スモーク・DZAら多くのドープな作品を手掛けている名エンジニア、ジョン・スパークス(John Sparkz)が担当!
◆ フォトグラファー、嶌村吉祥丸氏が撮影し、イラストレーター/グラフィック・デザイナー、上岡拓也氏とIOがディレクションしたアートワークをベースに、CDにはなかった日本語帯を付属したアナログ盤がオレンジのクリア・ヴァイナル/完全限定プレスでリリース!


[商品情報]
アーティスト:YOUNG JUJU
タイトル: juzzy 92'
レーベル:KANDYTOWN LIFE / BCDMG / P-VINE, Inc.
発売日:2021年11月23日(火)
仕様:LP(オレンジ・クリア・ヴァイナル/帯付きジャケット/完全限定プレス)
品番:PLP-7193
定価:3.740円(税抜3.400円)
Stream/Download/Purchase:
https://p-vine.lnk.to/OAG7L0bu

[トラックリスト]


1. Hallelujah
 Produced by DJ Scratch Nice
2. The Way
 Produced by MASS-HOLE
3. Angel Dust feat. Neetz, IO
 Produced by Neetz
4. Tap This feat. FEBB
 Produced by FEBB
5. First Things First
 Produced by FEBB
6. Skit 24/7
 Produced by MIKI
 Backing Vocal by IO
7. Live Now feat. B.D.
 Produced by JJJ
 Contain a sample from Shota Shimizu "Overflow" (JPSR01200783).
 Licensed by Sony Music Records.
 (P)2012 Sony Music Records


1. Ready
 Produced by JASHWON
2. Prrrr. feat. DONY JOINT
 Produced by Jazadocument
3. Speed Up
 Produced by Ryohu
 Backing Vocal by Ryohu
4. Til I
 Produced by U-LEE
5. DownTown Boyz feat. Ryohu
 Produced by Ryohu
6. Worldpeace feat. Gottz
 Produced by JJJ
 Backing Vocal by Ryohu
7. Outro
 Produced by Jazadocument

All Songs Mixed & Mastered by John Sparkz

Jamire Williams - ele-king

 新世代のジャズ・ドラマーとして頭角を現し、ジェフ・パーカーやヴルフペックの作品に参加、プロデューサーとしてもソランジュなど、多くの作品に関わってきたジャマイア・ウィリアムス。彼の5年ぶりとなるソロ・アルバム『But Only After You Have Suffered』が11月24日にリリースされる。ここ5年の彼の試みを凝縮した、集大成に仕上がっているようだ。カルロス・ニーニョやサム・ゲンデルらも参加。チェックしておきましょう。

JAMIRE WILLIAMS『But Only After You Have Suffered』

ソランジュ、モーゼス・サムニー、ブラッド・オレンジ等の作品にも名を連ね、パット・メセニ ーからロバート・グラスパー・トリオまで、数々のライヴで圧巻のプレイを見せてきた現在のジャズ・シーンでも圧倒的な存在感を誇るジャマイア・ウィリアムス。自身のサウンドの頂点を目指した、音楽の旅の集大成となる5年振りのアルバムが、日本限定盤ハイレゾMQA対応仕様のCDでリリース!!

Brandon Owens – bass guitar / Carlos Niño – percussion / Chassol – keyboards, synthesizer, programming / Corey King – vocals / Jason Moran – piano / Josh Johnson – mellotron, synthesizer, programming / Matthew Stevens – lead guitar / Sam Gendel – guitar synthesizer, alto saxophone / etc.......

ジャズ・ドラマーとしてNYで活躍していた頃から、ジャマイア・ウィリアムスは自身の表現領域を拡張し、深化させてきた。このアルバムには、作曲家/プロデューサーとしての彼が到達した、複合的で美しいアートが刻まれている。ジェイソン・モランやコーリー・キングからサム・ゲンデルやシャソルまで、彼が歩んできた音楽の旅で出会った才能が、このアルバムを更に輝かせている。(原雅明ringsプロデューサー)

アーティスト : JAMIRE WILLIAMS(ジャマイア・ウィリアムス)
タイトル : But Only After You Have Suffered(バット・オンリー ・アフター・ユー・ハヴ・サファード)
発売日 : 2021/11/24
価格 : 2,800円 + 税
レーベル/品番 : rings (RINC81)
フォーマット : MQA-CD
バーコード : 4988044070271

*MQA-CDとは?
通常のプレーヤーで再生できるCDでありながら、MQAフォーマット対応機器で再生することにより、元となっているマスター・クオリティのハイレゾ音源をお楽しみいただけるCDです。

Official HP : https://www.ringstokyo.com/jamirewilliams

Anthony Naples - ele-king

 夏も終わろうとしている。じょじょにではあるが気温も下がり、肌が冷たくなるのを感じる。UKとは違い、こと日本において「夏の狂騒」なるものはほぼなかった(というか禁止された)わけだが、それでもやはり、こうして季節の節目を予感すると、なにか僕のなかの気分も変わってゆくような……。クレイジーなクラブ・バンガーもおおいに結構だけれど、いまは少し落ち着きたい。良質なハウスを提供していたアンソニー・ネイプルズが、こうしてアンビエント、あるいはダウンテンポへ急接近したことは、まさにいまの移ろいにフィットする。『Chameleon』は来る秋のための、あるいは夏に失望させられたひとのためのサウンドトラックになりうる作品だ。

 ニューヨークのアンソニー・ネイプルズは、〈Mister Saturday Night〉や〈The Trilogy Tapes〉などからいくつかの12インチをドロップ。現在は自身のレーベル〈Incienso〉と〈ANS〉を拠点に、前者ではDJパイソンダウンステアズJのような才能を紹介しつつ、後者では自身の近年作をリリースしている。フォー・テットによる〈Text Records〉からドロップされた2015年の『Body Pill』にはじまり、自身の〈ANS〉における2019年の『Fog FM』までを俯瞰すると、彼のフルレングス作品はクラブ/フロアから得られた反応をアルバムへ落としこんだ印象が強かったが、『Chameleon』では大胆と言えるほどにダンス・ミュージックから離れており、彼にとって初めて、シンセサイザー、ギター、ベースやドラムといった楽器の生演奏を主軸に制作されたという。

 全編を通して落ち着いたアンビエンスが充満しているものの、それは聴き手の邪魔をしないサウンドに終始するのでなく、ベースとの絶妙な絡み合いを生み出しながら、ときにエレクトリック・ギターは躍動し、ドラムは有機的に働き、そして随所にシンセのデジタルな音が散りばめられている。そのなかでもとりわけ、エレクトリック・ギターを中心に作られたサウンドスケープが驚きをもって迎えられるべき点だろう。タイトル・トラックの “Chameleon” ではフェイザーをぐっとかけたギターの反復が重要な役割を果たしているし、“Massive Mello” におけるギターのストロークとベースのコンビネーションは素晴らしく、後半における短いギター・ソロでは、万華鏡のようなサイケデリアすら感じさせる。

 近い雰囲気を持つアルバムとして2018年の『Take Me With You』がある。しかしそれはクラブで踊ったあと、友人たちと誰かの家でくつろぐムードを表現した、アフターアワーのための音楽であった。むしろ『Chameleon』において、クラブやそれに付随するあれこれはもはや無関係と言える。インタヴューによれば、いくつかの曲はホルガー・シューカイやハルモニアなどのクラウト・ロックから影響を受けたと語るし、ロックダウンで長らくすみに追いやられていた過去のレコードをたくさん聴いたとも。そこにはA.R.ケーン、コクトー・ツインズ、コナン・モカシン、はてはニール・ヤングまでもが含まれている。この取り留めのない聴取の経験がサウンドそのものに影響を与えたとは感じないが、今作がフロアにまったく縛られていないことはこの事実からもひしひしと感じる。アンソニー・ネイプルズは今作において、DAWを立ち上げたモニターを前に座るハウス・プロデューサー然とした態度を選ばなかった。その代わり、小さなループ・ペダルと OB-6 のシーケンサーを手に取り、ひとりで自由なジャム・セッションらしきもの──本人はそれについて、楽器を嗜んでいた子どものころを思い出したと語る──をえんえんと続けた。その結実が『Chameleon』の音世界なのだ。

 また、『Chameleon』には言葉が見当たらない。もちろん歌詞はないし、それぞれのタイトルの多くがひとつの単語のみであり、音楽において一般的に具わる、言葉を通した聴き手への語りかけはほとんどない。いや、むしろ言葉がないからこそ、僕はこの音楽に耳をそばたて、ひとり目を閉じながら想像をふくらませるのかもしれない。しかし、それでもなお言葉に着目するならば、クローザーにおける “I Don’t Know If That’s Just Dreaming”、「夢を見ているのかどうか、私にはわからない」と。これはひとつの手がかりになるだろう。つまり、今作は夢見心地のアンビエントやダウンテンポではなく、夢にいるのかどうか、そのはざまで揺れ動き、聴き手の想像力を喚起しながら、いつのまにかどこかへ連れていってしまう音楽なのだ。写真家であり妻のジェニー・スラッテリーとダウンステアズJによるアートワークも示唆に富む。秋に咲く彼岸花の写真は意図的にゆがみ、ねじ曲げられている。それは少なからず音楽の危機を感じた今夏を経た僕(ら)にとって、これからのゆくすえを考えさせるような意味を持たせる。ほんとうに、聴いていると、思いもよらぬ考えごとや空想があれやこれやと押し寄せてくるじゃないか。

Richard H. Kirk - ele-king

野田努(9/22)

 日本時間の昨晩、キャバレー・ヴォルテール(通称ザ・キャブス)の活動で知られるリチャード・H・カークが9月21日、65歳で亡くなったことを〈ミュート〉が発表した。昨年11月はキャバレー・ヴォルテールとしては26年ぶりのアルバム『Shadow of Fear』を発表し、エレキングの取材も快く答えてくれたカークだが、いまあらためてその記事を読み返してみると、すでに体調に問題があったのだろうか、取材中に何度か咳き込む様子が記されている。いずれにせよ悲しいことだ。各国の主要メディアが報じているように、偉大な音楽家/アーティストがまたひとりいなくなってしまった。

 1973年のイギリスのシェフィールドという地方都市で、リチャード・H・カークを中心に、クリス・ワトソンにスティーヴン・マリンダーという3人の“ダダ中毒”によって結成されたキャバレー・ヴォルテールは、パンク以降の音楽シーンにおいて未来を切り開いた重要なバンドのひとつだった。ブライアン・イーノが提唱した「non-musician」(音楽を作るのに音楽家である必要はない)という考え方に感化され、アブストラクトなテープコラージュから出発した彼らは、自らを「ミュジーク・コンクレートのガレージ版」と呼んだように、いわばアヴァンギャルドとパンクとの融合を実現させた第一人者でもあった。(初期の音源は2019年に〈ミュート〉から再発された『1974-76 (1974-76)』で聴ける)

 個人的な話で恐縮だが、彼らの初期の代表作“Nag Nag Nag”で見せた原始的なドラムマシンとテープ操作による反復、シンセサイザーと電子ノイズにスポークンワードめいた声といったキャブスのスタイルは、それが出たとき高校生だったぼくには、音楽に対する感受の仕方をいきなり押し広げられたような、相当な衝撃があった。また、彼らは政治的でもあり、予見的でもあった。ヴェルヴェッツのカヴァーを収録し、“バーダー・マインホフ”で締める『Live At The Y.M.C.A.』(1980)をはじめ、レーガン政権下で右傾化するアメリカを題材とした『The Voice Of America』、そしてイスラム主義の台頭を主題とした「Three Mantras」(1980)という、アメリカと中東における原理主義や宗教の政治介入に対する彼らの関心はその後のアルバム『Red Mecca』(1981)にも集約されている。こうしたコンセプトはリアルタイムで聴いていた10代の頃には何のことかさっぱりだったけれど。(ちなみに高校1年生の石野卓球が静岡のぼくの実家に遊びに来たときにぼくのまだわずかながらのレコード・コレクションを見て最初に反応したのがキャブスだった。いまでもその場面を鮮明に憶えている。お互い初めて会ったそのとき、「それ俺も好きです」とかなんとか、そんなようなことを彼は言った)
 1981年にクリス・ワトソンが脱退し、カークとマリンダーのふたりになってからの第二期は、レーベルも〈ラフトレード〉から〈サム・ビザール〉またはメジャーの〈パーロフォン〉へと変わって、音楽も実験色の強いコラージュ的なものからダンス・ミュージックへと路線変更された。80年代のキャブスは、“Just Fascination”(1983)や“Sensoria”(1984)、“I Want You”(1985)などポップ・チャートに入っても不自然ではないような曲をいくつか発表している。もちろんこうした彼らのエレクトロニック・ダンス・ミュージックは、同時代のアメリカのアンダーグラウンドなブラック・コミュニティで始動したダンス・カルチャーと併走し、そしてやがて合流した。カークは1989年から数年のあいだ地元のハウスDJ、パロットと結成したスウィート・エクソシストを介して〈Warp〉を拠点にブリープ・テクノ・ダンス・トラックの 12インチを切り、1990年のキャブスの12インチ「キープ・オン」においてはデリック・メイによるリミックス・ヴァージョンを収録している。それまでの方向性を考えれば必然だったと言えるかもしれないが、ポスト・パンク世代ではハウス‏/テクノに対してのダントツに素早い反応だった。あの当時はカークのその行動に痺れたし、自分たちの選んだ道は間違っていないとずいぶん勇気づけられもした。

 ハウスやテクノといったクラブ・ミュージックとの出会いを機に、リチャード・カークとキャバレー・ヴォルテールは、いっきにアンダーグラウンドヘと潜っていった。1990年代以降のカークは〈Warp〉や〈R&S〉、〈Touch〉といった先鋭的なインディペンデント・レーベルからソロ名義のほか、サンドズ名義をはじめとする数々の名義で作品を発表するようになる。90年代半ばにはキャブスからマリンダーも離れてしまうが、結果ひとりになってからもカークはひたすら作品を制作し、彼自身の〈Intone〉レーベルなどから、カーク本人でさえもとてもすべてを覚えられなかったのではないかと思われるほどのたくさんの名義を使ってテクノ‏/アンビエントの作品のリリースを停止することなく続けた。
 その数はあまりに多く、彼のすべての作品をチェックしている人がどれほどいるのだろうかと思う。ぼくは1994年のサンドズ名義の『Intensely Radioactive』と同年のソロ名義による〈Warp〉からの『Virtual State』、そしてマリンダー在籍時のキャブスの最後のアルバム〈Apollo〉からの『The Conversation』の3枚がお店で購入した最後のレコードだった。それは以降は、2000年代初頭のポスト・パンク・リヴァイヴァル時にいっしゅん初期の音源を聴き直したことはあったかもしれないが、2010年代に〈ミュート〉が80年代のキャブス作品を中心に再発するまでは、キャバレー・ヴォルテールもカークも自分のリスニング生活とはほとんど無関係だったことは否めない。それは個人的ではあるが、1979年/1980年のキャブスに心底震えた世代にとってありがちなコースだったのではないだろうか。(ゆにえ、まだ聴いていない彼の作品はあまりにも多くあるとは言える)

 2020年11月にキャバレー・ヴォルテール名義としては26年振りにリリースした『Shadow of Fear』は、カークのなかの“ファンク”が噴出した生命力ある力作で、そしてまた、初期の作品を彷彿させる言葉のカットアップを効果的に使った作品でありディストピックで暗示的なアルバムでもあった。その破壊的な迫力と否定の力に、カークの芸術的始祖のひとりであるトリスタン・ツァラもさぞかし歓喜したことだろう。が、しかし65歳とは、やはり早すぎた。今年に入ってからは3月にキャバレー・ヴォルテール名義での1曲およそ50分の『Dekadrone』と1時間にわたる『BN9Drone』という2枚のドローン作品をリリースしているが、彼は結局、ぶっ倒れるまで作り続けたのだろう。「彼は最後まで、ハングリーでアングリーでファンキーだった」とは『ガーディアン』の追悼記事の見出しだが、いやまったく、本当にその通りだ。

野田努

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三田格(9/24)

 ele-king臨時増刊号メタヴァース特集のために原稿を書きながらキャバレー・ヴォルテールがこの春にリリースした『Dekadrone』を聴き直し、漠然と初期のインダストリアル・テイストをロング・ドローンでやり直している感じかなあと思っていたら、深夜になってリチャード・H・カークの訃報を目にした。第一報では死因は不明とあった。亡くなったことを知って聴くのとそうでないのとでは聴き方がまったく変わってしまう。え、死んじゃったの!と思って、もう一度『Dekadrone』を再生すると、今度はなんともオプティミスティックで、近年のデッドロックな気分を反映したドローンとは正反対の高揚感がダイレクトに耳を打ってきた。「デカドロン」というのはステロイドの一種であるデキサメタゾンとドローンを足して、イタリアの古典文学「デカメロン」と掛けた造語のようで、おそらくはカークが最後まで服用していた抗炎症薬を題材としたものなのだろう。LSDを開発した製薬会社サントスの名義で10枚以上のアルバムを残した男である。デカドロンという薬にも大きな希望を見出していたのかもしれない。

 訃報を目にして最初に思い出したのはなぜかメジャーフォースの工藤(昌之)さんに聞いた話だった。キャブスが初めて来日し、新宿のツバキハウスでライヴを行なった後、彼らは工藤さんがDJを務めていた六本木クライマックスに遊びに来たというのである。そして、キャブスの3人はナンパをはじめたんだよと工藤さんは笑いながら言った。僕もつられて笑い、旧ベイシング・エイプのスタジオは俗っぽい雰囲気でいっぱいになってしまった。工藤さんが言いたかったことはこうだろう。インダストリアル・ミュージックの急先鋒として喧伝されていたキャバレー・ヴォルテールは当時、神格化ではないけれど、どこか恐れ多い雰囲気に包まれていた。でも、そんなことはなくて、当時から彼らは人間味のある人たちだったんだよと。クライマックスは狭いハコで客がすし詰めになっているようなこともなかったから、ナンパなんかしていれば、ほぼ全員に何をやっているかわかってしまうクラブである。チーク・タイムという習慣を最初に辞めたハコであり、陰湿な性格には似合うスペースではなかった。ちなみにツバキハウスのライヴを収めた『Hai!』は名作ながらマスター・テープを紛失し、〈Mute〉の復刻版はアナログ起こしだという。

 〈Rough Trade〉の3枚目ということもあり、キャブスはデビューEPから聴いていた。正直、ピタッと来る感じではなく、いま聴いてもカンの粗雑なコピーみたいに聞こえてしまう曲も多い(それでも全部買っていたのは『ロック・マガジン』がプッシュしていたから)。それが先行シングルもなく、ふいに2枚組でリリースされた4thアルバム『2X45』で僕は彼らの編み出したインダストリアル・ファンクにめろめろになってしまった。『2X45』はインダストリアル・ミュージックとファンクの官能性をものの見事に融合させ、ボディ・ミュージックや遠くはハード・ミニマルに至るまでダンス・ミュージックのアンダーグラウンド化に多大な導線を示した作品である。それこそヴァージン・プルーンズのギャビン・フライデーは『2X45』を聴いて「自分たちはもっといいディスコ・レコードをつくれる」とコメントしていたけれど、カークによればそれまでもダンス・ミュージックをやっているつもりはあったようで、クリス・ワトスンが脱退したことで思いっきり舵を切ることができた結果が『2X45』だったという。しかし、さらに驚かされたのは、続く『The Crackdown』だった。『2X45』以前のインダストリアル・テイストを大幅に回復させ、有象無象のブリティッシュ・ファンク・ブームとは一線を画すオルタナティヴ・ファンクの流れがここに確立される。『The Crackdown』がなければそれこそフロント242もタックヘッドもなかったかもしれない。

 キャバレー・ヴォルテールとフラ、そして、フォン・フォースがシェフィールドをダンス・カルチャーに引きずり込み、やがて〈Warp〉が設立される。〈Warp〉ではただひとりの創設メンバーとなってしまったスティーヴ・ベケットは早くからキャバレー・ヴォルテールのアルバムを出したがっていたけれど、彼の思いはかなり歪んだかたちで実現する。シェフィールドでは逸早くアシッド・ハウスに手を出し、現在もクルックド・マンなどの名義でアシッド・ハウスの改良に余念がないDJパロットがカークを誘って二人はスウィート・イクソシストを結成、設立当初の〈Warp〉に“Testone”を吹き込み、「ブリープ」と呼ばれるタームを引き起こす。LFOのビッグ・ヒットもあって「ブリープ」は〈Warp〉を認知させる大きな要因となるも、ここからが少しややこしい。〈Warp〉の創設メンバーのひとり、ロブ・ゴードンはイギリス人がハウスやテクノをやるならアメリカとは違ってレゲエのリズムを取り入れなければならないと主張し、もうひとりの創設メンバー、ロブ・ミッチェルと対立、レーベルから離脱してユニーク3のプロデュースに専念する。この対立を受けてカークは〈Warp〉ではなく、ロブ・ゴードンとゼノン(XON)というユニットを組み、さらに「ブリープ」を推し進める。その本質は「信号音」ではなくレゲエのリズムにあることが明らかとなり、これはスウィート・イクソシストのアルバムがいまでもグローバル・ミュージックの文脈で聴くことができる土台にも通じている(カークはレゲエをメインとしたサントスもほぼ同時にスタートさせる)。

 以後は、スウィート・イクソシストの新作もカークが新設した〈Plastex〉からのリリースとなり、キャバレー・ヴォルテールの新作も同レーベルを通じて〈R&S〉傘下の〈Apollo〉にライセンスされることに。リチャード・H・カークが〈Warp〉からソロ・アルバムをリリースするのは〈Plastex〉を閉鎖した1994年を待ってからであり、カークがテクノというタームと格闘を続けた91~93年を〈Warp〉が共有できなかったことは〈Factory〉とニュー・オーダーの関係とは異なる気分を浮上させ、できれば本人からもっと詳しい事情を聞いてみたかったところでもある。〈Apollo〉にライセンスされた『The Conversation』は、そして、ようやくレイヴ・カルチャーと距離が取れるようになった作品として完成度も高く、2020年に復活を果たすまでカークにとっても超えられない壁となってしまった感もなくはない。アシッド・ハウスの波に飲み込まれてしまい、自分でもキャバレー・ヴォルテールの作品らしくなかったと述懐していた『Groovy, Laidback And Nasty』やアシッド・ハウスに対抗してミニストリーと組んだアシッド・ホース、あるいはテクノにオリジナリティを見いだすことができなかった『Plasticity』とは異なり、『2X45』や『The Crackdown』をテクノで再構築した『The Conversation』はゆったりとした官能性を呼び戻し、ようやくオルタナティヴ・ファンクの本流に返り咲くことができた傑作だった。2時間を超える大作にもかかわらず、まったく飽きさせないのはさすがとしか言いようがない。

 リチャード・H・カークがさらにスゴいと思うのは自分の音楽を先入観をもって聞かれたくないために40以上の名義を使い分けたことである。『Red Mecca』や『Three Mantras』など早くから西欧とイスラムの衝突に関心があったというカークは、ジョージ・ブッシュがイラクに戦争を仕掛けた際はバイオケミカル・ドレッドの名義で『Bush Doctrine』をリリースして奇天烈なレゲエを聞かせ、ヴァスコ・ドゥ・メント名義ではさらにインダストリアル・ダブをこじらせていく。イクステンディッド・ファミリー(拡大家族)とかニトロジェン(窒素)とか気になるネーミングはたくさんあるけれど、さすがにすべてはフォローできない。どの名義だったか忘れてしまったけれど、ある時、石野卓球とカークのソロ作を聴いていて、卓球が「いまどきダダダッてプリセット音をそのまま使うのは彼だけだよ」と笑っていたことを思い出す。そう言われるまで僕は気がつかなくて、以降、ダダダッというプリセットのスネア音を聴くとリチャード・H・カークのことを思い出すようになってしまった。それこそダダイズムだし。R.I.P.

三田格

Billie Eilish - ele-king

 いまや世界一注目されるスーパー・ポップ・スターであるビリー・アイリッシュが繰り広げてきたダークなファンタジーは彼女がベッドルームで作り上げたものだということはよく言われるが、そこで自分が気になるのは、そのベッドルームが実家にあったということだ。いやもちろん、ティーンとしては一般的なことだろう。ここで言いたいのは、アイリッシュの歌──自傷や死の夢想、パラノイア──が家族に守られてきたことである。
 たとえばいまどきのアメリカのメジャーなアニメ映画などを観ていると、ジェンダーや人種のダイヴァーシティの意識が現代的に更新されていても、すごく古風に「家族」という価値観が守られているように感じられることが多い。ソニー制作で Netflix で配信されている『ミッチェル家とマシンの反乱』ではソーシャル・メディアに支配された現代を批評しつつ、クィアのキャラクターを自然に登場させ、強い父親がひとりで一家を守るのではなくメンバーが助け合う共同体としての家族が描かれていた(要は意識が高い)が、それでも「家族は素晴らしいし、支え合うものだ」という価値に揺らぎはない。いっぽうで、よりインディペンデントなアメリカ映画では、『フロリダ・プロジェクト』や『荒野にて』や『足跡はかき消して』のように……何なら今年アカデミー賞作品賞を獲った『ノマドランド』を加えてもいいが、緊密な関係にある家族を描きながら、それがもう壊れていることを露にしていた(これらの映画の背景にあるのは、容赦のない貧困である)。それこそ『大草原の小さな家』のようなアメリカの古き良き家族像の教科書だった作品にもまた反先住民的、反黒人的描写があるといって文学賞から外される現代にあって、よき家族とはどのようなものか、アメリカ社会は惑っているように見える。
 ビリー・アイリッシュの場合はどうか。彼女の歌がそもそも兄フィニアスとの非常に緊密な共同作業から生まれていることはよく知られているし、ドキュメンタリー『ビリー・アイリッシュ 世界は少しぼやけている』を観たりインタヴューを読んだりしていると、彼女の表現にとっていかに家族の支えが重要だったかが繰り返し強調されている。かつて「お騒がせアイドル」として世間に消費されていたブリトニー・スピアーズが現在、実父と財産や虐待の問題で揉めていることから、現在ではスピアーズに対する擁護の声が大きくなっていることを踏まえてもいいが、ポップ・スターにおける家族との関係性の理想像が時代とともにまた変化しているようにも思える。しばしば評されるようにアイリッシュがZ世代ならではのメンタルヘルスの問題を表象しているとして、それをケアするのは何よりも絶対的に信頼できるものとしての家族なのである(これは、アイリッシュの人気を広めるきっかけのひとつとなった Netflix のドラマ『13の理由』にも見られるテーマだ)。それはアメリカが古くから美化し理想化してきた家族像から大きくは外れておらず、その点でアメリカで支持されている部分もかなりあるのではないか。新世代のポップ・スターとして現代的なモチーフやテーマを背負いながら、同時にアイリッシュは伝統的な価値観とも連なってきた。
 だから、破格の成功を収めたデビュー・アルバムののちの正念場となる本セカンド作『Happier Than Ever』において、ジャケットではオールド・ハリウッドにおける美のイメージが引用され、音楽的にはフランク・シナトラやペギー・リーが参照されているのは合点がいく。実際にシナトラ的な要素が音楽のなかにあるのと同じくらい、彼女自身が影響を口にしていることが重要だ。それは、自分が必ずしもアメリカのポップ・カルチャーにおける鬼っ子ではなく、ゆるやかな継承者であるという態度表明である(METガラでマリリン・モンローのスタイルを採用したのも話題となったばかりだ)。
 とはいえもちろん、単純なレトロ回帰ではなく、“My Future” のようにジャジーな曲、“Your Power” のようにフォーキーな曲とともに “Not My Responsibility” の時空がねじれるアンビエント・ポップ、重たいビートが両足を掴むような “NDA” のノイジーなトラック、そしてベース・ミュージックをより密室的な響きで封じこめたような “Oxytocin” など、アメリカン・スタンダード再訪と新しい時代感覚のポップスが共存しているところがこのアルバムの面白さだろう。減退したとはいえトラップ以降の感覚はベースになっているだろうし、何よりポップ・シーンでプロデューサーとして頭角を現しはじめている兄フィニアスのセンスを信じて託している部分も大きい。

 このアルバムで描かれているのはアイリッシュが実際に直面したポップ・ワールドのえげつなさで、「ダーク」なのはベッドルームで見た夢ではなく外界のほうだった……という感覚がシェアされている。遊ぶ相手に機密保持契約を結ばせる経験(“NDA”)などはポップ・スター以外が共感するのは難しいだろうが、ソーシャル・メディアで身体が不特定多数にジャッジされること(“Not My Responsibility”)や特権的な力を振りかざす男たち(“Male Fantasy”)に対する怒りなど、アイリッシュのファンのメイン層だろう同世代の女性たちにとってとりわけ切実なモチーフが選択されているように見える。それはある意味、現代の10代らしい意識の高さの表れだが、アイリッシュは同時に、恋愛相手に振り回されるなど「正しく」振る舞えずに惑う自分自身も正直に描いている。「政治的な妥当性(PC)」では必ずしも掬えない感情の揺らぎや戸惑いにこそ、わたし(たち)のリアリティがあるのだと。それは政治的妥当性を優先しがちな現代のポップ・シーンへの批評としても結果として機能している。
 アルバムのハイライトである表題曲 “Happier Than Ever” のギターの爆発はグランジを連想させる。これはメディアから「新世代のカート・カバーン」などと短絡的なコピーをつけられたことへの皮肉である……というのはさすがに自分の穿った意見だとは思うが、ともかく、かつてのニルヴァーナの楽曲のように、良識を食い破っていく若者の感情の生々しさを捕まえることにアイリッシュは相変わらず腐心している。
 意識の高さや新しさだけでは自身の表現のリアリティを保てないと理解しているところにアイリッシュのクレバーさはあって、積極的にアメリカの過去に遡ってみせた本作でその志向が見えやすくなったように思う。たとえば、ここで彼女が参照しているオールド・ハリウッドは現代的な価値観でジャッジすると「政治的に妥当ではない」要素を数多く孕んでいるが、そこにも現代の我々が惹かれる美が宿っていることを彼女は知っている。そしてまた、それら古典を独善的に「アップデート」するのではなく、そうした割り切れなさが新世代にも──もしかすると、かつてよりもいっそう複雑な形で──偏在していることを仄めかすのである。ラナ・デル・レイほどその風刺に意識的ではなく、どこか直感的なところを残しているからこそ若い世代にも伝わりやすいのかもしれない。
 自分の関心は彼女の表現が家族の庇護を離れたときにどうなるか、にあるが、変わらず兄や両親の支えとともに「世界」に対峙してみせた本作もまた、現時点の彼女のリアリティに他ならない。(アメリカの)伝統と革新のせめぎ合い、あるいは混在を率直に体現しているからこそ、ビリー・アイリッシュは現代のポップ・アイコンにふさわしい。

Nic TVG - ele-king

 ここ数年続いているジャングルの発掘音源はほとんどが1993年に集中していてドラムンベースというフォーマットが確立されてからのトレンドはまったくといっていいほど素通りされている。ダークステップやニューロファンクなど90年代後半の熱狂はなんだったのかという感じで、そのようにして細分化していったなかには当時から注目度の低かった「ドラムファンク」というサブジャンルもあった。ドラムファンクというのはジャズステップが本腰を入れたというか、ドラムをライヴ演奏のように聞かせることを主眼とし、ドラムンベースをジャズの演奏に近づけようとした傾向のことで、オリジネイターはパラドックスことデヴ・パンディアだとされている。シーンの代表格だったブレイケージがダブステップに乗り換えてしまったこともあって、2010年を待たずしてドラムファンクは姿を消し、復興五輪のように風化したと思っていたものの、しかし、ドラムファンクはいつのまにかアメリカに主軸を移し、ポートランドの〈パインコーン・ムーンシャイン〉をベースにじりじりと音楽性を変化させることに。同レーベルを主宰するニック・TVGのセカンド・アルバムはそれこそ「ドラムをライヴ演奏のように聞かせ」るという部分が過剰に肥大し、ほとんどフリー・ジャズかと思うようなサウンドへと変形が進んでいる。いっそのことフリー・ジャズとして聴いた方が早いのかもしれないけれど、それにしてはドラムンベースやミニマル・テクノの要素が耳についてしまうので、やはりこれは「ドラムファンク」というべきなのだろう。



 7年前(!)のファースト・アルバムに比べてグリッチなどエレクトロニカ度が増し、ドラム以外の要素もかなり複雑になっている。短いイントロダクションを経て最初からドラミングは激しく、あまりにも乱れ打ちで、いくつのドラム・パターンが重ねられているのかもよくわからない。これだけドラムを畳み掛けてアフロっぽくならないのも時流的には珍しく、ファンクではあってもファンキーにはならない。ジェームズ・ブラウンをサンプリングしてるのかなあと思う曲もあるけれど、少し間延びさせて他のドラム・サンプルと組み合わせてるのか、そう簡単にリズムにのせてくれるわけでもない。緊張感に次ぐ緊張感。予定調和なリズムは片端から崩れていく。中盤の “Tamukeyama” ではいったんドラムが後退し、トータスノイ!が出会ったようなベース・ドローンにモードが変わる。もともとドラムンベースにはアトモスフェリックなイントロダクションを過剰に配する傾向があるとはいえ、続く “Nika Sees” でもアブストラクトな感触は持続し、異常なテンションはキープされたまま。マウス・オン・マースを思わせる “Er Ist Immer Mude I” やBPMが早くなったり遅くなったりする “One Record” も新機軸で面白い。とにかくこの人の音楽は誰にも似ていない(感性という意味ではかつてフォテックが “七人の侍” をやろうとしたことに近いのかも?)。

 アメリカで起きた国会突入こそ失敗だったものの、今年はミャンマーの軍事クーデターといい、アフガニスタンが武装勢力に国家主権を奪取されるなど、教科書でしか読んだことがないような国家規模の事件が次々と起きている年であり、客観的に見ればヘンにダラダラした音楽よりも『I Know Where the Vultures Live(=ハゲタカがどこにいるのか知っている)』のように不穏で緊張感みなぎる音楽が時代のサウンドトラックにふさわしいのではないかと。否定されているのはそのことごとくが西欧近代で、世界がどんどん『ゲーム・オブ・スローン』化しているみたいだけど。

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